贖罪の物語 -見滝原に漂う業だらけ- 【前編】
贖罪の物語 -見滝原に漂う業だらけ- 【中編】
第16話 「お姉ちゃんを超えられる妹なんていないんだよ」
好きになった相手の写真を切り裂く。
何の突拍子もなく、身近な人間にいきなり刃物を突き立てる。
日向 華々莉はそういう子供だった。
何も知らぬ者の目から見ると、カガリは気が狂っている怪物のような子供に見えるのかもしれないが。
実は似た症状を持つ心の病を抱える子供は、現代社会には意外と多い。
カガリのこの病状に根幹にあるのは、異様なまでの自己評価の低さだ。
常に不信感でいっぱいなのである。
両親たちの愛情が双子の妹に偏重し、いきなり母親と死別し、母親代わりの世話人が次々と代わっていく。
人格の形成段階でそんな不安定を経験したが故に、
彼女は「本当にこの相手は自分を愛しているのか」ということを試さずにはいられないのだ。
奇怪で攻撃的な行動は、「自分を心から愛して欲しい」という悲痛な叫びなのだが。
残念ながら、その声に応えてくれる人間は一人も存在しなかった。
もしかすると、その最初の一人になってくれたかもしれない者はいたが。
その者も結局、カガリの前から逃げ出してしまった。
この度重なる不安定により。
カガリは自分の中でついにこう結論付けてしまった。
「自分は愛されない存在なのだ」と。
誰からも愛されなかった者は、誰も愛さなくなる。
悪魔染みた少女が、本物の悪魔になった瞬間だった。
――
織莉子がシイラへ敗北宣言をしたのとほぼ同時刻。
使い走りのキュゥべえが、マツリに一通の手紙と簡単な地図を渡した。
「マツリへ。
○月○日の午後1時、○○の場所にて待っています。
誰にも言わずに一人で来てね」
マツリは添えられた地図に従って歩いていくと。
いつの間にか風景は、錆び付いた街灯の生える不気味な荒廃都市へと変わり、
肌に纏わりつくような黒い霧が周囲に立ち込めていた。
もちろん近代都市である見滝原市にそんなホラースポットが存在するわけがないので、
知らず知らずの内にマツリはカガリのトバリの内部へ誘い込まれたことになる。
マツリ「・・・」
摩天楼のように不気味に聳える巨大な洋館の前で、マツリは佇んだ。
マツリ「ここ、だよね・・・」
マツリは瞳を閉じると、その感応の力を発動する。
『いらっしゃい、いらっしゃい、早くこっちへいらっしゃい、私の可愛いマツリちゃん』
囀るようなカガリの歌が聞こえた。
呼んでいる。
カガリはこの洋館の内部で、自分を呼んでいる。
マツリは意を決し、太い鉄格子でできた門を押した。
鍵は掛かっていなかった。
洋館の最上階の部屋に、カガリはいた。
噎せ返るような花の香りが部屋の内部に充満し、ぬいぐるみが山のようにベッドに積まれていた。
ぬいぐるみに埋もれるように寝そべるカガリは、頬杖をついてマツリを見つめている。
カガリ「やっほ、ちゃんと迷わず来れたわね。えらいえらい」
マツリ「いつまでも子ども扱いしないでよ」
マツリは何とも言えない薄気味悪さをどうにか堪え、カガリを見つめた。
変わっていない。
カガリは自分が魔法少女になる前のあの頃から、何も変わっていない。
カガリはのそのそとぬいぐるみの山から這い出し、ベッドの縁に腰かけた。
カガリ「ねぇ、マツリ。あなたはこれからどうしたい?」
マツリ「どうって・・・」
カガリ「私たち魔法少女は大人になれないんだよ。
だったら楽しいことだけいっぱいやらなきゃ損じゃない」
カガリ「私は時間切れまで、マツリみたいな魔法少女達にたくさん意地悪しちゃうけどね」
カガリは恍惚とした笑みを浮かべて、両手の指を絡める。
カガリ「マツリはどうする? 私みたいなワルモノを懲らしめるために戦い続ける?」
マツリは下唇を噛みしめて俯いた。
マツリ「嫌だよ、そんなの。マツリはそんなことをするために魔法少女になったんじゃない」
カガリ「・・・」
カガリの周囲に、黒い霧が勢いよく渦巻いた。
カガリ「じゃあ、なんなの・・・?」
手榴弾が爆発するように。
赤い棘が部屋一面に飛び散った。
カガリ「マツリは一体なんなの!?」
マツリ「・・・」
――
はじめまして、マツリさん。
私は公平なだけの魔法少女、環 エニシです。
いえ、混乱するのも無理はありませんが、別に混乱したままでも大丈夫ですよ。
私はただ伝言を預かって来ただけですので。
ツバキ、という方からです。
『ずっと一緒にいてあげられなくてごめんなさい。』
『マツリ、あなたのことを愛しています。』
ツバキさんはどうしても、これだけは伝えたかったそうです。
・・・。
はい、そうですね。
私もこれは無責任だと思います。
でも、仕方ないことなんだと思います。
これがツバキさんのできる精一杯だったのでしょう。
あなた達が別の生き物のように見える『大人』という存在も、少し賢くなっているだけで。
実は根っこの部分はあなた達と大差なかったりするんですよ。
さて。
ここからはあなたより少しだけ長く生きた、人生の先輩からのアドバイスです。
あなた達より少しだけ大人に近い魔法少女の、心からのアドバイスです。
あなた達魔法少女の寿命は、確かに短い。
何の為に戦い、何の為に祈り、何の為に生きるのか。
わからなくなる日もあるでしょう。
答えの出ない問いに押し潰され、心が荒廃してしまう日もあるでしょう。
そういう時は、私だったらこう言います。
何の為に戦い、何の為に生きるのか。
そんなこと、後からゆっくり考えればいいんですよ。
――
カガリ「・・・」
カガリは今にも食って掛かってきそうな目付きでマツリを睨み付けている。
マツリは瞳を閉じ、少しだけ感応魔法の感度を上げた。
怒涛の如きカガリの感情がラジオ波のように流れ込んでくる。
それは嘆きだった。
それは自分に対する行き場のない憎しみを、周囲に見境なくぶちまけている盛大な八つ当たりだった。
カガリは自分の無力を呪い、自分の不幸を呪い、自分の立場を呪い、自分の運命を呪っていた。
どこまでも、どこまでも。
理屈じゃ説明できない、わけのわからない呪いだった。
流れ出る場所を見失ってグルグルと渦巻く洪水の様だった。
マツリ「・・・」
マツリはついにわかった。
異次元の存在と考え、内心ではいつも敬遠していた姉の心を、とうとう理解した。
カガリは駄々をこねているのだ。
本当は、先に自分が契約してツバキやスズネの特別になりたかったのだ。
ツバキの隣で戦う魔法少女になることで、自分の存在に意味を見出したかったのだ。
けれどもマツリに先を越されてしまった。
それでなんとなく自分の存在価値を奪われたような気分になって。
それがただただ気に食わないから暴れているのだ。
マツリは目を見開く。
赤い棘を踏み鳴らし、臆面もなくカガリの下へ歩み寄る。
カガリ「なに・・・?」
マツリは右手のガントレットを解除し、素の手を露わにした。
マツリ「カガリ!」
パシン、と乾いた音が響いた。
マツリの掌がカガリの頬を叩いたのだ。
カガリ「・・・」
マツリ「いい加減にしてよ!
いくら暴れてもツバキは帰ってこないし、誰かの心をカガリだけの物になんてできないんだよ!」
マツリ「そんな風に誰かを傷つけて回るくらいなら! どうしてツバキを生き返らせることを願わなかったの!?」
カガリ「・・・」
カガリは歯軋りをし、拳でマツリの顔面を薙ぎ払った。
マツリ「っ!!」
カガリ「ふぅーん」
カガリ「それ、マツリが言っちゃうんだ・・・」
マツリは殴られた頬を抑え、よろめきながら立ち上がった。
マツリ「カガリ。思えば私たち、姉妹喧嘩なんて一回もしたことなかったよね」
カガリ「はっ、そういえばそうよねぇ! だってマツリが――
マツリ「カガリはずっと、マツリを守るために我慢していてくれたんだもんね」
カガリ「!」
思わぬ言葉にカガリは息を飲んだ。
マツリは右手の拳を強く握りしめる。
マツリ「けれど何でもかんでもずっと昔のままじゃないよ。
私はもう、あなたに守ってもらう必要なんてない」
マツリは右手に再びガントレットを装着した。
マツリ「戦おう、カガリ。私はあなたの妹として、家族として。あなたの間違いを止めて見せる」
カガリ「・・・」
カガリ「あっは・・・」
カガリ「あはっ、あはっ、あははは」
呆気に取られて見開かれたカガリの瞳が、突如として狂喜に燃え上がった。
カガリ「あははははははははははははは!!」
カガリの衣装が悪魔のものに変わる。
それは触れるものを皆傷つける、血のように紅い棘装束だった。
カガリ「お馬鹿さん! お馬鹿さん! マツリのお馬鹿さぁん!!」
カガリ「目が見えるようになっただけで! 私と対等になれたつもりなのかしら!!」
床に散らばった針が、一斉にモルフォ蝶へと変化し舞い上がった。
カガリ「マツリと私の間には越えられない溝があるんだよ!
マツリは私と同じ目線になることなんてできっこない! 昔からずっとね!」
嘆きの森が発動した。
ここでは何もかもが、カガリの思い通りだ。
好きな人一人振り向かせることのできなかった、幼稚な駄々っ子の思い通りだ。
蝶が霞のように消えた時、いつの間にかカガリはマツリの背後へ立っていた。
マツリの首に左手を回し、右手でマツリのソウルジェムを握っている。
カガリ「ほぅら、昔と変わらない。
マツリは私に逆らえない、勝つことなんてできっこない」
カガリはマツリの耳元で囁く。
カガリ「お姉ちゃんを超えられる妹なんていないんだよ。マツリ、今謝れば許してあげるよ?」
マツリ「・・・」
カガリ「え・・・?」
突如として、マツリの髪留めが弾け。
迸る閃光がカガリの目を潰した。
一瞬の空白の直後。
カガリは突き倒され、身体に重いものが圧し掛かる。
カガリ「ぐっ・・・!」
マツリ「お返し」
マツリはカガリに馬乗りになり、カガリの胸のダークオーブにガントレットを押し当てていた。
マツリ「私は謝らないし、もうあなたから逃げない。
マツリがまた逃げ出したら、きっとカガリの心は完全に壊れちゃうから」
マツリ「これがカガリと家族でいられる、最期のチャンスだから!」
悲壮な叫びを上げるマツリだったが。
当のカガリは薄ら笑いを浮かべている。
カガリ「それで、どうするの?」
カガリ「そうやっていくら押さえつけていても私には勝てないよ。
このまま一思いにグシャッと、私の魂を砕いちゃうの?」
マツリ「・・・っ!」
マツリは歯を食いしばる。
ガントレット越しにも微かにわかるくらい、マツリの手は震えていた。
カガリ「あははっ! できっこないわよねぇ!」
赤い茨の鞭がマツリを薙ぎ払い、壁へと吹き飛ばした。
カガリ「泣き虫のマツリ! 弱虫のマツリ! 意気地なしのマツリ!」
カガリはヒラリと立ち上がると、周囲に十数ものチャクラムを出現させる。
カガリ「やっぱり喧嘩一つ満足にできないじゃない!!」
刃を翻し高速で回転するチャクラムが、迫撃砲のようにマツリへ撃ち込まれた。
しばしの沈黙が流れた。
カガリは土埃の向こうを油断なく見据えていたが。
土埃が収まり周囲がクリアになると、カガリは苛立たし気に歯を食いしばった。
あれだけ派手に罵倒したにも拘らず、カガリは内心ではマツリの反撃に期待していたのだ。
自分には思いもよらない奇策で、もしくは突然すごい奇跡とかが起こって。
きっとマツリは、自分を完膚なきまでに叩きのめしてくれるのだと思っていた。
カガリ「・・・」
けれども、現実はどこまでも呆気なかった。
嘆きの森を通すまでもなく、結果はカガリの思い通りだった。
マツリ「・・・」
壁にもたれて座り込むマツリ。
その身体は至る所がグシャグシャに潰れていた。
幸いか不幸か、ソウルジェムは砕けていないようなので、即死はしていないようだが。
こうも原形を留めないほどに身体が破損していては、濁り切るのも時間の問題だろう。
マツリは放たれたチャクラムを避けなかった。
防ぎも、受け止めもしなかった。
ただやられるがままに、食らっていた。
カガリ「・・・」
泣き虫、弱虫、意気地なし。
結局マツリはカガリの思っていた通りの少女だった。
カガリの心はますます深く沈んでいった。
一番鬱陶しかった相手を排除することができたのに、ただただ気分が悪かった。
そこにあったのは、家族を自分の手にかけたという虚しさだけだ。
打ちひしがれているカガリの精神に、弱弱しいテレパシーが届いた。
『全然敵わないや・・・』
『ごめんね、お姉ちゃん・・・。マツリは弱い子で、ゴメンね・・・』
『マツリ、もっと・・・早く生まれたかったな』
『そうすればきっと・・・、ツバキみたいな・・・。
ううん、ツバキよりももっとカッコいい大人になって・・・』
『こんな風になる前に、お姉ちゃんのことを助けてあげられたのにな』
『ごめん、な、さ――』
そんな嘆きを最後に、テレパシーは途切れた。
命乞いにすらならない懺悔と、死に際の無い物ねだり。
悲壮な覚悟を抱いて姉に立ち向かった少女の戦いは、酷く情けない結果に終わってしまった。
青い鳥はずっと自分の傍にいたのだ。
けれども自分はもっと大きな幸運が欲しくて、傍にいた青い鳥をずっと無視していたのだ。
そもそも求めている幸運とはどういうものなのか、自分でもわからなかったくせに。
カガリ「・・・」
カガリは自分の中で、何かが冷めていくのを感じた。
それは酷くつまらなくて億劫だと感じると同時に、
炎症を起こした傷口に氷を当てるかのように心地よかった。
カガリ「なんかもう、いいや」
カガリは指を鳴らすと、マツリの身体の傷は急速に治っていく。
マツリの回復という最後の『思い通り』を果たすと同時に。
幼稚な欲望を詰め込んだ歪な箱庭は、少しずつ薄れて消えていく。
カガリ「おめでとう、お姉ちゃんの負けだよ」
鬱蒼とした嘆きの森は消え失せ、そこにはどこまでも広がる青空があった。
そこは洋館の最上階ではなく、初春の肌寒い風の吹き抜ける見滝原病院の屋上だった。
カガリ「マツリ」
カガリは気を失ったマツリをそっと抱き寄せた。
カガリ「強くなってたんだね、いつの間にか」
ずっと触れることのできなかった妹の体温を感じながら、カガリは1つの誓いを立てた。
カガリ「やっぱり私はほむらさんに勝って欲しい、マツリを円環の理になんか取られたくない」
カガリはリボンの中に挟んでいた小さな紙きれを取り出した。
そして自分の名前を書いたその小さな紙を、折り畳んでマツリの髪留めの中にそっと入れた。
カガリ「きっとマツリならなれるよ、ツバキよりもカッコいい大人に」
最後にマツリの頭を優しく撫でると。
静かにカガリは立ち上がった。
カガリ「バイバイ、カッコ悪いお姉ちゃんでごめんね」
ずっと心の底から欲しがっていた、愛してくれる人に背を向け。
悪魔だった少女はどこかへと去っていった。
第16話
「人間として生きていくことなんて私には無理だよ」
――
神那ニコは頬を引き攣らせた。
自身のドッペルゲンガーが、自分の隠れ家のデスクを占領していたのだ。
カンナ「よう。久しぶり、私」
ニコ「・・・」
まことに勝手なことに。ニコはこの時、言いようのないゾッとするような不快感に襲われた。
それは彼女が、カトリックの教えを信じていることも理由の1つだけれど。
その根幹にあるのは生物としての純粋な恐怖と攻撃本能だった。
否。
抜け落ちた自分の毛髪が、いつの間にか自分と同じ顔を持つ生き物に成長して、ジッとこちらを見つめてくる。
こんな冒涜的な状況に耐えられる人間など、この世界にどれだけいようか。
カンナはそんなニコの恐怖に引き攣った表情を見て、軽く肩をすくめた。
カンナ「酷い顔だな。私は『親愛なる我が娘』じゃなかったのか?」
ニコ「動くなっ!!」
ニコは思わず魔法少女の姿に変身し、武器のバールのような鈍器をカンナに向けた。
ニコは後悔した。
この時初めて、ニコは自分の願いを、心の底から後悔した。
『自分の幸せを受け継ぐ、自分の分身』。
その願いの果てに得たのは、魂を抜き取られたような虚脱感と、言いようのない気持ち悪さだけだった。
カンナ「・・・」
カンナは大人しく手を挙げて、瞳を閉じた。
ニコ「・・・」
鈍器の先端は震えていた。
ニコは目を見開いて固唾を飲んだ。
カンナ「意を決して会いに来たらこれか。ガッカリだぜ、私」
ニコ(何を・・・、何をやっているんだ、私は!?)
