「いや、だってマイナス2℃だよ?アホじゃん」
「なんの言い訳にもなってません。こっち来ないでください」
先輩は声を震わせながら、私に体を寄せてくる。
曰く極度の寒がりだそうで、室内だというのにブレザーの下にカーディガンを着こみ、マフラーを巻いている。
「温め合おうず」
「今、ストーブ点けますから、ちょっと退いててください」
私は適当に先輩の体を押しのけて、がさごそとマッチを探す。三番目の棚の奥底で、去年の部誌の余りに紛れていた。
ガスの臭いが部室に広がって間もなく、石油ストーブが着火した。
元スレ
先輩「ちょっとこれは寒すぎる」後輩「ちょ、邪魔です」
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1355059272/
「あー、あったけー」
ストーブの前にしゃがみ込んで、かじかんだ手を温める先輩。
「マフラー焦げますよ」
「うお、あぶね」
先輩は垂れ下がったマフラーを首に巻きなおして、再び手を火にかざした。
この前、先輩に挙げたマフラーだ。なんだかんだ使ってくれてるんだなあと、ちょっとうれしくなった。
「私、もうすぐ卒業だぞよ」
ストーブに当たって、こっちを振り返らないまま先輩はそう呟いた。
そんな先輩の背中は、小さく見えた。
いや、先輩は私より身長が低くて、その背中は実際、子猫みたいに小さいのだけど
いつも見ているよりもずっと、切なかった。
「卒業、したくねーなー」
多分、それは先輩の本音だと思う。
普段は「早く女子大生になりてー」だなんて言ってたくせに。
結局、私達と離れ離れになるのは寂しいらしくて
石油ストーブの前で一人、しんみりしていた。
私は、なんて声をかけたらいいのか分からなくなって、ただ一言
「卒業っていっても、エスカレーターじゃないですか」
と、なんとも風情のない台詞を吐いてしまう。
まあ、それは本当の事だ。
うちの高校は、中高一貫の女子大付属だし。学校近いし。
どのみち私も、そこに進学するつもりだし。
別に、永遠にサヨナラっていうわけじゃない。
だから、先輩がどうしてそんなに寂しがっているのか、私にはわからない。
先輩が卒業しても、私は先輩の事を好きでいるつもりだ。
それは格好つけるなら多分、運命にも似た決意なんだろう。
女の子同士だなんて、女子校では珍しくもない。
石ころを投げればレズに当たる。そういっても過言ではないくらい、ごく有り触れた恋の形だ。
先輩の卒業を機に、改めようなんて気はさらさらないし、先輩を諦めるつもりもない。
むしろ、卒業間近っていうのはチャンスでもある。
今日にしたって、絶好の告白日和だ。寒い冬。部室で二人きり。
石油ストーブの上のヤカンから上り立つ湯気が、私を急かすようだ。
だけど、それにもかかわらず、手をこまねいて、二の足を踏んでいる私がいる。
「今までずっと好きでした」とただ一言、それだけで全てが決まる。
イメージトレーニングは何度だってやってきた。今更結果が怖いわけではない。
だけど、言えない。
今にも泣きだしそうな先輩の背中に、まんまと飲み込まれてしまって、告白どころではなかった。
「先輩、泣かないでください」
「泣いてねーし」
そういって、潤ませた目で私を見る先輩。やっぱり、愛おしいと思ってしまった。
「後輩ちゃんは「すぐにまた会える」っていうけどさ、文芸部とはもうお別れなんだぜ?」
先輩の両目から、堰を切ったように泪が零れ落ちた。ブレザーを濡らしていく。
私まで泣いてしまいそうだった。ていうか泣いた。
そういえばそうだった。
もうすぐ『文芸部』の先輩はいなくなってしまうのだ。
一緒に書いた小説も、グダグダ過ごした毎日も、全部全部思い出に変わってしまうのだ。
あと一か月もすれば、先輩のいた文芸部は終わってしまって
果たして私は、どんな日々を過ごしていけばいいのだろうか
先輩がいる部室が当たり前で、私が声をかければ、先輩は振り向いてくれて
それももうすぐ、終わってしまう。
イメージが出来なくて、不安で、泣いてしまった。
不意に先輩が抱きついてきた。締め付けるような強い抱擁に、咳き込みそうになった。
私はそれに、泣きじゃくりながら応えた。我ながら情けなかった。
声も出なかった。二人して無言のまま、お互いの肩を涙で濡らした。
ヤカンの音がしゅうしゅうと、部室に鳴り響いていた。
結局、先に泣き止んだのは私の方で、先輩はしがみつくようにして、なかなか離れてはくれない。
頭を撫でた。髪が指の間を擦り抜けていく。
いまだ先輩は肩を震わせて、ぐすぐすと泣いている。
先輩が泣くところを見たのは初めてではないけれど、こんなに泣き虫な先輩を見るのは初めてだった。
「先輩。私達、お別れなんてナシです。毎日メールします。毎週、遊びに行きましょう」
そうやって言葉をかけても、機嫌を直してくれそうにはない。困ったお姫様だ。
「だって……」
「だって…?」
先輩は私の胸に顔をうずめて言った。
「いつまで待っても、告白してくれねーんだもん……」
一瞬時間が止まったような気がした。
私の理解が追いつかなかった。まず耳を疑って、その次に脳みそを疑った。
だが、確かにそう言った。
それでも納得のいかなかった私は、間抜けにも聞き返してしまう。
「え?い、今なんて?」
「は、恥ずかしいから、二回も言わすなよ」
私を抱きしめる腕が、きゅうと強くなる。
「後輩ちゃんが、いつまで待っても告白してくれないから、拗ねてんの」
「は?」
全くもって理解の外だ。何が起こっているのかわからなかった。
「私が文芸部にいる間に、捕まえてほしかったのにさ」
「ちょ、ちょっとまってください?」
もうすでに結論が出ていることを、聞き返してしまう。ヘタレな私の悪い癖。
「先輩、私の事好きだったんですか?」
返事はなかった。おそらく、そのとおりだいう意思表示だろう。
「その為に、急かすようなことも言った」
早く女子大生になりたい。っていうのは、そういうことだったのか?
「でも、全然気づいてくれないし、卒業しても会えるなんて呑気なこと言ってるし」
すみません……。
「私、知ってたんだぜ?両想いだってこと。だから、ま、待ってたのに!」
「先輩」
「っ…」
「遅れてごめんなさい」
「別に、怒ってない」
「ずっと好きでした」
「…私も」
頭はまだまだ、冷静さを取り戻せずにいる。
だからこそ、できることがあった。
今まで、手を繋いだことも、抱き合ったこともある私たちは
この日初めてキスをした。
ヤカンが吹く音が鳴り響いく部室。十数秒ものあいだ私たちは唇を重ね合わせて、それから互いに見つめ合った。
泣きに泣いてお腹が減ったのか、先輩の胃袋がぐう、と唸った。
丁度お湯が沸いていた。ヤカンを石油ストーブからとりあげて、部室のキッチンにあったカップヌードルにお湯を注ぐ。
私たちは一つのカップヌードルを分け合うようにして食べた。
おしまい