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<早朝の待ち伏せ>
妹友(こんだけ早い時間に駅前に来ていれば大丈夫よね)
妹友(それにしてもちょっと早すぎたかな。いくら何でも何時間も外で待っているのはつらいな)
妹友(そんなこと言っていられる場合じゃないだけどさ)
妹友(メールだけじゃない。昨日の放課後だって)
妹友「お兄さんと仲直りできてよかったね」
妹「うん。お兄ちゃんたらさ」
妹友「どうしたの」
妹「あんまりあたしを放置して構ってくれないなら、あたしは一人で夜遊びするからねってメールしたら」
妹友「(それが兄貴に出す内容のメールかよ)そしたら?」
妹「お兄ちゃんたら、すぐに明日帰るからそれだけはやめてくれだって。バカみたいでしょ。あたしが本当に夜遊びなんかするわけないのにね」
妹友「それで明日の朝、お兄さんが実家に帰って来ることになったのかあ(何でそんなに目を輝かせて嬉しそうなのよ)」
妹「うん。だから悪いけど今日は部活はパスね。お兄ちゃんの朝ごはんって面倒だからさ。今日中に買物しておかないといけないの」
妹友「面倒って?」
妹「お兄ちゃんってさ。朝はパンとかだめな人なんだ。ご飯とお味噌汁とかないと食べた気しないんだって」
妹友「ふーん。そうなんだ」
妹「だから、あとは出し巻き玉子を作って、干物を焼いて」
妹友「そこまでするの? せっかくの休日なのに」
妹「お兄ちゃんって一人暮らしじゃない? どうせ朝ごはんなんかろくに食べていないだろうから、せめて実家に帰ったときくらいはちゃんと食べさせないとね」
妹友(それはあんたたちの母親の役目でしょうが)
妹「じゃああたしは帰るね」
妹友「・・・・・・部長に、妹ちゃんは今日は用事があって部活はさぼりますって言っておくよ」
妹「妹友ちゃんひどい」
妹友「え」
妹「サボるとか言わないでよ」
妹友「あ。うん、そうだった」
妹「じゃあね」
妹友「うん」
妹友(いい兄妹として仲直りさせただけのつもりだったのになあ)
妹友(お兄さんはともかく、妹ちゃんが暴走し始めてるとしか思えない)
妹友(こうなったらお兄さんの方だけでも釘を刺しとかないと)
妹友(あ)
妹友(あのファミレスなら、あの店の駅側の窓際に座っていれば駅の入り口を見張っていられるかも)
妹友(・・・・・・あのファミレスの駅側の窓側の席って確か喫煙席なんだよなあ)
妹友(ううん。煙いとか言ってる場合じゃないよね)
妹友(よし)
妹友「すみません。あそこの窓際の席がいいんですけど」
妹友「あ、はい。窓際に座れるなら喫煙席でもいいです」
妹友(あれ? お兄さんが禁煙席にいる)
妹友「すいません。待ち合わせの人がいたんでその席に行きます」
妹友(まさかここで会えるとはラッキーだった)
妹友(よし)
妹友「あれ? お兄さんじゃないですか。おはようございます」
兄「げ」
妹友「・・・・・・今あたしの顔を見て、げって言いましたね」
兄「いや。おはよう妹友さん」
妹友「げって言いましたね」
妹友(何でそんなに嫌な顔するのよ。あたしに会えてもお兄さんは少しも嬉しくないんだろうか)
兄「いや。おまえの気のせいだろう」
妹友「言いましたよね」
兄「ごめんなさい。ちょっとびっくりして思わず」
妹友「(謝らなくてもいいのに)・・・・・・まあ、いいでしょう。お兄さんは何でこんなとこ
ろにいるんですか」
兄「何でって言われても。朝飯を食おうとして」
妹友「何でですか」
兄「いや。俺だってお腹は空くし」
妹友「ここから徒歩圏内にご自宅があるじゃないですか。家で食事ができないような事情でもあるんですか」
兄「そんなもんあるか。いいじゃんか、ファミレスで飯くらい食ったって」
妹友(よし。感情的にならずに冷静に話ができている)
妹友「まあ、別にどうでもいいんですけどね」
兄「なら聞くなよ」
妹友「失礼します」
兄「何で俺の席に勝手に座る」
妹友「別にいいじゃないですか。ご馳走しろって言ってるわけじゃないのに」
兄「そういう問題じゃない」
妹友「じゃあどういう問題ですか」
妹友(そんなにあたしと一緒にいるのが嫌なの?)
兄「・・・・・・まあいいや」
妹友「すいません。オーダーお願いします」
兄「俺は和」
妹友「あたしは和風モーニングセットをください」
兄「・・・・・・洋風モーニングセットAを」
妹友(朝食を注文した。少なくとも妹ちゃんが用意した朝ごはんは無駄になるのね)
妹友「意外ですね。朝は和食派かと思ってました」
兄「何を根拠に言ってるんだ」
妹友「ソースは妹ちゃんです。うちのお兄ちゃんは朝はいつもご飯とお味噌汁がないとだめなの。ママがいつも面倒がってるって言ってました」
兄「そんなこと話してるんだ」
妹友「そのくせオムライスが大好きなお子様味覚だとか、焼き魚もさわらの西京漬けみたいな面倒なものが好きだとか」
兄「妹ってそんなことまで話してたのか」
妹友「妹友ちゃんはお兄さんの話ばかりしてますからね」
兄「・・・・・・」
妹友「興味の欠片もないお兄さんの話しばかり毎日聞かされて、正直あたしも最近少しいらっとしてました」
兄「それは悪かったな」
妹友(ずいぶんと冷静だな。妹ちゃんの方はともかく、お兄さんはいい兄妹の関係に戻ろうとしているだけなんだろうか)
妹友(妹ちゃんにちょっと脅かされただけで実家に帰って来るとか普通じゃないとは思うけど)
妹友(ここの家の仲のいい兄妹ならありえることだし)
妹友(もう少し探ってみないと)
妹友「お兄さんが謝る必要なんてないですよ」
兄「そうか」
妹友「お兄さんごときに謝ってもらっても少しも気分は晴れないですから」
兄「・・・・・・それで? おまえは朝早くからこんなところで何してるんだ」
妹友「お兄さんと話しながら朝食が運ばれて来るのを待ってます」
兄「・・・・・・いや、そうじゃなくて」
妹友「ここで時間を潰して駅の出口を監視しようと思って」
兄「何のために」
妹友「妹ちゃんが昨日嬉しそうに明日お兄ちゃんが帰ってくるのって、目を輝かせながら言っていたので」
兄「もしかして俺を待ってたの」
妹友「はい。お話しがあって」
兄「話って?」
妹友「お兄さんって妹ちゃんとはいい兄妹に戻ったんですよね」
兄「おまえも知ってのとおりだ。妹に送信する前にメールを見せたじゃんか」
妹友「そうですか。おかしいなあ」
兄「何か気になることでもあるのか」
妹友「実はそうなんですよ。で、てっきりお兄さんが性懲りもなくまた妹ちゃんを惑わせてるのかと」
兄「そんなことを疑ってたのかよ」
妹友「一番妥当な推論ですからね。お兄さん。嘘言ってないですよね」
兄「言ってねえよ。ちゃんと妹にも会っていい兄貴になるって、もうおまえを口説いたりしないって宣言したぞ」
妹友「嘘じゃなさそうですね」
兄「嘘じゃねえよ」
妹友(嘘じゃなさそうよね。じゃあ、妹ちゃんの感情は空回りしているだけなのかな)
妹友(釘を刺しておかないと。妹ちゃんがお兄ちゃんと会わないことをお兄さんに認識させないと)
妹友「じゃあ、何で妹ちゃんはうちのお兄ちゃんと会おうとしないのかなあ」
妹友(・・・・・・お兄さんの反応は)
兄「え」
妹友「お兄ちゃん落ち込んで悩んじゃって。最近妹ちゃんが冷たくて、登校時も下校時も休日のデートも全部断られてるんですって」
妹友(なんだかよくわからない。でも、意外そうな表情と口調ではあるし)
妹友(・・・・・・)
<お兄ちゃん>
妹友「ただいま」
彼氏「え? おまえ寝てたんじゃなかったんだ」
妹友「ちょっと散歩してた」
彼氏「こんなに朝早くから?」
妹友「・・・・・・ちょっとね」
彼氏「くそ。おまえまで悩んでるのか」
妹友「え? どうしたの」
彼氏「・・・・・・いや、ごめん。何でもないよ」
妹友「何でもないようには見えないけどな」
彼氏「本当に何でもないって」
妹友「・・・・・・ご飯食べた?」
彼氏「例によって父さんも母さんもいないしな」
妹友「ごめんね。今すぐ用意するから」
彼氏「おまえが謝ることじゃないだろ」
妹友「とにかく朝ごはん作るね。アジの干物でも焼くね」
彼氏「・・・・・・え」
妹友「焼き魚とかがいいんでしょ」
彼氏「・・・・・」
妹友(あ)
妹友「ごめん。お兄ちゃんは朝はトーストとかがいいんだったよね。すぐ用意するから」
彼氏「和食が好きなのか。おまえの彼氏は」
妹友「違うよ」
彼氏「隠すことはないだろ。二人きりの兄妹なんだし」
妹友「そんなんじゃ」
彼氏「僕はおまえに全部話したじゃん。おまえの親友の妹ちゃんが好きなことを」
妹友「・・・・・・ただ、好きなだけじゃないんでしょ」
彼氏「ああ」
妹友「もうやめようよ。お兄ちゃんがそんな気持で妹ちゃんと付き合いたいって言うのなら、あたしはもうこれ以上は協力できない」
彼氏「うちの家族を壊した張本人にはそのことを後悔してもらわないといけないよね?」
妹友「・・・・・・妹ちゃんはあたしの親友なんだよ」
彼氏「別に妹ちゃんをつらい目にあわせるのは僕じゃない」
妹友「え」
彼氏「妹ちゃんが僕のことを好きになってくれたら、僕は全力で彼女を幸せにする」
妹友「どういうこと?」
彼氏「僕に惚れさせるってこと」
妹友「よく意味がわからないんだけど」
彼氏「簡単なことじゃん。妹ちゃんも妹ちゃんの兄貴もあのクソ親父の犠牲者だろ。そういう意味では僕たちと同じ境遇じゃないか」
妹友「それはそうかもしれないけど」
彼氏「妹ちゃんがつらい思いをするとしたら、それは彼女のあのクソ親父のせいだ。そうさ。彼女は気づくだろうさ。自分と自分の愛する僕を不幸にしたのは自分の大好きだった親父のせいだってさ」
妹友「・・・・・・」
彼氏「そしてそうなったらあのクソ親父だって後悔するだろうさ。誰よりも大切にしていた自分の最愛の娘が、自分の行動のせいで不幸になり自分を憎むようになったことを」
妹友「お兄ちゃん・・・・・・」
彼氏「そして妹ちゃんにそういう感情を抱かせたのが誰か、あいつはわかるだろうね。そうだよ。自分が崩壊させた家庭の息子である僕がそうしたんだって」
妹友「やめて」
彼氏「あいつは僕をさぞかし憎むだろうな。最愛の娘をたぶらかして自分のことを憎ませた僕をさ。そして後悔するだろう。幸せだったはずの二つの家庭を壊した自分の行動を」
妹友「・・・・・・お兄ちゃんって本当に妹ちゃんのこと、好きなの?」
彼氏「もちろん好きさ。何でそんなこと聞くんだ」
妹友「ママを盗られた復讐のためだけに妹ちゃんを利用しようとしているんじゃないでしょうね」
彼氏「そんなことはない。母さんの浮気を知る前から、おまえには妹ちゃんが好きだって相談してただろう」
妹友「それはそうだけど」
彼氏「嘘じゃないよ。僕を信じろよ」
妹友「・・・・・・うん」
妹友(どうしよう)
妹友(正直、妹ちゃんのパパのことはどうでもいいけど。妹ちゃんはこんなお兄ちゃんと付き合って幸せになれるのだろうか)
妹友(もういっそ、禁断の愛だとしてもお兄さんと結ばれた方が妹ちゃんにとって幸せなんじゃ)
妹友(・・・・・・そんなことはない。近親相姦の関係に未来なんかないことは、あたし自身が何年も悩んで出した結論じゃないの。それにあたしだってお兄さんのことが)
彼氏「和風とか洋風とかもう朝ごはんはどうでもいいや。僕は図書館に勉強しに行くけど」
妹友「あたしも行ってもいい?」
彼氏「・・・・・・いいけど。おまえが図書館に付いてくるなんて珍しいな」
妹友「あたしもそろそろ受験勉強しようかなって」
彼氏「おまえ富士峰に内部進学するんじゃなかったのか」
妹友「地元の国立大学を受験しようかなあって」
彼氏「妹ちゃんのお兄さんの大学か。別にたいした偏差値じゃないから今から勉強すれば何とかなるだろ。でも何で」
妹友「妹ちゃんの志望校だからさ。あたしも一緒に行きたいなって」
彼氏「あのさあ」
妹友「どうしたの」
彼氏「おまえ本当にいつも勉強してるの?」
妹友「してるって」
彼氏「理数系科目、ほぼ全滅じゃん」
妹友「それはこれから頑張る」
彼氏「センター受験するならこれじゃだめだろ。文系がいくらよくても」
妹友「だから今から真面目にやれば」
彼氏「・・・・・・あの駅弁大学受験って、最近決めたんだろ」
妹友「・・・・・・」
彼氏「得意科目が偏りすぎてるもんな」
妹友「別にいいじゃん。放っておいてよ」
彼氏「まあいいけど。そろそろ昼飯にしようぜ。朝食ってないから腹減ったよ」
妹友「そうだね」
彼氏「図書館の側に結構美味しい蕎麦屋があるんだ。行こうぜ」
妹友「お弁当はどうするの」
彼氏「え? 弁当って」
妹友「一応、サンドイッチ作って来たんだけど」
彼氏「いつの間に」
妹友「お兄ちゃんが出かける支度をしている間に」
彼氏「そうか。じゃあ、隣の公園で食うか」
妹友「そうだね」
<公園での邂逅>
図書館の隣の公園の噴水広場には、噴水のある池を取り巻くように古びた木製のベンチが置かれている。あたしとお兄ちゃんが並んで噴水広場に着いたとき、あたしの視界にベンチに寄り添って座っている見覚えのある二人の姿が映った。
あたしはお兄ちゃんがその二人に気がつく前に行き先を変更しようと思ったのだけど、ここまで接近していたらそんな不自然な行動はできなかった。あたしはしかたなく声をかけた。
「妹ちゃん」
「え。ああ妹友ちゃん」
妹ちゃんはなぜか見られたくないところを見られた人のように慌てた様子で返事した。
「偶然だね。図書館に勉強しに来てたの? 真面目だね」
「あ、別に」
妹ちゃんの隣にはお兄さんが座っていて、どうも妹ちゃんの作ったお弁当を嬉しそうに頬ばっているようだった。
そこから先のことはまた夢を見ているようだった。お兄さんは今朝あたしと会ったことを妹ちゃんとお兄ちゃんの前で堂々と話してしまった。あたしのことなどどうでもいいと思っているのだろうから無理もない行動ではあったけど。
案の定妹ちゃんはそのことに反応した。平たく言えばあたしにやきもちを焼いたのだ。もうそうとしか思えなかった。
「何? 妹友ちゃんとお兄さんって今朝どっかで会ってたの」
「あ、いや」
今さら誤魔化してもしかたないのにお兄さんは初めてうろたえたように言った。
「・・・・・・妹友ちゃんとお兄ちゃんって仲いいんだ。何かあたしお邪魔みたい」
妹ちゃんは完全に拗ねてしまったようだった。でもこれはチャンスかもしれない。お兄さんとあたしは実は妹ちゃんの知らないところで繋がっている。こうなったらもうそれは隠すべきではないのかもしれない。
「お兄ちゃんって、女さんの次は自分の妹の親友に手を出してたんだ」
妹ちゃんがあからさまに嫉妬している様子があたしには手に取るようにわかった。そして多分それはお兄ちゃんにも伝わってしまったのではないか。
「ちげえよ」
「じゃあ何で妹友ちゃんと密かに逢引したりしてるのよ」
「逢引って。言葉が古いよ」
「そんなことより妹ちゃん」
あたしは妹ちゃんの注意をお兄ちゃんに向けた。
「あ・・・・・・何で」
「あ」
お兄ちゃんと妹ちゃんの視線が交錯した。
「・・・・・・彼氏君」
「妹ちゃん。何か久し振りだね」
「そ、そうかな」
「最近一緒に登下校してくれないから。何か久し振りに会う気がする」