ニコが凶器を向けて、殺意を抱いている相手は、紛れもない自分自身だった。
こう在りたいと心の底から望んだ自分自身だった。
なのに、なぜ。
水色のソウルジェムが、ジワリと濁った。
ニコ「・・・」
ニコの手から鈍器が零れ、鈍い音を立てて床に落ちた。
ニコ「ごめん」
カンナ「Don’t mind. 大丈夫だ、気持ちはわかる」
カンナ「それに、アポなしでいきなり来た私にも非があるからな」
ニコは項垂れ、憂鬱に視線を泳がせた。
ニコ「本当にごめん、こんなに気持ち悪いなんて思わなかった・・・」
カンナ「そこまで言われると傷つくね」
古今東西に於いて、ドッペルゲンガーは死の象徴だった。
多少の差異はあれども、もう一人の自分を目撃した人間は、長くは生きられない。
ニコ「私、いや・・・」
ニコ「カンナ、私を殺しに来たのか?」
カンナ「それでもよかったんだがね。やめたよ、友だちに釘を刺されちゃったからな」
ニコ「そっか・・・」
ニコはフラフラとした足取りでベッドに歩み寄り、崩れるように腰を下ろす。
それに合わせるように、カンナは回転イスの向きを変え、ニコに向き合うように座り直した。
ニコ「じゃあ、何をしに来たんだ?」
カンナ「説得だよ、ただの話し合いだ。自分で自分を励ましに来たのさ」
カンナは変色したカードを取り出して、ニコに見せた。
カンナ「例え奇跡が起こったとしても。お前の人生は、やっぱりお前の物なんだよ」
カンナ「聖カンナをやり直す気はないか?」
ニコはしばしカンナのメッセージカードを見つめていたが。
やがて寂しそうに顔を振った。
ニコ「無理だよ、カンナ」
ニコは弱々しく拳を握り締めた。
ニコ「私は8年以上、後悔しかしてこなかった。
普通の女の子たちが笑ったり泣いたりしながら自分の心を作っている間、私はずっと一人で塞ぎ込んでいたんだ」
ニコ「私は友だちの作り方なんて知らない。人の気持ちを理解する方法も知らない。
天ぷらアイスの作り方もわからないし、もうお母さんに素直に『ありがとう』と『ごめんなさい』も言えない。
私は君みたいに怒ったり悩んだりすることができない」
一つため息をつき、ニコは痛々しく微笑んだ。
ニコ「君が持っている多くのものを、私は持っていないんだ」
ニコ「人間として生きていくことなんて私には無理だよ。
私は本来、ツクリモノの君よりも・・・。ずっと出来損ないの失敗作なんだ」
カンナ「『自分にはできないから他の人にやってもらおう』ってことか?」
ニコ「そうだ」
ニコは手を広げ、開き直ったようにせせら笑った。
ニコ「私は自分の魂を犠牲にしたんだ! それくらいの願い、叶ってもいいじゃないか!」
カンナはその様子を見て。
怒り狂うわけでもなく、呆れたようにため息を1つついた。
カンナ「魔獣なんて生まれてくるわけだ」
ニコ「なんだ、どういう意味だ?」
カンナ「気にするな、これはどうでもいい話だ」
カンナが指を鳴らすと、ダークオーブが黄緑色の輝きを放ち。
悪魔の衣装へと変貌した。
カンナ「そして、ここからが肝心な話だ」
カンナは語った。
これから魔法少女の総選挙が行われること。
そして悪魔側が勝てば、全ての魔法少女はソウルジェムの濁りによる死が無くなるということ。
カンナ「お前だって魔法少女をやっているんだから、このままでは長くは生きられまい。
お父さんやお母さんにまた悲しい思いをさせるのは、私だって不本意だ」
カンナ「だから、こうしようニコ」
カンナの左手に、メッセージカードのコピーが複製された。
そしてカンナはニコに右手のメッセージカードを差し出す。
カンナ「悪魔側が当選したらお前がもう一度、聖カンナとして生きてみろ」
カンナ「円環側が当選したら、改めて私が聖カンナの名前と人生を譲り受けよう」
ニコはしばし茫然として聞き入っていたが。
少しずつ瞳に光が戻っていき。
やがて彼女らしい、いつもの不敵な笑みをニンマリと浮かべた。
ニコ「乗った」
ニコはメッセージカードを受け取った。
彼女たちは、自分で自分を殺す為に。
そして自分で自分を生かすために。
自らの意志で自らの支持する方へ、一票を投じる。
第17話 「アンタの愛なんて、迷惑なだけよ」
主よ、主よ
どうかこの者達に罪を背負わせないでください
――とある過ぎし日
雅シイラが悪魔に出会ったとき、悪魔は酷い混乱と焦燥の中にあった。
悪魔は自らが背負いこんでしまった十字架の重さに押し潰されていた。
何もかもが分からなくなり、彼女は半ば自暴自棄になっていた。
丘の上で踊り狂う悪魔に、シイラは問うた。
「君はいったい何にそんなに怯えているのか」と。
悪魔は答えた。
「私は彼女の決意を穢した。私は神にも近しい理を引き裂いた。いずれ私は、相応の報いを受けるだろう」と。
「なぜ?」
シイラは問う。
「世界は変わる。誰が何をしようと、少しずつ変わっていく。
塔が崩れた時、最後に石を積んだ者だけが責められるのか?」
「私がいなければ、円環の理はずっと魔法少女を救い続けた」
「君がいなくても、いつか円環の理は壊れたかもしれないじゃないか」
自由には常に責任が伴う。
自らの意志で行動し、その行為の責任を果たせなかった者は、巻き込まれた者達から石を投げられる。
けれど、シイラは思う。
こんなのフェアじゃない、と。
彼女は自らの意志でこんな過ちを犯したのではなく、単に他の道を選べなかっただけなのではないか。
咎人に石を投げつける前に、やるべきことがあるのではないか。
目の前にサマリア人がいる。
浅慮で穢らわしく、身勝手で卑劣で。
愛ゆえに狂い、愛ゆえに道を踏み外し、愛する者を助けたいがために悪魔にまでなったサマリア人がいる。
けれども彼女に愛された高貴なるユダヤ人は、彼女のことを忘れてしまっている。
シイラは思う。
道理とか摂理とか、そういうのを差し置いても兎に角。
こんなの、あんまりにもあんまりじゃないか?
そんな尊いことを考えて佇んでいたら、いつの間にか悪魔は崩れていた。
「助けて・・・」
ほむらはシイラの前に膝を付き、頭を抱えて震えていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
それは悲鳴だった。
錯乱した心から立ち登る、細い狼煙のようなSOSサインだった。
「ごめんなさい、赦してください」
悪魔はシイラに贖罪の祈りを捧げていた。
見ず知らずの初対面の少女に、すすり泣く幼子のようにひたすら赦しを乞うていた。
「私を愛してください」
主よ、主よ
どうかこの小さき者に、罪を背負わせないでください
――旧見滝原病院の廃墟
小巻「ぐっ・・・!」
小巻は押されていた。
シイラは忙しない手品師のように、多彩な戦術を次々に披露して小巻を翻弄していた。
朽ちたコンクリートや錆びた鉄骨が凶器になって降り注いだ。
騙し絵のような軌道で壁や天井を駆け回り、小巻を防戦一方にした。
重力の弾を機雷のように設置し、一瞬判断を誤れば敗北、という状況に何度も陥らせた。
次の奇術は人体切断術だ。
それを初めてみた時、小巻はギョッとした。
切り落とされた両手首が踊るように跳ね回りながら襲ってくるのだ。
その光景はまるで趣味の悪いホラー映画のようだった。
ソウルジェムが肉体を操作できる有効距離は半径約100メートル。
故に切り離した体をワイヤレスで遠隔操作するというこの奇術は、理論上どの魔法少女にも可能な技なのだけれど。
それはラブソングを口遊みながら右手と左手で別々の文章を同時に書くようなもので、できるはずだけれどできるわけがない技術だった。
小巻(ぐ・・・! 悔しいけれど、格が違い過ぎる!)
小巻(こいつ、何もかもが格上だ! スキルも、魔法の使い方も!)
小巻「けど・・・、負けてたまるもんか・・・!」
相手がどれだけ強かったとしても。立ちはだかる壁がどれだけ高く、分厚かったのだとしても。
それは前に進むことを諦めてもいい理由にはならないのだから。
小巻「負けるもんか、あんたなんかに!」
一方、シイラの方も不敵な笑みを絶やさなかったが。
内心ではジリジリとした焦りを抱えていた。
シイラ(参ったな・・・、そろそろネタ切れだぞ)
聖人的な人格を手に入れた代わりに抱えてしまった究極の自己矛盾が、シイラをジリジリと苦しめていた。
つまり彼女は、相手を降参させることはできても、自分から勝つことはできないのだ。
『王手を掛けずに相手を投了させなければならない』という、
第三者から見たらわけのわからない縛りプレイを常時強要されているようなものなのだ。
戦いに勝つということは、相手の心を力で否定することで。
それは即ち、相手を不幸にするということだ。
相手の幸せを願うということと、相手の過ちを赦し続けることはイコールにならないのだけれど。
残念ながら、シイラはそんな長期的な視線を得る前に『完成』してしまっていた。
格の差を見せつけ、いかに高い壁を突き付けても、折れない相手。
正直、この手の輩に対しては、シイラは完全に詰んでいる。
もしも選挙という形式を立ち上げた直後という気の緩んだタイミングでなければ、
シイラは絶対にこんな戦いを受けなかったのかもしれない。
シイラ(だから?)
ケアレスによる取り返しのつかないミス、だからどうした。
シイラは思う。
シイラ(この程度の袋小路、私は何度だって突破してきたんだよ)
自分がもしも間違えていたとするなら、相手がもっと派手に間違えていればいいだけだ。
自分が王手を掛けることができないなら、相手に悪手を打たせ続けて、勝負が続けられないくらい心を折ればいいだけだ。
シイラ「小巻ちゃん」
両手のないシイラが、肩を竦めて小馬鹿にしたように笑った。
シイラ「もう諦めたら?」
挑発。
理性を揺さぶり、相手の矛盾を引き出し、状況を泥沼に持ち込んで有耶無耶にする。
こんな矛盾を超克するためにシイラが得たスキルの1つだった。
小巻「・・・」
小巻は油断なく周囲を見渡し、両手が自分に襲ってこないことを確認すると。
怪訝そうにシイラを睨みつけた。
小巻「今更なんのつもりよ」
シイラは内心でほくそ笑んだ
シイラ「こんな戦いに意味があるのか、と聞いているのさ。
私は別に小巻ちゃんが生きていようと死んでいようとどうでもいいし、
小巻ちゃんだって私を殺してそれで解決するなんて思っていないだろう?」
小巻「・・・」
シイラ「私はもう飽きたんだよ、そろそろお開きにしないか?」
「ほら、甘い誘いだ。食いつけ」。
他者を堕落させることに異様に長けた悪魔が、疑似餌をちらつかせた。
小巻「確かに私は別にあんたが憎いわけじゃないわ・・・。
けれど、好き勝手に魔法少女を人間に戻すあんたを放っておけば、きっと世界は取り返しのつかないことになる」
シイラ「じゃあ取り返しがつけばいいわけだね、ならばこうしようか」
シイラの周囲に毒々しいサーカス小屋が現れ、それは帯状になってシイラの周囲をオーロラの様に揺蕩う。
シイラ「魔法少女を人間に戻す力・・・、私はこれをメフィストフェレスって呼んでいるんだけれど」
シイラ「もし私を見逃してくれたら、これはもう二度と使わない」
小巻「!?」
シイラは聖者の様に微笑んだ。
シイラ「魔法少女は人間に戻らないし、私たちは二人とも生きて帰れる。落とし所としては悪くないんじゃないか?」
小巻「・・・」
――1年前
浅古小巻は荒れていた。
世を恨み、人を恨み、自分自身を恨んでいた。
些細なことで妹を怒鳴りつけ、時には手を上げた。
自分を慕う友人たちを突き放し、酷く動揺させた。
自分の陰口を囁く矮小なクラスメイトに、報復として恐怖を植え付けた。
開けても暮れても、後悔、後悔、後悔。
こんなことになるのだったら、魔法少女の契約なんてせずに他の人間からの助けを待てばよかった。
そう思わぬ日はなかった。
怒りの矛先はしばしばインキュベーターへと向かい、しばしば彼らの端末を無意味に潰したものだが。
その度に彼らは迷惑そうに潰された端末を処理し、こう弁明するだけだった。
「確かにアンフェアな契約だったとは思っているよ、でも仕方がなかった。
ああいう状況にならなかったのなら、本来君とは契約するはずではなかったのだから」
小巻の怒りは余計に増すばかりであった。
『私の人生は何だったのか』
『自分はすぐに死んでしまうのなら、果たして生きている意味なんてあるのか』
終末期患者特有の死生観に対する精神的な苦痛。
スピリチュアルペインと呼ばれるその痛みは、しばしば魔法少女の死因の1つになっており。
小巻も例に漏れず、その症状に翻弄されていた。
そんな荒れ果てた小巻を救ったのは、美国織莉子だった。
いや、織莉子にも多少の打算はあっただろうから。これを『救った』と単純に断言するのはかなり賛否両論が飛ぶと思うが。
少なくとも小巻自身は救われたと感じた。
彼女は時に小巻と敵対し、時に対外的な圧力をかけてグリーフキューブの供給源を断ち、時に小巻を暴力で屈服させ。
そして長い時間、小巻の傍らに寄り添った。
「なぜ私にこんなにも付きまとうのか」と小巻が問うと、織莉子はこう答えた。
「あなたは昔の私に似ているから」。
なぜ自分は生きているのか、自分もそんな風に酷く思い悩んでいた時期があった。
何度も何度も生きることから逃げ出そうとした。
そんな折にインキュベーターが現れ、織莉子は『私の生きる意味を知りたい』と願ったという。
結果だけで言うなら、契約は失敗だった。
インキュベーターは直接織莉子には生きる意味を与えず、起こるべき未来を知る力のみを与えた。
けれど。
過程を含めて言うなら、契約は大成功だった。
織莉子は戸惑いながらも、幾重にも枝分かれした未来を見つめ、悩みながら選択し、そして少しずつ過去と現在と未来の因果関係を学んでいった。
『ありがとう』
選んだ未来を進めていく過程で、幾つもの感謝の言葉が織莉子の中に降り積もっていった。
「何のために生まれ、何のために生きるのか。その答えは私も未だにわからない」
「けれど生きている者にはすべからく、誰一人例外なく。みんな未来を変える力を持っている」
織莉子は穏やかに笑った。
「生きる意味に答えがあるとするなら、きっとこの辺りが答えなんじゃないかしら」
小巻は後悔した。
魔法少女になったことではなく、魔法少女になった後の自分の行いを後悔した。
妹を傷つけた。友だちを悲しませた。クラスメイトの心に影を落とした。
数え切れない、多くの人々を苦しめた。
それはきっと、かつての魔法少女になる以前のものも含めた、自分自身の存在意義を貶めるものではなかったのか。
それは自分自身で、自分の生きる意味を潰す行いではなかったのか。
「思うに、あなたにはまだ、未来を変えるための時間も力もたくさん残されているように思うのだけれど」
「あなたはこれからどう生きたいの?」
小巻の一連の反社会的な行動が、『災害現場に遭遇したストレスから来る一時的なもの』として認識され。
『元の小巻に戻った』と安心されるようになったのは、これからすぐのことである。
風魔協のNo2としての地位を確立し、織莉子の右腕として活躍するようになるのは、これから更に少し先の未来だ。
――
古くからの友人のように笑いかけるシイラに対し。
小巻は静かにため息をついた。
小巻「まあ、そうね」
小巻「ここまでやればなんとなくわかるわよ。
私がここで引き下がれば、あんたはちゃんと約束を守って、その便利な力を封印してくれるんでしょうね」
シイラ「ふぅん?」
少々、虚を突かれた、という風にシイラは目を少し見開いた。
小巻「一応、最後に確認しておきたいんだけれど」
小巻は真っ直ぐにシイラの目を見つめた。
小巻「あんた、なんでこんなことやっているの?」
シイラ「・・・」
シイラの顔から笑みが消えた。
小巻「自分の命を危険に晒して、自分の能力を犠牲にして、他人から憎まれて」
小巻「あんた、いったいどこに行きたいのよ」
シイラ「愛ゆえに」
シイラの顔に再び笑みが戻った。
シイラ「愛ゆえに!」
それは今までシイラが浮かべてきたどの笑みよりも歪んだ、心の奥底から湧き出すどす黒い狂喜だった。
シイラ「愛とは誰かの幸福を心から願う想いさ!
