25 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 13:44:50.57 yh0OEmh1P 1/15

『――本日は晴れ、しかし関東西部では夕方からゴリラ豪雨の可能性があります。お出かけになる際は念のため傘をもってお出かけください――』

 そんな朝のニュースが思い出されて、思わず俺はため息をついた。まとまった商談に浮かれてしまい、ふと帰社の前に珈琲でも飲んでゆこうかと考えたのが失敗だったのだ。

「ゴリラ、止みそうにないですねー」

 研修を経て俺の部下に配属された柏が小さく呟く。その言葉の裏にちらつく高揚の影を苦々しげに思いながら、俺は珈琲を啜る。

「なあ」柏は未だ外を眺めている。

「お前さあ、もう学生じゃないんだからゴリラなんかに浮かれるなよ。こいつらが降れば降るほど、俺たちの残業は増えるんだぞ? だからさあ……」

「でも、」柏は俺を遮って言う。「私、田舎の出なんです。だから、初めて見たんです……それに、ほら……」

 ああ、と俺は彼女の故郷が何処であったかを思い出して、言葉を止める。そうだ、こいつの生まれは福島だったのだ。

 何と慰めて良いものか考えあぐねながら、俺は窓の外へと目を見やる。窓の外では積もったゴリラが雄々しく叫び、ところ狭しとひしめいている。

 なんて不幸な生き物だろう、と思う。彼らのほとんどは生きられない。降り積もるゴリラたちはその自重で下敷きになったゴリラたちを潰してしまうのだ。

 彼らにも感情はあるのか、小さい子ゴリラなどが潰される様を目にすると緑色の涙を流す。そう、彼らの叫びは怨嗟そのものであるのだ。

 自分たちをこんな状況に追いやった人間たち、世界、そしてその呪われた運命への――「あ! 見てくださいよ! 今落ちてきたのってチンパンジーじゃないですか?!」




元スレ
ラノベ書こうと思って実際にやったら1Pしか書けなかった
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1371440088/

38 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 14:20:37.92 yh0OEmh1P 2/15

「チンパンジー?!」俺は身を乗り出して窓ガラスへと顔をくっつける。「何処だ?! 何処にいる?!」

「あそこですよ、ほら、あの公園の中の噴水の辺りです、でも――あぁ!」

 確かにそれはチンパンジーだった。しかしゴリラたちの色濃い体毛と血にまみれながら逃げるように掲げられた手と顔は、上空から降ってきた三メートルはありそうな巨大なゴリラに潰され果てた。

「あぁー……」柏は体中の力が抜けてしまったかのように声を沈めて、「残念でしたね」

 落胆した俺はまた無言で珈琲を啜る。本当にそうだ、ここで偶然にもチンパンジーを保護できたなら商談をまとめてきただけではなく、成果を持って帰還したことになるのだ。

 そうすれば、社内での俺に地位もいくらかは上がるというのに。

「お子さん、今いくつでしたっけ?」

 つい最近三歳になったばかりだよ、と俺は答える。柏は悲しそうに「そうですか……もう少し、私が見つけるのが早かったら……すみません」

 俺はそんな柏を見ながら、ふいにファルスという言葉を思い出して、心の中で笑う。ファルス、ドイツ語で喜劇という意味だ。

 最近誰かの随筆の中で読んだのだったが、はて、それはいったい誰だったか。

 しかし誰はともあれ、彼はこんなふうに述べていたのだ。『ファルス――すべての悲劇的なことはおしなべて喜劇に転じうる』と。

 俺は落ち込む柏を微笑ましく思いながら、「いいよ、気にすんなよ。それよりもなんかおごってやるぞ、何かいるか?」

 その言葉を聞いた柏は勢いよく俺の方を向いて、「いいんですか?!」

「おう」俺はその心変わりの早さ、というか目まぐるしい感情の変化に若さを感じて苦笑する。「好きなもん食えよ、なんでもいいぞ」

「なら……」柏はメニューを食い入るように眺めながら「この、ゴリラ風ゴリラ・ゴリラがいいです! 私、これ大好きなんです!!」



51 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 16:05:56.09 yh0OEmh1P 3/15