「ごめん」
「別に君のこと責めてるわけじゃないんだ。・・・・・・今日は図書館で勉強?」
「う、うん」
「それなら僕のことも誘ってくれたらよかったのに」
「ごめん」
このときのお兄ちゃんの気弱そうな反応が逆にあたしを後押しした。お兄ちゃんがあたしに言った復讐的な言葉は嘘ではないと思う。でも、妹ちゃんを前にして情けない態度を見せているお兄ちゃんの姿もまた演技ではなかった。復讐を決めたお兄ちゃんも妹ちゃんを前にしてうろたえるくらい彼女のことが好きなのだ。
情けないお兄ちゃんの様子を見てあたしは再び決心した。お互いの両親の不倫とかは一時忘れて、あたしたち四人が幸せになるために。
「そうそうお兄ちゃん、紹介するね。この今にもここから逃げ出そうと姿勢を低くしようとしている人が、妹ちゃんのお兄さんだよ」
妹「・・・・・・ちょっと。やめてよ」
こんなにうろたえている妹ちゃんの声をあたしは初めて聞いた。でももうやめるわけにはいかなかった。
「ああ、お兄さん。妹友からお話は伺ってます。初めまして。妹友の兄の彼氏です。妹さんとはお付き合いをさせていただいてます。よろしくお願いします」
「・・・・・・どうも」
「お兄さんとは初めてお会いできました。前から妹ちゃんには紹介してってお願いしてたんですけど、彼女自分の家族には絶対紹介してくれないんですよ。僕ってそんなに頼りないのかなあ。あはは」
「そうなんだ」
「お兄さん」
あたしは思い切ってお兄さんに言った。
「俺?」
「そうです。あたしたちは恋人同士の邪魔みたいですから一緒に消えましょう」
「いや、だってまだ弁当食ってないし」
「あたしもお弁当を作ってきましたから。妹ちゃんのお弁当をお兄ちゃんが食べて、あたしのお弁当をお兄さんが食べてくれればそれで無問題です」
それを聞いて妹ちゃんは恐い顔で黙ってしまった。
「へ? 妹友、おまえひょっとしてこのお兄さんのことが」
「デリカシーがないですよ、お兄ちゃん」
「気がつかなかったよ。そうだったのか。お兄さん、ふつつか者ですが妹友のことをよろしくお願いします」
「ちょっと待て。何の話だ」
「さっきから黙って聞いてればみんな何勝手なこと言ってるのよ! いい加減にして」
「あ、ごめん。妹が勝手なこと言っちゃって。妹ちゃん今日はお兄さんと用事があったんだよね」
お兄ちゃんが妹ちゃんに気を遣ったように話しかけたけど、妹ちゃんは恐い顔をしたままだった。
「彼氏君さあ。何か誤解しているみたいだけど」
結局お兄さんは直接お兄ちゃんに話しかけた。
「俺と君の妹は別に付き合ってないから」
「本当?」
まずその言葉にそれに反応したのはお兄ちゃんではなく妹ちゃんだった。
「ああ」
「お兄ちゃん、妹友ちゃんのことが好きなわけじゃないの?」
「好きじゃねえよ」
「今朝、妹友ちゃんと会っていたの?」
「偶然な」
「そっか。偶然か」
「そ。信じるかどうかはおまえに任せるよ」
「信じる」
「うん」
「信じるよ。家族だもんね」
「そうだったんですか。勝手に妹と付き合っているなんて誤解しちゃってすいませんでした」
お兄ちゃんが突然冷静な声で会話に割り込んだ。
「ご迷惑でしたね。妹がいろいろすいません」
「気にしなくていいから」
「彼氏君・・・・・・。あのね、あたし」
「いいっていいって。全部うちの妹の勘違いが悪いんだから」
「そうじゃないの。あたしね」
「僕は無理強いはしなかった。でも、あの日。おまえが間に入ってくれて妹ちゃんに告白して、妹ちゃんがOKしてくれた日は本当に嬉しかったよ」
でもお兄ちゃんは何か企んでいるようだった。お兄さんに謝っているようで実はお兄ちゃんは妹ちゃんと自分の恋愛関係をお兄さんに曝露していたのだ。
そのとき妹ちゃんが切れた。きっとお兄ちゃんの意図に気が付いていたのだろう。お兄さんの前ではお兄ちゃんと妹ちゃんの関係を口にしないこと。お兄ちゃんと付き合うにあたって妹ちゃんが出した条件がそれだった。お兄ちゃんは了解したらしいけど、その条件自体理不尽極まりない。
「もうやめて」
「え? 何で」
「いい加減にして。約束が違うじゃない」
「え? でも図書館では」
「お兄ちゃん行こう」
「へ」
「家に帰ろ。変な邪魔が入って気分が悪いし」
「だって弁当は? つうかデートはどうするの」
「外出すると外野が邪魔して鬱陶しいし。家の中なら誰にも邪魔されないじゃん」
「鬱陶しいって僕のこと?」
「妹ちゃん、それはお兄ちゃんに対して言いすぎでしょ。お兄ちゃんに謝ってよ」
多分正しいのは妹ちゃんの方だ。無理な恋愛を既成事実に持ち込もうとして足掻いているのはお兄ちゃんの方なのだから。でもその動機は復讐だけじゃない。お兄ちゃんは妹ちゃんのことを。
あたしはお兄ちゃんの側に立って反論した。
「謝らないよ。お兄ちゃん行こう」
「え? だってよ」
「・・・・・・それともお兄ちゃんは妹友ちゃんのお弁当を食べたいの」
「んなわけえねえだろ。でもおまえの弁当だって食いかけで」
「おうちで食べよう。やっぱり自分の家が一番いいよ。変な人も邪魔しないし」
「変な人? もしかしてうちのお兄ちゃんのことを言ってるの」
「さあね。それが自分のことだって気がついていない人のことじゃないかな。約束も守れない人なんてあたし大嫌い」
「人の心ってそんなにマニュアルどおりになるものじゃないでしょ! ちょっとだけでもお兄ちゃんの気持も考えてよ」
「その言葉そっくり妹友ちゃんに返すよ」
「・・・・・・どういう意味よ」
「ちょっとはあたしやあたしのお兄ちゃんの気持ちも考えたら? 何で妹友ちゃんはいつも自分と自分のお兄さんの気持ばっかり優先するわけ?」
正直これには返す言葉がなかったのだけど。
「妹友、もうよせ」
お兄ちゃんがこのとき冷静に間に入ってあたしをたしなめた。
<お兄さんの引越し>
それからしばらく、気まずくなってしまったあたしと妹ちゃんは学校でも会話をしなかった。当然、お兄ちゃんには妹ちゃんから何の連絡もないし、あたしとお兄さんもそうだった。
予想していたことだけど、今では修復不可能なほどに壊れてしまった家族であったため、連休の家族旅行は何もないということをあたしは、パパとママから別々に言い訳混じりに伝えられた。パパもママも観光産業に従事しているから別にそれは珍しいことではない。今までだってよくあったことなのだ。
それなのにわざわざ言い訳がましく弁解している両親を見ることが本当につらかった。それにその後の妹ちゃんとお兄さんの仲がどうなっているのかも全くわからなかったこともつらかった。むしろ両親のことよりそっちの方がつらかったくらいだ。
学校での妹ちゃんはあたしとは全く視線を合わせようとしないこと以外は、普段の妹ちゃんそのものだったから、学校の友人たちも特に彼女に何か変わったとことが起きているとは思ってもいなかったと思し、あるいはそれは正しかったかも知れない。
それでもあたしは心の中で疑っていた。図書館であたしと会っていたことを知った妹ちゃんがお兄さんに向けた態度や言葉、それに約束を破ってお兄さんに妹ちゃんとの付き合いをほのめかしたお兄ちゃんに対する妹ちゃんの激怒を考えると、やはり今でも妹ちゃんはお兄さんのことが好きとしか思えなかった。
もう四日後には連休に入るその日のことだった。あたしは再び兄友さんに呼び出された。
妹友「・・・・・・またあなたですか。あたしだって忙しいんですよ。いつもいつもあなたの相談に応じている時間はないんです」
兄友「まあそう言うなよ。俺と妹友ちゃんの仲じゃないか」
妹友「あたしと兄友さんがいったいどんな仲だと言いたいんですか」
兄友「まあ、言ってみれば。戦友?」
妹友「はい?」
兄友「だから戦友」
妹友「頭沸いてるんですか。何であたしが兄友さんの親友なんですか。言うにこと欠いて・・・・・・恥を知りなさい」
兄友「親友とか言ってねえし。戦友だって」
妹友「ますます意味不明なんですけど」
兄友「いやさ。俺と君ってお互いに手を取り合ってここまで修羅場を乗り越えてきた仲間じゃん」
妹友「寝言は」
兄友「寝て言えだろ? それはもう聞き飽きたって」
妹友「・・・・・・・ご用件を伺いましょう」
兄友「今日は結構暑いよね」
妹友「・・・・・」
兄友「そういやさ。妹友ちゃんって制服のセーラー服も可愛いけど、私服姿もいいね」
妹友「・・・・・・」
兄友「何か清純な女子高生って感じがして」
妹友「・・・・・・コーヒー代、ここに置いて置きますね」
兄友「ちょっと待ってよ」
妹友「用事がないなら帰ります」
兄友「・・・・・・相談があるんだって」
妹友「なら最初からさっさとそう言ってください」
兄友「あのさ」
妹友「・・・・・・」
兄友「兄が引越したことは知ってる?」
妹友「引越? 知りません。いったいどこに引越したのかすぐに教えなさい」
兄友「いきなり食いついてきた。やっぱ君って兄のこと」
妹友「うるさい」
兄友「まあ、いいけど。どこへっていうか実家に帰ったんだよ」
妹友(妹ちゃんのいる場所に戻って行った? まずい)
兄友「知らなかったのか」
妹友「知りませんでした。てか、何で兄友さんが知っているんですか。お兄さんから聞いたの?」
兄友「それがさ。言いづらいんだけど」
妹友「兄友さんはそんなのばっかですね。今さら躊躇しなくても驚かないから安心してください」
兄友「つまりだな。まあ、何と言うか成り行きと言うか」
妹友「はっきり言いなさい」
兄友「・・・・・・はい」
兄友『女~、いるか』
兄友『女のやつ今日は講義休んでるのに。部屋にはいないのかなあ』
引越業者『兄さん、遅くなりました。○○便です』
兄友『あれ? そこは友だちの部屋ですけど、ひょっとして兄って引っ越すんですか』
兄『どうもご苦労様です』
引越業者『どうも遅くなりました。梱包終ってるようですね』
兄『はい』
引越業者『じゃあ、トラックに積み込んでいいですか』
兄『お願いします』
兄友『よう兄』
兄『おう』
兄友『・・・・・・おまえ、もう引っ越すの?』
兄『まあな』
兄友『おまえも気まぐれだよなあ』
兄『・・・・・・』
妹友「本当に偶然なんですか」
兄友「うん。女が講義休んだから心配になってさ。サボるようなやつじゃないから病気にでもなったんじゃないかって思って訪ねてみたんだよな」
妹友「そしたらお兄さんが引越しの最中だったというわけですか」
兄友「そうなんだよ」
兄友『あ。妹ちゃん、久し振り』
妹『・・・・・・お久し振りです』
兄友『相変わらず可愛いよね。妹ちゃんは』
妹『どうも』
兄『今日は兄の手伝い?』
妹『はい』
兄友『兄のことが好きなんだねえ』
妹『はい。大好きです』
妹友「ちょっと待ってください。妹ちゃんはお兄さんのことが大好きだってはっきりと口にしたんですか」
兄友「そうだよ。俺もちょっとびっくりして引いちゃったよ」
妹友「・・・・・・」
兄友『そ、そうか。まあ昔から兄と妹ちゃんは仲良しだったもんな』
妹『そうですね』
兄友『しかしおまえ、今度はどこに引っ越すの?』
兄『実家に戻る』
兄友『何で? 通学つらくなるだろ』
兄『女と隣りだとおまえも女も気まずいだろうと思ってな』
兄友『ちょっと待て』
兄『何だよ。俺なんか邪魔だろ?』
兄友『俺が言うのも申し訳ないけどさ。この場合引っ越すのは兄じゃなくて女の方だろ』
兄友『本当にすまん! 別にメール一本で済む話じゃねえとは思ってた。そのうち女も入れて三人で話し合って、きちんと謝ろうって女友と話してたんだ』
兄『そういうのいらないから』
兄友『だってよ』
妹『余計な言い訳をして自己満足するつもりですか? 兄友さんと女さんは』
兄友『そうじゃないよ』
妹『罪悪感を晴らしたいだけでしょ。お兄ちゃんに謝ったっていう既成事実を作って』
兄友『俺は、俺と女は兄を傷つけちゃったし』
妹『二度とお二人はお兄ちゃんとあたしに話しかけないでください』
兄友『・・・・・・俺はまだ兄の親友だって思っているから』
妹『お兄ちゃん?』
兄『兄友、今までありがとな。でも、もう俺には話しかけないでくれ。女にもそう言っておいてくれな』
兄友『おい。冗談だろ』
妹『冗談なわけないでしょ。それくらいの仕打ちをあなたたちはあたしの大切なお兄ちゃんにしたんですよ』
兄友『そんなつもりじゃ。そこまでしたつもりはなかったんだ』
妹『じゃあようやく何をしたのか理解できてよかったですね』
<今日は怒らないの?>
兄友「結構マジでへこんだよ。妹ちゃんにあんなに強い口調で責められたのなんか初めてだったし、それに、兄に引越しまでさせるほどのことを俺はしちゃったのかって思い出したら何か自分がやったことが恐くなってさ」
妹友「今さら何を言ってるんですか。女さんに嘘を言ってまでお兄さんと別れさせたのは、女さんのためなんでしょ」
兄友「そうだよ。別に俺が女とよりを戻したいからという理由だけじゃねえよ」
妹友「だったらなんで今さら罪悪感なんか感じてるんですか」
兄友「兄は女のことなんか本当は好きじゃねえのかなって思ってたんだけどさ。それなら女に振られたくらいで引越しまでするかなって思ってよ」
妹友「お兄さんにとってみれば振られた相手と隣同士なんてあり得ないでしょ。引越しを決めたって無理もないですよ」
兄友「だからそれがショックだったの。引越しって金も手間もかかるじゃんか」
妹友「それはそうでしょうね」
兄友「俺って何か考えが甘かったみたいだ。高校の頃の恋愛感情とか人間関係で振った振られたなんてよくあったし、今回もその延長みないに軽く考えていたのかもしれない」
妹友「普通の高校生は振った振られたなんかよくはあったりしないと思いますけどね。それはともかく何が言いたいですか? さっぱり意味がわかりません」
兄友「わざわざ引越してきたのに二ヶ月もしないでまた金と手間をかけて実家に戻るとかさ。妹ちゃんの言うように兄って本当は結構傷付いているんじゃねえかな」
妹友「お兄さんの方は女さんのことがそんなに好きなようには見えないって兄友さんが言ってたんじゃないですか」
兄友「そう思ったから行動したんだけどさ。兄が本当は女が好きで、俺のしたことで傷付いているとしたらよ。どうしようかなあ」
妹友「お兄さんは単純に妹ちゃんと一緒に暮らしたくなっただけかもしれないですよ? 一月も離れ離れになって寂しかったのかも」
兄友「それならいいんだけどさ」
妹友「もうしてしまったことは後悔してもしかたないでしょ。兄友さんは女さんの心のケアを頑張ったらどうですか? そうすればいつかは復縁できるかもしれないし」
兄友「・・・・・・そうだよな。今さら後悔してもしかたないもんな」
妹友「応援してますから頑張ってくださいね」
兄友「・・・・・・妹友ちゃん」
妹友「きゃ。な、何するんですかいきなり」
兄友「君っていい子だな。前にも言ったかもしれないけど」
妹友「・・・・・・離してください」
兄友「もっと早く君に会いたかったな」
妹友「何言ってるの・・・・・・」
兄友「今日は怒らないの?」
妹友「お、怒ってます! だから手を離してって」
兄友「・・・・・・顔、赤いよ」
妹友「うっさい」
妹友「今日も会っちゃいましたね」
兄友「・・・・・・悪い」
