1 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:00:20.95 1aTlkDcE0 1/26




速水奏「ねぇ、Pさん」

「私、待ってるから」

(そう言ったのはほんの5時間くらい前のことで)


---


――事務所

千川ちひろ「じゃあ、本当に、帰ってしまって大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。こちらこそ、我がまま言ってしまってごめんなさい」

ちひろ「それはいいですけど……帰りはちゃんと送ってもらうか、タクシーでも大丈夫ですので」

「ええ。ひとりでは帰らないようにしますから」

ちひろ「というかプロデューサーさん、ちゃんと帰ってくるか聞いています?」

「一応、連絡はしているので…… ちゃんとお祝いしてもらわないといけないもの」

ちひろ「それはまあ、そうかもですが……」


元スレ
速水奏「眠り姫には口づけを」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1656684020/

2 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:01:55.97 1aTlkDcE0 2/26


ちひろ「奏さんなら、お友達に囲まれて過ごすかと思っていました」

「誕生日が18回もあれば、一人で過ごす回があってもいいかなって思ったの」

ちひろ「そういうのは、20回以降でいいんですよ」

「なるほど……それじゃあ私、ちょっと背伸びしているのかもしれないわね」

ちひろ「それは少し違うような……」

「ふふっ…… それにほら、この方がふたりきりになった時に、気分に浸れそうでしょう?」

ちひろ「……個々人の気持ちには口出ししないですが……男の人をあまりからかいすぎないでくださいね」

ちひろ「奏さんはその傾向が強いですから。度を過ぎるとPさんでも……なんてことがあるかもしれませんよ」

ちひろ「そうかしら? ふふ、そうかも」

3 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:02:26.73 1aTlkDcE0 3/26


「もしかして、心配されています?」

ちひろ「それはそうですよ。売れっ子アイドルとプロデューサーのスキャンダルとか、想像するだけでも恐ろしいんですから」

「ふぅん。それもありかしら、なんて思っていたけど……」

ちひろ「勘弁してください、お願いですから~……」

「ふふ。そこまで言われたら、無碍にはできないわね」

「でも…… 本当にそう言うことする子だって、思われているのかしら?」

ちひろ「そんなことは…… でも、万が一ということも」

「無いと思うわ。だって、そこまでの度胸は無いもの」

ちひろ「……プロデューサーさんが?」

「いいえ、私が」

ちひろ「あら、まあ」

「?」

ちひろ「いえ。思ったより……ご自身を冷静に見ているなと」

「そうね…… 少し前まではそんな余裕もなかったけど」

「ここ最近は、ポーズで塗り固めなくてもいいんだなって、思うようになったかもしれないわ」

4 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:03:02.23 1aTlkDcE0 4/26


ちひろ「それを聴いて、少し安心しました」

「そう? なら良かった」

ちひろ「釘は刺しておいたので、あとはもうお任せします」

ちひろ「では奏さん、ごゆっくり」

「ええ。ちひろさんも、お気を付けて。お疲れさまです」

ちひろ「お疲れさまです」

パタン

「……」

(さて)

5 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:03:32.90 1aTlkDcE0 5/26


(改めて、この部屋はしばらく私の空間になる)

「独り暮らししたら、こんな感じなのかしら」

(仕事のデスクに、ソファ、ローテーブル。窓のブラインドはもう降りていて)

(テレビもあるけど、今日の映画は何をやっていたかな)

「……」

(待っている)

(そう言ったのはほんの5時間くらい前のこと)

(今日は学校へ行って、いつも通り過ごして)

(学校でも、ファンだという下級生から贈り物を貰ったりして)

(学校が終わってからは、美嘉の生配信ラジオのゲストに呼ばれ、誕生日を祝われた)

『今日はこのあと、友達に祝ってもらう予定よ』

(なんて、喋って)

「……あーあ」

(嘘をついて、こんな時間を過ごして)

(いつの間にこんなに、悪い子になっちゃったのかしら)

(全部あの人のせいにできたらいいのに)

「なんてね」

6 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:04:02.14 1aTlkDcE0 6/26


「それでは」

ピッ

(あの人が帰ってくるまで)

(独りきりの映画鑑賞と洒落こみましょう)

