俺は346プロダクションという芸能プロダクションで、アイドル部門のプロデューサーをやっている。
敏腕プロデューサー、みたいな肩書きは一切無く、言うならば「ただのプロデューサー」だ。
それ以上に当てはまる言葉なんて無いかもしれないくらいに。
そのせいか、俺には担当アイドルは1人しかいない。
1人プロデュースするので精一杯で、複数人同時にプロデュースなど、俺の腕では確実に無理だからだ。
それでも俺なんかでも誇れる部分はある。
それは担当アイドルのプロデュースに対する熱意。
担当が1人しかいない故に、その1人だけを見ることになるし、それに俺がプロデューサーになったせいで頂点を目指せないなんてことを起こしたく無いからこそだが。
だからこそ俺は、大きな熱意を持ってこの仕事に取り組んでいる。
現に今も他の社員よりも早く出社し、書類をまとめている。
本音を言うと、これくらいしないと他の社員に追いつけないのだが。
元スレ
モバP「あの笑顔をもう一度」
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「はぁー。なんで俺、こんなに才能無いんだろうな」
思わずそう漏らしてしまう。口に出したところで、現状が変わるわけでもないし、何を馬鹿な事をしているのだろうと、言ってから思った。
「そう? 私はそうは思わないよ?」
「うわぁ! びっくりしたな。凛、来てたのか」
今、不意に声を出したのが唯一の俺の担当アイドルである渋谷凛だ。
「その声の方がびっくりするよ」
冷静なツッコミをありがとう。
「あぁ、ごめんごめん」
「それより、才能が無いって、何かあったの?」
「いや、ね。こんな早くに会社に来て仕事をしてないと周りに追いつけないし、俺は凛1人のプロデュースすらまともにできないし、っていろいろ考えてたら落ち込んできちゃってさ」
言っていてどんどん気分が沈んできたな。
やっぱりそういうのは口の出すべきじゃないな、と改めて感じる。
口は災いの元とはよく言ったものだ。
意味違うかもしれないが。
「なんだ、そんなこと。仕事なんて追いついてるなら欠点を補う努力をしているってことだし、プロデュースについても満足だよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ。それより、今日は随分早いんだね」
俺が着てまだ20分程しか経っていないはずだ。
「朝早く起きちゃってさ。家にいてもやることなかったから来てみたらプロデューサーがいたんだよ」
「そうか、丁度いいや、そろそろプロデュースを始めて1年が経つし、2年目の方針について話したいと思ってたんだよ」
そう、俺はもう1年も凛のプロデュースを続けているのに、今だに花を咲かせてやれていない。
俺の能力が足りないのが全ての原因だ。
「そっか、もう1年経つんだ。意外と早かったね」
そう言うと、何か感慨深いものを感じているようだ
「そうだな、初めて会った時はとんでもないアイドルに当てられたと思ったよ」
なんてったって会うなりいきなりタメ口で「あんたが私のプロデューサー? まぁ悪くないかな」なんて言うんだもんな。
「ん? ちょっと、それどういう意味?」
「いやいや、冗談冗談。それで、1年経って凛はどう思う?」
まずは凛の考えから聞くことにする。
「どうって、まぁ、着実にステップアップ出来てると思ってるよ」
「いや、ちょっと待ってよ。ダメだろ。主に俺のせいで。いや聞いておいてなんだけどさ」
そうだ。凛はトップアイドルになれる素質がある。
なのに俺がその芽を摘んでしまっている。
これは俺自身が一番よく分かっており、また凛に次いで辛い立場だ。
「なんで? なんでそう思うの?」
「いや、だってまだレギュラー番組も無いし、ろくにコンサートの舞台にも立てて無いじゃないか」
「なに、そんなの、プロデューサーが付いてまだ1年なんだから、そんなの当たり前でしょ?」
「いや、でも、凛にはすごい素質があって......」
「そんな事ないよ。レギュラー番組が無いのも、ステージに立てないのも私の実力不足でしょ。プロデューサーは気にすることない」
「そんなことは......」
まだ反論しようとする俺に。
「いいから、それ以上言うと怒るよ?」
そう言って一刀両断する凛。
「ご、ごめん」
一度凛を本気で怒らせてしまったことがあるのだが、それ以来凛を絶対怒らせないようにすると決めた。
「わかればいいの。それに、いきなり大きく羽ばたくなんて簡単じゃないんだから、2年目からも少しずつ登っていけばいいでしょ」
「そうだな、うん、その通りだよ。ごめんな、なんか」
凛の言っていることが正しいのは分かっている。
だが、自分の実力不足も明らかなので、やはり納得がいかない。
一度部長に何故俺が凛のプロデューサーなのかを聞いたが、それは自分で気付くべきことだ、なんて言ってはぐらかされた。
「いいよいいよ、もう1年毎日の様に顔を合わせてるんだもん。慣れっこだよ」
「はは、そうかもな」
お互いがお互いの事を理解できている、という事がどれだけ素晴らしい事かわかるだろうか。
性格、口調、そう言ったものを理解してくれている相手とは、なんら戸惑う事なく話す事ができる。
そんな関係が俺は好きなのである。
「それじゃ、私は時間もあるしランニングでもしてくるね。基礎も大切だし」
そう言って凛は立ち上がった。
「おう、いい心がけだな、行ってらっしゃい」
「うん。プロデューサーも頑張ってね」
そう言ってランニングに出て行った。
最後に見せた笑顔に不覚にもドキッとしてしまったのはバレていなければいいが。
それからしばらくすると、アイドル達に加え、ちひろさんも出社してきた。
「おはようございます。ちひろさん」
「あら、おはようございます。凛ちゃんランニングしてましたよ。気合い入ってますね~」
「互い頑張ろうって決めましたからね」
まだランニングを続けているらしい。レッスンもあるし、そろそろ呼びに行ってくるか。
「ちひろさん、凛呼びに行ってきますね。レッスンもあるので」
「はい、いってらっしゃい。タオル持って行ってあげてくださいね」
「もう持ってますよ。行ってきます」
そう言ってオフィスを後にした。
外に出てしばらく待っていると、凛が戻ってきた。
「凛、そろそろレッスンも始まるから終わりにしたらどうだ?」
「ん、もうそんな時間? それじゃ、もう戻ろうかな」
そう言って俺の渡したタオルを受け取った。
汗を拭いている凛を見ていて、やはりトップアイドルになれる素質はあるのに、そこまで連れて行ってやれていないことがたまらなく悔しくなってくる。
話すことのセンスなどが無いせいか、テレビ界でのディレクター等の知り合いも殆どおらず、他の346アイドルのバーターとしてテレビに出るくらいにしか出演機会を与えてあげられない。
凛もそんな現状には満足しているはずが無い。
プロダクション内で仲の良い島村卯月や、本田未央、神谷奈緒といった殆ど同時期に入ったアイドルにも大きな差をつけられてしまっているのだから。
他のみんなが有能なプロデューサーにプロデュースしてもらっているのに対し、凛がハズレくじを引いたのは誰の目にも明らかだろう。
それでも凛が俺に付いて来てくれる理由が分からない。
そこからまずプロデューサー失格なのかも知れないが。
「そろそろ行こうか、プロデューサー」
汗を拭き終えた凛が言った。
「終わったか、それじゃあ一回社内に戻ってから、凛はレッスンに出てくれ」
「うん、わかった」
そうやり取りを交わし、凛は歩き出した。
歩きながら、これからの凛を更に大きく飛躍させるにはどうすればいいのかを考える。
やはり仕事を選ばず、出来ることを少しでも多くやっていこう、とは毎回思うのだが、自分の中での凛のイメージがそれを阻止している。
クールなイメージの凛にはあまりイメージを壊す仕事をさせたくは無いからだ。
「どうすればいいんだろうなぁ」
スタスタと歩いていく凛の背中を見て、そう呟いた。
凛がレッスンに出てしばらく経った頃、テレビ局に売り込みに行こうと思い立った。
凛のプロフィールを持ち、服装をしっかり整え、車を出す。
何故そんなことをしようと思ったかは自分でもよく分からないが、朝早く起きたからとはいえあんなに早くプロダクションに来て、ランニングまでしていた凛の姿を見て、いてもたってもいられなくなった。というのが大きいのかもしれない。
まず最初に向かうのは、一度凛をゲストで出してくれたテレビ局のディレクターのところだ。
その人は、不慣れな俺に対しても優しく接してくれて、お酒の席に誘ってもらったこともあり、話しやすい人だったからだ。
それに、飲みに言った際に教えてもらった携帯の番号に電話をかけ、お話がしたいと連絡したところ、快諾してくれた。
会社のほうに来てくれと言われたので、会社へ出向き、受付の人へ話すと、客室のようなところへ通された。
「こちらでお待ちください」
と、事務的な言葉を残し、受付の女性が戻った数分後に、当のディレクターが来た。
「おぉ、君か、久しぶりだね」
その一言を聞いて安心した。
突然訪問した俺に怒っていない様子だったからだ。
「はい。ご無沙汰してます。今日はお忙しいところ申し訳ありません」
「いやいや、いいっていいって。それで、今日はどうしたの?」
「それはですね、私の担当アイドルの渋谷凛のお話をさせていただきたく思い、訪問しました」
使い慣れていない敬語を使い、訪問の理由を伝える。
「あぁ、あの時の子か。それで、あれ以来どう?」
いきなり核心を突く質問をされ、背中にじんわりと汗がにじむ。
ここでいやはや全くで、と面白おかしく言うのと、よくはなっていますがまだまだです、と真面目に言うので、相手への印象も変わってくるだろう。
人と話すことがあまり得意ではない俺は、どちらが正解なのかも分からない。
俺がアイドルのプロデューサーになった理由は、他人からもよく聞かれるが、人に言えるようなことでは無いのでなんとなく、と返すようにしている。
明らかに適性の無い職業故に失敗を繰り返す。
そして今回もまた失敗を犯す。
「いやぁ、それが全然だめなんですよね。あはは」
これがまた失敗で。
「ふうん、君は担当している子が伸びなくても、悔しくないんだ?」
明らかに声色が変わった。
またやってしまった。そう思ったがもう遅い。
一度口にしたことは二度と取り消すことが出来ないことは身をもって痛感している。
「え、いや、悔しいです」
そう必死に取り繕うが、もうお終いだ。
「今の君の言い方じゃ、頑張ってるけど全然だめなんでもう無理ですって言う意味合いに感じるけど?」
「いえ、決してそういうわけでは」
本当にそういうわけではない。
言葉選びを間違えたのは相手の様子で明らかだが、ここからどう返せばいいのかもあまりよく分からない。
「じゃあどういうわけなの」
「いえ、正直伸び悩んでいまして、どう伝えればいいのかが分からず、重い空気にするのも悪いと思ってこういった言い方をしたのですが、気に障ってしまったのであれば謝罪します。申し訳ございません」
焦りながらも何とか弁明し、頭を下げる。
「じゃあ君は自分のアイドルのことをどう思ってるの? 凛さんのこと」
「え、凛を、ですか? そうですね、俺は凛を凄く大切な人だと思ってます。普通過ぎますか? プロデューサーになって、初めて担当したアイドルですし。ディレクターさんも分かると思いますけど、あまり売れてないじゃないですか。だけど売れて無くても小さい営業や本当に一瞬だけ出してもらえるイベントとかに二人三脚で全力で取り組んで、辛いこととか、苦しいこととかも、2人で乗り越えてきて、そんな風に活動してもう1年も経ってました。1年本気で活動したって言っても、結果が出てないんですよ。口からでは何とでも言えるって思いませんか? 周りからそんな目で見られて、俺はいいんです。責任は俺にありますし。だけど、凛まで巻き込んで、それが本当に辛くて、なのに俺と話すときは笑顔で接してくれて、誰よりも辛いはずなのに。だから今日、ディレクターさんに土下座をしてでも凛にチャンスをくださいって頼もうと思って、来たん、ですけど、それもまた、俺が変なこと言って、駄目にして、また、俺が、俺のせいで」
これ以上はもう話せなかった。
話ながら、凛の気持ちや、俺の不甲斐なさを考え、涙があふれてきてしまった。
もう駄目だなと、心の中で謝った。
ごめんな、凛。
また。
また駄目だったよ……。
ごめんな。
「テレビに出してあげたいの?じゃあ出してあげるよ」
頭を下げ、涙を流していた俺には、全く意味が理解できなかった。
「え? テレビにって、凛がですか?」
「そう、凛さん。ちょうど新しく始まる番組にね、小さいけどコーナーがあって、その枠にクールビューティー、って感じなアイドルの子を出そうって思ってたんだけど、中々決まらなくてね。今の君の話を聞いてたら私ももう協力せずにはいられないさ」
あまりの驚きに頭が混乱する。
それでも何とか返答だけは使用と、思いつく限りに言葉を発する。
「いいんですか? まだまだ無名なのに」
「いいのいいの。よくよく考えたら凛さんがピッタリだ。うん、そうだ、そうしよう」
「えと、ちなみにどんなコーナーなんですか?」
ようやく話が理解できてきたので、詳しい話を聞く。
「ニュースを若いそうに伝えるニュースバラエティ、っていう感じの番組でね、その中に世間で起こったおかしなニュースをぶった切る! って感じのコーナーなんだよ。歯に衣着せぬ発言が出来るあの子にはぴったりじゃないか。この前私の番組に出てくれた時にもそう思ったんだ」
「なるほど。台本が用意されていないんですか?」
「もちろん! そこは凛さんの考えを言ってもらいたいな。年代的にもちょうどいいしね」
そういって彼は満足そうに腕を組み、笑っている。
「ディレクターさんが良いのであれば、是非お願いします!」
やった! やったぞ!と心の中でガッツポーズをする。
「やってくれるんだね? いやぁ嬉しいよ。番組が始まるのは後二ヶ月ほど先なんだけど、出演者の割り当てとかが間に合ってなくて、本当に助かるよ」
「こちらこそ、本当にありがとうございます!」
「それじゃあ、このあと少し時間あるかな? 番組の詳細とか、話したいこともあるしね」
「はい! 是非!」
即答でそう答えた。
こんなチャンスはない。
絶対にものにする。
そう心に誓った。
そのあと一時間ほどで話は終わり、局を出た。
「それじゃ、楽しみにしてるよ」
「ありがとうございます! 頑張ります! 今日はありがとうございました、失礼します!」
これを一刻も早く凛に伝えたい。
そう思いながら車に飛び乗った。
凛は恐らくレッスンを終えて戻っているだろう。
どうやって言おうか。
どんな顔をするんだろう。
第一声は何だろう。
そんな楽しい考えがどんどん浮かんでくる。
そんなことを考え、車を走らせていると。
「っと、あれ、通行止めか」
来るときには通れていた道路が通行止めになっている。
工事でも始まったのかな、と考えたが、よくよく見てみるとそんな生易しいものではないことが分かった。
「事故、か」
数台並ぶパトカーにサイレンの音、周りに人だかりが出来ている様子を見ると、それが事故現場だと言うことは、俺にでも分かった。
車同士の事故か、はたまた車と人か。
それは分からないが、楽しいことを考えていたときに事故現場に遭遇したんじゃ、気分が悪くなってしまうものだろう。
救急車が来ていることを考えると、相当な大事故らしい。
あまり事故現場に長居するのも気分的によくないので、俺は多少遠回りだが迂回する道を使おうと、引き返した。
少し遠回りになってしまったが、1時間とかからずに会社へ戻ってくることが出来た。
「ふふ、凛のやつ、どんな顔するのかな。なんてったって、俺と凛、2人で仕事をしていて初めてメインでテレビに出るんだ。きっと凄く喜ぶだろうな」
先程からそんな独り言が収まらない。
今まで大したことをして上げられなかった分、今回のテレビ出演はサプライズだろう。
早く伝えたい、そう考えると、自然と足取りが速くなってしまう。
そんな軽快なスキップにも見える不自然な歩き方で、ついにドアに前にまでたどり着いた。
心の中で台詞を決め、すぅと大きく息を吸う。
仕事で成功したときって、こんなに幸せなんだな、なんて、周りじゃ誰もが経験していることをいまさらに経験した。
よし、行くか!
