1 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/19 23:51:19.57 0wVWj0kD0 1/405

春香「ミュージカル?」

「ああ。オリジナルストーリーで、
  765プロのアイドル全員とスクール生に出演してもらう」

「スクール生も?」

「みんな来月にはうちと契約して
  正式に765プロのアイドルとして活動していくことになる。
  最初の大舞台としてこのミュージカルに出演してもらう」

律子「とはいってもあの子たちに大役を任せるのはまだ荷が重いでしょうから、
   アンサンブルキャストとして出てもらうことになるわね」

亜美「あ、あんちゃん……」

真美「ぶるどっぐ……?」

伊織「アンサンブルキャスト! 役名のない登場人物ってことよ」

元スレ
P「あいつらに会いたい」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1603119079/

2 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/19 23:53:27.94 0wVWj0kD0 2/405

「52人全員が出るのか~。なんだか全然想像つかないや」

律子「私は出ないわよ」

「えっ、律子出ないの?」

律子「今回は裏方に徹することにしたの。
   さすがにプロデューサー一人で52人をまとめ上げるのは困難でしょ」

「俺としては律子にも出てほしいんだけどな」

亜美「え~、律ちゃん出ないの~?」

真美「出ようよ~。律ちゃんのファンが悲しむよ~?」

律子「それをいわれると弱いけど、
   プロデューサーとしての経験も徐々に積んでいかないと」

伊織「……律子、本当にアイドルを辞めてプロデューサーになるつもりなのね」

「寂しくなるなぁ」

律子「ち、ちょっと、そんなしんみりしないでよ。別に765プロを辞めるわけじゃないんだから」

貴音「律子嬢が皆から愛されている証左ですよ」

律子「あ、愛されてるって……///」

3 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/19 23:56:47.94 0wVWj0kD0 3/405

雪歩「あのぉ、ミュージカルはどんなお話なんですか」

「大切なものを失くしてしまう話なんだけど、これが台本」

千早「大切なもの、ですか」パラ……

美希「ねえ、配役は決まってるの? 主役は当然ミキって感じ?」

伊織「はぁっ? なにが当然よ。
   この大女優伊織ちゃんを差し置いてよくそんなことがいえるわね」

律子「役はオーディションで決めようと思ってるの。
   みんなの演技力は格段に上がってきているし、
   私とプロデューサーの独断で決めるよりも、その方がみんなも納得できるでしょ」

伊織「実力で主役の座をもぎ取れってことね。面白いじゃない」

4 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:01:47.96 jb5TYrq40 4/405

千早「……あの、プロデューサー、この台本印刷ミスがあります。
   所々台詞が抜けているみたいなんですけど」

「ほんとだ、後半なんか全部真っ白だぞ」

「え、そんなはずは……、ちょっと見せてくれ」パラパラ

(……あれ、おかしいな。
  さっき目を通した時はこんな印刷ミスなかった気がするんだけどな……)

貴音「予備の台本は他にないのですか」

「すまない、今手元にあるのはこの一冊だけなんだ。
  明日、きちんと印刷されたものを人数分用意してくるよ」

「う~、いいところだったのに生殺しだぞ」

千早「主人公は一体なにを失くしたのかしら」

5 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:03:46.82 jb5TYrq40 5/405

あずさ「プロデューサーさんは知っているんですか」

「はい、それはですね……」



「………………」



貴音「覚えておられないのですか」

「め、面目ない……」

律子「……あんなに作家と打ち合わせしたのに本当に覚えてないんですか」

「あ、ああ……」

亜美「兄ちゃん、ボケるにはまだ早過ぎるっしょー」

真美「一度、真美たちのパパに診てもらう?」

「いや、大丈夫……」

伊織「本当に大丈夫なの?
   アンタ、前からワーカホリック気味なところがあるし、
   相当疲れが溜まってるんじゃ……」

「大丈夫だよ、単にど忘れしただけさ。心配してくれてありがとな」

伊織「べ、別に心配してるわけじゃっ……」

6 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:04:49.37 jb5TYrq40 6/405

「律子はなにを失くしたのか知ってるの?」

律子「もちろんよ。失くしたものは……」


律子「――よ」


(……?)


律子「これは―――と――の物語なの。
   ―――で――――――――を失ってしまうの」



(なんだ? 律子の声がよく聴こえな――)



やよい「えーっ! そんな―――――なんですかー!」

伊織「なるほどね。―――――――ってそういう……」

「ボク、この―――にすごく――――しちゃうなぁ。
  ボクも――――――が――だもん」

雪歩「私も。もし―――――――――――――――――――かもしれない」

「ま、――――――――――――――――――――ないさー」

あずさ「そうね、――――――――。
    ――の―――をきちんと――――――んだから」



(律子だけじゃない、他のみんなの声も……)

7 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:07:21.85 jb5TYrq40 7/405

春香「プロデューサーさん? どうしました」

「春香、みんなの声が……」



貴音「しかし、主役を演じるには相応の覚悟と決意が必要なようですね」

伊織「そうね、まったくプロデューサーも律子も人が悪いわ。
   よりによってこんな役を私たちにやらせようなんて」

律子「あらそう? 大切なものを知っているあなたたちだからこそ、
   ぴったりな役だと思うけど」

亜美「わー、りっちゃんがわっるい顔してる」

真美「そんな子に育てた覚えはないのにぃ……」



「……聞こえる」

春香「はい、聞こえますけど?」

(……本当に疲れているのか、俺……)

春香「プロデューサーさん?」

「や、なんでもないんだ。気にしないでくれ」

春香「はあ……」

8 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:08:32.59 jb5TYrq40 8/405

美希「あっ! いいこと思いついたの! ハニーが主役をやればいいって思うな!」

「お、俺?」

伊織「なんでプロデューサーがミュージカルに出演するのよ! それも主役で!」

美希「主人公のハニーは愛するヒロインのミキと離れ離れになって、
   ミキの大切さをあらためて実感するの。
   そして再会した二人は永遠の愛を誓い合うの!」

雪歩「そ、それはちょっと……」

「話はともかく、仮にプロデューサーが舞台に立ったらブーイング間違いなしだぞ」

9 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:10:04.39 jb5TYrq40 9/405

春香「で、でも、プロデューサーさんが相手なら私もその話やってみたいな~、なんて……」

あずさ「私もやってみたいわ~。プロデューサーさんが相手なら熱演できちゃいそう」

「ボ、ボクもプロデューサーとラブストーリーやってみたい!」

亜美「いやいや、まこちんの場合、男二人の友情物語になるっしょー」

「なっ!」

伊織「わ、私も立候補してあげてもいいわよ! 
   別にプロデューサーとのラブストーリーなんてぜんっぜん興味ないけど?
   女優としての演技の幅は広げたいし?」

真美「ま、真美もやってみたい……」ゴニョゴニョ

美希「ち、ちょっと! これはミキとハニーのラブストーリーなの! 
   ヒロインはミキの指定席って決まってるんだから!」

千早(その前に、ミュージカルは
   プロデューサーとのラブストーリーではないのだけれど……)

貴音「ふふ、罪な方ですね、あなた様は。皆、あなた様をお慕いしているようですよ」

「はは……」

やよい「プロデューサーは大切なものってありますかー」

「俺? 俺の大切なものは……」

律子「ほうら、あなたたち、馬鹿なこといってないで、
   これからオーディションの説明するからちゃんと聞いてなさいよ」



………
……

10 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:13:06.59 jb5TYrq40 10/405

高木「やあ諸君、お疲れ」

「社長、お疲れさまです」

高木「アイドルたちは皆帰ったようだね。
   彼女たちがいなくなると祭りの後のように事務所が静まり返るなあ」

小鳥「そうですね、少し寂しいくらい」

律子「デスクワークをするにはこのくらい静かな方が捗りますけどね」

高木「そのデスクワークが終わるならこの後どうかね。
   ミュージカルの前途を祝して一杯でも。もちろん私が奢るよ」

小鳥「わあ、いいですね。お二人は終わりそうですか」

律子「私の方はもう。プロデューサーは?」

「俺はまだ終われそうにないな。
  どうしても今日中に未来たちのプレゼン用の資料を作っておきたいんだ」

律子「でしたら私も手伝いますよ」

「律子はまだ正式なプロデューサーじゃないだろ。
  これからミュージカルも重なってより忙しくなるだろうし、
  今日くらい思いっきり羽根を伸ばしてこいよ」

律子「でも……」

「気持ちだけ受け取っておくよ。社長、折角ですが俺は事務所に残ります」

高木「そうか。では、キミとはまた違う日に一杯やろう」

「はい、その時を楽しみにしています」

小鳥「それではプロデューサーさん、お先に上がらせてもらいますね。
   最後、戸締りよろしくお願いします」

律子「プロデューサーもあまり無理しないでくださいね。お先に失礼します」

「ああ、お疲れ」


 ガチャッ バタン……


「……さて、もうひと踏ん張り」



………
……

11 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:14:58.84 jb5TYrq40 11/405

「くあ、疲れたぁ……って、もうこんな時間か」

(これは帰る頃には日を跨いでるな……)

「ふぅ……」

「……」

(ミュージカルの台本……)パラパラ

(……駄目だ、どうしても思い出せない。
  なにを失くしてどんな結末を迎えるんだっけ……)



やよい『プロデューサーは大切なものってありますかー』



(俺の大切なもの……そんなもの、考えたこともなかったな)

(たかが二十年あまりの人生だけど精一杯生きてきた)

(辛いことも楽しいこともそれなりに経験してきたけれど、
  大切なものを見つけようだなんて、なに一つしてこなかった)

(アイドルたちは皆、大切なものを共有しているみたいだけど、
  それは一体なんなんだろう……)

「大切なものかぁ」

(俺の大切なものってなんだろう……)

「おれの、たいせつな……」ウトウト

「……」スースー


……………………
………………

― ― ― 

…………
……

12 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:17:17.95 jb5TYrq40 12/405

 「プロ―――」

 「――さん、プロデューサーさん、起きてください」

「……ん」

 「もう、また徹夜したんですか」

(……しまった、寝落ちしてしまったか。あと少しで資料ができたっていうのに)

 「駄目ですよ。無理が祟って身体を壊したら元も子もないですよ。
  ただでさえ不規則な業界なんですから、ちゃんと身体を休めてください」

「はい、すみません、音無さ……」



「…………」



 「ほら、顔を洗ってきてください。みんなもそろそろ来ますよ」

「あ、あの……」

 「はい?」

「どちらさまでしょうか」

 「……寝ぼけてるんですか」

「い、いえ、本当にどなたなのか……」

13 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:18:20.21 jb5TYrq40 13/405

 ガチャッ


 「おはようございます」

 「あら、おはよう、凛ちゃん。今日は早いのね」

14 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:20:17.94 jb5TYrq40 14/405

「おはよう、ちひろさん。ちょっと卯月と未央と約束があってね」

「おはよう、プロデューサー」

「……」

「プロデューサー? どうしたの」

ちひろ「プロデューサーさん、また徹夜してちょうど今目覚めたばかりなの。
    まだ頭が覚醒してないみたい。ただ今お寝ぼけ中なの」

「また?」

「……」

「プロデューサー、私たちには体調管理を怠るなって口酸っぱくいうくせに、
  自分の体調には無頓着過ぎるよね。
  こういうのって人にとやかくいう前に、まず自分ができてからじゃないの」

ちひろ「凛ちゃんのいうとおりです、プロデューサーさん。肝に銘じてください」

「……」

「プロデューサー?」

15 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:21:54.56 jb5TYrq40 15/405

(……なんなんだ、誰なんだこの二人は。ここは一体どこなんだ)

(俺は765プロの事務所にいたはず。こんな所、俺は知らない)

(なにが、一体なにがどうなっている……!?)

16 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:26:30.98 jb5TYrq40 16/405

ちひろ「ちょっとプロデューサーさん、本当にどうしちゃったんですか。
    なにか様子が変ですよ」

「……ドッキリですか」

「ドッキリ?」

「そうか……、番組の企画かなにかでしょう。
  きっと、どこかに隠しカメラがあって……!」

ちひろ「ち、ちょっと、プロデューサーさん?」

「なあ、そうなんだろ律子! どこかの部屋から見てるんだろ!  
  ああ、こんなイタズラ企画なんだから真美と亜美のコーナーか?
  二人がどこかに隠れてプラカードなんか持ってたりして!?」

「プロデューサー」

「もうバレてるんだ、早く姿を見せてくれよ!!」

「プロデューサー!」

「……!」ビクッ

「どうしちゃったのプロデューサー、なにを混乱してるの?
  さっきからプロデューサーがなにをいってるのか全然わからないよ……」

ちひろ「落ち着いてください、プロデューサーさん。深呼吸して。
今、お水をお持ちしますから」

「……」ハァ ハァ

17 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:28:58.14 jb5TYrq40 17/405

「リツコって誰のこと? それにマミ、アミって……」

「……待ってくれ。その前に、君は一体誰なんだ」

「誰、って……」

「きっとどこかのプロダクションのタレントなんだろうけど、
  そろそろ種明かしをしてくれないか」

「……本気でいってるの?」

「すまない、ひどく混乱してて……。ええと、どこかで会ったことあるかな。
  それともうちのアイドルたちの知り合いとか……」

「……」

「あ、あの……」

(なんだ、どうしてそんな悲しそうな顔をする……?)

18 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:31:04.42 jb5TYrq40 18/405

ちひろ「プロデューサーさん、水をお持ちしましたよ。さあ、飲んで……」

ちひろ「凛ちゃん? どうしたの」

「プロデューサー、私が誰だかわからないって……」

ちひろ「……」

ちひろ「それは本当なんですか、プロデューサーさん」

「え……」

ちひろ「悪ふざけだったら怒りますよ」

「わ、悪ふざけもなにもイタズラを仕掛けられているのは俺の方ですよね?
  とにかく、ここはどこで、あなた方は誰なのか、状況の説明がほしいのですが……」

ちひろ「……」

(……なんなんだ、どうしてそんな目で俺を見る?)

19 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:33:06.25 jb5TYrq40 19/405

ちひろ「……もう一度確認しますが、
    私のことも、凛ちゃんのことも、本当にわからないんですか」

「は、はい」

ちひろ「……」

「と、取り敢えず、765プロに連絡させてください! 話はそれから――」

「ナムコプロ?」

ちひろ「どこかの芸能プロダクションですか。
    そんなプロダクション聞いたことありませんけど……」

「え……」

「765プロですよ……! ほら、天海春香! 星井美希! 如月千早! それから――」

「知らない……」

「……っ」

ちひろ「私もナムコプロなんて初耳です」

(そんな馬鹿な……。765プロを知らないなんて今ではそうはいないはず……)

20 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:34:30.11 jb5TYrq40 20/405

「じ、冗談ですよね? お願いですから、本当に種明かしをしてくれませんか。
  このままじゃ埒が明かな――」

(そうだ、携帯。律子に連絡を……)ピッ ピッ

(あれ……、なんでだ、律子のアドレスがない? いつの間に消えたんだ)

(音無さんのアドレスは……ない。社長は……アイドルたちのアドレスは……)

(……ない! なんでだ? 事務所の電話番号も消えている……)

ちひろ「凛ちゃん、ちょっとプロデューサーさんを見ていてくれる?
    私、社長に連絡入れて、プロデューサーさんを病院に連れていくから」ヒソヒソ

「う、うん……」

「くそっ!」ダッ

「あっ、待ってプロデューサー!」

ちひろ「プロデューサーさん!」

21 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:35:35.60 jb5TYrq40 21/405

未央「でさでさー、そしたら美嘉ねえがさー、プクク」

卯月「未央ちゃん、いう前から自分で笑ってますよ」

未央「だ、だって、美嘉ねえったら……って、あれ、プロデューサー?」

卯月「おはようございます、プロデューサーさん」

未央「おっはよ~! プロデューサー!」

「……!」

卯月「どうしたんですか、血相変えて……」

未央「これこれ、廊下は走らないって学校で習わなかったかな、プロデューサーくん?」

(また知らない……)

卯月「プロデューサーさん?」

「卯月! 未央! プロデューサーを捕まえて!」

卯月「凛ちゃん?」

未央「捕まえ……? あ」

「プロデューサー待って!」

22 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:36:56.52 jb5TYrq40 22/405

「はぁ……はぁ……」

(取り敢えず、外に出た……)

(大きなビルだ。うちの事務所が入っている雑居ビルとは比べものにならない)

(『シンデレラガールズプロダクション』……。
  初めて聞くな。芸能プロダクションなのか?)

(いや、それよりも携帯のGPS……現在地は……)

(よし、765プロからそう遠くない。タクシーかなにか捕まえて……)



………
……

23 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:39:21.32 jb5TYrq40 23/405

「着いた……」

「……」

(あれ、うちの事務所が入ってる3階の窓の『765』の文字が消えている……?)

(……考えるのは後だ。取り敢えず事務所の中へ)

 タッタッタッタッ……

(入り口の社名まで消えている。どうして……)ガチャッ

「あ、あれ? 開かない?」ガチャ ガチャ

(合鍵は……今は持ってない)

「誰か! 誰かいないか!」ドン ドン

「律子! 音無さん! 社長! 春香!」


 ――――


「くそっ」ドンッ!

(誰もいないのか? まるで人の気配がない……)

「…………」

「たるき亭……!」

24 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:40:57.15 jb5TYrq40 24/405

 タッタッタッタッ…… ガラッ

「あの、すみません!」

小川「あら、お客さんですか。まだ開店時間では……」

「小川さん、うちの事務所、今誰もいないみたいなんですけど、
  なにか俺宛に言伝とか預かってませんか」

小川「……」

小川「失礼ですが、どちらさまでしょうか。どうして私の名前を……」

「え……」

「俺ですよ! ほら、3階の! 765プロのプロデューサーの……!」

小川「ナムコプロ?」

「お昼時にはよく音無さんと一緒に食べに来てるじゃないですか!」

小川「んー……、覚えがないなぁ」

小川「常連さんの顔は覚えてるはずなんですけど……、
   そのオトナシさんという方は男性ですか、女性ですか」

「……」

小川「それに3階はもう何年も前から空き屋のはずですけど」

「あ、空き屋?」

小川「はい。でしたら、部屋を開けて確かめてみますか。
   店長から3階の合鍵借りてきますけど、どうします?」

25 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:42:56.49 jb5TYrq40 25/405

 カチッ ガチャッ

小川「どうぞ」

「……な、なんだ、これ……」

(空っぽだ)

(俺のデスクも、スケジュールが書かれているホワイトボードも、
  アイドルたちがいつも座っているソファーも、雪歩の愛用の急須も、
  なにもかもがなくなっている……)

(765プロが、なくなって……)



『ナムコプロ? 知らない……』



ちひろ『私もナムコプロなんて初耳です』



小川「あの、大丈夫ですか。顔真っ青ですけど……」

「う、嘘だ……」フラッ

小川「あ、ちょっと! どこ行くんですか!」

26 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:44:52.61 jb5TYrq40 26/405

 タッタッタッタッ……

「はぁ、はぁ!」

(嘘だ……嘘だ……!)

「あの、すみません!」

 「はい?」

「765プロという芸能プロダクションを知りませんか!?」

 「……さあ、知りませんけど」

「秋月律子というアイドルに覚えは!?」

 「いいえ……」

「じ、じゃあ、菊地真は!?」

「萩原雪歩は!?」

「高槻やよいは!?」

「水瀬伊織は!?」

「双海真美、亜美は!?」

「三浦あずさは!?」

「我那覇響は!?」

「四条貴音は!!? 本当は知ってるんでしょ!!!」

 「し、知りませんってば! もうやめてください!」ドンッ

「……っ」

 「なんなのあの人、気持ち悪い……」

 「関わらない方がいいよ」

 「頭イッちゃってんじゃないの」

「…………」

(どうして、どうして誰も765プロを知らない?)

(みんなどこへ消えてしまったんだ。春香は? 千早は? 美希は?)

「……は、はは、は、は……」

(もう、なにがなんだかわからない。俺は夢でも見ているのか?)

(夢なら覚めてくれ。こんな、こんな……)フラフラ

 ――バタッ

 「きゃー!」

 「人が倒れたぞ!」

 「おい君、大丈夫か!? 誰か、救急車!」

27 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 00:45:47.71 jb5TYrq40 27/405

志希「ふっふ~、いい薬品……もとい、いい香水の材料が手に入っちゃった! 
   早くガレージに戻って調合せねば……くふふ」
 
志希「んんっ? 前方に人混みゴミゴミ発見」

志希「……にゃはっ」

志希「はーい、ちょーっと失礼ー。どいてどいてー、ちょいちょい、ごめんねっと」

志希「なにかな、なにかなー。みんな、なににキョーミ深々なのかなー?」




志希「…………え」



………
……

31 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:05:20.13 sMbggPpm0 28/405

美嘉「プロデューサーが行方不明?」

卯月「はい、事務所を飛び出したきり連絡が取れなくて……」

莉嘉「Pくんのケータイは?」

未央「駄目。全然繋がらない」

アナスタシア「どうしたんでしょう、プロデューサー。とても心配です」

蘭子「我が友よ……」

「その、プロデューサーが凛ちゃんを覚えてないってどういう……」

「私にもよくわからない。プロデューサーすごく混乱してて、
  私のこともちひろさんのことも誰なのかわからないって」

愛梨「プロデューサーさんがそういったの?」

「うん……」

未央「私としまむーのことも困ったような顔で見てたよ。
   まるで初対面の人を見るような……」

美嘉「演技とかじゃなくて?」

「とてもそうは思えない。
  真に迫るものがあったというか、あんな怯えてるプロデューサー初めて見た」

32 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:08:37.66 sMbggPpm0 29/405

「ねえ、それって記憶喪失ってやつじゃない?」

卯月「記憶喪失? まさか……」

愛梨「記憶喪失って突発的になるものなの?」

「杏だって詳しくは知らないけど、凛ちゃんや未央の話を聞くに、
  記憶喪失の症状と似てるんじゃないの」

アナスタシア「確かに……」

「プロデューサー、一人事務所に残って徹夜してたんでしょ。
  その時にプロデューサーの身になにかあったんじゃ……」

莉嘉「Pくんの頭にでっかいたんこぶとかあった?」

未央「うーん、怪我とかは特にしてなかったと思うけど……」

まゆ「……」スッ

「まゆちゃん、どこへ行くの」

まゆ「プロデューサーさんを捜しに行きます」

美嘉「捜しに行くって、まゆちゃん、これから撮影があるんでしょ」

まゆ「そんなのどうだっていいわ。
   まゆにとってプロデューサーさん以上に優先すべきことなんて
   なに一つとしてないもの」

卯月「だ、駄目ですよそんな、お仕事にはちゃんといかないと……」

愛梨「どこか捜す当てでもあるの?」

まゆ「それは……ありませんけど」

美嘉「プロデューサーが心配なのはわかるけどさ、
   まゆちゃんが仕事にいかないと
   結果的にプロデューサーに迷惑かけることになるんじゃないの。
   それはまゆちゃんの本望じゃないでしょ」

まゆ「……でも、プロデューサーさんの身にもしものことがあったらまゆは……」

「事務所の人たちが総出でプロデューサーを捜してくれているのだし、すぐに見つかるわよ。
  大丈夫、私たちはいつも通り仕事をこなしましょう。
  プロデューサーもきっとそれを望んでいるはず」

33 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:11:23.48 sMbggPpm0 30/405

