1 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:20:00.99 izhMv/L70 1/54

――――

 今日に決めたよ、私が死ぬって事。
 ずいぶん探したんだけど、生きている意味なんてどこにも無い。
 私はもうここにはいられない、それって理由にならないのかな?

 睡眠薬は飲んである、バスタブにお湯が溜まった、
後は。

「んっ……」

 カミソリを腕に当てて一気に引いた、白い肌に赤い線が走る。

「う……んぅっ、あっ……!」

 あっという間に血が噴き出し、肌が赤く染まる。

「いたっ……あ、っう……ん、うあぁっ……」 

 痛みと出血に混乱しながらも、なんとか左腕をバスタブに沈めた。
 広がる赤い血を眺めながら、思い浮かんだのはパパとママの事。

(パパ、ママこれからこのバスタブでお風呂入れるのかな?)

 呑気なものだ、これから死ぬというのに。
 冷静な頭でパパとママを思い浮かべている。

 これから私の死んだ浴室でお風呂に入るの?
 これから私のいなくなった家で暮らしていくの?
 どんな顔で私が自殺したこと学校に言うの?



2 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:24:29.04 izhMv/L70 2/54

「……え? やだ……」

 自分のいない未来では、パパとママの笑顔が消えている。

「あ……うあ……」

 目元に熱を感じ、視界が滲んだ。

 こんなはずじゃなかった、だれにも迷惑をかけるつもりなんてなかった。
 傷つけたのは自分の体だけじゃない、パパとママも傷つけた。

 体が冷たくなっていくのを感じる。
 力が入らない、動けない。

(ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)

 何度も謝った、もうごめんなさいじゃ足りないくらいに。

 血が流れる、涙が流れる。
 そして私の命も流れていくんだ。

「ごめんなさい」

 もうこんな事しないから、お願いだから止まって。

(やだ……こんなの)

 何も見えなくなった。

――――


3 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:27:11.02 izhMv/L70 3/54

三年二組教室

「いちごって夏でも長袖なんだな」

「うん……日焼けしちゃうから」

「そっか、いちごは肌白くてキレイだもんな」

(理由はそれだけじゃないんだけど)

 話しかけてきたのは秋山澪さん。
 彼女は軽音部の一員で担当はボーカルとベース。
 ファンクラブまでありその人気は(一部に)絶大だ。

「……ありがと」

(秋山さんのほうがキレイだよ)

 そう思ったが口には出さなかった。


5 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:30:02.91 izhMv/L70 4/54

「やあやあ、お二人さん。プッキー食べる?」

 お菓子を片手に近づいてきたのは田井中律さん。
 彼女も同じく軽音部の一員で担当はドラム。
 部長をつとめている、部員が苦労しそうだ。

 なぜか誇らしげな顔で棒状のお菓子を勧めてきた。

「ほーら”イチゴ”味だぞ~」

「サンキュ、律」

「……ありがと」

(なぜイチゴを強調するの?)


6 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:32:51.96 izhMv/L70 5/54

「あーりっちゃん、おいしそうなの持ってるねえ」

 お菓子に誘われて来たのは平沢唯さん。

 同じく軽音部の一員で担当はボーカルとギター。
 高校に入るまで音楽経験はなかったらしい、天然を絵に描いたような存在。

「すまない唯、今のが最後の食料だ」

「そ、そんなぁ、りっちゃん隊長~」

「唯ちゃん、放課後までおあずけね」

 食いしん坊をなだめているのは琴吹紬さん。

 同じく軽音部で担当はキーボード。
 お嬢様、眉毛が太い、あとはまあいいや。


7 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:36:00.52 izhMv/L70 6/54

 始業ベルが鳴る。

「あっ、先生来たよ」

 平沢さんが席に戻る。

「数学はイヤですねえ」

 田井中さんが文句を垂れる。

「さっさと座れよ、律」

「へいへい、いちごもイヤだよな、数学?」

「……べつに」

「なにおぅ、見てろよりっちゃんの本気を」

 そんなわけで、今日も私は平常運転。

――あれからもう四年ぐらい?

 秋山さんに話しかけられた事で昔を思い出した。
 手首を切った時を。


10 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:42:25.49 izhMv/L70 7/54

――――

「……ねえ……ご」

「……りして、……ちご」

「……お願、……ち……」

――誰? 

