1 : VIPにかわりましてNIPPERがお送りします - 2012/06/04 20:25:06.50 EFobfW3IO 1/67

やよい「うっうー!プロデューサー!早く帰りましょー?」

やよい「今日はもやし祭りですから!」

やよいがプロデューサーの腕を引っ張りながら言った。

P「分かったから、あんまり引っ張るなよ?」

やよい「えへへー。すみません、プロデューサー!」

仕事が終わって事務所に戻って来たら、プロデューサーとやよいしかいなかった。

どこかで蝉が鳴いているのが聞こえる。

今は午後6時。

この季節は7時くらいまで明るい。

しかし、やよいはそろそろ帰らないといけない。

食事の支度に支障が出るからだ。

だから、やよいはプロデューサーにまとわりついて急かしている。

それにしても元気ね、と私は思った。

やよいは嬉しさを抑えきれない犬のようだ。

尻尾があったら振りまくっているに違いない。

元スレ
伊織「だって、あんたが好きだから」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1338809106/

2 : VIPに... - 2012/06/04 20:30:36.62 baZeknNso 2/67

ここのところ真夏日が続いていた。

アイドルの中でも、連日の暑さで体調を崩している者も少なくない。

しかし、やよいは暑さの影響を受けているようには見えなかった。

それどころかやよいは元気いっぱいだ。

今日も一日中仕事だったはずなのに。

やよいは疲れていてもその天使のような笑顔を振りまいていられる。

まさに天使だ。

実は私も最近はちょっと夏バテしている。

疲れきった今の私では作り笑顔ができるかどうかも怪しい。

ため息をついてソファから立ち上がる。

冷蔵庫を開けた。



氷とよく冷えた100%のオレンジジュースのボトルを取り出してグラスに注いだ。

氷とグラスがぶつかって、透明感のある涼しげな音を立てる。

私は額の汗をハンカチで拭ってから、グラスを持って一気に飲み干した。

最近ではこれだけが頼りだ。

下手な栄養ドリンクよりも元気が出る。

風が吹き抜けていく。

事務所のエアコンが壊れてしまったので、窓は大きく開け放たれていた。

窓から夕日が差し込んで、室内をオレンジ色に染めていた。

3 : VIPに... - 2012/06/04 20:31:27.40 baZeknNso 3/67

日はすでに傾き始めている。

そのため、日中に比べれば涼しさを感じられた。

事務所は静まりかえっている。

聞こえるのはやよいとプロデューサーが話す声だけだ。

テーブルの上に飲み干したグラスを置いた。

私は再びソファに腰をおろす。

負のオーラを出している私と違って、やよいがいる一角だけ空気が華やいでいる。

しょぼい事務所も、やよいのおかげでまだマシに見える気がした。

やよいが振りまく笑顔で、誰もが幸せな気持ちになれるのだ。

だって、やよいは可愛いから。

こんな捻くれた私と違って。

4 : VIPに... - 2012/06/04 20:33:10.88 baZeknNso 4/67








そう、私はやよいと違うのだ。

私はいつも寂しさを抱えていた。

表面上はそこそこ仲良くしている人でも、心の中では壁を作っている。

誰とでも打ち解けられるやよいとは大違いだ。

両親とも、兄達とも心理的には距離がある。

両親は仕事で忙しく、あまり会話はない。

兄たちも自分のことで忙しくあまり構ってはくれなかった。

家族だからというだけで、心を通わせるなんて私にはできない。

私はやよいとは違うから。

やよいの家のように人数が多くても、分かりあっている家族に、ひそかに憧れていた。

そして、人からそんな自分の弱さを必死に隠そうとしていた。

それでも、プロデューサーとやよいだけは違った。

いつの間にか、自分の弱さを見られてもいいと思えるようになっていたのだ。

一言で言うならば信頼だろうか。

私は心を許していたのだ。

そして、気づいたらプロデューサーのことを好きになっていた。

それをはっきりと自覚したのはあの時だ。

5 : VIPに... - 2012/06/04 20:34:23.33 baZeknNso 5/67


__________回想__________



伊織「ねぇ、やよいは好きな人とかいるの?」

仕事はオフだったけど、特にすることもなかったので、私は事務所に来ていた。

その時、ちょうど仕事から帰ってきたやよいと会ったのだ。

プロデューサーは営業に行っていて、事務所には居なかった。

私は何も考えずに、ふと、疑問に思ったことをやよいに尋ねたのだった。

やよい「え!?い、伊織ちゃんなに?」

慌てているやよいもかわいい。

伊織「だーかーらー、やよいの好きな人を聞いてるの」

伊織「いるんでしょ?」

やよい「いるけど……」

伊織「やっぱり、プロデューサー?」

やよい「……」

やよいは顔を赤らめて黙り込む。

まったく、わかりやすいったらありゃしないわ。

こんな反応されたら、何も言えなくなるじゃない。

やよい「い、伊織ちゃんは?」

伊織「へ?」

やよい「そ、その、伊織ちゃんはいないのかなーって」

好きな人……

私にいるだろうか、そんな人間が?

6 : VIPに... - 2012/06/04 20:35:09.22 baZeknNso 6/67

その時なんの脈絡もなくプロデューサーの顔が浮かんできた。

な、なんであいつの顔が浮かぶのよ!?

