春色の風が吹いています
高校を卒業して、少しだけ大人になった私の頬を優しくなでながら
咲き始めた桜と、18歳になったばかりの私
6年前、まだ小さかった私と、小さかった765プロ
少しだけ思い出してみますね
あの日から始まった、私と、大切なみんなとのお話を
みなさんにも、ちょっとだけ……
元スレ
やよい「タッチ・マイ・ライフ!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1440858382/
「高槻やよいでーっす!私、みんなを笑顔にできるようなアイドルになりたいです!」
今日と同じように春色の風が吹き込む事務所で、私は宣言しました
「お、パワー全開って感じだな」
「はい!元気だけが取りえですから!」
いまは……
あんまり変わってないかもです……
「苦労することも多いだろうけど、一緒にがんばろうな!」
そう言ってくれたあの人
ホントは不安でいっぱいだったってことは、何年も後になってから知りました
だけどそれはお互い様ですよ?
「趣味は何かな?」
「えっと…野球観戦とオセロです!」
「野球観戦かぁ。好きなチームは?」
「ロッテです!応援歌とか歌えるようになれたらなーって」
「ロッテかぁ。そうだな。応援歌、歌わせてやりたいな」
応援歌…とまではいかないけど、ロッテの選手がヒットを打ったとき、私の曲を使ってくれるようになったんですよぉ!
初めてスタジアムで聴いたときは泣きそうになっちゃいました!
「だけど私、ちゃんとやっていけるのかな…ダンスとかしたことないし……」
お父さんとお母さんの力になりたい!
って思いで応募して765プロの候補生になれたんですけど、やっぱり不安でした
だけどそれを聞いたあの人は
「大丈夫!他のみんなも新人だし、俺も新人だから!」
って言いました
自信満々で言うことじゃないですよね……
私じゃなかったら帰ってるかもです
「そういえば、妹と弟がたくさんいるんだっけ?」
「あ、はい!妹が1人と弟が3人です!」
かすみ、長介、浩太郎、浩司
それから、あのときはまだ生まれてなかった浩三
いつも私を元気にしてくれる、大切な妹と弟たちです
「賑やかそうで羨ましいよ。俺は一人っ子だったから」
「だけど、一度に泣き出したときとか大変なんですよぉ?」
それから倉庫に隠れたり
ね、高槻長介くん?
その日の夜、おウチでお父さんとお母さんに候補生になれたことを報告しました
「ア、アイドル!?やよいが!?お前が!?」
お父さんてば、ビックリしすぎちゃって口をパクパクさせてました
「うん!私、お仕事してお父さんとお母さんの力になりたい!」
「いや、気持ちは嬉しいけどな…その……」
「なぁに?」
「アイドルっていうのはその…水着なんかにもなるんだろう?」
「そういうお仕事もあると思うけど…スクール水着じゃダメなのかなぁ?」
し、仕方ないんです!
あの頃はスクール水着しか着たことなかったんですから!
「それにな、水着だけじゃなくてだな……」
「他にもあるの?」
「やよいにランドセル背負わせたり幼稚園の服を着させたり赤ちゃん用のおしゃぶりをくわえさせたりして喜ぶヤツも」
「そ、そんな人いないから!考えすぎだよお父さん!」
…考えすぎじゃなかったね、お父さん
そういう人も中にはいたかなーって
いまはさすがに恥ずかしいですけどね、チャイルドスモック
だけど、あずささんはいまでもノリノリで……
あっ、な、なんでもないですっ!
候補生になって初めての事務所
お仕事はなかったんですけど、いてもたってもいられなかった私は外をお掃除してました
「おはよう!」
「あ、春香さん!おはようございます!」
この頃の765プロには、私以外に6人の候補生がいました
あずささん、律子さん、真さん、雪歩さん、千早さん、それに春香さん
私の加入を
「妹ができたみたい!」
って喜んでくれました
兄弟の一番上だった私も、一度に6人もお姉ちゃんができたみたいですっごく嬉しかったです
「春香さん、お仕事ですか?」
「今日は10時からダンスレッスン。まだ1時間あるから、お掃除手伝うよ!」
「いえ、もう終わりますから!」
「えっ?やよい、何時から掃除してるの?」
「6時からですー!」
お、お掃除はちゃんとしなきゃダメなんですよぉ!
散らかってたら運気が逃げて行くんです!
たぶんですけど、きっとそうです!
春香さんはとっても優しくて、『近所のおねえさん』って感じでした
10年くらい使ってボロボロになったポシェットを『べろちょろ』にしてくれたのも春香さん
いまでも大事に使ってるんですよ?
「それじゃあ、レッスン行ってくるね!」
「はい!がんばってください!」
まだ初々しかった私たち
TVに出たり、映画に出たり、CDを出したり……
そんてことはずっとずっと先にある「夢」で、それを少しでも『目標』に近づけるためにレッスンを重ねる日々でした
中学生になって最初の夏休み
クーラーの壊れた事務所で、私は大事な大事な大事な人と出会いました
「今日から765プロ候補生となった水瀬伊織君だ。仲良くしてやってくれたまえよ」
社長に紹介されてるときも、他のみんなと挨拶してるときも、ずっとほっぺを膨らませてた伊織ちゃん
何か怒ってるのかな、ってあのときは思ったけど、きっと照れくさかったんだね
「初めまして、高槻やよいです!中学1年生です!よろしくお願いしまーっす!」
両手を後ろに跳ね上げながら、「あの」お辞儀をした私
「…変なお辞儀ね」
「ご、ごめんなさい!クセなんです!」
それから5秒くらい私を見つめてた伊織ちゃん
「…困ったことがあったら私に言いなさいよね」
「へ?」
「な、なんでもないわよ!バカじゃないの!よろしくね!」
これが私と伊織ちゃんの始まり
ずっとずっと続く、終わりのない始まり
最近は私が叱ることも多いんですよ?