 ああ、ママだ。どうしたの?
 何でそんなに私を呼んでるの?
 ここにいるよ、心配しないで。

 あ、手握られてる。やだな、もう子供じゃないのに。

 なんか揺れてる、ベッドも家のじゃないみたい。

 サイレンうるさいな、救急車来てる?
 外でなにかあったのかな?

 それより眠いよ、もう一回寝よ。

――――


11 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:46:44.28 izhMv/L70 8/54

――――

 目を開くとよく知った顔が見えた。

「ママ……」

 次に知らない天井が見えた。

 現実を確認するため体を起こそうとする。

「ダメ、まだ寝てなきゃ」

 左腕に違和感を感じる、布団から腕を出すと白い包帯が見えた。

「あれ、私ケガしちゃったの?」

 ママに聞いても何も返ってこない。

――なんで包帯が?

――ここは病院?

 断片的な情報をもとに記憶をさかのぼる。

 病院、救急車、浴室、……。

 ああ、私は切ったんだ、手首を。
 思い出しだした時、もうママの顔は見れなかった。

――――


12 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 20:54:24.77 izhMv/L70 9/54

女子更衣室

「今日は室内だし半袖でもいいんじゃないか?」

 最近秋山さんがよく話しかけてくる。

「持ってきてないの、最初から」

「徹底してるな」

 制服を脱ぎ体操服に袖を通そうとした時、彼女の視線を感じた。
 その先には私の左腕、そして、まっすぐな傷。

――どうして?

 隠すためのファンデーションが落ちている。

――気づかれた?

 右手が反射的に傷を覆い、私は硬直した。
 その行動が彼女に確信を与える。

「みーおー、早く行こうぜい」

「わわ、待てよ律」

 田井中さんだ、助かった。
 二人が遠ざかる。

 右手はいつまでも傷を離そうとしなかった。


14 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:02:13.65 izhMv/L70 10/54

――――

 私はあの日から、形成外科、心療内科へと通院することになった。

 傷を治すために、体と、心の。

 みんな優しかった、パパも、ママも、お医者さんも。

 優しさが雨のように降り注ぐ、でも私には答えられる言葉がなかった。

 代わりに泣く事で答えられたら良かったのに。

 あの日から涙は無くしてしまったみたい。

――――


16 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:15:12.68 izhMv/L70 11/54

――――

形成外科

「経過は順調ですね」

 少し早く退院し、ママに形成外科へ連れて来られた。
 傷を丁寧に縫い直してもらうために。

「もうすぐ抜糸できます」

「出来るだけ日焼けは避けて下さい、傷は白いままなので目立ちます」

 傷は薄くなっても完全に消えることは無いそうだ。

(もう半袖は着れないかな?)

 余計な感情は停止しよう、消えない傷が出来ただけ。
 きっとたいした問題じゃない。

――――


17 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:28:32.84 izhMv/L70 12/54

――――

心療内科

「その後お変わりありませんか?」

 お医者さんが私に聞いてきた。

「口が渇く感じ、あと目が少しかすみます」

「よくある副作用ですね、薬が効いている証拠です」

 最初は薬漬けになるんじゃないかと思っていた。
 でも処方されてるのは一種類だけだし、量も少ない。

「しばらくはこのまま様子を見ましょう」

 私に必要なものはなんだろう、薬とか元気とか笑顔とか、
 そういうものとは違う、別の何かが。

――――


18 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:45:34.30 izhMv/L70 13/54

三年二組教室

「ねえ、秋山さん」

「あ、えと、何だ? いちご」

 やっぱりよそよそしい、間違いない。
 私の左腕に気づいたんだ。

「いや、誰にも言ってないからな」

 まだ何も言ってないのに。でも、こうなった以上きちんと話さなきゃ。

「ねえ、今度の日曜空いてる?」

「あ、空いてるよ、何?」

「……話したいことあるの」

 左腕の傷の事を。


20 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:52:50.59 izhMv/L70 14/54

待ち合わせ場所

 秋山さんが息を切らせて走ってきた。

「悪い、待ったか?」

「五分ほど」

「正直だないちごは」

「ありがとう」

 今のは褒め言葉じゃないよね?
 わかってるけど。

 今日はフリルのついた白いブラウスを着てきた、もちろん長袖。
 スカートは黒地でリボンとレースがついている、長さは膝下まで。

 秋山さんがぼうっと私を眺めてる。

「……何?」

「いや、似合ってるなと思って」

「そう? 秋山さんも似合ってると思うよ」

 彼女は半袖のTシャツにジーンズ、カッコイイな似合ってて。
 私には似合わないだろうな。

「行こっか、秋山さん」


21 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 21:59:37.00 izhMv/L70 15/54

