【カオノナイヒト】
最近、具体的に言えばここ一週間、同じ悪夢をよく見る。
顔のない男か女かもよくわからない人間にただひたすら追いかけられる夢。
今にも雨が降り出しそうな薄暗い灰色の街で、私はいつも目覚める。
辺りには人影一つなく、シャッターの閉まった店が延々と続いているだけ。
途中から夢だと気付いたとしても、その光景はとても不気味だ。
しばらくすると、ポツポツと雨が降り始める。
稀に雷が遠くの方でゴロゴロと鳴ることもある。
そうすると決まってソイツは現れるのだ。
私の存在に気付くと、ソイツは地面を滑るように移動し、こっちに向かってくる。
目も鼻も口もない、ただの肌色が私にはニヤリと歪んだように見えた。
――逃げなきゃ。
元スレ
男「お前のユメ、俺が喰ってやるよ」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1335427008/
そう思うよりも先に体は動き出す。
しかし思うように体は動いてくれない。
それどころか、すぐに息が切れてしまい、何度も足がもつれ転びそうになった。
駄目だ、追いつかれる。そう覚悟した瞬間、いつもそこで目が覚める。
少女「――っ!?」がばっ
少女「はぁ、はぁ、はぁ」
少女「またあの夢……最悪」どさっ
びっしょりと濡れてしまった首の汗を拭って、再び眠りにつくのだが。
当然、眠れるわけはない。
* * *
翌日 学校
友「おっはよー」
少女「……おはよ」
友「どしたの? すっごい眠そうだけど」
少女「ん、何か最近嫌な夢ばっかり見てさ」
友「なになに、どんな夢?」
少女「何者かにひたすら追いかけられる夢」
友「なにそれこわい」
友「でも。なーるほど、それで朝から疲れてるんだ」
少女「あぁ確かに、憑かれてるのかも」
友「誰が上手いこと言えと」
友「……ねぇねぇ、それさ、“夢診断”してもらったら?」
少女「“夢診断”?」
友「そうそう。夢の内容から、その人の深層心理とかを分析するって奴」
少女「えー? いいよ、そんなの。分析してどうするわけ?」
友「まぁまぁ、それは建前で。本当はね、最近この近所でイケメン夢診断士ってのがいるんだって」
少女「うわ、胡散臭そう」
友「でもさ、マジで格好いいらしいしちょっと興味湧かない?」
少女「全然」
友「えー。いいじゃん、行こうよ行こうよ」
少女「友一人で行けばいいでしょ」
友「だってあたし夢の内容とか覚えてないしぃ、一人で行くのもなんか恥ずかしいしぃ」
友「お願い! 帰りがけちょっと寄るだけだから。いいでしょ? いいでしょ? ねぇってばー」
少女「あー、ウザい。わかったわかった、わかったから」
友「やった! じゃあ約束ね。放課後に昇降口!」
まったく。友の奴は。
でもまぁ、気分転換にはなりそう、か。
* * *
放課後
少女「あれ? イケメン夢診断士って」
友「うん。多分そう」
少女「夢診断士って、占い師とは違うんでしょ?」
友「うん。多分そう」
少女「でもあれ、どこからどう見ても占い師の恰好だよね」
全身黒い着物に、黒い帽子。手には何に使うのかよくわからない棒の束。
布の敷いてある机の向かいに座った男は、ベタな占い師といった風な格好だった。
少女「それよりも、なんか……若くない?」
イメージしていたのは30歳くらいの男性だったのだが、目の前の男は恐らく20歳くらいだろう。
なんだかますます胡散臭い。宗教の勧誘とか、そういうアルバイトなんじゃ……?
少女「やっぱ止めとく?」
友「うん、多分そう」
少女「聞けよ!」
友「え? 何?」
少女「もういい。さっさと終わらせよ」
そう言って、私は目の前の男に声をかけた。
少女「あの、すいません」
男「ぐがっ! ……ぐぅ」
――え? 寝てる?
少女「あの! すいません!」
男「……」ぱち
男は静かに目を開けると、私を真っ直ぐ見た。
そして喉の奥が見えるほど大きな欠伸を一つ。
男「……んん? 何お前、客?」
ゆったりとした喋り方のせいで、余計にイライラさせられながらも、私は言う。
少女「そうですけど」
――感じ悪い人だな。いきなりお前呼ばわりだし。仮にもお客さんでしょーが。
男「あぁ、そう。そっちの女の子は?」
友「はい! あたし、あの、友っていいます!」
男「何? 夢診断? じゃあ一回千円ね」
少女「しかも高いし!」
男「高くねーよ。むしろ良心的だ」
友「あ、せ、千円ですね」
男「おう」
少女「ちょっと友、何払おうとしてんの。いいよ、もう。帰ろう」
友「で、でももっとお話したい」
――駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
目がハートマークになってる友の腕を引いて、帰ろうとする。
すると。
男「ん? おい、待て」
友「はい! 待ちます、何でしょう? ちなみにあたし今彼氏絶賛募集中でして――」
男「お前、そこのポニーテールの女」
少女「……何?」
男「お前の夢、大分ヤバいな」
少女「な!?」
ドキリ、とした。まだ夢の話なんてしていないのに。
男「流石に内容まではわかんねーが、悪夢の類であることは間違いない――違うか?」
友「そ、そうです! 流石です!」
少女「何であんたが答えんの」
男「おい、詳しく話せ」
少女「ど、どうしてよ?」
男「どうして、ってお前。……死にたくはねーだろ?」
少女「脅してるつもり?」
男「面倒くせぇ女だな。いいからとっとと話せ」
友「少女、話した方がいいって。ヤバい夢……なんでしょ?」
友の心配そうな瞳で直視されると、なんとも言えない罪悪感に晒される。
少女「わかったって。話すから」
友「よかったぁ」
そんな、本気でほっとしないでよ。大げさな。
有り難いんだか照れくさいんだかよくわからなくて、私は頬をかいた。
* * *
男「なるほど、その夢を見るようになったのはいつからだ?」
少女「大体、一週間くらい前」
男「一週間……お前、体に異常は?」
少女「異常っていう程のことじゃないけど、寝不足がちょっと」
男「そうか」
少女「異常ってどういうこと?」
男「いや、体に痺れとか、五感に異常とかそういうことだ」
少女「な、こ、怖いこと言わないでくれる?」
男「でもおかしいな。それだけ強い悪夢に晒されて、一週間。身体的にも精神的にも何の異常もないなんて」
友「それって、少女が強いから?」
少女「ちょっと」
友「ほら、小さい頃に武道やってたって言ってたし、精神も肉体も鍛えられてるんじゃない?」
男「なるほど、そういうケースは聞いたことねぇが、そういうもんなのか」
少女「私に聞かないでよ」
男「よし、話はわかった。あとはそのユメに俺を呼んでもらうだけだな」
少女「は?」
友「呼ぶ?」
男「俺がお前のユメの中に行って、元凶を喰っちまえばそれでめでたしめでたしだ」
少女「ちょっと待って。意味わかんない」
男「あー……次にそのユメを見たら俺の顔を思い浮かべろ。それで“来て”って念じろ」
少女「そういう意味じゃなくて……あの、何、言ってるの?」
夢診断とかって言うから、てっきり「その夢は~って意味だよ」とかなんとか言われるものだと思っていた。
ところがこの男、今何と言った? 呼ぶ? 喰う? 何を言ってるのかさっぱりだ。
男「お前ら、バクって知ってるか?」
友「えーっと、アリ食べる人でしたっけ?」
少女「それアリクイでしょ。しかも人じゃないから」
男「バクってのは人のユメを食べる生き物さ」
少女「それが何? まさか俺はそのバクだって言いたいわけ?」
男「そう! 正解だ、ポニーテール」
少女「あのさぁ、人を髪型で呼ばないで」
友「バクって人だったんだぁ」
少女「あんた馬鹿!?」
男「人の姿はしてるけどな、人じゃねーよ」
友「難しいですね」
男「そうか?」
少女「うわ、うわー頭痛い……」
男「おい、なんだその可哀想な人を見る目は」
少女「友行こう。この人、絶対ヤバい人だって」
友「え、でも、まだ連絡先交換してないし」
少女「ほら! いいから行くよ!」
友「あ! ちょ、引っ張らないでよ! あ、あの占い師さん、また来ますねー!」
男「おう、今度はちゃんと占ってやるからな」
――結局占い師なのかよ!!