ゴリラ、俺たちは数年前まで彼らを動物園や低俗なドキュメンタリーでしか目にすることができなかった。

 一般の人々が彼らについて知りうることなんて、数えるほどしかなかった。人間と似ているDNA配列を持ち、森の奥深くに棲み――絶滅の危機に瀕している。

 少しばかりネットに被れた人間ならば「ゴリラは死という概念を理解することができる」といった与太話をも知っていそうなものだが、そんなこと、大部分の人間には知る由もない。

 しかしあの日から、ゴリラに対する認識は一変したのだ。特に関東に住む人々の中では――

「やっと晴れてきましたね」

 満足そうにゴリラ・ゴリラを頬張る柏は呟いた。「ああ、もったいないなあ。こんなにゴリラがいるのに」

 ゴリラたちは陽を浴しては消滅してゆく。後に残るのはただ、潰れたトマトのようになったチンパンジーの成れの果てばかりだ。

「どうします? あれ、持って帰ります?」

 いや、止めておこうと言って、俺たちは店を後にする。あんなものでも意味はあるだろうが、俺たちには保存する伝手もないし、設備もないのだ。



 ゴリラはあの日、福島で起こった原発騒動の後から、急に姿を現すようになった。その出現は生命の誕生というよりもむしろ、突発的な天候に近いものだった。

 俺たちは彼らに触れることができない。降ってくるゴリラは体をすり抜け、地面に積もる。しかし潰されたゴリラたちの血は繊維と反応して40度程度の熱と赤黒い汚れを付着させてしまうのだ。

 だから都内では長靴が大流行しているのだが、それがサラリーマンに許される日にはまだ遠い。俺たちはゴリラ豪雨の際には、先ほどのようにどこかへ避難することしかできないのである。

 彼らがなぜ発生したのか、どこからやってきたのかはわからない。あの日から数年経った今でもテレビはその話題で持ち切りだ。

「……どこかにいないかなあ、チンパンジー」

 また柏が残念そうな声で呟いた。それもそのはず、チンパンジーは俺たちの商談の要でもある。



 俺は電車に揺られながら、先ほどの商談の際に先方から渡された書類を取りだし、もう一度目を通す。

『――チンパンジー(以下、甲)捕縛要項 ゴリラ(以下、乙)発生の原因、または位相的考察とその研究について――』

 俺たちが触れられないゴリラに唯一干渉しうるチンパンジー、研究のためには生きたまま捕縛しなければならない。そのためにはゴリラ豪雨が頻発する地域に常駐していなければならないのだが――

「こんなもん、民間に委託するなって話だよなあ」

 電車が停止し、アナウンスが響く。『ただ今ゴリラ豪雨の影響により、運行調整を行っております。申し訳ありませんが、五分ほどお待ちください』

「また降ったんですかねえ?」

「そうだろうな。まったく、今日はいったい何時になったら帰れることやら」 




54 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 16:56:57.27 yh0OEmh1P 4/15

 やっと帰社へと叶った頃、時計の針は既に六時を回ってしまっていた。

「ああ、これから書類との格闘が残っているのかか……」俺は吐き捨てるように言う。「はやく帰って子供と遊びてえなあ」

 まず報告書の作成から始まり、商談を更に進めるために必要なプレゼンの準備、採算を考慮した対費用効果など。どんなに希望的に考えたとしても、日を跨ぐことは間違いないだろう。

「もう研修に戻りたいですよー」あと数十メートルのところでまたゴリラに降られ、靴を汚した柏が心底疲れた声で言う。

「俺も、戻れるなら戻りたいよ」そう言いながら、「でも、もうこの会社はゴリラ関連の案件で回ってるんだ。愚痴を言うより先に、目の前の仕事を片付けなくちゃな」

  

 夜も更けはじめた頃、またゆっくりとゴリラが降り始めた。これが雨ならばポツポツと窓を叩く音でわかるのだろうが、ゴリラは違う。彼らは先ほども言ったように熱を放つのだ。

