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美穂「小日向美穂、一期一会」【1】
美穂「小日向美穂、一期一会」【2】
美穂「小日向美穂、一期一会」【3】
――
「バレンタインディキッス♪」
ラジオから昔のアイドルソングが流れる中、私達は甘いチョコレートの匂いに包まれる。
「まだまだ混ぜなきゃダメっぽいですね」
「チョコを作るのも大変ですよ?」
明日2月14日はファーストホイッスル収録日、そしてバレンタイン。
『そんなものお菓子メーカーの陰謀ですよ』
だなんてプロデューサーはぼやいていたけど、
『え? 欲しくないですか? 残念です、作ってこようと思ったのに』
『喜んでもらいますとも!』
と、ちひろさんがあげると言うと、イヌみたいに喜んでいた。
『あだっ!』
『ごめんなさい、足踏んじゃいました』
何とも嫉妬深くなったものだ。それもこれも、彼が悪い。
欲求には素直な彼と、悪意はないけどチラチラ煽るように見てきたちひろさんにムッとして、
ならば私も! と気合を入れて朝からチョコレートを作ってみることにした。
幸いと言うべきか、今日は仕事がない。失敗しても、夜までに何とかなるだろう。
「少し温度下げますか……」
だけど私は生まれてこの方チョコレートを作ったことがなく、勝手もよく分からなかったので、
大学のお菓子作りサークルに所属している愛梨ちゃんに手伝ってもらうことになった。
「ところで美穂ちゃんは誰に渡すんですか? あの人とか?」
「ほ、他にもいますよ! もちろん、プロデューサーにもあげますけど!」
「あの人ってだけしか言ってないですよ? と言ってもあの人って呼べるほど共通認識している男性はいない……ってなにいってるんだろ、私!?」
「さぁ? 分からないです」
愛梨ちゃん的にはカマをかけたつもりだったみたいだけど、逆に本人が混乱してしまった。
お父さん、プロデューサー、服部P、社長、会えればお弟子さん。親しい男性はこの5人だ。
後、友チョコも作ろう。卯月ちゃんはもちろん、共演する皆に用意するのもいいかも。
ただお父さんだけは郵送って形になるから、郵便局が閉まるまでに出来なさそうなら、市販のものを送るしかない。
「あっ、服に付いちゃった」
この部屋暑いですねぇ、という理由でなかなか際どい格好をしている愛梨ちゃんの胸のふくらみに、
溶けたチョコレートがポトリと垂れる。
しかもそれがホワイトチョコだったから……、なんというか、扇情的?
「舐めちゃえ。うん、甘い」
「……愛梨ちゃん?」
愛梨ちゃんの恐ろしい所は、一切の計算なくすべて天然だということ。
もしここにいるのが私じゃなくて、男の人だったなら? 想像するのも恥ずかしい展開が待っているに違いない。
「どうかしました?」
愛梨ちゃんのサークル、男性多いんだろうな。
「そう言えば愛梨ちゃんはチョコを作らないんですか?」
「私はもう作ってますから! これだけど……」
「凄い、本格的だ……」
「こう見えて、ケーキ作りは得意なんですよ? ケーキ作りでトップアイドル目指すなら、すぐになれるんだけどなぁ」
写メられていたのは、可愛らしくデコレートされたハート形のチョコレートケーキ。
街のケーキ屋さんでも売ってそうな出来だ。流石製菓研と言うべきか。
パティシエアイドルってのも彼女らしくていいな。
「美穂ちゃんも作ります?」
「えっと、ここまで本格的なのじゃなくてもいいかも……」
それこそ明日までに出来るか分からない。
「残念。じゃあどんな形が良いとかは?」
「そうですね……」
ハート形は流石に恥ずかしい。でも彼には、特別なチョコをあげたい。乙女心は複雑だ。
「あっ、プロデューサーくん」
周りを見渡すと、ベッドで寝ている彼の姿が。
「うん?」
「プロデューサーくんです!」
「へ? プロデューサーくんって……、あの人? 流石にヒト型は難しいです……」
「え? あっ、その……。プ、プロリューサーくんってのは、あのクマさんのことでして! ちょうどホワイトチョコも溶かしてるからちょうどいいかなぁって!」
自分でもテンパって何を言っているか分からない。鏡に顔を映せば、トマトが映っているはずだ。
「あー、クマさんの名前ですか。良い名前ですね!」
「そ、そうですよね! ねっ!」
愛梨ちゃんが天然でよかった。心からそう思った。
「クマの型紙なら、直ぐに作れますね。作っちゃいましょう」
慣れた手つきで型紙をクマの顔の形にする。ネズミとかには見えないはずだ。
「ここに流し込めばいいんですよね?」
「そうですよ。それであとは冷蔵庫に入れれば、完成です!」
本当ならもっと早く終わったんだと思うけど、私の手つきが拙いこともあって必要以上に時間がかかってしまった。
「美味しく出来たかな……」
「美穂ちゃん、こういうのって心がこもってたら美味しくなるんですよ。そうテレビで言ってました」
「テ、テレビでですか……」
「あれ? 製菓研の先輩だったかな? えっと、とりあえず料理はハートなんです! ハートイートなんです! ラブイズオーケーってリーダーも言ってました!」
「リーダーって誰ですか?」
「リーダーって……誰でしょ?」
どこかピンとのずれた励ましだけど、そう言ってもらえると助かる。
料理は愛情が最高の調味料だ! とは母親の談。
私なりに、心を込めて作ったんだ。きっと美味しいはず。
「そういえば、愛梨ちゃんは誰に渡すんですか?」
「サークルの皆とか、後プロデューサーさんかな。いつもお世話になってますし。あのチョコレートケーキは、プロデューサーさん用ですよ」
あんな凄い物を渡されて、本命だと思わない人はいないだろう。つまり愛梨ちゃんは彼のことを――。
「でもプロデューサーさん、一途だからなぁ……。分が悪いかも」
「へ?」
「あっ、こっちの話です! やることなくなっちゃいましたね」
誤魔化すように取り繕う愛梨ちゃん。彼女も彼女で乙女しているんだ。
「そうですね、テレビでも見ますか?」
この時間は何をやってたっけ? 適当にザッピングしてみる。
「あっ、川島さんだ」
「温泉リポートですね。良いなぁ、温泉」
たまたまついたチャンネルでは、タオルを巻いた川島さんが温泉リポートをしていた。
湯気の中映る彼女は、なんとも色っぽい。
「川島さんトーク上手いなぁ。尊敬しちゃいます」
愛梨ちゃんが言うように、川島さんはトークが抜群に上手い。
当然人生経験の差もあるんだろうけど、アナウンサー出身と言うこともあってか、
時間通りに話をまとめることも出来て進行を妨げないトークは凄いと思った。
でもどうしてアイドルに転向したんだろう。気になる。
「他には何やってるんだろ」
これまた適当に変えると、今度は李衣菜ちゃんが映っていた。スタジオのセットを見るに、クイズ番組かな?
『残念不正解! お前は本当にロックのことを理解しているのかーっ!?』
『へ? ぶはっ!』
ブブーとブザーが鳴ったと思うと、頭上から大量の粉が降ってきて李衣菜ちゃんは真っ白になる。
『正解はBのリップ&タン! ローリング・ストーンズのロゴマークですね!』
『けほっ、けほっ……。これまたロックですね……』
何を言っているか分からなかったけど、どうやらロック関係のクイズに不正解だったということらしい。
そう言えば前の祝勝会でも、ロックが好きだと再三言う割には、同じくロック趣味の凛ちゃんの振る話題にあまりついて行けてなかったっけ。
『私の本気、見てみない? ホンダ味噌……って五月蠅いな!』
つけっぱなしのテレビから、未央ちゃんの声が。彼女の明るいキャラクターが人気のお味噌のCMだ。
ソロでのCDデビューを果たしてから、彼女もピンの仕事が増えてきた。
もう誰も、NG2のオレンジだなんて呼ばないだろう。
それは卯月ちゃん凛ちゃんにも言えることだ。ファーストホイッスル合格後、2人もピンの仕事が倍増したらしい。
『来た仕事は全部受けるようにしてるんだ。おかげで体がいくつあっても足りないかな?』
とは卯月ちゃんの談。疲れたと言いながらも、本人は忙しい日々に満足しているみたいだった。
「みんな頑張ってますね」
「他人事……?」
「私も頑張ってますよ! でも、色々実感が湧かないんですよねー。つい2か月前まで、私もテレビの前で次のドラマの主役誰だろって思いながら見てたんですし。変な感じです」
のんきなことをいう愛梨ちゃんだけど、彼女もファーストホイッスル合格と言うことで、
ドラマの主役と言う大きな仕事が入ったのだ。
デビュー間もない新人アイドルがドラマ主演と言うだけでも話題になるのに、それも天下の月曜9時だ。
ファーストホイッスルの放送が終わった後には、どれだけの反響があることか。
「美穂ちゃんも大きな仕事入ったじゃないですか?」
「うん。熊本の方だけどね」
周りの皆の世界が変わって行く中、かく言う私も合格後仕事が増えてきた。
その中で最も大きいのが、ホームグラウンド熊本での仕事、銀幕デビュー。
「私に出来るかな?」
「お似合いだと思いますよ?」
熊本で撮影される時代劇映画に、私はお姫様役として出演することが決定したのだ。
『この役は貴女しかありえない!』
『えええ!?』
オーディションを見に来ていたらしい映画のスタッフさんが、109人のアイドルの中から私を選んでくれた。
『えっと、小早川さんの方がお姫様っぽいと思いますけど……』
驚かないわけがない。だってあのオーディションには、現代のかぐや姫こと(勝手に私が呼んでるだけだけど)小早川さんがいたんだ。
私なんかより、数百倍お姫様役に適任だ。
それでもスタッフさんは、熊本を舞台にするとのことで地元生まれの私を使いたいと言うこと、
そのお姫様役に小早川さんはマッチしないなど説明をして、プロデューサーの説得の元、仕事を引き受けることにした。
後で知ったことだけど、この映画は結構なお金がかかっているみたいで、放映どころか撮影もまだまだ先なのに、
既にあちこちで話題になっているらしい。
『有名な監督に、主演俳優も大物俳優とイケメンアイドルのコンビだ。美穂の役もかなり重要な役回りを持ってるし、これは波が来たか? 乗るしかないぞ、このビッグウェーブに!』
映画に初挑戦ということで緊張している私を尻目に、プロデューサーは自分のことのように喜んでくれた。
撮影が始まるのは桜が咲くころ。熊本城に咲き乱れる桜は、それはもう圧巻の一言。
その中でお姫様の服を着るんだ。なんとロマンチックなことだろう。
「あの服可愛かったな」
可愛らしい赤い着物を着ると、はるか昔にタイムスリップしたみたいな感覚に陥った。
撮影が楽しみで、私の心はすでに弾んでいる。
でもその前に、ファーストホイッスルを忘れちゃいけない。
「明日の放送、楽しみですね」
「はい」
2時間――、実際にはCMが有るからもっと短いけど、その間丸々私たちのために使われる。
緊張するとともに楽しみでもある。それは他の4人も一緒だろう。
「皆見てくれるかな?」
明日の放送のためにレッスン風景の撮影を行ったり、東京と熊本の2つの学校にも撮影クルーは向かったみたいだ。
インタビューを受けたよ! とテンションの高いメールが届いていたことを思い出した。
お父さん、お母さん、学校の皆。明日私は、全国放送デビューを果たします。
きっと、明日の放送が終われば、私の周りの世界はすっかり変わっていることでしょう。
もう、普通の女のじゃない。アイドル小日向美穂だ。その姿、見てください。
「瞳子さん、見ててくださいね」
ううん、瞳子さんだけじゃない。今夢を見ている人、挫折しかけている人にも見て欲しい。
夢は叶う物だってことを、私の手で証明したいから。
それと――。
「プロデューサー、私頑張ります」
今まで私のそばにいてくれた貴方に、感謝の思いを込めて。
――
「プロデューサーさん、チョコレートですよ!」
「ちひろさん、ありがとうございます」
世間は男も女も浮かれる2月14日。つまりバレンタインだ。
お前たちはお菓子会社の手のひらに踊らされているだけだ! と強がってみても、
貰えたら貰えたらで結構テンションが上がる。
要は参加できるかどうかでしかないんだな、うん。
「ちなみに、もっとチョコが欲しいなら有料になりますけど」
「それは……結構です」
「冗談ですよ。プロデューサーさんにそんな商売しませんよ」
「あはは……」
どうだか。でも市販の奴じゃなくて、手作りなのはとても嬉しい。義理だとしても感激するレベルだ。
「開けてもいいですよ?」
開けてみると、抹茶パウダーが撒かれたトリュフチョコレートが。色合いも目に優しい。
「疲れた時にはチョコレートが一番ですからね!」
「1つ頂きますね。うん、美味しいですよ」
「喜んでもらえたならなりよりですね」
「ちひろさんも食べます?」
「それじゃあ1つ貰いましょうか! あーん」
「ちひろさん?」
餌を欲しがる雛鳥みたいに口を開ける。これ、入れて欲しいのかな……。
「あーん」
「あ、あーん」
1つつまんでちひろさんの口に入れてやる。事務所に来るなり何をしているんだろうか俺たちは。
「我ながら良い出来ですね! でも、口移しの方がよかったかも?」
「意味分かってますか、ちひろさん」
「~♪」
この人は茶目っ気が過ぎるところがある。俺も彼女が冗談で言っているのが分かっているから、本気にしてはいないが。
チョコレートをスタジオに持って行くわけにもいかない。事務所の中の冷蔵庫に保存しておく。
今日も残業になりそうだし、事務所に戻ってから食べよう。
「ん? 美穂、どうかした?」
学校帰りの身のまま、自然と俺の隣にいたけどさっきから一言も喋らない。静かなること林の如し。
「い、いえ! 別に何でもないです!」
「?」
で、声をかけたらかけたで慌てるし。どうかしたんだろうか?
「今日の収録は19時からだね。それまでレッスンの時間だね。特に忙しくなってくると、レッスンの時間がおろそかになりがちだ。限られた時間を有効に使おう」
美穂は小さく頷く。俺、何か隠されてる?
