1 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 02:32:18.92 YyqW8Vz30 1/37

「ほぉら、は、や、く」

「……」

「そう、ちゃんと握って……」

「……」

「当てがって、ゆっくり引いて……」

「……」

「さあ!」

「……っ」スッ

「あ……あは、あはは!ほんとに切ってる!手首、切っちゃってる!」

「うっ……くそ、これで満足かよ……」

「んふっ、血、たくさん出てるよ……舐めてあげる」ぺろぺろ

「お、おいよせ……っ」

「ほら、早く止血しないと……ふふっ」



元スレ
妹「ふふっ、ほら、あたしの前でシて見せてよ……」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1332264738/

8 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 02:47:29.57 YyqW8Vz30 2/37

「事の発端は、遡ること1ヶ月前」

「妹が今まさに手首を切らんとしている現場に、俺は出くわしてしまった」

「俺は当然止めた。妹の、剃刀を持った左手(彼女は左利きなのだ)を掴んだが、直ぐに振り払われてしまった」

「暴れる妹を押さえつけようとするうち、妹の振り回した剃刀は俺の手首に」

「妹ははっとしたようで、剃刀を取り落とした。俺は、その隙に剃刀を取り上げた」

「へたり込んだ妹は、そのまましばらく黙っていたのだが、ふと俺を見やり、傷は痛まないかと訊いてきた」

「傷はじっさい浅かった。俺は、このくらい何とも無いと言ったが、妹の目は俺の右手首の傷を見据えていた」


9 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 02:59:35.58 YyqW8Vz30 3/37

「妹は、俺の腕を取った。俺は妹の一挙手一投足に注目したが……あろう事か、妹は俺の、もう乾いてしまった傷口を舐め出した」

「俺は言葉も出なかった。気持ち悪いとさえ思った」

「舐められる度、傷口はくすぐったく、また、ぴりりと痛んだ。傷口を舐められている間、俺は押し黙ったまま、妹のなすがままにされていた」

「ようやく妹は傷口から口を離し、手首を掴んだまま、顔を上げた」

「そして、えへへ、と笑った」

「俺はぞっとした。屈託なく笑う妹は、
とても美しかった。口元には薄っすら血がついていて、妹の白い顔とあいまってまるで……」

「直後、妹は笑みを消すと、俺の腕を乱暴に離し、口元を袖でこれも乱暴に拭った」

「それから妹は、何で止めたんだと俺をなじった」

「俺は、手首を切るなんて駄目だ、そんな事はしてはいけない、と至極真っ当な事を言って諭した」


12 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 03:08:44.15 YyqW8Vz30 4/37

「妹は、何度止めても無駄だ、絶対に手首を切る、と言って聞かなかった」

「俺と妹はしばらく問答を続けたが、終に妹は折れなかった。しかし、妹はある条件を出してきた」

「それは、妹がリストカットしたくなったとき、自分はしない代わりに、妹の目の前で俺がリストカットする、というものだ」

「馬鹿げている!」

「しかし、頑として折れない妹を見ているうち、だんだんそれでもいいような気もしてきた」

「そう、これは我が身と妹の身、どちらを差し出すかという話だ」

「俺は、妹のリストカットを止めてしまった。その時から、もう決まっていた事だったのだ……」

「あるいは、妹が俺の傷口を舐めた時から……」


13 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 03:28:06.09 YyqW8Vz30 5/37

---

「おい、朝だぞ」

「ん……」

「飯出来てるから」

「……何で勝手に入ってきてるわけ」

「お前が起きないからだよ」

「ふぅん。ねぇ、あたしの寝姿見て、興奮した?」

「そんな事より寝癖がついてる……?」

「お兄ちゃんの手って綺麗だよね。特に薬指なんてたまんないね」

「……おい離せ」

「……んっ」

(妹は俺の薬指を口に含んだ。そのまま、しばらく舐めていた)

(しかし、次の瞬間、妹は犬歯を立てたかと思うと)


14 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 03:28:48.69 YyqW8Vz30 6/37

「痛っ」

「……んふふ」

「お前なぁ……」

「んっ……じゅる、ぷはぁ。ごちそうさま」

「……」

「ご飯は要らない。シャワー浴びてくるね。お兄ちゃんは先に行ってて良いよ」

「……何なんだよ」

(薬指は、酷く痛んだ)


