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妹「兄さんって呼ばせて下さい」【前編】


38 : VIPに... - 2011/06/12 18:19:58.77 IrZ68Ybwo 218/508

………………………。
…………………。
……………。
………。







【──五年後──】







39 : VIPに... - 2011/06/12 18:21:10.31 IrZ68Ybwo 219/508

「……志望動機ですか?」

「その、以前から貴社の評判を伺っておりまして」

「このたびは、ええと……」

「……え?」

「本音を聞きたい?」

「…………」

「いや……はい、分かりました」

「実は……」

「前の会社で、嫌な上司にセクハラを受けまして」

「それで、思わず……」

「……はい」

40 : VIPに... - 2011/06/12 18:21:47.86 IrZ68Ybwo 220/508

「バチンって、頬を引っ叩いてしまいました……」

「……いや、申し立てようとも思いましたが」

「その人にも家庭があるし、子供もいたんで」

「その……なんていうか、躊躇われちゃって……」

「……家族ですか?」

「家族は……もう、いません」

「……はい」

「い、いえ……気になさらずに……」

「…………」

「敗者の定義……ですか?」

「……それは、何か、採用に関係が?」

「あ、はい。分かりました」

41 : VIPに... - 2011/06/12 18:22:14.33 IrZ68Ybwo 221/508

「そうですね……」

「敗者って……」

「つまり、やりたくもないことをやらされている人ですよね?」

「その中には、辛くて、でも、必死に頑張って苦労してる人もいるのに」

「どうしようなく、もがき苦しんで……」

「…………」

「だから、とっても可哀想な人だと思います」

「……すみません、幼稚な考えで……」

「え?」

「そうですか……それは、ありがとうございます」

42 : VIPに... - 2011/06/12 18:22:41.19 IrZ68Ybwo 222/508

「……敗者が抜け出す方法」

「んー……これは少し、難しいですね」

「……でもやっぱり」

「こういう社会に生きている以上、犠牲は必要ですよね……」

「みんなは幸せにはなれないから、誰かが苦労しないといけない」

「……だから、可哀想だけれど」



「私は、簡単に抜け出す方法はないと思います」



43 : VIPに... - 2011/06/12 18:23:07.13 IrZ68Ybwo 223/508

──会社

「…………」

部下「あ、部長」

「どうした?」

部下「もう帰られますか?」

「ああそのつもりだが……どうかしたか?」

部下「その、出来上がった資料を見て頂きたくて」

「……んー、そうだな」

44 : VIPに... - 2011/06/12 18:23:34.62 IrZ68Ybwo 224/508

「本当は、今すぐにでも確認したいのだが……」

「実は、今日は急ぎの用があるんだ」

部下「あっ、そうなんですか?」

「すまん……明日の朝一でもいいか?」

部下「そういうことでしたら、全然構わないです」

「悪いな……また明日」

部下「はいっ、お疲れさまでした」

……………。

46 : VIPに... - 2011/06/12 18:24:07.54 IrZ68Ybwo 225/508

男性「……あ」

男性「そこの君っ!」

「ん?」

「……って、社長じゃないですか」

男性「珍しいな、帰りが一緒になるなんて」

「定時に帰るなんて久しぶりですよ」

男性「はは、私もだ」

「じゃあ、また家で会いましょう」

男性「……ん、どうだろう」

47 : VIPに... - 2011/06/12 18:25:29.23 IrZ68Ybwo 226/508

「はい?」

男性「運転手付きの車に一度乗ってみる気はないか?」

「……それは、お誘いってことですね?」

男性「無論だ」

「ならば、社長の誘いを断る部下はいませんよ」

「もちろん、お供させて頂きます」

男性「ん、よく出来た返事だ」

48 : VIPに... - 2011/06/12 18:26:10.65 IrZ68Ybwo 227/508

──車内

男性「どうだ、最近の調子は」

「おかげさまで順調です」

「昇格した当初こそ、うまくいかないことも度々ありましたが」

「今では、何とかやれているという実感があります」

男性「ふむ……それはいい兆候だ」

男性「社内でも君の評判はすこぶる良いし」

男性「今のところ、何の問題もないな」

「ありがたい話ですね」

男性「……どうだ、あの話は考えてくれたか?」

「……それは」

男性「君にとっては重圧かもしれないが」

男性「私は、それを成し遂げる才を君が持ち得ていると考えている」

「……でも、いいんでしょうか」

49 : VIPに... - 2011/06/12 18:26:41.17 IrZ68Ybwo 228/508

男性「何が問題だ?」

「…………」

男性「引け目を感じる必要などないのだよ」

男性「結果も残しているし、誰も不満には思わないだろう」

「会社の人間はそうでしょう……でも」

男性「……やはり、死んだ息子のことか」

「……はい」

男性「それは、私が口に出来る範疇のことではないな……」

男性「……息子と君だけの問題だ」

「…………」

男性「もうしばらく、検討していてくれ」

男性「出来るだけ前向きにな」

「すみません、お時間を取らせてしまい……」

男性「いいんだ。今でも、君は十分にやってくれているよ」

50 : VIPに... - 2011/06/12 18:27:58.09 IrZ68Ybwo 229/508

「……ありがとうございます」

男性「……ん、話を変えよう」

男性「それで、君は何を買った?」

「え?」

男性「ほら、分かるだろ?」

「あー、はい」

男性「高価なものか? 今なら十分な給与もあるしな」

「はは、全てお見通しですね」

男性「会社の社長は私なんだぞ?」

男性「部下がどれだけ稼いでいるかは、大体、把握しているよ」

男性「特に君の場合は浪費癖もないし」

男性「口座の残高は見るときは笑いが止まらないだろう」

「そんなことはないですよ」

男性「またまた……で、何を買った?」

51 : VIPに... - 2011/06/12 18:28:38.13 IrZ68Ybwo 230/508

「……内緒です」

男性「社長の私にも言えないのか?」

「ここからは、ただの息子と父の関係ですからね」

男性「それを言われると、強気に出れんな……」

「まあ、後少しの辛抱です。すぐに分かる事ですよ」

男性「楽しみにしてるよ」

「さて……そろそろ着きそうですね」

男性「ん、頭を切り替えんとな」

「はい」

「……ただ」

キキッ……。

「……着きましたね」

52 : VIPに... - 2011/06/12 18:29:06.09 IrZ68Ybwo 231/508

ガチャ……。

「どうぞ、父さん。お降りください」

男性「はは、ありがとう」

男性「……で、今、何を言いかけたんだ?」

「……その」

男性「ん?」

「……そろそろ一年経ちますね」

男性「……あ」

男性「そういうことか……」

「…………」

男性「分かっている……余り、考えたくはないがな」

「はい……」

男性「……よし、開けるぞ? 頭の切り替えはいいか?」

53 : VIPに... - 2011/06/12 18:29:36.88 IrZ68Ybwo 232/508

「……ん、大丈夫です」

男性「ならば問題ない」

ガチャン……。

「ただいまぁー」

「……あ」

たったったったっ……。





「お兄ちゃん、おかえりっ!!」






54 : VIPに... - 2011/06/12 18:30:02.60 IrZ68Ybwo 233/508

──リビング

パーンパーンっ!

「うわっ……」

「誕生日おめでとうっ!」

「お、お兄ちゃん……ありがとうございます」

父親「おめでとう」

母親「ふふ、おめでと」

「お父さん、お母さんも、ありがとう……」

「しかし、今日は豪勢な料理だね」

父親「七面鳥の丸焼きなんて、ほんと久しぶりに見たな」

母親「この子も手伝ってくれたんですよ」

「ちょっとだけですけどね」

父親「なんだ、誕生日の本人も料理に参加したのか」

母親「もちろん、私はしなくていいって言ったんですけど……」

55 : VIPに... - 2011/06/12 18:30:28.62 IrZ68Ybwo 234/508

「でも……やっぱり、悪いですから」

「何だ、まだ家族に遠慮してるのか?」

「……だって、その」

母親「いいじゃない。私は凄く助かったんだから、ね?」

「まあ、そうだけど」

男性「よし、早速、ご飯にしよう」

男性「おいしそうな料理を温かいうちに食べないと罰が当たるからな」

女性「そうですね……でも、その前に」

男性「ん?」

「父さん、もう忘れてるのか?」

男性「あ……ああっ、そうだった!」

「しっかりしてくれよ? ほんと、歳なんじゃないのか?」

男性「やかましい……」

「ええと……」

56 : VIPに... - 2011/06/12 18:31:08.33 IrZ68Ybwo 235/508

女性「お父さん、早く」

男性「ん……妹、誕生日おめでとう」

「あ、はい」

男性「それで、家族の皆からプレゼントを渡したい」

「……えっ」

男性「私からはこれだ。色々、迷ったんだがな……」

「……あの、開けても?」

男性「もちろんだ」

ガサガサ……。

「……あっ……腕時計……」

男性「うむ。どうだ? 気に入ってくれたか?」

「は、はいっ……すごく、可愛いです……」

「でも、歳の割には、ちょっと可愛すぎるかもな」

男性「……あっ……そ、そうか……」

57 : VIPに... - 2011/06/12 18:31:42.33 IrZ68Ybwo 236/508

「お、お兄ちゃんっ! 大丈夫ですよっ! 全然、付けられますからっ!」

男性「それならいいんだが……」

女性「じゃあ、私からはこれね……よいしょ……」

「お、大きいですね」

女性「うん」

ガサガサ……。

「最新型のフードプロセッサー!」

「なんだよ、それ……」

父親「おい、自分のために買ったんじゃないだろうな……」

女性「違いますよ。この子、料理がとっても好きみたいだから」

「ありがとうございますっ! しかも、赤で可愛いっ!」

「……思いの他、凄く喜んでるじゃん……」

父親「なんだ……そういうので良かったのか……」

58 : VIPに... - 2011/06/12 18:32:17.76 IrZ68Ybwo 237/508

「うわぁ……夢広がるなぁ……」

「……コホンコホン」

「……あ」

「そろそろ、大トリの出番だな」

「お、お兄ちゃんも……?」

「当たり前だろ。ほら」

「……ええと」

「いいから開けてみろ。喜ぶかは保証出来ないけどな」

「う、うん」

ガサガサ……。

「……これ……もしかして……」

「…………」

59 : VIPに... - 2011/06/12 18:32:51.88 IrZ68Ybwo 238/508

……パカッ。

「…………」

女性「……指輪ね」

男性「あ、ああ……」

「ど、どうだ? もしかして……気に入らなかった?」

「……ううん」

「わたし……凄く、嬉しいですよ……」

「うん……本当に……」

「…………」

「ありがとう……お兄ちゃんっ」

60 : VIPに... - 2011/06/12 18:33:20.80 IrZ68Ybwo 239/508

──会社

「さて、今日も一日、必死に汗をかかなければならないわけだが」

「業務連絡の前に、皆に伝えておくことがある」

「……よし、こっちに来てくれ」

「……は、はい……」

「本日づけで、われわれの部署に新しいメンバーが加わる」

「主な業務は私専属の秘書みたいなものだが」

「君らが忙しく困ったときにも、雑務などを手助けてしてくれるはずだ」

「では、紹介しよう」

「……新しい仲間、女さんだ。みんな拍手」

パチパチパチ……。

「これから、よろしくお願いしますっ!」

61 : VIPに... - 2011/06/12 18:33:56.69 IrZ68Ybwo 240/508

──部長室

「これが、今週中の私の予定表だ」

「は、はい」

「それと、今後のスケジュール管理は君に一存する」

「何か問題や重複があった際には、その都度、私に聞いてくれればいい」

「分かりました」

「初めのうちは不慣れなことが多いはずだ」

「だから、少しでも疑問が生まれたときには、すぐに私に聞くように」

「了解です」

「今の段階で、分からない事は?」

「特に……ないですね」

「よし、あとアポ無しの面談希望は基本断っていいからな」

「あ、はい」

「最近、本当に多いんだよ」

62 : VIPに... - 2011/06/12 18:34:29.78 IrZ68Ybwo 241/508

「このご時世だからこその、なりふり構わずの営業なんだろうが」

「こちらからすれば迷惑この上ないのでな」

「そうですね……」

「あまりにもしつこい場合は、そのときに言ってくれ」

「私の方で対処しておくから」

「はい」

「ん、まあ、こんなところかな?」

「あとはもう、やってみない限りは分からないだろう」

「私に聞きたいことはあるか?」

「その……」

「ん?」

「す、凄いですね」

「何がだ?」

「私と面接のときから、お会いしていたじゃないですか」

63 : VIPに... - 2011/06/12 18:34:57.07 IrZ68Ybwo 242/508

「ああ。だから、君を採用した」

「その時には、年齢も少し上ぐらいに見えましたし」

「だから、ただの人事部の方だと思っていまして」

「……まさか、部長さんだとは」

「まぁ実際、かなり若いからな」

「……その若さで部長ってことは、相当、やり手なんですね」

「はは、違うよ。大きな声では言えないが……」

「は、はい」

64 : VIPに... - 2011/06/12 18:35:48.01 IrZ68Ybwo 243/508

「実は、親の七光りなんだ」

「……え?」

「具体的には、父がこの社の社長ってこと」

「そ、そうなんですか?」

「だからはっきり言うと、ただのボンボンってやつだな」

「……は、はぁ」

「不甲斐ないところが多少見受けられるかもしれないが」

「その時は、そういうことなんだなって、受け流してくれよ?」

「わ、分かりました」

「ん、なら、雑談は終わりだ。仕事を始めようか」

「はいっ」

65 : VIPに... - 2011/06/12 18:36:22.46 IrZ68Ybwo 244/508

──車内

「さて、月に一度の病院での検査だ」

「はぁ……」

「気乗りしないか?」

「……そうですね」

「いつも言っているが、やはり万全を期さないとな」

「それは、お前も分かってるはずだろ?」

「はい……」

「ん、ならいい」

「……お兄ちゃんは嫌になりませんか?」

「嫌になる?」

「わたしは、この日が来る度に……」

「自分が未だ病気のままなんだって、再確認させられます」

「…………」

66 : VIPに... - 2011/06/12 18:36:50.83 IrZ68Ybwo 245/508

「普段は何の支障もなく、それこそ、楽しい生活を送っていて」

「だけど、やっぱり、今のわたしは本来の自分じゃなくて」

「……何年ぐらいになるんですか?」

「ん?」

「わたしが昔の記憶を失ってから……合わせてどれくらいに?」

「……約六年だ」

「六年……もですか」

「…………」

「そんな長い事、思い出せなかった」

「何度繰り返しても、また、同じことの繰り返し」

「同じ場所を行ったり来たり……ただそれを永遠と」

「違う。少しずつだけど、前進してる」

「そう思いますか?」

「ああ」

67 : VIPに... - 2011/06/12 18:37:47.51 IrZ68Ybwo 246/508

「わたしは今回も駄目な気がしちゃうんですよね」

「以前と確かに状況は違うみたいですけど」

「急激な変化があったわけでもないですし……それこそ」

「考えすぎても駄目だぞ?」

「でも……」

「ほら、俺があげた指輪」

「え?」

「形にしたプレゼントを送ったのは初めてだ」

「…………」

「そうやって、些細な変化が積み重ねって」

68 : VIPに... - 2011/06/12 18:38:44.70 IrZ68Ybwo 247/508

「いつの日か、きっと前に進める日が来るはずだ」

「……そう願ってます」

「ん……」

「…………」

「最後に一つだけ」

「……何だ?」

「わたしが今感じてる感情は……」

「……昔のわたしも抱いていたんでしょうか……?」

「…………」

「……すまん」

「……俺には分からない……」

69 : VIPに... - 2011/06/12 18:39:11.30 IrZ68Ybwo 248/508

──親友の部屋

「…………」

「……なぁ、親友」

「お前に語りかけるのは、久しぶりだな」

「とっくの昔にお前は死んじまってるっていうのに」

「形見のカメラに向かって、こうやって語りかけている」

「未練がましいというより……」

「正直、端から見ると異常だな」

「……でも、少しだけ」

「自分でも分からなくなったんだ……」

「俺の前回の選択は、明らかに間違いだったのかもしれない」

「仕方ないと言えば、それで話は終わりなんだが……」

70 : VIPに... - 2011/06/12 18:39:57.11 IrZ68Ybwo 249/508

「あいつに……無駄な心配をさせてしまっている自分が嫌になるんだ」

「妹がどんなに苦しくても、辛くても、悲しくても」

「俺は、あの子の代わりをしてやることが出来ない……」

「想像は出来ても、実際、どんなことを考えているのかは分からない……」

「昔の、無駄に悩む癖に、決断はできなかった自分はとうに捨てたよ」

「これが正しいと、例え、誤りでも前に進もうって」

「この5年間、そう常に言い聞かせてきた」

「けれど……」

71 : VIPに... - 2011/06/12 18:40:28.01 IrZ68Ybwo 250/508

「今回はやってしまったのかもしれない」

「……俺だけが苦しむだけなら、幾らでも構わないんだ」

「けど、アイツが……」

「…………」

「……やめた」

「こんなことやっていても、どうにもならない」

「親友は……もう、死んだんだ」

「この世界に、心を委ねられる友は……」

「一人もいない」

72 : VIPに... - 2011/06/12 18:41:01.81 IrZ68Ybwo 251/508

──部長室

「……ふー」

コンコン……。

「入ってもよろしいですか?」

「ああ」

……ガチャ。

「お茶を持ってきました」

「気が利くね。ありがとう」

「実はお茶とコーヒーで迷ったんです」

「もしかして、後者の方が良かったですか?」

「あー……うん、今度はそうして貰った方が嬉しいかな」

「分かりました。お砂糖はいくつで?」

「いらない。ブラックでいい」

「了解です」

73 : VIPに... - 2011/06/12 18:41:32.75 IrZ68Ybwo 252/508

「……どうだ? 仕事には慣れたか?」

「おかげさまで、一通りのことは何とか」

「同僚の方もみなさん良い人たちばかりで、感謝してます」

「そうか、それは良かった」

「お仕事、大変そうですね」

「ん……まあな」

「今日、お昼休み取ってませんよね? 部屋から出てきませんでしたし」

「ちょっと仕事の進行が遅れててな」

「今後に支障をきたすから、早めにこなしておかないと」

「そうですか? 部長は仕事が早いと、もっぱら噂ですよ?」

「はは、これまた誰が持ち上げてくれたんだ?」

「みんなです」

「上が出来ると俺たち部下は大変だって」

「そんなことも言ってるのか」

74 : VIPに... - 2011/06/12 18:42:16.64 IrZ68Ybwo 253/508

「ここだけの内緒の話ですよ」

「だから、聞かなかったことにして下さいね?」

「ふむ……内緒の話なら仕方ない」

「ふふっ」

「……そうだ、少し時間をもらってもいいか」

「何でしょうか? 仕事の話?」

「いや、ものすごく私事の話」

「私事……」

「少し女性の意見が聞きたくてな」

「もしもだぞ、本当に仮の話なんだが……」

「はい」

「理由は分からないが、落ち込んでいる女性がいる」

「……へ?」

75 : VIPに... - 2011/06/12 18:42:43.10 IrZ68Ybwo 254/508

「そんな女性を励ます時、一番、効果的なのはどんな手段だ?」

「何かと思えば……ふふ、そうですねぇ……」

「あくまでも、仮の話だからなっ」

「その女性は部長とどんな関係なんですか?」

「……まぁ、近しい関係であることは確かだ」

「なら、何でもいいと思います」

「おいおい、適当に流さないでくれ」

「いや、本気で言ってますよ」

「部長自身が励ましてやりたいって、元気にしてあげたいって」

「そう思ってした行動なら、きっと」

「彼女さんは、分かってくれるはずですから」

「……そうなのか?」

「女っていうのは、意外と単純なんですよ?」

「男性の方の多くは、余り分かっていないようですけど」

「…………」

76 : VIPに... - 2011/06/12 18:43:21.95 IrZ68Ybwo 255/508

「人と人の付き合いだからこそ、想いが大事なんです」

「それは、異性同性問わず一緒のことだと思いますよ」

「……そうか」

「少しでも参考になりましたか?」

「ああ、胸の中の靄が消えたようだ」

「それは良かったです。じゃあ、これで」

「ん、ありがとう」

「はい。では失礼します」

「……あ、そうだ」

「何ですか?」

「『彼女さん』じゃないからな」

「……ふふっ」

77 : VIPに... - 2011/06/12 18:44:01.41 IrZ68Ybwo 256/508

──妹の部屋前

「…………」

「……よし」

コンコン……。

「はーい」

「俺だけど、入ってもいいか?」

「お、お兄ちゃん? 何の用ですか?」

「ちょっと二人で話をしたいなって思ってな」

「え、ええと……」

「それとも今日はやめた方がいいか?」

78 : VIPに... - 2011/06/12 18:44:26.93 IrZ68Ybwo 257/508

「い、いやっ! そんなことないですっ!」

「でも、ちょっとだけ待ってて下さいねっ!」

「それはいいけど……」

「すぐに終わりますからっ!」

ガサゴソッ!ガタンッ!バタンッ!

