「セクサロイド? お前が?」
「そうじゃ、おかしいか?」
怪訝な表情を浮かべる少年に、少女の姿をしたロボットが歩み寄る。
身長はなんとか140cmあるくらい、そのボディには男性の本能を刺激するほど目立った起伏は無い。
顔立ちも普通の少女と思えば充分に可憐だと言えるが、モデルのような絶世の美女というわけでもなかった。
人工的に造られるロボット、それも性欲の捌け口となるべきセクサロイドなら『顔も身体も非の打ちどころが無い美人』に仕立てるのが定石だろう。
少年はスラムで暮らす貧しい身。
セクサロイドを購入する金も、それを集めた娼館に行く事もない。
彼は仲間と手分けをして『最近現れる縄張りを荒らすチビ』を探すために廃倉庫地区へと入り、この妙な少女と遭遇した──
元スレ
「セクサロイド? お前が?」 「そうじゃ、おかしいか?」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/14562/1479433560/
………
…
…10分前、廃倉庫街
「──誰かいるのか?」
倉庫と呼ぶにも小さな廃ガレージのドアを開け、呼び掛ける少年。
返事は無かったが、代わりにガタッという物音が『何者かが存在する』事を彼に教える。
ドアを全開にして中に光を取り入れると、女性と思しき声が響いた。
「来るなっ!」
彼女は服を着替えていた様子で、背中を露わにした状態でガレージの隅に立っていた。
「……野良ロボット!?」
「くそ、見られてしもうたか……」
シリコンの皮膚は人間のそれと区別はつかないものの、肘や肩・腰といった可動域の大きな関節には隙間があり内部パーツが覗いている。
そして彼女には、人間の管理下に置かれた登録済みロボットの証である『首輪』が無かった。
『見られてしまった』という言葉、危機を感じ歪んだ顔。
彼女は表情や感情を再現できるよう造られた人間型ロボットなのだ。
しかし現代ではそういったロボットはより人間の外見に近く、シームレスな皮膚パーツで覆われているのが普通だ。
故に彼女はかなり旧式の個体なのだろう……と、少年は思った。
「最近、四番街を荒らしてるのはお前か?」
少年は声の震えを悟られないよう努めて尋ねる。
野良ロボットは危険な存在、街頭のビジョンでも新聞でもそう謳われている事は知っていた。
「……野良を見つけて最初に問うのがそれか? 貴様さてはスラムの小僧か」
「答えろ!」
「荒らす、とは心外ぞ。儂が必要とする物は貴様らが盗む事を疑われるような物ではないからの」
自分を発見したのが一般人の少年だという事を察し、表情を和らげるロボット。
少年もまた、眼前の彼女が『言葉も通じない獣』ではない事にいくらかの安堵感を覚えていた。
彼は野良ロボットが危険な存在だという事は知っていても、それがどういう意味で危険なのかはよく解っていない。
「儂は確かに貴様らの街には行った。しかしそこで調達したものは水と衣類だけじゃ」
彼女は手にした白い布をひらひらと振り「それとも貴様もこれが要るのか?」と悪戯な口調で言った。
少年は最初その布が何か判らなかったが、彼女が服の裾からそれを穿こうとする動作で気づき咄嗟に目を伏せる。
「う、うるさい! 女物のパンツなんか穿くか!」
「お? 初心なんじゃの?」
彼女はそんな少年を見て、けらけらと笑っていた。
「盗んだものが水や女物の服だけだったとしても、縄張りで勝手な真似を許すわけにはいかないんだ」
気を取り直し、できるだけ毅然とした態度で少年は告げた。
「そうか……まあ、ここもそろそろ発とうとは思っておった。すまんかったの、小僧」
「逃げる気か?」
「そりゃあ逃げるわ、貴様は麓に降りれば儂の事を通報するじゃろう?」
野良ロボットは見つけ次第、そうしなければならない決まりだった。
通報を受ければ直ちに捕獲部隊が出動し、個体を確保する。
その後、捕らえられたロボットがどうなるのか少年は知らない。
「僕はお前を皆のところに引っ張って行かなきゃならない」
「ほう、貴様のような小僧がロボットを? 儂がどういうタイプかも判らないのに……か?」
野良ロボットが不敵に笑み、少年との間合いを一歩詰めた。
もし外観に反し彼女が戦闘タイプのロボットだったら、少年に勝ち目は無い。
「……いや、はったりはよそう。戦闘タイプと思われれば余計に危険視される」
「どういう意味だ」
「儂の運動性能はさして高くはないという事じゃ」
ガレージの出入口は少年の背後のドア以外にも側面に大きなシャッターが存在するが、床まで閉じられている。
たとえ鍵が掛かっていなくとも、それを開けるまでに少年がロボットを取り押さえる事は容易だろう。
運動能力に長けていないという言葉が正しければ、彼女には逃げ場が無い状況だった。
「率直に言おう、見逃して欲しい」
「それが通ると思うのか」
要望を即座に断る少年、野良ロボットは俯いて「そうか、仕方ない」と呟く。
そして数秒後、もう一度顔を上げた彼女は別人のように妖艶な眼差しで少年を見つめた。
「見逃してくれれば相応の見返りを払おう。その年頃なら嫌いではあるまい──?」
………
…
…現在
「──セクサロイドだとして、だから何だよ」
「決まっておる、儂の初の相手をさせてやると言っておるのだ」
言葉の意味を理解すると、少年は顔を紅潮させた。
相手はロボットだ、しかも服を脱げば見るからに機械感のある旧式のポンコツだ……彼は自分にそう言い聞かせ、冷静さを保とうとした。
「やめろよ、とてもセクサロイドなんかには見えないぞ」
「貴様、女も知らん小僧の癖に儂を愚弄するか」
「その通りだけど勝手に決めつけるな」
はだけかけた着衣の隙間から肌色の曲線が覗き、見まいとしても少年の視線はそこに吸い寄せられる。
しかしそのカーブはあまりにも緩く、ほぼ直線に近いものだった。
それは理性を手放すまいとする少年にとっては救いであり、彼を誘惑するロボットにとっては──
「だっておっぱいも壁みたいじゃんか!」
「む、胸の事は言うでないっ!!!」
「おかしいだろ! セクサロイドってもっと、こう…!」
「あー! うるさいうるさい! どいつもこいつも、そんなに大きいのが好きかあああぁっ!!」
──古傷を抉るコンプレックスだった。
そして彼女は誰が頼んでもいないのに、少年に対し自らの過去を語り始めた。
「……儂が造られたのは2038年、人型のロボット技術において次々と革新が起きた頃じゃ」
「2038年? 50年も前じゃないか、どうりで」
「どうりで何じゃ?」
「い、いや……」
少年が生まれるよりもずっと前、西暦2045年に日本の人口は1億人を切った。
ただしあくまでそれは人間の人口の話であり、その時代には既に様々な形でロボットの実用化が進んでいた。
家事ロボットが夕飯の買い物をし、無機質な工事用ロボットが道路のメンテナンスをしているのは当たり前の光景だった。
多くの人型ロボットには人間と同様の思考能力や表情を再現する機能が与えられ、外観的にはロボットだと判らない。
その時代、先進国における人間の生活には大きな変化が起こったのだ。
しかしその変化は、良い結果だけをもたらすものとはいえなかった。
それまでに進んでいた深刻な格差社会の形成、ロボットの活躍はその下層の人々に大きな打撃を与えた。
貧富構成のピラミッドにおいて土台を築く者達は『ロボットを投入するよりもローコスト』と判断されるような仕事にしか就けなくなってしまったのだ。
日本人が途上国の外人部隊へ出稼ぎに赴いたり、30~40代女性の死因の最たる理由が性感染症になるなど、今世紀初頭には誰も想像しなかったであろう事が現実となっていた。
そのような時代が生んだもののひとつが多数の孤児達、少年もその一人だ。
街には各所にスラム化したエリアが生まれ、貧しい者達や全ての孤児はそこに集まり自然と隔離されていった。
その後、2050年代に入るとロボット達の高効率な生産活動が軌道に乗り、食物の自給量は大幅に増す事となった。
スラムには食料の配給が行われるようになり、児童の死者数は激減する。
配給は栄養バランスの整えられた固形食品をはじめとした味気ないものだが、少なくともそれを食べていれば飢え死にする事はない。
ただそのシステムは『スラムの住人は政府に生かされているだけの不要物』というイメージを人々に植えつける副作用を孕んでいた。
中流以上の階級に属する者はスラムから目を背け、スラムに暮らす者は自己の価値を見失う。
そんな死者のように生きる日々から脱する事を望んだ者が、海外への出稼ぎや貧民街での身売りに己を投ずるのだ。
しかし子供達はまだ戦場に赴く事はできない。
多くの少女も、自らの身体に値札をつける事には踏み切れない。
ただ生きているだけの貧しい暮らしの中、横行する犯罪から身を守るために孤児達は自然とグループを形成するようになる。
そのグループ自体が窃盗などのケチな罪を働くようになってしまうケースも多いが、少年が属する四番街を縄張りとした一団はそうではなかった。
だからこそ四番街で悪さをする余所者を放っておくわけにはいかなかったのだ。
「儂は人間の表情や感情を完璧に再現できる革新的な量産型セクサロイドとして世に出た」
「いや、だからそもそもの見た目が……」
「初期ロットとして約100体が造られ、富裕層を相手に売られたのじゃ」
野良ロボットは自分のペースで語り続ける。
少年がその内容に興味を持っているかどうかはまるで関係ない様子だった。
「儂にもすぐに買い手がついた、まあ当然じゃな」
「異議あり」
「却下する。……しかし納品の日、客はその時になってメーカーオプションを希望したのじゃ」
そこで言葉に詰まったロボットは少し下を向き、拳を握り小さく震わせた。
今まで勝手に喋っていた彼女だが、その続きを言う事には躊躇いを感じているようだ。
「オプションって何の?」
少年は不本意ながら続きを急かした。
別に興味が出てきたわけではない、早く話を終わらせてこのコソ泥を仲間のところへ連行したいだけだ。
手分けをする時、仲間達と『16時には住処にしている廃ビルに戻ろう』と約束した。
「カタログで見たイメージ以上にバストが小さい、Fカップのオプションに変えてくれ……と」
しかし語られた理由はあまりに切なく、少年は小さく「うわぁ」と零した。
「そして数日後、部品交換のために一旦メーカーに送り返される手続きを待っていた時、悲劇が起きた」
「さっきのも相当な悲劇だったけど」
「ライバルメーカーから身体の稼動部に継目が無く、もっと身長が高く、脚が長く、最初から豊かな胸を備えたモデルが発表されたのじゃ……」
「痛たたたた」
暗い過去を語った事で彼女の口調は重く、少し断片的なものになった。
結果的に彼女は購入者からキャンセルされ、その後も数年に渡り売れ残ったのだ。
そしていよいよスクラップにするためメーカーに返品される運びとなった時、逃げ出して野良ロボットになったのだという。
「当時はまだ野良ロボットの危険性について、今ほど大袈裟には言われてはおらなんだ。それから今まで儂は居を移しつつ隠れ暮らしてきたのじゃ」
「野良ロボットって、なにがそんなに危ないんだ?」
「ん……? なに、知らぬなら気にせんでいい。単に点検も受けずに長くを生きたというだけの事じゃよ」
経緯を聞いた少年の中には、この野良ロボットに同情する気持ちが芽生え始めている。
よく彼は仲間から『甘い』と言われるが、それは本人にも否定できない生来の性格だった。
「本当に水や服しか盗んでないんだよな?」
「もちろんじゃ、儂は食い物は要らん。循環装置の水さえ補給できれば良い……不純物の多い水では駄目なのじゃが」
望まぬ経緯で野良になり、50年も独りで暮らしてきたロボットを今さら捕獲部隊に引き渡す事に、彼は気が進まなかった。
それに捕獲部隊も警察も、相手がスラムの子供だと判った時点でコソ泥ではないかと疑ってかかる。
彼としてもそのような大人達との接触は望む事では無い。
「……見逃してくれる気になったようじゃな、ありがたい事じゃ」
しかし少年は当初考えていた以上に廃倉庫地区の奥地にまで入ってしまっており、そもそも予定の時刻に戻る事は難しかった。
そこで更に時間を食ったのだ、帰りは17時さえ大きく回る。
『何事も無かった』と仲間に説明したところで理解を得る事は難しいだろう。
「……見逃しはしない、でも通報もしない」
「なに?」
スラムの住人の余所者に対する警戒心は強い。
しかし少年の属するグループの仲間は長く付き合えば気のいい者達だ、それは誰より彼が知っている。
「幸いお前は身長も顔立ちも、僕らの歳と変わらなく見える」
「……だからどうしたというのじゃ」
「みんなのところへ来てもらう。そうすれば僕も顔が立つし、許しが出ればグループに加わればいい」
ずっと独りでいた野良ロボット、群れる事は嫌うだろうと思いつつ少年は提案した。
何をバカな事を、彼女はそう言って一笑に付すに違いない。
そしてその返答は、やはり言葉だけを捉えれば思った通りのものだった。
「何をバカな事を、スラムの小僧共とはいえ野良ロボットを人間のコミュニティが受け入れるはずがなかろう。……なかろう?」
ただ彼女は何故か、その言葉の最後を疑問形とした。
「解らない。でも僕はそうするのも手だと思うし、みんないい奴だよ」
「儂が非力なセクサロイドじゃからといって、仲間全員で慰み者にするつもりではあるまいな」
「ば、馬鹿言うなっ! 仲間には女もいるんだぞ!」
ロボットの目に少年が嘘をついているようには見えなかった。
それにもし彼がそんな事を考えているなら、先ほど口封じのために彼女が迫った際も断っていなかっただろう。
「嫌なら無理に仲間になれとは言わない、でもみんなの前で事情は話してもらう。じゃないと僕が困るんだ」
「そうでなければ通報する……か」
「したくはないけど、僕も何があったかは説明しなきゃいけないしね」
少年自身は気にしてもいないが、彼は捕獲部隊に対する通報を『したくない』と言った。
彼の言葉は眼前のロボットを気遣ってのもの、少なくとも今は敵意では無い感情をもって話している事になる。
「……解った、従おう。どちらにせよ逃げる事は敵わんじゃろうしな」
「どっちだ? 単に事情を説明するだけか、できる事なら仲間に入りたいのか」
もし本当に彼らの仲間になる事ができれば、今後は人の来ない場所に隠れ潜む必要は無くなる。
50年間も逃げ延びてきた彼女だ、危険を回避する能力には長けてはいるが『隠れずとも紛れる事ができる』環境は、より安全かもしれない。
彼女が野良ロボットであるという点をスラムの仲間が受け入れた上で隠してもくれるなら、メリットは大きいだろう。
しかし今、彼女の胸中にあるのはそういった損得勘定だけではない。
「仲間に……入りたい」
ずっと孤独に生きてきた彼女は『寂しかった』のだ。
今までそんな意識を持った事はない、最も戸惑っているのは彼女自身だった。
「儂は受け入れて貰えるじゃろうか」
「だから解らないってば、でも僕もみんなに頼んでみるよ」
妙な事になったとはいえ、これで少年も仲間への言い訳が成立する。
彼はロボットである事を隠せるだけの服を着込んで自分について来るよう指示をした。
首や手首、足首といった目につきやすい部位には皮膚パーツの継ぎ目は無く、秋めいた今なら長袖を着込んでいてもおかしくはない。
「待たせてすまん、参ろう」
「うっ……」
少年は言われた通りに服を着た彼女を見て『着衣での行為が前提なのかも』などと想像してしまい、思わずぶんぶんと頭を振った。
………
…
…四番街付近
「──怪しまれてはおらぬじゃろうかの?」
「着込んでれば普通に見える、おどおどする方が怪しいよ」
通りは買い物や帰宅中の人が多い頃、もっともその内の半数ほどは首輪を着けられたロボットだ。
比較的新しい人型ロボットなら、もはやその首輪の有無以外はっきり人間と見分ける術はない。
首輪は10年ほど前までは政府から発行される地味なものしか着ける事を許されなかった。
しかし規制が緩和されてからは様々なデザインのものが市販されるようになり、今では専門店さえ存在する。
ただしそれらの市販品も政府機関による厳重な検査が行われ、取り付け作業はロボット管理局の認可工場でしか実施できないよう決められていた。
「いっその事、形だけでも首輪を着けられたらいいんだろうけどな」
少年は周囲に人がいないタイミングを見計らいつつ、小声で言った。
隣を歩くロボットは今まで人の多いところを堂々と歩いた事などないため、周囲の視線が気になって仕方ない様子だ。
「取り付け登録を行っていない首輪からも『未登録』の管理信号は発されておるし、勝手に着けても野良の目印になるだけじゃ」
「そんなの知ってるよ。ただ、そうすればお前も人目を気にしなくていいのになって」
「……まあ、そうじゃな」
少しの間を置いてから肯定の答えこそ返したが、彼女の表情は本心から頷いてはいないように見えた。
