1 : 矢橋P - 24/10/26 21:37:02 wmzX 1/101千鶴さんの誕生日に投下したSSをここにも投下します
-注意-
・オリジナルPが出てきます
・劇場及び765プロは出てきません。オリジナルの世界観だと思ってください
・このSSは自分がいつも書いてる台本方式ではありません
どうかよろしくお願いします
元スレ
【ミリマスSS】鶴と亀は月夜で踊る
http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1729946222/
この世界は夢を見るのにもお金が掛かる
誰かがそう言った……
カラン、と鈴の音がする
穏やかなある昼下がり。コーヒーを焙煎する煙のせいなのかややすすぼけた年季のある扉を
“二階堂千鶴“はくぐり喫茶店に入店する。
まずは喫茶店のマスターに会釈すると世間話もそこそこにオリジナルブレンドのコーヒーをオーダーする
マスターがコーヒーの焙煎にかかると彼女は空いた椅子に座り店に置いて合ったアパレル雑誌を読み出した
二階堂千鶴にとってはなんてことない、いつもの日常だ
……ただ一点を除いて
「最近のトレンドは長いスカートですのね」
あえて独り言を呟き気を紛らわそうとする
この喫茶店の雰囲気に合わないただ一つの特異点
二階堂千鶴も当然気付いていたが気にする様子もない
いや関わりを持ちたくないというのが正しいだろう
「千鶴ちゃんお待たせ」
「ありがとうございます…………っと!」
マスターが持って来たコーヒーをわざわざ手を伸ばして受け取ろうとし、
あまつさえ手を滑らし危うく落としかける。普段の彼女ならあり得ない行動だった
「危うくマスターが丹精込めて入れてくれたコーヒーを無駄にするところでした……」
「……やっぱり千鶴ちゃんも気になるかい」ヒソヒソ
「……ええ」
「開店して以来あんな客は初めてさ。なんだってうちのような店に来たんだろう」ヒソヒソ
それは一人の客だった
(ロレックスの腕時計にスーツはゼニア……あのGGマーク、ネクタイはグッチですの!?)
ネクタイからスーツまで高級ブランドで固めたその男は商店街の一角にある喫茶店には似つかわしい存在だった
(金持ちの道楽かしら……いい趣味してますわね)
彼女が心の中で悪態を吐く理由。それはその男の格好にある
高級ブランド品を着飾るのは別にいい、問題なのはブランド品を身に纏う……というより見せつけているという感じの着こなし方
パーティー会場ならまだしもこのような場では嫌味にしか感じられなかった
(っと、いけませんわね。気持ちを切り替えないと)
まだ半分しか見ていないアパレル雑誌を戻し別の雑誌に手をかけ……
「あ……」
「……お」
その問題の男の手と交差した
「……どうぞお先に」
「悪いな」
男が雑誌を掴むと自分の席に戻っていった
思わず譲ってしまったが千鶴は驚きを隠せなかった
彼女が取ろうとした雑誌は彼女のお気に入りの雑誌。有名からマイナーまで毎週気になるアイドルをピックアップするというアイドル週刊誌だ
とてもあの男性が読みそうな物ではないと思った
(あの格好でドルオタってことはなさそうですけど……)
やや気になって男に視線を向けてみれば眉を寄せ口元をへの字にしながら雑誌を見ていた
(そんな顔するのなら見なければいいですのに)
千鶴は心の奥底ではアイドルに憧れていた
それを完全に自覚したのは高校生の時だったがもうその頃には夢を追う環境ではなくなっていた
千鶴の実家は商店街に構える精肉店であったが近隣に大型スーパーが現れると一気に経営が傾き、
それを察した彼女は両親に負担をかけぬよう高校を卒業、後短大に入った
大学自体特に特色もなく、大学は卒業した現在は実家のお手伝いをする毎日
たまにの休日でこうやってアイドル雑誌を眺めることしか出来ない
努力も無しにアイドルになろうとは思わない。でもせめて努力出来る機会が欲しかった。環境が欲しかった。それが徒労に終わるとしても
だがお金が無い彼女の家庭事情では到底無理な選択肢だった
『この世界は夢を見るのにも金が掛かるんだからさ』
確かにその通りですわね。誰にも気付かれないくらい小さく千鶴は呟いた
「ほらよ」
そんな千鶴のテーブルに元凶の男がぶっきらぼうにアイドル雑誌を置いていった。どうやら読み終わったらしい
「……どうも」
その態度すら気に食わずかろうじて千鶴がぼそっと呟く
「アイドルってもんはよくわかんねーもんだな」
千鶴への返しかはたまた独り言か。男はそう呟いて会計し店から出ていった
「いったいなんなんですの!」
・
・
・
・
・
「黒月さんどうでした下見の方は」
「あー、酷いなありゃ。見込みゼロだ」
「それじゃあの件は……」
「決まっているだろう、無しだ。まあ……」
「……いや、何でも無い」
・
・
・
・
・
次の日
「それで今日はお偉いさんが来るのですね」
「そうなんだよ、千鶴ちゃんなら大丈夫だと思うけど頼むよ」
今日は二階堂精肉店は一時休業
千鶴とその父親はここ商店街の集会所に来ている
二階堂家だけではない、他の商店街の方々も来ていた
不況な商店街だが手をこまねいていたわけではない。古くなったアーケードを新調し有名所帯とコラボして大々的にアピールする予定だった
だがそれにはお金が掛かる。商店街の少ない売り上げを分け合っても到底足りそうになかった。
そんな折どんな事業でも融資してくれるというファイナンスに懇願してみると一応審査が通ったとのこと
今どき中小企業ですら銀行が融資を渋るこのご時世にあってこんな無名の商店街に融資をしてくれるという
ところが突然そのファイナンスのトップが直々にここへ来るという
「ごめん、千鶴ちゃんしか頼めないんだ。お茶出すだけでいいからさ」
「みなさんの頼みなら断れませんわ」
千鶴がこのような場に呼ばれたのは接待のため……といってもお茶出し係。たかがお茶出し係でも一番若くて綺麗な女性に……
といういじらしい必死さが千鶴にも伝わって来て断れるはずもない
「黒月さん。このような場所に足を運んでいただきありがとう御座います」
玄関が開く音と挨拶が聞こえてきた。どうやらそのトップが到着したようだ