ネットカフェ

「個室って窓が無いもんだと思ってたよ、いちごはよく来るのか?」

「うん、たまに。ここお気に入りだから」

 私たちは二階のテラス席にいる。
 秋山さんはネットカフェに来るの初めてみたい。

 ここは壁の一面が窓になっている。視線を下げると雑貨屋が見えた。

「ええと、話ってのは?」

「その前にドリンクバー行こ」

 これから話すのは大した内容じゃない、ジュースでも飲みながらにしよう。


22 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:04:22.23 izhMv/L70 16/54

――――

心療内科

「家族の方以外に傷のことを話しましたか?」

「いえ、まだ」

「話すことは大事ですよ、気持ちを整理するためにも」

 人に話すって同情を買うみたい、そういう風に思われたくない。

「急に話せといっても難しいでしょう、何かきっかけがあればいいのですが」

 きっと一生話さないだろうな、少なくとも自分からは。

――――


25 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:16:18.81 izhMv/L70 17/54

ネットカフェ

「……まあ、こういう訳なの」

 手首を切ったこと、救急車で運ばれたこと、形成外科や心療内科に通ったこと。
 感情を交えず淡々と語った、同情はされたくないし。

 秋山さんはずっとうつむいたまま、両肩が小刻みに震えてる。
 怒るかな、それとも呆れるかな、なんてバカなんだって。

「……うっ」

 啜り上げる声が聞こえた。
 
 どうしたの、秋山さん?

「なんで泣くの?」

「ゴメン、いちご……」

 こういう場合って私が泣くのが普通だよね。

「ハンカチ使って」

「ありがと……う……っつ……」

 困ったな。
 ここが個室でよかった、本当に。


27 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:24:39.43 izhMv/L70 18/54

 ジュースが無くなる位の時間が経った。
 もういいかな?

「落ち着いた?」

「うん……」

「いちごは強いんだな」

 そうは思えなかった。 
 本当に強ければ手首なんて切ってなかっただろう。

「正直わからないの」

「何が?」

「どうして切ったんだろ、って」

「……そっか、わからなくてもいいんじゃないかな?」

 優しいな、秋山さん。

「今元気なんだから、そのままでいいと思うよ」

 励まそうとしてるのかな? 
 それともあんまり考えてない?

 どっちでもいいか。

「うん……」


28 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:32:47.90 izhMv/L70 19/54

 秋山さんがカルボナーラをすすりながら聞いてきた。

「いちごって漫画読むほう?」

 私はクラブハウスサンドをかじりながら答えた。

「うん、『彼に届け』とか」

「お、私も読んでるぞ。じゃあ『ミツバチとクローバー』は?」

「うん、それも読んでる。最近って実写化が多いよね、出来はイマイチだけど」

「そうだよな、良かったのは『めだかカンタービレ』ぐらいかな」

 なぜ腹ごしらえをしてるかと言うと、これから二人で買い物に出かけるからだ。

――このまま帰るのも何だし。

 この秋山さんの提案に私も同意した。

「行こっか、いちご」

「うん、最初に服買いに行っていい?」

 そうして私たちは午後の街に繰り出した。


29 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:39:31.48 izhMv/L70 20/54

セレクトショップ

「いらっしゃい、いちごちゃん。今日も可愛いね」

「どうも」

「あ、ステキな連れがいるじゃない」

「ど、どうも秋山澪です」

「こんにちは澪ちゃん」

 自己紹介なんかしなくていいのに。

「そうそう、イノセンスの秋冬物入ってるよ。ゆっくり見てってね」

 店員さんは私たちから距離をとり、他の客へ向かっていく。

「ああ、学園祭で着たような服がいっぱいある……」

「一年の時、秋山さん大活躍だったもんね」

 軽音部の演奏が終わったあと派手に転んで、大勢に下着を晒した事件。

「思い出したくない……」

「縞パ……」

「……」


30 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:47:30.49 izhMv/L70 21/54

10GIA

 次は楽器店に来た。

 秋山さんは入るなり『天国』とか『運命』とかいった単語を口走って
 店の奥へ消えてしまった。どこかの神父みたい。

 私はさして音楽に興味も無く、暇を持て余している。
 仕方無くそのあたりの音楽雑誌を眺めていた。

『相対性空論』『凛として梅雨』『大阪事変』

「変なバンド名ばっかり……」

 雑誌を眺めるのにも飽きてきた、ふとドラムのスティックを取ってみる。

(バトンと違うけど、出来るかな?)

