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第55話「ヴァルプルギス前夜祭・当日」
424
月日でいうと、4月30日を迎えていた。
この日、一日夜かけて、城下町では祭りごとが開かれる。
3日前ほどから準備されていたお祭りの準備は全て整い、お祭りの日は当日を迎えた。
日が沈んで夜になり、暗くなると、焚き火の組み木に炎をあげ、それに群がるように城下町じゅうの若い女と男たちが、それぞれの民族衣装をまといお祭りに集まり輪をつくって踊って、賑やかで華やかな活気に満ちた。
エドワード城から料理が運びだされ、長テーブルにはブドウ酒を満たした銀製グラスと、タンカード、ビールを満たした木製のジョッキに、真鍮製の皿には豚のあぶら焼きローストなどの料理が建ち並ぶ。
いちいちそれらの酒は、城下町の人々が、酒樽の注ぎ口から補充することができる。
飲み放題だ。
いまや夜は大盛り上がりをみせていた。
民族衣装になった女と、男たちは、好き放題料理と酒を楽しみ、踊り、笑い、ペアを見つけて、男女二人で手を繋いで踊りに耽った。
あちこちの焚き火が燃盛る明かりの周りでは、ぐるりと男女同士が二人一組で手を繋ぎながら大きな輪をつくってダンスを踊り、吟遊詩人たちの奏でるハープとリュート、フルートの音楽にあわせて足をリズミカルに動かして踊った。
男が内側で踊り、女が外側で踊るような輪もあった。
焚き火を中心にして大きく二重の輪をつくった男と女は、楽団の音楽にあわせて踊る。
男は時計回りに、女は反時周りに、回ることで、音楽のワンメロディごとに一緒に踊る相手が目まぐるしく次々に変わる。
だいたい踊りのパターンは同じで、男は女の手をとって、頭上にもちあげてやる。するとボディスなどの民族衣装をきた女はクルリと優雅にまわって、スカートをひらひらと浮き上がらせながら舞う。
ボディスにエプロンを組み合わせた衣装を着た女が多かった。
音楽がとまると、男と女のペアはそこできまる。
時計回りに交代交代していった相手と、音楽がとまったとき、男は最後に女の腰をつかんで高々と持ち上げてやるのだ。
つぎつぎと女は男たちに持ち上げられる。
女たちの、きゃーっという黄色い笑い声が祭りのなかに包まれる。
春到来の祭りだ。
鹿目円奈は、せっかくなのでこの歓春祭に参加した。
”エドワード城に訪れた春”
この看板のついた入場門をくぐり、夜に開催されたお祭りの賑わう雰囲気のなかに自分も身を投じる。
そして当てもなく彷徨い歩いて、遠目に、ダンスを踊る男女達の手を繋ぐ輪を眺めながら、あちこちで燃える焚き火の明るさに目を瞠りながら、適当に空いたテーブルの席についた。
しかしどういうわけだか円奈のついたテーブルは、今やブドウ酒を楽しむギルド議会長の娘ティリーナと、石工屋の娘キルステン、皮なめし職人の娘チヨリ、ロープ職人の娘スミレに、漆喰屋の娘アルベルティーネ、服屋の娘エリカがが囲んでいた。
みんな、普段は飲めないブドウ酒を好き勝手に楽しんで、すき放題パイを口に放り込んでいる。
暴食だ。
「太るってわかってるんだけど」
ティリーナはパイを食べたあと、焼き上げられたパン、例えばロール・パン、揚げパン、丸く平たいパン、つぎつぎと皿から手にとる。
「こんな日には乙女のお口も歯止めがきかないのよねー」
もごもご口を動かし、パンを食べたあとは、またブドウ酒を口に含む。
「んー」
円奈は席についてティリーナたちを横目に、あたりを見回した。
いまや十字路を抜けた王城の橋へつながる広場のスペースは、完全にお祭りムード一色となっている。
音楽は絶え間なく奏でられ、トランペットを吹き鳴らす城からの音楽隊さえ姿を見せている。
だが主に祭りを盛り上げているのは吟遊詩人たちの演奏で、フルートとリュートを中心に、男女のダンスに音楽をつけていた。
焚き火の数は多く、こんな真っ暗闇の夜中に明るい火があちこちで燃え、明るく照らされ、輝いていた。
それに松明も無数のように真夜中にあちこちで燃えた。
まるで夜中が燃えているかのように灯火はあちこちどこでも燃え、夜を照らしつづけた。
そしてそこは、人で満たしつくされていた。大勢の人間が真夜中の焚き火に集まっていた。
そんな明かりに照らされながら円奈は、夜中に盛り上がるダンスに熱中する男女達をなんともいえない気持ちで眺めながら、鉛グラスのブドウ酒を口に含んだ。
都市にいた頃はまだ苦手だったこの飲物も、さすがになれてきた。
というより、これが飲めないと、城下町といい都市といいこの国内では喉を潤すこともできない。
「あっ、円奈ったら、なかなか飲むねえ!」
するとブドウ酒ですでに顔を赤くさせているティリーナが、愉快げに話かけてきた。
「ブドウ酒は好き?」
「うーん…」
円奈は血潮のように赤黒い、グラスに溜まった飲物の水面をみた。ワインはグラスの中で波打った。
「そんな好きな味じゃない…かな…」
そう答える円奈の顔も少し赤かった。「苦いし…」
「あら、そう?でもこれは」
ティリーナは愉快そうな顔をして言った。
「”ガスコーニュ・ワイン”最高級品よ」
といって、グラスにたまったブドウ酒をまた口に含む。
「エドワード城の貯蔵庫から引っ張り出された世界珍味なのよ。さあ見なさい!」
といって、かおを赤くさせたティリーナは、野外の長テーブルに並べられた料理の数々を指さす。
「あんな料理みたことある?王城の貴婦人ときたら、いっつもあんなの食べているのよ!」
円奈はティリーナが指差した方向を見やる。さらにさまざまな料理が並んでいた。
「”若鶏のロースト、ベイク、あぶら焼き、シチュー、パイ、白ソースブロマンジュ添え!”」
テーブルに並べられたおいしそうな料理の数々は、すでにお祭り騒ぎな市民の暴飲暴食によって平らげられ、残り物の残飯と皿はひっちゃかめっちゃかになってテーブルと地面に散らかっていた。酒を入れたジョッキは倒れてこぼれ、テーブルは濡れた。皿はひっくり返り、ロースト料理の骨は食い散らかされて捨てられっぱなしであった。
そして酔いに酔ったまま男女でダンスに更ける。
だれも食べるだけ食べて、片付けない。
そこに役人がやってきて、料理と皿を片付け、新たな料理を運んでテーブルに並べる。
「ほら、見て、新しい料理の登場よ!」
ティリーナは、円奈の顔に耳をよせて、耳打ちする。
円奈はブドウ酒を入れたグラスを持ったまま、役人の並べ始めた新たしい料理に目を配った。
ティリーナはその料理の数々をいちいち教えてくれた。
「”フルメンティ・ソースのビーバーの尾ヒレ”」
ある皿に盛られた料理を見据えながら、ティリーナが円奈に耳打ちして囁く。
円奈もよく分からないままとりあえず顔だけ頷いた。
「”牛肉と羊の混ぜ混ぜ上皮被せパイ”」
円奈、また顔だけ頷く。
さらにティリーナは料理を目を細めて見つめ、円奈に耳打ちした。
「”白鳥の臓物肉汁のスープ・ストック”」
異様な料理の数々に圧倒されながら、円奈はまたこく…っと頷くだけ。
「”スワンネック・プディング”よ」
うーん…全然わからない…
円奈は不思議な料理の数々を説明されて眉を寄せる。
「貴婦人たちったらいつもいつもあんな料理を楽しんでいるのね」
と、憎くたらしげな口調でティリーナはいい、乗り出した身を席に戻して座りなおした。
「さあ、さあ、飲もう、飲もうよ!私たちにはガスコーニュ・ワインがある!」
といって、鉛グラスを円奈の前に差し出してきた。
「えっと…うん」
円奈も相手に釣られて、鉛のグラスを差し出して。
コツン…
と、グラス同士がぶつかると、二人は同時にブドウ酒を口に含んだ。
それにしても祭りは大盛り上がりで、収まる気配をみせない。
夜通しおこなわれる、春を祝う収穫祭に起源をもつこの祭りは、明日の日が昇り明るくなるまで続くのだろう。
円奈たちとティリーナの顔は赤い。
赤く見えるのは、ワインのせいか真夜中に灯る赤い灯火のせいか。
それとも男女のダンスがかもし出す熱気のせいか。
「それにしてもさあ……きれいなピンク色の髪だね」
といって、ティリーナは、ぜんぶブドウ酒を飲みほして鉛グラスをテーブルに置くと、興味津々といった目で、テーブルに身を乗り出して、手を伸ばすと、円奈の前髪を触れて撫でた。
「なんか不思議な色だよね。生まれたときからこの色なの?」
円奈は、じりじりとティリーナの指に前髪をいじられながら、その指を見上げて、言った。
「うん……生まれたときから……」
円奈のグラスのブドウ酒も空になった。
キルステンとアルベルティーネは別の会話に熱中しはじめている。
「きれいな色だと思うよ」
ティリーナは円奈の髪の色を褒めた。それから、彼女の黒い瞳は、まじまじ円奈の目も見つめた。
「瞳の色もすてき」
「…そうかな…?」
円奈は恥ずかしくなって目を落とした。
自分の身体のことをきれいだと褒められることに慣れていなかった。
「髪も目の色もピンク色なんだね。なんだか神秘だわ」
ティリーナは他の女の子の体を褒めるのが好きだった。
逆に他の女の子の悪口をいったりすることも大好きなのだが、ティリーナは円奈が嫌いではなかった。
「手をみせて?」
ティリーナは円奈にいろいろなことを要求してくる。
「うう…」
頭を垂れながら、円奈はおずおずと両手を差し出した。
ティリーナは、円奈の手をまじまじ見つめた。
そしてさっそく評論をはじめた。
「傷ついてるじゃない!」目を大きくさせて大げさに声を張り上げる。
円奈は困った顔をした。「だって……弓矢を使うから……」
「だめよ、乙女の手に傷なんて!」
ティリーナは円奈の手をつつみ、優しい顔になって言う。
「すぐに治さなくちゃ……手は一番大事なのよ!貴婦人がどうして手袋してるか分かる?」
「いや……ぜんぜん…」
でもそうういえばアリエノール・ダキテーヌさんも手袋をしていた気がする。
円奈が手袋をつけるのは、弓矢を使うとき、痛くなるからだ。
「男は女の手をみるのよ!意識がたらない!」
こうしてティリーナは円奈に叱咤していった。
「手が日に焼けたりでもしたらどうする気?白くしなやかな手、それ以外は許されないの!そういうものなの!」
実際には、貴婦人が手袋をするのは、肌を晒さないためだった。
女が肌を晒すのは好ましくないと考えられる時代だった。露骨に肌を露出させるのは男を誘惑する魔女ぐらいなものだ。
この価値観を反映してか、たとえばユーカやスミレのような魔法少女も、変身衣装は肌を晒さなかった。
「それからさあ、あなたのチュニックも新調したほうがいいよ?」
ティリーナは円奈の服装についても言及する。
古びたワンピース型のチュニックは、昔から着ていたから、円奈の足首は外気に晒されていたのである。
「レディへの道のりは遠いね」
ニコッと笑い、からかってくるティリーナだった。
425
さて祭りは深夜の時間帯となり、人々の熱気も最高潮の、どんちゃん騒ぎへと到達しつつあった。
ごっちゃごちゃに散らかされたテーブルに、こぼれていないジョッキはなく、塗れていない皿はなく、めちゃくちゃになっていない皿はなかった。
どれもこれも暴食されて、食い散らかされて、ワインはがぶ飲みされて、グラスは倒れてテーブルにこぼれる。
祭りに参加した城下町の人々のだれもが酒が入り、だれもが酔いに酔って、ふらふらしながら、ついには汚い食い散らかされたテーブルにぶっ倒れて気絶する男たち。
その男たちは役人が運び出して片付ける。
酔った勢いで喧嘩をはじめる男達もあちらこちら。
騎士ごっこと称して、木刀をもち、殴りあう。剣術を披露しあって、女たちは輪を囲って男達を応援。
この一騎打ちに勝った男は、女たちに群がられて、すき放題抱きしめる。
料理の並んだテーブルに土足で乗りあがり、そこでダンスを披露する男もいた。
ぎゃーぎゃーわけのわからないことを叫びながら、頭にジョッキの酒をかぶる。
女たちはその男にパチパチパチと拍手して、男は酔い狂ったダンスを踊り始めた。
当然、テーブルに並んだ皿と料理はひっちゃかめっちゃかになった。
するとエプロン姿の女たちはけたけたと笑い転げた。
もっとひどい男になると、祭りの各テーブルに括りつけられた松明の火を両手にもって、ぶんぶん振り回すパフォーマンスをしだす男もいた。
松明の火を振り回すたび、深夜の暗闇に、火の軌跡が走る。夜の暗がりを走りまわる炎の軌跡。
最後には別の男に松明を投げてぶつける。ぶつけられた男の髪の毛に火がつく。
慌てて男はブドウ酒の樽をとりだして頭にかぶり、火を消す。
そして激昂して、松明の火を投げてきた男と大喧嘩。当然のなりゆきながら、大騒ぎである。
胸倉をつかんでテーブルに叩きつけ、力に任せて殴りまくる。
またもテーブルに並んだ食事の皿とジッョキと、グラスは、ひっちゃかめっちゃかに地面に落ちて散らかった。
この喧嘩を女たちは笑いながら見守り、喧嘩に勝った男に群がった。
もう、だれもがハメを外していた。
円奈は男たちが酔いの勢いで暴れまわる姿を横目で見つめ、何杯か目のブドウ酒をグラスで口に含んだ。
「…ん」
頭が少し、くらくらしてきた。円奈は目をぱちくりさせ、目をこすった。
「粗野な男は嫌い」
円奈の正面にたっていたティリーナが、円奈を見て、円奈の内心を察したのか話しかけてきた。
「だってちっとも女の子を大切にしてくれそうにないんですもの。そうでしょう?」
「うーん…」
円奈は考えるように鼻で声をだした。「どう…なのかな?」
その受け答えは適当で、あまり関心がなさそうだ。
「男は、粗野で乱暴なくらいでいいのよ」
するとアルベルティーネが話しはじめた。
「男は男らしく。強くなきゃ。ひ弱な男についていけないわ」
円奈とティリーナの二人がアルベルティーネのほうに顔をむける。
「あとは、女の子の扱い方を、ちょっとずつ少しずつ、教えてあげていけばいいのよ」
その片手にはワインの入ったグラスがもたれている。
「うーん…まあ現実的ねえ」
ティリーナ、腕を組んで考え込む。「男はバカなくらいでちょうどいい……か」
「そうよ、男はそのくらいがいいわ」
キルステンも同意を示した。「変に賢くて、作法に則っている男のほうが、むしろ女をどこか心で見下していそうで、ダメよ」
「ああ、それはありえるかもね…」
ティリーナは、顔だけ頷く。
「バカな男なら、女を見下している態度がすぐにでるから、こっちも分かりやすいのよ」
キルステン、話をつづける。
「賢くてかっこつけてる男のほうが気をつけたほうがいいわ」
「とかいってるけど、みんな、そもそも作法をわきまえてるほど高貴な男と付き合えないでしょ」
アルベルティーネは元も子もないことを言い出し。
ティリーナ以外全員の女の子が笑った。
円奈まで笑ってしまった。苦笑いではあったが。
ところで少女達七人が、こうも一箇所に集まってだらだらと会話してるところに、男が寄りつかないはずもなく。
酒に酔った男は、このテーブルに飛び込んできた。
その男は、七人のうち、円奈に目をつけた。たぶん、七人のうちとりわけ、目立っていたからだろう。
背中に大きな弓を抱えていたからである。
「なに飾りモンつけてんだ?」
大ギラで背の高い男は、円奈の倍あるんじゃないか、と錯覚してしまうほど、威圧的だった。
「この弓だよ。ピンク野郎」
「…はい?」
円奈は背に立った男を振り返ってみあげた。ピンク色の丸い瞳が男をみあげた。
「騎士のつもりか?剣ってのは男の持つモンだ。小娘が持つもんじゃねえ」
といって、男は、トントントンと自分の弓矢で円奈の鞘に納まる剣を叩いた。
「イチイ弓か。かっこつけやがって」
「鹿目円奈ちゃんは騎士だよ!」
ティリーナはばっと席をたちあがり、男にむかって怒鳴った。
「その弓は飾りモノなんかじゃない!」
「”騎士ごっこ”だろ?」
男は取り合わない。そして、自分の手に握った大きな弓をとりだした。
「みてろよ小娘ども」
彼は、少女たちのまだキレイに皿が整列しているなかからフルーツ類、りんごを片手に握り締めると、それをいきなり真夜中の暗闇へ高く高くなげた。
ひゅーっ。
りんごが宙を舞う。
円奈ふくむ少女達は星空の彼方へときえていくりんごを顔をあげて目で追う。
すると男は弓に矢を番え、狙いを定めた。
空高く浮き上がったりんごは、やがて、弧を描いて、だんだんと下へ落っこちてきた。
バシュッ!
男は弓から矢を放った。
それは物凄い速さ、目にもとまらぬ速さで飛び、暗闇のなかを突っ切って、落ちてきたリンゴを空中で射止めた。
「…おおおっ!」
まわりの男女たち、それを目撃し、いっせいに拍手をはじめる。
おーおーおー。
ぱちぱちぱち。
「さすが、城下町一の弓使いだ!」
彼の知人である別の男が、騒ぎ立てはじめた。
男は満足げにでかい弓を降ろし、そして、どうだ、という顔をして少女達を見下ろした。
そして、この男の動機がこのときようやく分かったのである。
要するに若い女の子たちの集まるテーブルを見つけて、自分の弓の技を見せつけてかっこつけたいだけだった。
しかしその目論みはいからか成功した。
キルステンやアルベルティーネ、スミレが、男の弓技に目を奪われ、瞳を輝かせていたのである。
「弓を使えるってのはこういうことだ」
得意気になっている男は少女達を見おろして告げる。「背中にはっつけてればいいってもんじゃねえ」
明らかにロングボウを背中に抱えた円奈への悪口であった。
何人かの少女達は、心配げに円奈を見つめていた。
が、円奈は動揺したり、悲しむような顔をすることもなく、ふうと息を吐き。
「それなら私にだってできるよ」
といって席をたちあがった。
「はあ?」
男、目を丸くする。明らかに動揺していた。
「円奈ちゃん?」
ティリーナたちが不安げに見つめているなか、円奈は立つと、背中のロングボウを取りだして手に握った。
おもむろに皿に盛られたフルーツ類のうち、りんごを手にとり、そして。
「えいっ!」
掛け声とともに真上へ高く高く投げ飛ばした。
りんごは夜空の暗闇を舞い、くるくる回りながら、高くとんでゆき……しだいにスピードを失って落ちてくる…。
まさにそのとき。
円奈は矢筒から一本の矢を抜き取って、弓に番えた。
素早く狙いを定め、弓の向きを真上へ向ける。
上向きに構えられる円奈の弓。
そして目を細め、狙いをつけ、矢を放った。
ビシュン!!
ロングボウの強靭な弦の音が空気中に轟く。
それは、宙を舞い、落ちてくる真っ最中のリンゴを真上の空中で貫き、リンゴは一本の矢に射抜かれた。
そして矢に貫かれたままリンゴはぶじゅっと黄色い果汁を飛び散らせながら円奈の手元におちてきて、円奈はそれを手にキャッチして、リンゴをがぶりと一口、食べた。
「おおおおっ!」
それを目撃していた城下町の人々、一気に歓声をはりあげる。
拍手の音で満ち溢れ、だれもが円奈の弓技を讃えた。
「すっ、すごーい!」
だが何よりも驚かされたのは、ティリーナたちだった。彼女たちはすっかり円奈に度肝を抜かれている。
「バカな、長弓の使い手だと!」
すっかり弓技を披露された、さっきのおとこは、悶絶する顔した。
「よし、よし、なら、勝負させよう!」
弓技を披露した二人のもとに、騒ぎを聞きつけてやってきた城下町の男が、叫んだ。
「どっちが弓達者か競うんだ!」
わああああああっ。
おおおおおおおおっ。
この展開には城下町の人々も大興奮。大盛り上がりをみせた。
「何枚かける?銀貨50枚か!」
426
ティリーナたちと、城下町の人々が観衆となって見守るなか、二人の弓くらべは始まった。
「それ!」
城下町の男がリンゴを投げる。リンゴは高く高く打ち上げられる。
最初にふっかけてきた男と、円奈の二人が、同時に弓を構える。
そして矢を弦に番え、ひきしぼり。
バシュッ!
ビシュン!!
二人の矢が同時に飛ぶ。
両者から放たれた二本の矢はどちらも空を飛んだリンゴを狙った。
そして見事、二本ともがリンゴに直撃し、二本の矢は交差するかのようにしてリンゴを貫いた。
そして二本の矢に射抜かれたリンゴは、どっかのテーブルへ落ちていった。
二人の弓技は互角だ。
おおおおおっ。
パチパチパチパチ。今や城下町じゅうの、男も女も、二人の弓くらべ応援している。
ところで、二人の弓くらべから少し離れたところの、長テーブルの奥では、城下町の二人の若い男たちが。
王都ではお法度である、博打に集中していた。
二人は三つのサイコロを使い、木製の器へ投げ込んで、その出る目を競う。
「ふってみな」
片方の男は、挑発をする。「てめーに目なんかでねーよ」
対面する席に座る黒髪の男が受けて立つ。目を細め、相手を睨み返す。「ここでお前を”ギャフン”といわれてやる」
「ギャフンなんかいわねーよ」
金髪の男は、目をじとっと細め、相手の男を目に捉え、その瞳に映す。
「おれのだした目は”5”だ。次におまえはサイコロを振って───」
その口に笑みが浮かぶ。嫌味ったらしい、笑みが。
「”スッカンピン”になるんだ」
「素寒貧だろ間抜け…」
黒髪の男は笑い返し、そして…。
手に握ったサイコロを、ついに三つつも、器に投じた。
ガラララ…
そのサイコロはそれぞれの目をだす。5、3、1。
目なしだ。
金髪の男は歯をみせて、ニヤリと笑った。「俺の勝ちだな」
そのころ二人の弓くらべは二回戦へ突入していた。
「それ!」
またリンゴが高く打ち上げられ。
バシュン!
おおがらな男が先に弓を放った。
ドス!
それは空中のリンゴを仕留め、黄色い果汁が飛び散った。
「俺のかちだ!」
男はすかさず叫んで拳を握り締めた。
円奈はまだ弓を放ってなかったからである。
矢に貫かれたリンゴは奥へ奥へと飛んでいく。
どんどん距離が離れていく。
しかしそのタイミングでまさに狙いを定めて。
円奈のロングボウから矢が放たれた。
それはほとんど食事の並んだテーブルの真上を通り抜けていくかのような、真横に飛んでいった矢だった。
そして食事テーブルの皿に盛られた料理という料理あいだを矢は通り抜けてゆき…蝋燭の火をかきけし…
まさに落下してきたリンゴが、テーブルの面にくっつく寸前のところで円奈の放った矢が射止めた。
バスッ!