あーもうツイてない、ツイてない、ツイてない!
最っ悪だ本当。あんな変な男が学校の周りにいるなんて、この辺の治安どーなってんの!?
警察か? 警察に通報すればいいのか?
友を半ば引きずるようにして家まで送ってから、私は一人モンモンとしながら家路に着いた。
* * *
少女「ただいまー」
返事がないことはわかってても、小さい頃からの習慣でつい口にしてしまう。
少女「おかえりなさいっと」
だから、ふとした拍子に寂しくならないように、今度は自分で自分におかえりを言う癖がついてしまったわけで。
それはそれで少し、いや結構寂しいことだとは思いながらも、なかなかやめられない。
おかえり、を聞かないと本当に自分がこの世でひとりぼっちになてしまった気がして。
少女「ただいま。お父さん、お母さん、おじいちゃん」
仏壇の前で手を合わせると、不思議と心が落ち着いた。
少女「今日ね、変な人に会ってきた」
こっちを見て微笑んでいる写真に向かって、私はあの男のことを話す。
若い、短髪で柄の悪い、それでいて妙に親しみやすい変人。間違いなく変人。
少女「……ふわ。なんか眠くなってきちゃったな」
話題――と言ってもひとりごとみたいなものだが、話題も尽きてきた頃、朝からの眠気が一気に襲ってきた。
少女「駄目だ、少し寝よう」
――どうか悪夢を見ませんように。
私は二つ折りの枕を座布団代わりにすると、そのまま眠りに落ちていった。
* * *
少女「……やっぱりか」
目を開けると、そこはやはり灰色の街。
ふと頭の中に、あの占い師が浮かんだが、すぐに消した。
少女「何信じようとしてんの、私」
と、そのとき。
ポツリと冷たい滴が頬に当たる。
少女「……来た」
夕立のようにあっという間に勢いを増す雨。
ゴロゴロと雷が遠くで鳴るのを聞きながら、私は十数メートル先に例の顔のない人間を見つけた。
少女「しつこいな、全く」
回れ右をして、走る準備。
大丈夫、また逃げ切れる。捕まる前に夢から覚めればいい。
そんな風にどこかで考えていた。
少女「……嘘、でしょ」
回れ右をした先に、“二人目”が現れるまでは。
少女「な、んで……」
???「ア、ソ、ボウ」
???「アソ、ボウ」
男性だか女性だかわからない、無機質な声。気持ち悪い。
手を伸ばし、じりじりとこちらに近づいてくる。気持ち悪い。
少女「来るな……来るなぁ!」
???「ネェ、アソボウヨ」
ピカピカっと稲妻が空に走ったのと同時、私は走り出していた。
とにかく逃げなければ、何かが決定的にマズイ。そんな気がした。
少女「早く! 早く覚めてよ! ねぇ!」
後ろから、段々と近づいてくる足音。
その数が明らかに二人よりも多いことに、泣きそうになる。
増えているのだ。走れば走るほど。
少女「何でもいい、誰か助けて……」
少女「――助けて!!」
そのとき、一段と強い稲光。まばゆい閃光。続けて、轟音。
どうやらちょうど奴らの真上に雷が落ちたらしかった。
少女「あうっ!」
そのせいか足と足が絡まって、バランスを崩す。
思いきり顔から地面に激突しそうになった私を誰かの腕が支えた。
男「よう」
少女「あ、あんた……」
男「お前のユメ、すげーことになってんな」
少女「さっきの、占い師……?」
そこには、あの変人が立っていた。
全身黒の仰々しい着物のような姿で。
男「男ってんだ。名乗ってなかったな、そういや」
少女「なんで、なんでここに」
男「お前が呼んだからだろ」
少女「私が……?」
男「なんでもいいさ。俺は美味いユメが喰えりゃそれでいい」
そう言うと男は、私を支えていた手を離す。
少女「な!」
慌てて手をついて、体勢を整えた。
――こ、このやろう。
少女「ちょ、助けにきたんじゃないの!?」
男「重い。疲れた」
少女「お、重い!?」
男「いいかポニーテール、食事の邪魔はするなよ」
言うが早いか、男はペロりと舌なめずりをすると、顔無し人間の群れへと突っ込んでいく。
男「大漁だな! おい!!」
その姿は、人というよりも獣に近かった。
掌底は顔無し人間の腹を貫き、蹴りを入れれば頭が吹き飛んだ。
返り血のような黒い液体を浴びながら、飛び跳ねるように、次々と人を襲っていく。
男「どいつもこいつも歯応えがねぇ」
私は、そう言って指先を舐めとる姿に、恐怖した。
そして思わず、こう尋ねていた。
少女「あんた、一体何者……?」
男「俺か? そうだな、ユメを喰らう怪物ってとこか」
* * *
【バクトムマ】
少女「あんた、一体何者……?」
男「俺か? そうだな、ユメを喰らう怪物ってとこか」
――怪物。まさしくその通りだった。
姿かたちは確かに人とそっくりかもしれない。
それでも、誰も今の彼をヒトとは呼ばないだろうと思った。
少女「怪物なら、私も殺す? そこに転がってる顔のない人たちみたいに」
男「おいおい。殺すなんて、そんなことはしねぇさ」
少女「じゃあ何? 食べる?」
男「お前、何か勘違いしてるぞ」
少女「勘違い? 何が?」
男「俺が喰うのはヒトのユメだけだ。お前を殺したり、喰ったりするつもりはねぇよ」
少女「バク、だから?」
男「そういうことだ」
少女「じゃあその人たちは?」
男「これは人じゃない。ムマが作り出した、ただのカタチだ」
少女「ムマ?」
男「人間に憑りついて、悪夢を見せる生き物さ」
少女「じゃあ私がこんな悪夢を見てたのは、そのムマって奴のせいなの?」
男「……あぁ。そのはずだ」
少女「はず、ってどういうこと?」
男「弱すぎるんだ。お前から匂ってた感じでは、もっとデカいユメだと思ってたんだが」
少女「弱い……?」
男「いや、考えても埒が明かねぇ。とりあえず戻ろう」
少女「戻るって、どうやって?」
男「もうムマはいない。お前が目覚めたいって思えば、今すぐにでも目覚められるさ」
少女「えっと、そう言われても」
男「よし、わかった。ならこっち来い」
少女「え?」
言われたとおり、私は男のもとへと近づく。
このとき何の警戒心も持っていなかった私を、心の底からぶん殴りたい。
男「じゃあな。ポニーテール」
少女「は?」
言うが早いか、男はにこやかに笑い――
そして、あろうことか私の頭めがけて、あのメガトン級の回し蹴りを放ったのだ。
てめぇこの野郎、覚えとけよ。
* * *
翌朝、目が覚めてからしばらくは、うとうとしていたせいで気付かなかった。
なぜか目の前にいる、ここにいるはずのない相手の顔に。
男「よぉ、起きたか」
少女「……はぁ!?!?」
男「おいおい、朝っぱらだぞ? 何いきなり大声出してんだ」
少女「この……!」
パシン、と小気味良い音を立て、私の渾身の平手が男の頬にヒットする。
男「いってぇっ!!」
男「な、にすんだお前!?」
少女「何すんだじゃないでしょ! この変態!! どっから入った!?」
