僕はつまらない人間だ。
もういい年なのに、ちゃんとした大人になれない。
高校を卒業してから最初についた仕事は何度もミスを繰り返して、上司との折り合いもつかず1ヵ月でやめてしまった。
今は決まった時間に街のゴミを回収する仕事をしている。今月で2年目になる。
暇な時間に特にすることもない、こういう職業にありがちなギャンブルや煙草や安っぽい酒もやらない。
あまりワーカホリックになりたくもないし、同僚もあまり話好きではない。
だから安月給でも、今のところこの「ゴミ集め」は僕に向いている。
元スレ
魔法使い「私が見えてるの?」
http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1507043983/
しかし最近、この生活に変な感覚がつきまとうようになった。
例えるならそれは、味のないガムをずっと噛んでいるような気分だ。
吐き出そうにもおそらくこのガムには元から味がついていない。
どうせ新しく変えても味はないから 、同じ味気のないガムを惰性で噛み続けている。
それは意識すれば嫌になるものだ。
僕は何もかもにうんざりしている。
昼過ぎに仕事が終わると、仕事場が家に近いので家まで歩いて帰る。
免許はあるが車は持ってないからだ。
街のセンターに沿って郊外までゆっくり歩いて四十分のところに僕の小さなアパートはある。
街には色々な人間がいる。
スーツのような職業的な服装でなくても、みんな同じような格好(流行りのファッション)をしていてまるでロボットみたいだと思う。
怒ったり笑ったりしていても機械的な反応に見える。どれもありきたりだ。
反応が予測できる上に陳腐なこの街は僕と同じだ。
それに決してお互いが本当に考えていることは分かれない。だからうわべでしか行動できない。
多くの人にとって自我はほとんど社会性に乗っ取られている。
加えて、人間にとっては目に映る表層こそが本質だと言える。
僕はそれが虚しい。
いつも同じ道を通って帰れば、彼女はそこにいる。
彼女は駐車場の片隅に腰かけて空を見ている。
最初気になったのは、彼女くらいの年齢なら今頃は学校にいるはずだからだ。
僕はまったくの気まぐれに彼女に話しかけた。
「私が見えてるの?」
すると彼女は目を見開いて驚いた様子を見せた。
「透明になる魔法をかけてるはずなのに。オカシイな。でも、誰も私に何も言わなかったし...」
彼女は怪訝そうに呟いた。
魔法という言葉に対してなぜか僕は違和感をおぼえなかった。
彼女が魔法を使えることがまるで当然のことのように思えた。
「美しいわよね。あの辺りの緑は素敵だし、ほら月も、昼に出てる月も見てると泣きたくなるわ。すごく綺麗だから」
「あなたにも分かるかしら?先生は、こういうことを言うと『もっとキチンとしなさい』って言うわ。友達にも話してみたけど、みんな笑いながら『変わってる』って」
「...僕にはピンと来ないよ、あんまり...」
「でも空を眺めるのって楽しいじゃない?少なくとも家でテレビを見てるよりずっと楽しいわ。あなたも一緒に見ない?」
「それにほら、色んな音も聞こえる」
「犬も虫も鳴いてるし、風は吹いてるし、葉っぱも揺れてるし」
「寒いけど、日だまりだと暖かいわ。それに冬の匂いが好きなの」
不意に彼女は視線を動かした。
その先には蝶々が飛んでいた。
その時は変わった女の子だと思った。
「僕も疲れたから隣に座ってもいいかな?膝が痛むんだ」
「もちろん。膝が悪いの?魔法で治してあげられれば良いんだけど、人には使ったら駄目だって決まりなの。自分以外にはね」
「それは残念だな、僕は職業柄膝を曲げたり歩くことが多くてね。肉体労働者なんだ。それにもともと体も強くないから」
「私もよ!運動は好きだけど得意じゃないの。そういうことばかりよね」
会話が苦手な僕でも、彼女とは不思議と打ち解けられた。