千鶴は集会所の給湯室でお茶を入れ始めた
「ええっ、それは困りますよ!」
お茶をお盆に乗せて部屋の前に来た千鶴の聞いた第一声がそれであった
「あんたらの今回の企画をよく拝見させてもらったが……1200万の価値はない。この融資の件は無かったことにしてもらいたい」
「そんな、土地を担保にするということでそちらに合意して貰ったはずでは」
「こちらの手違いでよく確認していなかったんだ。」
「その土地を昨日見に行ったが、土地の広さはまあいいにしてもこんな寂れた商店街の中にある空き地だとは思わなかった。駅からも近くないときた」
「土地の視察のついでにこの商店街も見て回った。その企画とやらも上手くいくか怪しいものだ。それで融資の価値無しと判断させてもらった」
「困りますよ。もう企画は進んでいるんです。コラボ先にだって……」
「それはそっちの都合だろ。審査の上で判断しますと事前に伝えているはずだ。こちらにも不備があったから俺が直々に通達しに来た。まあ諦めてくれ」
「そんな、どうか。どうか!」
「山川さん!」
緊迫した空気にお茶を出すタイミングを見計らっていた千鶴がもう見てなれないとばかりに飛び出した
「こんな人に土下座する必要はありませんわ」
「千鶴ちゃん」
「お前は……」
「あなたでしたのね……」
千鶴が男を睨み付ける
話しの流れで薄々勘付いていたがやはり昨日の男だった
「山川さん、まだ時間もあります。お金のことは何とでもなりますわ」
「……お前名前は」
「二階堂千鶴ですわ」
自分を見るなりお前呼ばわりで名前も聞いてくる
なんて失礼な人かしらと睨み返すと男はしげしげと観察した後何やら思案しているようで……
「……気が変わった。明日また返事しにくる」
「え」
「時間を取らせてすまないな」
そう言ってその男は帰って行った
「みなさんごめんなさい。差し出がましい真似をして……」
「いいよ千鶴ちゃん。こんなことを頼んだ私が悪かった」
他の商店街の人達も聞きつけていた
「何だあの男は身勝手じゃないか」
「あんな男がトップの金融にお金を借りたくなんてないぞ」
「そうだそうだ!」
・
・
・
・
次の日
またあの黒月がやって来る
ただ相手が指定して来た場所は昨日の集会所ではなく千鶴の実家だった。同席も商店街会長の山川と千鶴の父親そして千鶴しか認めないという
「話し合いの場を千鶴ちゃんの実家にしたということは契約する気などないようですな」
「上等だ、あんな男がトップのファイナンスの融資など誰が受けるか。どうせうちの娘に文句を言いに来るんだろう。追い返してやる」
昨日の話し合いの結果ファイナンスからの融資は諦めるということでみんなは同意していた
ただ当の本人の千鶴は申し訳なさそうにしていた
「来たようです」
その男がついにやって来た
「手間取らせてすまなかったな」
「いえ、……それで融資の話しですがこちら側で話し合った結果皆で納得しました。融資は取り消しで結構です」
「ああ、融資は可能になった」
「え、え……」
「これが契約書だ。金利もこれじゃあキツいだろう。最低金利にしてある、確認してくれ」
山川が目を丸くして確認すると確かに金利も破格だ
「必要なら来月にでも指定された口座に振り込んでおく」
あまりにも急転直下な対応である
「その代わり条件がある。お宅のお嬢さん二階堂千鶴だ」
「……とおっしゃいますと」
「何だと」
「今回の融資、はっきり言って商店街の融資の方はどうでもよいと思っている。まあ額が額だからただポンっとやるわけにはいかないから融資という形は取らせてもらうが正直回収出来なくても構わない。なんなら返済しなくて結構」
「俺が本当に興味あるのは二階堂千鶴だ。勝手ながらお嬢さんの経歴を軽くだが調べさせてもらった。正に俺の求めていた経歴だ」
「ふざけるな!」
激しくテーブルを叩く音がして千鶴の父親が怒気をはらんだ声を叩き付けた
「うちの娘の体が目当てか!」
「はぁ?」
「よくも父親の前でそのようなことが言えたな!」
「はぁ…………」
激怒する千鶴の父親を意を介さず……というより半ば呆れたように頭を押さえる
「お前、馬鹿にしているのか」
「何ぃ」
「なあ、俺達はさっきまで何の話しをしていた?あんた達は俺にお小遣いでもせびりたかったのか」
「数万数十万の話しならまだ分かる。一千万だぞ?あんたの娘さんの体はそんな価値あるのか?髪が黄金で出来てるのか?涙が真珠にでもなるのか?」
「それは……」
「俺はビジネスの話をするために貴重な時間を割いてここに来たんだ。それを体が目当てだぁ?」
「それとも何か、俺を女のためなら一千万も投げ出す色ボケのように映っていやがるのかあんたの目には」
黒月は明らかに怒っていて逆に千鶴の父親を怖気つかせる
だが千鶴は怯まなかった
「侮辱として受け取ってしまったのなら謝ります。ただ貴方の言葉は語弊を招いても仕方ないと思いますわ。先ほどの言葉、あれはどういう意味ですの」
「お前……」
「あなたこそ、私達をおちょくってるわけではないでしょうね」
「まあそうだな。説明が足りなかった」
毅然とした千鶴の態度にふぅ。と一息いれた黒月は落ち着いて説明を始める
「あんた自身に1000万の価値は無いがあんたの人生なら1000万の価値がある。二階堂千鶴の人生のうち、貴重な今の黄金の2年間を1200万で買わせて貰おうじゃないか」
「わたくしの人生2年間!?」
「半分に割って1年間で600万。12ヵ月で割ったらひと月50万の計算だ。なかなか現実味を帯びてきただろう?」
「そうじゃなくて、ちゃんと説明してくださいまし!」
「つまりこういう事だ。2年間の間、あんたは表向きは俺の秘書ということになってもらう。だがそれは仮で裏でアイドルになってもらいたい。俺がプロデューサーになってな」
「アイドルに……」
「詳しく話せるのはこれまでだ。何せ秘密裏なことでね。この後の詳しいことは了承してくれてからだ」
「……普通にスカウトしない時点でまともではなさそうですわね」
「あんたが承諾してくれればこの場で契約成立だ。 時間が無いんだ、この場で決めてもらう」
「千鶴ちゃんこんな奴の話しに耳を傾けなくていいよ」