15 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 03:42:43.87 YyqW8Vz30 7/37

「妹は学校でいじめられているわけではないらしい」

「部の後輩が妹と同じクラスだったので訊いてみたが、そのような事は無いと言っていた」

「また、妹さん可愛いですよね、とも言っていたので、無視した」

「ただ、妹はクラスに馴染めていないようだった。友達もいないみたいだ」

「昔から陰気な奴だったが、はっと息を飲むような美人だった」

「妹のやる事なす事は絵になる」

「その美しさは快活なものではなく、むしろ寒色の、物哀しい美しさだ」

「何かいけないものを目にしてしまったような……直視してはいけないけれど、でも見たくなる、そのような感触がある」

「妹に友達が出来ないのは当然の事のように思えた」


17 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 03:58:16.23 YyqW8Vz30 8/37

---

「おい、×××」

「!」

(しん、と妹のクラスは静まり返った。放課後だったが、クラスには半分ほどの生徒が残っていた)

(妹は日直だったのだろうか、日誌に向かっていた)

(声をかけて、一緒に帰ろうと思った)

(ここのところ、妹はどうにも危なげだ。目を離した隙に消えてしまうような、そんな……)

(妹は日誌をぱたんと閉じて教卓に置くと、カバンを持って近寄ってきた)

「……」ぎゅっ

「……帰ろうか」

「……うん」

(教室内を見渡すと、皆こちらに注目しているようだった)

(会釈をして教室を出た)


19 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 04:10:33.45 YyqW8Vz30 9/37

「……何で迎えに来たの?」

「何となくだ」

「何となく……」

「ああ、何となく」

「……ふふ、そっか」

(そう言って俺の腕に抱きついてきた妹は、俯いていて、表情は伺えなかった)

(しかし、たぶん、笑っていた)

「帰ったら、話があるの」

(……今朝噛まれた薬指が、熱を持った気がした)


21 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 04:18:59.59 YyqW8Vz30 10/37

「昨日の傷口、見せて」

「……ああ」はらり

「……うわぁっ」

(初めて傷の出来た日から一ヶ月、傷は5つに増えていた)

(昨日の傷は癒えていなかった。とうぜん血は止まっていたが)

「……んっ、ちゅっ」

「……!」ぞくっ

「んん……ふふっ、んっ」

「……」

(妹がリストカットをしたくなったら、代わりに俺が手首を切り、その様を妹が見る)

(傷口を、妹は舐めたがった。俺はそれを拒む事はなかった。そうするのは自然なことのように思えた)

「んっ、ぷはぁ……」

(ただ、気持ち悪いと思った)

(美しい妹が、傷口を舐める姿も)

(俺がそれを受け入れている事も!)


23 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 04:28:01.26 YyqW8Vz30 11/37

「こんな事を言うのも何だが、俺と妹は情愛の関係ではなかった」

「まあ、傷口を舐めり、舐められる行為は肉体的な関係と言えない事もないが……」

「ではこの関係は何なのか?」

「俺は、妹に傷をつけまいと、自らの体を差し出した」

「妹は、その傷口を舐める」

「俺は妹に何を与え、妹は俺に何を与えているのだろう?」

「そこに邪なものはないようにも思える。ただ、行為があり、それをお互い受け取っている」

「だから、深く考えるべきではなかったし、何を与えて、与えられているかに気づくべきではなかった」


26 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 05:39:13.12 YyqW8Vz30 12/37

「俺と妹は、もともとそこまで仲良くはなかったし、会話もあまりなかった」

「物心ついたときからそうだった」

「しかし、このところその関係にも変化が訪れている」

「それはたぶん、リストカットを止めたあの日からだろう」

「あの日に、俺は罪を負ったのではないか?」

「だとしたら、その罰とは、傷を作る(!)事だろうか?」

「あるいは……」


28 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 06:18:48.90 YyqW8Vz30 13/37

---

「んん……そろそろ寝るか」

「まだ11時か」

ガチャ

「?」

「お兄ちゃん、ちょっといい?」

「……どうした? 手短に頼むよ、もう寝ようと思っていたし」

「つれないなぁ」

(そう言いながら、妹はベッドに寝転がり、靴下を脱いだ)