そうやって僕たちは座って、昔からの知り合いみたいに何時間も話続けた。
彼女は自分のことについても教えてくれた。
「私、最初は普通の学校に入ってたの。で、学校に入る前に魔法をみんなの前で使わないって伯父さんと約束してたのよ。たぶん、それが入学の条件でもあったと思う」
「伯父さんは私を普通に育てたかったみたい。私はおばあちゃんみたいに、山の中で暮らせたらそれでいいと思ってたんだけどね」
「それで、でもあんまりうまくやれなかった。すぐに辞めたくなったの。そうね、環境が嫌だったんじゃなくて、先生たちからあまりにも文句を言われるからうるさくなったの」
「友達も一人もいなかったもの。私は欲しくなかったけど、先生は心配してた。私は図書室で本を読んだり校庭でのんびりする方が良かったのに」
「...先生や伯父さんが言うには、私ね、非社交的なんですって。周りと馴染まないって。だから普通の子供とは違うって」
「それって魔法のせいなのかしら?それとも私がおかしいだけ?知りたいんだけど、伯父さんにそれを聞くと怒られるから...」
「...いや」
「...君は間違ってないよ...」
「本当に?」
そう言って彼女は真剣に僕を見詰めた。
彼女は僕と同じものを見ている。
彼女は僕に似ていた。
「...ところで馬鹿な質問で悪いけど、普通の学校に通ってたって言ってたけど、魔法の学校もあるの?」
僕は彼女についてもっと知りたいと思った。
「ううん。おばあちゃんもお母さんも魔女だったんだけど、身内で教えるだけ。でも、私はもっとみんなに広めたらいいのにって思ってるわ」
「ねぇ、その魔法って僕にも使える?」
「さぁどうかしら?もしかしたら使えるかも。使えたら素敵よね!教えてあげましょうか?」
「うん、教えてほしい。魔法についてもっと知りたいからね」
「じゃあ...何から教えればいいかしら。何でもできるって訳じゃないの。でもこうなれってイメージが強ければ、できるものも増えるわ」
「この石ころを浮かべてみるわ。こういう簡単なことは、文字を書くときみたいに慣れればほとんど何も考えずにできるの」
「でね、イメージするときって『良いことをしよう』って考えが一番大切なのよ。『良いことをしよう』って考えがないと魔法は使えないの」
「抽象的だけど...つまりこう、『人にやさしくしよう』とか?」
「そうそう!人を傷付けようとしたら絶対ダメね。あ、でも世の中には悪いことをしようとする人もいるわね。だから魔法を使える人が少ないのかしら」
「...とにかく、最初は浮かぶことだけを念じていれば浮かぶようになるはず。やってみるわ」
彼女がそう言った途端、彼女の手のひらにあった石ころは物凄い速さで上空へ飛んでいきあっという間に見えなくなった。
彼女は僕に別の石を握らせた。
「次はあなたの番。やってみて。きっとうまくいくから」
僕は出来る限り強く念じてみた。
石はびくともしない。
「...駄目だ、できないよ。やっぱり才能みたいなものがあるんだと思う。僕は才能ないな、魔法だけじゃなく」
「そんなことない。もっと練習しなきゃね」
「毎日続けてれば、きっといつかできるようになるわ」
そう言って魔法使いは微笑んだ。
それからも彼女は雨の日でもいつものようにふらふら歩いたりぼんやり座っていた。
時々座って話をした。
彼女は空や花が美しいと素直に知っていた。
反対に、僕は彼女を知ってから街の煩さや人の悪意や生物の汚さを嫌うようになった。
彼女と彼女が見る世界はあまりにも美しいのだが、本質的には全てが美しい訳ではないこと、彼女自身でさえ利己的な生き物であることを僕は知っていた。
僕は深海に沈むことをよく考えた。
そこは安全で地上で何が起きていたとしても静かなままだろう。
誰もいない、広い、暗い、恐ろしい孤独だがそこで快適にやれるなら僕は彼女と海底に潜りたかった。
なぜいなくなったのだろう?
本当に透明人間になってしまったのか?
