1 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:25:35.31 TTeKoZ+G0 1/34


――ミステリアスアイズ控室

ガチャ

高垣楓「おはようございます。あら?」

速水奏「……ああ、楓さん。おはようございます」

「だいぶ早くについたと思ったんですが、奏ちゃんも早かったんですね」

「ええ。用事が詰まっているわけじゃなかったから」

「そうなんですね。今日ここ以外にお仕事は?」

「昼過ぎににラジオがあって、その前はレッスンがあったくらいよ」

「ふぅん……」

「……なにか?」

「奏ちゃん、どうかしましたか?」

「え? ……楓さんの目にはどう見えるかしら」

「そうですね、なんていうか」

「お腹が空いて怒っているような?」

「その心は?」

「はんぐりーであんぐりー」

「……不機嫌と思われる人を目の前にそれを言えるの、正直尊敬できるかもしれないわ。目標にはできないけど」

「わぁ、褒められてしまいましたね」

「どう受け取ってもいいけど、ね」


2 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:28:26.53 TTeKoZ+G0 2/34


「それで、奏ちゃんの不機嫌のワケはなんでしょう?」

「不機嫌と決まったわけじゃ……」

「違いますか?」

「……」

「まぁ……そうね、あまり穏やかな気分ではないかも」

「聞いてくれる?」

「若ぇワケを聞きたいですね」

「……どうしましょう、別の理由で不機嫌になりそう」

「ふふ、ごめんなさい」

「楓さんの通常運転だって知ってるけど……」

「ええ、私も奏ちゃんだからこうやって安心して言えるんですよ」

「はぁ…… まぁ、やめておくわ。楓さんに聞かせるには、つまらない話だもの」

「そうですか……」

「……なんて、引き下がる程度の仲だと思いましたか?」

「それは…… ずるい言い方だわ」

「奏ちゃんのおかんむりなんて、めったに見られないんですよ?」

「雪が降った時の子どもみたいな顔やめてちょうだい?」

3 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:29:37.61 TTeKoZ+G0 3/34


「というワケでそのワケ、私に教えて頂けますか?」

「……」

「言ってくれないと」

「……どうするの?」

「次の何らかの打ち上げ(お酒あり)の時にめちゃくちゃ絡みますよ」

「シンプルに嫌ね」

「それに、吐いてすっきりすることもありますからね。お酒と同じです」

(本当にこの人シンデレラガールなのかしら……)

