食蜂「好きって言わせてみせるわぁ」その1
食蜂「好きって言わせてみせるわぁ」その2
――オセアニアエリア
食蜂(……あぁ、……どうして、こんな)カタカタ
上条「……はぁ、はっ、はぁ」ヨロ
猟犬B「すげえすげえ、片足が使えねえのに、存外動けるもんだなぁ」ニヤニヤ
猟犬A「極度の緊張からくるアドレナリンで痛みを遠ざけているだけだ。遊んでないで早くしろ」
上条「……くっ、そ」
猟犬B「おんやぁ? なんだぁ? その目は」
猟犬B「てめえが抵抗したらAが女を撃ち殺す。女が妙な真似したらてめえを殺す。忘れてねえよなぁ?」
上条「……ッ」ギリッ
白衣男「んー、なんかこう、表情に面白味が足りねえなぁ」
猟犬B「だったら、こうすれば、どうかなッ!」クン
上条(……ッ! 足の軌道が変わっ――)
――ズガッ!
上条「ぎっ、あああああガァァァアッッッ!!!」
食蜂「~~ッ!」ゾグン
猟犬B「おっし、完璧決まったぁ」ビシッ
上条(――き、傷口を狙っ――い、ぎッッ!)ビクビク
食蜂「……あ、あぁ……」カタカタ
白衣男「なかなか我慢強いお兄ちゃんみたいだが」
白衣男「刺されたばかりの箇所に爪先を突っ込まれたら、忍耐なんて簡単に吹き飛んじまうかぁ」
上条「……かっ……ひゅっ」ゼェゼェ
食蜂「なんっ、なんてひどいことすんのよぉッ!」
白衣男「って、オイオイ、見てるだけの俺を怒るのは筋違いだろぉ」
猟犬B「だいたいこの傷で本職とやり合おうとするなんざ、世の中舐めすぎっつうか?」
猟犬A「ま、こういう世間知らずのヒーロー気取りには、きっちりお灸をすえてやらんとなぁ」
上条「……はぁ……ぁ」ドクドク
上条(……まず……い。止まりかけてた血が……また)グッタリ
白衣男「おー、一気に口数が減ったなぁ。まさに顔面蒼白ってやつだぁ」
白衣男「よぅし、どんどんいこう」ピッ
猟犬B「了解」シュッ
食蜂「や、やめてッッ!!」
――ドゴッ――ズガッ――ズンッ!
上条「ぐっ!――がはっ!――あっ……あぁっ!」ビクビク
食蜂「……い、いや。やだ、やだぁ、本当に死んじゃう」ウルウル
猟犬B「はぁ、意外と蹴るのも大変だな。こっちの足が疲れてきたぜ」
白衣男「時間も余裕ねえし頃合いかぁ。さぁて、別嬪の嬢ちゃん、取引と行こうか」グイ
上条「……う」ダラン
食蜂「と、取引……って」
白衣男「彼が何故こんな目に遭ってるのか考えてみたらいい。その原因はぁ?」
食蜂「そ、それは……」
食蜂(……全部、私の)グッ
上条「聞く……な」
食蜂「……ッ」クル
上条「俺なら……いくらだって……堪えられる、から」ググ
食蜂(か……上条さん……)
猟犬A「……まだんな口が叩けるのか。ガキにしちゃ大した根性だな」
猟犬B「あるいは本当に、仲間が助けに来るまで耐えちまいそうっすねぇ」
白衣男「ばぁか、その前におっちぬだろ」
食蜂「も、もう彼はいいでしょ! 私は、何をすればいいのよぉ!」
白衣男「あらぁ、残念だったなー、お兄ちゃん。彼女の方が先に限界来ちまったってよぉ」
食蜂「……う……うぅ」ポロポロ
上条「……しょ、食……ほ――ごふっ!」ドス
食蜂「ひっ!」ビクン
猟犬B「誰が喋っていいって許可したんだよ、あぁ?」
食蜂「やっ、やめてって言ったじゃなぁい! おっ、お願いよぉ!」
猟犬B「健気だねぇ、まるで自分が痛めつけられてるみたいに震えちゃって」
猟犬A「でも惜しいなぁ、まだ何かが足りないんじゃないかぁ」
食蜂「……な、何かって、何よぉ」ヒック
白衣男「お詫びだよ。こそこそ隠れてお手間を取らせて済みませんでしたって謝るのが先だろぉ」
上条「……な、ん」ググ
白衣男「君が言葉を直さず、リモコンを手放さなかった場合、5秒ごとに彼の手足があらぬ方向に曲がる」
白衣男「まぁもっとも? それでも彼は我慢してしまうかも――」
――カシャン
白衣男「って、即捨てかぁ。風情がねえなぁ」ハァ
食蜂「……も、申し訳、ありません、でした」
上条「や……めろ、食……蜂……」
食蜂「……もういい。もう、十分だから」
食蜂「私の見込みが、甘すぎたせいで、こんな」
食蜂「……これ以上あなたが傷つけられるのは、無理、無理なのよぉ」ブワ
白衣男「そうかそうか、あー良かったわぁ」
白衣男「いやぁ、無関係な少年を無闇に傷つけるのは俺も辛くってさぁ」ポリポリ
上条「……くっ、なん……で」
白衣男「さぁさぁ、ぱぱっと土下座して忠誠を誓いなぁ。それで手打ちにしてやる」
上条「……なッ、て、てめえ――ぐっ!」グイ
猟犬B「いいとこだろ、黙って見てろ」
食蜂「……わか、りました」ザッ
猟犬A「くくっ、ずいぶんと聞き分けが良くなったな」
猟犬B「これなら依頼人も満足しそうっすね」
食蜂「……何でも言うことを聞きます。……何されたって我慢します」ザッ
白衣男「……ぷっ、くく、あはっ、何だぁ? 地べたに手ぇついて、額擦りつけて」
白衣男「これが超能力者、学園第五位様のやることかぁ?」カカカ
上条「や、やめろ……頼む、やめて、くれ」ググ
食蜂「……だ、だから」グスッ
食蜂「だから、お願いします。どうか」ポロポロ
食蜂『どうか、上条さんを、助けてください』
上条「……食……ほ……ぅッ」ガリッ
食蜂「…………」プルプル
白衣男「はーい、よく出来ましたー。みんな拍手ー」パンパン
猟犬B「おぉー、すげーすげー。プライドねえのかなー、俺だったら絶対できねえわ」パチパチ
食蜂「……う、うぅ」ポロポロ
上条「て、手前ら……」
猟犬A「んじゃあ早いとこ一緒に来てもらおうか。いいか、少しでももたついたらこのガキ――」
御坂「――うッ、らぁぁぁぁッッッ!!!」バッ
――バリバリバリィッ!
猟犬A「へ――――ぐがぁぁぁぁっァッッッ!!!」ビクビクビク
食蜂「……え」
猟犬B「……ッ!?」
白衣男「――なんだぁッ!?」 バッ
食蜂「……ぁ」
御坂「……、」スタッ
上条「み、みさ……か……」
食蜂「……御坂……さぁん」ポロポロ
御坂「……ったく、アンタともあろう女が、なんて顔してんのよ」ギリッ
食蜂「……だ、だって……だってぇ」プルプル
御坂「……あー、ったく、あんたがそんなんじゃ調子狂うわ」ガリガリ
猟犬B「な、なんだこいつ――能力者か!?」
白衣男「超電磁砲だ! 退くぞ!」
猟犬B「な……、レベル5の!?」
白衣男「仕事外の片手間っつうには割に合わんッ! 女を連れ帰るのが最優先だッ!」ヒュッ
食蜂「きゃあっ!?」グイッ
御坂「……ちょっと、往生際悪い男はみっともないわよ?」
白衣男「悪いが、こいつは遊びじゃないんでねぇ」ゴクンッ
御坂(……こいつ、今、何か飲んだ?)ジリッ
白衣男「さぁて、物は相談なんだが、このまま見逃してくれないかなぁ?」
御坂「冗談、ここまで好き勝手して逃がすと思ってんの……?」バチバチ
猟犬B「――せいっ!」ポイ
御坂「――手りゅう弾!?」
上条「……ぅ」
御坂(って、やばっ、アイツにモロに!)バチバチッ
――カッ!
御坂(しまっ、照明弾かッ!)バッ
食蜂「きゃっ、眩し……ッ!?」
白衣男「おら、来やがれ!」グイッ
食蜂「ちょっと、いやっ、離してっ! 下ろしてったらぁっ!」バタバタ
御坂「んのっ、舐めんじゃないわよ! 目が見えなくたっておよその位置は」
白衣男「」タッタッタッタ
御坂「って、いくらなんでも足早すぎじゃないっ!?」バチバチ
白衣男「ひゅうッ、危ねぇっ!」ピョン
御坂「――って、嘘っ、かわした!?」
白衣男「見境ねぇなぁ! この女も一緒に感電しちまうぞ!?」
御坂「その程度で済むならご愛嬌で、しょっ!」バチバチッ
白衣男「――とっ、うわっ! おっかねぇ!」ササッ
猟犬B「このっ!」ズガガガガ
御坂(……実弾!)クン
――ギュインッ!
猟犬B「って、銃弾の軌道を反らしやがった! マジもんの化物かよ!?」
白衣男「牽制できれば十分だ! このまま突っきるぞ!」
御坂(あの男はともかく、白衣のやつ。人ひとり抱えてあの動きって人間業じゃないわね)
御坂(だけどレールガンなら……いやいや、食蜂が無事じゃ済まないわね。普通なら追うべきなんだろうけど)
御坂(……半死人のコイツを、ここに放置していくわけにも)チラ
――パッ
黒子「お姉様! 救護隊員を連れてきましたの!」
御坂「――黒子!」
御坂「グットタイミング! 食蜂をさらった連中を尾行してッ! 白衣を来た男と軍服の男が首謀者よ!」
黒子「え……あ、はい! 了解ですのッ!」
御坂「いい? 相手の力は未知数だからくれぐれも慎重に、自分から手出そうとすんじゃないわよッ!」
黒子「心得てますわ、お姉様!」
――ヒュンッ!
御坂「……頼んだわよ、黒子」チラ
上条「……ぅ」ピク
救護隊員「……これは、ひどいな。一刻も早く輸血しないと」
御坂「た、助かりますよね?」
救護隊員「……すぐ近くまで救護車が来ていますので、歩道に入るよう要請します」 ピッピッピ
御坂(……気休めを迂闊に言えないくらいには、危ないってことか)ググ
御坂(到着がもう少し早ければもっとスマートに片づいたはずなのに)ギリ
御坂(なんでこいつがこんな目に遭わされてるときに、私はのんきに化粧直しなんてやってたのよ!)ダンッ
――駐車場
白衣男「ふぅ、やっと車が見えてきた」
猟犬B「後ろからは――良かった、追って来てないみたいっすね」
白衣男「瀕死の少年を放置するわけにもいかなかったんだろうさぁ。いやー、いい足止めになってくれたわぁ」
食蜂(……上条さん、どうか無事で)
食蜂(――後は……私ねぇ)チラ
猟犬B「ところで、Aは大丈夫でしょうか」
白衣男「あー、うん。あらゆる能力の可能性を考えれば、居場所は割れると思っておくべきだなぁ」
猟犬B「……は、はぁ。……そうっすよねぇ」
――バタン
猟犬C「隊長! お疲れ様です」
白衣男「おう、本当にお疲れだぁ」
猟犬C「あぁ、この女が今回の標的ですか」
白衣男「まぁな。洗脳装置の準備はできてるか?」
猟犬C「ええ、指向性の安定が課題ではありますが、近距離での運用なら問題ないでしょう」
食蜂「……」チラ
食蜂(……ヘッドバンド、していないわねぇ)
猟犬C「まぁ何はともあれ、無事確保できたなら御の字――って、あれ、Aはどこに」
白衣男「やられた。今も超電磁砲(レールガン)が追って来ている可能性がある」
猟犬C「……ッ、超電磁砲!?」
白衣男「わかったら急いで車を出せ、待機してる仲間には俺が伝える」
猟犬C「わ、わかりまし――!」
――ピッ!
猟犬C「――」ドンッ
白衣男「……うぉっ!?」バッ
食蜂「――痛ぅっ!」ドサッ
猟犬B「あっ、このガキ! まだリモコン持ってやがったのか!」
白衣男「……いやはや、胸にリモコン忍ばせるとか、B級スパイ映画の見すぎだなぁ」
食蜂「悪いけど、簡単に捕まるわけにはいかないのよぉ」
食蜂(私を助けられなかったら、あの人のことだし、絶対に悔やんじゃうわよねぇ)
猟犬B「……た、隊長」
白衣男「落ち着けぇ、そいつさえ抑え込めば」
食蜂「迎撃しなさい!」バッ
猟犬C「――リョウカイ」ヒュッ
猟犬B「うわっ! ……こ、こいつっ!」ガッ
白衣男「待て待てぇ、自分がさっき言ったこともう忘れたのかぁ? 何でも言うことを――」
食蜂「あんな脅迫まがいの約束、無効に決まってるでしょ?」
食蜂(そうよぉ、どれだけみっともない真似したって、最後に生き残れば――)
白衣男「ったく、図に乗るな、ガキが」ヒュンッ
食蜂「……えっ」
――ドムッ!
食蜂「ぐっ、……ふっ!?」カクン
白衣男「早まったなぁ。複数ならいざ知らず、一人味方につけたくらいで俺に敵うと思ったか?」
食蜂「……あぅ……あ゛っ」ビクン
食蜂(……まだ、よ。……せ、せめて……これだけ……は)プルプル
――ピッ!
白衣男「……何?」
食蜂「……ぅ――」ドサッ
白衣男「……なんだぁ? 今何をしやがった? ……B?」
猟犬B「い、いえ、俺に異常は――って、このっ! いい加減邪魔するなって!」バッ
猟犬C「――」ヒュン
白衣男「……はぁーん、気絶しても能力は有効なのね。厄介極まりねぇなぁ」カチャッ
――パンッ!
猟犬C「グッ――!?」グラ
猟犬B「……え」
――ドサッ
猟犬B「……あ、あの、これは」
白衣男「心配するなぁ。麻酔銃だ」
猟犬B「い、いや、でも、血が出て……」
猟犬C「……ぐ……ぅ」
白衣男「俺が麻酔銃だと言ったらそうなんだぁ。――違うか?」カチャッ
猟犬B「い、いえ、失礼しました!」
白衣男「んで、お前、本当に操られていないだろうなぁ?」カチャ
猟犬B「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!? 俺ヘッドギアしてるじゃないっすか!?」
白衣男「それを素通しした可能性も、あるいはゼロじゃないと見てるんだがなぁ」
猟犬B「そ、それこそ! ヘッドギアを無視できるならあのガキを痛めつけていた段階でやっていたんじゃないっすか?」
白衣男「……ふぅん、なるほど、まぁ、もっともな理屈だぁ」
猟犬B「無理に操ろうとしたが失敗した。そんなところっすよ、きっと」
白衣男「……かもなぁ。俺の気にしすぎか」チラ
白衣男(殴られた痛みで能力の発動を失敗した可能性もあるが、まぁどっちでもいいか)
食蜂「…………」グッタリ
白衣男「しばらく目が覚めなそうだな。好都合ではあるが」
猟犬B「そ、それよりも」
白衣男「……うん?」
猟犬B「い、いや、Cはどうすんのかなーって思って」
白衣男「……言っている意味がわからんなぁ? 運転手ならお前がいるだろ?」
猟犬B「あの、そういうことじゃ――――い、いえ、わかりました」
白衣男「ならとっとと運転席に座れ。車ごと洗脳装置を奪われたら目も当てられんからなぁ」
猟犬B「りょ、了解」
――ブロロォォ
食蜂「…………」
猟犬B「しっかしまぁ、とても中学生とは思えない体っすね」ゴクリ
白衣男「洗脳が終わるまでは手を出すなよぉ」
猟犬B「え、あ、いや」
白衣男「精神に支障をきたせば、コイツの能力に悪影響が出るかも知れん」
白衣男「以前瞬間移動能力者かなんかで、そういう実例があったそうだぁ」
猟犬B「ま、まだ何も言ってないじゃないっすか。やだなぁ」
白衣男「口にしなくとも顔に書いてある。品位が知れるなぁ」
猟犬B「いやぁ、どうも戦闘の後って昂ぶっちまうんですよねぇ」ポリポリ
白衣男「一方的にぶちのめして、一方的に攻撃されただけだろぉ?」
猟犬B「まぁ、そうなんすけど」
白衣男「洗脳が滞りなく終わったら、その後はどこでも好きに使うがいいさ。俺もそうさせてもらうつもりだ」
猟犬B「へへっ、さっすが隊長!」パチン
黒子「ええ、一人銃で撃たれました。そちらにも車を回してください」ヒュンッ
初春『了解しました。――あの」
黒子「何ですの?」
初春「いえ、白井さんも、くれぐれも気をつけてくださいね」
黒子「わかってますわ。お姉様にも忠告されましたし」パッ
初春『はい、じゃあまた』ピッ
黒子「……さて、空からですし、尾行は気づかれていないと思いますが」パタン
黒子(あの男、仲間にも容赦ないですわね。警戒に値しますの)ヒュンッ
黒子(さすがに追いながら車を止めるのは難しそうですわね。銃器持ちの相手が複数となると、わたくし一人では手に余りますし)パッ
黒子(っと、トンネルに入りましたわね――先に出口で待ち構えますか)ヒュンッ
――ざわざわ
御坂(……どういうことかしら、ドンパチが終わった途端に人が増えて来るだなんて)キョロ
救護隊員A「あまり揺らさないように、搬送中に血液パック2単位で」
救護隊員B「了解です」
救護隊員C「脈確保しました。輸血開始します」グッ
救護隊員B「えっと、付添いの方は」
御坂「……あ、あの、私付き添いです」
救護隊員A「わかりました。ご家族の方ですか? それとも、彼女さんとか」
御坂「あ、い、いえ! その……えっと、友達、です」アタフタ
御坂(って、あぁもう、何動揺してんのよ!)
救護隊員B「わかりました、一刻を争いますので、詳しい話は搬送中に聞かせていただきます」
御坂「は、はい!」
御坂(……そうよ、今はそれどころじゃない。切り替えなきゃ)
土御門「…………」
エツァリ「……あの、土御門さん」
土御門「戻るぞ、今さらのこのこ出ていく理由がねえ」
エツァリ「……わかりました。貴方がそれでいいなら」
一方「ったく、だせぇ。勝手に俺以外のやつにやられてンじゃねえよ」ギリ
エツァリ「……一方通行! その言い草はあまりにも」バッ
一方「ンだよぉ?」ジロ
土御門「やめろ」
エツァリ「……しかし」
一方「……ンだぁ? 文句があンのか?」
土御門「いいや? お前に期待しすぎた俺が馬鹿だったってだけの話だ」
一方「……な、ン」ピクッ
土御門「ぐだぐだやってる暇があんだったら御坂美琴に連絡を入れとけ。海原、番号知ってんだろ」
エツァリ「え……ええ、一応。それで用件は」
土御門「洗脳装置が無線で操れるものだってことまでは知らないはずだ。これ以上面倒事を増やしたくない」
エツァリ「……わ、わかりました」カチカチ
――う、ん。
上条(――あれ、ここ、どこだ?)
上条(見慣れた部屋、な気もするけど)
???「あっ、とうま、目が覚めたの?」
上条(……この声)
上条「……イン……デックス、か?」
上条(……れ? 首が、動かねえぞ?)ググ
インデックス「……良かった。今先生呼んでくるから、待ってて」スク
上条(……どころか、手足も……ろくに動かねえな)モゾ
インデックス「全身に麻酔が効いてるから、しばらくは動けないって先生言ってたよ」
上条「……俺、いったい」ボケー
上条(……インデックス、寝てないのか? 目に隈ができてる)
上条(……なんだろ、頭が……全然働かねえ)
インデックス「……とにかく今は何も考えないで、ゆっくり休むこと。わかった?」
上条「……ん」スゥ
インデックス「さ、とうま、目瞑って。そしたら、もっと元気になってるから」
――翌日
上条「……やっぱり病院、か」
御坂「あ、起きたんだ?」
上条「……御坂? なんでお前がここに」
御坂「お見舞いよ。いちゃ悪い?」
上条「い、いや、そんなことはねぇけど」
上条(……駄目だ、記憶が途切れちまってる。何がどうなってるんだ?)
御坂「……今度こそ、本気で死んじゃうかと思った」
上条「……誰が?」
御坂「アンタよアンタ。全身真っ青でここに運ばれてきたの。どうせ覚えてないだろうけど」
上条「運ばれて……って」
御坂「……動物園から」
上条「……動物」
食蜂『どうか、上条さんを、助けてください』
上条「――食蜂ッ!」ガタッ
御坂「……ッ」
上条「あ、あいつはどうなったんだ!? なぁ、無事――いづッ!」ズキンッ
御坂「ちょっと、まだ安静にしてなきゃ!」バッ
上条「お、俺、あいつにあんな真似させちまって……謝らなきゃ。なぁ、どこに――」
御坂「いいから、落ち着けってのッ!」ガシッ
上条「……ッ」ビクッ
御坂「……瀕死の状態だったのよ? 人の心配するなとは言わないけどちょっとは自分も省みたらどうなのよ!」
上条「……わ、悪い」
御坂「あの外国人の女の子、イン、何とかって言ったかしら? 病室で一晩中あんたのために祈ってたらしいわよ?」
上条「……え」
御坂「そんなに心配してくれる人がいるんだったら、自分のことだって大事にしなきゃダメでしょ?」
御坂「少なくとも私は、あんたにそれを教えられたつもりだったんだけど?」
上条「す、すまん。……頭に血が上ってた」
御坂「だとしたら、輸血した量が多すぎたってことかしらね?」プンッ
上条「……本当、悪かった」
御坂「……あー、もう、何で病人に説教しなきゃいけないのよ!」プイッ
上条「は、反省してるって。それより――あいつは」
御坂「……はぁ、まぁいいわ。今さら隠しきれるのも無理だし」
上条「……何の話だ?」
御坂「窓の外」ビッ
上条「……窓?」
御坂「飛行船のテロップ、見えるでしょ」
上条「飛行船……って、あぁ、あれのこと――」
飛行船『臨時ニュースです。学園都市第五位の超能力者、食蜂操祈さんが何者かに拉致され、現在も行方不明になっていることが――』
上条「――――」
御坂「つまり、そういうことよ。あの時駆けつけておきながらこの体たらく」
御坂「存分に、なじってもらって構わないわ」
――バタン
黒子「お姉様……」
御坂「黒子、風紀委員は終わったの?」
黒子「ええ、目下警備員と共同で、全力で捜索に当たっておりますの」
御坂「ごめんね、こんな面倒事につき合わせちゃって」ペコ
黒子「お気遣いなく、母校の同輩のためですもの。力を惜しむ理由はありませんわ」
御坂「ん、ありがと」
黒子「それより、上条さんのご様子は――」
御坂「いやー、それが、意外と普通っていうか」
黒子「あら、そうなんですの?」
御坂「それなりにショックは大きかったみたいだけど、あんまへこたれてないみたい」
御坂「アイツとことん世話焼き気質っつうか、どうしようもなくお節介だからさ」
御坂「てっきり全責任自分一人で背負いこむんじゃないかって思ってたんだけど」
黒子「そうですか。でしたら何よりですわね」
御坂「まぁ、前向きすぎるのも問題よね。あの体で無理されてもこっちが気疲れしちゃうし」
御坂「ベッドの上で変に気を揉まないよう、とっととあの女を取り戻さなきゃ」
黒子「あの、ところで」モジモジ
御坂「うん?」
黒子「尾行の件、申し訳ありませんでした。まさか同じ車を三台も用意していたとは」
御坂「ううん、無事戻って来てくれてよかった。黒子の身にまで何かあったら、私こんな冷静じゃいられなかったわ」
黒子「お、お姉様……///」キュン
御坂「車の動きなら衛星で追えてるはずだし、協力者だって大勢いる。じきに目星は付くわ、きっとね」
黒子「そうですわね。それで、あの」
御坂「うん?」
黒子「食蜂さんが洗脳されているかもって話。本当なんでしょうか?」
御坂「そこは疑っていないわ。洗脳装置の話についてもやたら具体的だったし」
御坂「もっとも、電磁バリアがある私にとっては、人払いのなんちゃらっていう方が問題だけど」
黒子「……何となくその場に近寄らないようにする。そんな催眠術のようなこと、能力なしでできるんですのね」
御坂「タネがわかった以上、同じ轍はもう踏まない。今度こそ、あの連中を焼き尽くしてやるわ」パチン
黒子「お姉様、病院で電磁波はご法度ですわよ」ジト
御坂「あ、ゴメン、つい」アセッ
――病室
黒子「失礼します」パタン
上条「……ん? あぁ、白井も来てくれたのか」
黒子「どうも、顔色もすっかり元通りですわね」
上条「お陰様で。本当にありがとな」
黒子「……何の話ですの?」キョトン
上条「お前が瞬間移動で救急隊員連れてきてなかったら、出血多量で多臓器不全になってたかもって。命の恩人だ」
黒子「ならこれでチャラですわね、いつぞやの件では私が助けていただきましたし」
上条「はは、了解」
上条「ところで、御坂はもう帰ったのか?」キョロ
黒子「先ほど寮監様に連絡するからと言って外に出られました。院内では携帯禁止ですから」
上条「あぁ、そうか。先生にも食蜂を連れ出したこと謝らないとな」
黒子「……あの、これは私見ですけれども」
上条「……?」チラ
黒子「あそこまで用意周到にやられては、出かけようと出かけまいと攫われた可能性が高かったかと」
上条「だとしても、だよ」
黒子「まぁ、気に病むなという方が無理なこともあるでしょうけども」
黒子「とにもかくにも、あなたは一刻も早く怪我を治すことが先決ですの」
上条「そうなんだけど、すっきりしないっつうかな」
黒子「食蜂さんの奪還に向けて、警備員や風紀委員も動いていますわ。それにお姉様だって」
上条「結局、全部他に丸投げか。アイツにも、ずいぶんと迷惑かけちまったな」
黒子「迷惑よりは心配の方が比重はずっと大きいようでしたわよ?」
上条「……わかってる、後で謝っとくよ」
黒子「謝るよりは、お礼にしていただきたいですわね」
上条「ふぅ……よっこらせっと」ドサッ
黒子「あぁ、気が利きませんで。朝から見舞い客が引っきりなしだったそうで、お疲れですわよね」スク
上条「いや、寝すぎてダルいだけ。むしろトイレ行きたいんだよな」
黒子「おまるならそこにありますわよ?」チラ
上条「いやいやいや、普通に便器に座って踏ん張りたいんですよ」
黒子「そのように力まれても力説されても困りますの」
上条「つか、血が通ってなかっただけで、ほら、左足以外はもう全然動くみたいな?」グルングルン
黒子「元気アピールならお医者様か看護師様にどうぞ」ツン
上条「ダ、ダメですか? 病室でリアルな排泄音とか思春期少年の心を滅多打ち――」
黒子「……はぁ、わかりました。看護師さんの巡回までには戻ってきてください」
上条「さんきゅ、ちょっくら行ってくるわ――って、うわ!」ガタン
黒子「点滴は倒さぬようお気をつけあそばせ」ジト
――15分後
黒子「……遅すぎる。いったい何をやっていますのよ」プリプリ
黒子(まぁ、点滴をしたまま用を足すのは意外と難儀しますし)
黒子(長時間じっとしていれば便秘にもなりそうなものですけれど)
黒子(…………)
黒子「……いやいや、まさか、歩くのがやっとの体で脱出など」テクテクテク
黒子「この時間は病院も混雑してますし、抜け出そうとしたところで誰かに見つかるのがオチ――」
黒子(と、ここが最寄のトイレですわね)チラ
???「――く……しょ」
黒子(あら、今の声って――)
――ドンッ!