「よくわからないがあんたの専属のアイドルになれってことじゃないか。そんな戯言に耳を貸すほど私の娘は鈍くないぞ」
「アイドルに興味は無いのか」
「!」
「こんなチャンスは二度と無いと思うぞ。レッスンや衣装に至るまで掛かる費用だって全て俺が出してやる」
「……確かにそれは嬉しい話ですわ。わたくしにはもったいないくらいに」
「ですがあなたはまだ私に話してない部分があるのでしょう?最低限話してくれないとわたくしの人生を譲る気にはなれません」
「……いいだろう。肉屋の娘一人に聞かれても問題はない。ただし話すのはお前だけで他言無用だ山川さんと父親には席を外してもらう」
「いいのか千鶴」
「ここまで来たら話を聞いてみるだけ聞いてみます。もう私も二十歳、自分のことは自分で決めます。お父さんは心配しなくてもいいですわ」
「わかった。だが変なことを言い出したら呼ぶんだぞ」
「これであなたと二人きり。さて話してもらいますわよ」
「まず先に聞いておく、俺のことはどれくらい知っている?」
「あなたのこと昨日商店街のみんなと調べましたわ。黒月光亀(くろづきよしき)、あの大帝国グループの大國チルドレンの一人ですわね」
大帝国グループとは日本でも有数なコンツェルンだ
その総裁が大國大徳。大帝国商事の頃から立ち上げ、今やあらゆる業界に手を広げるまでに成長させた経済界の大物
だが彼は仕事の鬼だったと言われている。今でこそ落ち着いたが20代から60代まで仕事にしか興味が無かったと評判で、
体裁上結婚はしていたが子供はいなかった
そこで大國は自らが吟味し選出した孤児の中から数人養子を取ったとされている
それが通称大國チルドレン。徹底に経営学を叩き込まれていると噂で
大帝国グループの役員入りは確定しており総裁の座もそのうちの誰かが継ぐのではと噂されている
「それくらいは調べたか。俺達大國チルドレンは大帝国グループの傘下の企業のどれか一つを任されている。来る時に備え経営訓練のためにな。俺が担当しているのはお前達が融資を頼んだ大帝国ファイナンスということだ」
「その自己紹介がわたくしと何か関係ありますの?」
「大徳が……名義上は親父になるんだが、そろそろ跡継ぎを決める気になった」
「それって」
「絶対に他言無用だ。マスコミに知られたらどんな騒ぎになるかわからねえ」
「それでな、大國チルドレンの中からも候補を選出するんだが……その選定方法がアイドルのプロデュースってことになった」
「アイドルプロデュース!?どういうことですの……」
「俺も聞きたいぐらいだ。どうも大徳の知己に大手芸能事務所の社長がいてな。そいつからアドバイスを貰ったんだと」
「今から約2年後に裏アイドル大会が開かれる。それに候補者がプロデュースしたアイドルが優勝した場合、有無も言わさず大徳の後継者になれるそうだ」
「お前には俺のプロデュースとしてその大会に出て優勝してもらう」
「裏アイドル大会?また怪しいワードが出てきましたわね」
「そう怪訝そうな顔するな。アイドル界隈じゃ名の知れたちゃんとした大会だ。既に過去に4回ほど開催されている」
「もう有名になった表のアイドルは参加出来ないってだけでそれ以外の出場資格は全く無し。それだけに色んなアイドルが参戦してくる。事務所に所属出来ず独学で鍛えた者。地下アイドルのベテランに不祥事をやらかして表舞台に出れなくなった者など何でもありだ」
「だが審査の方はちゃんとしているらしい。それだけに出来レースなども心配いらないから下手な表のアイドルオーディションなんかよりよっぽど過酷だという声もある」
「この大会に出場している奴らは皆必死さ。表で輝けなかったアイドルの最後の砦なんだからな」
「実際その大会で名を売ってスカウトに来ていたプロデューサーと交渉し大手芸能事務所に入った奴もいる」
「そんな大会に私が……ですが何故わたくしなのですか。私以外にも適任者がいるのではなくて?」
「今回の試験、大徳が条件を出した。”プロ”はプロデュースしてはならないとな」
「一回でも事務所に所属していては駄目、バックダンサーであろうともステージに一回でも立った者は駄目、ダンススタジオに一回でも通った者も駄目、有名なアイドルやコーチに一回でも指導受けた者も駄目だ」
「要するに真っさらな素人でなければ駄目なんだと。才能ある奴をスカウトして優勝してもそれでは俺達のプロデュースの意味が無い。ただそいつが才能あっただけだ。それじゃただのスカウト勝負だ」
「ずぶの素人を俺達が何処までアイドルを、ひいては人間を何処まで育てていけるか。それが課題の要諦だからな」
「つまりわたくしはずぶの素人だったから選ばれたということですの?」
「気を悪くしたか?事実だろ」
「いえ、むしろ安心しました。わたくしのことを全く知らないあなたが 君には才能がある! とおだててくるよりよっぽど健全ですもの」
「俺がお前に求めているのはアイドルになりたいのかどうか。その一点だけだ」
「さて、話すことは話した。答えを聞かせてもらおう」
「………………」
目を閉じて千鶴はじっと考える
「……いいでしょう。わたくしの人生のうち2年間貴方に任せます」
「決断が早いのは好印象だ。うまくやっていけそうだな」
「最後に一つ、2年間って取り決めは本当でしょうね。後で変更とか浅ましい真似は無しですわよ」
「裏アイドル大会までの関係だ。大会が延期にでもならない限りあり得えねえよ」
「逆に言えば大会が終わったら縁も切れて言葉通り”元の木阿弥”ってわけだが、まあその後も少しは弁を計らうつもりだ。アイドル業界に残りたいのなら多少は口利きもしてやる」
「……実のところ裏アイドル大会まで2年切っている。そんなこと気にしているうちにあっという間に過ぎるぞ」
「本格的に始めるのは2週間後だ。こちらにも準備があるからな。準備は今のうちに済ませておけ」
「心の準備……ということですの」
「それもあるが引っ越しの準備もだ。レッスンスタジオ近辺のマンションの1室を既に確保している。家電等も準備してあるから衣類と身の回りの物だけでいいぞ」
「そんな急に……。自宅から通勤では駄目ですの?」