 八の字に回す――フィギュアエイト
 水平に回す――フラットリスト
 指を使って回す――フィンガー

 こうやって体の近くでバトンを回すのを総称してコンタクトマテリアル。
 首や腕など身体の一部を転がす技をロール。
 他にも空中に放り投げるエーリアルというのがある、危ないから止めとくけど。

(やっぱりバトンと勝手が違うな)

 何とか出来たのは指で回すフィンガーくらい。


33 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 22:56:32.67 izhMv/L70 22/54

「すごいな! いちご」

「わ!」

 ビックリして落とすとこだった。

「ごめんごめん、あんまり上手だったから」

「そう?」

「そうだ! 律に教えてやってくれないか?」

 急だな、でも褒められて悪い気はしなかった。

「……いいよ」

「ホントか! ありがとういちご」


35 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:01:13.73 izhMv/L70 23/54

「そういえば聞きたかったんだけど」

「何だ? いちご」

「ギターとベースの違いって何?」

 正直ベースって要らないんじゃない?
 こう考えるのは素人だからかな。

 秋山さんは嫌な顔ひとつせず、犬と猫の違いを教えるように説明してくれた。

 まず分かったことは、弦が違う。
 基本的にギターが六本なのに対しベースが四本、それにベースのほうが太い。

 次に音の高さが違う。
 ギターに対しベースの方がワンオクターブほど低い。

 他にもいろいろ教えてもらった。
 音楽に疎い私にとって気に入ったのは、
 ベースは全体のリズムを取る言わば『縁の下の力持ち』ということ。

「まあそんなわけで、音楽を聴く時はベースにも注目してくれたら嬉しいな」

――縁の下の力持ち。

 私もなれるかな?
 誰かを支えるような、そんな人間に。


37 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:05:03.00 izhMv/L70 24/54

帰り道

 私たちが帰り道についたころ、日は沈みかけていた。

「なんだかんだで遅くなったな」

「うん」

「なあ、いちご」

「何?」

「えっと、そのな、また何かあったら、いや何も無くてもいいんだけど」

「……何を言いたいの?」

「つまり……また一緒に出掛けないかってことなんだ!」

 唐突だな、私たちってそんな間柄?

「最初はもちろん抵抗あったよ、でもいちごは普通だって事がわかったから」

「そうだ、律だって古傷あるんだぞ。小学生の時に塀の上歩いてて足踏み外して……」


40 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:11:01.37 izhMv/L70 25/54

「ふふっ」

 何だか可笑しかった、慣れないこと言ってるのが伝わってきて。

「さっきの話だけど」

「あ、ゴメン私ばっか喋ってて」

「うん、私はいいよ。また機会があったら」

 少し遠まわしに返事をした。こういう所が私らしいかな。
 そもそも本当の私らしさって何だろう?

――でも、

「そっか、じゃ今度は……」

――今の私だってまんざらじゃない。


44 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:20:47.67 izhMv/L70 26/54

「バイバイ秋山さん」

「澪でいいよ、私もいちごって呼んでるし」

「……うん、バイバイ澪」

「じゃあな、いちご」

 澪が離れてくのを見て、私は不意に思い出し声をかけた。

「あ、言い忘れた」

「なんだ?」

「今日の話、人に喋らないよね」

 きっと喋らないだろう、なんとなく分かる。
 しかしその秘密が重荷となるかもしれない。
 
「田井中さんには話してもいいよ」

「ダメダメあいつは、口が軽い。それに噂好きだし」

「ねえ、秘密にしてるのって苦しくない?」

 私の意図をくみ取ってくれたのだろう、返事をしてくれた。

「……うん、考えとく」

 今日の私はちょっと変、こんなふうに人を気遣うなんて。


49 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:29:13.67 izhMv/L70 27/54

 彼女を見送ったあと、家路につく事にした。

 ふと顔を上げると、
 夕焼けと夜空がコントラストを描いている。
 
 何でもない風景なのに、やけに私の視線を引く。
 子どもだったころを思い出させる、そんな空だった。
 
 今日はちょっと遠回りをしよう、
 すぐに帰るのはもったいない。
 
 眩しい赤と深い青が対照的で、
 いつまでも眺めていたくなる空だった。


52 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:35:53.53 izhMv/L70 28/54