「──はい、買い物は終わりました。間もなく迎えに到着し帰宅いたします」
二人の向かいから、チェック模様の綺麗な首輪をした若い女性型ロボットが近付く。
片耳に着けたインカムで主人と通話をしているようだった。
「……いいえ、とんでもない。帰り道で坊ちゃんのお話を伺うのは私の幸せでございます──」
ロボットの首輪からは個別番号を割り当てられた『登録済み・未登録』いずれかの信号が発せられている。
それは街のいたるところに設置されたビーコンで監視されていて、どのロボットがいつ・どこを通ったのかは全て記録される仕組みだ。
現在ではロボットの体内にも識別情報の発信機を埋め込む決まりになっており、主要な道に配された複合ビーコンなら首輪の無いロボットも捕捉できる。
故に体内に発信機を持たない旧式の野良ロボットこそ、最も捕獲が難しいのだ。
「信号の出てない見せかけだけの首輪とかしたらどうなんだ?」
「パトロールの者は携帯式のビーコンを持っておる。首輪をしながら信号を出さない者など、すぐに肩を叩かれてしまおう」
先ほどと同じように、二人は周囲に人がいない時を狙って話す。
スラムまではあと少し、人通り自体も減ってきていた。
「……それに、儂は偽物の首輪を着けたいとは思わんよ」
「縛られるのは御免だって?」
「いや──」
「──儂もロボットじゃ。本当の意味で主人に首輪を与えられ、尽くす事ができたら……と思う」
彼女は口元だけの笑顔を作り「スクラップを恐れ逃げ出した身には到底無理な話じゃ」と続けた。
その笑顔はとても切なげで、少年はそこにロボットとは思えない人間臭さを感じた。
ほとんどの店舗が潰れてシャッターを下ろした商店街の入口には、錆びた看板に『四番街』の表示がある。
そこを入って二本目の角を右に折れれば、間もなく少年達が住処とする廃ビルだ。
食料配給は週に一度、水曜日の夕方に今の商店街入口で行われている。
少年は『今日が水曜じゃなくて良かった』と考えながら、廃ビルへ続く路地の曲がり角で野良ロボットに手招きをした。
………
…
…廃ビル、1Fホール
「──本当に凶暴じゃないのか?」
グループの仲間の一人であるサブローが、少年が連れ帰った野良ロボットを訝しげに見ながら言った。
彼は少年より少し年上だが、ポジションの上下はほとんど無い兄弟分といった関係にあった。
野良ロボットを受け入れるか否か、それを協議するこのホールには普段そこに無い緊張感が漂っている。
メンテナンスがされなくなって久しい建物は細かな部分で老朽化が進み、1階の天井裏のどこかには雨水が溜まるようになっていた。
ホールの隅ではそれが滲んだ雫がいつも落ち続けており、沈黙が訪れる度その音だけが時を刻む。
「野良になった経緯も話しただろ。それに強かったら僕なんか振り切って逃げてるよ」
「ジロ兄ちゃん、夕方に出たきり今夜は日雇い現場の夜間作業だって言ってたしなぁ」
グループは少年を含めて六人、今『ジロ兄ちゃん』という名を出したのが末の弟分にあたるゴローだ。
「いいじゃない、私は女の子が増えるのは賛成だよ。ハナもそうでしょ?」
「チョーウケルー」
メンバーに女性は二人いる。
野良ロボットの同居に賛同したのが百合子で、もう一人が花子。
本人達は『ユーリ』と『ハナ』だと言い張っている。
百合子は少し気が強く、思った通りの内容を発言する事を辞さない。
花子はいつも百合子に連れ添い、にこにこと笑いつつ適当な相槌を打っている。
はっきりした歳は本人達にも判らないが百合子は15歳くらい、花子はそれよりひとつかふたつ上くらいだろう。
『ジロ兄ちゃん』と名の挙がったジローは現在、グループのリーダー的なポジションに就いており18歳と最も年長者でもある。
サブローとゴローの間に位置する少年の名はシローで、皆からは語尾を延ばさず『シロ』と呼ばれている。
それぞれ名前は、ここに仲間入りした時に適当に割り振られたものだ。
その名づけ親は今はスラムにいない初代リーダーのタローで、メンバーは『タロ兄ちゃん』と呼び慕っていた。
彼が最初に仲間に引き入れた二人に名前が無かったためジローと花子と呼ぶようになった、それが彼らの『適当な名づけ』の始まりだ。
「ねえ、名前はあるの?」
「名前……? 儂の事か?」
「そうに決まってるじゃない、いつまでも野良ロボットって呼んでるとかおかしいよ」
「SD-01という型式名ならあるが、それ以外は無いぞ」
それを聞いた百合子はいかにも嬉しそうに「じゃあ決めなきゃ!」と目を輝かせて言った。
シロは現リーダーであるジローを抜きに事を進めすぎては不味いと思ったが、既に彼女は『サクラ』や『スミレ』など自分達になぞらえた候補を挙げ始めている。
「野良ロボットなんだから『ノラ』でいいじゃん、喋り方も婆さん臭いし」
サブローもふざけ半分で名づけの協議に参加してしまい、ロボットの名前を決めるところまで話が進むのは確定的になった。
「だったら『ノーラ』にしよう! 私がユーリだからお揃い感あるし!」
「お前は百合子だろ」
「うっさいサブ」
「チョーウケルー」
野良ロボットは特に自分で意見をするでもなく、勝手に進む馬鹿騒ぎの行く末を見守っている。
せっかく名前を与えられるのに『野良』という単語をもじっただけのものでいいんだろうか……と、シロは少し不憫に思った。
「お前、嫌なら早めに断っとけよ? 決定されるぞ」
「ノーラ……か、儂の名はノーラ……」
百合子がちょっと恐るおそるといった調子で「嫌じゃない?」と尋ねる。
しかしロボットは大袈裟過ぎるくらい首を横に振り、満面の笑みで「嫌なものか!」と返した。
「儂の名はノーラじゃ、今ここでユーリにつけてもろうた!」
「やったあ! よろしくね、ノーラ!」
百合子と野良ロボット……ノーラは手を取り合い、ぴょんぴょんと跳ねて喜んでいる。
サブローは小さな溜息をつき、そんな彼女らを眺めていた。
「……よかったのか? サブロー、最初は怪しんでたじゃないか」
「さすがにあの様子見たらとても戦闘タイプだとは思えねーわ」
「僕も賛成だよ、これで一番チビじゃなくなるし!」
後でジローにどう言われるか不安ではあったが、ひとまずは連れ帰ったロボットを受け入れてもらえた事にシロは胸を撫でおろした。
「ほら! なにボーッとしてんの、シロが一番喜ばないと!」
「ちゃんとシローって呼べよ、犬みたいだろ!」
寝不足時のジローは、ただでさえ機嫌が悪い。
ノーラを受け入れた一同は、いかに上手く彼を説き伏せるかを考え始めていた。
……………
………
…
…翌日早朝、シロの部屋
廊下を走るバタバタという音にシロが目を覚ました直後、彼の部屋のドアは乱暴に開かれた。
「あれ……ノーラここじゃないの!?」
部屋に飛び込んだ百合子が息を切らせて言う。
しかし昨夜、ノーラの名前を決めた少し後には女性三人は自室に入ったはずだ。
シロが彼女の行動を知っているはずが無かった。
「ここにいるわけないだろ、お前ら一緒に寝てたじゃん」
「いや……その、彼女……セクサロイドっていうんでしょ?」
ごにょごにょと口篭る様子からして、どうやら彼女はシロがノーラを『本来の用途』に使ったものと思ったらしい。
だとしたら何を見たくて部屋に飛び込んだのか……と、シロは呆れた。
百合子はノーラの気が変わって出て行ったのではないかと心配していたが、昨日の名前を貰った際の喜びようからすれば考え難いだろう。
彼女はロボットだ、人間と同じように睡眠をとるかは分からない。
眠る百合子や花子の邪魔にならないように部屋を抜け出したのだろう……と考え、シロはビルの中を探してみる事にした。
しかしホールにも、物置にしている2階にも姿は無い。
5階建のビルだが3階から上はほとんど使っておらず、3階にガラス張りテラスがある他には元オフィスだったと思しき空っぽの部屋しかない。
あれだけ人目を気にしていたノーラがビルから出る事もないと考えたシロは、1フロアずつビルを上っていった。
ここに来て間もない彼女だ、建物内の散策をしているという可能性は高い。
その場合、行き着く先は──
「──いたいた、やっぱり屋上だと思った」
「おはよう、シロ」
「ちぇっ、犬みたいな呼び名が伝染っちゃったか。……起きたらいなかったって百合子が慌ててたぞ」
シロは少し首を竦めて物干し用に張られたロープをくぐり、ノーラの元へ歩んだ。
「何時頃からいたんだ?」
「ここに着いたのは3時41分じゃったな」
「2時間近く経ってるじゃんか」
「そうか、そんなに経っておったか」
スラム街の建物など、その周囲のビル群に比べれば低いものばかりだ。
夜景と呼べるほどの灯りは見えず、かといって街中ではあるから星も少ない。
何が楽しくてノーラがここで時間を潰せたのか、シロには不思議だった。
「お前は眠らなくていいようにできてるのか?」
「いや、最低でも72時間に一度は3時間ほど動作を停止してセルフメンテナンスをせねばならん」
「72時間……3日に一度か」
「できれば毎日が望ましいのじゃ」
「メンテナンス中にも外的刺激を受けるなりすれば強制中断して再起動される。起きて少しの間は動きが鈍くなるがな」
「そりゃ人間だって寝ぼけるし、似たようなもんだな」
「昨夜は久しぶりに何も気にせずその時間が持てたよ。いや、初めて……かもしれぬ」
少しずつ東の空は白んできた。
各家庭の母親や家事ロボットが朝食の用意を始めたのだろう、西に見える居住区の建物には灯りの点いた窓がちらほらと見える。
「そのリーダーのジローとやらが、儂を受け入れてくれれば良いが」
「……なあ、ノーラ。なんでお前そんな年寄りみたいな喋り方なんだ?」
「ん? 年寄りじゃからじゃよ? 儂は16歳の少女をモデルに造られた。それから50年……66歳の婆というわけじゃ」
「ふーん、そんなもんなのか……?」
ノーラは当然の事だという風に笑い「姿は当時のままじゃがの」と続けた。
ロボットに経年による言葉遣いの変化が現れるなど、不自然にも思える。
もしかしたらそれは長年を生きる中で無意識にも彼女に芽生えた、人間に憧れる想いの表れなのかもしれない。
「あ、ユーリとハナが下におる」
「ああ、外に探しに出たのか。……おーい! 屋上にいたぞー!」
声に気づいた百合子達は頭上でぶんぶんと手を振って『了解』の合図を伝えた。
この後、二人は朝食の準備をする。
配給のビスケットを粗く砕いてシリアル代わりにしたりレトルトの野菜に味付けを加えるだけの事だが、そのまま食べるよりは飽きない。
「朝の空気……街が目覚めていく様子というのは良いものじゃな」
「初めて見たみたいな言いぶりだな」
「うむ、初めてに近いな。こんな風に落ち着いた気持ちでそれを見るのは、間違いなく初めてじゃ」
「50年生きて初めて、か」
「人型ロボットを隠すなら人波の中……儂は今まで、およそ昼間にしか己を人目に晒した事は無い」
「…………」
「夕方から朝の内までは、昨日の倉庫のように誰もこないところで身を隠しておった」
おそらく日中であっても外へ出る事は最低限に抑えていたに違いない。
つまり彼女は今まで1日の大半の時間を眠るでもなく、ただじっと息を潜めて生きてきたという事だ。
日に僅か3時間だけの眠る間も、いつ見つかってしまうかと怯えながら。
「……独りの夜は長い、昨夜ほど日付が変わるまでを早く感じたのは初めてじゃったよ」
「それから寝て、起きてすぐに部屋の外へ?」
「いいや、10分ほどの間はユーリとハナの寝顔を眺めておった」
「あはは、間抜け面してたろ」
「酷い言いようじゃな。目覚めた時、隣りに人がいる……儂は嬉しかったのじゃ」
「それと、さっきもじゃな」
彼女はそう言うと、屋上の柵にもたれたまま顔をシロの方に向けた。
「さっき?」
「儂は生まれて初めて誰かに『おはよう』と言うたよ、とても嬉しかった」
ノーラの視線は僅かに泳ぎ、照れくささを感じているようだった。
それは昨日見せた切なげな顔と同じで、とても人工的な表情とは思えないものだ。
そして、彼女が非の打ち所がない完璧な美人ではないからこそ──
「スラムに入れたくらいで喜んでどうすんだ。挨拶くらいすぐ普通の事になるって」
「ふふふ……楽しみじゃ」
──シロが照れ隠しを必要とするくらいには、可愛らしい普通の少女として彼の目に映ったのだろう。
「おはよー」
背後にある屋上のドアが開き、ゴローの声が届いた。
ノーラは嬉しそうに「おはよう」と、生まれて二度目の挨拶をする。
「ジロ兄ちゃん帰ってきたよ。ノーラがいなくてちょうどよかったかも、先に百合子が事情を話して説得してる」
「そうか、すぐに降りれば良さそうか?」
「うん、まあジロ兄ちゃんびっくりしてたから、話がどう進んでるかは解らないんだけど」
ゴローは一番年下だが、その割に思慮深く大人びたところがある少年だ。
人に好かれる気遣いと併せ持つ幼さを武器に街では多くの大人達から可愛がられており、よく色んな物を貰って帰る。
そのせいか、或いは他のメンバーがあまり外の世界に興味を持たないからか、社会の情勢や出来事に最も精通しているのも彼だった。
「エリー彗星、まだ見えないかな。明け方は観測しやすいらしいんだけど」
「ん? ああ……前に言ってたやつか、地球にはぶつからないんだろ?」
ゴローが指差した方向の空にはいくつかの明るい星が見えたが、そのいずれかが彗星かどうかは判らなかった。
何年か前に地球にぶつかるかもしれないと大騒ぎになった彗星だが、その可能性が否定された今では世紀の天体ショーとして期待されている。
「太陽に最接近する頃には全天で太陽の次に明るくなって、昼間でも見えるんだって新聞に書いてたよ」
「それはすごいのう、実に楽しみじゃ」
「よし、ジロ兄ちゃんのとこへ行こう。ノーラ、上手くやれよ?」
「うむ、儂もここに居たいからの!」
50年間も寂しい想いをしてきた彼女だ。
やっと手に入れた居場所を1日で奪うような事にはさせるものか……シロはそう誓い、大きく息を吸った。
………
…
…1Fホール
「──ふざけるな、俺は認めない」
ノーラ達がホールへ着いた後、少しの沈黙を経てジローは言い放った。
百合子は大いに不満がありそうな仏頂面をしているが、反論はしない。
既にこれまで散々異を唱えてきたが、一向にジローの態度は軟化しなかったのだ。
「ジロ兄ちゃん……経緯は全部聞いた上で、その結論なの?」
「もちろんだ」
重苦しい空気が漂うホールに、天井から雫が滴る音だけが響いている。
「寝不足で気が立ってるのよ、少し休んで冷静になって考えてくれない?」
百合子が深い溜息と共に提案し、シロもそれがいいと思った。
しかしこの後のジローの言葉に、今度はシロが冷静さを失う事となる。
「その程度で情に流されるとか、お前らがどうかしてるんだよ」
ジローは18歳の青年だ。
まだ日雇いの仕事にさえ呼ばれない弟分達に少しでも良い生活をしてもらおうと、リーダーらしく努力していた。
メンバー皆が彼に感謝しているし、また彼の事を慕ってもいる。
「もう1回言ってみてよ」
しかし彼女の50年間を『その程度』と呼ぶ事を、シロは許せなかった。
「お、おい……シロ」
シロが苛立っている事に気づいたサブローが、彼の肩を掴んだ。
しかしシロはそれを右手で払い、もう一歩ジローに詰め寄る。
「何回でも言ってやる。その程度で情を移して拾ってたら、ここは野良犬だらけになっちまうって解らんのか」
「だったら自分で稼ぐ事もできず、人からの施しでしか生きられない僕らも似たようなもんでしょ?」
「だから俺が稼いで──」
「──じゃあ僕も捨てたら!? ここに来て十数年分の情なんて『その程度』呼ばわりした50年の孤独に比べれば軽いもんだろ!」
これは彼の『初めての兄への反抗』だった。
ジローは少なからず驚き、暫し言葉を詰まらせた。
「……ありがとう、シロ。でも儂にはお前らの絆を壊す権利などない」
黙って聞いていたノーラが、弱い口調でシロを宥めた。
口もとこそ微笑んでいるが目は伏せられている、失望を滲ませた顔をしているのだろう……と誰もが思った。
しかし長い時を見てきたノーラは、彼らが思うよりもずっと気丈だったのだ。
「今、ジローは『自分が稼いで皆の暮らしを支える』と言おうとした……違うか?」
「まあ、そんなところだ。だからどうした?」
「ならば儂が仲間に加わる事で、皆の暮らしがより良くなるのであれば文句はあるまい」
そう言うとノーラは腕を組み、少し考えを巡らせた。
「そんな見栄を切ったって、セクサロイドに男を慰める以外の取り柄があるとでも──」
「──ジロー、お前は最近困っておる事は無いか?」
「……何を言う気だ」
ジローは真意の解らない問いに苛立ちを滲ませた。
「そうじゃな……例えば、失くし物をしておったりはせんか」
「それをお前が解決するって?」
セクサロイドの彼女に、探し物などに特化した機能が備わっているとは考え難い。
それでも何か彼女なりの考えがあっての提案だろう。
「ジロ兄ちゃん、ノーラを試してやってくれ」
彼女の想いを汲んだシロが、睨むような目でジローを見て言った。