黒子「……ッ」ビクッ
黒子(い、今のは、何の音ですの?)
黒子(中から、聞こえてきたような……)
???「……なん……目……前で、こん……な」
黒子(……あ)
???「……女の……に……土下座……ん、で」ドンッ
???「――ぐッ! ――ッッ!!」ドンッドンッ
――ダンッ!
???「……っそ………っくしょぉッッ!!」
???「――う、うぁ……ぁあっあぁぁっぁあ――」ガシッガシッ
黒子(…………)
黒子(……はぁ、まったく、殿方というものは)
黒子(聞きつけたのがお姉様でなくて幸いしましたわ)クルッ
黒子(……出すものを出し切るまでには、まだ時間がかかりそうですわね)チラ
黒子(病室に戻る前に、飲み物でも買い出しにいきますか)ヒュンッ
――窓のないビル
アレイスター「まずは、言い訳を聞こうか」
土御門「…………」
アレイスター「……だんまりというのは、私はあまり好きじゃない」
アレイスター「そもそも述べるべきは『これからどうするか』であって、『何故こうなったか』を延々と説明する必要はない」
アレイスター「しかし、敢えて問題視せざるを得ない事情がこちらにはある。わかっているとは思うが――」
土御門「重要な護衛対象を守れきれなかった。全責任は俺にある」
アレイスター「……通り一遍の文言を聞くために面会したわけではないのだがね」
アレイスター「確かに、彼女は大切なリカバー役だ。重大な事件の際、学園を去らんとする能力者を留め置くための」
アレイスター「君たちの情報提供が意図的に伏せられていたせいで、こうした事態を招いたのだとしたら――」
土御門「それは、断片的な情報ばかりで実態がわからなかったからだと説明した。後でまとめて報告するつもりだった」
アレイスター「なるほど、不祥事が起こったときの官僚のテンプレを髣髴とさせるね」
土御門「……信じる信じないはあんた次第だ。全責任は俺にあるとも言ったはずだ」
アレイスター「……ふむ」
土御門「処分するってんなら後でいくらでも受けてやる」
アレイスター「……後で、ね」
土御門「俺たちの不手際が招いた事態だ。てめえのケツはてめえで拭かせてもらいたい」
アレイスター「イレギュラーな騒動で計画に差し障りがあると困るんだが」
土御門「それを言うなら、七人のうちの一人が欠けることだって同じだろう」
アレイスター「確かに損失は小さくないが、だからと言って代用が効かないわけじゃないよ」
土御門「……ッ!」
アレイスター「表向き、レベル5とレベル4の差は大きいと思われているけど」
アレイスター「能力にも個性がある。私は理事たちと違い、単純に戦略的価値、商業的価値で測っているわけじゃない」
アレイスター「純粋なAIM拡散力場の強さなら、レベル5に迫るレベル3もいるということだ」
土御門「……ま、それは幻想殺しも似たようなもんだしな」
アレイスター「そうだね。今は便宜上、超能力者を7人にしているが」
アレイスター「解釈次第では他にレベル5になれそうな者もいないではない」
土御門「……何が言いたい?」
アレイスター「そういう有望な能力者が、同士討ちするような事態があってはならないということだ」
土御門「おい、まさか、第五位を始末するとか言わないだろうな」
アレイスター「……最悪の場合は、もちろんそうするつもりだよ」
土御門「ふざけるな! 計画を放置していたお前の責任だってないとは言えないんだぞ!」
土御門「大体、幻想殺しが『はいそうですか』と納得するわけがねえ!」
アレイスター「もうそれは言われた」
土御門「……あん?」
アレイスター「……いいや、こっちの話だ」
アレイスター「君も知っての通り、飛行船で第五位が行方不明であることは周知済みだ」
土御門「……あ、あぁ」
アレイスター「要するに、一部の理事たちがごねてるということだ。第五位の前には情報の秘匿も意味をなさない」
土御門「……自分たちの研究が明るみになるのは困るってか。どいつもこいつも」
アレイスター「この社会で情報は文字通り命だ。そこを否定する気はない、が」
アレイスター「理事の中で彼女の安否を心から案じているのは、親船氏くらいだろうね」
土御門「お寒いことだな。……それで、結論は?」
アレイスター「猶予は三日。それ以上は一秒たりとも待たない」
土御門「……何?」
アレイスター「……どうした? 意外そうな顔をしてるように見受けられるが」
土御門「い、いや、待ってくれるのか?」
アレイスター「……おかしなことを言う。待ってほしいからここに出向いたのではないのかな?」
土御門「あ、あぁ、そうだ。三日、で間違いないな」
アレイスター「よもや足りないなどとは言わないだろうね」チラ
土御門「十分だ、いい知らせを期待しろ」クルッ
アレイスター(……行ったか。我ながら温い判断ではあるが)
アレイスター(あれほどに目が据わった冥途返しはちょっと記憶にないし、少しは心証を良くしておかないとね)ゴポッ
――病室
インデックス「……しょ、とっと」シュルシュル
上条「…………」
御坂『あんたはゆっくり休んでなさい。必ず私たちが食蜂操祈を連れ戻すわ』
土御門『上やんが気にすることじゃない。頼りすぎてた分、きっちり働かねえとな』
上条(……俺、何やってんだろうな)
インデックス「はいとうま、りんご剥けたよ」
上条「……あ、あぁ、さんきゅ」
インデックス「その、とうまみたいに上手くは剥けなかったけど」ツンツン
上条「いやいや、自分の指を切らないだけ大したもんですよ」
インデックス「……うぅ、もう、また馬鹿にして」
上条「そんなつもりはねえよ。んじゃ、ありがたくいただきます」
インデックス「うん、召し上がれ」ニコッ
――シャリッ
上条「……うん、うまい」
インデックス「だよね、日本の林檎って本当に美味しいよね。蜜もこんなたくさん入ってて」シャリシャリ
上条(はぁ、入院してるときしか果物を食べる機会がないってのも、世知辛いなぁ)
インデックス「それで、さっき何考えてたの?」
上条「あん、さっき?」
インデックス「私が林檎剥いてる間、どっか遠くを見てた感じ」
上条「……そ、そうだったか?」
インデックス「…………」ジ
上条「……う」
インデックス「……じっと待っていることの辛さ、少しは身に染みた?」
上条「――――」
インデックス「…………」
上条「……あぁ。痛いほど、染みてるよ」シャリ
インデックス「……そう。なら、むしろいい機会だったのかな」
上条「……いい機会だって?」ジロ
インデックス「悪いけど、そんな顔したって無駄なんだよ。私なんていつもいっつも、やきもきさせられてるんだから」
上条「……い、いや、そいつは」
インデックス「とうまは毎度無茶しすぎだから、取り返しがつかなくなる前に反省する必要があるかもって前々から思ってたんだよ」ブスッ
上条「わ、わかってるよ。だから今だってこうやって――」
インデックス「そんなこと言って、大人しくしてるのはそうせざるを得ないからでしょ? 動けるならとっくに病室を抜け出してるよね」
上条「そりゃまぁ――い、いやっ!」
インデックス「いつも一人で突っ走って、勝手に傷ついて、傷つけられて、それでも最後には何とかしちゃう」
上条「…………」
インデックス「それがとうまだから」
インデックス「初めて助けられなかったことが――今も助けにいけないことが」
インデックス「とてもとても、悔しい」
上条「……ッ」グッ
インデックス「そう顔に書いてあるんだよ。バレバレ」
上条「…………」
上条「……そっか。バレバレか」ポリポリ
インデックス「バレバレに決まってるよ。とうまが私に隠しごとなんて、百年早いんだよ」エヘン
上条「……悔しいだけなら、むしろ良かったんだけどな」ポツリ
インデックス「……え?」
上条「たとえ怪我が軽かったとしても、すぐに動けたかどうか、いまいち自信がねえんだ」
インデックス「それは、どうして?」
上条「……認めるのも癪だけど、怖いんだよ」
インデックス「怖いって、相手がそんなに強かったの?」
上条「それも、あるな。多分、あの時俺は――」
上条「足を負傷していようとしていまいと、食蜂を連れ去られてた」
上条「鍛え方が違った。不良の喧嘩ごっこ程度じゃ、対処のしようがないくらいに」
上条「右手が通用しない相手に対して、自分があそこまで無力だったことを思い知らされて」
上条「たかが銃一つで抵抗できなくなるってわかっちまって」
上条「こんなざまじゃ、居場所が割れていても、足がそっちに向いたかわからねえ」
インデックス「……とうま」
上条「しかも、よりによって、守るべき女の子に命乞いをさせちまった」ギュッ
インデックス「……ん?」
上条「……合わす顔がないんだ。護衛失格の烙印を押されたも同然だってのに」
上条「もしまた俺が原因で、あんなみっともない真似をさせちまったらと思うと――」
――ガブッ!
上条「ってぇ、久しぶりーーーーッッ!!?」
上条「お、お前、怪我人にあんま無茶すんなよ」ヒリヒリ
インデックス「ごめん、とうまが馬鹿すぎて無意識に噛んじゃったよ」
上条「謝るのと貶すのを同時に一文で済ますんじゃねぇ!」
上条(つーか無意識って、かなり嫌だぞそれは)ヒク
インデックス「っていうか、とうま。それはちょっと違う、ううん、むしろひどいんじゃないの?」
上条「……ひどい? 何が?」
インデックス「その食蜂って子は、とうまを助けたい一心でそうしたんだよ?」
インデックス「想いが理性に勝ったなら、膝をついて這いつくばることでも、それは尊いし、むしろ誇るべき行為だと思うけど」
上条「……ッ」
インデックス「なのに当人がその行動をみっともないって言うの? 人命を助けるために頭を下げることを?」
インデックス「私はとうまの命がかかってたらたとえ何百回だって頭下げるよ?」
上条「……イ、インデックス」
インデックス「……それとも何? とうまは、食蜂って子を助けるために頭を下げられないの?」
上条「そんなわけねえ!」
上条(下げれるに、決まってる)ギリ
インデックス「うん、だよね」ニコ
インデックス「何ていうか、男の人特有の思考回路だよね」
インデックス「暴力に耐えた方が格好良くて、跪いた方が格好悪いみたいな」
インデックス「お互いにお互いを守ろうとしての行動に、優劣なんてつけられないのにね」
上条「……ごめん。お前の言う通りだ」
インデックス「もちろん、相手の強い想いに引け目を感じるのはあっていいと思うよ? ――ただ」
インデックス「少なくとも、その子はとうまにそんな顔をさせるために頭を下げたわけじゃない。そう私は思うんだけど」
上条「……そう、だな」
インデックス「うん、きっとそうだよ」
上条「……ありがとな、インデックス」
インデックス「え?」
上条「少し気分が軽くなった。お前のおかげだ」
インデックス「ふふ、どういたしまして。私も、久しぶりにシスターのお勤めを果たせたんだよ」
上条「お勤めねぇ。さながら、俺は迷える子羊ってか?」
インデックス「失敗と向き合うのは大事だけど、それにいつまでも引きずられてたら、何もできなくなっちゃうからね」
上条「…………」
上条「……なぁ、インデックス」
インデックス「うん、今度は何?」
上条「その、こんなことを頼んでいいのかは、わからねえんだけど――」
――コンコン
上条「っと、はいはい、どちらさん?」
舞夏「土御門舞夏であるー。上条にお客さん、みたいなんだがー」
上条「……客? 見舞いじゃなくて?」
???「sorry、案内ありがとう」
――バタン
???「…………」ジト
上条「あー、えぇっと」
上条(……誰だ、この女の子、思い出せねえな)
???「……なるほど、あなたが」
上条「あ、あのぅ、つかぬ事をお伺いしますが……初対面っすよね?」
???「……ええ、そうね。まさか入院しているとは思わなかったけど」
上条「まぁ、その、ちょっと紆余曲折あったりなんかしまして」ハハ
インデックス「なんか落ち着きないね。どうしたの、とうま」
上条「い、いや、別に……」
上条(……長点上機の制服ってことは、高校生か? 先輩っぽいオーラがひしひしと)
舞夏「兄貴の部屋掃除しに行ったらお前の部屋の前にいたんだー。ここにいることを伝えたらお前に会いたいって」
上条「あぁ、わざわざ案内してくれたのか。すまなかったな」
舞夏「ついでだから構わないぞー。困ったときはお互い様とも言うしな」
???「何はともあれ、まずはお礼を述べておくわ。土御門さんに、上条当麻くんも」
上条「……へ? 舞夏はわかるけど、何で俺にお礼? つか、俺のことを知ってるのか?」
???「実験を止めてくれたことへのお礼。妹たち(シスターズ)、と言えばわかるかしら?」
上条「……お前、いったい?」
???「私がどこの誰かなどさして重要ではないのだけど、まあいいわ」
???「布束砥信。かつてあなたが止めた実験に関わらされていた者よ」
上条「実験……って、まさか」
舞夏「あー、おいシスター。しばし外のレストランで甘味と洒落こまないか」
インデックス「甘味! ……あ、でも、とうまが」
上条「俺ならもう大丈夫だ。お前も看病し通しで少し疲れたろ? 遠慮しないで休んでこいって」
インデックス「……ほ、本当? 私がいなくても困らない?」
上条「そりゃもう、全然困らな―――い、いや、困るには困るけど、それにしたって休みは必要だろ」アセアセ
インデックス「……」ガルル
布束「ごめんなさい。私が話したいことには、操祈のプライベートに絡むこともあって、出来れば彼と二人だけで」チラ
上条(操祈って、呼び捨て? ……このお姉さん、食蜂の知り合いか)
インデックス「んー、そっか。そういう事情じゃ仕方ないね――え、何、舞夏」
舞夏「…………」ゴニョゴニョ
インデックス「あぁ、うん、そうだね! スペチョコイチゴパフェで手を打つんだよ!」
上条「こらそこッ、変な知恵つけんなよ!」
舞夏「なんのことかなー?」ニヤニヤ
――バタン
上条「すまん、わざわざ来てくれたのにそっちのけで。遠慮なくかけてくれ」
布束「それじゃあ、お言葉に甘えて」チョコン
上条「そんで、関わらされていた、だっけか。何とも微妙なニュアンスだな」
布束「……被害者か加害者かと言われれば、加害者側ね。幼少の頃から洗脳装置(テスタメント)の開発に携わっていたわ」
上条「お前は、研究者側か?」
布束「……ええ。操祈の言葉を借りるなら、共犯者というカテゴリーに含まれるわ」
布束「……多くの犠牲が出たことに責任は感じている。とはいえ、被害者意識も捨てきれてないけど」
上条「……で、このタイミングで用件っていうのは、食蜂絡みなんだな?」
布束「ええ、そう。あの子が行方不明になったって飛行船のニュースで知って」
布束「それで、どうしてもあなたに会う必要があると思ったの」
上条「……俺に? 何のために?」
布束「一口には言えないけど、そうね、一番の理由は」
布束「あの子に助けられた借りを返すため、かしらね」
上条「……助けられたって、食蜂に?」
布束「ええ、そう。実は私、つい二週間前まで監禁されていたの」
上条「監禁ってッ、今回食蜂を拉致したやつらにか?」
布束「それは……わからないけど、多分別口じゃないかしら」
上条「……へ、違うのか?」
布束「おそらくね。彼らの中では、ううん、彼らの頭の中では、私はまだ捕まっていることになっているはずだし」
上条「……うん? どういうことだ」
布束「彼女の能力については知っているでしょ?」
上条「……あぁ、そういう」
上条「つまり、心理掌握であんたがまだ捕まっている状態だと思い込まされてるんだな?」
布束「厳密には少し違うのだけど、そう思ってもらって不都合はないわ」
上条「……しかし、いくら心理掌握でも、出来ることと出来ないことがあるだろ?」
布束「どういう意味?」
上条「どうしたって、お前は監禁場所にいないんだから、カメラや外部の人の目は誤魔化せないんじゃないか?」
布束「そこが、あの子の上手いところよね」
上条「というと?」
布束「私は、今も研究所にいるの。それも、研究者の目のつくところに」
上条「……いや、すまん。俺あんまり頭が良くないから、言っている意味がよく」
布束「難しく考えなくていいわ。言葉通りの意味なの」
布束「研究に携わってない学生には周知されていないけど」
布束「学園都市において、実験による不幸な事故はしょっちゅう起きてるの」
上条「……そりゃまぁ、最新の科学技術を開発するともなれば、重大事故の一つや二つは起きるだろうな」
布束「ええ。つい最近だと、ある新薬の被験者が心停止を起こしてしまうなんてことも、あったみたいね」
上条「……いやに具体的だな?」
布束「それで、無事な臓器を学術的に利用しようと摘出したらしいんだけど、一つ提供してもらったみたい」
上条「……提供って、一体何を?」
布束「これよ」コンコン
上条「……頭?」
布束「脳ミソ。操祈は私を処分しようと躍起になっていた研究者たちを逆に洗脳し」
布束「手に入れた脳を利用して、私の死を偽装させたのよ」
上条「……死を、偽装」
布束「そう。あなただって牛モツや鳥レバーを食べたことくらいあるでしょ?」
上条「そりゃまぁ、あるけど」
布束「でも、それがいちいち違う個体の内臓だって意識することはないわよね。消耗品だもの」
布束「だからこそ、外では食品偽装なんてことがまかり通っているわけだけど」
上条「……てーと、要するに食蜂は、実験で亡くなった人の脳を、お前の物に仕立て上げたってことか?」
布束「ええ、学園に背信した罪で、私も危うく人体実験の被験者にされるところだったんだけど」
布束「すんでのところで、私の脳みそが摘出されたかのようにあの子が演出してくれたわけ」
上条「じゃあ、その名前もわからない人の脳を、研究者たちは」
布束「私の脳だと誤認しているはずよ。もちろん、いずれは嘘もバレるんでしょうけど」
上条「しかしよくもまぁ、そんな大胆な真似をしたもんだ」
布束「専門家でもない限り、臓器を一瞥して誰のものかを判断するのは難しいから」
布束「研究材料についても管理者ならいざ知らず、DNAを逐一調べるなんてことはしないし」
布束「私がこうして話していられるのも、あの子のおかげってわけ。本当に感謝してもし足りないわ」
上条「……そっか。あいつが」
布束「さて、私の動機をわかってもらえたところで本題に入りたいんだけど」
上条「その前に、ひとつ質問いいか?」
布束「……何かしら?」
上条「お前が今から言うことって、食蜂を助けるのに役立つことなんだよな?」
布束「多分。残念ながら、確証は持てていないのだけど」
上条「なら悪いけど、俺以外のやつに知らせてやってくれないか? 協力したいのはやまやま何だが、ご覧の有様でさ」
布束「それは、難しいわね。あの子はあなたに助けられることを望んでいるはずだし」
上条「……へ?」
布束「……ううん、この言い方は正しくないか。訂正するわ」
布束「操祈曰く、今のあの子は、おそらくあなたにしか助けられないのだそうよ」
上条「……それは、どういう意味だ?」
――地下施設
白衣男「洗脳が出来ない? 話が違うんじゃないか」
???「仕方なかろう。おそらく今の彼女は、自分自身が能力者であることすら覚えていまい」
白衣男「だからぁ、なんでそんなことになってるんだぁ?」
???「おそらくは、自分自身に能力を使ったのだろうな。心当たりはないかね?」
白衣男「…………」
白衣男「……あー、あれか」
???「その顔は、あるようだな。だったら、君の失態だ」
白衣男(文字通り、最後の悪足掻きかぁ。面倒な真似してくれたもんだぁ)
???「それにしても人間、捨て鉢になると何をするかわからんな。このままでは計画が滞る」
白衣男「具体的には、どういう状況なんだぁ?」
???「脳内に難解にして緻密なセキュリティを構築している。予め自らが洗脳される可能性を考えていたのだろう」
白衣男「誰も洗脳できないから自分自身を、ってかぁ? 理解不能だなぁ」
???「まったく、自殺にも等しい愚かな行為だ。思春期の子供の思考回路は度し難いよ」
白衣男「軽口を叩いてるからには、何とかなるんだろうなぁ?」
???「脳細胞が破壊されたわけではない。記憶の上層部に『忘れた』という巨大なシールを貼りつけた状態だ」
白衣男「フォーマットか。その下には元の鉱脈が埋もれているわけだ」
???「うむ、手に入れた例の洗脳装置をフル稼働させ、表層のセキュリティから丁寧に解析していけば」
白衣男「遠からず元に戻ると」
???「厳密には、元とは言えんがね。能力だけなら二日もあれば十分だろう」
白衣男「能力、だけか? 記憶や人格はいったいどうなる?」
???「能力者であることさえ思い出してもらえば十分だ。思い出や人間関係まで組成してやる理由もないからな」
白衣男「……なるほど。だが、そうなったら最早別人ってことになるが」
???「まぁ、記憶に乖離が生じることで人格がねじ曲がる可能性は大いにあるだろうな」
???「……で? 我々に何か不都合があるのかね?」
白衣男「あー、はいはい、失言でしたぁ」
???「当面、彼女が能力を使いこなせるようになればいい。我々の計画に齟齬を生じないようにするのが第一だ」
???「性格がどうなろうとどうせ言いなりにさせるのだしな」
白衣男「……やれやれ、悪党の鑑だよ。あんたは」
???「これは心外な発言だ。私にあるのはピュアな研究者魂だけだよ」
白衣男(……本気でそう信じてそうなのが、怖いよなぁ)
白衣男「んで、脳の解析中、洗脳装置は一切使えないという理解でいいか?」
???「そういうことだな。これだけの騒ぎになると理事会の犬が動くだろう」
白衣男「汚れ(仕事)かぁ。嫌だなぁ、気が進まないなぁ」
???「根っからの人殺しが何を言っている」
白衣男「うわぁ。傷つくわぁ、その物言い」
???「報酬に見合った働きをしてくれればいい。君には期待している」
白衣男「へいへい」ヒラヒラ
――ウィーン
???「やれやれ、あの間延びした喋り方はどうにもいただけんな。仕事振りには文句もないが」
???「……さて」チラ
食蜂「……ぅ」
???「洗脳した第五位の能力で高位の能力者を一様にシンクロさせ、巨大なAIM拡散力場を構築する」
???「精緻な制御を施すための、さしずめ生体解析機といったところかな」
???(この理論なら、樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の演算能力を上回ることも可能なはず)
???(そして未来予測さえ可能になれば、より効率のいいレベル6への到達方法が明らかになるだろう)
???「くっくっく、やっと計画を潰されたお返しができるなぁ。えぇ? 小娘」
???「洗脳が完了した時が楽しみだよ。君には従順なしもべとして、心身ともに尽くしてもらおう」
???「君が忌み嫌った実験の中心に、他ならぬ君が据わるんだ。復讐としては、申し分のない形じゃないかね?」ククッ
上条「自分を洗脳って――――いくらなんでも」
布束「突拍子もない話だけど、以前に彼女が仄めかしていたのは確かよ」
布束「もしチャンスがあったなら、彼女は自らの脳に錠前(ロック)をかけたと思う」
布束「あの子はあれで人一倍貞操観念が強いし、拉致とか暴力とかには精神的に耐えられそうにないし」
上条「……だからって、おいそれとは信じられねえぞ。心理掌握で現実逃避って」
上条「要するに、自分じゃない別人になっちまうみたいなもんだろ?」
布束「それはもちろん、好き好んでやるわけじゃないでしょうし」
布束「だけど、あの子、自分の能力の危険性は重々認識していたから」
上条「その、そうすることで、洗脳は防げるのか?
布束「広域で能力を発揮するあの子が演算能力をフルに使って一人に強力な洗脳を施したのだとしたら」
布束「いかに最新型のテスタメントといえど、簡単にどうこうはできないと思う」
上条「良かった、その点は、まだ望みはあるんだな」
布束「……それでも、時間をかければいつかは破られるわ」
布束「もっとも、破られようと破られまいと、元の操祈に戻せる保証はないのだけど」
上条「……、」
布束「いくら自分の能力を利用されないためとはいえ、やっぱり自殺行為よね」
布束「首尾よく助け出せたとして、彼女の洗脳をうまいこと引き剥がす手段はない。――そう、そのはずなのに」チラ
上条(…………あ)
布束「……そんな危なっかしい話をしているときに、あの子、はにかみながらこう仄めかしたの」
布束「もしかしたら、たった一人だけ、呪いを解けるかも知れない人がいるって」
上条(……そう、か)
布束「実際にこうなってしまった以上、私にはあやふやな可能性に縋るしかなくって」
上条(……本当に、そうなのか)
上条(お前は、俺があんなに無様な敗北を喫したってのに)
上条(俺のことを、俺がもう一度助けに来るって、信じて……?)