「伊織ちゃん、めっ!」
って
そう言われたくてイタズラしてくるんだろうなぁ、っていうのも、ホントは分かってるんですけどね、えへへ
10月も半ばを迎えて涼しくなった頃、それまでの営業とオーディションの成果もあって、小さなお仕事が貰えるようになっていました
律子さんは『ローラー作戦』って呼んでましたっけ
そんなある日
事務所で真さんといっしょにお弁当を食べていると、プロデューサーが駆け込んできました
「やよい、仕事だぞ!テレビの!」
「テ、テレビですかぁ!?」
ビックリしすぎて、真さんと二人してお箸を落としちゃいました
「ケーブルテレビだけどな!それでもたくさんの視聴者がお前を知ってくれるハズだ!」
その頃の私にとって、テレビは魔法の箱でした
キラキラした夢が詰まった、小さな魔法の箱
私もその中に入ることができる……
それが信じられませんでした
「それでそれで?どんな番組なんですか?」
真さんが身を乗り出しながら聞きました
「ああ、そのケーブルテレビ会社の人気番組でな。タイトルは『寺と少女』だ」
「お寺…ですかぁ?」
「うん。女の子が寺にお参りするだけの、シンプルな企画だ」
「マニアックですね、ずいぶん……」
私も真さんの意見に同意でした……
だけど、断る気なんてぜんぜんありませんでした
あの魔法の箱の中に映る自分の姿を思い描いたら、断ることなんてできないですから!
「私、出たいです!」
その言葉を聞いたあの人は、嬉しそうにうなずいてくれました
「うぅ…やっぱり緊張します……」
撮影当日
世田谷区にある小さなお寺で、全身をオシャレな服に包まれた私はプルプル震えていました
予算が無いので普段着で、って言われた私はいつもの服で出演しようとしたんですけど……
だけど伊織ちゃんから
「ダメよ!貸してあげるからコレ着なさい!あとコレも!ついでにこのバッグも持っときなさい!」
って言われちゃって
伊織ちゃん、心配しすぎて
「私も着いていくわ!」
なんて言ってたんですけど、さすがに律子さんから止められてました
そういうわけで、初めてのテレビ出演に加えて着なれない服を着た私は、境内のすみっこでプルプルしてたわけです
「ピンクなぁ…伊織らしいけど、ピンクなぁ……」
伊織ちゃんからレンタルしたカーディガンを観ながら、何度も呟いていたあの人
そう思うなら「ピンクはダメ!」って止めてくれればよかったのに……
「プロデューサー、私、どうしましょう……?」
「うーん…まぁ、なんとかなるか!」
「なるんですかぁ!?」
仕方ないですよね
あの人も新人だったんですから
臨機応変、なんて無理ですよね
…いまでも怪しいですけど……
「プ、プロデューサー、手を出して下さい!」
「手?どうして?」
「がんばるぞ、って気合いを入れるためです!」
なんでそんなふうにしようと思ったかは忘れちゃいましたけど、間違ってなかったですよね、きっと
不思議そうな顔をしながら手のひらを私に向けたあの人
うんと背伸びしながら、その手を叩きました
「ハイ、ターッチ!」
パシィ、っていう音が、不安や緊張を消してくれたような気持ちになりました
「イエイ!」
最初の1回
たぶん100回以上繰り返された大切な『儀式』の、最初の最初
遠くから聞こえてきた電車の音も、ハッキリ覚えています
結果を言うと、『寺と少女』の反響はけっこう良かったです
ケーブルテレビ会社さんにも「あのピンクの女の子は誰?」って問い合わせが30件くらいあったって聞きました
きっと私が500円もお賽銭を入れたからですよね?
最初は10円入れようかと思ってたんですけど『なんだ、これっぽって』って言われちゃいそうだったから、思い切って500円玉を投げ入れました
それから3日間「500円~500円~」ってうなされちゃいましたけど……
だ、だって当時の高槻家にとっては2日分の食費だったんですから!
ご利益はあったんですよ、きっと!
その番組がきっかけになったのかは分かりませんけど、それまで以上に765プロのお仕事は増えました
まだまだ「全国区」なんて言えないけど、300人のライブハウスの前座だったお仕事が500人のライブハウスの前座になったりしました
「なんだ、大して変わらないじゃん」
って思う人もいるかもですけど、あの頃の私たちにとっては大きな変化でした
伊織ちゃんは私と二人だけのときに
「やよいのおかげね、きっと」
って言ってくれたけど、たぶん違います
だってみんな、ホントに一生懸命でしたから
あれはあの頃の765プロ全員の力です
社長や、自分の時間を犠牲にして私たちのことをサポートしてくれた小鳥さんも含めた全員の
そう思えることが、とっても誇らしいです
少しずつ忙しくなる中で、年が明けて3学期を迎えたころ
765プロに3人の新しい仲間が加わりました
1人目は美希さん
初めて見たとき
「こんな可愛い人がいるんだぁ」
って思っちゃいました
それくらいキラキラしてましたから
「ミキは星井美希だよ?てきとーにガンバるからよろしくね!」
…美希さんずるいです!
そんなこと言いながら、最初から歌もダンスも私より上手かったんですから!
「あふぅ……」
いきなりソファーで寝始めちゃった美希さん
みんな「大丈夫かなぁ?」って顔してましたけど、いまではちゃんと分かってます
ホントはまっすぐで、負けずぎらいで、がんばり屋さんだって
それに、あの人のことが大好きだってことも、ね?