「……百合子、俺の腕時計は見つかったか」
「時計? ああ……だいぶ前の話じゃない。自分で『建物の中にあるならそのうち見つかる』って言ったんでしょ」
「それを見つければ良いのじゃな。『だいぶ前』というのはいつ頃の話じゃ?」
「もう何か月経つかなぁ……夏より前だった気がするんだけど」
確かにその頃、彼の腕時計が無くなったと小さな騒ぎになった事があった。
その時計は前リーダーのタローがスラムを出てゆく時、ジローに託した大切なものだ。
ジローは皆に気を遣わせまいと楽観的な事を言ったが、実はその後も気にかけ探し続けていた。
「必死に探し回って見つけたとしても、そんなの誰にだってできるんだ。なんの取り柄にもなりゃしない、それで認めるわけには──」
「──東の階段、恐らく物を置いてある2階の踊り場にあるじゃろう」
ノーラはほんの数秒ほど考えた後、自信に満ちた口調で言い放つ。
もしこれで探し物の在り処がその通りだったならば、彼女に超能力でも備わっているかのような話だ。
「百合子、花子」
ジローが目で合図を送ると二人は顔を見合わせて頷き、東階段へと向かった。
ビルには東と西、それぞれに階段が備わっている。
中央にエレベーターもあるが動かないし、動いたとしてもメンテナンスを受けていないそれなど怖くて使えない。
東の階段は入口とは反対になる奥まったエリアにあり、普段はほとんど使う事が無いものだ。
早朝に建物内を散策していたノーラが東階段を知っている事自体は、特に不思議ではない。
だからといって目につくところに落し物があれば、今までに誰か気づいているだろう。
しかし僅か1分ほどの後、百合子と花子はホールに戻ってきた。
「ジロ兄ちゃん、これ……」
「チョーウケルー」
数ヶ月も行方知れずだった腕時計をその手に持って。
「……お前ら何か打ち合わせでもしてるんじゃないだろうな」
「ちょうど良い、その腕時計の秒針をしかと見ておけ」
ノーラは続けてジローにそう要求し、ホールの隅を指差した。
「垂れ落ちる雫、次の一滴は……今から8秒後」
よほど晴れが続かない限り落ち続けている雫、それが何秒間隔かなど誰も気にした事が無い。
しかしシロが頭の中で適当にカウントした結果、確かにそれに近いタイミングで『ぴちょん』という音が起った。
「そんなの等間隔なら数えてりゃ判る」
「いいや、間隔は等しくない。次は……今からあと10秒後、それから16秒後、その次は9秒後」
ジローが手に持った腕時計を睨む。
そしてそれから三度、雫が落ちる音がたってから彼は口を開いた。
「……どういう仕掛けになってやがる」
ジローの反応で皆が察した、ノーラの予言は当たったのだ。
しかしそれに対する彼女の返答は拍子抜けせざるを得ないものだった。
「なに、ひとことで言えば『勘』じゃよ」
誰もが耳を疑うも、時計を見つけた事はそれだけで納得できる話ではない。
皆の眉間に皺が寄るのを見たノーラは「じゃが、なんの裏付けもないわけではない」と付け加え、説明を始めた。
「時計が建物の中にあるのは違いない。しかし失くした事を皆に周知するくらいなら、つまり自身の部屋に置いた記憶はないのではないか?」
「……そうだ」
「今、さほどの間も無く思い当たったという事は大切なものなんじゃろう。そんな時計を無意識にどこへでも置きはせん。しかし外した後、自分のポケットに入れる事はあろう──」
無言のまま話を聞くジローに向かい、ノーラは答え合わせを続ける。
ポケットに時計が入ったまま服が洗われ、物干しにかけられる。
しかし屋上には吊られたロープ以外、特に物はない……つまり失くし物が潜むような物陰もない。
時計を失くしたのは夏の前、雨の多い頃。
ならば屋上ではない所に洗濯物を干す機会も多々あったはずだ。
彼女は朝の散策の時、東階段から上がった3階にあるガラス張りのテラスにも訪れていた。
そしてそこに『雨の日用の物干しロープ』が張られている事に気づいていたのだ。
「──位置関係からして東階段を使う機会は少なかろう。しかしそれでも時計が床の上にポツンと落ちていれば気づくはず。だとすれば失くしものが潜むのは物が多い2階の踊り場じゃ」
「なるほど……勘というよりは推理といったところか」
「いや、やはり勘じゃよ。儂はロボット、目にしたもの聞いた事は全て記憶領域に刻まれ、人間と違ってそれを忘れる事がない。その膨大な記憶を後ろ盾とする勘じゃ」
「雫の落ちるタイミングも、複雑じゃが長いスパンでの規則性があった。儂はこの勘を頼りに50年間逃げ延びてきたのじゃ」
ノーラはそう話を締めた後、シロを見て「それなのにこんな小僧に見つかるとは、不思議でならん」と苦笑いした。
皆はジローがどう判断するか、無言で見守っている。
「……それで? 探し物が得意だったり水滴が落ちる間隔が解ったところで、みんなの暮らしはどう良くなるっていうんだ」
「しばらくここで過ごせば縄張りに余所のコソ泥が入るタイミングも、狙われやすいウィークポイントも判る。それでは足らんか?」
「野良ロボットを匿った事がバレたら、みんなただじゃ済まない。そのリスクと引き換えるに充分とは言えないな」
ノーラが沈黙する。
視線を少し下に向け、その勘をフル稼動して最適解となる提案を探しているのだ。
十数秒後、彼女は再び顔を上げると後ろに控える皆に振り返って言った。
「ならば儂は儂のやり方で少しでも金を稼ぎ、生活費を入れよう。皆に手伝ってもらえたらと思うが──」
……………
………
…
…2日後、商店街入口
「──くっそ恥ずかしいんだけど」
「そうか? 儂は楽しいぞ」
「客が来ないのに何が楽しいんだよ……」
幅1mほどのテーブルに黒いクロスを掛け、その中央には水晶玉が鎮座している。
クロスはテーブルの前面に垂らされ、そこには『占い師ノーラ:失せ物・探し人を見つけるお手伝いをいたします』と書かれた白い布が縫い留められていた。
ノーラとシロはその机の後ろに並んで座り、客が訪れるのをじっと待っているのだ。
水晶玉は以前にサブローが拾って帰り、2階の物置で埃を被っていたガラス玉。
クロスは使っていない部屋に掛けられていた遮光カーテンの裏地、看板代わりの布は花子が手書きをして縫いつけた。
ノーラは同じく花子が裁縫した適当な作りの黒いローブを羽織っており、じっくりと見ない限り確かに占い師らしい出で立ちだ。
しかしその隣りに座るシロはいつも通りの服装で、彼女の助手という設定だが役になりきる事は難しい。
「あら、シロちゃん……それは占い屋さんごっこ?」
「ごっこ遊びする歳じゃないよ……」
ましてここは地元そのものの商店街入口、知る顔に会わないわけもない。
彼にしてみれば結構な羞恥プレイといえる状況だった。
占いの料金は内容にもよるが、1件あたり1,000円程度。
この時代では一般人にとって安上がりな昼食ほどの額で、スラムに暮らす貧しい人々はまずもって利用しない。
彼らの思惑としてはそれで良いのだ。
皆およそ等しく貧しい住人同士で、形ある商品を伴わない金銭の授受など妙な禍根を生む原因になりかねない。
物見遊山でスラムの入口を通る中流階級の者が興味を持ってくれれば、それが一番後腐れが無いだろう。
「さっき『ごっこ遊びをする歳じゃない』と言っておったが、シロはいくつなのじゃ?」
「……15だよ、たぶん」
シロに両親の記憶は無い。
捨て子だったのか、ある日親が消えたのかも誰にも解らない。
スラムを彷徨う幼児を住人が見つけ、できて間もないタローを中心とするグループに預けられた。
年齢を答える彼がつけ加えた『たぶん』に、ノーラはおよその経緯を察してそれ以上を訊かなかった。
「シロは例えば食べ物なら何が好きなのじゃ?」
「パッと閃くほど色んなもの食べてないけど……そうだなあ、食べた事あるもので言えば『豚まん』かな」
「ふむ、中華饅頭というものの一種じゃな」
「時計台近くの店のが美味しいんだ、角煮と一緒にウズラの卵もひとつ入っててさ。すごく朝早くから開いてるけど、すぐに売り切れちまう」
シロは語っていると食べたくなったのか、顔をしかめて「どうせ買えないけど」と零した。
「では占いで余裕ができるほど儲かったら、それを買ってきてやろう。じゃから文句言わずに手伝うのじゃ」
「はいはい、期待してますよっと」
スラム付近の人通りはあまり多くは無いが、それでも5分待つ内に10人以上の姿は見る。
その過半数がロボットとはいえ、ターゲットとなる人間を見かけないわけではない。
なにせ通りがかるロボット達は中流以上の階級にある人間の持ち物だ。
そのロボットと一緒に持ち主が歩いている事もある。
「……あれ、ロボットとデートしてんのかな」
「男性型の家事ロボットじゃ。わざわざ男性型を買うのは独身の女が多い、防犯の意も兼ねてな」
「防犯の意『も』って事は、それ以外の意味が主なのかよ」
「そこは察するのじゃ。ちなみに男性型家事ロボットにはセクサロイドとしての機能が備わっているものも多い……あとは解ろう?」
腕を組み歩く人間とロボットのカップルは、占いのカウンターには気づきもしない様子で通り過ぎて行った。
次に初老の夫婦が通りがかる、今度は二人とも人間のようだ。
ノーラは表情を正し、少し低めな声で彼らに呼び掛けた。
「お主、失くしものをしておるようじゃな」
「いいや、しとらんぞ」
「そんな事はない、水晶にそう出ておる」
「じゃあそれが何か当ててみろ」
言いながら夫婦は足も止めずに去って行く。
いかに膨大な経験則を持つノーラでも、何一つの情報も無く『失くしたものが何か』や『そもそも失くしものをしているか』を読む事はできない。
「ぐぬぬ……」
「ドンマイ」
シロは『今、ノーラが自信という失くしものをした』と思いついたが、言うのはやめた。
「──あの……占ってもらえますか?」
落ち込んだノーラが俯いている内に、一人の女性がカウンターの向かいに立っていた。
派手ではないが小綺麗な身なり、落ち着いた話し方をする中流家庭の主婦らしき人だった。
「も、もちろんじゃ。失くしものかな? 探し人か?」
「失くしものです。ひと月ほど前、夫に買ってもらった指輪を失くしたの」
「なるほど、お請けしよう」
ノーラは水晶玉ならぬガラス玉に両手を翳し、むにゃむにゃと適当な呪文を唱え始めた。
占いという行為を無条件に信じるなら、通常であれば情報が一切無くとも神秘的な力でその在り処を導き出すだろう。
しかし彼女が行うのはジローがそう呼んだ通り『推理』に近い。
つまり答えを導くに足るだけの情報を聞き出さなければならないという事だ。
「指輪の材質、装飾はどのようなものじゃったかの?」
「シンプルなプラチナのリングに小粒のダイヤモンドがあしらわれたものです」
「ふむ……それはよく身に着けておったのか?」
「シーンを選ぶデザインじゃなかったから、ちょっとした外出の時にはよく着けていたわ。お気に入りだったのに……」
「普段それらのアクセサリーはどこに仕舞っておるのじゃ? 鍵は?」
「……鏡台に備えられた引き出し、鍵はかかりません」
やはりというべきか、占いにしては多すぎる質問に女性客は戸惑いの表情を浮かべ始めた。
水晶玉に視線を落としたノーラはそれを気にも留めないが、シロは嫌な緊張感に唾を飲み込む。
「指輪は失くした物の他にも多く持っておるのか?」
「全部で10個近くはあるけど……」
「失礼じゃが、家に子はおるかの?」
「それ、本当に占いで必要な事なの? あまり個人情報を教えるのは気持ちのいい事じゃないわ」
このように質問責めにする事で相手が訝しむかもしれない……とは、最初から二人とも想像がついていた。
「せ、センセイの占いは水晶を通じて失くしものがある場所の詳細なイメージを描き出し、位置を特定するのです」
「そうなのじゃ」
だから事前に、その際シロがとるべきフォローについては取決めを行っていた。
またこれは『水晶を通じて』という部分を除けば、丸っきりの嘘ではない。
「……7歳の娘がいるわ、あと犬も飼っています」
「よかろう、在り処はおよそ水晶に浮かんだぞ」
ノーラはまた適当な呪文を唱え、それからしげしげと水晶の中を見つめる演技をした。
「指輪は娘が持ち出したようじゃ、在り処はおそらく玩具箱の中……あるいはその子がお気に入りのものを仕舞う場所かもしれん」
「娘が……確かに有り得なくはないけど、もちろん訊いてみたのよ?」
「水晶はそう示しておる、探してみるがよかろう」
女性は首を傾げつつ立ち上がり、シロに料金を手渡した。
そもそも当たるも当たらぬも八卦、見つからなかったとしても責に問われる事がないのが占いという商売の強みでもある。
ただ当たらない事が続けば、客の口コミが期待できないというだけだ。
「今のはどんな考えで出した答えだったんだ?」
女性が去るのを見送って、シロは初仕事を終えた占い師に尋ねた。
ノーラはニヤリと笑い「仕方ない、教えて進ぜよう」と、師匠が弟子に説くかのように語り始めた。
「指輪のデザインはシンプルで、石も小粒なものじゃ。華美で大きな石がおごられたものなら、場によって外さねばならんが『シーンを選ばない』と言っておった」
「つまり旅行などで風呂や寝床につくので無ければ、外出時に身から外す事は無い。じゃから在り処は自宅と睨んだ」
「なるほど、指輪を失くした頃に旅行に行ってるなら本人もその時かも……って考えるだろうしな」
シロの同意を得てノーラはなおさら得意げな顔になり、人差し指をぴんと立てて説明を続けた。
「しかし鏡台という『身嗜みを整える場』そのものに保管しておるなら、本来失くす筈が無いのじゃ」
「誰かが持ち出した事になるってわけか」
「そうじゃ、ただそれが泥棒であれば貴金属なら全て盗むに違いない」
「中流家庭でも、旦那は小遣い生活で金に困ってるなんて話はよくあるぞ?」
「それも考えたが、わざわざ自分で贈った思い出深い品を選び売り捌くかの? しかも夫人はそれを気に入っておった、仲の良い夫婦ならその事も夫は知っておろう」
推理がそこまで煮詰まった時、ノーラは子供の存在を考えたのだ。
そして夫婦の間に存在するのが『7歳の娘』だと聞き、結論に達した。
「夫婦関係の良い幸せな家庭を築いているなら、娘は自然と母親に憧れるものじゃろう。身に着けるものを真似たくなるのも普通の事ではないかの」
「でも娘には指輪の事を訊いたって……」
「自分の悪戯で大好きな母親を困らせれば、素直な良い子であるほど言い出せまい。しかも元の場所に返しそびれていれば尚更、無かった事にするために……」
「……玩具箱にポイ、か」
ノーラは頷いて「勘が頼りの予想に過ぎんがの」と付け加えた。
「なんでノーラはそんな事まで解るんだ?」
「ん? じゃから過去に見聞きした事のデータを元に……」
「そうじゃなくて、何て言うんだ? 親子の絆……とか、そういうものについてだよ」
シロ自身も両親がおらず、家族愛などというものは知識としてしか知らない。
四番街の仲間達との関係はそれに近いものを生んでいるかもしれないが、そこにはやはり友情や仲間意識といった別の絆が介在する。
50年間できる限り人に接さず過ごしてきたロボットのノーラが何故それを理解できるのか、シロは不思議だった。
「知ったかぶりじゃよ、本当に理解できておるのかは判らぬ」
「元々そういう知識を与えられてるって事か?」
「まさか、そういった感情をプログラム化する事などできんよ」
ノーラが周囲を見回した。
上手い具合に人通りも途切れ、過去を話すにはちょうど良さそうなタイミングだった。
「……50年間、そのほとんどを儂は廃屋や使われなくなった倉庫のような場所で過ごしてきた」
「僕が見つけたのもそんなとこだったもんな」
「そしてそれらの場所の多くには、持て余す時間を潰すに最適なものがあったのじゃ」
そう言ってノーラは少しの間を空けた。
コンピューターが記憶領域のインデックスを探す、そのための時間だった。
「──ものうさと甘さがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う」
「なんだそれ?」
「とある作品の冒頭じゃよ。儂が暇を潰す友としたのは、今やほぼ廃れてしまった紙媒体の『本』じゃった」
「本か……たしかに古い倉庫とかによくあるな」
「色々な本を読んだ。小説、漫画、絵本……ドキュメント領域に保存されておるから引き出す事に多少の時間はかかるが、全て記憶しておる──」
そこから彼女は人類の歴史、幻想の物語、人間ドラマなどを通じ様々な事を学んだ。
家族愛や友情についての知識も沢山のストーリーから吸収し、重ね合わせる事で理解を深めてきたのだと語る。
「──しかしさっき言うた通り、それらを本当に理解できたか自信は無い。そしてそれ以上に難しい、未だちっとも解った気がせぬ感情がある」
「50年かけても解らないって、どんな感情だ?」
「男女間の愛、特に『恋』と呼ばれる際のそれは、実に複雑じゃ」
二人が眺める通り向こうの歩道には、手を繋ぎ歩く若い恋人達がいた。
