1
正直に言えばこの一ヶ月の間、抱え込んだややこしい心境に、私の心は揺れ続けていた。
「やっぱり、受け取っちゃうんだろうな、私は」
呼び出されて足を運んだ、ラボの屋上。鉄柵に肘を付き、そよぐ風に髪先をなびかせていると、何だか無性に顔をうつむけたくなってしまう。
「私だけが……もらえるんだ」
そんな事をつぶやくと、いまいちよく分からない罪悪感が幅をきかせてきて、ちょっと鬱陶しい。
考えすぎだと言う事は、分かってた。気にする必要なんてないって事も、ちゃんと分かっていた。だがそれでも、理性とは裏腹な感情の揺れは、中々どうして収まってくれそうもない。
一月前の2月14日。一人の男性に、生まれて初めて贈ったチョコレート。嫌と言うほど自覚している不器用な腕前で、湯煎だけにも手間取りながら形作った、褐色色の想いの形。
そんな不細工な代物を、はにかみながら受け取ってくれた男性の顔を思い出すと、気恥ずかしさと共に、ちょっとだけ憂鬱な何かが込み上げてくる。
「あげない方が、よかったのかな」
などと口にするも、しかしそれが本心でないことは、言うまでもなく──
「あんなの、気にすること無いのに……」
そして続ける言葉は、この一ヶ月の間、繰り返し唱え続けてきた呪文と、何も変わっていなかった。
迷いに迷って用意した、少しは大人っぽさを匂わせる包装紙。包んだ箱にフワリとしたリボンをかけた、思いを込めたはずの贈り物。
元スレ
【シュタインズ・ゲート】岡部「このラボメンバッチを授ける!」真帆「え、いらない」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1530382344/
渡すまでは、気にもしていなかった。なのに、照れ隠し全開でつっけんどんに突き出した私の手から、それを受け取った時の彼の言葉。
『ありがとう、紅莉栖』
それは、普段の彼からは想像できない程、真っ直ぐに届けられた、お礼の言葉だったのだと、今さらながらに思う。
「ああ、余計なこと言った……」
本当はとても嬉しかった、驚くほどに本音だった、素の返し。ちょっと素っ気無い言葉だったかもしれないけど、でも、静かに私を見つめる瞳と、いつもよりも少しだけ近く思えた距離感に、正直その時は舞い上がってしまった。
だからつい、そんな気持ちを見せてしまうのが気恥ずかしくて、照れ隠しを予定よりも延長してしまった。
真面目なフリとか気味が悪いだろと。真剣な顔なんて調子が狂うと。思ってもいない言葉を口にしながら、それでも強く胸を高鳴らせていた。
そんな私に、彼はこう言った。
『別にフリではない。俺はいつだって、お前に感謝してきた。ずっと、な』
普段のふざけた態度が、嘘のような振る舞い。とても深い色をした彼の眼差しに、私は舞い上がりながら、そして、ふと思ってしまった。
今、彼が見ているのは、誰なんだろう?
過去形で告げられた、彼の言葉。『ずっと』と添えられた、私にとっては奇妙な言い回し。そして感じてしまったのは──
『きっと、私だけじゃ……ない』
そんな、ふんわりとした取り止めのない想いだった。
あの夏を過ぎ、程なくした頃に聞かされた、不思議な話。終わりの見えない、延々と続いていたという、とても長い夏のお話。
そのお話の中に、度々姿を現した女の子。
彼や大切な友達のために、頑張って、悩んで、苦しんでいたという、私と同じ形をした沢山の女の子たち。
「馬鹿か、私は……」
きっと大好きだったんだと思う。きっとどの子も、今の私と同じくらい、彼に惹かれていんだと思う。
だけどそれでも、その子達は彼の側にい続けることはなく──今、私だけが、こうして彼の傍らにいられる。
「何で、ずるい……とか思っちゃうんだ、馬鹿」
彼が見ている先にいた、沢山の私。その子達が、私と別人だなんてことは思ってない。でも、それでも──
ありがとう、紅莉栖
これまでの色々な出来事。私の知らない、沢山の想いへと向けられたはずの、彼の言葉。それはきっと、私の知らないお礼の気持ちで。
だから、困る。
「何て言えば……いいんだろう」
もうすぐ私は、彼にお礼を伝える事になるだろう。さっき、ラボの屋上で待っているように言われた時から、覚悟はしていた。
後少しすれば、後ろの扉から彼が来る。そして私は、彼から形を受け取って、想いを返さなければいけない。
ちゃんと伝えることが、できる?
