1 : VIPに... - 2014/04/25 20:35:52.09 6I5S2gV60 1/29・化物語×アイドルマスターのクロスです
・化物語の設定は終物語(下)まで
・ネタバレ含まれます。気になる方はご注意を
・終物語(下)より約五年後、という設定です
・アイドルマスターは箱マス基準
関連作品
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元スレ
阿良々木暦「いおりレオン」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1398425751/
001
雨が、降っていた。
ざあざあと屋根を無数に叩くその無機質な音は、車の排気音や喧騒と混じり合って一種のオーケストラを奏でている。
雨は好きだ。
雨は、嫌なことや間違えたこと、過去のあやまち、そういった類のすべてを洗い流してくれる――そんな気がして。
「なあ、水瀬――例えばの話なんだけど、さ」
僕は水瀬に語り聞かせる、と言うよりは誰にでもなく語り出す。水瀬が聞いているかどうかはどうでもいい。
時刻は夜の七時。
外はもう夜闇に包まれており、暗い事務所の一室で、僕は水瀬伊織と机を挟んで向かい合っていた。
この時間帯に窓のブラインドを閉めないでおくと、事務所のすぐ側にある信号機が変わる度に事務所に光が差し込む。
それは赤だったり黄色だったり時には青く点滅したりして、僕はそのサイケデリックな人工的な光のアートを気に入っていた。
一人で残業する時はわざとブラインドを開けっ放しにしたりする位だ。
「あくまで例えばだよ、水瀬が今にも飢えて死にそうだって時に、目の前に食べていい、と食事を出されたとしよう」
水瀬伊織、十五歳。
日本では有数の財閥である水瀬財閥の娘でありながらアイドルを営む少女。
性格は誇り高く不遜。
そんな気質と矜恃に見合う実力を持った気高いアイドル。
他のアイドル達や秋月に音無さんも帰宅し、今はアイドルの仕事を終え帰ってきた水瀬と僕だけ、という状況だ。
その水瀬は僕に何を言うでもなく、無表情のままに俯いている。
水瀬は、泣いていた。
声をあげる事もなく、静かに涙を頬に伝わせるその姿には、泣く時でさえ決して弱さを見せまいとする、彼女の美点であり弱点を垣間見た気がした。
「食べるだろう? 食べていいんだ。そこに我慢する理由なんてないんだ」
僕のせいだ。
僕のせいなんだ。
水瀬が、涙を流す原因となったのは。
だが、悲しいことに僕は彼女の涙を止める術を、持っていなかったのである。
僕は、無力だ。
プロデューサーを名乗っておきながら、担当アイドル一人の涙すら止めることが出来ないなんて。
僕は自分への不甲斐なさと深い悲しみを憂い、目を閉じる。
死んでしまえ、僕なんて。
水瀬の涙を止められないならば、僕に存在理由なんて無いんだ。
「例えその食事が元々は僕のもので、水瀬が食べたら僕が飢えてしまうとしても――僕は、水瀬を許す」
「……で、なんで私のみかんゼリー食べたの?」
「……例えばの話をしよう。水瀬が砂漠で喉が乾いて死にそうだったとするよ。そこに」
「食べたんでしょ?」
「……はい」
次の瞬間、水瀬の南斗獄屠拳を思わせる飛び蹴りが僕の顔面に突き刺さった。
僕の顔が水瀬の足型に凹む。
喰らう際にちょっとパンツが見えた。やったぜ。
「何やってんのよ! 何考えてんのよアンタ!」
水瀬は真っ赤になって怒り狂うと倒れた僕を何度も足蹴にする。
「仕事の後の楽しみにしてたのに!
せっかく愛媛から取り寄せた手に入りにくい逸品だったのに!
名札まで貼って冷蔵庫に入れて置いたのにい!」
「だって! 名札なんか貼ってあったらフリかと思うじゃないか!」
今時名札って、食べてくださいって言っているようなものじゃないか!
確かに水瀬に怒られたかったってのもあったのは認めるよ?
ああ認めるさ!
けど水瀬のゼリーを横取りする背徳感と、その後にどんな風に怒られるんだろうって誘惑に僕が勝てる訳ないじゃないか!
「信じられない! もう本当何なのよ!」
「ごめんなさい!」
「バカ! アホ! 間抜け! 役立たず! 変態! ロリコン! 無能!」
思いつく限りの罵倒と共に更に蹴りを激しく加えてくる水瀬。
僕は地べたに這いつくばりながらパンツを見ようと顔を上げられないか試行錯誤していたが、水瀬の連蹴りによりそれは叶いそうになかった。
だがまあいい、水瀬に罵倒されながら蹴られるなんて僕にとってご褒美以外の何物でもないからな!