「移動に割く時間も惜しいんだ、通勤時間を金で買って貰ったと思って我慢しろ。それに表向きは俺の秘書ってことになるんだ。商店街から通勤するところを他の誰かに見られも困る」
「……わかりました。地方から上京してアルバイトしながら続けるアイドルだっているのですもの、恵まれすぎですわね。文句を言ったら怒られそうですわ」
「当たり前だ。金で解決出来ることはこちらでやる。だから……期待を裏切るなよ?」
黒月が手を差し出す
それは表面だけの契約的なものだとしても……
「ええ、よろしくお願いしますわ」
千鶴は手を差し出し握手を交わした
・
・
・
・
・
・
それから2週間後。千鶴は指定されたマンションの引っ越しを済ませたその日、部屋に黒月が来訪。色々な契約の説明と今後の打ち合わせだ
明日には激しいレッスンも始まる
「さて、明日からレッスンが始まるがその前に俺のプロデュース方針を伝えておく」
「必要あるんですのそれ」
「大事なことだ。いいか、俺達はゼロからのスタートだ。追いつくために明日から猛特訓してもらうが……それでも基礎的な部分は普通のアイドルより劣ると考えておくべきだろう」
「それはそうですわね」
「それで他のアイドルと少しでも差別化するためにも個性が必要だ。俺の考える二階堂千鶴のアイドル像はセレブアイドルにしようと思う」
「セレブアイドル……って今のわたくしにはふさわしくありませんわ!」
「何故そう思う?」
「貴方はそうかもしれませんがわたくし自身はセレブではありませんもの」
「そうか?初めてあった時からずっと思っていたが身なりや仕草を見るに資質十分だぞ?」
「あなたに言われても嫌みにしかならないですわね」
「まあ偽りだとしても、アイドルを言い換えれば偶像だ。偽りで結構じゃないか」
「セレブアイドルに恥じぬよう、俺が潤沢にお金とコネを使ってプロデュースする。あながち間違いってことでもないだろうよ」
でもそれは……という言葉を千鶴は口をつぐんだ
「ですが何故セレブアイドルに?」
「去年の裏アイドル大会の様子を見たんだがな。SMSで100万人の支持を受けているパフォーマーが出場したんだ。当然優勝候補だったが結果は散々だった」
「その原因を考えたが俺の考えは審査員の好みだな。この大会の審査員の方々がなかなか硬派なようでな」
「知名度や大衆受けのする流行りのパフォーマンスより地に足を着けたアイドルとしての実力を重視しているようだった」
「でしたらなおさらセレブアイドルなんて辞めた方がよろしいのではなくて」
「無論、方針に頼ってアイドルとしての実力をおろそかにするつもりはない」
「先ほどのパフォーマーが失敗したのは観客に媚売るような真似をして肝心のところをおろそかにしたところにある」
「俺達はアイドルとしての歌やダンスもこなした上で他の裏アイドルでは出来ないセレブリティを見せ付けるんだ」
「それに今は公表しないが、お前はいずれ大國チルドレンの俺がプロデュースしているアイドルって箔が良くも悪くも付いて回るんだ。どうせそれなら最大限に利用してやろうじゃないか」
「……貴方はわたくしのプロデューサーですわ。貴方がそうおっしゃるならそれに従うまでです」
「……なんだか不服そうだがまあいい。それとこれがこれからの給料明細」
「給料明細……って60万円!?」
「一応表向きでも秘書ってことになっているんだから給料は出さないと駄目だろうが」
「で、ですがこんなに必要ないですわ!」
「専属の秘書を安い給料で使ってるとなったら俺の面子に関わる。裏アイドル大会で優勝しても報酬は出ないしな。報酬の前借りと思って受け取っておけ」
「はぁ……」
「移動等の経費もこちらで落とすからな、領収書だけ残しておけ。だいたいこんなところか……」
「一つだけ、お聞きしたいことがありますの」
「ん、何だ」
「その……裏アイドル大会で優勝出来なかった場合はどうなります」
「……ああ、俺のプロデュースが主体でやってるんだ。裏アイドル大会で優勝出来なかったとしても俺のプロデュースが悪かったってことだ。お前の責任じゃない。俺の指示通りに動かず裏切ったってんなら話は別だが」
「だからそのことを気にする必要はない。……明日から忙しくなるぞ今日は早く休め」
そうして次の日から千鶴がアイドルになるレッスンが開始された
「はい、そこもう一度!」
「わかりましたわ」
「そこのところは基礎中の基礎だからね。今のところを良いっていうまで今日は終わないよ」
それはレッスンというより猛特訓といっても差し支えないもの。もちろん千鶴も生半可なものではないと覚悟はしていた
だが初日から朝の9:00から夜の19:00まで所々休憩を挟むとはいえぶっ通しでのレッスンは慣れていない千鶴中々堪えるものだった
「今日はここまで。まだまだだから自主練もやってね」
「お疲れ様でした。またお願いしますわ」
コーチに挨拶をしレッスン後にシャワー浴び着替えてレッスンスタジオから出ようとした頃には30分も回っていた
「それにしても……あのプロデューサーは……」
千鶴が悪態吐きたかったのはレッスン内容ではない。黒月のことだった
結局レッスン中一回も顔を出さなかったのだ
(...いえ。あの人は本業もあります。私に構ってる余裕なんて無くて当然ですわね)
授業参観に来て欲しいとねだる子供じゃあるまいし。と自分に言い聞かせ気持ちを切り替える
(それよりご飯をどうしましょう。疲れて自炊する気力もないですわ……仕方ありません近くで適当に済ませて……)
晩御飯のことを考えることに脳を働かすことすら億劫だったが、明日のことを考えれば何か腹に入れなければ明日体が持たない。そう思い明日レッスンスタジオを出ると。目の前の道路に停まったフェラーリが目に止まった
「おう、初レッスンどうだった」
東京の市街地とはいえ見慣れぬ車に面食らっているとフェラーリの窓から黒月が顔を出す
「乗れ。まずお前のマンションに行って荷物を置きに行くぞ」
言われるがままに黒月の車に乗る
「はい。……待っていたんですの?」
「さっき着いたばかりだ。自分の仕事終わらせてきて真っ直ぐ向かったからな」
黒月の運転で千鶴のマンションに向かう