リンゴは二本目の矢に射抜かれて、飛ばされ、果汁を飛び散らせながら勢いよくごろごろとテーブルの上を転がりまわった。
それは皿にぶつかるとぽーんと跳ね上がり、リンゴはバウンドし、くるくる回りながら…。
男たちが賭け事をしていた器に、ずぼっと入り込んできて嵌った。
「うわっ!」
「なんだっ!」
賭け事をしていた二人は、どこからともなく飛んできたリンゴに目を瞠る。
しかもリンゴには二本の矢が刺さっていた。赤い皮はめくれ、果汁が垂れていた。
サイコロを転がした器は一瞬跳ね上がり、ゴトンと宙を舞ったあとまたテーブルに落ちた。
二人の男は、そっと、器にはまったリンゴの実を手にとって取り出す。
すると、さっきの衝撃のせいか、器のなかでサイコロのだす目が変わっていた。
そのサイコロの目は……5、5、5。
ゾロ目だった。
金髪の男は、信じられないというふうに目を大きくさせていく。
いっぽう、黒髪の男は、自分のだした目がゾロ目に変化したと分かるや、その場で立ち上がり、そして叫んだ。
「勝った!」
両手をひろげ、ぱっと顔を明るくし、歯をみせて笑いだす。「勝ったぞ!ボクのかちだ!ゾロ目だあ!」
427
円奈が弓くらべにゆき、ティリーナたちが応援しているなか、服屋のエリカは。
ただ無言で、考え込むように、グラスのブドウ酒の水面を見つめていた。
その瞳は悲しそうで、落ち込んでいる様子ですらあった。
そういえば祭りごとだというのに一言も喋っていない。
「…エリカ」
彼女のことを心配して、声をかけたのは、気弱な魔法少女のスミレだった。
エリカは黒い髪をテーブルに垂らして、グラスを両手に握り、無言でいた。
そのグラスを握る両手を震えていて、その震えはグラスにも伝わっていた。
グラスはテーブルの上でカタカタカタと音をたてていた。
「エリカ?」
スミレは再びエリカを呼ぶ。その顔を覗き込もうとした。
「スミレちゃん、私ね」
服屋のエリカは初めて声をだした。この声も、震えていた。「いま不安で不安でしょうがないの……見当たらないの……きてくれないの……」
「きてくれない…?」
スミレは聞き返した。エリカの気持ちが分からない。「ひょっとして鍛冶屋の子のこと?」
こくり……と、エリカは静かに頷く。
もし、鍛冶屋見習いの少年が、この祭りの場にきていたら、ティリーナと一緒に、手を繋いで踊りをしながら、告白する。
そういう話になっていたし、エリカも今日、そのつもりでいた。そういう気持ちで臨んでいた。
だから、新調したボディスにエプロンを結び、背中でリボン結びにする、おしゃれを一生懸命してきた服屋の娘エリカは、その相手が見つけられず、ただただ孤独に泣き顔をしているだけだった。
好きな男の子のことを想って、この日のために、一生懸命、鏡の前で時間をかけて身だしなみを整えてきた、可愛らしい民族衣装の姿は、好きな人がやって来さえしない、お披露目の場を完全に失っていた。
「エリ…カ」
スミレは、自分より数段気合を入れた衣装をまとったエリカを、つらそうに見つめる。
「私ね……なんかバカみたい…」
エリカは目に涙を溜めて、震えた声で語った。頬を涙がつたった。
「ティリーナの話を真に受けて、本当に逢引できるんじゃないかって……本気にしちゃって……名も知らない男の子と付き合えるわけないのに……ね……」
手は震え、きれいな手袋をはめた新品のそれは、涙に濡れてしまう。
「きっとあの人にはあの人の恋人がいるんだわ……」
エリカは、泣き出してしまう。
「エリカ…」
スミレは、エリカの悲しさと寂しさが計り知れないものだと思った。
ずっと昔から好きだったという男の子。
その男の子のことを想って、一生懸命身支度もしてきた。けれど、その男の子はやってこない。
なんてつらいんだろう。なんてさみしいんだろう。
自分が不甲斐なくて情けなくて、消えてしまいそうになる。
そのとき、ティリーナと円奈たちが、弓くらべを終えて、席にもどってきた。
円奈は席に座ると、すぐに弓を背中に抱え直して、いくつかの料理に手を伸ばし始めた。
「結果は?」
スミレがきくと。
ティリーナと、キルステン、アルベルティーネは、三人楽しそうに、同時に答えた。
「もちろん、円奈の勝ち!」
ティリーナが、得意そうに胸を張る。
「もう、すごいんだから!円奈の弓技は!」
円奈のピンク髪を撫でる。
「この子ったら!超すてきよ!百発百中!相手の荒れくれ男は四回戦目でハズレ。円奈の弓技が一番よ!」
「そ…そんなこと…」
円奈は困った顔しながらパンを口に齧る。
「私、円奈ちゃんが男の子だったら、好きになってるわ!」
アルベルティーネは目をきらきらさせて言った。「こんな男の子の騎士がいたらいいのになあ!」
エリカは泣き顔をしたままだった。
しかし、その顔を、ティリーナの発言が変えることになる。
「あれ?ユーカは?」
ティリーナは、本来くるはずだったメンバーの一人、ユーカが、未だにこないことに、疑問を感じて口にして言った。
「まだきてないね?」
キルステンも席に座ると、あたりを見回す。そこらじゅうに群がっているのは、大喧嘩にあけくれる男と、酒を飲んだ暮れてテーブルに身をのっけて気絶しているバカ男に、男女で手をつないで踊って痴話に耽る若きカップルたち。
はっと、エリカが顔をあげる。
その様子をスミレが心配がった。「エリカちゃん…?」
エリカは、ユーカがいないことに、一種の勘のようなものを感じ取っていた。
くるはずだった鍛冶屋の少年は来ない。ユーカもこない。
この図式に、女の勘のようなもの、エリカにとって重大な信号を鳴らしているかのように、思えたのだった。
女は、勘にすぐれる。
とくに、男女関係の勘ともなれば、超能力めいた勘を発揮する。男は浮気を絶対に隠し通せない。
「わたし…」
エリカもその例外ではなかった。
「ちよっと街路のほういってくる…」
「エリカ、どうしたの、小用?」
ティリーナは、エリカに、用を足しにいくのか、と訪ねた。
エリカはそれに頷いて答えた。「…うん」
嘘をついて、エリカはみんなの席を立つや、とぼとぼと祭りの場を離れはじめ、入場門をくぐって、街路へと出た。
ティリーナたちはそれを見守っていた。
とくにスミレが……不安げに。
428
城下町の橋側が、お祭りの騒ぎと盛り上がりをみせる傍ら。
東の城門に建つ城壁は物音なく、静かで、人気さえなかった。
門番兵や監視塔の見張り兵すらいない。
みんな、お祭りへでかけている。
こんな、だれもいないような、深夜の真っ暗闇の城壁に。
魔法少女のユーカは、一人で佇んでいた。
じっと立って、想い人を待っていた。
ユーカは不安だった。
物静かな、城下町の端の囲壁に取り残されて、そのまま置いてけぼりにされてしまうのではないかと不安で不安で仕方なかった。
でも、しばらく待っていると、足音が聞こえてきた。
トントントン…と、石を蹴るような足音。
階段を登り、城壁の長々とした歩廊を渡って、やってきてくれた少年は。
「ライオネル」
ユーカは、嬉しそうに少年の名を呼んだ。「きて、くれたんだ」
月が夜空に浮かぶ。
城壁から見渡せる景色は、外の界。谷と断崖の大陸。そして、遠くの峰々。
「だってユーカが呼んでくれたじゃないか」
少年は照れ笑いしながら、ユーカのもとに歩いてきて、二人は、城壁で隣同士に並ぶ。
そして二人で隣同士、城壁から月夜の景色を眺めた。
「…そうだね。でも、嬉しい…」
ユーカは少年の隣で、目を閉じると、夢をみるように、静かにいった。
その声は不思議なほどはっきり響き渡る。
たぶん、二人のほかに、人気はまったくなく、だれもいないからだろう。
王都の城壁は二人の世界。
エドワード城に繋がる城壁の歩廊には、いま、二人しかいない。監視塔の見張り兵すらいない。だれもみていない。
月は二人を祝福するように浮かび、優しい、青色の月光を、王都の城壁に降ろしてくれる。
「ねえ、静かだね…」
ユーカは目を閉じながら、夢見心地な口調で、少年に話しかけた。
「みんな祭りにいっているから…」
「ああ。そうだ…ね…」
少年は、わずかに緊張した。
「最終テスト…」
ユーカは目を開く。その瞳に、美しい月夜の光が映った。
「どうだった?」
星々は、王都の城壁から見渡せる限りの谷間の大地の空に浮かび、きらきらと光り輝いていた。
静かだった。
暗くて、人気もなくて、二人を照らしてくれるのは月夜の明かりだけ。虫の音がスースーと城壁下の草むらで鳴き声をたてるくらいしか、物音がしない。
少年は、頬を手でかいて、答えた。「弟子入りしてから初めて……」
ユーカは少年のほうに向き直る。
「受かったんだ。師匠のテストに耐えてみせた。ぼくの剣は初めて完成した」
ユーカは、本当に嬉しそうに、まるで自分のことのにように、嬉しそうに…笑った。
「おめでとう」
「やっと夢が叶う」
少年は興奮したように語り、こぼれる笑みに口を綻ばせながら、話した。
「ぼくの剣が騎士に持たれ、戦場で活躍することになるんだ。必ず騎士の魂になれる。戦いに勝つ剣になるんだ!」
「それがライオネルの夢だったもんね」
ユーカは優しく…優しく笑った。
「うん……これもユーカのおかげなんだ」
少年は初めて、自分の気持ちを……ユーカに話した。「いつもいつも……その…洗濯に…きてくれたから。それがぼくの励みになってくれた」
「いいよ、別に」
ユーカはライオネルから、そっと顔の向きを逸らした。その頬は……赤くなり始めて…。
「だって私は…」
とまでいうと、言葉をとめた。
「…?」
少年には、ユーカの伝えたいことが分からない。いや、分からないフリをした。
ユーカはすると、いったん城壁から顔をみあげてそっと月夜を眺め、王都を裂く谷のむこうの山地を眺めたあと…。
少年のほうに向き直り、少年の手をとって。
「ねえ……いま、二人きりだよ」
そういって、少年をみあげた。
目にうるう、涙のきらきらした透明な滴を浮かべて…少年をみあげた。
そして……目を、閉じた。
ユーカは待った。
待ち続けた。
この日をこの瞬間を……。
怖かった。
目をあけたとき、ライオネルがいなかったらどうしよう……そんな恐怖に震えた。
そんな、震える女の子の体を、少年の手はゆっくりと背中から抱きしめて…
吐息をかんじる。
ユーカは、唇が触れ合うのを感じた。
それはユーカの初めてのキスだった。
涙が溢れてくる。
幸せだった。
でも、唇に触れる感触はたしかにあって……目を閉じたユーカの意識はすべてそこにいった。
ゆっくりと…唇同士がこすれあい、やがて求め合うように。二人は唇を合わせあった。
エドワード城の王都の夜空に浮かぶ月は。
キスする二人を、静かに、照らした。
429
服屋の娘エリカは、王都を囲う城下町の市壁、東門のほうへ走ってきた。
息切れした少女……服は、もう、乱れてしまっていた。
だが、服の乱れなんかもう意味をなさないことを知った。
いや、それどころか、自分の身支度そのものが、もはや、なんの意味もない。
エリカは見上げていた。
月夜に照らされて、城壁の上で唇を寄せ合う二人を。
だれもいない、人気のないところで落ち合い、恋に落ちた二人の抱き合う姿を。
それは、鍛冶屋の少年とユーカの二人がキスする姿だった。
「そう……か」
エリカは、自分の女の勘が正しかったことを知るのと同時に、全てががたがたと崩れていくような、何もかも失っていく気持ちに襲われていた。
「そういう……ことだったんだ……」
二人はエリカに気づいていない。
エリカだけが二人に気づいている。
恋に堕ちる二人の姿を見守っている。
ユーカは自分より先に動いた。この日、逢引の日に、自分には渡すまいと事前にあの少年と連絡をとりあって、ここで落ち合った。
そして、恋を成功させた。
自分は負けたのだ。
考えてみれば当然だった。
ティリーナに応援されたから、告白しようなんて思った、他力本願というか、他人に流されるままに恋に浮かれていた自分とはちがう。
ユーカはちゃんと自分で動いたのだ。
そしてそれが男の子の心をつかんだのだ。
心の中では納得いくのに。自分なんか負けて当然なのに。
涙は溢れてくる一方だった。
「ううううああああ…」
絶望のような、もう消えてなくなってしまいたいくらいの気持ちに駆られながら、ただただ、溢れてとまらぬ涙が抑えられなくて、膝をついて泣き崩れた。
「うううう…うう…」
悔しい。悔しい。悔しい。
ユーカが羨ましい。ユーカが、羨ましい……。悔しい。悔しい。
失って初めて気がつく、自分の少年への想い。
奪われて初めて気がつく、自分の少年への恋心。
淡い想いを抱いていた恋心は、少年がユーカとキスしている姿をみると、炎のように燃え上がり、強烈な悔しさと嫉妬を呼び起こした。
秘めた想いは燃え上がる激情の炎となって、自分が到底少年を諦められぬ気持ちに、乙女心は突き動かされた。
それはエリカを絶望させた。
ここで、あきらめて、ユーカを祝福できるくらいの気持ちでいられたら、どんなに楽だっただろう。
しかしそんなこと到底考えられそうにもない。
これから先ずっと、ユーカと、あの少年が、幸せな二人きりの日々を送ると考えただけで……。
狂おしいほど嫉妬に駆られる。もうそれは本当に、嫉妬そのものだった。
エリカのことを不安に思ったスミレが、エリカを追いかけて、ようやくエリカを見つけて、やってきた。
「…エリカ」
スミレは、泣き崩れて地面に手をつくエリカの肩を持つ。「どう…したの?」
スミレはエリカの泣き崩れる理由をたずねた。
しかしエリカは首を横にふった。
「ううん……なんでもない」
エリカは嘘をついた。
しばらく何の言葉も発せられないくらい、泣き崩れていたが、やがてエリカは立ち上がった。
新品の衣装は、涙と、地面の土で、濡れて汚れた。
「もどろ……ティリーナたちのところに。祭りはまだまだ、これからだよ」
エリカは涙をふいて立ち上がった。
スミレの手をひっぱる。
スミレはエリカの泣き崩れた理由が分からないまま…
一緒に、お祭りへと戻った。
430
エリカとスミレの二人が、城下町の通路を歩いているとき。
不思議な白色の靄が、ハーフティンバーの街路を包み、二人を、迷子にさせた。
エリカは、感情を全面にだして泣き崩れ、手を口にあて、涙をこぼしつづけている。
スミレはそれを支えるように、エリカの背中を抱えていたが、ついにエリカは道の途中で膝をついてしまい、石畳の地面に崩れ落ちた。
「エリカ!」
スミレがエリカ、助け起こそうとする。背中をなでる。
そして、正体を隠して友達と付き合っていたこの気弱な魔法少女は、迫りつつある白い瘴気の気配に顔をこわばらせた。
「こ、こんな…ときに」
スミレは左右を見渡し、この瘴気の出口へすぐエリカを連れ出せないか期待した。
だが、瘴気は濃くなる一方で、スミレと、エリカの二人を完全に包み込み、のみこんだ。ハーフティンバーの路地裏の小路は、出口のない魔獣の発生源となる。
まさにメーデー前夜祭の、人々が夜遊びにはしゃいでいる街角で、魔獣と戦うことになるなんて。
スミレは、気弱な魔法少女。
泣き崩れるエリカの隣で、ソウルジェムの魔力を解き放つ勇気が出せない。すれば正体をエリカに知られてしまう。
けれど、いま、魔獣と戦わなければ、エリカは邪気に犯されてしまう。いや、ひょっとしたら、魔獣を呼び寄せたのはエリカの何か黒い感情なのかもしれない。
白い獣たちが姿をなし、魔法少女の敵、魔獣たちがハーフティンバーの小路を両側から迫ってきたとき、スミレはぎゅっと目を閉じた。諦念と共に。
そして、そのとき、あらわれたのは。
「とおおおおっ!」
こんな魔法少女狩りの狂気が荒れ狂う町で、正義感を忘れず、戦い続けたスミレの友人。
ユーカだった。
ユーカは、魔法少女に変身し、杖をもち、エリカを襲う魔獣たちの頭をたたき、弾き飛ばす。魔獣たちは消えた。
ひゅっ。スタッ。
石畳の路地に着地し、その変身姿を、スミレとエリカ前に晒す。
「ユーカ…」
エリカが、目にためた涙を、魔法少女であるユーカに向けた。
「スミレ、エリカを離さないで、そばにいてあげて」
ユーカは、戦闘態勢をとり、くるくるくるっと杖をまわし、構えをとると、スミレに告げた。
…こくり。
スミレは、無言でうなづき…。
エリカはあっけにとられて、恋敵が、魔の獣という人を脅かす存在に魔法少女として燦然とあらわれ、怪物たちに立ち向かっていく後ろ姿を、眺めていた……。
そして泣いて顔が赤いエリカは知った。
鹿目円奈ちゃんの話は本当だった。
城下町の行方不明は、魔女がサバトの集会に連れて行ったのではなかった。それは王の策略が広めたデマ話だった。
その脅威の正体は、魔獣だった。そして、それを倒すため、魔法少女たちが戦っていた。
こんな、魔法少女が悪者にされて火あぶりにされてしまうような、苦しい境遇の町でも。ユーカは、魔法少女として、城下町のみんなを守るために、戦っていた。
エリカは、ユーカが、魔法の杖をつかって、魔獣たちをたたき、粉砕する雄姿を眺めて…。
また涙した。
わたしの大好きな人を奪いとった恋敵が、みんなを守る正義の味方だったなんて…。
もう、わたしには、ユーカに勝てることが、何もない。
ユーカは、魔獣に襲われたわたしを助けた命の恩人になったのだ。
「エリカ!だいじょうぶ?」
何も知らないユーカは崩れ落ちたエリカの下に駆け走ってきて、華麗なる魔法少女の美しい変身衣装のまま、エリカの手をとって立ち上がらせた。
「うん…」
じわり、エリカの目に涙が滲んだ。ユーカに助け起こされ、手をとられて。
そしてその涙に滲んだ目をしたまま、透明の粒を大きくさせ、そっとユーカに言った。
「わたし…もう大丈夫だよ。ありがとう。ユーカ…魔法少女に変身した姿、きれいだね」
ユーカは、頬を赤く染めた。自分の魔法少女姿がきれいだねといわれて。
そんな、好きな男の子とキスした恋敵の友達の、頬を染めて照れる魔法少女姿を、めいっぱい祝福するエリカの心中は。
せめて恋敵の前でこれ以上泣き崩れる姿をみせたくない意地と心の裂けそうな悲鳴に、黒ずんでしまった。
一方でユーカは、幸せいっぱいに笑っていた。
「秘密がバレちゃった…。えへっ…ねえエリカ、私が魔法少女だってこと、みんなには秘密にしてね」
なんてのんきにいう、きれいな変身姿をした恋敵だった。
そしてエリカは、命の恩人に対してそれに精一杯、応えるのである。
「うん…わかった、秘密にする…約束する…」
といって、少女はか細い指を、ユーカの小指と、絡めたのだった。
目と目を交わす二人の少女。一人はエリカ。一人は魔法少女に変身したユーカ。
この魔女狩りの王都の城下町で、二人の娘はいま、ひとつの秘密を守ると約束を指きりして交わす。
「指切りげんまん…ウソついたら針千本…のーます…えへっ」
嬉しそうに微笑むユーカ。エリカと小指同士を結ぶ。
二人の少女は約束を交わす。
このときは、おふざけで針千本のます…なんて、そういってただけなのに。
430
お祭りは終盤になり、締めくくりを迎えていた。
夜は更け、新しい朝の日が昇ってきていた。
しかし、たくさんの人が酔いつぶれ、そこらじゅうごちゃごちゃになったテーブルの下、地面にぶっ倒れ、眠りこけていた。
ぐーぐーといびきもたてた。
ダンスで踊る男女はいなくなり、だれもが眠りモードだった。
女の大半は帰ったが、逢引に成功した男女は情事の余韻に浸っていた。ただ酒飲むだけか好き勝手暴れた男は大半が眠りに落ちて、ビールとこぼれた汚いテーブルに突っ伏して眠っていた。
鹿目円奈も眠たくなって、うとうとしていた。
それに、頭がガンガンした。
目の前には矢の刺さったリンゴが並んでいる。
どうしてこうなったのかあまり覚えていない。
ティリーナの仲間たちは帰ったが、キルステンはなんと夜通し通じた男女民踊ダンスに参加して逢引に成功し、恋を成就させた。
アルベルティーネとスミレ、エリカは家に帰り、円奈の座るテーブルには眠そうにあくびをするティリーナと皮なめし職人の娘チヨリは机に突っ伏して眠っていた。
黒い髪をテーブルに垂らして。
円奈は、夜空が明るくなりはじめた早朝の冷気を感じながら、グラスにのこったブドウ酒の水面をみた。
そして、もう飲みたくないと思った。
「ううう…」
額をコツン、と指で叩く。
がんがんは収まらない。
ひんやりした空気の流れる夜明けは、閑やかで、夜の大騒ぎが嘘のよう。
物静かであり誰一人の話し声もきこえない。
夜明けに吹くそよ風さえ聞き分けられるほどだ。
その風は肌に心地いい。昨晩の耽るような熱気を癒やしてくれるかのようだ。
青色の静かな夜明けにふくそよ風は、まるで夜と朝を支配する大地が、夜更け騒ぎもほどほどにしなさいといってくれるかのように。
優しく、落ち着きのあるものだった。
とはいえ相変わらずお祭り騒ぎのあったテーブルはどこも汚かった。
もう誰も騒ぎ立てていないが、テーブルに散らかされた皿と食べかす、食べ残し、こぼれたビールはまだボタボタとテーブルから地面へ、水滴の音たててしたたり続けている。
片付けが、大変そう……。
なんて他人事のように思いながら───実際他人事であったのだが───、矢の刺さったリンゴを齧って食べた。
夜が明けるとエドワード城の姿も朝ぼやけの中、霧に包まれながらおぼろげに全貌が見えてきた。
その屹立とする城の景観は圧巻。高さ700メートルの石の城である。
王都の城であり、エドワード王の城である。
「エドワード王…」
円奈は城の、想像絶するほどの高さの城のてっぺんを、みあげ、その口から小さく声を漏らして呟いた。
「あそこに王が……」
その高さは空に浮かぶ青い雲に届きそうな厳然たる王の象徴。
文字通り庶民には手の届かない、天に君臨する王の要塞だ。
いったいどうして、王は魔女狩りと称して魔法少女を迫害するのだろうか。
なぜ王は、魔獣を倒す、人を助ける存在であるはずの魔法少女を、こんなひどい仕打ちで追い詰めていくのだろうか。
円奈には分からない。
そして、その理由を、できることなら王に問いかけてみたい気さえしていた。
もういっそ、本当に城の王の間へ出向いて、エドワード王に対して、問いかけてみようか。
しかしその発想はすぐに愚かしいことだ、として円奈は頭から振り落とす。
敵地に単独で乗り込む愚か者はいない。
あたりを見回すと、男女が手を繋いで民踊を踊ってきた焚き火の炎も、夜を照らす松明の火も、すべて消えていた。
「宿に戻ろう…」
円奈はそう思い立ち、すっくと席を立った。
「ユーカちゃんとまた話さなくちゃ……」
それから、まだ眠そうに、口に手を添えてあくびしているティリーナと、机に突っ伏して眠りに落ちているチヨリの頭をちょんちょんと叩いて、起こしてあげた。
「帰ろ…」
ティリーナとチヨリは、重たそうに体を動かして、あーっと手をだして伸びしたあと、席をたった。
「あー…絶対太ったわ…」
ティリーナは、腹を撫でながら、ショックを受けた顔つきでとぼとぼ、城下町の十字路の南通路へむかった。
「あしたからお母さんにご飯の量へらしてもらお…」
円奈も一緒になって、十字路へ戻り、そして眠たさをこらえながら、高級宿屋に戻ると、借りた自室にもどって寝台について眠った。
585 : 以下、名... - 2015/01/28 23:39:35.18 ssq1hHdN0 2175/3130今日はここまで。
次回、第56話「鏡よ、鏡」
第56話「鏡よ、鏡」
431
服屋の娘エリカは、家に戻って、部屋に着いた。
朝を迎えると、鏡の前に立った。
鏡の前に、いつもの普段着にもどった自分の姿が映った。
黒い髪。肩の下まで伸びている。瞳はこげ茶色。何の変哲もない女が鏡の前に立っていた。
鏡は、全身鏡ではなく、壁に吊るした顔だけ映る鏡だった。
石を彫刻した鏡は、天使やら葉っぱやらの彫刻が、施された、高級な女の子用の鏡。
そしてエリカは、鏡の前に立ち、自分の顔と、髪型を見つめながら、いろいろ髪型を弄り始めた。
鏡台の引き出しからいろいろな髪飾りを手にとって、あんな結び方こんな結び方、こんな髪飾りあんな髪飾り、とにかく時間をかけていろいろ試した。
どうしたら一番、美しい髪形に見えるだろうか。どの髪飾りが、一番私に似合うのだろうか。
試しに試して、長いこと時間かけて、研究した。
おさげの三つ編みにしたり、髪飾りは、花をつけてみたり、蝶を象った赤いリボンで髪飾りにしてみたり。
これは自分に似合わない、ちょっとやりすぎ、リボンが浮いている、色が合わない、おさげの垂らし方に違和感がある、いっそダンゴのほうが…。
エリカは髪型を一生懸命、研究しつづけた。鏡の前で向き合うこと40分以上たった。
朝に櫛を髪にかける時間は普段よりもさらに増した。髪はきれいに、乱れなく、整えて。
それに、顔の肌ももっと明るくしたほうがいいし、白いほうがいい。日焼けに気をつけよう。
もっと痩せたほうがいい。食べ物は減らそう。
いろいろなことを思った。
そして、それは、ユーカよりも……。
ユーカよりもきれいになりたい、ユーカよりも可愛いと思われる女になりたい、と思っていた。
美しく魔法少女に変身していたあのユーカよりも。
432
その日も昼になった。
昼になると、さすがに役人たちが動き出して、昨晩の賑やかなどんちゃん騒ぎと暴飲暴食の汚れたテーブルを片付けはじめた。
とはいえすぐに片付けられるほど簡単な作業ではなかった。
10人ほどの役人が、麻袋やら箒をもって片付けているが、地道で、一向に昨晩の散らかされた痕跡は始末されそうにない。
そこに近づくだけで地面そのものがビールくさく、肉の腐った臭いがたちこめ、しかも足の踏み場もなく食べかすがちらばめられて、焚き火の炎は焦げてこれもまた臭う。
ひどいものだった。
しかも昨晩の祭りの浮ついた興奮が抜けていない男たちがいまだに痴話にふけった。
ギルド議会長の娘ティリーナは、いつもの仲間たちを集めていた。
チヨリにアルベルティーネ、キルステン。
キルステンはご機嫌だった。
日照りの朝からニコニコ幸せそうな顔がとまらなかった。そしてすぐ妄想の世界に旅立って幸せそうにほげーっとふやけた顔をした。
「はあ…のろけてるわ」
ティリーナ、両手を広げて呆れた声をだす。
「うふ…うふふ…」
キルステンは幸せそうに笑っていた。「エミールと私……恋人同士だよ」
「まったもう…こんど二人を連れてきてよ」
ティリーナはキルステンを祝福してあげていた。「彼氏を私たちにも紹介して?」
「ええっ、いやだよう…」
キルステン、頬に手を添えながら、くねくね。「私だけの彼氏だもん…」
「うわー、これは裏切りだよー」
ティリーナはキルステンのことをそういったが、嬉しそうにしていた。
「よかったねー。今度二人の話聞かせてね」
キルステン、嬉しそうに微笑む。「うん」
433
円奈とユーカの二人は井戸のあたりで落ち合った。
一日ぶりにユーカに会った途端、なんだかユーカが綺麗な女の子になった、と思った。
円奈も女であったから、同性である女の変化にすぐ気がつくのだった。
壁際に身を寄せて、円奈を待っていてくれた茶髪の、黄色くて煌くような瞳をした魔法少女は、この日もオレンジ色の髪飾りでポニーテールに結いで、幸せそうな、花の香りを放っている。
昨日よりも、ユーカはずっと綺麗になっていた。
同じ少女である円奈もどきっとするくらい、きれいな色香に包まれていた。
「円奈、今日も魔獣退治、はりきろーよ」
自信たっぷりで、どこか煌いてすらいる美しい魔法少女のユーカは、明るい顔をして、円奈に話しかけてきた。
昨日までと様子がぜんぜん違う。
「ねえ、円奈は昨日どう過ごしたの?」
ユーカは楽しそうに話しかけてくる。「お祭りにいったの?」
円奈は、ティリーナたちと過ごしたお祭りの昨晩について話した。
それはユーカを驚かせた。
「ええっー、!てゆーか……いつの間に円奈とティリーナ、友達になったの?」
円奈は、うんと頷き、自分とユーカで夜間外出していることを教えたことも話した。
「それで、ティリーナは?」
ユーカはちょっと警戒心を強めた目をした。
「私たちを応援するって…」
ちょっと不安げになり、胸に手をあてがいながら、円奈はユーカに話す。
ユーカはしばし無言だったが、目を閉じ、「まっ、いっか」と息つくと円奈を見上げた。
「なんだかうまくいけそうな気がする。円奈、私たちのしていたこと、やっぱり無駄なんかじゃなかったんだよ。ティリーナたちはわかってくれた。私たちが懸命に魔獣と戦い続けていること、これかももっとたくさんの人にもかってもらえば……」
「魔女狩りもとまる?」
円奈は心配そうな目をして訪ねた。
ユーカは、うんと頷いた。「王は考え直してくれるよ」
ユーカは浮かれていた。恋を成就させたのだから、浮かれないわけなかった。
そして楽観視していた。魔法少女狩りの城下町という恐怖の事態を、甘く見ていた。
そしてなんだか、円奈もユーカも、はやくもこの魔女狩りの町の狂気を克服し、正義を取り戻せる気でいたのである。
かつて、世界が作り直される前、今は聖地に生きる魔法少女・暁美ほむらはこう言った。
度を越した優しさは、甘さに繋がる。蛮勇は油断になる。そしてどんな献身にも、見返りなんてない。それをわきまえていなければ、魔法少女は務まらない。だから巴マミは命を落とした。
ユーカの、王は考え直してくれる、人々は魔法少女狩りをやめてくれる、と期待して、魔獣退治を続けるという献身は、果たして見返りを得るもののだろうか。
暁美ほむらの忠告からすれば、そんなはずはなかった。
434
服屋の娘エリカは、母から任された服の裁縫をぜんぶほっぽりだして、また鏡の前に立っていた。
この日の夕方も、髪型の研究を熱心にした。
三つ編みにして結び、肩から前に垂らす。まだ、もっと可愛い自分はないか……もっと可愛い髪型にしたい。
鏡の前にたち、何時間だって可愛い自分を研究した。
どうしてこんなことを…。
もう、ユーカに勝てることはない。あの好きな少年とキスしてたし、魔法少女で正義の味方だし、しかも命の恩人だ。
見た目も愛くるしくて、目も二重でおおきくて、わたしより女の子らしい。
何一つ女として勝てない。
女性が肌を晒すのは好ましくないとされたこの時代、鏡の前に立つことも、実は好ましくないとされていた。
鏡には”悪魔”が宿るモノだと考えられていた。
男にとって、女が長時間、鏡の前に立つことは浮気の兆候であったし、鏡の前に立ち、いつまでも自分の容姿にうっとり眺めて夢中になっている女というのは、性悪な女のすることだと思われた。
鏡に映るむこうの世界は悪魔の棲む世界である。
額の鏡面に映っている自分の顔は、自分の顔ではなく、鏡のむこうの悪魔が自分の顔に化けた顔である。
「鏡よ、鏡。この世界で、最も美しい女性はだれですか。」
鏡に宿る悪魔は答える。
「それは、あなただ。」
こう答えてくれるうちは、女はいつまでたっても鏡の前にたっていられるし、悦楽に浸っていられる。
鏡のなかの悪魔が自分に化けた美しい顔を何時間だってうっとり見つめていられる。
ところが。
「鏡よ、鏡よ。この世界で、最も美しい女性はだれですか。」
鏡に宿る悪魔はついに本性を現して、答える。
「それは、ユーカだ。」
女は鏡が、一番美しい女性はあなただと答えているうちは、歓びに浸っているが、鏡が別の女の名前をあげたときは恐ろしい嫉妬に駆られて、やがて女は恐ろしい魔女となる。
鏡が名前をあげた、最も美しい女を殺すための、毒リンゴを籠に積んだ、醜くしわがれた肌の魔女に変身する。
「鏡よ、鏡。ユーカがいなくなったら、世界で一番美しい女はわたしですか。」
悪魔の宿る鏡は、こう答える。
「エリカよ、エリカ。ユーカがいなくなったら、あなたが世界でもっとも美しい女になる。」
594 : 以下、名... - 2015/02/04 21:51:13.92 WEJTjpQQ0 2183/3130今日はここまで。
次回、第57話「こんなの絶対おかしいよ」
第57話「こんなの絶対おかしいよ」
435
鹿目円奈とユーカの二人は井戸のあたりで行動を共にし、円奈は井戸の水を飲んでいた。
たくさんの城下町の人がまわりにいた。
ついさっき、新たな魔法少女が発見され、告発されて公開処刑が起こったばかりだった。
その魔法少女は公衆の面前で公開処刑となり、拷問台に仰向けに縛り付けられたあと、腹を裂いた箇所から腸をぐるぐると巻き上げ機によって巻き上げられた。
城下町の公衆たちは人間の腸が腹から引き出されて、巻き上げ機の軸に絡めてられていく様子を目の当たりにしていた。
しかし魔女は死ぬことがなかった。
魔法少女の、小さなやわらかな腹から、切り裂いた一部から腸をとりだす。そして、出てきた腸の先端を、ローラーに巻きつけ釘うち、固定して、巻き上げ機を回して巻き取る。小腸はローラーにぐるぐる絡みつく。
体内の内臓をどれだけ外気に晒したって生命は一向に脅かされないのである。
ソウルジェムさえ、無事であれば!
しかしこの拷問にかけられた魔女は絶望的な顔をしていた。自分が人間ではないこと、化け物であること、怪物であることを、まざまざ見せ付けられ思い知らされる気分だった。
魔法少女の生態を暴く拷問ショーは、日に日に残忍さを増していく。ただ、痛みを感じない体をしている、それさえ暴ければよかったのに、魔法少女狩りが烈しくなると、人間の拷問の発想は狂気を孕む。
まるで魔法少女たちが、もう人間ではない体をしているとわかった上で、その体をいじくる新しい拷問を考案したかのような。
審問官たちは歯車のアームを回し続ける。
腸はゆっくりと体外へと絡めとられて、引き出されていく。腹から細長い腸が伸び、外気に触れ、やがて歯車のまわすローラーにぐるぐる何重にも巻きついていく。
今も巻上げ機にぶらさがっている。
魔女は、体内のいっさいの贓物が生命を維持する上でまったく意味をなしていないことを、こうして審問官たちによって暴き出され、思い知らされ、そして公衆の面前にもそれをさらした。
この残虐行為を止めようなどと言い出す者は一人もいなかった。
むしろ城下町の人々は魔法少女狩りを支持した。
男はもとより、女までもが支持して、魔法少女をやっつけろという空気で一色に染まっていた。
しかしこれは、ソウルジェムを生み出して、それさえ砕かれなければ無敵、という生態をした魔法少女たちへの、人間からの反応なのである。
魔法少女たちは、こうなることを恐れて、ソウルジェムの秘密だけは人間たちの手から守り抜いてきた。
しかし今やそれは暴かれた。
城下町の人間は、魔法少女を告発して、魔女刑にかけ、拷問が残酷であればあるほどよいと思うようになった。
この恐慌状態は、いまにはじまった話ではない。
むしろいつの時代でも起こりえた恐怖だ。
巴マミの世代や、美樹さやかの時代であっても、ソウルジェムの秘密が人間に知れ渡れば、同じような残酷な反応を人間はしたかもしれない。
そして、このような残酷の現実があるから、魂を抜かれて人間ではなくなったとしった魔法少女たちは、そのありのままの事実を知ると決まって絶望的な反応をするのだった。
しかし、カベナンテルはその昔にいった。その少女たちの反応については、”わけがわからない”と。
鹿目円奈は魔女の公開処刑に吐き気すら催してしまい、いま井戸にきて、水を飲んでいるところだった。
「うう…」
その顔色は青く、かなり悪い。ユーカが心配げに円奈を見守っている。
「こんなのってひどすぎる…」
それが円奈の示した反応だった。
他の城下町の人々の、魔法少女への残酷な反応とちがって、魔女刑の拷問に対して生理的な拒絶を示していた。
それが、普通の反応であるのか、それともこの城下町においては浮いているのかは、わからない。
しかし少なくとも城下町では魔法少女狩りムード一色であった。
それに大して魔法少女はだれも抗議の声をあげられなかった。こんなことはやめてくれ、といえなかった。
もしいえば、城下町じゅうの人が敵にまわる。
民衆だけではなくて、その家族や友人からも、”あいつは化けもの”と思われるようになる。
そんなふうになって城下町に暮らせる魔法少女はいない。
ミラノやロワールのように、城下町の暮らしを諦めて、どっか他国に逃げ出すくらいしか選択肢はなくなる。
しかしそれも、こんな乱世の時代では、とても危険なことなのである。
外の世界に一歩出せば、そこは戦国時代、群雄割拠の暴力の世界である。
森の魔法少女は、自分の土地を縄張りとし、その縄張りに踏み込む異国の人間は切り殺す。
誰にもこの魔法少女狩りは止められないのだろうか。
ユーカは、井戸の水を桶で飲み干して、けほけほとむせながら背中を丸める、気色を崩した円奈の背を優しく叩いて撫でてあげていた。
「絶対に……私が…」
円奈はまだ顔が青い。ちゃんと立ち上がることもできない。それくらい、目にしてしまった魔女審問は、残忍なものだった。
「私が絶対に魔法少女狩りをとめてみせる……」
ユーカが円奈の背中を撫でてあげながら呟いていたまさにそのとき。
災厄は起こった。
服屋のエリカは城下町の十字路を歩いて、この日も髪型の研究を重ねたあと、日課の井戸汲みへむかいに桶を持っていた。
するとエリカは、円奈と一緒にいるユーカと目が合った。
井戸のそばで二人一緒になっている。
途端に嫉妬がこみあげてきた。
憎しみが。
ユーカと鍛冶屋の少年が結ばれ夜月の下で唇を重ねたあの光景が思い出される…。
その猛烈な嫉妬がこみあげてきたとき、エリカの口に悪魔が宿った。
「魔女だ!」
きづいたら、エリカの口から、そんな言葉がでていた。
城下町の人々が、いっせいに顔をエリカのほうへむける。
洗濯物を運んでいた女たちが。仕事をしていた男たちが。遊んでいた子供たちが。
誰もがいっせいに動きをとめ、視線をエリカへむけた。
そのエリカは、城下町じゅうの人々の視線を一心に集めながら、まっすぐ、指を差していた。
その指がさす先にいるのは……。
井戸の傍らに立つ、ユーカ。
魔法少女のユーカ。
「その女は魔女だ!」
城下町じゅうの人が、エリカが魔女だと叫んで指差したその先にいる少女────。
ユーカを、見た。
男が。女が。子供たちが。老人たちが。民衆たちが。
ユーカを、見た。
疑いの目で。
ユーカは目を見開き、瞠目して体を震わせ、自分を告発したエリカを呼んでいる。「エリ…カ…?」
昨日、スミレと一緒に魔獣の結界にとらわれ、ユーカが助けた友達の女の子。
エリカは、ユーカを指す指先を下ろさなかった。むしろますます強く強く、ユーカを指差すが如くだ。
その声も大きくなっていった。
「この女は夜間に外出している!わたしは見た!」
エリカは恋敵に対して、その命の恩人に対して…魔女の告発を叫んでいた。
「この女は夜に魔法を使っている魔女だ!」
その声は、とても大きくなって、エリカの声は城下町の十字路じゅうに轟くかのようだった。
そして声を聞きつけた城下町の人々はどんどん反応を示し、悪い魔女はどこだ、十字路の井戸に集まりだした。
ぞろぞろぞろ…。
人だかりの足並みの音が大きくなると、ユーカは自分の身に起こったことを理解した。
それは、いま自分が、告発され、魔女の疑いがかかっているという事態だ。
ついさっきユーカが見た、腸巻き上げ機の拷問が頭に思い起こされる。
いや、それだけではない。
魔女の椅子、焼きごての拷問、滑車とロープで吊るし骨の関節を壊していく拷問、逆さに吊るされ股からノコギリで引き裂かれる、小指の骨を貫く針の拷問、その数々が。
そしてユーカは心に恐れを感じた。
まさにその拷問の数々は、いまユーカ自身に現実のものとして、迫ろうとしている。
そして待ち受ける最後の魔法少女としての死は……。
火あぶり。
ソウルジェムのごと火のなかに炙られる死だ。
「…ちがう」
ユーカはこみあげる恐れのなか、震え上がるような重圧のなか、自弁をはじめた。「…ち、ちがう!私、魔女なんかじゃ……」
ない、とまでは言い切れないユーカ。
この場で、つまり公開拷問に晒されたら、ユーカもついには人間ではない生態を審問官たちに暴かれてしまうだろう…という恐怖が、ユーカを襲ってきた。
ものの数分後には、魔女刺しの針によって体じゅう針だらけになって血を流しているか、腹を裂かれているだろう。審問官たちの刃物によって。
城下町に集まってきた観衆のあいだを割って、審問官たちが騒ぎをききつけてやってきた。
5、6人の審問官たちは、ユーカの姿をみとめて、頷き、近寄ってくる。
「いまからお前が魔女か人間かを確かめる」
その審問官の宣言は、ユーカを恐怖と絶望の底に突き落とすかのように残酷だった。
そして、魔女の疑いを一度でもかけられた女が、魔女審問と拷問処刑を避けた例は一度もない。
まして生き残って、火あぶりにならなかった例は、一度もないのだ。
オルレアン、ヨヤミ、ベエール、マイアー…。ユーカの仲間の魔法少女たち。皆、連れ去られた。
自分のせいで。
クリフィルの言葉が、ユーカの記憶に蘇ってくる……。
”みんなそれぞれ魔女と疑われないように生活するといい。それじゃあ。みんな、達者に生きろ”
ユーカは魔法少女狩りの現実に直面した。
僧服の審問官はユーカの手にはまった指輪をみとめ、他の審問官たちに指示した。「指輪を奪え」
指示を受けた審問官の手がユーカへ伸びる。
そしてユーカをタッチしかけた瞬間、ユーカは逃げた。
「い、いやっ!」
その手を払う。指にはまったソウルジェムを人間の手から守る。
「やめて!」
「審問をうけろ!」
城下町の人々は叫び、手をふりあげながら、ユーカを糾弾した。「化物め、本性を知られるのが怖いのか。人間なら審問を受けられるだろう。身の潔白を証明してみせろ、できやしないだろう、悪魔と契約したんだろう!」
ユーカは自分の言われている言葉が信じられない。
城下町の人々はひたすらユーカを魔女扱いした。誰も正義の味方だなんて思っていなかった。
思うはずもなかった。
ただただ、この城下町に起こった悪いこと、行方不明者の続出と、魔女狩りという狂気が、女の生活を圧迫していること、そのすべての責任がおまえにあるといわんばかりに、ユーカを睨み、悪口をいい、そして罵った。
それはユーカにとって、信じられないことだった。
だって私は魔獣とずっと戦ってきた。
ほかの魔法少女たちが、魔女狩りの恐怖に屈し、活動をやめたなか、自分だけは城下町の人々を助けるために魔獣とずっと戦ってきた。
そしてそれは人々にいつか認められるものだと思っていた。うまくいけば魔女狩りもとまると思っていた。
魔法少女こそ正義の味方であると思い出してくれると思っていた。
現実はそれとはかけ離れた。
「どう……して」
ユーカは呆然と立ち尽くす。魔女だ魔女だと罵られ、疑われ、魔獣の起こす悪いことはぜんぶ魔女であるユーカのせいにされて、人々はユーカに手ひどい拷問がくだることを求めている。
だが人間にしてみれば、目に見ることもできない魔獣が悪いことを世にもたらしている、と説明されるより、人間の女が悪魔と契約した魔女のせいである、と思い込んだほうが、遥かに信じやすかったのである。
この世で起こる悪いことはぜんぶ、魔女のせいである。
いまユーカは世の悪いこと、すべての責任を城下町の人々から求められていた。
ユーカ呆然と立ち尽くし、気力を失って、朝の希望に満ちた恋する魔法少女の姿はうそのように、表情を固くした少女になった。
その固い顔は自分を告発した友達、エリカをみた。
「エリカ……どうして」
呆然と立ち尽くしたユーカはエリカの裏切りを眺めている。いや、ユーカにとって、城下町すべての人々の罵りが裏切りだった。
私は、あなたたちを守るために、命をかけて魔獣と戦ってきたのに……
私を魔女だというの…… 火に焼かれてしまえというの……
秘密にするって…
約束していたのに!
