関連
女「人間やめたったwwwww」
女「お勉強したったwwwww」
女「言ったった言ったったwwwww」
女「解禁したったwwwww」
1
―――――月曜・朝・非常階段―――――
志乃はすっかり元気になった。
心なしか髪まで伸びた気がする。
気のせいじゃない。
金曜は肩にぎりぎり届くくらいだったのが、5センチは伸びている。
その伸びた髪もいやにつやつやしていて、彼女が動く度に反射光を波打たせるのだ。
「志乃っ、出る……!」
どくどくと精液が出るのに合わせて、志乃の喉が鳴る。
僕は壁にもたれて荒くなった呼吸を整える。
志乃は僕のおとなしくなった性器をしまいながら、僕の口に舌を入れる。
(平日の朝から何やってんだ俺は……)
志乃と舌を絡ませながら、陶酔感と後ろめたさが頭に満ちる。
元スレ
女「人間やめたったwwwww」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1315827619/
女「人間やめたったwwwww」2
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1342100712/
2
この土日、僕は徹底的に搾り取られていた。
彼女の気が向いたときには体液(主に精液)を介して精気を与えていた。
おかげで今の彼女は美容本で一儲けできそうなくらいきれいだ。
お義姉さんからも「もう大丈夫でしょ」と太鼓判を押された。
これで大丈夫じゃなかったら、僕は絶望する。
志乃は「ぷは」と口を離した。
「ごちそうさま」
うふふん、と甘えた声で笑いながら僕の鎖骨のあたりに額をすりつける。
彼女の髪を撫でると、しっとり吸いつきながら、しゃらんと僕の指から流れていった。
「なに?」
「不思議な感触だなと思って」
「今なら世界が嫉妬する」
「だろうな」と、僕は適当に流す。
3
「志乃、やっぱり髪伸びてる」
「え」
「今度こそばれるぞ」
「それは困る」
彼女は少し考えて、自分の鞄を探り始めた。
「よかった、まだあった」
と、ゴムとピンを出す。
「まとめればごまかせるはず。私って賢い!」
志乃は櫛を使って髪をまとめ始めた。
「ポニーテールにしようぜー」
「なんで男ってあれ好きなの?」
「ポニーテールにしようぜー」
「……」
「ポ」
「もー、わかったよぅ」
志乃は「うはww超まとまるwww」と自分の髪に感動しながら髪を結んだ。
(お前の髪がスーパーリッチなのは俺の汁のおかげなんだぞ)
4
「くくるの久しぶりだよー」
「ずっと下ろしてたもんな」
「なんか首がぐらぐらするよー」
「お前は乳児か」
「どう?ちゃんとできてる?」
「うん。可愛い可愛い」
素直に誉めた。
「いやんー」
彼女は頬に手を当ててうつむく。
恥じらうポイントがずれている。
僕達の下で、金属の扉がぎっと開いた。
二人でとっさに気配を殺す。
――みつかっても、今は別に平気じゃない?
彼女は携帯に文字を打ち込み、僕に見せる。
問題ないとわかっていても、まだ警戒してしまう。
少しすると、薄く煙草のにおいが上ってきた。
5
校舎は全棟禁煙だ。
ヘビースモーカーの教師は肩身が狭そうに、申し訳程度に置かれた喫煙コーナーで吸っている。
じゃあ、下で吸ってるのは生徒か。
――どうする?
――向こうは一人みたいだし、静かにどっか行こう。
僕も携帯に字を打って見せた。
――見つかったら?
――都合が悪いのはあっち。
僕は校舎の廊下に戻る扉を一気に開けて、志乃の手を引いた。
「なんだったんだろね」
「さあ?難しい年頃だし、悪いことしたいんだろ」
中学の頃、仲の良かった同級生がグレて疎遠になり、寂しい思いをしたのを思い出した。
「あ、そうだ。戻る前に渡しとく」
彼女は鞄から包みを出した。
「おべんと。作った」
「お、おう」
「食べて」
彼女ははにかみながら僕に弁当を持たせた。
「おお……サンクス」
にやけるのが我慢できなかった。
6
―――――教室―――――
教室に戻ると、志乃は女友達の輪に入っていった。
志乃のいる輪から、「えー!」とか「マジで?」といった声が上がる。
反射的に目を向けると、僕を指さす志乃と目が合った。
――友達に自慢していい?
どうしていいかわからず、口の端を上げてから視線を鞄に戻す。
「春海ー、聞こえたぞー」
友人・長野がゆらりと寄ってくる。
「あー、聞こえちゃいましたか」
「なんで話してくれなかったの!俺というものがありながら!」
「言ったらお前、壁殴るだろうが」
「なんだよもう!末永く爆発しろ!」
「あー、はいはい。ありがと」
「で、どっちから?」
と、長野は僕の隣の席のイスを引き寄せて座る。
「何がよ」
「告ったのに決まってるだろうが」
(ぺろぺろされてその流れでなんて言えない……)
少しくらい恥ずかしい思いもしてやるか。
7
「あー、お、俺から……」
「マジで?春海さんマジ勇者っすね」
「そうそう。前から狙ってたから」
(これはまあ、ほんとだけどな)
「志乃ちゃんに友達紹介してって頼んでー」
「お前が言えよ」
「ねえー、たのんでー」
「だからなんで俺がー」
「だってあの子警戒心強そうじゃん。野良猫系?俺、話しかけていいの?」
「さあ?いいんじゃない?」
(いい子だけど少し変わってるからな……)
僕も始めはどう接していいかわからなかった。
「大体いつの間に仲良くなってんのー?ねえなんでなんでー?」
「俺にもわかんねえ……」
お互いテンションのギャップにため息をつく。
8
「なんかさ、春海枯れてない?」
「失礼だな」
「いや、マジでマジで。
今日のお前には思春期特有のイカ臭いオーラがない」
「それは……」
「白濁色の波紋疾走!」
と、僕に拳をぶつける。
「痛いって。なんだよ白濁って。汚いな」
「ほらー、枯れてるー。なんなの?抜きすぎたの?」
「いやぁ、そんなことはございませんけど」
(それだ!絶対それだ!)
ここでチャイムが鳴った。
「ま、考えといてよ。紹介の件」
そう言って長野は席に戻った。
9
―――――昼休み―――――
志乃は女友達の島で質問攻めに遭っている。
(なんだあのテンションは……通過儀礼なのか)
長野と向き合うように机を寄せ、鞄から弁当を出す。
「珍しいな、弁当?」
「うん、まあ」
「志乃ちゃん作?」
僕は何も言わなかったが、にやけていたのだろう。
「乙女なんだなー」
長野は意外そうに感心していた。
(志乃、可愛いけど喋ると残念だからな……慣れたけど)
わくわくしながら蓋を開ける。
口では素っ気なく受け取ってしまったけど、実はめちゃくちゃ嬉しかったんだぜ。
「へー、いいもん入れてくれてるじゃん」
「あ……ああ……」
(ひじきの混ぜごはんに山芋とれんこんの天ぷら……
かぼちゃの煮物にほうれん草の入った卵焼き……
あと肉と玉葱を合わせて炒めたやつか……)
なんだこの精のつきそうなラインナップは。
10
(やっぱりあいつはアサシンだ)
(これ以上搾り取ってどうする気だ……)
(もう十分回復しただろ)
(え?じゃあ何?俺、おやつ感覚?)
(何が悔しいって美味いのが……)
(ああ……ごはんがごはんがススム君……)
複雑な気分だった。
精力に特化していなければ素直に喜べたはずだ。
(ヤバい。もうヤバいなんてもんじゃない。まじヤバい。
志乃の弁当ヤバい。志乃の弁当で俺の精巣がヤバい)
「なんだよ、もっとのろけると思ったのに」
「いや、幸せすぎてなんだか怖いわ」
そうだ。僕は間違いなく幸せだ。
(なのに、何だ。この喪失感は)
「やー、ほんとうらやましいわ。
性欲をもてあますこともなくなったわけだし」
「それだ」
僕は気づいてしまった。
「え?」
「――あ、いや何でもない」
11
僕は気づいてしまったのだ。
(そーいやオ○ニーしてねえわ)
ズボンのポケットで、携帯が震えた。
「悪い、なんか着た」
「なに、好きって?」
「ないない」
携帯を開く。お義姉さんからのメールだった。
――帰りに、事務所に寄ってちょうだい。
どうやら仕事が来たらしい。
「メルマガだった」
僕の口は、つるりと嘘をついていた。
「つまんね」
これで良かったのだと思う。
バイト先からとはいえ、簡単に説明できる業務内容じゃないのだ。
12
―――――放課後・ナオミの部屋―――――
今日のお義姉さんはざっくりした網目のサマーセーターに細身のジーパンをはいていた。
大ぶりなペンダントトップが胸の前で揺れている。
「今日のテーマはさばけたいい女ですか」
この人にはファッションの好みなどないのかもしれない。
何を着ていても舞台衣装にしか見えないのだ。
「あら、わかる?」
ふふふ、と艶めかしく笑いながら、僕らにお茶を出してくれた。
志乃は僕の隣で、緊張した面もちで身を固くして座っていた。
「あなた達を呼んだのは、わかってるわね?」
「呪われた人、来たの?」
「そう。仕事よ」
13
お義姉さんは男の写真をテーブルに並べる。
「――20歳男性。県内の大学に通う学生で、家族構成は両親と高校生の妹が一人――」
造作はいいのだろうが、どうにも締まりのない顔だ。
会ったこともないのに不愉快だと直感した。
「チャラそうっすね」
自分の中で、仕事を勝手に深刻にしたくなくて茶々を入れる。
「そのとおりだったわ」
「この人、なんで呪われてるんだろ」
「あなた達にはその解明を手伝ってもらうの」
「俺達に、できるんでしょうか」
「大丈夫よ。私がついてる。それに――
人の心に関してはあなた達の方が得意なはずよ」
お義姉さんは口元だけで笑った。
どこか自嘲気味に見えた。
14
「買い被りすぎですよ」
「そんなことないわよ。妹の進化に介入したくせに」
「あっ、でも私、今の自分イヤじゃないよ!」
「前向きね、妹。なんて健気なの」
お義姉さんは勝手に感動している。
「それに比べてこの義弟ときたら、やる前からうじうじと――」
「そりゃ心配にもなりますって。手順はどうなってるんですか?」
僕は鞄からペンとメモを出した。
仕事を教わるときはメモを取れと、両親ともにしつこく言っていた。
僕もそうした方がいいと思ったのでそうする。
「まず対象に接触します」
「いきなりハードル高すぎますよ」
手からボールペンが落ちて転がり、志乃の膝に落ちた。
「そのための変装じゃない」
志乃が拾って僕に渡す。
「あなたの変装は目立ちすぎるんですよ」
公園のベンチに座る、ビッチな格好のお義姉さんを思い出した。
15
「あら、今回は簡単よ。だって彼、あなた達の学校のOBだもの」
「ああ、進路の――」
「さらにタイミングのいいことに、週末はオープンキャンパスよ」
「この人をだますの?」
志乃は気が進まないみたいだった。
「そうよ。でも、そうすることでこの男と呪ってる人間の命を救うことはできる」
(命を救うなんて、大それたことを)
「呪いは、人を殺しますか」