「ねえ、ナムコプロって聞いたことある?」

未央「ナムコプロ? なにそれ」

アナスタシア「ニェート、聞いたことないです。どこかの芸能プロダクションですか」

「プロデューサーがいってたの。ナムコプロに連絡させてほしいって」

愛梨「ナムコプロ……」

蘭子「そのような組織、我が記憶には存在しない……」

未央「うちと同じアイドルがいる事務所なのかな」

「多分。プロデューサー、女の子の名前を口にしてたし」

まゆ「……女?」

「リツコにマミ、アミ。それから……ハル…カ? だっけ」

卯月「その子たちがそのナムコプロ? というところのアイドルなんでしょうか」

莉嘉「じゃあ、Pくんはそのナムコプロってところに向かったってこと?」

まゆ「すぐにそこの住所を調べましょう! まゆが迎えに――」

「なかった」

「なかったって?」

「さっき、ネットで検索してみたけど、ナムコプロなんて一つも引っかからなかった」

美嘉「それってどういう……」

34 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:13:35.54 sMbggPpm0 31/405

 ガチャッ

幸子「おはようございまーす! カワイイボクがカワイく出社しましたよ!」

幸子「おや、みなさん、朝から神妙な顔をされてどうしたんですか。
   それにプロデューサーさんの姿が見えませんね。
   今日はプロデューサーさんが仕事に同伴してくれるから
   楽し……みになんかしていませんけどね!」


ちひろ「みんな、プロデューサーさんが見つかったそうよ!」


卯月「本当ですか!?」

幸子「え?」

ちひろ「たった今、志希ちゃんから連絡があったの。
    プロデューサーさんが道端で倒れていたところに偶然居合わせたらしくて、
    さっき病院に搬送されたって」

愛梨「倒れてた!?」

まゆ「どういうことですか!」

幸子「え? え?」

ちひろ「詳しいことはわからない。私はこれから社長と一緒に病院へ行って
    プロデューサーさんの容態を確認してくるわ」

まゆ「まゆも連れていってください!」

「私も行く」

莉嘉「アタシも行きたい!」

蘭子「わ、私もっ」

ちひろ「駄目よ。アイドルが大勢で病院に駆けつけるなんて、
    そんなことマスコミに嗅ぎ付けられでもしたら面倒なことになり兼ねない」

ちひろ「みんなはいつも通り仕事に行くこと、いいわね?」

 ガチャッ バタン……

まゆ「待つことしかできないなんて……!」

「……」

幸子「ちょっと、え? なにがあったんですか!? ボクだけ置いてけぼりなんですけど!!」



………
……

35 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:16:47.09 sMbggPpm0 32/405

 ガチャッ

志希「お疲れー」

美嘉「志希ちゃん!」

まゆ「志希さん、プロデューサーさんは大丈夫ですか!? ご容態は!?」

志希「ああ、うん。ただの貧血だって。倒れた拍子に軽い打撲と擦り傷を負った程度」

卯月「そ、そうですか。よかったぁ、大事なことにならなくて……」

志希「……」

アナスタシア「志希? どうしました」

志希「……それはあたしが聞きたい。プロデューサー、一体どうしちゃったの」

志希「あたしのこと、誰だかわからないって」

未央「それって……」

「……」

志希「最初、なにかの冗談かと思ったけど、会話がまるで噛み合わないし、
   プロデューサー、今にも泣き出しそうな顔をして――」



『もうやめてくれ。俺は君のことなんて本当に知らないんだ。頼むから、もう……』



志希「――って、いわれちゃった」

36 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:18:59.34 sMbggPpm0 33/405

志希「いやはやぁ、
   プロデューサーから拒絶されることがこんなにもきっついとはねぇ」

蘭子「……」

志希「ちひろさんから聞いたけど朝からこんな調子だったって?
   もしかして記憶障害ってやつ? だとしたらなにが原因?」

「わからない。わからないけど一つ、プロデューサーが気になることをいってて」

志希「気になること?」

「ナムコプロって聞いたことある?」

志希「ナムコプロ? なにそれ、どっかの芸能プロダクション?」

「だと思う。けど、調べてみてもそんなプロダクションどこにも載ってなくて」

莉嘉「でも、Pくんいってたんだって。ナムコプロに連絡させてくれーって」

志希「……ふーん、ナムコプロ……」

未央「プロデューサーが倒れてた場所近くにそんな事務所はなかったの?」

志希「……さあ、居酒屋ならあったけど」

37 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:21:00.93 sMbggPpm0 34/405

「プロデューサーはまだ病院に?」

志希「うん、このまま検査入院するって」

幸子「え……」

志希「なので、しばらくは別のプロデューサーの元で仕事をすることになるから、
   各自そのつもりで」

幸子「えっ!」

志希「以上、ちひろさんからの伝言でしたー」

志希「ってことで、あたしは帰る。今日はもう色々ありすぎてにゃにがにゃんだか……」フラフラ

 ガチャッ バタン……

「志希ちゃん大丈夫かしら」

卯月「プロデューサーさんにいわれたこと、相当ショックだったんでしょうか」

愛梨「私も同じことをいわれたら立ち直れないかもしれない……」

美嘉「凛は大丈夫?」

「大……丈夫でもないかな。私も結構くるものがあった」

莉嘉「Pくん、本当に記憶失くしちゃったの?」

美嘉「わかんない……でも」

「凛ちゃんや志希ちゃんのことがわからないってことは、
  杏たちのことも多分……」

まゆ「……」

愛梨「これからどうなっちゃうのかな。私たちも、プロデューサーさんも……」

蘭子「まるで悪夢を見ているよう……」

アナスタシア「夢……。これが夢だとしたら、一体誰の夢なんでしょうか。
       アーニャたち? それとも……」

「……」



――――――――――――
――――――――
――――
――

38 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:23:31.20 sMbggPpm0 35/405

卯月「過度なストレスによる記憶の改ざん?」

ちひろ「ええ。主治医の先生がおっしゃるには一種の現実逃避だそうよ。
    現実と空想を入れ替えることでストレスから自分を守ろうとしているって」

ちひろ「プロデューサーさんの場合、架空のプロダクションを作り上げて
    そこで働いていると記憶をすり替えてしまっているの」

未央「架空のプロダクションって……、
   つまり、ナムコプロはプロデューサーの妄想だったってこと?」

「それじゃあ検索してもどこにも引っかからないわけね」

志希「……」

美嘉「ち、ちょっと待ってよ! 過度なストレスって……、
   プロデューサー、この仕事がそんなにも辛かったってこと?」

ちひろ「今となってはわからないわ。
    あんな状態のプロデューサーさんから聞き出すなんて到底不可能だもの」

アナスタシア「この事務所で10人以上のアイドルを担当しているのは
       私たちのプロデューサーだけです。
       13人ものアイドルを同時にプロデュースするのは
       とても大きなプレッシャーだったのかもしれません」

ちひろ「社長も反省されてたわ。彼一人に背負わせ過ぎたって」

卯月「そういえば、プロデューサーさんが弱音を吐いたり、
   辛そうにしてる素振りって一度も見たことない……」

未央「馬鹿だよプロデューサー! いっつも私たちの心配ばかりするくせに、
   自分がおかしくなってちゃ世話ないじゃん……」

幸子「プロデューサーさん、どうしてなにもいってくれなかったんでしょう。
   ボク、プロデューサーさんとは強い絆で結ばれてるってずっと思ってたのに、
   それってボクの勝手な思い込みだったんでしょうか……」

莉嘉「もしかしてPくん、アタシたちのこと嫌いだったのかな……」

まゆ「そんなこと!」

美嘉「ないって、今じゃ自信持っていいきれないよね」

まゆ「……」

39 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:25:05.03 sMbggPpm0 36/405

「……私のせいかな」

「杏ちゃん?」

「だって、この中でプロデューサーに一番迷惑かけてるの私だし、
  いっつも面倒くさい、働きたくないって駄々こねて、
  その都度プロデューサーを困らせて……」

「私のせいで、プロデューサーが……」ジワッ

「泣かないで杏ちゃん。杏ちゃんのせいじゃないわよ」

愛梨「そうだよ。杏ちゃん口ではいってもお仕事は人一倍頑張ってるじゃない」

蘭子「……わ、私も」

蘭子「私も痛いこととか意味不明なことばかりいってるから、
   プロデューサー、きっとそれが苦痛になって……!」

未央(い、痛いって自覚あったんだ……)

40 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:27:23.06 zqLOwnlh0 37/405

「違うって。二人のせいなんかじゃないよ」

「で、でも……!」

「ちひろさん、治療法は、プロデューサーの記憶を元に戻す方法はあるの?」

ちひろ「残念だけど、確実な治療法はないそうよ」

まゆ「そんな……」

「確実でなくても方法はあるんでしょ。それを教えて」

ちひろ「変わる前の記憶と同じ経験をさせることだと先生はおっしゃっていたわ。
    繰り返し同じ経験をさせ、繰り返し語りかけることで記憶を再統合させると」

「変わる前の記憶……私たちのプロデュース……?」

莉嘉「じゃあ、また一緒にお仕事すればいいってこと?
   ちょー簡単じゃん! きっとPくん、アタシたちのことすぐに思い出すよ!」

ちひろ「でも、それにはまず、現実を受け入れるだけの
    安定した精神状態を取り戻すことがなによりも大事なの」

ちひろ「だからもうしばらくの間、プロデューサーさんは休職させることになったわ」

アナスタシア「プロデューサーは今どちらに? まだ病院ですか」

ちひろ「今はもう自宅に戻られてるわ。どのみち長期休暇は避けられないし、
    普通に生活する分には支障ないから、自宅療養の方が本人も安心できるだろうって」

未央「でも、プロデューサーって一人暮らしでしょ。大丈夫なの? その、一人にして……」

ちひろ「心配ないわ。田舎の方からプロデューサーさんのお母さまが来てくださっているの」

まゆ「あのっ、プロデューサーさんのためにまゆにできることはありますか」

ちひろ「今はそっとしておいてあげて。
    なにもしないことが、一番プロデューサーさんのためになるの。
    復帰の目処が立つまでは接触や連絡は控えるようにしてね」

まゆ「……わかりました」

美嘉(復帰の目処……)

美嘉(もし、プロデューサーのストレスの原因がアタシたちにあるとしたら、
   記憶が戻ったその時、プロデューサーはアタシたちのプロデューサーとして復帰してくれるの?)

美嘉(それとも……)



……………………
………………
…………
……

41 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:29:55.91 zqLOwnlh0 38/405

「確か、この近くに……」

(……あった! 『天海』!)

 ピンポーン

 『はーい、どちらさまですかー』

「私、765プロダクションの者ですが、春香さんはご在宅でしょうか」

 『ハルカ、ですか。うちにそのような名前の者はいませんけど……』

「……」

「そうですか。突然にすみませんでした、失礼します」



(最後の望みも潰えたな……)

(ここも同じ、天海家から春香という人間が消えている……)

(残る訪問先は貴音の家だけだが、俺は貴音の現住所を知らない。
  トップシークレットだからと彼女は教えてくれなかった)

(こんなことになるなら無理にでも聞き出せばよかった)

(あいつなら俺の前にひょっこり現れて、
  この現状を打破してくれそうな気がするんだけどな)

(貴音、俺は本当に面妖な事態に陥ってしまったよ)



………
……

42 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:33:03.86 zqLOwnlh0 39/405

「ただいま」

 「お帰りなさい。遅かったじゃない、心配したのよ」

「ああ、ごめん」

「……」

(アイドルたちが消え、律子が消え、音無さんも社長も、スクール生たちさえも消えた)

(テレビやネット、雑誌などにも目を通してみたが、
  765プロに関する情報を見つけ出すことはできなかった)

(本当に、765プロの存在そのものが消えてしまったんだな……)

「……」

(俺の名刺……)ペラッ

(肩書きが『765プロダクション』ではなく、
 『シンデレラガールズプロダクション』のプロデューサーとなっている)

(携帯も765プロに関するアドレスが消え、
  CGプロに関係するものと思われるアドレスが複数登録してある)

(写真立てには今年の春に765プロのみんなで行った花見の集合写真ではなく、
  どこかのライブ会場だろうか、そこには俺と、
  華やかな衣装で着飾ったCGプロのアイドルらしき女の子たちが写っていた)

43 : ◆f.u4U0IDAPaX - 2020/10/20 12:35:30.70 5eRET9RW0 40/405

「……」

「なあ、母さん。もう一度確認するけど、俺が勤めているのは
  シンデレラガールズプロダクションという芸能事務所なんだよな」

 「ええ、そうよ」

「この写真に写っている子たちは」

 「あなたがプロデュースしているアイドルたちよ」

「この長髪の二人の女の子のことは知ってる?」

 「ええ。この子は凛ちゃんというの。
  あなたが初めて担当することになったアイドルだって
  前にあなたがいってたわ」

 「こっちの子は確か……、志希ちゃんだったかしら。
  新しくアイドルになった子らしいから私も詳しくは知らないけど……」

「そう……」

(知らなかったとはいえ、二人には傷つけることをいってしまったな……)

 「ねえ、これからどうするつもり?」

「どうするって?」

 「この仕事、まだ続けるつもり?」

「それは……」

 「記憶を変えてしまうくらい辛い仕事だったんでしょう。
  無理して続けることなんてないじゃない。
  辛い記憶ならそのまま忘れてしまった方が幸せかもしれないわよ」

「……」

(違う……)

(断じて記憶の改ざんなんかじゃない。
  765プロは、春香たちは確かに存在していたんだ)

(だが、誰が信じる、こんな荒唐無稽な話。
  俺自身でさえ、この現実を受け入れられずにいるというのに)

(俺だけが、知っている……)



……………………
………………
…………
……

47 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 19:49:45.92 jb5TYrq40 41/405

 ガチャッ

「お疲れさ――」

まゆ「いやです!!」

「……」

ちひろ「まゆちゃん……」

まゆ「どうしてまゆがプロデューサーさんの担当から外されなければいけないんですか!」

愛梨「私もいやです!
   プロデューサーさん以外の人からプロデュースされるなんて考えられません!」

莉嘉「アタシだって絶対Pくんがいい!」

「……どうしたの」

卯月「凛ちゃん……」

未央「私たち、プロデューサーの担当から外されるって」

「え……」

美嘉「凛だけを残して、ね」

「私だけ?」

48 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 19:53:39.15 jb5TYrq40 42/405

ちひろ「……ごめんなさい、でも社長が決めたことなの。
    今後、一人のプロデューサーに10人以上のアイドルを担当させるのは禁止するって」

まゆ「だからってどうして凛ちゃん一人だけなんですか!」

幸子「そうですよ、納得できませんよ!
   プロデューサーさんの記憶を戻すにはボクたちが必要だったんじゃないんですか!」

「まさか、プロデューサーを辞めさせるつもりですか」

ちひろ「それは誓ってないわ。
    プロデューサーさんはCGプロを覚えていないというだけで、
    これまでに培ってきたプロデュース術までもが失われたわけじゃない」

ちひろ「彼ほど優秀なプロデューサーを失くしたくはない、と
    社長はおっしゃっていたわ」

49 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 19:56:03.42 jb5TYrq40 43/405

愛梨「なら、どうして!」

ちひろ「でもね、それほどの人でも、
    13人ものアイドルを同時にプロデュースするには限界があったの」

ちひろ「確かにみんな一緒ならプロデューサーさんの記憶は元に戻るかもしれない。
    けど記憶が戻ったその時、プロデューサーさんは
    またみんなの担当に戻りたいと思うのかしら」

卯月「……どういう意味ですか」

幸子「プロデューサーさんの記憶を変えてしまった原因は
   ボクたちにあるっていいたいんですか!」

「……」

蘭子「うぐっ……」ジワッ

未央「そんなの、プロデューサーに訊いてみないとわかんないじゃん!」

ちひろ「ごめんなさい、そのとおりね。いやないいかたをしたわ。
    でも、記憶を変えてしまった最大の要因がわからないからこそ、
    プロデューサーさんにかかる重圧を少しでも減らしてあげたいの」

ちひろ「そうしなければ、今度こそ本当に取り返しのつかないことになりかねない」

50 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 19:58:07.30 jb5TYrq40 44/405

莉嘉「で、でもっ! そうならないようにみんなでPくんを支えあえば……!」

アナスタシア「一つ、教えてください。私たちの中、どうして凛が選ばれたのですか」

(アーニャ……)

ちひろ「それは……」

まゆ「まゆも知りたいです。ちひろさん、教えてください」

美嘉「……アタシも知りたい」

ちひろ「……」

アナスタシア「ちひろ」

ちひろ「……プロデューサーさんが最も信頼しているアイドルが凛ちゃんだから」

「……」

まゆ「それは、プロデューサーさんがそうおっしゃったのですか」

ちひろ「いいえ。でも、見ていればわかるわ。
    凛ちゃんはプロデューサーさんが初めて担当したアイドルだもの。
    CGプロがアイドル部門を立ち上げて間もない最も苦しい時を
    ずっと二人三脚で頑張ってきたのよ」

ちひろ「他のプロデューサーたちも口々にいってるわ。
    二人はプロデューサーとアイドルの最も理想的な関係だって」

51 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 19:59:26.14 jb5TYrq40 45/405

まゆ「……なんですかそれ。
   そんなのただの客観的な印象でしかないじゃないですか。
   まゆは認めませんよ」

まゆ「凛ちゃんの方が少しだけ長くプロデューサーさんと一緒にいられただけじゃないですか。
   まゆにだってプロデューサーさんを支えられましたし、
   たったそれだけの理由で凛ちゃんが選ばれるなんておかしいですよ」
   
まゆ「まゆはプロデューサーさんの傍にいられるからアイドルをしているんです」

まゆ「それなのに、それを、まゆの幸せを奪おうというのなら」

まゆ「まゆは……まゆはアイドルを辞めます」

52 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:01:14.71 jb5TYrq40 46/405

「まゆちゃん、それはあまりにも身勝手すぎるわ。
  今やあなたもCGプロを代表するアイドルの一人なのよ。
  気に入らないからと放り出すなんて、そんな無責任なこと、
  子どもだからって許されることじゃない」

卯月「そ、そうですよ。
   それにまゆちゃんが辞めてしまったらファンのみんなが悲しみます!」

まゆ「ではお二人は、凛ちゃんが選ばれたことを素直に認められるというんですか」

卯月「そ、それは……」

まゆ「思うところが一つもないなんて、そんなこと、絶対にいわせませんよ」

「……」

まゆ「とにかく、まゆがプロデューサーさんの担当に戻されるまで、
   お仕事を休ませていただきます」

まゆ「もし、戻されないというのなら、その時は……!」クルッ

卯月「ま、待ってください、まゆちゃん!」

「まゆ!」ガシッ

まゆ「離してっ!!」

「……っ」ビクッ

まゆ「どうして、あなたなんかが……!」

「……」


 ツカツカツカ…… ガチャッ バタン!


未央「しぶりん……」

「……大丈夫」



志希「……」

53 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:03:49.01 jb5TYrq40 47/405

アナスタシア「凛、まゆのこと、許してあげてください。まゆは優しい子です。
       きっとさっき口にしてしまったことを後悔しているはずです」

「許すもなにも、私にまゆを責める資格なんてないよ」

「正直、私が残ると聞かされてほっとしてる」

「まゆだけじゃなく、みんなも辛いはずなのに、私だけ密かに嬉しがってた」

「最低だ、私」

美嘉「……誰だってそうなるよ。アタシだってもし自分が選ばれてたら絶対喜んでたもん」

美嘉「こんなことになって思い知らされた。
   アタシにとってプロデューサーの存在がどれだけ大きかったか。
   アタシが今まで頑張ってこれたのはプロデューサーがいつも傍にいてくれたからだって」

美嘉「だけど、それももう……」

美嘉「アタシも、アイドル辞めるかもしれない」

「美嘉……」

美嘉「アーニャはこれからどうする?」

アナスタシア「私は……アイドルを続けます。私をここまで導いてくれた
       プロデューサーの苦労を無駄にしたくはありません」

アナスタシア「それに、プロデューサーと約束しましたから。
       必ず、アイドルの頂点に立つと」

美嘉「そっか。強いね、アーニャは」

美嘉「志希ちゃんは?」

志希「んー」

志希「取り敢えずは一度プロデューサーと会ってみて、それからかな、判断するのは」

「……ねえ、ずっと気になってたんだけど、志希は――」


美嘉「プロデューサー……!」

54 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:05:52.46 jb5TYrq40 48/405

「えっ……」クルッ


「……」


「プロデューサー!」

美嘉「ど、どうしてここに? もう事務所に来て平気なの?」

「……」

美嘉「あ……ごめん。わかんないんだよね、アタシたちのこと……」

「……いや」

「知ってる。城ヶ崎美嘉っていうんだろ」

美嘉「え……う、うん」

「隣の君はアナスタシア」

アナスタシア「ダー。そうです」

「家に飾ってあった写真に二人が写ってたよ。そっちの二人も」

志希「……」

「渋谷凛と一ノ瀬志希、だよな」

「この間はすまない。二人のこと、傷つけてしまったかな」

「傷つけるなんてそんな。私たちのことわからなかったんだもん、仕方ないよ」

「それより、どうして事務所に……」

「これから社長と面談があるんだ」

アナスタシア「面談、ですか」

「ああ。そろそろ仕事に復帰しようと思って」

美嘉「そろそろって……、まだ休んで3日も経ってないじゃん」

「まあ、家にいても仕様がないし」

美嘉「仕様がないって……」

(そういうところだけは変わらないんだから……)

55 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:08:12.57 jb5TYrq40 49/405

「ところで、俺が担当しているという他のアイドルたちにも会ってみたいんだが、
  今日はまだ事務所にいるかな」

「……」

美嘉「プロデューサーが担当してるのは凛だけだよ」

「え? いや、でも、他にも確か……」

アナスタシア「みんな外されたんです。プロデューサーの負担を減らすために」

「そう、だったのか……」

「ひょっとして、みんなはすでに他のプロデューサーの元で仕事をしているのか」

美嘉「うん……」

「……そうか」

「……」

「でも日は経ってまだ浅い」

「なら、みんなの担当を俺に戻してもさして問題はないよな」

「え……」

「わかった。社長に話をつけてくる」

美嘉「ま、待ってよ! 担当を戻すって本気!?」

「ああ、そうだけど」

「もしかして、俺がプロデューサーじゃ嫌だったか」

美嘉「嫌なわけないじゃん! アタシたちずっと一緒だったんだよ?
   戻れることなら戻りたいよ。でも……」

アナスタシア「みんな、不安なんです。プロデューサーがまた無理をされて、
       今度こそ取り返しのつかないことになったら……」

「取り返しのつかないこと、か」

「けど、俺は取り返したいんだ」

美嘉「プロデューサー……」

56 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:09:06.27 jb5TYrq40 50/405

志希「……」スンスン


「……えっ?」

美嘉「し、志希ちゃん! なにしてんの!?」

志希「……よかった」

志希「なにも変わってない、キミの匂い。あたしの好きな……」

「……?」

志希「いってらっしゃい。いい知らせ待ってる」

「あ、ああ」

(志希……)



………
……

57 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:11:09.47 jb5TYrq40 51/405

幸子「ボクたち、プロデューサーさんの元に残れるんですか!?」

ちひろ「ええ。私がプロデューサーさんを全面的にバックアップをすることを条件に
    社長の了承を得られたわ」

莉嘉「やったー!」ピョンピョン

愛梨「よ、よかったぁ……」

「ほっ……」

「みんなには多大な迷惑をかけたばかりか、
  俺の勝手な都合でまたみんなを俺の担当に戻してしまい、
  本当にすまなく思っている」

アナスタシア「ニェート、勝手ではありません。
       私たちだってプロデューサーの元に残りたかったんですから、
       気持ちは同じです」

美嘉「そうだよ。それにアタシ嬉しかった。
   プロデューサーが取り返したいっていってくれて」

美嘉「記憶、絶対取り返そうね」

「……ああ」

58 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:12:38.81 jb5TYrq40 52/405

まゆ「プロデューサーさん、私、佐久間まゆといいます」

「ああ、知っているよ。これからよろし――」

まゆ「まゆは、まゆは本当に嬉しいです!
   記憶が変わってもプロデューサーさんはまゆを連れ戻してくれました。
   やっぱり、まゆとプロデューサーさんは
   運命の赤いリボンで結ばれているんですね……」ウルッ