「小日向さん、プロデューサー。これあげます」
レッスンスタジオに着くと、トレーナーさんから可愛くラッピングされた長方形を貰う。
「今日はバレンタインですから。レッスンの後にでも食べてくださいね」
意外な人からチョコレート。トレーナーさんもイベント事には参加する人なんだな。
こういう浮ついたことには興味なさそうだったから意外だ。
「ありがとうございます」
「私も貰っちゃっていいんですか?」
「何時も頑張ってますからね。所謂友チョコって奴ですよ」
微妙にニュアンスが違うような。
「ごめんなさい。私、トレーナーさんに用意できてなくて」
「気にしなくていいですよ。これ、さっきデパートで買ってきたやつですし」
「えっと、今度持って行きます!」
「そうですか? じゃあ楽しみにしておきましょうか? でも、レッスンは手を抜きませんので。それじゃ今日は……」
――
「はぁ、上手く渡せないなぁ」
テレビ局の近くの公園のベンチで、1人箱と睨めっこする。
「気持ちはだれにも負けていないのに……」
どうにもこうにもタイミングが合わない。渡そうとすれば、誰かが渡してチャンスがなくなってしまう。
事務所じゃちひろさんがこれ見よがしに私を仰って来るし、レッスンスタジオでもトレーナーさんが持ってきてるし。
「何で車の中で寝ちゃったんだろ」
彼の隣は安心できる。だから気持ちよく眠れるんだけど……。車の中で渡しておけばよかったと後悔しちゃう。
さっきだってそうだ。テレビ局なら大丈夫かと思っていたけど……。
「あのっ、プロデュー」
チョコレートあげます! 場所が変な気がするけど、気にしないで渡そうとすると、
「あっ、美穂と変態P」
「変態P言うなし」
楽屋の裏からファサっと、渋谷の凛ちゃん登場。
「凛ちゃんも仕事?」
「今日も未央の御守。今月は卯月強化月間なの。だからプロデューサーはいないよ?」
「なんじゃそりゃ。でもま、今日もよろしく」
「よろしく」
この2人のことだけど、オーディションの時隣に座っていたらしく、
いつの間にやら互いに遠慮なしで物事を言える関係になっているらしい。
そういう関係じゃないのは分かっているけど、担当アイドルとしては少し複雑だ。
「そうだ。2人に良いものあげようか?」
「お金くれるの?」
「違うよ。アンタ結構ゲスイよね、発想が。まっ、オークションに出せばそれこそ高値で売れるかもね。アイドルお手製チョコレートとかさ。今日はバレンタインだからさ」
「へ? くれるの?」
「アンタのは余りものだからね。美穂のはちゃんと作った奴だから安心して。それじゃ、また後で」
私たちにチョコレートを渡して、凛ちゃんは去っていく。
「余りものって言っても、これは凄いぞ?」
プロデューサーの言うように、凛ちゃんのチョコレートは手間暇かけて作ったであろうチョコレートケーキだ。
愛梨ちゃんのそれに比べると大きさは小さいけど、それでもクオリティは高い。
余りものと言うよりも本命チョコにしか見えなかった。
「早めに食べた方が良さそうだな。食べようよ」
「は、はい」
そう言って彼はカフェテリアの椅子に座わる。
「そう言えば、さっき美穂何か言おうとしていたけど、何だったんだ?」
「あっ、いえ。何でもないです」
「? しかし悔しいけどおいしいなこれ……」
向かいの席で、首をかしげながらチョコケーキを食べるプロデューサー。私もフォークを貰って食べてみる。
「美味しいけどなんだろう、この味は」
少し不思議な味がするけど、フォークは止まらない。後で歯を磨かなきゃ。
芸能人は歯が命、昔から言われていることだ。
「私だって負けてないと思うけどな……」
形はアレかもしれないけど、味には一応自信は有る。お菓子作りの申し子たる愛梨ちゃん監修で作ったし、
学校の皆や事務所の2人からは好評だった。
『ど、どうかな?』
『美穂ちゃん筋が良いよ! きっとプロデューサーさんもイチコロだよ!』
『こ、声が大きいよー!』
と卯月ちゃんも褒めてくれた。だから渡して恥ずかしくない出来だと思う。
だけどこんなものを見せられたら、とてもじゃないけど私のチョコレートは渡せそうになくなる。
「はぁ、何やってるんだろ私」
渡せないんじゃない、渡そうとしていないだけだ。
タイミングが悪いからって言い訳を続けて、逃げているだけなんだ。誰かと比べられるのが怖いだけなんだ。
「まだまだ時間はあるよね」
そろそろファーストホイッスルが始まる。この番組にはタケダさんの意向で台本がない。
ありのままの姿のアイドルと仕事がしたいという考えらしいけど、緊張しいな私からすれば結構大変なことだ。
「練習したから大丈夫だよね?」
だから私は、過去の放送のDVDをトレーナーさんから借りて、番組の傾向を予習しておいた。
毎回毎回同じことを言っているわけじゃないけど、それでも何となくタケダさんの振る話題の傾向はつかめたと思う。
ここまでしている人はまずいないだろう。人より緊張しやすい性分なので、徹底的にしないと心配なんだ。
それを卯月ちゃんに話すと、美穂ちゃんらしいねって笑われたっけ。
「試験みたい」
プロデューサーをタケダさん役にしてシミュレートも行った。対策もバッチリだ。
――多分。
でも最終的には、アドリブでなんとかしなくちゃいけない。そう思うと早速緊張してしまう。
過去の放送を見ても、私ほど緊張している人はいなかったはずだ。
いくらありのままの姿と言っても、噛み噛み緊張系アイドルなんて誰も望んじゃいないだろう。
「チョコを渡すのも緊張しちゃうし……。なんてみんな心臓が強いんだろう」
本当のところは私が蚤の心臓過ぎる、の間違いなんだろうけど愚痴らずにいられなかった。
聞いてくれる人なんていないけど。
「おーい、美穂ー。そろそろ始まるぞー?」
「今行きまーす!」
私を呼びに来たプロデューサは1人。よし、今がチャンス……。
「プロデ」
「あっ、美穂ちゃんのプロデューサーさん! ハッピーバレンタインです!」
「へ? くれるの?」
「お世話になった人に配ってるんです! それじゃあ私はこれで。またいつか会いましょう!」
「いや、同じ仕事に美穂が出るんだけど……行っちゃった。さっき美穂俺のこと」
「な、なんでもないですよ!!」
「のわっ! そ、そう強く言わなくてもええやないですか……」
今日の運勢、最下位だっけ? 思わずため息をついちゃう。
ことごとくタイミングというタイミングが外れて、チョコを渡せそうにない。
「この部屋暑いですねー。脱いで良いですか?」
「ちょちょ! 服全部脱げてるよ!?」
「放課後ボヨヨンアワー、ロックだねぇ」
「なるほど、ニンジンはアンチエイジングにいいのね。勉強になるわね」
「はぁ……」
その後もチャンスはあったけど、どうにも上手く行かず、本番まで残り30分になってしまった。
「どったのみほちー。溜息付いちゃって」
アイドルたちの控室。私たちは更衣を終わらせて、本番が始まる瞬間を待つ。
格好だけは準備万端だけど、浮かない顔をしている私は心の準備がまだだった。
「あっ、味噌ちゃん」
「残念未央ちゃんです! みほちーは信じてたのにとんでもない裏切られ方しちゃったよ! これだから本田味噌のCM嫌だったんだよね……」
「ごめんなさい。少しボーっとしちゃって」
「後少しで本番だよ? そんなんじゃ、テレビの前のファンは喜ばないって! ほらっ、スマイルスマイル! シャキッとしないとね!」
パシンと背中を叩かれる。そうだよね、これとそれとは別のこと。、ちゃんと割り切って頑張らないと……。
「あら、小日向さん。どうかしたの?」
「悩み事ですか?」
「本番前だけど、相談に乗ろうか?」
思い思いの行動をしていた3人も、私の周りに集まってくる。
皆心配そうな顔して私を見ているけど、その悩みの内容が、他の人からすれば至極しょうもない
(私からすれば死活問題だけど)ことなので、なんだか申し訳なくなる。
「あっ、もしかしてチョコレート渡せてないとか?」
「え、えっと……」
流石に愛梨ちゃんには見透かされていたか。どう言葉を紡げばいいか分からず、詰まってしまう。
「ビンゴみたいね。若いっていいわねぇ、ホント……。はぁ、私まで鬱になって来たわ」
「いやいや、川島さんも十分イケてますって!!」
「チョコレートねぇ。もしかしなくても、あの人だよね。いやぁ、乙女ですなぁ」
「うぅ……」
「あ、やっぱりそうだったのね」
「もしかして隠してるつもりだった? 顔に出てたよ?」
どうにもこうにも周知の事実だったみたいで、余計恥ずかしくなる。
プロデューサーがプロデューサーならアイドルもアイドル。私たちに隠し事は無理なのかな……。
「青春だねぇ、まさにロックって感じだね。Fコードでカートコパーンみたいな?」
「い、いまいちロックが何のことか分からないかな……」
「それ、カート・コバーンの間違いよね。全然意味が分からないわ」
頷きながら李衣菜ちゃんは1人納得している。どのあたりがロックだったのだろうか。
「なら話は早いわね。チョコレートを渡せばいいのよ」
「でもそれが出来ればこんなに悩んでませんもんね。その気持ち、よく分かりますよ?」
「小日向さんのキャラクターじゃ、難しい話かもしれないわね……。どうしたものか」
「すみません。変な話に付き合わせちゃって。その、皆さんありがとうございます」
本番まで時間がないのに、みんな私のために悩んでくれる。申し訳なさで一杯になるけど、同時に嬉しくも思った。
「気にしなくていいよ! みほちーが心地よく仕事するために必要なことだしさ」
「なんなら呼び出しちゃうとかどうですか? 私ら空気呼んで出ていきますよ?」
「思い切って生放送で愛を叫ぶとか! すっごくロック!」
「同時にアイドル生命も終わるわね、それ」
川島さんの言うとおりだ。テレビで告白せずとも、彼に特別な思いを持ってしまった時点で、
私はアイドルとして失格なのかもしれない。
そう言われたら受け止めるしかない。だけど難儀なことに、この気持ちはどうしようもない。
彼の笑顔を思い出すだけで、私の心は満たされる。部屋の暑さが、私を火照らせる。
「でもあなたぐらいの歳なら、仕方ないかしら? かく言う私も、高校のときは恋に恋をして日常が輝いて……」
「かーわーしーまさーん? あー、ダメだこりゃ。自分の世界に入っちゃった」
「美穂ちゃん。私たちは皆、美穂ちゃんの仲間です! 美穂ちゃんの恋を応援していますよ?」
「まー、うん。邪魔する理由なんてないかな?」
彼女たちの応援が私の背中を押す。本番開始まで10分ちょい。
行くなら今しかない!
「えっと! わ、私! 今から渡してこようと思います!」
「行ってらっしゃい、美穂ちゃん!」
「よし来たっ! 頑張れー!」
「そう、あれは音楽室で先輩と2人っきりに……」
「川島さんは放っておいていいと思うよ? ほら、時間ないんだしゴーゴー!」
彼のいる楽屋へ走る。もう逃げない、このチョコを、気持ちを届けるんだ。
――
「凛ちゃん、チョコ美味しかったよ」
「そう? 気に入ってくれたなら良いけどさ。ホワイトデー、期待しといてあげる」
「現金な子だなぁ」
プロデューサーたちの控室で、俺たちは本番を待つ。
ちゃっかり凛ちゃんも混じっているけど、俺よりも芸能界は長いんだよな。この部屋じゃ俺が一番の下っ端だ。
『まあ色々あるの。問題ある?』
と言っていたが、前のメモ帳の件もあって、その色々が気にかかって仕方ない。
担当Pは卯月ちゃんについているみたいだけど、一体どういうつもりだろうか?
ひょっとして凛ちゃんはプロデューサー志望なのか? メモ帳に書かれた3人をプロデュースしたいとか?
「んなわけないよな」
そこまで考えてみたけど荒唐無稽すぎて呆れてしまう。
渋谷凛プロデューサーと言うのも面白いけど、あの子の性格からしたら、
今はトップアイドルという目標しか見据えていないだろうし。
「そう言えばあれって、ブランデーか何か入れた?」
「うん。少し大人向けにしてみたかな。間違えて入れすぎたかなって思ったけど、そうでもなさそうだね」
「程よい感じだったよ」
芳醇でまろやかな味はそれが原因だろう。芳醇な味って言っておいて、自分でもよく分からないんだけど。
「私のほかからチョコもらえた?」
「貰ったよ? 事務員のちひろさんに、トレーナーさん。後、愛梨ちゃんとか局のスタッフの人にもね」
「なんだ、結構モテるんだ。やるじゃん」
「まさか。義理でしょ」
「まっ、そうだよね」
「聞いといてその反応は酷いなぁ」
来月の14日は出費がかさんじゃいそうだ。そう思うと、何とも言えない気持ちになる。
「あれ? 美穂からもらってないの?」
「ん?」
「あの子のことだから、真っ先に渡しそうなものなのに」
貰えて当たり前というスタンスをとるのもどうかと思うけど、
言われてみれば、美穂から貰えていないのは少し残念な気持ちになる。
「そんな悲しそうな顔しないでよ。見てるこっちも気が滅入るし」
「そのつもりはなかったんだけど」
「分かりやすいよ? 愛梨のとこのプロデューサーに聞いてみなよ。きっと顔に出ますよねって答えるからさ」
「いや、良いよ。しかし、もうここまで来たんだな」
後数分で本番だ。美穂のパフォーマンスが全国に流れることになる。
一緒に頑張ってきた身として、これ以上嬉しいことは無い。
だけど同時に、寂しくも思ってしまう。親の気持ちってこういうものなのかな。
「感無量?」
「まあね」
デパートの屋上での大失敗も、挫折しかけたオーディションも、クリスマスパーティ-も全てが懐かしく感じる。
これからもっと、彼女は思い出を作っていく。その傍らに、俺がいることが出来れば。それだけで十分だ。
「私らもさ、初めてこのステージに立つ前は緊張したよ。美穂程じゃないかもしれないけどさ」
「卯月が衣装を忘れてプロデューサーが取りに帰ったり、未央が緊張のあまり気を失いかけたりさ。私も本番2分前にお腹が鳴って、大変だったな。流石にあの時はプロデューサーもてんやわんやしてたよ」
「2回目はこっちも慣れたもんだったから、100点の出来だったと思うけどね。それでも緊張はするよ」
「今日なんて未央が出るのに、私も緊張している。プロデューサーの気持ちがよく分かるね、これ」
凛ちゃんは懐かしそうに目を細める。その表情はいつもの彼女より柔らかく感じた。
「ん? 未央からメールだ。はぁ? あのアホ、何考えてんだか」
「どうかした?」
「いや、どうにも。ちょっと私ら部屋離れるから。貴重品見といてね。後さ」
「後?」
「この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね。それじゃよろしく」
そう言って凛ちゃんは楽屋を出る。うん? 私ら?
「あっ、僕らのもお願いしますね」
「へ? みなさん出てくんですか?」
「ええ、まあ。呼ばれちゃったもので」
「はぁ……。行ってらっしゃい」
服部Pと一緒に他の2人も部屋を出てしまう。担当アイドルの方で何かあったのか?
急に心配になって携帯を確認する。
「俺は来てない、な」
来ていたのはメールマガジンが2件。美穂からは来ていな――。
「え、えっとプロデューサー。いますか?」
と思ったら、メールじゃなくて本人が来ました。
「えっと、何かあった?」
ドアを開けて中に入れてやる。走って来たのか衣装が少し崩れて、顔もいつもより赤くなっている。
「そ、そのですね……」
「顔も赤いし。大丈夫か? 熱が有るとか」
「ち、ちち違います! その! ど、どうしても! 今、プロ、プ、プロデューサーにお渡ししたいものがあったんです!」
「俺に? まさか……」
「はい。そ、そ、そのまさかです! 受け取ってください!! うぅ、やっと言えたよぉ……」
「お、おい!?」
安堵の表情を浮かべると、へなへなとその場に崩れ落ちる。
「すみません、ようやく言えたと思ったら、力抜けちゃって……」
「もうすぐ本番だぞ!? 立てる?」
「あはは……。ごめんなさい」
力なく笑う彼女の手を取り立ち上がらせる。
「ずっと渡そう渡そうとしていたんだけど、なかなか渡せなくて。だから今、渡します」
そう言うことだったのか。しかしプロデューサーズといいアイドルズといい空気を読み過ぎだ。
もっと気楽に渡してくれたら良かったのにと思ったけど、美穂にとっては、
生放送番組に出ること以上に緊張することなのかもしれない。
「ありがとう、美穂。開けて良いかな?」
「はい、良いですよ」
リボンをほどいて、箱を開ける。中から出てきたのは、少し溶けた白クマのチョコレート。
「あ、あれ? チョコが溶けてる……。そんなぁ」
「楽屋とか暑かったからね」
「せっかく作ったのに……」
目からこぼれる一筋の涙を、サッとハンカチで拭ってやる。彼女に影響されたのか、ハンカチに書かれた絵はクマさんだ。
「そんな顔しないでよ。俺はさ、美穂から貰えたことが凄く嬉しいんだ」
「本当ですか?」
「そりゃあもう。一生自慢できるよ」
「ちひろさんとか、凛ちゃんよりも嬉しいですか?」
「もちろんだよ」
優劣をつけるのも失礼な話だけど、それだけは譲れなかった。彼女は俺にとって、特別なんだから。
「えへへ。すっごく嬉しいです」
美穂の頬を濡らした涙は止まり、いつもみたいに恥ずかしそうに笑顔を見せてくれた。
きっと誰もを魅了し、優しい気持ちにさせるその笑顔を、もう少し自分のものだけにしていたかったと思うのは、
プロデューサー失格なんだろうか?