レッスンスタジオと千鶴の部屋のあるマンションは近く車なら5分とかからない。マンションにはすぐ到着した
「部屋に荷物降ろしたら後部座席の後ろにあるドレスに着替えて降りてこい。一緒に飯食いに行くぞ」
後部座席には高級そうな紙袋の中に真紅のドレスが入っていた
気付いてみれば黒月もこないだとは違う高級そうなスーツを着ている
「こんなのいつの間に……」
「セレブアイドルを目指すんだ。そのドレスぐらい着こなせないと話しにならないぞ。今のうちにそれを着て慣れておけ」
「心遣いは嬉しいですが、明日もレッスンがあります。あまり食事に時間をかけるのも……」
「明日は祝日でレッスンは休みだ。少し遅くなってもいいだろ」
「そういえばそうでしたわね」
(あまりにも疲れていてそのことを失念していましたわ。……まさかそのことも想定していたんですの)
ドレスに着替えた千鶴と黒月はとある高級そうなフランス料理レストランに来た
連れられて来なければ玄関のマットを踏むことすら無かったであろう店だ
「あわわわ……」
「落ち着け。別に誰かと会食するわけじゃないんだぞ」
「で、ですがここの空気を吸うだけで震えが止まりませんわ……」
「とにかく慣れろ……お、料理が来たぞ。前菜はホタテにアスパラか」
「飲み物は……ワインは飲めるか?俺は運転があるからアルコールは飲まないが、最初にブルゴーニュのワインってのはなんだな。チリ産の若いワインなんかどうだ」
「はいい……」
(もう何でもいいですわ……)
千鶴はたどたどしくも料理を口に運ぶ。料理は思いの他美味しかった
「……見事だ」
「え」
「合わない合わないと言いながらテーブルマナーは完璧じゃないか」
「……独学ですが勉強しましたので」
「俺の場合、そう簡単じゃなかったんだがな」
「俺の場合?」
「何でもない。魚料理が来たようだぞ」
「これはムニエルですか。魚は……白身魚みたいですけど」
「舌平目だ。特にドーバー海峡産が有名でフランス料理じゃ魚の女王と呼ばれて欠かせない魚なんだ」
「ヒラメですのね……あ、美味しい」
「舌平目も知らないようじゃ他の人にフランス料理を食いつけてると言うことも出来ないぞ」
「!!」
「食事一つ取っても勉強だ。まあ堅く考えず一つ一つ学んでいけ」
(そのためにわざわざこういう店で食事を……)
「俺も自分の仕事があるからレッスンには顔を出せない。が、ディナーの時間なら何とかなる。時間が合えば食事ぐらいは付き合おう」
「メインが来たな。メインの肉料理は雄鶏か、ソテーなのか煮込みか楽しみだな」
(結局それからもプロデューサーはレッスン中に顔を出すことはありませんでした)
(ですが晩の食事の時、時間が合えばわたくしと付き合ってくださいました)
(二人きりのディナーの時だけが彼と私が交流出来る場になりましたの)
・
・
・
・
・
「明日のレッスンは休みだ、俺とバレエを見に行くぞ。有名なバレエ団が来日しているんだ」
あれから2ヶ月。黒月が突然言い出したのは千鶴もようやくレッスンにも慣れて少し余裕が出てきた頃だった
「また貴方は勝手に決めて……」
「取引先に前から見てくれとチケットは貰っていたんだがペアチケットでな」
「一人じゃ行けないからわたくしが居るうちに見に行こうってわけですの」
「そんなところだ。17時半頃に迎えに行く」
その日の夜千鶴と黒月はバレエ公演が行われるコンサートホールに居た
おそるおそる触っていたドレスも大分慣れてきた
場違いさを感じる空気から発せられる息苦しさもようやく圧し殺せるようになってきた
「今日観るのはロシアのバレエ団ですのね」
「フランス、イギリス、ロシアのバレエ団が世界三大バレエ団なんだと」
「個人的にロシアという国はいけ好かないんだが……まあ本場のロシアバレエとはどのようなものか。お手並み拝見だな」
(この人は……随分上から目線ですこと)
呆れつつも少し胸を高鳴らせる
千鶴は密かにこの公演を楽しみにしていた
そんな気持ちを察したのか照明が落とされる。舞台が始まろうとしていた
「……良かったな」
公演を見終わりコンサートホールから出た二人はしばし無言だった
公演前の上からの態度は何処へやら
どうやらすっかり圧倒されてしまった黒月がぼそりと切り出した
「……正直ストーリーは完全には理解出来ませんでした。そもそも言語もロシア語でしたもの」
「ですがあの方々はすごく練習なさったんでしょうね。意味がわからなくとも人間にあれほどの感情があるのか。と思わされましたわ」
「”人の心を動かすのは言葉ではない、心だ” 正にその通りだった。誰だったかの偉人の台詞の受け売りだがな」
「たとえ言葉が分からずとも心が伝われば相手の心に響かすことが出来るんだな」
「音楽といい芸術といい文化とはすごいものですわね」
「歌やダンスもだ。お前の目指すところも同じだぞ」
「ええ。わたくしもあのバレエ団のように人の心を動かすアイドルになりますわ!」
それから1週間も経たぬ頃
千鶴と黒月はいつも通り今回は有名なパスタ料理屋で素早くディナーを済ませて帰りの車を走らせていた
車内をクラシックの音楽が満たす
千鶴はそれはラジオ放送などではなく自前のCDによるものだと気付いた
「この曲はモーツァルトですわね。この前はベートーベンでしたしクラシックが好きなんですの?」
「別に好きでもない。大徳がな、一流になりたければ一流の物に触れる事だ。って言ってて聴いているがさっぱり分からんな」
「でも世界が認める音楽ですもの。わたくしも音楽に造詣が深いわけではないですけども何か心を打つものがありますわ。こないだみたいに」
「確かにな。……まだ20時過ぎか」
「お前のマンション、一つの部屋空いてたよな」
「ええ、無駄に広いおかげで空いてますわ」
「帰ったらそのスペースで一緒に踊らないか。そんな気分なんだ」
「貴方とダンスを?」
「嫌か?だが今後二人でパーティーに出た時に社交ダンスを披露せざるを得ない場面も出るかもしれないだろ」
「いえ、いきなり言われて驚いただけですわ」
「でもまだまだ未熟な卵とはいえアイドルにダンスを持ちかけてくるなんて大胆ですのね。ネクタイ締めたサラリーマンが踊れるんですの?」