――――

「ねえ、いちごちゃんはどの高校行くの?」

「私は……桜高かな」

「へえ、女子高なんだ」

「うん、あとバトン部に入ろうかなって」

「似合う似合う、いいと思うよ」

 TVで高校のバトン部を見て可愛いと思った、ただそれだけ。
 いつまでも立ち止まってはいられない。
 何かきっかけが欲しかった。歩き出すための何かが。

――――


53 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:40:41.48 izhMv/L70 29/54

三年二組教室

「りっちゃんの華麗なスティックさばきを見よ!」

 先日の約束通り、私は田井中さんにスティックの回し方を教えている。
 もっともバトンとは勝手が違うからあまり力にはなれないけど。
 ギャラリーは軽音部のみんな。

「上手ね、りっちゃん」

「意外とやるな、律」

「私もギー太回そうかな」

「これで学園祭のライブはいただきだ!」

「「「「おー!」」」」

――もしかして、いや

 浮かんだ考えを打ち消すため、私は控えめな同意を行う。

「……おー」

「りっちゃん、いちごちゃんも応援してくれるよ!」

 ああ、やっぱり言えない。この笑顔の前じゃ。
 そもそも私は部外者の素人、こんな考えはゴミの日に出してしまおう。

――スティック回しても演奏の技術には関係ないよね


54 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:44:54.02 izhMv/L70 30/54

体育館

 バトン部の指導中、入り口のほうに浮いている集団を見つけた。
 あ、軽音部。楽器持ってるけどここで演奏するつもりかな?

 とりあえず話を聞きに行こう。

「あのね、いちごちゃん……」

 平沢さんが話しかけてきた。

「……というわけなんだ~」

 どうやら工事で部室が使えないらしい。
 学園祭が近いのに練習できないって、私だったらすごく嫌かも。

「ここら辺使わせてもらってもいいかな?」

 演奏しながら走り回るわけじゃないし、大丈夫だよね。

「うん、大丈夫だと思うよ。ちょっと狭いかもしれないけど」

「ありがと~」

 私が後へ振り返る時、一瞬だけ澪のうれしそうな顔が見えた。


55 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:50:34.62 izhMv/L70 31/54

 後輩の指導に戻ったあと、しばらく演奏は聞こえてこなかった。

「こっちも熱血で根性な……」

「軽音、ファイトーッ……」

 何やら掛け声が聞こえてくる。
 やっと演奏するかな?
 気にはなるけど指導を中止するわけにはいかないし。

「よーし、そのノリで! ワン、ツー」

 その時演奏とバトンの曲が重なり、軽音部の演奏が止まった。
 バトン部のほうは止めないけど。

「そろってないよー」

 そろってないのは軽音部じゃないよ、後輩に対してだよ。

 やっぱりここじゃ駄目みたい、ちょっと聞いてみたかったんだけど。
 そうしているうちに、軽音部はいつの間にか体育館から消えていた。

 残念、学園祭で聞くことにしよう。


56 : 以下、名... - 2011/01/21(金) 23:55:19.78 izhMv/L70 32/54

三年二組教室

「というわけで、三年二組の学園祭の出し物『ロミオとジュリエット』の
ロミオ役は秋山澪さんに決定しました」

「――」

「お~い……気絶してるな」

(澪がロミオか……)

 髪をさわりながら二人のやり取りを聞いていると、
 絶賛気絶中の澪が声を張り上げた。

「い、異議あ~り」

 どうやらロミオ役が不満らしい、似合うと思うのに。
 でも澪の性格ならそう言うよね。

 ……、……。

 どうやら辞退は却下らしい、頑張ってね。

「田井中さん、ジュリエット役よろしくね」

「い、異議ありー!」

「自分に火の粉が降りかかると途端に態度が変わるな」

「私がジュリエットはあり得ないだろ!」


57 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:07:45.31 86kAbh4/0 33/54

 あ、こっちもか。

「しょうがないでしょ、投票でそうなったんだから」

 真鍋さんが返し、田井中さんが抵抗をする。

「ジュリエットはほかに適任がいっぱいいるだろ。例えば、ムギとか」

「私は今回脚本だから……」

「うう~じゃあ、いちごとか! お姫様みたいにかわいいし」

 かわいい、か……。

「え、やだ」

 それと主役とは別。

「うッ!」

「じゃあ三花は……」

「うん、でもロミオが澪ちゃんだもん……」

 やっぱり澪には田井中さんじゃないと。
 二人とも仲良く覚悟を決めたら?