「……ひどいよ…」
ユーカは小さな声を口にもらした。やがて、それは、叫びへと変わった。「……エリカ!ひどいよッ!!」
だが、遅きに失した。2人の友情は裂かれた。
どうすることもできず…互いに助け合うこともできず…エリカは、恐怖の目つきを顔に浮かべ、ユーカに魔女の疑いがかかって囚われていくのを見ているだけ。
審問官の手がふたたびユーカへ伸びた。指輪を奪い取ろうとする手だ。
ユーカはその手から逃れ、走った。「ちがう、私は魔女じゃない」
それから自分を取り囲む城下町の人々にむかって、叫んだ。
この真実の声は、誰にも伝わらない。
誰にもわかってくれない。
献身に見返りなど、ない。
暁美ほむらがいつかいっていた通りだ。
「なにをわけのわからんことをいう!」
城下町の男はユーカを指差し、怒鳴った。「悪魔と契約したんだろう!」
ユーカはショックを受けて瞳孔を開き、自分が少年を助けるために契約した祈りが、悪魔と契約したなんて言われ方をされて傷ついた。
城下町の人々の残酷さは、あまりにも冷たい。
そして人々は、ハンマーやら棍棒、ノコギリなど、さまざまな武具をもって、ユーカに接近をはじめたのである。
それは城下町じゅうの人々が。
ユーカを取り囲む観衆は、魔女を捕らえるべくさまざまな道具をもってユーカに近寄りだした。
左右前後すべての人々が敵。その手にはいろいろな凶器が持たれている。町の大工から借りたものだ。自宅から持参されたものもあった。
正義感の強い男達がすぐに持ってきたのだ。悪い怪物をやっつけろ、と声をだしながら。
「…やめて」
ユーカは、怯えて、逃げ道をさがす。
もちろんどこにもない。
左右にも背後にも、城下町の民がユーカに迫っている。
また審問官の手がのびてきた。
「やめて!」
その手を振り払い、ユーカは逃げた。すぐに背後で城下町の男とぶつかった。
そして城下町の男は…
鉄のハンマーでユーカの頭を、思い切り殴ったのだった。
ドゴッ
「あ…」
ユーカは、こめかみに入った鉄のハンマーに叩かれ、頭部から血を飛び散らせた。赤い血飛沫は、空気中へこぼれて十字路の地面を数滴、濡らした。血の点々が地面にこびれついた。
そして、ハンマーに頭をたたかれ、意識が朦朧とすると、まるで時間がおそくなったように、倒れていく自分の視界はゆっくりと反転して、その瞳は灰色の雲が厚く覆う空を見上げるのだった。
「ああっ…」
頭から血を飛び散らせながら、目の瞳孔をひらいて、ゆっくりと体が仰向けに倒れる。
ガタッ…
背中が地面に落ちた衝撃音がした。体はバウンドして跳ねた。
時間がおそく感じられた。
ユーカがハンマーに頭を叩かれ、出血して、ぶった倒れたのは、ほんとの一瞬の出来事だったのだろうけれど。
本人には、まるで数分の時間のように感じられた。
宙を舞っている感覚がひどく鮮明に、長く感じられた。
その間、さまざまな記憶が脳裏を横切っては消えていった。
魔法少女に憧れはじめた頃の自分、オルレアンさんに魔法少女の意義を教義してもらった頃の自分、魔法少女になった自分、円奈と出会い、魔法少女としての自分の信念を信じて戦い続けてきた自分……。
あらゆる記憶があぶくのように出てきては消え、弾けた。
そしてボタボタと、頭から飛び散った血飛沫とともに、背中から地面へ落ちたのだ。
バタっ。
ユーカは血まみれの頭を地面に打ちつけて空をみあげる。灰色の空を。
これが、魔法少女になる道を選んだ自分という存在の結末だった。
すぐに審問官たちが指をユーカの手から抜き取る。
ユーカは、ソウルジェムを取り返そうとしたが、体が思うように動かなくなった。意識がぐるぐるとまわっていて、空をみあげる景色はくるくる回っていた。
指輪は審問官たちに持ち去られた。
すると魔法少女としての脱け殻の体だけが本人に残された。
血はボタボタと、十字路の地面と井戸にこびれついて、赤く塗らしたけれども、血など魔法少女にとって大して意味はない。
ユーカはこめかみを血で真っ赤に染めながら虚ろな目をして空をみあげて、呻いていた。
「ああ…ああ……あ」
意識がだんだん薄れていく。
ソウルジェムの指輪が離されていく。もうじき、私は死ぬ。魂と100ヤード以上切り離されて。
町の人たちの声が、ぼんやり意識の水面下にきこえる…ぼんやりと…
とらえたぞ、化け物。おまえの悪事も、そこまでだ。
やったぞ、悪い魔女を、懲らしめたぞ。
ああ…円環の理さま…。
私、魔女にはなりたくない……。火あぶりになりたくない…。魔法少女として、あなたに導かれたい……。
みんなを助けるために戦いつづけた魔法少女は、みんなに悪者にされ、憎まれながら罵られながら拷問される運命を辿る。
腹を裂かれ、針を刺され、最後には体を焼かれる。
勇気と正義は敗れた。
…いや、まだ敗れたと決めつけるのは遅い。
正義と勇気は残されている。城下町の狂気のなかに、それは残されている。
それが新たな希望をもたせすのか、それともさらに事態を悪化させるのかは、別にして、だ。
「まって!まって!こんなことやめて!」
鹿目円奈は、井戸の傍らに掴まって体を支えていたが、ユーカが連れ去られるのも寸前となると、懸命に走り出し、そしてユーカを連れ去ろうとする審問官たちに飛びかかった。
誰も抗議しなかったのに、円奈は審問官たちに抗議の声をだしたのである。
城下町じゅうの人が見ているなかで。
「その子を連れていかないで!」
一緒に魔女火刑をとめる、そう約束した友達の魔法少女が、王城へ連れ去られようとすることに。
そして魔女裁判そのものに。
鹿目円奈は、ついに、抗議の声をあげた。
「こんなの、絶対おかしいよ!」
渾身の想いで円奈は審問官たちと、城下町の人々にむかって、叫ぶ。
そうだ。
鹿目円奈の今の使命は、王の魔法少女狩り、この理不尽にして狂気、残酷そのものな魔女狩り裁判と戦うことだ。
ユーカとそれを約束したではないか。
抗議の声をあげよ、円環の理の生まれ変わりよ!
「こんなこともう止めてください!」
城下町じゅうの人々を敵に回しながら、円奈は懸命に声をあげる。
「こんなのってひどすぎます。みんなはひどいって思わないの?」
胸に手を当て、城下町の人々を見回しながら、円奈は呼びかける。
城下町のみんなに。人々に。狂気に駆られた観衆に。
正気を取り戻して、と。
「人が火で焼かれたり、縛り付けられて吊るされたり、切断されたり、どうしてこんなことばかりを繰り返し続けるの?」
円奈は城下町のみんなに語りかける。
どうか、自分の気持ちがみんなに伝わりますように……。
「仮に痛みを感じない身体を持った人がいたとして、その人たちはあなたたちに何をしたの? 何か罪を犯したの?」
城下町の人間は円奈を囲いながらピンク髪の少女を睨んでいた。
何人かの女は、最近の度を越して残酷な魔女狩りに嫌気が差し、円奈に賛同の意を示すかのように優しい目をした。
しかし大半は。
大半の人間は。
とくに審問官たちは。
「そいつも悪魔と契約した女だ!」
魔女狩りの狂気に駆られつづけた。
男たちは指差し、円奈を魔女として告発する。「そいつも化け物だ!仲間を助けたいだけだ。魔女の判別審問にかけろ!」
おおおお。
わあああ。
一気に城下町の人間は殺気だち、円奈を敵意の目で見つめ、睨み、そして罵倒した。
「悪魔と契約した女め、俺たちの心を操ろうとしてるぞ!」
「そいつの言葉に耳を寄せるな!魔法の呪文にかかるぞ!」
円奈が懸命に声にだした想いは、伝わらず。
円奈は魔女の公開処刑にかけられる。
そして円奈は本当に危機が迫っていることを知ったのだった。
「…そ……そんな…」
身体が固くなる。自然と白く細い両腕は、胸元に寄せられ、心臓を守るように身を固めはじめる。
足は内股になり、身体は震える。恐怖で固まり、ただ暴力を待ち受けるだけ。
城下町の男たちはノコギリとトンカチ、やっとこ、棍棒を手に円奈へ迫ってきた。
「……いやっ!」
もう、だめ。
目を閉じ、ぎゅっと、暴力を受けるのみとなった少女を。
誰かが守った。
「…え?」
くるはずの衝撃はなく、音だけがした。トンカチは空を叩いた。
円奈の前に、見覚えのある魔法少女が立っていて、男のふるったトンカチを腕で受け流していた。
その魔法少女は変身していた。
円奈の見たことのない衣装だ。
円奈は、その子が魔法少女であることは知っていたし、ユーカの友達であることも知っていたけれど、変身する姿をみたことがなかった。
それもそのはず。
その魔法少女は、魔女狩りの恐怖がはじまってから、一度たりとも魔法少女になろうとせず、変身もしなかったのである。
そして、”なぜ魔女裁判の恐怖と戦えるのか”と、円奈に問いをなげかけてきた魔法少女でもあった。
いま、男のハンマーをもつ腕を掴んで押さえ、踏ん張っている魔法少女は、顔だけ円奈のほうを向き、その青色の瞳で、語りかけてきた。
「円奈ちゃん…私は戦うよ」
円奈は語りかけてきた魔法少女の変身衣装をみた。
青色のひらめくマント。背中の後姿。
白くて長い編みブーツヒール靴をはき、上着は純白のサーコート。
ベルベットの白いサーコートは襟ぐりからボディス。紐締めをするコルセットの腰部分の色は黒く、そこから下部分は、ゆるやかな純白のロングスカート。
ロングスカートはひらひらと足元までのびて、ヒール靴の足首部分くらいまでを覆い隠した。
逆にいえば、スカートの丈からは白いロングヒール靴が隙間に覗かせる。背中にはためくは青色のマント。
息を飲むような美しい、白いドレスとロングスカートを着た、青いマントの少女を眺めながら。
円奈は、その魔法少女の名を驚きながら呼んだ。
「……スミレちゃん」
スミレは青いマントをひらめかせながら、トンカチを振るう男の腕をおさえつけていた。
白いヒール靴のロングブーツで地面を踏みしめながら、耐えていた。
「私も魔女裁判に抗う」
魔法少女の変身姿をみせたスミレは、円奈に語りかけた。
黒髪と青い瞳をした顔が円奈をしかとみて、言った。
「私も勇気をだす」
そういってスミレは、魔女狩りの熱気が高潮に達したこの城下町で、民衆の前に魔法少女姿を現して円奈を守った。
スミレは、ハンマーを振るう男の腕を引き込んで足をかけ、バランスを崩した男を投げて転ばした。
男はドッテンと背中を地面に打ちつけて呻いた。
「魔女を捕らえろ!」
審問官は動き出した。
しかし魔法少女に変身したスミレは、もう人間にはとめられない。
それにもう、魔女狩りの狂熱に犯された人間には徹底抗戦する覚悟を、この魔法少女は決めたのである。
審問官たちはスミレに飛びかかるが。
スミレは背後からせまってきた審問官たちの相手をした。伸ばされた腕を逆に掴みなおし、ひっぱり、背にのっけて、背負い投げした。
「うご!」
審問官は背中から石畳の地面に叩きつけられて唸った。
「なにしてる、捕まえろ!捕まえろ!」
ノコギリをもった男たち、棍棒、トンカチ、ハンマー、さまざまな日用道具を武具として持ってきた城下町の男たちは、スミレをとっ捕まえようとやってきた。
10人も20人も30人も。
「円奈ちゃん、つかまって!」
するとスミレは目をきっと鋭くし、戦いにでる顔つきをすると、手だけ後ろにだして円奈に差し出した。
「…うん」
円奈は魔法少女の手を、つかんだ。
二人の手は結ばれた。
「魔女め、懲らしめてやる!」
男はノコギリをふるってきた。
ブン!
スミレの頭上にふりかかってくるギザギザの刃。
スミレは円奈の手をひき、ノコギリの刃をくぐり、頭を屈めて下を通り抜けた。
円奈もスミレに誘導されて自分の頭を低くしてノコギリの刃をよけた。
「逃がすな!」
トンカチがふるわれる。
そのトンカチの槌は、まっすぐスミレの顔面にむけられて飛んでくる。
スミレは顔を左に逸らしてトンカチの槌をかわした。トンカチの槌は空気中を横切った。
円奈もスミレについて、懸命に魔女狩りの狂気のなかを脱走を試みる。
スミレは自分達を囲う人々の間に割ってはいってゆき、十字路へ飛び出した。
通路を埋め尽くした人間たちは驚きながらスミレにどかされて左右に動く。
「なにしてる、逃がすな!魔女を逃がすな!仲間を連れてくるぞ!」
審問官は叫ぶ。
すると、十字路の警備にあたっていた王都の兵士たちが駆けつけてきた。
四人ほどの兵士たちが十字路に飛び出してくる。
兵士たちは剣を抜き、スミレたちの前に立ち塞がり、とまれ!と叫ぶ。
「とまらない!」
スミレは言い返し、青いマントを風にはためかせ、ヒール靴で全力疾走した。
その手を繋いで連れられる円奈も走った。
スミレは、手にロープを出現させ、そのわっか状のロープを左手に持って構えるや、剣を抜いた4人の兵士たちに正面から突っ込んでゆき、十字路を走り抜けて、そのロープで兵士たちの剣を絡め取った。
ロープがスミレの手から伸びてくる。
しゅるしゅると、蛇のように。
「うおっ!」
「うわ!」
剣の柄はロープによって巻き取られ、兵士達の手を抜け、宙へ飛ばされる。
スミレの魔法のロープ技によって、剣は兵士達の手元から離れ、どこかへ飛んでいった。
こうして無防備になった兵士たちの目前に。
スミレは駆けてやってきて、そして。
バゴッ!
「んぶ!」
兵士は魔法少女の拳によって鼻を殴られて、鼻から血を飛び散らせてぶっ倒れた。男の倒れた石畳の地面は赤い点々が塗れた。
するとスミレたちに道が開ける。もう行く手を塞ぐ者は誰も居ない。
この魔女狩りの町を脱出する道、城下町の北門がみえてくる。
スミレと円奈は正面の城門をめざして懸命に走ったが、すぐに城下町じゅうの何百人という人が、あとを追って十字路を満たしながら走ってきた。
「逃がすな!城門を閉じろ!はやく閉じろ魔女を逃がすな!」
審問官ふくむ城下町の人々は、走りながら門番たちにかむって叫び、号令をだす。
声に気づいた門衛の兵たちが、慌てて、城門の落とし格子の巻上げ機を下ろしはじめる。
ぐるるる…
音をたてて城門は閉ざされる。アーチ型の城門から格子がゆっくりと降りる。
樫の木材を組み合わされた格子が、だんだんと下に降りてきて、門を塞ぎ始めた。
どんどん城門の格子は下へ降り地面へ近づく。
人の通れる高さを失っていく。
円奈たちは必死の思いで走りつづけた。
「間に合う!」
スミレは円奈にためにそう言って、励まし、そして手をつなぐ腕がちぎれるんじゃないかと思うくらい魔法少女の足にかけて全力で走った。
そして。
ぐるるる…。
城門の落とし格子がまさに地面に落ちるそのわずかな刹那、スミレと円奈の二人は門をくぐりぬけた。
落とし格子の針先が、潜り抜ける二人の少女の背中スレスレにかする。
直後、門は閉じた。
すぐにあとを追ってかけつけてきた審問官や城門の人々が、逆に格子によって足止めされ、城門にたまって停滞した。
誰もが狂ったように閉じされた城門の格子に身を密着させて騒ぐ。格子の隙間から手をだして叫ぶ人間もいる。
しかしそんな、騒ぎ声を無視して、スミレと円奈の二人は。
エドワード城の王都・城下町を、無事脱出する。
魔女狩りの狂気の町を命かながら逃げとおし、そして二人は助かった。
城下町を囲う市壁を抜け、二人は草原を走り、そのまま森まで逃げ続けて。
追っ手の見つからないところまで退避したのだった。
スミレの勇気が、鹿目円奈の命を救い、それは、そして魔女狩りの狂気に一人の魔法少女が本気で立ち向った勇気でもあった。
436
「はあ……はあ」
森へと逃れた円奈とスミレの二人は、膝に手をついて、全力疾走した疲れに息を切らしていた。
二人とも顔が赤い。
しかし、なんにせよ助かったのだ。
二人は魔女火刑を逃れた。城下町を脱出し、世間を逸脱した。森こそ魔女狩りの狂気を逃れる安息の地だった。
「うう…」
円奈は緊張の糸が切れて、土の地面に座って、根っこの生えた樹木に背中をよせて座った。
「もう……だめ…」
身分も騎士である鹿目円奈の口から、弱音がでた。
腸巻上げ機の拷問を見て顔を真っ青にしたり、魔女の告発を受けて城下町じゅうの人々に追われながら命からがらに町を脱出して、疲労で顔を真っ赤にしたり。
円奈が弱音を吐くのも無理はなかった。
魔女裁判が、絶対におかしいものだ、と唱えたときの、人々の反応。
思い出すだけで息がつまりそうになるほど怖いものだった。
たぶん、円奈の記憶から当分に消えるものではないだろう。思い出すたびに、心に恐怖が蘇るだろう。
それぐらい、心の傷となって少女の脳裏に刻まれるような狂気が、あの町にはあった。
それは何百人という他人たちがいっせいに自分を非難し、拷問を受けろと求めてくる罵声の嵐だった。
しかしなんにせよ城下町を脱出し、何週間か前に円奈が野宿したメルエンの森に、戻ってきた。
そこは、初めて円奈とユーカが出会った森でもあり。
円奈がユーカに命を助けられた森でもある。
今円奈は、このメルエンの森に戻ってきたが、今回はスミレに命を助けられていた。
魔法少女に変身した姿のスミレは、まだ息を切らしてはあはあと吐息をだしていたが、やがてしくしくと涙を流しはじめて、膝をついて女の子座りになると、森で背中を震わせて泣いた。
「うう…ううう…」
「…スミレちゃん…」
円奈はスミレの、青いマントを着けた背中に呼びかける。
そして涙を流し、ふるふると震えながら女の子座りをして泣く魔法少女の様子を心配そうに見守った。
「ユーカが…」
スミレは青い瞳から零れる涙をぬぐう。
白いロングのヒール靴を履いたブーツは、土に塗れて汚れた。
その女の子座りの両足の腿が、わずかにじりりと身体の内側へ閉じて、スミレは悔やんだように身を固くさせた。
「ユーカが王城に連れ去られた……」
スミレと円奈の二人は、命からがら魔女狩りの城下町を脱出したが、ユーカは魔女だと告発されて審問官たちの手に落ち王城へ連れ去られた。
それがスミレを悔やませていた。
唇は噤まれ、手は湿った土を握り締める。
それにスミレは、円奈こそ助けたが、城下町の人々は敵に回した。
いまごろスミレは魔女だという噂と憎まれ口が王都じゅうを駆け巡っているだろう。
スミレは、もう、都市には戻れない。帰る家もない。円奈と同じような境遇になった。
寝床もない、身寄りのなき流浪の身である。
生活の場は森か川か。
食べ物は狩りでもして得なければならない。
しかしスミレは、そんな未来を思って絶望的な気持ちになっているのでなかった。
ユーカを助けられなかったこと。
あの場面で、スミレは完全なる二者択一を迫られた。
すなわち、円奈かユーカか。
どちらを助けるか。
究極ともいえるその選択に迫られたとき、スミレは円奈を助けた。
とっさの行動で、考える暇もなかったけれども、結果としてユーカは王城へ連れ去られた。
気弱な自分をいつも鍛えてくれた先輩の魔法少女、ユーカ。
魔獣との戦い方をいつも教えてくれたし、いつも一緒に魔獣と戦ってくれた。
スミレはユーカおかげで、孤独に魔獣と戦うことはなかった。いつもユーカが一緒にいてくれた。いつも…守ってくれた。
スミレにとってユーカは大切な魔法少女の友達だった。
なのに彼女をを助けられなかった。
王城でユーカに待ち受けているであろう運命を思うと……。
あまりにも苦しい。悔しかった。
代わりに命を取り留めたのは、スミレに勇気を与えた一人の少女、鹿目円奈だけだった。
437
魔女を逃がしたことで、騒然となっている城下町の十字路では。
服屋の娘エリカが、一部始終を見守って、通路に立ち尽くしていた。
ユーカの連れ去られる姿を。魔女だと疑われて慌てるユーカの顔を。その無謀な自弁を。
そして鹿目円奈の抗議と、スミレの魔法少女への変身、そして脱出。
すべて見守っていた。
そして立ち尽くしていた。
「……わたし…」
エリカは自分の一声が起した恐るべき騒動と狂乱をその眼に焼きつけ、そして自分のしたことを、騒ぎが終わったあとで冷静に見つめ返しなおしていた。
”指きりげんまん…ウソついたら針千本のーます…”
ユーカと交わした約束が思い出されてくる。
私は、針千本のむようなことを、しでかしたのだ。
「……」
エリカの後ろ姿は、石工屋の娘キルステンや、漆喰職人の娘チヨリが、ずっと見ている。
無言で見ている。
まるでエリカの友達への裏切りを、心から軽蔑するかのような視線の当て方だった。
「わたし…」
エリカは自分の指をみつめる。
魔女を指差し、告発したその指先は、悪魔の色に染まっているかのようにすら、エリカ本人には思えた。
体の震えが止まらない。
「わたし……サイテーだよ……」
友達をすべて失ったあとで、もう遅すぎる後悔を、エリカはぽつりと言った。
恋敵は消え去った。
しかし、愛とは、恋とは、だれかを破滅させてまでしないと成就できないものなのだろうか。
手にできないものなのだろうか。
だとしたら、恋とは、愛とは、恋慕とは。
なんて、残酷で、過酷なものなのだろう。
そしてそれが、実際に、多くの魔法少女を、破滅させていったのだ。
美樹さやかと志筑仁美の二人に訪れた破滅すらそうだ。
美樹さやかが破滅することで、初めて志筑仁美は、恋を成就させることができたのである。
438
その頃、十字路では魔女刑の審問官とそれに付き添う王都の兵士たちが、ずかずかと足並みそろえて通路を進み。
そして目当ての家を見つけると乗り込んだ。
ハーフティンバー建築をした木造で建てられた家のひとつ。
ユーカの自宅だ。
まず審問官が勝手にドアの蝶番に、剣をぶっさし、外すと、壊したドアを通ってユーカの自宅に乗り込む。
そして中にいる妹と母親、父をすべて逮捕した。
「この家に魔女をかくまっていたな」
審問官は冷酷に告げた。「その罪で逮捕する。これが王の署名だ」
といって、エドワード王の紋章が封蝋された羊皮紙をヒラリと手にぶらつげてみせつける。
ユーカの家族たちは、絶望的な顔をした。
まっさきに抗議の声をたてたのは母親だった。こんなとき、本当の家庭の危機のとき、母親が強い。
「ユーカが魔女だって?バカな!」
母親は恐ろしい形相をして、審問官を睨み、そして怒鳴った。
「ウチの娘は魔女などではない!でてけ!王の署名など知るか、でてかないと、痛い目にあわすよ!」
審問官の目が光った。「いけ」
その合図によって、審問官の背後から、10人、20人という剣を構えた兵士たちがぞろぞろとユーカの自宅に乗り込んできた。
そして自宅の山羊や牛やら、飼われていた家畜を、ねこそぎ剣にかけて殺し、血を吐かせながら、残された家族のもとへきた。
まず妹を兵士二人係で捕らえ、連れ去る。
怒った母は、まき割りの斧をもって、妹に取り返しにかかったが、兵士達に剣を刺されてゆき、その場で刺殺された。
しかし審問官はこれを殺人とは片鱗も思っていない。
娘が魔女なら母も魔女だ。なら殺してもかまわない。殺人ではないし、化け物を始末しただけだ。
父は抵抗を諦め、兵士たちに連行されていった。
腹と背中を剣で刺された母親は倒れ、多量の血を流していた。兵士達は母の両肩を抱え持ち、ずるずると自宅からひきずりだしていった。
真っ赤な血のあとが地面に伸びた。剣を刺された人間の出血量はすさまじい。かすり傷などではなく肉まで裂かれた深手なのだ。
家族たちが一人残らず連行されたあとは、兵士たちは自宅に残って、その一家の財産を没収するという名目で、金目になるものは根こそぎ袋へ詰め始めた。
皿、カップ、指輪、蝋燭まで、金になるものならなんでも。
家じゅうを探し回り、すみずみまで探索して、物資になりそうなものは全て没収。
地下へつながる階段へ兵士たちはぞろぞろ降りてゆき、扉をあけ、地下室の貯蔵庫にたまった樽の穀物袋と、野菜、塩づけの魚、そして宝箱にしまわれた、家族たちが地道に貯金してきた銀貨のすべてを、没収して集めた。
その、財産没収と称して家族の財産を根こそぎ奪い取る兵士たちの姿を見下ろしながら、王都に雇われた若い一人の兵士が、言った。
「魔女狩りだなんだ、っていっているが」
この若者の兵士だけは家族の財産に手をつけなかった。
「結局、金目当てか?」
他のベテラン兵士たちは無視して、金目のものをかっさらう。全て。
「魔女だと決め付けて逮捕しちまえばその一家の財産を丸ごと国宝にできるもんな?私腹を肥やしたいだけか!」
ついに別の兵士が逆上して、批判の言葉を口にする兵士の胸倉をつかんで壁にたたきつけた。
「ぐ!」
若い兵士は、壁に後頭部をぶつけて喘ぐ。
「ああそうだこうやって財産没収した金が俺たちの給料になるんだ!」
財産没収に夢中だった兵士は、そう叫んだ。
「奇麗事いってねえで集めろ。給料なしで仕事したいか?」
怒鳴られた兵士は、黙り込んでしまい、すると胸倉を離された。
そして呆然と、魔女審問にかけられて逮捕された一家の財産が徹底的に没収され国宝にされていく様相を、眺め続けていた。
439
森に逃げ伸びた鹿目円奈とスミレの二人は夜を迎えていた。
暗闇が森を支配し、夕日の光は失われる。地平線へ沈み、日差しは絶え、暗闇となる。
スミレは夜の森林を不安がった。
いつも城下町に暮らしていた少女は、生まれて初めてといってよい森の野宿に怯える。
周囲ではオオカミなどの腹を空かした獣たちが呻きはじめ、人の町ではない森の夜は、おどろくほど暗い。
木立のむこうに何かいるんじゃないかという不気味な気配を感じる。暗いから一層そう感じてしまう。
夜の月明かりすら届かぬ森の中は、静かな闇と呼ぶのも物足りないくらいの、真っ暗闇だ。
スミレは魔法少女の変身衣装を解いたが、土の地面に腰ついて座って、膝を腕で抱えていた。
そして不安な顔つきをしていた。
円奈は持参していた荷物から火打ち石を鉄板にバチンとあてて、火をつくると、 麻綿を燃やし、森から薪になりそうな枝を拾い集めて組み、石ころを周りにあつめて固めて焚き火にした。
すると二人の向き合う森は明るくなった。
スミレの不安そうな顔は、わずかばかり和らいだ。
真っ暗闇の森は、火が照らした。
虫が集まってくる火の灯かり。オオカミなどの獣たちは森のどこかで縄ばり争いの声をたてる。
「私にはなんだか森の生活が慣れっこで…」
自嘲ぎみに微笑む円奈はスミレに話かけた。
「ずっとこんな暮らし、してた。むしろ都市の生活が不慣れなくらい…」
スミレはゆっくり顔をあげた。
その暗い、思いつめた顔は、パチパチと音たてる火に照らされた。
「私……これからどうしていけばいいんだろう……」
スミレは火を眺めながら、瞳にめらめら燃える火を映し、そして落ち込んだ声をごぼした。
「もう……生きるあてもない……」
といって、顔を膝のなかにうずめてしまった。
「円奈ちゃんは……これからどうするの…?」
スミレは尋ねてくる。
古びたワンピースを着た、魔法の変身を解いた少女は、いつもの気弱な女の子に戻った。
「私、は…」
円奈はこの先のことを考える。
もちろん、彼女の旅の目的、この先に進むべき道は、ひとつだ。
「私は、聖エレムの地に…」
スミレは険しい顔をしていた。
「もう王都には戻れないよ…」
その表情は、依然として暗い。
「…うん」
円奈も、思わず頭を垂れてしまった。
聖地エレムの国にむかうためには、エドワード城を通ることがどうして必要だ。
裂け谷とも呼ばれるこの大陸の裂けた谷は、エドワード城だけが橋渡しをしている。
そのために通行許可状もあったというのに、すべては今や無為になった。
今ごろ、王都ではピンク髪の少女騎士が魔女だと伝達が行き届いているだろう。
もはや、エドワード城を通ることは絶望的だ。
もっともそれは、エドワード城が、魔女狩りという狂気を引き起こしているとわかった時点から、明らかだったことだが…。
目の前に立ち塞がる障壁の大きさに気持ちがくじけそうになる。
また城下町に戻れば、今度こそ捕まってどんな拷問を受けるか、分かったものではない。
いうまでもなく、一度魔女を取り逃がした城下町は、より一層魔女狩りに躍起となり、熱狂して、警備も強め、ことごとく魔女を炙りだしていくだろう。
けれども、そうではあるけれども。
それでも尚、円奈には前へ進むしか道はないのである。
その道は、茨の道ように険しい。厳しく、試練のようで、まさに前途多難、艱難辛苦の道。
そしてゆ先の道が、どれほど危難と剣呑に満ち溢れようとも、恐れず進むしかないのだ。
天国の道はその先にある。