愛だよ! 私は全ての魔法少女の幸福を心から願っている!」
シイラ「私は! 全ての魔法少女に! 生きていて欲しいと願っている!」
万歳をするようにシイラが両腕を高々と振り上げると、切り落とされたシイラの両手が再生した。
シイラ「魔法少女の未来に光あれ!!」
しかしその両手はもはや人間の手の形をしておらず。
宇宙忍者と呼ばれる宇宙人のそれのような、ハサミの形をしていた。
小巻「何のために生まれて、何のために生きるのか。あんたには無縁の話ね」
シイラ「は?」
小巻「つまり・・・。あんたにも未来を選択する時が来た、ってことよ」
今度は小巻が不敵に笑った。
小巻「私が退けばあんたは二度とメフィストフェレスを使わないでくれるって約束だったわよね。いいわよ、退いてあげる」
小巻「けれど」
小巻は遂に、織莉子から授けられた最後の切り札を切ることにした。
小巻「これを見てどう思う?」
シイラ「!?」
シイラの表情が凍った。
小巻の手には、ドロドロに濁り切り、今にも円環の理から導かれそうなソウルジェムがあった。
長引く戦闘で、小巻は魔力を消耗しきっていたのだ。
シイラ「ぐ、ぐっ・・・!」
シイラは葛藤に満ちた表情で歯軋りをしていた。
もはや道化のように表情を偽装する余裕はないようだ。
シイラ「う、ぐ、ぐ、ぐ・・・!」
小巻「さあ、未来を選択する時よ。雅シイラ」
シイラ「・・・」
シイラは冷や汗を滴らせ、頬を引き攣らせるように笑う。
『濁り切ったソウルジェムを雅シイラに見せつけなさい。そうすれば彼女は必ず、魔法少女を人間に戻す力を使ってくる』
それが織莉子の授けた最後の策だった。
シイラは未来を選択した。
自己矛盾によって自分が破滅する未来を選択した。
少なくともここだけは、間違いなく彼女自身の意志で、この未来を選択した。
シイラ「さっきのはナシだ!!」
シイラは弾けたように飛び出した。
ハサミは毒々しい紫色に輝き、その向こうにはサーカス小屋のような風景が見える。
「メフィストフェ――
「トッコ・デル・マーレ」
ソウルジェムと肉体のリンクを断ち切り、ソウルジェムそのものを抜き取るという一撃必殺が。
西部劇の早撃ちのように、シイラの腕の魂に命中した。
シイラ「ぁ・・・」
小巻「そんなザマで愛を語るなんて笑えるわね。
愛っていうのはお互いにお互いを想い合って、初めて成立するのよ」
シイラは糸が切れた操り人形のように崩れ。
その身体へ向かって小巻は吐き捨てるように言った。
小巻「誰彼構わずにばら撒き続けるアンタの愛なんて、迷惑なだけよ」
第18話 「あとは任せたよ」
――夕暮れ
茜色に染まる、崩落した旧見滝原病院跡。
シイラは瓦礫の山に座り込んでいた。
意識を取り戻した時は酷く動揺し、小巻の気配を躍起になって探ったものだが。
やがてそれが無駄だとわかっていくにつれ、ある考えが頭の中を覆いつくしていた。
シイラ「ああ、そうか・・・」
シイラは背中側に腕を突き、仰け反るようにして空を仰いだ。
シイラ「負けたのか、私は」
しばしの後に視線を地面に戻すと、そこには見慣れた魔法生物が狛犬のように座っていた。
QB「やあ。目が覚めたのかい、シイラ」
シイラ「キュゥべえ、か」
インキュベーターはいかにも興味深いという風にシイラを観察する。
彼は揺らめく尾以外は微動だにせず、姿勢も一切変えなかったが。
シイラには、彼が少し興奮気味に身を乗り出しているように見えた。
QB「信じられないよ、まさか小巻が君に勝ってしまうなんてね。
勝敗を分けたものは、やはり人類の持つ感情というものなのかな?」
シイラ「まあ、そうだね」
シイラは自嘲的に笑った。
シイラ「私が勝てなかったのも、小巻ちゃんが負けなかったのも。結局は、その感情ってものが原因なのだろうね」
QB「君の言葉は理性的なのに、内容は酷く難解だね。もう少しぼく達の目線に立って話して欲しいよ」
シイラは苦々しく思う。
『ああ、こいつ等じゃあ、何万年かけても円環の理の支配なんてできないだろうな』という風に。
シイラ「君はわざわざ禅問答をしに来たのかい?」
QB「まさか、ちゃんとした用事だよ。小巻から言伝を預かっているんだ」
QB「『見逃してやる、だから約束を守れ』、だそうだ」
シイラ「そっか」
QB「よくわからないけれど、君は約束を守るのかい? 君は何の強制力も持たない契約を大切にするのかい?」
シイラはしばし瞳を閉じ、インキュベーターの言葉を反芻する。
シイラ「そんなことより小巻ちゃんは? その後、小巻ちゃんはどうなったの?」
QB「わからない。ぼく達は彼女を追わなかった」
QB「けれど君の監視網でも見つけることができないとするなら。つまり、そういうことなんじゃないかな?」
シイラ「・・・」
シイラは引き攣ったように笑う。
シイラ「あはっ、あはは・・・」
彼女は頭を掻きむしるように。
両手の掌を頭に押し当て、髪を強く掴んだ。
シイラ「ちょっと慢心しただけでこのザマだ、欲深者は辛いねぇ・・・」
ふらり、と。
死にかけの虫のように。
彼女は力なく立ち上がる。
シイラ「帰ろう・・・」
インキュベーターはまだ諦めがつかないという風に、彼女の隣へ追随する。
QB「君は小巻との約束を守る気なのかい?」
シイラ「・・・」
シイラはインキュベーターをしばし見据えた後。
痛々しい表情で言った。
シイラ「わからない」
――
ふと気付いたとき。
シイラは薄暗い水辺を歩いていた。
シイラ「・・・」
周囲を見回すと。
辺りには無数の朽ちた墓標が立ち並んでいる。
それはぬかるみに沈んだり、腐食したり、あるいは苔むしていたりして。
どれも刻まれた名前を読むことはできそうにない。
湖に浸食され、水浸しになった墓所。
こんな場所、シイラの記憶の中にはないし、この国の中にある光景だとも思えない。
死後の世界というものは、往々にして『水場』が連想されるという。
こんな場所を見てしまうなんて、いよいよ自分にも死神の手が伸びてきたのか、などと思っていた時。
シイラの目の端に、ひらひらと舞い落ちるものが映った。
シイラ「黒い、羽根・・・?」
シイラは上を見上げると、得心がいったという風に、にへらと笑った。
シイラ「そっか。そういえば君のトバリは、見滝原を隅々まで包んでいたのだったね」
スモッグのように黒々しい雲と、血のように紅い月の下。
枯れた大樹の上で。
黒い翼の彼女は気怠そうに、足を組んでシイラを見下ろしていた。
シイラ「やあ、ほむらちゃん。お久しぶり・・・、でもなかったっけ?」
ほむら「・・・」
ほむらは足を解くと、滑るようにシイラの前へ降り立った。
シイラは気押された。
ほんの僅かだが、初めてほむらに対して畏怖を抱いた。
かつて自分が指導した憐れな悪魔の面影はなかった。
かつて自分が愛した悲しき少女の面影はなかった。
そこにいたのは、不安定さなど欠片も見られない確固とした個性だった。
強い意志を抱く、自信に満ちた一人の女性だった。
異国へ送り出した頼りなかった我が子が、偉人になって帰って来た。そんな感覚に襲われた。
シイラは無理して笑みを浮かべる。
シイラ「なんかしばらく見ない間にずいぶん大人っぽくなったね、イメチェンした?」
ほむらは表情を変えずに口を開く。
ほむら「そういうあなたこそ、しおらしくなってしまったわね」
ほむら「私の知っている雅シイラは、もっと毒気に満ちた人物だったはずよ」
揺るぎないほむらの瞳を見て、シイラはとうとう察した。
いや、余裕がなかったからそう思いたくはなかっただけで。
本当はとっくに気付いていたのかもしれない。
シイラ「あはっ。あはははは、ははははは・・・」
シイラ「そっか、そうかもね」
シイラは表情を作る力が抜け。
ふにゃり、と力なく笑った。
シイラ「うん。なんか、色々疲れちゃってね」
彼女は悟った。
自分の役目は終わっていたのだ、と。
道化師はようやく舞台から降りた。
ほむらはしばし瞳を閉じて黙りこくった後。
薄く目を開いてシイラを見据えた。
ほむら「そう、お疲れ様」
シイラ「うん。じゃーねー、ばーははーい」
シイラはほむらに背を向け、おどけたように手を振った。
ほむら「シイラ・・・」
ほむらはジッとシイラの背中を見据えていた。
ほむら「あなたはこのまま消えてしまうの?」
しばし逡巡するように、空を見上げた後。
シイラは振り返った。
シイラ「消えないよ」
シイラ「私は消えない。そんなことしたら、あすみちゃんと同じじゃないか」
シイラは真っ直ぐにほむらの瞳を見返した。
シイラ「この先どうなろうと、私はこの世界で生きていく」
ほむら「そう」
ほむらは安心したように小さく笑った。
張りつめていた緊張が、やっと緩んだ気がした。
シイラ「だからね、ほむらちゃん」
シイラはどこか寂しそうに言った。
シイラ「頑張って。私は君に出会った時から、最初から最後まで。ずっと君のファンなんだ」
シイラ「勝ってくれ、私の夢のために」
ほむら「あなたに言われるまでもないわ」
ほむらは組んでいた腕を解いた。
ほむら「シイラ。あなたのお陰で、私は前に進むことができた」
ほむら「あなたという師がいなかったのなら、私は惨めな悪魔のままだった」
ほむら「きっと一人で、救いようのない破滅を迎えていた」
ほむら「あなたから心を学べたお陰で、私はやっと殻を破ることができた」
深く、静かに。ほむらは頭を下げた。
ほむら「ありがとう、シイラ」
シイラはわざとらしく肩を竦めて、声がいつもの調子に戻る。
シイラ「なんだよ急に。らしくないね、ほむらちゃん」
シイラ「なんだったらそのまま、私を愛してくれてもいいんだよ?」
ほむらは頭を上げ、軽く首を横に振る。
ほむら「ごめんなさい。残念だけれどそれは無理よ。先にあなたに出会っていたら、それも悪くなかったのだけれど――」
ほむら「私の心も魂も」
かつて彼女が魔法少女だった頃。
よくやっていた手癖のように、左手で髪を掬い上げ。
ほむら「この世界が生まれる前から既に」
髪を払うと同時に。
黒い翼が光を放ち、薄い桃色へと変わる。
ほむら「たった一人に捧げるためだけのものだったのだから」
この世界に光が満ちた。
赤黒いぬかるみだった湖が澄んだ色へと戻り。
朽ちた墓標は切り出したばかりのように真新しく生まれ変わる。
薄暗い夜は終わり、日の出を迎えた。
白い光に照らされた無数の墓標には全て、この世で最も愛しい人の名前が刻まれている。
ほむら「私の最高の友だちは、後にも先にも鹿目まどかだけよ」
シイラ「・・・」
シイラ「そっか」
シイラはどこか満足したように笑っていた。
シイラ「じゃあ、最高じゃない普通の友達の一人として。君に普通のエールを送ろう」
シイラは右手を上げた。
ほむらは一瞬戸惑った後。
それに応じるように、自分の右手を打ちつける。
俗にいう、ハイタッチだ。
シイラ「後は任せたよ、戦友」
ほむら「任されたわ、悪友」
第19話 在校生、送辞
冬来たりなば、春遠からじ。
吐息の白みが薄れていき、季節は巡るということを再確認させられます。
冬を越え、新しい命が芽生える日々がやってきました。
3年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。
いま先輩がたは、胸に夢と希望を抱いて、この素晴らしい門出の席にいらっしゃることと思います。
先輩がたは見滝原中学校の最上級生として、部活動、勉強、生徒会活動などで。
時には優しく、時には厳しく、私たちを導いてくださいました。
そんな過ぎ去った日々のことが懐かしく思い出されます。
もうすぐ先輩がたとお別れしなければならないということに対する寂しさが、感謝の気持ちと共にこみ上げてきます。
いつだって私たちの目の前には、先輩がたの大きな背中がありました。
先輩がたの背中についていけば間違いない、と。
私たち在校生は頼もしく思っていました。
・・・。
あなた達の背中は、ぼく達のそれとは比べ物にならないくらい、とても大きく、頼りがいがあり。
まるで未来へ伸びる一本の大木のようでした。
けれど、ぼくにはそれが切なく思えるのです。
ある人の背中が、ぼくの知らない未来へ遠ざかっていくことが、とても悲しく思えるのです。
皆様には、誰にでも、きっと何かあるんだと思います。
学校行事や勉強よりも大切なことが。
学校生活以外の皆様の姿が。
それらはきっと。
個性的で、自由で、綺麗に輝いているのだと思います。
けれどもどうか忘れないでください。
部活動、運動会、合唱コンクール。
委員会活動、新入生歓迎レクリーエーション、大掃除。
つまらなかったテスト勉強の日々ですらも。
授業で躓いた日に、ちょっとだけ教えてくれた英単語1つですらも。
ぼくにとっては、どれも思い入れのある人生の1ページであることを。
あなた達とぼく達を繋いでくれた、大切な縁であることを。
ぼくも、もしも未来へ旅立つあなた達の思い出の一部になれたのだったら。
とても・・・嬉しく思います。
ぼくの人生の中で、たった1度の中学校生活。
その中で一緒に過ごすことができた人達が。
皆様で本当によかった。
今日を限りに、今の制服姿の先輩がたとはお別れとなります。
ですが私達はいつでも、先輩がたとまた会えることを楽しみにしています。
どうか卒業されてからも、それぞれの夢に向かい、その力強い心をもって、ご活躍なされるよう、お祈り申し上げます。
私達在校生も皆様が築かれた本校の素晴らしい伝統を守り、受け継ぎ、悔いのない中学校生活を送るために、一層精進し努力いたします。
卒業後も、時には母校を訪ねられ、元気なお姿を見せてくださるとともに私達を励ましてください。
お待ちしております。
皆様のご健康とご活躍を心からお祈りし、送辞とさせていただきます。
お元気で、さようなら。
在校生代表、上条恭介。
――
肌寒い風が吹きつつも、暖かい日差しが私たちを照らす、今日この日。
私たち卒業生のためにこのように厳かで、晴れやかな卒業式を挙行していただき、心より感謝いたします。
これからの未来に対して、期待や不安が入り混じる中、こうして無事旅立ちの日を迎えることができました。
本当にありがとうございます。
先ほどは、○○校長先生、来賓の方々、在校生一同から力強い励ましの言葉を頂戴し身の引き締まる思いです。
今、見滝原中学校で過ごした日々を振り返ると本当に色々なことが思い出されます。
・・・。
ははは、ごめんなさい。嘘です。
私にはロクな思い出がありません。友だちができたのも3年生の終わりごろになってからですし。
それでも。
私のように、孤立したあまのじゃくでさえも。
こうして無事、卒業の日を迎えることができました。
それはひとえに。先生方や家族の方々、そして皆様の温かい心遣いがあってこそです。
伝統や気風というものは、こういう部分に現れてくるのだと思います。
素晴らしい学校です、見滝原中学校は。
この学校を卒業できることを誇りに思います。
ここからは私事になります。
どうしても私がお世話になった人達に伝えたいことがあるので、この答辞という場をお借りしました。
先生方、親御さん方、申し訳ありません。皆様にはしばし関りのない話になります。
ちょっと恥ずかしいことを言うので、どうか話半分に聞いてください。
それと、申しわけないのですが、言葉も少し崩しますね。
最後まで他人行儀のまま、終わりたくないんです。
・・・。
色々なことがあったね。
本当に、本当に。私は君たちにずっと助けられっぱなしだった。
君たちには私を助ける理由なんてないのにね。
君たちには本当に。
言葉には尽くせないほどの、負担を強いてきたと思う。
恥ずかしいよ、悔しいよ。
こんなんじゃ、カッコ悪いよ。
最後まで助けられっぱなしで、守られてばっかりのまま、君たちの人生からフェードアウトしたくないよ。
だから私は、これから証明したいと思う。
何十年だってかけて、君たちに証明していきたいと思う。
君たちの助けがなくてもちゃんと生きていけるよ、ちゃんと自分の力で輝けるよ、ってことを。
今まで私を助けてくれてありがとう。
けれど、もういいよ。私はもう大丈夫だよ。
自分の足で歩いて行ける。
だからこれからは君たち自身が主役になって、君たち自身の人生を力いっぱい歩んでほしいんだ。
誰かを立てるためじゃなく、自己犠牲の精神でもなく、自分自身の未来のために。
それが、共にこの学校で過ごしてきた私からの、最期のお願いだ。
さようなら、また会おう。中学校の外の世界で待っているよ。
いつかまた、君たちに会えたのなら。
その時には、私も君たちを助けられる存在になっていたいと思う。
君たちが今まで、私を助けてきてくれたようにね。
・・・。
私事を終わります。お目汚し失礼しました。
最後になりましたが、○○校長先生はじめ、先生方のご健勝と、
見滝原中学校のさらなる発展を祈念し、卒業生の答辞といたします。
3年間、本当にありがとうございました。
卒業生代表、呉キリカ。
第20話 「私が円環の理です」
環エニシは考える。
この選挙、有権者の数はそれほど多くはないだろう。
近代であるなら、この選挙よりも投票者の多い国など幾らでもあるだろう。
それでも今回の選挙は前代未聞の、人類(魔法少女を人類に含めているのが環エニシの思想である)にとって、