やよい「伊織ちゃんもプロデューサーが好きなの?」

伊織「そ、そ、そんなわけないじゃない。スーパーアイドルの伊織ちゃんとあんなのじゃ釣り合わないのよ!」

やよい「よかったー。伊織ちゃんが相手だったら勝ち目がないから」

伊織「……私より、やよいのほうがずっと可愛いわよ」

やよい「えー、伊織ちゃんには勝てないよー」

やよいは自分のかわいさに気づいていないのだろう。

そこもやよいのかわいさなのだが。

純粋さと優しさを兼ね備えたその無垢な心は、私にはないものだ。

やよいのかわいさは内面だけではない。

やよいのその心を反映した、幼さの中に見え隠れする慈愛の表情が人を惹きつける。

最近のやよいはまた一段とかわいくなった気がする。

もしやよいが自分のかわいさに気づいたら、今の無垢な笑顔はなくなってしまうのだろうか。

あざとく、計算高いやよいなんて見たくない、と思った。

7 : VIPに... - 2012/06/04 20:35:55.17 baZeknNso 7/67








私は唐突にプロデュサーの名前を出されて動揺した自分に驚いていた。

しかし、やよいは気づかなかったようだ。

横目でやよいの様子を窺う。

やよいは笑顔で鼻歌を歌っていた。

なんとか誤魔化せた。

それにしても、なぜ私は動揺したのだろうか。

プロデューサー……

心の中でそっと呟く。

なんだろう。

胸の中でもやもやしたものが渦巻いている。

以前はこんなこと無かった。

あんなやつは仕事のための道具にすぎない。

それなのに、最近では気がつくとプロデューサーのことを考えてしまっている自分がいた。

P「ただいまー」

やよい「あ、プロデューサーおかえりなさい!」

P「やよいか。今日の仕事はどうだった?」

やよい「うっうー!バッチリです!ディレクターに褒められました!」

P「そうかそうか。さすがやよいだな」

そう言って、プロデューサーはやよいの頭を撫でた。

やよいも嬉しそうにしている。

事務所では見慣れた光景だ。

8 : VIPに... - 2012/06/04 20:36:38.38 baZeknNso 8/67

それなのに、どうして私の胸はこんなに痛むのだろう。

まるで、何かに締め付けられているかのように。

まさか、これって……

P「お、伊織もいたのか」

伊織「なによ。居たらいけないっていうの?」

P「ははは、まさか」

胸の痛みを隠したまま、なんとか返事をする。

しかし、プロデューサーの顔は見れなかった。

見たら、せっかく押し込めたものが溢れ出しそうだったから。


__________回想終了__________

9 : VIPに... - 2012/06/04 20:37:36.40 baZeknNso 9/67

あの日以来、私の目は気がつくとプロデューサーを追っていた。

無意識のうちにプロデューサーを見てしまう。

気になって仕方がない。

どうやら、私はおかしくなってしまったようだ。

こんな気持ちになったのは生まれて初めてだから。

胸の奥が痛いのに、それが嬉しい。

私はプロデューサーを好きになってしまっていたのだ。



それでも、普段はあまり考えずに済んだ。

竜宮以外の仕事も増えてきていたため、忙しかったからだ。

しかし、ちょっとした時間の空きがあるときは考えずにいられなかった。

例えば、移動中のタクシーの中で。

例えば、寝る時に電気を消して布団に入ってから。

ぼんやりしていると、あいつの姿が浮かんでくる。

そんな時は、必ず私の胸は痛んだ。

プロデューサーのことを必死に考えないようにしても無駄だった。

気がつくと、プロデューサーとキスしたい、とか、抱きしめられたい、とかそんなことで頭がいっぱいだった。

その一方で、私はプロデューサーと付き合えるはずがないことを分かっていた。

10 : VIPに... - 2012/06/04 20:38:12.10 baZeknNso 10/67

一つは、アイドルとプロデューサーという関係だからだ。

アイドルが交際すること自体許されない。

ましてや、プロデューサーとなんて。

もし、ばれたら、私もプロデューサーも大変なことになる。

それどころか、765プロ全体に迷惑がかかるだろう。

もう一つの理由は、やよいがプロデューサーのことを好きだからだ。

やよいを裏切ることはできない。

あの笑顔が曇ってしまったら、私はどうやって責任をとればいいのだろうか。

やよいを裏切るぐらいなら死んだほうがマシだ。

それでも、心のどこかで期待している。

プロデューサーが私のことを好きになってくれることを。

そして、抱きしめながら耳元で好きだ、と囁いてくれることを。

私はきっと照れながらもプロデューサーを受け入れるだろう。

しかし、これはあくまでプロデューサーから告白してきた場合だ。

私から告白したら、やよいを裏切ってしまう。

私はいったいどうしたらいいのだろう……

11 : VIPに... - 2012/06/04 20:39:04.18 baZeknNso 11/67









そんなことを考えていると、目の前に突然プロデューサーの顔が現れた。

P「おい。聞いてるのか?」

伊織「な、なに!?」

P「だから、一緒にやよいの家に行かないか、って言ってるんだ」

やよい「うっうー!今日はもやし祭りだよ!」

伊織「ごめんなさい……き、今日はこの後用事があるから……」

P「そうか、それならしょうがない」

P「ん?……なんか、変じゃないか?」

プロデューサーが私のことをじっと見つめる。

伊織「な、な、何よ……?」

P「なんか伊織元気ないな。顔も赤いし、風邪か?」

P「それとも夏バテか?」

伊織「別になんでもないわよ……」

プロデューサーは顔を私に近づけてくる。

両手で私の顔を挟んで……

伊織「……え……?」

(ま、まさか、キ、キ、キ、キ……)

目の前に、やよいがいるのに……

私は目を瞑った。

12 : VIPに... - 2012/06/04 20:40:04.75 baZeknNso 12/67







コツン。

頭にプロデューサーのおでこが当たる。

伊織「……へ?」

P「んー、熱はなさそうだな。体調管理も仕事のウチだぞ。しっかりな」

P「それに、最近暑いからな……」

P「うちのアイドルもなんか元気ないやつ多いし……」

まさか、額と額をくっつけて熱があるかどうか確かめるなんて。

期待した私がバカだった。

そうだ。

こいつはこういうやつだ。

人の気持ちがわからないのだ。

P「今日は早く帰ってゆっくり休め」

P「疲れも溜まってるだろうからな」

気をきかせて欲しいのはそういうところじゃないのに。

伊織「そんなことわかってるわよ!」

P「そうか……それじゃ、やよい。行こうか」

やよい「はい!それじゃ、伊織ちゃん、また今度もやし祭りしようね!」

伊織「……ええ。また今度……」

やよいとプロデューサーは手を繋いで事務所からでていった。

その姿はまるで仲のよい兄妹のように見える。

その姿を見送る私の胸はまたしても痛んだ。

13 : VIPに... - 2012/06/04 20:40:53.45 baZeknNso 13/67




伊織の部屋





お風呂から上がったばかりで暑かったので、エアコンの設定温度を下げる。

ゆっくりお風呂で温まったら、だいぶ疲れが取れた気がする。

血行が良くなったせいか、張っていた足の筋肉も解れたようだ。

私はドライヤーで髪を乾かす。

乾いた髪をブラッシングしながら考え事に耽る。

伊織「はぁ……」

思わずため息をついてしまった。

私はどうしてしまったのだろう。

今は恋愛なんてしてる場合じゃないのに。

それなのに、プロデューサーと仲良くするやよいを見て嫉妬している。

友人としてやよいのことを応援すべきなのは分かっている。

しかし、私だってプロデューサーのことが好きなのだ。

私だってプロデューサーと手を繋ぎたい。

私だってプロデューサーに撫でられたい。

でも、やよいが傷つくようなことはしたくない。

でも、プロデューサーと付き合いたい。

ジレンマで心が押し潰されそうだ。

ブラシとドライヤーを片付ける。

部屋の電気を消して、私は布団に入った。

14 : VIPに... - 2012/06/04 20:41:35.83 baZeknNso 14/67

いつのまにか、涙が流れていた。

悲しいというよりは苦しみからだった。

やよいだったら、こんな苦しみを味わうことはないだろう。

と、ふと思った。

やよいが私の立場だったら、と考えてしまう。

やよいだったら、友人のために自分の気持ちを押し殺すだろう。

やよいは自分の気持ちを優先したりしない。

しかし、私は違う。

私はやよいを裏切ってプロデューサーに告白しようか悩んでいるのだ。

自分自身の汚なさというものを改めて実感した。

やはり、私はやよいとは違う。

枕に顔を押しつける。

嗚咽が外に漏れないようにするために。

どうしてみんなが幸せになれる道がないのだろう。

私は声を押し殺して泣いた。

15 : VIPに... - 2012/06/04 20:42:48.49 baZeknNso 15/67




翌日




私は事務所に向かって歩いていた。

まだ、朝なのに日差しは強い。

昼すぎになったら、さらに暑くなるだろう。

気温もすでに30度を超えてそうだ。

額を伝って目に汗が入る

汗が目にしみて涙が流れた。

私はポケットからハンカチを取り出す。

ハンカチはもう汗で湿っていた。

私は日本の夏が好きじゃない。

理由は簡単だ。

あまりにも暑すぎるからだ。

日本の、特に関東地方の夏は湿度が高い。

おかげで毎年不快指数はうなぎ上りだ。

高い湿度は季節風の影響だ。

太平洋上の水分を多く含んだ風によって、気温だけでなく湿度まで高くなる。

同じ夏でも、フランスのコートダジュールで過ごした夏は最高だった。

青い海。

青い空。

白い雲がゆったりと流れていく。

人々もバカンスで来ているため、のんびりしている人が多い。

しかも地中海に面してるから、地中海性気候で夏は乾燥している。

日本の夏みたいにジメジメしていないからとても過ごしやすかった。

16 : VIPに... - 2012/06/04 20:44:27.66 baZeknNso 16/67

東京の夏はヒートアイランド現象で40度まで上がることもあるくらいだ。

溶けたアスファルトからは陽炎が揺らめく。

同じ温帯の都市でもここまでひどいところは少ないんじゃないだろうか。

本当はこんな東京に居ないで避暑に行きたい。

でも、今年の夏は仕事でスケジュールが埋まってるから海外旅行には行けなかった。

もう、いっそのことフランスに移住したいくらいだわ、と私は思った。

といっても、実は今日も仕事がオフだ。

こんなことは珍しい。

二日連続で休みなんて久しぶりだ。

竜宮小町が始動する前はよくあったけど。

最近は竜宮の活動も落ち着いてきている。

別に仕事がない訳ではない。

固定ファンもついて、名前も知られるようになったから派手に売る必要もなくなったのだ。

だから、以前ほどの忙しさはない。

どうせなら、家でのんびりしようかしら。

そんなことを考えていたけど、自然と足は事務所に向いていた。

心のどこかで、こうなることは分かっていた。

だって、プロデューサーに会いたかったから。

おそらく、今日も仕事だろう。

恐る恐る事務所のドアを開ける。

17 : VIPに... - 2012/06/04 20:45:16.13 baZeknNso 17/67

あいつはいるかしら?