自信がなかった。一月前、ありがとうと言って、名前を呼んでくれた彼。
その中に込められた、余りにも膨大な感謝の理由に気が付いてしまうと、今、私が抱えている想いが、とても薄っぺらに感じてしまった。
「ちゃんと……言いたい」
つりあいたい。彼が向ける想いの重さに、出来る事なら吊り合ってあげたい。
今の私に上書きされて消えた、いっぱいの私。聞かされて知った、彼女たちのために。今でも少しだけ残されている、微かな夢物語の欠片のために。
ひと月前の彼の言葉に、つりあいたい。と、誰のためでもなくそう思ってしまうのは、ワガママなのだろうか。
「私って、こんな不器用だったっけ……」
それはきっと、義務ではないのだろう。吊り合ってほしいなどと、一度も言われたためしがない。
だからきっと彼は、そんな事を望んでなんて、いないだろう。だけどどうしても、そうできない事に歯がゆさを覚える。
「じゃなきゃ、私だけが受け取って、私だけが返すみたいで……何か嫌だ」
きっと、沢山の私が踏み台になって、今の私がいる。それが悪い事だとは思わないけど、でもなぜだかそれは、とても寂しいことのように感じてしまう。
「ちょっと……寒いな」
空を見上げれば、薄い空の色が瞳を覆う。三月も半ばに差し掛かったこの日。昨日、少しだけ舞った小さな雪景色の名残が、まだ屋上には残っていた。
「ほんと、寒いな」
鉄柵から身体を離し、小さく身体を縮こまらせる。と──
「待たせたな」
屋上の扉が開く音が聞こえ、そして彼の声が聞こえた。振り向き、そして私は目を丸くした。
2
「ねぇオカリン。せっかくクリスちゃんを屋上に呼び出したのに、どうしてまゆしぃも一緒に来ないといけないのでしょうか?」
目を丸めている私の耳を、彼に問いかけているまゆりの声が小さく揺らした。
「さっき言っただろう、まゆり。お前もすでに、このイベントの大切な要素なのだとな。ふぅーはははっ」
一頻りのたまって高笑い。そんな、いつもと変わらぬ姿を眺めつつ、私はゆっくりと口を開く。
「岡部……一つ聞いていいか?」
「なんだ?」
私は目をパチクリと瞬かせながら、伸ばした指先で彼の背後を指し示して見せる。
「それ……なに?」
「何? とは愚問だな。貴様、今日が何の日か、知らぬというワケでもあるまい?」
「いや、知ってるけど……でも、変だろそれ」
私の指先。その先に捕らえた、いやに大きな布袋を穴が空くほど凝視する。
「変だと? 失敬な奴め。一月前の借り。それを返すのだ。これくらいあって、然るべきではないか」
もう、意味がよく分からなかった。分かるのは精々、彼の言う一ヶ月前というのが、言わずもがな『あの日』に該当しているのだろうという程度の事。
「じゃあなに? その中はバレンタインのお返しが詰まってるとか……そう言いたいのか?」
「無論である!」
胸を張られてしまった。どこから論破すれば、いいんだろう?
「ええとだな、岡部。朴念仁代表のアンタに、センスとかを求めるつもりはないけど、でもいくらなんでも大きすぎると思うわけだ」
ホワイトデーの定番といえば、軽めの菓子類や花などと、比較的かさばらない物が一般的だと思うわけで。
なのに、彼の後ろにたたずんでいる布袋の大きさといったら、まるで季節外れのサンタクロースのようなんだけど。ギャグ……なんだろうか?