2人目と3人目は亜美と真美
765プロで初めての、私の妹
「亜美!ゆきぴょんは!」
「さっすが真美!それに決まりだね!」
自己紹介が終わるとすぐ、みんなにあだ名を付けてましたっけ
「やよいっち!」
私を指差しながらそう言ったときの真美の顔、いまでも覚えてます
とっても可愛いくて、とっても生意気な、妹の顔
「よろしくね、やよいっち!」
「…うん!よろしくね、亜美!」
私の身長は2人よりも低いままだけど、お姉さんであることには変わりありません
…2人はそうは思ってないだろうけど……
それでもやっぱり、私の妹たちです!
私が加入してから2回目の春がやってきた765プロに、大きな転機が訪れました
主役は真さん
雑誌の「カッコいい女の子」って企画で、真さんが取り上げられたんです
1ページだけの小さな企画でしたけど、反響はすごかったんですよ?
だって、765プロが入ってたビルの前で、ファンの人たちが出待ちをしてたんですから!
それも全員女の子!
雪歩さんが「ふうん……」って言ってたのがちょっと怖かったですけど……
「真くんには美希がいるんだから、浮気しちゃダメだよ?アハッ」
「なによ!『ラブリーな女の子』って企画ならぜったい私が載ってるわよ!」
「75センチ…くっ……」
タキシード姿の真さんのグラビアとプロフィール、それに紹介文が載ったページを見ながら、みんな嬉しそうに、そして同じくらい悔しそうにしてました
次は自分が、って、私でも思っちゃましたから
そうやってみんなで盛り上がっている中、事務所の電話が鳴りました
「はい765プロダクションでございます。…はい。ええ、菊地真は当社に所属しておりますが。…えっ?アクション映画のオーディション!?ホントに!?イタズラ電話じゃないですよね!?ホ、ホントに!?!?」
仕方ないですよね
いきなりそんなこと言われたら、小鳥さんじゃなくてもテンパっちゃうかなーって
「お、お電話換わりました。はい、菊地真の担当の者です。は、はい、ありがとうございます。オーディションの日時ですが」
小鳥さんから受話器を受け取ったあの人
まだぎこちないやり取りを聞きながら、真さんは何だか照れくさそうでした
「おめでとう、真ちゃん」
真さんの手を握りしめながら、泣き出しそうな顔をしていた雪歩さん
「まだオーディションに受かったわけじゃないよ」
それでも、765プロにとってはとっても大きな変化でした
大きなオーディションに呼んでもらえるなんて、それまでは無かったですから
―次は自分が
まだまだ「セミプロ以上プロ未満」だった私たちの意識が、グッと変わった瞬間だったのかもしれません
自分の居場所は自分で作らなきゃ、って
そして自分で守らなきゃ、って
結果をいうと、真さんはオーディションに受かることはできませんでした
だけど、ボーイッシュなキャラクターと真っ直ぐな考え方が審査員の人たちに評価されて、スポーツドリンクのCMに推薦してもらえました
「NG出しすぎてお腹タプタプになっちゃったよ……」
これはCM撮影後の真さんの言葉
スポーツドリンクをゴクゴク飲むシーンで30回くらいNGを出しちゃったみたいです
それでもCMの評価は上々で、動画サイトでもたくさん再生されたんですよ?
「プロデューサー、あのときあたふたしてるだけでしたよね?」
真さんはいまでもそう言ってあの人をからかってます
懐かしい思い出、なんですね、きっと
業界の中で「765プロ」が知られ始めていたその年の夏休み
私たちは海に合宿に行くことになりました
言い出しっぺは律子さん
氷満載のバケツに両足を突っ込みながら「合宿よ!海!」って言い出した律子さんに意見する人は、誰もいませんでした……
事務所のクーラは相変わらず壊れたまま
いまさらですけど、小鳥さんのパソコンよりも先にクーラを新調するべきだったんじゃないかなーって
いえ、楽しかったですけどね、海合宿
宿泊したのはいま考えるとお世辞にも立派とは言えない民宿で、テンションが下がっている人もいました
お部屋は12人で1つ
お給料で学費と給食費がやっと払えるようになっていた私にとっては、十分すぎるお部屋でしたけどね
砂浜でのバーベキューでお肉ばっかり食べていたことはもう言わないで下さい
余ったお肉をと野菜をお持ち帰りしたことも……
日付が変わる少し前
枕が飛び交う部屋からこっそり抜け出した私は、夜の砂浜にいました
数えきれないほどの星と波の音、それからキレイな三日月
まだ熱さの残る白い砂に腰を下ろして、ひとりで見上げてた夜空
普段ならもう寝ている時間なのに、ちっとも眠くありませんでした
みんなと一緒にいる、っていう嬉しさと、家族と離れている、っていう寂しさ
それから……
これからどうなるのかな、っていう期待と不安
いろんな感情が、まだ小さかった私の身体に広がっていました
「そーらーを じゆうに とーびたいなー」
…ぜんぜん雰囲気とあってませんよね、この歌……
でも無意識に口ずさんじゃってました……
し、仕方ないんです!
中学2年生でしたからっ!
「ごめんやよい。さすがにタケコプターは持ってないよ」
いまだって子供な私
だけどその頃はもっと子供で……
「プ、プロデューサー!?いつからいたんですかぁ!?」
夏の夜の砂浜と『恋』を結び付けることなんてできませんでした
あの人とふたりきりだった、あの三日月の下でも
「やよいは枕投げしないのか?」
私の横に腰を下ろしながら、あの人も同じ月を見上げていました
「私、狙われちゃうんです……」
みんな酷いんですよ?