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「なんで喜んでるのよ!」
息を切らしながら蹴るのをやめる水瀬。
僕はスーツについた埃を払いながら立ち上がる。
水瀬はあの体格――年齢の割にはかなり小柄で軽いので、蹴られたところで大して痛くもないというのが実際のところだ。
「悪かったよ、必ず同じものを倍にして返すからさ――今回はそれで気を収めてくれないか」
「…………」
呼吸を整え、腕を組んで溜息をひとつ。倍返し、という言葉が効いたのかどうかは不明だが、水瀬はそっぽを向き、
「今からオレンジジュース買ってきなさい。それで許してあげるわ」
と、得意のツンデレ属性を発揮してくれた。
これだから水瀬との絡みはやめられない。
「あ――ああ!」
恩赦が下った気持ちになり僕は外へと駈け出す。
水瀬をいじって怒られるのはここ半年で最早ライフワークと化してしまった僕ではあるが、決して嫌われたい訳ではないのだ。
こうしてパシリにされている間も次はどんな風にいじろう、と思っている僕は人間として終わっているかも知れないが。
そして神速と表現してもいい速さで果汁100%ジュースを購入して戻って来る。
と、
「ただいま」
「早っ!」
「――なんだそれ、水瀬」
「さあ、今届いたのよ」
それは、異様に大きい宅配便だった。
いや、異様に、というのは些か言い過ぎか。
その大きさは人ひとり入れそうな大きさとは言え、全員分のライブ衣装が届ときだってこんなものだ。
段ボールに貼り付けられた伝票の中身を記入する欄には、『アンティークドール』と書かれている。
アンティークドール? 宣伝か?
でもそんな仕事あったっけ?
アンティークドールが似合いそうなのは四条な水瀬、それに萩原あたりなイメージがあるが、僕の記憶が確かな限り、そんな仕事はなかった筈だ。
送り元は――付き合いのある少女ファッション雑誌だった。
「ああなんだ、お得意様だよ」
きっと次の仕事のサンプル品か何かだろう。
僕は水瀬にジュースを手渡すと、小休止のためにソファーに陣取る。
さすがに全力疾走は疲れた。
「人形? 開けてみていい?」
「ああ、いいよ」
水瀬は顔を綻ばせて開封を始める。
何処かの会社からの贈答品か、仕事を前提としたサンプルかも知れない。
水瀬はいつも兎の人形を抱えているし、家柄も影響して人形が好きなのかも知れない。
贈答品なら水瀬にあげてもいいし。
「よ、っと……あら?」
「どうした?」
「人形にしてはずいぶん大きいわね……等身大で、とても精巧だし」
僕の今いる位置からは、箱の中身は見えない。
水瀬の言に興味の湧いた僕は、水瀬の背後へと回る。
と、
「いいっ!?」
「ど、どうしたの? きゃあ!?」
僕の反応に水瀬が驚くのも束の間、更なる驚愕に水瀬は思わず僕にもたれかかる。
何せ、『人形が動き出したのだから』。
『彼女』は面倒くさそうに段ボールから這い出すと、相変わらずの無表情で僕を見据えた。
「久し振り、鬼のお兄ちゃん」
「……何をしているんだ、斧乃木ちゃん」
「呼ばれて飛び出て」
呼ばれても飛び出てもいない彼女の名は斧乃木余接。
職業、陰陽師助手。
性格、淡白。
正体、死体。
002
結局、その日の夜は斧乃木ちゃんと別れて帰ることとなった。
いや、誤解しないで欲しいのは決して僕が意地悪で僕のアパートに泊めなかったとか、水瀬もいたことだし風評を損ねるから、という自尊心の為でもない。
単純に斧乃木ちゃんが嫌がったのである。彼女が言うところには、
『僕のような所詮死体に過ぎない存在がそんなきゅうけ……人間様と同じ屋根の下で眠るなんてことは出来ないよ。
ましてや歴戦の勇者とも讃えられる鬼のお兄ちゃんともなれば僕なんて畏れ多くてとてもとても耐えられたものじゃない。
僕はその辺のマンガ喫茶で寝るから気にしないで。
まあ僕は死んでいるから永遠に寝ているようなものなんだけどね。死体ジョーク』
なんて何処かの陽気な骸骨みたいな事を言って本当にマンガ喫茶に行ってしまった。
甘い物が好きな彼女のことだしマンガ喫茶に行きたかっただけじゃねえの、とも思ったが実際は忍が怖くて一緒に居たくない、という部分が強いのだろう。
忍は元の吸血鬼もどきに戻ったとは言え、一時期全盛期に戻った忍への苦手意識が未だに克服出来ていないらしい。
とりあえず水瀬を含めた765プロの面々には遠い親戚、ということにしておいた。
一人で家出同然に遊びに来てしまったので僕が保護している――という建前もつけて。
特に騒動もなく、斧乃木ちゃんと会話することもなく昼休憩になり、僕は事務所にいた人数分の缶コーヒーを貰い物の中から配るとさっきまで亜美ちゃん真美ちゃんとゲームをして遊んでいた斧乃木ちゃんの横に座った。
斧乃木ちゃんにもカフェオレを渡す。
「それで、何が目的で僕の職場に来たんだ?」
「僕が鬼のお兄ちゃんの下に来る。それだけで理由はわかりそうなものだけれど?」
「怪異……なのか?」
斧乃木ちゃんの存在自体が怪異そのものに酷似している為か、僕が連鎖的に怪異を引き寄せる性質なのか、もしくはその両方なのか。
斧乃木ちゃんが僕に関わる時は例外なく怪異が絡んでいる。
まさか、僕の与り知らぬところでまた765プロに怪異が迫っているのとでも言うのだろうか。
だとしたら、それは聞き過ごせない。
僕は警戒心を強め、斧乃木ちゃんを更に問い質す。
「怪異が、ここに現れるって言うのか?」
「ううん、僕がアイドルになるために来たんだよ、鬼のお兄ちゃん」
「…………うん?」
ちょっと待て、僕の耳が遠くなったのか?