「…………」

……………。

79 : VIPに... - 2011/06/12 18:45:06.31 IrZ68Ybwo 258/508

ガチャ……。

「はぁ……はぁ……」

「もう入ってもいいですよ……」

「う、うん」

「どうかしました……?」

「凄くげっそりしてるけど、大丈夫か?」

「……色々、片付けたいものもありましたし」

「この際、良い機会でした」

「そ、そうか……」

「はい。そこのベット座っていいですよ」

「ありがとう」

「……で、話って何ですか?」

「いや、特に決まった話題があるわけじゃないんだが」

「少しお前と雑談でもしたいなぁって思ってさ」

80 : VIPに... - 2011/06/12 18:45:48.09 IrZ68Ybwo 259/508

「でも、夕飯の時もしましたよね?」

「二人だけじゃなかっただろ?」

「あ……はい」

「どうだ、身体の調子は?」

「いたって健康です。お兄ちゃんも仕事の方はどうですか?」

「順調……って、わけにはいかないなぁ」

「もしかしていじめられてたり……?」

「はは、そんな学生時代じゃあるまいし」

「ただここ最近は、仕事の量がいつになく多くてな」

「……大変そうですね」

「楽しくはあるよ。充実してるっていう実感もある」

「流石、お兄ちゃんです」

81 : VIPに... - 2011/06/12 18:46:16.19 IrZ68Ybwo 260/508

「あっ、そうだ」

「ん、どうした?」

「お兄ちゃんに、わたしからも話がありました」

「というと?」

「実は今日、久しぶりに服でも買いたいなって思って」

「日中、買い物をしに外に出てたんですけど」

「ほう、いいじゃないか」

「それで、気に入った服が一つ見つかって」

「お店の方に『試着をなさいますか?』って聞かれたんです」

「ああ」

「……その、この前の誕生日にお兄ちゃんから指輪貰いましたよね」

「だから、わたし、最近、いつも指輪をはめているんですけど」

「その時に、店員さんがわたしの指輪を見つけて……」

「『とても綺麗な指輪ですね。お似合いですよ』って」

82 : VIPに... - 2011/06/12 18:46:47.73 IrZ68Ybwo 261/508

「……うん」

「とっても、嬉しかったです」

「なんかここ最近、一番、幸せだった気がします」

「そんなに喜んでもらえるとは、贈った俺も嬉しいよ」

「……お兄ちゃんは」

「ん?」

「多分、わたしを励ましにきてくれたんですよね?」

「……え?」

「大丈夫ですよ。わたしは、落ち込んだりしてませんから」

「今も毎日が、幸せですから」

「お前……」

「『些細な変化が積み重なって』」

「『いつの日か、きっと前に進める日が来るはず』」

83 : VIPに... - 2011/06/12 18:47:31.32 IrZ68Ybwo 262/508

「お兄ちゃんの言った通りです」

「……そうなのか?」

「…………」

「本当に、全く心配がないって言い切れるんだな?」

「……それは」

「お前を見てるとさ、いつも頑張りすぎているような気がするんだ」

「弱音を吐かずに、他人を心配させまいと必死になって」

「端からは、何の問題もなく過ごしているようだけど」

「でも……そんなわけ、ないじゃないか」

「……っ」

「他の家族に言えない事でも」

「俺は、お前の全てを受け入れてやりたい」

「…………」

「……そうだな」

「お兄ちゃん……?」

84 : VIPに... - 2011/06/12 18:48:20.05 IrZ68Ybwo 263/508

「『どんなに辛くても、苦しくても……』」

「『悲しい時は、一緒に悲しんでやる』」

「『泣きたい時は、一緒に泣いてやる』」

「だから」

「……うん」

「俺の前では隠さなくてもいいんだ。我慢しなくていいんだ」

「……言うだけでも、少しは楽になるぞ?」

「……う……」

「…………」

「……あ、あのね……」

「ああ」

「……本当は……怖い……」

85 : VIPに... - 2011/06/12 18:48:50.05 IrZ68Ybwo 264/508

「怖くて、怖くて……」

「時には、気が狂っちゃうぐらい、恐ろしい」

「……やはり……か」

「その中でも、寝る時が一番怖いかな?」

「朝起きて、もしもまた記憶を失ってたら……」

「そう考えたら、夜も眠れない……」

「…………」

「ねぇ、お兄ちゃん……」

「……ん?」

「もしも、明日」

「或いは、これから先」

「……記憶を失ったら、今のわたしはどうなるんですか?」

「…………」

「死んじゃうの? 消えちゃうの?」

86 : VIPに... - 2011/06/12 18:49:18.60 IrZ68Ybwo 265/508

「……それは」

「怖いよ……本当に怖い……」

「今の自分がなくなっちゃうって……嫌だよ……」

「せっかく、指輪も貰ったのに……」

「こんなに毎日が楽しくて幸せなのに……」

「そうやって抱いた記憶も、感情も……」

「想いも……」

「全部、なくなっちゃうの……?」

「……っ」

ぎゅっ……。

「お兄ちゃん……」

「明日が怖いよぉ……」

87 : VIPに... - 2011/06/12 18:49:51.16 IrZ68Ybwo 266/508

「……失うのが怖いの……」

「分かってるっ」

「俺が側にいるからっ、守るからっ」

「だから、だからっ!」

「……うん」

「……ありがとう、お兄ちゃん」

「…………」

「でも……」

「何となく、分かってる」

「……今回は、長く持った方だよね……」

「……え……」

「わたしは……」

「もう……」

88 : VIPに... - 2011/06/12 18:50:19.32 IrZ68Ybwo 267/508

「……あ」

「ああ……」

「…………」

「……妹……?」

「……え?」

ぎゅっ!

「あの……」

「いいんだ……」

「……何も言わなくていいんだ……」

「……えっと……」

89 : VIPに... - 2011/06/12 18:50:45.48 IrZ68Ybwo 268/508

「…………」

「すみません……」

「こんなこと、失礼かもしれませんが……」








「──あなた、誰ですか……?」








90 : VIPに... - 2011/06/12 18:51:19.21 IrZ68Ybwo 269/508

──病院

「…………」

「…………」

「考えろ、考えろ考えろっ」

「次の方法だ……次の……」

「……っ」

「くそっ!」

……ガンっ!

