最初から
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─
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椎奈の感じていた予感は、当たってしまうことになる。
それも、その日のうちに。
その日捕まえた鳥を焼いて、食べた円奈は、ひとり、家のなかで、市場でやっとの思いで買い取った本を読んでいた。
テーブルにろうそくを一本たて、火をつけた。ろうそくがすっかり溶けてなくなってしまうまでの時間に、できるだけたくさんのページを読む。
その本は、円奈に、決定的な決意を、与えてしまうような内容に、触れてしまっていた。
「白い妖精…」
本読みながら、円奈は、そっと口に漏らした。
「”20になるまでの女の前に現れる”」
無我夢中になって読む本を、思わず口にして読み上げる。
「”白い妖精に願いを告げることで魔法を授かる”」
本を下におき、円奈は、顔を見上げて考えた。「魔法少女って、そうしてなるんだ……」
その事実が判明すれば、もう考えることはひとつ。
どうすればその白い妖精に会えるかというただひとつのことだけである。
「きっと私にだって……私にだって…」
夢中になって、本のページをまくる。
ろうそくの火が、ろうをどんどん溶かして、どんどん短くなる。
私は、どうしてもかなえてほしい、願いがある。
私自身を救い出してくれる願いが。
きっとかなえてくれる。
だが本には、けっきょく、若い女の前にとづせん現れるとあるだけで、どうすれば会えるのかなんてことには、まるで触れられていなかった。
「そんな…」
絶望したような声が円奈から漏れる。「私、みたことないよ…そんな妖精…」
しかし、どうしても自分を変えたいと思っていた円奈だから。
そんな簡単なことで諦められるものでなかった。
「そうだ…」
そして、諦められないからこそ、ちょっと考えれば分かる矛盾にも目を瞑って、希望をみいだしそれにすがってしまうのであった。
「白い妖精はきっと、ここには住んでいないんだ……」
きっと、ここバリトンではなく、他の国になら。隣の国でもいい。この領土でないどこかなら、白い妖精が住んでいて、そこでなら、会えるかもしれない。
そんな希望を胸の中にふくりだし、それは風船のごとくふくらみ、そして……
弾けた。
いま自分がしようとしていることが、どんなにいけないことだということも、考えが及ばなくなって。
白い妖精を探しにいくために。
村を領主の許可なくはなれ、他国の土地に許可なく入るという───。
封建社会における最大の禁忌を侵しに、円奈は、人々が寝静まった夜に家を飛び出した。
自分も魔法少女になれるんだと、希望を胸に信じて。
45
満月の夜だった。
黒い雲の筋が満月の一部を隠しているが、月夜に照らされたバリトンの寝静まった村は明るく、青白い月光に照らさていた。
こっそく厩舎に走った円奈は、クフィーユを小屋からだした。愛馬は眠っていたが、主人がくると、匂いでおきた。
「私ときて、お願い」
円奈はそう、愛馬に語りかけた。馬は主人のために、大人しくついてきた。
轡の綱に引かれるまま、真夜中の外へでる。
「きっと外の世界なら、私も魔法少女になれるんだ」
そういいながら、馬に跨った。
月夜の照らす山脈と山脈のあいだ、大自然に挟まれたこの村から、まだ自分が足の踏み入れたことのない方角へといっきに馬を馳せる。
魔法少女になる。それが円奈にとって、自分の境遇を救い出してくれる最後に残された希望だった。
「きっと───!」
それは、山を越えない、ひたすら農地とは逆の方向の標高さがる地平線へ、突っ走る方角だった。
「むこうの世界になら、妖精に会えるから…!」
未知の世界。
バリトンの村に生まれて15年、踏み入れたことのない他国へと、円奈は馬とともに走る。
馬で草原を駆け抜ける、体にあたるむかい風が心地よい。
月夜に照らされた若葉色の草原は踊るようで、夜風にふかれてざざーと波立つ。
この風に乗って、バリトンの村は、どんどん背のうしろへと、離れていった。