伊織「……おはよう」

P「お、伊織か。おはよう」

やっぱりいた。

思わず緩みそうになる頬をあわてて引き締める。

P「体調はどうだ?」

伊織「別に。いつも通りよ」

伊織「そんなことより、あんたはどうなのよ?」

P「俺もいつも通りだな」

伊織「そういうことじゃないわよ」

P「じゃあ、なんのことだ?」

伊織「あんた、いつ休んでるの?」

P「たまには休み取ってるぞ?」

プロデューサーは書類に目をやりながら答えた。

伊織「私が事務所に来た時はいつもいるじゃない」

P「それはたまたまだろ」

P「俺の休みは伊織が仕事の時だよ。基本的には」

伊織「前回休んだのはいつよ?」

P「あー、2ヶ月前だったかな?」

書類から顔を上げて、遠い目をしながら答えた。

伊織「2ヶ月前って……過労死するわよ、あんた」

18 : VIPに... - 2012/06/04 20:46:30.65 baZeknNso 18/67

P「まだいけるだろ。若いからな」

伊織「はぁ……ちゃんと休み取りなさいよ……」

プロデューサーがオフならデートに誘えるのに……

て、違う。

また、変なことを考えてた。

P「そんなこと言ってもな。最近忙しいし」

伊織「竜宮に比べたら他のアイドルはそんなに仕事ないでしょ?」

P「それはそうなんだか、いかんせん人数が多すぎる」

伊織「倍どころじゃないものね……」

その人数を一人でプロデュースしてるのよね。

やっぱり、プロデューサーは凄い。

P「それに、最近やよいの人気が出てきて、かなり仕事が増えてきた」

伊織「……へー」

やよいのことをプロデュサーの口から聞きたくなかった。

一瞬、邪な感情が芽生える。

どす黒いヘドロのような考えが浮かぶ。

やよいの仕事がなくなればいいのに。

そうすれば、プロデューサーとの接触も少なくなる、と。

私は何を考えているのだろう。

無意識とはいえ、やよいに対してこんなこと思うなんて……

19 : VIPに... - 2012/06/04 20:47:23.78 baZeknNso 19/67

P「あ、そうそう。今度、CD出すことになったから」

伊織「は?なんであんたにそんなこと言われるのよ?」

P「竜宮じゃなくてソロだ。そっちは俺がプロデュースすることになった」

伊織「は、初めて聞いたんだけど?」

にやけそうになるのを抑える。

やった。

心の中でガッツポーズをする。

これで、プロデュサーと一緒にいられる時間が増える。

こんなに嬉しいことはない。

P「そりゃあ、今初めて言ったからな」

P「伊織ならそれぐらい、余裕だろ?」

伊織「当たり前よ」

伊織「それよりも、あんたの休みはもう当分取れないわね。にひひっ」

P「仕方ないさ。仕事だからな」

伊織「このスーパーアイドルの伊織ちゃんをプロデュースするんだから。覚悟しなさい」

P「ああ、よろしくな、伊織」


20 : VIPに... - 2012/06/04 20:48:48.14 baZeknNso 20/67








布団に潜り込んでからは、いつもプロデューサーのことを考えてしまう。

特に今日は嬉しいこともあったし。

プロデューサーと一緒に仕事ができる。

以前の私ならなんとも思わなかっただろう。

でも、今は違う。

プロデューサーといられる時間は私に取って非常に貴重だ。

私をプロデュースしている間は、否が応でも私に目を向けさせることができる。

プロデューサーに良いところを見せれば、プロデューサーは……

プロデューサーのことを考えていたら、体が火照ってきた。

ベッドが軋んで、音を立てないように気をつける。

「…………んっ……はあ……はぁ」

私は、パンツに手をかけると、










数週間後




それから数週間たってレコーディングが始まった。

伊織「よろしくお願いしまーす!」

P「よろしくお願いします!」

今日のためにかなりレッスンしたのだ。

こんなレコーディングぐらいすぐに終わらせられるだろう。

予定よりも早く終われば、もしかするとプロデューサーと……

21 : VIPに... - 2012/06/04 20:49:32.68 baZeknNso 21/67







P「伊織もう一回な?」

伊織「……うん」

しかし、私は全然ダメだった。

プロデューサーが見ている。

そう思うだけで舞い上がってしまう。

声がうまく出ない。

音程がずれる。

歌い出すタイミングが合わない。

いつもならもっと上手くできる。

プロデューサーがいなければ。

一人で練習している時は余裕だった。

しかし、実際の本番ではこのざまだ。

本番に弱いなんて、新人アイドルじゃあるまいし。

どうして?

いったい、どうしちゃったの?