 髪をさわるのも飽きてきた。


58 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:14:10.90 86kAbh4/0 34/54

放課後

(佐伯さんのサイズは、と……)

 三年二組はロミオとジュリエットに向けて準備中、
 私の役目は衣装製作のお手伝い。

――学園祭か

 バトン部は特別なにかするわけじゃないけど。

 澪と田井中さんは主役、琴吹さんは脚本。
 軽音部のみんなは頑張ってる。それにライブもあるし、大変だろうな。
 
 そして平沢さんは木の役、そもそも人が入る必要があるの?

「木Gだよ」

 軽音部のみんなは頑張ってる、たぶん。

「木Gだよ」


61 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:19:40.02 86kAbh4/0 35/54

数日後

 学園祭の準備も整ってきたころ、真鍋さんからある提案が出た。

「みんな、ちょっと聞いてくれる?」

 その声に反応し、作業中の私たちは手を止めた。

「ちょうど軽音部もいないし」

 なんだろ、軽音部に聞かれちゃまずいこと?

「実はね……」

 提案は軽音部のライブでお揃いのTシャツを着ようというものだ。
 それも本人たちには内緒で。

(そういうのテレビで見たことあるな)

「それでね、お客さんにも着てもらおうと思うの。
だれか入り口で配る役してもらいたいんだけど」

 わずかに迷い、私は静かに手をあげた。

「じゃあ和王子さんお願いね」

 どうやら私には妙な感情が生まれたらしく、それに従うことにした。
 Tシャツを配るくらい大した仕事でもないだろう。


63 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:31:38.41 86kAbh4/0 36/54

体育館入り口

 軽音部のライブ中、私は来場者へ声をかけていた。

「よろしくお願いしま~す」

「いただけるの?」

「はい、今やってるライブの間着ていただけると嬉しいです」

「ありがとう」

 客足も落ち着いてきたころ、
 一緒にTシャツを配っている清水さんが声をかけてきた。

「どうしていちごは手伝おうと思ったの? こういうの嫌いそうなのに」

 確かにこういう仕事は嫌い。 

――それに
 
 隠してはあるものの、自分の左腕に傷があるのは確かなこと。
 なぜ半袖を着てここに居るんだろうか?

「……軽音部だからかな」

 半分本当で半分嘘、自分に芽生えた感情を説明することは出来そうになかった。

 遠くで演奏が聞こえる。


64 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:36:26.90 86kAbh4/0 37/54

三年二組教室

「燃え尽きたみたいね」

「ああ、完全燃焼だ……」

 文化祭が終わってから澪は、いや軽音部はこんな感じ。

(結局縞パン事件はなかった、一度あることは一度で終わったな)

 そう思い浮かべたあと、意識は自分の左腕に移った。

(一度で終わったな、この傷も)

「そういえばTシャツ配ってくれたんだって? その、大丈夫だったか?」

 澪がそう言うと、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
 どうやら傷のことを気にしているらしい。

「大丈夫、大丈夫だから」

「そっか、嫌なこと聞いて悪かったかな?」

 何だか澪をなぐさめるような格好になった、いつかのネットカフェみたいに。

(また立場逆だな)


65 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:43:35.29 86kAbh4/0 38/54

放課後

 文化祭からはずいぶん時間が過ぎた、三年生は部活を引退し
 それぞれの時間を過ごしている。

 私も例外ではなく、みんなと同じように卒業までの時間の前にいた。

「ねえねえ、いちごちゃん」

 平沢さんが声をかけてきた、平静を装っているが
 表情から何かを企んでいるのは明らかだった。
 
 それにしても珍しい、軽音部のみんなといないなんて。

「何?」

「ちょっと来て欲しいところが……」

 返事を待たず、彼女は私の左手を強く握って走り出した。

 教室を出て廊下へ、廊下を駆け抜け階段、階段を昇り音楽準備室、軽音部の空間へ。


66 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:49:46.46 86kAbh4/0 39/54

音楽準備室

 手を引かれ音楽準備室に入ると、軽音部のみんなが集合していた。

「せーの! ワン、ツー」

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

(え、何で演奏してるの?)

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

(どうして誕生日の歌を?)