「どうしてうまくいかないっ!」

「何が悪かった? 何をミスしたっていうんだっ!」

「……くそ、くそ……」

「…………」

「……ふぅー……」

「落ち着け……落ち着くんだ……」

91 : VIPに... - 2011/06/12 18:52:00.62 IrZ68Ybwo 270/508

「焦っても仕方ない……もう一度……」

「今度こそは失敗しないぞ……」

「…………」

ガチャ……。

「……ん」

男性「……大丈夫か?」

「俺のことはいいです……彼女は?」

男性「今、先生が検査しているところだ」

男性「まあ、毎度のこと、同じ結果だろうがな」

「…………」

男性「……しかし、何度経験しても辛いものだな」

男性「ああやって、急に初対面の対応をされると……」

男性「……胸を締め付けられるものがあるよ」

「……七回目」

男性「ん?」

92 : VIPに... - 2011/06/12 18:52:44.52 IrZ68Ybwo 271/508

「アイツが再度記憶を失うのはこれで、七回目ですよ……」

男性「…………」

「初めてを入れれば、八回……」

「……何も前に進む事が出来ていない」

男性「だが、今回はいつもより長かっただろ?」

男性「全く進んでいないとは、言い切れないんじゃないか」

「そんなのたかが数ヶ月の違いですよ……」

「しかも今回の場合、彼女を相当苦しませてしまった……」

「……にもかかわらず、この結果です」

男性「……そんなに自分を責めるな」

男性「君がいたからこそ……あの子も約一年過ごせたんだ」

「…………」

「……あ……」

男性「どうした?」

93 : VIPに... - 2011/06/12 18:53:26.47 IrZ68Ybwo 272/508

「……『君がいたからこそ』か……」

「…………」

男性「……何か、問題があったか?」

「違います……もしかしたら」

男性「なんだ?」

「……今までをもう一度、整理してみましょう」

男性「あ、ああ」

「……彼女が二回目に記憶を失った時」

「あれは俺のせいですが……妹は兄の死を知ってしまった」

「そして、記憶を失った」

男性「そうだったな」

「三回目から七回目までは、余り、変化もなく……」

「一年も経たない程度で、まあ、長さに若干の違いはありましたが」

「これまた、記憶を失いましたね」

94 : VIPに... - 2011/06/12 18:54:04.11 IrZ68Ybwo 273/508

「そして、八回目」

男性「…………」

「彼女が約一年周期で、記憶を失っていることを本人に伝えました」

「あえてその事実を隠さずに、アイツに認識してもらったわけです」

「そのせいで、妹は日々を悩み続けることになったわけですが……」

男性「その代わり、猶予が伸びた」

「でも、結果は同じ」

「俺にとっては、余り大差はないです」

男性「…………」

「だから、今度」

「次は今までと全く変わった手段を取りましょう」

「それが『急激な変化』になる……」

男性「……どうする?」

「俺は家を出ます」

95 : VIPに... - 2011/06/12 18:54:46.43 IrZ68Ybwo 274/508

男性「……なっ」

「兄を偽るという前提……」

「それを一旦、やめてみませんか?」

「兄という存在を、今回は、無かった事にするんです」

男性「しかし、君は一度、会っているんだろう?」

「その辺りは、うまく誤摩化してもらうことにして……」

「今後はしばらく病院で生活してもらうようにしましょう」

「その間に親友の荷物は一旦、違う場所に移して」

「兄の存在がない家にしてから、彼女に普段の生活を送らせるんです」

「ん……そうすれば、うまくいく」

男性「…………」

「どうかしました?」

男性「……本当に意味があるのか?」

「今は、分かりません……もしかしたら、悪い方向に進むかもしれない」

男性「なら……」

96 : VIPに... - 2011/06/12 18:55:19.32 IrZ68Ybwo 275/508

「でも、前に進むことを躊躇っていたら」

「いつまで経っても、同じことの繰り返しです」

「永遠に、彼女は元の記憶を取り戻さない」

男性「……それは」

「はい?」

男性「それは、そこまで必要なことなのだろうか……?」

「……どういうことです?」

男性「確かに、昔の思い出も全て思い出せば」

男性「私としても嬉しい事だ……だが」

男性「結局、あの子は現実で兄の死を受け止められず」

男性「自殺未遂を謀ったんだぞ……?」

「…………」

男性「もし仮に、今後、記憶が戻るとして……」

男性「けれど、その時には……」

男性「あの子が自殺してしまう可能性が生まれてしまう」

97 : VIPに... - 2011/06/12 18:55:50.47 IrZ68Ybwo 276/508

男性「親としては、それだけは避けたい」

「……しかし」

男性「君の気持ちは理解しているつもりだ」

男性「だが、最近、私は思う……」

男性「一年毎に娘が記憶を失ってしまったとしても」

男性「別段、何の問題もないのじゃないか、と」

「……それを彼女本人に言えますか?」

「一年しか……いや、一年も生きられない、あの子に?」

男性「……もちろん、言えんよ」

男性「だが、生きていることに変わりはないだろう?」

「…………」

男性「幾ら記憶を失おうとも、親の子に対する愛は消えたりしない」

男性「それにな……最早、私は、あの子より君の方が心配だ」

「……はい?」

98 : VIPに... - 2011/06/12 18:56:17.27 IrZ68Ybwo 277/508

男性「少し取り憑かれているんじゃないか?」

男性「勝手な私の見解だが、君は人生をあの子にために犠牲にしている」

「……何を言うかと思ったら」

男性「…………」

「『犠牲』?」

「俺が、あいつの為に人生を無駄にしてる?」

「そんなことありませんよ」

「……というより、逆です」

男性「……逆?」

「アイツがいてくれているからこそ、今の俺がいる」

「生き恥晒しながら、生きていられるんです」

「……もしも、妹が今後、死んだりなんかしたら」

「そのときこそ、俺の死ぬときですね」

男性「……今までも、薄々感じていたが」

99 : VIPに... - 2011/06/12 18:56:45.64 IrZ68Ybwo 278/508

男性「……君は少し異常だな……」

「……かもしれません」

「けど、今の俺にはアイツしかいないんです」

「父も、母も、親友も失った今」

「アイツだけが、俺をこの世界に繋ぎ止めてくれる」

「大切な人たちを無意味に奪っていった、汚いこの世界からね」

男性「…………」

「俺は諦めません」

「仮に誰もが匙を投げたとしても、俺だけは決して」

「──諦めない」

100 : VIPに... - 2011/06/12 18:57:18.38 IrZ68Ybwo 279/508

──部長室

「…………」

「……仕事が全く進まないな……」

「あれからまだ一週間も経たないというのに、この調子か……」

「アイツに会えないっていうのは……」

「想像していた以上に辛い……」

「……でも」

「今度は、うまくいくような気がする」

「今までとは違う、全く新しい試みだ」

「……きっと、アイツも昔のように……」

「根拠はないのに、そう信じてしまいそうだな……」

「…………」

……………。

101 : VIPに... - 2011/06/12 18:57:44.55 IrZ68Ybwo 280/508

コンコン……。

「部長、失礼します」

「……ああ」

……ガチャ。

「コーヒーをお持ち……って、どうかしたんですか?」

「……ん?」

「その……」

「……何だ?」

「凄く辛そうな表情をしてましたよ……?」

「……はは……そう見えたか?」

「は、はい……」

「……少しな、プライベードで色々あって」

「もしかして……こないだ言っていた『彼女さん』のこと?」

「うまくいきませんでしたか?」

102 : VIPに... - 2011/06/12 18:58:12.67 IrZ68Ybwo 281/508

「『彼女さん』じゃないよ……妹──」

「……って……」

「……妹?」

「部長に妹がいたんですか?」

「……話すつもりはなかったんだがな」

「思わず、口走ってしまったみたいだ……」

「……ほんと駄目だな……」

「その……差し支えなければいいんですけど」

「……少しお話を聞かせて貰えませんか?」

「……それは」

「私、思うんです」

「時には、他人に話すってだけで」

「気持ちが多少和らぐことが……誰にでもあるって」

「……確かにそうだ」

103 : VIPに... - 2011/06/12 18:58:39.54 IrZ68Ybwo 282/508

「なら、少しだけ話させて貰おうかな……」

「……はい」

「……実のところ」

「私には……いや、俺には妹がいるんだ」

「そうだったんですか」

「ああ……で、こないだ話した、落ち込んでいる子っていうのが」

「妹さんだったんですね……」

「その通り」

「どうやって、励まそうと?」

「話を聞いてやって、悩みを受け止めて」

「それで一緒にそれを背負ってやる……的なことを言った」

「……私は、凄くいいと思いますよ」

「でも、結果は駄目だったんだよ」

104 : VIPに... - 2011/06/12 18:59:12.98 IrZ68Ybwo 283/508

「……何度も何度も、繰り返した」

「時には遠ざけたり、辛く当たってみることにもした」

「……ええと」

「でも、そんな些細な変化じゃ何も生まれなくて」

「逆に、悪化させてしまうこともあった」

「…………」

「だから、今回こそはうまくいくって思ってたんだけどな」

「アイツには辛い思いをさせちゃったけど、仕方なかった」

「最早……手段がなかったんだ」

「……はい」

「でも、結末は変わらない」

「何度やっても、同じ事の繰り返し」

「……けど、今度こそは……もしかしたら、ってね」

「思わずにはいられないんだ」

105 : VIPに... - 2011/06/12 18:59:59.16 IrZ68Ybwo 284/508

「すみません……」

「ん?」

「途中から少し分からなくなってしまって……」

「ああ、ごめん……後半、独り言のようになっちゃったな」

「余り気にしないでくれ……今日の俺はどうかしてるから」

「……でも、何となく分かりました」

「部長は、その妹さんのことを凄く大切に感じていて」

「掛け替えのない家族の一人だと思っているんですね」

「……家族、か」

「私にも、昔、一人の弟がいました」

「弟?」

「すっごく、やんちゃな子だったんですよ」

「いつも帰ってくると、服を泥だらけにして」

「そのまま廊下に上がるもんだから、よく母に怒られていました」

「……そうか」

106 : VIPに... - 2011/06/12 19:00:51.06 IrZ68Ybwo 285/508

「それに悪戯好きで、その対象はいつも私」

「時には腹が立つこともされましたけど、今となってはいい思い出です」

「怒られたときに、しゅんとする表情なんて」

「とても愛らしくて……今でも懐かしくて……」

「……君の家族は」

「はい、死にました」

「そうだった……面接の時にもそう言っていたな」

「みんなで県境の山にキャンプに行く予定だったんです」

「弟なんか、絶えず車内で、はしゃいでいて」

「私は平常を装ってましたけど、内心は凄くわくわくしていました」

「大好きな両親と愛らしい弟と」

「テントを張って、近くの川で魚釣りをして」

「夜はバーベキューでおいしいものを食べて、みんなで仲良く寝る」

「そんな光景が、容易に想像できたから……」

「…………」

107 : VIPに... - 2011/06/12 19:01:40.81 IrZ68Ybwo 286/508

「でも、高速を降りて二車線の県道を走っていた時」

「居眠り運転をしていた対向車線の車がはみ出してきて……」

「……一瞬でした」

「大きな衝撃が一回……その後の記憶はありません」

「気がついたときには、病院のベットで管という管に繋がれて」

「……みんな、死んじゃったんです」

「私だけを残して……そう、みんな……」

「……ああ」

「それから数年程、生きる気力が湧かない時期が続いて」

「何度も、自分で命を断とうとも考えたんですけど」

「その時に限って、弟の笑顔が浮かぶんです」

「私より小さかった、あの子の笑い顔が頭から離れなくて……」

「……それで思いました」

「弟の分も生きよう。強く生きようって」

「…………」

108 : VIPに... - 2011/06/12 19:02:16.48 IrZ68Ybwo 287/508

「すみません……なんだか急に私の身の上話をしちゃって……」

「いや、いいんだ」

「……余り他人に話したくない内容だったんだけどなぁ」

「部長って、よく聞き上手って言われますか?」

「はは、生憎、君が初めてだよ」

「ならなんだろ……でも、部長と私って」

「ん?」

「もしかして、凄く似たもの同士なんじゃないですか?」

「…………」

「初めて会ったときから」

「この人は……私と似てるな……って思ったんです」

「……それはさ」

「はい」

「当たり前の話なのかもしれない」

「……え?」

109 : VIPに... - 2011/06/12 19:02:51.02 IrZ68Ybwo 288/508

「俺も、君が話しやすいって感じているから」

「だからこそ、秘書に採用したわけだしね」

「……でも、それって」

「実のところさ……俺もな」

「両親がいないんだよ……」

「え?」

「だから、共感できるのかもしれない」

「二人とも家族を失っているから、かな?」

「……えっと」

「ん?」

「でも、部長」

「何だ?」

110 : VIPに... - 2011/06/12 19:03:17.92 IrZ68Ybwo 289/508

「部長には、お父さんがいるじゃないですか?」

「この会社の社長が……あなたの父親でしょ?」

「…………」

「……ぷ」

「え?」

「はははっ」

「そ、その……」

「駄目だなっ、今日の俺は本当にうっかりしてるよ」

「……ええと、はい……」

「この際だ。君に打ち明ける」

「?」

「社長と俺は血が繋がってない」

「数年前に、養子縁組をしただけなんだ」

111 : VIPに... - 2011/06/12 19:03:54.84 IrZ68Ybwo 290/508

──飲み屋

「……妹さんが記憶喪失?」

「誰にも言うなよ? バレると色々厄介なんだ」

「それは分かってますが、何でですか?」

「恐らくだが……」

「兄の死に自責を感じて、現実から逃避しているんだと思う」

「……あー、はい……」

「その内容について詳しくは俺も聞いていない」

「今更、彼女の両親に聞くのは躊躇うよ」

「なんだか、辛い過去を抉っているように思えるし」

「…………」

「どうかしたか?」

「……いや、気にしないで下さい」

「それで、俺は親友の代わりをすることにした」

「……そこからは話した通りだ」

112 : VIPに... - 2011/06/12 19:04:30.52 IrZ68Ybwo 291/508

「大変ですね……」

「昔はそう思ってたけどな……」

「今は、アイツのためにやれることがあるだけ」

「何もないより、随分気楽だと思えるようになった」

「……そうですか」

「俺にはもう何もないからさ」

「大切な人はアイツを残してこの世にはいない」

「でも、彼女がいるだけ、俺はマシなんだ」

「……その」

「どうした?」

「部長の父親が亡くなって、お母さんが病に倒れて」

「その間、部長は何をしていたんですか?」

「……お袋が入院したのは、田舎に戻ってすぐだから」

「同級生が高校に通い始めたぐらいから、ずっと働いていた」

113 : VIPに... - 2011/06/12 19:05:03.09 IrZ68Ybwo 292/508

「医療費を稼ぐ為に?」

「ああ……初めのうちは大変だったよ」

「……じゃあ、部長」

「うん」

「その時からずっとですか?」

「何がだ?」

「……誰かのために生きていることです」

「それは……」

「この長い人生の中で……」

「部長が自分のためだけに、何も考えずに過ごしていた時期って」

「中学までの、そのたった短い間だけだったんですか?」

「…………」

「それって……」

「異常か?」

「……はい」

114 : VIPに... - 2011/06/12 19:05:43.71 IrZ68Ybwo 293/508

「はは、彼女の父親にも言われたよ」

「『……君は少し異常だな……』ってね」

「…………」

「でも、俺には分からない」

「それが当たり前だったし、今まで疑問を感じた事すらない」

「自分のためだけに日々を過ごすっていうのは、俺の価値観にそぐわない」

「……普通の人はみんな自分のために生きてますよ?」

「そうなのか?」

「え、ええと……」

「それで……今、妹さんは?」

「今度は、一旦、距離を置く事にした」

「死んだ兄を偽っても無理ならば、存在自体なかった事にすればいい」

「今回はそれでやってみる」

「……その、一つ気になることがあるんですが」

「何だ?」

115 : VIPに... - 2011/06/12 19:06:21.26 IrZ68Ybwo 294/508

「それで、部長はいいんですか?」

「……ん?」

「妹さんは一年ぐらいの周期で記憶を失うんですよね」

「そうだ」

「今回の方法で、仮に妹さんがそうならなかったとします」

「でも、前の記憶を取り戻さないままだったら……」

「……部長、あなたは彼女と今後、会えませんよ?」

「それが、何か問題か?」

「…………」

「……問題ですよ」

「どうして?」

「俺の中で、最優先なのは妹が過去を思い出す事」

「けれど、それが叶わなくても」

「記憶の存続が一年周期っていう縛りさえなくなれば」

「かつてのアイツは戻らないが、彼女は第二の人生を始めることが出来る」

116 : VIPに... - 2011/06/12 19:06:51.51 IrZ68Ybwo 295/508

「何の問題はない」

「……部長が妹さんに会えなくても?」

「そうだ」

「…………」

「……やっと分かってきました」

「ん?」

「常に誰かのために生きてきて」

「他のことを考える暇もなく過ごしてきた、あなたは……」

「自己犠牲なくしては、生きられない人間になっているんです」

「……自己犠牲って……そんな大層もんじゃ……」

「なら、妹さんが今後、亡くなったら?」

「もしかして、その時は一緒に死のうなんて思ってませんか?」

「……それは」

117 : VIPに... - 2011/06/12 19:07:19.59 IrZ68Ybwo 296/508

「自分を犠牲にして、誰かを救う状況がなければ」

「自分の生きる意味すら見失ってしまう」

「………」

「今日、私と部長は似たもの同士だと言いましたが」

「……全く内面は違いますね」

「……そうか」

「こんなこと言うのは、大変失礼ですが……」

「記憶を失い続けている妹さんのためにも言わせて下さい」

「……アイツのため?」

118 : VIPに... - 2011/06/12 19:07:56.46 IrZ68Ybwo 297/508

「あなたには……自己ってものがないです」

「中身が空っぽというか……空虚なんです」

「だから──」

「そんな部長は、彼女の近くにいてはいけない人間ですよ」

「だって……そこまでして妹さんは救ってもらいたくないから」

「自分を犠牲にしてまで助けて欲しい……なんて」

「彼女は少しも望んでないはずですよ?」

「妹さんを救うとか、救えないとか、その前に……」

「……部長には今一番にやるべきことがあるんです」

119 : VIPに... - 2011/06/12 19:08:37.12 IrZ68Ybwo 298/508

「自分が何をしたいのか」

「自分の望みは何なのか」

「…………」

「それを確認しなければいけません」

「……それも、無理なら……」

「…………」

「……きついことを言いますが……」

「部長は妹さんの元を去った方がいいです」

「そうすれば、きっと、誰も傷つきませんから……」

129 : VIPに... - 2011/06/12 21:00:52.32 IrZ68Ybwo 299/508

──アパート

「…………」

「……痛いな」

「……胸の奥が……痛い……」

「俺は……」

「間違っていたのだろうか……?」

「……女の言う通り……」

「誰かのために生きて、耐えて……」

「……それは、独り善がりな生き方だったのか」

「…………」

「確かに……思うところはある」

130 : VIPに... - 2011/06/12 21:02:06.91 IrZ68Ybwo 300/508

「全うな職を探したいと適当な言い訳をついて」

「……田舎にいる母さんの元を離れた」

「そのとき、病院にいた母さん、俺を見て……なんて言ったっけ」

「……そうだ」

「『うん。なら、昔の親友を頼りにしなさい』」

「嬉しそうに、笑って、そう言ってくれた」

「俺が……母さんだけのためじゃなくて」

「自分自身のために生きようとしてくれるのを信じて」

「そんな息子の前向きな姿を……きっと喜んでくれたんだ」

「……でも、俺は……それも嘘で」

「ただ単に、手術費用の金が欲しいだけだった」

「結局、母さんの死に際にも立ち会えなくて」

「冷たくなった後の母さんを……ただ見つめることしか出来なかった」

131 : VIPに... - 2011/06/12 21:02:46.44 IrZ68Ybwo 301/508

「…………」

「……ああ」

「ごめんな……母さん……」

「これから……」

「……俺は何をしたい?」

「……何を望んでいる?」

「…………」

「……分からないよ」

「もう、分からない……」

「……何一つ、俺にはないから」

「自分のために、生きる術を俺は知らない……」

「…………」

133 : VIPに... - 2011/06/12 21:46:34.25 IrZ68Ybwo 302/508

──ワインバー

男性「よく来てくれたな」

「……はい」

男性「どうだ、元気にやってるか?」

「そうですね……妹と会えないのは、少し寂しいですが」

男性「……ああ」

「今日はまた、一体、何の用で?」

男性「そのだな……」

「はい」

男性「会社の件だ」

「…………」

男性「あれから時間が経ったと思うが、前向きに検討してくれたか?」

「……それは」

男性「こんなことになってはいるが、私の思いは変わらない」

男性「君になら任せられる。そう、信じている」

「…………」

134 : VIPに... - 2011/06/12 21:47:18.71 IrZ68Ybwo 303/508

男性「息子のことを配慮してくれている気持ちは分かる」

男性「だが、既に君は私と養子縁組を結んでいることだし」

男性「他ならぬ、私の息子と言っても間違いではない」

「……それは、もしものことを考えた保険という話だったですよね?」

男性「もちろん、初めはそのつもりだったよ」

男性「ただ、君の仕事ぶりを聞かせて貰っているうちに」

男性「或いは、我が家で家族皆で笑い合って……」

男性「食事を共にしている君を見ているうちに」

男性「そして……娘と本当の兄のように会話している姿を眺めて……」

男性「……そうしているうちにな、いつの間にか」

男性「君を、家族の一員のように思うようになった」

「…………」

男性「いなくてはならない家族の一人だと」

男性「私の本当の息子なのだと」

男性「……思えてしまってならないのだ」

135 : VIPに... - 2011/06/12 21:48:19.22 IrZ68Ybwo 304/508

「……それは、違いますよ」

男性「そう、ただの勘違いだ」

男性「けれど、今となっては……」

男性「……こういう言い方はしたくないが」

男性「死んでしまった息子より、今を共にしている君の方が大切なんだ」

「……社長……」

男性「君に、私が生涯を尽くして築き上げた会社を託したい」

男性「私の今までの人生の生き写しのような会社を……君に引き継がせたい」

男性「……その気持ちを、分かってくれないか?」

「…………」

男性「まだ時間はある。けれど、無限ではない」

男性「私もそろそろ引退を考える歳に近づいている」

男性「そう遠くない未来……辞めざるをえないんだ」

「……はい」

男性「その時になって、突然、君に任せるわけにはいかない」

136 : VIPに... - 2011/06/12 21:49:11.57 IrZ68Ybwo 305/508

男性「しっかりと根回しを行ってこその、引き継ぎだ」

男性「そうしなければ……下からの反発は相当なものだと思う」

男性「何か私は間違っているか?」

「いえ……その通りです……」

男性「だから、早い段階で頼む」

男性「手遅れにならないうちに、君の返答を望むよ」

「…………」

男性「……妹の話をしよう」

男性「あと数日で、あの子は家に戻る」

男性「君の言った通りの、兄の存在が全くない、我が家に」

「……はい」

男性「どう転ぶかは私には分からない」

男性「……ただ一つ、これは君にとって、いい知らせかもしれないな」

「いい知らせ?」

男性「指輪だよ」

「……え?」

137 : VIPに... - 2011/06/12 21:50:17.37 IrZ68Ybwo 306/508

男性「君が誕生日のあの子にあげた指輪」

男性「なぜか分からないが、病院にいる間のあの子はずっと」

男性「それを片時も外さずに、時には、愛おしそうに撫でていたそうだ」

「……あ、ああ……」

男性「もしかしたら、完全に記憶を失っている訳でもないのかもしれない」

男性「医者が言うには、本人にも分からない深層心理で」

男性「その指輪が、自分にとって大切なものだと」

男性「無意識のうちに理解しているのだそうだ」

「…………」

男性「本当にいいのか?」

「……何がです?」

男性「このままで。あの子と会わないままで」

「…………」

「……それしか、方法がないのなら」

男性「……男君……?」

「それに、もしかしたら、俺は……」

138 : VIPに... - 2011/06/12 21:51:16.92 IrZ68Ybwo 307/508

「彼女にとって、不必要な存在なのかもしれません」

男性「…………」

「そうだ……社長は、敗者が抜け出す方法をご存知ですか?」

男性「……敗者?」

「弱肉強食の社会で、いつも犠牲となっている人たちのことです」

「彼らが、その場から抜け出す方法って、何だと思います?」

男性「…………」

男性「……そうだな」

男性「私は今まで、そうならないようにと努力してきたつもりだ」

男性「だから、抜け出せないとは言わないが……」

男性「……一度なってしまったものは」

男性「そう覆すことは難しいんじゃないだろうか?」

「……そうですか」

139 : VIPに... - 2011/06/12 21:52:23.88 IrZ68Ybwo 308/508

男性「しかし、唐突にどうした?」

「いや……昔、そんな話を親友としたことがありましたね」

男性「……息子と?」

「彼が言うには、簡単な方法があるんだそうです」

「でも俺……そんな大事なことを忘れちゃって……」

男性「君が気にすることじゃない。敗者じゃないだろう?」

「……俺は」

男性「君は地位も金も手にしている。それこそ、望めばその頂点までも、だ」

「……はい」

男性「少し疲れているようだな……大丈夫か?」

「…………」

「……俺を、本当の息子だと思って下さっているのなら……」

「……一つだけ不躾な質問をさせて下さい」

男性「ああ、構わない」

「…………」

140 : VIPに... - 2011/06/12 21:52:55.98 IrZ68Ybwo 309/508

「親友は……」

男性「ん?」

「アイツは何で死んだんですか?」

男性「…………」

「妹が、記憶を失った訳って、何なんですか?」

男性「……それは」

「ずっと聞くまいとしてきましたが、それでも今日は……」

男性「……車の事故だ」

「車?」

男性「息子が、大学にいる妹を迎えに行ったんだ」

男性「けれど、いつまでたっても、彼女の元にアイツは現れなかった」

「…………」

男性「途中の道で、トラックとぶつかった」

男性「どうだ? 意外と、事実はあっけないものだろう?」

144 : VIPに... - 2011/06/12 22:39:23.35 IrZ68Ybwo 310/508

──部長室

「……失礼します」

「ん?」

「こちらの書類にサインをお願いできますか?」

「分かった。そこに置いといてくれ」

「その……すみません。今すぐに欲しいそうで……」

「分かった、少し時間をくれ。今から読む」

「ありがとうございます」

……………。

145 : VIPに... - 2011/06/12 22:40:27.17 IrZ68Ybwo 311/508

「よし、大丈夫だな」

「お手数おかけして、すみません」

「気にするな。他人から頼まれた雑務のようだし、な?」

「え、ええと……」

「私がサインをしたんだ。何の書類であるかは理解している」

「あ、はい……一人、現在進行中で修羅場の方がいて」

「アイツは要領悪いからなぁ。手間をかけてすまない」

「いえ、私も時間がありましたし」

「そうか? はは、なら君の仕事を増やした方がいいのかもしれん」

「……へ?」

「冗談だ。そんな、悲しそうな顔するなよ」

「あ、えっと……冗談?」

「そうだ」

「でも……部長」

「ん?」

146 : VIPに... - 2011/06/12 22:41:04.47 IrZ68Ybwo 312/508

「部長は……私のこと怒ってますよね?」

「怒ってる? 一体、何の話だ?」

「その……私がこないだ飲み屋で失礼なこと言ったから……」

「ああ、そのことか」

「は、はい」

「気にしてないよ。いや……それは違うか」

「えっと、どっちなんですか?」

「怒ってないのは確かだ。でも、気にはしてる」

「…………」

「簡単に言えば、目下探索中だ」

「自分自身のための、望むことをね」

「……そうですか」

147 : VIPに... - 2011/06/12 22:41:34.04 IrZ68Ybwo 313/508

「ただ、いまだに見つからないから困っているよ」

「長い間ついてしまった習慣は、そう簡単には拭いきれないようだ」

「頑張って下さいね……」

「ん、分かってる。妹のためにもな……」

「…………」

ピピピピッ……。

「ん? 電話?」

「あっ、すみません……」

「席を外していたので、部長への電話は直通になってます」

「とりあえず、私が出ましょうか?」

「いや、営業からなら、私が直々にガツンと言ってやろう」

「ふふっ」

……ガチャ。

148 : VIPに... - 2011/06/12 22:42:08.94 IrZ68Ybwo 314/508

「もしもし?」

『……男君か?』

「その声は……社長?」

「……え?」

「一体、どうしたんですか?」

男性『いや、そのだな……』

「私……一旦、部屋から出た方がいいですか?」

「いや、いい」

「……あ、はい……」

男性『ん? 誰かいるのか?』

「大丈夫です。それで、なぜ会社の電話に?」

男性『急いで出たものだから、携帯を持ち合わせていなくてな……』

149 : VIPに... - 2011/06/12 22:42:38.84 IrZ68Ybwo 315/508

男性『その、今、病院にいるんだ……』

「……ちょっと待って下さい。だって、今日の朝は」

男性『あの子が家に来る予定だったな……ただそれが……っ』

「……少し落ち着きましょう。まず、どうなったかを」

男性『……突然、あの子が倒れた』

「倒れた?」

男性『初めは不思議そうに家の中を歩き回っていたんだが』

男性『……急に何かを呟いていたと思ったら、倒れた』

「それで病院に戻ったわけですね……。今、アイツは?」

男性『それが……』

「……?」



男性『──また記憶を失ったよ』



157 : VIPに... - 2011/06/12 23:10:58.71 IrZ68Ybwo 316/508

──病院

たったったった……。

男性「……来たか」

「……はぁ……はぁ……」

「……そ、それで……アイツは……っ」

男性「……今は寝ている」

男性「というより、医師は昏睡状態と言っている……」

「……なっ」

「ちょっと待って下さいっ、記憶を失ったって……」

男性「……倒れてから一度、家の中で目を覚ました」

男性「その時に、記憶を失っていたことに気付いたんだが……」

男性「その後、また再度、瞼を閉じてしまった……」

「そ、そんな……」

男性「…………」

158 : VIPに... - 2011/06/12 23:12:20.03 IrZ68Ybwo 317/508

「……まだ、たった二週間なのに……」

「それに、昏睡状態? 一体……どういう……」

男性「分からん。だが、異常事態であることは確かだ」

「…………」

「……俺のせいだ……」

男性「…………」

「俺が……兄の存在をなくすなんて行動を取ったから……」

「アイツに……今まで以上の負荷を与えたから……」

男性「違う、君のせいじゃない」

男性「君はただ、必死にあの子を救おうとしただけじゃないか」

「それが……この結果ですよ……?」

男性「それは……」

「あなたが言ったように、止めた方が良かったんだ……」

159 : VIPに... - 2011/06/12 23:12:54.20 IrZ68Ybwo 318/508

「……今までのままなら、一年の縛りはあったけれど……」

「アイツは今を……生きていられたんだから……」

男性「…………」

「……それなのに俺は──」

「少し期間が伸びたからといって、安易な発想を……」

「……くそっ……なんて様だ……」

「……どうしよう……どうすれば……」

「あ、ああ……」

男性「……あの子に会うか?」

「……え……?」

男性「今ならまだ眠っている。だから……」

「…………」

「……は、い……」

「彼女に……アイツに……」

「──……会わせて下さい……」

162 : VIPに... - 2011/06/12 23:39:37.79 IrZ68Ybwo 319/508

──病室

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「……寝顔はこんなに安らかなのにな……」

「五日間も眠りっぱなしなんて……」

「……昏睡状態なんて……誰が信じられる……?」

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「……っ」

「……ごめん……ごめんっ……」

「……俺が、俺が悪いんだ……」

「……もう二度と、あんなことをしないから……」

「頼むから……お願いだ……」

「もう一度起きて……」

「……優しい笑い顔を見せてくれ……」

「……むすっとした怒り顔を見てくれよ……」

163 : VIPに... - 2011/06/12 23:40:45.48 IrZ68Ybwo 320/508

「……すぅ……すぅ……」

「…………」

「もう……いい……」

「……俺のしたいことなんて、望む事なんて……」

「そんなの最早どうだっていい……」

「……俺がやる」

「お前の大事な兄は……俺が演じるから……」

「ずっと……ずっと、だ……」

「……お前が必要とするなら、それこそ死ぬまで……」

「演じきってやる……本当の兄にしか、思えない程に……」

「…………」

「俺の人生……?」

「そんなの、初めからないようなものだ……」

164 : VIPに... - 2011/06/12 23:41:35.48 IrZ68Ybwo 321/508

「……父さんが死んでから、俺は一人では生きられないだから……」

「自分のために生きるなんてことは、出来ないから……」

「……だから」

「だからっ」

「……頼む……頼むからさ……」

「目を覚まして……くれよ……?」

「……すぅ……すぅ……」

「……指輪を、さ……」

「……俺が……誕生日にあげただろ……?」

「『女性になら、こんな可愛いのはどうですか』」

「そう、お店の人に薦められて買ったんだ……」

165 : VIPに... - 2011/06/12 23:42:20.14 IrZ68Ybwo 322/508

ぎゅっ……。

「…………」

「……左、薬指……か……」

「……なんでだ……」

「何でなんだよ……」

「……お前……意味分かってんのかよ……」

「……こんなの……」

「……こんな……」

「……っ」

「もう……」

「……意味はないんだから……」

169 : VIPに... - 2011/06/12 23:52:02.80 IrZ68Ybwo 323/508














「──……ん……?」














170 : VIPに... - 2011/06/12 23:52:38.20 IrZ68Ybwo 324/508

「……え?」

「……あれ……ええと」

「あ……」

「……ああっ……」

「?」

「……っ」

ぎゅっ!