「……」

「……ふぅ」

「情けない女の愚痴なのだけれど」

「構いませんよ」ニコニコ

「……やけに嬉しそう」

「奏ちゃんに愚痴をこぼしてもらえるのが嬉しくて」

「半ば脅迫だったじゃない。もう……」

4 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:32:03.57 TTeKoZ+G0 4/34


「今日は何の日か、なんて言ったら、もう大体の察しがついてしまいそうね」

「ああ…… ずばり、まだホワイトデーのお返しを貰っていない、ということですか?」

「貰った……というのかしらね、あれは」

「違うんですか?」

「お返し自体はあるの」ガサ

「ホワイトデーとしては、オーソドックスな見た目ですね」

「中身も普通のものよ。確かこれは……キャンディだったかしら」

「確認してないんですか?」

「そう、そこなの」

「そこ、ですか」

「今日事務所に寄ってきたのだけど……」

5 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:33:30.46 TTeKoZ+G0 5/34


――今日の昼 事務所

コンコン ガチャ

「おはようございます」

千川ちひろ「おはようございます、奏ちゃん」

ちひろ「休日なのに、お疲れさまです」

「それは、ちひろさんもでしょう?」

ちひろ「ふふ、休日が本番みたいなところがありますから」

ちひろ「ええと、今日の奏ちゃんは……」

「今日はこれからレッスンね」

ちひろ「そうでしたね。レッスン、お昼過ぎからラジオのゲスト出演」

「それは伊吹と一緒で」

ちひろ「夜は音楽番組収録」

「楓さんと一緒ね」

ちひろ「さすが、完璧です」

6 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:35:05.43 TTeKoZ+G0 6/34


ちひろ「なかなか忙しいですよ。大丈夫ですか?」

「ふふ、ありがたいことだもの。精一杯やらなきゃ」

ちひろ「忙しすぎたら、プロデューサーさんに文句言ってくださいね」

「そうですね。……お詫びに何か頂かないといけないかしら」

ちひろ「ホワイトデーということもありますし?」

「ええ。いい口実ですもの」

ちひろ「ですね、遠慮なくむしりとってしまいましょう」

「言い方」

ちひろ「うふふ」

「とりあえずレッスンに向かいます。そのままラジオ局に向かいますので」

ちひろ「分かりました。よろしくお願いします」

7 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:37:21.29 TTeKoZ+G0 7/34


――夕方 事務所

ガチャ

「おはようございます」

ちひろ「あら。ラジオお疲れさまでした」

「あ……お疲れさまです」

ちひろ「一旦戻ってきたんですか」

「ええ。まだ少し時間もあるから」

ちひろ「次はテレビ局なので……入りの時間にはまだ余裕ありますね」

「ええ……」キョロキョロ

ちひろ「もしかして、プロデューサーさんですか?」

「え?」

ちひろ「ラジオ局からTV局直行かなって思っていたんですが、事務所にまた来るとなると」

「ふふ、鋭い人の前で、迂闊だったわ」

8 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:39:35.76 TTeKoZ+G0 8/34


ちひろ「まだ営業から戻られていないですね。夕方には一度顔を出すと仰っていたので、待っていてはいかがですか?」

「ありがとうございます。じゃあ少し、待たせていただこうかしら」

ちひろ「ええ。お茶でも淹れてきましょう」

「いえ、そこまでは」

ちひろ「私も飲むところでしたから。ついでですよ」

「それじゃあ……ありがとうございます」

「あ、ちょっと失礼してきますね」

ちひろ「はい」



――お手洗い

ジャー…

「もしその手を、離した、ら」

「すぐに、いなく、なるから」

キュッ

「……」

(髪は整ってる…… ちょっとだけ、リップを引き直して……)

「……」

(うん)

9 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:42:18.17 TTeKoZ+G0 9/34


コツ コツ

(別に)

(大きな期待をしているわけじゃないけど)

(それでも、それなりに楽しみにしている、なんて)

(もちろん、誰にも……あの人にだって言うつもりはなくて)

「……」

(変わるものね、人って)

(自分でも驚くくらい)

ガチャッ

モバP(以下P)「じゃ、すいません。夜にまた戻りますんで!」

ちひろ「――」

バタン タッタッタ…

「え」

「あっ……」

10 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:43:48.44 TTeKoZ+G0 10/34


「……」

ガチャ

ちひろ「あ、奏ちゃん」

「ああ、すいません、お茶ありがとうございます」

ちひろ「ええ。いえ、いまプロデューサーさんが」

「はい、出てくるのは見えたのだけど」

ちひろ「会えませんでしたか?」

「残念だったわ。呼び止める前に走っていっちゃって」

ちひろ「そうですか……一瞬だけ顔を出されて、この後のライブ会場の応援に向かうと」

「忙しいものね。仕方ないわ」

ちひろ「ああ、でもプロデューサーさんから預かっているものがありまして……」

「えっ」

ガサッ

ちひろ「こちら。プロデューサーさんからのホワイトデーです」

「……」

ちひろ「中身は何種類かありますね。お好きなの早い者勝ちです。事務所に来た子にはとりあえず配ってOK、だとか」

「そうですか」

「……じゃあ、ひとつ」


---

11 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:44:34.88 TTeKoZ+G0 11/34


――控室

「なるほど、それで私がくるまで燻っていた、と」

「……」

「……いいのよ。お返しを期待してのバレンタインじゃなかったんだもの」

「ただ自分の想いと日頃の感謝を伝えるだけ。格好つけても詮無いことだわ」

「……なんて言ってもね、情けないけど結局、期待していたのが本心で」

「せめて会えていたら、ってね。あの人にそんな時間もなかったのに」

「そんなことを考える自分も嫌になっちゃって」

「仕方のないことですよ」

「そうかもしれないけど…… 格好悪いでしょう?」

「奏ちゃんの美学なんですね」

「美学だなんて大層なものじゃないわ……女の意地、ですらない」

「では、何というものでしょう」

「駄々、かしら」

「ふふっ。駄々っ子奏ちゃんですね」

「ふふ、やめてってば……」

12 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:46:42.52 TTeKoZ+G0 12/34


