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メイド「お帰りくださいませー♪」【前編】
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夢の中 十七年前
女(ふらり……ゆらりと……水月のように)
姉「ねえ女! 女は、何になりたいの?」
女「え? そ、そんなの、わからないよ……」
女(十歳のころの、わたし……)
姉「一個くらいなにかあるでしょ?」
女「んー……ホントに、わかんない」
姉「そっか……」
女「ごめんね。おねえちゃんは? なにになりたいの?」
姉「私? 私はね! 笑顔を作るお仕事!」
女「えがお?」
姉「うん。えがお。大事だよ?
笑顔になると、幸せなの。幸せなら、笑顔になれるの。
そうしたら、いっぱいいっぱい、幸せだよね!」
女「しあわせかぁ……いいね!」
姉「だからまず、女から笑顔にしてあげる!」
女「あたしから?」
姉「うん。女の笑顔は、とってもステキだから。
女を笑顔にするだけで、みんなも笑顔になれるからね!」
女「そうかなー?」
姉「そうなの!」
姉「そのために、じゃじゃーん! こっちこっち、みてー!」
女「こむぎこと、たまごと、ばたーと、ここあと、さらだあぶらと、
べーきんぐぱうだーと、さとうと、いきくりーむ?」
姉「生きてたら、怖いわね……。なまクリームよ!」
女「なまくりーむね!」
姉「じゃーん。取り出したのは、タッパーです。
ごはん入れるやつね。チンできるやつ!」
女「でも、からっぽだよ?」
姉「これから作って入れるの。
小麦粉を大さじ1、ココアを大さじ2、
ベーキングパウダーを小さじの半分、砂糖を大さじ1いれまーす」
女「いれまーす」
姉「そしたら……振る!」 だばだば
女「ふるー!」じたばた
姉「……なんでじたばたしてるの?」
女「ぜはっ、ぜはっ……な、なんとなく……」
姉「つっこんだらまけ、ってヤツね。
そしたら、サラダ油を合計大さじ1、ちょーっとずつ入れて、まぜる」
女「うわぁ、ぐちゃぐちゃ……」
姉「うん。ちょっと気持ち悪いね」
女「……たべられるの?」
姉「たぶん。大丈夫。
それで、サラダ油がなじんだら、卵を入れて、ダマにならないように、まぜる」
女「うう、ねちゃねちゃしてる。きもちわるいー」
姉「大丈夫だったらー。
それでね、ふたをしてー、二分から、三分くらいチンします」
女「あ、それあたしやるー」
姉「いいよ。じゃ、ここを押してね」
女「うん!」 pi pi pipi
チーン
姉「えへへー。できましたー☆」ぱかっ
女「え、え、もう? あ、すごーい!」
姉「ふふーん。
そして、つまようじを刺して、生地が付いてこないのを確かめたら、
フタをして、逆さまのままで冷めるまで待つの」
女「おいしそうなのに、たべないの?」
姉「その間に、生クリームをつくるのよ!
砂糖と生クリームをいれたボウルを、氷水にひたしながら、
空気を含ませるように、かしゃかしゃー」
女「あ、あ、わたしもやるー」
姉「うん、じゃ、疲れたら交代してね」
女「つかれるくらい?! が、がんばるよ」
かしゃかしゃかしゃ
女「つかれたー」
姉「はい、交代ね」
かしゃかしゃかしゃ
かしゃかしゃかしゃ
女「おねえちゃん、つかれないの?」
姉「疲れるよー」 かしゃかしゃ
女「こうたい、しないの?」
姉「うん。笑顔のためなら、がんばれるからね」 かしゃかしゃ
女「そうなの?」
姉「そうなのさ、ワトソンくん」 かしゃかしゃ
女「わたし、わとそんじゃないよ?」
姉「……つっこんだら、負け、ね。
はい、できましたー。
ちょっとゆるいけど、いいよね」
女「おおー、なまくりーむだ!」
女 ぺろっ
姉「あ、ちょっと」
女「あまーい。えへへ」
姉「もう。さっきのケーキを、お皿に乗せて。
その上から、この生クリームをたっぷり!」
女「おおー! すごいね、ごうか!」
姉「うん。いいかんじ。それじゃ、食べよっか」
女「はい。いただきまーす」
姉「いただきまーす」
女「わわ、おいしいよ、すっごくおいしい!」
姉「おー、ちゃんとケーキだ」
女「えへへ、おいしいなー♪」
姉「……」
女「おねえちゃん、どうしたの?」
姉「ん? ふふ、女の笑顔をみてたの」
女「みてたの?」
姉「うん。私、女の笑顔が好きよ」
女「えへへー」
姉「うん。いいな。ケーキって。
笑顔、作れるね!」
女「おねえちゃん、けーきつくるひとになるんだね」
姉「うん。そうきめた。いまきめた!」
女「それなら、あたしいっぱいたべられるね」
姉「うん。いっぱい作ってあげる!
いっぱい、いっぱい。ずーっとね!」
女「やったー!」
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夢の中 十一年前
姉「ねえねえ、女! やったよ、コンクールで入賞した!」
女「……そっか。おめでと、お姉ちゃん」
姉「……嬉しく、ない?」
女「そんなことないよ! ほんと。
史上最年少だっけ、そのコンクールの入賞。
お姉ちゃんはホントにすごい!
私は知ってるよ。お姉ちゃん、毎日がんばってたの」
姉「……えへへ」
女「それじゃ、お父さんとお母さんに報告してきなよ。
一番に来てくれたんでしょ?」
姉「うん。行って来るよ」たたっ
両親(むこう)「おー、すごいな、姉は!
さっすが、俺達の子だよ。すごい才能だ)
女(ああ、ほめられてる。
うん。そうだよね、ほめられるよね)
女(私とは違って、すごく出来るお姉ちゃん。
私とは違って、運動でも優秀。勉強も模試でトップ。
お菓子を作らせても、日本で有数……)
女(双子、なのにな)
女(私は、なんなんだろ)
女(学校のみんなが言うみたいに『しぼりかす』なのかな)
女(居場所。どこにもない)
女(いなくなっても、だれも、気付かなかったりして)
女(気付かれないなら、まだいいかも。すっきりしたって、言われたら)
女 ぶるり
女(おめでとう、お姉ちゃん。だけど、だけど……)
女(わたし、もう、だめだよ)
ぱたん
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夢の中 九年前
姉「女、いる? いる、よね? 起きてる?」
女「……」
姉「あのさ、聞いてなくても、いいけど。
その、大事なことだから、聞いて欲しいんだ」
女「……」
姉「その、勝手に話すね」
女「……」
姉「そのね、これから、しばらく会えなくなるの。
私、専門学校中退して、フランスに行くことにした」
女「……!」
姉「世界でいちばん新しいお菓子が生まれる場所。
世界でいちばん古い、愛されるお菓子が集まる場所。
パリに、いくんだ」
女「……」
姉「学校の先生が、キミに教えられる事はないから、
むしろ実践して、その腕に見合った評価をもぎ取って来いって」
女「……」
姉「それで、悩んだけど、行くことにしたの」
女「……」
姉「それでね、向こうにいったら、簡単には帰れないし、
だからその、もう一回、顔をみせて欲しいの。
二年前から、見てないから」
女「……」
姉「フランスにいくのは、一週間後だから。
一度でもいいの。
顔をみせて。声を聞かせてよ」
女「……」
姉「待ってるから。
おねがい」
女「……」
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夢の中 五年前
姉「えっと、その、ただいま、女」
女「……」
姉「私、帰ってきたよ。
フランスで、ちゃんと評価をもぎ取ってきた!」
女「…………」
姉「フランス語も、すっごく話せるようになったよ」
女「……」
姉「洋菓子の世界的な大会でね、
私のお菓子が、みんなに喜ばれたの」
女「……」
姉「世界で一番美味しいって」
女「……」
姉「それって、世界で一番、笑顔を作れるってことだよね」
女「……」
姉「あのね、これから私、
いろんな場所でお菓子を作ろうと思うの。
一年か、二年くらい。
日本中を回って、そしたら、日本を飛び出して世界中で」
女「……」
姉「一人ぼっちになっちゃった子供とか、
お年寄りとか、病気の人とか。
そういった人のところを、車とかでずばー! っと回って。
みんなに、笑顔を届けたいなって」
女「……」
姉「簡単じゃないけどね。
知り合いの人に話したら、出資してくれるって言われて。
キャンピングカー、もらっちゃった。
だからコレで、どんな場所でも私のキッチン!」
女「……」
姉「……」
姉「……わたしね」
姉「それでも、一番見たい笑顔を、また見られないのかな?」
女「……」
姉「がんばったよ。わたし。
世界で一番、取ったんだよ」
女「……」
姉「だから、女……
この扉、開けてよ。
もう、六年も、顔、みてない……
声も聞いてない……」
女「……」
姉「……さみしいよぉ」ぐすっ
女「……」
姉 ぐすっ、ぐすっ
女「……おめでと」ぼそっ
姉「……い、いま」
女「……おめでと」
姉「っ、っ……」ぐすっ
女「……がんばって」
姉「うん、うん」
女「……」
姉「がんばる。がんばって、みんなに、笑顔を届けてくるよ」
女「……お姉ちゃんなら、できるよ」
姉「うん。女が応援してくれるなら、できる!」
女「……」
姉「よーし、なんか、すっごく元気が出た!
おかあさーん、キッチン貸して!!
ケーキ作るよ! なんでもない日万歳するんだ!」
だだーっ!
女「……おめでとう」
女「……」
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夢の中 四年前
女(雨が降る。ざあざあ、ざあざあと)
女(この窓以外の外を、もうどれだけ見てないんだろう)
女(父さんと母さんが寝静まってから、冷蔵庫からご飯をあさって)
女(犬みたいな生活。もう、何年……)
女(外につながるのは、このケータイ)
女(お姉ちゃんが扉の前に置いて言ってくれたコレだけが、
わたしと外をつなぐ)
女(たまに、少しだけ話す)
女(お姉ちゃんとの電話の時だけ、私は言葉を使う)
女(私は人間なのか、犬なのか。
それとも、置物なのか。
シュレディンガーの猫のように、
生きているのと死んでいるのが半分こ)
女(ただ、お姉ちゃんと話すときだけ、生き返る)
女(面白いこと、くだらないこと。
殆ど黙って聞いている私に、お姉ちゃんはいっぱい話を聞かせてくれる)
女(このままじゃいけないって、わかってる。
でも、まだ、外は怖い)
pipipi pipipi
女「お姉ちゃん?」
女(いつもかけてくれる時間より、早い)
女「――はい」
?「あ、もしもし、この電話の持ち主の方の、お知り合いでしょうか?」
女(知らない人。
もしかして、お姉ちゃん携帯電話落としたとか?)
女「はい。私、妹です」
?「あ、よかった。肉親の方ですか。
実は、このケータイの持ち主の方が、事故に巻き込まれまして」
女「事故――っ」
婦警「申し送れました、私、千葉県警の婦警と申します。
それで、その、大変お伝えしにくいことなのですが……」
女「姉は、姉は無事なんですよね?!」
婦警「お姉さまは、湖の近くで車に衝突され、
見ていた人の話では、衣服の一部が車に引っかかったまま……
捜索は始めていますが、我々が到着するまでに一時間近く経っており」
婦警「あの、もしもし」
婦警「あのー」
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夢の中 三年前
女(ああ、また、騒いでる。
姉が死んでから、両親は喧嘩ばかり。
そして、聞こえてくる悲鳴)
女(『なんで死んだのが姉なのよ!』)
女(うん、そうだよね。わかってる)
女(私より、姉、だよね。生きていて欲しいの)
女「……なんか、逆に軽くなったかも」
女「そっか。私がいなくなって、すっきりされたら嫌だって思ってたけど。
そんな現実が実際に来たら、もうそれ以上、怖いことなんて無いよね」
がちゃ
女(体、重いなー)
とことこ
とことこ
がちゃ
女(久しぶりの、そと)
女(私も、行くよ。お姉ちゃん)
女(近くに確か、川とか有ったよね)
女(すごく久しぶりの太陽の光。痛いくらい)
とことこ
とことこ
?「あ、姉さん?! 姉さんじゃないですか?!」
女「え?」
?「うわ、どうしたんですかソンナ格好。
事故に巻き込まれて療養って、本当だったんですね」
女「……あの」
?「あ、申し訳ありません。
ずいぶんと御無沙汰してしまい、分からないですよね。
以前アナタを取材させていただいた、あの! わかりませんかね?
私、談合社で料理の本を特に担当して編集している、
担当と申します。改めて、以後よろしく、お願いします」にこっ
女「……その、私は」
担当「いくら歩けるようになったからと言って、
その様な格好では風邪を引いてしまいますよ。
実はアナタに、当社で本を書いて欲しくて、お願いに来たんですよ。
もしよければ、暖かい場所で話しませんか?」
女「私は……私は……」
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現在 薄暗い部屋の中
女 がばっ
女「ぜ、はぁ、は、ぁ……はぁ、はぁ」
女「はぁ、はぁ……」
女「……」
女「夢、よね」
女(そうして私は『私』になった)
女(いくつものコンクールで伝説的な入賞。
とりわけ良いわけではなくても、高い身長で見栄えするらしい背格好。
そして優しい笑顔)
女(あの担当さんに、
『そんなに似ているなら、バレませんよ』と、言われて)
女(一週間、お風呂に入らないのが普通だった私が、
いまでは月に一度は美容院に通って髪の手入れをしたり。
服なんてパジャマしかなかったのに、
時にはファッション雑誌に呼ばれたり……最近は断るけど)
女(学校のみんなが言うみたいに『しぼりかす』なのかな)
女(『なんで死んだのが姉なのよ!』)
女(いらない人間だった私が、
姉の死をきっかけに、世間に知られて、騒がれて)
女(仕事がある。お金をもらえる。
それは、自分の価値を認めて貰うこと)
女(それが嬉しくて、嬉しくて。
私は結局今も、『姉』であり『私』だ)
女(あの時に死んだのは、『女』だった少女)
女(双子だし、性格もよく知ってる。
今まで何があったかも、いっぱいいっぱい聞いてきた)
女(推理小説じゃ御法度の、双子の入れ替わり……)
女(そして今、私はその代償を背負っている。
本を書くという事は、知識を伝えるということ。
姉のような天才でもなく、
一般常識さえ欠ける引きこもりだった私は、
本を書くときに、他の人の何倍も努力をしないといけない。
そして出来たものをみて、自分の無力さを、かみ締める)
女(私が出来るのは、ただ食べることだけ。
姉の『名前』に泥を塗らないように、
それを自分の皮としてかぶってしまった醜い自分を後悔しながら、
ただひたすら隠しながら、ケーキを、食べる毎日)
女(家に帰ると、気持ち悪さに吐き出す事もある。
けれど、食べなければ、私には何もわからない分からない。
姉の名前を名乗るようになってから、
私はそれこそ山になるほど調理の本を読み、
近所のスーパーでまとめ買いの人として覚えられるほど材料を買って練習してきた。
けれど、姉のようなケーキは、私にはつくれないから。
ただひたすら、終わることもないこのレールの燃料として、
誰かがつくったお菓子と、向き合い続ける毎日)
女(疲れたと。
そう相談した担当が連れてきたのは、
何を笑えばいいのか……にせものの私の、にせもの)
女(ゴーストライター(存在しない物書き)の男……)
女(でも、男はこの名前と、真剣に向き合う気が有る事を、見せてくれた。
だから私はきっと、もう泣きながらケーキを食べなくていいんだろう。
男に任せて、今度は『小説家』としてのレールを走る)
女(きっと、それで、いい)
女(必要とされない女はいなくなって、私は――)
女(なに?)
女「……う、」
女「……く、……うぅ……っく」
女「ぐすっ……ぅう」
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三十日目・朝 女の自室
pipi pipi pipi
女「んー。」
pipi pipi pipi
女「んんー」ぺしぺし、どすっ
……
女「んー。」
女 すぅ、すぅ
ちゅんちゅん
ぶろろろろろ
prrr prrrr
女「んー……電話?」
女「……男」
女「だれだっけ」
女「…………あいつか」
女「そういえば、今日……やばっ!」
女「はい、もしもし!」
男<あ、どうも、おはようございます>
女「おはよ。それで、どうしたの? まだ時間じゃないわよね」
男<えーっと、その。実はちょっと出掛けに問題があって。
到着が少し遅れてしまうんです。すみません>
女「どれくらい?」
男<乗り換えがあるんで、三十分見てもらえると……>
女「分かった。それじゃ、
私は適当に時間つぶして待ち合わせ場所に戻るから、
改めて三十分後に約束の場所で」
男<すみません、こっちから頼んだ話なのに>
女「……そうね。お昼くらいおごって貰おうかな」
男<ううう、わかりました。それで>
女「よし。それじゃ、待ってるわ」
男<はい。急いで向かいます>
女「事故に気をつけて、ゆっくりでいいわ」
男<はい。では後ほど。失礼します>
つーつーつー
女「……さて、問題は私よね」
女 がさがさがさー
女「いつものジーンズ姿は……さすがにアウト!
スーツ? そんな高い店なんか行かないし。
お! 昔買ったかわいいホットパンツを発見……したけど、
着ないまま結局二十七になっちゃってるじゃん、私。
ホットパンツの賞味期限的には、アウトだよね」
女「え、ええ。ちょっと待って。
二年前はモデルとかやってたよね。
何着てたんだっけー」わたわた
女 ばたばた
女 がさがさ
女「三月にぴったりの、皮ジャケット発見!
……でも、これ、ちょっと穴が空いてない? うう。廃棄!
食べ歩きならジーンズ、仕事はスーツで確定だったのに!!」
女「そういえば、モデルって言っても、
かっちりしたビジネス系が多かったかなー。
あ、この白いファーコート可愛い!
なんか女の子らしさを見出して、キュンキュンきたから買ったんだよね。
……着てないけど。
さすがにもう三月に厚手のファーコートは無いよね……」
女「いっそ、お金ならちょっと余裕有るし、
適当なお店に駆け込んで、全身買うかなー……」
女「でも、そうだ、なに迷ってるんだろ。
今日のコレも仕事だし。
デートとかじゃないし。
今日は男が非番で休みだから、どんな風に仕事してるのか取材したいって、
それだけなんだから別に、どんな格好だって……」
女「って言い出したら、なんだかこう、女性として終わりというか……
あーうー。こんな事なら、モデルの子とかメイクさんに、
友達になってもらうんだった……
元ひっきーとしては、こう、見抜かれそうで怖かったんだけどさ」
女 ばたばたー
女 ばたばたー
女「しかも、なんで!
いや、最近ちょっと天気が悪かったからだけど、
そろいの色の下着もなくて……」
女「もう、あれかな。
私って、女性失格かな……」
女「……」
女「はっ、落ち込んでる時間がない!
これで私が遅刻したら、せっかくのチャンスが!
いや、ランチくらいはいいんだけど……」
女 がさがさー
女「うう。白いレーシーなチュニックに、
ブラウンのロングニットカーディガンと、同色のボンボンニットかなぁ。
それから、苦しいけどホットパンツ!
模様の有る黒いタイツに、ニーハイブーツで、完成?
ベルトもブーツと色合わせたし。
そだ、赤い大きい伊達めがねで色を足して……よし」
女「あー、うんうん。なんとかいけそう。
年齢、ちょっと若く見えるかな? みえるよね。
……でも、この格好で外歩くの、なんとなく恥ずかしいというか。
可愛い服は大好きだから通販で買うけど、
ちょっと着てみて似合わないかもって思うと、タンス行きだし……
うう、ひっきーしていたのを、こんな形で後悔するなんて……」
女「……ええい、ままよ!
どうせ相手は男なんだ。不潔でなければ、男性は服なんて気にしないよね」
ばばっ
ぱたん
だだー!