上条「――は」ポロ
上条「はは、あははは」ポロポロ
布束「……え、ちょ、ちょっと、何、いきなり?」ビク
上条「……なん、だよ、あんにゃろ」ゴシゴシ
上条「どこまでお人好しなんだよ。人のこと、全然言えねえじゃねえか」グッ
布束「……ど、どうしたの? え、嘘、ホントに泣いてるの? って、笑ってる?」アワアワ
上条「あーー、ったく、情けねえ。いつまでへこんでんだよ、俺は」
布束「あ、あの、何か私、不躾なこと言ったかしら?」オドオド
上条(勝手に助からないって決めつけて、自己嫌悪して)
上条(そういう女々しい態度が許せねえのが、上条当麻だろうが)
上条(こうしている間にも、みんな必死に駆けずり回ってるってのに――)スゥゥ
上条「――ッッ、あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!」ビリビリビリッ
布束「~~~~~ッッ!!」キーン
上条(絶望してる暇なんざねぇだろ、上条当麻ッ! てめえの幻想殺しは、てめえの心はッ)
上条(まだ全然終わっちゃいねえッッ!! 始まってすらいねえッッ!!)ミシッ
布束「ちょ、ちょっと、あなた、ここ病院なんだけど――」
上条「――恩に着るわ、布束、っつったっけ」
布束「……え……な」
上条「やっと目ぇ覚めたわ。ホント、諦めが悪いことだけが、俺の唯一無二の取り柄だってのにな」
布束「な、何を勝手に納得してるの? っていうか、少しは長若の序を弁えた発言を――」
上条「あと少しで、取り返しのつかない後悔を抱えるとこだった。ありがとな」
布束「え、あの、……どういたしまして?」キョトン
上条(そうだ、あいつの本心がどこにあるかなんて、どうだっていい。悩む必要なんてなかったんだ)
上条「唯一あいつを元に戻せる俺が諦めちまって、他に誰が手を差し伸べんだって単純な話じゃねえか」
布束「……本当に、戻す当てがあるの? あの子の洗脳を解く方法に、心当たりがあるのね?」
上条「洗脳装置での処理が終わる前なら、どうにかする。してみせる。意地でもだ」
布束「……そんなに強く言われたら、信じてしまうわよ?」
上条「約束する。俺の全てを投げうったって、あいつのことだけは投げ出したりしねえ」
布束「……、」グッ
上条(――そうだ、必ず)
食蜂『今の上条さんの食べっぷり見てたら、疲れなんて吹き飛んじゃうかなーって』フニャ
上条「食蜂操祈は、必ずこの手で取り戻すッッ!!」グッ
――キィ
インデックス「とうま、病院であんまり大声は――ナースステーションの方まで聞こえたんだよ」
上条「あ、あれ、インデックス。早かったな」
インデックス「うん、……それより、なんかすっきりした顔してるね?」
上条「ああ、柄にもなくへこんじまってて、悪かったな」
インデックス「ううん、いいんだよ。むしろ、たまには弱いところも見せてほしいな」
上条「はは、できれば今回限りと願いたいもんだ」
インデックス「そうだ、あのね。土御門さんの病室にいったら意外な人がいたんだけど」
上条「意外な人?」
???「しかし、もったいないことをしましたね」スッ
上条「……って」
神裂「もう少し早く来ていれば、しおらしい上条当麻を見られたのでしょうに」
上条「か、神裂ッ!?」
上条「……何で、お前がここに」
神裂「まぁ、当然の疑問ですね」
布束「…………」
布束(日本刀って、銃刀法違反、よね)シゲシゲ
神裂「……何か?」チラ
上条「あ、あぁ、ごめん。こいつ俺の知り合いなんだ」
布束「……そ、そう。なかなか個性的なご友人をお持ちなのね」
上条「突っ込みどころ満載だと思うけど、スルーしてやってくれ」
布束「……まぁ、構わないけど」
神裂「当人を前にして、あまり愉快なやり取りではありませんね」ムッ
布束(……見舞いの女比率、高くない? 操祈、彼の交友関係把握してるのかしら)
上条「それより、どうしてお前がここに?」
神裂「私だけでなく、ステイルも一緒です。院内は禁煙ですので外でふかしていますが」
上条「あいつも来てんのか……」
神裂「昨日の夕方に到着しました。土御門から助力を頼まれましてね」
上条「……土御門が」
神裂「今回の件について大枠は把握しています。力になれるかと」
上条「……いや、ありがたい話なんだが、今回は俺の不始末みたいなもんだからな」
神裂「土御門は彼なりに、一連の騒動にあなたを巻き込んだことを相当悔やんでいるように見受けられました」
上条(まぁ、あいつはそういうやつだよな)フッ
神裂「そうでなくとも、科学側に魔術師が加わっているのなら『必要悪の教会(われわれ)』が動く理由としては充分です」カチャ
上条「そっか。正直助かる」
布束「……あの、魔術師とか教会とかって」
上条「え? あ、あぁ」
布束「もしかして上条くんって、所謂そっち系に嵌ってる人?」
上条「いや、その、何といえばいいのか」
神裂「そっち系とはいったい何のことです?」
布束「……え? えっと、だから、オカルトとか」
上条「神裂、ちょーっと話ややこしくなるから黙っててくれ」
神裂「……はぁ」
インデックス「あぁ、そうそう。布束さん、だったよね」チラ
布束「……え、ええ」
上条「ありがと、とうまをいつものとうまにしてくれて」ペコ
布束「……礼には及ばないわ。それについては、お互い様だから」
布束「……えっと、それじゃあ、そろそろ失礼するわね」
上条「え、あれ、もういいのか?」
布束「伝えるべきことは伝えたから。あの子がもしも『そういう状態』だったら、お願い」
上条「……わかった、出来る限りのことはする」
布束「期待してるわ。怪我、お大事にね」チラ
上条「あぁ、あのさ」
布束「……何かしら?」
上条「いや、布束さんも安全とは言えなそうな立場だから。くれぐれも気をつけてくれよ」
布束「……ええ、ありがとう」
インデックス「ばいばい」
神裂「……」ペコ
――バタン
神裂「今の少女は?」
上条「拉致られた子の先輩」
神裂「……拉致られた、ですか」
上条「あぁ、俺の目の前でな」
神裂「あなたの右手をもってしても、守れなかったのですね」
上条「……恥ずかしながらな」
神裂「何事にも例外や、どうしようもできぬ相性というものは存在します。天草十字の教義はご存知ですね?」
上条「あぁ。救われぬ者に救いの手を、だったか」
神裂「いくらなんでもその体で戦場に赴くのは無茶というもの、後は我々が請け負います」
神裂「必ず件の少女をここに連れてきます。ですからゆっくりと静養して――」
上条「ま、そうするのが無難だってことはわかってるんだけどさ」
上条「――俺にも、突き通さなきゃなんねえ意地ってもんがあるんだよな」チラ
インデックス「……ん?」キョトン
上条「……インデックス」
インデックス「何、とうま? 私に頼み事?」
上条「……へへ、ここんとこ、どうも見透かされてんな」
インデックス「そう思うんなら、それだけとうまに余裕がないってことだよ、きっと」
上条「……かもな。だったら、単刀直入に聞くけどよ」
上条「今の俺でも戦えるようになる魔道書って、ないのか?」
神裂「……ッ」
インデックス「…………」ムー
インデックス「あのねとうま。前にも確か言ったと思うけど、能力者が魔法を使うのは」
上条「自殺行為だってんだろ? ちゃんと覚えてるさ。でもよ」
上条「10万3000冊もの魔道書があるのなら、中には一つや二つ例外があるんじゃないか?」
インデックス「……そ、それは」
上条「……その顔は、あるんだよな?」
インデックス「……うぅー」
神裂「…………」
神裂(にわかには信じがたいですね。彼が彼女にその手の助勢を頼むとは)
上条「能力にだって俺の幻想殺しみたいな例外があるんだ」
上条「なら、魔術にあったって不思議じゃねえよな?」
インデックス「……確かに、ないこともないけど、……でも」
上条「あるんだったら頼む、この通りだ。――教えてくれ!」バッ
インデックス「ちょ、ちょっと! 頭を下げるなんて卑怯なんだよ」ブゥ
上条「無理なお願いをしてんのはわかってる。でも、それでも、今の俺にはどうしても必要なんだ」
インデックス「……と、とうま」
神裂(人を助けるためなら手段を選ばぬその姿勢)
神裂(……妙に、インデックスの一件を思い出させますね)フッ
上条「ガルドラボーク、の書?」
インデックス「……とうまの右手のことを考慮して、ぎりぎり許容できそうなのはこれくらい」
神裂「グリモワの派生ですね。またずいぶんとマイナーな魔道書を……」
上条「マイナーだろうがメジャーだろうが関係ねえ。とにかくそれを使えば、足の怪我を治せるんだな?」
インデックス「……全身が活性化されるらしいから、再生速度は早まるはずだよ。まだ試してみたことはないけど」
上条(まぁ、10万3000冊なんて量、全部試しようもないよな。一日一冊試したって一生でも足りねぇし)
神裂「ガルドラボーク。アイルランドの神話で語られる、不幸を排する魔道書です」
上条「……へぇ、そりゃあ何とも、俺にぴったりだな」ニヤ
神裂「伝承にある通りならば、その展開速度はこの子が使用した聖ジョージの剣、竜王の吐息(ドラゴンブレス)にも劣らないでしょう」
上条「展開速度……?」
インデックス「侵食速度とも言い替えれるかも。とうまの右手が全身に及ぶ治癒能力を打ち消しちゃうのを何とかするわけで――」
神裂「押し波と引き波がぶつかり合うのをイメージしてください。右手の打消しが勝れば魔術を発動することはできません」
インデックス「……むしろ打ち消しが間に合わないパターンを気にしてるんだけどね」
上条「……一つ引っかかったんだけどさ」
インデックス「何?」
上条「魔術を使うとヤバイ云々って能力者だけのはずだろ?」
インデックス「全般的には、そうだね」
上条「なら、なんで治療に役立ちそうな魔道書が禁書指定されてんだ?」
インデックス「一つは宗教上の対立とかややこしい問題で、もう一つは、今説明したように展開速度が速すぎること」
上条「……速すぎるって、効き目が早いのはいいことだろ」
神裂「科学で喩えるなら強制的に新陳代謝を急加速させるようなものです。制御しそこねたら脳の活性化が過ぎて狂戦士になりかねません」
上条「狂戦……って、マジかよッ!?」
インデックス「アイルランドとかケルトの神話ってそういうお話も多いんだよ。表裏一体っていうか」
上条「……そこまで強力ってことは、もしかして戦いにも応用できたりするのか?」
インデックス「ちょっととうま? まだ使うとは言ってないんだよ」ブスッ
インデックス「私は、とうまの体で博打みたいなことしたくはないんだよ」シュン
上条「……インデックス」
インデックス「それに、ガルドラボークはルーンを使うから」
インデックス「私は、知識はあってもルーンの扱い自体はあまりやったことないし、もし失敗したらと思うと」
???「不安なら、それは僕が行おう」ヌゥ
上条「……っ、ステイルッ!」
神裂「やっと来ましたか」
ステイル「君はよほどこの病室が好きなんだね。いっそ住民票もここに移したらどうだい?」
上条「……おま、顔出して真っ先にいう台詞がそれですか?」
ステイル「何だい? 労いの言葉でもかけて欲しかったかい?」
ステイル「土御門からおよそのことは聞いたよ。大口叩いたのに女一人助けられなかったってね?」
上条「……ッ」
ステイル「あぁ、勘違いしないように言っておくけど、やつはちゃんとニュアンスをぼかしていたよ。言葉の裏を読み取ったまでだ」
ステイル「死人に鞭打つのはどうかと思っていたが、その様子なら平気かな? 君、少し驕っていたんじゃないか?」
上条「なんだとッ!」
インデックス「ちょっと、いきなりその物言いはひどいんじゃないの?」
ステイル「いいや、言わせてもらうね。上条当麻、確かに君はいくつもの修羅場を乗り越え、強敵を退けてきた」
ステイル「だが勘違いするな。君は強者でないからこそ危機に敏い。その点をないがしろにしたから、今回このような目に遭っている」
上条「てめえ、言わせておけば!」バッ
神裂「二人とも、やめなさい。――ステイル、あなたとて文句を垂れるために機内でじっとしていたわけでもないでしょう」
ステイル「さっきの話を聞いてしまっては、一言言わずにはおれないね。安易に魔道書に頼ろうとする姿勢は褒められたものじゃない」
上条「……虫のいい話だってのは自覚してるさ。だけど、俺は」
ステイル「協力しないとは言っていない。だが、尻拭いのために禁書を頼るのはこれっきりにしてもらえるかな」
インデックス「ステイル。……その、大丈夫なの?」
ステイル「ルーンの扱いなら慣れている。心配無用だ」
インデックス「ホ、ホントにホント?」
ステイル「約束は守ろう。もちろん、そこの彼には僕の言いつけに、主人に仕える忠犬の如く従ってもらう必要があるけどね」
上条「……もっと他に言い方はねえのかよ」ムス
神裂「いささか捻くれた物言いですが、誇張はありませんよ。一字一句間違えず、指示に従っていただく必要があります」
上条「それほどに危険な代物ってか。……わかった、頼めるか?」
ステイル「さぁ、あとは彼女の意志次第だからね」チラ
上条「……インデックス」
インデックス「……気は、すすまないけど」
上条「……、」ジ
インデックス「もう、とうまがこうと決めたら、てこでも動かないもんね」プン
――病院地下
上条(ここんとこ怪我が多かったせいか、松葉杖が体の一部のように馴染んでるな)トコトコ
上条(……要するに、不幸続きってことなんだが)トホホ
上条「……にしても、なんで霊安室なんだ?」
インデックス「術式を扱う条件に適しているからだよ。こういう厳かな場所には魔力が満ちやすいの」
神裂「人払いのルーンを使っていますから、短時間であれば問題ないでしょう」
上条「何か複雑だな、前回はそいつに痛い目に遭わされたってのに」
ステイル「ぼさっとしてないでその台の前に立て。時間が惜しい」
上条「わ、わかった」ヨタヨタ
ステイル「……インデックス。魔道書の模写を覗かせてくれるか」
インデックス「……うん、それじゃあ、目を瞑ってくれるかな」
ステイル「了解した」スゥ
ステイル「……よし、概要は把握した」
インデックス「じゃあ、私たちは上で待ってるけど」
インデックス「その、気をつけてね。もし失敗したらステイルにも呪術の反動が」
ステイル「心得ているよ。専門家(プロフェッショナル)は失敗も織り込み済みさ」
インデックス「うん、とうまのこと、お願いね」
ステイル「――さて」
ステイル「発動のルーンは君の右手からもっとも遠い位置に刻む必要がある」
上条「つまり、左足の先だな」
ステイル「それらしく小刀で切り刻んでやっても良かったんだが、傷が治ってルーンが消えたら元も子もないからね」キュポン
上条「って、マジックペンでいいのかよ!」
ステイル「雰囲気作りで傷つけられるのは御免だろう?」
上条「……そりゃまぁ、そうだが」
上条(そういや、こいつの炎もコピー用紙使ってたっけな。魔術の形態も時代とともに変わっていくのか)
ステイル「もたもたしてないで、早く靴下を脱げ」
上条「わ、わかってるよ」カタン
ステイル「以前、君の右手は自動書記(ヨハネのペン)が発動させた魔術を完全には掻き消しきれなかった」カキカキ
上条「あぁ。展開速度が重要だってインデックスも言ってたな」
ステイル「そうだ。魔道書の恩恵を持続させるには、君の幻想殺しが勝ちすぎてもいけないし、かといって負けすぎても駄目だ」
上条「俺の右手が力を打ち消す速度と魔道書の侵食具合を、うまいこと拮抗させる必要があるってことだな」
ステイル「その通り。その制御は君自身の意志力と、僕の魔女狩りの王(イノケンティウス)で行う」
上条「……お前が?」
ステイル「魔力のない素人が素面で軽々しく使えるような代物じゃあない。魔術に長じた者がある程度負荷を肩代わりする必要がある」
上条(遠回しな自慢はともかくとして)
上条「な、何からしくないな。そこまで親切にしてくれるなんて」
ステイル「まかり間違っても君のためじゃない。あの子のためだよ」スク
上条「インデックスのため?」
ステイル「魔術が暴走し、脳にまで達したら、能力開発を受けている君は廃人確定だ」
上条「それは、あいつからも耳タコだって。注意するさ」
ステイル「……いいや、事の重大さをわかっていない」
上条「んなことねえよ。失敗したからって責めたりするつもりは――って、うわっ!?」グイッ
ステイル「そんな言葉がポンと出てくるのが問題なんだがな?」
上条「な、何いきなり怒ってるんだよ! つーか胸倉掴むなって――」ググ
ステイル「君の自殺や他殺にインデックスを付きあわせたら絶対に許さない、そう言っている」
上条「――――ッ」
ステイル「あの子が渋っていた理由を考えろ。協力したいという気持ちがあって、それでも協力すると言い出せなかったわけを」バッ
ステイル「君が壊れるのを、もしくは人殺しになるのを、何より恐れていたからだ」
ステイル「そういう力を使うのだという自覚が、今の君に足りているか? 僕にはそうは思えないな」
上条「…………」
ステイル「今回、土御門からは概要しか説明されていない」
ステイル「だから君が何を思い、何のために戦うのかはわからない。僕にとって、そんなのは正直どうでもいいことだ」
ステイル「が――いいか。くれぐれもあの子の優しさを踏み躙るな」
ステイル「ただでさえいっぱいいっぱいのあの子に、これ以上重たい荷物を背負わせてみろ」
ステイル「その時は迷うことなく、僕の手で消し炭にしてやる。覚えておけ」
上条「……す、すまん。考え足らずだった」
ステイル「……では、始めるぞ」スッ
上条「ああ、頼む」
ステイル「――偉大なる王よ、彼の人の心と体を苛む万難に」
ステイル「――新しき血と肉に成り代わるものを与えよ」
上条「……なんつうか、厨二っぽいよな」
ステイル「殺すぞ。――強大なる御身、杯は西、杖は東に」
ステイル「――バアル・ゼブル、嵐と慈悲の気高き王よ、印を頂く者に刹那の豊穣をもたらせ!」
――パァァァァ
上条「って、なんだ!? 足元から光が!」
ステイル「おいっ、突っ立ってないで右手で抑え込め! その光を頭に届かせたら一巻の終わりだぞッ!」
上条「お、抑えろって言われたってッ!」キィン
上条(……ッ、幻想殺しが発動している、けど)
――ヂヂヂヂヂッ!
上条「ちょっ、なんだよこれ! 全然鎮まらねえじゃねえか!」
ステイル「……予想以上に速いな! 腐っても禁書は禁書か」
上条(って、やばいっ、境界線がせり上がってきた! もう、鎖骨まで……)ググ
ステイル「――魔女狩りの王ッ!」チッ
――ゴォォッッ!
上条「……っと」パァァ
上条(焔が出た途端、体が軽く……?)
ステイル「君にかかる負荷の一部を呪術で肩代わりし、召喚した炎に食わせている」ビリビリ
上条(……境界線が、少しずつ下がっていく)
ステイル「およそ左肩から右腰。その下が術効の範囲のようだな。――足の様子は?」
上条「足っていうか、全身が熱い。何ていうか、低温の火を纏ってるみたいだ」
ステイル「いいだろう。安定している今のうちに感覚を体に刻み込め。あと5分は術効が続くはずだ」
ステイル「制御を失ったら術式全てが消失するか、君の脳を喰らい尽くす。冗談じゃなく、死ぬ気でやれ」
上条「……あ、あぁ」
上条(我ながらとんでもない綱渡りだな。……だけど)
上条(痛んでいた足が、嘘みたいに軽い。これなら――――戦える!)
――病室
インデックス「……さすがに、完治まではいかなかったみたいだね」
上条「痛みはほとんど感じねえ。これなら多少無茶やっても支障は――」パンパン
インデックス「わたしは、無茶させるために協力したわけじゃないんだよ」
上条「こ、言葉の綾だって。率先してそうするつもりは全くねえよ」
インデックス「ふん、どうだか」
神裂「まぁ、何事もなく終わったのは朗報と言ってよいのでしょうが」
神裂「そちらは、相当きつかったようですね」チラ
ステイル「はぁ……はぁ……まぁ、僕は元来頭脳労働者だからね」グッタリ
上条「無理させちまったな、ステイル。後のことは――」
ステイル「少し休めば、問題ない。銃を相手に無手の君がどこまで立ち回れるか、疑わしいからね」
上条「……だけど、どうしたって術の使用中は無防備になるだろ?」
ステイル「ルーンが刻んであれば遠隔での支援も可能だ。十分がせいぜいだろうが」
上条「……なら、断る理由はねえな。使うタイミングは、どうやって知らせればいい?」
ステイル「このカードを持って行け」ヒュッ
上条「――っと、とと」パシッ
――キィンッ!
ステイル「おいっ、何で右手で受け取るんだ! せっかく込めた魔力がかき消されただろうが!」
上条「ちょ、そういうことは投げる前に言ってくれよ!」
ステイル「それくらい思い至るのが当たり前だ! このぼんくらが!」
上条「なんだとッ!」
インデックス「……だ、大丈夫なのかな、このコンビ」
神裂「……普段が普段なだけに、不安は尽きませんね」
上条「やっぱり学生服が一番落ち着くなぁ」ポンポン
神裂「こちらはいつでも出られますよ」
上条「了解。んじゃちょっくら、あのクソどもを捻り潰しに行きますかァ」ポキポキ
ステイル(――――うん?)
上条「ステイル、バックアップは任せたぜ」
ステイル「……あ、ああ」
ステイル(思い過ごし、か? 戦いを前に感情が昂ぶっていても不思議じゃないが)
上条「それじゃあ、行ってくる」
インデックス「う、うん、無理しないでね」
上条「大丈夫だって、怪我する前よりも体調がいいくらいだ。じゃあ――」
ステイル「待て」
上条「――っと、な、何だよ?」
ステイル「…………」
ステイル「術の発動にあたっての注意点は覚えてるな。感情を乱さず、落ち着いて制御しろ」
ステイル「こちらで術のリンクを切ることもできなくはないが、遠隔術式である以上そちらの状況は掴めない」
ステイル「そして戦闘中にそれをやるリスクも大きい。だから、基本的には君に一任する」
上条「ちゃんと覚えてるって。もう耳タコだよ」
神裂(……ステイル?)
――風紀委員第一七七支部
初春「……衛星写真の最終履歴を突き止めました! 第23学区、情報受信センター付近です!」
黒子「でかしましたわ、初春!」
初春「警備員(アンチスキル)にも情報を回していいんですよね?」
御坂「もちろん、支援は多い方が……っと」チラ
御坂(……確か、以前わたしが忍び込んだ場所よね。樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の管理施設……)ブツブツ
御坂(潰れた施設があれば蘇る施設もあるってことか。いつの間にのうのうと舞い戻って――油断も隙もあったもんじゃない)ガリ
黒子「あ、あの、お姉様?」
御坂「……ちゃんと聞いてるって」
御坂(今回ばかりは、一切の容赦もなしよ。全力でぶっ潰してやる)バチン
黒子「あ、あの、相手が悪党とはいえ、風紀委員的に人死には認めがたいのですが」ビクビク
御坂「……アイツは、一歩間違えば死んでたわよ」ジッ
黒子「……っ、上条さんのことですか」
御坂「しかもこの一件、既に犠牲者は出ているみたいじゃない。常習的に誰かを傷つけ、貶めようとするような連中が相手なのよ」
御坂「なら自分らがそうされる覚悟の一つや二つできててしかるべきでしょ」
黒子「だ、だからといって、戦意喪失の相手に追い打ちをかけるような真似は――」
御坂「黒子。あんたは、私が目の前で殺されたとしても、敵を逮捕するだけで済ましちゃう?」
黒子「――ッ」
御坂「……ごめん。ちょっと嫌なたとえだったわね」
黒子「……全くですの」ムス
御坂「だけど、この一件に限って言えば、自分や誰かを守るためなら、相手をどんだけやったとして私は私を肯定するわ」
黒子「……いや、ですから、万が一そのようなことになったらお姉様の評判にどのような傷が」
御坂「そんなの眼中にないわよ。ていうか、また目の前で誰かを助けられない方がよっぽど堪えるっつーの」
黒子「……また?」
御坂「あ、いや、ともかくっ」
御坂「穏便に済ませたいなら、警備員や風紀委員(あんたたち)が迅速に制圧してくれればいいだけの話じゃない?」
黒子「それはまぁ、仰る通りなのですけれども」
御坂「温いこと言ってないで、あんたも注意しなさいよ。相手は徹底的にこっちの弱味をついてくるんだから」
黒子「もちろん、油断はいたしませんわ。……それにしても意外でしたの」
御坂「意外って、何がよ」
黒子「お姉様が、それほどまでに食蜂さんのことを案じていらっしゃるとは」
御坂「ち、違うわよ! 勝手に愉快な勘違いしないで!」
黒子「あら、違いまして?」
御坂「わたしはっ、アイツの性格や考え方がいけ好かないし、多分これからも好意的にはなれない。――ただ」
御坂「どこの馬の骨とも知らないやつに好き勝手されるのを由とするほどには、嫌ってもいない。それだけよ」
黒子「はいはい、わかりました。そういうことにしておきますの」
御坂「な、何よぉ、その言い方は」
黒子(……ま、無用な心配でしたわね。お姉様ではどう足掻いたところで、悪者にはなりえませんもの)フゥ
黒子(――――お姉様、では?)
黒子(はて、なんでわたくし、そのようなことを思ったのでしょう?)