「格好悪いって思っているのに、チャーミングに聞こえてしまうわ」

「それは、奏ちゃんが可愛いからです」

「可愛い、ね…… 最近は言われ慣れないかな」

「そうですか?」

「たぶんね」

「……あーあ」

「はい、もう終わり。結局プロデューサーさんも忙しくて、会うことすらできなかった訳なんだから。運が悪かったと諦めるしかないわ」

「一括りにされたとはいえ、一応はお返しを貰ったわけだし」

「そう、そこはなぜ受け取ってしまったんですか?」

「え?」

「受け取らない、という選択肢もあったのではないかと」

「……それは……」

「一瞬頭をよぎったけど、プロデューサーさんの面目を保ってあげた、というところかしら」

「あとは、ちひろさんに勘繰られたくなかった、というのもありそうですね」

「……あえて出さなかった方の理由、分かるなら言わないで欲しかったわ……」

「あらまぁ。ふふ……」

13 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:48:24.60 TTeKoZ+G0 13/34


「……ねえ、楓さん」

「はい」

「こうやって大人になっていくのかしら」

「?」

「諦めや……自分についた嘘が、人を大人にするのかしら」

「楓さんにはない? 期待していたものが、思った通りには手に入らなかった時の歯痒さというか、やるせなさというか」

「そうですね」

「人生は……とまで言ってしまうと大げさですが。そう言ったことの繰り返しです」

「楽しみにしていたお酒が売り切れだったり」

「今度行ってみようと思っていた居酒屋が、行く前にお店を畳まれていたり」

「地方の酒蔵を訪ねるロケで、あんまり飲ませて貰えなかったり……」

「……お酒のことだけ……?」

「ふふっ……」

「お互いに忙しくて、意中の人と会うことすらままならなかったりも、するかもしれませんね」

「……」

「諦めや、自分についた嘘で大人になるわけじゃないですよ」

「え……?」

「それらが、自分の中の子どもを、掻き消していくんです」

「……」

14 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:48:57.46 TTeKoZ+G0 14/34


「それなら」

「子どものままでいたいわよね……」

「ええ。ですが、否が応にも、大人になっていくのであれば」

「無理矢理にでも我がままを通せばいいんです」

「無理矢理に……?」

「会いたくなった時。一緒にいたくなった時」

「泣きわめく子どもでないのであれば、そうするために何をすべきか」

「何を成して、思い通りにするのか」

「やるもやらないも、自分の意志と責任で。それを出来るのが、大人の特権です」

「……楓さんはなにをするの? 想い人に逢うために」

「逢いに行けばいいじゃないですか」

「机でお仕事しているところで、ずーっと横にいてふくれっ面をしてやれば大丈夫です」

「……あのプロデューサーさんが断れない訳よね」

「あら。そうですか?」

「拗ねても可愛いんだから、反則よ」

「……だから貴女は、いつまでも素敵な女性なのね」

「ふふっ。褒められてしまいましたね」

「ええ、今度は本当に」

15 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:50:03.46 TTeKoZ+G0 15/34


「……楓さん、ありがとう」

「え?」

「こんな鬱屈した気持ち、楓さんじゃなければ言えなかったわ」

「……」

「私って、こうだから……この私の孤独を、他人に理解されようともしなかったし、自ら明け渡すなんて真似、しなかったもの」

「楓さんだから言えたの」

「……」

「変わっていくんですね、奏ちゃんも。フランスで一緒に過ごした時から、今はもう違う人の様」

「男子三日会わざれば、なんて言うけど。女は何日で変わるかしら。……新月だって、三日月にはなってしまうわ」

「ふふ、確かに」

16 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:50:48.68 TTeKoZ+G0 16/34