妹友「まあ、お互い様ですし、本気で兄友さんと会うのが嫌だってわけじゃ・・・・・・。それよりずいぶんと落ち込んでいるようですけど、まだお兄さんのことが気になっているんですか」
兄友「・・・・・・」
妹友「どうしました? 人を呼び出しておいてだんまりはないでしょう」
兄友「俺、もういろいろ駄目かも」
妹友「だからどうしたんですか。相談に乗ってあげるのでさっさと話してください」
兄友「昨日、女と女友に呼び出された」
妹友「はあ。それで?」
兄友「俺が女に嘘ついてたのがばれてた」
妹友「え? 何で、何でばれちゃったんですか? いったいどうして」
兄友「よくわかんないだけど、女と女友と、兄と妹ちゃんが一緒に会って話し合いをしたらしい。それで妹ちゃんに確認されて俺の嘘がばれた」
妹友(まずい。まさか、あたしが兄友さんと相談していたこともばれたんだろうか。ただでさえ妹ちゃんとは図書館脇の公園で仲違いしちゃったばかりなのに)
兄友「・・・・・・心配しなくても君のことは一言も話してねえよ」
妹友「(え)あたしのことを庇ってくれたの?」
兄友「だって庇うも何も全部俺の自業自得だもん。君と会ってたなんて言ったら君が誤解されるだろうし」
妹友「(何でこの人はあたしを庇ったの?)それで、いったいどんな感じだったんです
か」
兄友「・・・・・・まあ」
女友『何で呼ばれたかわかってるよね』
兄友『全然わかんねえんですけど。女?』
女『・・・・・・』
女友『あんたさあ。いい加減にしろよ』
兄友『何を言ってるんだよ・・・・・・』
女友『あんた最低だね。嘘をついてまで女を取り戻したかったのかよ』
兄友『・・・・・・・』
女友『もともとあんたが女を振ったんでしょ? 浮気相手の子を妊娠させちゃったから別れてくれって』
兄友『・・・・・・』
女友『過ぎたことはもう言わないであげるよ。これだけだってあんたは十分に女にひどいことをしたけど、女は立ち直ったんだよ。中学の頃からの知り合いの兄君と付き合うことによってさ』
兄友『・・・・・・』
女友『なのに何で嘘までついて女と兄君を引きはがすようなことをしたの? 女に未練があったからなんでしょ?』
兄友『・・・・・・』
女友『さっきから黙ってないで何とか言いなよ』
兄友『・・・・・・うん』
女友『うんって? うんって何よ』
兄友『・・・・・・』
女友『今日妹ちゃんと話したよ』
兄友『・・・・・・そう』
女友『兄君のことを振って後悔しているとか、兄君を女さんから取り戻したいなんてあんたに相談したことなんかないってさ』
兄友『・・・・・・』
女友『何俯いちゃってるのよ。何か言うことがあるんじゃないの』
兄友『・・・・・・』
妹友「・・・・・・何でここまで来ちゃったら本当のことを言わなかったんです? お兄さんが女さんのことを好きだとは思えなかったから、女さんを救おうとしてって」
兄友「言えねえよ。俺がしたことを考えればさ」
妹友「ああもうじれったいなあ。女さんのことを思ってしたことでしょ。間違ったことをしたにしてもそれくらいは弁解しなさいよ」
兄友「いや。そうもいかないよ」
妹友「何でよ? 浮気は兄友さんが悪いけど、その後は女さんのことを考えてしたことでしょ」
兄友「そんなこと。言葉で言ったって説得力ないよ。実際の行動からすればさ。俺のこと多少なりとも信じてくれるのなんって君くらいだ」
妹友「・・・・・・」
兄友「まあもういいよ。これでも女が兄のことを信じるならもうしかたない。できることはしたんだし」
妹友「本当は復縁したかったんでしょ」
兄友「君の言うことに少しは期待したけど。でもあそこまで女友に言われたら女が俺のところに戻ってくれる可能性なんかないだろ」
妹友「ずいぶん冷静なんですね。女友さんにフルボッコにされた後なのに」
兄友「女友に悪気はないだろうから。それに」
妹友「それに何です?」
兄友「何でもない」
妹友「今さら隠しごとをするような仲じゃないでしょう」
兄友「・・・・・・やめておくよ」
妹友「いいから言いなさい。何で黙って女友さんも責められたままになってたんですか」
兄友「いや。女を救いたいと言う気持は嘘じゃなんだけどさ」
妹友「嘘じゃないけど。やっぱり自分が女さんと復縁したしたいという自分勝手な気持があったからですか」
兄友「そうじゃねえよ」
妹友「どういうこと」
兄友「女を救いたかった。それは本当」
妹友「はあ」
兄友「でも女と復縁とかはない。もともと俺のせいで別れたんだし」
妹友「よくわからないです。あたしは女さんを慰めてればいつかは復縁できるんじゃないかって言いましたよね」
兄友「うん」
妹友「そんなに辛抱できないですか? ひょっとして女友さんが気になるんですか」
兄友「・・・・・」
妹友「どうなんですか」
兄友「正直に言うとさ」
妹友「どうぞ。ここまできたら正直な気持を言ってください。及ばずながらあたしもしかたないから兄友さんの味方になってあげますから」
兄友「本当か」
妹友「ええ」
兄友「俺が好きなのは君だよ。妹友ちゃん、俺と付き合ってくれ」
妹友「脳みそ」
兄友「沸いてない。本気なんだ。ここまで腹を割って話せる女の子は君だけだし」
妹友「あ、あなたは。言うにこと欠いて何を言って」
妹友(何なのよいったい)
妹友(あたしが好きとかふざけな。恋愛脳の浮気男の癖に)
妹友(・・・・・・何なのよもう)
妹友(どんどん身の回りの人間関係が複雑になっていくじゃないの)
妹友(お兄ちゃんへの想いはもう断ち切ったはず。兄妹の恋愛なんてたとえ成就したって未来なんかないし)
妹友(あたしが今気になっているのはお兄さんだ)
妹友(・・・・・・別にお兄さんのことを好きになったっていいよね。それはママの浮気を考えると何か微妙ではあるけど)
妹友(・・・・・・・・)
妹友(・・・・・兄友さんか)
妹友(別に男の人に告白されるのは始めてじゃないけど。それにしても兄友さんか)
妹友(お兄さんが好きなあたしがあの人にいい返事なんかするわけないのに)
妹友(だいたい彼女がいるのに浮気するような男なんて)
妹友(・・・・・・携帯?)
妹友(妹ちゃん)
妹友「はい」
妹「・・・・・あたし」
妹友「うん」
妹「あのさ。この間は言いすぎた。ごめん」
妹友「・・・・・・・うん」
妹「でも、お兄ちゃんの前であんなこと言われるとは思わなかったから。約束してたし」
妹友「それはそうかもだけど。でもお兄ちゃんだって図書館のことで期待しちゃったと思うし」
妹「・・・・・・」
妹友「・・・・・」
妹「あのさ」
妹友「うん」
妹「連休なんだけど。妹友ちゃんの親って連休中が忙しいって言ってたじゃん?」
妹友「まあ観光産業に勤務してるからね。二人とも」
妹「じゃあ連休中はお出かけしないんでしょ」
妹友「うん」
妹「うちもさ。家族の香港旅行なくなっちゃて」
妹友「そうなの」
妹「うん。それでね。よかったら一緒に伯父さんの海辺の別荘に行かない?」
妹友「海辺の別荘って」
妹「妹友ちゃんとちゃんと仲直りもしたいし、お兄ちゃんが車を出すって言ってるし」
妹友「せっかく仲直りしたんだしお兄さんと二人で行けばいいのに」
妹「いいじゃない。一緒に行かない?」
妹友「うちのお兄ちゃんを一人にはできないし」
妹「あ。そうか」
妹友「・・・・・・・うん」
兄友「どうした? 誰から電話?」
<それがお兄ちゃんのせいなら>
妹友(なし崩しに妹ちゃんと仲直りしてしまった。あのときのことにはお互い全く触れることすらなく。こんなんで本当に仲直りしたって言えるのかなあ)
妹友(何か汚いごみ箱に蓋をしただけって感じ)
妹友(でも妹ちゃんは気にしている様子はない。というか何かはしゃいでるし)
妹友(香港に行けなくなってがっかりしてるととか言ってたのに。むしろ喜んでいるとしか思えないなあ)
妹友(家族大好きな妹ちゃんが香港への家族旅行が中止になって、そのかわりに両親抜きで伊豆旅行になった。そんなんであの子が喜ぶはずがないのに)
妹友(何でこんなにはしゃいでるんだろ。お兄ちゃんと一緒だから?)
妹友(それならいいんだけど・・・・・・)
妹友(お兄さんはどう思っているんだろう)
妹友(前の席でお兄ちゃんと何か親しそうに話してるけど)
妹友(二人はいったい何を話してるんだろ)
妹友(・・・・・・・兄友さん)
妹友(て、違う。何でこんなときにあんなやつのことが)
妹友(・・・・・・)
兄友『正直に言うとさ』
兄友『俺が好きなのは君だよ。妹友ちゃん、俺と付き合ってくれ』
妹友『脳みそ』
兄友『沸いてない。本気なんだ。ここまで腹を割って話せる女の子は君だけだし』
妹友『あ、あなたは。言うにこと欠いて何を言って』
妹「まだ着くまでに時間かかるの?」
妹友(びっくりした。妹ちゃん寝てるんだと思ってた)
兄「ああ。渋滞してるしな。海が見えるまであと二時間くらいはかかるかもな」
妹「じゃあ、どっかでお昼食べようよ。その後は買物だってしなきゃいけないし」
妹友(別に普通の口調だよね。特にお兄さんのことを意識している様子もないし)
兄「じゃあ次のファミレスで休憩しようか」
妹友(・・・・・・お兄さんもそうだよね?)
妹「うん。お腹空いちゃった。妹友ちゃんもそれでいい?」
妹友「(あたし?)うん」
彼氏「お兄さん」
兄「どした」
彼氏「あそこにファミレスがありますよ」
兄「おお。じゃああそこに入ろう」
妹友(ファミレスか。どういう風に座るんだろう。まさか自分からお兄さんの隣に割り込むわけにもいかないよね)
妹友(ファミレスに着いて車を降りた途端、自然にお兄ちゃんと妹ちゃんが肩を並べた)
妹友(・・・・・・図書館の隣の公園で、妹ちゃんはあんなに怒ってたのに)
妹友(あれはお兄さんとのデートを邪魔された怒りだと思ってたけど)
妹友(何だかよくわからないなあ)
妹友(並んで楽しそうに喋っているお兄ちゃんと妹ちゃんの後ろをお兄さんが歩いて着いて行く。なんか心なしかしょんぼりとした感じ)
妹友(何でかな。少しだけ胸が痛い)
妹友(・・・・・・あたしなんかに何ができると言うけじゃないけど)
妹友(それがお兄ちゃんのせいなら。あたしは)
彼氏「おつかれ」
妹「彼氏君こそ疲れたでしょ? ずっとお兄ちゃんの隣で気を遣ったんじゃない?」
彼氏「そんなことないよ。お兄さんって話し上手だし」
妹「こら。嘘言うな。そもそもそういうのを気を遣うって言うんだよ」
彼氏「本当だって」
妹「まあそういうことにしておいてあげるよ」
妹友(・・・・・・お兄さん、何か寂しそう)
妹「四人です。禁煙席をお願いします」
妹友(ひょっとして妹ちゃんとお兄ちゃんに嫉妬している?)
妹友「・・・・・・お兄さん」
妹友「お兄さん」
兄「あ、悪い」
妹友「どうかしましたか」
兄「いや、大丈夫だよ」
妹友「お兄ちゃんと妹ちゃんは先に行っちゃいましたよ。あたしたちも席に行きましょう」
兄「そうだな」
妹友「そっちじゃないです、お兄さん。そっちは喫煙席ですから」
兄「お、おう悪い」
妹友「あそこみたいですよ」
兄「そうだな」
妹友「お待たせ」
妹「妹友ちゃんもお兄ちゃんも遅いよ。何してたのよ」
妹友(うん?)
兄「何って別に」
妹「早く座って。お腹空いたってば」
彼氏「まあまあ。お兄さんは一人で運転してくれて疲れてるんだから。あんまりわがまま言っちゃだめだって」
妹「だってさあ」
妹友(あれ)
妹友(既に奥には妹ちゃん、その隣にお兄ちゃんがが並んで座っている)
妹友(お兄さんの反応は)
妹友(・・・・・・無表情。かえって気になるじゃない)
妹友「お兄さん奥に行きますか?」
兄「いや、妹友ちゃんが先に座りなよ。妹の向かいの方が話しやすいでしょ」
妹友「(お兄さんはそれでいいのかな)それじゃあ」
兄「うん」
彼氏「お兄さんメニューをどうぞ」
兄「ありがとう。じゃあ、妹友ちゃん一緒にメニューを見ようか」
妹友「そうですね。二つしかないみたいだし」
彼氏「妹ちゃんは何にする?」
妹「・・・・・・」
彼氏「妹ちゃん?」
妹「ああ、ごめん。どうしようかなあ」
妹友(妹ちゃんの反応もさっきから微妙だな)
<おまえの冗談はたちが悪い>
兄「このリゾットって何だろ」
妹友「ああ、それはイタリアのお米を使った料理ですよ」
兄「雑炊みてえだな」
妹友「味は大分違いますけど、まあイメージはそんな感じです」
兄「雑炊ならいいや。何か肉食いたいな」
妹友(さっきから微妙に妹ちゃんの視線を感じる。妹ちゃんはお兄ちゃんと会話しているのに何でよ)
妹友(それでも何かこういう会話って嬉しい。あたし、お兄さんのお世話をしているみたい)
妹友(こんな感情をお兄ちゃん以外の人に抱くのって初めてだな)
兄友『俺が好きなのは君だよ。妹友ちゃん、俺と付き合ってくれ』
妹友(違うって。今はそんなことはどうでもよくて)
妹友(・・・・・・あたしは多分、お兄さんのことが)
妹「・・・・・・今夜は海岸でバーベキューするんだよ。お昼からお肉を食べてどうすんのよ」
妹友(何言ってるの。ようやくお兄さんに話しかけたと思ったら文句?)
妹友(妹ちゃんなんかむかつく)
妹友「まあ、でもお兄さんは運転で疲れてるでしょうし、好きなものを食べた方がいいですよね」
兄「ありがと妹友ちゃん」
妹「・・・・・・」
妹友(黙っちゃった)
彼氏「妹ちゃんは何食べるの?」
妹「どうしようかなあ。彼氏君は?」
彼氏「僕はこの渡り蟹のトマトソースパスタにしようかな」
妹「美味しそう。じゃあ、あたしは違うパスタにするね」
彼氏「何で?」
妹「違うやつにすれば二人で二種類のパスタを食べられるじゃん」
彼氏「え?」
妹「あたしは和風明太マヨスパゲッティーにしようかな」
妹友「(何かいらいらする。お兄さんに寄り添ってあげよう)じゃあ、お兄さんはこのサ
イコロステーキセットにするんですね」
兄「いや、ちょっと待ってくれ」
妹友「今度はいったい何ですか」
兄「こっちのステーキセットと同じグラム数なのにサイコロの方は何でこんなに安いんだろ」
妹友「多分、成型肉を使ってるから安いんだと思いますよ」
兄「成型肉って何?」
妹友「肉の切れ端の部分は普通は棄てるんですけど、それを集めて圧力をかけてサイコロ状にしたのがこのサイコロステーキだと思います。廃棄するところを使っているから安いんですよ」
兄「そんなのを食うのはやだなあ」
妹友「じゃあこっちのヒレかロースのステーキにしたらどうですか」
兄「どう違うの?」
妹友(ふふ。お兄さんって食べ物の知識ないんだなあ。今まで用意されてるのを食べるだけだったのね)
妹友「いちいち解説したらきりがないです。ロースの方が脂身が多い。それでいいでしょ」
兄「解説の手を抜くなよ」
妹友「(お兄さん偉そう。でもなんと言うか)お兄さんはロースステーキで決まりです
ね」
兄「勝手に決めるな。俺はヒレの方が」
妹友「(ちょっとだけ嬉しい・・・・・かな)ヒレは赤身中心の肉なので、ギトギト系が好きなお兄さんが満足できないんじゃないですか」
兄「え? そうなの。 じゃあ、ロースでいいや」
妹友「本当にそれでいいんですね?」
妹「・・・・・・いつまで選んでるのよ。いい加減に決めてよ!」
兄「え?」
妹友(え?)