それともここに来てようやくラノベ主人公の聴覚を手に入れたのか?
あの女の子からのフラグをバッキバキに叩き折ると言われる難聴は僕には必要ないぞ?
「アイドルのプロデューサーである鬼のお兄ちゃんの下に僕が来たと言うことは、僕がアイドルになるために決まっているじゃないか。頭大丈夫?」
「斧乃木ちゃんの頭の方が大丈夫じゃないと思うぞ」
「えへへっ、きらっ☆」
某緑髪の歌姫のように横にしたVサインを目の辺りで展開する斧乃木ちゃん。
でもやっぱり無表情だ った。
「りゅうせえにーまーたーがあってえー」
「やめろ! そして超棒読みで僕の大好きな歌を歌うな!」
「あそこにいるお姉ちゃんも歌っていたじゃないか」
「菊地はいいんだよ」
カバーだけど似合うし。
「本当はお姉ちゃんが怪異退治だけじゃ生活が苦しいから、アイドルやって稼いで来いって」
「そんなこと影縫さんが言う訳ないだろ」
それにあの人の場合、仮に金が無くても狩りだけで生きていけそうだよな。
実際に実行することは永久にないだろうが斧乃木ちゃんのアイドル姿を思い浮かべてみる。
ひたすら無表情に歌を歌いダンスを踊る死体アイドル。
…………。
怖すぎるな……偶像崇拝という意味では誰よりも正しいのかも知れないけど……。
「僕は死体だからうんこもしない。本当の意味でのアイドルだよ」
「アイドルはうんこなんて言わない!」
それに765プロのアイドルたちだってしないよ!
トイレには行くけどしないんだよ!
僕の夢を壊そうとするんじゃない!
「ああ……排泄物って言った方が興奮するの? 鬼のお兄ちゃんの嗜好は未だに理解できないよ」
「言い方や僕の趣味の問題じゃないよ!?」
そう言えば斧乃木ちゃん、死体の割には出会った頃からアイスやジュースを口にしている光景を良く見るけど、実際にはどうなっているんだろう……。
怖いし夢を壊したくないから聞かないでおこう。
「最近暇なんだよ。お姉ちゃんも一人で仕事やっちゃうし」
「八九寺と遊んでろよ、仲良いんだろ?」
この間、八九寺が遠出する時は神社の護りを一時的に斧乃木ちゃんに任せてる、みたいな事を言っていた気がする。
八九寺もそれは神様としてどうかと思うけど、元々あいつは迷う怪異だから、一所に留まるよりも歩いていないと落ち着かないのかも知れない。
「仲が良い訳じゃないよ、神様に恩を売っておいて損はないでしょ?」
「意外と腹黒い!」
「死体だからお腹の中は腐っていて当たり前だよ。なんちゃって、死体ジョーク」
「ブラックすぎて笑えねえよ」
死体ジョークが最近の斧乃木ちゃんの中での流行りなのだろうか……。
相変わらずキャラが不安定すぎて見ていてこっちが不安定になりそうだ。
「前置きはこの辺りにしておいて、僕が来た本当の理由を話すよ」
やはり単純に遊びに来た、という訳ではなかったらしい。
斧乃木ちゃんはカフェオレを飲み干すと、空き缶を僕の机の横にあるゴミ箱へと投擲した。
缶はゴミ箱に入らずに外れる。
「近いうちに、この事務所に怪異が現れる。というか、もう潜在的には現れている」
「何だって……!?」
「その怪異は少々危なくて、放っておくには不安だから現場にいる鬼のお兄ちゃんに任せよう、というのがお上の意向らしいんだけど、鬼のお兄ちゃんには荷が重い――だから僕が受けた命令は、鬼のお兄ちゃんをサポートし、その怪異を退治すること」
「それは、どんな怪異なんだ!? 誰に憑いている!?」
「落ち着いてよ、鬼のお兄ちゃん」
と、中学生組の二人がやって来た。高槻と水瀬だ。
この二人は境遇や家柄こそ正反対だが気が合うのが仲が良い。
外見からこそ性格的に水瀬の方が強そうだが、実質主導権を握っているのは高槻である。
というか765プロにおいて高槻に勝てる奴は絶対にいない。僕が羽川に誓って断言しよう。
「余接ちゃん、こんにちは!」
「ちょっとアンタ、親戚の子にまで手を出しているんじゃないでしょうね」
「何を人聞きの悪いことを。僕が童女に手を出す訳ないじゃないか」
「どの口がそんなこと言うかしらね」
「余接ちゃん、チョコたべる?」
「僕は飴玉がいいな」
「大丈夫だよ水瀬。僕が手を出すのはお前だけだ」
「なんでいい事言ったみたいな顔してんのよ!」
「正直に言おう。僕は水瀬にハグがしたい!」
「鬼のお兄ちゃんは正直すぎると思うな」
「この……っ!」
水瀬が僕を引っぱたこうと振りかぶる。
くくく、無駄だよ水瀬。
僕は世界一の暴力陰陽師にフルボッコにされても心を曲げなかった男なんだぜ?