「ええ、程度が強ければ。失敗すれば呪いは術者に返る。
結末は……同じね。そうなる人間が違うだけよ」
「余計に危険じゃないですか」
「だから私がいるのよ」
お義姉さんの態度は、どこまでも不敵だった。
16
「段取りは私がしておくから、あなた達は彼の妹に接触して」
「まさかその妹――」
「察しがいいわね。同じ学校に通ってる」
お義姉さんは機嫌良く、妹の写真を差し出した。
少し気の弱そうな、でも頭の良さそうな子だった。
「この写真、どこで――」
「そこは人外の能力を有効活用よ」
――私はどこにでもいるし、どこにだって現れるわ。
「ああ、不法侵入」
「失礼ね。超法規的措置じゃない」
「俺の部屋に入ったのはいいんですか」
「私の法は私よ」
「あんたって人は……」
でも僕は、この人が嫌いではなかった。
17
―――――帰り道―――――
僕と志乃はナオミの部屋を後にした。
「お弁当箱かえして」
しばらく歩いたところで、志乃は僕に手を差し出した。
「すまん、忘れてた」
鞄から、軽くなった弁当箱を出して渡した。
「ありがとな。美味かった」
本心だった。
「ほんと?」
志乃は「やった」と軽くガッツポーズをした。
「何が好き?今度つくってみる」
「今度は精力に関係なさそうなのがいいなぁ」
僕は昼から決意していた。
「志乃、しばらく精子は禁止だ」
許せ志乃。愛してるぞ志乃。
「えっ……」
志乃の顔から表情がぬけ落ちた。
かわいそうだが、僕の決意は堅い。
18
「恥ずかしながら、俺はお前に抜かれ続けてここ数日一人でできてません」
「……あたし、下手かな」
彼女は悲しそうな、寂しそうな顔になった。
「そんなことはない。めちゃくちゃ気持ちいいし、毎日だってお願いしたい」
「じゃあいいじゃん。win-winで良好じゃん」
彼女の顔に少し苛立ちが混じってきた。
「そうだな、win-winだな。だが俺のtin-tinはおやつじゃないんだ」
「う」
「それにお前、吸いすぎじゃないか。節制しなさい」
「もったいないよぅ……」
「無期限じゃないんだから、泣きそうな顔するなよ」
19
志乃の歩調が重くなる。落ち込んでいるらしい。
「じゃあ、朝ちゅっちゅするのも禁止?」
彼女は上目遣いに僕を見た。
「いや、それはしよう」
「基準がわかんない」
この気持ちがわからないのは、志乃が女だからかヴァンプだからか……。
どっちだろうなぁ。
「志乃、俺は童貞だ」
志乃は吹き出した。顔が赤くなっている。
「いきなり何を――」
「だから正直、ここ数日の展開をラッキーと思ってる一方で戸惑っています。
ここまではわかるな?」
「うん」
「俺も心を落ち着けたいんだ」
「その手段が、その……」
志乃は口ごもりながら下を向いた。
20
彼女も何も知らない訳じゃない。
言葉は知ってるが口にはできないのだろう。
「そういう気分で抜くときはね、誰にも邪魔されず、
自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。
独りで静かで豊かで……」
「なに、哲学?」
彼女の好奇心のスイッチを押したようだ。
「終わったときは悟りが開けそうだな。落ち着きすぎて」
「そっか」
とりあえず、納得してくれたようだ。
「ずっとダメって訳じゃないんだから、落ち込むなよ」
「わかった」
「わかってくれたか」
「うん。……でも、おかずに使うのは私だけにしてほしいな」
今度は僕が面食らった。
「お、お前な……」
(そりゃもう、ここ数日の思い出を胸に、ガンガン使わせてもらう気でいましたけど)
「だって妬いちゃいそうなんだもん」
志乃はそう言いながら照れて笑った。
21
―――――火曜日・朝・非常階段―――――
昨日、人とニアミスしたにも関わらず、僕らは相変わらずここで乳繰り合っていた。
(我ながら懲りないな)
志乃は僕の隣に座って、体を寄せている。
朝の風がひんやりして気持ちいい。
彼女がくっついている体の側面は温かい。
「あの子、どうやって近づけばいいんだろ」
「ああ、あの男の妹か」
「学年同じとは聞いたけど、フロアが違うからなー」
「ほんと、下の階と交流ないよね」
二人で長く息を吐いた。
「下に行く用事ある?」
「ないな」
「ですよねー」
志乃は僕の手を取って、手のひらを揉んでいる。
22
「何してんの」
「手持ち無沙汰ー」
「気分悪くなったりしてないか?」
「んー、平気」
何か考えているようだ。
「あのね、話すようになったきっかけ覚えてる?」
彼女の言わんとしていることがわかった。
僕は、ある日の暗い夕方、変質者につきまとわれる彼女を助けた。
――ねえ、私、つけられてる。助けて。
しばらく話しながら一緒に歩いてくれるだけでいい。
怯えながらも毅然としていた。
このとき僕は、彼女を勇気があるとは思わなかったけど、腹の据わった女だと思った。
「あの日の再現か」
「気が進まないんだけどね、気を許してもらうには、助けてあげるのが近道かなって」
芝居とはいえ、相手を怖がらせてしまうことに変わりはない。
23
「尾行は誰が?」
「おねーさんでいいと思う。つけられる感覚って、相手がわからなくてもわかるから」
どうか比較的まともな格好でお願いしたい。
「それなら安全か……でも」
「なんか悪いよね……」
「そうだな」
僕は彼女の肩を抱いた。
「わ」
口でフォローしても、彼女の罪悪感は拭えないと思った。
「な、なに?」
「お前は悪くないよ」
彼女の後ろめたさが払拭されるのは、きっとこの事件が無事解決する瞬間だ。
それまではモヤモヤするんだろう。それは僕も同じだ。
「俺もそうしようって決めたんだから、お前だけが悪いって思わないでいいよ」
彼女からは、叱られたように力が抜けていた。
24
「共犯――んっ」
乱暴にキスをして黙らせる。
彼女が何度か僕の胸を叩いたけど、無視した。
「ぷはっ……だめだって――」
「だめじゃない」
「やめてよぅ……」
彼女は眉根を寄せて抗議する。僕はそれも無視する。
「お前がごちゃごちゃ悩んでるうちはやめない」
指で唇をこじ開けて舌を入れる。
肩を抱いたまま、もう一方の手で背中を撫でると、彼女は身を任せてくれた。
微かに喘ぎながら僕の舌を吸う。
彼女は僕のシャツの胸のあたりを掴んでいた。
「皺になるから放しなさい」
力が入らないらしく、目が半分も開いていない。
しどけなく開いた唇が濡れて光っている。
「どこ持ったらいいの」
「腕、回したら?」
「ん」
と、彼女が僕の首に腕を伸ばそうとした瞬間、下の方で扉が開いた。
二人で硬直する。
また、昨日と同じように煙草の煙がのぼってくる。
志乃は下の方を指さした。
(昨日の奴か……)
僕は校舎に戻る扉を開けた。
25
―――――放課後・依頼人の妹の通学路―――――
昼休憩に、お義姉さんにあの子をつけてほしいと頼んだ。
――相手に尾行されていると気付かれてほしいんです。
――あら、それは難しいわ。逆なら簡単なんだけど。
俺に勘付かれたでしょうが、という無慈悲なツッコミは胸にしまって、
僕は今、志乃と対象の待ち伏せポイントに来ています。
駅前のファーストフード店の、窓際の席を陣取って既に1時間。
そろそろ他の客に悪い気がしてくる。
「待ち伏せって、ここに来る訳じゃないよな」
「近くには来るんだろうけど――よくわかんない」
「追い込むったって、相手のパターンがわからないと難しいよなぁ」
「……」
彼女はやや上を向いて黙った。
「――あ、おねーさん。
――うん……うん。
――りょーかい。接触しまーす」
「受信したのか」
「うん。行ってくる。待ってて」
「大丈夫か、一人で」
「女同士の方がいいこともあるでしょ」
そう言う志乃の口調は、お義姉さんのものに似ていた。
26
単語帳を繰る振りをしながら志乃を目で追う。
――周りを省みず、飲食店で勉強してるバカップルの設定でいきましょう。
(大体待ち伏せに設定なんか要らんだろ……)
携帯でもいじってた方が、ずっと自然だと思う。
(まあ、そういう設定だしな)
彼女は待ち合わせスポットでもある、駅前の噴水のベンチに腰掛けている。
少しして、また上を見つめながら口を動かすと立ち上がった。
(お、来るか)
志乃が動いた。
人通りは少ない。
行き先の決まってなさそうな、少しずつ振り返りながら歩く同じ制服の女子。
27
(あれか)
志乃が手を挙げて親しげに話しかける。あの子は戸惑っている。
志乃を無視しようか、頼ろうか迷っているらしい。
何度か言葉を交わして、志乃は彼女を連れて戻ってきた。
僕は机に目を落とし、頬杖をついて問題がわからないポーズを取る。
外から窓が軽くノックされる。
志乃が小さく手招きをする。
気の毒な妹は、帰りたくて仕方ないように見える。
僕はテーブルを片付けて席を立った。
「春海ー、女の子拾ったったーwww」
志乃は極力バカっぽく楽しそうに言った。
「おまえなー」
「だって様子が普通じゃなかったんだもん。ねー?」
志乃はなれなれしく話を振る。
彼女は申し訳なさそうに「いえ、すみません」と下を向いた。
(詫びるのは僕らの方なんだけどな……)
28
「ねー、お腹すいたー。どっか入ろー。お茶しよー」
志乃は加速する。
このまま煙に巻いて主導権を握るつもりらしい。
「って言ってるけど……一緒にどう?」
ささやかに援護する。
「でも――」
「じゃ、警察行く?」
「えっと、そこまでは――」
対処としては正しいが、相手がはっきりわからないのに助けを求めるのは気後れするのかもしれない。
彼女は口ごもった。
「いいじゃん、いいじゃーん。高校一緒でしょ?ご縁だと思ってさー」
「でも邪魔しちゃ悪いし……」
と、僕を見た。
ここは解放してやった方が、本人は気が楽になるのかもしれないが、そうはいかないのだ。
29
「俺は気にしないよ。それに、もし本当にやばい奴で何かあってからじゃマズイし」
(やばくもないし、何も起こらないんだけどね)
唇を噛む彼女を見て、やっぱりすまない気持ちになった。
「さ、行こ行こ」
志乃は適当な店に目をつけ、「ほーら期間限定だよー」といいながら彼女の手を引いた。
兄に向けられた呪いのとばっちりを受けた妹は、もう遠慮も抵抗もしないように見えた。
30
―――――喫茶店・店内―――――
(さて、対象に接触したはいいけど、ここからどうするよ)
志乃はさっさと、生クリームの乗った一番甘そうな飲み物を注文してしまった。
僕はとっさに、メニューの一番上にあったコーヒーを頼んだ。彼女もそうした。
「あ、あの」
彼女が切り出す。
「ありがとう。正直なところ、やっぱり怖かったから」
「うううん。いいんだよぅ。あたし志乃。これ春海」
「これ」はないよなぁ……。
「佐伯です」
「下の名前はー?」
志乃はどこまでも気安い。
「朋美」
「へー。トモちゃん」
(同性相手なら社交的になれるのか……。無理してないよな?)