「リ、リボン?」

卯月「プロデューサーさん、私は島村卯月といいます。
   もし困ったことがあればなんでも気兼ねなくいってくださいね」

未央「私は本多未央! もちろん私も協力するから一緒に記憶を取り戻そうね!」

蘭子「あ、わ、私――」

幸子「ボクは輿水幸子です! 
   まったく、カワイイボクを忘れるなんて罪な人ですね、プロデューサーさんは!
   けど大丈夫! ボクと一緒なら――」

莉嘉「アタシは城ヶ崎莉嘉! 美嘉お姉ちゃんの妹なんだよ!」

幸子「……ボクと一緒なら記憶――」

愛梨「私は十時愛梨といいます」

幸子「ボクと一緒ならぁ! 記憶なんてすぐに――」

「私は高垣楓です」

幸子「記憶なんてすぐ戻りますからあぁぁっ!!」

未央「さっちーうるさい」

蘭子「……」シュン

「……」

「みんな、あらためてこれからよろしく頼むな」

一同「はい!」

59 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:14:06.13 jb5TYrq40 53/405

(手掛かりがあるとしたら、もうここしかない)

(765プロダクションが消え、突如現れたCGプロダクション)

(所属アイドルは190人を超え、
  日本を代表するトップアイドルが数多く在籍する
  業界最大手の芸能プロダクションだという)

(そして俺が担当するアイドルたち)

(島村卯月、渋谷凛、本多未央、双葉杏、高垣楓、城ヶ崎美嘉、莉嘉、
  神崎蘭子、十時愛梨、佐久間まゆ、輿水幸子、アナスタシア、一ノ瀬志希)

(13人……、奇しくも律子を含めた765プロのアイドルと同じ人数)

(偶然とは思えない。きっとなにか理由があるはず)

(必ず取り返すんだ。765プロを、春香たちを……)

(俺は……俺は765プロのプロデューサーなんだ)



――――――――――――――――
――――――――――――
――――――――
――――
――

60 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:51:11.75 jb5TYrq40 54/405

「プロデューサー、準備できたよ」

「……ああ。それでは千川さん、
  渋谷たちとアミューズメントミュージックの収録に行ってきます」

ちひろ「はい、気をつけていってらっしゃい」

「プロデューサー、また――」

未央「よーし、今日も張り切ってお仕事頑張ろー! おー!」

卯月「はい、頑張ります!」

「ち、ちょっと未央、押さないでよ」

61 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:53:38.35 jb5TYrq40 55/405

「……」

卯月「どうしたんですか、プロデューサーさん。事務所を見上げて」

「……いや、ほんとに大きな事務所だな、と思って」

未央「まあねー、都内一等地に50階建ての高層ビルだもん。
   芸能プロダクションでここまで大きな事務所を構えてるとこなんて
   うちくらいなもんだよ」

卯月「施設もすごく充実してますしね。
   撮影スタジオにトレーニングルーム、
   コンビニ、レストラン、カフェ、バー……」

未央「ヘアサロンにエステ、おまけにスパにサウナにプールまで入ってるし、
   もういうことないよ。いっそここに住みたいくらい」

「それに、エレベーターも故障してない」

未央「ぷっ、なにそれ。エレベーターが壊れてるとこなんてそうはないでしょ」

「……そうだな」

「三人とも、お喋りはそこまでにして。今日は生放送なんだから遅れたらまずいよ」

未央「わかってるよー」

(……)



(あれからひと月が経った)

(俺はCGプロのプロデューサーとして仕事をこなす傍ら、
  僅かな時間を割いてでも765プロの手掛かりを探すことに注力した)

(しかし依然、765プロに繋がる手掛かりはなにも掴めず、
  ただ徒に過ぎていく時間が不安を募らせるばかりだった……)



………
……

62 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:54:57.67 jb5TYrq40 56/405

 『ニュージェネレーションズのみなさんです』

卯月未央『よろしくお願いします!』


「……」


 「よお、あんたか」

63 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:56:33.84 jb5TYrq40 57/405

「天ヶ瀬冬馬……!」

冬馬「なんだよ、その面食らったような顔は」

「俺を覚えているのか?」

冬馬「ああ? なに寝ぼけたこといってんだ。
   あんたんとこのアイドルとは何度も共演してるじゃねえか。
   その都度、顔を合わせてるだろ」

「アイドル? まさか、はる――」

冬馬「今、モニターに映ってるニュージェネレーションズ」

(……ああ、そういうことか)

64 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 20:59:54.47 jb5TYrq40 58/405

冬馬「ところで、こんなところでなにしてんだ。
   プロデューサーがスタジオ内にいなくていいのかよ」

「そっちこそ。
  確かジュピターもアミューズメントミュージックに出演していたな。
  出演者がこんなところで油を売っていていいのか」

冬馬「俺たちは別スタジオの特設ステージで歌うんだよ。出番までまだ時間がある」

冬馬「それより聞いたぜ。あんた、ぶっ倒れたんだってな。大丈夫なのかよ」

「……さすがは961プロ。いや、さすがは黒井社長か。
  競合他社の情報は全て筒抜けというわけか」

冬馬「あんた、黒井のおっさんのこと知ってんのか」

「知ってるもなにも、黒井社長には幾度となく妨害――」

(……そうか。黒井社長が敵対する高木社長……765プロがなくなった今、
  現CGプロのプロデューサーである俺とは面識がないのか……)

冬馬「なんだよ、妨害って」

「いや、なんでもないんだ」

冬馬「……まあ、いい。それじゃあな。身体には気をつけろよ」

「ああ……」

「……」

「待ってくれ!」

冬馬「ん?」

「765プロという芸能プロダクション、聞いたことないか」

冬馬「ナムコプロ? ……さあ」

「……」

冬馬「それがどうかしたのかよ」

「……いや、知らないならいいんだ。わるいな、引き留めて」

冬馬「……ふん」

「……」

65 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 21:02:54.61 jb5TYrq40 59/405

「プロデューサー」

「渋谷……」

「はぁ、また“渋谷”。“凛”でいいって何度もいってるじゃん」

「……すまない」

「ずっとスタジオにいないと思ったらこんなところにいて、
  私たちのステージちゃんと観てくれた?」

「あ、ああ。ここのモニターから観てたよ」

(……こんな小さなモニター……)

「……プロデューサー」

「プロデューサーは記憶を取り返したいって、本当にそう思ってる?」

「それは……」

「私にはそうは見えない。プロデューサーの目には今も――」

未央「あ、いた! プロデューサー!」

卯月「プロデューサーさーん」

「二人とも」

未央「もー、心配したじゃん。
   収録終わったのにプロデューサーったら一向に戻ってこないんだもん。
   ……って、どうかしたの?」

「や、なんでもないんだ。すまなかったな、心配かけて。挨拶回りをすませて帰ろう」

卯月「は、はい……」

(……)



……………………
………………
…………
……

66 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 21:04:54.05 jb5TYrq40 60/405

「渋谷のシークレットライブ、ですか」

ちひろ「はい。CGプロでは年に一度、その年に最も輝いたアイドル、
   『シンデレラガール』を決める祭典が開かれるんです」

ちひろ「初代シンデレラガールには愛梨ちゃんが、二代目には蘭子ちゃんが、
    そして今年の三代目に――」

「渋谷が選ばれた」

ちひろ「ええ。それを記念してのシークレットライブだったんですが、
    プロデューサーさんの記憶障害で
    凛ちゃんもライブに臨めるような精神状態ではなかったので、
    企画段階だったということもあり、ライブは凍結されました」

(俺のせい、か)

ちひろ「ですが、このまま凍結させたままというわけにはいかないと思います」

ちひろ「愛梨ちゃんの時も蘭子ちゃんの時もライブはしています。
    凛ちゃんだけやらないというわけには……」

「ファンは納得しないでしょうね」

ちひろ「それに、誰よりも凛ちゃん自身が一番ライブを楽しみにしていましたから」

「……」

67 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/20 21:07:38.42 jb5TYrq40 61/405

「シークレットライブ……」

ちひろ「そう、ようやく凍結を解除することが決まったの。
    それで明日には会議を開くから凛ちゃんにも参加して……」

「……」

ちひろ「どうしたの、嬉しくないの?」

「ううん、嬉しいよ。嬉しいけど、プロデューサーは……」

ちひろ「大丈夫。このひと月のプロデューサーさんの仕事ぶりを見る限り、
    記憶を改ざんする以前と比べても遜色ない」

ちひろ「私たちスタッフも全力で凛ちゃんとプロデューサーさんをサポートするから
    なにも心配することはないわ」

「……うん」



……………………
………………
…………
……

71 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:44:57.86 TfgXVv+K0 62/405

「……ですが、3曲もダンスナンバーが続くと渋谷の体力が不安になりますね」

ちひろ「でしたら、間にバラードを入れて緩急つけてみるとか」

「バラード入れるならその後も――」

愛梨「プロデューサーさん、ちひろさん」

ちひろ「あら、愛梨ちゃん」

愛梨「私、ケーキ作ってきたんです。よかったらみんなで一緒に食べませんか」

ちひろ「まあ、ケーキ?」

「すまないが今打ち合わせ中なんだ。
  また機会があったらその時は一緒にさせてもらうよ」

愛梨「そ、そうですか。じゃあ、お二人の分は冷蔵庫に入れておきますね……」

ちひろ「休憩しましょう、プロデューサーさん」

「え……」

ちひろ「話も行き詰まっていましたし、
    このまま実りのない時間を浪費するのはもったいないですよ。
    一旦休憩を挟んで、頭をリフレッシュさせましょう」

「しかし……」

ちひろ「プロデューサーさん、記憶が変わってから
    愛梨ちゃんのケーキをまだ食べたことないですよね。
    すっごく美味しいんですよ。食べればなにか思い出せるかもしれませんし」

「……」

ちひろ「それに一人で食べるより、みんなで食べる方がずっと美味しくなると思いませんか」

愛梨「わ、私もプロデューサーさんと一緒に食べたいです!」

「……わかりました。それじゃあ休憩にしましょう。
  十時、一緒にケーキご馳走になるよ」

愛梨「……はい!」

72 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:46:10.74 TfgXVv+K0 63/405

美嘉「あ、プロデューサーたちが来たよ」

莉嘉「Pくん、こっちこっち!」

「お疲れさまです、プロデューサー」

幸子「お疲れさまです!」

「ああ、お疲れ」

ちひろ「わあ、可愛い! 見てください、プロデューサーさん。
    ハート形のチョコレートケーキですよ」

「へえ、すごいな。これを十時が?」

愛梨「えへへ、プロデューサーさんに食べてほしくて頑張って作っちゃいました」

美嘉「ほらほら二人とも、立ってないで座った座った」

愛梨「それじゃあ、みんな揃ったし、食べよっか」

莉嘉「いただきまーす!」

「いただきマングローブ」

73 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:47:56.30 TfgXVv+K0 64/405

ちひろ「ん~、美味しい!」

美嘉「うん、美味しい」

莉嘉「美味しいよ、愛梨ちゃん!」

愛梨「ありがとう」

愛梨「プロデューサーさんはどうですか」

「……美味しいよ。まるでパティシエが作ったみたいだ」

「そういってくれると嬉しいです」

幸子「えっ、なんで楓さんがいうんですか!?」

(そういえば、十時はケーキ作りが趣味なんだっけ……)

「十時はケーキ以外にも作れるものがあるのか」

「……たとえばクッキーとか、ドーナツとか」

愛梨「うーん、作れないこともないと思いますけど、
   リクエストがあるならなにか作ってみましょうか」

「い、いや、別に作ってほしいわけじゃないんだ。
  ただ、聞いてみたかっただけで……」

莉嘉「アタシ、オムライスが食べたい!」

愛梨「オムライス!? お菓子じゃないんだ?」

「じゃあ、私は芋焼酎」

愛梨「芋焼酎!!? つ、作れるかな……」

幸子「愛梨さん、真に受けなくていいですから」

美嘉「あはは」

(……)

(時々、この子たちに春香たちの面影を重ねてしまう)

(似ているんだ。春香たちに、765プロの光景に)

(この子たちと一緒なら、
  きっとなにか手掛かりが掴めるんじゃないかって、そう思ったんだが……)

74 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:50:22.43 TfgXVv+K0 65/405

莉嘉「じゃーん! Pくん、見て見て!」

「この写真は?」

莉嘉「Pくんと一緒に写ってるの色々持ってきたの! なにか思い出せるかなーって」

美嘉「色々っていうか……、これうちにあったの全部じゃない?」

愛梨「わぁ、沢山あるね」

莉嘉「これは一緒にカブトムシを取りに行った時の写真でー、
   こっちがライブ打ち上げの時の写真」

ちひろ「あら懐かしい。これ、莉嘉ちゃんの初ライブの時の写真じゃない」

幸子(プロデューサーさんと腕組んでる。羨ましい……)

愛梨「あ、これって去年のクリスマスパーティーの時のだよね。
   ふふ、プロデューサーさん、口の端にクリームがついてる」

75 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:52:45.76 TfgXVv+K0 66/405

「……これは?」

莉嘉「それはPくんがうちに来――」

美嘉「莉嘉! それは誰にも見せちゃダメだって前に……」

「……」

美嘉「プロデューサー? どうしたの」

莉嘉「Pくん、なにか思い出せた!?」ガタッ

「……いや、特にはなにも」

莉嘉「そっかぁ……。あ、そーだ!」

莉嘉「とっておきがあるんだった! Pくんのケータイのカバー取ってみて」

「俺の?」カパッ

「……これは」

幸子「ツーショットのプリクラじゃないですか! いいなぁ!」

「頬くっついてるわね」

愛梨「プロデューサーさん、照れてる……」

莉嘉「デートした時に撮ったの!
   アタシのスマホケースにもおそろいのが貼ってあるんだよ、ほら」

幸子「デ、デ、デ、デェェトォ!?」

美嘉「なにそれ!? アタシそんなの全然聞いてないんだけど!」

莉嘉「……あっ、ヤバッ! これ誰にもいっちゃいけないんだった!」

美嘉「莉嘉! 詳しく説明しなさいよ!」

 キャー キャー

「……」

ちひろ「プロデューサーさん、大丈夫ですか。さっきから少し様子が……」

「うわの空でスカイ?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「……」

「あの、プロデューサー、今のはですね、
  うわの空の『空』と英語の『スカイ』をかけていまして……」

幸子(ダジャレに気付かなかったプロデューサーさんに楓さん自らが解説してる……!)



……………………
………………
…………
……

76 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:55:46.87 TfgXVv+K0 67/405

トレーナー「それじゃあ10分間休憩しましょうか」

「はぁ、はぁ……」

「……」

トレーナー「待ち人来ず、といったところかしら」

「え……」

トレーナー「さっきから扉の方ばかり気が向いて、いつもよりダンスが散漫だったわよ」

「……すみません」

トレーナー「プロデューサーさんが恋しいのもわかるけど、
      覚えることは山ほどあるんだからもっとダンスに集中してほしいわね。
      知った曲だからと高を括っていると痛い目見るわよ」

「べ、別に恋しいとかっ……」

トレーナー(とはいうものの、
      プロデューサーさんがまだ一度もレッスンに顔を出してこないのも問題よね)

トレーナー(記憶障害に陥ったと聞いたけど、
      それなら尚のこと、凛ちゃんのダンスを見て知ってほしいのに……)



……………………
………………
…………
……

77 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:57:25.37 TfgXVv+K0 68/405

アナスタシア「見てください、プロデューサー。
       ズヴェズダ……満天の星が輝いています」

アナスタシア「これが全てつくりものだなんて思えません。
       まるでドーム全体が宇宙に包まれているよう……」

アナスタシア「プラネタリウムは初めてですが、私、とても気に入りました。
       プライベートでもまた来たいです」

「アナスタシアは星が好きなのか」

アナスタシア「……プロデューサー」

アナスタシア「ミーニャ・ザヴート・アーニャ」

アナスタシア「私のことは“アーニャ”と呼んでください、と前にもいったはずです」

「あ、ああ。そうだったな、すまない」

78 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 14:59:05.15 TfgXVv+K0 69/405

アナスタシア「……星は好きですよ。綺麗でしょ」

アナスタシア「前はよく天体観測をしていました。プロデューサーと二人で」

「俺と?」

アナスタシア「ダー。よく晴れた日には事務所の屋上で」

アナスタシア「二人だけの秘密なんですから、みんなには内緒ですよ」

「トップシークレットだな」

アナスタシア「トップシークレット? ふふ、そうですね。トップシークレットです」

(……)

アナスタシア「プロデューサー、星に願いませんか」

「願い?」

アナスタシア「プロデューサーの記憶が戻るように」

「……けどこれは、本物の星じゃない」

アナスタシア「本物の星だって願いを叶えてくれるとは限りません。
       ちょっとしたおまじないだと思って、さぁ」

「……そうだな」



アナスタシア「……」(プロデューサーの記憶が戻りますように……)


「……」(765プロのみんなにまた会え……)



「……」

(こんなことしたって……)

アナスタシア「プロデューサー」

「ん?」

アナスタシア「いつの日か、また二人で天体観測をしましょう」

「……撮影が始まる。そろそろ戻ろう」

アナスタシア「…………はい」



………
……

79 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:00:10.05 TfgXVv+K0 70/405

トレーナー「ストップ。凛ちゃん、また同じところで間違えてる。
      そこは卯月ちゃんがいないんだから下がる必要はないの」

「す、すみません……」ハァ ハァ

トレーナー(……些細なミスの連続。目に見えてモチベーションが下がってきてる)

トレーナー(あまりいい傾向じゃないわね。リハも予定より遅れだしているし)

トレーナー(普段は大人びて見えるけど、その精神は歳相応に幼い。
      当然よね、まだ15歳の女の子だもの……)

トレーナー「もう一度、同じところからいくわよ」

「はいっ」

「……」

(今日も来ない……)



………
……

80 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:01:14.10 TfgXVv+K0 71/405

 ガチャッ

「お疲れさまです」

ちひろ「あら、凛ちゃん、お疲れさま」

「ちひろさん、プロデューサーはいる?」

ちひろ「プロデューサーさんならアーニャちゃんの付き添いで出てるけど、なにか用事?」

「ううん、いないならいいの。ちょっと寄ってみただけだから。じゃあ……」

 ガチャッ バタン……

ちひろ「……?」




「……ばか」



……………………
………………
…………
……

81 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:02:20.53 TfgXVv+K0 72/405

まゆ「プロデューサーさん、少し寄り道しませんか」

「寄り道?」

まゆ「はい。時間は取らせませんから、お願いします」

「……どこに行けばいい」


…………


「ここって……」

まゆ「ゲームセンターです」

「……」

まゆ「さあ、入りましょう」

82 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:04:02.89 TfgXVv+K0 73/405

「意外だな。佐久間はあまりこういうところには来ないと思っていたが」

まゆ「そうですね、ゲームはあまり嗜みませんね」

「じゃあ……」

まゆ「これです」

(プリクラ……)

まゆ「うふ、まゆとも一緒に撮っていただけますか、プロデューサーさん?」

「知っていたのか、プリクラのこと」

まゆ「もちろんです。プロデューサーさん、莉嘉ちゃんとデートをしたそうですね。
   その時にプリクラを撮ったとか」

「……らしいな」

まゆ「まあ、莉嘉ちゃんはまだ子どもだし、
   まゆの中ではそのデートはノーカウントですけど」

(俺から見れば、佐久間だってまだ子どもなんだけどな……)

まゆ「けど、まゆは大人げないと思いつつも莉嘉ちゃんに嫉妬しちゃいました。
   だって恋人のように写るお二人の姿を見せられたら……ねえ?」

「……」

まゆ「まゆもプロデューサーさんに抱きしめられながら写りたいわぁ。
   そしたら今回のことは不問にしてあげられる気がします」

「不問もなにも、俺にはまったく身に覚えがないんだけどな」

まゆ「……」

「あ……、す、すまん」

まゆ「いえ、まゆも軽率でした。ごめんなさい……」

「……抱きしめるのは無理だが、一緒に撮るだけじゃ駄目か?」

83 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:06:20.43 TfgXVv+K0 74/405

「背景はこのリボンのでいいのか」

まゆ「はい……、あら」

まゆ「プロデューサーさん、ネクタイが曲がってます。まゆが直してあげる」

「い、いいよ、自分で直すって」

まゆ「恥ずかしがらなくていいですよ。将来的にはまゆが毎日やってあげるんだから」

「それは、どういう意味でしょうか……」

まゆ「そのままの意味です。なんの遠慮もいりません。
   なんなりと申し付けていいんですからね。
   貴方のためならまゆはなんだってするんだから」

まゆ「……そうよ。あの掛け替えのない日々を取り戻すためなら、なんだって……」

「佐久間……」

まゆ「プロデューサーさん、過去が消えることは決してありません。
   プロデューサーさんがCGプロで過ごされた日々は確かに存在していたんですから」

まゆ「だから、諦めないでください。記憶は必ず戻ります」

「……」

まゆ「ネクタイ直りましたよ。さあ、撮りましょう。ほら、笑って」

「……ああ」

 『3・2・1……』

 ――カシャッ


(渋谷と同じ、この子もきっと気付いてる)

(俺が本当に取り返したいものは別のものだということに)

(彼女たちが知る俺の過去と、俺が知る俺の過去には明らかな齟齬がある)

(俺の知る過去は全て765プロの記憶)

(ありもしないCGプロの記憶を取り返すことなんてできやしない)

(だが、それをなんて伝えればいい?
  本当のことを話せば彼女たちは信じてくれるのか)

(結果的に、俺はこの子たちを騙している)



(プリクラに写る俺の笑顔はあまりにも不器用で、とても笑っているようには見えなかった)



……………………
………………
…………
……

84 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:08:40.87 TfgXVv+K0 75/405

未央「ふいぃ、やっと終わったぁ。この衣装あっつい……」

卯月「わ、私もぉ、中ぐっしょりですぅ……」

「二人ともお疲れ。それを着替えたら中庭でインタビューを始めるから」

未央卯月「はーい」

(……こんなことをしていていいのか。
  未だ、765プロの痕跡一つさえ見つけられずにいるというのに……)

(だが、手は尽くした。もはやなにをどうすればいいのかわからない)

(どうすれば、俺は……)

卯月「そういえば、凛ちゃんの様子はどうですか」

「……様子?」

卯月「凛ちゃん、今はライブリハがあるから私たちとは別スケジュール組んでるじゃないですか。
   それで最近全然会えてなくて」

未央「SNSとかで近況報告はしてるんだけど、
   しぶりんって自分からはあまり語らない方だから」

未央「プロデューサー、しぶりんとはリハでいつも顔を合わせてるでしょ。
   そのへん、色々知ってんじゃないの」

「……いや、俺は――」

卯月「あ、どうせなら中庭に行くついでに凛ちゃんのリハを見に行きません?」

「え……」

未央「そういえば通り道にあるもんね、トレーニングルーム。なら、行って確かめてみよっか」

「ち、ちょっと待ってくれって。
  二人はこれからインタビューがあるんだから記者を待たせては……」

未央「大丈夫、大丈夫。
   ちょこっと見るだけだからさ、そんなに時間は取らせないって」

卯月「お願いします、プロデューサーさん」

「いや、しかし……」

未央「ほらほら、着替えるんだからプロデューサーは出ていく!」グイグイ


 ガチャッ バタン


「……」

85 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:10:10.64 TfgXVv+K0 76/405

トレーナー「こなれてくると小さく纏めようとするのは凛ちゃんの悪いクセよ。
      ステージには凛ちゃん一人で立つんだから、もっと大きく動かないと」

「は、はい……」ハァ ハァ

 ガチャッ

(……あ)

卯月(凛ちゃーん)フリフリ

未央(やっほー、しぶりーん)

(卯月、未央……)

「……」

(プロデューサー……。そっか、二人が連れてきて……)

トレーナー(よかった、やっと来てくれた。これで凛ちゃんも……)

トレーナー「それじゃあもう一度、頭から通してやってみましょうか」

「はい!」

86 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:11:17.32 TfgXVv+K0 77/405

トレーナー「ワン・ツー・スリー・フォー・ファイブ・シックス・セブン・エイト!」

「~~♪」

トレーナー(……悪くない。やっといつもの凛ちゃんに戻ったみたい)

未央「いい感じだね、しぶりん」

卯月「はい、ソロアレンジで踊る凛ちゃんかっこいいです!」

「……」

(なにやってんだろ、俺……)



(プロデューサー……?)