「……あの……」

「目を覚ましたのかっ……目をっ……」

「……すみません……ここは……」

「病院だよっ……お前、五日間も眠りっぱなしでっ……」

171 : VIPに... - 2011/06/12 23:53:16.22 IrZ68Ybwo 325/508

「その……あなたは……」

「…………」

「……俺は……」






「──お前の兄だっ」






248 : VIPに... - 2011/06/14 15:19:03.26 SbUCwt4uo 326/508

──病院

「……入るぞ」

「あっ……ええと……」

「お兄ちゃん、ですよね……?」

「ああ……まだ覚えてないか?」

「いえ……その、起きてから頭がぼーっとしてて……」

「まだ今があやふやというか、現実じゃない気がして……」

「……記憶喪失……ですもんね……」

「…………」

「すみません……」

「……あなたを心配させてちゃって……」

「こんなこと言ってたら……駄目ですよね……」

「……いいんだよ」

「え……?」

「お前の辛くて、苦しくて、悲しい事を全部……」

249 : VIPに... - 2011/06/14 15:19:55.29 SbUCwt4uo 327/508

「一緒に背負ってやるって」

「全てを受け入れるって」

「そう、約束した」

「…………」

「だから、気にするな。強がらなくていい」

「言いたい事、聞きたい事を我慢しなくていいんだ」

「……は、はい……」

「……じゃあ、お兄ちゃん……」

「少しだけ話を聞いて下さい……」

「うん……」

「今、わたし」

「この世界が夢なんじゃないかって思うんです……」

「……夢?」

「深い深い夢の中」

「朝になったら、全てを忘れてしまいそうな……」

250 : VIPに... - 2011/06/14 15:21:05.07 SbUCwt4uo 328/508

「……そんな果敢ない夢の中……」

「…………」

「もしかしたら、逃避なのかもしれません……」

「……ただ今を認めるのが恐ろしいだけなのかもしれない……」

「でも、これが現実なら……」

「……記憶を失ったわたしと……」

「……記憶がある以前の自分……」

「……それは同じだと言えるんでしょうか……?」

「…………」

「過去を思い出せないわたしは、もう別物なんです……」

「……何が嬉しかったか、どんな感情を抱いていたのか」

「そんな些細なことさえ分からない……」

「……だから、今のわたしは空っぽ……なんですよね」

「……『空っぽ』……か」

「…………」

251 : VIPに... - 2011/06/14 15:21:58.67 SbUCwt4uo 329/508

「……けど」

「え……?」

「ただ一つだけ……」

「……何故だかは、わたしにも分からないんですが……」

「……ん?」

「……指輪」

「あ……」

「左薬指にあるこの指輪を眺めていると……」

「……心が落ち着くんですよ」

「とっても、温かい気持ちになるんです……」

「…………」

「お兄ちゃん……」

「……これは、誰からの贈りものですか?」

「わたしにとって、どんな意味があるんですか……?」

「きっと、これは……」

「昔のわたしと、今のわたしをつなぎ止める……」

「……たった一つの、証拠だから」

253 : VIPに... - 2011/06/14 15:37:32.67 SbUCwt4uo 330/508

「お兄ちゃん……教えて下さい……」

「この指輪の訳を」

「……この感情の意味を」

「…………」

「……お兄ちゃん……?」

「……そうだな」

「お前は知るべきなのかもしれない」

「……え?」

「それを贈った相手は、お前のことが好きだったんだ」

「……それも、ずっと昔から、な」

「…………」

「ただ、運命っていうのは残酷で……」

「相手は、今を生きるだけで精一杯で」

「……お前とは長い事、離れ離れだった」

「……それで……その人はっ……」

「…………」

254 : VIPに... - 2011/06/14 15:38:55.34 SbUCwt4uo 331/508

「……今は、もういない」

「……え?」

「それは……」

「もちろん、死んだってことじゃないぞ?」

「でも……近くにはいないんだ」

「また、遠いどこかへ行ってしまった……」

「……もう届かないどこかへ……」

「…………」

「だから、忘れよう」

「もう終わったことだからな……」

「……そう、ですか」

「すまんな……辛い話をしてしまって……」

「……いえ」

「……訳が分かっただけでも嬉しいです」

「そうか……」

「…………」

「いつか」

255 : VIPに... - 2011/06/14 15:39:26.68 SbUCwt4uo 332/508

「……ん?」

「……いつの日か……」

「また会える日がくるといいですね……」

「…………」

「……その人と」

「過去を懐かしんで、今を笑え合えるような」

「そんな日が……くるといい、です……」

「…………」

「……そう、だな……」

「…………」

257 : VIPに... - 2011/06/14 16:26:06.84 SbUCwt4uo 333/508

──親友の家

「…………」

女性「はい、これ。温かいうちに飲んで下さいね」

「……ありがとうございます」

男性「しかし、君がこうやって家にくるのも久しぶりだ」

男性「以前は、この家で四人一緒に寝泊まりをしていたのにな」

「……はい」

男性「どうだ? 戻る気はないか?」

「……しばらくはあの部屋にいようと思います」

「アパートとの契約がまだ残っていますし……」

「でも、妹がこの家に戻れるようになったら、その時は……」

男性「……そうか」

「……申し訳ないです」

男性「気にするな。それで、どうだった?」

「…………」

258 : VIPに... - 2011/06/14 16:26:56.02 SbUCwt4uo 334/508

男性「昏睡状態から目覚めて、まだ一日だ」

男性「ひとまずは安心だが……今朝のあの子の様子は?」

「……今は、大丈夫だと思います」

「記憶がなくなった事実に納得できていないようですが」

「それでも、少しすれば、落ち着くはずです」

男性「……ふむ」

男性「まあ、振り出しに戻ったと考えればいいか」

「……はい」

男性「しかし、本当に良かったな」

男性「あのまま、寝たきり状態のままだったら……と」

男性「そんなことを考えると、身の凍る思いだ……」

「……すみません」

男性「いや、君を責めるつもりがあったわけじゃないぞ?」

男性「それに、終わりよければ全てよし」

男性「紆余曲折はあったが、あの子は目を覚ました」

259 : VIPに... - 2011/06/14 16:27:48.78 SbUCwt4uo 335/508

男性「それが、結果だ」

「…………」

女性「……お父さん」

男性「ん?」

女性「その……あの話……」

男性「……ああ……」

「話?」

男性「……そのだな、今後について昨日、二人で話し合った」

男性「それで……私たちは……」

男性「今回、あの子に会う機会を最小限にしようと思う」

「……どういうことです?」

女性「そのね……前回のことを私たちもよく考えてみることにしたんです」

「……つまり、妹が二週間で記憶を失った時のことですか?」

女性「そう、その時のこと」

女性「今一度考えると……」

女性「どうしても、あなただけに責任があったとは思えなくて……」

260 : VIPに... - 2011/06/14 16:28:45.93 SbUCwt4uo 336/508

「……ちょっと分かりません。それは……」

女性「あなたは死んだ息子を偽ることをやめて……」

女性「それで、前回は私たち二人であの子を支えることにした」

女性「でも、結果はあの通り……」

「…………」

女性「それで思ったんです」

女性「もしかしたら、記憶喪失になる責任は私たちにあるんじゃないかって」

女性「家族という形が……あの子には苦痛になってるんじゃないかって」

「……ええと」

男性「だから今回は、私たち二人は会うのを極力避けようと思う」

男性「けれど、いつまでも、という訳にはいかない」

男性「私たちだって、あの子に会いたい気持ちは君と同じように……」

男性「いや……親子であることを考慮すれば、それ以上のものだからな……」

「……はい」

男性「娘の状態が安静して、家に戻って来れるようになってから」

男性「その時こそ、私たちが温かく迎えてやろうと、そう決めた」

261 : VIPに... - 2011/06/14 16:29:33.09 SbUCwt4uo 337/508

「…………」

女性「……どうかしら? 間違っていたら、教えて下さい」

「……いえ」

「お二人がそう言うのなら……分かりました」

男性「頼めるか?」

「はい、任せて下さい」

男性「……すまんな、君に頼るばかりの私たちを許してくれ」

女性「本当に、ごめんなさいね……」

「お気になさらずに……」

「どちらにせよ、俺のやることは変わりませんから」

男性「……そう言ってもらえると心強いよ」

男性「あと、そうだ」

「もしかして、会社のことですか?」

男性「あ、ああ……そうだが、もう少し時間が欲しいか?」

「……いえ」

262 : VIPに... - 2011/06/14 16:30:01.22 SbUCwt4uo 338/508

「よろしくお願いします」

男性「……ん? それは……」

「私でいいと仰るなら、自分の力を存分に揮いたいと思います」

男性「……本当か?」

「既に、覚悟はできました」

「だから、お願いできますか?」

男性「……もちろんだ」

男性「そうか……」

男性「君がついに……私の会社を率いていてくれるか……」

男性「ん……これで、やっと安心できるな……」

「…………」

274 : VIPに... - 2011/06/14 20:31:40.34 SbUCwt4uo 339/508

──部長室

コンコン……。

「失礼します」

「……あっ、おはよう」

「部長もお早うございます」

「……で、妹さん、どうなりましたか?」

「……目覚めたよ」

「あぁ、そうですか……」

「本当に良かったですっ!」

「……あ、うん」

「でも、元気ないみたいですね……?」

「何か別の問題でも?」

「……いや」

「君に言ったことが守れそうもないなって、ね」

「……言ったこと?」

275 : VIPに... - 2011/06/14 20:32:14.79 SbUCwt4uo 340/508

「自分のために生きるって」

「したいこと、望むことを探すって」

「……ああ、はい」

「けど、最早、そうも言ってられなくなった」

「時間がない……というより、これからは失敗できない」

「…………」

「本当はアイツが記憶を取り戻したり」

「過去を失わないように、前に進むのが正しいのだけど」

「……時には、その正しさが過ちになる場合もある」

「そういうことですね?」

「うん」

「これからの俺の人生は、妹のために」

「少しでも、繰り返す短い時間を支障なく生きてもらうために」

「……俺は、また、誰かのための生を続ける」

「……そうですか」

「悪いな……君には心配かけた」

276 : VIPに... - 2011/06/14 20:32:45.60 SbUCwt4uo 341/508

「部長がそう決めたんなら、そうして下さい」

「私はああ言いましたけど、自分の決断に自信を持てば」

「何事も……或いは、どんな苦難でさえ、乗り切られるはずです」

「ん……」

「……でも、部長」

「何だ?」

「部長の人生って、波瀾万丈ですね」

「はは、確かにそうだな……」

「……だから」

「?」

「これから、きっと……」

「必ず部長にも、いいことが訪れると思いますよ?」

「…………」

「ん……そう、願ってる」

277 : VIPに... - 2011/06/14 21:09:09.08 SbUCwt4uo 342/508

──アパート

「……よし、今のところ、順調だ」

「アイツも眠りから覚めたし、後はこのまま続けるだけ」

「今まで同じように、兄になりきればいい」

「一年毎にアイツは記憶を失うが……それはこの際、仕方ない」

「何事も、全てを望んでいては台無しになってしまう」

「どこかで諦めなければ、それこそ、終わりだ」

「人のために生きて……ただ日々を暮らす……」

「ずっとそうしてきた……そして、これからも」

「…………」

「……なのに、なぜだ……?」

「この気持ち悪さ……違和感……」

「……俺は……」

「…………」

「……何に気付いてしまったのだろう……?」

278 : VIPに... - 2011/06/14 21:51:11.23 SbUCwt4uo 343/508

──病院

「ん……」

「あ……お兄ちゃん……」

「……寝てたのか?」

「いや……最近、少し眠たくて……」

「起こしてしまって悪いな……また出直そうか?」

「大丈夫です……ちょっとくらくらしますけど」

「それもすぐに治るはずですから……」

「……ならいいが」

「でも、これって……」

「ん?」

「ふふ……もしかしたら、まだ夢の中だったりして?」

「……夢?」

「だったらいいですよね……」

「今は頭の中もふあふあしますし……気持ちいいです……」

279 : VIPに... - 2011/06/14 21:51:44.59 SbUCwt4uo 344/508

「すぅーと余計なものが消えていく感じ……」

「あれ……でも、本当に夢なのかも……?」

「なら、つねってみようか?」

「いいですよ……つねって下さい」

「よし」

ぎゅっ……。

「いたっ……」

「残念だったな。どうやら、夢ではないようだ」

「……んー、そうみたいですね」

「ふふ、まだほっぺたが痛いです」

「ちょっと強すぎたか?」

「いいです。現実だってはっきりと分かりましたから」

「やっぱり、逃避は駄目ですね。しっかり受け止めないと」

「…………」

「そうだ、お兄ちゃん」

280 : VIPに... - 2011/06/14 21:52:22.28 SbUCwt4uo 345/508

「……ん?」

「実は……こういうと変なんですけど」

「どうした?」

「このわたしの指輪って、誰からの贈り物でしたっけ?」

「……この前も説明したよな?」

「それは分かってるんですけど、ちょっと忘れちゃって……」

「…………」

「これを撫でていると、とっても温かい気持ちになるんです」

「でも時々、胸が苦しくなるときもあって……」

「あっ……この話も前にしましたよね……」

「……ああ」

「駄目だなぁ……まだ、覚めきってないみたいです」

「でも、記憶を失ったはずのわたしが指輪に何かを感じるなんて……」

「……一体、どういう意味があるんでしょうね?」

「さあな……俺には分からないよ」

281 : VIPに... - 2011/06/14 21:53:02.68 SbUCwt4uo 346/508

「そうですか……残念です」

「……お兄ちゃんなら、知ってくれていると思ったんですけど」

「そんなことより……どうだ?」

「病院の生活は慣れたか?」

「あ、はい、大体は。ご飯は、あまりおいしくないですけどね」

「そうなのか?」

「なら、お前の場合、食べ物の制限は余りないから」

「もし欲しいものがあったら、俺に言ってくれ。買ってくるぞ?」

「……そうですね……食べたいもの……」

「何かあるか?」

「……あっ」

「食べたいものというより、服を持ってきてもらえませんか?」

「……服?」

「家にあるんですよね? わたしの服」

「それはあるとは思うが……」

282 : VIPに... - 2011/06/14 21:53:41.11 SbUCwt4uo 347/508

「こないだ目覚めたときに……」

「お母さんが、こんど持ってきてくれるって言っていたんですけど」

「最近は……病院に来てくれないので……」

「……ああ、そうか」

「分かった。今から一度帰って、幾つか持ってくるな」

「えっ……今度、来てくれたときで構わないですよ?」

「いや、こういうのは忘れないうちに行動するのに限る」

「それより、いいのか? 男の俺が、下着とか見ても……」

「あー……ええとそうでした」

「……やはり、母さんに頼もうか?」

283 : VIPに... - 2011/06/14 21:54:25.90 SbUCwt4uo 348/508

「いえ……どうせ、履いたか履いてないかさえ分からないんです」

「だから、お兄ちゃん、お願いできますか?」

「お前がそういうなら……分かった」

「すみません、お願いしますね」

「よし、ちょっと待ってろよ」

「またすぐに戻ってくるから。じゃあ」

「はい、よろしくです」

ガラガラガラ……。

……………。

284 : VIPに... - 2011/06/14 21:55:05.54 SbUCwt4uo 349/508

「…………」

「……先生」

医師「……あ、妹さんのお兄さん。こんばんは」

医師「ほぼ毎日のお見舞い、ご苦労さまです」

医師「こんな兄を持っている彼女は、本当に幸せですね」

「あの……」

医師「はい?」

「実は……お伺いしたことがあります。今、時間とれますか?」

医師「それは大丈夫ですが……何かありました?」

「ここでは止めましょう。あの子に聞かれてしまう可能性がある」

医師「分かりました……では、歩きながらでも?」

「大丈夫です。お手数をおかけしますね……」

医師「いえ……」

とことことこ……。

285 : VIPに... - 2011/06/14 21:55:50.54 SbUCwt4uo 350/508

医師「それで……一体何が?」

「先生は、最近の妹の様態で気になることはありませんか?」

医師「いえ、昏睡から戻った後は、比較的安定していると考えています」

「……そうですか」

医師「気になる事でも?」

「記憶のことです」

医師「記憶……」

「さきほど、あの子と喋っていて感じたんですが」

「時たま……記憶の損失があったりしませんか?」

医師「……それはつまり、今現在、進行しているという意味ですね?」

「はい。先日話した指輪のことを覚えていませんでした」

医師「ふむ……」

「偶然だったらいいのですが、何か悪い兆候かもしれない……」

286 : VIPに... - 2011/06/14 21:56:18.12 SbUCwt4uo 351/508

医師「昏睡状態から復帰された患者さんの中には」

医師「しばらくの間、昔の記憶に整合性がとれない方がおられます」

「……でも、あの子の場合はそもそも過去を覚えていない」

医師「起きてからの記憶が安定しないというのは、少し懸念要素ですね」

「今までと違う……ということですか?」

医師「分かりません……とにかく」

「はい……」

医師「私の方でも彼女の経過を注意深く観察してみることにします」

医師「それで、何か分かった時には、お話を」

「なにとぞ、よろしくお願い致します」

288 : VIPに... - 2011/06/14 22:27:50.28 SbUCwt4uo 352/508

──親友の家

ピンポーン……。

「…………」

ピンポーン……。

「……ん」

「誰も……いないのか?」

「……さて、どうするか……」

「…………」

「仕方ない。貰った合鍵で入ろう」

ガチャ……。

……………。

290 : VIPに... - 2011/06/14 22:28:18.50 SbUCwt4uo 353/508

「…………」

「……静かだな」

「親友の代わりに、妹の兄代わりに」

「ここで数年間、暮らしてきた」

「……この匂い」

「もう、完全に慣れてしまった」

「……本当の自分の家だと……錯覚してしまう」

「それぐらい……」

「この家での、数年は大きかった」

「初めて感じた、家族の温もりだった」

291 : VIPに... - 2011/06/14 22:29:05.05 SbUCwt4uo 354/508

とことことこ……。

「……リビング」

「いつもここで、四人で食事して」

「おばさんの料理は毎日おいしくて……」

「それで、アイツのために誕生日を祝った」

「……あの日、俺が指輪をプレゼントした時の妹の顔」

「……とても驚いていて、嬉しそうで」

「でも、泣き出しそうに見えた表情を……」

「今でも鮮明に覚えている……」

「……きっと」

「妹がここに戻ってこれば……」

「あの頃の……楽しい時間が蘇るはずだ……」

「……ん」

「アイツの部屋に急ごう」

292 : VIPに... - 2011/06/14 22:29:31.74 SbUCwt4uo 355/508

とことこ……とこ……。

「……ふぅー」

「久しぶりにこの階段を上るなぁ……」

「昔は感じなかったけど、久しぶりに上ると」

「結構、この急な階段は辛いな……」

「……はぁー……もしかして、俺」

「体力落ちたか……?」

「ん……あと一段……」

「よし……上りきった……」

「…………」

「……親友の部屋の向かい側」

「妹の部屋」

「……開けるか」

ガチャ……。

293 : VIPに... - 2011/06/14 22:30:25.95 SbUCwt4uo 356/508

――妹の部屋

ガサガサ……。

「とりあえず、夏服を入れればいいのか……」

「……しかし、多すぎて何を入れたらいいのか分からん……」

「とりあえず、俺がいいなと思ったのをつめとくか……」

「……これと」

「これと……これ……」

「ん、これは、昔、遊びに行った時に着てたやつだ」

「それも入れて……あと……」

「…………」

「……こんなところだな」

「後は……下着」

「…………」

294 : VIPに... - 2011/06/14 22:31:09.11 SbUCwt4uo 357/508

「……何か、変態みたいだな……」

「ここでおばさんとか、帰ってきたら」

「あとで、色々問題にならないだろうか……」

「…………」

「急ごう……誤解されると後々面倒だ」

ガラッ……。

「…………」

「……す、すごいな……」

「なんで……こんな丸まって整理されてんだ……?」

「むむ……どうしたものか……」

「……よし」

「目を瞑って、幾つか取ろう……」

「…………」

ガサガサ……。

「……一枚、二枚……」

295 : VIPに... - 2011/06/14 22:31:55.03 SbUCwt4uo 358/508

「ええと……次で……──」

がたッ、がたッ……!

「あっ……」

バタンッ!

「……やっちまった……」

「目なんか瞑るから、棚を落っことすんだ……」

「……うわぁ……仕舞うの大変だな……」

「……とりあえず、入れとくだけでいいかな……」

「…………」

「……ん?」

「なんだこれ……」

「……棚の裏に……」

「これは……」

「…………」

「──日記……?」

……………。
………。

300 : VIPに... - 2011/06/15 00:34:48.38 39c0kI24o 359/508







この日記は、記憶を失い続けているわたしが、
せめて自分の生きた証だけでも残したいと日々を記したもの。

望むべくは、これを読んでいるあなたが、
過去を知りたいと望む、もう一人の自分であらんことを。

今、わたしの胸に宿る思いを──
忘れず、あなたも抱いていることを祈る。



20×1年5月21日。自宅にて。





……………。

302 : VIPに... - 2011/06/15 00:37:27.18 39c0kI24o 360/508

──20×0年3月29日。

今日からこのノートに日記を書こうと思う。

今のわたしは、病院から退院して自宅の部屋で、
机に向かってこれを書いています。

そこで、まずは病院内での最初の記憶を遡って、
徐々に今現在のことを書く段階にいければいいかなって思う。
病院にいた時は、メモにちょこちょこっと記していたので、
それに付け加えながら、今度はきちんと書いていこう。

今日はもしかしたら徹夜になっちゃうかもしれないけど、
何とか頑張ります。既に眠いけどね。
拙いところはあると思うけど、長く続くといいなぁ。

303 : VIPに... - 2011/06/15 00:39:41.32 39c0kI24o 361/508

──20×0年3月15日。

わたしが知り得る、一番最初の記憶。

天気は晴れだったと思う。
目覚めたとき、窓から眩い光が差し込んでいたのを今も覚えていて、
この日、わたしは記憶を失って、新たなわたしになった。

過去を失い、目が覚めた私の目に写ったのは、
わたしを心配そうに見つめる、優しい顔立ちの一人の男性だった。

訳が分からずに、狼狽えるわたしを穏やかな口調で落ち着かせ、
その人は、自らのことをわたしの兄と説明してくれた。

『お兄ちゃん』──それが、この人との初めての出会い。

少し経つと、わたしも状況が理解できてきて、
記憶喪失になった事実に、とても悲しくなってしまった。

そんなわたしを、お兄ちゃんは励ましながら、
けれど、辛そうな顔でこう説明してくれた。

304 : VIPに... - 2011/06/15 00:40:54.42 39c0kI24o 362/508

わたしが記憶を失うのは、今回が初めてじゃないこと。
今までのわたしは、のべで七回も記憶を失っていること。
そして、その周期は、約一年であること。

時に詰まりながらも、
お兄ちゃんは分かりやすく何度も、教えてくれた。
今までのわたしには、あえて伝えなかったみたいだけど、
今度こそは現状を打破したい。そう、彼は強く言ってくれた。

けれど、お兄ちゃんが帰って一人になった時、
自分の生が短いことが急に怖くなった。
つまり、自分の記憶は一年だけという事実が、わたしの心を蝕んだ。

この日。

わたしは記憶を失うのが怖くて、
一度も眠れなかった。

305 : VIPに... - 2011/06/15 00:46:28.00 39c0kI24o 363/508

──20×0年3月16日。

記憶を失った二日目の朝。

今日は、お兄ちゃんが両親を連れてきてくれた。

少し険のある男性と、温和な表情の女性。
この二人が、わたしの父親と母親なのだそうだ。

ただ、そう言われても何も感じるものはなかった。
二人の顔立ちが、多少わたしと似てるかな?っと思うぐらいで、
記憶が思い出される気配すらない……。

どうしよう……これから、この二人とうまくやっていけるかな?

ぎこちない会話をお父さんお母さんとしていたら、
お兄ちゃんが笑って指摘してきた。

少し恥ずかしい……。

306 : VIPに... - 2011/06/15 00:50:38.24 39c0kI24o 364/508

──20×0年3月17日。

検査が終わって病室に戻ると、お兄ちゃんが椅子に座って、
わたしのことを待っていてくれた。

お兄ちゃんが来るのは、三日連続。

この人は、どうやらわたしのことを、
とても大切に思ってくれているみたいだ。
素直に嬉しい。

色々、雑談をしていたら、
看護婦さんに面談時間を大幅に過ぎていると怒られて、
しぶしぶ帰って行った。
このとき、記憶を失ってから初めて、わたしは笑った。

この日、久しぶりにぐっすり眠れる。

307 : VIPに... - 2011/06/15 00:55:42.23 39c0kI24o 365/508

──20×0年3月20日。

午前中は、お母さんが果物を持って、お見舞いにきてくれる。
やはり、未だ、ぎこちない会話だ。
でも、苺が一番おいしかったことを伝えると、
お母さんは、笑顔を見せてくれた。わたしも嬉しい。

検査が終わり、部屋に戻ってみると、
お兄ちゃんの姿はなかった。
昨日までは毎日来てくれたのに……どうしたんだろう?

結局、今日、お兄ちゃんは来なかった。
ちょっぴし残念だけど、明日は来てくれるよね?

