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【DQ7】マリベル「アミット漁についていくわ。」【後日談】(1/8)
航海五日目:思い出のアップルパイ / 犯人は誰だ
フォロッド王「では アルスよ また会おう。」
フォロッド王「その時は ここではなく エスタードでかもしれないがな。はっはっはっ!」
一晩中続いた宴が終わり人々がようやく寝静まった頃、
少年たちアミット号の船員は次の目的地へと向かうため、フォロッド城を後にした。
アルス「ええ! また 必ず。」
そう言って堅く握手を交わし一行は港へと歩き出す。
散々な事件があったとはいえ、人々の温かい心に触れた少年と少女の表情は晴れ晴れとしていた。
マリベル「ブコツな造りで つまらない ところだと 思ってたけど みんな 良い人ばかり だったわね。」
アルス「……うん。」
軽やかな足取りで前を行く少女の細い背を見つめ、少年は新たに決意を固める。
マリベル「ん? どうしたのよ。 むずかしい顔 しちゃって。」
アルス「えっ? い いや なんでもないよ! ははは…。」
もう二度とその瞳を濡らすまいと。
マリベル「ふーん どうせまた 変な 想像してたんじゃないの?」
悪戯な表情を浮かべて少女は翻る。
アルス「い… いや その服って……。」
少女は黒いインナーに青を基調とするゆったりした動きやすいロングのワンピースを身にまとっていた。
普段は緑と赤を基調としている活発なイメージの彼女も、
こうして髪をなびかせ、おとなしい色に彩られればぐっと大人っぽさが増してみえた。
マリベル「え? ああ さすがに パーティー用のドレスで 生活するわけには いかないでしょ? だから今朝 王太后さまに お古をもらったのよ。」
アルス「そっか。……うん 似合ってるよ。」
マリベル「ふふん。このあたしに 似合わない 服があったかしら?」
アルス「それもそうだね。」
マリベル「…ちょっと いま テキトーに 言ったでしょ。」
マリベル「ふん いいわよ もう……。」
アルス「あっ……。」
そう言ってはむくれてそっぽを向く姿すら愛おしく思え、少年はつい黙って見とれてしまう。
だが、まずはこの令嬢の機嫌を取ることが少年に与えられた使命であった。
アルス「……ね マリベル。」
マリベル「…なによ。……あっ。」
気が付けば手が触れていた。否、少年がもの寂しそうに揺れる少女の手を絡めとり、その甲を指で優しくなぞっていたのだ。
マリベル「……アルス?」
アルス「手 つなごっか。」
マリベル「…………………。」
一瞬強張った手の力が抜けたの確かめ、少年は少女の指と指の間に自分のそれを差し込み優しく掌を合わせる。
少しだけ身を捩りくすぐったそうにしていた少女もとうとう観念したのか少年の手をゆっくりと握り返す。
そしてこっちを向かせようとしたのに少女の顔は再びそっぽを向いてだんまりを決め込んでしまうのだった。
うっすらと頬を紅潮させているという違いを除いては。
*「おい ありゃあ 完全に…。」
そんな二人を後ろから眺めて漁師の一人が口を開く。
*「声が でかいぞ。」
*「きみも 鈍感だなあ。あんなに わかりやすいのに。」
*「なんだか この 数日で 急接近しているような 気がするけどな。」
*「なんだみんな 水くせえな。教えてくれりゃ 黙ってたのに。」
ボルカノ「…………………。」
“あの跳ねっ返り娘がなあ”
少年と共に少し離れて前を行く少女の後ろ姿を見つめて漁師頭は思う。
以前であれば気にくわないことにはすぐに口を出し、少年を振り回していたあの少女
_今は大人の女性と表現しても差し支えないだろう_が嘘のように少年の隣でされるがままにしている。
ボルカノ「変わるもんだなあ。」
*「あん? どうしたんです ボルカノ船長。」
ボルカノ「いや なんでもねえ。次の 目的地は そう遠くねえんだ のんびりいこうぜ。」
*「へえ…。」
二人の時間を邪魔するのが野暮に思えてしまい、船長と呼ばれた男は足取りを遅らせ遠くに見える小さな港を、
恋人たちの間にできた小さな窓から覗くのだった。
*「お勤め ご苦労様です。」
ボルカノ「うちの 船が 世話になったな。」
*「ぜひ 我が国に また お立ち寄りください。」
*「一同 首を長くして お待ちしておりますぞ。」
アルス「ええ さようなら。」
船着き場で番兵たちと固く握手を交わし、別れを告げる。
ボルカノ「よーし 錨を上げろ!」
マリベル「目指すは 南東の地 メザレよっ!」
*「「「おおーっ!!」」」
掛け声とともに錨が巻き上げられ、漁船アミット号は緩やかな西風を受けて再び大海原へと繰り出していった。
マリベル「さすがに あっちこっちで 宴会やってると 胃が疲れるわね。」
日もだいぶ昇ってきた頃、調理場では少女が連日の宴でもたれたお腹を擦りながら大きな溜息をついていた。
コック長「では リンゴをすりおろして ジュースにでも しましょうか。」
マリベル「そうね。」
コック長「たしか リンゴは そっちに置いておくように 言っといたんですが。」
マリベル「どれどれ…。」
マリベル「…………………。」
コック長「…どうか なさいましたかな?」
マリベル「これは いくらなんでも ちょっと 買いすぎじゃないかしら?」
少女が引っ張り出した箱の中には溢れんばかりのリンゴが詰められていた。
その有様は一緒に入っていた他の果物を魚よりも先に腐らせんばかり。
コック長「…………………。」
コック長「あいつ…。」
料理長は隣の部屋で眠っているもう一人の料理人の顔を思い出し大きな溜息をつくのだった。
*「いやあ すいません。安かったもんですから つい 調子に乗って…。」
叩き起こされた料理人は悪気無く笑って頭を掻く。
マリベル「つい じゃないわよ。どうするの こんなにたくさんっ!」
コック長「さすがに 毎日 リンゴを かじっていては みな 飽きるでしょうしな。」
*「…………………。」
*「そ それなら アップルパイでも 作りましょうよ!」
コック長「……なるほど まあ 連日の外食で バターも小麦粉も 余っておるし 悪くはないな。」
*「じゃあ おやつにでも しましょうか。」
マリベル「…………………。」
ボルカノ「今日は 暑いな……。」
アルス「うん……。」
甲板では親子が実に他愛のない会話をしていた。
先日のことから魔物の襲撃に備え武器や見張りを強化してはいるというものの、いつにも増して強烈な日差しに漁師たちも滝のような汗を流している。
今は昼すぎ、時間にしては一日で最も気温の高い時間帯というだけあってか、日よけの無い甲板の上はさながら海上の砂漠と化していた。
*「これじゃ メザレに着く前に 干からびちまいそうだな……。」
今の漁師たちにとっては魔物なんかよりも頭上から灼熱を吐き続ける太陽の方がよっぽど恐ろしい存在に思えてならなかった。
アルス「ちょっと 水 もらってきます……。」
*「おう。」
そう言って少年が船室へと入った時だった。
アルス「……ん?」
階段を下りてすぐに見える扉の左側に、“ある違和感”を覚えて立ち止まる。
アルス「…こんなところに傷なんて あったかな?」
アルス「…………………。」
アルス「ま いっか。」
暑さで鈍った頭を使う気にならず、少年は深く考えずに水を求めてさらに船の奥を目指していくのだった。
マリベル「みんな おつかれー。アップルパイ焼いてきたわよ。」
*「「「おおっ!」」」
日も傾きかけた頃、甲板へとやって来た少女に男たちは群がる。
その手には大きなアップルパイを乗せた皿が抱えられていた。
マリベル「はいはい 押さないの。ちゃんと 人数分あるからっ。」
大の男たちをなだめすかし、少女は一人一人に切り分けたパイを手渡していく。
*「うほっ うめえ!」
*「やっぱり 女の子がいて良かった…。」
*「うぐっ… ゴホッ ゴホッ! つ つかえた…。」
猛暑で参っている漁師たちのことを考えて少しだけ冷まされたアップルパイは、桂皮と林檎の爽やかな香りがほんのりと立ち込めていた。
ボルカノ「アップルパイなんて 何年ぶり だろうな…。」
アルス「うちじゃ めったに 食べないからね。」
マリベル「…………………。」
少女は漁師たちが美味しそうに平らげるのを満足気に見届けていたが、やがて人気の付かない端の方へと去っていってしまった。
アルス「……?」
そんな後ろ姿を不思議に思い、少年はそっとその後を追うのだった。
マリベル「…………………。」
少女は一人船縁に肘をかけ、最後の一切れを持ったままじっとそれを見つめていた。
アルス「…どうしたの マリベル?」
マリベル「…ああ アルス。いや ね 昔のことを 思い出しちゃっただけよ。」
少女は振り向きもせずに答える。
アルス「昔のこと?」
マリベル「ええ。いつだか 言ったかもしれないけど あたし おじいちゃん子だったのよ。」
アルス「それが アップルパイと……。」
マリベル「好きだったのよ。」
アルス「え?」
マリベル「死んだ おじいちゃんがね。 ……アップルパイを。」
マリベル「まだ おじいちゃんが 生きていた頃 おじいちゃんが ママに言うもんだから ママは よく アップルパイを 作ってたの。」
アルス「どうして?」
マリベル「さあね。でも 今思えば おばあちゃんとの 思い出の品だったのかなって。」
マリベル「おばあちゃんのことは 顔も 知らないけど おじいちゃんが アップルパイを食べる時の顔は なんだか 懐かしむような 感じだったもの。」
アルス「マリベルの おばあさんのことを 思い出していたのかな。」
マリベル「そうかもね。あたしも おじいちゃんと 食べる アップルパイが 大好きだったわ。」
マリベル「でも おじいちゃんが 死んじゃってからかな。アップルパイが 嫌いになっちゃったのは。」
マリベル「見たくも なかったのに。飯番が リンゴばっかり 買ってくるから。」
アルス「…………………。」
マリベル「何年たっても 忘れられないものね。おじいちゃんが 喜んでくれるからなんて言って ママに 教えてもらって 何度も 練習したっけ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「笑っちゃうわよね。あれだけ 嫌だったのに いざやってみれば 自分でもびっくりするくらい うまく作れちゃうんだもの。」
マリベル「……二度と作らないって 思ってたのに…。」
アルス「…………………。」
アルス「きっと おじいさん 泣いてるよ。」
マリベル「え?」
アルス「マリベルが そんなこと言ってるって知ったら きっと 天国の おじいさんは 悲しむと思うよ。」
アルス「……おじいさんとの 思い出のアップルパイなんでしょ?」
マリベル「…そうだけど……っ!」
アルス「ぼくは いやだな。自分の大好きな人が 自分との思い出を 嫌だなんて言って 忘れようとしていたら。」
アルス「大好きな人には ずっと 覚えていてほしいもん。ぼくのことも ぼくとの思い出も。」
マリベル「…………………。」
マリベル「おじいちゃん…。」
素直な感想、否、願いだったのだろうか。少年の言葉に大好きだった祖父と過ごした日々を思い出し、少女はそっと思い出の味にかじりつく。
マリベル「……おいしい。」
一度口にしだしたら止まらなかった。最後の一口まで噛みしめると少女はゆっくりと赤みを帯び始めた空を見上げる。
柔らかい微笑みを浮かべるその瞳からは名残を惜しむように滴が一筋、海の底へと消えていった。
アルス「…………………。」
空っぽになってしまった皿を見つめながら少年は少しだけ後悔していた。
今朝がた心に決めたばかりの誓いは、自らの手によってあっという間に、いとも簡単に破られてしまったと。
しかし彼の心はどこか温かい気持ちで満たされていた。
アルス「この旅が 終わったらさ……。」
アルス「また 食べたいな。マリベルの アップルパイ。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……うん。」
少女はもはや泣いてなどいなかった。少年の願いに小さく頷くと再び空を見上げ、優しく頬を撫でる風に身を任せ、静かに目を閉じたのだった。
日が海の彼方へ沈みかけた頃、元気を取り戻した少女は再び調理場で作業に取り掛かっていた。
マリベル「さーて 干物は どうなってるかしらねー。」
そう言うと先日作った深海魚の干物の状態を確認するべく、少女は層状の金網を覆った布を勢いよく捲り上げる。
マリベル「うん……うん?」
色もよくしぼみ過ぎず嫌な臭いも全くせず、干物の状態はどこからどう見ても良好だった。
マリベル「なんで……。」
ただ。
マリベル「なんで こんなに 少なくなってるのよ…!?」
明らかに数が足りない、という点を除いては。
ボルカノ「……それで 干物が いつの間にか なくなっていたと?」
それからすぐに船員が会議室に集められ、状況を確かめるべく船長による聞き取り調査が行われた。
コック長「ええ そうなんです。さっき 状態を調べようと マリベルおじょうさんが 確認した時には 既に いくつか なくなっていたんです。」
マリベル「まったく どうなってるのかしら。今朝 船に戻ってきた時には 確かに 全部 あったのに。」
ボルカノ「うーむ こいつは いったい……。」
不可解な状況に船長は腕を組み首を捻る。
*「…はっ! もしかして 誰かが 盗み食いしたんじゃ……。」
ボルカノ「信じたくはねえが その線も あり得るかもな。」
*「だとすれば 甲板にいた おれたちは みんな 潔白ですぜ。」
*「そうだよな。途中で 水飲みに 行ったりしたけど それ以外は 船室に入ってないからな。」
*「だとすれば 可能性が 残っているのは……。」
*「コック長 それから飯番のお前に マリベルおじょうさん だけだな…。」
コック長「わたしは ずっと 窯に向かっていましたからな。」
*「ぼ ぼくも コック長の隣で 火焚きや 下ごしらえを してました……っ。」
*「ということは……。」
男たちが一斉に少女の方へ振り向く。
マリベル「……な なによ! あたしが やったっていうのっ!?」
*「でも おじょうさん以外は みんな アリバイが ありますぜ!」
*「まさか おじょうさんが つまみ食いだなんて…。確かに 脂が乗ってて 美味しそうだったけど…。」
マリベル「じょ… 冗談じゃないわよ! なんで あたしって 決めつけられきゃ ならないのよ!」
マリベル「コック長だって あたしのこと 見てたでしょっ!?」
コック長「残念ながら わしは シチューの煮込みに 集中していたもので……。」
マリベル「そんな…!」
ボルカノ「……だれか おじょうさんの無実を 証明できる奴は?」
*「…………………。」
マリベル「…た たしかに 最後に干物の確認をしたのは あたしだし 調理場にもいたけど……。」
マリベル「盗み食いだなんて やってないわ! ねえ 本当よ……。」
*「しかし 誰も 見ていないし 証言できない以上……。」
マリベル「…………………。」
重苦しい空気と浴びせられる疑いの眼差しに、とうとう少女は黙って俯いてしまった。
アルス「……でも 干物って言っても 普通は あぶったりして 食べるものでしょう?」
沈黙を破ったのは少年の声だった。
アルス「いくらなんでも そのまま 食べたら お腹を壊すはずです。」
アルス「だとしたら 必ず 火を使うはずでしょう。
もし マリベルが 干物を焼いて 食べたというのなら 同じ調理場にいた二人が 気付いたんじゃないですか?」
*「そっか…。」
*「でも マリベルおじょうさんは 火の呪文を 使えるんじゃなかったか? このフロアでなら 誰にも 気付かれずに できるんじゃ…。」
少年に集まっていた視線が再び少女に向けられる・
マリベル「…たしかに 使えるわ。呪文じゃなくても 特別な力で 火も吹けるわよ……。」
アルス「でも 干物を焼く時の 匂いを 完全に飛ばすことは できません。」
アルス「もし 実際に あぶったりしていたら きっと 誰かが 気付いたはずでしょう。」
少年の言うことはもっともだった。だがそれだけに謎はさらに深まり、再び辺りは痛いほどの静寂に包まれる。
マリベル「もういいわ アルス……。誰にも 証明できない以上 あたしが 疑われるのは 当然のことだわよ…。」
アルス「マリベル!」
マリベル「ううん 何も言わないで。……気持ちだけは ありがたく 受け取るわ。」
マリベル「さあ ボルカノ船長! なんなりと あたしを罰してください。」
漁師頭に体を向け、少女は諦めたように目を閉じて制裁の言葉を待つ。
ボルカノ「…………………。」
いくら網元の娘とはいえ漁師にとって船の上での規律は絶対。男はこの船を任された船長として苦渋の決断を下すより他なかった。
ボルカノ「マリベルおじょうさん こんなことは 言いにくいんですが…。」
ボルカノ「規律を 守れない以上 この漁からは……。」
“離脱してもらいます”
そう告げようとした時だった。
アルス「待って! 待って父さん!」
父親の言葉を遮り少年が叫ぶ。
ボルカノ「アルス……。」
アルス「マリベルは 犯人なんかじゃない!」
アルス「ぼくが 真犯人を 突き止めるまで 少しだけ 時間をください!」
少年は本気だった。
犯行を裏付ける決定的な証拠もなければ少女がそんな自分勝手なことをする動機もない。
少年は彼女のことを信じていたのだ。
ボルカノ「…………………。」
息子の揺るぎない目を見つめ、父親はやがて大きく頷く。
ボルカノ「わかった。メザレに到着するまで 待とう。」
ボルカノ「ただし マリベルおじょうさん。それまでに 疑いを 晴らせなければ その時は……。」
マリベル「ええ。大人しく 船を 降りますわ。」
少女が力強く、はっきりと答える。
ボルカノ「わかりました。」
ボルカノ「おまえら 持ち場に戻れ! 通常運転で 行くぞ。」
ボルカノ「ただし アルスには 協力してやってくれ。」
ボルカノ「……オレからの お願いだ。」
それだけ言うと船長は甲板へと昇っていった。
マリベル「ごめんなさい アルス。こんなことになっちゃって…。」
すっかりしおらしくなってしまった少女に少年は笑いかける。
アルス「大丈夫。ぼくが必ず きみの疑いを 晴らしてみせるよ。」
マリベル「…うん!」
少年の力強い言葉に少女は少しだけ元気を取り戻す。
アルス「しかし 困ったな。やったという 証拠はないけど やっていないという 証拠が見つからないんだ。」
壁に背をもたれ腕を組みながら少年が言う。
マリベル「本当に 誰がやったのかしら?」
マリベル「この船には あたしたち以外 誰も 乗ってないはずよね…。」
アルス「うーん…。」
そう、確かに漁船アミット号には少年たち以外には誰も乗っていなかった。
誰も。
アルス「うんっ!?」
少年は思い出したように目を見開き走り出すと、甲板へと続く階段の手前で立ち止まった。
アルス「この傷は…!」
少年が凝視する先には昼過ぎに見つけた縦長の傷痕があった。