 なので、急に蒸し暑くなると、ゴリラが降り始めたことがわかるのだ。

「おい、ゴリラ来てんぞ」眠たげに頭を揺らしていた柏は気だるく瞼を開いて、「うわー……マジですか。帰れないじゃないですか」

 夜に降るゴリラは朝日を浴びるまで降り積もる。不思議なことに、それは雲の上まで積もるという。

「どうする? 酷くならないうちに帰ろうか?」俺がそういうと、「いや、もういいですよ。化粧落としは持ってきてますし、今日は会社に泊まります。服汚れる方が嫌ですもん」 

 窓を開けると、ぼとぼととゴリラの指や耳、鼻などが落ちていくのが見える。それらは段々と大きくなっているようで、少し上の暗い影はもはや腕や脚にまで成長している。

 本降りになったらうるさいんだろうな、と考えながら立ち上がり、「とりあえず一服してくるよ」と言って部屋を出た。

 



57 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 17:33:53.09 yh0OEmh1P 5/15

 煙草を吸いながら、俺は自分の仕事について考えていた。頭上に被さる屋根、目の前にある手すりや、会社の壁。それらは皆、チンパンジーの皮をなめして作られた素材で覆われている。

 触れてみると伝わったゴリラの熱で少し暖かいそれはまるで生きているようで、俺はやるせない気持ちで煙を吐く。

「しょうがねえ……んだよなあ……」

 現在の日本、主に関東ではこういったコーティング作業が積極的に進められている。ゴリラ豪雨で発生する被害は心象的側面が大きいとはいえ、気温の上昇による熱中症などの身体的影響も多分にあるため、その対策は政府主導の政策として大きな市場へと発展しているのだ。

 ただチンパンジーの数は少ない。時折りゴリラ豪雨に混じって発生するケースはあれど、極々稀な現象でしかない。専門家たちの述べるところでは、ゴリラ豪雨中に発生するチンパンジーはゴリラの突然変異ではないらしい。

 彼らは突然、その位相に発生するのだそうだ。そのために生きているチンパンジーを捕縛するのには特殊な技術や知識が必要となる。



 ふと目の前に一匹のゴリラが降ってきた。手すりに触れるか触れないかといったすれすれのところだ。

 こりゃ本降りになるな、と短くなった煙草をもみ消しながら考える。ゴリラはただ、俺の方を眺めている。



 そろそろ戻ろうか、そう思ったときだった。ゴリラが突然ドラミングを開始し、俺へと向かって糞を投げてきたのだ。

「うおっ!?」反射的に身をかがめ、それを避ける。糞は後ろの壁に当たって飛散し、辺りには酷い臭いが立ち込める。

 先ほどまでの感傷的な気分は霧散し、俺は目の前にいるゴリラを苦々しく思った。気づけば、自分でも意識しないうちに、右手に持っていた吸殻を投げつけていたのだった。

 音もなくまっすぐにそれはゴリラへと向かい――当たった。いや、正確に言えば口を開けたゴリラの口内へと入ってしまったのだった。

 俺は当初、それに気がつかなかった。気づいたのはそう、背を向けて喫煙所を出ようとする際に、「ブュッ!」と小さく何かを吐き出す音が聞こえてからだったのだ。




65 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 18:26:17.69 yh0OEmh1P 6/15