彼氏「妹ちゃん?」
妹友「あ、ごめんなさい(何であたしが謝ってるんだろう)」
妹「あ。あたしの方こそごめんなさい」
妹友(うーん。妹ちゃんって)
妹友(・・・・・・いったい何をしたいんだろ)
兄「本当にロースでよかったんだよな」
妹友「知りませんそんなこと」
兄「おまえが勧めたんだろうが」
妹友「自己責任としか言いようがないんですけど」
兄「言い返せないことが何かすげえ悔しい」
妹友「・・・・・・本当に馬鹿なんですから。お兄さんって(・・・・・・ふふ。お兄さんって何か可愛いかも)」
妹「・・・・・・」
彼氏「妹ちゃん?」
妹友(何かお兄ちゃんと妹ちゃんも微妙な雰囲気になっちゃった。さっきまですごくいい雰囲気だったのに)
ファミレスの微妙な雰囲気での食事の後、何となく食事の時の席順そのままに車内の座席が決まった。後部座席の二人がどんな気持だったのかはわからないけど、少なくともあたしは少し気まずい思いを抱きながら運転席のお兄さんの隣に遠慮がちに座った。
お兄さんは後部座席の二人を気にする様子もなくシートベルトを締めてからエンジンをかけた。そのまま車はファミレスの駐車場を出て海沿いの国道に滑り出して行った。
海がある方向には海辺は見えず、海辺に沿って植えられている砂防林の松林が海と空を遮っていて、周囲の景観に目を紛らわすことができないあたしは、何となくお兄さんが国道に添って車を運転してる姿を見つめているしかなかった。
海があるであろう方向に沈んでいく夕日に照らされているお兄さんの横顔。
ハンドルを握っている男の子らしい無骨な手。
まっすぐに正面を見つめているお兄さんの瞳の指しているその先。
どういうわけかはわからない。けど、あたしはあたしのことなんかちっとも気にしていない様子のお兄さんの顔をひたすらじっと見つめていた。時間が経過するに連れてお兄さんの横顔が夕日に染まっていく。
後部座席を振り向くとお兄ちゃんも妹ちゃんも眠ってしまっているようだった。
「おまえも眠かったら寝ちゃっていいぞ」
お兄さんが前方を見つめながらそう言った。
「あたしは自分の身が可愛いですから」
「おまえなあ。居眠り運転なんかしねえよ。てか初心者でそんな余裕なんてねえよ」
「そうじゃないです」
「じゃあ何だよ」
「自分の傍らで寝入っているあどけない美少女の肢体に対してお兄さんがついつい悪戯心を出してしまったらあたしの身が危険ですから」
冗談にしたってこの種の戯言を男の人に話すなんて初めてだった。兄友さんにならそういうことを言っていた可能性はあるけど、実際にそう言ったのはお兄さんに対してなのだった。
お兄さんは会いかわらず前方を見つめながら笑った。
「そんなことを心配してたのかよ。俺は性犯罪者じゃねえぞ。そもそもあどけない美少女なんてどこにいるんだよ」
「お兄さんに身体を悪戯されるくらいは許してあげてもいいのですけど、それ以上に運転中に淫らな行為をしているお兄さんが運転を誤ったら生命維持的に大変なことになってしまいます」
「そっちかよ」
「冗談ですよ」
「おまえの冗談はたちが悪い。心臓にも悪い」
「真面目に言うとお兄さん一人に運転させてあたしが寝ちゃうなんて申し訳なくてできません」
「後部座席の二人にはそんな気遣いはさらさらなさそうだけどな」
「後ろの人のことは知りません。少なくともあたしは嫌なんです」
「んな気を遣わなくてもいいのに」
「・・・・・・そうですか」
「・・・・・・だんだんと道が空いてきたな」
「そうですね」
このときにはさっきまでの渋滞が嘘のようにお兄さんの運転する車は速度を上げて海岸沿いの道路を走り出していた。
<笑う妹友>
しばらくお兄さんと他愛ないようで、でもよく考えるとそうでもなく実はかなり突っ込んだ内容の話をした。寝入ってしまった後部座席の二人のことなどもう全く意識の中になかった。
こういう深い内容の話をお兄さんとリラックスしてできる日が来るとは思っていなかったので、このときのあたしは少しだけこの状況下で許された幸福に酔っていた。これだけでも正直最初は気がすすまなかった四人での旅行に来た甲斐があったなってあたしは思った。
「それにしても何でいきなり席替えしたんだろうな」
「その方が楽しいじゃないですか」
「そうかなあ」
「あたしよりお兄ちゃんが隣にいた方が嬉しかったのですか」
「そうじゃねえけど」
「・・・・・・え? まさかお兄さんってそっちの趣味が」
「何の話だよ」
「冗談ですよ。お兄ちゃんと妹ちゃんだって隣にいたいんじゃないかと思って」
「おまえが提案したのか」
「はい。二人からは言い出せないだろうと思ったので、あたしが犠牲になろうかと」
「自らお兄さんの隣に座りたいって妹ちゃんに駄々をこねてみました」
「・・・・・・そう」
「せっかくそこまでして気を遣ってあげたのに二人して寝てしまうとはバカですよね」
「さあ。俺にはよくわかんねえけど」
「まあ、次の休憩でまた席替えをしましょう」
「ラブシャッフルかよ」
「またずいぶんと懐かしいドラマのことを」
「おまえさ」
「何でしょう」
「いつの間に妹と仲直りしたの」
「今日のお誘いの電話をもらったときです」
「え? 喧嘩状態だったのに妹はおまえを旅行に誘ったんだ」
「妹ちゃんも仲直りしたかったんじゃないですか。それで誘ってくれたんだと思います」
「も?」
「はい。あたしも同じでしたから」
「そうか。まあ、これがきっかけになったのならよかった」
「お兄さんにはご迷惑をおかけしました」
「おまえに謝られると気持悪い」
「・・・・・・お兄さんひどい」
「口の悪さはお互い様だ」
「ふふ。そう言えばそうでしたね」
「自覚くらいはしてたのか」
「はい。わかっててやってますから」
「本当にたちが悪いな」
「まあ次のシャッフルでは助手席に座るのは妹ちゃんだからあんまり落ち込まないでくださいね」
「俺は別に落ち込んでねえぞ」
「態度でバレバレでしたよ。お兄さんが妹ちゃんと仲良くできなくて拗ねていることが」
そう返したあと、あたしは自分の言葉が自分の心の方に向って帰ってきたことを感じ取って、気軽な気分のまま言い過ぎてしまったことを後悔した。せっかくここまで楽しくお話できていたのに。ここでお兄さんがそれを肯定しないまでも、表情が暗くなったりしたら最悪だ。
・・・・・・最悪? あたしは自分の心を見つめなおし瞬時に今自分がしたいことを理解した。それを理解してしまったことによって、自分の考えなしの言葉を更に後悔する羽目にもなった。
でもあっさりとお兄さんはその質問を否定した。
「それはおまえの誤解だ」
「そうですか」
もう疑うのはやめてもいいのかもしれない。たとえお兄さんが妹ちゃんのことを好きだったとしても、その事実を確認しようとしても、そこには何の利益も生じないだろう。あたしは自分が兄友さんにしたアドバイスを思い出した。
『幸い女さんは今心身ともに辛い状況でしょうから、その状態に付け込むんです』
『それは卑怯じゃないかな』
『あなたにはそんなことが言える権利も余裕もないと思いますけど』
『・・・・・・そうかもだけど』
『まあ、でも今は女さんも自分の心の痛みしか見えてないでしょうけど、そのうちに気がつくと思いますよ。自分が一番つらかったときに自分の横でそっと支えてくれた人の存在を』
『それって俺のこと?』
『そういう存在になるように頑張ってください。あんまり早まって迫らないようにして、いい友人として女さんを支えるようにするんです。そうしたらいつかは女さんは気がつくでしょう。つらい自分を無償の愛で包んでくれていた人の存在を』
これはまさに今の自分にこそ当てはまるのではないか。兄友さんにしたアドバイスがまさに自分の状況にぴったりと当てはまっていることに少し感慨に耽っていたあたしにお兄さんが聞いた。
「おまえはどうなの」
「え?」
「おまえだって大好きな兄貴の隣で一緒にいたいんじゃねえの」
「まあ否定はしません。でも意外と楽しいんですよね」
「何が」
「ファミレスでお兄さんの注文を手伝ったり、ドライブ中のお兄さんの隣の席にいることがです」
「え」
あまりにも気持を無理せずに流れるままで話をしていたせいだと思う。こんなことを言う気はなかったのだけど、あたしはつい本音を漏らしてしまったみたいだった。
「あたし、どうしちゃったんでしょうね。今までお兄ちゃん以外の男の人と一緒にいて楽しいなんて思ったことはなかったのに」
「まあ何と言っていいのかわからんけど、それはそれでよかったのかもな」
「どういう意味?」
「いや、どういう意味って」
「お兄さんもそうなんですか」
胸の動悸が少しだけテンポを速めたようだ。
「いや。ほらさ、おまえ前に言ってたじゃん。兄妹の関係なんか行き場のない行き止まりの関係だって」
「言いましたけど」
「だからさ。人のことは言えねえけどおまえも前を向き出してるってことじゃゃねえの」
「お兄さんには言われたくないです」
「・・・・・・俺はもう割り切ったし。これからは姫のいい兄貴になるって決めたしね」
「え?」
え? それは今日お兄さんから聞けるとは期待すらしていなかったほど、今のあたしにとって望めるだけ望んだ結果としてはもっとも望ましい言葉だった。
・・・・・・そう、そのはずだったのに。
お兄さんがうっかりと妹ちゃんのことを呼んだその呼称があたしを悩ませ、一気に暗い気持にさせたのだ。
「何だよ。おまえに言われて気がついたことなのに何を意外そうに」
「ぷ。ひ、姫だって」
お兄さんは慌てたようだった。気軽にお兄さんをからかう言葉は自動的にあたしの口から出た。軽口のように思えたかもしれないけど、そのときのあたしの心は暗雲に覆われていたのだ。
「姫って呼んでたんですね。妹ちゃんのこと。あははは」
「おい。ちょっと声がでかいって。後ろが起きちゃうだろうが」
「おかしい~。ひ、ひ、ひ」
「ちょっと笑い過ぎだ」
「ひ、姫かあ」
「もういいだろ」
「ご、ごめんなさい」
笑うよりはむしろ泣きたい気持なのに。
それでも少しするとあたしにも余裕が戻って来た。姫と呼ぶことはさておき、お兄さんは妹ちゃんのことを兄として見守ることにしたのだ。姫と呼んだことくらいで動揺する必要はないのだ。あたしは自分に必死に言い聞かせた。
このとき周囲は夕暮れの景色になっていた。後部座席の二人は寝てしまっているので、実質二人でドライブしているようなものだ。
この雰囲気にあたしは少しづつ落ち着きを取り戻し、吐きそうなほど狼狽した感情も収まってきていた。
「海が見えた」
「本当ですね。綺麗」
いい雰囲気とはこういうことなのだろう。仲のよい兄妹である二人には二人だけの呼び方やルールがあっても不思議じゃない。それにこの二人の仲がいいことなんて承知のうえであたしはお兄さんを好きになったんじゃないか。
お兄さんを好きになったんじゃないか・・・・・・。
あたしはこのとき初めて自分の心を肯定したのだった。もう誤魔化すのをやめて。
そうだ。あたしは夕暮れの海岸で、あたしのとなりで車を運転している人のことが好きなのだ。
「まだ時間かかるんですか」
「ここまで来たら、もう少しだと思う」
「どこかで食材を調達するって妹ちゃんが言ってましたけど」
「今夜は庭でバーベキューをしたいんだって」
「いいですね」
「もう少し海辺を走ったら街中に出ると思うから、そしたらスーパーを探さないとな」
「それは任せてください」
「ああ頼むよ」
「何か夕暮れになってきましたね」
「昼飯が遅かったからな」
「ステーキ美味しかったですか」
「まあまあかな」
「せっかく選んであげたのに」
「だって筋が多くて固かったし」
「・・・・・・オムライスは?」
再びあたしの言葉は恥じることもためらうこともなく口をついて出た。
「へ」
「あたしが作ったオムライスはどうでしたか? 考えてみればまだ感想を聞いてなかったです」
「美味しかったよ」
「よかった」
本当によかった。お兄さんの返事はお世辞かもしれないけど、もうそれすらどうでもいい境地にあたしは到達していたようだ。
「何か落ちつきますね」
「そう?」
「はい。お兄ちゃんのことばかり考えていらいらしたり、妹ちゃんと口喧嘩になってたときよりは、今の方が全然いいです」
お兄さんは少し不思議そうな表情をした。あたしは笑った。
<BBQ>
夕食の食材買出しは予想していたとおりあたしと妹ちゃんの仕事になった。気軽に発言しただけのお兄さんに反発した妹ちゃんの態度には多いに問題があるとあたしは思ったけど、それと食材の買出しを手伝うこととは別な話だ。
今夜は別荘の海に臨むお庭でバーベキューをするということだったので、買物に迷う必要はない。あたしは相変わらずお兄さんに対しては好戦的で、あたしとお兄ちゃんに対してはしごく好意的な妹ちゃんと和やかに買い出しをしていた。なんだかあの図書館脇の公園での妹ちゃんの怒りが嘘のようだ。
「何でアスパラ?」
「何でって?」
「普通バーベキューでアスパラって使ったっけ?」
「あれ? 普通は使わないの」
「どうだろ。あまり聞いたことないけど」
「そうなのか。じゃあやめるか」
「好きなら買ってもいいんじゃない?」
「別にいいや」
もうだいだい必要な買物は終えたところで、あたしはお兄ちゃんから声をかけられた。
「妹、ちょっと」
「お兄ちゃん? どうしたの」
「歯ブラシとか忘れちゃってさ。買っときたいんで一緒に来て」
何を言っているんだろうこの人は。歯ブラシを買うのにこれまであたしのアシストを求めたことなんか一度だってないくせに。
「何で一緒に行く必要があるの?」
あたしはそう言った
「いや、どういうのがいいのか僕じゃよくわからないし」
正直に言ってこのときのあたしが気にしていたのはお兄さんだったから、以前だったら飛び上がるように嬉しかっただろうお兄ちゃんの弱気な誘い受けはあたしにとってはうざいだけだった。
でも、今さら急に態度を変えるわけにはいかなかった。それはお兄ちゃんにも妹ちゃんにも不信感を与えるだろうということは、馬鹿なあたしにも容易に理解できたことだった。
「もう。あたしがいないと歯ブラシも買えないんだから。しようがないなあ」
「妹ちゃんちょとだけごめん。お兄ちゃんの買物に付き合ってくるね」
「うん」
「ほら、行くよお兄ちゃん」
「うん」
お兄ちゃんは案の定妹ちゃんの表情を伺いながらそう答えた。理解できない。お兄ちゃんは何を考えて歯ブラシごときであたしを頼ったのだろう。
でもその答えはすぐにわかった。
「思ってたよりうまくいってるよ。おまえのおかげな」
ここまで好青年のようにお兄さんと妹ちゃんに愛想を振りまいていたお兄ちゃんは、最近よく家で見せるようになった何を考えているのかわからない無表情な顔に戻っていた。
「あたしのおかげって」
「おまえがお兄さんの関心を惹いてくれているからな。何か妹ちゃんともうまくいっているし、お兄さんにも気に入られたっぽいし」
「お兄ちゃんにしては珍しいよね。男の人とあんだけ打ち解けるなんて」
「無理してるからな」
お兄ちゃんが嫌な笑い方をした。
「普通ならあんな駅弁大学の学生なんか相手にするか」
やはり駄目だった。この旅行で四人全員が救われるのではないかというあたしの根拠のない希望はこの瞬間に打ち砕かれた。
「この先、確実に妹ちゃんの親父が俺と妹ちゃんを必死になって別れさせようとするときが来る。それが狙いだからな。そのときにあのバカ兄貴には俺と妹ちゃんの味方になってもらわないとな」
そのためにはバカ兄貴に媚びることくらい何でもないよ。
お兄ちゃんは吐き捨てるようにそう言った。
「歯ブラシ買えた?」
妹ちゃんがお兄ちゃんに笑いかけた。
「うん。家にあるのと同じのを買えたよ。ありがと」
お兄ちゃんの暴走を止めることはもう無理なのかもしれない。それでも自分の、自分とお兄さんとの関係を深めることまでは諦めたくなかった。正直にいえばそのためにはお兄ちゃんと妹ちゃんの仲が深まること自体は望ましいことなのだ。