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三十日目・朝 男の家
男「あの……」
妹「発言は手を上げて」じろっ
男「は、はい」びしっ
妹「はい、男」
男「どうして俺、正座させられてんの?」
妹「わからない?」
男「……わかりません」
妹「やっぱり、男はがっかり」
男「な、何ががっかりなんだよ」
妹「今日はお店ではなく、
これからお仕事でお世話になる女性と食事」
男「おう」
妹「そこにダブルパーカーは、ない」
男「い、いや! 嵐だって着てたじゃん!」
妹「ない」
男「いやー」
妹「ない」
男「ないか……」
妹「相手の年齢」
男「同じくらいかな。ちょっと若いか?」
妹「相手の服装」
男「えーっと……初めての時はスーツだったけど、
いつもは……どうだっけ」
妹「そこに脳みそが、ない」
男「おい!」
妹「相手がそれなりの格好をしてきても、
ラフでも良いようにすべき。
予定のお店の客層は」
男「あー、今日は俺が入りやすいように、
ちょっと若者向けの洋菓子店と、あんまり窮屈じゃない洋食屋かな。
そんな感じでどうかって、連絡が有った気がする。
まあ、普通にジーンズとスニーカーでも――」
妹「ない」
男「大丈夫だと」
妹「ない」
男「ないか……」
妹「まってて」たたっ
男「え、あ、おい……って、俺正座のままで待ってるのか?
廊下の床板に直接だから、じみじみ痛いんだけど」
男「っていうか、あいつ朝練どうしたんだよ……」
たったった
妹「選んできた」
男「おー、ん? こんな服あったっけ?」
妹「預けられた食費から、切り詰めて通販、セールに」
男「え、ちょっと、それ……」
妹「いつも同じような服は、だめ」
男「……」
妹「どうしたの?」
男「で、できた妹だ!」ひしっ
妹「っ……?!」びくっ
男「っと、すまん、つい」
妹「つい、でセクハラは、だめだから」(////
男「悪いな。それじゃ、ちょっと着替える」
妹 こくん
ばたばたー
ざっざ
男「よし。できた。
っつーか、もしかしてお前、実はセンスに自信あるタイプ?
普通にカッコいい気がするんだけど。実はブランドとか?」
妹「……学校の友達に頼んで、ブランドの身内向け処分会で購入。
黒の細身の形状記憶ジャケット、白いシャツ、黒い棒タイ、オーブのタイ止め、
黒い人工皮のストレートパンツ、銀のカフスと懐中時計。
占めて……たしか、九千円ちょっと」
男「安っ!」
妹「ちなみに、一番高かったのは、懐中時計とタイ止め。小ネタに二千円ずつ」
男「……なんか、俺、頭上がらなくなってきた」
妹「敬うといい」
男「ははー」
妹「じゃ、お互い遅れる前に」
男「お、そうだな……って、やば! 遅刻確定だ!」
妹「……」
男「うう、ダメ兄貴ですまん……」
妹「ふぅ。連絡したら、追いかけてきて。歩いてる」
男「わかった!」
とことこ
がちゃ
妹「……手がかかる。まるで弟」
妹「……でも、悪くない」
妹「…………♪」
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三十日目・昼前 洋菓子店
店員「二名様、禁煙席を御希望ですね。かしこまりました。こちらへどうぞ」にこっ
とことこ
店員「お冷とおしぼりをお持ちいたしますので、少々お待ちくださいませ」へこ
男「よいしょっと。とりあえず、いきなりですが、レコーダー回していいですか?」
女「録るの?」
男「はい。基本的にはメモを取るんで、あんまり聞きませんが、
どうしても思い返したいときのために、一応」
女「わかったわ」
pipi pi
男「それじゃ、改めて、本日はよろしくお願いします」
女「こちらこそ、よろしく」
男「なんか俺もこういうの久しぶりで緊張してるんで、
この店では雑談メインで、どうです?」
女「了解。今日は一応、この店のほかにもう一店、
その後に晩御飯の予定だけど、いいかしら」
男「女さんの普段をのぞかせてもらう、って感じなんで、
特に必要以上に気遣いせずに、お願いします」
女「はい」.
店員「御注文はお決まりでしょうか?」
女「はい。こちらのクレーム・オ・ダマンドと、
このルビーレッド、それからフィナンシェ三種と、
アメリカンベイクドチーズケーキ、
あとはこの、季節限定の梅花香っていうのを」
男「ずいぶん頼むみたいだけど、大丈夫か?」
女「二人なんだし、大丈夫よ」
男「俺の選択肢は無いのかよ」
女「遅れてきた罰。付き合ってよ」
男「……了解」
店員「ふふ、楽しそうで、うらやましくなります。
それでは、御注文のお品、すぐにお持ちします」へこっ
男「……カップルだと思ったかな?」
女「まあ、普通に考えればそうでしょ。
洋菓子店に、男女で昼間に来れば、
デートみたいにも見えるわ」
男「……俺、将来尻にしかれそうですね」
女「大丈夫、あなたは相手が誰でも、尻にしかれると思うわ」
男「そっか、それなら……ってダメじゃんか!」
女「ノリつっこみとか、器用ね」
男「くっ……ごほん。とりあえず、軽くジャブを。
女さんはこの店は何回目です?」
女「……二回目かな。ちなみにもう一軒は三回目」
男「……カップルだと思ったかな?」
女「まあ、普通に考えればそうでしょ。
洋菓子店に、男女で昼間に来れば、
デートみたいにも見えるわ」
男「……俺、将来尻にしかれそうですね」
女「大丈夫、あなたは相手が誰でも、尻にしかれると思うわ」
男「そっか、それなら……ってダメじゃんか!」
女「ノリつっこみとか、器用ね」
男「くっ……ごほん。とりあえず、軽くジャブを。
女さんはこの店は何回目です?」
女「……二回目かな。ちなみにもう一軒は三回目」
男「何度も通うのはどうしてです?」
女「一度だけじゃ、店の雰囲気はちゃんと分からないし、
常に置いてあるメニュー、季節のメニュー、
何にどれだけ注力して、どこに手を抜いているのかも見たいから」
男「そういうのって、たくさん食べたら忘れません?」
女「たとえば、私は全部このノートに、
自分が行った店と、そのケーキについて書いてあるの。
っていっても、最初の一年くらいは書き散らしちゃってたから、散逸したけど」
ペラッ
男「店の名前、住所、電話番号、外観、雰囲気、清掃、トイレ……
すごいですね。こんなにたくさん見るんですか」
女「だんだんと見る項目が増えたのよ。
最初は店の名前と外観だけだったけど、
時々道に迷ったりしちゃうこともあって、そんな時から、
住所と電話番号の項目が加わって……。
最近はネットもあるから、どんな情報が欲しいかってマーケティングもしたし」
男「ケーキのページもすごいですね。
大きさ、見た目、どれくらいの口数で食べたか、
生地がこぼれて食べにくくなかったか、
メインになる客層、テーマ……まだまだある」
女「紹介を書くときに、全部を使うことは無くても、
ほんの些細な情報が役に立ったって言われることもあるから。
食べやすさは特に女の子には喜ばれるわ。
ちょっと食べにくいものは、友達と普段着で。
食べやすいものなら、彼氏とデートでオシャレして、ってね」
男「男性には無い視点ですね」
女「それが一つの売りだから」
男「ちなみに、どれくらい食べました?」
女「えっと、お菓子をってこと?」
男「はい。すごくたくさん食べてるとは、聞いてるけど」
女「数えてないけど……
ノートに残ってる分だけで、少なく考えて八千くらい?」
男「ぶっ、そんなにですか」
女「総計だと一万くらいかな。
あんまり多いとも言えないと思うけど……」
男「そうですかね?」
女「まあ、評論家同士でそういうのを話す機会がないから、分からないけど。
主婦向けのコラムが一誌二ページ。
若者向けのコラムが二誌三ページ。
旅行ガイドへの掲載が数ページほど毎月書いていて、
それ以外にも、地方別や対象年齢別で、
三ヶ月に一冊は最低百ページくらいで出版させて貰ってるから……
できるかぎりかぶらないようにすると、もうカツカツね」
男「しかも、百ページって、複数段組したB5雑誌サイズとかじゃないですか。
ムックとかだと、少なくても二百は書いてましたよね?」
女「読んだの?」
男「まあ、手に取りやすそうな表紙のものだけですが、
俺が見た本は、ケーキ一つにつき、写真込みで四ページ使ってたから、
単純計算で五十個弱、紹介しますよね」
女「一つ一つにページ数を割いている分、
他の本と同じくらいの種類を紹介しようとすると、そうなるのよ」
男「ムックの大きさだと、四十字かける二十行程度で八百字くらいかな。
注釈欄と見出しの占有があっても、大まかに二千字くらいは、
ケーキ一つの解説に使ってますよね。
ぎっしりつめた原稿用紙五枚分は、ずいぶんと充実した解説だと思いますけど」
女「それは、そうかも。
時には材料について調べて乗せたりしているから、
そうすると変則六ページのものは、三千二百文字くらいかな」
男「入試でよく出るっていう、朝日の天声人語で、
いまはおおよそ七百から八百字ですからね。
その四倍も、ケーキ一つに対して言葉を尽くすって、
ケーキにしてみたらすごい贅沢ですよね」
女「ケーキにとって贅沢か……それは新しいかもね」
男「っと、ケーキを持ってくるみたいなんで、そっちに集中しましょうか」
女「何か……普通に物書きとして会話してるわね」
男「難しいところですよね。
つい紙幅について愚痴ったり、表現の規制について愚痴ったり」
女「愚痴ばっかりね」
男「まあ、あれですよ。物書きにとって、健康の話題みたいなモンですから」
店員「大変お待たせいたしました――」
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三十日目・昼すぎ 路上
女「ふー。いっぱい食べた」のびー
とことこ
男「俺はもう胃が重いですよ……
いきなりクリームだのチーズケーキだのでご飯代わりとか」
女「それくらいでへこたれてたら、
評論なんかかけないわよ」
男「いいです。俺評論は書かないんで」
女「まったく」
男「ところで、この後はどうするんです?
まっすぐ次の店に?」
女「普段は、適当に、次の店にかな。
出来る限り長く歩くつもりで。
寄り道しながらお腹を空かせて、
ついでに太らないようにカロリー消費して」
男「そうだ。ミンドロウの二人が、
どうしたらそんなに食べて太らないのかって、不思議がってましたよ」
女「ソレはまあ、日々の努力かな。
もともと太りにくい体質みたいだけど、
さすがに生活習慣病は怖いから、
ケーキ以外の食生活はすごく気をつけてるし。
ローカロリーにして、野菜を多めにビタミンを取ってーとか。
その上で、ジムにも通ってるし」
男「なんか、下手すると俺、腕相撲で負けるかも」
女「たぶん勝ちそうな気がするけど。
だって、男がやせてるのは、単純に不健康だからよね」
男「まあ、せいぜい腹筋、腕立てくらいですからね。
それも肩こり防止に少しだけ」
女「私とは基本的に取るカロリー量が違うから。
ケーキ一つで平均すると三百キロカロリーくらいあるとか。
五つ食べれば千五百で、成人女性の基礎代謝になるわ」
男「うわ……聞いただけで胸焼けしそう」
女「白米なら、男性のお茶碗一杯で大体二百五十キロカロリーあるから、
その六倍……よく太らないわね……」
男「きっと、その今更なお言葉を聞いたら、
うちの店の二人は襲いかかってきますよ」
女「うう。そういう女の子の付き合いって苦手なのよ」
男「男にはありませんよ?」
女「男に生まれれば良かったかもね」
男「でも、それだけ食べてると、やっぱりハズれとかあります?」
女「ソレはもちろんね。
とくに季節ものの商品とかは、意外と名店でも黒歴史があったり……」
男「ほほう」きらん
女「教えないわよ」
男「やっぱ、だめですか」
女「黒・歴史って言ったでしょ。
言われたくない事を言いふらすようじゃ、
この仕事続けていけないわよ」
男「ごもっとも」
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三十日目・夜 洋食屋
男「それじゃ、まずは、いただきます」
女「いただきます」
かちゃかちゃ
男「正直、ちょっと安心しました」
女「なんで?」
男「女さんはずいぶん売れてますし、
評論家として舌も肥えてるし、
晩飯にこう、俺の肩身が狭かったりしないといいなーと、
チキンな事をかんがえてたんで」
女「まあ、確かにそういうお店も知ってるけどさ、
私って、基本的には庶民だし。
そういう高いところで、味が良いものを少し肩身狭くしながら食べるのと、
値段もそこそこで、味もそこそこだけど、気楽に食べられるのなら、
私は後者のが美味しいと思えるからね」
男「そこは、評論家としてじゃなくて」
女「私個人の感覚かな。
それに、実は私に対しては、評論家って違うと思ってるの」
男「それは、どういう意味でです?」
女「評論って、字面を見ればわかるけど、
評価を論じることでしょ。
辞書で引いても、物事の良し悪しやその価値を論じる事ってある。
けど、私はそんなもの論じてないのよ」
男「でも、時に批判批評に見える文章も書きますよね」
女「それは、なんていうかこう……
もっとこうしたらおいしかったのにって、悔しくなって、ついね。
基本的にはみんな、すごく美味しいって思ってて食べてるのよ。
それを、たとえばどんなときに食べるとより美味しいかなとか、
こういう好みの人には、コレをお勧めしたいなとか。
そういう話をしてるだけなの。私としては」
男「お菓子アドバイザー、みたいな」
女「うん、そうかも」
男「……うーん」
女「なに?」
男「いや、目も前で言うのもなんですけど、
それって、どこまで本当かなって」
女「ウソなんて言ってないわよ」
男「あ、その、ウソとかそういう意味じゃないんですけど。
なんとなく、響かなくて」
女「響かない?」
男「響かないんです。
俺、一度は女さんのテストで落とされましたよね。
あの時、俺の編集さんは辞めていいって言ってくれたんですよ」
女「それでも、受けた」
男「なんとなくなんですけど、
女さんに、何かあるような気がしたんです。
特に理由なんか無いけど、こう、びびっと」
女「……何があるのかしら」
男「分からないから、こうしているんですけど。
なんとなく、つかめない。
まるで、別人と話してるみたいな……
筋書きされた上を、読まされているような……」
女「……」
男「なんだろうな、この感覚……」
女「ま、そういうのは、分かるものなら、
おいおい分かるんじゃない?
私の名前で小説を書いてくれるって言うなら、
また相談することもあると思うし」
男「……そうですね。
それじゃ、小説なんですけど、
本当にあの時に言ったように、
お菓子とか、お菓子作り、お菓子屋をモチーフにした、
恋愛もので良いんですか?」
女「……」
男「無難ですけど、なんとなく、女さんには興味が無いような気がして」
女「なんだか、名探偵とでも話してる気分」
男「探偵じゃないですけど、作家ですからね。
人間観察は、趣味を超えてライフワークですよ」
女「……」
女「……にせもの」
男「はい?」
女「いえ、なんとなく、そんな言葉が浮かんだだけだから。
忘れて」
男「……にせもの。偽者、偽物、贋物…………
そういう言葉からでも、俺は何かしら出来ますよ」
女「……たとえば?」
男「そうですね、たとえば、一人のアプランティ(見習い)の女の子がいたとする。
その見習いに眼をつけた出版社に勤める男性が、
自分の会社で開くコンクールで、その子を優勝させるんですよ。
そして、天才的な才能って言って、売り出すんです」
女「……」
男「周りの人間も、その才能って言葉にだまされて、
その子を持てはやすけれど、やがてその最初のウソがバレてしまうんです」
女「それで?」
男「そうですね、バッドエンドがよければ、
全てを失った、でも良いんですが。
その出版社の人と、何度も会って話をする内に、
いつの間にか惹かれあっていて、
その人と一緒になる、だと、ハッピーエンドですかね」
女「……」
男「まあ、いま一瞬で思いついただけなんで、
こんな適当な話じゃいかんともしがたいですけど。
うまく調理すれば、それなりに売れる話になると思いますよ」
女「でも、そのハッピーエンドって」
男「はい」
女「その女の子が、本当はちゃんとした職人になりたかったら」
男「そこは、小説ですからね。
なんで職人になろうとしていたのか、次第です。
ただ……現実なら、幸せにはなりにくいと思います」
女「……にせものは、幸せにはなれないのね」
男「……にせものって言葉に、何かこだわりがあるんですか?」
女「なんとなくよ。浮かんだだけ」
男「……」
女「浮かんだだけ」
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三十日目・夜 駅へ向かう道
とことこ
男「……」
女「……」
男「その、なんか、すいません」
女「え?」
男「いや、なんだか、ずっと難しい顔をしているから。
俺の言葉が、悩ませたかなって」
女「……たしかに、ちょっと悩む。
男は、人を見るのが、ライフワークだっけ?」
男「はい。とは言っても、占い師でもなけりゃ、心理学者でもないんで。
なんとなく、俺にとってはこんな人かなって。
それを感じて、自分の中に、書く対象としてストックするだけですが」
女「それなら、私はどう見える?」
男「女さん、ですか」
女「そう。私」
男「……」
とことこ
男「……」
女「……」
さわさわー
男「難しいです。
ただ、違うように見える」
女「違う?」
男「まるで、犬の群れの中に猫がいるような」
女「――っ」
男「そんな感覚がありません?」
女「……」
とことこ
男「さっきの食事の話じゃないですけど。
なんとなく、肩身が狭そうに感じるんですよ。
どこか遠慮してるみたいな」
女「……そんな事は、ないわよ」
男「……そうですか。
やっぱり、あんまりアテにならないですね」
女「でも、まったく……」ぼそぼそ
さわさわー
男「え、なんですか?」
女「なんでもない。さ、そろそろ帰りましょ」
男「そうですね。
たぶん、この時間に帰れば、妹と少し話せるかな」
とことこ
女「もしかして、男はシスコン?」
男「そんな事はないと思いますけどね。
コンプレックスって、劣等感とか、偏りでしたっけ。
そういう意味で言うなら、多少は偏りますよ。
唯一の家族ですから」
女「えっと、聞いちゃってごめんなさい」
男「あ、いえ。そういう意味じゃないんです。
ただ、ウチの両親は互いにちょっと、
それぞれの人生を生きてる人で。
俺が高校で、妹が七歳くらいかな?