そんなことを考えていると、不意に体に心地良い重みが。
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
ぬいぐるみのように抱き着かれた――。柔らかな身体も、彼女の暖かさも。彼女を構成するすべてが俺を困惑させる。
「か、監視カメラある……」
『この部屋の監視カメラって壊れてるんだよね』
凛ちゃん。俺にどうしろと言うんですか――。
――
「もちろんだよ」
彼は意地悪な問いに対して即答してくれた。ちひろさんも凛ちゃんも。私より魅力的な女性だ。
だけど彼は私が一番だって言ってくれた。
それは私がプロデュースしているアイドルだからじゃなくて、1人の女の子として彼に選ばれたみたいに思えて、
私は言葉に出来ない思いで胸がいっぱいになる。
だって彼は嘘がつけないから。顔に全部出ちゃっている。気恥ずかしそうにしている彼が愛おしくて。
「えへへ、すっごく嬉しいです」
「み、みみ美穂!?」
「少しだけ、こうしていていいですか?」
「か、監視カメラある……って壊れてるんだっけか……? 美穂、このままじゃダメになる。だから……」
「今だけは、一緒にダメになりましょう。大丈夫です、ちゃんと頑張りますから」
誰かに見られているとかどうでも良かった。ただ今は、こうやって彼の匂いを、暖かさを感じていたかった。
「ねぇ。チョコ、食べて良いかい?」
彼は私の身体を優しく離すとチョコに目をやる。このまま置いていても溶けちゃうだけだ。
なら、まだ形がしっかりしているうちに食べて貰いたい。
「はい。食べてみてください」
「でもよく出来てるなぁ。食べるのが勿体無く感じるよ」
「チョコは食べるための物ですよ」
程よい部屋の暑さが、体中をめぐる熱さが私を少し大胆にさせる。
私はチョコを掴んで彼の目の前で止めてやる。
「美穂?」
「今日ちひろさんとしたこと、私にもしてください」
「ちひろさんとしたことって……」
「あーん」
「ははっ、もうどうにでもなーれ。あーん……」
彼は一瞬躊躇したけど、観念したように乾いた笑いを漏らし、そのまま耳の部分を齧る。
「美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。良く出来てるし。美穂も食べてみなよ」
「それじゃあ……。願いを1つ使っていいですか?」
3つ願いをかなえる。そう言ったのは彼だ。本番前の高揚感と、部屋に2人っきりと言う事実が私を突き動かす。
きっと、今までで一番慌てた彼の顔が見れると思うから。私は少し、いじわるをするんだ。
「へ?」
「目を瞑って、その場から動かないでくださいね」
「そんなので良いの?」
彼はキョトンとしている。そんなことで願いを使っていいのか? そう思ってそうだ。
「はい。何が有っても、驚かないでくださいね」
「あー、うん。目、瞑った」
「んっ……」
彼の言葉をさえぎるように、私は唇を重ねた。
「み、みみみみみ美穂?」
「は、初めてのキスは、チョコの味です、ね……」
「そ、そそそそうでしゅね!?」
甘くて、溶けちゃいそうで。もう一度したい欲求に駆られるけど、何とか自分を律する。
「とても甘かったです。プロデューサー、私頑張れそうです」
「そ、それはぁ! よ、よ良かったね? え、えっと! その! テンションで!? 本番行こうか!!」
「ふふっ」
ぎこちなく我を取り戻そうとする彼が可愛くて、笑いがこぼれちゃう。
「行きましょう、プロデューサー!」
「あっ! 鍵! 鍵締めさせて!」
本番5分前。今日の私は、何でも出来ちゃいそうだ!
「あっ、帰って来ました!」
「ちゃんと渡せたかしら?」
「はい!」
舞台裏ではすでにみんなスタンバイしていた。
「おっ、やりますね! そんじゃその調子で、愛も叫んじゃいましょうよ!」
「いやいや! ファーストホイッスルも終わりかねないからねそれ!」
「ふふっ」
私は幸せに包まれている。きっと今の私なら、歌に乗せて幸せな気持ちを届けることが出来るはずだ。
「そうだ。折角だし、円陣組まない?」
「あっ、良いねそれ!」
「エンジンを組み立てるんですか?」
「エンジンじゃなくて、円の陣ね」
「あー、それですか。組みましょう組みましょう!」
未央ちゃんの合図で私たちは円陣を組む。こういう体育会系のクラブみたいなノリは初めてだけど、
これからこの5人で番組を盛り上げるんだと考えると、もっともっとテンションが上がる。
「えっと、かけ声はどうしますか? ヘイヘイホー! とか?」
「十時さん、それは木を伐る時にだけした方がよさそうね」
「Hey Hey Ho! あれ、イケてません?」
「それは演歌ね」
「あはは……」
本番前と言うのに、この緩やかさ。この5人の持つ、独特の空気は好きだ。
「コホン! 僭越ながら、私が音頭を取らせてもらうよん! それじゃあ番組、盛り上げるぞー!」
『おー!』
気合は入った。一生一度かもしれないファーストホイッスルを、全力で楽しもう。
一期一会。最高のパフォーマンスを、みんなに。
「行きましょう。私たちの、夢の舞台へ」
――
「どうしたの、顔真っ赤だよ? キスでもされた?」
「ぶふっ! な、何を言いますか」
「冗談だったんだけど……。ホント嘘つけないね」
全ての元凶は、おそらく彼女のチョコケーキだ。ほんの少量のブランデーで、美穂は酔ってしまったのだろう。
馬鹿げてるけど、親父さんを見るとそれしか考えられない。彼女の家系は代々お酒に弱いのだろうか。
「後で賠償請求するからね」
「却下。あんたも逃げなかったんじゃないの?」
「逃げれなかったよ。目を瞑ってください、動かないでくださいって命令されたし」
「アンタらそう言う関係なの? 流石に引くよ。近づいたら社会的にやっつけちゃうよ?」
「違うよ! 美穂の願い3つ聞くことになってるの」
「なに? ランプの魔人?」
「そういうこと」
美穂のお願いは残り2つ聞かなくちゃいけない。
とりあえず今回みたいなことの無いように、ガイドラインを作っておかないと。
いくら酔っていての大胆な行動と言われても、俺はとんでもないことをしてしまったんだ。
腹を斬れと言われたら、斬らないといけないぐらいの重罪だ。
「本番始まるよ?」
よしっ、今は忘れよう! 美穂の晴れ舞台をちゃんと目に焼き付けないとな。
『とっても甘かったです、プロデューサー』
「止めてくれえええ!」
「うわっ!?」
あはは、あの感触を忘れろだなんて方がむーりぃ……。ほら、また鮮明に浮かんできて……。
「ムワアアアアアア!」
「うるさいって!」
「デレプロさんと渋谷さん! お静かに!」
スタッフさんに怒られてしまう。またもや凛ちゃんは巻き添えだ。
「す、すみません」
「気を付けてくださいよ?」
「私、また巻き込まれたんだけど……」
「いやホントすみません」
凛ちゃんは蔑むような目で俺を見る。一部の人からすればご褒美なんだろうか。
「アンタ本当にこらえ性ないよね。騒ぐならカラオケにでも行けばいいよ。奢ってくれるなら、付き合ってあげるから」
「結局奢らないといけないんですか……」
言い換えれば、1000円弱で未来のトップアイドルとカラオケに行けるということなんだよね。
それはそれで凄いことを言ってるんだけど、凛ちゃんは気付いているのだろうか。
「ほら、黙って見ようよ。私らに出来ることって、それだけだからさ」
「だね。頑張れ、美穂」
年下の子に怒られて、目が覚める。さっきのことはさっきのこと。
今は美穂の全国デビューを喜ぼうではないか。
――
19:00。ファーストホイッスルが始まった。
「極上の音楽と、新たな可能性を貴方に。ファーストホイッスル、司会のタケダソウイチです。世間ではバレンタインと言うことで、なにやら町は浮かれていますね」
「バレンタインデイキス、誰もが一度は口遊んだことが有ると思います。この曲のように、世代を超えて愛される曲と言うものが、私たちの理想です」
「今宵このステージに立つ5人は、私の理想を近い将来体現してくれる、新たな時代を切り開いてくれると確信しています」
「それでは紹介しましょう。本日のゲスト、川島瑞樹さん、小日向美穂さん、多田李衣菜さん、十時愛梨さん、本田未央さんの5人です」
「よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!」
「あっ、私の番? よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす!」
「本田さんは先の放送の渋谷さん、島村さんと続いて2度目の登場ですが、後の4人は初めてですね。こちらこそよろしくお願いいたします。今宵も素敵な歌声とエピソードをお楽しみください」
タケダさんの落ち着いた進行は耳によく、緊張も不思議と溶けていくように感じた。
それでも、まだ足はガクガクと震えているんだけど。
「あっ」
CM中周囲を見渡してみると、プロデューサーと目が合った。
冷静になるにつれて、さっき私はなんてことをしてしまったんだと恥ずかしくなってしまう。
浮かんでくるフラッシュバックは、この舞台に立っていることよりも私の心臓をドキドキさせた。
「ううん、後悔はしていない」
我ながら卑怯だと思う。彼の虚を突いてキスをして、何事もなかったかのように振る舞って。
ちょっとした悪女だ。私には似合わない称号だけど。
「CM明けまーす!」
「よしっ、頑張るぞっ」
私のメインは名前の順で2番目。まずは私たちのお姉さん、川島さんのターンだ。
「ふぅ、やっぱり緊張するものね……」
「川島さん、頑張ってくださいね」
「ええ。貴女もね」
ウインク1つ残して、彼女はメインの席へと向かう。
タケダさんは表情を変えず、そのまま動こうとしない。実に省エネだなと変なことを考えてしまった。
「ファーストホイッスル。まず最初のお客様は、地方局アナウンサーから異色の転身を果たした川島瑞樹さんです。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします」
基本的にこの番組は、タケダさんとのトークと、アイドルのライブで構成されている。
落ち着いたトーンで話すタケダさんとは対照的に、大舞台であわあわするアイドルの初々しい姿が見れるというのも、この番組の魅力らしい。
「関西に仕事で行ったときに、テレビのニュースで一度拝見したことが有ります。まさかこのような形で会うことになるとは。人生予測がつかないものですね」
「ではここで、川島さんのアナウンサー時代の映像を見てみましょう」
こちらが準備をしてきたように、タケダさんも出演アイドルのことを勉強してきているようだ。
「へ?」
『17時のニュースです。毎年恒例の褌祭が今年も行われ、多くの観光客でにぎわいました』
川島さんもアナウンサー時代の話題を振られることは予測していても、タケダさんが見ていたこと、
しかも当時の映像をそのまま持ってこられることまでは考え付かなかったみたいで、珍しく狼狽えている。
だけど真面目な番組なのに、チョイスしたニュースの内容が褌祭の開催という、
何とも言えない話題なので、笑っていいのか悪いのか反応に困っちゃうな……。他になかったのかな。
「そ、それはありがとうございます。本当に縁と言うものはどう転がるか分かりませんね」
「ええ、全くです。しかしアナウンサーと言う仕事もやりがいはあるはず。それでもアイドルに転向したというのは、何か目的があってのことでしょうか?」
私もそれは知りたいな。
「何かをみんなに伝える手段の1つとして、私は報道の道に進みました。確かに毎日が充実していましたが、それでも伝えきれない何かがあると気付いてしまったんです」
「その時でした。担当プロデューサーに声をかけられたのは。私が取材に行った芸能事務所のオーディションで、アイドルになりませんか? と」
「流石に面喰いましたね。後2,3年で30歳になるっていう女子アナ捕まえて、スカウトしてくるなんて」
「でもアイドルとしてなら表現できる、伝えることが出来るものもあると感じたんです。そればっかりは、直感なんですが」
「なるほど。もしアナウンサーになっていなければ、アイドルにもなっていなかったと」
「ええ。実際局アナ時代の経験は生きていますから。そう考えると、私は運が良かったんでしょうね」
「川島さんの楽曲、Angel Breeze。物語性の強いこの曲が、貴女に出会えたこともまさしく幸運と言えるでしょうね。この曲は川島さんをイメージして作られたと聞きましたが?」
「そう聞いています。作曲家の先生が私の局アナ時代を知っている方で、仕事はやりやすかったですね」
「それはピッタリな曲になるはずですね。それでは準備のほど、よろしくお願いいたします。川島瑞樹で、Angel Breeze」
「ふぅ……」
川島さんのステージが始まった。次は私だ。大丈夫、行けるに決まっている。
「――」
舞台裏からひょっこりと、プロデューサーはこぶしを突き出す。
「えいっ」
私も彼と同じように突き出して、コツンとぶつける振りをする。
「川島さん、ありがとうございました。CMの後は、小日向美穂さんにお話を聞いてみましょう」
「CM入りまーす! 小日向さんはスタンバイお願いします!」
「みほちー、行ってらー」
「行ってらっしゃい」
「愛を叫んできなよー!」
「あ、あはは……。遠慮します」
夢のステージに、私は立つ。見ていてくださいね、瞳子さん――。
「本日2人目のゲストは、デビュー以来地道な活動を経て、このステージへの切符を手に入れた小日向美穂さんです。よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いいたしましゅ!」
あぁ、いきなり噛んじゃった。
「緊張していますか?」
「は、はい……」
「気を楽にして楽しんでくださいね。ありのままの小日向さんで大丈夫ですよ」
それがなかなか難しい。うん、平常心平常心……。
「さて、小日向さんと言うと、先の放送でゲストで来られた島村卯月さんと同じ学校に転入したと聞きましたが」
「卯月ちゃんは熊本から来たばかりの私に優しくしてくれました。事務所が出来たばかりで、所属しているアイドルは私だけなので、卯月ちゃんの存在は大きかったと思います。NG2の2人とも仲良くなれましたし」
「なるほど。小日向さんのパフォーマンスは島村さんの影響が大きいように感じましたが、それが関係しているのかもしれませんね」
自分ではそう思ったことは無いけど、無意識のうちに真似ているのかも。一番テレビで見ているのが卯月ちゃんだし。
「さて。昨年の12月16日、小日向さんの熊本の母校である津田南高校にてクリスマスパーティーというイベントが行われました。その時の映像をお借りしているので、一緒に見てみましょうか」
「へ? クリパの映像?」
突然スクリーンに、クリスマスパーティーの映像が映し出される。これ、事務所で見たやつだ!