男「どっから、ってそこの窓k――」
少女「窓!? はい窓! 決定。これもう通報だわ。つーうーほーう!」
男「はぁ!? ふっざけんな! 命の恩人だぞ、俺は!!」
少女「それとこれとは別でしょ!?」
男「別じゃねぇよ! ……その、あれだ。お前の様子が気になったから、一応来たんだろうが」
男「それがお前、一人暮らしのくせに窓開けっ放しとか……危なくて仕方ねぇよ」
少女「そりゃ――どうも。でも、だからって入ることないでしょ!?」
男「うるせぇ。腹が空いてたんだ」
少女「しかも勝手に何か食べたわけ?」
男「喰ってねぇよ。……何もなかった」
少女「はぁ。仕方ない。まぁあんたに感謝してるのは本当だし、朝ご飯くらいご馳走してあげる」
男「な! 本当か!?」
少女「本当。じゃあ着替えるから出てって」
男「お前いい奴だな! えっと、ポニーテール……?」
少女「ん? あぁ、髪おろしてるから――少女よ、少女」
男「なぁなぁ。俺、ステーキが喰いてぇ」
少女「あるか! そんなもん!」
* * *
男「ご馳走様でした」
少女「お粗末さまでした」
男「お前、料理上手いんだな。すげー美味かった」
少女「別に。人よりちょっと慣れてるだけだから」
ついぶっきらぼうな言い方になってしまったが、本当は少しだけ嬉しかった。
自分の作った料理を誰かが食べてくれて、おまけに美味しいとまで言ってくれる。
それは、久しく感じていない喜びだった。
っと、いけない。洗い物をしながら、にやけてしまいそうになる頬を引き締める。
少女「それで? あんたの用事はもう済んだの?」
男「んん? 用事?」
少女「いやだから、私の様子を見に来たって奴」
男「あぁ、そういやそうだったな」
――こいつ、もう忘れてやがる。
男「……すんすん」
何度か鼻をひくつかせる男。どうやら何かの匂いを嗅いでいるらしいが。
男「ん、ぱっと見た感じ、大丈夫そうだ。ムマはいなくなったはずだぜ」
少女「そう。なら良かった」
壁にかかった時計を横目で見やる。
そろそろ学校に行く支度を始めないといけない時間だ。
男「だけど、ちょっと引っかかってることはある」
少女「何?」
水道の水をきゅっと止め、振り返ると、男は険しい顔を浮かべていた。
男「お前からムマの匂いはしない。でも、何かすっきりしないんだ」
少女「つまり?」
男「もう一日だけ、様子を見たい」
少女「……つまり?」
男「晩御飯はステーキがいい」
少女「出てけ!!」
私は構わず、男を叩き出したのであった。
* * *
友「おはよ」
少女「あぁ友、おはよう」
友「ねぇ、例の悪夢、どうなった?」
少女「ん、アレね。バクに食べてもらった」
友「バク……アリ食べる人だっけ?」
少女「違うっつーの。ほら、昨日のインチキ夢診断士」
友「またまたー。少女、あれは冗談でしょ?」
少女「まぁ別に、それならそれでいいんだけどね」
友「……え? マジ、なの?」
少女「最初は全く信じてなかったけど」
友「そっか。あの人、ヒトじゃないんだ……」
少女「あ、えっと、残念だったね」
友「…………」
少女「で、でもほら、友ならそのうち素敵な人が現れるんじゃない?」
――よくわかんないけど。
少女「ねぇ、友。何か言ってよ」
友「残念? ううん、むしろアリ! なんていうの、種族を超えた愛!? やば、熱いパルスがほとばしってきたーー」
少女「あ、そろそろチャイムだから行くね」
友「スルー!? ちょ、待ってよー!」
咄嗟に、誰かの気配を感じて振り返ったが、誰もいない。
友「どうしたの?」
少女「ううん、別に」
ほんの少し、胸騒ぎがした。
* * *
少女「ただいまー」
一瞬、まだあの男が家にいるような気もしたが、すぐに思い直す。
少女「ううん。戸締りはちゃんとしたし、大丈夫」
男「それが駄目なんだなー」
少女「……マジ?」
男「マジです」
少女「今度はどうやって入ったの? っていうか何の用?」
男「腹が減った。それから、風呂場の窓、開いてたぞ」
少女「それ本当? どっか壊してないでしょうね」
男「信用ないな」
少女「言っとくけどあんた、今現在進行形で不法侵入者だからね」
男「通報しないのか?」
少女「何? されたいの?」
男「い、いや、そういう意味で言ったわけじゃない」
少女「はぁ、ったく。ちょっとそこどいて」
靴を脱いで、奥の間へ。手に提げたスーパーの袋がガサガサと鳴る。
冷蔵庫までの距離がひどく憂鬱だった。
一人暮らしにはちょっと広すぎる家が、こういうときは恨めしい。
男「何か変わったことはなかったか?」
少女「目の前に不審者がいて、すっごく目障りです」
男「……あのなぁ」
少女「別に。これと言って何も」
少女「それより、もうムマは倒したんでしょ? 何で私に構うわけ?」
男「やっぱり気になるんだ。何が、ってはっきりしたことは言えないけど」
少女「それで?」
男「念のため、もう一日だけ様子を見させてくれ」
少女「えっと、普通それ、私からお願いしない?」
男「なんなら、その、あれだ。……夕飯は、抜きでいい」
男は断腸の思いで、といった具合に顔を歪ませ、それでも私の目を真っ直ぐ見て言った。
少女「ぷっ」
男「? な、なんだよ」
少女「いや、大の大人が真面目な顔して何言ってんのかなって」
男「悪いか」
少女「別に。誰もそんなことは言ってませんけど?」
気付けば、私の顔は何故か綻んでいた。
大きな弟が出来たみたいな気持ちだったのかもしれない。
少女「じゃあ特別に一日だけ。客間で待機することを条件に、許可します」
男「……ほっ。そうか」
少女「言っとくけど、ステーキは出ないから」
男「わ、わかってる」
少女「それから。お風呂場と、私の部屋は立ち入り禁止です」
男「それは大丈夫だ」
少女「でしょうね」
軽く、ため息を吐く。
一体私はどこまで甘いんだろうか、と。
でも、きっとこの甘さは、今はもういない私の家族が遺してくれたものだと思うから。
少女「仕方ないか」
男「ん?」
少女「あのさ、ステーキは出ないけど――」
少女「サイコロステーキでよければ、作るから」
男の顔が、みるみるうちに明るくなったのを見て、思わず私は苦笑した。
男「お前、やっぱいい奴だな!」
* * *
【ツメタイウデ】
少女「ねぇ、とりあえず雨宿りしない?」
いくら夢の中とはいえ、こうも雨に打たれ続けると、寒くなってくる。
というか自分の夢なんだから天気くらい操れないもんだろうか。
少女「むむ、晴れろ!」
男「…………どうした急に?」
少女「あ、いや、晴れるかなって。ほら、自分の夢なんだし、ちょっとくらいコントロール出来ても……って思わない? 普通」
男「…………」
少女「な、なに? 何か文句でもあるわけ?」
男「いや、そういえばお前の友達もバカだったな、と」