そのワンシーンだけを切り抜けば、二人の世界は幸せ一色に染まっているかのように見える。
「多くの本で愛情は家族間にせよ友人の間柄にせよ、動機は無償であり尊いものとして描かれる。しかし恋は時に汚く醜い感情の様に表現されておった」
「シロはどうじゃ? 恋をした事はあるか?」
「な、無いし。そもそも身近に百合子と花子しか女がいなかったし」
「ふふふ……やっぱりシロは初心じゃの」
妙な話題になってしまったと思いつつ、シロは頭を掻いた。
知らないだけに、ノーラはその恋という感情に対しては興味津々だ。
ロボットの自分がそれを体験できると考えているのではなく、誰かが『恋に落ちてゆく経過』を観察してみたい。
シロ達のグループに身を置いていれば、いつかそれを見る事もできるだろうか……そんな期待が彼女の機械仕掛けの心を揺らした。
その後、二人は夕方までカウンターに座っていたが客は来なかった。
1日かけての実入りはたった1,000円。
豚まんにありつける日は遠いな……と考え、シロは溜息をついた。
………
…
…その夜、1Fホール
「──野良ロボットを匿うなんてリスクを負う対価としちゃ、随分家賃が安いんじゃないか?」
廃ビルのホールにジローの声が響いた。
彼とノーラが対面し、他の仲間達はノーラの後ろに並び立っている。
「ウチは犯罪には手を染めないようにしてきた。おかげでスラムとはいえ、この四番街に居場所を構えていられるんだ」
「……承知しておる」
「へえ、知ってたのか。じゃあ、野良を匿えば罪に問われるって事は?」
ジローは敢えて意地悪く、ノーラが返答に詰まるよう言葉を選んだ。
細々とした暮らしでもそれを守るという彼の意志からすれば、ノーラの存在は危険因子以外の何物でもない。
だからジローは非情な言葉を吐いてみせなければならなかったのだ。
「野良ロボットは見つけ次第、通報しなければならん。……そんな事は百も承知じゃ」
しかし本当の彼は決して意地悪な男ではない、それは話の行く末を見守る全員が知っている。
何がなんでもここからノーラを排除しようとするなら容易い、自身が野良ロボットの存在を通報すれば良いだけだ。
しかし彼はそうしなかった。
それでもシロもサブローも神妙な面持ちで話を聞いている。
唯一、花子だけがいつも通りにこにこと笑っていた。
「……明日は倍、明後日はその倍稼げ。居候が怠けてたらいつでも蹴り飛ばして追い出すからな」
「ジロ兄ちゃん……」
「お前らは二度と野良なんか拾ってくるな、もう一匹増やそうとしたら二匹とも出て行かせるぞ」
ジローは小声で「これじゃシロの甘さを叱れやしねえ」と吐き捨て、ぼりぼりと頭を掻いた。
「ありがとう、ジロー。できるだけ多くの家賃を入れられるよう精進させてもらおう」
「……お前、食い物は要らないんだろ?」
「うむ、不純物の無い水さえあれば良い」
「だったら滅多に無いが、配給に肉があったらノーラの分は俺に寄越せ。いいな、百合子」
そう言い残して彼は自室に向かう。
それが明らかな照れ隠しである事はノーラを含め皆が解っていた。
「もう大丈夫だよ、ノーラ」
ジローの姿がドアに消えた事を確認して、百合子は言った。
「さっきジロ兄ちゃん、貴女の名前を呼んだでしょ? あれは仲間と認めたって事だよ」
「……ありがたい事じゃ、孤独だったほんの数日前を思えば信じられぬよ」
「野良をもじってつけた名前なのに、野良じゃなくなっちまったな」
サブローが言い、皆が笑った。
もっとも『持ち主のいないロボット』を指して野良ロボットと呼ぶのだから、厳密に言えばそれは今まで通りだ。
ここにノーラの所有権を叫ぶ者はいない。
彼女には主人を欲する想いもあるが、その事は半ば自身が諦めてもいる。
百合子はノーラの名を決めた時のように彼女の手をとり、ぴょんぴょんと跳ねて喜びを露わにした。
その隣では何故か花子がゴローと手をとって同じように喜んでいる。
50年も前、ノーラは人間に仕えるために造られ人間の都合で捨てられた。
「改めて、ようこそノーラ!」
「ありがとうユーリ、皆も……世話になる」
そして今日、家族を得たのだ。
………
…
…廃ビル、浴場
「──ノーラ、早くおいで」
既に浴槽に浸かった百合子が、まだ浴室入口でまごまごしているノーラに手招きをした。
浴場は4m四方ほどもあり、長方形の浴槽は一般家庭のそれとは比較にならない大きさだった。
「広い……なぜこんな廃ビルに大きな風呂があるのじゃ。上層階はいかにもオフィス跡じゃったぞ」
「私達のグループ、最初は別のビルにいたのよ。でもタロ兄ちゃんがここを見つけて、ハナと私がお風呂を気に入って引越しを決めたの」
頷く花子は相変わらずにこにこと笑いながら、泡立てたスポンジで身体を洗っている。
いつも緩めなシルエットの服を着ている彼女だが、その身体は出るべきところがしっかりと出た女性の理想体形に近い魅惑的なものだった。
「1階のホールも広いでしょ? たぶん1~2階と3階のテラス側はカプセルホテルとかがテナントに入ってたんじゃないかって」
いつまでも入口でもたつくノーラの手を引こうと、百合子が立ち上がった。
彼女は花子より細身だが、そのボディラインには年相応の女性らしさが現れ始めている。
「あの、儂は拭くだけで……!」
「チョーウケルー」
「えー? だって関節部とかはセラミック製で錆びないんでしょ?」
ロボットが本物の汗をかく事はない。
ただ多くのロボットで各部パーツが水分を失いきって劣化しないよう、補給した水を少量ずつ内から外へ滲ませる機構を採用している。
ごく薄いワックス成分等を含むその分泌液の事を、人間のそれに例えて便宜上『汗』と呼ぶ。
ノーラもまた同じ仕組みで造られており、せめて時々の水拭きでもしなければ肌がべたつくようになってしまうのだ。
「もう、いつまでもタオルで隠してないで。女同士だし恥ずかしくないよ?」
「うぅ……その、2人とも笑わん……か?」
「当ったり前じゃん!」
必要な箇所には防水処理が施されているため水深10m程度の圧には耐えられ、風呂に浸かる事は全く問題ない。
つまり今、ノーラが入浴に抵抗を示しているのは別の理由があるからだ。
それでもとうとう彼女は迷いを振り切り、身体の前面からタオルを除けた。
「ごめん……予想以上だった」
「うっ」
体表のパーツは分割されていて今は明らかにロボットだと判るし、身長も二人よりずっと低い。
だがノーラが抵抗を感じていた部分はそれらではなく、自身のコンプレックスの根源たる胸のサイズだった。
三人はそれぞれ大きな浴槽の一辺ずつを陣取り、脚を伸ばして肩まで湯に浸かる。
女同士で会話の花を咲かせるには相応しい環境だが、先ほどから主にノーラの周囲で空気が重い。
その事に耐え切れなくなった百合子は、意を決して口を開いた。
「ええと、すごく訊き難いんだけど……気になるから訊いちゃう」
「なんじゃ?」
「セクサロイドって、その……そういうためのロボットなのに、なんで胸を大きく造らなかったんだろう?」
気分を害されたとしても仕方ない……その時は謝罪するという覚悟で百合子は不躾な質問をしたつもりだった。
それに対しノーラは予想外の反応を見せる。
「ユーリ、よく訊いてくれた──」
「へ?」
「──儂は長年に渡り、自分を造ったメーカーを呪ってきた……しかしその愚痴を聞き、理解してくれる友人は存在しなかった」
ノーラは眉間に皺を寄せ、切なさと悔しさを滲ませた声色で忌まわしき出来事を語り始める。
もし相手がシロやサブローであれば、彼らは『面倒臭い事になった』と溜息を吐いていたかもしれない。
しかし百合子は親身になるというよりは、興味津々で彼女の話に食いついた。
「儂を造ったのはセクサロイド専門ではない、どちらかというと家事ロボットに定評のあるメーカーじゃった」
「ふんふん」
「家事ロボットは見た目を絶世の美女にはしない、あまりに美しいと家人女性の反感を買うからの。儂の背丈や顔立ちも、モデルのような美人ではなかろう?」
「でも可愛いとは思うよ」
「そう、普通に可愛いのじゃ」
「自分で言っちゃうんだ」
「チョーウケルー」
「じゃからノウハウの無いメーカーは自社製の標準仕様以外に、モデルのような美人顔を外注に造らせオプション設定とした」
「買う人が選択できるって事?」
「身体のパーツが分割されておる強みじゃな。しかし欲を出したメーカーは、別のパーツにもオプションを設定すれば利益に繋がると考え──」
「まさか」
「──標準仕様を……貧乳に設定しおったのじゃ……」
「酷い……利益のために胸の大きさを決めるなんて……」
「そんな商売をしておるからヲリエンタル工業との競争に敗れ、セクサロイド事業から撤退する事になるのじゃ……馬鹿めが」
百合子はノーラに近づいて手を握り「大丈夫、それも個性だよ」と励ました。
ただ、ロボットのノーラに対しては「いつか大きくなるよ」とは言えない……その事が悔しかった。
「ノーラ、今までお風呂はどうしてたの?」
「体表の汚れを落とすのは純水でなくとも良いからの、汲んだ川の水を使って拭いておったよ」
「それって真冬でも……?」
「うむ、ロボットにとっては苦痛という程の事ではない……が、やはり温かい湯に浸かるというのは気持ち良いものじゃな」
ノーラは掌に湯を掬い、ぱしゃぱしゃと顔を濯ぐ。
その手首や指の関節に皮膚の継目は無く『そこだけ見れば本当に人間と変わらないのにな』と、百合子は改めて思った。
しかし身体の大部分、普段は着衣に隠れる範囲を見れば彼女が機械仕掛けの存在である事は一目瞭然だ。
シリコンの皮膚に覆われた身体パーツは、全部で七分割。
頭部から胸までがひと続きになっており、背中側は肩甲骨の下にあたる部分で隙間が設けられている。
胴体はそれより下の背中部分から腹部にかけてのパーツと、腰まわりのパーツで合計三分割。
四肢はそれぞれ付け根と肘・膝で分割されており、箇所によってまちまちだがパーツ同士の隙間は数cmほどだった。
「温かいとか冷たいとか判るし、それを気持ちいいとも感じるんだ?」
「うむ、痛み以外の感覚センサーは備わっておるぞ」
「痛みが無いのはいいなぁ」
「でも人間であれば痛みを感じるような刺激を受けた場合、異常を知らせる信号は内部で発される。気づかぬ内に身体を破損しては不味いからの」
言いながらノーラは自分の手の甲を軽くつねって見せる。
皮膚の厚みや伸び具合はとてもよく再現されているが、そこに痛みは無い。
「本当にロボットなんだねぇ……なんか不思議」
「儂はロボットの自分が、ユーリやハナとこんな関係を築けておる事が不思議じゃよ」
「あはは……でもあらゆる事を記憶できるとか、それはロボットならではの特技だよね。時計見つけた時なんて魔法かと思った」
一昨日、実際に東階段の踊り場で時計を見つけ出したのは百合子と花子だ。
半信半疑で探していたが、床にある箱の隙間であっさり見つけた時は二人とも言葉を失った。
「あれはあくまで勘と推理じゃよ。しかし本当に魔法に見えるかもしれぬ事もできるぞ?」
「どんな? 見せて見せて」
ふふん……と得意げに微笑み、ノーラは浴槽から身を乗り出して痩せた石鹸を手に取る。
そしてそれを掌で泡立て人差し指と親指で輪を作ると、そこにふう……と息を吹いた。
「ただのシャボン玉じゃーん」
「チョーウケルー」
吐息を閉じ込めた透明な球体が、浴室の空中をふわふわと漂う。
なんの変哲も無い直径10cmほどのシャボン玉、百合子達はこの時点ではどこが魔法なのかと首を傾げていた。
ノーラは続けて同じ位の大きさのものを、あとふたつ作った。
「よし、見ておれ」
次に彼女は何も無い宙空に向かって、数回に分けて少し強く息を吹きかける。
「え……?」
そこで百合子が小さな異変に気付いた。
別々の動きをしていた3つのシャボン玉達が、徐々に近づき始めたのだ。
そしてその内のふたつがゆっくりと触れ合い、割れる事なく融合して少し大きなひとつの球になった。
「こっちは……もう少し上……か」
そう呟いたノーラは左手をひらひらと扇いで見せる、それだけでシャボン玉はその軌道を僅かに変えた。
またひとつ、引き合わせられるかのように虹色の球体が融合してゆく。
さながらシャボン玉に見えない糸が結ばれていて、ノーラがそれを操っているかのような光景だった。
「すごい!」
「チョーウケル……」
残るは大きなひとつのシャボン玉。
ノーラはスゥ……と息を溜め、浴室側面の壁に向かって吹きかける。
その吐息が起こしたささやかな風は壁を伝って浴槽と対面する側へと回り、それに押されたシャボン玉は三人の近くに漂ってきた。
「ハナ、顔から30cmほどのところに指を立ててくれ」
花子は言われた通り、人差し指を立ててぴたりと動きを止めた。
ノーラは様子を見ながら時折小さく息を吹いたり手で扇ぐ事を繰り返して、シャボン玉の位置に微調整を加えてゆく。
やがてシャボン玉は花子の前、人差し指を挟んだ正面に辿り着いた。
「じっとしておるのじゃぞ……」
そう言ってノーラは、最後に少し強く息を吹きかけた。
シャボン玉が花子の指に当たり、その両側面から二手に分かれるように顔の方へと伸びてゆく。
そして次の瞬間──
「おぉ……!」
「出来上がりじゃ」
──シャボン玉は花子の指先を取り込み、指を揺らせばポヨポヨと揺れる提灯の姿でそこにあった。
「なんでそんな事ができるの……?」
「プハ」
百合子が驚きに満ちた声で言うと同時にシャボン玉が割れ、花子の顔に石鹸水の飛沫が散る。
「別に練習したわけではない。勘と同じ……これも何となく解るし、できるというだけじゃ」
ノーラは泡のついた手を洗い流しながら、そう答えた。
彼女の記憶領域には過去に見た光景全てが残っている。
それは水や風、人工物・自然界に関わらず様々な物がどう動き、流れ、形を変えてゆくかが記録されているという事。
「シャボン玉に限りはせんぞ。石ころを投げた時の転がる方向や距離、ガラスのどの点に力を加えれば最も粉々に割れるか……」
「なるほど、確かに魔法だわ」
「ふふふ……あまり役には立たんがの」
つまり彼女は自身が見聞きした範囲ではあるが、50年間もの観測による膨大な物理データサンプルを持っているのだ。
「でも面白いよ。ねえ、他にお風呂でできる事ってない?」
「ここでか……うーむ」
現在、脱衣所の外ではシロをはじめ男四人が風呂が空くのを待っているが、彼らの番はまだまだ回ってきそうに無かった。
……………
………
…
…数日後の朝、1Fホール
「──やあ、おはよう。暫くぶりだね」
その日の朝、廃ビルのホールにはいつもと違う声が響いた。
声の主の姿を認めたゴローは驚いた顔で「タロ兄ちゃん!」と声を上げる。
「連休が取れてね、元気な顔を見にきたよ」
彼こそ、この四番街グループを立ち上げた初代リーダーであるタローだった。
スラム育ちながら独りで勉学に励み、輝ける形で外の世界へと巣立った『四番街の希望の星』とも言える人物。
「おかえり、暫くどころか一年ぶりくらいじゃない?」
百合子が少し呆れたように、しかし嬉しさをにじませた様子で彼に歩み寄る。
その時、ホールにはジローを除く全員が集まっていた。
つまりその中には、ひとつだけタローの見知らぬ顔がある事になる。
「なかなか忙しくてね、すまない。……ところで、この子は?」
彼の視線の先にいたのは当然、ノーラだった。
どう答えるべきなのか、シロは考えを巡らせる。
しかし昔馴染みのタローが相手だったからか、百合子は警戒心を持たずに口を開いてしまった。
「ああ……この娘はノーラっていって、シロが──」
「──シロが安請け合いしてきた、北通りの孤児だよ。こっちもそんなに余裕は無いってのにな」
百合子の発言に被せて咄嗟の嘘を吐いたのは、たった今ホールに姿を現したジローだ。
すぐに百合子は己の軽率さに気づき、その口を両手で押さえた。
「親御さんを亡くされでもしたのかな? 可哀想に……」
「そんな事ぁいいんだよ。ノーラ、さっさと店を出して稼いできな」
「う、うむ。行ってくる」
「サブローかゴロー、手伝ってやれ」
ジローはノーラがこの場に長居しない方がいいと判断し、半ば無理やりに送り出した。
その理由は現在タローが身を置く場所、その職場に関係する。
「……朝から機嫌が悪そうだな、ジロー」
「誰のせいだよ、何しに来やがった」
「随分なご挨拶だ。弟達が元気にやってるか気になった……じゃ、駄目かい?」
「アンタはもうここの人間じゃない。未だにスラムの奴らと関係があるなんて思われたら、立場を悪くするぞ」
「別に禁じられた事じゃ無い、なにも困らないよ」
「俺達に構ってる暇があったら、金持ちのご機嫌取りでもやってろよ。スラムの人間はロボットなんか買えやしないんだ」
彼はこの場の誰より多くのロボットを見て、そして関わっている。
普通の人には判らないような点からでも、ノーラがロボットである事に気付く可能性がある……ジローはそう危惧した。
スラムを出たタローが勤めるのは国内最大手のロボット製造メーカー、パナソニー社の開発室なのだ。