扉の横の間仕切りにつけられたそれは、何度も何度も引っ掻いたようにいくつもの線が刻み込まれていた。
マリベル「なになにっ? どうしたのよアルス。」
遅れてやってきた少女が不思議そうに少年の顔を見つめる。
アルス「マリベル! 犯人がわかったかもしれない!」
マリベル「……どういうこと?」
アルス「ぼくたちは たいへんな 勘違いを していたんだっ!」
アルス「この傷を見て!」
マリベル「なに…これ… まさかっ!」
アルス「その まさかだっ!」
そう言って目を合わせると二人は一目散に船の奥へと走り出した。
*「なんだ なんか 下が騒がしいぞ?」
*「どうせ アルスが 慌てて 走り回ってんだろう。」
*「あいつも たいへんだよ。おじょうさんの 尻拭いとはいえ こんなことに なるなんてな。」
*「おい おじょうさんが 犯人なんて まだ決まってないんだ。そんな言い方は よせよ。」
*「おまえだって 本当は 疑ってるくせに 何言ってるんだ。」
*「なんだとっ!」
*「なんだ やるってのか?」
ボルカノ「やめろ おまえたち! 船から 放り出されたいか!?」
*「うっ…。」
*「すいません 船長。ついカッと なっちまって…。」
ボルカノ「あの マリベルおじょうさんが 盗み食いなんて するわきゃねえ。」
ボルカノ「今は アルスが 真実を突き止めてくれることを 信じて 待つんだ。」
*「船長…!」
敢然として海を見つめる船長に漁師が何か言いたげに声をかけた。
その時だった。
*「待てーーーーっ!」
突然階下から少年の怒鳴り声が響き渡り船内は緊張に包まれた。
*「なんだっ!? 何が起こってるんだ?」
*「アルスだっ! アルスが 真犯人を 見つけたに違いねえ!」
ボルカノ「っ……!」
甲板で漁師たちが狼狽えていると突然小さな影が階段から飛び出してきた。
アルス「誰かっ そいつを 捕まえて!」
後から階段を駆け上がってきた少年が目いっぱいに叫ぶ。
*「フギャーーーーッ!」
*「な なんだあっ!?」
小さな黒い影は甲板を駆け抜けると再び階段の方へ向かって飛び跳ねた。
次の瞬間。
*「ギャッ……!」
マリベル「つっかまーえたっ!!」
遅れてやってきた少女の腕にソレはがっちりと掴まれた。
*「フゥーーッ! フゥウウウッ!」
マリベル「おーよしよし。何もしないから 大人しくしてちょうだい?」
*「フゥ………。ゥゥゥ…。」
しばらく手足をバタバタさせて少女を引っ掻こうとしていたが、少女が優しく首元を掻いてやると落ち着きを取り戻し、観念したのか遂に大人しくなった。
アルス「ふう…!」
隣で見ていた少年が額の汗をぬぐいながら大きくため息をつく。
*「マリベルおじょうさんっ! そいつは……。」
マリベル「うふふっ!」
アルス「見つけましたよ。真犯人。」
ボルカノ「つまり その猫が 船に紛れ込んで 干物を 食い荒らしていたと?」
アルス「うん。あそこにある ひっかき傷を見て 閃いたんだ。」
アルス「二回も停泊しているのに どうして この船には ネズミ一匹 出やしないんだろうってね。」
マリベル「それも そのはず。このネコちゃんが 紛れ込んでいて 食べてたからよね~。」
*「ナ~…。」
そういう少女の腕には白、茶色、黒の三色毛を持つ猫がしっかりと抱かれおり、今はされるがまま大人しくしている。
アルス「“犯人は現場に戻る”ってね。 いつだか読んだ物語の中に 書いてあったんだ。」
アルス「それで もう一度 干物棚の後ろを 調べたら こいつが 出てきてね。」
マリベル「追っかけまわしてたら 甲板まで 行っちゃったのっ。ね~?」
*「ニャ…。」
少女に語り掛けられた猫は問いに答えるように小さく鳴く。
追いかけられたにもかからず少女に心を許したのかその手の愛撫を受けて三毛猫は気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
*「まったく なんて 人騒がせな猫なんだ。」
*「どうりで ネズミを見かけないと思ったら そういうことだったのか。」
ボルカノ「他に 被害は ないのか?」
コック長「ええ もしやと思い 調べましたが 食べられてたのは 干物だけでしたぞ。」
ボルカノ「そうか。」
ボルカノ「マリベルおじょうさん 本当に 申し訳ねえ。おじょうさんのことを 犯人扱い しちまうだなんて… このとおりだ。」
そう謝罪して船長は深々と頭を下げる。
自分に非があればそれを認め誰であろうと必ず謝る、国一番の漁師頭が慕われる理由はただ漁の腕が良く豪放なだけではない人格者である点にもあったのだ。
マリベル「…ううん ボルカノおじさま。 そんなに 謝らないで。」
マリベル「疑いが 晴れたなら もう それで いいのよ。」
ボルカノ「おじょうさん……。」
マリベル「その代わり 一つ お願いがあるんだけど……。」
ボルカノ「なんでしょう?」
マリベル「このネコのことは あたしに 任せてもらえないかしら。」
*「こ ここで 飼うんですかい?」
マリベル「ええ。ちゃんと しつければ もう 悪いことは しないはずよ。」
マリベル「ね? 猫ちゃん。約束できるかしらね。」
*「なーぅ…。」
コック長「マリベルおじょうさんが そこまで 言うのなら わしは 反対はしません。」
コック長「ただし 調理場には入れない と約束していただければ ですがな。」
マリベル「わかってるわ。」
ボルカノ「…決まりだな。新しい 乗組員の誕生だ!」
*「「「ウスッ!」」」
アルス「あれ? おまえ 三毛猫なのに オスなのかい?」
*「……ゥナーオ。」
マリベル「あら ホントだ。 体は小さいけど… つ ついてるわね……。」
マリベル「…………………。」
少年の指摘に三毛猫の両脇を抱えて股を見るとそこにはしっかりとフグリがついていた。
ほんの少しだけ少女は顔を赤らめて黙り込む。
ボルカノ「縁起がいいな。 滅多に お目にかかれるもんじゃないぜ。」
昔から漁師の間では三毛猫の雄は航海の守りとして言い伝えられてきたが、その出現は何十年に一度とも言われている。
フィッシュベルにも多数の猫が放し飼いにされているが三毛猫はおろか、その雄なぞこの場の誰も見たことはなかった。
マリベル「そうね… 名前は何がいいかしら……。」
少女が呟くと男たちはこれしかないと言わんばかりにと声を上げる。
*「タマ!」
マリベル「ありきたりね。」
*「トム!」
マリベル「まんまじゃないの。」
*「ねこまどう!」
マリベル「魔物じゃないの。」
*「ジャガーメイジ!」
マリベル「魔物から 離れなさいよ!」
*「メイジキメラ!」
マリベル「もはや 猫ですらないっ!」
もはや大喜利である。
マリベル「ていうか なんで あんたたちが そんな魔物を 知ってるのよ!」
アルス「……キーファ。」
ボルカノ「幸運に ちなんで ラッキーとかは どうです?」
マリベル「やっぱり ボルカノおじさまが 一番 まともな センスしているわね。」
マリベル「でも… そうねえ。」
すっかり困ってしまった少女は左の眉を吊り上げてじっと猫の顔を覗き込む。
どうやら少年が何やら呟いたことにはまったく気づいていないようだった。
マリベル「あら? あんた 綺麗な 目をしているのね。」
*「…………………。」
少女に見つめられ、猫は少しだけ身動ぎをする。
マリベル「…トパーズ……。」
アルス「え?」
マリベル「そう おまえの 名前は トパーズよ!」
ボルカノ「ほう そりゃまた …む なるほど。」
アルス「どういうこと?」
マリベル「あんたは 宝石なんて 興味なさそうだもんね~。」
アルス「……?」
ボルカノ「トパーズってのは 宝石の名前でな。ちょうど このネコのような 目の色をしているんだ。」
マリベル「ビビッ ときたわね。トパーズ。」
トパーズ「ナ~~。」
マリベル「…おまえは 賢い子ね。ちょっと 待ってなさい お腹すいてるんでしょ?」
トパーズ「……にゃぁ。」
本当に理解しているのかはされおき、少女の呼びかけに律儀に反応する猫は見ていて庇護欲を誘うものがあり、
もはやこの場にいる誰もがこの猫のことを追い出したりしようなどとは思っていなかった。
アルス「よろしくね トパーズ。」
トパーズ「っ! ……ナゥナゥ~。」
少年の腕に抱かれ少し動揺を見せるもやがてその手に敵意がないと分かったのか、猫は大人しく撫ぜられていることに決めたようだった。
ボルカノ「それじゃ 到着まで もう少しかかるからな。交代で 飯を食って 持ち場に 戻るように。」
*「「「ウスッ!」」」
こうして漁船アミット号は新たな仲間を“一匹”加え、すぐそこまで迫る目的の地を目指して再び通常運転へと戻っていくのだった。
夜も深まり月が天を跨ぐ頃、一行はメザレにほど近い小さな船着き場へとやってきていた。
*「まさか こんな 夜更けに 船がやってくるとは 思いませんでしたよ。」
船の番をしていた漁師が突然の来客を出迎える。
ボルカノ「悪いな。ずいぶん ゆっくりしてたら こんな 夜中になっちまった。」
*「いえいえ とんでもない。遠い地からの お客とあれば ニコラもラグレイどのも きっと お喜びになる はずです。」
マリベル「ニコラに ラグレイ… そういえば そうだったわね……。」
アルス「元気にしてるかな 二人とも。」
*「ややっ あなた方は! 世界を救った 英雄さま じゃないですか!」
マリベル「ふふん。もっと 褒めても いいわよっ。」
アルス「ははは… どうも。」
*「みなさん さぞかし お疲れでしょう。今日のところは ひとまず お休みになって また明日 ご挨拶にいかれてはどうですか?」
ボルカノ「おう。そうさせて もらうぜ。」
ボルカノ「それまで 悪いんだが オレたちの 船を頼めるか?」
*「お任せください。命に 代えても 守ってみせますよ!」
そう言って男は胸を叩いてみせる。
ボルカノ「わっはっはっ! そりゃ 頼もしい。 それじゃ よろしくな。」
舟守の漁師に別れを告げて一行はかつて神の兵と呼ばれた一族の住まう村へと足を踏み入れた。
*「ようこそ 旅の宿に。」
*「失礼ですが 団体さんですか? それでしたら すみませんが 部屋が 一つしか なくて…。」
ボルカノ「……だそうだ。どうする?」
疲れを癒すべくすぐに宿へと向かった一行であったが、何もない小さな村ということもあって宿泊できる人数には限りがあった。
*「このまま 船に戻っても かまいやせんけど…。」
*「ひとまずは 横になれれば……。」
ボルカノ「うーむ…。ご主人 この村に 他に 泊まれるところは ないのか?」
*「はあ なんせ 小さな村なもんですから……。」
*「あっ! 少々 お待ちください!」
何かを思いついたように言い残して宿屋の主人は表へと走って行ってしまった。
マリベル「最初から 期待は していなかったけど……。」
アルス「マリベルは ここの宿に 泊まるといいよ。ぼくは みんなと 船に戻るからさ。」
マリベル「そうは言ってもねえ… あたしも お風呂だけ 借りられれば あとは どこでもいいわよ。」
マリベル「慣れっこだしね。」
そうこうしているうちに宿屋の主人が誰かを連れて戻って来た。
*「ここの教会の シスターに 事情を説明しましたら 快く講堂で 寝床を提供してくださるそうです。」
主人がそう言うと後ろから初老の女性が一同の前に現れる。
*「たいした もてなしも できませんが うちでよろしければ 簡易ベッドを ご用意させて いただきます。」
アルス「本当ですか!」
*「ええ 是非 体を休めていってください。」
ボルカノ「そりゃあ 助かります。では お言葉に 甘えて。」
*「おお こいつは ラッキーだ!」
コック長「神は わしらを 見捨てなかったのですな。」
思わぬ助け舟に乗組員たちは口々に喜び合う。
ボルカノ「さて 肝心の 宿だが 何人泊まれるんだい?」
*「うちは4人です。ただ 女性の方も 同じ部屋に なってしまいますが いかがなさいますか?」
アルス「どうする? マリベル。」
マリベル「あたしは 別に かまわないわよ。この船の人たちは あんたと違って あたしを 襲ったりなんて しないでしょうからね。」
アルス「ええっ!?」
突然の言葉に思わず少年はたじろぐ。
*「アルス お前……。」
アルス「ご 誤解ですってば!」
*「とんだ 野郎だぜ コイツぅ!」
アルス「か 勘弁してください~!」
マリベル「っぷ… あはははっ!」
アルス「……もう!」
マリベル「ごめん ごめん …ぷぷぷっ くっ苦しい。」
少女は笑いを堪えながら苦しそうにお腹を抱えている。
人の寝てるベッドに潜り込んできたのはいったいどこの誰なのかと問い詰めてやろうかと迷うものの、
また気を落とされるのも忍びないと思い、少年はなんとか堪えることにした。
ボルカノ「わっはっはっ! それじゃあ こっちに4人 残りは教会だ。それでいいか お前たち?」
*「「「ウスっ!」」」
ボルカノ「よし それじゃ アルス お前は コック長 飯番 マリベルおじょうさんと ここに泊まれ。オレたちは 教会で 厄介になるからな。」
アルス「わ わかりました。」
ボルカノ「それじゃ 明日の朝 ここで 落ち合うぞ。解散!」
こうして漁師たちはぞろぞろと教会へと歩いて行った。
父親と別れた後、少年たちも交代で風呂を済ませ早々に床に就いたのだった。
アルス「…………………。」
ふと少年が喉の渇きに眼を覚ました時、まだ月は天頂付近で夜を謳歌していた。
隣のベッドでは少女が猫のように体を縮めて寝ているのが見て取れる。
そのベッドの下では少女が連れ込んできた猫が同じように丸まって眠っていたが、
少年が床から起き上がり扉に手をかけた時、いつの間にか目を覚まして少年の足元に纏わりついていた。
アルス「外に 出たいのかい?」
トパーズ「……にゃあ。」
アルス「…おいで。トパーズ。」
少年は猫を脇の下からすくい上げるとその腕に抱えて宿の受付へと顔を出した。
*「おや アルスさん 寝付けないんですかい?」
そこには既に営業を終え、寝る準備に取り掛かる宿屋の主人がいた。
アルス「いえ 水差しが 空になってしまったので 少しお水を もらおうと……。」
*「そうでしたか。少々 お待ちください。」
そう言って宿屋の主人は奥から硝子の水差しを持って戻って来た。
*「はい どうぞ。」
*「他になにか ご用意しましょうか?」
アルス「いえ 大丈夫です。」
アルス「……あれから どうですか?」
*「村は 平和そのものですが どうも最近 妙な噂が 広まってましてね。」
アルス「妙なうわさ?」
*「はい。なんでも あの ラグレイどのが 実は なんでもない人で 英雄をかたって 村人を 騙していたんじゃないかって 話です。」
アルス「な なんですって?」
*「一緒に 魔王を打ち倒した あなた方なら その話が 嘘だって みんなに教えて あげられるんじゃないですか?」
アルス「…………………。」
アルス「そうですか……。わかりました ありがとうございます。」
*「いえいえ。もう遅いですし 明日にでも 村を回ってみてください。」
アルス「はい おやすみなさい。」
*「よい 夢を。」
アルス「ラグレイが 偽物の英雄か…。」
宿屋を出た少年は風に当たりながら誰に語り掛けるでもなく呟く。
アルス「本当のところ そうなんだけど このままだと 彼は 村を 追い出されて 永遠に 悪者扱いだよなあ。」
アルス「……ねえ。ぼくは どうしたらいいかな…?」
少年は溜息をつくようにポツリと腕に抱えた猫に語り掛ける。
トパーズ「……な~。」
アルス「ごめんよ。きみに わかるわけないよな。」
そう言って少しだけ強く抱きしめると猫は身動ぎして少年の腕からスルリと抜け落ちる。
アルス「あっ……。」
トパーズ「…………………。」
猫は少年の顔を見上げると歩き出し、しばらく辺りを散策した後、宿屋の上の階段でうずくまった。
“今日はここで寝るよ”
揺らめく長い尾がそんな風に語っているようだった。
アルス「…そっか。うん おやすみ。」
そう答えてから少年は宿に戻り、胸に小さな不安を抱いたままベッドへと潜り込む。そうして隣で眠る少女の寝息や料理人たちのいびきを聞きながら、どうにも寝付けない夜を過ごしたのだった。
そして……
そして 次の朝。
146 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/27 19:45:24.25 WJPu1BOR0 133/905
以上第5話でした。
ここでは短いお話を二つ用意しました。
一つはマリベルと亡き祖父との思い出話。
現在のプロビナには老人の憩いの家が村の北側にありますが、
そこに行くとマリベルが自身がおじいちゃん子であったことを語ります。
今回のお話ではそんなマリベルの過去を想像して掘り下げてみました。
何故アップルパイなのか?と言われると正直なところ細かいことは考えていません。
(ただ、「マリベルにはリンゴ」という漠然としたイメージからできあがったお話なので)
この辺りは完全に作者のオリジナル設定なのでお気に召さないかもしれませんがどうかお付き合いください。
もう一つは三毛猫トパーズのお話。
このお話から世にも珍しい雄の三毛猫「トパーズ」を仲間に加えました。
立て続けで申し訳ないのですが、こちらも作者のオリジナルです。
(普通の猫ちゃんなので、どうか多めに見てください……。マスコット的なあれです。)
第5話の後編ではこの子を中心としたドタバタを推理もの風に見立てて書いてみました。
マリベルはとばっちりの連続で少々かわいそうですが、最後はやっぱりアルスに助けられます。
ちなみに昔の漁師さんは航海のお供にオスの三毛猫を連れていったという逸話がありますね。
染色体の関係でオスの三毛猫が生まれる確率は1/30000なんだとか。
(ネットで引っ張ればこの手の情報はすぐに出てきますね……)
おまけに生殖能力が低い(或いはない)というのですからその価値はドラクエの世界でも非常に高いのではと推測できます。
◇さて、次回はメザレでとある事件が起こります。
偽の英雄ラグレイはいったいどうなってしまうのか……?
147 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/27 19:52:40.71 WJPu1BOR0 134/905
*第5話の主な登場人物
アルス
ひよっこ漁師。
機転を利かしとある痕跡からマリベルにかけられた嫌疑を晴らす。
マリベル
一張羅が破かれたので新しい衣装に衣替え。
たまたま焼いたアップルパイに祖父過ごした記憶を思い起こす。
干物泥棒の疑いをかけられるがアルスの協力により汚名返上。
ボルカノ
船長。その立場上、苦しい判断を迫られるが、船員のことを誰よりも信頼している。
無粋なことはしない主義。
コック長
料理の際は熱中するためあまり周りを気にしない。
色々な意味でよくやらかす飯番の監督者。
飯番(*)
同じく調理中は集中しているためあまり周りをみない。
それでも料理の腕は確かな様子。
アミット号の漁師たち(*)
喧嘩っ早いのがたまにキズ。
ノリツッコミはお手の物。どちらかというとボケ役?