これまでの村でのつらい嫌がらせの思い出も、ぜんぶ遠ざかっていくみたいで、信じられないくらいの開放感に満ち溢れた。
その開放感に包まれながら、円奈はついに封土からはなれて外の世界へと飛び出した。
生まれてはじめてのことであった。
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それから何時間ほどたっただろうか。
ふるさとを思い立ちで飛び立った円奈は、まだ見ぬ道の世界の冒険に、そして苦しい現実からの逃避に、夢中になって、馬と共に走り続けていた。
初めて不安を感じたのは、バリトンの領土からはすでに離れすぎてしまった頃である。
「あ…あれ…?」
気付いたら、当然のことではあるが、知らない場所にきていた。
「ここ……どこ?」
深い深い森のなかに、気がついたら入り込んでしまっていた。さっきまで見えていた空は森の木々と枝葉に覆われ、隠されていた。
森のわずかな隙間から降りる月光の筋が、漏れて地上を照らすくらいしか、明かりらしいものはない。
土の地面は根がたくさん飛び出ていて、でこぼことしていた。雪解け水をすってその土も冷たく湿っている。
ふっときた道を振り返る。
きた道も、深く深く木々に囲まれていて、暗くて、どの道たどってきたのか、さっぱり分からない。
ひょんな思い立ちで禁忌をおかし、果ては迷子になってしまった。
「…道、わかんなくなっちゃった……」
円奈は、放心したように、呟いた。
そう、子供心にふるさとを飛び出し、生まれてはじめて異国の土地をふんだ冒険心に駆られるままに道を突き進んだ彼女は、幼い子供がよくするみたいに、迷子になってしまったのであった。
ただ、普通の子供は、好奇心にのせられたまま知らない土地へ飛び出そうとする子供を、迷子になるからととめてくれる親がいるものである。
だが円奈にはいなかった。
もちろん道らしい道など、ない。未知の異国の土地の森へ、まっすぐ迷い込んでしまったのだった。
円奈は馬を降りた。
根っこだらけの土を踏み、クフィーユつれて、とにかく今は、なんとなく、森から月明かりの漏れる光の筋をめざした。
森のなかで一部そこだけ明るくなっているのが、せめてもの救いである気がした。
月光の筋が森の天井からそっと降りている真下にくると、円奈の顔も月明かりに青白く照らされた。
その場で顔をみあげる。
夜空の黒い雲の上で煌く青白い満月がみえた。
ああ、知らない国にきても、月は、まったく同じようにみえるんだ────。ただ、そう思った。
もし月にいきたい───そう白い妖精に願ったら、魔法少女になって、月にいけるのかな。
そんな夢を思い描く。
「わたし……」
たった一人で真夜中の知らぬ土地の森に迷い込んで、円奈はぼんやりと囁く。
「そっか……わたし……」
まわりを見渡すと、みたこともないほど大きな岩が、切り立つように並んで、森に急斜面をつくったりしていた。
もう帰れないという事実が、しだいに心にしみこんでくる。
「このまま、死んじゃう…のかな……」
そんな自分の死を口にだしたあとで、不思議なことに、それもいいかもと、思ってしまった。
だって、自分は村に少しも、必要とされない人間だから。
でも、ならせめて、さいごに。
すううう。
円奈は、息を吸い込んだ。
吸い込むと、胸にためこんだそれを、声とともにだす。
「私にっ…魔法をくださいっ…!」
誰もいない森、たった一人で月影に照らされる円奈が、森にむかって、願った。
「妖精さんっ…!」
音のない、夜の森閑の静けさにむけて、きっと妖精が聞き届けてくれると信じて、言葉にして願う。
「私に……魔法をくださいっ……!」
願えば、かなえてくれる。
そう、本に、書いてあったから。
近くで、川の流れる水の音がきこえた。
「お願いです……妖精さん………私に……私に、魔法をくださいっ…!」
何の音もしない。
きこえるのは円奈自身の声だけ。
「私……魔法少女に……魔法少女になりたいんですっ……!だから……」
自分の声が涙ぐんできているのがわかる。