「ああ、このシリーズね」

---

ジャーン

「……」

(エンドロールまで2時間)

(長かったような、あっという間だったような)

(エンターテイメントに振った作品だから、ようよう間が持ったようなもので)

(フランス映画だったら詰んでいたかしら)

チラ

「11時、5分」

(……)

「ふぅ」

7 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:04:29.98 1aTlkDcE0 7/26


(嘘をついてまでして得た時間だったけど)

(あの人はまだ帰っていない)

(メッセージアプリの画面は動かない)

(遅くなるという連絡は、ちひろさんが帰る前にきたけど)

(私はそれに、はい、とだけ答えて……メッセージには、既読がついているだけ)

(だから、Pさんと連絡しているっていうのは嘘じゃない)

(けれど、Pさんが事務所に帰ってくるというか確証も無い)

「……」

(あの人は、直帰するかしら)

(でも言ったものね)

(待っているって)

8 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:05:04.19 1aTlkDcE0 8/26


(家族でも友達でもない)

(独りの時間が一番長い、誕生日)

(大人になると増えるのかしら)

(SNSアプリは、と……)

「わ…… ふふっ」

(ネットを見れば、今日だけは主役になったような騒ぎで、私を祝う声はどこまでも尽きることない)

(アイドルをやっていなければ、こんな人数に祝われることもなかっただろう)

(そして、あの人に出会うこともなく、ましてや)

「……」

(あの人に祝ってほしいという、ささやかな願いも持つことは無かった)

9 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:05:33.02 1aTlkDcE0 9/26


(時刻の表示は遅々として進まず)

「ふぁ ぁ……」

(コーヒーでも飲むかな……)

(サンタクロースを待つような心持ちとは裏腹に)

(ソファに深く腰掛けると、一日の疲労が覆いかぶさってくる)

「……」

(ああ、瞼が重い)

(だめ、起きていたいのに)

(私の意地は)

(微睡みに融けていく)



---



「……」

「……ん……」

10 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:06:03.05 1aTlkDcE0 10/26


「あ……」

(……何時……?)

(0時、15分)

「……」

「はぁ……」

「帰ってきていたなら、起こしてくれたらよかったのに」

モバP(以下P)「うん。……おはよう」

(変わらない声。変わらない姿で。その人は向かいのソファに座っていた)

「すまない、結構しっかり寝ていたみたいだから…… 眠り姫を起こすのは忍びないなって」

「あら。眠り姫は、キスで起きるものなのに」

11 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:06:32.27 1aTlkDcE0 11/26


「ゆっくり休んでもらうために、起こして帰しても良かったんだけれど」

「けれど?」

「寝顔を見ていたかったって言ったら、怒るかな」

「それは、怒れないわね」

「はは……本当は、ちょっと違う」

「……」

「この部屋で、奏が待っていたから」

「寝ながら、俺を待っていた。なんか……起こせなかった」

「そう。……ちょっと、分かるかも」

「遅くなってすまない」

「仕事だもの。仕方ないでしょう」

「間に合わなかったな」

「でも、来てくれた」

「……」

「私が帰っているかもって、思わなかった?」

12 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:07:00.93 1aTlkDcE0 12/26


「あんな電話貰ったら……メッセージでも、帰っている気がしなかったから」

「じゃあ、待っているんだろうなって」


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


prrrrr

「はい、お疲れさまです…… ああ、奏か」

『お疲れさま。これからラジオのゲスト……うん、いま移動中』

「わかった。特に問題なければ、連絡はいいよ」

『分かったわ。……ねぇ、今日は……』

『会えるかしら』

「今日か……? このあと、地上波の企画会議で出席する必要があってな」

「局で長時間になりそうだから、正直かなり遅いんだ」

『そう……』

「だからいま言っておくよ、奏。誕……」

『言わないで』

「え?」

『それは、会った時に聞きたいの』

「……」

13 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:07:35.29 1aTlkDcE0 13/26