(妹の足が、ベッドに投げ出された)

「何してるんだ?」

「……ねえ、一緒に寝てもいいかな」

「……」

(……綺麗な足だと思った)


29 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 06:27:46.88 YyqW8Vz30 14/37

「……ここ最近のお前は変だ」

「そうかな、そうでもないと思うな。どこが変だと思うの?」

「……」

(全部変だ。手首を切ろうとするのも変といえば変だが、むしろそれはいい)

(俺に手首を切らせるのも変だし、急に馴れ馴れしくしてくるのも変だ)

(しかし……しかし、それを受け入れてしまっている俺も変だ)

「まあいい。とにかく、お前は自分の部屋で寝ろ」

「あたしの事、嫌いになったの?」

「……そうじゃないさ」

「じゃあ一緒に寝て……あはっ、もしかしてお兄ちゃん、あたしが怖いの?」

「何を……」

「急に"病気"づいちゃった妹に、何かされるのが怖いんでしょ? でもそれ以上に、自分がそれを受け入れてしまいそうで、それが怖いんだ。受け入れたら、自分もそうなっちゃったら、そうなっちゃうから、だから怖いんだよね」

「……」


30 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 06:33:44.95 YyqW8Vz30 15/37

「あはは、はぁ……でも大丈夫。何も起こらないよ。何も起こらない」

「……好きにしろよ」

「良かった。お兄ちゃん」

「何だ」

「大好きだよ」

「そうか」

「大好きだよ」

「……そうか」

「じゃあ、寝よ?」

「……そうだな」

(何も起こらない……)

(妹は何もわかっていない。何か起こるのが怖いわけじゃない)

(俺は、俺の中でこの1ヶ月育ち続けてきたとある感傷に気付くのが怖かった)

(つまり、妹によって、何かが起こるのならまだいい。それは妹のせいにできるからだ)

(何も起こらない事によって、何か起こるのを期待している自分に気付くのが、ただ怖かった)


40 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 08:59:17.22 YyqW8Vz30 16/37

「……まだ起きてる?」

「……ああ」

「手首、痛い?」

「……別に」

「痛いよね」

「……」

「痛いよね。でも、その痛みは、必要な痛みなんだよ」

「……」

「あたしの事好き?」

「……」

(俺の手首の痛みは、妹が望んだからだ)

(しかし同時に、この痛みを手放したら、俺は、俺達は終わりだと思った)

(この痛みは、無償の愛だ)

(……無償ではない)

(しかし、惜しみなく与う愛ではあった)


42 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 09:05:13.96 YyqW8Vz30 17/37

「……手首、出して」

「……」

「……切ってみせて。あたしの前で」

(俺は無言で従った。午前0時半の事だった)

「……っ、はぁ、はぁ……」

「ああっ……血が流れてる」

「そう、だな……」

(これは二人の行為である!)

「あ、シーツに垂れちゃった……もったいない」

(妹は、ベッドのシーツに垂れた血をちゅうちゅう吸った)

(それから、俺の新しい傷口に口をつけた)

「んむ……んんっ……」

「うっ……」

「ん……」


43 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 09:14:23.15 YyqW8Vz30 18/37

「っく……」

「……ぷは、痛い?」

「あ、ああ、痛いよ……」

「……嫌だ? こんな事、したくない、って思う?」

「……」

「思わないよね、だってあたしの事好きだもんね。あたしに『される』の、好きだもんね」

「……」

「お兄ちゃんは、自分の身を、何の見返りもなくあたしに差し出すような人じゃないもんね。兄妹だからよくわかるよ。お兄ちゃんも、受け取ってるんでしょ?」

「……」

「だから、もっと差し出してよ。あたしももっとあげる。いくらでもあげるよ。だって兄妹だもんね。それが自然なんだよ。すごく、すごく自然なんだよ……」

(俺は何も言えなかった。月の見えない、暗がりの深い夜だった)


44 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 09:17:50.52 YyqW8Vz30 19/37

(デスクライトに照らされた妹の顔はいやに白く、口元には血が付いている)

(ああ、これは、俺の血だ、俺の体液だ)

(俺は何も言えなかった。妹は優しい目をしていた)