聖地はその道の先に辿り着ける国。
天国に最も近い国。
”恐れず敵に立ち向え”。
”弱きを助け、正義に生きよ”。
円奈は騎士としてそれを、魔法少女に誓いを立てていたからだ。
そしてもし、いまこの王都を抜け出した森で、正義を貫くのであれば。
円奈のすべきことは一つだ。
「…スミレちゃん」
円奈は焚き火のもとを立ち、森を歩き、木々の向こうに姿を君臨させる黒いエドワード城を眺める。
大きすぎる城を少女騎士はみあげる。城の頂上の玉座に在り、王都を統治するエドワード王のことを思い。
睨みつける。
まだ顔も知らぬ王との対決を望む。
「もし、あなたが協力してくれるなら…」
王に忠実に従うばかりが騎士ではない。
残虐な王に、反旗を翻し、正義を国にもたらすのもまた、騎士だ。
「私と一緒に王城に乗り込んでくれる?」
少女はキッとエドワード城を睨みつける。森のむこうに屹立として建つ、夜空に浮かぶ王都の城を。
「もう一度王都に戻って、ユーカを助けだしたいといったら…」
円奈は胸に手をあて、目を閉じる。鞘にさした剣が青白く輝くだす。背中の弓は、ニスを塗られて、以前よりも頑丈だ。
「一緒に、来てくれる?」
スミレの青い瞳が驚愕に見開き、すぐにその瞳は覚悟に満ちたそれへと変わっていった。
それがもう答えだった。
スミレは一度、勇気をふるった。その勇気は円奈の命を救った。
もし、その命がけの行動に意味があったとするならば。
この少女騎士と、共に王の根城に乗り込めということだったのだろう。
いちど投げ捨てた命だ。
二度三度、命をまた投げ出そうと、もう同じこと。
かながら死地を脱出した命は、魂は、ふたたび死地へ飛び込む。
「いく」
スミレは全ての覚悟を決めて、勇気を決めて、円奈に答えた。
気弱な少女は、最も危険な敵地への乗り込みを、決意する。
「あなたといく。必ず、ユーカを助け出してみせる」
円奈は目を閉じて首を縦に振った。「ありがとう」
その前髪は夜風にゆれた。
円奈はもちろん、たった一人でエドワード王の御前に飛び出そうとするのではない。
一人だけで王座の間に躍り出て、魔法少女狩りをやめろなんて騒ぐのは無謀だ。衛兵たちに連れてかれるだけだ。
でも、もしユーカを助け出して、スミレも一緒になって”三人で”王の御前に乗り込んだのなら。
円奈と、ユーカと、スミレの三人なら。
王に立ち向えるかもしれない、と思ったのだ。
それが円奈の決意だった。
だがそのためにはまずユーカを助け出すことが急務となる。
ユーカは王城の中に連れ込まれ、拉致された。王城の城内でどんな仕打ちを受けているかと考えるだけで心がぞっとなる。
そして、絶対にユーカを助け出さなければと気持ちは強くなる。
自分の信念をもち、正義を信じて、人を助けるために、魔獣と戦いつづけた魔法少女の運命が。
魔女だと判決されて火あぶりになるなんて、絶対に許さない。そんなの私が許さない。
「スミレちゃん、一緒に助け出そう!」
円奈は目を開き、ピンク色の瞳で王城を眺め、敵地潜伏の決意をスミレに呼びかけた。
「一緒に、ユーカちゃんを助け出そう!」
スミレは円奈の横に並んで立った。その青い瞳も王都の城を見上げた。
「…うん!」
鹿目円奈とスミレ。人間の少女と魔法少女は、二人で、王城への潜入をする計画を立てる。
夜の暗闇を利用して、見張り兵の警備をかわして目を盗み、見つからないようにひたすら身を隠しながら慎重に進み、最終的にユーカを救出するという作戦。
まさに潜入と呼ぶにふさわしい作戦だ。
二人は今夜。
真夜中の警備兵たちを相手に、文字通り命がけのかくれんぼを壮絶に繰り広げるのかもしれない。
634 : 以下、名... - 2015/02/11 21:55:43.97 STJ1a+jM0 2221/3130今日はここまで。
次回、第58話「王城への潜入」
第58話「王城への潜入」
441
時間がすぎて、月が夜に浮かんだ。
きらきらと星が煌く夜空に浮かぶ白い三日月は、エドワード城のむこう、彼方遠くの大陸の峰々へ沈む。
真夜中も真夜中の、誰もが寝静まった時間帯に。
鹿目円奈とスミレの二人は、王城に捕まったユーカの救出作戦を開始した。
今朝に命かながら脱出したばかりの、魔女狩りの城下町へ二人は再び入るべく、むかう。
メルエンの森を出て、城下町の城壁がたつ草原へ。
草原は広く、視界はよくひらけていて、まともに立って城下町にちかづくならば、あまりにも目立ちすぎて、門番兵と見張り塔の兵にあっという間に見つかってしまう。
そこで円奈とスミレの二人は。
真夜中で警備が手薄だろうという期待はしているものの、身を完全に伏せた匍匐全身で月明かりが照らす草むらをかきわけるようにして進み、警備兵の目を盗むようにして城下町に近づいていた。
まさにそれは兵隊のような匍匐全身。
胸をぴったり地面につけ、腕だけ前にだし、這うようにして前進。
幸いにして野原は生い茂っていて草の海は高さがあり、伏せるようにして進めば、円奈たちの姿かたちは草木のなかに隠れる。
背中にロングボウを括りつけている円奈の背中は草木のなかに紛れ、ちょこんと弓の弦が見え隠れするくらいだ。
わずかな月光だけが照らす草原で、見張り塔の兵たちはこれを見つけられない。
それに見張り兵たちはもとより夜番などやる気がないのである。昼番に比べて遥かに退屈で、しかも眠い。
草原のなかをちょこまか動く弓など、気にとめない。
その意味では、二人が、妙ななりすまし作戦を選ばずに、夜中をねらって潜入をするという作戦を計画したのは、正しい選択だった。
スミレは円奈のあとを追うように、彼女も匍匐前進で草の海をまぎれて進んでいた。
城下町に暮らしている娘だったスミレは、こんな、人の目を盗むために草むらのなかを這い進むなんて行動は初めてだった。初めてだったし、いつかするものとも思っていなかった。
しかし今や命がけでそれをすることになっていた。
魔女の容疑がかけられて、それでも命かながら脱出した二人が、魔女狩りの狂気はしる都市に戻るという一見にも二見にも愚かな二人の無謀。
城下町の市壁を警備する兵たちは、松明の火で夜間を照らしている。
その灯りが、円奈の目に飛び込むと、兵士の視線をかんじる。すると円奈は、とっさに草木に伏せて気配を殺す。
息をとめる。
警備兵が松明の火を見張り塔の奥に持ち運ぶと、再び円奈は、目で様子を窺って、安全を判断すると、ずるずると匍匐前進を再開する。
円奈たち二人は順調に匍匐前進で城下町の市壁のすぐ下にまで這い進んだ。
さらさらと草木をかきわける音がなる。見張り塔の兵にそれが聞かれていないことを祈った。
ともあれ町の城壁の真下に来てしまえばそこは見張り兵の死角である。
見張り兵は塔の上から町の外を眺めるから、その真下など見ないのである。
灯台もと暗し。
「ここまでは、順調…」
円奈は城壁の壁際にピタと手をつくと、匍匐前進を終えてたちあがった。
スミレも城壁下までくると立ち上がり、壁際に背をぴったり着けた。円奈の隣に立ち、はあっと息をはく。
緊張に顔を強張らせていた。
さて、城壁下まで来たのはいいが、問題はこの城壁をどう乗り越えるかだ。
いくら衛兵が眠たそうにぐだぐだ警備してる真夜中の時間帯だといっても、城門は落とし格子によって閉ざされているし、無理やりこじ開けようものなら衛兵もみすごさない。
すぐに警報の鐘を鳴らす。
では、二人はどうこの城壁を乗り越えて城下町に入るか。
「スミレちゃん、そっと魔法少女に変身してくれる?」
円奈は小声で、隣で顔の頬を強張らせているスミレに、囁いた。
するとスミレは頷いて、指輪にはまったソウルジェムに手をかけた。
そして紺色の宝石をした指輪のソウルジェムから魔力を解き放とうとしたその寸前、円奈に手をかけられ、制止された。
スミレは変な顔して円奈をみる。
円奈はスミレに念押しした。「そっとだよ?変にポーズ決めながら変身しないでね?目立つから……」
スミレは、ふて腐れて、「そんな変身しないもん」といって、すごく地味に変身した。
ビカっとソウルジェムが光って、円奈はそれだけでも息を飲み込んだが、変身はすぐに終わった。
光が終わるとスミレは変身姿になっていた。ものの1秒もかからない変身だった。
これなら見張り兵にも見つからなかっただろう。
背には青いマントに腰は黒いコルセット、上着は純白のサーコートとロングスカート、足は白の長いヒールブーツ。
その手にはロープが握られ、何重も環状にまとめられていた。
スミレは円奈がどうして魔法少女に変身してと言ったのかもう分かっていた。
攻略の鍵はロープだ。
拘束魔法を得意とするスミレが使うロープが、王都攻略には役に立つのである。
数秒後、近くの監査塔に衛兵がいないことを確認してから、スミレはロープをびゅんと伸ばし、空高くに投げ飛ばして、城壁にたつ塔の、斜め向きに掲げられた旗の竿に巻きつけて括りつけた。
円奈はスミレの伸ばしたロープを手でひっぱり、頑丈さを確かめ、それからロープを握ると、身体を浮かせてロープを掴みながら城壁をよじ登った。
円奈は、城壁に足をつけながら、着実にロープで城壁を乗り越えていく。
スミレもそれに続いた。
彼女自身もロープを手に握って塔へ登りつめ、城壁を足の裏で蹴りながら上へ上へと這い登った。
高さ8メートルほどの、城下町の市壁を、二人はロープを握って登り、町に乗り込む。
二人のロープを登る姿は月夜の明かりが照らす。
円奈はロープをのぼって城壁の歩廊に這い上がる際、顔だけそっと出して、近くに衛兵がいないか目で確認した。
城門のほうには衛兵が固まっているが、そこを避けたこの囲壁の箇所に衛兵はいなさそうだ。
それを確認したあと円奈はロープから城囲壁の歩廊へ身をのり出し、すばやく静かに走って監視塔の中にはいった。
監視塔のなかは、階段が螺旋状に敷かれて上階へつながっていたが、円奈はそこを通り過ぎてアーチの出口を通り、矢狭間の作られた城壁の歩廊を進み続ける。
真夜中の潜入がいよいよはじまった。
スミレもすぐ円奈の背中につづくように走って、円奈を追いかけた。
ところが、変身したあとだとヒール靴になるので、カツカツ石の床を進む音がなった。
物音ひとつしない夜中にその音は、市壁に囲われた城下町じゅうに響きわたるんじゃないかと思われた。
普通この時代では考えられないその足音のうるささに円奈はその場で飛び上がってしまい、慌ててスミレに変身前の靴に戻してといった。
するとスミレは魔法少女に変身したら、元の靴はないよと言った。
それは円奈を困惑させた。「魔法少女に変身したとき、元の服はどこへいくの?」
スミレは首を横にふって、「わからない」といった。
円奈は、魔法少女たちがそれさえ気にせずにいたことに度肝を抜かれてしまった。
そこでスミレに靴を脱ぐようにお願いした。
魔法少女の変身衣装の一つではあったけれど、スミレは靴を脱いだ。編み上げ部分の紐をぜんぶ解いて、ヒールのロングブーツは放置された。
裸足になった。
変身した魔法少女の姿なのに、はだし。
「うう…」
円奈は申し訳なさそうにした。でもスミレは「これでいいよ」といった。「みつかるよりいい」
もちろん言葉とは裏腹にすねた。
442
二人は城下町を囲う市壁の歩廊をぐるりとまわるように進んでエドワード橋の付近までくると階段を降り、城下町の十字路付近を歩いた。
魔女狩りの町に戻ってきたのである。
夜間外出禁止令のでている城下町に人影はなく、二人を邪魔するものはない。
それでも二人は警戒して、なるべく暗くて狭い裏路地の街路を選んで王城へ近づいた。
その選択が災いして、途中、裏路地の道端で娼婦でばったり出くわしてしまったが、お互い魔女の容疑がかけられる立場なので、何事も言葉を交わさずやりすごした。
城下町を抜けるとエドワード橋。
ここに第二の関門。
二つ目の城門がある。
いわゆる、円奈たちがシュミレーションの段階で突破方法をあれこれ考えていた、検問の城門である。
昼間なら、城門は開けられこそしているが、いつも衛兵が門の両側に立って見張っており、通りかかる商人たちの運ぶ荷物の中身をいちいちチェックするが、今は夜間。だれもいない。
しかし誰もいないといっても、油断は禁物。
それに夜間だから当然門は閉じられている。
今回はこの門をどう突破しようか。
まるで怪盗賊のように、警備を突破して城へ潜入する方法を編み出す。
ユーカを助けだすために。
円奈は少し考えたが、エドワード橋へつながる第二の城壁を注意深く目で見渡しているうち、やがて城壁のとある部分に、木造で組み立てられた防壁の歩廊が増設されている部分をみつけると、方法を思いついた。
この木造歩廊は、板囲いとも呼ばれ、城壁の守りを強化するために増設された防御施設なのである。
板囲いは城壁部分に木造の屋根を設けて、攻撃側が降らす矢の雨から守備隊の頭を守る。その屋根には、水にぬらした動物の皮などを敷き、火攻めからも城壁を守る。
板囲いによって増設強化された防壁は、穴が壁にも床にも設けられ、そこから兵が安全にクロスボウを放てる仕組みになっている。
しかし円奈は今この板囲いをむしろ逆に侵入する方法として方法を思いついていた。
スミレが新たに手に出現させた魔法のロープを手に受け取った円奈は、矢筒から一本矢を取り出し、その鏃にロープをブッ刺したあと瘤をつくって結び、ぐるぐる矢に巻きつけた。
そして、ロープを巻きつけた矢を、弓に番え、上向きにして板囲いの屋根を狙い、そして。
円奈は弓から矢を放った。
ビュン!
真夜中の物静かな町に弓のしなる音が響いた。
矢はまっすぐ円奈の真上に飛んでゆき、ロープがびゅんびゅんしなりながら矢に飛ばされて、そして板囲いの木造の屋根にズドっと突き刺さった。それは屋根の裏側にまで貫通した。鋭い鏃が板からはみでた。
すると一本のロープが、城壁板囲いの屋根から地面にまで垂らされた。
これなら城壁を登ることができる。
円奈はロープを手に握って、城壁に足の裏をあてながら、ロープを登りはじめる。
ぐいぐい、とロープを手繰って、自力で防壁をよじ上る少女騎士。その小さな体が城壁の前に浮く。ロープに吊るされて。
そのあとにスミレも続いた。
そして円奈たちの二人は第二の関門である検問の城壁も突破し、エドワード橋へと階段を下りる。
王城まであと少しだ。
「商人になりすまさなくても突破できたね…」
感慨深そうに円奈がいう。
スミレは、無言で小さく、こくりと頷いた。
二人は深さ3キロメートルの渓谷と断崖絶壁に浮かぶエドワード橋に辿り着き、その橋のギルド通りを歩いた。
かつてここは、魔獣たちが多量発生し、オルレアンらの一行の魔法少女たちが、大集結して魔獣と戦った箇所だ。
だが今や魔女狩りの舞台と化している。
当然ながら魔法少女の姿はない。みな正体を隠して暮らしている。
実は円奈はこのエドワード橋に足をつけるのが初めてだった。
あまりに深い高さの崖に浮かぶ巨大な橋に圧倒され、足がすくむ。
しかし、勇気を奮って橋を小走りではしった。すぐ後ろにスミレがつづいた。
スミレはエドワード橋を走ると、魔法少女の衣装である青いマントが、夜風にふかれてひらひらはためいた。
月は夜の地平線に沈む。むこう岸の山々のむこうへ姿を隠れる。
二人の真夜中に決行した、王城への潜伏作戦は始まったばかりだが、夜間の時間帯にも限りがある。モタモタしていれば朝が明けてしまう。
ぽっかり大陸の裂けた渓谷に架けられた橋を渡り、ギルド通りにくると、円奈はスミレに教えられて、王城への通行路を目指した。
王城の通行路は、エドワード軍の正規軍の騎士たちが、パレードを開きながら門から出撃する通行路であるので、広く直線形に整備されている。
逆に言えば、目立ちやすい。
いよいよ難攻不落の城、エドワード城を目前にやってきた二人は、どう潜入するか、考えた。
ミッションインポッシブルの救出作戦は、まだ序盤だ。
443
さて、王城の夜間の警備には、四人の男たちが当番になっていた。
ワーウィック、ボーシャン、リック、ウェットの四人だ。
この四人はずっと前から王城の夜警兵だった。
いや、兵とは名ばかりの、ただの見張り役。剣の扱い方は知らないし、携帯することさえ許されていない。
もし侵入者を見つけたら、警報を鳴らせという命令を受けているだけ。王城内部の人間たちからは、カラスと呼ばれ蔑まれている。
その四人のうちの一人、ウェットは、この夜の寒さに口から吐息を吐き、その吐息を手に集めて、温めると、手同士をこすり合わせた。
そして愚痴をはじめた。
「春到来の祭りだかなんだかしらねえけどよ」
冷えた手を吐息で温めてこする彼はいう。「これのどこが春だってんだちっともあったかくなりやしねえ」
「俺たちゃ冷えた夜に仕事する夜番だからな」
監視塔に立つ隣の男も彼の話に乗った。リックだった。「あったまる日がくるのは当分先さ我慢するしかねえよ」
「くそ、こごえちまいそうだよ、俺たちに春はいつくるんだ?」
ウェットは監査塔の上で愚痴をこぼし、夜番の仕事に嫌気がさしている本音をまったく隠そうともしなかった。
するとそのとき、若い男女の二人組みが、王都の通行路に現れて、きゃっきゃうふふいいながら手をつないで、くるくる抱き合いながら踊り、そして壁際に女が寄りかかると女はげらげら笑い出した。
男もあっはっはと笑っていた。
そして二人ともその場で唇同士を合わせ、キスに夢中になる。
「ああジェニー、愛してる!」
男は女の両頬をつかみながら、興奮した声でいった。そしてまた女の唇にぶちゅっとキスした。
「私もよ、ああ、リヒト!」
こうして相思相愛の若い男女はくるくるまわりながら抱き合い、路上で派手にキスしあった。
すると、城門についた監視塔の上からそれを眺めた男たちは、ニヤニヤ笑い出した。
「おーおーおー、熱いねえ!」
ウェット、にやにや歯をみせて笑いながら、監視塔の上から、路上で男女の抱き合う姿をながめる。
「あれくらいお熱いならこの寒さも吹き飛ぶだろうよ!」
そしてウェットは若い男女の情愛を塔から見下ろして眺めながら、愚痴をぶつぶつと呟きはじめた。
「まったくよおなんで俺は夜警の仕事なんてえらんじまったんだ?」
冷たくなった手をこすり、また口の吐息で温めながらいう。「女との出会いがありゃしねえ」
すると塔に立つ隣の男、リックがニカと笑い話しかけた。「だが俺に出会えただろ?」
「おめーに出会ってなんになるんだバカたれが」
ウェットはリックにやつ当たりした。
夜警番の男たちの仕事は、毎日毎日、夜に見張り塔に立つこと。それだけだった。
「くそったれが、なんでいつも同じ男と四人で夜を過ごさなきゃなんねえんだ!毛が濃くなる!」
高い監視塔に立つウェットは、手をこすりふわせつつ口から白い息はきながら、若い男女の熱愛を眺めつつ口にした。
「俺たち夜番の仕事はカップルの乳くり合いを見つめることか?」
ワーウィック、ボーシャンの二人はすでにうとうとと壁に寄りかかり、半分眠っている。
いつものように。
「ああまったく最高の職業だよ」
愚痴をこぼすウェットは目を上向きにした。「くそったれが。てめーらの熱愛をどこまでも監視してやる」
若い男女は逢引の日に恋の堕ちたのだろう。
燃え上がったばかりのカップルは、それはもうお熱で、まだキスをし続けていた。
監視塔の見張りがいるとも気づかずに。
鹿目円奈とスミレの二人が、あっけに取られて細い裏路地から男女をみているのにも気づかずに。
「頼むから誰でもいい。誰でもいいから女がきてくれ」
城門の監視塔に立つウェットは懇願するような声をあげていた。「できれば15ぐらいの女が」
「魔法少女を嫁にしてーよ!」
いきなり壁によりかかって眠っていたボーシャンが寝言を叫び、そしてはっと意識が覚めて目をあけた。
その手に槍がしかと握られる。
「おい。いっくとが…間に受けるなよ。誰が魔女と結婚するか。裁判を受けるのはごめんだ」
男女は手をつなぎながらあてもなく通路を走り、女は男に振り回されてぐるりと回り、きゃっきゃと笑いながらまた男の胸に飛び込んで抱かれる。
そしてついに、女はその場でボディスの紐も一本一本、解きはじめ、男の顔を見つめながら、首をかしげて、ニカニカ笑うと、うっふふといって服を脱ぎはじめた。
「ん?なにする気だ?」
監視塔の男たち、目を疑う。
「おいおいおい冗談だろ俺たちに何みせる気だ?」
「ワーウィック、ワーウィック!」
ボーシャンは塔の上から、眠りにおちた夜番の仲間を起こした。「みろ、女の裸だぜ!」
ワーウィックはいびきをぐうぐうたてていたが、飛び起きた。目をこすり、監視塔の手すりを乗り出す。
女はスカートをぬぎ、下着姿をみせた。男はごくっ、と喉を鳴らしている。
路上で性交をはじめてしまう二人。
監視塔の男たちは、食い入るように塔から眺めている。男四人全員そろって、塔の手すりから身を乗り出していた。
「じっくり監視してやるぜミレディー…たまんねえ」
リックは路上で裸になる女を凝視していた。「じっくり見届けてやる!」
「んなこといってる場合かやめさせろ」
ウェットは冷静さを取り戻して、男たち三人の頭をパカパカ叩いた。
「夜間は外出禁止令がでてるんだぞ。なんで夜中におっぱじめた男女を俺たちが見守ってやってるんだ、とっととやめさせろ!条例違反者だよ!」
「ああ……なんてきれいだ……素敵だよジェニー」
監視塔の男たち四人の凝視にきづかない男は、女の”ホト”に目線が釘付け。
そして女の股を見ながら褒め称えた。女はうふふふと笑って男に抱きついた。
「どうやってやめさせるんだよ大声だすのか?」
ボーシャンはウェットに問い詰めた。
「警報を鳴らしちまおう」
ボーシャンは提案した。「そうすりゃびびって家に帰るだろうよ」
「バカやろうよせ」
ウェットはその提案をすぐに取り下げた。「また誤報を鳴らしたって将軍に叱られるぞ」
はあっと息をはき、夜通し警備番をして塔に立っていたせいで冷えた手をまたこすり合わせて摩擦であたためる。
警報をいまここで鳴らせば、王城じゅうを取り締まる警備兵から守備隊から護衛部隊まで、小屋のベッドないし待機室から飛び起きることになる。
「俺たちはもう三度も誤報の罪で処罰されてるんだぞ四度目はねえ!」
彼はこすり合わせた手の片方を首元につけた。
「オーギュスタン将軍の剣で、首と胴体が、はいさよなら、だ」
彼ら四人の夜警番は、王城の人たちからは、夜にしょっちゅう誤報の警報を鳴らす人、と知られていて、その仕事ぶりの評価は低かった。
今まで王城の人たちは、この四人の夜警兵によって、何度も誤報をならされ、夜間にお騒がせされてしまったのである。
「三度目は誤報じゃねえ!」
リックは心外だ、とでもいいたげな顔で声をあげる。「俺は確かに見た。魔法つかいどもの群れを……50人くらいいたんだぞ。そしたら霧のなかに消えちまったんだ。そのあと将軍がきて、誤報扱いにされて処罰だ。俺の気持ちがわかるか?」
「じゃあ一度目と二度目はなんだよ?」
ボーシャンはリックにたずねた。
「あー教えてやるよ、一度目はいたずら」
リックは過去の自分の誤報の罪について語った。
「あんまり暇なもんでよ、夜番の仕事ってのはよ。わかるだろ。一番夜の深い時間帯に、警報をドハデに鳴らしてやったのさ。王城じゅうの騎士と貴婦人が飛び起きて、将軍がやってきて、何事だ、ってね。俺はいったんだあんまりにも暇なんで、遊び相手がほしくてついベル鳴らしましてって……へへ、ありがとうございます将軍、真っ先に飛んできてくれましたね、………そしたら処罰だ」
「呆れた野郎だぜ二度目は?」
ボーシャンは顔をしかめた。
「二度目の誤報は俺じゃないウェットだ。寝ぼけたまま鐘をカンカンならしやがったのよ」
「寝ぼけてねえ俺は確かに人影をみたんだ」
ウェットは異議をたてた。「城に入ってくると思って、鐘を鳴らしたら、誤報扱いだ。そんなことで警報を鳴らすな寝ぼすけってな。毎日警報ならす気か?いつ落ち着いて眠れる?ってよ。じゃあいったいどんな時、警報ならせばいいんだ?人を見たら警報鳴らすんだろ?俺なにか間違ったことしたか?」
「きまってるだろ侵入者を見つけたときだよ」
ワーウィックがいうと、全員が納得してこくりと頷き、真面目な顔になって監視塔の手すりに立って、警備の仕事をつづけるのだった。
「それ以外で警報をならすな。優秀な監視兵って評価されたいからな。そうだろ?」
「三度も誤報鳴らした時点で優秀だなんて思われてないだろ」
四人はぶっと笑い出した。
444
鹿目円奈とスミレの二人は裏路地をまわり、街角の壁側からそっと顔をのぞかせ、王城の関所を眺めた。
そこには、松明の火が数本あり、その監視塔に四人ほどの男の人影がみえる。
何を会話しているかまでは聞き取れないが、なにやらぺちゃくちゃと話し声はする。和気藹々とした笑い声すらきこえる。
王城の関所の見張り兵たちは優秀なのだろう。城下町の囲壁の、寝ぼけていた衛兵とはわけがちがう。
見つかればすぐに警報を鳴らされるだろう。
少なくとも円奈にはそう見えた。
正面からの突破はまず不可能だし、ロープで這い登る作戦も使えない。そんなことしているうちに見つかってしまう。
城壁の監視塔の兵たちが目の黒いうちは、あの城壁は突破できない。
そこで円奈は顔をひっこめ、スミレが控える路地に戻り、作戦を伝えた。
「あの四人を追い払う」
と、円奈はスミレに囁いた。そして円奈は自分の背に抱えた矢筒から一本の矢を取り出して、手に握った。
「ロープをこの家の屋根に結べる?」
裏路地の暗闇でスミレはこくっと静かに頷いた。
数秒後、スミレの投げ伸ばしたロープは、王城前の通行路に立ち並ぶ民家の煙突に絡みつき、円奈はそのロープを掴んでよじ登っていた。
レンガの壁をロープで登り、なるべく音はたてずに、赤色の瓦で葺かれた勾配ある屋根に着地する。
煙突から煙はのぼっていなかった。夜間だから当然だ。暖炉は使われていない。
レンガ煙突の突出部分に身を隠した円奈は、そこからそっと勾配のついた赤色の葺き屋根を匍匐前進でよじ登り、屋根の一番高い棟の部分へきた。
民家の屋根のてっぺんに。
円奈が屋根を這って登る姿は、スミレの視線が追う。
ほぼ城壁の高さと同じ、屋根の勾配から、円奈は顔だけだし、監視塔の人たちを眺める。
監視塔の人たちはこっちに気づいていなかった。城壁に並ぶ円形の監視塔は、四つほどあり、そのうち王城の門にもっとも近い塔に男四人が敷き詰められて見張っている。
円奈はそれから遠い監視塔に誰もいないことに着目した。そして、その監視塔には、警報を鳴らすためのベルがついていた。
このベルの”舌”の部分を揺り動かすことで、カンカンカンと鐘の音がなるのだ。
円奈の思いついた作戦はこの警報を誤って鳴らしてやることだった。
別の監視塔から誤報がなって、四人の男たちは慌てて何事か、とそっちへ駆けつける。すると王城の門はお留守になる。
その間に城壁を通り抜ける。
目的である王城の敷地にいよいよ入ることになる。
スミレもロープをよじ登り、煙突の付近の屋根に着地した。裸足のまま屋根の勾配を這って登り、円奈の横にまでくる。
スミレは手を屋根の棟にかけて落ちないように自分の身体を支えた。
青いマントがたまに屋根の瓦にひっかかってビリっと破けた。
スミレは嫌そうな顔をした。
円奈は手に取り出した矢を口にくわえた。
矢の軸を歯と歯のあいだに噛んだまま弓を両手に持ち、口に咥えた矢を手に戻して弦に番えると、もう一度だけ監視塔の立ち並ぶ王城の城壁を見渡した。
長さ100メートルほどの城壁。並び立つ監視塔の、門のあたりには、四人の警備兵たち。
そしてゆっくりと弓を上向きに構え、弓の弦をひっぱった。やや上向き。
ここからあの監視塔のベルに矢が届くためには、どのくらいの角度が最適だろうか。
もっとも高く飛ぶのは45度だが、真上から落ちてはあのベルに命中させることはできない。
監視塔の円錐の形をした屋根にあたるだけだ。
つまり、30度か35度くらいがいい。屋根の下に入り込んで、ちょうとベルに命中するくらいの角度がいい。
円奈は屋根の勾配に足をかけ、屋根上から身を乗り出すと、弦を35度くらいにして限界まで引き絞った弓から矢を放った。
ビュン!