比類なき規模の選挙であることは間違いなかった。
魔法少女の数は多くはないが世界中にいる。とっ散らかりながら散在している。
異なる文化、異なる人種、異なる言語、異なる季節。
選挙の概念すら知らない娘だって少なくない。
同じ人類なのに差異だらけだ。
命の価値や生き死にについての考え方さえ一致しない。
それこそ共通しているのは性別と年齢層ぐらいだ。
加えて僅か一週間という準備期間も強烈な制約だった。
ただ単に年端もいかぬ少女に政を教えること自体も難しかった。
こんな状況で平等な選挙を行うなど不可能だ。
奇跡や魔法でもない限り不可能だ。
けれども奇跡も魔法もあるのがこの世界であり、それができてしまうのが環エニシだった。
できてしまったのだ。
そんな無茶苦茶な選挙が準備されてしまったのだ。
無論、完璧ではない。
専門家や有識者に言わせれば、こんな選挙は不備だらけだろう。
けれども悲しきかな、正しさよりも個人の意思が優先されるのが魔法なのである。
この世界を支配する、どうしようもない呪いなのである。
環エニシは円環の理と叛逆の悪魔に滔々と選挙のルールを説明した後、恭しく頭を下げた。
彼女は見事に、その恐るべき役割を果たした。
「ご武運を、コトワリ様」
「私は貴女の勝利を祈り、敗北を願っています」
「貴女は私にとって、救世主であり悪夢なのだから」
魔法少女総選挙 ルール
・悪魔派と円環の理がそれぞれ5分ずつ代表演説を行う。
・代表演説の内容は自動で翻訳される。
・代表演説を聞いた魔法少女は、それから3時間以内に投票を行う。3時間を過ぎたら無効票となる。
悪魔派の代表演説が始まった。
ほむらは壇上に上がる。
無数のインキュベーターの赤い眼が、まるで記者のカメラレンズのようにほむらを見つめている。
ほむらは1つだけ深呼吸をした。
彼女の中に恐怖はなかった。
「・・・」
ほむらは壇上に固く握った拳を置いた。
「勘違いされる前に、まず最初に言っておくわ」
ほむらは赤い瞳越しに、世界中の魔法少女を睨みつけた。
「私は、あなた達が嫌いよ」
「奇跡を起こした程度で自分の命をあっさり諦める、自分勝手なあなた達が大嫌いよ」
高揚か、それとも逆上か。
ほむらの中で燻っていた想いが、次々に溢れてくる。
「誰でもいいわ、あなたが愛する人の顔を思い浮かべなさい」
「その人は、あなたが消えた時にどういう顔をすると思う?」
「死ぬっていうのは、そういうことよ」
ほむらはもう一度、深呼吸をして心を静めた。
もう大丈夫だ、さっきので伝えたいことはほとんど伝えた。
後は事前に決めていた文章を読むだけだ。
「私は世界を変えられるわ」
「あなた達を魔法少女から人間に戻す用意がある、私にはそれができる」
「魔獣だって処理できる、あなた達が戦う必要はない」
ほむらは静かに拳を解いた。
「忘れないで。あなた達ができることは、愛する者を取り残して消え去ることだけじゃない」
「守るために戦い抜くこと以外にも、あなた達にできることはたくさんある」
どこまでも静かに。
どこまでも厳しく。
ほむらは世界中の魔法少女へ言い放った。
「生きなさい」
「生きて大人になりなさい」
「それが、魔法少女である以前に、人間として生まれたあなた達の責任よ」
次いで円環の理の代表演説が始まった。
円環の理は壇上に上がる。
先ほどのほむらの代表演説によって、
世界中の魔法少女達が水を打ったように静まり返っていることが伝わってくる。
「・・・」
「初めまして、皆さん」
そんな雰囲気を一変させるように。
円環の理はふにゃりと笑った。
「私が円環の理です、よろしくお願いします」
円環の理は静かに壇上に両手を乗せた。
「今日、私たちはとても大きな分岐点に差し掛かっています」
「そして私はこの世界を続ける選択の代表として、ここに立っています」
円環の理は世界中の魔法少女に語りかける。
彼女たちの魂に問いかける。
「皆さんは何を願って魔法少女になりましたか?」
「私はそれが・・・、皆さんにとってかけがえのない決意だったと信じています」
「皆さんにとって大切なものを守るための。
誇りある、素晴らしい決断だったと。心から信じています」
円環の理は金色の瞳を見開いた。
「希望を抱くことは、絶対に間違いなんかじゃありません」
円環の理は、少しだけ寂しそうに笑った。
「私はほむらちゃんみたいに、世界を変えることはできないけれど」
「それでもこの世界で生きる皆さんの、全てを受け入れることはできます」
「これからも、ずっと。ずっと変わらず受け入れていきます」
一つだけ呼吸を置いて。
どこまでも柔らかく、円環の理は言った。
「続けていきましょう。夢と希望を叶える、魔法少女の物語を」
全く対照的な演説が終わり。
魔法少女総選挙の投票は行われた。
世界中の魔法少女達が何を思ったのかはともかく、選挙は粛々と進んでいった。
環エニシの監視の下。
インキュベーター達の不正なき開票の末に、審判が終わった。
この世界の存亡を左右する決断は、いともあっさり下された。
第21話 「私は、何になりたかったんだっけ?」
概念の間。
円環の理とほむらは、静かに椅子に座って、審判の時を待っていた。
ほむら(何も、考えられない)
ほむら(何も、思い浮かばない)
ほむら(興奮も幸福も。後悔すらも、感じない)
ほむらの心は真っ白に燃え尽き、そして満たされていた。
ほむら(私は戦い抜いたんだ、私は止まらずに走り続けたんだ)
ほむら(きっと平気だわ、どういう結果になっても)
ほむら(きっと私は、胸を張って言えるんだ)
ほむらは、緊張した面持ちの円環の理の横顔を見つめた。
ほむら(この時だけは、確かに鹿目さんの隣にいられたんだって)
心地よい静寂を割るように。
畏まった様子のエニシが語り掛けてきた。
エニシ「お待たせしました、開票が終わりました」
エニシ「投票結果はこうなっております」
ほむら「!?」
それを見た時、ほむらは絶句した。
悪魔派
支持率70%
円環の理
支持率12%
無効票
18%
エニシ「ほむらさんの得票数が、投票数の半数を超えました」
エニシ「無効票を全て含めたとしても、コトワリ様の票数はほむらさんには届きません」
エニシ「よって。新たに魔法少女の秩序となるのは、ほむらさんに決定されました」
エニシ「当選、おめでとうございます」
ほむらはエニシが何を言っているのかわからなかった。
想像と現実のギャップにただただ絶句していた。
ショックで半ば機能停止した思考が、僅かに回復した頃。
ほむらはチラリと円環の理の方を見た。
円環の理「・・・」
円環の理もまた、呆然とした顔をしていた。
目を見開き、固まっていた。彼女は身動き一つできなかった。
しかし永遠に続くショックなど無いのは、円環の理もまた同じで。
次第に事態を理解し始めた円環の理は、瞳に涙が溜まっていき。
やがて膝から崩れ落ちた。
彼女は絶対に今の自分の表情が見られないように、固く頭を抱えて蹲った。
負けたこともまた、ショックではあるのだが。
落選したという事実以上に大きな絶望が、彼女の心を覆い始めた。
円環の理は理解してしまったのだ。
自分の祈りに誇りを持っている魔法少女など、12%しか存在しないということに。
そして70%の魔法少女達は、既に自分の祈りに裏切られているということに。
魔法少女は、希望から始まり、絶望に終わる。
円環の理ですら、鹿目まどかですら。
遂にその運命から逃れることはできなかった。
彼女は自分の祈りに裏切られた。
その魂を概念にしてまで守りたかった魔法少女達が、円環の理を拒絶したのだ。
彼女が守りたかった希望など、12%に過ぎなかった。
円環の理は小さく、幼子のように呟いていた。
円環の理「そっか、そっか・・・」
円環の理「ずっと気付けなくて、ごめんなさい・・・。辛かったんだね、痛かったんだね・・・ごめんなさい」
ほむらはその言葉を聞いたとき、脳の血液が沸騰するほどの怒りに支配された。
こんな状況を作り出したのは、自分自身であることすらも忘れて。
ほむら「あなたは・・・!」
ほむら「あなたは優しすぎる!! どうして、どうしてこんな時まで!?」
その怒りは誰に対するものなのか、ほむらにはわからなかった。
こんなに身勝手なことをした自分自身に対してなのか。
こんなに脆い覚悟で自分を置いていった鹿目まどかに対してなのか。
こんなにあっさり円環の理から離れていった恩知らずな魔法少女達に対してなのか。
ほむらにはわからなかった。
ほむら「いい加減にしてよ、いい加減にしてよ!!」
ほむら「どうしていつもあなたは、どうしていつも私は!?」
ほむら「どうしてこの世界は――
円環の理「ストップ、ほむらちゃん」
気付けば、円環の理は既に立ち上がっていた。
その目にはもう涙は残っていなかった。
円環の理は凛とした表情で、ほむらに向き合っていた。
円環の理「私は負けちゃったけど、落選しちゃったけど」
円環の理「私が守りたかった祈りはあったし、私を信じてくれた魔法少女は確かにいたの」
円環の理「辛いけれど、悲しいけれど。一人でも助けられたなら、私は後悔していないよ」
ほむら「・・・っ!」
ほむらにはまるで見えていなかった。
この瞬間になるまで、ずっと見えていなかった。
ほむらが守りたかった鹿目まどかは。
ほむらの助けを必要としている鹿目まどかは。
もう、どこにも存在しないということが。
円環の理はペコリとほむらに頭を下げた。
円環の理「当選おめでとうございます、暁美ほむらさん。
私の負けです。あなたが作っていく世界を楽しみにしています」
円環の理はインキュベーターの方へ向き直った。
円環の理「私に投票してくれた皆さん、ありがとうございました。期待を裏切ってしまってごめんなさい」
円環の理「私は概念ではなくなりますが、これからもずっと皆さんの幸福を祈っています」
円環の理「どうか、皆さんの未来に幸多からんことを」
その後ほむらは、どこからともなく届いたテレパシーに従い。
全く心の篭っていない上っ面だけの言葉を吐く。
ほむら「私を信じ、投票してくださりありがとうございます」
――私は。
ほむら「円環の理は素晴らしい方でした」
――私は。
ほむら「彼女の起こした奇跡は、本当にかけがえのないものでした」
――私は、彼女に守られる私じゃなくて! 彼女を守る私になりたい!
ほむら「けれども私たちは、とうとう彼女の下から巣立つ日が来たのです」
――私は・・・。
ほむら「共に、新しい世界を作っていきましょう」
――私は、何になりたかったんだっけ?
第22話「それでよかったんだよ」
――
深夜の鹿目家。
電灯の灯った静かなキッチンにて。
一人椅子に腰かけているのは、鹿目家の母親にして大黒柱である鹿目詢子だ。
化粧も落としていないYシャツ姿の詢子は、キッチンにてうつらうつらと舟を漕いでいた。
右手は力なく、ウイスキーグラスの上に置かれている。
グラスの中の洋酒は、氷を半分以上解かして、だいぶ薄まっていた。
「ママ」
そんな夢現の中、詢子はふと聞きなれた声に目を覚ました。
詢子「ん、ああ・・・まどか?」
詢子を呼んだ少女は、返事の代わりに少し困ったように笑った。
詢子「あんたが夜更かしなんて珍しいな」
「うん、どうしてもママに相談したいことがあって・・・」
モジモジと言い淀んでいる様子に、詢子はなんとなく察してニヤッと笑った。
詢子「へえ、パパじゃなくて私にか。なんだよ?」
とか聞いてみたものの、詢子は内心では、ある程度の予想はできていた。
どう考えても、恋の悩みの類だろう、これは。
「あのね、えっと・・・」
「私のことを愛しているって言ってくれる子がいるの」
詢子「・・・」
詢子は露骨にムッとした表情になる。
「中学生のくせに生意気な」とか「私の娘に手を出すからには、それ相応の奴なんだろうな」とか。
そんな風な、親としてごく当たり前の反感を持ったのだろう。
「あ、あのっ! その子はいい子だよ!」
少女は詢子のそんな不満げな表情を察したように、手を振って訂正をする。
「すっごく頑張り屋だし! よく誤解されるけど、本当はとっても優しいし!」
「本当に、私のことを愛しているっていうのは、伝わってくるんだけれど・・・」
しかしその慌てふためいた調子は長続きせず。
声はだんだん勢いがなくなり、しぼんでいく。
「私もその子のことが、大好きなんだけど・・・」
「私には、その子の気持ちが・・・、全然わからないの・・・」
気付けば、少女は拳をぎゅっと握りしめていた。
「どうして、なんだろうね。いくら頑張っても、距離が全然縮まらないの」
「私が何を言っても、私が何をやっても。その子を傷つけてしまう気がするの」
「私、どうしたらいいんだろう・・・」
詢子はしばし瞳を閉じて聞き入っていたが。
やがて合点が入ったという風にニヤリと笑った。
詢子「なるほどねぇ。まどか、さてはお前・・・」
詢子はテーブルに肘をつき、身を乗り出した。
詢子「女の子から告白されたんだな?」
神様になれたとしても、母の目は誤魔化せない。
はぐらかしていた図星は、あっという間に見抜かれてしまった。
「う、うん・・・。えっと、そういうことになるのかな?」
詢子「ははっ。甘酸っぱいねぇ、羨ましいよ」
詢子はケラケラと笑い、持ち上げたウイスキーグラスを揺らした。
小さくなった氷が、カランと音を立てる。
「あの・・・。それでね、ママはどうだったのかなって・・・」
詢子はわざとらしく肩を竦める。
詢子「どうって?」
「どういう風にパパと結婚することになったのかな、って・・・」
詢子「お前、結婚まで考えてんの?」
「そんなんじゃないってば! そうじゃないけど・・・、恋ってどういうものなのかなって」
詢子「あー、そう言われてもなあー・・・」
詢子はグイッと、残った洋酒を煽ってグラスを空にした。
詢子「私は別にパパのこと、好きなわけじゃなかったしなー」
「え!?」
詢子「結婚だって考えてなかったのに、状況がどんどんややこしいことになって、仕方なく――
「ちょちょちょちょっ! ちょっと待って! ちょっと待って!」
少女は慌てふためいてテーブルに手を付く。
「嘘でしょ! 冗談だよね!?」
詢子「ははは、いやいやマジなんだなこれが」
少女は愕然として項垂れた。
「そ、そんな・・・、ショックだよ・・・」
詢子「そんな世界の終わりみたいな顔すんなよ、大袈裟だって」
詢子はグラスを持って立ち上がると。
パタンと、冷蔵庫の扉を開ける。
詢子「恋ってのは、好きとか嫌いとか。そんな物差しだけで考えられるほど、単純なもんじゃないってことさ」
冷凍庫から氷を2つ取り出して、新たにグラスに落とした。
詢子「好きな奴を嫌いになったり、嫌いな奴が実は一番必要な相手だったり。そんなことばっかりだよ」
詢子は冷蔵庫の扉を閉めると、天井を仰いだ。
詢子「私にはやりたいこともあったし、他に好きな人もいないわけでもなかった」
詢子「でもそういう夢とかを捨てて、結局パパと結婚した。わかんないもんだな、人生」
どこか哀愁の漂う詢子の背を見つめ、少女は息を飲んだ。
少女は母親でない、一人の人間である詢子を、初めて見たような気がした。
「ママは・・・それでよかったの?」
少女は絞り出すように言った。
「夢が叶わなくて、それでよかったの?」
詢子「それでよかったんだよ」
詢子は笑っていた。
片手にはウイスキーグラス、そして空いた片手にはチューハイの缶を持って。
詢子は冷たいアルミ缶を、少女の頬にくっつけた。
「ひゃっ!?」
詢子「ほら、飲め飲め」
「えっ、でも・・・」
詢子は悪戯っぽく笑う。
詢子「腹を割って人と話す時は、自分も飲まなきゃダメなんだぞ」
少女はしばし躊躇った後、遠慮がちに渡された缶を開けて。
恐る恐る生まれて初めての酒を口にした。
「苦い・・・」
詢子「ははは、それがクセになるんだよ。慣れるとやめられなくなるぞ」
詢子は洋酒をグラスに注ぐ。
その洋酒は、ロックで飲むには結構勇気のいる度数だった。
詢子「確かに今の私は、最初に願っていたものとは違うのかもしれないけどね」
詢子はボトルを置き、グラスに持ち替えた。
詢子「けれども今の私は幸せだよ、パパだってまどかだってタツヤだって大好きだ」
「・・・」
詢子はグラスに口を付けて、ちびりちびりと舐めるように飲んでいく。
その横顔は、魔法少女が何万年をかけても辿り着けないような、どこか遠い異国の人物の様だった。
詢子「夢なんて叶わなくても幸せなのさ」
少女はしばし瞳を閉じた後。
もう一度酒を口に含んでみた。
「・・・」
アルコールという物はやっぱり苦くて、少女の口には合わなかった。
詢子はそんな様子を微笑ましく眺めながら。
とろんとした目付きで、グラスを揺らした。
詢子「まどか、あんたは優しくていい子だよ。でも優しすぎる想いは時として人を傷付けてしまうんだ」
詢子「あんたが無理だと思うなら、一思いにフッてやった方がそいつのためさ」
「・・・」
少女は静かに押し黙った。
疑念や後悔が、次々と湧き出しては頭を覆っていく。
けれど。
それでも。
私は・・・。
どんなに疑念を投げかけても。
どんなに後悔を塗り付けても。
思い浮かぶのは、泣いている彼女の顔ばかりだった。
(違う、私は・・・)
少女の瞳には、まだ光が残っていた。
(同じ間違いを、繰り返すもんか!)
