「私達、今日で辞めます」
今朝事務所に到着すると、先月所属したばかりのアイドル候補生の女の子達が辞表を持って待っていた。彼女達のプロデューサーである俺は、何とか引き留めようと説得する。
「レッスンが厳しすぎてついていけません。それに先輩達もピリピリしてるし、こんな雰囲気の悪い所にいたくありません」
「プロの世界は厳しいから仕方ないだろう。生半可な練習じゃ一人前のアイドルにはなれないんだ。君達もわかるだろう?」
テレビで見る分には華やかなアイドル達だが、皆陰では必死にレッスンを積んでいる。彼女達は若いながらもプロの世界で生きているのだ。甘えや妥協は許されない。
「確かにそれも分かりますが、でもだったらどうしてトップアイドルの先輩達は楽しそうじゃないんですか? どうしていつも浮かない顔をしているんですか?」
「それは……」
俺はしどろもどろになる。楽しい事ばかりではないというのは彼女達も分かっているのだが、しかし厳しいレッスンに耐えて成功しても幸せそうではないと分かると、やる気もなくなるだろう。
「とにかくもう私達の気持ちは変わりません。短い間でしたがお世話になりました」
結局彼女達は辞表をデスクに置いて事務所を出て行った。はあ、これでまたふりだしか……
元スレ
春香「リボンを結んで」~オーソドックスガールズストーリー~
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1343823478/
「元気出して下さいプロデューサーさん、また頑張ってスカウトしましょう」
隣から音無さんが声をかけてくれる。俺が来るまでは、彼女が女の子達の説得をしてくれていたようだ。すみません、朝からご迷惑をかけてしまいまして……
「迷惑だなんて思ってませんよ。私も765プロの一員ですから。それに今はこういう時代ですから、なかなか続けられる女の子もいませんよ」
「そうですね……、でも何とかしないと」
『こういう時代』か。どうしてこんなことになってしまったんだろうな。
「おはようございます」
「おはよ」
「おはようございます~」
「おっはよ→!!」
辞めた子達の退社の手続きに取り掛かろうとすると、律子と竜宮小町のメンバーが出社してきた。
「さっき事務所の前で候補生の子達に会いましたが、彼女達みんな辞めたそうですね。まったく、最近の若い子は根性が足りないんだから」
「その言い方じゃ私達が若くないみたいじゃない。ただ単に甘ちゃんなのよあの子達は。ウチじゃなくても続かないわ」
律子と伊織が言った。確かにそうだな。むしろウチはアイドルに甘い方だもんな。
「でもみんなやめちゃったら、また私達が頑張らないといけませんね。今月おやすみとれるかしら~?」
「うえ~、カンベンしてよ~。亜美もうフラフラだYO~……」
そう言いつつ、あずささんも亜美もしっかり仕事をしてくれるから頭が下がる。安心して下さい、今も労基法ギリギリでやってるから、これ以上は仕事させられません。
「なあ亜美、真美はやっぱり戻ってくる気はなさそうか……?」
俺は亜美に尋ねてみた。元々姉妹でウチの事務所に入った亜美と真美だが、真美の方は亜美が竜宮小町のメンバーに選ばれてからずっと来ていない。一応まだ所属扱いにしているのだが。
「う~ん、まだアイドルにはキョーミあるみたいだケド、でも今の事務所のフインキ見たらまたすぐ来なくなっちゃうと思うよ。みんなピリピリしてて、いても楽しくないもん」
「バカねアンタ達は。ここは遊ぶ所じゃないのよ。私達はプロなんだからそれくらい当然でしょ」
亜美の言葉に伊織が返す。確かにそうなんだけどな……
「はいはい、そろそろスタジオ行くわよ。真美のことはまた今度考えましょう。それじゃみんな準備して」
律子が話を打ち切って俺達は仕事に戻った。と言っても、この中で忙しいのは律子達だけだが。
「そういえば千早ちゃんと真ちゃんはどうしたんですか?いつもならもう来てると思うんですけど~?」
「ああ、あいつらは今日は現場に直行してますよ。もうひとりで任せても大丈夫ですからね」
あずささんの質問に俺は答えた。律子は竜宮小町の担当で、俺は千早と真のプロデューサーだ。しかしこの2人はもう既にトップアイドルとして個人で仕事が出来るので、俺の付き添いはほとんど必要ない。だから最近の俺の仕事は、もっぱら新人のスカウトと後進の育成である。
「ま、しばらくは私達5人いればなんとかなるでしょう。だからアンタもさっさと新しい子をスカウトしてきなさいよね」
「ああ、苦労をかけるな。じゃあ頑張って来いよ」
スタジオへ向かう律子達を見送り、俺も荷物をまとめて準備をする。そうだな、いつまでもこうしていても仕方ない。俺も早く新しい子を見つけないとな。音無さんに今日は戻らないと伝えて、俺は事務所を出た。
どこかにいないかな。今のアイドル業界の閉塞感を打破できるような女の子が―――――
第一章
「お客さ~ん、終点ですよ~」
「…………んがっ!?」
車掌に起こされて俺は目を覚ました。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。丸一日街を歩き回り、結局大した収穫もなく疲労と虚しさだけが残った。これじゃあみんなに顔向けできないな。
「ここは……、どこだ?」
とりあえず駅に降りて辺りを見渡す。すっかり日が暮れていて、間もなく夜になろうとしていた。一応東京ではあるようだが……
「げ、事務所まで2時間もかかるのか。ずいぶん遠くまで来てしまったな……」
時刻表で確認する。次の電車まで1時間以上あった。そういえば昼飯を食べ損ねていたな。どこか探すか。俺は駅を出て町へ繰り出した。昔ながらの家や建物が並び、まるでタイムスリップしたような感覚に襲われる。
~♪ ~♪
「ん……?なんだ……?」
耳を澄ませると、どこからか歌声のようなものが聴こえてきた。しかもウチの曲だ。俺はそのまま吸い寄せられるように、歌声のする方向へ向かった。
***
た ぇじ ば~♪
♪かがやい ~ す~て~ に~た~て
俺がやってきたのは、町から少し離れた高速道路の高架下だった。そこでひとりの少女が曲に合わせて歌の練習をしている。なるほど、ここなら存分に歌えるわけか。しかし調子はずれというか、はっきり言ってヘタクソだな。まだカラオケ好きの素人の方が上手いくらいだ。
「ふう、なんだか今日は調子が良いな。ちょっと休憩しよっと♪」
「ウソだろ!?今ので上出来なのかよ!!」
そう言ってラジカセを止めた少女に思わずツッコミを入れてしまった。すると少女がこちらに気付いた。しまった、聞かれたか?
「え?誰……?もしかして変質「違うただの通りすがりだ」」
妙な誤解をされる前に俺はさっさと自己紹介をした。こんな所にひとりでいると危ないぞ。
「大丈夫ですよ。ここは平和な町ですから。通りすがりさんはどうしてここに来たんですか?町の人じゃないみたいですね」
少女は俺の顔をまじまじと見る。ちょっと可愛い感じの、どこにでもいそうな普通の女の子だ。くせ毛なのか後ろ髪が跳ねたショートヘアーが印象的で、どことなく音無さんに似ている。
「ああ。いつの間にか電車で寝てしまっていてな。気がついたら終点まで来てしまっていた。腹が減っているのだが、近くに定食屋かコンビニは無いか?」
「ああ、それでしたら私が作ったクッキーがありますからどうぞ」
少女は自分の荷物から俺にクッキーとお茶を差し出した。もらっていいのか?
「はい、まだまだいっぱいありますから。それに誰かに食べてもらった方が私も嬉しいです」
そう言われて俺は少女のクッキーを口にする。……歌と違って、こっちはプロ級に上手いな。見た目も綺麗だし、普通にデパートで売ってそうだ。
「あ、ひど~いお兄さん。アイドルの練習はまだまだこれからなんですから!!」
少女は頬を膨らませてぷんぷんと怒る。表情がコロコロと変わって、愛嬌があってなかなか可愛らしい。
「はは、悪かったよ。じゃあクッキーのお礼に、お前のレッスンにちょっとだけ付き合ってやるよ」
「ええ!?お兄さん音楽の事とか詳しいんですか!?」
少女が驚いた様子で答える。俺はそんなに音楽関係者に見えないのか?詳しいも何も、こちとら本職だっての。それにさっきから、ウチの曲がそんな調子っぱずれで歌われるのは我慢ならん。
「765プロのプロデューサーさんだったんですか!?私765プロのファンなんですよ!!私も竜宮小町の皆さんや、菊地さんや千早ちゃんみたいなアイドルになりたいです!!」
そうかそうか。誰でも夢を見るのは自由だ。それが叶わぬ夢であっても頑張って追い続けてくれ。
「もう、プロデューサーさんはデリカシーがないなあ。どうしてこんな人が千早ちゃんのプロデュースなんて出来るんだろ……」
「ん?お前ウチの千早と知り合いなのか?」
そういえばさっきも、千早だけちゃん付けだったな。
「え……、あ、ああ何でもないです!さあ、それじゃあご指導よろしくお願いします!!」
少女は慌てて立ち上がるとスタンバイを始めた。まあいいか、これ以上詮索するのも野暮だな。
「それじゃあ音楽入れるぞ。言っておくがビシバシ行くからな。全力でやれよ」
「はい!!」
俺はラジカセのスイッチを押した。
ゆ でぃー よーお
♪あー れでぃー あいむれい はーじめ ー♪
ところどころ音程を外しながら、少女が元気に歌い出す。おそらく騒音の激しい高架下で練習を続けるうちに、徐々にリズムがズレてきているんだろうな。テープも相当聴いているみたいで、少し音が伸びている。そりゃ下手になるわ。しかし今時テープって……、まだ販売されているのか?
ば るー たぁー
♪やれ でき きぃとー ぜぇ いー♪
ははは、どうしてそうなるんだよ。本当に独特のリズムで歌ってるな。千早が聴いたらブチ切れそうだ。しかし素晴らしい笑顔だ。自分で言うのも何だが、一応プロの俺の前で歌うのだからもっと緊張するかと思ったのだが、そんな素振りは微塵も感じない。
し ーん♪
♪わた なんばわ
お前がナンバーワンだったらウチのアイドルはみんな神様だよ。この町自体が時代に取り残されているみたいだが、アイドルのトレンドも昔のままなのか?今の時代、まだこんな歌を歌ってアイドルになろうとしている女の子がいるなんて驚愕だぜ。
イントロが終わり、少女は元気に振り付けを真似しながら笑顔で俺にアピールする……と思いきや、それを中断して俺の元へ駆け寄って来た。どうした?まだ始まったばかりだぞ。
「あの……、私の歌そんなにひどいですか……?」
少女は不安そうな顔をしながら、俺の顔を小さなポケットタオルで拭いた。俺の顔に何かついていたのか?
「だってプロデューサーさん、泣いてるから……」
そう言われて俺は初めて、自分が涙を流している事に気付いた。どうやら少女は自分が音痴過ぎて、俺を泣かせてしまったと勘違いしたらしい。そんな事で大の男が泣くかよ。
「じゃあどうして……、もしかしてさっきのクッキーがあたっちゃったのかな。卵はギリギリだったけど、火を通せば大丈夫だと思ったんだけどな……」
何食わせるんだよ。ついでに食あたりでもねえよ。何故かお前のパフォーマンスを見ていると、俺の心が震えたらしい。自分でも何が琴線に触れたのか全くわからないんだが……
「……そうか、これが社長の言う『ティンとキタ』ってやつなのか……」
「へ?何ですかそれ?」
きょとんとする少女の顔を改めてまじまじと見る。ちょっと可愛いくらいの普通の女の子だ。千早や伊織のようなオーラも感じられない。どうして俺の第六感が反応したのかは分からない。しかしこの少女は何か持っているようだ。俺がずっと探し求めていた、今のアイドル業界を変えるような何かを―――――
「そういえばまだ名前を聞いてなかったな。良かったら教えてくれないか?」
「あ……、も、申し遅れました!春香です!天海春香って言います!」
慌てて自己紹介をする少女。そうか、天海春香というのか。名前はアイドルみたいだな。
「そうか。じゃあ春香、明日ウチの事務所に来ないか?こんな間延びしたテープじゃレッスンも出来ない。きっちりスタジオで指導してやるよ」
「もしかしてそれってスカウトですか!?私も765プロのアイドルとして、竜宮小町や千早ちゃんみたいなアイドルになれるんですか!?」
先程までの不安気な表情から一転、天にも昇るようなテンションで大喜びをする春香。そこまで喜んでもらえると、俺もスカウトのしがいがあるよ。
「しかし春香、一つ条件があるんだ」
「はい!なんでしょうか!アイドルになるためなら春香さんは何でもやりますよ~!」
ノリノリの春香。何でもやるって言ったな。じゃあ遠慮なく言わせて貰おうか。
「俺はお前を、竜宮小町や千早みたいなアイドルにしたくない。いや、今活躍しているトップアイドルの誰とも違うアイドルになって欲しいんだ。お前にはアイドル業界に革命を起こしてもらう」
春香が笑顔のまま固まった。アイドルをこれから目指そうという女の子にこの言葉はあまりにも重すぎるだろう。しかし春香のアイドルとしての育成方針は現在主流のものにはあてはまらない。これは久々に、社長や律子も交えてスタッフ会議を行う必要があるな。それに遅かれ早かれ、これは本人にも伝えなければならない。
「もちろん俺も全力でサポートするが、お前のアイドルへの道のりは厳しいものになるだろう。場合によっては千早と戦う事になるかもしれない。それでもウチのアイドルになりたいなら、明日ここに来てくれ」
俺は春香に事務所の住所が載った名刺を渡した。春香は戸惑いを隠せない様子で、おずおずとそれを受け取る。これ以上の言葉は不要だ。俺は静かにその場から立ち上がり、駅へと向かうことにした。これから春香は深く悩み、じっくり考えるだろう。アイドルの方針が方針だけに俺も強く勧誘できない。
「これは俺の私見だが、お前はウチの竜宮や千早や真に負けない何かを持っているみたいだ。漠然とした事しか言えなくてプロデューサーとして情けないが、アイドルとしての実力なら気にしなくていいぞ。後はお前の覚悟の問題だ。じゃあな」
不安気な瞳でこちらを見る春香に、俺は一言だけエールを送ってやった。こんな薄い言葉は何の気休めにもならないと思うが、来てくれなかったら仕方ないと簡単に諦めたくはない。しかし何となくだが、春香は来てくれるような気がした。駅に到着するとちょうど電車が出る所だった。俺はさっさと乗り込む。
「あれ……?あいつまだあんな所で悩んでいるのか」
帰りの電車の窓から、さっきの高架下が見えた。春香はさっきと同じ場所で俺の名刺を見つめたまま、まだそこで立ち尽くしていた。もっとポジティブな奴だと思ってたんだが、意外と思い悩んだりするのか?
「天海春香か……、明日千早に訊いてみるか」
明日千早はオフだが、どうせいつもみたいに事務所に音楽を聴きに来るだろう。春香の方は何だかワケありっぽいが、千早の方はそうではないかもしれない。ていうか千早友達いたのか。こんな事を言ったら怒られそうだが。
「待ってるぞ、春香……」
彼女の姿が見えなくなるまで、俺はその姿を目でとらえていた―――――
***
翌日、俺はいつもより早めに出社することにした。昨日の様子だと春香は朝一番で来ることはないと思うが、それでもゆっくりしていて良いはずはない。一応スケジュールの確認をして、どこかで社長と律子と会議の場を設けないといけないしな。千早も真も手がかからないから、こういう時はありがたい。
「ちょっと早く来すぎたかな?」
時計を見るとまだ8時にもなっていない。音無さんより早かったかなと思ったが、事務所のカギは開いていた。事務員の鑑のような人だな。
「おはようございまーす」
俺は朝の挨拶をして、元気にドアを開ける。きっと中では音無さんがデスクに向き合って仕事をしているだろう。俺も見習わないと……
「おいしいわ春香ちゃん!!この腕ならいつでもお嫁さんになれるわよ!!ぜひウチに来てご飯を作って頂戴!!」
「そんなあ~、私なんてまだまだですって。それにお菓子作りはちょっと自信ありますけど、お要理の方はまだお母さんかお婆ちゃんが手伝ってくれないとダメで~……」
しかし俺が事務所の中で見たのは、春香が作ったクッキーを夢中で食べる事務員と、デレデレとしながらそれを勧める春香だった。うん、さっきの言葉は訂正しよう。やっぱりダメ人間だわこの人。
「あ、おはようございますプロデューサーさん!!プロデューサーさんもクッキーどうぞ。今日は新鮮な卵を使いましたから昨日より美味しいと思いますよ!!」
俺に気付いた春香は元気に挨拶をした。いや、お前何でもう来てるんだよ。昨日俺の誘いを受けるかどうかすごく悩んでなかったか?来るとしても昼過ぎか夕方になると思っていたのだが……
「いえ?別に悩んでませんよ?ご挨拶に何を持っていけばいいかはちょっと考え込んじゃいましたけど。プロデューサーさんに聞くわけにもいかないし、結局またクッキーになっちゃいました♪」
てへ、と笑う春香に俺は脱力した。こいつ昨日の俺の話ちゃんと聞いていたのか?お前が目指すアイドルは、そこらの子達とは次元が違うんだぞ?
「う~ん、アイドル業界に革命を起こすってよく分かりませんけど、でも何とかなるかな~って思うんです。それにトップになってもひとりぼっちじゃないでしょう?大丈夫ですよ~」
あっけらかんと笑う春香。向こう見ずの馬鹿なのか、とんでもない大物なのか。とりあえずその度胸だけは大したものだよ。
「プロデューサーさん、すごいですよこの子!!このクッキー売り物になりますよ!!早速社長に相談して事務所で販売しましょう!!もう雇用契約書も書いてもらったし、春香ちゃんはウチのアイドルですよ!!」
音無さんが興奮気味に話してくる。あんたは春香を菓子職人として雇いたいんですか。どうでもいいですけどあんまり食べすぎるとみんなの分が無くなっちゃいますよ。
「大丈夫ですよ、まだいっぱいありますから。今日は朝の3時から作りました!!プロデューサーさんもどうぞ!!」
そう言って大量のクッキーを勧めて来る春香。お前もどんだけ気合入ってるんだよ。もう菓子職人目指せよ。それにお前の地元からここまで2時間くらいかかるよな。もしかして始発で来たのか?
「はい!始発を逃すと次は9時頃になるので。こっちに出て来るときはいつも始発ですから慣れてるんです」
そういえば3時起きのわりには全然眠くなさそうだな。元気な子だ。
「はあ……、とりあえず分かったよ。まさかこんなに早く来るとは思わなかったからこっちもまだ準備してないんだ。ちょっとそこで待ってろ」
俺は春香から綺麗にラッピングされたクッキーをひとつ受け取って、デスクに座った。小さな赤いリボンがあしらわれている。作った当人の見た目は地味なのに、お菓子のデコレーションは手抜かりないな。
「ほら、音無さんもいつまでも食べてないでさっさと仕事してください。朝からそんなに食べると太りますよ」
俺の言葉に音無さんはこの世の終わりのような顔をして、そのまま死にかけの文鳥のような弱弱しい手つきでキーボードを叩きだした。女性に禁句なのは分かっているが、これ以上業務に支障が出るのは良くない。
「じゃあ私待ってますね。プロデューサーさん、遅くなりましたが本日からよろしくお願いします!!」
春香は一礼すると、そのまま鼻歌を歌いながら応接スペースに向かった。何だかすっかり馴染んでるな。みんな最初は結構ぎこちないんだが、この子は緊張したりしないのだろうか。
「……と、うわわっ……」
どがしゃーん!!と派手な音を立てて春香は何もない所で盛大にコケた。春香はえへへ、と照れ笑いしながらそそくさと視界から消える。やっぱり緊張してるのか。
「ふむ、白か……」
「どこ見てるんですか!!」
無意識に出た俺の言葉に、春香から鋭いツッコミが入る。いや、でもバッチリ見えちゃったしなあ……
「今すぐ忘れて下さい!!」
応接スペースのついたてから顔だけひょっこり出して、春香が真っ赤になって必死に抗議する。やっぱり普通の女の子なのかな。
***
「おはようございまーす」
音無さんと2人で仕事をしていると、ウチのアイドルの1人である菊地真が入って来た。
「あれ?どうした真、今日は午後だけだろ?」
「やだなあプロデューサー、ボクだって用がなくても事務所に来ますよ。みんなにも会いたいですし」
爽やかな笑顔で真が答える。こいつは本当に良い奴だな。一流のダンサーとして忙しいにも関わらず、暇を見つけてはこうして事務所に顔を出し、たまにダンス講師として俺のプロデュースのサポートもしてくれる。
「来てくれるのはありがたいがちゃんと学校にも行っておけよ。お前はまだ高校生なんだからな」
ちなみに千早は今日は学校に行くと連絡があった。何でもテストが近いらしい。あいつもトップアイドルとして忙しいだろうに真面目だな。
「ところでプロデューサー、候補生の子達はまだ来てないんですか?765プロの未来の為にも、後輩はどんどん育てないといけませんよね!!」
キラキラした瞳を向ける真。これでもっとボーカルレッスンとビジュアルレッスンに力を入れてくれたら言うことは無いんだが……
「ああ、あの子達なら昨日全員辞めたよ。今回は行けると思ったんだがなあ……」
「そんなあ~……、ハッ!まさかプロデューサー、その立場を悪用してセクハラとかしてませんよね?」
「するわけないだろそんな事!!お前は俺をそんな目で見てるのかよ!?」
冗談ですよ~、とさっぱりと笑う真にチョップしつつ、俺達は軽く仕事内容の確認をする。と言っても真は既に自分でスケジュールを組んで活動しているので、むしろ俺が予定を聞くことが多いのだが。
「ふむ……、相変わらずダンスの仕事が多いな。もうちょっとボーカルやビジュアルも頑張れよ。お前別に歌もヘタじゃないんだし、歌の仕事獲って来てやろうか?」
「いえ、今のままでいいです。ボクはもっとダンスの練習をしないと『あの子』に勝てないから……」
俺の意見に首を横に振る真。まだ『アイツ』を追いかけているのか。お前も分かっていると思うが、アイツが凄いのはダンスだけじゃないぞ?それだけを続けて勝てるほど甘くないのは分かってるだろうが。
「それはそうですけど……、でもやっぱりボクにはダンスしかないから……。ダンスがしっかりしていないと、他の活動も上手くいかないと思うんです」
やれやれ、こうなると議論は平行線だ。真の言う事も正しい。でもお前はダンサーじゃなくてアイドルなんだぞ?プロデューサーとしてはもっと広い視野でバランス良く色々やってみて欲しいんだけどな。
「これも時代か……」
俺はぽつりとつぶやいた。こんなアイドルのトレンドは間違っている。でもそれに抗うことが出来ないのが現実だ。特にウチのような小さい事務所には荷が重すぎる。
「誰か来られたんですか?」
その時、春香がひょっこり顔を出した。そして俺の横にいた真と目が合うと、慌てて手作りのクッキーを持って駆け寄って来た。
「菊地真さんですよね!?私天海春香って言います!!今日からアイドル候補生としてこちらでお世話になります!! どうぞよろしくお願いします!!」
若干早口で興奮しながら、春香が自己紹介をする。そういえばこいつ765プロのアイドルのファンだって言ってたな。お前も今日から765プロの一員なんだぞ。ちゃんと自覚しろよ。
「へえ、春香って言うんだ。可愛い名前だね。ボクの事は真でいいよ。よろしくね♪」
「そ……、そんな……、菊地さんを呼び捨てだなんて……」
すっかり縮こまってしまう春香。安心しろ、真はそういうの気にしないから。伊織はうるさいけどな。
「そうだ真、基本だけでいいから春香に軽くダンスのレッスンをつけてやってくれないか?俺はもう少しだけ時間がかかりそうなんだ。今日が初日だからあんまりキツくするなよ」
「わかりました。それじゃ屋上行こうか春香。軽いステップだけならそのスカートのままでも大丈夫かな。ついて来て」
「よ、よろしくお願いします……!!」
ガチガチの春香に苦笑しつつ、真は春香を屋上へ連れて行った。トップアイドルの真の指導をマンツーマンで受けられるのは贅沢かもしれないな。
「さて、俺もさっさと片付けるか」
スケジュール表とにらめっこしながら、俺はスタッフ会議のアポを取る。社長は夕方には出社されるそうだ。律子も竜宮のメンバーを家に送り届けた後に事務所に戻ると言っていた。しかしあずささんには会議には参加してもらう。この会議には、彼女の意見も必要だと判断した。ついでに音無さんにも出席してもらう予定だが、さっきの言葉がよほど堪えたのかテンションだだ下がりで、仕事のモチベーションも最低値を振り切ってる。これはちょっと難しいかな……
「あ、プロデューサー、そのクッキーの上のリボンだけもらってもいいですか?」
事務所を出て行ったと思ったら、真がひょっこり戻って来た。後ろから春香もついてくる。
「これか?いいけどどうするんだ?」
リボンを解いて真に手渡す。すると真は自分の分のクッキーのリボンと2本準備して、慣れた動作で春香の頭の両端の髪にリボンを結んだ。
「どうですかプロデューサー!春香ちょっと面長だから、こういうの似合うと思うんですよ!」
得意気な真の隣で、春香が恥ずかしそうに自分の頭に結わえられたリボンをいじっていた。おお、なかなか似合っているじゃないか。俺も何かアクセサリーが欲しいと思ってたんだけど、カチューシャくらいしか思いつかなかったよ。
「それだと小鳥さんとかぶっちゃうじゃないですか。ボクだってアイドルとして、ビジュアルの勉強もちゃんとしてるんですよ。ボクに似合う可愛いアクセサリーがなかなかないんですけど……」
軽くブルーが入る真。ボーイッシュな魅力で売り出してるから、使えるアクセサリーも限られるんだよな。しかし本人はカワイイものが大好きなのだ。不憫な子だよ全く。
「いや、お前も使い方次第ではリボン似合うと思うけどなあ」
「ホントですか!?どうすればボクもリボンとか使えますか!?」
元気になる真。今のままでも十分だと思うけど、真の魅力をジャマしないように使うとすればだな。
「ぶっとい赤いリボンをバンダナみたいに巻くとかどうだ?それか右上腕に巻いたらより恰好良く……」
「どこのランボーですか!!そんなの可愛くありませんよ!!」
俺の脳天に鋭い手刀を打ち込んで、真はぷんぷん怒りながら出て行った。春香はおろおろしながらついて行く。いてて……、これでもマジメに考えたんだけどな。
「うう……、せっかく妹が出来たと思ってたのにすっかり真ちゃん色に染められちゃって……」
隣で音無さんが悔しそうに泣いていた。はいはい、バカなこと言ってないでさっさと仕事して下さい。それにあんたよりまだ真の影響を受けている方が健全ですよ。
「あ、でも真×春香……、それもアリかも……ぐへへ……」
……もしかして今までの候補生の子達が辞めたのはこの事務員のせいではないだろうか。春香は俺が全力で守らないとな!!俺は決意を新たに書類を片付けた。
***
「待たせてスマン、どうだ?」
本日分の業務を大体終えて、気がついたら1時間近く真に任せきりになってしまっていた。屋上ではいつの間にかジャージに着替えた春香と真が、ビデオを見ながら振り付けの確認をしていた。おいおい、基本だけでいいって言ったのに随分本格的にやったみたいだな。
「すみませんプロデューサー、春香があまりにも吸収が早いものでついつい先に進んじゃいました。でも春香すごいですよ。体力はあるし、きっちりついてきました」
「そ、そんなあ~……、真の教え方が上手いからだよ~。本当に勉強になったよ!ありがと!」
ふたりで笑い合う真と春香。どうやらすっかり打ち解けたみたいだな。
「じゃあ春香、さっきのアドバイス通りちょっとひとりでやっといてくれるかな?ボクはプロデューサーに報告する事があるから」
「うん、わかったよ。お手柔らかにね」
春香はそう言って、ひとりでステップの練習を再開した。おお、基本は問題なさそうだな。リズム感も悪くはないようだ。
「基本だけなら問題ないんですよ。でも何て言うのかなあ、う~ん……」
真が難しい顔をして唸っている。どうした?何かあるのか?
「上手く言えないんですけど、春香の持ち味というか、個性がイマイチ見えてこないんです。ある程度基本のダンスをやってもらうとその子の得意不得意が見えてくるものなんですけど、春香に限ってはそれが全く分からないというか……」
なんだそりゃ?ダンスの得意なお前でも分からないのか。でも下手ではないんだよな?
「はい。運動神経は悪く無いみたいです。スタミナもありますし、アイドルとして問題はないでしょう。ただ特長や長所が分かりづらいですからアピールが物足りないかもしれないですね……」
俺達の視線の先では、春香が楽しそうに音楽に合わせて踊っていた。う~ん、言われてみれば確かに基本には忠実だが、尖ったところがなくて丸っこい印象を受けるな。
「まあ、今日が初日ですし、これからレッスンを積めば立派なダンサーになれるかもしれませんけどね!ボクも一緒に踊ってて楽しかったし、春香の将来が楽しみですよ!」
「俺は春香をダンサーにするつもりはねえよ。ついでにお前もまだアイドルだぞ。それより真、そろそろ時間だが大丈夫か?今日の現場結構遠いだろ。駅まで送ろうか?」
俺は腕時計を見せてやる。そろそろお昼になろうとしている時間だ。
「わわ、そうだった!じゃあプロデューサー、ボクそろそろ行ってきます!一応練習風景ビデオに録っておきましたので、後で確認してくださいね!」
春香に別れを告げて、真は大急ぎで屋上から出て行った。時間を忘れるくらい楽しめるなんて、春香と真は相性が良いのかもしれないな。
「春香~、俺真を駅まで車で送って来るわ。すぐ戻って来るから着替えて待っててくれないか?戻ったらちょっと早いけど昼飯にしよう。音無さんにも言っといてくれ」
「はい、わかりました!お気をつけていってらっしゃい!」
俺の言葉に笑顔で手を振る春香。しかしホントに元気だな。真とマンツーマンで一時間近いレッスンなんて、大抵のやつはバテてしまうと思うのだが。俺は屋上を降りて事務所前に車を回した。
***
昼食後、俺と春香はオーディオルームでビデオの確認をした。オーディオルームと言っても、ビデオとコンポが置いてあるだけの部屋だが。それから千早が家から持ち込んだあらゆるジャンルのCDが沢山積まれている。千早は事務所では大抵ここで音楽を聴いているのだ。
「……春香、お前ダンススクールとか養成所に通ってた事あるか?」
「いえ、ないです。オーディションは何度か受けたことありますけど、全部落ちちゃいました♪」
えへ、と笑う春香。じゃあ歌が足を引っ張っていたのか?基本だけとはいえ、ここまで春香がダンスを踊れるとは思わなかった。上手いかと言われればそうでもないが、決して下手ではない。しかもビデオを見る限りでは、春香は真に教えてもらった振り付けを2度3度練習するだけでほぼ完璧に出来ている。この学習能力の高さは何だ?
「あ、でも順調に行ってたのはここまでなんです。ここから先はどれだけ教えてもらっても出来なくて……」
春香が恥ずかしそうに言った。ビデオの中では、基本を一通り終えた真が春香に『マコトステップ』を教えようとしていた。あの野郎、基本だけでいいって言ったのに春香をダンサーにする気マンマンじゃねえか。
マコトステップとは、ダンスパフォーマンスが得意な真が開発したオリジナルステップである。手順自体はそう難しくないのだが、ピッチが速くて力強いのが特徴だ。女性ダンサーのステップというよりは、男性ダンサーのステップである。こんな踊りしてるから「カワイイ」より「カッコいい」なんて言われるんだよ。
「やっぱり真はトップアイドルですよね。私なんかまだまだ敵わないや」
ビデオの中で失敗する自分を見ながら苦笑する春香。しかし真のように出来なくても、これだけ基本がしっかりしていればマコトステップの真似事くらいは出来そうだけどなあ。何がダメなんだ?
「ビデオで見るだけではちょっと不可解な点が多すぎるな。これは実際に確かめてみないと分からない。午前と同じで悪いが、もう一度ダンスレッスンだ。今度はスタジオを抑えてあるから、トレーナーの先生もついてるぞ。大丈夫か?」
「それは構いませんけど、ボイスレッスンやビジュアルレッスンはやらなくていいんですか?」
春香が頭に疑問符を浮かべている。確かにダンス、ボーカル、ビジュアルの3つをバランスよくレッスンしないとアイドルにはなれない。しかしこれには事情がある。
「ビジュアルレッスンの方は夕方になる。それからボイスレッスンは時間がかかりそうだから後日じっくりやる予定だ。春香がそこそこ踊れることも分かったし、今日はダンスレッスンを重点的にやろう」
あの調子っぱずれの歌を矯正するのは大変そうだからな。おそらくオーディションで落ちまくったのは歌が原因だろう。
「もう!私そんなに音痴じゃないですよ!歌もそこそこ歌えるんですからね!こう見えても一度だけ、プロデューサーさんの前にもスカウトされたことだってあるんですから!」
「はいはい、寝言は寝てから言おうな。それじゃあ時間もおしてるしさっさと行くぞ。準備しろ」
「ほんとですってば~!」
春香の言葉を聞き流し、俺達は荷物をまとめて出発した。
***
「おはようございま~す」
スタジオに到着すると、俺は春香を待たせて先に挨拶に入った。トレーナーの先生とレッスンの打ち合わせを軽くする必要があるからだ。しかしスタジオには事務所で見慣れた先客がいた。
「プロデューサー?どうしたんですか?」
「あれ?千早も来てたのか」
学校の制服のままで、765プロのトップアイドルの1人である如月千早がトレーナーの先生と話をしていた。
「はい。学校が早く終わりましたので帰りに寄りました。今日は今後のレッスンの予定を相談しに来ただけなのですぐ帰ります。スタジオは使わないので気にしないで下さい」
千早も真と同じで、自分でスケジュールを組んで活動している。ただ真がダンスに偏っているように、千早は歌に大きく仕事のウェイトを置いているのが難点だ。たまにダンスレッスンも入れているが、どうせ千早の事だから腹筋を鍛える事をメインに、いかに上手に歌えるかというためだけに受けているのだろう。
「そうだ千早、この後大丈夫か?出来ればお前に会って欲しい子がいるんだが……」
「それは別に構いませんけど……、また新しい子が入ったんですか?」
訝しげにこちらを見る千早。千早は真と違って結構人見知りな所があるが、全く知らない仲でもなさそうだし恐らく大丈夫だろう。
「まあそんなところだ。お~い春香、もういいぞ入って来い」
「春香……?」
俺の言葉に千早がピクリと反応する。するとスタジオのドアの陰から、おそるおそる春香が顔を出した。
「ひ……、久しぶり……、千早ちゃん……」
「嘘……、ほんとに春香なの……!?」
春香と千早の間に微妙な空気が流れる。何故か互いに気まずそうだ。どうやらふたりの間には、過去に何らかの問題があったみたいだな。いつもポーカーフェイスの千早がこんなに狼狽えるのを見るのは初めてだ。春香もぎこちない笑顔をしている。やっぱり野暮でも、先にふたりの関係を調べておくべきだっただろうか―――――
***
「はい、ワン・ツー・ワン・ツーそこでターン!」
トレーナーの先生への軽い自己紹介の後、春香はダンスレッスンに入った。基本ステップや振り付けはほぼ完璧で、トレーナーの先生も驚いている。春香も特に問題もなく、楽しそうにレッスンを受けていた。
「ほんとに基本に忠実だなあ。どうしてあそこまできっちり教科書通りに踊れるんだ?」
実際に生で見て、俺も思わず感嘆の声を出した。しかし真の言う通り、下手ではないが春香の個性が見えない。弱点がないのは良いことだが、得意分野もよく分からない。これでは育成方針も決められないぞ。
「それが春香なんです。真も言ってたと思いますけど、基礎基本を覚えるのはとても速いんですよあの子」
隣にいた千早が答えた。お前も知っていたのか?