なぜか私ばっかり狙って
あのときは千早さんまで……
「ははは。みんなやよいが大好きなんだよ」
「…私もみなさんが大好きです」
それは765プロに入ってから今日まで変わることのない本心
私を幸せな気持ちにしてくれる人たち
「今度は家族を連れてきたいです」
―まだプールでしか泳いだことがないあの子たちを連れて
星空を見ながら言ったから、あの人がどんな顔をしていたのかは分かりません
だけど、なんて答えてくれたかは覚えてます
「きっと来れるよ。きっと」
それは希望や願望だったのかもしれません
だけど、私にはその言葉で十分でした
年の離れた兄妹みたいだったふたりを、繰り返す波の音が包んでいました
秋の色が深まる10月の半ば
事務所に集められた私たちにの前に、スーツ姿の律子さんが立っていました
社長と並んだ律子さんは髪をアップにしていて、少しだけ照れくさそう
「今日は諸君らにお知らせがあるんだ」
社長に促された律子さんがいつものハキハキとした口調で話始めました
「これからはプロデューサーとして765プロを支えます」
私たちはその言葉の意味を理解できずに、ただ黙っていました
765プロのリーダーは律子さんだって、みんなが思っていましたから
「…なんで?逃げちゃうの?」
最初に口を開いたのは美希さん
その声がかすかに震えていました
律子さんを一番怖がっていたのも、そして一番認めていたのも美希さんでしたから
「裏方志望だったからね、本当は。でも、アンタの言う通りかもしれない。私はトップアイドルにはなれないから」
「なんで諦めちゃうの?そんなの律子らしくないの!」
ふたりのやり取りをやっぱり黙って見ていた私たち
だけどみんな、美希さんと同じ気持ちだったはずです
なんで、って
「理由はいろいろあるわ。みんなにも言いたいことがあると思う。でも、分かってもらおうなんて思ってない」
―全部自分で決めたことだから
眼に涙を溜めながらそう言い切った律子さん
美希さんもそれ以上何も言えませんでした
「いま律子君が言ったように、これから彼女にはプロデューサーとして765プロに関わってもらう」
ハンカチで眼を拭っている律子さんの代わりに、社長が言いました
もう本当に決まったことなんだ、って、みんなが思いました
律子さんにはやりたいことがあって、その決断がファンの人たちを傷付けることになったとしても……
それでもやらなきゃいけないことなんだって、私は自分に言い聞かせました
そうしないと泣いちゃいそうだったから
「すいません社長。もう大丈夫です」
眼を赤くしたままの律子さん
だけどその表情は、なんだか吹っ切れたみたいに見えました
「今日から私はプロデューサーとしてみんなをサポートしていきます。これが1つ目の報告」
「他にもあるんですか?」
聞いたのは春香さん
やっぱり赤い眼で
「ええ、むしろこっちが本題よ?今日から新しいユニットを立ち上げます!ユニット名は『竜宮小町』!」
「えっ!?」
誰の声だったのかは分かりません
たぶん、全員だったと思います
「これから名前を挙げる3人は前に出てきてちょうだい」
みんなを見回しながらそう言った律子さん
呼ばれたいって私が思ったかどうかは……
やっぱり内緒です!
「伊織、亜美、そしてあずささん」
名前を呼ばれた3人にみんなの視線が集まりました
3人とも、どうすれば良いのか分からない、って顔をしてました
「ほらほら」
律子さんから促されて前に出た3人
それでもやっぱり、どうすれば良いのか分からない、って表情でした
「この3人は今日から竜宮小町として活動していきます。ちなみに衣装も発注済み。デビュー曲もね」
イタズラっぽく笑った律子さんと、まだ何がなんだか分からないって感じの伊織ちゃんたち
「思い付きで決めたわけじゃないわ。夏の合宿でいろいろと見極めた結果よ」
遊んでいる時間の方が長かった気がする合宿ですけど、律子さんは先のことをちゃんと考えてたみたいです
―恐ろしいわね、まったく
これはリーダーに任命された伊織ちゃんの言葉
だけど律子さんの考えが正しかったってことは、いまではたくさんの人が知ってます
竜宮小町は日本の芸能史に残るアイドルユニットになったんですから
その日の夕方
伊織ちゃんとふたりで駅まで歩きました
話題はやっぱり、竜宮小町のこと
「私がリーダーねぇ……」
「大丈夫だよ!伊織ちゃんからちゃんとリーダーできるよ!」
なんだか不安そうだな、って思ったから、励ましてあげようと思ったんですけど……
「それは当然なんだけどね……」
「へ?他になにか心配なことあるの?」
「ユニットと組んでリーダーになっちゃたら……」
「たら?」
「やよいと一緒の仕事が減っちゃうじゃない……」
「…えへへー」
伊織ちゃんは無意識に言っちゃったんだろうけど、私はしっかり覚えてます
「べ、別にやよいと一緒じゃなきゃ寂しいとかじゃないからねっ!」
「うん」
「や、やよいは私がフォローしてあげなきゃダメじゃない!ねっ!」
「うんうん」
「わ、私は別にあの、えっと…やよいと一緒じゃなくても、その……」
「平気?」
ちょっとイジワルだったかなー、って気はしてますよ?