弓から矢が飛ぶ。すぐに矢は夜闇へ吸い込まれて消えた。
そして、しばらく音を待った。
何秒かあとに、壁際にバチンとぶつかるような小さな音が、寝静まったギルド通りのどこかに聞こえた。
失敗だ。
角度をつけすぎたらしい。
たぶん屋根か何かに当たって砕けた。
円奈は悔しそうに歯に噛んで、再び弓に矢を番えると、こんどは32度くらいの弓の角度にして、再び矢を夜へ放った。
矢はギルド通りの夜空の暗闇を飛び、星空の煌く上空へ舞う。
そして、やや斜め上向きにとんでいた矢は、たくさんの通行路や、路地、建物群の屋根の上を通り過ぎて、しだいに角度をさげて下向きになっていく。
そして風をきりながら矢は王城の監視塔の、青色をした塔の屋根の下をくぐり、隙間に吸い込まれるように落ちていって、ベルの金属に当たった。
カーン…。
ベルの警報が小さく鳴る。
それも、一度きりだけ。
しかしそれは、王城の人たちを飛び起すほどのものではなかったが、夜警の兵たちの注意をひくには、十分であった。
羊の首輪にぶらさげるベルを巨大化したような警報の鐘は、中心に釣り下がる舌の部分に矢があたって、わずかに揺れ、鐘をガーンガーンと鈍く音をたてた。
「おい、なんだ?」
監視塔に立った四人の男たちが、別の監視塔、だれも位置についていないはずの塔からベルがなって、不思議がる。
四人とも目をあわせ、首をひねる。
「風か?」
ゴーンゴーン…
鈍い音は一度鳴ると、おさまるまでに時間がかかる。鐘とはそういう音をだすものだ。
「風のわけない。みろ」
リックは自分たちの位置につく塔の鐘を指差してみあげる。「味方の誤報かな?」
「妙だな」
ワーウィックも唸り、それからリックに命令した。「みてこいリック」
「なんで俺だけが?」
リック、目を丸くし、そして嫌な顔をする。「冗談じゃねえ一人じゃ怖くていけねえよ、一緒にきてくれ!」
「あーもーしょうがないなこのチビリ野郎びびりやがって。俺が一緒にいってやる」
ボーシャンが顔をしかめて、仕方ないなという顔をし、リックの肩を叩き、そして率先して監視塔の梯子をてくてく降り始めた。
「誰かいるかもしれねえ。何事かときいてくる」
「ああ頼んだぞ」
ウェットは、塔の上に残った。
梯子を降りて持ち場を離れるリックとボーシャンの二人を見守る。
塔を降りた二人は城壁の防御回廊を歩き、ベルが鳴った監視塔へとむかう。
その二人の注意が完全にそっちにむいているまさに背後で。
鹿目円奈とスミレの二人が、音もなく、月のみが浮かぶ夜空の下で行動に移り、屋根から城壁へ飛び乗った。
城壁に飛び乗ると、すばやく歩廊を歩いて、監視塔の兵たちの目を盗みながら、城壁の階段を降り、王城の敷地内へ降りる。
ここまでくれば監視塔の兵たちの基本的に死角だ。
兵たちは、塔の上から、ギルド通りの側をみるのであって、振り返って王城の敷地内を見たりはしない。
スミレと円奈の二人は音もなく石の細い階段を降りて、湿った芝生の生えた敷地内に潜伏を成功させる。
445
二人は、すでに三つの城壁の関所を越えて、エドワード城の敷地へ不法侵入を果たした。
やっと王城の敷地に入った二人だが、この王城にもまた最初の城壁、第一城壁があった。
高さ700メートルになる巨大な王城は、層が7つあり、第一城壁区域、第二城壁区域、第三城壁区域、というふうに第七の城壁区域まで積み重ね式に城が築かれており、上になればなるほど貴人の住む領域となる。
第七城壁区域はいうなれば天守閣で、天に君臨するエドワード王の根城と、玉座の大空間がある。
政事はここでおこなわれる。
第六城壁区域は、騎士と貴婦人の住む領域。壮美な居館と居間がある。
高さは600メートルほどの位置に属する。
第五城壁区域も、下流の騎士と貴婦人の住む領域。
第四城壁区域は、騎士たちの召使いたちが多量に雇われ、水運び係りや料理人、音楽隊、武器職人、大工、石工屋、漆喰職人に鍛冶屋、鋳掛屋、蝋燭師、石灰屋、書記や徴税役人や財務官、処刑人、市民の徴税簿記の財務室など、城の運営にかかわる人たちが暮らす。高さは400メートルほどの位置に属する。
第三城壁区域は、国外からの寄留者や暖炉つきの客室、道化、隠者、守備隊、兵士、監獄の見張りと看守、食糧貯蔵、水の確保をするための井戸を請け負う人、武器庫の管理、城内の馬と家畜の世話と管理、その牛番たちの私室、養魚池の運営、菜園の運営などの役割を持つ。高さは200メートルほどの位置に属する。
第ニ城壁区域は、ゴミ、糞尿、汚水、下水の処理にあたる。ここにも大量に人が雇われている。高さは100メートルから150メートルほどの位置に属する。トイレと便所があり、敷地内に糞尿が垂れ流しの場所もある。もちろん、この場所は、はるか上の階の便所から落ちてきた騎士と貴婦人たちの便も溜め込む。
第一城壁区域は、いま円奈たちがやってきた城壁の内側の敷地内。軍の訓練場。城内の弓兵たちはここで的を狙いロングボウを撃つ。クロスボウ兵も城壁の上から地面にたてた的をめがけて狙いを定めてうつ。芝生の広場では剣士同士が剣術とレスリングを習う。しかし、騎士の訓練場はここではしない。これには理由がある。
どの城壁区域同士にも関所があり、第一城壁区域から第二城壁区域に進むためには関所を通らないといけないし、第二城壁区域から第三城壁区域に進むためにも関所を通る必要がある、というふうに、無数の防御施設に遮断柵、門、監視塔がある。
城門はすべて夜間には閉ざされる。ピシャリと門に遮断柵が閉ざされるのだ。この関所を通ってはじめて、円形の階段塔に辿り着けるので、螺旋状の石の階段をここで永遠と登らないと、次の城壁区域に入れない。
その螺旋状の階段は、多いところだと千段以上もある。
城内に掘られた井戸穴の高低差は100メートルもあり、落下すれば命はない。汲み上げるほうも大変である。
さて鹿目円奈は、王城の敷地において、入城を果たすためにはまだまだ関門がたくさん残っていることを思い知らされた。
たとえば第一城壁。
これはエドワード城そのものに建てられた壁ではなく、むしろ王都エドレスの本城を囲うように建てられた城郭のたぐいである。
この第一城壁だけで、高さが50メートル以上もある。この高さでは、ロープをひっかけてよじ登ることはいくらなんでも不可能だ。
ロープの長さが足りない。
それにしても3キロメーメルの深淵の谷のど真ん中に建つ、エドワード城の巨大さには圧倒される。
近くまできてみて、いよいよその威容な天空の城に、緊張してしまう。
月にも届きそうな黒い城だ。
さて、幾重のも守りに固められた王城への潜入を試みることになる円奈たちに、最初に立ち塞がる関門は、鉄の防柵。
鉄製の柵であり、鎖で閉じられた防御柵である。鉄の柵は、ところどころ花柄の模様を装飾的に描いているが、上部はすべてトゲのように尖っている。よじ登ろうとすれば、この柵に手を刺される。
しかしこの鉄柵よりもっと厄介なのは、その奥の外郭敷地をうろつく檻から放たれた餓えた番犬たちである。
城の主たちは夜間になるとわざと城内の敷地に、くんかくんかと鼻をならす番犬を放つのである。
番犬の放し飼い。
侵入者の臭いを嗅げばすぐに喧しく吠え出す飢えた番犬の守りを、円奈たちはどう潜り抜けるのか。
番犬が放たれた中庭は、円奈たちにとって、最初の関門にして、すでに最大の難所であるかのように思えた。
この鉄柵を越えると、高さ50メートルの第一城壁に辿り着けるが、だからといって安心でもない。
そこに見張り人がたっていれば、矢を放ってくるだろう。
円奈たちは王城の通行路を渡り、入り口の鉄柵のところまできた。
塔と塔のあいだに設けられたこの鉄柵は、中心に門があり、両開きにひらく仕組み。
円奈はこの防御柵とその内側に放たれた番犬を突破するため、矢に仕掛けを施し始めた。
パレード入り口の城壁を抜け、王城の防御柵へ挑む二人の両側は城壁が囲っている。つまり、前後には門、左右には壁という、四方を障害物に囲まれた状態。逃げ道なし。ここで番人にみつかればひとたまりもない。
敷地内を、長い舌を垂らしながらうろつく犬たちが腹をすかせてあるであろうことは円奈にも予想ついていた。
この時代の城が、夜間どのように警備を敷いているか、本で読んだことがあったからである。
そこで円奈は、スミレが後ろで不安そうに見守っているなか、矢に、腐った鹿肉をくくりつけ、紐で縛ると。
それを、どこか遠い敷地内の芝生にむかって、飛ばしたのである。
パアン!
円奈の弓から発射された矢は肉つき。
しかもそれは犬の反応しやすい、なにか物の落ちるような音とともに、ズドっと芝生に差し込まれた。
番犬たちはすぐに音に反応して、首をあげ、矢の落ちた方向へ一目散に駆け出していった。ワンワン吼えながら、物凄い速さで四肢で城の外郭を駆け抜ける。
黒い犬たちは消えた。
いまごろ肉にありついているだろう。
円奈はすると、鞘から剣を抜き出して……その剣は抜き出すのと同時に青白く光を放ったが……
夜空の月が見下ろす城の鉄柵の錠を。
「えい!」
声の気合一発、バギンと剣で叩き割った。
魔法の剣は錠を外した。鋭い火花が一瞬バチンと飛び散り、鉄は裂けて門は開いた。
円奈は鉄柵の門を押して開くと敷地に入り、第一城壁の下にまできた。
ギギイと軋む音を夜に響かせて門は開かれた。
そこの正面には門があった。
円奈はさっそく巨大な階段をのぼって門の前にたち、手で押してみが、びくともしない。
少女の背丈より10倍ちかい大きな門は、裏側から閂でも通されているのだろう、外側からではまず開かない。
「時間がない」
円奈はスミレの手を引っ張って外郭を巡り始め、正面門からの侵入は諦め、別ルートを探す。
凶暴な番犬たちは空からふってきた鹿肉を頬張っていた。
446
二人は第一城壁の外郭をぐるりとまわりながら、侵入ルートを探していた。
その間、さまざまなものを二人は見た。
その多くは家屋と役畜用の施設だった。まず納屋と厩舎がある。そこに遠乗り用の馬や、羊と山羊が飼育された。
羊と山羊を納屋に飼うのは、城の敷地内に芝生と草木が繁らないように定期的に放し飼いにして食べさせるためだ。
芝刈りを機械ではなく、こういう役畜にさせたのであった。
二人は王城の第一城壁をめぐっているうち、とある大きな階段をみつけた。
石造りのアーチが組み立てた大きな階段で、円奈たちはそこを登ると、緑色の芝生の生えた大きな中庭へときた。
城郭の中庭の一部だ。
そこには鶏を飼う納屋が設けられていた。卵は城内の人々にとって貴重な食べ物の一つである。
この中庭をみて、円奈は王城の内部へ潜入する方法を思いついた。
第一城壁は、高さ50メートルもある高層の壁であるので、門を通らない限り突破は不可能だ。
そしてその門は硬く閉ざされている。
夜間に閉ざされた城門の落とし格子は、樫の木材で組み立てたその格子に、鉄の板をはめ込んだ。
魔法少女の人間離れした腕力でもこれを破壊するのは難しいだろう。
壁を乗り越えることも門も突破することも不可能。
門に繋がる階段は、まっすぐではなく、くねくねと左右に曲がりながら登るルートに作り上げられている。
こういう階段をしている意図はもちろん円奈にも分かる。
まっすぐ進むだけの階段なら、侵入者は盾を城壁側にむけながら安全に接近することかできるが、くねくねと左右に曲がりながら登る回りくどい階段だと盾をいつも城壁際にむけているわけにはいかない。
必ず侵入者は、くねくねした階段を左右に昇りながら、横むきになって階段を登ることになる。
盾は城壁側にむかない。守備側は、矢狭間から、隙だらけな侵入者のわき腹へ矢を射ることが容易になる。
難攻不落に思えた王城を攻略するため、思いついた円奈の侵入作戦は、地下水からの潜入だった。
この中庭がどうしてここにあるのかを考えれば、円奈はその侵攻ルートに考え及ぶことができた。
宮廷文学や、騎士道物語では、城内に設けられた郭の中庭は、馬上槍試合の舞台になっていることが多い。
ここに貴婦人たちが特別席を設けて、城壁の上から、騎士たちの試合を見物するのである。
絵のように美しい城のもつ美的価値を舞台に選んで、壮美な馬上槍試合を描写するのは、残念ながら、ロマン主義的な文学の描写であり、現実の城がもつ中庭の持つ意味はそれとは別になる。
実際には、城内の中庭は馬が走ることは皆無だった。むしろ馬が立ち入ることを一切禁じた場所だった。
馬上槍試合をするなんてもっての他なのである。
では城内に敷かれたこの広大な中庭は、なんのためにあるのか。
芝生の生えた中庭の下には、大きな地下水槽が設けられいる。溝や管を通して、中庭に降り注いだ雨水は、地下水として蓄えられ、欠くことのできない水資源になる。
馬の尿には馬尿酸が含まれているから、これが水に混ざると飲み水ではなくなってしまう。
城の人々はそれを知っていたため、城内の中庭に馬を立ち入らせることを厳しく禁じた。
そこは水資源を蓄えるためにつくられた中庭であり、要塞であり政治の拠点でもあった貴族の暮らす城は、水の確保をもっぱら雨水に頼っていたのである。
ということは、だ。
「この下に地下水路があるはず!」
円奈は思い至った自分の考えを口にした。そこの思いつきから、王城への潜入経路をスミレに伝えたのだった。
「水路を通って城に入れる。泳ぐことになるけど……」
スミレは、一瞬不安な顔を浮かべたが、ゆっくり頷いた。その魔法少女の顔に覚悟が決まった。
夜中の潜入作戦はつづく。
星の浮かぶ夜空の月はもう山々のむこうへ降りて沈んだ。
あとは夜明けを待つだけだ。
残された時間は、多いとはいえない。
「みつけた」
円奈はエドワード城の中庭にある芝生のうち、地下へ繋がる狭い隠し通路を探り当てていた。
中庭敷地のある芝生の草を掴みあげると、木の板が浮き上がって、下に通路が続いていた。
隠し通路である。基本的には、地下の水槽を点検管理するための係りが通る地下道。
芝生が植えられてカモフラージュされているが、見つけてしまえばなんてことのない地面の仕掛け扉。
円奈はからくりの床板をもちあげ、その下につづく、狭苦しい、真っ暗な地下通路へ降りた。
剣を鞘から抜き、階段を下りる石壁を照らした。
魔獣の気配に反応して青白く光る剣は、こんな役目も果たしてくれた。
青く照らしつつ、円奈は細い地下への階段の先を一歩一歩降りた。
スミレもそれにつづいて、地下階段へ入ると、スミレは円奈の持ち上げた板を、階段の下からおろし、隠した。
すると隠し通路は再び芝生の地面にまぎれた。
447
二人は長く地下階段をくだっていると、すぐに水のボタボタという漏れ音と、湿った壁のカビくささが、鼻をついてきた。
青白い剣を前にだしながら円奈は、地下でどんな城内の人間にでくわすかと緊張に顔を引き締めながら、階段を最下部までくだってゆき、そして木の扉に行き着いた。
木製の扉は、木の板を均等に切って釘で繋ぎ合わせた扉だった。
そして地下水の水漏れが染み込んで木はカビに蝕まれていた。扉は閂によって閉じられ、ウォード鍵が必要になったが、かまわず円奈は剣で扉を壊し、地下水槽室へとはいった。
スミレがあとにつづいて地下室に入った。
円奈がまず部屋に入り、後ろにつづくスミレが見たのは、ぽたぽたと天井の溝や管から染み込んでおちてくる水をためこむ石壁の積まれた地下の巨大なプールだった。
真っ暗闇で、地下を照らす明かりは円奈の手に持たれた青白い刃しかないが、そのプールの巨大さはそれでもはっきりとわかったし、地下貯水池の容積量と、一方向へ流れていく細長い地下水路の全貌が目で把握できた。
「この地下水に”潜る”」
と、円奈はスミレに告げた。
「どれくらい潜ることになるか分からない。城内の井戸に辿り着くまで地下水に流されつづける」
それは危険な作戦だった。
地下水の流れに任せるままに体を迷路のような水路に飛び込ませ、運がよければ内部の井戸穴に辿りつくだろうという作戦。
逆にいえば、運が悪ければ、地下水に流されるまま下水路に混ざってしまい、そのまま城から下水管をとおって城外の崖へ吐き出されることになる。あとは崖下の海までまっさかさまだ。
しかし、もとより命がけなのは覚悟の上だ。
円奈は流れのやまぬ地下水路に飛び込む前、一度座りなおすと、ピンク色の頭髪に結んだ赤いリボンを、髪から解き、大事そうに手首にしっかりと結んだ。
その様子を不思議そうにスミレが見つめている。その瞳に映る赤いリボンを、魔法少女は気にしていた。
手首にしっかり結ぶと、紐で背中の弓をしっかり身体に巻きつけた。矢筒にも矢をしっかり絡めつけた。
水に流されても、これらの備品が手持ちから離れないためである。
円奈は手首に結んだリボンの端を口で噛み、しっかりひっぱって結び目を強化した。
水路に飛び込む準備が整うと、スミレを見た。
「必ずユーカを助け出せる。」
激しく暗闇を流れる地下水の音が、スミレという魔法少女を不安にさせたが、円奈が励ました。
そして、スミレは力強く頷き。
円奈も覚悟を決めた。
二人は同時に水に飛び込んだ。
とたんに身体を冷たさが覆う。
「つめたっ!」
と思わず声をこぼしたまま、地下水に身体を浸からせて、地下水路の細い道を水に流されるまま進んだ。
二人の少女の身体は城の地下水へざーっと流されてゆき、水路へ入り込む。
円奈とスミレの二人は水から顔をだしながら流されつづけた。
ぽたぽたと垂れる水路の天井からの水滴が二人の髪を濡らし、二人の服は水に埋もれてびしょ濡れだった。
当たり前だが地下水路は修築作業の手が行き届いてなく、水の流れによって削れた壁の石があちこち剥げていた。
内壁はぬめぬめした。
二人は水に流されるまま敷地内の地下をくぐり、たまに鉄格子が水路に嵌められて行き止まりになってしまっているのを見ると、方向を転じたりしながら、出口を探す。
鉄格子のはまった地下水道からも水が垂れてきていた。別の中庭からおりてきた水だろう。
こうして二人は城の水路を順調に進んでいたが、いよいよ別路のない行き止まりにぶつかってしまった。
「下に道がある」
円奈は髪も顔もずぶ濡れになりながらいい、スミレに下を指で示した。
「潜れば進める」
それは、息をとめて水路を進めという意味だった。
スミレはすぐにそれを覚悟した。魔法少女の衣装は、青いマントふくめて、びしょ濡れだった。
ホタボタと水滴が天井から滴りおちる。
それは二人の額をたたく。透明な水滴だらけになる額を、円奈は腕でぬぐい。
水気を含んだ、頭にはりつくピンク髪を手で後ろへかきわけて、はああっと息を吸い込むと、水路へ潜った。
スミレもそれにつづいて水に潜った。
水に潜ると、真っ暗闇だった。
土の地面と、濡れた石の壁と、低い天井だけがあった。石と石のあいだには水草が生えて緑のヘドロと共にぷんぷか水中にゆらめいていた。
円奈とスミレの二人は、人間の少女一人がやっと通れるような狭苦しい水路を潜り、息切れに耐えながら、10メートルほど前にすすんで、やっと水面をみつけた。
ざばっ。
「あふ…あ」
むせながら円奈が顔をだす。狭い空間の水面に顔をだす。その全身は水に塗れて、髪は首筋にはりついた。
そして大きく口をあけて息を吸った。そこは丸く空間が天井に伸びていて、そのはるか上方につるべに吊るされた井戸の桶があった。
二人は井戸穴に辿り着いたのだ。
円奈は井戸の丸い壁に手をふれる。その高さは、20メートルくらいはある。とんでもなく高い井戸だった。
石は丸く円形に積まれていて、井戸を形成する。井戸穴の底は真っ暗闇。
ふつう人がまず落っこちないようなところから、逆に這い出して城へ潜入しようとする作戦。
井戸の下から這い登って城内に入り込む。命がけの作戦だった。
しばらくしてスミレも円奈の隣に顔をだした。井戸の水面から。
「ぷ、はあ」
苦しそうな顔をして息を懸命に吸う。その目はしばらく閉じられていた。ぶるぶる顔をふるって水滴をふるうと、やっと青い瞳を開いた。
円奈は立ち泳ぎしながら井戸を指差した。「上に登れるはず」
スミレは、ウンと頷き、魔法のロープを手に召喚すると、井戸のつるべにそのロープを絡めた。
上方で人間たちが気づいたような様子はない。
すると円奈はロープを手ににぎり、ゆっくりと、両手をつかって井戸をロープで這い登りはじめた。
高さは20メートル。まるで蜘蛛の糸を登るかのような、永遠と長いロープだった。
しかし円奈とスミレの二人は一生懸命にそれを登りつづける。
448
そして二人は井戸を這い上がり脱出し、地上に着地した。
そこは城内の一室であり、井戸室と呼ばれる水補給の拠点だった。
二人は井戸のつるべにひっかけたロープを登って井戸から這い出てきた。
そして石の地面に着地し、部屋の見渡した。
城内の部屋は壁際の松明の火だけが照らしていた。
ここはエドワード城第二城壁区域の井戸部屋。
スミレと円奈は二人手を取り合って、部屋を出る唯一の木の扉へむかう。
さすがに城内の扉は戸締りされていなかった。円奈が扉の取っ手にぶら下がる鉄環を持って押すと、扉は奥へギイと開いた。
円奈はいつ城内の人間に出くわしてもいいように、弓を手に握りながら、廊下へ飛び出し、そして右へ左へと、きょろきょろ視線を走らせながら、階段をくだると、まだまだ続く暗い廊下を走り続けた。
エドワード城の内部に造られた廊下は長い。
松明の火が壁際に間隔をおいて灯っているが、物音ひとつなく静穏とした廊下は逆に不気味だった。それに冷たく、寒かった。
年中、日のあたらない石壁に囲われた廊下は、空気まで停滞していて、ひんやりしていた。
さて、円奈たちが井戸部屋から飛び出した城内の廊下には、通路の両側にたくさんの扉があり、さまざまな部屋ととつながっていた。
食べ物を蓄える穀物倉庫や、麦芽焙燥室、脱穀室、製粉室、薪燃料の保管庫、守備隊控え室、武器庫など、さまざまな部屋につながっている。
もちろんいちいちそんな部屋に用はないので、円奈は廊下をまっすぐ突っ走る。
するといきなり外へ空間が開けた。
円奈たちは第二城壁区域の塔から外に飛び出して、第三城壁区域へつながる歩廊にきていた。
巨大な石の階段が永遠と上方へ続いており、さらに高い地表150メートルの位置につながる本城の塔へと道が伸びていた。
さながら天国への階段だ。
円奈たちは覚悟を決めて、この階段を駆けはじめた。守備隊たちの姿はない。塔のあらゆる箇所に油をかけた常夜灯が灯かりの火となって燃えているだけだ。
青い剣を前に翳した円奈と、青いマント姿をした魔法少女のスミレの二人の影が、第二城壁区域から第三城壁区域までの階段を登っていく。
月の沈んだ夜に、二人の姿をみかける守備隊の目はない。
しかしエドワード城は、二人が登る階段よりも遥か上空にまで高くに姿を現している。高大な要塞の城は、あちこちに常夜灯の灯火を照らして暗闇に浮かんでいる。
階段をのぼりきると、第三城壁区域周囲の塔に辿り着いた。
しかし階段はまだまだ続いており、巨大な塔のまわりをぐるりと回って登る外階段になっていた。その高さは100メートルから150メートルに及ぶ細々とつづく階段だ。
二人はこの階段を登った。
巨大な塔を外周する曲がり階段を、壁際に手をつきながら慎重に登る。足を踏み外したら城内の郭の中庭に転落だ。
階段を昇りきると、塔の内部に入ることができた。
円奈たちがいつも地上から見上げていたエドワード城の塔に、二人はいま居るのである。
二人は塔の暗闇の内部に入るといったん休憩し、息ついた。
「はああ…」
円奈は集中力きれた、という感じで、背もたれをついて螺旋階段状の塔の内部に腰かけて座った。
「なんとかここまでこれた…」
スミレも息をはいて腰かけた。はだしの足は泥がついて汚れていた。
彼女はいやそうに自分の足についた泥をふき取り始めた。
「でも……ユーカちゃんはいったいどこにいるんだろう?」
円奈は肝心な疑問を投げかけた。
二人の目的はユーカを救出すること。そして、ユーカとスミレと円奈の三人で、エドワード王の前にでて、魔法少女に対する魔女刑の抗議を申し立てること。
しかしこれだけ巨大な城で、ユーカが、どこに捕われているのかが分からない。
二人だけで城じゅう探しまわるのは無理がある。エドワード城は、あまりにも広い。城の内部は迷路のようで、高さの上下差も激しい。階段を何百段と昇ったり降りたりする。防御回廊と城壁の歩廊、塔と城の構造は、あまりにも複雑に入り組んでいる。
「ユーカのソウルジェムの反応…感じる…」
そこでスミレは、自分のソウルジェムを取り出し、ユーカの魔力を城内にあるかを探った。
「ユーカの魔力の波動だ…」
「どこから?」
円奈はスミレの顔をのぞいて尋ねた。
スミレはソウルジェムのほのかな光に自分の顔を照らしながら、それを眺める。「もっと下かも」
「下?」
円奈は自分たちが懸命に階段を昇ってきたのを後悔した。
「でも、この真下じゃない」
するとスミレは自分たちの旅路が無駄ではないことを告げた。「ここから伸びるお城の回廊を渡った、第三城壁区域の下に感じる」
「あの通路をわたるってこと?」
円奈はこの塔の頂上から第三城壁区域の中心地へつながる城壁の伸びた歩廊をさす。
「うん」
スミレは頷いた。「その地下に……たくさんの魔法少女のソウルジェム……ある……」
スミレの指先はしだいに第三城壁区域の、鉄格子つきの窓がたくさん造られた城壁の下部へ動いていった。
少しぞっとした円奈だったが、怯んでいる時間はないので、すぐに再び行動に移った。
二人は塔の螺旋状の階段を最上階まで登り、てっぺんに出ると、エドワード城の見晴らしのよい城壁の上に立った。
「う、うへえ…」
そのあまりの高さに足のすくむ円奈は、おもわず声をあげて下を見下ろし、足をとめた。
そこはエドワード城の高さ150メートルになる防壁の一部で、ここから、城下町も地平線の山々も、エドレスの絶壁である谷も、あらゆる世界の景観が絶景のように見渡すことができたのだ。
城から見上げる夜空には無数の星が浮かび、きらきらと天の川を伸ばして光っていた。銀河の最も星の集まる一帯である。
エドワード城からのその眺めは、まさに壮観であった。
「円奈ちゃん…」
「う、うん…」
思わず天をうっとり見上げていた円奈の肩をスミレが触れ、我に返った円奈は、塔の頂上からのびる野外の歩廊をすすんだ。
松明の火が燃えているが、守備隊の姿はない。みな、眠りに落ちている。
円奈が先頭たって進み、うしろを青いマントをはためかせた魔法少女のスミレがつづいて歩廊を走る。
高さ150メートルの大きな歩廊を。石造りのデコボコした矢狭間つき(クレノーと呼ばれる防壁である)の手すりに両側が守られた歩廊だ。
二人が長い歩廊を走りきると、また丸い塔にきた。第三城壁区域の監視塔だ。ここは螺旋状の階段塔もかねる。
「この塔をくだれば地下にいける」
スミレはいった。「その気配を感じる」
円奈は頷いた。「わかった」
銀河のみえる夜空から、二人は再び城の内部へ入り込んだ。
螺旋階段はさらに上に登る道と下にくだる道があったが、二人は下にくだる道を選び、何重と回り続ける螺旋階段をぐるぐる回りながらくだった。ときおり螺旋階段の塔に小さな窓枠が開いていて、外の景色がのぞけた。
驚くほどの高い所に建てられた塔の窓から見えるエドワード城の景観は、これまた壮麗な眺めであった。
順調に階段をくだっていた円奈とスミレの二人だったが、青白く剣を煌かせた円奈の足が階段を降りる途中で突然とまった。
螺旋状階段を降りる途中、内部が突然ひらけていて、そこから明かりが漏れてきていたからである。
アーチ型の入り口があり、その奥で、城の兵士たちのぺちゃくちゃという話し声が聞こえていた。
スミレは円奈の横にきた。円奈はしーっと指に手をあてて、静かにするよう伝えた。
「だからよ、女の恋ってのはよ、」
守備隊たちは城内の暖炉つきの一室で、夜間の食事を仲間達と楽しんでいた。
「自分を守ってくれる男を好きになるだろ。それから、子供が生まれたら、結婚した夫より自分の息子がかわいくなるだろ。つまり、女の恋ってのは、自分への恋なんだよ。自己愛ってやつだ」
「ああまったく結婚ってのは考えものだな」
別の守備隊の一人が、火皿から焙られた猪の肉を鉄串から手にとって、かぶりついた。
部屋の暖炉の壁際には、鹿の頭が剥製されて飾られていた。騎士たちの狩猟の成果なのだろう。
また、男たちが椅子にこしかけ、バチバチと燃える火皿を囲う床には、動物のなめした皮がカーペットのように敷かれていた。豹か何かの皮だった。
「だからよ、よくいうだろ、”結婚するときは梯子を降りろ”ってよ」
別の守備隊も鉄串にささった猪の肉に噛み付いた。巨大な肉から皮がはがれた。それは男の歯と歯のあいだに吸い込まれていった。
「でねーと、男は生涯、妻のためにカネ回しするだけの奴隷だ」
「結婚ってのは悪魔の契約なんだよ」
守備隊の一人はそう言った。木製ジョッキからビールを一気飲みした。暖炉の火には、薪がおかれ、燃えて部屋を明るく暖めている。
「悪魔の契約か。妻を魔女だって訴えたいぜ」
男たち、はははと爆笑。
「だが今じゃ妻を魔女にした男は処罰の対象だろ」
「ここ最近の政治の失敗だな」
ははは。
男たち、また笑う。
「いやほんと、女ってのは犬かなんかだともって躾ないとダメだな」
男たち、猪の肉を頬張る。くちゃくちゃと肉を噛む。
「でないと犬にされるのは男のほうなんだからよ」
円奈は明かりの漏れる部屋の入り口に顔をのびかせ、男たちの会話を見守る。
こっちに気を配る様子はない。
肉に夢中になっている。
暖炉の火が明るく、こっちにまで光が漏れるので、部屋の入り口の前を通ると、円奈とスミレの姿は一瞬だけ光にあてられて丸見えになるが、無事通り抜けられるだろうか。
「だがまあ、魔女刑がはじまってから妻もだいぶ大人しくなったから、男にとっちゃいいことだ」
守備隊の男は本音を語る。
「女ってのは黙って男に従っているのがいちばんだ」
男たちが、女を魔女審問でかくも残忍な拷問に晒し揚げることができたのはそういう本音があったからなのかもしれない。
円奈は入り口のほうへ飛び出して、明かりのところに姿を晒した。
暖炉の火が漏らす光で自分の姿が丸見えになるが、階段を降りてすぐ通り過ぎる。
スミレもつづいて魔法少女姿を入り口の明かりに晒し、青マントをひらめかせた奇抜な姿が、部屋の明かりに晒されて一瞬丸見えになったあと、壁際の階段を下りてくだりつづけた。
守備隊の男たちは気づかなかった。
彼らは会話に夢中であり、一秒たらずのあいだ、入り口に通りかかった二人の少女の姿を、見つけることはなかった。
とはいえ、もし何かの騒ぎが起これば、少女たちを逮捕しに動き出すのは彼らになる。
449
階段を最下部まで降りた円奈とスミレの二人は、第三城壁区域の牢獄エリアに辿り着いていた。
監獄があり、牢番が眠ることなくうろつく地下牢の空間である。
「…ちかい。感じる」
スミレは自分の深い青色のソウルジェムを見つめながら、呟いた。
「ユーカのソウルジェムを感じる」
「…うん」
円奈は緊張に顔を硬くし、唾を飲み込んだ。何か嫌な予感がしていた。
大量の魔法少女のソウルジェムがあるというスミレの言葉と、ユーカがこの先でどんな姿になって牢獄で見つけ出されるのかを思うと、恐ろしくなった自分がいた。
しかし、階段をくだりきった二人の前に、いよいよ扉が現れた。
木製の扉。
取っての鉄環に手をかけ、そっと中に押し出す。
二人は牢獄エリアの廊下へ出た。
円奈の青白い剣だけが光源であり、真っ暗闇な鉄の牢獄を照らした。
二人はまず感じたのは、異様なほどの悪臭だった。
鼻を覆いたくなるほど、というか実際に二人は鼻を腕で覆ったのだが────この世のものとは思えぬ悪臭が牢獄エリアには立ち込めていた。
鳥肌がたつほど寒気がした。ひたひたと湿った地面の牢獄は冷たく、暗く、何もみえなくて、信じがたい異臭が支配しているほかは、なにもわからない。
二人は手探りで青白い刃をかざし、廊下を進んでいたが、闇に包まれたこの監獄エリアの通路の先、警備隊の足音をきく。
円奈は、スミレの手を引き、立ち止まる。
青いマントをひらつかせ、裸足で冷たい地面を踏みしめる魔法少女の足がとまる。
ポタ…ポタ…
暗闇の空間で、耳に異様に入る音は水滴の落ちる音。
円奈は、息を潜めて、暗闇の先にいるの人影が、それが自分たちに気づいているのか、気づいていないのか、気配を殺して見守った。青白く光る剣は、鞘に収めて、暗くした。
すると、牢獄を巡回する警備兵は、闇の中で、カチャカチャ剣の音を鞘から立てながら、円奈たちとは別方向の道へ去っていった。
「…きて」
円奈は、スミレに囁き、小さな声をだしつつ、牢獄の地下通路を進む。
ぽた…ぽた・・・
天井より滴る水滴が多くなった気がする。
一歩一歩、数メートルも先が定かにならない真っ暗な道を進み、悪臭と、カビ臭さ、湿り気ただよう地下牢獄の暗闇を手探りで探る円奈は、足元が鉄格子の溝蓋であることに気づいた。つまり、地下に水漏れしてきたのは、この下に流れていく排水経路があるわけだ。
カツー…カツー…カツ…。
鋼材の溝蓋を踏むたび、足元で金属音がなる。円奈の革靴が溝蓋を踏み鳴らす。
「ロシュー、おまえか?」
警備兵がもどってきた。
「っ…!」
はっと息を呑む円奈。とその後ろで円奈に隠れるように縋る魔法少女のスミレ。
円奈の背中にしがみつく。
いきなり恐怖がぞわっとこみあげた。
見つかってしまう。この逃げ場のないところで。
円奈は、右へ左へと、目を走らせ、この暗闇で隠れる場所はないか探したが、壁ばかりで、身を隠すところはなかった。
そうもしている間に警備兵がテクテク、なれた様子で松明を手に近づいてくる。
あと数秒もすれば、松明の光に円奈たちの姿が照らされる。
どこを探しても隠れる場所がないと悟った円奈は、足元へと視線が自然とおりた。
そこには、水漏れのたれ水が吸い込まれる鋼材の溝蓋があった。つまり地下空間の排水溝だ。
警備兵は松明を手に、地下通路の中心点、十字に通路が交差している地点に戻ってきた。
南北には警備兵の控え室、東西には地下牢と、塔への階段がある道だ。
「ロシュー?」
警備係の兵士はあたりを見回し、松明の火を回し、あたりを明るくさせた。
水漏れの激しい、湿った石壁が照らされるばかりで、誰もいない。
「気のせいか」
警備兵は、再び控え室に戻る。
足元の溝蓋を踏みしめながら。
「あー。たまには夜遊びもしないとな」
愚痴りながら、独り言をこぼして、待機部屋へ。
その、警備係が歩き去る足元を、眺めて見上げているのは、下に潜り込んで隠れた鹿目円奈とスミレ二人の目。
警備兵が去ってく背中を、地面の溝蓋の格子から覗き込む。
兵が去ったあとは、溝蓋を下から取り外して、枠から取り除き、自分たちが這い出る。
まず円奈が出て、ついで、スミレが、円奈に助けられて地面に出る。
二人は地下通路の溝蓋の下に隠れこんでいた。排水溝の水がびとびと、二人を濡らしたが、見つからずにすんだ。
450
二人はさらに地下へ降りる。
階段をくだり、臭いが強くなる地下牢獄の奥へ。
曲がり廊下にさしかかったところ、蝋燭の明かりが灯った廊下の先に、一人の兵士が行き来しているのを見つける。
兵士は、夜勤の警備が退屈で、歌を歌っている。牢獄通路入り口を、往復しながら。
「それは君に長い道~」
「地獄のクソみてえに茨の道~」
「どの町もお前を拒むクソったれだ」
円奈は壁からそっと顔だけだして、曲がり角の奥のその歌声だす兵士を見据えたが、やがて、隣に立つスミレに、相談する。
「あの兵隊さんをやりすごすには?」
「縛る?」
スミレが、手元に出した環状ロープを、びしっ、と両腕にめいっぱい伸ばした。
この魔法少女は、ロープによる拘束魔法が得意である。黒い髪をして青い瞳の魔法少女が自信ありげに提案した。
しかし、円奈は静かに顔を横にふる。「縛っても声だされるよ」
そして、今度は円奈が提案した。
「こっちに引き寄せて眠らせよう」
といって、円奈は弓を背中から取り出した。紐でくくりつけたロングボウを、音もなく取り出し、矢を一本、箙から抜き、弦に番えて引く。
「おまえが仕掛けたら始まる戦争だ~」
兵士は唄をつづけている。
「一人だけの軍隊~」
槍を重たそうに持ちながら、廊下奥へ消える。
そして、兵士が奥の廊下へ消えたタイミングのとき、円奈は弓から矢を一本、すぱっと飛ばし、曲がり角の奥側へ放った。
バシュッ!
