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【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─
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【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─15─
第70話「世継ぎの少女・アンリ」
521
そのころ鹿目円奈は、最後のエドレスの王都を脱出すべく、ド・ラン橋を渡っていた。
この橋は、エドレスの絶壁とたわれる谷に架けられた細い石橋。踏み外せば崖に転落の、綱渡りだ。
エドワード城から向こう岸の国へ渡る橋。
風に髪をゆらしながら、円奈は馬で駆け、パカパカと橋のアーチを踏みしめて進んでいたが、背後には、厩舎から馬を呼び出し、馬に跨った敵騎士の追ってたちが、手にクロスボウを構えて、円奈たちを狙っていた。
バチン!
バシュン!
追っての敵兵たちが馬上からクロスボウを放つ。
円奈たちの背後へボルト矢が迫る。
円奈も反撃に出た。
クフィーユはまっすぐ全速力で橋の道を走る。そのまま風に吹かれる円奈が背をくるりと翻り、後ろ向きへ、弓を放つ。
やぶさめで狙われた騎士に矢が命中し、一人が落馬する。
「ああああう!」
鎖帷子に矢が当たり、重症にはならなかったが、円奈の矢が直撃した衝撃で騎士は馬から脱落する。
一人は仕留めたが、追っ手は15人ほどだ。
レイファ、リドワーン、ブレーダル、芽衣たちは走りで橋を渡る。
ヨーランは爆薬を含めた袋をついに橋のど真ん中においた。「これで準備万端だ!」ヨーランは喜びの声をあげる。
「いったい何が?」
走りながら、マイミという歌娘の魔法少女が、ぜえぜえ息をはいて顔を赤くしながら尋ねた。息があがっていた。
「何がって?」
ヨーランは、走りながら、笑った。先頭を走る円奈の馬を追いかける。
「この戦いが始まって以来最高のショーだよ」
「はあ?」
マイミは走りながら顔をかしげた。
ヨーランの設置した爆薬は橋のど真ん中。アーチ橋の一番中心である。木炭、硫黄、硝石を混ぜた火薬が山のように袋に積もれて、そこに追っての騎士たちが通りかかろうとしている。黒い馬たちが鎧に包まれて突撃してくる。
「なにする気なのさ?」
マイミは問いかけた。
ヨーランは走りながらいった。得意げに笑って、若緑色の瞳を輝かせた。
「ぶっとぶようなことさ!」
522
鹿目円奈たちはド・ラン橋を渡りきるところまできた。
目前に向こう岸の森、サルファロンの領地がみえてくる。そこは、エドレスの国外。
しかし追っての騎士たちも円奈たちを狙う。
黒い馬にのった騎士たちの、フレイルをぶんぶん振り回した姿は、怒りの突進さながらだ。
だが哀れ、この騎士たちは、自分たちを襲う驚くべき不運を察していなかった。
魔法少女と人類、この戦いを決定づける、最期のフィナーレがきた。
「ブレーダル!」
はしりながらヨーランが叫んだ。ぜえ、ぜえ、さすがの魔法少女たちも、この長距離走にへとへとだ。
「お見舞いしてやれ!」
ブレーダルが、弓に構えていた、爆発の矢を、火薬が山ほど積もれた袋むけて、放った。
バシュン!!
紫色の光が、これまでで最大出力の強度に高められてぎらっと煌き、輝き、魔法の矢は飛んだ。
きらきら軌跡を描きながら橋の上をまっすぐ飛ぶ魔法の矢弾は、やがて、落ちて火薬の山へ。
ちょうどフレイルの鎖をがちゃがちゃと振り回す凶暴な騎士たちの足元へ着弾する。
次の瞬間!!
火薬に魔法の爆発矢が引火、ヨーランが持ち運んだ火薬のすべてが火を散らし、大炎上した。
騎士たちが渡るド・ラン橋が炎に包まれ、真っ赤になる。
「ああああああ」
「うわあああああ」
騎士たちは、馬と共に、空へ打ち上げられ、爆風のなか、火に抱かれながら、崖の彼方へ吹っ飛ばされていった。
15人の騎兵すべて。海へ落っこちる。はらはらと木の葉のように。馬がむなしく四足を空中で暴れさせていた。
「やっりー!」
ヨーランがうれしそうに手を握った。勝利をかみ締める。
しかし、ヨーランたちはやりすぎた。
…みし。
…パリパリパリ。
「…あれ?」
ヨーランが、目をきょとんとさせて、目線をおそるおそる下へ移すと、自分たちのたつ石橋が、ヒビわれを起こしているではないか。
「…ん?」
追ってをはらって、やっと休めるかと思って立ち止まったマイミ、レイファたちも、きょとんとなる。
足元がグラグラする。
「どーもイヤな予感がするぞ」
ぼそっと、白い髪をしたレイファがつぶやいた。レイピアを鞘に納めた。隣できょろきょろする姫新芽衣。
「どうして風景が傾いているんだ?」
独り言を語りはじめたのは、ブレーダル。「う、なんか、左足だけ引っ張られているような…」
円奈も馬をとめて、違和感にきづく。
どうも平衡感覚がおかしい。片方ばかりに吸い寄せられる。地面が斜め向きになってゆく。
「ちがう!」
芽衣が、叫んだ。
「傾いてるのは風景じゃない!」
次の瞬間、すべての魔法少女と、円奈が、凍りついた。
「この橋だよ!」
ぞわわ。
ひびわれが激しくなるド・ラン橋。
橋自体が危うい。
さっきの爆発で、橋を爆破した箇所は、アーチ型をした石橋の、ど真ん中。
アーチの中心、つまり最も要である部分のことを、構造上、”キー・ストーン”という。
このキーストーンがすべてのアーチ構造を支えており、ここ一箇所が崩れると、アーチのすべてが壊れる。
扇子でいう要の部分のようなもの。
ブレーダルとラーランはアーチ橋のど真ん中に爆薬をしかけ、爆破、キー・ストーンを破壊した。
あとは何が起こるかは、想像にまかせよう。
「立ち止まってる場合じゃない!」
ブレーダルが叫んだ。
「走れ!」
全員が疲労困憊のまま走りだした。
橋の切れ目、ヒビワレはみるみるうちに増えてゆき、全体がぐらっとついに揺らぐ。軋む音をがぎぎぎとたてる。さながら巨人の唸りだ。
全体が270メートルある長さがあるド・ラン橋の、半分を超えて、200メートル地点にまできたちっぽけな少女たちが、キー・ストーンがこわれ、橋自体が崩壊しエドワード城からもろくも海へなだれようとしている危機のなかを走る。
ミシ…ミシシシ!
ド・ラン橋はついにキー・ストーン部分から崩壊をはじめ、巨大な石塊が、ぼろぼろと海へ落ち始めた。
どごん、どごんと巨大な石塊は、海に飲まれて崖下で飛沫をあげる。その飛沫の高さ、100メートル。
地表3キロメートルの断崖絶壁の真上を魔法少女たちと円奈が駆け抜ける。
しかし、間に合わない。
「うわああああ」
橋の上に乗る魔法少女たちはみな、角度を傾けはじめた橋でころげた。
バランス失い、走れなくなり、橋は横倒しになって、ずるずると滑りおちてゆき、崖下へおちる海へ、まっさかさまだ。
「ああああ!」
ブレーダルがおびえた顔になる。「落ちたくないよ!ママ!」ずずずと滑る足先の視界に絶壁の崖がひろがる。その渓谷の底も。
海抜3キロの超高層の断崖だ。
しかし巨大な橋は傾き、みしみしみし音たてて砕け、崩壊、落ち始める。
転がされるビー玉のように魔法少女たちが傾く橋の上でころげ、落ちていくだけ。手で地面をひっかいても、なお滑りおちる。
谷では荒れ狂う海が待っている。
ほぼ横向き45度に傾きはじめた橋の上で、円奈の馬もバランスを崩す。
円奈は、手綱たぐって、懸命にバランスとるが、厳しくなる。
「橋の側面へ登れ!」
おびえたブレーダルの横で、ヨーランが叫んだ。
45度傾いた橋は、真横に倒れ始め、そのぶん、橋のアーチ形をした側面が水平になる。
11人の魔法少女と円奈たちは、傾いた橋をよじのぼり、側面へ着地、崖へ渡りはじめた。
あと50メートルだ!
「クフィーユ、わたしたちきっと、聖地にたどり着ける」
崩れおちつつある橋の側面に立った円奈は、最期のラストスパートを、馬に意気込ませた。
「ほら。あそこに、わたしたちの目指す大陸がある」
その視線のむこうには、聖地のある大陸。
森。
崖先。
「いけ!クフィーユ!」
円奈の馬は全速力で走りはじめた。満身創痍なのは、円奈もクフィーユも変わらない。
二人は心を通じ合わせ、互いに限界なのを力を分け合って、エドレスの王都の最後の道を突き進む。
橋は落ちる。
ガラガラガラと音たて、ついに、巨大な石橋は3キロメートル下の海へ、こなごなになって落ちた。
その最後の瞬間、円奈はまだ、崖まで10メートルのひらきがあった。
「クフィーユ!私を聖地に連れてって!」
橋が崩壊した10メートルのひらき、空を、クフィーユは飛んだ。
少女騎士を乗せて橋から崖へ、空を横切り、奇跡のような飛翔を披露してのけ、陸地に着地、渡りきった。
パカパカパカ…
馬がサルファロンの地を踏みしめたとき、円奈は後ろを振り返った。
リドワーンたち一行の魔法少女たちは、同様に、10メートルのあきを飛んで、地表3キロの深さの谷を飛び越え、ぜえぜえ息はきながら、へとへとになって着地していた。
523
世継ぎの少女アンリは、扉を足で蹴って王の間に現れ、大空間に姿を見せたが、その姿は誰がどうみたって魔法少女に変身を遂げた神秘の姿であった。
アンリの衣服に、色とりどりなオーラが纏い、魔法の力を宿らせている。
ルノルデの強姦未遂からアンリを救い出した守備隊たちがあとを追って王の間に現れた。
リヴウォールトの高い天井の列柱の空間に駆けてくる。
すると守備隊2人は、アンリの魔法少女姿を見るや、へとへとと膝を崩してしまった。
「ああ……アンリさまが……アンリさまが…!」
守備隊の嘆きが玉座の間に響き渡る。
「お世継ぎのアンリさまが魔女に魅入られてしまわれた……!」
誰がどうみたって、王家の血筋を引く唯一の後継者は、邪悪な契約を交わしてしまった姿をしていた。
つまり、悪魔の誘惑に負けて、魔女に魅入られ、その魂を売り渡してしまった姿だ。
変身したその美しい姿こそが何よりも証拠だ。
女が美しくなるということは、男を誘惑する悪魔の力を借りているということだ。
この時代ではそういう価値観だった。
それは真理を掴んでいるかのようにも見えた。悪魔と契約した少女は、どんなに醜くても、変身すると美しくなる。
エドレス王家は失意のどん底に沈みかけた。
まさに魔法少女たちによって反乱が起こされているこの国家滅亡の瀬戸際、よりにもよって血筋の後継者が魔女に魅入られて、魔法少女になってしまった。
しかし、悪魔と契約したアンリは、その魔法少女と変身した姿を王の前に現し、そして、反乱者たちの前に進み出て、告げた。
赤いマントに銀色のサークレットの少女剣士の声がステンドグラスの空間に響き渡る。
まるでそれは、声が虹色の神秘を帯びているかのような、光のなかに轟く声だった。
「王に触れればお前たちを皆すべて斬首する」
アンリの脅しは、クリフィル、ベエール、ヨヤミ、チヨリら城下町の魔法少女を恐れさせる。
城下町の魔法少女たちは感じ取っていた。
王家の娘であり血筋の末である魔法少女のアンリは、手の出しようもなく強い、と。
彼女一人が敵にまわっただけで、城下町の下衆な魔法少女連中の反乱者など、鎮圧されてしまう。
だが、だが。
「顔を出すのが少し遅かったですね、エドレス王家の世継ぎアンリ様!」
クリフィルは、王の首に刃をかけた。
「まさか魔法少女全滅を企てたこの王家の嫡出子が、魔法少女とは思いませんでした。それは計算外なことです。ですが、あなたに私が止められるので?」
王の首から血が垂れ始める。
皺のついた顔をした老王の喉から汗が垂れた。
タタタタタッ、とアンリは走り始めていた。
クリフィルの、王の喉に刃をつきつける玉座の壇を駆け上がりはじめ、クリフィルに斬りかかった。
カタナと呼ばれる刀剣の軌跡が走る。
「うっと!」
クリフィルは玉座の壇から飛び降り、アンリの攻撃をかわした。
四段も五段も壇をさがって行き、地面に着地すると、剣を構えた。
「はっ!」
赤色のマントを翻しつつ、アンリはカタナを振るってきた。
「とあっ!」
クリフィルは両刃剣で受け止める。
2人の刃がバッテンに交差し、激突し、擦れ合う。金属音が荘厳な列柱の大空間に轟き渡る。
クリームヒルト姫は城の宮殿に現れ、王を守るため反乱者と戦う娘の姿を見守っていた。
見守りながら、絶望の色を目に浮かべていた。その姫の視線は悲しい。
なぜなら、知られてはいけない秘密が、今、王家の目に晒されているからだ。
子供は親のいうことをきかない。
アンリは第二次性長期、反抗期に入った頃の魔法少女になったのだ。
「なんだその程度か!」
クリフィルは、世継ぎの少女アンリと対決を演じながら、王家の魔法少女を挑発する。
「がっかりだよ!庶民の魔法少女と大して変わらない!」
もちろん、持っている因果は断然ちがうし、秘めたる魔力も、段違いであることは分かっている。
王家の血筋に眠る魔法少女としての才能の開花を摘もうとしているだけだ。
今まで魔法少女としての正体を隠してきたのだろう。
世継ぎの少女アンリのカタナの振り方は、まるで初心者で、ひょっとしたら魔法少女の力を解き放つのも初めてかもしれない。
なら勝機はある。相手の平常心を乱し隙だらけにしてしまえ。
ガキンガキンと、アンリはカタナを振るってきたが、クリフィルはその一撃一撃を受け止めていった。
縦に振るえば横に、横に振るわれれば縦に、二度も十字に剣を絡ませあって、二人の距離は縮まらない。
剣のリーチを保ちあった距離に2人は間合いをとる。
「アンリ様、これじゃまるで剣のお稽古ですぞ!」
クリフィルは、立派な服装に変身している世継ぎの少女を煽り立てる。
「ひょっとして、刃とはお相手の刃とぶつけあうものとお考えですか!刃とは、敵の体を斬るものですよ!」
アンリの瞳に怒りが宿った。
黒い眼に炎が燃え、黒髪は風に靡き、全身に宿る覇気の如き鬼気オーラを放つカタナの刃を、力いっぱい両手に握って高くもちあげる。
力に任せて相手に剣を叩き落とそうすとる魂胆がまる見えだ。
同じ魔法少女として、敵対する王家の魔法少女の持つソウルジェムが放つ魔力の圧倒的な威力は感じ取れる。
だが、稚拙だ。まだ、戦い方が。
「隙だらけですよアンリ様!」
ひゅっと、クリフィルは剣を一振り。
すばやく回った剣先が、アンリの首元を斬り、ぷすっと血が溢れだした。
「剣をもつ者は、相手が剣を前に構えているうちは、頭上に振り上げてはいけません。本当にお稽古のようになってきましたね!」
といって、数歩後ろへよろめいた赤いマントの少女剣士に迫り、剣を突き出す。
アンリは刃をかろうじでふるって弾き返す。
ガキィン!
クリフィルの剣先は逸らされ、アンリの刀に絡め取られ、二人の剣は上向きに拠れた。
すぐにクリフィルは足をだしてアンリの腹を蹴りあげた。やわらかな腹に足の一撃が入る。
「うぐっ…!」
アンリは苦痛に呻いて、数歩、さがる。
この魔法少女、痛感遮断を知らないのか?
よほど、世間知らずの箱入り娘、籠で育ってきたような女だな。
「今のはいい受けですね!ですが、剣士は、刃だけが武器じゃありません。体ぜんぶで相手を叩きのめすもんですよ!剣で敵を叩けなければ足蹴り、いざとなったら腰も使います!」
世継ぎの少女アンリは、腹を魔法少女の足に強く蹴られて、まだぜえぜえ息を吐いて呻いていた。
銀色のサークレットをつけた少女が、顔をようやくあげて、頬についた血を手の甲でふきとった。
どうやら吐血を少々したらしい。
「はあ……はあ」
世継ぎの少女アンリは息を切らしながら、頬を赤くし、真面目な顔つきで、クリフィルを睨みつけている。
そして、再びカタナの構えをとる。手が震えている。カタナ持つ腕がびくびくしている。
まさかこの女、魔法少女に変身しながら、魔法の力を全く使ってないのか?
自分のソウルジェムに秘められた恐るべき魔力の巨大さを知らないのか?
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
まさか、人間の少女の状態のまま戦っているのか?
変身したのに、その力を一切解き放っていない。
いや、解き放ち方をわかっていない。
いったいどんな変身を遂げたんだ、この魔法少女は。
魔法少女は、自力で変身もできるようになれば、自然と魔力の解き放ち方もわかる。
変身できるようになってしまえば、ソウルジェムから魔力の汲み取り方も自然と分かるようになるもんだ。
馬の乗り方を覚えたように、いちど覚えてしまえば、自由に使えこなせるってものだ。ソウルジェムは。
なのにこの女ときたら、変身はしているが、魔力の出し方がまるでわかっていないような戦い方だ。
自力で変身したのではないか?
そういえば、魔法少女は、自分の意志とは関係なく変身してしまうことがあると聞く。
感情の限界を超えたとき、勝手に変身が始まってしまう現象である。
例えば恐怖が限界にまで達したとか、怒りが極限に達したとか、火事場の馬鹿力が要求された場面に、魔法少女は本人の意志なく勝手に変身する。
それも一秒もかけずに、ぱっと。
人間だって極限状況になって感情が爆発すると、体内の筋肉のリミットが外れて、規格外の力をだす現象がある。
魔法少女の場合それは、変身となって、ソウルジェムに温存された魔力が暴発、勝手に変身がはじまってしまう。
オルレアンさんが火炙りなったとき、彼女がみせた最期の変身は、その現象だったとクリフィルは記憶している。
つまり、この世継ぎの少女アンリは、生まれて初めての魔法少女への変身を、そういう経緯で果たしてしまったのか?
だとしたら、ソウルジェムの力の解き放ち方も魔力の汲み方も、まるで分からない魔法少女が誕生したことになる。
生まれて初めて乗馬を体験をしたような、ふらふら状態だ。
この魔法少女にとっては、肉体の感覚から分離された魂の動かし方が分からない。
だって神経が繋がっていないから。
全ての人間が、耳とか髪の毛を自分の意志で動かせないのと同様に、この魔法少女にはソウルジェムの操作方法がまるでわかってない。
だから痛感遮断もできない。
男に襲われでもして魔法少女になったか?
「アンリ、その姿はなんだ!」
すると、エドワード王が玉座で、怒鳴り声をあげた。城の空間に轟いた。
「いつ魔女に魅入られた?なんたることを!エドレス王家の血筋をなぜ売った!」
王は衝撃を受けていた。
動揺していた。気が動転していた。その全ての感情は怒りという到達点に達し、王はぶるぶる震えつつ真実に戦慄して、攪拌すら覚える気持ちで声を漏らした。
「卑劣な宇宙生物インキュベーターめ!」
王は、王室の血筋を台無しにした宇宙生物への激しい怒りと怨念を、この世の終わりにむかって叫んだ。
ドームの天井をみあげ、円環の理とラッパの天使が描かれたステンドグラスの光にむかって立ち上がり、両手をあげつつ、宮殿で全ての絶望を王は嘆いた。
魔法少女絶滅計画をたてた王は、まんまと、王家の血筋を、宇宙生物に盗られたのだ。
絶滅させられたのは我らが王家のほうだったのた。
人類は敗北した。
アンリが魔法少女になることによって、人類は全ての希望を失った。いや、全ての希望を、売ってしまったのだ。
インキュベーターに。
「血筋は絶えた!」
王は嘆く。声の全てをしわがらせて嘆き、両手を、天へむけて掲げる。天使にむかって叫ぶ。世の終末が降りかかってくる。王のもとに!
「”エドレス(不滅)”の国は滅んだ!ああ、アンリよ、世継ぎの娘よ、哀れな!魂は穢され、血筋は脱け殻となった。今やお前の肉体と血は空の殻皮だ。その契約は悪魔と交わされたのだ!」
声は宮殿と、王の間に轟く。
王はドームの玉座から崩れおち、倒れて、顔から生気をなくしながら壇の階段にもたれこんだ。
その顔は全てを諦めていて、全ての敗北を噛み締めている顔だった。
茫然自失、人間なのに瞼はまばたきすらしない。
王の尋常でない落胆、崩れ方に、魔法少女姿のアンリは狼狽して、弱った声をぼそっと出して言いかけた。
「祖父、王さま、私は、王をお守りするために……」
が、王はもう動かない。
口はぽかんと開いたまま、絶望の世の終末を、虚ろな目に映している。
「エドワード王、崩御だな」
クリフィルは剣を出した。アンリの刃を弾く。
「あっ…!」
金糸の刺繍をした赤いマントの少女騎士の手からカタナが飛ぶ。
どっかの大空間の列柱のあいだに落ちて、カカランと鳴った。その音は響いて、木霊した。
「なんとも皮肉なもんだ。魔法少女を絶滅させようと計画した男が、魔法少女に守られつつ絶望するなんてな」
クリフィルは、丸腰になったアンリの腹をドンと手で押し、転ばせた。
「ああっ…!」
魔法少女姿ではあるが、魔力が全く使えず、人間の少女と変わらない状態のアンリは、クリフィルの手に突き飛ばされて、簡単に転ぶ。
受身もとれない。赤いマントを地面に引きずりつつ、両肘を地面について、顔を伏せた。
アンリが倒れ込み、起き上がれないでいると、クリフィルは、いよいよ王にトドメを刺すべく、玉座の壇に倒れ込んだ、魂の抜けたように生気のない王の前へ。
倒れ込む王の、一度きった喉に、もう一度剣先を突きつける。ドームの光にクリフィルの剣が光る。
もう、何百人と殺した人の血を吸った魔法少女の剣が。
エドレス王国滅亡の瞬間であった。
城下町の反乱者たちが、誰もが、王の殺される瞬間を見ようとしたが、ガタンと、王宮の間の入り口の扉が、開いた。
間に合ったのだ。
世継ぎの少女アンリが、懸命に戦って、勇気を奮い起こし、わずかでも王を守るため戦ったのが、奇跡を呼んだ。
それは王家の存続という奇跡。希望を。
呼び起こした。
「その手をとめろ」
王宮の間に、やっと辿り着いた騎士の男は、クリフィルに告げる。「これは命令だ」
城下町の誰もが、現れた騎士の姿をみて、はっと息を呑んだ。
王都の者なら、その顔を知らぬ人はいない、アンリとは別の王家の人間であった。
その騎士は、つに王の間に帰還した。
金髪を流した女騎士と、2人の魔法少女の姉妹を偉大なるエドレス王国から付き従えてきて。
その女騎士の名は、アデル・ジョスリーン卿。エドレスの都市で夜警騎士を務めていた、貴婦人の出身。
2人の魔法少女は、エドレス王国の王、エドワード王の臣下にあたる農村城主の娘2人であり、その2人の名は、姉がアリエノール・ダキテーヌ、妹がカトリーヌ。
城下町の魔法少女たちは、かくたるの面々を従えて登場した威風堂々なる王家の男をみて、顔を驚かせ、はっと息を呑む。そして声を漏らした。
「エドワード王子…!」
クリームヒルト姫の兄、王の第一子、長男。正真正銘のプリンス。
王太子が、王国の首都に帰還を果たした。
211 : 以下、名... - 2015/05/23 23:03:47.13 d26eE4eT0 2697/3130今日はここまで。
次回、第71話「エドワード王子」(近日投下予定)
第71話「エドワード王子」
524
エドワード王子は堂々巍然たる歩調で宮殿の間を歩いた。
無言、引き締まった顔をみせ、行き違う60人ちかい城下町の魔法少女たちの間を割って王の玉座へむかって、一歩一歩を歩く。
カツ、カツ、カツ…。
ピカピカの床を歩く王子の足音だけが、静まり返った宮殿の空間に響く。
カツ、カツ、カツ…。
城下町の魔法少女たち、ヨヤミやベエール、マイアーたちは、王子の出現と、その赫々にして厳威たる足取りで歩く王子の雰囲気に圧されて、誰も王子に戦いを挑まず、ただ黙って、王子の前からどく。
反乱者の魔法少女たちは、エドワード王子にみな道を明ける。左右に、静かにどく。
そうして王子は、60人の魔法少女たちのあいだを割って王宮の列柱を渡り、そして玉座の前へ出ると、壇で崩れて嘆き、気力を失った老王の前に、片膝ついて跪いて、話した。
「父王、私はこの国で起こった滅亡の危機を聞き、城に戻りました」
若い王子は、伏目にして、王に語る。
その黒髪がリヴヴォールトのドーム天井から降りる光に煌く。
「私の愛する部下と、守備隊長と、歩兵隊長、それに民が、たくさん殺されました。これほどの命が、どうして一日にして奪われたのか。この悲劇は、誰が生んだのか」
王子が重苦しく語ると、城下町の魔法少女たちは、気まずそうに目を逸らし、王宮の床のあちこちで死んだ兵たちの死体を眺めた。どの血もまだ生暖かく、鉄臭かった。
「多くの民に愛され続けた父王の国と、このエドレス王家の領地で、なぜこのような災禍が?」
「きけ、息子よ、国は滅びるのだ」
王は崩れ落ちた体勢で、玉座の壇に身をもたれついたまま、言った。
「アンリの姿を見よ。美しいが、既に魔女に魅入られておる。男は魔女の誘惑に屈してはならんぞ。女に誘惑されるのではなく、支配するのだ。女は危険だ」
「エドワード王子様…!」
何人かの魔法少女は、王子の名を呼ぶのが精一杯で、動きさえとれなかった。
王子はすると、静かな面持ちですっくと起き上がり、振り返った。
その視線の先には、反乱者の魔法少女たちがいた。
列柱が両方の側廊に並んだ、王宮の間は、天井が高くて、柱の高さは50メートル近くもあった。
その場で天を見上げると、ステンドグラスに彩られた壮麗な壁が目にはいる。
だがその床は、血まみれの死体だらけであった。
謀反事件の現場は静まり返っている。
王子は、すううっと鼻息を吸い、平静な顔つきをすると、一歩一歩、また魔法少女たちのほうへ近づいた。
背の高い王子に歩き寄られて、ずりずりと後ずさって距離をとる魔法少女たち。
クリフィルだけがその場から一歩も退かず、王子と対峙する。
王子は列柱のあいだで死んで倒れた兵士の前に膝を降ろし、城に仕える者の果敢な死に敬意を払った。
死体の前で胸に手をあて、何かを小声で唱える。
守備隊長ルーウィックの死であった。
「これほど部下を愛し第一線で戦う壮士を我々は失った」
独り言を王子が唱えると、クリフィルをはじめ、何人かの魔法少女たちが、バツが悪そうに目をちらちらさせる。
王子はそんな調子で、王宮の間で死んだ部下たちの死を悼み、その前で膝をつき、胸に手をあて唱えた。
「フアンよ、お前の死のなんと苦しいことか。受け入れ難き喪失が、私たちを襲う」
王子は死人の前で立ち、それから、魔法少女たちを見た。
「お前たちが殺したのか」
魔法少女たち、舌を噛み、唇を噤んで、気まずい顔をみせる。
それは、無言の肯定であった。
「見よ。王家に忠誠を果たし、国のために命をかけた勇者たちが、皆殺された」
王子の声が、王の臥す宮殿にこだまする。声が響く。
「どんなに勇敢に、果敢に、雄渾に、名誉ある死を遂げ、勇ましく散っても、人は死ねばかくも無残、むなしいのだ」
魔法少女たちは、自分が殺した人間たちの死体を眺めた。
確かに彼らは勇ましく戦った。国のため王のため、守り通すため死んだ。
だが死ねば、どんなに果敢な勇者の戦いぶりをみせても、殺されればただの死体。腐っていく死体なのだ。
すでに国家の勇者たちは血と、はらわたを腹から出し、みるに耐えぬ、嫌悪感ばかりが募る死に様を晒している。
彼らの生前の果敢さは讃えられない。何百人、何千人という人が、命を投げ出し、死に絶える。
そのうち、生前の勇敢さが讃えられるのは、ほんの一握り。一人いるかいないかだ。
大半の兵士は、軍役につくものは、国のために戦って散ることは素晴らしいことだと教えられる。
そして、国のために戦って死んだ、その死に様が、かくもみじめで、汚くて、誰も見向きもしない汚物と成り果てることは、最期まで本人には分からない。
国のために戦い抜いた満足感のなかで、死体と成り果てる。
その死体は、腐り果て、腐臭物として処理される運命も知らずに。
「人を殺すとはそういうことだ」
王子は言った。魔法少女たちに険しい視線をあてる。
「お前たちはなぜ国家の誇る勇士たちを殺したのか」
エドワード王子は問う。魔法少女たちに問う。
なぜ人を殺したのかと。人命を奪うことは、これほどに痛ましいのに。
「なぜ殺したのか、だって!」
クリフィルが、剣を伸ばして、すぐ反論した。王子への口答え。
魔法少女たちの王家への畏れは、今や心にない。
「あの王が、この国が、あたしら魔法少女にしたことを分かっているのか。たくさんの魔法少女が火あぶりになった。生きたまま焼かれたんだぞ!それだけじゃない。私ら魔法少女は、人間にあまりにもひどい目に遭わされつづけた。我慢の限界だったんだ。なぜ、とききたいのは私たちのほうだ。なぜ、王は魔法少女を殺したのか!なぜ人類はいつだって、魔法少女の悲惨な命運を喜ぶのか!」
クリフィルの脳裏に、火あぶりの刑になった仲間たちの、叫びが蘇る。
そして、それを面白みのある見世物として、魔法少女の火刑に熱狂する市民たち。人間の残酷さを、クリフィルは見てきた。
魔獣とか魔女とか、人間たちとはそんな化け物たちより、よっぽど恐ろしい、残忍な生き物だ。
「そ、そうだ!」
王子の登場に、しばしたじたじしていたヨヤミも、そこで本調子に戻って、王子を糾弾した。
指を伸ばして、王子を差す。
「私たちは、お前たち人間が、魔法少女にしようとしたこと、してきたことを、まんまそっくり仕返しにしただけだ。王様は、私たち魔法少女を殲滅しようと目論んだ。だから私たちは、人間を殲滅しようと反乱を起こした。私たちの何が悪いのか。オオカミに襲われた牡鹿が、逆にオオカミを角で突き刺してはいけないのか!」
「なるほど、仕返しか」
王子は、目を閉じる。ヨヤミの痛烈な糾弾を身に受け止める。
そして、ブルーの瞳をした瞼をひらき、言った。「つまりお前たちは、人間を憎みながら、人間と同じことをしたわけだ。おまえたちは、魔法少女の悲運を人類が喜ぶといったが、おまえたちは、人類の悲運を喜ぶわけだ」
「ちがう!」
クリフィルはすぐに叫び、王子に反駁する。
「一緒にするな。そういう話のすり替えは、もうたくさんだ。殺された者たちが、復讐に殺したら、同じ殺人者だって?ふさげるな。どうして加害者と被害者が一緒にされる?どうして何の罪もないのに殺された人たちが、復讐のために殺したことで同じにされる?罪のある人々を殺したのだ。復讐は正当だ!」
宮殿は、クリフィルの声を最後にして、静まり返る。
誰も何も語らなくなる。
クリフィルは辨駁し、完全に王子を論破したように思えた。
だが王子はそうではなかった。
王都の魔法少女が、悪魔で自分たちの殺人行為を正当化しようとしている心中を察して、いよいよある行動に出る腹を決めたのである。
「そうやって復讐を正当化している限りは、この世は悲しみと憎しみばかりを繰り返す救いようもない世界となる」
王子は、驚きべき名前をここで出した。
「殺し合い、憎しみ合い、争いはやまぬ。そんな世界でも、誰かがこの世界を守ろうとした。円環の理と呼ばれるお前たちの救い主が。お前たちはそう信じているのではないのか」
「っ」
魔法少女たちは、自分たちの神の名を、王子によって出され、誰もが度肝を抜かれた。
「誰もが憎しみという感情を持ち、殺意に駆り立てられる。それを正当化するなど、誰にでもできる簡単なことだ。人間にとって本当に難しいのは、その悲しみと憎しみを繰り返す連鎖を断ち切ることだ!」
王子は鞘にかけた剣の柄を手に取った。
魔法少女たちは途端に、はっとなって、身構え、武器を持った。王子が魔法少女たちを殺しにくると思ったからだ。
「この城でそれができるのはもはや、私しかいまい!」
といって、王子は次の瞬間、剣を抜き、それを───。
びかっと、ステンドグラスの張り巡らされた天井の壁から降りかかってくる光を帯びて煌く剣を───。
地面に、投げ捨てた。
ガラララン。
鋼鉄の刃の、地面を叩く音が、王宮じゅうに轟きわたる。誰の耳にも入る。そして、誰もが目を疑った。
王子は自ら武装解除した。
丸腰になったのである。
「私はこれから三つのことを、王位継承権を継ぐ者として宣言する!」
王子は、宮殿の全ての者にむかって、はっきり告げた。
「お前たちが止めるというのなら、止めるがいい。私は丸腰だ」
魔法少女たち、目をみはる。
一体何が起こるのか、と驚嘆の顔して王子を眺めている。
「私はこれより、父王からの冠を自らに授かり、王位に即位する!」
「…!」
それは、城の者すべてを驚かせた。
王が、長弓隊長のエラスムスが、生き残りのわずかな守備隊たちが、クリームヒルト姫が、その娘の少女アンリが、国王従侍長トレモイユが。
「私は即位し、アキテーヌ領の貴公子女アリエノールを妃に迎える!」
さらにそれは、全ての城の者と、魔法少女たちさえ、驚かせた。
王子が連れてきた2人の魔法少女姉妹のうち、姉のアリエノールは、どっからどうみたって魔法少女の姿をしていたからだ。
白いドレスの、花嫁姿だった。
魔法少女を妃に迎えるというのか!王子は、何を考えているのだ!