トパーズ
アミット号に紛れ込んできた珍しい雄の三毛猫。
飢えをしのぐために干物をこっそりと盗み食いするが、
爪とぎの痕からアルスとマリベルに発見される。
航海のお守りにと船員の仲間入り。
航海六日目:真の英雄
*「…ルス……ア………て…」
アルス「…うう…ん…?」
マリベル「アルス 起きてっ! 起きなさいったら!」
中途半端な睡眠を繰り返していた少年は少女の声で目を覚ました。
アルス「マリベル…? どうしたの そんなに 慌てて……。」
マリベル「なんだか 村の中の様子が 変なのよ。」
アルス「へん……?」
アルス「まさか…っ!」
少年は急いで身支度すると用意されていたトーストを齧りながら表に飛び出した。
*「おい ねえちゃん どうなんだ!」
*「そうよ いつまで 待たせる気なの!」
*「本当のことを 話してよ!」
村の一角には人だかりができていた。
*「で ですから もう少しだけ お待ちください…!」
どうやらとある邸宅の前で若い女性を囲んで何やら抗議しているらしい。
マリベル「みんな どうしちゃったのかしら…。」
アルス「…やっぱり!」
そう呟くと少年はその人だかりに向かって走り出す。
マリベル「あ ちょっと アルスっ!?」
アルス「すいません 通してください!」
*「あ アルスさんだっ!」
飛び込んできた少年の姿に気付き村人たちが道を開ける。
*「おおっ アルスさん!」
*「なにっ!?」
*「マリベルさんも 一緒だぞ!」
マリベル「ちょっと アルスってば!」
慌てて後を追いかけてきた少女の目の前には見覚えのある女性が困り顔で立っていた。
*「あ アルスさんに マリベルさん! いいところに 来てくれました!」
*「この人たちを なんとか してくださいよ~!」
そう言って二人に話しかけてきたのは、この村でかつて魔法のじゅうたんを譲ってくれた青年に仕える若いメイドだった。
マリベル「この騒ぎは いったい……。」
*「詳しいことは ひとまず ニコラさまと ラグレイさんに聞いてください!」
*「さあ どうぞ 中へ!」
アルス「……はい!」
少年が短く返事をすると給仕人の娘は少しだけ扉を開き、二人を屋敷の中に押し込んだ。
*「ニコラさま ラグレイさん アルスさんたちが お見えです!」
そう言うや否や、扉と壁にできた狭い隙間から二人の英雄が屋内へと押し込まれてきた。
マリベル「いったたた…! もうっ なんなのよ!」
アルス「こ こんにちは 二人とも。」
ニコラ「アルスさん! それに マリベルさんじゃ ないですか!」
ラグレイ「ああっ! あなた方は!」
そう叫んで桃色の装甲に身を包んだ男は突然やって来た客の腕を引っ張り奥の部屋へと連れ込んだ。
ニコラ「…………………。」
もう三度目のことになるため、もはやお約束の光景なのだと一人残された青年は納得するしかなかったのだった。
ラグレイ「アルスどの マリベルどの!」
ラグレイ「男ラグレイ 本当の本当に 正真正銘 最後の お願いでありまする。」
マリベル「いいえ。」
ラグレイ「まだ 何も 言っておりません!」
マリベル「いいえ。」
ラグレイ「話だけでも! 話だけでも聞いてくださいっ!」
マリベル「いいえ。」
ラグレイ「…………………。」
[ マリベルは ラグレイに うらみがましい目で にらまれてしまった! ]
マリベル「何よ。今回も どうせ あたしたちに 口裏合わせろとか 言うんでしょ?」
マリベル「そんなの お断りに 決まってるわよ!」
ラグレイ「そこを なんとか!」
マリベル「いいえ。」
ラグレイ「後生ですから! この通り!」
マリベル「 イイエ。」
ラグレイ「じゃあ 諦めます。」
マリベル「いい……はい。」
ラグレイ「ひっかかりませんか。」
マリベル「バカじゃないの?」
ラグレイ「ううう……。」
まるで漫才のようなやりとりをしばらく続ける男と少女だったが、しばらくその様子を見ていた少年が遂に口を開く。
アルス「ラグレイさん。表にいる人たちは 何を 求めているんですか?」
ラグレイ「それが……。」
[ ラグレイは アルスに 事情を説明した。 ]
アルス「やっぱり 宿屋の主人が 言っていた 噂は本当だったのか。」
ラグレイ「頼みますよ~ アルスどの! その海よりも 広い心で この哀れな男を お救い下さい!」
アルス「最近 海は 大陸の出現で 狭くなりました。」
ラグレイ「アルスどのまで~~っ!」
そんなこんなで長いこと無駄に話していたせいか、表で住人たちを食い止めていた給仕人の娘が部屋に飛び込んできた。
*「みなさん もう 無理です! 限界です! はやく 表へ出て 事情を 説明してください!」
*「きゃあああっ!」
そう叫ぶメイドの後ろから勝手に入って来た住民が一挙になだれ込み、英雄“たち”はあっという間に取り囲まれてしまった。
*「おい ラグレイさんよお! 噂は聞いてんだろ?」
*「いい加減 白状したら どうなんだい!」
*「そうだ そうだ! 本当のことを 教えろよ!」
ラグレイ「あわわわ……。」
まるで魔獣の様に牙を剥く住人たちに“百戦錬磨の戦士”もたじたじとするばかり。
*「え? アルスさん マリベルさん あんたたち 知ってるんだろっ!?」
*「答えてください! 本当に ラグレイどのは 皆さんと 一緒に魔王と 戦ったんですか?」
アルス「えっ えっと…。」
仕舞いには住人たちの矛先が少年と少女に向けられる。
マリベル「え え~ そうよ! みんなが 思ってる通り ラグレイは…」
痺れを切らした少女が本当のことを告げようとしたその時だった。
*「たいへんだーーーっ!」
少女の言葉は駆け込んできた一人の男に遮られた。
*「まものが… 魔物が 村に 向かってきているぞ!」
その男は昨晩船を任せた舟守の漁師だった。曰く海を見ていたら村の方に魔物の群れが向かっていくのを見つけ、慌てて先回りをしてきたという。
*「なんということだ!」
*「どうしよう もう 魔物なんて いなくなったと 思ってたのに……!」
*「もうだめだ… おしまいだ……!」
もともと戦いとは無縁な平和な村というだけあって、住人たちの中に魔物と戦える者など誰もいなかった。
ボルカノ「おい! アルス いったい どうしたってんだ!」
アルス「父さん! 魔物が 村に 向かってきているんだ!」
ボルカノ「なんだと!」
騒ぎを聞きつけてやってきた父親に少年が手短に説明する。
*「ボルカノさん! 魔物が! 村の東に 魔物がっ!」
遅れてやってきた修道女が血相を変えて叫ぶ。
アルス「マリベル!」
マリベル「うん!」
少年と少女は目を合わせ、住人に避難するよう指示を出そうとした。
その時だった。
ラグレイ「みなさん!」
*「……!」
ラグレイ「みなさんは この家の 南にある階段から 地下へ 避難してください!」
ラグレイ「わたしは ここにいる アルスどのたちと 魔物を 迎え撃ちます!」
アルス「ラグレイさん…!」
*「で でもそれじゃ あんたたちは…!」
ラグレイ「心配ご無用! みなさんのことは 男ラグレイ 命に代えても お守り通します!」
ニコラ「ラグレイどの…!」
*「みなさん こちらです! わたしに ついてきてください!」
給仕人の娘が大声で叫び住人を誘導する。
アルス「父さんは みんなが 避難し終わったら 入口をふさいで!」
アルス「ぼくが 合図するまで 決して開けないで。」
ボルカノ「しかし アルス!」
アルス「父さん…… ぼくたちを信じて。」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「死ぬなよ 息子よ。」
アルス「……わかってる!」
拳を打ち付け合うと少年は一目散に走り出した。
その後を追いかけて少女と男が駆け出す。
マリベル「あんた ちゃんと 戦えるんでしょうね。」
ラグレイ「なめてもらっちゃ 困りますな。これでも 一人で 魔王の城から 生きて帰ったんですから。」
マリベル「ふん。足手まといには ならないで頂戴ね!」
そう言って少年の隣で立ち止まる。その視線の先では魔物たちがゆっくりと進軍してきていた。遠くからはさらに大きな足音が近づいてきているのがわかる。
*「ビギャギャオース!!」
少年たちめがけて真っ先に突撃してきたのは紫の鱗を持つ翼竜だった。どこを見ているともわからない白目が体躯の威圧感に加えて不気味さを醸し出している。
アルス「アンドレアルか!」
少年が叫びながら真上に跳ぶ。少女と男も真横にステップし難なく攻撃をかわす。素早さでは叶わないと踏んだのか、踵を返した翼竜は振り向きざまに燃え盛る火炎を吐きつけた。
マリベル「フバーハ!」
炎が吹き付けると同時に三人の周りを優しい光が纏い、業火はそれを避けるように散っていった。
アルス「ありがとう!」
マリベル「ふふん。 もっと褒めなさい!
マリベル「お返しよ!」
少女が不敵に笑うと体に青白い光を纏わせ、口から白く輝く猛烈な冷気を吐き出した。
*「ビギッ!!」
凍てつく息を吹き付けられ、たまらずドラゴンは背中を見せる。
アルス「そこだ!」
少年が飛び上がりその背中に叩きつけるように剣を振り下ろす。
*「ビギャギャギャ……!!」
背中からはまるで魂が天に昇るように竜を象った炎が立ち上り、あっという間に翼竜は沈黙してしまった。
ラグレイ「なんと! こうも一瞬で!」
マリベル「あたしたちを なめない方が いいわよ!」
マリベル「……っ!」
そう言ったのもつかの間、三人の周りにはどこから現れたのか無数の海月のような魔物が漂っていた。
ラグレイ「しびれスライム!! それも こんなにたくさん!」
マリベル「あら あんたでも 知ってたの? それなら マヒに 気を付けるのよ!」
マリベル「…ベギラゴン!」
少女が呪文を唱えると共に地面を這う巨大な火柱が走り抜け、低空で浮かぶそれらを飲み込み焼いていく。
*「ビビビっ!?」
たまらず散り散りに逃げ出そうとするところへ鎧の男と少年が獲物を手に疾走する。
アルス「せい!!」
ラグレイ「だああっっ!」
少年の剣先は流れるように空間を縫い五月雨のごとく斬撃の雨を降らし、鎧の男のそれは先の読めないめちゃくちゃな動きで相手の不意をつく。
一見乱れているようでいて完璧な連携だった。
*「ピピピピ……。」
うんざりするほどいたゼラチン質の化け物はあっという間に切り刻まれ、焦げたたんぱく質の臭いを漂わせながら地面に散乱した。
マリベル「別の呪文で やるべきだったかしら。臭くて かなわないわ…。」
アルス「あとで掃除が たいへんだね。」
マリベル「しかし へんてこ斬りとは 考えたわね。」
ラグレイ「へ? あ いや 別にそんな…。」
“狙ってやったわけではない”
なんてことを言いたげな顔の男だったがこの場はとりあえず黙っておくことにした。良い方に誤解されるというのはある意味この男の才能なのかもしれない。
マリベル「さて 次は……。」
アルス「南だ! 坂の下から 異様な気配がする!」
長旅で得た感覚を頼りに、少年は再び風の如く走り出した。
ラグレイ「こ これは……!」
*「ズズズ…ずるずる…。」
それはまさに身の毛のよだつような光景だった。村で唯一の井戸を取り囲んでうごめくそれらは周りの木々を赤く染めながらその“全身”を使ってゆっくりと歩いていた。
*「にんげん…人間だ…。」
*「握手しよう… あくしゅしよう…。」
*「おれみたいに どろどろに…。」
やってきた少年たちに気付いたそれらは、どこから発しているのか分からない低く呻くような声で恐ろしい言葉を繰り返している。
アルス「ブラッドハンド…!」
ラグレイ「まずいっ! あの井戸の下には みんなが!」
マリベル「落ち着いて 二人とも! あいつらは 水のある所には 行けないはずよ!」
焦る二人を落ち着かせてから少女は再び詠唱を始める。
マリベル「これでも喰らいなさい!」
[ マリベルは マヒャドを となえた! ]
次の瞬間、這い歩く血の上に巨大な氷の刃が次々と突き刺さる。
*「あああああ……。」
*「かたまる からだが かたま る……。」
*「ううう お かえし だ。」
[ ブラッドハンドFは ヒャドを となえた! ]
一匹のそれが呪いのように呟くと空から小さな氷柱が降り注いだが、男が少年と少女の前で仁王立ちすると氷の塊は桃色の鎧に当たって砕け散ってしまった。
ラグレイ「大丈夫ですか。お二人とも。」
アルス「ありがとうございます。」
マリベル「なーによ かっこつけちゃって。あんなの 片手で はじいて終わりよ!」
ラグレイ「わははは……。」
ラグレイ「さて。では ケリを つけましょう!」
真剣な表情に戻ると男は獲物を携えて動きの鈍った血の海へと切り込んでいった。
ラグレイ「ぬおおっ!」
さきほどまでの不可思議な動きとは打って変わり、今度は一体一体地に還すように重たい一撃を繰り出していく。
*「おおお…… こ… い……。」
そうして最後の赤い手も大きく反り返った後、ゆっくりと前に項垂れて地面に吸い込まれてしまうのだった。
ラグレイ「よし……。」
“残すは地響きの主だけだ”
そう男が思った時であった。
アルス「ラグレイさん 跳ぶんだ!」
ラグレイ「ぬっ!?」
少年の忠告に男が飛び退いた場所には長く柔らかい“ヒダ”が、見失った獲物を捜すように辺りを探っていた。
ヒダは少年たちの囲む井戸の中から伸びている。
アルス「ま まさか!」
想定していなかった最悪の事態を予感し少年に悪寒が走る。
マリベル「メラゾーマ!」
固まる少年を尻目に少女が炎の上位呪文を唱え、潜んでいるであろう“舌”の主に攻撃を加える。
*「ゲッヘヘエエエエ!!」
しゃがれた叫びと共に飛び出してきたのはいつの間にか井戸に取りついた緑色の悪魔だった。
*「…………………。」
巨大な火球で焼かれた体から黒い煙が立ち上らせ、悪魔はギョロリとした両の眼で少年たちを睨む。
マリベル「やっぱり ホールファントムだったのね。」
アルス「ブラッドハンドの 切り札か…!」
再び獲物を構え、次の攻撃に備えようとしたその時だった。
*「グ エ エ エ エ エ エ エ!!」
井戸の亡霊はけたたましい雄叫びを上げて三人の耳をつんざいた。
ラグレイ「ぐああっ!」
もろに衝撃を受けてしまった男は堪え切れずに耳を塞いで硬直する。その隙を見逃すはずもなく醜い怪人は涎を垂らしながら舌を伸ばし男を襲う。
マリベル「あ バカっ!」
魔物が動く前に気付いた少女は耳鳴りに耐えながら疾風のごとく駆け出し、その勢いに任せて男を弾き飛ばす。
ラグレイ「ぬおっ!?」
吹き飛ばされた男は訳が分からず地面に転がったが、やがて振り向くと自分の身代わりになって締め上げられる少女の姿が目に入った。
ラグレイ「マリベルどのっ!」
マリベル「っ! ぐうう…!」
強い圧力に軋む体に力を籠め、少女は必死に折られまいと抵抗していた。歯を食いしばり、か弱い腕に魔力を籠めて拘束を緩めようともがく。
しかし獲物を捕らえた本人は狡猾に眼をぐにゃりと歪ませさらに力を籠める。
ラグレイ「いまっ 今助け…!」
マリベル「く…うううう… がはっ…!」
転げた体を起こし立ち上がろうとする男を待ち、尚も力を緩めずに堪えていた少女だったが、遂に力の拮抗が崩れたのか、血を吐き出し苦しそうに悶え始めた。
ラグレイ「ぬ…ぬおおっ ……!?」
なんとか立ち上がり、男は剣を構えて走り出そうとする。
しかし。
*「エヒャアアアア!」
次の瞬間、振り向いた男の目に飛び込んできたのは、舌を切断され情けない悲鳴を上げてもだえる井戸の亡霊だった。
アルス「ベホマ。」
再び少女の方に視線を向けると男の前には少年が立っていた。咳き込み座る少女に向けて回復呪文をかけると少年はゆっくりと立ち上がる。
その全身に返り血を浴び、真っ赤に顔を濡らして魔物を見据える姿は正に“鬼神”のそれだった。
アルス「…………………。」
ラグレイ「あ アルスどの……。」
アルス「…ラグレイさん マリベルを頼みます。」
ラグレイ「は はひっ!」
少年の気迫に押され、男は思わず鼻水を垂らして気の抜けた返事をしてしまう。
*「ゲ… へェひゃひゃひゃ…。」
深手を負って尚も器用に笑い声を上げながら、“それ”は少年に向かって辺りに転がっていた石を投げつける。
アルス「…………………。」
その石がいくつぶつかろうとも少年はびくともせず、真っすぐ、ただひたすら真っすぐに井戸の中心に向かって歩んでいく。
*「げ…ひ…ひぃ…!」
その異様なまでの威圧に、恐れを知らないはずの亡霊もたまらず首を引っ込め逃げ出そうとする。
しかしその体はちっとも奥に降りて行かない。
何事かと上を見上げた時には既に体は浮き上がり、少年の眼とびったりと合ってしまっていた。
*「へ…へっ…へっ…。」
先ほどまでの愉悦そうな表情はどこへ行ってしまったのか、その白黒の瞳を文字通り白黒させて恐怖の感情を体現していた。
アルス「やあ。あのコの体は 柔らかかったかい?」
アルス「どんな 気分だったかな。動けない 女の子を 締め上げて もてあそんでさ。」
*「ひゅ…ヒュー ヒュー…。」
アルス「…………………。」
アルス「さようなら だ。」
首を締め上げていた少年の腕に青白い光が走り、辺りをまばゆい光が包む。
瞬くその間に緑色の化け物は真っ黒に染め上げられ、風に吹かれて跡形もなく消し飛んでしまった。
マリベル「あ… アルス……?」
固まったまま微動だにしない背中に少女が声をかける。
アルス「っ……!!」
遅れて雷に打たれたかのようにビクッと体が揺れ、少年は悪戯を叱られた子供のようにバツが悪そうな顔で振り返った。
アルス「た ははは…… また やりすぎちゃったかも…。」
マリベル「まったく あたしは あれぐらいじゃ くたばらないって いっつも言ってるでしょうが!」
アルス「ご ごめん つい…。」
マリベル「もうっ 大袈裟なんだから。」
生きるか死ぬかの攻防の後にも関わらず、少年と少女はさも当たり前のようにちょっとした反省会を開いている。
ラグレイ「な… なんてことだ…。」
男は恐怖していた。
“レベルが違いすぎる”という共闘してみて感じた実力の差だけではない。
少年から感じた得体も知れない力に。
その純粋な怒りに秘められた底知れぬ力に。
ラグレイ「わたしは… こんな人たちと 共に 戦ったことに していたのか…!!」
男は酷く後悔していた。自分はこれまで幾多の戦いを経て、戦士としての実力を身に着け、大抵の脅威には立ち向かえる自信があった。
それこそ魔王の出現を聞き、背中を押されて止む無く城に忍び込んだ時でさえ、傷を負いながらもなんとか生き延びて帰る程には。
だが目の前にいる少年たちに、そんな自分のちっぽけな驕りは粉々に砕かれてしまったのだ。
アルス「ラグレイさん! 父さんたちを 見てきます!」
そう言って少年は井戸の中へと飛び込んでいった。
マリベル「あ ちょっと 待ちなさい! スクルトっ!」
続いて少女も飛び込んでいく。
ラグレイ「…………………。」
男は自分が恥ずかしかった。
大見栄を切って飛び出してきたくせに自分より二回りも若い女性に危機を助けられ、
青年に圧倒的な力の差を見せつけられ、今こうして情けない姿を晒している自分がたまらなく恥ずかしかった。
それと同時に怒りがこみ上げてきた。
守るべき存在に守られてしまう自分の不甲斐なさに。
下らぬ嘘や見栄の鎧で身を守る自分の弱さに。
ラグレイ「ちくしょう…っ!」
男は井戸を少しだけ覗きみる。
ラグレイ「今度は わたしが 助ける番だ……!!」
再び全身に力を入れると、少しずつ近づいてきている地鳴りのする方へ一人走り出す。
その瞳には、炎が宿っていた。
アルス「……どこだ!」
井戸の底では少年が辺りを見回していた。
しかし人々の姿は暗闇に視界を阻まれ見えてこない。
*「……どいてえええええっ!」
アルス「へっ……?」
[ なんと! マリベルが アルスの 立っている場所 目がけて 降ってきた! ]
アルス「わわっ! っぐ…!」
マリベル「キャっ!」
寸でのところで軸をずらし両腕でがっちりと受け止める。
アルス「はあ…。」
マリベル「ふー… ってアルス。あんた 上 見ちゃった?」
アルス「え? それって どういうこ……。」
マリベル「…………………。」
アルス「…いやいや 見てない 見てないってば!」
マリベル「……ふーん?」