その矢は、円奈の狙いどおり、壁に埋められた蝋燭台のすぐ上を通過し、すると、風で蝋燭の火が消えた。ひゅっ。
火は消え、小さな煙だけ燻る。いきなり真っ暗になる。
「ん?だれだ?」
突然、視界が真っ暗になった兵はあわてる。そして、円奈が隠れた曲がり角のほうへ、戻ってきた。
「クリネック!またおまえか!」
兵は、何を勘違いしたのか知らないが、円奈たちの隠れる曲がり角へ、怒りながら走ってきた。
「そうやって俺もをいつも怖がらせやがって!ちびってションベン臭ったらてめえのせいだぞ!」
かちゃかちゃ音ならしながら、円奈たちが伏せる角へ。
「俺が暗闇を苦手なのは知ってるだろ!クリネック!」
といって、曲がり角へささかる兵士がみたのは。
魔女の疑いかかる少女の二人組みだった。
「…はぐ!」
すぐに、二人の少女、とくに青い瞳と黒い髪をした、青いマントに白いロングヒールブーツを着た少女のロープに首を巻かれ、引っ張られる。
そして引きずられ、声も出せないまま、首をしめられつづけ、首筋を流れる血管のところを、指で強く強く圧迫されつづけた。
4分くらいも。
やがて意識が薄れ、朦朧としてきた。
兵士が気絶すると、円奈は、気絶した兵士の重たい体をひっぱり、誰も見つけられなさそうな、つまり、溝蓋の下にしまいこんだ。
兵士が再び目を覚ますのは、明日くらいだろう。
こうして、潜入を続け、牢獄エリアの地下へ進み、暗い階段をまた降り、二人は、悪臭の根源、地下牢獄の最深部へくる。
すると、やがて悪臭の正体にきづいた。
「…いやあっ!」
思わず円奈は飛び退いて、そして腰をついてころんでしまった。
牢獄の中にあるものを見てしまったからだ。
スミレもひどく気の動転した顔をみせ、そして目を覆った。
牢獄のなかに積まれているのは女の死体たちだった。
鞭打たれて血を流して倒れた裸の死体が牢獄のなかに積まれていた。
そしてその死体は全て腐り、大量の女の混ざり合った血は地面にこびれついて腐り、錆び、異様な悪臭を放っているのだった。
魔女狩りの犠牲者たちだった。
死体を放っておくとこういう状態になる。
そのが山のように積もれているのだから、呼吸もし難い最悪の悪臭を放っているのも苦はないのだあった。
「うう…うう」
自分の目にしたものが信じられないという顔をしながら、円奈は牢獄エリアを奥へと進む。
その先で、さらに異様なものを光景するとも知らずに。
震える足で、死体たちの積もれた牢獄の奥へ奥へと、一歩一歩進むと、悪臭の度合いは増した。
廊下を進むと突き当たりになっており、右と左にわかれた。
どっちに進むべきか。
すっかり怯えて、円奈の背中にぴったりくっついて歩くスミレは、左に進みたいといった。
人間は、右か左かの直感的な選択を迫れたとき、左を選ぶ傾向がある。
心臓が左にあるからだ。
円奈も左にすすむことに同意して、ゆっくりと廊下を左へ曲がり、前へ進んだ。
ちょうどそのとき、後ろでカツカツという足音がきこえた。
牢獄エリアうろつく牢番の兵だ。
「急いで」
円奈はスミレの手をひっぱって廊下を進み、牢番がやってくるよりも先に、奥の階段を降りて下の階へくだった。
奥の階段をくだるとますます異様な悪臭が強くなった。
それは死体の腐臭よりももっときつい、生理的に嫌悪したくなる強烈な悪臭で、暗闇のむこうから漂ってくる匂いは、何も見えない暗闇の廊下を満たすかのようだった。
円奈とスミレの二人は、ユーカを捜し求めて曲がり廊下の階段をくだり、青白い剣を光源にして、天井の低い牢獄の通路を進み、鉄格子の中を照らしながら、ユーカの姿を探した。
鉄格子のなかには、小さな少女たちがみな裸になって倒れていた。山のように積もれて、気を失って、ぴくりとも動かなかった。
「…この、人たちは…」
目にしているものが信じられないという想いで、円奈は声をだした。ギラン。青白い刃に顔が照らされる。
「魔法少女たち…」
スミレは、悲しそうな顔をして、牢獄の鉄格子にいれられて、動こうともしない裸の少女たちを見て、円奈にそう言った。
「エドワード王に捕われた魔法少女たち……」
「で…でも」
円奈の声は困惑している。いや、恐怖すら入り混じっている。「どうしてみんな動かないの…?気絶している、の…?それても、死んでしまって…」
スミレは顔を俯いて、下をむく。「魔法少女は死なない。ソウルジェムを砕かれないかぎり……」
「砕かれたの…?」
絶望的な円奈の顔が刃の青い光に照らされる。
「ううん。砕かれてない。みんなのソウルジェムの魔力、感じるから…」
スミレの顔は悲しそうだ。
「じゃあ、どうして…」
円奈には、わけがわからない。この顔色に困惑が浮かび、そして、焦燥すら混じり始めた
「どうしてみんな動かないの?牢屋から出ようとしないの…?」
裸の少女たちはみな眠っていた。眠っているというより、死んだように動きがなく、荷物か何かのようにぐったりしたまま、呼吸すらしないで横たわっていた。
それは、人間からみたら、どっからどうみても死んでいるし、実際に死んでいるも同然の状態ではあるのだが、それでもやっぱり、裸の少女たちは生きていた。いきながらに死んでいる、という言い方が最も正しい。
円奈が今見ているのは、いわゆる”脱け殻”たちにすぎない。
本体は別のところに集められている。
それに、悪臭は死体のような腐臭に加え、糞尿の激しい臭気がした。鉄格子の牢屋のなかには、たった一つだけバケツがあり、そこが少女たちの用を足すための便所だった。バケツはすでに汚物で溢れており、尿は地面に垂れ流しだった。
これは、死んでいる少女たちが、つい最近までは生きていたことを意味する。
しかし裸のままこんな牢獄に入れられて、さぞ寒かったのだろう、互いの肌と肌で暖めあうように抱き合っている少女たちもいた。
しかしその肌はいまや死んだ状態のまま放置されて、新鮮さと生気を失って腐食をはじめ、微生物に食われはじめていた。
「こんなのって…あんまりだよ…」
地獄とも呼べるべき光景を目の当たりにした円奈は動けない。
しかしスミレは円奈の先を進み、牢獄を開けると、山のように積もれた少女たちを探りはじめ、そして「ベエール、」「マイアー、」「ヨヤミ、」「ウェリン、」といった、かつての仲間の魔法少女たちを見つけていった。
こうなるとスミレはもういてもたってもいられなかった。
スミレは円奈をつれて別の牢獄に入り、鉄格子をこじあけ、積まれた少女たちの死体をかきわる。
そのうち、見つけた。
「ユーカ…」
スミレの親友、ユーカを、少女たちの死体のなかから見つけた。
茶髪の黄色い瞳をしたユーカは、死体たちのように、気を失って目だけ開き、虚ろなまま、力なくぐったりしていた。
それに、全身が針でさされたように血だらけだった。
たぶん魔女刺しの拷問をかけられていたのだろう。二人が助け出そうとここにくるまでの間に…。
全身を針千本、体に刺され、痛覚を感じないか感じるかの判別を審問官にうけた、手ひどい傷跡…。
ユーカはきっとそれに耐え切れず、ついに魔法少女として痛覚遮断してしまい、魔女認定されてソウルジェムを奪われた…。
そのユーカに残った少女の身体にのこった拷問の痕は、あまりにもひどい。白い肉体の全身が血だらけで、針穴だらけだった。
スミレはユーカを抱き起こす。
脈も止まっているし、呼吸もない。瞳孔はひらかれっぱなしで、光をあてても縮まらない。
これは、人間だったら誰がどう判断しても死んでいる。しかし、魔法少女のスミレは、ユーカが生きていることを確信していた。
ソウルジェムの波動を、感じるからである。
ここから、100ヤードは離れた別の箇所で。
その魔法少女の秘密を知らない鹿目円奈は、スミレがユーカを助けだしたのを見るや、駆け寄ってきて、安堵の息を吐き、ユーカの身体に手をふれた。
まず胸にふれ、脈を確かめた。脈はない。呼吸を確かめた。呼吸もない。
「そんな…」
円奈が動揺した顔をすると、スミレは首を横にふった。「ユーカは生きてる…」
円奈の顔をみあげ、スミレは円奈に告げる。
「ユーカのソウルジェムを探し出さないと…」
「ソ、ソウルジェム?」
気の動転している円奈は、スミレの言いたいことが分からないままでいる。
「どうしてソウルジェム?そんなことよりユーカちゃんを助けなくちゃ!」
といって、裸になったユーカの胸に手をあて、えい、えいと押し、心臓マッサージと人工呼吸すら試みはじめた。
「なにがなんでも───」
円奈はユーカの胸を手でおす。「ユーカちゃんを助け出すんだから…!諦めないもん…!」
ユーカを助け出すために城へ来た。そしてついにユーカ本人を見つけたのだから、円奈はユーカの命を助けるのに懸命になった。
「ちがう、ぢかうの」
スミレは、いくらそんなことしても無駄だ、と円奈に伝えることができない。
「ソウルジェムを探さないとだめなの」
「なに、いってるの、スミレちゃん…!」
しかし円奈はユーカの人命を助けることに躍起になっている。「どうしてソウルジェムなの? ユーカちゃんの命を助けることが先だよ!」
人間の少女である円奈と魔法少女であるスミレの二人はここで会話が噛みあわなくなる。
「ちがうの!」
スミレの声は大きくなりはじめていた。
そして、円奈でさえまだ知らなかった、本当の真実をとうとう告げた。
「ユーカの命は、そっちじゃないの。ソウルジェムなの!!」
「…え?」
胸を手で押していた円奈の手がとまった。ぽかーんと口を開き、唖然としている。
それから、どんなに心臓マッザージしようとも一向に反応を示さないユーカの裸体を見下ろした。
「そうだとも。魔法少女にとって元の身体なんてものは───」
円奈とスミレの二人に、ある声が聞こえてきた。
その声はまるで、誰かが口から発した声、というよりは、脳裏に直接響きかけてくるような、不思議な声だった。
「外付けのハードウェアでしかない。いや、いまの人類に、そんなたとえは伝わらない。”蝋人形”とでも例えようか?」
円奈が声の主を探してきょろきょろ牢獄を見回した。
「鹿目円奈。きみが助けようとしているその身体は脱け殻のほうだ」
白い獣が、牢獄の通路を通り、一歩、また一歩、ひたひたと小さな足音たてて進んできた。
円奈は生まれて初めてその白い妖精の姿をみた。呆然と丸めた瞳に、赤い目をした獣の姿が映る。
「こんにちは。はじめまして。鹿目円奈」
白い獣は円奈の前にくると告げた。
「ボクは契約の使者。少女の魂を抜き取って魔法少女(ソウルジェム)に変える────」
スミレが、悲しそうに目を閉じて苦悩の表情をした。
「”カベナンテル(契約の使者)”だ」
白い獣が人間の言葉を話すこと、その白い獣は、少女の魂を抜き取って魔法少女に変えるという話、あまりにいろいろ不可思議なことが同時に起こったので、円奈はあっけにとられてしまい、そして剣をガタンと手からとりこぼした。
その音は牢獄エリアじゅうに響き渡った。
「少女の魂を抜き取って魔法少女に変える?」
円奈は剣を手から取りこぼしたまま、動揺した顔で、獣が語ったのと同じ台詞を繰り返した。
スミレは寂しげな挙動をみせながら、手に青色の光を放つソウルジェムを乗せた。
まるで、これが私の魂です、とでも言いたいかのように。
「そんな……そんなの、魔法少女じゃないっ!」
あまりのショックに、自分が小さな頃からバリトンの村に居た頃から憧れを抱き続けていた魔法少女の真実の姿に、円奈は狼狽すらしてしまって、何もかもに裏切られた気持ちになりながら、ついに力を失って腰をつき、へたれ込んで、尻をつき、目を覆った。
「私の知ってる魔法少女じゃない!」
円奈の脳裏に、いつも優しかった来栖椎奈の顔が浮かぶ。幼少時代からいつも好きだったあの人。
魂が抜き取られた蝋人形?
私がずっと、好きだった椎奈さまが、ずっと死んだ人だった?魂を抜かれていた?
ぐにゃり、とユーカの死体がやわらかく湾曲した。死体たちの山からこぼれおちて転げたのだ。
人間じゃないように身体が曲がりくねった。
そのユーカの異様な曲がり方をした死体を目撃した円奈が、目に恐怖を浮かべて涙をためる。
「きゃあああっ」
「何者だ!」
円奈が平静さを失って叫ぶと、騒ぎをききつけた警備兵が現れた。
大柄な男は、魔女たちを押し込めた監獄に、少女たちが潜入していることを見つけるや、駆け寄ってきた。
「しっ、しまっ…!」
動揺したまま円奈は剣を手に拾いあげ、すぐにもちあげ、警備兵にふるった。
それは警備兵の振るった大剣に弾かれた。来栖椎奈の魔法の剣は円奈の手をはなれ、どこかの廊下へ弾け飛ぶ。青白く光ったまま地面にころがる。
「侵入者だ!とりおさえろ!」
警備兵は叫び、すると城内の塔で待機していたあらゆる王城の守備兵が、目を覚まし、円奈たちのところに駆け下りはじめてきた。
出口のない牢獄エリアに、つきづぎと階段を降りてやってくる守備隊たち。ぞろぞろぞろと駆けつけてくる。
円奈は弓を手にとりだし、矢を番えようとしたが、その前に大柄な男に手をつかまれ、押し倒され、押さえ込まれた。
「い…いや!」
手から弓がこぼれおちた。
それを取りたくて手を伸ばしても、男に組み伏せられて届かなかった。
スミレが動きだした。
ロープをとりだし、男の反撃にかかるが、そのとき階段をたくさんの守備隊が駆け下りてきた。
はっとスミレが振り返ると。
槍をもったたくさんの守備隊が松明の火を手に駆け下り、スミレに槍をつきつけ、「動くな」と命じた。
本来、気弱な少女であったスミレは、この追い詰められた状況で、脅しに簡単に屈した。
二人は捕らえられた。
ユーカを見つけ出すことはできたが、救い出せなかった。しかも、見つけ出したのはユーカの脱け殻にすぎないものだった。
魔法少女たちは、その正体をよく知るエドワード王によって捕われ、ソウルジェムとは別離されて脱け殻状態となったまま牢獄に放置された。
あの積み上げられた魔法少女たちの死体は、みなすべて、ソウルジェムが無事のまま肉体と魂を別離された脱け殻の山である。
いうなら山積みのゾンビだ。
かつて、プレイアデス星団という魔法少女の集団が、あすなろ市の魔法少女たちを狩り、捕らえ、自分たちが”レイトウコ”と呼ぶ施設に、捕らえた魔法少女の肉体とソウルジェムを別離して、眠り状態のまま封印して保管した。
プレイアデス星団はこれを”ピックジェムス”とか呼んだりしたが、やっていることは魔法少女狩りだった。
エドワード城でも”魔女狩り”と呼んで”魔法少女狩り”が起こり、魔法少女の肉体と魂を別離して牢獄へ集めていた。
しかしエドワード城では、プレイアデス星団のレイトウコのような、魂を失くした魔法少女の肉体を健全に保存する施設もなければ技術もなかった。
何の処置もなく死体の鮮度は保たれず、牢屋に放置されづづける。
とうぜん身体はすぐに腐りはじめる。糞尿は垂れ流しになる。人間たちが魔法少女狩りをした結果、この惨劇は起こった。
鹿目円奈とスミレの二人はエドワード城に起こった悲劇を止めることができなかった。
魔女狩りの牢屋からユーカを助け出すことにも失敗し、二人は守備兵に捕われ、魔女裁判の判決を待つ身となったのである。
697 : 以下、名... - 2015/02/19 00:03:27.13 EIpXTc9O0 2283/3130今日はここまで。
次回、第59話「雌雄」
第59話「雌雄」
451
守備隊に連行された鹿目円奈は審問官の前に引き出された。
罪状は「魔女の疑いがある」ただそれだけだった。
スミレとは別々にされ、円奈一人だけで、審問室に連れていかれた。
扉を通るとそこに一人の審問官が席についていて、顎に手を寄せていた。
円奈は守備隊によって後ろを向かされた。審問官に背をむける形となった。
これは、魔女の疑いのある女を審問するときの形式だった。
目と目で向かい合うのでは、審問官は魔女の目によって、魔法にかけられる可能性がある。
そのため審問官は魔女には後ろをむいてもらって、その背に語りかけるかたちで、審問をする。
これが魔女審問だった。
審問の代表的な方法として、大量の質問を投げかけるという方法があった。
その質問の数は95であり、相手から本心を聞き出すのに必要とされる質問の数、論題の数である。
95の質問を投げかける方式は、魔女審問にも流用されたのだった。
鹿目円奈は、審問官によって名前、出身、年、身分、生涯について、徹底的に質問された。そして答えていくうち、嘘をつこうという意識は希薄になって、考えることも億劫になり、答えることに本当のことを言うようになる。
「なぜ城に忍び込んだのかね?」
審問官は、質素なテーブルにて、顎に手を添えながら、ピンク髪の少女の背中にむかって問いかけた。
少女は審問官に背中を向けたまま、答えた。
「友達を助けたかったからです…」
「その友達とは何者だね?」
審問官は質問に質問を重ねる。
「ユーカちゃんです…お城に捕われてしまったので、助けに…」
「ユーカとは何者だね?」
「友達です…」
円奈は表現を控える。
「その友達とはどう知り合ったのだね?」
審問官は根掘り葉掘り質問する。
「森で…」
「なぜ森で出会ったのかね?」
疑問点が少しでも浮かべば、すぐにそこに質問を投げかける。
「私が森で野宿していたので……そこにユーカちゃんか助け出してくれたんです。そこで友達になりました」
「助け出されたというが、何があったのか」
「魔獣に襲われました」
「魔獣なんてものは存在するものかね?」
「はい。確かに存在します」
「それはお前に何をするのだ?」
「生気を吸い取りにきます。死ぬとろでした。ユーカは助け出してくれました」
「どうやってその魔獣なるものは、生気を吸い取るというのだね?」
「審問官さん、私は魔獣ではありませんので、それは分からないです」
「では質問を変えよう。ユーカという者はどうやってキミを助け出したのか」
「魔法の力をつかって魔獣を倒しました…私は助けられました」
「魔法の力とはなんだね?」
「魔法少女の力です…」
「魔法少女とはなんだね?」
「ユーカちゃんみたいに、魔法少女の姿に変身して、魔獣と戦う人たちのことです…」
「変身とはなんだね?」
「服が変わります。派手になります。少し、変な服になります」
「なぜ変身するのかね?」
「わたしは魔法少女ではありませんので、分かりません、審問官さん」
「では質問を変えよう。キミは魔獣に襲われたというが、どんな姿だ?」
「白い衣をきた、髪の毛のない男の人の姿をしています。背が高いです。顔は呆けています」
「生気を吸われたというが、きみはどんな感じがしたかね?」
「血の気がなくなっていくというか、力が身体にこもらなくなるというか、身体がいうことをきかなくなります」
「なす術なかったのか」
「はい」
「キミは、ユーカなる魔法少女が、どうやって白い衣をきた、髪の毛のない、顔の呆けた魔獣を倒したのかみたのかね?」
「みませんでした…」
「倒し方は分からないというのかね?」
「いえ。わかります」
「いってみよ」
「魔法少女の姿に変身した人たちが、魔法の力をつかって、魔獣を杖で叩いたりして、倒します」
「杖で叩くなら私にもできることだが」
「魔法の杖じゃないとだめなんです。でないと倒せません」
「その魔法の杖はどんな力があるというのか」
「私にはわかりません。ただ、魔法少女の使う杖なんです」
「それは人間の手には扱えないものなのか」
「たぶん、そうです…」
「きみはなぜ魔法少女なる存在がいるのか知るのかね?」
「たぶん、魔獣と戦うため、だと思います」
「魔獣と戦うだけなら、エドワード軍にだってできることだ。なぜ魔法少女なのだね?」
「審問官さま、人の軍隊では闘えません。魔法少女ではないと…」
「それはどうしてだ?」
「わかりません。私も魔獣に抵抗したことがありますが、私の矢は魔獣に効かなくて…」
「キミは、人間の知らない魔獣と、人間の知らない魔法少女が、いつもいつも人間の知らないところで戦っているとでもいうつもりかね?」
「そう、です…事実、私のみてきたのではそうでした」
「それは不思議な話だ。魔獣は人間の目に見えないものだとも言うつもりなのか」
「そうかもしれません。私には見えましたが、見えない人間も多くいるかもしれません…」
「どうして人間の目には見えないのだ?」
「わかりません。ただ、魔獣は結界というものをつくります。この中に入り込むと、人は生きて出れないとか…そういう話が…」
「結界とはなんだね?」
「魔獣のつくる、世界みたいなものです。現実の空間とは別に…」
「世界をつくる?現実の空間とは別?」
審問官の顔は妙な表情を浮かべた。眉をひそめ、渋い顔をし、苦い虫でも噛んだような顔をする。
あたかも気狂い女を相手にしているかのような様相だった。
「話がさっぱりみえん。世界をつくるとはなんだ?現実の空間とは別?正気でそれを語っているのか」
「はい…審問官さん、私の目で見てきたものですから」
円奈は背をむけたまま、しゅんとした顔になりながら答えた。
「そんなことを語られても困るな……我々人類は、それよりか遥かに納得できる説明を文献のなかにもっている」
といって、審問官は、古びた羊皮紙の埃だらけな本をとりだした。
その本の中身を読み始めた。
「人間の生気は悪魔が奪う。悪魔は現世に現れ、人間の女と契約を結ぶ。人間の女は魔女となる。魔女は人間の都市に紛れ込んで暮らすが、夜間になると箒にまたがって煙突をとおって空を飛び、悪魔の集会”サバトの集会”に出かける」
「それは、私の見てきた真実とはちがい、ます…」
円奈は自信を失いはじめていた。
「魔獣なんてものが発生し、世界をつくり、現実とは別の結界をつくりだすなんて内容の文献は、どこにも探しだせん。人間が行方不明になるのは、魔女がサバトの集会に連れ去ったからで、魔獣の結界にさらわれたからではなかろう。きみはサバトの集会に出かけたことは?」
「あっ、ありません」
すぐに円奈は答えて、否定した。
「悪魔と契約した魔女が人を喰らう史料は文献にのこされていても、悪魔の姿が、白い衣を着た髪の毛のない、顔の呆けた背の高い男だと記述する文献などどこにもない!」
審問官は苛立って叫んだ。バンと本をテーブルに叩きつける。
円奈はびくっと背中を震えさせた。
「きみはジャンヌ・ダルクが一生懸命魔獣と戦っていたとでもいうつもりかね?」
「…」
「その魔獣なる存在に、常に脅かされながら、人類は今の今まで気づきもしなかったとでも言うつもりかね?」
「…」
円奈は何も答えられない。
「もちろん人類は気づいていた。人類を脅かすのは魔女だと……悪魔と契約した魔女だと。過去は今の我々にそう教えてくれている」
「……」
もう円奈は何もいわなかった。
魔女ではない、人類に悪さをしているのは、魔獣だ、という円奈の主張は、この審問官には、まったくもって通用しないのだった。
「キミを開放しよう。鹿目円奈」
審問官は静かに告げ、そして円奈に審問の判決をくだした。
その言葉は、円奈にわずかばかりかの希望をもたせた。
しかし円奈は判断を誤った。この狂気の魔女狩りの支配下で、魔女の疑いを一度でもかけられた者は、どんな希望ももってはいけないと……その現実を甘くみた。
「この世からの開放だ」
それは、お前の魂を焼いてこの世から開放してやる、という審問官の判決だった。
452
鹿目円奈とスミレの二人とも、王都の城下町の城壁に立てられた十字架に鎖で磔にされ、火あぶりの刑が施行されるのを待つのみとなっていた。
すでに審問官たちはてきぱきと十字架の足元に、薪を置き並べている。
その薪の数は多く、容赦がない。ここに火をつけられようものなら、火は円奈とスミレの服に燃え移って、やがて少女たちを焼くだろう。
「うう…」
円奈は十字架に磔となって、自分の体重で痛む肩と手をゆり動かしてもがいていた。鎖はゆるまない。
そして自分たちが十字架の晒しに架けられ、城下町じゅうの人が、魔女め魔女めと罵って、円奈とスミレの二人の火あぶりを心から期待している罵倒の嵐をたてる様子を見下ろしていた。
火あぶりにしろ、火あぶりにしろ────、やまない、市民たちの狂気。声。処刑広場を埋め尽くす。
十字架に貼りつけられると、城下町の人たちがよくみよ見渡せた。高い位置に縛り付けられているからだ。
そして、自分の死がいよいよ近いことを実感していた。
審問官たちが松明の火をもってくる。
これを、足元に積まれた薪に落とされれば、円奈は火によって焼かれて死ぬだろう。
そしてそれはもう逃れられようのない運命のように感じられた。
「うう…」
円奈は顔を垂れて、力なく下に俯いて涙声をだした。
「椎奈さま……ごめんなさい…」
悲しい声をしぼりだして、誓いを立てた魔法少女の人の姿を思い出し、そして、謝った。
心から謝った。
「私……聖地に辿り着けなくて……ごめんなさい……誓いを果たせなくて……ごめんなさい…」
そして円奈は心で思った。
これは……罰なんだ……と。
きっと私は、いつも自分を守ってくれた椎奈さまが、魂を脱け殻だったと知って、どこか心のなかで気味悪くおもってしまったから……自分は人間でよかったなんて、思ってしまったから……
バチが……あたっちゃったんだ…。
脳裏に魔女の笑い声みたいなものが聞こえた。おまえは最低の人間だ。あれだけ魔法少女に憧れておいて、魔法少女に守られておいて、いざその正体を知ると軽蔑するのか。おまえなど、焼かれてしまえばいい。
審問官たちは少女の声を無視した。
そしていよいよ処刑の準備が整った。
ダダダダダダ…
と、城の音楽隊たちが整列しながら小太鼓をならし、魔女の処刑が今から始まることを告げる音楽を、城下町の民に知らしめるために演奏した。
いちど逃がした魔女たちが捕まった。
それに狂喜する城下町の人々は、いっせいに喚声をあげ、歓喜だって、磔になった円奈とスミレの二人をますます激しく罵りだす。それは群集の罵声となる。