王家の血筋は、閉経女と結婚することは許されぬ!
城の者の心の抗議は、一切無視される。
「私は宣言する。王位に即位し、アリエノールを妃と迎え、そしてエドレス王国に”魔女狩り”の廃止懲戒令をだす!」
城の者も、魔法少女たちも、同時に息を呑んだ。
「私はここで断ち切ろう。世界の悲しみと憎しみの連鎖を、ここで断ち切る。無用の血は流させぬ。私が戴冠し、王となったとき、王都の”魔女狩り”は終わる。それが不満だ、もっと人間を殺させろと思うのなら、魔法少女たちよ!私を殺すがよい。私は丸腰だ。とめることは簡単だ。だが、そのとき、今度こそお前たちは自分を正当化できなくなるだろう。お前たちは、平和よりも血の復讐を望んでいることが、私の死によって、証明されるからだ!」
といって、王子は、丸腰の体で魔法少女たちの前で両腕を広げ、剣を待ち受けた。
誰も動けなかった。
丸腰なのに、誰も王子を殺せなかった。
このまま王子が、王の冠を頂き、新王となれば、王都で起こったこの魔法少女狩り事件は終わる。
新王自らが、魔女狩りに廃止勅令と懲戒法度を発布するからだ。
しかし、そんなにうまくいくものだろうか?
この国の未来は、そんなに簡単に取り戻せるものなのだろうか?
いくら、形式上で魔女狩りはおしまいだと発令をだしても、魔法少女のソウルジェムの秘密は暴かれ、たくさんの人が殺され、たくさんの魔法少女が殺された。
市民と、魔法少女の心の中に、憎しみは消えない。悲しみは絶えない。
世に明るみにでた、魔法少女の異常な生態は、人類に消えうせぬ偏見の種を植え付けた。
そしてそれは、この先の人類史の未来において、永遠に忘れられることがない。
一度暴かれた秘密は、二度と隠されることがない。
そうなると、今後この先に生きる魔法少女はすべて、人類に対して疑心暗鬼の日々を送ることになる。
人類が、ソウルジェムこそ魔法少女の本体と知っている限り、魔法少女たちは人類に気を許す日々は二度とこない。
もう、始まってしまったのだ。取り返しのつかぬ事件だったのだ。
この、王都の魔女狩り事件は。
世界の全ての人類は魔法少女の全滅を望み続ける。今後この先、永遠に。
城の大空間で、魔法少女たちが暗い未来を思い描いているうち、王子はすでに玉座の前へ進み出ていた。
全ての命運を背負ったかのような背中を、魔法少女たちは見つめ、王子が王から冠を頂くその光景を、眺めていた。
王子は今、気力が果てた王の冠を、自らの手でとり、玉座の壇で持ち上げる。
金色の冠は、王宮のドームから降りる光にあてられ、きらきらと、輝く。
王子は冠を手にとって、頭の上に掲げ、まっすぐ立った。
冠を息子に盗られた父エドワードは、抵抗も示せず、しわがれた顔を震わせながら、息子が王となる瞬間を見上げている。
そして─────。
「父王、あなたの王位を、今ここに第一子である私が、継ぎますことを、申し上げます。」
城に降りるドーム越しの太陽の日差しと金色の冠が輝くなか、王子はその頭に冠を戴いた。
金色の輝かしい王冠は、いま王子の頭に、かぶせられる。
新王の誕生だ。
エドワード王子は自ら父王から冠をとって、自ら頭にかぶった。
戴冠したのだ。
「エドワード新王、万歳!」
すると、国王従侍長トレモイユが、王子の王位継承を見て、叫び、そして祝福した。
「エドワード新王、万歳!」
それは丸腰の王子の戴冠。
魔法少女と人間の繰り返す憎しみも悲しみも、この場で絶つと宣言した王子の王位継承。
冠を息子に奪われた父エドワードは言葉も失って、新王の若々しきパワー溢れる姿を、見つめている。
魔法少女全滅計画を企てた父王は、王権を失い、魔女狩りには終止符を打たれる。
そして魔法少女と人間の共生を謳う新王の王子が、王位につく。
「エドワード新王万歳!」
すると、守備隊たちも、王子の戴冠を見て祝福し、拍手しながら、讃え、そして跪いて、新王の誕生を迎えた。
「エドワード新王、万歳!」
城の者すべてが、新王を祝福する。国家滅亡の危機にあった王宮の間は思わず、新王の戴冠式の祝福ムード一色となり、誰もが王子の戴冠を喜び、そして魔女狩り事件の終焉を歓迎した。
もう、無用の血が流されることはない。
それが嬉しくてたまらないのだ。城の者の誰もが。
「エドワード新王、万歳!」
「エドワード新王、万歳!」
城のなかは嬉しさと、喜び、平和の声で満たされる。
「エドワード新王、万歳!」
それは、魔法少女たちにとっては、異様な人間たちの挙動だったけれど、だんだん、なぜだか、自分たちまで嬉しくなってきた。
だって魔法少女たちは暗い未来を思い描いていたから。
これからずっと、魔女狩りという人間の狂気と戦い続ける日々を思い描いていたから。
だが今やそれと真逆の、平和を謳う喜色に、王宮の間が満たされている。
終わったのだ。魔女狩り事件は。
ムードは花色になり、戴冠式はそのまま、結婚式へと場が移る。
花嫁姿の魔法少女・アリエノール・デキテーヌ────鹿目円奈が専属守護を務めた領邦君主の姫が、王冠を戴いた王子と手を結び、ドームの光の前にでた。そしてアリエノールの頭にも、王子の手によって、白銀のサークレットをかぶせられた。
新王はアリエノールを妃に迎え、婚姻が結ばれた。
エドレス王家は、新たな歴史を歩む。
人間と、魔法少女が、共同統治する、新しい王権が始まる。
そこに魔女狩り事件の憎しみも悲しみも入り込む余地はない。その連鎖は、この戴冠式で、完全に絶たれる。
その事実が、実感として湧き出てきたとき、守備隊も、城の者も、誰もが喜び、そして新王をますます心から讃えるのだった。
「エドワード新王、万歳!」
「アリエノール妃と、新王に、幸と栄えあれ!」
「エドレスよ世の祝福よ、世界は2人を讃えよ!もっとも幸福な2人を!」
魔法少女に変身した、世継ぎの少女アンリも、2人の結婚式を眺めながら、幸せそうに微笑み、拍手した。
自分は、世継ぎの血筋を持っていたが、自分の結婚より王子の結婚が早かった。
王位継承権は王子が握った。
これでもう、アンリ自身が、王位継承争いに巻き込まれることはなくなる。その決着は、いま、この戴冠式によって、着いたのだから。
もう、アンリの血筋を狙う騎士たちはいなくなる。
アンリの、魔法少女の契約の願いは叶えられた。
自由になりたい、この城から解き放たれたい。
その奇跡は叶う。アンリは自由の身となる。魔法少女として、都市と城下町で、魔獣と戦う、エドレス王国で最も強い魔法少女としての活躍の未来が待っている。
絶望するばかりが魔法少女ではない。そこには、希望も必ず、約束されている。
クリームヒルト姫でさえ、兄の戴冠式を喜んで祝福した。
優しく微笑み、アリエノールとの結婚を見守る。兄にぴったりの婚姻相手に思えた。
新王はエドワード城の欲まみれな貴婦人を婚姻相手に選ばなかった。よりにもよって農村領主の田舎娘を連れてきた。
王都に。
実に兄らしい。
「エドワード新王、万歳!」
「アリエノールさま、この世で最も、幸せなお妃さま!」
守備隊たちがこぞって王子とアリエノール妃を祝福していると。
なんと玉座の間でぽかーんとなっていた魔法少女たちさえ、王子の誕生を、祝福し始めた。
「エドワード新王さま、万歳!」
魔法少女たちは讃える。王子の戴冠式を、喜び、讃えて、可愛らしい声をあげた。
「エドワード王子さま、幸多き方!」
笑い出し、ぱちぱち拍手し、王子と王妃の2人を見守る。
魔法少女たち数人が戴冠式を祝福しはじめると、他の魔法少女たち数十人も、讃えはじめて、しまいには60人のうちクリフィルのぞいた全ての魔法少女たちが、王の間で戴冠式を迎えた王子を祝福した。
拍手し、讃え、笑い、魔女狩り事件終焉の結末を喜ぶ。
その結末を奇跡のように呼び起こした王子を、いや新王の若々しき姿を、興奮しながら祝う。
クリフィルは、苦い顔して、まわりで新王の誕生を喜ぶヨヤミやベエール、マイアー、チヨリ、アドラー、仲間たちを見渡した。
城下町の魔法少女たちの視線は熱くて、きらきらした瞳で、王子の戴冠式を見つめている。
ふう、まったく、こいつらめ。
自分たちの立場を分かっていないのか。私たちは、王家に反乱を起こした謀反者たちなんだぞ。
なのに、なにを呑気に王家の戴冠式を祝っているんだ。
過去のどんな反乱者も、こんな間抜けはいなかっただろうに!
だが、謀反者たちは、魔法少女。文字通り、女の子で、第二次性長期の年頃。
若くて顔のいい王子にメロメロだ。
その王子を、他でもないこの王城で、しかも戴冠式まで見れるなんてのは、それだけでもう、乙女心を幸せにするに十分だった。
どれだけの世界の乙女たちが、この王子の戴冠式を、夢に思い描いてきたのだろう!
白馬の王子と、田舎娘の結婚である。
乙女たちの妄想の夢物語は、いま、ここにある!
そこには少女の欲望の全てがつまっている。
顔のいい背の高い王子に、姫という地位、一生遊べる金、料理も家事も一切労働しなくていいお抱えの召使いたち、使用人たち。鏡の前で何百種というドレスに着替えられる部屋。
夫は政務に忙しく、私生活に介入してこない。騎士たちは自分が通りかかるたび、花に群がる蜜蜂たちのようについてくる。
だが、そのたびに王子がやってきて、蜂たちを追い払う。王子が守ってくれる。自分は何もしなくていい。
若さを保つ秘薬は、召使いに面倒ごとをすべて任せて頭に悩みを抱えないこと。
全てがうまくいく生活だ。
女の堕落の真骨頂がここにある。
「で、私たちにどんな罰を処す気だ?」
クリフィルは、妄想の世界に旅立っている他の魔法少女はさておき、現実を直視して、謀反者である自分たちが、新体制に入ったエドレス王国によってどんな処遇を受けるのか、と王子に尋ねた。
王子は答えた。
「城下町に暮らすリボン工の娘、イシュトヴァール・クリフィリルよ。復讐の連鎖は絶たれた。無用の血は流さぬ。おまえたちは町に戻り、暮らすがよい。城下町の市民には、だれひとり、魔女狩りの告発はさせぬ。拷問器具の使用も許さぬ。平和に暮らすのだ」
わああああっ。
城下町の魔法少女たちが皆、喜んで、手にもった剣や魔法ステッキなどの武器をふりあげた。
どの顔も笑顔いっぱいだ。
新王は、全ての復讐の連鎖の一切を絶つ道を選んだ。
どこかで絶たねば、結局、いつまでも繰り返されるからだ。
人間の誰もが分かっていることなのに、実際にそれができる人間は、ほとんどいない。
だが、エドワード新王はできる。それをたった今、宣言したのだから。
魔女狩りの撤廃と魔法少女たちへの刑罰の無罪放免を。
その先にあるのは、まっ平らな平和の園。
エドレス国は、栄光の国として君臨する。
王子はクリフィルにむかって白い歯みせて笑い、宣言すると、花嫁のアリエノール・ダキテーヌを抱きしめ、抱擁し、そして熱烈なキスを魔法少女と交わした。
それはもう本当に激烈、燃え上がるような口づけだった。
くるくる2人は回りながら唇を合わせる。
きゅあああああっ。
わあああああっ。
途端に守備隊たちも魔法少女たちも歓声をあげた。黄色い声に包まれる。
新たな国家と若々しい国王の活力に、誰もがみなぎって、花の固有魔法をもつ魔法少女は、その場で戴冠式の式場に、花びらを魔法で舞わせたりした。
新王と妃のキスするまわりで色とりどりな花びらが舞い散った。
守備隊たちは魔法少女たちのその魔法の演出にわーわー興奮の声をあげ、より一層拍手を強めた。
暗い未来は断ち切られ、明るい、希望に満ちた世界を待ちわびる。
もちろん、この王都で起こったことはあまりにも惨く、あまりにも死者が多い。
だが、だからこそ。
今は、喜び祝う。
その過去の負の連鎖が断ち切られたこの瞬間を、心から祝い、歓ぶ。
人々が負の感情から解き放たれ、誰もが幸せを感じるとき、闇の使者、魔獣も発生しない。
インキュベーターは再び世に暗黒の絶望が誕生するまで、首を長くして待たないといけない。
エネルギー回収はおあずけだ。
さあ、歓べ、踊ろう。
王子の結婚を祝おう。
幸せを祝うのだ。
525
城下町の魔法少女でロープ職人の娘であるスミレは、青いマントに白いロングブーツの姿で、十字路を歩いていた。
死体だらけだ。
血と、はみだした脳と臓器と、無様に倒れた人たち。人の死に様は、こんなにも惨めで、酷い。
城下町の街路で倒れた全ての死体は、魔法少女たちの謀反の跡。
癒えようもない深い痕跡。
スミレは自分の魔法少女姿を隠そうともせず、火刑になりかけた晒し台の姿と同じ服装のままで、青色の瞳で城下町の悽惨を見つめていた。
だが、空は青く、突き抜けるようで、晴れやかだ。白い雲は陰りもない。真っ白だ。
その先に、仲間たちがいた。
ギルド議会長の娘ティリーナ、皮なめし職人の娘、石工屋の石切り職人の娘のキルステンの三人の前に、スミレは歩いた。
三人が無言でスミレの魔法少女姿を見つめるなか、スミレは言った。
「私は、円奈に助けられた」
仲間の三人は無言だ。このほどの事件を前にして、魔法少女姿を現したスミレに答える言葉が見つからない。
「私が衛兵に殺されかけたとき、円奈の矢が、衛兵を殺して、私は救われたの。みんなは、私をどう思う…?」
それは、非常に複雑な質問だった。
もしここに、魔法少女と人の間の、越えがたき隔たりさえなければ、友達はスミレの帰還を素直に喜べたかもしれない。
この魔法少女は謀反者の一人。王の城に潜入し、王城に捕われた魔女たちを開放しようとした。
衛兵は国を守ろうとしたが、円奈の矢に殺された。スミレは助かった。
スミレは、私をどう思うか、と問う。
スミレの瞳に悲しみが映った。透明な涙さえ浮かんできた。マントのブローチに飾られた蒼色のソウルジェムは、暗い。
「私たち、もう、友達じゃないよね……」
スミレは頬に涙滴らせて、ティリーナたちに、言った。ぽつんと立ち尽くしたまま言った。
「私を友達って、思ってくれるわけないよね、もう……」
ティリーナたち三人は、目を落とした。
そんなはずないよ、スミレちゃんは、私たちの友達だよ、といえたら。
だが、心の中に思っているその言葉は、口には出てこない。喉でとまる。
スミレの頬から顎へ透明の滴が伝う。きらん、と垂れた雫が光る。
三人は、どうにも不思議で、スミレという魔法少女が、とてもヴァルプルギスの夜なる悪事を王都に企む悪い魔女には思えなかった。
いまスミレが流す涙には、何か切実な気持ちがあって、どうしようもなくて、同情を誘うための涙でもなく悔しさの涙でもなく、なにか純粋な心が破裂してしまったかのような涙に思えた。
でも、もう、手遅れだ。
ユーカはエリカを殺した。スミレは謀反者として円奈と共に公開処刑に晒された身。
友達同士の関係を保てるはずがない。
やるせなさの気持ちが、少女たちの見つめあう空気に流れたとき、王城で華やかな音楽が聞こえてきた。
城下町の誰もが、王城の方をみあげた。
王の住むエドワード城の方角を。空にも届くような天空の城を。
トランペット、小太鼓、打楽器にフルート。
城の音楽隊が、いま第四城壁区域の外郭に並び立っている。
みな、国旗つきトランペットを吹き鳴らし、城からは花びらが舞い散ってくる。
「えっ…?」
ティリーナたちは驚いた。
何事かと思った。
城では今ごろ、反乱を起こした魔法少女たちが、王城に暮らす貴族たちを根こそぎ殺している殺戮が繰り広げられる悪夢になっているはずだ。
なのに、どうして華やかで、賑やかで、幸せそうな音楽が流れてくるのか。音楽隊はトランペットを吹き鳴らすのか。
小太鼓がダダダダダと叩かれるのか。
コスモスとラベンダーの花びらがはらはらと舞うのか。
まるで何かの式典のようではないか。
城下町の民が、全員、目を瞠っていると、音楽と共に、第七城壁区域のバルコニーに、王子の姿が見えた。
「エドワード王子!」
ティリーナがはっと声を一番先にあげた。700メートル上空の城の王子を指差す。その姿に誰よりも目ざとい。
ギルド議会長の娘ティリーナは、王子に最も夢中な乙女の一人であった。
「エドワード王子っ……ええっ!?」
つぎに驚いた声だしたのは、キルステン。
「きゃああああっ」
ティリーナも頬を赤らめて叫んだ。
王子は、王子でなくなっていた。
王になっていた。
なぜなら、城下町の娘たちが夢焦がれてきた白馬の王子は、いま、金色の冠を頭にかぶっているからだ。
つまり、ついさっき、城のバルコニーから、魔女を滅ぼしつくすと宣言したエドワード父王に代わって、王子が冠を戴き、新王となり、エドレス王家の王位継承を果たした。
その隣に立つのは、花嫁姿の田舎娘、アリエノール。
2人一緒に王子と妃は、手をとりあって、幸せそうな笑顔で城下町の民の前に姿をだしている。
「ちょっとまって、誰ようの娘!」
ティリーナがぎりっと歯軋りして、田舎娘を見上げて、唸る。嫉妬に駆られている。
まさか、まさかまさかまさか、本当に、王子は城下町から娘を選ばず、田舎娘を娶ったというのか!
くだらぬ女どもが腐ったように語り草した噂は本当だったというのか!
そんな、そんなそんな、劇画のような話が、本当に?