「かさばる物とか、普通は避けるのが一般的だと思うわけで……」
どうしたものかと困り顔をぶら下げてしまうと、彼は顔を軽く緩めた。
「心配するな。一つ一つは、さほどかさばらん」
「一つ一つって、じゃあその中、色々詰め込んであるって……こと?」
恐る恐る問いかけると、彼ははっきりと頷いて見せた。
「その通り。買い揃えるのに苦労した事も、今となっては良い思い出だな」
もう、どこから突っ込んでいいのかすら、分からなくなってきた。
彼は、唖然とした表情の私から視線を外すと、傍らで立っていたまゆりに目を向け、さもしたり顔で口を開く。
「では、まゆり。別命あるまで、ここで待機をしていろ」
「ええぇ?」
唐突な指示に、当然の反応を示すまゆり。何をしたいんだ、こいつは?
「いいから、呼ぶまで動くな。分かったな?」
強く念を押され、シブシブと頷いている。なんだかちょっと、可哀想にみえてしまった。そして──
「では、メインイベントを始めようではないか」
彼はそんな事を言いながら、布袋の先端を握り締めて、ゆっくりと私へ向けて、歩み始める。
「まさかと思うけど、質より量で勝負とか……そういう事?」
「何を言っている。うぬぼれているな、助手風情が。勘違いするな。こう見えても、俺は婦女子から大人気でな。毎年この時期は、大変なものだ」
そんな事を言いながら、遠い目をしてみせる彼。何だかとても、胡散臭い。
「胡散臭い」
思った事をそのまま口にする。と、彼の眉間にシワが寄った。
「失礼な奴め。まあいい。どの道、この中で、お前に渡す物は一個だ、安心しろ」
ニヤリと笑いながらの一言に、不思議と少しだけ落胆してしまいそうになり、慌てて気持ちを持ち直す。
「あ……そう」
おかしな事に、少しだけ声が上ずってしまった。別にいっぱい欲しいとか、そういう事ではない。
そして私の足元に、ドチャリと音を立てて置かれる布袋。彼は袋に腕を突っ込んで、中身をゴソゴソと漁り始める。
「ところでだ、紅莉栖」
「ふぇ?」
出し抜けに、ちゃんとした名を呼ばれた。またしても、声を上ずらせてしまった。
「お前この前、まゆりの前で妙な事を口走ったらしいな? 自分だけ貰えるとか、何とか」
ドキリとした。
「そんな事、あったかしら?」
しらばっくれてみるも、しかし思い当る節はあった。一月の間、ずっと抱えていた何かを、ついポロリと口にして──何だかその時、まゆりの視線を感じた事があったような、なかったような。
「ふん、まあいい。それよりも……おっと、これか?」
彼の手が袋から抜き出される。私の視線は、その大きな手に握られた、綺麗なラッピングの長細い小箱に、釘付けになる。が──
「なんだ、違うな。これはお前のではなかった」
続けられた言葉に、小さく落胆し──
「仕方ない。お前から渡しておいてくれ」
とんでもない台詞とともに、小箱が宙を舞い、すごく慌てる。
「うっわわ!」
ギリギリで受け止める。危なくキャッチし損ねるところだった。何を考えてるんだ、こいつは?
