せみしぐれが降りそそぐ、ある夏の日のことでした。
「おーい、ほたるー」
「プロデューサーさん……」
帰り道を歩く私に声をかけてきたのは、私のたった一人のプロデューサーさん。5年前からなにもかわらない笑顔で、ちいさく手を挙げていました。
「待ちくたびれたよ。暑い中外で人探しするもんじゃないなぁ」
そう言ってからからと笑う彼は、汗一つ見せずに私を見ています。その目は大切ななにかを伝えようとしているようでした。もちろん、私には分かっています。でも。
元スレ
白菊ほたる「ほたるのはか」
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「……どうして、笑ってるんですか」
「ん?笑っちゃ悪いか?それにほたるもそんなシケた顔しないでくれよ。トップアイドルがそんな顔したら週刊誌の餌食だぜ」
「いや……その……」
私があなたの顔を見る資格なんて、あるはずがないじゃないですか。そんな言葉がこぼれそうになって、ひんやりとした彼の指が唇に触れます。
「もし何か思うことがあるんだったらさ、」
あまり格好良くはない顔が、くしゃりと歪みました。
「俺の墓の前で、言ってくれないかな」
1人分の切符を買って、列車に乗ります。とおくの街のさらにとおく、碧い海がきらめく静かな村。その小高い山の上にプロデューサーさんのお墓はあるーそう、地図には書いてありました。
がらがらと鳴るエンジンの音に揺られながら、海に目を向けます。かすかに聞こえた波の音が、わたしを責める彼の声みたいに思えました。私が来なかったのは、ただ忙しかったから。あの人のおかげでトップアイドルになれたから。そう言い訳をしようとすると、波の音は消えてしまいます。
長いホームに降りると、見慣れたスーツの男性が立っていました。またナイフで刺されたような気がします。
「ほたる、来てくれたんだね」
プロデューサーさんは、あの時と変わらない笑顔でした。
プロデューサーさんが亡くなったのは私のせいです。
事務所を追い出された私を拾って、アイドルにすると言ってくれた彼。今までの人と同じように、プロデューサーさんもだんだん不幸になっていきました。人間関係は悪くなり、怪我や病気も増えて、家まで焼けてしまいました。
それでも、彼はずっと笑っていました。私の面倒を見て、たまに叱って、その何十倍も褒めて、色んなことを教えながら。
一度だけ理由を聞いたことがあります。なんでそんなに笑っているんですか、と。プロデューサーさんはまるで愛の告白をするような口調で言いました。俺はこの世でいちばんの幸せ者だからな。
その翌日、彼は亡くなりました。死因はストレス性の心不全でした。だから。
私が墓参りする資格なんて、ないじゃないですか。
夕焼けをうつした海が、オレンジ色にきらめきました。思わず顔をしかめー目の前に来ている車に気付くのが遅れました。ああ、ここなんだ。あの人は私がこうなるべきだって信じてたんだ。心が安らいで、口角が上がります。恨まれていて、良かった。
衝撃は来ませんでした。かわりに、傷一つついていないプロデューサーさんが道路に転がっていました。
「はは、死んだ後でも痛いものは痛いんだな。幽霊だから通り抜けやしないか心配だったよ」
「……なんで」
頭をぽりぽりとかくその姿は、5年前と何も変わっていなくて。涙を流す前に、恐怖がやってきました。
「なんで!私のことを嫌いにならないんですか!」
「私、ずっとあなたを不幸にしてきたんですよ!?私をかばって何度もケガして、事務所の人からも嫌われて!なのに、なんで!何でずっと」
ー楽しそうなんですか。そう動いた口は、静かに止められました。体を包み込む冷たい感覚。温度と当たる場所以外は、あのころと何ひとつ変わっていませんでした。声も、目線も、やさしい手つきも、
「それはな、俺がほたるに惚れ込んだからだ」
本音を漏らす時だけは、まっすぐな言葉で言ってくれるところも。
あの日公園で見かけた黒髪の女の子。儚げで、か弱く見えて、それでいて地獄の底でも折れない心を持っていると一目で分かった。アイドル向きだなと思う前に足が動いた。有り体に言えば一目ぼれという奴だ。
何とかスカウトに成功したけれど、それからは苦労の連続だった。上司からは言いがかりを浴び、同僚は呆れてあざ笑う。当たり前だ。彼女が業界ではある程度名の知られた厄病神らしいことを、俺は知らなかったのだから。
なら俺がなんとかして見せる、その決意は簡単には崩れなかった。必死で仕事をかき集め、深夜までレッスンを手伝った。万一の事があっても1人で飛べるように、セルフプロデュースのやり方まで教えたっけな。人間の努力で何とかなる分は、ほぼやりきったと思う。
……いや、駄目だ。まだ足りない。彼女が壊れないようにしつつ、誰もが認めるシンデレラになるには、もっと俺が努力しなければ。もっと、もっと、もっとー
ああ、こんな所で転んでいる場合じゃないのに。
墓は荒れ果てていました。無言で草を抜いていきます。誰かが植えたのでしょうか、1輪だけ彼岸花が咲いていました。この花も、誰かが見つけなければ枯れていくだけだったのでしょう。
「ほたるがトップアイドルになったら会いに行くつもりだったんだ」
水を撒いていたプロデューサーさんが、おもむろに口を開きました。お墓の近くでなら、普通の人と同じように物に触れるそうです。
「だから、今年になった。シンデレラガール受賞おめでとう」
そう言って、彼は頭を撫でました。さっきとは違う、わしゃわしゃと髪型を崩すような撫で方。私を褒める時はいつもこうしてくれていましたっけ。
「……私こそすみません。一度もお墓参りに行けなくて」
こぼれた涙は、そっと誰かが拭き取ってくれました。
いつの間にか空には星が瞬いています。線香をたててお祈りをしていると、一匹の蛍が指に止まりました。ちかちかと光るそれは、まるで私をどこかに誘うようでした。少しだけ考えて、ついていくことにします。
木々を少しだけかき分けた先には、ちいさな川が流れていました。その水辺に来た蛍は何かを伝えるように一度だけ煌めいて、ぽとりと地面に落ちました。そのあっけない姿はまるであの人のようで、何か出来ることがあったらしてくれと言っているようでした。
少しだけ土をかきわけて、彼の亡骸を埋めます。指に硬い何かが触れました。石でも、木の根でもない何か。
金属でできた小箱。表に書かれた文字が夜目にも鮮やかに光って、動きが止まります。そうだったんですね、蛍さん。あなたはこれを見せに来てくれたんだ。
箱と蛍を抱えて、私は来た道を戻ることにしました。ほたるの墓は、私を愛してくれた人と同じところにあるべきですから。箱の中身を見るのは、それからでもきっと遅くはありません。
「シンデレラガール・白菊ほたる様へ」
完