アルス「…………………。」
マリベル「赤? 白?」
アルス「ぴ …ピンげふうっ!!」
見事なとび膝蹴りが炸裂した。
アルス「あたた……。」
*「アルスさん?」
アルス「へっ?」
少年の名を呼ぶ声と共に松明の灯りが近づいてくる。
アルス「に ニコラさん……?」
ニコラ「アルスさんじゃ ないですか!」
ニコラ「どうしたんですか そんな 苦しそうに …って 血だらけ じゃないですか!」
アルス「いや これは ぼくのじゃなくて。」
少年が転がり込んだ先には先ほど別れた青年が立っていた。
どうやらケガはしていないようだった。
マリベル「ったく どうしたってのよ…。あら ニコラじゃない 無事だったのね。」
ニコラ「おかげさまで なんとか。」
アルス「こっちに 魔物が出ませんでしたか?」
ニコラ「ええ 上の方で 不気味な笑い声がしてましたが どうやら こちらには 気付いていないようでした。」
アルス「そうですか! ご無事で なによりです。」
マリベル「……他の 人たちは?」
ニコラ「あっちです! ボクの家の 宝物庫へと続く 扉の先で 避難しています。」
青年の照らす先には鉄格子の扉が見えた。
その向こう側は闇に包まれ見えはしないものの、人の気配を感じ取ることができる。
マリベル「そう それなら いいんだけど。」
村人や仲間の安否を確認し、二人はそっと胸を撫でおろす。
しかし。
*「………………!!」
マリベル「…今のは!」
どこからか響いてきた地鳴りに近づきつつある存在を思い出させられる。
ニコラ「……ところで お二人とも ラグレイどのは?」
アルス「いけない! 慌てて飛びこんだから すっかり 忘れてた!」
地上に置いてきてしまった戦士はそれきり姿を見せもしなければ声をかけても来ない。
嫌な予感を胸に少年たちは再び地上を目指してロープを上りだした。
ニコラ「あの! ボクたちはっ!?」
アルス「まだ 隠れていてください! 残りの奴も すぐに 倒して戻ります!」
マリベル「ちょっと ニコラ! スカートの中 覗くんじゃないわよ!?」
そう言って少女は下に向かって小さな火球を投げつけ、真下に来ようとする青年を牽制する。
ニコラ「うわっ! あぶないな!」
マリベル「いいことっ? おとなしく してるのよ!」
それだけ残し、今度こそ二人は地上へと消えて行ってしまった。
ニコラ「がんばってくださーい!」
一人残された青年の声援が山彦のように地下に木霊していく。
*「おい ニコラ どうしたんだ!」
その声を聞いてやってきたのか、佇む青年の後ろから荒くれ男が声をかける。
ニコラ「いや アルスさんと マリベルさんが 様子を見に来ていたんだよ。」
*「そうか ラグレイさんは 一緒じゃなかったのか?」
ニコラ「うん 一人で 魔物と戦っているんじゃないかな?」
*「なにっ!」
*「それは 本当かいっ!」
いつの間にか青年の目の前には村人が集まってきていた。
ニコラ「みんな どうしたんだ! 危ないから 隠れているように 言われたじゃないか!」
*「そうだけどよ 黙ってるわけにゃ いかねえぜ。」
*「そうよ 英雄たちが いるんだもの!」
*「英雄たちの戦う 雄姿を 見届けるんだ!」
ニコラ「あ 待って! ちょっと!」
ボルカノ「ニコラさん!」
ニコラ「ああ ボルカノさんっ! 村のみんなが…。」
ボルカノ「済まねえ 数が多すぎて 止められなかった。」
ニコラ「……こうなったら ボクたちも 行きましょう!」
*「うすっ!」
ボルカノ「やばくなったら すぐに 逃げるんですぜ。」
ニコラ「わかってます!」
こうして地下にいた全員が地上を目指して走り出し、再び地下はもぬけの殻となってしまった。
そんな空間に響く水の打ち付ける音は、いつしか大きな地鳴りによってかき消されていく。
脅威は、すぐそこまで迫っていた。
アルス「…いない!」
地上へと戻った少年達が井戸の周りを見渡すもそこには誰の気配もなく、鈍く重たい音だが最後の一体の接近を知らせるだけだった。
マリベル「まさかとは 思うけど 一人だけで 行っちゃったのかしら?」
アルス「っ……!」
マリベル「考えても 仕方ないわ。行くわよっ アルス!」
アルス「うん!」
そうして二人が震源地に向かって全速力で坂を駆け上がり、すぐにぶつかった通りを北に向かって走り抜けた時だった。
アルス「あっ! あれは!」
そこには立ちはだかる巨大な竜と、傷んだ兜を脱ぎ捨て満身創痍で立ち向かう男の姿があった。見れば鈍竜もあちこちに傷を受けており、かなり息が上がっているようであった。
マリベル「あの色は ドラグナーね!」
その竜は先ほどの翼竜よりもさらに毒々しい紫の鱗に包まれ、嫌悪感を誘う浅葱色の体表には血管の浮き出ており、何のために存在するのかもわからない貧弱な翼が醜く太った身体を強調していた。
*「ゲッ ヒャッヒャ!!」
不細工な顔から発せられる間抜けな笑い声と共にその口から燃え盛る火炎が噴き出される。
アルス「ラグレイさんが 危ない!」
しかし男は吐き出された炎にひるむことなく剣を構えると、意を決したようにその炎の中へと飛び込んでいった。
アルス「フバーハ!」
マリベル「バイキルト!」
すかさず二人は補助呪文を唱え、沸き上がる陽炎の向こうで繰り広げられているであろう一騎打ちの行方を固唾を飲んで見守る。
*「ゲヒャアアアアア!!」
直後、おぞましい断末魔に空気が揺れた。
マリベル「ど どうなっちゃったの……?」
アルス「……あれはっ!」
陽炎の消えたその向こうには、巨大な塊が地面に横たわっていた。
マリベル「あっ……!」
ラグレイ「…また 助けられてしまいましたな。」
塊の横から男が現れ、少年たちに歩みよりながら照れくさそうに頭を掻く。
アルス「ラグレイさん!」
マリベル「やったじゃない! 一人で ドラグナーを 倒せたのね!」
ラグレイ「一人でなんてとんでもない! 二人の援護がなかったら 今頃 わたしは 焼肉になって…!」
*「うおおおっーーー!」
*「キャー! 今の見たっ!?」
ラグレイ「っ…!?」
二人の賛辞に男が謙遜して答えようとするも、いつの間にか地下から抜け出てきた村人たちの歓声によってそれは阻まれた。
*「ワシはしかと ラグレイどのの雄姿を 見届けたぞ! 」
*「ありゃあ 間違いねえ! 英雄ってのは 本当だったんだ!」
*「ラグレイさん かっこいいー!」
あれよあれよという間に人だかりが出来上がり英雄たちは取り囲まれてしまった。
ラグレイ「なっ…!」
アルス「み みなさんっ!」
マリベル「避難してたんじゃ なかったのっ!?」
驚愕する三人の元に少年の父親がやってきて申し訳なさそうに言った。
ボルカノ「すまねえ 二人とも! みんなが どうしても 三人の戦いが見たいって 抑えがきかなくなってな。」
アルス「そうだったんだ…。」
ボルカノ「……しかし 恐ろしい バケモンが まだ こんなに 残ってたとはな。」
そう言って漁師頭は辺りに散乱した魔物の残骸を見つめながら険しい顔を作る。
マリベル「どれもこれも 魔王と一緒に 出てきた奴らね。」
アルス「数も 前に比べて さして 変わりなかったね……。」
こうなってはこれから先の旅にも何か支障が出る可能性がある。
さらに言えばこれから向かう先々では既に何かが起きている可能性も否めない。
想定していなかった事態に遭遇し、少年たちは唸って黙り込んでしまうのだった。
*「さっすがは ラグレイどのだ!」
*「偽物だなんて 疑ったりして 悪かったね。」
ラグレイ「いや あの わたしは…!」
考え込む少年たちを横目に偽りの英雄は冷や汗をかく。
村人たちにはやし立てられ、真実を言うべきタイミングをまたしても失ってしまったからだ。
*「これで これから先も この村は 安泰だあ。」
*「そうだな なんせ こっちには 英雄ラグレイが ついてるんだもんな!」
村人の称賛は尚も止まらない。
ラグレイ「ち 違うんです! わたしは 本当に…。」
その時だった。
*「ゲヒャア!」
絶命した思っていた怪物がいつの間にか目を覚まし、最後の抵抗を試みようと巨大な足で思い切り地面を踏み鳴らした。
*「うわあああっ!!」
凄まじい揺れに辺りにいた人々は成す術もなく転倒していく。
アルス「わわっ!」
マリベル「キャーっ!」
少年達とて例外ではなく、寸でのところで堪えるも大きく体勢を崩してしまった。
*「ゲッ ヒャヒャヒャ!」
勝ち誇った様な笑みを浮かべてソレはのそのそと歩き出し、一番近くにいた女性に向かって巨大な爪を振り下ろした。
*「いやあああ!」
“ズブ……”
女性が頭を抱えてうずくまると同時に肉を突き刺す音が走る。
飛び散る鮮血に誰もが目を塞いだ。
少年たちでさえ。
*「………えっ……?」
しかし当の女性は生きていた。
それどころか掠り傷一つ負っていなかったのだ。
*「…うそでしょ……。」
目を開いて女性は言葉を失う。
ラグレイ「…………………。」
女性の上には覆いかぶさるようにして男が固まっていた。
その背中には深々と怪物の爪が突き刺さっている。
ラグレイ「お おじょう さん 無事 でした か。」
アルス「はあっ!」
マリベル「やっ!」
男が崩れ落ちるよりも早く少年が紫の塊を蹴り飛ばし、少年の肩を踏み台に飛び上がった少女が身体から眩しい閃光を放つ。
*「ゲウッ!」
体勢を崩し視界を奪われた鈍い体はたちまち地面に倒れてばたばたともがきだす。
アルス「これでっ!」
マリベル「おわりよ!」
目線で合図を送り合うと二人は目の前で腕を交差させて一気に振り下ろす。
*「「グランドクロス!」」
[ せいなる しんくうの やいばが ドラグナーを おそう! ]
*「ゲ ヒャアアアア!!」
光の爆発に巻き込まれ、恐ろしい形相のまま怪物は四散して消えてしまった。
アルス「…………………。」
魔物が完全に消え去ったことを確認し二人は村人たちの中心に駆け寄っていった。
男は地面に横たえられていた。傷口からは今も命が流れ出し赤い水溜まりを作っている。
その手は女性に握られ浮いてはいたものの力が入っている様子はなく、ずっしりとした重みだけが女性に伝わってきていた。
*「どうして… どうしてよ ラグレイ!」
*「あたしは あんたのこと ずっと 疑ってたっていうのに…。
*「噂を流して 皆をけしかけたのも あたしだっていうのに…。」
*「知ってたくせに……。」
ラグレイ「おじょうさん い いいんです よ。…あ あなたの推理は 正しい。」
ラグレイ「ごめんな さい みなさ… たしかに わた…は うそを ついていました。」
ラグレイ「わ たしは 伝説の 英雄 なんかでは あ…ま せん。」
ラグレイ「つい 出来心で 嘘 を ついて みなさんを だ だまして…。」
アルス「ラグレイさん! いま 回復します!」
そう言って差し出された少年の腕を、男はもう片方の手で力強く掴みその動きを制す。
アルス「な……!」
ラグレイ「いいん です アルス さん。」
ラグレイ「これは 罰 な んです。人を か たったわたしへの。」
マリベル「どうして あんな 無茶したの! 下手したら そっちの お姉さんだって ただじゃ すまなかったのに!」
ラグレイ「あ ルスさん あなたが たは いつも …たしを たす…て くださった。」
ラグレイ「こん…は わたしが… だ だいすきな みなを たすける ばん…。」
ニコラ「もう いい! ラグレイどの! それ以上しゃべらないで!」
男の独白を黙って聞いていた村人たちが、すすり泣き男の名を呼ぶ。
ラグレイ「ふ ふふ わたしは おろ かもので す。でも いまは し しあわせです。」
ラグレイ「…………………。」
少年の腕は解放されていた。
*「あ……。」
マリベル「ザオリク。」
皆が固唾を飲んでその最期を見届けんとした時、静寂を破るようにして少女が呟いた。
次の瞬間、男から流れ出ていた血が止まり、痛々しかった傷はみるみる塞がり、
真っ白になっていた男の顔に少しだけ赤みがさしたように見えた。
マリベル「……ばかねえ。」
マリベル「あやまんなら 最初から 嘘つくんじゃないわよ。」
マリベル「……それにね あんたが いなくなったら 誰が この村を守るっていうの?」
ラグレイ「…………………。」
沈黙したままの男に少女は尚も投げかける。
マリベル「英雄サマなら ちゃんと最後まで セキニンもちなさいよね!」
マリベル「あんたがそんなんじゃ メルビンが泣いちゃうわよっ!」
アルス「マリベル…。」
マリベル「少しでも 反省してるなら 簡単に死を選ぶんじゃなくて! 生きて その身でしっかり 償いなさいよ!」
アルス「マリベルっ!」
マリベル「なによ。」
アルス「…そのくらいに してあげて。」
マリベル「……ふんっ。」
言いたいことだけ言った少女は村人の間を掻き分け宿屋へと歩き出す。
*「いや まったく その通りですな。」
マリベル「……!」
しかし声の主に気付いて少女ははたと立ち止まる。
ラグレイ「わたしは 自分の命が もはや 自分だけのものではないことを 忘れておりました。」
ラグレイ「これからは 嘘の鎧を脱いで ありのままの自分で 生きていこうと 思います。」
ラグレイ「ありがとう マリベルさん。おかげで 目が 覚めました。」
少しだけ震えが混じっていた礼の言葉を背中に受け、少女は振り向きもせずに言った。
マリベル「わかればいいのよ。わかればっ。」
そうして少女は上機嫌で歩き出し、今度こそ宿の中へと姿を消したのだった。
どこからか現れた一匹の三毛猫を連れて。
*「ラグレイさん もう 動けるんですか?」
少女が去った後、男は村人たちの手により青年の家に運ばれていた。
ベッドを取り囲むように村人たちは居間に集まり、男の容態を心配そうに見つめている。
ラグレイ「ええ おかげさまで この通りですっ!」
そう言って男は得意げにチカラこぶを作ってみせる。
ニコラ「いやあ 一時は どうなるかと 思いましたよ。」
家主の青年が安堵の表情を浮かべて言う。
ラグレイ「ニコラどの それに アルスさん。本当に 申し訳ない。」
ラグレイ「村の 皆さんにも たいへん ご迷惑を おかけしました。」
そう言うと男はベッドの上で深々と頭を下げた。
アルス「……これから どうするんですか?」
少年の問いかけに男がゆっくりと頭を上げて答える。
ラグレイ「伝説の英雄をかたった わたしの 罪は 大きい。」
ラグレイ「わたしの処遇は 村のみなさんに 決めてもらおうと 思います。」
そう言って男は辺りを見回す。
*「なーに 言ってんだ ラグレイさんよ。」
近くにいた荒くれ男が語り掛ける。
*「確かに あんたは 伝説の英雄でも なんでもないかもしれねえけどよ。」
*「俺たちは あんたの おかげで 命を 拾ったんだ。」
*「あなたは こんな わたしのために 命をかけて 助けてくれじゃない。」
*「ごめんなさい ラグレイ。あなたは 確かに 英雄だったわ。」
顔を紅潮させた女性がまなじりの涙をすくいながら言う。
*「そうだよ! あんたを 英雄と呼ばないで なんていうんだい!」
*「そうだ! 俺たちの村には 英雄が ちゃんといたんだ!」
*「あんたは ニセモン なんかじゃ 決してねえぜ!」
ラグレイ「みなさん……。」
次々と賛辞を飛ばす村人たちの中で、少年がそっと声をかける。
アルス「ラグレイさん。ぼくたちは確かに 魔王を倒して 世界を救いました。」
アルス「でも ぼくらには 助けたくても 助けられなかった命が いくつもあります。」
アルス「だけど あなたは 自分の意思で… そのチカラで 多くの人の命を 守り通したんです。」
アルス「……ぼくには とても できないことだ。」
アルス「伝説の英雄でも 偽りの英雄でもない。あなたこそ 真の英雄です。」
ラグレイ「あ アルスどのっ…! わたしは… わたしは……!」
そこまで零して男は遂に泣き崩れてしまった。皆が見ているにもかかわらず、流れる涙を惜しみもせず、声を押し殺して静かに泣いていた。
*「……さーてっ 忙しくなりますよ ニコラさま!」
少しだけ上ずった声で給仕人の娘が叫ぶ。
*「すぐに お片付けして 宴の準備を しなくては なりませんからねっ!」
ニコラ「…………………。」
ニコラ「ああっ!」
一瞬呆気に取られていた青年だったが、遅れて彼女の意図を解し、力強く頷く。
*「おう いっちょやるか!」
*「よおし それなら 早速 準備しなくちゃな!」
*「あたしも 料理 手伝うよ!」
*「それなら いったん解散して すぐに 広場に集合だ!」
村人たちも賛同し、フィッシュベルの漁師たちと屋敷の者を残してさっさと出て行ってしまった。
アルス「…………………。」
“自分も一度宿にもどろう”
村人たちの後に続いて少年が扉に手をかけた時だった。
ラグレイ「アルスさん。」
ラグレイ「…ありがとうございました。」
男の声に振り返りもせず、少年は困ったように微笑みながらつぶやく。
アルス「……お礼なら マリベルに。」
少年が退出するとそれに続いて漁師たちも出ていき、部屋には男一人となった。
ラグレイ「…………………。」
ラグレイ「真の英雄 か…。」
誰もいない部屋の中でポツリと呟くと、男は何かを決心したように体に力を入れるのだった。
マリベル「そう そんなことが あったの。」
アルス「うん…。」
宿屋のベッドの上で寝転んでいた少女がごろりと寝返りを打って少年の方を見る。
対する少年は新しい服に着替え、ベッドに腰掛けて三毛猫の寝顔を観察している。
マリベル「ふーん。ま 今回のことで ラグレイも ビクビクしながら 生活しなくて 済むんじゃない?」
アルス「そうかもね。」
アルス「あ そうだ。ラグレイが マリベルに お礼言ってたよ。」
マリベル「あっそ。まあ 当然のことよね~。」
マリベル「美人のあたしに ザオリクなんて かけてもらえたんですものね~。」
脚をバタつかせながら少女は猫にちょっかいを出して言う。
トパーズ「ナ~ゥ ナゥナゥ~…。」
当の猫は面倒くさそうに少女の手を前足で受け止めている。
アルス「ニコラたちが この後 パーティーを 開くんだってさ。」
マリベル「あら そうなの? 今回の漁 行く先々で パーティー三昧ね。」
“あたしらも偉くなったもんだわ~”とこぼす少女に少年は思わずカラカラと笑う。
マリベル「なによ。なんか 変なこと 言ったかしら?」
アルス「ごめん ごめん。でも 言われてみれば そうだよね。」
アルス「旅の最中 こんな風に もてなしてくれたのなんて うちの王様か 砂漠の国くらいだもんね。」
マリベル「そうよ。本当だったら あっちこっちで 歓迎される はずだったのに あったま来ちゃうわっ!」
そう言ってぷりぷりと怒る少女の表情の変わりようがおかしくなり、少年は再び笑い出す。
マリベル「……いつまで 笑ってんのよ! このっ!」
アルス「うわわっ!」
少女は急に起き上がると少年の身体を押し倒し、仰向けになった少年の腹にドッカリと座ると悪戯な微笑みを浮かべる。
マリベル「そんなに 笑いたきゃ…!」
アルス「ま マリベル待って それはっ!」
マリベル「笑わして あげるわよっ!」
少年の必死の静止を払いのけ、ワキワキとその指を動かす。
[ マリベルは くすぐりのけいを おこなった! ]
アルス「うわっ うわはっ うわはははっ!」
マリベル「こちょこちょこちょ~っ!」
アルス「やめっ やめて! あ…あはははっ!」
マリベル「そ~れそれそれっ!」
アルス「うはひゃひゃひゃっ! し しんじゃう…ひひひひっ!」
マリベル「死んだら 生き返らせてあげるわよ~? うふふふ~。」
アルス「ご ごめっ ごめんってば!」
マリベル「あ~ 聞こえないわね~ なんですって~??」
片方の口角を上げてわざとらしく言うと少女は目を細めて悪党の顔を作る。
アルス「ひっひっひ… ご ごめんなさ…っ!」
マリベル「だ~れにものを 言ってるのかしら~ アルスく~ん??」
アルス「ぐ…ぐぐぐ …ま マリベル お嬢様 ごめんな…さひっ! ひひひ…!」
マリベル「もう 笑わないって 約束できるかしら~?」
アルス「も … もうわらいませふ…んっ! ふ ふ ふう…っ!」
笑いすぎて体を硬直させながら真っ赤な顔をした少年が懇願すると、ようやく満足したのか女王はピタっと手の動きを止める。