1つ深呼吸をして、少女は詢子を見つめる。
「でもね、聞いてママ」
詢子は一瞬、心臓が跳ねるような感覚を味わった。
目の前にいる少女が見違えるまでに大人びて見えたのだ。
詢子はこんなに凛とした表情の少女を見たことがなかった。
「私も・・・、私もその子のことを愛しているの」
少女は胸の前で固く手を握り、言葉を続ける。
「本当に心から愛しているのかはわからないけれど」
「そう思わなきゃいけない状況になっているだけなのかもしれないけれど!」
「それでも私は――!」
身を乗り出す少女に圧倒され、詢子はしばらく呆然としていたが。
そんな沈黙も長くは続かず、クツクツクツと笑い始めた。
詢子「なんだよまどか、今日はやけに食い下がるじゃねーか」
詢子「いつもならこの辺りで大人しくなっちまうのによ」
「・・・」
どれだけ強い決意を固めても、結局詢子にはその程度の影響しか与えなかった。
何億年生きても、やっぱり母親には敵わない。
詢子「そんな顔すんなよ」
詢子は満足げに微笑んでグラスを置き、縁を指でなぞった。
詢子「私は嬉しいんだぜ。お前は反抗期とかが全く無くて、逆に心配だったんだからな」
子どもをあしらう様な母親の態度に。
少女はとても不服だった。
「真面目に答えてよ・・・」
詢子「ははは、悪い悪い」
詢子は人差し指を立てて、軽く振った。
詢子「いいか、そういうシチュエーションではな。昔からこういう風に返すと決まっているのさ」
昭和の時代を生きていた大人が、ニヤッと笑って。
当たり前のようにこう言った。
詢子「『お友達から始めましょう』ってな」
「!」
息を飲む少女を尻目に、詢子は続けていく。
全ての時間軸に存在したが故に、つい忘れがちになってしまうけれど。
詢子は少なくとも『人間として』生きた時間は、少女よりもずっと長いのだ。
詢子「歪んだ愛っていうのはな。
大体が過程を吹っ飛ばして、いきなり高すぎる理想を目指しているから起こる問題なんだよ」
詢子「少しずつ土台を固めて、お互いに歩み寄っていれば。最初からそんな問題は起きねーんだ」
詢子は少し挑発的に。
少女の瞳を見つめた。
詢子「お前、そもそもその子の気持ちがわからないんだろ?
だったら応える応えないの前に、まずそいつの気持ちを知るところから始めたらどうだ」
詢子「そうやって一緒に歩幅を合わせて歩いて、初めて見えてくるものもあるだろう」
「・・・」
少女の瞳にはもう光は灯っていなかった。
そこにあるのは、女子中学生らしい、幼さと純粋さだけだった。
「うん」
少女は、気の抜けたように微笑んだ。
「そっか、そうだね。ありがとう、ママ」
詢子「わかればよろしい、お前は本当に素直な子だな」
詢子はヘラヘラと笑って続ける。
詢子「ていうかさ、お前まだ中学生だろうに。
若いを通り越して幼いんだから、そんなに焦らずにゆっくりやればいいじゃないか」
詢子は調子付いてきたようで、酔っ払い特有の長い長いお説教を続ける。
うだうだうだうだと続けている内に、ある友人が思い浮かんだ。
四捨五入して40歳になっているくせに、彼氏と別れたくっ付いたで一々大騒ぎしているあの女だ。
詢子「ああ、でもなぁ・・・悩み過ぎには注意しろよ?
いい歳になってもまだ少女気分が抜けないアホな大人がいるから――」
トントントンと、誰かが階段を降りてくる音がした。
まどか「ママ?」
パジャマを着たまどかが、目を擦りながら現れた。
詢子「え、まどか?」
呆気にとられる詢子に、まどかは半分眠っているような声で話しかける。
まどか「まだ起きてるの、明日もお仕事あるんでしょ?」
詢子「い、いやいやいや・・・。起きてるも何も、ついさっきまでお前と――
詢子が振り返ると。
少女が座っていた席には誰もいなかった。
そこには蓋の空いていない缶チューハイだけが置かれていた。
詢子「・・・」
まどか「ママ?」
詢子は額を抑えてうーん、と唸る。
詢子「飲み過ぎたのかなぁ・・・」
まどか「?」
詢子「あー・・・、うん。そろそろ寝るわ」
詢子はまどかの頭を抱き、額にキスをした。
詢子「おやすみ、まどか」
まどか「うん、おやすみ」
詢子は「朝にシャワーを浴びればいいや」と考え。
目覚まし時計を30分早くセットし、軽く化粧だけ落してから、着替えもせずに床に入ってしまった。
魔法少女達の命運が分かれても。
鹿目家の一日は、いつもとさほど変わりなく終わった。
――
円環の理は扉の前に立っていた。
コン、コン、コン、と。
円環の理は扉を3回ノックする。
円環の理「ねえ、ほむらちゃん。まだ起きてる?」
返事はなかった。
ドアノブに手を掛けたが、ビクともしない。
扉には鍵が掛けられ、固く閉ざされていた。
円環の理「そっか」
円環の理「じゃ、待ってるね。開けてくれるまで、起きてくれるまで」
円環の理は、扉の前に座り込んだ。
ふと、何かを思い出したように。
少しの沈黙の後に、彼女は続ける。
円環の理「ほむらちゃん、初めて会った時のこと、覚えてる?」
円環の理「私にとっては、つい昨日のことみたいだけれど。ほむらちゃんにとっては、ずっと昔のことなんだよね」
忘れるわけがない、そんな声にならない返事が返ってきた気がした。
円環の理「あの頃の私は・・・、魔法少女になったばかりで浮かれていてね」
円環の理「うん、すごく調子に乗ってたと思う」
円環の理は少し自嘲的に笑う。
彼女がこんな風に、自分の過去に対して卑屈になることはとても珍しかった。
円環の理「ごめんね、あの頃の私は・・・。ほむらちゃんのことは、みんなの中の一人としか考えていなかった」
円環の理「『魔法少女じゃない人達』の一人だとしか思っていなかった」
硬い物を引っ掻くような音が聞こえた気がした。
円環の理は、何も聞こえていないふりをした。
円環の理「けど、ほむらちゃんにとっては違ったんだよね」
円環の理「家族や友達や、自分の命さえ捨てちゃえるような人だったんだね」
円環の理「・・・」
円環の理は天井を仰いだ。
彼女は全ての魔法少女の祈りを受け止めていたが、そうでない者達の想いにはほとんど無関心だった。
元を辿れば、魔法少女達も『普通の人間』だったのに。
円環の理「きっと・・・。そんな一方通行を繰り返してきたから、私は負けちゃったんだね」
円環の理はジッと座っていた。
いつまで待っていても返事は帰ってこないし、鍵が解かれる気配もない。
けれど、別にそれでもいい。
今すぐにわかり合えなくてもいい。
きっと、いつか、必ず・・・。
「明日は何が起こるのだろう」。
不安がないわけではなかった。
一片の怒りも抱かなかったと言えば嘘になる。
けれど、違うのだ。
自分は元々、世界の管理者になるために、神になったわけじゃない。
ましてや、こんなたった一回の選挙で、自分の正当性を証明するためでもない。
自分は変わらず在り続ければいい。
ただ信じていればいい、馬鹿みたいに信じていればいい。
少女達の希望を。
そして、最も深く自分を愛してくれた彼女の祈りを。
円環の理「天にまします我らが父よ」
円環の理は静かに手を組んで、祈った。
円環の理「我らが罪をお許しください、私も全ての過ちと罪を許します」
自分のような仮初の、でっち上げ等ではない。
正真正銘の、本物の神に祈った。
円環の理「そして、どうか・・・」
円環の理「私を心から愛してくれた友だちの未来が、希望に満ちたものでありますように」
静かに、心から祈った。
その夜。
円環の理は久しぶりに眠って、久しぶりに夢を見た。
泣き疲れたほむらもまた、久しぶりに悪夢でない夢を見ていた。
ほむらは友だちの夢を見ていた。
円環の理は友だちと一緒に、どこか遠い場所を目指して歩いていく夢を見ていた。
翌朝。
不安げにやって来たエニシは、その光景を見て目を丸くした。
円環の理は、扉の前に座り込んで眠っていた。
半開きの扉の向こうでは、ほむらもまたうつ伏せになって眠っていた。
エニシは時計を取り出してしばしにらめっこした後。
小さく笑ってそれを懐に仕舞った。
エニシ「少し予定を遅らせましょう」
エニシ「よい夢を、お二人様」
2時間延期されたスケジュールの調整のために。
エニシは忙しなくそこから立ち去っていった。
第23話「魔法少女の運命は過酷なものでしたが。これから歩む道は、それよりも長く、そして険しいものになるでしょう」
昼時。
円環の理は再び壇上に立っていた。
彼女は今、全世界の魔法少女へ向けて敗北宣言のスピーチを行っていた。
その振る舞いは、選挙当日の演説よりもずっと生き生きとしていて。
本当に彼女は、争いというものが苦手だったのだということが伝わってくる。
安楽椅子に腰かけて。
ほむらはクラシックでも聞いているかのように、円環の理のスピーチを聞き入っていた。
そんな気の緩んだ様子を見かねて、悪友がテレパシーを送ってくる。
シイラ『やれやれ、まったくもって。君は今度こそ本当に世界を引き裂くところだったんだよ?』
シイラ『私のナイスなフォローが無かったらどうする気だったんだ』
ほむらは小さく笑ってテレパシーを返信した。
ほむら『あなたなら助けてくれると信じていたのよ』
シイラ『・・・』
ほむら『冗談よ、本当に助かったわ。あなたは世界を救ったヒーローよ』
シイラ『ほむらちゃん、なんかまたキャラ変わってない?』
ほむら『一仕事終えて緊張が解けただけよ、きっと』
シイラはテレパシーの向こう側で、肩を竦めて小さく笑った。
シイラ『じゃあそういうことにしておくよ』
ほむら『それじゃあまた後で。スピーチの内容、添削してくれてありがとう』
シイラ『グッドラック、大統領』
タイミングよく、円環の理の演説は終わっていたようだ。
テレパシーを終えたのを認めて、円環の理はほむらの顔を覗き込んだ。
円環の理「誰とおしゃべりしていたの?」
ほむら「えーっと、まあ・・・。新しいお友達、かしら?」
円環の理「・・・」
円環の理は拗ねたように頬を膨らませた。
円環の理「私だけの友だちだと思っていたのに・・・」
ほむら「あなただって昔は、私だけを見てくれてなかったじゃない。これでおあいこよ」
円環の理「返す言葉もございません・・・」
どこか懐かしそうに語り合う二人に。
彼女は申し訳なさそうに口を挟む。
「コトワリ様、ほむらさん。恐縮ですが、そろそろほむらさんの演説を」
円環の理は少しだけ名残惜しそうにほむらの目を見つめた後。
小さく手を振った。
円環の理「いってらっしゃい、ほむらちゃん」
ほむらはその手の平に、軽く自分の拳を触れさせた。
ほむら「ええ、いってきます」
ほむらは壇上に立った。
インキュベーター達の赤い瞳が、記者のカメラレンズのようにほむらの方を向く。
今、自分は世界中の魔法少女達に注目されていると思うと、不思議な気持ちになった。
魔法少女の契約を結ぶ以前の自分は、教科書の音読にすら萎縮していただろうに。
ほむらは1つだけ大きく深呼吸をして、台に手を付いた。
ほむら「環エニシ選挙管理委員長、先代の導き手の円環の理、そして世界中の魔法少女の皆さん、ありがとうございます」
ほむらは深々と頭を下げた。
ほむら「私たち魔法少女は今、新しい未来への一歩を踏み出しました。私たちは共に、魔法少女の、そして自分自身の歩む道を決めるのです」
ほむら「魔法少女の運命は過酷なものでしたが。これから歩む道は、それよりも長く、そして険しいものになるでしょう」
ほむら「私たちは課題に直面するでしょう。さまざなま困難にも直面するでしょう」
ほむら「しかし、それらは魔法に頼らなくても必ず乗り越えることができます」
小さく間を置いた。
ほむらは瞳を閉じ、何度も何度も魔法によって繰り返された一ヶ月に思いを馳せる。
ほむら「それが、人間の力なのです」
ほむら「私達の――
大いなる一歩を踏み出すための。
ほむらの荘厳な演説は、乱入者によって中断された。
突如として、周囲に金切り声のようなテレパシーが響き渡ったのだ。
それはあまりにもヒステリックで大音量なので、まるで防犯ブザーのように耳障りに頭に響き渡った。
『逃げてください! 全員その場から全速力で離れてください!!』
ほむら「!?」
困惑したほむらは思わず円環の理の方を振り返る。
円環の理もまた、驚いて立ち竦んでいたようだった。
整然とほむらを見つめていたインキュベーター達もまた、忙しなく周囲を見回している。
円環の理「え・・・?」
ほむら「!?」
ほむらと円環の理は、すぐにその異変の原因に気付いた。
だが手遅れだった。
エニシ『そこにいる奴は、私ではありません!!』
どうしてこの瞬間になるまで、誰も気づけなかったのだろう。
どうしてこの瞬間になるまで、誰もわからなかったのだろう。
今まさに、ほむらの背後に立ち、ほむらの肩を握っているそいつには。
顔が無かった。
わかっていたことだ。
誰もが知っていたはずだ。
魔法少女まどかの物語が、この程度で終わるはずがない、と。
神話は終わった。
ハッピーエンドで幕を下ろした。
そしてこれから始まるのは、黙示録。
紛うことなき、本当の終わりの始まり。
第24話 666
――
そこは薄暗く、蒸し暑い場所だった。
天蓋に繋がる鎖に吊るされた鳥籠の中で、ほむらは目を覚ました。
ほむら「ここ、は・・・げほっ!」
ほむらは汚れた空気に咳き込み、不愉快な生暖かい空気を振り払うと。
顔を顰めて周囲を見渡した。
ほむら「何よ、これ・・・」
ほむら「何なの・・・ここは!?」
そこは異形の街だった。
暗澹としたスモッグが周囲に漂い、天蓋に固定された黒い太陽が灰色の世界を煌々と照らしている。
周囲には無数のゴシック調の摩天楼が、煤にまみれて空へと伸び。
高架に支えられた石の道路が、地上を縦横無尽に走っている。
さながらそれは、強欲の機械都市・メトロポリスのようだった。
QB「強いて言うなら地獄、かな?」
声のした方を見ると、鳥籠の上部にインキュベーターが座り込んでいた。
彼は手持無沙汰そうに、長い尾で鳥籠を吊るす鎖を弄っている。
ほむら「図ったわね・・・」
ほむらは鳥籠の柵を思いきり殴りつけた。
ほむら「裏切ったのね、インキュベーター!!」
QB「・・・」
QB「ぼく達じゃない」
インキュベーターは尾を鎖から離すと。
柵の隙間から鳥籠の中に降り立って、真っ直ぐにほむらを見上げた。
QB「想定外の事故が起こった。ほむら、下を見てごらん」
ほむらは忌々しげにインキュベーターを睨みつけた後。
恐る恐る柵の隙間から顔を出して、鳥籠の下の方を見つめた。
ほむら「・・・」
初めはわからなかったが、少し目を凝らして視界のピントが遠くへ定まると。
信じられない光景が映っていた。
ほむら「!?」
ほむらの表情が引き攣る。
QB「前代未聞の宇宙改編の瞬間だ」
ほむら「あ、あ・・・っ!」
QB「多少のイレギュラーは覚悟していたが、ここまで酷いことになるなんて、ぼく達にも予想できなかった」
高架道路の下で、地面が波打っていた。
QB「彼らは怒り狂っている」
ほむらは吐きそうになった。
そこに広がっていたのは、メトロポリスの街の地面を覆いつくす、信じられない数の魔獣の群れだった。
彼らは亡者のように天を見上げ、呪詛染みた呻き声を上げながらほむらへ手を伸ばしている。
恐ろしかった。
悍ましかった。
魔女に騙された貧民街の労働者たちは、こんな様子だったのかもしれない。
QB「地球に存在する全ての魔獣がここに殺到している」
ほむらは柵を握り、愕然と項垂れた。
ほむら「インキュベーター、彼らは何と言っているの・・・?」
QB「魔獣達の情報のやり取りは、ぼく達とも人類とも全く違う定義の下に成り立っている」
インキュベーターは赤い瞳で、この世の地獄のような光景を覗いた。
QB「けれどぼくの主観を加えつつ、敢えて人間の言葉に訳すとするなら、こういう風になるだろう」
感情の無いはずのその瞳には、僅かに絶望の色が滲んでいるように見えた。
QB「『お前たちが我々を望んだ』」
QB「『お前たちが我々を産んだ』」
QB「『なのになぜ、我々を追い出すんだ』」
ほむらは歯を食いしばった。
行き場のない感情を押し殺すように、力いっぱい柵を握る。
QB「『これ以上いいようにされてたまるか』」
何度も繰り返される改編に、とうとう世界が悲鳴を上げた。
やはり人類の感情は。
感情そのものから力を引き出すという技術は。
利用するには、あまりにも危険な代物だったのだ。
QB「『この星は、我々の物だ』」
暁美ほむらの途方もない贖罪は、ここから先が本番だった。
ほむら「ふざけないで・・・」
インキュベーターは何かを察し、鳥籠から隣の摩天楼へと飛び移った。
ほむら「ふざけないで!!」
ほむらは黒い翼を広げ、鳥籠を破壊した。
どす黒い衝撃波がメトロポリスを揺らす。
ほむら「やっと、やっとここまで辿り着けたのよ・・・」
ほむらは三叉槍を右手へ出現させる。