「っていうか、なんでそんなことになってるのよう!」
ティリーナは嘆いた。髪の毛をかきむしりそうな勢いだ。「誰の為におしゃれしてきたと思ってるのよう! てゆーか、どーゆう展開?もう、訳がわからんない!」
魔法少女が反乱を起こし、王家を滅ぼす絶望の日々が訪れると思っていたら、王子が結婚して新王になっていた。
急転直下な展開に、城下町の民はぽかーん、唖然としている。
「あーもう、私ったらこれから誰のことを考えて、体重減らしに努力できるってのよう!」
ティリーナの嘆きは続く。
「もう、お菓子を食べつくしてやる!今日から!こんがり焼けたウェスハースに、赤ワインと砂糖漬けのストロベリー、シロップ煮のリンゴ!」
スミレは唖然と、王子、いや新王の戴冠式を眺めていた。今、王城で何が起こっているのかさっぱりわからない。
鹿目円奈が、また何かしてくれたのだろうか。
ティリーナもスミレも知らなかった。
かつて鹿目円奈が、ガイヤール国ギヨーレンとの戦争に巻き込まれて、戦いに出陣したと話したとき、守り通した田舎娘の姫こそ。
今、エドワード新王が娶った魔法少女、アリエノール姫であることを。
526
エドワード新王とアリエノールの2人は、第七城壁区域のバルコニーに出て、城下町の民を見渡した。
十字路に茫然と立ち尽くす民。町の市壁の外に出て、草原に避難した民。
全ての民が、新王の姿を見上げている。
音楽が吹き鳴らされる。陽気なトランペットの音と、賑やかな小太鼓の音がする。
戴冠式は披露目だ。
新王がスピーチするのだ。
王都じゅうの民が顔をみあげて、王子の戴冠姿を見守っているなか、新王は、語り始めた。
民は新王のスピーチを聞くべく静かになる。
「今日はなんという日だろう」
と、王子はいよいよスピーチを始めた。城に吹き鳴らされる音楽は、やむ。新王の声だけが王都に響く。
「みよ!私が王都を発っているあいだ、私はアキテーヌ領にて、この王都で起こっているかくも信じがたき残酷な事件が起こっていると聞いた。王都で反乱が起こったと!」
民は、緊張の面持ちをする。
城下町で殺戮の手をとめた魔法少女は、武器を手放して、王子の話しを聞き及んだ。
「戻ってくれば、その事件の被害は私の想像を上回るものだった。かくも無差別に民は殺され、民を守ろうとしたわが軍は無残にも切り殺された。嘆かずにいられるだろうか、こんな日を!」
「なにをいう、欺瞞の新王め!」
城下町の魔法少女が、すぐ怒り心頭して、がなりたてた。
「無差別に民は殺された?先に殺されたのは、私たちのほうだ。何もしていないのに、魔獣を倒しているだけだったのに、たくさんの仲間が殺され、燃やされた。人間だけが被害者のようにいうな!」
「黙ってろ!」
民の誰かの男が怒鳴った。「新王の話を聞け!」
魔法少女は、男をギロと睨んだが、新王の話に耳を聞くことにする。
「みよ!今日われわれは、過去のどんな人類も、魔法少女も、遭遇したことのない悲劇の上にたっている。過去のどんな歴史にも前例のなかった事件の上に、我々は今たっている。われわれの国家は、かつてないこの事件で、魔法少女たちを迫害した。反乱はこうして起こった。人類は苦境に立たされ、今まで守られてきた魔法少女を敵に回した。我々が経験した悲劇だ!」
城下町の民が、魔法少女たちが、唾を飲みこむ。
「だが、みよ!われわれは今、その悲劇の上に、今もこうして立っているではないか!」
新王は語り続けた。声高に、はっきりと、堂々と。
「我々は今、生きて、この事件の上に立ち、そして語りあっている!」
新王の”われわれ”には、人類も魔法少女も含まれている。
「たくさんの人命が、今日、失われてしまったではないか!なぜ、いつまでも、殺しあうことと、憎しみ合う日々を繰り返すことを、おまえたちは望むのか。悲しみと憎しみの連鎖は、今断ち切らねばならない。さあ、共に語って、やり直そうではないか。我々にはそれができるのだから!人は、命あるうちはやり直せるのだから!」
王の話は終わり、そして、音楽が吹き鳴らされた。
パッパーという華やかな音楽と共に、冠を戴いた新王と魔法少女のアリエノールは、再び手を取り合う。
城下町の人々は、やり直せる、その言葉が、じんわりと胸の中にのこっていた。
魔法少女さえ、殺し合いの未来が始まる日々を思い描いて、気を重くしていたところに、その言葉が、深く残った。冷え切った冬に春の芽が吹いたような、暖かな光が差してくる心の温かみだった。
城下町のギルド議会長の娘ティリーナは、キルステンとアルベルティーネを誘って、スミレの前に進み出た。
てくてくてくとまっすぐ前に進み出る。青いマントを着た魔法少女の前に。
スミレが不安な顔を浮かべる。目に流した透明の敵は、まだ乾いていない。
ティリーナは微笑んだ。もう、迷いはなかった。
「やり直そ?わたしたち。」
ティリーナはスミレの前に手を伸ばして、言った。
スミレは、最初、戸惑っていたが、やがて、嬉しそうに、ティリーナの手を握り返した。
仲直りだ。
もう、人だからって、魔法少女だからって、過去の事件に縛られて隔たりを感じる必要もない。
「うん、私たち、やり直そう。」
生きているうちは、人はいつだって、やり直すことが、できるのだから。
人類は何度も過ちを繰り返してきた。
魔女狩り、迫害、侵略、異教徒の虐殺。
何度も間違えてきたが、生きているうちは、やり直すことができる。
だからこそ、命は尊い。人の命はかくも尊い。
何度でもやり直そう。命あるうちはやり直せるのだ。
237 : 以下、名... - 2015/05/31 01:03:08.96 MrWPFdbi0 2722/3130今日はここまで。
次回、第72話「エドワード新王」
第72話「エドワード新王」
527
一連の魔法少女狩り事件は終わった。
王国の危機に終止符は打たれ、人類と魔法少女の、避けられぬ宿命は、確かに数千の命を奪ったが、地上の者たちはそれを乗り越えた。
彼らと、彼女らは、その上に立ったのだ。どんなに絶望的な歴史に足を踏み入れてしまっても、命あるうちは必死に希望を追い求めつづける。
王子の戴冠を背後から見守りながら、クリフィルは王城の頂上からふと空を見上げ、心に想った。
”魔女狩りは終わったが、亀裂は残るだろう────”
空には鷲が舞っている。黒いハゲワシの群れだ。鳴き声あげながら、王の城にはびこる死体たちの臭いをかげつけて、どっかの野山からやってきた。
”私たちは今日、たくさんの人命を奪ったのだから”
城では王子の戴冠式を祝う、食事の準備が始められている。
貴族たちと、魔法少女たちが席につき、城の料理人が持ち運ぶ料理の数々を待っている。
儀礼も作法も知らない、城下町の魔法少女たちは、なぜ王の食事会にはスプーンがないんだ、と言い出したり、フィンガーボウルの水を飲み始めたり、砂糖でできた装飾菓子を食べるものと勘違いして口にしたりしている。
クリフィルだけが、王の食事会の席にはつかず、第七城壁区域の頂上から、顔をみあげて空を眺めつづけていた。
空を見上げる表情の前髪は、あたたかな春風にゆれて、ふわりとゆらぐ。
美しい、少女の髪が。なびいてそよぐ。
”過去のどんな魔法少女たちが、今日のような戦いを挑んだだろうか”
西暦3000年後期に数えられるこの時代。もしかしたら、私たちの知らない過去に、今日のような、魔法少女と人類の存亡をかけた戦いがおこなわれていたかもしれない。
だとしたら、歴史は繰り返された、ということになる。
”だがこれだけはいえる 私たちは今日という戦いによってある自由を得た”
クリフィルの瞳に、空を舞うハゲワシたちの姿が映る。黒い群れ。城に倒れた兵士達の死体の、はらわたをクチバシでつついて、臓器を摘み出そうとする鳥獣の姿が。
空を舞うハイエナたち。
今日という日に、死者がいかに多かったかを物語る。死は、死で片付けられない。死には必ず、後処理がある。
命は果てても、後処理はされる。
”それは自分の本当の気持ちに向き合うという自由────”
クリフィルは空を眺め続ける。少女の瞳に青空を映しつづける。
王都が新しい治世を迎えた城下町の空を、山々の空を、渓谷の空を、世界を包む空を。
どこまでもつづく青の空。地平線に果てはあっても、空に果てはない。
永遠に、この腕が、空に届くことはない。地球という惑星の、大気を包む空だ。
”私たち魔法少女が、魔法少女らしく生きるという自由だ”
過去のどんな魔法少女も、クリフィルらたちほど、堂々を正体をみせた魔法少女はいなかったかもしれない。
鹿目まどかも、美樹さやかも、美国織莉子も呉キリカも神邦ニコも正体を隠してきた。
クラスのみんなには内緒だ、と最初に鹿目まどかは言った。
彼女たちは最後まで自由ではなかった。鹿目まどかは母に、魔法少女になる決意をしたことを伝えられなかった。
母にも、弟のタツヤにも、父の知久にも。
クリフィルらが得た自由とは、血の犠牲の上に成り立つほど、危うくて尊いものだ。
自由はいつだって犠牲の上に手にできるもの。
自由を愛せ。
命が煙らないように。
人に圧せられるままに屈した人生を送るな。
もし、クリフィルたちが、今も人間の魔女狩りの狂気に屈して、魔法少女の正体をひたむきに隠して、円環の理の迎がくるのを待つばかりであったならば、この日のような奇跡は起こらなかっただろう。
王子の戴冠式は開かれなかっただろう。
今日のような自由と開放を心から感じとることはなかっただろう。
この日の戦いは、自由のための戦いだった。
それが、後世に記憶されるにつれ、どんな事件として語り継がれるのかは分からない。
魔法少女が正義の味方としての使命を忘れ、殺戮に走った悲しき事件と語り継ぐか。
人類と魔法少女の亀裂が表面化した事件とでも語り継ぐか。
もし円環の理が見ていたならば、天で女神が嘆き悲しんだ事件と語り継ごうか。
だが、自由のための戦いだった。
クリフィルは言った。私たちは、魂すら捧げたが、その意志は自由だ、と。
意志の自由までなくしてしまったら、魔法少女は死人だ。魂と肉体が分離されているから死体、という意味ではなくて、心が死んでいるという意味の死人だ。
魔法少女は、自由でこそ、生きているのだ。
「エドワード新王、万歳!」
ついに得た自由のなか、魔法少女たちは、王の食事会に出席し、こんがり焼けた香料いっぱいのロースト料理を手で食べながら、讃える。
歓びのうちに讃える。
新しい統治を。王国の新たな治世を。
自由な未来を。
「エドワード新王、万歳!」
王城の誰もが、称賛し、叫んだ。
528
鹿目円奈はド・ラン橋を渡りきった。
王都・エドワード城を抜け、南の国サルファロンの領地、新しい大陸に辿り着く。
馬が走りきり、幅18メートルの狭い橋を抜け、断崖絶壁の渓谷の、対岸に来た。
リドワーンら11人の魔法少女たちと共に。
「はあ……はあ」
馬が止まると、円奈は疲れきった表情をみせ、馬から落ちるように着地した。
足が土に着いた瞬間、ふらっとバランス崩して、倒れ込んでしまう。
姫新芽衣がすぐに、円奈を優しく抱きかかえた。
芽衣がみると、円奈は頬を火照らせ、熱だしたように額は汗だくで熱かった。
瞼は瞑られ、はあはあと息を切らしている。
煙を大量にすったあと、酸素もないのに、無茶したのだ。魔法少女でもない、人間の女の子が。
身分は騎士らしいが、それにしても、過酷すぎた。
だが、鹿目円奈はエドレス王国を抜けた。
南の国サルファロンの地に入ったのである。
だが、鹿目円奈はエドレス王国を抜けた。
南の国サルファロンの地に入ったのである。
その先にミデルフォトルの港がある。港からは、聖地エレムへの船が出航する。その先に辿り着ける旅の目的地。
暁美ほむらが待つ聖地、東世界の大陸がある。
円奈は、ようやく瞼を上げ、ピンク色の瞳をみせて、森を眺めた。
エドレス王国を抜け、裂け谷の対岸に渡ったその先にあるのは、森の占める野の世界。
森、森、森の、日の当たらぬ山道が続くだけ。
エドレスの領地を抜けた途端に、田舎になった。
未開の森。
円奈は立って、もう一度だけ、きた道をふりかえって、渓谷の中心にそり立つ王都エドワード城を眺めた。
七つの層に分かれた、天空にまで届きそうな巨大な城がある。
エドレス国の旅は終わった。
再び、右も左も分からぬ、地図もない野生の森のなかに、入り込んでゆく。
野鳥の鳴き声が森のあちこちで聞こえ、甲高く木霊する、霧のふる暗い森の深みへ。
森を抜けば海がある。港町がある。
サルファロンの森は広い。道もなく、獣道があるばかりで、峻険な森がいつまでも続く。
土と根っこと木々の欝蒼とした道だ。
鹿目円奈は王都に別れを告げ、次に向かう道、その森の入り口を見つめた。
林道が奥へとつづく。
一度その道に足を踏み込んだら、二度と戻れぬ気がしてくるような、森林につづく暗い道を。
リドワーンら11人の仲間たちと共に。
この森林に入る。
王都・エドワード城では、戴冠式を終えた魔法少女アリエノール・ダキテーヌが、この日旅立った鹿目円奈のことを想って、フルートの音色を城の天辺で、悲しげに吹かせていた。
神の国と女神の祈り。
それは、聖地を巡る聖戦の物語。
247 : 以下、名... - 2015/06/18 23:07:28.40 C1+e6dtV0 2730/3130今日はここまで。
次回、第73話「サルファロンの森」
531
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅦ: path to heaven
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅶ章: 聖地への道
第73話「サルファロンの森」
日の光は森が遮っていた。
薄暗く、道は欝蒼としていて、木々に囲われていた。
踏み込むたびに足に根っこが当たり、ひっかかり、乗り越えなくてはいけない獣道の連続だった。
鹿目円奈は何もしゃべることなく、仲間の魔法少女たちと共に、彼女だけ馬に乗って、サルファロンの領地を進んでいたが、その目つきは真剣だった。
もうここまで来たら、進むべき先には聖地しかない。世界広しいえども、円奈の目には聖地しか映っていない。
さて、馬を進める円奈の周囲には、初対面だがなぜか仲間になってしまった11人の魔法少女たちがいた。
そのうち2人は円奈も知っているし話したこともある。
赤い目を鋭く光らせる修羅の魔法少女・リドワーン。黒い髪は肩の下まで伸びているが、流浪の人生を過ごしていて、整えられた髪をしていない。むしろ、何年以上も風呂も入っていない、ぼさぼさの乱れた、つやのない髪の毛である。両肩に垂らした黒い獣皮は、いつかの狩りでしとめた猪の皮をなめしたもの。
まさに野生の世界を生きる魔法少女だった。
が、実は王女の身分の生まれでもあった。過去の悲劇を通じて、今のような、流浪の魔法少女人生を送っている。
リドワーンと円奈が初めて対面したときは、エドレス王国の農村地に入るちょっと前、ドリアスの森でのことである。
ロビン・フッド団とモルス城砦に乗り込んで攻略したちょっと後のことである。
出身地のセルビー城で、神の国を亡命してきた円奈の母・鹿目神無を保護したことがある。
灰髪のふさふさした髪をして、金色の瞳をした魔法少女・姫新芽衣(きしん・めい)。
金色の目は狼の瞳のようで、夜のなかでも光りそうだ。もちろん、実際そうはならない。灰髪の髪は、年老いた婆の髪を連想させる。しかし艶やかで、栄養たっぷりな女の子の髪の毛。動物的なふさふさ感のある髪の毛。
円奈とこの魔法少女の出会いは、エドレス王国最初の国境地帯、モルス城砦でのこと。
ロビン・フッド団の少年たちと共に砦に乗り込んだ円奈が、捕われの身となった姫新芽衣を解放した。
思いもかけず、王都・エドワード城の城下町で再会し、そして、仲間となる。
さてしかし、他の9人の魔法少女たちは、円奈とは顔も知らない、会話したこともないの他人たちである。
なのに、なぜか仲間として、南の国サルファロンの森林地帯を共に旅していた。
一人ずつ円奈は、見知らぬ魔法少女たちをちらちらと見て様相を観察した。
さて、一人は、紫の髪毛をした、大きな弓を持った魔法少女。
名はブレーダル。爆発矢使い。その攻撃力は、王都でさんざん暴れたときに、見せ付けた通り。ド・ラン橋を大破させた。
しかし魔力の消耗も激しい。すぐソウルジェムが真っ黒になる。
彼女の爆発矢を直に受けた兵士は吹っ飛ぶ。肉片と脂肪と骨の粒粒と化す。ブレーダルは流浪の身の魔法少女であるので、人間の村を襲撃して食物を奪う。そんな悪辣な盗賊でもある彼女は、爆発矢を人に当てる。その餌食となった人の数は知れない。
しかし、時代が時代であった。騎士が盗賊団と化すこともあれば、魔法少女が盗賊と化すこともある、暗黒の乱世だ。
もう一人は、アルビノ種の遺伝持ちで、全身の肌も頭髪の真っ白な、神秘的な風貌をした魔法少女。
名は、レイファ・イスタンブール。レイピア使い。ナポレオン軍服のような魔法少女の変身衣装をするが、普段着はチュニック。腰にベルトを巻いている。髪の毛は色がない。雪のように白い。その瞳まで白い。
雪の国からやってきたような、妖麗な雰囲気がある。特に、その白い毛が、ふわふわと風になびくときは。
もう一人は、髪の毛も黒く、どこか肌も褐色系の、魔法少女。
杖を持ち歩いている。円奈は知らなかったが聖地出身の魔法少女で、名はヨーラン。聖地の度重なる戦争に嫌気がさして西世界の大陸にやってきた。聖地からは裏切り者として追われている魔法少女。
聖地出身のエレム人として、軍役の経験がある。聖エレム国には魔法少女に軍役制度がある。
しかし、鹿目神無が指揮官だった世代ではないので、円奈を見ても何も思わない。
もう一人は、髪が長くて腰あたりのであり、しかも背が一段と高い魔法少女。
あだ名はチビのチョウ。どうして背が最も高くて、頭ひとつ抜けているのに、チビの呼び名なのか分からない。
目は橙色で、黒い髪の毛には、赤い蝶の髪飾りをつけている。武器はただの剣。
円奈は、気まぐれに、たまたま馬に乗って森をすすんでいるとき彼女がすぐ隣のポジションにいたので、「魔法少女ってどうして変身が必要なのかな」と問いかけたら、チビのチョウは「女は見た目でナメられたら終わりだからだ」と答えたわけで、円奈には比較的、印象が強めにのこっている魔法少女だった。
もう一人は、ホウラという名前の幼い魔法少女。11歳くらい。自分自身を狼だと思っている。
幼少時代を狼に育てられていた。両親は人間ではなく、狼であった。つい最近まで、四つん這いで歩き、深夜にくぉーんとか声をあげる奇行が目立ったので、リドワーンら仲間たちが矯正して人の言葉を教えた。
でも、いつも森で狼を見つけると、誘いかけて仲間にしてしまう。狼と気持ちを通じ合わせることができる。
もう一人は、マイミという弓使いの魔法少女。その弓は複合弓。リドワーンと同じ流浪の身で、流浪者同士、仲間になっている。出身はエドレス郊外のサンクテア城付近の農村。歌娘だった。魔女の疑いがかかって農村から追放される。
もう一人は、シタデルという、狩人の魔法少女。やはり、流浪の身。武器は斧だったり弓だったり、ロープだったりいろいろ使いこなす。
もう一人は、アルカサルという、貴族の城出身の魔法少女。母姫が失脚して娘も国から追放された。
母の失脚の原因は、アルカサルが魔法少女として他国の魔法少女に負けたため。武器は剣と長弓。
彼女のロングボウは210ポンドの弦。
もう一人は、ラインバウという、鎌と斧使いの魔法少女。最近は弓の使い手にもなった。これまた流浪の身。
皆、今は流浪の身である魔法少女の集団であった。
リドワーンをリーダーとして、流浪の集団は、南の国サルファロンを目指す。
利害の一致した鹿目円奈もこの一団になりゆくで加わっていた。しかし、よくよく考えたら、鹿目円奈もまた、故郷の地バリトンの村を旅立っているのだから、流浪とまではいかないまでも、一人身の少女。
一緒に行動できる仲間がいるのなら、いたほうが旅が安全になるに決まっている。
しかも、皆仲間が、魔法少女ともなれば、仲間であるうちは円奈に危険があることはほとんどない。
他の、魔法少女集団と敵対し戦いでもしない限りは。
しかしそれさえ起こりうる時代だ。
他人の国に入ることはつまり、他人の魔法少女の縄張り地域にのこのこ足を踏み入れる行為だ。
特に、こんな森の中は。
リドワーンの一行は、皆が無口で、黙々と森の道を進んでいた。
リドワーンが先頭で、ブレーダルやラインバウ、アルカサルらが長弓を持って、森で聞こえる獣の声に耳を澄ましながら林道を進んでいく。
それにつづいて、一人だけ馬に騎乗する円奈、それにつづき姫新芽衣、レイファ、ホウラなどの魔法少女たちがとぼとぼと歩く。
根っこを踏み越え、道のない道を進み、森の奥へ進む。
聞こえてくる声は鳥のけたましい囀り声だけ。鳥は食事の時間であった。
皆、エドワード城での激戦を乗り越えたばかりだったから、疲れた顔をしていた。特に円奈は、馬に乗っていたが、時折眠たそうに目を瞑った。いや、眠たそうに、というよりかは、倒れそうに、ふらっとなって、慌ててパチパチとピンク色の瞳をこする、といった様子だった。
といのも、昨晩の王城への潜伏作戦から、一睡もしてなくて、寝不足であった。疲労もたまっていた。
すると、一人の魔法少女が、あまりに沈黙だんまりしている一行の空気に我慢しかねて、音をあげた。
「だーっ、もう、いつまでしけてるのさ」
ブレーダルだった。
紫毛の魔法少女は、指を握り締めて、がーっと歯を噛み締めて喚きはじめた。
「なんだよこの空気?林の如く静かじゃないか。魂おいてきちまったのか?」
「ちゃんと持ち歩いてるよ」
マイミが手元の赤いソウルジェムを光らせた。ぴかっと、仄かな血の色をした透明な宝石が赤く光った。
「王都を抜けたせいで、腹がへったよ」
と、シタデル。お腹がぐうと鳴った。「そこらじゅうで鳥が鳴いているじゃないか。とっつかまえよう」
一人が喋りだすと、他の一行の魔法少女たちがぺちゃぺちゃくちゃくちゃと喋りだす。
まるで、お喋りの波紋が広がっていくように。
「狩りしてる場合か。王都を抜けたが、追っ手がくるかもしれない。もっと奥に入るんだ」
と、ラインバウ。
「追ってなんか怖いもんか。ここは森だぞ。森じゃあたしが法律だ」
自信たっぷりにいうシタデル。
「はっ、何が森の法律だよ」
鼻で笑いはじめるレイピア使いのレイファ。
「エドワード城からは追ってが来てる。無用な戦いをして魔力を消費したくない」
「魔力、か!」
と、チビのチョウ。背の高い黒髪の魔法少女。身長は170センチ弱ある。
「夜になったら、この領地には魔獣が発生するのかなあ?だれも人の住んでなさそうな森だ。人が食われないと、魔獣も発生しないからなあ!」
「だったら節約するべきだ。神の国にいきたくなければな」
ヨーランが呟く。
もちろん、ここでいう神の国とは、あの聖地の都市のことでなく、天国、つまり円環の理に導かれた先の御国のことである。
聖地の土地は、円環の理にもっとも近い地上の聖地として、魔法少女たちに神聖視された土地である。
「神の国生まれなんだろう?」
チビのチョウ、ヨーランに尋ねる。
「神の国で私がしたことなんて軍役ぐらいだったよ」
ヨーランが語る。
「指揮官経験はないけどね」
聖地は、聖なる国であるが、そうであるが故に、戦争が度重なっている。歴史を連ねて。
「ああ、お腹がすいたなあ!知ってるだろうが、腹が減ると、魔力の消費が早くなるんだ。だめだ、何か食べよう!」
と、シタデル。
森をみあげて見回す。
「あたしが食べたいのはな、肉だ。肉だよ。そこらへんに生えてるきのこじゃない。へびいちごなら、食べてもいいかな?この季節は何の実があるかな?バニラ?」
「ブドウ畑があれば荒らしにいく」
ブレーダルがぼそっと言った。「くぬぎの木は、このあたりに生えるだろうか」
なんとも流浪の集団らしい、荒唐な会話だった。
一人が話しだすと、とめどめなくぺちゃぺちゃ魔法少女たちの会話が続く。
リドワーンだけまだ無言だった。
あと、鹿目円奈も、この会話に入らず、眠たそうに目をこすり続けているだけ。
たまに落馬さえしそうになる。そのときになって、ひゃあっと慌てて、手綱を握りなおす。
けれど、15秒もたてば、また、ふらふらと眠たそうな目になる。
一睡もせず、エドワード城に夜間潜入をして、捕まって、魔女刑にかけられて、火あぶりになりかけたところを脱出、王都の城に再び突撃、生きて命かながら崖を渡り、森に入った。
疲れと、眠気は、当然のように円奈ののしかかっていた。
「くるみ、はぜの木、ざくろ、見つけたいのはこのあたりさ」
ブレーダルが言う。
「どんぐりは好きじゃない」
「腹が減ると魔力消費が早くなるって?そりゃ初耳だ。なぜそういえるね?」
マイミが問いかけた。
シタデルが答えた。
「腹が減って足りない栄養は、魔力が補うからさ」
「ということは、満腹でさえあれば魔力は消費しない?」
マイミが再び問いかける。
こうした調子で、11人の魔法少女と鹿目円奈は、一部の人たちがぺらぺらと呑気に会話しつつ、森の深みに入って進んでゆく。
鳥たちの囀る森林の中を。
「いや、する。僅かずつだがする。」
坂道にさしかかりはじめた魔法少女たち。日の光は、ますます深森には届かなくなり、湿気が濃くなる。
「たとえば血が流れたり、免疫活動するとき。バイキンが体に入ったとき。肉体は勝手にソウルジェムの魔力を借りる。意識的に絶つことはできるぞ。ところが、失敗したら血も免疫も機能を停止する」
「随分と面倒な体だな」
マイミがため息とともに愚痴を吐いた。草木だられの坂道を登る。
樹木の湿った幹に手をつけ、支えつつ上へ。
樹木は古く、皮が剥げている。
「ま、いいことばっかりの体じゃないのさ」
シタデルは森の奥へ進みつつ言った。前を見つめる。その先に、草に覆われた平地があった。森の木々は拓けているが、草が生え伸びて、進みずらい道。
魔法少女たちは、この水気の多い草木の繁る平地を進む。
追ってはもう来ないかに思われた。
時刻は夕に近づきつつあった。鳥の鳴き声は、夕日を知らせる種類の囀りに変わる。
流浪の身として長生きしている魔法少女たちは、鳥の声によって、時刻を知る。
木々のひらけた場所では、どこかの農民が開拓に失敗した場所かもしれない、大きな広がりがあって、切り取られた株もたくさんあった。
しかし今や切り開かれた地は草木が生え、手のつけようもなく植物に蹂躙されていた。
人が生きるためには、自然と闘わなければならない。この場所では、自然が勝利した。
ひらけた場所にでたとき、円奈はサルファロンの地に入って最初の日をみた。
思わず額を腕で庇う。降りかかる日差しが眩しい。
森に差し込む日差しは、傾いていた。一日が終わろうとしている。日が傾き地平線に近づく。
532
さて、円奈の傷ついた心中はさておき、円奈の周囲に集まった11人の仲間たちは、愉快な様子でご機嫌な歌を口ずさんでいた。
途方もない森を進む魔法少女たちには、他にすることもない。
「”夜がきて───あたり一面が暗くなって”」
草木の茂る草原の一帯を歩き進みながら、魔法少女が歌う。マイミだ。
マイミの歌声を、他の魔法少女たちが、たまに見かけた木の実を切り取って食べたりしながら、聞いている。
「”月だけが私たちの見る光となる”」
時刻は、夕すぎ。
森一面はオレンジ色に染まり始める夕暮れ。
虫たちが鳴き始める。草木のあちこちでびーびーと鳴き声をあげる。
「”怖くないぞ、恐れないぞ!”」
マイミは歌いつづけ、ずんずんと草木を掻きわけ森へ進む。
また、森林の中に入った。
暗くなる。
黄昏。
オレンジ色の夕日に、森が夕日を打ち消して暗闇におちる時刻。
たそがれ、とは、誰そ彼、の意で、暗くなってきたので通りかかった人の顔もわからない、という意味。
最も森が美しくなる時刻でもある。
「”きみさえそばに、いてくれるなら”」
マイミの歌声もまた、美しい。
洗練された美声を披露してみせる。農村暮らしの娘だったときは、川のせせらぎにのせて、歌をよく歌ったものだ。
もちろん、恋人であった美男子の隣で。
「”だから乙女よ、愛する人よ、傍にいて”」