アルス「はーっ! はーっ! は… はあ…。 ゴホッ ゴホッ。」
ようやくくすぐり地獄から解放され、少年は苦しそうに咳き込みながら酸素を取り込んでいる。
マリベル「……で なんで笑ったのかしら?」
アルス「ごほっ そ それは……。」
マリベル「それは……?」
少女が舌なめずりをして再び手を動かそうとすると、観念した少年が小さく呟く。
アルス「うっ…それは ま…。」
マリベル「ま?」
アルス「ま… マリベルの顔が かわいくて……。」
ベッドの脇を見ながらさらに顔を赤くして少年が口をすぼませ言う。
マリベル「な… な…っ。」
*「おーい 二人とも パーティーの準備ができたっ て……。」
扉が開かれ、同じ部屋に泊まっていたアミット号の飯番が二人を呼びにやって来た。
よりにもよって最悪のタイミングで。
アルス「…………………。」
マリベル「…………………。」
トパーズ「…くぁ~… にゃむにゃむ。」
*「…………………。」
*「ご… ごゆっくり。」
“かちゃり”
扉が閉じられ、辺りに再び静寂が訪れる。
*「…………………。」
馬なりに跨った真っ赤な顔の少女とこれまた馬なりに跨れている顔の真っ赤な少年。
はたかれ見れば完全に男女の営みの前ぶれだった。
マリベル「…………………。」
アルス「…………………。」
マリベル「ば… ば…っ。」
*「ばかあああああああ!」
甲高い音と共に少年の短い断末魔が村中に響き渡った。
古いレンガ造りの家々を夕日が朱に染め、閑静な孤島の村は素朴な温かさを醸し出す。
村の中央では円卓の上に色とりどりの料理が並べられ、それを囲んで村人たちが談笑していた。
*「イタイ……。」
*「ガルルルっ!」
そんな広場のとある一角に漁師たちの集まる卓はあった。
アルス「ひどいや いきなり 叩くなんて……。」
マリベル「あんたが 悪いのよ あんたがっ!」
アルス「ええっ!?」
頬を擦りながら少年が抗議するも少女はすっかり頭に血が上っており聞く耳をもたない。
*「いやいや 噂には 聞いていましたが まさか あそこまで……。」
マリベル「ちょっとぉ! あんたも 勘違いするんじゃないわよっ!」
マリベル「あれは ちょっとした おしおきで…!」
*「ほほっ そういうのが お好みですか……。」
マリベル「ちっが~~う! キ~ッ! なんて ついてない日なの!」
顔を沸騰させながら少女は飯番の男に怒鳴りつける。
アルス「マリベル 落ち着いて…!」
マリベル「アルスも アルスよ! さっきのが 誤解だって 説明しなさいよ!」
ボルカノ「どうしたんだ そんなに 騒いで。」
ボルカノ「マリベルおじょうさん 何か あったんですかい?」
そこへ井戸の前の民家から出てきた漁師頭がやってきて少女に尋ねる。
マリベル「ぼ ボルカノおじさま べ べつに なんでも……。」
*「いやあ 船長 聞いてくださいよ。マリベルおじょうさんと アルスがっ…!?」
マリベル「あたしと アルスが な に か し ら?」
*「ひっ … な なんでも ありませんです はいっ!」
ボルカノ「……?」
ボルカノ「…ははあ なるほど。」
飯番の反応と少女の焦り様に漁師頭は何があったのかをなんとなく察する。
“この手の話題には触れない方が賢明だ”
隣に立つ少年の頬にできたテガタがそれを物語っていた。
そこで男は先ほどまで自分が行っていたやり取りについて二人に説明することにした。
ボルカノ「ところで 二人とも さっき 王様からの書状を この村の長に 渡してきたんだが。」
アルス「えっ 本当に?」
マリベル「どど …どうだったんですか?」
少女がわかりやすく動揺していたが少年の父親は気づかぬ振りを貫くことにした。
ボルカノ「ええ。軍や 自警団が いるわけでもないから 周辺の警備はさすがに 無理だけど 漁に関しちゃ 全面的に 協力してくれるって話です。」
*「「よかったあ……。」」
わざわざ奮闘しただけあって交渉は概ねうまくいったらしい。そんな安堵から二人は揃って胸を撫でおろす。
気付けば先ほどまでピリピリしていた雰囲気もほぐれ、少女も落ち着きを取り戻していた。
ボルカノ「…………………。」
本当に胸を撫でおろしたのは少年の父親の方だったのかもしれない。
*「お集りの皆さん 今日は 実に 良き日です。」
ややあってから宴の始まりを告げるべく、青年が皆の前に躍り出る。
ニコラ「魔物の脅威を 打ち払い 村は 再び 平和を 取り戻しました。」
*「いいぞ ニコラ!」
ニコラ「それだけでは ありません。我々は 真の英雄を ここに迎え入れたのです!」
*「ラグレイーーー!」
*「ラグレイさーん!」
声高々に呼ばれ、どこか表情は気恥ずかしそうながらも堂々とした足取りで、桃色の鎧を脱ぎ捨てた戦士が人々の前に現れた。
ラグレイ「あー… みなさん 初めまして。」
ラグレイ「わたしの 名前は ラグレイと 申します。」
ラグレイ「今日から 再び この村で ただの戦士として やり直すことに なりました。」
ラグレイ「今は ただの男ですが いつか 一人でも心配かけないくらい 強くなって みなさんのことを 必ず お守りします。だから……。」
ラグレイ「だから もう一度 大好きな みなさんと 一緒に いさせてください!」
*「…………………。」
ラグレイ「…やっぱり ダメで……。」
その時だった。若い女性がたった一人、ゆっくりと手を打ち鳴らし始めた。
やがてその音は他の者を巻き込み、いつしか辺りは拍手の嵐に包まれていった。
ラグレイ「み みんな……。」
*「ねえ ラグレイ。良かったら あたしの 家で暮らさない?」
拍手を始めた女性が戦士の前に出てその手を取る。
ラグレイ「し しかし……!」
*「いつまでも ニコラの家で 厄介になるつもり?」
ラグレイ「いや その しかし…それでは 結局 あなたの ご迷惑に……。」
*「いくらだって かけなさいよ。」
*「……だって あたしは もう 一生分 あなたに 厄介になっちゃったんだもん…。」
それは突然のプロポーズだった。
しばらく呆気に取られたように女性の目を見つめていた男だったが、やがて目に力がみなぎり、女性の両手を優しく握り返して言った。
ラグレイ「その… ご ご厄介に なります…。」
*「「「おおおおおおっ!」」」
二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた村人たちだったが、男の返事に再び盛大な拍手と歓声上げる。
*「いいぞー!」
*「あついね~! にくいね~! よっ 幸せもん!」
ニコラ「ラグレイどの おめでとうございます!」
ラグレイ「ニコラどの… ありがとうございます!」
ニコラ「…むぅ…… ボクもそろそろ 結婚を考えるべきかなあ。」
*「あら ニコラさま それなら 丁度いい お相手がいましてよ。」
青年の隣にいた給仕人の娘がそっとニコラの手を握る。
ニコラ「あ……。」
ラグレイ「おや ようやくですか。」
男は青年に優しく微笑んだ。
いつの間にか公開プロポーズの場となってしまった宴は、規模こそささやかなれど飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎとなった。
青年は終始笑い続け、男は途中から泣きっぱなし。
漁師の男たちも元が陽気な連中の集まりということだけあって、
王宮や城下町で行われる華やかな宴よりも性に合うのだと言って楽しそうに村人たちと交流していた。
少年と少女も村を救った英雄として、魔王討伐の時よりも熱烈に歓迎されたのだった。
アルス「…もう ここも 大丈夫みたいだね。」
マリベル「そうね。本来あるべき 形に ようやく 戻ったって感じかしらね。」
そして今、夜も更けひとしきり宴が静まった頃、少年と少女は宿屋の中で静かに杯を揺らしていた。
程よい甘さで昂った心を落ち着けてくれる蜂蜜酒はまさに琥珀を溶かしたかのような美しい輝きを放っていた。
蝋燭の揺らめく灯りにひとたび傾ければ、めでたい宴の最後を名残惜し気に飾るような甘美な香りが鼻をくすぐった。
マリベル「ふふ。おいしい……。」
アルス「こっちで 飲まれているやつよりも 花の香りがすごいね。」
マリベル「あら アルスにも そういうの わかるの?」
アルス「んー…最近 なんとなく ね。」
マリベル「ふーん。そっか。」
一見他愛のない会話を二人はこれでもかと楽しんでいた。
緊張感を常に漂わせながら皆で旅した頃とはまた違う、ゆったりとした時間。
一つ一つの相槌すら心の底から愛おしむ時間にひたすら二人は耽溺していた。
こんな“どうでもいいこと”で何時間でも、何日でも楽しく過ごせるような気すらしていたのだ。
マリベル「そういえば さ。」
不意に少女がつぶやく。
マリベル「さっき ラグレイから 聞いたんだけど。」
アルス「うん?」
マリベル「いや ね。あんたが ラグレイにしたっていう話。」
アルス「…………………。」
マリベル「あたしたちが 助けられなかった人たちがいるって?」
少年は昼間に自分が男に話したことを思い出していた。
少女は尚も続ける。
マリベル「確かにそうね。目の前で魔物に連れ去られたり 石のまんま治せなかったり。」
マリベル「知らない間に殺された人たちだって たくさんいたわ。砂漠の城も ダークパレスを作った大工さんたちもね。」
マリベル「ううん 人だけじゃないわ。チビィだって もしかしたら 命を落とさずに 済んだかもしれない。」
マリベル「……マチルダさんなんて 今にも 夢に見る始末よ。」
アルス「…………………。」
マリベル「でもね。そんなの ほとんど あたしたちの せいじゃないのよ。」
アルス「…仕方なかった。」
マリベル「そうよ。仕方なかった。」
マリベル「みんなみんな 救ってあげることなんて 神さまでもなければ できないことよ。」
マリベル「いーえ。あの クソじじいですら みんなは 救えなかったじゃない。」
マリベル「アルス。あなたは 神さまを 超えた存在にでも なりたいっていうの?」
アルス「……そんなんじゃないよ。」
マリベル「だったら いちいち 気に病むのも ほどほどにしなさい。」
マリベル「いくら 精霊の加護がついてるからって 人の子である あんたが できることなんて 些細なことよ。違くって?」
アルス「違わないさ。ぼくは ただ……。」
アルス「ぼくは ただ 悔しいだけなんだ。」
少年は押し殺していた気持ちを吐き出すようにぽつりぽつりと語りだす。
アルス「あの時 ああしていれば 救えた命が いくつあった? …ってね。」
アルス「仕方ないことだなんて わかってるさ。ぼくは ただの 漁師の息子なんだ。」
アルス「でも……こわいんだ。」
アルス「いくら 強くなったつもりでも 知らないところで 大切な人が傷ついているのに 助けることができない。」
アルス「今 この瞬間だって どこかで 誰かが 傷ついているかもしれない。 ぼくの 大切な 人が……。」
マリベル「…………………。」
アルス「これから ぼくが 漁に出ている間だって いったいいつ 何が起きるか わからない。」
アルス「だから 本当は きみを 連れていきたい。」
アルス「……マリベル。きみを 失ったりしたら ぼくは…っ!?」
気付けば少年の視界は暗闇に支配されていた。
マリベル「ばかね……。」
否、少女の胸に抱きかかえられていたのだ。
マリベル「いっつも いっつも そうやって 一人でくよくよ 悩んじゃってさ。」
マリベル「ほんとに あんたは いっつも 一人でしょい込みすぎなのよ。」
マリベル「なんの ために あたしが あんたのそばに ついてるんだか。まったく… こっちが 自信なくしちゃうわ。」
少年の頭に回していた腕の力を少しだけ緩め、少女は少年の目を見つめる。
マリベル「ずるいわよ。あんた ばっかり。」
マリベル「アルスの悩み あたしにも 教えてよ。あんたの 背負ってるもの あたしにも 背負わせてよ。」
マリベル「…あたしは あんたの なんなのよ……?」
アルス「マリベル…。マリベルは その……。」
マリベル「なあに?」
アルス「ぼくの… いちばん大切な人。」
アルス「きみが いたから どんなことだって 頑張れたし これからも ずっと 一緒に いて欲しい。」
アルス「どんな時でも 君が笑ってくれるなら ぼくは なんでもできる。」
アルス「だからこそ 君を失うわけには いかない。…命を投げ捨てても 守り通すよ。」
マリベル「……ダメよ それじゃ。」
マリベル「死ぬときは 一緒だって 決まってんだから。それにね……。」
少女は再び少年の頭を抱きしめる。
マリベル「あたしは どんなことがあっても あんたの前から 突然 消えたりしないわ。」
マリベル「……あたしを 誰だと 思っているのよ。うふふっ。」
マリベル「世界一の 天才美少女 マリベルさまよ? あんたを残して そう簡単に 死んだりしないんだからね。」
アルス「マリベ る…。」
マリベル「さあっ! 今だけは あたしの胸を貸してあげるから。」
マリベル「……悲しい気持ち 悔しい気持ち ぜーんぶ 出しちゃいなさい。」
アルス「うっ……くっ……。」
マリベル「…ほーら よしよし。思いっきり泣きなさいな。」
そういって優しく少年の頭を撫でる少女の目からは月の滴が一粒だけ零れだし、琥珀と紅の輝きを写して静かに流れ落ちていく。
喉の奥に残った蜂蜜酒の甘さが、どこか切なく、しょっぱく感じた。
コック長「どうしたものか。」
*「ええっ!? どうするも こうするも 寝床はここなんですよっ…?」
コック長「…………………。」
コック長「仕方ない 今日は シスターに無理言って 教会で寝かしてもらうとしよう。」
*「そんなあ…。」
コック長「……お前も 嫁さんを貰えば わかるさ。」
コック長「さ つべこべ言わずに ついてこい。」
そう言って扉に耳を当てていた料理人たちは気を利かして宿屋を後にするのだった。
マリベル「悪いことしちゃったかしらね……。」
部屋の中ではそんなやりとりに気付いていた少女が一人呟く。
マリベル「ま いいわよね。どうせ アルスのせいなんだし。」
そう言って少女は腫れた目を閉じてすやすやと眠る少年の髪を優しく撫でる。
マリベル「うふふっ。かわいい顔しちゃって。」
マリベル「やっと ハンサムになってきたのに 寝顔は子供のままね。」
少年の前髪を掻き分けその額に口づけを落とし、少女もまた瞳を閉じる。
マリベル「おやすみ アルス。」
どこからともなく聞こえてくる静寂が、激動の一日の終わりを告げる。
明日からの希望を夢見て、天高く月の舞う夜空の下、神の兵の村はひっそりと眠りにつくのだった。
そして……
そして 夜が 明けた……。
183 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/28 20:07:41.92 HiFRyoCx0 168/905
以上第6話でした。
ラグレイ「男ラグレイ 一生にいちどの
最後のお願いでありまする。」
ラグレイ「どうか みなさんと共に 私も
魔王と戦ったことに してくださいっ!
→[ いいえ ]
ラグレイ「ううっ そんなことを言わずに
どうか どうか お願いします。
神にちかって これで最後ですから。」
→[ いいえ ]
…………………
魔王討伐の凱旋でこのループをやった人は少なくないことでしょう。
ええ勿論わたしもです。
今回はそんな風にいつまでも自分の保身に徹するラグレイに試練を受けてもらいました。
もともと彼はどこから来たのかは知りませんが、
居づらいはずのメザレに自らの足で戻ってきてしまった以上、
自分の居場所が欲しいのなら正々堂々とありのままを告げるのが筋ってものです。
……なんて偉そうなことを言ってますが、人は誰しもどこかしらで嘘をついてしまうもの。
わたしも少しでも自分をよく見せようと見栄を張ってしまうことがたまにあります。
でも、実際そういう風に自分の体を嘘の鎧で固めていくと、いつか身動きがとれなくなってしまうものです。
きっかけは何であれ、その鎧を脱いで自分を曝け出すというのはとても勇気のいることです。
偽りの英雄が真の英雄に変わるとき。
それは自分の中の見栄やプライドに打ち勝つ勇気を振り絞った時なのかもしれませんね。
それから、この第6話のラストではアルスが自分の中でわだかまる旅の傷をマリベルと分かち合います。
主人公、つまりプレイヤーとしてのわれわれの思うことと、
実際にゲームの中で少年が思うことはやはりズレがあるとは思うのですが、
もし、自分が実際にあの中の世界の主人公ならとてもじゃないけど耐えられないでしょう。
それほどにドラクエ7は陰欝なエピソードが多いです。
だからこそこのお話では、本来語られることのなかった『少年』の思いを、少しでも代弁できればと思い書いてみました。
もちろん、それは少女マリベルとて同じこと。
普段は強気な彼女も本当は普通の女の子。きっと多感な少女にはいろいろと思うところがあることでしょう。
それでも彼女は弱音を吐きません。
何故ならばそれは彼女が自分で望んで少年について行ったからです。
理由は何であれ、自分がしたいからそうする。
そんな彼女がいたからこそ少年は旅を全うすることができたし、彼女自身も旅を続けてこられた。
第1話でわたしが表現したかったのはそういうことなのです。
…………………
少々臭い話をしましたが、お話はまだまだ序盤です。
◇次回はメザレを離れ、次なる地を目指して海へ出ます。
(けっこう短いお話です)
◇ノロウィルスに感染してしまいました。
下痢は収まりましたが発熱で正直PCの前に座っているのもつらいです。
私情で申し訳ないのですが、もしかすると明日はお休みいただくかもしれません……
184 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/28 20:11:51.86 HiFRyoCx0 169/905第6話の主な登場人物
アルス
世界を取り戻す旅の中で追った心の傷や不安を抱えている。
自分一人で背負いがちだったが、マリベルと共有することで少しずつ肩の荷を下ろしていく。
マリベル
同じく旅を経たことで様々な思いはあるが、かなり割り切って考えている。
優しすぎて心の傷を表に出さないアルスを優しく包み込む。
ボルカノ
性格は豪胆だが人や雰囲気の些細な変化には非常に敏感。
つまり人を良く見ている。
不器用ながら、的確な対応で場を丸く抑えてくれる頼れるおやじ。
コック長
料理人としての腕だけではなく、年長者らしい大人な対応で気遣ってくれる紳士。
飯番
ゴシップネタ大好き。
雰囲気をぶち壊すのに定評がある。
アミット号の漁師たち(*)
メザレ村の住人たちを避難させるのに一役買う。
煌びやかで華やかな王宮のパーティーより村や町の素朴な祭りの方が性に合う。
ラグレイ
メザレで厄介になっている戦士の男。
ウソを言って英雄扱いされていたが、今回の騒動で心を入れ替え、
ただの男として再出発する。
ニコラ
メザレに住む神の兵の末裔。メルビンの盟友ニコルの遠い子孫。
容姿端麗な吟遊詩人。
「いくじなし」のレッテルをマリベルに張られるも、一族の使命には熱い。
ニコラのメイド(*)
ガボ曰く、「マリベルなんかより よっぽど きれい」だそうな。
父の言いつけを破れないニコラを陰で支える幼馴染。
居候のラグレイを苦々しく思っている。
航海七日目:三毛猫が顔を洗う時
*「う…うん……。」
窓から差し込む眩しい光に少年は目を覚ました。
アルス「……ん?」
少年が重たい瞼を上げると布団の白ではなくかわいらしい桃色の布が視界いっぱいに広がる。
目線を下に移してもそこには桃の生地が見えるばかり。
アルス「…あれ……。」
身動ぎしようにも何かががっちりと頭を押さえつけておりわずかしか動かすことができない。
代わりに前には容易く動け、視界が黒に染まる頃には柔らかい触感が少年の顔を覆っていた。
アルス「ま まさか……。」
少年を押さえつけていたものの正体は少女だった。
少女の腕は胸元に押し付けるように少年の頭を抑え込み少しも離そうとしない。
アルス「これって…。」
先日混乱した自分が少女に突撃した時のことを思い出す。
アルス「…………………。」
真っ赤な顔を少しだけ擦り付ける。
“パフパフっ!”