「はい。私も昔、春香に歌を教えてあげたことがありますから」
「何?そんな事があったのか?一体どういういきさつでそうなったんだ?」
俺の質問に千早は答えない。ただ何とも言えない微妙な表情で、千早は春香を見ていた。春香はそんな千早の視線に気付いているものの、あえて目を逸らしてレッスンに集中している。
「はい、じゃあ次はちょっと進んで応用編に行ってみましょうか」
ここで少し予定を早めて、トレーナーの先生がレッスンを進めた。春香の笑顔が固まる。
「でも春香が出来るのはここまでです。ダンスも歌も……」
千早が辛そうに言った。そしてその言葉通り、春香は先程までとは嘘のように、レッスンについて行けずにボロボロになってしまった。何故だ?一体何が悪いんだ?
「まだちょっと天海さんには難しいみたいですね。じゃあ今日はここまでにしておきましょうか。次回はまた基本からしっかりやっていきましょう」
「はい……、ありがとうございました……」
トレーナーの先生はフォローしてくれたものの、春香はすっかり落ち込んでしまった。千早はふう、と溜息をつくと、レッスンで使用したCDラジカセをいじり始める。
「春香、久しぶりにあなたの歌を聴かせて欲しいのだけど、一曲くらい歌えるかしら?」
千早の突然の呼びかけに、春香はとても驚いた。
「一曲くらいなら大丈夫だけど……、でもいいの?千早ちゃん……」
おずおずと答える春香に千早は優しい声で、
「こっちからお願いしているのよ。それにこれからは同じ事務所の仲間なんだから、過去の事は忘れて仲良くしましょう。あの時は私もどうかしてたわ。遅くなってしまったけどごめんなさい」
「い、いいよそんな事!全然気にしてないから!むしろ私の方が千早ちゃんに悪いことしちゃったんだし、本当にあの時はごめんね……」
お互いに謝る春香と千早。そうして仲直りをした後、春香はスタンバイをはじめた。千早もラジカセのスイッチを入れて俺の横に戻る。
「なあ、いい加減お前と春香の間に何があったのか教えてくれないか?」
「春香が歌います。よく聴いて下さい」
俺の言葉に千早はそう返した。歌なら昨日聴いたよ。しかしあれはそう簡単に直せないぞ。やがて曲のイントロが流れ出し、春香が歌い出した。ちなみに千早は春香に「いつも通り」とか「普通に」と注文をつけていたが、ますますダメになるんじゃないか?
♪ARE YOU READY!! I’M LADY!! 始めよう♪
「な……!?」
昨日とはうってかわって、春香は音程を外す事なく、きっちり忠実に歌い出した。決して下手ではない。特徴のない歌声だがむしろ聴き取りやすくて好印象で、発音もばっちりだ。
「春香とは中学生の時に、何度かオーディションで一緒になったことがあるんです。いつも会場でひとりでいた私を、あの子は放っておかずに話しかけてきて仲良くしてくれました。あの頃はお互いオーディションになかなか受からなかくて、よく励まし合ってました。私も春香に会うのは楽しみでした」
春香の歌声を聴きながら千早が話し出した。そうか、オーディション仲間だったのか。
「春香のおかげで私は肩の力を抜いてオーディションを受けることが出来て、そして何度目かのオーディションでついに入賞したんです。春香は落ちちゃいましたけど、私の入賞を自分の事のように喜んでくれました。そんな春香に恩返しがしたくて、私は歌を教えてあげようと思ったんです。私がしてあげられることはそれくらいしかありませんでしたから……」
千早が遠い目をして言った。なるほど、そして春香の特性に気が付いたわけか。
♪やれば出来るきっと 絶対♪
「春香の歌は何度かオーディションで聴いていたのでよく知ってました。基本はきっちり押さえているのに、明確な強みやアピールポイントがなくて毎回落とされてしまうことも。だから私は、春香の歌に個性を持たせてあげようと思ったんです。でも色々試してみても春香は基本の枠から出る事が出来なくて、結局私が怒って帰ってしまってそれっきりで……」
そりゃお互いに気まずいよな。よく仲直り出来たものだ。しかし厄介な子だな春香は。ダンサーでもボーカリストでもないとなると、残りは『ファンタジスタ』か?それなら伊織の出番だが。
「いえ、おそらくビジュアルを磨いても春香は基本から出る事は出来ないでしょう。あの子はファンタジスタでもありません。でもアイドルとしての素質は十分持っていると思います。おそらくあの子は……」
千早の言葉に俺は驚愕した。まさかあれだというのか?十万人にひとりいるかいないかと言われている、あの『日高舞』と同じ特性の……
「日高さんになれるかどうかはこれからの春香次第ですが、おそらく『オーソドックス(正統派)』で間違いないでしょう。春香のプロデュースをするつもりでしたら覚悟しておいた方が良いですよ」
千早が楽しそうに笑う。俺は冷や汗をかいた。あいつの何が俺の心を震わせたのかずっと分からなかったが、まさかそんなウラがあったとは。そんな貴重な逸材がまさかあんな田舎にいるなんて思わなかったぜ……
♪私NO.1♪
そんな俺の気持ちを知らずに、春香は楽しそうにイントロを歌い切った。昨日聴いた時は、お前が一番になれるかなんて笑っていたが、本当に狙えるかもしれない。これはこの後の会議が長引きそうだな―――――
第二章
「うわ~!本当に竜宮小町の水瀬さんと双海さんだ~!何だか夢みたいです~!」
「おおげさだよはるるん♪亜美達これからは同じ事務所のメンバーなんだから仲良くしようZE!」
「は、はるるんなんて……、なんて可愛いニックネームなんだろう!ありがとうございます!」
「もう、カタいカタい!もっとフランクに行こうぜはるるん!亜美達の事は呼び捨てでいいからさ→」
「わかったよ!じゃあこれからよろしくね亜美、伊織!」
「ちょ……、何で私まで呼び捨てになってるのよ!?まだ会ったばかりなのに馴れ馴れし過ぎよアンタ!!」
「いーじゃんいーじゃんいおりん、このぬる→いカンジが765プロじゃ→ん?」
「それはアンタだけでしょうが!ああもう、春香もじっとしてて!次はこのレース付きなんてどうかしら?」
「ええ~、それはちょっと派手すぎるというか、私のキャラじゃないよ~……」
現在事務所の中では、春香が亜美と伊織に頭のリボンを選んでもらっている。もっと春香に似合いそうなリボンがないかと思い、律子にアクセサリーショップでいくつか買って来てもらった。それを竜宮小町のメンバーに見られてしまったようで、亜美と伊織が会いたいと言い出して、結局事務所に来てしまった。おかげで春香の相手をしてくれているのでこちらとしては助かっているが。
「大丈夫かしら春香……、亜美が無茶しなければいいけど……」
「伊織もついているし大丈夫よ。あの子はウチのビジュアル担当なんだから任せておきましょう」
千早の言葉に律子が返す。春香達がリボン選びをしているドアの一枚向こうの社長室では、春香の育成方針についてのスタッフ会議が行われていた。出席者は社長、律子、あずささん、千早、俺である。音無さんは間に合わなかった。きっと今日も残業だなあの人……。代わりにというわけではないが、千早が飛び入り参加してきた。
「ふむ、どうやら如月君の言う通り、天海君はオーソドックスで間違いないようだね。キミもなかなか厄介な子をスカウトしてきてくれたものだ」
パソコンでレッスンの映像を皆で確認しつつ、社長が苦笑いした。スミマセン……、俺も実物を見たのは初めてですから、春香がそのタイプだって分からなかったんです。
「なんだかなつかしいですねこの子。私がアイドル候補生だった頃は、みんな春香ちゃんみたいなアイドルになりたいと思ってレッスンしていたんですよ~」
「いえ、あずささん。この子はまがいものじゃなくて本物の天然オーソドックスですよ。よくもまあここまで丸っこく成長したものね……」
ベテランアイドルのあずささんと、元アイドルの律子が映像を見て感想を口にする。
「天然?まがいものと天然って、何か違いがあるんですか?」
千早が首をかしげる。そっか、お前らの世代はオーソドックスという言葉は知っていても見たことないんだな。俺も教えられるほど詳しいわけではないが。
「その説明をするには、まずはアイドル業界の歴史から語らないといけないな。長くなるが良いかね、如月君」
社長の言葉に千早が頷く。社長はゆっくり昔話を始めた。
「アイドル黎明期の頃はね、歌やダンスの上手下手に関係なく人を惹きつける魅力を持った子達をどんどんデビューさせていたのだよ。当たり外れも激しかったが、あの頃はみんな自由で色々やって楽しかったよ。私達もまだ手探りの状態で目の回る忙しさだったが、良いものを作ろうとみんな一所懸命だった」
そういえば昔のアイドルは結構無茶やらされていたっけな。今は色々規制が厳しいから難しいが、芸人ばりに体を張って仕事していた子達もいた。
「そんな時、アイドル業界に彗星のごとく現れたのが日高舞だった。彼女の登場が今のアイドル業界を確立するきっかけとなったのだ。まさにアイドルになるために生まれて来たかのような彼女は『正統派』としてアイドルの指針となった」
確かに日高舞の登場は強烈だった。その圧倒的ポテンシャルと存在感の強さは他の追随を許さず、引退して10年以上経った今でも日高舞以上のアイドルはいないと言われている。そして今の全てのアイドルの先祖みたいな存在らしい。改めてその凄さを感じる。
「日高君はアイドルとしての能力が高すぎて、どこの事務所でも彼女を受け入れる事が出来なかった。しかしこの逸材を失うのは大きな損失だと判断した業界は、彼女ひとりだけのために事務所を設立し、事務所の垣根を越えて腕利きのプロデューサーをそれぞれ彼女のために出したのだ。最終的に日高君には10人のプロデューサーがついた。私や黒井、876の石川が当時のメンバーだよ」
そうそうたる顔ぶれだな。高木社長の話では、彼女をプロデュースした10人全員が、後にアイドル事務所の社長や業界の有力者になっているらしい。日高舞の影響はこんな所にまで及んでいたのか。
「しかしキミ達も知っているように、彼女は16歳の人気絶頂期の時に引退してしまった。妊娠までしていたからもう止められなかった。それでも引き留めようとする業界人もいたが、彼女自身もうアイドル活動に飽きてしまっていたようで、すっぱり業界を切ってしまったんだ。わずか3年足らずだったが、彼女にはアイドル業界全体が最初から最後まで振り回されたよ」
まさに嵐のような存在だったな。引退した時も連日ワイドショーを騒がせていたっけ。きっとライバルがいなくてつまらなかったのだろう。
「彼女を失って、我々10人は反省会議を行った。彼女が業界に愛想を尽かせてしまったのは私達プロデューサーの責任だ。そこで我々は、今後日高君のようなアイドルが現れても彼女に対抗できるようなアイドルを育成しようと誓い、各々がその方法を模索する事にした。私と黒井と石川はその頃事務所を設立したから特に頑張ったよ」
「ちょうど私と律子さんがアイドル候補生として765プロに来た頃ですね~。懐かしいわぁ~」
「そうですね、みんなあの頃は日高舞になろうとしてレッスンしてましたよね」
あずささんと律子が当時の思い出を語る。当時は歌唱法もダンスも全て日高舞のマネだったらしい。それで『まがいもの』なのか。
「日高君がアイドルのお手本だったからね。彼女が引退して最初の数年は、彼女の真似をするしかなかったのだよ。しかしまがいものも馬鹿には出来ない。中には上手に彼女の真似をして、再現度が6割を超えた子もいたのだよ」
あの伝説のアイドルを6割も再現できたとは、相当努力したんだろうなその子達は。
「しかし事務所全体がどれだけ頑張ってもそれが限界だった。そこで私達は日高君の真似を止めて、別のアイドル育成法を作り出すことにしたのだ。そして黒井が生み出したのが、現在主流のアイドルの育成法である『ボーカル』『ダンス』『ビジュアル』とアイドルの資質を3つに分解して育成・評価するやり方だった」
黒井社長は人格にやや難ありではあるが、プロデューサーとしての腕は確かなようだ。あのデカい事務所がそれを証明している。
「この育成法は実にシンプルで、レッスンも明確で分かりやすくなった。しかもこれら3つの特性をバランス良くアイドル達にレッスンさせれば、ゆくゆくは日高舞のような正統派アイドルになるのだ。業界内でも評判が良く、あっという間に広まった」
ちょうど俺がプロデューサーになった頃だ。あの頃はアイドルの子達もプロデュースする俺達も楽しかった。円グラフとか作ったりして、候補生の子達に説明しながらプロデュースしてたっけな。
「しかしこの方法には弱点もあった。レッスン内容はシンプルではあるが、その特性を満遍なく伸ばすのは大変なのだ。アイドルにも得意不得意があるからね。細かい調整となってくると、それなりに時間も手間もかかる。だから業界内では徐々に3つのうちどれかひとつを伸ばす育成法にシフトしていった。そして生まれたのが『一点特化型アイドル』だ。如月君や菊地君、それから水瀬君もそうだね」
765プロはバランス良くアイドル育成を続けてしていたが、その他大勢の事務所は安易な一極集中型の育成法に流れてしまい、結局それに合わせるしかなかった。そしてこれが今のアイドル業界を苦しめている。千早達に罪はないが、この一点特化の育成法が広まった事によって業界は徐々に衰退した。
「何だか大きな話になってきましたね……。すみません、私が余計な事を言ったばかりに会議の邪魔をしてしまって……」
千早が申し訳なさそうに謝る。確かに正統派の説明から、いつの間にかアイドル業界の話になってるな。
「いや、天海君をプロデュースするためには業界の事をよく理解しないといけないから、この話は必要なのだよ。だから気にすることは無いよ如月君」
社長が笑顔で言った。そうだよな、俺は春香を今のアイドル業界を変えるアイドルにしようとしているのだ。それにどのみちオーソドックスのアイドルを育成する為には、今の一点特化のアイドル達と戦わなければならない。
「千早、ここから先はお前には辛い話になるかもしれない。退席するなら今のうちだぞ」
俺は一応千早を気遣う。あずささんと律子は大丈夫だと思うが、歌をアイドル活動の軸にしている千早はそうではないかもしれない。
「構いません。春香と会った時に覚悟していましたから。プロデューサーは春香に、今の業界を変えて欲しくてスカウトしたんですよね?でも私も簡単に変えられるつもりはありません。この状況から、またボーカリストとして大きく成長するチャンスを探そうと思います」
千早は笑顔で答えた。こいつは本物の歌バカだな。でも千早自身も、今の業界の閉塞感を感じているようだ。それに彼女自身、最近伸び悩んでいるようで打開策を探しているらしい。ピンチをチャンスに変えることが出来てこそ本物のプロだ。
「はっはっはっ、実に頼もしいね。それでこそトップアイドルだ。では遠慮なく言わせて貰おうか」
社長はひとしきり笑った後、真剣な顔になって全員を見渡した。俺達は息を呑む。
「天海君の育成は、スタッフもアイドルも関係なく事務所総出で行う。具体的には天海君をリーダーに、如月君と菊地君で三人組のユニットを組んでもらおうと考えている。それから彼女達のプロデュースは律子君が担当したまえ。代わりに彼が竜宮小町のプロデューサーに変更だ」
「「「は?」」」
あまりにも突拍子もない言葉に、俺と律子と千早はついつい社長相手という事も忘れて聞き返してしまった。律子の隣ではあずささんが「あ……、あ・ら・あ・ら……」とぎこちない笑みを浮かべている。まさか春香の育成がいきなりユニットとは。しかも千早と真と組ませるだって?春香が壊れてしまわないですか?
「大丈夫だよ。天海君はそれくらいで壊れたりはしない。それに如月君と菊地君も、天海君と組むことで良い影響を受けるはずだ。ちなみに私が天海君のプロデュースの総指揮を執る。久々に腕が鳴るねえ」
指をポキポキ鳴らす社長。まさか社長まで出動する事態になるとは。これは大変なことになってきたぞ……まだ事態が上手く理解出来ない俺達のドア一枚向こうでは、ようやく春香のリボンが決まったようだった。
「や、やっぱりコレにする!私今日はじめてリボン付けたばかりだから、あんまり派手なのはまだちょっと恥ずかしいの!」
「え~、それ今とあんまり変わらないじゃ→ん、ちょっと幅が太くなっただけだYO→」
「いいんじゃない、まだアイドルになった実感が沸いてないみたいだし、今のアンタにはそれくらいがお似合いよ。でもそのうち、この金のチェーン付きのリボンにしてもらうからね。にひひ♪」
「うう……、がんばるよ……」
***
「ふ~ん、じゃあしばらくアンタが私達のプロデューサーになるのね」
「ああ、そういうことだ。これからよろしくな」
「ふんっ、コキ使ってやるから覚悟しなさいよね!じゃあ早速ジュースを買って来てもらいましょうか。100パーセント果汁の……」
「オレンジジュースだろ?それで亜美がりんごジュースだったな。後ろのクーラーボックスに冷えたのが入っているから。でももうすぐ仕事だから程々にしとけよ」
「わ、わかってるじゃない……、アンタにしちゃ上出来ね。褒めてあげるわ!」
「わーい兄ちゃんありがと→!」
「うふふ~、よかったわねえ伊織ちゃん、亜美ちゃん」
翌日、俺は竜宮小町のメンバーを車に乗せてテレビ局へ向かっていた。今日は午前中は彼女達の付き添いだ。午後には一足先に事務所に戻って、そのまま春香達の様子を見に行こうと思っている。
「でも真はともかく、よくあの千早がユニットなんてOKしたわね。あの子一匹狼的なところあるじゃない? 協調性にも乏しいし、てっきり反対すると思ったんだけど」
「ああ、最初は反対したよ。でも社長が佐野美心の名前を出したらなんとか納得してくれたよ」
「サノミココロ?誰それ→?」
亜美が質問する。そうか、今の子達は彼女の存在を知らないんだな。俺も実際に会ったことないけど。
「佐野さんはねえ亜美ちゃん、私と同じとしの、歌がとっても上手なアイドルさんなのよ。表舞台からいなくなっちゃったけど、今でも千早ちゃんより上手だって言う人もいるわ~」
「千早お姉ちゃんより上手なの!?スゲーッ、そんなアイドルいるんだー!!」
亜美が興奮気味に話す。俺も千早以上のボーカリストなんてちょっと想像出来ないが、彼女を知る人は皆、歌だけなら佐野美心は日高舞に匹敵すると言っている。そんな彼女を千早が意識しない筈がない。
「またずいぶん古い名前が出て来たわね。そんな化石みたいなアイドル出して、どうして千早を説得することが出来たのよ?」
おいおい、佐野さんは業界からはいなくなってしまったけど、老人ホームや刑務所の慰問でまだ細々と歌っているぞ。それから化石って言ってやるな。あずささんの笑顔が引きつっているのに気付いてないのか。
「佐野美心は一点特化型のアイドルの台頭する業界に愛想を尽かせていなくなってしまったからな。今のプロフェッショナル至上主義の夢のない業界を変えることが出来れば、また彼女のようなアイドルが帰ってくるかもしれないと社長は言ってた。俺もそう思う」
ボーカル特化型の『ボーカリスト』、ダンス特化型の『ダンサー』、ビジュアル特化型の『ファンタジスタ』など、彼女達は既にアイドルというよりはそれぞれの道のプロフェッショナルである。その道を究める為に他のふたつを切り捨ててひたすら突き進む彼女達は、技量が上がりすぎてもう既に気軽に応援できる存在ではなくなってしまい、それが業界が衰退する要因のひとつになってしまった。
「確かに昔と比べて、今はアイドルの子達もピリピリしてますものね~。そんな業界が嫌になって辞めた子達もいっぱいいたわ~。私は今の流れに合わせて何とかまだ続けているけど、律子さんも私が楽しいアイドル業界を復活させないと!って言ってプロデューサーになっちゃいましたし~……」
あずささんが捕捉する。そしてこの流れは、ファンだけではなくアイドル自身も苦しめている。プロ志向が先行したことでアイドルの間でも技術優先の競争が激化し、ついて行けない子達はどんどん脱落していくのだ。一昨日、一斉に辞めた候補生の子達を思い出す。アイドルに夢を見て入ったのに、いざ内部を知ると殺伐とした弱肉強食の世界だったら嫌気がさすよな。
「そういう時代だからしょうがないじゃないって思うけど、確かにそろそろ変わらないといけないわね。ひとつのことしか出来ないアイドルなんて好みも分かれるだろうし、それに個性が3つだけになったことで似た様なアイドルばかりになってファンも飽きてるし。最近はライブのノリも悪いのよね……」
「いおりんもそう思う?亜美もめっちゃガンバってるのに、お客さんの反応がイマイチなんだよね→。これじゃあ真美も来なくなっちゃうYO→」
伊織が冷静に分析する。ビジュアル特化型のアイドルは、自分をどう見せれば魅力的に映るかを熟知しているのでライブの空気に敏感だ。ファンを魅了してライブを盛り上げていくパフォーマンスをするから、彼女達はファンタジスタと呼ばれている。ちなみにあずささんと亜美は3つのプロフェッショナルのどれでもない。あずささんはオーソドックス(偽)タイプ、亜美は業界の転換期が近づいていると予測した社長が、あえて3つのタイプに縛らない育成法で亜美を育てている。ユニットを組ませているのもふたりを守る為だ。
「今のアイドル業界はこのまま衰退するか、新しく生まれ変わるかのターニングポイントに差し掛かろうとしている。俺達は春香を育成する事で、昔のように自由でかつ今の専門性の高いアイドルが楽しく活動出来る新しい時代を作ろうとしているんだ。時代の流れに逆らって革命を起こすのは大変だが、ウチが先陣を切ることが出来れば業界トップは間違いない。それに真美だって帰って来るさ。だから皆も協力してくれないか?」
春香達のユニットは竜宮小町のライバルになるだろう。しかし同じ事務所の仲間でもある。業界を変えたいという想いは皆同じで、事務所をもっと盛り立てて行きたいと思っているはずだ。だから律子も春香達のプロデュースを引き受けてくれた。
「面白そうじゃない。いい加減退屈してたのよね。ここで一気にトップに立って、誰が真のビジュアルクイーンか『あのバカ』に教えてやるわ。トップはふたりもいらないもの」
伊織の瞳に炎が宿る。真と伊織にはそれぞれ強烈にライバル視しているアイドルがいる。しかし真の方はともかく、伊織は苦戦しそうだな。同じ15歳なのに、あっちはモデル顔負けのプロポーションしてるし。デコの輝きだけなら圧勝しているのだが。
「まさかもう一度アイドルとして生まれ変わることになるとは思わなかったわ~。あの頃みたいにまた楽しく出来れば嬉しいです……」
あずささんがそっとハンカチで目を抑えた。彼女は時代に合わせてアイドルとしての方向性を変えながら活動を続けてきた苦労人だ。その苦労がようやく報われようとしている。きっと新たな時代では、彼女のような経験豊富なアイドルは大活躍できるだろう。
「亜美も真美のためにガンバるYO!やっぱり双子はワンセットじゃないとねっ!」
亜美も元気に答えてくれた。真美が来なくなったのは俺達スタッフの責任である。真美も亜美と一緒で、やがて来る新時代のために準備をさせていたのだが、亜美が竜宮として活躍する一方でずっとレッスンだったのは耐えられなかったのだろう。真美の為にも、俺達は絶対に成功しなければならないのだ。
「もちろん竜宮小町の方も頑張ってくれよ。みんながウチの稼ぎ頭なのは変わらないからな。そろそろ到着するから準備しとけー」
はーい、という声を聞いて、俺はテレビ局の中に車を入れる。律子の方は上手くやっているだろうか。社長もついているから大丈夫だとは思うが。俺も今は竜宮小町のプロデューサーとして頑張らないとな。
***
「お疲れ~、差し入れ持って来たぞ~」
午後になって、事務所に戻った俺はそのまま春香達がレッスンをしているスタジオへ直行した。
「うおっ!?」
スタジオに入った瞬間、俺は何かに躓いてこけそうになった。危うく差し入れのドーナツを落とすところだったぜ。何か機材でも置いてあったのか?
「……って、真!?」
「う……、う~ん……」
俺の足元には疲れ切った真がアザラシのように転がっていた。どうしたんだ一体!?
「ああ……、お疲れ様ですプロデューサー殿……。竜宮のみんなは大丈夫でしたか……?」
「マッブタヲアケテサッワヤカオメザメ……」
「律子達まで……、一体何があったんだ?」
真から少し離れた所では、律子が壁にもたれかかってへたりこんでいた。その隣では千早がひざを抱えて何か呪文のようなものをつぶやいている。何だこの惨状は。
「おお、ようやく来たね。それでは天海君、少し休憩しようか」
「はい!ありがとうございました社長!」
スタジオの奥では、社長と春香がレッスンを続けていたようだ。こちらはふたりともピンピンしている。社長、これは一体どういう事ですか?
「いや~、天海君の為に基礎練習を徹底的にやり込んだのだよ。そうしたらダンスレッスンで如月君がダウンして、その後のボイスレッスンで菊地君がリタイアした。そしてオーソドックスアイドルのプロデュースは特化型アイドルのプロデュースとは全く違うから、律子君もパンクしてしまったようだ」
予想はしていたが、やはりそうなったか。だから普段からバランス良く仕事をしろって言ってるのに。というかお前らも、ただの基礎練くらいしっかりこなせよ。
「そうだぞキミ達ィ。これくらいのメニュー50セットくらい、日高君は毎日難なくこなしていたぞ。自分の武器を磨く事も大切だが、アイドルとしての基礎練習を怠ってはイカンなあ」
どんだけやらせてるんですか!?そんな根性論今時スポ魂マンガでも流行ってませんよ!!
「え?でも私まだ倍くらいはやれますよ?レッスンも楽しいですし♪」
ドーナツを食べながら笑顔で答える春香。お前本当に人間か?少なくともイマドキの女子高生ではないな。
「じ……、自分がこんなに衰えていたとは思いませんでした……」
「ボクも歌くらいいつでも歌えるって油断してたよ……、基礎練だけでもしっかりやるとキツいんだね……」
「一点特化型アイドルの弊害ね……千早と真もだけど、私達スタッフも随分正統派からズレていたのね。今の時代しか知らないスタッフがこんなアイドル育成理論をまた一から覚えたら発狂するわよ……」
千早と真と律子がそれぞれ口にする。アイドル業界の先輩であるこいつらが候補生の春香よりバテてしまうとは思わなかった。これがオーソドックスと一点特化の差か。
「ボクも歌くらいいつでも歌えるって油断してたよ……、基礎練だけでもしっかりやるとキツいんだね……」
「一点特化型アイドルの弊害ね……千早と真もだけど、私達スタッフも随分正統派からズレていたのね。今の時代しか知らないスタッフがこんなアイドル育成理論をまた一から覚えたら発狂するわよ……」
千早と真と律子がそれぞれ口にする。アイドル業界の先輩であるこいつらが候補生の春香よりバテてしまうとは思わなかった。これがオーソドックスと一点特化の差か。
「オーソドックスの特性を3つに分けたのが一点特化型ですからね。春香は千早や真のルーツなんですよ。分かりやすく言えば始祖鳥やオウムガイみたいなものですね」
「も、もっとカワイイものに例えてほしいなあ……」
律子の言葉に春香が戸惑う。なるほど、しかし律子までこんな状態になるとはな。お前現役の時は日高舞を6割まで再現できたんだろ?だから今回春香のプロデューサーに抜擢されたのにだらしないなあ。
「所詮私はパチもんですよ。それにあの時はレッスンと並行して、毎晩寝る間も惜しんで日高舞の分析を必死でやっていましたから本当に大変でした。春香を見ていると当時のトラウマが甦って来て……」
「う……、何だかすみません……」
安心しろ春香、お前は何も悪くない。あれはただのガミガミメガネのひがみだ。
「誰がガミガミメガネですか。でも私も、あの時の分析のおかげで何とかついていけてます。春香のプロデュースに関われるのは業界人としては幸せなのかもしれませんね」
律子もすっかりプロデューサーが板についたな。流石竜宮小町の敏腕プロデューサーとして名をとどろかせているだけのことはある。彼女も今回の経験から貪欲に何かを吸収しようとしている。
「失礼します……、ってどうしたのよ千早、真……。アンタ達真っ白に燃え尽きているじゃない」
「りっちゃんも何だかぐったりしてるね→。でもはるるんはゲンキそうだよ?トシの差かなあ」
「あらあら、だいじょうぶみんな~?」
俺から遅れる事少し、竜宮小町のメンバーがスタジオにやって来た。よし、これで765プロ全員揃ったな。音無さんは後回しにしておくとして、今から765プロ全体の戦略会議だ。
「え~、ウォッホン!!それでは諸君、今後の765プロの戦略について私から説明しよう。しかしその前に、我々は今すぐ決めなければいけない事がある……」
社長の真剣な言葉にスタジオ内の空気が静まる。何か重大な事を見落としていたか?
「春香君達のユニットの名前を決めようか……」
みんなが思わずずっこけた。そういえばまだ決めてなかったな……
***
「名字から一字づつ取って『天如菊(てんにょぎく)』なんてどうかな?それか『真千春(しんせんしゅん)』とか」
「それ女の子のアイドルユニットの名前じゃないわよ。男っぽいのはあなただけでしょう?」
「何だとー!じゃあ千早はどんな名前がいいのさ!?」
「……DIVAガールズとか?」
「何で歌姫限定なのさ!?ボクそんなスカした名前嫌だよ!!」
千早と真が盛り上がっている。お前らセンスねえなあ。伊織にビジュアルレッスンの稽古つけてもらえよ。
「もうまな板ガールズでいいんじゃない?どうせアンタ達が頑張った所で竜宮小町に敵うわけないんだから」
伊織がうんざりした様子で言った。何でそんな火に油を注ぐような事言うんだよ。それに春香はあるぞ?