「その台詞そのまま返すぜお嬢さん。踊っている時はプロデューサーだとかアイドルだとか立場は一切無しだ俺はジェントルマンで」
「わたくしはレディですわね。ふふっ」
・
・
・
「今日はここまでにしよう。それにしても久しぶりに汗をかいたな」
(負け……ましたわ。まさかダンス技術で打ち負かされるなんて)
「ダンスお上手ですのね。意外でしたわ」
「社交儀礼といった類いは徹底的に叩き込まれたからな。社交ダンスもその一貫だ」
「お前は二人のダンスに慣れてないだけだ。半年もあればお前の方が上になるだろうさ」
(と言ってくださいましたがプロでもない方に負けるなんてわたくしもまだまだひよっこですわね。もっと精進しないと)
・
・
・
・
・
・
それから5ヶ月後二人は高級フランスレストランに居た
千鶴と黒月が初めて食事をしたあのレストランだ
ただ今回はあの時より大きなテーブルに座っていた
「今日お会いする方はどんな方ですの?」
千鶴と黒月が契約を交わして7カ月。裏アイドル大会まで残り1年半は切っていた
千鶴を秘書扱いにして秘蔵にする期間は終わり、
いよいよ千鶴を大國チルドレンの黒月がプロデュースするアイドルだと周りに認知させるフェーズに入っていた
こうして会食し千鶴を紹介する。要はやや大げさなアイドル営業である
すでに何回か行っていて千鶴も慣れてきたところだ
「今日会う奴は俺と同じ大國チルドレンだ」
「ご友人ですの?」
黒月の言葉にやや砕けたニュアンスを千鶴は感じ取った
「……同じ孤児院出身でいわゆる同じ釜の飯食べた仲というやつだ」
「ならもう少し嬉しくなさった方が良いですのに……」
「同じ大國チルドレンという事は裏アイドル大会のライバルって事でもあるんだぞ。にこにこ出来るか」
「今日はあいつがプロデュースしているアイドルも一緒にやってくる。つまりお互いアイドルの顔合わせでもあり宣戦布告でもあるってわけだ」
(わたくし以外のアイドル……)
「相変わらず早いね黒月」
「お前がのんびりなんだ藤堂」
どうやらその人物が来たようだ
黒月の友人藤堂は腰は柔らかそうな印象を受ける好青年だった
「おや、君が黒月がプロデュースしているアイドルだね」
「初めてまして、二階堂千鶴と申しますわ」
「はいほー!」
「は、はいほー?」
「素敵なお嬢様でわんだほー!なのです。黒月さんにとってもお似合いなのですよ」
「僕からも紹介するよ。徳川まつり、僕がプロデュースさせてもらっているお姫様さ」
「お姫様ぁ?」
黒月は面食らったようでガタッと席を揺らす
「そうなのです。まつりは姫なのです。よーくお見知りおきを、なのです」
そう言ってまつりは長いスカートの裾を摘まんでお辞儀をする
まつりの格好は一般的なすらっとドレスではなくスカートがふんだんにふわっとした正にお姫様のようなドレスだった
頭には可愛らしいリボンも付けている
「お姫様ねぇ」
黒月は訝しげな表情でまつりを見つめる
「ほ?何かまつりに気になることでもあるのです?衣装もメイクもバッチリなのですよ」
「どこかの国のお姫様……ってわけじゃないよな。名前が日本人のそれだ。お姫様とは言うが一体どこのお姫様なんだ」
「ちょっと、失礼ではなくて!」
急いで諫めようとした千鶴にまつりは微笑みながら いいのです と伝えるようにジェスチャーを送る
「黒月さんの言うとおり、まつりはどこかの国や特定の人だけの姫ではないのです。まつりはみーんなの姫なのですよ」
「みんなの姫?」
「まつりを見てくれる人、応援してくれる人。その人達の心の姫になれるように頑張っていますが姫はまだまだ修行の身なのです」
「だから彼女はアイドルという道を選んだんだ。僕はそのお手伝い」
「……そうかい」
「黒月さんや千鶴ちゃんの心の中にも残ってもらうのですよ。ね?」
そう言って軽くウインクした
(すごいですわ……)
千鶴は心の中でまつりを驚嘆していた
ここまでの一連の流れで明らかに猜疑な目を向けられてもまつりは一度も戸惑うことも無かった
むしろ堂々と胸を張ってるようにすら思えた
その仕草一つ一つが千鶴には羨ましかった
「挨拶はその辺にしてせっかくの食事なんだし楽しく話そうよ。黒月にも会うのは半年ぶり以上なんだからさ」
「そうですわね。ここの店は魚や野菜も美味しいですわ。おすすめは……」
「千鶴さんはここの店にだいぶ食べ慣れてるみたいなのです。セレブでびゅーてぃほーなのです!」
(そう思えてもらえるのなら嬉しいですわね)
その後の会食はつつがなく終了した
千鶴はすっかりまつりと打ち解けて連絡先を交換した
黒月はというとまつりをじっと観察していたかと思えば何やら思案していたようだった
「いい人でしたわね。藤堂さんもまつりさんも」
帰りの車の中千鶴は晴れやかな気分だった
こんなに楽しい会食は初めてだ
「何のんきな事言ってるんだ。徳川まつり、ありゃただ者じゃないな」
「食事中ずっとまつりさんのことばかり考えていましたよね?バレバレでしたわ」
「……藤堂のやつめ。あんな逸材どこで見つけてきたんだか。あれで素人ってんだから末恐ろしい」
「そこまで言うほどですの」
「これも受け売りだがな」
「よく人前では偽りの仮面を被っていて、 『人前の私は本当の私じゃないの。誰か本当の私を見て!』 って展開、漫画やドラマであるだろう?」
「ありますけども」
「あれは間違いだな。いや逆だと言った方が正しいか」
「人間というのは一人でいる時こそ何にでもなれるんだ。それこそお姫様でもヒーローでもな」
「わかりやすく例えるなら、誰でも一人部屋に居る時なら嫌いな人間に偉そうな態度で大声で悪口だって言える。だが、じゃあ本人を前にした時に同じ態度で悪口を言えるかといえばそういうわけではないだろう?」
「人助けだってそう、妄想の中なら目の前で子供が殺人鬼に襲われていたとして俺はたとえ命を投げ出しても助ける!って思えるが本当にその場面に出くわしたとして妄想通りに実行出来るかどうかは別だ」
「人間の真価……というか本性が表れるのは誰も見ていない時じゃない。あくまで他の人間を前にした時なんだ……って俺は教わった」