そんな擬音と共に少年の視界も心も桃色で満たされていくようであった
*「おはよう アルス。よく眠れたかしら?」
アルス「っ……!?」
突然頭上から降って来た声に少年が顔を上げると、少しだけ顔を赤らめた少女が少年の顔を凝視していた。
マリベル「お楽しみのところ 悪いんだけど。」
アルス「お おはよう マリベル …おじょうさま……。」
マリベル「もう一度 寝たいかしら?」
アルス「あ い いえ… 滅相もございませ……。」
マリベル「あ~る~す~?」
アルス「ご ごめんなさい! ごめんなさい! つい 気持ちよくてっ!」
マリベル「…………………。」
アルス「……?」
マリベル「……っそ。まあ いいわ。」
マリベル「さっさと 起きましょ。あ お風呂入って 着替えるから 先に 出てってよね。」
そう言って少女は何事もなかったかのように伸びをすると
さっさと着替えを持って部屋を出て行ってしまった。
アルス「……??」
てっきりまた平手打ちが飛んでくるかと思っていた少年はしばらく動けずに瞬きをしていたが、
どこからか湯を流す音と共に聞こえた猫の断末魔に我に返り、手短に用意を済ませて部屋を後にするのだった。
ニコラ「もう 行ってしまうんですね。」
仕度を終えた少年たちを見送ろうとやってきた青年が名残惜し気に言う。
アルス「今日は 漁もありますし 次の目的地までは 距離があるので あんまり ゆっくりしていられないんです……。」
ニコラ「そうですか それは 残念です。みなさんの お話を もっと 聞きたかったんですが…。」
ボルカノ「悪ぃな あんちゃん。そのうち 新婚旅行にでも フィッシュベルに 来てくれ。」
ニコラ「ええ。その時は 是非。」
船長の言葉に青年は少しだけ照れた様子で返す。
*「ニコラさま。その前に やらなくちゃ いけないことが たっくさん あるんですからね!」
*「これからは わたしのワガママも 聞いてもらいますよっ。」
そんな青年の腕を掴んで普段着に身を包んだ彼の幼馴染が嬉しそうにはしゃぐ。
*「おお あっちも こっちも お熱いこった。なあ アルス。」
アルス「あ あははは……。」
銛番の男に妙な視線を送られ、少年はとぼけた様に笑うしかないのだった。
ラグレイ「アルスどの マリベルどの そして みなさん! この度は 本当に 世話になりました。」
ラグレイ「いつか わたしにも 必ず 恩返しを させてください。」
村の英雄となった男が威勢のいい声で胸を叩く。
その顔は、とても晴れやかだった。
マリベル「ふふっ 殊勝な 心がけね。お姉さんと 元気にしてるのよ。」
ラグレイ「ええ。みなさん 道中 お気をつけて。」
アルス「ありがとうございます。また 会いましょう!」
少年は男と固く握手すると、村の北に停泊している漁船へと向かって歩き始めたのだった。
*「いやあ 昨日は 色々あったけど 楽しかったですよ。」
村の漁師が朗らかな笑顔で漁船の船長に語り掛ける。
ボルカノ「まあな。」
ボルカノ「ところで 大将。こっから 北の海は どんな様子なんだ?」
大陸が復活してからというものの、エスタードを中心とする海域には漁にきてはいたが、
大陸を挟んだ向こう側の海洋については漁師たちにとってほぼ未開の地と言っても差し支えなかった。
*「そうですね。水深はかなりあります。魚の種類も豊富ですが……。」
*「時々 嵐が 起こるんですよ。十分お気をつけなされ。」
ボルカノ「そうか。あんたにも 世話になったな!」
*「とんでもない。わたしたちが 受けた恩に比べれば 安いもんです。」
*「みなさんの 大漁と 安全を 願っておりますぞ。」
ボルカノ「そっちもな!」
そう言って少年の父親は村の舟守とがっちりと肩を抱き合うと、船に乗り込み出航の合図を送るのだった。
アルス「さようならー!!」
*「みなさん ご達者でーっ!!」
大手を振って見守る舟守へ別れの挨拶を送り、漁船アミット号は気持ちの良い風を受けて遥か北の地を目指し進んでいくのだった。
マリベル「あそこも これで 一件落着ね。」
今はもうほとんど見えなくなってしまったメザレのある島を見つめながら、すまし顔で少女が言う。
アルス「うん。もう 心配ないね。」
“きっとこれからはあの戦士が村を守っていくことだろう”
最後に見せた男の雄姿に、二人は確かな自信を感じていたのだ。
マリベル「…………………。」
しかし少年にとっては、今はそれよりも心配しなければならないことがあった。
アルス「あ あのさ マリベル。」
マリベル「なに?」
アルス「お 怒ってないの?」
マリベル「何をよ。」
アルス「その 今朝の…。」
マリベル「ん? …ああ あれ?」
マリベル「いいわよ。ベツに 怒ってなんてないわ。」
アルス「本当に……?」
マリベル「なーに? それとも 怒ってほしいの?」
アルス「いやいやいやっ!」
マリベル「…ふん……。」
船縁に肘を置きながら頬杖をする少女は少年の顔を横に見ながらほんのり赤い顔で小さく溜息をつく。
どうやら少年は事なきを得たらしい。
アルス「…………………。」
マリベル「…………………。」
アルス「お似合いだったね あの二人。」
少年が昨晩の求婚を思い出して言う。
マリベル「二人って どっちよ?」
アルス「どっちも。」
アルス「突然だから まさかと思ったけどさ。」
マリベル「あたしから 言わせてみれば どっちも意外すぎたわ。」
少年とは対称的に少女は“うんざり”といった顔をする。
マリベル「ニコラは 思い込みは激しいわ 甘やかしたら どっぷりで 何もしないわ の ダメ男だったし。」
マリベル「ラグレイは 見栄っ張りで 極度の 寂しがり屋。」
マリベル「メイドも あの女の人も よく 求婚する気に なったもんだわよ。」
マリベル「どっちも御免だわね あたしなら。」
完全にこき下ろしていた。
マリベル「ま あの意気地なしどもも これからは しゃんとするかもしれないけどね。」
アルス「あ はは……。」
久しぶりに聞いた少女の毒舌に少年はたじろぎ、明日は我が身かと戦々恐々とする。
アルス「手厳しいなあ。」
マリベル「あんたが 寛容すぎるだけよ。」
アルス「そうかな?」
マリベル「そうよ。間違っても あんたは あいつらみたいな 男になるんじゃないわよ。」
アルス「えっ はは……。」
マリベル「返事は?」
[ はい ]
マリベル「うふふっ。ならば よろしい!」
マリベル「さて そろそろ お昼ご飯の 準備してこなくちゃ。」
そう言うと少女は音もたてずに階段を下りていく。
アルス「はあ…… 飼い猫なのは どっちなんだろうなあ トパーズ。」
トパーズ「…………………。」
少年は足元でグルーミングをしていた三毛猫にそっと呟く。
トパーズ「……なー。」
なんとも言えない表情で少年の顔を見つめて猫は少年の足周りをくるくると歩き始める。
アルス「おまえも 甘えん坊だなあ。」
足元のそれを抱き上げて少年は茶化したように言う。
アルス「……ぼくも 大差ないのかな。」
トパーズ「な~う。ぅぅぅ…。」
顔を近づけたら軽いパンチが飛んできた。
ボルカノ「そろそろ 始めるか!」
*「「「ウスっ!」」」
西の地平線にはうっすらとフォーリッシュの町がある大陸の影が見えている。
本日はこの辺りの海域で漁をすることになった。
ボルカノ「よし アミを投げるぞおっ!」
*「「「ウース!」」」
男たちの掛け声と共に深い海原へ大きな網が投下されていく。
しばらくして縄が緊張し、網が張られたことを報せる。
その時、船長が息子を呼んで船の前方の海面を指さして言う。
ボルカノ「見ろ アルス あれが 潮目だ。」
アルス「すごい! 一本の線が できてる!」
少年の言う通りそこにはまるで一本の線のように波がしぶきをあげていた。
ボルカノ「この辺りは 寒流と暖流が 交わるみてえだな。」
マリベル「さっきの おじさんが 言ってたのって…。」
“魚の種類が豊富”という舟守の言葉がふと少女の頭によぎる。
ボルカノ「ええ。潮目ができるから なんでしょうな。」
それから小一時間、船長は巧みに帆を操り海原にできた道へゆっくりと船を走らせた。
その様子を食い入るように見つめる少年が思わず感嘆の声を漏らす。
アルス「父さんは すごいや! こんなに正確に 進めるなんて。」
ボルカノ「わっはっは! あたぼうよ 何年 漁師やってると 思ってやがる。」
ボルカノ「よく 見て置けよ アルス。そのうち お前が 舵取りを するかもしれないんだからな。」
アルス「はい!」
幸い魔物の襲撃を受けることもなく船はいたって順調に北上していき、潮目も遂に終わりを迎えようとしていた。
*「いくぞー!」
漁師たちが一斉に網を引く。
マリベル「まーた 変な奴が いっぱい かかってるのかしらねー。」
アルス「くう… お 重い!」
ボルカノ「…ほお。みんな 気合 入れていくぞっ!!」
*「合点!」
*「…腕がなるぜぃ!」
船長の檄に漁師たちは体に力を入れなおし、少しずつだが確実に縄を手繰り寄せていった。
マリベル「ふんぬぬぬ……!」
少女も負けじと男たちに加わり縄を引っ張る。
*「見えてきたぞ!」
ボルカノ「それ もう一息だ!」
“ミシ……”
船縁取り付けた木の滑車が悲鳴を上げる。
*「おおっ!」
*「こいつは すげえ!」
漁師たちが思わず感嘆の声を上げる。
甲板に持ち上げられた網は獲物でパンパンに膨れ上がり、今にもはち切れんばかりだった。
マリベル「ちょっと ちょっと アルス! 大漁じゃないの!」
アルス「す すごい… こんなに いっぱい!」
ボルカノ「よーし それじゃあ 開けるぞ。」
船長は満足げな表情を浮かべると、他の漁師たちと共に大きな網をひっくり返した。
マリベル「うわあっ 大きいのが いっぱい 混じってるわね。」
マリベル「……あっ こら トパーズ!」
少女が魚を吟味していると、小さな魚をくわえて三毛猫が船尾に走り抜けていった。
ボルカノ「まあ あれぐらいは おこぼれですぜ。」
アルス「父さん これは?」
少年が一際大きい体を打ち付けている魚を指さして尋ねる。
ボルカノ「む。そいつは サメの仲間だな。」
ボルカノ「ものにも よるが 俺たちは いつも 切り身にしたり 卵を塩漬けにして 持ち帰ってんだ。」
アルス「そうだったんだ。……マリベル!」
少女の名を呼ぶその目はらんらんと輝いていた。
マリベル「そんな 期待した目で 見られてもねえ。あたしだって そんなに 大きいのは さばいたことないわよ。」
マリベル「ま コック長と 相談するから 後で 下まで運んでちょうだい。」
アルス「わかった!」
“今日の食事も豪華になりそうだ”
そんな期待を膨らませ、少年は元気よく返事をすると漁師たちに混じって獲物の選別に取り掛かり始めたのだった。
“ゴトン”
*「ふい~ 大漁 大漁!」
魚の詰まった大きな木箱を積み上げ、漁師の男が白い歯を見せて笑う。
*「これじゃあ さばいて開く方が たいへんだぜ。」
*「これなら 次の港で ちょっとした 市が 開けるな。」
ボルカノ「そうだな。干物もそこそこにして 明日は こいつらを 市に出してみるか。」
そんな話で漁師たちが盛り上がっている中を猫がつまみ食いをするわけでもなく忙しなく走り回る。
トパーズ「にゃああああ!」
*「どうした にゃん公。落ち着きがねえな。」
*「おおかた 魚に 興奮してるんじゃねえか?」
トパーズ「…………………。」
漁師たちの声には耳も貸さず、三毛猫は走り回っては立ち止まりしきりに顔を洗っている。
*「……?」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「おい 早めに 片付けるぞ。」
*「どうしたんすか 船長。」
静寂を破った船長の顔を銛番の男が不思議そうに見つめる。
ボルカノ「……少し 荒れるかもしれん。」
そう言って漁師頭が見つめるその先、遠くの空には灰色の雲がうっすらとかかり始めていた。
マリベル「しっかし 異様に ブサイクね。」
調理場では少女が先ほど獲った“鮫と思わしき何か”とにらめっこをしていた。
コック長「わしたちは いつも ブタザメって 呼んでますよ。」
まじまじとそれを見つめる少女に料理長がその名を教える。
マリベル「なるほど なっとくの ネーミングね。」
漁師たちがブタザメと呼ぶ魚は鮫と呼ばれる割には随分とつぶれた鼻をしており、今にも“フゴッ”と鳴きだしそうだった。
コック長「さばくには かなり コツがいるんです。まず 湯をかけますぞ。」
マリベル「え?」
*「まあ 見ていてくださいよ!」
料理人は大きな薬缶を持ち上げると、流し一杯に横たわるそれに向かって熱湯を注ぎ始める。
マリベル「えええっ!?」
粗熱が冷めたのを確認すると、料理長はそのおろし金のような皮をそのまま指先で抓んでぺりぺりと剥し始めた。
マリベル「どうなっちゃってんのっ!?」
コック長「昔からの 知恵でしてな。サメの皮は こうすると 簡単に はがせるのです。」
マリベル「…面白いもんね~。」
得意げな顔の料理人たちに思わず少女も感心した様子で丸裸になったそれを見つめる。
*「そして 酢の入ったお湯で 茹でるんですよ。」
マリベル「普通に 茹でちゃ ダメなの?」
コック長「まあ とりあえず 匂いを 嗅いでみてください。」
言われるがままに少女は皮の剥かれた鮫の身に鼻を近づける。
マリベル「…なんか クサいわね。すえた においっていうか。」
コック長「そのまま茹でても 臭くて あまり 美味しくないんです。」
マリベル「ふーん。それで どういうわけか 酢の 出番ってわけね。」
*「こんなことも あろうかと 酢は いつも 船に 積まれているんですよね。」
飯番は厨房の隅にある酒棚を指さしてその所在を知らせる。
コック長「さあ 急いで 下ごしらえしましょう。まだまだ やることは たくさん ありますからな。」
その言葉を合図に三人はてきぱきと手を動かし始める。
中央に置かれた卓に出来上がった料理が並ぶまではそう時間もかからなかった。
ボルカノ「今日は すごいな。」
*「そりゃ あれだけ 獲れましたもんねえ。」
コック長「わしらも 腕に よりをかけましたからな。」
その日の夕食は非常に豪勢だった。
数時間前に獲れたばかりの新鮮な食材をふんだんに使った海の幸のフルコースに、思わずその場の誰もが舌を巻く。
アルス「あ これって…!」
マリベル「そうよ さっきの ブタザメちゃんね。」
アルス「ん…。ずいぶん あっさりしてるんだね!」
ボルカノ「身の方はな。だが 卵巣や ヒレは 高値で 取引される 高級品でな。」
ボルカノ「卵巣は 濃厚な 味わいで 酒にはもってこいだ。」
ボルカノ「ヒレの方は 食感が良いとか言って ツウが 好んで わざわざ 買いに来るくらいだ。」
*「おれたちは タダだけどなっ!」
ご馳走を堪能しながら自然と会話に花が咲き船内は穏やかな雰囲気に包まれていた。
*「ボルカノさん!」
夕食を終えるまでは。
ボルカノ「どうした? もう交代か?」
*「ち 違うんです! どうも 波が 荒くなり始めてるような気がしてっ……!」
慌てた様子で駆け込んできた漁師はどうやら小さな異変に気付いたらしい。
ボルカノ「……やっぱりそうか。」
ボルカノ「見張りは もういいから お前も はやく食って 備えろ!」
*「はいっ!」
漁師は返事をするとすぐに空いた席に座って料理に手を付け始めた。
ボルカノ「コック長 この後は 火を 使わんほうが いいだろう。」
コック長「その様ですな。」
アルス「まさか……。」
マリベル「嵐でも きたのかしら?」
コック長「簡単に 言ってのけますが それなりに 覚悟した方が いいですよ。」
マリベル「わ わかってるわよ。あたしたちも 何度か えらい目に あってるしね。」
アルス「よく 沈まなかったよね ホント。」
修理した廃船で航海していた時のことを思い出し少年たちはうんざり顔で溜息をつく。
*「…今日は 眠れなさそうだな。」
漁師の一人が小さく呟く。
その言葉が、やけに大きく聞こえた。
甲板から報告があって半刻と経たぬうちにそれはやってきた。
*「うひゃー ひっでえ 雨だ!」
降りしきる雨の中、体を揺さぶるような強風が北東から容赦なく吹き付ける。
ボルカノ「おまえら 振り落とされるんじゃないぞ! 帆を右に回せ!!」
叫びながらも船長は船員に的確な指示を与えていく。
ボルカノ「よーし いいぞ! そのまま 前進だ!」
長年漁に従事してきた男たちにとって多少の嵐などそよ風に等しかった。
冷静な判断と迅速な対応が一つ一つ積み重なり、荒波に揉まれながらも漁船はなんなく海を駆けていく。
*「うわわわっ!」
しかし嵐との闘争は甲板の上だけではなかった。
風雨に晒されて揺れる船内では大量の積荷や道具が崩れないよう、
ありったけのロープや網でそれらを固定する作業に追われていた。
マリベル「ちょっと! レディに 体当たりするとは 良い度胸ね!」
体勢を崩してぶつかってくる飯番の男に少女が怒鳴りつける。
*「す すいませんっ! おわっ!」
マリベル「だああ! こっち くるんじゃないわよ! キャー! キャー!」
コック長「二人とも 落ち着きなさい!」
よろけふためく二人をなだめようと料理長が声を張り上げる。
*「は はひぃ……!」
マリベル「……今よ!」
揺れの弱まったタイミングを見逃さず、少女は再び縄を手に木箱を柱に括り付けていく。
マリベル「ふう…!」
マリベル「まさか こんな たいへんだなんてね…。あの ボロ船なら ほとんど空っぽだから こんなに 忙しくなかったのに!」
コック長「愚痴を言ってる 場合じゃ ありませんぞ!」
マリベル「ええ いそぎましょう!」
こうして漁船アミット号は今回の漁で初めての嵐に見舞われながれも懸命に耐え、
羅針盤だけを頼りに荒れ狂う闇の中を進んでいくのだった。
そして……
そして 次の朝。
202 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/29 19:28:48.00 TT/hGofC0 184/905
以上第7話でした。
猫がしきりに顔を洗っているとその日、または翌日は雨。
そんなお話がありますね。
今回は航海を行う上で避けては通れない嵐が近づく様子を、
三毛猫トパーズの行動に注目して書いてみました。
さて、嵐の中を航行するというのは非常に危険なことです。
信じられないような高波が発生することもしばしばあるそうで、
現在のように設備の整っていない帆船において、嵐は常に死と隣り合わせだったことでしょう。
転覆はもちろん、積載物によって怪我をしたり最悪の場合圧死もあり得ます。
主人公たちの住むグランエスタードにおいてどうしてあそこまで漁師たちがもてはやされたのか。
それはもしかするとそういった危険を孕んだ航海にひるまず出ていく男たちの姿があったからかもしれません。
そして同時にあの船乗りたちがどうして女性を乗せたがらなかったのも、そんな海の危険から守ろうとしたからかもしれません。
ちなみにこのお話で登場したブタザメは架空の生き物です。(一応)
…………………
◇嵐に揉まれて海を行く漁船アミット号。
果たして無事に次の目的地へたどり着けるのか。
203 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/29 19:29:50.24 TT/hGofC0 185/905第7話の主な登場人物
アルス
新米漁師。
父ボルカノの仕事を目の当たりにし、少しずつ漁師としての技術を身に着けていく。
マリベル
網本の娘。
アルスにぱふぱふをするのはまんざらでもない様子。
ボルカノ
漁船アミット号の船長。
操舵も漁もウデはピカイチ。
コック長
長年の知恵で食材を的確に調理する。
アミット号のキッチンマスター。
飯番(*)
漁船アミット号で働く料理人。
腕は確かだが不測の事態には弱い。言うなれば肝が据わっていない。
アミット号の漁師たち(*)
嵐の一つや二つではへこたれない海の男たち。
どんなに激しい海でも経験と技術で乗り越える。
トパーズ
オスの三毛猫。
船上の生活をきままに過ごす。
湿気には敏感で、それが漁師たちにとっての一つの指標になったりならなかったり。
航海八日目:会議は踊る