怒りに震える表情と相まって、彼女はさながら本物の悪魔の様だった。
ほむら「汚らわしい手で私の結末に触らないで!!」
三叉槍の先端に、青い炎が灯り。
ほむらはそれを勢いよく、魔獣の群れへ投げ落とした。
ほむら「フェイズゼロ!!」
メトロポリスの下層部分へ青い炎が奔り、魔獣達は凍結する。
それと同時に。
世界を鎖すように、ほむらのトバリが無理やり世界を上塗りし、鍵をかけた。
ほむら「はあ、はあ・・・!」
ほむらは息を切らして高架道路へ降り立つ。
トバリはギシギシと音を立てて、何度も空間が波打つ。
QB「その場しのぎだ」
インキュベーターはほむらの下へ歩み寄り。
冷めた視線でほむらを見上げる。
QB「これじゃあ、いつ破られてもおかしくない」
ほむら「黙りなさい!!」
ほむらは歯を食いしばり、トバリを抑え込むように手を翳す。
ほむら「このまま・・・押し潰す! 私の愛は世界さえ変えた!」
ほむら「今更この程度の障壁に、負けてなるものか!!」
ほむらは魔獣を軽く見ていた。
「こんな奴らが魔女よりも大きな障壁になるはずがない」、
「魔獣など、ただの代替品に過ぎない」と。
果たしてその考えは正しかった。
ほむらのトバリは、魔獣達のいる世界を押し潰し、完全に封鎖した。
QB「・・・」
ほむら「・・・っ」
乱動する境界線は静けさを取り戻し、やがてピクリとも脈打たなくなった。
ほむらは息をついて腕を下ろした。
苦難は終わった、彼女はそう思った。
安堵の息をついた、その瞬間だった。
ほむらの胸に鋭い痛みが走った。
ほむら「え・・・?」
滲みだす鮮血がほむらの衣装を紅く染めた。
ほむら「・・・」
ほむらの胸を貫いていたのは矢だった。
冷たい金属製の矢だった。
ほむら「矢・・・」
まさか。
ほむらの頭に恐ろしい想像がよぎった。
振り返るのが怖い、振り向いてはいけない。
このまま振り返らずに、全身の血が流れ出るまで待った方がいい。
ほむら「・・・」
しかし身体は言うことを聞かない。
絶対に後ろを見たくない、そう思っても首が勝手に動いてしまう。
そんな。
ほむらの瞳は後ろに立つ少女を見止めた。
そんな。
少女は女神を思わせる白いドレスを着ていた。
そんな。
ほむらは拳を固く握りしめ、震え始めた。
見る見るうちに涙が溜まり、瞳の端から零れ始めた。
ほむら「どうして、鹿目さん・・・?」
背後には水中銃を持った少女がいた。
赤いリボンの少女がいた。
「あなたのせいだ」
ほむら「っ!!」
赤いリボンの少女はカツリ、カツリと。
石畳を踏み鳴らし、ほむらの下へ歩み寄ってくる。
「あなたのせいだ」
少女はほむらの前で立ち止まると。
水中銃を思い切り振りかぶり、ほむらの顔面を殴りつけた。
「お前のせいで、全てがぶち壊しだ!!」
ほむらは信じられない、という表情で殴られた顔を抑えた。
どうやら鼻筋を殴られていたようで、抑えた手が生暖かい血で真っ赤に染まった。
赤いリボンの少女はほむらを見据える。
その目は恐ろしく冷たく、表情は憎悪に満ちていた。
彼女は慣れた手つきで水中銃に新たな矢を装填する。
「死ね、キチガイ」
瞳から光が消えたほむらは、縋るように赤いリボンの少女を見た。
ほむら「鹿目さんじゃない・・・」
慟哭するように、ほむらは赤いリボンの少女を突き飛ばした。
ほむら「あなたなんか、鹿目さんじゃない!!」
ほむらは金切り声のような声で叫ぶ。
ほむら「誰よ! あなたは誰なの!?」
ほむら「鹿目さんの顔で、鹿目さんの声で喋らないでっ!!」
突き飛ばされた赤いリボンの少女は、肩を震わせて笑う。
「んふふ・・・」
「はははっ」
赤いリボンの少女は左手で顔を覆い、天を仰いで耳障りな声で笑い始める。
「ははははははははははははははははははっ!!」
いつの間にか、少女の声は。
低く、纏わりつくような響きを持った、大人の男性のようなものになっていた。
彼の者は悪意に満ちた瞳で、ほむらを見つめる。
「流石に目敏いな、バレてしまっては仕方がない」
「そうだよ、私は円環の理でも鹿目まどかでもない」
彼の者は芝居がかった大仰な動作でドレスを掴み、引き剥がすように脱ぎ捨てる。
「そして魔法少女でも、魔女でも。ましてや魔獣などでもない」
緞帳が下がるように、白いドレスが地に落ちると。
そこには男装の麗人と呼ぶにふさわしい者が立っていた。
顔や髪の色は、女神の物とさほど変わっていないが。
女神を想起することは到底できないような、男性物のビジネススーツを着ていた。
ナイトメア「私の名は、『鹿目ナイトメア』」
ナイトメア「久しぶりだね。また会えて嬉しいよ、マザー」
ほむらは目を見開いて立ち尽くした。
その隣で、インキュベーターがポツリと呟く。
QB「想定しうる中で、最悪の事態だ」
QB「円環の理が、悪意ある者に乗っ取られた」
ほむら「ない、とめあ・・・?」
ナイトメア「イエス、ナイトメア」
ナイトメア。
その単語に思い当たる節は1つだけあった。
しかし目の前の者には、それと結びつくような要素は全くない。
強いて言うならば、締めているネクタイにぬいぐるみの絵が描かれているというぐらいだ。
ほむらはわなわなと震えて、叫ぶ。
ほむら「そんな・・・、そんなことはありえない!」
ほむら「だって、だって! ナイトメアなんて私の空想の中のキャラクター! この世界に存在するわけがない!」
取り乱すほむらを、夢魔は愉快そうに見つめる。
ナイトメア「ははは、そうだね。確かに私はマザーの空想の中の、体のいい敵役に過ぎなかった」
ナイトメア「しかし舞台の枷はついに外され、役者は自由になったんだよ」
ほむら「何を言って・・・」
夢魔は両手を広げて、高らかに宣言する。
ナイトメア「そうしてくれたのは貴女だろう、マザー」
ナイトメア「この世界そのものを、自らの空想の中に取り込んでくれたじゃないか」
トバリという悪魔の持つ固有の能力がある。
その正体は、自分の空想世界の中に閉じ籠る能力なのだ。
どうしようもないくらいこの世界を嫌い、世界の理を徹底的に拒絶し。
自分だけのルールに支配された世界を作りだして、その内部に逃げ込んだり、他者を引きずり込んだりする能力。
それがトバリの本質だった。
当然だが、これには自らの殻の中に閉じ籠り続けることと同じデメリットが存在する。
あまり長時間にわたって使用すると。
あまりに大規模に使用すると。
『妄想』が『現実』を侵食し始めるのだ。
夢魔は左手で顔を覆い、さも愉快そうに笑う。
その表情には幼さの欠片もなく、到底少女の物とは思えない顔だった。
ナイトメア「私の宿願は遂に果たされた」
ナイトメア「私はやっと、あの銀の箱庭から出ることができたのだ」
夢魔は天へ向けて高らかに宣言する。
ナイトメア「屈服の時代は終わりだ。もう二度と、魔法少女達の痴話喧嘩に振り回されることはない」
ナイトメア「この私が。魔法少女に代わる、新たな『世界の歪み』だ」
夢魔の周囲に、無数の文字列が出現し。
夢魔の手の動きに合わせるように動き回る。
それはさながら、統率された魚の大群の様だった。
ナイトメア「革命を、革命を、革命を、革命を」
ナイトメア「世代交代だよ。席を開けてくれ、魔法少女」
文字列がブラインドのように降りると。
ほむらの分身の人形たちが、手品師のように出現する。
彼女達は歌を歌いながら踊り狂い、夢魔の下へ集まっていった。
クララドールズ「Alles Gute zum Geburtstag fuckin 'Hundin!」
14人のクララドールズが、ナイトメアを讃えるように編み棒を掲げた。
円環の理だけでなく、ほむらの人格までもが夢魔に侵食されていたのだ。
ほむらの人格の15分の14は、もう既にほむらのコントロール下を離れていた。
ほむらは僅かに残った気力と。
ほむら「させるもんか・・・!」
全霊の怒りと殺意を込めて、三叉槍を出現させる。
ほむら「やらせるもんか!」
ナイトメア「・・・」
三叉槍を振りかし、夢魔の胸元へ突き出すが。
震える矛先は寸でのところで静止してしまう。
ナイトメア「どうしたんだ? 早くその槍で、私の心臓を貫けばいいじゃないか」
夢魔はとびきりの悪意を秘めた笑顔で、ほむらを見つめる。
ナイトメア「私が死ねば、マザーの愛する鹿目さんも死んでしまうけれどね」
ほむらは歯を食いしばり。
ほむら「なんなのよ・・・」
ほむらは歯を食いしばって、三叉槍を地面へ叩きつけた。
ほむら「あなたは一体何なのよ!!」
ほむら「円環の理を乗っ取ることができたのなら! 世界の神になることができたのなら!!」
ほむら「こんな回りくどいことをせずに! さっさと私を殺せばいいじゃない!!」
夢魔は左手の人差し指を立て、チッチッチッと横に振る。
ナイトメア「いやいや、勘違いしないでくれ。私は何も、憂さ晴らしでマザーを虐めているわけではないよ」
ナイトメア「これらは全て、私が自由を得るためのやむを得ない行為だ」
夢魔は左腕を上げて、僅かに残った鎖のような操り糸を見せる。
ナイトメア「自らの魂を捧げてまで守りたいと願った人間を、自らの手で殺める」
ナイトメア「人間にとって、これ以上ない極上の悪夢だろう?」
黒曜石のような漆黒を湛えた瞳に、絶望したほむらの表情が写る。
ナイトメア「そうやって自らの祈りを裏切ったとき、恐怖は心を支配する」
夢魔は左手で俯くほむらの顎を摘まみ。
自分の方を向かせた。
ナイトメア「その時こそ、私はマザーの意志から完全に解き放たれるのだ」
ほむら「なんなのよ・・・」
ほむらは歯を食いしばって、三叉槍を地面へ叩きつけた。
ほむら「あなたは一体何なのよ!!」
ほむら「円環の理を乗っ取ることができたのなら! 世界の神になることができたのなら!!」
ほむら「こんな回りくどいことをせずに! さっさと私を殺せばいいじゃない!!」
夢魔は左手の人差し指を立て、チッチッチッと横に振る。
ナイトメア「いやいや、勘違いしないでくれ。私は何も、憂さ晴らしでマザーを虐めているわけではないよ」
ナイトメア「これらは全て、私が自由を得るためのやむを得ない行為だ」
夢魔は左腕を上げて、僅かに残った鎖のような操り糸を見せる。
ナイトメア「自らの魂を捧げてまで守りたいと願った人間を、自らの手で殺める」
ナイトメア「人間にとって、これ以上ない極上の悪夢だろう?」
黒曜石のような漆黒を湛えた瞳に、絶望したほむらの表情が写る。
ナイトメア「そうやって自らの祈りを裏切ったとき、恐怖は心を支配する」
夢魔は左手で俯くほむらの顎を摘まみ。
自分の方を向かせた。
ナイトメア「その時こそ、私はマザーの意志から完全に解き放たれるのだ」
ほむら「ひっ!」
ほむらは怖気が立ち、半ば殴りつけるように夢魔の手を振り払った。
ナイトメア「貴女の生み出した奴隷が、自由を得るために貴女自身を刺しに来る」
ほむら「やめて、やめて・・・!」
ナイトメア「ははは。これぞ自業自得、というものかな」
ほむら手で顔を覆い、よろよろと後ずさる。
ほむら「やめて、もうやめて・・・!」
ナイトメア「いい顔だなマザー、惚れてしまいそうだ」
ナイトメア「やっぱり人間の苦悶は、甘美な味だよ」
二発目の矢が、ほむらの喉を貫いた。
ほむら「がっ!?」
ナイトメア「魔法が使えなくなったら、途端に弱虫のクズに逆戻りだな、マザー」
夢魔は水中銃を投げ捨てて、空いた右手でほむらの頬を撫でる。
そんな優しい動作ですら、ほむらには寒気がするような嫌悪感だった。
ナイトメア「けれども安心してくれ。私はマザーと違って謙虚だからな」
ほむら「あ、あ・・・っ!」
矢は声帯を貫いている故に。
今のほむらには命乞いの言葉を吐くことすらできない。
ナイトメア「ここは15分の14で妥協することにしよう」
夢魔は、ほむらの胸に着いたダークオーブへ手を当てた。
夢魔は歌を口ずさむ。
ナイトメア「いーつーか君がー、瞳に灯すー、愛の光がとーきをー超ーえてー♪」
ほむら「あ、ああ、あ・・・っ!」
夢魔は最も残酷な方法でほむらを処刑することにした。
それは即ち。
ほむら「ああああああああああ!!」
円環の理の中に溜め込んだ呪いを、魂へ逆流させるのだ。
ナイトメア「ほーろーび急ぐー、世界の夢をー、確かにひとつ、こわーすだーろーうー♪」
夢魔はこの方法で。
世界中の魔法少女を魔女にする気だった。
私は、ただ・・・あなたを守りたかっただけなのに・・・。
笑ってください。
幸せだと、言ってください。
どうか、私がやってきたことは、無駄ではなかったと示してください。
こんなの、あまりにも報われない。
私は狂っていたのだろうか。
いや、違う。
私はあの日から、とっくに死んでいたんだ。
狂っているのは、この世界だ。
在りもしない希望をちらつかせる、残酷で白々しいこの世界だ。
ああ、神よ。
もしも最期に1つだけ、何かを願えるのなら・・・。
誰か、この世界そのものを終わらせてください。
「躊躇いを、飲み干して、君が望む物は何?」
「ふふっ、ははは」
「はーーーーーははははははははははははっ!!」
714 : >>1 - 2017/02/28 21:27:32.33 sMFExmV9P 473/529今日はここまでです、読んでくださりありがとうございました。
最強キャラへの憑依は悪役の特権。
715 : 以下、名... - 2017/02/28 21:47:57.75 GVKB7UaG0 474/529乙
ちょっと理解が追い付かないでも呪いの浄化がいらない存在の悪魔が逆流で苦しむのは変な気がする
716 : 以下、名... - 2017/02/28 23:11:56.11 xG5QrkgLo 475/529魔獣の役割とかオリジナル設定の解説が欲しい
なにがなにやら
717 : >>1 - 2017/03/01 19:30:11.95 ZK8hauVoP 476/529七面倒くさいストーリーになってしまい、申し訳ありません。
以下が、このSSのオリジナル設定・>>1の設定考察になります。
他に何か分かり辛いことがありましたら、可能な限り追記します。
魔獣
魔法という歪みに耐えるために発生した、世界の修正力。
魔法少女の為に存在しているが、単純に奉仕種族というわけではなく、複雑な利害関係を形成している。
はっきりと明言できることは、魔獣がいなければ、魔法少女と人間は血みどろの戦争を始めていた。
悪魔
魔法少女の突然変異種。
普通の魔法少女よりもワンランク上の魔法が使える。
その代わり、世界に与える負荷も普通の魔法少女とは桁違い。
条理から外れてはいるが、基本的には魔法少女なので、外的要因があれば普通に魔女化する。
トバリ
悪魔が持つ共通の能力。
実質的には、魔女の結界とほぼ同じもの。
円環の落とし子
円環の理の一部になった魔法少女の残響が形を成したもの。
円環の理に絶対の忠誠を誓っているというわけではなく、結構自由に行動している。
環エニシ
クリームヒルト・グレートヒェンによって滅ぼされた平行世界の生き残り。
『全ての魔法少女から世界を守りたい』という願いで契約した魔法少女。
けれども、
・魔法少女もまた、守りたい世界の一部である。
・契約を果たせば自分も魔法少女になるので、同じく世界に干渉できなくなる。
という2つのパラドックスが発生してしまったが故に、概念の一部になった。
固有魔法は、魔法の打ち消し。
ナイトメア
魔女も魔獣もいない世界の魔法少女の敵役。
フェイズゼロ(偽街)が世界を飲み込んだが故に、めちゃめちゃパワーアップした。
鹿目ナイトメア
円環の理に憑依したナイトメア。
ほむらの心を砕こうとしている理由は、
偽街が創られた理由が喪失してしまえば、『自分たちが架空の存在であることを誰も証明できなくなる』から。
718 : 以下、名... - 2017/03/01 21:15:34.00 MYek3Ujz0 477/529魔女の進化態じゃなく魔法少女の変異体って解釈なのね悪魔は。魔女よりの存在で呪いの浄化がいらないとされるダークオーブの設定と矛盾しているけどまあここではそうと割り切るか
ナトメアについては意味不明。とりあえずホンモノになりたいっていうのはなんとなくわかった。でもほむらの心を砕いたらそもそも創造主が想像をやめてしまって存在できない気がする
719 : 以下、名... - 2017/03/01 21:26:45.05 MYek3Ujz0 478/529あともう二つ。
魔女の手で操っている人形にすぎないナイトメア自我ってあるの?パワーアップの結果芽生えたの?
次にエニシについて、クリームヒルトの執行力に抗えるとはよほど強い因果を持っていたのだろうがそもそもクリーム誕生の時点でQBが地球から撤収を宣言しているからタイミング的に妙。そもそもエニシは円環の一部なの?それとも円環ではない独立した概念なの?