「俺は最初まつりにカマをかけたつもりだった。姫が本当かキャラか、そんなことはどうでもいい。あいつは姫を貫き通した、一切戸惑うことも無く」
「それが出来る精神力、信念。とんでもない女だぞあいつは」
「そんな人がわたくしのライバルなんですのね」
「ふん、だが心配ない。他はともかくお前とまつりが比べられた場合勝つのはこちらだ」
「そう決め付けるのは早くありません?慢心ですわよ」
「確かに徳川まつりは大した女だ。だがキャラ付けが致命的だ、姫キャラにしたのがあいつの失敗さ」
「まつりの姫キャラは大衆受けは良いだろうよ。配信とかで有名になりたいなら効果的かもしれん。だが裏アイドル大会の審査員の方々はそんなあざといようなアイドルは掃いて捨てるほど見てきてるんだ」
「逆にこちらは他が真似をしたくとも出来ないセレブアイドル。どちらがいいかは明白だ」
「裏アイドル大会に限ってはあの姫キャラは失敗さ。クク……藤堂のやつも肝心なところで一手を間違えたな」
この頃から千鶴には黒月のズレに気付き始めた
・
・
・
・
・
・
・
「いよいよだな」
「ええ」
それから4ヶ月後。遂にステージに立つ時がやって来た
裏アイドル大会までもうすぐであと1年といったところで前哨戦が行われることとなったのだ
それは大國チルドレンのプロデュースするアイドルだけのアイドルパフォーマンスバトル
観客も大帝国グループの人間と招待客だけ
いわば後継者争いの中間報告のようなものだった
「ここで勝てば大きなアピールになる。大事だぞ」
「期待に応えて見せますわ」
千鶴は毅然として答えるものの宣伝のため小さなステージで踊ることはあったがこんな大きなステージは初めてだった
内心震えがないわけではない
「心配するな。お前はもう9ヶ月前のアイドルに憧れるだけの女じゃない。俺の自慢のアイドルだ。胸を張れ」
それは表面上のお世辞文句か
いや黒月なりのエールだったのだろう
たとえ利害目的があったとしても背中を押されたような気がした
「では行ってまいりますわ!」
レッスンを始めて11ヶ月。もう千鶴はずぶの素人ではなかった
努力は裏切らない。千鶴は勝ち続け、決勝まで足を進めた
決勝戦最後は1対1の一騎打ち。そして相手は……
「よろしくお願いしますなのです、千鶴ちゃん」
「ええ、お互い良い勝負にしましょう。ですが負けませんわよ」
「まつりも最後の相手は千鶴ちゃんじゃないかと思っていたのです」
「気分はめらめらなのです。……でも千鶴ちゃんなら負けてもくいはないのです」
「わたくしも同じですわ」
この二人がぶつかるのは偶然か必然か
お互い認め合った者同士、最後の舞台に足を踏み入れた
…
「くそっ!何故負けたんだ」
結果は……千鶴の負けだった
千鶴に落ち度は全く無かった、ただまつりが千鶴のはるか上をいったのだ
「そんなに悔がっても心が荒れるだけですわ」
千鶴とて悔さがないわけではない。
だが誰よりもまつりのパフォーマンスを隣で感じていたのだ
あのパフォーマンスなら自分が負けたのも納得であり
自分もああ成りたいと焚きつけられた思いだ
「優勝は逃しても2位にはなれたでしょう。充分アピールにはなったはずですわ」
「あんな奴ら相手に勝って2位なんて取れてもちっとも嬉しくねぇ」
「それより徳川まつりだった。何ならそいつに勝てれば1位でも2位でもなくてもよかったぐらいだ」
確かに他を破り快進撃を続けた千鶴だったが正直他の候補アイドルはまだ拙いところが見受けられた
大徳が出した条件、プロを用いてはならない というのが響いていた
中には即席であったのかプロデューサーとうまく連携取れてないアイドルさえもいた
聞けば大会の途中から優勝争いは千鶴かまつりかとささやかれていたという
「藤堂には……あいつには負けたくなかったのに……!」
ここで千鶴は黒月が悔しがる理由に個人的な感情も含まれているのも感じた
同じ孤児院出身で同じくして大國チルドレンに盛り立てられ何かと比べられてきたのだろう
「やつのプロデュースの方針が正解だったのか、俺のプロデュースが間違っていたっていうのか!」
(この人は……)
悔しさで荒れる黒月だが千鶴を責めることはない
だがそれも黒月のプロデューサーとしてのズレを広げている
千鶴は意を決して言った
「それは間違いですわ!」
「なっ」
「あなた言いましたよね、“人の心を動かすのは言葉ではない心だ“まつりさんこそ正にその通りですわ」
「あなたはまつりさんを姫キャラと言って馬鹿にしていましたけど彼女の言動が真実かどうかなんてあの場では意味のないことですわ」
「彼女はその心でその存在を示している。それが言葉やパフォーマンスに現れ人の心を打っているんですわ」
「わたくしだって同じ……。どんなに高級なドレスを着飾ってもそれに相応しい心がなければ……人の心を打つことは出来ません!」
「!!」
「今回はわたくしの基礎的な実力が至らなかっただけですわ。また次に向けて頑張りましょう」
「ああ……」
千鶴勢いに押されたのか
いや、千鶴の心に圧倒されたのか
黒月は力無く呟く
「また何かあったら連絡する。……今日はしっかり休め」
あれから1週間、黒月から連絡は1回も来なかった
元々連絡や打ち合わせや確認、そして恒例のお食事のお誘い以外には電話が来ることは無く
二日、三日ぐらいなら電話が来ないことは珍しいことではない
だが1週間となると……流石に不安になってきた
「まさかあの人に限ってショックで寝込んだ……ってことはないでしょうけど」
そろそろ電話の一本でも入れた方がいいですわね
そう思いレッスンを終えてスマホを確認した千鶴に不在着信が届いていた
「もしもしお父さん。え、ニュースを見ろって……」
父親にせかされてスマホをスクロールしてみると
『大帝国ファイナンスで不祥事発。大帝国グループはそれを受けて代表の解任を発表』
……
それから3日後
黒月は日が落ちて真っ暗になった自分の事務所のデスクで一人佇んでいた
今日で残務処理は終わった。明日からここに来ることはない
そもそもしばらく営業停止なのだから数週間空くだろう
そんな事務所に残っていても意味はないのだが自宅に帰る気も起きなかった