だけど伊織ちゃんが可愛かったから、つい
「…寂しい…ちょっとだけね!」
「私もさみしいけど、伊織ちゃんなら大丈夫だよ!私も大丈夫!」
「うん……」
オレンジ色に染まる西の空に向かって、私たちは手を繋いで歩きました
あの頃もいまも、ふたりの関係は変わっていません
そしてこれからも、きっと
12月1日
私にとって、みんなにとって、そして765プロとって、忘れられない日です
『SMOKY THRILL』がお店に並んだ日
765プロが日本中に向かって挨拶した日
頑張っていればホントにCDとか出せちゃうんだって、私たちが知った日
「真美、3枚買ったよ!」
「ボクは5枚!」
1枚だけですけど、私も買いました
それに3人のサインを書いてもらいました
一番大きなサインは伊織ちゃん
私の宝物
―私もきっと……
ジャケットに写った3人の姿を見つめながら、そう誓いました
12月24日
高槻家に初めて、クリスマスケーキが登場しました
直径18センチのホールケーキ
私から家族へのクリスマスプレゼント
みんなで飾りつけをした居間の中に灯る、何本ものローソク
嬉しそうに笑うかすみや長介たちの顔を見ながら、少しだけ涙ぐんじゃいました
ああ、765プロに入ってよかった、って
みんなに会えてよかった、って
アイドルになってよかった、って
まだまだ駆け出しのアイドルだったけど、家族を幸せにすることはできたから
こんどはファンの人たちを幸せにしてあげたいって思えたから
だからいまも、アイドルでいられるんだと思います
私を応援してくれる人たちを、もっともっと笑顔にしたいから
「そっか。クリスマスケーキか」
お正月前の最後のお仕事
スーパーでのイベントを終えた私に、あの人はお昼ごはんをご馳走してくれました
注文したのはオムライス
ふわふわのタマゴからは、白い湯気が出ていました
「偉いよなぁ。俺が中2のときなんて遊ぶことしか考えてなかったよ」
「それがふつうなんだと思います」
ケチャップをかけすぎちゃったオムライスを口に運びながら、私は続けました
「あの子たちには遊ぶことを考えほしいから。たまには家事も手伝ってほしいかもだけど…私にはできなかったことですから」
私、ずっとおウチのお手伝いをしてましたから
それが嫌だったわけじゃないけど……
子供は遊ぶものですもんね、やっぱり
「しっかりしてるなぁ」
そう言って熱いコーヒーに口をつけたあの人
誉められなれてない私は、なんだか照れくさくなっちゃいました
「…ふふ」
「へ?なんですか?なんで笑ってるんですか?」
私の顔を見ながら突然笑い始めました
「私の顔になにか着いてるんですかぁ?」
「ケチャップが」
「えっ?」
一度に頬張りすぎて、口の回りがケチャップまみれになってたみたいです……
「ははは。そういうとこは中学2年生、って感じだな」
「ちゅ、中学2年生ですから!」
よく分からない返答をしながら、そのあと二人で笑いました
やっぱり兄妹みたい、って、一人で嬉しくなってました
新しい春
新しい旅立ちと、『SMOKY THRILL』の売上げ10万枚突破のお祝いパーティー
真さんと雪歩さんは高校を、伊織ちゃんと美希さんは中学校を卒業しました
「やっと勉強勉強の毎日から解放されるよ!」
「真ちゃんはもうずっと解放されてたって思うなぁ……」
真さんは社会人に、雪歩さんは女子大に、そして伊織ちゃんと美希さんは同じ高校に進むことになりました
「なんでアンタと一緒なのよ!っていうか、よく合格できたわね」
「けっこー頭いいんだよ、ミキ?アハッ」
私もふたりと一緒の高校に入りたかったんですけど、難易度高くて無理でした……
「10万枚ってすごいですね!」
自作のケーキを律子さんに取り分けながら、春香さんがキラキラした声で言いました
「初動が悪くて心配してたけど、売れ始めてからは早かったわね」
タイアップ無しで広告費もあんまり出せなかったから、最初の1週間で876枚しか売れなかったって聞きました
だけど有名なDJさんがラジオで取り上げてくれたのをきっかけに、徐々に売れ始めたんだそうです
そして金曜日の歌番組に出演してからは、一気に火がつきました
放送翌日、4人からお話を聞いてたんですけど、亜美は
「グラサン奪い取ってやろうと思ってたんだけど、りっちゃんといおりんから全力で止められちったよ……」
って残念そうな顔してました
ホントに実行してたら765プロ潰れちゃってたかもですね……
「竜宮が道を切り拓いてくれた。次はお前らの番だぞ!」
パーティーの締めの挨拶であの人が言ったけど、ハッパをかけられるまでもなく、私たちはメラメラと燃えてました
竜宮は大切な仲間だけど、ライバルでもあるんだって
ただ眺めてるだけじゃダメなんだって!
「よし、春香!いつものやつで締めよう!」
あの人に促されて進み出た春香さん
差し出されたその右手に、みんなの右手が重なりました
「それじゃあいくよ?765プロー!」
『ファイトー!!!』
重なりあった声とともに、私にとっての3年目が始まりました
765プロとしての、そしてアイドルとしての3年目
私の人生で一番大切かもしれない1年が
そろそろ梅雨も明けそうな7月半ば
洗濯ものを畳んでいると、長介が隣に腰を下ろしました
「ね、姉ちゃんさ」
「なぁに?」
なんだかモジモジした感じの長介
私と眼を合わせようとしません
「きょ、今日発売の雑誌でさ、えっと…み、水着になってたんだろ?」
あの頃の私にはよく分からなかったんですけど、765プロ宛に
「高槻やよいちゃんのグラビアが観たいです!」
ってメールやお便りがけっこう来てたみたいです
それで社長やあの人が「じゃあやらせてみよう!」って……
「ちょ、長介、観たの?」
たしか水色のビキニだったと思います
恥ずかしいから当時のグラビアは見れないですけど……
「お、オレは観てないけどさ、友達が観たらしくて!」
「な、何か言ってた?」
「えっと…その……お前の姉ちゃん可愛いな、って」
「…えへへー」
「な、なんだよ気持ちわりーな!」
「だって嬉しいもん。可愛いって言ってもらえたら」
「お、オレは可愛いなんて思ってねーから!胸もちっちゃいし!」
「ち、ちっちゃくないもん!私よりちっちゃい人いるもん!」
えっと……
あえて名前は出しませんけど、ホントにごめんなさい……
お父さんもその雑誌を観たらしくて、3冊も買ってきてました
「な、なんでこんなに買ってくるの!?恥ずかしいよ!」
「1冊は観賞用、1冊は俺の保存用、もう1冊は母さんの保存用だ」
「ほ、保存しちゃダメ!」
そんな感じで、当時の高槻家では一大イベントみたいになってました
お母さんなんて仏壇に雑誌を供えて
「やよいがこんなに大人になりました」
って手を合わせてたんですから!