(妹の唇に指をそっと触れると、妹は静かに目を瞑った。俺は妹の口元の血を指で拭った)

(それから、指についた血を舐めると、鉄の味がした)

(妹は、俺の新しい傷口に消毒液を吹きかけ、ガーゼを貼り、包帯を巻いた)

「好きだよ、お兄ちゃん……」

「……俺は」

「うん?」

(俺も妹を愛している)

(これは、情愛よりも浅く、むしろ寒色の、物哀しい愛だ)

「……もう寝るよ」

「そうだね」

「おやすみ」

「おやすみ、お兄ちゃん」


49 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 10:06:30.33 YyqW8Vz30 20/37

---

「それから、いくたびも俺は手首を切り続けた」

「それから、いくたびも妹は俺の手首を舐め続けた」

「まず、手首に消毒液を塗ったガーゼを擦りつける」

「その後、煮沸した剃刀をあて、横に引く」

「動脈めがけて思い切り縦に引く(刺す)と出血の勢いは凄まじく、おそらく死ぬだろう。それはリストカットではなく自殺だ。俺は(妹は)自殺したいわけではなかった」

「重要なのは痛みを感じる事だ。そして、さらりと血液が流れること」

「リストカットは生へと向かう衝動だった」

「生を感じる事で、俺と妹は繋がっていた」

「これは、ある意味性行為である」


50 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 10:10:22.21 YyqW8Vz30 21/37

「この奇妙な蜜月(?)はしばらく続いた」

「そうして、おおよそ1年が経った」


51 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 10:17:38.36 YyqW8Vz30 22/37

---

「妹は、学校以外ではほとんど外に出たがらなかったが、それでもたまに二人で散歩をした」

「家の近所の川沿いを歩く間、妹は俯いたまま、俺の手首を柔らかく掴んでいた」

「ふと妹が立ち止まり、土手の斜面をじっと見つめた。男女が一組座り、仲良さそうにしているのが見えた」

「妹はため息をついた。俺も同じ気持ちだった」

「ああ!」

「あのような普遍の幸福を、俺も妹も知らずに、一生を終える気がした」


52 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 10:20:44.52 YyqW8Vz30 23/37

「楽しそうだね」

「そうだな」

「でもね、意味がないんだよ」

「……」

「意味がないの。本当だよ」

「……そうだな」

「見て、あの男の子。手首。傷がない」

「……」

「何も残してないんだ。可哀想に」

「……そうかな」

(妹は俺の目をじっと見つめた。長いまつげが二度揺れた)

(それから薄い笑みを浮かべてみせた)

「帰ろう」

「そうだな」


65 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 12:10:25.04 YyqW8Vz30 24/37

---

「日々には、いつか終わりが来るはずだ」

「終わりが来ても傷は残る……それが愛なのか?」

「そんな単純な話なのか?」

「下世話な例えだが、キスマークと一緒だ。情事の証、ただの痕跡」

「もっと言えば、犬のマーキング」

「そんな事のために俺は、痛みを差し出しているのか?」

「……そう考えた途端、急に手首が痛み始めた気がした」

「俺は何をしているのだろう。妹は、俺に何をさせていた?」

「俺は妹を愛していたのか?」

「受動的な自虐に酔っていた?」

「ああ!」


72 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 13:08:38.89 YyqW8Vz30 25/37

「……もうやめよう」

「……どうして? あたしの事、嫌いになった?」

「……そうじゃない。こんな行為には終わりがない事に気づいたんだ」

「終わらないよ。これが終わる時は、二人が死ぬ時」

「死?」

(突然、全てが陳腐に思えた。死という言葉は一番出してはいけない言葉だった)

(俺達は、もっと深い部分の愛を交換していたはずなのに)

(それが取るに足らない、「死」という言葉によって、表に引き摺り出され、笑いものにされているような気がした)

(俺はひどく狼狽してしまった)


73 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 13:10:15.39 YyqW8Vz30 26/37

「それは……ああ、死……その程度の……」

(妹も、言ってはいけないことを口にしたというのがわかったらしく、口をつむぎ、俯いた)

(俺は妹の頭を撫ぜようと手を伸ばしたが、その行為はさらに陳腐であった)

(手を伸ばしかけてやめたので、妹は顔を上げ、俺の目を見た)