「とにかく人目の多い時間は、この近辺をウロウロするな。今すぐ去るか、日中はここにいて日が暮れたら帰るかにしろ」
「お気遣いありがとう、じゃあ夕方までは居させてもらうよ」
「俺はもう出るぞ、今日は仕事に呼ばれてる。いいか、もう二度と来るな。こいつらと今生の別れをしてから帰れ」
ジローは眼光鋭くタローを睨んだ後、吐き捨てるように「じゃあな」と言い残してビルを出ていった。
………
…
…商店街入り口
「どうやらジローに救われたようじゃが、機嫌も良くは無かったみたいじゃの」
「うん……二人には色々あったからね」
ホールでの急な指名を請けて、今日の占い助手はゴローが務める事になった。
メンバーの中で最も幼い12歳の彼だが、タローとジローの確執について『色々』という言葉で濁すくらいには大人びている。
もちろんノーラもその事を掘り下げて聞こうとはしなかった。
ホールを出てゆくタイミングで、最後に彼女が聞いたジローの言葉は『スラムの人間はロボットなんか買えやしない』だった。
そこから察すれば今タローがどのような環境に身を置いているのか、ジローが何を危惧したのかはおよそ解った。
占いの客入りは日に5~6人といったところから伸び悩んでいた。
しかも今日は普段以上に早い時間から店を開けており、通りを歩く人々は初めてこのカウンターを見る者が多い。
毎日見かけていれば『試してみるか』という気になる者もいるが、初見では訝しむ気持ちの方が強いだろう。
暫くの間は客も訪れまい……と、ノーラは何か暇潰しになる事がないか考えを巡らせた。
幼いゴローを退屈な目にあわせるのが、忍びなく思えたからだ。
彼女自身の暇潰しであれば、目を閉じて過去に読んだ本の一字一句を詳細に思い返すだけでいい。
とはいえ小さな占いのカウンターで、しかも客が近付く気を失くすような馬鹿騒ぎは控えるべきと考えれば、できる事は限られてくる。
結局思いついた現実的な暇潰しは、彼女一人の時に行うそれと同じ事だった。
「ゴロー、何か物語でも聞かせてやろうか」
「え? どんな……?」
「なんでも良いぞ。冒険の物語でも、恋の話でも。宇宙戦争の話などもできる」
ノーラの提案にゴローは少し俯き、暫く黙り込む。
機嫌でも損ねたか、それとも辛い記憶でも呼び覚ましてしまったか……とノーラは焦った。
「ええと、その……おかしいかもなんだけど……」
しかし彼はむしろ、嬉しいと感じていた。
この沈黙は、少しの気恥ずかしさに葛藤していただけの事だ。
「なんじゃ? 笑わんぞ」
「ちょっと子供向けなお話がいい。お母さんが子供に聞かせてあげるような」
彼は5歳の頃に四番街のグループに入った。
それより以前の記憶はおぼろげにしか無いと、ノーラもそう聞いている。
「……承知した」
ゴローの想いを察したノーラは頷き、優しく微笑んで「昔むかしの話じゃ」と語り始めた。
………
…
…廃ビル、屋上
「久しぶりに戻ったら、こき使われるとはね」
「懐かしくて嬉しいでしょ? はい、次つぎ干して」
タローは百合子と花子に命ぜられるがまま、洗濯物をロープに吊るす役に従事していた。
彼女らよりずっと背の高いタローならロープの端々まで使って、普段以上に多くの洗濯物をやっつけられる。
取り込む時に苦労をしそうだが、どうしても届かなければ彼と身長の変わらないジローを呼べばなんとかなるだろう。
「仕事、上手くいってる?」
「まだ下手間仕事ばかりだよ、見習いに近いね」
「それでも開発室勤めなんでしょ? 『こんなロボットを造りたい!』とか、夢持ってんじゃない?」
「まあ……漠然としてるけどね、無くはないかな。……次はこれかい?」
足元にあった洗濯カゴが空になり、タローは次のものへと手を伸ばした。
「それはダメ! こっち!」
「うわ」
百合子が慌ててそれを奪い、代わりに別のカゴを押しつける。
彼が手に取ろうとした水色のカゴには、女性物の下着が多く入っているからだった。
「このカゴは男子禁制でーす、触れませーん」
「男物の下着を干すのは平気なくせに、女の子は解らないな……」
タローはそうぼやき、同時に朝ほんの少しだけ見かけたノーラの事を思い出した。
「そういえば朝見た女の子は、何をしてお金を稼いでるんだ?」
問われた百合子は答える前に、自分が言おうとしている事を脳内で一度読み上げる。
朝のように軽率な発言をしかけて肝を冷やす事にはなりたくなかった。
「占いをやってるんだよ」
「へえ、占いか。よく当たるの?」
「……うん、失くし物や探し人専門なんだけどね」
タローは「失くし物なにかあったかな」と呟きつつ、洗濯物を伸ばしてはロープにかけてゆく。
一方、あまり長くこの話を引っ張られるとボロを出してしまいそうだと危惧した百合子は、違う話題を探すために辺りを見回していた。
「あ、あの空にぼんやり白い点が見えるのって彗星かな」
「え? どれ?」
「ほら、エビみたいな形した雲の左側」
「まずそのエビ雲が解らないんだけど」
「チョーウケルー」
百合子は大袈裟に手を伸ばし、片目を瞑って「あそこだってば」と指差した。
その先の青空、エビと認識するには無理がある雲の脇にぼんやりとした白い点が浮かんでいる。
「ああ……あれかな? 確かにそれっぽくはある」
「まだ尾はひいて見えないんだね」
「尾を引くのはよほど太陽に接近してからだよ……と言うより、まだ昼間に見えるわけない距離だぞ」
タローがそう説明し終わる頃には、彗星と思われた白点はその形を歪に変えていた。
数ヶ月前に木星付近にあった彗星は現在、ようやく火星を通過した頃のはずだ。
百合子が見つけたのは小さな浮浪雲に違いなかった。
………
…
…17時、廃ビル前
「じゃあ懲りずにまた来るから、みんな元気で」
まだ明るい夕方、タローは古巣に別れを告げる事とした。
「陽が落ちてから帰るんじゃなかったの?」
「ジローが帰って来て顔を合わせれば、また機嫌を損ねてしまうしな」
去る自分は良くとも残される者達が面倒を被るかもしれない、彼はそう考えた。
占いに出ている二人はまだ戻っておらず、サブローとシロ、百合子、花子の四人での見送りとなった。
タローの勤め先はこのスラムと同じ縦浜市にあり、距離としてはさほど遠く離れるわけではない。
だからといって滅多に弟達の顔を見る事は叶わない、彼の胸中には後ろ髪を引かれる想いもある。
その気持ちがもたらした沈黙に、シロは今日ずっと訊く機会を逃し続けていた事を問うべきか迷っていた。
「ただいま! あれ……タロ兄ちゃん、もう帰るの?」
そこにゴローが帰ってきた。
シロは喉元まで出かかっていた問いかけの言葉を一旦飲み込んだ。
その問いの内容が、ゴローと共に戻ったかもしれないノーラに関する事だったからだ。
「おかえり、ゴロー。今日は久しぶりだったのにお前と話す時間があんまり無かった、ごめんな」
「ううん、また来てくれるんでしょ? それに今日はノーラ姉ちゃんが色んな物語を聞かせてくれて、すごく嬉しい日だったんだ」
あれからも客が来ない間、ずっとノーラはゴローに様々な物語を聞かせていた。
それがよほど嬉しかったのだろう、ゴローは『鉱山の街で空から女の子が降ってくる話とか、すごく面白いんだよ』と満面の笑みを見せながら語った。
「あんた、私には『姉ちゃん』とか言ってくれた事無いくせに」
「そのノーラって朝の女の子だろ? 彼女とも話す機会が無かったな。一緒に帰って来てはないのかい?」
「うん、カウンターの片付けはやっとくから先に帰っていいって。タロ兄ちゃんと少しでも話しといでって言ってくれたんだ」
タローは「いいお姉さんができて良かったな」とゴローの頭を撫で、それを聞いた百合子は少し面白くない風な顔をしている。
その光景を見ながら、シロは意を決した。
ノーラが戻るまでまだ少し時間があるというなら、タローに質問をするタイミングは今をおいて無い。
「あの、タロ兄ちゃん。教えて欲しい事があるんだ」
「……なんだい、シロ?」
「この間、近くで野良ロボット騒ぎがあったんだ。それでその……なんていうか、野良ロボットは何がどう危険なものなの?」
もちろんタローを除き、この場に居合わせる誰もが質問の大部分を占める嘘に気づいた。
ノーラはシロが連れ帰った存在だ。
すっかり仲間内に馴染みつつある彼女を今さら危険だとは思わないが、彼の中ではずっと気がかりだったのだろう。
仲間達は皆それを察し、質問を不思議がる事もなくタローの答えを待った。
「野良ロボットか……この辺りでも出るんだな」
「自分達が直面したらどうすればいいのかなって、もちろん通報とかしなきゃいけないんだろうけど……」
「うん、それは必ずしなきゃ駄目だ」
シロの質問を受け、タローは当然の事として言い放つ。
解りきっていた回答ではあったがシロは少なからず落胆し、しかしそれを表情には出さないよう努めた。
やはり僅かにでも『実際は別に危険ではない』という答えが返る事を望む想いはあったからだ。
「野良ロボットの危険性については、難しい話になるよ」
「……うん、聞きたい」
「できるだけ解りやすく話そう。まず、ロボットは定期的な検査とメンテナンスを受けなければいけない……これは知ってるだろう?」
自家用と商用など用途によって有効期間の違いはあれど、それは全てのロボットに当てはまる義務だ。
その事はタローの言う通りシロ達も知っていたが、検査やメンテナンスの内容についてはよく解っていない。
「それは法定検査と呼ばれるものなんだけど、その一番の目的はロボットが『学習し過ぎない』ように保つ事なんだ」
「頭が良くなり過ぎないように……って事?」
「少しニュアンスが違うかな、ロボットはそもそも人間よりずっと頭が良い。そして記憶力も優れていて、故障しない限り一度見たものや聞いた事を忘れないんだ──」
ロボットの記憶力について、それはノーラの口からも聞いた事のある言い回しだった。
シロは胸が嫌な鼓動を打つのを感じつつ、説明の続きを待つ。
自律的な思考回路を持つロボットの記憶領域には、4つの階層がある。
第1層はロボットの基本プログラムであるOSを収めた階層で、アップデート以外で変更される事は無い。
第2層はそのロボットの主人や雇われ先に関わる記憶を収める階層で、家事ロボットなら仕える家庭の事や普段買い物に行く先など『消えてしまうと使用に困る』データが記録される。
第3層と第4層は前の2階層と比べると段違いに記憶容量が大きい。
第3層はロボットが見たものや聞いた事など、第2層に記憶すべき内容に当てはまらないほとんどの『学習データ』が収められる。
そして第4層はドキュメント領域と呼ばれ、文書や大容量の映像・音声記録などが収められる階層となっている。
「──法定検査ではその第3層と第4層を消去するための『クリーニング』と呼ばれる処理を行う。これは使用者にとっての不便を招く側面はあるけど、とても大切な事なんだ」
「せっかく覚えた事を消すの?」
「うん、そうしないとロボットは無制限に情報を蓄積して、人間の予測を超えた行動に出る可能性があるからね」
自律思考型ロボットの実用化が進むにつれ、人間の研究者が最も危惧したのは『ロボットの反乱』だった。
ロボット達が秘密裏に大規模な軍隊を形成するという事は考え難いが、例えば工場で利用されていたロボットが化学兵器を作り出すのはそれより遥かに容易な事だろう。
「だから人間社会の安全を脅かさないために、ロボットは定期的に新品に近い状態に戻さないといけないんだよ」
「……野良だとそのクリーニングを受けてないから、反乱を起こすかもしれないって事?」
「うん、特に第3層のデータが蓄積されると自我の形成が顕著になるからね」
「自我って、人格みたいなものだよね」
「そうとも呼べるかな。……30年ほど前からは毎月軽い自己クリーニングを行う機能を搭載する事が義務化されて、その危険も小さくなってるんだけど」
そしてタローは「まさかそれ以上古い野良ロボットは残ってないはずだから、そう心配する事はないよ」と付け加えて、説明を終えた。
しかしシロをはじめ、聞いていた者達は一様に言葉を失っている。
無理もない『それ以上古い野良ロボット』がどこかに残っているどころか、同居しているのだ。
「……自律思考型のロボットは頭が良すぎるんだ。そのおかげで1を教えれば残りの9を自分で考えて10の仕事をする、つまり教育のコストが低くてすむ……あれ? みんなどうした?」
ノーラに関する事情を知らないタローは、予想外に重くなった場の空気に戸惑った。
そしてそれを取り繕うために、ロボットについて少し違う角度からの話をしようと思い立つ。
「……偉そうな事を言えば、僕はその『全てをロボットに任せきりにする』仕組みを少しでも変えたいんだ」
それは自らが目指す夢、理想についての話だった。
「自律思考型ロボットはそれ自体の価格もすごく高い、そして法定点検をはじめ維持費もかなりのものだ。だから貧しい人達にはとても買えるようなものじゃない」
彼が憂うのは、裕福な人が裕福でなければ買えないロボットを使って富を得ている現状。
スラムに暮らすような者には入り込む余地の無い、中流層以上の者だけで構成された歪な社会を指して彼は『変えたい』と唱えた。
「思考能力を持たないロボット、それも例えば人間が装着して使う言わばパワードスーツのようなものを安価に造って広めたい……僕はそれを目指してる」
「でも、そういうのって昔はよくあったような話を聞いた事あるよ?」
「そうだね、自律思考型が主流になる前はそういう方向に進んでた。けど『自分で働かなくてすむ』と考えた人間は、やっぱり怠けちゃったんだよ」
「……お金持ちらしいね」
「さっき話した通り、今は思考能力を持つロボットの危険性が再認識されて次々に規制が生まれてる。だからこそ回帰すべきだと思うんだ」
勝手に動くのではなく『元来の意味で人間が使うロボット』を安価に造り、製造業や第一次産業などの現場に売り込む。
それが普及した時に必要とされるのは、人間の労働力だ。
そうやって少しでも貧しい人々の手に仕事を取り戻す事を、彼は目指している。
「きっとできるよ、タロ兄ちゃんなら」
「うん、私達には応援する事しかできないんだけど……」
「ははは……ありがとう。でも本当は、話すならそれが少しでも現実味を帯びてからにしようと思ってたんだ。これで何にも実現できなかったら格好つかないからね……」
本人のプレッシャーは増す結果となったが、思惑通り皆の顔には明るさが戻ったようだ。
これで安心して古巣を後にできる、彼は見送る者の一人ひとりと握手を交わしてゆく。
「じゃあ、みんな元気で」
「また来てね!」
「今度はジローの機嫌が良い時にするよ」
「あはは、それじゃいつまでも来られないよ」
別れ際は、手を振る誰もが笑顔だった。
「自ら話すべき事じゃった……許せ、シロ──」
──ただ一人、曲がり角の向こうに佇み、その話を聞いていた者を除いて。
……………
………
…
まだ早朝と呼ぶにも早い深夜、ノーラは屋上で夜風を浴びていた。
メンテナンスのための短い睡眠の後、彼女は百合子達を起こさないようそっと部屋を抜け出しここへ上がった。
何をしている様子もなく、ただ遠い街灯りを見つめている。
「たった1日で0.3%も使ったか……昨日は色々あったしの」
自律思考能力を持つロボットには、必ず自己診断機能が搭載されている。
その診断結果はどこかに数値として表示されるわけではなく、しかしロボット本人が意識すれば判るというものだ。
温度異常、機能部の不具合、目に見えない外装パーツの破損なども確認できる。
「もっと皆を見ていたい、それだけでいいのじゃ……」
彼女の唱えた願いは夜の空気に溶け、誰も気づかない程に薄まって風に攫われた。
……………
………
…
…翌週の朝、商店街入り口
「ぁの……ぅらなってほしぃんだケド……」
「ふむ、失くしものか探し人かどちらの案件じゃ?」
「さがしびと……になる……とぉもぅ」
鼻にかかった声で妙な抑揚をつけた話し方をする若い女性が、カウンター向かいに座った。
今日の占い助手は百合子と花子の2人だ。
「ぁたしの……ぅんめぇのひとゎ、どこにぃるんだろ……?」
「う、運命の人……というのは、まだ見ぬ恋の相手という事か?」
探し人と呼べなくも無いが、この件ではノーラが推理をするための情報を揃える事は困難だ。
好みなどの条件を聞き出し、そういった異性が多そうな場所を答えるくらいはできるかもしれないが、それはノーラより客の方が詳しい。
「まぇのカレシとゎかれてから、なんもぅまくぃかなぃ……もぉマヂむり……」
つまりこのケースでは、はっきりと定まった答えを出すのではなく『恋愛についてのアドバイス』を行うのがベターだ。
しかしそれはノーラが最も苦手とする分野の事だった。
(おい、ユーリ! 助けるのじゃ!)
(この件の報酬を私の懐に寄越すならお請けしよう)
(ぐぬぬ……仕方ない)
(OK、んじゃ『恋愛についての占い担当は私』って体でいくよ!)