「……」


「……っ」ギリッ


トレーナー(り、凛ちゃん?)

卯月「……あれ、なんだか凛ちゃんの動きが……」

未央「う、うん、なんか、あきらかに……」



……

87 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:12:35.89 TfgXVv+K0 78/405

トレーナー「凛ちゃん、今のダ……、ち、ちょっと凛ちゃん?」

 ツカツカ――

「プロデューサー、どうだった。私のダンス」

「……え。あ、ああ……、よかったんじゃないか?」

「……」

未央「えっ、ち、ちょっとプロデュ――」


「いい加減にしてよっ!!!」


「……!!」ビクッ


「ちっともよくなんかないよっ!! どこをどう見たらそうなるわけ!?
  わざと手を抜いて踊っていたのがわからない!?」

「え……あ……」

「ようやく来てくれたと思ったらなにも見てないじゃん!
  こんなの来てないのと一緒だよ!!」

卯月「り、凛ちゃん、落ちついて……」

「私を見てよ! プロデューサーのアイドルは私なんだよ!!」

「ナムコプロなんて……!
  そんな居もしないアイドルなんかにいつまでも囚われないで!」

未央「しぶりん!!」

「……!」ハッ


「…………」


「……悪い、二人とも、インタビューには二人だけで行ってくれ」クルッ

未央「プロデューサー!」

卯月「プロデューサーさん!」


 ガチャッ バタン……


未央「しぶりん、いいすぎだよ……」

「……」

88 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 15:14:04.19 TfgXVv+K0 79/405

「……」



(もう限界だ。なにを信じればいい、なにが本当の記憶なんだ)

(いつかは渋谷たちと別れの時がくる。
  彼女たちに感情移入をしてはならないと敢えて距離を置いてきた)

(だが、本当にそうなのか?)

(城ヶ崎に見せてもらった写真、そこに写るのは紛れもなく俺自身だった)

(佐久間はいっていた。俺がCGプロで過ごした日々は確かに存在していた、と)

(今でも鮮明に思い出せる765プロの記憶……。あれは全て、俺の妄想だったのか)

(俺がいつも食べていたのは春香の作ってくれたお菓子じゃなくて、
  十時が作ったケーキだったのか)

(夜空を一緒に眺めたのは、貴音じゃなくてアナスタシアだったのか)

(765プロは……俺の夢だったのか……)

90 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:03:26.89 WLf+yO4T0 80/405

 シュッ

「うわっ! ……って、一ノ瀬?」

志希「……にゃはっ」

志希「いい香りでしょー、これ。あたしがブレンドしたお手製の香水。
   リラックス効果のある成分が入ってるの。キミにあげる」

「あ、ありがとう……」

(……)

志希「もっと肩の力を抜きなよ」

「え……」

志希「そんな強張ってちゃ疲れるでしょ。最近のキミ、ずっとそんな調子だよ」

「……」

志希「気楽にいきなよ。そんな暗い顔してないで、希望を志さなきゃ」

91 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:05:06.62 WLf+yO4T0 81/405

「……希望なんて志せない」

「わからないんだ。俺が本当に取り返したいものはなんだったのか。
  なにを失くして、なにが欲しかったのか。どこを探して、誰を捜せばいいのか」

「俺には、もう……」

志希「……そっか。キミは今、旅の途中なんだね」

「旅……?」

志希「そそ。きっとさ、キミは今欲しいものが見つからなくて、
   色んなところを旅してる最中なんだよ」

志希「でもさ、たまには旅もいいもんだよ。
   そこで思いがけない薬品が手に入っちゃったり、
   面白そうな実験材料見つけちゃったり。
   それがいつか、キミの欲しかったものに変わるかもしれない」

志希「だからさ、今この状況に絶望しないで。
   きっと……、ううん、キミなら絶対に見つけ出して取り戻すことができるから」

志希「そしてその時が、あたしたちの……」

「一ノ瀬?」

志希「……みんな心配してる。記憶が変わる『前』のキミじゃなくて『今』のキミを」

志希「それだけは、嘘じゃない」

「……」

(……そうだよな。いつか、きっと……)スクッ

「ありがとう、いちの……志希! 香水、大事に使わせてもらうよ!」ダッ

志希「いってらっしゃーい」




志希「……」

92 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:06:14.47 WLf+yO4T0 82/405

 タッタッタッタッ……

(……馬鹿だ、俺は)

(765プロ……、いや、自分のことばかりで渋谷たちを蔑ろにして目を背けて)

(たとえ僅かな時間でも、彼女たちと接してきて感じていたはずだ)

(CGプロのアイドルたちは765プロのアイドルたちに引けを取らないほど、
  アイドルとしての情熱を持ち合わせていることに)

(765プロのプロデューサーであろうとも、CGプロのプロデューサーであろうとも、
  俺のやるべきことはなに一つとして変わらない)

(アイドルを輝かせる、それが俺の仕事なんだ)

(それにこのままでは765プロのみんなに顔向けできない)

(春香、千早、美希、765プロのみんな……、もう少しだけ待っていてくれ)

(今、ここで、やるべきことがあるんだ。だから……!)

93 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:07:29.19 WLf+yO4T0 83/405

(いた……!)

「待ってくれ!」

「……っ」ビクッ

「はぁ……はぁ……」

「……」

「……プロデューサー、さっきは、その――」

「すまなかった!」

「……え」

「君のいうとおり、俺は自分のことばかりで君たちのことをなにも見ていなかった。
  自ら担当を戻しておきながら、その責任をなにも果たそうとしなかった。
  プロデューサーとして、失格だと思っている」

「……」

「君は俺に失望しただろう。どれだけ傷つけたかもわからない。
  謝っても謝りきれない」

「だけど、それでも、できることなら……」

「どうか、もう一度だけチャンスをくれないか」

「シークレットライブ、必ず君の望むステージにプロデュースしてみせる」

「君の……凛の輝くその瞬間を、この目で確かに見たいんだ」

「プロデューサー、今、名前……」

「このとおりだ、頼む……」

「……」

94 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:08:17.48 WLf+yO4T0 84/405

「顔を上げてよ、プロデューサー」

「……」スッ

「一つ、約束して」

「もう二度と、私から目を背けないで」

「……あ、ああ! もちろん!」

「それじゃあ、今までのことは全部水に流してあげる」

「ありが――」

「いっておくけど、次はないからね?」ジロリ

「は……はい……」

「ふふ」

(やっと呼んでくれた、名前……)

「あっ、あのさ、一つ、ライブのことで提案があるんだけど……」

95 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:09:32.23 WLf+yO4T0 85/405

卯月「凛ちゃんのシークレットライブに私たちが?」

「ああ。みんなにはサポートメンバーとして
  バックダンサーやコーラスを担当してもらいたい」

「急な話ですまない。俺のせいでスケジュールが押し気味なんだ。
  すぐにでもリハを始めてもらわないと当日に間に合わない」

「みんなにはかなりの無理強いをさせることになると思う。
  だが、それを承知で頼みたい。
  どうか、凛と一緒にステージに立ってくれないか」

未央「そりゃあ、しぶりんの晴れ舞台なんだし、
   私にできることがあれば喜んで協力するけど、でも……」

美嘉「本当にいいわけ? 
   凛がシンデレラガールに選ばれた記念ライブなんだよ。
   定例ライブとは訳が違うのに、それをアタシたちが出たりして……」

「ライブの構成を変えてまで私たちを出す意味がわからないわ。
  それこそ定例ライブになればみんなが出るんだし」

アナスタシア「なにか理由があるんですか、凛」

96 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:10:27.74 WLf+yO4T0 86/405

「プロデューサーに見せてあげたいの。私たちの本当のステージを」

まゆ「プロデューサーさんに……」

「確かにシンデレラガールに選ばれたのは嬉しかったし、
  ずっと待ち望んでいたシークレットライブだけど、
  でもそれは全て、プロデューサーに恩返しをしたかったからなの」

「……」

「今の私があるのは全てプロデューサーのおかげ……なんて、
  そんなことをいっても今のプロデューサーに覚えがないのはわかってる」

「それでも私はプロデューサーに感謝してるし、
  これからも一緒にトップアイドルを目指していきたい」

「だからそのためにも、プロデューサーには知っておいてもらいたいの。
  私の……私たちアイドルが、どれだけの力を持っているのか、
  それをシークレットライブで証明したい」

幸子「凛さん……」

「私の勝手なわがままだってわかってる。でも定例ライブまで待てない」

「お願いみんな。どうか、私と一緒にステージを……」

97 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:12:10.41 WLf+yO4T0 87/405

愛梨「……私、凛ちゃんの気持ちよくわかる」

愛梨「私もシンデレラガールに選ばれた時、同じことを思ったもん。
   これでやっと、プロデューサーさんに恩返しができるって」

蘭子(……)

愛梨「だから、私も凛ちゃんと一緒のステージに立ちたい」

幸子「やれやれ、仕方がないですね。このボクが出演してしまったら、
   ボクの抑えきれないカワイイオーラで凛さんのファンを
   たちまちボクのトリコにしてしまうかもしれませんが、
   それでもというのならボクも出――」

莉嘉「はいはい、アタシも出る! ライブできるなんてチョー楽しみ!!」

志希「もちろんあたしも出るよ。ライブなんて刺激的なことを
   みすみす逃すほど志希ちゃんは我慢強くないのだ!」

幸子「……ボクも――」

未央「私だって出るよ! ここで協力しなきゃ、
   ニュージェネの名が廃るってもんよ! そうでしょ、しまむー!」

卯月「はい! 島村卯月、精一杯、凛ちゃんのお手伝いをさせてもらいます!」

まゆ「プロデューサーさんのためというのなら、まゆも喜んで協力するわ。
   まゆだってプロデューサーさんに本当のステージを見せてあげたいもの……」

美嘉「ま、アタシたちを知るにはライブを見てもらうのが一番だしね。
   いいよ、その話、アタシも乗った」

「……そうよね。私という人間を知ってもらうことはとても大切なことよね……」

未央「かえ姉さま……?」

「私も協力するわ。
  プロデューサーとは一刻も早く、お酒を飲める間柄に戻りたいですもの」

未央「ええっ! そんな理由!?」

アナスタシア「私も……、私のことをプロデューサーに知ってもらいたいです。
       私がどれだけプロデューサーを信頼して、感謝しているのか、
       その想いを胸に、私も凛と一緒のステージに立ちたいです」

「みんな、ありがとう……」

98 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:12:50.87 WLf+yO4T0 88/405

(……おや)

蘭子「……」

「杏と蘭子はどうだ。凛と一緒にステージに立ってくれるか」

「……っ、は、はい! 
  杏も協力させてもらいます! いえ、させてください!」

蘭子「わっ、私も精一杯頑張ります!」

「あ、ああ、ありがとう……?」

(……)

99 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:14:30.28 WLf+yO4T0 89/405

幸子「ハイハイハイ! ボクも出ます!! ボクも出ますからね!?」

幸子「いっておきますけど!
   ボクがステージに立つのは凛さんのためであって、
   プロデューサーさんのためではないんですからね!
   そこのところ、くれぐれも勘違いしないでくださいよ!」

「ああ、わかってるよ。よろしく頼むな、幸子」

幸子「……」

「どうした?」

幸子「い、いえ、その……、
   プロデューサーさんに名前を呼んでもらうの、なんだか久しぶりだなって……」

未央「あ、ほんとだ。そういえばさっきもしぶりんのこと
  “渋谷”じゃなくて“凛”って……」

未央「……はい、プロデューサーに問題です! 私は一体誰でしょーかっ!」

「誰って、未央だろ」

未央「も……、もう3回呼んで?」

「なんで」

莉嘉「PくんPくん、アタシはアタシは?」

「莉嘉」

愛梨「じゃあ、私は?」

「愛梨」

卯月「そ、それじゃあ、私は誰でしょうか!」

「卯月……って、なんだこの流れ……」

まゆ「プロデューサーさん、どうか、愛を込めて私を呼んでみてください」

 キャッ キャッ……


アナスタシア「プロデューサー、元気が出たみたいですね」

美嘉「だね。ようやくらしくなってきたって感じ。
   これで記憶も戻ってくれたらいいんだけど」

美嘉「ねぇ、凛のおかげなんでしょ。プロデューサーが元気出たのって」

「……違う、私じゃない」

美嘉「凛じゃないの?」

「私はなにもしてない。プロデューサーが元気になった理由は私にもわからない」

美嘉「ふぅん、そうなんだ」

(……)



「プロデューサーは以前、私のことを“カエカエ”と呼んでいましたよ」

「カ、カエカエ? 本当ですか!?」

幸子「そんなわけないじゃないですか……」

志希「にゃははっ!」



……………………
………………
…………
……

100 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:16:06.37 WLf+yO4T0 90/405

美嘉『みんなーっ、楽しんでるーっ?』

オーディエンス『イェ――ッ!!!』



「……」

ちひろ「よいしょ、っと。蘭子ちゃん分はこれで全部です」ドサッ

「ありがとうございます」

ちひろ「それにしても本当に観るんですか、アイドルたちのライブ映像を全て。
    一人分だけでもかなりの量ですよ」

「ダンスの癖、歌の声質……、少しでも彼女たちの特徴を把握しておきたいんです。
  ライブまで残り僅か。今更こんなことしたって
  付け焼刃程度の知識にしかならないかもしれませんが、
  それでも彼女たちの力になれるなら……」

ちひろ「ふふ、なんだか記憶が変わる前のプロデューサーさんに戻ったみたいですね」

「変わる前?」

ちひろ「ええ。アイドルたちのことがなによりも大切で、
    彼女たちを輝かせるためならどんな労力も惜しまない。
    そんな人でしたよ、プロデューサーさんは」

「……そうですか。それが、前の……」

ちひろ「でも、無理はもう絶対に駄目ですからね。
    私の目が光るうちは徹夜なんてできないと思ってくださいよ」

「はは、肝に銘じておきま――」



蘭子『フハハハ! 我が下僕たちよ!
   今宵は漆黒の炎に焦がれ、魂が燃え尽きるまで宴を祝おうぞ!』

オーディエンス『ワァ――ッ!!!』


「……」



……………………
………………
…………
……

101 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:17:34.00 WLf+yO4T0 91/405

美嘉「……そう? ここはアタシたちのコーラスを入れるより、
   凛がソロで歌った方がイイと思うんだけど」

「俺もそう思う。それに今の構成だと凛だけのパートが少なすぎる。
  これは凛のためのライブなんだから、
  あくまでも美嘉たちはサポートメンバーとして考えないと」

「それは……わかってるけど、
  でもソロで歌うのはCパートまでとっておきたいなって……」

 ガチャッ

蘭子「闇に飲まれよ!」バーン



美嘉「蘭子ちゃん、お疲れー」

「お疲れさま」

「お疲れ、蘭子」

蘭子「闇に飲ま……っ」ハッ!

「やみにのま?」

蘭子「…………れます」

(闇に飲まれます?)



………
……

102 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:19:31.21 WLf+yO4T0 92/405

 『今日のラジオゲストはCGプロのアイドル、
  アナスタシアちゃんと神崎蘭子ちゃんです』

アナスタシア『よろしくお願いします』

蘭子『ククク……、福音を鳴らす聖なる暗室に招かれたこと、ここに感謝する』

 『え、えっと……』

アナスタシア『ラジオのゲストに呼んでくれてありがとう、といっています』

 『い、いえ、こちらこそ……』


「……」



 『――それじゃあ、その衣装は蘭子ちゃんが自分でデザインしたんだ』

蘭子『いかにも。我がグリモワールに記された堕天の衣。
   天啓を授かり、幾つもの生贄を捧げ、
   遠き過ぎさりし欠けた月の夜、ついに精製することができた……』

 『え、ええと……』

アナスタシア『そうです、私のスケッチブックに描いた衣装です。
       一生懸命考え、沢山お手伝いをして、
       先月ようやく完成させることができました、
       といっています』

 『へ、へえ、そうなんだ……』



「……」

(なにをいってるのか、さっぱりわからない……)

………
……

103 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:21:01.94 WLf+yO4T0 93/405

「――それじゃあ、俺は杏の撮影現場に向かうけど、
  蘭子は事務所に戻って引き続きみんなとリハを」

「撮影が終わり次第、俺も杏と一緒に事務所に戻るから、
  そしたらみんなでライブ衣装のチェックをしような」

蘭子「は、はいっ」

「……蘭子が着ているその衣装は自分でデザインしたものなのか」

蘭子「え、あ、はい、そうです」

「へえ、すごいじゃないか。よく似合っているよ」

蘭子「あ、ありがとうございます……」

「蘭子は自分の特性をきちんと把握しているんだな。
  衣装や言葉遣いにそれがよく反映されている」

蘭子(うっ……)ギクッ

「特に言葉遣いは類を見ないというか、
  俺には蘭子がなにをいっているのかわからないけど」

蘭子(う゛っ……)グサッ

「でも、それがきっと蘭子の魅力なんだろうな。
  蘭子が二代目シンデレラガールに選ばれた理由がわかる気がするよ」

蘭子「……」

蘭子(なにをいってるのか、わからない……)



………
……

104 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:22:11.86 WLf+yO4T0 94/405

 「それではCGプロさん、また機会があればよろしくお願いします」

「こちらこそ、今日はありがとうございました」

「ありがとうございました!」


「……さて、俺たちも事務所に戻るか」

「はい!」


…………


「すまなかったな、杏。この数日、撮影の連続で疲れたろ。
  リハもあるから仕事量を極力抑えてはいるんだが、
  現状、維持するので精一杯なんだ」

「いえ、このくらい平気です!
  杏はまだまだ働けます! 馬車馬のように働けます!」

(馬車馬……)

「そ、そっか。
  まあ、無理を強いてる立場だから無理をするなとはいえないけど、
  でも本当に限界を感じたら我慢せずにいってくれよ」

「お気遣いありがとうございます。けど、大丈夫です。
  杏はアイドルのお仕事が大好きですから、
  毎日が充実して疲れを感じる暇もありません」ニコッ

「……そっか。そういってくれるとプロデューサーとして嬉しく思うよ。
  杏のそのひたむきな姿勢は俺も見習わないといけないな」

「……いえ」



………
……

105 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:23:30.52 WLf+yO4T0 95/405

蘭子「わぁ……!」キラキラ

「どうかな、“魔法使い”がコンセプトになってるんだけど」

アナスタシア「なるほど。凛が“シンデレラ”なら、私たちは“魔法使い”なんですね」

未央「結構、本格的に“魔法使い”してるデザインだよね。
   らんらんなんかは特に好きでしょ、この衣装」

蘭子「ら、らんらんいうでない!」

「気に入ってくれたか、蘭子」

蘭子「ふぇ? ……あっ、はい。とても素敵な衣装だと思います……」モジモジ

卯月「すごいです、これ! スカート生地がフワフワです!」

まゆ「腰のリボンがいいアクセントになってますね」

莉嘉「お姉ちゃん見て見て、このちっちゃな三角帽子カワイイ!」

志希「楓さん、ステッキにマイクがついてるよ!」

「まぁ、それはそれは、なんて……」

志希「素敵なステッキ!」ドッ

幸子(いうと思った……)

 キャッキャッ……

106 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:24:59.76 WLf+yO4T0 96/405

美嘉「へぇ、このブレスレット、呪文が彫ってあんだ。結構凝ってんじゃん」

蘭子「呪文……」

アナスタシア「どうしました、蘭子」

蘭子「……我らで呪文をつくり、
   それを簡易刻印として身体に刻みつけるのはどうだろうか」

(……?)

アナスタシア「ハラショー。それは素晴らしいアイデアだと思います」

美嘉「うん、イイと思うよ。まぁ、蘭子ちゃんの趣味全開の呪文にすると、
   シンデレラに登場する魔法使いのイメージからは逸脱しそうな気もするけどね」

「えっと……、蘭子はなんていったのかな」

蘭子「あ、その――」

美嘉「タトゥーシール。呪文をみんなでデザインしてさ、
   それを腕とか顔につければ面白くないか、ってことでしょ」

蘭子「う、うむ。いかにも……」

「なるほど、タトゥーシールか。それはいいアイディアだな。
  グッズにもできそうだし、検討の余地があるよ」

アナスタシア「よかったですね、蘭子」

蘭子「しかし刻印だけではこの衣に眠れる真の力を呼び醒ますことは適わない。
   我らが魔力を注ぎ込み、共鳴させることができればあるいは……」

「……つまり?」

蘭子「あぅっ、つまり――」

アナスタシア「みんなでアイディアを出し合えばもっと衣装がよくなる、
       そういいたいのですね、蘭子」

蘭子「そ、そのとおり……!」コクコク

「そうだな。まだまだ改善の余地はありそうだ。
  他に気付いたことがあればみんなも――」

蘭子「衣を漆黒から蒼へ染め上げ、背中に銀の十字の紋様を入れれば……」

美嘉「いや、だからそんな魔法使い、シンデレラには登場しないって」



「……」

(……今まで気付かなかったが)

(蘭子、俺と他の子たちとでは話し方も表情もまるで違うんだな……)



…………………
………………
…………
……

107 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:26:36.61 WLf+yO4T0 97/405

 「では、次回も杏ちゃんを起用する方向で話を進めたいと思います。
  日程は決まり次第、追って連絡します」

「はい、よろしくお願いします」

 「そういえば最近の杏ちゃん、らしくないですけどなにかあったんですか」

「らしくない?」

 「なんていうか、仕事熱心というか」

「……仕事熱心が、らしくない?」

 「ああ、いえ、すみません。
  決してCGプロさんのアイドルを乏しているわけではありませんよ。
  ただ、杏ちゃんはそういうタイプではなかったでしょ」

 「手を抜けるところは抜いて、おさえるべきところはしっかりおさえる。
  いかに自分を動かさないようにまわりを上手く転がしていたじゃないですか」

 「まだ17歳であんな処世術を覚えるなんてむしろ感心してしまいますよ。
  業界内にもファンが多いんですよ。できるサラリーマンの手本みたいだって」

(……)



…………………
………………
…………
……

108 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:27:22.51 WLf+yO4T0 98/405

(どういうことだ……)

(俺の知る杏は何事にも真摯に精力的に取り組む、それこそ仕事熱心な女の子)

(だが、それとまるでかけ離れた人物像……、
  どちらが本当の杏なのか、今の俺にその判断が下せない)

(知らないことが多すぎる。俺は杏のなにを知っている?)