「校章同じ色だから同級生か」
志乃にばかり喋らせていても良くないかと、当たり障りのないことを言った。
31
「あ、ほんとだ」
「会ったことないよね。違う階?」
佐伯さんは、やっと自分から話してくれた。
ここで、飲み物が来る。
これで間がもつと思うとほっとした。
黙っているのも気まずいが、僕が出しゃばっても変だ。
(おおぅ、よく喋るな……)
「あたし達2組」
「私は7組」
「あー、どーりで会わないわけだ」
「うんうん」
僕は二人の会話を注意深く聞きながら、適当に相槌を打つ。
聞き込みで得られる情報なんて雑多なもので、まともなものは1割あれば上等だ。
……と、お義姉さんが言っていた。
32
「へー、二人はつきあってるんだ」
(……まあ、初対面の子が無難にのっかれそうな話はこれくらいだよなぁ)
二人揃ってるときに言われると気恥ずかしい。
少し顔がゆるんでしまったかもしれない。
志乃は「うふーん」とニヤニヤしている。
「彼氏さんいい人そうだよね。いいなー」
「春海は私のおててがこんなだから、お世話してくれてるんだ」
と、包帯でぐるぐる巻きの両手を佐伯さんに見せつける。
(ほんとは完治してるんだけどな)
「そうそう。健気でしょ、俺」
いい加減に調子を合わせつつ、コーヒーに砂糖とミルクを入れるて混ぜる。
(俺の笑い方、不自然じゃなきゃいいけど)
「トモちゃんは彼氏いないのー?」
「いないいない。なんか男に夢が持てなくてさ」
と、佐伯さんは顔の前で手を振った。
ここからだ、と思った。
33
「なんでー?美人なのに。もったいないよー」
「美人とかwwないからwww」
「そうかなー」
「そうだよ」
と、志乃はスプーンで生クリームをずぶずぶと液体に沈める。
「まあ、日常的にダメ男見てるからね」
「ん?知り合い?兄弟とか?」
「そうそう。兄貴がね。もう反吐が出るわ」
(一気に核心に近づいたな。油断ならん)
僕は聞くことに専念する。
佐伯さんはブラックのままのコーヒーにスプーンを入れて回している。
「お兄さんそんなひどいの?」
「もー、あんなのが兄貴だなんて思いたくない。
彼女がコロコロ変わるだけならまだしも、浮気しまくりだよ。ひどくない?」
「それはひどい」
僕はカップを口に運びながら、無言で二度うなずいた。
34
「一人暮らしのはずなのに、しょっちゅう女の人と揉めて家に逃げ帰ってくるしさ。
じゃあ、そもそも揉めるなっつうの」
「うわー。とばっちり受けそう……」
「受けそう、じゃなくて受けたことあるんだよね。
なんか家の前で待ってた元カノに叩かれたし」
彼女は湯気の立たなくなったコーヒーを一息に飲み下し、不味そうな顔をした。
「うわぁ……」
ここまで軽妙なトークを繰り広げていた志乃も、さすがに沈黙した。
(男でごめんなさい)
僕は全く関係ないし、ちっとも悪くないのに、そう思った。
(呪われる原因は女性問題か……)
そりゃ恨まれるだろうよ。
動機はわかったが、呪ってる人物を絞るとなると骨が折れそうだ。
35
事情は志乃が一通り聞き出してくれたが、聞けば聞くほどひどかった。
佐伯さんは喋ってすっきりしたようで、強引に引き留めたにも関わらず礼まで言われた。
「そろそろお母さんが仕事終わるから、適当に合流して帰るよ。
今日は助けてくれてありがと」
彼女はすっきりした顔で
「学校同じだし、また会うかも。そんときはよろしく」
と言って改札をくぐった。
僕たちは彼女を見送って、取り残されたような気分になった。
「これで動機はわかったな」
「うん……」
志乃は浮かない顔をしていた。
「まあ、恨み買って当然だよな」
志乃は僕の隣にきて、手を繋いだ。
「死ねばいいのにって思っちゃった」
「お、自己嫌悪しているな」
「そりゃするよ……」
彼女はため息をつきながらうなだれた。
36
「人を助けるって言っても、その人が善人とは限らないよ」
「わかってはいたんだけど、そんな奴のために動いてるのかと思うとね」
「佐伯さんにも要らぬ火の粉がかかってるしな」
「うん……あの子、何も悪いことしてないのに」
志乃は手を繋いだまま、僕の指の関節をぐりぐりする。
「あんな奴ほっときたいよ。どうせ同じこと繰り返すんだよ」
「だろうな」
志乃はまだ何か言いたそうにしていたけど、改札の時計を見てやめたみたいだった。
「帰りたくない」
僕だって、今の志乃を一人で帰すのは心配だ。
「つらかったら電話しろよ」
「何話していいかわかんない」
「何でもいいんだよ。佐伯さんだって、きちっと順序立てて話してなかっただろ」
「うん……」
「吐き出すっていう行為そのものが、すっきりできるんじゃないか」
彼女は納得したようなしてないような素振りで、「ふうん」と声を漏らした。
37
「帰ろ」
「大丈夫か」
僕が彼女を心配しているようで、たぶん僕だってこのまま帰るのは嫌なんだと思う。
このまま煮えきらない気分を持ち帰りたくはない。
「……うん。そのかわり、明日はいっぱいいちゃいちゃする」
(いっぱいか……)
下半身がぴくりと反応した。
僕はまだ元気だと思った。
38
―――――水曜日・朝・非常階段―――――
二日連続で人とニアミスしておいて、学習しないのか、僕らはまた非常階段でちゅっちゅしていた。
三日目ともなると、半分は意地である。
志乃が僕の腿に触る。
僕はそのままにしておくが、その手が上がってきたところで邪魔をする。
「うぅ、まだだめ?」
「まだ二日目だろ」
「口寂しい」
「ガム感覚で言うなよ」
(そろそろかな……)
テンションが上がった(性的な意味で)ところで、ふと思い出す。
「志乃、ちょっと待った」
「なに?」
「来る」
ちょうど、下の方で扉が開いた。
靴底が金属の板でできた踊り場を叩く音がする。
息を潜める。
(人の逢瀬を邪魔するなんて無粋だ)
鞄を探る音。
ライターのスイッチを何度か押して――着火。
(エッチなのはいけないが、俺がエッチなのを邪魔するのはもっといけない)
そして、わずかに匂う煙。
39
(ぬうぅ……!)
僕は怒っていた。
(至福のときを邪魔しおって……!)
(大体未成年が煙草なんていけません!)
「――注意してくる」
「え、ちょっと」
志乃が僕を止めようとしたが、僕は怒っているのだ。
僕は彼女の耳に口を寄せた。
「ハーネスによって速くなる馬もいる。今、俺を走らせるのは……エロスだ」
彼女は口を開けて固まった。
僕は足音を殺して階段を降りる。
(SWATの気分だな。「クリア!」みたいな)
相手が僕に気づきそうになったが、僕が手を出す方が速かった。
「いった……!はなせよ!」
「だっ、ダメじゃないかー!喫煙はダメじゃないかー!」
かっこよく決めるつもりだったが、現実は甘くない。
40
「吸ってないし!燃やしただけだって!よく見てよ!」
ここで初めて、僕は相手が佐伯さんだと認識した。
「あ……」
「もう。嫌なとこ見られちゃったなぁ」
彼女はここで、手を掴んだのが僕だとわかったらしい。
ばつが悪そうに頭をかいている。
「……あ、その、すいませんでした」
怒りも劣情も海綿体も萎えてしまって、僕は謝っていた。
「あ!トモちゃん!煙草はいかんよ、煙草は!」
志乃が階段を降りてくる。
さっきの僕と同じ調子だ。
(人の話聞いてないな……)
「未成年でしょ!ポイしなさい。黙っててあげるから!」
志乃が佐伯さんに食ってかかる。
「志乃、佐伯さん吸ってない。吸ってないから」
「なに、じゃあ何でこんなもん持ってるの?」
志乃は忌々しげに、足下で潰れた煙草の箱を見る。
佐伯さんも同じように、視線を落とした。
「嫌がらせでね……」
41
佐伯さんは手の中でライターを弄びながら話し始めた。
「あいつ、いつも金ないって言ってるくせに、煙草だけはしっかり買ってんの」
(壁紙がヤニで染まってそうだな)
「帰ってきたとき、家の中でも吸うもんだから、なんか常に煙たいような気がして」
「吸わない人にはきついな……」
「顔見るだけでも嫌なのに、あいつがいないときでも匂いが残ってるの」
(復讐とまではいかなくても、何らかの形で憂さは晴らしたくなるだろうな)
「こんなことしても、何にもならないことくらいわかってる。
ただ、あいつが嫌な目に遭えば少しはすっきりするかなって」
「だってさ。志乃、わかったか?」
志乃の顔には、ほんの少し険が残っている。
「ねえ、トモちゃん。お兄さんを殺したいって思ったことある?」
「お前、なにを急に――」
42
デリカシーもなにもあったもんじゃない。
単刀直入にもほどがある。
「お兄さんを呪ってますか?」ってことだろ。
「犯人はあなたですか?」って聞いて、そう自白する奴なんていない。
「昔は、何度か思ったけど……。
でも今は、嫌いなだけ。死んでほしいとも思わない」
「ただ、関わりたくない」と彼女は締めた。
関わりたくないと言う割に、嫌がらせするのは矛盾してるけど、この程度なら不自然じゃない。
「トモちゃん、ここで燃やすのはやめようよ。
見つかったら言い訳できないし、何より火事がこわい」
「そうかな」
「そうだよ。そんなチマチマしたせこいのなんてやめてさ、
家の庭に煙草と灰皿放り出して、盛大に燃やしちゃえばいいんだよ。
もうちょっとしたら秋だし、落ち葉でよく燃えるよ」
43
「あなた、変わってる」
佐伯さんが何を考えているか、表情からは読みとれない。
「ふふふん。よく言われます。
でも、そんな屈折した嫌がらせ思いつくトモちゃんも変わってるよ」
佐伯さんは、くっと笑った。
「まだ時間あるね……。捨ててくるわ」
彼女は鞄を持って、去っていった。
44
佐伯さんが見えなくなると、僕達は一気に息を吐いた。
「きっ……緊張した……」
「あんたがいきなり降りてくから、どうしようかと思った」
「佐伯さん、不良じゃなくてよかったな」
「でも、単純に悪ぶってるより深刻じゃないかな」
「あれだって、一応攻撃性の発露だしなぁ……」
「うん……あんなことしようって考えて、実行しようって判断して、
実際にやっちゃう精神状態ってことでしょ。やっぱり心配だよ」
「普通、兄貴がああだったら嫌がらせの前に口か手が出るだろうしな」
「特別気が弱いわけでもなさそうだしね……。
そうなる環境だか何だかがあるんだよね、きっと」
「そうかもな。でも、そうじゃないかもしれない」
僕は半分、彼女が何らかの抑圧を受けてストレートに怒りをぶつけられないんだと確信していた。
45
志乃は頭を僕の肩に擦り寄せた。
例の花の匂いはしない。
「続きしたいけど、気が抜けちゃった」
「俺はその、続きしたいの一言でがんばれる気がするが」
「うわー、ヘンタイだー」
志乃は階段を駆け上がった。
「そうだ。今日のおべんと。食べて」
元いた場所に起きっぱなしの鞄から、包みを出して僕に渡す。
「よく起きて作れるな。サンキュー」
志乃は、僕が鞄に弁当をしまうのを見ながらそわそわしていた。
「なんだよ」
「べーつにー」
「何か悪いことを考えてるな」
「そんなことはない。帰り、覚えといてよ」
――そのかわり、明日はいっぱいいちゃいちゃする。
「覚えてるよ!覚えてるとも!予告ニャンニャン!」
(ああ……ニャンニャンは我ながらキモいわ……)
言ったそばから一人で反省する。
志乃はうなだれる僕の隙をついて一瞬だけ唇を合わせると
「うわー、ヘンタイだー」
とはやし立てるように言って教室に走っていった。
46
―――――放課後・志乃の部屋―――――
彼女は鞄を机の上に置いて、ベッドにうつぶせに倒れ込んだ。
僕はどうしていいかわからないので、机の上を見る。
彼女のノートパソコンのすぐ横に、数日前に買った丸いサボテンがあった。
(結構いいとこに陣取ってるな)
鉢には不透性のマーカーで「サボ子」と書いてある。
ネーミングセンスはともかく、気に入ってくれてるらしい。
志乃が頭を動かして、部屋の真ん中で突っ立っている僕を見た。
寝返りを打ってベッドの真ん中から壁際へ寄る。
そして半分開いたスペースを、ぽんぽんと叩いた。
ぽんぽん。
(来いってか)
47
「来て」
僕はおとなしく彼女の横に寝そべった。
「今日は妙に素直じゃないか」
志乃はまた寝返りを打って、僕と向き合うように体の向きを変えた。
(あれ、無視か)
「抱いて」
絶句した。
その一言が僕の理性を蹂躙する。
自制心だか思考回路だか、そんなものは一瞬で振り切れた。
僕はあまり自慢じゃない瞬発力をフルに発揮して、
彼女が声を上げる間もなく、その体を抱きすくめて口を吸っていた。
驚いたのか、志乃は僕の下でもがくけど僕はお構いなしに彼女の口内を犯す。
48
しばらくそうしたところで、僕の理性が申し訳なさそうに帰ってくる。
(おかしいな、暴れないなんて)
さすがにまずかったかと、一旦体を離してみる。
志乃は惚けた顔で荒く呼吸をしていた。
それに合わせて胸や腹が上下するのが制服越しにわかる。
(解禁したい……!でもまだ三日目……!)