(チョーウケルー)
百合子は嬉々として対応を始める。
彼女に恋愛経験があるわけではないが、興味だけは人一倍持っているタイプだった。
タローが四番街を訪れた日、その別れ際にジローを除く皆が知る事となった『野良ロボットの危険性』についての事実。
ノーラはその事によって、自分は近い内に退去勧告を受けるだろうと思っていた。
『──野良ロボットって、なにがそんなに危ないんだ?』
『なに、知らぬなら気にせんでいい。単に点検も受けずに長くを生きたというだけの事じゃよ──』
出会った日、シロはノーラにそれを尋ねた。
警戒を強めてしまう事を怖れ、詳細に答えなかったのは彼女自身だ。
仲間として受け入れられてからも黙ったままでいた事を、シロは裏切りだと感じるだろう……彼女はそう考えた。
しかしそれから数日が経過した今になっても、四番街の皆は何も言わない。
今度こそは自分の口から『それでもここにいていいのか』を尋ねなくてはいけない、そう思いつつも彼女は躊躇っていた。
このままほとぼりが冷めるならそれが無難、手に入れた居場所を失う結果を招きたくない。
そんな何よりも人間らしい『ずるさ』という感情が己の中に芽生えている、その事に彼女自身が戸惑っていた。
「──ぁたし……がんばる! きっとすてきなヒトぉみっけてみせるょ!!」
「うん! でももうちょっと、はっきり喋った方がいいよ!」
「ゎかった! ぁりがと!」
ノーラがぼんやりと考えに耽っている内に、百合子は恋愛相談を終えていた。
ただの世間話に近い内容だったが、客が喜んで対価を払ったのだから商売として間違ってはいない。
百合子は受け取った代金を嬉しそうに自分のポケットに仕舞い込んだ。
「あ、よかった! 今日もいた!」
「ん?」
そこへまた一人の女性が歩み寄って来た。
その顔にノーラは見覚えがある、彼女は占い初日に訪れた唯一の客だ。
「覚えてるかしら? 指輪の在り処を占ってもらった者なんだけど……」
「もちろん、覚えておるよ」
「貴女の言った通り、娘が自分の小物を仕舞い込んでる学習机のポケットにあったのよ! ほら、今日は着けてるの!」
そう言って夫人が見せた左手の指には、シンプルだが可愛らしいプラチナのリングが通されていた。
あくまで情報をもとに推理しただけの事でも、それが人の役に立てばやはり嬉しいものだ。
ノーラは「なによりじゃ」と返しながら、少し俯いて照れ笑いを隠した。
「ママ友のみんなにも、ここの占い当たるわよって宣伝しておいたから!」
「それはありがたい、口コミは大事じゃからな」
「あと娘の成長に関わる事だし、指輪をくれた主人にも経緯を話したの。そうしたら、あの人も『行ってみる』って!」
「……ご主人も何か失くしものを?」
ノーラが聞き返すも夫人は「たぶん午後に来ると思うわ」とだけ言い残し、小さく手を振ってその場を離れてゆく。
三人は首を傾げつつも、深く気に留める事はしなかった。
「はぁ……いいなぁ」
百合子は客の消えたカウンターに肘をつき、小さく溜息をついた。
「どうしたのじゃ」
「旦那さんからのプレゼントとか、私も欲しい」
「……それはまず結婚が先ではなかろうかの?」
スラム暮らしの若者達に、アクセサリーに回す金などあるはずはない。
だからといって、その年代の少女が憧れないわけもないのだ。
「プラチナにダイヤ、あの指輪でもそれなりに値は張ろうな」
「別に指輪じゃなくていいんだよ」
「そんな高いアクセサリーじゃなくていいの、こう……なんていうか──」
金やプラチナ、宝石のような素材から値が張るものは望まない。
ただ、玩具と呼ぶには少し贅沢なくらいの『可愛い何か』が欲しい。
ましてそれが異性からの贈り物なら、値段など二の次で良いのだ……と彼女は語った。
「──まあ、それにしたって贈り物をくれる異性を見つけるのが先なんだけどね」
「異性でなくとも良いなら、もう少しこの占いが軌道に乗れば贈らせてもらうがの。その可愛い何か……というのは、例えば何じゃ?」
「うーん……私って髪が長いし、ヘアピンよりは目をひくバレッタとか?」
百合子のささやかな望みを聞いたノーラは「覚えておこう」と頷いた。
しかし思惑とは裏腹に、その後の客入りは今ひとつだった。
最近は日に10件に迫るほどの依頼がある事が多かったが、今日は午後の半ばに差し掛かってもまだ3件だけ。
思うようにはいかないものだと、今度はノーラが溜息をついていた。
「こんにちは、占い師ノーラ」
15時を回った頃の事、男性の二人組がカウンターに訪れた。
一人は30代くらい、もう一人はそれより若いくらいでメディアの人間が使う小型のカメラを手に持っている。
「……どういったご用件か?」
「失礼、まだ撮影はしてません。私は『Talkful』の公式チャンネルでリポーターをしている者です」
Talkfulは世界中で使われているコミュニケーションサービスで、2050年代から急速に広まった。
現在では様々な携帯端末や家庭用AV機器などにプリインストールされており、中流層以上に暮らす者であれば生活のあらゆる場面で利用するメディアとなっている。
その成り立ちは今世紀初頭にメディアの主流であったTVと、その頃に普及したインターネットによる情報発信が融合進化したものと説明されるのが一般的だ。
「すごい! これ、取材!?」
「そのようじゃな……」
百合子は感嘆の声を上げ、髪が乱れていないかなど身嗜みを花子と向き合ってチェックした。
普段そういったメディアに触れる機会の少ないスラムの者でも、街へ出れば街頭ビジョンや電器店のウィンドウなどでいくらでも目にする事になる。
現に百合子はこのリポーターの顔に見覚えがある、その番組に自分が映るかもしれないのだ。
「午前中に来たと思いますが、私の家内がお世話になりまして」
「もしかして……指輪の?」
「家内から『お礼に宣伝をしてあげてくれ』と言われましてね。ローカル情報がほとんどなチャンネルですが、差し支え無ければ」
ノーラは自分の姿を広く発信する事に抵抗を感じたが、百合子と花子は既に上機嫌で自己紹介を始めている。
それにこれで客が増えれば、仲間達の生活費を賄う事に大きく寄与できるのは間違いない。
ボロを出さなければいいのだ……と彼女は己に言い聞かせ、深呼吸ひとつしてから「お受けしよう」と答えた。
……………
………
…
…2週間後、廃ビル給湯室
ロボットが自動的に生産活動を行うこの時代では、水道や核融合炉で生成されている電気は無償で利用できる。
それはたとえスラムであっても、設備さえ生きていれば同じだった。
ただしガスはメンテナンスを怠れば危険が大きいため、高火力を求めるサービス業店舗や工場などにしか供給されていない。
この廃ビルのホール奥にも過去に事務室であったと思しき部屋が存在し、その一角に給湯室が備えられている。
大半のエリアで断線などのトラブルが発生しているこの建物において、台所代わりに使われるこの小部屋は水道と電気両方が使用可能な唯一の場所だ。
まだ百合子や花子さえ起きてこない早朝、そこにノーラの姿があった。
「このくらいかの……?」
人間ほど長く眠る必要の無い彼女にとって、朝の活動は何ら苦ではない。
慣れない手つきで進めているのは、本人を除いた全員分の朝食準備。
ドライフルーツの入ったシリアルを皿に取り分け、次にノーラは牛乳のパックを取り出した。
「ふむ、これに注ぐのじゃな──」
「──それは食べる直前にしとけ、ふやけて不味くなる」
給湯室の入り口から、まだ少し眠そうなジローの声が届く。
内緒で朝食準備をしていたノーラは声こそ抑えたが、内心大きく驚いていた。
「お、おはよう……ジロー」
「お高めなシリアルにヨーグルト、ハムの添えられたレタスとトマトのサラダか。スラムの朝食とは思えないな」
「勝手な事をしてすまぬ、昨日は特に客入りが良かったものでな」
「別に……贅沢が癖になっちゃいけないが、たまの事なら俺だって美味いメシは嬉しいさ」
ここ1週間、ノーラの占いカウンターは時に数人の順番待ちが発生する盛況ぶりだった。
ローカルとはいえマスメディアに取り上げられた事は、想像していた以上に大きな集客効果をもたらしたのだ。
一昨日などは別の公式チャンネルから二度目となる取材を受けたほどで『占い師ノーラ』の名はこの都市の住民に浸透しつつあった。
さらに浸透という程ではないが、その名を見かけるだけなら地元に限った話ではない。
彼女の事を報道したTalkfulというメディアは、今世紀初頭から広まったネットワークサービスの一形態であるSNSとしての側面も持っている。
占いを利用したユーザーがその事について『トーク』と呼ばれる個人的な情報発信を行うと、フレンド登録している他ユーザーがその発言を閲覧する事ができるようになる。
そしてそれが閲覧者にとって有意義なものであれば『リトーク(RT)』という機能を使う事によって、更に情報が拡散されてゆく仕組みだ。
「この食べ物は自分で買ってきたのか?」
「それは……その、もちろん買い物の時にはロボットである事を気づかれぬよう、細心の注意を払って……」
「責めてるんじゃねえよ。50年もバレずに生きてきたんだ、それは心得てるはずだろ。……こっちの開けてない紙袋は?」
「そ、そっちは内緒じゃ!」
ジローの手が袋に届く前に、ノーラは素早くそれを奪い取った。
この袋の中身は、実はシロと約束した時計台近くの店の豚まん。
しかしあまりに豪勢な朝食を用意すると贅沢を咎められそうに思ったノーラは、シロの分ひとつしか買っていなかった。
「……えらい慌てようだな、逆に怪しく思えるぞ」
「怪しくなぞない、例えばジローはハナが買って帰った下着をいちいち『見せろ』とは言うまい?」
「なんでそこでハ……花子の名前が出るんだよ」
ノーラにつられ、うっかり花子の名を『ハナ』と呼びそうになるジロー。
小さく舌打ちをして「ロボットのそういうところが苦手なんだ」と、彼は頭を掻いた。
「まあいい……でもお前、この1週間は一度も休んでないだろ。大丈夫なのか?」
「儂はロボットじゃからの、疲れる事はないよ。でも、ありがとう」
「そうじゃねえよ、このままだと街の奴らが1日も休まないお前を見て怪しむんじゃないかって言ってるんだ」
「ああ……それは、確かに」
ジローは短い溜息をつき、そこで会話を途切れさせた。
本当は彼の言葉にはノーラの身体を気遣う想いも含まれている、溜息はそれを素直に表現できない自分に呆れてのものだった。
「今日は占いは休みだ、これからも週に一度か二度は休め」
「解った、そうしよう」
「それと……朝飯の後ゆっくりしてからでいい、買い出しに付き合ってくれないか」
ノーラは驚いた。
彼がそんな事を頼んでくるのは初めてだったからだ。
荷物持ちを頼むならシロでもサブローでも、彼女より適任と思われる人材は他にいる。
だがその疑問以外に、彼女がジローの要求を断る理由は見当たらなかった。
「……嫌か?」
「嫌なものか、ジローの都合の良い時に声を掛けてくれ」
「じゃあ、だいたい10時頃からだと思っとけ。それより早いと開いてない店がある」
ジローはそう言うと、ノーラが了解の返答をする前に給湯室から出ていった。
その前に交わした朝食についての会話を思えば、彼の機嫌が悪いという印象は無い。
少なくとも『出ていけ』という話をされるわけではないだろう……と、ノーラは彼の真意を深読みしてしまう自分を心の中で諫めた。
………
…
…午前11時前、市街地
「──何も買わぬままに随分来たが、今日は何の買い出しなのじゃ?」
「まあ、色々だ。手荷物持ったままウロウロしたくないし、一番遠い目的地から先に行こうと思ってよ」
ジローはそう答えたが、スラムでの暮らしに必要な物など実際はどこでも買える。
せっかく出て来たのだからある程度の買い物はして帰るつもりだが、彼の本当の目的は違った。
「遅れてるぞ」
「ジローが速いのじゃ」
彼の歩む速度はノーラにとって早足のそれに近い。
もし彼女がロボットでなく人間の少女であれば、既に音を上げていただろう。
中心部ではないものの街路には様々な店が並び、歩道を行き交う人の数は地元商店街前の通りとは比較にならない。
特徴的なのはすれ違う者達の内、比率で言えば圧倒的に人間が多い事だ。
食料や日用品の店ではなく服や雑貨など趣味性の高いショップや飲食店が目立つこの辺りは、それを楽しむ必要と権利を持たないロボットにとって用の無いエリアなのだろう。
「おい、早く渡れ」
ぼんやりと青緑色に光っていた横断歩道の白線の輪郭が点滅を始め、最後の横断者であるノーラが渡り切った瞬間に淡い赤色に変わった。
それと同時に横断歩道への進入部の空中には、ホログラムの帯が浮かび『進入禁止』『はいらないでください』『Do not enter』の文字が順番に表示されている。
「昔は昼間の街中がこんなに派手ではなかったものじゃ」
「人が多いところで妙な話をするな」
自動車がその動力に内燃機関を搭載しなくなって久しいが、静か過ぎて接近に気づかないという欠点は克服されていない。
ただ近年ではほとんどの車をロボットが運転しているので、事故が起こる可能性は非常に低くなっていた。
出発から1時間ほども経った頃、2人は大きな都市公園を歩いていた。
街路に比べれば人は少なく遊歩道は広い。
ここでなら他者に聞かれては不味いような話をする事も可能だろう。
ジローがノーラを連れ出した目的、それは何という事はないただの『会話』だった。
「なあ、ノーラ」
「……なんじゃ?」
「俺はロボットが嫌いなんだ」
彼らしいぶっきらぼうな言い方だ……と、ノーラは思った。
語る相手がロボットそのものである事を思えば酷い言い草だが、そんな話をするためにわざわざ1時間も歩かないだろう。
ちょうど向かいから来た者とすれ違うのを待って、ジローはまた話し始めた。
「今、すれ違った奴らを見たか」
「ああ……目の不自由なご老人なのじゃろうな、手を引いていたのは介助ロボットじゃった」
「じゃあ、撮影した光景を電気信号として直接視覚野に送る視覚障がい者向けの機器……何十年前から研究されてるか知ってるか?」
「時々、古い新聞などで目にした事はあるが」
「開発研究になかなか予算がつかないんだってよ。たぶん実際には金をかけて実現しても採算が合わないんだろう」
「需要が少ないという事か?」
「それを買えるような家庭なら、身の回りの事は今でもロボットがやってくれてる。福祉の面からしても、行政は『間に合ってる』と判断してるんだ」
「人口的には少数の上位市民か……その内で視力を持たぬ者など、確かに限られておろうな」
「つまりロボットを買えない層で、しかも目が見えない奴は社会から見捨てられてんのさ」
公園中央の池のほとりで、ジローは歩みを止めた。
池には噴水があり、そこから常にたつ水音が会話を盗み聞かれる事を防いでくれる。
ベンチも備えられたここは、二人が話をするにうってつけの場所に違いなかった。
「まあ、座れよ」
「……買い物は? ここが目的地の最も遠いところなのか?」
「まあな、正しくは目的の物を見せられる場所ってとこだ」
そういってジローは、ベンチに対面する方向を指差した。
揺れる池の水面に影を落とす巨大なビルが、その先にに聳えている。
「あれがタローがいる所、世界最大のロボット製造メーカーの本社ビルだよ」
「なんと、あんな大きな会社じゃったのか」
「まるで地べたで生きる貧しい人間を、雲の上から見下ろしてるみたいだろ」
「ふむ……じゃが、少なくともタローはそう考えるような者ではなかろう」
「あいつはスラムにいながら、ロクな教材も無いのに独りで勉強をしてた。いつか貧しい暮らしをしてる奴の助けになれるような、そんな仕事をしたい……ってな」
「バイトして大学にも進んで……ところが世に出てみりゃなんて事はない、金持ち相手の商売の筆頭みたいなロボットメーカーに勤めやがった」
言葉を切ったジローはビルを睨んでいた視線を空に向けて、ふぅ……と息を吐く。
そしてノーラの方を振り返り、今まで見せた事のない寂しげな笑顔で「だから逆恨みなんだ」と弱々しく言った。
「ロボットは便利過ぎるんだよ、平凡な人間にとってそれまで当たり前だった仕事や生活を奪ってしまうくらいに」
「……儂は何もできんロボットじゃが、それでも耳が痛いな」
「でもそれはロボットを利用する人間のせいであって、ロボットのせいじゃないんだ。解ってても割り切れずに……お前が来たばかりの時も当たり散らしちまった」
「スラムに暮らしておれば、無理もない想いじゃよ」
「だから……その、あれだ」
「どれじゃ?」
「……悪かった、ごめんなさいだ」
人間よりも遥かに早い計算能力を持つノーラだが、ジローが今なにを言ったのか正しく理解するには数秒が必要だった。
そして理解すると同時にたまらなく可笑しくなり、思わず顔をくしゃくしゃにして笑い出してしまう。
「ぷっ……あはははは! 似合わん、全くもって似合わんぞ……」
「うるせえよ」
ジローにしてみれば性格上、かなりの思い切りが必要だったに違いない。
ひとしきり笑った後、今度はノーラが「すまんすまん」と謝る番となった。
それから彼女は、以前に立ち聞いた『タローが語った夢』についてを、ジローに話した。
タローが造ろうとしている、正しい意味で『人間が使用できる』ロボットの事。
それを広め、人間の手に労働を取り戻すという理想。
彼が『貧しい者の助けになりたい』という想いを忘れてはいない事を。
「ちぇっ……なんとなく、あいつなら何か考えがあるんじゃないかって思いはしたんだ。でも言ってくれりゃいいのによ」
「少しでも実現の目処が立たなければ言い出せなかったとも言っておったよ」
「はぁ……格好つけなのは昔からなんだよなぁ」
「それはジローも人の事を言えまいて」
最後の余計な一言に、またしても「うるせえ」と口を尖らせるジロー。
ノーラは今度こそ笑いを噛み殺そうとしたが、また小さく失笑してしまった。
ただそんな彼女にもまた、タローの話をしたこの流れを借りてでも謝りたいと思う事がある。
「儂も皆に謝らねばならん。その話を立ち聞きした時、タローが皆に語ったのは夢の事だけではないのじゃ」
「何を話したんだ?」
「野良ロボットの危険性じゃよ……それは本来なら儂自身が皆に語らなければならんかった。それを知った上で、儂をあそこに置いてくれるかを問うべきじゃったと思う」