でも円奈は、どうして涙ぐんでるのかがわからなかった。
「だからっ…!私に魔法をくださいっ……!お願いですから……!」
目から勝手に粒が溢れてきた。
「私に……魔法を……くださいっ……!ううっ……!」
願いは、聞き届けられない。
一人で迷い込んでしまって、戻れなくなって、誰もいない森で懸命に願いつづける少女の声を聞き届ける者は、いなかった。
「妖精さん……お願い……私のまえにきて……ううう…」
ついに円奈は力なく、土の地面に膝おとし、座り込むと、目で顔を覆ってしまった。
「どうしてなの……どうしてだれも……私の願いをきいてくれないの………」
泣き込んでしまった少女の隣に、クフィーユがそりよってきて、主人の顔に頬をよせた。
「私もうダメみたい」
すりよってきたクフィーユの頭なでながら、円奈は、言った。
「椎奈さまの許可なく出てきちゃった。もう、戻れない。魔法も、使えないみたい…」
そして彼女はついに、本当に、生きる気力を、ついに失くしてしまった。
ところで、気力の弱った人間をつけねらって、精力を奪い取りにくる獣が、この世界には存在していた。
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そのとき来栖椎奈はバリトンの草原で、馬に乗っていた。
嫌な予感は、じぶんが手にした魔法の剣の反応を見て、的中したことを知った。
椎奈の、魔法少女として持った剣は、いまその両刃の部分が青白く光っており、その反応の意味は、魔法少女の敵に対するソウルジェムの反応のそれと同じ意味を持っている。
彼女はすると、馬の手綱をとり、駆歩の合図をした。
「急げ」
よく鍛錬された馬は、その主人の声がけだけで、全速力で草原を駆け出した。
夜空に浮かぶ満月は地平線へと傾きはじめ、目の錯覚で巨大にも見える月の影の前を、椎奈の馬が走った。
そのとき、鹿目円奈は、迷い込んでしまった知らぬ国の森の真ん中で、大きな岩に身を寄せていた。
少女の目は閉ざされ、希望を失って、そのまま死を待つかのようですらあった。
馬と一緒に、死を待っている。
頬にはまだ濡れた感触が残っていたが、円奈はふこうともせず、尻餅ついて岩に寄りかかったまま、一人で歌を歌った。
「”私の心はハイランドにあり”」
目を閉ざしたまま、死を待ちながら、幼少時代に覚えた昔の時代の歌を、口ずさんで歌う。
自分の絶望にのせて。まるで送別の歌のように。
「”私の心はここにはなく”」
「”ハイランドにあって鹿を追う”」
それが誰もきいていないのは、円奈ももう、わかっていた。
ただ、自分のために、小さな、消え入ってしまいそうな声で囁き、歌っていた。
どうしてかは分からない。大好きな、詩だった。
「”野の鹿を追いつつ 牡鹿に従いつつ”」
「”私の心はハイランドにあり”」
「”いついかなるときも”」
今にして思えば、封建社会に縛られ、いつも同じ土地で毎日のように疎まれてきた自分にとって、その現実から解き放ってくれる詩だったから好きになったのかも、と思った。
「”いざさらば ハイランドよ”」
「”いざさらば 北の国よ”」
歌を歌い終わると、不思議なことが起こった。
真夜中の森のはずなのに、まるで天の光明が差したように、ふわっと、白く明るくなたのである。
わずかな隙間から差し込んでいた夜の月光は何倍もの明るさになって、ものの数秒で朝にすっかりすり変わってしまった。
「……え?」
身体が不思議な暖かさとぬくもりに包まれる。
朝日の白い木漏れ日が、カーテンのように森に舞い降りて、光の筋を幾重にもヴェールのようにして森を照らす。
白い光が森に漏れると同時に木々の葉が緑に溢れてゆれる。
通常ありえない光景に、思わず目を疑い、円奈は起き上がった。
「……妖精、さん……?」
胸が不思議な魅惑にとらわれる。馬が警戒の蹄の音をならして、暴れていたが、円奈はそれに気付かず、一歩また一歩、白い森へと進み出る。
「妖精さん、いるの……?」
キラキラとした光のヴェールへ足を踏み入れる。
「私の願いをききいれてくれるの……?」