――病室(土御門)
――バタン
神裂「お待たせし――」
???『うわぁぁっっっ!!』
神裂「」バッ
土御門「って、な、なんだ、ねーちんか……脅かすなや」
神裂「……こちらの方が驚きましたよ。いきなり悲鳴を上げられるとは」スチャ
エツァリ「も、申し訳ない。ついさっき、有り得ぬものを見てしまいまして」
上条「何かあったのか?」ヒョコ
土御門「……えっ、カミやん!? 足の傷は……」
上条「見ての通りだよ。インデックスたちに協力してもらったんだ」
土御門「そ、そうか」
神裂「……それより、有り得ぬものとは?」
土御門「そ、そうだ。……なぁ、ねーちんとカミやんは」
土御門「幽霊って信じるか?」ビクビク
上条&神裂「……は?」
上条「――んで、中庭にいたときにその少女を見かけた、と」
土御門「病院って場所は墓地と同じく死に近いからな。同種の想いが引き寄せられないとも限らん」
上条「……」チラ
神裂「……」チラ
上条「……はぁ、科学と未来の学園都市で幽霊とか、何を寝惚けたこと言ってんですか」
土御門「なにっ!?」
神裂「イギリス正教が誇る陰陽博士がここまで落ちぶれていたとは、最大教主が知ったらさぞ嘆かれるでしょうね」
土御門「二人とも、疑いたいのはわかるけど事実なんだって! なんなら一緒に目撃場所まで」
エツァリ「あの、やめませんか? 彼女だって、きっとそっとしておいてほしいでしょうし」
土御門「いや、でも、嘘つき呼ばわりは納得いかんぜよ!」
エツァリ「ですが、下手に騒ぎ立てて祟られでもしたらどうするんですか」
土御門「……む」
上条「――あー、お前ら、優先順位を考えてくれると助かるんだが」ポリ
土御門「ふん……自らを洗脳した可能性、か」
上条「断言はできないけど、この二日間まったく相手に動きがねえなら考えられなくもないだろ?」
土御門「しっかし上やん、その情報の真偽がどうあれ、俺らのやることは変わらんぜよ?」
上条「……まぁ、そうなんだよな」
土御門「第五位の先輩とやらの話が本当だとして、洗脳装置の解析が予想以上の早さで完了しないとも限らない」
エツァリ「もちろんその逆も然りですけどね。門外漢の我々がその辺りを正確に推し量ろうとするのは危険ですし」
上条「洗脳への対処法は必須か」
土御門「それで、悪いんだが上やん。俺らは食蜂を殺害する方向で動くことに決めた」
上条「…………」
上条「……何だそりゃ、冗談にしちゃ笑えねえぞ?」ギロ
土御門「そんな怖い目で睨むなって。つまり、そういう前提で動くってことだ」
土御門「アレイスターのやつが、有力者の接触があったことを仄めかしてたんでな。苦肉の策さ」
上条「食蜂を邪魔だと思ってる連中が他にいるってのか?」
エツァリ「邪魔というか、第五位はああいう能力をお持ちですから、腹黒い方々がピリピリしているんです」
エツァリ「決して表に出してはならない情報も、彼女の力があれば容易に奪取できますからね」
土御門「とはいえ、連中だって馬鹿じゃない。表立って批判を浴びるような真似は簡単にはやらないだろうさ」
神裂「……で、あなた方がその依頼を受けると?」
エツァリ「現状、依頼の形では来ていないそうです。が、先走る馬鹿が出ないとも限りません」
土御門「だから、何者かがそういう動きを見せるより先に、俺たちが殺害しようと動いているように見せかける必要があるんだ」
上条「……見せかけ?」
エツァリ「第五位の能力開発にはスポンサーが多数ついてますからね。狙うのは多分にリスクがあります」
エツァリ「そこで、別の誰かが既に標的を狙っていると知れば、動くより見(けん)に徹するはずです。同時に、敵へのけん制にもなるでしょう」
上条「……なるほど、人質として利用されないようにする布石になるか」
神裂「……ポーズで別の組織が安易な行動に出るのを躊躇わせる。要するに、そういうことですね」
エツァリ「ええ、ご明察です」ニコ
土御門「今もって第五位抹殺の可能性はゼロじゃない。表に出たらやばい話を腹に抱えてるのは、何も連中だけじゃないからな」
土御門「だから、俺たちはそちらも警戒して当たる。だから身柄の確保は警備員か上やんたちにやってもらいたい」
神裂「そういう事情でしたら、異存はありません」
土御門「いささか人手不足の感は否めないが、戦いに注力すれば十分助けになるだろう。それに、俺らが食蜂を狙っていると知れれば」
上条「お前らから食蜂をできるだけ遠ざけようとする。その分、動きは読みやすくなるか」
上条(とはいえ、動物園でのこともある。相手が食蜂を守ってくれるとも限らない……)
上条「……話はわかった。じゃあ、俺たちは警備員と連動して動いた方がいいな」
土御門「ああ、上やんが戦列復帰してくれたのは嬉しい誤算だ。今度は必ず勝つぜよ」
――情報受信センター 制御室
白衣男「お疲れさぁん」
研究員A「お疲れ様です」
白衣男「……」チラ
食蜂「……はぁ……はぁ」
白衣男「まだ持ちそうだな。脳の解析はどこまで進んでいる?」
研究員B「五分前の段階で、68%まで終了しています。このペースならあと半日もあれば完了するでしょう」
白衣男「その前に邪魔が入る可能性がある。六時間で仕上げられるか」
研究員A「しかし、これ以上負荷をかけると終了までもたないかも知れませんよ?」
白衣男「木原さんのご命令だ」
研究員B「わ、わかりました」カチ
食蜂「……う……ぐっ」ビクン
食蜂「……あっ……うぅうぅ」ガクガク
白衣男「んー、苦しそうだなぁ」
研究員A「実際苦しいと思いますよ。眠る間もなく異質なデータを脳内に詰め込まれてるんですから」
白衣男「お嬢ちゃんも悲惨だなぁ。クソみてえな能力持って生まれて来なけりゃ、こめかみに電極とか突っ込まれずに済んだのに」
食蜂「……い、言っている意味が、まったくわからないわ」
白衣男「あら、聞こえてたのか。ちょっと中断してくれる?」
研究員B「は、はい」カチ
食蜂「――っ、くっ、はぁ……はぁ……」
白衣男「はぁーん、短時間でこうも疲労が色濃くなるのか」
食蜂「……あ、あなたたち、なんでこんなひどい真似、できるのかしら?」キッ
白衣男(……うん?)
白衣男「あー、そうか、そういうことな。人格や言葉遣いも微妙に変わっちまってるのか」
食蜂「……え?」
白衣男「つーか、あれだぁ。そういう真似ができるなら、最初からやってりゃ良かったんだ」
食蜂「……何を、言ってるの?」
白衣男「一度そういう能力があると知っちまうとさぁ。いくら忘れようとしても頭に引っかかるんだよなぁ」
白衣男「リアルな読心術なんてもんは、人様の社会には必要ないってのによぉ」
食蜂「……またそういう話? 読心術なんて私には」
白衣男「あぁ、お嬢ちゃんの頭の中ではそういうことになってるみたいだがな」
白衣男「結局、あんたの存在も能力も、他人の手にあればいつ破滅をもたらすかわからない代物だ」
白衣男「つまり存在自体が迷惑なの。つってわかるかなぁ? わかんねえだろうなぁ」
食蜂「……な、何をさっきから、わけのわからないことを」
???「つまり、大人しく我々に有効活用されることだけが――」
食蜂「……、」バッ
木原「学園都市で君に求められてる唯一の存在意義ということだよ、食蜂操祈くん」コツ
食蜂「……あ、あなた、誰?」
木原「やれやれ、悲しいな。庇護者の顔も覚えていないとはね」
食蜂「あなたが、庇護者ですって? 私には、上条さん以外にそんな人いないわよ」
木原「……カミジョー? はて」
食蜂「それより早く私を解放して! あの人、絶対に心配してるんだから!」
木原「……君を心配? ははは、馬鹿も休み休み言いたまえよ」
食蜂「だ、誰が馬鹿よぉ! あの人は、本当に心から私のことを――」
木原「困った小娘だ。我々を散々振り回しておいて、その上またさらに混乱させようというのかねぇ」コツコツ
研究員B「あ、しょ、所長! そのダイヤルは――」
――グイッ!
食蜂「――ひッ!? ああああっっっ!!!」バチバチバチンッ
研究員B「暴走を抑えるための……って」
木原「心理掌握、か。気分屋の小娘が持つにはまっこと過ぎた力だよ。そうは思わんかね?」カチン
食蜂「……あ゛っ……はっ!」ガクン
木原「やはり、まどろっこしい真似はせずに最初からこうすれば良かったのかな」ハァ
食蜂「……うっ、か、上……じょ……さ……」ピクピク
白衣男「出来る限り、洗脳終了まで苦痛は与えない方向じゃなかったんで?」チラ
木原「脳波の波形を見る限り、さほど深層意識に変化はない」
木原「さて、ではもう一度」
食蜂「あ……や……」
――グイッ!
食蜂「――ひっ!」ギュッ
食蜂「…………ぅ?」
木原「なんてね、冗談に決まってるだろう?」ニコッ
食蜂「……あ……あぁ」ブルブル
白衣男(……一発で刷り込みやがった。手慣れてやがるなぁ、胸糞――)
――ヴーーッ、ヴーーッ、ヴーーッ!
研究員A「な、何だ!? 警報!?」
木原「……まったく、無粋な連中だな」フゥ
白衣男「で、どうします?」
木原「技術者たちは引き続き洗脳を進めろ。他は侵入者の駆除だ、迅速にな」クルッ
――物資搬入路前
――チュインッ!
小隊長「押し込められるぞ! もっと弾幕を張れ!」チラッ
小隊長「――とっ、やっと増援のご到着か!」
猟犬D「敵は!? 警備員(アンチスキル)ですか!?」
小隊長「あぁ、見たところ能力者はいないみたいだが、連中フル装備だ。本気で潰しに来てるぞ」
猟犬E「硬化ゴム弾とはいえ、まともに当たれば骨が砕ける。警戒しろ」
猟犬F「……ん、あれ、俺、目が疲れてるのかな?」ゴシ
猟犬G「何だ? 何か妙なものでも見えたか?」
猟犬F「……いや、あそこのビル。たくさんの傘が飛んでいるように――」
――ビルの屋上
――クルクルクル
黒子「……お、お姉様。本気でこれ、やるんですの?」ヒク
御坂「――銃弾や鉄骨の雨ばら撒くのに比べりゃ、可愛らしいもんじゃない?」スッ
――物資搬入路前
「構えッ!」
ゆっくりと近づいてくる色とりどりの傘の群れを目視し
隊長格の男がマガジンを補充し終わったばかりの猟犬たちに対空砲火を命じた。
間断なく虚空に向けられた数丁の自動小銃が、発砲の許可と同時に済み切った空へ橙色の火線をばら撒いていく。
一般的にアサルトライフルとも呼ばれる自動小銃。
扱い易さを最優先に世代交代を重ね、驚異的な軽量化と低反動を実現。
非力な女子供を大量殺人犯に変えうる残虐な武器だ。
ことに学園都市で開発されたものは秒間12発の連射機能を実現し
その銃弾の一つ一つが熱さ3ミリの鉄板を貫通する。
人数に勝る警備員が今もって攻勢に出きれていないのも、装備の殺傷力の差によるものだった。
そんな恐るべき武器から放たれた無数の銃弾が、接近しつつあった傘の一群をまとめて蜂の巣にした。
時間が経つにつれて操車場にはズタズタになった傘の残骸が散乱していく。
とはいうものの、後続の傘は乱気流に掴まった凧にも似た非常に読みづらい動きで飛行しており
全体的な着弾率はさほどよいとも言えない。
何より不気味なことに、そんな変則的な軌道を描きながらも、傘の群れは着実に猟犬たちへと近づいていた。
「射撃、止めっ!」
対処する人数を更に増やすか。目下の脅威である警備員に注力して後回しにするか。
男が頬を歪めながら空を睨んだ。
全ての傘を撃ち落とすにはまだまだ人数が足りないが、これ以上人数を割けば警備員に先手を取られてしまう。
「隊長、警備員どもが前進を始めました!」
「ちっ、このタイミングでか」
今のところ、浮遊している傘がこちらを襲ってくるような気配はない。
警備員の後援が戦線をじりじりと押し上げているこの現状で
これ以上傘の迎撃に人数を割くのはリスクがある。
傘を飛ばすことに何らかの意図があるのは間違いない。
が、どちらも放って置けないのなら、まずは目先の敵を排除するべきだ。
男が出したその結論は、客観的に見て適正な判断だった。
部下の猟犬たちもそう納得したのだろう。
空に向けていた自動操縦をおろし、警備員たちの対処に加わった。
「まだ、警備員だけのようだな」
「ええ、今のところは」
味方と言葉を、敵と銃撃を交わしている間にも
大量の傘は移動を続け、ついに猟犬部隊の真上に差し掛かった。
ぽつぽつと操車場に生じた日陰を見、何人かが視線を頭上に向けるや否や
はるか上空で雷の音が鳴り響いた。
瞬間、空が白み、何も見えなくなった。
「え……」
猟犬たちが状況を判断するより先に、突如飛来してきた青い雷が傘の群れに降り注ぎ――
「ぜ、全員伏せ――」
骨組みを伝ってドーム状に拡散。
轟音と共に光のシャワーが猟犬たちを飲み込んだ。
「ぐわああーーーーーっっ!!」
「ぎぃゃああああッッッ!!!」
尾を引く絶叫が迸った。
雷に晒された猟犬たちがことごとく膝をつき、四つん這いになって蹲り、白目を剥いて全身を痙攣させた。
ことに雷撃の密度が高いところにいた隊員たちは、足を投げ出すようにして仰向けに倒れたまま微動だにしない。
「な、なん……だと?」
落雷を免れた別働隊の面々が、恐る恐るといった体で、隊員たちが倒れ伏した地点を見つめた。
次いで、今もって空に浮かんでいる傘の群れを。
今なお青白く帯電したままの傘の群れが、今度は別働隊の面々に向かって緩慢な移動を始めた。
「う、うわああああッッ!」
恐慌に駆られた猟犬たちが空に向かって発砲したが
今度は横手から強化ゴム弾が飛来し、中途半端に身を高くしていた猟犬たちを次々に撃ち抜いていく。
「馬鹿者が! 不用意に立ち上がるな!」
「た、隊長! ア、アンチスキルが動き始めました!」
弾幕が薄まったのを見計らうように、警備員の前衛が前進を開始。
畳み掛けるかのように数台の装甲車が金網を破って敷地内に乱入、施設に向かって速度を上げ始めた。
「……くっ、八方塞がりではないか! このままでは――」
「た、隊長!」
「あぁもう! 今度はなんだ!」
「味方の増援です! 施設内から来ます!」
示した方角を向くと、その言葉通り、増援の猟犬たちがバラバラと施設入口から出てくるところだった。
彼らもすぐに警備員の接近に気づいたのだろう。間もなく銃を構えて戦列に加わった。
「よ、よし! 彼らと協力して連中を仕留めるぞ!」
「はいっ!」
命令に従い猟犬たちが脇から狙いを定めようとした。
が、それより早くいかつい装甲車が射線に滑り込む。
間断なく、強力な盾を得た警備員たちが車の前後に陣取り
先ほどより数を減らした猟犬部隊に対して一斉に応射を開始した。
――施設入口前
「傘に落雷が?」
「は、はい。おそらくは能力者の仕業かと思われます」
幸運にも落雷の範囲から逃れていた隊員たちが増援部隊に合流し
事のあらましを早口で説明していた。
「密集した傘が上空に差し掛かってからは、あっという間でした。ものの数秒で俺たちの部隊は――」
耳を疑うような報告内容に、増援部隊の者たちは顔を見合わせた。
いかに学園都市とはいえど、大規模戦闘に適している能力の持ち主はそれほど多くない。
ましてや数十人を一瞬にして戦闘不能にできる能力者などごくごく限られている。
「雷――超電磁砲か」
名門常盤台中学二年。学園都市第三位、御坂美琴。
門外漢の自分でも名前と学校名くらいは聞き及んでいる。
しかも、数日前の標的確保時には邪魔されたらしいという話を上役から聞かされたばかりだ。
「……やむをえん。外で戦うには分が悪すぎる相手だ。
後退しながら後続と合流し、順次屋内戦に移行するぞ」
「で、ですが木原さんになんと言われるか」
「今の戦力ではとても太刀打ちできんだろう。お前、このほかに余罪はないのか?」
尋ねられるなり、若い男が口を噤んだ。
猟犬部隊は後ろ暗い者たちを選りすぐった私兵集団だ。
捕まれば牢屋から一生出られないどころか
スピード裁判で死刑に処されるだろう者も混じっている。
「どのみち、一計を案じる猶予は残されていない」
そう言って、男が今なお滞空している傘を指差した。
おそらくは二分と経たずに、あの傘の群はこちらの制空権に到達してしまうだろう。
これ以上負傷者を出せば超電磁砲はおろか、警備員の勢いを止めることすらままならない。
黙りこくった隊員の姿に話が済んだと解釈したか、男が踵を返した。
そしてそこで、隊員たちの視線の先にあるものに気づいた。
ほとんど骨組みだけになった傘の残骸が、入口に列を作るように並んでいるのだ。
「な、なんだこれは? いつの間に――」
「雷がギザギザを描きながら落ちる理由、知ってるかしら?」
年頃の少女の――しかしぞっとするほど冷たい声色が、猟犬たちの背後から投げかけられた。
――地下通路
分厚い壁を貫いて聞こえてきた震動に、上条が束の間足を止めた。
「始まったみたいだな」
「そのようですね」
彼の目と鼻のには抜くのにも難儀しそうな長刀を携えた少女、神裂火織がいる。
道幅の狭い楕円形の通路は、元は非常口として利用されていたものらしいが
施設の閉鎖と同時に使われなくなったようだ。
当然照明は消えているので慎重に進む必要があった。
「御坂たち。うまいことやってんのかな」
「心配ですか?」
「そりゃあそうだろ。いくら強いったってなぁ」
客観的に見て、彼女の力は強力だ。それは上条も認めている。
妹たちの件でこそ自分が助ける側となったが、単純な戦闘能力は比較するまでもない。
上条の能力を知るものであっても、千人が千人、御坂美琴の方が強いと断言するはずだ。
なぜ今まで上条が美琴をあしらえうことが出来ていたのか。
その理由について、上条は自分なりに結論付けていた。
何のことはない。
彼女がその性格通りに真正面から向かってきたからだ。
そんな御坂を助けることができたのは
ひとえに一方通行という絶対的な存在に対して効果的な能力を有していただけ。
油断の消えた彼と再戦すればほぼ100%負けるだろう。
唯一無二の特例を排除してしまえば、美琴と上条の立ち位置は
学園都市の頂点に君臨するレベル5と、無効化能力を持つだけの一般人。
黒子にしても一年で風紀委員になったほどの実力者だし
まともにやりあったところで勝ち目は薄いだろう。
「確かに、俺如きが心配すんのがおこがましいって言われても言い返せねえ。――けどよ」
上条が歩みを止めずに続ける。
「御坂は俺より二つも年下の女の子で、白井に至っては去年まで小学生だったんだぞ?」
言いながらにして、にわかに嫉妬にも似た感情が芽生えたが、上条はそれを一笑に伏した。
たとえようのない劣等感に悩まされるのは今に始まったことではない。
心配することで彼女たちを低く見ようとしていたのなら問題だが、それも違う。
ただ、上条刀夜が親として子供である自分を守ろうとしたように。
上条当麻は男として、女の子を出来る限り危険から遠ざけたいと思っている。
それは胸の奥から来るもので、変えようのないことで。
そして、その対象は今話している相手も例外ではなかった。
そんな上条の心を知ってか知らずか
神裂が歩を止めぬまま肩越しに上条を見据えた。
「彼女らは実力のみならず、信念も専門家顔負けのものですよ」
もしかしたらあなたよりも。そう結んだ彼女に、上条は「まぁな」と頭を掻く。
「余計なこととまでは言いませんが、こちらもあまり余裕はありませんからね?」
「……もちろん、わかってるさ」
作戦が予定通りに進もうと進むまいと
施設の奥深くに侵入する以上、上条たちの危険度は低くない。
(もう少しだけ待ってくれ、食蜂。必ず俺がこの手で――と)
にわかに前を歩いていたはずの神裂とぶつかりそうになり、上条が慌てて顎を引いた。
彼女の長いポニーテールが顔に触れ、上条はくすぐったい感触を消そうと頬を撫で擦った。
「行き止まり、ですね」
「あ、あれ? おかしいな。途中の分岐はちゃんと見取り図通りに進んだよな?」
「……ちょっと待ってください」
神裂が目を細めながら壁に近づき、指先で壁面をなぞりつつ沿うように歩いた。ややあって――
「……ふむ、やはりここであっているようです」
そう言いながら上条に向き直った。
「ん、あぁ、本当だ。溶接痕みたいなのが薄らと見えるな」
横に並び立った上条が確認し、合点したようにうなずいた。
縦長の長方形に切り取ったように、壁の切れ目が盛り上がっている。
施設の閉鎖が本決まりになった時点で今後使わないと判断され
扉と壁の隙間が埋められたのだろう。
「では、打ち破りますね。離れていてください」
「……わかった。頼むぞ、神裂」
上条が壁面から離れたのを見計らって、神裂がすぅっと息を吸い込んだ。
舞を思わせる流麗な動きで刀に利き手を添え
斬るべき目標を見据えて腰を落とし込んだ少女の柔らかな所作から
上条は目が離せなくなった。
「七閃」
小さな呟きが瞬く間に何重もの甲高い和音に上書きされ
轟音と共に道を阻んでいた障害物が跡形もなく砕け散った。
分厚い壁が一瞬にして大小の瓦礫と化したのを目の当たりにし
(もう二度と、コイツを本気で怒らせはすまい)
そう上条は心に固く誓うのだった。
「だあぁぁ! もう、こんな時まで不幸だあぁぁ――――いでっ!」
「ご自分のドジまでちゃっかり不幸にカウントしないでください!」
顔を赤らめた神裂から頭を小突かれつつ
上条は銃装の追跡者を撒くために全力疾走する。
彼女を怒らせまいと決意した矢先の理不尽な運命。
これを不幸と呼ばずして何と呼ぶ、などと天を恨めし気に睨みつつ
修羅場に突入する直前の出来事に思いを馳せる。
まさしくいつものようにごく自然に足の小指を機械類にぶつけ
痛みに呻いてけんけんしているうちに敵の足音が聞こえないかと耳を澄ましていた神裂に接触。
彼女を思いきり床に押し倒した上で二つの豊かな膨らみに顎から鮮やかなダイブを決め
そんな一瞬の幸せタイムは絹を引き裂く少女の悲鳴と強烈な平手打ち三往復分のプレゼントによって終わりを告げた。
挙句、騒ぎを聞きつけて様子を見にきた猟犬たちと鉢合わせし、こうして手荒い歓迎を受けている。
こんなバカげたことをしていること自体、周りで戦ってる連中に申し訳ないことこの上ない。
「つか、お前の七閃でどーにかできねーのかよ!」
「距離がありすぎます! 拳銃程度の弾ならまだしも、自動小銃の全弾を弾き切る自信はありませんよ!」
拳銃ならできるのか、と上条は神裂に尊敬の眼差しを送る。
侵入者対策か、それとも化学物質の漏洩を防ぐためなのか。
通路の道幅は五人並んで歩くのがやっとで、天井もジャンプすれば手が届きそうなくらい低い。
等間隔で開いている溝は遮蔽扉の隙間を塞ぐためのものだろう。
そんな狭い空間では回避行動も取りづらく、神裂の強みである非常識な身のこなしが発揮しづらい。
「……あそこ!」
併走する神裂が通路の奥を指差した。
向かって左手の部屋からこうこうと灯りが漏れている。
二人はお互いに目線を交わし合い、目についた部屋に滑り込んだ。
と、そこで煙草をふかしている猟犬と鉢合わせした。
「き、貴様らどこから――」
「ふっ!」
相手が銃口を向けるよりわずかに早く、神裂が上から長物で銃身を叩き伏せた。
それに合わせて上条が相手に飛び掛かり、相手の襟を固定したまま顎先を何度も殴りつける。
「こんにゃろっ! 脅かしやがって! 危ねぇだろが!」
「ちょっと、ちょっと、もうそれくらいで」
くいくいっと袖を引っ張られ、ようやく上条が相手を解放する。