「ハッピーバースデー、ディーアいちごー」

(もしかして私の……)

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

 演奏が終わった。


67 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 00:58:34.78 86kAbh4/0 40/54

「誕生日おめでとう、いちごちゃん」

 ありがとう平沢さん。

「いちごちゃん、おめでとう」

 ありがとう琴吹さん。

「おめでとうな、いちご」

 ありがとう田井中さん。

「おめでとう、いちご」

 ありがとう、澪。

「おめでとうございます、いちご先輩」

 ありがとう……みんな。


68 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:06:36.71 86kAbh4/0 41/54

 誕生日はおめでとうと言われてケーキを食べるだけじゃない。
 私がありがとうって言う日だったんだ。

 ありがとう、最初に命をくれて。
 次に名前をもらって、そして誕生日をもらった。

 ありがとう、バトンを教えてくれて。
 そっけない態度とったけど、すごく嬉しかったんです。

 ありがとう、話を聞いてくれて。
 聞いたあとでも変わらず接してくれて。

 ありがとう、私なんかの為に祝ってくれて。
 みんな本当に……


70 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:13:19.38 86kAbh4/0 42/54

「あっ……いあ、と……」

 上手くしゃべれない。やだ、こんな時に。
 ありがとうって言いたいのに、やっと素直に言えると思ったのに。

「……えっ、うっ……うぇ」

 もう十八歳になったのに人前で泣いちゃった。
 どうしよう、恥ずかしい。

「わわっ、いちごちゃん泣いちゃったよ。どうしようあずにゃん」

「だから言ったんです律先輩、サプライズはやめてちゃんと招待しようって」

「梓だって乗り気だったじゃねーか、元はといえば澪だよ!」

「違うぞ、ムギが『サプライズパーティーが夢だったの~』って言うから」

「でも一番楽しみにしてたの澪ちゃんだったわよね?」

「うっ、悪かったよ」

 誰かが近づいて来た、でも涙で滲んで見えない。

「ごめんないちご、ほらハンカチ使って」

 澪だった。
 ハンカチを受け取り目を押さえ、声が出ないよう泣くことにした。


71 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:21:28.81 86kAbh4/0 43/54

 私が泣き止むまでみんな待ってくれた。

「さて、気を取り直して。三つ星シェフのケーキ! 召し上がれ」

「おい律、用意したのはムギだぞ」

 みんなでケーキを囲むように席に着いた。
 白いクリームの上にイチゴが円周上に並んでいる。

「あっ、そうだいちごちゃん」


73 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:29:14.73 86kAbh4/0 44/54

「何?」

「私がショートケーキ食べてて、和ちゃんに『一口交換しよう』っていったらね。
和ちゃんがケーキのイチゴ食べちゃったんだよ!」

「唯先輩またその話ですか、いちご先輩も呆れますよ」

「ケーキのイチゴはケーキの頂上だよ、ハートだよ、魂だよ! そう思うよね?」

 平沢さんがこっちを見ている。え、私に振るの?

「私は……」

 ショートケーキを思い浮かべた。
 その上に一つのっている赤いイチゴ。
 一人で寂しそうだな、とは思わない。
 凛とした姿が好きだった。

 私の目の前に丸いケーキがある。
 クリームは雪のように真っ白で、その上のイチゴたちはにぎやかに円をかいている。

――こういうのも悪くない

 今はそう思った。

「別にいいんじゃない?」

「がーんだよっ」

「まあまあ、それじゃ切り分けるわね」


74 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:35:42.14 86kAbh4/0 45/54

――――

「ねえいちご、幸せって何だと思う?」

「いきなり何? わからない……」

「それはね、欲しいものを手に入れることっ!」

「そう、じゃあ私は無理なのかな」

「どうして?」

「だって私、自分の欲しいものがわからないの」

「そっか、でもきっと見つかるよ。それはそうと、これを見よ!」

「あ、ゴールデンチョコパン。買えたんだ」

「ふっふ~、いちごにもこの幸せを分けてあげよう。ほれほれ」

「ようするに自慢したかっただけ?」

「ま、そーゆーこと」

――――


75 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:39:25.57 86kAbh4/0 46/54

音楽準備室

――私は何が欲かったんだろう。

「み~お~、ウエストは大丈夫かな?」

「一切れだけだから問題ない」

――結局はわからなかった。

「あ、唯先輩! 私のイチゴ取らないで下さい」

「思い知れー」

「梓ちゃん、代わりに私のあげるわね」

――でも、いつの間にか手に入れてたみたい。


76 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:44:31.36 86kAbh4/0 47/54