 俺は訝りながら振り返る。そして近付いてくるゴリラを見る。

 そいつは既に手すりを乗り越え、喫煙所の中へと侵入していた。目を見開く俺をじっと見つめる。硬い肌は黒々と照り、その表情は異様な笑みを湛えている。

「なんだ、お前?」

 ゴリラは俺の言葉に反応して、ゆっくりと変化させていた顔の動きを止める。俺はこんなに至近距離でゴリラを眺めたことなんてない。

 深い皺に鼻筋なんてものが存在しない単なる穴としてある鼻。それはどこか、課長の梅嶋に似ている。

「お前、物が触れるのか? さっき何か吐き出したよな? それは……煙草か?」

 ゴリラが唸る。大きく目を見開いて、歯をむき出しに堪えるようにして体を震わせる。

 ゴリラが飛びかかってくるのと、俺の脚がようやく逃げるということを思いついたのはほとんど同時だった。

 俺は俺のいた場所、つまりその後ろにあったはず手すりが、飴細工のように曲がっているのを尻目に、息も絶え絶え、情けない声を上げながら逃げ出すのだった。



「なんだよ、本当、に、なんなんだよ……」エレベーターに乗り込み、一息ついてから俺は呟く。

「ヤバいぞ、本当に、あれは、ヤバいぞ」あの日以前ならいざ知らず、今日まで、物体に触れることができるゴリラなんて聞いたこともないのだ。

 遅れてやって来た震える脚を必死に動かし、やっとの思いで辿りついた部屋の中では椅子を並べて柏がいびきをかきながら寝ていた。

「起きろ、柏! ヤバいぞ!」

「……うわ! 先輩! す、すいません……今何時ですか?」

 そうじゃないんだって、と思いながら俺は携帯を取り出してニュースを見る。しかし先ほどのようなゴリラのニュースは見つけられなかった。

「どうしたんですか、何でそんなに焦っちゃってるんですかぁ?」

 



67 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 18:44:38.75 yh0OEmh1P 7/15

「ゴリラだよ、ゴリラ!!!」

「……ゴリラ? そりゃ今外はゴリラ豪雨っぽいですけど、それがどうかしたんですか?」

「違うんだって!!!!」俺は荒げていた声に気づき、先のゴリラに聞こえやしないかと声を潜める。「……普通のゴリラが、出たんだよ」

「えっ!?」と驚く柏の口を塞ぎ、「馬鹿、声が大きい!」。柏はこくこくと頷きながら、破けんばかりに目を見開いている。

「いいか、大声を出すんじゃないぞ」と告げ手を離すと、僅かに唾液がついていて、「柏、お前なんか拭くもん持ってないか?」

 柏は黙ったまま、机の中からポケットティッシュを差し出した。

 すると、彼女は思いついたように大声で「先輩!! 扉封鎖しなくてどうするんですか!!!」

 大声を出すなって言ってるだろ、と言いかけて俺は彼女の提案が至極真っ当なものであることに気がつく。確かにそうだ。ゴリラの握力は二トンもあるのだ。

 バリケードを作らなければ、ただの扉などぶち破られてしまうに違いないのだ。

「急ごう」俺たちはすぐに作業に取り掛かった。柏も必死なようでいつもスカートを憚ることもせずに忙しく駆け回っている。

 俺は頭の片隅でぼんやりと、今日は我が子の顔を見れそうにないなと考えていた。




69 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 18:59:44.91 yh0OEmh1P 8/15

 外からは雨音のようなゴリラの雄叫びが聴こえる。咳払いをしてみても、すぐにかき消されるほど激しい音だ。

 いつゴリラに襲われてもいいよう、俺は柏と身を寄せ合って窓の傍に座り込んでいた。背後はもう積みあげられたゴリラで一杯だ。

 街灯の光が入ってくることもなく、電気を消した今、おれたちは完全な暗闇の中にいる。

 ずっずずっ、ずずっず、とゴリラたちの潰れる音、遠くに聞こえる息遣いの生々しさ。ああ、音、音だ。音ばかりだ。もう俺にとってゴリラの声は音でしかないのだろう。

 小さい頃、遠足で行った幼稚園でゴリラの雄叫びに恐れて泣いてしまったことがあった。

 しかしこれから生まれる子供たちはゴリラを恐れることなどないに違いないのだ。

 消費税や煙草の値段を上げるのと同じようなものだ。違和感を感じるのは変化の時期に立ち会った人間だけ、それから後に生まれてきた人間にとってはまるで自然のものとして受け入れられてしまうのだ。

 それは想像力の欠如だろうか、いや、過去へと想いを馳せるということを学べない現在の教育体制が悪いのか?