とっくに気を失っていたようで、相手はぴくりとも動かなかった。
「……防音設備に助けられたな。危なかったぜ、外の音が聞こえてたら挟まれ――」
「しっ、静かに!」
神裂が口に指を立て、上条が黙ってうなずいた。
扉の左右両側に分かれ、二人をここまで追い立ててきた猟犬たちを待ち伏せする。
部屋に入ってくるのは高望みだとしても、距離が縮まれば七閃の射程範囲に入る。
だが、その期待はあっさりと裏切られた。
「……追って来ないな」
「……もしかしたら、増援が来るまで我々をここで釘付けにするつもりかもしれませんね」
「だとすると、ずいぶん慎重に立ち回ってんだな」
「外の戦況が大分劣勢なのではないでしょうか。それが通信機器で周知されているとすれば」
なるほど、と上条も同意を示した。
主戦力となっているだろう御坂美琴の能力は応用力に富んでいるし
電撃使いの能力自体、敵の主要武器である電子機器や重火器とすこぶる相性がよい。
フル装備の熟練警備員に加え、空間移動能力者まで合わさるとなると
並の軍隊では歯が立たないだろう。
とどのつまり、施設内部の侵入者に対してもそれくらいの実力を期待されてしまっているのだろう。
「弱りましたね。通路に陣取られては無傷での突破は困難です」
「通風孔を使うってのは? スパイ映画なんかじゃよくあるだろ」
上条が天井を指差しながらそう言うと、神裂は一考にすら値しないとばかりに首を振った。
「侵入していることがバレているのに、ですか? 出口で待ち構えられて蜂の巣にされるのがオチです」
「……そ、そうか。でも、そんなにのんびりしてる暇は、ねえんだよな」
上条が室内をざっと見回し、再びのびている猟犬に視線を戻す。
ふと、腰の横に落ちているものに目が止まり、それを――
「素人が使うのは、おすすめしません」
ぴくり、と上条の指先が躊躇いを見せた。
が、次には思い直したように手を伸ばし、落ちていた拳銃を握り締めた。
「……そんなチャチな武器で自動小銃を持ったプロと渡り合えるとでも?」
「護身用だよ。頼らざるを得ない状況になるかもしれないだろ?」
そう言いながら得物を懐に忍ばせると、今度は気絶させた男の服のボタンを外し始めた。
「ちょ、ちょっと、上条当麻! どういうつもりですか!」
何を勘違いしたのか狼狽えた神裂に構うことなく、上条は上着の感触を何度となく手で握って確かめている。
「こっちのほうが使えそうだ。悪いけど神裂、もう少しの間だけ、外の警戒頼んでいいか」
「……は?」
目を丸くしている神裂を尻目に、上条はどかっと床に座り込み、黙々と作業を開始した。
――電子制御室
外に展開している部隊からの目も当てられない通信内容に、白衣の男が舌打ちする。
超電磁砲と思しき少女のトリッキーなピンポイント攻撃。
彼女を陰でバックアップする空間移動能力者。
二人と連携を取る警備員一人ひとりの錬度。
早口かつ声を荒らげて報告しているところから察するに
報告以上にまずい状況に追い込まれているようだ。
そのやり取りを聞いている研究者の多くが厳しい表情を浮かべ、はたまた不安げに視線を彷徨わせている。
「浮遊させた大量の傘に通電させ、電流を広域に拡散させてきます! とても避けられるような密度ではありません!」
「今車両部隊を向かわせてっから。てめえらもプロならもうちょい踏ん張ってみせろよぉ」
「た、頼むから早くしてください! 気流のせいか傘の動きが不規則で、避けるのもままなら――」ブツッ
「……ありゃりゃ」
「お、おい! どうしたんだ! 応答が途絶えたぞッ!」
「……外でいったい何が起こってるんだ?」
外の映像やマイクは敵の電子的制御によるものか、ほとんどが沈黙している。
目や耳を奪われれば普段鈍感な連中もさすがに慌て出すらしい。
ただ一人を除いて。
「予想通り劣勢か。やはり能力者が複数名加わっているようだな」
のっぴきならぬ状況を前にして、しかし初老の男の言動に焦りは感じられない。
その落ち着きぶりに、周りの研究者たちは反って不安なものを感じているようだ。
もはや脱出するには一刻の猶予もないはずなのに、なぜこうも平然としていられるのだろう。
もしかして、まだ何か切り札を隠し持っているのだろうか。
長年木原について来たものであれば、彼が秘密主義者であり
手の内をそうそう曝け出さない性格であることを知っている。
上司の意図をきちんと確かめるべきか否か。誰か問い質してくれないだろうか。
互いに目配せし合う研究員たちを尻目に、白衣の男が点滅しているモニターに気づき
スタッフに命じてマイクスイッチを入れさせた。
「き、木原所長」
「君か。今がどういう状況かわかっているね?」
優しい声色だが、目はちっとも笑っていなかった。
モニターの向こうで男が佇まいを正すのがわかった。
「も、もちろんです。少し気になることがあって、ご報告した方がよいかと判断しまして」
「気になること?」
『施設内の小型マイクが拾った、おそらくは侵入者同士と思われる会話の内容です』
「……ふむ?」
『ノイズが入って聞き取りにくいと思いますが、録音されていたものの一部を流します』
<――ガ――ピー――第五位を――確保次第――>
<不可能と――場合には――抹殺>
「……抹殺だと?」
きな臭いものでも嗅いだように、木原が眉をひそめた。
『……我々も、まさかとは思ったのです。ただ、その、独断で結論付けるのも躊躇われる内容でしたので』
「確かに、そのようだな」
『これが敵によるプラフかどうか判断がつかなかったもので、念のためお耳には入れておいたほうが、そう思いまして』
木原がふむと顎を撫でた。
状況的には、決してありえない話ではない。
実際問題、第五位の能力は何人かの理事にとって脅威に映るだろう。
自分以外にも地位を向上させるために抜け駆けしようと目論む者は大勢いる。
もしこれが統括理事直下の暗部の手によるものなら、ここは黙って引き下がるべきだ。
だが、仮にもあのアレイスターがこの程度の騒ぎで動くとも思いにくい。
そして、他の理事の妨害だとしたら引く理由はなくなる。
あるいは、そうやって迷わせることこそが狙いなのだろうか。
しばらくして、木原がくっくっと引きつけでも起こしたかのように笑い始めた。
「き、木原所長?」
「バカバカしい。選択の余地などない」
「と、言いますと」
恐縮しきった態度で、年配のスタッフが尋ねた。
「第一に、この状況では真偽を確かめようがない。敵にあの小娘を与えて殺すか殺さないか観察するわけにもいかんだろうしね?」
「は、はぁ、確かに」
「洗脳終了までもう秒読みの段階だ。余計な邪魔が入っては堪らん。取り急ぎ娘をFブロック――いや」
言いかけて、木原が思い直したように斜め上へ視線を向けた。
「やはり、測定設備のあるBブロックに移してもらおうか」
「……Bブロックですか? 構いませんが」
エリアセキュリティで言えばFは最高ランク、Bはそれより一つ下。
不思議そうに首を捻るスタッフの肩を、木原がぽんと軽く叩いた。
「何、面白い余興を思いついたまでだよ。お披露目するのはもう少し先の事になると思っていたがね」
モニターを見上げながら、木原が腰の後ろで手を組んだ。
「ここは、命知らずの侵入者たちに敬意を払おうではないか」
多角カメラに映る侵入者たちを前にして、木原の細い目が妖しく光った。
――施設通用路
「……じゃあ、資料室や研究施設内にまで侵入者が?」
「空間移動能力者のようです。言いづらいんですが、外とは別口の……」
「おいおい、ほとんど詰んでるんじゃねえか」
「動きからして警備員と共闘しているというわけでもなさそうなんですが、もしかしたら暗部の――」
「お喋りはそこまでだ。誰か来るぞ」
曲がり角に陣取っていた中年の男が若い二人を手招きした。
「……さっきの連中か?」
しゃがみ歩きで男たちが曲がり角に身を潜めた途端、衝撃音が轟いた。
「――な、なんだ!?」
男たちが待ち構えている目と鼻の先で、何かが立て続けに爆散した。
規模こそさほど大きくないが、瓦礫か何かが重々しい音を立てて床に叩きつけられているのがわかった。
先ほど遭遇した侵入者の仕業だろうか。
猟犬の一人が緊張の面持ちで壁に張りつき、銃口だけを標的のいる廊下の奥にそっと向けた。
その時初めて、轟音に入り交じって誰かが走っているような音に気づいた。
状況を把握し、戦い慣れた男たちが揃って絶句した。
見慣れぬ学生服の少年が、今まさに目の前で、無謀な突撃を敢行しているところだった。
「……はっ、ははっ、死にたがりが!」
面食らっていた男の一人が我に返り、みるみる距離を縮めてくる少年に銃を向け、半笑いを浮かべながら引き金を引いた。
咄嗟に少年が太い腕で顔を庇い、そこにピンポイントで銃弾が撃ち込まれた。
「ヒャッハーッ! 左腕いただき――――ッ!?」
歓声を上げかけた猟犬がありえない光景に息を飲んだ。
今しがた銃弾を受けたはずの左手を力強く前後に振り
少年は先ほどの勢いそのままに、何事もなかったかのように、猟犬たちの方へ向かって走ってきた。
まさか痛みを感じていないのか。学園の薬物か。それとも何かしらの能力によるものか。
数パターンの可能性が三人の頭を過ぎったが、すぐにそれをかなぐり捨てた。
敵がそんな能力を持ち合わせているのなら、先ほどの接触で逃げを打つ必要などなかったはずだ。
三人は示し合わせたようにうなずき、次いで先ほどよりは姿が大分大きくなってきている少年に銃を発砲した。
弾幕に晒された少年は走りながらわずかに身を屈め、自分の体に命中するだろう数多の弾丸を選び――払いのけた。
「――ま、まさか、冗談だろ!?」
距離が一気に狭まったことで、猟犬たちは何が起きたかをやっと理解した。
その少年が何をやってのけたのかを。
暗がりでは太い腕に見えたもの。
その正体は紛れもなく上条の左腕であり、そして腕に巻きつけられた防弾チョッキだった。
どこか見覚えのある墨色の生地と刺繍は猟犬の支給品だ。
おそらく倒された仲間から調達したのだろう。
ぐるぐるに巻かれた腕を盾代わりにし、迫りくる銃弾を受け弾いている。
相手のやっていることを脳が認識し、三人は驚くより先に戦慄した。
確かに学園都市製の防弾チョッキは優秀だと評判で、外国の要人からも頻繁に注文が入る。
とはいえ、弾を堰き止める構造上、受けた衝撃まで減殺しきれるわけではない。
悪くて粉砕骨折、よくても骨にヒビの一つや二つは入るだろう。
当然、直撃すれば痛みだって感じるはずだ。
それ以前に、銃弾を見切られているということ自体まともではない。
あるいは、この少年は受けきれなかった場合のことを一考だにしていないのではないか。
再起不能の重傷を負うことを、全く恐れていないのではないか。
得体の知れぬ気持ち悪さを感じ、猟犬たちが引き金にかかった指を小刻みに動かした。
焦りで狙いが甘くなり、散らばった銃弾の一つが上条の左腿を掠め、制服の袖を撃ち抜き、右のこめかみを抉った。
それでも、上条の左手は急所に向かう弾丸を選び、確実にシャットアウトしていた。
そんな非常識な光景が、彼らに弾切れを気づかせなかった。
空撃ちで致命的なミスを悟り、大慌てで弾薬補充に入った間隙を縫い――ついに上条が間合いを踏破した。
「――うぉららああぁぁぁ!」
勇ましく雄叫びを上げた上条が、盾にしていた左手を相手の顔面目がけて振りかぶった。
躱す間もなくラリアットをかまされた男が後方に吹っ飛び、背中から強かに壁に激突した。
その後ろから神裂が現れ、銃を構え直そうとしていた痩せた男の顎を、長刀の鞘で打ち据えた。
残った男が上条の背中に向けて構え直すよりも早く、上条の右手が伸びてきて後ろ手のまま銃身を捉えた。
地面に向かされたままの銃口から弾が数発発射され、跳弾となって廊下を駆け巡った。
「この! 放せ! 放しやが――」
咄嗟に、上条が五指の力を抜き、次いで振り上がった銃を掴み直した。
そして、一瞬バランスを崩した男の頭部に、容赦なく足を振り上げた。
鈍い音とともに男の両足が宙に浮いた。
顔を蹴り飛ばされた男が鼻血を迸らせながら仰向けに倒れ込んだ。
「……が……はッ!」
上条が大きく息をつき、今しも両手で鼻を抑えてもんどりうっている男に歩み寄った。
一人目と違い、単発では意識を断ち切れなかったようだ。
倒れた男に蹴りを入れられる距離で、おもむろに上条が立ち止まった。
穴だらけになった防弾チョッキのベルトが切れ、肩から滑り落ち、痣だらけの左腕が露わになった。
「すっげぇ、痛かったぞ」
口の端を歪めながら上条が拳をぽきぽきと鳴らした。揺らぐことのない瞳には、ほの暗い感情が見え隠れしている。
少なくとも、見下ろされている男にはそう見えているに違いなかった。
「ま、まっふぇふれ、ふぁなせばわか――」
ズシン、と、男の顔のすぐ傍で、震脚が炸裂した。
廊下全体に響き渡った四股の音は、男を黙らせるには十分なものだった。
かたかたと全身を震わせ始めた男の前髪をぐっと前に引き寄せ、上条は額を擦り付けんばかりの距離で男の目を睨みつけた。
「あの子は、どこにいる?」
「血が垂れていますよ」
「掠っただけだ。問題ねえよ」
情報を聞き出した後で猟犬を締め落とした上条が、よっこらせっと立ち上がる。
頬まで垂れてきた血を親指でぐいと拭い、再び歩み出そうとする。
「ならいいんですけどね」
神裂が思案げに後ろを振り返り、最初に殴り飛ばされた男を見つめた。
殴られたダメージが大きかったのか、壁に叩きつけられた際に脳震盪を起こしたか。
両手で頭部を押さえたまま立ち上がろうともしていなかった。
「あなたにしては思いきりがよいというか、容赦がないですね」
「銃持った相手に手加減できるほど強くねえんだよ。お前と違ってな」
それにしてもですよ、と神裂が続けた。
「数キロもの重りが入った鈍器で力任せに殴りつければ、当たり所次第では――」
「もし死んじまったらそいつがただただ不幸だった。それだけのことだろ」
この話は終わりだとばかりに、上条が早口で言い放った。
「あなたらしくありませんね、そのような考え方は」
「らしいままじゃ、通用しねえんだよ」
語気を強めた上条に、神裂が押し黙った。
「手心加えて勝てる奴らじゃねえ。それは、前回嫌ってほど思い知ってる」
手強い相手に対し、迅速に、最善の勝利を収めなくてはならない。
取り戻すための戦いに赴いた時点で、上条はポリシーを貫くことなどとっくに諦めていた。
「こうしてる間にもあいつが心細い思いをしてんのは間違いないんだ。今度こそ、今度こそ絶対に助けてやらなきゃ――」
最後の方は、語尾が掠れてほとんど聞こえなかった。
態度や言葉の端々からうかがえる上条の覚悟に、神裂は何とも言えぬ気持ちにさせられた。
言い知れぬ不安は否めなかったが、羨ましさに近い感情も抱いていた。
聖人ではない身でありながら、傷つくことを厭わぬ上条の強さが。
そんな上条が心から案じている囚われの少女のことが。
「時間が惜しい、そろそろ行くぞ」
「……わかりました」
「Bブロック、か。区画名で言われてもピンと来ねえな」
敵に遭遇してからというもの散々逃げ回ったおかげでどこをどう曲がったかなどろくに覚えていない。
侵入した地点に戻らないまま目的の場所へたどり着ける自信はなかった。
「普段、ナビシステムに頼りすぎでは?」
神裂が微苦笑し、上条がため息をついた。
学園都市では携帯や公的掲示板を見ての移動が基本だ。
「……ん、何も言い返せないな」
「突入前に拝見した見取り図通りならば、多分こちらのはずです。ついてきてください」
案内役を買いながら、神裂はひとつ確信を深めていた。
(中途半端な発動で銃弾の雨を潜り抜けられるとは到底――――だとすれば)
出がけ、ステイルがこぼしていた不穏な予感が、確かな現実になりつつあることを。
雷が直線的に進もうとしない理由。
それは電流が大気中で電気抵抗の少ない空間、雨や水蒸気を縫うように辿るためだ。
また、一般に雷は周囲で最も高いものに落ちると言われている。
実際には、地表に到達する直前の稲妻停止位置を中心点と定め
そこから地表までの距離を半径とする球体内において、中心と最寄りの位置関係にある物体に導電する。
すなわち、雷が高い建物や樹木に落ちやすいのは
稲妻の最終停止位置に最も近接しているパターンが非常に多いからである。
逆に開けた場所ではそういった障害物がいっさい存在しないため
海抜や標高差に関係なく地表まで雷が届くのだ。
雷雲が近づいたら身につけている金属を外せという古めかしい文句があるが
たとえば樹木を伝って根元付近の人間に感電する側撃雷と呼ばれる現象が存在するように
雷ほどの高圧電流ともなれば金属と人体との抵抗差はないに等しい。
これらの性質は何を意味しているか。
大気中に存在する気体以上に導電しやすい物質を一定の高さに配置することができれば
落雷の範囲を意図的に定めることも可能だということだ。
「つまり、大気中に含まれる窒素や酸素より電気抵抗の少ない物質。要するに金属類や水を含む有機化合物ね。
それらを適当な高さに浮かべてやることで、電撃を任意の場所に誘導できるってワケなんだけど――聞いてる?」
つらつらと解説する少女の声を、果たして最後まで聞き遂げられた者がいたかどうか。
全身黒焦げにされた猟犬たちから呻き声以外の応答はなかった。
「さすがにやり過ぎではありませんの? お姉様?」
美琴の傍に降り立った黒子が、翻ったスカートを抑えながら大きく息をついた。
サマーセーターの下に着ているブラウスが汗で薄らと透けている。
美琴が地上の猟犬たちを相手にしている間、余計な邪魔が入らないようにと
施設の屋上に陣取っていた狙撃班を潰してきたのだ。
「いいのよ。こういう連中は自分が一度痛い目見ないとわかんないって相場が決まってるんだから」
倒れた男たちを憤然と見下ろす美琴に、黒子がやれやれと肩をすくめた。
満足に動ける者はいなかったが、命にかかわりそうな者もいない。
何だかんだ言いながらも手心を加えてくれたことに、少し安心する。
(……予定よりは、大分早く決着が付きそうですわね)
敵部隊が築いていた二重の陣形は警備員の進撃によって軒並み崩されている。
一部の敵部隊が施設の入り口付近で粘っているが、掃討されるのは時間の問題だ。
猟犬部隊は、個々の技量こそ警備員に引けを取っていないが、支援や連携といった点では数段劣っている。
美琴と黒子の参戦がこの優勢に大きく貢献しているのは自他共に認めるところだが
もし手を出さなかったとしても警備員側の優位は揺るがなかっただろう。
「それにしても、思ったより使いでがあったわね」
浮遊傘に磁力を送りつつ、美琴がぐっと伸びをする。
美琴本人以外は誰も知らない。
大量の導体を雷撃の中継点として利用するこの戦術が
元々は上条当麻に対して使われるはずだったものだということを。
まだ上条が美琴をビリビリと呼んでいた頃、美琴は上条を倒すための方法を割と真剣に考えていた。
能力と名のつくものであれば何でも防ぎきってしまう右手を如何にして攻略するか。
考えに考えを重ねた結果、右手一本では対処しきれない多面攻撃が有効ではないかとの結論が出た。
その後、妹たちの事件を経て美琴と上条の関係は改善し
編み出された戦術は実行されることなくお蔵入りとなった。
もし事件の前にこの戦術で上条と戦い、ただの一度でも勝利を収めていたとしたら
上条との関係も今とは全く違うものになっていただろう。
「……ほんと、先走らないでよかったわー」
「ん、いったい何の話ですの?」
「あ、ううん! 何でもない、何でもないわよ」
ささっと手を振る美琴を、黒子が訝しげな目で見つめた。
「わたくしとしては、お姉様にはなるべくトラブルの矢面に立たないでいただきたいんですけれども」
「そんなこと言われても、今回は緊急事態だし仕方ないじゃないのよ」
「ですが……お姉様はあくまで一般人ですし、誰かに恨みを買うようなことがあっては」
「人助けのためなんだからつべこべ言わない。犠牲者が出るよりか百倍ましよ」
「……まぁ、言って聞くような手合いでなかったのは、認めますけどね」
渋々といった体で黒子が同意する。
戦いの合間にも幾度か投降を呼びかけたものの、返事は総じて銃弾と罵声でなされている。
結局いつものように大立ち回りを繰り広げ、いつものような光景をこうして見ている。
(……しかし、お姉様の能力って本当、応用が利きますわねぇ)
代名詞である超電磁砲の印象ばかりが強かっただけに
今回の美琴の戦い方に黒子は新鮮な驚きを覚えていた。
傘を用いた範囲攻撃は、銃火器持ちの部隊を相手に予想以上の戦果をもたらしている。
比較的軽量であり、傘布が無事なうちは風による応力も利用できるため
美琴ほどの能力者ならば操作も苦にしない。
また、傘の骨組みは細長い形状をしていて表面積も小さく、銃器で完全に破壊するのは困難だ。
無駄弾を使ってくれるならしめたものだし、傘布が破られたら破られたで空気抵抗が低減する。
操作はむしろやりやすくなるので、少々撃ち落とされたくらいでは痛手にならない。
「大勢は決したようだし、これ以上の雷撃は控えたほうが無難かしら」
味方部隊と敵部隊との距離が縮まってきている今となっては、先ほどまでのような範囲攻撃は難しい。
警備員たちを巻き込んでしまいかねないし
そうでなくとも高電圧によって生じる力場が周囲の電子機器に悪影響を及ぼすからだ。
加減を誤れば味方の通信機器等も使い物にならなくなってしまう。
とはいうものの、そういった事情は制圧対象の預かり知らぬことだ。
未だ傘が浮遊している以上、敵は否応にも上空に注意を払わねばならない。
実際、傘の群れが敵の上空に向かうたび、猟犬たちの動きに乱れが生じている。
先ほどまでの電撃攻撃が十分な見せしめになっている何よりの証拠だ。
「そうですわね。もうその必要もないでしょう」
劣勢を覆せないと判断したのか、周りではちらほらと逃亡する者が出始めている。
警備員への抵抗も散発的なものに留まっているようだ。
半ば二人が勝利を確信しかけたその時、遠くから妙な音が聞こえてきた。
「――お姉様!」
「わかってる!」
黒子が差し出した手の上に美琴が素早く手を重ねた。
手と手が触れ合うや否や、黒子が能力を発動。
瞬く間に上空に到達した二人の髪を、上昇気流が押し上げる。
「――見えた! あれですの!」
黒子の指先で動いている物を視認し、美琴の眉間にしわが寄る。
眼下にいるのは長大な砲台を備え付けた巨大な車両と、それに付き従う二台のジープ。
「やっぱり戦車! あんなものまで用意してるなんて!」
地上で微かに聞こえてきたのはキャタピラの駆動音だ。
普段馴染みはなかったが、戦争ドキュメンタリーや映画などで何度か聞き覚えがあった。
装甲する車両の近くでは、操車場の一部が上向きに盛り上がっていた。どうやら隠し車庫になっていたようだ。
空からでも、筒型の砲口がぐるりと回転し、適当な標的を探している様子がはっきりと見える。
あんなもので撃たれたらどうなるか、想像するまでもなかった。
「あ、ちょっ、お姉様!?」
「大丈夫、すぐに止めてみせるわ!」
戦車のほぼ真上に達するや否や、美琴が黒子の手を放し、宙に踊り出した。
(まだ相手はこっちに気づいてない。先手必勝!)