(俺はまだ杏の表層、それも一部分しか知らない。
  心の機敏を、僅かな違和感を察することなんてとてもできない)

(彼女たちをプロデュースするようになってふた月と少し。
  彼女たちと真剣に向き合うようになったのはつい先日のこと)

(今まで杏たちを知る機会はあっても、自らそれを放棄してきた。
  今更後悔したって遅すぎる)

(これが春香たちのことだったら目敏く気付けたんだろうけどな……)

109 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:28:37.47 WLf+yO4T0 99/405

まゆ「どうしました、プロデューサーさん。浮かない顔して」

「え……」

まゆ「なにかお困りですか。まゆでよければお話しください。
   必ず貴方の力になれるわ。だからどうか、一人で抱え込まないで……」

「ああ、いや、そんな大袈裟なことじゃないんだ。少し気になることがあって」

まゆ「気になること、ですか」

(……まゆに杏のことを聞いてみても大丈夫だろうか)



まゆ『まゆは大人げないと思いつつも莉嘉ちゃんに嫉妬しちゃいました。
   だって恋人のように写るお二人の姿を見せられたら……ねえ?』



(この子に他の子の話題を口にするのは避けた方がいい気がする……)

まゆ「もしかして、杏ちゃんのことですか」

「……!」

まゆ「やっぱり」クスッ

「ど、どうしてわかった?」

まゆ「まゆはプロデューサーさんのことならなんでもわかるもの。
   隠し事したってまゆには全部お見通しなんだから」

「……」

まゆ「……うふ、冗談です。そんな顔なさらないで」

まゆ「本当のことをいえば、そろそろプロデューサーさんも
   杏ちゃんの異変に気付く頃合いだと思っていたの」

「異変? それじゃあ、やっぱり……」

「……詳しく聞かせてくれるか」

110 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:29:21.78 WLf+yO4T0 100/405

「――責任を感じてる?」

まゆ「はい。杏ちゃん、口を開けば『働きたくない』『休みたい』なんて、
   プロデューサーさんをよく困らせていましたから、
   そのせいでプロデューサーさんが
   記憶障害に陥ってしまったと思い込んでしまって……」

「それで心を入れ替えて、仕事熱心に?」

まゆ「心を入れ替えたというより、罪悪感に苛まれているのではないかと」

(罪悪感……)

「……それは、蘭子もか」

「蘭子、俺には敬語で話すけど、もしかして以前は
  俺にもあの独特な言葉遣いで話していたんじゃないか」

まゆ「そうですね。蘭子ちゃんも自分の言葉遣いが
   プロデューサーさんを苦しめていたのではないかと悩まれていました」

「そういうことか……」



…………………
………………
…………
……

111 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:31:33.09 WLf+yO4T0 101/405

愛梨「わっ、外暑いですね。日差しが強い……」

「天気予報によれば、
  梅雨明けの猛暑で30度近くまで気温が上がるらしいからな」

愛梨「えぇ、そうなんですかぁ。今朝は結構涼しかったのになぁ。
   幸子ちゃんと莉嘉ちゃんが羨ましいです。
   私も水着の撮影だったらよかったのに……」

(……)

(杏も蘭子も本来の彼女たちではない)

(背負うことのない罪に囚われ、必要以上に俺を気遣い、
  結果、自らの個性を殺してしまっている)

(杏にしてはその影響が仕事に顕著に出てしまっている。
  蘭子もいずれはあの言葉遣いを完全にやめてしまうかもしれない)

(そうなる前に、二人には話しておく必要があるな)

莉嘉「Pくーん!」タッタッタッ

幸子「莉嘉ちゃん、走ったら危ないですよ!」アワワ

莉嘉「どぉどぉ? アタシの水着姿。ちょーセクシーっしょ!」

「セクシーというよりは可愛いかな」

莉嘉「えー、そっかぁ。やっぱ胸とかお尻とか全然足りてないからかなぁ。
   アタシも愛梨ちゃんみたいになれるといいな」

愛梨「私みたいに? えっと、ケーキ作りが得意になりたいの?」

幸子「いや、今の話の流れ的に体形のことかと……」

「まあ、どちらにせよ、とても似合ってるよ。幸子も」

幸子「へ? ……あ、フフーン! 当然ですよ!
   カワイイボクが水着姿になれば、それはもう、マーメ――」

莉嘉「PくんPくん、撮影終わったらプールで遊んでもいい?
   確かこの後ってリハまで時間空いてたよね」

「そうだな、疲れを残さない程度になら」

莉嘉「やったー!」

愛梨「……」ソワソワ

「どうした、愛梨」

愛梨「え……、えへっ、なんでもないです、なんでもないです。
   別に暑いからってカーディガン脱ぎたいわけじゃないですよ?」

「……いや、カーディガンくらい、暑いなら脱いでもいいんじゃないか」

愛梨「そ、そうですか。じゃあ、お言葉に甘えて……」ヌギヌギ

(……?)


幸子「……マーメイドのように……美しい……」



…………………
………………
…………
……

112 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:32:13.26 WLf+yO4T0 102/405

未央「プロデューサー、今日は外回りが多いんでしょ。熱中症に気をつけてね」

卯月「これ、スポーツドリンクです。小まめに水分補給を取ってください」

「あ、ああ。助かるよ、ありがとう」



美嘉「プロデューサー、体調はどう? 無理してない?」

アナスタシア「具合が悪くなったらすぐにいってください」

「いや、大丈夫、だけど……」



「疲れた時は甘いものを食べるといいですよ。ほら、チョコをちょこっと」

「……」

113 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:33:07.54 WLf+yO4T0 103/405

(杏や蘭子だけじゃない。みんな、俺を気遣ってくれている)

(当然か。俺の置かれた現状を正確に把握しているのは俺だけだ。
  みんな、俺が記憶障害に陥ったと思い込んでしまっているんだから、
  責任や罪悪感を感じてしまうのも無理もないのかもしれない)

(だからといって彼女たちに本当のことは話せない。
  凛のシークレットライブが控えたこの大切な時期に、
  わざわざ混乱を招くような話をしてどうする)

(今は……いや、765プロのことは俺の胸のうちにだけ秘めておくべきだ)

(だが、それでも、彼女たちに話しておかなければならないことはある)



…………………
………………
…………
……

114 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 20:53:33.14 WLf+yO4T0 104/405

ちひろ「プロデューサーさん、全員揃いましたよ」

未央「どうしたの? 急に呼び出したりして」

「みんなにあらためて話しておきたいことがあって」

アナスタシア「話しておきたいこと、ですか」

「俺が、その……、記憶障害のことなんだけど」

一同「……」

「みんな、俺をすごく気遣ってくれてるよな。
  本来であればプロデューサーの俺がみんなを気にかける必要があるのに、
  今は逆に心配ばかりかけて本当にすまなく思ってる」

卯月「そ、そんな、謝らないでください。
   私たちだってプロデューサーさんにはいつも心配かけてばかりなんですから」

美嘉「そうだよ、こんな時くらいアタシたちを頼ってよ。
   みんな、プロデューサーの力になりたいんだから」

115 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 21:03:43.37 WLf+yO4T0 105/405

「ありがとう。みんなの気持ちは素直に嬉しい。
  だけど、俺を気遣うあまり本来の自分を抑制してはいないか」

莉嘉「ヨクセー?」

「みんなを見ていると無理をしているように感じる時がある。
  特に杏と蘭子は俺に遠慮があるよな」

「……」

蘭子「……!」ドキッ

「以前の二人のこと、聞いたよ。
  俺の知る二人とはまた随分と違う印象を受けたよ」

「二人を変えてしまった原因は俺の記憶障害か」

蘭子「……」

「二人のせいなんかじゃない。これは俺自身の問題なんだ」

「俺の自己管理の甘さが、
  自分のキャパシティを超える仕事量を続けてきた当然の結果だ」

「全ては俺の責任なんだ。
  だから二人が、みんなが気に病む必要はない」

116 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 21:16:39.47 WLf+yO4T0 106/405

蘭子「……」

「……どうして、どうしてそんなことがいえるの」 

「プロデューサー、まだ記憶戻ってないじゃん。
  杏がどれだけプロデューサーに迷惑かけてきたのか
  なにも覚えてないくせに、どうして自分の責任だなんていえるの?」

「杏のこと……なにも知らないくせに……」ジワッ

蘭子(杏ちゃん……)

「……そうだな」

「確かに俺は杏のことを知らないし、記憶だって未だに戻らない。
  だけどこの2か月、みんなと接してきてよくわかった」

「みんな、素敵な女の子たちばかりだ」

「豊かな感性を持ち、アイドルとしての情熱を絶やさず、
  誰もが光り輝く可能性に満ちている」

「そんな素敵な子たちを俺が重荷になんて思うはずがない。
  こんな素敵な子たちをプロデュースできて誇りにすら思ってるよ」

蘭子「プロデューサー……」

「だからもう無理して自分を抑え込まなくていい。
  本当の素顔を俺に見せてくれないか。
  二人のこと、みんなのことをもっとよく知りたいんだ」

 ギュッ

蘭子「あ……」

「杏、自責の念に囚われないでくれ。
  自分を偽らず、ありのままの杏でいてくれていいんだ」

「で、でも……」

「それにな、杏のような子の扱いには慣れてる」

「慣れてる?」

(昔の美希には散々手を焼かされてきたからな)

「蘭子も、蘭子自身の言葉で話してほしい。
  遠慮はいらない。蘭子の心の声を聴かせてほしいんだ。
  今はわからなくても、必ず蘭子の想いを汲み取れるようになるから」

蘭子「あ、ああ……!」

「たとえこの先、記憶が戻らなくても、この想いだけは決して変わらない」

「みんなまとめてトップアイドル……。
  それはきっと、過去の俺と共有する唯一の想いだ」

「誰一人欠かさない。輝きの向こう側へ、みんなを連れていくよ」

117 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 21:19:22.23 WLf+yO4T0 107/405

蘭子「……」プルプル

蘭子「ク、ククク……」

未央「お!」

蘭子「ついに目覚めたようね。この時を待っていたわ……!」

蘭子「たとえ記憶の牢獄が閉ざされても、我らの絆が断たれることはない。
   貴方の魂は今もなお強く鼓動し、この終わらない暗闇にもやがて星々が瞬く。
   我が友よ、最果てのさらなる向こう側へ、ともに行こう!」

「…………えっと」

未央「つまりね、要約すると『これからもよろしく』ってこと」

美嘉「大丈夫、そのうちわかるようになるから」

アナスタシア「蘭子の言葉はロシア語を覚えるよりも簡単ですよ。……多分」

「そ、そっか。まあ、その、こちらこそよろしく頼むな、蘭子」

蘭子「うむ! えへへ///」

118 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 21:21:41.36 WLf+yO4T0 108/405

「……プロデューサー」

「ん?」

「いつまで握ってんの」

「……え?」

「手。そんな長々と女の子の手を握らないでよ。セクハラだから」

莉嘉「Pくんのエッチー」

「え、……あ、いや、違う! 決してそんなつもりで握ったわけじゃ……!」パッ

蘭子(あっ……)シュン

美嘉「大丈夫、みんなわかってるから。凛の嫉妬だってわかってるから」

未央「しぶりんってああ見えて独占欲強いから、プロデューサー気をつけてね」

「……は、はぁっ!? ただ注意しただけじゃん!
  別に嫉妬なんかしてないし! 誰が独占なんて!」

「そうやってむきになっていい返すところがまた……」

志希「見苦しー」

アナスタシア「ですね」

「~~っ! み、みんなだってそうじゃん! 
  みんなだってプロデューサーのことになるとすぐ目の色変えるくせに!!」

 ギャー ギャー

愛梨「……」

愛梨「そっか、ありのままの自分でいいんだ」

愛梨「よぉし!」

119 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/21 21:23:04.90 WLf+yO4T0 109/405

「……本当にいいの」

「杏を真人間にする唯一のチャンスかもしれないよ。後悔しない?」

「後悔の仕様がない。だって、俺は杏を知らないんだからな」

「……そっか。そうだった。それじゃあ後悔したくてもできないね」

「ふふ、あはは」

「ははは」

「はあ……。というわけで杏、ここのところずっと働き詰めで疲れちゃったから、
  凛ちゃんのライブではステージの端っこでタンバリン叩いてる係でいいよ」

「そんな係はない……って、愛梨? いつの間になんでそんな薄着に?」

愛梨「え? だってこの部屋暑くて……。
   それにプロデューサーさん、今ありのままの自分でいいって」

「いや、違うぞ! そんな意味でいったんじゃない!」

「プロデューサー!」

莉嘉「Pくんのエッチー!」



幸子「なんだかみなさん、順応早いですね……」

卯月「でも私、こっちのみんなの方がらしくて好きです」

まゆ「同感だわ。親しみ慣れた光景がようやく戻ってきたみたい」



…………………
………………
…………
……

123 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 12:49:26.15 DnTx6MCm0 110/405

「ほら、起きるんだ杏。収録に遅れる」

「うぅ、あと少し……もう、ご――」

「五分も待てないぞ」

「……後日」

「おい」

蘭子「我が友よ、刻(とき)は満ちた! 
   闇の愚者が集いし深淵の古城へといざ参らん!」バーン

「や、闇の愚者? 深淵の古城? えーと、待ってくれ。
  その言葉前にも出てきたな。確か……って、こら杏、寝るな!」




卯月「クスッ、杏ちゃんも蘭子ちゃんもすっかり元通りですね」

未央「だね。やっぱり今の二人の方がずっといいよ。 
   働き者の杏ちゃんなんて、こっちも調子狂っちゃうし」

「ふふ、いえてる」

未央「それにさ、最近のプロデューサー、すごくいい感じじゃない?
   私たちのこと、ちゃんと知ろうとしてくれてるというかさ」

「うん、真剣に向き合ってくれるようになった」

卯月「はい! プロデューサーさん、とってもいい感じに……」

124 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 12:53:05.47 DnTx6MCm0 111/405

「愛梨、暑がりなのはわかったが、着替える時はもう少し人目を気にしてくれないか。
  そうも容易く脱がれるとこちらも目のやり場に困るというか……」

愛梨「え? でも私、プロデューサーさんになら見られても平気ですよ?」

「愛梨が平気でも俺が平気じゃない。
  愛梨は自分がどれだけ魅力的な容姿をしているのか、少しは自覚した方がいい」

愛梨「私、プロデューサーさんの目にはそんなに魅力的に映ってるんですか。
   えへ、嬉しいな///」

「……あのな愛梨、俺がいいたいのはそういうことじゃなくてだな……」

125 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 12:55:19.45 DnTx6MCm0 112/405

卯月「……いい感じに振り回されてますね」

未央「ま、まあ、最初はこんなもんでしょ。記憶が変わる前だって初めはこんなだったし」

卯月「そ、そうですね。でも私、嬉しいです!
   ようやく私たちの日常が戻ってきたみたいで……」

未央「あとはしぶりんのシークレットライブに向けて突っ走るのみ! だね」

「二人とも、まるで全てが元通りみたいにいってるけど、
  プロデューサーの記憶がまだ取り戻せてないから」

未央「あ、そ、そうだね、ごめん。
   もちろんプロデューサーの記憶は取り戻さないとなんだけど……」

未央「……」

「未央?」

未央「なんかさー、自分でも不思議なんだけど、プロデューサー、今の状態が正常に見えるんだよね」

卯月「え……」

「正常って?」

未央「だからその……、
   記憶のない今の状態が普通というか、私たちを知らなくて当然というか……」

「……」

卯月「じ、実は私も、未央ちゃんと同じように感じる時があって……」

未央「えっ、しまむーも?」

卯月「はい……」

未央「……マジ?」

「……そんなわけないじゃん」

「これが正常なわけない。
  プロデューサーにはちゃんと、記憶を取り戻してもらわないと」

未央「だ、だよね? ごめん、変なこといって……」

卯月「私もごめんなさい……」

(……)



…………………
………………
…………
……

126 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 12:57:07.51 DnTx6MCm0 113/405

「空、だいぶ曇ってきたな。これは一雨降るかもしれないぞ」

「いいじゃん別に。たまには歩いて行こうよ。
  次のロケ地まで歩けない距離じゃないんだし」

「しかし傘がなぁ」

「折りたたみ傘ならあるよ。……降ってきたら入れてあげてもいいけど」

「いいよ。近くのコンビニで買ってくるから少し待っててくれ」

「……あっそ」



…………



「あ、プロデューサー待って」

「どうした」

「こっち」

「……?」

127 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 12:59:35.49 DnTx6MCm0 114/405

「ここの坂道、私が中学生だった頃の通学路なの」

「へえ、そうなのか」

「2年生の春だったかな。学校の帰り、
  今みたいに信号待ちしてたら誰かさんに声をかけられたの。
 『アイドルに興味ありませんか』って」

「……それって」

「差し出された名刺には『シンデレラガールズプロダクション』って
  誰もが知ってる大手の芸能事務所。それから誰かさんの名前に肩書きは……」

「……」

「話だけでも聞いてほしいっていわれたけど最初は断った。
  その時はアイドルなんて大して興味なかったし、そういう世界にいる自分が想像できなかった。
  結局、名刺も受け取らず仕舞い」

「だけどその誰かさんは次の日もその次の日も私をここで待っていて、
  まるで相手にしない私を必死に説得するの」

128 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:01:11.82 DnTx6MCm0 115/405

「いくら断っても毎日懲りずにやって来るんだから、
  そのうち、うんざりしちゃって――」



 『ねえ、アンタに私のなにがわかるわけ。
  調子のいい言葉ばかり並べて、それで私がなびくとでも思ってんの?
  子どもを相手にしてるからって無責任な台詞吐かないでくれる?』



「そしたらさ――」



 『そう聞こえたのなら謝る。確かに君のことはわからない。
  だけどこれだけははっきりいえる。
  俺は、ステージで輝く君の姿を見てみたいんだ』



「笑っちゃうでしょ。誰もアンタの願望なんか聞いてないってのにさ」

「そう思わない? 誰かさん」

「……」

129 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:02:32.35 DnTx6MCm0 116/405

「でも、結局はその言葉が決め手だったかな。私がアイドルになる決意をしたのは」

「……凛」

「プロデューサー、『記憶が戻らなくても』なんていわないでよ」

「え……」

「この前、みんなを集めた時にいったでしょ」



『たとえこの先、記憶が戻らなくても、この想いだけは決して変わらない』



「ああ……。いや、あれは決意の表れというか、たとえでいっただけで」

「たとえでもいってほしくない」

「……すまない」

「お揃いの記憶なのにさ、覚えてるのが私だけなんて寂しいよ」

「……」

「ごめん、プロデューサーのこと責めてるわけじゃない。
  記憶が一朝一夕で戻るなんて思ってないし」

「ただ、私にとってかけがえのない大切な記憶だから、
  プロデューサーにとってもそうだったらいいなって」

「本当に大切なものならさ、
  なにと引き換えにしても取り返したいって、そう思えるでしょ」

「……そうだな、そのとおりだ」

「うん、そろそろ行こっか。さっきより曇ってきた。空がゴロゴロ鳴いてる」

(……)



………
……

130 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:03:27.79 DnTx6MCm0 117/405

「……」

志希「……」

「二人とも、まだ帰ってなかったのか」

「だって見てよ、窓の外」


 ザ――…………


「土砂降りだな」

志希「さすがに帰る気失せちゃうよねー」

「梅雨明けたと思ったらこの雨だもん。やんなっちゃうよ」

「そうだな。ここまでひどくなるとは思わなかった」

志希「雨の匂いは嫌いじゃないんだけどねー」

「……そうだな。俺も嫌いじゃない」

131 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:04:24.07 DnTx6MCm0 118/405

(すっかり遅くなっちゃった。卯月たち、もう帰ったかな)

(外、ひどい雨……。歩いて帰りたくないな)

(……あ)

「プロデュ――」



「なあ、記憶が変わる前の俺ってどんな人間だった」



「……」ピタッ

132 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:07:23.07 DnTx6MCm0 119/405

「変わる前?」

「俺さ、凛をスカウトしたらしいんだ」

「ああ、うん、知ってる」

「その時凛にかけた言葉がさ、なんていうか、その……、
  俺がいいそうな台詞だなって」

「そりゃそうでしょ。プロデューサーがいったんだから」

「まあ、そのとおりなんだが。ともかく、その話を聞いて思ったんだ。
  以前の俺はどんな人間だったんだろうって」

志希(……)

「んー、変わらないかな」

「変わらない?」

「うん、ずっと不思議だったんだよね。
  杏たちCGプロの記憶がごっそりすり替わってるんだよ。
  少なからずプロデューサーの人格にその影響が出そうなものじゃない」

「でも、それが全然ないんだよね。まるで変わってない。
  違いなんてそれこそ記憶のあるなしくらいだと思うし」

「案外、記憶を変えたくらいじゃ、
  その人の人格にまでは影響を及ばさないのかもね。ねえ? 志希ちゃん」

志希「さー?」

「さー? って……」

志希「志希ちゃんはフツーの女子高生だから難しいことはわからないのです」

「よくいうよ、このギフテッドは」

133 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:08:27.65 DnTx6MCm0 120/405

「……」

(なにも変わらない、違うのは記憶だけ……)

(記憶だけが違う……同一の人間……)




莉嘉『Pくんと一緒に写ってるのを色々持ってきたの! なにか思い出せるかなーって』


アナスタシア『前はよく天体観測をしていました。プロデューサーと二人で』


まゆ『プロデューサーさん、過去が消えることは決してありません。
   プロデューサーさんがCGプロで過ごされた日々は確かに存在したんですから』


ちひろ『ええ。アイドルたちのことがなによりも大切で、
    彼女たちを輝かせるためならどんな労力も惜しまない。
    そんな人でしたよ、プロデューサーさんは』


『ナムコプロなんて……!
  そんな居もしないアイドルなんかにいつまでも囚われないで!』

134 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:09:28.94 DnTx6MCm0 121/405

 「プロ――……」

 「……――デューサー」



志希「プロデューサー!」

「…………え」

志希「どしたの、大丈夫? 顔真っ青だよ」

「……」

「私、もしかしてまずいこといった?」

「いや……、なんでもない。少し立ち眩みしただけで」

「ほんとに? 無理してない?」

「大丈夫。それより、二人とも寮住まいだったよな。
  雨止みそうにないし、車で送るよ」

「いいの? 仕事は?」

「今日はもう終わりにするよ。
  千川さんにいってくるから先に駐車場で待っててくれ」

「う、うん」

志希「……」

135 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:10:32.15 DnTx6MCm0 122/405

「それじゃあ、お先に上がらせてもらいます」

ちひろ「はい、お疲れさまでした」


 ――トントン


「ん……?」クルッ

「凛? まだ残ってたのか」

「ちょっとね。これから帰るとこだけど」

「それならちょうどいい。これから杏と志希を寮まで送るところだったんだ。
  よかったら凛も一緒に送るけど」

「……うん。じゃぁ、そうする」

136 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:13:42.27 DnTx6MCm0 123/405

 ブウウゥゥン……

「さて、誰から先に送ろうか。寮と凛の家、どっちが近いんだ」

「私も寮住まいだけど」

「そうなのか。でも確か凛は元から東京住まいだよな。家が遠いのか」

「全然。家からでも普通に通える距離。
  ただ寮の方が事務所に近いし交通の便がいいからそうしてるだけ。
  それに一人暮らしもしてみたかったし」

「一人暮らしか。CGプロの子たちは偉いな。
  まだ十代の子が大半だというのに親元を離れて上京し、
  ひとりアイドル活動を頑張ってる。立派だよ」

「そうでしょー。杏は自分で自分を褒めてやりたいくらいだよ。
  プロデューサーも頑張る杏に褒美をくれてもいいんだよ?
  主に休暇というかたちで」

「そうだなあ。それじゃあシークレットライブを頑張ってくれたら、
  7日くらいまとめた休暇が取れるよう、スケジュールを調整しようかな」

「7日!? マジで!? ウソつかない!!?」

「ああ、約束するよ」

(まあ、もとからその予定だったけど)

「おおう! 双葉杏、シークレットライブ頑張ります!!」

志希「にゃはは、杏ちゃん、卯月ちゃんみたーい」

「ひとりじゃないよ」

「ん?」

「仲間のみんながいてくれるから頑張れるの。
  プロデューサーだってそうでしょ」

「そうだな。俺も凛たちがいてくれるから頑張れ……」

「……」

「プロデューサー? どうしたの」

「ああ、いや、それより寮までの道案内頼まれてくれるか」

「うん、いいけど」

「……」

(なんで俺、仲間と聞いて真っ先に凛たちを思い浮かべたんだ)

(春香たちじゃなく……)



………
……

137 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:15:22.01 DnTx6MCm0 124/405

「そこの交差点を右に曲がって」

「交差点を右……」

「あとは道なりに進んでいくと……ほら、見えてきた」

「もしかしてあれか?」

「うん、うちの寮」

「……これは寮というより、高級マンションだな」

「私も初めて見た時は驚いた。40階立てで346戸あるんだって」

「事務所の高層ビルといい、寮といい、
  あらためてCGプロの巨大さを思い知らされるな……」

「アイドルって役得多い仕事だけどさ、CGプロ所属だとまた別格だよねー」

志希「ねー」



………
……

138 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:16:47.61 DnTx6MCm0 125/405

「なあ、本当に大丈夫なのか、俺が中に入っても。ここ男子禁制なんだろ」

「大丈夫でしょ、プロデューサー関係者なんだし。
  ロビーまでならいいんじゃない」

「一応、管理人に許可取ってくる」

「すまない」


卯月「あれ……、プロデューサーさん?」

未央「ほんとだ。プロデューサーじゃん」

「卯月、未央」

未央「どったの、寮に来るなんて珍しいじゃん」

「雨ひどいから送ってもらったの。ついでの寮見学」

卯月「見学、ですか」

未央「そっか、記憶変わってからここに来るのは初めてか。
   どう? すごいでしょ、うちの寮」

「もう溜息しか出てこないよ。まさにシンデレラが住まう城って感じだ」

「まぁ、王子さま不在の城だけど」

「二人も寮住まいなのか」

未央「うん。CGプロ所属タレントなら家賃タダだし、住まなきゃ損」

卯月「前にここに来たことは思い出せませんか」

「……どうかな。正直、ここに来るのは初めてとしか思えない」

未央「そりゃあね。前のプロデューサーだって寮には滅多に来なかったし、
   ここになにか特別な思い出があれば話は別なんだろうけどさ」

139 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 13:18:48.01 DnTx6MCm0 126/405

莉嘉「あ! Pくんだー!」タッタッタッ ダキッ!