僕は混乱していた。
彼女がいなくなった。
本格的に心配するようになったのは彼女の姿が見えなくなってから3日目だった。
それまではほぼ毎日歩いていたのに。
僕は彼女のクラリスという名前を知っていたので、近所の住民から彼女について何か情報を得ようと聞き回った。
そしてすぐに、案外近くに彼女の住む家があることが分かった。
僕がチャイムを鳴らし用件を伝えると、六十そこそこに見える男性がドアを開けて顔を出した。
リビングに案内されて椅子を勧められ、座らないうちに僕は話し始めた。
「クラリスがいなくなったことはご存知なのですか?」
「あまり家にいることは多くなかったが、ああ、知っているよ」
その老人の不自然な落ち着きようが僕を苛立たせた。
「知っているのならなぜ警察に届け出たりしないのですか?姪なんでしょう?」
「ああ、もちろん警察に捜索願いはしたよ。後が面倒だからね」
老人は一言断って、煙草を吹かしはじめた。
僕は回らない頭で、感情を抑えて必死に聞くべきことを思い付こうとした。
おもむろに彼が喋り始めた。
「君を家に入れたのはね、まぁあの娘がどこにいるか知っているのかと思ったからだ。だからまったく心配してない訳でもない」
「ええ、つまり、まだ見つかってないと」
煙草の灰を落としながら彼は言った。
「ああ、そうだね」
僕は下手に怒鳴られるよりよほど頭に血が昇った。
なぜ誰も彼女を心配しないんだ?
彼女がいることに、いなくなったことになぜ注意を払わない?
どいつもこいつも狂ってるのか。
最悪だ。
それでもすべて滅茶苦茶にぶち壊してやろうとは思えず、奇妙な脱力感で少しも動けなかった。
惨めさを感じていると、この家に強盗でも入ってきてこの老いぼれの頭をぶち抜いてくれればという考えが浮かんだ。
「いつかいなくなる運命だったんだ」
老人は呑気に語っている。
人の心なんかどうだっていいんだろう。
「子供はみな神様の使いとされているが...まぁ最近の若者は信仰心がないから困る。だから犯罪を犯す愚かな...ああ、失礼」
僕は殺される前に牧師に最後のありがたい説教をされている死刑囚のような気持でただうなだれていた。
「クラリスは神様が間違えてこの世界に寄越してしまったんだろう。あれは変わり者だったよ、あれほど社会性がなければ生きるのも苦しかったろう」
権威ある老人は抵抗できない若者に話し続けた。
「魔法なんて私は信じてなかった」
「手品のひとつでも見せてくれれば、そりゃ、騙されたふりをしてあげることもできたんだがね」
彼は愛想笑いを求めたが僕は黙っていた。
「母親もあの娘も、人前でその魔法とやらを使おうとはしなかった。まぁ、端から使えるのか、ってね」
彼は顔から表情を消した。
「まぁ常識のある大人なら分かるだろうが、信頼には証拠が必要だね、君?」
「その意味では私は二人を信用していなかったね」
彼が次の言葉を発する前に僕は立ち上がって歩き出していた。
何も聞こえなかった。
ただ一刻も早くここから立ち去りたかった。両手が激しく震えていた。
二週間が経った。
このまま車にでも引かれて死んでしまいたいと何度も考えたが、僕はどうてしも投げ出すことができなかった。
自分の命が惜しいからではなく、死ぬには美し過ぎるものがこの世界にあるということを知ったからだ。
最初の一日はあの恐るべき老人の夢、後はずっと彼女がそこにいる幻の夢を見た。
僕は目覚めては睡眠薬を飲んで再び眠ることを繰り返した。
ずっとずっと眠っていたかった。
ある日、僕はこういう夢を見た。
もう朝なのに空にまだ月が出ている。
外の空気が冷たい。
湿っぽい緑の匂いがする。
辺りはとても静かで人の気配はない。
こかはすべてが美しい。
僕は子供みたいに大粒の涙を流してしゃがみこむ。
彼女がいないこと以外は何も変わってないのに全てが終わってしまった。
美しい世界はある。
既に失われたものを含めてもまだ価値がある。
夢から覚めると僕は泣いてはいなかった。
夢を思い出すほど泣きたくなった。
目を閉じていると涙が数滴落ちた。
僕は寂しかった。
終わり。