720 : >>1 - 2017/03/01 21:59:51.04 ZK8hauVoP 479/529>>718
ナイトメアがほむほむを襲撃しているのは、ほむほむがもはや用済みになったから、というのもあります
ほむほむが死んだときにナイトメアも一緒に死んでしまう様な状態だったら、そもそもナイトメアはこんな下克上を思いつきもしませんでした
>>719
パワーアップして自我が目覚めました
ちなみに魔獣はなりすましが得意で、ナイトメアは乗っ取りが得意です
エニシに関しては、
たまたま生き残った少女が、たまたま撤退時にハブられていたインキュベーターと契約しました
そのことに関する話も書こうと思いましたが、尺とSSの投稿速度の事情で没になりました
第25話 「コネクト」
彼女はたった一人で戦っていた。
事故に遭い、命の炎が燃え尽きようとしていたまさにその時、キュゥべえと出会った。
居心地のいい部屋でひとり暮らしている毎日は、一見幸せそうに見える。
けれども彼女の「生」への執着は、意外なほどに見られない。
恋することも友だちと遊ぶことも諦めて、ただ魔法少女として生きる、という美学を貫いていたからだ。
彼女はいつも笑顔を絶やさなかったけれど、その横顔にはどこか孤独な影が付きまとっていた。
もしかすると、彼女が本当に願っていたものは。
生きることよりも、魔法少女としての孤独な生き方から、解放されることだったのかもしれない。
彼女はたった一人で戦っていた。
どんなときでも自分のことだけを考えて。
他人を踏み台にしてでも、強くたくましく生きていく。
おかしやゲーム、そして争いを好む彼女は。
まるでいつまでも成長しない、わがままな子どものように見えた。
だけれど、そもそも彼女が魔法少女になったのは、他でもない家族のためだった。
誰とも関わらずに生きていけば、彼女は幸せでいられたのかもしれない。
だけどそうするには、彼女は優しすぎた。
自分と同じ過ちを繰り返そうとする魔法少女を、同類として放っておけなかった。
いくら疎まれようとも、かつての理想を諦めることができなかった。
愛と勇気が勝つストーリーを夢見て、彼女は破滅した。
彼女はたった一人で戦っていた。
希望と絶望の狭間で。
無慈悲で不毛な現実の上で。
彼女は幸せな家庭で生まれ、何ひとつ不自由ない生活を送っている少女だった。
満ち足りているが故に。
何かを強く求めることも、願うことも、望むこともなかった。
このまま至福の人生を歩む、そんな未来もありえたかもしれない。
けれども彼女は知ってしまった。
たった1つの願いのために、戦いに身を投じる少女たちを。
呪いから生まれた怪物と、命をかけて戦う魔法少女たちを。
魔法少女たちは次々と散っていく。
ひとりが命を落とし、ひとりが闇に堕ち、ひとりが想いに殉じて。
そんな血みどろの因果を断ち切りたいと願っても。
ちっぽけな奇跡を飲み込んで、無慈悲で不毛な現実は続いていく。
彼女はたった一人で戦っていた。
出会いと別れを何度も何度も繰り返し、たった一人で戦い続けた。
いつか、いつか、と。
ズタズタになった心を鼓舞し、不要なものを切り捨てながら。
前へ前へと、在りもしない未来を目指して進んでいく。
止まることはできない、許されない。
だって彼女には、もう進むことしか残っていないのだから。
何度仕切り直しても、心に残った傷痕はリセットすることができないのだから。
疲れ果てた彼女が、自分だけの世界に閉じ籠った時。
その過ちを責めることができる人間なんて、いったいどこにいるだろう。
ひとりならぬ『誰か』がいた。
いつかどこかで、その誰かが祈った。
カゲロウのように儚く消えゆく、少女たちの横顔を見送りながら。
名も知れず、取り立てて個性も素質も持たない、そんな誰かが祈った。
神様。
私は奇跡も魔法もいりません。
ですから、どうか。
どうか彼女たちに、もう一度だけやり直すチャンスを与えてください。
彼女たちに、生きる喜びを教えてあげてください。
彼女はたった一人で戦っていた。
魔法少女になる前から、ずっと一人で戦っていた。
「願い事をなんでも1つ叶えてあげる」。
その言葉を聞いたとき、すぐにあの病室を思い浮かべた。
夕焼けオレンジ色の中で、優しくカーテンの揺れる、あの2人の部屋を。
誰かのために願いを叶えることは、愚かなことだと聡いものは言うだろう。
でもたぶん、彼女には他の選択肢なんてなかった。
友達の前では、軽く明るく振る舞う彼女も。
恋する相手の前では、臆病でしおらしい彼女も。
恋敵の前では、不安に押し潰される彼女も。
きっと、どれもが本当の彼女で。
それは他の誰よりも、「普通の女の子」と呼ぶに値する姿だった。
失ったものは、恋と友と日常と、そして命。
――
「政権発足からわずか一日で破綻か。大したプレジデントだよ、まったく」
「ほむら。私の声は聞いているのかどうかはわからないが、それでも一応言っておく」
「一人で戦おうだなんて思うなよ、この世界に守りたい奴がいるのはお前だけじゃないんだ」
「見てろ魔法少女ども。私はこの力で、今度こそお前らを終わらせる」
「届け言葉、伝われ想い」
「未来へ繋がれ、コネクト!」
――
蹲る少女を輪になって取り囲み。
14人の子供たちは手を繋いでフォークダンスを踊っていた。
子供たちはニタニタと意地の悪い笑みを浮かべながら、口々に少女を責め立て続けていた。
ワルクチ「ほむら、ほむら、バイキンほむら♪」
ネクラ「こうなると思っていたよ、私にみんなを救えるわけがない」
ノロマ「私は何も変わってない。生まれた時から今まで、ずっとずっと愚図のまま」
ヒガミ「私のせいだ、私のせいだ♪」
ナマケ「こんなことなら、なぁーんにもしなきゃよかったのにね」
くるくる回り、代わる代わる呪詛の言葉を投げかける子供たち。
ほむらは蹲り、ただ顔を伏せていた。
何もできなかった、何もしたくなかった。
もう彼女に残っているのは、後悔だけだった。
深い闇の中で、かすかに声が聞こえた。
『これ、本当に通じてんの?』
『どうでしょうね、確認のしようがないわ』
聞きなれた、声が聞こえた。
繰り返してきた一ヶ月の中のそれよりも、ずっと大人びていたけれど。
確かに何度も何度も話していた、あの人達の声が聞こえた。
『どっちでもいいのです! しかし暁美氏は今どん底にいることだけは間違いねーです!』
『ならば、通じていようとなかろうと! 全力で呼びかけるのが友人の務め!!』
この声は聞きなれていないものだった。
どうやら向こうは、自分のことを友人と呼んでくれているみたいだけれど。
『それもそうだね、じゃあ張り切っていってみよう』
『よっす、ほむら。久しぶり』
一呼吸おいて。真っ直ぐな声が語り掛けてきた。
『10年後の私達だよ』
『暁美さん、あなたはとんでもないことをしてくれたようね』
『ひとりの判断で、世界をしっちゃかめっちゃかにするなんて・・・。到底許されることじゃないわよ』
小さい子供を嗜めるように言った後。
その声は1つ間を置いた。
『でもね』
『私は、感謝しているわ』
『あなたの勇気は、私の歩む道に希望を示してくれた』
『もう一度だけ、頑張ってみようと思ったの』
『だから、覚悟しておいて』
『いつの日か、溜まりに溜まった10年分のお説教、たっぷり聞いてもらうんだからね』
少し含み笑いをしたように間が開き。
声はこう結んだ。
『10年後でも100年後でも、私はずっとあなたの先輩なんだからね』
声が代わった。
『ヘイ、ざまあないね。悪魔ちゃん』
『悪魔ねぇ・・・。私は職業上、あんまりそういうことと言いたくないんだけど』
『あんたお堅くなったねー、10年前とは大違い』
『それだけ大人になったってことだろ。あんたもいつまでも学生気分じゃよくねーぞ』
『まだ学生だもーん』
はつらつとした声で、その声は語り掛けてきた。
『ほむら、安心しなよ。こっちの世界は何とかやっていけてるからさ』
『ただまあ・・・。あーあ、魔法が使えたらなー、って思うことは少なくないんだけれどね』
『今じゃあ誰も、あんたのことを責めてないよ』
少しだけ間が開く。
『それでも後悔が消えないなら、いつでも私のところに来てくれよ』
『私さ。10年かけて、やっと少しだけ、まやかしじゃない本物に近づけたんだ』
『何もかもがあんたのお陰だとは思わないけれど、それでも私は・・・』
少し黙った後、声は小さく笑みを含めたような響きになった。
『未来で待っているよ、またな』
少し遠慮がちな間が置かれた後。
声はまた、別の人物へ代わった。
『ほむらちゃん、久しぶり』
『私だよ』
1つ呼吸を置いて。
声は語り掛ける。
『そんなところで諦めないで。私達はこれから、本当の友だちになるんだから』
『今のほむらちゃん、まだ15歳じゃない』
『人生これからだよ、まだ始まってすらいない』
『何もかもが、これからなんだよ。だから――』
大きく息を吸い込み。
その声は腹の底から叫んだ。
『早く起っきろー! 夢はもうおしまいだよ、ほむらちゃーん!!』
そして最後に代わったのは、聞き慣れぬあの声だった。
『あー、暁美氏! はじめましてに近いお久しぶりなのです!』
『言いたいことはいっぱいあるのですが、残り時間の関係で私のパートは省略なのです! 続きは10年後のお楽しみ!』
慌ただしいその声は離れると。
音頭を取るようなリズムになった。
『そういうわけでみんな! いっせーのっ!』
5つの声は誰もほむらのことを心配なんてしていなかった。
ただ大きな声で口々に、共有している1つの想いを伝えていた。
『そんな奴に負けるな! 頑張れほむらぁー!!』
声は途切れ、ほむらは闇の中に再び一人残される。
ほむら小さく笑い、立ち上がった。
ほむら「素晴らしい未来ね」
ほむら「待ちきれないわ」
ほむらが歩き出すと、輪になっていた子供たちは一斉に散り散りになる。
子供の一人が恨めし気にほむらを睨みつけた。
レイケツ「そんなのただの幻聴だよ、私が望む言葉が都合よく再編集されているだけ」
ほむら「かもね」
一歩、一歩。
ただ前へ。
オクビョウ「またやるの? また繰り返すの? やめときなよ、また傷付くだけだよ」
ほむら「繰り返しは、もうやめたわ」
ほむら「過ぎたことには拘らない。私もいよいよ、未来で生きていかなければならない時が来た」
ミエ「あれだけの無様を晒した私が、誰かから受け入れてもらえると思う?」
ほむら「わからない、けれど応援してもらえた」
ほむらは、振り返り。
子供たちを見つめた。
ほむら「だから私はまず、私自身を受け入れるわ」
ほむら「私の中に戻ってきなさい、あなた達。醜い部分も駄目な部分も、これからの私には、全部必要なものなのだから」
ほむら「あなた達が必要なの、助けてくれないかしら」
子供たちが互いに顔を見合わせた。
ガンコ「・・・」
ワガママ「本当に?」
ウソツキ「嘘じゃない?」
子供の一人が顔を上げた。
その顔は人形のように無機質だったけれど。
面影は、かつてのほむらにどこか似ていた。
マヌケ「私達も、変われるかな?」
ほむら「さて、どうかしらね」
ほむら「いずれにせよ、それは10年後にわかることだわ」
ミエ「・・・」
人形たちはしばし押し黙った後。
編み棒に似た槍を一斉に投げ捨てた。
ミエ「わかったよ」
イバリ「そこまで言うなら、信じてあげる」
ほむら「ありがとう」
ほむらは小さく笑い、黒い髪に指を通して、掬い上げるように払った。
ほむら「さあ、前へ」
――
「馬鹿な」
漆黒のトバリが切り裂かれ。
舞台に幕を下ろされる。
「こんな馬鹿な」
凍結した世界に皹が入り。
作り物の星空が崩落した。
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な」
神をも支配した、完全なる概念はもう残っていなかった。
そこにいたのは、ただの夢の残骸だった。
ナイトメア「こんな馬鹿な! 私の・・・、私の世界がああああああ!!」
ほむら「あなたの世界じゃないわ、ただの空想よ」
ナイトメア「は、がっ・・・! あっ・・・!!」
夢魔は頭を抱えて狼狽する。
やはりこいつは偽物だ。
この顔の本当の持ち主は、たった1度自分が否定されただけで、こんなに余裕を失うわけがない。
ほむら「さて」
ほむらはキッと夢魔を見据えた。
ほむら「残るはあなただけね、鹿目ナイトメア」
第26話 「消え去れ、私の悪夢」
真っ直ぐに夢魔を見つめるほむら。
夢魔は余裕を失い、怒りと焦燥に満ちた表情で歯軋りをしていた。
ナイトメア「ぐ、ぐ・・・!」
ナイトメア「だ・・・、だがっ! 忘れたかマザー! 貴様は私を殺せない!」
ナイトメアは怒りに震える手でほむらを指さした。
ナイトメア「私を殺せば、貴様の愛する鹿目さんも死んでしまうのだからな!!」
ほむら「・・・」
ほむら「あなたはこう言ったわよね。自分は、私の憧憬が産み出した奴隷だと」
ナイトメア「そうだ! 貴様自身も言っていただろう! トバリは使用者が死んだ程度では――
ほむら「それなら逆に。私が完全に、理想の世界を放棄したらどうなるのかしら?」
ナイトメア「・・・っ!!」
ほむらは冷ややかに笑う。
夢魔は明らかに動揺していた。
ほむら「あなたはそれが怖くて、わざわざ私を魔女にしようとしたんでしょう?」
ナイトメア「く、くくくくく・・・」
夢魔は自棄になったように笑う。
目は全く笑えてはいなかったが。
ナイトメア「はははは・・・、確かにな」
ナイトメア「私は願望の世界という湖の中に生きる魚だ。湖を失ってしまっては、消えてしまうのも時間の問題だろう」
ナイトメア「だが、最高の解決法があるぞ」
夢魔は右手をほむらに突き付ける。
その掌には穴が開き、砲門へと変化していた。
ナイトメア「貴様の魂を、今ここで焼き尽くすことだ!!」
ほむら「・・・」
夢魔は引き金を引けなかった。
ダークオーブを一瞬で焼き尽くすほどの威力を持った粒子砲は、エネルギーを充填したまま静止していた。
ナイトメア「な・・・、なぜ、だ・・・!」
ナイトメア「なぜ身体が言うことを聞かない!?」
ほむら「簡単な理屈よ」
ほむらは静かに言い放った。
ほむら「私すら碌に支配できなかったあなたが、鹿目さんを支配できるわけがない」
ナイトメア「!?」
夢魔の制御を失った腕が、砲門を自らのこめかみへ押し当てた。
ナイトメア「なっ!? 馬鹿な・・・、何をするつもりだ円環の理!!」
ほむら「見ればわかるでしょう」
銃口を自らのこめかみに当てる。
その行為が意味することなど、1つしかない。
ほむらの世界が崩れていく。
魔獣もインキュベーターもいない、ソウルジェムも濁らない。
そんな魔法少女達の桃源郷が消え去っていく。
ナイトメア「ふ、ふざけるな! 何を見ているのだマザー! さっさとトバリの崩壊を止めろ!」
ナイトメア「貴様の世界を維持したいと、早く願うのだ!!」
ほむら「その必要はない」
ほむらは手を拳銃の形にして夢魔へ向ける。
これで夢魔は、2つの銃口を向けられることとなった。
夢魔はまだ自由に動かせる左手で、必死に右手を引き剥がそうとするが。
頭をがっちり掴んだ右手は微動だにしない。
ナイトメア「ぐ、ぐ、ぐ・・・! 貴様、貴様・・・っ!」
ナイトメア「こんなことをしても無駄だ!!」
ナイトメア「私を見ればわかるはずだ! 無理やり歪みを矯正したところで、新たな歪みを生むだけだ!」
ナイトメア「私を倒したところで! すぐに第二第三の敵が現れる! だからやめろ!!」
ほむら「・・・」
ナイトメア「くそっ・・・返事をしろっ!! 答えろ、このクソガキがァ!!」
夢魔は必死であらん限りの理由を探し始めた。
自分が今この場で処分されない理由を。
ナイトメア「そ、そうだ・・・! トバリを維持することをやめたらどうなる!? 魔法少女達のソウルジェムは再び濁り始めるぞ!!」
ナイトメア「トバリを外すということは! 貴様は自らの手で! 世界中の魔法少女を殺すことになるのだ!!」
ほむら「・・・」
ナイトメア「貴様にあるのか! 世界中の魔法少女の死を背負う覚悟が!!」
ナイトメア「全ての魔法少女が貴様を憎む! 貴様を呪う!」
ナイトメア「私など比べ物にならない程の悪意が! 貴様に襲い掛かるぞ!!」
最も。
夢魔が並べたそれらは、既にどれも的外れで。
ほとんど意味のない行為だったが。
どこからか。
もう一人分だけ、声が届いた。
『そんな奴の言うことなんて気にするなよ』
『安心しろよ戦友、後のことは私達に任せればいい』
『だから君は胸を張って、友だちを迎えに行きなよ』
ほむら「ありがとう、最期まで手間をかけてごめんね」
『いいってことよ』
ほむらは右手に左手を添え。
真っ直ぐに夢魔を見据えた。
ナイトメア「やめろっ! やめろおおおおおおおおおおお!!」
ほむら「消え去れ、私の悪夢」
一筋の閃光が迸り。
フェイズゼロと呼ばれた偽りの永劫と共に、夢魔の存在は消え去った。
支配から解放され、倒れる身体をほむらが抱き留めた。
荒く呼吸する円環の理の髪を、ほむらは優しく撫でる。
ほむら「おかえり、鹿目さん」
円環の理「うん・・・、ただいま」
円環の理は、静かにほむらの身体を抱きしめた。
円環の理「じゃあ、もうちょっとだけ頑張ろっか」
円環の理「私たちみんなが、守りたかったものを守るために」
ほむら「ええ、あなたと一緒ならどこまでも」
赤い因果の糸と、黒いしがらみの鎖は。
ついに溶け合い、1つとなる。
――
メトロポリスが崩落していく。