「なんだ、そんな事か」
「ジローはあの時おらんかったが、危険性について知ってはおるのじゃろう?」
「まあな、クリーニングされない事による自我の暴走ってやつだろ? たぶん、花子も知ってたと思うぞ」
「ハナか……なんとなく解るな。あの娘はいつもにこやかにしておるが、それでいて常に皆を見守っているように思える」
「見守るっていうか、怒ると怖ぇんだよ」
「ほう? そっちは予想外じゃが、どうやらジローは怒らせた事があるようじゃの」
長く気に病んでいたノーラの打ち明け話、しかしジローの反応はとてもあっさりとしたものだった。
ノーラ自身も予想はしていたが、やはりジローは危険性を知っていながら彼女が仲間でいる事を許可してくれていたのだ。
「もちろん最初にお前の話を聞いた時は、それも心配だったよ。でも怪しい占い師の真似事してまでスラムに仲間入りしたいなんて、危険なほど頭が良いとは思えないだろ?」
「ぐぬぬ」
「……それが今じゃ稼ぎ頭だ。『明日は倍稼いでこい』って無理難題言ったつもりが、本当にしちまいやがって」
「では儂はこれからも居候していて良いのじゃな?」
「その質問、試しに弟達の誰かにしてみな。きっと『何言ってんだ?』って、呆れられるぜ」
ノーラは今その場所を治める者から、そこで暮らしてゆく許しを得た。
だからこそ今度は彼女がそこで暮らし続けられるよう、己の未来を手繰り寄せなければならなかった。
「ならば、やはり何とかせねばならんな」
「……何をだ?」
「欲張りになったものじゃ。最初は、こんな満たされた日々の中で最期を迎えられるなら文句は無いと思っておったのに──」
それはスラムで暮らし始めて間もない頃から、既に気づいていた事。
彼女はそれから、ロボットである自分が迎えようとしている『限界』についてをジローに語った。
………
…
…商店街入口
「──あ、ノーラ! よかった、帰ってきた!」
まだ数十メートル手前にいる時点で、荷物を提げたジローとノーラの耳に百合子の声が届いた。
二人とも先ほどから「あの人だかりは何だ?」と首を傾げていたが、どうやらノーラに関係がある事は間違いないようだ。
「何事じゃ? 占い待ちの人々にしても数が多すぎよう」
「それが……すごい人が占ってもらいに来てるんだよ。ほら、あの真ん中にいる人」
「ノーラ! 早くはやくー!」
人ごみの中で応対にあたっていたシロが、背伸びをしてノーラを呼ぶ。
彼と対面しているその『すごい人』と呼ばれた男は、歳は40代後半位だろうか。
なかなかの長身で、少し太り気味ではあるがきちんと身なりを整えた上品な男性だった。
「おい……なんか見た事あると思ったが、ありゃこの前の選挙で当選した市長だぞ」
「なんと、なぜそのような者がスラムにまで」
「ちょっと! 急いでってばー!」
疑問だらけではあったが、いい加減にしないと温厚なシロも苛立ち始めているようだった。
ノーラとジローは呼びに来たゴローと共に、小走りで人だかりの中心へと向かった。
「ちょうど戻って来られるとは、私は運がいいな。初めまして、占い師ノーラ」
「お目にかかれて光栄じゃ、市長殿」
「私をご存知だったか、驚かせてすまない」
本当はつい今しがた知ったところだが、有名な人物を占い師が知らないのでは特に大勢の前なら具合が悪い。
ノーラが小さな手を差し出すと、市長は倍もありそうな大きい手でそれを優しく握った。
現市長は半年ほど前の選挙で、初当選を果たした。
掲げるスローガンは『必要な豊かさを保ちつつ、弱者を切り捨てること無き社会を』という理想論に近いものだった。
過去にも多数派である下層に暮らす人々の票を得て当選した候補者は少なくない。
しかしほとんどの者が当選後には選挙時に掲げていた理想を小さく折り畳み、弱い者に見てみぬふりを決め込んでしまう。
期待を寄せていた人々は幾度も裏切られてきたのだ。
しかしこの現市長は当選後4ヶ月で大手海外メーカーの工場誘致を決め、そこに半数以上の割合で人間を雇用できるよう協議を進めている。
その事が評価され、彼は投票者達からの絶大な信頼を築きつつあった。
「私は一般に中流層と呼ばれる家庭の出ではあるが、そこに留まれるかギリギリの暮らしでもあった」
「なるほど、貧しい者達の暮らしも明日は我が身だったかもしれぬ……という事か」
「しかし政治は綺麗事だけで成り立つほど甘いものではない、有権者の味方に徹する事もまた難しい面がある」
この市に企業を誘致したという事実は、他の都市がその恩恵を得られる機会を奪う事でもあった。
社会的弱者は、この街以外にも当然存在するのだ。
「私は自分を選んでくれた市民のために尽くしたい。対立候補に投票した方々であろうと同じだ。いくらでも説き、理解を得たい」
「想いは半年前と変わってはおらん、と」
「そう信じたい。しかし、がむしゃらに取り組むだけで広い範囲の人々の暮らしを変えられるのか、恥ずかしながら当選して初めて難しさを知ったのだよ」
市長は膝に手をついて腰を落とし、ノーラと視線の高さを合わせた。
柔らかに微笑んだ男の瞳には、不安や迷いはあれど曇りは無い……ノーラはそう感じた。
「私はこの四番街の暮らしも護り、良くしていきたい。だからそこで暮らす少年少女が『街の話題』になっていると聞き、是非会ってみたかった」
「儂はただの、しがない占い師じゃよ」
「では、占い師ノーラに頼もう。失くしものとは呼べないかもしれんが……私が掲げた理想に近づくための道は、どこにある?」
シロが「はい、ノーラ」と偽水晶玉を手渡すと、立った状態の彼女は普段のように手を翳しはせず胸に抱いて眼を瞑った。
「ふむ、これは……なるほど。先を描こうとすれば見失うのも無理もあるまい」
「ほう、なんと出たね?」
「そなたの前に道は無い。道はそなたが『がむしゃらに走った後ろに生まれ続けている』……水晶はそう言っておるよ」
ノーラの言葉を聞き終わった市長は背筋を伸ばし、暫く黙って想いを巡らせた。
「……できるだけ多くの事を成そうとすれば、市長の任期はとても短い。私は前を向く事に捉われ過ぎたのだろうか」
「それもそなたの誠実さの表れじゃ。しかし時には振り返り、成した事が後にどんな結果をもたらしたかを見る事も必要かもしれぬ」
そこで「あのね、市長さん」という呼び掛けと共に、周囲にいる者の中で最も幼いゴローが歩み出る。
市長は彼に向き直り、また姿勢を下げて目線を揃えた。
「君もこの四番街の子かな?」
「うん、ノーラ姉ちゃん達と一緒に暮らしてるよ。市長さん、先月から配給の中にちょびっとお菓子が入るようになったんだけど……」
「ああ……僅かだが、その分の予算を取るようにしたんだよ」
「それがすごく嬉しかったんだ、ありがとう!」
「そうか、それは良かった……本当に」
市長は顔を綻ばせてゴローの頭を撫でる。
そしてまた背筋を伸ばしノーラに向き戻った彼は、もう一度その大きな掌を彼女に差し出した。
「……過去にした事を『正しかった』と自負できれば、迷い無き一歩を踏み出せるというわけだな」
「時には振り返って『最良ではなかった』と感じる事もあるやもしれん。しかし立ち止まって案ずる間があれば、数歩戻ってやり直すだけじゃよ」
「ありがとう、ノーラ。……決して忘れまい」
二人が交わした二度目の握手は、優しさを籠めた最初のそれよりもずっと力強いものだった。
……………
………
…
…数日後、夜のホール
「あれ、まだノーラもいたのか」
「サブロー、もうみんな屋上へ?」
「さっきゴローが声掛けて回ってたからな、たぶんそうだろ。俺、トイレ行っててさ」
日暮れ間もない頃、ゴローが「屋上から彗星が見える」と皆に呼び掛けた。
風呂の当番であったノーラはすぐに上がる旨を伝え、このホールで同じく出遅れたサブローと遭遇した。
急いで階段へと向かう2人、しかし示し合わせたかのように同時に歩みを止める。
「ノーラ、ちょうど良かった。訊きたい事あったんだ」
「ちょうど良い、サブローに話したい事があるのじゃ」
そしてまた同時に、ほぼ同じフレーズを口にしたのだ。
呼びかけ合う形となり、遠慮した二人は更に「お先にどうぞ」とも言い合ってしまう。
ノーラはこれを続けていても仕方がないと考え「では、先に言わせてもらおう」と前置いて話し始めた。
「先日、タローが来た時の事じゃ」
「こないだの?」
「……皆、儂が自分で語ろうとしなかった『野良ロボットの危険性』について、タローから聞かされたじゃろう?」
数日前、ジローと公園で話した事によりノーラの気持ちは幾分か楽になったが、あの日にタローの話を聞いたのは残りの仲間達の方だ。
つまり彼らにとっては、未だに『真実を知りつつノーラ本人からは聞いていない』という事になる。
皆がそれをどう思っているのか、ノーラはずっと胸の靄が完全には晴れないでいた。
またその事もあって彼女は、ジローには打ち明けた懸案事項の解決に踏み切れていない。
もしここから『出ていけ』と言われるなら、解決する必要性を失うからだ。
シロはそもそも彼女を連れ帰った人物であり、性格を考えても後から『出ていけ』と言う可能性は低い。
ゴローも物語を読み聞かせた時から、彼女を姉と慕うようになった。
同室で毎夜語らい、風呂で裸の付き合いも重ねている百合子や花子がそう言うとも思えない。
「自分で言わなかった事は、とてもずるかったと思う……申し訳ない」
最終的にノーラが『今のところ最も接点が薄く、もしかしたら危険視されている可能性がある』と考えた相手は、残るサブローだった。
そして彼女は遂に、その是非を問いかけたのだ。
「あの……それでも儂は、これからもここに居て良いじゃろうか?」
「いいよ。それで、俺の話なんだけどさ、絶対誰にも──」
「──ちょ、ちょっと待ってくれ! 今、よく聞いておったか!?」
ノーラは慌てた。
肯定の言葉を期待していたとはいえ、覚悟を決めて臨んだ問いの答えが3文字とは予想していなかった。
「儂は危険な野良ロボット、それに『どう危険なのか』を隠してきたのじゃぞ……?」
「え? ノーラって危険なの?」
「いや、そうではなく」
「じゃあいいじゃん、俺の質問していい?」
「う、うむ……」
ちゃんと伝わっているのかどうか釈然としないまま、今度はノーラがサブローの質問を受ける事になってしまう。
これでは胸の靄が晴れたのか、彼女自身にもよく判らない。
「ほんと、絶対誰にも言わないでくれな?」
「うむ、解った」
「えっと……女の子ってさ、どんなプレゼント貰ったら喜ぶと思う?」
サブローはいかにも気恥ずかしそうに、後ろ頭をぼりぼりと掻きながら尋ねた。
相手の情報も予算の指定も無く、ましてノーラが最も苦手とする恋愛絡みと思しき相談。
普通なら推理のしようが無いはずだった。
「バレッタ」
「へ?」
しかし彼女は即答した。
「髪留めのバレッタじゃ」
「……えらいピンポイントだな」
「サブローくらいの歳なら、玩具と呼ぶには少し贅沢な程度の『可愛い何か』がちょうど良いと思うのじゃ」
サブローは少しの間「うーん」と唸り、やがて大きく頷いた。
「うん、でもそれでいい気がする。ありがとな、ノーラ!」
「じゃあ、屋上へ行こうぜ!」
やはり照れ臭さがあってか、彼は話が終わり次第そそくさと階段へ向かった。
ノーラはその様子に小さく失笑し、少し遅れて後を追う。
そして階段を数台上がった時だった。
「なあ、ノーラ」
「ん? なんじゃ?」
不意に彼女の頭上から届いた声、2階手前まで昇っていたサブローが手すりから身を乗り出している。
「さっきのノーラの話、これで合ってんのかは解らないんだけどさ」
「……ふむ?」
「ロボットだろうと人間だろうと、危険かどうかなんて結局は『悪い奴かどうか』と同じなんじゃねーかな?」
「悪い奴かどうか……か」
「人間にも悪い奴はいるんだ、そんで俺はノーラが悪い奴だとは思えない。だからノーラは危なくないよ」
彼はそう言うと「じゃあ急げよ!」と残して、階段を2段飛ばしで駆け上がっていった。
「……皆がそんなじゃから、儂の限界が早まるのじゃ」
独りになったノーラは、ぽつりと恨み言ともとれる台詞を零す。
ただ、その表情は喜びを湛えていた。
「忘れたく……ない……」
それはきっと人間であれば頬には涙が伝っているだろう、嬉し泣きの顔だった。
………
…
…屋上
サブローに少し遅れてノーラが屋上に上がると、既に皆が西向きの一辺に集まり空の低いところを指差して賑やかに語らっていた。
その方向の空はまだ僅かに赤みを帯びて、頭上の大部分も漆黒というよりは濃紺と表すのが近い色合いだ。
「本当に彗星か?」
「全然尾を引いて見えないんだけど」
「まだ太陽から遠いし、それに尾を引いてたってかなり地球に近い方を向いてるから判り難いんだよ」
「んー、なんとなく他の星より輪郭がぼんやりしてるような……」
「でしょ? 昨日見た周りの星との位置関係が違ってるから、きっとそうだと思うんだ」
ゴローは興奮気味に彗星の事を説明している。
ノーラはその邪魔にならないよう、静かに聞く者の列に加わった。
幼い彼は星や生き物が大好きだが、この街中では動物や昆虫に触れられる機会は少ない。
だがさほど多くはなくとも星なら見える、今回の彗星にかけるゴローの期待は相当なものだった。
数ヶ月も前から夜空を見上げ続け、そしてようやく高い確率で彗星だと信じられるものを見つけたのだ。
今の彼が、かなり舞い上がった様子なのも無理はない。
「エリー彗星……じゃったの」
「うん、そう呼ばれてる。ちょっと由来は怖いけどね」
「由来?」
「古い映画で使われた造語らしいんだけど『Extinction Level Event』の頭文字をとってるんだって。意味は……」
「『種の滅亡をもたらす出来事』といったところじゃな。確か彗星は当初、地球に衝突する可能性があると言われておったのじゃろう?」
ゴローの言う通り、その名は前世紀末に公開された映画から引用されたものだ。
その映画は彗星と地球の衝突を描いたもので、いかにも世紀末滅亡説などが流行ったその時代らしい。
実際には彗星衝突危機の可能性は、数年前に否定されている。
「おい、あれは? 星が動いてる、あっちが彗星なんじゃねーの?」
「まだ動いて見えるわけないよ、最接近の時にだってほとんど止まって見えるはずなのに」
「じゃ、あれは何だよ。飛行機みたいに点滅はしてないぞ」
「もしかしてUFO!?」
「チョーウケルー」
サブローが見つけたそれは確かに飛行機ではなさそうだが、一方向に直線的な動きでゆっくりと東の空の高いところを進んでゆく。
しかし見つけてから十数秒後、その光を弱めた後に消えてしまった。
「……雲に隠れたのかな?」
「周りには星が出てるし、雲は無さそうだがな」
「たぶん人工衛星だと思う、日暮れ間もない頃は太陽の反射光で見える事があるって」
「あれか!? 世界の秩序を守る……!」
「多国籍軍のミサイル衛星は静止衛星だから、肉眼じゃとても見えないよ」
名の挙がったミサイル衛星は2050年代に打ち上げられ、現在も静止軌道で世界の番人として機能している。
先進国や経済主要国からなるG25が主体となって運用する共同軍事衛星で、核兵器に代わる抑止力として計画されたものだ。
実際に使用されたのは2061年に一度だけ、それも『都市部への落下』が懸念された直径30mの小惑星撃破という任務だった。
故に当初、今回の彗星に対してもミサイル衛星を使用するのではないかという見方もあった。
彗星の本体は直径約13km、大部分が氷だが内部には2km近い大きさの岩石のコアがあると推定されている。
しかし大小合わせて1,000発近いミサイルを搭載したその衛星なら、破壊する事も不可能ではないという検証結果も得られていた。
「じゃあ彗星も見られたし、体が冷える前に入ろう」
「風呂ならできておるぞ」
「ゴロー、もっと大きく見えるようになってたり、尾が出てたら教えてくれよな」
「うん、毎晩見てるから必ず呼ぶよ」
皆は夜風に冷えた肩をさすりながら屋上を後にする。
その一番後ろを歩んでいたノーラが、シロの肩を叩いて呼びかけた。
「シロ、ちょっと良いじゃろうか」
「ん? どしたんだ?」
シロは立ち止まり振り向く。
しかしノーラはすぐには話し始めない、他の皆がドアの向こうに消えるのを待っているのだ。
その様子に彼は、これから聞く話が何かしら重大な内容である事を予感した。
「ノーラ、みんな行ったよ」
「少し長い話になる。寒ければ部屋に邪魔をしても良いのじゃが」
「いいよ、大丈夫だ」
すう……と、ノーラが深呼吸をする。
やはり大切な話なのだと察し、シロは唾を飲み込んだ。
「タローから聞いた話にもあったと思う……ロボットの記憶領域の事じゃ」
「……知ってたのか。隠れて訊くような事をしてごめんな」
「隠しておったのは儂じゃ、シロは何も悪うない。記憶領域には4つの階層がある……覚えておるか──?」
第1層は基本OSで第2層が所有者に大きく関わる記憶、第3層は見聞きした大量のデータ、最後の第4層が映像等のドキュメント領域。
ノーラはタローが語った通りの事を手短におさらいした。
「──第1層の領域は儂の場合、全容量の10%程度じゃ。第2層も同程度じゃが、儂は所有者情報を持たないが故に『使用できない未開放領域』となっておる」
「残り80%に50年分の記憶があるって事だね」
「そうじゃ、3層と4層はパーテーションされていない。そしてそれはこの50年間でも5割程しか使われてはいなかった。ここに来た時点で全体に占める使用領域は約63%じゃったよ」
50年間の内、初めの頃は比較的早く使用領域が増していった。
全ての事が初めての経験であり重複しない……つまり圧縮できない記憶なのだから、それも当然だっただろう。
「野良になって7年程の頃じゃろうか、使用量の増加は緩やかになった。年に1%も増す事は無くなったのじゃ」
「本をたくさん読んでもその程度なのか」
「そのようじゃな。それから儂は段々と自我を強めていったが、それもデータ量としてはさほどのものではなかった──」
彼女がこれほどまでに強くはっきりとした自我を発現したのは、所有者情報が与えられていなかった事が理由のひとつでもあった。
記憶領域の一部が制限されてはいるものの、逆に自分の人格を築いてゆく事には制限が無い。