「おっと、莉嘉? 莉嘉もここに住んでるのか」

莉嘉「そだよー。お姉ちゃんと一緒の部屋に住んでるの」

美嘉「この子に一人暮らしはまだ早いよ」

「美嘉」

美嘉「ヤッホー。寮に来るなんて久しぶりじゃん、どうしたの」

莉嘉「遊びに来たの?」

美嘉「……!」

「いや、さすがに遊びには来ないよ。ここ本当は男子禁制なんだろ」

莉嘉「大丈夫だよ、だって前にもうちに遊びに――」

美嘉「莉嘉!!!」ガバッ

莉嘉「~~っ」モガモガ

「……俺、二人の部屋に行ったことあるのか」

美嘉「ないないない! そんなの一度もないから!!」

卯月「……」

未央「美嘉ねえ……」

美嘉「な、なによその目は。なんでもないっていってるでしょ……」

「派手な外見とは裏腹に中身はCGプロきっての乙女なくせに、
  プロデューサーを部屋に連れ込むとは大したもんだ」

美嘉「だから違うっていってるでしょ!」

「なあ、前に莉嘉に見せてもらった写真の中に
  俺と美嘉が一緒に写っている写真があったけど」

美嘉「……!」ギクッ

「あれってもしかして二人の部屋で撮ったものか」

美嘉「ア、アハッ★ 写真? なんのこと? そんなのあったっけ?」

「うわー、白々しい」

卯月「美嘉ちゃん、目が泳いでます」

未央「美嘉ねえ、もうバレてんだから白状して楽になりなよ」

美嘉「白状もなにもそんな写真知らないもん!」

未央「往生際悪いぞ、ニセ純情ギャル!」

「なに騒いでんの」

未央「しぶりん、いいところに! 実は美嘉ねえがさぁ……」

美嘉「わ――ッ!! ダメッ!! 凛にだけはいわな――」

莉嘉「お姉ちゃーん、Pくんがうち来たいってー」

美嘉「……」

「……どういうこと」



……

143 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:27:30.54 OiSWsscG0 127/405

莉嘉「Pくんいいよー、あがってー」

美嘉「いらっしゃい。ごめんね、待たせちゃって」

「いや、俺の方こそ急に押しかけて……」

(……)

美嘉「いいよ。プロデューサーの記憶のためだもん、協力する」

美嘉「……で、なんでアンタたちもいるわけ?」

卯月「えぇと、それはその……」

未央「後学のため?」

美嘉「なんの後学よ」

「なに、私たちがいると困ることでもあるの?」

美嘉「な、ないでーす……」

「あれ、そういえば志希ちゃんは」

144 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:31:28.45 OiSWsscG0 128/405

「……」

莉嘉「どう? Pくん。うちに来たこと思い出せない?」

未央「ねぇ、前にプロデューサーがここに来た時はなにをしてたの」

莉嘉「んとねー、フツーに喋ってー、写真撮ってー……、そのくらい?」

美嘉「うん、まぁ……。正直、特別思い出に残るようなことはなにも」

「プロデューサーがここに来ただけでも十分特別だと思うけど?」

卯月「どんなことを話したんですか」

莉嘉「コイバナ! Pくんに色々聞いたんだー。Pくんの前カノのこととかー」

未央「前カノ!? プロデューサー、彼女いたの!?」

「……まあ」

「いつ!!?」

「俺の記憶が正しければ、ナム……CGプロに就職して間もない頃じゃないか」

莉嘉「うん。でもソエン? だっけ? 
   それになっていつの間にかシゼンショーメツしたっていってた」

卯月「疎遠ですか」

美嘉「ほら、その頃はまだプロデューサーもかけ出しの新人だったから、
   凛のプロデュースでいっぱいいっぱいで、
   彼女にまで気をかけてやる余裕がなかったんだってさ」

莉嘉「それっきりずっとフリーなんだって。お姉ちゃんちょー喜んでた」

美嘉「莉嘉、余計なこといわない」

未央(な、なんだ……)ホッ

「……」

(つまりプロデューサーは彼女よりも私を優先してくれてたってこと……?)


「…………」


「ごめんねプロデューサー! 私のために彼女と別れることになって!」パァァッ

「謝ってるわりにはすんごい笑顔」

美嘉「ていうか、凛のために別れたわけじゃなくない?」

未央「ねね、他にはどんなこと聞いたの。
   プロデューサーの恋愛事情とか超気になる」ウキウキ

莉嘉「えっとねー、他にはぁー……」



……

145 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:33:02.20 OiSWsscG0 129/405

美嘉「じゃあ、いい? プロデューサー、いくよ?」

「ああ」

 ――ギュッ

美嘉「ど、どう? ///」

「……」

「はい、駄目ー。プロデューサーなにも思い出せないみたいだね、残念。
  じゃぁ美嘉、さっさと離れて」

美嘉「ち、ちょっと待ってよ、早いって! まだ写真も撮ってないじゃん!」

「じゃあ早く撮れば? 撮って1秒でも早くプロデューサーから離れてよ」

未央「しぶりん、抑えて。言葉の端々から嫉妬が滲み出てる」

「だっておかしいでしょ! まるで恋人みたいに腕絡めちゃってさ!」

美嘉「こ、恋人だなんてそんな……///」テレテレ

「……」イラァッ

未央「しぶりん、堪えて。これもプロデューサーの記憶のためなんだから」

146 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:34:45.08 OiSWsscG0 130/405

莉嘉「お姉ちゃん、Pくん撮るよー。はいチーズ……」

 ――パシャッ

未央「どれどれ、どんな感じ?」

卯月「大体前の写真と同じ感じで撮れてますね」

莉嘉「どう? Pくん。一緒に写真撮ったこと思い出せた?」

「……いや」

未央卯月莉嘉「はぁ……」

未央「駄目かぁ。他にしてないことってなんかある?」

莉嘉「あとはぁー、ツアーの話とか?」

「ツアー?」

美嘉「去年の秋から今年の春にかけてアリーナで全国回ってたんだ。
   その時の写真見ながら思い出話なんかしてさ。
   ……ほら、これがその写真」

「……この写真」

卯月「あ、ツアーファイナルで撮った集合写真ですね。私も自分の部屋に飾ってあります」

「俺の部屋にも飾ってあったよ。大切な思い出か」

美嘉「一番の思い出だよ。アリーナツアーはアタシたちの夢だったんだから」

「夢……」

美嘉「プロデューサーが叶えてくれたんだよ」

「……俺は」

莉嘉「他にも写真いっぱいあるよ。見てみる?」



………
……

147 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:36:35.99 OiSWsscG0 131/405

未央「結局、記憶は戻らず仕舞いかぁ。どうしたもんかね」

「気長にやるしかないでしょ。焦ったって仕様がないし」

「……」

「ねえ、さっきから口数少ないけど、
  あまり思いつめない方がいいんじゃないの」

「……ああ、いや、そんなんじゃないんだ。ただ前の俺が羨ましいなって」

「羨ましい?」

「俺には、みんなとの思い出がない。楽しかったことも辛かったことも、
  共有しているのは全て前の俺だ」

「……」

未央「いやいやいや、思い出がないんじゃなくて忘れてるだけでしょうが」

莉嘉「Pくん元気出して。記憶なら絶対戻るって!」

「……そうだな」

未央「ところで美嘉ねえとしぶりんは?」

卯月「凛ちゃんが美嘉ちゃんに話があるって二人で部屋に残ってます」

148 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:37:03.68 OiSWsscG0 132/405

「美嘉さぁ、ちょっとプロ意識欠けてんじゃないの。
  アイドルが部屋に男を連れ込むとかなに考えてるわけ」

美嘉「す、すみません……」←正座

「おまけになんなのこの写真。腕なんか組んじゃってさ。
  フンッ、胸まで押し付けていやらしい!」

149 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:37:37.66 OiSWsscG0 133/405

未央「あぁ……、よっぽどツーショット写真が羨ましかったんだろうね」

莉嘉「なんで? 写真くらい一緒に撮ればいいじゃん」

未央「しぶりん、あれでいて奥手なところがあるからなぁ。
   好きな人に自分から告白できないタイプ」

150 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:38:52.09 OiSWsscG0 134/405

「すまなかったな莉嘉、こんなことに付き合わせてしまって。みんなも」

莉嘉「ぜーんぜん、またうちに来てよ。Pくんならいつでも大歓迎!」

「歓迎してくれるのは嬉しいが、
  プロデューサーの俺が進んで規則を破っては
  他の男性スタッフに示しがつかないからな。今回限りにしておくよ」

莉嘉「えー、でも記憶戻すには同じこと繰り返さないといけないんでしょ?
   もしかしたら次来た時はなにか思い出せるかもしれないじゃん」

「それはそうかもしれないが規則は規則だからな。
  莉嘉もどうして寮が男子禁制なのか、その理由はわかるだろ」

莉嘉「スキャンダルってのになるからでしょ。ちぇー、つまんないの」

151 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:42:29.00 OiSWsscG0 135/405

「ねぇ、それならさ、
  今度みんなでプロデューサーと思い出の場所とか巡ってみない?」

「なにも思い出があるのは莉嘉ちゃんだけじゃないんだし、
  杏たちだってプロデューサーとの思い出があるんだから、
  一つ一つ巡って記憶が戻るか確かめてみようよ」

未央「いいねそれ! 行こうよ、思い出巡り!」

卯月「私もプロデューサーさんとの思い出沢山あります!」

莉嘉「さんせーい! アタシも行きたい!」

「シークレットライブが終わったら7連休くれるんでしょ。
  その時になったらみんなで一緒にさ。ね、いいでしょ」

「気持ちは嬉しいが、休暇は自分のために使ってくれないか。
  ただでさえみんなにはタイトなスケジュールをこなしてもらっているのに、
  俺のために時間を割いては休暇を与える意味がなくなってしまうしな。
  休める時にきちんと休んでおかないと俺の二の舞になるぞ」

未央「……これはすごい説得力」

「別に7日全部使ってやるわけじゃ……、2・3日くらいなら……」

「みんなは楓さんと違って学生なんだから、仕事はなくても学校があるだろ。
  7日とはいっても本当に休めるのは土・日くらいだ。
  貴重な休みを俺のために消費してもらいたくないんだ」

未央「貴重な休みときましたよ、杏さん」

「……」

「思い出巡りは次の機会にして、まずはしっかり英気を養ってくれないか」

「……プロデューサーが、そういうなら」

「ありがとな、杏。俺のために」

152 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:44:42.09 OiSWsscG0 136/405

「それじゃあ、みんな、また明日。おやすみ」

莉嘉「バイバーイ。おやすみなさーい」

 ブウウゥゥン……



未央「いやはやー、それにしてもさっきは驚いちゃった。
   まさかプロデューサーのためとはいえ、
   あの杏ちゃんが自分の休みを返上してまで協力しようとはねぇ。
   明日は槍が降るかも」

「失礼な。杏だってそこまで薄情な人間じゃないよ。
  優先すべき事情はちゃんと見極めてるつもり」

未央「……もしかして、プロデューサーの記憶障害のこと、
   まだ自分のせいだって思ってる?」

「……」

卯月「でも、それは前にプロデューサーさんが……」

「『気にするな』といわれて『はい、そうします』とはいかないよ。
  プロデューサーは優しいからああいうけどさ、
  少なからず杏が記憶障害の原因になってるのは確かなんだから」

「蘭子ちゃんだって、きっとまだ気にしてるんじゃないかな」

未央卯月莉嘉「……」

「だからって杏のアイデンティティを壊すような真似は二度としないよ。
  けど、プロデューサーの記憶を取り返すためなら休みの一つや二つ惜しくない」

卯月「杏ちゃん……」

莉嘉「杏ちゃん、エライ!」

153 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:51:37.50 OiSWsscG0 137/405

「――と、思ってたんだけど、なんかよくわからなくなっちゃった」

卯月莉嘉「へ?」

未央「わからなくなったって?」

「プロデューサー、どうして莉嘉ちゃんたちの部屋に行ったと思う?」

未央「そりゃ、記憶を取り戻すためでしょ」

「でもその割には消極的だったと思わない?
  未央たちが主導で動いていたことを差し引いても、
  プロデューサー自身は積極的に動こうとしなかったっていうかさ」

「思い出巡りだって本当なら断る理由なんてないはずじゃん。
  杏たちもうすぐ夏休みなんだし、
  2・3日休みがなくたって十分お釣りがくるよ」

未央「……いわれてみれば、確かに」

莉嘉「どーゆーこと? Pくん、記憶取り戻すのやめちゃったの?」

「そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」

莉嘉「……ドッチ?」

卯月「つまり、記憶を取り戻すとは違う、別の目的があって、
   プロデューサーさんは莉嘉ちゃんたちの部屋を訪れたということですか」

「杏はそう思った。
  事務所を出る前、プロデューサーに聞かれたんだよね。
 『記憶が変わる前の自分はどんな人間だったか』って」

「それで『記憶以外なにも変わらない』って答えたら、プロデューサー、顔真っ青」

未央「真っ青……ショックだったってこと? 変わらなかったことが? なんで?」

「わかんない。でもきっとそれが
  莉嘉ちゃんたちの部屋に行った本当の理由なんだと思う」

「さっきプロデューサーがいってたじゃん、『前の自分が羨ましい』って」

「なんかさ、杏にはまるで、他人を羨んでるように聞こえた……」

154 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:54:53.04 OiSWsscG0 138/405

 ブウウゥゥン……


「……」



「……」



「……どうすればいい」




志希「次の交差点を左に曲がればいいと思うよ」ヒョコッ



「うわあっ!!!」

 キキーッ!

志希「キャアッ!」

「し、志希!? なっ!?」

志希「ちょっと前! 前! 対向車線はみ出してるって!」

155 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:56:08.85 OiSWsscG0 139/405

「ど、どうやって車に忍び込んだ。
  まさか、寮で降りずにずっと車の中に潜んでいたのか」

志希「いやー、待つってあたしの性分じゃないね。
  『忍耐』なんて言葉あたしの辞書には載ってないし」

「君はいつも俺を驚かせてくれるな……」

志希「『驚きは、知ることの始まりである』ってね」

「誰の言葉?」

志希「プラトン。ささ、落ち着いたなら発進どうぞ。
   あ、ちょい待ち。助手席に移動させて」

「どこへ連れいてくつもりだ」

志希「それは着いてからのお楽しみってことで。
   それまでは志希ちゃんとステキな夜のドライブデートを
   お楽しみくださいませ」

「……君が未成年でアイドルでなければ楽しめたんだけどな」

156 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:57:29.92 OiSWsscG0 140/405

志希「――ふーん、それで美嘉ちゃんの部屋に行ってたんだ。面白かった?」

「……遊びに行ったわけじゃない」

志希「雨止んでよかったー。あ、次、右ね。曲がったらすぐだから」

「……」



……

157 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:58:28.27 OiSWsscG0 141/405

志希「とぉちゃーく。車ここでいいよ。降りて降りて」

(……車庫?)

 ガチャッ バタン

志希「今から魔法見せたげる」

「魔法?」

志希「ゴホン、ゴホン。ん゛、ん゛んっ。えー、では……」

志希「開けー……にゃん!」ピッ


 ――シーン


「……」

志希「にゃん! にゃん!」ピッ ピッ

志希「にゃん……」ピッ

志希「……」

「……」

志希「……にゃんで?」

158 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 20:59:06.04 OiSWsscG0 142/405

「せーの……ふっ!」

 ガラガラガラ ガシャン

志希「ふぅ……。ごめんねー、ここのガレージ古くてさー、
   シャッター壊れちゃったのかな。リモコン利かなくなっちゃった」

「シャッター下ろすぞ」

 ガラガラガラ……――

160 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:01:03.55 OiSWsscG0 143/405

志希「あらためまして、ようこそ、志希ちゃんの秘密基地へ」

「秘密基地?」

志希「または研究室ともゆー。ここで香水作ってんだー。ちょいこっち来てみ」

志希「これ、志希ちゃんの夏の新作。
   ブラッドオレンジのミドルノートが
   ローズアブソリュートと交わって生き生きと香り立つの。
   柑橘類と爽やかさの古典的な組み合わせだけど、この時期にはピッタリ」

「ブ、ブラ……、アブソ……?」

志希「で、こっちがローズベースの花ずいだけで作ってみたパルファン。
   ラズベリーとバーベナを添えてよりローズの香りが引き立つようにしてみたの。
   苦労したんだー。出来は上々だけど面倒くさいからもう作らないけどね」

「カ、カズイ?」

志希「でーでー、これが――」ペラペラ

「……」

(蘭子とは違った意味でなにをいっているのかわからない……)

161 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:02:45.15 OiSWsscG0 144/405

「――志希、この香水は?」

志希「お、それに目をつけるとはお目が高いですな」

志希「それはねー、ピザ」

「ピザ?」

志希「自信作なんだー。嗅いでみ嗅いでみ?」

「……」スンスン

「……」

「ピザだ」

志希「でしょ?」

「なにに使うんだ」

志希「たとえばー……、ミーティングが長引いたりするでしょ?」


  『少し休憩挟もっかー』


  『お腹空いたねー』


  『なにか食べるー?』


志希「――で、そんな時にこの香水をさりげなーく散布しておけば――」


  『あれ? なんだか私、ピザが食べたくなってきた……』


  『そうだ、ピザにしよう! そうしよう!』


志希「――ってな感じで、みんなを誘導できる」

「……」

「……じゃあ、これは?」

志希「それは香水じゃなくて惚れ薬」

「惚れ……」

志希「未検証だから効果のほどはわからないけどね。
   ねえ、それよりもお腹空かない? ピザでも取ろっか!」



……

162 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:05:07.23 OiSWsscG0 145/405

志希「ふんふーん♪」パッパッパッ

「タバスコかけすぎじゃないか」

志希「えー、そう? このくらいかけた方が美味しいよ?
   そういうキミは食が進んでないみたいだけど、ピザはお嫌い?」

「いや、好きだけど」

志希「あたしのことが? いやぁ、照れるなぁ///」

「……」

志希「『どうすればいい』」

「なにが?」

志希「車の中、キミのひとり言」

「……ああ」

志希「食が進まないのはそれが理由? 美嘉ちゃんの部屋にキミの過去はなかった?」

「……あったよ。結局は思い出せなかったけど」

志希「そっか」

「……」



(もしかして、と思った)

(もしかして俺は本当に記憶障害に陥り、
  765プロという妄想の産物を作り出していたとしたら)

(だが、美嘉たちの部屋に入った瞬間、直感した)

(あの部屋に、俺の過去はない)

(美嘉たちの語る過去の俺は別人だ。俺にCGプロの過去はない)

163 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:06:34.36 OiSWsscG0 146/405

「そういえば、どうして俺をここに連れてきたんだ」

志希「キミに思い出をあげようと思ったの」

「思い出?」

志希「いったでしょ、ここはあたしの秘密基地だって。
   誰も知らない、あたしだけの場所」

志希「ここならキミだけの思い出ができるでしょ。
  “前”のキミも知らない、正真正銘“今”のキミだけの思い出が」

「俺だけの……」

志希「あ、ここのこと誰にも話しちゃダメだかんね。
   今日からはあたしとキミの秘密基地なんだから」

「はは、ありがとう……」

「……」

「なあ、もし俺の記憶がこのまま戻らなかったとしたら、
  その時みんなは、そんな俺を受け入れてくれると思うか」

志希「……キミはどうなの」

志希「それでもキミは、あたしたちのそばにいてくれる?」

「……俺は……」



…………………
………………
…………
……

164 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:08:25.53 OiSWsscG0 147/405

(765プロの存在、その確信は得た。だが取り返す術は依然わからない)

(俺はなにを見落とし、なにに気づいていないのだろう……)



幸子「ほら、このポロシャツならカーディガンと組み合わせられますし、
   ガーリーっぽさも出てると思うんですよね」

美嘉「でもそのカーディガンと組み合わせるなら
   こっちのブラウスの方がイケんじゃない?」

莉嘉「アタシはこのワンピがイイって思うな!」

幸子「プロデューサーさんはどう思います?」

「……え、ああ、そうだな、幸子に合いそうなのは……」



(この子たちと向き合うと決めたのは765プロを諦めたからじゃない。
  だけど、あれだけ切望していた765プロへの気持ちがいつしか薄れてしまっている)

(本当は自分でも気づいているんだ。
  765プロのみんなにはもう、二度と会えないんじゃないかって)

(会えることなら今すぐにでも会いたい。
  だけど今は、この子たちの行く末を見届けたいと思う自分がいる)

(俺は選択を迫られているのではないのか。
  この765プロのなくなった世界で、CGプロのプロデューサーとして生きていくことを)

(765プロを、忘れて生きていくことを……)

165 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:09:25.46 OiSWsscG0 148/405

ちひろ「プロデューサーさん、そろそろ」

「はい」スッ

莉嘉「Pくん、どっか行くの?」

「ああ、これから病院に」

美嘉「病院?」

幸子「な、なんで、まさか、症状が……」

「違うよ、定期検査」

幸子「あ、な、なんだ……」

「心配することはなにもないから。千川さん、あとはよろしくお願いします」

ちひろ「はい、気をつけていってらっしゃい」

 ガチャッ バタン――

(行ったって、意味なんかないんだけどな……)



………
……

166 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/22 21:10:26.46 OiSWsscG0 149/405

「ただいま戻りました」

ちひろ「おかえりなさい。どうでしたか、検査の方は」

「千川さん、そのことでお話が……」


………


ちひろ「……そうですか」

「このことはまだ内密に。
  あの子たちには時機を見て俺から話を――」

ちひろ「あら?」

「どうしました」

ちひろ「今、そこに人影が……」



…………………
………………
…………
……

172 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 12:56:52.61 vTqC38JC0 150/405