「「デコは黙ってて!!」」
「キーッ!!何ですってーっ!!」
ブチ切れた伊織がふたりに殴りかかる。何自分からケンカ売っておいてキレてるんだよ。よくそんな短気でユニットのリーダーが務まるな。俺は律子とあずささんと一緒にケンカの仲裁に入った。
「ねーねー、はるるんは何かアイデアはないの→?」
「あ、あるにはあるんだけど……」
俺達の横で亜美と春香が話していた。ん?何かあるのか春香?言ってみろよ。
「みんなの名前から一文字づつ取って『chm』 なんてどうかなって……、ついでに『charm』ともかかっていてアイドルっぽいかなと思ったんですけど……」
「あら、なかなか素敵じゃないそれ。このユニットのリーダーは春香なんだし、それで行きましょう」
律子が採用する。そうだな、ちょっとセンスが古い気もするが悪くない。少なくとも真と千早の案よりは100倍マシだと思う。
「ではchmと竜宮小町の今後の活動について話を始める。諸君、準備は良いかね?」
社長の言葉に再び全員静かになる。春香は目をキラキラさせている。よほど嬉しいみたいだな。
「まずは竜宮小町だが、プロデューサーが彼になったこと以外は特に変更はない。水瀬君たちは通常のアイドル活動をこなしつつ、半年後のアイドルアカデミー(IA)優勝を目指してくれたまえ。IA1ヶ月前には律子君がキミ達のプロデューサーに戻る予定だから、その時はIAに向けたレッスンに励みたまえ」
「そうしてくれるとありがたいわ。普段の仕事の付き添いだったらコイツでも問題ないけど、IA対策はやっぱり律子じゃないとダメだもんね。それにIAでは春香達はライバルだし、しっかり戦わないとね」
伊織が安心したように息をつく。俺が竜宮小町のプロデュースをするのは実質5ヶ月か。律子と交代した時にchmのプロデュースをする為に、俺も色々学ばせて貰おう。
「そしてchmだが、キミ達はオーディションを中心に活動してもらう。とにかく多くのオーディションに出場して実績を積んでもらう。キミ達もIA優勝が目標だ。竜宮小町とはここで対決することになるね」
「よかった……、てっきりユニット組んで活動が制限されると思ったけど、どうやら心配しなくてもいっぱい踊れそうですね」
こちらも真が安堵している。お前らはむしろもっと大変になるんじゃないか?グループ活動も慣れてないし、千早も気合入れていけよ。
「でもそれだとユニットがひとつ増えただけで、春香が来る前とあまり変わりませんよね?業界に革命を起こす事なんて出来ませんよ?」
律子が社長に質問する。確かにそうだ。竜宮小町は去年もIAに出ているし千早と真もソロながらトップクラスの実力者なので、春香とユニットを組んでもおそらくIAに出場することは出来るだろう。そして優勝する事も手が届かない目標ではない。
「おや、律子君。私がキミ達にそんなぬるい任務を与えると思うかね?例年と違うのはIAに参加するまでのオーディションを全勝すること、そしてIAで優勝して『TOP×TOP』に出場することだ。最後に現チャンピオンの『フェアリーズ』に勝利する事が、わが765プロの最終目標だ」
社長の言葉に全員がどよめいた。例年だとIAに向けて幾多のオーディションを勝ったり負けたりしながら、アイドル達はコンディションを整えていく。それが一敗も許されないとなると、いくら竜宮小町や千早達でも至難の業になる。
「TOP×TOP出場ですか……、確かにそこでフェアリーズに勝てばアイドル業界はひっくり返ると思いますけど、でも相手はあの2人ですよ……。半年程度では準備期間が短いのでは……」
律子が冷や汗をかく。TOP×TOPとは大小問わずオーディションを全勝したアイドルのみが参加出来るレアオーディションで、該当者がいないと開催されないこともある。IAの後にそのまま開催され、そこで優勝したアイドルこそが真のトップアイドルとして『Sランク』の称号を手にすることが出来るのだ。千早や真や竜宮小町など、現在活躍するトップアイドルはほとんどAランクで、Sランクは現在2人しかいない。
そしてそのSランク2名がフェアリーズである。彼女達は現在のTOP×TOPのデフェンディングチャンピオンで、結成した年からオーディションを総なめにした超弩級のグループである。そのままTOP×TOPの王座につくと2年連続で優勝して、3年目の今年も防衛するだろうと言われている。
「これは黒井から聞いたのだが、どうやらフェアリーズは来年から活動の場を海外に移すらしい。結局彼女達は競い合えるライバルがおらずに日本に愛想を尽かせてしまったのだ。これでは日高君の二の舞だ。それだけは何とか避けたい。それに勝ち逃げは許されないだろう。なあ菊地君、水瀬君?」
「当然です!!」「当たり前よ!!」
真と伊織が語気を荒げる。彼女達のライバルがこのフェアリーズの2人なのだ。真と伊織はフェアリーズと浅からぬ因縁があるようで、フェアリーズに勝利する事に執念を燃やしている。
「律子君の言う通り準備期間は短い。他の事務所ならまず不可能だと言うだろう。しかし今回天海君が入ってくれた事で、その目標も不可能ではなくなったのだ。彼女の存在は765プロの起爆剤となる。だから水瀬君達も天海君に協力しつつ、天海君から多くを吸収して自分自身を高めて行きたまえ。そうすれば竜宮小町は今よりもっと素晴らしいユニットになるだろう」
「ふんっ、春香に教わるなんてシャクだけど、あのバカに勝つためだったら私も手段を選ばないわ。でも最終的にIAで優勝して『TOP×TOP』に出場するのは私達竜宮小町なんだからね!真の分も私達が優勝してあげるから安心しなさい」
「伊織こそボク達に勝てると思ってるの?冗談はデコだけにしてほしいね。まあ心配しなくても、あの二人はまとめてボクがやっつけてあげるよ!」
いきなり伊織と真の間で火花が飛び散る。おいおい、同士討ちはIAだけにしてくれ。まずは全員で協力してTOP×TOP出場条件であるオーディション全勝を目指そうぜ。
「と、いうワケだ。お前に与えられた任務は決して容易ではない。もちろん俺達も最大限サポートをするが、この戦略のカギを握っているのはお前なんだよ春香。やれるか?」
俺は春香に尋ねた。ここまで言われたら鈍い春香でも自分に与えられた役割の重大さに気づくだろう。それに耐え切れずに辞めてしまったりしないか俺は心配だったのだが、
「あの~……、フェアリーズって誰でしょうか?」
春香の言葉に全員がずっこけた。……確かに個人では両方ともトップアイドルとして有名だが、その2人がユニット組んでフェアリーズとして活躍するのはTOP×TOPだけだ。俺と律子はやれやれと苦笑しつつ、春香にフェアリーズについて説明した―――――
***
フェアリーズ
Sランクダンサー我那覇響と、同じくSランクファンタジスタ星井美希の2人からなるフリーのアイドルユニット。それぞれが才能豊かなアイドルであったが、ユニットを組んだことでその能力が一気に開花した。ボーカリストが不在のユニットであるが、響も美希も歌唱力が高くそれぞれの特性で補って余りあるので弱点らしき弱点が存在せず、デビュー時からオーディション無敗を誇る。
フェアリーズはその能力があまりにも高すぎて他のアイドルが相手にならない為、ほとんどのオーディションで出入り禁止となっている。TOP×TOPでしかお目にかかれないのも、フェアリーズを隔離するための措置だと言われている。そのため彼女達は普段はソロで活動しているのだ。ちなみに昨年のTOP×TOPでは、IAで優勝した961プロの男性アイドルユニット「ジュピター」に圧勝し、彼らを歯牙にもかけなかった。
そのパフォーマンスの美しさ妖精のごとし。その人間離れした技術の高さ妖精のごとし。天才アイドルフェアリーズは日高舞の再来と言われ、多くのアイドル事務所から恐れられている。
しかし本当に恐ろしいのは彼女達ではない。一般には殆ど知られていないが、フェアリーズの正式名称は「プロジェクト・フェアリー」と言い、我那覇響と星井美希の才能を見抜いてユニットを組ませることで、その能力を飛躍的に高めた女性がもう1人いる。公に姿を見せることはほとんど無く、彼女達のプロデュースに回っているこの人物こそが真の脅威である。彼女を知る人はこう評する。
銀色の髪に紫色の瞳をした妖しい雰囲気をまとった女の子で、彼女こそ妖精のような存在だと―――――
***
「いよいよ最後のオーディションか。この5ヶ月あっという間だったな」
ここはとあるアイドルのオーディション会場。今日ここにchmが5度目のオーディション勝利を獲得する為に参加している。TOP×TOP出場の為には10連勝くらいはしなければいけないと覚悟していたが、3連勝をしたあたりで業界からストップがかかったらしい。chmと春香はデビューしたてであるものの、千早と真は既にトップアイドルなのでchmはシード扱いとなり、5連勝でTOP×TOPの挑戦権を獲得出来るらしい。
「まあ当然と言えば当然よね。真と千早が手を組むこと自体、常識だったらありえないもの。春香がハンデになっているとしても、そこらのアイドルが敵うわけないじゃない」
俺の横では伊織がオーディションの様子を見ている。ちなみに竜宮小町も昨年のIA準優勝のグループなのでシード扱いとなり、5連勝の時点でTOP×TOP挑戦権を得た。そして今日はchmの応援(伊織は偵察)にやってきた。あずささんと亜美はスタジオでレッスンをしている。
「でもchmとは同じ事務所同士ぶつからないように調整したけど、ジュピターとも一度も当たらなかったのは不思議よね。アイツらとはむしろこういうちまちましたオーディションではよくぶつかるのに」
「ああ、それにはタネがあってな。今回は事務所同士でフェアリーズを倒す為に共同戦線を張って、有力アイドル同士がIAまでぶつからないように調整したんだ。それでもTOP×TOPに出場出来るのは当初の予定の半分以下になってしまったがな」
普段はライバル同士として互いにしのぎを削る事務所同士であるが、フェアリーズが今年を最後に拠点を海外に移すという情報が流れたので、日高舞の元プロデューサー10名が再度終結して共同戦線を張ったらしい。
「……それって談合じゃないの?道理でスムーズに5連勝したと思ったわ」
「まあそう言うな。それでも全勝するのは簡単じゃないんだぞ。無名アイドルでも一点特化型はその強みを活かせばプロ顔負けの実力を発揮するんだ。予定通り全勝したのはウチと961と876だけだしな」
しかしジュピターは全勝すると思っていたが、まさか876プロまでTOP×TOPの挑戦権を獲得するとは思わなかった。876プロは律子のいとこの秋月涼がボーカリストとして有名なだけで、後のふたりはそこまで知られているわけではない。なのでシードがもらえず、彼女(彼)達は10連勝しなければならなかった。しかしウチと961プロより先に、876プロはそれを達成したのだ。
「今年も竜宮小町とジュピターの一騎打ちになると思ったけど、思わぬダークホースが登場したわね。それに春香達も油断出来ないし、予想以上に苦戦しそうだわ……」
ぶつぶつと考え込む伊織。流石竜宮小町のリーダーだな。慢心する事無く冷静に分析している。俺はお前のそういう所が怖いよ。おまけに明日から律子とプロデュースが交代するし、竜宮小町がIAに向けてどういう特訓をするのかとても気になるぜ。
「お、いよいよ決勝戦か。相手はこだまプロの『新幹少女』か。ピッチの速いダンスと早口ボーカルが武器だが言ってしまえばそれだけのグループだ。chmの敵ではないな」
ステージ上ではchmと新幹少女の決勝戦が始まった。俺達はchmのステージへ向かう。観客の前に登場した春香は金のチェーン付きの派手なリボンを付けて笑顔で手を振っている。思えばこの5ヶ月竜宮小町の面倒を見つつ、空いた時間を見つけては春香の様子も見ていたが、オーディションでの春香を見るのは初めてだ。
「お疲れ様ですプロデューサー。あら、伊織も来てたの?」
「水瀬君は研究熱心だねえ。竜宮小町も安泰だよ。はっはっはっ」
俺達の後ろから律子と社長がやって来た。お疲れ様です社長。律子もご苦労だったな。
「ふんっ、みんなchmばっかり贔屓するから私が竜宮小町のために頑張るしかないじゃない。でも律子、アンタはまた明日から私達のプロデューサーなんだからね!コキ使ってやるから覚悟しなさい!」
「はいはいわかってるわよ。それよりあんた春香達の偵察に来たんでしょ?ちゃんと見ときなさいよ」
律子に言われて俺達はchmのパフォーマンスを見る。社長も楽しそうに眺めていた。
「おおっ、千早と春香がマコトステップをやってるだと!?しかもだいぶ様になってるじゃないか」
ステージ上では新幹少女の高速ダンスに対抗して、chmメンバーも全員でマコトステップを踏んでいた。前にやらせた時は春香は全然できなかったのに、よくあそこまで教え込みましたね。
「天海君の育成は、全体のバランスを見ながら行わなければならないのだよ。ダンスを教えたから素直にダンスだけが伸びるとは限らない。ビジュアルもボーカルも並行しながら、手間をかけてじっくり伸ばしてやるのがオーソドックスタイプのポイントだな」
「確かに時間はかかりますけど、全体のバランスを調整してレベルアップのタイミングさえ見逃さなければマコトステップみたいな基本以外のクセのあるステップも出来るんですよ。あそこまでにするのは苦労しましたけどね……」
社長と律子が説明してくれた。レッスンでもなかなか伸び悩んでいて、春香も落ち込んでいたっけ。その度に千早と真が春香のフォローをしていたな。竜宮小町のメンバーも敵ながら応援していた。
「かつて日高君に関わった人間は全員飛躍的に能力が上がった。彼女のプロデューサーだった私はこうして事務所の社長に就任し、彼女を徹底的に分析した律子君は敏腕プロデューサーとして大活躍している。日高君は能力が高すぎて、当時誰も彼女とユニットを組むことが出来なかった。しかし今は如月君や菊地君のように、部分的にならオーソドックスのアイドルと組める子がいる。そして組ませてみれば必ず彼女達は良い影響を受けると確信していた。そしてその予想は当たったようだ」
オーソドックスのアイドルを入れたユニットを作ることは社長の長年の夢だったらしい。日高舞はデビューした時から既にアイドルとして完成されていたので誰も彼女についていけなかったが、春香はまだ才能が開花する前のオーソドックスの卵だったので、こちらでコントロールすることも出来た。そして春香の成長に合わせて、千早と真も更にアイドルとして成長した。
「千早も真も随分表情が柔らかくなりましたね。歌と踊りという、自分の武器以外にもアイドルとして強みを見つけて、肩の力が抜けた自然なアピールが出来るようになっています。それに基礎のしっかりしている春香と組ませたことで、全体的な能力が底上げされています。春香の個性は相変わらずよく分かりませんが……」
前に春香に、初めて会った時どうしてあんな音程の外れた歌を歌っていたのか聞いたことがある。すると春香は自分の個性を見つけるためだと言っていた。だからあんなに無茶していたのかと納得した。流石に事務所に入ってアイドル全員から変だと言われて考えを改めたようだが。
「日高君もすごいアイドルだったが明確な個性はなかったのだよ。彼女はすべての能力が高かったが、我々を驚かせたのは『弱点が無かった』ことだ。彼女はアイドルとして苦手分野がなかったのが強みだった。天海君はまだその域まで達していないが、弱点が無いのは日高君と共通している。ゆっくりではあるが、彼女はアイドルとして成長しているし、今は個性がなくとも問題は無いよ」
俺達が話していると、決勝戦は終了した。結果はこちらの予定通りchmの勝利。これで春香達もIAの出場権とTOP×TOPの挑戦権を獲得した。後は律子とバトンタッチして、IAまでの1ヶ月みっちりレッスンだな。
「確かにchmは脅威ですが、あのグループをあそこまで育てたのはこの私です。ああして見るとスキのないグループに見えますが、私はあの子達の弱みも知り尽くしていますよ。竜宮小町がIA優勝とTOP×TOPをダブル制覇するシナリオは既に出来てますから覚悟して下さいね」
律子がメガネをきらりと光らせる。ふんっ、それはお互い様だろ?俺だってこの5ヶ月ただ竜宮小町のパシリやってたわけじゃないぜ。ここからはライバル同士だ。お互い頑張ろうぜ。
「はっはっはっ、いやあこれは1ヶ月後が楽しみだねえ。では私と律子君は先に事務所に戻っているよ。ささやかだが祝勝会の準備をしているから楽しみにしておきたまえ」
「私達も待ってるから早く帰って来なさいよね。それから春香達におめでとうって言っといて頂戴」
社長と伊織もそう言って、律子と3人で先に帰った。ステージ上では春香がリーダーとしてトロフィーを受け取っている。俺に気付くと、満面の笑みでこちらに手を振った。おめでとう春香。ようやくスタート地点に立てたな。だがここからが本番だぞ。明日から革命に向けてビシバシ行くからな―――――
***
「いや~、マコトステップを踏む千早の必死な顔ケッサクだったなあ~!!竜宮にも見せてあげたかったよ」
「くっ……、真こそいつ音程外さないか冷や冷やしたわよ。その腹筋は飾りかしら?」
「まあまあふたりとも落ち着いて。真も千早ちゃんもカッコよかったよ!」
chmを連れて俺は帰路に着いた。春香の手にはトロフィーと賞状が握られている。今日で5度目の優勝だが、今日の優勝は格別だろう。オーディションの勝利を重ねるごとに春香の知名度も向上している。頭のリボンもすっかりトレードマークだな。
「大変なのはこれからだぞ。明日から俺がプロデューサーだからビシバシ行くぞ。覚悟しとけよ」
「プロデューサーがボク達のプロデュースをするんですか……」
「律子だったら安心して任せられるけど……」
テンションの下がる真と千早。お前ら、誰がお前らをそこまで育て上げたか忘れたのか?そりゃあ最近はスカウトばかりだったが、まだまだ律子程度には負けないぞ。
「私プロデューサーさんに指導されるのずっと楽しみにしてました!!明日からよろしくお願いします!!」
春香は笑顔で答えた。お前らも見習えよこの純粋さを。これぞ正統派じゃないか。
「う~ん、こういうのが女の子らしさなのかなあ……?」
「正統派もそこまで行くとあざといわ。気をつけなさい春香」
お前ら律子に毒されてないか?元々醒めた所があったが、あまり可愛げがないのもアイドルとして問題だぞ。
「とにかくさっさと帰るぞ。もう事務所では社長達が準備してるんだ。早く帰らないと亜美にケーキを食われてしまう」
はーい、という返事を聞いて俺達は駐車場に向かう。すると俺達の車の陰から、ひとりの人間が姿を現した。
「ごきげんよう765ぷろの皆さん。この度はおーでぃしょん優勝おめでとうございます」
丁寧に頭を下げて祝いの言葉を口にするその人物を見て、俺達は固まった。銀色の髪をなびかせて、吸い込まれるような紫色の瞳を向けて微笑む女性は、一度会ったらまず忘れられない圧倒的な存在感がある。
「何の用だ……IAは1ヶ月先だぞ?TOP×TOP挑戦権を獲得したのはウチ以外にもいるが……」
俺は警戒心MAXで目の前の女に向き合う。天才アイドルユニットフェアリーズのプロデューサーであり、本人も元アイドル候補生という経歴を持つ謎多き人物―――――四条貴音に。真も千早も身を固くしている。四条貴音こそ現在のアイドル業界の最要注意人物であり、彼女の動向は業界全てが警戒している。
「あ、四条さんじゃないですか~!わざわざ見に来てくれたんですか?ありがとうございます!」
「ええ、久しぶりですね天海春香。先程のぱふぉーまんすお見事でした」
ところがそんな空気を全く読まずに、春香は貴音に親しげに話しかけた。貴音も嬉しそうに返事をしている。俺達は思わず脱力した。
「……春香、お前四条貴音と知り合いなのか?フェアリーズは知らなかったのに、どうしてプロデューサーは知ってるんだよ……」
「ええっ!?そうだったんですか四条さん!?あの時そんな事一言も言ってなかったじゃないですか!?」
「申し訳ございません。当時はまだふぇありーずを結成しておりませんでしたので、すかうとした時に説明出来なかったのです」
スカウトだと?そういえば以前春香は、俺より先にアイドルにスカウトされたことがあるって言ってたな。しかも貴音の話ではフェアリーズの結成前にスカウトしたようなので少なくとも2年以上前になる。そんな昔から、貴音は春香の特性を見抜いていたのか。
「ごめんなさい貴音さん、あの時私ちょっと落ち込む事があって、アイドルを目指す事に自信が持てなくて断っちゃいましたけど、でもやっぱり私どうしてもアイドルになりたくて……」
「ふふ、よいのですよ。貴女をふぇありーずに勧誘出来なかったのは残念ですが、貴女があいどるとして活躍していることを嬉しく思います。その調子であいどるあかでみーも頑張って下さい」
貴音の言葉に全員が驚愕する。貴音は春香をSランクの我那覇響と星井美希と同じレベルのアイドルと捉えていたのか。たまたまスカウトに成功した俺は、実は宝くじを当てたくらいのラッキーだったのかもしれない。
「……響は来てないのかい?貴音が来てるならてっきりいると思ったんだけど」
「響でしたら自宅で衛星放送のてれびを見ております。彼女は最近あめりかのだんさーのぱふぉーまんすを見るのに夢中ですよ」
ぶちっ、と真の血管が切れる音がする。要するに日本のダンサーにはもう興味がないということか。しかし貴音って呼び捨てするとは、お前ら知り合いだったのか。
「それから如月千早。美希から貴女に伝言があります」
「……なんでしょうか」
貴音の言葉に千早は顔が強張る。貴音は「あは☆」と美希の真似をする。それ必要なのか?上手いけどさ。
「『ミキ歌もチョー上手くなったよ♪ボーカリスト一位の座もミキがもらっちゃうからゴメンね☆』だそうです」
ぶちっ、と今度は千早の血管が切れる。この場に伊織がいなくてよかったぜ。さすがアイドル業界一のビッグマウスだな。てかお前、こいつらにケンカ売りに来たのか?俺の帰りのストレスがマッハなんだが。
「ではわたくしはこれで失礼します。春香、とっぷ×とっぷで会いましょう」
「はい!私達も負けませんよ~!楽しみにしてて下さいね!」
立ち去る貴音に春香だけは笑顔で手を振っていた。フェアリーズ以上に神出鬼没の四条貴音がまさか自ら会いに来るとは、これは向こうも春香を警戒しているということか?事務所に帰ったらまた会議だな……
第三章
それから一ヶ月後。ついにIA本番が来た。765プロの竜宮小町とchmは順当に勝ち進み、準決勝で対決することになった。
「決勝で当たらなかったのは残念だな。今年はウチのワンツーフィニッシュで飾りたがったが、竜宮は3位で我慢してくれ。優勝は俺達がしてやるから安心しろ」
「それはこっちのセリフです。ウチは去年ジュピターに決勝で負けてリベンジがかかってるんですよ。グループとしては竜宮小町の方が一日の長があります。実力の差を思い知らせてあげますよ」
律子と激しい視殺戦を交わした後、俺達はそれぞれの担当ユニットを連れて準決勝前の作戦タイムに入った。
~竜宮小町サイド~
「いいみんな?chmはボーカリストの千早、ダンサーの真、オーソドックスの春香で構成されているわ。弱点はファンタジスタ不在でビジュアルアピールが弱いことよ。そこで伊織のアピールを最大限使うわ」
「にひひ♪春香は普通だけど、残りは72と75だしね。それに千早はビジュアルに興味ないし、真は女らしさとは無縁だから楽勝よね。スーパーアイドル伊織ちゃんの力を思い知らせてやるわ!!」
「でもそれくらいなら兄ちゃんもオミトオシなんじゃないの→?こないだ千早お姉ちゃんを無理やりツインテにしようとしてビンタされてたYO?ビジュアル強化はしてくるんじゃないかな→?」
「そこで伊織とあずささんの二段重ねでビジュアルアピールをかけるわ。後半で一気に畳みかけてつなぎが不自然になると思うから、亜美はそこでちゃんとフォロー頼むわよ。ふふ、いきなり亜美が出て来て焦るプロデューサー殿の顔が目に浮かぶわ」
「何だか対決後に色々禍根が残りそうだわ~。大丈夫かしら……」
~chmサイド~
「……という感じで、伊織とあずささんの二段重ねのビジュアルアピールが向こうの作戦だろう。しかし甘いな律子、ウチは女らしい可愛さは乏しいかもしれないが、他のアイドルにはない凛々しさがあるんだよ」
「くっ、……律子、どこまで人を馬鹿にしたら気が済むの……!!」
「いや、ボクは律子よりプロデューサーに腹が立つよ。IA終わったら覚悟して下さいね?」
「お、落ち着こうよふたりとも……」
「そこであえて恰好良い感じの曲をセレクトし、センターに真を配置することで凛々しさを前面に押し出す。ふたりは真のサポートだ。しかし律子もそれくらいはお見通しだろ。そこで曲の中盤で春香がセンターに交代、そして終盤で千早がビシっと決めるクール・キュート・クールの三段構成で行く。目まぐるしくフォーメーションが変化するがいけるな?」
「大丈夫です。春香がいれば崩れることはありませんし、ボクもそれくらいで集中が途切れたりしませんよ」
「ちょっと大変そうですけど、真から上手く引き継げるように頑張ります!千早ちゃんに上手くつなげるかは不安ですけど……」
「安心しなさい春香。どんな形で来ても上手く拾ってあげるわ。覚悟しなさい律子……」
「いや、対戦するのは竜宮小町だぞ。勘違いするなよ千早……」
~竜宮小町サイド~
「……と見せかけて、これくらいの作戦は向こうに見抜かれているわ。オーソドックスの春香の力を使うと自然と三段構成になることは私でも思いつくわ。ふふ、甘いですよプロデューサー殿。誰がchmを育てたと思っているんですか」
「アイツ結構性格悪いから、あえて読ませて外させるくらいのことはしてきそうよね。あいつがプロデュースするようになって春香も前より馴れ馴れしくなったし。これは一度、どっちが先輩か思い知らせてやる必要があるわね……」
「そこで亜美、あんたは伊織とあずささんのつなぎの時以外はダンスアピールに集中して。マコトステップくらい楽勝よね?向こうはこっちの弱点をダンスだと読んでるだろうから、それをひっくり返してやるわ」
「まっかせっなさ→い!マコトステップどころか、ハルカズッコケも100パーセントマスターしてるYO! 曲の途中でコケちゃっても、はるるんと違って亜美のジツリキだったら自然にダンスに復帰できるYO!」
「あ、あの……あんまりケンカしない方が……春香ちゃんも千早ちゃんも真ちゃんも同じ事務所なんだし……」
「甘いわあずさ。これは戦争なのよ。互いの実力の裏の裏の裏まで知り尽くしたアイツらだからこそ、私達も手加減抜きで本気でいかないといけないわ。そうよね律子?」
「その通りよ伊織。あのニヤケたメガネ野郎を叩き潰して、プロデューサーとしての実力差をはっきりさせてやるわ。あずささんも心を鬼にして下さいね」
「どっちもメガネじゃん。もう亜美達がバトるより、兄ちゃんとりっちゃんがガチンコの殴り合いした方が面白そうじゃない?」
~chmサイド~
「ところがどっこい、あの性悪メガネはこっちの裏の裏の裏をかくはずだ。だが甘いぞ律子、亜美が意外と踊れることは竜宮のプロデュースをした時に分かってるんだよ。そこでこっちも終盤まで出番のない千早を序盤からダンスさせて意外性を出してだなあ……」
「何だかプロデューサーと律子の性悪対決になってきたね。対決後にまた伊織達と仲良く出来るかなあ……」
「今は勝つことに集中しましょう。これはまだ準決勝なのよ。まだ決勝戦とそれからTOP×TOPも残ってるんだから、そこで負けた方が修復不可能よ。仲直りは後回しにしましょう」
「なんでケンカすることが前提になってるの?真も千早ちゃんも仲良くしようよお……」
こうして俺と律子の腹の探り合いは延々と行われた。後にあの時は作戦タイムが長すぎて、リハの時間が十分に取れなくてキツかったとアイドル全員から責められた。律子も珍しく反省していたし、俺達の数少ない(?)失態である。
***
で、結局765プロユニット対決がどうなったかと言うと……
「いよっしゃあ―――――っ!!chmの勝利だ―――――っ!!決勝進出だ―――――っ!!」
「くぅ~~~~~っ!!あと1手先が読めていたら勝てたのにぃ~~~~~っ!!」
僅差で俺達chmの勝利だった。互いに互いを知り尽くした相手だったからこそギリギリまで競り合った死闘となり、今回の大会一番の盛り上がりを見せた。
―――――だから俺達は気付かなかった。もう一方のステージで行われた準決勝の結果を。
『それでは一時間後の午後2時から第○○回IA決勝戦、765プロ『chm』と876プロ『オーガchildren』の対決を行います。観客の皆さんは引き続きアイドル達に暖かいご声援を……』
「「なんだって!?」」
アナウンスに驚いた俺と律子は、慌ててもう一方のステージのスコアボードを見た。そこでは961プロのジュピターが、876プロに大差をつけて敗れた結果が示されていた。まさかあの『サイボーグアイドル』と言われたジュピターが負けるとは……。これはとんだ番狂わせだ。
「フンッ、石川め。つまらん小細工をしかけてきよって。だが876にはあいつの娘もいるし、理論的には不可能ではないか……」
「黒井社長!?」
俺達の後ろでは、不機嫌さ全開の黒井社長がつまらなさそうな顔でスコアボードを見ていた。
「一体何が起きたんですか?あのジュピターが大差をつけられるなんて、876プロは何をしたんですか?」
律子が信じられないといった表情で黒井社長に訊く。しかし黒井社長はその質問には答えず、
「共同戦線を張るのはIAまでだ。後は高木に聞け。3位決定戦は負けないぞ765プロ」
それだけを言い残すと、黒井社長は俺達の前から立ち去った。俺と律子は呆然としていた。決勝戦の相手は『オーガchildren』。全くノーマークだったこのユニットを相手に、春香達chmは勝てるだろうか―――――
***
「876プロと961プロの対決を見て来たよ。間違いない、石川は876プロの子達を使って『日高舞』を復活させた。どのような手段を使ったかは分からないが、オーガchildrenは日高舞を8割以上再現している」
「8割ですって!?それってもうほとんど日高舞じゃないですか!!そんなの誰も敵わないですよ!?」
ちなみに高木社長が独自に算出した現在の各有力ユニットの『日高舞再現度』は、
●ジュピター 75パーセント
●竜宮小町 74パーセント
●chm 76パーセント
とほぼ横並びで、どのグループも8割を超えることが出来なかった。社長の話では7割と8割の間にはとてつもなく大きな壁があり、もはやオーガchildrenは『まがいもの』ではなく日高舞本人に限りなく近い存在となっているそうだ。
「一体どんな手を使ったんでしょうか?876は中堅ですが所属アイドルはたった3人しかいないはず。確か秋月涼と水谷絵理と……」
「ウチの娘の日高愛よ~ん♪チーム名にチルドレンって入ってるでしょ?まあ愛だけじゃなくて、涼も絵理ちゃんも私の可愛い息子と娘みたいなもんだけどね♪」
突然声をかけられて、俺と社長は驚いて声のする方向へ振り返った。
「あ、涼が男の子なのは内緒なんだっけ?でも765プロの律子ちゃんは涼のいとこだし別にいっか♪久しぶり高木さん。元気してた?」
俺達の視線の先には、ひとりの美しい女性が立っていた。そのあっけらかんと笑う姿は見覚えがある。10年以上前に引退したはずなのに当時とほとんど変わらぬ容姿で日高舞がニコニコと、しかし伝説のアイドルの存在感をそのままに堂々と立っていた。目の錯覚か、身体から滲み出るオーラが半端ない。
「キミの仕業だったのか日高君……、道理でジュピターが負けるはずだよ」
高木社長が溜息をつく。俺はすっかりビビってしまって声が出ない。これが伝説のアイドルか……!!
「石川さんからお願いされてね。なんだかフェアリーズ?を倒すのに協力してほしいって言われちゃって、今回限定でプロデュース引き受けちゃった。石川さんには愛もお世話になってるし、面倒だったけど断れなかったのよね~。今の業界が衰退したのもあたしのせいみたいだし?責任取れって言われちゃうとね~」
日高舞がぽりぽりと頭をかきながら話す。何故だろう、その仕草すらも恰好良い。
「でも765プロのchmもなかなかいい感じじゃない?天海春香ちゃんだっけ?あの子は不思議と他人の気がしないのよね。ねえ高木さん、あの子もしかして私と同じオーソドックスじゃない?」
社長相手に気軽に話しかける日高舞。そういえばこのふたりは元アイドルとそのプロデューサーだったな。遠慮なくずかずか聞いてくるあたり、当時の社長は相当振り回されていたんだろうな。
「全く、キミは相変わらず遠慮がないね。昔を思い出すよ。ではもう決勝戦だし、互いにネタばらしといかないか?どうせ今更知った所で我々も対策を立てようがないし、キミも知られた所で負けたりしないだろ?」
「え~……、もう、高木さんも相変わらず抜け目ないなあ。黒井さんだったらもっと組みしやすいんだけどな。でもいいよ、今の愛達にはフェアリーズの子達も敵わないと思うし」
すごい自信だな。でも勝算がなくとも情報はひとつでも多いに越したことは無い。俺は全神経を集中させて、日高舞の言葉に耳を傾けた―――――
***
「おしかったわね~、もうちょっとで春香ちゃん達に勝てたのにねぇ~」
「あれは仕方ないわよ。それに律子の作戦もほぼ完璧だったわ。アイツの方が律子より意地悪だったから負けちゃったけど、私達は全力を出し切ったから悔いはないわ。だから気にしないで亜美」
「……うん、うん!そうだね!りっちゃんの方が兄ちゃんよりイイ人だから負けちゃったんだよね!兄ちゃんめ、IA終わったらイタズラしてやる~!」
「その意気よ。それに優勝は逃しちゃったけど、まだ3位決定戦があるわ。私達の目的は打倒ジュピターよ。3位決定戦は絶対勝ちに行くからね。いいわねふたりとも?」
「もちろん♪」「あったりまえっしょ→!」
落ち込む亜美をあずさと慰めつつ、私達は3位決定戦の控室へ向かった。全く律子ったら、亜美に重要な役割を押し付け過ぎなのよ。後で文句言ってやるわ。
「亜美……」
「ま、真美!?」
私達が控室に到着すると、そこでは亜美の双子の姉の真美が待っていた。アンタどうしてここに……
「亜美の応援に来たんだよ。妹が頑張ってるんだからお姉ちゃんとして応援しないとね。いおりんもあずさお姉ちゃんもカッコよかったよ」
真美が少し気まずそうな顔をしながらも、ねぎらいの言葉をかけてくれた。そういえば真美、去年もIAの応援だけは来てたわね。律子に気付かれると慌てて逃げちゃったけど。
「ごめんね真美……、せっかく応援に来てくれたのに亜美また負けちゃったよ……、リベンジ出来なかったよ……」
「何言ってんのさ亜美。IAはまだ終わってないよ。千早お姉ちゃん達には負けちゃったけど、ジュピターには勝てるでしょ。真美も観客席から双子パワー送ってあげるから、次はゼッタイ勝ちなよ!」
「真美……まみぃ……うわあああああああああああああん!!」
真美の優しい言葉に、亜美はとうとう感情が抑えきれなくなったみたいで泣き出した。そのまま真美が優しく亜美を抱きしめて背中を撫でる。やっぱり双子の絆は固いわね。グループのリーダーとして嫉妬しちゃうわ。
「ごめんなさい真美ちゃん、私にもっと実力があったら亜美ちゃんにそこまで負担をかけることがなかったんだけど……」
「何言ってるのよあずさ。あんたもしっかりやってたわよ。責任があるとしたら、律子の意見をそのまま採用したリーダーのこの私よ。今考えればもっと別の方法があったかもしれないわ」
でもあずさと私の言葉に、真美はゆっくり首を振るだけだった。
「いいんだよいおりん、あずさお姉ちゃん。亜美も大活躍出来て喜んでいたし、真美もそんな亜美の気持ちがよく分かるからみんなを責めたりしないよ。最近の亜美は本当に楽しそうだったもん。はるるん?って新しい子が来てから、事務所が明るくて面白くなったって家で嬉しそうに話してたよ」
確かに春香が来てから私達は変わったわね。レッスンの空気も柔らかくなったし、事務所で春香の作ってきたお菓子を食べながら、みんなで楽しくおしゃべりするような心の余裕も出来た。それをIA直前までやってたから流石にぬるいんじゃないかしらと危機感もあったけど、おかげでリラックスした状態で戦うことが出来た。それに負けたとはいえ、私達のレベルも去年より数段上がった。これも春香の影響かしら。
「だからねいおりん、ジコチューだけど真美また765プロに戻ってもいいかな?亜美の話を聞いてたら、真美もはるるんに会いたくなっちゃって……それにアイドルもやっぱり続けたいというか……それに亜美はやっぱりまだ放っておけないし……」
最後の方は声が小さくてよく聞き取れなかったけど、要するに私とあずさに律子との間を取り持ってくれって言いたいのね。社長もアイツも甘いから、すぐに真美をまた迎え入れるだろうけど律子はそうはいかないものね。私もアンタには言いたいことが山ほどあるけど、亜美を慰めるために今年は私達から逃げずにここまで来たんだから特別に許してあげるわ。
「全く、手のかかる姉妹ね。いいわよ、私達からも上手く言ってあげる。ただし律子に一時間くらい説教されるのは覚悟しなさいよ」
「おかえり真美ちゃん。また一緒に頑張りましょうね。今の765プロはとっても楽しいから、真美ちゃんもきっと気に入ると思うわよ~」
「いおりん、あずさお姉ちゃん……ぐす、ありがと……、またよろしくね……」
本当は自分も泣きたいでしょうに、亜美が胸の中で泣いているから真美はぐっと堪えていた。アイドルとしては亜美の方が有名だけど、お姉ちゃんは強いのね。もう妹を置いて逃げたりしたらダメよ?