持ち主の意向や嗜好に合わせる必要が無かったからだ。
「──いくら自我が強く発現しようと感情を表す機会が無いのじゃから、当然じゃったのかもしれんな」
「じゃあ……まさか」
そこまでを聞いて、シロはノーラに迫る危機の内容に予想がついた。
しかももしそれが正しければ、その原因には自分が関わっている事になる。
「儂の現在の記憶領域使用率は76%……第2層に当たる約10%は使えぬから、実質残り容量は15%も無いのじゃ」
「それは……急激に使用率が増したのは、ここに来たから?」
「通常ではあり得ぬほど強くなった自我が、初めて前面に出る機会を得た。最も複雑で大量のデータを産むもの……それは人間に近い人格をもって人間と接する経験じゃった」
喜怒哀楽といった感情の機微、相手の反応、50年分のサンプルをもってしても予想外の事ばかりな日々。
本来ならロボットがそこまで形成する筈のない複雑な感情を持ったノーラは、四番街という居場所と仲間を得る事で急激にデータを蓄積し始めた。
「……もし記憶領域を全て使ったらどうなるんだ」
「解らない、そんな例は聞いた事が無いのじゃ。過去のデータが消去され上書きされてゆくのか、あるいはもしかしたら動作出来なくなるのかもしれん」
「僕が……連れ帰ったから」
顔を曇らせ、拳を握るシロ。
しかしノーラは微笑み、首を横に振って言った。
「あのまま100年を孤独に過ごすより、ここでの数ヶ月を過ごして朽ちる方が幸せじゃ。儂はシロに感謝しかしておらんよ」
「でも!」
「そう……『でも』じゃ、儂は自分がこんなに欲張りとは知らんかった」
そして彼女は顔を上げ、シロの目を見た。
勇気と決意、少なからぬ不安を内包した凛々しい表情だった。
「儂はずっとここで皆と共に暮らしたい。何ひとつ忘れて良い記憶なぞ持ってはおらぬ。今までも、これからもじゃ」
「……そうだよ、その通りだ! 何とかしなきゃ!」
「この話は買い出しに行った時、ジローにもしたのじゃ」
「ジロ兄ちゃんは何て?」
「考え得る対策は、タローの手を借りるくらいしかない……と。儂もそう思っておった」
ただ、それは大いに危険を孕んだ手だ。
タローはロボットを造る者、つまり野良ロボットの危険性を誰より把握している者だからだ。
その彼に野良ロボットの存在を知らせ、しかもそれを救えと頼む事になる。
「大丈夫だ、ノーラ」
しかしシロは、ノーラの細い両肩を掴んで言った。
少し驚いた彼女の目に映るのは、今まで見た事のない力強く男らしいシロの顔だった。
「心配ない、僕がタロ兄ちゃんに頼む。無理だなんて言わせない、絶対に」
「シロ……」
「きっと何とかしてくれる、もう大丈夫だよ」
彼女はこの打ち明け話で、元々はシロに『タローに救いを求める事の是非』を問うだけのつもりだった。
タローに接触する良い方法を思いついてはいなかったが、まずは自分がここで暮らすきっかけとなったシロに許しを得なければならないと考えただけ。
だが彼は『自分が動く』と宣言した。
「明日にでもタロ兄ちゃんに会うよ。ノーラは必ず身を隠してて」
「……身を隠す?」
「万一に備えて、いつでも逃げられるように。タロ兄ちゃんが良い返事をくれれば屋上に何か目印を出すから、それから帰っておいで」
もしもタローとの交渉が決裂して彼がノーラを捕縛しようとした場合、彼女は四番街に居てはいけない。
シロは何としてでも彼女を救うつもりだ。
今のところタローの力を借りる以外に手は無いが、それが駄目だったとしても次の手段を探す。
ノーラが捕獲部隊に連行されて全ての幕が閉じるなど、まっぴらだと考えた。
「……またシロの厚意に甘える形となってしまう」
「だから何だよ、それが最良だ。ノーラなら解るだろ?」
「すまぬ、でも──」
ノーラは50年を生きても『恋愛』というものが解らないと言った。
「──ありがとう、頼む……シロ」
「ああ、任せろ」
しかし女性が男性に惚れるのは、きっとこんな時なのだろう。
彼女は機械仕掛けの心で、そう感じていた。
……………
………
…
《──こんばんは、Talkful公式放送『ニュース22』の時間です。本日はゲストに明日香秋男さんをお招きしております。明日香さん、よろしくお願いします》
《よろしくお願いします》
《さて、明日香さんにお越し頂いているという事は、皆さんももうお解りかと思います。今日は遂に肉眼でも観測できるようになったエリー彗星について特集を──》
文字通り目に見えるまで近づいた彗星は、次第に人々の関心を深く集めるようになっていた。
メディアでも連日のように特集が組まれ、観測しやすい時間や見える方向、過去の大彗星についての記録映像などを紹介している。
《──彗星が観測しやすくなって本当に興味は尽きないんですが、明日香さんは『とある事』にお気づきになったとか?》
《はい、私は様々な角度から彗星の神秘を追ってきました。その結果、彗星の軌道に注目すべき異変を発見したのです》
《異変……と、言いますと?》
《まず彗星は、木星の引力の影響を受けて軌道を変えたようです。それは予想されていた通りだったのですが──》
彗星は木星付近を通過する際に、その強大な潮汐作用により大きな4つの欠片に分裂した。
そして単体として質量の軽くなったそれらは後に、影響を受けないと言われていた火星の引力によって、それまでの計算とは違う軌道をとったのだ。
4つの内、最も軽かったひとつは火星の引力を抜け出せずそこへ落下し消失した。
《──残り3つの内、およそ大きさの揃った小彗星2個は火星の引力により軌道を変えた後、僅かに加速しました》
《ほう、では残りのひとつは?》
《残りのひとつ、大彗星も軌道は変えられましたが火星の公転により離脱時にはおよそ加速分だけ減速し、結果的に速度は変わりませんでした》
《それでは前のふたつと大彗星は距離が開いたという事ですね?》
《そうです、少しずつその距離を広げつつあります。しかし問題はそこではない──》
現在、人々が特に注目しているのは今後の彗星の動きだ。
それは特集番組に限らずアマチュア天文家も多く指摘し、SNSなどを用いて情報を発信している。
《──3つの彗星は、地球に衝突する可能性があります》
《その場合、地球にはどのような被害があるのでしょうか?》
《彗星核の実際の大きさが判らない限り、はっきりと断定はできません。しかし仮に推定通り直径2kmの岩石コアを持つとすれば、これは人類存亡の危機です──》
彗星の地球衝突について政府や公的機関からの発表は無く、どの情報も信憑性に疑問のある噂に過ぎないレベルだ。
しかしどの時代においても『世界終末説』というのは、多くの人の興味を惹く話題でもある。
人々は次第に彗星に天体ショーとしての期待と、世界滅亡の不安という異なる想いを寄せるようになっていった。
……………
………
…
…公園、噴水前のベンチ
「──シロ、自分が何を言っているか解ってるのか?」
「うん、そのまんま『ノーラは50年生きた野良ロボットだけど、危険じゃないから助けて欲しい』と言ってるつもりだよ」
タローと落ち合ってすぐにシロは本題を切り出した。
彼らが待ち合わせたそこは、奇しくもノーラとジローが話した公園中央にある池の畔。
他者に聞かれたくない話をするにはちょうど良いと考え、シロが指定した。
四番街で彼らが根城とする廃ビルの隣りには、放棄された古いマンションがある。
ほとんどの部屋が老朽化により住むには危険だが、比較的まともな数部屋には住人が暮らしており廃ビルの子供達とも親交が深い。
特に1階に暮らす家族とは仲が良く、その家庭はスラムでは珍しい通信回線を契約しているためシロ達は過去にもそれを借りた事があった。
ノーラから己の危機について打ち明けられた翌日、シロはその方法でタローに待ち合わせの約束をとりつけたのだ。
「突然『大事な話がある』とか、何事かと思ったら……本当に突拍子も無い事を」
「ごめん、でもタロ兄ちゃんの力を借りるしかなかった。絶対に何とかしたいんだ」
「僕はロボットを造る側の人間だ、野良の危険性なんて研修時代から嫌と言うほど聞かされてきた。いいか、シロ……悪い事は言わない、今すぐ通報するべきだ」
「嫌だ、さっきも言ったよ」
頑として言う事を聞かないシロに、タローは深い溜息をついた。
シロはこんなに無茶を言うような性格では無かった筈だ……そう考え、ノーラに誑かされているのではないかと疑った。
もしそうだとすれば、それこそが知能が高過ぎる野良ロボットの危険性そのものなのだ。
「……やっぱり駄目だ、僕は力にはなれない。そしてその野良ロボットを見過ごす事もできないよ」
「お願いだ、タロ兄ちゃん。もう一度考えて、ノーラを救って欲しい……いや──」
シロは言葉を途切らせるとベンチから立ち上がり、タローの前に回って深々と頭を下げた。
「──お願いします、ノーラを……僕らの新しい家族を助けて下さい!」
「やめろ、お前にそんな真似されたくなんかないぞ」
「お願いします!」
「できない、ロボット技術者の端くれとしてその一線は越えられない」
「タロ兄ちゃんしか……貴方しか頼れる人はいないんだ!」
「くどいよ、シロ。無理だと言ってる」
タローも立ち上がり、頭を下げ続けるシローの肩に手を置いて「すまない」と呟いた。
それでもシロは頭を上げない。
「諦めてくれ。そして……僕はこの事を通報する、それを許して欲しい」
「嫌だ、諦めない」
「もうやめよう、こんなやりとり無駄だ。僕は可愛い弟の辛そうな顔を見たくはないよ」
「……協力してくれないなら、僕はもう貴方の弟じゃない」
「何てことを言うんだ、よしてくれ」
タローはシロの両肩を掴むと、大人の腕力で彼の上体を無理矢理に起こさせる。
そして、その顔を見て愕然とした。
「お前、泣いてるのか」
シロは涙を零している、しかしその表情から女々しさは微塵も感じられない。
本当は今でも心から慕っている兄に対して、決別を覚悟した悲しみ。
それを揺るぎない己の信念で抑え込んだのだ。
「なんで、そこまで……」
もしこの要求を断れば、シロは本気で自分と縁を切るだろう……タローはそう感じた。
ノーラと比べれば共に過ごした時間は、彼の方が遥かに長い。
だがそれはシロにとっては別の話、どちらとの情がより深いかが問題なわけではない。
タローは弟分に縁を切られようと生きてゆけるが、ノーラの未来は誰かが救わなければ閉ざされる。
「要求を断れば、そのロボットを連れて駆け落ちでもしそうだな」
「僕がノーラと二人で逃げるとか思わないでよ」
「……どういう意味だ」
シロはごそごそと自らのポケットを探る。
そこに収まっているのは、彼にとって切り札とも呼ぶべきものだった。
「どうしても断られたら、これを返してこいと言われてる」
「これは……」
「『ノーラは家族だ、でも救う力を持ちながら家族を救わない者は家族じゃない』……これはジロ兄ちゃんからの伝言だ」
シロが取り出して見せたのは、タローがジローに託した腕時計。
この突拍子もない申し出は、シロの一存による暴走行為ではない。
少なくともジローはそれを認め、交渉が決裂した場合には彼もまたタローとの縁を切る覚悟だという事だ。
「……半ば脅迫めいてるな」
「こっちも必死なんでね」
もしジローとシロが四番街を抜けたら、あるいは全員がノーラを庇い居を転々とするようになれば、その生活は今より著しく困窮したものになるだろう。
タローが真っ先に不安視したのは、最も幼いゴローの事だった。
『──今日はノーラ姉ちゃんが色んな物語を聞かせてくれて、すごく嬉しい日だったんだ』
『あんた、私には「姉ちゃん」とか言ってくれた事無いくせに』
『いいお姉さんができて良かったな──』
そして同時に彼は先日、自分が四番街を訪れた際の事を思い返して葛藤した。
きっとノーラは皆を誑かすような事はしていない、むしろ皆が彼女を必要としているのだ。
野良を匿う事が罪とは知りながら、それを犯してでも守るべきかけがえのない家族の一員になっている。
だが自分はロボット技術者だ、野良の危険性を軽んじる事はできない。
「彼女の型式は」
渦を巻く様々な思考の中、ひとつだけ他の何とも混ざらず残った想い。
彼はそれに基づいて口を開いた。
「製造メーカー、年式、モデル名が判らなきゃ何もできないぞ」
「……パナソニー製38年式、SD-01」
「なんてこった、歴史的な赤字を刻んだというウチのセクサロイドじゃないか」
家族を救えない者に多くの人を救う事などできない、それがタローの導き出した答えだった。
ノーラがシロ達にとって家族なら、それは自分の妹でもある。
「必ず救うとは断言できない、だけど手は尽くしてみるよ」
「ありがとう、本当に……生意気を言ってごめん」
「全くだ、大きくなりやがって。ジローにも言っておいてくれ、時計はサブローかシロに譲るまでちゃんと持っとけ……いいな?」
タローは眉間に皺を寄せた笑顔で、シロの頭を小突いて言った。
……………
………
…
…翌週、占いカウンター
「──次の方、どうぞ」
占い師ノーラのカウンターは相変わらずの盛況ぶりだった。
人通りの少なくなる朝10時頃から午後4時くらいまでは客のいない時間もあるが、その前後は休む暇も無い。
そしてここ数日、妙に増えた相談があった。
「彗星は本当に地球にぶつかるのか判りませんか?」
「その質問は多く頂くのじゃが、儂は失くしものや探し人が専門であってじゃな……」
「そうですか……不安で仕方ないんですが」
今日は占いの助手として百合子と花子がノーラについている。
客が途切れた隙には取り留めのない会話に花を咲かせ、先ほどはたまたま表に出てきたジローに「真面目にやれ」と釘を刺された。
「さすがに彗星の軌道を推理するのは、様々な観測データに目を通さねば無理じゃよ……」
「占いで『ぶつからない』って言われたからって安心できるのかなー?」
彗星に関する占いの依頼は、多ければ日に10件ほどもある。
ほとんどが地球衝突の可能性についてだが、中には『最期の日は好きな人と過ごしたい』と恋愛相談に絡める者もいた。
前にも増して人々が彗星の軌道を不安視するようになった事には、ちょっとした理由があった。
度々放送されていた彗星衝突の危機を特集する番組や記事が、先週末あたりからぴたりと無くなったのだ。
無沙汰は無事の便りなどとも言われるが、このケースにおいては当て嵌まらない。
報道規制が敷かれたのではないか、収容能力に限りがあるシェルターに真実を知る者だけが逃げたのではないか……など、様々な憶測が飛び交っている。
情報が無い事により人々には疑心暗鬼が生じ、外国の一部地域では略奪が起きているとの情報もあった。
「彗星もだいぶ近付いたようじゃし、気になるのは無理ないかもしれんがの」
「どう見ても他の星より大きいし、輪郭もぼんやりしてるもんね」
百合子は一昨日が誕生日で、当日は珍しく祝いの席が設けられた。
ノーラが占いで収益を得るようになったため、ケーキを用意する事ができたからだ。
正確な彼女の誕生日は判らない、だから四番街に身を寄せた日が誕生日という事になっている。
ゴローが花屋で余り物を束ねてもらったブーケ以外にプレゼントは無い、一般的にはささやかなパーティーであったが大いに盛り上がった。
とはいえ、正確には──
「……ん? どしたの、ノーラ?」
「ユーリ、そのバレッタ似合っておるぞ」
「うっ」
「チョーウケルー」
──パーティーが終わってから、個人的なプレゼントはあったようだ。
「そ、そんな事よりノーラの身体の方は大丈夫なの?」
「ふふふ、話題を逸らしおったな?」
ノーラの記憶領域不安は、まだ解決したわけではない。
しかしタローが動いてくれる事となった時点で、シロは皆にその経緯と今後はタローの連絡を待つ旨を話した。
『なんで早く言ってくれなかったの』
『このままだと、どのくらいもつんだ?』
『絶対にタロ兄ちゃんが助けてくれるよ!』
誰もがノーラを心配したが、同時に皆のタローに対する信頼は絶大なものだった。
とりあえず今のところノーラは普段通りに過ごしている。
ただ記憶領域の残量が1割を切ってもタローの連絡がない場合、できるだけ余計な記憶を溜め込まないよう個室に閉じ篭る事とした。
そして更に10日ほどが経ち、その時は現実のものとなったのだ。
……………
………
…
…2週間後、ノーラの部屋
その日は雨だった。
11月も半ば、灰色の空からは日差しが注ぐ事もなく部屋は冷え切っている。
人間ならばせめて毛布にくるまっていないと過ごせない室温だろう。
《──ノーラ、起きてる?》
ドア越しに届いたシロの声、ノーラは「起きておるよ」と返しドアの目の前まで歩んだ。
しかしシロがドアを開ける事は無い。
《昨日はどのくらい増えた?》
「0.04%というところじゃ、まだ残り8%くらい領域は残っておる」
《こうして大人しくしてて、半年分ってとこか……》
シロがドアを開けないのは、ノーラに余計な映像データを記録させないためだ。
彼女は今、日のほとんどを目を閉じて過去に読んだ本の内容を思い返しながら過ごしている。
食事は水以外必要無いし、風呂はどうしても入らなければならないわけではない。
それでも人間のシロからすれば余りに退屈で寂しい時間に思え、不憫でならなかった。
《ごめんな……こうして話しかけるのも良くは無いんだろうけど》
「ううん、嬉しいよ。皆、元気にしておるか?」
《うん、でも百合子なんかはノーラと話せなくなって火が消えたみたいだ》
見つかる事を怯える必要もないこの日々は、50年の長い時を思えばノーラにとって苦ではない筈だ。
過去に読んだ本の情報量は、その時と同じペースで文章を思い返すなら数年もかかる。
しかし彼女はこうしてシロと話しながら、自分の内に過去には無かった感情が強くある事に気づいていた。
『寂しい』
『顔を見て話したい』
『皆と会いたい』
そのような人間臭さをもって人と接すれば、記憶領域に大きなデータとして刻まれてしまう。
ノーラは「ロボットが寂しいなど想うものではない」と己に言い聞かせ、自分の中の感情に見えぬふりをした。
その『我慢』や『諦め』という感情も、人間らしさのひとつだと知りながら。
続き
「セクサロイド? お前が?」 「そうじゃ、おかしいか?」【後編】