「……うん、そうだよね。もう終わりにしなくちゃね。こんなの、良くないもんね」

「……」

「お兄ちゃんと私は、どこまで行ってもお兄ちゃんだもんね。だから終わらないし、終わらせないと終わらないよね」

「……」

「ごめんね、お兄ちゃん、ごめんね……」


75 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 13:31:32.15 YyqW8Vz30 27/37

---

「それから、俺達は急速に離れていった」

「もう手首に傷が付くこともないし、また、妹が傷口を舐める事はない」

「どこまで無益で、ぐるぐると回り続ける愛があり、それが終わった」

「だけれど、終わりから1ヶ月たって最後の傷が癒えても、何だか手首は痛む気がした」

「完全に閉じて乾いた傷口が、何故だかじくじくと痛む気がして、自分で傷口を舐めてみるが、そこに感傷はなく、塩辛い汗の味がするだけだった」

「嫌な痛みだと思った」

「あの日々の痛みとは違う、硬質の痛みだ」


79 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 13:52:05.19 YyqW8Vz30 28/37

「もしかしたら、妹は自分の手首を切りつけるのではないか、という懸念はあったが、それは杞憂だった。1ヶ月経ってもまるでその徴候はまるでなかった」

「ただ、以前にもまして妹は色白になった気がした。妹の存在は、儚く、希薄になっていくように思えた」

「俺の血を舐めた時の、まるで蜂蜜を舐めたような(甘さに顔をしかめつつ恍惚となるような)その表情は、もう今の妹のどこにも認められなかった」

「苦しんでいるのでは、とも思えたが……しかし、思えば『蜜月』においても妹はたぶん苦しんでいた」

「苦しみながら愛を受け、苦しみながら与えていた」

「それは俺も同じだ。苦しみながら傷を作り、苦しみながら愛を与えられた」

「二人は、息の詰まる愛に溺れていただけだ!」


106 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 18:10:31.48 YyqW8Vz30 29/37

「それは、祝福の日々であり、紛れもなく真実の愛だったと思う」

「兄妹愛とも、異性愛とも違う、純粋な愛の交換だった」

「純粋な愛は、行為は、ただそこにあるもので、始まっても終わってもいなかった!」

「一番新しい、最後の傷から1ヶ月、俺はそれをようやく認識した」

「午前3時だった。妹は寝ているだろうか? 妹と、話さなくては、愛を」

「また、祝福の日々を続けよう」

「妹の部屋のドアを開けたが、誰もいなかった。机の上には置き手紙が、そこには」

『愛をありがとう』

「俺は、家を飛び出した。いなくなった妹を探すというその行為の陳腐さ、取るに足らなさに愕然としながら、俺は歩き続けた。夜明けは近い」


109 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 18:19:09.35 YyqW8Vz30 30/37

「いつだか、二人で散歩をした川沿いの道に辿り着く」

「どこまでも陳腐で、それでも純粋な俺達であったなら、またここで(どうせ)出会えると思った」

「街灯がちらちらと川の流れに反射していた。夏が始まろうとしている。木々は明け方の風に揺れている!」

「妹は、土手の斜面にちょこんと体育座りをしていた」

「それはちょうど、以前『男女』が談笑していた場所だった」

「そこは、お前には似つかわしくないのに……」


114 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 18:48:56.54 YyqW8Vz30 31/37

「何してるんだ?」

「!」

(後方から不意に声をかけられた妹は、びくんと肩を震わせた)

(片手で簡単に握りつぶせる紙っぺらのような、弱々しさがあった)

「……お兄ちゃん」

「こんな所で何をしてたんだ」

「……死のうと思って」

「……」

「死のうと思って。川に入って、死のうと思って」

「……そうか」


115 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 18:55:14.14 YyqW8Vz30 32/37

(川は、お世辞にも入水自殺できるような深さではなかった)

「ふふ、信じてないよね? 確かにこんな浅い川じゃ死ねないと思うでしょ?」

「……俺は、お前の事をいつも信じてるよ」

「いいんだよ。しょうがないもんね。もうすぐ雨が降るよ。Yahoo!の天気予報で見たから間違いないんだよ。もうすぐ雨が降ります。すると、水かさが増します。すると、川の勢いが増します。そこであたしは川に入ります」