僕はくだらない意地と戦っていた。
「志乃、お前、大丈夫か」
こんな状況でも、ここ数日彼女から花の香りがしない。
あれは、わずかな僕の経験則では「食欲」の合図みたいなものだった。
「腹減ってないか?」
勿論、この場合の彼女の養分は精液だ。
「……まだ……平気……」
あの香りを発することもできないくらい消耗しているのかもしれない。
もしそうなら、僕はまた馬鹿をやったことになる。
「大丈夫……疲れてるだけ」
彼女は半分だけ目を開いた。
「気持ちが、つかれてるだけ」と言い直して、また目を閉じた。
49
よく見れば、確かに髪や肌はまだまだ異常に艶がある。
(ガソリン切れじゃないのは本当か……)
「びっくりした……」
「すまん、テンションが上がりすぎて」
「ばかばかー」
「俺はただ、エロいことがしたかったんだ」
「どストレートだなぁ」
「昨日から期待で胸(と股間)が膨らんでな」
(とりあえず「抱いて」の一言はおかずランキング殿堂入りだな)
「眠いからだっこしてっていうつもりだったのに」
「省略しすぎだろ、それは」
この場合、過失相殺が適用されるはずだ。
彼女は勝手に僕の腕を枕にすると、寝る準備に入ってしまった。
「志乃ー寝るなー」
「やだねむい」
50
普段ならここらで引き下がるところだが、今日の僕はしつこかった。
「じゃあ寝てていいからいろいろと触らせてください」
「うわキモ」
志乃が目を開けた。蔑みが浮かんでいる。
(そのまま罵りながらしごいてくれないかな)
(いや、だめだ。俺から禁止を言い渡したのに早すぎる!却下!)
「そんなにしたい?」
僕が葛藤しているのを察したらしい。
「服や下着には手を入れないんで触らせてくださいお願いします」
我ながら必死だった。
「うっ……」
彼女は明らかに引いていた。
「嫌なら無理にとは言わない。お前が嫌ならしない」
「い、嫌じゃないけど……」
51
彼女は下を向いた。
少しの間、何か考えてベッドから出ると、照明のひもを引っ張って電気を消した。
そのまま部屋の真ん中でごそごそする。
床に何か落ちる音がした。
「見られるの恥ずかしいから」
と言いながら戻ってくる。
「脱がさないのにー」
この部屋のカーテンはいくらか遮光する生地らしいが、これくらいなら目が慣れそうだ。
「気分の問題」
「えっ、いいの?ほんとにいいの?」
思わず声が弾んでしまう。
彼女が僕の手を探って、自分に触れさせる。
(この丸み、柔らかさ、弾力……!)
「ふへへ。解禁したったwwwww」
「俺、死んでもいいわ」
「感激しすぎだからww」
「……いや、やっぱ死ねない。
俺はおっぱいの神様に恥じないように精一杯生きなければならない」
52
「それじゃ私は寝るから」
「ああ、眠いんだったな」
指に少し力を込めると、志乃の肩がぴくっと震えた。
「ね、寝るんだからね!もう!ほんとだよ!」
「うんうん。おやすみ」
彼女は僕の顔を触って唇を探り当てるとキスをした。
「おやすみのちゅーしたし、もう寝るからね!寝たよ!」
(絶対起きてるな……)
(これ、触っていいってことだよな)
(だって解禁だもんな!解禁!)
寝たふりをしている相手にいろいろするのは張り合いがなさそうだけど気にしない。
やってきたチャンスは漏れなく掴む。
それが俺の流儀だ。
(張り切ったものの、どうしたらいいのかな)
僕は考えながら、しっかり手は動かす。
(うーん、片手じゃ収まらんじゃないか。志乃、立派に育って……)
お義姉さんに給料をもらったら、小さく見えるブラでも買ってやろう。
このおっぱいが型くずれするのはいけない。
それを見過ごすなんておっぱいへの冒涜だ。
53
片腕が枕にされているので、使えるのはもう片方だけだ。
(俺はベストを尽くすぞ)
(こうなった以上、お言葉に甘えて全力で堪能する)
僕は女体の神様に宣誓した。
童貞らしく、どうしていいかわからない。
しかし、志乃には童貞宣言しているので、下手だとか初々しいとかそんなのは臆することもない。
ただ、丁寧に撫で回そうと思った。
とりあえず手のひらを這わせてみる。
志乃がびくっとなったようだけど、寝たと言うのだから寝相だろう。
そういうことにしといてやろう。
手が尻のあたりにきたところで、僕は気づく。
(志乃さん、ケツ出てますがな)
(いや、正確にはスカートがめくれてるだけなんだけど)
(これは一旦スカートを戻してやるべきだろうか)
(それともこのまま尻を包むパンツの生地の感触を楽しむべきだろうか)
(後者だろうな。誰だってそーする。俺もそーする)
54
ついでに手を伸ばして太腿まで触っておく。
肉質は引き締まっているせいか少し硬いが、筋肉の弾力は健康的でいいと思った。
何よりその皮膚がすべすべで柔らかい。
半端な女より美脚な男はざらにいるが、こればかりは敵わないんじゃないかな。
そうであってほしい。
もう一度、尻に戻ってくる。
冷房がきいているとはいえ、布団をかぶっているせいか汗ばんできている。
(でも布団剥いだらおなか冷えるからな……)
僕は的外れかもしれない気遣いをしながら尻を撫で回す。
(うーん、案外いいものだなぁ)
(やっぱり丸いものは和むようにできてるんだな)
(うさぎとかハムスターとか丸いもん)
そんな造形に対する敬意が沸き上がってくる。
55
こうしている間も、志乃は何度か体をよじろうとしたり、
声が出そうになっているけど、なんとか寝た振りをとおしている。
(変なところで意地っぱりだからなぁ)
このあたりになると、僕も開き直ったもので彼女を仰向けに転がして好き勝手に触りまくっていた。
枕にされている腕は、僕が動きやすいように二の腕に乗った志乃の頭を前腕に持ってきた。
電気を消した後で、志乃が床に落としたのはサラシだったのだろう。
そのへんに気遣いを感じた。
で、僕はその心遣いに感謝しながら乳首をつまんだり転がしたりして弄んでいた。
(うーん、服の上からこの感触はエロい……)
僕のファルスは始めから怒張しっぱなしで、もう痛いくらいだ。
56
下着の、先端の当たっている部分が湿っている。
(もう帰ったら抜きまくる。明日も平日だけど手淫三昧ですよ)
ここで僕は、ふと思いつく。
(志乃はどうなってるんだろう)
僕の意識は彼女のプライベートな箇所でいっぱいである。
秘密の花園である。
(布の上からだからセーフだよな)
どこまで彼女が僕を野放しにするか、さながらチキンレースである。
僕は意を決して、彼女の下腹部に手をやった。
殴られてもいい。罵倒されてもいい。
それを目の前にして撤退するのは臆病者だ。
(その昔、えらい人は言いました。
お金を失えば小さなものを失う。
信頼を失えば大きなものを失う。
勇気を失えばすべてをうしなう)
僕は開拓者精神に突き動かされていた。
57
指の腹が彼女の秘所に当たる。
押しつけてみると、湿った音と一緒に湿った感触があった。
そのまま生地がぬるりと滑る。
僕は彼女が濡らしていることに感動した。
(なっ、なにこれ!なんかすごいんだけど!)