308 : VIPに... - 2011/06/15 00:59:02.82 39c0kI24o 366/508

──20×0年3月21日。

今日は雨。
お兄ちゃんは今日も来なかった。

夜、お父さんが来てくれて、少し話をした。
お兄ちゃんのことを聞くと、今、仕事で忙しいそうだ。
あと、お父さんが会社の社長であることに驚いた。

309 : VIPに... - 2011/06/15 01:05:35.33 39c0kI24o 367/508

──20×0年3月23日。

久しぶりの日記。
今日もお兄ちゃんは来ないと半ば諦めていたけど、
面談時間ギリギリになって、駆け足で来てくれた。

とても嬉しい。

看護婦さんはお兄ちゃんに怒っていたけど、
わたしもお願いして、少し時間を延長してもらう。

けれど、話している時間はあっという間に過ぎて、
楽しい時はすぐに終わってしまった。

夜、今日も怖くてすぐに眠れなかったので、
どうして、お兄ちゃんがここまで話しやすいのかを考えてみた。

結論は、鳥の刷り込みのようなものだと判断。
記憶を失って初めて見たのがお兄ちゃんだったから。

うん、だから当然の話だ。

310 : VIPに... - 2011/06/15 01:10:01.35 39c0kI24o 368/508

──20×0年3月25日。

わたしの退院が、四日後の29日に決まった。
家族みんなが喜んでくれる。

まだ、お父さんお母さんとは、ぎこちないけど、
昔よりかは普通に喋れるようになった。

お兄ちゃんは、はしゃいで抱きついてきた。
何か言おうと思ったけれど、言葉が出てこなくて、
正直、びっくりしたんだと思う。

後で、お兄ちゃんはお母さんに怒られていた。
けれど、なぜだか、その光景は温かかった。

早く、わたしもあの一員になれるといいなぁ。

311 : VIPに... - 2011/06/15 01:16:23.23 39c0kI24o 369/508

──20×0年3月29日。

そして、この日記を書いている今日。
初めて、自分の家に入った記念すべき日。

わたしがこの家族の一人として、
新たな日々を送る、第一歩である。

想定していた以上に、筆が進んだので、
徹夜しないですみそうだ。
でも、明日の朝はちょっと辛いかな。

ではまた今度。

追記:さっき隣の部屋を覗いたら、
静かな寝息を立てて、お兄ちゃんが眠っていた。

カメラを手に持っていたから、もしかして写真好きなのかな?

……………。
………。

「…………」

「……やめよう」

「これ以上は、俺が見ていいものじゃない……」

「……けど」

「妹……日記なんて、書いていたのか……」

「…………」

326 : VIPに... - 2011/06/15 20:40:41.20 39c0kI24o 370/508

──飲み屋

「……んっ……」

ごくごく……。

「部長、飲み過ぎですよ……」

「……そうか?」

「何杯目ですか? 明日も仕事なのに、二日酔いになりますよ?」

「……別に構わないさ」

「最悪、休んだっていいしな」

「……部長?」

「ん?」

「……仕事には中途半端を許さない部長が」

「そんなこと言ってもいいんですか?」

「……他の部下に告げ口するか?」

「……そんなこと……」

「するわけないじゃないですか……」

327 : VIPに... - 2011/06/15 20:41:19.08 39c0kI24o 371/508

「なら、気にするな。今日は飲もう」

「…………」

「次は芋ロックにするか……よし」

パンッ……。

「いて……」

「もう、店員を呼ぶボタンは押させません」

「一体、何だって言うんだ……」

「酒ぐらい、好きに飲ませてくれ」

「いけません。悔やむのなら、私を誘った自分をです」

「…………」

「……昏睡状態だった妹さんも目を覚まして」

「仕事も至って順調。なのに、今の部長が悩む理由が分かりません」

「……それは」

「お願いですから……」

328 : VIPに... - 2011/06/15 20:41:56.67 39c0kI24o 372/508

「私が尊敬する、いつもの部長に戻って下さい」

「…………」

「それとも、まだ何か問題でも?」

「……違和感が消えないんだ」

「え?」

「胸の奥にある、違和感が日に日に大きくなっていく」

「何かを見逃している……そんな気がしてならない」

「……部長」

「なぁ、こないだ俺に足りない物を指摘してくれた君なら」

「この訳も、実は、分かるんじゃないのか……?」

「…………」

「教えてくれ」

「頼む……俺は一体、何を見落としている?」

「それは……妹さんのことで?」

「……ああ」

329 : VIPに... - 2011/06/15 20:42:26.58 39c0kI24o 373/508

「……私には、分かりません」

「妹さんと、親しくない私には……」

「…………」

「……昨日、日記を見つけた」

「日記?」

「アイツの服を取りに家へ戻ったんだ」

「そしたら偶然……前々回の妹が書いた日記を見つけてしまった」

「……中は?」

「最初の数頁だけ読んだよ」

「…………」

「けれど、その後は読めなかった」

「妹の物を勝手に読む行為に、引け目を感じたのも確かだ」

「……だが、本当の訳は違う」

「……え?」

「俺は、怖かったんだ」

330 : VIPに... - 2011/06/15 20:43:03.90 39c0kI24o 374/508

「……何がです?」

「知ってはいけないこと、内心は気付いていた事実を」

「それを正面から受け止める勇気が……俺にはない……」

「…………」

「どうだ? その実、ちっぽけな人間だろ?」

「……部長は……」

「もしかして、気付いているんじゃないですか?」

「……ん?」

「胸に残る違和感の存在を」

「それが一体、どんなものなのかを」

「…………」

「なら、いつも部長が仕事で言っているように……」

「……そう……」

「──『前に』進みましょうよ」

「……っ」

331 : VIPに... - 2011/06/15 20:43:54.67 39c0kI24o 375/508

「…………」

「部長?」

「……ああ」

「気付かない振りは、もう終わりだな……」

「…………」

「ずっと気がかりなことがあった」

「初めから……五年前、いや、六年前のあの日から」

「親友を偽ることを決意した、あの時から」

「……部長……」

「なぜ……」

「妹は記憶を失った?」

「……あ……」

「自殺までして、この世界から消えようとした?」

332 : VIPに... - 2011/06/15 20:44:39.57 39c0kI24o 376/508

「……俺には、分からないんだ」

「何かが欠けている。それも、とても重要なピースが」

「でも、親友さんは彼女を車で迎える途中の……」

「……車の事故って……」

「そうだ……社長が言った」

「『どうだ? 意外と、事実はあっけないものだろう?』」

「けれど……そんなことがありえるのか?」

「え……?」

「自殺しようとまで」

「今までの記憶全てを失ってまで」

「……そこまでしなければならない程」

「その現実は、アイツを苦しめていたのか?」

「…………」

333 : VIPに... - 2011/06/15 20:45:27.82 39c0kI24o 377/508

「もう見逃せない」

「社長は何かを隠したんだ」

「……俺には知ってもらいたくない何かを」

「もしかしたら……妹を守る為に、家族を守る為に……」

「今は、ただ、その確信が欲しい」

「……その後は?」

「まだ、分からない……」

「けれど、知らない振りをし続けるのは」

「……もう、やめだ」

335 : VIPに... - 2011/06/15 21:13:30.69 39c0kI24o 378/508

──病院

ガラガラガラ……。

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「……寝てるか」

「よいしょっと……」

パタン……。

「実は今日……図書館に行ってきたんだ」

「少し調べ物があってな……」

「残念ながら……予感は的中してしまったよ」

「でも……これから、一体どうするのか」

「正直、今の俺には分からない……」

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「……もしかしたら」

336 : VIPに... - 2011/06/15 21:14:26.59 39c0kI24o 379/508

「俺は間違ったことをしているのかもな……」

「また……お前を傷つけることをしているのかもしれない」

「……俺の今までは」

「過ちだらけの人生だったから……」

「……だから、今回もきっと」

「どこかで重要なミスをしているはずだよ……」

「……すぅ……すぅ……」

「……でも」

「……やっぱり、駄目だ」

「無視できない。捨て去ることはできない……」

「…………」

「……初めに謝っておくな」

「もしや……」

「これから俺がやろうとしていることは……」

337 : VIPに... - 2011/06/15 21:14:56.30 39c0kI24o 380/508

「お前が知られたくないこと……」

「記憶から忘れ去りたいこと……」

「……それを暴くことになるかもしれない」

「…………」

「……ごめん」

「……でも、俺は止まらない」

「ここまで来てしまったものは……もう止められない」

「もう気付いてしまったから……」

338 : VIPに... - 2011/06/15 21:15:28.39 39c0kI24o 381/508

「ずっと胸を蝕んでいた違和感の正体に……」

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「…………」

「だから……」

「……敗者の抜け出し方」

「後は、それを思い出すだけだ……」

339 : VIPに... - 2011/06/15 21:16:05.69 39c0kI24o 382/508

──部長室

「……そうですか」

「ああ」

「なら、これから、どうします?」

「…………」

「……君の知り合いに、関係者はいないか?」

「情報通の人間ということですね?」

「その通りだ」

「……一人」

「かつての友人に、顔が広い人間がいます」

「…………」

「ただ、しばらく連絡を取っていないもので」

「もしかしたら、連絡先が変更していることも考えられます」

「ですので、少し時間はかかると思いますが……」

「頼めるか?」

340 : VIPに... - 2011/06/15 21:16:51.69 39c0kI24o 383/508

「……でも、いいんでしょうか?」

「……何がだ?」

「もし、部長が言う通りの展開だったら」

「……妹さんにとっては、厳しい結末になりますけど……」

「…………」

「……それも十分考慮した上だ」

「けれど、躊躇うわけにはいかない」

「…………」

「さきほどの問いの返事が欲しい。今すぐに」

「君に、任せても良いのか?」

「……分かりました」

342 : VIPに... - 2011/06/15 21:17:30.21 39c0kI24o 384/508

「部長の願いは、私が承ります」

「本当に頼む……今の俺には、君だけが頼りだ……」

「……はい」

「……しかし」

「部長……?」

「やる前から、過ちだと気付いて進むのは……」

「実のところ、今回が初めてなんだ」

「…………」

「意外と、気楽なものだよ」

「全てを覚悟して……前に進められるのだから」

343 : VIPに... - 2011/06/15 21:43:22.42 39c0kI24o 385/508

──病院

「……ん?」

「……あ」

「……お兄ちゃん……?」

「すまん……いつもタイミングが悪いな……」

「いいんです……最近、眠ってばかりいるから」

「本当は昨日も来てくれたんですね、先生が言ってました」

「でも、ごめんなさい……きちんと起きていられなくて……」

「そんなこと気にしなくていい」

「……でも、近頃、睡魔がずっと襲ってきてて……」

「こうしてる今も、とっても眠たいんです……」

「……妹……」

「無理しなくていいから、また今度来るよ」

「……あ、お兄ちゃんっ……」

ぎゅっ……。

344 : VIPに... - 2011/06/15 21:44:35.65 39c0kI24o 386/508

「……どうした?」

「行かないで……今日はお話しましょ?」

「……でも」

「わたしは大丈夫です……眠気なんて、我慢できますから」

「本当か? ……なら」

「はい」

「お前は、何の話がしたい?」

「そうですね……」

「ああ」

「……昔のこと」

「お兄ちゃんとわたしが、まだ小さかった頃の話を」

「……聞かせて下さい」

「…………」

「……そうだなぁ……」

「……うん」

345 : VIPに... - 2011/06/15 21:45:24.35 39c0kI24o 387/508

「一つ、とっておきの話がある。それにしようか?」

「……とっておきの話?」

「小さい頃、俺と俺の友達はよく河原で遊んでいた」

「そんなとき、お前もなぜか、俺たちの後をついてきたんだ」

「わたしが、男子の遊びにですか?」

「ああ、昔のお前はすごく積極的だったんだぞ?」

「へぇー……わたしが……」

「河原では、決まった遊びがあったわけじゃなかった」

「時には、追いかけっこ、隠れんぼ」

「色々やったもんだが……あの日は確か、『てんか』だったなぁ」

「『てんか』? それはどんな遊びです?」

「簡単に言うとな、ボール当てゲームみたいなもんだ」

「一人がボールを持って、誰かに当てる」

「でも、歩ける歩数はボールを拾った時から三歩だけ」

「本当はある程度の人数がいて楽しいゲームなんだが」

346 : VIPに... - 2011/06/15 21:46:26.47 39c0kI24o 388/508

「恐らく、あの時の俺たちは、二人でどちらが強いか競っていたんだと思う」

「……じゃあ、わたしもその中に?」

「そう、俺は怪我するからやめとけって言ったんだけどな」

「でも、入れてみると意外や意外」

「四歳年下だったくせに、ボールをよけるのが神懸かり的にうまかった」

「ふふ……多分、わたし、得意げな表情をしてませんでした?」

「その通り。ダチの奴は、当たらないもんだから、ムキになってたよ」

「そんなことがあったんですね……」

「それで……あるとき、ボールが川の草むらの方にいってしまった」

「俺の友達はそのボールを探しに向かって……」

「河原には、俺とお前、二人だけが残された」

「……はい」

「そしたら、お前が俺の身体に傷があるのを見つけてな」

「傷を無視しようとする俺を無理やり土手につれてって」

「一通り、消毒をした後、可愛いキャラクターのバンドエイドを取り出した」

347 : VIPに... - 2011/06/15 21:47:11.95 39c0kI24o 389/508

「……それで?」

「貼ってくれたよ。俺は女物だから嫌がったけど」

「……ふふ、お兄ちゃんも子供だったんですね」

「そう、子供だった」

「まだ人生の意味も、目的も、何一つ知らなかったガキだった」

「……けど、その幼心でも気付いたんだ」

「え……?」

「お前がそのキャラのグッズが大好きだったこと」

「恐らく、そのバンドエイドも使わないで大事に取っていたんだってな」

「…………」

「なのに、お前は躊躇いも見せずに、それを貼ってくれた」

「……あの時かな」

「うん……確かに、あの時だ……」

「……うん」

348 : VIPに... - 2011/06/15 21:47:49.89 39c0kI24o 390/508

「お前をこれからも大切にしようって」

「それこそ今以上に……な」

「そう、思ったんだ」

「……っ」

「どうだ? 良い話だったろ?」

「……はい……とっても……」

「なら、良かったよ」

「……お兄ちゃんは……」

「昔も今も、変わっていないんですね……」

「……え?」

「今も、わたしのことを大事に、大切に、思い続けてくれている」

「お兄ちゃんは……本当に、わたしの自慢です」

「…………」

「……ふぅー……そろそろ本格的に眠くなってきました」

「……そうか」

「ごめんなさい……せっかく、来てもらったのに」

349 : VIPに... - 2011/06/15 21:48:36.88 39c0kI24o 391/508

「いいんだ……また明日も来るからな」

「ありがとう……お兄ちゃん」

「本当に……本当に……」

「…………」

「……そうだ」

「最後に一つだけ……聞いてもいいですか?」

「何でもいいぞ。気になることがあるなら……」

「……あの」

「ん?」

「わたしのこの指輪って……」



「──一体、誰からの贈りものだったんですか……?」



「…………」

……………。

350 : VIPに... - 2011/06/15 21:49:18.81 39c0kI24o 392/508

医師「確かに、お兄さんの懸念していた通り」

医師「妹さんには、最近の記憶の喪失が所々見られます」

「…………」

医師「今日、詳細な検査を行った結果」

医師「一昨日以前ぐらいの記憶が、非常に曖昧だということが分かりました」

「……これから、どうなるんです?」

医師「それは私にも分かりません……ただ」

「……何ですか?」

医師「それよりも、早急に話さねばならない深刻な問題があります……」

医師「……これを見て頂けませんか」

「…………」

「……グラフ?」

医師「日ごとに、綺麗に上がっていますよね」

「……どういうことです?」

351 : VIPに... - 2011/06/15 21:50:05.98 39c0kI24o 393/508

医師「実はこれ……彼女の一日の睡眠時間なんです」

「……睡眠……」

医師「たびたび彼女が眠たいというので、調べてみたら」

医師「……このような結果が出てしまいました」

「……ちょっと、ちょっと待って下さい」

医師「……はい」

「つまり……ですよ」

「アイツの、寝ている時間が日に日に長くなっている?」

「昏睡状態から覚めてから、今日まで、ずっと?」

医師「……申し訳ない。もっと早めに気付く事ができなくて」

「……ッ」

「今は、謝罪が聞きたいわけじゃないっ!」

医師「…………」

「これは……これが意味するのはっ!」

「このグラフが、一番上まで行った時……」

352 : VIPに... - 2011/06/15 21:50:38.19 39c0kI24o 394/508

「アイツは、妹は……また、目覚めない状態になるってことですか!?」

医師「……その可能性は十分にあります」

「……可能性だと……?」

バンッ!