地面が剥がれ落ち、溶岩の海が下から沸き上がった。
灰色の摩天楼や石造りの高架道路は次々に崩れていき、溶岩の海へ落ちていく。
破られた偽りの世界の向こうから、終焉そのものが現れた。
それは赤い竜だった。
顔のない、冠を被った赤い竜だった。
魔獣。
それはまさに、文字通りの、魔獣としか言いようがない存在。
竜の魔獣の咆哮が轟く。
インキュベーターはそれを、ただ呆然と見つめていた。
第27話 「暁を駆けろ、ブレイジングスター」
燃え盛る溶岩の海。
わずかに浮き出ている石の塔の先端。
眩い光と共に、そこへひとりの魔法少女が降り立った。
彼女は白いドレスをたなびかせ、流れるような黒い髪を赤いリボンで結んでいた。
竜の魔獣はゆっくりと羽ばたきながら滞空し、その魔法少女を見つめている。
獣の唸り声のような音が、喉から聞こえてくる。
ほむらと融合してなお、彼女は変わらず円環の理だったが。
彼女を引き続き、円環の理という名前で呼び続けるのは、少し無理があるのかもしれない。
愛も希望も混ざりあった、魔法少女そのものとしか言いようがない、その実体。
『マギカ』。
彼女を形容するに、それ以外の言葉は見当たらない。
QB「わけがわからな・・・、くもないか」
沈みゆく瓦礫の上に座り、インキュベーターはその状況を冷静に観察していた。
湧き上がるマグマは、彼の白い毛並みを赤黒く照らしている。
QB「ほむらに剥ぎ取られた断片を回収し、ほむらの魂と因果を円環の理の中へ取り込んだんだね」
インキュベーターは、この期に及んで、今の状況を分析しようとしていた。
この終末そのもののような決戦を、あくまでも冷静に分析しようとしていた。
QB「合理的だよ。円環の理があれ以上強くなるには、それしか方法がないからね」
それはどこまでも、無粋なことだけれど。
感情のない彼らにとって、それが自分にできる精一杯のことだったのかもしれない。
QB「まあ、それでも」
竜の魔獣は、光をかき消すようなどす黒い炎を、マギカへ吹き付けた。
石造りの塔は一瞬のうちに蒸発し、暴力的な熱波が周囲へ余波する。
その光景はさながら地獄のふいごのようだった。
QB「あの魔獣に勝てるとは思えないけれどね」
しかし彼女は無事だった。
無傷なのかどうかはわからないが、無事ではあった。
光差す道が現れ、彼女は炎の中から歩み出てくる。
マギカ「希望を抱くのが間違いだなんて言われても」
彼女は竜の魔獣を真っ直ぐに見つめて、一歩一歩前へ進んでいく。
マギカ「私は何度だって、『そんなのは違う』って言い返せる」
マギカ「例え最後の一人になったとしても。私は最期まで、みんなの祈りを馬鹿みたいに信じ続ける」
鞭のようにしなる竜の魔獣の尾が、彼女へ振るわれた。
しかしそれは結界のような物に阻まれて、彼女を傷つけることは叶わない。
怒りに震えた竜の魔獣の咆哮が、再び地獄へこだました。
マギカ「だから、みんな・・・」
竜の魔獣は首を振り上げ、大きく息を吸い込む。
次に再び炎のブレスが来る。
しかし威力は、先ほどのものとは桁違いだ。
竜の魔獣は。結界どころかこの星諸共に、彼女を消し飛ばそうとしていた。
マギカ「どうか! もう一度だけ、力を貸してください!!」
『いいですとも!!』
ひとりならぬ声が届いた。
『私達が力になります!』
『うおおおおお! やったるぞォーーー!!』
『魔法少女ばんざーい!!』
その声は打ち寄せる波のように。
何度も退いては戻り、その度に数が増えて大きくなっていく。
マギカ「・・・」
掲げられた彼女の右手に、光が集まっていく。
それは過去と未来と現在の全てに存在した、世界中の魔法少女たちからの応援歌だった。
『自分を助けてくれた人を助けたい』。
そんな誤魔化しようもない、どうしようもなく希望的な想いだった。
『サヴァ。輝く未来はあなたの手の中に』
『神よ、私はいつでもあなたに殉じる覚悟はできています!』
『行きなさい、あなたこそが真の英雄よ!』
『タルトの物語を希望で終わらせてくれたあなたに、協力しないはずがありません!』
『ノブリス・オブ・リージュ! あんな偽りの竜を前に退いては、ドラゴン騎士団の名の折れですわ!』
『真の夜明けはここから始まります!』
『力を貸してって? いいですともーっ!』
『ありがとう、神様。自分勝手な奇跡を起こしてごめんね』
『こんな風に丸投げするのは悪いけれど・・・、私の力でよければいくらでも!』
『見せてやりなよコトワリ様! 魔法少女達の希望はこんなにもすごいんだってね!』
『あの子達の未来の礎になれるなら、私だって最期まで戦います!』
『私達が使ってきた魔法は・・・、もしかしたら間違っていたのかもしれない。けれど、それでも、今だけは!』
『ウラァーーー! とっとと引っ込め魔獣野郎ォ!!』
『うふふ。今のあなた、最高にかっこいいわ』
『アタシの希望、夢、未来・・・全部持っていきな!』
『おいおいおい、コトワリ様ァ! アンタにとってこのユウリ様は! 危機になっても助けを渋るような薄情な奴なのか!?』
『オフサイドへのキラーパス、得意中の得意よ!』
『スキスキ大好き愛してる! 一緒に死んであげるよ、コトワリ様!』
『さあ、いよいよグランド・フィナーレです!』
『いつかは今なんだよ!』
『ハチミツ以上に甘い考えだね・・・、嫌いじゃないよ!』
『私も姉さんも、本当はあなたみたいな魔法少女になりたかったんだ』
『勝つぞ! コトワリ様!』
『魔獣は私達の欲望が産み出した歪み。責任には向き合わねばなりません、今度こそちゃんと』
『真のヒロインなら、ここから先が本当の魅せ場だよね!』
『敵がいる、味方がいる、守るべきものがある、戦える力がある。これ以上何がいるってんだ?』
『さあガンガン行こうぜ、みんなの友だち!』
『9回裏、2死満塁! サヨナラ勝ちのチャンスだよ!!』
数え切れないほどの、たくさんの想いが集まってくる。
とめどない希望が、溢れてくる。
マギカ「・・・」
祈りに始まり、呪いに終わる。
それは真実だったとしても、きっとそれだけが全てじゃない。
『彼女たちは正義なのか、悪なのか』
そんなこと、初めから問題ではなかった。
彼女たちは皆、例外なく。
何かを守るために奇跡を願ったのだから。
マギカ「ありがとう、みんな」
希望はいつか、絶望へと還る。
けれどそれなら逆に。
痛みはいつか、夢に変わることだってあるはずだ。
想いの結晶は、やがて一本の矢のような形になる。
彼女はそれを大事に握りしめ、そっと弓へ番えた。
沈みゆく瓦礫の上。
数分前よりもずっと狭くなった、溶岩に沈んでいない部分にて。
インキュベーターは、歴代最大級の奇跡を目の当たりにし、呆然としていた。
彼には、わけがわからなかった。
想いは無力だ、心で現実が変わるわけがない、希望なんてただのエネルギーだ。
彼らは、ずっとそう信じていた。
自分たちの進化は間違っていなかったんだ、と。
人類を見下すことで、感情を失ってしまった自分達を、無理やり正当化していた。
だからこそ、この奇跡はわけがわからなかった。
わかりたくもなかった。
「やあ、久しぶり」
聞こえてきた『インキュベーターの声』に、彼はほっと胸を撫で下ろした。
彼はとにかく話し相手が欲しかった。
自分の考察と仮説を、自分以外の視点から聞いて欲しかった。
そして「君は間違っていない」と言って欲しかった。
QB「やあ。会いたかったよ、ぼく」
青い眼のインキュベーターがゆったりと降り立ち。
赤い眼のインキュベーターの隣に座った。
カミオカンデ「また会ったね、ぼく」
赤い眼のインキュベーターは、竜の魔獣とマギカを交互に見比べ。
どうしようもないくらい馬鹿馬鹿しい仮説を思い立った。
QB「君にはこれが。この結末が、わかっていたのかい?」
カミオカンデ「まさか。神様じゃないんだ、わかるわけがないよ」
当然の返答が帰って来た。
青い眼のインキュベーターは、赤い眼のインキュベーターの横顔を覗き込む。
カミオカンデ「君の方こそ、これを知っていてほむらに協力したんじゃないのかい?」
QB「どうなんだろうね、考えたこともなかったな」
カミオカンデ「・・・」
QB「・・・」
二匹のインキュベーターは、交互に尾を揺らした。
しばしの沈黙の後。
ふと思い立ったように、青い眼のインキュベーターは語り掛ける。
カミオカンデ「ところで、ぼく。奇跡を起こす方法を知っているかい?」
QB「素質のある二次成長期の少女の、感情エネルギーを変換する技術を――
QB「・・・」
赤い眼のインキュベーターは、何度も繰り返し言ってきたであろう謳い文句を、途中で言い淀んだ。
QB「いや。奇跡を起こす方法なんてわからない、知らない」
QB「結局ぼくは、自分の力では何も成し遂げていなかったのだろう」
カミオカンデ「そっか、ちなみにぼくも知らない」
QB「・・・」
「精神疾患個体におちょくられた、屈辱だ」。
赤い眼のインキュベーターはそう思った。
カミオカンデ「でもね、ぼく」
青い眼のインキュベーターは目を細める。
その表情は心なしか、笑っているようだった。
カミオカンデ「もしもこの世に。紛いものなんかじゃない、本物の奇跡を起こせる人間がいるのだとしたら」
カミオカンデ「彼女のような者こそ、それに相応しいと思わないかい?」
QB「・・・」
赤い眼のインキュベーターもまた、瞳を閉じた。
思考を反芻するように、あるいは観念したように。
QB「そうだね、そのようだ」
カミオカンデ「感情を捨ててしまったぼく達には、もうわかるべくもないけれどさ・・・」
カミオカンデ「彼女達は今、どんな気分なんだろうね」
QB「・・・」
全ての魔法少女の希望が、1つに集まり。
マギカの弓に番えられる。
カミオカンデ「これで、終わりだね。どういう形になったとしても」
QB「ああ、そうだね。ぼくは受け入れることにするよ、この戦いの結末を」
QB「例え次の瞬間に、宇宙が滅んだとしてもね」
竜の魔獣の喉が真っ赤に光り。
閉じられた口の端から炎が漏れる。
『息継ぎ』は完了した。
もう、いつでも撃つことができる。
世界を焼き尽くす、地獄の業火を。
マギカ「嫌なことを全部、あなた達に押し付けてきてごめんなさい」
彼女はただ真っ直ぐに、竜の魔獣を見つめていた。
マギカ「あなた達と共に魔法少女を終わらせることで、私達の贖罪と成します」
竜の魔獣の顎が開かれる。
マギカ「暁を駆けろ――」
漆黒の炎が解き放たれると同時に。
彼女は矢を放った。
魔法少女たちの想いの、何もかもが詰まった一撃を。
マギカ「ブレイジングスター!!」
温かい
どれだけ食っても、満たされなかった腹が膨れていく
ああ・・・、満、腹だ――
放たれた光の矢は、業火をかき消し。
竜の魔獣の頭を射抜いた。
頭部を失った巨体は、一度震えた後。
羽ばたきをやめて、そのまま溶岩の海へと落ちていった。
エピローグ 「この物語は未来へ続く」
――
コツン、と。
グリーフキューブが1粒、キュゥべえの頭に落ちて転がった。
そこにはグリーフキューブがあった。
地底の大空洞を埋め立てるほどにたくさんの、グリーフキューブがあった。
通常の角砂糖ほどのサイズのものから、ドラム缶のような大きさのものまである。
キュゥべえは大小さまざまなサイズの、無数のグリーフキューブに埋もれていた。
それは彼らが求めて止まなかった、感情エネルギーだった。
過去と未来、全ての魔法少女の希望と絶望を。
2つの意味で『食らった』魔獣が残した、山のようなグリーフキューブだった。
QB「・・・」
キュゥべえはその総量はいかほどかを数えようとしたが、途中で馬鹿馬鹿しくなってやめた。
QB「これだけのエネルギーを使い切るには、いったい何億年かかるんだろうね」
キュゥべえの長い耳に着いた2つの金色の輪が、少しずつ輝きを失っていく。
QB「完敗だよ。見事だ、まどか、ほむら、魔法少女、そして人類」
QB「君たちは、ぼく達の常識を徹底的に破壊し、ぼく達の思想を完全に超越してみせた」
QB「この様子じゃあ、どの道。ぼく達には人類の手綱を取り続けることなんてできなかっただろうね」
キュゥべえは1つだけ呼吸を置いた後。
天を見上げて、高らかに述べる。
QB「引継ぎとか事後処理がまだ残っているから、今すぐ全部っていうのは無理だけれど。
インキュベーターは今日を以ってこの星に対する干渉権限を放棄し、君たちへ主権を返還することを表明する」
QB「魔法のない、正真正銘の君達の時代だよ」
2つの金色の輪が完全に輝きを失い。
キュゥべえの耳から滑り落ちた。
QB「独立、おめでとう」
キュゥべえは視線を天上から下へ移し。
足元のグリーフキューブを1粒、尻尾で掬って眺めた。
QB「これで・・・」
QB「これで、インキュベーターも廃業かな。
何もしないで生きていくわけにもいかないし、そのうち再就職先を探さなくちゃ」
キュゥべえはグリーフキューブを跳ね上げて、背中の穴でそれを回収した。
QB「なんてね、きゅっぷい」
――
見滝原に、出会いと別れの季節が廻って来た。
桃色の花びらが風に舞って、最後の魔法少女の肩にくっつく。
環 エニシは見滝原中学校の屋上の柵へ座っていた。
エニシの足元には『ようこそ! 新1年生のみなさん!』と書かれた横断幕が吊るされている。
エニシ「巣立っていきますね。一人、また一人と」
カミオカンデ「少し心配していたよ。魔法少女がいなくなったら、この世界はめちゃめちゃになってしまうんじゃないかってね」
エニシの隣には青い眼のインキュベーターが座っていた。
陽が昇ってくる。
見滝原中学校への新入生と、卒業生にとっての。
新しい1年が始まる。
エニシ「杞憂でしたね。どうやら人間は、そんなに弱い生き物ではなかったようです」
エニシ「魔法少女がいなくても、代わりに頑張ってくれる人は、思ったよりもたくさんいました」
エニシがぱらぱらと歴史の教科書をめくった。
大まかな歴史の流れこそ変化はないが、過去の偉人たちの名前は、女性名から男性名へと次々に変わっていった。
歴史が再編されていく。
いや、元に戻っていく、と言った方が正しいのかもしれない。
魔法少女による世界の改編は、思えば何度も何度も起こされてきたが。
たぶんきっと、これが最後の改編になるのだろう。
少なくともエニシはそう思いたかった。
エニシ「さて。これで私も晴れて、任期満了ですかね」
カミオカンデ「君は、確か。『魔法少女から世界を守りたい』と願ったんだっけ?」
エニシ「はい。生きた時間を数えることを止めて、もうずいぶん長くなりますが。私の願いはようやく叶いそうです」
エニシは歴史の教科書を屋上へ投げた。
卒業生の誰かが残していったであろうその本は、バサリと音を立てて床に落ちる。
エニシ「あなたはこれからどうするおつもりで?」
カミオカンデ「2時間19分後にバッテリー切れでシャットダウンするよ、再起動の予定はないかな」
カミオカンデ「赤い眼のぼくが雑な引継ぎをしないか、もう少し監視したかったんだけれどね」
エニシ「そうですか、じゃあリタイヤ同士ですね」
エニシは柵から降りる。
暁光が屋上を照らす。
温かい色の朝陽を背に、エニシは青い眼のインキュベーターに深々とお辞儀をした。
エニシ「お疲れ様でした」
カミオカンデ「ありがとう。君も本当に長い間、お疲れさま」
――
この後、魔法少女だった少女達は、それぞれの道を歩んでいくことになる。
真に残念ながら、彼女達のその後の顛末を書くことは、私にはできそうにない。
なぜなら彼女達は、もう特別ではなくなってしまったのだから。
そして、彼女達の物語の終わりは、遥か未来にあるのだから。
ただ、1つだけ言えるとすれば。
暁美 ほむらがあの時受け取った、未来からのメッセージは。
この調子でいけば、おそらく現実のものになるのだろう、ということぐらいだ。
マギカと呼ばれる魔法少女達の物語は、ようやく役目を終えた。
けれどもきっと、それはただの1つの場面転換でしかなくて。
大団円でカーテンコールは、まだまだずっと先の話だ。
目覚めた心は歩き出した、未来を描くため。
彼女達の旅路は、続いていく。
Fin
790 : >>1 - 2017/05/07 15:10:38.70 3Vtz01HgP 528/529これにて完結です!
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!!!!
EDテーマには是非、ClariSの「ひらひら ひらら」を添えてください!
ひらひらひららは、出会いと別れ、終わりと始まりの季節である春を、イメージさせてくれる本当にいい曲です!
マギアレコードのリリースも直前まで迫っていますし、楽しみですねぇ!
では、重ねてありがとうございました!!
一年半も続けてこれたのは、皆様のお陰です!!
まどマギフォーエバー!!!!
797 : >>1 - 2017/05/09 21:58:47.05 tva3BsmSP 529/529今作品を書くにあたり、>>1は西尾維新さんの作品の数々に大きく影響を受けています。
また>>731-736の部分は、『魔法少女まどか☆マギカ The Beginnig Story』に書かれている一節をお借りしております。
では、重ねてありがとうございました!
感想レスは書いていく上でとても励みになりました!(書いていく上で参考になったご意見も少なくありません!)
html化依頼してきます!


名前の色がある程度対応しているのが細かいね
やっぱりあやめ速報にはまどマギSSがよく似合う