追ってがくるかもしれない、と切羽つまった会話を交わしていた割には、緊張感のない仲間たちだった。
だいだい、道もないのに、どうして迷うもなしに適当に森の中に入っていくのか。
円奈は不安を感じ始めた。
目当てでもあるのか。
まさかとは思うけれど、適当にあてもなく森のなかを彷徨い歩いているのだろうか。
地図はないのだろうか。
この人たちについていって、本当に大丈夫なのだろうか。ひょっとして、とんでもない迷子になるんじゃないか。
しかしそうもしているうちに、夕日は落ちて、この一日が終わる。
森の木立はオレンジ色の光が差し、霧がたちこめ、いよいよ暗くなってきた。
森で夜を迎えると、何も見えなくなるほど暗くなる。
瞼を閉じても開いても変わらない程だ。
そこで11人の魔法少女たちは森のど真ん中で野宿とることを決めてしまう。
結局狩りもしないで、食べ物もない。
各自、森の途中で集めた木の実を、一箇所に集めたそれを、11人で囲う。
円奈は、馬を降りると、樹木に荷物を寄せ置き、そしてクフィーユに餌を与えた。
王都の城下町で買った干し草の残りだ。
魔法少女たちは、慣れた手つきで、火打ち石と鉄板で火をつけ、薪を集めて、焚き火にした。
その焚き火を囲って、輪をつくる。
空はすっかり暗い。夜だ。夜空には、星が煌く。きらきらと、銀河をみせて。
王都で反乱の起こった波乱の一日はやっと終わりを遂げた。
「しけた食事だよまったく、これを11人で食べようって?」
ブレーダルが言った。
11人の魔法少女たちが囲って見つめる視線の先には、小さな山に積まれた木の実。
「王都の城にはたんまりと料理が並んでたろ?」
「だから、狩りしようって、いったじゃないか」
と、シタデル。「日のあかるいあちに、鳥でも仕留めておけば…」
さて、彼女たちがこの一日で集めた食糧を見直してみよう。
いちじく、さんざしの実、ういきょう、まくわ瓜、ユリ科の山レーキ、コエンドロ、チコリ。
赤れんり草とれんり草、ちりめん葉ぼたん、白花菜。
11人で平らげるならば、文字通り、すぐに平らになる。
緊張の面持ちで、11人の魔法少女たちが、じろじろ互いに視線を交し合っていると、姫新芽衣が起き上がって、クフィーユの隣で佇んでいる円奈の前に座って、そっと、言った。
「円奈も食べよ?」
と、芽衣が円奈のほうを振り向いたら、樹木に背を寄せて佇んだ騎士の少女は、すでに弓も剣も武装を外して、ぐーぐー寝息をたてていた。
一睡もせずに反乱に加わって、王城に突入し、無事に国を出た騎士。聖地をめざす騎士。
今は、休息のときだった。
目は静かに閉じられて、愛馬クフィーユの傍らで、頭をくらっとさせながら、眠りに落ちている。根っこの生えた土のところで。
クフィーユは、主人の隣で、同じように横になっている。前足を伸ばして、リラックスしている。
「疲れてるんだね」
芽衣は土の地面にしゅがんで、頬に手をつけて、ニコリと微笑ましそうに円奈を見守る。
野鳥が、獣を啄ばむ声が、森のどこかから聞こえた。
「その女は金持ちだ」
と、言い出したのはアルカサル。険しい目で円奈を見る。「馬を飼っている。ということは、騎士だ。金貨たくさん持ち運んでいるんだろうよ」
「金なんかここじゃクソの役にもたたん」
と、レイファ。木の枝を、遊具のように、握っている。
「こんな森で金もってて何になる?必要なのは、肉だ。生きたままの鹿を、焼いて食べる肉がほしい。あの肉づき!あの野生の肉の焼けた味!香料をつけて、ぴりっぴりの辛味と共に、あっつあつの鹿肉を食べる。もちろん、香辛料で真っ赤な肉をな!そうだ、そこに馬がいるぞ…馬肉にするか?」
「あっははは」
魔法少女たち、笑いだす。
クフィーユがムッとした顔になる。耳を寝かせてしまう。
「明日の朝になったら狩りだ」
と、ラインバウ。「猪をとっ捕まえるんだ。みなで焼いて食うぞ」
この流浪集団の一行は、エドレス国の領地を点々とまわっていたが、やがて王都を抜けて南の国サルファロンを目指そうと決めた。
そのためには、王都の城を抜けて、裂けた谷に架けられたエドワード城の橋を渡らなければならなかった。
だがその王都では魔女狩り事件が起こっていて、魔法少女の通行は不可であった。
一行は王都を抜けるチャンスをずっと待っていた。
そこに起こった反乱事件。鹿目円奈の火刑をきっかけに起こった反乱。
城下町暮らしの魔法少女たちが王に反抗して、城に突撃をはじめた謀反。
この謀反に乗じて、一行は王都をまんまと抜け、この領地に来た。
「魔獣を狩るのは簡単だ。野獣を狩るのは骨が折れる」
といって、ブレーダルは、山に積まれた食料のうち、ういきょうとコエンドロ、まくわ瓜を、円奈の手に持たせた。
「なんにせよ、あたしらが、この南に踏み込めたのは、あの鹿目円奈のおかげだ」
といって、ブレーダルは笑い、眠った円奈の前髪をしわくちゃと揺さぶった。
円奈は、魔法少女に髪をばさばさとゆさぶられたとき、ぴくっと瞼をひくつかせただけで、まだ寝息は立てた。
はっははは。
租野な魔法少女たちは、円奈の反応に、また、けたけた笑った。
その夜が終わると、魔法少女たちは皆腹をすかせた状態で、森のど真ん中で眠りはじめた。
みな、樹木に身を寄せて、眠る。木の葉を集めてベッドにする魔法少女もいた。姫気質の残る芽衣がそうだ。
533
夜が明けると、鳥のさえずり声に起されて、魔法少女たちは身支度を始めていた。
森のど真ん中で。
といっても、身支度といっても、特に服を着替えることもしないし、水浴びすることもない。
乱れきった髪の毛を、櫛を仲間同士で手渡ししつつ、整えるか、服の乱れを整えるくらいかなもんだ。
円奈の髪を整えていた。
ふぁっあ…という、間抜けたあくびを、二日ぶりの睡眠をとった円奈はだした。そして、ブレーダルの視線に気づいて、顔をそむけた。
見ないで、と。
エドレスの都市で一回、髪を切ってもらったが、また伸びてきた。肩の後ろまで髪がかかっている。
あひる座りで毛髪を櫛で梳かしている。赤いリボンは、眠る前に解いていたので、それを結び治す。
リドワーンは一番目覚めが早くて、しかも身支度も終えていた。
彼女は森の奥へ視線を投げかけていた。
じいっと森の道の先を眺めている。その視線は鋭い。といっても、この魔法少女はいつだって眼光が鋭い。
コウモリのような赤い目をしている。
ところでリドワーンは身支度を終えるのは早かったが、それもそのはず、彼女は身支度らしい身支度をほとんどしない魔法少女だった。
つまり、おきたら獣皮を肩にかける、で終了である。
髪も整えなければ服も調えない。つまり、髪も服もボサボサだ。しかし、流浪の生活を続けること長年、整髪なんてどうでもいい、と考える魔法少女だった。
しかし、しかしである、どういう訳だが、髪の毛を短くしすぎると、魔法少女の魔力は低下の傾向がある。
どういう理由なのかは知れない。
たぶん、変身した魔法少女の衣装にふさわしい髪型でいろ、という意味がある気もするが、真相は分からない。
「リドワーンは相変わらず女を捨ててるな」
と、ブレーダルが大きな弓を手に持ちつつ、唇を指でぬぐって、いった。
「みろよ、あの枝毛の数。見てるだけでむさ苦しい」
「女どころか人間捨ててるよ」
レイファ、アルビノ種の色がない白髪を、櫛で丁寧に整える。さらっ、さらっと、妖気のこもっていそうな色をした白の髪を梳かす。
「魔力のちょっとでも消費すれば髪の毛くらい整えられるのに…」
姫新芽衣、このメンバーの内では最も髪の毛に気を使う魔法少女が、リドワーンの背中を心配げに見つめている。
「そのちょっと、ていうのがダメなんだろ」
と、マイミ。
「ちょっとくらい、魔力で頭髪整えよう。ちょっとくらい、腹ごしらえを魔力で補充しよう。ちょっとくらい、風邪を魔力でなおしちゃおう。それが寿命を縮める」
「あたしらは金よりも魔力が大切だ」
と、ヨーラン。
「こんなことわざがある。”金持ちになりたかったら、金を愛するだけじゃだめだ。金に愛されるようになれ”」
ぴっと、指たてて、得意気に語る。
「酷使するなってことだろう、回りくどい」
アルカサルがぼそっと言った。
それから彼女は、腹に手をあて、森を見回した。
「ああ、お腹すいたなあ!さあ、今日は狩りをしようじゃないか」
「狩りか、!魔法少女の腕の見せ所かい?」
からかってくる、ラインバウ。
「いったい何を仕留める気だ?いっとくが、魔獣なんか狩らないぞ。なんの腹ごしらえにならん」
「これから探すんだろう、バカか」
シタデルが睨む。「鳥でも狼でもかまわないよ。そりゃあ、鹿肉が食べたいけどさ…」
「馬肉ならそこにあるよ」
と、チビのチョウ。背の高い魔法少女が、クフィーユをさす。
するとクフィーユが、ふんと鼻息ならして、チビのチョウを威嚇した。
「うわ!」
チョウはとびのいた。
「クフィーユはダメ!」
円奈が、その間に慌てて割って入って、必死に通せんぼした。
「誰も食いやしないよ。本当に飢え死にしない限り」
と、レイピア使いのレイファ。
「飢え死にしそうだ!」
すぐにからかい始めるラインバウ。「ああ、お腹が空いて、空いて、動けないよ。本当に空腹だ。ここ三日で、白花菜と、ういきょうしか、食べてないじゃないか!」
「ならとっとと出発しよう」
ヨーランが口にした。出発の合図を。「獲物を見つけるぞ!」
534
かくしてリドワーン一行は森を出発した。
南の国サルファロンの領地は、森がどこまでも続く。
進んでも進んでも森だ。
木々の間を進み、草木を掻き分け、ザザザと音たてながら魔法少女たちが進む。
皆、狩り用のロングボウを持っていて、矢筒には矢を15本ほど入れていた。
獣にでくわしたら狩るつもりであった。
ところが、朝っぱらの時間帯に出くわす獣の数は少ない。
「ねぐらで朝寝坊してるのか?」
獲物がなかなか見つからないマイミが、愚痴をこぼしだす。
「熊でも出てきそうな森だけどなあ」
「場所が悪いんだよ。こんな欝蒼じめじめの湿度の森じゃあさ、野兎に出くわしても、逃げられちゃうだろう」
と、レイファ。
「そうそう、この間なんだがね、」
話し始めるブレーダル。
「ヤマアラシを見つけたんだ。あたしは魔法少女に変身した。そして、ヤマアラシをとッ捕まえた。そしたらね、たまげちゃってね!何が起こったと思う?」
「針に刺されたんだろ」
と、森を歩きながら、呆れた声で、ヨーラン。
「そう!」
ブレーダル、嬉しそうに語る。
「いや、もうあれには、まいったね!手が針だらけになっちゃってさ。しかも抜けないんだこれが! 十本、二十本じゃないぞ。ありゃあ50本くらい針があったね!ヤマアラシとだけは戦わないほうがいいぞ!」
「狩りをしたいんなら草原にでなくちゃだめだ……それか、もっと森が開けた場所……鹿は日のあたる場所じゃないと…」
マイミが何か言いかけたら、突然、マイミは話をとめた。
「?」
11人の魔法少女たちと、円奈、全員がその場で止まり、マイミをみつめた。
「どうした?」
「しっ!」
ブレーダルが尋ねて、すぐにそれはマイミが打ち消した。しっ、静かにしろ、と。
そして、マイミはその場で地面に這い、耳を、土に当てた。
瞼を閉じて、マイミは耳を済ませる。地面に轟く音を聞き分ける。
誰もが静かに無言になる。
魔法少女たち11人と、鹿目円奈が沈黙すると、静けさの支配する森には、野鳥の鳴き声と、風が森を吹き抜ける音しか聞こえなくなった。
ざー。ざー。
静かな木の葉のざわめきが聞こえる。
見守る鹿目円奈と魔法少女たち。
マイミは、方耳を地面にひっきけながら、遠くから聞こえてくる川の流れるせせらぎ音と、バタバタという馬の蹄の音を聞き分けていた。
ぴく、と耳がゆれる。
「追っ手かな?」
マイミが呟く。魔法少女たちの顔つきが少し変わった。互いに視線を交し合う。
「いや、ちがう、サルファロンの騎士たちだ。あたしらを追っ払いにきたぞ」
535
魔法少女たちは戦闘態勢に入った。
背中に担いでいた弓を、手元に取り出し、握りながら、ざさざっと素早く森林を移動しはじめる。
「どっちの方向だ?」
小声でラインバウが、マイミに問いかけた。「人数は?」
「たぶん、10か20だ」
マイミが答えた。森の中を、草木を掻き分けつつ、早足で動く。「こっちだ」
魔法少女たち11人は、気配を殺しつつ、足早に移動して、しばし森を進むと、林道にでた。
木々の葉から顔をだすと、比較的、人の通りやすいように開かれた林道に、騎士たちが馬を馳せていた。
甲冑に身を包んだ大柄な騎士たち。その馬にも、鉄の鎧がかぶせられ、甲冑の馬となっている。
馬が走るたび、鎧の、ギシギシとこすれる金属音の軋む音が響く。
まさに馬も人もガチガチに守られた騎兵団だ。
それは、まちがいなく、エドレス王国の騎士たちではなく、森の騎士たちだ。
サルファロンの国の警備隊だろう。む
「やり過ごすか?」
レイファが、シタデルに尋ねた。
「勿論さ」
シタデルが小声で答えた。林の中に顔を再び隠す。甲冑の騎士たちは森を通り過ぎてゆく。
ドタドタと重い蹄鉄を打ち鳴らす騎兵たちの馬は、森の奥へ消え行く。
「余計な魔力消費はしたくないだろ。やり過ごすのが一番だ」
「けど、この林道を通らないと、サルファロンの農村に辿りつけないぞ」
と、ヨーラン。神妙な顔つきをしている。茶色の目。「この林道の傍らを通り過ぎよう。あたしらは森を進み、騎士たちは林道を通り過ぎる。それでいい」
何人かの魔法少女たちが同意した。余計な戦闘は避けたい。
騎士たちが、この林道を警備していることはわかったから、林道に出ることはせず、森中を木々を掻き分けて沿って進もうという意図だった。
536
パラ、パラ、パララ…と。
森に、雨が降り注いだ。
こさめの雨は、森に霧を発生させ、じめじめと、湿気を湧き立たせた。
魔法少女たちは、水を吸ってドロドロになった土を踏みしめながら、草木の茂る中を懸命に進む。
草の一本一本は、ジャングルのように、成長しきっていて、魔法少女たちの身長よりもでかい。
「ひでーひでー、流石の私もここまでひでえ森は初めてだ」
と、ラインバウ。「エドレスの王都が天国に思える」
「湿気がひどいな」
愚痴をこぼし始める魔法少女たち。みな、頭が雨でずぶ濡れだ。前髪が、雨粒を受けて、額にひっついている。
「山の天気は気まぐれだけど、いつも雨だな」
地面は塗れて泥となり、魔法少女たちの足は泥まみれだった。
草木をいちいち掻き分けないと、一歩も進めない。魔法少女たちは、剣で、バッサバッサとでっかい葉を切り取りながら、獣道を強引に進んだ。
「底なし沼に気をつけろ」
レイファが言った。
彼女もまた、レイピアを取り出して、目前に生える木々の葉を、切り取って、道を切り開いている。
「沈んだら、誰も助けないからな」
魔法少女たち、足元をみる。
泥はぬかるんでいる。靴は泥のなかに沈んでいる。革靴が。
「ちょー最悪だ」
ブレーダルが愚痴をこぼした。今朝、せっかく整えた紫毛は、泥と、葉だらけになっていた。
どの植物も、雨水に打たれて、水びだしだった。そこを掻き分ける魔法少女たちの服もずぶ濡れになる。
「くそ、だれだ、雨を呼んだのは、雨女め」
と、マイミが、ちらっと円奈を見た。
馬に乗って森を進んでいた円奈が、訝しげに首をかしげた。
「ちゃんと林道に沿ってるのか?ちょっと木々の生え方が普通じゃない」
シタデルが、苛々した口調で、仲間たちに問いかける。
「沿ってるよ」
ヨーランが答えた。
こんな調子で、11人の魔法少女たちと、一人の鹿目円奈は、ジャングルの如き南の国サルファロンの森を進んだ。
林道を避けたのは、警備隊と出くわすのを避けるためだった。
537
とにかく、聖地を目指す少女・鹿目円奈は、11人の魔法少女たちとこの日も行動を共にすることになる。
朝日が森に昇り、日照りが森に差し込んでくると、皆目が覚める。
欝蒼と天井を覆う森は、相変わらず湿気が強く、朝になっても暗い。
枝根っこは樹木から垂れてぶら下がる。
目を覚ましたリドワーンの一行は、この日の作戦行動について話し合った。
「もう、伏兵と出くわす予想はついた上での行路をとる」
ブレーダルが語る。
仲間たちが、ブレーダルを囲って、話し合いをしている。伏兵、とは、サルファロンの森の騎士たちのこと。
「私の考えでは」
ブレーダルはなかまたちに作戦を伝える。
「”待ち伏せ”には”待ち伏せ”で対抗すべきだ」
「私らが待ち伏せするっていうのか?」
と、マイミが問う。
「そうだとも」
頷くブレーダル。
「考えてもみろ。ここは森だぞ。森で人が動く場所といえばどこだ?」
「水辺か」
納得したように言うシタデル。ふむと鼻を鳴らす。
「そう」
ブレーダルは得意気な顔をみせた。「待ち伏せしてる兵は水辺にいる。なら、あしたらも水辺で待ち伏せだ。伏兵がしびれを切らして水辺を移動したところを狙う」
人も魔法少女も、森で生きようと思ったら水は欠かせない。
田舎の領主の城は、例外なく水辺の付近にある。城内の井戸から水を汲めるようになっている。
驚くべきことに、城内の井戸にはろ過機能がある。文明が発達した国からみたら、井戸なんて、と偏見されがちだが、高性能な水路なのである。
水辺こそは、森林の重要拠点だ。
「また罠に嵌るかもしれないぞ」
警告するアルカサル。「落とし穴にでも嵌ったら」
「そのときは水辺を突っ切るさ」
ブレーダルがニヤリと歯をみせて笑う。
「そこの騎士を先頭にしてな」
ちらっと、円奈を見る。
クフィーユの首筋を愛撫していた円奈が、背筋に何かを感じ取って、ブレーダルを見た。
ははは。
魔法少女たちが、笑い始めた。
しゅん、となる円奈だった。
この魔法少女さんたちは苦手だ、と円奈は心の中でちょっぴりつぶやいた。
ユーカはこういう、粗い性格の魔法少女たちの集団に突っ込まれるという洗礼をすでに受けていたが、円奈は、今回が初めてであった。
いまどきの魔法少女は、魔獣と闘うだけでなく、とにかく相手が人だろうと獣だろうと闘いまくるので、とにかく荒っぽい性格の持ち主が多かった。
538
緊張した会話が交わされていた今朝とは打って変わって、昼間は、のんびりした森の移動だった。
魔法少女たちは、空腹に悩みながら、狩用ロングボウを手に、森の草木を踏みしめつつ進んでいた。
「水辺なんてどこにあるんだ」
ぼんやり、チビのチョウがぼやく。
「ブレーダル、あんたの話、聞こえはよかったが、水辺が見つからなきゃ、おじゃんじゃないか」
「近くにあるさ。近くに」
ブレーダルは呑気な声だ。「喉もかわいた。お腹もすた。ああ、食べ物が足りないって不幸だなあ」
姫新芽衣は、通りかかった森中で見つけた木の実を拾って集めている。
ういきょう、ヨモギ、タニタデ、オニナベナ、そしてこの日もへびいちご。
とりあえず食用にできる葉はなんでも集めた。
マイミは昨日の歌の続きを詠いはじめた。
伏兵の可能性さえあるのに、なんと間延びた美しい歌声が森に響く。
「”もし頭上の空が落ちてきて───”」
しかも、どの魔法少女も、マイミの歌声に対して、文句の一つも言わない。
いまいちこの魔法少女たちの空気が分からない円奈は、後ろをついていくしかない。
クフィーユだけが話し相手みたいな状況だった。
「”山々が海にまで崩れ落ちても───”」
リドワーンは、刀を抜き、邪魔する木々は切って、強引に道をつくって進む。
その後ろにつづく魔法少女たち。
姫新芽衣と、円奈の2人。
「”泣かない、私は泣かない、涙を落とさない!”」
マイミは、虫のついた葉っぱを斬りおとす。
「”あなたが傍にいてくれるのなら”」
「ジークフリードの話を知っているかい?」
突然、レイファが、シタデルに話しかけ始めていた。
与太話の尽きない魔法少女たちだった。
「いや、知らんね」
シタデルが答える。
「ドラゴン退治の英雄さ」
レイファが話した。勾配の激しい森道を降りる。
エメラルドグリーン色の葉が包む森。天井も囲い、日の光は僅かにしか漏れない。
「村人を困らせていたドラゴンを退治しに洞窟に旅したんだ。そしてドラゴンを退治した」
「ドラゴンなんかいないだろう」
シタデルは相手の話にあまり乗ろうとしなかった。
だがレイファは自分の話をつづけた。
「そこで、ドラゴン退治の報酬として、洞窟からたくさんの金銀財宝を取ったんだ。命がけで竜を退治したんだから、見返りは当然だってね。ところが、警告されるんだ。その金銀財宝には、呪いがかかっているから、手にしてはいけないってね。さて、シタデル、きみならどうする?」
「財宝をぶんどるね」
シタデル、即答。
「呪いがかかってるって?それと戦うのが魔法少女だろう。というより、その呪いって話も怪しいな。財宝とられたくないからってこけおどししてるだけじゃないか?」
「なるほど、だがね、結局、金銀財宝を持ち帰った彼は国で英雄扱い、栄光の頂点だ。しかし妻と重臣の仲が悪くなってしまってね。重臣は彼を殺したのさ。警告通り、呪われてしまったわけだ」
「で、それがどうかしたね?」
シタデルは適当に聞き流していた。
「希望と栄華に始まり、絶望と呪いに終わる。ああ、まるで私たち魔法少女みたいじゃないか!」
レイファは感極まった様子で語った。物語の感銘に、自分を置き換えているかのような口ぶりだ。
すると、シタデルは。
「流離人である私らになんの絶望があるっていうんだ」
と、呆れた口調でレイファの話を打ち切ってしまった。
539
こんな調子で与太話が続いた。
退屈に森を進む魔法少女たちは、もうなんでもいいから、話題を出す。
「レミングが自殺するって本当かね?」
と、疑問を持ち出すブレーダル。「だとしたら、レミングは死って概念を知る動物ってことになるわけだ?」
「崖から滑り落ちるだけだ」
答えるアルカサル。「数が多すぎるくせして、狭い崖道通るから、何匹か溢れ出して落っこちるんだよ」
「どうしてレミングは移動するね?」
シタデルが会話に入ってくる。
「寒いから暖かいところにいきたいんだろう?」
ブレーダル、考えを口にする。
「なら、いつも暖かいところにいればいいじゃないか」
と、シタデル。
「暖かいところは、ときに、熱すぎるんだよ。レミングの体を思い描いてみろよ。全身、けむくじゃらだぞ」
「あのちっっちゃな体を、手の平にのせてみたいなあ!」
と、喋り始めたのは、芽衣。
動物系の話になると食いつく魔法少女だった。
「くりくりした瞳に、ちゅんちゅんと鳴く小さな声。ちょこまかと歩く足。鼻にぴょんと伸びた数本の毛。レミングに遭いたいわ!」
「病気が移ってもしらないぞ」
ヨーランは釘を刺す。
「地面をレミングが埋め尽くすんだぞ、考えただけでぞわっとするよ」
と、チビのチョウ。「大地を蠢く何か。近づいて見てみると、さあ、レミングの群れだ!」
「きみはなぜハトの首が虹色なのか知っているかい?」
隣を歩く魔法少女に、土を踏みしめながら草木を渡るのは、チビのチョウ。狼の少女ホウラに話しかけている。
「さあ、なんでかなあ」
ホウラは適当に返事を返す。塗れて湿った茶色い落ち葉を踏んで森林を進む。
「ぽっぽー。鳩はね、どこにでもいるだろ。虹ってのも、雨がふれば、どこにでもあらわれるだろ。だから虹色なんだ! わかるかね?」
ぺらぺらと喋る魔法少女たちだが、リーダーのリドワーンだけは寡黙。
沈黙したまま森を進んでいる。
もう1人、黙々としているのは、鹿目円奈。
馬の轡の綱を持ちながら、魔法少女たちの他愛ない会話をききながら、あとについていく。
そして、ようやく彼女たちは、水の音を聞き分けて、水辺を見つける。
水の音を聞き分けたのは、一番沈黙していたリドワーンだった。
540
魔法少女たちは、生い茂る森をかきわけ、崖下の水辺を見た。
崖の高さは3メートルもない、ちょっとした切り立った岩肌だ。
ジャンプして降り立つこともできるだろう。
水辺の川は、ざーざーと白い泡立てながら水が流れていて、岩肌の上を流れる。
魔法少女たちは、森の中から顔を出さない。
目だけ、草木の中に潜ませて、水辺の様子をうかがいたてているだけだ。
読みが正しければ、魔法少女たちを待ち受ける伏兵たちはこの付近にいる。
というより、もし自分たちが、この水辺に出たら、すかさず伏兵が攻撃してくるだろうという読み。
なぜなら、ヤツらは、喉の渇きに餓えた魔法少女たちが、必ず水辺に来ると読んでいるだろうから。
それを逆手にとって水辺で待ち伏せしようという魔法少女たちの作戦。
伏兵には伏兵で対抗する作戦だ。
「いったいどこに伏兵がいる?」
草木の隙間から水辺を覗き込みながら、チビのチョウがいう。
「見当たらないな」
隣で覗き見するレイファもいう。「まあ、こっから見えるはずもないが、気配もない」
「しばらく待ってるんだ。あいつらから動き出すに違いない」
と、マイミ。
そうした小声の会話があって、それから数分間、経った。
魔法少女たち、森から動かない。水辺にはでない。
もちろん、皆、喉がカラカラだ。
二日間も水を飲んでいない。
円奈だって飲んでいない。火あぶりになりかけた昨日から、一滴の水も飲んでいない。
森に入ると、喉が渇いたから市場で飲料水を買う、というわけにはいかない。水辺にいかない限りのどを潤せない。
その水辺が目の前にある。
しかし、他国の水辺である。この川はサルファロンの領地の川だ。
近づけば、どんな伏兵の攻撃にあうかも分からない。乱世では、川の水飲むのも命がけだ。
「まだ待つんだ」
魔法少女たちの喉の渇きは、悪化した。ソウルジェムの魔力消費が早くなる。
水分不足でふらふらしてくる意識を、無理やり魔力で繋ぎとめている。
さらに、30分間、経った。
「もう、水飲もうよ…」
と、我慢の限界に達したのは、ホウラ。
狼の少女。
「喉が焼けるようだよ」
「渇きなんか忘れろ」
と、ブレータル。「けど、伏兵の気配はないな。ちよっとくらいくだっても平気かな?」
何人の魔法少女が、同意しかけたとき、馬の音がした。
馬が走る足音だ。しかも、けっこう早い。
水辺に二頭の馬が現れた。騎士を乗せている。甲冑姿の騎士は、森の騎士たち。
鞘に剣を差して、フレイルを持っている。
「巡回騎士だ」
と、ブレーダルが仲間たちに囁く。「やっぱり、見張られている川なんだ」
「水を飲んだら仲間を呼ばれてたな」
小声で言うチビのチョウ。赤い蝶の髪飾りが、緑の森で目立つ。
「でも、これで決まりだ」
森の騎士たちは川辺を通り過ぎた。
ばしゃばしゃと水を弾きながら、流れる川を馬で走りぬける。
「巡回してるなら、伏兵が近くにいる」
ブレーダルは、対岸の森を示した。「たぶん、あっちのほうだ」
魔法少女たちは対岸の森を見た。川辺の向こう岸は、丘のように、陸が盛り上がっている。
魔法少女たちは、狩用ロングボウの矢の鏃を研ぎ始める。
ぎらぎらと光る鏃を、鉄板で磨いで、より鋭くする。
そして、一時間が通過した。
森の空に太陽の日が昇る昼過ぎ頃、伏兵たちがついにしびれを切らした。
我慢合戦に魔法少女たちが勝ったのである。
互いに互いが待ち伏せしあっていた水辺に、先に降り立ったのは森の伏兵たちだった。
向こう岸から、ぞろぞろ人影が現れてきて、フードを被った男たちが弓を持ちながら、水辺へ現れてきた。
陸から水辺へ足を浸らせて、水筒に水を汲み入れたり、手ですくって川の水を飲んだりしている。
「ほらね、読みどおりだろ」
嬉しそうなチビのチョウの顔。
その顔が綻ぶ。草木の奥に隠れる。「相手は40人ほどだぞ」
「こっちは魔法少女が11人だぞ。負けると思うか?」
と、シタデル。歯をみせる。
魔法少女たちは狩用ロングボウに矢を番え、そして、弦を引き絞った。
ギギギギイ、と音が鳴る。
森の中から水辺へ、弓矢が向けられる。
キラリ、と森で光る一点の鏃。その光が日を反射して、水辺で水を汲む男の目に入った。
「アンブッシュ!」
何かの言語を喋った男が、叫んだ。
すると、森の伏兵たちが、慌てふためき始め、左右をむく。
だが、もう遅い。
次の瞬間、魔法少女たちのロングボウから矢が飛んだ。
森の奥から放たれた矢は、水辺へと現れ、そしてフードを被ったローブ姿の男たちに命中する。
「あぐ!」
たちあがる悲鳴。
魔法少女たちは新たな矢を、矢筒から一本抜き、ロングボウに番え直した。
水辺で逃げ惑いはじめる男、まだ気づかないで水汲みしている男、手で水をすくって飲んでいる男、狙えそうな獲物から狙って、矢を撃ち放つ。
バスン!バスン!