少女「“も”ってどういう意味!?」
男「うるせぇ。雨宿りするなら、とっとと行け」
少女「はぁ? 何、その言い方」
男「また戦いになったら邪魔なんだよ」
少女「邪魔って、他に言い方あるでしょーが」
男「じゃあ、お荷物」
少女「だぁーっ! もう!!」
――あれから、私たちは再び私のユメの中に来ていた。
相変わらず灰色の景色が続くそこは、私の気分をブルーにさせるには十分過ぎる程十分だった。
* * *
少し前に遡る。
男にステーキ――サイコロだけど、を食べさせた後、私はいつものように薬を飲んでいた。
男「ふーっ。ご馳走様」
少女「お粗末さま。それにしてもあんた、めちゃめちゃ食べたわね」
男「あぁ。すごく、すごく美味かった。ありがとう」
少女「お、大げさ!! ただ買い物行ったら、なんとなく買っちゃっただけ!」
男「俺はぁ、幸せだぁ」
少女「普段どんなもん食べてるわけ?」
男「え? ユメだけど?」
少女「あーはいはい、そうでしたね」
男「ところでお前、何の薬飲んでんだ? それ」
少女「これ? えっと、アロマカプセルって言って、リラックス効果のある錠剤みたいだけど」
男「ふーん。睡眠薬みたいなもんか?」
少女「睡眠薬とは違うけど、まぁでも快適な眠りを、って言ってるくらいだし、似たようなもんかもね」
男「そうか」
少女「うん」
なんとなく、そこで会話も途切れ、私はお風呂に入ることにした。
男の雰囲気が少しだけ、話しかけづらいものになっていた。
* * *
少女「それじゃ私、寝るけど」
男「おう、おやすみ」
少女「あ、えっと、うん。おやすみ」
男「どうした?」
少女「いや、なんかおやすみって言われるの久しぶりな気がして」
男「……そうか。おやすみ」
少女「うん、おやすみ」
考えてみれば、つくづく妙な状況だなと思う。
家族でもなく、友人でもなく、ましてや恋人でもない、出会ったばかりの他人が平然と家にいる。
ただ、あの男からは敵意というものをまるで感じないのだ。
それどころか、警戒心が徒労に感じられるくらい、無防備だ。
少女「って、それは私の方だよね」
一人きりの部屋で、改めて色々なことを考える。
あの男の言っていた、妙な引っかかりとは何なのか。
少女「今日も、何事もなく眠るのは難しいかもなー」
そうしてごろごろと布団に寝転んでいるうち、だんだん瞼が重くなってくる。
* * *
嫌な予感、胸騒ぎ、あるいは虫の知らせ。
そういった不安というものは、えてして的中する。
少女「やっぱりかー……」
男「色気も何もねぇ場所だな」
少女「で、あんたもやっぱり来るわけね」
男「この間来たときは、雨が降ってたように思うが?」
少女「あぁ、あれ? あの顔の無い人間が現れるくらいのタイミングになると、何でか降り出すの」
少女「まぁおかげで、それまでは意外と安心出来るんだけど」
男「ずいぶん悪夢に慣れてるな」
少女「そりゃこうして何度も見せられれば、流石にね」
男「前にも言ったけどな、普通はありえない」
少女「いや、そんなことないでしょ。悪夢に悩まされてる人なんて、世の中たくさんいるよ」
男「全ての悪夢がムマの仕業なわけじゃない。ムマに憑かれて一週間はやっぱり特殊だ」
少女「そうなんだ。私にはそうは思えないけど」
ぽつり、と冷たい滴が私の頬を打った。
男「おまけに、こんな親切な警報じみたサービスも初耳だぜ」
少女「……いた。今回は一人みたい」
男「すぐにまた湧いてくる。邪魔だからどいてろ」
少女「逃げなくていいの?」
男「逃げる? 逃げる必要があるのか?」
男「俺はバクだ。喰う側の存在だぞ?」
そう言って、唇の端を歪ませる男。
コキコキと指を鳴らし、臨戦態勢はばっちりのようだ。
男「さぁて、食後と食前の腹ごなしだ」
どこまでも楽しそうに、男はケタケタと笑った。
* * *
そして、今に至るわけだ。
そこらじゅうに倒れる“顔無し”の死骸を踏まないように、私は歩いていた。
少女「なんなの、アイツ。邪魔とかなんとか偉そうに」
軽く憤慨しつつ、あまり男から離れすぎないように建物の中へ避難することにした。
とは言え。ムカつく奴ではあるが、実際、少なくともこの夢の中では頼りになる。
はぐれないことに越したことはない。
少女「あーもう、服が貼りついちゃって動きにくい」
以前までは自分の恰好について考える余裕もなかったが、今になってようやく気付く。
夢の中で風邪をひくかは別として。いつまでも濡れた服を着ているのは生理的に気持ち悪い。
少し考えて、私は通りに面した洋服屋さんに入った。
ここからなら、ショーウインドウ越しに男の姿も見えるし、ちょうどいいだろう。
自動ドアが音もなく滑り、私を招き入れた。
少女「すいませーん、服と更衣室借りまーす」
人の姿が見当たらないどころか、電気すら点いていない。
少しだけ気が咎めたが、さっさと更衣室のカーテンを閉める。
壁にかかった時計を一瞥し、そういえばここに来てからどれだけの時間が経ったのか、少しだけ気になった。
少女「これでよし、と」
とりあえず動きやすいラフな格好に着替え終えた私は、レジカウンターに腰かけた。
することもないので、ぼんやり窓の外を眺めていると、男がこちらに向かって歩いてくる。
と思いきや、いきなり拳でガラスを叩き割った。ガシャン、と音を立て飛び散る破片。
少女「ちょっ! 何してんの!?」
男のあまりに常識外れな行動に、怒るというよりも驚いてしまった。
少女「入口あるんだから普通に入ってくればいいでしょ!」
男「おい、このユメどうなってる?」
少女「は? どうなってるって、そんなの私が知るわけないよ」
むしろこっちが説明してもらいたいくらいだ。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、男は険しい顔で続ける。
こんなに苛立ちを覚えた男を見るのは初めてで、少しだけ驚いた。
男「ムマの気配が消えないんだ。ぼんやりとして、どこにいるのかがわからない」
少女「それ、どういうこと?」
男「大体、このユメは最初からおかしいことばかりだ」
少女「説明してよ。じゃなきゃ、わかんない」
男「説明? そうだな――」
そこまで言いかけて、男の顔色がさっと変わる。
男「待て。おかしい」
少女「は?」
男「お前、どうやってそこに入った?」
少女「ま、待ってよ。何のこと?」
男「……おい。今すぐそこから出ろ」
少女「待って、説明してってば! どういうこと!?」
男「説明は後だ、手遅れになるぞ!!」
よくわからないが、ここは言うとおりにするしかないのだろう。
カウンターから降り、入口に向かう。
そのとき、強烈な“違和感”を覚えた。
どうして私は今まで、あの顔の無い人間から逃げるとき、建物の中に逃げ込まなかった?