淫靡な感触に、思わず息を飲む。
そのまま動かそうとすると、彼女の手が僕の手を押さえた。
「……お、おはよう。よく眠れたかい?」
「……調子こきすぎ」
顔はよく見えないが、涙声だった。
彼女の負けず嫌いな性質につけこんで、いじめすぎたかもしれない。
「すいませんでした」
「もう。ばか」
「だけどとてもよいものでした」
「……」
「ぼくは、もっとしたいなぁとおもいました」
「お前もう帰れよ」
彼女はわざと粗野な口調で言った。
僕は満足しきっていたので、そんなところも可愛いなあ、と余裕丸だしで思いました。
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「志乃、まだ落ち込んでる?」
「わかんない」
本当はお手洗いを拝借して、一旦すっきりしたいところだけど我慢する。
(帰るまでは生殺しでいよう……)
「一緒に寝るか」
「……」
「警戒してるな」
「しない方がおかしい」
「俺は今、満ち足りています」
「ほう」
「だから志乃にも幸せを分けてやりたい」
「ほうほほう」
「ほら、今日はもう変なことしないからおいで」
「ほんと?」
「不安だったり納得いかないことがあるんだろ」
言うまでもなく、この事件の関係だ。
「少しの間くらい、誰にも気遣わずに眠った方がいい」
「……うん」
彼女は近くに置いていた携帯を拾って、何か操作している。
「なにしてんの」
「マナー解除とアラームセットしてるの。
ファミリーと出くわしたらたいへんだ」
「おおう。そりゃたいへんだ」
59
――――――――――
僕は目が冴えて仕方なかったが、志乃はよく眠れたようだった。
彼女が寝返りを打つものだから、途中から腕枕の意味はなくなったけど、
たぶん志乃には僕が一緒に布団に入っているのが大事なんだろうと思ったので、
元に戻したりせずに放っておいた。
「……ん」
「まだ寝てていいよ」
「うん……」
志乃は布団を頭までかぶってもぞもぞしたが、また顔を出した。
「ねえ、何か話そ」
「何の話?」
「どうでもいい話」
「そうだな。事件のことで頭いっぱいだったもんな」
「うん。たのしいこと考えたいんだけど、なんか悪い気がして」
60
「佐伯さんに悪いって思ってるんだろ」
志乃は黙ったままうなずいた。
「あんな兄貴がいて、そのせいで苦労してる境遇は気の毒だと思うけど、
彼女はまるっきり不幸じゃないと思うよ」
ちゃんと社交性があって、自分を持っていた。
「佐伯さんにも、ちゃんと楽しいことはあるよ」
「そうだよね」
「勝手に不幸だって決めつけたら、こっちまで幸せになっちゃいけないって思いこむ元になるぞ」
「それは、優しいのとは違うね」
「うん。だから志乃はいつもと同じでいいよ」
志乃はしばらく黙っていた。
何か考えているなら、そのままにしておこうと思った。
何か振り切るように僕に抱きつくと、
「ありがと」
と笑いながら言った。
――――――――――
61
―――――土曜日・オープンキャンパス―――――
木曜・金曜にお義姉さんと段取りを打ち合わせした。
志乃はやっと抜糸して、包帯が取れて嬉しそうだ。
見学者の付き添いを装った僕と志乃で、大学を散策する。
制服を着ていれば親切にしてもらえるだろうから、
なるべく多くの関係者に接触せよ、とのことだった。
あの人はなんでも簡単に言う。
「大学って広いね。いっぱい建物がある」
志乃はきょろきょろしている。
「離れるなよ」
さすがに、ここではあまりくっつかない方がよさそうだ。
「ちゃんとついてきてー」
「お前が自由すぎるんだろ」
関係者に接触といっても、こんな広大な敷地から、こんな沢山の人から見つかるわけがない。
他校の生徒はもちろん、おそろいのTシャツは学生部だと判別できるとして、ほかの学生は私服だからわからない。
「どうしよ。もう誰が誰だか」
「確かにこんだけ人がいれば、出会い放題かもしれないな」
志乃が僕をにらむ。
62
「ああ、そういうんじゃなくて、ほら、あいつは取っ替え引っ替えだから」
「ああ」
「そうするにも、そもそも替える相手が要るだろ。
もちろんここだけじゃなくて、他大学と交流したり
バイトとか合コンだってあるだろうしなぁ……
出会おうと思えば出会えないこともないんだろ」
「うわぁ、めんどくさ」
志乃は露骨に嫌悪感を示した。
そうまでして不特定多数の女に手を出したいか、ということらしい。
まあ、僕だってごめんだ。
「困ったな。どうせ学内に元カノ多すぎ引いたwwwww
とか言って笑い飛ばせると思ってたんだけど、その元カノすら特定できそうにないぞ」
「困りましたなぁ」
63
志乃はいつの間にか、学生部が配布しているかき氷をもらっていた。
「そのへん座ってさ、作戦練ろうよ」
と、広場のベンチを指す。
「作戦……作戦ねぇ」
ハナからそんなものはないけど、志乃はやる気だ。
僕も具体的な策はないし、従うことにした。
「チャラい奴が集まるとこってどこだろ」
「どこだろうな」
(体育館裏……いや、それは一昔前の不良だ)
「そもそも今日は来てなかったりして」
彼女はさらりと恐ろしいことを言う。
「そうかなあ。大量の女子高生が来るとわかってるのに」
「となると、クラブ紹介やってるサークルとか……
あー、それだと多すぎるしなぁ――あうっ」
かき氷がしみたのか、頭を押さえた。
64
彼女を眺めながら、僕は先端が匙になったストローを口に運ぶ。
9月とはいえ、日中はまだまだ暑い。
冷たいものはありがたかった。
「いっぱい人がいるね」
「そうだな」
「私、やっぱり何も知らないんだね」
どうしていいか全然見当がつかず、彼女は勝手に自信をなくしたようだった。
僕だって、同年代の中じゃ結構頭いい方だって自負してたけど、その自信が揺らいでいる。
「志乃はえらいよ」
「そうかなぁ」
「ちゃんと逃げずに考えてるからえらいよ」
彼女は不思議そうな顔で、溶けた氷を吸っている。
「俺はそういうとこ好きd」スパーン
誰かが後ろから僕の頭をはたいた。
65
振り向くと、パンフレットを丸めて腕を組んだお義姉さんが立っていた。
「おねーさん!」
志乃の目がきらきらしている。
いい加減な人だけど、やっぱり年長者だし、いれば心強いらしい。
「仲睦まじいのは結構だけど、今は働きなさい。義弟」
「いや、その、作戦会議中でした。
……週末の夜を楽しめたようですね」
それは彼女にとって「今日は一段ときれいですね」を意味する。
「うふふ。口が上手いのね。それに、さっき思わず調達できちゃってね。
説明してあげるから、先にそれ食べちゃいなさい」
僕は志乃が食べ終わるのを待って、空になった器を捨ててきた。
お義姉さんが志乃の隣に座る。
「さっき、手首切った子がいてね、吸ったついでに救急車呼んだの」
「離れちゃまずいでしょ」
「離れなきゃまずいのよ」
お義姉さんが言うには、この近くのアパートから血の匂いがするから行ってみたところ、
そこの住人の女子大生が睡眠薬を飲んで手首切っていたらしい。
無関係の人間が通報したとあっては、なぜそこにいたのか聞かれると都合が悪い。
66
「あの程度じゃ死なないから、ちょっぴりいただいちゃった」
とお義姉さんは笑う。
「通報にはあの子の携帯を使ったから、足はつかないわ」
ついでに、お義姉さんは有力な情報までちゃっかりいただいてきたらしい。
「それでね、さっきの女の子、どうやら依頼人にちょっかい出されてたみたい」
メールを盗み見したようだ。
「あなたには個人情報とかプライバシーとか――」
言いかけてやめた。
(あなたにそういった概念はないんでしたね)
「遊び人がそんなめんどくさそうな人と付き合うかな?」
確かに、普通の女の人なら遊ばれたところで自殺未遂はしない……と思う。
元々、危ういところがある人だった可能性はある。
67
志乃は立ち上がって、僕の手を引く。
「学食いこ。おなかすいた」
「今かき氷食べたろ」
「あれは甘い水。おなか膨れないよ」
と、いちごのシロップで赤く染まった舌を出す。
(うーん、ぺろぺろしたい)
「じゃあ、行くか。お義姉さんもどうです?」
お義姉さんは考えていた。
(この人が即決しないなんて珍しいな)
「行ってみようかしら。学食って珍しいし」
「いこいこ。大学って初めてー。ふふんふーん」
志乃は適当な建物に向かって歩いていく。
「おーい、そっちじゃないぞ」
「え、違うの?」
僕は構内見取り図の載ったリーフレットを開いて見せる。
「食堂……本部棟……?ほんとだ」
「お前、自信満々で迷うよな」
「おどおどしたって仕方ないじゃない」
「いや、ここで言われてもかっこよくない」
68
本部棟に向かう途中、掲示板があった。
さっき僕らがいた広場はいわゆる「外向き」の告知が多かった。
「……お、晒しage」
こういう「内向き」のは、学生の行動範囲にあるようだ。
どうやら試験やレポートをすっぽかして、その期の単位を全て棒に振った学生がいるらしい。
「あらら。もったいない」
「……ねえ、私、この名前見たことある」
お義姉さんが目を大きく開いた。
(この人でも驚くことあるんだな)
「どこでですか?」
「どこだったかしらねぇ……」
「しっかりしてくださいよ」
「ん、でも見たのは本当よ。どこで見たか、ちょっとド忘れしただけよ」
「もー。食べながら考えようよ。のんびりしてると混んできちゃうよ」
志乃は僕とお義姉さんの背中を押した。
69
―――――本部棟・食堂―――――
テーブルを囲む。
「なんか私たち、すごいカレー好きな人みたいだね」
確かに、三人ともカレー買ってくるとは思わなかった。
「先週もごちそうになったしな。ナオミの部屋で」
(そして俺はナオミの民……)
慣れてきたが、勤務先名称を思い出す度、げんなりする。
「まあ、あまりハズレがないものねぇ」
「お義姉さん、どんだけ福神漬け欲張ってるんですか」
「だって赤いんですもの」
「それのどこが血に似てるんですか」
「色よ。……いいじゃない。プラシーボよ」
(それは自分を騙し切れてないだろ……)
「おねーさん、思い出した?」
「だめねぇ……。どこだったかしら」
僕は二人を交互に眺めながら食べ進める。
70
「考えるのもいいけど、食べないと冷めますよ」
「ああ、そうだったわね。……ほんとどこだったかしらねぇ」
お義姉さんは上の空。
志乃は難しい顔でスプーンを口に運ぶ。
僕は気分を変えたくて、サーバーに水を汲みにいく。
トレーにコップを3つ取って、学生の列に並ぶ。
(おお、お茶も出るのか……。聞いてくればよかったな)
僕は真顔を保ちながら、カルチャーショックを受ける。
僕のすぐ後ろに、少し派手な人たちが並んだ。
誰かの噂をしているらしい。
「あの人、見ないと思ったら単位ゼロだって?」
「えー、なにそれ。真面目そうなのに」
「何考えてるかわかんなくてちょっと怖かったけどさー、
悪い人じゃないよね。ノートコピらせてもらったし」
「あんたは自力で勉強しなよw」
さっきの掲示板に貼られていた人のことらしい。
僕は進学するつもりなので、真面目に通おうと思った。
71
「あの人、あれ?ヒッキー体質ってやつ?」
「さあー?でも地味な子でよく集まってたよ。
……なに?気にしてんの?仲よかったっけ?w」
「そんなんじゃないしwww
ただ、やっぱり助けてもらったからお礼くらい言っときたいじゃん?」
「あー、それはあるねー」
「あのテスト必修だからさー。やばかったんだよね。
来年後輩と一緒とかまじ勘弁wwww」
「あはははははははは」
(うーん、聞いてると頭がわるくなりそうだ……)
「そういえばあいつ見なくね?佐伯」
「あっ」とか「え?」とか声をあげそうになったが、なんとか飲み込んだ。