「心ここにあらず」

アナスタシア「心……アラズ?」

幸子「どうしたんですか、急に。また新しい駄洒落でも?」

「プロデューサー、最近物思いに耽ることが多いと思って」

愛梨「あ、それ、私も思いました。この前、私が目の前で着替えてたのに、
   プロデューサーさん、ずっとこっちを見てるだけで」

卯月「み、見てる、だけ……? ///」

未央「そっか、プロデューサーも男の子だもんね。
   とときんの生着替えを目前にしてついに自制心が……」

アナスタシア「なるほど、それが『心アラズ』なんですね。
       プロデューサー、エッチです……」

莉嘉「Pくんのエッチー!」

「違うっつの。プロデューサーの目には入ってなかったってことでしょ」

愛梨「うん、いつもみたいに注意されなかったんだよね。
   なんだか私が着替えてることに気づいてないみたいだった。
   ちょっと心配かも」

173 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:00:54.98 vTqC38JC0 151/405

まゆ「実はまゆも気になっていました」


幸子「うわっ!!」

「あら、まゆちゃん」

まゆ「ごめんなさい幸子ちゃん、驚かせてしまったかしら」

幸子「い、いえ……、ボクは別に驚いてなんか……」ドキドキ

未央「さっちー、裾引っ張らないで。伸びる伸びる」

まゆ「だからまゆ、直接プロデューサーさんに訊ねてみたんです。そしたら――」



『ありがとな、まゆ。いつも俺のことを気にかけてくれて』



まゆ「――と、優しく語りかけてくれるプロデューサーさんの
   慈しむような眼差しにまゆはもう……!」

「なんだ、ただの惚気か」

まゆ「いえ、この後続きがありまして――」



『だがもう少し待ってくれないか。もう少し、一人で考えたいんだ。
  これは俺が自分で決めないといけないことだから……』



まゆ「――いえる時がきたら必ずみんなにはいうと、そう仰っていました」

愛梨「自分で決めないといけない……」

「十中八九、記憶障害のことでしょうね」

174 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:02:43.14 vTqC38JC0 152/405

幸子「まさか、記憶を取り戻すのを諦めるとか、そういうことじゃないですよね?」

一同「…………」

幸子「どうして誰も否定してくれないんですか!」

未央「ご、ごめん。そうじゃないって思いたいけど……」

幸子「そうだ! 今度みなさんで一緒に
   プロデューサーさんと思い出巡りしてみませんか?」

幸子「ボクたちプロデューサーさんとは数え切れない思い出があるんだし、
   一つ一つ巡って記憶が戻るか確かめてみましょうよ!
   さすがはボク! ナイスアイディア!」

「残念だけどそれ、バッドアイディア」

幸子「へ? どうしてですか」

「すでに杏が同じ話を持ちかけて断られてるから」

幸子「え……」

「シークレットライブが終わったら連休くれるっていうから、
  その時になったら一緒にどうかって誘ってみたんだけど」

アナスタシア「ダーティシトー! 驚きです!
       まさかあの杏がプロデューサーのためとはいえ、
       自分の休みを減らしてまで協力しようとは……」

まゆ「明日は槍が降るかしら」

「いえ、杏ちゃんならきっと“飴”が降るわね」

「なんでみんなして未央と同じ反応するんだよ! そんなに意外か!?」

175 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:03:55.91 vTqC38JC0 153/405

莉嘉「やっぱPくん、
   うちに来てなにも思い出せなかったのがショックだったのかなぁ」

未央卯月(げっ……)



アナスタシア幸子愛梨まゆ「…………」


アナスタシア幸子愛梨まゆ「うちに来て?」



まゆ「莉嘉ちゃん、どういうことかしら。
   プロデューサーさん、莉嘉ちゃんのご実家へ行かれたことが?」

莉嘉「んーん、来たのは寮の方」

愛梨「あれ、でも確かうちの寮って男子禁制じゃなかったっけ。
   男性スタッフは別だとか?」

「いえ、そんな例外はないはず」

アナスタシア「莉嘉、どういうことか説明してくれますか」

未央「あー、待って、それは私たちから――」



……

176 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:07:01.13 vTqC38JC0 154/405

「――なるほど、そんなことが」

幸子「まったく、油断も隙もありませんね、城ヶ崎姉妹は。
   どうしてそんな大事なことを今まで黙っていたんですか」

アナスタシア「美嘉をかばったんですね」ムスッ

未央「あはは、まあ、その……、
   すでにしぶりんから散々絞られた後だったし、
   これ以上責められるのも酷かなって」

未央「現に今の話を聞いてまゆちゃん飛び出して行ったし……。
   しぶりんに続いてまゆちゃんだよ? 美嘉ねえ搾りかすになっちゃうよ……」

アナスタシア「それは美嘉の自業自得です。
       私だって美嘉に一言いわせてほしいくらいなんですから。
       莉嘉も、寮の規則はきちんと守らないといけません」

莉嘉「ゴメンなさい……」シュン

(珍しくアーニャが怒ってる……)

愛梨「やっぱりプロデューサーさん、記憶取り戻すの諦めっちゃったのかな……」

幸子「そう決めつけるのは早計だと思います!
   日をあらためてもう一度誘ってみましょうよ。
   もしかしたらなにか都合があって断られたのかもしれませんし」

「どうかな。結局もっともらしい理由つけて断られるのが落ちな気がする。
  少なくとも思い出巡りに乗り気じゃないのは確かなんじゃないかな」

「杏ちゃんのいう、
 『莉嘉ちゃんたちの部屋を訪れた本当の理由』も気になるわね。
  話を聞く限り、プロデューサーが探しているものは、
  そもそも記憶ではない可能性も出てきたみたいだし」

莉嘉「記憶じゃないなら、なにを探してるの?」

(……)

「いえ、憶測で語るのはやめましょう、きりがないわ。
 『必ずいう』とプロデューサーがいっていたのなら、
  その言葉を待ちましょう」

「それより、こうなってくると別の問題も出てくるわね」

未央「別って?」

「これこそ憶測で語りたくはないけれど、
  もしプロデューサーが本当に記憶を諦めるとしたら、
  それを私たちは受け入れることができるかしら」

愛梨「それは……」

「気持ちの整理をつけなければいけないのは、プロデューサーだけじゃないわ」

卯月(……)

177 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:08:46.89 vTqC38JC0 155/405

「プロデューサー、志希見なかった」

「いや、見てないけど……、その花束は?」

「志希に渡す約束してて」

「志希に?」

「志希が香水作ってるのは知ってるでしょ。その実験材料にって」

「ああ……、でもどうして凛が花を?」

美嘉「凛の実家、花屋」

「花屋? 凛が?」

「今、似合わないって思ったでしょ」

「そんなことないよ。よく似合ってる」

「……//」

「けど、これだけきれいに咲いているのに、
  実験材料にされるのもなんだかもったいない気がするな」

「は、花が完全に開ききってるのは売れないから処分するしかなくて、
  それなら香水作りに役立ててもらった方がこっちも助かるっていうか……」ゴニョゴニョ

「なるほど、お互いに得ってわけか。
  もしかしたらまだ事務所には来てないのかもしれないな。
  電話してみたらどうだ」

「さっきした。音信不通」

蘭子「ふむ、おそらく彼の錬金術師は真理を求め、
   虚空の狭間へといざなわれたのかもしれない」

「……つまり?」

美嘉「失踪したってこと」

「失踪?」

美嘉「たまに誰にもなにもいわず、ふらっと消えるんだよ。
   行き先聞いても適当に濁して教えてくれないし、
   ま、いつものこと」

「教えてくれない……」

178 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:10:08.70 vTqC38JC0 156/405

まゆ「あら、こんなところにいらしたのね、美嘉ちゃん。探したわぁ」



美嘉「ああ、まゆちゃん、お疲れ。アタシになにか用事……で、も……」

まゆ「ええ、とぉっても大事なお話があるの。二人きりで」

美嘉「え、ちょっと、なんなのその意味深な笑顔は? アタシなんかした?」

まゆ「うふ、ご自分の胸に聞かれてみては? 美嘉ちゃんお借りしても?」

蘭子「どうぞ……」

美嘉「え、え、なに、ホントなんなの!?
   待って、今考えるから! 考えるから! ねぇ、ねぇったら!」


 ズルズル…… ガチャッ バタン――


蘭子「まゆちゃん、目が笑ってなかった……」

「……凛、その花束、俺が預かるよ。
  俺も志希には用事があるし、ついでに渡しておくよ」

「別にいいけど……、行き先わかるの?」

「いや、まあその……、とにかく色々あたってみるよ。
  偶然会えるかもしれないし」

「……わかった、お願い」



………
……

179 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:11:13.66 vTqC38JC0 157/405

 ガラガラガラ ガシャン……


「志希? 志希いるか」

「……ん」

志希「zzz」

「……」

「志希、おい、志希、こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」ユサユサ

志希「ん……」

志希「……あれ、なんでキミがここにいるの。てゆーか、どーやって入った?」

「お前なあ、この前ここのスペアキー、俺に渡したろ」

志希「あぁ、そーだったぁ、そーだったぁ……」モゾモゾ

志希「……」

「志希?」

志希「…………すぅ……」

「お前は杏か」

180 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:12:30.80 vTqC38JC0 158/405

「ほら、コーヒー」

志希「ふわぁ、サンクス……」ムニャムニャ

「徹夜か」

志希「まーね。調合してたら寝落ちってよくあるパターン。
   でもキミにここのスペアキー渡しておいて正解。
   これからはキミが起こしに来てくれるから安心して寝坊できるね。
   これ、依存性の兆候」

「そういうことならこのスペアキーは返すぞ」

志希「あー、ウソウソ、ちゃんと自分で起きるよぉ。……タブン」

「はぁ……。それよりその格好、微妙に目の毒だから着替えてくれないか」

志希「ん、別に見たいなら見てもいいけど。
   大丈夫、訴えたりしないよ? そーゆーの面倒だし」

「愛梨もそうだが、志希はもう少し男への警戒心を持った方がいい」

志希「無防備な姿をさらすのは愛梨ちゃんもあたしもキミの前だけだよ。
   この意味わかるでしょ?」

「信頼してくれるのは嬉しいが……」

志希「ちなみにここは10歳くらいからふっくらと……、キョーミない?」

「……いいから着替える」

181 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:13:44.60 vTqC38JC0 159/405

志希「――で、その花束はなに? あたしへのプレゼント?」

「ああ、これは――」

志希「もしかしてあたしにプロポーズ?
   にゃふふぅっ! キミもケッコー古風なんだね、嫌いじゃないよ?
   いいでしょー、謹んでお受けしま――」

「凛からのプロポーズだよ、ほら」ポフッ

志希「おわっと。……あー、そっかー。今日もらう約束してたんだった。
   そーだったー、そーだったー。あとでお礼いっとかなきゃ」

「俺からのプレゼントはこっち」

志希「なにこれ、台本?」

「おめでとう、志希。この前の舞台のオーディション、
  志希のやりたがってた役に決まったぞ」

志希「ほんとに? 嬉しいっ!」

「“百年牢に閉ざされた聖女”か。
  よくもこんな難しそうな役に挑戦しようと思ったな」

志希「……まーね」パラパラ

志希「きっとこの人、牢から出てさぞビックリしただろうね。
   町並みは変わってるし、誰も知らないし」

志希「どんな、気持ちなのかな……」

「……」

182 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:16:37.48 vTqC38JC0 160/405

 ――バンッ!


未央「うわっ、ビックリしたぁ……って、ゲッ! 美嘉ねえ……」

美嘉(誰よ! まゆちゃんに寮のこと話したのは! 超怖かったんだから!)

未央(ええっと、それはその……)

莉嘉(ゴメンなさい、お姉ちゃん……)

美嘉(莉嘉、またアンタか! あれだけ誰にもいうなっていったじゃない!)

アナスタシア「美嘉、なにをコソコソと話しているんです。内緒話ですか」

美嘉「へっ? べっ、別に? なんでもないですけど?」

アナスタシア「プロデューサーが美嘉たちの部屋に行ったことなら、
       もうみんな知っていますよ」

美嘉「なっ!」

幸子「その様子だとまゆさんにだいぶ絞られたようですね」

美嘉「~~っ! もぉっ! なんなのよ!
   どうしてアタシばかりこんなに責められなきゃいけないわけ!?
   アタシそんな悪いことした!?」

幸子「したでしょ」

アナスタシア「しましたね」

美嘉「だってプロデューサーと二人きりだったわけじゃないんだよ!?
   やましいことなんかなにもしてないのに!
   かなり健全なお付き合いだったのにぃ!」

幸子「いや、プロデューサーさんを部屋に入れた時点ですでにやましいですから」

アナスタシア「抜け駆けした罰です」

美嘉「抜け駆けって……、じゃぁ訊きますけど?
   二人は人にはいえない、プロデューサーとの思い出がないってわけ?」

幸子「……」サッ

アナスタシア「ヤ、ヤーニェズナーユ……」

美嘉「あーっ! 顔逸らした! ロシア語で誤魔化した!
   二人だってやっぱあるんじゃない!」

莉嘉「ハイハイ! アタシもある! Pくんと二人だけの思い出! たっくさん!」

「莉嘉ちゃん、ノリノリで自己申告しなくていいから。ややこしくなるから」

未央「……私もある。プロデューサーと二人だけの思い出」

「ちょっと未央まで……」

未央「けどさ、諦めちゃったらそれは私一人だけの思い出になるってことだよね?」

未央「だってそうでしょ? 
   どんなに大切な思い出でもプロデューサーは永遠に思い出せないまま。
   二度と過去の共有ができない……」

「……」

美嘉「……なに、なんの話、諦めるって」



……

183 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:18:28.93 vTqC38JC0 161/405

美嘉「――プロデューサーの様子が変なのはアタシも気にはしてたけど……」

美嘉「……凛はこのこと知ってるの」

未央「知らない……、と思う」

美嘉「じゃあ、凛にはこのまま黙っておくこと。来週にはシークレットライブがあるんだし」
   
美嘉「あの子、ああ見えて脆いところあるし、
   プロデューサーのことに関しては殊更敏感なんだから、
   教えるにしても終わってからじゃないと……」

美嘉「それにアンタたちも、プロデューサーが記憶を諦めるって
   まだ決まったわけじゃないんだからあまり深刻に考えない。
   そんな暗い顔してたら凛に悟られる」

美嘉「未央、アンタは一番のムードメーカーなんだから、
   こういう時こそ明るく振る舞ってみんなを元気づけなさいよ。
   アンタから明るさ取ったらなにが残るわけ」

未央「私から明るさを取ったら……」ハッ!

未央「クール・ビューティー・未央ちゃんの完成……?」

「ないわー」

卯月「……」

幸子「あの、卯月さん」

卯月「……え」

幸子「大丈夫ですか。さっきからずっと黙り込んでいますけど」

アナスタシア「卯月も『心アラズ』ですか」

卯月「えっと、あの、その、なんでもないです、なんでも……」

(……?)

卯月「そうだ、私、お仕事があるのでそろそろ行きますね」


 ガチャッ バタン……


「……どーしたの、卯月ちゃん」

幸子「さぁ……」

アナスタシア「あれは『なんでもある』時の『なんでもない』ですね」

184 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:22:15.33 vTqC38JC0 162/405

卯月「……」ツカツカ



『もしプロデューサーが本当に記憶を諦めるとしたら、
  それを私たちは受け入れることができるかしら』


未央『どんなに大切な思い出でもプロデューサーは永遠に思い出せないまま、
   二度と過去の共有ができない……』



卯月「私って薄情なのかな……」


「誰が薄情だって?」


卯月「ひゃあっ!」ビクッ

卯月「……あ、プロデューサーさん」

「悪い、そんなに驚かれるとは思わなかった。
  卯月はこれからデレラジの収録だったか」

卯月「あ、はい。実は今日のパーソナリティ、私一人なんです。
   一人の収録って初めてだから少し緊張しちゃって……、えへへ」

「そっか。それじゃあ、卯月の緊張がほぐれるよう、これをあげよう」スッ

卯月「……飴ですか」

「実は杏のために買ってきたんだ。杏、飴が好物だって聞いたから、
  それなら飴を出しに仕事のモチベーション向上を図ってみようかと」

卯月(あ……)

「さすがに食べ物につられる年齢じゃないのはわかってるけど、物は試しで」

卯月「それ、前のプロデューサーさんも同じことをしていました。
   駄々をこねる杏ちゃんに飴と引き換えにしてよく交渉を……」

「そ、そっか。まあ、同じ人間だしな。考えることも一緒か、はは」

卯月「口には出さないけど、杏ちゃん、その一連の流れが好きだったみたいです。
   今はそれがなくて少し寂しそうで。だからきっと喜んでくれると思います」

卯月「……けど、やっぱり寂しくなると思います」

「どうして?」

卯月「プロデューサーさんが、思い出したわけじゃないから」

「……」

卯月「……あ、ご、ごめんなさい! 私、なんてことを……」

「いや……、きっとそのとおりだ」

卯月「……」

185 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:22:58.30 vTqC38JC0 163/405

卯月「あのさ」「あの!」

卯月「あ……」

卯月「どうぞ……」

卯月「……」

卯月「あはは……」

卯月「……」



「俺の記憶が戻らないっていったらどうする」


卯月「プロデューサーさん、記憶、諦めるんですか」



卯月「……」



……

186 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:25:57.08 vTqC38JC0 164/405

「……そっか、みんな不安がってるか」

卯月「……」

「本当は凛のシークレットライブが終わったら
  話そうと思っていたんだが、そうもいかないか」

卯月「じゃあ……」

「そうだな、結果的に俺は記憶を諦めることになる」

卯月「……!」

「この前の定期検査で医師にいわれたよ。
  ここまで月日が経って記憶が戻らないとなると
  もはや戻る可能性はないだろうって。
  おそらく俺の記憶は一生このままだろうって」

卯月「……」

「すまなかったな。
  今まで色々協力してくれたのにこんな結果になってしまって。
  みんなにはまた辛い思いを……」

卯月「あ、あの、私たちのプロデュース、やめたりしないですよね……?」

「……正直、怖い」

卯月「怖い?」

「もう、みんなが望む前の俺には戻れない。
  だけど俺はこれからもこの飴のように、
  記憶が変わる前の俺がしたことと同じことを繰り返すだろう。
  なまじ記憶が違うだけの同じ人間だしな」
  
「その都度みんなには寂しい思いをさせることになる。
  きっと今までだって何度もあったんだろ」

「俺がそばにいるだけでみんなを苦しめる……。
  そんな俺を、みんなは受け入れてくれると思うか」

卯月「……」

187 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 13:27:55.28 vTqC38JC0 165/405

卯月「正直にいうと、私はそんなにショックじゃないんです」

「え……」

卯月「自分でも不思議なんです。
   私にも前のプロデューサーさんとの思い出は沢山あります。
   どれもかけがえのない大切な私の記憶です」

卯月「今思い出しても心が温かくなって元気が出てくるような……。
   プロデューサーさんにとってもそんな記憶だったらいいなって、
   えへへ……」



『私にとってかけがえのない大切な記憶だから、
  プロデューサーにとってもそうだったらいいなって』



「……」

卯月「でも、もしプロデューサーさんが記憶を諦めるとしたら、
   私はそれをすんなりと受け入れられる気がしたんです」

卯月「……実際、そのとおりでした」

「だからさっき、自分が薄情だって……」

卯月「……」コクッ

卯月「寂しいと感じたこともそんなにないから、
   余計にみんなとの温度差を感じちゃって……」

卯月「だからみんなが私みたいに受け入れられるかどうかはわかりません。
   だけど一つだけ、確かなことがあります」

卯月「私もみんなも、プロデューサーさんと絶対に離れたくはないです」

卯月「それだけは、確かです」

「……」

「少し、話し込んでしまったな。そろそろ切り上げよう、ラジオに遅れる」スッ

卯月「あっ……」

「卯月、このことは俺から話すまでみんなには黙っていてくれるか」

卯月「は、はい」

「……卯月は薄情なんかじゃないよ。薄情な人間はそんな風に思い悩んだりしない」

「優しい子だよ、卯月は」

卯月「プロデューサーさん……」

「あ、もしかして卯月だったか。俺と千川さんの話を聞いていたのは」

卯月「話? なんの話ですか」

「いや……、知らないならいいんだ」

(……)



…………………
………………
…………
……

190 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:40:49.19 RFnWBlsF0 166/405

トレーナー「――オッケー、いいでしょう。
      みんな、この短期間でよくここまで形にできた。
      さすがは第一線で活躍するアイドルたちといったところかしら」

幸子「フフン! 当然ですよ、ボクにかかればこのくらい」

美嘉「ま、半端な出来じゃ自分が許せないし」

トレーナー「ふふ、そうね。
      本会場でゲネプロができなかったのは悔やまれるけど、
      その分、明日の最終リハできっちり詰めていきましょう」

「……あの、私からも」スッ

「みんな、あらためて本当にありがとう。
  私のわがままにここまで真摯に付き合ってくれて」

未央「しぶりん、礼をいうのはまだ早いんじゃないの。本番は明日なんだから」

アナスタシア「そうですね。感謝の言葉は全てが終わってからまた聞かせてください」

「雑炊は締めにあるから美味しいのよ」

美嘉「なんの話……」

「うん、明日はよろしくお願いします」ペコ

トレーナー「それじゃあ、今日はここまで。
      みんな、お疲れさま。明日は頑張ってね」

一同「ありがとうございました!」



………
……


191 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:42:22.50 RFnWBlsF0 167/405

 ――ガチャッ

「お疲れさまです」

ちひろ「あら、凛ちゃん、お疲れさま」

「ちひろさん、プロデューサーはまだいる?」

ちひろ「プロデューサーさんなら……」


「……」スースー


(寝てる……)

ちひろ「もう少ししたら先行してアリーナへ向かうから、
    今のうちに寝てもらっているの。
    現地に着けば明日が終わるまで寝れないでしょうし」

ちひろ「もしかしてプロデューサーさんに用事でもあった?」

「ううん、なんとなく顔が見たかっただけ」

「……無理、させちゃってるよね」

ちひろ「明日のライブを成功させるためだもの、多少の無理も今は仕方ないわ。
    みんなの仕上がりはどう?」

「バッチリ。みんなのおかげで最高のステージになりそう」

ちひろ「そう、よかったわね」

「明日のステージ観たらさ、プロデューサー、思い出してくれるかな」

ちひろ「……今日はもう帰った方がいいわ。明日に備えて早めに身体を休めないと」

「うん、でももう少しだけここにいてもいい? もう少しだけ、ここに……」


「……」スースー



…………………
………………
…………
……

192 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:43:55.76 RFnWBlsF0 168/405

未央「アリーナよ、私は帰ってきた!」

莉嘉「きたーっ!」

蘭子「今宵、灰かぶりの娘は蒼穹の歌姫に生まれ変わるのだ!」

志希「のだーっ!」

美嘉「アンタらうっさい。
   なんで主役の凛よりアンタたちの方がはしゃいでんのよ」

未央「いやぁ、だって、こんなにも早くアリーナに戻ってこれるとは
   思ってもみなかったから、もう嬉しくて嬉しくて」

志希「アドレナリンが過剰分泌しますな!」

莉嘉「しますな!」

愛梨「なんだか思い出すなぁ。一人でここに立ったのが懐かしい」

蘭子「あの日のことを忘れたことはないわ……」フッ

未央「お、初代・二代目シンデレラガールが語る!
   どうでしたか、一人で立つアリーナのステージは?」

蘭子「ククク、緊張しすぎて吐きそうだった」

未央「……」ガクッ

愛梨「私も。人生の中で一番緊張したかも。
   でもここから見る景色は本当に最高だった。きっと一生忘れない」

幸子「……そっか。
   シンデレラガールになれば、この景色全部ひとり占めにできるんだ……」


 「…………」


美嘉「俄然、ヤル気が出てきわね。次のシンデレラガールの座に就くのはアタ――」

未央「私だーっ!!」

莉嘉「アタシだーっ!!」

志希「志希ちゃんだーっ!!」

幸子「ボクだーっ!!」


美嘉「……ア、アタシだー……」


まゆ「なにを叫ばれているんです」

愛梨「えーと……」

蘭子「栄光を掴む魂の咆哮!」

まゆ「……?」



………
……

193 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:45:35.16 RFnWBlsF0 169/405