「さ、律子が来る前に軽くステップの再確認しとくわよ!亜美もそろそろ泣き止みなさい。もう三位決定戦まで時間がないんだからね!」
私はリーダーとして自分の役割をこなす。真美も戻って来たことだし、これで私達が勝ってchmもTOP×TOPであのバカを倒したら最高ね。春香達も負けたら承知しないからね!
***
「春香!千早!真!876プロの作戦が分かったぞ!今すぐ作戦会議だ!」
社長と日高舞の話を途中で抜け出して、俺は決勝戦の控室へダッシュした。今すぐ対策を立てないと……!!
「それでですね!!!!涼さんが男パート、絵理さんが女パート、あたしが元気パートなんですよ!!!!」
だが控室へ入った俺の声は、招かれざるざる客の大きな声にかき消された。よくよく確認すると春香の前に小柄な少女が居て、大きな身振り手振りを交えて春香に自分達の作戦を説明している。ていうかバラしていた。
「あ!!!!765プロのプロデューサーさんですね!!??こんにちは!!!!876プロの日高愛です!!!! 決勝戦ではよろしくお願いします!!!!」
俺の顔を見た少女が笑顔で挨拶をした。なんで常時大声なんだよ。ノドか耳がおかしいのか?
「はい!!!!よく元気だねって言われます!!!!」
いや知らねえよ。どうやら頭もおかしいみたいだな。伝説のアイドルの娘に言うのは失礼だが。
「愛ちゃん、もっとおしとやかに、ね?元気なのはいいからね?」
「あ、そうでした!!すみません春香さん!!あたしったら春香さんにまた会えてつい嬉しくて!!」
春香に注意されて日高愛は少し静かになった。それでもまだうるさいが。何?お前の知り合いなのか春香? 千早といい貴音といい、何でお前の知り合いは変な奴ばかりなんだよ。
「何だか侮辱されたような気がします……」
「はは、これも春香の人柄かな……」
春香達から距離を置いて座っている千早と真がそれぞれ口にする。そしてさっきから俺に「早くそいつを追い出してくれ」とアイコンタクトを飛ばしまくって来る。わかってるよ。
「愛ちゃん、さっきお母さんが探してたぞ。決勝戦ももうすぐだし、そろそろ自分の控室に戻った方がいいんじゃないか?」
「あ!!いっけないあたしったら!!!それじゃあ春香さん!!!!みなさん!!!!!ステージで会いましょう!!!!!!全力で勝負しましょうね!!!!!!!」
日高愛はぺこりとおじぎをすると、駆け足で876プロの控室へ帰って行った。何だかどっと疲れた……千早と真もぐったりしている。今から決勝戦なのに大丈夫か?
「愛ちゃんとは前にオーディションで出会ったんですよ。何だかママに似てるって言われて懐かれちゃいまして。でも声は大きいけどいい子ですよ」
そう言って春香は耳栓を外した。道理であの至近距離で日高愛と会話が出来たわけだ。
「どうやら俺が来る前に、あの子がご丁寧に自分の所の作戦をバラしてくれたみたいだな。いや、876の作戦は作戦と呼べるほどのものでもないが……」
おかげで説明する手間が省けたぜ。すぐに作戦タイムだ。
「『男と女と元気さえあれば全人類は表現出来る』でしたっけ。壮大過ぎて私には理解出来ません」
「さすが伝説のアイドル日高舞のプロデュースだね。ボク達凡人には想像がつかないよ」
「プロデューサーさん!知ってましたか?愛ちゃんのお母さんってあの日高舞さんらしいですよ!私びっくりしちゃいました!」
ひとり5周くらい周回遅れのやつがいるが、相手にするのも面倒なのでスルーする。何でお前は有名どころは知らないのに、その周辺の知名度の低い人間は知ってるんだよ。
「オーガchildrenの作戦は実にシンプルだ。あの子達はボーカル・ダンス・ビジュアルというパートではなくて、曲やダンスの力強く凛々しいところは秋月涼が、華麗で繊細な所は水谷絵理が担当している。そしてパフォーマンス全体のテンション管理をしているのが日高愛だ。あの底なしのパワーがあのグループの大黒柱だ。どうやら厄介なところだけ母親から受け継いだみたいだな」
「口で言うのは容易いですが、たったそれだけでジュピターを超えるようなパフォーマンスが出来るはずがありません。オーディション10連勝の実績もありますし、あの子達の練習量は相当のものでしょう。一点特化型とも違うタイプですし、難敵ですよ」
「涼が男の子の声から女の子の声まで出せるのは知ってたけど、まさかビジュアルやダンスまで男の子のパフォーマンスが出来るとはね。絵理も人見知りでいつも涼達の後ろに隠れていたのに、愛に背中を押される形で前に出て来たのかな。先輩としては嬉しいね」
ちなみに765プロと876プロは友好関係にあり、普段はアイドル達は先輩後輩の間柄で仲良くしている。秋月涼は律子のいとこだしな。しかしどうして性別がバレてないのか未だに不思議だ。
「秋月涼と水谷絵理単体ならまだつけ入るスキはあるが、そこは日高愛が上手くカバーしてくるだろうな。やはりあの豆タンクを攻略しないと勝てないか。しかし後方支援のあの子をどうやって引きずり出すかだ。決勝戦は同時パフォーマンスじゃなくて先攻・後攻制だ。ウチが先攻を取って日高愛をおびき出すことが出来ればいいのだが……」
俺と千早と真はう~んと考え込む。さすが日高舞だな。そう簡単に勝たせてくれなさそうだ。
「あれ?でもさっき、愛ちゃん決勝では自分がメインで歌うって言ってましたよ?」
突然の春香のセリフに俺達は一斉に振り返る。本当かそれは!?
「は、はい……。舞さんにはまだ早いって言われているけど一応そのフォーメーションの練習もしているみたいだし、ダメ元でお願いするって話してました。千早ちゃんと真も聞いてなかったの?」
「あまりにも声が大きすぎて耳を塞いでいたわ……」
「ボクもあの大声にちょっとイライラしてたから聞き逃してたな……」
気持ちは分からなくもない。しかしよくやったぞ春香。これでウチにも勝機が見えてきた。
「でもそれでも相手はあの日高さんですよ?いえ、あのグループは全体で日高舞を再現しているそうです。フォーメーションが変わった所でそう簡単に勝てるとは思えませんが……」
千早が不安気な表情をする。ふっふっふっ、確かに日高舞を相手に今のやり方で立ち向かっても勝ち目はない。しかしこっちにも日高舞に負けない切り札があるだろう?既存のアイドルの常識を覆す事の出来るオーソドックスが―――――
「春香。決勝戦はお前が最初から最後までメインだ。千早と真は春香のサポートを頼む」
「「「えぇ~~~~~っ!?」」」
chm全員が驚く。アイドル業界は変わろうとしている。オーソドックスに対抗出来るのはオーソドックスだけだ。竜宮小町戦の時とは違ってシンプルに、小細工なしで正々堂々と真っ向勝負だ。覚悟しろよ日高舞。今日ここで、あんたの時代を終わらせてやる―――――
***
『お待たせしました!いよいよ第○○回IA決勝戦、765プロchmと876プロオーガchildrenの対決を始めます!!それでは代表者の方々、先攻後攻を決めるクジ引きをお願いします!!』
ステージ上で、それぞれのグループのリーダーの春香と秋月涼が同時にクジを引いた。
『先攻はchm、そして後攻はオーガchildrenとなりました!!それではスタンバイをお願いします!!』
俺は観客席で小さくガッツポーズをした。これでこちらの勝率はぐっと上がった。後は春香がどこまで頑張れるかだ。
「プロデューサー!!」
隣に3位決定戦を終えた竜宮小町のメンバーと律子がやって来た。おう間に合ったか。今から始まるぞ。
「どうなんですか876対策は!?社長から聞きましたけどオーガchildrenは日高舞らしいじゃないですか!! 何か対策があるんですか!?」
「はあ!?そんなすごいのあいつら!?確かにジュピターの力が全然弱ってなかったから相当だとは思ってたけど……」
「せめて先攻なのが救いかしら……舞さんの後にパフォーマンスするなんてプレッシャーがかかるものね……」
律子と伊織とあずささんが口ぐちに話す。みんな春香達の事をとても心配しているようだ。
「安心しろ。確かに厳しい戦いになるが勝算がないわけではない。全て春香に任せた。見ろよあのリボンの長さ。気合入りまくってるだろうが」
ステージ上へ目を向けると、そこはパンキッシュゴシックという衣装に身を包んだ春香を中心に、千早と真がスタンバイしていた。春香の頭には、真っ赤な長いリボンがついていた。
「あの衣装のセレクト……もしかして『I Want』ですか!?今の春香にはまだ早いんじゃ……」
流石律子、衣装だけで曲を当てるとはな。しかしあれは春香本人の希望だ。876に勝つにはあの曲が一番良いみたいだぞ。まあ見てなって。
「おっと、そう言えば忘れる所だったな……」
俺は律子達の後ろにいる小さな女の子達に声をかけた。相変わらず本当にそっくりだなお前ら。
「3位おめでとう亜美。ジュピターへのリベンジ達成だな。それからおかえり真美。またよろしくな」
俺は真っ赤な目をした亜美を撫でてやり、その隣で同じく真っ赤な目をした真美にも声をかけた。でもどうして真美まで泣いてるんだ?律子に絞られたか?
「そろそろ始まるわよ。仲間なんだししっかり応援しましょう。私達に出来るのはそれだけよ」
伊織の声で俺達はステージに目を向けた。頼んだぞ、春香……!!
***
~ステージ上~
「春香、落ち着いて。思いっきりハジけちゃってね。むしろ遠慮するとそのカッコが浮いちゃうよ」
「真、その言い方はむしろ緊張するわ。安心しなさい春香。春香の武器は絶対的な安定感よ。春香だったら全力を出してもパフォーマンスは壊れないから。もし壊れても私と真でカバーしてあげる」
「うん……、でもいいのかな……、私なんかが最後のIAの決勝戦でメイン張らせてもらって……」
「何を言ってるんだい。春香のおかげでボクも千早もこの決勝のステージに立てているんだよ?ここは春香じゃないとダメだよ」
「そうよ春香。それに相手はまだいるのよ。IA優勝はただの通過点で、TOP×TOPこそが私達の最終戦よ。水瀬さん達の為にもさっさと勝ちましょう」
「真……、千早ちゃん……、そうだよね!私達の最終目標はTOP×TOPだよね!私も頑張るよ!じゃあ行くよ2人とも!しっかりついてきてね!」
~♪(BGM)『ヴァイッ!!!!』
「「!?」」
***
『ヴァイッ!!!!』
「「「「「!?」」」」」
ステージ上の春香の面妖なシャウトに俺達は思わず固まってしまった。一緒にパフォーマンスをしている真と千早も一瞬固まった。おいおい、ハジけて行けとは言ったが、まさか初っ端からハジけるとは思わなかったぜ。
「あ~っはっはっはっはっ!!はるるんサイコーじゃん!!こりゃ事務所に戻るのが楽しみになってきたYO!!」
そんな俺達の横では、真美が腹を抱えて爆笑している。いや、確かに面白いけどある意味笑えないぞこれ。やっぱり早とちりしすぎたか?
「で、でも千早達は何とか体勢を立て直したみたいですよ。春香は失敗したと思ってないみたいですし、も、もももう少し見守りましょう……」
律子がメガネをカタカタ揺らしながらステージを見ている。何て心臓に悪いんだ。死ぬなよ律子……
♪まるで荒れる波濤のように 背筋つらぬき 心狂わす出逢い♪
♪そう 出逢い♪
最初こそハジけたが、段々安定感を取り戻してくる。この辺りは流石オーソドックスだな。真と千早も上手くサポートしている。どちらも春香に合わせようとアドリブ・アレンジ・即興の合わせをフル活用してるな。伊達にトップクラスのアイドルやってないわ。そしてそんなふたりの少し上のレベルで、春香は元気よくパフォーマンスを行っている。あのふたりが必死なんて、これが春香の真の実力なのか。
♪(そうよキミ 近づいてきて 至近距離 手が届くまで)♪
ォオッ!!♪
♪パラダイムが一新されてくのおぉ~~~~~
ヤベ、またハジけやがった。やっぱりそんなに大したことないのか?千早が思わずコケそうになるのを慌てて真が支える。ナイスフォローだ!しかし春香はお構いなしに歌い続ける。どうしてこれでフォーメーションが壊れないのか謎だ。
「律子!?しっかりしなさい律子!!まだ倒れるのは早いわよ!!」
「律子さん!!律子さん!!」
「う~ん……」
俺の横では、失神した律子を伊織とあずささんが必死で呼びかけていた。ふたりとも悪いが、律子を医務室まで運んでやってくれないか?ついでに亜美も、笑いすぎてぐったりしている真美を連れて行ってやってくれ。観客席は異様な興奮に包まれていた。安定感とは真逆の綱渡りをしているようなchmのパフォーマンスは妙な緊張感と迫力があって、誰も春香から目が離せない。
♪今 この恋愛感情の 昂るままに 命じるの強く 嗚呼!♪
いよいよ曲もクライマックスだ。実は俺は春香達にひとつだけ注文をつけた。と言ってもそんなに難しいものではない。これさえ成功すれば、ウチはオーガchildrenに勝てる。春香が一瞬だけ視線を観客席から外した。そうだ春香、『ヤツ』はそこにいる。春香の目つきが鋭く変わる。今度は確実に決めてくれよ。
♪『そこに跪いて!!!!』♪
春香は観客席ではなく、ステージ袖でスタンバイしていたオーガchildrenの日高愛に向かって指を指した。上から目線でいきなり挑発された日高愛は、事態が上手く呑み込めず目を丸くしている。
♪『『認めたいの あなたを』』♪
春香に続いて、真もビシっと日高愛に向かって指を指す。ようやく彼女は、自分が宣戦布告をされた事を理解したようだ。みるみる怒りで顔が真っ赤になっていく。
♪『『『私のやり方で!!!!!!』』』♪
トドメと言わんばかりに、最後に千早がよく通る声で日高愛に指を指す。見事なチームプレーだ。伊織だったら間違いなくブチ切れてるな。ていうか真も千早もやけに気合入ってないか?むしろ春香よりノリノリなんだが。さっきの控室突撃が相当ムカついていたんだろうか。やりすぎると後輩をイジメる先輩の図になるから程々にしてくれよ。
こうして春香達のパフォーマンスは大盛り上がりのまま終了した。大人しそうな春香があそこまで挑戦的な態度を取るのは新鮮に映ったようで、そのギャップに大勢の観客が魅了された。やがてどこからともなく「閣下!!閣下!!」と妙なコールが沸き起こる。閣下って誰だよ。もしかして春香の事か?
ステージ上では春香が満面の笑みで手を振っていた。千早と真はその後ろでやや疲れた様子で小さく会釈している。よく頑張ったよお前ら。ふとステージ袖を見ると、先ほどまでいた日高愛の姿がなかった。どうやら作戦は大成功のようだな。後はあちらさんが乗って来るかどうかだが、春香と日高愛の直接対決を望むこのオーディエンスを無視出来るかな―――――
***
~オーガchildrenサイド~
「ママお願い!!!!あたしにセンターやらせて!!!!売られたケンカは買わなくちゃ!!!!」
「ダメよ愛。あれは敵の罠だわ。あっちはあんた達のフォーメーションを崩す為に愛を引っ張り出そうとしているのよ。そのまま出て行ったら思うつぼだわ」
「あたし負けないもん!!!!それにここまでずっと涼さんと絵理さんのサポートばかりだったんだし、一回くらいあたしに歌わせてよ!!!!」
「いい加減にしなさい!!これはあんただけの勝負じゃないのよ!!涼も絵理ちゃんもこの日の為にどれだけ頑張ったと思ってるの!!あんただけのワガママが通るわけないでしょ!!」
「ううぅ~~っ……!!」
「舞さん、僕達からもお願いします。決勝戦は愛ちゃんに歌わせてあげて下さい」
「わたしたちなら大丈夫です。愛ちゃんはずっとがんばってくれたから」
「涼?」「絵理さん!!??」
「僕だってあそこまで挑発されて黙ってられません。それに先輩達があそこまでしてくるなんて、僕達をライバルだと認めてくれたんだと思うんです。ここで逃げるのは男じゃ……いえ、アイドルじゃありません」
「わたしもひさしぶりにむかついた?気がします。投稿動画がクソコメであらされた時?を思い出しました。ネットアイドルEllieの名にかけて、先輩達をやっつけちゃおうかな?」
「いいのあんた達……多分負けるわよ……?」
「大丈夫です。僕達は愛ちゃんを信じています。愛ちゃんだったら大丈夫でしょう」
「それにここで負けたらフェアリーズ?には勝てないと思います。最終テスト?」
「涼さん……絵理さん……」
「わかったわ、しょうがないわね……。じゃあふたつだけ命令よ。まず曲は『ALIVE』これ以外は認めない。それから愛、8割の力で歌いなさい。限界でも8割5分。これ以上出すとフォーメーションが壊れるから。わかった?」
「うんわかった!!!!ありがとうママ!!!!!大好きだよ!!!!!!」
「はいはい、私も大好きよ。それじゃあ行ってきなさい3人とも。しっかりやるのよ」
「「「はい!!」」!!!!」
タッタッタッタッ……
「……ごめんね涼。あんたの男性アイドルデビューはもう少し先になりそうだわ」
***
『それでは引き続きまして、876プロオーガchildren のパフォーマンスです!!曲は『ALVE』ではどうぞ!!』
司会の言葉に観客がどよめいた。くそっ、やはりその曲で来たか。まさか日高舞最大のヒット曲を他人に歌わせるとはと思ったが、娘だったら納得も出来る。ステージ上には日高愛を中心にオーガchildrenがスタンバイしていた。やがてBGMがゆっくり流れる。日高愛の小さな身体から、とてつもないパワーが溢れてくるのを感じた。
♪ひとつの命が生まれゆく 二人は両手を握りしめて喜び合って幸せかみしめ♪
♪母なる大地に感謝をする♪
重厚なBGMに壮大な歌詞。十数年前に初めてこの曲が世に出た時、誰もこの曲がアイドルの歌だとは思わなかった。アイドルが歌うにはあまりにも世界観が大きくて重い。バラードなので技量も問われる。しかし当時まだ少女だった日高舞は、この曲を完全に歌いこなして自分のものとしていた。その歌声に多くの人間が心を震わせて涙したものだ。そして今、彼女の娘がその光景を再現している。
♪Trust yourself どんな時も命あることを忘れないで♪
♪Find your way 自分の進む道は必ずどこかにあるの♪
♪未来の可能性を信じて諦めないで♪
ゆっくりと丁寧に力強く、満面の笑顔で声高らかに日高愛は歌う。彼女から湧き出るパワーは底が見えず、会場全体を支配していく。これが現在に甦った日高舞のステージなのか。俺はとんでもないものをひっぱり出してしまったのかもしれない。
「ヤバイな……作戦ミスか……?」
「いいえ、あなたの思い通りよ。よくもやってくれたわね」
俺の独り言に、後ろから返事が返ってくる。おそるおそる振り返ると、そこには仁王立ちをした日高舞が腕を組んで立っていた。やべえ、超怖い。
「まさかあれだけの短時間でウチの弱点を見抜かれるとは思わなかったわ。あなた見た目によらずなかなかやるじゃない。さすが高木さんの所のプロデューサーだけのことはあるわね」
日高舞が不敵に笑う。褒めて頂いて光栄です。でもあの子がウチの控室に来て勝手にバラしたんですよ。今度から注意させた方がいいと思いますよ。
「全くあの子は……、私があの子くらいの時はもっと落ち着きがあったのに誰に似たんだか……家に帰ったらお仕置きね」
彼女はそう言ってため息をついた。しかしステージ上で歌う娘を見てどことなく嬉しそうだ。伝説のアイドルもやはりわが子は可愛いようだな。
「83、84、85……ああやっぱりダメかあ~。ゴメンね涼、絵理ちゃん。後もうちょっとだけ頑張ってね」
ステージを見ながらカウントをしていた日高舞が、がっくりうなだれた。どうやら『限界』を突破したようだな。さて、後はあのグループがどこまで保つか、秋月涼と水谷絵理次第だな。
♪Hope your brightness 大丈夫 全ては光へ続いている♪
♪Keep your dreams どんな想いも信じていれば いつかは届く♪
♪見守っててね 素敵な私が飛び立つまで♪
日高愛の後ろで、秋月涼と水谷絵理が表情を歪める。バラードの曲なので激しいダンスやアピールはないのだが、その分ごまかしが利かないので難しい所もある。少しづつステップが乱れ、呼吸がズレてくる。どうやら彼と彼女が日高愛に合わせられるのはここまでのようだな。
「こうなるからあの子はサポートに徹するようにしてたのに。涼と絵理ちゃんを目立たせて、この2人さえ攻略すれば勝てると錯覚させることで愛へのマークをかわしてたのになあ」
日高舞が頭をぽりぽりかきながらつぶやく。俺が狙ったのは『暴走』と『自爆』だ。何故グループの中で一番元気な日高愛がずっと後方支援なのか。秋月涼も水谷絵理も他人を押しのけてでもセンターで歌うような我の強さはない。このフォーメーションを組んでいる理由はひとつ、日高愛の力が制御しきれないからだ。対戦相手も、まさか13歳の女の子がグループを支配しているとは思わないだろう。
「ですが愛さんのパワーがここまですごいとは思いませんでしたよ。こちらのはるか予想以上でした。あの子がこちらの挑発を受け流すような落ち着きがあれば、ウチは完全にお手上げでしたね」
「親としては耳の痛い所ね。でも涼も絵理ちゃんも愛の89パーセントまでついてくるなんて私の計算違いよ。あの子達も成長したのね。あともうちょっとだったんだけど」
俺達が話している間に、オーガchildrenのパフォーマンスは終了した。ステージでは満面の笑みで手を振っている日高舞の後ろで、ぐったりしている秋月涼と水谷絵理が弱弱しく手を振っている。何だかさっきのウチのステージとかぶるな。後ろのふたりは大丈夫か?しかし会場は大盛り上がりで、ステージ上の3人に暖かい拍手が送られていた。
「全く、ひどい決勝戦ね。でも久しぶりに面白かったわ。最近は計算された安定志向のテクニックばかりが目について、こういうみんなが楽しめるようなステージなんて無かったもんね。この業界もようやく変わろうとしているのかもしれないわ。私も少しは役に立てたかしら?」
日高舞は笑顔で手を差し伸べてきた。俺はその手を握る。ええ、おかげでこちらも色々学ばせてもらいました。でも心臓に悪いですから、来年は家でゆっくりIAの応援をして戴けるとありがたいのですが。
「そうはいかないわ。ウチの子達をハメたお礼はいつかきっちりさせてもらうから。首を洗って待ってなさい」
笑顔のまま日高舞は俺の手を潰さんばかりに握り返すと、「じゃあね♪高木さんによろしく」と言って帰って行った。すっかり敵認定されてしまったな。出来ればもう会いたくない。日高舞の指の跡がくっきり残った手を眺めながら呟いた。さて、間もなく表彰式だな。俺もさっさと春香達の所へ行くか―――――
***
『優勝は765プロchmです!!chmはこの後19時から行われる『TOP×TOP』の挑戦権を獲得しました!! 観客の皆さん、最後まで彼女達に暖かい応援をお願いします。そしてデフェンディングチャンピオンのフェアリーズも間もなく登場します!!どうぞ最後までお見逃しなく!!』
表彰台の頂点に立った春香達は、トロフィーと賞状を持って観客席に笑顔でアピールしていた。ついでに2位の場所には日高愛が、3位の場所には亜美が立っていてそれぞれ賞状を持って手を振っている。876も伊織も良い所があるじゃないか。日高愛は目が少し赤かったが、しっかり立ち直ったようだ。決勝戦の結果はスコアだけ見ればウチの勝利だが、内容はほぼ僅差だった。来年のIAは入れ替わっているかもな。
「やりましたよプロデューサー!!ボク達の優勝ですよ!!このまま一気にTOP×TOPも攻め落としますよ!!」
「落ち着きなさい真、って言いたいところだけど、ふふっ、私も抑えきれそうにないわ……やったわ!!やりましたプロデューサー!!私達が勝ちました!!」
真も千早も大喜びだ。ふたりともオーディションなんて勝ち慣れているだろうに、まるで初めてのように喜んでいる。チームでの勝利となると喜びもひとしおなんだな。
「ああ、おめでとう。よくやったよお前ら。いよいよ最終決戦だ。今のお前らだったらフェアリーズとだって十分渡り合えるさ。自信を持って戦おう!!」
「「はいっ!!」」
元気に答える真と千早。ん?返事がひとつ足りないな。
「どうした春香?さっきから静かだが聞こえているか?」
俺はふたりの後ろにいる春香に声をかけた。すると春香は顔を上げて、表情だけで笑顔を作る。
「どうしたの、春香?」
千早が心配そうに声をかけた。この時になってようやく俺達は気付いた。春香の様子がおかしい。
「ちょっと……もってて……」
春香は小さな声でそう言うと、傍にいた千早にトロフィーと賞状を押し付けるような形で渡した。千早がしっかり受け取ったのを確認すると、安心したように一息ついて
―――――そのままその場にひざから崩れ落ちた。
「「「春香!?」」」
慌てて真が抱き起す。春香に触れた瞬間、真の顔が驚きに変わった。
「あつっ!?なんて熱なんだ!!いつの間にこんな状態に……」
俺も慌てて春香の額に手を当てた。春香はいつの間にか高熱を出していた。呼吸が荒く、汗もびっしょりかいている。
「すぐ医務室へ!!急いで下さいプロデューサー!!早く!!」
緊迫した千早の声で、俺と真は我に返った。こうしちゃいられない、すぐに看病しないと!!俺は春香を抱きかかえると医務室へ向かった。
***
「40度近いですね。おそらく緊張状態が一気に解けて疲れが出たんでしょう。微熱のようなものが続いていたはずですが、本人は何も言ってなかったんですか?」
「はい、元々元気で明るくて優しい子なので、俺達を心配させまいと無理していたんだと思います……」
医者の言葉に俺は力なく答えるしかなかった。春香は今、薬と点滴を打って静かに眠っている。千早と真はそばについている。これじゃあプロデューサー失格だな。
「とにかく絶対安静です。じきに救急車が到着しますので、彼女はこのまま入院させて下さい」
そして医者から告げられる残酷な言葉。当然と言えば当然か。今はTOP×TOPどころじゃない。春香の身体が第一だ。これ以上は無理させるわけにはいかない。
「……うして」
俺の後ろで真の声がした。よく聞き取れなかったが、震えているようだ。
「どうしてこんなことになったんだ……!!ボクがもっと早く気付いてあげられれば……!!」
「真、落ち着いて。あなただけのせいじゃないわ……」
千早が真をなだめようとする。しかし真はそんな千早の手を振り払うと涙の滲んだ目で、
「ああそうだよ!!ボクだけのせいじゃないよ!!千早も!!プロデューサーも!!どうして春香がこんなになるまで気付かなかったんですか!!春香がこんなになったのはボク達みんなのせいですよ!!律子も!!伊織も!! 社長だって……!!」
「真!!」
バシッ、と千早が真の頬を叩いた。千早の目にも涙が溢れている。
「春香が眠っているのよ……、静かにしなさい……」
千早の言葉で、再び医務室は静まり返った。ファンには申し訳ないが、TOP×TOPの出場は無理だな。春香に付き添って病院に行く前に棄権することを伝えないと……
「むにゃ~、なんだかとってもウルサイの……。ミキせっかく気持ちよく寝てたのに……あふぅ」
その時春香の隣のベッドから、気だるい声が聞こえてきた。そういえば隣にもうひとりいたんだっけ。声の主はカーテンの向こうでもぞもぞ動いていたと思ったら、自分のベッドのカーテンと一緒にまとめて春香のベッドのカーテンも一気に開けた。
「あ、間違えちゃった……。あれ?千早さんに真クン?どしたのこんな所で?どっか痛いの?」
カーテンの向こうから現れた人物を見て俺達は驚愕した。眩しいばかりの金髪を鬱陶しそうにかきあげて、寝ぼけ眼をこすって伸びをしているのは日本に2人しかいないSランクアイドルの1人、星井美希だった。
「お~い美希~、そろそろ起きるさ~。貴音が呼んでるぞ~」
そして医務室に新たに入って来た人物を見て俺達は更に驚く。黒々とした豊かな髪を一括りにして、陽気な調子で沖縄弁を話す小柄な少女は我那覇響。もう1人のSランクアイドルである。
「おお、真と千早じゃないか!久しぶりだな!……ん?どした?浮かない顔してるけど何かあったのか?」
こうしてTOP×TOPのステージで会う前に、chmとフェアリーズは医務室で対面した―――――
第四章
「そっか。そんな状態じゃTOP×TOP出場は無理だな。残念だけど今回は諦めるさー。また来年挑戦すればいいじゃないか!自分達はいつでも待ってるぞ!」
「でも響達は来年からアメリカで活動するんじゃないのかい?今年が最後のチャンスだと思ったから、ボクも気合入れて来たんだけど……」
「それはそうだけど……で、でもTOP×TOPが開催される時は日本に帰ってくるさ!自分達フリーだからな! 真達が出るならヒコーキでびゅーんって飛んでくるぞ!」
「気休めはよして我那覇さん。向こうのレッスンが厳しい事は分かってるわ。アメリカは甘くないわよ。私も一度向こうのバックコーラスに参加させて貰った事があるけど、風邪で1日だけ休んだメンバーの席が、次の日には別の人に取られていたわ。向こうで本格的に活動したいなら、5年は留まる事を覚悟した方がいいんじゃないかしら」
「げっ……、バレてたか。確かにもうこっちには帰って来られないかもしれないぞ……自分達フリーだから後ろ盾もないし……」
春香のベッドを囲んで、フェアリーズの2人と真と千早は話をする。ステージの外では意外と仲が良いんだな。真は結構フランクなところがあるし、千早は淡泊だ。キーキーうるさいのは伊織だけか。
「ふ~ん、じゃあ千早さん達はTOP×TOP辞退するんだね。あ~あ、ミキせっかく眠いのガマンして来たのにムダになっちゃったな~。ファンのみんなもがっかりするだろうな~」
「み、美希!?そんな言い方ないさ!!それに天海春香がこんな状態じゃ仕方ないさ!!」
美希の言葉に慌てて響が注意する。俺達はただ黙って歯を食いしばるしかなかった。そんな俺達を、美希は冷ややかな目で見ていた。
「……何も言い返さないんだね千早さん。ミキちょっとガッカリしちゃったの」
「どういう意味かしら……?」
千早が鋭い目つきで美希を睨みつける。真も穏やかではない顔をしていた。しかし美希はそんな2人をものともせずに続ける。
「今の千早さん達はフェアリーズとおんなじなの。メンバーのひとりがいなくなっちゃった状態で、残りの2人で頑張るしかないの。でもミキと響はちゃんとやってるよ?どうして千早さん達は出来ないの?」
美希の言葉に千早はピクリと反応した。どういうことだ?もしかして貴音のことを言ってるのか?
「千早さん知ってた?フェアリーズって正しくはプロジェクト・フェアリーって言って、貴音を入れた3人組なの。ミキ達レッスンはいつも貴音と3人でやってるの。でも貴音は日本のアイドル業界ではどうしても踊れないワケがあるみたいだから、オーディションではミキと響が貴音の分まで頑張ってるんだよ。でもミキ達は貴音にもキラキラして欲しいから、日本を離れてアメリカに行く事にしたの。そうだよね響?」
急に話を振られて響は戸惑っていたが、最終的に小さく頷いた。そして真の方を見る。
「これは貴音に口止めされていたんだけどな、自分達のパフォーマンスは未完成なんだ。貴音の話ではフェアリーズのパフォーマンスで60パーセントくらいらしい。自分と美希が30パーセントづつで、貴音が40パーセントなんだ。ウチは貴音がリーダーで一番すごいんだ。リーダーがいないのは一緒だぞ……」
只者ではないと思っていたが、四条貴音はそんなにすごいのか。今の状態でもフェアリーズには誰も敵わないのに、3人揃うと一体どうなるんだ。ちょっと想像出来ないな。
「ミキ達はプロなんだよ?たとえ響も倒れてミキひとりになっちゃっても、ミキはひとりで響と貴音の分もガンバルの。それが応援してくれるファンの為だし、響と貴音の為にもなるの。千早さんも真クンもひとりでずっとやってたのに、グループになって弱くなっちゃったの?だったらすぐに解散した方がいいと思うな」
「美希!!さすがに言い過ぎだぞ!!よそにはよその事情があるさ!!真達に謝れ!!」
ついに響が怒鳴った。しかし俺達は何も言い返すことが出来ない。千早と真を春香と組ませることは間違っていたのか?孤高の歌姫としてアイドル一のボーカリスト如月千早と、アイドル業界トップクラスのダンサー菊地真として活動させた方が正しかったのか……?