歯ブラシの購入について笑顔でお兄ちゃんに話しかけた妹ちゃんの態度にも不安なところはあった。
目が泳いでいたのだ。妹ちゃんの押していたカートは今では妹ちゃんの隣に並んだお兄さんが押している。籠の中には妹ちゃんが一度買うことを諦めたアスパラガスの束が入っていた。こういう事実がどんな意味を持っていたのかはわからない。でも、あたしがお兄ちゃんから不毛な話をスーパーで聞かされていた間、お兄さんと妹ちゃんはいったい何を話していたのだろうか。
勘のようなものだった。わずか十分くらいの間に、あたしはお兄ちゃんの気持が変わっていないことに絶望したのだけど、その同じ十分間に妹ちゃんとお兄さんの間にも何か化学反応のようなことが起きていたんじゃないか。
あきらかにお兄さんと妹ちゃんの雰囲気は十分前とは明らかに変っている。うまく説明はできないけど、一見お兄ちゃんと和やかに仲良く過ごしていたように見えていて、それでいて何か逆立っていた妹ちゃんの感情が穏かに収まったように見えた。
お兄ちゃんは過信している。お兄ちゃんはあるいはお兄さんの信用は得られたのかもしれないけど、妹ちゃんの心を奪えたわけではないのだ。何もかも支配してコントロールしている気持になっているお兄ちゃんは、実は肝心の妹ちゃんの気持を惹きつけていたわけではないのかもしれない。
それはお兄さんに引かれつつあるあたしにとっても厳しい結論だった。
それからのあたしは必死だった。お兄ちゃんの意図やそのせいで犠牲になるかもしれない妹ちゃんのことを考えている余裕はなかった。
あたしはこれまで座席を決めるのはシャッフルに従うのだと妹ちゃんにもお兄ちゃんにも強弁してきた手前、今さらその原則を崩すわけにはいかなかった。
「うん。じゃあ、本日最後のシャッフルです」
お兄ちゃんと妹ちゃんが同意した。でも、お兄さんはどうでもいいというように黙っているだけだった。それから別荘に着く間、あたしとお兄ちゃんは黙ったままだった。
妹ちゃんとお兄さんはぼそぼそと低い声で何か会話を交わしているようだった。あたしはその内容が気になったけど、その会話を聞き取ることはできなかった。
別荘(お兄さんの言っていたとおりそれは別荘というよりは古い民家に近かった)に着いてすぐ、あたしと妹ちゃんはバーベキューの支度をした。といってもコンロや焼き台はお兄さんとお兄ちゃんが用意して炭火を熾してくれたので、あたしと妹ちゃんは食材を用意して並べただけだったのだけど。
「ほら彼氏君、この肉取っちゃって」
「ありがと」
何だか昼間の二人のいい雰囲気は一見は続いているみたいだ。
「少し肉とか野菜を載せすぎじゃないかな」
さっきからやたらと妹ちゃんは肉や野菜を鉄板に置こうとしているようだった。
「そうかな? この方が景気がいいじゃん」
「食べる方が忙しい気がする」
このときお兄さんは庭の隅のベンチに座っていた。その姿はあたしとも妹ちゃんとのコミュニケーションすら望まないように見えた。そういう様子のお兄さんに話しかけるのはあたしにとってはハードルが高かったけど、妹ちゃんにとってはそんな障壁を全く感じていないようで、そんな彼女の振る舞いにあたしは密かに嫉妬した
「お兄ちゃん?」
「うん」
「何でそんなに隅っこで座ってるの」
「ちょっと疲れた」
「ずっと一人で運転してくれたんですものね」
あたしはようやく兄妹の会話に口出しすることができたのだ。
「おまえにそんな優しい言葉をかけられると混乱するわ」
「何言ってるんですか。お皿出してください」
あたしは持てる勇気を全て振り絞ってそう言った。そしてお兄さんが差し出してくれたお皿に焼けた肉を載せた。
「お肉とソーセージですよ。ちょうどよく焼けてますから」
「ありがとな」
このとき、妹ちゃんが反撃した。彼女は鉄板の上の野菜を手許にまとめてお兄さんを眺めたのだ。
「・・・・・・肉ばっかじゃん。ほら」
妹ちゃん邪魔。このときのあたしの正直な気持はそういうことだった。いったいお兄ちゃんは何をしているのだろう。
「何だよ」
「お皿貸して」
「ちょっと待て。ピーマンとか入れ過ぎだろ。玉ねぎももうそれくらいでいいって」
「子どもじゃないんだからちゃんと野菜も食べなよ」
「・・・・・・わかってるよ」
<こういう組み合わせなんだ>
「海からのいい風が来るんだね」
こんなときだけどこの場の雰囲気は悪くなかった。暗くなっていたために海を見ることはできなかったけど、海からの涼しい風が吹いているのは感じ取れた。
「そうだね。風のせいで炭火なのに煙くなくっていいよね」
「暗くてよく見えないけど、すぐ前はもう海岸なんでしょ」
「そうみたい。周りに人家もないし海水浴場でもないからプライベートビーチ状態だってパパが言ってた」
「さすがに泳ぐにはちょと早すぎるよね」
「どうだろう。少し冷たいかもね」
「海辺に行くって聞いたんでさ。無駄かもと思いながら実は水着持ってきちゃった」
お兄さんがあたしの水着姿を見たらどう思うだろう。一瞬あたしは胸が締め付けられるような感情に責められたけど、次に心に浮かんだのはお兄さんが自分の妹の水着姿を見たとしたらあの人はどういう想いを抱くだろうかという悩みだった。
全くお兄さんはどんだけ自分の妹が好きなのよ。そう思ったあたしは、実はその言葉が以前の自分に直接刺さって来ることに気がついて少し落ち込んだ。
「え? マジで」
「まず使わないだろうと思ったんだけどさ」
「・・・・・・実はあたしも」
妹ちゃんが恥かしそうに言った。誰に見せるつもりなのかわからないけど。
余計な話をしている間に鉄板の上の肉や野菜が焦げ始めていた。
「ほら。お肉が焦げちゃうからさっさとお皿持ってきて」
「ほら行け。彼氏君」
お兄さんがお兄ちゃんに言った。この調子だとお兄さんはお兄ちゃんに心を許しはじめているみたいだった。
「はい。行って来ます」
対抗したわけじゃないけどあたしもお兄さんに声をかけた。声をかける大義名分もあったから、あたしは自然に声をかけることができた。
「お兄さんも来て下さい。このままじゃ肉が焦げてしまいます」
「ちょっと一度に載せすぎじゃねえの」
「何よ。その方が景気がいいじゃん。彼氏君、お皿出して」
妹ちゃんが母死に割り込んだ。お兄ちゃんに構っていればいいのに。
「ちょっとトレイに行くね。妹友ちゃんあとお願い」
妹ちゃんがそう言った。
そんなに広い庭ではなかったから妹ちゃんの意図に気がつくことは難しいことではなかった。何がトイレよ。お兄さんと仲良くすることはしかたない。なんと言っても二人は家族なのだから。でもそれをトイレとかって誤魔化してお兄さんに擦り寄るのは卑怯だ。お兄ちゃんの行動とどっちが卑怯なのかと思えるほどに、あたしは妹ちゃんの行動に憤った。
妹ちゃんを目で追うと、彼女はお兄さんが一人でベンチに座っているところに真っ直ぐに向った。
妹ちゃんはお兄さんの隣に座って何か話しかけているようだった。二人の距離は恋人同士のそれのようだ。何か話をしていた二人だけど、突然、妹ちゃんがお兄さんにキスした。
その瞬間あたしの心臓が止まった。
「洗い物もだいたい終ったね」
「結局お兄ちゃんも彼氏君もバーベキューセットをしまったくらいで義務を果たした気になってるし」
「あはは。でも男の子なんてそういうもんだって」
「だってそんなの不公平じゃん」
「そう言われてもさ。そういう風に育てられて来てるからね。お兄ちゃんも。きっとお兄さんもそうだろうし」
「うちのお兄ちゃんはうざいくらいあたしの台所仕事を手伝いたがったけど」
「うちのお兄ちゃんとは大違いだ」
「運んできたぞ。多分、これで洗い物は最後だ」
「意外とお兄さんってまめなんですね」
「男女間の性差に基づく議論なら今からでも相手になってやるけど?」
「やめなよ。大人気ない」
「いつでも相手になってあげます。けど、今は洗い物があるので」
このときあたしは本当にそう思ったのだ。
「逃げたな」
「お兄ちゃん!」
「風呂入ってくる」
「お風呂から二度と出てくるな」
妹ちゃんのそのお兄さんに対する何気ない悪口にまで、あたしは嫉妬していた。
「こういう組み合わせなんだ」
「組み合わせって?」
「いや。僕とお兄さんの組み合わせで同室だと思っていたんだけどな」
後片付けを終えたあたしとお兄ちゃんは一部屋の寝室をあてがわれた。
「普通はおまえと妹ちゃん、僕とお兄さんで一緒になるんじゃねえの」
それはあたしが抱いていた疑問と全く一緒だった。自然に二家族の兄妹同士を同室にする。別にそれだけ聞くとおかしなことはないように思える。でも普通はそうじゃない。
女子高生同士の親しい友だちならこんな機会に一緒に寝ないとかは普通にありえない。パジャマパーティーとまでいかなくても、こういうときに夜更けまで内緒話しないなんて。
そのあたりから推察できることは一つだった。あたしは以前から妹ちゃんにお兄さんを紹介してくれるように頼んでいた。別に会ったこともないお兄さんに憧れていたわけじゃなかったけど、親友の妹ちゃんのお兄さんとは知り合いになりたというき持ちはあった。妹ちゃんはあたしが誘うと放課後に家に遊びに来てくれる。それも頻繁にだ。だからお兄さんと妹ちゃんはずいぶんと前からお互いに知り合いだった。お兄ちゃんが妹ちゃんを好きになったのだって、自宅で一緒にゲームとかしていたことの積み重ねからだったようだ。
それなのに妹ちゃんがあたしを自宅に積極的に誘ってくれたことはほとんどなかった。正確に言えば何度かあったことはあったのだけど、そのときの妹ちゃんの誘いの言葉を思い出すと、常に一つの共通点があったのだ。
『今日はお兄ちゃんもいないし、たまにはあたしの家で勉強しない?』
『今日はお兄ちゃんに食事の支度を強いなきゃだから、妹ちゃんちには行けないかなあ。あ、お兄ちゃん帰り遅いからそれまでうちで遊ぶ?』
今日の部屋割りもそれと同じじゃないか。妹ちゃんは自分のお兄ちゃんをあたしになるべく紹介したくなかったのだろう。でも、それなら何でこの旅行にあたしを誘ったのだろう。
「俺さ。今日のところは妹ちゃんじゃなくてあの兄貴の方を味方にするつもりだったんだけどな」
あたしの思考に割り込むようにお兄ちゃんが言った。
「味方って・・・・・・」
「あいつ単純だからさ。下手に出ていたらすごくフレンドリーになっちゃったしよ。俺が兄貴の駅弁を目指してますって言ったら満更でもなかったようだよ。バカか。誰があんなクソみたいな国大を受験するかよ」
「・・・・・・」
お兄ちゃんのひどい話が続いた。その話自体も聞きたくなかったあたしはお兄ちゃんの言葉を頭から締め出して自分が気になることを考えることに集中しようとした。結果的にそれは失敗だった。自分勝手でエゴイスティックなお兄ちゃんの置かれている立場を再認識してしまったのだから。
あたしにはもうわかっていた。妹ちゃんとお兄さんに残酷なことを仕掛ける復習鬼のお兄ちゃんなんかいないのだ。お兄ちゃんにとっては酷く惨めなことだけど。そこには妹ちゃんからは本当には相手にされていない勘違い男がいるだけだ。
あたしからお兄さんを遠ざけようとしていた妹ちゃんの気持は今だってちっとも変っていない。お兄ちゃんを有頂天にした好意的な振る舞いだって、お兄さんに嫉妬させたいだけなのだ。さっき、トイレに行くと言ってあたしとお兄ちゃんから離れていった妹ちゃんは、迷わずお兄さんに、自分の実の兄貴にキスをした。
惨めなのは、お兄さんのことを駅弁大学生とか呼んで優越感に浸っているお兄ちゃんの方なのだ。あたしは目を伏せた。お兄ちゃんは敗北した。でも、あたしは? というか肝心なお兄さんの気持はどうなのだろう。
妹ちゃんの気持に関しては残念ながらもう誤解の余地はない。でもお兄さんは妹ちゃんのいい兄貴になるってあたしに断言してくれた。あの言葉が嘘でないなら。
次の日、早起きしてそのまま眠れなかったあたしは、近所を散歩しようと思い立った。まるで悩みなんかない様子の寝顔のお兄ちゃんを残して、あたしは別荘を出た。
<夜明け前>
昨夜は真っ暗でよく海辺の方を眺めることができなかったあたしは、朝なら眼下に海を一望にできるんじゃないかと期待していたけど、古びた引き戸を開けて外に出たとき、まだ周囲は真っ暗な状態に近かった。
庭の端に常夜灯というか庭を照らしている照明灯があったせいで、あたしはかろうじて海岸に降りて行く小道を確認することができた。普段のあたしならこんな暗いところで崖を下ろうなんて考えもしなかったろう。でも今朝のあたしの選択肢にはこのまま部屋に戻ってお兄ちゃんと並んで眠るということは思いもよらなかった。
滑ったり転びかけたりしながら何とか海岸に辿り着いた頃には、少しだけ周囲を見渡せるくらいに明るくなっていた。
押し寄せる波頭の頂上で白く砕け散るのが薄く見えた。
お兄さんと妹ちゃんは同じ六畳間の一室で何を語り合ったのだろうか。それとも言葉なんかなくてあの夜のキスの続きみたいなことをしていたのだろうか。
考えてももちろん結論なんか出ない。あたしはただここで立って邪推しているだけなのだ。いったい今となっては何が正しいのだろう。お兄ちゃんと妹ちゃん、あたしとお兄さんが愛し合うカップルになることが正解なのか。それともそれがどんなにつらい道だろうと、お兄さんと妹ちゃんは結ばれるべきなのか。
それにお互いの親のこともある。お兄さんと妹ちゃんはまだ知らないと思うけど、妹ちゃんたちのパパとあたしのママは愛し合っている。別な言い方をすれば自分たちの配偶者や子どもたちのことの気持を放置してまで不倫しているのだ。
お兄ちゃんのしていることには賛同できないけど、そこまで追い込まれたお兄ちゃんの気持は理解はできる。でもそれに味方していいのか。そしてその結果、あたしがお兄さんと付き合えたとしても手放しでそのことに納得できるのか。
波のざわめきがきにならないくらい、あたしは波打ち際で立ちすくんだまま悩んだ。そのとき背後の崖から物音がした。
「妹友か」
どういう偶然なの。期せずしてお兄さんもこの朝、夜明け前の海岸を散歩しようと思い立ったみたいだった。
「おはようございますお兄さん」
「ずいぶん早起きなんだな」
「たまたまです。何か目が覚めたら眠れなくなっちゃって」
「俺と同じだ」
「そうなんですか」
「眠れないから少し散歩でもしようかと思ってさ」
こんなに悩んでいた朝にあたしはお兄さんと二人きりで話すチャンスを得たのだった。
「何か意外です」
「意外って何が?」
「お兄さんのことだからきっと少しでも長く妹ちゃんの側にいたいのかと思ってました」
お兄さは黙ってしまった。
「あ。ごめんなさい。あたし・・・・・・」
「別にいいよ。てかおまえがそんな殊勝な態度を俺に見せるなんてそっちの方が意外じゃんか」
「そんなことないですよ」
「何だよ。実はツンデレでしたとでも言う気か」
お兄さんにはそういう態度ばかり取ってきたからそう思われてもしかたない。それはいい。
問題はこの後お兄さんにあたしの気持ちをぶつけたとしたらどうなるかということだ。それを考えると、気持悪くなるくらい下腹部が痛くなるくらいに悩ましい。
「いやあの。冗談なんだけど」
「今までのあたしは必死でしたから。必死になって強気を装って毒舌を吐くようにしてましたから」
「何のこと?」
「いいです。別に何でもないです」
「そうか」
「お兄さん」
「うん」
「海が見えてきました。大分明るくなりましたね」
それまで暗かった周囲に次第に光が当てられあたしたちは周囲の光景とともにお互いの様子を目で見てわかるようになっていた。
「そうだな」
「もっと海の近くに行きたいな」
「行ってみるか。つってもその靴じゃ砂浜を歩くのは厳しいかな」
「大丈夫です。行きましょう」
別に問題はなさそうだった。単なる砂浜で怪我をする要素もないし。
「あまり走ると危ないぞ」
「わあ。日の出ですよ。海から直接お日様が昇るんですね」