それくらいの頃に、二人とも出て行っちゃって。
金だけ最低限送って、お互いに愛人の家で生活を始めたんです。
もしかしたら、もう離婚してるのかな。
それすら分からないくらい、あの人たちとは縁が切れてて」
女「それじゃ、妹さんは男が一人で?」
男「育てたというか、俺が育てられたというか。
そんな感じで、しっかりせざるをえなく、させちゃいまして。
今じゃ、俺よりよっぽどしっかりしてますよ。
どっか申し訳なく、なるくらい」
女「……」
とことこ
男「先に生まれたほうにしたら、
精一杯守ってやりたいんですけどね」
女「……っ」
男「さ、そろそろ電車がくると思います」
女「……うん。
その、からかって、ごめんなさい」
男「いえいえ。
大して気にしてはいないんで」
女「それじゃ、今日はありがと。
いつもより、ちょっとは、楽しかったかも」
男「そう言ってもらえるなら、良かったです。
――あ、そうだ」
女「はい?」
男「今日の最後に一つだけ、聞かせてください。
建前とか全部無い、真実」
女「なんです?」
男「女さんは、洋菓子が好きですか?」
女「…………好きですよ。ずっと作ってましたから」
さわさわー
男「そうですか。
ありがとうございます」
女「では、おやすみなさい」
男「はい」
たったった
男「……なんていうか、難しいな」
男「とりあえず、
にせものの話が一つに、
普通の恋愛で二、三本くらい、
企画書を書いて編集さんに送るか」
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三十五日目・朝 新宿駅
店長「いやー、店の外で集合とか、初めてだな」
ポニテ「ホントは企画はあったんだけど、忙しかったからさ。
とりあえず、そんなこんなでずいぶん遅いけど、
メイドちゃんの歓迎会と、男くんの歓迎会をやろうかなと」
男「……メイド、ミンドロウで働いてどれくらいなんだ?」
メイド「一年くらいですよー。
まあ、去年は去年でイロイロ有りまして、結局流れてたんです」
女「私も呼ばれたけど、良かったの?」
妹「私。部外者」
店長「まあまあ、固いこと言うなって。
楽しけりゃ良いってことでさ。
女は週に一度くらい顔出す常連だし、
妹ちゃんは男の妹だしな」
ポニテ「そうそう。
折角のお花見……って言うには、遅いけどね」
男「もう四月も終わりですよ。
で、今日行くのは新宿中央公園ですか?」
店長「おう。
この辺りでにぎやかにやってるのは、中央公園と御苑だからな。
だが、御苑は俺が嫌だ」
ポニテ「私もいやだー」
妹「どうしてです?」
男「お酒が飲めないからな。
たまに飲んでるヤツもいるらしいが、そういうのは良くないだろ」
店長「ま、そこで、中央公園だ。
こっちなら問題ないし、周りもよっぱらいだ。
気にするこたぁない」
女「それで、ポニテさんの荷物……」
ポニテ「うむ。この中にはかつてアメリカでは商い禁止といわれた――」
メイド「それじゃ、そろそろ行きましょー♪」
ポニテ「え、あ、うう。
メイドちゃん、いじめるべきは男くんでしょ」
男「え、いや、俺は今日はまだ何もしてないし」
妹「男、普段なら何をしてるの」
男「何もしてないよ。むしろ一方的にいじめられてる方だ」
メイド「まあ、まるで私が悪逆非道のような」
男「後半三文字はともかく、悪辣って辺りの悪だけは持ってるだろうな」
メイド「……妹ちゃん、聞いてください!」ぎゅー
妹「……!」
メイド「実は先日、男にひどい事を」ぎゅー
男「捏造するなよ!」
メイド「お黙りくださいませー♪」ぎゅー
男「ああ、なんかまた、懐かしいネタが……って、こら、妹が青い顔してるぞ!」
妹「っ」ぺし、ぺし
メイド「はっ、ついつい可愛くて」ぱっ
妹 ふらー
男「油断もすきもなく、人の妹を殺そうとするな」そっ
女「……メイドさんの悪意は歪みないと聞いていたけど、真実みたいね」
メイド「そ、そんなことないですよ。
傷ついちゃうなー☆」
店長「いや、もうそこは否定できないだろ」
ポニテ「邪魔になる可能性を察知したら、躊躇わず消すわけね……」めもめも
女「……ポニテさんには、そんな可能性ないと思うけど」ちらっ
店長「おお、きれいな奥様発見!」
男「店長、通りすがりの人にいきなりナンパはやめてくださいよ!」
ポニテ「……」むぅ
妹「……」ぽん
ポニテ「はい?」
妹「……がんばって」なでなで
ポニテ「うん、がんばりますよー!」
女「何か、高校生の青春ドラマの一ページみたいね」
メイド「片方が三十路過ぎてるって知らなかったら、もっとそう見えたのですけど」
女「詐欺だよね」
メイド「詐欺ですよねー」
妹「……」
妹 ぱんっ、ぱんっ
全員「「……」」
妹「お花見」
男「あー、そうだな。移動しよう。
俺達いつまで改札前でうだうだしてるんだ」
店長「とりあえず地下道でいくぞー。
途中のコンビニで確か酒が売ってたハズだ」
ポニテ「ビールはそこで確保ー!」
メイド「……ちょっとなら、飲めるかな?」
女「弱いなら辞めときなさい。
外は危険もあるし、なによりその格好、ねえ」
メイド「変ですか?」
女「今日はオシャレなの? ミニスカメイド服……」
メイド「はい、もちろんオシャレですよ!
ミニスカに、ふりふりの付いたニーハイとガーターベルト。
それはもう、現代ミニスカメイドにおける究極形態ですね。
フェミニンな中にコケティッシュな魅力があり、
その元々の清楚さから逸脱したその二つのアイテムの間から覗く、
白く曇りない引き締まった太もも。
これこそ、人類がメイドの歴史、五百年を超える時間の結実として、
その進化の枝先の一つにともった光こそ、このミニスカメイドでして、
これはそれまでの使用人としての立場ではなく、
公共に対する奉仕の提供者としての役割に合わせて進化した――」くどくど
妹「……お花見」
男「メイドは捨てていこう。しばらくしたら勝手に追いついてくる」とことこ
店長「よし、いくかー」とことこ
ポニテ「ふふーん、今日はハメをはずしてもいい日だー♪」とことこ
女「え、い、いいのかな?」
妹「始めてのお花見」とことこ
男「お、ちょっと上機嫌か」とことこ
妹「大喜び。マスクで見えないだけ」とことこ
メイド「そうして、このミニスカという非常にきわどいアイテムが、
世間に対して普通となってしまった現代において、
なぜ改めて人はメイドに対してミニスカを求めるかといえば、
それは本来見えないものが見える、という、
ギャップに対しての期待効果が想定されるからですね。
また、このミニスカとニーハイを併用することにより生まれる、
俗に絶対領域と云う、限りなく狭く、
しかし、だからこそそのわずかな隙間の広さにときめくこの空間が――」
男(マスクなくても、相変わらず、妹の感情表現は分かりにくいよな)とことこ
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三十五日目・昼 新宿中央公園
ポニテ「えへへー。ぎりぎり、ちょっとは桜も残ってたね」
男「ほとんど葉っぱで緑ですけどね」
店長「てやんでぇ、こちとらチャキチャキのパリっ子でい。
花がなけりゃー葉桜を肴に酒をあおりゃーいいだろうよ」
男「花見なのに、花見てないですね。
ってか、パリっ子って江戸っ子のノリじゃないだろ、絶対」
妹「……でも、この時期の方が楽」ずびっ
メイド「ティッシュ、いかがですか?」すっ
妹「大丈夫。持参」ぬうっ
店長「おいおい、箱ティッシュ持ち歩いてるのかよ」
妹「必須」ちーん
メイド「うう、いたわしいです」ほろり
妹「でも、今日は嫌いな点鼻薬と目薬も持ってきた。
備えはある」
男「おー、ずいぶんテンション高いな」
女「え、無表情だよね?」
男「いや、ほら、わずかに口元が決意の形に……」
女「わからない……」
ポニテ「まーまー、とりあえず今日は、
メイドちゃんと男くんがミンドロウに来た歓迎会だからね。
大いに食べて飲んで騒ごう!
店長、乾杯しよっ!
あ、ビールじゃない人はコッチにアツアツの紅茶もあるよー」
メイド「ポニテさんの紅茶ですか、もらいます!
妹ちゃんもいりますか?」
妹 こくり
男「ささ、どうぞどうぞ……」とくとくとく
女「ありがと。じゃ、お返しに……」とくとくとく
ポニテ「うわー、社会人っぽい。
そういう意味では、社会人してなかったなと思う瞬間かも……。
うん、日本のお花見らしいね」
店長「おしっ、コップ持てー。
料理広げろー。
そんじゃ、乾杯っ!」
全員「「かんぱーい!」
男「おおー、なんか花見弁当いいですね。
もしかして手作りです?」
ポニテ「ふふん、私とメイドちゃんで作りました!」
店長「うん、美味い! いい弁当だ……ぷっはー、ビールもうまい!」
女「あ、ホント。ビール苦手だったけど、コレ美味しい……」
ポニテ「白ビールなんて持ってきてたんだ、
私も一つちょーだい!」
男「ソレは俺が持参したヤツだな。
日本じゃそこまで出回ってたり、知られたりしてないけど、
ちびちび楽しむ俺としては、日本ののどごし重視より、
こっちの方が好きなんだよ」
ポニテ「わかるわかる。
ビール苦手って言ってる女の子には、
チェリー風味のとか飲んで貰いたいよね」
メイド「……」うずうず
妹「……」じりじり
男「こら、なんで人の妹ににじり寄ってる」
メイド「黙りやがってくださいませ♪
妹ちゃんはいただきます!」がばちょ
妹「……っ」
メイド「ふふー。この抱き心地がたまらないんですよ」ぎゅー
妹 ふるふる
ポニテ「抱き心地いいの? 私もぎゅっとするー」ぎゅー
妹「……」(////
女「すっかりマスコットか……」
店長「抱き心地いいの? 私もぎゅっと――」
男 どげし
店長「何しやがる!」
男 ……じろり
店長「すいませんでしたー」どげざっ
ポニテ「かたくないんだけど柔らかすぎない抱き心地……
なんだか眠くなるかもー」
店長「いいじゃんよ、俺が抱きついても。
減るもんじゃないし」
男「……いや、見てくださいよ。
アイツの正気度下がってますよ」
妹「……」びしっ
店長「石化してるな」
メイド「ふふー、わき腹くすぐっちゃいましょう」
妹「え、ぁ……ちょっと、……ふふ……ゃめてくださぃ、んぁ……」
女「私、妹さんに何かで負けた気がする。
……気付かなかったフリして飲もう」ゴク、ゴク……
ポニテ「いえいえ、女さんも何も負けてませんよー」ぎゅー
女「……ポニテさん、実はさりげなく、しっかり酔ってるでしょ」
ポニテ「花見で酔わないやつはダメなやつだよ!
ふふーん、実はメイドちゃんと妹ちゃんにも、少し混ぜて渡したのだ」
男「え、あ、ホントだ。
これ、紅茶にブランデー混ぜましたね……」
ポニテ「ほーんのちょっとだけどね」
男「ただ、ウチの妹は未成年です!
たしなめる立場の大人がそういうことしてどうするんですか!」
妹 くいくいっ
男「ん? なんだ」
妹「体、熱い……」
男「…………」じーっ
ポニテ「な、何で泣きそうな目でコッチを見るのさっ」
男「さっきのコンビニで冷たい飲み物が何かあるはず――
って、買ってあるの、全部酒かよっ!
店長はいったい、何考えてるんだ!」
女「店長はアッチで酒盛り中。
すごいね、初対面らしいんだけど、すっかり混ざってる」
男「うわ、まったく違和感無いよ……」
妹「……あつい」ぬぎ
男「うわぁあ、おい、妹、ココは屋外だぞ!」
妹「何を期待してるかわかりたくないけど、脱ぐのはポンチョだけ」
メイド「んーなんですか?
男さんは脱ぐのがみたいんですかー?」ずいーっ
男「ちょ、おい、近い、近いって」
メイド「てやっ」ぎゅー
男「メイド、見てる、みんな見てる!」
ポニテ「おー。やんややんやー」
女「メイドと男ってそんな関係だっけ……」
妹「やっぱり、嫌いってウソみたい」じーっ
メイド「んふふー、見たいですか?
触りたいですか? このメイド服に包まれた……」ちらっ
男「いいです、遠慮します!
だからとにかくちょっと離れろよ」
ポニテ「男くん、ソレはないよー。
折角のご好意だし、美味しくいただいちゃうといい、にひひ」
男「笑い方が完全に悪事をそそのかす悪魔ですよ。
だー、もう、メイド、熱いから離れろって」
メイド「熱いんですか?
それじゃ、脱ぎ脱ぎしましょー♪」ぷちぷち
女「うん、熱いなら脱ごうか」ぷちぷち
男「女まで酔っ払いに参加か。
いったい何を飲んでたのなんだよ……バカルディかよっ!
うわー、さっきからストレートで何をあおってるのかと思ったら。
ってか、もうほら、やめろよな、二人とも」
メイド「男さんの肌、いつ触ってもさわり心地いいですよねー」すりすり
女「何か、ねたましくなるわね、この肌」すりすりー
男「あーもう、妹、すまんがこの二人を」
妹「……お兄ちゃん、メイドさんの、いつ触っても、って」じーっ
男「ソレはほら、こないだ泊まった時の――」
店長「ほほう、メイドと二人、情熱的な夜を過ごしたのか」
男「違いますよ! 常識的にかんがえてください!」
店長「情熱的に考えた」
妹「……不潔」
ポニテ「いやー、にぎやかだね、にひひ」
男「あーもう、お前らいい加減にしろー!!」
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三十六日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
とことこ
男「うー、結局昨日は女とメイドが泊まりに来て、
散々だった……
飲んで騒いで、二人して俺の事ボロクソいって……
はぁ、なんか涙がでてくる」
店長「よう、おはよーさん」
男「あ、おはようございます。
えっと、連絡いってると思いますが」
店長「分かってる。
メイドは昼からだろ?
飲めないって言ってたのに、ポニテが仕込むから」
男「ええ、まったく酷い目に遭いましたよ」
店長「そうか?
若くて可愛いメイド服のと、若くてきれいなモデル並の美女に、
抱きつかれたり触られたり、いい思いだったろ」
男「あんな場所で、あんな騒ぎの中じゃ、
辱め以外のなんでもないですよ」
店長「ウブだねえ。
むしろ自分からやり返せばいいのによ」
男「そんな事したら、下手すれば警察ですよ。
セクハラで訴えられたら、酔っててもダメですからね」
店長「じゃ、あの状況を楽しめば良かったろ。
まあ、一人くらいブレーキがいた方が、
逆に盛り上がるっていう典型だったな」
男「……」
店長「ほれ、メイドがいない分今日は忙しいぞ。
掃除が終わったら、ロールケーキ用のビスキュイ生地を作れ」
男「え……」
店長「朝、こっそり練習してるのは知ってるんだ。
残ってたのをつまみ食いしたが、悪くない。
むしろ、期間で考えたらずいぶん早い上達だ。
多少はそれに応えて、仕事を任せるべきだろ」
男「……ホントに昨日と同じ人なのか?」ぼそっ
店長「なんか言ったか?」
男「いえ、何でも。
じゃ、掃除終わったらビスキュイ生地を焼きます!」
店長「おう、任せたぞ」
三十六日目・昼すぎ 洋菓子喫茶ミンドロウ・休憩中
メイド「うー、頭いたいですよー」
男「ほれ、水」
メイド「こういう時はアレですかね、
か、感謝なんてしないんだからねっ、
なんてやると、ツンデレなんでしょうか」ごくごく
男「ただの恩知らずだ」
メイド「ツンデレって難しいですね。
やっぱり時代は自分らしくですよね」
男「メイドの場合、その自分らしくは多少自重してくれ」
メイド「自重しなくても、どうやらそうなりそうでして……」
男「ん? なんか有ったのか」
メイド「実は、そろそろ男さんをからかうネタが尽きてきまして。
ここらで一つ、何かやらかしてくれないかなーと……」
男「俺はいじられるために何かしてたわけじゃないし、
ココには働くために来てるんだからな」
メイド「たとえば、紐なしバンジーをするとか」
男「人はソレを自殺と云うな」
メイド「たとえば、居合い斬りの達人の腕を見るために、身を差し出すとか」
男「ちょっとまて、からかうネタの有る無し超えて、
すでに俺を殺しにかかってるだろ」
メイド「そんな事はございますよー」
男「俺、ホントに遠からず命の危険がありそうな気がするわ」
メイド「まさか、私が男さんに危害を加えるとでも?」
男「そこまで行かなくても、
そこまで追い込まれるかもしれない気はしている」
メイド「なるほど、間接的な手段は既に警戒され始めていると……」
男「こら、今のはさりげない俺の危機意識調査か!」
メイド「男さんの事は、わたし、なんでも知りたいんですぅ♪
いつが一番油断してるかとか、指紋とか、サインとか」
男「後半は本気で気をつける事にする……」
メイド「あ、指紋とサインは採取済みです」
男「遅かった?!」
メイド「最近は便利ですよね。
指紋認証で使える、偽造指紋とかできてますし」
男「なにする気だよ……」
店長「おい、そろそろ休憩時間終わりだぞ」
メイド「はい、体調万全になりましたー☆」
男「なんか、体力とか気力とか、吸われた気がする……」げっそり
とことこ
店長「お、そうだ、男」
男「はい、なんです?」
店長「実は、白ブドウのラム酒漬けが切れてな。
オペレッタが作れない。
ほとんど残ってないから、一時間もありゃ売り切れるな」
男「あー、午前中にいらしたお客さんが、
多めに注文してましたからね。
なんでもお茶会に使いたいとか」
店長「おう。まあ、そりゃいいんだが、
今週末からのゴールデンウィークに合わせて仕込んだから、
漬け込んでる最中のやつは、まだあと数日寝かせたいんだ。
ただ、棚を空けたくもなくてな」
男「はあ」
店長「何かつくってみないか?
オリジナルを」
男「……ええ! いや、いきなりですね」
店長「こういう話はいきなりくるもんだと相場が決まってる。
ポニテは昨日騒ぎすぎて体力不足だし、
メイドもまだ本当は万全じゃないだろ。
そこでお前だ」
男「店長は作らないんですか?」
店長「まあ、いくつか予備のアイデアはあるが……
俺としては、今回はお前に任せてみようかって、気分なんだ。
いろいろ考えてな」
男「はあ、了解です。
そうですね、たしか旬は五月末から六月ですけど、
もう枇杷が出回ってますよね?」
店長「おう、なじみの青果店にたのんで、入れるか?」
男「はい、お願いします。
それからたしか、よくばりタルトにつかう、
アンコール(オレンジの一種)なら、使っても大丈夫ですよね?」
店長「そうだな。あまり多くなければ大丈夫だ」
男「それなら、枇杷の荒いペーストを混ぜ込んだスポンジを、
間に生クリームを入れてサンドした上で、
甘さと苦味の強いチョコでコーティングしましょう。
ホワイトチョコで模様を書いて、
さらにその上にアンコールの果肉を、
花弁みたいに並べて、花を作る。
それに、ヴァニラアイスと、
ミント風味で小さく焼いたワッフルコーンを添えると、
きっと美味しいと思うんですけど……」
店長「そうだな。
時期の先取りは悪くない。
この時期の枇杷はまだ甘みが強くないから、
ペーストにしてスポンジに混ぜて甘さを補い、
風味を重視するのもいい判断だろう。
その濃さのチョコレートでコーティングするのも、
アンコールとの組み合わせも、それなりに無難だ。
問題は見た目だな。
花の形状は作れなくも無いが、
ウチのアンコールは果肉が大きめだ。
そうなると花を作るには、土台のスポンジが大きくなって、ムリが出る。
生クリームと一緒にサンドするのはどうだ?」
男「そうなると、外観は黒だけになりますよ?」
店長「そうだな、サンドするスポンジに工夫して、
下は枇杷、上は普通のスポンジで色の区別をつけて、
チョコレートでコーティングした後に、
一度縦に切ってから少しズラすと良いだろう。
上はホワイトチョコで模様を書くんじゃなく、
フランポワーズのムースを小山状に半さじ置いて土台にして、
セルフィーユの葉を一枚乗せるといい。
シンプルでもセルフィーユが彩りになって、高級感が出る。
はったりだがな。
大きさと単価次第だが、全体に薄くグラデーションさせながら金粉を落とすか、
金粉を落とした薄い板状のチョコを、セルフィーユの横に添えてもいいかもな。
添える場合は、差別化したいから同じものを避けて、
他で使ってるフランボワーズのチョコを流用するのがいいだろう。
あとは、そうだな。
細かいが、下に使う枇杷のスポンジには軽くシロップを染み込ませろ。
枇杷の数次第だが、出来そうなら、
ペーストを使ってジャムもどきの心持ちゆるいソースを作って、
そのスポンジと生クリームの間に薄く塗れ。
その方が枇杷の香りが生きるはずだ。
――とまあ、こんなもんか」
男「すごいですね、俺の半端な考えを元に、
そこまで具体的に形にするなんて」
店長「なめんなよ、俺はプロなんだ。
よし、メイドにポスター書かせて来る。
枇杷が届くまでは接客、届いたらメイドと入れ替わってキッチン入れ。
ポニテには少しスケジュールを押して他を作らせておくから、
無理させない程度にアシスト頼め」
男「はい!」たったった
ぱたん
店長「ま、悪くは無いが、ウチの客は舌が肥えてるからな。
吉と出るか凶と出るかわからんが、
俺のせめてもの、お前への応援だ」
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三十六日目・夜 洋菓子喫茶ミンドロウ
客「こんばんは」
男「いらっしゃいませ、どうぞ、いつもの席が空いております」
客「あらまあ、良かったわ」
とことこ
客「あなたもずいぶん、なじんできたわねぇ」
男「おそれいります。
コレもお客様のように、優しく見守ってくださる皆さんのおかげです」
客「ふふ、たしかに皆さん、優しく見守ってますけど、
それはアナタががんばっていらっしゃるからですよ。
それでは、今日は……あら、新作のケーキがあるの?」
男「はい、僭越ながら、私が任せていただきまして、
週末まで限定で置いてみようと」
客「あらあら、それなら、そのケーキを食べないわけにはいかないわね。
ちょっと眼が悪くて読めないのだけど、なんてお名前なの?」
男「あ、はい……
あー、『見習い店員のヘタれケーキ。ロクァート・エト・オランジュ』です」
客「あらあら、ヘタれさんだなんて、ふふふ」
男「メイドのいたずら心があふれすぎていますね。
お客様の前に出すポスターにあんな……」
客「可愛らしいじゃない、ふふ。
その、ロクァート・エト・オランジュは、どんなケーキなのかしら?」
男「外見はチョコレートに覆われているので分かりにくいですが、
そろそろ時期になる枇杷と、
いまが旬のアンコールというオレンジを、たっぷり使ったケーキです。
しっとりとしたチョコレートにフォークを入れると、
二色のスポンジと生クリームの三層になっているのが、お分かりいただけます。
口に含むと、マズはチョコレートの強い苦味と甘さが口の中に広がり、
次に枇杷のまろやかな独特の甘い風味、
そしてさらにアンコールのふくよかながらさっぱりとした風味が、
まるで次々と、寄せては返す並みのように押し寄せてきます。
ぎゅっと、かみ締めるごとに広がる、
スポンジに練りこまれた枇杷の香りと、
惜しげもなくクリームと共にサンドされたオレンジの風味は、まるで人魚姫の歌のように、
波の合間から聞こえてきて、
お客様の心をより奥へと誘い込むことでしょう。
そしてその歌をより聴こうと新しくもう一口含めば、
一口目よりもなお強く、どっしりとした甘さと苦みの強いチョコレートが、
岩礁のようにお客様の心をとらえ、いつまでも逃げ出せなくなる事請け合いです。
ただし安心してください。
添えられているヴァニラアイスと、ミント風味のワッフルコーンは、
まるで灯台から投げかけられる一条の光のように、
お客様を助け出し、ひと時の心躍る夢としてくれます」
客「あらあら、ステキなケーキじゃない。
それならもう決まり。
ふふ、楽しみだからお早く持ってきてね」
男「承りました」へこっ
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三十六日目・夜 洋菓子喫茶ミンドロウ・閉店前
客「お会計お願いしますわ」
男「それでは会計してまいりますので、こちらにお預け下さい」
客「はい、どうぞ」
男「お預かりいたします」
とことこ
pipipipi pipi
とことこ
男「お返しでございます。お確かめくださいませ」
客「はい。ありがとう。
そうそう、先ほどのケーキですけどね」
男「はい」
客「とても、美味しかったわ。
本当に、人魚の歌に取り込まれてしまった気分。
今週しか出ないのはもったいないわ」
男「それほど褒めていただけて、嬉しいです」
客「今週は忙しいのが残念。
出来れば続けてね」にこっ。とことこ
男「御来店、まことにありがとうございました」ふかぶか
男「……」
男「……っしゃ!」ぐっ
店長「おうおう、上出来だな」
男「あ、店長! 褒めて貰えましたよ」
店長「そうだな、悪くないアイデアだった。
説明も、なんだか楽しそうでいいじゃないか。
さすが物書きってところか」
男「なんか、そんなに褒められると照れますね」
店長「……これが、菓子屋の菓子だ」
男「え?」
店長「その照れくさい気持ち。
喜んでもらった笑顔。
おいしいって言葉。
甘ったるくて、クセになるソレが、
俺達菓子屋が忘れられない、
デセールの味、ってわけだ」
男「もしかして、ブドウが足りなかったのも」
店長「いや、それは偶然だ。
だが、それを理由にお前に作らせたかったのはな、
取材って言って、コレを知らなかったら片手落ちだと思ったからだ。
正直、軽くない賭けだったが、どうやら悪くなかったらしい」
男「……」
店長「お前は、コレでひとまず、アルティザン(職人)の仲間入りだ」
男「はい」
店長「さ、ほら、他のお客様も帰り支度だ!