「そんなこと……ないよ……」
「春香!?目が覚めたの!?」
するとその時、俺達の中心で眠っていた春香がゆっくり目を開き、美希を見つめながら小さい声でつぶやいた。慌てて千早が手を握る。
「千早ちゃんも真ももっとスゴイんだよ……私なんかいなくたって、ふたりはIAで優勝してたもん……私に合わせてくれていたから弱く見えちゃったけど……ふたりは今でも最高のアイドルなんだから……」
弱弱しく途切れ途切れだが、春香は最後まで精一杯言い切った。そして再び目を閉じて眠りにつく。オーソドックスの特性上、春香は基本以上の事を習得するのは時間がかかる。彼女はずっと2人に対して負い目を感じていた。IAで優勝して自信がついたと思っていたが、まだ引きずっていたのか。
「……美希、私ちょっとどうかしてたわ。春香の言った通り、私と真は最高のアイドルよ。春香がいればもっと強くなるけど、それだとあなた達が相手にならないから手加減してあげる。いいわよね真?」
千早がいつものポーカーフェイスで真に言った。一方の真は瞳に闘志をめらめらと燃やし、
「そうだね。chmとして100パーセントのパフォーマンスをファンのみんなに見せられないのは悪いけど、それはお互い様だよね。春香がいないとボク達のパフォーマンスは50パーセントくらいになっちゃうけど、それでも十分過ぎてお釣りが返ってくるよ。何なら今ここで、千早と一緒に本番まで腹筋でもしてハンデつけてあげてもいいよ。いけるよね千早?」
真の言葉に千早は「余裕よ」と涼しい顔で返した。美希はその言葉を聞いて「あは☆」と無邪気に笑った。
「それでこそミキがソンケーする千早さんなの。貴音からの伝言聞いた?ふぬけた千早さんからボーカリスト1位の座を奪っても面白くないの。それじゃTOP×TOPのステージで待ってるね。行こ、響」
美希はそう言うと鼻歌を歌いながら医務室を出て行く。響はおろおろしながらその後に続いた。
「待ちなさい、美希」
美希が医務室のドアに手をかけたところで千早が呼び止める。美希はきょとんとした顔で振り向いた。
「私は水瀬さんほど甘くないわよ。それにあなたのビジュアルの良さはその頭の悪さで台無しになってるわ。胸に栄養が集まりすぎて知能の低いあなたが、このクールスレンダービューティーの私に敵うかしら? もはや胸がアピールになる時代は終わったわ。私は貪欲なの。今日のステージであなたからファンタジスタ1位の座を奪い取ってあげるから覚悟しなさい」
ぶちっ、と美希の血管が切れる音がした。そのまま美希は「ぶっ潰してやるの」と親指を下に向けると鼻息を荒くして出て行った。俺は唖然とした。まさか冷静な千早がここまで敵意むき出しで煽るとは。美希の宣戦布告に相当頭に来ていたんだろうな。
「プロデューサー、今の話聞いてましたよね?真とふたりでTOP×TOPに出場します。棄権なんてしたら一生ヘタレメガネって呼びますからね」
「お、おう……、真もいいんだな?」
「当たり前です。響とはケンカしたくありませんが、今回は手加減なしでいきます。早速作戦会議をしましょう」
ふたりの迫力に圧されて、俺は頷くしかなかった。どうして律子といい伊織といいといい、765プロには怖い女が多いんだよ。あずささんや春香みたいなアイドルが増えないかなあ……
「春香。絶対勝つから安心して眠りなさい。あなたは足手まといなんかじゃない。伸び悩んでいた私を助けてくれた恩人よ。これからもずっと一緒だからね」
千早はそう言って春香の額にそっと手をのせると、そのまま頭のリボンをひとつ解いた。そしてやや苦戦しながらも、そのリボンを使って自分の髪をポニーテールにまとめた。おお、俺の中で千早のビジュアル値120パーセントアップだ。
「ボクもちょっと借りるね。春香の力を貸して欲しいんだ」
真も春香のリボンをひとつ解くと、それを自分の頭にぐるっと回してぎゅっと縛る。似合うとは思っていたがここまで様になるとは。本家ランボーよりも恰好良いぞ。
「よし、では作戦会議を始めようか。春香の為にもこの勝負絶対勝つぞ。アイドル革命は目の前だ」
俺の言葉に千早と真はしっかり頷く。今のこいつらのモチベーションはMAXだ。後はプロデューサーの俺がそれを壊さずに、上手くパフォーマンスにつなげてやればいい。春香という飼い主から解き放たれた狂犬2頭に、俺はとっておきの作戦を伝えた―――――
***
『それでは皆様、大変長らくお待たせしました!!只今より第○○回TOP×TOPを開催します!!今年の挑戦者は結成されてわずか半年でIA優勝に輝いた765プロ『chm』!!メンバーはトップアイドルの如月千早と菊地真を要する実力派。彼女達はどんなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか?対するは二年連続TOP×TOP王者『フェアリーズ』!!日本に2名しかいないSランクアイドルの我那覇響と星井美希は、三度目の優勝を飾る事が出来るのか?それでは両グループの登場です!!』
司会者に紹介されて、ステージ上にchmとフェアリーズのメンバーが勢揃いした。こうして見ると凄い顔ぶれだな。ボーカル・ダンス・ビジュアルのトップが勢揃いしているし、真もソロではトップクラスのダンサーである。まさにTOP×TOPにふさわしい組み合わせだ。
「社長から連絡がありました。春香が意識を取り戻したそうです。間もなく親御さんも病院に到着します」
律子の言葉を聞いて俺は安堵した。病院への付き添いは社長が引き受けてくれた。俺達は千早と真の応援だ。
「そうか。よかった……よし、これで応援に集中出来るな!」
「真―――――っ!!千早―――――っ!!負けたら承知しないわよ―――――っ!!」
「やっちまえまこちん!!千早お姉ちゃんもガンバ―――――ッ!!」
「真ちゃ~ん!千早ちゃ~ん!しっかりね~!」
律子と竜宮小町のメンバーも一緒に、俺と応援している。ちなみに真美もいるが、IAの春香の決勝ステージのパフォーマンスで笑いすぎて喉が枯れたらしく、静かにサイリウムを振っている。
「今度は千早と真がパンゴシですか。しかも千早はポニーテールになってるし、何を歌うつもりなんですか?」
ステージ上の千早は、真っ赤なシャツに左足に赤いアクセントのついた黒のパンツを履いている。気合いが入りすぎてフェイスペイントにまで手を出そうとしていたが、流石にそれは止めさせた。代わりに真っ赤なマニキュアを塗っている。そしてまとめた後ろ髪から時折ちらりと見える赤いリボンが目を引く。
「なんだか亜美の知ってる千早お姉ちゃんじゃないYO……」
「でもなかなか似合ってるじゃない。あのリボンは春香のやつね。あの子の弔い合戦のつもりかしら」
縁起でもないこと言うなよ伊織。でもウチのビジュアル担当からお墨付きを貰えたら自信になるよ。千早は普段化粧っ気がないから、暴走してしまわないか心配だったんだ。
「真ちゃんはよく似合ってるわね~。ジュピターのメンバーだって言われても納得出来るわ~」
「あの子も相当気合入ってますね。また女の子のファンが増えそうだわ。小鳥さんがいなくてよかった……」
あずささんと律子が見ている真は、黒を基調としたヘソ出しルックのパンツスタイルで、上にまた黒のジャケットを羽織っている。足に無数に巻かれた赤いベルトのようなものがよく目立つ。う~ん、俺にはよく分からんが、真が恰好良いのでよしとしよう。額に巻いた赤いリボンも真の凛々しさを引き立てている。
「対するフェアリーズはいつものビヨンドシリーズか。いかにもチャンピオンって感じだな」
美希と響は金色を基調とした派手な衣装だ。4人に共通しているのはスカートではなくパンツルックである。ダンサーがふたりいるからかもしれないが、全員が動きやすさを追求している。これは激しいパフォーマンスになりそうだ。
『それでは互いの健闘を祈り、両者握手をお願いします!!』
司会に促され、chmとフェアリーズは互いに向き合い握手をする。しかしそこに笑顔はない。言葉を交わしているようではあるが、ここからでは聞き取れない。あいつらケンカとかしてなければいいが―――――
***
~ステージ上~
「いや~、まさかTOP×TOPで真と対決することになるとは思わなかったさ。お互い頑張ろうな!」
「それってボクがここにいるのが不自然ってことかな。悪いけど今日はライバルじゃなくて敵だからね響」
「なんだか真クンカンジ悪いの。ミキそういうのよくないって思うな」
「あなたに言われたくないわ美希。水瀬さんの分の仇も取るつもりだから覚悟しなさい」
「うう……こんなに怖いステージ初めてだぞ……」
『それではまずは挑戦者chmのパフォーマンスです!chmの皆さん、スタンバイをお願いします』
「美希、この握手は地獄への片道切符よ。私があなたに敗北を教えてあげるから、せいぜい苦しみなさい」
「……ミキ中二病はもう卒業したの。千早さんも早く治さないとあとあと苦労するよ?」
***
ステージ上では千早と真がスタンバイする。……と思いきや、千早だけがステージ中央に立ち、真は舞台袖に引っ込んだ。観客席からは戸惑いの声が起こる。
「真がいなくなっちゃいましたけど、あの子達は何をするつもりなんですか?」
「わからん」
「え?」
俺の返事を聞いて律子は驚いた。無理もない、俺があいつらに伝えた作戦はゼロだ。
「あいつらにはこう言ってある。『限界まで自分の能力を発揮して、ビジュアルアピールも補え』それだけだ。元々ビジュアルはパフォーマンスで魅せることだ。だったら歌とダンスで魅せる事も不可能ではない。よってシンプルに千早はボーカリストとして、真はダンサーとしてパフォーマンスをする」
「それってもうユニットではないじゃないですか。大丈夫なんですか?」
律子が不安気な顔する。伊織達も心配そうだ。
「安心しろ。あいつらは春香のリボンで結ばれている。春香の存在を忘れない限り、あいつらはどれだけ無茶をしてもユニットだ」
やがてBGMが流れ始める。すると舞台袖から飛び出した真がステージ中央の千早に向かってロンダートを行い、そのままバク転につなげて、最後はひざを抱えてバク宙をしながら千早の頭上ギリギリを飛び越えた。失敗すればあわや大けがの危険すぎるパフォーマンスに観客席から悲鳴が起こる。しかし千早は頭を下げるどころかまばたきひとつしなかった。限界まで力を出せとは言ったが、あのバカなんて無茶しやがる!!
「真もだけど千早も相当腹くくってるわね……。あいつら無事にステージ完走できるかしら……」
冷や汗をかく伊織の前で、千早と真は平然と並んで踊る。しかし2人の距離が近すぎる。ギリギリのところでかわしているようで、いつ接触してフォーメーションが乱れてもおかしくない状況だ。2人が今回の対決に選んだ曲は『inferno』。相手を敗北という地獄に叩き落とす為に、千早と真も地獄の釜の縁で踊る―――――
♪冷めたアスファルト 人波掻いて♪
♪モノクロのビル 空を隠した♪
(真、さっきのアクロバットちょっとかすったわよ。あなたダンサーでしょう?もっと上手くやりなさいよ)
(ゴメンゴメン、でもちゃんと見てない千早も悪いよ。ぶつかったら入院一ヶ月コースのパフォーマンスがまだまだあるから気を付けてね)
(望むところよ。あなたこそ私の歌にしっかり付いて来ないと、リズム感ゼロの烙印を押されてダンサー生命が終わるわよ。手加減しないから覚悟なさい)
(上等!!)
「……何かあの2人睨み合ってない?火花が飛び散ってるんだけど」
「まこちんと千早お姉ちゃんって仲悪かったっけ?」
「いや、そんなことはなんだがなあ……」
ふたりともサバサバしてるので、今までケンカらしいケンカをしているのを見たことがない。春香が来てchmを組んでからは、むしろ前より仲良くなった。オフの日には3人でショッピングもしていたようだ。
「真はともかく、千早がああいう子ですからね。私はあの子が誰かとパフォーマンスをしているのがまだ信じられませんよ……」
「でもだんだん合ってきましたね~。すごいわふたりとも……」
あずささんが言う通り、最初はどうなるかと思ったがだんだん安定してきた。千早も真も好き勝手しているのに、無意識にチームプレーが出来ている。そこらへんのアイドルだったらこうはいかないだろう。これも春香と一緒にパフォーマンスをして基本がしっかり出来たからか。
♪全て 燃える愛になれ 赤裸に今焦がして♪
♪私が守ってあげる♪
(すごい……、どれだけ歌に集中しても真の動きが手に取るように分かるわ……。これがチームなの?)
(ボクも千早から遅れる気がしないよ……、これも春香のおかげかな。これならフェアリーズにも……)
((勝てる!!))
気が付けばchmのパフォーマンスに、観客席は俺が今まで見たこともないような盛り上がりを見せていた。今ならはっきり断言できる。真のパフォーマンスは我那覇響を超えている。千早がボーカリストとして壁にぶち当たっていたように、真もダンサーとして伸び悩んでいた。このステージで彼女は一回りも二回りも大きく成長したようだ。
「真はちょっと優しすぎるところがありましたからね。それがあの子の良い所でもあるんですけど、あまり行き過ぎると仲間を信じていない事につながりますから。それがchmの弱点のひとつだったんですけど、どうやらデータを修正しないといけませんね」
律子が苦笑しながらメモ帳に何かを書き込む。バレてたか。そこが真が響に勝てない所だったんだがな。響は純粋に美希に全幅の信頼を置いているが、真は年長者のプライドからかどこか気負っている所があった。それがチームを組んだ事により、真は千早と春香を対等だと認めて背中を任せるようになった。もうあの子は他の誰と踊らせても大丈夫だ。
と、気が付くとステージはクライマックスに入っていた。しまった、ついつい昔の真を思い出していて見逃してしまった。ステージ上では千早が目を閉じて大きく息を吸っている。
「ヤバイ!!みんな耳を塞げ!!」
俺は慌てて律子達に指示を出す。来るぞ、ボーカリストの『inferno』最大のアピールポイントが……!!
♪『インフェルノォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!』♪
マイクの音が割れないギリギリを見切って、千早がステージ上で力の限り絶叫する。いや、それでもパフォーマンスは壊れてないからこれは『絶唱』なのか。まともにくらった観客は体の芯から震わされて金縛りになっていた。日高愛の比ではない。いや、もしかしたら日高舞にも届いたかもしれないパワーだ。千早は自分の声はもちろん、マイクが拾う音やスピーカーのサウンド、それらがステージで反響する音の大きさまで全て理解し、そして完全に支配している。まさに人間楽器だった。
「元々感覚の鋭い子ですからこれくらいの事は出来ると思いましたけど、でもまさかこの大舞台で神経質なあの子がここまで自分を解き放つなんて……、完全に予想外でした」
「ああ、俺もびっくりしているよ。千早は繊細で聡明な子だから、頭では理解出来ていてもこういう無茶なことはやらないんだけどな。後でのど飴でも買ってやるか」
「亜美持ってるよ→。でも千早お姉ちゃんも多分持ってるんじゃないかなあ。はるるん達と組んでからは特にノドのケアに気を付けていたみたいだし、一緒にレッスンすると亜美も付き合わされたもん」
おいおい律子、竜宮小町のプロデューサーならちゃんと亜美を気遣ってやれよ。ウチの千早に余計な手間をかけさせるな。
「千早が過敏なだけですよ。あの子歌う事に関しては私より色々とうるさいんですから。でもあの他人に無関心だった千早が亜美の事を気にかけるなんて、これもチームを組ませた効果でしょうか」
そうかもな。真といい千早といい、やはりユニットで活動させたのは正解だったようだな。前に伊織がこの2人が組むなんてありえないと言っていた。そして俺もそう思っていた。しかし春香の登場によってそれが可能となった。決して2人はユニットを組んで弱くなってなどいない。むしろ前より強くなった。
♪全て 燃えて灰になれ それがこの世の自由か♪
♪貴方が微笑むなら 愛じゃなくても 愛してる♪
「春香にも見せてやりたかったなあ……」
こうして千早と真のステージは終了した。会場は地鳴りがするくらいの凄まじい喝采に包まれている。
「何言ってるのよ。これからいくらでも見せてあげることが出来るでしょ?」
俺の横で伊織が言った。ふと伊織を見ると若干目が赤い。さっきから静かだとは思っていたが、もしかして泣いていたのか?
「う……、うるっさいわね!!ちょっと感動しだけよ!!別に竜宮小町が負けたとか思ってないんだからね!!」
そう言って俺の足をげしげしと蹴って来る伊織。わかったわかった、お前らもまた明日から頑張れよ。
「それにアンタには見えなかったの?あいつらずっと春香と一緒にパフォーマンスをしていたわよ。私あのふたりの間に、春香の影が何度かぼんやり浮かぶのが見えたもん。だからきっと春香がいても同じレベルのパフォーマンスをしてたと思うわよ」
だからどうしてお前はさっきから春香を死なせたがるんだよ。だが伊織の言いたいことも分かる。春香はオーソドックスで、千早と真のルーツのような存在だ。あいつらが春香の事を思ってパフォーマンスをして、アイドルとして完成度が高まれば高まるほど、春香の存在は浮かび上がってくるのだろう。お前ら本当に春香の事が大好きなんだな。
「さて、フェアリーズはどう出るかな……?」
いくらSランクアイドルとはいえ、千早と真のあの地獄のパフォーマンスにはそう簡単に勝てないだろう。きっと今頃大慌てで対策を考えているはずだ。響も美希も、まさかあの2人がここまでやるとは夢にも思わなかっただろうな。TOP×TOPの連勝記録は2でストップか。
「今のchmに敵うアイドルはいないでしょう。目標達成まであともう少しですね!!」
律子が明るい声で言う。俺達はすっかり勝ったつもりでいた。アイドル革命は春香によってもたらされ、明日からアイドル業界は変わると信じて疑わなかった。
―――――だから俺達は忘れていた。フェアリーズで本当に恐ろしいのは誰なのか。そして銀色の妖精が、最初からずっと姿を見せていない事にもこの時は気付かなかった―――――
***
~フェアリーズサイド~
「ま、まままマズイぞ……、真キレッキレに決まってたさ……、あんなの自分には出来ないぞ……」
「おおおお落ち着くの響……、みみみミキ達が負けるはずないの……」
「だからあの時謝っとけって言ったさ!!chmは完全に自分達を潰しにかかってるぞ!!このままじゃ負けるぞ!!」
「そんな事いまさら言ってもしょうがないの!!響いつも言ってるじゃん!!これくらいなんくるないの!!」
ステージ脇に近づくと響と美希の言い争う声が聞こえてきました。ふむ、どうやらわたくしのあずかり知らぬ所で765ぷろと何かあったようですね。美希が失礼をしていなければよいのですか。
「何事ですか騒々しい。もうすぐ出番ですよ」
「貴音!!今までどこ行ってたさ!?」
わたくしが声をかけると響は慌ててこちらを見ました。その表情には珍しく焦りの色が見えます。
「天海春香が体調不良を理由にとっぷ×とっぷを辞退したと聞いたので、運営に詳細を確認しておりました。留守にしてしまい申し訳ございません」
「春香は40度の熱出してダウンしたの!!貴音はミキ達より春香の方がダイジなの!?」
美希が涙目で詰め寄って来ます。彼女も珍しく余裕がないようですね。しかし先程から何かひっかかります。
「はて、美希はどうして天海春香の容体を知っているのですか?この事実を知るのは765ぷろの方々と、ごく一部の運営のすたっふだけだと聞いておりますが……」
「そ、それは……」
美希が口ごもります。響も気まずそうな顔をして目を泳がせています。どうやら何か隠しているようですね。
「詳しい話を聞かせてもらいましょうか。まずはそれからです」
こうしてわたくしは、医務室でのやりとりを美希と響から聞き出しました。
***
「……なるほど。確かに美希の言う事は間違いではありませんが、それでもこちらに無礼があったことも事実。美希を止めなかった響も同罪です。とっぷ×とっぷが終了した後に皆で謝罪に伺いましょう」
「はいなの……」
「うう、ごめん貴音……」
すっかり落ち込んでしまった美希と響の頭を、わたくしは優しく撫でました。今からすてーじに立つのに、そんな暗い顔をしていてはいけませんよ。わたくし達はちゃんぴおんです。堂々となさい。
「でも今のあの2人には逆立ちしたって敵わないぞ……。真すごく怖かったさ……」
「ミキも千早さんにファンタジスタ一位を取られちゃうの……、ミキおっぱいだけのバカになっちゃうの……」
この2人がここまで怖気づくとは、よほど恐ろしいぱふぉーまんすだったようですね。わたくしも是非この目で見たかったものです。
「仕方ありませんね。気が進みませんが真っ向勝負で来られたあちらに、わたくし達は奇策で対抗しましょう。美希、ぼーかりすと一位の座はお預けです」
「今の千早さんに歌で勝てるワケないからいいケド……でもミキ達勝てるの?chmスゴかったよ?」
「去年のジュピターの比じゃなかったさ。あの2人はダンサーとボーカリストのレベルを超えて、ファンタジスタも入ってたぞ」
それはそうでしょう。あのゆにっとには天海春香がいるのですから。ですがわたくし達も、その程度で負けるわけにはまいりません。
「要するに如月千早はぼーかりすと以上の、菊地真はだんさー以上のぱふぉーまんすをしただけの話。でしたらわたくし達も同じことをすれば良いのです」
「ミキが千早さん以上に歌って、響が真クン以上に踊るの?そんなのムリだよ……」
再び落ち込んでしまう美希と響。やれやれ、この調子では負けてしまうかもしれませんね。
「美希、響。貴女達はふぁんたじすたとだんさーである前にあいどるなのですよ。自分の可能性を狭めてはいけません。わたくし達は妖精です。人間に出来ない事でも妖精には出来るのです。自信を持ちなさい」
わたくしの言葉に美希と響の魂に火が灯りました。どうやら気付いたようですね。それでは舞台に参りましょう。妖精は可愛らしいだけではありません。もっと面妖で、恐ろしいものなのですよ―――――
***
『お待たせしました!!それではTOP×TOP王者フェアリーズのパフォーマンスです!!曲は『マリオネットの心』!! それではどうぞ!!』
ステージに出て来たフェアリーズの2人を見て、客席はどよめいた。なんとこの短時間の間に、響と美希は衣装チェンジをしていたのだ。確かワイヤードマリオネットだったかな?
「あれれ→?でもひびきんにワイヤーがついてないYO?あれじゃあただのマリオネットじゃん」
亜美の言う通り、響には衣装とセットであるワイヤーを模したギミックがついてなかった。ダンスにジャマだから外したのか?でもそれだと中途半端な感じになってしまうのだが……
「出ましたね星井美希の十八番。美希がボーカルで響がダンスですか。去年も使ったフェアリーズの必勝パターンですけど、それくらいで真と千早には勝てませんよ」
「ホント学習能力ないわねアイツ。でもまあ、千早達のあれだけすごいパフォーマンスを見せられたら自分の得意曲に縋りつきたくもなると思うけど」
律子と伊織が冷ややかに笑う。何だかお前ら黒いな。特に伊織、私怨を持ち込むな。
「でも何だか色々おかしいわ。去年はあの金色の衣装で同じ曲を踊ったのに今年はお人形さんの格好で、しかもスタンバイが反対じゃないかしら~?」
あずささんが首をかしげる。確かに言われてみればそうだ。確かあの歌はボーカリストが先頭で、ダンサーは後ろにいなかったか?ステージ上のフェアリーズは、響が前で美希が後ろに立っている。どういうことだ?
間もなくパフォーマンスが開始される。俺はステージのフェアリーズを見ながら、彼女達が何をしようとしているのかずっと考えていた。何か見落としている気がする。俺は大事な事を忘れていないか……?
―――――その時、舞台袖に一瞬だけちらっと俺は銀色の髪が揺れるのを見た。その瞬間全てが理解出来た。そうだ、相手は妖精だったんだ。しかし本当にそんな事が出来るのか……!?
BGMが流れた瞬間、客席がどよめいた。響の両肩に美希の手が伸びたと思ったら、そのまま美希は馬跳びの要領で響を軽々と飛び越え、そして素早く着地するとそのまま流れるような動作でステップに移行した。
♪ねえ 消えてしまっても探してくれますか?♪
そしてそのまま歌い出した―――――Sランクダンサーの我那覇響が。同じくSランクファンタジスタで、この曲を自分の十八番としている星井美希はそのまま曲に合わせてダンスを踊っている。この曲の歌の入りは一瞬だ。一度ダンスに入るとそう簡単にパート交代は出来ない。という事はつまり……
「ウソ……、もしかして担当入れ替え……!?」
律子も気付いた様で、信じられないと言った様子でステージを見ている。どうやらボーカリストを超えた千早とダンサーを超えた真に対抗して、響と美希は自分の得意分野を、それぞれ相手とごっそり入れ替えてパフォーマンスをするようだ。どちらも自分のアイドルとしての能力を超えているが、自分の武器を丸ごと捨てるなど現在の一点特化型のアイドルには考えられない作戦である。
『わたくし達はあいどるです。歌って踊って魅了する。それが全て出来てこそあいどるなのです』
どこからか四条貴音に言われた気がした。俺は慌てて周囲を見回したが、彼女の姿はなかった―――――
***
♪ZUKI ZUKI ZUKI 痛い♪
♪DOKI DOKI DOKI 鼓動が身体伝わる♪
(久しぶりに歌うと結構しんどいぞこの曲……、早くダンスしたいさ……)
(心配しなくてもすぐに代わってあげるの。ちゃんとキャッチしてね、響……!!)
異例の入れ替えのフェアリーズのパフォーマンスに、俺達は目が離せない。響は美希とはまた違う豊かな声量で力強く、そして曲の雰囲気に合わせて切なく歌い上げて完全に自分のものにしている。表現力も見事だ。一方の美希は美希で、15歳ながら恵まれたスタイルと長い手足を活かして、響に負けないダンスアピールを行っていた。グループを組むと互いに良い影響を与え合う事は竜宮やchmを見れば分かるが、これは次元が違う。完全に互いが互いの技術水準に到達していた。
「あの2人あんなことまで出来るの……?もうSランクとかそういうレベルじゃないわよこれ……」
「で、でももうすぐ曲のサビよ。流石のあいつらでもサビまで入れ替えるというわけには……」
律子と伊織の会話が聞こえてくる。確かにサビは曲の命だ。失敗するとパフォーマンスが一気に崩れる。今のところは何の問題もないが、この曲はどうしても美希のイメージが強い。だからサビまで響が歌うと違和感が出るだろう。かと言って安易に変えてしまうと逆効果だ。さてどうするつもりだ?
するとサビに入る直前になって、美希が一瞬衣装のベルトに手をかけた。ここからではよく見えないが、何か小さいバックルのようなものを外した気がする。するとそれに合わせて響が観客席に背を向けた。一体何をするつもりだ?
♪踏み出したら♪
((せーのっ!!))
♪失いそうでできない♪
(えいっ!!なの!!) (よっ……と!!)
「な……!?」
「ウソ……!?」
「ありえないわ……!!」
観客席から大歓声が沸き起こる。それもそのはず、美希がバックルのようなものを外して、素早くその場でターンしたと思ったら背中のギミックが外れて飛び、それが響の背中に装着されたのだ。響はそのまま素早くギミックのバックルを留めると、自然な流れでダンスに移行した。美希も全く滞りなく、まるで自分が最初から歌っていたかのようにサビに入る。この間わずか3秒。チームプレイとか阿吽の呼吸とかそういうレベルではない。もはや神業の域に達した曲芸だった。
「最初の馬跳びにギミックが邪魔だから響は外していたのかと思ったのだが、まさかこのパフォーマンスの為にあえてひとつしか準備していなかったとは……。しかも普通に担当を交代するより、よっぽどこっちの方が難易度が高いし魅力的だ。だが分かっていてもあんなに自然に出来るのか……?」
「まるで夢でも見ている気分です……、目の前で行われている事がまだ信じられません……」
「く……うぐぐ……」
呆然としている律子と、目に涙をいっぱい溜めて悔しそうに美希を睨みつけている伊織。観客の盛り上がりは最高潮だ。それぞれの得意分野に戻った響と美希は、先程以上のハイレベルなパフォーマンスで観客を魅了している。亜美もあずささんも、あまりにも凄すぎて声が出ない。
♪貴方と離れてしまうと もう踊れない♪
♪ほらね 糸が解れそうになる♪
♪心がこわれそうだよ…♪
(このパフォーマンス、アメリカ用に取っておきたかったんだけどな。何だかもったいないの)
(何言ってるさ美希、ここで使わないでいつ使うさ!それに成功率まだ低いんだから慎重に行くぞ! 失敗するとケガするぞ!)
(わわっ、そうだった!次はミキがキャッチする番なの!さあ来いなの響!)
その後サビの入りと終わりで4回、計5回このギミック投げは行われた。もちろんそれだけではない。歌も踊りもお互い完全にやり切り、フェアリーズはchmに負けないくらいの大歓声を受けてステージを終えた。ステージ上の響と美希は、いつもの悠然とした姿ではなく汗びっしょりになって肩で息をしている。これで勝負の行方は分からなくなった。これから審議に入り、今年度のTOP×TOPの勝者が決まる。
ふらふらとステージ袖に帰って行くフェアリーズを目で追っていると、ステージの陰から長くて白い手がすっと伸びて、彼女達を優しく奥へ引き込んだ。時折見える銀色の髪を、俺は恨めしい気持ちで見ていた。
「くそっ……、四条貴音……!!」
純粋に響がダンス、美希がビジュアルで互いにボーカルを折半するという従来の図式なら、間違いなく千早と真が勝っていた。だが急遽行われたと思われる衣装チェンジに始まり、得意分野の完全変更、さらに交代の際のギミック投げのパフォーマンスはおそらく彼女の仕業だろう。律子と低レベルな腹の探り合いをしていたのが恥ずかしくなるくらい、俺は貴音に完全に裏をかかれてしまった。
勝敗の行方について、後はもう神に祈るしかない―――――
***
~TOP×TOP終了後~
「ごめんなさい貴音……、せっかくミキ達の為に色々準備してくれたのに……」
「ふふ、良いのですよ美希。貴女はよく頑張りました。それより身体を痛めていると思いますから、すぐに帰って治療するのですよ」
「真と千早の事だけど、このままでいいのか……?」
「それも時が経てば解決する事です。今はまだ和解することは難しいかもしれませんが、いつかまた好敵手として、そして友として彼女達とも仲良く出来る日が来るでしょう。後はわたくしに任せて下さい」
「じゃあミキ達帰るね。アメリカ行の予定が決まったら連絡してね。それから貴音もあまり無理しないでね?」
「自分も待ってるぞ。それから用が無くてもいつでも電話してくれていいからな?自分達は仲間なんだから」
「ありがとうございます。それでは2人とも本日はお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」
響と美希を会場の外で見送って、わたくしは一息つきました。さて、表舞台に長居は無用です。わたくしも早く帰りましょう。
「お~い、ちょっと待ってくれ~!!」
すると会場からわたくしの方に向かって走って来る殿方がいました。おや?あの方は確か765ぷろの……
「さっきはすまなかった、それからお前に聞きたいことがあるんだが……」
その方はわたくしの前で立ち止まり、一息つくと話を始めました。
「わたくしに、ですか?」
どういったご用件か大体検討は付きますが、せっかくなのでお付き合いしましょう。わたくしも伺いたい事がありますし―――――
***
「ご注文はいかがいたしましょうか?」
「麺カタ辛め……いえ、何でもありません。紅茶をお願いします」
「?じゃあ俺はコーヒーで」
会場の外にいた貴音をつかまえて、今俺は近くの喫茶店に来ている。立ち話も何だからという理由で誘ったのだが、なんだかデートをしているように見えなくもない。
「それで用件というのはどのようなものでございましょうか?」
「あ、ああすまない。その前にさっき真と千早から電話があったんだが、自分達は気にしてないから心配しなくていいと言ってたぞ。すまなかったな、わざわざみんなで謝りに来てくれたのに」
「そうですか……。それはまことに良かったです。後で響と美希にも伝えておきます。改めまして今回の非礼、申し訳ございませんでした」
「い、いやいや気にするな!美希が発破をかけてくれたおかげであいつらはTOP×TOP出場を決めたんだ。むしろ俺はプロデューサーとして礼が言いたいくらいだよ」
深々と頭を下げる貴音に、俺は慌てて顔を上げるように伝えた。貴音は「ではこの話はこれで」と言って、紫色の瞳でこちらを見ながら優しく微笑んだ。
「しかし最後の最後でやられたよ。まさかあんなパフォーマンスで来るとは思わなかった。急な衣装変更とかから見るに、完全に予定外だったんだろ?よくぶっつけ本番であそこまで組めたな」
「『マリオネットの心 ~ゆー・えす・えーばーじょん~』です。向こうの方々は派手なあぴーるがお好きなので練習させておりました。本当は『オーバーマスター』で行く予定でしたが、それだとchmには敵いませんでしたので。ですが完全に予定外だったというわけではございません。一応準備はしておりました」
何?一体どういう事だ?
「二ヶ月ほど前に、わたくしが貴方がたの前に現れたのを憶えていますか。あの時わたくしは、『響はだんす』『美希はぼーかる』と先入観を持たせるように菊地真と如月千早に仕向けました。万が一彼女達が自らの特性で美希と響を超えた時、意表をついて入れ替えのぱふぉーまんすをさせる布石は打っていたのですよ」
無粋な真似をして申し訳ありません、と再び頭を下げる貴音に俺はただ驚愕するしかなかった。そんな前から俺達は貴音の策に嵌っていたのか。圧倒的な強さで王者に君臨しているのかと思いきや、相当注意深く用意周到でもあるようだ。これはちょっとやそっとじゃ敵わないよな。
「そちらには天海春香がおりましたから。彼女がもしとっぷ×とっぷに出場していれば、結果はまた変わっていたのかもしれません」
「……確かにそうだが、プロデューサーとして俺はお前に完敗だよ。悔しいがそれは認めざるを得ない」
俺は貴音に向かって両手を上げて降参のポーズを取った。こいつはどこまで先を見通しているんだ?そしてその貴音がここまで警戒するとは、やはり春香は相当のアイドルなんだな。
ちなみにTOP×TOPの対戦結果は引き分けだった。これはTOP×TOPが始まって以来の出来事だった。しかしアイドルの頂点を決めるこのオーディションで同時優勝など認めるわけにはいかず、結局王者優勢という事でフェアリーズの勝利となった。ただ特例として千早と真もSランクに昇格したが、檀上にいた彼女達4人に笑顔はなく、なんとも後味の悪い結末となった。
その後表彰式を終えると、千早と真は控室にこもり内側からカギをかけてしまった。どうやら2人だけで反省会をしたいらしい。その時に貴音とフェアリーズの2人が医務室での事を謝罪に来てくれたのだが、千早達は中に入れてくれなかったのでお引き取り戴いた。俺も何度か呼びかけたが返事がなく、先程ようやく携帯電話に連絡が来て貴音を追いかけたというわけだ。きっと千早達はまだ控室にいるだろう。
「大会規定によってわたくし達の勝利となりましたが、差はほとんどなかったと思います。しかしどうか、天海春香を責めてあげないで下さい。彼女はこの半年間、慣れないながらも必死で頑張っておりました。今回はまことに残念でしたが、彼女ならいつしか今日のとっぷ×とっぷ、いえそれ以上のぱふぉーまんすが出来るあいどるになるでしょう。ですからこれからも大事に育ててあげて下さい」
当然だ。誰も今回の事で春香を責めてはいない。むしろ俺達があいつに謝らないといけないからな。
「ところでわたくしも、貴方様にお聞きしたいことがあるのですが」
「何だ?お前の興味を惹くような事が俺にあるとは思えないが……」
俺がそう言うと、貴音は「ご謙遜を」と小さく微笑んだ。
「貴方様はどのように天海春香を勧誘する事が出来たのでしょうか。彼女の獲得に失敗した身としては、非常に興味があります」
貴音は紫色の瞳で、まじまじと俺の目を見た。なんだそんなことか。別に大したことをしてないぞ。
「たまたま電車で眠ってしまってそのまま終点まで行ってな。腹が減ったから食い物を探していたら、ひとりでレッスンをしているあいつに会ってクッキー貰って、お礼に稽古をつけてやったらいつの間にかウチのアイドルになっていたんだ。俺もどうしてあいつのスカウトに成功したのかよくわからん」
俺がありのまま答えると貴音は目を丸くして、それからさぞ可笑しそうに口を抑えて笑い出した。何だよ、そんなに面白かったか?