水瀬みたいな可愛いお手々から繰り出される程度のビンタじゃ僕の心に波紋を立てることすら――。
「はぶしっ!?」
吹っ飛んだ。
文字通り、僕は室内で一回転半した後に壁へと激突した。
事務所の皆が何事かと、逆さまになったまま壁の突っかけ棒と化した僕に視線を浴びせかける。
「あ、あら?」
僕を叩いた水瀬が一番怪訝な表情をしていた。
ひょっとしたら僕が水瀬をからかう為にわざと吹っ飛んだとまで思っているかも知れない。
そんな滑稽なアドリブが出来れば僕も一人前なのだが、さすがにそこまで人間離れした動きは僕には出来ない。
つまり、本気で水瀬のビンタで壁まで吹き飛ばされたのである。
壁が壊れなかっただけ僥倖と言えよう。
「な、な……」
「い、伊織ちゃん……その頭!?」
「頭……? な、何これ!?」
「水瀬――――」
僕は言葉を失った。
言語中枢を麻痺させる程の光景が、逆さまになった視界に映ったからだ。
水瀬の頭には、いつの間にか『猫耳が生えていたのだから』――。
「か――――わ――――い――――い――――!!」
「ひいっ!?」
「トランスしている場合じゃないよ、鬼のお兄ちゃん。よかったね、早く済みそうで」
「何をするんだ! 離せ! 今目の前に僕の理想郷とも言えるネコミミ水瀬がいるんだ!!」
水瀬に飛びかからんとする僕を片手で押し留め、斧乃木ちゃんは水瀬の身体を腰から抱きかかえる。
何してくれるんだこの野郎!
ネクロフィリアも引くくらいにセクハラするぞ!
「ちょ、ちょっとアンタ!」
「行くよ、鬼のお兄ちゃん」
ついでと言わんばかりに僕の手首を掴むと、斧乃木ちゃんは窓を開け即座に飛び降りた。
「きゃあ!?」
「おい、まさか……斧乃木ちゃん! やめろ!!」
「『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』」
「うわあああああぁぁぁぁぁぁ!!」
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
斧乃木ちゃんは二人分の体重を背負ってなお何事もなかったかのように着地を決めると、コンクリートの地面に巨大な亀裂を入れる程の威力で放たれた脚力で、その場から一瞬にして空を飛ぶのだった。
薄れゆく意識の中で気付いたことは、わざわざ外に出たのが事務所を壊さないためだという斧乃木ちゃんなりの気遣いだと、彼女にも気遣いが出来たんだ、という割りかしどうでもいい新発見であった。
003
『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』を数回行った末に辿り着いた場所は、何処かの埠頭にある人気のない倉庫だった。
もう使用されていないのか、外見からして動きそうにない朽ち果てた重機や、打ち捨てられた廃材が此処彼処に積まれている。
当然とも言えるが水瀬は気絶してしまった。
今は安静に寝かせている。
「――で」
僕はネクタイを緩めながら不機嫌も露わに胡座をかく。
スーツの上着が移動に際して何処かで脱げて飛んで行ってしまった。
吊るし売りの安物とは言え、しがないサラリーマンである僕には痛い。
「水瀬に怪異が取り憑いている、そういう認識でいいのか?」
「うん」
斧乃木ちゃんはこちらの事情など知った事ないと言わんばかりの無表情で(とは言え、彼女は何時如何なる時でも無表情だが)首肯を返し、説明を始めた。
「篝獅子、呼ばれる怪異――いや、どちらかと言えば神様かな。
本来は神を借りると書いてかみかり、神借獅子。
だからあれは正確に言えば猫耳じゃなくて獅子耳」
そういうものか……まあ、ライオンもネコ科だしな。
どちらにせよ可愛いからいいけど。
でも獅子耳って。語呂悪いよ。
「かがり……じし?」
「今回ばかりは怪異を引き寄せる――トラブルメーカーな鬼のお兄ちゃんのせいじゃないよ。
篝獅子が水瀬のお姉ちゃんに取り憑いたのは鬼のお兄ちゃんに会うよりもっと昔。
もっと言えば産まれるよりもずっと前」
「母体に取り憑くタイプの怪異……」
「うん、でも発動条件が厳しくてほとんどは取り憑かれた事さえ気付かずに一生を終えるらしいけどね」
その代わり発動した時はすごいらしいよ、と斧乃木ちゃん。
月火ちゃんのしでの鳥のような怪異なのだろうか。
実害は無いに等しいけれど、代わりに恒久的に常時発動し続ける、みたいな――。
「篝獅子に取り憑かれる条件は、兄もしくは姉がいること、その兄弟が優秀であること、家柄がその時代では裕福な方であること」
水瀬は確か二人の兄がいた筈だ。
それも二人とも飛び抜けて非常に優秀だとか。
「ライオンは群れで行動する生き物だけど、篝獅子は群れを作らず、たった一匹で百獣の王の地位を得たライオンの怪異だ。
篝獅子に取り憑かれた人間は産まれた瞬間に能力を極端に抑制され、コンプレックスに苛まれる。
いるでしょ、優秀な人間だらけの名家の中で一人だけ落ちこぼれる人間。
あんな感じで、故事成語のように『谷に突き落とされる』のさ」
産まれたその瞬間から取り憑く怪異。
しかも、その影響の内容は人間としての能力を削ぎ落とされる。
それだけでも人ひとりの人生を台無しにするには十分とも言える。
人間はいくら綺麗事を言おうと弱者には冷たいのだから。
「そう、水瀬のお姉ちゃんは獅子に見棄てられたんだよ」
「…………」
「その点水瀬のお姉ちゃんはすごいよね、怪異に能力を冒されて、なおそのコンプレックスに打ち勝って今があるんだから」