片付けまでしっかり気合入れてやるぞ」
男「はいっ」
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三十七日目・昼 洋菓子喫茶ミンドロウ
男「それではこちらがお釣りです。
御来店ありがとうございました」 ふかぶか
男「……ふぅー」
男(今週限定って事もあって、
俺の作ったケーキもそれなりに売れてるみたいだ。
まあ、元の素材は店のものと同じだし、
最初に試作でイメージを伝えた後は、
ポニテさんが完成度を上げて作ってくれたから、
予想外ってほどでもないんだけど)
男(それでもやっぱり、
殆ど自分で考えたケーキが売れるって言うのは、嬉しいな……)
母「あのー」
男「はい、いらっしゃいませ……って、どうもお久しぶりです」へこっ
母「御無沙汰しておりました。
少々いいですか?」
男「はい、大丈夫ですよ。
ポニテさん、ちょっと表お願いします」
ポニテ「わかった、すぐいくよ」
男「では、オープンテーブルが開いているので、そちらを使いましょう」
母「はい」
とことこ
母「それで、その、実はですね、
もし可能であれば、こちらのお店で結婚披露宴を、させてもらいたいと思いまして」
男「えっと、失礼ですが確か、
以前ケーキを届けにお邪魔させていただいた時に、
御主人を紹介された気がするんですが……」
母「はい。あ、もちろん離婚して再婚、とかではないですよっ。
実は、私と夫は学生結婚でして、籍は直ぐに入れたんですが、
式はそれなりに良いものをと思い、延期していたんです。
その後、社会人になって、互いにようやく余裕ができたという頃に、
子供が出来たことで、また延期になりまして」
男「なるほど……」
母「それ自体は良かったんです。
子供と一緒に式をするのも、それはそれで、ちょっと憧れていたので。
だから、少し大きくなるまで延期としました。
しかし、大きくなり、離乳食を食べられるようになった頃、
この子には食べられない物が多いと分かって、
私もそれを食べないと決意したんです。
普通のケーキも、ウェディングケーキも」
男「だから、奥様方でいらしても……」
母「すみません、その、良くないお客で」
男「いえいえ、構いませんよ。
当店は、お客様にとって安心できる場所でいられれば、満足なので」
母「ありがとうございます。
しかし、やはり結婚式を行い、新婦がケーキを拒むわけにもいきませんので、
自然と、夫とは式を諦めようという話をしていたんです。
ですが先日、あの子にも食べられるケーキを作っていただけたことで、
改めて、式を挙げようかという話になりまして」
男「それは何よりです。
それで有れば、当店でも披露宴や二次会を行う事はできますし、
他のお店で行う場合でも、ケーキだけ届けるということも行います。
もっとも、当店はオープンスペースを利用しても、
残念ながらそれほど広く場所が無いため、
大人数での御利用は出来ないのですが……」
母「身内だけの会のつもりなので、大丈夫です。
では、ぜひこちらのお店で、披露宴を行わせてください。
式は……今更ですし、改めて考えます」
男「御利用ありがとうございます。
それでは、資料などを御用意いたしますので、
連絡先、御住所などをいただいてもよろしいですか?」
母「はい」かきかき
男「ありがとうございます。
こちらとしては、貸切扱いになるため、
他のお客様と日程がかぶらなければ大丈夫なのですが、
御希望はございますか?
母「そうですね、本当に小さな会なので、
御迷惑でなければ善は急げと、五月四日など、都合がいいですけど……
……大安ですしね。
普段は気にしませんが、こんな時には気になります」
男「承りました。
それでは、日程も含めて、後ほどこちらの電話番号に連絡させていただきます」
母「よろしくお願いします」へこ
男「こちらこそ、お客様にとって良い一日となりますよう、
最善を尽くさせていただきます」ふかぶか
母「それでは、失礼します。
本当なら、お土産とかを買って帰りたいのですが……」
男「お気になさらないでください」にこっ
母 へこ
とことこ
男「……そっか、そういう事もあるのか」
男「俺ももう二十八……
学校の同級生からはちらほら式の招待状とかは届くんだがな」
男 のびー
男「こんな仕事してちゃ、相手なんてよりつかんわな。
せめてもうちょっと、自分名義の仕事増やして、
固定収入を演出するべきかな……
税務署もなんだか、原稿料を怪しんできてるし」
男「っていうか、それともアレかな、編集さんにコネを頼んで、
どこかの編集部にでも入れてもらうとか……
ムリだよなー。学歴ないし。
なんだか、自分の人生が急に不安になってきた……」
男「老後とかな、どうすんだろ……」
男「……はぁ」
とぼとぼ
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三十七日目・夜 洋菓子喫茶ミンドロウ・閉店後
店長「昨日はボロボロだったが、今日はちゃんと普段どおりに営業できたな」
ポニテ「うう、面目ない」
メイド「すみません……」
男「メイドは仕方ない。
最初から飲めないって公言してたのに、一服盛られたんだ」
ポニテ「最初は盛ったけどさ、酔っ払った後に、
他のお酒にまで手をつけたじゃない」
男「そもそも酔わせなければ良かったんです」
メイド「お、男さんが、私をかばうなんて」
男「かばうというか、事実というか」
メイド「一生の不覚! 死にたいくらい悔しいです」ううっ
男「ソコまで嫌かよっ!」
メイド「ちょっと嬉しかったですが、
照れくさかったのでごまかしました」
男「……素直に言われると、コッチが照れくさくなってくるな」
ポニテ「若者はいいにゃー」ずずず
店長「うむうむ」ずずず
男「ほら、二人。
番茶みたいに紅茶啜ってないでくださいよ。
今日の連絡は特に無しですか?」
店長「おう。特に連絡は無しだ」
男「じゃ、俺から一点。
今日の昼に、俺が以前アレルギー対策ケーキを作った子の、
お母さんが来店しまして」
店長「ほほう。んで、要件は」
男「実は何年も前に籍は入れていたものの、
旦那さんとの結婚式をまだ挙げていないそうなんです。
子供さんも一緒に参加できるように、
披露宴だけでも、アレルギー対策ケーキで行いたいというお話でした」
店長「なるほど。確かにな。
子供ができたんなら、一緒に思い出にしたいって気持ちはわかる。
だが、式はいいのか?
俺の知り合いに牧師になった男がいるから、
日曜じゃなけりゃ、個人的に頼めるはずだ」
男「お、ホントですか?
それなら、店内も元から落ち着いた内装ですし、
ちょっとその手のものを持ってきてもらえば、
ここで式から披露宴まで出来ますね」
店長「おうよ」
ポニテ「……そっか、そうだよねー」
店長「ん、どうした?」
ポニテ「いやさ、今回はお子さんだけど、
たとえば御本人がアレルギーの場合でも、
場所によってはケーキが用意できなかったりするわけでしょ?
新婦さんとか新郎さんが、
美味しそうだなーって我慢している中で食べるのも寂しいし。
そういう意味で、披露宴を迷ってる人とか、
実際に諦めた人とかいると思うわけ」
店長「ふむ。そういう人でも食べられるウェディングケーキを、
披露宴、希望があれば式もセットで行えれば、一つの商売になるか。
回数が増えすぎなければ、貸切は店としてもワリが良いしな」
ポニテ「店長さえその方向で店をPRする気が有れば、
今回は割安で受けて、代わりに写真とか撮らせてもらってさ、
モデルケースになってもらうのもありかなーと。
それで、その写真で簡単なパンレットを作って置いておくわけ。
本当は欧米みたいに、正規の式場でアレルギー対策を万全に出来ると良いけどね。
今の日本で、卵、小麦粉、生クリーム禁止のケーキを完全にサポートするのは、
わたし達みたいなケーキ屋の方が向いてるんじゃないかな?」
店長「たしかにな。いくつかのアレルギー、ってだけなら大丈夫らしいが……
基本的な材料を根こそぎ使えないと言われると、
セットプランなんかで売ってる式場じゃ対応できないだろう。
あくまで普段の営業の延長としてのものになるが、
そういった、サービスの隙間を埋めるのも、
小規模だから出来ることと思えばやりがいがあるな。
簡単でもないが」
ポニテ「えへへ」
店長「どうした?」
ポニテ「なんでもないよー♪」
店長「なんだよ、コイツ」
男「何かいい雰囲気だし、そっと帰るか」ぼそぼそ
メイド「男さんにしては、いい意見です」ぼそぼそ
そーっ
店長「そうだ、男、お前のケーキな――
って、あいつらいつの間に帰りやがった……」
ポニテ「何か言いたい事あったの?」
店長「いやな、あいつのロクァート・エト・オランジュだったか。
案外一部にウケてるらしい。
そこで、もう少し味や見た目に工夫を入れて、
商品としての完成度を高めてから、
五月末から六月の季節メニューにどうかと思ってな」
ポニテ「お! それはきっと男くん喜ぶよ」
店長「しかし、仕事の飲み込みも良いし、
気立ても悪くない、接客態度も十分だ。
物書きさせてるのが勿体無くなるな」
ポニテ「……それ、言うの?」
店長「物書きを辞めたいって言われたらな。
そうじゃ無けりゃ、男の選んだ道だ。
黙って見守るのが粋だろうさ」
ポニテ「そうだね」
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三十七日目・夜中 ポニテ自室
ポニテ「ただいまー……
お、犬くん、お出迎え?」
犬「わん!」たったった
ポニテ「よーし、いいこだー♪」 ぎゅー
犬「わふー」ぱたぱた
ポニテ「今日はね、いいことがあったんだ」とことこ
犬「わふ?」とことこ
ポニテ「店長がさ、あのケーキの事で、
積極的になってくれたの」
犬「わん」ぱたぱた
ポニテ「えへへ、コレも、男くんのおかげかな?
店長、ずっと、ずーっと、悩んでたからね。
妹さんが死んじゃって、彼女のために作ったレシピの事は忘れたい、
でも、このレシピがあれば、きっと今より多くの人が笑顔になれるって。
店で出せなくても、作り方をまとめてチラシとして置くだけで、
何もしないよりマシかもしれないとか、
酔っ払って、悩んで、頭抱えてたのにね」なでなで
犬「わふわふ」こてーん
ポニテ「お腹がいいのー?
そりゃそりゃー!」こしょこしょこしょー
犬「わふわふわふ!」ぱたぱたぱた
ポニテ「何も出来ないのが、歯がゆくてね。
慰めても、怒っても、傷を広げるだけって分かってたから。
でも、こんな形で店長もあのレシピと向き合えた。
これで、てん、ちょ、も……」ぐすっ
犬「わふ?」
ポニテ「やっと、振り切れる、かな……っ」ぽろぽろ
犬 ぺろぺろ
ポニテ「……っ……っ…………」ぐすっ
犬 ぺろぺろ
ポニテ「ありがと、もう、大丈夫だよ」なでなで
犬「わふっ♪」
ポニテ「ふふ。あー、何か、うれしいなー♪」 くるくる~
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四十四日目・昼 洋菓子喫茶ミンドロウ・披露宴
店長「それでは御参列くださった皆様、
この後は立食式のパーティーとなりますので、
店内の方に移動してくださいませ。
なお、メニューにおいて、
アレルギー対策を行っているメニューには、
星のシールが貼られております。
何を食べるか迷ってしまわれる方は、
参考にしていただければ幸いです」
パチパチパチ
ザワザワザワ
妹「司会、プロみたい」
男「いやー、意外でした。
店長が元はDJ目指してたなんて……
マイクで聞こえやすいように喋るのって、
ちょっとコツがいるのに本気で上手いし」
ポニテ「目指してたっていうか、セミプロだったみたい?
あんまり話してくれないけど、
予算の少ない番組なんかで、学生価格で雇って貰ってたって。
それなりに人気もあって、評判もよかったらしいんだけど、
イロイロ有って、全て投げ捨てて、フランスに来たんだけどさ」
女「ホント、意外ですよね」
メイド「ほんと、店長ってお菓子作れなくなったら、
ただのダメ人間だと思ってましたよ」そわそわ
店長「だーれがダメ人間だ!」こつん
メイド「すみません、ついホントのことを口にしてしまいました」そわそわ
店長「このやろ。
ま、悪辣メイドは置いておくとして。
手伝わせてすまんな、妹ちゃん、女」
妹「問題ない。花粉は去ったから」
女「来た日が偶然結婚式の最中で、大わらわ。
手伝わないわけにはいかなかったしね」
店長「それでも、妹ちゃんは男の身内だからって手伝いに呼んじまったし、
女はそもそも客なのにな」
妹「こういうのは、いい経験。
誘ってもらって、感謝」
女「ま、もと同業者のよしみかな。
こんど一度無料ってことでいいわよ」
店長「それなら良かった。
じゃ、せいぜいこき使わせてもらうぜ」
妹「おてやわらかに」
女「ま、やるからにはちゃんと、ね」
ざわざわ
男「なあ、どうしたんだ?」
メイド「はい?」そわそわ
男「さっきから、ずっとそわそわ……」
メイド「……私のスタイルが」
男「?」
メイド「さすがに冠婚葬祭ともなれば、
メイド服は諦めねばならなかったわけです」
男「まあ、だからその給仕服なんだよな。
女性向けでもギャルソンっぽい感じの」
メイド「うう、落ち着きません……
それに、メイドに合わせたメイクばかりしていたので、
こういう服装に合わせると浮いていないか……」
男「大丈夫だって、かわいいよ。
髪を上げてるのも、なんだか新鮮だ」
メイド「かわっ……そ、そういう言葉は相手を選んでください。
えっと、その――」(////
男「……ムリに毒舌しなくてもいいんじゃないか?」
メイド「ちがいますよっ。
ほら、あちらで給仕してさしあげてください。
私はキッチンでまだ調理がありますから」
男「ああ、そうだな」
とことこ
メイド「せっかく、それでも嬉しいって、言おうとしたのに」ぶつぶつ
ざわざわ
女「こちらのキッシュは、
当店でも高い人気のある定番商品として、
ディナータイムにいらしていただければ、普段でも御提供しています。
今が旬のほうれん草を練りこんだ緑色の生地に、
ホワイトソースが絶妙に絡み合い、
しめじ、鶏肉、そしてやはり旬のラディッシュと、
味も見た目も色鮮やかな一品です。
ぜひお楽しみ下さい」にこっ
店長「どうですか、この美しい純白のスポンジ。
小麦粉や卵を使った場合と異なり、
米粉に、当店のヒミツの手法で作ったスポンジだからこそ、
このように、奥様のお肌のように、
真っ白くきめ細やかに焼きあがるのです。
清純さの象徴の白を囲む、同じく純白のクリーム。
散らされるのは永遠の象徴である金粉と、
人を魅了する銀色の輝きのアラザン。
丹精込めて作らせていただきました。
奥様のような方に食べていただければ、このケーキも本望でしょう」にこっ
妹「うん、そう。ゆっくり力を入れて絞るの」
ポニテ「調子はどうです?」ぼそぼそ
妹「悪くない。子供はやっぱり、クッキーにお絵かきが魅力的みたい」ぼそぼそ
ポニテ「今日はお子さん多いですからね。
企画した妹ちゃんのお手柄です。
おかげで走り回る子もいません」にこっ、ぼそぼそ
妹「……その、私も、作った」ぼそぼそ
ポニテ「はい? 妹ちゃんも?」ぼそぼそ
妹「……はい」 すっ
ポニテ「相合傘に店長、ポニテって……」
妹「……」ぐっ
ポニテ「が、がんばるよ」こくこく
メイド「ポニテさーん、料理、ちょっと鍋が!」
ポニテ「ありがとねっ」ぼそぼそっ、たたっ
妹「はい? 今のですか? ……次の結婚式のために、応援です」
母「どうも、今回は本当にお世話になりました」
夫「妻から話を聞いています。
本当に、ありがとうございます」ふかぶか
男「お顔をあげてください。
私達は、自分たちにできる事をしただけです。
これだけ暖かい、天候に恵まれた日に、
優しい顔をした皆様とお式が出来たことは、
我々にとっても嬉しいことです。
これも全て、お二人の人徳の成したところかと思います。
どうか、末永くお幸せに」ふかぶか
母「ありがとうございます」
夫「それでは、我々はまだ挨拶があるので、失礼します」
男「はい、ごゆっくりお楽しみくださいませ」へこっ
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四十四日目・昼 洋菓子喫茶ミンドロウ・披露宴の片隅
店長「よし、そろそろみんな食事も満足したみたいだな」
ポニテ「そうだね。
材料も見立てどおり、今日の分は使い切ってちょうどかな」
店長「そりゃ良かった」
ポニテ そっ
店長「どうした、手なんか握って」
ポニテ「んー。なんとなく、
挙式した二人がうらやましくてね。
見た目が若いとか何とか言われても、
中身は既に賞味期限ぎれかなーとか思ってるから、特に」
店長「……そうだな。
考えてみりゃ、もう三十過ぎて四十も見える頃だ。
俺もずいぶんオッサンになった」
ポニテ「……」
店長「……幸せになるといいな、この御夫婦」
ポニテ「……こんなに、仲睦まじいし、
わたし達が演出したんだもん。幸せになるよ。」
店長「そうだな。よし、それじゃ、最後までしっかりやるか」
ポニテ「そうだね。
若人たちに働かせて、わたし達が楽してたらいけないね」
店長「そういうことだ」にやっ
ポニテ(……)
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四十四日目・夕方 帰り道
男「それにしても、お二人、きれいだったな」
女「うん。幸せそうで、見ているだけで暖かくなったわ」
メイド「お二人だけじゃなくて、みんながね」
妹「笑顔がいっぱいだった」
女「そんな笑顔を作ったのが、一つのケーキだからね。
ケーキってすごいと思う」
メイド「そこについては、男さんががんばったからですよ。
毎日早くにやってきて練習したり、
男さんの取材ノートが真っ黒に埋まるほど、アレルギーについて調べたり、
そういう努力が、あのケーキをつくったんですよ」
男「謙遜するわけじゃないが、本当に俺はたいした事はしてないよ。
できなかったというか、届かなかったというか。
店長がずっと研究した成果があったから、
あんな形で、それなりにでも、美味しいと思えるものが出来た。
そしてその店長がアレルギー対策のケーキを作ったのは、
やっぱり、ミンドロウって名前のようにさ、
ケーキが幸せな思い出につながるからなんだよ」
妹「ケーキは、幸せ」
女「そんな思いがお店の名前にあったんだ」
メイド「あの店長にしては、いいセンスですね」
姉『私? 私はね! 笑顔を作るお仕事!』
女「ケーキは、笑顔を……」ぽろっ
男「……どうした、女」
女「え、なんでも、ないから」ごしっごしっ
男「……ちょっと、こい」ぐいっ。ぎゅ。
女「ちょっと、何を――」
男 ぎゅー。なで、なで
女「その、恥ずかしいんだけど……」
男「……俺はどうやら、撫でるのが上手いらしい。
ついでに、泣き顔を見るのは苦手なんだ。
ちょっとこのままでいてくれ」なで、なで
妹「……私、駅でまってる。
メイドさん、送って」
メイド「ん、いいよ。それでは、またお店で」にこっ
とことこ
男「……」なで、なで
女「男は、ケーキで、人を幸せに、できると思う?」ぼそぼそ
男「できるよ」なで、なで
女「……迷いがないね」
男「この仕事をするまでは、分からなかった。
少なくとも、そんな事もあるんじゃないか、くらいだったよ。
でも、今は違う」なで、なで
女「違うの?」
男「おう。
だって、俺のケーキを食べてくれた人がさ、
笑顔で美味しかったって言ってくれたんだ。
コレはもう、信じるしかない」なで、なで
女「……」
男「美味しいお菓子は、ケーキは、人を幸せに出来る」
女「……そっか」
男「間違いない」なで、なで
女「…………」
男「あんまり話したくないから、今まで話したことがないけど」
女「なにを?」
男「文章も、誰かを幸せに出来ると、そう思ってる。
ただ同時に、誰かを不幸にも、する」なで、なで
女「……」
男「俺は、文章で人を不幸にした経験がある」なで、なで
女「……」
男「それ以来、ずっと怖かった。
怖かったけど、それ以上に、誰かを幸せに出来るって、
信じたいという気持ちもあった。
だから、ずっとゴーストライターとして、
死に掛けの、成仏できない思いになって、漂ってた。
でも、なんとなく今なら――」なで、なで
女「……そっか」
男「ありがとう」なで、なで
女「なんで?」
男「女がいたから、俺は、ここに来られたんだ」なで、なで
女「……うん」
男「さ、そろそろいいか?