「はい……、ふふふ、貴方様はわたくしなどよりよほど優れたぷろでゅーさーですよ……くくく……」
笑みをこらえて話す貴音は歳相応の少女のようで、いつもの大人びた雰囲気とはまた別の魅力があった。そういえば確か18くらいだという情報があったな。律子より年上に見えるが、まだまだアイドルとしてやれるだろう。美希が貴音は日本で活動出来ない理由があると言っていたが、それは何だろうか―――――
***
「へえ~私が熱で苦しんで千早ちゃんと真が落ち込んでいる時にプロデューサーさんは貴音さんと楽しくお茶してたんですかふ~ん」
「いやだからそういうのじゃなくてだな……」
「貴音さん美人ですもんねフェアリーズの2人も可愛いしそれにフリーだしプロデューサーさんも一緒にアメリカに行ってあげたらどうですかあ~もう帰って来なくていいですよお~?」
「……ごめんなさい」
翌日、俺は病院に春香のお見舞いとTOP×TOPの報告に行っていた。最初は自分が棄権したことをひたすら謝っていた春香だったが、後の俺と貴音の喫茶店での話を聞いて態度が急変し、じとっとした目で俺を非難し続けている。どうしてそう曲解するんだよ。
「でもいいです。特別に許してあげましょう。私も貴音さん嫌いじゃないですし、男の人はああいうタイプに弱いのは分かっていますから。でも今度浮気したらダメですからね?」
めっ、と人差し指を指して笑う春香。ほ、よかった。どうやら機嫌を直してくれたようだ。熱もすっかり下がり、明日にでも退院するらしい。ちなみに今の春香はリボンをしておらず、出会ったばかりの頃の普通の女の子に戻っている。
「それで千早ちゃんと真は……」
春香が心配そうに訊いた。ああ、あいつらなら……
「お~い、千早、真、入って来~い!」
俺は病室のドアに向かって呼びかけた。しかし返事がない。やれやれ、今更逃げてどうするんだよ。仕方がないので召喚魔法を唱える事にした。
「7272727272……」
「(くっ!?)」
「(わわ、千早ダメだって……!!)」
ドアの向こうから千早と真の声がする。さっきからちらちらこっちの様子を伺っているのにはとっくに気付いてるんだよ。いいからとっとと入って来い。俺がドアを開けると、千早と真が気まずそうな顔をして病室に入って来た。
「こんにちは千早ちゃん、真。お見舞いに来てくれたんだね。ありがとう」
春香が笑顔で挨拶する。しかし対照的に、真と千早の表情は晴れない。
「ゴメン春香……、ボク達フェアリーズに勝てなかったよ……」
「絶対勝つって言ったのに約束を守れなくて……、そればかりかあなたをこんな辛い目に遭わせてしまって……」
しかし春香はそんな2人をそっと優しく抱きしめると、優しく背中を撫でた。
「気にしないで。2人が私の為にステージに立ってくれただけで十分だよ。それに私の方こそ大事なTOP×TOP休んじゃってごめんね。また私を仲間に入れて欲しいんだけどいいかな?」
「当たり前じゃないか!春香がいないとボク達のユニットは完成しないよ!!」
「春香……、言ったでしょう?私達はずっと一緒だって……!!」
春香達は3人で静かに抱き合っていた。まあこいつらならまた一緒にやれると確信していたから、最初から心配してなかったが……
「(プロデューサーさん、プロデューサーさん!)」
ふと気づくと春香が二人を抱きながらこちらを向いて、口だけ動かして何かを伝えようとしていた。何だ?
「(ケーキ買って来て下さい!クリームがたっぷり乗ったやつですよ!クリーム!)」
どうやら2人が元気になるのに必要らしい。こいつのこういうところは頼もしいんだが、何だか見てはいけないものを見ている気がする。春香に女の怖さを感じつつ、俺は静かに病室を出るのだった。
***
「それではchmの今後の活動についてだが……」
ケーキをぱくぱく食べながら聞いている3人を前に、俺はプロデューサーとして765プロの方針を説明する。何だかいまいち締まらないな。
「千早と真はソロでの仕事がメインになるな。もちろんchmの活動も継続するが、この半年ユニット活動にだいぶ割いていたから本来のボーカリストとダンサーの仕事が溜まってるんだ。せっかく3人揃ったのに悪いが、大丈夫か?」
「残念ですけど仕方ないですね。竜宮もいつも一緒に仕事をしているわけじゃないですし。でもレッスンは出来るだけ皆と合わせて下さいね。真美にもまたダンス教えるって約束しましたし!!」
真が元気に答えた。ああ、そこは配慮する。せっかく出来たチームだし、俺としても大事にしたい。
「春香はどうするんですか?もしかして明日から無職ということには……」
「ち、千早ちゃん、そんな怖い事ハッキリ言わないでよ……」
冷や汗をかいている春香。安心しろ、それもきっちり考えてあるから。
「春香、遅くなってしまったがお前の今後の活動はお前が自由に決めて良いぞ。俺はお前の意向をろくに聞かずに、この半年間ユニット活動をさせた。結果的にはIAも優勝したしその判断は間違ってなかったと思うが、お前にもなりたいアイドル像があるよな。千早のようなボーカリストになってもいいし、真のようなダンサーにチャレンジしてもいい。伊織に頼んでファンタジスタの稽古を付けてもらうのもアリだな。事務所もバックアップするから遠慮なく言ってくれ」
この半年間みっちりレッスンしたことだし、今の春香なら何でも出来るだろう。それにこいつは愛想も人当たりも良いからタレントやラジオのパーソナリティも出来るだろう。この汎用性の高さはオーソドックスならではだな。
「すごいじゃないか春香!!自分の将来を選びたい放題なんてうらやましいなあ」
「私も協力するわ。今の春香なら歌も練習すれば上手くなるでしょう。時間はかかるかもしれないけど、ゆっくりやっていきましょう」
真と千早も肯定的だ。しかし春香の表情は晴れなかった。どうした?何か気に入らない事でもあるのか?
「アイドル革命は諦めたんですか?確か私は今の業界を変えるためにスカウトされたと思うんですけど……」
春香の言葉に俺達は静かになる。いや、もちろん諦めたわけではないが今回はまだ早かったんだよ。
「早いも遅いもありませんよ!フェアリーズはアメリカに行っちゃうんですよね?だったらもうリベンジ出来ないじゃないですか!」
春香はそう叫ぶと、千早と真が持ってきたリボンを手に取って、そのまま鏡も見ずに素早い動作で髪にくくりつける。たちまちアイドル天海春香が復活した。
「ベッドで寝てる間に全部終わっていたなんて私は納得できません!TOP×TOPは終わってしまいましたが、春香さんのアイドル革命はまだ終わってませんよ~!」
春香はニヤリと笑った。千早と真は呆気に取られていたが、やがてつられて楽しそうに笑い出した。
「それでこそ春香だね。確かにボクも春香と同じ立場だったら納得出来ないよ」
「で、私達は何をすれば良いのかしら?またchmを組んでフェアリーズと対決しましょうか?」
しかし真と千早の言葉に春香は首を横に振った。
「真と千早ちゃんはもう十分やってくれたよ。私が対戦したいのはフェアリーズじゃなくて、その後ろにいる美人の妖精さんだよ」
もしかしてお前、あいつと戦うつもりなのか……!?
「はい!chmとフェアリーズのリーダー対決です!千早ちゃんと真の仇は私が取ります!それから貴音さんに奪われてしまったプロデューサーさんのハートも取り返します!」
「……プロデューサー?」
「どういうことですか……?」
じとっとした目でにらむ真と千早。いやだから、あれはだなあ、…………ごめんなさい。
***
~数日後・貴音のマンション~
prrrrrrr......prrrrrr……
おや、また電話ですか。今日はよくかかって来ますね。……ふむ、今度は響ですか。
「もしもし。どうしましたか響」
『貴音!大変さ!テレビ見たか!』
「はい。先程美希から電話をいただいて確認しました。なかなか痛快ですね」
『笑いごとじゃないさ!どうするさ貴音?受けるのか?だったら自分と美希も加勢するぞ!』
「さて、どうしましょうか……」
わたくしはテレビを見ながら答えます。テレビの中では『春閣下』なる面妖な人物が、かめらに向かって尊大な態度で指を指して、
『四条貴音さん!!私と勝負しなさい!!あなたを私の足元に跪かせてあげます!!』
と、挑発的な笑みを浮かべながら宣戦布告をしていました。つくづくこちらの予想を上回る方です。
「面妖な……」
そうつぶやきながなも、わたくしは自然と笑顔になっていました。この高揚感、昔を思い出しますね。まだ未熟なあいどる候補生の時に、必死で日高舞を追いかけていたあの頃を―――――
第五章
『裏方のわたくしを表舞台に引きずり出そうとするなんて、貴方様はいけずですね』
「すまんな。でもこれが春香が一番やりたいことらしいんだ。この半年間TOP×TOPに向けてずっとレッスンしてきたのに自分だけ出られなかったからな。だから俺も春香の力になってやりたいと思っている」
『響も美希もおしゃべりが過ぎたようですね。わたくしは日本では踊れない事情があるというのは御存知でしょうか。それが何なのかお答えする事は出来ませんが……』
「ああ、だからステージは空港に用意する。そこだったらギリ国外だろ?お前は出発前にひょこっと顔を出して一曲春香と対決して、そのままアメリカに行ってくれればいいさ。だから日時はそちらの都合に合わせるよ。どうせ日本を発つなら、最後に一度くらいは良いだろ?」
『面妖な……しかし、ふふっ、それならよいでしょう。わたくしもこの国にはあいどる候補生として育てて戴いた恩があります。一度だけならお引き受け致しましょう。詳しい日時は追って連絡します』
「そうか!ありがとう!じゃあ春香にもそう伝えておくよ。ああ、あとひとつだけ聞きたいことがあるんだが」
『何でございましょうか。お答えできない事もありますが……』
「お前はボーカル・ダンス・ビジュアルのどれが得意なんだ?言いたくないなら教えてくれなくても良いが」
『…………』
「四条?もしもし?」
『はて。わたくしはどれが得意なのでしょうか』
「え?」
『今度響と美希に会った時に聞いておきます。分かりましたらまたこちらにお電話致します。では』
「あ、もしもし?もしもし?……切れたよ」
春香がメディアの前で貴音を煽りまくった数日後のある日、765プロ事務所に貴音から電話がかかって来た。音無さんに変わり俺が対応していたのが、最後の言葉は一体どういう事だ。また何かの作戦か?
「プロデューサーさんもスミに置けませんね~。まさか業界のタブーに手を出すなんて。随分四条さんと親しそうだったじゃないですか~」
隣のデスクでニヤニヤと音無さんがからかう。そんなんじゃないですよ。春香といい千早達といい、何でみんなそっち方面に誤解するのかなあ。
「……ん?業界のタブー?四条貴音の事を何か知ってるんですか?」
「え?知らないんですかプロデューサーさん?四条さんって業界ではすごく嫌われてるんですよ。名前を聞くのも嫌だって人も沢山います。てっきり御存知かと思いましたが……」
物語終盤になって明かされる驚愕の真実。何だそりゃ?業界の要注意人物じゃなかったのか?でもだから警戒されているのか。彼女が日本で活動をしないのと何か関係しているのかもしれない。
「ていうか、四条貴音の事を知っているならもっと早く教えて下さいよ。そんなタイミングの悪さだから婚期も逃すぐはっ!?」
最後まで言い切る前に、俺は音無さんにアイスラッガー(カチューシャ)を顔面に投げつけられて昏倒した。
***
「お疲れ様で~す。春香~、頑張ってるか~?」
事務所でデスクワークを終えた俺は、春香がレッスンをしているスタジオへ向かった。今日はトレーナーの先生とマンツーマンでポーズの練習をしているはずだ。最近はひとりで任せても大丈夫になってきたので頼もしい限りだ。
「ちっが~~~~~う!!だから首をもう3度右に傾けて!腰はもう30度右に!もっと数字を意識してシャキっと決めるのだ!!そんなへっぴり腰では四条貴音に勝つことなど出来ないぞ!!」
「さ、3度!?こ、これくらいですか?」
「相変わらずセンスのない指導ね黒井。いい春香、大事なのはイメージよ。パフォーマンスは蝶が舞うように優雅に、そしてポージングは蜂が刺すように鋭く決めるの。今のあなたは蜂よ。昆虫界最強のスズメバチとして振る舞う自分をイメージしなさい」
「スズメバチですか!?怖い虫はちょっと……」
「ナンセンスだ石川ぁ~。だから貴様はいつまでも日高舞の娘を娘を満足にプロデュース出来ないのだ!」
「あら、そのナンセンスな私にコテンパンにやられたのはどこの誰かしら?それにあんたの言い分なら、満足にプロデュース出来てない愛に負けたジュピターは、アイドルとして存在する価値があるのかしら?」
「何だと貴様ぁ~!!」
俺がレッスンスタジオの中で見たのは、春香の指導を巡って言い争う961プロの黒井社長と876プロの石川社長だった。そして春香は、二人の間で涙目になって俺に助けを求めていた。
「はっはっはっ、いや~、何だか昔を思い出すねえ~。日高君のレッスンの時も、あの二人はいつもあんな風にケンカをしていたよ」
「社長!?一体どういう事ですか?どうしてあの二人がこんな所に……」
俺が呆然としていると後ろから高木社長が入って来た。IA入賞アイドルを抱える事務所の社長上位3名が勢揃いである。
「私が呼んだのだよ。四条君と対決するにはあの二人の協力が必要不可欠だからね。天海君のアイドル革命は業界関係者全員の夢だ。フェアリーズがアメリカに行ってしまう前に、我々は何としても四条君を倒さなければならないのだよ」
高木社長の目が鋭く光った。TOP×TOPでは達成できなかったが、この人もまだ革命を諦めてはいない。そして黒井社長と石川社長も。ならば俺も全力で春香のサポートをしないとな。
「プロデューサーさ~ん、たすけてくださ~い……」
……よし、まずはあそこで泣いている春香を助けよう。
***
「だから765プロとしては出来るだけ自然な形で、天海君の意志を尊重しつつバランス良く育てたいのだ。大事なのは本人のやる気と元気だ。今までもそうしてきたし、これからもそれで問題ないと思うのだが」
「ノンノンノン、甘い、甘いぞ高木。何のためにデータが存在すると思うのだ。貴様のやり方では天海春香は絶対に勝てんぞ。四条貴音に勝つためには今の天海春香の能力を数値化し、その特性をデータ化して分析を行い、いつでも最高のパフォーマンスが出来るように頭と身体に徹底的に覚え込ませるのだ」
「で、ジュピターみたいな何の面白味もないサイボーグが出来上がるのね。これから革命を起こそうとしているのに、それじゃあ今と変わらないでしょうが。でも高木、黒井に同調するわけじゃないけど私も甘いと思うわよ。もちろん春香の意志も大事だけど、私達は彼女を最高のアイドルに育てないといけないの。その為には日高舞のような王者をイメージして、そのイメージに沿うように春香を育て上げていくのが最善よ」
「貴様こそ今更日高舞の真似事をしてどうするつもりなのだ。それで革命などと笑わせる。大体日高舞の真似をさせたら、四条貴音には絶対に敵わないという事を忘れたのか?」
カオスな指導を受けてアイドルとしてすっかり自信をなくしてしまった春香を慰めつつ、俺は三社長の話し合いを聞いていた。ん?今何だか気になる言葉が無かったか?四条貴音が日高舞の真似をする?確かに彼女は律子の一つ下だから、世代的に一点特化型が広まる前のまがいもの世代の可能性もあるが……
「ああ、そう言えばキミには言ってなかったかな。四条君は961プロのアイドル候補生だったんだよ。そして彼女は黒井の指導を受けていたのだ」
高木社長の横で、黒井社長がフンッ、とつまらなさそうに鼻を鳴らす。またもや明かされる驚愕の事実。でも確かに、元アイドル候補生ならどこかに所属していてもおかしくない。
「昔から不思議な子だったわ貴音は。私達の前にふらりと現れてそのままアイドル候補生になったのよね。あの時はまだ中学生だったと思うんだけど、当時からとても大人びていて落ち着いた雰囲気があったわ」
石川社長が懐かしそうに話す。そして黒井社長がその横で続けた。
「プロジェクト・フェアリーはそもそも人為的に日高舞に対抗する為のアイドルを作り出す計画の名だ。私は現在の3つの特性に分類して育てるアイドル育成法を、四条貴音を使って生み出したのだ。あいつは観察力がずば抜けていて、どんなアイドルも完璧にコピーすることが出来た。あの日高舞でさえな……」
日高舞のまがいもののアイドルが横行した時代か。でも6割が限度だったのではないですか?
「貴音も普段は6割程度だったが、瞬間的であれば100パーセント日高舞を再現することが出来た。だから私は貴音に日高舞の真似をさせて日高舞の特性を分析し、今のアイドル育成法を開発する事が出来たのだ」
100パーセント完全再現だと!?それはつまりあの伝説のアイドル日高舞に匹敵することを意味する。では何故そんな優れた才能を持ちながら、四条貴音はアイドル活動を辞めてしまったのだろうか。
「それが彼女が表舞台に出て来ない理由だよ。四条君が業界のタブーとして忌み嫌われるようになったのは私達の責任でもあるのだ」
高木社長の言葉に、石川社長も黒井社長も苦い顔をして俯く。春香も俺の横で真剣に聞いていた。いよいよ四条貴音の秘密が明かされようとしている―――――
***
「四条君はボーカル・ダンス・ビジュアルに分けて育成する今のやり方にずっと反対していたのだ。自分はこんな方法を作り出す為に日高君の真似をしていたのではないと。だから私や石川の元に、黒井を止めてくれと何度も懇願してきたよ」
「あの子はこの方法が一点特化型アイドルを生み出し、そして業界全体を苦しめることになるのを予見していたのでしょうね。でも当時の私達はそんな事を考えもつかなかった。ただ新たなアイドル育成法が誕生したことを業界の人間として喜び、貴音の言葉には耳も貸さなかったのよ」
高木社長と石川社長が険しい顔をしながら話す。きっと今も後悔しているのだろう。
「結果的にアイドル業界は一点特化型の育成法が蔓延し、武器も個性もひとつしか持たないアイドルが増えた。彼女達は非常に脆く、事務所が守らないとたちまち心が折れて引退してしまう。そんな消費されるだけのアイドルに嫌気がさしたり疑問を感じたりして佐野君や律子君のような有能な子がいなくなり、ますます業界は衰退してしまった。そして責任を感じた四条君は、我々の前から姿を消したのだ」
律子は佐野美心と並ぶほど優秀なアイドルだったのか。事務所に帰ったら仲良くしておこう。
「業界が衰退した後は、他の事務所はこの育成法を生み出した961プロを批判するようになったの。でもコイツ無駄に権力持ってるでしょ?だから黒井の報復を恐れた彼らは、その批判の矛先を次第に貴音に向け出したのよね。あの子は何も悪くないのにね」
石川社長はそう言って、ぎろりと黒井社長を睨みつけた。黒井社長はフンッ、と鼻を鳴らすと
「確かにその点については私も反省する事があるが、しかしアイツがフェアリーズを結成して業界に殴り込みをかけた事については私は関知しないぞ。姿を消したと思ったらプロデューサーとして戻って来て、我那覇響と星井美希を使って業界を引っ掻き回した。むしろアイツが嫌われているのはこっちの方が原因だ。どの事務所にも属さず、何がしたいのか分からんが迷惑極まりない行為だ」
そういえば去年のTOP×TOP、ジュピターはフェアリーズにボロ負けしたんだっけな。かつての教え子に土をつけられるなど、この人には耐えられない屈辱だろう。それでなくても貴音のような小娘に好き勝手されて良い気分がする大人などいない。俺も悔しかったしな。
「四条君の目的が何だったのかは分からないが、しかし現在のアイドルの頂点に立つフェアリーズをこのままアメリカに行かせてしまうと、この業界はますます衰退する。彼女達を打ち負かさない限り私達に未来は無いのだ。だからこの勝負、絶対負けるわけにはいかない」
高木社長が力強く宣言する。相手は百戦錬磨の天才ユニットと、彼女達を育て上げたプロデューサー。千早と真はあと一歩のところまで追いつめたが、それでも彼女達に勝つことは出来なかった。もはや俺達は春香に託すしかないのだ。
「うぇ……ぐす……ひっく……」
「春香?」
ふと気が付くと、俺の横で春香が泣いていた。どうした、あまりの重圧に怖くなったか?
「違うんです……、私なんとなくですけど、貴音さんが何をしたかったのか分かるんです……そんな嫌われ者になってまでどうしてずっと頑張ってたのか……」
ぐすぐす泣いていた春香だったが、やがて涙を拭うとはっきりと宣言した。
「でも私は負けるつもりはありません。どれだけ貴音さんが強くても、絶対にこの勝負勝ってみせます!!」
トレードマークのリボンが揺れる。その姿はTOP×TOPの千早達にも負けないくらいの風格があった。
***
~貴音のマンション・夜~
「はあ……、はあ……」
自室でだんすのれっすんをした後、わたくしは一息つきました。1人でのぱふぉーまんすとなると色々と勝手が違いますね。いつもは響と美希と共に行っているので、何やら寂しさも感じます。
ピーンポーン♪
額の汗を拭っていると呼び出しのちゃいむが鳴りました。おや、こんな時間に来るとは珍しい。何か忘れ物でもしたのでしょうか。
「どうしました響。おや、美希も一緒ですか」
部屋の扉を開けると、そこにはやや大きなばっぐを手にした響と美希が立っていました。
「天海春香との勝負受けるつもりなんだろ?自分達も練習付き合うさ。な、美希?」
響がニコニコしながら美希に声をかけます。美希はあくびをしながら。
「貴音最近ラーメンばかり食べててお腹まわりがたるんでるの。だから美希がビジュアルクイーンの秘伝を教えてあげる。だから今日泊めてね……あふぅ」
む、失礼な。これでもぷろぽーしょんは維持しているのですよ。
「全く、貴女達はお節介ですね。誰が貴女達のぷろでゅーさーか忘れたのですか」
溜息をつきながら自室に2人を招き入れます。このまま無碍に追い返すわけにも参りません。
「でも今の貴音は自分達と同じアイドルだぞ!だったら仲間さ!今日はSランクダンサーとしてビシバシ指導するからな!」
自分完璧だからな!と響がいつもの口癖を言いました。やれやれ、頼もしい限りですね。わたくしは良い仲間に恵まれたようです。この子達は本当に優しい。わたくしが罪の意識に苛まされるくらいに……
今のこの国の衰退したあいどる業界を破壊する為に、あえて一点特化型の極致を目指して作り上げたふぇありーず。わたくしは彼女達を利用して、この業界を散々蹂躙しました。今の業界を変える為には、彼女達より強いあいどるを育成しなければなりません。業界の敵役に回り、ふぇありーずに勝るあいどるを業界が育成するように仕向けるのが、わたくしのあいどる革命です。如月千早と菊地真はあと一歩まで迫ったようですが、それでも革命には届きませんでした。天海春香はどうでしょうか。
「貴音~、何か甘いものない~?今のミキにはいちごババロアが足りないの」
美希がそう言って冷蔵庫を開けます。美希も響も、わたくしの思惑に気付くことなく今日までついて来てくれました。あめりか行きは、そんな彼女達に対する感謝の気持ちと罪滅ぼしです。もしこの国のあいどる業界が駄目になってしまっても彼女達が路頭に迷ってしまわないように、わたくしには彼女達の面倒を見る責任があります。出来ればこの地を離れたくはありませんが、わたくし達に敵うあいどるがいないのならそれも致し方ありません。
「申し訳ありません。あいにく今切らしておりまして。今から一緒に買いに行きましょうか」
「ホント!?やったの!!だから貴音大好きなの!!」
「おい美希、自分達は遊びに来たわけじゃないんだぞ!でも貴音相変わらずロクなもの食べてなさそうだし、自分も沖縄料理を御馳走してやるさ!」
この子達は本当に優しい。もしわたくしが天海春香に負けるようなことがあっても、この子達は全力で守れるように尽力しましょう。憎まれ役はわたくし一人で十分です。例えこの子達と離れる事になっても……
「ありがとうございます響。それでは美希も参りましょうか」
服を着替えて部屋を出たわたくし達三人は、楽しく歓談しながらすーぱーに向かうのでした―――――
***
それから更に数日後、四条貴音は春香との対決の日時を指定してきた。対決は三週間後。彼女とフェアリーズの2人は対決後にそのままアメリカへ飛ぶそうだ。細かい時間を貴音と調整する。
『慌ただしくて申し訳ございませんが、先方をこれ以上待たせるわけには参りませんので……』
「いやこちらこそ無理を言ってすまない。それじゃあこの時間で良いんだな?」
『はい。お手数をおかけします』
「わかった。じゃあ三週間後、お互いに良いステージにしよう。春香もきっちりレーニングしてるから楽しみにしとけよ」
『ふふ、わたくしも負けるつもりは御座いません。それでは天海春香にもよろしくお伝えください』
電話の向こうでお辞儀をしているような丁寧さを感じつつ、彼女との通話を終えた。本当に敵なのが惜しいくらい良いお嬢さんだ。
「……随分四条貴音と仲が良いんですね」
向かいのデスクの律子がじとっとした目で睨んでくる。お前も変な邪推をしているんじゃないだろうな。
「い~え、別に何でもありませんよ~だ。ただ彼女とは候補生時代に争っていたので、未だに複雑な感情を抱いてるんですよ」
若干不機嫌になる律子。何だ、知り合いだったのか。そういうことは早く教えてくれよ。
「知り合いと言う程親しくありませんが。当時の私は、彼女と日高舞の再現度の高さを競い合う仲でした。事務所が違ったので直接対決をすることはありませんでしたが、いつもあの子は私の少し上にいて、たまに100パーセントの完全再現をするので一度も勝てませんでした。だからアイドルになってから直接対決しようと意気込んでいたのにあの子はアイドルを辞めてしまうし、結局私は負けっぱなしでしたよ」
そうだな、プロデューサーとしても貴音は律子の何枚も上手みたいだしな。
「……プロデューサー殿も一緒にアメリカに行ったらどうですか?四条貴音も喜ぶと思いますよ」
しまった口が滑った。これ以上律子の機嫌が悪くなる前に何とか話を変えないと……
「そうだ律子、貴音の得意分野って何か知ってるか?春香の為にも、貴音の情報はひとつでも多く知っておきたいんだが……」
「四条貴音の属性ですか?う~ん、元々謎の多い子でしたし、何でもそつなくこなしてましたけど……」
やはりそうか。黒井社長もよくわからなかったと言っていた。少なくともオーソドックスではないらしいのだが。そういえば以前見せてくれた星井美希の真似は上手だったな。日高舞のまがいもの世代みたいだし、やっぱりモノマネか?
「うわべだけを真似るなら私だって出来ますよ。ただ完全コピーとなりますと、その他にも色々勉強しなくちゃいけないんです。普段の仕草や性格分析はもちろん、無意識下の反応や医学的・スポーツ力学的に見た身体の使い方とか。だから四条貴音のモノマネはただのモノマネじゃないと思いますよ」
そもそも四条貴音は現在のアイドルの特性を3つに分ける育成法の開発に関わった人物だ。更にデータ重視の黒井社長のレッスンを受けているならその知識も相当だろう。こっちも万全の体制で迎え撃たないとな。
「会場の手配は任せて下さい。プロデューサー殿は春香のレッスンを見に行ってあげた方がいいんじゃないですか?また社長達に泣かされてるかもしれませんよ」
ああ、それもそうだな。一応あの後、社長達は協議して育成方針は統一したようだが、皆一事務所を運営する我の強い人達ばかりだ。彼らは日替わりで春香にレッスンをつけていて、今のところ問題はないが、誰がいつ逸脱してもおかしくない。特に黒井社長は気をつけないとな。今日は確か……、げ、黒井社長かよ……
「すまない。それじゃあちょっと見てくるよ。何か分からないことがあれば連絡してくれ」
俺は手帳をかばんにしまうと律子に後を任せ、スタジオに向かった。
***
「そこでターン!そしてビシっと決める!よし!エクセレ~ント!いいぞ!」
スタジオに到着すると、黒井社長が春香にダンスレッスンをつけていた。色々問題のある人物だが、アイドルに向き合う姿勢は真摯で頼りになる。本人にそう言うと不機嫌になるが。オッサンのツンデレなんてどこに需要があるんだよ。
「そこまで!10分休憩だ。水分を取っておけ」
「はあ……、はあ……、ありがとうございました……」
ただ3人の社長の中で一番スパルタなようで、春香はいつも限界までしごかれているようだ。次に厳しいのが石川社長で、ウチの高木社長は一番優しいらしい。色々あるんだな。
「お疲れ春香。勝負の日が決まったぞ。3週間後だ」
「そうですか……、じゃあもっと頑張らないとですね……」
肩で息をしている春香に俺は水を渡してやる。基礎体力の高い春香がこんなになるなんて、一体どんなレッスンをさせたんですか。
「フンッ、この程度のメニュージュピターは楽々とこなすぞ。大体高木は甘やかし過ぎだ。アイドルたる者、もっとストイックでなければならないのだ」
男のアイドルと一緒にしないで下さいよ。この子はアイドルの前に女子高生なんですからね。
「あれ?春香ちょっと体つき変わったか?なんだか引き締まっているというか……」
ふと横の春香を見て気が付いた。もっと丸っこかった気がするのだが、幾分シャープになっている。
「あ、わかりましたか?家で石川社長に教えてもらったエクササイズをしていたら、いつの間にかウエストが細くなってたんですよ~。何だかアイドルっぽくなって嬉しくて……」
満面の笑みで話す春香。いや、お前はアイドルだからな。
「ふむ、確かに余分な脂肪が落ちて筋肉質になってきたな。どれ、シャツを脱いでみろ」
その時、俺達の話を聞いていた黒井社長が真顔で春香に命令した。俺と春香はそのまま固まる。
「どうした聞こえなかったか?ついでにブラも外して「いやいやいやいや!!」」
てめえ警察呼ぶぞ!ウチの春香に何させようとしてるんだよ!
「何かおかしな事を言ってるか?貴音は普通に脱いで「ふざけんなこの野郎――――――――っっっ!!!!!!」」
気が付けば俺は黒井社長に殴りかかっていた。貴音を脱がせるとはなんてうらやま……いやけしからん!! 法が許しても俺が許さん!!
「……何してるのよあんた達は」
「石川社長~、たすけてくださ~い!!」
その後すぐに来た石川社長によって、俺達の殴り合いは止まった。今度から黒井社長のレッスンの時は必ず同行しようと心に誓ったのは言うまでもない。
***
それから三週間後、ついに決戦の時が来た。対決名は『TOP×TOPリベンジマッチ!!chm vs.フェアリーズリーダーバトル』である。宣伝効果もあったようで、ステージを設置した空港展望デッキは満員となった。
「意外と春閣下効果あったみたいだな。千早や真ならともかく、ここまで集まるとは思わなかったぞ」
「うう……、私もっと可愛いアイドルで売り出したかったのに……」
控えテントですっかり落ち込む春香。レッスンの合間を縫って、春香はメディアで『春閣下』として貴音を挑発しまくった。もちろん普通の格好をしてライブの宣伝もしたが、どちらがインパクトがあったかは明らかだ。ただでさえ春香は個性が薄いしな。
「ライブの選曲、やっぱり『I Want』の方がいいのかな……なんだかファンのみんなを裏切ることになりそうで申し訳ないというか……」
わりと真面目に悩む春香。今日はオーソドックスらしく、正統派の曲で勝負するつもりだ。春閣下は出オチみたいなもんだし、貴音は無理してキャラを作って勝てるような相手ではない。
「大丈夫だ春香。お客さんも分かってくれるよ。だからお前は自信を持ってパフォーマンスをすればいい。それが何よりファンのためになる」
みんな分かってるさ、お前が素直で優しいまっすぐな女の子だって。自分らしさが一番だよ。
「ヴァイ……」
……やっぱり春閣下でいくか?
「お疲れ春香、調子はどう?」
「すごい入場者数ね。私だったら酔いそうだわ」
控えテントに千早と真が入って来た。おうお疲れ。今日はありがとな。
「何言ってるんですか。ボク達のリーダーのステージなのに、ボクと千早が来ないわけがないじゃないですか」
「春香、さっき律子から受け取って来たのだけど、これで良いのかしら?」
「うん、ありがとう千早ちゃん。後で律子さんにもお礼を言わなくちゃね」
春香は千早から小さくラッピングされた紙袋を受け取る。ん、何だそれは?