こんなテンプレのようなセリフを吐く気はなかったのだけど。でも、わざとしたわけではなかったにせよ、次の出来事があたしとお兄さんの距離を少しだけ縮めてくれ、きっかけをくれたのだ。
あたしは濡れた砂に足を取られて転びかかった。
「きゃっ」
「おい危ないって。・・・・・・大丈夫?」
「はい。支えていただいたので転ばないですみました」
兄「いや。いったいどうしたの?」
「波が靴にかかって冷たくてびっくりしちゃった」
「これで転んでたら全身びしょ濡れになるとこだったな」
「ええ。ありがとう」
「いや別に」
「あ、あの」
「どうした」
「多分もう手を離していただいても大丈夫だと思います」
「あ、悪い」
「・・・・・・いえ」
多分このときはこんなことを口に出す必要はなかったはずなのに。
「お兄さん」
「うん」
「これまでいろいろとごめんなさい」
「何で謝ってるの」
「お兄さんの気持を左右したり変えたりする権利なんかあたしにはないのに」
「・・・・・・ああ」
「妹ちゃんが公園で言ってましたよね。何で自分と自分の兄の気持ばっかり優先するのって」
「言ってたな」
「本当は妹ちゃんの言うとおりなんです。あたし、お兄さんの気持ちとか妹ちゃんの気持とか全然考えてなかった」
「俺に年上の余裕を見せろって言ったことか」
「はい。すごく勝手なことを言いました」
理解できたのかどうか、お兄さんは黙っていた。
「本当にごめんなさい。あたしのお兄ちゃんに対する感情を解決するために、お兄さんと妹ちゃんまで巻き込んじゃいました」
「まあ、あまり気にしなくてよくね」
「だって」
「おまえが言ってたことは間違ってないしな。確かに兄妹の恋愛に行き場なんかないしさ」
「お兄さん・・・・・・」
「それにそもそも妹には全然その気がなかったんだしさ。おまえのおかげで俺も目が覚めたよ」
「本当にそうなんでしょうか」
「何がだよ」
「昨日の夜、あたし見ちゃいました」
「見たって何を?」
「バーベキューの途中で妹ちゃんがトイレに行くと言っていなくなったんですけど」
「お兄さんにお肉を持って行こうと思って。少し離れたところにいたお兄さんのところまで行ったら、妹ちゃんがお兄さんにキスしていました」
「見られてたのか」
「はい。お兄ちゃんが見てなくて本当によかった」
「・・・・・・言い訳していい?」
「そんな必要はないですけど、話してくれるなら聞きます」
「妹はおまえの兄貴のこと好きだと思うよ」
「はい」
「あいつが変になったのって俺があいつに告るなんて常識のないことをしたせいだと思うんだ」
「・・・・・・」
「あいつは常識的な行動をしたよ。俺の告白を断るという」
「はい」
「だけど俺は、そのことに拗ねた俺は突然引越して家から消えたんだよな。それがどんなにあいつを寂しがらせ傷つけるかなんてちっとも考えずに」
「新学期になってから妹ちゃんは学校でも全然元気がありませんでした。元気付けようとしても慰めようとしても、大丈夫だからと言うばかりで」
「そうか。うちの両親は都心に小さなアパートを借りててな。平日の夜はそこに泊まることが多いんだよ。仕事で忙しいからさ」
「じゃあ、お兄さんが家を出た後の妹ちゃんは」
「いつも一人で家にいたんだろうな」
「あの寂しがり屋で家族大好きな妹ちゃんがいつも夜一人で・・・・・・」
「ああ。確かそれからだよ。おまえに言われて妹にメールして仲直りしてさ。これからは普通の兄貴として接するからって言ったんだけど」
「だけど何ですか?」
「いやさ。妹らしくないんだけど、俺と一緒に寝ようとしたり手をつなぎたがったりとかさ。そういう行動が始まったんだよな。これまではそんことは素振りさえなかったのに」
「お兄さんに対してデレだしたんですね」
「うん、まあ。でもさ、それって兄貴としての俺を失いたくなくて無意識にやってるんじゃねえかと思うんだ」
「昔から仲の良かったお兄さんを一月以上も失った。その原因は自分がお兄さんからの求愛を断ったせいだって、妹ちゃんはそう考えたんですね」
「まさにそれだと思う。男としての俺を欲しているわけじゃない。でも女として俺に接していないといい兄貴としての俺が自分から放れていっちゃうと思ったんじゃねえかな」
「妹ちゃんかわいそう」
「そうだな。こんなことになるなら、こんなに妹を傷つけるくらいなら告白なんてしなきゃよかった」
妹ちゃんがお兄さんに執着する理由は本当に仲のいい家族を失いたくないだけなのだろうか。それともお兄さんのことを男性として愛してしまったからなのだろうか。このときのあたしにはどちらが正解なのかはよくわからなかった。
「だからさ。おまえが罪悪感を感じることはないんだ。全部俺のせいなんだから」
「それが正しいとしてもですけど」
「何だよ」
「いい兄貴をつなぎ止めるためだけのために、普通キスまでしますかね」
「あいつは家族が大好きだからな。それくらいしても不思議じゃない」
「そうかなあ」
「何か間違っていると言うのか」
「あたし、前にお兄さんに言ったじゃないですか」
<キス>
『妹ちゃんはね。お兄さんのことを好きだと思いますよ。ただ、それは異性に対する愛情じゃない』
『お兄さんから告白された妹ちゃんは、悩んだと思います。妹ちゃんにとって異性として好きなのは、彼氏になって欲しいのはうちのお兄ちゃんだから。でも、妹ちゃんは自分の兄貴に傷付いて欲しくなかった。自分の兄貴、つまりお兄さんへの愛情は異性に対するものじゃないけど、兄妹として家族としてお兄さんのことは好きだったんだと思います』
『聞いてください。だから妹ちゃんはお兄さんなんかに異性に対する愛情はないとは言えなかった。そう言ってしまえばお兄さんが悩むしひょっとしたら自殺しかねないと思ったから。だから彼女は便宜的に両親との関係とか近親相姦のこととかを持ち出してお兄さんを振ったんでしょうね』
「そうだったな。全くそのとおりだったけど」
「でも妹ちゃんはこうも言いました」
「お兄さんの部屋で女さんっていう人からひどいことを言われて傷付いていた妹ちゃんが言ったんですけど。ってもうこれは話しましたね」
『お兄ちゃんはあたしと彼氏のことを目撃して傷付いたと思うし』
『何でそこまで自分の実の兄貴に遠慮するわけ? ちゃんと断ったんでしょ。それで何も問題ないじゃない』
『あたしさ、お兄ちゃんと前みたいに仲良くなりたい。恋人としては付き合えないけど、それでも昔みたいに口げんかしたりからかいあったりしたい』
『それはわかるけど。でも何でうちの兄貴と会わないって話になるのよ。普通の兄貴は妹の彼氏に嫉妬したりしないよ』
『それはそうだけど』
『妹ちゃんさ。まさかと思うけど、お兄ちゃんの部屋に女さんがいるのを見て嫉妬したの』
『だから女さんっていう人のことを、嫌な女だなんて言ったの?』
『・・・・・・違うよ』
『何であたしから目を逸らして答えるのよ。うちの兄貴のこと好きなんでしょ』
『多分』
『あんたねえ。あたしの兄貴をその気にしておいてそれはないでしょ。まさか、あんた。お兄さんのことが本気で異性として気になりだしてるんじゃ』
『何か言ってよ』
『わからない。ちょっとよく考えてみる』
「これがもし妹ちゃんの本音だったとしたら」
「違うよ」
「それならいいんですけど。それならあたしが傷つけたのはお兄さんだけで、妹ちゃんからお兄さんを引きはがしたことにはならないですし」
「・・・・・・おまえは悪くないよ」
「でも結果的には引き離したのと同じことですね」
「・・・・・・もうやめようぜ」
「はい」
「すっかり明るくなったな」
「景色、綺麗ですね。今までは暗かったからわからなかった」
「久し振りにここに来たなあ」
「今日って気温はどうなんでしょう」
「さあ。何で?」
「その・・・・・・。ひょっとしたら泳げるかなと思って水着を」
「持ってきたの?」
「ちょっと。どこ見てるんですか」
あたしはお兄さんの視線に狼狽した。でもその感覚は決していやなものではなかった。むしろ、こんなに悩み多い今、初めて心がときめいて、そして少しだけ安らぐ感じがした。話題としてはエッチな話だったのに。
多分あたしは何にせよお兄さんの関心をひきつけたことが嬉しかったのだろう。
「ああ、すまん」
「・・・・・・どうせあたしは胸はないです」
「へ? ああ、問題ない。その方が好みだから」
「お兄さんのエッチ」
「ちなみにどんな水着なの」
「教えてあげません」
「けち」
「全くもう。今の今までシリアスな話をしてたというのにお兄さんときたら」
「おまえがいかにも俺に水着を見せたがっているような発言をするからだろ」
「誰がそんなことを言いました。そんなわけないでしょ。どこまで自己中なんですか」
「おまえとはキスした仲だしな」
「あ、あれは。妹ちゃんに発見されそうだったから偽装工作として」
「いやあ。でも女の子の唇って柔らかいのな」
「・・・・・・マジで殺す」
「つれないなあ。何ならもう一度してくれてもいいんだぜ」
「・・・・・・うっさい。死ね」
「おまえ顔真っ赤だぜ」
「・・・・・・知りません」
「そろそろ戻るか。あいつらも起きる頃だろうし」
「はい」
あたしはもうあまり考えずに爪先立って背の高いお兄さんに寄り添った。お兄さんに回した腕は彼の少し痩せ気味の背中に回されていた。それは自分の意思で行われたことなのだけど、あたしにとっては夢の中の出来事のようだった。
「・・・・・・・お兄さんに言われたとおりにキスしましたよ」
あたしは表情を変えずに冷静にそう返せたはずだったけど、胸は激しく動悸を繰り返していたのでお兄さんに気づかれたかもしれなかった。でもそれすらもうどうでもよかった。
「お、おまえなあ」
「どっちかと言うとお兄さんの方が真っ赤じゃないですか。今日はどっかに遊びに行くんですか」
「・・・・・・妹は近くにある水族館に行こうって行ってたけど」
「そうですか。一つお願いがあるんですけど」
「何だよ」
「今日はあたしとずっと一緒にいてください」
「何で?」
「その方がきっとお互いに楽ですよ」
「・・・・・・姫が嫉妬すると思う」
「それに動揺しないで、いいお兄さんとして振る舞ってください」
「まあ、そうなんだが」
「勝手言ってごめんなさい。あたしまた前と同じことをしようとしているのかもしれないけど」
「まあ、正直に言えばそんな気もする」
「でも動機は前とは全然違うんです」
「そうなの」
「ええ。前はお兄ちゃんを諦めるためというのが主な理由だったんですけど」
「今は違うのか」
「はい。今のお願いはどちらかというと自分の願望をかなえるためです。あたしのわがままですね」
「どういう意味?」
「こういう意味です」
あたしは爪先立ってお兄さんの首に手を巻きつけた。その朝、あたしはお兄さんに二度もキスしたのだった。
<水族館>
その朝自分でもそこまでするとは思っていなかったことまでしてしまったことに驚き、そして少し恥かしかったけど、早朝の光の下ならあたしの顔が赤くなっていたことにお兄さんは気がつかなかったのだろうと信じたい。この場に及んでもあたしは冷静でクールな女だとお兄さんに思われたかったのだ。
その後は悩む必要がないほど何もかもうまくいっているように思えた。妹ちゃんはあたしとお兄さんが二人で別荘を抜け出したことなど気にしていないようだった。妹ちゃん一人に朝ごはんの支度をさせてしまったことをあたしは謝ったけど、妹ちゃんは笑っていただけだった。ただ朝食はお兄さん好みだと聞かされていた和風の献立だったけど。
和やかな雰囲気はその後も続いた。何かもうこのままあたしとお兄さん、妹ちゃんとお兄ちゃんとの二組のカップルが既定路線になったようだった。そしてあたしにはそのことを妹ちゃんもお兄さんも気にしていないように見えた。水族館までは自然に妹ちゃんとお兄ちゃんが並んで後部座席に座り、あたしも昨日ほど自意識過剰にならずに助手席に座ることができた。
水族館のチケット売り場にできている長い行列には、妹ちゃんとお兄ちゃんが並ぶことになってあたしとお兄さんは入り口の脇で並んでおしゃべりをしていた
このときあたしはもう無理しなくていいかなという思いもあったのだけど、逆に言えばこれだけ自然に妹ちゃんとお兄ちゃんの自然な振る舞いを見ると、あたしとお兄さんが別行動しても問題はないのではないかという気もしていた。お兄さんと二人きりでデートみたいに水族館を回れるならその方が嬉しい。
「チケットを買うだけでもう三十分以上もかかってるぞ」
お兄さんがうんざりしたように言った。あたしは別に何時間待ったって構わない。お兄さんと二人きりでいられるなら。お兄さんは退屈なのだろうか。あたしは少し心配になった。
「連休中なんだからしかたないですよ。それに並んでくれてるのは妹ちゃんたちじゃないですか」
「それはそうだけど、待っている方もつらい」
お兄さんがお兄ちゃんと二人きりでいる妹ちゃんのことを気にしている様子は伺えなけど、あたしと二人でいることに嬉しがっている様子もない。今朝のキスはお兄さんにとってはあまり意味のないことだったのか。あたしは予定どおりに行動することをこのとき決めた。
「それよりお兄さん」
「どうした」
「海辺での約束、覚えてくれてますよね」
「・・・・・・それはまあ」
「妹ちゃんはきっと四人皆で行動しようと思っているでしょう」
「そうかもな」
「この人混みですから水族館の中はきっと観光客でごった返しているはずです」
「それは容易に想像できるな」
「はぐれましょう、わざと」
「はい?」
「ですから妹ちゃんとお兄ちゃんとはぐれましょう」
「・・・・・・何でそんな手の込んだことをしなきゃいけないんだよ」
「四人で見て回ろうって言われてるのにわざわざ二人きりになりたいなんて言いづらいじゃないですか」
「それに本心では妹ちゃんだってお兄ちゃんと二人きりになりたいに決まってます」
「そうかなあ」
「あたしたちに遠慮して、二人きりになりたいなんて言い出せないだけですよ」
「まあ、妹友がそこまで言うならそうしようか」
「お兄さん、ひょっとしてあたしと二人きりになるのが嫌なんですか」
意図しなかったことだけど少しだけ責めるような口調になってしまったのかもしれない。勝手にしたことに多くの意味を持たせようとする気はなかったのだけど、それでも早朝のあのキスの後にこういう態度を取られたことは寂しかった。
「そんなことねえけど」
「それともやっぱり妹ちゃんのことが気になりますか」
「いや。それはやっぱり気にはなるけど、気にならないようにしなきゃいけないと思ってるよ。だからおまえと二人でも全然嫌じゃない」
「そうですか」
「おまえはどうなの?」
「どうと言いますと?」
「兄貴を取られちゃうみたいで落ちつかないんじゃねえの」
「今はもう全然そんな気はなくなってしまいました。以前を考えるとまるで嘘のように」
「どういうこと」
「前は確かにお兄ちゃんと妹ちゃんが二人でいると落ちつかなかったんですけど」
「ブラコンだもんな。おまえ」
「お兄さんにだけは言われる筋合いはこれっぽっちもないと思います」
「・・・・・・まあ、そうかもしれん。で、今はどうなの」
「今はお兄さんと妹ちゃんが二人きりでいる方が心配で落ちつきません」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味ですよ」
「おまえ、俺のことなんか好きでも何でもないって前に言ってなかったっけ」
「言いました」
「じゃあ何で」
「そんなのわかりません。気になるんだから仕方がないでしょ」
ここまであたしにしては珍しく嘘は言っていない。フェイクさえないのだ。
「おまえひょっとして俺のこ」
「お待たせ。やっと買えたよチケット」
妹ちゃんとお兄さんが戻って来た。ようやく入場券を買えたらしい。
「チケットを買うだけで四十分ですからね。中は相当混雑しているでしょうね」
お兄ちゃんが言ったけど、そんなに心配している様子はない。妹ちゃんとのツーショットに満足しているのだろう。
「はぐれないようにしないとね」
妹ちゃんが言った。はぐれてもいいのよ。あたしはそう思った。