俺はドアを開け、大きく一歩を踏み出した。
「ただいま戻りました! 凛! 凄いぞ、テレビの仕事を取ってきた……ぞ……?」
そう言って社内に入ったが、そこがただならない空気であることは、一目瞭然だった。
電話の受話器を片手にただただ呆然と立ち尽くしているちひろさん。
そんなちひろさんにどういうことだよ、と大声で叫んでいる神谷奈緒。
ソファの上で、本田未央に抱きかかえられながら泣いている島村卯月。
そして何よりも俺に漠然として、それでいて明確な不安と恐怖を植えつける事実がそこにはあった。
凛がいない。
社内のどこを見渡しても、どこにも凛の姿が無い。
時間的にはもう戻ってきているはずなのに。
いない。
「ち、ちひろさん、これは、いったいどういう・・・・・・」
そんな不安を抱えながら、ちひろさんに問いかけた。
返ってきた言葉は、俺の心の中にあった、あるわけが無い、と信じていたものだった。
「凛ちゃんが、事故にあったって・・・・・・。横断歩道で、居眠り運転のトラックに跳ねられて・・・・・・! 意識不明の重態で・・・・・・!」
「え・・・・・・?」
しばらく意味が理解できなかった。
あぁ、言葉が出ないって言うのは、こういうことを言うのか・・・・・・。
今日は、初めての経験が沢山だな・・・・・・。
何秒経っただろうか。
数秒か、数分か。
明確な時間がわからずとも、理解に時間がかかったことだけは確かだ。
それと同時に、テレビ局から戻るときに見たあの光景を思い出した。
いや、まさか、な。
って、こんなとこで突っ立ってる場合じゃないじゃねえかよ・・・・・・!
「ちひろさん! 凛は、凛はどこの病院に搬送されたんですか!」
以前立ち尽くすちひろさんに必死に問いかける。
「凛ちゃんは、ここから近くの○△病院に搬送されたそうです」
「分かりました! 行って来ます!」
他のアイドルたちはとても声をかけられる状態じゃなかった。
すぐに会社を飛び出し、車に飛び乗る。
ちひろさんは重態だ、と言った。
ということは、死んではいないということだ。
しかし、命が危険な状態であることに代わりは無いだろう。
ここは一刻も早く病院に行かなければならないと、車を飛ばした。
病院に着き、待合室に飛び込むと、凛のご両親、そしてお世話になっているトレーナーさんが目に入った。
まずはご両親の方と話すべきだと思い、声をかける。
「お父様、お母様、私、凛さんのプロデューサーをさせて頂いているものです」
「プロデューサーさんですか。凛がお世話になっております。凛は今、緊急手術中です」
何故、こんなにも落ち着いているのだろうと思った。
普通なら、もっと取り乱してしまうものだと思ったが。
「あぁ、今、嫌に冷静だな、って思いました? すみません、あまりのショックに言葉が出ず・・・・・・」
言われて気付いた。
当然だと。
最愛の娘だろう。
一人娘が生きるか死ぬかなのだ、そこで饒舌でいれるほうがどうかしている。
「いえ、そんなことは・・・・・・。この度は、私のせいで御宅の娘さんを事故に合わせてしまい、申し訳ございませんでした」
そう言って、深く深く頭を下げる。
とにかく今は謝罪が先だ。
「いえ、悪いのはプロデューサーさんではありませんよ。顔を上げてください」
「で、でも・・・・・・」
そこで言葉が途切れてしまう。
そうして沈黙がやってきた。
なんと言えばいいのかわからない。
そんな沈黙を破ったのは、凛のお母さんだった。
「凛は、アイドルを凄く楽しんでいるように見えました。プロデューサーさんはいい人で、仲間もみんな優しいいい子で、毎日が楽しそうでした。中学の頃はあの性格故に余り友達が出来ず、毎日があまり楽しそうじゃなかったのに、アイドルを始めて、あんなにいい顔をするようになって、すごく笑うようにもなりました。食事の時もプロデューサーさん、あなたのお話ばかりでした。今日プロデューサーさんがミスをしただとか、今日はこんなにいいことがあったとか、今までの凛じゃ考えられません。それなのに、事故に遭うなんて・・・・・・」
そう言って涙をこぼした。
すると、それを聞いていたトレーナーさんが口を開いた。
「凛ちゃんはレッスンの休憩時間で、いつもプロデューサーさんや友達のみんなの話を聞かせてくれました。それに今日だって、苦手だったステップが出来るようになって、私が褒めたんです。そうしたら凛ちゃん、プロデューサー喜んでくれるかな? なんて、凄く嬉しそうに言っていたんですよ」
「そう、ですか・・・・・・」
今はもう、涙が溢れないようにするので精一杯だった。
それからは話すことも無く、長い、果てしなく長い時間が過ぎた。
もう夕日も沈んできて、時間帯で言うならば夜に差し掛かったときだった。
「先生・・・・・・」
凛のお父さんがそう口にした。
恐らく凛の手術を担当したであろう医師の先生だろう。
そして口にした言葉は、あまりにも簡潔で、最悪の事態だと知るには分かり易すぎた。
「一応、手術は成功しました。しかし、脳に大きなダメージがあり、いつ目を覚ますか分かりません。むしろ、もうこのまま目を覚まさない可能性のほうが遥かに高いでしょう」
目の前が真っ暗になる。
もう凛と一緒に仕事をするのはおろか、話すことさえ出来ない。
その事実が俺にのしかかる。
余りにも重く、絶望的すぎる宣告だ。
気付くと俺は病院を飛び出していた。
あれから何日が経っただろうか。
少なくとも2日は経っているだろう。
もう何もやる気が出ない。
生きる気力が沸いてこない。
仕事をしていく上で、いや、生きていく上で、唯一の支えだった凛を失った。
いや、まだ死んでしまった訳ではないが、話すことすら出来ないのだ。
失ったことと同義だろう。
外はそんな俺の心を表しているかのような大雨。
だから余計に気分も落ち込んでいく。
負の連鎖から抜け出せずに、俺は既に2日以上も寝室の、それもベッドの上だけで過ごした。
厳密にはトイレには行ったが、食事もしてないし飲み物も飲んでいない。
完全に生きる希望を失った様だ。
大げさだ、と思うかもしれない。
しかし俺にとって凛は、それほどまでに大切な人だった。
そこで少し、昔話をしよう。
話すことが下手で、周りとの人間関係の形成に失敗し、人を信じることを忘れ、屑人間と化した一人の男が一人の少女に出会い、真人間になるまでのお話だ。
そう思い立ち、心の中で語り始めた。
誰一人として聞く人などいないというのに。
小学生の頃までは友達がいた記憶がある。
無邪気に遊び、言いたい事を言っていた。
喧嘩もしたが、次の日には仲良くなっていた。
今思うと、人間という生き物は、幼き時ほど純粋であるのだ。
そのためか、何事も無く、友達と遊んでいた。
問題は中学に入ってからだ。
小学生の頃までは仲の良かった友人が、次々と離れていった。
言いたい事をそのまま言い、他人の間違いを当たり前のように指摘する性格だった俺と、一緒にいようと思う人など、いるわけも無いのだ。
空気を読めない、と言うのだろうか、俺は所謂それだった。
自然と孤立していった俺は、遂には人と話さなくなった。
学校に行かないとか、そういったものではなかったが、必要以上に話さず、休み時間にもずっと本を読んでいる、そんな典型的な根暗になっていった。
中学は、本当に苦痛の時期だった記憶がある。
むしろ、苦痛であった記憶しかない。
友達もおらず、独りだった俺は、自然と暇があれば勉強をするようになっていた。
周りから見たらさぞかし滑稽なガリ勉ぼっちだったことだろう。
それが功を制したか、その辺ではNo.1の進学校に合格することも出来た。
合格を知った時の両親の顔は、今でも忘れてはいない。
散々な心配をかけていた両親を喜ばせることが出来たんだ、と、そう思った。
それからは勉強しかしなかった。
どうせ友達なんて出来ない。
そう割り切っていた俺は、入学当初から勉強漬けだった。
部活に入るなんて考えたことすらなかった。
そんな生活を続けていると、ある問題が起こったのだ。
いじめだ。
ターゲットはもちろん俺。
当時努力していた俺は、学力は学年1位だった。
しかし、進学校なだけあって、妬みや嫉みからか、自然と嫌がらせの対象になっていった。
それからだろうか、一切の勉強をやめてしまったのは。
何故人間関係が上手くいかないからと勉強に逃げたのに、そこでまた嫌な思いをしなければならないのだ。
そう思って、勉強までもを投げ出してしまった。
そんな俺に何が残ったのか。
虚しさ、ただそれだけだった。
あれだけ努力していたのに、下がり始めてからはあっけなく学年の底辺まで落ちた。
余りの陥落ぶりに笑いが出たほどだ。
それでもせめて大学にはと、一流ではないにしろ、必死に努力した。
高校時代にサボったつけは余りにも大きく、取り返すのに体を壊したほどだ。
必死の努力の甲斐あってか、一流でないにしても、中堅クラスの大学に入ることが出来た。
しかし、その努力を終えた俺には、もう勉強の事など頭に無かった。
適当に講義を受け、終わればそそくさ帰り、家でネットに勤しんだ。
それ以外にやることなど無かったのだ。
むしろ、そんな生活で留年しなかったことが奇跡に近い。
大学4年になり、新たな壁がやってきた。
就職活動。
最早諦めていた。
このときの俺は、人と話すことなど不可能だった。
親以外の人間と5年以上話していないのだから。
結局面接でも上手く話せずに落とされた。
見事に全滅だ。
もう笑うしかなかった。
全て落ちたことを知ったときに、俺は街中であろうと構わずに笑ってしまった。
人前で笑うのが何年振りかも分からなかったが、一目を気にせずに笑えた。
そんな時だった、俺の人生を変える人に出会ったのは。
「君、就活生だろう? それも、受けたところが全部落ちた感じの」
全く持って見ず知らずの人に、不意にそう言われた。
「え、はぁ、まぁそうですけど。あなたは?」
「あぁ、僕? 346プロダクションって言う芸能事務所で、部長をやっている者だよ」
言って彼は、名刺を差し出した。
名刺には、346プロダクション、アイドル事業部部長。と、確かにそう書かれていた。
「そうですか、それで、そんな部長さんが落ちこぼれ就活生の俺に何か用ですか?」
また棘のある言い方をしてしまった。
だが、今回は仕方ないと思った。
そうだろう、面接を受けた会社全てに落とされた矢先に、一流の芸能事務所の部長が声をかけてくるなんて、嫌味だとしか思えなかったからだ。
「まぁそう構えないでおくれ。なに、用が無く声をかけたわけではないんだ。君、僕の言った通り、全社に落ちてしまった就活生なんだろう?」
「まぁ、そうです」
「提案なんだが、うちで働いてみる気は無いかね?」
まさに藪から棒だった。
言っては悪いが、頭がおかしいのかと思った。
街中で初対面した就活生を自社に誘う部長なんてものがいるものか、とも思った。
そもそも部長なんて役職にそんな権限があるのかすらも疑問で、分からないことが多すぎた。
「うちって、346プロダクションで、ですか?」
「もちろんそうだよ」
そう当たり前のように言い放った。
少し、面白い話かもしれないと思った。
確かにおかしな話だが、就職面接全滅の俺は、藁をもすがる気持ちだったのかもしれない。
正社員で雇ってくれるならどこでも良かった。
フリーターになるよりはマシだ。
そう考えていた。
やはり考え方が腐っていたようだ。
しかし、それが346プロダクションだなんていう一流企業と来た。