いや逃げ込んだところで行き止まりの中に入っていくよりは、外にいた方がいいかもしれない。
ただ、問題はそこじゃない。よく思い出せ。
そもそも入れなかったではないか。物理的に。
通りに面した店々は皆一様にシャッターが閉まっていたから。
男『お前、どうやってそこに入った?』
私は理解した。
“違和感”の正体を。
少女「……やば」
ひんやりとした感触が、私の腕に触れる。
???「ア、ソ、ボ」
少女「ひっ!」
男「くそっ! おい逃げろ!」
???「アソボ、アソボ」
少女「む、無理!」
男「あぁん!?」
少女「こ、腰が……抜け」
男「あンの間抜けが!」
――怖い。
頭の中が、一瞬で、本当にその一言だけで埋め尽くされた。
こんなの初めてだ。
???「ア、ソボ」
少女「嫌、嫌!」
???「ドウ、シテ?」
少女「助けて! ねぇ!」
外にいるはずの男に向かって、懸命に呼びかける。
その間も、“顔無し”の鉄のように冷たい手は纏わりついてくる。
???「キライ、アソンデクレナイト殺シチャウ」
首筋に冷たさを感じて、ぎゅっと目を瞑った。
これで力を入れられたら私は終わりだ。
さっきまでの出来事が一気に頭の中を駆け巡る。
???「アソボウヨ」
不意に、声がした。
――念じろ! そして呼べ!
少女「バクだかバグだか知らないけど……早く来てよ! 馬鹿ぁ!!」
男「うらぁぁァぁっ!!」
男の声と同時に、鼓膜を吹き飛ばすような爆発音。
いや、実際に吹き飛んだのかもしれなかった。
ガラスやコンクリートの破片があちらこちらに飛び散っているのにも関わらず、世界は静かだった。
気が付けば、私を抱きかかえるようにしていた“顔無し”も姿を消している。
少女(あの、ありがと)
声を出しても、やはり聞こえない。どうやら本当に鼓膜がやられているらしい。
男(悪かった)
少女(え? ごめん、聞こえない)
パクパクと口を動かす男は、バツの悪そうな顔をして、私の頭の上に手をかざした。
男「これで聞こえるか?」
少女「! き、聞こえる。すごい!」
男「あぁするしかなかった。それよりアイツは?」
少女「わからない。気が付いたら消えてて……」
男「相手はどうも、ただのムマじゃないらしい。奴らにこんな小細工するような知能はないはずだ」
少女「私、どうすればいい?」
男「俺から離れるな。何か異常を感じたらすぐに言え」
少女「わかった」
――もう何も言わない。こいつの言うことには素直に従うべきだ。
心からそう思った。
少女「……出られるかな? 私たち、この夢から」
男「覚めないユメはない。良くも悪くも」
そうだ、大丈夫。この男と一緒にいれば、少なくともさっきよりは安全だ。
私は私に出来ることをしよう。足を引っ張らないように。
男「はぁ、はぁ」
少女「ねぇ、大丈夫?」
男「少し力を使いすぎただけだ。問題ない」
男は大分疲弊しているようだった。それも、明らかに。
少し前までのあの余裕は、今の彼からはもう感じられない。
さっきの、私が閉じ込められた空間に入ってくる際の大きな爆発か。
あるいはそのあとに私の鼓膜を治療した、不思議な力か。
どちらにせよ、この男が余分に力を使うハメになったのは私のせいだ。
しっかりしろ、私。私が見てるユメじゃんか。
遠くで雷がゴロゴロと鳴った。
――来る。
なぜか、そんな予感があった。
少女「男、来るかも」
男「あぁ?」
ガラリ、と何かが崩れる音。
???「ハナ、レロ」
???「ソノコカラ、ハナレロ」
男「本当に出やがったな」
少女「うん」
???「ソノコハ、ボクト、ボクト遊ブ」
“顔無し”が私を――いや、私の隣にいる男目がけて襲い掛かる。
男「遊ぶだぁ? なにごっこだよ、おい!」
私を背中に隠すようにして、蹴りが放たれた。吹き飛ぶ“顔無し”。
???「ジャマ、スルナ」
次々と、天井から地面から、“顔無し”は湧いてくる。
手を伸ばして、私たちににじり寄ってくる。
???「ジャマ、スルナ」
男「はぁ、はぁ。くそ、キリがねぇ――」
そして。私を背中でかばいながら、男が一歩後退した、まさにそのとき。
男「な……?」
ずぶ、と鈍い音がした。
少女「え?」
男「……うぐっ」
くぐもった呻き声と一緒に、ぼたりと何かが垂れ落ちる。
わずかに痛みを感じて視線を下にずらすと、私の腕をあの冷たい手が掴んでいた。
男 の 腹 を 貫 い て。
少女「え……?」
男「離れ、るな! げほっげほっ」
咳をするたびに、びちゃっと血が飛び散った。
赤い、私と同じ色の、血。
男「くっ!!」
???「ア、ソ、ぶシっ――」
上半身だけを男の足元に生やした“顔無し”は、すぐに放たれた男の蹴りを頭部に受け絶命する。
だが、穴の開いた腹部からはおびただしい量の血が流れていた。致命傷ではないかと思われるくらいに。
少女「ちょ、ちょっと!?」
男「くっそ! 油断、した」
がくっと膝を折り、そのまま地面に崩れ落ちる男。
少女「そ、そんな……」
――ここで終わりなの?