魔女め、焼かれてしまえ。化け物め、人の世に悪さする悪魔め、懲らしめてしまえ。
魔女裁判が始まって以来の大掛かりな魔女の火あぶりに、ついにエドワード王が姿を現した。
天守閣に君臨する王が、第二城壁区域のあたりにまでくだってくると、城下町の民の前に顔をだし、城のバルコニーから乗り出して、魔女の火あぶりを見物しにきた。
「エドワード王万歳!」
いっせいに人々は頭を伏せ、膝たちになって、唱えた。「エドワード王万歳!」
赤い毛皮のマントに、頭には金色の冠、手には王笏をもって民の前に姿を現したエドワード王は、その目で歓喜だつ民を見下ろし、地表150メートルのバルコニーから、城下町の全体にむかって告げた。
「地上の魔女を全て火あぶりにせよ!」
おおおおおおっ。
数万人がひしめく城下町の全体が沸きだった。それは大歓声であり、喜びの声だった。
十字架に磔になった円奈は、この身が焼かれるその最期に、宿敵エドワード王の姿を一目でもみようと振り返ろうとした。
しかし十字架に縛り付けられた体は身動きとれず、首だけ動かしても、城のバルコニーに現れたエドワード王を眺めることはできなかった。
そして自分が生き延びることは諦め、いやむしろ、自分なんて生きる資格さえないと思ってしまって───。
火あぶりによって焼き殺されるのを待った。
「教えてやろう。魔女を滅ぼせば必ず人類は栄光を得る!」
王は城のバルコニーから叫ぶ。高々と宣言する。王笏を持った手をゆり動かし、力強く、声をあげる。
「魔法少女なる存在に情をかけるな。地上から滅ぼし尽かさねばならない!」
わああああっ。
城下町じゅうの人々は王の演説に応じて雄たけびをあげ、わめき声をごぞってたてた。
「そうだ、そうだ、化け物どもは、人間の世界から駆逐しろ!」
城下町の人々は興奮に紛れて騒ぎ出す。
「あいつらは人間じゃない。人間じゃないくせして、人間の町に暮らしている。全員追い払え!火あぶりだ!」
その狂喜と怒りのようなものの矛先は、もちろん、いま十字架に磔になっている円奈とスミレの二人にむけられる。
「火あぶりだ!火あぶりだ!」
「怪物は追い払え!」
円奈とスミレの二人は、なすすべなく罵り声をあげる城下町の人々を磔のまま見下ろしていた。
スミレはただ涙ぐむだけで、目から溢れでてくる恐怖の涙を、不自由な体で必死に堪えているにすぎなかった。
殺気だつ城下町の数万人の民のなかに、魔法少女の正体を隠し続けて魔女火刑の町を生き残ったクリフィルやオデッサ、アナン、アドラーなどもいた。
しかしその魔法少女たちは、この光景をみながら、絶望的な気持ちでいた。
「まるで悪夢をみているようだ…」
クリフィルは思わず、弱音を漏らした。
過去に、魔法少女の正体のすべてが暴かれて、人々の目に晒されながら火刑になる。
そんな魔法少女たちがいただろうか。もしいたとしたら、世界で最も不幸な魔法少女だ。
しかし城のバルコニーに現れた王は宣告する。城の手すりにてをかけ、赤い毛皮マントを風にはためかせ、民へ宣告する。
「魔女はこの町にだれ一人生かしておけぬ!」
おおおおおっ。
その力強い宣言は、城下町の人々を勇気づけ、そして沸き立たせ、どよめかせた。
彼らはますます魔女への憎悪を高めた。
「一人残らず魂を滅ぼしつくす!」
わああああああああっ。
数万人の民は喚声をあげつづけた。手をあげ、音楽隊のふきならしたトランペットの奏でるメロディーにあわせて、ぴょんぴょんその場で跳ねて踊りだす。
自分たちの町から魔女が駆逐されるのが嬉しくてしょうがないのだ。
「この王都がある限り魔女の殲滅は続行されるだろう!」
王は演説をつづけた。
「情けの片鱗もない!」
おおおおおっ。
王が何かいうたび、騒ぎたつ民。騒ぎたたないのは、城下町の恐怖に紛れて正体を隠しつづけて生き残った、30人程度の魔法少女たちのみ。
70人以上が王城の牢獄に拉致されたか、火あぶりとなって魂ごと消えた。
「その見せしめとして───」
エドワード王は力づよい声で告げた。
「今日も魔女が滅ぼされる!」
わあああああああっ。
城下町の数万人は浮き足立って喜んだ。
やつら魔女さえいなくなれば、自分たちの生活に安堵は戻る。そう信じていたのである。
ふたたび音楽隊の小太鼓がダダダダダと音を鳴らす。
城下町の民の興奮が高まる。
審問官たちがいよいよ松明の火をもって円奈たちの薪に近寄ってきた。
「あ…ああ…」
円奈は恐怖に駆られて、おもわず懇願するような声をしぼりだした。
私なんて生きる資格さえないと思ったのに、いざ薪に火がつけられそうになると命乞い。
自分のことが、あまりにも嫌な人間に思えた。
そして命乞いは審問官に通用するはずもなかった。
そして、いよいよ、ついに。
音楽隊の小太鼓の奏でる盛り上がる音楽がやむのと同時に。
松明の火が積まれた薪に投げ込まれた。
十字架に縛られた円奈とスミレ、二人の積み上げられた薪に同時に火がつく。赤々と燃え始める。めらめらと。
どおおおおっ。
はじまった魔女の処刑に、城下町の民はいっせいに歓声をあげ、この公開処刑を食い入るように見つめはじめた。
円奈にとってそれは、恐怖のカウントダウン。
いつ足元に火が伝わってくるか分からない。しかし時間の問題であり、遅かれ早かれ火は足元に到達する。
薪の炎となって。
薪に燃え移った松明の火は地道に少しずつ、火を広めた。その上に立たされた少女を襲う絶望は大きかった。
ぼうぼうと火は勢いを強め、ぶ厚い煙をあげはじめた。バチバチという音は大きくなり、薪は薪へと火を伝えていって、円奈の足元に熱が伝わりはじめた。
「あ…ああ…あ」
円奈は恐怖の顔を浮かべる。目を見開く。
足は審問官たちによって裸足にされていた。その足裏に、徐々に燃え広がる炎の熱が容赦なく伝わってじわじわと暖まってきた。
秒読みで火あぶりの刑は始まった。
スミレのほうもほぼ同時進行で火の手が燃え盛りはじめてた。十字架に縛られたスミレの足元に火が伝わりはじめている。
もくもくとあがってくる煙は濃くなり、円奈の視界を封じはじめた。その煙は目に入ると強く染みて、円奈は目に痛みを感じて瞼をぎゅっと強く閉じた。
息を吸おうとしたら、煙が肺に入り込んで、円奈は激しくむせた。むせて、喘ぎながら呼吸を求めると、さらにむせた。呼吸に喘げば喘ぐぼと濃い煙が容赦なく喉を塞いで、息を吸えなくなった。
「あう……けほ…けほうっ!」
昔の時代では、一酸化炭素と呼ばれていた、もくもくとした黒い煙は円奈の顔を覆った。
そして少女は十字架に縛られて、なす術なく立ち昇る火煙のなかで呼吸に喘いだ。
「ごほっ…うう…けほっ…けほっ…ごっ…!」
そして煙によって喉をふさがれていると、ついにその瞬間がきた。
「あ…あああああっ!」
むせる声は叫びにかわった。火が足の裏に到達し、焼き始めた。
はじまりは突然に、はじまると休む間なく。
猛火の痛みが走った。
燃え上がる火が円奈の足裏を焼き、ごうごうと焦がし、チュニックの服に燃えうつりはじめた。
「ああああ…ああうううあ…!!きゃああああ!」
円奈は泣いた。
あまりの痛みに泣いた。泣くしかなかった。いまや両足に火がつき、服を燃やしている。その灼熱は耐え難く、息もできず視界も塞がれて、発狂も寸前の苦痛だった。
453
城下町の側から見下ろすと、ピンク髪の少女が火に包まれ始めているところだった。
議会長の娘ティリーナは、痛ましすぎるこの光景を見て目に涙をため、どうか円奈が命をとりとめてくれるようにと祈るしかなかった。
隣にいる皮なめし職人の娘アルベルティーネ、石工屋の娘キルステンの二人も、目に涙を溜めて火刑を見上げていた。
ああ、自分は円奈を守ると約束したのに。
自分の友達なら絶対に守ると約束したのに。
自分の無力さを思い知らされてしまったティリーナだった。
できることは、ただ円奈が無事でいられますようにと祈るだけ。そしてその祈りがどうしようもなく無駄であることは、火をみるより明らかだった。
円奈の叫び声が耳にあまりにも痛い。
そして、無力さと不甲斐なさに打ちひしがれ、頬に涙を流してしまったティリーナの横で。
黒い髪に黒い毛皮を肩に纏い、赤い目の、コウモリのような目をした少女が、城下町の人々にまぎれて行動を開始していた。
「たすけて、おねがい────」
ティリーナの横では皮なめし職人の娘アルベルティーネが、その想いを胸に秘めず、声にだして、大声で天にむかって叫んでいた。
「神様、円奈ちゃんを助けて!おねがい────!」
大声は城下町に轟く。
その声は、天に届いた。
奇跡か、魔法か。
天はぽつぽつと雨を降らしはじめた。
王都を覆う暗雲は黒さを増し、濃くなり、ぱらぱらと水滴を注ぎはじめ、はじまりだすと豪雨となった。
その風雨は全てを水びたしにするほど激しく、雨粒はとてつもなく大降りだった。
すべての視界が塞がれるほど激しい大雨は、ざーっと地面を水滴が叩き、とびはね、屋根を叩いた。
雨はまたたく間に十字架で処刑される二人の火を消した。薪は湿ってしまい、火がつかなくなった。
円奈の体についた火は消え、スミレを襲う火も雨によって消された。雨粒と共に吹き付ける強風が、火をきれいにかき消した。
審問官たちは慌て、王の不機嫌な顔に睨みつけられながら、円奈とスミレの薪にまた火をつけようとする。
しかし、薪は雨に打たれて完全に湿りきっていて、火がつかない。いくら松明の火をあてても無駄だった。
黒い煙は雨のなかを昇り、消えた。
「切り殺せ!」
火あぶりが不可能だと悟った王は、早くも別の指示を審問官たちに下していた。
「魔女ともを刻め!」
454
「───契約は成立だ」
激しく雨が降りしきる城下町の街角の裏、樽の置かれた狭い裏路地で、一人の少女が白い獣と話していた。
「きみの祈りは確かに遂げられた」
ハーフティンバー建築の路地にて、少女は服を雨でどしゃぶりにさせながら、手元のソウルジェムを───生まれたばかりのソウルジェムをもちながら、白い獣に訪ねた。
「円奈ちゃんたちは助かった?」
「もちろんだとも、ならその目で確かめるといい」
カベナンテルは樽の上に腰掛けて少女と話していた。
「さあ、漆喰職人の娘、チヨリよ。その新たな力を解き放てよ」
「───うん」
漆喰職人の娘チヨリは、円奈たちが火あぶりの刑に瀕しているのを見て、何をしてもいいから二人を助けたい、と心からおもった。
そこに白い獣が現れた。
チヨリは、「あの二人の火を消して」と願った。
奇跡は叶えられた。
いまや大雨は激しさを増し、嵐のようになった。風は強まり、びゅうびゅうと雨風を吹かせた。
審問官たちの持つ松明の火は消されてしまい、魔女の処刑は混乱に陥った。
チヨリは自分の願いが叶ったのをその目で見届けた。
ティリーナは心の中で祈り、アルベルティーネは神にむかって叫んで祈り、チヨリは白い獣カベナンテルに契約して祈った。
この大雨は、チヨリという新生の魔法少女のもたらした奇跡なのか。それとも本当に神の降らした天の雨なのか。
分からない。
「これが、魔法少女の力…」
十字架に架けられた二人を襲う火は確かに消え、二人は命をとりとめている。
しかし、それで終わりではない。
あの二人を十字架から、魔女刑から、助け出さねば。
チヨリはソウルジェムの力を解き放ち、全ての覚悟────つまり、魔法少女狩りに徹底抗戦する覚悟───を決めて、魔法少女の姿に変身していく。
体が赤茶色に煌いて、茶色のドレスが現れた。可愛らしい丈の身近な、エプロンつきのフリフリしたスカートのワンピースだ。エプロンは後ろで大きなリボン結びにする。腰にはコルセット。その頭は赤色の頭巾をかぶり、両肩と背に垂らした。
それは、まるで赤ずきんちゃんの物語に出てくる主人公の少女のようだった。
赤頭巾の変身姿になったチヨリは、その赤茶色の目をきっと見開いて、手に大きな斧を持った。
大雨の嵐のなかを進み、審問官と、そして城下町の人々に対して、この大雨のなか、叫んだ。
「その二人は魔女なんかじゃない!」
審問官と、処刑場を埋め尽くした城下町の人々が、チヨリの方向をみた。
そこには、明らかに普通の格好じゃない赤頭巾の少女が、立っていた。
「円奈とスミレを放して!」
「チヨリ…」
ティリーナとアルベルティーネ、キルステンは、友達のチヨリが、魔法少女の姿になっているのを見つけて、はっと息を飲み込む。
「ううん。その二人だけじゃない」
チヨリは、大雨の降る城下町で、全ての人を敵にまわしながら、宣言する。
「もし、私たち”魔法少女”を───」
この魔女狩りという狂気が起こっている城下町のど真ん中で、魔法少女、とチヨリは自ら名乗り出る。
「魔女に貶めようとみんながするのなら───」
嵐のなか、雷が落ちた。
びかっと青白く、大雨のなか城下町が光り、閃光が迸った。その光りはチヨリの覚悟の顔を照らした。
「私は、あなたたちと戦う!魔法少女として戦う!」
といって、城下町の人々に、斧をみせつけたのである。大きな斧の刃の先を。
「魔法少女は、魔女じゃない。魔法少女は魔法少女だ!」
その、当たり前なこと。
いや、正確には、鹿目まどかが再編したこの宇宙では当たり前なことを。
人類の前で、チヨリは堂々と宣言したのである。
この世界では、魔法少女は魔女にならない。
魔法少女は魔法少女として、円環の理に導かれて消え去る。
しかし人間は改変された宇宙でも、魔法少女に対する冷徹さを持った。
人間じゃない、ただそれだけで、化け物扱いし、人類はかくも残酷な魔法少女狩りを繰り返し望んだ。
魔女裁判というやり方で。
チヨリは抗議する。
チヨリは決意する。
「もしこれからもこんなことを続けるのなら───」
その瞳に覚悟が湛えられていて、最期まで戦う意志は、すでにこの新生魔法少女のなかにある。
「私は戦う。正体を隠すつもりも逃げるつもりもない。ただあなたたちと、戦う!」
その堂々たる宣言は、城下町の人々の中に紛れて、正体を隠し、魔法少女としての使命を忘れて魔獣と戦うのも怠っていた魔法少女たちの心を動かし始める。
クリフィルやオデッサ、アナン、アドラー…。
かつてユーカに、「本当の気持ちと向き合えるのか」と問いただされた魔法少女たちは、またも、同じことを問いかけられているかのようだった。
もし今、「本当の気持ちと向き合える」のなら。
魔法少女として、いま、どんな行動をするだろうか。
これからも正体を隠しつづけ、この残忍な人間社会のなかで忍んで生きていくのだろうか。
それが本当の気持ちだろうか。
人々を呆然とさせたチヨリの宣言は、やがて騒然とした城下町じゅうを巻き込んだ波乱となりはじめた。
「魔女だ!」
城下町の人々は叫びはじめる。「魔女だ、魔女だ、また現れた!」
「捕らえろ!」
審問官の誰かが叫んだ。
大雨が降り、視界が塞がれるなか、城下町の兵士たちは雨粒にずぶ濡れになりながら剣を抜き、チヨリにせまってきた。
「てええい!」
兵士の一人が剣をもちあげ、チヨリめがけて斬りかかってきた。
チヨリはそれをよけた。
かろやかな足取りで、兵士の傍らへ回り込み、背後をとり、自分の武器である斧を大きくもちげる。すると……
ズドッ
チヨリは斧を強く振り落とした。兵士の背中に斧が食い込み、血が飛び散った。
「う…」
兵士は背中を裂かれて地面にうつ伏せになって倒れた。その手から剣が落ちた。
水びだしの石畳の地面に、背中から流れる血がこぼれて、雨水に混じった。地面をぬらす雨水は赤色になって広まった。
「うわあああ!」
「人が殺された!」
処刑場に混んだ城下町の人々は騒乱状態となって、ちりぢりに逃げ始めた。
「魔女め!」
別の兵士が剣を抜いて近づいてきた。
チヨリに切ってかかろうとする。
チヨリは斧をふるい、すばやく兵士の顔を切った。斧は兵士の顔を裂き、砕けた骨と肉が空気中に飛び散った。
黄色い脂肪が、崩れた兵士の顔から垂れた。
兵士は尻餅ついて倒れ、痛む顔を懸命に押さえつけて蹲った。
顔から流れ落ちるその血も、やはり地面をぬらす雨水に紛れて赤くひろがった。石敷きの広場に。
一人の魔法少女によって、二人の人間が殺された。
この恐るべき事件は、しかし、この後の本当の大決戦の幕開けとなる。
まだ、ほんの発端でしかないのだ。
「その女の言う通りだぜ!王都の魔法少女さんたちよお!」
新たな声がして、はっと城下町の民の数万人が、はっと顔をあげ、いっせいに声のした方向へ向いた。
そこには変身した魔法少女が、大きな弓を持って城下町を囲う市壁の上に立っていた。
大雨の風に吹かれている。その紫色のスカートは、強風にふかれて大きくなびいていた。
「魔法少女は魔法少女だ。魔女じゃない。そうだろ!」
見知らぬ魔法少女だった。
その、紫色の衣装をきた魔法少女は、大きな弓に魔法の矢を番えると、狙いを定め。
いきなり、城下町の内部むけて放った。
その閃光を放つ矢は、風雨のなか飛び、円奈たちの磔にされた城壁に突っ立っている審問官に直撃すると、爆発した。
審問官の体は爆発した。血と肉と、なにより物凄い量の脂肪が、あちこちに飛び散って、壁、床、家々の窓にこびれついた。
きゃああああ。
城下町の女たちが叫び声をあげる。
「おいおいなにびびってんだ、え!」
魔法の矢を放った魔法少女は、大きな声で、城下町へ呼びかけた。
「いまあたいのしたことが、まさに審問官が魔法少女たちにしてたことじゃねえか。火あぶりにして、殺してきた。まんま同じことを仕返してやったぜ!」
といって、二本目の矢を弓に番えた。
紫色の閃光を放ちながら魔法の矢がまた飛んできた。
城下町の人々は逃げ惑った。
その頭上を通り過ぎてゆき、紫色に光る魔法の矢は、生き残った別の審問官へ一直線に飛ぶ。
審問官は、うわああっと恐怖の声をあげて、その場から逃げた。
魔法の矢は審問官の立っていた地面を叩き、ドカンと爆発を起し、炎上した。
逃げ遅れていたら、肉片になっていただろう。
城のバルコニーに立った王は怒りを爆発させ、審問官たちに怒鳴り散らした。
「なにしてる!魔女どもを全員殺せ。滅ぼし尽くせ!みよ!魔女どもが人間に与える害を。それは致命的で、おぞましきことだ。殺せ、みな殺せ!」
「あーあ、口を開けば殺せ殺せの一点張りな王様だな!」
魔法の弓を構えた紫色の衣装の魔法少女は、ははと笑った。
「智邪暴虐の、呆れた王だ!生かしておけん!」
審問官たちは、手に剣をとり、これの使い方には兵士たちほど慣れてはいないのだが────王に命令された通り、スミレと円奈の二人を切って殺そうとした。
するとその審問官たちの前に、すっと黒い髪に黒い獣皮を肩に垂らして、黒いフードをかぶった、赤い目をコウモリのように光らせた少女が、立ち塞がった。
新たな魔法少女の登場だ。いや、実はこの魔法少女と円奈は、何度も出会っている。
その魔法少女の手には大剣、つまり斬馬刀が握られていて、まっすぐ審問官たちにむけられている。
審問官たちは後ずさった。
しかしコウモリ女は容赦しなかった。
審問官たちに距離をつめてゆき、不慣れな審問官たちの剣裁きをとっとと弾き返してしまい、そして剣を伸ばして審問官たちの体を貫き、殺した。
「うう…うぶ」
審問官たちは、口から血を流して死ぬ。その腹に剣を容赦なく差し込まれた。
「いいざまだ!」
市壁にたった、紫の弓の魔法少女は、けたましく声をあげた。
「みろ!魔法少女を魔女にしたて、火あぶりにしてきた審問官が、魔法少女の手にかかって倒されたぞ! 清々するじゃないか!」
この展開に、ついていけないクリフィルやオデッサ、アナンにアドラーは。
目を瞠っているだけ。
騒乱となる城下町の人々のなかに紛れて、目を白黒させているだけだ。
455
鹿目円奈は、火に足を焼かれたが、命はとりとめていた。
といっても、煙を大量に吸ってしまったので、その意識はほぼ失われ、朦朧としていた。
頭に酸素がいかない状況だった。
それにひどい火傷だった。
足は焼け、服は爛れた。
十字架に縛られつづけている自分の体重が、肩にかかり、負担がのしかかる。
「うう…うう」
円奈は意識が朦朧として、頭がぐるぐる回っているなか、苦しい喘ぎを声にもらしていた。「…ううう」
すると、急に体が楽になった。
誰かが円奈の鎖を解き、優しく抱きかかえ、下に降ろしたのである。
円奈はピンク色の瞳を半開きにしたまま、朦朧としながら、自分を助け出した何者かの顔をみあげた。
小さな少女だった。
ふさふさした灰色の髪に、金色の瞳。
可愛らしくて幼い女の子は、円奈の意識を失いつつある顔を心配そうにのぞきこんでいる。
円奈はその少女によって膝枕にされて、優しく、守られていた。
驚いたことに、その少女とは久しい再会だった。
円奈はこの灰色のふさふさした髪と金色の目をした魔法少女を知っていた。
でも、まさか再会するとは思ってもみなかった。
「あの時は助けてくれてありがとう」
と、灰色の髪と、金色の瞳の少女は、優しく言った。
「今度は、私が助けるね」
「あなた……は……あのときの……」
意識を失いかけた状態で円奈はゆっくりと口を開く。
灰色の髪と金色の目をした魔法少女は、円奈が自分を覚えていてくれたことを知って、ニコリと嬉しそうに微笑んだ。
円奈はこの魔法少女との初めての出会いを思い出す。そのときの光景が脳裏に浮かんできた。
ロビン・フッド団は木柱を一本突きたてて、その棒に魔法少女をロープでぐるぐる巻きにして逃げられなくした。
彼らのうち10人ほどがすでに弓矢の弦を引いて、いつでも矢を放てるようにしている。
コウだけが、弓矢を背中に取り付けたままで魔法少女の前にしゃがんで座る。
ぐるぐるに縛られた、まだ戦闘経験もない魔法少女の怯えた目が、矢を構えたロビン・フッド団を見つめる。
「魔法の変身しようとすれば殺す」
と、リーダー・コウが、まず、しゃがんだままで縛られた魔法少女に告げた。
魔法少女がびくっと反応して、怯えに震えながらコウを見た。
捕われの魔法少女は、灰色ががったふさふさの髪を肩から背中にかけてまで伸ばしていて、金色の瞳をしていた。
もし城主がいるならば、気にいられそうなお嬢様な子。
「お前の仲間たちはどこにいる」
リーダーはそうとだけ質問し、じっと捕われの魔法少女の目を見た。
「…」
魔法少女は何も喋らない。ただ怯えと、しかし仲間は売らないという抵抗の意志が、目に入り混じっている。
「お前たちの仲間はどこにいる」
灰髪の魔法少女は少しだけ身じろいだ。
じりじりと縄の音がするだけで、身体は動かない。
縄に捕われながら顔を歪ませて苦しそうな表情をして、もがく。だが、魔法少女は何も答えなかった。
「どうしてこんなことを?」
円奈が尋ねた。
「こいつにはまだ仲間がいる。どっかに逃げたはずだ。逃がせば明日の晩に復讐してくるぞ」
コウは背中の弓を取り出す。
「その前に俺たちが全部倒す」
矢筒から一本矢を取り出し、弓に当てて魔法少女に向ける。
「お前の仲間たちはどこにいる」
矢の弦がゆっくりと引き絞られ、ギギギと音がなる。
魔法少女がまたちょっと怯えて、ロープに巻かれた体をよじらせる。
「…」
それでも、魔法少女は無言だった。あくまで無言を守る口だ。
「魔法使いとがまん比べする日がくるなんてな」
コウはそういい、矢の狙いをよく定めた。
そして魔法少女のどこに当てようか悩んだあとで、決めて矢を放った。
矢は魔法少女の手に当たり、甲を貫いた。
「ううう…───ッ!」
途端に、魔法少女が苦痛に顔をしかめる。目をぎゅっと閉じて、苦痛に耐える。
矢の貫通した手から血が滴り落ちる。
「お前の仲間たちはどこだ?」
コウはもう二本目の矢を弓に番えている。そして問いつめ、また矢を魔法少女に向けた。
「お兄ちゃん、やめて、死んじゃうよ!」
妹の渚が兄にしがみついて、やめさせようとする。妹に揺さぶられて、弓矢の狙いがズレた。
「死にやしないさ」
兄は冷たくいって、また矢の狙いを定める。今度の狙いは……目。
「…」
魔法少女が怯えて、今にも飛んできそうな矢じりの先端を凝視する。
「やめて!もうやめて!」
今にも矢を撃ちそうになったコウの矢を、円奈が手でやめさせた。
手で制止されて、矢が下を向く。すると弦から放たれた矢がビュ!!と音を鳴らして、地面に深々と突き刺さった。
その音だけでも灰髪の魔法少女がびくって肩をあげて、目を閉ざした。
地面に刺さった矢は矢羽を揺らしている。
「この子に約束させればそれでいいでしょ?」
円奈はコウに頼み込んだ。「”もう人間たちを襲わない”って」
縛られた魔法少女が目をあげて円奈を見た。
「そんな約束できるか」
コウはすぐ突っぱねた。「俺たちの家族を人質にした連中なんだぞ!」
「魔法少女と人の間にだって約束は結べる」
円奈はコウを見てそう言い返し、次に魔法少女も見た。「そうでしょ?」
魔法少女がむすっと、円奈から目をそむける。
「約束する気ないみたいだぞ」
コウがその魔法少女の様子をみかねて、言った。弓矢にまた手をかける。
二人の激しい言い争いを見守っていた少年は、しかし、ふと円奈が、魔法少女の縛る木柱の後ろに立つと、剣でバっと切り裂いてしまうのを見た。
はらりと縄の束が落ち、自由になる魔法少女。
・・・
「なら、私が約束をたてる」
円奈がいい、唖然としているロビン・フッド団が見守るなかで、自由になった魔法少女の前に立った。
目を丸めて驚いた様子の魔法少女の顔をみつめて、円奈が話す。
「交換条件ね。あなたを自由にする。あなたは、この子たちと───」
円奈は、手を伸ばしてロビン・フッド団の少年たちを示した。それから、城内に捕われていた捕虜たちと再会して喜んでいるファラス地方の民衆たちも指で差した。
「あの人たちに襲い掛からないことを約束できる?」
驚いた様子の魔法少女は言葉も何もいえないまま、しばし円奈を見ていたが。
「…!」
急に走り出すや。
ヒュイ!