「お姉ちゃん、エッチー」
これはかすみの言葉
アイドルとして当たり前のお仕事なんですけど、なんだかイケナイことをしてる気持ちになりました……
そして中学生最後の夏休み
ついに私にもチャンスが巡ってきました
「やよい、NHKだぞ!」
事務所の談話室に響いたあの人の声
「夕方の帯番組でお前を声優として起用したいって!」
「せ、声優さんですかぁ?」
ボーカル、ダンス、演技の中で一番苦手だった演技
そこに光が当たるだなんて、思ってもみみせんでした
「ディレクターさんがお前の声にインスピレーションを受けたらしい!」
「…いんすぴれーしょん?」
横文字は苦手だったんです……
いまでもですけど……
「それにな、ただ出演するだけじゃないんだ」
「他にも何かあるんですかぁ?」
「主題歌もお前が歌うんだよ!」
「えっ!?そ、それって……」
「CDデビューだよ、やよい!」
―いつかは私も
そう思い描きながら、ずっとずっと遠くにあった夢
全国のレコード屋さんに置かれてた私のCD
ファンの人たちは嬉しそうに、そのCDを手に取って……
そんな大きな夢と幸せな光景が実現しようとしていました
お父さんとお母さんの力になりたい
妹弟たちに美味しいものを食べさせてあげたい
お金の心配なんかしないで、お友達と遊ばせてあげたい
それがアイドルを目指した理由
だけどいつからか、それだけじゃなくなっていました
もっとキラキラしたい
もっとドキドキしたい
もっとワクワクしたい
大きなステージで、観に来てくれたファンの人たちを笑顔にしたい!
いまも変わらない、私の願い、私の想い
そのための大きな一歩を、私は踏み出しました
夏休みも終わりに近づいたころ
アテレコよりも先に、主題歌の収録がおこなわれました
担当ディレクターは仁後さんっていう女性で、なんだかポワポワした雰囲気でした
だけどあの人からは
「めっちゃ仕事できる人らしいぞ。やよい、怒られても凹むなよ?」
って脅かされました
「あとな」
「ほ、他にも何か?」
「めっちゃ腕相撲が強いらしいぞ」
「それはどうでもいいかなーって!」
そんな感じで始まった初めてのレコーディングでした
「あ、あの、仁後さん……」
「なぁに?」
「サビのところのお手本を聞かせてほしいんですけど……」
「私やんないよ。プロデューサーさんやんなよ」
「えっ、俺がですか!?」
なんだかちょっとめんどくさがりや屋な仁後さんでしたけど、レコーディングはスケジュール通りに進行しました
後で聞いた話なんですけど、私の緊張を和らげるためにいろいろ気を使ってくれてたみたいです
いまでも私のCDは仁後さんの担当
ホントは頼りになる、素敵なお姉さんです!
なんだかあっという間のレコーディングでしたけど、出来上がった曲を聴いたとき、思わず泣いちゃいました
これが私のデビュー曲なんだって
みんなに聴いてもらえるんだって
タイトルは『キラメキラリ』
みんなを元気にする歌
「やよいちゃんのテーマ曲だね」
仁後さんは笑顔でそう言ってくれました
私も泣きながら笑いました
「一生大事にします!」
みんなが私に与えてくれた、たくさんの宝物
この曲もその中の1つです!
9月最初の月曜日の夕方、5時すぎ
スケジュールの空いていた人たちが集まって、事務所で観賞会が開かれました
もちろん、私が声を当てているアニメの第1回放送です
「いおりん落ち着きなよ」
私の隣に座って私以上にソワソワしてた伊織ちゃん
真美に言われた後も、お手洗いに行ったりオレンジジュースを飲み干したりしてました
そして5時40分
『フレッフレッがんばれ さーいこー! フレッフレッがんばれ サイコー!』
テレビから流れた私の歌声
伊織ちゃんは画面を見つめたまま、私の手をギュっと握りました
「やよいちゃんの声だぁ!」
すでに涙声の雪歩さん
春香さんや小鳥さんもたぶん泣いてました
貧乏な家に生まれ育った10歳の女の子が、培ってきた生活の知恵を駆使して悪者と戦う、ってストーリーなんですけど……
なんだか、あんまり演技してるって感じはしませんでした
むしろ素のままっていうか……
「何よ、まんまやよいじゃない!」
伊織ちゃん?
思ってても口に出しちゃいけないこと、あるんだよ?
「主人公が『若槻あおい』だもんね……」
春香さん?
私とあおいはなんの関係もないですからね?
「10歳の高槻さん……」
千早さんは……
いえ、なにも言わないでおきます!