「もういいよ、もうわかった」

「あたしは死のうと思えばいつでも死ねるんだよ」

「……そうかな」

「……何それ。信じてないんじゃん。嘘つき」

「そういう事じゃない」

「じゃあ――」

「お前が死のうとすれば、俺が止める。傷を作っても止める」

「……っ、でも」

「俺が止めて、例えば今なら川だけど……もうすぐ雨が降って、水かさが増して、川の勢いが増して、お前が川に飛び込もうとしたら、俺がお前を抑えつけて、それで何故だか、俺が代わりに飛び込んで、お前はそれを見て、だから、その、たぶん、おそらくだけど、お前は死なないと思う」

「……そんなの」


117 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 19:02:41.23 YyqW8Vz30 33/37

「そんなの、おかしくはない。そうするよ。だって、そうしただろ?」

「……」

「俺は、お前のために、何度でも手首を切ってあげる」

「……あたしのために?」

「そうだ。そして、俺のために。俺に、お前がくれるからだ。お前がくれるから、俺は、お前の目の前でしてやる」

「……あたしの事、愛してるの? 好き?」

「愛してるよ。純粋に愛してるよ」

(思えば、俺は妹に口で愛を表明した事はなかったような気もするし、あったような気もした)

(ただ、妹は驚いていた)

(まるで、俺が妹を愛してるなんて言わないと思っていたみたいに!)

(ああ、これは、妹が俺の事を信じていなかったという事ではない)

(むしろ、俺が俺自身の妹に対する愛情に気付くとは思っていなかった、という予想を裏切られたからだ)

(俺は心変わりしたわけではなく、最初から持っていたものに気づいただけだ)

(妹が手首を切ろうとした日、俺が初めて傷を作った日に手に入れたものを!)


120 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 19:11:25.90 YyqW8Vz30 34/37

「……ふふ、じゃあ死ねないんだね、あたし」

「死ねないな」

「でも、いいんだよね。終わらないんだよね」

「ああ」

「じゃあ、まだ生きられるよ」

「そうか」

「あたし、お兄ちゃんが好きだよ、『純粋』に」

「……そうか」

「この1ヶ月、ずっと、実は、どうやってやり直そうか考えていたんだけどね」

(驚いた)

(妹は、何というか、そういう、その、未練というか)

(そういうものを持たないし、持っていても、それを認めたがらないと思っていた)


123 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 19:18:06.10 YyqW8Vz30 35/37

「でも、やり直さなくてもいいんだよね。今まではそこにあるものを無視していただけで、……だから、終わっても始まってもいないんだよね」

「そうだな」

「だから、ただ、戻ろう」

「そうだな」

「……ふふん、あたし、お兄ちゃんに嘘をついたんだよ。だから、謝るね」

「?」

「雨なんて降らないよ。今日は1日中快晴だって」

(朝日が眩しかった。風が広い空へ抜けてゆき、生活が動き出す)

(夜が明けていた)

(確かに快晴だった)


125 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 19:26:03.48 YyqW8Vz30 36/37

「俺と妹の関係は、もしくは形が変わるだろう。変わらないかも知れない。俺はまた、傷を作るかも知れない」

「あるいは、もう二度と、傷を作らないかも知れない」

「それはやり直しではないし、始まりでもない」

「どうあれ、たぶんそれは、自然な事だ」

「形を変え、色を変え、重さを変え、味を変え、匂いを変えて、愛はそこにあり、息づいているはずだ」

「だから、無償の愛を与えよう」

「だから、無償の愛を受け取ろう」

「ああ!」


128 : 以下、名... - 2012/03/21(水) 19:36:43.80 YyqW8Vz30 37/37

---

(まぶしい、新しい朝の、流れの弱く浅い川の土手で、俺と妹は並んで座っていた)

(まるで、いつだかの『男女』のように!)

(俺と妹は、戻っていく)

(そして俺と妹は、変わっていく)

(ように思えた)

「ねえ、手首、見せて」

「……ああ、いいよ」

「あ……ふふっ、まだ一番最初の傷、跡残ってるね」

(妹は、綺麗な指の腹で、俺の最初の傷跡を優しく撫ぜた)

(こそばゆい)

(そうして、俺はぞくりと身震いしてしまった)




終わり


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