「あー、テスト期間の途中から見てないわ」
「どうしたんだろうねー」
「あれじゃね?今頃どっかでヒモしてたりして」
「うひゃひゃひゃひゃwwwありうるwwwwww」
「そういえばあの子が佐伯といるの、見たことあるわ」
「えー?まじで見境ないね、佐伯ー。
あの子処女っぽいじゃん。めんどくさそーw」
後ろの二人の会話に聞き耳を立てているうちに、僕に順番が回ってきた。
(しかし、なんだなぁ。人の話は聞いてみるもんだな)
僕は3人分の冷水を持って、テーブルに戻った。
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「あ、春海おかえりー」
「ただいま――お義姉さん、たぶん掲示板に貼られてた人、
依頼人の関係者ですよ。関係があったんじゃないかと。その、あっちの意味で」
「あら、どこで聞いたの?」
「そこのサーバーに並んでるときに、後ろに並んだギャル二人が噂してました。
依頼人と、その、掲示板の人が一緒にいるのを見たそうです」
「君、やるじゃない。この福神漬けを分けてあげましょう」
「要りませんって」
73
「思い出したわ。さっき私が見つけた、手首切った子。
あの子の携帯の履歴に、その名前が」
「彼女、印象はどんな感じでしたか」
「そうねえ……意識がなかったから話せてないんだけど。
取り立てて特徴もなく……」
「地味、ってことですか」
「そうなるかしらねぇ」
「じゃあさ、友達同士の女の人が二人いて、両方に手出したってこと?」
「ありうる……」
自分で持ち帰った情報に、もっともな仮説がついて辟易する。
「うえぇ」
志乃が情けない声を上げる。僕だってそうしたい。
「さ、行くわよ」
お義姉さんが席を立った。
「どこにですか」
「さっきの子のアパートよ。今なら留守でしょ」
「家捜しじゃないですか!」
「このままだと彼女か依頼人、最悪どちらかが死ぬわよ」
お義姉さんは僕らを省みず、さっさと食堂を出てしまう。
僕は仕方なくついていった。
74
―――――車内―――――
お義姉さんの車は、白い、ころんとした形の軽自動車だった。
「意外と普通の車に乗ってるんですね」
「どこにでもいそうな女って思われた方が都合がいいのよ」
どうやって免許を取ったのかは聞かないでおこう。
あんなものやこんなものを操作したり取引しているんだろう。
お義姉さんは少し車を走らせると、駐車場に停めた。
助手席に座っていた志乃が、後部座席に座る僕の隣に来た。
「すぐ戻るから、あなた達はここで待ってなさい」
「大丈夫なんですか?」
「見つかることはないけど――
なにか、調べた方がいいものはないかしら」
「パソコンの中身とか、あと手紙。携帯は本人と病院に行ってるでしょうから……」
「手帳は?」
志乃がつけたした。
「ああ、それなら予定や簡単な日記になるな。
お義姉さん、特にテスト期間――7月から8月半ばに注意してください」
「おっけー。行ってくるわ。いい子にしてるのよ」
お義姉さんはそう言うと、車から降りて行ってしまった。
75
志乃はそわそわしている。
「どうした」
「べつにー」
いつもなら、二人きりになったところで股間に志乃まっしぐらなのに。
「おとなしいな」
「だって禁止されてますし」
彼女は下を向いて膝をすり合わせるようにもじもじしていた。
「もしかしてトイレ?たしか角にコンビニあったから行ってくれば?」
「ちがうもん」
「そうか」
「そうですとも」
僕は志乃の手を取って、手のひらを上に向けた。
傷は完全にふさがっているが、赤く何本も筋が残っている。
その両脇に、ぷつぷつと糸の跡が小さく残っている。
「よかったな、包帯取れて」
「うん。手が涼しい」
76
(こういう心配ごとがあるときは、志乃から手をつないでくるんだけどな)
「志乃、何か言いにくいことあるだろ」
「ないあるよ」
「どっちだよ」
「ない。ないよ」
あまり追及しないでおく。
「解決するの、怖いか」
志乃が顔を上げた。
「いや、なんとなくだけどね」
「トモちゃん、どうなるんだろう」
「どうなるんだろうな」
「女の人、死のうとしちゃった」
「お義姉さんが助けただろ」
「呪いが終わっても繰り返すのかな」
「そうじゃなきゃいいな」
「……うん」
志乃はうなずくと、小さくため息をついた。
77
しばらくすると、お義姉さんが戻ってきた。
さすがに今日みたいな人通りの多い行事のある大学の近くじゃ、簡単に姿を消したり現したりできないんだろう。
「ただいま。あなた達の言ったとおりだったわ。
移動しながら話すから、シートベルトしてちょうだい」
お義姉さんはまた、行き先も言わずに発車した。
「パソコンにはパスワードがかかってた。
あまり長居はしたくなかったから、中身は見てないわ。そのかわり、これ」
と、デジカメを僕に渡す。
撮影したもののプレビューを確認する。
「手紙、あったんですね」
「これ、来たものじゃないよ。出す前の手紙だ」
よく見ると、宛名が掲示板に貼られていたものと同じだった。
「手帳には、妹の言ったとおり、日記みたいなものが書いてあった」
お義姉さんがかいつまんで説明する。
78
――友人の好きな人を好きになってしまった。
――あの人は私を選んで、抱いてくれた。とても幸せ。
――でもすぐに後悔した。
――相手の男は遊びのつもりだった。私は怒った。
――友人に謝ろうと思った。でも彼女は許してくれない。
――謝りたいけど、連絡がとれない。電話もメールも拒否。
――会いに行ったけど、居留守を使われているようで会ってもらえない。
――手紙を書いてみる。開封してもらえるか保証はない。
――どうか届いてほしい。でも、怖い。
――彼女は学校にも来なくなってしまった。数日後にはあの人も。
――ごめんなさい。
――どうして私だけ。
――ごめんなさい。
――やっぱり、死んじゃったほうがいいのかも。
79
同情すると同時に、「身勝手だ」と思った。
志乃は唇を噛んで、難しそうな顔をしていた。
怒っているのかもしれないし、気の毒に思っているのかもしれなかった。
交差点の赤信号で停まった。
お義姉さんが前を見据えたままで言う。
「右に行けば依頼人の家。
左に行けばもう一人の女の家……どうする?」
「トモちゃんのお兄さんのとこ!」
志乃が弾かれたように即答した。
「お前……」
「もし……もしもの話だけどね。
おねーさんの助けた人が、呪われて自分を切っちゃったなら……
もしそうなら、次はお兄さんが危ない」
――死ねばいいのにって思っちゃった。
嫌悪感丸だしで呟いた、志乃の横顔を思い出す。
――ただ、関わりたくないだけ。
灰で指を汚した、佐伯さんの顔を思い出す。
「お義姉さん、俺もそう思う。依頼人の家に行きましょう」
信号が青になる。
女吸血鬼の駆る、白の軽は右折した。
80
―――――佐伯・兄のアパート―――――
玄関の前で、お義姉さんが番号を控えていた依頼人の携帯に電話する。
部屋の中から着信音が聞こえる。
いやな予感がした。
「佐伯さん!佐伯さん、開けてください!」
自分でも驚くほど大きな声が出ていた。
ドアをたたく。何度もインターホンを押す。
「春海……」
志乃の顔がゆがむ。そんな、手遅れだったみたいな顔はしないでくれ。
「どきなさい、義弟。ちょっと入って、中から開けてくるわ。人が来ないか見ててちょうだい」
お義姉さんは言い終わらないうちにドアをすり抜けてしまった。
内側から、鍵の回る音がする。
僕は乱暴にドアを開けた。
「来ないで!」
踏み入ろうとした瞬間、お義姉さんに制止された。
81
立ちふさがるお義姉さんの向こうに、倒れた依頼人の男の姿があった。
黒い、虫のような、影のような黒いものが男にまとわりつきながら部屋中をうごめいている。
「なんだよ、これ――」
「救急車を呼んでちょうだい。妹を連れて走って!」
僕は志乃の手を掴んで走り出していた。
数十メートル走ったところで、公園に来た。
親子連れが何組かいる。少し安心した。
公衆電話から119番に電話した。
「あの部屋、そんなに危なかったの?」
志乃がへたりこむ。
「わからない。お義姉さんが、お前を連れて逃げろって」
「おねーさん、大丈夫かな」
「大丈夫だよ。お前が会いたいって思えば、来てくれるだろ」
「うん……」
82
志乃とベンチに座り、手を握って無言の時間が過ぎる。
どれくらい経ったかわからないが、救急車のサイレンが聞こえた。
「あの人、助かるかな」
「助かるといいな」
「うん……。私、助けようとしたけど、でもまだわからないよ」
「そりゃ、嫌な奴だからな」
「そろそろ、救急車ついたかな」
「そう遠くないからな」
少し間をおいて、サイレンが戻ってきた。
「ほら、運ばれてるみたいだぞ」
「うん」
今度はお義姉さんのことが気がかりなようだった。
「お義姉さんのこと呼んでみれば」
志乃は目を瞑って、握った手に、祈るように力を込めた。
83
僕がお義姉さんを呼べるわけではないが、一緒にそうした。
「呼んだ?」
目を開けるとお義姉さんが立っていた。
「無事だったんですか?」
「あれくらいならなんともないわ。
ただ、彼――踏み込むのがあと2~3日遅かったら危なかったわね」
「普通の医療で治せるものですか?」
「彼の場合、根本を叩かないとだめね。
入院すれば、持ち直しはしないけど現状維持はできる」
「行くわよ」と、お義姉さんは僕達を立たせた。
「どこへ?」
志乃は聞くが、彼女はたぶん、答えを知っている。
「彼は保護した。標的は手の内にある。次は術者を叩くわ」
お義姉さんは歩きながら、振り向かずに言った。
84
―――――術者の女のアパート・駐車場―――――
車の中で、お義姉さんは僕らに言い聞かせる。
「あなた達は終わるまでここで待ってるのよ」
「もう、俺達がすることはないんですか」
「手伝ってもらうのは術者や動機の特定まで」
お義姉さんはそう言うと、ドアを締めて目的の部屋の前まで歩いていった。
僕と志乃は、身をかがめてその様子を見守る。
「ねえ、私考えたんだけど……」
「なに?」
「この呪いを殺したらどうなるのかな」
「うーん、お義姉さんが言うには、人が死なずに済む……んだよな」
――呪いは最悪、人を殺すわ。
跳ね返されれば、術者が死ぬ。
昔から言うでしょ?人を呪わば、って。
85
「うん。私が気になるのは、その先の話」
「ああ、言ってたな。繰り返すのかって」
「お兄さん、元からあんなだったのかな」
「どうだろうな」
「あの人が今、してることは悪いことだよ。
でさ、今回は助かったとして、また女の人を傷つけて、
相手が悪かったら呪われて――いたちごっこじゃない?」
「うん。俺もそう思う」
「おねーさんはそれでも始末し続けるんだろうけどさ。
根本の解決ってなると、また違うと思うんだ」
「やっぱり志乃はちゃんと考えててえらいな」
志乃は少し舌を出して笑った。
86
「おねーさん、手こずってるみたいだね」
「人通りないんだから、さっきみたいに壁スルーして突入すればいいのにな」
「できないんじゃない?」
お義姉さんの生態はよくわからないが、考えられる。
僕はお義姉さんに電話をした。
すぐ近くにいるのだから、直接声をかければいいように思ったけど、それは怖い気がした。
「――どうしたの?」
「お義姉さん、入れないんですか?」
「うるさいわね。ちょっとドアに触ったらバチバチって跳ね返されるだけよ」
「それ、諦めたほうがよくないですか」
「ねえ、代わって」
志乃が僕の肩をつついて小声で言う。
電話を彼女に持たせた。
87
「おねーさん、志乃です。入れないの?
――うん。……うん。……うーん。
あのね、中の人に開けさせられないかな?