妹が待ってる」
女「……うん。」すっ
男「よし、それじゃ行こう。駅まで一緒だろ?」
女「うん」
とことこ
女(それは――だれ?)
女(ひきこもりだった、女?
死ぬまで人の笑顔のために、ケーキを作っていた、姉?
姉の名前で、私だった魂で、つぶれそうになっている私?)
女(私なら、いいな。
いま目の前にあった笑顔が、私が作った笑顔なら)
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四十四日目・深夜 男の自室
男 ぺらり、ぺらり
男(ああ、うん)
男(ケーキ、だよな)
男(幸せにする、ケーキ)
男(そして、菓子屋の菓子)
男(甘ったるくて、照れくさい……)
男「俺が書くのは、こういう事であるべきだよ」
男 かたかたかたかた
男「そして、きちんと笑顔で、終わらせることだ」
男 かたかたかたかた
男『編集さんへ。
先日お送りした企画書ですが、そのうち2番と4番を選考からはずしてください。
それから、もう一つ、現在腹案段階のものがありますので、
明日中に企画書の形にして送付いたします。
大変身勝手ではありますが、どうかよろしくお願いいたします』
男 かたかたかたかた、たたん
男「送信――と。
うん、こんなわがまま言う日が来るなんてね。
それでも、重要だから」
------------------------------------------------------------
[追加シーン for メイドすきーたち]
四日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ・キッチン
メイド「……」
メイド かしゃしゃしゃしゃ
メイド「……」ちらっ
メイド かしゃしゃしゃしゃ
メイド「いつもなら、そろそろ来るはずですけど」
メイド かしゃしゃしゃしゃ
メイド「なんというか、来たら来たでイラッ☆ としますけど。
現れないとソレはソレでまた、気になりますね……」
メイド さっさっさ
メイド「……事故とかに遭ってませんよね?」
メイド さっさっさ
メイド「あんな人のことなんてどうでもいいんですが……」
メイド さっさっさ
メイド「……あれだけ張り切っておいて、やはり辞めたのでしょうか」
メイド さっさっさ
メイド「むぅ……」
メイド とろー。かしゃん。pipi pipi
メイド「ちょっと、店長に聞いてみましょうかね?
もしかしたら、店員服でやりにくい作業をしているんでしょうか」そわそわ
メイド「……しかし、もしもただの遅刻なら、ちょっと懲らしめないといけませんね」にやー
メイド ~♪ コネコネ
メイド くりくりー
メイド ぺんぺん
メイド「じゃじゃーん。完成です。
使わないパン生地の切れ端をこねて丸めて、
たっぷり打ち粉を付けた、即席黒板消しです」
メイド とことこ
メイド「ふふーん。これを、いつも男が開けるあたりにしかけて……」 ぎゅっ
メイド「これで、開けたら落ちてきますね♪」わくわく
がたがた、がちゃ
男「ふいー、ギリギリ遅刻しなかった……」
メイド「……」
男「あ、おはようございます」
メイド「……」
男「えっと、なんで人の顔をじっと見てますか?」
メイド「いえ、なんでもないですよ」
男「は、はあ……」
とことこ
メイド「……どうやら、落ちなかったみたいですね」とことこ
メイド「あれ、位置が変わってない?
ってことは、今日はこの裏倉庫からじゃなくて、
お店から入ってきたわけですか……」
がちゃ
ぽふん
店長「……」
メイド「……」
店長「……なあ、メイド」にやぁー
メイド「……なんですか、店長?」しれっ
店長「とても古典的なイタズラなんだが、誰がしたんだろうな?」じろじろ
メイド「……残念ながら、私はホームズではないので」しれっ。たらー
店長「ほほう、だが、目の前にいたよな?
落ちてきた相手を見やすい位置に……」にやにやぁー
メイド「イヤですね。私は外の空気を吸いに出ようとしただけですよ。
第一、私が犯人なら、離れてこっそり見守りますよ」しれっ。たらたらー
男 とことこ
男「ぷっ……」
店長 ぎろっ
男「あ、はははは! 店長、急に老けましたねぇ、くふふふ」
店長「……そうか、犯人はお前か」
男「はい?」
店長「いや、なんでもねえ。
なんでもねぇよ。なんでもねぇ……」
男「?」
メイド ふぅ……
------------------------------------------------------------
[追加シーン for メイドすきーたち]
四日目・昼過ぎ 洋菓子喫茶ミンドロウ・休憩室
男「@;*;LOP¥'GEFDH――っ!」ばたばたばた
だだーっ!
店長「ふ、天誅……」
メイド(う、うう、私のせい、ですよね)たらたら
ポニテ「んん? どうしたの?」
店長「今日の朝な、俺が店に入ろうとしたらパン生地のトラップがしかけてあってよ。
いわゆる黒板消しトラップだ」
ポニテ「あー。単純だけど、警戒してないと精神的にダメージあるよね」
店長「物理的にもな。打ち粉たっぷり。しかも、湿った強力粉だ」
ポニテ「あー。それは厳しい」
店長「おかげで一回シャワー浴び直して、
ベストとシャツも洗濯だ」
ポニテ「湿った強力粉は、拭ったりしても残るからね。
客前に出るときにきちんとしてなきゃいけないし、
店長がいちいち着替えて厨房に入ってるの、男くんも見てるだろうに……」
店長「まあ、その礼でな。あいつのピザのソースに、
デスソースを大量投入してやった」にやり
ポニテ「うっわ、それはひどいよ」
店長「そうでもないって。
キッチンに行けば牛乳が有るんだ」
ポニテ「いま、外に向かって走って行ったよ……」
メイド「……し、仕方ないですね。
私が牛乳、持って行ってあげます」とととっ
店長「うーん、そんな判断力まで奪うほど辛かったか……
ちょっと、やりすぎたかもな」
ポニテ「……男くんの気持ち、言葉通り味わってみる?」
店長「いや。俺はまだ料理を捨てたくない」
ポニテ「……南無」なむなむ
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[追加シーン for メイドすきーたち]
四日目・昼過ぎ 洋菓子喫茶ミンドロウ・外
男「げほっ、げほっ……」
メイド(う、うう、さすがにすごく大変そうですね)
メイド「男さん……」とことこ
男「し、死にかけた……いたい……げほっ」涙ぼろぼろ
メイド「お帰りくださいませー♪」
男「三途の川の対岸へ?! げほっ、げほっ」ぽろぽろ
メイド「あ、いけない。
助けに来て、とどめを刺すところでした。
はい、こちら、牛乳なんですが……」
男「そっか、牛乳……」
メイド「どんな方法で飲みたいですか?
その一、手のひらから。
その二、手のひらから。
その三、手のひらから。
の三択」つーっ。
男「ホントに手のひらに注ぎやがった……
げほっげほっ。
よ、四で」
メイド「口うつしになりますがよろしいですね?」にこっ
男「……歪みねぇ……げほっ」
メイド こく
メイド「んー♪」
男「……なあ」
メイド こくっ
メイド「飲んじゃいました。なんですか?」
男「コレ、店長だろ……げふっ」
メイド「はい。そうみたいですねー」しれっ
男「原因、朝のだろ……」
メイド「どうやらそんな感じみたいですよ」
男「あれ、メイドだろ」
メイド ぴくっ
男「やっぱりな……げほっ」
メイド「……」
男「おれ、牛乳ほしいなー……げほっげほっ」じーっ
メイド すーっ
男「助かった」ごくっ、ごくっ、ごくっ
メイド「そのー、店長には……」
男「ふぅ。うう、まだ痛いな……まあ、言わないよ」
メイド「……」
男「そんな疑り深い顔しないで欲しいな。
まあ、あれだ。ロシアンたこ焼きに当たったと思うよ」
メイド「……その、ごめんなさい」
男「いいって。……んむぅ、もう一杯牛乳飲もうかな。
とりあえず戻ろう」
メイド「……」
男「不服そうな顔だ」
メイド「なんというか、不吉というか」
男「俺をなんだと…………いや」にやっ
メイド びくっ
男「ちょっと、目をつむろう」にやー
メイド「え、っと、その。それは」
男「目、つむろう?」にやにや
メイド「……はい」すっ
男「……」
メイド「……」
メイド(い、いったい何なんですか、この沈黙。
にやにや笑ってる相手を前に目をつむる、
この、屈辱的かつ無防備で恐怖感をあおるな状況……!)
男「近くで見ると、メイドってまつげ長いな……」
メイド(近くで見るととか、とか、とか!)
男 ちょい
メイド ぴくっ
男「もーいいぞー」にやっ
メイド「い、い、いま!」
男「それじゃ、俺は店内に戻る」だだっ
メイド「ちょ、ちょっと男さん、今!」
たったかたー
メイド「いま、くちびるに、きす、を……」(////
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[追加シーン for メイドすきーたち]
四日目・昼過ぎ 洋菓子喫茶ミンドロウ・キッチン
男「ぷはー。牛乳がこんなにステキな飲み物に見えたのは初めてだ……」
男「二回目かも……」
男「作家の人たちと飲み会に行って、
宴会騒ぎに合わせて、酔ったやつがロシアン入れたんだよな……」
男「……翌日、思わぬ痛みに絶叫する羽目になったよな…………」
男 がたがた
男「うう、そんな事にならないでほしい……」
男(……しかし、メイドのあの様子、引っかかってくれたみたいだ)にやっ
男(口元にちょっとだけ牛乳がついてたから、指で取っただけなんだけど……
ほら、さすがにこう、相手があの悪辣メイドでも、キスはかわいそうだし)
男「ま、誤解させるような事を言ったのは事実だし……
後でちゃんと説明しよう」
男「……やりすぎたかな。まあ、デスソースと比べたら、悪くない駆け引きだろ」
男「……でも、あのビックリした顔が赤くなっていく様子が………………」
男「く、あの悪辣メイドにちょっとキュンとさせられるなんて!」
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五十一日目・昼すぎ 洋菓子喫茶ミンドロウ・休憩室
店長「ゴールデンウィークも終わって、
もういい加減初夏みたいだな」のびー
ポニテ「そうだねー。月日が過ぎるのは早いよね。
って、そう言い出すと急に歳をとった気に……」
男「う、実は俺も同じこと思ってました。同時に。
やっぱ子供におじさんって言われる事はあるかな……」
店長「男がおじさんなら、俺は爺さんか?
さすがにそりゃ、勘弁してぇな」
ポニテ「男くんが来た頃は、まだ寒かったのにね」
男「三月の末でしたからね。
花粉が酷くて、妹が泣いてたのを思い出します」
ポニテ「妹さんの花粉はもう?」
男「はい。殆ど全快みたいですよ。
やっとマスクをはずして走れるって」
ポニテ「そういえば、陸上部なんですよね、妹ちゃん」
男「おう、今度は大会があるらしいから、応援しないとな」
店長「そういや……
すっかり忘れてたが、男、
お前の作ったあのケーキだが、
よかったら定番として置かせてもらえないか?
案外人気があってな」
男「ホントですか! もちろん良いですよ。
うわー、嬉しいなー」
メイド「むうむう」
店長「むくれるなよ……」
メイド「むくれますよ。
私だってまだ、オリジナル置いてもらえないのに」
店長「もう置いても良い頃では有ったんだがな、
男がこうしてこの店にいられる時間は長くないからな。
自分の菓子を置く、って事自体を、
経験してもらいたかったのさ」
メイド「……そっか、すっかり、わすれそうになってました」
ポニテ「男くんは、いつまでも居るわけじゃないんだよね」
男「俺としては、いつまでもいたいですがね。
いっそ、物書きから転職しようかとも思うくらいですよ」
店長「やめておけ。
お前にはできないさ」
男「……」
店長「妹をあれだけ大事にしてるお前が、
作家なんて不定収入の、当たるかどうかなんて仕事してるんだ。
リスクを無視してでも、やりたいって熱意があったんだろ」
男「……そうでしたね」
店長「ま、食いはぐれたら来い。
またバイトとして雇ってやる」
ポニテ「ウチも大してかわらないけどね。
店のためのローンは小さくないから、
コツコツ返しても大半は利子で消えちゃうし。
ウチは客単価がそれなりにあるけど、
金額的には材料費だって安くないから厳しい。
不況の波でお客さんも減ってるしね」
メイド「うう、生々しいですよ」
店長「しかたねえ。
前にも言ったが、菓子屋は夢を作る仕事だが、
俺達は現実に飯を食わなきゃならないからな。
生々しくもなるだろ」
メイド「夢も希望もナッシングですね」
ポニテ「そうでもないよ?
実はまだ、店長となやんでたんだけど……」
店長「おい、まだきめてねえのに」
ポニテ「いいでしょ。むしろ男くんの壮行会みたいに考えようよ」
男「何かあるんですか?」
店長「あー、実はな。
最近できた、あるホテルグループの一つからな、
プレープンのレセプションで、
世界の賓客を相手に、特別なデセールをという依頼があった」
ポニテ「もしかして、あるホテルグループって、
最近都心の一等地にどーんと立って、
この御時勢に超贅沢なサービスを提供って事で驚かれた、あの?」
店長「あの、ホテルだ。
そして、現在の系列ホテルに入っている店の多くは、
かつてそうしてレセプションを依頼された……
要するにテストされた店だ」
メイド「つまり、半分は既に、出店の打診というわけですね」
店長「そこまで云わんがな。
それに、人数としてもクオリティとしても、
新しい出店は考えられない。
だが、これを機会にそうした依頼が増えれば、
店としては安泰だな」
メイド「なるほど。悪い話ではないんですね」
店長「難しい話だ。
印象がよければ店は安泰かもしれんが、
悪かった場合は、それこそ想像したくも無いな」
ポニテ「……」
メイド「それで、その参加を悩んでいるわけですね」
ポニテ「そういう事なんだけど、
折角こうして、チャンスがあったんだから、
掴みたいと思うのが本音でね」
店長「建前は、あんまり博打が過ぎてはいけない、なんだけどよ」
男「それなら、その話受けませんか?」
ポニテ「男くん?」
男「だって、運任せなら困りますが、
これはお菓子の美味しさを求めてのことです。
この店の、笑顔にするお菓子を、見せ付けてやりましょうよ」
店長「……」
メイド「私も、男さんに賛成しますよ。
そこに来る人たちの難しい顔を、笑顔にかえちゃいましょう」
ポニテ「……」
店長「…………そうだな」
ポニテ「そうだね」
店長「よし、そんじゃ、善は急げだ。
会には了承の返事を送る。
男もメイドも、俺達の背中を押したんだ。
今日からさらに、死ぬ気で励めよ」
メイド「もちろんです」にこっ
男「はい」こくっ
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五十三日目・昼前 女の自室
pipipi pipipi
女(う、うう……三十八度か)
女 ばたん
女(もう丸二日たつのに、熱が全然、下がらないな……)
女(体中痛いしだるいし重いし苦しいし吐き気がするー)
女(このまま、誰にも看取られずに部屋で息絶えたりして)
女(うう、ありえないと言えないあたりに……)
女(お手洗いに行くだけで、全身痛くて泣きそうになったとか……)
女(きびしいなー)
prrr prrrr
女(んん、でんわ?)
女「はい、もしもし……けほっ」
男<おはようございます。今日の打ち合わせの件なんですが>
女「……中止で」ぼそぼそ
男<えっと、すみません、聞こえなかったですー>
女「中止で、おねがいしま、けほっけほっ」
男<中止って、え、もしかして風邪とかですか?>
女「はい……」
男<……わかりました。確か一人暮らしですよね。
何か持って行きますよ>
女「……いえ、気をつかわ、けほっ」
男<喋るのがつらそうですね。
直ぐに家でて、向かうんで。
駅は先日きいたので、そこまではいけるから、
家までの詳細か、住所お願いします。
ではっ>
つーつーつー
女(う、え、あ)
女(男が来るの? え?)