諦めに似た問いかけが、脳内でこだまする。
そんな不安をかき消すように、男がかすれた声をかけてきた。
男「おい、はぁ、女。はぁ」
少女「なに!? 私、私、どうすればいい!?」
男「はぁ、体を……」
少女「体? 体を支えるの?」
男「違う、はぁ、体貸せ」
少女「か、貸すって?」
男「目、閉じろ」
少女「な……何、する気?」
男「いいから、はぁ、早く」
――終わり? 違う。終わりじゃない。まだ生きている。
なら、何を迷うことがあるのか。さっき決めたんだ。
私に出来ることをするって。
少女「わかった」
男「手を、出せ。はぁ、それで、目を……開けるなよ」
こくんと頷いて、私は言われるがまま、きつく目を閉じた。
差し出した手に、血のついた男の手が重ねられる。
男「くっ! うぅっ! うあぁ」
少女「え? や、何これ、入ってくる……!?」
腕に温かいものが流れこんでくる感覚。
それに反比例して、触れている手から体温は急速に失われていった。
少女「こ、これ何!?」
男『暴れんな』
少女「暴れんな、って……ひゃん!」
頭の中に直接声が響き、そのまま私の内側を走り回っていく。
少女「ちょっと男!? あんた何して――」
流石に耐えられなくなり、目を開けようとしたとき、視界が突然手で覆われた。
それも、自分の左手でだ。どういうわけか、自分の意志を無視してこの手は動いているらしい。
ただ、遮られる前にほんの少し見えた男の体は、人ではない形をしていた。
あの大きな熊のような獣の姿を見られたくなかったのかもしれない。
男『見んなっつったろ。あと少し待て』
少女「ごめん、でもどうなってんの? ……これ」
男『体貸せって聞こえなかったか? よし、動けるな』
少女「え!? ま、待って! ねぇ、何これ――」
自分の体の、感覚という感覚が全てあっという間に弱まっていく感じ。
憑りつかれるとか、乗っ取られるとか、こういう感覚なのだろうか。
少女「ん。なるほど、普段の6割ってとこか」
少女「少しリーチが短いのは厄介だが」
少女「筋肉のしなやかさはこっちの方がいいな」
――何これ? 私が喋ってるのに、私じゃない。
あるいは、私は何にもしてないのに、体が勝手に動くというべきか。
少女「安心しな。この体は借り物なんだ。相応の扱いはするさ」
(ま、待ってよ! 私の意志とかそういうのは無視!?)
少女「うるせぇ。そもそも誰のせいでこんなことになってる」
少女「あのうぜぇムマを喰うまでだ。それくらい我慢しろ」
それを言われると、何も言えない。
確かにこの男は、私の命の恩人であることに変わりはないのだから。
(でも何か納得いかない)
少女「よし話はついたな。なら遠慮なく行かせてもらうぜ」
そう言って男は――いや私は、ぺろりと舌なめずりをした。
少女「おら来いよ。お前らが遊びたがってたのは俺だろ?」
???「アソボ、アソボ」
???「アソボウ」
少女「行くぜ」
少女「うらぁぁァぁ!!」
次々と湧いて生まれてくる“顔無し”を拳脚で薙ぎ払いながら、建物の外へ。
何にしても、狭い空間でこの無尽蔵の敵と戦うのは無謀だと思った。
(ねぇ、このあとどうするつもり?
どれだけ倒しても、キリがないなら何か策を考えないと)
“顔無し”たちが追いつけないほどの、普通の人間ではまず真似出来ない速度で走りながら、私は尋ねる。
少女「どこかに本体がいるはずだ。そいつが、このユメの主だと思う」
(思う、って自信はどれくらいあるわけ……?)
少女「さぁな。何しろ、こんなムマは見たことねぇ」
この男が一体どれだけのムマとやらを見てきたのかは知らないが、今この状況は異常事態らしいことは把握した。
(ところで、今私たち(?)はどこに向かってるの?)
少女「問題はそれだ。生憎、どこに向かえばいいかさっぱりわからん」
少女「……そういやユメの中の世界は、そのユメを見てる奴の記憶に関連してるって話だ」
少女「何か心当たりはないか?」
心当たり、と言ってもこんな景色を私は現実世界では見たことがないと思うのだが。
――いや、果たして本当にそうだろうか。
思い出せ。例えば、“あの事件”のとき……そうだ、たしかあの日も夕立が降っていた。
少女「そうか。となると手がかりは無しか」
(待って。一つだけ、あるかも)
少女「何だ?」
(私の、一番嫌な記憶……)
* * *
――4年前
断片的に覚えていることがある。
お父さんとお母さん、それから私の3人は近くのスーパーから買い物をして帰るところだった。
少女『雷すごいね……』
母『大丈夫よ。何かあってもお母さんが守ってあげるからね』
父『はは、そんなこと言って。昔はお前も雷駄目だったろう?』
お父さんが運転する車の中で、私はお母さんに抱きしめられるようにして小さくなっていた。
父『それにしても、すごい雨だな』
母『本当ね。あなた、運転気をつけて』
少女『気をつけてね』
父『大丈夫さ。宝物を積んでるわけだからな』
少女『宝物って?』
母『さっき買ったビールでしょ』
父『あははっ! 正解だ』
ワイパーが規則正しく揺れるのを眺めながら、私はだんだんと眠りに落ちていく。
母『あら? 眠いの?』
少女『……うん。お家着いたら、起こして』
母『はいはい、おやすみ』
一度、ここで記憶は途切れ――
そして、場面は変わり。
私はあちこち痛む体を気にすることもなく、燃え盛る車の近くで必死に二人を呼んでいた。
少女『お父さん! お母さん!!』
救急隊員A『娘は、奇跡的に軽傷で済んだ用です。しかし……』
救急隊員B『馬鹿言うな! 助かる可能性はゼロじゃない。何としても――』
救急隊員C『報告です。対抗車両に乗っていた男性は残念ながら即死だそうです』
少女『ねぇおじちゃん! お父さんとお母さんは!? どうなっちゃったの!?』
救急隊員A『搬送準備、整いました!』
救急隊員B『よし、すぐに搬送だ。この娘も病院へ』
少女『おじちゃん! お父さんとお母さんは!?』
救急隊員B『大丈夫だよ。絶対に助けるからね』
少女『本当に? 約束?』
救急隊員B『あぁ、約束だ。だから救急車に乗ろう』
* * *
――1週間後
事故で両親を亡くした私は、その後祖父に引き取られることになった。
私の身よりはもう既に、祖父だけになっていた。
事故の原因は、未だにはっきりとわかっていない。
警察の話では居眠り運転をしていた対向車が、私たちの乗る車に突っ込んできたらしいが。
祖父はその話を聞いて怒り、
だがその怒りをぶつけるべき相手がもうこの世にいないことに対して言いようのない憤りを感じていた。
一方私はといえば、怒るとかそういう余裕もなく、心を閉ざすようになってしまう。
毎晩、毎晩両親の写真を見ながら、何日も眠れない夜を過ごした。
祖父『少女、俺たちは強くならなければいけない』
あるとき、祖父が突然こんなことを言い始めた。
事故から立ち直れずに、不登校となっていた私に対して、いきなりだ。
祖父『お前がそうやって塞ぎ込んでいるのは、お父さんにとってもお母さんにとっても不本意なはずだ』
少女『…………』
祖父『お前ももうすぐ中学生だろう? 笑って、卒業式の写真を、制服姿を見せてやりたいじゃないか』
祖父『無茶なことを言ってるのはわかってる。でも、俺たちは前に進まなきゃいけないんだ』
祖父『だから少女、強くなれ。俺と一緒に、強くなろう』
* * *
――少女のユメの中
(交差点……。大きな交差点!)