「可愛らしい服ですね。これは、自分で用意されたんですか?」
「こ、これはあの……、熊本の友達が作ってくれたんです!」
「ほう。離れていても仲が良いというのは、羨ましいですね。デビュー曲であるNaked Romanceはこのステージで初披露だったということですが、元々あった曲に、小日向さんがマッチしていたから託した。と弟子は言っていましたね」
「初めてのファーストホイッスルオーディションの時に、私を見てこの人しかいないと感じたんだそうです」
「運命とでもいうべきでしょうか? 事実、小日向さんとこの曲の組み合わせは見事と言ってもいいでしょう。実にマッチしています」
「私も仕事柄、曲を提供することもありますが、普通は歌手を見て曲を作りますね。しかし、彼女の場合は違う。Naked Romanceに足りなかった最後のピースこそが、彼女だった。こればっかりは、奇跡以外の何物でもありません」
「そうですね。この曲との出会いに感謝しています」
奇跡か。もしもあの日オーディションに行かなかったら、この曲に出会えなかったのかもしれないな。
曲のこと、アイドル活動のこと。トークはゆるやかなテンポで進んでいく。
「小日向さんの方から言っておきたいことはありますか?」
「えっと、1つだけいいですか?」
「ええ。どうぞ、お構いなく」
私の言葉が、誰かの心に響くならば――。
「私は……。1つ夢を叶えました。ファーストホイッスルのステージに立つ。アイドルになってから最初に出来た目標で、私を動かす原動力でした」
「もし今、途方もない現実にぶち当たって、夢を諦めてしまいそうなら、見つめ直して欲しいんです」
「その夢は本当に叶わないものなのか、逃げているのは夢じゃなくて自分じゃないかって」
「何を偉そうに、そう思うかもしれません。ですが、誰かが夢を叶えることが出来たなら、誰だって夢を叶えることが出来る。そう信じています」
「だから……、瞳子さん。待っています」
「……。小日向さん、準備のほどをよろしくお願いいたします」
タケダさんは黙って聴いてくれた。私の話が終わると彼はステージに立つように促す。
「それでは聴いていただきましょう。小日向美穂で、Naked Romance――」
アイドルならば、パフォーマンスで語れ。誰かの言葉らしいけど、その通りだよね。
「あっ、小日向さん!」
「お弟子さん! お久しぶりです」
収録終了後、お弟子さんが声をかけてきた。
実年齢より(何歳かは知らないけど)幼く見えることもあってか、スーツがいまいち似合っていない。
「こちらこそ。前はすみませんね。挨拶も出来なくて」
「いえ。私の方こそちゃんと報告が出来なくて申し訳ありませんでした。あっ、チョコレート」
「ん?」
「今日、チョコレート作って来たんです。よかったらどうですか? 楽屋から取って来ます」
「良いんですか? それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな?」
楽屋に戻ってチョコを取ってくる。この時私は、プロデューサーに渡したチョコが既に溶けていたことを忘れていた。
「あっ、溶けてますね」
「そ、そうでした。暖房がきいていて、それで……」
「あの楽屋の空調壊れたみたいなんですよね。ホント、早く直せばいいのに。でも、僕はこういうのも好きですよ? うん、十分食べれますよ。ホワイトデーは何かお返ししないといけませんね」
相も変わらずニコニコとしている。人柄の良さがにじみ出てくるようだ。
『so I love you I love you♪』
「あっ、ちょっとすみませんね。もしもし、――ちゃん?」
懐かしい曲が流れたと思うと、彼の着信音だったらしい。
そう言えば、あの歌を歌ってたアイドルと、何となく似ているような……。
「うん、終わったから今から帰るよ。楽しみにしている。じゃあ切るね」
電話しているときの彼は、いつも以上に優しそうな表情を見せていた。
相手はきっと、彼の特別な人なんだろう。
「えっと、お邪魔しちゃいました?」
「いえ! 気にしなくて大丈夫ですよ。そうだ、あのスピーチですけど」
「スピーチ?」
歌う前に言ったあれのことだよね。
「僕もああやって、テレビで私信を流したことあるんですよ!」
「へ? それ、どういう……」
「Welcome to the Dazzling World! 輝く世界へようこそ! それじゃあ小日向さん、また会いましょうね!」
「あっ、アキヅキさん! 行っちゃった……」
手を振りかけていく彼の背中を見送る。輝く世界か。私をそんな世界に連れて行ってくれたのは、彼なんだね。
「おーい! 美穂ー!」
「プ、プロデューサー……」
キラキラ輝くステージが終われば、私はただの女の子に早戻り。
さっきまであれだけ大胆なことが出来ていたのに、彼を見ただけで私の身体と心を羞恥心が支配する。
蛇に睨まれたカエルの気持ちが少しだけわかった。動けないのは恐怖じゃなくて、恥ずかしさゆえだけど。
「あー、正気に戻っちゃったか」
「へ?」
「いや、こっちの話。なんかさ、未央ちゃんが川島さんの家に泊まろうとか言ってたけど、美穂は行くかい?」
「川島さんの家ですか? 皆行くんですか?」
「みたいだね。明日学校休みだしさ」
川島さんの家か――。皆行くみたいだし、楽しそうだ。
「じゃ、じゃあ私も! 私も行きます」
「そう? それじゃあ川島Pが送ってくれるみたいだから、今から合流すれば良いよ」
「プロデューサーはどうするんですか?」
「俺は仕事が有るからね。それに、女子会に介入するほど空気が読めない人じゃないよ」
「そ、それじゃあプロデューサー! お、お疲れ様でした!」
「ああ、お疲れ。それと美穂」
「何ですか?」
「変なこと言うかもしれないけどさ、俺嬉しかったんだよね。ファーストキスが美穂でさ」
顔を赤らめて、恥ずかしそうに言う。ファーストキス――。それは私にとっても、彼にとっても変わりない事実だった。
「ふぇ!? ど、どどどういう!?」
胸を突き破りそうなぐらいのドキドキは加速する。
「その……、さ。美穂がトップアイドルになって、俺が一番のプロデューサーになってさ。その時美穂を……」
「えっ?」
一瞬の静寂。世界が私たち2人を置き去りにしたような感覚に陥る。
「俺は……」
「みほちー! いたいた!」
だけどそんなことは有り得ない。元気いっぱいな未央ちゃんの声が、私たちの世界を破壊する。
「のわっ! み、味噌ちゃん……」
「アイドルがアイドルならプロデューサーもプロデューサー!? おたくら私になんか恨みでもあるの!?」
私と同じ間違いをしたことが、何故か嬉しかった。
「い、いや。急に未央ちゃんが来たもんで……」
「QMK!? それは置いといて! みほちー、今から川島さんの家でパジャマパーティーするんだけど、どう?」
「うん。行くよ」
「オーケーオーケー。それじゃあ、行きますか。あっ、でもみほちーは着替えてからね」
「あっ」
「そのままでもいいけどさ、風邪引いちゃうよ? んじゃ早くしてねー!」
未央ちゃんに言われてステージ衣装のままでいたことを思い出す。
このまま外を歩くのは流石に恥ずかしい。
「それじゃあ美穂、お疲れ様。明日迎えに行くよ」
「あっ、はい。プロデューサー、おやすみなさい」
「おやすみ、美穂」
「じゃーねー! 言い忘れてた! 着替え終わったら入り口に来て! 待ってるからさ!」
「あっ、うん」
結局、彼と2人で祝勝会が出来るのはいつになるんだろう? 気長に待つとしよう。
「うぅ……」
思い出すだけで顔が真っ赤になる。きっと今夜は、それを追及され続けるんだろうな。
「あっ、メール来てる」
着替えを終えて携帯を確認すると、卯月ちゃんと相馬さんと見たことのないアドレスからメールが来ていた。
『お疲れ様! 美穂ちゃん凄く可愛かったよ! 見ていてこっちが幸せになったぐらい!』
幸せそうな卯月ちゃんの笑顔が頭に浮かぶ。ちゃんとテレビの向こうに伝わったんだ。
『お疲れ様。やっぱり先輩なだけあって、凄かったわよ。私も今度ファーストホイッスルのオーディション受けてみようかしら?』
相馬さん、頑張ってくださいね。諦めずにいれば、きっと上手くいきます。
『おめでとう、小日向さん。貴女のステージ、凄く輝いていたわ』
「? 誰だろう?」
名前が書かれておらず、誰からのメールか分からない。
「みほちー! 早く早く!」
「あっ、今行きまーす!」
携帯をポケットに入れて待ってくれている4人に合流する。
もしかしたら前にアドレスを教えて貰って、登録していないままの人かもしれない。
後で確認しておこう。それで無かったら、ちゃんと名前を聞かないと。
「それじゃあ突撃! 川島さんのお宅訪問へレッツラゴー!」
「あんまり騒ぎすぎないようにね?」
今日は寝ずに盛り上がるんだろうな。楽しみだ。
――
「ふぅ、どうしたものかね……」
暖かいコーヒーを飲みながら、局の近くのベンチで物思いに更ける。
『今日はお疲れでしょうから、そのまま直帰で大丈夫ですよ!』
仕事が終わった後携帯を確認すると、ちひろさんからメールが来ていた。
本当ならやらないといけない仕事はあるけど、なんとなくする気にもならなかったので、
今日は彼女の好意に甘えることにした。
メールといえば。
「美穂に届いたのかな?」
彼にアドレスを教えていいかと聞かれて、俺はこっそりと教えた。
アイドルの個人情報だ。本当は許されることじゃないけど、教える相手が彼女なら問題はないだろう。
美穂も彼女の連絡先を知らないんですと寂しそうにしていたし。メールの差出人を見て驚く彼女の顔が容易に浮かぶ。
「あの顔に弱いんだよな、俺」
いや、美穂の全部に弱い、の間違いだ。
彼女と思い出を作っていくにつれて、彼女の全てが愛おしいと思えるようになってしまったのだ。
今日だってそう。
美穂達の躍動感あふれるパフォーマンスを生で見たことと、美穂からキスをされたこと。
その2つの出来事が、俺の心を逸らした。
もしあの時未央ちゃんが来なかったら、俺は止まっていなかっただろう。
『その時美穂を……』
「俺の恋人にする、か……」
俺と美穂は、プロデューサーとアイドル。その言葉の意味は軽いものじゃない。
実際アイドルと結婚したプロデューサーも少なくはないが、それは同時にその子のアイドル生命を奪うことと同意義だ。
美穂はまだまだ輝ける。トップアイドルという途方もない夢も、少しずつ現実味を帯びてきた。
だけど俺はどうだ? 美穂の未来を、チャンスを奪ってしまいそうなぐらい、彼女に惹かれてしまった。
「ホント、ダメダメプロデューサーだな」
コーヒーを一気に飲み干す。甘みが口の中に広がるけど、俺の表情は苦々しいものだったに違いない。
「えいっ」
放たれた空き缶は大きく弧を描いてすとんとゴミ箱に落ちた。
「へー、やるじゃん。ナイスシュート」
パチパチパチと拍手が聞こえたと思うと、俺の目の前に凛ちゃんが月の光に照らされて立っていた。
「なんだ、凛ちゃんか」
「何黄昏てんの」
「別にー。ふと無性に考えたくなるときだってあるんだよ」
「ふーん。年寄くさいね」
女子高生にそう言われると結構傷ついてしまう。これでも一応、若くあり続けようと努力しているのだが。
「五月蠅いやい。凛ちゃんは川島さんの家行かないの?」
「ステージに立ってないし。だからあの5人と一緒に盛り上がる資格がないよ。そもそも私明日も朝から晩まで仕事有るし」
「ご苦労なことで」
今年に入ってからのNG2の3人の労働量には、本当に頭が下がる。
チャンネルを変えても、彼女たちが映っているということも珍しくない。
本来ならゴリ押しと視聴者に忌避されてしまうところなのに、彼女たちの実力がそれを許さない。
人気者の宿命かアンチスレがにぎわうことが有っても、それ以上に彼女のファンが多いのだ。
「他人事みたいに言わないでよ」
「凄いのは事実じゃないか」
それぞれの個性を活かして、新たなステージに到達しようとしている彼女たちを止めるものは何もない。
「アンタらも直に忙しくなるよ。ファーストホイッスルの効果は、ビックリするほど凄いんだから」
とびとびの予定が書かれたホワイトボードも真っ黒になるのかね。そう考えると何かこみあげてくるものがあるな。
「来週だよね。ランキング20位以内に入らないとノミネートされないってやつ」
「運命の36週? 途中にデビューした俺らからすれば不公平この上ないんだけどさ」
アイドルのデビュー時期は同じではない。スタートラインが違うのに、ゴールは同じというのも変な話だ。
「来年狙えばいいんじゃないの?」
「まさか。諦めたわけじゃないよ。今日の放送のブーストで、Naked Romanceが食い込める余地は十分あるよ」
来週のランキングチャートの結果次第だが、美穂もIAにノミネートされる可能性はある。
それがダメだとしても、夏にはIUがあるんだ。そっちに切り替えて、頂点を目指していくのがプロデュースとしては定石だろう。
「楽しみにしといてあげる。でさ、お願いがあるんだけど」
「ん? 何かな?」
「アンタここに何で来た?」
「車だけど……」
「なら良かった。夜も遅いしさ、車で送ってくれない?」
「へ?」
車で送ってって、プロデューサーが迎えに来るんじゃないのか? 卯月ちゃんの方に付いてるといっても、もう終わっているはずだ。
「ここまでプロデューサー呼ぶのも悪いじゃん」
「先読みされた!? じゃあタクシー呼べばいいんじゃないの?」
「お金かかるじゃん。結構遠いもん」
それはご尤もだ。いくら売れっ子と言っても金銭感覚は女子高生と変わりない。
給料全額が凛ちゃんの懐に入るわけでもないしな。意外と質素な生活をしているかもしれない。
「それに、NG2の渋谷凛が夜のドライブに連れて行ってって誘ってるんだよ?」
それはまぁ魅力的な話だ。1000人に頼めば1000人とも車を出してくれるだろう。
「そういうのは恋人が出来てから言いなよ。いや、それ以前に俺と2人でいるとこすっぱ抜かれたらどうすんのさ? 仲のいい友人ですが通用すると思えないけど?」
凛ちゃんは将来が約束された人気アイドルだ。ここで俺とのやり取りを記者にでも撮られてみろ、取り返しのつかないことになる。
いくら何もしてませんと説明したところで、世間が納得すると思えない。週刊誌も必要以上に煽って来るだろう。
「そん時は丸坊主にしようか?」
「やめなさい。黒髪ロングが良いんだから」
ショートヘアの凛ちゃんも見てみたい気もしないでもないが、色々と波紋を呼んでしまいそうなので止めておく。
「冗談だって。まぁそこは任せてよ。私たちだってマスコミ対策ぐらいちゃんとしてるよ。マスコミもあの人相手にケンカ売るようなことはしたくないだろうしね」
「へ?」
「こっちの話。それにアンタだから頼んでるんだけどな。まさかヒッチハイクしろって言う気? どうなっても知らないよ?」
「それは困る! 洒落になんないよ! はぁ……」
どうかなられたら大変なことになる。これ以上言っても無駄か、仕方ない。
観念したように溜息が自然と出てしまう。
「乗せてってくれる?」
「はいはい、分かったよ。ガソリン代、そっちに請求しとくからね」
「ケチだね。そんなんじゃ女子にモテないよ?」
いちいちキツイことを言わないといけない性分なのか?