話に乗らない理由なんて無かったのだ。
「それは、俺じゃなきゃ駄目なんですか? 求人とかも出してると思うんですけど」
何故だろうか、その時はすんなりと言葉が出てきた。
不思議だったが、今は好都合だ、と思うだけだったが。
「あぁ、まぁそうなんだけどね。今年はどうもティンとくる人がいなくてね、今こうして僕が外に出ていい人材を探していたところなんだよ」
分からない話ではなかった。
芸能関連の仕事というのは、興味本位だったり、好きな芸能人に会いたい、とかいう、そういった理由で飛び込む人が多いのだろう。
そんな理由を悪くは言わないが、能力が無い人が多い年代があっても不思議ではない。
それは芸能関係に限った話ではないが。
「それで、なんですか、俺に、ティンと来た、と?」
「その通り。君、人と話すのは苦手かもしれないが、素の能力が相当高いんじゃないか? なんだかそんなオーラがあるよ」
正直驚いた。
能力が高いかどうかは分からないが、話すのが苦手、なんてことを見抜かれたことに。
「すごいですね、そんなことが分かるんですね」
「そうだねぇ、僕に凄く似てるから、君。雰囲気とかで分かっちゃうよ」
「え、そうなんですか?」
こんなにフレンドリーに話す人が俺と同じだなんて信じられなかった。
「何ならこの後時間あるかな? 少し話もしたいし、喫茶店でも行こうよ」
「え、まぁ、時間はありますけど」
「そうか! じゃあ行こう、もちろん僕の奢りだよ」
別段断る理由も無かったので、ついて行く事にした。
喫茶店に移動すると、部長がコーヒーは飲めるか、と聞いてきた。
飲めます、というと、部長はウエイトレスに、コーヒーとなにやら豪勢な名前のケーキを注文した。
「君は甘いものは好きかな? 僕は大好きなんだよ。このお腹を見れば分かるかもしれないがね、あはは」
そう言って部長はばつが悪そうに笑った。
「いえいえ、部長はやせていると思いますよ。俺も甘いものは好きです。家では甘いものばかり食べていましたし」
その時は本当に不思議なほど自然に話せた。
部長から滲み出るオーラが、とても優しいものだったからかもしれない。
「家に、って、引きこもり?」
「違いますよ、ちゃんと大学にも行ってました」
「おぉ、そうか、それはそうだよね、頭も良さそうな顔してるし」
「まぁ、講義を受けたらすぐに家に帰っていましたが」
「あぁ、友達いないの?」
随分デリケートな部分を抉る人だな、と思った。
しかし同時に、俺に似ているな、とも思った。
裏表も無く、思ったことをそのまま包み隠さず言う、そんな性格の俺に。
「いませんでした。中学までは努力しましたけど、高校以降はめっきりでしたね」
「あは、僕と同じだね、僕はあの○○高校に行ってたんだけどね、友達がいなくて勉強だけしてたら学年トップだったよ。笑っちゃうね」
まさか、と思った。
聞き間違いでなければ、この人は俺と酷似した学生生活を送っている。
「え、それ、俺と同じ高校です。俺も、学年トップでした。途中までは」
「お! そうなのか! って、途中まで?」
「はい、途中から勉強ばかりしていたら、何故かいじめのターゲットにされました。それで、勉強はやめてしまいましたね」
初めて過去を語った。
親にさえ話せなかった事を、ほんの先程会った人に。
先程この人が言った僕に似ている、というのはこういうことだったのか。
この頃に俺は、この人を信頼し始めていた。
「そうか、それは、災難だったね。僕の時はそんな奴はいなかったんだがね」
「はは、時代の流れですよ」
「最近の若者は怖いねぇ。と、本題だ。率直に聞くが、うちで働いてみないか?」
「そうですね、そういわれても、どんな業種かも分からないので……」
「アイドル事業さ。君にはプロデューサーを頼みたい」
そう言われても、という感じだった。
プロデューサーという仕事を知らないわけではないが、俺に出来るか、というのが率直な感想だった。
「プロデューサー、ですか?」
「そう、アイドルのプロデューサー。やってみない?」
「それは、俺に出来ますかね? 俺、話したとおり全く人と話せなくて」
「いや、確かにそうかもしれないが、最近新しく入った子のプロデューサーが決まっていなくてね、君みたいな人を探していたんだ」
「いきなりプロデュースを任されるんですか?」
「まぁ、それでもあんな頭のいい進学校で学年トップだったんだ。地頭が相当いいだろう?」
「まぁ、そうですけど」
確かにそうだ。
特別な勉強をしていたわけではないが、割と簡単に1位が取れてしまったのだ。
多少地頭もいいだろう。
「今君を逃したら君以上の人材は見つかりそうに無いんだ! 頼む、この通りだ!」
そう言って深く頭を下げる部長。
「わかりました、わかりましたから頭を上げてくださいよ」
「やってくれるのかい?」
「まぁ、俺もこの後仕事が見つかる保証も無いですし、部長さんは、なんだか俺に似てる気がしますし」
「そうか、本当助かる! ありがとう!」
そんなこんなで、俺は流れ流されアイドルのプロデューサーになったのだ。
そしてここで、第2の俺の人生を変える、彼女との出会いがあったのだ。
部長と別れてから、俺は事の重大さに気付いた。
俺が、アイドルのプロデューサー?
それも、来週から?
ひょっとして俺はとんでもない仕事を引き受けてしまったのかもしれない。
そう思ったときには、もう遅かった。
「マジかぁ……」
気付けば、また人前など関係なく声を出してしまっていた。
一週間後、ついに俺の初出勤の日がやってきた。
典型的な小学生タイプなのか、全く眠れなかったが。
それでも重い体を動かし、なんとか346プロダクションまでたどり着けた。
今日から俺はアイドルのプロデューサー、気合が入る反面、不安も大きかった。
そもそも人と全然話せない俺なんかにプロデューサーが務まるのかも甚だ疑問だったし、他の社員と上手くやっていける自信も無かったのだ。
それでも部長さんと約束をした以上、行かないわけにはいかず、勇気を持って社内へ一歩を踏み出した。
「こんにちは、本日よりこちらでお世話になるものです」
そう言って、受付の女性に案内された部屋に入った。
そこにいたのは、見間違うことなく、部長その人だった。
「お、来てくれたんだね、待ってたよー」
「はい、約束もしましたしね。それで、今日は何をするんですか?」
「そうだな、この前渡した活動理念の冊子は読んで来たかい?」
そういえばそんなものを渡されたな、と思い出す。
渡された日の夜に全て読み尽くしたはずだ。
「はい、完璧です。多分」
「お、やっぱり君は優秀だねえ。それじゃ、さっそく君にプロデュースしてもらいたい子を紹介したいのだが……、あぁ、まだ来ていないようだね」
「あ、そうですか、何かしていたほうがいいですか?」
「いや、大丈夫だよ、その辺のソファに座って待っててくれ」
「はい、分かりまし、た」
語尾が切れたのも無理は無い。
部長がその辺と指差した周辺には、恐らくアイドルだと思われる女の子がいたのだから。
……無理だよなぁ。
俺とて伊達にコミュ障をやってきたわけではない。
こんな場面で話せるわけが無いだろう。
今日が始めての出勤だからか、なんかさっきから視線も感じるし。
でもここで頑張れないとこの先やっていけないだろうな。
そう思い、ソファに座ることにした。
「し、失礼します」
そう言ってソファに腰掛けると。
「あぁ、新しく入ったプロデューサーさん? よろしくね」
真っ先に眉が太めの女の子に話しかけられた。
しかし、やはりアイドルだな、と思えるほどに端正な顔立ちをしていた。
「え、あぁ、はい、そうです、こちらこそ、えと、はい」
我ながらどうしようもないダメっぷりだ。
もうこれ第一印象終わったじゃないか。
そう思った。
「おいおい、大丈夫かよ。そんなビクビクしてちゃこの先やっていけないぜ? 緊張するのは分かるけどさ。もっとしっかりしなよ」
めちゃ説教された。
が、変なやつだとは思われていないようだ。
「そうだね、うん、頑張るよ」
極力問題の無いであろう返答をする。
「さっすが奈緒、さっそく新人プロデューサーさんの心配? やっさしいなぁ。ふふ」
今声を上げたのは、誰だかは分からないが、橙色の髪の似合うこれまたかわいらしい女の子だった。
「ばっ! そんなんじゃねえよ! あたしはプロデューサーさんがこんな調子じゃ周りも困るかと思って説教してやったんだよ! ほ、ホントだぞ!」
「ふぅん、そうなんだぁ? どっちにしろ、奈緒は優しいねぇ~」
何をしているんだ?
この2人は。
完全に置いてけぼりをくらっている俺に気付いたのか、その橙色の髪の子が声をかけてくる。
「あ、私は北条加蓮、こっちのツンデレが神谷奈緒ね。よろしくね」
「あ、うん、よろしくね」
「誰がツンデレだよ! おい!」
なるほど、こっちの太眉の子が神谷奈緒で、橙色の髪の子が北条加蓮か。
覚えよう。
人の名前を覚えるのは苦手だが。
「ねぇ、ねぇ、プロデューサーさんは誰を担当するの? もしかして私?」
そう言って加蓮が寄ってきた。
女の子と話すことになれてない俺は、既に大焦りだった。
「え、いや、まだ来てないらしいんだけど。君はまだプロデューサーがついてないの?」
なるべく普通な事を言うように心がける。話し方の本を今日まで読み漁ったおかげか、以前よりは多少マシになっていた。
前からそうしておけばよかった、と思った。
それも後の祭りだが。
「私? いないよ? 奈緒もね、今年新しく入る人が担当になるのかな、と思って。違ったかー」
どうやらこの子達もまだプロデューサーがいないらしい。
みんなスタートラインに立ったばかりの新人ということか。
「そっか、お互い新人なんだね。頑張ろうね」
「うん、そうだね。担当じゃないみたいだけど、よろしくね」
この子は中々普通に話せるかもしれない、と思った。
見た目は今風の女の子、という感じが強いが、物腰の柔らかさというか、なんというか、優しい何かがあった。
俺が担当する子も、この位優しい子がいいな、と切に思った。
「プロデューサー君、担当してもらう子が来たから、ちょっと来てくれ」
部長がそう声を上げた。
やっと来たのか、という考えと同時に、来てしまったのか、という考えが入り混じっていた。
「わかりました」
腰を上げ、部長のいる方へ行くと。
「紹介するよ。今日から君の担当アイドルの渋谷凛さんだ」
美しく、清らかな黒髪。
吸い込まれそうなほどに深い色をした瞳。
スラっと伸びた手足。
非の打ち所の無い美少女だった。
「あ、えと、新しく入社して、君のプロデュースを担当になりました。よ、よろしく」
先程の加蓮と話すときと、何故こうも口調が違うのか。
簡単だ。
怖い。
目つきがまず怖い。
明らかに睨まれている。
てか、無理。
こんな子プロデュースなんてできませんよ。
死んでしまう。
そんな失礼極まりないことを考えていた矢先だった。
「ふーん? あんたが私のプロデューサーなの? まぁ悪くないかな。うん」
「え、あ? はい? それはどうも。はい」
余りの不意打ちに頭おかしい奴みたいな返事をしてしまった。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「え? あ、うん、大丈夫。まぁ、先に言っておくけど、俺、人と話すの苦手で中高ぼっちだったレベルなんだ、分かっててくれるとありがたいです」
気を取り直して軽く自己紹介をした。
自己紹介になってないかもしれないが。
「え、へぇ、そうなんだ」
あれ?