少女「交差点? なんでだよ」
(いいから。多分、これが悪夢なんだとしたら、私の悪夢の始まりはそこだから)
少女「……わかったよ。どんな交差点だ?」
(えっと、大きいモニターがあるところ。それから――)
少女「モニター? なら、ここじゃねぇのか?」
(え?)
確かにそこにはビルの壁面に埋め込まれた巨大なモニターがあった。
(そうだ、思い出した。ここ……私が前に住んでた町だ)
どうして忘れてしまっていたんだろう。
思い出したくない過去として、無意識に記憶の底に沈めてしまっていたのか。
少女「どうやらビンゴみたいだぜ」
(ビンゴって、何が?)
少女「今までぼんやりしてたムマの気配が、急に濃くなってきやがった」
突然、ザザっという砂嵐のすぐ後にモニターが点いた。
ブラウン管テレビのように、ゆっくりと映像が見え始める。
モニターの中には、“顔無し”が映っていた。
???「ヤット、来テクレタンダ」
(……やっと?)
少女「ずいぶんと手こずらせてくれたな、お前」
???「待ッテイタヨ。長イ間」
少女「じゃあ、とっとと出てこい。この俺が喰ってやる」
???「ズット独リボッチデ……寂シカッタ」
少女「さっきから聞いてりゃ、わけわかんねぇことばっか言ってんじゃねぇ!」
少女「いいから出てこいよ! こちとら腹が減って仕方ねぇんだよ!!」
???「……邪魔ダナ。君ハ」
また、あちらこちらの地面から“顔無し”が生えてくる。
だが、男は小さく舌打ちをして、あっという間に3体程を葬り去った。
アクロバティックな動きから繰り出される体術は、もはや人間のものではない。
男は完全に私の体を自分のものとしてコントロールしているようだ。
少女「見たろ、力の差は歴然だ。無駄なあがきはいい加減やめようぜ」
???「……ソウ、ミタイダネ」
低い呟きの後、観念したのかモニターの中の“顔無し”はずるずる画面から這い出てきた。
まるでスライムのように、どろっとした体は重力に引っ張られて、そのまま落下する。
べちゃっという気持ち悪い音。
その衝撃で一瞬形が崩れたものの、すぐにまた人の形へと戻っていく。
少女「やっと出てきたか。待ちくたびれたぜ」
巨大なモニターから出てきたそいつは、今まで倒してきたどの“顔無し”よりも大きかった。
周りのビルと比べても、大体、2階くらいの高さがある。
(観念したわけじゃない、本気になったんだ)
???「オイデ。本当ノ悪夢ヲ見セテアゲル」
(……こんなの、勝てるの?)
少女「勝つんだよ、馬鹿野郎」
地面を蹴って、跳躍。
私の体は羽根でも生えてるかのような身軽さで、2階分の高さまで楽々跳んだ。
???「無駄ダヨ」
(――ひっ)
私の意識は思わず、悲鳴をあげた。
巨大な“顔無し”の体から触手のようなものがうねうねと湧き出てきたからだ。
(き、気持ち悪い……!)
少女「同感だな」
真っ直ぐに私の体目がけて襲いくる触手。
しかし、身動きの取れない空中でも、男は落ち着いていた。
少女「邪魔だ!!」
手をかざし、薙ぎ払う。
すると、弧を描くようにして炎が現れた。
伸びてきた触手は、熱に弱いのか炎に触れると一瞬で灰になった。
少女「ちっ、やっぱ大したことはできねぇのか……?」
それでも、私たちは触手のバリケードを突破して、無事に“顔無し”の肩に降り立つ。
少女「これで、終わりだ」
勢いよく右掌を“顔無し”の横顔に向かってかざした。
そうしたら、あの服屋の壁を吹き飛ばした程の膨大なエネルギーが放たれる――はずだった。
ところが、私の掌から放たれたのは、爆発とは程遠い、ただの火の玉だったのだ。
おそらくこれが、借り物である私の体を使っている今の男の、力の限界だった。
???「ソノ子カラ……出テイケ」
突然足場が液体のようになり、バランスが崩される。
その隙を見逃さず、すかさず触手が私の首に絡みつく。
少女「ぐっ……!」
(うっ、く、苦しい……!)
???「サァ、早ク出テイケ」
少女「俺だってなぁ、好きでこんな体、使ってねぇんだよ!」
???「出テイケ」
少女「ぐあぁっ」
(あ、ヤバい。意識が……飛びそう)
そうして、じわじわと視界が黒く染まっていく中で、私は微かな声を聴いた。
優しくて暖かい、どこか安心するような声。
母『大丈夫よ。何があってもお母さんが守ってあげるからね』
(おかあ、さん……?)
(お母さん、お願い。力を貸して……!)
少女「――!? な、なんだこれ?」
遠くで鳴り響く雷音。それは、獰猛な猛獣の唸り声を思わせた。
少女「力が、勝手に――」
膨らみ過ぎた風船が弾けるように。
あるいは、せき止められていた水が、一気に溢れるように。
そのときは唐突に訪れた。
もの凄い勢いで空気が振動し、突風が辺りを吹き抜ける。
爆発なんて、ちゃちなものではない。
もっと凄まじい、エネルギーのうねりだった。
???「馬鹿ナ、コンナノハ知ラナイ……聞イテナイ」
鞭のようにしなる風が、槍のように突き刺さる稲妻が、容赦なく“顔無し”に襲い掛かる。
辺りの建物も無事ではない。あちこちが崩れ、飛び散っていく。
そんな中で、私の体だけが不思議な力に守られていた。
母『聞こえる?』
(お母さん!)
父『……大きく、なったな』
(お父さん!?)
とても微かだが、それでも聞き覚えのある声が、確かに頭の中に響く。
母『少女、ごめんなさい。あなたを置いて行ったりして』
(ううん、そんなことない。……そんなこと、ないよぅ)
父『私たちを許してくれるのか?』
(許すも何も、お父さんたちは、私のことずっと守ってくれてた)
(あの雨も、雷も、全部二人が私のことを助けてくれてたんでしょ?)
(今ならわかるよ)
父『あんなことしか出来なかった』
父『例え現実の世界に存在出来なくても、お前を、守りたかった』
(ありがとう、お父さん)
母『……でも今回のは、彼のおかげね』
(え?)
母『彼の力を、ほんの少し借りたの』
母『代わりに、とても消耗させてしまったけれど』
(どういうこと?)
父『お前を守るためには、ああするしかなかった』
(ま、待って。何言ってるの……?)