「あーあー聞こえない! ほら、駐車場に止めてるから行くよ」
「了解っと」
「ねえ、凛ちゃん」
「何?」
「俺は凛ちゃんの家に送るよう頼まれたはずだよね」
「そうだったっけ? 家って言った覚えはないんだけど」
「そういう屁理屈は聞いてないよ! えーっと、ここ。どこですか?」
「夜景綺麗でしょ? 私たちのお気に入りの場所」
ここは小高い丘の上。どこを見渡しても渋谷家は見つからない。というか民家がない。
「私の家、あそこだよ。花屋やってる」
そう言うと凛ちゃんは遠くの方に指をさす。あー、うん。全然見えない。
「へぇそうなんだ、じゃあ薔薇の花でも買いに行こうかな……って遠いよ! 豆粒みたいな大きさじゃんか! 見えるわけないって!」
「それとうちの店さ、薔薇の無い花屋なんだよね。お母さんがバラ科の花のアレルギーでさ、取り扱ってないんだ」
「それはまぁ難儀なことで」
勝手な想像だけど、薔薇って花屋で一番売れるんじゃないのか? それを置いてないのは、花屋としては痛手な気もする。
「私は好きなんだけどね。棘があるけど、それでも愛される花。なんか私に似てるなって思って。愛されるってのは願望だけど」
「言い得て妙だね」
確かに刺々しくクールな性格の彼女にはピッタリだな。凛ちゃんは自信が無いのかもしれないけど、
十分なくらいファンからも愛されていると思うけどな。
「良い所だよ、ここ。こうやって星を仰ぐとさ、自分の悩みはちっぽけなものだなぁって感じるんだよね」
服が汚れるのもお構いなく、凛ちゃんは仰向けになって寝転ぶ。
「アンタも寝転がってみたら? 気持ちいいよ?」
「よっと……。東京でも、こんなに星が見れるんだな」
いつから夜が明けて来たか分からなくなる都会のネオンから離れて、小さな星々で出来た海を仰ぎ見ると、
ここが同じ東京だということを忘れてしまいそうになる。
ただただ綺麗で――、ロマンチックな気持ちにさせる。
「田舎から来たばっかの人みたいなこと言うね」
隣の子が毒舌を吐かない限りは。
「一番最初のオーディションの後、プロデューサーが私達3人を連れて来てくれたんだ」
「見てご覧、あの町の光の数だけ人が生きている。貴女たちはあの光に負けないぐらい輝きなさい、光の数だけファンを増やしなさい。ってね」
「可笑しいよね。私たち3人の初オーディションは、本当に散々だったのに。3人が3人とも自己嫌悪に陥って、解散しちゃうんじゃないかって思ったのに。プロデューサーはそんなこと言うんだよ?」
「君たちもそう言う時が有ったんだね」
「むしろ無い方が有り得ないよ。愛梨みたいな天才だって、いつかは壁にぶち当たる。才能が有っても、1人で何かを成し遂げるなんて不可能だよ」
「だね。良く分かるよ」
「話戻すね。レッスンの時とか厳しくて怖い人だと思ってたから、怒られるのも覚悟してたのに、自信満々に私に任せなさいって言ってくれてさ」
「この人は私たちを信じてくれている、だから信じようって決めたんだ」
もしプロデューサーが男の人だったら、今頃3人とも恋い焦がれていたかもね、と小さく呟く。
「オーディションに受かった時も、落ちた時も、CDデビューが決まった時も。私たちはここに来て寝転がった。最初の頃の気持ちを忘れたくないからね」
「ここは、私たち4人にとって大切な場所なんだ」
テレビでも見たことがないぐらい、柔らかな表情で語る。クールで格好良いアイドル渋谷凛は1つの姿、これが素の彼女なんだろう。
「そうか……。3人とも本当にプロデューサーのことが好きなんだね」
「うん。好きだよ。だからあの人と一緒に、トップを目指したい。そのためには、後ろを向かないって決めたから」
「もたもたしてたら、アンタら置いてくからね? 悪いけど、止まる気がしないし」
「奇遇だね。俺らもここで満足するほど目標は低く設定していないよ」
「ふふっ、期待しといてあげる。それじゃ、行こっか。そろそろ家に帰らないと、お母さんが心配しちゃうし」
「今度はちゃんと家まで送らせてくれよ?」
2人同時に立ち上がり、服に付いた土を叩き払う。
「あっ、流れ星」
車に戻ろうとすると、キラリとこぼれる一筋の流れ星。
「――」
「願い言えた?」
「心の中でね。なんとかギリギリ」
トップアイドル、トップアイドル、トップアイドル。色々省略してるけど、伝わってくれただろう。
これで俺がトップアイドルになるなんてオチは勘弁願いたいが。
「ねぇ、凛ちゃん」
「ん? 何?」
「どうして、俺をここに連れて来たの?」
NG2とそのプロデューサーにとって、ここは犯すことの出来ない聖域のはず。なのに彼女は、俺を招待してくれた。
「……何でだろう? なんとなく、かな」
「なんとなくって」
「なんとなくはなんとなく。それ以上でも以下でもないよ。私もよく分からないや。良いじゃん、私が良いって言ったんだしさ。でも、アンタは特別なのかな」
「へ?」
「そうだ。美穂でも連れてきたらいいよ。きっと喜ぶから」
「その一言が余計だって……」
でもまぁ、美穂は喜ぶだろうな。
『メープルナイト。この番組は高垣楓がお送りします』
丘から車で走ること20分。ラジオから流れるしっとりとした音楽が良いムードを作るけど、俺たちは会話を交わすことなかった。
「ここで良いよ」
凛ちゃんの指示に従って車を走らせていたが、花屋に着く前に止めて欲しいと言われた。
「ん? 良いの? 花屋はまだ先じゃ」
「大丈夫。花屋の前にスタンバってるかもしれないし」
パパラッチか。いつもと違う車で、しかも別事務所のプロデューサーが送っていたとなると、
あちらさんに好き勝手邪推されちゃいそうだしな。
「あー。そういうことね。でも大丈夫? ストーカーとかいたら」
「これでも私たち、護身術は教えて貰ってるから。アンタより強いと思うよ?」
卯月ちゃん未央ちゃんはともかく、凛ちゃんは本当に強そうだから困る。
『キェェェェェ!!』
木刀とか持って暴れてても違和感があまりないな。言ったら怒られそうだし黙っておこう。沈黙は金だ。
「そうですかい。それじゃあ、またね」
「うん。ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
手を振る彼女が家に入ったことを確認して、俺も帰ることにする。
「とりあえず明日は美穂を迎えに行かないとな」
川島Pから送られていたメールを見て住所を確認する。なんだ、川島家結構近いじゃん。
『ブラックホールに消えたやつがいる~』
「懐かしい曲だな……」
ラジオから流れる歌を口ずさみながら、俺は闇夜の中を車で駆けて行く。
何となく今日は、1人で当てもなく流したい気分になったのだ。
――
「ブラックホールに消えたやつがいる~」
デレデレデレデレデ
「あ・れ・は なんなんじゃ なんじゃ なんじゃ にんにんじゃ にんじゃ にんじゃ」
「川島さんやっぱり上手いなぁ」
「でもなんでこの曲歌ってるんだろ……。時代を感じるよ」
「ノリノリですねー」
「三味線ロック……。有りですね!」
夜も遅いというのに何盛り上がっているかというと、川島さんの部屋には家庭用カラオケがあったのだ。
『今日は寝ずに恋バナ大会だよ! ま・ず・は! 恋するはにかみ乙女みほちーから!』
『わ、私!?』
『そりゃあねぇ。あの後何が有ったか、根掘り葉掘り聞かせてもらいますよ!』
最初こそは乙女のパジャマパーティーらしく、私に対して集中砲火を放っていたけど、
川島さんがゲーム機を持ってきた頃から雲行きが変わってきた。
『あれ、これカラオケじゃないですか!』
『ストレス発散にはちょうどいいのよ。折角だからする?』
『え? 良いんですか? 近所迷惑とか』
『このマンション防音がしっかりしているから、どんなに騒いでも聞こえることは無いわよ』
『良いですねー! 私カラオケ好きですよ! 何歌おっかな……』
『それじゃあ一番! 本田未央! 持ち曲歌いまーす!』
『待ってましたー! フッフー!』
と言った風に恋バナはいったん中断、川島さんプレゼンツのカラオケ大会が始まったのだ。
『あ、あれ!? み、みんなの恋の話は!?』
『カクレンジャー 忍者 忍者』
『え、えー!? 酷い!』
私に聴きたいことだけ聞いておいて、自分たちの話題には全く触れなかったことにムッとしたけど、
カラオケなんて久しぶりだ。騒いでも問題がないというのなら、目一杯楽しんじゃおう。
『忍者戦隊カクレンジャー』
「ふぅ、気分が良いわね。スッキリしちゃうわ」
「流石川島さん! 実にロックで痺れましたよ!」
「どの辺がロックなのかしら?」
「次みほちーだよ?」
「あっ、うん。それじゃあ……」
この曲にしよう。リモコン取出しポパピプペ。
『Dazzling World』
「おっ、ダズリンじゃん」
「コホン。so I love you I love you♪」
ああ、そうだったんだ。今になってようやくパズルがそろった。気付くのが遅いぐらいだよ。
タケダさん、アキヅキさん、そして私。世代を超えて、思いは受け継がれていく。グルグルと輪り、人々の心に残っていくんだ。
アキヅキさんの託した思いを、私は大事にしていかなくちゃ。
「え、えっと。ありがとうございました?」
「美穂ちゃん良かったですよ。次は私ですね!」
「あれ? メール来てる」
歌い終わって一息つくと、携帯が光っていることに気付いた。アドレスは……、さっきの名無しさんだ。
『ごめんなさい。名前を書くのを忘れていたわね。服部瞳子です』
「瞳子さん!!」
予想外の名前に思わず叫んでしまう。もしこの部屋の防音設備が整ってなかったなら、隣の部屋の人が怒って殴り込みに来ていただろう。
「へ? トウコサン?」
「あっ、ごめん。大声出しちゃって」
「そう言えば、本番中も瞳子さんって言ってましたよね」
「小日向さんの知り合い?」
「はい。私にとって、初めての先輩なんです」
本当は卯月ちゃんだけど、彼女は同級生なのであまりそんな気にならない。
「服部さんのことですか? 私のプロデューサーが、私の前にプロデュースしていたアイドルなんです」
「とときんの前の女ってとこだね!」
「その言い方はどうかと思うわよ」
「えっと……。これ、瞳子さんが見てくれてたってことだよね? 良かった……」
ホッと一息ついて、彼女に返信する。
『見てくれたんですね! ありがとうございます! もし今日の放送で、またアイドルに戻りたいって思ってくれたなら凄く嬉しいです』
「かえって来るかな……」
歌え騒げと皆が盛り上がる中、私は落ち着いた気持ちでいた。
今日の放送で、彼女を勇気づけることが出来たなら。
眠くなるまで宴は続く。私は彼女からの返信を待ち続けたけど、プロデューサーが迎えに来ても、返事は来なかった。
――
「き、緊張するな……」
「そ、そそそうですね!」
「2人とも、緊張しても仕方ないですよ。ほら、堂々と待ちましょう!」
「うむ。人事を尽くしてきたはずだ。後は、天命を待つしかないよ」
「そ、そうですね。よーし、深呼吸深呼吸……」
私と彼は思いっきりちひろさんに背中を叩かれる。それでも私のドキドキは止まることを知らず、加速していく。
世間では大学の合格発表が行われているのだろうけど、私にとっても合否発表の日だった。
IAノミネートのカギを握る、運命の36週。それが今日のランキングだ。
「どっとっぷTV今週のランキング発表!」
「来たっ!」
「うぅ……」
天に祈るような気持ちで、私は結果を待つ。お願い、どうか――。
43位 New 小日向美穂 Naked Romance
「43位……」
今まで積み上げてきたものが、砂のように崩れ落ちていくように。私はガックシと項垂れてしまう。
「クソッ、力及ばず、か……」
「落ち込まないでくださいよ、2人とも。初登場でこれは結構すごいことですよ? ね、社長!」
「ちひろくんの言うとおりだよ。たらればの話をするのは趣味じゃないが、もし君たちが出会うのがもっと早ければ、20位以内には入っていただろうね」
「それでも、デビューで43位というのは誇ってもいいことだよ。胸を張りたまえ。君たちは良く頑張った」
社長たちはそう言うけど、私は嬉しさよりも悔しさが勝っていた。
「私、悔しいです」
「悔しいと思えるのは、それだけ必死で頑張って来たってことだよ。私たちは、君たちの活動をよく知っている。私から賞を与えたいぐらいだよ」
「それに、これで君たちのプロデュースが終わったわけじゃない。これからリベンジのチャンスはいくらでも有る。IUでトップを目指して、頑張って行こうじゃないか」
「……はい!」
IAはダメだった。したくないけど、時間が足りなかったと言い訳ができるかもしれない。
だけどIUはそうもいかない。純粋な実力勝負だ。
私だって、もう新人という括りにはならないだろう。
「美穂、今まで以上に大変な日々を過ごすことになると思うけど、1つ1つ着実にこなしていこうな」
「プロデューサー、お願いしますね!」
「それにさ……。こういうこと言うと怒られそうだけど、IAに受からなくてよかったかなって思ってるんだ」
「へ? どういう意味ですか?」
「IAにノミネートされたアイドルのプロデューサーには、ハリウッドで1年間研修を受ける権利を得るんだ。だからノミネートされていたら、彼はアメリカへ飛び立っていただろうね」
初耳だった。IAにノミネートされたら、何かしらご褒美が有るんじゃないかと思ってたけど、
プロデューサーがアメリカに行くことになっていたなんて。
凄く名誉なことのはずなのに、私は受からなくてよかったかな、なんて思ってしまった。
本当に甘いよね、私は――。
「ふむ、1位はNG2か……。それに21位に十時君も入っている」
「本当に恐ろしいですね。愛梨ちゃん、普段はポンコツな子なのにステージ映えするしなぁ」
「ポンコツって……言い過ぎですよ」
ランキングはホームページでも見ることが出来るそうで、1位から100位までサッと眺めてみる。
栄えある1位はやはりというべきかNG2だ。そして個人として、3人とも20位以内に入っている。
言い換えれば、20ユニット中4組がNG2というわけだ。流石としか言いようがない。
「過去にユニットと個人でランクインするということもあったけど、3人というのは初めてかもしれないね。新たな世代、か。私も歳を取るわけだ」
感慨深そうに社長は漏らす。
「でも、愛梨ちゃんは凄いです」
「うん。こいつは驚いたよ。あの子は本当に底が知れないな」
驚くべきは、21位の愛梨ちゃん。ボーダーラインの20位までにギリギリ入っていないけど、
デビューしてわずか2、3ヶ月でここまで上り詰めたことが、彼女の才能の恐ろしさを物語っている。
言い換えれば、愛梨ちゃんの才能と努力以上に、20位以上のアイドルは努力しているってことだ。
「服部Pも鼻が高いだろうな」
「この勢いで、瞳子さんも戻ってきてくれればいいけど……」
「そうだね。服部Pにとって、服部さんは特別なアイドルなんだろうしね。もちろん、愛梨ちゃんがおざなりってわけじゃないよ?」
服部Pも愛梨ちゃんに真摯に向き合っていることぐらい分かっている。そうでもないと、ここまでの結果は残せない。
だけど愛梨ちゃんのことを思うと、歯がゆくも思う。
愛梨ちゃんの原動力であるプロデューサーの原動力は、今でなお瞳子さんなんだから。
携帯のバイブが着信を知らせる。一瞬だけ彼女から返事が来たことを期待したけど、内容はくだらない迷惑メールだった。
瞳子さんから返信は未だに返って来そうにない。こちらから催促する話でもないし、
彼女の気持ちが整理出来るまで、気長に待つしかないよね。
「さぁ、今日は帰りなさい。明日から、また頑張ろうではないか」
「はい。失礼いたします」
「バイバイ、美穂」
事務所を出て、誰もいない最終バスに乗る。私1人だけ乗せているのに、わざわざ一番後ろの席を選んでしまうのは、
誰に対して遠慮してしまっているのだろうか。
――
美穂が帰った事務所で、残った仕事を片付けていると社長が声をかける。
「さっきのことだが」
「? なんでしょうか?」
「君は、本当にアメリカに行く気はなかったのかい?」
ハリウッド留学は非常に魅力的な話だ。ショービジネスの世界で生きる者なら、
一度は夢見る輝かしい世界だ。
事実俺も、プロデューサーという仕事をしていくにつれて、ハリウッドへの憧れは生まれてきた。
ポンとお金を出されたら、喜んで飛ぶだろう。英語だって必死で勉強し直す。
だけど皮肉なことに、ハリウッドへの憧れが強くなると同時に、美穂に対する思いも変質していった。
俺は彼女に恋している、独占したいと思っている。それは否定しようのない事実。
「俺のすべきことは、美穂をトップアイドルに導くことですから」
その言葉に他意はない。彼女に出会った時から、変わることのない願いはたった1つだ。
「そうか……。しかし、君も分かっているはずだ。いずれ、小日向くんだけを見ることが出来なくなる日が来ることを」
「事務所の経営の軌道が乗ってこれば、新たなアイドル候補生とプロデューサーをスカウトしようと考えている。君にとっては耳にタコが出るぐらい聞いた話だろうが、我が事務所は小日向くんの個人事務所じゃないからね」
「それは……、分かっています」
何度も言われて、何度も自分に言い聞かせたことだ。
俺たちは現状に満足しちゃいけない。美穂にも偉そうに言ったことなのに、自分に跳ね返ってくる。
「でもまあ、逆に言えば他に手を回す余裕が出来たぐらい、小日向くんは活躍してくれているということ。彼女を導いたのは、他でもない君だよ」
「ありがとうございます」
「さてと、私も帰るとしようか。どうかね? 一杯」
「奢っていただけるのなら」
「言うようになったじゃないか。ちひろくんも来るかい?」
「いえ。今日中に仕上げないといけない仕事が有りますので。御2人で楽しんで来てください!」
「では、今日は男同士の飲みと行こうか!」
「お供します」
あーだこーだ考えても進まない。今はIUに向けて、頑張って行かないと。
――
3月20日。天候は晴れ。熊本城は満開の桜に包まれていた。
「カーット! 小日向さん今のは最高だった! それじゃあいったん休憩取りましょう!」
「ふぅ……」
春の強い風が吹き、桜のシャワーが私たちに降りかかる。
「なんというか、なかなか幻想的な光景だな。タイムスリップしたみたいだ」
「やっぱりそう思いますか?」
今回は歴史ものの映画の撮影なので、出演者は皆時代劇衣装を着ている。カメラが回れば、一瞬にして戦国時代にタイムスリップしちゃうんだ。
「うん。しかし……よく似合ってるよ、その着物」
「えへへ。紗枝ちゃんに着付けを教えて貰ったんですよ。どうですか?」
くるりくるりと回ってみる。この歳になって自分で着付けが出来ないのもどうかなと思っていたところなので、
紗枝ちゃんの存在は実にありがたかった。
「紗枝ちゃんって……。あぁ、小早川さんね。一緒のレッスンスタジオにいた着物の子……で当ってるよね?」
「そうですよ。私の後輩アイドルです」
後輩の部分を強調して答えてやる。
小早川紗枝――。京都言葉を流暢に操り、マイクの代わりに扇子を持ち舞い踊る、前代未聞の純和風アイドルだ。
彼女の名前を知ったのはファーストホイッスルオーディション。私の後にパフォーマンスをしたのが彼女だった。
その時はそんな子もいたなぁって程度だったけど、ある日のレッスンスタジオにて。
『あれ? あなたは……小日向はんではおまへんどすか』
『へ? おまんがな?』
『私です。憶えてはりますか? 小早川紗枝どす』
『小早川紗枝……あっ、前のオーディションにいた!』
名前が分からなくても、姿を見れば一発で思い出せる。レッスンスタジオというのに、彼女は着物を着ていたからだ。
『光栄どす、小日向さん』
『えーと、でも小早川さんがどうしてここに……』
『それはレッスン以外にないでしょう!』
トレーナーさんが言うには、彼女がいつもレッスンをしているスタジオが、急な都合で使えなくなったらしく、
今日だけレッスンを代わりに見て欲しいと頼まれたらしい。
確かに、レッスンスタジオにアイドルが来る理由なんて、それしか無いだろうけど。
『そういうことです。よろしゅう頼んます』
『こ、こちらこそよろしくお願いします! 小早川さん』
『紗枝でええですよ』
『そうですか? じゃあ、紗枝ちゃんって呼びますね』
『そうだ! これも何かの縁。折角ですので、小日向さん。小早川さんに色々教えてあげてください』
『わ、私がですか!?』
『ええ。教えるのも良いレッスンになりますよ、先輩さん』
『あんじょう頼んます』
と交流が生まれて今に至る。
ちなみに紗枝ちゃんは佇まいから大人っぽく見えるけど、
私の方が芸歴も年齢も上だったみたいで、いろいろ教えて欲しいとちょくちょくメールが来る。
本当の意味での後輩は、彼女が初めてだ。
相馬さんも愛梨ちゃんも私より年上だったしね。
『れっすんみてもらえまへんか?』
見た目に違わないというと失礼な気もするけど、機械関連は苦手なのか、
メールはいつも全文字ひらがなというのが、なかなかに微笑ましい。
「紗枝ちゃんも一緒に仕事できれば良かったんですけどね」
「今回は縁がなかったな。小早川さんに合う役が有るかと聞かれあら、微妙なところだし」
「残念です」
流石に紗枝ちゃんのためだけに役を作ってくださいとは言えない。今のスタッフ、キャストがベストメンバーであれば、
私はそれに恥じない演技をするまでだ。
「まっ、小早川さんもこれから台頭してくるだろうし、今後に期待だね」
「ですね」
いつか一緒のステージに上がることが出来るのかな? 想像しただけで楽しみになってくる。
「休憩終わりまーす! それじゃあシーン72から……」
「よしっ、美穂行って来なさい」
「はい。プロデューサー」
撮影再開。台本もちゃんと読み直したし、みんなの足を引っ張ら無いよう頑張らなくちゃ!