なにか、凛が笑ったような気が。
馬鹿にするとか、嘲笑うんじゃなく。
純粋に、例えるなら昨日、部長と話していたときの俺のように。
「ま、まぁそんなだけど、一生懸命頑張るから、よろしく、うん」
「うん、よろしく」
それでも挨拶はそっけなく、先程の笑みも勘違いなんだと思った。
「それじゃ、凛さんはレッスンに行ってもらえるかな。プロデューサーさんは早速業務を始めてくれると助かるよ」
「え、先輩達に挨拶とかはしなくていいんですか?」
先程から抱いていた疑問を口にした。
「いや、先輩なんていないんだよ。発足したばかりの部門だしね。君の代が一番最初なんだよ」
「あ、そうなんですか。分かりました」
「それじゃ、お願いね」
そう言って部長も自身の持ち場へと戻っていった。
実際仕事内容は頭に入っているので、早速業務を始めた。
最初こそ多少は手間取ったものの、ほんの小1時間程度で慣れてきてしまっていた。
発足して間もない部門だからか、基本的にはプロフィールをまとめたり、アイドルの売り込み先のまとめたりと、単純な作業が多かった。
すると、遅れてやってきたのか、本来の出社時間なのかは分からないが、他のプロデューサーらしき人たちも出社してきた。
全員が揃ったようだが、見た感じ俺を含めて全部で4人。
それが多いのか少ないのかは分からないが、お互いに挨拶することも無く、来た者から部長に話を聞き、業務を始めていた。
意外とあっさりした環境だな、と思った。
むしろその方が俺にはありがたいのだが。
それからも、数時間ほど作業をぶっ続けでやっていた。
「へぇ、今日初めての仕事なのに、随分手際がいいんだね」
「いや、そんなことは、って、うわっ、びっくりした」
いきなり声をかけられ、何故かすんなりと返事をしてしまったが、言いながら声の元を見て、驚いてしまった。
「その驚き方に驚くよ」
凛だった。
いつの間にレッスンから帰ってきていたのか、業務に集中して気付かなかった。
「あぁ、ごめん」
「ううん、いいよ、それより部長さんが、新しくプロデューサーになったんだから、家の人に挨拶でもして来なよ、って言ってたけど、どうする?」
どうするって言われても。
「どうするって言われても」
しまった。
声に出してしまっていた。
「えぇ、じゃあ行こうか。私もこの後は帰るくらいしかやることないし、ついでに、ね」
「あ、あぁ、そうだね」
何故かおかしな方向に捉えられ、何故か凛の家に行くことになってしまった。
「じゃあ早速行こうか。案内するよ」
「あ、く、車だそうか?」
何を言っているんだ俺は。
ろくに話せないこの子と車になんて乗ったら、地獄もいいところだ。
いやむしろ地獄のほうがマシかもしれない。
断れ、断れ断れ。
そう何度も念を送った。
が。
「いいの? じゃあ、お願いしようかな」
残念ながら通じなかったようだ。
会社を出て、駐車場へ行き、車に乗るまでの会話、無し。
完全に沈黙だ。
俺から離すのももちろん無理だし、凛の方も話しかけてこない。
そんな状態のまま車に乗る。
運転を始めてしまえば気にならないかもしれない。
ようやくこの重い空気から抜け出せる、と思った瞬間だ。
「それじゃあ、失礼します」
容赦なく助手席に座ってきた。
何の躊躇いも無くだ。
しかし、乗られてしまった以上は後ろに乗れ、とも言えず、やむなくそのまま運転することにした。
運転を始めるも、やはり沈黙。
車でラジオを聴いたりするタイプでもないので、何も流れていない。
そんな沈黙が数分続いた頃、凛の家の場所を知らないことに気がついた。
「あ、あのさ、なんとなく来ちゃったけど、家、知らないや」
「え? 家知らないのに運転してるの? どこ行くつもりだったの。ふふ」
「あ、いや、ごめん、ナビ入れるから住所教えてください」
ようやく沈黙から開放はされたものの、話す内容がこれじゃ駄目だ。
あれ、何で俺、沈黙が嫌になっているんだろう。
あれほど話すことが嫌だったのに。
今は沈黙の方が嫌に感じる。
住所を聞いて、正しい道で運転を始めると、結局はまた沈黙だった。
しかし意外にも、今度は意外と早く沈黙が破られた。
「プロデューサーさ、さっき、話すのが苦手って言ってたけど、ほんとなの?」
「え? あぁ、嘘ではないよ。話すのは苦手だし好きでもないんだ」
「私も、そうだよ」
「え?」
「私も人と話すのは苦手なんだ。感情表現が上手くできないっていうか、愛想が無いでしょ? だから、友達も余りいないしね」
意外な告白をされ、少し答えに詰まる。
ここでどう返すのが正しいのかが分からない。
「そうなんだ、それは、気の毒だね」
結局、こんなありきたりな返答しか出来ず、この後どうしようかと悩んでいると」
「私達って、似てるのかな。なんとなく、そう思うんだけど」
「そう? 似てるか? まぁ、確かに俺は人と話すのは苦手で友達なんていないし、携帯の連絡先一覧にも家族と部長以外いないし、同窓会のはがきなんて届
いたことすらも無く、合コンなんて以ての外で、部活の経験も一切無いし卒業アルバムの後ろのページは小中高全部真っ白だけど、凛もそんな感じなのか?」
こう考えると悲しすぎる青春時代だったなぁ。
「ぷ、ふふ、待って、ふふ。そんな、そこまでじゃないよ。あはは。さすがにそこまでじゃないよ。プロデューサーはやばすぎ」
「待って、笑いすぎだから。じゃあ凛は連絡先に誰がいるんだ?
「あはは、え? えっと、お父さん」
「はいお父さん」
「お母さん」
「うんお母さん」
「……」
おや?
これ、多分2人しか入ってないんだろうな。
「ん? まだ2人だぞ? ん?」
少し意地悪をしてやろうと思った。
さっき笑った罰だ。
「あとは、えぇと……」
「凛、大丈夫だよ。2人も3人も大して変わらないからさ」
「~~っ!」
俺がそういうと、唇を噛みながら、凛は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「見栄を張っちゃう気持ちも分かるよ。うん」
「うるさい」
「まぁまぁ、ごめんって」
「うるさい」
「言い過ぎたよ、ごめんって」
「……3人にする」
「え?」
「3人にする、連絡先教えて」
な、なんだと?
俺が、この俺が所謂JKと連絡先を交換?
信じられない。
なんせ俺は、例えるなら、登校中の小学生におはよう、と挨拶をするだけで学校で不審者扱いされて注意喚起が起こってもおかしくないレベルに変なオーラを
撒き散らしているんだぞ。
そんな一緒にいるだけで不幸になりそうな俺と連絡先を交換?
なかなか面白い事を考える人もいたもんだ。
「あぁ、いいよ、そこに携帯入ってるから、勝手にやっちゃって」
「うん、ありがとう」
もしかして、これは凛なりのコミュニケーションなのだろうか。
確かに凛は不器用そうだ。
でも、それなりの努力はしているのかもしれない。
凛は俺と似ていると言っていた。
確かに俺も似てるかもしれないと思った。
しかし、凛がこうしてまでコミュニケーションを取ろうとしているのに、俺は何をしているのだろうか。
成り行きとはいえ、俺は凛のプロデューサーじゃないか。
俺だって、出来ることをやっていかないと、凛のプロデューサーだ、なんて言えないよな。
少し、少しずつでも、頑張ってみても、良いかもな。
これから俺の大切な相方になるであろう、この渋谷凛のためにも。
そこからの事は、必死だったからか、よく覚えていない。
何をしたかは覚えてないが、凛曰く、俺は凛のご両親からえらく気に入られたらしい。
俺は何をしたんだろうか。
それでも、頑張った結果、いい方向に動いたのであるならば、それは間違いなくプラスだ。
そう思った。
それからは、難なく仕事も進んでいたが、そう上手くいく時期が長く続くわけも無く、大きな壁にぶち当たった。
営業だ。
俺は、ここ最近で学んだことがある。
それは、俺と同じ境遇の人とは、割と普通に話せる、ということだ。
部長や凛と話せたのもその理由が大きい。
しかし営業ではそうもいかない。
凛を紹介する先の人と上手く話せず、失敗。
そんなことがしばらく続いていた。
そして更に、同期であるはずの他のプロデューサーに、明らかに実績の差をつけられ始めている。
特に、神谷奈緒と北条加蓮の担当と、島村卯月と本田未央の担当は、コミュニケーション能力が高く、企画を取り付けるのが上手いのか、テレビや雑誌などへの露出、という業績
が伸びている。
もう1人は、事務のちひろさんと、事務作業を専門でやっている。
本人がそれを希望したんだとか。
俺もそうしたかったが、あくまで俺は、凛の担当、として雇われた身だ。
文句は言えまい。
そもそも、相変わらずわざわざ凛の担当に俺を選んだ理由が分からない。
部長がティンと来たから、としか言いようが無いかもしれないが。
それよりも今の状況を何とか打破する必要があるとは思っていた。
凛のプロデューサーになってからは、どうせやるなら頑張ってみようと思った。
それが俺が凛にできる唯一のことだから。
そして俺は、覚悟を決め、ある人と会うことにした。
「あ、待った? ごめんごめん」
俺が約束の時間に事務所の一室に行き、しばらく待っていると、目的の人物がやってきた。
「大丈夫ですよ」
今やってきた彼女は北条加蓮。
見た感じは今どきの女の子という感じだが、なぜか親近感を持てる存在だった。
絶対話せないと思っていた人と意気投合した時の安心感は体験しないと分からないだろう。
「そんな、敬語やめてよ、話しずらいからさ」
「え、あぁ、ごめんごめん」
敬語を指摘され、すぐさま直す。
「それで? 私に話しってなに?」
「いや、それが、最近の業務成績不振に悩んでて」
「そんな難しいことを女子高生に相談するって、変わってるね」
「仕方ないだろ、小学校から大学まで友達が1人もいなかったんだから」
普通に正論を言われてしまった。
「え、そうなんだ。でも、私も小学校とかはあまり友達いなかったかな」
「へぇ? そうなの?」
割と意外だ。
あの奈緒って子と普通に仲も良かったし、性格も良いのに。
「うん、体が弱くて入院が多くてさ。やさぐれてた時期もあったくらいだしね」
「そうだったんだ。それは災難だったね」
俺と違って原因は仕方の無いことだ。
人間性の問題ではなかったらしい。
「今が楽しいからいいんだけどね。あ、プロデューサーは、凛のプロデューサーなんだよね?」
「え? そうだけど」
「凛ってどんな子なの? 話してみたいんだけどさ、なんか怖くて」
「あぁ、分かるよ。でも、凄く良い奴だから、絶対友達になれると思うぞ」
「ホントに? なら、話してみようかなぁ」
「俺からも頼むよ。凛、この事務所で俺しか話し相手がいないんだ」
凛には友達を作って欲しい。
でも、凛自身がそれを諦めてしまっているから、誰として声をかけようともしない。
そんな状況が続いていたら、この先も不安だ。
今のうちからそんな性格を直していく必要があるだろう。
「そっか、わかった」
「おう、ありがとうな」
「それで、業務成績がどうしたの?」
「あぁ、その話なんだが、加蓮のプロデューサーは、どんな仕事を良く取ってくるんだ?」
仕事選びから俺は間違えている気がしたので、根本的なところから聞いていく。
「そうだなあ、インストアライブとか、小さいイベントとかが多いかな、最近は」
「やっぱり、そういう仕事が多いんだろうな。俺もそういうジャンルに絞ってみよう」
そんな話をしていたときだった。
「あれ、プロデューサーいたの?」
どこから聞こえたか。
ドアの方からだ。
「あれ、凛、どうしたんだ?」
「私はちひろさんに頼まれて書いた書類を出しに来たんだ」
「あ、そうなのか」
すると、凛が何かに気付いたように声を出した。
「あれ、そこにいるのは? 加蓮さん?」
「え? あ、うん。って、名前知ってたんだ」
「うん、同じ事務所だしね」
あれ、なんか普通に話せてるように感じるけどな、加蓮も心配しすぎなんじゃないのか。
「凛、加蓮が凛と友達になりたいってよ」
「ちょ、プロデューサー!」
加蓮が何か慌てている気がするが気のせいだろう。
「え、そうなの?」
「な?」
「う、うん」
これはもう大丈夫そうだな。
「なら、これから2人とも暇だろうし、遊びにでも行って来たらどうだ?」
「え、まぁ、私はいいけど……」
凛が同調する。
「加蓮はどうなんだ?」
「じゃ、じゃあ私も」
続いて加蓮も賛成のようだ。
「それじゃ、いってらっしゃい。加蓮、ありがとな」
「いや、私は何もしてないよ、それじゃ、行って来ます」
そう言って二人は出て行った。
あの2人なら確実に友達になれるだろう。
なんてったって、2人とも俺と話せるんだからな。
二人が出て行った後、本来休みだった俺だが、このまま帰るのもあれだと思い、少し仕事を進めてから帰ることにした。
何か仕事が残っていたわけではないが、どうせなら先の分をやってしまって後で楽をしよう、という魂胆だった。
その考え方が大きな間違いだったと知るのは、もうしばらくしてからだった。
先の分の仕事は何かあるかな、と探していると、部長に頼まれた会議用の資料が見つかった。
俺にやらせたほうが自分でやるよりいいものが出来そうだ、とかなんとか。
断る理由も無かったので引き受けたのだ。
資料といっても、プレゼンテーションソフトにまとめるだけなのだが。
期限はまだだいぶ先だが、先にやっておくに越したことは無いだろう。
そう思い、パソコンの電源を入れた。
作業を始め、一段落着いたので、少し休もうと時計を見ると、既に一時間が経過していた。
少し飲み物でも買ってくるかな。
夏だったこともあり、喉が渇いてしまってので、自動販売機に行くことにした。
自動販売機までたどり着き、何にしようか悩む。
はずだったのだが、いつも飲んでいるお茶が売り切れていた。
あまりジュースを好んで飲むタイプではないが、別に何にするかこだわっているわけでもないので、コーラを買った。
そうして部署に戻り、作業を再開した。
自分の好きなタイミングで帰れるわけだし、気が向いたら帰ればいいか、と思っていた。
その時だった。
「あ~ぁ、あのクソオヤジが。なんで休みの日にまで出勤しなきゃ何ねーんだよクソ」
「まぁそういうなよ。書類片付けてないお前も悪いんだからさ」
「でもよ、俺は営業でバンバン仕事取って来てんだぜ? 忙しくて書類作業なんてやってらんねーよ。だいたいお前は事務しかしてねーだろ」
そんな話し声が聞こえた。
声の先を見ると、今年俺と同じく入社した3人のうちの2人だった。
島村卯月や本田未央といった、活動を始めて4ヶ月なのにすさまじい量の仕事をこなすアイドルのプロデューサーだ。
多分、俺と対照的に、人と話すことが上手いのだろう。
世渡り上手ともいえるか。
人と話すのが上手く、友達も出来やすい。
まさに外回りにもってこいの人材だ。
だがその分作業系は苦手なのだろう。
「ん? 誰かいるのか?」
その人が言った。
だが俺は答えない。
ここで、ハイ俺です。
と答える必要が無いことを、俺は既に知っている。
「あぁ、あんたか。なにやってんの?」
ほら見ろ。
どうせこういう奴は大抵自分より立場が低いと思ってる奴には積極的に関わっていくものだ。
俺の偏見かもしれないが。
だがここで無視をしても、めんどくさい事になりそうなので答えることにした。
「部長に頼まれた会議資料をまとめてたところです」
至極端的に、余分なことなど言わなくていい。
「へぇ、それ、急ぎなのか?」
俺が手っ取り早く話を終わらせようとしても無駄らしい。
「いえ、期限は先で、本来今日は来るはずじゃなかったんですけど、用があって来たついでに作業を進めて帰ろうとしてたところです」
ここでこういってしまったことが、やはり1番の間違いだったのであろう。
「へぇ、それならこれもやっといてよ。明日までなんだけど、俺じゃ間に合わねーからさー」
「え?」
何を言っているのだろうかと思った。
何で俺がこの人の書類を処理しなければならないんだ?