魔法少女たちの手元の弓から矢が放たれる。
弦が矢を弾く。矢が空気を裂く音を立ててまっすぐ飛ぶ。森を飛ぶ。
「うぐあっ!」
矢は、水汲みしていた男の顔にあたる。
顔面に矢があたり、鼻下のあたりに矢が刺さる。そのまま矢は後頭部に突き出た。
男たちは川辺を逃げ惑いはじめる。じゃばじゃばと、水を弾きながら走る。
その背中を、容赦なく魔法少女たちの矢が狙う。
また、ロングボウから矢が発射された。
飛んでゆく矢は、川辺を逃げる男の足に当たる。ホウラの放った矢は、手で水をすくって飲んでいた森の騎士に当たり、首下に矢が刺さった男は川辺で倒れた。赤色の血が川に流されていった。
川は今やあちこちが赤い。
足を撃たれた男の血も、川に垂れて流される。別の足に矢を受けた男は、川辺で倒れこみ、立てなくなった。
顔面を矢に撃たれて死んだ男の顔からも、血が流れ続けて、川に混じる。そして血は川に洗い流されてゆく。
「いけ!」
魔法少女たちは、一気に、川辺に踊り出る。3メートルの高さの崖をいっせいに飛び降りて、川辺へ着地した。
じゃぼん、と音がして、水飛沫がたち、次々に魔法少女たちは川に降り立つ。
ばしゃあ、ばしゃあ、ばっしゃあ───。
立て続けにひとりひとり、川辺に着地した魔法少女たちが、水の音をたてて、揃い立った。
「追え!全員しとめるんだ」
魔法少女たちは、弓に矢を番えたり、剣を抜いたりした。
腰あたりまで浸かった川を、ぐいぐい進んで渡る。
矢を番えるホウラや、ブレーダル、マイミらの魔法少女は、川辺から向こう岸に逃げ帰って行く男たちの背中を狙い撃ち、剣を抜いたリドワーン、レイファ、アルカサル、チビのチョウらの魔法少女は、男たちを走っておいかけた。
「円奈!きて!」
芽衣は、剣を抜きながら、まだ森に残っている円奈に叫んだ。
円奈は悩んだ。
このまま、この人たちと一緒に森を進んでいたら、またも、殺し合いに突入してしまう。
どうして、魔法少女たちと行動を共にすると、戦い沙汰、流血沙汰が絶えないのだろう…そう思った。
軍人と同じで武器を持つ者のまわりには血が集まるという、ちょっと考えれば当然の現実ではあるのだが…。
しかし、そのとき、森の対面する方角から、森の騎士たち20人ほどが、円奈を囲うように現れはじめた。
どの伏兵たちも棍棒や槌を手にもっている。
容赦なく円奈に近づいてくる。土を踏みしめながら。
「あ…!」
円奈の目に恐怖が浮かぶ。
「円奈!あぶない!」
芽衣が川辺で、また叫んだ。懸命に呼びかけつづける。
先頭の男が、ついに、棍棒をぶんぶん振り回しながら、馬に乗る円奈に叩き込んできた。
ヒヒーン!
すると、馬が暴れだし、男を前足で蹴飛ばす。
「うご!」
足で胸を蹴られたフードの男は草むらの中に投げ飛ばされて倒れる。
541
サルファロンの森では激しい戦いが始まっていた。
リドワーン一行の11人の魔法少女たちと、サルファロンの騎士たちの、森での戦闘である。
森の騎士たちは40人ほどだった。
後に、合流すれば、60人に増える。
対するリドワーン一行は、11人の魔法少女と、1人の少女の騎士。
土地勘も向かうの現地人のほうが詳しい。森を知り尽くしている連中だ。
しかし、ひとたび戦闘に入ってしまえば、戦闘能力は魔法少女のほうが高い。
彼女たちは、お腹ぺこぺこだし、喉はからからであったが、人間たちとの殺し合いに突入する。
斬馬刀のリドワーン、レイピア使いのレイファ、ソード使いのチビのチョウ、この三人を先頭にして、森の伏兵たちと斬り合いが始まる。
その後ろで、弓使いのブレーダル、シタデル、ホウラ、マイミらが、森中で援護射撃をする。
「とう!」
チビのチョウは、森の伏兵たちが抜いた剣を、自分が持つ剣で叩いて弾いた。
その敵の肩をばっさり斬る。
敵兵の肩は斬られ、腕が落ちた。骨と血が飛び散った。
そのチビのチョウを、背後から棍棒で襲う伏兵がいれば、マイミの矢が彼を撃つ。
ビチュン!
矢が飛び、森の伏兵の背中に当たる。
「あぐう!」
矢が背中を貫いた森の騎士はびんと背筋伸ばして、苦痛に喘いだ。
「とおおお!」
ラインバウが剣を持ち、森の騎士たちに斬りあいを挑む。
剣をふりあげ、敵に近づき、切りかかる。
森の騎兵は、棍棒を手に、立ち向った。
「うおおおお!」
「とおおおお!」
両者が掛け声あげながら、互いに武器を当てあう。
ガッチン!
棍棒と剣が激突し、交わった。交わったそれを、ラインバウは、力いっぱい剣をふるい、棍棒をそらして、もう一度剣を横向きに振り切った。
「おおお!」
掛け声あげてふりきった剣が、棍棒をもった敵兵の首を裂いた。首から血を流した敵兵の胸に蹴りをいれて、倒れさせた。
周囲の敵は、マイミやブレーダル、ホウラ、シタデルらの弓に撃たれている。
マイミの放つ弓が正確に森の騎士たちの体に命中する。
三本連続で放つ。
その三本とも、森を駆ける伏兵たちの体に命中、伏兵らは樹木の裏側にまで矢を受けて、すっ飛んだ。
というのも、210ポンドの矢に撃たれたからである。
この矢に当たった衝撃は、人の体を飛ばしてしまう。
リドワーンと戦闘中の敵兵は、その足をホウラのロングボウに撃たれて、痛みに喘ぎつつ膝をついた。
膝をついた敵兵は、リドワーンの斬馬刀が頭をわった。
頭が脳天から真っ二つになった。脳も頭蓋骨もぽっきり割れた。
シタデルの弓は、槌を手に接近してくる兵の腹を撃つ。
腹に矢が刺さった森の兵は、腹に刺さった矢を強引に引き抜いて、肉も肌も剥げた。
苦痛の悲鳴が森に轟いた。
チビのチョウは、両刃剣を使って、森の木立を進み、フレイルを持った敵に襲い掛かる。
周りに10人、20人の敵兵が巡っているなか、森中で斬りあいが展開される。
これに遅れて、姫新芽衣と鹿目円奈が川を渡りきって、森に上陸した。
あたり一面、敵だらけだ。
円奈の顔にすぐ恐怖が浮かんだ。
芽衣は、剣を握り、接近してきた敵と対峙し、戦いを挑んだ。
「うおおお!」
敵が走ってくる。
芽衣は、トゲトゲのついた棍棒を持った敵に、正面から突っ込んでゆき、剣先を伸ばして、その腹に剣を突き刺した。
腹から入った剣は、背中に飛び出した。
「あうう!」
敵兵は口から苦痛を叫んで呻く。
「…ひぃっ!」
円奈は、馬上で、顔を青ざめさせた。
円奈のなかで何か魔法少女に対する見方が変わり始める。
ユーカと城下町で行動を共にしていたときは、二人で一生懸命、魔獣と戦っていた。それは人を助けるためだった。
人を助けるのが魔法少女だよ、ユーカは言っていた。
腹を剣で刺し殺された兵は、腹部を抑えながら、森の地面に倒れた。土と泥に覆われる。
芽衣は、刺し殺した兵から剣を抜いた。
ロビン・フッド団に捕われていたとき、この魔法少女を開放したりしなければ、この男の兵は刺し殺されなかったかもしれない。
「そこの騎士は戦う気がないな!」
と、マイミが叫んだ。
弓を放っている。
芽衣の隣で剣を抜いていた兵が、脇腹を矢に撃たれて、膝をついた。
すると芽衣が、えいやっと剣を振るい、男の首を斬り飛ばした。
ぶしゃっ。
「きゃああっ」
血飛沫の点々が円奈の髪と顔に降りかかり、思わず腕で額を覆った。
その腕にも、男の血がこびれついた。
男の首は落ちていて、骨の断面図まで見えた。
「あああ!」
円奈は、瞠目した。
マイミが放った矢は、リドワーンの背後に迫る伏兵の脇腹を射抜いた。胆汁が飛び出し、黒い体液が森に飛び出すのと同時に、兵は2メートルくらい吹っ飛んで、森の地面に落っこちて四肢を投げ出し死んだ。
番え直したマイミの新たな矢は、マイミに迫ってくる騎兵の腹に命中する。
「あう!」
騎兵は矢を受け、馬から横向きにずり落ちる。フードをかぶった頭を地面に打った。
リドワーンは、森の騎士たちと戦い続けた。
馬にのった甲冑の騎兵が現れ、リドワーンに突っ込んでくる。
棍棒にフレイルを吊るしながら。
リドワーンはすると、地面に立ったまま、馬上の騎兵むけて、斬馬刀を、思い切り水平にふるう。
馬ごと騎兵を切った。
「あぐお!」
騎兵は馬から落っこちる。体がみっともなく、ずさーと前回りする。
落っこちた騎兵が、やっと想いで地面から起き上がると、斬馬刀が彼の顔面を裂いた。
額から鼻筋、口から顎まで、ばっさりだった。
別の敵兵が襲い掛かってきた。
棍棒をふるう。
リドワーンは、頭を屈めながら棍棒をよけつつ、剣を敵の足に絡めた。
「あヴ!」
足から血が出る敵兵。足を斬られ、転ぶ。
そして、刃に剣をひっかけられたまま、持ち上げられ、敵兵は体を打ち上げられたのち、頭から地面に落ちた。
「う!」
うつ伏せに地面に転ぶ。その背中を、リドワーンの剣が貫いた。
背中を通り、地面の土にまで、剣は通った。敵兵は串刺しになった。
円奈は、森のあちこちから伏兵たちが現れて、円奈を囲いはじめたのに気づき、恐怖した。
みんな、私を殺すつもりだ!
「きゃああっ」
円奈は怖くなって、森で単独で駆け出した。
手綱をばしっとふるい、すると馬が走り出し、敵兵だらけの森を突き進む。
猛風が円奈の顔にあたる。
馬の走りによって、体が上下にゆさぶられる。
「円奈!待って!」
血に染まった剣を持ち出した芽衣が、すぐに円奈を呼びとめた。
しかし、すぐに敵に襲い掛かられてしまい、やむをえず反撃に出る。
「くっ!」
芽衣は剣で敵の棍棒を受け返す。その棍棒を剣で押しだし、敵兵の懐にはいる。
ブン!
押し返された棍棒がもう一度ふるわれた。芽衣は、屈んでよけ、敵兵の背後にまわり、その背中を剣で叩いた。
ズブッ
敵兵の背中は斬られ、敵兵は倒れた。落ち葉のたまった地面は血に染まった。
「円奈!」
芽衣は、敵を振り払うと、再び円奈を呼びとめた。
リドワーンは敵兵の棍棒をよけた。
またふるわれた棍棒は、剣で受け止め、絡めたまま、一瞬の隙をついて敵兵の腕を斬りおとす。
「あぐ!」
棍棒を握った腕が地面に落ちた。
すぐ後ろから別の敵兵が、棍棒をふるい、リドワーンの頭を叩きにきた。
リドワーンはそれに気づいて、その場から動いてよけた。
棍棒は地面に振り切られ、空中をひゅっと叩いた。
リドワーンはすると、敵兵の背後にまわる。
すぐに敵兵の棍棒が再び水平むきにふるわれる。
ガキン!それはリドワーンの斬馬刀が受けとめる。
そしてリドワーンは、敵兵のフード服の背中をひっぱり、力強く引いてころばせた。
「あっ!」
敵兵は転ぶ。ごろんと転がる。
その腹に刀を突き刺した。
レイピア使いの魔法少女・レイファは、その見た目の特徴から、敵兵の目を引いた。
髪も白い。目も白い。肌まで白い。色がない。
ゆたかな白髪を靡かせてレイピアを突き出す様は、幻の世界からやってきた戦士のようだ。
さて、甲冑の敵を相手にしているレイファは、レイピアをいくら敵兵に突き出しても、カツンカツンと鉄の鎧にあてがうだけで、一行に敵を倒せせない。
それをいいことに、敵兵は、レイピア使いにむかって、お構いなしにソードを叩き込んでくる。
レイファは、それをはらりはらりとよける。
レイファの肩すれすれを剣が通り過ぎる。だが、レイファには当たらない。
するとレイファは、敵がソードを水平向きにぶんとふったときに、剣の下に潜って入り込み、敵兵の足腰を両手に包んだ。
そして、足腰をえいっと持ち上げてしまったのである。
「はぐう!」
甲冑の敵は、足腰をもちあげられて、そのまま頭と足を反転させて転げてしまう。
ガタン、と頭を地面に打った。
実は、これがレイファの隠し技だった。
レイピアを使うだけが技能じゃない。レイファが披露してみせた今の技は、いわゆる騎士の体技、レスリングだった。
ヂヒのチョウは、森の伏兵に再び切りかかる。
敵がいる限りこの戦いはやまない。
棍棒をもった敵の攻撃をよけ、距離をつめると、さっと剣を裂く。
それは、相手の首をぎりぎり斬らない。わずかに届かなかった。
すると相手が反撃にでてきた。棍棒を縦に落としてくる。
チビのチョウは、身を屈めてかわし、何歩か進み、肩で敵兵の腹に体当たりした。
「う!」
タックルを喰らった敵兵は、飛ばされて、手からも棍棒をとりこぼし、ころぶ。
ころんだ敵兵の喉を、剣先で刺した。
鹿目円奈は、そこらじゅうで激しく戦闘が続いている森の中を、無我夢中で疾走していた。
生きて残れる道があればどこでもよかった。
その森の伏兵たちのいないところなら、どこでも、行きたかった。
円奈を乗せた馬クフィーユは、森を颯爽と駆け抜け、伏兵たちの囲う森を走る。
たくさんの伏兵たちが円奈とすれ違う。
伏兵たちはすると、棍棒をふるって、円奈に殴りかかってきた。
「きゃああ!」
馬上でぎゅっと目を閉じる円奈だった。
目を閉じてしまっていると、目前の樹木と樹木のあいだに、ロープがぴんと伸びた。
森の伏兵たちの張った罠だ。
円奈は正面から罠に突っ込んだ。
ズリッ
そのロープは高さがよく調整されていた。
円奈の首元にロープがかかり、馬だけが通り過ぎて、円奈は落馬した。
「ああっ!」
ドタッと、大きな音がした。背中を打つ。
それが自分の体が落ちた音だと気づいたとき、円奈を敵が包囲した。
「…あ、ああ…」
怯えた少女は、地面を這い上がり、森から逃げ出そうとした。
が、遅かった。逃げ遅れた。
その少女の首に、ロープがひっかかる。フード姿の男が円奈にロープをかけたのだ。
見事ロープが首に絡まると、強く引っ張られた。
「あっ……あぐあああ!」
円奈は、首にかかったロープを懸命に、指で解こうと抗った。
けれど、まったくロープは首元から解けず、呼吸ができなくなった。
背後から、ロープで首を絞められて、引きずられ続ける。
円奈の抵抗は空しい。
呼吸ができなくなり、けほけほとむせはじめた。
目に死の涙が滲みでてきた。
足でばたばたしたってロープはゆるまない。
そのまま地面をずりずり引きずられていって、さらに首に締まるロープが強められた。
「あぐ…うう!」
喉を空気が通らない。
それだけで何も考えられなくなる。呼吸に喘ぐことの他に何もできなくなる。
抵抗はむなしい。
恐るべき苦しさが体に走ったとき、リドワーンが走ってきて、円奈にロープを絡めた男の顔面を剣でブッ差した。
剣は顔面を貫いた。ボタボタという血が垂れて、円奈の服にかかった。
「ああ…あ…けほっ!」
やっとの思いでロープが首から解けた円奈は、必死に呼吸した。その頬に血が点々と滴り落ちてきた。
目の前にリドワーンが立っていた。
リドワーンは、森を通って襲い掛かってくる敵兵の胴を、ぶった切った。
上半身と下半身が分かれた。
骨と腸が地面にはみ出た。
その死体が円奈の目の前に落っこちた。
「う……うあああっ」
全身に他人の血を浴びた円奈は、目前の死体に恐怖し、そして身をすくめた。
樹木に身を寄せ、自分の体を守るように、両手を胸の前で震わせている。
森の敵兵たちは殲滅された。
40人の伏兵に11人の魔法少女が勝利した。
この森はもう、この魔法少女たちのものだ。
リドワーンは、敵の胴を斬った剣を、鞘に戻した。
11人の魔法少女たちは、それぞれの戦いを終えて、リドワーンの元に戻ってきた。
弓、刀、レイピア、どの武器も血に染まっている。
542
森の伏兵たちを全滅させた魔法少女たちリドワーンの一行は、川へと戻る。
彼女たちは、ようやく2日ぶりの水にありつけたのである。
河の水を手で掬い、喉に通す。
円奈もまた、2日ぶりの水にありつき、川の透明な冷たい水を掬って、顔を洗った。
頬に付着した血が洗い流された。
髪も洗い流された。
ピンク髪にこびれついた赤は落ちた。
火あぶりの刑になって以来、喉に通してない水を、ごくりと飲み干した。
「……はあ」
飲んだあとは、弱々しくため息をついた。
今回の戦闘は、まったく役にたたなかった。
逃げてるだけだった。しかし、他人の血がびっしょり、体にふりかかってくるあの生暖かくて、死をかぶった感触が、なかなか拭い去れない。
543
魔法少女たちと円奈は、サルファロンの森の川辺を歩き、この森の突破を目指していた。
しかし、この森がどれくらい続くのかどれほど広いのか、分からない。
だれも地図の一つも持っていなかった。
しかし、もとより流離人の集団であるこの魔法少女たち、呑気に森をてくてく進む。
そう、呑気なのだ。
あれだけの戦闘のあとなのに、もう立ち直ったというか、魔法少女たちの様子はのんびりだ。
陽気さがあった。
狩猟弓をもってわいわいがやがや、ぺらぺらと喋りながら森を行進しているのだった。
川辺に沿って。
「なあ、人の身長って、頭と足、どっちから伸びるんだろうなあ」
と、ラインバウが言い始めていた。
「身長だって?」
最初に反応を示したのはマイミ。手に狩猟弓を持って、森を歩いている。
「私はもう止まってしまったな」
「けどさ、チョウみたいに、背の高いのもいるだろう?」
ラインバウが語る。「けど、チョウだって、生まれたときはもっと小さかったはずだ。そこで思ったんだけど、人の成長ってのは、足か頭、どっちが大きくなってるんだろうなあ?」
「足に決まってるだろ」
と、マイミ。何を言い出すかと思えば、みたいな顔して、答える。
森の葉を手で掻き分ける。
「私だった小さいころはひよひよした足していたもんさ。よちよち歩きの、四つん這い。けど、そのうち、足が大きくなってきて、歩けるようになるわけさ。足が伸びるんだよ」
「うーん、そうかあ」
ラインバウが、考えるように指を唇にあて、そして上を見つめた。上には森の天井があった。
白い光が木々の間から漏れている。
「けどさ、思ったんだ」
と、ラインバウは、自分の考えを述べた。
「チビのチョウと、レイファ、ブレーダルが並んで立つとき、足はみな腰まで同じ長さなのに、チビのチョウだけ頭ひとつ抜けていて背が大きい。やっぱり、人の身長は、頭が伸びてるんだなあ!」
川辺を進む魔法少女たちの雑談、無駄話、いやそれ以下な甲斐ない会話を、耳にきいていた円奈は、というより、前を進む魔法少女たちがお喋りをとめないから、どうしても耳にはいってきてしまうその閑談を耳にしながら、岩肌のきりたった水辺を馬で進み、そして、隣を歩く芽衣に、話しかけた。
「ねえ、芽衣ちゃん…」
前をゆく魔法少女たちの陽気な口ぶりとは打って変わった、重たい声が出る。
「誰かにばっかり戦わせて…」
円奈の脳裏には、マイミに叫ばれた言葉が蘇ってくる。
同時に、森の戦闘の記憶も。伏兵に襲われるなか、守られてばかりいた。
自分は戦闘しなかった。
「自分で何もしない私って、やっぱ…卑怯なのかな?」
自信のない声。
下を見つめ、落ち込んでいる。クフィーユは足を進める速さを緩めない。しっかり魔法少女たちの後ろについていく。
隣を歩く芽衣は、この円奈の問いかけに、答えた。
「円奈は戦っているでしょ?」
エドワード城で、魔女狩りを企てた王と戦った。ロビン・フッド団と共にモルス城砦の守備兵たちと戦った。
けれども、この魔法少女たちの一団に加わってからは、まるで役に立てていない。
というより、戦えてなくて、自分では何もしていない。
「私、ここの人たちと一緒にいても、なんの戦力にもならない…」
円奈は、自分の実力のなさを、この森の戦いで思い知らされていた。
聖地エレム国の危機に立ち向うと使命をおった騎士が、田舎の伏兵たちとも戦闘できない。
ユーカも守られなかった。逃げるようにエドワード城の首都を脱出してきただけ。
芽衣は言った。
「人には、よく戦えるときと、よく戦えないときがあるの」
手綱を握る円奈の顔は暗く、下を向いていた。
「当然だと思わない?いつでもよく戦えるようだったら、百戦百勝じゃない。世界は、勝ちもすれば負けもする。そうやって世の中のバランスは、成り立っているんだから。つまりね…」
芽衣は円奈に親しみを込めて話してくれる。
というより、円奈との会話を楽しんでいるようでさえあった。
ところで、前を進む魔法少女たちのうち、マイミは、またしても新しい詩を歌う美声を披露しはじめている。
「”10つの瓶が壁にある、10つの瓶が壁にある”」
両手をひろげ、歌姫になりきった様子で、目を閉じてマイミは歌っている。
川辺を進みながら。
よく、岩肌に足をとられて転ばないものだ。かろやかな女の子のステップ。岩から岩へと足を移す。
しかも、川がざーざーと流れを激しく打っていてうるさい。
「”もし1つだけ瓶が落っこちたら”」
レイファやヨーラン、リドワーン、ホウラ、シタデル、アルカサル、ブレーダルらは、このマイミの歌に文句をつけない。つけることがほとんどない。
つまり、マイミの美声を、この一行は認めているのだ。
「”あと9つ瓶が壁にある”」
これは、幼い子供が家庭で親に教わる数え歌だった。
「希望が叶えられたら、それだけの絶望が世に撒き散らされてしまうの」
芽衣の話がつづく。
「”9つの瓶が壁にある、9つの瓶が壁にある”」
マイミの数え歌の1人声もつづく。
「”もし1つだけ瓶が落っこちたら”」
「成功したと思うことばあれば、失敗することもあるし、楽しい日もあれば悲しい日もあるでしょ? それと同じで、戦いがうまくいく日もあれば、いかない日もある。円奈は、今は、うまくいかない日にあるのかもしれない。でも、それだけよ」
芽衣は剣の柄をトントンと叩いた。
「私は、今日は、よく戦えた日。」
「”あと8つの瓶が壁にある”」
マイミの歌声が森の川辺に響く。
11人の魔法少女と1人の騎士は、川辺を登る。岩ばかりで、岩の一つ一つは、でかい。
「だってそれは、芽衣ちゃんが魔法少女だから…」
円奈が、ぶつぶつ、言うと、芽衣が顔をあげた。「えっ?」
バササササ。
鳥の羽ばたく音が聞こえる。
「獲物だ!」
ブレーダルが騒ぎ出す。弓を取り出す。「2日ぶりの食事をするぞ。さあ、どこにいる…?あ!」
魔法少女たちが背中の弓を一斉に取り出すさなか、一番はやく動いたのは。
まだきょろきょろと鳥を探して回っている魔法少女たちよりも、誰より早く獲物を見つけて、弓を手に取り出した───、
鹿目円奈だった。
円奈は、森の木々の枝から枝へ飛び渡っていく野鳥を目にとらえた。
本能的に目に捉えた。
それは、15年間も、狩り生活をしてきたからだ。
この弓、一本で!