――
「カーット! カットカーット!!」
「ホント、可愛いな」
赤い着物を着こなし手毬をつく彼女を見て、心の中で思ったことがそのまま出てしまう。
「IAのノミネート発表が良い感じに作用してくれたかな」
IUで戦える力をつけるべく、美穂と毎日を全力で駆け抜けてきたが、ここ最近の彼女の仕事に対する情熱は並々ならぬものじゃない。
やっぱり親友たちがノミネートされたことが、美穂にとっていい刺激となったのだろう。
ダントツの支持を得てノミネートされたNG2と、20位以内に食い込むことは出来なかったものの、
IA協会による予備選考を1位通過したことで選ばれた愛梨ちゃん。
特にこの2組のノミネートは、美穂のハートに火をつけるのには十分なぐらいだった。
『愛梨ちゃんにも先を行かれちゃって悔しいですけど、IUでは絶対リベンジして見せます! プロデューサー、一緒に頑張りましょう!』
愛梨ちゃんの超スピードノミネートに少なからずショックを受けてしまうんじゃないかと危惧したが、
そう力強く宣言する美穂を見ると、杞憂に終わってしまった。
「強くなったのかな」
いや、初めて出会った時からそうだった。彼女は自信なさげで気の弱い性格だけど、
これと決めたら貫き通す芯の強い子だったじゃないか。
高校も卒業して、美穂はより一層大人へと近づいていく。いつの日か、一緒にお酒を飲んだりするのだろうか。
「発想がお父さんだな……」
ここ4か月ほどで一気に老けたような気がする。気のせいかな?
ああ、お父さんといえば。
「母さん! 美穂が! 美穂が!」
「美穂ちゃーん! 可愛いぞー!!」
「お父さん、あまりはしゃぎすぎると怒られちゃうわよ? ねえ、プロデューサーくん?」
「ほ、程々にお願いしますね? 君らも、あんまり叫ばないの!」
撮影場所が美穂のホームグラウンド熊本ということで、小日向パパとママ、小日向美穂応援団の皆様が応援に駆け付けてくれました。
彼らとはクリスマス以降だけど久しぶりに会ったけど、相も変わらず美穂バカっぷりを発揮していて安心してしまう。
今日は生で美穂の仕事振りを、しかも戦国姫小日向美穂を見れるということで、みんなテンションが高く、
さっきも騒がしくし過ぎてスタッフさんに注意を食らったところだ。
どうにも美穂の周りには、本人以上に喜び騒ぐ人が集まるみたいだな。俺も含めて。
「でも七五三も恥ずかしがってた美穂が、お姫様の服着て映画に出るなんてね」
「美穂ちゃんは最高です! よ」
「ああ、涙腺が弱くなってきたよ……」
「もう、お父さんったら」
恥ずかしからと七五三を嫌がるロリ美穂か……。容易にシチュエーションが想像出来て頬が緩んでしまう。
「やっぱり、君に美穂を預けて正解だったよ。ありがとう、プロデューサーくん」
「そうね。最初は少し不安だったけど、美穂とも上手くやってるみたいだし。合格点を上げて良いかしらね?」
「合格点?」
御袋さんはニタニタといやらしい笑みを浮かべる。あー、この笑顔は良くないことが起きる前兆――。
「それはもちろん、美穂の旦那さんに決まってるじゃない」
「許さんぞおおおおお!! 一〇〇年早いわあああ!」
「のわっ!」
案の定親父さんが噴火する。そういや最近阿蘇山噴火してないなぁ。
「美穂を嫁にしたければ、私を倒してからにしろおおお!!!」
「お、落ち着いてください!!」
「ラウンド1……ファイッ!」
「君らも煽らないで!! お願いだから!」
「一撃で仕留めてやるぞおおおお!」
「カーット! その人たち! 騒ぐんならどっかに行ってくれ!! 撮影の邪魔!」
「あっ、すんません」
そりゃ監督も怒るだろう。ちらりと美穂を見ると申し訳なさそうに俯いていた。美穂は悪くない、悪いのは俺たちだ。
「はいはい、お父さん。殺り合うなら邪魔にならない所でしてくださいね」
「良し分かった!」
「解説は私がしますよー!」
「いやいや止めてくれませんか!? ぎゃおおおおん!」
「カーット! いい加減にしてくれー!」
その後俺と親父さんは監督にこってりとしぼられましたとさ。
「もう……。プロデューサー、お父さんが迷惑かけてごめんなさい」
「いや、俺も同罪みたいなものだよ。クランクアップお疲れさん」
撮影がひと段落ついて、美穂の登場パートの撮影は終了する。
初の大役ということで、最初の内は緊張のあまりガチガチだったけど、次第に場の空気にも慣れていき、
小日向美穂にしか出来ない、お姫様を演じることが出来たんじゃないかと俺は思う。
監督も、この役は美穂が演じたことで命が生まれた! と太鼓判を押してくれた。もしかしたら、次回作にも呼ばれるかもな。
「それ歩きづらくない?」
「歩きづらいですけど……、でももう着ることがないのかなぁって思うと寂しく思えちゃって。ちゃんとスタッフさんの許可は得てますよ?」
桜散る道をぎこちなく姫装束で歩く彼女は、とても現実離れした可愛さを持っていて。
着ている服が物珍しいのもあってか、観光客の視線を集めてしまう。
「ママー、お姫様がいるよー!」
「あら、本当ね」
ふふん、ボウヤ。この子をアイドルの世界に連れて行ったのは俺なんだぜ。と心の中で自慢する。
「私がお姫様だったなら、プロデューサーはお殿様かもしれませんね」
殿様かぁ。殿様って言ったら、真っ先にバカ殿が出て来てあまりいい印象が無いんだよな。
でもこんな可愛いお姫様と一緒に入れるなら、殿様というのも悪くない。
「その服、汚さないように気を付けなよ? えっと、この辺に……。おっ、いたいた」
「こっひはほー!」
「お父さん、もうお酒飲んでる……。プロデューサーは飲み過ぎないでくださいね」
父親のだらしない姿に呆れたように溜息をつく。でもその言葉、ブーメランだよ。
「ああ、うん。美穂も間違えて飲んじゃわないようにね」
「?」
あの日みたいなことが起きたら、言い訳のしようがない。間違いなく親父さんに阿蘇山に投げ込まれてしまう。
咲き誇る桜の下、小日向家と小日向美穂応援団は花見をしていた。撮影を見て帰るだけじゃ味気ないと、御袋さんが提案したみたいだ。
「さぁ! プロリューシャーくん! 君も飲たまへ!」
「は、はぁ。ではいただきます」
親父さんにお酌してもらいちびちびと飲む。今日は車じゃないので、お酒は解禁だ。
しかし何でこう桜の下で飲むお酒は美味しいんだろうね。
「こうやってお花見するのって久しぶりです」
「俺もだな。地元民なのに熊本城で花見したことなかったし」
「それは、熊本県民失格ですね」
「そ、そこまで言われるとは思ってなかったな……」
「ふふっ、冗談です。プロデューサーの熊本城での初花見を一緒に過ごすことが出来て、私は嬉しいですよ」
お酌を注ぎながらそんなこと言う彼女に不覚にもドキリとしてしまう。
「なぁ、美穂」
「どうかしましたか?」
「今からさ、2人で」
「よーし! お父さん歌っちゃうぞぉ!」
「フー!! お父さーん!!」
「曲はぁ、マイプリティドーターの持ち曲のぉ、Naked Romance!」
「待ってましたぁ!!」
「お父さん!?」
言葉の続きはかき消されて、黄色い声援が残る。
小日向美穂応援団はわいわいと騒ぎ、親父さんはどこから取り出したのかマイク(ラムネ)片手に、娘の曲を歌い始める。
カラオケ音源はというと、スマホから流れているみたいだ。
「チュチュチュチュワ! 恋しちゃってるぜぇ!」
「いよっ! お父さん日本一ー!」
「お、お父さん……」
美穂からすれば堪ったもんじゃないだろうが、この光景は笑われても仕方ない。
顔を真っ赤にしたおっさんが、あの恥ずかし可愛い歌を熱唱するというシチュエーションの破壊力は抜群だ。
どこからかともなく写メられた音もしたし。着物を着ている美穂よりも目立ってしまっている。
撮るべきはむしろ美穂じゃないのかね。まぁ隠し撮りしてるようなら、プロデューサーとしてガツンと言うけどさ。
「チュチュチュチュワ! テンキュー!」
歌い終わると周りから笑いと喝采が生まれる。親父さんは至って満足げだ。娘の方はというと、
「あ、穴が有ったら入りたいです……」
スコップを渡したら、そのまま掘り進んじゃいそうなぐらい顔を真っ赤にしている。
「あー、なんと言うか……。ドンマイ?」
「プロデューサぁ……。逆勘当ってありますか? もしなければ願いを1つ使ってお父さんを一撃でシトメテ……」
訂正、スコップを渡したら切りかかってしまいそうだ。だんだんと彼女の瞳からハイライトが消えていく。ヤバいって!
「早まるな! そ、そうだ! この辺散歩しないか? あの人らは勝手に盛り上がるから、俺らだけでさ」
親父さんたちに邪魔されて言えなかったけど、ようやく言えた。
「2人でですか?」
「そう! ほら、撮影も終わってるだろうし、城に行ってみない? 撮影じゃなくて、普通に。観光客としてさ」
「え、えっと。分かりました。2人でか、えへへ……」
なんとか思いとどまってくれたみたいだ。美穂にそんな病んだ表情は似合わない。
誰かを幸せにする笑顔こそが、彼女の最高の武器だ。
「おじ様素敵ー!」
「アンコール行くぞー! だいたいどんな雑誌をめくったってダーメー」
「溜め息出ちゃうわー! フォー!!」
そんな俺の苦労はどこ吹く風、諸悪の根源の親父さんと、煽り続ける応援団はさらに盛り上がる。
あの子ら、酒飲んでないよな? 素面だよな?
「私もうここにはいたくないです。恥ずかしい……」
「……ですな」
「あら、2人でどこかに行くの? 良いわねぇ、青春よねぇ。私もこういう服着てデートしてみたかったわねぇ」
「あはは……」
「こっちは気にしなくていいわよ。お父さんマイクを持つとなかなか離さないから」
こっそり抜け出そうとするも、御袋さんに捕まってしまう。どうやら邪魔する気は更々ないようだ。
「あっ、ちゃんと節度を守ったお付き合いをしてね! プロデューサーくんもオオカミさんにならないようにね!」
「じゃあ美穂、行こうか」
「あっ、はい」
御袋さんの戯言は無視するのが一番だ。きっと振り向けばあの悪戯っぽい笑顔をしているんだろうな。
「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよぉ!」
異様な盛り上がりを見せる小日向パパリサイタルをBGMに、俺たちは歩き出した。
目指すは熊本城。お姫様の帰還だ。
――
「はぁ、お父さん……」
どうにも私の周囲には私以上に騒がしい人が集まるみたいで、やはりというべきか、
騒ぎ過ぎて何回も撮影が中断してしまったぐらいだ。
『カーット!』
あの時の監督の顔は思い出したくない。鬼と形容するのも生易しい位の形相だった。
その怒りを向けている相手が、スタッフや私たち出演者じゃなくて、私のお父さんとプロデューサーだったというのも、なんとも情けなくなる。
撮影は無事終わり、監督さんも、
『娘の晴れ舞台だから舞い上がったのかね?』
と笑ってくれたけど、それでも申し訳なさでいっぱいだった。
「もういっちょ行くぞー!」
お酒に酔って熱唱する父親と盛り上がる友達を背に、プロデューサーと一緒に歩き出す。目指すは熊本城だ。
あの場所に居続けたら、羞恥心のあまり我を失ってしまいそうだった。
「やっぱり歩きにくいですね」
着物が似合うのと着慣れるのはまた別の話だ。私はこれまでてんで着物に縁が無かった。
有ったとしても七五三ぐらいで、だいぶ前の話。
撮影中は動くシーンも少なく、なんとか出来たけど、はた目から見れば、ぎこちなく歩く私は滑稽に映ることだろう。
「着替えた方がよかったんじゃないの?」
「い、いえ! 今日はこの着物でいるって決めたんです」
1日中着続けたら願いが叶うなんてことは無いけど、なんとなく返却するのが勿体無く感じた。
どうか今日1日だけは、戦国姫でいらせてください。
「まぁそう言うなら無理強いはしないよ。そうだなぁ……。背中、貸そうか?」
「へ?」
「ほらっ。おんぶする形になれば美穂も歩かなくて済むでしょ? こけて足をくじく前にさ」
そう言って彼は、乗ってくれと言わんばかりに手を後ろに回してしゃがむ。
「え、えーと……」
「ほら。お乗りくださいまし、お姫様」
「わ、分かりました。それじゃあ、失礼します」
こうやって負ぶってもらったのって、小学校の時以来だ。
足をくじいて泣いた私を、お父さんは背負って歩いてくれた。
調子外れな鼻唄を一緒に歌いながら、家へと帰る。あの時のお父さんの大きな背中は忘れることが出来ない。
ふとお父さんの背中と、目の前の彼の背中が重なって見えた。
もちろん2人は別人だ。共通しているのは、私に対して厳しいようで甘いところ。私の喜びを、私以上に喜んでくれる人。
だからこそ、私は彼に惹かれていったのかな。
「よっと」
「重く、ないですか?」
ホイホイ言われるままに乗ってみたけど、大丈夫だよね? 最近少し太った気もするけど……。
「いや、全然。気にするこたぁないよ。軽い軽い」
「そ、それなら! 良かったです!」
彼も強がっているようには見えないので、一安心。
「それでは美穂姫、お城へと参りましょう」
紳士的な口調でそんなことを言うもんだから、急に恥ずかしさがこみあげてくる。
顔は見えないけど、彼は笑いながら言っているんだろう。
「み、美穂姫は恥ずかしいです!」
「あはは、ごめんごめん」
私が来ている衣装のせいもあるけど、プロデューサーが馬のように思えてきた。
ニンジンを吊るせば走ってくれるのかな?