一晩中猛威を振るった嵐は明け方になってようやく静まった。
雲の間から差し込む光が、すがすがしい朝の訪れを告げる。
幸い船は大した被害もなく、疲労こそあれど皆脅威を乗り切った達成感に浸っていた。
ボルカノ「……終わったか。」
アルス「もう 大丈夫みたいだね。」
親子が髪から滴る水滴を拭いながら辺りを見回す。
*「みんな!」
船内へと続く扉が開かれ、心配そうな顔をした少女が飛び出してくる。
マリベル「みんな 大丈夫っ!?」
少女は辺りを見回し、船員一人一人の顔を確かめる。
皆その表情は疲れを浮かべながらも晴れやかで、日の出の光を浴びて輝いているように見えた。
マリベル「よかった……。」
アルス「やあ マリベル。そっちも 無事だったんだね?」
マリベル「うん。コック長も あいつも ピンピンしているどころか もう うたた寝してるわよ。まったく どんな 神経してんだかっ。」
アルス「あははは! ずるいなあ 二人とも。」
目の前でケラケラ笑う少年の顔をじっと見つめ少女は上目遣いで言う。
マリベル「…心配したんだから。」
そう言って少年の胸に両手を置いて身を寄せる。
アルス「ま マリベルっ! みんな 見てるよ……!」
マリベル「いいじゃない。ホントに 心配したんだから。」
濡れた服が張り付くのも構わずに少女はそっと少年の腰に手を回し肩に額を乗せる。
アルス「…………………。」
アルス「ありがとう。」
周りの目を気にしてたじろぐ少年だったが、漁師たちの温かい目線を受けてそっと少女の背中に腕を回す。
*「はやく 帰って 嫁さんに 会いたいなあ…。」
そんな愚痴がどこからともなく聞こえてきたのだった。
*「いやー 腹減ったぜ!」
今は朝食時。東の空ではそれまでの鬱憤を晴らすかのように太陽が眩しく輝いている。
*「なんせ 一晩中 動いてたからな。そりゃ 腹も 減るわな。」
漁師たちは鳴りやまぬ腹を擦って笑う。
コック長「たいした ものが 出せなくて 申し訳ない。」
*「なんせ あっちこっち 元に戻すので 手いっぱいでして……。」
料理人たちはそう言いながら重たそうな瞼をこする。
マリベル「あーら 二人が 居眠りしなきゃ もっと 豪華にできましてよ~?」
コック長「むむ……面目ない。」
*「返す言葉も ありません……。」
少女の手痛い指摘に二人は思わず咳払い。
ボルカノ「わっはっはっ! まあまあ マリベルおじょうさん こうして 生きて朝日を拝めるだけでも 贅沢なんだ。
この際 食事の 豪華さなんて 気にしませんよ!」
マリベル「もう ボルカノおじさまったら 甘いんですから。」
そんなやり取りに漁師たちは楽しそうに笑う。
今は何よりも嵐を乗り越えた安堵が些細なことすら最高に楽しく思えたのだった。
アルス「あと どれぐらいかな?」
ボルカノ「ん? もう そう遠くはないし 昼前には 着くんじゃないか?」
マリベル「ハーメリアねえ……。」
これといった期待を込めず、少女は久しぶりに口にするその町の名を呟く。
トパーズ「……くぁ~。」
その椅子の下で大きく欠伸する猫は、もはや顔を洗おうとはしなかった。
*「つ 着いた!」
それからというものの漁船アミット号は交代で休憩しながら順調に北へと進み、町の南に位置する海岸付近に停泊させた。
*「ふぃ~ 重かった!」
その後上陸した一行は、昨日捕れた獲物の一部を担いで町の入口へとやって来ていた。
ボルカノ「さすがに この量となると 運びがいがあるな。」
漁師たちは木箱を降ろし額の汗を拭っている。
*「ぜぇ ぜぇ……。」
飯番の男に至っては既に腰を下ろして天を仰いでいる。
さすがに重労働には慣れていないようだ。
アルス「腰に来るね……。」
マリベル「情けないわね~ あんた 細身だけど チカラは かなり あるほうでしょ?」
マリベル「それぐらい どうってこと ないんじゃないの?」
腰を押さえる少年の背中に少女がバンバンと手の甲を打ち付ける。
アルス「戦いで使う筋肉と 労働は 別なの!」
マリベル「ふ~ん?」
一息ついたところで船長が少年に問う。
ボルカノ「アルス 町の責任者か 代表者に 商売してもいいか 聞きたいんだが 誰だか 知らないか?」
アルス「ハーメリアの 代表者って誰だっけ?」
マリベル「アズモフ博士は 別に 町長って わけじゃないと 思うけど……。」
少女の言う通りこの町には町長と呼ばれる人物はおらず、件の博士も有名というだけで何か権力を持っているというわけでもなかった。
アルス「あっ でも 偽の神さまとの 謁見の時には アズモフ博士が来ていたんだよ。」
少年は各地から集まった顔ぶれの中に例の博士がいたことを思い出す。
マリベル「じゃあ 代表者ってことに なるのかしら。」
何にせよ、当てはそれしかないのだった。
アルス「父さん ぼくたち 行ってきます。」
ボルカノ「おう 頼んだぞ。今さら これ持って 戻るのも嫌だしな。」
そう言って父親は地面に積まれた木箱を指さして苦笑い。
アルス「わかってるよ。」
こうして漁師頭のおつかいを受けた少年と少女は昼の町の中へ入っていくのだった。
海岸から吹き込む潮風が草原を渡り、町へと流れ込む。
心地よい日差しとそよ風の中、二人は近くにいた女性に声をかけられた。
*「いらっしゃい 旅の方。」
*「ここは ハーメリアの町。大洪水と老楽師の伝説が 語られる町です。」
アルス「こんにちは。アズモフ博士は いらっしゃいますか?」
*「ええ。たぶん ご自宅にいるかと 思うわよ。」
アルス「ありがとうございます。」
少年は礼を述べると少女と共に件の博士の家へと歩き出す。
マリベル「なんも変わりないわね ここ。」
アルス「それが 一番だよ。…っとと。」
扉の前までやってくると軽くノックし、中に呼びかける。
アルス「ごめんください! アルスです。アズモフ博士は いらっしゃいますか?」
しばらくすると扉が開き初老の男性が姿を現す。
アズモフ「やあやあ アルスさん いらっしゃい。」
アズモフ「話は 聞いてますよ! あの 魔王を 倒してくれたんですって?」
アズモフ「あれだけ止めたのに 本当に 倒してしまうなんて……。感謝してもしきれないほどですよ。」
アルス「いやあ そんな……。」
男の賛辞に少年はくすぐったそうにする。
アズモフ「それで 今日はどうしたんです?」
アルス「…じつは……。」
[ アルスは 事情を説明した。 ]
アズモフ「そういうことなら 大歓迎です。」
アズモフ「別に 私に 権利があるわけでも ありませんが きっと 町の皆も 喜ぶでしょう。」
アルス「ありがとうございます。それじゃ 早速 準備してきます!」
礼を述べると少年は一足先に元来た道を戻り始めた。
マリベル「……そういえば ベックさんは?」
気配のない部屋の中を覗き込みながら少女が尋ねる。
アズモフ「ベックくんは いま 一人で 山奥の塔に 調査に行っていますよ。」
アズモフ「なんでも 老楽師と共に 怪物と戦った 三人の旅人の話を調べるんだとか。」
マリベル「あら そう……。」
博士の家を後にし、少年たちは町の入口で待つ父親たちのもとへと戻ってきていた。
マリベル「たしか ここには来てなかったけど 話は伝わってきているみたいね。」
少女は先ほど博士が魔王討伐の話をもちだしたことを思い出していた。
アルス「うん。あんまり 他との町と接点がないから どうして知られたのかは わからないけどね。」
マリベル「おおかた 博士が どっかに行った時にでも 聞いてきたんでしょ。」
マリベル「…あっ ボルカノおじさま!」
その時少女が町の入口の塀にもたれかかっている漁師たちを見つけて駆け寄る。
ボルカノ「おう 二人とも どうだって?」
アルス「大丈夫みたいだよ。噴水広場で 市を開こう。」
ボルカノ「そうか。よし 行くぞ お前ら!」
*「「「ウース!」」」
威勢の良い返事と共に漁師たちは再び魚のたっぷり詰まった木箱を抱え、町の中へと行進していったのだった。
*「寄ってらっしゃい 見てらっしゃい!」
*「新鮮な魚が いっぱいあるよ! 買わなきゃ損だよ!」
*「あんちゃん それ おひとついくら?」
*「こいつは 30ゴールドだよ!」
*「そっちは?」
*「こっちは 40ゴールドだ。」
*「じゃあ 両方とも おくれ。」
*「5ゴールド まけて おくよ!」
*「ありがとよっ!」
一行が商品を広げ始めた頃から辺りには次々と人が集まり、噴水のある広場は瞬く間に盛況で包まれた。
マリベル「はいはい お釣り5ゴールドね。」
*「マリベルちゃん これ ちょうだいな!」
*「ねえちゃん こっちも 頼むぜ。」
マリベル「はいはーい お待ちっ。」
マリベル「……い いそがしい! いそがしいわっ!」
お近づきにでもなろうとしているのか、男衆は競うように少女に注文して振り向かせようとする。
*「お兄さん これは?」
アルス「えっと 一匹15ゴールドです。」
*「うふふ。3匹下さいな。」
アルス「それなら 40ゴールドでいいですよ。」
*「ありがとうっ! あら お兄さん は……ハンサム……!」
若い娘や婦人たちも少年の端正な顔立ちに思わず見とれ、ついつい商品を尋ねて買ってしまう。
*「むっ これは……。」
ボルカノ「お客さん お目が高いね。そいつは サメの卵巣の塩漬けだ。」
ボルカノ「塩を抜いて天日干しにすれば なんとも言えない濃厚な 味になるんだ。」
*「実は うちのカミさんの 大好物でしてな。」
ボルカノ「そいつは 良かった。ただ ちょっと 値は張るぜ。」
*「いくらだい?」
ボルカノ「大まけして 一腹200ゴールドでどうだい?」
*「もう一声!」
ボルカノ「じゃあ 180ゴールドならどうだ。」
*「…………………。」
ボルカノ「なら 仕方ない。こいつは そんな安く 売れないぜ。」
*「ま 待ってくれ! 170ゴールドでどうだ!」
ボルカノ「もってけ 泥棒!」
*「ありがたい!」
漁師頭も流石は慣れているだけあって、客の心理をうまく汲み取り結構な値段で取引を成立させていった。
エスタードの漁師は漁の腕だけではなく、商いの腕も磨いていかなければならないのだ。
アルス「はい ありがとうございました。……いらっしゃい!」
こうしてゆく先々で商売をするのも少年にとっては一人前の漁師としての貴重な経験であった。
アルス「店を相手に 魔物の素材を売るのとは わけが違うね……。」
マリベル「でも これが 本来の商売の姿なのよねー。」
アルス「うん……。」
それは戦いに明け暮れていた二人にとっては嬉しいことであり、
かつては存在しなかった異国の地で平和を噛みしめながら今日を生きていることへの実感が沸き上がるようだった。
*「二人とも 話してないで こっち 手伝ってくれよ!」
*「「はーい。」」
遠洋でとれた魚がなかなか手に入らないためなのか、ただ異国からの客が珍しいだけなのか、町の人々の気持ちはそれぞれだったであろう。
だが確かなことは、いくつもの木箱に山積みだった魚たちがものの数刻のうちに完売してしまったということだ。
*「すげえ! あっという間に 売れちまった!」
*「けっこうな値段の奴も あっただろ? あれもか?」
*「おうよ。ばあちゃんが 目ェ光らせて 買っていったぜ。」
*「ハァ~ とんでもねえ ばあちゃんだな! おい。」
隅に重ねられた空っぽの箱を見ながら漁師たちは興奮冷めやらぬ様子で口々に感想を述べあっている。
ボルカノ「わっはっはっ! 商いのし甲斐があったってもんだ!」
ボルカノ「どうだった 二人とも? 自分たちの手で獲った魚を 売りさばくのは。」
アルス「…お客さんの顔見てたら なんだか 嬉しくなったかな。」
マリベル「そうねー ちょっと 忙しすぎたけど 悪くなかったかも……。」
ボルカノ「マリベルおじょうさんは もしかしてこっちのが 向いてるかも しれませんな。わっはっはっ!」
マリベル「そうですか? でも なーんか お客の目が いやらしかったような 気がするのよねえ。あんまり 一人一人の顔 よく見てなかったけど。」
*「そりゃ マリベルおじょうさんの 魅力が強すぎたからでしょう!」
*「違ぇ無え。」
銛番の男の言葉に他の漁師たちも楽しそうに頷く。
マリベル「お おほほ! それなら 仕方ないわね! このマリベルさまに かかれば 世の男どもなんてイチコ……!」
アルス「父さん お昼はどうする?」
しかしそんな少女の言葉なぞ耳に入ってもいないかのように少年は父親に話しかける。
ボルカノ「少し遅いが あそこの 酒場で なんか 食えないのか?」
そんな息子の言葉に船長は広場の西にある大きな酒場を指さす。
アルス「わかった。それじゃ……。」
マリベル「キーっ! アルスのくせに あたしを 無視するなん……!」
アルス「行こっ マリベル。」
マリベル「て……あ……。」
少女が抗議を終える前に少年はさっさと彼女の手を引いて歩き出してしまう。
少女は咄嗟のことについていけずにいたが、少しだけしてからひねり出すように一言だけ。
マリベル「……アルスのくせに ナマイキよ……。」
そう漏らして少年に引かれるがままに酒場へと入って行ってしまった。
コック長「アルスも だいぶ おじょうさんの扱いが うまくなったな。」
そんな二人の背中を見つめ料理長が感慨深そうに呟く。
*「へえ そっすかね。」
ボルカノ「まだまだ 尻に敷かれっぱなし だがな。」
*「違ぇ無え。」
二人の背中が消えた後、一行は生暖かい笑みを浮かべたままゆっくりと酒場の方へ歩き出すのであった。
*「うちは 簡単なものしかないけど いいのかい?」
漁師たちよりも先に店に入った少年と少女は酒場の店主にこの店で食事ができるかを尋ねていた。
もちろん酒場なのだから多少の料理はおいているが、一品一品の量はあまり多くなく、献立自体も少ない。
アルス「ええ 構いません。ぼくはサンドウィッチとチップスを。」
マリベル「あたし トマトのパスタ。」
*「まいど。」
手短に注文を済ませ、円形の卓に着き今後のことを話し合う。
アルス「それにしても 王様からの書状も 誰に渡せばいいんだろうね。」
マリベル「そうねえ……あ ねえマスター。」
*「はい なんでしょ。」
マリベル「この町の 代表者って アズモフ博士でいいのかしら。」
*「たしかに 博士は 町の顔として 他所に行ったりするけど 別に 代表者ってわけじゃないよ。」
マリベル「そうなの?」
*「まあ 人徳があるんで 自然とみんな 決めごとは博士のところへ 相談に行くんだけどね。」
マリベル「…そ。それなら 話が早いわね。ありがと。」
“ギィ……”
*「いいえ。…あ いらっしゃい!」
別の客が入って来たらしく、店主は元気よく呼びかける。
*「食事だけしたいんだが。」
*「はい あまり メニューはありませんが。」
*「構わねえよ。」
そう言って新たな客は少年たちの隣に腰掛ける。
アルス「父さん……あれ 他のみんなは?」
見ればやってきたのは少年の父親と銛番だけのようだった。
ボルカノ「宿屋の方でも 食えるらしいからな。今そこで 別れてきた。」
*「あんまり ぞろぞろ 押しかけるのも 悪いからな。」
アルス「あ……ははは。そうでしたね。」
ボルカノ「マスター ビーフシチューと バケットを頼む。」
*「オレは 生ハムサラダと トーストな。」
*「はい しばらく お待ちを。」
店内はまだ昼すぎということもあってかほとんど客はおらず、隅っこでお年寄りが紅茶をすすっているくらいだった。
四人で一気に食事を注文しても回せるほどの余裕があったことは店側にとっても幸運だったかもしれない。
そんなことを少年がぼんやり考えていると父親が肝心なことを尋ねてくる。
ボルカノ「それで 結局 オレたちは 誰に書状を渡しゃいいんだ?」
マリベル「さっき 相談に行った アズモフっていう 博士のところでいいみたいですわ。」
ボルカノ「博士? この町は 学者さんが 治めてるってんですかい?」
アルス「ううん。困ったことはとりあえず相談 っていう立ち位置の人なんだ。」
ボルカノ「ほお。そいつは たいへんそうだな。」
*「なんにせよ オレたちは 町でぶらぶらしてるから なんかあったら 呼んでくれよな。」
アルス「はい。」
*「お待たせしました。お先に サンドウィッチとチップスのお客さま。」
ちょうど話が済んだところで店主が出来上がった料理を一つ一つ運んでくる。少年たちはしばらく談笑しながら食事の時間をゆっくりと楽しむのであった。
アルス「アズモフ博士 いらっしゃいますか?」
*「……はーい!」
食事を終えた一行は店で銛番の男と別れて再び学者の家へとやってきていた。ノックの後、しばらくして返事があり、扉が開かれる。
アズモフ「やあ アルスさん 今度はどうしましたか?」
アルス「何度も すみません。実は ぼくたち グランエスタード王の書状を 預かってきているんです。」
アズモフ「そうですか。ああ 立ち話もなんですから どうぞ みなさん お入りください。」
アルス「おじゃまします。」
そうして三人は町の相談役の家へと足を踏み入れる。本から発せられる独特の匂いが、この家の主が列記とした学者であるということを改めて感じさせた。
アズモフ「いやはや 散らかっていて申し訳ない。どうぞ おかけに なってください。」
木製の折りたたみ椅子を引っ張り出してきて博士は客を促す。
アズモフ「ところで そちらの お方は……。」
三人が椅子に座ったことを確認した博士が少年の隣にいる大柄な男を見て尋ねる。
ボルカノ「ボルカノと申します。この度は 王よりの命で 息子のアルスたちと共に この町と締約を結ぶために グランエスタードより やってきました。」
アズモフ「ああ アルスさんの お父様でしたか!」
アズモフ「私は この町で 学者をやっているアズモフというものです。以後 お見知りおきを。」
ボルカノ「よろしくお願いします 博士。」
互いに自己紹介をして二人は丁寧に挨拶を交わす。
アズモフ「ところで その締約というのは……。」
ボルカノ「まずは この書状に 目を通してください。」
[ ボルカノは バーンズ王の手紙・改を アズモフに 手わたした! ]
アズモフ「ふむ……。」
男の渡した書状をじっくりと眺め、博士は何か悩むような素振りで呟く。
アズモフ「だいたいの 趣旨はわかりました。」
アズモフ「ですが……。」
マリベル「ですが?」
アズモフ「これは 流石に 私だけで 決めるわけには いきませんね。」
アルス「というと?」
アズモフ「町民会議を開いて 皆の意見を 聞かなければなりません。」
ボルカノ「町民会議……ですか?」
三人は椅子から身を乗り出して食い気味に訊ねる。
アズモフ「ええ あまり大きな町ではありませんからね。夕方迄には 招集できるでしょう。」
アズモフ「みなさん お時間はありますか?」
ボルカノ「ええ 出発は 明日の朝の予定ですが。」
アズモフ「でしたら なんとか 今日中に結論を出しましょう。」
アズモフ「少々お待ちください。」
そう言うと博士は机に向かい、羊皮紙と筆を用意してなにやら書き込み始める。
アズモフ「…よし。これを町の広場にいる伝言係の男に渡してください。」
アズモフ「夜は いつも 酒場にいますが この時間ならまだ広場にいるはずです。」
アルス「わかりました。」
[ アルスは アズモフの伝言書を うけとった! ]
アズモフ「それでは よろしくお願いします。」
学者の家を後にした三人は広場のベンチに腰掛けてテーブルに突っ伏している男を発見した。
マリベル「あれじゃない? いっつも 酒場にいるおじさんって。」
アルス「本当だ。」
*「…………………。」
[ どうやら 眠りこけているようだ。気持ちよさそうに寝息をたてている。 ]
[ そっとして おきますか? ]
→[ いいえ ]
[ では おこしますか? ]
→[ はい ]
アルス「すいません。」
[ アルスは 男を おこそうとした。 ]
*「ぐがぁ……ムニャ。」
[ とても 目がさめそうにない。そっとして おきますか? ]
→[ いいえ ]
ボルカノ「完全に寝てるな。」
アルス「すいません!」
[ アルスは 男の 肩を揺すり 大きな声で 呼びかけた! ]
*「ごおぉ……ギギギ……。」
アルス「ダメだ まったく 起きる気配がない……。」
[ では たたきおこしますか? ]