弓に矢が番えられる。
そして、向こう岸の森から、木々を渡って、やがてバサバサっと川辺へ飛び出してきた鳥に狙いが定まるまで、4秒。
羽ばたく鳥が、川の真上を飛び去る動きを、読む。
矢が飛んだ。
円奈の馬上から放った矢が、川辺を飛び、鳥を捉えた。
シュッと、まっすぐ、矢が円奈の手元から飛んでゆき、一発で鳥の悲鳴が聞こえた。鳥はぴいっと鳴き、川辺に落ちた。
円奈の放ったロングボウの弦は、まだ、微妙にこすれて揺れていた。
全員の注目が円奈に集まった。
ブレーダル。ホウラ、マイミ、シタデルにレイファにヨーラン、ラインバウ。
「やるじゃないか!」
最初に、感銘の声をだした魔法少女は、アルカサル。やや赤い毛をした弓使い。
「なんの魔法を使ったんだい?」
いくら弓使いの魔法少女でも、狩りには苦労する。
魔獣を弓で当てるのは簡単だが、野鳥のような警戒心の強い動物を、矢で射止めるのは、なかなか魔法少女でもいない。
鹿目円奈の弓技に、感心するのだった。
544
川に落ちた鳥を拾ったあとも、狩りが続き、鹿目円奈の弓の技に、魔法少女たちは驚かされる。
気配を殺しながら、弓を構え、指と指のあいだに矢を挟みながら、音もなく草むらを進み、しゃがみつつ、鹿を背後から射る。
音もなく飛ぶ矢。
鹿は殺され、獲物を得る。
こうして、野鳥と、鹿と、うさぎなどを狩猟してゆき、魔法少女たちは、ついにイノシシさえ捕まえた。
何人かの魔法少女同士が、輪をつくってイノシシを囲い、囮と、本命とに別れて、イノシシを追い詰めてゆく。
まず、囮側が、イノシシをけしかけ、怒らせる。魔法の斧をつかって、バチチと火を放つ。
イノシシは逃げる。その逃げ出したところを、待ち伏せした本命側が、捕らえにかかる。
しかし、怒ったイノシシむけて、剣を伸ばしたレイファは、イノシシに突進されて、派手に体当たりをうけてずっこけた。
「ああう!」
野生の動物の全力疾走を直撃された魔法少女が吹っ飛ぶ。
「追え!」
アルカサルと、ブレーダルが、2人同時に弓を放つ。
森の木々へ矢が飛んでいく。
が、あたらない。
イノシシの疾走する速度は、想像絶する。
勢いときたら、逃兎のごとく、あの巨体とは思えない速さで森をザザザと走り抜ける。
円奈もロングボウに矢を構え、放ったが、イノシシは円奈の傍らを、猛烈な勢いで怒りと共に走り去り、矢から逃げ切った。
「そっちいったぞ!マイミ!」
イノシシが猛進する先に、一人の魔法少女が、待ってました、と突っ立っていた。
その手には、槍が。
魔法で召喚した槍がある。
大きな槍。2メートルくらいの、狩用の突き槍。
「昼は野獣狩り、夜は魔獣狩り、魔法少女って疲れるねえ」
マイミは、突き槍の矛を、まっすぐ前に伸ばした。森を駛走するイノシシを、正面に捉える。
「だが、狩りにかけては、引けをとらないぞ。とっちめてやる!さあ、あたしが相手だ!」
ズドドドドと、あのイノシシの巨体が、怒りのダッシュで、魔法少女の腰あたりに、飛びかかってきた。
「そりや!」
マイミが、槍をばっと伸ばした。
と同時に、イノシシの巨体が、マイミへ突っ込む。
その巨体ときたら、魔法少女のマイミよりでかい。しかも、肉づきがよくて、野性の力が、魔法少女に襲い掛かる。
「うわ!」
野生の獣に飛びかかられたマイミは、思わず飛び退いた。
足元を崩し、よろけて、踵がすべってころぶ。
が、伸ばした槍は、たしかに、野生の獣の腹をつぬらいた。
つまり、同士討ち。
イノシシは、マイミを押し倒し、顔をふんづけて、森の奥へ逃げ去ったが、その肉体には確かに、槍が捉えた。
「よし!いいぞ!」
ブレーダルらが喜びに飛び上がる。
二日ぶりのご馳走だ。
「そのうち、力尽きるだろ。追いかけよう!」
「ああっもう!どうして乙女の顔を踏むかな!」
田舎の農村の歌娘だったマイミは、顔についた泥を払いながら、腰を起した。べっ、と舌についた泥を唾と共に吐く。
弓をもった魔法少女たちが、逃げ去ったイノシシを追って、森奥へ、タタタタタと走っていった。
魔法少女の走りは早い。
円奈も、それについて走ったが、ふと、黒髪の魔法少女リドワーンと目が合った。
この旅に出てから、何度か顔を合わせている魔法少女。
この一団のリーダーで、狩りに参加はしていない。仲間たちの狩りを見守っていただけだ。
「役に立つとか、立たないとか、今は気にしても仕方あるまい」
リドワーンは、そう、円奈に語りかけてきた。
円奈は、複雑な面持ちをした。足が止まる。
「われらは、南の国サルファロンに向かっている。おまえも、同じ方角だ。だから、共に行くのだ」
リドワーンはそう語るきりだった。
545
その夜、一団の魔法少女たちは二日ぶりのご馳走を手にする。
野鳥を何匹かに、鹿と、そしてなにりより、巨大イノシシ!
12人で食べても、肉に難なくありつける。
焚き火を囲い、木材を組み立てたに肉を吊るして、皮も内臓もひっぺはがしたイノシシの肉を炙っている。
鹿肉は、枝に吊るした鍋のなかで、焼いている。
ラインバウは、持参の笛を取り出して、ぴーぴーと吹いている。
メロディーにあわせてマイミが即興の詩を歌う。
レイファとブレーダル、アルカサル、ホウラが、すでに肉の食事にありついていた。
「生き返るよ」
と、アルカサル。「でも、たまに夢をみる……溢れるほどの香料と共に、イノシシの肉を食らう日を……」
「あんたの弓技には驚いたよ」
円奈に話かけたのは、シタデル。狩人の魔法少女。「このなかの内じゃ、一番の射手だよ」
「あ、ありがと…」
円奈は、遠慮がちに、礼を返して、肉にありついて食べた。
森で生きる経験の長い円奈は、実に慣れた手つきで、鹿肉をナイフでさばいて内臓を取り出すのだった。
肉から血が数滴、したたった。
「あんたは港にいくんだろ?」
シタデルは、円奈に、また、話かけてきた。その手に、鳥肉をブッ指したナイフがある。
バチバチと燃えつづける薪。焼かれつづけるイノシシの肉。じゅーじゅーと滴りおちる肉汁。火の中に油として落ちる。
「南から、”東大陸”にいくわけだ?」
東大陸。
そこは、西大陸の世界に生まれた円奈にとっては、まるで未知の世界だ。
西大陸の田舎も田舎、辺境の高原バリトンの地に、出身国をもつ円奈には、東大陸の世界は、想像に描けない。
「聖地エレム国の大陸」
シタデルは語った。
「あんたの目標とする地だ。ヨーランの出身地でもある」
「えっ?」
初耳だった。
肉を食べる手をとめ、ナイフにさした鹿肉を口からはなして、ヨーランと呼ばれる魔法少女を見つめた。
ヨーランは、円奈の視線には気づかず、マイミの歌声の前で、眠たそうに、体をゆらしていた。
「さあ、うたおう、いっぴーいっぴーあい、いっぴーいっぴーあい…」
マイミは、ラインバウの笛の音にのせて、歌詞を口ずさむ。
「彼女はきた、山からきた、山らきたとき、6頭の白馬をつれてきた…さあ、うたおう、いっぴーいっぴーあい…」
「東世界の大陸、つまり聖地エレムのあたりじゃ、あたしら西大陸の人間には想像できないほど危険な紛争地域だ」
シタデルは、円奈に語りつづけた。
その顔つきは、真剣である。何せ、魔法少女にとっても聖地、円環の理の誕生地であるからだ。
「キミもそれに巻き込まれ、聖地に向かっているのだろう」
「…」
今日の森のような戦闘は、戦争ですらない。つまり、戦争が起こっている国は、もっと惨いことがあるのだ。
しかもほぼ全世界中から魔法少女たちが巡礼に訪れる果てに勃発した戦いだというのだから、円奈がこの目でかつて目にしたこともないほどの大きな戦いがあるのだ。
そして東大陸の聖域と呼ばれる国にたどり着いたとき、実際に円奈はこの時代の、想像を超えた人数と魔法少女が戦われる戦争を目の当たりにする。
さて、肉を平らげて、幸せなご馳走を味わった魔法少女たちは、森で立ち上がり、夜空をみあげる。
三日月。
前は新月だったが、やっと月が現れだした三日月。
西暦3000年後期の地球の夜空に浮かぶ。黄金色の月。雲のあいだで光っている。
鹿目まどかが生きた文明栄えた世界が、こうになるまで滅び去った1000年の間に起こったことは、暁美ほむらに語られるまで円奈は知りえることはなかった。
円奈の母・鹿目神無が、それを娘に教えることを憚ったから。そしてそれが、神の国を亡命しバリトンの村で円奈を生み育てようとした理由でもあったから。
「よーし、腹を拵えたあとは、魔力の拵えだ」
リドワーンら一行の魔法少女のうちの一人、アルカサルが、不思議なことを言い始めた。
月を眺め、顔をあげ、その瞳に、美しい三日月を映している。きらきらと、空に輝く星と共に。
そして、魔法少女は、月を見つめつつ、森の下で宣言するのだった。
「サバトの集会を開こう」
鹿目円奈は、この夜、魔女の集会と知られていたサバトの集会に、思いがけなく参加することになる。
魔法少女たちの開催するサバトの集会。
それは、円奈にとって、15年の人生のうちでも、もっとも奇妙な体験となる。
311 : 以下、名... - 2015/07/03 04:08:37.94 vLNhf1vV0 2792/3130今日はここまで。
次回、第74話「サバトの集会」
第74話「サバトの集会」
546
「サバトの集会って?え…」
円奈は深夜の森のど真ん中で愕然と立ち尽くした。
背中に抱えた弓さえ、疑問符を浮かべたように、くねった。
鹿目円奈は魔女狩りの王都・エドワード城の第三城壁区域にて、魔女刑の審問を受けたことがある。
いろいろ質問された挙句、魔獣と戦っていますという話をしたら、気狂い扱いさえされて、おまえはサバトの集会に参加していただけだと詰問されたあの体験。判決は、火あぶり。
もちろん、円奈は、サバトの集会なんていってません、と答えたが、もうどんな話も審問官には通用しなかった。
さて、今まさに、そのサバトの集会が始まろうとしている。
魔法少女たち11人が、皆、ソウルジェムの力を解き放って変身してしまい、色とりどりで綺麗な衣装に変身して───環をつくっている。
何を始める気なのか。
それは、女性神、つまり女神をたたえる儀式である。
あわや悪魔を崇拝する儀式でも集会でもないし、乱交にふける邪悪な集会でもない。女神を崇拝する儀式である。
女神を崇拝しつつ、契約して得た魔法という力を磨き、感じ取り、精神的に一体化しようという集会である。
自分の体の中に宿る魔法という力をより引き出し、魔術に対してより敏感な感性を得ようとする儀式である。
いったい、どこの、どんな場所で、魔法少女たちは自分の魂に眠る魔力を、より過敏に感じ取ることができるのか?
そこは、自然の真っ只中である。
エネルギーとはどこから来るのか?
支え、創造するエネルギーが女性の裡にあることを魔法少女たちは知っているので、彼女たちは集まってこのエネルギーを共にする。同じエネルギーが自然の裡にあるので、われわれは自然にいっそう近づいて力を共にしたい。
魔女のもっとも普遍的な特徴は自然を愛し敬うことである。たいていの魔女にとっては、神は自然に内在している。
地球を女神の顕現形と感じて、魔女たちは自然を愛し尊ぶ。
自然との対立という伝統が、双児の弟である物質的「進歩」の信仰という世俗化した形に変わって、醜悪な工場、見苦しい都市、貧しい人々の搾取、鈍重な精神を作り出した。
人間と自然のもっとも親密な一体感に戻るほうが、地球にとってもわれわれの精神にとっても良いことだろうと魔女たちは言っている。
したがって、魔術の儀礼や祭礼は、季節や月の位相、そのほか宇宙のリズムに合わせて行っている。
魔女たちの主神は「女神」、大地の女神、月の女神、豊穣の女神として知覚される自然の神性である。処女の戦士であり、母であり、闇と再生の醜い老婆であるという女神の三重性が強調される。
この集会では、瞑想の技術を練習し、精神と意思を集中することを習う。「月を招きおろし」、女神の力を顕現させる大祭司の役を演じる準備をして、自分の魂にエネルギーを集めることを学ぶ。
木に話しかけ──応答に耳を傾け──ることによって、自然に心を開くことを学ぶ。魔術の道具を手に入れ、それらに自分の人格を付与する。人格を付与した道具をもつ魔女は、それを他人の手に触れさせない。
魔術の道具は古来より、たいていは、水晶球、ルーン文字、ステッキが代表格である。
しかし、ことサバトの集会において最も重要な道具は、アサムという柄の黒い両刃の短剣で、礼拝の円を地面に刻んで奉納し、男神と女神を換びおろすために使う。
杖、ステッキまたは剣は、力と支配をあらわす。
ろうそくは光と物質のエネルギーへの変化を表し、男、女、動物を象ったものが使われる。
「シンギュラム」という細いひもを組んでつくる組ひもはウェストに巻いて、星の効力をあらわす。
神聖な円を描くときのものさしとして使われることもある。リボン、ローブ、水晶球、太鼓、そのほか、小さな道具類も使われることもある。大がまも女性の象徴だが、ふつう火にかけるのではなく、その中で火を焚く。
これら道具は力を充たされ、ルーン文字とその他「神秘的」な文字を刻まれる。魔女の所有物でもっとも重要なのは「影の書」である。羊皮紙とレザーを使って手作りするのが理想だが、白紙帳簿と変わらないあっさりしたものである。
「影の書」には魔女が学んだことの記録、呪文、儀礼の形式、歌、感想などを記入する。個人の「影の書」は持ち主が死んだら破棄されねばならない。
魔女の大きな祭礼ないしサバトは年に八回ある。サバトは、季節の変化、田園生活の変化を祝う古来の祝祭を起源とする。
最初が12月20日か21日、冬至を祝う。次は2月1日か2日。オイメルク、インボルクとも呼ばれる聖燭節、3月20日か21日のエオストル、春分の日は豊穣の祭である。4月30日はベルテーン祭、メーデーの前夜祭、のちに、ヴァルプルギスの前夜祭と名前が変わった。6月21日、夏至、8月1日、収穫祭、ラマス、9月20日か21日、秋分、10月31日、サムヘイン、ハロウィーン。
サバトの集会、あるいはカヴィンでの装い、大きくわけて二種類。
ローブを着て集まるか、裸体。
裸体でいるのは自然力との接触が高まるという理由で説明されることもあれば、階級差が消えると説明されることもある。
魔女たちは会合の準備として瞑想し、またしばしば沐浴と塗油をおこなう。
さあ、古来の伝統ともいえる魔女の儀礼は、この時代の魔法少女たちがどのように執り行うのか。
鹿目円奈にはさっぱり意味不明な儀式は始まる。
アルカサルやマイミ、レイファ、芽衣、ラインバウ、ホウラ、ヨーラン、ブレーダルたちが、目を閉じて、魔法の変身姿となったまま、ふらふら瞑想している。森のど真ん中で。
月が降りてくる森の光に、身を委ね、自然力との一体化をはかっている。
一体、どうして、ソウルジェムを生み出した魔法少女たちが、このような、自然力を重視するのだろう。
自然との一体化を儀式の中で試みるのだろう。
魔法とは何かというところにも関係がある。
瞑想が終わると、アルカサルが、剣で直径9フィートの呪術の円を描き、アサムが剣で掘りくぼめる。円内に五線の星形を掘る。
魔女たちは、この円の内部に、宇宙の力を集める。魔女の円は神聖な円、神聖な空間、人間の世界と女神の世界の、中間の場である。二種類の実体が接触する場であり、その力を吸収してみずからも宇宙の霊力となることのできる場である。
円には北、地を表わす、南、火を表わす、西、水を表わす、東、大気を表わす、の四方向が印づけられる。
地、火、水、気。古代の四大元素。
「月をひき降ろす」、すなわち踊り、歌、瞑想を通じて、女神の力と存在を自分の中に受け入れ、ある意味で女神となる。
すると、サバトの集会の参加者となった魔法少女たち同士が皆、手をつないだ。
そして、円を作って歌い踊る。
円の中心の一人の魔法少女、姫新芽衣が立つ。
エネルギーが頂点に達したことをかの女が感じたとき、力の円錐が生まれる。儀礼と瞑想の技術によって強められ、集合的に一致して一点へ向けられた状態のことを、こう呼ぶ。
この力の円錐はどこへ向くのか。
この日、魔法少女たちは、月の復活をしって、治療魔法の取得へとそれを向けた。
完全に欠けていた月が、やがて、形を取り戻してゆく。三日月から半月へ、そして満月へ。形を回復する。
その自然のリズムに重ねて、治療魔法の習得をこころみる。
逆に、月が欠けてゆき、満月から半月へ、三日月へ、と形を崩していく位相のときは、治療魔法ではなく、予防魔法の取得に力をむける。形の崩壊に歯止めをかけるのだ。
「魔法」とは、自然の力より呼び起こされる。
魔女とは何であるのか。witchという言葉は、古代語のwiccian、「魔法をかける」という動詞に由来する。
時代を通じて、「魔法」は、超自然的な力のことだと思われがちだった。
たとえば箒に乗って空飛ぶ魔女の姿。これは重力という自然に逆らっている。人に呪いをかけてカエルの姿に変えてしまったりする魔法もまた、物理法則に逆らっている。何か妖しげな薬草を調合して、カエルやハゲワシの死体をかまどでぐつぐつ煮て、天候に悪さをする魔術もまた、自然の理に逆らっている。
しかし、空飛ぶ魔女が現実にいることはないし、人を呪いでカエルの姿に変えてしまう魔女は実在しない。
カエルとハゲワシの死体をまぜて妖しい魔法薬を作る魔女たちの邪悪な姿も、また空想である。
つまり超自然的な魔法というのは空想である。
では、現実世界にある魔法とは、何であるのか。
いや、そもそもこの世界に魔法なんてないではないか、という発想は、実際とは異なる。
古代人が、たとえば20世紀の、遠く離れた人と携帯電話で通話し会う光景を目にしたら、「これは一体なんの魔法だ」というだろう。
空を人が飛んでいる。月面に着陸さえ、してしまった。
「なんの魔術を使ったのか」と古代人はいうだろう。
いわゆる科学の起源は呪術にあり、化学的な発見をしてきた人々の大抵は、当時では「呪術師」と呼ばれた。
黒色火薬が、火を近づけると爆発するという現象は、20世紀の人々からみれば、化学反応による体積の膨張とみるが、発見した当時の人にとっては魔法でしかない。
それと同じで、20世紀の人が、時間を飛び越えて過去に戻れるような人をみたら、「なんの魔法を使ったのだ」と叫ぶだろう。時間遡行者・暁美ほむらは魔法少女だった。
だが、20世紀の人々からみれば、過去の時間軸に遡行して戻るという超現象が、「魔法」と呼ぶべきものでも、インキュベーターの技術力からしてみれば、「技術」でしかない。
魔法とは技術と区別つかない。
たとえば、ソウルジェムを生み出した「魔法少女」たちを、仮に「技術少女」と呼んだとしたって、大きな間違いがない。
暁美ほむらは、時間を止める技術を持つ少女であり、佐倉杏子は、幻惑を使う技術を持つ少女であり、巴マミは、リボンを操る技術を持つ少女であり、美樹さやかは自己治療の技術を持つ少女である。
呪術の根本はコスモス、すなわちあらゆる部分が相互に関係しあっている整然とした首尾一貫のある宇宙万象の存在を信じることにある。
これはまた、おおかたの科学理論の基礎になっている斉一性の原理の根本でもある。
あらゆる部分が相互に関係しあい、影響しあっているような宇宙万象においては、人間ひとりと星、植物、鉱物、そのほか自然現象とのあいだにも、どれほど希薄であるにせよ、関係が成立している。これか呪術的な照応への信頼である。
人が、比較的に簡単におこなえる単純な魔法、つまり下等呪術は、自動的な呪術、すなうち一定の行動をすれば、それに応じた結果が得られるというものである。いいかえると"因果"である。
すべての呪術と同じように、魔法は、宇宙は一つの総一体であり、したがってすべての自然現象の間には隠れた"因果関係"が存在するという仮定の上に立っている。
魔法使いは自分の知識と能力によって、このような関係を支配して、あるいは少なくとも影響を与えて、自分の求める実用的な結果を得ようという試みをする。
もっとも単純な魔法は、ある別の物理的な現象を引き起こすためになにかの物理的行動を機械的に行う、というものである。
男性のインポテンツを引き起こすためにひもに結び目をこしらえたものをベットの下に置く。あるいは稔りを豊かにするために種まき後の耕地で性交をする。あるいは苦痛を与えたり体を傷つけたりするために人形や画像に釘を打つ。
魔法の思考過程は分析的にというより直感的である。
人生の中で経験する情緒に満ちた体験によって、魔法が思いかけず考案されることもある。
たとえば腹たちまぎれに、友人と喧嘩してしまい、あんなヤツ死んでしまえ、と心で呪いながら、友人を殴るつもりで枕を殴ったとする。ところで翌日になって、友人が急死したと知らされる。
そのとき、自分の行為がひょっとして友人の死を引き起こしたのでは、と罪悪感を感じる人がいる。
もしも隠れた関係の成り立つ宇宙を信じる人であれば、人を呪い殺す魔法を使ってしまったことを確信して、罪責感はより強いものとなる。
これが「魔法」である。「魔法少女」とはつまり宇宙の隠れた成立関係の因果による魔法を使える少女ということである。
魔法少女の素質の高さとはつまり宇宙内在の因果の強さをそれだけ持っているということである。
宇宙そのもの総体の因果成立関係を、その一身に集めてしまった鹿目まどかのもてる魔力は、こういうわけで、万能の神にさえ例えられる魔力を手にした。
サバトの集会は、魔法の力が宇宙自然の内から発することに信用を置いて、自然に立ち返り、魔力を高めようとする魔女たち、または魔法少女たちの呪術的な儀式の集会であった。
だから、自然に立ち返るため、手をつないで歌い、踊っていたアルカサルたち魔法少女たちは、変身した衣装を脱ぎ捨てはじめて、しまいには全裸になる。
裸というのは女性のもっとも自然的な姿であり肌を自然にさらすことは自然との一体化をはかる儀礼だからである。
それを、ぽかーんと見守っていた円奈が、この輪に強制的に参加させられる。
全裸になった白い肌の少女たちが円奈に迫り、言うのだった。
「あんたも裸になるんだよ」
「ええっー?」
円奈は、飛び退いた。
自分の身を守るように、両腕で自分を抱きかかえて、全裸状態だが変身中の魔法少女たちから逃げる。
「いいよっ、わたしは、みてるから!」
しかし、全裸になった11人の魔法少女たちが、見学など円奈には許さない。
「いいかね、魔法の習得というのは、心の調和、それが大切なのだよ。皆、同じようにならないといけないのだよ」
「えっー…」
顔を赤くする円奈。
目の前には、素っ裸になった魔法少女たち。もう、異様としか思えない光景。
しかし、数分後には、チュニックの服もベルトも剣の鞘もロングボウも、すべてひっぺはがされて、全裸となって森のど真ん中で、裸体の魔法少女たちと手をつないで五芒星を描いた円のまわりと踊っている、顔が真っ赤な円奈の姿があった。
まったくもって刺激的な体験だった。
サバトの集会は、かくも自然を崇拝する異教的儀式であったために、迫害の対象となってきた。
とくに、自然を賛美すること、異教の女神を信仰する豊穣の儀式であるこの集会を目の敵にしてきたのは、キリスト教会であった。
キリスト教会は、異教の神々を信仰するこの豊穣儀式を、邪悪なイメージに当てはめて迫害してきた。
まるで、サバトの集会というものが、邪悪な魔女たちの集まりであり、子供の肉を喰らっているかのように悪魔的なイメージを定着させた。
しかも、そこに登場する悪魔の姿は、羊の角をもった化け物として描かれるが、この頭に角をもった悪魔というのが実は、豊穣儀礼で崇拝された自然界の神々の姿を借り物としている。
キリスト教会はそれをそのまま悪魔の姿に定着させてしまった。
ヴァルプルギスの夜という儀礼も、あたかも悪い魔女のイメージが定着している。そのイメージの中で、魔女たちがブロッケン山の野外で悪魔たちとの乱交にふける邪悪な宴を描写している。
これまた、自然崇拝を目の敵にしてきたキリスト教会の暗躍が垣間見れる。
ヴァルプルギスの夜という名前の由来は、聖ヴァルプルガという修道女にちなんだ。が、そのヴァルプルガという名前には、”母なる大地”、”地母神”といった意味がある。キリスト教会は自然崇拝を激しく否定し、ヴァルプルガという名前さえ、邪悪に置き換えた。
鹿目円奈は仲間の魔法少女たちと全裸になりながら、五芒星を描いた輪の周りで、踊り続けた。強制的に。
円奈は魔法少女とならないまでも、きわめて魔法的に近い経験をその人生で味わったのだった。
323 : 以下、名... - 2015/07/18 23:42:11.76 o/jag/b30 2803/3130今日はここまで。
次回、第75話「ミデルフォトルの港」
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第75話「ミデルフォトルの港」
翌朝、朝霧たちこめる森の地平線、太陽が赤く昇ってくる頃、円奈は旅の支度をおえた。
「はぁ…」
とため息つきながら、全裸の姿から服を着て、腰にベルトを巻き、剣を鞘にさす。
その剣は、青白く光る。けれど、魔獣を相手にする気分にもなれない。
朝日の赤みが剣を反射する。その光は森のどこかを鋭く照らす。
クフィーユの背中にまたがり、あけぼのの焼ける空をみあげ、冷えた空気をすうっと鼻に吸った。
鹿目円奈たちの一行は、ついに、ミデルフォトルの港、西世界の大陸から東世界の大陸へつながる港のあたりにきた。
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それはつまり、リドワーンらの一行との別れを意味した。
鹿目円奈は、この魔法少女たちの異様な魔法の儀礼を目の当たりにするという、珍しい経験をさせてもらったのち、この一行とわかれる。
「港にいくんだったらこの川をくだるんだ」
と教えてくれたのは、聖地出身のヨーラン。
魔法少女たち11人は、川辺のほとりにたって、みんな円奈を見送っている。
「あばよ、エドワード城を橋渡しした騎士!」
と、手をふってくれたのは、アルカサル。ロングボウの魔法少女だ。
橋渡しした、とは、魔女狩りが起こっていて、だれの魔法少女も通れなくなっていたあのエドレス王都の城を、魔法少女狩りに抗議することによって、橋を渡る機会をつくった、という意味だろう。
「それ、みんなが壊しちゃったけどね!」
円奈はいま、川をくだる小舟に乗っていた。クフィーユと共に。舟に浮かび、川の上で手をふっている。
対して別れた12人の魔法少女は川辺の陸地に立っていた。
「みんな、じゃあねー!ばいばい!」
「達者でな、聖地についたら手紙よこしてくれてもいいぞ!」
と、ブレーダルがいったが、もちろんジョークである。手紙なんかだせっこないのを分かっているのだ。
そうもしているうちに、川はながれ、舟は円奈を運ぶ。魔法少女たちと円奈の距離はひらく。
円奈は川に浮かぶ舟に運ばれて遠くなる。
霧の中へ。
「あんたのおかげでな、エドワード城を通れたんだ。みんな、感謝してるんだぜ!」
と、叫んでくれたのは歌娘のマイミ。
きらきらした紅色の目をした魔法少女。
隣のリドワーン、王女も、円奈を見送っていた。相変わらず、無口で、沈静としていたが。
「あなたたちこそ、道を教えてくれてありがとう!」
川をながれゆきながら、円奈も叫び返す。お互いに叫ばないと、声が届かない距離になった。
舟は川をながれる。舟は、サルファロン現地民の舟屋を雇って、ミデルフォトルの港までの運賃を払って雇っていた。
舟屋は、櫂を川に突っ込みいれ、すーーっと漕いで川の流れに舟をのせ、円奈たちを運ぶ。
「元気でねー!」
「じゃあな、変な髪の騎士!」
魔法少女たちは叫び返す。その姿も、朝霧にまみれて、もう影しかみえない。
「こんな土地でくたばるな!生きて聖地へいけ!」
円奈はすると最後に、指二本を唇につけ、目を閉じ、その指を次に額へ添えると、最後にびっと腕を前に差し出して別れをつげた。
川に浮く小舟の上で。ゆらゆら流されつつ。
これは、西世界の大陸でありがちな、餞別の挨拶の仕方であった。
ミデルフォトルの南に、円奈はむかう。
川は朝霧のなかを流れ、舟は森を運ばれていく。朝ではあるが、寒くて、霧の濃い川は夜のように暗い。
円奈は舟にクフィーユをのせて、舟の小部屋に入ると、その中で蝋燭に火を灯し、室内で羽ペンをもち、テーブルにむかって、ぐらぐらと舟が水面にゆさぶられて揺らぐなか、羊皮紙の日記にインクでその日の感想を記した。
横文字で。
羽ペンの先が黒いインクに浸され、羊皮紙の紙面に、円奈の文字が記されていく。
ろうそくの火に灯されながら。
”その日わたしは考え始めていました───”
ぐらっと、また舟がゆらぎ、するとろうそくの火が弱くなり、一瞬、室内が暗くなる。
しかし、すぐに火は元の強さを取り戻し、また明るくなった。
円奈の手の指先が、羽ペンを動かし、古びた紙面の1ページに横文字をインクで記す。
仄かな白い蝋の灯火の元で。少女の白い手先が羽ペンを動かした。
”もし魔法少女が、戦いを宿命づけられている人たちであるなら───”
羽ペンが書き記すは、日に日に募る疑問。
それは、戦いとは、なぜ起こるのか、ということである。
少女の手によって羽ペンで書かれ、文字は増えていく。横へ。
”彼女たちは、どのように自分を納得させて他人の命を奪うのでしょうか?”