「プロデューサーの背中、大きいですね」
「そう? 中肉中背とは言われるけど、背中が大きいなんて初めて言われたや。というより、こう誰かをおんぶしたこと自体そう無いから、言われようもないんだけど」
「お父さんみたいです」
「お父さん、か。喜んでいいのかな?」
「はい。喜んじゃってください」
きっとそれは、私から彼へと送る最大級の褒め言葉だ。
「~♪」
「鼻唄歌って。上機嫌だね」
男の人の背中に負ぶさっているだなんて、恥ずかしくて気がどうにかしちゃいそうなシチュエーションなのに、
服越しに伝わる彼の温度が私の心を落ち着かせる。
彼の体温の効能はランダムだ。ある時は私をドキドキさせて、またある時は安らかにしたり。
本当に不思議な生き物だ。学会に提出すれば、きっと人類の役に立つことだろう。
「ふふっ」
「どうかした?」
ノーベル賞を受賞する彼の姿を想像するだけでおかしくて、笑ってしまう。
「お城に着けば」
「ん?」
「お殿様の服って借りれますか?」
「さぁ。どうだろうね。そもそも有るのかな? スタジオじゃないし」
「もし借りれたら、プロデューサー、着てみてください」
「オレェ?」
「あだっ! 筋違えるかと思ったよ」
素っ頓狂な声をあげてこちらに振り向くけど、首が曲がりきらず痛そうな顔をする。
「はい。私が着ても、仕方ないと思います」
「それは違いないけどさ」
「それに、お姫様がいれば、お殿様がいてったいいじゃないですか」
「俺なんかで良いの?」
「プロデューサーだから良いんですよ」
「まっ、借りれたら着てみるか。似合わないからって、笑わないでよね」
「笑いませんよ」
熊本城は撮影スタジオじゃないから貸してくれると思えないけど、
彼がお殿様の服に着替えたら、お城の高い所から夕暮れの桜並木を2人っきりで見下ろしてみよう。
「さてと、着いたよ」
きっと、何物にも代えることの出来ない光景が待っているはずだ。だって隣に、彼がいるから。
「夕暮れやっとあの子といい感じ、ってか」
「それ、どこかで聞いたことあります」
川島さんが歌ってたっけ。不思議と今の状況にマッチして、恥ずかしさがこみ上げてきた。
「昔の戦隊ヒーローの歌だよ。しかし、壮観だなぁ」
「はい。こんな光景を今まで見てこなかったなんて、勿体無かったです」
「同感だよ」
2人揃って地元民失格だなと小さく笑う。
結局お殿様の服を借りることは出来なかったけど、隣に彼がいることに変わりはない。それだけで十分だ。
沈みゆく夕日が照らす桜並木は、ほんのりと紅に染まり神秘的で。
ここから飛び込んだら、そのまま異次元へと飛び込んで行けるんじゃないかと思えたぐらい。
「えいっ」
こんな光景はもう二度と見ることが出来ない。そう思うと自然に携帯を取り出して、何枚か写メっていた。
「少し遠いですね」
「写真に残すより記憶に残したいよね、こういう光景はさ」
距離があるので、大きくは撮れなかったけど、私はこれでも満足だった。
網膜に深く焼きついた光景は、忘れろという方が無理な話だ。
そうだ。後でブログにアップしてみよう。記念すべき初投稿にふさわしい写真だ。
「そうだ」
「ん? どうかした?」
いつまでも見ていても飽きの来ない光景だけど、ここに来て桜を見るだけと言うのも何か勿体なく感じた。
だからこんな突拍子のない提案もしちゃうのも、仕方ないことだろう。
「ここで踊ってみて良いですか?」
「踊る? その恰好で?」
「いえ。折角の衣装なんですし、踊ってみようかなって思って」
激しい踊りは無理でも、紗枝ちゃんのように緩やかな舞は問題ないよね。
何回かレッスンを一緒にしたので、それっぽい動きは出来るはず。
「じゃあ見てて上げるよ」
「はい。それじゃあ……」
BGMは遠くから聞こえる花見客の喧騒。きっとお父さんはまだはしゃいでいるんだろうな。
記念だからと貰えた撮影小道具のセンスを開き、紗枝ちゃんっぽく踊ってみる。
アイドルたるもの、何事にもチャレンジだ。余裕が出来てきたら、日舞を学んでみるのも面白いかも。
「あっ、プロデューサー。お酒、どこから持ってきたんですか?」
「ん? 本当はダメなんだろうけどさ、気分だけでも殿様になろうかなって」
「もう、殿。飲み過ぎはダメですよ?」
「ふふっ、苦しゅうないぞ」
なんて言ってみるけど、目の前の彼にちょんまげが生えたみたいで、お城で2人っきりという異常な状況も手伝って、
私もムードに酔ってしまう。身も心もお姫様になって、彼を喜ばすように舞い続ける。
今だけはお殿様だけのお姫様、あなただけのアイドル。
「どうでした?」
緩やかな舞も、見ていた以上にしんどいもので、息も切れ切れに彼に尋ねてみる。
「うん。舞も結構良かったね。今後のプロデュースの参考になったよ」
うんうんと頷く彼も満足そうで、小さくガッツポーズをする。
「さあて、あんまり長くいるわけにもいかないし、そろそろ親父さんが禁断症状おこしそうだ」
どうだろう? お父さんのことだから、歌い疲れて寝ているんじゃないかな?
「帰りますか。ほいっ」
行きと同じように、おんぶをする準備は万全だ。
「それじゃあお言葉に甘えて……」
正直に言うと、負ぶってもらう必要は全くない。
歩きにくいのは確かだけど、そこまで距離があるわけでもないし、彼も軽いと言っても、
女の子1人背負って歩くんだ。しんどいことに変わりないだろう。
だけどこう、彼とくっつくと心が満たされるようになってしまったので、
私からすれば願ったり叶ったりだったりする。
日に日に意地悪な女の子になっていくのは、貴方のせいですよ?
「あら、美穂。足怪我したの?」
「何々? 美穂ちゃんプロデューサーに乗っちゃってるの?」
「え、えっと。着物だと歩きにくいだけ、だよ」
「ぐごー、ぐごー。美穂はわたしゃない……ぐごー」
花見のシートに戻ると女性陣が迎えてくれた。周りを巻き込んで騒ぎ倒したお父さんはというと、
気持ちよさそうにいびきをかいて眠っている。
起きていても騒音、寝ていても騒音。普通にしている分には真面目な人なんだけどな。お酒って怖い。
「嘘だぁ。本当は美穂ちゃん。プロデューサーさんの背中に胸を押し付けてたんじゃないの?」
どうなんどうなん? と小突きながら、友達が囃し立てる。
「え、ええ!? そ、そそそんなことないよ! で、ですよね!?」
「そ、そうだね! な、何もなかったね!」
目は泳ぎ、声は上ずるプロデューサー。本当にこの人ときたら、正直な人だ。
って私無意識のうちに押し付けてたってことだよね!?
「プ、プロデューサー!?」
「お、俺は知らないよ! 何も!」
声から顔まで、彼のあからさますぎる対応は、周囲を煽るのに十分な材料だった。
「ははぁん。これはクロですなぁ」
「美穂も女の武器を自覚し始めたころかしら?」
「うぅ……、そんなつもりなかったのにぃ」
「あはっ! あははははっ! 笑っとけ笑っとけ!」
「プロデューサーも笑ってないで助けてくださいよー! 気をしっかりしてください!」
お母さんたちに囲まれて逃げ場を失った私たちは、やいのやいのと良いように弄られる。
「ぐごー、ぐごー」
救いがあるとすれば、迷惑なぐらい騒ぎ立ててもお父さんが起きなかったことかな。
もしお父さんに胸を押し当てていたなんてことが耳に入ったら、プロデューサーは桜の下に埋められちゃう。
「ふぅ、今日も疲れたなぁ」
花見から帰って、久しぶりに実家に帰る。
殆どの荷物は東京にあるけど、やっぱり17年間過ごした部屋は落ち着く。
懐かしい匂いが有ると言えばいいのかな? いつ帰ってきても、私を優しく迎え入れてくれるのだ。
「直ぐに東京に戻らないといけないか……」
ファーストホイッスルに出たことで、私のスケジュール帳はギッシリと埋められるようになった。
仕事が増えてウハウハなんだけど、こう実家に帰る時間が取れなくなったのは寂しい。
今回だってそう。映画の撮影という仕事で熊本に来ただけ。
ホテルよりも実家の方がいいだろうと言うプロデューサーの配慮があって、私は実家に帰ることが出来た。
この仕事がなければ、東京で他の仕事をしていたはずだ。
毎日忙しいけど、アイドル活動も軌道に乗って来て、とても充実している。
だけど悲しいことに、人間は満足できない生き物。売れ始めたら売れ始めたで、いつもどおりの日々が恋しくなってきた。
それは単なるわがままだ――。自分にそう言い聞かせてベッドに横になる。
「あっ、ブログだ」
今日撮った写真を眺めていると、ブログに投稿しようと考えていたことを思い出す。
小日向美穂Official blog。投稿件数は0。出来立てだから仕方ないよね。
タイトルの名前は、事務所のみんなで考えて決まったものだ。こういうのって、名前決める時が一番楽しかったりするよね。
『クマさんダイアリー』、『美穂さんは明日も頑張るよ』、『こひなたですが?』……と色々な案が出たけど、
悩みに悩んで私が選んだのは、
『小日向美穂、一期一会』
映画のタイトルから名前を借りたけど、自分でもいいタイトルだと思う。
この業界に入ってから、私は多くの出会いと別れを経験した。
それは私たちが生きていくうえで、これからも避けては通れないことだ。
確かに別れは辛いことだ。だけどその度、新しい出会いに期待する。
これからも素敵な出会いがたくさんありますように、本気の私を見て貰えますように――。
そんな願いを込めてブログのタイトルに決めた。
「うーん、でもどう書けばいいかな? 日記なんてつけたことないし……」
プロデューサー曰く、業界内ではゴーストライターを使って、ブログをやっていることの方が多いみたいだけど、
私は自分の言葉でファンと交流を持ちたいから、助けを借りずに自分で書くことにした。
プロデューサーも私ならそう言うと思っていたみたいだったけど、いざ書こうとなるとなかなか言葉を紡げない。
「他の皆はどういうこと書いているんだろ?」
そう言えば未央ちゃんはブログやっているって言ってたよね。本田未央と検索っと。
本田未央 不憫
本田未央 ブログ
本田未央 ミツボシ
本田未央 NG2
本田未央 本田味噌
検索結果には思わず首を傾けたくなるようなワードもあったけど、ブログはキチンと見つかった。
『ガチャをひいたら私です!』
「どういう意味なんだろう、このタイトル……」
プロフィールには語感で決めたと書いてるけど、妙にリズム感が有って面白いタイトルだ。
「えっと、顔文字かぁ……」
タイトルの意味は分からなかったけど、ブログの書き方は非常に参考になる。私も真似してみよう。
仕事のこと、友達とのこと。テレビでは見られない素の未央ちゃんが、ありありと書かれていた。
コメント数もビックリするぐらい多く、彼女の人気っぷりを物語っている。
「あっ、オーディションの後の写真だ」
参考として読むつもりだったけど、読んでいくうちに夢中になっていき、最初の投稿まで読破してしまった。
『今日から頑張ります!』
そう名付けられた初投稿には、卯月ちゃんと凛ちゃんと見覚えのある女性が写っている。
というよりも、この写真は見覚えがある。卯月ちゃんに見せて貰ったものと同じだ。
だから4人目の彼女はNG2のプロデューサーさんだよね。結局今の今まで会ったことは無いけど、
3人の話を聞くに、厳しいけど優しい人と言うのは共通認識みたいだ。
「このころはまだコメントが無いんだね」
デビューして数ヶ月の間は、コメントも片手で数えるぐらいしかなかったけど、徐々に増えていって、
IAノミネートした今となれば、コメント数も4ケタをゆうに超えている。
「凄いな……」
何気ない彼女の日常に、これだけ多くの人がコメントしている。実際見ているだけの人もいるから、
読者はもっともっといるだろう。ただただ感嘆の溜息だけがもれるばかりだ。
「いけない! 夢中になっちゃった!」
時計を見るとまだ日は変わってないものの、どうやら長い間読み更けいたようだ。
「えーと……。変に難しい言葉使わなくていいよね?」
頭の中で思いつくままに書いていく。
「こんな感じで良いかな? プロデューサーに確認してもらおうっと」
書き上げた内容をコピペして、彼にメールする。一応誤字脱字は無いよう確認したつもりだ。
「~♪」
音楽プレイヤーで李衣菜ちゃんおススメの洋楽ロックソング集(実は同じ事務所の別の子が作ったらしい)を聞きながら待っていると、
曲が終わったと同時に彼から返事が帰って来た。何と言うナイスタイミング。
『読んだよ。問題はないと思うよ? 美穂らしさが出てて。強いて言うなら、初投稿だからこれから応援してくれる人に向けて自己紹介的なのをした方がいいかもね』
「あっ、本当だ。忘れてた」
いきなり投稿して桜が綺麗でしたって言うのも変だよね。自己紹介文も考えなくちゃ。
事務所のHPに載っているプロフィールを引用して……、こんな感じで良いかな?
自己紹介
シンデレラプロダcクション所属アイドルの小日向美穂 (コヒナタ ミホ)と申します!
主にお仕事情報や、日常のワンシーンの写真を載せて、コメントとかを書いていこうかなと思ってます!
タイトルの一期一会は、私の好きな言葉です。これからもたくさんの出会いがあること、
そして読んでくださった皆様にも素敵な出会いがあって欲しいと願って付けました。
よろしくお願いします!
プロフィール
ニックネーム 美穂
性別 女性
誕生日 20??年12月16日
血液型 O型
職業 アイドル
出身地 熊本県
将来の夢 目指せ、トップアイドル!
20XX年 3/20
『初めてでドキドキしますね!』
始めまして、小日向美穂ですっ(*´(ェ)`)ノ
アイドルやってます!
こうやってブログを書くのも、少し恥ずかしいんですけど、ファンの皆様と近い距離で交流出来たらなと考えています
お仕事情報とか、写メが中心になるかなと思いますが、頑張ってやっていきたいです
この写真は今日私の地元熊本で撮った写真です! 熊本城から見る桜って、凄く綺麗ですね。ロマンチックでお勧めです
後この姿は、今年の夏に全国で放映される映画『戦国SAGA』での私の役どころ戦国姫です!
初の映画出演と言うことでドキドキ(/(エ)\)していますけど、凄く面白い映画になっていますので、公開を楽しみに待っててくださいね!