「えへへ、今日の為に特注でアクセサリーショップで作ったんですよ。伊織の行きつけのお店みたいで、結構無理な注文だったのに間に合わせてくれたみたいですね」
春香は紙袋を開けて中のものを取り出した。それは鮮やかな青い布地に黒いレースが縁どられたリボンだった。
「春香、お前フロンターレサポだったのか?」
数少ない仲間がいて嬉しいぜ。未だに川崎といえばヴェルディだもんな。何?青と黒はガンバだって? 聞こえないなそんな戯言。(※作者の極めて個人的な意見です)
「違いますよ!千早ちゃんと真のイメージカラーですよ!」
春香に怒られた。ああ、そういえばそうだった。しかし随分凝ってるな。
「今日のステージは私ひとりですけど、chmのリーダーとして戦うわけですからふたりを身近に感じていたくて……」
照れくさそうにはにかむ春香に、真と千早も嬉しそうに笑った。なかなか粋な事をするじゃないか。
「ねえ真、千早ちゃん。このリボン付けてもらっていいかな?」
春香のお願いに、真と千早は笑顔で頷いてそれぞれリボンを手にして春香の髪に結ぶ。何だか神聖な儀式に見えなくもない。セットが終わると鏡で確認して、春香はにこっと笑った。青色も結構似合うな。よく見ると今日の青を基調とした衣装にぴったりだ。リボンに合わせていたのか。
「うん!これでバッチリ!後はステージが始まるのを待つだけだよ」
さっきまで緊張した様子の春香だったが、今はすっかり落ち着いている。もう心配ないな。
「そろそろ始まるな。じゃあ春香、俺は観客席で応援してるからな。千早、真、後はよろしく頼んだぞ」
「「「はいっ!!」」」
元気に答えるchmを置いて、俺は控えテントを出た。
***
「お疲れ様です。黒井社長、石川社長」
俺は審査員席にいた2人に挨拶をする。
「あらお疲れ。今日は頑張ってね」
「フンッ、今更ご機嫌伺いか。言っておくが贔屓はしないからな」
そんなつもりはありませんよ。本日の対決の審査員は事務所社長や業界有力者10名。全員が元・日高舞のプロデューサーである。しかしウチの高木社長は公正なジャッジが出来ないという事で、この中にはいない。そして代わりに審査員に選ばれたのは、
「あら久しぶり。元気してた~?うちの子達をいじめてくれたプロデューサーくん♪」
人聞きの悪いこと言わないで下さいよ。あんただって現役の時、ここに並んでいる審査員の人達を散々いじめてたでしょうが。
「そんなことないわよ~。ですよねみなさ~ん♪」
伝説のアイドル日高舞が審査員のお偉いさんたちに向かって声をかける。ていうかあんたよく来ましたね。日高舞は今回のイベントが開催されると知ると、是非自分も見たいと連絡してきた。娘が876プロにいるので、石川社長だけは笑顔で返事をしているが黒井社長は完全に無視、残りの審査員達も苦笑いしていた。
「春香ちゃんもだけど、貴音ちゃんの方も気になるのよね~。私のパフォーマンス完全コピーが出来るんでしょ? 今日は楽しませてもらうからね」
日高舞はウィンクした。ご期待に添えるように頑張りますよ。俺は挨拶を終えると765プロ関係者席に向かった。高木社長の他に律子と竜宮小町と真美、そしてなんと今日は音無さんも来ている。春香ひとりの初めての大舞台だし、皆で応援しないとな。
「お疲れ様ですプロデューサー。春香の様子はどうですか?」
俺の姿を確認した律子が近づいてきた。ああ大丈夫だ、千早と真もついてるしリラックスしているぞ。あとリボンありがとな。なかなか似合ってたぞ。
「ふんっ、この伊織ちゃんの行きつけの店なんだから当たり前でしょ!感謝しなさいよね」
はいはい、伊織もありがとな。後でオレンジジュース買ってやるよ。
「しかしすごい人数だな。春香ってこんなに人気あったのか?」
「違いますよ。残念ながらおよそ7割は四条貴音を一目見たいと集まって来たフェアリーズのファンでしょう。彼女はフェアリーズファンの間では『影のリーダー』として有名でしたからね。その存在に懐疑的な人もいましたが、今回のイベントで出て来る事が確定したので興味津々なんですよ」
「亜美もシジョーってヒト見たことないYO→」
「真美も楽しみだYO→」
そうか、こいつらは名前は知っていても実際に見たことは無いのか。
「美人でお上品で、お姫様みたいな女の子よ~。亜美ちゃんも真美ちゃんも楽しみね~♪」
あずささんがニコニコしながらふたりの頭を撫でる。確かにお姫様みたいな浮世離れした雰囲気があるな。
「事務所の外に出るなんて久しぶりだわ~。さあ小鳥!あなたは自由よ!夢と恋を求めて飛び回る小鳥ちゃんになるのよ~!」
すっかり上機嫌の音無さん。いつも事務所で留守番だからストレス溜まってたんだろうな。今日は思う存分楽しんでください。そのまま事務所に戻って来なくてもいいですよ。
「諸君、そろそろ始まるみたいだよ。しっかり応援しようではないか」
高木社長の声で俺達はステージに注目する。ステージ上では司会に紹介されて春香と貴音が出て来た。笑顔で観客席に手を振る春香。おいおい、ちゃんと足元に気をつけないと……
びたーん
俺の(俺達の?)予想通り、春香は顔から派手に転倒した。観客席から笑いの渦が起こる。あのバカ、あれだけ気をつけろって散々注意したのに……
「ハルカズッコケキタ→!!」
「これではるるんのコンディションはバッチリだYO!!もう勝ったも同然だNE!!」
大はしゃぎの双海姉妹。いや、変なジンクス付けるなよお前ら。こっちはいつケガしないかひやひやしてるんだから。春香は若干鼻を赤くしていたが、大したことは無かったようですぐに起き上って再び元気にアピールした。ほ、どうやら問題ないようだな。
対する四条貴音は、目を閉じて音も立てずにしずしずと歩いて来る。その美貌に思わずため息をつく観客や忌々しげに舌打ちを打つ業界関係者など、反応は様々だった。色々大変なんだなあいつも。目の前で春香が盛大にこけたのを見た貴音は、立ち止まって少し何かを考える仕草をすると、
「え……?」
貴音はそのまま直立不動のまま前のめりに倒れたのだ。しかしステージに身体が接触するかしないかの位置でぴたりと停止すると、そのままビデオの巻き戻しのように起き上がり元の姿勢に戻った。貴音のあまりの異次元パフォーマンスに、観客席からも「おぉ~」と感嘆の声があがった。
「ゼログラビティ……、本家もビックリの傾き具合だな……」
「相変わらず何考えてるのか分からない子ですね……何で即興であんな事が出来るのよ……」
俺と律子が驚く横で、音無さんはひたすら「ポゥ―――――ッ!!」と大喜びしていた。楽しんで頂けているようで何よりです。でも春香の応援もしっかりして下さいね?
『それでは皆様お待たせしました!!只今よりTOP×TOPリベンジマッチ、chm vs. フェアリーズリーダーバトルを開催します!!先攻はchmリーダー天海春香さんから、それではスタンバイをお願いします!!』
司会の進行で春香がステージ中央に立つ。いよいよ最終決戦だ。IAに向けて頑張って来た6ヶ月間、そしてその後TOP×TOPからおよそ一ヶ月、3人の社長に師事してレッスンを積んできた成果が今発揮される。
「四条……?」
その時俺は、ステージ脇で出番を待つ貴音が、優しい微笑みを浮かべて春香を見ていることに気が付いた。これから対決だというのに一体あいつが何を考えているのか、俺にはよく分からない―――――
第六章
♪CHANGIN’ MY WORLD!! 変わる世界輝け♪
♪CHANGIN’ MY WORLD!! 私の世界私のモノ CHANGE!!♪
歌の出だしと共に、春香が元気にダンスをしながら活き活きとアピールする。曲は『CHANGE!!!!』正に革命に相応しい曲だ。特注のリボンをなびかせ、コンディションも絶好調で眩しい笑顔があった。
「随分調子良いみたいじゃない。自然な感じでアピールも出来ているわ」
伊織が隣で評する。そうだな。プロデューサーの俺から見てもこれ以上ないくらい安定している。どうやらあのカオスな特訓の成果が出たみたいだな。
「はるるんカッケ→。千早お姉ちゃんやまこちんもカッチョイイけど、はるるんはまた違うNE!」
真美がしみじみと感想を漏らす。そうだろ?あれが新時代のアイドルだよ。お前もこれからああいうアイドルになれるように頑張るんだぞ。
「真美もあんな風に出来るかなあ……」
真美が心配そうに訊いてくる。何を言ってるんだよ。春香は同じ事務所だし、それにお前には心強い仲間がいるじゃないか。
「そうよ真美ちゃん。私達がいつでも一緒だからね~」
「亜美もついてるZE!!竜宮小町もこれからははるるんみたいに、せーとーは目指して活動しないとNE!!」
「別に今が邪道ってわけではないんだけど……。でも春香みたいなアイドルが世間にウケたら、業界の動向もまた変わるでしょうね。私達も対策を考えないと」
律子の言う通り、これからのアイドルはまた対策に追われるだろうな。でも今度の革命は一芸に秀でた者しか生き残れるものではなく、多くの子達が認められるような幅広いものであって欲しい。それが春香の願いでもあるから。だからお前もアイドルに復帰してみたらどうだ?
「冗談はよしてくださいよ。でも本当にそんな時代が来るなら、それも悪くないかもしれませんね。その時は私のプロデュースもお願いしますね、プロデューサー殿♪」
しまった、自分で自分の仕事を増やすような真似をしてしまった。お前プロデューサーなんだから、自分のプロデュースくらいやれよ。俺達は新たな時代を夢見ながら、春香のステージを応援した。
♪ENCOREはないLIFE 一度のLIVE♪
♪進め!!どこまでも SHOW MUST GO ON☆♪
♪3・2・1♪
春香の元気なカウントに、観客席のファンも一緒になって合わせる。素晴らしい一体感で、完全に会場がひとつになっている。これほどまでにアイドルとファンがひとつになったライブはここ数年では見たことがない。日高愛のようなみなぎるパワーで会場を支配するわけではなく、千早達やフェアリーズのように技術で圧倒するわけでもない。春香のパフォーマンスは、みんなで一緒に盛り上がりたくなる魅力がある。
「急ごしらえではあったが、特訓の成果はあったようだね。黒井と石川にも感謝しないとな」
高木社長が満足気に笑う。確かに非の打ちどころのないステージですが、でもあれで良かったのでしょうか。
「いいんだよあれで。日高君もファンよりも誰よりも自分が一番楽しんでいた。一度ステージに立つと心の底から楽しむのはなかなか難しいのだよ?」
確かにそうですけど……、でもあれで貴音に勝てるのか?本当に春香のパフォーマンスは、
***
~審査員席~
「個性がないな。何だアイツは?あれだけ稽古をつけてやったのに、どうしてそれを実践してもあんなに全体に無難なステージになるのだ?本当にわけのわからん奴だ」
「いいじゃないの黒井。舞だってあんな感じだったじゃない。あの子はどこか突出して成長する事が出来ないのよ。一定のバランスを保ったまま、ゆっくり全体的に伸びていくの。そうよね舞?」
「私はもうちょっと尖ってたと思うけどなあ。春香ちゃんは元々争い事とか嫌いないんじゃない?この業界を変えてやる!!って気持ちは伝わってくるけど、支配してやるって気概が感じられないわ。あれじゃあ今後色々大変よ」
「フンッ、リタイアしたらしたでそれまでだ。この世界はそう甘くない。常に力のある者が頂点を争い、弱者は淘汰されていく。そうして生き残った者だけが真のトップアイドルとして輝くことが出来るのだ」
「あら?ようやくしゃべってくれましたね黒井社長。お久しぶりです~」
「しまっ……!! ……、……フンッ!!」
「大人気ないわね。いい加減に許してあげなさいよ黒井」
***
千早のような会場全体に響き渡る歌、真や響のように力強いキレのあるダンス、伊織や美希のように可愛らしかったりセクシーなビジュアルアピールなど、アイドルの個性は無数にある。しかしどれだけレッスンをしても、春香がそれを身に付ける事は出来なかった。だが決して春香の技術が低いわけではない。成長速度はゆっくりではあるが、春香は着実にアイドルとしてその実力を伸ばして行った。
「クセがない、と言えばいいのかな。個性とクセは紙一重だからね。どちらも自分の強みや武器となる反面、弱点ともなりうる。しかしそう考えるとクセがないということは弱点がないとも言える。明確な個性を持たないことが、天海君の最大の武器なのかもしれん」
個性がないのがアイドルとしての最大の武器か。本人にそのまま伝えたら泣きそうだな。ちゃんとよく考えてからオブラートに包んで言ってやらないと。
「私はね、オーソドックスはオールマイティーだと思うのだよ。日高君がそうだった。天海君はまだまだその域には達していないが、彼女ならきっと日高君の領域に届くと信じている。だからこれからが大変だよキミィ」
オールマイティーか。それは一体どんなアイドルなんだろうな。普段の活動のついでに事務仕事や他のアイドルのプロデュースもやってくれたら、俺としても大助かりなんだが。
「何サボろうとしてるのよ。それに春香だけじゃなくて、私達もこれからどんどんトップアイドルとして成長するんだからね!アンタも精々頑張りなさいよ」
伊織が俺に注意する。それは頼もしいね。業界トップの事務所を目指して、俺もこれから俺らしい俺でもっともっと頑張るよ。
「今のまんまのアンタじゃ意味ないわよ。春香と一緒にさっさとCHANGE!!!!しなさい」
言わせといて何だが大して上手くないな。亜美、伊織の座布団一枚引いといて。
♪CHANGIN’ 前を!! 新しい未来追いかけながら♪
♪私らしい私でもっともっと DREAM COMES TRUE♪
♪I LOVE ALL♪
最初から最後まで大盛況のまま、春香のステージは終了した。春香は肩で息をしながら、笑顔で観客席に手を振っている。どうやら全力を出し切ったようだな。思う存分楽しめたようで俺も嬉しいよ。会場は大歓声に包まれていた。その反応を見るに、ファンも満足したようだ。
『天海さんありがとうございました!!それでは後攻、フェアリーズのリーダー四条貴音さんのステージです!! 四条さんスタンバイをお願いします!!』
司会に紹介されて、四条貴音がステージ中央に立つ。いよいよ銀色の女王がそのベールを脱ぐようだ。貴音の登場に合わせて、会場がしんと静まり返る。その存在感に圧倒されて、誰もが息を呑んでいる。
「始まりますよ、妖精・四条貴音のステージが……」
「なつかしいわね~。まさかまたあれを見る事が出来るとは思わなかったわ~」
律子とあずささんが口にする。そんなにすごいのか?
「見れば分かりますよ。一生忘れられないパフォーマンスになると思いますから」
律子が真剣な顔でステージを見つめる。ステージ上の貴音は下を向いていて、その表情をうかがい知ることは出来ない。さて、今度は一体どんな作戦で来るのだろうか。
***
(ふむ、日高舞の元ぷろでゅーさー9名と日高舞本人が審査員ですか。ある程度業界の中でも力のある人ばかりで、極端にわたくしの事を嫌っている方はおりませんね。これは765ぷろが配慮して下さったのでしょうか)
(ふぁんの年齢層はいつもより少々高いようですね。わたくしを見たいと集まったのか、天海春香の本質に気付いている玄人なのか。いつも以上にごまかしの利かない純粋な実力が評価される聴衆。どちらにせよ、やりがいのあるすてーじになりそうです)
(あの方が伝説のあいどる日高舞ですか。びでおでは何度も拝見しましたが、実際にその姿を目にするのは初めてです。ご本人の前で物真似をするなど失礼な気もしますが、わたくしも響と美希の為にも負けるわけには参りません。それから……おや、珍しい方がお見えになってますね。少しさーびすしましょうか)
***
BGMが流れるが、四条貴音は微動だにしない。曲は『DREAM』。たまに響と美希がソロのステージで歌う事がある人気曲だが、やはり貴音も歌えるのか。しかしこの曲は前奏が長く、ダンスにしろポーズにしろアピールがし放題なのに勿体ない。代わりに貴音は目だけをもの凄い速度で動かして会場を確認している。すると一瞬こちらを見て驚き、そしてにこりと微笑んだ。何だ?何か面白いものでも見つけたのか?
♪「始め」は皆一瞬の刺激 銃弾に撃たれた様だった♪
♪熱く燃えてく火花みたく 思いに焦がれてる想い立ち向かえ♪
「え、この歌い方って……」
「この空に届くような、まっすぐ澄んだ綺麗な声は……」
最初から日高舞のコピーで来るとは思わなかったが、代わりに今の世代はほとんど知らないであろうマニアックな所を攻めてきた。まだアイドルという概念が確立されていない頃、キラキラした世界に憧れた女の子達の中に、春の野原を空高く飛び回るヒバリのような声で歌う女の子がいた。日高舞の陰に隠れてあまり目立たなかったが、その澄んだ歌声に魅了され今も憶えている人間は少なからずいる。
「なかなか上手くコピー出来ているじゃないですか。これは四条貴音からの音無さんへの贈り物ですよ。あの子は日高舞だけでなく、当時のアイドルまでしっかり観察して勉強していたんですね」
「ほんとよく似てますよ音無さんに。思えば私、この歌声に憧れてアイドルに興味持ったんですよね。まわりの友達はみんな日高舞に憧れていましたけど、私は音無さんの歌の方が好きでした」
俺と律子の言葉に、音無さんはハンカチで目を拭っていた。スタッフで集まるとたまに当時の話をすることがあるが、音無さんは恥ずかしがってあまり話をしてくれない。自分は大したアイドルではなかったといつも言っているが、少なくとも貴音も尊敬しているみたいですよ。
「うう……、ごめんなさい四条さん……、私もうあの頃みたいに綺麗な心を持ってないんです……。お酒もガンガン呑みますし下ネタもバンバン飛ばしますし、最近は事務所の子達でイケナイ妄想を……」
……どうやら音無さんの中では複雑な感情が渦巻いているらしい。とりあえずそっとしておこう。
「それよりプロデューサー気付いてますか?彼女のパフォーマンス、歌は音無さんですけどダンスとビジュアルは西園寺美神ですよ。どうやら序盤はコアなファンを狙ってアピールしているようですね」
ああ、どうやらそうみたいだな。審査員が全員懐かしそうな目で見ているよ。ファンの中でも分かる奴は分かるみたいだな。しかしいつの時代でも、いいものはいいみたいだ。そこを上手く切り取ってコピーしてやがる。これは相当ファンの反応も研究しているようだな。現に会場は盛り上がっている。
***
(思ったよりふぁんの反応が良いですね。昨今は情報が発達して、往年の名あいどるの方々の事を知る人も増えたようですね。彼女達の素晴らしさをもっと知ってもらえると、わたくしも嬉しいですね。ですがそろそろさーびすたいむも終了です。本番に参りましょうか)
(Vo.をRTからMK、間にRAを挟んでEMで行きましょう。Da.はVo.に合わせると序盤はやや激しくして、中盤は穏やかに。NからAF、いやAMでつないで、そこからRAの柔軟性を活かしてAMに。Vi.はYSから始めてYからTを飛ばしてHにつないで、AHの力を借りてあぴーるしましょう)
♪「終わり」は皆一生の悲劇 地獄に堕とされる様だった♪
♪友が世界が敵になるが 願いとは絶対叶えるモノでしょう♪
「これは凄いな……、四条貴音はここまでモノにしているのか……」
「どうやらサービスタイムは終了ですね。ここからは一秒も目が離せませんよ。しっかり見ていて下さい」
先程まで音無さんの歌声で、西園寺美神のダンスで穏やかに踊っていた貴音の顔つきが豹変したかと思いきや、見た目もダンスも全てが絶え間なく変化する。まるで大勢の別人が乗り移ったようだ。
「開始はVo.東豪寺麗華、Da.は新幹少女のぞみ、Vi.は桜井夢子ですか。インパクトきついの揃えてきましたね。そこから小早川瑞樹、亜美いや真美ねあれは、雪月花の雪、ええと次は……はあ!?何でそこであたしなのよ!? いいわ……秋月律子から秋月涼、雪月花の月。ラストは水谷絵理とあずささん、それから日高愛ね。徐々に穏やかなパフォーマンスに移行しているけど、Viの最後に日高愛を持ってきたのはパフォーマンス全体のテンションを下げない為ね。見事な構成だわ」
「りっちゃんスゲ→、亜美と真美のパフォーマンスの違いわかるの?亜美達もゼンゼンわかんないのに……」
「私達の世代はね~、モノマネしながらレッスンしていたから誰のマネをしてるのか大体わかるのよ~。でも一瞬であそこまで分かるのは律子さんだけでしょうけどね~」
俺も半分くらいしか分からなかったが、律子の話では貴音はたった1フレーズの間に少なくとも12人のアイドルのコピーをしたらしい。そしてどうやら律子は、小早川瑞樹と水谷絵理の間に自分が使われたのがお気に召さなかったようだ。水谷絵理はともかく、前の2人は結構高圧的で高飛車なパフォーマンスをするからなあ……。でもそれだけお前に柔軟性があるって解釈出来るんじゃないか?
「喜んでいいのかよく分かりませんね。でも彼女の実力はこんなもんじゃないですよ。私の知る限りでは、彼女は最大1フレーズに3つのアイドル特性それぞれ10人づつ、30人コピーしました。四条貴音は一語一句一挙手一動作、片目片眉のレベルでモノマネが出来るんですよ。もうあそこまで行くと凄いを通り越して怖いですよ」
ステージ上の四条貴音は違和感のない自然な動作で、大勢のアイドルの最高のパフォーマンスの瞬間のモノマネをつなげ続けている。常に最高のアピールになるんだ、観客は大盛り上がりで業界人も息を呑んで見ていた。俺は審査員席に目を向ける。これがあなたが作り上げた妖精ですか、黒井社長……
***
~審査員席~
「相変わらず見事ね。コピーもここまで来るとひとつの芸術だわ。ロボットよりもロボットみたいな子ね」
「フンッ、当然だ。貴音はこの私が直々に育成したのだ。あいつは身体のパーツ毎に別々に動かして、一度に最大10人のアイドルのコピーが出来る。更にそれに加えて、歌唱法や呼吸法などを似せる事で、限りなくコピー対象者に近い歌が歌えるのだ。歌声まで似せてしまうと最早貴音という存在がなくなってしまうからそれはしないが」
「でも首回りや呼吸法だけコピーしたって、そんなのよほどのフェチでもない限り分からないんじゃないの? 一体何の意味があるのよ」
「だからお前はナンセンスなのだ石川。例えばAからBのアイドルをコピーする時、いきなり変わってしまうとどうしても違和感が出る。そこでまずは右腕からその仕草を真似て、そのまま胸部、首回りから顔、左手、腹部と言ったように、身体のパーツ毎に徐々にコピーをしていくのだ。歌も同じで、少しづつ声を変えていく事で、いつの間にかあいつは全くの別人になることが出来るのだ」
「それを連続して、しかもパフォーマンスを行いながらVo.・Da.・Vi.別に一気にやってるのね。一体あの子の頭の中はどうなってるのよ……。しかもそこに重ねて、更に系統の近いアイドル同士をつなげて違和感なく魅せてるわけね。プロの目から見ても全員を把握する事は無理じゃないかしら」
「アイドルのパフォーマンスなど所詮パターンの集合体だ。似た様な年頃の女子供が同じものに憧れて、それに向かってレッスンを行うとどこかしら似てくる。後はそのデータを集めれば、どのようなアイドルでも再現できるのだ。あいつには人間が情報か、データをインプットされたロボットにでも見えているのかもな」
「舞の特性を完全にコピーする為には、そこまでしなくちゃいけなかったのね。道理であの子だけが100パーセント再現出来たわけだわ。他のまがいもののアイドルとは次元が違い過ぎるじゃない」
「で、その貴音ちゃんに逃げられて、961プロはアイドル事務所としてのスタートが765プロや876プロより遅れたわけね。なかなかやるじゃない貴音ちゃん、そんなところまで私に似せなくてもよかったのに♪」
「……!! ……フンッ!!!!」
「……今のはあんたが悪いわよ。謝りなさい舞」
「は~いすみませ~ん。でもいつになったら私のモノマネしてくれるの?ずっと楽しみにしてるんだけど」
「あんたの真似は最後みたいね。みなさい舞、貴音が真似をしているアイドルの子のランクが徐々に上がっているわ。あの子は最後にあんたで決めようとしてるんじゃないの?」
「ふ~ん……」
***
♪夢が夢じゃ終われないから 私の今になりなさい♪
♪傷ついてもいいさ 苦しくてもいいさ♪
♪嗚呼どんな罪でも来なよ♪
曲もサビに入り、いよいよ現在の有名どころやランクの高いアイドルのコピーが出て来る。流石の貴音も高ランクアイドルのコピーは容易に出来るわけではないらしく、人数を減らして丁寧に行う。その分誰の真似をしているのか分かりやすくなり、ますますステージは盛り上がった。
「ダンスは我那覇響、ヴィジュアルは伊織、ボーカルは……また律子かな。スゴいじゃないか律子、二度目だぞ」
「違いますよ。正しくは4度目です。メインで一定時間コピーする時とつなぎで一瞬だけコピーする時と、あの子は細かく使い分けています。クセの少ない子や汎用性の高い子は多用するみたいですね。涼も4回くらい出て来てますよ」
貴音もだがお前の能力も相当だな。頑張れば俺もそこまで分かるかな。
「ん……?今のつなぎは確か……」
その時貴音のパフォーマンスの中に、俺は小さな違和感を感じた。確かあのヴィジュアルとボーカルは、先月の新人発掘オーディションで見たような気が……
「あれ?プロデューサー殿も気付きましたか?今の伊織と星井美希の間のヴィジュアルのつなぎと、私と千早の間のつなぎに使われたのは全く無名の子ですよ。確か高槻やよいと萩原雪歩だったと思います。四条貴音は候補生の子からもコピーしてますから。星井美希と我那覇響も候補生時代の時には既に四条貴音に目をつけられていたそうです」
「何!?じゃあその高槻やよいと萩原雪歩も、星井美希や我那覇響みたいな凄い子なのか!?」
それならうかうかしていられない。すぐにスカウトしないと!!
「いえ、残念ながらそこまでの才能はありませんよ。今の時代にはそぐわないって言った方がいいでしょうか。高槻やよいは可愛らしいルックスをしているし、萩原雪歩はキレイな歌声をしていますけど明確にアピール出来るほどかと言われればそうでもありません。あそこにいる業界人達も静かでしょう?むしろどうして四条貴音がコピーしたのか不思議なくらいですよ」
律子が言う通り、ステージを見ているスカウトマン達に目立った動きはない。なるほど、確かに俺も実際にその新人2人のパフォーマンスを見たが、ボーカル・ヴィジュアル・ダンスと明確な強みは無かったと記憶している。しかし貴音はコピーした。これはもしかして俺達業界人へのメッセージではないのか?
「音無さん、高槻やよいと萩原雪歩の連絡先は分かりますか?」
「ちょ、ちょっとプロデューサー!?もしかしてその2人をスカウトするつもりですか?」
律子が驚いた様子で訊いてくる。ああ、はっきりとは言えないが俺はこの2人には何かがあると思う。元々春香もオーソドックスという今の時代にそぐわないアイドルだったから、どこのオーディションにも引っかからずにウチが獲得出来たんだ。これからのアイドル業界は春香の活躍で、今まで日の目を見る事がなかった子達もアイドルになるチャンスが増えるはずだ。ならば今のうちに青田買いしておこう。
「メッセージ確かに受け取ったぞ。いや、これはお前から俺への挑戦状か?どっちにせよ面白い。普通の子をトップアイドルにするのがプロデュースの醍醐味だからな」
春香をIA優勝まで育て上げた765プロを舐めるなよ。俺達は必ず今の業界を変えてやる。だからお前らも首を洗って待ってろ。俺はステージ上の貴音に不敵に笑ってみせた。
***
(どうやらわたくしのめっせーじは受け取ってもらったようですね。業界を変えるのでしたら、天海春香ひとりでは荷が重いでしょう。如月千早や菊地真もおりますが、根本的に現在の主流とは異なる仲間も必要です。高槻やよいも萩原雪歩も素直で良い子です。大事に育成してあげてください)
(しかしわたくしとて簡単に負けるわけには参りません。あいどる革命を成功させる為にも、あえて大きな壁として貴方がたの前に立ちはだかりましょう。この四条貴音くらい超えて頂かないと、この先の新たな道は存在しませんよ)
(……Vo.をCKからMSへ。そのまま最終ぱーと前まで維持。いよいよこの舞台最大の見せ場です……!!)
***
♪ずっと忘れられないの もうずっと…♪
♪全部あげる 全部捨てる♪
♪叶えたい All DREAM♪
いよいよ貴音のステージもクライマックスだ。会場全体の空気が変わる。先程まで千早の歌い方で響のダンスを踊り、美希のヴィジュアルでアピールしていたが、貴音は歌だけ残してステージ奥へ向かって歩いて行く。その歌声は強烈な魅力があって、歌だけでステージを支配できる程の威力があった。しかし貴音はそれをつなぎとして使い、会場に背を向けている。その背中から本人が緊張しているのが分かる。観客も業界人も固唾を飲む。
「佐野美心のコピーでウォーミングアップですか……、彼女以上のボーカリストはもうひとりしか存在しません。いよいよ出ますよ、伝説のアイドル日高舞が……」
隣の律子も真剣だ。今の佐野美心のコピーでも聴き入ってしまうようなパフォーマンスなのに、これを超えるというのか。Cメロを歌い終わったステージ上の貴音がこちらを振り返る。その顔はとてもリラックスしていて自然体だった。思わず拍子抜けしてしまいそうになったが、その後とてつもないオーラが貴音の周りから放たれてくる。ああそうだ、確か日高舞もこんな感じでナチュラルに凄かったっけ……
♪夢が夢じゃ終われないから 私の今になりなさい♪
♪傷ついてもいいさ 苦しくてもいいさ♪
♪嗚呼どんな罪でも来なよ♪
ステージ上の貴音のパフォーマンスを見て、3人の審査員が椅子ごとひっくり返った。それくらい日高舞を完全に再現しているということか。ファンも多くが応援するのを忘れて見入ってしまっている。今までコピーしてきたアイドルとは次元が違う。まるで貴音を中心に火山でも噴火したのかと思うくらい、凄まじいエネルギーが沸き出す。似た様な感覚をIA決勝の日高愛のステージで感じたが、これはレベルが違う。俺達も言葉を失った。貴音のパフォーマンスはそれくらい圧倒的だったのだ。
どこがどう凄いのかと言われれば、非常に返答に困る。人間離れした神々しいオーラが溢れていて、全部凄いと言ってしまえば楽だが、業界の人間としては冷静に分析しなければならない。というわけで律子、解説頼む。
「何でもかんでもこっちに振らないで下さいよ……。そうですね、やっぱり日高舞の最大の武器はあの安定感でしょうか。歌にせよ踊りにせよアピールにせよ、彼女は技術的には特別な事はしなかったんです。でもそんなパフォーマンスでも、ライブやステージでやるとどこかブレたり揺らいだりするものです。ダンスの軸がズレたり、若干声がかすれたり。千早や真でもパフォーマンスを壊さないレベルで微調整しています」
それは確かにあるな。逆に生に近い臨場感としてそれはライブではプラスになることもあるが、しかし基本的には無いに越した事はないミスである。で、日高舞にはそんな細かいミスすらも全くないんだな。
「はい。それがあの驚異的な安定感の秘密です。ミスが全くないと言われると人間味のないパフォーマンスにとらえられがちですが、しかし彼女のパフォーマンスはエネルギーに満ち溢れていました。おそらく天性の才能でしょうね。日高舞はどれだけ思いっきり歌って踊っても、決してミスをすることが無かったから伝説に残るアイドルになれたんです。あれがオーソドックスが昇華したオールマイティーの特性ですね」
要するに日高舞の完全コピーとは、抜群の安定感で全く細かいミスもせずに、ステージ上で自分の力を最大限まで解き放つ事か。それがどれだけ難しい事か、今の貴音を見ていれば分かる。貴音は自然体で力を入れることなく、しかし僅かな呼吸から指先の神経まで徹底的に意識して精一杯パフォーマンスをしていた。その額には玉の汗が浮かんでいる。今まで涼しい顔をして100人以上のアイドルのコピーをしていたのに、段違いに集中していた。
♪嗚呼抱きしめる Dear My DREAM♪
♪嗚呼今叶える Dear My DREAM♪
こうして貴音のパフォーマンスは終了した。歌い終わった後にステージ上に倒れそうになった貴音を、ステージ裏から飛び出してきた響と美希が慌てて支える。そうして彼女達は、そのままゆっくり控えテントに戻って行った。おいおい大丈夫か?大事がなければ良いのだが。
『四条貴音さんありがとうございました!!それでは審議タイムの後、今大会の結果発表を行います。会場の皆様にはその間、先月のIA及びTOP×TOPのダイジェスト映像をこちらのスクリーンで……』
こうして春香と俺達のリベンジマッチは終了した。長いようで短い戦いだったが、後は勝敗の行方を天に任せるだけである。
「何言ってるのよ。誰がどう見たって四条貴音の実力は圧倒的じゃない。あんなバケモノに勝てるアイドルなんて、この世に存在しないわよ……」
伊織が表情の消えた顔で小さく呟いた。どうやら貴音のパフォーマンスを見て、悔しいとか言う以前にすっかり意気消沈したようだ。千早と真は大丈夫だろうか。ここからでは控えテントの様子はよく分からないが。それから春香は……
「でもこれ、果たして決着つくんでしょうか?審査員もどうやって評価するつもりかしら……」
律子が疑問符を浮かべる。確かにそうだ。実力差ははっきりしているが、しかしそれが勝敗につながるかはまた別の話だ。別に業界で嫌われている貴音を不当に負かそうというつもりはない。今回の審査員は全員公平なジャッジが出来る人間だ。しかし貴音のパフォーマンスには、ひとつ大きな問題があるのだ。
『お待たせしました!!では只今より審査結果を発表します!!天海春香さん、四条貴音さんどうぞステージへ!!』
司会に呼ばれて春香と貴音がステージに並ぶ。その後ろには千早と真、更に響と美希もついて来ている。chmとフェアリーズが勢揃いした形だ。春香達の登場に会場も再度盛り上がる。いよいよTOP×TOPの決着がつく時が来た。
『それでは試合結果の発表です!!特別審査員の日高舞さん、よろしくお願いします!!』
審査員席の日高舞が席を立つ。さて、春香のパフォーマンスはアイドル革命に届くのか。俺の握る手にも汗が滲み出てくる。日高舞の第一声を聞き逃さぬよう、会場全体がしんと静まり返った――――
***
「まずはふたりともお疲れ様。春香ちゃんも貴音ちゃんもなかなか良かったわよ。私も観客として楽しませてもらったわ」
「ありがとうございます!!」「ありがとうございます」
元気に勢いよく頭を下げる春香と、静かにお辞儀をする貴音。どちらも嬉しそうだった。
「まずは春香ちゃんね。歌だけや踊りだけみたいな、今のコがやりがちなパフォーマンスじゃなくて全体的にバランス良くアピール出来ていて良かったわよ。あれもこれもしようとすると印象が薄くなっちゃうんだけど基本がしっかりしているからそれもあまり感じなかったし、本当に楽しんでいるんだなっていうのがよく分かったわ」
おお、ベタ褒めじゃないか。ステージ上の春香もデレデレと照れている。しかしプロデューサーの俺から見ても、ちょっと褒めすぎじゃないかと思うのだが。
「でも今のアイドル業界を変えるには、まだもうちょっと足りないわね。今のコ達はアピールポイントがとてもハッキリしたプロフェッショナルが多いから、そういうコに勝つにはもっと実力をつけないといけないわ。歌もダンスもヴィジュアルも磨くのは大変だと思うけど、これからも頑張ってね」
「はい!!ありがとうございました!!」
日高舞の言葉に再び頭を下げる春香。やはり全部が全部完璧というわけにはいかないか。春香の実力が低いわけではないが、現在の特化型アイドルと勝負するとなるとアピールポイントの弱さはまだまだ否めない。特にパフォーマンスの精度が高いアイドルと対決するとそれが浮き彫りになる。そう、四条貴音のような……
「次は貴音ちゃんね。貴音ちゃんは春香ちゃんとは逆で、これ以上ないくらいはっきりとわかりやすいアピールをいっぱいしてくれれたわね。構成も見事だったし、最高のステージに限りなく近いんじゃなかったかしら。最後に私のコピーもしてくれたし、ありがとね」
日高舞の言葉に、四条貴音は深々と頭を下げる。代わりに後ろの響と美希が得意気に胸を張っていた。その姿を見て真と千早が若干凹んでいた。どうしたんだお前ら?