「さて満腹になった所で、放課後ティータイムの
ミニライブをお送りします」

 田井中さんの掛け声とともにみんなが移動し始める。

「ささっ、お客様はこっちこっち」

 平沢さんに手を引かれ長椅子に腰掛けると、澪が口を開いた。

「いちごには色々と世話になったからな、今日はそのお礼に」

「私は大したことしてないよ」

 そう言う私へ、田井中さんが返す。

「体育館使わせてくれたし、スティック回しも教えてくれたし、
Tシャツも配ってもらったな。それに……」

「それに?」

「まあ、お礼ってことで」

 お礼を言うのは私のほう。
 こんなに嬉しかったのは初めて。


77 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:48:35.78 86kAbh4/0 48/54

「……ありがとう」
 
 ありがとうじゃ足りないけど、これしか言葉は見つからない。
 私が声を発した時、クラシックでも聞くみたいに静まり返った。
 嬉しさを隠すためにトーンを落として言ったけど、みんなはそう思わなかったみたい。
  
 沈黙を打ち破るように田井中さんが切り出した。

「い、いちごは演技上手だな。やっぱりジュリエットやったほうが良かったんじゃ……」

 違う、嬉しかったのを隠す演技をしたんだってば。
 失敗したって事は演技下手なんだな。

――もう、

「バカ律……」

「そうだぞ律、失礼じゃないか」

 そう言いつつも澪の顔はほころんでいた。


78 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:57:06.98 86kAbh4/0 49/54

「失礼しやした、いちごさん」

「分かればいいの。あと今日私が泣いたことは秘密ね」

「えー、どうしよっかな」

――ああ、もう。

「早く演奏始めたら?」

「だな、始めるか。で、みんな、最初の曲はわかってるよな?」

 そう言った律は何かを企んだ表情をしている。


79 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 01:59:47.06 86kAbh4/0 50/54


「もちろんだよ」



「ちゃんと分かるぞ」

「律先輩らしい選曲です」

「うふふ、そうね」

「よーし、それでは誕生日を祝って」

 ドラムスティックが掲げられる。
 そして律が得意げに微笑んだ。

「いちごパフェが止まらない」


81 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 02:05:31.68 86kAbh4/0 51/54

――
――――

 手首を切って病院に運ばれた、そんなに深い傷じゃないのに。
 どうせお父さんもお母さんも私のこと分かってくれないんだ。

――どうしてこんなことしたの?

 言ったって分からないよ、私が手首を切った理由なんて。
 きっとここに座っている看護婦さんもそう、それより一人にしてくれないかな。

 そう思っていると、ベッドの上の私に向かってたずねてきた。

「名前聞いてもいいかな?」

「……言いたくないです」

「そう」


82 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 02:09:33.61 86kAbh4/0 52/54

 そっけないなこの人。
 ふと胸元に付けられた名札に目が行った。
 変な苗字だな、若王子。読み方はわかおうじ?

「変わった苗字ですね」

「うん、名前はもっと変わってるけど」

「教えてくれます?」

 とりあえず話題が私の手首に行かないようにしたい。

「え、やだ」

「……」

「冗談、名前はいちごっていうの」


84 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 02:13:45.86 86kAbh4/0 53/54

「ぷっ!」

 思わず吹き出した。え、名前がいちごなの?
 そっちのほうが冗談だよ。

「ひどいね、でも元気そう」

 元気という単語に反応し、不意に目を背けてしまった。

――元気なんかじゃないよ

「ねえ、傷のこと話してくれるかな?」

 今までとは違う優しい声でたずねてきた。

――言えないよ

「……」

 沈黙で答えた。

「そう、じゃあ私の話をしようか」


85 : 以下、名... - 2011/01/22(土) 02:19:49.78 86kAbh4/0 54/54

 看護婦さんは右手で袖をつかみ、白い左腕を見せた。

「あ……」

 この人も私と同じだ、左腕に傷がある。
 薄いけどわかる、明らかに自分で切った感じだ。

「人生は素晴らしいとか、命は大切だとか、そんな話じゃない。ただの、思い出話」

 目線を上げると無表情な顔が見えた。
 私のことを全部お見通しで、それでも安心させてくれる目をしている。
 きっと傷ついて乗り越えて、悲しいことも嬉しいことも知って、
 そして傷を見せてくれたんだ。

「あれは高校三年の時だったな」

 看護婦さんはそう言って、少し嬉しそうな顔を見せた。

おわり


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