「あんたも気付いているはずだっ!」

「このままだとアイツは、確実に眠ったままの状態に戻ってしまうっ!」

医師「……お兄さん」

「……どうするんだ……一体、どうすれば……」

「くそっ……何でだっ……何で、またこうなるっ……」

医師「お兄さんっ」

「何度やっても、形を変えた同じ悲劇が繰り返すだけ……」

「……そして、今度はまた眠り続けるだと……?」

「今まで必死に耐えてきたが……いい加減にしろっ……」

「……もう俺は、こんな仕打ち我慢できないっ!」

医師「お、お兄さんっ! 落ち着いて下さ……」

353 : VIPに... - 2011/06/15 21:51:10.75 39c0kI24o 395/508

「──うるさいッ!!」

医師「……っ」

「今まで俺がどんなに我慢してきたかっ!」

「それでも、必死に生きて……耐えてっ!」

「……その結果がこれか?」

「これが、俺とアイツの最後だっていうのかっ!?」

医師「…………」

「あんたには決して分からないよ……」

「俺の気持ちも、妹の気持ちも……何一つ……」

「……駄目だ……」

「もう、どうしていいのか分からない……」

「……今度こそ、終わった……」

「終わりだ……」

「…………」

医師「……お兄さん、聞いて下さい」

354 : VIPに... - 2011/06/15 21:52:26.62 39c0kI24o 396/508

医師「まだ話は終わっていない……というより、ここからが大事なんです」

「……大事? この状況で、か……?」

医師「はい」

医師「……私が推測するに」

医師「今回の結果と、記憶が失われている事実には……」

医師「何らかの強い繋がりがあると思うのです」

「……強い、繋がり……?」

医師「しかし、あくまでも、私の考えということに留めておいて下さい」

医師「それでも良いというなら、お伝え致します」

「……分かった……」

医師「もちろん、さきほど言った最悪の可能性だって考えられます」

「御託はいい……その考えとやらを早く言ってくれ……」

医師「……リセットですよ」

「『リセット』……?」

355 : VIPに... - 2011/06/15 21:54:06.64 39c0kI24o 397/508

医師「何度も記憶を失い続けた妹さんの身体は……」

医師「もう、既に限界値まできていることは周知の事実ですよね?」

医師「こないだの昏睡状態も、それを明らかに意味しています」

「…………」

医師「……けれど、未だに彼女は過去を捨て去る事が出来ない」

「待ってくれ……アイツの記憶は未だ戻っていないぞ?」

医師「それは思い出せないだけで、確実に頭のどこかにはあるんです」

医師「何らかのきっかけ……それも、特に強いきっかけですが」

医師「それさえあれば、彼女は今でも過去を思い出すことは可能なんです」

「……ん」

医師「けれど、彼女にとって、その過去は堪え難いもので……」

医師「今の妹さんには、百害あって一利ない……」

医師「……だから、今回の二つの現象は」

医師「本当の意味で、過去を消し去るまでの準備期間と推測できるでしょう」

「……じゃあ、グラフが上限へ到達したら……」

356 : VIPに... - 2011/06/15 21:55:07.93 39c0kI24o 398/508

医師「彼女は数日間、或いはそれ以上、眠ることになると思いますが……」

医師「再び、目を覚ますはずです」

医師「だって、身体のどこにも異常はないんですからね」

「……でも……それは……」

医師「……はい」

医師「同時に、かつての記憶を蘇らす機会が」

医師「今後、永久に失われることを意味します……」

「…………」

「……あとどれくらい」

「……どれくらいで、アイツは眠りにつく……?」

医師「このまま進行が続けば……」

医師「あと七日」

医師「……それだけしか、持ちません」

362 : VIPに... - 2011/06/15 22:38:33.18 39c0kI24o 399/508

──親友の家

男性「…………」

女性「……そんな、そんなこと……」

「認めたくはありませんが、これが現実です……」

男性「……七日といったな?」

「はい」

男性「……たったそれだけしかないということか……」

女性「うぅ……なんで……なん……で……」

女性「あの子が……あの子が一体、何をしたって……」

男性「……気をしっかりと持て」

男性「今はまだ、泣いている場合ではない」

女性「で、でも……」

「先生が言うには、全く違う可能性もあると」

男性「つまり、再度、昏睡状態になって……また目覚めるというのか?」

「……はい」

男性「しかし、それは医者の個人的見解にすぎないだろ?」

363 : VIPに... - 2011/06/15 22:39:28.41 39c0kI24o 400/508

「それでも、今は……それを信じるしかありません……」

男性「…………」

「どうしますか……?」

男性「……もし」

「はい……」

男性「その医者の言うことが正しかったとしたら」

男性「……今後、あの子は記憶を失うことはないということだな?」

男性「一年という縛りに苦しまずにすむということだな……?」

「そうなりますね……」

「ただ、昔の記憶を思い出す機会を完全に失いますが……」

男性「…………」

男性「……なら、後は待つだけだ」

「待つだけ?」

男性「もう私たちに出来る事はない」

男性「ただひたすら、あの子が目覚めるのを待つだけ」

364 : VIPに... - 2011/06/15 22:40:04.68 39c0kI24o 401/508

男性「逆に目覚めれば、これから、記憶を失うことに恐怖する必要はない」

男性「意外と……悪くない話だと思う」

「……本気で……」

「それは、本気で言っていますか?」

男性「……どういう意味だ?」

「アイツが記憶を失ってもいいと?」

「もう、昔の彼女に戻らなくてもいいって言うですか?」

男性「……君こそ、今更、何を言ってるんだ」

男性「前々から言っていただろう」

男性「あの子にとって辛過ぎる過去なら……」

男性「……それを、無理して思い出す必要はない、と」

「それは……」

「アイツが……自殺を試みようとするからですか?」

男性「そうだ」

「どうしてです……?」

男性「……ん?」

365 : VIPに... - 2011/06/15 22:40:38.51 39c0kI24o 402/508

「そう、自信を持って言い切れる理由は?」

「その行為を食い止める未来だって、あるはずですよ……」

男性「…………」

「……なのに、社長は分かりきっているみたいですね」

「記憶が戻ったアイツの行く先は、『死』があるのみって……」

男性「……血を分けた親子だからな」

「…………」

男性「幼い頃から、ずっと……」

男性「共に暮らし、今までを歩んできたんだ」

男性「あの子のことは、どこの誰よりも」

男性「私たちが一番知っていると、胸を張って言い切れる」

「……それは」

男性「では聞こう」

男性「君があの子といた時間はどれほどだ?」

男性「高校に入る前にこの街を去った君は……」

男性「成長したあの子のことを、何一つ知らないだろう」

「…………」

366 : VIPに... - 2011/06/15 22:41:17.75 39c0kI24o 403/508

男性「どんな悩みを抱えて」

男性「これからの将来をどう考えて」

男性「些細かもしれないが、そういった積み重ねが我々にはある」

男性「……君には、厳しいことを言うかもしれないが」

男性「男君、君に、あの子の何が分かるんだ?」

「……っ」

男性「今のままでいい」

男性「……私たちには、どうせ、待つ事しかできないのだから」

男性「あとの七日間、普通に過ごすことが……」

男性「今の私たちに出来る、唯一のことなんだ」

「…………」

男性「分かってくれたか?」

「……はい」

「……社長の気持ちは理解できました……」

男性「そうか……」

367 : VIPに... - 2011/06/15 22:41:55.04 39c0kI24o 404/508

男性「……なら、いい」

「…………」

男性「皆で、乗り切ろう」

男性「……最後の山を、困難を」

男性「そうすれば、きっと」

男性「その先には輝かしい未来が待っているはずだ」

「……未来……」

「…………」

男性「今日はもう遅い」

男性「君も、今夜はうちに泊まっていきなさい」

男性「息子の部屋は、前と元通りにしてあるからな」

「……分かりました」

368 : VIPに... - 2011/06/15 22:42:31.54 39c0kI24o 405/508

──親友の部屋

「…………」

「……この部屋も久しぶりだ……」

「カメラもちゃんとあるし、懐かしいものばかり……」

「……なぁ、親友」

「お前の親父さんに……」

「『成長した妹の何を知っている?』って聞かれた時」

「俺……何一つ、答えられなかったよ……」

「俺が覚えているのは……」

「小さい頃の妹……記憶を失い続けているアイツで……」

「だから……成長した後の彼女を俺は知らない」

「どんな子に育ったんだろうな?」

「頭は良かったか? 優しい女性になったか?」

「……はは、お前は知ってるか」

369 : VIPに... - 2011/06/15 22:43:11.03 39c0kI24o 406/508

「そりゃ、本当の兄貴だからな……当然だ……」

「でも俺は、まがい物……」

「……いないはずの、人間」

「…………」

「……何も出来ない自分がもどかしい」

「その実、無力な自分が腹立たしい……」

「…………」

「……親友」

「……お前だけには、本音で話す……」

「今更になって、気付いてしまったよ……」

370 : VIPに... - 2011/06/15 22:43:55.57 39c0kI24o 407/508

「……自分のやりたいこと」

「自分が望んでいること」

「それが……やっと、分かったんだ」

「……アイツの日記を読んじまった時から……」

「もう、その想いは消えることがない」

「……胸に宿る違和感の存在に気付いてしまった……」

「今までの俺が……いかに馬鹿だってことがな……」

「…………」

「……それと、ごめんな」

「……これからすることを、最初に謝っておくよ……」

「お前の私物を漁る俺を許してくれ……」

「……きっと」

「……悪いようにはしないから……」

「…………」

371 : VIPに... - 2011/06/15 22:44:32.02 39c0kI24o 408/508

──病院

「……すぅ……すぅ……」

「……また寝てるみたいだな……」

「……すぅ……」

「……んん……」

「…………」

「あ……お兄ちゃん……」

「起きたか?」

「……は、い……」

「ごめんなさい……来てもらってたのに……」

「……いいんだ」

「なんか最近、ずっと眠ってて……」

「……正直、こっちが本当なのか、夢が本当なのか……分からないんです」

「今……これは、現実ですか?」

「ああ……」

372 : VIPに... - 2011/06/15 22:45:09.27 39c0kI24o 409/508

「俺はここにいる」

「……確実に、お前の側にいる」

「……はい……」

「それは良かったです……」

「……どうだ、また眠るか?」

「ん……」

「……そうですね……」

「お兄ちゃんには申し訳ないですが……」

「今、起きているのはちょっと辛いかも……」

「…………」

「実は、さっきまで……」

「……何か、とても幸せな夢を見ていた気がするんですよ……」

「わたしのとって、本当に幸せな……そんな夢を……」

「もしかして、それは……」

373 : VIPに... - 2011/06/15 22:45:54.32 39c0kI24o 410/508

「……わたしの過去の、記憶の断片だったのかもしれませんね……」

「……そうか」

「……ごめん、なさい……」

「もう寝ちゃいそうです……すみません……」

「……ん……」

「……お、兄ちゃん……」

「…………」

「…………」

「……すぅ……すぅ……」

「……寝たか」

「…………」

「いいか……待ってろよ」

「もう少し……後少しだから……」

「俺が……」

「……大事なお前を守るから……」

374 : VIPに... - 2011/06/15 22:50:02.81 39c0kI24o 411/508

──レストラン

「…………」

「……あ」

店員「ごめん、仕事が長引いちゃって……」

「……気にしないで下さい。どうぞ座って」

店員「ん、ありがとう」

店員「でも、そんな他人行儀な喋り方じゃなくていいんだよ?」

店員「私と君って、同い年でしょ?」

「……ですが」

店員「ほら、気にしない気にしない」

店員「そんな話し方だと、肩こっちゃうからさ」

「分かった……これでいいか?」

店員「ん、それでオッケー」

店員「……しかし、ほんと困っちゃうよね」

店員「この歳にまでなって、こんな店に働いてるって……」

店員「……今までの人生、適当にしてきたからなぁ」

375 : VIPに... - 2011/06/15 22:50:29.68 39c0kI24o 412/508

店員「罰が当たったと言えば、そうなんだよね」

店員「まあ、仕方ないと言っちゃ仕方ない」

店員「それで、君は?」

「……ん?」

店員「そんな高そうなスーツ着てるけど……」

店員「なんの仕事してるの?」

「……親友の、親父さんの会社で働いている」

店員「……あー、そうなんだ」

「意外か?」

店員「ん……まぁ、意外ちゃ意外だね」

「…………」

店員「それより、何か食べ物頼まないかな?」

店員「私、ずっと働きっぱなしだったから、お腹すいちゃった」

店員「君は夕飯もう食べた?」

「……んー、まだ」

376 : VIPに... - 2011/06/15 22:51:12.77 39c0kI24o 413/508

店員「よし、なら、一緒に頼もう」

「あっ……もちろん、今日はおごるから」

店員「ほぉー……流石高給取り」

店員「しかし、本日はそれに甘えさせて貰おうっ」

「ああ」

店員「さて、ボタンを連打してやろうか」

ピンポーンピンポーンピンポーンッ!

「お、おい」

店員「いいのいいの、私の勤めるお店だし」

店員「どうせ、彼氏が来たとか…何とか」

店員「あることないこと、お喋りしてるんだから」

「そ、そうなのか……」

店員「まぁ、従業員の裏の顔ってそういうもんでしょ?」

店員「嫌いな客がくれば、みんなで悪口言い合うし」

377 : VIPに... - 2011/06/15 22:51:37.50 39c0kI24o 414/508

店員「一種のストレス解消みたいなもんよ」

「……ほー」

店員「さて……」

「……ん?」

店員「雑談はこの辺にしておいて……」

店員「何が聞きたい? 私から」

「…………」

店員「知らない番号から電話がかかってきた時は」

店員「本当、何だろうって思ってたけど」

店員「……まさか、相手が噂の男君だとわね」

「……ああ」

378 : VIPに... - 2011/06/15 22:52:17.92 39c0kI24o 415/508

店員「今日はこれからずっと暇だし、聞くよ?」

「…………」

「……当時、彼と付き合っていた君に」

「大学時代から親友の彼女だった君に、聞きたい」

店員「…………」



「──あの日、一体、何があった?」



……………。

379 : VIPに... - 2011/06/15 22:52:56.03 39c0kI24o 416/508

店員「六年も前のことだからねー……」

店員「とても悲しかったけど、時間が解決してくれたよ」

店員「ん……これ、おいし」

もぐもぐ……。

「それで?」

店員「死因は結局、教えてもらえなかった」

「葬式でも、か?」

店員「うん、なんか言えないやつなのかなって、思ってた」

店員「それに、私は親友の家族と余り仲良くなかったし」

店員「もちろん妹ちゃんは除いてだけど」

店員「でも、だから、あえて聞こうともしなかったなぁー」

「ああ……」

店員「それより、彼氏が死んじゃったって事実の方が堪えてね……」

店員「しばらくの間は、何もやる気がおきない時間が続いた」

「…………」

380 : VIPに... - 2011/06/15 22:53:38.92 39c0kI24o 417/508

店員「けど、なんで今更、親友の死なんか調べてるの?」

「いや……」

店員「もしかして、なにか、あった?」

「……分からない。ただ、それを調べたいと思ってる」

店員「そうかー……あんまり、言いたくはないけど」

店員「それをして、誰か得する人っている?」

「……いない、な」

店員「だよね……ずっと前の話だし」

店員「無駄に墓荒らしみたいな真似すると」

店員「いろんな人から、恨まれるかもしれないよ?」

「……それでも」

店員「…………」

「俺は……もう見過ごすことができないんだ」

「……たとえ、その先に、どんな結末があったとしても……」

店員「……ふーん」

381 : VIPに... - 2011/06/15 22:54:24.17 39c0kI24o 418/508

店員「君の中で、既にそう自己完結しているなら」

店員「これ以上、私がとやかく言うことじゃないね。ごめん」

「気にしなくていい……あと、聞いてもいいか?」

店員「ん? 何かな?」

「……その当時の妹と親友の関係って、どうだった?」

店員「とても仲良かったよ?」

店員「昔からって聞いてたけど、違った?」

「……なら、いいんだが」

店員「…………」

店員「……んー、でも」

店員「もしかしたら、君が聞きたいのって、あのことなのかも」

「……あのこと? それは一体……」

店員「その前に……」

「……ん?」

382 : VIPに... - 2011/06/15 22:55:36.82 39c0kI24o 419/508

店員「追加で、デザート頼んでも良い?」

「はは、いいよ」

店員「ん、ありがとっ」

ピンポーン!