頬を叩く風を感じながら目を閉じ、演算に全神経を集中。
周囲に点在していた傘を磁場構築によって力の限りに引き寄せ、地上を走行している戦車の進路に配置。
全身を隈なく発電させ、膨大な生体電流を手のひらに集める。
「これでも、喰らえぇーーッ!」
目を開くなり美琴が咆えた。
差し出した両手から下方に集まった傘へ電撃の束が落下。
ろくろの部分から四方へ分散し、一挙に戦車に襲いかかった。
付近一帯が青白い光に包まれる中、美琴が空中でどうだとばかりにガッツポーズを決めた。
その直後、帯電している戦車の屋根の中央部分が開閉し、生じた隙間から台座が出現した。
対空機銃だ。
「って、嘘ぉっ!? ノーダメージ!?」
自分の失態を悟り、美琴の顔が蒼白に変わる。
陽光を受けて艶めく黒い銃口が空へ向き、ぴたりと固定された。
慌てて周囲を見回すも、空中では磁気を利用して逃げられそうな場所がどこにもない。
あるいは電磁力を展開して銃弾の軌道を反らせるだろうか。
半ば被弾を覚悟しながら、美琴がきつく唇を結び、身を縮めて弾幕に備える。
と、そのすぐ後ろから、白く細い腕が伸びてきた。
自然落下する美琴の首を両腕で抱きすくめるようにして、後を追ってきていた黒子が空間跳躍。
転移を終えた後、ほんの2秒前まで自分がいた場所を火線が通過するのを目の当たりにし――
「……え、あ、あは、あはははは。ちょっと色々覚悟したわ。サンキューね、黒子」
美琴が窮地から救い出してくれた後輩に、顔をひきつらせながら感謝を述べた。
「あはは、じゃありませんの! もし間に合わなかったらどうなっていたことか!」
「ご、ごめんごめん。まさか完全にシャットアウトされるだなんて思わなくってさ」
「それにしたって不用意に過ぎます! あんなもので撃たれたら怪我じゃあ済まないんですのよ!?」
「は、反省してるってば。本当、悪かったと思ってる」
噛みつくように説教する黒子に美琴は平謝りだ。
さすがに言いすぎたと思ったのか、黒子が少しだけ声のトーンを落とした。
「早々に決着をつけたいお気持ちには同意いたしますが、急いては事を仕損じるという格言もあります。それに」
「――うん、私一人の戦いじゃないんだもんね」
「……わかってくださっているならもう何もいいません。さ、仕切り直しを――」
車両回りに浮いていた傘を一掃した機銃が、間断なく二人が飛んでいる方へと照準を合わせるのを見止め
黒子が話を打ち切って能力を発動。戦車の左側へ回り込んだ。
「……高性能レーダーのおまけつきか。これじゃあうかつに近づけないわね」
「お姉様の電撃も、あまり効果は見込めないようですわね。落雷防止のために特殊な加工がなされているのやも」
「残ってた傘も軒並落とされちゃったし、どうしたもんかしら」
そんなやり取りをしている最中にも、地上では警備員側の装甲車が追ってくる戦車から逃げ惑う様子が見て取れた。
ふいに、先行する車両の遥か後方でアスファルトが爆散し、発射音に爆音が重なった。
「――!」
服がはためく音と風の音が一瞬で吹き飛ばされ、美琴と黒子が揃って顔をしかめた。
地面の下の土砂が榴弾によって広範囲に抉り取られ、高々と噴煙が舞い上がっている様子が見える。
その圧倒的な破壊力に、黒子があんぐりと口を開いた。
「なぁ……なな……」
「……弾着より発射音のほうが後、ってことは、音速を遥かに超えてる?」
美琴の推測はほぼ的を射ていた。
戦車の主砲の弾速は音速の数倍、美琴が放つ超電磁砲にも匹敵する。
直撃すれば頑強な装甲車であろうとひとたまりもない。
「じょ、冗談じゃありませんわ! そう遠くないところに居住区だってありますのに、一歩間違えたら――」
「……このままじゃ警備員に犠牲者が出るのも時間の問題ね。ちょっと真面目に対応策考えるから、ひとまず後を追ってくれる?」
「りょ、了解ですの」
黒子が瞬間移動を繰り返し、空からつかず離れず戦車を追跡している間
美琴は打開の糸口を掴むべく、何か利用できるものがないかと四方に目を凝らす。
自分と同様、今の光景がショックだったのか、握っている手から微かに震えが伝わってくる。
目の前の猛威を止める方法は、実はとっくに思い当たっていた。
だがその二つは、できる限り避けなければならない選択肢でもあった。
(あれって多分、車両に分類されるのよね。操縦席とかエンジンとかどうなってるのかしら)
戦車の構造について詳細に知っていたらもっと様々な対応策を考えついたかもしれないが
あいにく自分も黒子もミリオタではない。
とはいえ、台座やレーダーなどを動かすために発電機を積んでいるのは間違いない。
その基盤さえ何とかしてしまえば戦車の動きを制限することも可能なはずだ。
(そう、何も強引に破壊する必要はないのよね。無力化さえできれば――)
ややあって、美琴の頭に一つの構想が浮かんだ。
頭の中でそれをシュミレートし、無駄な部分を省略し、確認するべき事項を整理する。
「……黒子、ちょっといい?」
「あ、はい。なんですの?」
「あんたが転移できる限界重量ってどれくらい?」
「……ええと、確か前回の計測では、130キロ強だったかと」
「ふんふん。転移するものの体積とかは影響するんだっけ?」
「そう、ですね。大きいものですと、送り込むのにそれなりの時間は要しますが」
「とどのつまり、やってやれないことはないって理解でいいのね?」
「――何か、思いつきましたのね?」
黒子の強い視線に、美琴はすぐにはうなずかなかった。
「そのお顔からすると、それなりにリスクがおありなのですか?」
「そこはまぁ、私の頑張り次第――――い、いや、きっと大丈夫だって!」
「きっとでは困りますの! お姉様の身にもしものことがあったら、黒子は……黒子は……」
「く、黒子……」
黒子が俯き気味に、何かを覚悟したように口を開く。
「……レールガンならば、一瞬で終わらせることも」
「それじゃ、中にいる人間はまず助からないでしょ? 装填済みの砲弾だって誘爆しちゃうだろうし」
心情的に殺人を忌避するのはもちろんのこと、他にも射程の問題が残っている。
コインを用いた超電磁砲はせいぜい50メートル。対する相手は目算で1キロを悠に超える。
黒子のサポートを考慮してもなお、接近するリスクは小さくない。
「で、では、やはりわたくしが戦車のコクピットに侵入して――」
「却下、狭い空間に割り込むなんて危険すぎるわ。てかあんた、自分がさっき私に何て言ったか忘れたわけじゃないでしょうね?」
その辺のスキルアウトならまだしも、相手はれっきとした兵士だ。
武装もそれに準じたものだろうし、格闘術の心得だってあるはずだった。
黒子に護身術の心得があるのは承知しているが、後輩をたった一人で出向かせるわけにはいかなかった。
最悪そうするなら一緒についていきたいが、口惜しいことに自分がついていくメリットはほとんどない。
火気厳禁であろうコクピット内で電撃を放つとどうなるのか、それを試してみる勇気はなかった。
外装の耐電が完璧であっても、中までそうとは限らないのだ。
切れ目のない美琴の反論にすっかり黙り込んでしまった黒子を見て、御坂が相好を崩す。
「確かに厄介な相手ではある。――だけど、付け入る隙がないってほどでもないと思うの」
「……え」
「たとえばあれなんだけど、使えないかな?」
美琴が顎で示した方には、先ほど機銃で一掃された傘の残骸が大量に散らばっている。
そのほとんどが原型をとどめておらず、形や大きさもまちまちだ。
ややあって、黙考していた黒子が目配せに込められた意図を理解し――
「なる、ほど。試してみる価値はありそうですわね」
了解の代わりに美琴の手を強く握り締めた。
――施設内中層
神裂について進んでいくうちに通路が途切れ、開けた場所に出た。
「ここは……」
白塗りの部屋は一目殺風景で、周りには誰もいなかった。
やたらと太い円柱が、中央に四本立っているだけだ。
ちょっとした駐車場くらいはありそうなスペースに、置かれている物は何もない。
ただし、その異様さには入った瞬間から気づいていた。
まだそれなりに新しそうな壁や床に、タイヤ痕や銃の弾痕のようなものが無数にあった。
ところどころ、帯状に塗装が剥がれ落ちている。
ふと頭上を見上げると、照明の2割ほどが破壊されていた。
無駄に高い天井だけに、取り換えるのにも手間がかかりそうだ。
「おそらくは、兵器の実験場か何かでしょうが……」
神裂が上条の印象を的確に表現した。
地面に残るタイヤ痕を辿って見ると、向かって右手側の壁に集中している。
そして、そこがただの壁ではないことにもすぐに気づいた。
壁面には正方形の形に切れ目が入っていた。
ふいに、壁の中央が左右に割れた。
次いで、四角く切り取られた暗闇の奥から何かが飛び出してきた。
青、橙、黄色をそれぞれ基調としたカラーリング。
大型の警備ロボットかと勘違いしたが、人体を模した機体の頭部には、人影のようなものが見えた。
「――危ない!」
「うおっ!?」
前触れもなく胸板を押された上条が後ろに仰け反り、そのすぐ眼の前を銃弾が通過した。
乱れた体勢を即刻立て直し、上条が最寄りの柱の裏に駆けこむ。
そのすぐ横では神裂が、柱に背を預けたまま刀に手をかけていた。
柱を隔てたところに三つの巨大な機体が整列し、ガスを噴射するような音が収まった。
実物を見るのは初めてだったが、それが何なのかは上条にもわかった。
学園都市管轄の二足歩行型災害支援機体。
土砂や瓦礫の撤去などに使われているという、通称駆動鎧(パワードスーツ)。
おそらくはそれを戦闘用にカスタマイズしたものだろう。
あるいは戦闘用に作られたのが先で、それが別の部署に払い下げられているのかもしれない。
『あぁ? なんだよ、この間のガキじゃねえか?』
「――っ、その声……」
拡声器を通したようなダミ声に、上条の表情が険しくなった。
『ははっ、覚えてくれてたか。どうだ? 刺された足の調子はよ』
忘れもしない、動物園で無抵抗の自分を痛めつけた男の声だ。
傷跡を残してほぼ完治したはずの太腿が、じくりと疼いたような気がした。
『しかしてめえ、意外とタフだな。数日で動き回れるような温いいたぶり方をしたつもりはねえんだが』
「……手間が省けたぜ。できたらてめえもぶちのめしておきたかったんだ」
『……ああん?』
聞き違えたかのような、続きを促すかのような声が部屋中に響く。
『誰が誰をぶちのめす、だって? 生身の俺に手も足も出なかったやつが駆動鎧に勝てるとでも――』
「相手が誰だろうが、たとえどんなに強かろうが」
拡声された冷笑を遮るように上条が声を荒げ――
「邪魔するやつは、捻り潰す」
並々ならぬ決意を滲ませて、そう宣告した。
一瞬、息を呑む気配が伝わってきた。
だがすぐにそれは笑い声に取って代わられた。
『面白ぇ。だったらやってみせてもらおう――って』
『……なんだ? この姉ちゃんは?』
その言葉にはっとして、上条の目が隣の柱に身を潜めていた神裂の姿を探した。
いない。
慌てて柱の陰から駆動鎧の方を窺うと――
「お、おい、神裂!?」
駆動鎧のすぐ目と鼻の先に、神裂が立っていた。
動揺した上条に神裂がほんの一瞬視線を返したが、すぐさま前に向き直る。
「この者たちは私が引き受けます。あなたは、先に」
「ばっ、んなわけに行くかよっ!」
「ではひとつお尋ねしますが、あなたの徒手空拳で分厚い金属板を突き破ることが可能ですか?」
あまりに的確な指摘を受け、上条が押し黙った。
いかに上条の身体能力が底上げされていようと、生身で戦車砲のごとき一撃を放てるわけではない。
それこそ、常人の肉体を遥かに凌駕した聖人でもなければ、三体もの近代兵器を相手取るのは不可能に近い。
理屈ではわかる。
足手まといになりかねないのも、重々承知している。
しかし、だからといって。
「あなたとアレでは相性が悪すぎます。魔術の影響を考慮してもなお、です」
「……、」
まるで心を読んでいるかのような神裂の物言いに、上条が開こうとした口をもごもごと動かした。
「冷静に、ここに何をしに来たのか思い出してください」
神裂が駆動鎧を見上げたまま、淡々とした物言いで背後の上条に語りかける。
「あなたは、彼らに復讐するために危険を冒してここまで出向いたのですか?」
「んなことはねえ! ねえけど――」
「では、こう言ったほうが聞き入れやすいですか? ――無用な心配は、聖人の称号に対する侮蔑も同然なのですが」
上条の惑うような視線に含むものを感じ取ったのか、神裂は結い上げた髪を片手で払いながら断じた。
プロの判断に口を出すな。
そう窘めているのと同時に、自分の実力を信用しろと言っているのだ。
先ほどよりも口調をいくらか和らげ、神裂が念押しする。
「行動不能にするのにいささか手間がかかる。私にとって、彼らは所詮その程度の相手ですよ」
『……あぁ? 何舐めたこと言ってんだ。この姉ちゃん、正気かよ?』
「――――、」
上条は知っていた。
神裂は、決して自分の力を固辞するタイプの人間ではないことを。
つまり、今の台詞は自分の至らなさが言わせたもので、彼女の心遣いが言わせたものだ。
しばしの沈黙の後、上条がゆっくりとうなずいた。自分に言い聞かせるように。
「その言葉、信じていいんだな」
「愚問です」
その短い返答を聞いて、ようやく腹が決まった。
こうまで確信に満ちた言葉を聞かされては、言い返せることなど何もなかった。
「……わかった、ここは頼む」
「ええ、頼まれました」
刀を手に立ち塞がる神裂の背中を、彼女が向かい合う駆動鎧たちごと一瞥し、上条が振り切るように踵を返した。
『はは、おいおい! あんな啖呵切っておいて、女を置いて手前だけ逃げるってのかよ! あの時とまんま同じ状況だなぁ!』
後ろからの嘲笑にほんの一瞬、堪えるように息を飲み下し、上条が通路の奥へ駆け出した。
『臆病もんが。すぐに追いかけて蜂の巣に――』
「させませんよ」
上条の足音を聞き流しながら、しかし神裂の意識は三体の駆動鎧に向けられている。
(神裂火織個人としては、彼に心配されることについて、さほど悪い気分でもないのですけれどね)
そんなささやきを胸にしまい、神裂が戦闘態勢に移行する。
『白い足そんなに晒しちゃって、ずいぶんと挑発的な格好じゃねえか』
男の指摘通り、神裂の格好は普通とは言いがたかった。
サイズが大きめのTシャツをラフに結び、捲れ上がった裾の下からへそが覗いている。
ジーパンの片足側はほぼ剥き出しで、眩しいくらいに白い太腿が露わになっている。
露出の多さは水着とほとんど変わらないだろう。
けれども神裂の格好には意味があった。
彼らの想像が及ばない領域において。
粘っこい音声を発した青いカラーリングの機体を、神裂が冷やかに見つめた。
上条を痛めつけたという男が搭乗する機体を。
『油断するな、先ほどの身のこなしを見たろう。身体強化系の能力者かもしれん』
『はっ、そんなん足を撃ち抜いちまえばそれで――』
「お互い、巡り合わせが悪かったようですね」
「……あぁ?」
大きくなくともその声は不思議に響いた。
恐るべき兵器に囲まれているとは思えぬ穏やかな表情で、少女がゆっくりと目を閉じる。
――救われない者たちに救いの手を。
神の威光が届かない場所。
運命から見放されてしまった者たちを、一人でも多く。
かつて教主を務めた天草十字の教義を、神裂が頭の中で反芻する。
なるほど、彼らは別の意味で『救われない』ようだ。
否、救いがたいと言い換えるべきか。
「教主を退いた身とはいえ、教義に反するような真似をしたくはありませんでしたが」
神裂が、非常にゆったりとした動きで刀柄の傍に右手を添えた。
上条を先に行かせた理由は一つ。
彼の前で名乗ることはしたくなかった。
ただ、それだけに過ぎない。
「――Salvare000」
殺し名を意味する魔法名が紡がれ、少女の体がその場から忽然と消えた。
「って、な、何だ!?」
突如目まぐるしく動き始めた外部モニターの映像に猟犬たちが泡を食った。
駆動鎧に搭載されているカメラの追尾機能によるものだと遅れて気づいた。
画面の端々に映る敵影を追って、いくつものレンズが縦横無尽に角度を変えた。
それは標的の体を見失わずにいてくれた一方で、操縦者の平衡感覚を無遠慮に掻き混ぜ、軽度の乗り物酔いをもたらした。
「……く……っそ! ちょこまかと!」
「ロック機能を解除しろ! 肉眼だけで対処するんだ!」
「だ、だけどよ!」
カメラのサーチ機能を解除したところで、軽快という形容を逸脱した足さばきは、とても肉眼で追いきれるものではない。
見えない相手にどうやって攻撃を当てろというのか。
一向に落ち着かない視点に四苦八苦している三人を嘲笑うかのように
リズミカルに踏み鳴らされる踵の音だけが段々と大きくなっていく。
そして、ふいに神裂が機体の後方から姿を現し、体を左右に揺さぶりながら黄の駆動鎧に肉迫した。
「七閃」
腰に携えていた七天七刀の鍔が鳴り、たわんだ刀身が描く軌道を追って不可視の衝撃波が乱れ飛ぶ。
踏み込む一瞬動きを止めた神裂の背後に、橙の駆動鎧が素早く回り込んだ。
そのままアームガンの照準を合わせた直後、少女が大きくバックステップを刻み、瞬時にスコープ内から離脱。
コンマ数秒遅れて機関銃が火を噴き、少女の立っていた床面を穴だらけにする。
その攻防の最中、黄の駆動鎧の脚部に絡んでいた極細の鋼糸が火花を散らし、膝の裏の関節部位に深々と切れ目を入れた。
ややあって、攻撃を受けた操縦手が、レバーを無茶苦茶に操作しながら機体の向きを変えようと懸命に足掻き始めた。
知らぬ間に回路の束が装甲ごと切断され、床に接地していたタイヤが回転を止めていた。
片足が動かないままでは、二足歩行型の機体を操ることなど不可能に近かった。
「表面の素材はチタン合金だぞ!? 何でこんなにあっけなく――」
「余所見をしている余裕があるのですか?」
味方の機体がやられたことへの動揺から生じた一瞬の空隙。
少女の体が橙の駆動鎧の眼前を、目にも止まらぬ速さで横切った。
遅れてピシリという音と共に、コクピット部分に亀裂が生じる。
「――――こ、のっ!!」
その一撃は装甲を破壊することこそ叶わなかったが、脅しとしては充分だった。
傷つけられた機体が反撃とばかりに機銃を乱射するも、狙いが雑になっているせいで神裂を捉えるには至らない。
神裂が一旦柱の後ろへ左から回り込み、今度はそのまま反転して左から飛び出してきた。
勢い、柱の右側に狙いをつけようとしていた青の駆動鎧が神裂の姿を見失っている隙に
神裂は片足を封じられてまごついていた黄色い機体の肩に飛び移る。
若干二体と距離を空けていた橙の駆動鎧が、ここぞとばかりに神裂に突進した。
神裂が素早く肩を蹴って宙に逃れるのとほぼ同時に、橙の機体の前腕部が黄色い機体の肩を掠め、そのままもつれるように倒れ込んだ。
この攻防で同士討ちを恐れたのか、徐々に駆動鎧の攻撃に躊躇いが生じ始めた。
撃つべき場面で引き金を引けず、牽制が減ったその分被害ばかりが増えていった。
端的に言って悪循環に嵌りつつあった。
さすがに、男たちの胸中に悪寒にも似た焦燥感が湧き上がり始めた。
振り回されている以前に、赤子扱いされている状態だ。
場にいる機体の動きを余すことなく視野に収めながら、緩急をつけた動きで狙いを絞らせない。
口にするのは優しいが、それに徹することがどれほど難しいか、男たちはよく知っていた。
戦局が刻一刻と優勢に傾く中、神裂が一時身を潜めていた柱の裏から、青の駆動鎧の銃火器に鋼糸を飛ばした。
ほぼ垂直の柱を駆け上がり、トリガー部分に引っかかったワイヤーにぶら下がると
側面から仕掛けられた横薙ぎの銃撃を回避し、滑り込むように床に着地。
仕上げとばかりに両の手を交差させ、糸が絡んでいた銃器をバラバラに分解する。
武器を失った青い駆動鎧がその場から慌てて後退し、新たな武器を背中から抜こうとしているのを見て
あろうことか神裂は「はぁ」とやる気のなさそうな溜め息をつき、さらに信じがたいことにくるりと背を向け、上条が進んだ通路へと駆け出した。
『ふ、ふふ、ふふふ――――ふざけるなぁッッ!!』
眼中にないといいたげな態度に猟犬たちが激昂し、操縦レバーを思いきり前に倒した。
先を行く神裂を追って連続して通路に突入した二つの機体が、前方に向けて銃を構えた直後――
「ふざける? 私はいつでも真剣ですが」
何故か天井の方から声が聞こえた。
それが決して空耳などではなかったということを、男たちは鋭い痛みとともに思い知ることになった。
――同刻
「よくここまで来れたじゃねえか。いやぁ、大したもんだぁ」
神裂が戦う一つ下のフロアで、上条は見知った顔と再会していた。
「あぁ、俺はちゃんとお前さんの顔、覚えてるぜぇ? 動物園にいたガキだよなぁ? いやぁ、その節は大したもてなしもできず申し訳なかったわぁ」
清潔感のない不精髭。研究者らしからぬ、ほどよく引き締まった長身。
缶飲料に口を付けながら気安く話しかける男に対し、上条は無言で一歩を踏み出す。
「って、だんまりかよぉ。つまんねえやつだなぁ、勝負の妙ってもんを」
「――出せ」
「……はぁい?」
聞き損ねたというように、白衣の男が片方の耳を差し出した。
あからさまな挑発とも取れる行為に対し――実際に上条はそう受け取ったのだろう。
「今すぐぶっ殺されたくなかったら、とっとと食蜂を連れて来いっつってんだよ!」
恫喝じみた声で男に宣告した。
「……え? お前さんが、俺を? ……くっ、くくっ」
堪えるように笑う男を、上条が怒りの相を漲らせたまま見据えた。
相手の顔を、どのように歪ませてやろうかと考えているかのように。
「いやいや、お前さぁん、冗談言っちゃいけませんぜぇ」
そう言いながら、男が再び缶飲料に口をつけ、喉を鳴らした。
「つい三日前に半死人同然だったやつが、俺を殺すぅ? 俺らの目の前でどんだけみっともない姿さらしたのか、もう覚えてないワケ?」
引きつけを起こしたかのような哄笑を無視し、上条が一歩、また一歩と距離を詰め始めた。
「……かぁー、まいったなぁ。あんとき頭でも打っちまったかぁ? 脳に障害抱えて残りの人生――」
男が台詞を言い終える前に、爪先に力を込めていた上条が、地面を一気に蹴り出した。
10メートルはあろうかという距離をわずか二歩で縮め、それを見止めた男が咄嗟に腕を動かした。
すんでのところで上条の右手が男の右手に遮られ、小気味良い音を奏でた。
男が手にしていたスチール缶が一瞬にしてぺしゃんこになり、中身が上下に迸った。
「…………、」
炭酸で泡まみれになった男の顔から笑顔が消えているのに満足したのか、上条の口元が微かに綻ぶ。
「……そんなにおかしなことを言ったつもりはねえぞ? おっさん」
「……あーん、そーかそーか」
突き出された握り拳と上条の顔を見比べながら、男は空いているほうの手で濡れた前髪をさっと後ろに流した。
「いやぁ、確かに。よくよく考えたら全然笑えなかったわぁ」
口調はどこまでも穏やかで、しかし眼差しには隠しきれぬ怒りが潜んでいた。
「半端な状態でも勝てるだろうって、侮られちゃってるわけだ。この、俺様が」
「……てめえが何者かなんて、知ったこっちゃねえ」
敵意に満ちた視線を微動だにせず受け止めながら、上条が言い返した。
先刻、神裂に言われた言葉が脳裏を過ぎっていた。
「相手が誰だろうが、どれだけ強かろうが関係ねえ」
ここに何をしにきたのか。
知れたことだ。
「あくまで食蜂操祈をふざけた運命に縛り付けようってんなら――」
見知った少女を、悪党どもから取り戻す。
「俺はその幻想をぶっ殺す!」
ただそれだけのために、ここにいる。
おもむろに、上条が拳に体重を乗せ始めた。
ずるずると、上条に少しずつ押し込まれながら、白衣の男がどこか面白そうに顎を引いた。
「いやぁ、ずいぶんと威勢がいいねぇ。うん、マジ格好いいわぁ。……だけどさぁ」
その笑みに、剣呑なものが混じる。
「すこーし調子に乗りすぎだよなぁ?」
男が空いている左手を下に向け、素早く左右に揺さぶった。
ゆったりとした袖から銀色のナイフが飛び出し、それに気づいた上条が後ろに飛んだ。
間断なく手首のあった空間をナイフの刃が引き裂き、遅れて上条が着地。
二人が連動するように身構え、倒すべき敵を睨んだ。
「年長者として、大人に対する口の利き方ってもんを教えてやらねえとなぁ」
「結構だ、敬意を払う相手はちゃんと自分で選んでいるんでね」
そんな軽口の叩き合いを最後に、二人を取り巻く空気が一気に重さを増した。
ひりつくような殺気が、真夏の日差しのようにお互いの肌を刺激していた。
男が手にしている刃のきらめきに負けじと、上条の足に描かれた刻印が靴下の裏で赤い輝きを放っている。
二人の息遣いだけが聞こえる静寂の中、ただ時間だけが過ぎていった。
室内を広く視野に収めつつ相手との間合いを測る。
男との距離はおよそ5メートル。
今の上条なら埋めようと思えば一瞬で埋められる距離だ。
だが、上条はすぐには動かない。
足を肩幅ほどに開き、左右どちらにも動けるよう備え
軽く突き出した腕の手首の先だけを小刻みに動かして相手の反応を窺う。
男の左手の中では、親指と人差し指の間で今もナイフが弄ばれている。
刃渡りはせいぜい7、8センチといったところで、他にも何本か隠し持っているとみるのが妥当だろう。
そして右手には既に原型を留めていないスチール缶があった。
日々喧嘩に明け暮れている上条から見れば、そちらも凶器と何ら変わらない。
拳に手頃な大きさの物を握り込むと、指と手のひらの隙間が消失する。
それを利用すれば、素人であっても格闘家のそれに近い質の打撃が放てるようになる。
相手の体と拳が接触する際、前方への衝撃が反発しづらくなるためだ。
つまり、拳が重いという表現は比喩ではない。
きちんした握り方をすることによって力が一点に集約し、結果として威力が増すのだ。
二つの凶器を相手に迂闊な先手を取るのは愚かなことだった。
その一方で、男の方も攻めるタイミングを計りかねていた。
中身の入ったスチール缶を潰すほどの一撃は、急所に当たればただでは済まない。
相手は相手で第五位救出という目的があり、それなりに焦りを感じているはず。
おそらくすぐに仕掛けてくるだろうとタカをくくっていたものの、存外慎重に立ち回っている。
自分とてここで足止めを食らっていては逃走する機会を逸してしまう。
外の状況を鑑み、学園の暗部と思しき連中の侵入を許していることも考慮すれば
時間をかけている余裕など全くない。
今すぐにでも、この少年の仲間が部屋に飛び込んで来ないとも限らないのだ。
相手の呼吸を読み合い、お互いの意識が攻撃に傾いていった。
そして――――ふいにその膠着状態が解けた。
息の詰まるような睨み合いを崩したのは上条ではなく、男でもなかった。
ピピピ、と、目覚ましのアラームを連想させる規則的な電子音が、どこからともなく聞こえてきた。
上条が眉根を潜めるのをよそに、男が一瞬ばつが悪そうな表情を浮かべ、
視線を宙に泳がせながら手に持つナイフを放り捨て、軽く万歳をした。
「あー、悪い悪い、ちょいとタイムだぁ」
「……は、タイム?」
戸惑う上条をよそに男がゆっくりと後ずさりし、次いで白衣のポケットをまさぐり始めた。
にわかに上条の顔に緊張が走った。
けれども、予想に反して取り出されたのは拳銃などではなかった。
白いカプセルケースだ。
見せつけるように開かれたケースの中には、どぎついピンク色のカプセルがびっしりと嵌っていた。
病院で、美琴が忠告してくれたことが上条の頭を過ぎった。
動物園での接触時、相手が何か呑み込むような素振りを見せたという話を。
少なくともこの状況で、戦闘に無関係な代物を出すとは思えない。
飛びかかるべきか、否か。
考えあぐねている上条の目の前で、男がカプセルの一つを抓む。
そしてそれを、上条にもよく見えるように差し出した。
「こいつな、何を隠そう第五位の能力を分析して作った薬なんだよぉ」
「……なんだって? 心理掌握の?」
上条の反応を楽しむかのように男が目を細め、さっとカプセルを口の中に放り込んだ。
「軍用に開発した、副作用がほとんど出ない優れモンだぁ。効き目が短すぎるのが欠点だがな」
喉を鳴らしてそれを飲み干し、肘を軽く曲げて肩を回し始めた。
要するに先ほどのアラームは、薬の効き目が切れかけている合図だったのだろう。
やっぱり飛びかかっていりゃよかった、と上条が舌打ちした。
「服用すれば一時的に五感を鋭敏にさせ、代謝を活性化させ、疲労物質の生成を鈍化させる。元がそれなりの人間が使えば」
未だ男の手にあった潰れたスチール缶が、みしみしめきめきと音を立て始めた。
ものの数秒で五百円玉大にまで縮み、男の拳の中に消えた。
かと思うと、出来上がった歪な鉄くずをぽいと放り捨て
「ご覧の通りってわけだ。それが、五分後のてめえの姿だぁ」
「…………、」
からからと、床を転がる缶のなれの果てを指差しながら、そう告げた。
「さて、どうする? 尻尾を巻いて逃げるなら今のうち――」
「――正直、安心したぜ」
何故か頬を緩めている上条に、男の笑みが若干強張った。
「あの日、あんたらとの力量差があまりに歴然としていたのは、その薬のせいでもあったってわけだ」
「……おいおい、ちゃんと話を聞いてなかったのかぁ? この薬は、たとえば俺様みたいな実力者が使うことで初めて――」
説明を無視して突進してきた上条に、男の目が大きく見開かれた。
薬で動体視力が増強されているはずなのに、相手の見え方がまるでいつもと変わらなかった。
「……くぉっ!?」
間一髪身を捻って上条のストレートをやり過ごし、床に片手を突いて跳ね上がるようにバク転して距離を取る。
10メートル弱。先ほど以上に開いた間合いこそが、新たに芽生えた警戒心を如実に物語っていた。
一瞬自分が調整したカプセルの薬効を男は疑ったが、すぐにその考えを打ち捨てた。
十数年間調剤に携わっていた自分に限って、その手のミスを犯すはずがないと断言できた。
ならばいったい何が起きたのか。
至極単純なことだ。
「……あぁそう、そうかい」
少年の地力を見誤っていた。
先ほどにも増して、上条の踏み込みが速かったのだ。
「さっきの先制打は、てめえの全力じゃなかったってか」
「別に舐めていたわけじゃねえ。手加減していたわけでもねえ」
妙な勘違いはごめんだとばかりに、上条が大仰に肩をすくめてみせた。
「とはいえ、借り物の力を使うってことに、どこか後ろめたさがあったんだろうな」
条件が横一線ならば、何も気兼ねすることなしに戦える。
相手は科学、自分は魔術。
お互い白兵戦向きの身体強化。
室内は広く、足場は平坦で、周囲に障害物はない。
あとは個々の実力と、経験に裏打ちされた駆け引きと、度胸の勝負。
ちらりと、男の視線が上条の足元に向いた。
それを見逃さなかった上条が、両の手のひらを上に向け、にやけ顔で顎をしゃくった。
「あっ、もしかして武器持ちじゃないと勝てる自信がないですかねぇ? 何でしたら、いくら使ってくれても構いませんよ?」
なははのはー、とおちゃらける上条。