指に口をあて、口笛をふくと。
一匹の白馬が魔法少女のもとに走ってきた。納屋に飼われていた馬だ。
「おい、どこにいく、まて!」
馬を食い物にしようとしていたファラス地方の農民が馬を追いかけて走る。
だか馬はまっすぐ主のもとへ走る。当然、人間の足が追いつけるはずもなく…。
灰色の髪をした魔法少女はすばやく馬に乗り込んで。
それが彼女の魔力なのか、ふわりと髪を浮かせると。
「ハノンレ」
とだけ一言、円奈の顔を見て告げて、馬を走らせて逃げ去ってしまった。
「てっきり私のことが嫌いなのかなって…」
円奈は、あのとき馬でとっとと逃げ去ったことを思い出して、笑った。
すると灰髪の魔法少女は、その金色の瞳を瞑るとかぶりを横に振り、優しく言った。
「あなたは私の命を助けてくれたひと」
母が子を看病するみたいに、円奈を優しく抱きかかえた。
城下町の広場ではチヨリが人間の兵士を相手に戦いつづけていた。
そしてそれは魔法少女にとって最も恐ろしく、手ごわい敵であるといえた。人間の残酷さと凶暴性、卑劣さは、もうまざまざ、この城下町で見せられている。
しかしそれでも魔女処刑の恐怖に屈せず、人間たちの悪意に屈せず。
チヨリは、魔法少女として、人間たちに戦いを挑んだのである。
「いいぞ!そこの魔法少女!」
すると市壁にたった魔法の弓をもった少女が、チヨリのことを応援した。
「正体かくしてびびっちまってる他の魔法少女連中より、よっぽど勇敢だ。そうだよ、あたいらは魔法少女なんだから、正体かくさず堂々してればいいんだよ!」
その言葉は、再びまた、正体を隠して生き延びていたクリフィル、オデッサ、アドラーたちの胸を打つ。
チヨリは、人間兵士の剣をかわし、斧をふりあげて、兵士の胸をうった。
血が飛び散り、兵士はまた一人、殺された。バシャアっと雨水に濡れた街の地面に倒れる。
流れ出る血は雨水に紛れた。
そしてまた別の兵士との一騎打ちに突入する。
剣と斧が、烈しく激突しあった。雨と強風が荒れ狂うなか、兵士と魔法少女は戦う。
30人ちかい、城下町の、魔法少女としての活動をやめている、正体を隠して暮らしていた魔法少女たちは、たったひとり兵士達に囲われながら戦い続けるチヨリの姿を遠目に眺める。
そして、苦しそうに唇を噤んだ。
黒い髪と黒い獣皮の魔法少女は、審問官たちの何人かを殺した。
が、すぐに王都の守備隊たちが駆けつけて、ぞろぞろと階段をのぼってきて、剣を抜き、この黒い魔法少女を挟み撃ちした。
そのうち何人かは、円奈と灰色の髪の魔法少女の背中に襲い掛かり、まさに剣でぶった切ろうと接近しているところであった。
「レイファ!」
黒い髪と黒い獣皮を肩に垂らした魔法少女は叫んだ。仲間の名前だった。
白い髪に涼んだ黒い瞳をした魔法少女が現れた。円奈たちを襲う守備隊の前に立ち塞がる。
レイファと呼ばれた、仲間の魔法少女で、その髪は色素を失って婆のよう真っ白だった。
しかしその魔法少女の見た目は若く、容貌は美しかった。婆のように真っ白な髪は、むしろ神秘的にさえ映え、妖麗な雰囲気さえ漂わせていたた。
つまるところ、生まれながら髪に色素がない、アルビノ種の遺伝に生まれた魔法少女だった。
アルビノ種に生まれ、白色の髪した魔法少女は、手にレイピアと呼ばれる剣を出した。
それをクイっと器用な手の動きで構えてみせ、ロングソードを持つ守備兵たちの前に立ち塞がったのである。
その変身衣装は、白いズボンに濃青のジャケットという軍服。黒いブーツ、肩には肩章の飾緒をつける。
黒の上着は濃青地に金色の刺繍が入った正装軍服といった姿だ。
色素を失った白い髪をさらさらなびかせ、レイピアを片手に、びゅんびゅんと守備兵たちに突き出してきたのである。
ロングソードなる重たい剣を扱い守備隊は、魔法少女の振るうレイピアの素早さにおいつけない。
バネのように弾力性のある刃はしなり、あっという間に隙をつかれて守備隊たちはレイピアに刺された。
「うっ!」
「ああっ──!」
二人の守備隊はレイピアに胸と腹とを刺され、二人とも血を流して倒れた。
レイピアの剣先に突かれた激痛が体を襲ったのだ。
しかしまだまだ守備隊たちは城下町じゅうからかき集められ、魔法少女たちを捕らえようと動き出してくる。
50人、60人…数はどんどん増える。
灰色の髪と金色の瞳をした魔法少女は、芽衣という名前をもっていたが、モルス城砦で暮らしていた魔法少女の一人だった。
ロビン・フッド団の暗躍による侵略を受けた際、捕われの身となったが、円奈に助けられた。
その芽衣は城砦を脱出し、辺境の地を発って、この王都にやってきていた。
黒い髪と黒い獣皮、コウモリのように赤い目をする魔法少女、リドワーンと共に。
レイファと呼ばれたレイピア使いの魔法少女も、芽衣の仲間の一人。
芽衣は円奈の火傷を負った足を癒やしていた。魔法少女のもつ力の一つ。
治療の魔法だ。
爛れた服と、肌が焼けた円奈の足は、癒やされていく。
城下町じゅうですさまじい嫌悪と非難、呪いと罵りの声が沸きあがった。
広場に集まった民の人々は、魔女め、化け物め、人殺しめ、どうして私たちの街に悪さをする、私たちが何をしたというのか、罵声を喚きはじめる。
今まで行方不明になった私たちの子供、妻、夫をかえせ。そしてお願いだから、私たちの街から消えてくれ。
どうして悪魔と契約したりしたんだ。どうして人間に悪さをするんだ。どうしてウソをつくんだ。
「殺せ!殺せ!」
守備兵たちが剣を抜き、魔法少女たちを殺しにかかる。
「魔女どもを殺せ!」
慌てて駆けつけてきた新たな城下町の兵士50人あまりは、それぞれがそれぞれ、近くに姿を現した魔法少女たちと戦った。
「魔女どもを町から絶やせ!」
10人、20人の守備隊に囲われながら、チヨリは斧を手に剣をもった兵士たちと戦う。
一人、また一人と兵士達は殺されて倒れていく。雨水に塗れた地面は赤く赤く染め上げられていく。
ざーざーという雨音はやまない。そこに、カキンカキン、ガキンガキンという剣と斧のぶつかる音、レイピアと剣が交わる金属同士の激突音のようなものが轟きだす。
「魔女を殺せ!指輪が弱点だ。指を切れ!」
審問官たちは、一人の魔法少女を相手にてこずる守備隊たちを見下ろし、イライラしていたが、そうやって指図している彼の顔に魔法の矢が飛んできた。
紫色の閃光を放って飛んできた魔法の矢は、審問官の顔にあたると爆破し、審問官の首から上はなくなった。
ぶしゃあっと血と骨、脂肪まみれの肉がすべて粉々にされて、城下町のハーフティンバーの家の壁際にすべてこびれついた。
ビタタタタ、と血飛沫のあとが壁にひっついて垂れた。
「よそ見してると命はないぜ!」
市壁にたった魔法少女の撃った魔法の矢だった。リドワーン率いる一団の魔法少女り一人で、ブレーダルといった。その瞳は淡い紫色。紫陽花のような色をしている。
首が吹き飛んだ審問官は首なしの死体となって城壁の上でバタリと倒れ、首の断面から滝のように血がながれでて雨水に洗われた。
市壁の魔法少女は新たな魔法の弓をもう番えている。
城下町の広場を埋め尽くす民はキャーキャー恐怖に駆られ、喚きたって、逃げ惑いはじめた。
みな顔を右往左往させながら逃げ道を探している。みんな逃げろ、魔女どもが暴れだしたぞ。
魔法の矢は再び放たれた。
紫色の閃光が迸り、市壁にむかって階段をのぼってきていた兵士たちの胸に命中し、爆発し炎上する。
守備隊の兵士はふっとばされ、胸を炎に焼かれながら宙へ打ち上げられた。
そのまま空を飛んで、城壁の壁に体を強くうちつけて倒れた。
背中の骨を折ったらしく、兵士は自力で起き上がることができない。腹に刺さった矢は焼け焦げていて、兵士の服に焦がした穴をあけていた。露出された胸の肌は赤く爛れた。
円奈はこの魔法の矢によって人が殺されるのを前にも見たことがあった。アリエノール・デキテーヌの城に辿り着くちょっと前でのことだった。
こうして魔法少女による人間の大殺害が起こった。
人間たちの守備隊が、黙っているはずもなく、殺人を繰り返す魔法少女たちを取り押さえにかかり、魔法の弓をもった魔法少女と、チヨリたちを囲い込む。
チヨリは兵士たちを相手に包囲されながら戦いつづけた。
しかし多勢に無勢、チヨリは目前の兵士の剣を、斧で叩き落し、その腕を斬りおとし、わあああっと悲鳴をあげた兵士の首を、斧で斬りおとすことはできたが、後ろからせまってきた兵士の剣によって背中を刺された。
ザクッ
「うう…」
背中に剣が差し込まれ、チヨリの口から血が噴き出る。しかし、痛みは感じない。感じないようにしたからだ。
すぐに振り帰って、斧で反撃した。
剣を差し込んできた兵士の頭を斧で脳天から割った。兵士の頭はきれいに二つに割れた。
目と目が左右に分離し、鼻筋は裂け、口も割れた。
チヨリが血だらけの斧を取り出すと、兵士は支えを失って力なくがくんと雨水の地面に倒れ、頭部の割れ目から脳内のすべてを垂れ流した。
とはいえ背中を貫かれた魔法少女の動きは鈍くなる。
同時に三人の兵士に襲いかかられたとき、いよいよチヨリの顔に焦りが浮かんだ。
三本の剣を同時に相手する。その口から血が垂れる。
一本の剣を斧で受け止めたが、もう二本の剣はチヨリの腹を刺した。
「うう…う」
苦痛に歯を噛み締める。いや、痛感遮断すればいい…痛感を遮断しろ…
剣は腹を刺し、奥へ食い込んでくる。
四人目の兵士が、剣を抜いて近づいてきて、チヨリの首を跳ねようと剣をのばしてきたその瞬間。
バッサ。
ドダッ。
チヨリを襲っていた兵士たちが、音をたてて順に誰もが倒れていった。
瞳を瞑ったチヨリの頬に赤い血の斑点がこびれつく。それは、ざーざーふる雨に打たれ、洗われた。
チヨリが目を開くと、そこに立っていたのは、魔法少女の変身姿になった、クリフィルだった。
白いマントの剣士。衣装も白いコルセットのスカート姿。靴も白い。
ユーカのかつての仲間であり、ここ最近はずっと変身することがなかった魔法少女である。
魔法少女狩りの裁判の恐怖のなかで活動を停止していた魔法少女だ。
クリフィルは剣をつかい、守備隊の兵士たちを打ち倒していった。剣同士を絡め、押し合ったあと、兵士の剣をはねのけ、素早く胸へ差し込む。
「うぐああっ!」
兵士は苦痛に顔をゆがめながら胸を押さえ、その手は剣を落とした。カランと剣が音をたてて雨水にぬれる地面へ落ちる。
クリフィルは、剣をもう一太刀、ふるって、兵士の腰を一直線に裂いた。
兵士は刻み込まれ、死んだ。死体はばしゃあっと雨水のぬらす地面に落ちた。
「あたしも戦うぞ」
と、クリフィルは、血まみれのチヨリに対して、優しく見つめ、語りかけた。
「あんたは勇気あるヤツだ。新米の魔法少女のくせして、人間様に喧嘩売るなんてな」
敵兵を刺した血が赤く塗れる刃を肩にのせ、クリフィルの名を持つ魔法少女は言う。
「あたしも決めたぞ。魔法少女として生きるってな。それを人間どもが邪魔するってんなら、戦ってやる」
それがクリフィルの決意だった。
そう。彼女たちは魔法少女たちだ。確かに人間ではない。でも、だからって、どうしてただそれだけで、魔法少女たちにこんな残酷な仕打ちが待ち受けるのか。
化け物扱いされ、魔法少女たちは火あぶりにならないといけないのか。
もしそれが人間の本性だというのなら。
人間のもつ凶暴性であり、人間は、魔法少女に悪意を働くものだとするなら。
「戦うしかないじゃないか」
それが、魔法少女が魔法少女として、生き延びる道。
人間と、魔法少女のあいだに起こるこの戦いは、もう避けられない。
クリフィルは変身姿を晒した。混乱で騒然となった城下町の人々のあいだを潜り抜け、守備隊に戦いを挑みはじめた。
クリフィルが人間たちに無謀にも戦いを挑んだ姿を────。
仲間のオデッサ、アドラー、アナン、ボンヅィビニオ、クマオ、スカラベが、眺めていた。
かつてのオルレアンの仲間たちが。
人間の悪心によって、晒し者にされ、無念にも火あぶりにされたオルレアンの仲間たちが。
「魔女どもを殺せ!一人生かさずに殺せ!」
雨水が激しく降りしきるなか、王はエドワード城のバルコニーでがなり立て、声を城下町へ轟かせる。
エドワード王の隣には、王城で最強の騎士、オーギュスタン将軍が並び立った。
王の右腕である彼は、一緒にバルコニーに立ち、魔法少女と人間の殺し合いを眺めた。
高さ150メートルの城壁に突き出した手すりに、手をかけて。
オーギュスタン将軍はいつかこんな日がくると思っていた。
王都の人間たちが、魔法少女たちにしていた仕打ちを考えていれば、これは当然の成り行きといえた。
痛みを感じぬ、脱け殻の体となった魔法少女たちの肉体の仕組みを暴く卑劣な拷問。
そして悪い魔法を使った魔女と罵り、化け物と呼びながら、衆目のなかで火あぶりの刑に処する。
人間たちの、魔法少女に対する狂気と、凶暴性は、ついに魔法少女たちを怒らせた。
そして人間への反撃、いや、復讐そのものを決意し、まさに今それが城下町で起こっている。
そして、もし、復讐の鬼と化した魔法少女たちが、その怒りを収めるにふさわしい首をもった人物がいるとすれば。
ただ一人だった。
他ならぬその人物は、いまオーギュスタン将軍の隣に、立っている。背の、赤い毛皮マントを雨風にはためかせている。
その頭には金色の冠がある。今やこの冠は、魔法少女たちの標的となった。
クリフィルの決起が引き金となり、今まで正体を隠して、人間たちの恐怖に屈していた城下町の魔法少女たち30人が、ついに本当の気持ちと向き合った。
この魔女狩りの町で生き残った30人の魔法少女たちの本当の気持ちとは。
人間の魔女狩りを黙って見届けていることなどではなく。
魔法少女である自分が、自分に嘘をつかず、魔法少女として生きたいということ。
正体を隠して生きず、魔法少女として堂々生きたいということだった。
ついに城下町に紛れていた30人の魔法少女たちの変身がはじまった。
長らく力を封印していたソウルジェムが、城下町のあちこちで煌きだし、光りを放ち、そこらじゅうの少女たちの服が煌びやかに変わっていく。
ぴかっ。ぴかっっ。ぴかり───。猛雨のふるう町に魂が煌きだす。
色とりどりに…。
それぞれの衣装に、変身していく。
決起した少女たちの手に魔法の武器が持たれる。
そして、城下町に姿を現した30人の生き残りの魔法少女たちは、まさにその生き残りをかけて。
この国の支配者として君臨する一人の王。王城の主。
魔女狩りという名の魔法少女狩りを企てた我らが魔法少女の仇敵。
エドワード王に、戦いを挑んだのである。
城下町にて正体をつぎつぎ現した魔法少女たちは、屋根に飛びのり、その勾配のある屋根に立ちながら、雨風に打たれながら、剣を前に突き出し、王城の遥か彼方のバルコニーに立つエドワード王を名指しして呼ぶ。
「エドワード王!」
城下町の魔法少女たちは叫ぶ。怒りの声を。いままで、仲間達が魔女にしたてあげられ、火あぶりの刑にされてゆき、魔法少女の魂の抜けた身体をさんざんいいように弄繰り回してきた王への、怒りを叫ぶ。
「その耳にきけ。心せよ。私たちは、怒りを解き放った!」
魔法少女と人間。
その両者の雌雄わかつ、命運決する戦いは、ついに火蓋を切って落とされそうとしている。
生き残るのは人間か、魔法少女か。
城下町の人々は、ハーフティンバーの町並みのあらゆる屋根に飛び乗った魔法少女たち30人を、恐怖の顔でみあげた。
魔女たちがついに本性を現した。
ヴァルプルギスの夜のはじまりだ。魔女たちがついに集まって、王都を根こそぎ破滅させにやってきたのだ。
「王都の王、偉大なるエドレス城の主よ!」
魔法少女たちは家々の屋根に立ち、そして剣を遠い彼方の城に立つ王へ突き伸ばして、宣言をした。
「あなたを討つ!」
その声は、雨の降りしきる王都に轟き、そして、王の耳にも届いた。
王の顔は怒りに額の血管を浮き上がらせる。
パラパラ。
雨は、決戦の王都に注がれる。城下町を覆う暗雲の雨天。
「…魔女どもめが」
血管を額に浮かべて怒る王は、遥か下方の町で王への反乱を宣言した愚かな少女たちをギロリと見下ろす。
ピカリ。
雨を降らす暗黒の空には一筋の雷が落ちて迸り、聳える王城とエドワード王の顔を、真っ白く光らせた。
その直後、イカズチの雷光に伴って、地上を叩き割るような雷鳴が轟く。城下町の空気のすべてが震撼した。
雨に降られる魔法少女たちの怒る顔も、イカズチによって白く照らされた。
霹靂の一撃は決戦の場となる王都の空と地上に稲光となって落ち、イナズマの轟音は王と魔法少女、両者の怒りを代弁した。
雨は激しくなる。
王は受けて立つ。
その手に持つ勺杖をばっと雷雨の轟く空へ掲げ、杖を伸ばした。すると王の杖の動きにしたがって、天は再び雷鳴を轟かせた。
ゴロロロ…
王都の地上は雷鳴によって揺れる。地上のすべてが白色に光った。
葺き屋根に立った30人の魔法少女たちは怒りの顔を引き締め、歯を噛み締めた。雷が光る。前髪が雨に濡れた。
王はイカズチの稲光が空から地上に落ちて、雷の音が世界を震わせたそののち、戦いを挑んできた町の魔法少女たちを怒りの目で見下ろした。
「わしを討つだと?貴様らの力でどうしてわしが倒せる?」
王が君臨するエドワード城は天下無敵の要塞。誰にも落とせない。誰もエドワード王を倒せない。
「人として生を授かった魂を石にした小癪どもめ」
心底、魔法少女という存在どもを軽蔑しながら王は杖を握り、バルコニーから赤いマントをひらめかせて言い放った。
杖をバルコニーの前へ伸ばす。
「いいだろう。かかってくるがよい魔女ども!わしが相手になってやる!」
と、霹靂の荒れ狂う天空の下、城の手すりから、ギロリと見開いた目をして、のたまった。
「だが奇跡などに縋った貴様ら魔女の末路は死だ。人間の栄光であるわしに貴様らは勝てん!」
王の挑発を受け、城下町の魔法少女たちはますます顔を険しくさせる。
遥か彼方の城に立つ王を、憎しみを抱いた顔できいっと睨みあげる。激しい雨は降り続ける。
「おまえたちは分かっているだろう。すでに勝負事を投げているような、姑息の根性を。貴様らのその身体はなんだ?なぜ人間じゃない?自分で見てみろ!それが、人間の生を宇宙の異生物に売り渡した貴様らの憐れな姿だ!」
王は城から語った。
「貴様らは感情のない生き物に自らの生を明け渡し、委ねたのだ。なにが貴様らをそうさせた?奇跡か魔法か? 自力で問題を解決せず、奇跡と魔法なんてものに頼るからそうなるのだ。憐れな豚どもめ!」
城下町の、雨粒に打たれる魔法少女たちは、顔を曇らせた。
しかし王は語り続けた。
「魔獣なんてモノがなぜこの地上にいる?人の生きるこの地上で、なぜそんなモノが沸いている? 美しいこの世界が、なぜそんなモノに跋扈されている?魔獣なんてものを、この世に持ち込んできたのは貴様ら魔法少女だ。奇跡と魔法とやらでこの世界を引っ掻き回してメチャクチャにした結果だ!」
魔法少女たち、言葉を失う。
「なのに貴様らは、この美しい地上に、自分たちで魔獣を持ち込んでおきながら、自分たちは魔獣を倒している正義の味方だなんて面をする。驚くべきことに、大半の魔法少女がそう思い込んでいる。だが魔女どもよきくがよい。ワシは貴様らを人類の味方だなどとは絶対に認めん。貴様らは人類の敵だ!」
王は言い放つ。
雷が再び落ちる。
王都を裂いた谷にイカズチは落ち、城下町と王城で睨みあう王と魔法少女の両者を、再びびかっと照らし出した。
王は決して気狂いの沙汰で魔法少女狩りをはじめたのではなかった。魔獣なんて知らぬ、とすっとぼけてるわけですらなかった。時間をかけて計画されたこの魔法少女狩りは、それが人間にとって正義であるという確かな確信のなかで、実行された迫害だった。
「貴様らが、なぜそんな身体になり、この世界をメチャクチャにしているか、思い返せばいい。願い事をなんでも叶えてやるから、エネルギーを回収しろと言ってくる宇宙の生物がいたんだろう。貴様らはその誘いに乗せられ、人の生きるこの星で人の姿を失った!貴様らが一人また一人と魔法少女になっていくにつれ、世界に魔獣は増える。ますますこの地上は宇宙生物どものエネルギーの畑となる!」
王の怒りの声は王都じゅうに轟く。
その声は雨が覆う空気にのって城下町じゅうに届き、誰もの耳に入った。
みな王を見上げていた。その話に聞き及んでいた。
「宇宙生物の手にまんまと乗った人類の敵どもめ。わしは貴様らを滅ぼしてやる。一人残らず滅ぼし尽くしてやる。そして宇宙生物の手からこの惑星を取り戻してみせるだろう。世界には魔法少女も魔獣もいない、人間たちが人間たちだけで生きるこの世界の姿を、取り戻すだろう!」
エドワード王は知っていた。
この世界の支配者がもはや人間ではなく、インキュベーターによって蹂躙されていることを。
この地球という地上は、いまやインキュベーターという宇宙生物が住み着き、エネルギー回収の畑にされてしまっている。
それはこの世に魔獣が生まれ、その退治には魔法少女が必要というシステムに、この地球がおかされてしまっているからだ。
エドワード王は願う。
人として人のための世がこの地上に戻ることを。
エネルギーの畑ではなく、人の暮らす、美しい、人が人として歴史を自然のなかで歩む世界の回復を。
そのためにできることは。
宇宙生物の手にまんまと乗せられ、契約するバカな魔法少女どもを滅ぼしつくすことだ。
それも、この地上のすべてから。
そして魔法少女システムというものを根絶しなければいけない。地球から。
それは容易とはいえない。むしろ無謀とすらいえる。
しかし、それでも、宇宙生物の手からこの地上を取り戻すためには、誰かがやらねばならない。
誰かがやるとしたら、誰がやるのか。
誰が人類を救うのか。
自分だ。自分がやるのだ。そう決起した王が、エドワード王だった。
将来的に魔女狩りが全地球規模で起こることがエドワード王の理想であり、そのために、あらゆる国にむけて魔女狩りの布告はすでに出している。使者を大陸のあらゆる国に遣わし、魔女どもを滅ぼせ、人間の手に地上を取り戻せ、と書簡を通知にして出している。
世界の国々の反応は、上々だ。
ソウルジェムの秘密を、エドワード王は全世界の国々の君主たちに伝えていた。その暴き方と魔法少女の肉体の秘密を暴く効果的な拷問の方法を、すべて伝えていた。火あぶりにすれば魔法少女は誰一人生き残らないことも伝えていた。
間もなく、希望が叶うとすれば、世界のすべての国で魔女狩りが起こるだろう。
世界中で魔法少女は火あぶりとなり、地球上から魔法少女は全滅する。宇宙生物たちは人類を諦め、別の銀河系へ撤退する。
これがエドワード王の理想の未来。
人類が救われる未来だ。
たった一つ、魔法少女の国エレムだけを除いて。
「感情のかけらもない生物にこの惑星は渡さん!」
王は王都のバルコニーで声をあげて告げた。
惑星。そう、王は、この地上が、宇宙に浮かぶたった一つの惑星であることも知っていた。
昔の人類はとっくにそれを明らかにしていた。
「この星は、人の生まれた、美しい自然を持つ地上だ。だが貴様らが、感情もない宇宙生物と契約して人類にもたらされた世界はなんだ。効率だけが重視された感情のない世界と文明だ。貴様らがいなけれれば、本当に人類は裸でほら穴に住んでいたのか。だが、感情を失くした文明に抑制支配されるよりはマシだ。人間には心がある。自然を尊敬できる感情がある。貴様ら魔法少女が、人類にもたらした進化とやらはなんだ。指ひとつで人が何千万と死ぬ、感情のない世界だ。そうなるよりは、今くらいの世界が人類にはふさわしい。わしは人間の王として人間を愛する!そして貴様ら、魔女どもを心から憎む!」
王は再び勺杖を伸ばした。
雨天は過ぎ、分厚い暗雲は裂け、雲が割れて、太陽の光の筋が天から差し込んできた。
突き抜けるような青い空が、割れた空のむこうから顔をだす。大地に光がもどってくる。
地表700メートルの王城に七色の大きな虹のわっかが架かり、雨の過ぎ去った王都を明るく彩っていた。
「さあかかってくるがよい魔女ども!わしが相手になってやる。だか自力で解決することを知らぬ、奇跡と魔法に縋りつくような貴様らが、人間として人間の王でありつづけるわしに打ち勝つことはできん。わしがもしここで負けるとすれば、それは、人類が負けたことになるのだ」
そこまでいうと王は話を終えた。
そして、王の隣に控えるオーギュスタン将軍へ、一言命令を言い放った。「魔女どもを皆殺しにしろ」
オーギュスタン将軍は王の命令には逆らえない。
怒りの顔をした王の目に睨みつけられ、血管の浮き上がった老男の命令を受けて、オーギュスタン将軍は。
エドワード城の全軍に、戦闘態勢をとらせた。
「エドワード軍、位置につけ!」
王城じゅうに控えたエドワード正規軍が、動き出し、城の守備位置についた。
「長弓隊、位置につけ!」
オーギュスタン将軍が命令すると、その声は王都じゅうに響きわたって、何千人という長弓隊が、ロングボウという弓を持ち、城壁の矢狭間についた。
「クロスボウ隊、位置につけ!」
クロスボウを持った弩弓隊が監視塔と射撃塔の位置についた。普段の練習の成果をだすときがきた。
「歩兵隊、位置につけ!」
歩兵隊が剣を抜き、鎧をしっかり着込んで、何千人と、城門の前に立ち塞がった。
「傭兵部隊、すすめ!」
オーギュスタン将軍の命令の声がくだると、王城の正面の門が開かれた。
そして何百人という傭兵部隊が、城の敷地から列そろえて走りだし、エドワード橋を陣取りはじめたのだ。
「ははっ、なにが人間を愛するだ」
その、王城じゅうの正規軍が動きだすのを眺めながら、ブレーダル、魔法の弓をもった市壁に立つ魔法少女は笑った。
「非道の王がなにいってんだか」
何千人という弓兵に、守備隊が、位置についた王城をみあげる。「何千人いようが人間は魔法少女に勝てやしないさ」
余裕をかました顔をする。「王め、とっちめてやるぞ」
空は晴れやかになった。
雨天は過ぎ、暗雲の城下町は晴れ空に照らされて明るくなる。今までの曇り空はどこへやら、雲ひとつない青色の大空が、王都にあらわれた。
「魔女どもを撃退しろ!」
オーギュスタン将軍の傭兵部隊が襲い掛かるよりも前に、城下町の守備隊たち50人ほどが、まず魔法少女たちに襲いかかりはじめた。
「魔女どもを追い払うんだ!」
人類と魔法少女の戦いは、はじまった。
市壁に囲われた魔女火刑場は、もはや虐殺の場と化した。
円奈とスミレの二人は十字架から解放されたが、いまや王への反乱がはじまったこの場所は、激しく剣のぶつかり合う金属音で満たされた。
エドワード王を相手に決起した30人の魔法少女たちは、50人の守備隊を打ち倒していく。
守備隊の剣を自分の剣で弾き返し、そのあと剣をばっと前に突き出して、守備隊の首を切る。
見事な剣裁きだった。
喉元をかっきられた守備隊は鮮血を噴出し、うぐっと呻きながら倒れていった。
そんな切り合いが城下町の処刑場のあちこちで繰り広げられていた。
ある魔法少女は槍を武器にして、三人の守備隊を相手にして戦った。
槍を伸ばし、敵兵の腹をぶすっと刺した。すると腹から抜き、またべつの守備隊の腹に槍を刺す。リーチの長さを利用して、剣しか持たぬ守備隊を倒していった。
「はあっ!」
三人目の守備隊が、勇気をふるって槍をもつ魔法少女に背後から接近した。
「ふん!」
魔法少女は振り返りざまに槍をぐるりと回すようにふるった。
「あぐ!」
守備隊は槍の柄に頬を叩かれ、派手にころげた。
一瞬からだが宙に浮き、頭からすっ転ぶ。
この転げたわき腹を。
魔法少女は、槍でまっすぐに突き刺した。
「ううっ!」
守備隊のわき腹は槍に刺され、臓器ごと肋骨を砕かれた。
痛みに呻き、もがいた。
ブレーダルは魔法の弓を処刑広場へ放った。
紫色の軌跡を描きながら、魔力の矢弾は、城下町の人々が騒ぐ頭上を飛んでゆき、広場の真ん中にたったエドワード王の騎乗像を破壊した。
どだーん!
空気を劈く、鋭い爆裂音が鳴って、王の石像は木っ端微塵にくだけた。
石の破片が四方あちこちにとびちり、城下町の人々は悲鳴をあげつつ逃げ惑った。
飛び散る破片によって、駆け走っていた守備隊の何人かが足を傷つけ、あっ、ううと声をあげながらぶっ倒れた。
そのぶっ倒れた兵士たちは、他の魔法少女たちの斧やら剣やら、槌やらに叩かれ、切られて、殺された。
ブレーダルを抑えるべく、守備隊15人ほどが、市壁の階段をのぼってきて、魔法の弓をやりたい放題に放つ魔法少女を取り押さえるべく、駆け寄ってきた。
「おいおいおいくるんじゃねえよ!」
ブレーダルは大きな魔法の弓を、鈍器のようにブンと横向きにふるいはじめて、剣をふるってきた兵士たちの顔を殴った。
「うぶ!」
階段をのぼってきた先頭の男が、弓によって殴られて階段を後ろむきにころげると、あとは雪崩れのように、後続の兵士たちがみな階段をごぞってころげて、ドミノ倒しになった。
何十人という兵士たちが重なって倒れ、サンドイッチのように人間同士で挟まれて身動きできなくなった。
「ははは!こいつあいいや!」
魔法の弓もったブレーダルは笑った。
それから、城門を閉ざした落とし格子めがけて弓で狙い、矢を番えて引き絞り、魔法の矢を撃ち放った。
紫色の矢が閃光を煌かせながら空を裂き、ひゅーんと城下町を飛んでいく。
そして。
どごーん。
魔法の矢が着弾すると、城門を封じた落し格子は、激しい爆発によって壊れ、巻上げ機の鎖から外れて砕け、形を崩して湾曲した。
ものすごい量の炎を噴き上げ、煙をたちあげた。
パラパラと石の破片が門から飛びちった。
城下町の人々は恐怖に目を血走らせることしかできない。
すでに数万人の民は十字路のほうに逃げ延びはじめている。魔女の退治のことは守備隊たちにまかせて、自分たちは命が大事といわんばかりに逃げ仰せはじめている。
「野郎ども!道ができたぜ!」
魔法の矢によって城門を壊した魔法少女は嬉しそうに叫んだ。
そしてまた魔法の矢を弓に番え、パニック状態になってあちこち走り巡る守備隊たちめがけて矢を飛ばした。
魔法の矢が閃光の軌跡を描きながら飛ぶ。
ヒュ──!
「うわああああ」
守備隊たちは頭を屈めて逃げ去る。そのすぐ頭上を魔法の矢が通り過ぎてゆき、奥の城壁に刺さった。
どごぉん!
矢は炎上し、城壁の壁がくずれる。爆発は壁を砕き、瓦礫と断片を宙へ打ち上げた。ごろごろと石は地面に雪崩落ちた。
城壁の上に立つ人たちがこの爆発の衝撃でバランスを崩し、誰もがふらふらとよろめいた。
十字架はぐらっとゆらつき、そこにいる円奈と芽衣、スミレの三人の足元も激しくゆれて、ころんだ。
「くそ、外したか!」
魔法の弓を持った魔法少女は舌打ちする。
円奈はこの衝撃ではっとなった。
いま起こっていることは、戦いであり、それはしかも、魔法少女と人間の憎しみあう戦いであるとやっと頭が理解した。
ピンク色の瞳が見開かれ、火に焼けた足は回復し、円奈は立ち上がる。
灰髪の魔法少女、芽衣が心配げに円奈をみあげる。
「ありがとう。私おかげで、助かった」
火あぶりの刑から生き延びた少女・円奈は、助けてくれた芽衣に感謝し、立ち上がると。
再び、少女の武器。
ロングボウの弓矢を、手にとった。
麻をグリップ部分に巻き、イチイの木材を削り取った自作の弓は、今ニスが塗られ強化されている。
「私……いかなくちゃ」
死地から蘇った少女は言った。
「いく?どこに?」
心配げな芽衣が、金色の瞳で円奈をみあげた。
円奈のピンク色の目は、空をみあげ─────胸に大きく空気を吸いたくなるような広大な青空だった───空の覆うむこうの大陸を、見つめる。
「聖地へ」
少女は答えた。
751 : 以下、名... - 2015/02/26 00:00:59.88 F3Ha90K90 2336/3130今日はここまで。
次回、第60話「 BRAVE HEART 」
続き
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─14─