「そうか……じゃあ」

『ねぇ、Pさん』

『私、待ってるから』

「え?」

『待ってる。事務所で』

『Pさんが戻ってくるの』


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


「……電話口だけで済まされるなんて、嫌だったから」

「うん。……最近はそういうの、素直に口にするようになったよなぁ」

「前の方が良かった?」

「そうだなぁ。……どっちでも変わらないんじゃないか」

「そうなの?」

「どっちでも、俺を困らせるのには変わりない」

「そうね、そうかも」

「でも、口にしてくれる分、安心できる」

「そう…… じゃあ、少しはいい方向に成長できているのかしらね」


14 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:08:06.61 1aTlkDcE0 14/26

「だろうな」

「奏のことだからそんなに心配はしていないんだけど……ご両親にはどう説明してあるんだ?」

「友達の家でパーティー」

「言い訳でよくあるやつ」

「そうね。もしバレても構わないって思っていたし」

「それで男と密会は、バレたら困るな」

「そこはあなた次第かしら」

「……ねぇ」

「ん? ……ああ、遅くなっちゃったな」

「誕生日おめでとう」

「ありがとう」

「ね。何か用意していただけたのかしら」

15 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:08:35.35 1aTlkDcE0 15/26


「あれ……ちひろさん、渡してなかったのか」

「ちひろさん?」

「渡すものだけはって思って、預けておいたんだけどな……えーっと……」

「……」

「……あの人も、良い性格してるわ……」

「え?」

「ううん、なんでも」

「あ…… 先に、事務所に届いたファンレターとプレゼント」

「あら」

「目は通してあるから、それらは持って帰って大丈夫」

「ふぅん」

ガサガサ

「あ…… ふふ、女性のファンも多くなったわね」

「ね、手紙にキスマークまで」

「あー、あったな」ゴソゴソ

「映画のディスクはまぁ嬉しいけど……サメが多いのは何故」

16 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:09:01.57 1aTlkDcE0 16/26


「ちひろさん、どこに置いたんだ……うーん、と…… これだ」

「あった?」

「ああ」

コト

「どうぞ」

「ありがとう。開けても?」

「うん」

ガサッ

「……」

「少しは考えたんだけど……それにした」

「……香水」

「……」

「ねぇ。独占欲の意味があるの、御存じ?」

「知ってる」

「!」

「そういう意味じゃないと断ったうえで」

「……?」

「それが似合う女になってほしい」

17 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:09:29.10 1aTlkDcE0 17/26


「……」

「酷いこと言うのね。これもプロデュースの一環ってこと?」

「拗ねないでくれよ。10割仕事ってつもりもない」

「仕事している間柄だからこその、個人的な……」

「……最初のファンからの、プレゼントってことで受け取ってほしい」

「……」

「個人的な、ね」

「ああ。……まあ、奏のファン、香水とかコスメとか贈ってくれるから、事欠かないとは思うけど」

「そういうことも全部考えて、それでもやっぱり、これにした」

「そう……」

「わかった」

「受け取るわ、Pさん。ありがとう」

「どういたしまして」

18 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:09:56.74 1aTlkDcE0 18/26


「ねぇ」

「香水、付けてくださらない?」

「……まぁ」

「それくらいいいか。誕生日だし」

「ええ。もう終わってしまった誕生日だもの」

「これくらいの埋め合わせは、ね」

「ああ」

カチャ

「どこに付けるのがお好き?」

「手首か、首筋か。それとも胸?」

「霧吹きならもう少し気軽に吹けるんだけどな…… 手に出して」

チャパ

「触れるよ」

ピタ

「んっ」

「耳の後ろは強く香るから、少しでいい」

19 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:10:25.15 1aTlkDcE0 19/26


「どうだ?」

「……」

「……この香り」

「どう感じて、どう考えてみても」

「高校生の私がつけるには早すぎるわね」

「この香りが、あなたの理想の女性?」

「それを訊かれると、少し困るな」

「そうね。困らせてるかも」

「……理想のアイドルだ」

「いつかなれる、君のアイドル像」

「……」

「でも、速水奏はそのままでいい」

「高校生とは思えないほど大人びて見えて、背伸びをして」

「最近は相応にはしゃいでみせたりして」

「奏はそのまま、君の望む自分になっていい」

「それが俺の理想の、速水奏だ」

「その時にもしこの香水が似合っていたら、嬉しいだろうけどな」

20 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:10:55.73 1aTlkDcE0 20/26