女(ちょっと。二日お風呂入ってないし、
パジャマだし、髪ボサボサだし)
女(たしか、洗い物いっぱいあったよね。
うわ、洗濯、下着が室内干ししたまま)
女(部屋は、さほど散らかってないけど。
お姉ちゃんが、だらしない人って見られるのは)
女(やだ) ぐっ
女 へたっ
女(うううう、膝が立たないよ……)
女 ぽろぽろ
女(熱有ると、精神年齢下がるっていうけど)ぽろぽろ
女(よくわかなんないけど、わかった)ぽろぽろ
女「うう」ぽろぽろ
女 ごしごし
女(とりあえず、メール。
男は、来るなって言っても、無駄だろうから。
住所教えて、でも部屋には上がるなって)
女(チカンとか言ったら、来なくなるだろうけど。
それは、いやだ)
女 かこかこ
女(嫌いじゃないのに)
女 かこかこかこ
女(あの日、肩を貸してくれたのに)
女 かこ
女(それは言えない)
女「そう、しん……」かこ
女(ちょっとだけ、嬉しい自分もいて)
女(誰でもいいから、人に会いたいような) うと
女(男なら、もっと安心できそうな) うと、うと
女(ちょっと身長が低くて、
目つきが悪くて、
童顔で) うとうと
女(優しい) うと
女 すー、すー
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五十三日目・昼 女の自室
とんとんとん
女「ん……」
男「女さーん」
とんとんとん
女「いる、……けほっ、けほっ」
女 ぐっ
女(痛っ、重っ……) よた、よた
がちゃ
男「どうも、突然――って、顔色が」
女「ん、大丈夫、だから……けほっ」
男「大丈夫じゃないですよ。
ちょっと、失礼しますね」ぎゅっ
女「んっ」(////
(急に、抱きしめられて……
ちょっと、そんな、汗かいてるし、お風呂入ってないし)
男「お邪魔します」くいっ。とことこ
男 そーっ。ぎしっ
女(持ち上げられて、ベッドまで運ばれた……って、うう、中に入られた)
女「あり、が……けほっ」
男「その顔色じゃ、歩くのも辛いですよね。
鍵開けてくれてありがとうございます。
とりあえず、まずは食事しましょう。
出た直後だったんで、一度家に戻って、
冷凍してあったご飯を持ってきたんです。
それから卵も一つだけ、梅干と、昆布の佃煮。
直ぐご飯つくりますね。台所かります」
女「あ、うー」
女(早い、展開が速すぎてついていけないよ)
女(え、あああ、うあ、洗い物が山のようなの)
男「うん。なんとか鍋はあるから、作りながら洗い物かな……」
女(しないで、しないでくださいー!)
女(ううう、姉の名前に恥じないようにってがんばってきたけど、
中身はやっぱりひっきーで、
どうせ誰にもみせないしって、家事はまとめてやるタイプでー!)
男 かしゃかしゃかしゃ
女(そうだ、今の内に、下着だけでもタンスに隠して)ぎし
女(女は根性! 下着を見られるくらいなら、痛みにだって耐えられる)よた、よた
女(よし、確保)よた、よろっ
女「きゃっ」どたっ
男「どうしましたっ……あ、ぁ」
男(下着隠そうとしたのか。
でもこう、干されてる下着は別になんとも思わないけど、
本人が持ってたりすると――
しかも本人は汗に濡れてちょっと透けそうなシャツ姿って!
ええい、色即是空……)
男「ほら、危ないことしないで下さい」すっ
男(見ないように、ささっとー)
男「これ、どこに片付けますか?」
女「う、その……タンスの、下から三段目……」(////
男「失礼しますよ」さっさっさ
女「けほっけほっ」
男「はい。終わりました。
ムリしないでくださいね」ぽん。にこっ
女 こくん(////
女(ないよー。ないよー。ムリするよー。
干してあっても下着見られて、たたんで貰ってとか、
いや、干してあった下着だからいいかもとは思うけど、
それでもやっぱり恥ずかしいわけで……)
女「……させて、ごめ……けほっ」ぎしっ。こてん
男「気にしないでくださいよ。
じゃ、炊事に戻りますね」にこっ
女(せめて、かかってたのがちょっと可愛い系だったから、
まだありかなーなんて気があるようなないような)
男 じゃー、じゃー
女(そういう事じゃない、ん?
ううう、思考がまとまらないよ)
男 きゅっきゅ
男「よし、おじやも出来てる」
男 とことこ
男「はい、どうぞ。熱いので気をつけてください」
女 こくん
かちゃかちゃ
男(ずいぶん、殺風景な部屋だな)
男(壁に本棚ばっかり。
それも、ほぼ全部、日本語とか英語、フランス語の料理の本)
男(あの取材ノートと同じノートだけで、棚が二つ埋まってたり)
男(これが、女の、努力か)
男(……あれ、あの本)
男「あの、あそこにある本ってもしかして」
女「……編集さんから……送ってもらったの」
男「じゃあ、俺の本だって」
女 こくん
男「うう、恥ずかしいというかなんと言うか。
当時のものは、ヘタだし、青いしで、こう、もーって」がしがし
女「ふふ……けほっ」
男「ん? その隣の、本棚におかれてる写真って……」
女「……小さい頃の、わたしたち」
男「へー。双子……双子だったんですね。
ちなみに、その」こくこく
女「……もう、……この世には……けほっ」
男「すみません……」
女 ふるふる
女 ぱくっ
女「……ちそ、さま」
男「はい、お粗末様です。
っと、ちょっと失礼しますね。電話だ」とたた
女 こくん
男「はい、もしもし……ああ、うん…………」
男「で……から……うん……てって……か」
男「……た。……ってくれ」
男 とことこ
男「きまりました」
女「?」
男「これから、誘拐させてもらいます」にやっ
女「?!」
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五十三日目・昼すぎ 男の家
男「大丈夫ですか? 痛かったらいってくださいね」
女「……お、おもく、ない?」ぼそぼそ
男「まあ。人、一人分くらいの重さで。
おーい、妹、すまんがドア!」
がちゃ
妹「おかえり。待ってた……
背負ってきたんだ」
男「歩けないくらい弱ってたからな。
誘拐してきた」 とことこ
ぱたん
妹「誘拐は、英断」 とことこ
女(えっと、もう、何がなんだか)
男「来る途中に病院も寄ってきた。
風邪だってさ。注射されて泣きべそかいてた」とことこ
女 ぽかっ
男「ホントだろ?
そんなに注射なんか怖くないだろ」
女「……こわいもん」ぼそぼそ
妹「とりあえず、こっちへ」とことこ
男「はいよ」とことこ
女「?」
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五十三日目・昼すぎ 風呂場
妹「肌が白くて、うらやましい……」
女「~!!」
女(なんでこんな眼に……恥ずかしい…………)
女(すぐにつれてこられたのはお風呂場で、
湯船にお湯を張ってフタをしていない浴室は温かくて、
妹ちゃんに脱がされて、温かいタオルで体を拭かれて)
妹 きゅっきゅ
女「その……はずかし……けほっ」
妹「大丈夫。私は平気」
女(うん、服着てるからね!)
妹「腕、上げて」
女「うう……けほっ」
妹 きゅっきゅ
女「も、もう……」
妹「ちゃんとする」 きゅっきゅ
女「んん、……そこは……けほっ」
妹「……胸、うらやましいな」もみもみ
女「ちょ、もんだら……」
妹「重量感」もみもみ
女「ん……んん……」
妹「……こういう時、よいではないかーって、言うもの?」
女 ぶんぶん
妹「それなら、嫌よ嫌よも好きのうち、かな」
女 ぶんぶん
妹「……むずかしい」きゅっきゅ
女「……けほっ」
妹「ちゃんと拭いた」
女「ううう……」
妹 なでなで
妹「あの」
女「ん?」うるうる
妹「男も、私も、女さんのこと。好きだから」
女「……」
妹「頼ってね」
妹 がらっ、さっ
妹「私の服じゃ入らないから、男の。うであげて」
女 すっ
妹 きせきせ
------------------------------------------------------------
五十三日目・夕方 男の部屋
女 すぅすぅ
男「……」
ぱたん
男「やっと寝たな」
妹「病人が遠慮するのは、ない」
男「その通りだ。
さて、念のためうがいしてから食事の準備だ。
注射したから、夜には熱も下がるだろ」
妹「うがい、するの?」
男「万が一、俺達に移ったら、
女は気にするだろうからな。
そうさせないように、事前に打てる手は打つ」
妹「……めずらしく、かっこいい」
男「前半余計じゃないか?」
妹「……かっこいいよ」
男「……ありがと」
男(な、なんだ? なんだこの、落ち着かない感覚は。
そうかメイド相手だと、
たとえばただの無言になって、後半残らないのかよ見たいなツッコミしたり、
いい間違えましたっていって貶められるパターンが多いからか?)
男「なんか、絶望した。それが普通になってきてるなんて」
妹「……よく分からないけど、がんばろう」なでなで
------------------------------------------------------------
五十四日目・早朝 男の部屋
女「んー」せのびー
女「おお、体が軽い……」
女 くいっ、くいっ
女「……ここは、男の部屋?」
女「男のベッドで、ねてたんだ」
女「なんか、安心して眠れたような……」
女「……とりあえず、挨拶かな」
がちゃ
とことこ
男「ん、おはよう」
女「おはよう」
男「よかった。そこそこ戻ったみたいだな」
女「元気よ。すっかり」
男「んなわけあるか。
あんだけフラついてたんだから、体力とかは落ちてるはずだ」
女「まあ、多少それはあるかな」
男「じゃ、ムリはするなよ。
俺はこれから店にいくけど、どうする?」
女「いつまでも厄介になるわけにも行かないし、帰ろうかな」
男「別にいいぞ。
しばらく食客になってくれても」
女「……そっか、敬語」
男「ん?」
女「敬語じゃなくなってる」
男「ああ。うん……なんか、つい。
敬語のほうがいい?」
女「どっちでもいいかな」
男「なら、気楽に」
女「一応、この体調なら部屋に帰っても問題ないし。
部屋に読みたい本があるから、帰りたいかな」
男「そっか。それなら仕方ない。
じゃ、鍵を閉めるから、一緒に来てくれ」
女「それはいいけど……その、私の服は」
男「あー、昨日は結局、俺のコート上からかぶせて、
パジャマで誘拐してきたからな。
いまは庭で風にはためいてる」
女「……そっか、その、手間かけさせてごめん」
男「きにするな。
先日の挙式の時には、手伝ってもらったし。
とりあえず、俺のその服で帰ってもらって、
パジャマは後日、打ち合わせのときに返すよ」
女「そんなのは、好きでやったことだから」
男「こっちだって、好きでやったんだ。
同じことなんだから、まあ、気にしないでくれ」
女「うん、分かった」
男「よし、それじゃ行こうか」
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五十七日目・昼 某ホテル外
ポニテ「んー。つかれたー」せのびー
店長「ムダに堅苦しかったな」こきっこきっ
ポニテ「服、言われたとおりにフォーマルで来てよかった」
店長「そりゃな。契約書結びに、わざわざ出向けってなりゃ、
人品をみてやろうって、ハラだろ。
フォーマルかどうかだけでも、はったりにはなる」
ポニテ「へへっ」
店長「なんだよ」
ポニテ「いやー、店長って普段はアレだけど、
こういう時とか、頼りになっていいなーと」
店長「アレってなんだよ。
まあ、そりゃなあ。仮にも従業員抱えるオーナーシェフだ」
とことこ
ポニテ「そういえば、初めてだね」
店長「ん? なにがだ?」
ポニテ「二人で、店の営業日に外で歩く、なんて」
店長「確かにそうだな……
メイドも含めて三人だと、どうしても一人じゃ回らんし」
ポニテ「あー、ホントに男くん残ってくれないかなー」
店長「そんなに気に入ったか?」
ポニテ「……私より、店長のほうが気に入ってると見た」
店長「なんとなく、ソバカスに似てねえか? パリの店にいた」
ポニテ「あー、ああ! うん、確かに!
そっか、何か妙に親近感が沸いて、
近づきやすいなーと思ったけど、
私が勝手にソバカスくんと重ねてたのかも」
店長「結局、アイツはオヤジの反対に逆らいきれなくて、
アプレンティ(見習い)辞めちまったしな」
ポニテ「身近な人の反対は、重いよね」
店長「そこでな、俺もつい、
日本のソバカスくんにはがんばって欲しいと」
ポニテ「確かに、そうだねー。
ゴーストライター、だっけ?」
店長「ま、代筆業だな。
実は俺も、男から若いときのペンネームを聞き出して、
一冊読んでみたんだ」
ポニテ「どうだったの?」
店長「なんつーか。
内容についちゃ、俺はそこまでしっかりわかっちゃいないんだ。
なんか、戦争がどうたらこうたら」
ポニテ「なんか難しそうなの書くね」
店長「内容としちゃ、そうでもなかったけどな。
説明も分かりやすかったし、何よりキャクラターでしっかり引いてくれたしよ。
それなりに楽しく読めたほうだ」
ポニテ「なんか、奥歯にモノが挟まってるみたいな」
店長「ん。まあ、あれだな。
なんていうか、ああいう小説っていうのはさ、厳しいな」
ポニテ「どういう意味で」
店長「たとえば、俺達は菓子を作るだろ?
山ほど作って、山ほど食べて、ダメならもう一度作り直して……
有名店に行って味をまねたり、
シェフの言葉にワザと逆らったものを作って、どうなるか試したり」
ポニテ「うんうん。
そこらへんは一通り試すよね。
とくに、オリジナルを作ろうとする時には、
今まで食べたものの、見た目、匂い、味、手触り、舌触り、歯触り……
とにかく、出来る限り忠実に食材を思い出して、
頭の中で味をシミュレートできるようにする」
店長「そうした積み重ねが、俺達の味を作ってきた。
けど、作家ってのは、料理だけじゃない。
ソイツの全てが、詰まってるんだな」
ポニテ「んー」
店長「俺が日本にいた頃に、ある作家がどっかで、
『小説はクソに似ている』って書いたのを見た事があってな」
ポニテ「う、下ネタ?」
店長「まあ、分かりやすいから我慢してくれ。
作家にとっては、食べる飯そのものはもちろん、知識や経験も、食事なんだと。
活字中毒とかな。
それで、その経験を、しっかり噛んで消化して、吸収する。
血や肉にして、初めてその人間のものになると」
ポニテ「なるほど、それはそうかもね」
店長「んで、作家ってのは更にソコから、
他の人間で有れば吸収できなかったり、
気にも留めなかったようなようなモノ。
眼をそらして受け入れないようにしたもの。
さらに今まで体の中にあった老廃物……
まあ、なじみきった知識っていうのか?
そういった物をかき集めて、
ふんばって出すものなんだとさ」
ポニテ「それは……」
店長「しかも、他の人間でなら
『こんな臭いセリフなんか言えるかよ』って物も、
臭かったり恥ずかしかったりするのを我慢して向き合って、
原稿に文章って形で書かなくちゃならんと」
ポニテ「うう、きびしいかも」
店長「ま、そういうわけでな。
書いたものには、ソイツが見えるわけだ。
昔の文豪なんかの作品を読むときに、
作者について知っておくと深く分かったりするのも、ソレかな」
ポニテ「なんだか……まわりからちょっと、変な目で見られてる気が」
店長「気のせいだ。
で、男なんだが、ソレを書いた時のアイツはな――っと、あぶねえ!」
ポニテ「……え?」
どんっ
ポニテ「……え?」べたっ
ポニテ「うそ、そんな」
ざわざわ
「え、うそ、交通事故?」
「いきなり車が突っ込んで」
「女の子かばって」
「ねえ、うごかないんだけど」
「まさか」
ざわざわ
ポニテ「ね、ねえ、からかわないでよ……店長」
……
ポニテ「誰か、だれか!」
……
ポニテ「救急車をよんでください!」
……
ポニテ「店長っ、店長――!!」
------------------------------------------------------------
五十七日目・深夜 病院
男「ここ、だな。店長が運び込まれた病院」
メイド「……店長」
男「この時間じゃ、表は閉まってるな。
裏に回ろう」
メイド「はい」
とことこ
とことこ
メイド「……実は、深夜の病院に来るなんて、初めてで」
男「俺は――二回目かな。
俺をよく使ってくれる編集さんって人が一回、盲腸で運ばれて。
実は、妹も一回あるんだよ」
メイド「妹ちゃんも、ですか?」
男「ウチの両親がさ、とんでもないロクデナシだったんだよ。
妹は、年中両親が互いを罵りあう怒鳴り声が響いたり、
物を投げつけあったりするような環境で育ってな。
ある時、それがたまらなくなったんだろうな、
その喧嘩の間に割って入って。
頭に六針縫う怪我だったよ」
メイド「そんな、そんなの」
男「ソレが最後のきっかけで、二人は出てったんだ。
最低限の金だけ入れて、完全に放棄さ。
残されたのは高校に入っていた俺と、妹。
さらに、妹に残された傷は頭の縫い痕だけじゃない。
今でも、大きな音がすると、身をすくませて怯え続けたり、
会話のキャッチボールに多少不便が残ってる」
メイド「あの口調は、端的だから、性格かなと」
男「違う。いや、そうかもしれないが、そうなったのは事件後だ。
自分がきっかけになって、両親が帰らなくなったと知ったとき、
アイツは心を閉ざしてな。
ずっと閉じこもって、会話もしなくなった。
できなくなったんだ。
ただ、それでもアイツは努力家だったよ。
情けない話だが、接し方が分からなくてさ、
俺は妹も含めた家から逃げるように、バイトを続けてたんだ。
それなのに、俺が落ち込んだとき、
わざわざ俺を慰めるために、部屋から出てきてくれたんだ。
家族が原因で、そんな風に閉じこもらないといられないようになったのに、
家族の、ほったらかしだったダメ兄貴の俺に、そんな応援をしてくれた。
なんかもう、自分の不甲斐なさが情けないやら悔しいやらでさ」
メイド「……」
男「ちゃんと人の顔を見て対話したり、
学校に行けるようになったり。
精神科医が、ムリをしすぎじゃないかって心配するくらい努力して、
妹は、今の妹になったんだ。
まだあんまり、表情とかは苦手みたいだけどな」
メイド「……大切、なんですね」
男「ああ、大切だよ。
っと、店長の病室はココか」
こんこん
ポニテ「はい?」
男「失礼しまーす」がちゃっ
メイド「失礼いたします」
店長「よーう! 暗い顔しやがって、どうした。
初めての二人の店番に疲れたか?」にかっ
男「……」
メイド「その、車に引かれたって……」
男「意識不明の重態って」
店長「はっ。俺が車に引かれたくらいで、どうにかなるかよ。
とはいっても、右手は職人の命だからな。
なんとか、かばったんだが――
左腕を折るハメになったし、ついでに脳震盪起こしてよ。
それをポニテが死んだのなんだのと大騒ぎだ。
医者まで大げさに包帯巻いて、
まいったぜ」ふりふり
ポニテ「むぅー」
男「その、そんなに問題ないって言ってますが、
どれくらいで治ります?」
店長「全治三ヶ月の骨折らしい。
ちょっと折れ方が悪かったとか言ってたが、まあ問題ないだろ」
メイド「えっと、どんな意味で問題ないんですか?」
店長「店を続けるのに、だ。
もっとも、俺がこの腕じゃ、店の商品もいくつか出せないからな。
しばらく休業か……」
メイド「……もうちょっと」
店長「ん?」
メイド「もうちょっと、御自分をいたわってください」うるうる
店長「あー、すまん……
その、珍しい体験をしてな。
痛いとか辛いとかより、テンション上がっちゃってよ」
男「ぷ、く、ははは、店長らしいですね」
メイド「男さんまで……」
ポニテ「……たぶん、この二人だけじゃなくて、
男性って、そういう生き物なんだと思う」
メイド「はぁ……」
店長「ああ、んで、さっきの話の続きだ。
店が開けられないってのと合わせて、
話していたホテルの件、あれは断ろうと思ってる。
ポニテとお前達に任せる事も考えたが、
ホテル側から提供して欲しいって希望の中には、
エクレアをはじめとした、俺が出していたものがあるからな」
メイド「ソレに関しては、少し残念ですけど、問題ないですよ。
命があっただけ、良かったです」
店長「大げさだっての。
男も、悪いな、送別会代わりなんて言ってたのによ」
男「…………」
店長「不満か?」
男「え、あ、はい?」
店長「なんだ、俺が無事だと分かって、そんなに気が抜けたか?」
男「いえ、月がきれいだなーと」
店長「俺の怪我より月のが大事か!」
男「……たまには、仕返ししてみたくなりまして」にやり
店長「ったく。ウチの店にはロクなやつがいねえ」
メイド「筆頭が何をおっしゃいますか」
店長「ま、そんなわけだが……
何か質問とかあるか?」
メイド「そうですね。
休業期間の見の振り方など、少し考えてから相談したいですが、今は」
男「あの、そのホテルの話を断る件についてですけど」
店長「ん?」
男「明日一日、待ってもらえませんか?」
店長「待ってどうするんだ?」
男「俺なら、もしかしたら、断らなくてよくできるかもしれません」
店長「……そうか。わかった」
ポニテ「でも、店長」
店長「男が言うんだ。何か考えがあるんだろ。
それに、一日なら遅れても構わんだろう」
男「たすかります。それから、
これ、忘れないうちに渡します」
店長「ん? そりゃなんだ?」
男「店長の机の上に有った、読みかけっぽい料理雑誌です。
入院中は暇だって、いぜん入院した知り合いが言ってたんで、
花束とかケーキよりはコレかなと。
ま、元気じゃなかったら持って帰るつもりでしたが、
置いていっても良さそうなので、渡します」すっ
店長「ほー、さすが、気が利くな」ごそごそ
店長「……ま、とりあえず、今日はそろそろ遅い。
お前らはどうするんだ?」
男「あー、外に出てから話そうと思ったんだけど、
メイド、ウチにとまらないか?