22 : VIPに... - 2012/06/04 20:50:22.25 baZeknNso 22/67





それから、私は何度も歌を録り直した。

今日の分はなんとか終わったが、予定よりもかなり時間がオーバーしていた。

伊織「……グス……」

あまりの不甲斐なさに涙が溢れてくる。

こんなはずじゃなかったのに。

プロデューサーに私の実力を見せつけてやろうと思ってたのに。

P「あんまり気を落とすな。こういう時もあるだろ」

伊織「……グス……ヒック……」

プロデューサーが私の頭を撫でる。

それでも、涙は止まらない。

好きな人にかっこ悪いところを見られちゃった……

こんな私じゃプロデューサーは好きになってくれない。

そう思うと、余計に涙が出てきた。

P「伊織、元気だせって」

プロデューサーはため息をつくと、私を抱きしめた。

私は驚いて一瞬息が止まった。

伊織「プ、プロデューサー……?」

そのまま、優しく背中をさすってくれる。

23 : VIPに... - 2012/06/04 20:51:21.94 baZeknNso 23/67

P「大丈夫だ」

P「俺は伊織の実力をちゃんと知ってるからな」

P「本当の伊織はこんなもんじゃない」

P「今日失敗しても、この次頑張ればいいんだよ」

プロデューサーの温かさが伝わってくる。

私は悔しさと切なさと嬉しさでわけがわからなくなっていた。

私はプロデューサーの胸に顔を埋めて思いっきり泣いた。

P「お、おい!」

溢れてくる涙と鼻水をプロデューサーの服で拭く。

P「あー……まったくもう……」

P「泣きやんでくれよ、伊織……」

P「俺に出来ることならなんでもするからさ」

伊織「……」

P「100パーセントのオレンジジュース買ってこようか?」

伊織「な、なんでも言うこと聞いてくれる?」

P「ああ」

伊織「…………じゃ、じゃあ、私と一日デ、デートして」

私はしゃくりあげながら言った。

P「デート……?まぁ、いいけど。次のオフの時にな」

伊織「……ズズッ……約束よ?」

P「ああ、約束だ。それじゃ、そろそろ帰ろうか」

伊織「……プロデューサー……」

P「ん?どうした?」

伊織「……ありがと」


24 : VIPに... - 2012/06/04 20:52:24.46 baZeknNso 24/67





数日後




レコーディングが終わって、数日経ってから、私とプロデューサーはデートした。

特に変わったところはない。

いたって普通のデート。

プロデューサーは午前は仕事で、午後から休みだった。

だから、二人で駅で落ちあって、一緒に昼食を食べた。

プロデューサーが連れてってくれたイタリアンは以外にも美味しかった。

私はプロデューサーに、どうしてこんな店を知ってるのか尋ねた。

どうやら、以前他のアイドルと来たことがあったらしい。

私は、ニッコリ笑って、机の下で思い切り足を踏んでやった。

どうして、こいつはこんなにデリカシーがないのかしら。

それとも、私にやきもきさせるためにわざとやってるのだろうか。

でも、せっかくのデートだから許してやることにした。

食事を終えた後は、二人で映画を見にいった。

映画の内容も普通だった。

ありがちな全米が泣いた、とか、アカデミー賞候補とか、そんな宣伝文句通りの内容だった。

あまりにも普通なデートで、本当ならスーパーアイドルの伊織ちゃんにはふさわしくないはずだった。

でも、不思議と私は満足していた。

プロデューサーと一緒だからだろうか。

25 : VIPに... - 2012/06/04 20:53:26.31 baZeknNso 25/67

なんだか心の中がじんわりと温かい。

私は自分が幸せを感じていることに驚いていた。

多分、これが……そうなんだ。

1人の時にはくすんで見える風景も、プロデューサーと一緒なら宝石のように煌めいて見える。

世界をこんなにも輝かしいものに変えてしまうなんて、魔法のようだ。






私とプロデューサーは映画が終わって、駅に向かって歩いていた。

さっきの映画の話をしながら。

P「まぁまぁ面白かったな。さっきの映画」

伊織「ええ」

P「最近は仕事が忙しくて、ほとんど、見てないからなー。昔は毎週映画見に行ったりしてたけどな」

伊織「昔っていつよ?」

P「学生のころさ。あの頃は暇だったからな」

P「あの頃の俺はこんな仕事するようになるなんて思ってなかったな……」

伊織「……あんたはなんでプロデューサーになったの?」

P「理由なんかないな。ただ、気づいてたらなっていた」

伊織「何よそれ。主体性無いわね」

P「いいんだよ、俺はそれで」

伊織「あんたの生き方だから、私がとやかく言うことじゃないけど」

P「人生は思い通りにならないことばかりさ」

P「それでも、流れに身を任せて生きるのも悪くない」

26 : VIPに... - 2012/06/04 20:54:17.48 baZeknNso 26/67

伊織「なによ。私のプロデュースを本当はしたくなかったわけ?」

私は不機嫌なふりをする。

P「伊織のプロデュースをできるのは、俺の人生で数少ない当たりだよ」

何言ってるのかしら、こいつ。

素面なのにこんな恥ずかしいことを言ってる。

こんな臭いセリフでも、実際に言われると嬉しくなってしまう。

私の顔は赤くなった。

でも、今の私ならプロデュサーの言葉に照れてるのを隠す必要もない気がした。

だって、今の私はプロデューサーと二人きり。

自然な言葉で、自然な私の気持ちを、プロデューサーに伝えられる気がした。

伊織「プロデューサー、わた」






「あれー?伊織ちゃん?」





27 : VIPに... - 2012/06/04 20:55:11.82 baZeknNso 27/67






後ろから、声がした。

聞き慣れたやよいの声。

私は一瞬で青ざめた。

きっとこれは罰だ。

やよいのことを裏切ろうとした私に対しての罰。

後ろを振り返ると、驚いた顔をしたやよいが立っていた。

私に遅れてプロデューサーも振り返る。

P「お、やよいか。お疲れ」

やよい「お疲れ様です、プロデューサー」

やよいは笑顔だ。

しかし、その笑顔はどことなく強張っているように見える。

伊織「やよいはこれから帰るの?」

私は、動揺が顔に出ないよう注意しながらやよいに聞いた。

やよい「うん……今日の仕事は終わったから」

やよい「伊織ちゃんはプロデューサーさんとデート?」

伊織「ち、違うわよ!こんなのと私がデートするはずがないじゃない!」

そう言いながら、私は後悔していた。

どうしてこんな性格なのだろう。

私は素直になれない自分の性格が悔しくなった。

28 : VIPに... - 2012/06/04 20:56:04.13 baZeknNso 28/67

やよい「……そうなんだ。それじゃ、夕飯の支度があるから。伊織ちゃん、プロデューサー、さようなら」

P「ああ、やよいも気をつけて帰れよ」

プロデューサーはやよいに手を振って別れを告げる。

私はプロデューサーの横顔を眺めた。

プロデューサーはやよいを見るときだけ、優しい顔をする。

それは私にも、他のアイドルにも向けられない表情だ。

プロデューサーはやよいが好きなのだろうか。

私にはよくわからない。

プロデュサーの女性の好みなんて私は知らなかった。

一般的な男性は胸が大きな女性が好きらしい。

おそらく、あずさみたいなスタイルの女性だ。

そもそも、プロデューサーはどのくらいの年齢までなら受け入れてくれるのだろうか。

やっぱり、妹みたいな存在としてしか見てくれないのかしら……

それとも、ただのプロデュースする対象としてしか見てないのかも。

私はプロデューサーと恋人になりたい。

この欲求は日に日に高まっている。

もしも、プロデューサーがやよいじゃなくて私を選んでくれるなら、私はいったいどうするだろう。

やよいを裏切ってプロデューサーと付き合うことができるだろうか。

やよいを裏切ってでもプロデューサーと居ることを選びたい。

そんな気持ちが私の中で渦巻いている。

29 : VIPに... - 2012/06/04 20:57:22.02 baZeknNso 29/67

もちろん、こんなことがダメなことはわかっている。

それでも、プロデューサーと結ばれた時の事を考えることでしか、この胸のざわめきは止められない。

さっきやよいが現れなかったら、私は自分の思いを伝えてしまっただろう。

誰かに対してこんなに狂おしい感情を抱いたのは生まれて初めてだ。

これが、私の初恋なのだ、とぼんやり思った。

P「それじゃ、俺たちも帰ろうか」

伊織「……ええ」

P「どうした?伊織。体調でも悪いのか?」

伊織「……別になんともないわ」

そう、なんともないのだ。

伊織「あんたは……やよいが好きなの?」

自分のことは言えない。

でも、やよいのことを聞くだけなら裏切りにはならない。

たぶん。

P「……え?」

伊織「やよいが好きかどうか聞いてるの」

P「そりゃあ、やよいが嫌いなやつなんていないだろ。嫌いになるほうが難しい」

伊織「……そうじゃない」

P「そうじゃないってなにが?」

伊織「やよいに恋してるの?」

P「な……!?」

プロデューサーは絶句している。

伊織「だってプロデューサーはやよいを見るときだけ違う顔しているもの」

P「……」

伊織「私には、あんたの葛藤が手に取るようにわかるわ」

だって、私も同じだから。



30 : VIPに... - 2012/06/04 20:58:29.06 baZeknNso 30/67

P「……」

伊織「兄のような存在と慕ってくれるアイドルを、そんな目で見ちゃいけないって思ってるでしょ?」

P「……そんなに分かりやすいか?」

私は黙って頷く。

私はずっとプロデューサーを見ているのだ。

最近になってようやくわかった。

あれが恋をしている人間の顔なんだって。

だって、鏡に映る私も同じ顔をしているから。

伊織「……それで、どうなの?」

P「わからない。俺自身にも俺の気持ちがわからない」

伊織「……そう」

P「最初はただの担当アイドルとしてしか見てなかった」

P「でも、少しずつやよいのことを知っていくにつれて、俺の中で何かが変わっていったんだ」

P「やよいに対しては他のアイドル達とは違うものを感じる」

P「なんていうか、胸の中が熱くなるような……」

P「たぶん、これを、恋って言うんだろうな……」

31 : VIPに... - 2012/06/04 20:59:36.83 baZeknNso 31/67

その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが砕ける音がした。

やっぱりプロデューサーはやよいが好きなんだ。

私は納得していた。

これで逆に、私のことが好き、なんて言われても信じなかっただろう。

やよいは女の私から見てもかわいい。

やよいはプロデューサーとお似合いだ。

私なんかよりも。

伊織「ふふっ……」

P「おいおい笑うなよ……俺は真剣なんだぞ?」

伊織「そんなの知ってるわよ……」

P「確かに他の人から見たら滑稽かもしれないが……」

伊織「そんなこと思ってないって言ってるでしょ?」

P「じゃあ、なんで?」

伊織「あんたには教えてあーげない」

P「なんなんだよ、まったく」

伊織「ふふっ」

私はまた笑った。

伊織「あんたにいいこと教えてあげる」

P「ん?なんだ?」

伊織「やよいもあなたのことが好きよ」

P「……え?」