「それで?」

店員「……凄く仲良かった二人だったけど……」

店員「時には、大きな喧嘩することもあってね」

「……あの仲良かった二人がか?」

店員「そりゃそうだよ」

店員「幾ら仲いいって言っても、家族ってだけで」

店員「実際は、別の人間なんだから……意見が食い違うこともある」

店員「もちろん、怒鳴り合いの喧嘩だって、ね」

「…………」

店員「家族って、そういうもんじゃないかな?」

383 : VIPに... - 2011/06/15 22:56:27.83 39c0kI24o 420/508

店員「どこにでもある、当たり前の光景だよ」

店員「違う?」

「……そう、だな」

店員「だから、あの二人もしばしば喧嘩してた」

店員「あんまり深くは聞かなかったけど……」

店員「……その時の親友は結構、悩んでたなぁ……」

「……悩んでた?」

店員「ほら、アイツって写真大好きっ子だったでしょ?」

店員「だから、頭がいい癖に、写真家になるってずっと言ってて」

店員「私は馬鹿だったから、何言ってんだろ……的な感じだったんだけど」

店員「やっぱり、それは家族の人たちも同じだったみたい」

「それは、どういう……」

店員「親友の父親って、大企業の社長でしょ?」

店員「ワンマン社長でも有名だったから、親としては子に引き継がせたくて」

「……ああ」

店員「でも、親友は大学を卒業して、すぐに海外に飛んだりしてた」

384 : VIPに... - 2011/06/15 22:57:28.16 39c0kI24o 421/508

店員「ボンボンだから出来ることだけど、それをよく思う親はいない」

「……妹もか?」

店員「うん、初めは応援してたらしいけど」

店員「ほら、写真家って危険な地域にも行くことあるでしょ?」

店員「それを知って、妹ちゃん、顔真っ青になっちゃったらしくて……」

「そこから……喧嘩か」

店員「妹ちゃんは、親友に……」

店員「お父さんの会社を継いで欲しい、的なことを言ってたみたい」

店員「両親に言われても、それこそ、全く相手にしなかったみたいだけど」

店員「アイツも妹のことはとても大事に思ってたから……」

店員「だから、彼女の話を無視することは出来なかった」

店員「でも、自分は写真家の夢を追い続けたい……」

店員「ね? 話は平行線でしょ?」

「…………」

385 : VIPに... - 2011/06/15 22:58:11.01 39c0kI24o 422/508

店員「私は実際に見た事ないから、分からないけど」

店員「結構、きつい喧嘩の時もあったみたいよ」

店員「親友も頭に血が上ると、冷静じゃなくなる時があったから……」

店員「……まあ、何となく、想像はつくかな」

「……そうか」

店員「参考になった?」

「ん……」

「何となく、掴めてきたかもしれない」

店員「そう……それなら、私も良かった」

「……今日は、本当にありがと……」

店員「いえいえ、どう致しまして」

「…………」

386 : VIPに... - 2011/06/15 22:59:07.42 39c0kI24o 423/508

──部長室

「おはようございます、部長」

「おはよう」

「……どうでしたか?」

「ああ、話を聞かせて貰った」

「それで……」

「はっきりとしたことは分からなかった」

「けれど……何か、ヒントが手に入った気もする」

「……そうですか」

「なら……」

「ああ、ただ……もう少し待ってくれないか?」

「まだ全てを受け止める……覚悟が決まらない」

387 : VIPに... - 2011/06/15 22:59:39.46 39c0kI24o 424/508

「それに妹のこともあるからな……」

「……分かりました。言っておきますね」

「ん……ありがとう」

「あと……さきほど、社長から連絡がありまして」

「……社長?」

「部長に内密な話があるから」

「今すぐ、部屋まで来て欲しいとのことです」

「……分かった」

「行ってくるよ」

「……はい」

388 : VIPに... - 2011/06/15 23:00:12.99 39c0kI24o 425/508

──社長室

コンコン……。

「私です、失礼します」

ガチャ……。

男性「すまないな。わざわざ、部屋まで来てもらって」

「いえ別に……ただ」

「『内密な話』とは、一体……?」

男性「その前に……少し、昔の話をさせてくれ」

「……え?」

男性「私の両親のことを君には話していなかっただろ?」

「……社長のご両親のことですか?」

男性「ああ。私は今でこそ、こうして優雅な生活をしている」

男性「愛すべき妻もいて、家を持ち、子供もいる」

男性「けれど、昔の私は、とても貧しい家庭の子供だった」

「…………」

389 : VIPに... - 2011/06/15 23:01:38.26 39c0kI24o 426/508

男性「当時だからこそかもしれんが、兄や姉が何人もいてな」

男性「両親も入れて、9人家族」

男性「だから、毎日の生活は本当に苦しいものだった」

「……そうでしたか」

男性「そして、私だけは晩婚の子であったから」

男性「兄たちが働きに家を出て、姉たちは他所の家に嫁ぎ」

男性「そうしているうちに……」

男性「中学の時にはもう、家には私と両親の三人だけで」

男性「あれだけいた家族が……いつの間にか、そこまで減った」

「…………」

男性「大半の子供を育て上げた事で、父が抱く重圧は消え」

男性「仕事に対して覇気がなくなるようになった」

男性「……気がつけば、勤めていた町工場をクビになり」

男性「そして、毎日、家の中に居続けるように……」

390 : VIPに... - 2011/06/15 23:02:48.74 39c0kI24o 427/508

男性「酒を飲むは、金を借りるは……とにかく悲惨だった」

「……それは」

男性「どうだ? 君が前に話してくれた家庭の状況と似ているだろ?」

男性「実は、君と私、恵まれていない家庭に生まれたのは同じだ」

男性「……ただ、私の父は自分の姿を恥じ」

男性「自殺をするような度胸があるような人間ではなかった」

男性「それが君と私の絶対的な違いだな」

「……はい」

男性「母はそんな父を蔑み、逆に家にいる機会が少なくなっていった」

男性「家で、だらしない姿で横になり、酔いつぶれた父を見て育った」

男性「もちろん、父を嫌いだったわけではない」

男性「けれど……こんな人間には絶対になるものかと誓った」

男性「君が、母を守ろうと誓ったように、な……」

「…………」

男性「そして、やっと私は全てを手に入れた」

391 : VIPに... - 2011/06/15 23:03:32.19 39c0kI24o 428/508

男性「血が滲むような努力を重ね、この会社を築き上げた」

男性「……それを、今度は君に託す」

男性「その意味が……理解できるか?」

「……っ」

男性「誰でもいいわけじゃない」

男性「私の後釜を狙っているいやしい重役たちではなく」

男性「君だからこそ……私と似通った君だから」

男性「私の後を継いでもらいたいと思ったのだ」

「…………」

男性「……根回しは済んだ」

男性「少し強引な手段を使ったことは否めない」

男性「だが、今となっては最早どうだっていいんだ」

「……はい」

男性「来週……」

392 : VIPに... - 2011/06/15 23:04:32.27 39c0kI24o 429/508

男性「君が我が社の次期社長に決まったとの旨を」

男性「会社全体に内示しようと考えている」

「…………」

男性「……話は以上」

男性「これまでよりもさらに、仕事に励んで欲しい」

「…………」

「……あの」

男性「なんだ? 質問か?」

「…………」

「一つだけ選べるとしたら……」

「……社長は……人生で一体、何を得られましたか?」

「どんな大切なものを手に入れられたと思いますか……?」

男性「………それは」

393 : VIPに... - 2011/06/15 23:05:17.99 39c0kI24o 430/508

男性「この会社に他ならない」

「…………」

「……分かりました」

「伺った話……しかと頭に焼き付けて」

「今後も、精一杯の努力を続けていきたいと思います」

男性「ん……願っている」

「はい。では、失礼致します」

男性「ああ」

「…………」

……ガチャ。

……………。

394 : VIPに... - 2011/06/15 23:07:02.14 39c0kI24o 431/508

「部長?」

「……ん?」

「どういった話だったんですか?」

「俺が次期社長に決まったって話」

「……へ?」

「社長だよ社長。この会社のトップ」

「う、嘘……ええと……冗談ですか?」

「違う違う。そんな冗談言って、誰が得をするんだ」

「で、でもそんな……じゃあ、今の社長は?」

「創業者だし、恐らく会長職を新設して、そこに収まるんじゃないか」

「ただ、最前線の仕事は俺がやるってことになる」

「す、すごいじゃないですかっ!」

「……まあな」

「でも、部長、嬉しそうじゃないですね……」

「気付かされた事があってな」

395 : VIPに... - 2011/06/15 23:10:18.79 39c0kI24o 432/508

「……俺と社長が似ている……か」

「……部長?」

「……確かに、そうなのかもしれない」

「幼少の頃の環境のせいで……」

「俺は自己を犠牲にして、生きるようになった」

「社長は自己の目的のためだけに、生きるようになった」

「……その意味は真逆だが、歪さは瓜二つだ」

「きっと……そう」

「俺があの人に共感したのも……」

「……息子になってもいいって思ったのも」

「そういうことだったんだな……」

「…………」

「……でも」

「もう、俺は違う」

「……え?」

397 : VIPに... - 2011/06/15 23:14:14.52 39c0kI24o 433/508

「決めたよ」

「……今日の夜、駅近くの喫茶店で」

「細かい指定は、そちら様の都合に合わせる」

「じゃあ……覚悟を決めたんですね」

「ああ」

「俺は大丈夫だ」

「……そうですか」

「本当にありがとうな……」

「……君には、何度も助けられた」

「もしも君がいなければ、今の俺は永遠に変わらなかったかもしれない」

「今まで通り、運命に翻弄され、諦めていたかもしれない」

「はい……」

「……でもね、部長」

「ん?」

398 : VIPに... - 2011/06/15 23:15:02.02 39c0kI24o 434/508

「最初に助けてくれたのは、あなたですよ?」

「……え?」

「就職先に困っていた私を、秘書に採用してくれた」

「思えば……全ての始まりはあの瞬間だったから」

「……ん」

「だから、あの時にはきちんと言えなかった言葉を」

「……今度こそは伝えたいと思います」

「…………」

「部長、本当にありがとうございました」

「あなたのおかげで……私は救われた……」

「……そして」

「今度は、あの人を救って下さい」

「……大事な妹さん……いえ、あなたの」

399 : VIPに... - 2011/06/15 23:15:37.71 39c0kI24o 435/508









「──大切な『彼女さん』を」








「……っ」

「きっとやれますよ、部長なら」

「私……そう信じてますから」

400 : VIPに... - 2011/06/15 23:16:18.70 39c0kI24o 436/508

──病院

「……すぅ……すぅ……」

「……また寝てるんだな……」

「ごめんな……」

「本当は、もっとお前に付きっきりにならなきゃいけないのに……」

「……今日もこの後、人と会う約束がある」

「でも、それは必要なことなんだ……」

「……そうしないと、前には進めないから」

「だから……」

「……すぅ……すぅ……」

「…………」

「今日入れて、あと二日……か」

「……明日で全てが──」

「……終わる」

401 : VIPに... - 2011/06/15 23:17:11.70 39c0kI24o 437/508

「先生……いるんでしょう?」

医師「……はい」

「少しだけ、頼みを聞いて頂けませんか?」

医師「それは……」

「もし良ければ、明日」

「この子が目を覚ましたとき、連絡を頂けますか?」

医師「……もちろんです」

医師「ただ、もしかしたら明け方になるかもしれませんよ?」

「それでもその時には、よろしくお願います」

「……それと、すみません」

「こないだは取り乱してしまって……」

医師「いえ……お気持ちは十分に理解できますから」

「ほんと……駄目なんですよね」

「急な展開には耐性がついたつもりだったんですけど」

402 : VIPに... - 2011/06/15 23:18:04.32 39c0kI24o 438/508

「……でも、その時になると周りが見えなくなる」

医師「…………」

「弱い人間なんです、俺は」

「……だけど、今回は」

「今回だけは、失敗が許されない……」

医師「……はい」

「実は、最近、震えるんですよ……」

「……夜、寝ようと思った時に」

「本当に自分は正しいのかって」

「間違ってるんじゃないかって」

「ただ彼女を傷つけるだけなんじゃないかって」

「そう考えると怖くて、恐ろしくて……ただ震えます……」

医師「睡眠は取っていますか……?」

「…………」

403 : VIPに... - 2011/06/15 23:19:05.46 39c0kI24o 439/508

医師「駄目ですよ……そんなことだと」

医師「妹さんの話以前に、あなたがおかしくなってしまう」

「……でも、あと一日だから」

「あと一日……」

「……それさえ過ぎれば、幾らでも熟睡してやりますよ」

「だから、俺は大丈夫です……」

医師「…………」

「……そろそろ時間か……」

「……すぅ……すぅ……」

「じゃあな、妹」

「行ってくるよ……」

「…………」

「……今度会う時は……」

「互いに、今を笑え合えるような二人でいたいな……」

404 : VIPに... - 2011/06/15 23:19:50.71 39c0kI24o 440/508

──喫茶店

「……今日は、お時間をとって頂いて」

「本当にありがとうございます」

初老「いえ……記者の方とお知り合いだとは」

初老「あなたも、なかなかの人脈を持っていますな」

「……会社の秘書に頼んだんです」

「ですから、彼女の友人のご紹介ということになります」

「決して、私の力ではありません……」

初老「そんなことはありませんよ」

初老「こういった時に頼める知人というのも」

初老「それこそ、あなたの日々の積み重ねですから」

「…………」

初老「さて……早速ですが、本題に入りましょうか」

「……分かりました」

405 : VIPに... - 2011/06/15 23:20:29.72 39c0kI24o 441/508

初老「あなたの親友が亡くなった死因でしたね」

「……はい」

初老「覚えていますよ」

初老「当時は、この地区の警察署に勤務していましたので」

初老「今は引退して、このように探偵業をしていますがね」

「……それで、彼は……」

初老「車の事故と彼の父親はおっしゃったようですが」

初老「あなたが調べたように、その日、そのような交通事故はありません」

「…………」

初老「図書館で、地元の新聞記事を探したそうですが」

初老「非常にいい方法でした。素人にしては、よく考えたものです」

「……ただ、そこからが」

初老「はい、ここからはそう簡単に真相へたどり着けない」

初老「けれど、今回の場合は、偶然、私が当たっていた事件だったので」

初老「すぐに分かりましたよ」

「…………」

406 : VIPに... - 2011/06/15 23:21:10.86 39c0kI24o 442/508

初老「死因は……階段からの転落死」

「……階段?」

初老「あなたが、想像していたものと違いました?」

「いえ……続けて下さい」

初老「事件があったのは、ちょうど冬の夜のことで」

初老「一度、親友さんは救急車に乗って運ばれましたが」

初老「まもなく病院で死亡が確認されました」

「…………」

初老「そこで、調査に当たったわけですが」

初老「事件現場は、自宅の階段」

「……あの急な階段ですか」

初老「ご存知ですか? 彼は二階から転がり落ちてしまった訳です」

「……もちろん、事故ですよね?」

初老「そうです。そのように処理致しました」

初老「身体に外傷もありませんでしたし」

初老「彼はその日、酔っていたことが分かりましたので」

407 : VIPに... - 2011/06/15 23:21:52.62 39c0kI24o 443/508

初老「事故であると、最終的に断定しました」

「そうですか……」

初老「ただ……」

「……え?」

初老「一つ、私は気になることがありまして……」

初老「……こういってしまうと何ですが」

初老「時に警察は、事件を典型例に当てはめて、流してしまう傾向があります」

「……今回は、そうだと?」

初老「いや、断定は出来ませんし、もう六年も前のことです」

「……ですが、当時の私が不審に思った点を話させて頂きます」

「……それは……」

初老「──────」

「…………」

429 : VIPに... - 2011/06/16 01:39:37.69 dMBO8he/o 444/508

──墓石前

「……父親が自殺した時」

「糞尿の臭いに吐き気を催しながら、俺は父に約束した」

「絶対に強い男になるって」

「母を守れるようになるって」

「……結局、母さんは肺がんで死んでしまい」

「俺は父との約束を守ることが出来なかった」

「……なあ、父さん」

「あんたは家庭をいつも蔑ろにして」

「……酒は飲むは煙草を吸うは、最低の親だった」

430 : VIPに... - 2011/06/16 01:40:08.89 dMBO8he/o 445/508

「けど、俺はあんたを嫌いになれなかった」

「……だって、父さんは、俺には優しかったから」

「一度だって、俺に暴力を振るったことはなかったから」

「会社をクビになって、酒に溺れたあの日も」

「……寸前のところで留まってくれた」

「だから、今の俺がいる……」

「……相手のことを考えられる人間になれたんだ」

「これは、父さんのお陰だよ」

「……そして、母さん」

「最後の死に際に、顔を見せてあげられなくて、ごめん」

「謝るのは、これで、何度目かだけど……」

431 : VIPに... - 2011/06/16 01:40:45.64 dMBO8he/o 446/508

「……最後にもう一回だけするね」

「今後は……もう謝らないから……だから……」

「守れなくて、本当にごめんなさい……」

「ん……これで終わり」

「でも、その代わり……言いたいこともあるんだ」

「……あなたは、俺の根本を作ってくれた」

「常に温かく、俺を包んでくれた」

「……人を愛するということを、教えてくれた」

「母さんには、ほんと頭が上がらないなぁ」

「そんな……俺の誇れる母さんには、この言葉を」

「ありがとう、母さん」

「……本当にありがとうね……」

「じゃあ……二人とも、あの世では仲良くやってくれよ?」

432 : VIPに... - 2011/06/16 01:41:12.12 dMBO8he/o 447/508

「もう俺は大丈夫」

「今まで見苦しい姿を見せて、二人には心配させたと思う」

「でも、もういいんだ」

「……俺を見守る必要はないから」

「自分のやるべきことは……分かってる」

「だけど……ただ一つだけ」

「俺がそっちに行った時に聞かせて欲しいな……」

「俺は……」

「強い男になれたかな……?」

「二人が自慢できるような、立派な息子になれた?」

「……もう一つの約束を守れたかどうか」

「聞きかせてくれ……」

「…………」

「じゃあ、二人とも」

「全てが終わったら、また来るからさ」

433 : VIPに... - 2011/06/16 01:49:50.60 dMBO8he/o 448/508

──親友の家 リビング

ガチャ……。

「……お疲れさまです」

男性「来るが遅かったな……もう、妻も寝たぞ?」

「すみません、無理いって起きてもらって」

男性「それは構わないが……どうした?」

「はい?」

男性「……最近の君は、いつも、どんよりとした表情だったが」

男性「今は、随分、清々しい顔をしてるんじゃないか」

「そう見えますか?」

男性「ああ、心配していたから、安心した」

「それは、ありがとうございます」

男性「ほら、君も飲みなさい」

「あっ、いえ、俺は結構です」

男性「ん? 遠慮しなくていいんだぞ?」

「まだ頭を動かさないといけないんで……やめておきます」

435 : VIPに... - 2011/06/16 01:50:22.39 dMBO8he/o 449/508

男性「まぁ……無理にとは言わないが」

男性「……で、妹のところに行ったから遅れたのか?」

「いえ、彼女のところには夕方行きました」

「案の定、眠っていて、話は出来ませんでしたが……」

「……それでも、顔が見られただけ、満足です」

男性「そうか……」

「明日ですね」

男性「ああ……明日だ」

男性「……あと、数十分で零時を回るな」

「そして明日……」

「彼女が一度だけ目をさまして……」

「再度、深い眠りにつきます」

男性「……ん」

「先生に、どれくらい起きていられるか聞いたんですが」

「約三十分しかないだそうです」

436 : VIPに... - 2011/06/16 01:51:08.06 dMBO8he/o 450/508

男性「……短いな」

「はい。それに……」

「記憶をほとんど失っている状態であると予想されるので」

「満足のいく会話は出来ないかもしれません」

男性「…………」

「それでも俺はアイツの元に行くつもりです」

「お二人はどうします?」

男性「……私たちは遠慮しておく」

男性「そんな姿のあの子を見るのは、辛過ぎるからな」

「……そうですか」

男性「すまん……君に任せっぱなしで」

「いえ……俺が好きでやっていることですから」

男性「……ありがとう」

「実は、今日」

男性「……ん?」

「久しぶりに自分の家の墓を掃除してきたんです」

437 : VIPに... - 2011/06/16 01:51:45.02 dMBO8he/o 451/508

「辺りは真っ暗で、十分に出来たとは言えませんが」

「……胸が晴れました」

男性「…………」

「死んだ父は最低な人でしたし」

「俺の家庭は恵まれていなかった」

「……けど、今、考えると……」

「それはそれで……仕方なかったことなのかなって」

「今の自分がいるのも……」

「そういったものを乗り越えてきた証なんだって」

「思えるようになった自分に、驚きました」

男性「……それは、良かった」

「今まで、俺は自分のためではなく」

「誰かの為に、誰かの犠牲になって、生きてきました」

「……だけど」

439 : VIPに... - 2011/06/16 01:52:22.67 dMBO8he/o 452/508

「それは、もう、やめます」

男性「……ん?」

「初めに謝っておきますね」

「俺は……昔のアイツが消えるのを放っておくことができない」

「最後まで諦めずに、彼女の記憶が戻るために必死になります」

男性「……ちょ、ちょっと待て………」

「それは、もちろん、彼女のためでもあります」

「無意味に消えていった彼女『たち』のためでもあります」

男性「なら……」

男性「それは、今までの君のままじゃないか……」

「……違うんですよ」

「アイツが過去を取り戻すことは、俺の望みにもなりうる」

「記憶を戻した暁に……」

「俺には伝えたいことが山ほどあるから……」

男性「…………」

「だから、あなたに、もう一度聞きますね」

440 : VIPに... - 2011/06/16 01:52:53.36 dMBO8he/o 453/508

「……どうして、親友は死んだんですか?」

男性「…………」

男性「……それは、前に説明したはずだ」

男性「妹を迎えるための……車で……」

「──事故にあった」

男性「……その通りだ」

「でも……事実は違った」

男性「……どういう意味だ?」

「…………」

「階段から……」

男性「……なっ」

「……階段から、転げ落ちてしまったそうですね」

男性「…………」

441 : VIPに... - 2011/06/16 01:53:26.64 dMBO8he/o 454/508

「死因は誰にも言わなかった」

「葬式でさえ、それを公表しなかった」

「どうしてですか?」

男性「……それは」

「家族を守るためですか?」

「死んだ息子の名誉守るため?」

「……それとも」

「──妹を守るためですか?」

男性「……っ」

「……当時、警察署に勤めていた方に話を伺うことが出来ました」

男性「君は……」

「その方が言うには、不審に思える点が一つあったそうです」

「あなたには、推測できますか?」

男性「…………」

442 : VIPに... - 2011/06/16 01:54:42.19 dMBO8he/o 455/508

「『遺体は、激しく後頭部を地面に打ち付けていた』」

男性「……それが、何か問題か?」

「通常、階段を滑り落ちるなどして転落死した場合」

「身体のあちこちに打撲が見られ」

「頭部のどこかを打ち付けて、死ぬことが多いそうです」

「だから、後頭部に傷があるのは当たり前だと」

男性「なら、何の問題もないじゃないか」

「……親友の身体は」

「背中や腕……特に腰に強い衝撃の後がみられ……」

「……頭は後頭部の一カ所しか打っていません」

「ただ……その衝撃が、異常なほどのものだっただけ」

男性「…………」

「転がり落ちたというより……」

「『天を仰ぐように、仰向きで、下に叩き付けられた』」

「そんな……衝撃だそうです」

443 : VIPに... - 2011/06/16 01:55:15.55 dMBO8he/o 456/508

「ただ、当時の警察は詳細な検死を行う事もせず」

「アルコール成分が検出されたことから、事故と判断した」

「けれど、その場にいた一人の警官は思ったそうです」

「──『誰かに突き落とされた可能性もあるのではないか』と」

男性「……言いがかりだ」

「その当時の妹は……話によると」

「親友とよく口論になっていたそうですね」

「危険な土地に行く、写真家を目指していた兄を心配して」

「あなたの会社で働くことを強く勧めていたようで」

「けれど、親友としては、昔からの夢を諦めることは出来ない」

「違いますか?」

男性「君は……一体、何をしたいんだ?」

「…………」

444 : VIPに... - 2011/06/16 01:55:58.86 dMBO8he/o 457/508

男性「いいだろう、君の言った通り、全てそうだったとしたら?」

男性「真犯人でも見つけて、探偵気取りで、警察に突き出すつもりか?」

男性「それが、君の見つけたやりたいことなのか?」

「……俺はただ」

「真実を知りたいだけです」

「アイツが記憶を失った訳を……理由を」

「それを知らないままだったら、前には進めないから」

男性「……そこまで言うなら」

男性「ここからは、君の質問には正しく答えることする」

男性「ただし……結末は保証せんぞ?」

「…………」

男性「君の言う通り、うまくいっても」

男性「……あの子は自殺するに決まっている」

男性「……そう」

男性「……自責の念にかられて……」

「……自責ですか?」

445 : VIPに... - 2011/06/16 01:56:58.38 dMBO8he/o 458/508

男性「……何が言いたい」

「兄の死に、アイツは自殺するまで追い込まれていた」

「今までの仮定を全て考慮して、分かった事は一つ」

男性「…………」

「では、聞かせて貰います」

「あなたは正しく答えると言ってくれたから」

「……だから、その言葉を俺は信じますよ」

男性「…………」

「……恐らく、本当に事故だったんだと」

「でも、偶然に……親友を階段から突き落としてしまった……」

男性「……ああ」



「……妹……」



446 : VIPに... - 2011/06/16 01:58:32.03 dMBO8he/o 459/508














「──ではなく、あなたですね?」












男性「…………」

447 : VIPに... - 2011/06/16 01:59:19.15 dMBO8he/o 460/508

「前々から、おかしいなと思っていた」

「そこまでして、彼女が記憶を取り戻す事に抵抗しなくても、と」

「それも……見知らない第三者を兄に仕立てあげるまでして……」

男性「……自分をそこまで言うのか……」

「だって、幼少の頃、俺はあなたと一度も会ったことはない」

「仕事が命だったあなたが、家族と食事を共にするようになったのは」

「ごく最近の話なんじゃないですか?」

男性「……それは」

「妹が親友を……とは全く思いませんでした」

「死ぬ直前に、結構な量の酒を飲んでいた親友です」

「普通に考えれば、あなたと飲んでいたと考えるのが正しい」

男性「…………」

「……教えて下さい」

448 : VIPに... - 2011/06/16 01:59:47.47 dMBO8he/o 461/508

「俺は……あなたが、アイツに恨みがあって殺したとは思えない」

「……事故だったんですよね?」

男性「…………」

男性「……君の言う通りだよ」

「え?」

男性「私は今まで家族のことを大切にしてこなかった」

男性「今のように早く帰るようになったのは……」

男性「息子が死に……あの子が記憶を失ってからだ……」

男性「……それまで、仕事だけに人生をかけてきた私は」

男性「子供たちの成長をほとんど見守ることもなく……」

「…………」

男性「……初めて、自分が引退することを考えたとき」

男性「息子に継がせたいと思った……けれど」

男性「遅かったんだ……それは……」

449 : VIPに... - 2011/06/16 02:00:28.87 dMBO8he/o 462/508

「親友は……写真家になりたかった」

男性「そう……そんなことすら知らずに……」

男性「当然と継ぐものだと考えていた私は愚かだ」

男性「そしてあの日……」

男性「久しぶりに外国から帰ってきた息子が家にいて」

男性「夕飯を食べた後……アイツの部屋に行った」

「お酒を持って……」

男性「初めは最近のことなど笑って聞いていてくれたんだが……」

男性「……私が段々、話を仕事に方向を変えると」

男性「アイツは失望するように、部屋を出て行こうとした」

男性「それを……私は服を掴んで、行かせまいとして……」

男性「それで二階の廊下で、押し問答をしていた」

男性「ただ成長したアイツの力は思った以上に強く」

男性「……すぐに階段の前まで来てしまう」

「…………」

男性「その時……確かに、その時だった……」

450 : VIPに... - 2011/06/16 02:01:02.67 dMBO8he/o 463/508

男性「廊下での怒鳴り合いを心配した娘が、部屋から出てきた」

男性「そして………」

男性「娘に、喧嘩している姿を見せたくなかった私は……」

男性「瞬間的に、息子を突き放してしまった」

「……はい」

男性「全て君の言った通りだ……」

男性「……私が、あの子を殺した……」

「違いますよ……事故です」

「事故なんですから……」

男性「本当はな、警察が調査に来た時、自首していれば良かったんだ」

男性「けれど、私は……今の家族が崩壊する事を恐れ」

男性「会社の失墜を考え……それをしなかった」

男性「……口止めをされた娘は……」

男性「兄の死と、それを我慢しなければならない重責に耐えかけて」

男性「風呂場で手首を切って、自殺を謀った」

「…………」

451 : VIPに... - 2011/06/16 02:01:41.64 dMBO8he/o 464/508

男性「全て、私の責任だ」

男性「こうなってしまったのは……私の……」

「……社長」

男性「すまん……君に真実を話さなくて……」

男性「もう少し経ったら言おうと……常に考えて」

男性「けれど、いつの間にか、君を本当の息子と思ってしまった」

男性「アイツと出来なかった、仲の良い親子の関係を……君に求めた……」

男性「……君に、失望されるのが、怖かったんだな……」

「…………」

男性「すまない……本当にすまない……」

男性「私は……世界で一番、大切にしなければいけない子供たちに」

男性「なんてことをしてしまったんだっ……」

男性「これが……仕事に命をかけて……」

男性「父のようになるまいとした……結末なのか……」

「…………」

452 : VIPに... - 2011/06/16 02:02:07.74 dMBO8he/o 465/508

男性「男君……私はどうした方がいい?」

男性「これから、何をすれば、償えるんだろうか?」

「……絶対に」

男性「え……?」

「死のうなんて、考えないで下さいね」

男性「…………」

「それは逃げですよ? 親友への償いではなく冒涜です」

「……残された人間のことを、考えなくてはいけません」

男性「……っ」

453 : VIPに... - 2011/06/16 02:02:34.97 dMBO8he/o 466/508

「家族みんなで考えましょう」

「何をすべきか、どうすればいいのか」

「それを話し合ってこその家族だから……」

「もちろん、妹も入れてですよ?」

男性「……あ……ああ……」

「……だから」

「アイツは俺が救う」

「……俺が、なんとかして、記憶を取り戻させる」

「そうしないと、いつまで経っても」

「──この家族は……前に進めないのだから」

463 : VIPに... - 2011/06/16 04:56:34.30 dMBO8he/o 467/508

──妹の部屋

「…………」

「……本当は」

「俺が読んでいいものじゃないはずだけど……」

「……でも」

「今、俺の胸に抱く想いが……」

「確かなものだって、確認させてくれ……」

「……ごめん」

464 : VIPに... - 2011/06/16 04:57:16.20 dMBO8he/o 468/508

「これを読むのが……俺になっちまって……」

「…………」

「……20×1年4月……」

「……あれは……確か……」

「…………」

ぺらっ……ぺらっ……。

「……これだ」

「……アイツが誕生日だった、あの日……」

……………。
………。

465 : VIPに... - 2011/06/16 04:57:52.11 dMBO8he/o 469/508

──20×1年4月13日

今日は、わたしの誕生日。

今までの記憶はないけれど、
確かにこの日、わたしはこの世界に誕生した。

そんな記念すべき今日を祝うために、
いつもより詳細な日記を書こうと思う。

……………。

朝、とても気持ちよく目覚める事が出来た。
部屋の窓を開けると、向かい側に見える桜の木が、
風に吹かれて、花びらを舞い散らせている。

小鳥が可愛い鳴き声で、二、三、囁く。
そんな綺麗な光景を、ただ、笑みを浮かべて眺めていた。

466 : VIPに... - 2011/06/16 04:58:28.20 dMBO8he/o 470/508

まだ、わたしはここにいる。
新しい自分になってから、もうすぐ一年経つけれど、
まだ記憶を失わず、今を生きていられる。

他人から見れば、そんな些細な事実が、
わたしにとっては、とても嬉しかった。

うん、今日も頑張ろう。

……………。

いつものように、みんなで朝食を食べる。
けれど、自分は少しドキドキしていた。

もちろん、プレゼントを貰えるんじゃないかって、
そんな図々しい期待からじゃない。

隣に座る、お兄ちゃんの方をバレないように横目で伺いながら、
彼が、だし巻き卵を箸で掴んだとき……一瞬、びくってなった。

467 : VIPに... - 2011/06/16 04:59:00.85 dMBO8he/o 471/508

だってそれは、わたしが作った料理だから。
お母さんだけが知っていることだけど、
わたしも毎日、一品作る事にしていた。みんなには内緒で。

もぐもぐとお兄ちゃんが食べてくれている間、
胸の鼓動はずっと高まっている。
それを必死で気付かれないように、ご飯の茶碗で顔を隠したりして……。

すると、お兄ちゃんが言ってくれた。
『このだし巻き、おいしいな』って……。

お世辞じゃない、本当の褒め言葉。
こんなに嬉しいことはない。

一人で、ニコニコしていると、
向かい側のお母さんがウインクしてくれた。
やりましたよ、お母さん。

……でも、何でなんだろう。
お兄ちゃんとは、ただの兄妹なのに、
こんなに、気にしちゃうなんて……やっぱり、わたしが病気だからかな?