「でも逆にアピールしすぎてお腹いっぱいになっちゃたわ。いくら勝負の為のステージとはいえ、ちょっと詰め込み過ぎじゃないかしら。コピーするアイドルのジャンルも幅広くやりすぎて、貴音ちゃんの全体像がぼやけちゃった感じかな。そもそもモノマネ大会じゃないんだし、なんでもやりすぎはダメよ」
「ふふ、わたくしとしたことがついつい対決の趣旨を読み違えておりました。久しぶりのすてーじで、気持ちが少々昂っていたのやもしれません」
日高舞の指摘に、貴音はいたずらがばれた子供のように笑ってみせた。これが貴音のパフォーマンスの問題点なのだ。彼女は最初から最後まで他のアイドルのコピーで通して、自分のパフォーマンスを一切しなかった。ステージは見事だったが、他人のモノマネが果たしてどこまで評価されるのか。それに今回の審査員は、日高舞のプロデュースに関わった目の肥えた人間ばかりである。いくら貴音が凄くても所詮はコピーという二番煎じ。そう簡単には評価しないだろう。そこに春香の勝機があるのだが。
「実力はまだまだだけど、今までにないアイドルパフォーマンスを見せてくれた春香ちゃんと、実力は十分だけど、アイドルとしての個性を全く見せてくれなかった貴音ちゃん。どっちが凄いのか、そもそも比較出来るポイントが少なすぎてこの勝負の審査は大変だったけど、敢えて言うなら……」
ここで日高舞が一呼吸置く。会場の誰もが彼女に注目している。ステージ上の春香達もじっと見つめていた。さてどうなる?新生オーソドックスと現アイドル業界最強の妖精、勝負の決着はどちらに?
「……春香ちゃんの勝ちかなあ。今日は貴音ちゃんの方がステージ盛り上がっていたけど、これから先はずっと春香ちゃんの方が勝つわよ。だから今後の対決結果も含めて、chmの勝利ということで♪」
日高舞の言葉に、会場は騒然とする。春香の勝利を喜ぶファンと、貴音の敗北が信じられないフェアリーズファンが一斉に騒ぐ。それに日高舞の言い方も引っかかる。今日の対決は負けていたのに、今後の可能性を含めて春香の勝利だと?これでは俺達765プロも素直に喜んでいいのかよくわからない。
「納得いかないぞ!!どうして貴音の負けになるのさ!?現に実力では、天海春香より貴音の方がずっと勝っていたじゃないか!!どういう判定でそうなったさ!!」
「そうなの!!いくら貴音が業界で嫌われているからって、ミキそんなのあんまりだと思うな!!だからオジサン達はフェアリーズに勝てないんだよ!!ミキ達ももう日本に興味ないの!!さっさとアメリカに行くの!!」
ステージから降りた響と美希が審査員席に詰め寄る。この2人は、勝負の結果に特に納得出来ないだろう。比較的大らかだと思われていた響までもが青筋立ててブチ切れている。これは相当怒っているな。
「落ち着け小娘共が。いいからさっさとステージに戻れ。今の日高舞の言葉は聞かなかった事にしていい。この判定は私達が下したものとは違う。彼女が勝手に言っただけだ」
ここで黒井社長がとんでもないことを発言し、またもや会場は騒然となる。道理で日高舞が発言した瞬間に審査員も驚いた顔をしていたわけだ。会場が収まるのを待ってから、黒井社長はゆっくり発言した。
「私達が下した今回の判定は『無効試合』だ。現在の特化型のアイドル特性で評価出来ない天海春香と、他人のモノマネしかしなかった四条貴音とではそもそも勝負が成立しない。かと言って引き分けにすることも出来ない。だからこの勝負自体が無効なのだ」
今更そんな事を言うのかよ!!とファンからはツッコミが入る。しかし黒井社長は涼しい顔をしてそれを難なく受け流した。さすが悪徳社長。これくらいのヤジではびくともしない。
「そこで私達はこの対決の勝者を日高舞に決めさせる事にしたのだが、やはり納得させる事は出来なかったようだな。だから私はこいつに任せる事を最初から反対したのだ……」
ここでブツブツと、黒井社長が愚痴をこぼす。その視線の先ではあっけらかんとした日高舞が、
「え~、何が悪いのよ~。そもそも貴音ちゃんがコピーした私って、二年目のジンクスで苦しんでいた時の私じゃん。当時の嫌な記憶が甦ってきて、色々ムカついたわよ」
アンタにもあったのか!?活動期間は3年と少しだったが、日高舞は最初から最後までずっとトップアイドルを走り続けていた。二年目のジンクスなんて全く感じさせなかったが、本人は色々苦労していたらしい。とにかくこれで日高舞の私情が多分に盛り込まれた判定だという事が分かったので、ますますその結果に納得出来なくなってしまった。会場からはブーイングとやり直しのコールが起こる。
「じゃあ貴音の勝ちでいいんだな?当然だよな、チャンピオンを決めるTOP×TOPのステージで、引き分けなんてありえないからな!」
「響の言う通りなの。それに今日はモノマネばっかりだったけど、貴音の実力はこんなもんじゃないんだから! だったら貴音の代わりに、ミキと響が証明してあげてもいいの!」
自信満々に言う響と貴音。対する春香達は静かに勝負の行方を見守っている。春香達も納得しているとは思えないが、そもそもどうしたらいいのかわからないのだろう。その表情に戸惑いが見える。一方、四条貴音は表情の読み取れない顔で、黙って審査員席を見ていた。こちらは何を考えているのか分からない。
「フンッ、だが日高舞に賛同するわけではないが、この勝負は天海春香率いるchmの勝利だと私も思う。大変不本意だがな!!」
黒井社長は吐き捨てるように言って、高木社長を睨みつけた。何で怒りの矛先がこっちに来るんだよ。アンタ春香のレッスンに協力してくれたじゃないですか。本当によく分からない人だ。
「な……、なんで……、一体どういうことさ!!」
再びステージを降りて審査員席に詰め寄ろうとした響を、今度は貴音がそっと制止した。今まで黙って動向を見ていたのに、美希も驚いている。
「……続きをお願いします。黒井殿」
貴音は静かに黒井社長に言った。会場もしんと静まり返る。黒井社長はフンッ、と鼻を鳴らすと
「パフォーマンスの出来などどうでも良い。そもそもリベンジマッチなどしなくとも、お前らフェアリーズは既にchmに敗北していたのだ。前回の担当入れ替えやギミックを使用したパフォーマンスといい、今回のモノマネといい、お前らのステージは邪道以外の何物でもない。それが王者に相応しいパフォーマンスか? 純粋に真っ向勝負を仕掛けたchmの方がよほど王者らしいではないか」
黒井社長の言葉に、フェアリーズのメンバーの顔が暗くなる。確かにオーソドックスの春香がいるウチのパフォーマンスは、その力を発揮しようとすると王道に近い正統派の構成になる。貴音のように策を弄することも出来なくはないが、基本的にごまかしなしでやった方が出来が良いのだ。
「我那覇響、お前が言った通りTOP×TOPに引き分けなどありえないのだ。そもそも引き分けになった時点で王者の敗北は決定したようなものだ。大会規定で首の皮一枚つながったが、お前らはあの時とっくにchmに負けていたのだ。だから今回このようなイベントが開催された。それがわからんのか?真の王者はただ勝てば良いというわけではない。その内容も圧勝していないといけないのだ」
やや極論じみているような気もするが、言っていることはわからなくもない。響も美希もそれが理解出来るのだろう。その大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、黒井社長を睨みつけている。
「……彼女達の事は今は関係ありません。わたくしの評価をお願いいたします」
するとそんな2人をかばうように、貴音がすっと前に出て来た。千早のようなポーカーフェイスで。いや、ちょっと怒っているか?少し頬が赤いような気がする。
「フンッ、貴様が一番よく分かっているだろう貴音。そもそも何故最初から最後までアイドルのコピーという構成にしたのだ?普通にパフォーマンスをしても、お前の実力ならまだ天海春香には負けないだろう。私にはわざとお前が邪道を選んで自滅したようにしか見えないのだが」
「いえ、これがわたくしの全力です。わたくしのアイドルとしての強みは物真似ですから。全力で向かってくる相手には、わたくしも全力で応えなければいけません。それは貴方が一番よく分かっていらっしゃると思いましたが」
貴音と黒井社長の視線が交錯する。元指導者と教え子、この2人の間にはどんな感情が行き来しているのだろうか。俺達には見当もつかない。
「フンッ、相変わらず不器用な奴だ。しかし日高舞の言う通り、今回はお前らの勝ちだが今後はどれだけ勝負してもお前らフェアリーズはchmには絶対に勝てないぞ。どれだけ策を弄しても邪道は邪道、王道には決して敵わないのだ。それを理解しているか?」
「はい。重々承知しております。ですからわたくし達は、これからあめりかに渡って更に実力をつける所存で御座います。王者としては貫禄に欠けるかもしれませんが、このまま勝ち逃げさせてもらいましょう。もうわたくし達が日本で踊る事はないので、このような機会もなくなるでしょう」
そう言って、貴音はにやりと意地悪く笑って見せた。徹底的に邪道を貫き通すつもりか。しかしこれで良いのか?このままフェアリーズをアメリカに行かせることは、日本のアイドル業界が衰退するだけでなく彼女達自身にも良いとは思えない。
「わたくしには最初から勝負の結果などどうでも良かったのです。ただ天海春香と一度同じすてーじに立ってみたかった。わたくしの望みはそれだけです。ですから望みが達成された今、もはや日本に想い残す事はありません。それでは飛行機の時間が近づいておりますので、わたくし達はこれで失礼致します」
貴音は黒井社長に丁寧に頭を下げると、そのまま響と美希を連れてステージを降りようとした。その姿には一切の迷いがない。このままでは彼女達が行ってしまう。俺達は止める事が出来ないのか……!!
「待て、貴音」
沈黙を破ったのはまたもや黒井社長だった。貴音はこちらに背を向けたままぴたりと立ち止まると、
「もうお話しする事はございませんが」
と、やや冷たい空気を纏わせて言った。しかし黒井社長はそんな事をお構いなしに発言した。
「『プロジェクト・フェアリー』はまだ終わっていない。お前がいなくなったせいでずっと凍結したままだ。せめて完遂してからアメリカに行け」
その言葉に、貴音が驚いた顔をしてこちらを振り返った。審査員達も驚いている。黒井社長は先程の貴音よりもっと悪い顔をしてニヤリと笑った。どうやらこれが、フェアリーズを引き留める為のカギになりそうだ。頼みましたよ、黒井社長―――――
***
「『プロジェクト・フェアリー』計画によって業界が衰退する事くらい、この私が予見できないと思っていたか。貴様ごときが思いつくことなど、私はとうの昔に想定していたわ」
「ならばどうしてあの時、わたくしの言う事を聞いて下さらなかったのですか……!!そのせいで、多くのあいどるやその候補生達が業界を去ってしまったというのに……!!」
貴音が声を荒げずに、しかし激しく黒井社長を非難する。普段から大人しいのでよく分からないが、どうやら相当怒っているようだ。
「改革に犠牲はつきものだ。あの時のアイドル業界は日高舞の再現に行き詰まり、事務所もアイドル達も諦めのムードが漂っていた。だから多少強引であっても、私はプロジェクト・フェアリーを進めて新たな流れを起こす義務があったのだ」
黒井社長の言葉に、俺の隣にいた高木社長は頷いていた。律子も複雑な表情で話を聞いている。きっと当時も、今のような閉塞感が漂っていたのだろう。それを打破する為に、黒井社長は貴音の意見を無視してアイドル革命を引き起こしたそうだ。
「だが結果的に私の判断は正しかった。後に現在の業界の衰退につながったとしても、あの時の改革が業界を甦らせたのはお前も理解しているだろう。むしろお前は業界の再生人として胸を張るべきなのに、どうして自ら辞めてしまったのか、私には理解出来ないな」
黒井社長の言葉に、貴音は静かに睨み返すだけだった。響と美希は貴音の迫力に気圧されて、声をかけることが出来ない。彼女達もこんな貴音を見たことがないのだろう。
「それで……、黒井殿はわたくしをどうするつもりだったのですか……?わたくしを日高舞に仕立て上げ、この業界を再び力ある者のみが生き残る夢のない世界に作り変えるつもりだったのですか……!!」
しかし貴音の怒りに臆することなく、黒井社長は鼻で笑い飛ばした。
「フンッ、弱肉強食は自然の摂理だ。しかしそんな分かりきった世界など、早々に衰退するのが目に見えている。忘れたのか貴音?プロジェクト・フェアリーはそもそも日高舞に対抗するアイドルを作り出す為の計画だったのだぞ?このプロジェクトの真の目的は『日高舞の無力化』だ。だから私はお前を日高舞に仕立て上げて、徹底的に分析したのだ。そしてまだ計画は途中段階だ」
黒井社長の言葉に、貴音は目を見開いて驚いた。確かにどれだけ強力な兵器を開発しても、それが制御出来なければ使用することなど出来ない。つまり黒井社長は、四条貴音という妖精を作り出したものの、妖精の力を操る笛を完成させる前に逃げられたということか。そして妖精の力は暴走し、業界全体の衰退を招いた。
「完全な日高舞を作り出した次は、その日高舞をどうすれば制御・無力化することが出来るかという研究だ。その為には一時的にボーカル・ダンス・ヴィジュアルの特性を分けた育成法を業界に広め、多くのサンプルを集める必要があったのだ。そして得られたデータを元に、私は貴様と共にまた新たなアイドル革命を起こす予定だった。だが貴様は私の話を聞かず、一方的に961プロから出て行ってしまった。だからプロジェクト・フェアリーは宙ぶらりんのまま、現在の一点特化型アイドルが蔓延する時代となってしまったのだ」
「そんな……、むしろわたくしのせいで現在の業界の衰退が起こってしまったのですか……?」
驚愕の事実にショックを隠せない様子の貴音。業界人の間でもどよめきが起こっている。まさか黒井社長がそこまで考えていたなどと誰も思わなかったのだろう。俺も驚いていた。
「ま、それは後付けの所もあるけどね。私達だってあれから色々考えたのよ。それで出た結論が、貴音の協力を得て再び舞の研究を続ける事だったの。プロジェクト・フェアリーは私にはよく分からないけど、あんたも今のままじゃずっと舞のモノマネしか出来ないお人形さんでしょう?だからもう一度961プロに戻って、プロジェクトをきっちり終わらせなさい。それが業界の為にも、そしてあんたの為にもなるわよ」
黒井社長の隣から石川社長が付け加える。なるほど、そういうウラがあったのか。おそらくウチの高木社長も一緒に考えたに違いない。ただ貴音に罪悪感を抱いているだけでなく、彼らは貴音がこのまま裏方として活動するのを惜しいと感じたのだろう。響や美希に負けないくらい、貴音も魅力あふれるアイドルだ。四条貴音の解放こそが、プロジェクト・フェアリーの真の目的かもしれない。
「なんだか人を珍獣か悪魔みたいに言ってくれるわね……。でも貴音ちゃん、あなたはもっと自分で輝ける女の子よ。人のモノマネなんてやめなさい。あなたの歌声は私ほどじゃないけど、とても綺麗で聴いていて気持ちよかったわ。だから今度は貴音ちゃんらしさを見せてくれるとお姉さん嬉しいな♪」
日高舞も石川社長の隣で付け加える。誰がお姉さんですか。しかし彼女も、貴音の将来性に期待しているようだ。あそこまで正確なコピーが出来るのなら、貴音の地力は相当のものだと俺も思う。
「くっ……、それでもわたくしは……わたくしのせいで……」
貴音は苦悶していた。真実が分かった所で、今更はいそうですかと考えを改めることなど出来ないだろう。しかしそんな彼女の背中を押したのは、彼女の仲間の響と美希だった。
「貴音、いいじゃないか。プロジェクト・フェアリーをきっちり終わらせるさ。アメリカ行きはそれからでも遅くないぞ。これくらいなんくるないさ」
「ミキもそれがいいと思うの。本音を言うと、ミキちょっとだけ不安だったの。今のままアメリカに行っても通用しないんじゃないかなって。だから貴音もミキ達も、日本でもっとパワーアップするの!!」
「響……、美希……。よろしいのですか?わたくしは貴女達をわたくしの計画の為に利用していたのですよ……? それなのにこんなわたくしを見捨てずに、まだ一緒に居てくれるのですか……?」
驚く貴音に、響と美希は笑顔で答えた。
「そんなのどうでもいいさ!貴音のおかげで自分と美希はSランクアイドルにまでなれたんだし、感謝はしても恨むことなんてひとつもないぞ!自分達仲間だしな!」
「当たり前なの!それに元はと言えば黒井社長がゼンブ悪いの。貴音のカタキを取る為にも、今から961プロに乗り込んでジュピターをこてんぱんにやっつけてやるの!だからミキ達はいつでも一緒だよ!」
「ありがとうございます……ごめんなさい……ありがとう……」
真珠のような大粒の涙をぽろぽろ流す貴音を、響と美希は優しく抱きしめた。こうして貴音は長年の苦しみから解放された。フェアリーズはこれからはプロジェクト・フェアリーとして、3人組で活動することだろう。観客席からも温かい声援と拍手が送られていた。
『で、では今回の対決は、天海春香さんの勝利でよろしいでしょうか……?』
しばらくして、ようやく司会が自分の仕事を思い出したように黒井社長にマイクを向ける。すると黒井社長は表情をニヤリと歪めると、マイクを奪い取って高らかに宣言した。
「何をバカな事を言っているのだ。この勝負、どう見ても我が961プロの四条貴音の勝利に決まっているではないか!!貴音は実力で天海春香を圧倒していた。それがわからなかたのか?」
「「「「「「なに―――――――っ!?」」」」」」
先程とは180度違う意見に、俺達は驚愕する。会場もどよめいた。てかアンタ、さっきまでフェアリーズのやり方は邪道だって言ってたじゃないか!!それに対決する前から、王道のウチが勝ってたんじゃないのか!?
「邪道?口を慎め弱小事務所が。大体王道なら王道らしく、邪道のひとつやふたつ蹴散らす事が出来るだろう。それを二度もしてやられおって。貴様らも王道を語るには程遠いという事だ。それに王者が勝利の為に使う策は邪道ではなく『覇道』と呼ぶのだ。軽々しく邪道や奇策などと呼ぶでない。我々の前にひれ伏すが良い」
この腐れ外道が……、いつの間にかちゃっかり四条貴音とフェアリーズを961プロ所属にしてやがる。ドサクサに紛れて美味しい所を全部持って行かれてしまった。
「我が961プロは逃げも隠れもしない。挑戦であればいつでも受けてやろう。精々無駄な努力をせっせと続ける事だな。この業界は私のものだ。衰退も革命も全て私の思いのままだ。貴様らの好きにはさせん。では我々はこれで失礼する。行くぞ貴音。フェアリーズもついて来い。特別に絶対王者961プロに迎え入れてやろう」
「気軽に命令しないで欲しいぞ。自分達のリーダーは貴音だけさ。貴音が961プロに行くから仕方なく入ってやるけど、自分達はジュピターより上なんだからな?勘違いするなよ」
「響の言う通りなの。でもミキ達の勝ちにしてくれるなら、トクベツに961プロのアイドルになってあげてもいいよ。でも貴音がイヤだって言ったらすぐにミキ達も辞めるからね?言う事聞いてねオ・ジ・サ・ン☆」
「貴様ら……、どうやらこれは性格も含めて、徹底的に矯正してやる必要があるな……」
ビキビキとこめかみに血管を浮き上がらせながら、黒井社長とフェアリーズの2人は会場から出て行った。ステージ上には貴音だけが取り残される。
「天海春香」
「は、はい!!」
貴音に急に名前を呼ばれて、春香はびっくりした調子で返事をした。すると貴音はくすりと笑って、すっと春香の前に手を差し出した。
「勝負はひとまずお預けです。次回はお互いグループで対決致しましょう。如月千早と菊地真も、それでよろしいですね?」
「もちろんだよ!ボク達は3人で100パーセントのパフォーマンスが出来るんだ。それはそっちだって同じだろ?響にもよろしく言っておいてよ!!」
「美希との決着もありますが、それは水瀬さんに任せるわ。私はあなたに興味があります、四条さん。いつかボーカリストとして勝負しましょう。また対決できる日を楽しみにしています」
貴音の言葉に、真と千早がそれぞれ返事をした。春香も満面の笑顔で貴音の手を取って返事をする。
「私達の革命はまだ終わってません!!もっともっとレッスンして、この業界をもっと楽しく、もっと元気に変えてみせます!!だから貴音さんも、お互い頑張りましょうね!!」
春香の言葉に貴音はやや驚いていたが、やがてふっと笑うと、
「あの時、貴女を勧誘できなくて本当に良かったです。わたくしもあいどるとして、貴女とは競い合う関係で在りたいと心から思います。今回は他の方の物真似で終わってしまいましたが、次回は正真正銘の四条貴音をお見せしましょう。楽しみにしていてくださいね」
貴音はそう言い残すと、黒井社長とフェアリーズの後を追うように颯爽と会場から出て行った。やれやれ、ひとまずフェアリーズを日本に引き留める事は成功したが、961プロに加入したことで事態は厄介になってしまったかもしれないな。春香のアイドル革命はまだこれからだ。俺達スタッフも気合を入れていかないとな。
『あの~、それで対決の結果はどうしましょうか……』
再び涙目になって聞いてくる司会。やべ、すっかり忘れてた。どうする春香?
「のワの」
俺が春香に視線を向けると、何とも形容しがたい微妙なリアクションを取っていた。どうしてお前は正統派のクセに、やることがいちいち邪道くさいんだよ。変な方向に個性を出そうとするなよ。
「あ~、もう無効試合ってことでいいわよ。元々そのつもりだったし。そもそも春香も貴音も採点のしようがなくて、私達審査員も困ってたのよね。だから今回はお預けということで。春香ちゃんも次頑張ってね」
石川社長の言葉に会場が沸き起こった。フェアリーズファンは納得出来ないかもしれないが、貴音もフェアリーズももういないし、再戦するにも試合放棄したようなものだ。だがだからと言って、春香の勝ちとは堂々と言えない。落としどころとしてはこの辺りが妥当だろう。それにこれからいくらでもフェアリーズとは対決出来るんだ。次回のオーディションを楽しみにしていてくれ。
「全く、結局黒井社長にいいようにされてしまいましたね。でも私達だって、このままやられっ放しというわけにはいきません。最後に微笑むのは私達765プロですよ!!」
律子はそう言うと、携帯電話を取り出してどこかにかけ始めた。ふとその隣を見ると、いつの間にかいつものヘッドセットのマイクを装着した音無さんが発声練習をしている。伊織は「仕方がないわね」と溜息をつくと、そのままあずささんと亜美、ついでに真美も連れてどこかへ消えた。何だ?一体何をするつもりだ?
「一応こういう事態も想定して、準備だけはしておいたんです。今からこのステージは、我が765プロがジャックします。空港特設ステージ限定ライブ、竜宮小町も精一杯宣伝させてもらいますよ~!!」
これ以上ないくらいのテンションで、律子は元気よく宣伝した。いつの間にか審査員席に座った音無さんが、イベントの変更を会場に告げる。ファンの間では大歓声が起こった。
「いや~、さすが律子君だ!!ではキミも準備したまえ。天海君達はまだ事態がよく理解出来ていないようだから、早く伝えてあげた方がいいぞ」
高木社長が笑顔で俺の背中を叩く。無茶言わないで下さいよ。そんな急に言われても、俺も春香達も心の準備が……
「一曲目は竜宮小町と真美がやりますから、その間に構成を考えて下さい。それくらい即興で出来ないと、961プロに勝つ事なんて出来ませんよ」
意地悪そうに笑う律子。こいつ、まだIAで負けた事を根にもってやがるな。上等だ。これくらいのイレギュラーどうってことない。Sランクアイドルのchmを舐めるなよ。
エピローグ
『765プロはchmだけじゃないわ!!あいつらはおまけで、真のトップアイドルは私達竜宮小町なんだからね!! アンタ達はしっかり私達の応援しなさい!!』
『亜美もいるよ→。今日は真美も一緒だから、竜宮小町スペシャルユニットだよ→』
『さて問題です→。どっちが亜美で、どっちが真美でしょうか→?んっふっふ~、ファンのみんなだったらもちろん分かるよね→?』
『今日は突然の飛び入り参加ですけど、私達も精一杯がんばりますから応援して下さいね~♪』
ステージ上では、竜宮小町が即興のパフォーマンスを披露している。会場も大盛り上がりだ。俺達はステージ裏で、次の出番の準備に追われていた。
「すまないな急にバタバタしちまって……、どうやら俺達だけ知らされてなかったらしい」
「仕方ありませんよ。ボク達はTOP×TOPのリベンジマッチに集中していたわけですし、逆にこのイベントを知らされていたら春香も四条貴音との勝負に全力を出せなかったと思います」
「でも結局、フェアリーズの勝負は次に持ち越しになっちゃいましたけどね。まあ、どうでもいいですけど」
「そ、そんなハッキリ言わないでよ千早ちゃん……。私これでも結構がんばったんだよ……?」
大慌てで曲のリストを確認し、衣装に着替えながら春香達と打ち合わせをする。男子禁制という事で、俺は控えテントの外で中の春香達に必死で確認していた。こういう時は女の律子が羨ましいぜ。
「終わりました!!もう入って来ていいですよプロデューサーさん!!」
春香の合図で、俺は控えテントに入った。そこには散乱した衣装やメイク道具を片付ける真と千早と、春閣下にスタンバイした春香が立っていた。一曲目は『I Want』か。出しやすい所に衣装を準備しておいて良かったな。
「はい!やっぱり今回のイベントは春閣下で宣伝していたから、歌は歌わなくてもどこかでこの恰好をしようと思っていたんです。ムダにならなくて良かったです!」
笑顔で答える春香の頭には、パンゴシに合わせた真っ赤なリボンがついていた。さっきのフロンターレリボンは止めたのか。衣装に合わせる為には仕方ないが、ちょっと勿体ないな。
「プロデューサー、どこを見てるんですか?」
ふと肩を叩かれると、真と千早が笑顔で腕を見せた。彼女達の腕にはさっきのリボンが結び付けられていた。おお、本来のイメージカラーの主の元に戻ったんだな。やっぱりお前達が身に付ける方がしっくりくるな。
「プロデューサーさ~ん、私も似合っていたでしょ~?」
じとっとした目で睨んでくる春香。ああ、もちろんだ。お前はカラーを問わずに、全てのリボンがよく似合っているよ。はじめは真の思いつきだったが、もうそのリボンはすっかりお前のトレードマークだ。
「ふぅ~、なかなか疲れたわ。でも今日のステージは悪くないわね。ファンの反応も上々よ」
俺達が打ち合わせをしていると、竜宮小町がパフォーマンスを終えて戻ってきた。おうお疲れ。じゃあ次は春香達の出番だな。少しだけだが休憩していてくれ。
「あら?春香、アンタまだそんな地味なリボン付けてるの?そんなの興醒めよ」
「え、え~っ!?これでも結構ハデなリボンだと思うんだけどなあ……」
伊織に指摘されて、春香は慌てて鏡の前でセットを確認する。春香のリボンは真っ赤な長いリボンで、地味ではないと俺も思うのだが……
「IAと全く同じ格好なんてしてたらダメよ。もう時間がないから衣装はそのままでいいとして、リボンくらいは変えておきましょう。千早と真もメイク薄いわよ。あずさ、律子、ちょっと手伝って頂戴」
「は~い♪」「まったく、しょうがないわね……」
伊織の指示で、chmのメンバーはさらにドレスアップしていく。さすがウチの一番のファンタジスタだな。みるみるうちに、春香達は華やかにきらびやかに変身を遂げた。
「い、伊織……、このリボンちょっと頭が重いんだけど……」
「にしし♪それくらい我慢しなさい。言ったでしょう?いつかアンタにそれをつけてやるって♪」
伊織が選んだ春香のリボンは、赤い布地に金色のチェーンがついたド派手なものだった。重量感のある輝くチェーンがアクセントになって、ゴージャスさがアップしている。
「はるるん超カッケ→」「さすが春閣下だNE!!思わずひざまずきたくなっちゃうYO→」
「そ、そうかなあ……、えへへ、じゃあ春香さん頑張っちゃおうかな!!」
亜美と真美におだてられて、春香はすっかりご機嫌になった。単純な奴だな。ステージ上では司会がchmの紹介をしている。そろそろ出番だぞ。じゃあ頑張って行って来い!!
「「「はいっ!!」」」
春香達は元気よく返事をして、ステージ上に飛び出して行った。たちまち会場から閣下コールが巻き起こる。
♪『ヴァイッ!!』♪
BGMに合わせて、春香が元気いっぱいにシャウトする。会場のファンは『オイッ!!オイッ!!』と野太い合いの手を入れている。……これってアイドルのステージだよな?どこの世飢魔Ⅱだよ。
「やっぱりはるるんはサイコーだね!真美にはゼッタイあんなステージ出来ないもん」
春香達のステージを面白そうに真美が見ている。いや、あれは真似しなくていいからな?お前達はもっと正統派の可愛いアイドルになってくれ。
「あれ?はるるんって正統派じゃないの?亜美ずっとそう思っていたんだケド」
亜美が首をかしげる。いや、確かにアイドルの特性はオーソドックスなんだけどなあ。でもどうしてあんなにイロモノ的なパフォーマンスが様になるんだ?俺あいつのプロデュースする自信がなくなってきたよ。
「何弱気な事言ってるんですか。春香のポテンシャルはあんなものじゃないですよ。あの子は日高舞に匹敵する逸材なんですから、今後あの子がどのようなアイドルになるかはプロデューサー殿次第ですよ」
そういえばそうだったな。でも当時の日高舞には10人もプロデューサーがついていたんだろ?俺は1人で10人分こなさないといけないのか?これから高槻やよいと萩原雪歩も入って来るのに、流石に不可能だぜ。
「フェアリーズも日本に留まったことですし、これからのアイドル業界はまた荒れますよ。それに876プロも油断出来ませんし、ただ正統派というだけでは天下を獲れないかもしれません」
確かにそうだな。日高舞が活躍していた時代はまだ業界が成熟していなかったから日高舞の一強だったが、今は様々なアイドルがひしめき合うカオス状態だ。春香の活躍によって、更に個性豊かなアイドルが台頭してくるかもしれない。佐野美心も今日のステージをこっそり見に来ていたそうだ。ウチが業界トップを取るのはもう少し先になりそうだな。トホホ……
「でもいいんじゃないですか?765プロは今一番楽しい事務所だと思いますよ~♪」
「あずさがそう言うなら間違いないでしょうね。これでいいのかしらってちょっと不安にもなるけど、ウチはウチのやり方でやっていきましょう。実際にそれで成果も出てるしね」
あずささんと伊織が笑う。そうですね。これから竜宮小町も一緒に頑張って行きましょう。目指せ全員トップアイドルですね!!
♪『跪け愚民共!!キャハハハハハッ!!』♪
ステージ上で、アドリブ全開で高らかに笑う春香。春閣下ってそういうキャラなんだ。アイツ順応性高いな。まあそれでもいいさ、この世界に引き込んだのは俺だ。お前の気が済むまでとことん付き合ってやるよ。
「あの時、お前をスカウト出来て本当に良かったよ。これからもよろしくな、春香」
俺は春香にそっと言った。頭のリボンをなびかせて、春香はこの会場の誰よりも今を楽しんでいる。いつになるかは分からないが、春香のアイドル革命はきっと成功するだろう。他の誰でもない、お前がNO.1だ。
こうして765プロによる即席ライブは大成功の内に幕を閉じた。翌日、春香が首を痛めてアイドル活動を休まなければトップアイドルとして恰好がついたんだが。よし、まずは病気やケガに負けないカラダ作りから始めようか。ちゃんと足元を見て、コケないように気を付けるんだぞ。
「はい!!よろしくお願いしますプロデューサーさん♪」
End