妹友「今ですお兄さん」
兄「あ、ああ」
妹友「二人はペンギンの方に向っています」
兄「そうだね」
妹友「この人が少ない地味な水槽の陰であの二人をやり過ごしましょう」
兄「地味な水槽って。なんだ、くらげか」
妹友「もう少し水槽の背後に回ってください。見つかってしまいます」
兄「ああ」
予定していたとおりあたしとお兄さんはあの二人から計画的にはぐれた。これでこの後は二組のカップルが別行動することになる。そしてまた合流して一緒に食事に出かけるのだ。仲のいい二組のカップルとはこういう行動をするものだとあたしは思って少しだけ笑った。
「お兄さんちょっと顔を出しすぎです。もっとあたしの方に寄ってください」
「これくらい離れてりゃ大丈夫だよ」
「万一ということもありますから。ほら」
「こら、手を引っ張るな」
「しばらくこうしていましょう」
「・・・・・・何で俺の腕に抱きついてるの?」
「知りません。そんなこと一々聞かないでください、バカ」
そのとき異変がおきた。遠目に小さく見えている妹ちゃんが慌てたように周囲を見回し始めたのだ。それも尋常ではない勢いで。
「妹ちゃんが気がついたみたいですね」
「どうもそのようだな。あっちこっちを探しているし」
「すぐ諦めて二人で行っちゃいますよ。少しここで待ちましょう」
「うん」
でもどうも様子がおかしかった。宥めようとしたお兄ちゃんの腕を振り払った妹ちゃんはスマホを取り出した。案の定すぐにお兄さんの携帯が鳴り出した。
「妹から電話が来てるんだけど」
「着信に気がつかなかったことにしましょう。これだけ人だらけで周囲もうるさいので説得力もありますし。だから出ないでください」
「ああ」
納得したようなお兄さんの態度に安心する暇もなく、一度切れた携帯はその後も断続的に何回も鳴り響いた。これでは子どもと同じだ。パパとはぐれて迷子になった小さな子どもが必死になって親を探しているようだ。
「俺やっぱやめるわ」
そのときお兄さんが鳴り止まない自分の携帯を真剣な表情で見つめながらぽつっと言った。
「・・・・・・何でですか」
「妹を宥めてやらないと」
「それはもううちのお兄ちゃんの役目です」
兄「そうだけど・・・・・・そうだけど少なくとも今は違うんだよ。彼氏君じゃ無理だ」
「どういう意味ですか? 妹ちゃんは本当はお兄さんの方が好きだとでも言いたいんですか」
「そうじゃねえよ。そういう問題じゃなくて、あいつには家族と一緒にいたい時があって、そういうときに側に家族の誰かがいないとパニックみたいになることがあるんだよ。だから今は彼氏君じゃ無理だ。俺の両親か俺自身じゃないと」
がっかりした気持ちもあったのだけど、お兄さんの言葉はあたしを納得させてしまった。というかその言葉をあたしは信じたかったのだろう。恋愛感情ではなく家族を求める妹ちゃんの行動にお兄さんは罪悪感を感じているのだと。それにあたしの方もパニックになっているらしい妹ちゃんの様子に微妙な罪悪感を感じていたから、ここは素直にお兄さんの言うことに従うことにした。
「全くブラコンとシスコン同士はたちが悪いです」
お兄さんは黙ってしまった。
「わかりました」
「悪い」
「この埋め合わせはしてもらいますからね」
「おう」
「じゃあすぐに行きましょう。妹ちゃんを救いに」
あたしはお兄さんに無理に笑顔を作って見せた。
<不機嫌>
結局この後妹ちゃんの前に姿を見せたお兄さんに、妹ちゃんは半分泣いて怒りながら抱きつくという結末となってしまった。あたしのささやかな計画のせいで妹ちゃんを悩ませたことは申し訳ないと思うけど、それにしてもこれはいくら仲のいい家族であり兄妹であったとしても行きすぎではないか。
妹ちゃんとお兄さんは和解したのだけど、そこから先は妹ちゃんはべったりとお兄さんにしがみつくようにして、お兄さんの側から離れなくなってしまった。当然、何の説明もなくあぶれたお兄ちゃんは釈然としない様子であたしと一緒にペンギンのいる大きな水槽の周りを歩いていた。ペンギンになんか少しも目をくれず。
「お兄ちゃんさっきからペンギンじゃなくて妹ちゃんばかり見てるじゃん」
あたしは優しくからかったつもりだったけど、お兄ちゃんの反応は予想外に激しいものだった。
「当たり前だろ」
吐き捨てるようにお兄ちゃんが言った。「何でいきなり妹がバカ兄貴にべったり抱きついて一緒にいるんだよ。おまえ、何か妙なことを吹き込んだんじゃないだろうな」
「そんなことしてないよ」
あたしは予想もしなかったお兄ちゃんの剣幕に驚いて言い訳した。
「いったい何なんだよ。最初は四人でいたってよかったんだよ。徐々に彼女と二人きりになれればよかったのに。おまえが頭の悪いこと考えて、わざとはぐれようとかするからだろう」
「何の証拠があって」
「さっき妹が言ってたんだよ。妹友ちゃんがバカ兄貴と二人きりになろうとしたせいだって。僕もそう思うよ。おまえ、あの兄貴と二人きりになりたくてわざとこんなことしたんだろう」
「それは。えと」
確かにそれは事実だったからあたしは何も反論できなかった。
「おまえがあの兄貴を好きになるのは勝手だけどよ。僕と妹のことを邪魔するのはよせ」
「あたしは邪魔なんか。むしろ応援しようと思って」
「それが邪魔だっていうんだよ。応援してくれるならおまえは何もするな。僕の計画の邪魔になるだけなんだから」
「計画って。妹ちゃんのパパを苦しめるっていうあれ? まだそんなこと言ってるの」
「あたりまえだ。そのために僕は妹ちゃんに近づいてるんだし、あの低脳のバカ兄貴に媚びてるんだ。それをおまえが邪魔したんだ」
四人で普通に仲良くなれないのだろうか。そうでなければあたしはこれ以上お兄ちゃんを応援できなくなってしまう。いろいろ喧嘩もしたけど結局妹ちゃんはあたしにとって唯一の親友だ。それにお兄さんの大切な妹ちゃんをそんなことに利用させるわけには行かない。それを黙認したらあたしはお兄さんと親しくなる権利すら失ってしまう。
「あいつらが移動した。行くぞ」
「行くって。二人のところに行ってどうするの」
「決まってるだろ。合流して四人で行動するんだよ」
「今はそういうの止めておこうよ」
必ずしもお兄ちゃんの行動の目的に反対だったからということだけでそう言ったわけではなかった。それよりもお兄さんを必死に探している妹ちゃんの姿と、それを見て迷わず妹ちゃんのところに向ったお兄さんの行動がまだ目に焼きついていたからだった。
お兄さんは家族として妹ちゃんを宥めに行ったのだし、その行動をあたしは信用したかった。それにお兄さんは妹ちゃんは家族から自分がはぐれて慌てているのだと言った。だから妹を宥めるのは自分でなければならないのだと。
お兄さんにキスしお兄さんに告白まがいの言葉を伝えたあたしは、お兄さんを信じるべきだと思ったのだ。それに妹ちゃんは親友だった。この旅行をきかっけに一度は仲違いした彼女と、あたしは仲直りしたのだ。親友として思い返してみると妹ちゃんが家族好きなことだけは間違いない。妹ちゃんは笑いながら自分はファミコンだからって言っていた。ファミリーコンプレックスのことだそうだけど。
「何でだよ。おまえなんか誤解してないか」
「誤解なんかしてないと思うけど」
「いや。してるね」
お兄ちゃんは断言した。「おまえは僕のすることで妹ちゃんが不幸になると思ってるだろう?」
「それは・・・・・・。正直言うと思ってるけど」
「それが誤解なんだよ。妹ちゃんは不幸になる要素なんかどこにある?」
「だって。自分のお父さんへの復讐のためにお兄ちゃんに告白されたなんて知ったら」
「知ったらだろ。知らなければ単なる普通の恋愛じゃん」
「それにしたって」
「いいか」
お兄ちゃんが妹ちゃんたちを追跡することをやめてあたしの方を真っ直ぐに見た。
「母さんとあの二人の父さんとの不倫はいつかは妹ちゃんも知ることになるんだ。あいつらはお互いに離婚して再婚する気まんまんだからな」
それはお兄ちゃんの言うとおりだった。そしてそれを知った妹ちゃんがどんなに苦しむことになるのかも容易に想像できた。
「確かに僕は妹ちゃんの父さんへの復讐もあってこういうことを考えたんだけど、もう少し考えればこのことを逆手にとって母さんとあいつの仲を清算させることだってできるかもしれないんだ」
「そんなの無理だよ」
ずいぶんと非現実的な考えに思える。現実主義者のお兄ちゃんがそんな夢のようなことを本当に考えているのだろうか。
「無理じゃないよ。妹ちゃんはファミコンかもしれないけど、あいつだって自分の娘のことが大好きだって言ってたじゃないか」
「それは本当みたい。お兄さんもそんなことを言ってたし」
妹ちゃんのパパが何よりも大切なものは妹ちゃんらしかった。多分、あたしのママを愛するよりももっと深く。パパは妹ちゃんのママよりもあたしのママを選んだのかもしれないけど、それでも彼にとって一番大切なのは妹ちゃんであることをあたしは疑っていなかった。
「だったら僕が悪者になって、母さんを奪い家庭を壊したあんたへの復讐のために、あんたの娘を弄んで傷つけるぞって言ったらどうなる?」
「妹ちゃんにお兄ちゃんと別れるように言うだけだと思う」
「そんなこと言えるかよ。そしたら僕が不倫のことを妹ちゃんにばらすってわかってるのにさ」
意外と現実的にありえる話なのだろうか。少なくともお兄ちゃんは自身ありげだ。
「じゃあどうなるのよ」
「妹ちゃんのためなら浮気な恋愛遊びなんか諦めるだろうさ。そしてその方が母さんにとってもいい。あんな男に弄ばれて家庭を壊すような馬鹿なことをしでかすより」
「妹ちゃんのパパがお兄ちゃんの言うとおりにしたら。そしたらお兄ちゃんは妹ちゃんのことはどうするのよ」
「それは・・・・・・」
お兄ちゃんが目を逸らした。そのときあたしはお兄ちゃんの考えていることが全て理解できた。あたしが目を逸らしていただけだ。そんなことはお兄ちゃんに片想いしていた頃からわかっていたことだったのに。
お兄ちゃんはやっぱり妹ちゃんのことが好きじゃないのだ。お兄ちゃんが救いたいのは本当は妹ちゃんじゃない。
もう無理だった。今までは意識して考えないようにもし、口に出すなんてもってのほかだと思って自分の中に封じ込めていたこと。
「お兄ちゃんの初恋の人ってママだったよね?」
いつも自信に満ちていたお兄ちゃんがうろたえたところを見たのは初めてだったかもしれない。
「・・・・・・何言ってるんだ。おまえは」
「ようやくわかったよ。普段ならお兄ちゃんはこんなひどいことを考える人じゃなかったもん」
「おまえの言っていることは意味わかんないよ」
「普段のお兄ちゃんなら妹ちゃんを利用して使い捨てるようなことはしないでしょ」
「今の俺だって使い捨てるとか利用するとか考えているわけじゃない」
あたしはお兄ちゃんの弁解に構わず話しを続けた。もう今まで自分に課してきたたががはずれたのだ。
「お兄ちゃんが我が家を守ろうとしてくれたことは確かだと思うけど。でもお兄ちゃんが本当にしたいのはママをお兄ちゃんの元に取り戻すことでしょ」
「僕の元じゃない。僕たちの元、僕たちの家族に母さんを取り戻したいだけだよ」
「・・・・・・それって違うよね? あたしとかパパなんてお兄ちゃんにとってはどうでもいいんだよね。ママがお兄ちゃんのところにいればそれでいいんでしょ」
「おまえ。何の根拠があって」
「パパとママは今回のことが起きる前だってあまり仲がよくなかったでしょ。あたしはそのことが悲しかったけど、お兄ちゃんはそのことには全然悩んでいなかった」
お兄ちゃんは再び黙ってしまった。
「お兄ちゃんが悩みだしたのは、ママに好きな人ができてからじゃん」
「黙れ」
「これ以上、お兄ちゃんのすることには協力できない。妹ちゃんはあたしの親友なの」
「おまえはお兄さんが好きなんだろ? お兄さんと付き合いたいんだろう」
「だから?」
「そのためにはあの度を越えたブラコンの妹ちゃんの気持を僕に向けないと、おまえはお兄さんとは付き合えないよ」
あたしは不意を打たれて黙ってしまった。お兄ちゃんは妹ちゃんの気持を楽観的に捉えているのだと思っていたけど、実はそうではなく妹ちゃんが好きなのはお兄さんだと最初から見抜いていたのだろうか。
「もうすぐシャチのショーが始まるんだ」
自分を取り戻したらしいお兄ちゃんが冷静に言った。「見に行くぞ」
「シャチなんか見たくない」
「いいから行くぞ。あそこで妹ちゃんたちを捕まえる」
お兄ちゃんはもうあたしの方を気にせずに歩み去ってしまった。
<いさかい>
後ろの方の席にあたしたちが会話も交わさずに座ったときにはもうシャチのショーは始まっていて、彼らは派手な水音を立てて空中からプールにその巨体を投げ込んでいた。そのとき周囲の観客の歓声の渦の向こうに寄り添ってはしゃいでいる一組の仲の良さそうなカップルが目に入った。遠目に見えたお兄さんと妹ちゃんの姿は急にクローズアップされて見えた。
二人は最前列から数列下がった席に座っていた。多分並んだ列の最初の方には間に合わなかったのだろう。そのためシャチが作る水しぶきが前列の観客を直撃したときも、二人はそのしぶきの直撃を受けずにすんだようだった。
妹ちゃんがお兄さんに寄り添うように、寄りかかるように甘えている。その姿は妹ちゃんを信じ始めていたあたしを動揺させた。それは付き合い出したばかりの初々しい様子でもなく、お互いに慣れきってしまった恋人同士でもなく、一番お互いに傾倒しているときの恋人同士の親密さを思わせるような様子だった。
「あいつら。ふざけやがって」
隣を見るとお兄ちゃんが険しい様子で向かいの席の方を睨んでいた。お兄ちゃんもあの二人の様子に気がついていたようだった。
「落ち着きなよ」
「僕は落ち着いているよ」
「嫉妬したの? 妹ちゃんとお兄さんの仲のいい様子に」
「ばか言え」
「そうだよね。お兄ちゃんは妹ちゃんじゃなくてママのことが大好きなマザコンだもんね」
「黙れ。誰がマザコンだよ」
「誰って。知り合いにはお兄ちゃん以外にマザコンなんかいないし」
「いい加減にしろよ。何でおまえはあれを見て落ち着いていられるんだよ。あのばか兄貴のことが好きなんだろ」
「お兄さんのこと、ばか兄貴なんて言わないでよ」
「悪かったよ。そうだな。お兄さんにはおまえが一番似合っているよ」
「そ、そんなこと言ってない」
「とにかく、あれはないだろ。あいいつらは実の兄妹なのに、何であんなにベタベタしてるんだよ」
「妹ちゃんたちは仲良しだからね」
「限度ってものがあるだろ。仲良しの兄妹にしたって」
正直に言えばあたしもお兄ちゃんと同じ想いを抱いていたのだ。それでも今はママだけを大切に思いママだけを求めているであろうお兄ちゃんへの反発だけがあたしの心を支配した。本当はお兄ちゃんだけではなくあたしだって妹ちゃんがお兄さんにしなだれかかっている仲睦まじい様子に動揺していたのに。
「残念だったね。あたしが邪魔するまでもなくお兄ちゃんなんか妹ちゃんには全然相手にされてなかったみたいじゃない。まあマザコンの男の子なら女の子を口説いったってこんなものか」
突然、左頬に痛みを感じたあたしは驚いてお兄ちゃんを見た。
「あ・・・・・・。悪い。そんなつもりじゃ」
「お兄ちゃんぶったね。あたしのこと」
「違う。っていうかぶったかもしれないけど違うんだ」
「ごめん。てかそうじゃないんだ。思わず手が出て」
「もういい。お兄ちゃんがあたしや家族のことをどう思っていたのかよくわかった」
「悪かったって。たださ、家族のためにしているのに何でおまえはわかってくれないんだよ」
「ママさえ一緒にいればいいんでしょ? お兄ちゃんは」
その後、しばらく不毛な兄妹喧嘩が続いた。
「もういい」
あたしはシャチのショーが行われている会場から抜け出した。こんなやつと一緒にいたくない。あたしはそのときそう思ったのだ。