馬が尚も暴れて、円奈に危険を伝えようとするが、円奈は蜜に誘われるように、ふらふらと光に身を寄せた。
ぱあああ…
眩いばかりの光に包まれ、立っていたのは、森に並び立つ木々より高い背をした、ヒマティオンを着た人影であった。
来栖椎奈は草原を馬で走りぬけ、自国の領土をでると、他国の森へと入った。
バッサバッサ。
草木をふみつける音、木々の葉をかきわける音が、椎奈の耳をつんざく。
片手で手綱を操り、鞘におさめた剣をピンと指ではじいて剣身をわずかに出す。
青白い刃の光は、ますます強さを増している。
「急げ!」
再度馬に命じると、椎奈の馬は森を猛スピードで突き抜けた。くねくねした木々の間を器用に左右に走りながら、突き出た根っこを飛び越え、湿った土を蹄が踏んづけると走り抜ける。
一匹のふくろうが、駿足で森を駆け抜ける椎奈と馬の姿を、枝木から首をまわしながら見下ろした。
円奈は、目前に現れた、木々より高いヒマティオンの白衣をきた人影をみあげた。
その顔はぼんやり口があけられていて、表情はピカピカ四角い虹色の光に覆われていた。
魔獣を生まれて初めてその目にして─────円奈が最初に思ったのは、神秘、というイメージだった。
人間の身である彼女が、すでに結界にとらわれて、ろくな理性判断を失っているからなのかもしれないが───
その魔獣という、存在そのものが、神による作り物かなにかとして地上に降り立ったなにかに、思えた。
そしてどうしてか、その魔獣が、もっとその奥深くで、もっと過去か別次元な世界との因果がつながっている、特別な存在であるかのように、思った。
円奈は、目の前の巨大な人影が、魔獣、であることとは気がついてもいない。
どこか”懐かしさ”すら感じさせるその存在に、目を奪われているだけ。
「あなたが……」
と、魔獣むけて、自分より数十倍も背丈があるその白い影むけて、円奈は話かける。
「あなたが………私の願いを聞き届けてくれるの……?」
だが白い人影は光のオーラを放ったままで、円奈には答えをださなかった。かわりに、その存在は、結界に迷い込んだ人間に、魔術をかけることにしたのである。
結界のなかの景色がかわる。白い糸がのびる。
すると円奈は、魔獣の魔術によって、記憶の奥底に封じられた、”葬られるべき過去”の幻惑へ、精神を落とされたのである。
「あ……ああ……」
途端にそのピンク色の瞳が虚ろになって、見える光景すべてが変化していく。
森は村へとかわった。水面に映された光景のように、ゆらゆらゆらぐそのイメージの中で、村が……燃えている。
その村は、円奈もよくしっているはずの、ふるさとであった。
そのふるさとが………燃えている。
見たこともない、異国の男たちが、たいまつの火を容赦なく民家に投げ込んで、燃やしている。
家が燃え、火がたちこめ、煙のたちこめる家から脱出してきた農民の家族を、待ち受けていたかのように侵略者たちがつかまえ、剣でその横腹を刺す。
剣が突き通った箇所から真っ赤な血が滴る。
農地では、50人とも60人ともあろう侵略者の野蛮な軍団が、斧をふるい、女たちの背中に斧を振り落とし、ゴッと斧で背を切り裂いた。血が飛び散り、女はあまりの痛さに顔をゆがめてうめき声をあげて膝ついた。
その女の頭を、斧がかちわった。顔は血だらけになった。
侵略集団から逃れ、生き残った農民たちは村へと逃げ惑う。その農民たちを、弓使いの矢が屋根上から次々に射抜いている。
バス、バスッ。
農民たちの頭上に矢が降りかかる。
矢の尖った鏃の錐に、首を貫かれた農民の男は、首から血を垂らしながら喉仏にささった矢を抜こうとしている。
生き残りの農民達はこうして胸に次々に矢を受けて、一人また一人、順に倒れゆく。
「あああ……ああっ…!」
あまりの光景に、目を震わせて怯える円奈の脳裏に、とめどめなく”葬られた過去”の記憶は鮮明に蘇る。
ピンク髪の女が馬にのっていた。金髪の、青いマントを羽織った幼い魔法少女相手に、一騎打ちを申し入れている。
「私が勝てば侵略者ともどもここから帰れ」女はいっている。「私とお前の一騎打ちだ」