僕の知る水瀬は、その態度と性格に反して弛まなき努力家だ。
あの自信に裏打ちされているのは、間違いなく自分に課してきた努力の賜物だ。
誰よりも努力し、誰よりも自己研磨を続けて来たという結果があるからこそ、あれ程までに自分を信用することができる。
これは簡単に見えて中々に出来ることではない。
世の中、自分に絶対の自信を持つ人間など、過大自己評価か超大物のどちらかだろう。
水瀬はまだ若いためかそこまで露見していないものの、僕は間違いなく後者だと思う。
その証拠に今も竜宮小町のリーダーとして、アイドルの先駆者として頭角を現し始めている。
それを聞いて、改めて水瀬の凄さを認識した。
怪異に劣等感を与えられてなお、彼女は負けなかったのだから。
これは余談になるが、獅子は元々ライオンを指すものではない。
獅子とは、元々中国由来の神様を指す。
その点では神と獅子を結び付けるのもわかる。
日本では歌舞伎演目に獅子を使って舞うものもあり、その過程でライオンと獅子を混同してしまったらしい。
そもそも、日本由来の怪異にライオンがいる筈もない。ライオンは日本にはいないからだ。
明確に言えば国際化の進んだ今は動物園に行けばいるが、怪異というものは大抵、巷説や信仰から産まれることが多い。
その場合、必然的に定着するまでに時間が必要となる。
となると、この国においては『若い怪異』ということか。
「そして谷に落とされ、なお登ってきた個体に、篝獅子は『ご褒美』を与える」
「ご褒美……?」
「文字通り、『神の力を借りることができる』んだよ、鬼のお兄ちゃん」
珍しく饒舌な斧乃木ちゃんがそう締め括った瞬間、
「『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』――――遺憾版」
僕は轟音と共に巻き起こる衝撃波を全身に浴びるのだった。
004
「んなっ……!?」
振り返ると、雨霰と飛び散るコンクリートの中、鉄骨を剥き出しにしたコンクリートの柱を脇に抱える水瀬がいた。
水瀬の身長を遥かに越える、数百キロはあるであろうそれを、水瀬は横薙ぎにぶん回したらしい。
視界の端には、『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』によって肥大化した斧乃木ちゃんの腕が僕を覆うように在った。
僕を護ってくれたらしい。
ん……?
ちょっと待て、遺憾ってどういうことだよ!
「水瀬っ!!」
「うぅ……ぐ……おおおああぁっ!!」
「……おい、冗談だろ?」
獣のような唸り声を上げ、水瀬は近くにある重機――一般的にはショベルカーと呼ばれるそれを運転し、日頃の恨みつらみを晴らさんと僕を轢き殺そうと襲い掛かる――程度ならばまだ良かったのだが、あろうことか水瀬は両手で軽々と持ち上げる。
ただでさえ人間の手で持ち上げるなんて困難な、先程の柱よりも更に桁が違う重量物を、水瀬はいとも簡単に僕に向け投擲した。
「う、うわあああぁぁぁっ!?」
冗談じゃない、あんなものに潰されたら幾ら死ににくい身体とは言えひとたまりもない。
僕はなりふり構わずそれを避けるために全力疾走すると、身近なコンテナの影に隠れる。
大規模地震と何ら遜色のない、とてつもない衝撃と共に重機は倉庫内のあちこちを破壊する。
ほうぼうの形で逃げ出した先に、斧乃木ちゃんがいた。
「何をしてるんだい、鬼のお兄ちゃん。逃げ回っていても何も解決しないよ」
「無茶言うな! こっちは状況もよくわかってないんだ!」
「じゃあ簡潔に話すよ。
篝獅子は本来、『谷を登ってきた』人間に対し力を与え、その人間を権力者や能力の突出した人間に仕立てる。
歴代の偉人には篝獅子が取り憑いていた、なんて逸話もあるくらい。
でも水瀬のお姉ちゃんはまだ若いゆえに神の力を持て余して正気を失っているのか、もしくはこの国では獅子の怪異譚が普遍的でないから上手く篝獅子の力が働かないのかもね」
お姉ちゃんは両方だって言ってたけど、身に余る力を与えるなんて迷惑な怪異だよね、と他人事のように言い放つ斧乃木ちゃん。
他人事なのは確かだがその渦中に身を置く者の言葉とは思えない。
それよりも――水瀬は、そんな身に余る力を与えられる程の事を、その齢で成し遂げたのか。
「惚れ直したぜ、水瀬……!」
「現状を治めるには水瀬のお姉ちゃんを『説得』すればいい。方法はふたつ――」
「うがあああああぁぁぁぁ!!」
と、水瀬の唸り声共に上から鉄柱が数本降ってくる。
洒落になっていない。
「『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』――――姑息版」
「うご!?」
斧乃木ちゃんはアクセルひと踏みで300キロのロケットスタートのようにその場から『発射』すると僕にタックルを決める。
慣性の法則で後方に滑りながら、器用にも僕の腰を抱き方向転換を成功させる斧乃木ちゃん。
僕の扱いが前よりもぞんざいな気がするが、助けてもらっている以上は文句は言えまい。
「い、いつつ……」
「ひとつ、神の力をもってしても敵わないと思い知らせる、力づくによる説得」
「それは無理そうだな……」
「そうだね、今の彼女に匹敵するとしたら全盛期の忍様くらいだろうから」
様付けしてるし……。どれだけ忍コンプレックスが進んでるんだ……。
とは言えこの場で忍に血を吸わせるのも難しそうだし、何よりなるべく吸血鬼化は避けたい。