 暗闇の中で、俺は気を紛らわそうとしているのかもしれなかった。それはゴリラというよりむしろ――

「わあっ!!!」柏が俺に抱き着いてくる。「い、いま、足音がしませんでしたか?」震えながら、鼻水をすするような音を立てる。

「大丈夫だよ」俺は慰めるように言った。「朝になればいなくなるだろ、それまでの辛抱だ」

 すいません怖いです、と彼女は言う。しばらくして、俺は一つの疑問を投げかける。

「なあ、どうしてお前はこの会社に入ったんだ?」それは何気ない疑問だった。「こんなこと言うのも気が引けるけど、お前は福島でさ、たくさんのゴリラを見てきただろ? 確かお前が住んでいたのは――」

「……浜通りです」

「そうだ、浜通りだよな。原発の被害でゴリラが大量発生して、まだチンパンジーのこともわかっていなかった頃だ。今でも福島の人々はゴリラに対して異常な嫌悪感を抱いているし、賠償問題だって解決してない

なのにどうして、地元の人に嫌われるような、ゴリラ豪雨にまともに向き合うような会社に入ったんだ?」   




73 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 19:21:06.45 yh0OEmh1P 9/15

 それは……と言いかけて、柏は言葉を切る。「先輩は、あの日のこと、どこまで知っていますか?」

「どこまでって……」と俺は言い、「それは発電そのものについてのことか? あの事故が津波で引き起こされて、予備電源が故障して……」

 柏は一呼吸の間の後、「その津波の後のことです」。

 もう窓の外からゴリラの呻きは聞こえない。遥か高くまで積み上げられてしまったようで、まったくの無音である。

 ペタペタと、廊下から足音がする。ゴリラはやはり俺を追って、非常階段から侵入してきたようだった。

「……少し、黙ろう」目が慣れたのか、こくりと首を動かした柏の輪郭がより一層深い暗闇となって知覚できる。



 俺は考えていた。柏は何を言おうとしたのだろうか。何を伝えんとしたのか。ゴリラはゴリラだろう、それ以外に何があるというのだろうか……?



「行ったみたいですね」どのくらいの時間がたったのかわからない。もしかしたら俺は眠ってしまっていたのかもしれないと思うくらいの時間を経てから、柏が言葉を発した。

「先程の続きなのですが……」荒い鼻息とともに、獣の臭いがする。「私、見たんです。あの日、見てしまったんです」

 耳を刺すような沈黙が鳴る。心臓の音と、壁にかかった時計の音が大きく聞こえる。柏はついに言いあぐねていた言葉を発した――「押し寄せてきたのは、ゴリラだったんです」




75 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 19:32:48.34 yh0OEmh1P 10/15

「……は?」俺は今自分の顔が見えていないことに安堵する。「いやいや、押し寄せてきたのは津波だろ? 映像にも残ってるし、それはおかしいだろ」

「違うんです」ほとんど消え入りそうな声だ。「確かに映像には残っていません、でもあれは、本当に、ゴリラだったんです」

 柏はほとんど泣いてしまっている。暑い室内に嗚咽が響き、俺は慌てて彼女を落ち着かせようと抱きしめる。

「ひ、ひぐ、だれもっ、しんじてっ、くれないんですっ。うえっ。政府の人も、だれもっ、みんなっ」

 混じりあった汗が俺の胸を伝って落ちる。室温とは裏腹に俺の頭は冷たくなってゆく。

「わかった、わかった。俺は信じるよ。話も聞くから。だから泣き止んでくれ。ゴリラが来ちまうよ」

 はい、と泣く柏は俺のシャツで鼻水や涙を拭いている。おいおい勘弁してくれよと思いながらも、この状況下でそれを責める勇気は、俺にない。




79 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 19:59:13.35 yh0OEmh1P 11/15