かすみたちもおウチで観てくれてたみたいなんですけど、口をそろえて
「いつものやよい姉ちゃんだった」
って言われちゃいました
「タニシができれぅってなぁに?」
「違うよかすみ!さぁ虹がデキルだよ!」
あのころ滑舌が悪かったのは認めます
だからって、その後もCD出すたびに『ラ行』を多めにされたんですよぉ!
ヒドイです!
いまはそんなでもないんですから!
番組の反響は凄くて、ファンレターもたくさん頂きました
意外だったのは、子供たちからのお手紙以上に大人の男の人からのものが多かったこと
あの頃は知らなかったんですけど、インターネットとかでは『大きなお友だち』って呼ぶそうです
…お友だちが増えるのは良いことですよね?
「やよい、またこの人からファンレター来てるぞ」
「どなたですかぁ?」
「しそっぱさん」
「毎週送ってくれるってスゴいですー!」
しそっぱさん、当時春香さんと千早さんがやっていたラジオにも毎週メールをくれてたみたいです
雪歩さんに「ゆきしー」ってあだ名を付けたり、765プロファンの間ではけっこう有名人だったんですよ?
最近お手紙くれないけど、いまでも私たちを応援してくれてますよね、きっと!
デビュー曲の『キラメキラリ』の反響も凄くて、下校中の小学生たちがみんなで歌いながら歩いてるのを見たときは、思わず抱きしめそうになっちゃいました!
『ターニーシーができーれぅ』
…ちゃんと「さぁ虹がデキル」って歌ったんですよ?
雨が降ってタニシができるわけないですもん
タニシは勝手に増えますもん
「この子はタニシを生で食べてそう」
って思われてるんじゃないかって、あの頃は本気で心配したんですから!
ちゃんと火を通してからお味噌汁に入れますから!
NHKの帯番組の主題歌だったこともあって、『キラメキラリ』は1ヶ月で10万枚を売り上げました
オリコンでは1位から4位が人気グループのCHY72さんだったこともあって5位が最高位でしたけど、私は大満足
日本中に私の声が届いた、って思うだけで、幸せな気持ちになれましたから
背も低くて、くせ毛で、歌もダンスもお芝居もまだまだで……
そんな私でも何かを伝えることができるんだって思うだけで、泣いちゃいそうになるくらい幸せでしたから!
「サインして。思いっきり大きく」
伊織ちゃんから受け取ったCDに思いっっっきり大きくサインしながら、その幸せを全身で感じていました
もちろん、いまでも
春香さんや千早さんのCDデビューも決まって、いっそう盛り上がっていた11月の半ば
765プロにまた新しい仲間が加わりました
もちろん、響さんと貴音さん
おふたりとももう売れっ子なのになんでかなぁ、って思ったんですけど、所属していた事務所が脱税で倒産しちゃったんだそうです
そこで前の事務所の社長さんと知り合いだった高木社長を頼って、765プロに移籍してきというわけです
「お、君のことよく知ってるぞ!ダンスオーディションでよく一緒になったよね?」
「ボクだってよく知ってるよ。いつも響がオーディションに受かってたんだから。だけどもう負けないからね!」
「あ、あの、私も四条さんと何度かオーディションでお会いして…スゴく綺麗な人だなぁって……」
「光栄です、萩原雪歩。ですがあなたこそ美しいのですよ?儚さとまことの強さを併せ持った美しさ、と申しましょうか」
さっそく打ち解けているおふたりを見ながら、私たちはもっともっと高めあっていけるって、そう思いました
中学校の卒業式
恥ずかしいんですけど、何人かの男の子から告白されちゃいました
「高槻のことが好きだった」
って
いまでもそうなんですけど、私、そういうのにすっごく疎くて……
「あ、ありがとう!がんばるね!またね!」
そう返すのが精一杯でした
伊織ちゃんにその話をしたら
「もうちょっと言い方あるでしょ! 」
って言われちゃいました
自分でもそう思います……
卒業式のあとはすぐにお仕事で、制服のままスタジオに入りました
「やよい、卒業おめでとう」
先に着いていたあの人は、そう言いながら綺麗にラッピングされた小さな箱を渡してくれました
「俺からの卒業祝いだよ」
開けてみると、箱の中には可愛いお財布
いまでも使っている、オレンジ色の、可愛いお財布
それを両手に包み込んだまま、私は何も言えないでいました
なんだかよくわからない、初めての感情に戸惑っていたから
私はそういうのにすっごく疎くて、なんだか恥ずかしくて、泣いちゃいそうで
いまだってそうです
あの人のことを好きって思っちゃいけないんだって
私はアイドルだから、自分で決めたんだからって
たぶんお父さんの次に私のことを知ってる人
すぐに泣いたり笑ったりする私に「やよいはそれでいいんだよ」って言ってくれる人
ホントのお兄ちゃんみたいな、私のプロデューサー
ちょっと頼りなくておっちょこちょいで、だけど本当の優しさを知っている人
「ありがとうございます…ありがとうございます!」
卒業式であれだけ泣いたのに、それでも涙は溢れてきました
「大丈夫か?卒業式終わりで気持ちが昂ってるだろうけど、頑張ろうな」
疎いのはお互いさま、ですよね、きっと
だけどそのことを責めたりするつもりはありません
私を、私たちをトップアイドルにするために、あの人がどれだけ自分の時間を犠牲にしてきたかをよく知ってますから
だから私は、ちょっとだけワガママを言わせてもらいました
「いまだけ『お兄ちゃん』って呼んでもいいですか?」
って
「お兄ちゃん?」
「わ、私、一番上で、あの、そういうふうに呼べる人がいなくて、えっと……」
不思議そうな顔をしているあの人に、あたふたしながら言い訳をしていた私
し、仕方ないんです!私の精一杯だったんですから!