「いいじゃんいいじゃん。俺外回り頑張ってるから厳しいんだねー」
関係ないだろ。
そもそも俺だって外回りは頑張ってんだよ。
得意不得意があるだろ。
そう思った。
「いや、でも」
「お前、まともな仕事取ってきてねーだろ。こんぐらいやれよ」
そう、耳元で囁かれた。
あまりにこの一言が重かった。
凛に仕事をとってきてやれてないことに悩んでいた俺にとって、この一言の重さはあまりに重すぎた。
「え、あ、はい、わかりました……」
結局、承諾してしまった。
そもそも、こういう人間関係の幅が広い人間を敵に回すことほど怖いものなど無い。
何をされるかも分からないからだ。
この時点で俺は次の展開まで読めていた。
「マジで? じゃ俺のも頼んでいいかな?」
ほら来た。
分かってるんだよ。
ここで便乗しておけば引き受けてくれるって思ってるんだろう。
「あ、はい、分かりました」
ここで断るのも怖かった。
結局俺は、2人分の書類を抱えることになったのだ。
しかも期限は明日。
今やるしかないのだ。
「ありがとう! 助かるわ~。ほんとに! ありがとうね!」
「そんじゃ俺らは帰るから、頑張ってな。じゃあなー」
何が頑張れだ、何がありがとうだ。
そんなこと、微塵も思っていないくせに。
心の中ではラッキー、こいつちょれぇー。
くらいにしか思ってないくせに。
やりたくなんてなかった。
心の底からこの書類をあの2人の机に置いて帰りたかった。
だがそんなことが俺に出来るわけがなかった。
そんなことをすれば、後から確実に何かしらの報復を受けることになる。
だったら、少し苦労してでもこの書類を片付けてしまった方が何倍もマシだと思っていた。
「くそったれ……」
そう一言だけ呟いて、俺は2人分の書類の作業を始めた。
4時間経ち、1人目の分が終わった。
あまりの書類の溜め込み具合に呆れた。
また4時間経ち、2人目の分が終わった。
既に怒りなどは無かった。
時間は既に夜の8時を過ぎていた。
達成感や、安心感なんて無かった。
ただただ、涙が止まらなかった。
あんな2人に何も言い返せず、上手く利用されて、こんな時間まで黙々と作業をやっていた自分自身への悔しさが大きすぎたのだ。
辞めたいと思った。
明日から来なければ、どんなにいいか。
苦手な仕事もしなくて良い。
あの2人もいない。
しかしそれを絶対にさせない物があった。
それは凛の笑顔だった。
たまに見せるその笑顔は、俺に頑張る力を与えてくれるような気がしていた。
凛に笑っていて欲しい、その本心で頑張ってきた仕事でもあるのだから。
今すぐにでも会いたいと思った。
こんな俺を励まして欲しいと思った。
「はぁ、凛、もう帰ったのかな。今頃何してんだろ」
気付けばそんな言葉をこぼしていた。
「私? ここにいるけど?」
「え?」
振り向くと、いた。
確かにいた。
スマホを持ってソファに座っていた。
「凛、いつから?」
「ん~、1時間前位かな? 加蓮達と別れてから忘れ物に気付いて取りにきたら電気がついててさ、覗いてみたらなんかプロデューサーが頑張ってるみたいだったから、後ろで見てたんだよ。あまりに気付かないからどうしようかと思ったけど、邪魔するのも悪いかなって思って、黙って待ってたんだ。そしたらいきなり泣き出すからびっくりしたよ。で、今私のことをなにか言ってたから返事をしたの」
「一時間前って、何やってるんだよ……」
「別にいいじゃん。退屈じゃなかったしね。それで、何をやってたの? 今もいるってことは、昼間から帰ってないんでしょ?」
「え、あぁ。ちょっとな、部長に頼まれた書類をね」
「へえ、そうなんだ、真面目だね、プロデューサーは」
半分は本当で半分は嘘だ。
だが、他のプロデューサーに押し付けられた仕事をこんな夜になるまでやっていた、だなんて言える訳が無かった。
何よりも、俺の事を真面目だと言ってくれる凛に、仕事を取ってこれない悔しさがこみ上げてくる。
先ほど言われた言葉を思い返す。
まともな仕事取ってきてねーだろ。
これが事実であることが辛すぎた。
「なぁ、凛」
「ん? どうしたの?」
「俺、絶対に凛をトップアイドルにするから。約束するから、俺が、頑張って頑張って、仕事いっぱい取ってきて、凛をどんどん人気者にさせるから、少し時間がかかるかもしれないけど、頑張るから。」
そう、思いの丈を口にした。
こんなこというのは、気障かもしれないし、クサいかもしれない。
けど、これくらいの事を言って、約束して、もっともっと頑張って、あいつを見返してやりたかった。
「いきなり何言ってるの? そんなの最初からそうに決まってるでしょ?」
「あ、まぁ、そうだな、でも頑張るからさ」
「はいはい、頑張ってね、プロデューサー」
やはり、この仕事はやめるわけにはいかないな。
そう思った。
だって。
また、凛が笑ったから。
頑張る。
そう言った。
しかし、頑張っても届かなかった。
理由はいたって単純明快。
この前の一件で味を占めたあの2人が毎日のように書類を持ってくる。
いくら事務作業に多少の自信がある俺でも、3人分など、とてもじゃないが勤務時間内には無理だ。
ではどうするか、持ち帰り、業務をするか。
そう思ったが、家でまであの二人のことで縛られたくは無かった。
それではどうするか。
俺の決断は、朝早く出社することだった。
他の社員より、2時間以上早く出社し、作業に没頭した。
部長には少し怪しまれたが、上手く言い訳をしたら、その調子で頑張ってくれ、という感じだった。
既に1ヵ月が経過して尚、それは日に日に酷くなっていった。
会社に来ない日まであるほどだ。
それからも、俺は凛に、輝く舞台に立たせることができなかった。
それでも頑張った。
何故なら、凛が応援してくれるから。
凛が信じてくれるから。
凛だって周りとの格差を感じていないはずは無い。
それでも文句を言わずに地道にレッスンを頑張ってくれている。
それなのに、俺が先にリタイアなんてできる訳が無かった。
それから半年後の事だ。
結局俺は、半年間他の2人の書類を抱えて仕事をしていた。
それでも何とか、出番は短かったがテレビの仕事はもらったし、小さなイベントにも出してあげられた。
だが結局そこ止まりだった。
人と話すのは、多少は上手くなったかもしれないが、あの2人からの書類の処理に追われ、なかなか外回りに出れていないという現実だった。
バレていないことも不思議だった。
上手く立ち回っているのだろう、だからこそあれだけの仕事をとってこれるのだ。
その中、断ろうと何度も思った。
しかし、断ろうとする度に、中学高校とあった、スクールカースト最上位にたてついた奴の末路を思い出し、出来なかった。
あのプロデューサーは既に346プロダクションアイドル部門の稼ぎ頭になっていた。
逆らったら最後、会社をクビになるまで有り得たのだ。
凛のためにもそうなるわけにはいかず、我慢を続けた。
そんな日が続いていたとき。
例の事件が起こった。
凛が事故に遭うという、最悪の事件が。
その先は思い出したくも無い。
「くそ、何で俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよ……!」
俺だけじゃ無いのはわかっている。
俺以外にもこんな辛い思いをしている人はいる。
だが、だから我慢する、というのも無理だろう。
外を見ると、いつの間にか雨は止んでいた。
時計を見れば、1時間ほど経っていた。
それだけしか経っていない。
俺と凛の1年間を思い返しても、半年間を飛ばしたとしても1時間ほどで終わってしまう。
そのくらいの関係。
そんな関係のはずなのだが。
ここまで思い出が深いのは何故なのか。
当然、それほどに信頼し合い、協力してきたからこそだが。
これからどうしようか、そう考えていた時、電話が鳴った。
相手を見ると、部長だった。
何故かけてきたのだろう。
無断欠勤をしているからだろうか。
出るつもりは無かった。
だが、それでも、この電話に出れば今の状況が変わるかもしれない。
いや、変わって欲しいと、ある種の望みをかけて通話ボタンを押した。
「もしもし? やっと出てくれた。何回か掛けても出ないもんだから心配したよ」
「すみません、寝てました」
「それならいいんだけど。今から会社来れるかな? 厳しいのはわかるけど、話しておきたいこともあるし、君、あの後凛さんの様子も見に行ってないだろ
う?」
「行きますよ。わかりました」
「おぉ、来れるなら良かった、それじゃ、待ってるよ、気をつけてきてね」
ここで行かないともう俺は駄目な気がした。
凛のお見舞いに行っていない、というのも理由のひとつではある。
物理的にも、精神的にも重い腰を上げ、よろよろと歩き出した。
外に出ると、夕日が眩しかった。
そこで今が夕方であることを知った。
今の自分の状況も理解しているので、車の使うのを辞める事にする。
運転なんて出来そうに無かったから。
電車で行こうかとも思ったが、あまり時間を掛けるわけにもいかないと思い、タクシーを呼ぶ。
5分ほどでタクシーが着いた。
行き先を伝え、着くのを待っている間、いろいろなことが思い浮かんできた。
ふと凛が目を覚ましたりしないだろうか。
いつもみたいに不意に現れて俺を驚かせてくれないだろうか。
そんな不可能に近い、願望のようなものが次々と浮かび上がる。
目的地に着く頃には、凛がもう退院しているんじゃないか、なんて幻想にまで至ってしまった。
すぐさま現実に引き戻されたが。
オフィスに入ると、そこにいたのは部長だけではなかった。
あまり顔を合わせたことが無く、うろ覚えだったが、確か346プロダクションの社長だ。
俺が促されるままに社長だと思われる人と部長に対面した椅子に座った。
先に口を開いたのは、社長のほうだった。
「君がとても辛い思いをしたのは理解している。ここ数日の無断欠勤についても特に咎めるつもりは無いから安心してくれ。しかし話しておくべきことがあっ
てな。部長、私から話してもいいか?」
「えぇ、それは社長ご自身の判断に任せますよ」
「そうか。それで話というのは2つある。1つは、島村卯月と本田未央を担当していたプロデューサーと、事務作業をしていた社員、2人には自主退職をしても
らった」
「え?」
聞き間違いだろうか。
あの2人が退職した、というのは。
俺にとっての大きな負担となっていたあの2人が。
「君が休んでいた3日間、彼等の書類の出来が今までに比べ余りに雑でな。気になって呼び出して問い正したら、意外にもあっさりと白状したぞ。君に押し付
け、大きな負担を与えた上で自分達が楽をしていたことをね」
「そ、そうだったんですか」
「一応聞いておくが、間違いは無いな?」
「はい、その通りです」
「そうだったのか、気付いてあげられなくて、すまなかった」
部長がそう言って謝った。
「いえ、俺が言わなかったのが悪いですし、大丈夫ですよ」
「話を続けるが、そこで当の2人に仕事をこれ以降与えるつもりは無いがどうするか、と聞いたら、自主退職を申し出てきた。なんにせよ、私はそういった
卑怯で卑劣な手を使う人間が大嫌いでな。許せなかったんだ」
「そう、ですか」
「それでもう1つなんだが、これは、本当に申し訳ないと思っているのだが、島村卯月と、本田未央のプロデュースを頼めないだろうか? もちろん無理にと
は言わない。断っても君は何も悪くない。しかし、彼女達は腐っても敏腕だったあのプロデューサーのおかげで今あれだけ登りつめている。まだまだトップア
イドルまでの道のりは長いが、それでも夢の見れる場所まで来ているんだ。他に出来るプロデューサーがいないんだ。出来れば私は、彼女達に夢を見させてや
りたい、頼む」
社長がそう言った。
つまり社長は会社としての利益より、人として彼ら2人を実質クビにしたのだろう。
でなければこれほど人気のあるアイドルのプロデューサーを残しておかないわけが無い。
だが、やはり怖かった。
ここまで人気のある彼女達が、俺のせいで一気に落ちこぼれるかもしれない。
それが怖かった。
それでも、俺のために利益を投げ打った社長の頼みだ。
受けたいという気持ちもかすかにあった。
「少し、考えさせてください」
結局、それが答えだった。
この場で即決することが出来なかった。
「あぁ、もちろん構わない。それと、渋谷の入院してる病院には顔を出したのか?」
「いや、まだ」
「君は馬鹿か。気持ちは分かる、とても辛いのも分かる、だが、ご両親だけでなく、君もいてあげることが渋谷の支えになるんじゃないのか? 君は渋谷に支
えられたことは無かったのか?」
「それは……」
逃げていた。
担当アイドルを上手く育てられず、他の社員には馬鹿にされ、いいように扱われ、挙句の果ては一番大切な担当アイドルが事故に遭うなんて。
それを俺は悲劇のヒロイン気取りで、この現実から逃げていたんだ。
「ちなみにだが、今日部長は仕事が無く、この後たまたま渋谷の様子を見に行くらしいぞ。な?」
「え? いや。あ、いやその通りですよ。君ももちろん来るよな?」
涙が出そうになった。
何故ここまで優しくしてくれるのだろうか。
会社にたいした利益をもたらしていない俺に、何故ここまで優しくしてくれるのだろうか。