『渋谷凛です、今日はよろしくお願いします』

 『よろしくお願いしまーす。ではマイクテスト始めまーす』



「……」

 ――ツンツン

「……?」クルッ

「お疲れサマー……」

「お、お疲れさまぁ……」

194 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:46:48.17 RFnWBlsF0 170/405

「これ、差し入れです」

「ああ、ありがとうございます。
 『エナドリ』……、栄養ドリンクですか」

「うちの事務所が製薬会社とコラボして作った栄養ドリンクです。
  なぜかちひろさんが監修されているみたいです」

「へえ、千川さんが」

「一度飲んだら“やめられない、とめられない”と評判なんですよ」

「それは……、栄養ドリンクとしてどうなんですか」

「栄養は取れてるみたいだからえーよー」

「……」

「ふふ、私、プロデューサーのその
  どう反応したらいいかわからない表情を見るのが好きなんですよね」

「でももっと好きな表情があるんです。なんだと思います?」

「……さあ」

「それは――」

 ――ニュッ

「うぇっ?」



『――アー、アー、チェック・ワン・ツー……』

 『はい、オッケーでーす。では歌お願いしまーす』



「プロデューサーの笑顔です」

「……」

195 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:47:55.76 RFnWBlsF0 171/405

「いけない、いけない。“笑顔”は卯月ちゃんの専売特許でしたね」

「……私、凛ちゃんには感謝しているんです。
  今日のシークレットライブに出演させてくれて」

「どうしてですか」

「今日の主役は凛ちゃんで私たちはあくまでサポートする立場ですが、
  アイドルとしての本分がなくなったわけではありません」

「アイドルとは人々に希望や勇気を与え、笑顔にさせることができる存在であり、
  それこそが全うすべきアイドルの本分である、と私は考えています。
  誰かさんの受け売りですけど」

「今日でいえば私が凛ちゃんをサポートすることで
  会場に来てくださったお客さんたちを笑顔にすることができれば、
  私はアイドルとしての本分を全うすることができたというわけです」

「ですが今日、笑顔にすべきはお客さんだけではあらず」

「プロデューサー、あなたもです」

「……」

196 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:49:18.75 RFnWBlsF0 172/405

「私、プロデューサーが記憶障害に陥ってから今日まで、
  プロデューサーの心からの笑顔って久しく見ていないんです」

「プロデューサーの心情を察すればそれは当然のことだと思います。
  未だ記憶の回復の兆しもない現状では、
  心から笑うことなんてできないですよね」

「だけど今夜の私たちは魔法使いです。魔法使いならば
  プロデューサーを魔法にかけ、笑顔にすることもできるはず」

「今夜くらい、全てを忘れ、夢のようなひと時を……」

「……楓さん」

「悔しいですが、私一人の力では
  今のプロデューサーを笑顔にすることはできないみたいです」

「ですが一人では無理でも、私たち13人の力を合わせればきっと……。
  凛ちゃんもそう思ったから私たちに出演を依頼したのではないでしょうか」

「それに最も身近にいる人を笑顔にできないでアイドルとは名乗れませんからね。
  私のプライドにかけて、プロデューサーを心からの笑顔にしてみせます」

「……ありがとうございます、期待しています」

「はい、期待していてください。
  それにしてもプロデューサーの頬触っちゃった。
  みんなに自慢しちゃおっと」

「え、それ自慢になるんですか」



………
……

197 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:50:23.86 RFnWBlsF0 173/405

幸子「あ、プロデューサーさん!
   ズルいじゃないですか、楓さんに頬を触らせて!
   ボクにも触らせてくだいさいよ!」

未央「そーだ、そーだー! 不公平だー! 私にも触らせろーっ!」

莉嘉「アタシも触りたーい!」

志希「唇で触らせろー」

「人、それをキスという」

まゆ「志希さん? どさくさに紛れてなにをいっているのかしら?」

(本当に自慢になってる……)

「なんていうか、みんな、いつも通りだな。緊張してないのか」

美嘉「もちろんしてる。でもいい緊張感だよ」

アナスタシア「そうですね。適度な緊張感は実力を引き出すために必要ですから」

「頼もしいな」

愛梨「でも凛ちゃんは違うと思います。きっと――」

蘭子「彼の魂は今、瘴気にあてられ、渦巻く混沌の闇を彷徨っている……」

「……つまり、極度の緊張状態にいる、という解釈であっているか?」

愛梨「あってます」

蘭子「さあ、行くがよい。彼の魂を救済せよ。導きの矢を放て。
   さすれば闇に一筋の流星が降り注ぎ、光の道が開かれるだろう……!」

「……つまり、俺に凛の緊張を和らげろ、という解釈であっているか?」

愛梨「あってます」

「わかった。じゃあ、行ってくるよ」

198 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:51:22.44 RFnWBlsF0 174/405

「凛、入るぞ」コンコン

  ガチャッ――

「……ん」

卯月「お疲れさまです、プロデューサーさん」

「お疲れ、卯月もいたんだな」

卯月「はい。では私そろそろ戻りますね。凛ちゃん、また後で」

「うん、ありがと」

 ガチャッ バタン

「なにを話してたんだ」

「まぁ……、他愛のない話」

199 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:52:30.82 RFnWBlsF0 175/405

「緊張してるか」

「まぁ、それなりに。なに、励ましにきてくれたの」

「そのつもりだったけど、思ったより平気そうだな」

「伊達にライブをこなしてませんから。
  それに今日はみんながいるし、それだけでも大分違う。
  一人だったら……、きっと震えてた」

「そっか、いい仲間を持ったな」

「うん……。
  だからプロデューサーの励ましの言葉は必要ないかな。
  なんか効かなそうだし」

「そ、そっか……」

「ふふ」

「……」

「どうした」

「ううん、なんでもない。プロデューサー、ありがとう」

「プロデューサーのおかげで無事今日を迎えることができた。
  一時はどうなるか不安でいっぱいだったけど、万全を期してライブに臨める。
  ちゃんと私の期待に応えてくれたよね」

「それが俺の仕事だからな」

「今度は私が応える番……。
  ねえ、プロデューサー、私のことちゃんと見ててね?
  私、キラキラ輝いてみせるから」

「ああ、もちろん。凛の輝く姿をこの目に焼き付けるよ」



「もう、忘れないでね」



………
……

200 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:56:09.69 RFnWBlsF0 176/405

「――時間だ。みんな、準備はいいか」

莉嘉「オッケー☆」

愛梨「いつでも行けます」

幸子「むしろ待ちくたびれましたよ」

「……」

「魔法使い諸君、今夜はシンデレラをよろしく頼む。
  みんなの魔法で最高のステージにしてあげてほしい」

「合点承知の助」

蘭子「今こそ我が魔力を解放し、『蒼の世界』を創造してみせようぞ!」

美嘉「あとはアタシたちに任せてプロデューサーは安心して見ててよ。
   ばっちり凛をサポートしてくるからさ」

志希「凛デレラや、
   零時で魔法が解けてしまうからそれまでには帰ってくるんじゃよ」

「いや、そんな長いことライブやんないし」

「さぁ、えんじ……凛グになりましょう、凛グに」

「円陣でいいから。わざわざいい直さなくていいから」

  アハハ ゾロゾロ……

201 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:56:56.45 RFnWBlsF0 177/405

未央「しぶりんデレラ、掛け声の前になにかひと言」

「普通に呼んで、普通に」

「……みんな――」

愛梨「あ、そういえば凛ちゃん、シンデレラガールおめでとう」

「今さら!?」

愛梨「今度お祝いのケーキ焼いてくるね」

「え、あ、ありがとう……」

幸子「凛さん、余裕を見せてられるのも今のうちですよ!
   すぐに追いついてやりますから!」

「な、なに急に」

未央「玉座に座ってられるのも今のうちってことよ!」

アナスタシア「そうです、せいぜい首を洗って待っていることです」

「アーニャ、それ意味わかっていってる?」

美嘉「ストップ。今はアンタたちの思いの丈を主張する場じゃないから。
   凛、どうぞ」

「え、あ、うん」

202 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:57:51.16 RFnWBlsF0 178/405

「みんな、ケガにはくれぐれも気をつけて」


一同「……」


「……」


一同「……?」


「……あ、以上です」


一同「……」ガクッ

203 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 19:58:43.34 RFnWBlsF0 179/405

未央「しぶりんさぁ……」

「なに、大切なことでしょ」

未央「そりゃ大切だけど! 大切なことだけども!
   もっとこう……! 私たちを鼓舞する言葉をさぁ!」

「鼓舞する必要ないくらい、もうみんな十分ヤル気じゃん」

美嘉「じゃあ、今日のライブにかける思いを語るとか」

「それ散々インタビューで答えたし」

未央「なんで!? なんでこれからって時にそんな冷めてんの!?」

「いいじゃん。今の私冷静ってことでしょ。
  そういう未央こそもう少し落ち着きなよ」

未央「ぬわぁにぃっ!!?」

幸子「……なんていうか」

まゆ「締まらないわね」

卯月「あはは……」

204 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 20:00:21.12 RFnWBlsF0 180/405

「凛ちゃん、グダグダ筆頭の私がいうのもなんだけど、
  こういう時はきちんと締めた方がいいと思うの」

アナスタシア「凛、楓にいわれてはお終いですよ」

(さらっとひどいことをいう)

「わ、わかった……」

「……」チラッ

(……ん?)

「私は……決めた。私は過去よりも今を選ぶ。みんなはどうする」

卯月(……)

志希(……)

美嘉「なにそれ……、どういう意味?」

「別に。なにも」

「今日という日が誰かにとって、一生の思い出になるような、そんなライブにしたい」

「そのためにも、みんなの力を貸してほしい」

蘭子「フッ、その言葉を待っていた……!」

未央「ほんとだよ。最初からその言葉つけといてよ」

205 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 20:01:14.61 RFnWBlsF0 181/405

「じゃあ、みんな、手を出して。いい? いくよ……」


「すぅ……」


「ハナコ!!」


一同「ワンッ!!!」

206 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/23 20:02:01.44 RFnWBlsF0 182/405

「……」

「……え、なにそれ」

卯月「ハナコちゃん。凛ちゃんの飼ってるワンちゃんです」

莉嘉「ワンワン!」

志希「ニャンニャン!」

「可愛いよ。今度見せたげる」

「そ、そっか。
  まあ、それで気合が入ったというならなにもいうまい……」

「……よし! それじゃあ、みんな、行ってこい!」

一同「はい!」


 ワァァァァァ……



…………
………
……

223 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:31:19.44 Ys5IIeNT0 183/405

未央「――えー、では、私、本田未央が
   センエツながら乾杯の音頭を取らせていただきます」

美嘉「“僭越”とか絶対意味わかってないでいってるよね、アレ」

幸子「間違いない」

未央「そこ! 聞こえてる!」

「おーい、早く乾杯させろー。腕疲れたー」

未央「ウオッホン! ではあらためまして、
   三代目シンデレラガール・渋谷凛さんの
   シークレットライブ成功を祝しまして、か――」

莉嘉志希「かんぱ――い!!」

一同「かんぱーい!」

未央「……」

未央「……か、かんぱーい!」


 ワー パチパチパチ……

224 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:32:24.95 Ys5IIeNT0 184/405

「……」

「凛」

「プロデューサー」

「どうした、今日の主役がそんな隅っこに縮こまって。さすがに疲れたか」

「まあね。無事終わって気が抜けちゃったのかな。
  あまり動きたくないんだよね」

「杏みたいなことをいう」

「ねぇ、私たちのステージどうだった」

「何度同じことを聞くんだよ。さっきも答えただろ」

「いいじゃん。何度だって聞かせてよ」

「……最高のステージだったよ」

「ほんとに?」

「ああ」

「一生の思い出になった?」

「なったよ」

「もう忘れない?」

「忘れないって」

「絶対だよ? 絶対に忘れないでね。
  今日のことも、これからのことも、ずっと」

225 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:33:43.68 Ys5IIeNT0 185/405

美嘉「うえっ、辛っ! ちょっと志希ちゃん、
   アタシのピザにめっちゃタバスコかけたでしょ!」

卯月「わぁ、ケーキの種類沢山ありますね」

愛梨「いっぱい動いた後だし、
   今日くらいカロリー気にしないで食べちゃってもいいよね」

「……んぐっ……んぐっ……」グビッ グビッ

「はぁ……、黒ビール美味しい……」ウットリ

226 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:34:15.25 Ys5IIeNT0 186/405

「……卯月から聞いたのか」

「……」

「そっか。凛だったんだな、俺と千川さんの話を聞いていたのは」

227 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:36:23.93 Ys5IIeNT0 187/405

「……凛、俺は――」

「ねぇ、プロデューサー、ここから再出発しない?」

「CGプロ所属アイドルにとって『シンデレラガール』は
  目指すべき到達点だけどゴールじゃない。
  辿り着けばそこはもう通過点の一つでしかなくて、
  道はまだずっと続いてる」

「次の到達点『トップアイドル』を目指して
  私たちはここからまた始めの一歩を踏み出す。
  今日がその再出発を飾るに相応しいと思わない?」

「……俺は、相応しいのか」

「俺は記憶を諦めるよ。もう凛の知る過去の俺には戻れない」

「私の知るプロデューサーってなに?」

「私の知るプロデューサーは、いつも一生懸命で、無理ばかりして、
  時々抜けてるところがあって、時々カ、カッコよくて……。
  まぁ、そんな人。それは今も昔も変わらない」

「過去に戻れなくても過去がなくなるわけじゃないから。
  記憶を分かち合えないのは寂しいけど、私は覚えてるからそれでいい」

「凛……」

「だからここで降りるなんていわないでよ。
  約束したよね? 私から目を背けないって」

「輝きの向こう側へ、連れていってくれるんでしょ?」

「……」

「今度、一緒に海に行くか」

「え、海……」

「凛がよければだけど」

「う、うん、いいよ。行く」

「…………//」

228 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:38:16.68 Ys5IIeNT0 188/405

未央「しーぶりん! お疲れ!」

「……! お、お疲れ」ビクッ

未央「プロデューサーもお疲れ! 二人でなに話してたの?」

「ふふ、ないし――」

「今度一緒に海に行かないかって。未央やみんなも一緒にどうだ」

「はっ!?」

未央「行く行く!
   みんなー、今度プロデューサーが海連れてってくれるってー」

莉嘉「えっ、海ー? やったー!」

アナスタシア「スパシーバ。それは楽しみです」

蘭子「灼熱の業火が我が身を焦がすであろう。ネプトゥーヌスの加護が必要ね」

幸子「青い海、白い砂浜、水も滴るイイ幸子……が、
   見たいということですか。フフン、仕方ないですね。
   まぁ、プロデューサーさんも頑張られたことですし?
   ご褒美にボクが文字通り一肌脱い――」

「どこの海ー? 私、人の少ないとこ希望ー」

まゆ「いつ行かれるご予定ですか。
   それまでに準備しておきたいことが」

美嘉「アタシも新しい水着欲しいんだよねー」

 キャッ キャッ

「……」

「ん、どうした、凛」

「べっつにー。どうせそんなことだろうとは思ってたし。
  ほんっとそういうところだけは変わらないんだから。フンッ」スッ

「お、おい、なにそんなに怒ってんだよ……」

「楓さん、私にもビールちょうだいよ」

「え……」

「コラ――ッ!!」



………
……

229 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:39:14.18 Ys5IIeNT0 189/405

莉嘉「…………」ウト ウト

美嘉「莉嘉? どーしたの、眠い?」

莉嘉「……」コクリ

「そろそろお開きにするか。仕事組は明日も早いし」

美嘉「ほら、もうちょっとだけ頑張って起きてな。
   アタシ、眠ってるアンタを部屋までおぶりたくないからね」

「その時は俺がおぶって部屋まで送るよ」

美嘉「(そんな羨ましいこと)ダメ、絶対」

「え?」

230 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:40:04.49 Ys5IIeNT0 190/405

「みんな、あらためて今日はお疲れさまでした。
  みんなの力、見させてもらったよ。最高のステージだった」

未央「へっへーん、どんなもんよー! 私たちの力思い知ったかー!」

 アハハ

「ああ、思い知ったよ。
  俺はこんなにもすごいアイドルたちをプロデュースしていたんだな……」

「……」

美嘉「プロデューサー?」

「……みんなに聞いてほしいことがある」


「俺の、記憶は――――…………



――――――――――――――――
――――――――――――
――――――――
――――
――

231 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:41:39.15 Ys5IIeNT0 191/405

「ほら、起きるんだ杏。撮影に遅れる」

「うえぇ、プロデューサーがかわりに行ってきてよ」

「俺が行ったって替え玉にもならないぞ」

「大丈夫、大丈夫。プロデューサー結構甘いマスクしてるから
  それなりに女性ファンがつくと思うよ。自信持っていってらっしゃい」


まゆ『あら、プロデューサーさんのファンならまゆ一人で間に合ってますよ』


「……え、まゆちゃんの声? どっから聴こえた?」

「俺のデスクの下だ。誰の影響か、なぜか最近居座っている」

232 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:43:25.25 Ys5IIeNT0 192/405

 ガチャッ

蘭子「闇に飲まれよ!」バーン
  (お疲れさまです!)

アーニャ「お疲れさまです」

「お疲れ、二人とも」

アーニャ「杏と交渉中ですか」

蘭子「眠れる妖精を覚醒させるには虹の欠片が必要よ」
  (飴は用意してありますか)

「もちろんだ。まゆ、俺のデスクの――」

まゆ『一番下の引き出しですね。すぐお持ちします』

「……なにその阿吽の呼吸」

アーニャ「アウンの呼吸?」

幸子「息がピッタリということですよ。
   プロデューサーさん、ボクたちそろそろ出ますね」

「ああ、行ってらっしゃい。頑張っておいで」

志希「よし、行ってこい!」

「お前もだ。幸子、志希の手綱をしっかり握ってるんだぞ」

幸子「任せてください。
   ボクと志希さんの阿吽の呼吸で完璧に仕事をこなしてきますよ!」

志希「キャー、幸子ちゃんステキッ! 呼吸させてっ!」ガバッ

幸子「うわっ!?」

志希「もー、幸子ちゃんってば、
   こんなイイ匂いさせてあたしを誘惑するんだから!
   あ、リンス変えた?」

幸子「は、離して~!」

 ズルズル…… ガチャッ バタン

「……早速、弄ばれてるがな」

蘭子「狂気の錬金術師を制御できるのは我が友だけよ」
  (志希さんをコントロールできるのはプロデューサーだけだから)

まゆ「プロデューサーさん、お持ちしました」

「ありがとう。……さて、杏」

233 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:45:32.84 Ys5IIeNT0 193/405

 ガチャッ

莉嘉「Pくん、ただいまー!」

美嘉「ただいまぁ……」

「おかえり。今日は次から次へと入れ替わり立ち替わりだな」

莉嘉「……? なんの話?」

「こっちの話だ。どうだった、遊園地ロケは」

莉嘉「ちょー楽しかった! またやりたい!」

美嘉「はぁ……、アンタ仕事そっちのけで楽しむんだから、
   ほんと軌道修正するの大変だったわ」

「はは、美嘉と一緒で正解だったみたいだな」

莉嘉「ハイこれ、みんなにお土産!」

まゆ「……あら、これって」

アーニャ「アー、飴ですね」

美嘉「あれ、なんかビミョーな反応? このチョイス、マズかった?」

「いやぁ全然。最高のチョイスだよ。ねぇ、プロデューサー?」ニヤリ

「……」

美嘉「あ、もしかして今、交渉中?」

莉嘉「杏ちゃん、飴返して!」

「貰ったものは返せませーん」パクッ

莉嘉「あっ!」

「あーっ、お土産の飴美味しいなー!
  あ、プロデューサーなんだっけ? 飴ならもう杏の口の中だから、
  プロデューサーのその飴は明日の交渉のためにとっといてよ」

莉嘉「ぐぬぬ……」

234 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:46:41.18 Ys5IIeNT0 194/405

美嘉「ゴ、ゴメン、タイミング悪くて……」

「いや、美嘉たちはなにも悪くない。……仕方ない」ヒョイ

「うわっ、なにすんのさ」

「強制連行だ。杏は軽いしな。このまま下のスタジオまで担いでいく」

「おぉ、これは中々に楽だ。うむ、苦しゅうない。これなら……」


一同「…………」


(圧がすごいな……)

「……やっぱりいい。ちゃんと自分で行くから下して」

「お、やる気になってくれたか」スッ

「う、うん、まぁ……、じゃあ、ぼちぼち頑張ってきます」

 ガチャッ バタン

「よし、うちの問題児たちを無事に送り出せたな」

まゆ「お疲れさまでした」



「……」

「……!」ティン

235 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:47:31.50 Ys5IIeNT0 195/405

愛梨「プロデューサーさん!」

「どうした、愛梨」

愛梨「助けてください、楓さんが大変なんです!」

「楓さんが?」

愛梨「いきなり『ヒラメと板で閃いた!』とかいって」

「いつもの楓さんじゃないか」

愛梨「ソファーに寝転がったんです!」

「それは……大変なのか」

愛梨「私たちこれからリハがあるんです。
   なのに楓さんったら杏ちゃんみたいになっちゃって。
   とにかく来てくれませんか?
   私じゃどうすることもできなくて……」

「……問題児がまだ残っていたか」

236 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:49:23.73 Ys5IIeNT0 196/405

「…………」グダー


「これは見事なまでにだらけきっているな。
  確かに杏を見ているようだ」

「楓さん、起きてください。リハに遅れますよ」

「……」チラッ

「私をその気にさせたいのなら、お酒を持ってきてください」

「これから仕事をする人に酒なんか出すわけないでしょ」

「あー、二日酔いで頭が痛いから動きたくないなー」

「それは自業自得です」

「誰かお姫さま抱っこで会場まで運んでくれないかなー」

「愛梨、できそうか」

愛梨「む、無理です!」

「今をときめくアイドル高垣楓をプロデュースしている殿方が、
  お姫さま抱っこで会場まで運んでくれないかなー」

「バカいってないでさっさとリハに行きなさい」

「プロデューサー、最近、私に塩対応すぎやしません?」

「俺がまともに取り合うと却って楓さんを助長させますからね。
  ほら、愛梨が困ってますよ。困らせるのは俺だけにしてください」

「……わかりました。行きます、行けばいいんでしょ。(ダッ)フーンだ。
  そのかわり、また飲みに付き合ってくださいね。行きましょう、愛梨ちゃん」

愛梨「はい、それでは行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 ガチャッ バタン

まゆ「いいなぁ。まゆもプロデューサーさんと一緒に
   素敵なバーでお酒を嗜んでみたいわ」

「まゆが大人になったらな。さて、俺も仕事に戻るか」

237 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:50:09.67 Ys5IIeNT0 197/405

(凛のシークレットライブから2か月が経った)

(あの日、俺はみんなに記憶を諦めることを告げ、
  みんなは俺の意思を受け入れてくれた)

(俺はこの世界で、CGプロのプロデューサーとして生きていくことを選んだ)



(充実した日々……、欠けていたものが満たされていく)

238 : ◆nx90flyJCa6p - 2020/10/24 19:50:39.88 Ys5IIeNT0 198/405



(いつしか、765プロを思い出すこともなくなっていた)





続き
P「あいつらに会いたい」【後編】


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