露骨にすぎる挑発に、男はその場で小指で耳をほじくり、ふっと爪の先に息を吹きかけ――
「舐めんな、ガキが」
予備動作なしで、上条に負けず劣らずの踏み込みを披露した。
「……ッ、う――おっ!」
頭で考えるより先に上条が胸の前で腕を交差させ、重ねられた手首のど真ん中に男の前蹴りが炸裂した。
衝撃で両腕が大きく弾かれ、上条の体が真後ろに跳ね飛ばされた。
スニーカーの踵が見るも危なっかしいステップを刻み、やっと止まった。
だらりと下がった上条の左手首には、靴の滑り止めの痕がくっきりと残されている。
「っとと、ふぅ、あっぶねぇ……」
下手に踏ん張らなかったのが幸いした。
もしまともに受け止めていたら腕の骨が折れていたかもしれない。
額から頬に垂れてきた冷や汗をまだ痺れの残る腕で拭い取り、上条が再び構えを取った。
「いいだろう。その挑発に乗っかってやらぁ」
男がすっと両肩を持ち上げ、地面に向かって手を伸ばした。
からからと音を立てて、ゆうに十を超えるナイフが床に散らばった。
隠し持っていた凶器の数に、さすがの上条も目を奪われた。
「……へ、へへっ、余裕見せてっと後悔しちまうかもだぜ?」
「ねえよ。こちとら本職だ」
男が無造作に腰を落とし、脇に拳を構えたまま上条に猛然と駆け寄った。
負けじと上条も姿勢を低くし、弓を引き搾るように拳を後ろに引いた。
二人の間合いがみるみる狭まり、腕と腕が勢いよく交錯した。
真っ直ぐ繰り出された男の右拳が上条の頬を掠め、返す上条の左フックが男の腕に弾かれた。
斜め下から顎を狙う男の掌底打を腕で払いのけ、そのまま上条が反撃に転じる。
顔に向かうジャブをフェイントに、鋭く振り切った右拳が男の腹に命中。
だが、鍛え抜かれた腹筋はびくともしない。
まるで分厚いゴムを殴ったかのような感触だ。
ならばと腕を畳んで肘打ちに移行しようとした矢先、軸足が衝撃に襲われた。
「……とッ!」
足を外から刈られ、体を崩されてよろけた上条の側頭部に、男が下に構えていた拳を思いきり振り上げた。
アッパーのような軌道を描く一撃を、上条がすんでのところでガードした。
だが、殴られた勢いを殺しきることまではできず、そのまま背中から床に倒れ込んだ。
転がり、つっかえるように仰向けになった上条の顔に、暗い影が過ぎる。
男が顔を踏み砕くよりもわずかに早く、上条が床から跳ね起きてその一撃から逃れた。
ひび割れた床を尻目に、上条がその場から全力疾走。
それを迷いなく追い駆けながら、男が微かに首を捻る仕草を見せた。
自分の動きに初見でここまで対応できる学生がいることが信じられなかった。
薬物を摂取することで男の体は反射神経や筋肉の伸縮率が増強されており
総合種目の体操選手も顔負けの身のこなしと、プロレスラーにも匹敵する膂力を兼ね備えている。
にもかかわらず、目の前の少年は男の猛攻を凌ぎ、合間合間では反撃に転じてさえいる。
一つ確かなのは、部下にいいように嬲られていた少年と今の少年は明らかに別人であるということ。
先ほどの少年の言動からも窺い知れることだが
おそらく薬物による強化とは違う方法で身体能力を底上げしているのだろう。
この場が学園都市である以上、おそらくは能力によるものだと考えるのが筋だが
少年自身の能力だとすれば、三日前に何故いいようにされていたのか説明がつかない。
つまるところ、少年の仲間か誰かがいて、そいつが能力を用いてこの少年を強化したのだろう。
壁の十歩ほど手前で上条がようやく立ち止まり、かと思うと振り返りざまに突きを放った。
男がバックステップでそれを難なくやり過ごし、一歩踏み込んで左右の拳を振り抜いた。
顔と胸部に一発ずつ。時間差の打撃が同じく打撃によって迎撃された。
ならばと中腰で繰り出した水平蹴りが、今度はジャンプしてかわされる。
逆に伸びきっていた足を膝蹴りで狙われたが、間一髪引っ込めて難を逃れた。
冷や汗ものの一時に、男が大きく息を吐き出した。
「――っぶねぇなぁ。てめえ、今折る気満々だったろ」
「それくらいしないとあんたは止まらねえだろ」
まだ完全に立ち上がりきっていない男に上条が駆け寄った。
繰り出された上段蹴りを、男は身を屈めてやり過ごした。
そのままタックルを仕掛けようとしたところを、今度は顔の高さに置かれた上条の拳が制止した。
「……ちっ」
決定打が一向に入らない状況に業を煮やしたのか、後ろに退くと見せかけた上条が一気に踏み込んだ。
その動きを男はしかと読んでいた。
やや大振り気味になったパンチを、首をひょいと傾けてかわし
相手の腕が引き戻される前に、素早く手首を捉えた。
「……やっと、捕まえたぜぇ」
「――ちっ!」
わずかに背中を反らす動きで、上条が何をしようとしているのかを男は正確に察した。
頭突きだ。
咄嗟に肘を畳み、それを支点にして上条の腕を引き寄せ、そのまま宙に放り投げた。
相手の勢いを利用した軍隊仕込みの投げ技だ。
足場を失った上条が咄嗟に空中で前傾姿勢を作り、床で一回転した後に立ち上がる。
その時にはとっくに体勢を整えていた男が、上条の無防備な背中に体当たりを繰り出していた。
上条が背後からの気配に気づき、咄嗟に振り返ろうとして、半身のまま男の突進をまともに浴びた。
「――ぐっ、はぁっ!」
上条の体が、あたかもバイクに跳ねられたかのように吹っ飛んだ。
子供に放り出された人形のようにごろごろと床を転がり続け――部屋の壁にぶち当たってやっと止まった。
「……う……ぐ、……くそ」
「へ……勝負ありだな」
男が未だ起き上がれない上条にとどめを刺すべく足を踏み出そうとした。
だがしかし――
「……っ!」
前触れもなく左脇腹に走った鋭い痛みに、男の足が止まる。
全身に嫌な震えが走った。
先ほどの接触の間際、上条が肘を突き出していたのだと遅れて理解した。
(……こ、れは。……折れてるっぽいな)
脇腹に手がいきそうになるのを、辛うじて堪える。
ぶちかましを食らった上条のダメージも決して小さいものはないはずだが、それにも増して重篤な被害を被ったようだ。
地面に深々と埋まっている丸太に、自分から全力で突っ込んでいったようなものだ。
このダメージは、下手をすると勝敗に直結する。
無意識に、噛み合わさっている歯が軋んだ。
油断をしているつもりなどさらさらなかったが、それにしたって目の前の少年は、実戦慣れしすぎている。
自分を殺そうとする相手への対処法を、脳ではなく体で理解しているのだ。
この平和ボケした国で、そんなふざけたことがあり得るのか。
いくら能力を強化しているからといって命のやり取りをした経験まで身につくはずがない。
この少年は、幼少期をアフリカか中東の紛争地域で過ごしていたとでもいうのだろうか。
前から聞こえてきた衣擦れの音に、男がはっとして顔を上げた。
よろめきながらも、膝に手をついて立ち上がってくる上条の姿に、男の視線が固定されていた。
「……まだ、まだだ」
「ったく、しぶてえガキだぁ」
もう決着はついているとばかりに、男がのらりくらりと首を動かした。
飄々とした態度のその裏では、必死に頭を巡らせていた。
腹筋は内臓を守るだけでなく、重い上半身と頭部を支えるためのものでもある。
体を動かす際には当然筋肉に包まれている肋骨にも負荷がかかる
痛めたことが相手に知れたら、その瞬間に勝負は決するだろう。
足を使ったヒットアンドアウェイに持ち込まれれば、今の自分では少年の動きについていけない。
この状況で勝つためには短期決戦に持ち込むしかない。
気づかれる前に仕留めるには、まずは相手の足を止める必要がある。
カウンターなら、何回かは全力で振りきれるだろう。
頭の中で着々と、手持ちの札で勝利に至るための段取りを組み立てていく。
そうした状況に持ち込むにはどうしたらいいのか。
そのための布石は、すぐに思いついた。
何のことはない。
あの少女への執着心を利用すればいいのだ。
「あぁ、そうだぁ」
まるでたった今思い出したかのように――
「第五位について、ひとつ有用な情報を教えてやろうかぁ?」
遠ざかりかけた勝利を手繰り寄せるべく――
「情報って、なんの……」
「今の第五位はな――――無能力者だぁ」
男が上条に、刃物のような一言を放った。
――――…………
気がついたときには、うら寂れた雑居ビルのガレージ前にいた。
駐輪場の方からは、トタン屋根を叩く雨音が聞こえる。
膝を抱えた少女は石段にぺたんと尻をつけ、恨めし気に濃い灰色の空を睨んだ。
垂れ下がった金色の毛先からは断続的に水が滴り、股下に小さな水たまりを作っている。
「……何で」
通りを走る車のヘッドライトがすぐ傍の水たまりを照らし、反射的に頭を下げる。
頭の中はほとんど真っ白だった。
研究所を飛び出してから発射寸前のバスに飛び乗ったのは覚えていたが
そこからここまでどうやって辿り着いたか、ろくに思い出せない。
ただ、自分がしでかしてしまったことに対する強い後悔だけがあった。
「何でよぉ。今日に限ってこんなこと……有り得ないじゃなぁい」
少女が唇を戦慄かせ、頭を抱えた。
暴走なんて、今までただの一度もなかったのに。
いつものように、リモコンを向けて洗脳しただけなのに。
「……どうして、私ばっかり」
いつまで、こんな目に遭い続けるのか。
今はそうやって、世界に、運命に、問いかけるのが精いっぱいだった。
「……はぁ、本当に無様ねぇ」
雨に打たれて頭が冷えたからか、自嘲する程度の余裕は戻ってきていた。
どうして自分だけこんな惨めな思いをしなければならないのか。
それは今日に限ったことではなく、少女が常に抱えてきた疑問だった。
家族を失い、親戚に煙たがられ。
誰にも気兼ねなく暮らせる、新しい居場所を求めて学園都市にやってきた。
紹介された研究者たちが説いたように、能力開発に必死になって取り組めば
いつの日か自分のよき理解者が現れるのではと信じていた。
なのに、まただ。
両親が出かけて、そのまま帰って来なかったときと同じ。
初めてできた友達の死を、研究員たちから聞かされたときと同じ。
何が起きたのかわけがわからないまま、幸せだけが逃げ去っていく。
「……寒……い」
濡れた体に隙間風が吹き込み、その冷たさのあまりに身がすくむ。
ここにじっとしていたら風邪を引くのは免れまいが、移動する気力がどうにもわかない。
今回の一件が学園都市でどのように取沙汰されるのか。
自分がいったいどういう扱いになるのか、見当もつかない。
今まで積み上げてきたものが、あるいは全部崩れてしまうのだろうか。
不安と怒りで胸が押し潰されそうだった。
その胸の内を打ち明ける相手が誰一人としていないという事実に、笑いたくなった。
自業自得という言葉が幾度も脳裏に去来する。
それは、学園都市に来て初めて出来た友人を騙した罪か。
それとも、その友人の死が、あろうことか自分の研究に起因していることを知らなかった罪か。
無知であることへの恐怖と怒りが、己を能力開発に駆り立てているのは自覚していた。
決定的な何かを胸に秘めて、少女は自分のたった一つの武器を鍛え続けた。
学生を実験動物としか見ていない阿呆どもに、致命的な一撃を食らわせてやるために。
それがこんな形で頓挫することになるとは、想像の外だった。
少女は知っていた。
少女が持つ能力故に知っていた。
階段を踏み外した能力者の大半が、転がり落ちた先にある学園都市の闇を。
そこは警備員や風紀委員の権限も及ばない不可侵領域だ。
学園都市の尖兵となって暗躍し、手段を選ばず敵対する者たちを妨害し、時に始末する。
そんな冗談みたいな、映画に出てくるスパイみたいな人生を歩んでいる者が
そこらのファミレスでランチを食べ、ファンシーショップで縫いぐるみと睨めっこをしている。
「近いうちに、私もそうなっちゃうのかしらぁ」
現状を省みれば、その可能性も決して低くはない。
知らずと脇が甘くなっていたのかもしれない。
自分ではうまく立ち回っているつもりであっても、ここしかないというタイミングで罠に嵌ったのだから。
現状では自分をよく思っていない者に心当たりがありすぎて、誰の仕業かを絞れない。
「だとしても、このままでは、終わらせないわぁ」
否、終わらせられない。
せめて、自分を嵌めた連中を道連れにしてやらねば気が収まらない。
そんな暗い気持ちに身を任せている最中――
唐突に、雨が止んでいることに気づく。
「え……」
いや、止んではいない。雨が水たまりを叩く音は消えていない。
自分に降る雨だけが止んでいるのだ。
「はぁ、こんなところにいたのか」
顔を上げようとしたところで声をかけられ、冷えた体がいっそう縮み上がった。
恐る恐る視線を上げていくと、ぐっしょり濡れた学生靴とズボンが、雨を弾く安っぽいビニール傘の柄が――
「道理で見つからねえわけだよな。つか、このままだとお互い風邪引き確定コースなわけだが?」
見知らぬツンツン頭の少年が、こちらに傘を傾けているのが見えた。
「ったく、もう完全下校時刻もとっくに過ぎてるってのに。女の子が一人でこんなところにいたら危ねぇだろ」
記憶が錯綜していた。
初めて見る顔なのに、懐かしさを感じる。
時系列が違う?
今より顔立ちが幼くて、背も心なしか低いし、しかし目つきは鋭い。
これはいったい、いつの記憶だろう。
「おい、こら。ちゃんと聞いてんのかよ?」
はっとして、逃げる場所がないか左右に目を走らせる。
研究所からリモコンを持ち出さなかったことを今頃になって後悔した。
が、飛び出した時には触る気もしなかったので仕方がない。
両手をついたままその場から後ずさりしたが、すぐに背が壁に行き当たった。
「ち、近づかないで! 大声出すわよ!」
少女の剣幕に驚いたのか、少年は踏み出しかけた足をあっさりと引っ込め、頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「あっ、いっけねぇ。こっちばっか事情を聞かされてたから、すっかり顔見知りのつもりになってたわ」
そう言うなり、少年がズボンのポケットから携帯電話を取り出し、少女の目の前でダイヤルを叩き始めた。
「――あぁ、もしもし。小萌先生? 今大丈夫すか?」
聞き覚えのある名が少年の口から出たことに、頭に警戒と戸惑いが等分で浮かぶ。
「いえ、たった今それらしい子を見つけたんすけど」
小萌。研究施設で顔馴染みになった学園都市の教師、月詠先生の下の名前。
「ええ、どうにも警戒されちまってるもんで、そうしてもらった方が手っ取り早いっすね。んじゃあ、一旦彼女に代わりますから」
そういうと、少年は携帯電話を手のひらに乗せて差し出した。
「えっと、ミサキちゃん、でいいんだよな? 悪ぃけど、ちょっと電話に出てもらっていいか」
ゆっくりと、深呼吸する。
初対面のはずの自分の名前を知っている。
ということは、本当にかけている相手は彼女なのかもしれない。
もし違ったとしても、この電話で警備員に通報してしまえばいい。
そんな隙があるかはわからないけれど。
おっかなびっくり手を伸ばし、携帯に指先が触れた途端ひったくるように電話を奪う。
一瞬怒鳴られるかと覚悟したが、少年の表情は心なしか、先ほどよりも和らいでいるように見えた。
上目遣いで少年の顔色を窺いながら、寒さと恐怖で強張った唇を、懸命に動かす。
「……も、しもし」
『あぁ、食蜂ちゃん!? よかった、急に飛び出していってしまったから、本当に心配したんですよ?』
ちゃんと聞き覚えのある声色に、思わず安堵の息が漏れた。
昼間の件について詫びていると、すぐ横で少年が着ているトレンチコートを脱いでいるのが見えた。
一瞬良からぬ想像が浮かんだが、彼は黙ってそのコートを自分の肩にかけてくれた。
寒さで肩が震えていることに気づいたのだろう。
その重さと、まだ残っている温もりに、少しだけほっとする。
一方で、胸にわだかまる不安は、今の空模様よりなお暗澹としたままだ。
外部の人間向けに、定期的に行われている研究所でのデモンストレーション。
大失態という言葉ですら軽かった。
まさか能力開発を見学に来た理事やスポンサーの目前で
催眠をかけた相手を昏睡状態に陥らせてしまうなんて。
「あ、あの、私、これからどうなるんですかぁ?」
ついに堪えきれず、涙声になってしまう。
情けない限りだったが、自分を心配してくれたという何でもない言葉に、感極まっていたのかもしれない。
学園都市の裏組織、暗部。
問題を抱えた能力者たちの再処理施設。
都市伝説じみた噂は学生の間でもまことしやかに囁かれている。
そしてその噂がほぼ正しいことを、少女は知っていた。
『大丈夫ですよ。もう何も心配することはありません』
子供をあやす様な、言い聞かせるような声だった。
小学生のような外見でも、やはり彼女は学園の教師なのだと思い知る。
「え……で、でも」
それでも、彼女の言葉を鵜呑みにはできなかった。
どれだけ能力を解除しようとしても、彼らには何の反応も見られなかったのだ。
異変を察して駆けつけた研究員たちが頬を叩いて呼びかけても、気つけ薬を使っても――電気ショックでも。
私の目の前で、彼らが目覚めることはなかったのだ。
そんな、否定的な思考に陥っている自分に――
『実験に付き合ってくださった皆さん、あの後すぐに意識を取り戻しましたから』
彼女はきっぱりとそう言った。
受話器越しでも伝わる朗らかさに、狐につままれたような気分になった。
「いや、ですから。家出少女を泊めるなんてのは激しく犯罪の香りがですね」
少年の声を右から左に聞き流しながら、少女は先ほどのやり取りを反芻していた。
「寮が近いって――そりゃそうすけど。つーか、先生んとこは無理なんすか?」
疑いをなかなか捨てようとしない自分に、月詠先生は根気よく説明してくれた。
要するに、自分の早合点だったのだと。
何かの間違いで、能力の発動とは無縁の理由で、たまたま意識を失っただけだったのだと。
「……はぁ、何だぁ。ただの一人相撲だったのねぇ」
さっきまで世界の終わりを迎えたような心地だったのが嘘みたいだった。
未だ雨は降り続けていたが、心なしか先ほどよりも空が明るい気がした。
「部屋が散らかってるって? それが何なんですか! はぁ? 教育的によろしくない? どっちが!」
少年の軽快な突っ込みを聞いているうちに、あるいは本当に安心してもいいのではないかと思い始めた。
測定のため朝から何も口にしていなかったことを思い出し、胃袋がしきりに抗議の声を上げ始めた。
「ねー、私、お腹空いたんだけどぉ」
「あ、わ、悪い! もうちょっとだけ待っててくれ」
受話器から口を離して謝ってから、少年が通話を再開した。だが、それも長くは続かなかった。
「……はぁ、わかった、わかりましたよ。とりあえず部屋には連れて行きます。んじゃあ、約束ですよ」
結局説得されたのか、着替えどうすっかなーなどと独り言を呟きながら、少年が携帯を畳んだ。
「もっとちゃんとこっちに寄ったらどうなのぉ? あなたの傘なんだし」
「こんだけ濡れちまってたら、あんまり変わんねえだろ」
さほど大きくない傘にお互い身を寄せ合いながら歩いた。
大通りに人陰はまばらで、すれ違いに手間取ることはない。
すっかり安心しきったことで、ある程度物事を考える余裕が生まれていた。
たとえば、この人はどんな経緯で自分を探すことになったのか。
何から聞こうか迷っているうちに、ふと肝心なことを聞いていない事実に思い当たる。
「あの、お兄さんのお名前は?」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったっけな」
少年が一人納得したようにうなずき、歩調をこちらに合わせたまま――
「上条当麻だ。よろしくな」
そう言って軽く会釈した。
「……カミジョウ、トウマ。ふぅーん」
「こら、さんをつけろよ。一応年上なんだし」
その名前と、困ったような笑顔と、繋いだ手の温かさが、頭の中にすっと染み込んでいくのを感じた。
「カミジョウ、さん」
「よろしい。んで、君はミサキちゃんでいいんだよな」
「食蜂操祈よぉ。あっ、漢字はねぇ――」
名乗り合った後、何を話したかはろくに覚えていなかった。
ただ、寮につくまで私たちの会話が止まらなかったのは確かだ。
結局その日は、彼の部屋でシャワーを浴びさせてもらい、店屋物を食べ終えてからすぐに寝入ってしまった。
身に降りかかった災難を解決してくれたのが他ならぬ彼であると知ったのは
それから二週間も経ってからのことだった。
とつと場面が切り替わった。
傷口に貼りついたガーゼを剥がすように、記憶がぺりぺりと音を立てて剥がれ落ちていく。
苦しい、痛い、辛い。
傷ついたかさぶたから、新たな記憶が滲み出した。
ショッピングセンターの中にあるフードコートだ。
ランチの時間は終わったのか、周りには数組の学生しかいない。
通りに面した窓際の席で、向かいの席に座っている偽小学生から受け取ったレポート用紙を、ぱらぱらと捲っている。
「事後報告書はこれで全部ですか?」
「ええ、事故の原因は被験者の体調不良ということに落ち着きました。――表向きは」
「表向き……。じゃあやっぱり、何か問題があったんですね?」
「まだ確定的なことは言えませんが」と前置いて、小萌がミルクレープを口に運ぶ。
「私もあの場に居合わせましたけど、あなたの能力の発動時、異変の兆候らしきものは見当たりませんでした」
「それは、私もそう思っていました」
実際、あの日は体調もすこぶる良好だった。事前の能力測定でも異常は見られなかった。
「似たような実験には以前にも何度か立ち会っていますし、少なくとも、干渉そのものには問題がなかったのではと」
「でも、だったらどうして彼らは意識を失ったんですか?」
「それについては現在も継続して調査中です。スポンサーの方たちにせっつかれたのか、理事会が動いて大規模な査察が入っているみたいなので」
「そう遠くないうちに判明するってことですね」
「おそらく。とはいえ、詳細がこちらまで降りてくるかは結構微妙なラインですね。何者かの作為があんなことを引き起こしたのだとすれば、ですけど」
「……一般には公にできないんですか」
「内部の者による犯行だとすれば、学生もその保護者の方々も、学園都市の能力開発に不信を抱くでしょうから」
「本当に、大人って勝手ですよねぇ」
「返す言葉もないです。ただ、これでもかなり際どい部分まで踏み込んでるってことは理解してもらいたいんです」
精神系能力者なら、大抵の事なら調べようと思えばかなりのレベルまで把握できる。
実際、彼女の話には学生閲覧不可のセキュリティコードに引っかかる箇所がいくつかある。
下手に動かれて危険な目に遭うよりは、ある程度の情報を教えた方がいいと考えてくれているようだ。
きっと彼女は、学園都市の中では珍しくまともな倫理観を備えた教師兼研究者なのだろう。
少なくとも、自分みたいな齢足らずにも真摯に向き合ってくれる大人であることは間違いない。
「仮にもしも、あの人たちが目覚めなかったら、私はどうなっていました?」
小萌の表情が微かに険しくなった。
「……イメージの悪化は免れませんし、スポンサーが撤退することはあり得ましたね。あくまで想像の域を出ませんけど」
「……損害賠償に発展する可能性も?」
「脅しではなく、あったと思います」
本当に。
「能力の暴走自体は高位能力者でも起こり得ることですが、何しろタイミングがタイミングでしたから」
本当に危ういところだったのだと、今さらながらに震えが走る。
「内定している常盤台中学の入学が取り消されたのは、まず間違いないでしょう」
「……やっぱり、そうですよね」
だから、これだけは確認しなければならなかった。
「あの、あんなことが起きたばかりですから不審がるのは仕方ないですが、今の所は悪い方向には向かっていないようですから」
「ええ、わかってます。それじゃあ、最後にもう一つお訊ねしたいんですが――」
「はい、なんですかー?」
「――どうやって、あの人たちを治したんですか?」
「……え、治した、って」
意表を突かれて動揺したのか、小萌の目がちらりと泳いだ。
「あ、あの、食蜂ちゃん? その報告書にも書いてある通り、被験者の方たちは自然治癒したのであって」
「嘘ですよね」
「あ……いえ、ですから」
きっぱりとした口調に、小萌がたじたじとなる。
「あの日、受付を担当していたお姉さんが、あの人のことを覚えていました」
「え……」
「月詠先生から電話で呼び出しを受けたという少年を、リクライニングルームに案内したって」
「そ、そんなはずはないです! 上条ちゃんにはちゃんと裏口――――っ」
「やっぱり、そうだったんですねぇ」
「……え、……あ」
彼女が黙り込んだのを見て、自分だけ蚊帳の外にいたことを、痛感する。
「引っかけたんです!? ひ、ひどいじゃないですか!」
「騙していたそっちだってひどいじゃないですかぁっ!」
思いもよらぬ大声が出た。
店内の注目が集まるのにも気が回らなかった。
「べ、別に、あなたを騙すだなんて……」
「もし、上条さんに私を探してもらっていただけなら、わざわざ研究所に来てもらう必要力はないですよねぇ」
「……そ、それは」
「この件に尽力していただいたことについては感謝してますよ? だからって、何で助けたことまで黙ってる必要があるんですか?」
「……う」
「教えてくれますよね?」
「……そ、それについては、企業秘密なのです」
「やっぱり、上条さんが治したんですか? でも、あの人自分は無能力者だって言ってましたけど」
「こ、声を抑えてください。大っぴらにされては――――って、食蜂ちゃん、何故に私にリモコン向けてるですか!?」
「初めからちゃんと教えてくれていればこんな真似しなくて済んだんです。……これが最後です、教えてください」
しばしの間、小萌が少女を無言で見つめた。
相手が本気なのか、見定めるかのように。
「……もしかして、上条ちゃんにも問い詰めたんです?」
「それは、まだです。そうしようと考えていたケド、あの日以来、彼、全然捕まらなくて」
授業が早く終わった日や解析実験のない日を選んで、何度かバスで上条の住む寮を訪ねた。
だが、インターホンを押しても留守だったし、最終バスの時間ぎりぎりまで待っていても、上条が現れることはなかった。
「……恩人かもしれない人に、そうやってリモコンを向けるつもりです?」
「月詠先生が知らぬ存ぜぬを突き通すなら、そうせざるを得ないでしょうね」
「こ、困りますよ! 彼には誰にも知らせないようにって念押しされてるんですから!」
「……独断で施設内に部外者を入れたと知れれば、責任力を問われますよねぇ」
少女の脅し文句に、小萌が「あぅあぅ」と呻いた。
もちろん、外に漏らす気などなかった。
彼女が善意から彼の協力を仰いだのは間違いなかったし、それがなければ自分の身が危うくなっていたのも事実だ。
恩を仇で返すのは、性に合わない。
それでも、この点について妥協するわけにはいかなかった。
「先生から聞いたとは絶対に言いません。お願いですから、私だけ仲間外れにしないでください」
リモコンを引っ込めて頭を下げた少女に、小萌は苦りきった顔のままストローに口をつけた。
「あの、本当に詳しいことは知らないんですよ? 私は、気を失った人たちが安置されてた部屋に彼を案内しただけで」
小萌が懸命にハンドルを切りながらそう言った。
これ以上レストランでは話せないということで、小萌の車の中に移動していた。
小学生並に座高が低くて果たして前が見えているのか、否応にも気になる。
「その後に意識が回復したんだったら疑いの余地はないじゃないですか。私自身が洗脳をどうやって解こうとしても解けなかったんですよ?」
「でも、偶然ということだって……」
「その前にだって、色々処置を講じていたじゃないですか。あれだけやって駄目だったのに、何もせずに覚醒するなんてありえません」
そんな単純なことにも気がつかないほど、あの日の自分はパニクっていて、そして浮かれていたのだろう。
その様子をあの少年はどんな目で見ていたのか。
当日のことが克明に蘇り、歯痒いような、腹立たしいような、複雑な気持ちに囚われる。
「先生はあの日、上条さんに電話でなんて伝えたんですか?」
「ええと、確か――」
首をかしげてから、前方に注意を払いながらポツポツと話す。
「能力開発中に事故が起きて、被験者が意識を失ってしまった、みたいなニュアンスで伝えました。
その、あの時はあなたの捜索より先に、救助を優先するべきだと判断したんです」
「後回しになったことは気にしてません。実際それで助けられたわけですし、的確な判断だったと思います」
桜の並木道は閑散としていたが、既にいくつかの蕾が付き始めている。
あとひと月もすれば自分も中学生だというのに、なんの実感もわかなかった。
「今の話からすると、私が精神系能力者だってあの人には知らせなかったんですね?」
「説明したのはあなたの外見と、ショックを受けて飛び出してしまったことだけです」
それについては、当日の彼との会話である程度予想できていた。
口止めされている以上、こちらの事情について根掘り葉掘り説明するのもアンフェアだと思ったのだろう。
「とはいえ、薄々事情を察していたとは思います。上条ちゃんは普段鈍感なくせに、昔から妙な所で勘が働くんです」
困ったものですねー、と小萌が苦笑した。
「昔から……。先生は、上条さんとはどういった関係なんですか?」
「普通に小中と、担任と生徒の関係ですよ。彼もつい最近までは本当に聞かん坊で、手を焼かされました」
丁度赤信号に捕まったところで、小萌が大袈裟に両手を垂らして見せた。
「以前にも、能力絡みの騒動で協力してもらったことが何度かあるんですか?」
「ノーコメントです。これ以上はプライバシーの侵害、というより、善意で協力してくれた彼に対する裏切りになりますから」
「……理解しました」
「それで、彼がやったことを知った上で、どうするんです?」
「引っ叩きます」
「って、食蜂ちゃん?!」
「冗談ですぅ。まずは一言、お礼からですよねぇ」
とにもかくにも、これで言質は取れたも同じだ。
本当に引っ叩くかどうかは、彼の態度を見てから決めよう。
「……あっ、帰って来たわぁ」
電柱と塀の小さな間から通りを窺っていた私服姿の少女が、いそいそと前髪を整え直す。
(って、あらぁ? ちょっと見ない間に、ずいぶんと男前になっちゃってるわねぇ)
あちらこちらに包帯が巻かれた上条の姿に、少女がはてと小首を傾げた。
頬にも大きめのガーゼが貼りつけてあり――傷テープが突っ張るのだろう――感触を気にしているふうにも見える。
怪我の具合がどうかと少し不安になったが、足取りはしっかりしているからそこまでひどくはないだろう。
距離が縮まってきたのを見計らい、意を決して上条の前に立ち塞がった。
「……ん?」
「お帰りなさぁい。待っていたわよぉ、上条さぁん」
「あれっ、お前……」
上がりかけた上条の手が、酔っ払ったようにふらついた。
わざわざ寮の手前で待ち伏せていた意味を察したのだろう。
「その怪我、誰かと喧嘩でもしたのぉ? 暴力沙汰はあんまり感心しないわねぇ」
(さぁ、どうするのぉ? 許しを乞うなら早いほうがいいわよぉ?)