468 : VIPに... - 2011/06/16 04:59:37.26 dMBO8he/o 472/508

納得はいかなかったけど、余り考えないようにしよう。
よし、洗濯物を干さないと。

……………。

凄い凄いっ!
今、とっても最高の気分っ!

ないと思っていた誕生日プレゼントが、
まさか家族のみんなから貰えるなんてっ!

お父さんは、ちょっと可愛過ぎる腕時計。
お母さんは、なんと、赤色のフードプロセッサーをくれたっ!
ナイスチョイスですねっ! 二人とも、本当にありがとうっ!

そして……お兄ちゃんもくれた。

指輪。

キラキラする宝石はついてない、とてもシンプルなやつだけど、
裏側に文字が書かれている。

469 : VIPに... - 2011/06/16 05:00:05.18 dMBO8he/o 473/508

英語で……多分、『愛しい人に贈る』って。

正直なところ、貰った時、泣きそうになった。
自分でも分からないぐらい、嬉しさと……
でも、なぜか悲しみが沸き起こった。

なんでだろう……なんで悲しいんだろう?

これは多分……昔のわたしが泣いているんだ。
根拠はないけど、ただそう思う。

お兄ちゃん……あなたは一体……。

470 : VIPに... - 2011/06/16 05:00:34.02 dMBO8he/o 474/508

──20×1年4月21日

最近、お兄ちゃんの顔が正面から見れない。
前よりも胸が熱くなって、苦しくなる。

指輪を貰ってからだ。
きっとこれは……右の薬指にある指輪のせい。

お兄ちゃんは気付いているのかな?
わたしの気持ちに……気付いてないのかな?

この日、なぜか怖くて寝付けなかった。

471 : VIPに... - 2011/06/16 05:01:24.87 dMBO8he/o 475/508

──20×1年4月24日

お兄ちゃんとお父さんが会社に向かって、
お母さんが買い物へ行った時。

わたしは家を探索することにした。
今更になってだけれど、昔の思い出を探したかった。

昔のわたしとお兄ちゃんが、
どんな関係だったかを知りたい。

勝手にお母さんの部屋に入る。
ごめんなさい……。

色々、探していると机の下から、アルバムが出てきた。

急いで開いてみると、
そこには小さかった頃の自分がいた。
時には泣いていたり、笑っていたり……
とても生き生きとしている。

けれど、お兄ちゃんの写真が一枚もない。
アルバムの大半が、なぜか抜き取られていた。

分からない。
一体、どういうことなんだろう。

……もしかして。
いや……でも。

472 : VIPに... - 2011/06/16 05:01:58.81 dMBO8he/o 476/508

──20×1年5月1日

一週間、こないだのアルバムのことを考えていた。
どうして、お兄ちゃんの写真がないのか。
その不自然な事実に、頭を悩ませていた。

……でも、何となく、気付いている。

多分、お兄ちゃんは……わたしの本当の兄じゃないんだ。

何らかの理由で家族の一員として、
わたしの兄を偽っているけど、実は、血の繋がりはない。

そう思うと、本当は怖くならなきゃいけないのに、
凄く気楽になれた。胸の痛みが取れるようだった。

その時に、はっきりと分かる。

わたし、お兄ちゃんが好きなんだ。
異性の対象として、あの人を愛している。

どうして今まで気付かなかったんだろう?
こんな大事な自分の気持ちに……。

うん、わたしはあの人が好き。

473 : VIPに... - 2011/06/16 05:02:41.58 dMBO8he/o 477/508

──20×1年5月3日

今日は、嫌な日。
月に一度に行かなきゃいけない、検査の日だ。

この日は嫌いだ。
だって、わたしが病人なんだって、
否応にも気付かされてしまうから。

車の中で、どんよりとしてたら、
お兄ちゃんが気を使って、話しかけてくれた。

優しい言葉をかけられて、
本音をぶつけてしまう。

六年か……わたしが、記憶を失ってから。
その間、何度も初めてを繰り返して、
それをお兄ちゃんは横で見守っててくれたんだと思う。

『今度も駄目だと思う』と、伝えたら……
お兄ちゃん、凄く悲しそうな顔をした。

474 : VIPに... - 2011/06/16 05:03:41.02 dMBO8he/o 478/508

本当に、ごめんなさい……。

すると、お兄ちゃんが指輪の話題を振ってきた。
内心、自分の気持ちに気付かれたと思って、
凄く焦ったけど、違ったみたい。

前に進む、か。

よく、お兄ちゃんは、そう言っている。
口癖みたいなものだ。
でも、わたしはそんな前向きなお兄ちゃんが大好き。

けれど、少し不安に思う事もある。

昔のわたしは、同じように、
この人を好きなったのだろうか。

そうだったら嬉しいけど……どうなんだろう?

475 : VIPに... - 2011/06/16 05:04:10.41 dMBO8he/o 479/508

──20×1年5月15日

最近、頭が痛いときがある。
多分、今も残っている昔の記憶が疼くのかな?

けれど、思い出す事はできない。
いっそ、全て分かれば、楽なのになぁ……。

一年を越えて……もうすぐ一ヶ月?

少し嫌な予感がする。

476 : VIPに... - 2011/06/16 05:04:43.35 dMBO8he/o 480/508

──20×1年5月18日

日に日に、頭の痛みが繰り返される。
これは恐らく、まずい兆候なのだと思う。

今までは、何事もなく過ごしていたから、
記憶を失う恐怖を忘れていた。

でも、ここにきて、眠れない日が続いている。

忘れたくない。

忘れたくないよ……。

せっかく、楽しい日々が続いていたのに、
これが全部、なかった事になるなんて……
そんなの耐えられない……。

この想いは?

今の、この気持ちはどこにいくの?

あの人が好きなのに……。
こんな大事なことも、忘れてしまうのだろうか。

嫌だ……もう嫌だ。

こんなのって、ないよ……。

477 : VIPに... - 2011/06/16 05:05:38.77 dMBO8he/o 481/508

──20×1年5月21日

今日で日記を終えよう。

理由は、正直、もう限界だと思うから。
いつ、記憶を失ってもおかしくない状態だ。

何故分かるかは分からないけど、
これも経験から来る予感なのかもしれない。

とにかく、この日記を今まで続けた自分を褒めてやりたい。

だって、これさえ読めば、
次のわたしも、同じように、あの人を好きになるはずだから。

忘れないで、わたし。

478 : VIPに... - 2011/06/16 05:06:12.49 dMBO8he/o 482/508

指輪を大切に。

あの指輪が、あなたを次へと結びつけるはず。

だから……諦めないで。

指輪は左薬指に填めることにする。
だって、その方が意味深だから。

次のわたし、疑問に思ってね。
その指輪が誰の贈り物なのか、悩んで。

そうすれば、きっと。

答えにたどり着くはずだから。

……………。
………。

479 : VIPに... - 2011/06/16 05:06:39.75 dMBO8he/o 483/508

「…………」

「……ッ」

「……うっ……」

「……ううっ、ああっ……」

「……駄目だ……」

「泣くんじゃ……ない……」

「…………」

「……気付いてたんだな?」

「俺が……本当の兄じゃない事……」

「それも全部……」

「……待ってろ」

「すぐに、助けてやるから」

「……絶対に」

「絶対に救ってみせるっ!」

──ピピピピピピッ!

「…………」

「……時間だ」

480 : VIPに... - 2011/06/16 06:14:07.38 dMBO8he/o 484/508

──病院

たったったった……。

「……はぁ……はぁ……」

「……はぁ……」

医師「お兄さん……来ましたね」

「アイツは……妹は……」

医師「電話で話した通り、さきほど目覚めました」

医師「しかし……まさか、こんな早くなるとは」

「あと、あと何分あります……?」

医師「十分……それが、限界だと思います」

「……十分?」

「くそっ、時間がない……」

医師「…………」

481 : VIPに... - 2011/06/16 06:14:37.39 dMBO8he/o 485/508

ガラガラガラ……。

「……あ」

「……ん?」

「…………」

「……ええと……」

「……どなたで……」

「──違う……違う……」

「……え?」

「お兄ちゃん……この人は……」

「……お兄ちゃん……」

「ああ……」

「……来てくれて、ありがとう……」

「でも、ごめんなさい……わたし、頭がぼーっとしてて」

「何にも浮かばないんです……何も……」

「…………」

「……指輪……」

482 : VIPに... - 2011/06/16 06:15:05.48 dMBO8he/o 486/508

「……ん?」

「この指輪……誰から……」

「……っ」

「……俺がっ」

「俺がお前の誕生日に贈ったっ!」

「……お兄ちゃん……が?」

「違う……俺は……」

「……違うんだ……」

「……え? でも……」

「……くそっ、どうすれば……」

「……どう言うのが正解なんだよっ……」

「…………」

「落ち着け……一旦、落ち着くんだ……」

「……ふぅー……」

483 : VIPに... - 2011/06/16 06:15:34.92 dMBO8he/o 487/508

「……お兄ちゃん?」

「……いいか」

「これから俺が話すことを、注意深く聞いて欲しい」

「……頭が回らないかもしれないけど、本当に頼む」

「……はい、頑張ります……」

「……まず」

「俺は……お前の兄じゃない」

「……え?」

「『お兄ちゃん』じゃない」

「……お兄ちゃんじゃ、ない……?」

「ごめん……今まで騙してて……」

「ずっと、六年間も、お前に嘘ついてて……」

「…………」

「……俺は……」

484 : VIPに... - 2011/06/16 06:16:16.07 dMBO8he/o 488/508

「俺はただ……小さい頃のお前の友達で」

「お前の本当の兄である親友の友人で……」

「……覚えてないか?」

「……すみません……」

「……っ」

「あの……」

「その当時の、わたしは、なんて?」

「ん……?」

「あなたのことを、なんて呼んでたんですか?」

「……『兄さん』」

「……兄さん……」

485 : VIPに... - 2011/06/16 06:16:46.35 dMBO8he/o 489/508

「……初めてお前と出会った俺は」

「親友の後ろの隠れる、小さな女の子が可愛くて」

「自分の妹にしたいなって、考えた」

「……だから、『兄さん』」

「そう君に……呼ばせてた」

「……兄さん……兄さん……」

「どうだ? 思い出さないか?」

「ん……何か、頭にひっかかります……」

「……とても大事なことを……わたしは……」

「……うっ……」

「痛い……頭が痛いっ……」

「だ、大丈夫か?」

「…わたしのことはいいですから……」

「……もっと聞かせて下さい……二人のことを……」

「……本当のわたしと、兄さんの関係を……」

「……ああ」

486 : VIPに... - 2011/06/16 06:17:15.48 dMBO8he/o 490/508

「……俺とお前……あと、親友は……」

「いつも大の仲良しで……何をするにしても、三人だった」

「外で遊んだり、家でゲームをしたり」

「そうやっていられる仲だったんだ……」

「……は、はい……」

「でも、ある時、気付いちまった」

「……自分が、抱いてはいけない想いを持ってるって……」

「それで……」

「……あ……」

「いつからか、疎遠になった……」

「俺は……お前を遠ざけようとしたんだ」

「妹として見なきゃいけないお前に」

「……違った感情を覚えた自分を嫌った」

「……ん……」

487 : VIPに... - 2011/06/16 06:17:50.14 dMBO8he/o 491/508

「俺は若かったんだな……」

「変化することは、何かを壊してしまうことなのだと」

「……そう、勘違いしていた」

「本当に馬鹿だよな……」

「……それで……?」

「結局、お前の本当の兄に怒られたけど……」

「……俺の家族に悲しいことが起こってしまって」

「離れ離れになってしまった……」

「……別れも言えないまま、な……」

「…………」

「覚えていないか? 俺のこと……」

「『兄さん』って呼んでいた少年のこと」

「……君は……」

「……すみ、ません……」

「…………」

「……そうか」

「なら、仕方ないな……」

488 : VIPに... - 2011/06/16 06:18:18.12 dMBO8he/o 492/508

「……ごめん、なさい……」

「いいんだ」

「まあ、こうなってしまったら」

「……もう、俺に残された切り札はない」

「だから……」

「昔のお前に言えないのなら……」

「……今、伝えてもいいか?」

「……え?」

「俺の想い……聞いてもらっても良いか?」

「……それは……」

「……ん……あ、眠い……」

489 : VIPに... - 2011/06/16 06:18:54.31 dMBO8he/o 493/508











「──好きだよ……」










「……あ……」

「お前のことが、昔から大好きだ」

「……ああ……」

490 : VIPに... - 2011/06/16 06:19:33.72 dMBO8he/o 494/508

「記憶を失ってから、お前に再会したけど」

「……結局、俺はお前を好きになった」

「……あ、あっ……」

「何度も何度も、お前は記憶を失ったけど」

「そのたびに……俺はお前を好きになった」

「……んっ……」

「……そう」

「これが俺が望んだ事」

「……見てみぬ振りをしてきた、違和感の正体」

「俺は……お前に想いを伝えることを我慢していた」

「ずっと……中学時代のあの時から……」

「…………」

「でも、今なら言える」

「俺は……本当に、お前が好きだから……」

「…………」

「……すぅ……」

「……っ」

491 : VIPに... - 2011/06/16 06:20:27.42 dMBO8he/o 495/508

「……すぅ……すぅ……」

「……あ、ああっ……」

「……なんで」

「……なんで、何だ……?」

「何で、うまくいかない……」

「……二人の関係が……最後が……」






──こんな結末なんて……。






………。
……………。

492 : VIPに... - 2011/06/16 06:21:00.26 dMBO8he/o 496/508

親友『なあ、知ってるか?』

『ん?』

親友『世の中には、「弱肉強食」って言葉があるだろ?』

『ええと、弱いものは強いものに食われるってことだっけ?』

親友『そうそう、もっと具体的に言うとさ』

親友『この社会は弱い奴の犠牲によって栄えてるってこと』

『……う、ん』

親友『お前はそれ、どう思う?』

『つまり、強者と敗者がいるってことだよな』

親友『そうそう。んで、敗者は要は社会の犠牲者みたいな感じかな』

『……んーなんだろうな』

親友『結局、勝者ってのは、自分の思い通りになんでも出来る訳』

親友『でも、みんなが思い通りに行動をしてたら、社会が回らなくなる』

『それは俺でも分かるよ』

親友『じゃあ、我慢してるのは?』

『敗者?』

493 : VIPに... - 2011/06/16 06:21:46.57 dMBO8he/o 497/508

親友『そういうこと』

『……うわぁ……大人になりたくねぇな……』

親友『もし仮にさ、将来、俺たちが勝者じゃなくて敗者になっちまった時』

親友『どうすれば、そこから抜け出せられると思う?』

『いや、もう無理なんじゃない?』

『貧乏くじ引いてる時点で、もう泥沼じゃん』

親友『うん……そう普通は思うよな』

親友『でも俺、気づいちゃったんだよ』

『何を?』

親友『とっておきの、抜け出し方法』

『……え?』

494 : VIPに... - 2011/06/16 06:22:15.25 dMBO8he/o 498/508

親友『実は、すごい簡単な事なんだ。なんで、みんな知らないのってぐらい』

『教えてくれよっ』

親友『仕方ないなぁ。本当は誰にも言いたくないんだけどな』

親友『……お前だけは特別だ』

『さすがっ!』

親友『方法は簡単さ。よく聞いとけよ?』

親友『それは……』




親友『──敗者の役をやめてしまえば良いっ!』




495 : VIPに... - 2011/06/16 06:22:48.53 dMBO8he/o 499/508

『……は?』

『どういう意味だ……?』

親友『社会の構図に囚われているから』

親友『敗者だとか勝者だとか余計なことを考えるんだ』

親友『だから、そこから抜け出したい時には』

親友『「自分は敗者なんかじゃない」』

親友『「犠牲がなんだっ。貧乏くじがなんだっ」』

親友「そうやって、自分に言い聞かせれば良い』

親友『それすれば次第に……」

親友『そんなちっぽけな枠組みに囚われないようになるさ』

『……ちょ、ちょっと待てよ』

親友『ん? なんか不満か?』

『不満も何も……』

496 : VIPに... - 2011/06/16 06:23:31.20 dMBO8he/o 500/508

『そんなの根本的な解決になってないぞ?』

親友『……そうか?』

『何だよ、何が簡単な方法だ』

『聞いて損したなぁ……』

親友『……なんだよ……』

親友『せっかく、教えてやったのに……その態度……』

親友『……ちぇっ』

親友『でも、いい案だと思うんだけどなぁ……』

親友『……んー』

……………。
………。

497 : VIPに... - 2011/06/16 06:24:01.48 dMBO8he/o 501/508

「……あ……」

「……すぅ……すぅ……」

「……ん……」

「……うそ、だろ……?」

「…………」

「……だって……」

「……あれ?」

「『兄さん』……?」

「…………」

「……あ、ああ……」

「──妹っ!」

498 : VIPに... - 2011/06/16 06:24:40.05 dMBO8he/o 502/508

ぎゅっ!

「ちょ、ちょっと、急に、一体……」

「……ま、前にも言ったじゃないですかっ」

「抱きつく時は……事前に……って」

「……え……?」

「……思い出したんだな?」

「わたし……」

「全部、思い出したんだなっ?」

「……ああ」

「お兄ちゃんが……お父さんに押されて……」

「階段から落ちて……」

「……それで、それで、わたし……」

……ぎゅっ!

「いいんだ……いいんだ……」

499 : VIPに... - 2011/06/16 06:25:42.15 dMBO8he/o 503/508

「もう、頑張らなくていいんだよ……」

「に、兄さん……兄さんっ……」

「一人で耐える必要はない……」

「……俺が……俺が背負ってやるから……」

「お前と一緒に……これからずっと……」

「……っ」

「…………」

「……うぅ……」

「…うぁぁぁぁっ……」

「…………」

……………。

500 : VIPに... - 2011/06/16 06:27:40.91 dMBO8he/o 504/508

「……ん……」

「……兄さん?」

「もう、泣くのはいいのか?」

「うん……また泣きたくなったら……」

「その時はわたしと一緒に、泣いてね……?」

「ああ……もちろんだ」

「……全部、思い出したよ」

「昔の事も……わたしが死のうと思った時のことも」

「……そして……」

「ん?」

「指輪……ありがと」

「……あ……」

「お、お前……まさか……」

「うん……本当に、兄さん、ごめんね……」

「この六年間……ずっと、わたしのためだけに……」

「ありがとう……本当にありがと……」

501 : VIPに... - 2011/06/16 06:28:24.29 dMBO8he/o 505/508

「……いいんだっ……そんなことは、もうっ……」

「それに、さっきの返事も言ってなかった」

「……あんな嬉しい告白してくれたのに……」

「それは……」

「だから……兄さんにはもう気付かれてると思うけど」

「……はっきり言います」

「わたしも、兄さんのことが、大好きでした」

「ずっと昔から……そして、今も……」

「記憶を失ってからも……それだけは、忘れなかったよ……」

「わたしも、兄さんが本当に好きだからっ……」

「……ああ……」

502 : VIPに... - 2011/06/16 06:29:22.30 dMBO8he/o 506/508

「でもね、兄さん」

「どうした……?」

「最後に……一つ言わせて」

「ん?」

「六年間……ずっと『お兄ちゃん』の代わりをしてくれたけど」

「……もう、それはしなくていいですから……」

「…………」

503 : VIPに... - 2011/06/16 06:30:11.23 dMBO8he/o 507/508

「……だから、これからは……」

「昔みたいに……今のように……」

「……ずっと……」











──『兄さん』って、
    呼ばせて下さい……──











   -The End-

505 : VIPに... - 2011/06/16 06:31:06.72 dMBO8he/o 508/508

本当に、お疲れさまでした。
これにて終了。また今度。

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