妹が会いたがってるし、この時間じゃ電車もない。
タクシーで帰るなら、この病院からなら、
ウチの方が近いしな」
メイド「はい、いいですよ。
私も今日はなんだか、妹ちゃんで遊びたい気分です」
男「ちょっとまて、ウチの妹はオモチャじゃないぞ」
メイド「すみません、目的語が欠けていました。
妹ちゃんと男で遊びたい気分です♪」
男「二対一とは卑怯だな……」
ポニテ「はいはい。
夫婦漫才は帰り道でやってもらいましょうか」
男「あー、ポニテさんはどうします?」
ポニテ「んー、お店はどうしてきた?」
男「雨戸まで閉めて、
『店長の入院によりしばらく休業いたします』とだけ」
メイド「大した事がなかったら、始発ではがすとして、
念のためにそうしてきました」
ポニテ「うんうん、頼りになるー!
それじゃ、私は今夜はちょっと、
この部屋に泊まっていこうかな。
看護師さんのお尻を追いかけないように見張らないと」
店長「お、おいおい。
それができなきゃ、何のための入院だか」
ポニテ「……」にこっ
店長「……大人しくします」
メイド「それじゃ、本家夫婦漫才にあてられないうちに出ましょうか」
男「そうしよう」
とことこ
ぱたん
店長「……」
ポニテ「……ホントに、良かったの?」
店長「なにがだよ」
ポニテ「全身五箇所も骨折。
全身打撲。
ねんざ、すり身……
頭のソレも、手術までして……」
店長「問題ねぇよ。ちょっと伝え忘れただけだ」
ポニテ「わざとらしいなーもう」
店長「心配させるような必要はねえよ。
本当に、命に別状ってほどじゃねえんだ」
ポニテ「……あんなに頭から血を流したのに」
店長「頭は流血しやすいんだ。
脳震盪なのも間違いじゃない。
そこまでのことじゃないんだよ」
ポニテ「だったら、なおさら言っても」
店長「そういうのは粋じゃねえだろ?
ま、気にするなよ」
ポニテ「むうー」
店長「お、そうだ」ごそごそ
ポニテ「なに?」
店長「あのな、コレ、受け取ってくれねえか?」ぽいっ
ポニテ「これ? って、え、えええ?!」
店長「静かにしろよ。夜の病院だぞ」
ポニテ「だ、だ、だって、これ、指輪!」
店長「婚約指輪ってやつだ」
ポニテ「そ、その、これを私に? なんで?」
店長「……その、な。
ずっと前から用意は有ったんだ。
いつ言おう、いつ渡そうってのは」
ポニテ「う、うん」
店長「だがなぁ、店も忙しかったし、
去年はメイドが来てから客が減ったり増えたりしたろ?」
ポニテ「あー、うん。
メイドちゃんのメイド姿を目的にね。
独特の空気のお客様が」
店長「それを怖がった常連さんが減っちまってな。
収入はゆるやかに下降線をたどり」
ポニテ「二人でこっそり、解雇するか話したよね」
店長「まあ、そんな騒ぎもあったし、
とにかくイロイロで渡せずに、
あのレシピノートと一緒に引出しに入れてたんだ。
それを、気を利かせた男が持ってきたらしい。袋に有った」
ポニテ「……」
店長「こうやって一度、
『ああ、俺、死んだなー』って体験すると、
後悔がいくつもあるのな」
ポニテ「……そっか」
店長「その一番がコレだ。
ポニテに求婚してない、ってな。
なんだかんだ、長く隣にいる。
寂しい夜はまあ、それなりのこともした。
そんな、なんだかんだがあったのに、
いや、あったからなのか。
結局のところ、ズルズル来たわけだ」
ポニテ「……」
店長「で、こないだの発言だ。
あの挙式の時、迷ったんだ、かなりな。
俺がいるって、言うかどうか。
ただ、もっと場所と言葉と時間を選んで、
ちゃんとした形で、
俺から伝えるのが正しいと思ってよ」
ポニテ「こんなの、ちゃんとしてないよぉ……」うるうる
店長「ちゃんとしようとしたら時間がかかるだろ。
それじゃ、もしかしたら間に合わないって事に、
こんな年齢になって、死に掛けなくちゃわからんかった。
だから、まず渡してみた。
文句があるなら聞いてやる。
そんで、ポニテ好みの方法で、改めて渡す」
ポニテ「改めて渡すって、なんだよぉ……」ぐしぐし
店長「……こい」
ポニテ「……」ぐしぐし
店長「……」がばっ
ポニテ「……」きゅっ
店長「なあ、これからも、俺と居てくれよ」
ポニテ「うう、しまらないよぉ」ぐしぐし
店長「しょうがねえ。
ポニテがわざわざ追っかけてきたのは、
そんな男なのさ。
違うか?」
ポニテ「せめて、もうちょっと、
キメられる人だと思ってた……」
店長「そいつは残念だ。
これでも精一杯キメたつもりなんだが」
ポニテ「全然、だめだもん……」ぎゅーっ
店長「そうか、だめか」
ポニテ「だめだよ。だめだめ。
でも、いいよ……しょうがない」じっ
店長 なでなで
ポニテ「ん……」
店長「生まれ変わったら、
今度はかっこよくやってやらぁ」
ポニテ「……期待してる」きゅっ
店長「よし、そんじゃ手、出せ」
ポニテ「はい」すっ
店長「あー、あれだ。
大切にしてやるよ」
ポニテ「……ばか」
店長「ココはこう、なんかソレっぽいこと言えよ」
ポニテ「……ばーか♪ ふふふふ」
店長「あーもう知らん。てい」ずぽっ
ポニテ「しょうがないから、大切にされてあげる」
店長「おう。
俺も賞味期限はとっくの彼方だ。
良くないものにあたったと思って、諦めてくれ」
ポニテ「ホントに、ばーか♪」ちゅっ♪
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五十八日目・朝 女の家
prrr prrrr
女「ん、んー」ぺたぺた
女「んー」ぎゅっ
女「……電話? 男から?」
女「はい、もしもし」
男<どうも、お世話になってます>
女「こちらこそ」
男<あー、その。ちょっとだけ良いか?>
女「なに?」
男<ちょっと話したいことがあるんだが、
部屋を訪ねさせてくれないか?>
女「男にしたら、すごく、強引ね」
男<ちょっと事情があってな>
女「……しかたないか。
二時間後に、部屋まで来てくれれば。
昼には仕事で動くつもりだから、ソレまでだけど」
男<問題ない。じゃ、それで頼む>
女「はい。また後で」
つーつーつー
女「ホントに、男らしくないというか」
女「何か焦ってる?」
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五十八日目・昼前 女の家
男「お邪魔します……」
女「その、散らかってるけど」
男「急に来させてもらって、ごめん」
女「まあ、大事な話っていうなら仕方ないから。
椅子にかけてて。
いまお茶を出すから」
男「あ、お構いなく」
女「たいしたことじゃないし……
はい。お茶菓子は、一応これくらいなら」
男「ありがと。
あんまり時間がないんだよな?」
女「まあ、うん。
予約とか入れてないし、そこまで急ぐほどじゃないけど、
今日はちょっと遠い店に行く予定だったから」
男「……そっか。
その、単刀直入に入ろうと思う」
女「うん」
男「きみに、ケーキを作って欲しい」
女「……私に?」
男「実は昨日、店長が交通事故にあったんだ」
女「っ、それは、大丈夫だったの?」
男「んー、ちょっと空元気って気もしたけど、
空元気でも出せる程度には元気だった」
女「そっか、よかった……」
男「それで、ミンドロウで受けていた、
あるホテルの仕事があるんだけど、
店長が左手を骨折してて、製菓が出来ない状態なんだ」
女「それで、私に?」
男「きみなら、出来ると思って」
女「なんか、前にも男にはケーキを作って欲しいって、
頼まれた気がする」
男「アレルギーの時に、一度」
女「その時にも、私は断ったわ」
男「……」
女「今回も、断る」
男「それはどうしてか、理由を聞かせて欲しいんだ」
女「……引退してるからよ。
製菓業界から」
男「たしかあの時、私には作れないと、そう言ったね」
女「聞こえてたの?」
男「微妙に、だけど、記憶に残ってた。
なんで作らないじゃなくて、作れないなのかって」
女「別に、そんなのはたいした違いじゃないでしょ」
男「いや、違うはずだ」じーっ
女「そんなの」
男「きみは、『女』っていう名前じゃないから」
■「……」
男「ずっと疑問だったんだ。
最初に話をしたとき、俺の中に何かが強く引っかかった。
それが何なのか。
俺は、きみの、技術に対するプライドの高さだと思っていたんだ。
作り手としての誇り。
簡単に知った気にならないで欲しいという言葉を、
そういう意味で捉えていたんだ」
■「そういう意味で、言ったのよ」
男「だが、それだけじゃないはずだ。
なぜならきみは、作り手じゃないから……」
■「いい加減にしてよ! なんなの、いきなり人の部屋にきて」
男「きみが俺の代筆を断ったときに、
たしかこう言ったんだ。
『私の名前を任せられない』って。
それが、俺の中でずっと引っかかってたんだ」
■「それのどこがおかしいのよ」
男「名前を一つのブランドとして考えれば、確かに間違ってない。
だから俺もずっと、きみが見せたその瞬間の表情と、
言葉の内側のずれに、気付けなかった。
あの時君は、自分の名前を汚されることを嫌っていた表情じゃなかった。
あれは――名前への、愛だった」
■「自分の名前が好きで、何か悪い?」
男「好きか嫌いかじゃない。
その名前と、その名前を持っていた人への特別な思いが、
そこに現れていたんだ。
そしてその名前は」とことこ
■「ちょっと、勝手に触らないで!」
男「この人の名前だろ。
きみの隣に写って、楽しそうに笑っている、天才パティシエの『女』さんだ」
■ ばっ
男「編集さんの伝手を総動員して探して貰ってたんだ。
『女』さんの、まだパティシエだった頃のインタビューを。
そこに何か手がかりがあると思って、見つけたよ」
■「……」
男「双子の姉妹がいると。
そして、ずっとひきこもっていると」
■「私は、ひきこもりなんかじゃない」
男「ひきこもり、だったろ?
わかるんだよ。
きみは妹にあってるから、もしかしたら分かってるんじゃないか?
妹も、自分の世界に、部屋の中にひきこもって、
過ごしていた時期がある」
■「そんなのが、何よ」
男「喋り方、目の配り方のように、
それとない仕草が似てるんだ。
狭い部屋の中で暮らしていたから、体の動作が小さい。
心を閉ざしていたから、人と話すときについ眼をそらそうとする。
一概に言える特徴じゃないから、
雰囲気という言葉が相応しいわけだけど、
きみの雰囲気は、閉じこもっていた妹と、同じなんだ」
■「そんなの、ただの勘でしょ」
男「いや。それだけじゃない。
俺は、きみのお姉さんが死んだ場所まで行って、
当時事件を担当した婦警さんと、話もしてきた」
■「なんで、そんな事」
男「……今回請け負った小説で、
俺は、それを書くつもりだった」
■「……人の、ヒミツを調べて、ばらして、気持ちいいの?!」
男「そんな理由じゃない。
きみが見たがったからだ!
きみが俺に、書いて欲しいと云ったんだ!」
■「そんな事、一度だって頼んでないわよ……」
男「たった一言だったけど、頼んだよ。
一日かけて、二人で歩いたあの日にね。
にせものって」
■「……そんなの」
男「そして、俺に聞いたよね。
にせものは幸せになれないのねって。
俺はその答えを、小説という形で――
店長達がケーキで、人の幸せを作るみたいに、
俺は自分の書く小説で、きみの幸せを書いて見せようとしたんだ」
■「……なんで、」
男「昔の俺に、似てたからだ」
■「昔の、男?」
男「その本……俺の書いたのを読んだなら、知ってると思う。
俺が、一つの作品でいくつかの出版社をまたいで賞を取って、
新世代の旗手なんて呼ばれていた事」
■「『名も亡き犬のレクイエム』」
男「あの時に話した、出版社によって作られた人気パティシエの話は、
おれ自身の体験なんだ」
■「……」
男「その本自体は、たいした作品でもない。
どこかで見たようなものの張りあわせだ。
だが、当時の評価者の言葉を借りるなら、
『たった一つ、人を引きずりこんで離さなくする言葉がある』と、
そんな理由で、俺を人気作家の座に引きずりあげる計画が作られた」
■「そんな事が、本当にあるなんて」
男「若い男の書いた、斬新な表現と人間らしさにあふれた作品、って言う評価だったか。
その時はまるで夢のようだった。
自分が作ったものが、まるでものすごく良いものだったように、評価されたんだ。
評価者たちの言葉は、忘れたいのに、忘れられない」
■「……」
男「だが、そうして作られた新時代の旗手という名声は、
その選ばれた理由によって、奪われた」
■「それは?」
男「たった一節。
俺の中にあった、吐き出せない気持ち。
どうしようもない憧れと、そこへの諦め。
それを全部煮詰めて、作った言葉。
『どうせいつかは後悔するんだ、どうせだったら、自分のしたい後悔を選べ。
生きたいように生きて、死にたいように死ね。
自分の選んだ後悔を抱いて、
せめてその後悔を選んだ事だけ、後悔しないように朽ちていけ』」
■「まるで、死ぬために生きるような」
男「ああ、当時の俺はそうだった。
両親は毎日のように喧嘩を繰り返し、
とうとう妹を死なせかけて、
互いにバツが悪そうな顔をして救急車も呼ばずに部屋を出ていった!
遺された妹を抱きしめても、返事もない。
高校生だった俺は、たった一人の大切と思える家族を守りたいと思っても、
ただ助けを待つことしか出来なかった。
そんな、両親の身勝手さに、自分の弱さに絶望した!」ぜ、はぁ
■「……」
男「そして両親は戻らず、妹と二人きりになった。
しかも妹は、両親に殺されかけたことと、
自分がその両親が出て行く契機になったことを悔やんで、
部屋から一歩も出てこなくなった……
兄として、男として、人として、
崩れ落ちていく妹を前に、
俺は何をすればよかったんだろうな。
何も出来なかった。
ただただ、壊れていく姿を前にすることしか出来なくて、
とうとう俺は、生活費を稼ぐためなんてもっともらしい理由で、
逃げ出したんだ。
何日も家に帰らないで、
一人ぼっちの妹を家において、
忙しいから仕方ないと自分に言い訳をしていた。
何のために生きるんだ?
自分には何ができるんだ?
どうしたら、自分を、そして妹を笑顔にできるんだ?
どんな相応しい理由があって、
俺も、妹も、笑顔をうばれなくちゃならなかった?