他人の不幸をいい人気取りで慰めているのでは断じてない。
俺にもそれは理解できた。
「はい、もちろんです」
「そうか、じゃあ早速行こうか」
そういってオフィスを出た。
部長の車に乗り、病院へ向かった。
部長は俺の事を考えてか、特に話しかけてきたりもしなかった。
「さぁ、着いたよ」
「ありがとうございます」
車を降り、凛の病室へ急いだ。
部長は何故か車で待っているらしい。
部長なりに気を使ってくれたのだろうか。
そんな中俺は、自分が段々と急ぎ足になるのがわかった。
凛の病室の前まで来たが、不思議なことに扉が開けられない。
怖いのだ。
もし、もう死んでしまっていたらと、悪い考えばかりが浮かんできた。
それでも、ここで逃げるわけには行かない。
凛が俺を支えてくれたように、俺も凛を支える義務がある。
そう思い、扉を開けた。
何も言わずに無言で病室へ入った。
なんて言えば良いのか分からないのだ。
そもそも今の凛の状態で俺がなんて言えばいい。
言葉がいくら探しても出てこなかった。
そして、俺が病室に入り、凛の姿が目に入った。
人工呼吸器にを付け、頭に包帯を巻き、白いベッドの上で眠っている凛の姿だった。
眠っているというのもおかしな表現なのかもしれない。
意識を失っているのであって、眠っているわけではないのかとも思うわけだ。
「凛……」
やはりなんと言葉を掛ければいいか分からない。
俺は凛の手を握った。
冷たくなくて、安心した。
まだ生命の息吹を感じられる暖かさだったのだ。
凛が生きている。
そう実感した。
今、凛は何を考えているのだろうか。
何か夢を見ているのだろうか。
絶望の淵に立たされ、絶望しているのだろうか。
後者だとするならば、それは俺が支えてあげたいと思った。
少し傲慢かもしれないが。
「凛、遅くなって、ごめん」
口から出たのは、今の今まで見舞いに来なかったことの謝罪だった。
それ以上に言葉が見つからなかった。
それでも、俺は凛に現状を報告することにした。
聞こえる訳も無く、届く訳もないのに。
「俺、凛が目を覚ますまで、他の子の担当を頼まれたよ。それ、やってみようかと思ってるんだ。だって、凛が目を覚ました時、俺が腕を上げてたらすぐにでも凛を輝くステージに立たせてあげられるかもしれないだろ? 前までの俺なら、多分、いや、絶対受けてなかったと思う。でも今は、やらなきゃならないって思えるんだ。凛をトップアイドルにしてあげたいからさ。目を覚ました凛を驚かせてやりたいんだ。だから、これは凛から離れる訳じゃないんだ。言うなら、特訓かな。俺が、凛をすぐにすっげえアイドルにする腕を身に着けるための、特訓。でも、早く目を覚ましてくれよ。それが俺の一番の喜びだからさ。あれ、俺、言ってることごちゃごちゃだな」
そこまで言って、自分が意味不明なことを言っていることに気が付いた。
それだけ伝えたいことがあったのだ。
島村卯月と本田未央のプロデュースを引き受けるつもりだというのも本当だ。
本当に、今までの俺ならプロデュースなんて絶対に引き受けていなかっただろう。
だが、そんな俺を凛は変えてくれた。
ここに来るまでの車で考えた。
俺が今凛の為に出来ることは何かと。
そして、それがいつまでもくよくよしてないで、凛が目を覚ましたとき、すぐにでも人気アイドルにして上げられるくらいの腕を身に着けることだと思ったの
だ。
それなら、今、社長から頼まれた案件を引き受けるべきだと思った。
いつまでも落ち込んでたら、それこそ目を覚ました時に凛に怒られそうだしな。
「それじゃあ、凛、また来るよ。それと、俺、頑張るから、凛も頑張ってな」
そう言い残し、俺は病室を出た。
部長を待たせるのも悪いと思い、急いで車へ戻った。
「部長、お待たせして申し訳ありません」
「いやいや、構わないさ。さて、この後どうするかな? 君は今日タクシーで来たんだよね、もしあれなら送るけど?」
「いえ――」
俺は、決めたんだ。
凛のために、出来ることをするって。
「社長と話したいので、346プロダクションまでお願いします」
今俺は、加蓮に会っている。
何をしているかというと、説教である。
いい大人が、女子高生に。
なぜなら、俺が社長にプロデュースを引き受けると伝えに行った時に加蓮とたまたま会い、そのまま連れ去られたからだ。
「だからぁ、プロデューサーさんが人と話すのが苦手なのは、自分の話し方が悪くて、それで失敗してきたトラウマなんでしょ?」
「いや、まぁ、そんな感じかな」
「だったら、そのトラウマを忘れてむしろ話し方を武器にすれば良いんだって」
「すまん、全く意味が分からない」
先ほどからこんな調子だ。
喫茶店に入るや否や、容赦なくオーダーを入れまくり、「もちろんおごりね、ふふっ」ときた。
幸い友人のいない俺はお金の使い道など無く、余っている訳だから断らなかったが。
それで、オーダー入れたかと思えば、俺のの短所を長所にしよう、という話になったのだ
「だからさぁ、プロデューサーさんの話し方っていうのは、思ったことをそのまま言って、相手の顔色とかも伺わないんでしょ?」
「元はそうだったな。今は少しはマシになったけど、元の話し方を抑えてるせいでやっぱり上手く話せないんだよな。頭も使うし」
「確かに顔色を伺わないのは直すべきだけど、話し方は本来のままでいいかも」
「んん? つまりどういう意味だ?」
「なんていうのかな、今のプロデューサーさんは自分を押さえ込んで無理をした結果、空回りしてるって感じだからさ」
「そうか、そんな風に見えるのか」
意外だ。
ここまで俺の事を見ているとは思わなかった。
心配でもしてくれていたのだろうか。
「だから、自分のやりたいようにアイドルを説明してみればいいんじゃないかな。失敗もするかもしれないけど、今までよりはマシになるかも」
「でも、そんなことしたら業界でも嫌われ者になるかもしれないぞ?」
学生時代の二の舞になるだけな様な気がするが。
「その時はその時なの。今は現状を変えるしかないでしょ? 違うの? 今のままでいいの?」
「いや、良くないけど……」
「じゃあやるの」
「でもそんな上手くいくかなぁ」
「いいからやるの!」
「うーん」
「プロデューサーさん?」
「ん?」
加蓮がニコニコしている。
だがその笑顔は明らかに喜びや楽しさからのものではないことがすぐに分かった。
凛にも同じ顔をされたことがあったからだ。
そして更にその経験上、ここで更に食い下がることは非常で危険であるということもすぐにわかった」
「やるの? やらないの?」
「いえ、喜んで頑張らせていただきます」
「わかればいいの」
そう言って加蓮は、本当の笑顔を見せた。
「ほぼ脅迫だよこれ……」
そう小声で呟いた。
しかし加蓮はそれを聞き逃してはくれなかった。
「何、脅迫って、そんなことしてないでしょ」
「いや、そんな顔をされて断れるわけ無いだろ。殺される」
「ちょ、ひどくない? 笑ってただけだよ?」
「そうかもしれないが、俺にはその顔の凛を見たことがあるんだよ」
あれは忘れることが出来ないであろう。
笑っているから大丈夫であろうとたかをくくっていたら酷い目にあったのだから。
「へぇ、なにかあったの?」
「聞きたいか?」
「聞きたいなぁ」
「わかった、話してあげるよ。あれは、去年の10月頃だったね。凛と夜話してたんだ。それで俺がそうしようも無い人間だよねって話になったんだよ」
そう、仕事の話をしていた時に仕事の少なさが申し訳なくなり、謝りながら俺は自分を卑下した。
凛は、そんな俺に対してそんなことないと慰めてくれたが、それでも俺は気が晴れずに、いつまでもぐちぐち言っていたのだ。
「凛もよく言ってたなあ。うちのプロデューサーが卑屈すぎて困るって」
「え、そうだったのか、やっぱりよくなかったんだな」
「それはこれから直していけばいいの。それで、続きは?」
「あぁ、最初こそ凛は否定してくれたけど、途中からあまり喋らなくなってな、それが俺は悔しかったのか、構って欲しかったのか分からんが、いつまでも1
人でどうのこうの言ってたんだ。そしたら凛が不意に笑い出して、そんなことないよ、って言ったんだ。だから俺、いや、俺は駄目人間だ、っていったんだよ。そしたら凛ブチ切れた」
「えぇ、それで凛はなんて?」
「それがな、じゃあもうアイドルなんて辞めるから! 何でここまでプロデューサーと頑張ってきたのにそんなに自分を悪く言うの! 私の為にすごく努力をしてくれてるのも知ってるし、無理してるのも知ってる。なのにそんなに自分を悪く言う意味が分からないよ! 私に仕事が無いのだって私にも原因はある、それを全部背負い込んで自分が悪いです。俺だけのせいですなんて、慰めて欲しいの? もっと文句を言われたいの? それも分からないよ! 少しは私の悪いところを指摘してよ! 私のせいにもしてよ! 私をそんなに信用できないの? だったらもうプロデューサーなんて知らないよ! って言って帰っちゃったんだよね。一語一句間違えてないわけじゃないけど、確かこんな感じ」
「凛、怒ると結構怖そうだしね。でも、よくそんなになったのに仲直りできたね」
「次の日ちゃんと家に謝りに行ったんだよ。凛も言い過ぎてごめんって言ってきたけど、それ以来凛を怒らせることはなくなったな。あれはあまりに迫力が
あって怖すぎた」
「それならよかったね。私も凛は怒らせないようにしよう」
「おう、それを勧める」
また凛が本気でキレたらショック死するかもしれないしな。
大事なパートナーに見切られるのは大いに辛いものがある。
「それじゃあ、話を戻すけど、テレビ局のディレクターさんとかと話す時に、無理にしっかりした話し方をするんじゃなくて、自分が思う担当の子のいいところをたくさん言うほうがいいと思うよ。無駄にご機嫌取ったりしようとしても、プロデューサーさんのコミュ力じゃ無理でしょ?」
「もう少し言葉を選んでくれ、傷付く。でもまぁ、言ってることは間違ってないかもしれないな。これからしばらくは島村卯月と本田未央の担当をやるんだ
が、その時に試してみるよ」
凛が目を覚まして、活動を再開するまでに、俺が仕事の出来るプロデューサーになっておくための特訓だ。
「そうそう、それで敏腕プロデューサーになって、凛が仕事できるようになったら、私と奈緒と凛でユニットを組ませてよ」
「ユニット、か、それもいいかもしれないな。って、凛、いつの間にあの奈緒って子とも仲良くなってたのか」
意外だ。
まぁ仲良くなれるだろうとは思っていたが、俺に話さないから特に話したりしていないのかと思っていた。
「そうだよ、一番最初に出かけたときに私が呼んで、そしたら2人も仲良くなったの」
「そうだったのか、凛も良い友達を持ったみたいで良かったよ」
凛にも友達がいるのなら、俺も安心する。
何故かは分からないが、凛が一人ぼっちじゃないというだけで安堵感を覚えた。
「それで、3人でいつかユニットを組んで活動したいね、って話してたんだ」
「そうか、じゃあ、尚更俺が頑張らないとな」
「そうそう、期待してるからね。って、私達、凛が完全に目を覚ますこと前提で話してたね……」
そう言って加蓮の顔が暗くなる。
確かに、医者にも目を覚ますのは絶望的だと言われたし、俺も確かに心のどこかではそう思っているかもしれない。
だが、それ以上に思うことがある。
信じることが出来ずに何がプロデューサーだ。
待っていて上げることができずに何がプロデューサーだ。
と。
俺は、凛と1年間二人三脚で頑張ってきて、そんな思考を持てるようになっていた。
あまり人を信じてこなかった俺が、凛を心の底から信じられるようになっていた。
だったら、そんな風に俺を変えてくれた凛を信じ続けるのは、当然ではないだろうか。
「大丈夫だって。凛は絶対目を覚ます。俺は信じてる。加蓮も信じろ、な?」
そう言って慰めることしか出来なかったが、それでも、それくらいのことしか出来なくても、俺は凛の為に何でもしてやろうと思っているんだ。
加蓮にも凛が目を覚ますように願ってもらえればそれはもう万々歳だ。
まぁ、加蓮の場合、俺に言われなくても凛が目を覚ますことを強く願ってそうだけどな。
「そうだよね、凛は絶対大丈夫だよね。うん」
その後は、2人で、今後の仕事のための会議をした。
もっとも、その後の加蓮のスイーツ食べまくりにより、財布に悲劇が襲い掛かったのはまた別の話だ。
「えと、今日から2人のプロデューサーになります。よろしく」
俺は二人に初めての挨拶をした。
顔を合わすことはあれど、話すことなど無かったのだ。
「そういえば部長が事情があってプロデューサーが代わるって言ってましたね! 島村卯月です! よろしくお願いします!」
「ほほぉー。こりゃまた堅物そうなのが来たねぇ~。私は本田未央、よろしくっ!」
名前は知っている。
だが、どうやって話すのが正解なのか。
またおかしな話し方をして、第一印象が悪くなったら大変だ。
見たところ子の2人は明らかに俺や凛とは雰囲気が違う。
特にこの本田未央という子はクラスでも中心にいるタイプだろう。
しかし、そんなことを考えていると、前に加蓮に言われた言葉を思い出した。
自分を隠さずに、出来る限り自分は自分として接するということ。