円奈も、騎士として、戦うことが職業であるから、戦いを宿命づけられていることは魔法少女と変わらない。
また、騎士は戦うから、給料を得られるのである。
しかし円奈は、お金のため、と思って、他人の命を奪ったことはなかった。
ジャンヌダルクはどのように自分を納得させてトゥーレル砦のイングランド兵たちを焼き殺してしまったのだろうか。
ブーティカはどのように自分を納得させてローマ兵たちを捕虜もとることなく殺し続けたのだろうか。
”そうせざるを得ない状況に巻き込まれること───”
円奈の手先は羽ペンで日記の古びたページに文字を記し続ける。
”それが戦いを宿命づけられるということなのでしょうか?”
かきかき、と羽ペンが動いて、1ページも終わりに近づく。インクの横文字で埋め尽くされる。
”過去にもいろんな戦争がありました。彼らは、そうせざるを得ない状況に巻き込まれたから、と───”
最後に円奈は、疑問符を横文字の最後尾にちょこん、とインクで打って、その日の日記を完成させる。
”そう納得できたのでしょうか?”
ろうそくの火は消え、舟の室内は暗くなった。
霧はますます、暗く濃くなった。
550
翌朝、円奈は舟で川をくだりつづけ、雇った舟の運び屋に、目的地についたと異国の言葉で話される。
ふあ…とあくびを大きく口をあけて、目を覚ます。ピンク色の目が眠たそうに瞼をあげた。
言葉が通じないので、とりあえず口で、”ミデルフォトル??””ミデルフォトル??”と繰り返し地名だけきいて、すると相手がコクコクと頷くので、目的地についたと円奈も確認できた。
運賃をあらためて払い、円奈は舟からクフィーユをつれて折り、岸に渡って陸地に着く。
舟の運び屋は櫂を漕いで川を戻っていった。
それを見送った円奈は、運び屋が森の奥へ消えると、くるりとむきを変えて、港町を見渡した。
円奈がたっているのは高崖の上で、そこから港町の全貌を一望できた。視界がすっかり開けていた。
「わああ…」
生まれて初めてみる港町の景色に、また、声を漏らしてしまう円奈だった。
海。
森を抜けた視界の先に、海があった。眩いばかりの。
海の、想像絶する広さ。青色の湖が、森や山、野原に遮られることなく、世界の果てまでずっと、つづいていた。
その壮大さに息をのむ。
生まれて初めて見る海。きらきらと水面に朝日を反射し、それが空のむこうまで伸びている海。
青かった。
海へ昇るあかつきの朝日は港町に差し込み、日差しにやわらかく照らされる。
海が港町に接している湾は、小さな船から大きな船までズラリ並んで浮かび、錨や鎖で港の発着場につなぎ合わされる。
船に乗り込む発着場は、木造で、柱が海の上にたてられて、橋が伸びている。
朝早いこともあって、人気が少なかったが、目的地に着いたこと、聖地にまた一歩、近づいたことに、感激をかんじる円奈は、崖から港町へ降りられる斜路を降りた。
551
港町に下りると、たくさんの家屋や売店、小屋、納屋、厩舎などが立ち並ぶ通路へきた。
通路は、砂を敷いたじゃりじゃりとした道であった。その小路の両脇に、店や、小屋が、立ち並ぶ。
レストランであったり、ギルドのお店であったり、舟屋だったり、宿屋だったりした。
円奈は、馬の轡をひき、馬の食事を買えるお店を探した。
ところがそのとき、小路の先に、円奈は五年前にみた印を久しぶりに目の当たりにしたのである。
それは、六芒星の魔方陣だった。
その印を描いた旗は、その印を国章としているエレム軍の騎馬に跨る、騎士の持つ軍旗だった。
六芒星に二重円を描いた紋章であることもあり、その場合、六芒星の中に何らかのルーン文字みたいなものも細かく織り込まれる。
朝日のてりつきをうけて神々しく光るそれは、円奈が、五年前、来栖椎奈に市場につれていってもらったときに、エレム軍がきたとき、目にしたもの。
聖なる六芒星の印し。
つまり円奈は、目的地エレムの、その国の軍と、ついに合流を果たす。
円奈はバリトンの騎士であったが、いよいよ、聖地をめぐる聖戦、エレム軍の騎士に加わるのである。
…はずだった。
552
小路を抜けて、港町を海岸へすすんだ。
発着場に白い帆を張った舟がぷかぷかと海に浮かび、たくさん並ぶ発着場にきて、円奈は、エレム軍に話かける。
それは、男の騎士だった。
馬具にクロスボウを吊るしていた。
「バリトンから参りました、鹿目円奈ですが…」
男騎士は、鎖帷子をかぶった顔の布をとり、じろっと円奈をみおろした。
「そんな名前の騎士はきいとらん」
といって、冷たくあしらわれた。
「はあ…」
円奈は、がっくりくる。
ほんとに、ここにくるまで、いろいろと死ぬほど大変な目にあってきたのに、その態度とは。
しかし、円奈は気づいてないが、相手が円奈のことを知らなくても当然である。
バリトンから聖戦に参加する予定の騎士は、来栖椎奈だったのだから、代わりに無名の鹿目円奈なる騎士がきても、相手からすれば、そんな騎士しらん、となるわけだ。
その事情を説明し忘れている。
ガイヤール軍を追い払った功績も、聖エレム軍は知らない。エドレス国内で有名なだけである。
もし円奈の母、鹿目神無が現役でエレム軍の指揮を執っていた過去の頃であったら、”鹿目”ときいだけでこのエレム騎士も何かピンときたかもしれないが、この若手騎士はすっかりエレム国内で抹消された鹿目神無の記録を知らずに育ったわけで、円奈を何とも思わぬ青年へと成長したのだった。
ざざー。
海が静かに波を打つ。
港の並ぶ舟が、波に打たれてゆりうごく。ごごご…と、舟の高く帆を張るマストの柱が、軋む音をたてる。
甲板が斜めになる。
朝日に照らされる大船の帆が風にふかれる景観は、なんとも圧巻である。
横帆と呼ばれるロープで三枚畳に吊るした大きな帆船は、風力を動力源とする。
鹿目円奈はこれに乗って大陸のむこうにある聖地エレムの地をめざすことになるのである。
船の本体には、いくつもの穴があり、砲門のようだった。
たぶん、この穴から、船の乗組員が、クロスボウを撃ったりするのだろう。
船嘴は、船の先端、鳥のクチバシのように前向きに延びている。その上の船首斜檣に、舵があり、くるくる回して方向をとる。
その船嘴の側面にぶらさがっているのが、吊錨架、錨をつるす装置。鎖でくるくると回す巻き上げ装置である。
錨は、しょっちゅう海底へほうりなげるから、鎖もまた、ひどくさびている。赤みがかった錆色だ。
刃が上向きについている錨は、海底に投げられたとき、底をけずりとって爪がひっかけ、船を水上の一定範囲に固定する。
仕方なく鹿目円奈は、湾沿い港町の海岸をとぼとぼ渡り始め、水平線よりだんだん空を明るくしてのぼってくる日をながめ、海をながめ、きらきらと光る水面の景色に感動していたが、船が立ち並び、帆が海を眺めるのに邪魔してうっとうしいなあ、とさえ感じてきたころ、声をかけられた。
「神無さま?」
顔を、海から港町に戻すと、薄みがかった婆のように白色した髪に、水晶のような色の目をした、魔法少女が立っていた。
「鹿目神無さま?いや、まさか、そんな、若りし頃のお姿のはずでは…」
「はい?」
円奈は、相手の女の子、同い年くらいの子を、眺めた。
髪だけ老いたように白髪であるが。
「わたしの母が何か…」
相手は、目を見張った。
「母ですと!ではあなたは、神無さまの娘さま?」
こうして鹿目円奈は、エレム軍の魔法少女と落ち合い、合流を果たす。
二人は港町の岸を歩いた。
日は昇り、港町に活気があふれてきた。人々は船の出港準備をはじめ、店や通りには人気がにぎわう。
がやがやがや、と人だかりが満ちれば、騒がしさも満ちる。
「初めてお目にかかったときは驚きました」
水晶色のような髪と目をした魔法少女はいう。
「あなたはまこと、いえそれにしても、若き頃の鹿目神無さまに似ていられる!まるで生き写しです」
「私の母を?」
円奈は、自分でさえ知らない母の話に関心をそそられていた。
なぜ知らないかといえば、物心ついたときにはもう母の墓が故郷バリトンの丘にたっていたから。
エレム国の魔法少女と落ち合い、二人して港町を散歩しながら、話を交わす。
発着場では、新たに到着した異国からの船からきた商人たちと、現地の商人たちとのやりとりが開始されている。
そして、そこには税関の役人が目を光らせる。
商人が運んできた物品をことごとく調べるのだ。税関にひっかかるものは、特には酒と、パン種である。
「はい、わたしは、鹿目神無さまの指揮下にありました」
そうエレム軍の魔法少女は、感激ぶりを語る。目にきらきらとした煌きが浮かぶ。
きっとそれは、朝日の反射のせいだけではないだろう。
「エレムでは、鹿目神無さまは”紫陽花の少女”と呼ばれていたんです」
「どうして?」
鹿目円奈は、髪の毛もピンク、目の色もピンクである。円環の理となった鹿目まどかと、姿がほとんど瓜二つである。
どうしてそのような姿に成長したのかは、円奈の本人はまだ知らない。母が故国、神の国を亡命する最後、ねがった最後の祈りのことを知るまでは…。
「神無さまは髪の色が桃色で、目の色が薄青でしたので、われわれはそう呼んだんです」
といって、エレムの魔法少女は懐かしげに円奈を見やる。ちらり、と。
「”まるで紫陽花のようだ”とね」
「はあ…」
どうやら、髪の色のことで、からかわれるのは、私だけでなかったようだ。
母も同じ悩みをもっていたのかもしれない。
ひょっとしたら鹿目の先祖代々受け継がれている悩みかもしれない。円奈は、遠い目をして港町をながめた。
「それにしても、こうしていると、まるであの頃の神無さまと会話しているようです」
相手の魔法少女は楽しげだった。
「わたしの母はエレムにいたの?」
ふっとわいた疑問を円奈は口にする。
「鹿目さま、えええと、円奈さま、鹿目という家系は代々、聖地の”象徴”とよばれた家系だったんです」
と、説明してくれた。「本来、あなたも聖地出身のはずでしたが…」
「どうして母は遠くバリトンに?」
もし本当に自分が、本来は聖地出身になるべき家系であったのなら、聖地に旅することはある意味、故郷への帰還、ということになる。
それにしても疑問が次から次へとわいてくる。
「”象徴とよばれた家系”って?」
「鹿目さま、ひとつひとつ、説明申し上げます」
薄みがかった髪の魔法少女は、丁寧に説明してくれた。
「まず、神無さま、あなたのお母様が、バリトンへきた理由ですが、暁美ほむらとの喧嘩別れです」
「アケミホムラ?」
それは、円奈がエドワード城にいたときに、初めてきいた名だった。
ヨーランという聖地出身の魔法少女が、火薬の作り方を、そのあけみほむらって人から教わったといっていた。
「神無さまがもっと幼いころは、ホムラホムラ、って、くっついてばかりいたんですが、大人になるにつれて、神無さまは暁美さまと喧嘩するようになりましてね、ついに神の国…エレムを出たんです」
「暁美ほむらって?どんな人?」
円奈は疑問をまた、口にした。
「預言者とも呼ばれています。円環の理の声をきけるそうです」
と、魔法少女は話した。
「わたしたち魔法少女が、円環の理によって導かれること、その先に、神の国があることを知れたのは、そのお方が私たちにそれを伝えたためです。わたしたし魔法少女たちにとっての伝道師のようなお方です。それまでわたしたち魔法少女は、ソウルジェムをにごらせると何が起こるのか知らない日々をすごしていました。その意味では、救い主のような人でもあるんです。希望をくれた人、といえばわかりやすいですかね。その人の話をきくために聖地にくる魔法少女も、われわれの国にはあとをたちません」
「聖地ってすごいなあ…」
そんな人がいたなんて。円環の理の声をきける…。
でも、円奈にとっての円環の理は、ウスターシュ・ルッチーアのときの死のような、あのむごたらしい最期のイメージが強く、こびれついている。
「円環の理って、神さまなの?」
神の国、それは、円環の理の国。天の御国。
「元は魔法少女だったんです。その願い事が、壮大だったゆえに、神のようになった、といえるでしょう」
この時代の魔法少女は、暁美ほむらの懸命な語り継ぎのために、円環の理がどう誕生したか、だいたいは知っていた。
「”すべての魔女を消し去りたい”それがその人の願いでした。そして円環の理になったのです」
「魔女を消し去る?」
円奈にとって、魔女とは、魔女裁判のような、魔法少女たちが悪者のように貶められたイメージである。
「われわれ魔法少女は魔力を切らすと魔女へと変貌する世界があったそうなのです」
と、その魔法少女は語った。
ざざー。また、港町に、海の音がした。
「ですがその人は、魔法少女を魔女に変貌させないために、われわれの地エレムにて、1000年か2000年ほど昔に、その願いをかなえた。それが暁美ほむらによって語られている歴史です」
「魔法少女が魔女に変貌…?」
円奈にはピンとこない話である。
この世界には、魔法少女が変貌した魔女は存在しないから、わからなくて当然である。
しかし円環の理が、実は一人の魔法少女であった、というのは円奈にとって新しい情報だった。
「えっと…それで、円環の理は、その暁美ほむらって人にだけは、話が通じるの?」
「そのようです」
と、彼女は言った。二人は港町の岸を歩き続け、中心街へくる。「ですから、預言者と呼ばれることもあります。」
「象徴家系って…?」
鹿目という血筋、家系が、聖地では象徴家系だった、ときいて、円奈は気にかかったのである。
ひょっとして、自分は何かとんでもない家系の生まれなのだろうか、とさえ思念した。
「聖地では、鹿目さまの家系は文字通り”象徴”だったんです」
彼女は答えた。にぎわう港町の中心街がみえてきて、たくさんの人の人ごみに、彼女たちはまぎれる。
樽に集まった男たちは愉快にサイをふって博打に夢中だ。その横を武装した円奈とフレイが並んで通り過ぎた。
何人かの博打に盛りふがる男たちが、15歳の少女が騎士風情に武装している姿をみて、けったけった笑い声あげてじろじろ眺めた。
「権力の座についているわけでなく、政治に手出しするわけでなく、ただ国家の象徴でした。エレム国に鹿目家あり、という意味合いだったんです。しかし尊敬されていました」
円奈に視線を送る。意味深に。
「それは、暁美ほむらさまが特別に鹿目の血筋に手をかけてきたから、われわれもそうするんです」
「わたしの母がエレム国の象徴だった?」
円奈は初めてしる情報の多さに戸惑いながら、疑問を口にだす。
「そうです。”失わせてはいけない記憶の血”だそうです。もちろん、あなたも聖地に生まれていれば、象徴としての人でした。しかし神無さまは、戦場に出て、指揮官となって武器をとりました」
自分の母が、聖地で象徴の家系であり、しかも、指揮官になった。
そんな母だったなんて。
円奈は、自分が旅することもなかったら、母のことも自分の生まれのことも、こうして知ることもないままだったんだろうなあ…と、しみじみ、かんじていた。
しかし、なぜ鹿目の家系は象徴なのだろうか?
なんとなく、その疑問の鍵は、暁美ほむらという人が、にぎっている気がした。
「われわれの土地を狙う雪夢沙良と鹿目神無さまは、戦場で対決しました」
「ええ?」
円奈も、ついに吃驚の声をあげた。
雪夢沙良といえば、昔でいうなら、秦の始皇帝とか魏の武帝とか、ダレイオス王、キュロス王に匹敵する大君主のはず…。
魔法少女が歴史の表舞台にでてくる今どきの。
そんな敵と母が戦ってた?
「あれは、奇跡の勝利でした。わたしもその陣営にたち、神無さまと雪夢沙良の敵陣に突っ込む名誉な軍役につきましたが、あの光景は生涯、忘れられませんね!」
と、興奮した様子で過去を語った。
「あなたの母は英雄でした。もっとも、象徴の家系が軍事に口をだすなと王家の側が猛反発して、それがいざこざとなって神無さまは神の国を追放される、もとい、離れる一因にもなってますが……雪夢沙良25万の軍に、神無さまは4万のわが軍を、斜形陣にしてわざと敵の前線への攻撃を誘い、騎兵の煽動と組み合わせて、敵陣の中央にわずかな突破口をつくったんです。ご存知です?これは、アレクサンドロス大王がペルシア王をおいつめた、あの作戦ですよ! その再現を、まさにしてしまったわけです!その場に、神無さまの背後にわたしはいました。そして、神無さまは雪夢沙良の陣に突っ込み、槍を投げ込みましたが、間一髪でかわされてしまいましてね、自軍の左翼が潰えて、あえなく撤退です」
「わたしの母が、そんなことを…」
ぽかーんと、新事実を知って、頭が白くなる円奈だった。
わたしは、そんな人の一人娘だったの?
小さい頃から孫子呉子が大好きだったのは、母の血だった?
「しかしそのあと軍部との亀裂が深まってしまいましたね、ああ、神無さまは悲しい将軍になっています…」
魔法少女は、手で涙をぬぐった。
「夜宴の酒飲みのとき、神無さまは、酒を口にすると手に負えなくなる人だったんですが…ほむらさまとついに大喧嘩しましてね、”ほむらが、わたしにかっこよくなっちゃえばいいんだって、いったくせに、最後までわたしを象徴としてしか、みてなかったな”と叫んで、王家の側の暗殺未遂もあって、ついに神の国をでたんです。その先にたどり着いたのがバリトンの村だったのでしょう。そのとき、象騎兵と戦ったときの兵站を管理していたエレム兵の男、アレスが、神無さまを暗殺未遂から助けまして、その男と神無さまは旅立ったのですが……父親のことは?」
円奈は首をヨコにふる。
「父のことも何も…」
生まれたときから、両親の顔をしらなかった。まさか、二人とも、聖地出身の人だったなんて。
わたしは聖地に生きていた家系の娘だったなんて。
「父も母もいまは亡きお方とは、残念です」
彼女は目にたまった涙をまたぬぐい、そして、ようやく名乗った。
「鹿目円奈さま、よくぞ祖国エレムへ戻られました。わたしはフレイ、鹿目神無さまの指揮下で戦いました、聖エレム軍の軍役にある者です」
553
かくしてフレイと円奈の二人は、港町の酒場、通路に面してひらけた場所にて、テーブルにつき、酒を交わす。
昼間から。
「エレム軍に合流できたことが私のいまの喜びです」
と、円奈はフレイに語った。
二人の手には、鉛グラスが握られていて、中には、ブドウ酒が注がれている。
「エレム兵に加わる騎士としてこの港を目指していたんです。いろいろ寄り道というか、足止めにもあいましたから、もうてっきり、合流に遅れているかと…」
「われわれがこの港町にとどまるとこ、三ヶ月ほどです」
と、フレイは話した。
「東世界の大陸の、あらゆる国に散らばったエレム民族に増援をよびかけています。1万7千、こっちの大陸で得た援軍の数です。皆、葉月レナさまに忠誠を誓っている誠実なエレム民族の同胞たちです。その中にも本来、あなたさまの仕えた、来栖さまもいたはずですが…」
と、悲しげに目をおとした。
円奈も、鉛グラスをテーブルにおき、寂しげな顔つきをした。
「椎奈さまにかわって、わたしがここにきたんです」
「おひとりで?」
フレイは気にかけていたことを円奈にたずねた。
「うん…」
円奈は顔を落とし、おずおず、答えた。
「お一人でこの港まで?大変だったでしょう」
フレイが察すると、円奈も苦笑した。
「そりゃあもう…死ぬほど大変な目に…」
本来は、椎奈率いる200人の村人と共に、この港に着くはずだった。
しかし、危険に危険が重なり、村人たちは村へ帰る。椎奈は息絶える。円奈だけが、そのとき騎士となって、聖地に旅する使命を負った。
自分もエレム民族の一員なのか、それともエレム人とはまったく別の血筋があるのだろうか、自分の体の中には。
「あなたが命あれば、聖地はあなたを迎え入れます。”失われた象徴が帰還した”と」
フレイは話した。
「神無さまが神の国を追放されてから、聖地は象徴が不在でした。でもあなたが帰還するのです」
「…」
円奈は、自分が聖地に旅する、思わぬ意味あいを知らされて、正直にいえば、複雑な心境だった。
聖地にたどり着けば、自分は”象徴”になってしまうのだろうか?
椎奈と交わした約束、聖地にたどり着いてなすべき使命は、そんなことだっただろうか?
そもそも…
なぜ椎奈はすると自分がそういう子として生まれたことを教えてくれなかったのだろう?