ブログのこともアイドルのことも、まだまだ始まったばかりですが、よろしくお願いします!(。・(エ)・。)/
完成したものをもう一回彼に送る。今度はOKの指示が出たので、そのまま投稿する――
「こ、このボタンを押せば……」
はずだったけど、やれ見られるのが恥ずかしい、やれコメントで文句言われたらどうしようと葛藤して、
書き込むまでに洋楽ロックが2曲終わってしまった。
「せーのっ」
投稿。最初だから緊張しているだけ、次からはちゃんと出来る! と自分を鼓舞する。
「コメントとかちゃんとつくかなぁ……」
未央ちゃんのブログを見た後なので、余計心配になってくる。
「み、見ない方がいいよね! うん! 明日見よう!」
反応が有れば嬉しいけど、もしコメントが無かったらと思うと怖くなり、布団に潜り込ん夢の世界へと逃げ込もうとする。
「眠れない……」
ひだまりの下じゃいくらでも寝れるのに、こういう時に限って眠れなくなるのはどうしてだろう。
「確認……しちゃおうかな?」
投下したのが2時間程前。おっかなびっくり携帯を開けて、ブログへと飛ぶ。
『初めてでドキドキしますね!』コメント(373)
「ええっ!? ウソっ!」
多くて10有れば良いかなぐらいで考えていたから、この数字には驚きを禁じ得なかった。
「え、えっと……。どういうこと? え?」
予想外のコメント数に意識が飛んでしまいそうになるけど、何とか持ち直す。最初の投稿なのに、なんでこんなに……。
「ま、まさか……。炎上している!?」
炎上するような要素は無いはずだ。それなのに、このコメントの数。一体何がどうなって……。
「確認しなきゃ……」
恐る恐るコメント欄を見る。
1 トミコさん
ブログ開設したんですね
小日向さんの姿、いつもテレビで見ています
頑張ってください。私も頑張ってます
2 F見Y衣さん
初コメです! 小日向さんのブログが始まると公式HPに書かれていたので、飛んできました
毎日が忙しいと思いますが、お体に気を付けて頑張ってくださいね!
3 キバゴさん
キバー!(頑張ってください!)
「炎上、してない?」
一通りのコメントを確認して、ホッと一息。事務所の方でフィルターがかかっているのか分からないけど、
私に対する中傷コメントは今のところ0だった。
「公式HPに書かれていたって……。もしかしてリンク貼ったのかな?」
正直なところ突発的にブログを始めたようなものだから、方々にアナウンスが出来ていなかったけど、事務所のHPを確認すると、
私のブログへのリンクが新しく出来ていた。こんな遅い時間なのに、ちひろさんがしてくれたのかな。
「ありがとうございます、ちひろさん」
このお礼はお土産でしよう。く○モングッズとか喜ぶかな?
「私も世間に認知され始めたってことだよね?」
373件。もしかしたらこれからも増えていくと思うけど、これだけのファンが私を応援してくれている。
「えへへっ、やる気出ちゃうな」
このまま小躍りしたい衝動に駆られたけど、夜も遅いのでやめておく。
「これ1件1件コメント返しってのは、難しいかな……」
出来ることならしてみたいけど、一度やると今後も続けなくちゃいけないし、プロデューサーも首を縦に振らないだろう。
直接交流できるツール故に、それに伴う危険も重々承知している。
「今考えても仕方ないかな?」
流石にこんな時間に彼にメールをするのも気が引ける。疲れているだろうし、明日相談してみよう。
「結構時間立っちゃったな。起きれるかな?」
目覚まし時計をちゃんとセットしたことを確認し、布団を被る。
明日も朝の便で帰らなくちゃいけないし、心配事も解消されたので、今度こそ眠気に従って夢の世界へ飛び込もう。
「ごめんね、眠かったでしょうに」
枕元には東京から持ってきたプロデューサーくん。結構大きな荷物で持ち運びには不便だけど、
これが有ると気持ちよく眠れる気がするので、遠くの仕事の時は持って行くようにしている。
「おやすみなさい」
「」
当然彼はしゃべらないけど、なんとなくおやすみって言ってくれている気がして。
心地良い眠りへの切符を持って、夢の世界に。良い夢見れると良いな――。
??
ゴーン、ゴーン……
「あれ? ここ、どこだろう?」
「みほちー、なにボーっとしてるの?」
「そうだよ。今日の主役なんだから、シャキッとしないと」
「へ? 何が?」
「またまた惚けちゃって! 今日は美穂ちゃんの結婚式でしょ」
「えっ、結婚式!?」
鏡を見ると、私の着ている服は一点の穢れの無い真っ白なウェディングドレス。
一緒に映るNG2の3人も大人っぽくなって……。
「ユメってことで良いんだよね?」
じゃないとこんな突拍子もない展開はやってこない。結婚式って……、誰と?
「美穂も綺麗になったわね。いきなり我が血族の定めとか言って、吸血鬼を狩りに行ったきり帰ってこないお父さんも喜んでいるでしょうね」
「お父さん居なくなったの!?」
そもそも吸血鬼って何? どういうこと?
「そう言う設定なのよ」
「意味が分からないよ……」
夢だからなんでもありってことで良いのかな?
「美穂ちゃん、時間ですよー」
「相変わらずでかいよねー、とときん」
「肩凝っちゃうんですよ?」
未来の話だから、周囲の皆も成長している。愛梨ちゃんの胸はまだ成長しているみたいだ。
「じゃあ私たち、客席で見ているね」
「じゃねー」
「美穂ちゃん、可愛いよ!」
「本当はお父さんとバージンロードを歩くはずっだったんだけどね……。プロデューサーくんさんと一緒に、ね?」
「クマー」
あっ、プロデューサーくんだ。お父さんの代わりなのかな。
「……よしっ」
何がよしっなのか自分でも分からないけど、とりあえず式場へ行こう。
「小日向さん、おめでとう。先越されちゃったわね……分からないわ……」
「川島さん、顔怖いですって! にしても結婚かぁ。なんつーか、ロック魂を感じるね」
「おめでとう! 新婚旅行の際は、○○航空をお願いね!」
「小日向さん、あなたの頑張りで私はもう一度アイドルとして輝けたわ。本当に、ありがとう」
「結婚おめでとうさんさん。新婚旅行に京都はいかがどすか?」
「良い結婚式だ、掛け値なしに」
「おめでとう、小日向さん。旦那様と幸せにね。今度は結婚ソング作ってみようかな?」
「今なら2倍ケーキと合わせて6倍のブーケをGETできます!」
「小日向美穂応援団は永遠に不滅だよー!」
「えへへ……」
両脇の皆から祝福の言葉を投げかけられて、私はバージンロードを歩いていく。
「クマー」
隣を歩くのは何故かお父さんじゃないけど、きっとお父さんもどこかで私の結婚を喜んでくれているはずだ。
「コホン! これより、挙式をとりおこないますアーメン」
神父役は社長だ。妙に似合っているのが何ともおかしい。
「……」
神父様の前で隣に立つ彼は、私以上に緊張しているのかガチガチに固まっている。
タキシード姿も似合っていて、
「ふふっ……。緊張してるんですね。私もですっ」
「一緒、だな」
「はい」
いつも2人で緊張して、喜んで悲しんで。時々仲たがいすることもあったけど、それでも最後には彼が隣がいて。
これからも、そんな素敵な思い出を増やしていくんだね。
「新婦、小日向美穂。貴女は、うんたらたらして、永遠の愛を誓いますか?」
「誓います」
「新郎、プロ田デュー太郎。貴方は以下略して、永遠の愛を誓いますか?」
「誓います」
「それでは、誓いのキスをアーメン」
「行くよ、美穂」
「はい。あなた」
小日向美穂、改めプロ田美穂。
彼の顔が近づいてきて、距離が無くなり影が1つに――。
「キャンユーセレブレイッ? キャンユーキスミトゥナイッ?」
「へ?」
「ウィーウィルラブロングロングアゴー」
「永遠と言う言葉なんて知らなかったよねぇ……」
突然ドアが開くと、ウェディングドレスを着た妙齢の女性が……、誰?
「だ、誰かね!?」
「わ、わくっ、和久さん!?」
「へ? わくわくさん?」
和久さんと呼ばれた女性は、プロデューサーを睨みつけるように見ている。
「あの時の言葉は……、何だったのかしら?」
「えっ、あのっ、その……」
「私より彼女を選ぶと言うの?」
「な、何この展開…?」
「プロデューサー、これは……」
「いや、そのですね……」
「Pは誰とキスをするー? わーたしそれともわーたし?」
和久さんは歌いながらこちらへとにじり寄ってくる。夢とはいえ、あまりの超展開についていけなくなる。
「クマー!」
「噴ッ!」
「クマー!?」
「プロデューサーくーん!?」
取り合抑えようとしたプロデューサーくんが和久さんの放ったブーケに吹き飛ばされる。
「もしかして、私以外に好きな人がいたんですか?」
「違うよ! 俺が好きなのは、美穂だけだよ!」
「プロデューサーさん……」
現実では絶対言ってくれないだろうセリフだ。夢の中のお話だけどそう言って貰えただけで、
天にも昇りそうな気持ちになる。
「どうして私じゃなくて、彼女なの?」
自失呆然状態で取り押さえられる和久さん。その表情はとても物悲しげで。
不謹慎だけど、それがとてもセクシーに思えた。
「和久さん。美穂は……」
「私は?」
「俺にとって大切な人なんだ。だから、他の誰かを選ぶなんてできない.。ごめんなさい」
「……そう、私は負けたのね……。お幸せにね」
「ありがとうございます、和久さん」
「私たち、こんな形じゃなかったら、いい友達になっていたでしょうね」
「……はい」
固く和久さんと握手を交わす。
「アーメン! ちょっと変なことになったけど、気を取り直して誓いのキスを」
『チッス! チッス!』
会場の皆が囃し立てて、2人して赤くなる。本当に、私たちはそっくりだ。
「行くよ、美穂」
「はいっ、貴方」
そして2人は幸せなキスを……
ポロッ。何かが落ちた音。
「え?」
「美穂……」
えっと、プロデューサーの、お面?
「プロデューサーかと思った? 残念、小日向パパでした!」
超至近距離に、吸血鬼を追って消えたはずのお父さんの顔が――。
「いやああああああ!!」
~~
「いやああああああ!!」
「あだっ!」
「はぁ、はぁ……夢で良かった……。って何か頭にぶつけちゃった……」
恐ろしい夢だった。それだけしか言えない。
「いたたた……」
「お、お父さん!?」
「お、おはよう美穂……」
「な、なんでお父さんが部屋にいるの!?」
「何でって、美穂が一向に起きないからだよ。時間見てみなさい」
「へ?」
目覚まし時計を見ると、8時過ぎ。飛行機に乗る時間は、9時24分。
「ええええ!!」
「昨日夜更かししただろう? 目覚ましが鳴っていても気付かなかったみたいだし。ほら、着替えなさい。来るまで空港まで送ってあげるから」
「う、うん……」
どうも私は夢の世界に長くいすぎたみたいだ。
「空港までって、プロデューサーは?」
「彼は一度迎えに来たんだが……。美穂が起きなかったんだ。彼まで遅刻させるのも悪いと思って、先に空港に行ってもらったよ」
「そうなんだ……」
それならちゃんと起きるべきだったかな。
「あの夢で起きろって方が難しいよね、プロデューサーくん?」
「」
返事が無い。ただのぬいぐるみの様だ。
実際にはお父さんの変装だったとはいえ、プロデューサーから好きと言って貰えたことは嬉しかった。
「いつか言わせることが出来るのかな……」
そのためにも、もっともっとアイドルとして輝いて、誰もが認める女の子にならないと!
「美穂、朝ごはんはパンを用意しているから。それを持って行きなさい」
「ありがとう、お母さん! それじゃあ行ってきます!」
「行ってらっしゃい、頑張ってね」
次いつ熊本に帰ってこれるか分からない。でもこの町には、私の居場所が有る。
「ビックリしたよ? 美穂の家に言ったら、まだ寝ててさ」
「うぅ、ごめんなさい……」
なんとか予定していた便に間に合って、彼と2人で飛行機に乗ることが出来た。
「でもあんなにぐっすりと寝てて。良い夢見てたかな?」
「良いと言えば、良いんでしょうか?」
「? なんだ? 釈然としないな」
最後の最後で台無しになったから評価するには微妙なところだ。
だけど、和久さんなんてどこから出てきたんだろう……。
「ところでプロデューサーは! 和久さんってご存知ですか?」
「和久さん?」
「はい。名前は分からないんですけど、物憂げな美人です。ウェディングドレスが良く似合う……」
「随分アバウトな説明だな。和久さんねぇ……。俺の交友にはいないな。もしかして」
「もしかして?」
心当たりあるのかな?
「最近ウェディング関連雑誌のCMやってるの知ってる?」
「えっと、最近テレビ見れてないんで分からないです」
忙しくなって露出が増えたがいいものの、そのせいでテレビを見る時間も減ってしまった。
家にいるのは大抵寝るための時間だ。
「忙しいから仕方ないかな? まあもしかしたら、街頭のテレビとかで見たことあるかもしれないけど……。あっ、ナイスタイミング」
「あっ! この人です!」
機内のテレビをつけると、ウェディングドレスを着て、女性向け雑誌のCMに出ている和久さんが映っていた。
確かにどこかで見たことが有るかもしれない。下の方にも和久井留美と書かれている。
あれ? 和久井?
「和久じゃなくて、和久井さんだったね。まぁうろ覚えでしたって話か」
私がうろ覚えだったため、夢の中の彼は和久さんと呼んでいたのか。
「ごめんなさい、和久井さん……」
「名前は知らなくても、顔は知っているって人の代名詞かな。このCMの評判が良くて、和久井さんも売れて来ているんだけど」
「プロデューサーは知り合いじゃないんですね!」
「う、うん。でも同業者だから、何時かは一緒に仕事することもあるかもね」
「良かった……」
予知夢にはならなさそうなので今のところは一安心。
「そうだ、プロデューサー。私のブログ、凄いことになっていました」
「ああ。俺も驚いたよ。あの時間帯で、あれだけのコメント数。今でも増えていってるんじゃないかな? コメント数は……、おお、400超えてる。投稿し始めがピークだったみたいだね」
「な、なんだか実感が湧かないです」
「そんなものだよ。それだけ美穂が注目されているってことだよ。だから自信持って!」
「えっと、そのことなんですけど」
「?」
私は寝る前に考えていたことを彼に話した。コメントに返信するのはどうか? ファンとの交流としては一番手っ取り早い方法だと思っていたけど、
「やらない方がいいと思うな。難しい所だけどさ、10件とかならまだ大丈夫だけど、これだけのコメントを毎回捌くのは相当疲れるよ? 今だってテレビ見る余裕すらないでしょ?」
「それに、ちひろさんがある程度フィルターをかけてくれてるとは言え、どんなコメントが来るか分からないからね。匿名の怖いところで、無責任な発言だってオブラートなしで飛んでくる」
「今はまだないけど、心無いコメントが書かれることだってある。YouTubeの低評価みたいに、ファンがそれに対して怒ってコメントを書いて、マイナスのスパイラルに陥る可能性もあるしね」
やっぱり彼は手放しで頷いてくれなかった。
「そうですか……」
「そう気落ちすることないよ。ファン皆もそりゃ美穂からのコメント返しがあれば嬉しいと思うよ? でも、それよりも彼らが望んでいることは、美穂の活躍」
「トップアイドルを目指して日々頑張ることが、美穂からファンの皆に出来る最高の恩返しじゃないかな? ブログアイドルとかプロブロガーとか言われないようにね」
「私の活躍……」
「そっ。でも、その心意気は大切だと思うな。美穂のそう言うところに、ファンは惹かれているんだよ」
王道に近道なし。ブログでの交流も大切だけど、活躍しなくちゃ本末転倒だ。
「アイドルはみんなの憧れだ。ブログやツイッターの台頭で、その憧れとも気軽にコミュニケーションが取れるようになったけど、その全てが上手くいくわけじゃない」
「実際その手のブログではコメントを載せないってのも多いからね。それを否定するつもりはないけどさ。まぁ難しい所だな」
何が正しいか、私達には判断できない。もしかしたら、この先もっと良いツールや手段が生まれるかもしれないし。
今出来ることは、彼らの声を受けて前に進むこと。
「分かりました。私、直接ファンの声に答えることは出来ないかもしれませんけど、皆の期待を裏切らない様に頑張りますっ」
「いや、裏切っても良いんだよ。より良い結果を出せればね」
「……はいっ!」
小日向美穂、一期一会。私たちはまだまだ、始まったばかり。
続き
美穂「小日向美穂、一期一会」【5】