――うん……難しいよね……うん。
とにかく、一度戻ってきてほしいな」
志乃は勝手に通話を終了して、僕に携帯を返した。
お義姉さんはまだ、ドアの前で何か考えている。
しばらくすると、車に戻ってきた。
彼女は運転席に座ると、ハンドルに突っ伏した。
「人間にとってちょっとくらいの不可能なら、私にはないのよ」
(こりゃ負け惜しみだな……)
「ええ、でも、現実に入れなかったじゃないですか」
「あの子、オカルトにでもかぶれてるのかしら。
呪術って見よう見まねでも、うっかり発動しちゃうのよね。結界とか」
「最近は盛り塩セットとかパワーストーンとかスポットとかありますからね」
「けったいなモノ流行らせてくれるわね……」
お義姉さんは憎々しげにドアをにらんだ。
88
「自分から開けさせられないかな?」
志乃が遠慮がちに口を開いた。
「それなら接触できるけど、どうやって開けさせるの?」
「そうっすねぇ……居留守使ってたりするんですよね」
「それにずっと見かけないって。ひきこもり……?」
「なら、なおさら難しいわね」
三人で同時に深く長くため息をついた。
「あなた達を突入させるわけにもいかないし、鍵もかかってるだろうしね……」
僕なら、相手が誰ならドアを開けるだろう。
「宅配はどうですかね。ピザなんて頼んだかな作戦」
「もう、まじめにやって」
志乃が軽く僕を叩く。
「その発想は間違ってないと思うのよ……」
お義姉さんは前髪をかきあげた。
「……エサ」
志乃が低く呟いた。
少し震えている。
自分で言ったことの意味がわかっているのだろう。
89
僕が志乃の言葉を繋ぐ。
「おびきよせることはできませんか。エサを使うんです」
「人間の考えることって、えげつないわね」
(あんたこそ相当ですよ)
「で?エサには何を?」
「依頼人は?」
「昏睡してるわ。もう一人の女の子もだめ」
「おねーさん、変身できない?」
志乃が真顔で言う。
少しおかしかったので、笑いそうになったけど堪えた。
「できないこともないけど、魂の形まではごまかせないのよね……」
「たましい」
僕はなんとなく繰り返していた。
「そうよ。あの部屋はきっと結界になってる。
そうなると、姿形だけじゃごまかせないわ」
90
「魂の形って、そんなにはっきり見分けられるの?」
「目の良さの度合いにもよるけど、赤の他人だってことくらいはわかるわ」
「じゃあ、その形が似てる人っていうのは?」
「家族や、血縁者……肉親でなくても、同じ施設でずっと一緒に育ってきた人物……
抽象的な言葉は苦手だけど、絆っていうの?そういった結びつきのある人ね」
(志乃、お前まさか――)
志乃が口を開く前に、僕が言ったほうがいい。
「依頼人には、妹がいますよね」
志乃がはっとして僕を見る。
「彼女に囮を頼めないでしょうか」
「あなた、自分が何を言ってるか――」
「わかってます。彼女の安全を守るのは前提として、の話です」
91
「春海、だめ。だめだよ」
志乃が僕の袖を掴んで首を振る。
やっぱり、彼女に言わせなくてよかった。
「彼女に危険が及ぶのであれば、却下します」
「……わかった。彼女を呼び出せる?
操ることもできるけど、戦う前に疲れることはしたくないの。
何より、本人の意志を無視するのは気が進まないわ」
「連絡先は知っています。俺よりはお義姉さんが連絡する方がいいでしょう。
お兄さんのかかりつけのカウンセラーだとか言って」
そのために、彼女は肩書きを使っているはずだ。
「そうね。あなた達はただの同級生……。
いいわ。彼女の連絡先を教えてちょうだい」
僕は佐伯さん(妹)の携帯の番号を教えた。
この間、志乃が交換していたのだ。
92
―――――大学の最寄り駅・喫茶店―――――
お義姉さんは佐伯さんに会う約束を取り付けると、また移動してここまで来た。
ここで佐伯さんと合流するらしい。
「彼女、怪しんでたわ。了解してくれたけど」
「やっぱり、そうですよね」
「どうする?ここで待っててもいいけど」
「いえ、ついていきます。言い出したのは俺だし――
巻き込んだ責任を感じるっていうか……」
「そう。任せるわ。好きにしなさい。
――そろそろ来るわね。ついてくるなら先に車乗ってて」
と、お義姉さんは僕にキーを持たせた。
「志乃はどうする?」
「私も行く」
志乃は席を立った。
93
―――――車内―――――
僕は助手席に、志乃は運転席の後ろに座った。
「ほんとのこと話したら、トモちゃん怒るよね……」
「だろうなー。俺から話そうか?」
「ううん。私が話すよ。春海、さっき私の代わりに言ってくれたんでしょ」
(さすがに察したか)
「あまり気にするなよ。
俺だって同じこと考えたんだ――ほら、来たぞ」
お義姉さんが佐伯さんを連れて近づいてくる。
佐伯さんが助手席の僕に気づいたらしく、一瞬険しい顔をした。
お義姉さんが乗り込んだ後、後部座席のドアが開く。
「あんた達――」
「ごめん、トモちゃん」
志乃が言い終わらないうちに、佐伯さんは志乃の頬を打っていた。
94
「……ごめん」
志乃は頬をさすることもせず、下を向いて詫びた。
僕は何も言えなかった。
「言い訳は後で聞かせて」
佐伯さんはそれだけ言うと、黙りこんでしまった。
(うーん、予想はしてたけど気まずい……)
この場合、それぞれに事情があってこうなったわけで、佐伯さんの怒りもごもっともなのだ。
(でもいきなり平手はないよなぁ。きれいに振り抜いてたし)
(しかしお義姉さんは、どうやって佐伯さんを女のアパートに同行する気にさせたんだ)
(そこに転がり込んでる可能性があるから、とかそんな感じかな)
今は下手に考えを巡らせても、何にもならないように思えた。
ここからはお義姉さんの本職の領域だ。
95
―――――術者の女のアパート・再び―――――
「さ、降りるわよ。妹さんも」
「はい」
佐伯さんは淡々としていた。
さっさと車を降りて、どの部屋に愚兄がいるのかと建物を睨んでいる。
「ほら、あなたも」
「俺もですか?」
「そうよ。術者がドアを開けたら、彼女には失神してもらう。
倒れたときに頭でも打っちゃまずいでしょ」
「私は?」
「妹はそこにいなさい」
志乃は、やっぱり叩かれたことがショックみたいで、力なくうなずいた。
96
玄関前で、お義姉さんは佐伯さんに適当な説明をする。
「前、訪ねてみたんだけど、私じゃだめだったわ。
ちょっと呼びかけてみてもらえないかしら。
ここに住んでる彼女に話が聞きたいの。
だからお兄さんじゃなくて、彼女を呼んでみて」
佐伯さんは訝しげにしていた。
わざわざそんな注意を丁寧にされちゃ、かえって怪しい。
「……わかりました」
佐伯さんは、部屋に向かって女の名前を呼んだ。
何度か呼びかけたところで、中で人の動く気配がした。
「春海君、来るわ」
ドアが重たげに開く。
同時に、佐伯さんは卒倒していた。
97
慌てて佐伯さんを支える。
玄関には、依頼人の部屋で見た影のようなぼんやりとした輪郭の、黒い虫のような粘菌のような固まりがいた。
(これが呪いの元……?)
「義弟よ、今から口を開くんじゃないわよ」
お義姉さんが僕に命じる。
ついでに、佐伯さんの口を手で塞いだ。
「あら、女だろうが男だろうが、誰だって嫉妬は醜いわよ」
お義姉さんは黒い固まりに語りかける。
固まりはうごめきながら、お義姉さんに影を伸ばす。
「あんたはお呼びじゃないわ!」
彼女が手で払うと、影の先端は霧のように薄くなって消えた。
(お義姉さんつええ……)
お義姉さんはさらに言葉を続ける。
98
「あなた、男を見る目がなかったのよ。
今なら立ち直れるわ。友達ともやり直せる」
呪いはまた、彼女に伸びていく。
彼女はまた、それを払う。
「そんなものと同化したって、あなた幸せになれないわ」
「何もかももう遅いの!みんな死ねばいいのよ!」
中から、そう聞こえた。
術者と言われる、女の声だった。
「馬っ鹿ねぇ。その程度で人生詰んだなんてめそめそするんじゃないわよ!」
「うるさい!なによあんた!あんたも殺してやる!」
「聞いたわね?」
お義姉さんは、これを待っていたとばかりに、にやりと笑った。
99
呪いが、初めて僕らの方へ進んでくる。
ゆっくりとしていたが、足がすくんで佐伯さんを連れて逃げるなんてことはできそうになかった。
「義弟よ、逃げる必要はないわ」
お義姉さんは自分の口に、手を突っ込んだ。
(何をする気だよ、この人は――)
手とともに、何か柄のようなものがずるずると抜かれる。
(これは……剣だ……)
お義姉さんの口から、剣が抜かれていく。
その長さは、どう見ても彼女の胴体に収まるようなものではなかった。
お義姉さんは剣を携え、構えるでもなくだらりと立つ。
「ほら、来なさいよ。私を殺すんでしょう?」
空いた手をくいくいと動かして挑発する。
「お、おまえ……おまえは――ッ!」
呪いが女の人から、完全に分離した。
「地獄の門番が、門前払いに来てあげたのよ」
彼女はそう言うと、固まりを頭から縦に両断した。
100
お義姉さんは剣を飲み込んで、
「さ、帰るわよ」
と、何事もなかったように言った。
「……」
「もう口を開いてもいいわ」
「……彼女は放っておいていいんですか」
「大丈夫。運ばれた二人も、じき良くなるわ」
お義姉さんは佐伯さんを担ぐと、アパートの扉を閉めて車に歩きだした。
僕は慌ててついていった。
101
車の傍まで戻ると、志乃が車から降りて僕に飛びついてきた。
何も言えないらしく、やっと「うー」とか「んー」と言った非言語な声を出しながら額を擦りつけてくる。
「ハハハ、こやつめ」
「もう、ふざけないで」
お義姉さんが呆れながら、僕らを車に押し込む。
「この子には感謝してるけど、置いて帰りたいわね」
と、ぼやきながら佐伯さんをぞんざいに後部座席に積み込んだ。
「お義姉さん、それ笑えないですよ」
「なんでよ。この子、妹を叩いたのよ」
「そりゃ騙してたんだから、怒るのも無理ないですよ。
俺が後ろに座ってたら、叩かれてたのは俺だったと思いますよ」
「そのおかげで命拾いしたのに?