と、思いあぐねいていると、トントントンと、硬い鞭が、円奈とフレイの座るテーブルを、たたいた。
円奈とフレイが、同時に酒場の小屋のテーブルから顔をみあげると、外の通路ぎわに、赤い髪の少女がたっていた。
武装していて、鎖帷子に、金色の刺繍入りマント、革の丈夫なベルト、シュルコ。
その立派な武装ってだけで、高貴な身分にある少女な気がした。
「あなた、魔法少女?」
その赤髪は、燃えるような、レッドの色だった。その瞳も、燃えているように、きれいで赤い。
勝ち気で活発そうな女の子だった。
しかし武装して歩いているところをみると、たぶん、魔法少女なのだろう。
「わたしはエレム国の軍に合流予定の騎士です」
と、円奈がいうと、赤髪の少女が、馬の調教用鞭を、びっと円奈の頬にあてた。
ぺこ、と円奈の頬がへこむ。鞭の先が円奈の頬を突く。
うう、と円奈が嫌味な顔をみせ、相手を睨むと、赤髪の少女はいった。
馬の調教用鞭をピシッと頬に圧しつけられて不愉快にならない人はいない。
「なにそれ?魔法少女の力を得たわけでもないただの女が騎士?」
「はい?」
円奈は、初対面でいきなり相手の頬を鞭でつつく無骨で無礼な少女に、明らかに反抗的な態度をとった。
きっ、と嫌そうな顔してピンク色の目を険しく赤髪の魔法少女へ向けた。
「人間の女なんかがどうしてそんな格好してるのって、きいてるんじゃない?」
赤髪の魔法少女は、挑発的に円奈に炊き付けた。馬の調教用鞭を、また円奈の頬に突き立てる。
ふにゃ、と円奈の肌の頬は凹んだ。
「西大陸の国々では女の騎士もいます」
円奈は険しめな表情をしたまま、目を閉じて反論した。
「わたしのように」ピンク色の前髪が少し揺れた。テーブル面の上で、円奈は頬杖ついた。
「あっはは!」
すると赤髪の魔法少女は笑い声あげた。「西大陸の人間は愚かね!学がないってのは本当だわ。どうかしてるわ、魔法少女でもない女が騎士ですって?どういうこと?どういう趣き?」
意地悪く円奈に告げた。顔を近づけて。
「わたしたち聖エレム国家は理性の軍事国家だから、女の騎士なんていう、バカげた兵士は存在しない」
円奈は頬杖ついたまま、目を閉じている。
「この世で一番強いのは魔法少女、だから戦争で活躍できる。ただの女の子の兵士なんていないわけ。そういうわけで、あなたが参加できる部隊は聖エレム国にはない、残念ですけどね」
じろ、目を閉じていた円奈が瞼を開いて、じとっとしたピンク色の瞳で赤髪の魔法少女を見た。
あえて、かつて円奈が、ガイヤール王国のギヨーレンなる軍隊を打ち破ったことや、エドレス北方辺境モルス城壁を陥落させた過去の戦歴などは、一切話さない。
赤髪の魔法少女は、いかにも暁美ほむらと同民族の末裔っぽく名前を双葉サツキといったが、彼女は円奈への嫌味をつづけた。
「…まあ西大陸の人間にいってもムダね。とにかく、あなたみたいな人間の女が入れる部隊はないのだから、自分を騎士などと名乗るのはおやめなさいな」
たしかに、東大陸には、女の子が戦場に戦士として立つ、という光景は見れない。ほぼありえない。
ところが西大陸では、人間の女の子も騎士となって魔法少女のそばで戦うこともある。円奈がこれまでの旅路で見てきたように。ある意味、魔法少女の身の回り役としての少女騎士という様式美が西大陸世界の一つの文化でもあった。
しかしそんな文化は東大陸にない。というわけで、双葉サツキにめちゃくちゃに嫌味をたっぷり言われてる円奈だった。
この双葉サツキの母はユイというエレム王の従姉妹で、このユイと鹿目神無はとてもエレム本国で仲が悪かった。
鹿目神無はエレム国を亡命して、西世界の大陸の辺境の北村バリトンに行き着き、そこで来栖椎奈と出会う。
しかも西大陸では、魔法少女イコール魔獣を倒す少女たち、というイメージであるが、東大陸では魔法少女の存在感がまるで違う。魔法少女イコール軍人という世界である。
戦場は男たちの世界、ではなく、戦場は魔法少女たちの世界、という現実になっている。東大陸では。
まあ、とにかく円奈が無事、東大陸にわたって聖地の国々をみていくうち、それを嫌というほど目にして知っていくだろう。
さてさらに、双葉サツキは、この日の円奈にとっていちばんショックとなる一言を言い放った。
「わかるでしょ?わたしは”王家の魔法少女”よ」
「…」
円奈は、反抗的な目から、失望したような目つきにかわった。
こんな高飛車が王家の人だと知ったからだ。
つまりこの双葉サツキという娘に仕えるためにはるばるこんな危険だらけの旅をしてきたことになる。
落胆が強すぎてやけっぱちになって、赤髪の少女から目をそらし、ぶんっ、と頬を突く調教用鞭を奪い取ってしまった。
「あっ」
不意をつかれた赤髪の少女の手からあっさり鞭を奪われ、動揺するエレム王家の魔法少女。
しかし、すぐに、つくろって、余裕の表情をうかべた。腰に手をあて空をみつめると。
「はっ、とっときなさいな」
といって、”象徴”の家系の帰還を、明らかに敵視した王家の従妹は、背中見せて、鹿目の末裔に釘うちをすませた。
つまり、おまえが聖地に戻ってきたって、政権は私たち王家が握るのだぞ、という念押しな挨拶だったわけだ。
すると、円奈は去る王家の魔法少女を、呼び止めた。「お待ちを!」
双葉サツキ────赤髪に赤い目をした、王家の従妹にあたる魔法少女が、くるっとふりかえる。マントがゆれた。
「鞭もなくて馬に乗れますか?」
と、軽蔑的にいい、ばっと手から鞭を投げ返した。
双葉サツキが手元にそれをばし、とキャッチして受け取る。
双葉サツキは、きっと円奈を鋭く睨み、いらついた顔をちょっとせたが、無言で円奈に再び背をみせて港町を去った。
「…」
円奈は、ため息つき、皿に乗った鹿肉をナイフできりわけた。焼かれた肉をきると、じゅーじゅー音たてたのち、血がどばどばでてきた。
「あんな子に仕えるための旅だったなんて」
と、あきれたようにいう円奈は、すでにエレム王家に対して、対抗心を抱くどころか、軽蔑的な声をだしていた。
あの来栖椎奈さまの君主だから、とても立派な人だちだろうって、淡い夢を抱いていたのに。
「王家は恐れているんですよ。英雄、鹿目神無の子が聖地にもどったら、自分たちの政権を”象徴”にすぎなかった家系に、奪われるのではないか、とね。だから、あなたのうわさをきいて、さっそくつっかかってきたんですよ。いえ、王家ではありませんね、時期国王の座につこうとする、あの双葉姉妹たち、ですね。現国王は葉月レナ、わたしたちのエレム国王です。」
349 : 以下、名... - 2015/08/15 23:36:23.47 WjeUwk5F0 2827/3130今日はここまで。
次回、第76話「難破」
第76話「難破」
554
とにもかくにも、旅に出てから三ヶ月ほど、円奈はついにエレム軍と合流、聖地にたどり着く目標地点へきた。
そして、聖地の現地民であるエレム軍と合流できれば、聖地への切符は手にしたも同然だった。
なにせ、聖地への道を知っている現地民と一緒になれたのだから。
実際いま、円奈は、港町の発着場にいて、フレイと、出港前の会話を交わしている。
「むこうの大陸にたどり着いたら、岸沿いに港町から進み、アキティア領の巡礼路にしたがって聖地を目指しください」
円奈は、潮風にあかれながら、海を漂うカモメたちの声の下、フレイと笑顔で会話をしている。
「困難な旅ではありますが、神の愛があればたどり着けるはずです」
「ありがとう」
円奈はいま、発着場にて、クフィーユをつれて、聖地ゆきへ運航する船舶にのるところだった。
円奈だけでなく、多くの聖地巡礼者や、エレム軍たちが、すでに乗り込んでいる。
船舶は、大きな船であった。巨大な白帆を、ばっと青い海と青い空にひろげ、すると錨を巻き上げる作業に入る船員がいる。
「出港だ!」
船員が号令をあげる。「準備しろ!」
「わたしはもうしばし援軍が到着するのをここで待ちます」
と、フレイはいった。
「さきに聖地で待っていてください。後にわたしが合流し、暁美ほむらさまのもとにあなたを連れます」
こー、こーとカモメが鳴き声をあげている。
海辺にて、二人は別れを交わした。
「うん。わかった。先に聖地で待ってるね」
それは、もう本人が聖地にたどり着ける気まんまんだったわけだが、円奈を待ち受ける波乱は、これからもつづいた。
船は出港し、円奈はクフィーユをつれて船にゆられて、風にふかれながら海を眺めていたのだが、海と空のむこう、水平線のほうが、厚い雲に覆われ、一帯が黒雲に包まれて海が荒れて暗くなっていたのである。
555
円奈に不運が直撃した。
船は嵐にのまれ、海は荒れ狂い、波が何度も船を直撃した。この大きな波に、円奈の運航する船は襲われ、激しく上下にゆさぶられた。
船は、右に左に傾き、円奈は何度も船の上でバランスを失う。
甲板には何度も海の波がのりあげ、水びだしになり、船に海水が溢れ、船は傾く。
「帆をたため!」
船員達の命がけなけたましい怒号が飛び交っている。「風で倒れるぞ!」
「水をだせ!」
ばけつにいれて甲板に溢れた水を海へ投げ込む乗客員たち。
ゴゴゴゴ…
雷が暗雲からおち、海は光る。嵐のなか、暴風雨の雨粒に直撃されながら、円奈は、ついに大荒れの海の波に船がまけ、海へ傾倒していくのをみた。
ばざん、と海洋に頭まで呑まれた瞬間、最後の霹靂が一撃、迸り、潜った海いっぱいが白く光っていた。
556
こうして船は海の藻屑、デービージョーンズの仲間入りとなる。
円奈は、折れたマストの、ぷかぷかと海に浮かぶ木片に、荒れ狂う嵐のなか、しがみついて浮かび、西世界の大陸と東世界の大陸のあいだの海洋を、漂流する。
激しい雨が、折れたマストにしがみついて漂流する円奈の髪を激しく打つ。
当たり前だが、びしょ濡れだった。
ゆらゆらっと…波の任せるままに漂流し、嵐を過ぎるのを待った。
船の本体や、甲板、帆は、嵐に波狂う海の底へ沈んでいった。
円奈の愛馬クフィーユも、思いかけずここで生き別れとなってしまう。
神に愛されれば聖地にたどり着けるはずだ、というフレイの言葉を信じて、円奈は、飢えのなか海の漂流をつづける。
557
一日くらいたった頃、眠気の限界がきて、円奈は海を漂流する帆柱マストの木片にしがみついてぷかぷか浮かびながら、眠りにおちた。
ふつうだったら死に至るその海での眠りは、神の加護をえる。
目が覚めたとき、円奈は大陸の沿岸にいた。
浜に寝転んでいて、しがみついていたマストの木片が、満ち潮の刻に陸地に届いていた。
そして自らは身を浜へ打ち上げられ、全身を海水と浜砂と海草だらけにしながら、陸地で眠りこけていた。
あたりを見渡した円奈は、早朝の浜をみわたし、自分がまったくしらない陸へきたことを理解した。
そこは砂漠であり、緑のない土地であった。陸は乾いていた。
ピンク色の髪にかかった、わかめや海藻などを頭から落とし、潮風はげしい浜を歩き出し、得意武器である弓も失った、腰に剣をさしただけの状態で、餓死寸前の、一日なにもたべてなければ水ものんでない、海に一日中漂流していた体力の限界を感じながら、砂漠へでた。
浜をのぼり海に濡れた砂をふみながら、ざーざー満ち潮の浜を去り、浜辺を渡り歩くが、その途中、ついに心くじけて、円奈はひざをがくっと浜につけて、手で砂をぎゅうっと握り締め、だれもいない人気なしの早朝の、みしらぬ陸の砂浜にて、ついに涙を流した。
「ごめん…クフィーユ…ごめん…」
涙を頬にたらし、聖地の陸にたどり着いた少女騎士は、騎士としての馬を失った嘆きに、ついに心に打ちひしがれて、悲嘆にあえいだ。
「ごめん……あのとき……ごはん食べさせてあげたらよかったのに……」
それは、港町のとき、クフィーユの朝食を後回しにして、しかも自分はフレイと共に酒場で食事を楽しんだあとのこと。
難破にあい、クフィーユは海へと投げ出され、溺死した。
円奈は、最後に馬よりも自分の朝食を優先させたあの最期を、嘆き、外でクフィーユを待たせっぱなしにしていたことを、騎士として恥じ、後悔し、心から自らを責めた。
そして、潮風に打たれ、早朝の暗い朝、海の音をききながら、むなしく、悔やみつづけて涙のしょっぱい味をのみ、潮風に髪を打たれながら、一人ぼっちで浜の砂をぎりりとこぶしににぎりしめた。
「クフィーユ…ごめんね……ごめんね…!あううう…!」
早朝の朝は寒く、しかも静かな浜だった。
ざーっという、海の波たちしかきこえないのだ。
558
こうして円奈は、悔やみのなか、聖地の大陸の砂漠を、一人で渡り歩く。
朝は真昼になった。
鹿目円奈は、森や高峰の地で育った少女であったから、砂漠なんて地に足を踏み入れるのは、初めてのことである。
そして、砂漠の恐ろしさを、まるで分からないまま、あてもなく、よろよろと、心くじかれたまま砂漠をさまよいあるいていた。
真昼になると、太陽が頭上、真上に昇り、太陽とはこんな暑いものだったかと思うほど、灼熱の気温が円奈の肌を焼いた。
しかも、あたり一面の白い砂漠は、すべて熱を吸収し、もやもやと熱気にして沸きたち、立って歩くたび、猛暑が体の水分を奪った。
「はあ…はあう…」
それはもう、地獄の行進だった。
クフィーユを失ったショックで、とぼとぼ憂歩していたら、砂漠のど真ん中、気温にして55度の炎天下を、彷徨い歩く状態になっていた。
昨日から、大海洋を漂流していて、一滴の水ものんでなければ一口のパンも口にしていない。
そして今日も、食べ物も見当たらず、砂漠を迷える人のように歩く。
「ああ…あ…」
喉が渇く。暑さが苦しい。水がほしい。
ついに円奈は、自力の足だけでは砂漠をあるけなくなる。来栖椎奈の剣をぬいて、それをザック、ザックと杖代わりにして砂漠につき立て、老人のように歩く状態になった。腰もまげて。
それから2時間がすぎ、真昼の太陽は、砂漠の乾いた空に照りつきつづた。もくもくとあがる熱気と蜃気楼が、砂漠をあるく円奈を苦しめつづけた。
「ぜえ……はあ…」
声は、もう女の子らしい声ですらなくなり、しわがれた、乾いた呻き声になってしまった。
まるで犬のように舌をたらん垂らし、しかもその舌は乾いて、つばの一滴もなかった。
杖のようにザックザックと砂漠を剣で切りながら、支えにして、一歩一歩、懸命にあるくが、目線の先にあるのは、どこまでもつづく乾燥した砂漠の果てだ。
熱のなかで。
「あつい…あつすぎて……死んじゃう…」
それは、冗談でも比ゆ表現でもなかった。
頭がくらくらしてきた。猛烈に気持ち悪かった。汗だくの体は、服をびしょ濡れにし、余計、動きを重たくさせた。
乾いた風がさーーっと砂漠を撫で、砂の風が円奈の立つ周囲に捲き起こった。
砂埃のから風に覆われる円奈。足元をさらさらと砂に打たれつづける円奈。それでも歩き続ける。
「どこも…砂…砂漠しかない……もう…だめ…」
しわがれた声で苦痛の呻きを漏らす。だらだら、顔から汗ながす。水分をとられて、喉の渇きが死にせままれるほど深刻で、暑さで頭ががんがん、熱中症になりつつある危機を悟っていた。
しかし、どこを見渡しても、あるのは砂漠だけ。もあもあっとした、砂漠すら歪んで見える熱気に包まれ、気温55度の、地獄の猛暑である。
確実に聖地にちかづいていた。
太陽の日照りは、まるで炎のようだ。肌が焼かれる。女の肌は、炎天下にとても弱かった。だから砂漠の国の人々は、女性は肌をいつも隠した。
「だめ…もう……だめだ…わたし…」
がく。
ついに、円奈は心がくじけたあと、体力も尽き果てた。
どさっ、と体は砂漠に埋もれ、すると風がふき、円奈の体を砂漠が包んでしまった。
それでも、もがこうともしない。砂漠に沈んで、埋もれて、隠されていく。
砂嵐のなか、呼吸もできなくなり、いちど倒れたからだを起こす気力も体力も、なくなった。
昨日はずっと海を漂流し、食べることも飲むこともなかった。そして今日は、地平線がぼやけゆらめく熱帯の砂漠を炎暑のなかさ迷い歩いた挙句、またも、食べることも飲むこともなく、ついに砂漠で力尽きた。
騎士は、砂漠のど真ん中で、人目にも触れられない、砂漠の砂山の下に、気絶してしまった。
”がんばって…”
そのとき、声をきいた。
天からの声。
死に導かれる直前、頭に響いたその声は、知らない少女の声だった。
しかしなぜか知っている声だった。
当たり前だ。自分の声だったから。
つまり自分が自分に対して、がんばってといわれて、円奈は目を開いた。
ピンク色の瞳が、ゆっくり瞼をひらくと、奇跡が目前にあった。
髪に結ばれた赤いリボンが、ざわわっと砂嵐の乾いた風にふかれ、なびいた。彼女の目前に、暑い砂漠には水溜り、オアシスができていたのである。
そこだけ砂漠が湿っていて、泥水の水溜りがあった。
「ああ…!」
円奈は、砂の山をぬけだして、這ってすがって水溜りにありつく。
泥水だろうと、なんだろうと、すがる想いで両手に掬い、喉に通す。
口にふくみ、ぐぐぐっと飲んだ。
生命の復活、気力の回復を感じ取った矢先、さらにまた、奇跡が起こった。
馬。
一匹の黒い馬がいた。
円奈のように砂漠をさまよっていたのか、水を求めて、このオアシスにやってきて、水をとくとくと飲んでいるではないか。
「あっ!」
すぐに円奈は走り出し、馬をつかまえた。
立派な馬具つきの馬の、轡にのびる手綱を手に取る。知らない人間につかまって馬はすぐあばれるが、円奈はすぐに首筋をなでてやってなだめ、馬を落ち着かせる。
馬は落ち着いた。鼻息をふーふー鳴らしてはいたが。
しかし、これで少なくとも、砂漠を徒歩でほたることなく、馬に乗って進むことができるのである。
砂漠の国では、ラクダに乗って移動する人たちも多いが、円奈はラクダに乗る方法を知らないので、馬とここで出会えたのはまさに奇跡、神の救いであった。
生きる希望がでてきた。
が、希望がくれば絶望、円奈の不運、不幸はまだ連鎖した。
「イム・アーディ!」
知らない言葉の、叫びが聞こえた。
図太い男の声だった。
声のした方向に、円奈がむくと、そこには、二人組みの人間が、砂漠にいた。
二人とも、馬に乗っていて、一人は槍を持ち、一人は手ぶらだった。
砂漠のさらーっという風にふかれつつ、たっている二人組みは、円奈を睨んでいた。
二人組みのうち、槍を持っていない手ぶらのほうは、オレンジ髪の少女だったが、進み出てきて、告げた。
「その馬は、この人のものよ!」
と、オレンジ髪の少女は告げた。つまり、円奈のみつけた馬をこの主人に返せ、と要求してきたのである。
しかしそんな理不尽なことをいわれて大人しくできる円奈ではない。
この馬は、いまや命綱である。この地獄の砂漠を生きて渡りきるための、命そのものである。聖地への道しるべである。
「どうしてそんな!」
納得いかない顔つき円奈は、叫び返した。乾いてかすれた女の子の声が砂漠にとどいろいた。
もうすぐやっと旅の目的地、神の国とよばれる聖地の国にたどり着こうとするのに、あんまりだ。
「ここは彼の土地だからよ!」
するとオレンジ髪の少女は、通訳の役なのかもしれない───槍もった屈強そうな男騎士に、腕を伸ばして示した。
つまり彼はこの土地を領しているから、この土地の馬もまた彼のものだという主張である。
砂漠の国で出会ったこの騎士は、頭にカフィーヤという布を巻いていた。馬の上で動くたび、この頭の布がひらひらとゆれていた。
年は、円奈よりは年上で、30前後にみえた。
砂漠の国の騎士である。
「この馬はわたしが先に見つけたから、わたしのにしてもいいでしょ!」
と、円奈はからからの風が荒れ吹く砂漠にて、二人組の、サラド国の騎士に、反論して声をあげた。
「わたしの生まれた国の風習ではそうだ!」
「イーミル・アッル・ルァッパ?」
通訳の女の子が、円奈のセリフをサラドの男騎士に伝える。
「イーク・ダーク・マイバル!」
すると異国の、サラド国の勇士騎士は、乱暴に何かを叫びだした。
馬が激しく行き来し、四足の蹄が砂漠をがしがしと踏みつける。
「ディアンティトハーティル・デアンデト・アドターン!」
何語かはわからない。
すると、通訳の少女が、円奈に言った。
「”おまえは卑怯者の盗人だ、そんな盗っ人とは戦う”と言ってるわ!」
円奈は困り果てた。
こっちは二日間も何も食べず、海は漂流し砂漠で乾き果てたのに、戦うというのか。
「わたしは戦う気はない!」
と、はっきり気持ちを述べるも…。
「なら馬を彼に渡しなさい!」
通訳の女の子に、そう命令されてしまう。
円奈は覚悟をきめた。
ここで馬を大人しくわたすのは、命をなげだすのに等しい。
また、砂漠を足で歩きでわたるなど、もう考えられない。その選択肢はない。
鞘から剣をぬく。
ギラン、と、気温55度炎天下のもと、鉄の刃がぬかれ、灼熱の太陽の輝きを反射した。
砂漠にギラ、と円奈の剣が白い光を放つ。
「いやだ!馬は渡さない!」
通訳の女の子は、相手の覚悟をみてとって、もう何も言わなくなった。
すると、サラドの敵国騎士が、槍を手にもち、砂漠を突っ走りはじめ、おおおおっと声あげて、馬を駆けて一直線に円奈にせまってきた。
ドドッ。ドドッ。ドドッ。
馬の蹄の音が近くなる。大きくなる。やわらかな砂をふみしめて突進してくる。
円奈は、弓矢を海で失っているから、剣しか武器がない。剣で勝負するしかない。
「とおおお!」
砂漠の国のサラド騎士は槍をまっすぐ、円奈むけて放り投げた。
狙いは完璧である。間違いなく円奈の頭に飛んできた。
「うっ!」
頭がくらくらし、炎天下で熱中症も同然の円奈は、気力ふりしぼって、来栖椎奈の剣でやりをうけとめる。
ガキィィィィン!
大きく音がなって、槍はどこかへはじけとび、くるくる回って砂漠にサクと刺さって突き立った。
ふらふらとする足元。
慣れない砂漠という環境での戦闘。暑いし、踏みしめる砂はさらさらとやわらかい。安定しない足元。
敵国の騎士は、ふたたび円奈に迫って馬を走らせてきた。
ドダダッ。ドダダっ。
馬のスピードが上がり、円奈に突進してくる。距離が一気にせまる。
馬の巨体に迫られる。円奈とすれ違うその一瞬、サラドの勇猛な男騎士は鞘からすばやくサーベルを抜き、円奈の首に切りかかってきた。
──ヒュッ!
光る刃をみた瞬間、円奈も頭上に剣をだし、するとキランキランと光る2本の剣同士が、炎天下のしたで交わり、音をたてた。
キィィィィン!
乾いた空気で、とどろく鋼鉄の剣同士がぶつかる激突音は、甲高い。砂漠での決闘は、通訳役の少女が、見守っている。
相手は馬の馬力も加わった一太刀だが、こっちは地に足ついての一太刀である。有利不利ははっきりしていた。
「馬から降りてよ!」
と、円奈は、剣を両手にしかと構え持ちながら、異国のカフィーヤかぶったサラドの騎士に怒鳴った。
「なぜ?彼は騎士よ」
すると、通訳の女の子が、馬上で、問いかけてきた。手をあげて。
「馬に乗らないで戦う騎士がどこの世界に?」
まるで円奈のセリフがばかげたものであるかのような言い草である。
「私だって騎士だ!」
と、円奈は、剣を胸元で構え持ったまま、まっすぐ剣先を顔の横で天にたてて、再び怒鳴った。
「わたしは鹿目円奈、バリトンの騎士だ!」
ギラリギラリ、反射する陽光が刃の上をすべる。
「イム・ファーアキム・バリトン!」
すると、通訳の子がサラドの騎士に伝えた。
サラド騎士は、何かをしゃべり始めた。サーベル抜いたまま、馬を往復させて、マントをひらめかせながら、ぺらぺら異国の言葉を話す。
「ファーキムバリトン!ウルセンッメン!サラダアラッタードゥ!リジネス!」
通訳の子が円奈に伝えた。
「”バリトンの騎士はお前みたいなヤツじゃなかった。サラドで知り合っていた”といってるわ」
円奈は、このサラド騎士と来栖椎奈が顔見知りであることを知った。顔見知りというか、情報程度には知っていたのかも。
「その人の、使命を継ぐ者だ!」
と、剣を構えながら、はっきり叫ぶと、相手は通訳いらずで察したらしい。
砂漠の国の騎士は馬から降り、すると砂漠のやわらかな砂の地面をふみしめた。
さわ、さわと足音たてながら、とつぜん、ブチンと鎖帷子の首もとの留め金をやぶった。
そして、サーベルを頭の上に掲げ、構えをとった。
対して円奈も構えをとった。剣先を頭上にもちあげる、鷹の構えという、椎奈に教わった構えである。
「やぁっ!」
男のサラド騎士のほうから仕掛けてきた。
サーベルを手馴れたてつきでぶんぶんふるってきて、円奈の体を切ろうと攻撃してくる。
円奈も応戦した。
弓は得意であったが、剣の技は自信ない。しかし、相手がサーベルを、つまり本物の剣をふるってきたら、身を守るために体が勝手にうごき、円奈の両刃剣がサーベルをうけとめた。
ガチン!
力と力のぶつけあい。円奈が歯をかみしめて剣をふるえば、相手のサラド騎士も歯をかみ締めてサーベルをふるう。
ガチン!
こんどは円奈が相手に切りかかる。両刃剣が横向きにふるわれ、相手の顔面へ。
それは、サーベルに防がれ、あっさり弾き返され、相手が自分より剣術では明らかに上手なのを悟る。
しかし相手がサーベルひゅっひゅと体むけて切りかかってこられては、こっちも懸命に応戦、ふせぐしかない。
一歩も二歩も後ろへひいて、距離をとり、相手のふるったサーベルの斬撃が繰り出されたあとに、自分の剣をふるう。
その剣先は、相手に届きそうで届かない。
届く直前に、相手がサーベルをふるいなおして、円奈の剣先を叩いて、防いでしまう。
すると今度危険なのは円奈である。いきなり距離をつめられてサーベルが顔面頭上へおちてくる。
「うっあ!」
切られそうになり、後ろへ引く。怖い。こわかった。刃を互いにむけあっているとは、こんなにも怖い。
相手がたじろいで、怯えたのをみてとったサラドの男騎士は、反撃も許さないとばかりに連続でサーベルをびゅんびゅんふるって円奈に攻めかかり、後ろへ引く勢いにおいついてきた。
「くう!」
円奈は、恐怖のあまり目を閉じて、縮こまってしまいそうになったが、それをしたら今度こそ死ぬと悟り、懸命に目を見開いて、敵のふるう真剣のサーベルとむきあい、危険な斬撃は間一髪、自分の剣で受け止めた。
ガキィン!
力強く弾き返す。
すると、相手の剣裁きが狂い、相手が一瞬、目を大きくさせる。
その隙だ、とおもった円奈が、力のかぎり剣先を前にふりさげ、サラド騎士に切りかかる。
ガチン!
サラド騎士は、サーベルで受け止めたが、力はまだこっちに残っていた。
そのまま押し切ると、相手の手首からぽろっとサーベルがおちた。円奈の一撃を受け止め切れなかったらしい。
とどめだ!
この勝負事にケリつけるため、びゅんっ、と両刃剣を思い切りふるったが、サラド騎士にわずかに逃げられた。
「うあああ!」
円奈のふるう両刃剣に、ぎりぎり、叫びをあげながら逃げたサラド騎士は、間一髪、切られずにすんだ。
あわてて砂漠を逃げ去り、走り、さっき投げ落とした槍を抜くと、その槍で円奈と対峙した。
円奈もまた、剣を頭上に掲げ、鷹の構えをもった。
どく…どく…どく。
頭に血がのぼっている。
こんなにひどく血が全身をめぐるのは初めてだった。
真剣の切りあい。それは騎士としても、恐ろしく興奮するものだった。
「鹿目!もう十分よ!馬はあなたのものにしていいわ!」
と、通訳の女の子は、二人の戦いをやめさせようとした。ひょっとしたら、騎士を名乗った女の子が思いのほか手強く応戦にでたのをみて、わが国の騎士のほうが殺されてしまうと危険を悟ったのかもしれない。
が、互いに殺し合いに突入した仲、互いの頭に血がのぼってしまって、あいだにわって入る第三者の声など耳にはいらない。
「うおお!」
サラド騎士が槍を伸ばしてきた。
ガキン!
槍先を剣先でたたく。が、逆に剣先を、槍の長い穂に絡めとられて、円奈の剣が、どこか変なところへそらされた。
「やぁ!」
隙あり、とばかりに、サラド騎士がぐるん、と力いっぱい槍を振り回す。
円奈は首を低くして槍の矛先をくぐってかわした。
びゅん!円奈の髪の上を槍が空ぶる。
「鹿目!やめて!」
通訳の少女が叫んだが、手遅れだった。
「はぁっ!」
思い切り、円奈が起き上がりながら振り回した剣が、左回りにぐるん、と刃を走らせ、その剣先は、相手の槍持ったサラド騎士の首筋を掻っ切り、次の瞬間、喉元からシャワーのように血が飛んだ。
「きゃああっ」
通訳の女の子の乗る白馬に、血がどばっとこびれつき、白馬は赤い馬になってしまった。
馬は、顔にどっしゃり浴びた血にうばれ、通訳の女の子はあばれだした馬から落とされて、砂漠の砂にどすんと頭をぶつけた。
「はぁ…はぁ」
円奈は、自分の握った刃の剣先が、敵の首筋を裂いたやわらかな感触を手に覚えていたが、やがて、相手のサラド騎士が、呼吸もできなくなって倒れ、喉元からぶしゅぶしゅと血を噴出、息をすうたびに首筋の傷口に赤い泡が吹き出してくるのを見下ろした。
「戦いたくないっていったのに……」
むこうから戦えといってきて、応戦した結果ではあったが、喉元を切られては、助かりようもない、いたたまれない気持ちに襲われた。
円奈は、もう助からない敵の勇士騎士に、死別の礼をし、それから、馬緒ら落ちてころんだ通訳の女の子の前にでた。
びっ、と剣先をつきつける。
「聖地への道のりを?」
通訳の女の子は、仰向けになったまま首筋に突きつけられた刃をじっと見つめていたが、やがて頭を砂漠につけて、観念して答えた。
「知っているわ」
円奈は刃の先を通訳の子に突きつけたまま、命じた。
「わたしを聖地まで案内して」
円奈の髪が砂漠のからっ風にふかれ、ゆれた。
370 : 以下、名... - 2015/08/29 23:30:58.33 uBeCuuiW0 2846/3130今日はここまで。
次回、第77話「聖地・神の国」
続き
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─17─