→[ はい ]
マリベル「おきろぉおおおおっ!!」
[ マリベルは 男を たたきおこしたっ! ]
少女が男の背中に思いっきり平手打ちをする。
*「うおっ!!」
強い衝撃を受けてたまらず男は目を覚まし、辺りをきょろきょろと見回す。
*「な なんだ いまのはっ!?」
マリベル「なんだ じゃないわよ! こんな昼間っから こんなところで 眠っちゃって!」
*「むっ 別にそんなの おれの勝手だろうに!」
*「なんなんだい あんたらは!」
突然の出来事に頭が混乱しているのか寝覚めが悪いのか、男は不機嫌そうにわめく。
アルス「ぼくたちは アズモフ博士のおつかいで あなたに用があるんです。」
*「ん? アズモフ博士があんたらに? …ってことは。」
アルス「これです。」
[ アルスは アズモフの伝言書を 男に 手わたした。 ]
*「ふむ……おお! こりゃあ 確かに アズモフ博士の伝言だ。」
*「仕方ねえ 仕事は仕事だ。」
そう言うと男は軽く足を延ばし、喉の調子を整えるように発声練習をした。
そして。
*「伝 令 だ -!!」
*「本日 日の沈む前に 広場に集まれ! 会議だ! か い ぎ !」
*「繰り返す! ほ ん じ つ 日 の 沈 む 前 に 広 場 に 集 合 !!」
それは突然の轟音だった。先ほどまで机に突っ伏していたとは思えないほどの声量に思わず三人は耳を塞ぐ。
アルス「うわっ!!」
ひとしきり叫び終わり男は三人に向き直ると“家を回る”と言ってさっさと走って行ってしまった。
アルス「び ビックリした……!」
マリベル「な なんて 大きな声なの!」
ボルカノ「わ……わははは。こりゃたまげた。」
残された三人はその後をぼんやりと見つめながらそれぞれに思ったことをそのまま口から零すのだった。
夕刻、男の伝令のおかげもあってか町の広場には多くの人だかりができていた。
その中に混じって漁師の一行もいたのだが、周りの異様な雰囲気に唖然とする。
*「な……なんでみんな踊ってんだ?」
マリベル「あんの男っ! ……どうせ なんか変なこと言って 回ってたんじゃないの!?」
少女が男の“仕事ぶり”に腹を立て地団太を踏む。
アルス「まあまあ マリベル 一応こうして 人は 集まってくれたわけだし……。」
マリベル「でもっ! これじゃ 話が進まないどころか 始めることすら できないじゃないのよ!」
マリベル「キーッ! あの男 今度見つけたら とっちめてやるわ!」
少年がなんとかなだめようとするが当の本人は握り拳を作って正拳突きの構えを取っている。
そこへ会議の招集を依頼した男がやって来て少年に訊ねる。
アズモフ「アルスさん! これは いったい どうしたことでしょう!?」
アルス「は……ははは。ぼくたちが 聞きたいくらいです。」
マリベル「ちょっと 博士! あの伝言係の男 ちっとも仕事できてないじゃないの!」
マリベル「会議のための集会だってのに みんな 舞踏会かなんかとでも 思ってるのかしら!」
アズモフ「おかしいですね……確かにあの紙には会議のためにと書いたはずなのに。」
学者の男が顎に手を添えて考え込んでいると、そこへ先ほどの伝言係の男が血相を変えてやってきて言った。
*「アズモフ博士! 面目ない! どういうわけか 途中から 口伝いで 違う話とすり替わっちまったみたいなんだ!」
マリベル「なんですって!? あんた そんなこと言って 責任逃れするつもりじゃないでしょうね!」
博士の代わりに少女がその間に割り込んで男の胸倉に指を突き立てる。
*「いやいや おれは これでも 自分の仕事には 誇りをもってやってんだ! 嘘は言ってねえ!」
少女の剣幕に圧倒されつつも男は両手を振って全力で否定する。
マリベル「……ふんっ まあいいわ。まずは この状況をなんとかしないと 話が始まらないんだからさ。」
マリベル「あんたの バカでかい声で なんとかならないの?」
*「さすがに これだけの喧噪じゃ おれの声も通るかどうか…。」
ボルカノ「ものは 試しだ。 やってみてくれ。」
*「……わかった。」
男は意を決したように表情を険しくすると息をいっぱいに吸い込み雄たけびに似たような声で叫ぶ。
「み ん な 聞 い て く れ え え !!」
しかし反応は芳しくなく、手前にいたグループが眉をひそめて目障りそうに男を見つめるだけだった。
*「だ ダメだ……とてもじゃないけど 聞いてくれやしねえ……。」
すっかり気落ちしてしまったのか男はがっくりと項垂れる。
アルス「まいったなあ……。 時間ばっかり 過ぎていくよ……。」
苦々しい表情で少年が群衆を見つめる。
アズモフ「何か 皆を注目させられるようなものがあれば……。」
マリベル「空中に 爆発でも起こしましょうか?」
アルス「それじゃ みんな 悲鳴をあげて 逃げ出しちゃうよ。」
アズモフ「ただでさえ 魔王の脅威が 皆の心に 沁みついているでしょうからね。」
アズモフ「驚かすのは 得策とは 言えないでしょう。」
マリベル「ぬぬぅ……。」
あれだけ恐ろしいことがあった後となってはちょっとした事件でも暴動まがいのことになりかねない。
万事休すか。
一行が諦めかけたその時だった。
*「…………………!」
*「…………………!」
広場の入口の方にあった人だかりが割れ、誰かがこちらに向かってやってくる様子がうかがえる。
アルス「あれ……?」
*「あいつだ! あいつが帰ってきたぞ!」
*「道を開けてやれ!」
*「お帰り!」
*「くたばっちまったかと 思ったぜ!」
徐々に人の道は広場の奥まで伸び、やがて一人の青年が一行の目の前までやってきた。
*「アズモフはかせ ただいま戻りました!」
アズモフ「ベックくん……!」
ベックと呼ばれたその青年は博士の前で深々とお辞儀をすると人懐っこい笑顔で自らの帰還を告げた。
*「「「おおおおっ!!」」」
*「ベックだ! ベックが帰ってきた!」
それまで思い思いの会話や踊りにふけっていた住民たちが、嘘のようにたった一人の青年の帰還を称えたのは夕闇と雰囲気のせいだろうか。
アルス「お久しぶりです ベックさん。」
ベック「あ アルスさん……! そうだ はかせ! たいへんなことが分かったんです!」
アズモフ「どうしたんですか ベックくん そんなに興奮して。」
ベック「それは今から 発表します!」
そう言うと青年は住民たちの方を向いて叫んだ。
ベック「みなさん! 聞いてください!」
ベック「ボクたちの町の歴史を 裏付ける 大事な発見をしたんです!」
*「な なんだ……?」
*「…………………。」
青年の声に辺りのざわめきが消え、その場の誰もが次に発せられる言葉を待っていた。
それを察した青年も少し声の速度とトーンを落として続ける。
ベック「ボクたちの町が 過去に 大洪水に飲み込まれた話と それを救った老楽師の話は みなさんも ご存じのはずです。」
ベック「ボクは 今回の調査で それに次ぐ新しい発見をしました。」
ベック「それは 大陸を海で飲み込んだ 海の覇者グラコスを倒すため 立ちあがった三人の旅人が いたということです!」
ベック「そして その旅人たちの名前はっ……!」
*「…………………。」
どこからともなく喉を鳴らす音が聞こえてくる。
ベック「アルス! マリベル! そしてガボ!」
ベック「ここに今いる アルスさん マリベルさんと同じ名前なんです!」
ベック「そして かの魔王めを 打ち倒した5人の英雄も彼らだ!」
ベック「これは 偶然なんかじゃない! 塔に彫られていた文字には 旅人アルスの容姿を 細かく伝えるものもあった!」
ベック「それは 今ここにいる 英雄アルスと まったく 同じ姿をしていた!」
ベック「アルスさん! あなたたちは いったい 何者なんですか!」
*「…………………。」
マリベル「アルス……。」
少女が少年の袖を掴む。
アルス「ぼくは……ぼくたちは……。」
少年は少女の手を強く握ると、これまでの経緯を話し始めた。
アルス「ぼくらの住む エスタード島には 過去の……魔王に封印されていた 過去の世界に行くことができる 神殿があるんです。」
アルス「ぼくたちは そこを通じて 封印されていた世界を行き来し 何もなかったこの世界に 少しずつ 大陸を取り戻していきました。」
アルス「ハーメリアにやってきたのは その旅の途中でした。」
アルス「かつて その世界には ここだけではなく アボンとフズという村が ありました。」
アルス「老楽師は……ジャンという男は特別な力を持っていて グラコスという魔物の脅威を予知し 村々の人々を 山奥の塔へと避難させました。」
アルス「……ほどなくして この大陸は 大洪水で飲み込まれました。」
アルス「ぼくらは いかだを使って 海底に沈む不思議な神殿へと たどり着き そこで ジャンと共に グラコスを打ち倒したんです。」
アズモフ「そんな……そんなことが……。」
少年は尚も続ける。
アルス「元の世界に返ってきたぼくらは 再び この地へとやってきました。」
アルス「しかし 長い時の流れの中で 村は消滅し 人々の記憶は失われ ぼくらの名を知る人は 誰もいなくなってしまったようです。」
そこまで少年が言った時、不意に少女が語り始める。
マリベル「冷たいもんでね どこの大陸を 救っても あたしたちの 名前を憶えていてくれる 人たちなんて ほとんど いなかったのよ。」
マリベル「だから あたしたちも 慣れていたし 今さら 文句を言うつもりも なかったわ。」
マリベル「ま こうなっちゃった以上 白状するけどね。信じたくなければ 信じなくたって 別にいいわ。」
マリベル「あたしたちは 別の 大事な話があって ここにみんなを呼んだんだから。」
ベック「そうなんですか? だから 皆が集まってたのか……。」
アズモフ「そ そうだ!」
それまで興味深そうに話を聞いていた学者が我に返ったように声を上げる。
アズモフ「今日ここに お集まりいただいたのは 舞踏会のためでは ありません!」
アズモフ「実は エスタード島の王から 締約書を 預かっているんです。」
アズモフ「そこで これについて 皆さんで 話し合うために お呼び申し上げたのです!」
*「…………………。」
観衆たちは呆気に取られたように学者と少年たちを交互に見つめていた。
しかし目の前で話を聞いていた吟遊詩人の青年が手をたたき始めると、
堤防が決壊したように静寂が破られ、辺りは拍手の音で包まれていった。
*「それなら 話は早い! さっさと決めて 俺たちの英雄を 称えようぜ!」
*「いいねえ! こんなすごい話を聞いた後に まともに議論できるか わからないけど…。」
*「なあ もっと 話を聞かせてくれよ!」
次々と住民たちが声を上げる。
アルス「あ……あはは……!」
マリベル「なんか すごいことに なっちゃったわね……!」
アズモフ「……これで 良かったんです。」
アズモフ「それでは 早速 ハーメリア町民会議を 始めます!」
アズモフ「ベックくん 司会は私が務めますので 君は 進行を。」
ベック「……はいっ!」
アズモフ「それでは まず 最初の項目からです。」
アズモフ「グランエスタードの漁船が 近くの海岸 及び 岸に停泊する権利についてですが……。」
その後、博士と青年の活躍により会議は滞りなく進められていった。
そして最後の項目まで決議が済んだ頃には完全に日も沈み、昨晩は見られなかった明るい月が顔を出していた。
アズモフ「以上をもちまして ハーメリア町民会議を 終了といたします!」
終了の宣言が告げられ、辺りは拍手と歓声で包まれる。
*「さあ 飲むぞ おまえら!」
*「たまには こういうのも ありかもね!」
*「あたし うちから つまめる物 持ってこよーっと。」
思い思いの感想を口にしながら人々が散っていく。
ベック「いやあ それにしても 本当にすごい話でした!」
ベック「ボク ますます ソンケーしちゃうなあ。」
人が掃けた広場の隅で青年が興奮した様子で言う。
アズモフ「ベックくんもすごいですよ! あれだけのことを 一人で調べ切ってしまうんですから。」
アズモフ「君は もう 学者の卵なんかじゃない。立派な学者の一人ですよ。」
ベック「は はかせ……ボクなんて まだまだです……。」
博士のねぎらいに照れを隠せず、青年ははにかんで俯く。
アズモフ「しかし 驚きました。アルスさんたちが そんなに 過酷な旅をしてこられたなんて。」
ボルカノ「オレもだ アルス。」
ボルカノ「お前の旅が 大事なことだってことは 知っていたが 本当のところ かなり 危険なもんだったんだな。」
ボルカノ「…………………。」
ボルカノ「息子よ。よくぞ 生きていてくれた。」
アルス「父さん……!」
そう言って漁師の親子はどちらからともなく抱き合う。
マリベル「…………………。」
そんな親子の絆を、少女はどこか羨ましそうに見つめるのだった。
ボルカノ「……マリベルおじょうさんもです。よくぞ 無事で いてくださいました。」
それに気づいた少年の父親は少女の顔を見て、一見強面なその顔で柔らかく微笑む。
マリベル「もう ボルカノおじさまったら……あたしには 堅いこと言わないでよ。」
そう言って少女も少年の隣に駆け寄り大男に抱き着く。
ボルカノ「わっはっはっ! もう 家族みたいなもんだもんな!」
朗らかに笑い、少年の父親は少女を優しく抱き留める。
マリベル「……うれしい。もう一人 パパが できたみたい…。」
そんなやり取りを少し後ろで見ていた青年の肩を、学者の男が優しく叩く。
アズモフ「ベックくん。たまには 実家に帰ってみてはどうかな。」
ベック「……はい。」
そんな青年の瞳からは小さな涙が零れ落ち、長い年月を経て海水を無くした地面をしょっぱくしていくのだった。
それからというものの、お堅い会議を終えた町民たちはいつにも増して陽気に英雄の凱旋を祝うのだった。
少年たちといえばあっちこっちから引っ張りだこにされ、体も頭も休まる時がなかったという。
そして時は流れ夜も更けた頃、少年と少女は宿屋の一室にいた。
マリベル「ついに 自分たちから 話すことになっちゃったわね。」
少女がベッドに寝転がりながら言う。
アルス「うん。仕方がなかったとはいえ あんな 大勢の前で 話すことになるとはね。」
少年も隣のベッドに腰掛け、どこか諦めたように溜息をつく。
マリベル「でも すこ~しだけ スッキリしたかな。」
アルス「……今まで 仲間内では 愚痴ったりしたけど こういう風に みんなに 旅の記憶を 共有してもらうって言うのも 悪くないかもね。」
マリベル「旅の記憶……か。」
マリベル「ねえ アルス。あたしたちの 旅も いつか 忘れ去られる時が来ちゃうのかな。」
アルス「……そうかもしれないね。」
マリベル「なんか 悲しいよね。前なら あんなに 苦労したのにって 怒ってたけど 今になってみれば 寂しいというか なんていうかな……。」
アルス「でもさ。ぼくは きっと忘れないよ。」
アルス「……キーファのことも。」
マリベル「キーファ……か。」
不意に飛び出した名前に少女は過去のユバールの休息地で別れたもう一人の仲間の顔を思い出す。
マリベル「どうしてるかしらね。」
アルス「いまはライラさんと 結婚して 幸せにやってるかもね。」
マリベル「……まったく アイラっていう 遺産は残してくれたけど ホンっと 無責任なんだから。」
そう言って少女は両足をばたつかせる。
アルス「…………………。」
アルス「……さっきの話だけどさ。」
マリベル「え?」
アルス「みんなが忘れちゃうんだったらさ ぼくたちが 伝えていこうよ。」
マリベル「あたしたちの 話を?」
アルス「うん。僕たちのことを 信じてくれる人たちにだけでもいいんだ。」
マリベル「…………………。」
アルス「それに もし 誰もが 忘れてしまっても。」
アルス「ぼくは……ぼくだけは忘れない。」
アルス「楽しかった時も 辛かった時も 出会ったみんなのことも。」
アルス「そして きみのことも。」
マリベル「……忘れさせないわよ。」
アルス「え?」
マリベル「あんたにだけは あたしのこと ぜーったいに 忘れさせてあげないんだから。」
少女はいつの間にか起き上がり、どこか自信ありげに少年の目を見据えていた。
窓から差した月明かりに照らされたその瞳は、まるで夜空を映した様に煌めいていた。
アルス「マリベル……。」
マリベル「…………………。」
マリベル「……ごめん。ちょっと しんみりしちゃったか…っ…!?」
少女には一瞬何が起こっているのか分からなかった。
ただ少年の顔が目の前にあった。
遅れてやってきた感覚に自分は唇を奪われていることに気付き、少女は静かに瞼を閉じた。
長い長い静寂の中でただ、隣の部屋から聞こえる仲間のいびきとベッドの下の猫の欠伸だけが木霊していったのだった。
そして……
そして 夜が 明けた……。
226 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/30 19:04:24.72 KJrfrKrx0 207/905
以上第8話でした。
『会議は踊る、されど進まず』
1814年から翌年まで開催された各国首脳の集まり「ウィーン会議」。
今回は遅々として進まない会議の様子を揶揄した言葉から着想を得て書き起こしました。
もともと取り決めなんぞとは縁遠そうな平和な町で招集された町民会議。
住民たちはそれが何のためなのかすら知らずにただどんちゃん騒ぎに興じる。
そんなもどかしい状況を打破するために登場してもらったのが学者の卵ベックくん。
アズモフ博士の助手として期待されている(?)彼だからこそ、注目を集め、本題に戻すことができた。
お話の流れはそんな感じです。
(ついでにアルスたちの報われない苦労をここで暴露してもらいました)
また、今回のお話ではアミット号の漁師たちがちょっとした商売をします。
獲れたての魚であればだれだって買い付けたくなりますよね。
冷凍技術の無いドラクエ世界においてアミット漁のような遠洋漁業となると
獲った獲物の大抵は塩漬けか干物かといった加工品になってしまいます。
よってそれだけ新鮮な食材には高値が付いたことでしょう。
であるならば新鮮なうちに出せるのであれば売ってしまうにこしたことはない。
(結果的に持ち帰った貨幣が誰の懐を潤し、誰が得をするのかはさておき)
そこで故郷へ持ち帰る収穫もそこそこに、ある程度は寄港先で売ってしまおうというわけです。
そしてこのお話からマリベルとボルカノはより打ち解けた仲になります。
それは二人が網元の娘と船長という立場を超え、互いを家族として認識し始めている証です。
片や娘ができたような。
片やもう一人父親ができたような。
アルスも含めそんな三人を温かく見守っていただければと思います。
…………………
◇次回はさらに北を目指して海を駆けます。
しかしそこで待っていたのは……?
227 : ◆N7KRije7Xs - 2016/12/30 19:05:25.74 KJrfrKrx0 208/905
第8話の主な登場人物
アルス
成り行きで自らの冒険を語ることに。
顔が広いので町へ出れば人目に付くことも。
マリベル
魔王討伐により名が知られ、一目見ようと男たちが群がる。
商売の才能がある。アミット号の看板娘。
ボルカノ
陸に上がれば商売の腕を存分に振るう。
マリベルのことを実の娘同然に思っている。
コック長
アミット号お抱え料理人。
歳のせいもあってか流石に徹夜をする体力はない。
めし番(*)
歳のわりに徹夜をする体力がない。
おまけに肉体労働も不得手。
アミット号の漁師たち
威勢のいい声を張り上げ、市を盛り上げる。
三人が大使の役目を果たしている間は暇。
アズモフ
ハーメリアが抱える頭脳。世界的に有名な学者。
アルスたちには何かと助けられているため、恩義がある。
ベック
アズモフの助手を務める青年。学者の卵。
少々熱くなりやすい性質だが、研究への思いは一人前。
山奥の塔での調査を終え、ハーメリアに帰還する。
伝言係の男(*)
オリジナルモブキャラクター。バカでかい声でニュースを届ける。
普段は酒場に入り浸っているが仕事はきっちりとこなす。
続き
【DQ7】マリベル「アミット漁についていくわ。」【後日談】(3/8)