呪いが兄を食ってたら、次に危ないのはこの子だったのよ」
「たとえそうとわかっていても、割り切れないんですよ」
お義姉さんは納得いかない、といった風に鼻から息を出すと、運転席に乗り込んだ。
102
「今度はどこ行くの?」
「彼のアパートに戻るわ」
「病院はいいんですか?」
「親族でもないのに、いち早く駆けつけちゃおかしいでしょ」
「それは、そうですけど」
確かに、真っ先に連絡が入るのは実家だろう。
今頃、ご両親に知らせがいっているのだろうか。
走り始めてすぐに、佐伯さんは目を覚ました。
「あら、起きたみたいね。トリガーハッピー」
(随分な言いようだな……)
「移動……ですね。どこへ?」
今の佐伯さんは仏頂面で、何を考えてるかわからない。
「あそこにお兄さんはいなかったわ。
もう一度自宅を訪ねてみるの」
佐伯さんは、うんざりする、といった感じのあてつけがましいため息をついた。
103
「あの、トモちゃん――」
志乃がおずおずと口を開く。
「なによ」
志乃のおどおどした態度が気に入らないのか、佐伯さんの不機嫌に拍車がかかっているようだ。
「ごめん、騙してた」
「そんなの、あんた達がこの車に乗ってるの見た瞬間に察しがついたよ」
(ああ、志乃に手を上げたときが、怒りの頂点だったか)
「私をつけてたのは、きっとその人ね」
と、お義姉さんを指す。
「確信は持てなかったけど、鏡やショーウインドーに、この人は常に映ってた。
でもまさか、女が女をつけるなんて思わないでしょ」
(確かに)
「だけど私の場合は別よ。
はじめは、また兄貴のとばっちりだと思った。
でも、ずっと手を出してくる気配がなかったから、どう出ていいかわからなかった」
「そこに私が」
「そう」
104
「そのときは単純に、助かったと思った。
だけど今は――私、はめられたんだね」
「ばかみたい」と彼女は吐き捨てた。
その瞬間、乾いた高い音が響いた。
思わず振り向く。
「あんた――」
佐伯さんが頬を押さえている。
志乃は半分泣き出していた。
「……悪いって思ってた……思ってたよ……。
でもああするしかなかったんだよ。
危ないんだよぅ……ほんとに死んじゃうんだよ……」
ちゃんとした説明なんてしたら、今度は頭がおかしいと思われるのがオチだ。
(お兄さんを呪いから救うためにがんばってました、なんて言えるわけないよなぁ)
志乃は言葉に詰まって嗚咽していた。
佐伯さんも、頭で処理しきれないのか、叩かれて混乱したせいか、静かに泣いていた。
僕だってきっと何も言えなくなるに違いない。
105
「何よ、湿っぽいわね。喧嘩してくれてた方がましだわ」
お義姉さんが隣で困っている。
(でも喧嘩したら、うるさいって怒るんだろうな……)
僕は勝手に想像して、勝手に理不尽だと思った。
「いいんですよ、あれで」
うーん、平手で語り合う女か。こわい。
だけど僕は、ルームミラーごしに二人を眺めながらどこか安心していた。
この方が恨みつらみは残らないと思う。というのは僕の思いこみか。
でも、その読みは合っていてほしい。
106
―――――佐伯(兄)のアパート・再び―――――
「あなた達も降りなさい」
お義姉さんは一言だけ言って車を降りると、部屋の前まで行き、そのまま勝手に入ってしまった。
物は少ないのに、荒れていると感じさせる部屋だった。
「いないじゃない――」
「お兄さんは――」お義姉さんが佐伯さんに語りかける。
「お兄さんは、精神的に危ない状態だったの。
あなたは怒りっぽい割に賢そうだから察しがつくと思うけど、女の人にずっとつけ狙われてたのよ」
「当然の報いじゃないですか」
佐伯さんは吐き捨てた。
「まあ、そう言わないでおいてあげなさい。
彼、私のところに相談に来たときには、かなり消耗してた。
精神的疲労からくる不眠――それに起因する過労、食欲不振、栄養失調――
私は通院を勧めたんだけど、どうしてもそういった科にかかることに抵抗があったみたいね。
家族に心配かけたくないって言い張ってたわ」
「あいつが、家に気を遣うなんてありえない」
佐伯さんは一歩下がった。
肘がぶつかり、棚を揺らした。
棚に置いてあった灰皿が落ちて、そのままになっていた灰がフローリングの床に撒かれた。
107
彼女が動揺しているのは明らかだった。
視線がせわしなく揺れている。
「この子達は、私が助手として雇ってるの。
彼からは話を聞くけど、誰だって自分に都合の悪いことは話したがらないわ。
だから、情報を補完する必要があった。
それでこの子達に、あなたに接触してもらったのよ。
あなたには悪いと思うけど――あまりこの子達を責めないであげて」
「そんな――うそだ。あいつはクズだ!」
佐伯さんが叫ぶ。響きは悲鳴に似ていた。
「そうよ。彼のしてきたことは外道そのもの。
私だって聞いてて虫酸が走ったし、いつ刺されたっておかしくなかったわ」
お義姉さんは、テレビ台の上で倒れていた、フォトフレームを起こした。
僕と同じ年頃の依頼人と、10歳かそこらの佐伯さんが、カメラに向かって笑っている写真だった。
108
「なんで、こんなもの……」
佐伯さんが怯えた目で、写真を見つめながら首を振る。
「この頃の思い出があるから、あなたは直接彼に怒りをぶつけられなかった」
攻撃性がないわけでもなく、陰湿そうでもない、そんな彼女の報復する手段は、あまりにくだらなかった。
「お兄さん、目的と手段が逆転してしまったのね」
「う――くぅっ……」
落ちた、と思った。
109
佐伯さんはぼんやりと、ランドセルを背負ったフレームの中の自分を見つめている。
「この頃は、まだよかったな……」
懐かしんでいるのか悔いているのか、僕にはわからない。
お義姉さんが佐伯さんに歩み寄り、僕らに見せた写真を渡す。
「勝手に拝借してたの。返すわ」
佐伯さんはそれを、力の抜けた手で受け取った。
「ああ、これ……人生で一番嫌だった時期の私だ」
思春期が「人生」なんて言葉を使うのは、大仰に思えたけど、これまでが短かろうと人生は人生だった。
「まあ、適当に察して。難しい時期で、中学にあがって他の小学校から来た子達と初めて一緒になって――
社交辞令にどう返していいかわからず、合わせることもできず、それでいて半分、周りを馬鹿にしてた。
そんな群からはぐれた人間を未熟な社会がどうするか、想像つくでしょ」
110
彼女は片方の唇の端を歪めて笑った。
始めにお義姉さんに見せられた兄の写真と、よく似ていた。
彼女は美人なのに、それはそれは嫌な笑顔だった。
「佐伯さん、はじめは男子に人気あったんじゃない?」
たぶんそうだろう。
そうだからこそ、反感を買う。
彼女は立っていることに疲れたのか、壁に寄りかかると、そのままへたり込むように床に座った。
「それも、はじめだけ。結局同じクラスで私を助けようとする男はいなかった」
くだらないと思った。
これだけが原因ではないだろうが、火に油を注ぐことになったのは違いない。
「お兄さんは自分が容姿に恵まれてることを自覚してたわね」
「むかつくけど、そうですね」
その上、皮肉なことに彼女と兄はよく似ていた。
112
「兄は身なりや話題とか、振る舞いに気をつかうようになって――
登下校のときや、行事なんか――よくついててくれるようになりました。
すぐに女子が目の色変えてすり寄ってきたの、ほんとばかみたいだったな……」
(女をたぶらかすのが、妹を守る手段だったわけだ)
(まさに、ただしイケメンに限る防衛手段……)
(うん、やっぱりむかつく)
「胸くそ悪かったけど、表面的には平和になった。
しばらくは兄もまともで、その頃はまだ、仲良かったし、今じゃ考えられないけど自慢のお兄ちゃんだった」
彼女は床を見つめながら述懐する。
113
「いつからかお兄さんの中には、女性嫌悪が芽生えた。
妹を苦しめておいて、自分が出てきた途端尻尾を振ってくる愚かしさに。
さんざんひどい扱いをしておいて、妹をつてにして自分と繋がりを持とうとしてきた浅ましさに」
「それは図々しい」
思わず声にしてしまっていた。
だけど、お義姉さんは僕をたしなめたりしなかった。
「そこに集約されてるかもしれないわね。
はじめは、敵がはっきりしていたからよかった。
自分は妹を守る。妹に類が及ばなければ御の字。
だから、妹が攻撃されてる間、彼は揺らいだりしなかった。
皮肉だけど、そのころの方が気持ちは安定してたはずよ」
「兄は、女が憎くなったところで、憎むべき敵を見失ったんですね」
114
「もちろん、彼も全くの馬鹿じゃなかった。
理性ではふつうの女も、いい女もいるって理解してた。
だけど、どうしても自分によってくる女性が嫌なものに見えて仕方なかったんでしょうね。
あいつらが勝手に寄ってくるって話してたわ。もちろんそれは嘘。
彼は知らず知らずのうちに思わせぶりな態度をとって、ときにはわざと気を持たせてはこっぴどく振っていた」
(うーん、俺が事情を聞いてたら殴ってそうだ)
志乃は同情すべきか怒るべきか迷っているようで、何か噛みつぶすような顔をしていた。
佐伯さんの表情筋はゆるみきっている。
「さっきも言ったけど、彼の中では手段と目的が逆転していた」
「佐伯さんを守るために、女をたぶらかす、だったのが――
女をたぶらかさなければ、敵がいなければ、戦っていなければ安心できない。そういうことですか」
「そうよ、春海君」
115
「彼は私のところに来て、こう訴えた」
――妹も女だ。母も女だ。家族まで憎くなってしまう。
俺、何なんだ。何のためにこうなったんだ!
あの写真に映った、にやけた顔を思い出す。
あの男が半狂乱で助けを求めているのを想像するのは難しかった。
それが呪いのせいか、徐々に狂っていった自分のせいかわからないが、恐ろしい感覚だろうと思う。
「私から説明できるのはここまで。
あとは兄妹、話し合うなり拳で語り合うなりして解決してちょうだい」
116
お義姉さんは、本当にすべてを話してしまったようで、沈黙した。
僕も志乃も、何も言えそうになかった。
佐伯さんも、凝り固まったわだかまりに楔を打ち込まれ、どうしたものか戸惑っているようだ。
(現状が嫌でも、それを打破するのってエネルギー要るんだよな)
だけど、この先どうするかは彼女が決めなければならない。
依頼人も、してきたことを覚えてる人はいるし、恨みに思う人もいる。そこから進まなければならない。
(これはこれで、残酷かもしれないな)
僕はそんな風に、ひねくれたことを考えていた。
部屋のどこかで、携帯が鳴った。
117
志乃がきょろきょろする。僕と目があったので、首を横に振って「俺じゃないよ」と伝える。
「――ああ、私のだ。ごめん、親から」
佐伯さんが我に戻って、電話にでる。
「――あ、お母さん。仕事は?
――入院?兄貴が?――で、大丈夫なの?
――うん、うん。……わかった。そうする」
佐伯さんは電話を切って、髪をぐしゃぐしゃにかきむしった。
「お兄さん、入院したのね?」
お義姉さんが気遣うそぶりを見せる。
(自分で通報しろって言ったくせに……。女優だな)
佐伯さんは鞄をひっつかんで立ち上がった。
「あの、すみません。お願いなんですけど――」
「言ってみなさい」
「私を、兄のいる病院まで送ってほしいんです」
唇をきゅっと結んでいる。彼女の目に、力が戻っていた。
118
―――――帰路・佐伯朋美と別れた後―――――
日が暮れようとしている。
今日は出来事を詰め込めるだけ詰め込んで、その上でさらに乗せてきたような一日だった。
つまり、僕は疲れていた。
お義姉さんの車の後部座席で、志乃は僕の肩に頭を乗せている。
「寝てていいよ」
「眠くない」
お義姉さんとルームミラー越しに目が合った。
「私のことなら気にしなくていいわ。妹がお腹すかせてるなら飲ませてあげて」
「ちがいます!」
こういうくだらないことで、少しずつ日常が戻ってきていると思う。
「トモちゃん、どうなるのかな。お兄さんも、女の人たちも」
簡単に「大丈夫だろ」とは言えない気がした。
「妹、私たちの仕事は終わったの。ここからは彼らの責任よ」
「わかってるけど、気がかりで――」
「みんな、これからじゃない。
ちょっと道を外れたからって自棄になられちゃたまったもんじゃないわ」
「なにもかもが不確定ですか」
良くも悪くも、お先真っ暗。
視界は自分で拓けということか。
「あら、わかってるじゃない、義弟。
あなたたちは、彼らがやり直すチャンスを掴んだことを祝福すればいいの。
こっちが心配したって、破滅するのも成功するのも彼らの勝手よ」
言い方は冷たいが、僕には優しい言葉として受け入れることができた。
119
「事務所に帰ったら祝杯にしましょう。
……あ、祝杯っていっても、酒はだめよ。未成年ズ」
お義姉さんは上機嫌でハンドルを切る。
「すすめられても飲みませんって」
「あたしお寿司がいい」
「おまえなー」
「いいわよ、一番いいやつ頼んじゃう」
「だっておめでたいじゃん。ことぶきだよ。お寿司」
「あー、もー、わかったよ」
志乃に屈託のない笑顔が戻った。
こんな事件は、お義姉さんの下で働く限り続くんだろう。
僕はお義姉さんのように強くはなれない。
志乃のように爆発的な力を出すこともできない。
(となると、やっぱり勉強かな……)
僕は僕なりに、強くなろうと思った。
女「解禁したったwwwww」おわり
続き
男「解禁したったwwwww」