伊織「驚いた?」

P「ふ、ふーん。そうなのか?」

伊織「こんなことで、嘘つかないわよ」

プロデューサーは無表情を装っている。

でも、一瞬だけ見せたその嬉しそうな顔に、私は少し寂しさを感じた。


42 : VIPに... - 2012/06/10 14:36:32.89 kbSnN6gzo 32/67






一週間後






今日は久しぶりにやよいと一緒の仕事だ。

伊織「で?なんでグラビアなのかしら?」

P「さあな。向こうがやよいと伊織を指名してきたからだ」

絶対嘘だ。

伊織「うちにはもっとグラビア向きなアイドルがいるでしょ?」

例えば、あずさとか。

P「多分やよいと伊織の魅力的な肢体を雑誌に載せたいんだろう」

伊織「どんな変態向けよ、それ」

P「まあまあ。仕事が無いよりはいいだろ?」

やよい「撮影が終わったら、海で遊んでもいいんですよねー?」

P「ああ、大丈夫だ。撮影が早く終わったらな」

今日の撮影は砂浜で水着になって撮るらしい。

どうせ、プロデューサーがやよいの水着姿をみたいからだろう。

やよい「うっうー!がんばりますー!」

P「よし!今日も頑張ろう!」


43 : VIPに... - 2012/06/10 14:37:23.59 kbSnN6gzo 33/67





伊織「はぁ……」

暑い。

水着でもこの暑さは厳しい。

ビーチとはいえ、真夏の日差しは伊達じゃない。

真夏の日差しで熱せられた砂は裸足で歩いたらやけどしそうだ。

カメラマン「それじゃ、今度は後ろ向いてみてね」

伊織「こんな感じですかー?」

カメラマン「お、イイねー」

カメラマンが私の体をカメラに収めていく。

真夏の太陽が私の肌を焼く。

私のおでこから頬を伝って汗が流れていく。

カメラマン「それじゃ、今度は座ってみようか?」

伊織「はーい。んー、どうですかー?」

私は表面の熱い砂をサンダルでどけた。

お尻を地面につける。

体育座りをして、手を膝で軽く組むと、上目遣いでカメラを見た。

カメラマン「おおー!カワイイよー」

カメラマンは連続でシャッターをきる。

カメラマンもかなり暑そうだ。

汗が垂れてくるのか、時折タオルで顔を拭いている。

44 : VIPに... - 2012/06/10 14:38:13.16 kbSnN6gzo 34/67

すぐ近くに波音を立てる海があるのに、入れないのはなかなか辛いものがある。

カメラマン「伊織ちゃんのおかげでいいショットがいっぱい撮れたよ!」

伊織「えー本当ですかー?ありがとうございますぅー!」

カメラマン「うんうん、ありがとねー」

カメラマン「それじゃ、次はやよいちゃん、いってみようかー!」

やよい「はーい!がんばりますっ!」

伊織「やよい、頑張ってね?」

やよい「うん!伊織ちゃんもお疲れ様!」

今度はやよいの番だ。

私はプロデューサーのいるパラソルの下に行く。

P「お疲れー」

プロデューサーは労いの言葉をかけてくれる。

伊織「はぁー。疲れたわ……」

プロデューサーはクーラボックスから良く冷えたオレンジジュースを取り出すと、タオルと一緒に渡してくれる。

伊織「ありがと……」

タオルで汗を拭うと、オレンジジュースを少しずつ口に含む。

よく冷えてておいしい。

オレンジジュースが体中に染み渡っていくようだ。

P「オレンジジュースだけじゃなくて、後でスポーツドリンクも飲めよ」

伊織「えー?私、あんまりスポーツドリンクって好きじゃないのよね……」

45 : VIPに... - 2012/06/10 14:39:02.93 kbSnN6gzo 35/67

P「だめだめ。脱水症状になるぞ?」

伊織「オレンジジュース飲んだから、水分補給は十分してるわよ?」

P「オレンジジュースで水分は補給できるが、塩分は補給できない」

P「汗で塩分が流れてしまってるから、補給しないと倒れるぞ?」

伊織「わかったわよ……」

P「ほら……」

プロデューサーがペットボトルを差し出す。

それを受け取った私は仕方なく飲んだ。

カメラマン「じゃ、やよいちゃん!ちょっと走ってみよーかー!」

やよい「はーい!」

やよいが両腕を振りながら可愛らしく砂浜を走る。

映画のワンシーンのように様になっている。

やよいは楽しそうだ。

プロデューサーはその光景をぼんやりと見ていた。

少しだけ嬉しそうな顔をして。

伊織「……やよいのためにこの仕事を取ってきたの?」

P「うん……まあ、そうだな」

伊織「……そう」

P「夏だし……仕事だけど海に連れてってやれたらいいなって」

伊織「なによ……私はおまけってわけ?」

46 : VIPに... - 2012/06/10 14:39:36.70 kbSnN6gzo 36/67

P「ほら、それは……その……」

伊織「はっきりしないわね」

P「やよいが俺のことを好きだって教えてくれたから……そのお礼だ」

プロデューサーは顔をしかめた。

伊織「なんなのよ?それ?」

P「俺にもよくわからん」

伊織「で?やよいのことはどうするの?」

P「今考えてるんだ、それを」

プロデューサーはいつになく険しい顔をしていた。

その横顔から真剣さが窺える。

プロデューサーの真剣さが嬉しいのに、泣きたくなるほど辛い。

伊織「……私は何も言わないから。あんたのしたいようにするといいわ……」

P「ああ……ありがとな……ごめん」

私達の会話はそこで途切れた。

波が寄せては返す。

やよいは嬉しそうに波打ち際を跳ねていた。

私はまた、オレンジジュースを飲む。

カメラマン「プロデューサーさーん。次の撮影の打ち合わせするんでー、ちょっと来てもらっていいですかー?」

P「ああ、はーい」

プロデューサーは勢いよく立ち上がった。

47 : VIPに... - 2012/06/10 14:40:12.28 kbSnN6gzo 37/67

数歩踏み出す。

そして、崩れ落ちた。

伊織「……プロデューサー……?」

プロデューサーは倒れたまま全く動かない。

どこかが痛むのか、苦悶の表情を浮かべている。

伊織「プロデューサー!?」

伊織「ちょっと!!あんたってば!!」

伊織「ねえ!どうしたのよ!!」

やよい「プロデューサー!?」

やよい「プロデューサー!!しっかりしてください!!」


48 : VIPに... - 2012/06/10 14:41:26.54 kbSnN6gzo 38/67










伊織「ふぅ……」

プロデューサーは救急車で運ばれることとなった。

突然、意識を失って倒れるなんて……

私とやよいはプロデューサーの付き添いで、救急車に一緒に乗って病院まで来た。

家に帰ろうにもプロデューサーの意識が戻らないから、帰る手段もない。

病院に頼んで律子を呼んでもらった。

しかし、律子が来るまですることもないので、私達はただベンチに座っていた。

やよい「……」

やよいは一言も話さない。

それだけ、あいつのことが心配なのだろう。

そして、ようやく律子がやってきた。

律子「あんた達……プロデューサーは?」

伊織「律子……」

やよい「律子さん……」

律子は息を切らせながらやってきた。

急いで来たせいか、かなり汗をかいていた。

伊織「点滴してもらったから、ぐっすり眠ってるわ……」

律子「じゃあ、なんとも無いのね?」

伊織「……最初はただの熱中症だろう、って医者も言ってたの。でも、なんだか様子が……」

やよい「……」

律子「そう……私が行って、医者に話を聞いてくるわ」

49 : VIPに... - 2012/06/10 14:41:55.48 kbSnN6gzo 39/67

伊織「ありがとう……」

律子は早足で医者を探しに行った。

私とやよいは病院の廊下のベンチに座って、プロデューサーの意識が戻るのを待っていた。

伊織「やよい、大丈夫?」

私はやよいに尋ねた。

やよいの顔は蒼白だ。

やよい「……ねえ、伊織ちゃん?」

伊織「なに?」

やよい「プロデューサー……本当にただの熱中症なのかな?」

伊織「……たぶん、そうだと思うけど」

やよい「だって、プロデューサーはずっと日陰にいたのに……」

やよい「熱中症って運動している人がかかるものじゃないの?」

それは私も思ったことだった。

プロデューサーはずっと日陰にいたし、水分補給もしていた。

それなのに、熱中症になるだろうか?

しかし、私は余計な考えを打ち消す。

やよいに余計な心配はさせたくない。

伊織「熱中症は運動してなくてもなるものよ?」

やよい「……そうなの?」

伊織「ええ、特に寝不足だったり疲れてるときはなりやすいの」

50 : VIPに... - 2012/06/10 14:42:54.24 kbSnN6gzo 40/67

伊織「たぶんプロデューサーは疲れていたんだと思う」

やよい「……そうなのかな?」

伊織「それに最近は忙しそうにしてたし。寝不足だったんじゃないかしら?」

その言葉をいった瞬間、やよいの顔色がさらに悪くなった。

その理由に気づいたとき、私は後悔した。

最近仕事が増えてきているのはやよいだ、とプロデューサーは言ってたのに。

これではやよいのせいだと言ってるようなものだ。

やよい「うぅ……私のせいなのかな……」

伊織「そ、そんなことないわ!」

やよい「……」

伊織「体調管理もできないあいつが悪いのよ!」

やよい「…………」

こんなに元気がないやよいを見たのは初めてだ。

伊織「はぁ……」

伊織「やよい、少し横になってなさい」

やよい「……え?」

伊織「顔色がかなり悪いわよ?」

やよい「……そうかな?」

伊織「やよいも撮影で疲れてるでしょ?」

やよい「……うん」

具合が悪くなってしまうのは無理もない。

51 : VIPに... - 2012/06/10 14:43:40.51 kbSnN6gzo 41/67

好きな人が突然倒れたのだから。

特にやよいのように優しい子なら当然だ。

伊織「あなたまで倒れたらプロデューサーも悲しむわよ?」

やよい「う、うん、そうだよね……」

やよいはベンチに横になった。

伊織「私、ナースから毛布借りてくるわ」

やよい「うん、ありがとう。伊織ちゃん」






私はやよいに嘘をついた。

私はナースではなく、律子を探していた。

プロデューサーが心配でただ座っていられなかったからだ。

それに、あんなに弱っているやよいを見ていられなかったから。

心の中でやよいに謝る。

律子を探して歩き回ったら、違う階のベンチにぼんやりと座っているところを見つけた。

伊織「こんなところにいたのね」

律子「伊織……」

その時、私はようやく律子が暗い顔をしているのに気づいた。

まるで、さっきのやよいのような顔だだ。

52 : VIPに... - 2012/06/10 14:44:22.97 kbSnN6gzo 42/67

伊織「……どうしたの?」

律子は私の質問に答えなかった。

眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。

伊織「もしかして……プロデューサーのこと?」

私は恐る恐る律子に尋ねた。

律子「そうね……伊織には話しても大丈夫か……」

伊織「何が?」

律子「プロデューサーがね……」

律子は大きく深呼吸した。

律子「プロデューサー、病気らしいの」

伊織「……え?」

律子「それも、命に関わるレベルで」

伊織「……は?」

律子が何を言っているのか理解できない。

イノチニカカワルってどういう意味なのだろうか。

プロデューサーはどうなってしまうの?