今はまさにそれを実行するべき時だ。
加蓮とも約束をしたんだ。
きっと凄腕のプロデューサーになって、凛を人気者にして、ユニットを組むと。
だったら、新しい担当アイドル相手に怖気づいてなんかいられないだろう。
「そう、でも前のプロデューサーさん程の才能はないから、仕事とか減っちゃったらごめんな」
言えるじゃないか。
いつの間にこんなに普通に話せるようになっていたのだろうか。
凛や加蓮と話しているうちに、トラウマによって押さえ込んでいた自分というものを取り出せたのだろうか。
自分を覆い隠す殻を加蓮が破ってくれたのだ。
それも何年振りだろうか。
自分と似通わない人と、こんなに普通に話せたのは。
「えぇ~、いいよいいよ、私、実は前のプロデューサー苦手でさぁ」
そう言いながら腕を組み、ウンウンと頷く未央。
「えぇ、未央ちゃん。思ってても口に出しちゃ駄目ですよぉ」
そう言って止める卯月。
「苦手って、何かあったのか?」
「だってさぁ、仕事仕事で私たちのことなんっにも考えてないんだよ? 無愛想というか、ただ商売の道具として見られてる感じがして嫌だったんだよね。私は道具じゃないってのー」
「そうだったのか。うづ、いや、島村さんも?」
危ない危ない。
つい名前で呼んでしまうところだった。
初めて話した相手をいきなり名前で呼ぶのはあまりよろしくは無いだろう。
と、そんな心配も無用だったようで。
「卯月でいいですよ、プロデューサーさん。それと、私も前のプロデューサーさんとはお仕事以外のお話はしたことがないんですよ」
「そうそう、私のことは未央ちゃんって呼んでね」
「わ、わかったよ。卯月、未央ちゃん。そうだったんだ。それでも、やっぱり仕事はあったでしょ?」
「それはそうですけど……」
案外女の子をちゃん付けで呼ぶというのは恥ずかしいもので、それならばさん付けで呼んだほうがマシだとも思えてくる。
「いや、やっぱり呼び捨てでいい、なんか未央ちゃんって呼ばれるのむずむずするよ。へへ」
それは未央の方も一緒だったようで、すぐさま呼び捨てで呼ぶこととなった。
「分かったよ。でも、ほんとに変な期待とかはしないでね。本当に才能ないんだ。俺」
「確か、プロデューサーは、あのしぶりんの担当だったんだよね?」
「しぶりん? あぁ、凛のことかな?」
「そうそうしぶりん。私達実はしぶりんと仲が良くってね~」
「そうなんです! 一緒にカラオケに行ったり甘いものを食べに行ったりもしてるんですよ!」
どうやら凛はいつの間にこの事務所で沢山の友達を作っていたらしい。
加蓮と奈緒に加えて、未央と卯月とは。
実は普通にコミュニケーション取るのが上手いんじゃないだろうか。
「そうだったのか、でも、2人とも、よく立ち直れたね。凛は、その、あんな状況なのに」
俺がそう言うと、2人の顔が少し沈んだように感じた。
言ってしまってからしまった、と思った。
「そう、だよね、しぶりん、ずっと目を覚ましてないもんね。私も、その話を聞いたときは目の前が真っ暗になったよ」
「私も凛ちゃんが事故にあったって聞いて、とても悲しかったです」
「そうだよな、俺なんか、あまりのショックに3日間家の寝室に引きこもってたんだから」
「でもさ、しぶりんは絶対目を覚ますよね!」
「そうですよ! 凛ちゃんは強いですから!」
凛、お前は本当にいい友達を持ったな。
「俺もそう思ってるよ。だから2人のプロデュースを引き受けたんだからな。凛が目を覚ましたときに、凄いプロデューサーになっておけるようにさ」
「それなら、しぶりんに笑われないように、私達がバンバン頑張って、しぶりんを驚かせようよ!」
「そうですね! 凛ちゃんも頑張ってるんですから! 島村卯月、頑張ります!」
「2人とも……。そうだな、その通りだ。だから俺も、全力で頑張るから、付いてきてくれよ?」
「もっちろん!」
「はい!」
加蓮、ありがとうな。
加蓮のおかげで、まだまだ俺は成長できそうだ。
それに凛。
凛には感謝してもしきれない。
俺が変わるきっかけを作ってくれて、それに今こんなに俺が努力する糧になっている。
もし俺が凛に出会わなかったら、どんな人生になっていたんだろうな。
自堕落で落ちぶれた駄目人間になってたかもな。
でも、そんな俺を凛は救ってくれた。
変えるきっかけを作ってくれた。
だから俺は、凛がトップアイドルになるための手伝いをするよ。
だから、早く目を覚ませよ。
凛。
次の日、俺は約1年振りに、通常の時間で出社した。
今までのように、書類を押し付けられることも無くなったからだ。
しかし、その押し付けられた書類も、途中からは半ば無理矢理やりがいだ、と思い込むようになっていたが。
熱心に他の社員の分までやってあげている、と本気で思っていたのだ。
それでもやはり、その書類が無くなったことで俺の負担が確実に減ったのは、非常にいいことだ。
「おはようございます」
「あ、プロデューサーおはよう。今日は私達、前のプロデューサーが取ってきた雑誌の写真撮影の仕事があるから、付いてきてよ」
「えぇ、でもそれは前のプロデューサーだろ? 俺が行ったら変じゃないかな?」
「いやいや、むしろチャンスだよ。ここで自分の名前をいろんな人に覚えてもらったほうがいいじゃん」
なるほど。一理あるな。
あのプロデューサーは非常に気に食わないが、ここはひとつ、利用させてもらうとしよう。
いままであれだけの書類を片付けてきてやったんだ。
これくらいの得は当然だろう。
「わかった。それじゃあ車を出すよ」
「やったぁ、ありがとー」
「そういえば、卯月は――」
と、俺が言ったその時。
「遅れてすみませんでしたぁ!」
そう言って卯月が飛び込んできた。
「卯月も来たか、別に遅刻ではないよ。それじゃあ時間になるまで時間潰しててくれ。俺は少し書類作業をしてくる」
「えぇ~。プロデューサーも一緒に遊ぼうよ~」
「そうですよ、一緒にゲームしましょう!」
「ゲーム? でも俺には仕事が」
なんて事を言ったが、内心ではとても嬉しかった。
今まで遊びに誘われたことなんて無かったのだから。
「えぇ、やらないの?」
「いや、やるよ、そんな急がないといけないものでもないしね。で、なにやるの?」
「石取り」
「え? なにそれ?」
「プロデューサーさん! 石取り知らないんですか!」
「あぁ、そういうことする友達がいなかったからね……」
卯月のような純粋な子に言われるとダメージが大きいな。
「しょーがないから未央ちゃんがルールを教えてあげよう。まず、いくつかの石、なんだけど、室内でやるから石じゃなくてビー玉ね。それを順番に取って
いって、最後の石を取った方の負けだよ」
「先手が一個残して全部取れば勝ちじゃないか」
「それができないように一度に取れるのは3個までなんですよ!」
なるほど、なかなか面白そうだな。
「わかった。まずは2人のやってるところを見てもいいかな?」
「そうだね、そうしよう」
そう言って2人は準備を始めた。
準備といっても、ビー玉を持ってくるだけだが。
しかし、今どきの女子高生がこんなアナログな遊びをやるとは驚きだ。
もっとスマホやらなんやらで遊んでいるイメージがあったのだが。
「準備できたから始めるよー」
2人の戦いが始まった。
が、すぐに勝負がついた。
結果は未央の勝ち。
卯月が勝つだろうと思っていたが。
だが、これを見て分かったことが1つある。
5個で相手に回せば必勝ということだ。
理由は簡単。
相手が1個取ったなら俺は3個。
2個なら2個。
3個なら1個とればいいのだ。
「プロデューサー、まずは私とね!」
「お、おう」
未央がビー玉を広げた。
その数を数えると、全部で41個だ。
5個で回すためには36個減らせばいい。
「それじゃあ私から取るよ。私はまずは3個!」
未央が3個取ったことにより、残りが38個になる。
5個で回されないためには、9個で相手に回す必要がある。
いずれにしても、最初のうちは3個ずつ取っていって平気だろう。
俺が3個取ると、またしても未央が3個取った。
お互いが3個ずつとる作業が繰り返され、ついに17個まで減った。
「うーん、そろそろ動き時かな?」
そう言って、未央が取ったのは2つ。
特に意味があるとは思えないが。
残りが15個になり、そろそろ慎重にいかなければならない局面になった。
ここで気付く。
このターンに2個取れば勝ちだ。
「じゃあ俺は2個で」
「何か考えがあるのかね? 聞かせてみたまえ」
「言うわけないだろうが」
「だよねぇ、じゃあ私は3個取っちゃうよー」
「ふっ」
おっと、勝利を確信してつい笑ってしまった。
残りは10個。
1個取れば相手は9個だ。
「じゃ、1個で」
「じゃあ私も1個」
「それなら2個で」
「じゃあ私も……あ」
「気付いたかな? 俺の勝ちだよ」
未央も自分が負けたことに気付いたようだ。
「うっわぁー。この無敗の未央ちゃんが負けるとはぁ! 師匠! 師匠と呼ばせてくだせぇ!」
「いやいや、そんな大層なものじゃないよ。ただ、パターンをつかめれば絶対勝てるよ」
一回やっただけで、既に大体の勝ち方は理解できた。
「教えて! 師匠!」
「それは自分で考えるといいよ」
未央はどうやらなんとなくでビー玉を取っていくようだ。
それでも勝てるようだが。
「プロデューサーさん! 私とも勝負です!」
「お、いいよ、やろうか」
その勝負もあっさり勝ち、未央に何度も挑戦されたが、結局未央が勝つことは無かった。
「もー、ずるいよプロデューサーは。教えてくれたっていいのに、ねぇ? しまむー」
「そうですよー。教えてくださいよー」
先ほどかこんな様子だ。
時間になっても一向に勝負をやめないので、引き剥がすのが大変だった。
「それじゃあ、今日の仕事を頑張ったら教えてあげるよ」
「ほんとに? やった! 頑張ろー!」
「おぉー!」
「じゃあそろそろ着くから、降りる準備してくれ」
「はーい」
今日の現場に到着し、2人が入って行き、俺もそれについていった。
撮影所のようなところへ入ると、2人がカメラマンさんのような人に挨拶をした。
俺もすかさず挨拶をし、なんとかその場は免れたが、如何せん人が多い。誰に挨拶をすればいいのかがわからない。
とりあえず名刺は沢山持ってきたし、そこらじゅうの人に渡して挨拶して回ればいいか。
そうして俺は、現場の人たちに挨拶回りをすることにした。
正直、ちゃんと話せるかは不安だったが、もう後に戻るわけにもいかない。
そう思い、一思いに声をかけた。
「すみません。私、346プロダクションでプロデューサーをやっています。今日はこちらでお仕事をさせていただき、ありがとうございます。今後ともよろし
くお願いします」
思っていた以上にしっかりと話せた。
実は俺自身は周りの人間に恵まれなかっただけで、そこまで話すことが下手でもないのかもしれない、と思ってしまった。
「あれ、プロデューサー変わったの? 前の人と違うけど」
「はい、こちらの事情で、しばらくは私が本田未央と島村卯月のプロデューサーを受け持つことになります」
「そうかそうか。それじゃ、今後ともよろしくね。今日良い仕事が出来てたら、また使っちゃおうかなってい思ってるんだ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
そう言って名刺を差し出すと、相手の人も名刺をくれた。
名刺を見て驚愕した。
今さも当然かのように俺が話していたのは、2人を使ってくれた雑誌の編集長だったのだから。
だが、それでも感触は悪くは無かったはずだ。
これで2人が頑張ってくれれば、必ず次の仕事に結び付けられるだろう。
頑張れよ。
未央、卯月。
結果は大成功だった。
2人の頑張りにより、編集長は気に入ってくれたらしく、また是非使わせてくれ、と言ってくれた。
それだけでも一歩前進だった。
「プロデューサー、石取りの必勝法、教えてよ~」
仕事が終わり、車で移動を始めると、未央が聞いてきた」
「あれか? 簡単だよ。4の倍数に1を足した数で相手に回せばいいんだ」
「え? どういうこと?」
「だから、13個、9個、5個っていう風に返していけば、最終的には相手に1個で回せるだろ? 更に言えば、自分の取る数は4-相手が取った数だな。相手が1
個なら3個、2個なら2個、3個なら1個っていう風にね」
「あ、あぁ! なるほど! そんな簡単なことだったんだ! いやぁ、気付かなかったなぁ」
「満足したか?」
「うん!」
「それならよかったよ」
そんな会話の後は、未央と卯月の他愛の無い学校の話を聞いていた。
次の日、2人はレッスンで、俺はまたしてもある人の元へ来ていた。
そう、凛が事故に遭った日に訪れていたテレビ局だ。
「1ヵ月ぶりくらいだね。それより、凛さんは大丈夫なのかい? あの日、事故に遭ったって聞いたけど」
「凛は、まだ目は覚ましていないですけど、きっと、絶対大丈夫です。俺は信じてますから」
「君、ついこないだ会ったばかりなのに、その時と今じゃまるで顔つきが違うね。何かを成し遂げられる人の顔、って感じがするよ」
「それは、ありがとうございます。それと、凛のテレビの件、本当に申し訳ございませんでした」
「いやいや、謝らないでよ、事故に遭ったのは仕方の無いことだし、本当に気の毒だと思ってるよ。でも、凛さんが目を覚ましたときの為に、例のコーナー