また鏡に映らなくなるほど吸血鬼化が進んでしまったら、今度こそ戻れなくなる。
喋っている間にも水瀬の方からはあらゆる重量物が投擲されてくる。
段ボール、ステンレス棚、廃材、工具、机、コンテナ。
投げてくるものに法則性がないところを見ると、どうやら手当たり次第にぶん投げているらしい。
僕と斧乃木ちゃんはそれらを避け、あるいは弾きながら少しでも安全な場所へと移動する。
「もう一つは!?」
「言葉通り。そんな力要らない、と水瀬のお姉ちゃんに思わせる」
そしたら篝獅子も離れるよ、と斧乃木ちゃん。
「オーケイ、把握した!」
攻撃を回避しつつ水瀬を説得する。それならば吸血鬼化も必要ない。それに何よりも――。
「お前に仕えるのは最上の歓びだが――人の力を借りるなんてお前らしくないよな、水瀬!」
「あ、ひとつ忠告。僕はもう鬼のお兄ちゃんを護れないから」
「え、そうなの?」
「今みたいな回避行動は辛うじて出来るけど、防御は無理。いくら死体とは言え傷んじゃうからね」
僕が壊れたらお姉ちゃんに怒られるよ、と斧乃木ちゃん。
そいつはたいそう悪い冗談だ。
助けが無いなら無いでいい。
逆に覚悟も決まるというものだ。
「行くぞ、水瀬!」
「うおああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
水瀬は先程投げ飛ばしたショベルカーの首を掴むと、自分を中心に振り回し始める。
なんともダイナミックな攻撃だ。
怪力無双の影縫さんでもここまでじゃあなかったぞ!
埒外の質量を持った鉄の塊が倉庫内を思うままに蹂躙していく。
まるでハリケーンの内部にいるようだ。
力任せに暴れているだけに見える水瀬もやはり自意識は多少あるのだろう、攻撃と防御を兼ねた見事な作戦だ。
最も、その姿は小さなネコミミ少女が重機を振り回すなんてとんでもない光景だけれど。
水瀬に近付くことさえ出来れば何とかなる。
だがその為には――。
「斧乃木ちゃん」
「なに、鬼のお兄ちゃん」
「手伝ってくれ」
暴力の台風が撒き散らす破片と残骸を何とか避けながら、僕は斧乃木ちゃんに作戦を伝える。
僕の見立てと斧乃木ちゃんの腕が確かならば、成功率はそこそこある筈だ。
「いいけど、正気? 死んでも知らないよ」
「このまま長期戦に持ち込んだところで勝ち目は薄いだろ」
それに僕が死ねば、忍はかつての伝説の吸血鬼へとその姿を戻す。
長い付き合いだ。仮に僕が死んでもこの件くらいはかたを着けてくれると信じよう。
「わかったよ。でも死んでも僕のせいじゃない、って正弦のおじさんに伝えておいてよね」
「保身の塊だな! たまにはカッコつけさせてくれ!」
「誓約書も書いて」
「こんな状況で書けるか!」
大方、臥煙さんに責任を問われたくないだけだろうが。
僕は動きやすいよう、ネクタイを外しカッターシャツのボタンを外す。
「じゃあ、行くぞ。手加減してくれよ!」
「それはフリかな?」
「いや、本気だ」
「うん、わかったよ鬼のお兄ちゃん」
斧乃木ちゃんは僕の身体を地面と水平に足と首を、わかりやすく言えば逆お姫様だっこのような形で抱えると、上に放り投げた。
僕は身動きの取れない空中で、出来る限りの体勢を整える。あとは斧乃木ちゃんに任せよう。
「『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』」
斧乃木ちゃんの右腕が破裂せんばかりに膨張する。
ボールを打つバットのように振りかぶったその腕が向かう先は、僕だ。
「今だ、斧乃木ちゃん!」
僕は足を折り曲げ、今から来るであろう衝撃に歯を噛み締める。
水瀬の振り回す重機は暴力の塊だが、今はまだ飛び込む余地が無いほどまでには速くはない。
力学的に考えれば、ハンマー投げと一緒で放っておけばおくほど速くなっていく筈だ。
ならばまだ入り込む隙のある今、重機が三百六十度回り切る前に懐に飛び込めばいい!
斧乃木ちゃんの拳が、僕の足の裏を叩く。
いや、叩くという表現は間違っている。
敢えて言うのなら、僕が銃弾で斧乃木ちゃんが雷管だ。
斧乃木ちゃんの『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』という名の撃鉄で叩くことにより、僕はそのままロケット花火のように水瀬へと『射出』された。
先程、斧乃木ちゃんが行った『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』……姑息版だっけ?を利用したロケットスタートを僕に当て嵌めただけのものだ。
だが代償は大きい。生身の身体でもろに斧乃木ちゃんの攻撃を受けることになる。
先程手加減してくれと言ったのは、『例外のほうが多い規則(アンリミテッド・ルールブック)』は本当に手加減なしなら僕の身体は喰らった時点で全身が爆散していてもおかしくないほどの威力だからだ。
その証拠に両足の感覚がほとんどないことから間違いなく折れたと断言できる。
下手をしたらもう足は四散しているのかも知れないし確かめることも出来ないが、思考出来ているのならまだ無事な方だろう。
いや、でも良かった、本当に手加減してくれて。
斧乃木ちゃんならうっかりで僕を殺しかねない。
この状況だけを考えれば斧乃木ちゃんが行けばいい、とも思ったのだが。
僕でなければ駄目なんだ。
僕でなければ水瀬は止まらない。
僕が止めなければならない!