「う……」

「……うん?」

「……愛の告白よりも緊張する言葉を貰った気分よ」

「遅れた分の埋め合わせにはなったかな」

「そうね…… ……愛の告白の方は、くれないの?」

「勘弁してくれよ」

「ふふっ……わかった。それはとって置いてもらうわ」

「在庫あるかもわからないぞ」

「そう?」

「ああ」

「ふふ…… でも、いつかは答えてくれるわ」

「いつか?」

「そう。ねぇ、Pさん」

21 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:11:23.74 1aTlkDcE0 21/26


「私もあなたを待ったのだから、あなたも待っていてね」

「この香りが似合う女になってみせるまで」

「……俺が待たせたのは、数時間だった気がするけど……」

「まぁ」

「待っているよ。何年でも」

「その時は、次こそ起こしてくれる?」

「それは……キスで?」

「だって、この香水が似合う女になっているんだもの」

「答えてくれるでしょう?」

ギシッ

「お、おい……」

22 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:12:07.82 1aTlkDcE0 22/26


 (Pさんの膝に正面から、腰を落として向かい合わせに座ると)

 (私の方が顔の位置が高くなる)

「ね?」

「……参ったな」

(あなたは少し俯いて 笑うように息を吐いた)

「ああ」

「分かった」

 (それがくすぐったくて)

ギュッ

「香水、ちゃんと嗅げる?」

「……少し、付け過ぎた」

「ふふっ」

 (私も笑ってごまかした)

23 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:13:05.24 1aTlkDcE0 23/26


「さて、この後はどうしようかしら」

「うん? 奏を家に送って……」

「あら、ダメよ。私いま、友達の家でパーティーしているんだから」

「……ん? あ、泊まりって言ってあるのか!」

「ええ」

「……あー……こっちを心配するべきだったか……」

「どうしたもんか……」

「どうしましょう。どこに連れていってくれるの?」

「……深夜なら、カラオケも映画館もダメじゃないか……」

「じゃあ、Pさんの家とか?」

「あまり魅力的な提案はしないでくれ」

24 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:13:32.23 1aTlkDcE0 24/26


「じゃあ、あなたの魅力的な提案は、どんなの?」

「……」

「……そうだな……」

「……」

「少し寝よう」

「え? ……寝るの?」

「ああ。それで、夜明けの海を見に行こう」

「!」

「どこかでモーニングを取って、そしたら奏を家に送る」

「どうだ?」

「……うん。それは魅力的ね。ところで」

「このまま寝ていいのかしら?」

ギュゥ

「俺が寝られないからやめて」

25 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:13:59.28 1aTlkDcE0 25/26


「ねぇ、Pさん」

「ん?」

「眠り姫のお話ね」

「え? ああ」

「キスで起こしてくれるのは素敵だと思うし、いずれ叶って欲しいと思うけど……」

「やっぱり私ね」

「シンデレラがいい」

「……」

「眠り姫には口づけを。シンデレラには?」

「ガラスの靴を」

「……お願いしたら、届けてくれる?」

「……ああ」

「履かせにいくよ」

「うん」

「ありがとう」

「……我がままを言うなら……」

「今日だけは」

「12時過ぎても解けない魔法がいいわ」






おわり




26 : ◆WO7BVrJPw2 - 2022/07/01 23:14:37.10 1aTlkDcE0 26/26




お読み頂きありがとうございました。
4年ほど、毎年誕生日に書いていたので、今回は間に合わなかった誕生日を書いてみたくなりました。
結果甘さ2割増しくらいになった気がします。
奏、誕生日おめでとう。



過去の奏SSです。よろしければどうぞ。

速水奏「はー……」モバP「はー……」
https://ayamevip.com/archives/53893754.html

速水奏「とびきりの、キスをあげる」
https://ayamevip.com/archives/53910133.html

速水奏「特別な、プレゼント」
https://ayamevip.com/archives/53955111.html

速水奏「今年のチョコが、渡せない」
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速水奏「恋愛映画は苦手」
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速水奏「月の丘の裏側まで」
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速水奏「ずるいひと」
https://ayamevip.com/archives/55568204.html

速水奏「練習はキスシーンの後で」
https://ayamevip.com/archives/55883848.html

速水奏は癒したい
https://ayamevip.com/archives/56334984.html

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