は空欄にしておくからね」
「ディレクターさん……、ありがとうございます!」
今日来た大きな原因はこれだ。
凛が事故に遭ったことにより、折角くれたテレビへの出演が出来なくなってしまったことの謝罪。
そしてもう1つが、未央と卯月を紹介することだった。
「それとですね、今俺が担当しているアイドルなんですけど、島村卯月と本田未央です。ご存知でしょうか?」
「あぁ、もちろん。今凄く伸びてるからね、目も付けるさ。って、君あの子達のプロデューサーなのかい?」
「はい、こちらでいろいろありまして。臨時でやらせてもらってます。それで、厚かましいお願いですが、未央と卯月をテレビに使って欲しいのですが……」
「いやいや、そんなの、こちらからお願いしたいね! 今注目を集めてるだけに、使いたいなと思ってたんだ! 是非お願いするよ!」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「いやあありがたい、それじゃあゲストで番組に出したいね」
「そうですね、2人は元気が取柄の1つですから何かそれを活かせるバラエティのようなものがいいですかね」
「お、それいいかもね」
そんなこんなで俺は、驚くほど簡単に未央と卯月のプロデューサーとして初の仕事を手に入れた。
人間が波に乗っている時の勢いには目を見張るものがある。
そして、その時の時の流れの速さもだ。
卯月と未央のテレビの仕事をもらってから、既に5ヶ月が経過した。
その期間は特筆するほどの出来事は無かったが、1つ言えることがある。
あのテレビ以来、俺はトントン拍子で仕事を取ってこれる様になった、ということだ。
自分でも怖いくらいに。
話し方に問題があるかもしれないにしろ、周りは全員大人なのだ。
意外と受け入れてくれるものである。
それだけでなく、未央と卯月も、目を覚ました凛を驚かせるとか言って、凄く頑張っている。
今日は、そんな勢いのあり余る俺は、休みを取っていた。
何をするわけではないが、未だに目を覚まさない凛の元へ来ていた。
既に事故に遭って半年以上が経過している。
基本的には絶望的な状況だ。
事故に遭い、半年も意識不明なら、普通なら諦めてしまうかも知れない。
しかし、俺は諦めていなかった。
それに、今日休みを取ったのも理由がある。
昨日、夢を見た。
凛がただただこっちを見て笑っているだけの夢だが、それでも俺は、何かしら予感めいたものを感じ、無理を言って休みをもらったのだ。
これまで、凛の為だと頑張って来た。
俺の人生を変えてくれた凛への恩返しとして。
「凛、俺、もう凛が驚くくらいになれたかな? あれからもう半年、いや、まだ半年、かな。半年経って、普通に仕事が取って来れるようになったんだよ。半
年前までは考えられなかったことだよ。でも、俺がこんなに変われたのは、加蓮や未央、卯月たちと、それに何より凛のお陰だよ」
眠っている凛にそう語りかける。
この声は届いているだろうか。
凛の心に、届いているのだろうか。
「花瓶の水、入れ替えてくるね」
凛の家は花屋をやっていて、ご両親が度々病室に花を持ってきてくれている。
これもその1つだ。
その花の花瓶の水が無くなりかけていたので、入れ替えようと、水道へ向かった。
すれ違う看護師の人に会釈をした。
そんなことまで出来るようになったのだ。
水道へ着き、花瓶の水を入れ替える。
この花はなんていう名前なんだろうか。
凛のように蒼く、美しい。
凛といえばやはり蒼だろう。
そんなことを考えながら病室のドアを開けた時、俺は多分、今まで、いや、人生の中で、一番の奇跡を目にした。
半年間待ち望んだ奇跡。
信じ続けた奇跡。
度々襲い掛かった凛が死ぬかもしれないという恐怖に怯えながらも信じ続けた、その奇跡を。
病室のベッドには、白い服を着た少女が座り、窓から大きな青空を見ていた。
寝ているのではなく、体を起こし、壁に寄りかかりながらも、外を見つめていた。
俺は、一瞬のうちに頭が機能を停止した。
持っていた花瓶を落とした気がした。
夢なんじゃないかと思った。
「凛……」
俺の口からは、その少女の名前を呼ぶことしか出来なかった。
どうしてだろうか。
今の俺は口が回るはずなのに、それ以上の言葉が出てこない。
言葉が出てこないのに、涙だけがただただ溢れてくる。
そして視線の先の少女が振り返り、俺に微笑みかけた。
そして、だらしなく涙を流し続ける俺に言ったのだ。
「何、泣いてるの、こういう時は、笑うんだって、知らないの? ねぇ、プロデューサー」
そう言って、凛の目から涙が流れた。
「なんだよ、凛だって、凛だって、泣いてるじゃないかよ……」
「ごめんね、しんぱいかけて、ほんとうに、ごめ、んね」
お互い、涙が止まらない。
何故涙が出るのだろうか。
こんなに嬉しいことなのに、なぜ笑いではなく涙が出るのだろうか。
そんなことは、どうでも良かった。
「俺、頑張ったんだ。凛が目を覚ますって信じて、すげえ頑張ったんだよ」
「うん、うん、ありがとう、プロデューサー。ありがとう……」
凛が、ありがとうと言った。
それだけで、今までの疲れが消えてなくなったような気がした。
凛のために頑張ってきたこと。
凛を信じ続けてここまできたこと。
その全てが、この一瞬に集約されているのだと思った。
「凛、俺と凛が失った半年はもう取り返せない。けど、これからは、いままでの俺じゃない、もっともっと凛を輝かせられるから。これからが俺達の始まりな
んだ。これからは、今までの比じゃない、素晴らしい夢を、素晴らしい世界を、俺が、凛に見せてやるからな」
「わかってるよ、うん、わかってるよ。ごめんね、心配掛けて、ごめんね」
「心配なんて、目を覚ましてくれればそれでいいんだよ」
「それと、なんていえばいいかわからないけど、これが正解なのかな」
そう言って、俺が待ち続けた表情を見せてくれた。
凛の、満面の笑み。
夢に見たとおりの笑み。
その待ち続けた笑顔で、凛はこう言ったのだ。
「――ただいま。プロデューサー」
その後の騒ぎを収めるのは容易では無かった。
当然だろう。
半年以上も目を覚まさなかった仲間が目を覚まして、大人しくしていられる方がどうかしている。
病院の中だと言うのにわんわん騒ぎ、担当医に怒られる始末だった。
しかし、目を覚ましたからと言って、はい退院です、なんて訳もなかった。
半年間寝たきりだったブランクはあまりに大きく、しばらくリハビリの期間が必要だということだった。
凛自身も、リハビリを少しでも早く終わらせられるように頑張ると言っていた。
凛のことだから心配はないだろう。
それと、凛が目を覚ましたことで、俺も卯月と未央のプロデューサーとしての仕事も終わりが近づいていた。
はずだった。
俺がその趣旨を伝えると、 いきなり2人が泣きながら拒絶した。
確かに俺は、前のプロデューサーが2人をプロデュースしているときも、遥かにアイドルランクを上げた。
これは自慢できる事実だろう。
しかしそれも一時的な話で、俺が凛のプロデューサーに復帰する際、2人のプロデューサーは変わるんだと説明しても、なかなか聞いてはくれなかった。
そこでだ、凛の鶴の一声が起きたのは。
「いいじゃん、プロデューサーも成長したなら、3人くらい余裕でしょ? それとも、私がいない間に頑張ったっていうのは嘘だったのかな?」
と言われた。
これを言われたら断れるわけがない。
確かに俺は凛のために努力し、1年前の俺とは別人になったのだから。
結局3人の勢いに負け、俺は3人のプロデュースを背負うことに なってしまった。
そうそう、凛が俺に「ただいま」と言ったのだから、俺は「おかえり」と返したよ。
「お疲れさまでしたー」
「お疲れさまでーす」
凛が目を覚ましてから3か月。ようやく凛は仕事に復帰した。
復帰後初の仕事は、俺が企画し、実現させたユニットの1つのお披露目会を兼ねたトークショーだった。
その名も『ニュージェネレーション』
この名の由来はいたって簡単だ。
卯月、未央、そして凛全員が、これからのアイドル界に新時代を巻き起こす。
そんな意味だ。
そのお披露目会兼トークショーは大成功と言っても過言ではなかった。
未央と卯月には元々ファンがいたため、そこからの集客が大きかったのだ。
それでも、見に来ている人たちは、凛に興味を 持ってくれた。
これからもっともっと飛躍できるだろう。
「おつかれ、みんな」
「あ、プロデューサー! いやあ、疲れたけど、お客さんいーっぱい、来てくれてたね!」
「そうだな、初めてのイベントなのに大したもんだよ。こっからもっともっと頑張っていこうぜ」
「もっちろん!」
「プロデューサー、電話鳴ってるよ」
「お、サンキュ、凛、ちょっと電話してくるからみんな着替えといてくれ」
そう言って控室を出た。
スマホのディスプレイを見ると、部長だった。
「はい、もしもし」
俺が電話に出て、部長から聞いたことは、とても喜ばしいことだった。
「はい、はい、わかりました、ありがとうございます!」
電話を切った後、俺は喜びをどこにぶつければいいのか分からなかった。
部長が話したことは、俺が加連と約束したことだった。
ユニットのもう1つ。
凛、加連、奈緒によるユニットを組むこと。
こちらは全員が元々人気が大きい訳ではなく、一筋縄ではいかないと思っていた。
それでもGOサインを出してくれた部長には感謝しても感謝しきれない。
このユニット名は『トライアドプリムス』だと決めている。
意味なんて、語るまでもないだろう。
さて、これを凛にどう伝えるかな。
いつかのような考えだ。
あの時こそ、あの後のことは考えたくはないが、今は違う。
控室に入れば凛がいる。
あの時のようなことはもう起きないんだ。
そう思うと、また喜びが込み上げてきた。
よし、すぐにでも伝えよう、この素晴らしいことを。
意気揚々と、それも 蹴破るかのように、ドアを開けた。
電話に出る前に自分が何を言ったかも忘れて。
「凛! 大ニュースだぞ! ……あ」
そう、ドアを開ければ待っていたのは奇跡の花園。
俺は焦って目をそらすなんてことをせずに、ただまじまじと見つめてしまった。
「いやん、エッチ」
と、未央が言った。
するとそれがスイッチとなったのか、それまで固まっていた凛と卯月も意識を取り戻したように顔を赤らめた。
「いや、これはわざとじゃないんだ! 事故事故!」
必死に弁解しようとするも遅かった。
「変態! バカ!」
気づくと、凛の拳が目の前に迫っていた。
「ぐはっ……」
俺はぶん殴られ、ドアの外に追い出された。
わざとじゃなかったのに。
そのはずなのに。
「なかなか悪くなかったな」
なんて、変態おやじみたいなことを言ってしまった。
着替えを終えて出てきた3人に謝ると、卯月と未央はすんなり許してくれたが、凛から許してもらうには、なかなか時間がかかった。
「凛、いよいよだな」
「うん、私、頑張るから、しっかり見ててね」
「あぁ、もちろん、それじゃ、頑張ってこい」
そう言って俺は凛の背中を押した。
俺が凛のプロデューサーになってから、それまでの俺では考えられないくらいいろいろあった。
楽しいことや嫌なこと、苦しいことだってたくさんあった。
それでもやってこれたのは、紛れもなく凛のおかげだ。
俺は、凛に恩返しをできているだろうか。
感謝の気持ちを伝えてあげられているだろうか。
それは凛本人の感じ方で、俺にはわからない。
それでも、凛のあれだけの笑顔を見れば、少しは勘違いしても許されるんじゃないだろうか。
凛が失った半年間は大きい。
アイドルならそれはあまりに大きすぎる期間だ。
それでも凛は、そんな過去を振り向かずに全力で走っている。
まだまだ見れていない世界を見ようと、全力で。
それなら俺は凛をサポートしていこうと思う。
「凛さん、あと15秒でーす!」
そんな声が飛んだ。
おそらく、あと15秒後には凛の姿が全国に届くのだろう。
凛を見れば、それは明らかに緊張した様子だ。
そんな凛が、泣きそうになりながらこちらを見た。
俺が今凛にしてあげられることは何か、それを考えたが、答えは一つしか出てこなかった。
頑張れ、凛。
口パクだが、確実に届いた。
だって、 凛の表情が、一気に柔らかいものに変わったのだから。
「それでは、次は新コーナーです。渋谷凛さん。よろしくお願いします」
メインキャスターが言うと、カメラが凛に切り替わった。
それは、俺が待ち望んだ夢だった。
あんなに人と話すことが苦手で、友達のいなかった俺と、似た境遇だった凛、2人が頑張ってやっとたどり着いたテレビ出演。
それだけじゃない、これからはもっと楽しいことが待っている。
そのために俺がいるのだから。
「渋谷凛のニュース一刀両断。担当の渋谷凛です。その、よろしく。それじゃあ早速、今日のニュースは――」
そうだ、凛。
その調子でいい。
いつも通りでいい。
テレビに映る凛は、打ち合わせ通り、いつものクールな凛だ。
そのはずなのに、何故だろう。俺には違って見えた。
凛が、今までより楽しそうに、夢を見る少女の顔に。
そんな凛に、俺は心の中で呟いた。
ありがとう。凛。これからもよろしくね。
と。
おしまい