「み、な……せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「っ!?」
体感的には音速をも越えているんじゃないだろうかと錯覚する程のスピードで、僕は水瀬の身体に取り付いた。
さすがの水瀬もバランスを崩し、僕に押し倒される形となる。
暴虐の限りを尽くしていた重機は水瀬の手を離れ、倉庫の壁を突き破る。
「水瀬――」
「がぁっ!!」
「ぐ、ぶ……」
水瀬が苦し紛れに拳を僕の腹部に突き入れる。
今の水瀬にとって僕の身体など水風船のようなものだ。
水瀬の腕はいとも簡単に僕の身体を貫通し、僕は大量に吐血する。
こんな状態になってもまだ意識が保てている自分が可笑しい。
「あ…………」
いいんだ、ここまでは予測通りだ。
「……み、な、せ……」
僕の吐いた血を浴びて正気に戻ったのか、水瀬は目を見開いて僕と視線を合わせる。
「あ、あんた……どうして!」
「水瀬……何故、ライオンが、百獣の王と呼ばれるか……知っているか……?」
「何言ってんのよ! そんなことより救急車を――!」
「この程度で死ぬ僕じゃない……僕を誰だと思っているんだ……いいから聞け」
瀕死の状態で水瀬を静かに叱咤する。
水瀬は一瞬口をつぐんだが、やがて観念したのかゆっくりと震えながら口を開いた。
「……強いからでしょ? 他のどんな獣にも負けないから、王なんじゃないの?」
「違う……ライオンが百獣の王たる由縁は……その生き様に、ある」
例えばチーターなんかも群れを成すけれど、奴等は常に警戒を怠らずうろつき回っているのに対し、ライオンは昼間から堂々と昼寝をしたりしている。
他の生物を恐れていないかのように、正に王のように君臨する。
「篝獅子は、独りで王を貫く個体を恐れ、畏れ、敬い、崇め、奉り、結果として産まれた怪異だ」
「神様……」
「ああ、お前は神様に見込まれ、捨てられ、それでも這いつくばって神すらも見返した……僕は、そんなお前を、誇りにさえ……思う」
「…………」
「勝手だよなあ、神様ってやつは。
勝手に捨てておいて、お前が途方もない努力の結果、築き上げたものを気に入ったからって戻って来いなんてよ。
こっちの言うことは一切聞いてくれないのに、あっちから一方的に何でもかんでも押しつけやがる!」
「……なによ、それ。今の私があるのはその神様のお陰だって言うの!?」
「そんな訳ないだろう。お前は誰だ!」
「私は……水瀬伊織」
「そうだ、お前はお前のままでいろ、水瀬伊織。
神すらも摺り寄って来るくらいの人間になって見せろ!
お前は誰よりも気高く、誰よりも誇り高いままでいろ!
それが自力で神を呼び寄せる唯一の方法だ!
神の言うことなんて……念仏程度に捉えとけ!」
「……プロデューサー」
そこから先の事は、正直言って良く覚えていない。
ただ、最後に気を失う瞬間、ネコミミ水瀬に殺されるのならそれもいいか、とそれが辞世の思考になったかも知れない僕はもう、我ながら色々駄目なのかも知れないと――そんなことを、思ったのだった。
005
後日談というか、今回のオチ。
「ごまえーごまえー」
「…………」
「がんばあってーゆーきまーしょー」
「…………」
水瀬とのいざこざがあってから、一週間あまりが過ぎた。
が、斧乃木ちゃんは、何故かまだ事務所にいた。
連日、当然のように事務所に来てはお菓子やジュースを飲んで帰る、という忍すらやりそうにない暴挙をしでかしているのだ。
挙句の果てには社長に『アイドルになりたい』とか言い出すし(社長もいいよ、と即答するので僕が全力で止めたが)。
今ご多分に漏れず、ものすごい棒読みでGO MY WAY!!を歌いながらアイスを食べている。
彼女はともかく、親戚ということにしている僕は微妙に肩身が狭いし、そろそろ殴っていいのかな?
