一目惚れ。
俺にとっての彼女との出会いは、その一言に尽きる。
得意先の会社へ打ち合わせに行ったとき、偶然、彼女とすれ違ったのだ。
ただ、それだけ。
たったそれだけだったが、俺はその一瞬でその目を奪われた。
整った顔立ち、目を見張るスタイルのよさ、上品な立ち振る舞い。
それらすべてに俺の瞳が、俺の中の男が、惹きつけられた。
彼女は売れる。トップアイドルになれる。
そんな確信めいたが俺の心を一瞬にして満たしていた。
俺は得意先の打ち合わせも忘れ、彼女に声を掛け、必死とアイドルにならないかと説得した。
彼女は俺の突拍子もない行動に、いぶかしみ、戸惑っていたようにも思う。
確かに我ながら、最悪の交渉だったと思う。突然声をかけ、アイドルにならないかと誘う。
ナンパまがいの声の掛け方だ。下手をすれば通報されかれなかった。
それほどまでに、俺は彼女に必死だったのだ。
彼女は、俺の必死の言葉に耳を傾けてくれた。
それが堪らなく嬉しかった。プロデューサーとしても、一人の男としても。
話終えると、彼女は、少しだけなら、と頷いてくれた。
それが、俺と彼女の始まりであり
俺の人生の歪みの始まりでもあった。
スカウトから数ヶ月。
彼女の実力は驚くほどに向上していった。
特に歌唱力の面はずば抜けており、100年に一人の逸材だ、とも言われていた。
そんな彼女を世間が放っておくわけもなく、瞬く間にその知名度は増していった。
俺は鼻が高かった。
そんな彼女を見つけ出したということに。
そんな彼女の傍にいられるということに。
その頃の彼女との間柄は友好だったかに思う。
酒を誘うこともあったし、誘われることもあった。
交友を重ね、彼女を知れば知るほど、彼女に惹かれていった。
彼女と共にいられる時間はとても幸せで、当時はそれさえあれば他は何もいらなかった。
アイドルとプロデューサーとの垣根を何度越えたいと思ったかわからない。
それでも俺と彼女はプロデューサーとアイドルだ。
超えることなど許されない。
代わりにと、俺は彼女を必ずトップアイドルに導くと、約束した。
彼女もそれに、自分も必ずトップアイドルになる、と約束してくれた。
幸せだった。本当に。
思えば、その頃が幸せの絶頂であったと思う。
その幸せが永遠に、永遠に続けばいいと願っていたのに。
やがて、彼女は本格的に売れ始めた。様々なメディアの露出が増えていき、まさに引っ張りだこ、という状態だった。
それと同時に彼女の働きを評価された俺は、彼女だけでなく、ほかのアイドル達のプロデュースも任されるようになっていた。
当然、俺も彼女も仕事に追われるようになり、互いの時間を持つことができなくなっていった。
週に一度でも顔を合わせられれば運がいいといえる程に。
それでも俺は彼女を支えたい、彼女との時間を作りたいという一心で仕事を消化していった。
エクセルの一文字を打つことが彼女の助けになる。彼女との時間が増える、と一心不乱と働いた。
ほかのアイドル達が俺が必要ないようにとセルフプロデュースの術を身につけさせていった。
まさにそれは、身を削るという言葉そのものだった。
睡眠時間も十分に取れなくなり、疲労は段々と蓄積していく。
それでも、俺は辛いと思ったことがなかった。
それほどまでに彼女の為になりたかったから。
彼女の傍にいたかったから。
彼女を想っていたから。
愛していたから。
だが、そんな生活も長く続かなかった。
少ない睡眠時間、蓄積する疲労、膨大な仕事、他のアイドル達のミス、彼女に会えない時間。
それらについに俺の体が悲鳴をあげてしまった。
会社の中で俺は意識を失い、倒れてしまったのだ。
原因は当然過労。
俺は入院を余儀なくされた。
そのことは当然、彼女の耳に届いていた。
入院して2日目、彼女は自分が忙しいにもかかわらず、俺に会いにきてくれた。
前回会ってから一月以上たっていたかと思う。
彼女と会えたのは、心の底から嬉しかったが
こんなところで顔を合わせてしまったこと。
そして、彼女も疲れているというのに、自分だけ倒れてしまったことが、酷く情けなく思えてしまった。
そのときの俺は思うように笑えていなかったと思う。
どうして俺は、ちゃんと笑えなかったんだ。
入院期間は5日と短いものだった。
しかし、そのたった5日で俺と彼女の運命は決まってしまっていた。
病院を退院し、倒れた分を取り返せねばと出社したとき、俺を待っていたのは
部長の高垣楓のプロデュースの任を解く、という言葉だった。
目の前が真っ白になった。どうしてという言葉が頭の中を埋め尽くした。
気づかぬうちに俺は部長に詰め寄って、なぜと叫んでいた。
部長は俺と彼女を引き裂く理由を話していたが、よく覚えていない。
ただ、唯一覚えているのは。
彼女に、高垣楓に別のプロデューサーを付け、その任に俺がもう付くことはない。ということだった。
どうして俺はあの時倒れてしまったのかと、未だに自分を責めている。
倒れなけば、平気と仕事をしていればと、悔やまない日はない。
どうして、俺は倒れてしまったのだ。
どうして……。
それから俺はどん底まで堕ちていった。
営業成績は急落し、書類の作成もままならず
他のアイドル達のプロデュースもおろそかになって行った。
築き上げた会社、得意先、アイドル達の信用も崩れ去っていった。
それに比べて、彼女はどんどんと先へ進んでいった。
大きな会場でのソロライブもこなし、レギュラー番組の司会も努めるようになっていった。
そんな彼女の功績に対し、後任が持て囃される。
やつは大したことはしていないのに、ほぼ、彼女のセルフプロデュースで成り立っているというのに。
それなのに、どこの馬とも知れないやつが皆から認められる。
俺が見つけてきたのに、俺が彼女と一緒に歩んできたのに。
それが酷く不快だった。
しかし、それ以上に、彼女は俺から離れたというのに、以前とまったく変わらないということに酷く悲しくなった。
そして遂に俺は、詐欺まがいの仕事を契約をし、会社に多大な損害を与えてしまう。
しかし、俺はそれらに何の思いも持たなかった。
もう、何もかもどうでも良くなってしまっていた。
やがて、俺は会社を首になった。
会社を辞めることに悔いはなかったが
彼女をトップアイドルに導くという約束を果たせなかったことを、酷く悔やんだ。
そして現在。会社を辞めてから3ヶ月くらいたっただろうか。
俺は誰もいない実家で引きこもっていた。
毎日ただただテレビを眺め、眠る。そんな生活を送っている。
テレビを眺める理由はただ一つ。
彼女のトップアイドルになった姿をその目に納めるためだ。
それさえできれば、もう俺に後悔はなかった。
俺は彼女がトップになるのは近いうちだと確信していた。
そしてその確信通り、その時はすぐにやって来た。
年に一度のアイドルランク発表の日。
テレビではその様子が放送されていた。
10位から順に名前が発表されていく。
俺は妙な安心感の中、それただ呆然と眺めていた。
そして遂に、一位の名前が発表された。
当然名前は高垣楓。
発表と同時に彼女が控えから顔を出す。
テレビの向こうの彼女は満面の笑みを浮かべると同時に、喜びに涙を流していた。
その姿をみて、俺は心の底からの喜びをかみ締めた。
「おめでとう、楓さん」
これで、後悔はもう何もない。
これが俺のすべてだったのだから。
了