律子「やよいには言わないほうが良いわね」

伊織「……」

律子「プロデューサーが倒れてかなりショックを受けてたみたいだし」

伊織「ねぇ、律子?」

律子「何?」

53 : VIPに... - 2012/06/10 14:45:00.44 kbSnN6gzo 43/67

伊織「もしかして……プロデューサーは死んじゃうの?」

律子は黙ったまま私の質問に答えない。

律子「まだ、分からない……」

伊織「まだ?」

律子「詳しい検査を明日するらしいの」

伊織「検査……」

律子「その結果によるって医者は言ってたから」

伊織「そんな……」

死ぬ。

死ぬ。

死ぬ。

プロデューサーが?

プロデューサーが死んでしまう?

嫌だ。

絶対に嫌だ。

そんなの嫌だ。

耐えられない。

律子「だ、大丈夫!プロデューサーは丈夫だから死んだりしないわよ」

54 : VIPに... - 2012/06/10 14:45:37.99 kbSnN6gzo 44/67

やよい「え……プロデューサーが死んじゃう……?」

伊織「え?……やよい!?」

いつのまにか、私の後ろにはやよいが来ていた。

寝てなさいって言ったのに。

私は心の中で舌打ちをする。

もしかすると、やよいは私についてきていたのかもしれない。

自分の迂闊さを呪った。

やよいの顔色はさっきよりも更に悪くなっていた。

律子との会話を聞いてしまったからだろう。

やよいは崩れ落ちた。

伊織「やよい!しっかりしなさい!やよい!」

律子「医者を呼んでくるわ!」

律子が走っていく。

私の心の中では自責の念が渦巻いていた。

やよいが倒れたのは私のせいだ。

どうしてこうなってしまったのだろうか。

思わず涙が溢れそうになったが、下唇を噛み締めて堪えた。

55 : VIPに... - 2012/06/10 14:46:24.91 kbSnN6gzo 45/67





一週間後






今日も暑い。

太陽のギラギラした光と蝉の耳をつんざく合唱にうんざりしながら、病院の入口までの道を歩く。

着ているシャツの首筋から脇の下まで汗で湿っていて不快だ。

しかし、病院の中に入ってしまえば、蝉の声も肌を焼く日差しも関係ない。

私は売店で花を買うと、プロデューサーの病室へと向かった。

病院内部はエアコンによって適温に保たれている。

人の気配がなく、静かだ。

聞こえるのは廊下を歩く私の足音ぐらいなもので、他には何も聞こえない。

今日が休日だから外来がやっていないせいもあるのだろう。

もうすぐプロデューサーの病室だ。

しかし、私の足取りは重かった。

プロデューサーが倒れた次の日、精密検査で分かったのは、プロデューサーがいつ死んでもおかしくないということだった。

プロデューサーの心臓は壊れかけていた。

病名はなんとか心疾患と医者は言っていたが、私は衝撃のあまりに聞き漏らしてしまった。

治療法はただ一つ。

心臓移植だ。

心臓移植をすれば、プロデューサーは助かると医者は言った。

私達は喜んだ。

しかし、一つ問題があった。

56 : VIPに... - 2012/06/10 14:46:56.23 kbSnN6gzo 46/67

それはお金だ。

心臓移植には莫大なお金がかかる。

現在、世界の心臓移植の内の六割はアメリカで行われている。

もちろん、日本でも行われている。

しかし、件数が少ない。

順番が回ってくる前にプロデューサーは死んでしまうかもしれないのだ。

だから、アメリカへ行って手術を受けなければいけない。

お金を積めば割り込めるアメリカなら、順番待ちをする必要がない。

汚い話だけど、プロデューサーが助かるにはこれしかない。

心臓移植にかかる費用は滞在費なども含めると億単位になる。

プロデューサーにそんな貯金があるはずがない。

あれから、何度も他の人に頼んでプロデューサーに私が援助することを伝えてもらっていた。

しかし、プロデューサーは援助を受けようとしなかった。

だから、私の足取りは重いのだ。

プロデューサーをどうやって説得すればいいのだろうか。

ため息をつく。

花を持ってないほうの手で病室の扉をノックした。

P「…………はい」

伊織「……失礼するわ……」

57 : VIPに... - 2012/06/10 14:47:46.91 kbSnN6gzo 47/67

プロデューサーは、私が病室に入っていくと一瞬嬉しそうな顔をした。

しかし、また無表情を装って窓の外を眺め始める。

プロデューサーは部屋のエアコンを切って窓を開けていた。

風が吹いているせいか、あまり暑くはない。

P「……」

伊織「……」

私は何も話さない。

私も椅子に座って外を眺めた。

病院の前庭は庭園になっていて、花が咲き乱れていた。

鳥の鳴き声が風に乗って聞こえてくる。

庭には散歩している老人と、車椅子を押している少女がいるだけで、他には誰もいない。

普段は多くの人が訪れるこの病院も、休日特有のけだるい雰囲気が漂っていた。

P「……伊織は聞いたのか?」

伊織「あんたの病気のこと?」

P「……ああ」

伊織「聞いたわ」

P「……」

伊織「……」

二人の間に沈黙が流れる。

私にはプロデューサーが何を考えているのか分かる。

58 : VIPに... - 2012/06/10 14:48:22.33 kbSnN6gzo 48/67

プロデューサーだって死にたいはずはない。

だが、自分が助かるために、赤の他人にお金を出させるなんて気が引けるのだろう。

そう、私は赤の他人なのだから。

伊織「やよいはお見舞いに来た?」

P「…………いや、まだだ」

プロデューサーの声はなんの感情も込められていない。

伊織「意地を張るのはやめたら?」

P「別に意地を張っているわけじゃない」

伊織「なら、どうして?」

P「別に日本でも手術はできる……順番を待てばいいんだ」

伊織「お金なら心配しなくてもいいのよ?」

P「これは俺の問題だ。伊織に出させるわけにはいかない」

伊織「でも、順番が回ってくる前に死ぬかもしれないでしょ?」

P「それは運次第だ。普通に生きてたって死ぬことはあるだろ?」

伊織「……死にたいの?」

P「…….」

プロデューサーは答えない。

黙って窓の外を見ている。

頑なに私と目を合わせようとはしない。

伊織「やよいはどうするの?」

59 : VIPに... - 2012/06/10 14:48:52.82 kbSnN6gzo 49/67

P「……」

プロデューサーは何も答えない。

しかし、その表情はどこか寂しげで、悲しそうだった。

私は卑怯だ。

弱点をついてプロデューサーの心を揺さぶる。

でも。

そんなことをしてでも、プロデューサーには手術を受ける気になって欲しい。

だって、私もプロデューサーのことが好きだから。

伊織「……帰るわ」

P「…………」

私は立ち上がる。

プロデューサーは最後まで窓の外を眺めたままだった。

プロデューサーの病室から出る。

ゆっくりとドアを閉めた。

思わずため息をついてしまう。

結局、ダメだった。

どうすれば……

私はどうすればいいんだろうか?