まさか本当にアイドルになりたくてここにいる訳ではあるまい。
ここは大人として、彼女を出来る限り傷付けないよう、厳しい現実をオブラートに包んで優しく諭してあげるのが僕の役目だろう。
僕は社会人として仕事をしなくちゃいけないんだ、斧乃木ちゃんもいつまでもこんなところにいないで早くお姉ちゃんのところにお帰り、と巷説、比喩と倒置をふんだんに交えお話をしてあげよう。
ああ、僕は本当、優しいよな。
優しすぎてノーベル優しいで賞を受賞してもいいくらいだ。
「なあ、斧乃木ちゃん」
「なあに、鬼のお兄ちゃん」
「帰れ」
「がーん」
心象変化を表す擬音を口にする斧乃木ちゃん(無論のこと、無表情で)。
と、そこに水瀬がやってきた。
「お、おはよう」
「おう、おはよう水瀬」
水瀬は、あの日から何処か空々しいというか、まともに目を合わせてくれなかった。
昨日まであいさつもしてくれなかった位だ。
まあ、あんな目にあった挙句、両足を複雑骨折して腹に穴の開いた男が次の日普通に出勤してきたら普通は引く。
水瀬に距離を置かれるのは少々寂しいどころか自殺したいくらいに悲しいが、こればかりは致し方あるまい。
何にでも首を突っ込む僕の責任だ。
「ねえ、プロデューサー」
「ん?」
「その……今日まで言えなかったけど、この間のこと……」
「ああ、いいよ。悪い夢だったと思ってくれ」
「違うの!」
「?」
「その…………ありがとう、って、お礼、言いたくて」
頬を赤らめ、後ろ手でもじもじしながらデレる天使がそこに降臨した。
というか水瀬だった。
「……ざぃ」
「?」
「ばんざーい! ばんざーい! ヒャッホー!!」
「な、なに!?」
「ゞ㊥fЙまδΞ$”」
「鬼のお兄ちゃん、日本語でいいよ」
「ああ失敬、ショックのあまり言語中枢に異常を来してしまったようだ」
髪をかき上げ紳士な態度で対応する。
僕もまだまだだな。
「何なのよ、もう……」
「嬉しいよ水瀬、ありがとう」
「プロデューサー……あんた、人間じゃないのね」
そりゃあ全治一ヶ月どころか死んでもおかしくない怪我だったからな。
実際は辛うじて外面を保っていただけで中身はボロボロだったのだけれど、皆に心配を掛けたくなかった我慢していただけだ。
完治と言えるほどまで快復したのは昨日のことだった。
「ああ、人間の形はしているけど、限りなく人間に近いけれど、人間じゃない……怖いか?」
「ううん、私に言ってくれたでしょ? 例え人間じゃなくても、あんたはあんただから」
「そうか」
さっきは取り乱してしまったが、本当に嬉しい限りだ。
「あんたも人間じゃないのね、余接」
「うん。お礼はハーゲンダッツでいいよ」
何気にお礼をもらおうとしてるんじゃねえよ。
「もう帰れよ斧乃木ちゃん」
「そんな、ちゅーまでした仲なのに」
「昔の話を持ち出すな!」
それにあれは一方的に斧乃木ちゃんがして来たんじゃないか。
僕の中ではノーカンだ、ノーカン。
「プロデューサーあんた……やっぱり」
「いや違う! 誤解だ!」
誤解も何も事実な訳だが、あれは僕の本意ではないのだ。
さて、と斧乃木ちゃんは腰を上げる。
「僕はもう行くよ」
「あれ、本当に帰るのか?」
「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。
ハーゲンダッツくらいだったら店一軒借りれるわよ」
「それはとても魅力的なお誘いだけれど、また今度にしておくよ、水瀬のお姉ちゃん。僕のお姉ちゃんも待っているしね」
僕のお姉ちゃんは怖いんだ、と斧乃木ちゃんは本当に帰るようで、背を向けて出口へと向かう。
最初から最後まで変わらない淡白な態度は何年経っても同じなようだった。
まあ、成長することのない斧乃木ちゃんなのだから当たり前なのだろうけれど。
……って、お姉ちゃん?
「影縫さんが来ているのか?」
「うん、京都から東京まで歩いてくるから、って言うから待ってただけだよ」
意味もなくここでだらけていたのはそういう訳か。
影縫さんとは五年前に別れたきり会っていない。
少し会ってもみたかったが、用も無いのに会うというのも失礼にあたるだろう。
僕と影縫さんは縁が合って知り合ったが、決して仲の良い友人という訳でもない。
それに、怪異絡みの問題はこの先避けていかなければならない。
僕が、普通の人間として生きようと足掻くのならば、そうするのが必然だ。
また縁があるのなら、会うこともあるだろう。
その程度でいい。
「そっか、じゃあな、斧乃木ちゃん」
「うん、またね、鬼のお兄ちゃん」
またね、と彼女は言った。
それは単に友人としてまた僕に会えるよう言ってくれた善意の言葉だったのか。
僕がまだ怪異と関わるつもりならばいずれ会うことになってしまうよ、という皮肉だったのか。
真の意図を僕は測れない。
けれど。
「何暗い顔してんのよ、アンタは私のプロデューサーなんでしょ?」
「水瀬」
「アンタが言ったのよ、私は神様すら超越することが出来るんだって」
「ああ、言ったな」
それは紛うことなき本音だ。
いや、水瀬だけじゃない。
765プロの皆は全員、原石だ。
きらきらと輝いていて、その姿を見るだけで生きる力を与えてくれる。
「だったら全力で私をサポートしなさい。私たちにはアンタが必要なんだから」
そんな皆に必要とされるのならば、そんな彼女たちと共に歩めるのなら、僕は自分の命さえ厭わないだろう。
こんなことを言ったらまたひたぎに怒られそうだが、それが阿良々木暦という人間もどきの人間なのだ。
「そうだな――とりあえず、水瀬のネコミミはティンと来た。あの方向で売り出そうか」
「ばーか。にひひっ」
今回はちょっとだけ、いい落ちで終われたと思える物語だったのだ。
いおりレオン END