「もう大丈夫か?」

 はい、と掠れた声ではあったがもう声に涙が混じってはいなかった。俺は抱き着いたままの柏を引きはがし、「じゃあ、話してくれよ。吐き出したいんだろ?」

 柏は少し照れくさそうに「まあ……改めて言うと恥ずかしいんですけどね」と笑う。



「あの日、突然地震が来たことは知ってると思います。ただ、何度思い返してみても、その後に来たのはゴリラだったんです」 

「地震が来て、すぐに津波警報が聴こえました。私や家族は半信半疑で、状況を飲み込めないまま、非日常を楽しむくらいの気持ちで外へ出たんです」

「外に出てみると、先の地震がどれほど大きかったかはすぐにわかりました。古い家は倒壊し、地面が割れて電柱が倒れていましたから。半狂乱になった父と母は必死に車を動かそうとしていましたが、

私は車じゃ駄目だ、道路が壊れているのだから動かせるはずがないと思ったんです。なので、ほとんど家族を引きずるように、近くにある一番高い山を目指して走ったんです」

「山道は逃げ惑う人々で一杯でした。みんな突然のことに混乱していて、どうしようもありませんでした。隣を走っている人の顔を確認することもできないまま、斜面を必死に走るしかありませんでした。」 

「怒号や、子供の泣き叫ぶ声、すすりなく女の人の声――大きな、地鳴りのような、体の芯を震えさせる音」

「必死に逃げました。最初に父を見失って、次に母を見失いました。だんだんと多くなる人混みの中で、ついには手を繋いでいたはずの、弟が消えました。無我夢中でした」

「私だけが一番高いところへ辿りつくことができました。そこでやっと、家族とはぐれてしまったことに気づいたんです。近くにいたおじさんの話では私は半狂乱でまた山を下ろうとしたらしいのですが、もう覚えていません」

「憶えているのは、断片的な光景だけです。逃げ遅れて未だ山の下方から登ってくる人々の姿や、遠くに見える発電所、そして――」



「海かと思えるような黒々としたゴリラの群れだけです」




81 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 20:16:39.32 yh0OEmh1P 12/15

「最初はゴリラだと思わなかったんです、あんなに遠くから、ゴリラだってわかる人間なんていません。でも、津波にしてはあまりにも遅かったんです。みんな変だと言いました。みんな、みんな……」

 話しながらその光景を思い出したのか、柏はまた俺の胸へと顔をうずめた。

「うぐっ、わたし、見たんです、うぐっ。おと、うさん、が、ゴリラにっ、ゴリラにいっ、ひぐっひぐぐっ」 

 俺は何と言葉をかけていいものか、わからなかった。ゴリラは地面を別にして、ほとんどの物体をすり抜ける。俺たちはゴリラに触れることはできない。

 けれど、俺は見てしまったのだった。先ほど飛来し、今やこのビルの中を我が物で歩き回るゴリラをだ。俺は柏の話を、信じるほかになかった。

「……すまん」と呟くと、「うっうっふう、なんでっ、先輩が、ひぐうっ、謝るんですかっ、ふぐぐうっ」

 俺は小さい子にするように柏の背中を叩き、撫でてやる。「だからわたしは、ゴリラのことが知りたくてっ、ひぐっ、この会社にっ、入ったんです、ううう~」



 
「……落ち着いたか?」しばらくしてから声をかけると、「はい……なんか本当に……すみません」

 いいよ、と言いながら俺は立ち上がる。「そろそろ朝だと思うし、一回電気を点けてみるか」

 すると柏は大きな声で叫んだ。「駄目ですっ!!!」

 その瞬間、遠くから何かが走ってくる音が聞こえる。「お前、大声出すなよ!」。それはどんどん迫ってくる。一直線に、この部屋を目指して走ってくる。

「ヤバいぞ、マジでヤバいぞ」

 柏は俺の裾を掴み、ぐいと体を下に引っ張る。「うおっ!?」。今度は俺が抱きしめられる形で、いや、ほとんど押し倒される形で柏は俺に馬乗りになっている。




89 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 20:56:49.62 yh0OEmh1P 13/15