結局自分はこの地位が全てだった
いや黒月光亀の存在意義そのものがこの地位だったのか
ここを離れたらもはや自分に残ったものは何も無くなってしまいそうで
千鶴からは何度も着信が来ている
話さねばばならぬことはあるのだが電話する気が起きなかった
どういうわけか今夜は月が大きく月明かりがデスク鮮明に照らす
今日一日はこのままここにいるのもいいかもな
そんなことを思った瞬間事務所の扉が開いた
それすら気にかけることもなく一瞥だけすると
「探しましたわ」
千鶴がそこに居た
「俺を嘲りにきたのか」
「そんなことをするためにわざわざここまで来ると思いですの」
「そんなわけないか。すまん失言だった」
黒月の悪態にも千鶴は真剣な顔で返す
どうやら逃げることも出来ないようだな。黒月は向き合う覚悟を決めた
「もう知ってるだろ、俺は終わった。後継者争いどころか大國チルドレンとしてもな」
「あの不祥事、あなたが考案したんですの?」
「俺が主体となったわけじゃないが……関わってた以上同罪だ」
「元々この大帝国ファイナンスは俺が就任した時点で経営が傾いていてな。どうにかするために色々やった。今回の不祥事もその一つ」
「俺達大國チルドレンは成果を上げなきゃいけなかった。認めてもらえなければまた……元通りだ」
「あなたも同じだったのですねわたくしと」
「格好もゴテゴテの高級ブランドで着飾って、言葉は他人の受け売り」
「とにかく舐められないように、元の孤児だった自分を覆い隠そうと必死だったのですね」
「……そうかもな」
「それで、もうお前のプロデュースは出来ない。契約では2年だったのに悪いな」
「そのことですけど……」
そう言って千鶴はつかつかと黒月に歩み寄る
その表面には不適な笑みのようなものさえ感じた
その態度に押されたのか黒月が思わず後ずさる
それを見て僅かに微笑んだ千鶴は札束が入った紙袋をデスクにドカッと置くと
「買いましょう。あなたの1年間600万円で」
その時月明かりが千鶴の顔を照らした
その時黒月が今まで千鶴を見たなかで一番美しい顔だった
「まあ冗談ですけども」
ふふっと微笑んだ千鶴の顔はいつもの優しい顔に戻っていた
「どういうことだ」
「私はまだあなたに私のプロデューサーでいてほしいと思ってます」
「俺にはもう何もないぞ」
「あなたの着飾った部分なんてこれっぽっちも評価してないですわ」
「それよりあなたは密かに私のことを気遣っていてくれたこと。そのことの方が嬉しかったですわ」
「…………」
「ここにある600万だってあなたが私に与えてくれた給料です」
「お前……給料に一切手を付けてなかったのか……」
「これはあなたを買うために使いませんわ。これから何かと物入りでしょう」
「ははっ、今の俺にそんな価値ないからな。当然だ」
「……ねえ。ちょっとそこで踊りませんこと?」
「奇遇だな。俺もそう思ったところだったんだ」
会議室の机を片付け、そこの空いたスペースで二人は踊った
あえて灯りを付けず月明かりをスポットライトにして
「そう言えばどうしてここに俺が居るってわかったんだ」
「まつりさんに連絡したら藤堂さんに教えてもらいましたわ」
「あいつめ……」
「おや、そこのステップが遅いですわね。ちゃんとエスコートしてくださいまし」
(前に踊った時より数段上手くなっている。もう俺より上か)
(俺は自分の担当しているアイドルの成長にも気付けていなかったのか。はっ、こりゃ藤堂に勝てないわけだ)
「なあ……もう一度お前のプロデュースさせてもらえないだろうか」
「ええ、喜んでお受けします」
この日の夜から二人は本当の意味で一緒に歩み始めた
……
「今のダンスどうです、プロデューサー」
「いいんじゃないか?」
「曖昧ですわね。本当にわかっていらっしゃるの?」
「仕方ないだろ。こっちも一から勉強しているんだよ」
ここは商店街にある小さな会館、今はここが千鶴のダンスレッスンの場だ
あのマンションは引き払い千鶴は実家に帰ってきた
「この本によるとだな……」
黒月は積み上げられた本の中からダンスの本を眺めながら言った
「そのたくさんの本はどこか持ってきたんですの?」
「昨日藤堂に頭下げに行ったらニコニコしながらこれを全部押し付けてきやがった」
「一からプロデューサーとして出直すんならこれ全部覚えてこいってよ」
「藤堂さんは独学で勉強していたんですのよ。プロデューサーも覚えないと同じスタートライン立てませんわよ」
「うぐっ……まあ頑張るか。時間はあるしな」
「その時藤堂が今度まつりとボイスレッスンを一緒にやりたいと言って来たんだが……“千鶴“はどうする」
「この会館には音響設備がありませんからありがたいことですわ。是非丁重に了承してください」
あれから黒月はお前呼びから千鶴呼びになった
千鶴も今さら変えられても慣れないとも思ったが本人の意識の問題なのかもしれない
「まずは目指せ裏アイドル大会ですわ!」
「ああ、そうだな」
かつては黒月の個人的な理由のためだけにに目指していた裏アイドル大会
今ではちゃんと二人の目指す目標になっていた
そしてそれが単なるゴールでもないことも……
鶴と亀は月夜で踊る -完-
102 : 矢橋P - 24/10/27 11:28:12 wE5w 101/101後書き
元々このSSとあるリクエストを受けて考えたものです
自分は普段ミリオンライブ×パワポケのクロスSSをメインに書いてますが
オリジナルの作品がみたいと書き込みがあったのでオリジナルの方向で考えました
メインのクロスSSの方はプロデューサーが出てきません。それは自分の書きたいものがPドルではないからでした
なら思っきしPドルを書いてみたらどうなるか?…………まあこうなりました
ここまでまとめるのに約1年かかりました
自分の思想もちらほら出ていますし、もう書かないかもしれませんね
あと自分がここで上げたSSの中では三作品目にしてようやく担当を出せました
担当を自分の作品の中に出せるっていいものですね
最後にこの物語の世界観は自分のメインのSSと世界観は繋がっています
この二人の未来もまたいずれ
どうもありがとうございました