しばらく行く末もなく、周囲の水槽を飾っている珍しい魚類も目に入らないまま水族館の中を徘徊していた。頭の中をかき回すような感情が少し収まってくると、あたしは現実的な心配を考えるようになった。
どこかで妹ちゃんたちと落ち合わなければならない。昼食やこの後に行くところを考えるといつまでも別行動というわけには行かないのだ。とはいえ全員で集まるどころかあたしは今では一人でいる。こんな状態でいったいどうすればいいのだろう。後ろからお兄ちゃんが付いてきていないことを確かめてから、あたしは小さなカニとか小エビとかがいる人気のない地味な水槽の前のベンチに腰を下ろした。電話するしかないか。そう思ってスマホを取り出したとき、不在着信が入っていることに気がついた。妹ちゃんからだ。
かけなおすとすぐに妹ちゃんが出た。
「うん、あたし。もう、さっき電話したのに出ないんだもん」
「ごめん。気がつかなかった。お兄さんは一緒にいるの?」
「うん、そうだよ。シャチのショーをお兄ちゃんと二人で見てたの。妹友ちゃんは?」
「あたしもシャチのショーを見てた」
「え。会場にいたんだ。わからなかったよ」
「まあすごく混んでたから」
「でさ。そろそろ爬虫類パークに移動したいんで、出口で待ち合わせしようよ」
「うん・・・・・・。でもお兄ちゃんがどこにいるかわからない」
「へ。彼氏君と一緒じゃなかったの?」
「まあそうかな」
「じゃあ、彼氏君に電話して。どこかでお昼食べてから爬虫類パークに行くから」
「ええとね。あの」
「よろしくね」
あたしがお兄ちゃんと喧嘩したことを伝えようとする前に、妹ちゃんは電話を切ってしまった。とりあえず妹ちゃんたちと合流するほかに選択肢はなかった。あたしはシャチのショーの看板が飾られていた入り口の方に向った。
「やっと会えました」
妹ちゃんがあたしの微笑みかけた。それは何の後ろめたいこともない素直な表情だった。それはさっきお兄さんとはぐれてパニックになった妹ちゃんとは思えないほど、いつもどおりの態度だ。
「ごめん。ちょっとトラブってて」
「何かあったの」
ここで嘘を言ってもしかたがない。お兄ちゃんと合流すればお互いの態度でばれてしまうだろうから。
「ああ、別にたいしたことじゃないんだけどさ。ちょっとつまらないことでお兄ちゃんと喧嘩しちゃって」
「何で喧嘩なんかしたの? いつもは仲がすごくいいのに」
妹ちゃんには言われたくなかった。たとえ彼女がお兄ちゃんに狙われている犠牲者だとしても。お兄さんの前ではそういうことを言われたくない。
「・・・・・・別に」
「妹友ちゃん?」
「別に妹ちゃんが心配することじゃないよ」
思ったより温度が低い声になってしまったかもしれない。
<妹への不信>
「それにしても今はぐれてるのはまずいよな。ただでさえ混み合ってるんだしさ。さっさとここを出て昼飯食って、爬虫類何ちゃらとかに行かないと。まあ、爬虫類を諦めるなら別に急ぐ必要はないけど」
「そんなわけないでしょ!」
思わず口に出した言葉に妹ちゃんの声が重なった。昔から妹ちゃんとは趣味が被っていて、それがあたしと彼女を親友にした一因だったのだ。
「・・・・・・こわ。つうかそれなら誰か彼氏君と連絡を取れよ」
お兄さんが呆れたように言った。
「あたしはお兄ちゃんと喧嘩しちゃって気まずいから。妹ちゃんお願い」
「あ・・・・・・。ごめん妹友ちゃん。あたし彼氏君の携番もメアドも知らないの」
「え? 何で」
嘘付け。あたしは共通の趣味のことを一瞬で忘れるくらい腹が立った。そもそも登校デートとか図書館デートのときに二人はメアドを交換し合っていたはずじゃない。何で今さらそんな嘘をつく必要があるのだろう。お兄さんにを使ったのだろうか? いや。それならこの旅行の前半にお兄ちゃんといちゃいちゃするところをお兄さんに見せ付けること自体がおかしい。あたしには妹ちゃんが何を考えているのかわからなくなってしまっていた。
「何でって・・・・・・」
妹ちゃんは追い詰められたように口ごもった。
「付き合ってるのに何でそんなことも知らなかったの?」
「うん」
「何でよ?」
「別に理由はないけど。何となく」
「・・・・・・よくそれで今までお付き合いできてたね」
「それは・・・・・・」
「信じられない。お兄ちゃんの彼女なのにお兄ちゃんと連絡手段さえないなんて」
あたしは間違っている。いくら姑息な嘘を言っているにしても、この鬱憤は妹ちゃんにではなくお兄ちゃんに晴らすべきなのだ。でもお兄さんを前にして今さら取り繕う妹ちゃんの姿にあたしは失望していたのだ。
「多分、彼氏君のほうも同じじゃねえか」
お兄さんが少し気まずそうに間に入って言った。
「そんなはずないです。お兄ちゃんに限って」
「姫さあ。おまえ彼氏君に携番とかメアド教えたの」
「教えてない。妹友ちゃんが教えてなければ多分彼氏君もあたしの連絡先は知らないと思う」
「あたしが勝手に教えるわけないでしょ」
妹ちゃんの自分勝手な憶測にあたしはむっとした。
「じゃあ彼氏君も妹の連絡先を知らないんだな。仕方ない。妹友、おまえが彼氏君に電話しろよ」
「あたしはお兄ちゃんと喧嘩して」
「このまま彼氏君を放置して出発するわけにもいかねえだろ」
「・・・・・・それはそうです」
現実的に考えればそれは正論だった。こんなところでどんなに待っていたとしてもお兄ちゃんと出会えるとは思えないし、いくら喧嘩をしたとしてもお兄ちゃんだけここに置いていくわけにはいかない。
「じゃあ頼むから彼氏君に連絡して出口で待っていると伝えてくれ」
「わかりました。お兄さんの頼みならしかたないです」
妙な沈黙の中、あたしはお兄ちゃんに電話した。数コール後にお兄ちゃんが電話口に出た。
「お兄ちゃん?」
お兄ちゃんは何も言わなかった。とにかく用件を言わなければ。
「電話切らないで。お兄さんと妹ちゃんと合流したからお兄ちゃんもすぐに出口に来て」
「だから。あたしたちの喧嘩で妹ちゃんたちに迷惑はかけられないでしょ。とにかくすぐに来て。食事して爬虫類パークに行くんだって」
「爬虫類か。そこに行くのか」
お兄ちゃんの声が耳に響いた。
「うん、そう。喧嘩の相手は夜になったらまたしてあげるから」
「何だって?」
「すぐに来るそうです」
「おまえら。何で喧嘩なんかしたの?」
「それはお兄さんにだけは言われたくないです」
妹ちゃんはさっきから関心がない風だ。
「何でだよ」
「言いたくありません」
少ししてお兄ちゃんが姿を見せた。気後れしている様子さえ見せずに。
「彼氏君」
「妹ちゃん、遅れてごめん」
「それは別にいいけど」
「じゃあ、行きましょう。誰かさんが遅れたせいでだいぶ時間を食ってしまいました」
「・・・・・・うるせえ」
お兄ちゃんがあたしの方を見ずにそう言った。
その後の妹ちゃんはうざいくらいにお兄さん大好きモードに突入っしてしまっていて、お兄ちゃんの自分勝手な行動や目的には賛同できないあたしも少しお兄ちゃんがかわいそうになったくらいだった。水族館以降、お兄さんの車の助手席には妹ちゃんが当然のように座った。喧嘩したあたしとお兄ちゃんを並べて後部座席に座らせることに対して、妹ちゃんは気を遣う気すらまるでないようだった。その座席順は妹ちゃんだけが盛り上がってお兄さんが当惑した様子で、あたしとお兄ちゃんが沈んできたばかりだった食事を終えても変わらなかった。
当然ながらあたしとお兄ちゃんは後部座席ではお互いに目も合わず、なるべくお互いから離れて座るようにしていた。
「遅くなったけど爬虫類パークに行こう」
「ああ」
お兄さんが答えた。
「妹友ちゃん、そろそろ出発しようよ」
「うん。イグアナ楽しみだなあ」
あたしは平静を装って言った。
「理解できん」
「何でよ?」
「お兄さんも実際に見ればあの可愛らしさがわかりますよ」
「ヘビの仲間の可愛さなどわかりたくもないわ」
「・・・・・・絶対に爬虫類好きにさせてやるから」
このときのあたしの心境は複雑だった。お兄ちゃんの身勝手な行動を擁護することはできない。でも、それは妹ちゃんが本心ではお兄ちゃんのことを好きであるということが前提になる話だ。お兄さんと妹ちゃんは共依存だとあたしは思っていた。お兄さんは妹ちゃんのことを愛していると自分では思い込んでいたかもしれないけど、それは共依存の関係がお兄さんの思考を歪めていただけなのだ。
お兄さんの告白を拒否した妹ちゃんは自分の拒絶により大切な兄を失ったと思い込み、そのことに後悔と責任を感じている。それも共依存のなせる業だ。
両親が留守がちな家庭で二人きりで育った兄妹がお互いへの依存を深めて行くこといついては、あたしが一番よく知っている。そしてそういう心の傾斜は往々にして対象への愛情と間違えることになるのだ。あたしはそれを克服した。でも妹ちゃんがまだそのことを克服できずにいるとしたら。
お兄ちゃんの計画なんて成り立たない。成り立たないこと自体は別に構わないというか望ましいことなのだけど、あたしのお兄さんへの愛もまた報われないことになるのだろうか。
さっきのお兄ちゃんの言葉が頭に浮かんだ。
『おまえはお兄さんが好きなんだろ? お兄さんと付き合いたいんだろう』
『そのためにはあの度を越えたブラコンの妹ちゃんの気持を僕に向けないと、おまえはお兄さんとは付き合えないよ』
<あたしではだめですか>
爬虫類パークは大混雑していた。そもそもチケット売り場に並ぶ以前に、駐車場に入るのを待つ車の長い列ができていた。
さっきからイグアナを楽しみにしてる妹ちゃんに話しをあわせていたものの、今のあたしの関心事は決して爬虫類の類いなどではなかったから、あたしはこの長い車列を見ても別にどうとも思わなかった。結局、時間節約のために駐車場待ちをしている間に平行してチケット売り場に並ぶことになり、妹ちゃんとあえて志願したお兄ちゃんが車を降りて行った。
お兄さんと車内に取り残されたあたしは後部座席から助手席に移りたかった。でも夜明けの海岸では何でもできたはずのあたしは、今では何もできなかった。妹ちゃんのお兄さんへの好意がより明白になった今では。その代わりにあたしはお兄さんに共依存の説明をした。冷静に話しているつもりだったけど途中から思い入れも入って相当失礼なこと言ってしまったと思う。でもお兄さんは真面目に聞いてくれた。
「薬物依存みたいな悲惨な例とはちがうでしょうけど。根本的には同じじゃないですか」
「それだけの関係なら、何で妹ちゃんはさっきあたしたちが姿を消しただけでパニックになったんですかね」
「両親が不在がちな環境。寂しがり屋で家族大好きな妹ちゃん。そんな妹ちゃんが側にいてくれる唯一の肉親であるお兄さんに依存したって別に変な話じゃないですよね」
「そして。お兄さんも妹ちゃんが大好きだった。それが妹への肉親的な感情なのか男女間の愛情なのかは別として」
「それでも、お兄さんにとっては妹ちゃんのそんな依存が嬉しかったんでしょ? それが唯一の生き甲斐になるくらいに」
「そうしてお兄さんと妹ちゃんの共依存の関係が始まった。妹ちゃんはお兄さんに依存して心の平穏を得た。お兄さんは妹ちゃんの心の平穏を保つことに自分の生き甲斐を感じてきた」
「ね? 見事に教科書どおりの共依存関係が成立しているじゃないですか」
「さっきも言いましたけど。共依存は決して精神的に健全な状態ではないと言われています」
「おまえの言うとおりだとしてさ。俺はどうすればいいんだよ」
お兄さんが打ちのめされたような暗い表情で言った。
「お兄さんも彼女を作ればいいんじゃないですか」
「何でそんな極端な話になるんだ」
「一生独身で妹の幸せを見守るなんて真顔で言っていること自体が共依存の典型的な状じゃないですか。妹ちゃんにはお兄ちゃんがいます。お兄さんもいっそ女さんと復縁したらどうでしょう」
「・・・・・・女のことは自分でもどうしたらいいのかわからん」
「じゃあ、あたしでは駄目ですか?」
そのとき、あたしがようやく勇気を振り絞ったその問いに対する答を聞くことはできなかった。妹ちゃんとお兄ちゃんがチケットを入手して帰ってきたのだ。
普段なら本気ではしゃいでいたはずだったけど、実物のイグアナを見ても少しも心がときめかなかった。爬虫類パークではあたしは爬虫類を眺めるのに夢中な妹ちゃんと行動を共にしていたから、あたしは無理に喜んでいる様子を装うことが精一杯だった。
妹ちゃんが土産物屋でガラパゴスオオトカゲのぬいぐるみを前に唸って悩んでいたので、少し休もうと思って自販機の前の休憩スペースに行くと、ベンチにお兄さんが腰かけていた。さっきの答が聞きたかったけどこんなところで催促するわけにもいかない。
「おう。おまえお土産買ったの?」
「ええ、まあ」
「ガラパゴスなんちゃらか」
「あれは大き過ぎます。何せ等身大だそうですから」
「そうか」
「あたしは諦めましたけど、妹ちゃんはまだ悩んでましたよ」
「あんなでかいぬいぐるみ、そもそも車に乗せられないだろうが」
お兄さんのあたしに対する気持は聞けないので、あたしはさっきから心の片隅に引っかかっていた小さな疑問をお兄さんにぶつけた。
「さっきは妹ちゃん、何でお兄ちゃんに電話しなかったんでしょうね」
「番号を知らなかったからだろ」
「そんな訳ないです。妹ちゃんはお兄ちゃんの携番とメアドは登録していますよ」
知らないわけがない。二人は登校デートとか図書館デートのときだってお互いにメールで打ち合わせをしていたはずだ。
「どういうこと?」
「さあ? 共依存にしても行き過ぎてますよね」
「何であそこまでお兄ちゃんに拒否反応を示すんでしょうね」
「さあ?」
「お兄ちゃんのことが嫌いなのかな」
「でもさ。図書館デートのときなんて彼氏君と妹は恋人つなぎして寄り添ってたし」
「結局、お兄さんがいない場合に限って、妹ちゃんはお兄ちゃんに素直に寄り添えるんですよね」
思わずそう口に出したあたしは、喋ってしまってから改めてはっとした。意外にこれが正しいのかもしれない。
「何だよそれ」
「いったいどっちが妹ちゃんにとって正しい姿なんでしょうね。お兄さんに依存している妹ちゃんか。お兄ちゃんと普通に恋人同士ができている妹ちゃんか」
「何かよくわからんけど」
「わからないじゃなくてそろそろ考えた方がよくないですか? どっちが妹ちゃんにとって幸せなのか」
それは不公平でありよけいなことだった。今となっては本当はこの言葉はお兄さんに言うのではなく妹ちゃんの方に言うべきなのだから。でもお兄さんは意外な言葉を口にした。
「あのさ。おまえ本当に俺のこと好きなの?」
「好きですよ」
あたしは迷わず即答した。自分からは言うまいと思っていたけどお兄さんの方から口にするなら話は別だ。
「即答かよ」
「常にそのことだけを考え続けてましたから」
「嘘付け」
「まあ嘘ですけど。でもイグアナのことを考える合間にお兄さんのことも考えてました。これは本当です」
「俺はイグアナの次かよ」
「あたしがあんまり思いつめちゃったらお兄さんだって嫌でしょ」
「・・・・・・おまえ思ってたより気を遣えるやつなんだな」
「何ですかいきなり」
何だか少しだけ心が温まった。少なくともお兄さんはあたしの告白を茶化さずに真剣に考えてくれているようだったから。それだけでもあたしには収穫だった。共依存については多分これ以上お兄さんに話しをする必要はないのだろう。むしろ、それは妹ちゃんに話すべきなのだ。もちろん、実際にそんなことをできる勇気は持ち合わせていなかったけど。
次の瞬間、少しだけリラックスした時間をお兄さんが台無しにした。
「まあ、でもさ。兄貴のことを忘れるために次の恋を見つけようとしてるんだったら考え直した方がいいぞ」
「え」
「実際にそれをやってさらに傷口を深くした俺が言うんだから間違いない」
「・・・・・・お兄さんのばか」
何を言ってるの。何でわかってもらえないのだろう。
「ばかって」
「クズ、鈍感、ロリコン、シスコン! もう知らない」
あたしはパニックになりお兄さんに考え得る限りの罵倒を投げつけ、そしてあたしはその場を逃げ出した。
続き
妹と俺との些細な出来事【8】