毎日のように降り積もる疑問と、
その疑問に答えが出ないことへの自己嫌悪だ。
死ねばいい。
ずっとずっと、心の中でつぶやき続けていた。
死ねばいい。
もう、この命になんて、何の価値もないって」
■「それなのに、どうして小説だったの?」
男「……好きだったからだよ。
家族がそんな風になる前は。
いつもいつも、小説とかマンガを読んでいたんだ。
こんな風に格好良い大人になりたい。
人を助ける姿にあこがれて、
笑顔を作る背中を追いかけて、
頼りにされる人間になりたいと願った。
俺にとって、小説の中の登場人物は……
ひいては、小説そのものが、
笑顔と、夢と、希望と、憧れの塊だった。
だから、そんなある日さ。
バイトを終えて深夜に帰った時、
扉を開けて家に入ったところで、
食事を取りに出てきていた妹の目を見て、思ったんだ。
悲しそうで、苦しそうで、辛そうで、怯えて、
何にも頼ることなんか出来ないと諦めながら、
それでも何かに頼らないといけない自分を嫌悪した瞳だった。
俺がたとえば抱きしめても、
どんなに金を稼いで有名な医者に見せても、
ここまで壊れたら、もう元には戻らないって、わかった。
だから、決めたんだ。
もしまだ妹を大切にしたいと思う心があるなら、
―― 小説を書こう、と。
そんな力が、小説にあると思ったから。
どんな方向にでもいい、
生きる力を手に入れてくれるようなものを書きたかった。
長い時間をかけて考えて、
自分が本当は自由なんだって気付けるように、
『今の状況が嫌だと思うなら、手段を問わない覚悟があれば変えられる』
って事を、伝えるような内容を作ろうと決めて、
一本だけ、妹のために、書いたんだ。
もっとも、それが本当にそんな物を伝えられるか分からなかったから、
とりあえずプロに見てもらおうと、
選評(新人賞などで送った原稿に対する選者の意見)がもらえる賞に送ったんだ。
そうしたら、それが大騒ぎにつながったのさ」
■「妹ちゃんは、それを読んでどう?」
男「出版された本を渡して、読んでもらったよ。
……泣いてた」
■「……」
男「閉じこもっていた部屋から出て、
俺の前に来て、
悲しいことを云わないでほしいと、泣いたんだ。
悲しい顔をしないで欲しいと思って書いた小説が、
何より妹を悲しませたんだ。
悲しみに沈んでいられないくらい強く……
結果的には、妹はそれから徐々に部屋から出るようになった。
学校の同級生だった子も会いに来てくれて、
少しずつ勉強して、高校へも通える事になった。
妹は、結果的に立ち上がった。
ただ、そうじゃない人も居た。
一時期、中高生の自殺が流行した時期があるのを、知ってるか?」
■「……そういえば、ニュースでちらっと」
男「その中高生が読んでいたのが、俺の、その小説だった。
暴力的な描写がいけなかった。
軍や戦争を描いたのがいけなかった。
不道徳的な言葉が使われていたと。
とにかく理由をつけて叩くマスコミを前に、
俺をその新時代の旗手として持ち上げようと考えた選者が、
真っ先に俺を叩くほうに回った。
お前が殺したと。
人生を狂わせたと。
責め続ける言葉に耐え切れなくなって、
俺は、ペンネームを捨てて、書かないことを選んだ。
はずだった」
■「それじゃあ、なんで今は、書いてるの?」
男「きっと、やっぱり小説が好きだからさ。
どんな事を言われても、
どんな結果を見せられようと、
俺は小説を嫌いになれなかったんだ。
そんなときに、今の編集さんと会ったんだ。
大ファンです、どんな形でもいいから、書いてくださいって頼まれて、
俺はその言葉に飛びついて、今に至るよ」
■「……」
男「……これが、にせものの人気者になった、俺の話だ。
ただまあ、付け加えるなら」
■「?」
男「どうやら、妹以外にも、少しは救えた人がいるらしい」
■「…………よかったね」なでなで
男「……俺の話は終わりだ。
そして、俺は、こんな俺に、きみがどこか似てると思ったんだ」
■「……似てるといえば、似てるかもしれない。
もう、全部調べたみたいだから言っちゃえば、
そうです、私は『女』じゃないです」
男 こくり
■「勉強も、運動も、製菓の才能も、
人の何倍も持ってて、
性格まで、妹の私がかなわないと思うくらい、
ステキだったお姉ちゃん。
私は周りから、そんなお姉ちゃんじゃなくて、
でがらしみたいに何もできないアンタが死ねばいいのにって、言われたの」
男「そんな……」
■「だから、死んだ方を入れ替えたの。
私が『女』になって、死んだ『女』が私だったことにして。
お姉ちゃんの人生を汚さないように、
ギリギリの線で生きてきたの」
男「それが、あの本か」
■「私には、お姉ちゃんみたいなお菓子は、作れないから。
私でも出来そうなことを、
食べる事をがんばった結果が、あの本」
男「小説というものへの希望だけで、
この世をふらつき続ける生霊と」
■「お姉ちゃんの名前を借りることで生きる意味を手に入れたのに、
お姉ちゃんと同じことが出来ないから、
この世をふらつくしかない生霊」
男「似てるだろ?」
■「……似てないよ」
男「……似てないか」
■「でも似てるかも」
男 そっ
■ きゅぅ
男 にこっ
■「……手、温かい」
男「……そっちこそ」
■「まだ、死んでないからね」
男「生霊、だからな」
■「ただし、男には生きる手段があるよね。
置いて来た名前でもう一度立ち向かうって、手段が」
男「きみだってある」
■「……本当に?」
男「君が、職人になればいい。
本物に――本物以上になればいい。
人を笑顔にさせるお菓子を作るんだ」
■「それは、『女』の言葉で」
男「違うよ。俺は、きみの真実を聞いた。
『…………好きですよ。ずっと作ってましたから』
ってね」
■「だから、それは『女』としての言葉だったんです」
男「確かにそう聞こえるけどさ。
きみの本を、書いた文章を読めば分かる。
信じられないほどたくさんのお菓子と向き合ってきたこと。
他の人が気付かないほど深くまで見つめてきたこと。
そして、それを実際に作ってみたこと。
あのノートに書かれていたお菓子は、
全部ではないかもしれないけれど、
作ったんだよな。
すきだから」
■「……」
男「あのお店で働いて一番思ったのは、
自分はいままでいかに、
味わう事を忘れていたか、だった。
オリジナルのケーキを作ってみろって言われた時にさ、
ふっと、浮かんできたんだ。
ぷりっとしたハリのある果肉がたっぷり詰まった、
甘い香りを漂わせる枇杷の、
口の中一杯に広がる果汁と食感。
どっしりとした甘みと共に、
それでいてしつこく感じさせないさわやかな酸味、
そしてぷちぷちと弾ける楽しい音の響きを持ったアンコール。
口の中に二つの甘みの共演の中に、
どんな味が欲しいだろう。
そこには力強さが無くちゃいけない。
このケーキ全体を包んで、
香りも、甘みも引き締めた上で、
全てを引き立たせる役者として、甘みと苦味の強いチョコレート。
口の中で演奏されるフォルティッシモの交響曲は、
たしかに力強く魅力にあふれているけれど、
そればかりでは優しくない。
そこで、甘さを控えた生クリームと、
わずかながら絶妙に色調を変える効果を持つ、
フランボワーズのムース……」
■ ごくっ
男「そしてそれを作るときは、
自分の中にある、こうしたい、という味とのすり合わせになる。
どれだけの量の砂糖を加えるか。
ペーストに使う果物の量。
時にそれは食感のため、スポンジの硬さの調節だったり、
生クリームの舌触りを合わせることだったりする。
ただ、その自分の中にその味を、
いかに正確に用意できるかは、
今まで味わってきたものに、依存するんだ。
自分の中の味の辞典をいかに充実させるか。
それが、壁の一つなんだと、俺は思う」
■「……そして私は、
『女』としての名前を守るために」
男「一万個のお菓子を食べた。
その味の辞典を持っていて、
美味しいお菓子が作れないなんて事はないさ」
■「でも、私には絶対的な経験が、プロと比べたら少ないから」
男「なに。
技術ならポニテさんが教えてくれる。
俺も、メイドもいる」
■「……」
男「コレは、きみが、自分として生きるための、チャンスなんだ」
■「私が、自分として生きる」
男「俺の目の前にいるのは、誰だよ」
■「私は」
男「好きなんだろ、お菓子が。
憧れてたんだろ、そのお菓子が作る笑顔に」
■「うん」
女「私は『女』じゃないよ。
今度こそ自分の名前として、
私は、女って、名乗る」
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[追加シーン for 妹すきーたち]
五十八日目・夜 男の部屋
男 ぎしっ
男「うー、つかれたー」
こんこんこん
男「ん? 開いてるぞ」
かちゃっ
妹「入るね」
男「どうした?
珍しいな、こんな時間に来るなんて」
妹「疲れて、見えたから」
妹 ぎしっ
妹「背中、向けて」
男「こうか?」
妹 ぎゅっぎゅ
男「おー、うわ、いたいなー。
いたいけど、なんかほぐれてる」
妹「……今日は」ぎゅっぎゅ
男「ん?」
妹「女さんと、会ったの?」ぎゅっぎゅ
男「ああ。
店長が怪我した代わりに、
うちの菓子を作ってくれないか、って」
妹「女さん、なんて?」ぎゅっぎゅ
男「最初は断られたよ。
ただ、話し合って、作ってもらえる事になった」
妹「……その時に、昔の話を?」ぎゅっぎゅ
男「え?」
妹「男が、昔みたいな顔、してた」ぎゅっぎゅ
男「昔みたいって、どんなだよ」
妹「つらそうな顔。
テレビで、叩かれたときの事、思い出した?」ぎゅっぎゅ
男「あー、そこ、ちょっと痛い……
思い出したし、話したよ」
妹「我慢。こりすぎ。
……ごめんね」ぎゅっぎゅ
男「うう、痛いことへのごめんねだよな?」
妹「……」ぎゅぎゅー
男「ぐはぁっ」
妹「あんな言葉を作るほど、
追い詰めさせたこと」ぎゅっぎゅ
男「……たしかに、妹のためだったけどさ。
追い詰めたのは、結果的に俺だよ。
妹が追い詰められていく時に、何もできなかった」
妹「私を見て、辛そうな顔の男を見るのが、辛かった」ぎゅっぎゅ
男「……」
妹「たがいに、しっぽをかんでた」ぎゅっぎゅ
男「そっか」
妹「……マッサージ、疲れた。
体、癒された?」
男 くいっ、くいっ
男「おー、肩が軽くなった」
妹 こくり
男「マッサージ、うまいのな」
妹「コーチに習った」
男「そっか、体のメンテってわけだ」
妹「うん。……次は、心のメンテ」
男「ん?」
妹 ごそごそ
男「なにしてるんだ? ベッドのなかでごそごそ」
妹「男も、ベッドの中に」
男 ごそっ
妹「……」ぎゅっ
男「え、もしかして、な、なあ。
抱きついてくれるのは、嬉しいんだが」
妹「……抱きしめてる」
男「……抱きしめてくれてるのは、嬉しいが。
なんで、裸なんだ? 裸、だよな」
妹 ごそごそ
男「ちょっ、人の服の中に入るなよ」
妹 ぎゅっ
男「お、おい……」
妹「直接触れ合うと、癒されるって」
男「いや、癒されるというか、落ち着かない」
妹「落ち着けばいい」
男「……ムリだろ」
妹「なんで?」
男「いや、その。
妹ももう高校生だからな」
妹「……」
男「出ているところは出ていたり、
なんだりかんだり。
ええい、何を言ってるんだ俺は」
妹 ぎゅぅっ
男「……」
妹「兄妹」
男「……普通の兄妹はしないぞ? たぶん」
妹「仲のいい、兄妹」
男「そっか」
妹「温かい」
男「そりゃな」
妹「触れ合うって、幸せ」
男「……」おそるおそる、ぎゅ
妹「もっと」
男 ぎゅぅっ
妹「腕の中は、落ち着く」
男「……そうか」なでなで
妹「気持ちいい」
男「撫でるの、うまいらしいな」なでなで
妹「よく分からないけど、幸せ」
男 なでなで
妹「……えい」さすさす
男「ちょ、おい、くすぐったいぞ」
妹「男の背中、大きい」
男「それはな。大人だし」
妹「……抱きしめて、安心感」
男「そりゃ良かった」
妹「……なでて」
男 なでなで
妹 うと、うと
男「眠いか?」なでなで
妹「ん」うとうと
男「じゃ、そろそろ部屋に……」なでなで
妹「……今日はココで」ぎゅっ
男「え、まさか」
妹「こうやって、寝る」
男「いや、それは兄妹でも」
妹「寝る」ぎゅぅっ
男「……今晩だけな」なで
妹「うん」
男 なでなで
妹 うと、うと
男 なでなで
妹 すぅすぅ
男「ありがと」
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五十九日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
ポニテ「……そっか、そういう事情だったんだ」
メイド「……」
女「その、ずっとだましてて、ごめん」
メイド「女さん」
女「はい」
メイド「改めて、よろしくですよ」にこっ
男「そんなわけで、
味に関しては女がいれば完全に再現が出来るはずだ。
後は、その味を再現するための技術を、
付け焼刃だけど、身につけてもらう」
ポニテ「うわ、男くんって、実はかなりスパルタ?」
男「いえいえ、そちらのメイドに比べると、
俺なんてとても優しいほうで」
メイド「む、私はいつでも親切で優しいですよ」
女「それは、ウソだと思う……」
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六十日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
ポニテ「そう、焼き菓子がその色になるタイミングは
その日の温度、湿度によって変わるから、
最後はきちんと自分の目で、
思い描いた色になるタイミングでオーブンを開くんだよ」
女「はいっ」
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六十一日目・昼 洋菓子喫茶ミンドロウ
メイド「飴は熱くても冷まそうとしたらダメですよ!
その温度でも扱えるようになるまで、今日は特訓です」
女「はいっ」
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六十二日目・夕方 洋菓子喫茶ミンドロウ
男「そうそう、生クリームのデコレーションの終わりは、
きゅっとひねって、すっと切る。
この動作が体になじまないと、
デコレーション自体できないよ。
それから、手が触れてクリームが温まると緩むから、
出来る限り触れる面積を減らそう」
女「はいっ」
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六十三日目・夜 洋菓子喫茶ミンドロウ
ポニテ「違うよ。ビスキュイ生地を仕立てる時は、
先にマヨネーズみたいになるまで、
砂糖を入れた卵黄をしっかりとあわ立てること。
それからメレンゲを立てて、卵黄とあわせるの」
女「はいっ」
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六十四日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
メイド「マカロンを焼くときは、忘れがちだけど、
途中で一度オーブンをあけて、
中の蒸気を抜くのをわすれないでくださいね。
それがさっくりとしたあの食感につながります」
女「はいっ」
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六十五日目・朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
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六十六日目・昼 洋菓子喫茶ミンドロウ
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六十七日目・夕 洋菓子喫茶ミンドロウ
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六十八日目・夜 洋菓子喫茶ミンドロウ
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六十九日目・早朝 洋菓子喫茶ミンドロウ
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七十日目・深夜 洋菓子喫茶ミンドロウ
三人「「「いただきまーす」」」
男 さくっ、ばくっ、ばくっ
メイド くしゅ、まぐまぐまぐまぐ
ポニテ ざくっ、もっきゅもっきゅもっきゅ
三人 バタバタバタバタ
男「うまい! 本当にうまいよ、これ!」
メイド「クロワッサン、
ショソン・オ・ボム(アップルパイ)
エクレール・オ・ショコラ(チョコレートエクレア)
この三つを食べることで、その職人の技量がわかりますが……」
ポニテ「ほんとに、店長が作ったのみたい……」
女「出来るだけ、味の感覚は似せてみたけど」
男「正直言って、俺には違いがわからないくらいだ。
初めて食べたときに、
この店で働きたいって強く思ったときの、あの味!」
メイド「悔しいけど、私が作ったのより、上ですよ、これ」
ポニテ「うんうん。私もコレ、保証する。
特にショソン・オ・ボムについては、
店長以上の味だと思う」
男「……これなら、例のホテルで、文句なんか言わせないだろ」
メイド「ほんとに、これほど上達するんですね……」
男「そりゃな。女の部屋は壁中全部、お菓子の本だ。
そしてさらに、今まで他の誰よりも食べてきた経験があるし、
こっそりと一人で作ってたんだ。
基本、コツ、裏技、見た目の工夫、適切な量についての考え……
そして何より大切な、お菓子を愛する気持ちと、
それを食べた人に笑顔になってほしいという気持ち。
必要なパズルのピースが全部あったから、
後は手を動かしてハメていくだけだったんだよ」
女「その、手を動かすチャンスをくれたのは、男だけどね」にぱっ
男「俺は、ただ背中を押しただけだけどな」にこっ
ポニテ「あらら?」そーっ
メイド「むぅー……」
ポニテ「くすくす」
男「ホテルのレセプションまであと二日だ。
万全に備えて臨もう」
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七十二日目・昼 ホテルラウンジ入口
女「いま、この扉の向こうに、大勢の偉い人がいて、
さっきの戦場みたいな厨房で作られた料理を、
たべてるんだよね」
男「そうだな。
各界の著名人たちが並ぶ席だ」
女「その、本当に、大丈夫かな」
メイド「大丈夫ですよ。
女さんの作ったデセールは、最高です」
ポニテ「病院に持ってった時の店長の反応、
見せられれば良かったですね」
男「どんな反応でした?」
ポニテ「そりゃもう、
俺は今から退院する。
負けてられねぇって言い出して」
男「まだ腕がつながってないのに……よくやるよ」
メイド「店長らしいですね、本当に、ふふ」
女「……」
男「大丈夫。
女がどれだけいっぱい食べたかも、
どれだけ好きかも、
俺達が知ってる」そっ
女 きゅっ
男 こくん
メイド「でも、職人の意地があるんで、負けたとは言いませんけどね」
ポニテ うんうん
男「デセールはそのテーブルの最後に登場する主役だ。
この一皿が、その日を決める。
食卓の最後を華やかに飾ってやろう」
司会(扉の向こう)「それではそろそろ、
お待ちかねのデザートを運んでいただきます。
では、オープン!!」
ずああっ
女「それじゃ、笑顔を作る仕事を、始めましょう」にこっ
ぱちぱちぱちぱち
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半年後・夜 温泉宿
妹「……ないっていったのに」
男「どこがないんだよ。
兄妹ではじめての旅行。
紅葉の季節に山の中の温泉だ。
最高だろ?」
妹「……ない」
男「だから何がないんだよ」
妹「……若さ」
男 ぐさっ
妹「……面白み」
男 ぐさっ
妹「……工夫」
男 ぐさっ
妹「……でも、温泉は嫌いじゃない」
男「うう、なんか、涙がとまらん……」
妹「ご飯も、美味しかった」
男「ああ、確かに、山菜とか川魚とか、
どれもすごい、幸せな味だったな。
メイドと女も悔しがってるだろうな」
妹「お酒飲んで体調不良は、自業自得」
男「ま、明日には到着するだろ」
妹「今夜は、二人でのんびり」
男「そうだな」
妹「男の再デビュー祝い。おめでとう」
男「ありがと。
でも、女との共著って形だがな」
妹「それでも、先生の再デビューに喜んでくれた人もいる」
男「メイドな。
騙しましたねって、まだ言ってるからな」
妹「知らなかったとはいえ、
人生を変えた相手をこき下ろしてしまった、って」
男「あいつもひねくれてるからな。
気にしてないとか、だましたわけじゃないとか言っても聞きやしない。
挙句の果てに『ご主人さまになってください』だからな」
妹「メイドご飯はおいしいから、歓迎」
男「いや、いろいろまずいだろ」
妹「女も、いりびたり」
男「女もな。生き霊仲間だからって、もうほとんどウチに住んでるし」
妹「家族が増えて、うれしい」
男「……そうか」
妹「でも、重婚は犯罪」
男「いや、そういう感情とか関係じゃないだろ」
妹「鈍感は罪」
男「さすが女子高生か、そういう話ばっかりじゃないよ」
妹「つける薬がない」
男「ま、それでも、
みんな一緒に笑顔でいられるから、
今は幸せだな」
妹「うん。ずっと一緒」
男「そうだな」
妹「~♪」
男「お」
妹「?」
男「今の笑顔、可愛かった」にこっ
妹「……ない」(/////
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半年後・深夜 温泉宿
男 ぐぅぐぅ
妹「……」
男 ぐぅぐぅ
妹「……枕が違うと寝られないって、ホント」
男 ぐぅぐぅ
妹 じー
男 ぐぅぐぅ
妹 こそこそ
男「ん……」
妹 ぎゅうっ
男「ん?」
妹「枕が違って寝れないから、腕枕」
男「……ん」すっ
妹 そっ
男 くぅくぅ
妹「……♪」
がさがさ
女「もう寝てるよね……」ぼそぼそ
メイド「だから言ったんですよ、近道はダメですって」ぼそぼそ
女「でもほら、地図だと突っ切ればいけたし」ぼそぼそ
メイド「そういう時には大きい道で」ぼそぼそ
女「……しっ、もう寝てるみたいだから。
布団敷いてあるし、寝ちゃおう」ぼそぼそ
メイド「そうですね。とりあえずたくさん歩いて疲れました……」ぼそぼそ
女「……あれ? 布団は四つ。
中身があるのは一つ……?」ぼそぼそ
妹「っ……」すぅすぅ
メイド「え、あ、妹ちゃん、ご主人様と寝てる……」ぼそぼそ
女「まあ、兄妹だし」ごそごそ
メイド「って、言いながらなんで女さんもご主人さまの横に!」ぼそぼそ
女「ほら、生霊仲間だから」ぼそぼそ
女「男の体温って、なんか安らぐなー」ぼそぼそ
メイド「……い、妹ちゃんが寝てるなら、どかして私も」ごそごそ
妹「……」すぅすぅ、ぎゅぅ
メイド「……離れない、くっ。女さん、私のとなりをくれてあげます」ぼそぼそ
女「遠慮しておく」ぎゅぅ
メイド「私はメイドとして、温めて差し上げる必要があるんですっ」ごそごそ
女「いいよ、私が代わりにやっておくから」ぼそぼそ
メイド「いえいえ、生霊さんより私の方が」
男「……なあ、おまえら」
二人 びくっ
妹「……」すぅすぅ
男「なんで蒲団が人数分あるのに、ここで寝ようとするんだよ……」
女「それは、そのー」
メイド「[ピーーー]なら今しかないと思いまして☆」
男「……だ、だめだ。まだ妹が、一人立ちするまでは。
って、妹まで来てるのか」
妹「……」すぅすぅ
男「ほら、遊んでないでさっさと寝よう。
明日は山菜取りの体験で朝が早いんだ」
メイド「うう、ご主人さまがなんだかつれなく……」
男「眠いしな。
また明日もあるし、そのまた明日もあるんだ。
ずっと一緒だろ?」
女「……うん」
メイド「ご主人様のお心のままに♪」
男「じゃ、ねる。おやすみ」
女「仕方無い、私も自分の所で普通に寝るよ。おやすみ」
メイド「ご主人様に怒られる前に、私も寝ますね。おやすみなさい」
三人 すぅすぅ
妹「……ケーキみたいに甘ったるくて、胸やけしそう」くすっ
Fin
671 : VIPに... - 2011/03/23 22:29:20.79 /R38RgQ1o 539/539
The ghost writer and ten thousand cakes is over.
Scripted by 1 ( @bienyaku )
And Special Thanks for You.
The end of story.
But To be continued at The World.