すっかり固まってしまった上条に、少女が勝ち誇ったようにほくそ笑み――
「お前……は、……えーっと、……んー、どっかで……?」
「……は」
次いで、その笑みがはっきりと強張った。
「見覚えが、あるような気が、なきにしもあらず……」
「は、はァーーッ? はァーーーーッ!?」
「い、いやいや、ちょーっと待ってくれ? 本当に、もうこの辺まで出かかってんだよ」
むむむ、と額に指を当てて唸る少年に、少女の肩がわなわなと震え出した。
完全に想定の範囲外だった。
顔も名前も覚えられていなかったことに、自分が思いのほか傷ついていることに気づかされる。
しかも温めてあった責め句と感謝の文言が、この無礼な発言で完全にどこかへ消し飛んでしまっていた。
「……あ、そ、そうだっ! ミサキちゃんだっ!?」
「……そ」
そうだけど。……そうだけどぉ! 何で最後自信なさげぇ!?
半ばべそをかきながらも
「フ、フルネームまでちゃんと教えたはずよねぇ!?」
より詳細な情報を要求せずにはいられなかった。
「えぇ、っと。……確か、そう、ショックなんちゃら、だったよーな……ハーフ、なんだっけか?」
「……う……ぅ」
少女の目に涙が溜まっていくのに気づき、にわかに上条が落ち着きなく周りの目を気にしだした。
「……い、いやぁ、元気にしてたか?」
愛想笑いで誤魔化そうとする彼を見て、本気の本気で引っ叩いてやろうかと思った。
仮にも恩人でなければ速攻力で洗脳を施し、パンツ一丁で女子校に突撃させているところだ。
あの日、先にシャワーを浴びさせてもらっていなければ。
自分が好きな店屋物を頼んでいなければ。
朝目覚めたのが、部屋に一つしかないベッドの上でさえなければ。
(が、我慢……我慢よぉ)
驚異的なまでの自制力を駆使し、振り上げかけた手をどうにか元の位置に戻す。
「ま、まぁ、それなりよぉ。――お陰様で」
「そ、そいつはよかった。それで、こんなところで何やってんだ?」
きっちり皮肉を交えたことにも全く気づいていないようだ。
鈍感だという月詠先生の慧眼に心の中で拍手を送る。
「あぁ、もしかしてこの辺に友達が住んでるとか? それとも、何か俺に用事が?」
心理学専攻ならこの少年にもデリケートな女心を指南しろという八つ当たりじみた心の叫びもセットで。
「よ、用がなかったら、会いに来ちゃダメなワケぇ?」
「あぁ、いやぁ、そんなことはねえけど」
手応えのないやり取りを重ねる度に、少女の頬が膨れていく。
前々からの約束を「仕事だ」の一言で反故にされた子供のように。
「何て言っても、用があるから来たんだケドねぇ。上条さん、今何か欲しいものとかなぁい?」
「……は? 何だ、いきなり? 欲しいモノって言われても、俺の誕生日はもう――」
何かを勘違いしているらしい上条を、少女が目線で制した。
「あなたが昏睡状態の人たちを治してくれたんでしょ? そのお礼をさせてって言ってるのよぉ」
「……えーっと、いったい、何のことカナー?」
今さらしらばっくれても無駄だ。
ネタはとっくに上がっているのだ。
探偵ドラマの推理役さながらに、視線をあさっての方へ向けている上条に指を突き付ける。
「研究所の職員に聞いて回ったのよぉ。あの日、施設内で上条さんに似た人を見かけなかったかって。そうしたら――」
「い、いやぁ、似た人は似た人じゃないですかねぇ?」
「往生際が悪いわねぇ。それともなぁにぃ? 上条さんったら、月詠先生を嘘つきにするつもりぃ?」
「月詠……って、何で小萌先生が出てくんだよ?」
「とぼけても確たる証拠は出揃っていることを暗示しただけよぉ。口止めされてるからなのか、見てるのも可哀そうになるくらい必死に否定してたケドねぇ」
それでようやく全てを察したのか、上条が諦めたような笑みを浮かべる。
「……おまえ。見かけによらずアクティブな性格なんだな」
「余計なお世話ですぅ。そんなことよりどうして、出会った時にそのことを教えてくれなかったのよぉ?」
「どうしてって言われても、ぶっちゃけ大したことしてねえし」
その言い様に少女の顔がかっと火照った。
謙遜からくる言葉だったとしても聞き捨てならなかった。
あの時ひどく狼狽えていた自分を遠回しに小馬鹿にされた気がした。
名前をろくろく思い出せなかったのもそのせいなのか。
上条の中では取り立てて大したことではなかったから。
記憶にも残らないような、思い出とも言い難い些細な出来事だったというのか。
自分と違って。
「……ふぅ、……ふぅ……ふうぅぅー」
「お、おい? だ、大丈夫か?」
過剰な腹式呼吸で怒りと熱を二酸化炭素に変換し、遠ざかりかけた理性を辛うじて引き戻す。
それでも唇が引きつるのは止められなかった。
「え、遠慮することないじゃなぁい? 私、こう見えてお金結構持ってるんだからぁ。今どきただで人助けなんて流行らないわよぉ?」
「ばぁか、お前が救われたんなら、それだけで俺の帳尻は合ってんだよ。つか、子供が財力で恩返しとか考えんな」
「帳尻って……」
妙な言い回しに引っかかるものを感じた。誰かを助けただけでは一方的な奉仕ではないのか。
「ていうかぁ、あなただって私と二歳しか変わらないくせに――」
「ん? そんなことまで小萌先生から聞き出したのか?」
「た、たまたまよぉ。別に聞こうと思って聞き出したわけじゃないわぁ」
んー、と腕を組んで考え込んでいた上条が、ふと何かに気がついたような顔をした。
「よし、じゃあわかった」
「な、何がよぉ?」
「要するに、お前は俺に借りを作ったままじゃ嫌だから返そうとしてる。そういうことなんだろ?」
「……そ、そうねぇ」
そうと答えながらも、これは少し、いやかなり違うんじゃないかという思いが頭を過ぎる。
「なら話は早ぇ。もしお前の近くに誰か困ってそうなやつがいたら、その場にいない俺の代わりにそいつを助けてやってほしい」
「え、……と、それってつまり、どういうことぉ?」
「世の中には恩送りって言葉があってだな。受けた恩を直接その人に返すんじゃなくて、他の人に送っていくんだ」
「恩、送り?」
「親然り、教師然り、孝行する時に相手がいないってなことは世の中いくらだってあるだろ。
親から受けた恩を熨斗つけて返すなんてことは、よっぽど実力と運に恵まれなきゃできねえ」
「……まぁ、そうでしょうね」
「だから、その分自分の子供に愛情を注ぐみたいなさ。そうやって持ち回りみんなに少しずつ幸せが訪れたらいいなって」
「それを、私にやれっていうの?」
「いやいやまさか。恩をどうこうなんてのは、他人から強制されてやるもんじゃねえだろ? 俺の一方的な願望だよ」
「……上条さんって」
「うん?」
「つくづく損な性分なのねぇ」
「うっせーよ。俺は偽善者で、そうと自覚してるだけだ」
「偽善者? あなたって根は悪人なの?」
「……まぁ、多分。本人がどう望もうが、実質的にそうなっちまってるわけだし」
「……いまいち言っていることがよくわからないケド――――ま、いいわぁ」
少女が目を閉じ、さめざめと溜め息をついた。
「確約はできなくっても、心に留めておくことくらいはできるものねぇ」
自分には何を差し置いてでも優先すべき企み、取り組むべき目標がある。
それはおそらく学園都市にいる大勢の人間を不幸にするもので
そうとわかっていながら少女は自制する術を持ち合わせなかった。
だが、しかし。
なすべきことに影響しない範囲で、なすべきこととは関係のない場所で。
少年が言うような不幸に悩まされている誰かに出会ったとしたら。
その悩みが、自分のもてる知識や能力で解決できそうなものであるならば。
「恩送り、かぁ。でもぉ、私に誰かを助けるような運命力なんて、あるのかしらねぇ」
跳ねた前髪を弄りながら寂しそうに笑う少女を、上条はどこか神妙な面持ちで見つめていた。
一か月後。
書類上在籍していた、ろくに通ってもいなかった学校に卒業証書を受け取りにいった帰り道。
少女は小走りで小萌と待ち合わせしている場所へと向かっていた。
途中、行く先々で下校中の学生たちと出くわした。
誰もがが新生活に胸を期待で膨らませ、友人たちと楽しそうに他愛ない話をしているようだった。
同じように進学を控えているはずの少女が、その横を無言で追い越していった。
「何? あの子、感じ悪」
「ほっとこうよ。関係ないじゃん」
そんな陰口に構っていられないくらいには、少女はこれからのことについて頭を悩ませていた。
計画を完遂させるためにすべきことが山ほどあったし、そもそも新しい生活を安穏と享受する資格など自分にはないと信じていた。
かつてたった一人の友達が息を引き取ったその後で、醜い真実に気づいたとき。
少女はたとえようのない憤りを感じるとともに、ほんのわずかながら安堵してしまった。
大事な友達が、自分の苦痛に起因しているものを知らないままに、あの世へと旅立ってしまったことに。
悪意を向けられずに済んだことにほっとしてしまったのだ。
自分の心の醜さに、少女は強烈な吐き気を覚えた。
実際に吐いたし、許されないとも思った。
なすべきことを考え続け、そしてやっと、一つの答えを得た。
彼女を犠牲にして得た素晴らしくも恐ろしい能力を、彼女を壊した者たちにこそ知らしめてやろう。
それが幼くして天に召されてしまった友達に、自分ができる唯一無二の供養であり、償いなのだと。
そうでもしなければ、記憶の中に未だ存在するあどけない瞳に、今度こそ顔向けできなくなる気がした。
その決意を差し置いてでも優先すべきものなど、少女にはなかった。
そのはずだった。
「……え、上条さん?」
待ち合わせのセブンスミストでばったり出くわした少年に、少女が目を瞠った。
「よっ、ミサキちゃん。お待たせ」
「……フルネームは?」
「しょ、食蜂操祈サン?」
一気に温度が下がった少女の声色に気づいたのか、上条がおっかなびっくり返答した。
「ふぅん、一応まだ覚えてくれていたのねぇ」
「お前こそ、まぁだ前回のこと根に持ってんのか? つか、忘れること前提かよ」
「女の子の名前忘れるなんて普通だったら死刑よぉ? それより、お待たせってどういうこと? 月詠先生は?」
「いや、緊急の会議が入っちまったってんで、俺が急遽代役に」
「あ、そ、そうだったのねぇ」
彼女から仔細を聞き、自分から進んで会いに来てくれたのではという浅はかな期待が、風船から空気が抜けるように萎む。
「まぁでも、直接会って渡せるってのは満更でもなかったんだけどな」
「……え?」
「常盤台中学への入学、正式に決まったんだってな。これ、俺と小萌先生からの入学祝い」
そう言って差し出された右手には、紙袋の紐が握られていた。
渡された袋の隙間に、少女の目が釘付けになった。
「金を出したのはほとんど小萌先生なんだ。いつかの件で一日潰した謝礼だっつって、折半ってことにしてくれたけど」
決して重くはなかったが、それなりの重量はありそうだった。
何だろう。気になる。
入学祝い。
何が入っているんだろう。すごく気になる。
「……ね、ねぇ。これ、今ここで開けても?」
「あぁ、もちろん」
興味津々な様子に、上条が笑みを噛み殺す。
承諾を得た少女が、そわそわうきうきした様子で紙袋に手を突っ込む。
果たして、包装紙を解いた細い指先が捉えたのは、チェーンの肩ひもが付いた白い小物入れだった。
縁の部分は二重の刺繍糸で誂えてあり、銀色に輝くブランドロゴはもちろん、部分部分に細やかな装飾が施されている。
「…………ふわ……ぁ」
いつもの5割増しで目を輝かせ、捧げ持ったハンドバッグを上から下から見つめる少女に、上条が照れ臭そうに鼻を擦る。
「常盤台じゃ外出時に制服着用が義務付けられてるんだってな」
鼻を近づけてみると、新品特有の革の匂いがした。
「先週の日曜日に、店員さんのアドバイスを参考にしながら、サマーセーターに合いそうなやつを」
質感を確かめるように、革に何度となく五指を滑らせてみる。
「何しろ名門のお嬢様校だからな。できるだけ高級感つうか、見栄えのするやつを選んだつもりなんだけど」
チェーンを実際に肩にかけてみたり。
「色々見回ったところで、新興ブランドのバーゲン品くらいしか手が出なくってさ。あ、値段は聞くなよー? 聞いたらがっかりするぞー?」
そのままくるんと一回転してみたり。
「って、おーい、ミサキちゃん?」
「え、あ、ち、違うわよぉっ! そうじゃなくてぇ!」
「……へ?」
「しゃ、釈然としないじゃなぁい! 恩送りだなんて格好つけてたくせに、何でこんな――こんなの――」
端的に、こういうシチュエーションに慣れていないのだと思い知る。
こんな時に限って思いと裏腹の言葉しか出てこない。
テストで満点を取っても、コンクールで賞を取っても、誕生日やクリスマスだって。
ここ最近、何かをもらった覚えなどなかった。
くれる誰かが傍にいたこともなかった。
「ええっと、とどのつまり、一応は喜んでくれてるってことでいいのかな?」
一応どころの話ではなかった。
それでも黙ったまま、もらったばかりの紙袋に顔を埋めて、小さく何度もうなずき返すのが精いっぱいだ。
「よかった。まぁあれだ、お前は可愛い顔立ちしてっし、これから先プレゼントなんかわんさと貰うんじゃねえか?」
「――――」
「つーか、男どもが放っておかねえよな。その綺麗な髪色にしたって、遠目からでも一際目立っちまってるし」
「……だ、だったら」
そういうあなたは――――あなたも?
「しっかし大したもんだよ。中学に上がる前からレベル4って――――ん、どした?」
「な……、何でもないわよぉ!」
「うぉっ、と、何でいきなし怒鳴るんだよ?」
「か、上条さんが突然変なこと言い出すからでしょー!?」
ぱたぱたと手を振り回す少女に、上条が小さく首を傾げた。
「へ、変なこと? 何か言ったっけ、俺」
「……き、気づいてないならもういいわよぉっ!」
「え、ええっと?」
「そ、そもそもねぇ! 常盤台はレベル3が必要最低条件力なんだから、私よりすごい人だってたくさんいるに決まってるしぃ!」
「だとしても、俺みたいなのには知り合いに大能力者なんてそうそういねえんだって。高レベルの能力者ってのは、雲の上の存在なんだからさ」
「……雲の上ぇ? 嫉妬の対象の間違いじゃないのぉ?」
「……はぁ、ひねくれてんなぁ、お前。そんなんじゃせっかくの学園生活が楽しめねえぞ?」
「い、いちいち小うるさいわねぇ」
「いや、真面目な話さ。俺くらいの齢までカリキュラム受けて何も開眼しねえってのは、もうほぼ見込みがねえってことだろ?」
「……あ」
「なら、高みにいけるやつに夢を託すしかねえじゃんか。嫉妬とか僻みとか劣等感とか、いい加減卒業しなきゃいけない時期だしな」
それを聞いて初めて、この人にも思うところがあるのだと知る。
「……嫉妬だなんて。……上条さんにも、そういう感情があるの?」
「当たり前だろ、聖人君子じゃあるまいし。ま、相手がお前だったら、ちゃんと応援してやれそうな気がすっし」
「……本当に、応援してくれる?」
「そのつもりだけど?」
「……じゃ、じゃあ、さっきの話だケド」
「うん?」
「……もし、その、もしもの話よぉ? ……この先私が、もっと……大人っぽくぅ……」
「何だ? もっとはっきり喋らないと聞こえねえぞ?」
「あ……だ、だからぁ」
少女がはにかみながら身を縮めた。
体のあちこちから恥ずかしさがしゅうしゅうと漏れてしまいそうだった。
「……あ、あの……そのぅ」
何かを言い出せずにいる少女の顔を、少年が両膝に手をついて下から覗き込む。
「……こ、これ、ありがと。……その、大切にするから」
「へへ、そっか。そんなに喜んでくれてんなら、色々見回った甲斐があったかな」
途切れがちな掠れ声を、それでも聞き取れたことを伝えるように、上条が大きくうなずいた。
「それじゃあ、今日は他にも用事があっからそろそろ退散すっけど」
「あ、……うん」
少女に背中を向けた少年が、肩越しに後ろを見た。
「もしまた何か困ったことがあったら連絡してくれよ。俺でも小萌先生でも、相談くらいならいつでも――」
「だ、大丈夫よぉ! 操祈はこう見えて、やれば出来る子なんだからぁ!」
大袈裟に太鼓判を押した少女を見て、上条がおかしそうに笑う。
「じゃ、じゃあ私、もう行くわねぇ。能力開発、遅れちゃうから」
「おう」
何だか妙に気恥ずかしかった。
懸命に背伸びした言動も、何故だか彼には虚勢だと見透かされている気がした。
そんな、何の根拠もない想像を裏付けるかのように――
「――ミサキちゃん!」
歩き出してすぐに、快活な声が響いた。
慌てて後ろを振り向くと
「また今度なっ!」
あの人は陽だまりのような笑顔で、こちらに力強く手を掲げていた。
鏡を見なくたってわかった。
同じように手を振る私の顔は、どうしようもないくらいに、今まで覚えもないくらいに。
「うんっ! 絶対よぉ!」
くしゃくしゃになってしまっているに違いなかった。
温かな記憶。
苦い記憶。
忘れかけていた記憶。
忌まわしい記憶。
掛け替えのない記憶。
身に覚えのない光景が、一つ、また一つと弾けていく。シャボン玉さながらに。
大きな泡が砕けていくたびに、両足を鎖に繋がれた少女が短い悲鳴を上げている。
頭を抱えたまま暗闇に突っ伏し、身を震わせている彼女に、ただ憐憫の情を抱く。
あの少女は超能力者であるにもかかわらず、幸せとはかけ離れた場所にいる。
永久に閉ざされた氷の牢獄で、罪の意識と、他人の悪意と、自らの能力に苛まれている。
心を読める彼女が誰も信頼できないのと同様、心を読める彼女を誰かが信頼することはない。
私とは違って。
上条さんを心から信頼する、何の変哲もない無能力者として生きてきた食蜂操祈とは違って。
夢の中にいる食蜂操祈に似た何者かは、いつまでも、どこまでも、ひとりぼっちのままだ。
目的のためには手段を選ばない性格ゆえに。
誰もが羨み、誰もが恐れる能力を持つがゆえに。
こんなものが現実の私でなくてよかったと、心の底から安堵する。
あくまでこれは夢であって、だからそんな印象も現実には持ち帰れないだろうけど。
ふいに意識が浮上し、閉じた目蓋の裏にほんのりと光が灯った。
続き
食蜂「好きって言わせてみせるわぁ」その4