「気をつけろ。想いの込めた一品だ。大切に扱え。渡す前に傷物にされたのでは、かなわんからな」
しれっとした物言い。私は分けが分からず頬を引きつらせる。
「む、ムチャクチャ言うな! 想いを込めてるなら、自分で渡せばいいだろ!?」
思わず、口やかましくがなり立ててしまった。
「そう言うな。渡せるものなら……渡している」
その口調がとても寂しげに聞こえて、高ぶりかけた言葉の色を引っ込め、思わず小さく息を飲む。
「何よ、その意味ありげな言い方」
戸惑いがちに声をかけると、彼は私の問いかけた内容をスルーして、淡々と言葉を続ける。
「中身はフォークだ。ちゃんと渡しておけよ」
「何でフォークなんて……」
「前に、欲しいと言っていた女がいた。だからだ」
なぜだかちょっとだけ、胸の奥が揺らいだ気がした。
「お次は……ち、またハズレか。ホレ、これも渡しといてくれ」
再び、違う小箱が宙を舞う。
「え、ええ!?」
再び慌てて、もう一度奇跡的なキャッチを遂げる。
「ナイスだ。割れ物だからな。絶対に落とすなよ」
「だったら投げるな! つーか、割れ物って何よ?」
「マグカップだ。いつだったか、奴らの襲撃を受けたとき、あいつのカップが割れてしまったからな。代わりを買った」
微かに引っ掛かる。
「襲撃って……なに」
しかし彼は答えない。
「こんなのもあったか。やはり包装してないと安っぽく見えるな。まあいい。それもだ、頼んだぞ」
そして宙を舞う、カップ入りのプリン。何とか片手で確保する。
「勝手に食べたら、やたらに怒っていたからな。ちゃんと名前も書いておいてやった。俺はいい奴だな、うむ」
上ブタの真ん中に「助手」と殴り書きされた、どこにでも在りそうなプリン。
「助手じゃなくて……牧瀬だろ」
知らないうちに、言葉が漏れ出していた。一瞬流れる沈黙。そして──
「そう、だったかもな」
彼は静かにそう言うと、袋漁りを続けていく。
それから、宙を舞っては私が受け取る、想いの形。何度も何度も繰り返され、その度に、どうしてか私の心には、小さな細波が立っていく。
そして、気付けば私の腕の中は、渡せといわれて受け取った贈り物で、溢れかえっていた。
「これで……最後?」
すっかり萎れてしまった、大きかった布袋。そこから彼が手を抜き終えた様を、少しだけ霞んでいる視界でじっと見つめる。と、
「いや、まだ残っている」
零すような彼の声。とても静かにそう言うと、私の目の前で、大きく息を吸い込み──
「「「いでよぉ、まゆりぃ!!!」」」
ラボの屋上に、絶叫が木霊した。思わず、屋上の入り口へと目を向ける。
「まゆり……?」
どこか呆然としたままで問いかける。彼は答える。
「ああ。あいつの元気な姿を、見せなくてはいけない奴がいる。絶対にな」
何も言葉が、出てこなかった。ただ、こちらに向けて、テトテトと走ってくる大切な友達を、沸き上がる涙の隙間から、じっと見ていることしか出来なかった。
「そうだろ、紅莉栖?」
信じられないような瞳で、見つめられた。頷くしかなかった。紅潮した私の頬から、何かが流れ落ちていくのが分かった。
ただ、押し黙って立つ私と彼。そして、小走りに駆け寄ってくるまゆり。
「まゆり……」
彼女の名前をこうして口に出来る。その事が、とても温かくて──
「クリスちゃん、どうしたの? 泣いてるの? ひょっとして、オカリンにいじめられたの?」
心配する声を、とても切なく感じてしまった。
「違うの。違うから、大丈夫だから。ね、まゆり」
私は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、そして彼女を抱きしめる。意味など、きっとないはずなのに。
「クリスちゃん?」
不思議そうなまゆりの声。そして続けられた彼の声が、胸の奥に響く。
「いつか。もしもどこかで、お前があいつと出会える時がきたのなら、伝えておいてくれ。お前のおかげで、まゆりは今でも元気だと」
その言葉に、私はまゆりから身体を離して、ちゃんと頷いて返す。
ずっと不安だった。彼が私に向けた視線。2月14日に伝えられた言葉が重く思えて、嬉しさに釘を刺す寂しさが、どうしても拭えないでいた。
でも分かった。だから──
「ありがとう、岡部」
ちゃんと、言えた気がした。私の知らない沢山の私。その誰一人として取り残されることなく、何かを贈られ、お礼を告げられた。そんな気がした。
やっと、つりあえたような──そんな気がした。
そして、岡部の言葉が私に届く。お礼を告げた私の想い。岡部は少し気まずそうな顔をして、
「あ。お前へのお返しだけ……忘れていた」
そんな事をのたまった。アホだと思った。
END