「……先輩」その声は野太い。「私、わかってるんです。知ってるんです。私が知りたいのは、先輩の考えている事と、違うんです」

 柏に両腕を押さえつけられて、俺は指一つ、それどころか、背中を浮かすことさえできない。

「あの日、お父さんはゴリラに千切られました。齧られて、振り回されて、人形のようにいたぶられました」

 ドアがガンガンと殴られる。その衝撃で、積み上げた机や本棚がバキバキと音を立てて崩れてゆく。

「お父さん、誰に千切られたと思いますか?」

「知らねえよっ!」騒音の中、俺はこんなふうに体を押さえつけてくる柏を理解することができない。

「そのゴリラは……服を着ていたんです」



 ふいに音が止む。俺は熱い吐息を感じて、思わず暗闇の中で目を凝らす。何も見えはしない、ただ、暗い影だけを見留めるばかりだ。

「わかったんです、みんな、ゴリラになるって。みんな、みんな、ゴリラになってしまうって」

 

「わかりますか? わかってくれますか? ゴリラなんです。ぜんぶ、結局、ゴリラなんです」 

「わかった、わかったから。離してくれ、逃げたいんだ、離してくれ」

「わたしが知りたいのは、どうして、ゴリラになったのか。どうして、わたしたちばかりがそんな目にあわなくちゃならないのか」

「美味しいんですよ、ゴリラは。わかりますか? わかりますか? 暗いところで、死に近いところで、お父さんかもしれないものを、食べなくちゃいけないってことを」



 ふいに頭の片隅で、昨日の商談の内容がよぎる。『――偶発的に発生するゴリラは、通常の固体と違い頻繁に鳴き声を発する。その意図は定かでないが、何らかの言語形態を有するものと推察される――』

「わかった、わかったから、ゆるしてくれえ」既に言葉を発することさえ苦痛な状況で、俺はただ我が子のことを想う。「子どもがっ、子どもがいるんだっ。俺はっ、俺にはっ!」

「大丈夫です」柏の声はもう、ほとんど聞き取ることができない。「みんな、順番です。死ねないんです。みんな、ゴリラなんです」

 ギイィィっと、ドアが開かれる。廊下から差す非常灯の緑光が柏を照らして――




91 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 21:00:31.15 yh0OEmh1P 14/15

『――本日は晴れ、しかし関東西部では夕方からゴリラ豪雨の可能性があります。お出かけになる際は念のため傘をもってお出かけください――』

 朝のニュースを眺めながら、俺は珈琲を飲んでいる。妻はキッチンの影で洗い物をしており、息子の健太は箸の練習をしながら朝食を食べている。

 爽やかな朝の食卓だ。まるで理想的な、俺がずっと希っていた、幸せな我が家であるのだ。

「今日もまた、なのねえ」呟く妻の声には不満の色が混じっている。

「しょうがないよ」と俺は言う。「しょうがないんだ天候だもの、こればっかりはどうしようもない」

 吐き捨てるように、呟く。「ずっと付き合っていくしかないんだ」

「僕ゴリラ大好き!!」健太が笑いながら言う。「ゴリラってすっごく優しいんだよ!」

「そうか」俺は息子の頭を撫でながら笑った。「嘘だと思ってるでしょう!」

「そんなことないよ、お父さんは健太のことを信じてるよ」

「僕ね……」健太は口ごもりながら、「この間ね、ゴリラと喋ったの」

「へえ」と小さく答え、「健太は本当に、ゴリラが好きなんだな」

「うん、僕大きくなったら、ゴリラになりたいんだ!!」



 俺は新聞を読みながら、煙草に火を点けた。

「こら、健太の前では吸わないって約束でしょ?」

 ふと、キッチンから覗く妻を見やると、その顔は強張り、明るい声とは裏腹に冷たい目をしていた。

 俺は妻のこんな目を、ずっと、知っていたような気がした。

「……でもそうね、しょうがない、しょうがないのよね」




92 : 以下、名... - 2013/06/17(月) 21:03:55.83 yh0OEmh1P 15/15

終了、なんというか、ごめんなさい
七時間やり続けて禿げそうです


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