「吐けばすっきりする、か。ちょっとは覚えておこうかしらね」

「ええ、指を喉の奥に、こう」

「せっかくいい話で終われそうなんだから」

「うふふ」

「もう…… ……そういう楓さんは?」

「?」

「隠さなくてもいいでしょう? あなたのプロデューサーさんとは、どうなのかしら?」

「あらあら…… そうですねぇ、今日はまだ、会えていません」

「そう。立ち入ったことを聞くまではしないけど……お互い、苦労しそうね」

「うーん…… 奏ちゃんには悪いのですが」

「?」

「この後からが、大人の時間です」

「えっ」

17 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:51:33.88 TTeKoZ+G0 17/34


「この収録の後、予定が空いているんですよ。私も、プロデューサーも」

「そう、それは……ん? 予定を訊かれたわけではないの?」

「約束はしてないです」

「それは…… ……何も連絡がなかったら、悲しいことにならない?」

「そうかもしれません」

「あの、それはちょっと」

「予感がするんです」

「……」

「素敵だと思いませんか? 示し合わせたかのように二人の予定は空いていて」

「今日の仕事終わりに連絡が届いて、夕食に誘われる、なんて」

「もちろん、気のせいかもしれませんが……連絡がなければ、こっちからすればいいですし」

「でもやっぱりここは、待ちたい日じゃないですか」

「……それは、そうね」

「でしょう。だから、待ち焦がれるんです」

18 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:52:37.12 TTeKoZ+G0 18/34


「……」

「ふふ」

「私も大概かなって思ったんだけど、楓さんも相当ロマンチストよね」

「そうでしょうか」

「ええ。私にはできないわ。その熱で身まで焦げてしまいそうになる」

「それはとても、熱い心だからですよ」

「そんな情熱の炎じゃないの。暗闇の中、どうにかついたマッチの火を、手に握り締めてしまうような」

「か細い期待にすら、裏切られてしまった時のことを考えて、怖くなる」

「……怖くない訳ではないですが……それで明日が来なくなるわけじゃないですから」

「……」

「また明日、今度はどうしようか考えるんです」

「今日の楓さんの予感が外れたら、明日はどうするの?」

「そうですねぇ……では、ダメだった時は、一緒に飲んでいただけますか?」

「楓さん……」

「……私、未成年よ」

「あら、そうでした」

「いまの言い方、絶対忘れてないでしょ」

19 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:53:11.42 TTeKoZ+G0 19/34


「ふふっ…… あっ、じゃあ未成年が飲酒OKな国に行きましょう」

「へっ」

「……あ、あのね、楓さん」

「それはそれで楽しそうですねぇ」ニコニコ

「……」

「はぁ」

「それでいいわ、もう」

「そうやって、何もかもを叶えていくのかしらね……」

「何もかもは難しいですが、自分の願うことをできるだけ叶えたいとは思います」

「そうね……ペシミストを気取る気はないけども」

「夢を叶えるには、オプティミストでもいられない」

「ならせめて、自分らしく。うんと自分らしく、ありたいわよね」

「そうですね。良いも悪いもすべて含んで」

「ずるいと言われようと、嘘をつきながら、想いを願いに変えて、叶える」

「私たちはそういう女、なんですから」

20 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:54:45.96 TTeKoZ+G0 20/34


カチ ピピッ

「あら、18時…… 話し込んじゃったわ」

「そろそろ着替えですね」

「ええ。メイクさんが来る前に、ベースだけやっておきましょう」

「そうですね。……今日は、運が良かったです」

「え?」

「奏ちゃんとこんなに話せたの、フランス以来じゃないですか?」

「ふたりとも早く来ることがなければ、出来ませんでした」

「……そうね。すれ違いの日かと思っていたけど……それなら、悪く無い日だったわ」

「ふーむ……稚貝のすれチガイ。今日は海鮮系の料理が食べたいですね」

「良い話から自分のデートプランにつなげないで」

「貝と日本酒は合うんですよ」

「まだ知らないでおくわ」

21 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:55:19.04 TTeKoZ+G0 21/34


「良いお酒は良い酒器で。伝えることは、よい好きで」

「……調子はいまいちじゃないかしら?」

「なるほど。しゅきなお酒もお銚子がわるいとお調子がわるい、と」

「畳みかけるわね……」

「貝の煮つけを、口をあんぐりー開けて、食べたいですね」

「ふっ…… まったく、開いた口が塞がらないわ」

「あら、一本取られました」

「……はんぐりーも満たせますよ?」

「うーん……」

「それは蛇足ね」

22 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:55:56.30 TTeKoZ+G0 22/34