やよい「伊織ちゃん……」

私は振り返った。

そこには困ったように笑っているやよいが佇んでいた。

60 : VIPに... - 2012/06/10 14:49:37.83 kbSnN6gzo 50/67










伊織「はい、これ」

やよい「ありがとう、伊織ちゃん……」

私は買ってきたオレンジジュースをやよいに手渡す。

やよいは黙ってそれを受け取ると少しだけ口に含んだ。

伊織「どうしてプロデューサーのお見舞いに行かないの?」

やよい「私が行ってもいいのかなーって思って……」

伊織「プロデューサーはあなたのことを待ってるはずよ?」

やよい「私も……プロデューサーに会いたいよ?」

やよい「でも、すごく怖い……プロデューサーがそんな……死んじゃうかもしれないなんて……」

やよい「今、プロデューサーにあったら泣いちゃうかも」

やよい「えへへ……何度も入ろうと思ったんだけどね……」

やよい「ほら……まだ、手が震えてる……」

そう言って、やよいは私に震える手を見せた。

持っているジュースの表面も振動で波打っていた。

やよい「あの、それで、プロデューサーは……その」

伊織「援助のこと?」

やよい「……うん」

伊織「ダメだったわ。せっかく、助けてあげるって言ってるのに……」

やよい「……」

伊織「あんなやつ……死んで当然だわ」

61 : VIPに... - 2012/06/10 14:50:14.26 kbSnN6gzo 51/67

やよい「……」

伊織「……やよい?」

やよいは顔をあげて私を見た。

やよい「ねえ……伊織ちゃん?」

伊織「何?」

やよい「伊織ちゃんは……プロデューサーのことが好きなんじゃないの?」

伊織「……え?」

やよいの表情は何か硬い決意を秘めているように見えた。

私は咄嗟に言葉が出てこなかった。

伊織「私は……私は、なんとも思ってないわよ?」

やよい「嘘でしょ?見てればわかるもん」

伊織「嘘じゃないわ……」

やよい「嘘だよ!」

私は驚いた。

やよいが大きな声を出すなんて……

やよい「たぶん……プロデューサーさんも伊織ちゃんの気持ちがわかってると思う」

伊織「な!?」

伊織「そんなはずはないわ!それにあいつはやよいが好きなのよ!?」

やよいはそのまま続けて言った。

やよい「プロデューサー、死んじゃうかもしれないんだよ?」

62 : VIPに... - 2012/06/10 14:50:51.01 kbSnN6gzo 52/67

伊織「……」

やよい「プロデューサーを助けられるのは伊織ちゃんだけなんだよ?」

伊織「……やよい」

やよいの手は白くなるほど、強く握り締められていた。

その目は潤んでいた。

やよい「プロデューサーがうん、って言わないのは伊織ちゃんに遠慮してるからだと思う」

伊織「それは……」

それは私も思っていたことだ。

きっと、私に迷惑だと思ってるのだろう。

自分をいつも後回しにして考える。

プロデューサーの悪い癖だ。

やよい「こんなこと……伊織ちゃんに頼むのは間違ってるって分かってる」

伊織「……」

やよい「でも、伊織ちゃんが思いを伝えて、生きて欲しいって言ったら……」

伊織「そんなこと……!」

やよい「きっと、プロデューサーも受け入れてくれるよ?」

伊織「……」

やよい「プロデューサーに伝えておいて」

やよい「私はプロデューサーのことが大嫌いだって」

伊織「そんな!そんなこと言ったら!やよいは……!」

63 : VIPに... - 2012/06/10 14:52:31.97 kbSnN6gzo 53/67

やよい「プロデューサーが伊織ちゃんの援助を受けないのって、私のせいだと思うから」

伊織「やよいは……それでいいの?」

やよい「私は……」

やよい「私はプロデューサーが生きていてくれるだけで……それだけでいいよ」

そう言って、やよいは笑った。











時間は午後10時。

私は再び静かな病院の廊下を、音を立てないように気をつけながら歩いていた。

面会時間はとっくに過ぎている。

私が病院に来たのは、プロデューサーと話すためだ。

プロデューサーの病室のドアをそっとノックする。

P「……はい?」

伊織「……私よ」

P「え?……伊織?どうしたんだ?」

プロデューサーは目を丸くしている。

伊織「星を見に行くわよ」

P「は?」

伊織「星を見に行くって言ったの」

P「どこに見に行くんだ?」

伊織「屋上よ。早くしなさい」

P「でも、消灯時間も過ぎてるし……」

伊織「は・や・く・し・な・さ・い」

P「わかったから……そんなに睨むなよ」

64 : VIPに... - 2012/06/10 14:53:09.93 kbSnN6gzo 54/67

ようやくプロデューサーはベッドから体を起こした。

伊織「もたもたしてると置いてくわよ」

P「置いてってくれて構わないんだが……」

文句を言いながらも、プロデューサーは私についてくる。

音を立てないように病室のドアを開く。

頭だけ出して廊下を見回す。

誰もいない。

伊織「ほら、早くして」

P「はいはい」

屋上への階段をゆっくり登る。

P「仮にも俺は病人なんだが……」

伊織「階段登っただけで死ぬなら、どうせ明日には死んでるから問題ないわ」

諦めたのか、プロデューサーは黙って私についてきた。

屋上へと出るための、重い鉄製のドアを開けた。

伊織「……ふぅ」

誰にも見つからずに屋上まで来れて良かった。

安心したせいで思わずため息をついてしまう。

電灯などは無いから薄暗く、星を見るのに適している。

屋上にはたくさんのシーツが風になびいていた。

そして、空には満点の星。

この病院は街からは少し離れたところにあるおかげで星が綺麗に見える。

65 : VIPに... - 2012/06/10 14:53:47.68 kbSnN6gzo 55/67

高い建物も無いから全方向の空を見ることができるのだ。

私は星に詳しいわけではないが、南の空に見える夏の大三角は容易に見分けられる。

他の星よりも明るい三つの星が作る三角形は目を引く。

そして、二つの星を隔てるように流れる天の川が非常に美しい。

伊織「綺麗ね……」

P「ああ、そうだな……」

プロデューサーは黙って星空を眺めている。

私達は屋上に設置してあるベンチに腰かけた。

伊織「……ねえ、知ってる?」

P「何を?」

伊織「天の川がこの後どうなるかって」

P「いや、知らないな」

伊織「アンドロメダ銀河と衝突するんだって」

以前に何かの雑誌で読んだことがあった。

私がいる地球。

その地球がある太陽系。

その太陽系も銀河の一部分にすら満たない小さな存在だ。

そして、そんなに大きな銀河と銀河がぶつかるなんて、スケールが大きすぎて実感できない。

P「それって、どのくらい先のことなんだ?」

伊織「30億年後ぐらいだったかしら?」

P「30億年後か……」

66 : VIPに... - 2012/06/10 14:54:32.07 kbSnN6gzo 56/67

伊織「きっと、今私たちが見てる空とは全然違ってるでしょうね」

P「永遠とも言える長さだな、俺にとっては」

プロデューサーは黙ったまま星を眺めたている。

伊織「どうしてなの?」

P「……何がだ?」

伊織「わかってるくせに」

P「はあ……」

プロデューサーは深いため息をついた。

伊織「ただお金をもらうのが嫌なら返してくれてもいいのよ?」

P「無理だな。また、一から仕事を探さなきゃいけないのに、そんなに借りたら利子だけでも返せない」

伊織「社長はあんたを首にしたりしないでしょ?」

P「社長はそんなことしないだろうな」

伊織「だったら……」

P「でも、それはあくまで社長の好意によるものだ」

伊織「……」

P「社会人としてそれに甘えるわけには行かない」

伊織「あんたは今まで頑張って来たんだから、少しくらい甘えたっていいじゃない」

P「765プロはあまり大きな会社じゃない」

伊織「それぐらいわかってるわよ……」

P「俺一人分の給料を余計に捻出させたら会社が傾く可能性もある」

67 : VIPに... - 2012/06/10 14:55:01.24 kbSnN6gzo 57/67

P「俺が働けないなら、新しくプロデューサーを雇わなくちゃいけないだろうし」

伊織「なら、返さなくていいから黙って受け取りなさい」

P「……」

伊織「どうしたの?」

P「誰かに甘えることなんてできない」

ああ、そうか。

P「だって、これは俺の問題だ」

やよいが言っていたように私の気持ちに気づいてるわけじゃない。

どうして今まで気がつかなかったのだろうか?