「ははは。そんなの、お安いご用だよ」
いつものように優しく笑いながら、あの人が言ってくれました
「えっと、それじゃあ…お、お兄ちゃん!」
「なんだい、やよい」
「わぁ…私、どうしよう……」
このとき、春香さんのリボンくらい真っ赤になってたと思います
もちろん、顔がです
「俺は一人っ子だからな。そう呼ばれると嬉しいよ」
そう言って頭をなでてくれました
私が貰った、もう1つの卒業プレゼント
他のみんなには内緒です
高校は公立だったけど、先生方も私の活動を理解して下さっていて、日数が足りない分はレポートで穴埋めしてくれました
地方や海外でのお仕事も増えて大変でしたけど、みんなが私をサポートしてくれて……
765プロだけじゃなくて、ここにも大切な仲間がいるんだなって、そう思いました
「やよいを見てると私も元気が出る。それにやる気も」
新しくできたお友だちの真耶子は、そう言って課題を手伝ってくれました
私は何も返せないかもしれないのに、そんなこと気にもしないで
「今度はどこに行くの?」
「岡山!」
「岡山…きびだんご?」
「うん!いっぱい買ってくるからね!」
「そんなにいっぱい食べるもんじゃないでしょ……」
高校を卒業したら美容師の専門学校に行きたいって言ってた真耶子
将来の専属ヘアメイクさんです!
高校2年生の夏休み
765プロのみんなで3年ぶりに海合宿に行きました
この時期になると12人以外にも候補生が20人くらいいて、その子たちは立派なホテルに、私たちはあのときと同じ民宿に泊まりました
提案者はたしか春香さん
「また枕投げしようよ!」
って
私、今度は逃げなかったですよ?
あすざさんや貴音さんの後ろに隠れながら、亜美と真美にいっぱい枕を投げてやりました!
日頃のお返し、ですね、えへへ
日付が変わるころ
あのとき私とあの人が腰を下ろしていた砂浜に、みんなで座っていました
変わらない星空と波の音
違うのは三日月じゃなくて満月だってこと
「また来たい?」
誰に向けたわけでもなく、律子さんがポツリと言いました
「来れたら嬉しいですけど…お仕事が忙しくて集まれないのも嬉しいかもです」
答えたのは春香さん
みんなが頷いてました
765プロの一員としてだけじゃなく、ひとりのアイドルとしてもっともっと上を目指そう
世界が止まったような真夏の夜の中で、私はそう誓いました
それでも止まってはくれない時間の中で、それぞれが自分の居場所を見つけていきました
ミュージカル女優、映画女優、舞台女優、アクション女優、タレント、歌手、ダンサー、グラビアアイドル
止まってはくれない時間の中で、みんなそれぞれに恋をして、笑って、泣いて、辛くて、だけど幸せで
6年前はまだ子供だった私たちが、少しづつ大人になって
変わっていったのは765プロだけじゃありません
ちゃんとしたお仕事が見つかったお父さんは、
「いままで迷惑かけたね。これからは、やよいのお金はやよいの好きなように使いなさい」
って言ってくれました
「ありがとうお父さん。でもね、お父さんとお母さんを助けるのが、私の好きなように、だから」
私の家族
私のおウチ
お父さんとお母さん
かすみや長介たち
みんなが笑ってくれるのが、私の幸せだから
親孝行とか、そんなカッコいいものじゃなくて……
家族は笑っているものだから
だから私は、今日までやってこれたんです
高校最後のクリスマス
765プロのクリスマスパーティ&雪歩さんのお誕生会に、かすみたちを呼びました
「ここには物置は無いわよ?」
「う、うるさいさいなぁ!いつの話してんだよ!」
伊織ちゃんと長介のやり取りを見ながら、やっぱり765プロで良かったって思いました
他の事務所だったら、たぶん続いてなかったです
そしたら今ごろは……
想像もできないですね
そして今日
春色の風の中に、私は立っています
咲き始めた桜と、18歳になったばかりの私
まだまだトップアイドルとは言えないけど、目標がある人生は、きっと素敵なことだと思うから
「やよい、お待たせ!」
あの頃と変わらない、伊織ちゃんの声
いまは私の方が背が高いんですよ?
それを言うとほっぺを膨らませちゃうから、たまにしか言いませんけどね
「ううん、待ってないよ」
時計の針は13時ちょうど
あと3時間後に、飛行機が飛び立ちます
あの人と、あの人の夢を乗せて
3年間アメリカへ留学するって聞いたのは、いまから1ヶ月前
ずっと前からの夢だったって言ってました
もちろん、これからもプロデューサーでいて欲しいです
だけど、あの人が私たちのために犠牲にしてくれた時間を考えると、反対することはできませんでした
私以外のみんなも
だから私は、笑顔で見送ろうって決めました
あの人が心配しなくてもすむように、いっぱいの笑顔で
私がたくさん貰ったように、笑顔で
「行きましょ、やよい。空港までノンストップなんだからね!」
「うん!でもちゃんと赤信号は止まってね!」
伊織ちゃんの車の助手席に乗ると、車の中も春の香りで満たされていました
ゆっくりと走り出した車の窓からは、やっぱり春色の風
あの日の事務所と同じように
これが今日までの、私とみんなのお話
この夢の続きは、みなさんと一緒に
…え?
もうあの口ぐせは直ったのか、って?
あ、あれは中学生のうちに直りました!
…聞きたいんですか?
えっと…じゃあ…恥ずかしいけど、最後に1回だけ!
それじゃあ行きますよぉ!
うっうー!高槻やよいがお届けしましたぁ!
ハイ、ターッチ!イェイ!
お し ま い