――番組収録後、TV局前

ヒュゥ…

(風が強い……暖かくなってきたっていっても、まだ夜は冷えるわね……)

(それにしても……)

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

ヴー ヴー

「……」チラ

「……」パァッ

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

(スマホを見てあの反応は、間違いなくお目当てよね)

(予感的中……というか、分の悪くない賭けだったんでしょうね)

(残念ながら、楓さんと海外に行くのはまだ当分先のことになりそう)

「……」

(少しだけ甘いの欲しいな……あ)

ガサガサ

(Pさんのホワイトデーは……やっぱり、キャンディーみたいね)

ガサ

「……ザクロ味……」

(いまいち腹立たしいけど、まぁ、いいわ)ピリ

パク

「……」コロコロ

23 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:56:24.35 TTeKoZ+G0 23/34


「……」

(もっといいものが良かった、なんて思っていない)

(お返しを期待していたんじゃない。飴玉一つだってかまわなかった。ただ……)

(ただ、会って目の前で渡してほしかっただけ)

(目を見て、言葉を聞いて、あの人の姿を見ながら、受け取りたかっただけ)

(なんて…… さすがにそこまでやって飴玉一つじゃがっかりするかもね)

「あーあ」

(以前の私なら、なんとも思わなかったんでしょうね)

(こんな些細なことに心動かされるなんて)

(それともそれだけ……)

(恋は人を変えるのかしら)

(だとしたら相当、罪な人よ)

24 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:56:51.64 TTeKoZ+G0 24/34


カチ ピピッ

(22時か……)

「お疲れさま」

「……」

「……」

「……お、お疲れさま」

「え、どうした」

「え? う、ううん、えっと……虚を突かれたというか、不意打ちというか……」

「……よく分かんないけど」

「気にしないで……用事かしら?」

「ああ、うん」

「そう。じゃあ……」

「あ、タクシー呼ぶから、少し待っててくれ」

「別に大丈夫よ」

「時間が時間だろ。今日のスケジュールじゃ疲れたろうし」

「……」

「それに、会社の払いだから気にしない」

「……そうね」

25 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:57:18.30 TTeKoZ+G0 25/34


「よし、手配完了。どうだった、収録は」

「問題ないわよ、楓さんとだもの。いつも通り」

「うん。まぁ、あまり心配はしていなかったんだけど」

「……」

「……」

「じゃあ、もう大丈夫」

「うん?」

「タクシー呼んでくれたなら、後は待たせてもらうわ」

「ああ」

「局に用があるでしょう?」

「え……? こんな時間に?」

「それは……そう言うこともあるかもって……」

「んー、まぁそれもそうか。でも今日は違くて」

「用はこっち」

ガサ

26 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:57:45.80 TTeKoZ+G0 26/34


「……」

「……これって、その」

「先月のお返し」

「……」

「良かったよ、渡せて。一日中もちっぱなしでさぁ」

「……」

「用って、こっち、だけ?」

「だけ。いまもう、勤務時間じゃないし」

「……」

「……あれ、気に入らなかった……?」

「う、ううん、そうじゃなくて…… その、事務所寄った時に、ちひろさん経由で貰ったのだけれど……」

「え…… あれっ、奏、事務所寄ったのか?」

「えっ? ええ」

「あー……そうか……」

「いや、いいや、それはそれで貰っておいて」

「……」

「待ってくれ、あまり考えないで」

(……)

(私が事務所で受け取ることを想定していなかった……)

(私は…… あの中に入っていなかった……?)

(だって、現にこうして)

(……)ドキドキ

27 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:58:12.20 TTeKoZ+G0 27/34


「……Pさん」

「あ、ダメだこれ、全部察された」

「だ、だって……! 好きなのとって終わり、とか思っちゃったでしょう!?」

「いや、うん、今日は予定が多かったから、大方はそれで済ませるつもりだった……」

「……じゃあ、私って……大方じゃない方、でいいのかしら?」

「まって奏。これもう完全にドツボだ。何言っても墓穴掘る」

「……」

「格好付かないなぁ…… 夕方に事務所寄っていたかぁ、読み違えた……」

「ふっ」

「ふふふっ、あはははっ……」

「そんなに可笑しい……?」

28 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:58:38.54 TTeKoZ+G0 28/34