プロデューサーは私と同じなのだ。

他人を怖がっているのだ。

伊織「ふふっ」

P「何がおかしいんだ?」

伊織「……わかったわ」

P「何がわかったんだ?」

伊織「あんた、人に甘えるのが怖いのね?」

P「……え?」

伊織「誰かに自分の弱さを見せること、自分が弱い立場になることを怖がってるんだわ」

P「……」

伊織「自分でもわかってるでしょ?」

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P「……」

P「……そうかもな」

伊織「ようやくわかったわ」

伊織「あんたがやよいのことが好きな理由が」

P「……」

伊織「あんたは、やよいに母性を求めてるのよ」

P「…………え?」

伊織「やよいなら、ありのままの自分を肯定して、受け入れてくれる」

伊織「だからあんたはやよいを好きになった」

伊織「母親役ならあずさのほうがあってるでしょうけど」

伊織「でも、あんたが求めているのは役じゃなくて本質的な意味においての母親だもの」

伊織「あずさはどうしても性的な目で見てしまう」

伊織「だから、そういう対象では無いのに、母性を感じさせるやよいを選んだのよ」

P「……」

P「……そうか」

P「……そうかもしれないな」

伊織「もう少し……」

伊織「あと少しだけ……自分を他人に見せてもいいんじゃないかしら?」

69 : VIPに... - 2012/06/10 15:02:26.95 kbSnN6gzo 59/67

伊織「普通の人は死ぬかもしれないって時は弱音を吐くものよ?」

P「……」

伊織「あんたも死ぬのは怖いんでしょ?」

P「ああ……怖い」

伊織「死にたくないんでしよ?」

P「死にたく……ない」

伊織「それで、十分よ」

P「……ああ」

伊織「あとは黙って手術を受けなさい」

P「でも、俺は……」

P「俺はどうしたらいいんだ?」

プロデューサーの声は泣きそうなのか、と思うほどに弱々しい。

プロデューサーは頭を抱えた。

伊織「何を?」

まだ悩んでることがあるんだろうか。

P「伊織のことだよ……」

伊織「私がなんなのよ?」

P「同じなんだろ……」

伊織「何が?」










P「伊織の……伊織の俺に対する気持ちはどうなるんだよ?」












私の頭に雷が落ちたのではないか、と思うほどの衝撃を受けた。

まさか。

まさか、気づかれていたなんて。

70 : VIPに... - 2012/06/10 15:03:13.68 kbSnN6gzo 60/67

こんな、鈍感なやつに気づかれるほど、あからさまだったのだろうか。

隠してたつもりだったのに。

伊織「いつから……?」

P「気づいたのは最近だよ……」

伊織「そう……」

P「ちよっとした仕草や、俺のことを見る目で……気づいてしまった」

伊織「……」

P「俺はやよいが好きだって伊織には知られている」

P「でも、伊織は俺のことが好きだって気づいてしまった」

P「だから……」

P「だから……何食わぬ顔で伊織に助けてもらうなんてできるわけないじゃないか」

P「自分に対して好意を持ってくれてるのに、それに答えないで金だけは出させるなんて……」

P「俺はこんなにひどいことをしなくちゃいけないのか?」

P「他人の心を踏みにじってまで、俺に生きる価値はあるのか?」

プロデューサーはずっとこのことを悩んでいたのね。

私はようやく納得した。

伊織「そうね……」

伊織「やよいはあんたのことをちゃんと分かってたわ」

P「……」

伊織「そう、私よりもね……」

P「……」

伊織「やよいは私になんて言ったと思う?」

71 : VIPに... - 2012/06/10 15:04:31.07 kbSnN6gzo 61/67

私はプロデューサーに尋ねた。

P「……分からない」

伊織「やよいはね、あんたに大っ嫌いだって伝えてくれ、って言ったわ」

P「……そうか」

伊織「あんたがやよいを諦めて、私とくっつけば、おとなしく私の援助を受ける気になると思ったんでしょうね」

P「……」

伊織「でもね、私はそんな気はないわ」

P「……そんなの……」

P「そんなのおかしいだろ……」

P「伊織だけが損することになるんだぞ?」

伊織「私は同情とかで援助するって言ってるんじゃないわよ?」

P「それならなんで……」

伊織「やよいはどうして、私に大っ嫌いって伝えて欲しいって言ったと思う?」

P「それは……」

伊織「あんたに生きてて欲しいからよ」

伊織「自分とあんたが結ばれなくても、ただあんたが生きてればいい」

伊織「やよいはそう言ったの」

伊織「でも、私は違う」

P「……え?」

伊織「私はやよいみたいに謙虚にはなれないの」

72 : VIPに... - 2012/06/10 15:05:48.72 kbSnN6gzo 62/67

伊織「私はやよいとは違うから」

伊織「私は好きになった人がただ生きてればいいなんて思えない」

伊織「好きになった人には幸せになって欲しいもの」

P「伊織……」

伊織「だから……」

伊織「だからね……」

伊織「あんたには元気になって、やよいと幸せになって欲しいの」









伊織「だって、あんたが好きだから」


















73 : VIPに... - 2012/06/10 15:06:21.58 kbSnN6gzo 63/67












































74 : VIPに... - 2012/06/10 15:07:15.56 kbSnN6gzo 64/67

ひどく懐かしい夢を見た。

思い切りあくびをする。

まだ寝足りないが、ベッドから出る。

それもこれもあんな手紙が届いたからだ。

私は、机の上に置いてあった封筒を取った。

その手紙には、プロデューサーとやよいが生まれたばかりの子供と写っている写真が同封されていた。

どうやら、二人とも元気でやってるらしい。

日本にはこっちに来て以来、一度も帰ってない。

前にやよいとプロデューサーに会ったのは、二人が新婚旅行でこっちまで来た時だ。

結局、プロデューサーは私の援助で心臓移植を受けた。

もちろん手術は成功した。

今ではピンピンしている。

日本で元気にプロデューサーをやっていることだろう。

そう、プロデューサーは私の援助で手術を受けた。

私が親に土下座して借りたお金で、だ。

両親を適当な言い訳で上手く騙せたから良かったものの、ダメだったらプロデューサーは今頃土の下だっただろう。

やよいがその後ブレイクしたため、プロデューサーはかなりの利益を上げたから、そのおかげで全額返してもらえたのだけど。

75 : VIPに... - 2012/06/10 15:08:29.13 kbSnN6gzo 65/67




カーテンをまとめて、窓を開けた。

雀の鳴き声が聞こえてくる。

フランスでも雀はチュンチュンと鳴いている。

私にそう聞こえてるだけかもしれないが。

清々しい朝だ。

朝日が窓から部屋に差し込んで、少しずつ部屋の気温が上がり始めている。

今日も暑くなりそうだ。

それでも、東京よりはマシだが。

太陽に向かって思い切り伸びをする。

昨日も遅くまで仕事をしていたから、肩がすごい凝っていた。




私は中学校を卒業したあとフランスに留学することにした。

特にフランスに拘りがあったわけではない。

ただ、留学の目的はファッションデザインを学ぶことだったから。

ファッションといえば、パリという安直な考えがあったからかもしれない。

とりあえず日本みたいに夏が暑くない国に行こう、と思ってフランスを選んだ。

そして、自分というものを表現したい、と思い始めていたから。

あの時以来、自分とは何かを考えることが増えた。

今まで目を逸らして、蔑ろにしてきた自分というものに興味が出てきていた。

アイドルという仮面をつけて、偽物の私をファンに見せることに飽きたからということもあっただろう。

自分と真摯に向き合って、その上で自分というものを表現したかった。

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など、と当時の私は青いことを考えていた。

おかげで大変な苦労をした。

フランス語は得意だからなんともなかったが、東洋人というだけで奇異な目で見られることも多かった。

だから、人一倍努力した。

睡眠時間を削ってフラフラになるのなんてしょっちゅうだった。

しかし、そんなものは律子のシゴキに比べたらなんともなかったと思う。

必死に努力をしたおかげで、最近では少しずつ人に認められるようになってきている。

二十歳でデザイナーとして独立して、食べていけてる人は、私以外にはほとんどいないだろう。



眠い目をこすりながら、朝食の支度をする。

冷蔵庫からチーズを取り出す。

それをパンにのせてトースターに放り込んだ。

続けて食器棚からやかんを取り出すと、水を入れて火にかける。

ポットのお湯をティーポットとティーカップに注いで温めておく。



一人暮らしも長いから、一通りの家事はできるようになった。

昔の私に比べていろんな面で成長したのを実感する。

胸はあの頃とそんなに変わってないが。

お湯が沸くまで、窓から街並みを眺める。

一日のうちで一番好きな時間だ。

私のアパートは大通りに面しているから、たくさんの人がこの道を通る。

77 : VIPに... - 2012/06/10 15:10:49.62 kbSnN6gzo 67/67

のんびり散歩しているおじいさんや小さな子供を連れたお母さんとか。

仕事に出かけるためにスーツ姿で新聞を小脇に抱えている人とか。

人通りは多いけど、東京みたいに急いでいる人はほとんどいない。

朝なのに急いでいる様子はなくて、時間の流れが遅くなったのでは、と錯覚するほどだ。

私にはこの街があっているといつも実感する。

キッチンに戻る。

沸騰しきる前にガスを止めて、火を消した。

お湯を沸かしていたのは紅茶を入れるためだ。

紅茶を入れるのに適している温度は98度。

沸騰しきってないお湯のほうが美味しく入れられる。

そのほうが抽出しやすくなるからだ。

沸騰しきってしまうとお湯に含まれていた酸素が空気中に出てしまうのだ。

棚からティーポットを取り出して、茶葉を入れ、お湯を注ぐ。

高い位置から、お湯に空気が混じるように注ぐ。

これで朝食の準備は終わりだ。

それらをお盆にのせてキッチンからダイニングテーブルまで運ぶ。

テーブルの上に、山のように積まれた書類をどかしてスペースを作る。

私は椅子に座ると、ポットから紅茶を注いだ。

手を合わせて、いただきますを言うと紅茶を一口飲んだ。

書類の山の上に乗った写真を再び眺める。

二人とも本当に幸せそうだ。

仕事が一段落したら一度日本に帰ろうかしら、などと考えている自分に驚く。

思わず笑みが零れた。

きっと日本は嫌になるくらい暑いだろう。

でも、久しぶりにあの暑さを味わうのも悪くない気がした。

しかし、その前に片付けなければいけない仕事が山積みだ。

私は仕事に取り掛かるために急いでトーストに噛り付く。

窓から少し強く風が吹き込んできた。

カーテンが煽られて揺れている。

涼しい風が部屋を吹き抜けていった。

私は再び日本の暑い夏に思いを馳せた。

















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