父『大丈夫。まだ息はある』
母『バクの力の源はユメ。だから、今のあなたになら救えるはず』
穏やかに微笑む二人が、だんだんと輪郭を無くしていく。
(嫌だ、置いてかないで! 私も、私も――)
父『また会えるさ。悪夢はもう、終わったから』
母『さぁ行って』
(私、私は――)
私は、そのあと何と言おうとしたのだろう。
ありがとうとか、また会おうねとか、そんな言葉だったのか。
それとも。
* * *
男「おい、大丈夫か?」
少女「え? あれ? ここは……?」
男「よかった、生きてたか」
少女「お父さんと、お母さんは?」
男「はぁ? お前、まさかとは思うけど、ユメの夢見てましたって言うんじゃないよな?」
少女「夢……だったのかな、やっぱり」
二人の声は、未だにはっきり思い出せるのだけれど。
男「まぁ、何にせよ、これで終わりだ。全部、な」
少女「全部……?」
見れば、男が座りこんでいた瓦礫の向こうに、もう一人。
別の男の姿があった。
男「こいつ、見覚えあるだろ?」
少女「っと、どうだろう?」
立ち上がって、その男の顔を覗き込む。気絶しているらしく、目は閉じられたままだ。
どこかで見たような、そんな気は確かにするのだが……。
少女「あ」
男「思い出したか」
少女「こいつ、ひょっとして」
4年前、私たち家族が乗っていた車にぶつかった対向車。
確かその運転手だったはず。いや、おかしい。
少女「でも待って、この人は死んだはずだよ。4年前の、あの日に」
男「死んだ? 違うな、ムマに喰われたんだ」
少女「え?」
男「ムマに喰われた人間は、ムマになるんだよ」
少女「ムマに……なる?」
男「居眠り運転って言ったか? 事故の原因」
少女「そう、だけど。まさか――」
男「ムマに喰われた意識の、その空っぽになった器が事件を起こした」
男「そういうことだ」
少女「じ、じゃあ、あの事故って、ムマのせい……ってこと?」
男「そういう見方も出来るな」
少女「そんな……」
関節的にではある。でも、私の家族の命を奪ったのは、ムマ。
その事実は、ずしんと音を立てて心に突き刺さった。
そんなときだ。男の口からあの言葉が出てきたのは。
男「――なぁ、ムマに復讐したいと思わないか?」
少女「復讐……?」
男「憎いだろ? 家族の命を奪ったムマが」
少女「憎い……?」
男「俺は、ムマを喰いたい。お前はムマに復讐したい。どうだ? 俺たち、手を組むべきだと思わないか?」
少女「どういう意味?」
男はゆっくりと立ち上がる。そして、私の方を真っ直ぐ見た。
その姿を改めて見たとき、私は愕然とした。
少女「あんた、腕、どうしたの?」
男「ん? あぁ、失くした」
少女「失くした、って……」
彼の左腕は、肘より先が無くなっていたのだ。
少女「あんた、それ」
男「お前の体、意外と良かったよ」
少女「は、はぁ!?」
男「お前の体を借りれば、まだ俺は戦える。ムマを……喰える」
男「だから、協力して欲しいんだ」
少女「ま、待ってよ。協力って――」
男「3日後、またお前に会いに来る。そのときまでに決めといてくれ」
そう言うと、男は私にあっさりと背を向ける。
片腕で気絶したままのムマを抱え、どこかへ消えてしまった。
少女「そんな……」
雨が上がり、空は見たことないくらいに青く染まっている。雲一つない。
瓦礫だらけの町に取り残され、私は途方もない運命に巻き込まれつつあることを感じていた。
* * *
【ハジマリノオワリ】
結局、何一つ答えを出せないまま、約束の日が訪れてしまった。
あれ以来、私は悪夢を見なくなった。
正真正銘、バクに喰われたのである。
少女「……復讐、か」
友「なになに? 何の話?」
少女「へ? あ、えと、そう復習! なかなか授業の復習する時間がないなぁ、って」
友「うわ、勉強っすか」
少女「そ、そうそう。なんなら、友も一緒にやる?」
友「ううん、あたしはパス」
少女「だよねー」
友「……ふわぁーあ。そいじゃあね」
少女「うん、また後で」
* * *
少女「やってしまった」
ついうっかり、何の気無しに冷凍のサイコロステーキを買ってしまったのである。
それも、よりによって今日。
少女「くぅ、お一人様限定割引じゃなきゃな」
これではまるで、私があの男を迎える準備をしているみたいではないか。
少女「あームカつく、あの食べることしか考えてない能天気馬鹿のせいで!」
イライラを隠そうともせずに、玄関の扉を開ける。
少女「ただいま!!」
男「おーう、おかえりー」
少女「何でいんのよ!? いや、なんとなくいるような気はしてたけども!」
男「約束してたんだから、いるに決まってるだろ?」
少女「今度はどっから入った!?」
男「えっと、風呂場の窓が――」
少女「今朝閉めてきた! 指さし確認までした!」
男「はぁ、嫌だね。すぐキレる若者」
少女「っのヤロー」
男「それで? 答えは決まったんだろーな?」
少女「……答え?」
男「俺と契約して、魔法少女にでもなるか? って奴だよ」
少女「さぁね。まだ考え中」
男「おいおい、そりゃないだろ? 3日も猶予与えたろーが」
少女「知りません。そっちが勝手に決めたことでしょ?」
男「なんだと?」
少女「何よ?」
お互い、ギロリと睨みあう。
でも残念でした。今回は、私の方が上手だ。
少女「いいのかなー? せっかく今日は機嫌がいいから、サイコロステーキ作ろうと思ったのに」
男「な、んだと?」
少女「あーぁ、口喧嘩なんてしたらモチベーション下がっちゃうなぁ」
男「おい」
少女「何?」
男「わかった。お前が決めろ」
少女「毎度~。わかればよろしい」
男「ただし、条件がある」
少女「はぁ? 条件?」
男「お前が結論を出すまで、俺もここに住む」
少女「は、はぁ!? 正気!?」
男「ここに来るたび不法侵入だなんだと騒がれちゃ敵わないからな」
少女「ちょ、そんなの不法侵入どころか不法占拠じゃん!」
男「うるせぇ。俺は風呂に入ってくる」
少女「自由か!! 話聞きなさいよ!」
拝啓、お母さん。お父さん、並びにおじいちゃん。
申し訳ないんですけど、しばらくの間居候を住まわせることになりそうです。
うるさくなると思いますが、どうか温かい目で見守っていてください。
少女より。
男「ついてくんな」
少女「いやいやいや、させないから。させないからね?」
とりあえず、一度これにて終了です。
保守してくれた方々、ありがとうございました。
おやすみなさい。
いくらか残った謎はまた別の機会に書きたいと思います。
「知ってる? 落ちる夢の話」
「あぁ、聞いたことある。死んじゃうんでしょ?」
広がる噂話。新しい悪夢。
男「契約はするか、しないか。それが全てだ」
少女「助けたいの! 友達だから!!」
友「えっと、あたしに出来ることがあったら言ってね?」
先生「皆さんに、残念なお知らせがあります」
深まる謎。交錯する思惑。
「問題ないですよ。順調に流通していますので」
友「ねぇ少女。あたしね、ずっと――」
男「お前のユメ、俺が喰ってやるよ」
次回【オチルユメ】
少女「死なせないから。……絶対」
みたいな、厨二の遊びw