「ええ…… Pさんも、私も、どっちも格好付かないわね」

「……奏も?」

「そうね。教えてはあげないけど」

「なんなんだ……」

「ふふ……」

(これだけのために)

(私の仕事終わりに合わせて、これを渡すためだけに……)

(あの時、事務所から出るPさんを追いかけてでも捉まえていたら、何もかも変わっていて)

(でも結局、面目は保ってあげられなかったし)

(私の不機嫌も無意味なものでしかなく)

(でも、それでも)

「……」

「まだ夜は冷えるな」

「……ええ」

スッ

「……奏」

「この方が、寒くないでしょう?」

「……そうだな」

(ねぇ、楓さん)

(意外とすれ違っても、いいことあるかもしれないよ)

29 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:59:05.73 TTeKoZ+G0 29/34


「……」

「……」コロ…

「ねぇ、Pさん」

「うん?」

「事務所でもらった方のお返しなんだけど」

「うん、そっちも貰ってくれて構わない」

「ううん。中身、アメだったんだけど」

「ああ」

「お返ししていい?」

「え?」

30 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 00:59:32.71 TTeKoZ+G0 30/34


「ん……」

「!?」

「……」コロ…

「……」

「……」

「奏……」

「避けるなんて、連れない人」コロ…

「今日のは、避けないといけない気がして」

「ふふっ、いい勘してるわ」

31 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 01:00:35.57 TTeKoZ+G0 31/34


ブロロロ…

「タクシー来たかな」

「残念」

ブロロロ… キッ ガチャッ

「Pさんは乗らないの?」

「ああ、事務所に車あるから、取りに戻らないと」

「そう……」

(……我がままを通すために)

(何を成すか)

「Pさん、ちょっと耳貸して」

「え? ああ」

「……」スッ

「……」

「……貸すの、耳じゃなかったのか」

「知らなかった? 女は嘘つきなの」

「じゃあまた……事務所で、ね」

「……ああ」

「お疲れ」

「奏」

バタン ブロロロ…

32 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 01:01:02.23 TTeKoZ+G0 32/34


ヒュゥ…

「さむ……」

「……」

(不意打ちされた頬だけが暖かい)

(あの子の気持ちに気づきながら)

(勘違いかもしれない、などと自分に言い聞かせているつもりだけど)

(もはや意味の無いほどに、あの子に惹かれている)

(そのことを、自分にも奏にも嘘をつかせて)

(この関係が変わらないように、願ってすらいる)

(そんなことを願っているくせに、直に会いたくなるくらいに特別で……)

(気付かれたくなくて)

(気付かれたくて)

(ああ、本当に……)

33 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 01:02:16.84 TTeKoZ+G0 33/34


「……」

(あの人の優しさに甘えて)

(本気にさせたくて)

(本気にできなくて)

(今日もあそこまでしたのに)

(本当に、キスしてしまってもいいと思っていたのに、やっぱり安心している自分がいる)

(今はもう、窓の外に顔を向けることもできない)

(耳まで赤い、自分の顔が)

(溶けそうなくらい赤いのが見えてしまう)

(それを自分で見たくなくて)

(いまはただ、嘘をつく)

(こんなの)





(ずるいよなぁ)
(ずるいわよね)








おわり

34 : ◆WO7BVrJPw2 - 2021/03/14 01:02:43.51 TTeKoZ+G0 34/34


お読み頂きありがとうございました。
奏とのPドル……にみせかけた、かえかなだった気がします。


過去の奏SSですよろしければどうぞ。

速水奏「はー……」モバP「はー……」
https://ayamevip.com/archives/53893754.html

速水奏「とびきりの、キスをあげる」
https://ayamevip.com/archives/53910133.html

速水奏「特別な、プレゼント」
https://ayamevip.com/archives/53955111.html

速水奏「今年のチョコが、渡せない」
https://ayamevip.com/archives/54316119.html

速水奏「恋愛映画は苦手」
https://ayamevip.com/archives/54605033.html

速水奏「月の丘の裏側まで」
https://ayamevip.com/archives/54783524.html

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