その女も矢に射られ、落馬した。すると見えたのは、来栖椎奈の背中だった。騎士たちを従え、侵略者を撃退しにいく。
夜、犠牲者となった無実の民の死体を火にたいて焼いていた。
火の海となって、燃やされる死体を囲んで見ている人々のなかに、自分がいた。まだ物心もつかぬころの自分が。
「あの女のせいだ」
バリトンの民は、口々に、自分たちを襲った惨劇のことを、あの女のせいと言い合った。「あの鹿目って女のせいだ」
「わたし……?」
目を覆いたくなるような惨劇の下、自分の名が噂されているのを耳にして、円奈がききかえした。「わたしのせい……?」
「そうだ」
バリトンの村人たちは、隣同士の人と、口で噂しあった。「あの鹿目って女さえ、こなければ、こんなことには……」
村人の恐さに、自分の名前を罵る言葉に、怯えて、涙する。
「そうだ、あの鹿目ってやつのせいだ…」
村人達の、罵る口は、とまらない。
「あいつを追い出すべきだ。そうだ、あいつの娘がいる。おいださないと、また敵がやってくるぞ…」
「やめて……そんなこといわないで……!」
幻惑にとりつかれる。
不幸の記憶をさぐりあてた魔獣は、負の感情を吸い取るこの存在は、十分に少女の暗い一面を引き出すと、いよいよ生気を吸い取りはじめた。
糸に絡みつかれたまま円奈は、がくんと土の湿った地面に膝つき、がくんと首をたれる。
「……もう…いやだよ………。もう……このまま生きてくなんて…」
すっかり魔獣に意識をとらわれ、そんなことまで口からでる。目から生気が消える。
するとそこへ、森の暗闇の奥から馬が現れた。
クフィーユではなかった。
大きな剣を振りかざし、猛然と魔獣と円奈の間に割って入った、変身姿になった来栖椎奈の乗る馬であった。
「円奈よ、そなたが思い悩めば私は何度でも言おう」
自分の目前に立ちはだかる、人の負の感情を食い物にする魔獣を、椎奈は見上げる。
すると剣をふりあげる。
「そなたに罪はない。そなたの命には意味があるのだ」
青白い剣が、魔獣へむけられる。
「こんな獣にはやれん」
そして巨大な人影を、一斬り、真っ二つへ裂いた。
ヒマティオンの布をまとった魔獣のイメージはかげろい、ゆらゆらとして消える。
白く煌いたオーラめいた森の幻惑は消え、もとの暗闇の森にもどった。
森閑とした真夜中の森が姿をとりもどす。
森の天井から降りる月光の輪が、椎奈と気絶した円奈の二人だけを照らしていた。
取り残された二人にあてるスポットライトかのように。
その月明かりに照らされたまま、椎奈は気絶した円奈の肩を持って抱き起こした。
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円奈は、そっと目を開けた。
「うう…?」
彼女は見知らぬ部屋のベッドに寝かしつけられていた。毛布が体を包んでいる。
力なく見開いたピンク色の目が、まず見たのは、来栖椎奈の背中であった。
「椎奈……さま……?」
自分でも驚くくらい弱った、消え入りそうな声が、喉からでる。
椎奈は暖炉を見つめていた。ここは椎奈の家屋であった。
円奈が目が覚めたとしると、椎奈はふりかえって、円奈をみた。
「そなたは魔獣に命をねらわれていた」
と、彼女はいった。「人の心につけいる魔物だ」
「そっか……私は、魔獣に襲われてたんだね……」
と、円奈は小さく笑うと、枯れた喉から声をしぼりだした。
「妖精さんじゃ、なかったんだ………」
「妖精?」
椎奈が、目をまるめ、聞き返した。
「私の願い……きいてくれる妖精さん」
と、円奈は、小さく笑うまま、枯れた声で続けた。「私を魔法少女にしてくれるって……思った…」
椎奈は鼻でふむと息ついた。契約の妖精、か。
「それで村をでて、あんなところに?」
「ごめんなさい…」
円奈は目を閉じ、領主に、許されない行為のことを謝る言葉を口にした。「勝手に出ちゃって、ごめんなさい……」
椎奈は何もいわず、毛布にくるまれたまま背を丸めた円奈の言葉を聞いている。
「私……みたの」
と、円奈は、弱りきった声を喉からしぼりだし、話した。
「燃えるバリトンの村を……みんなみんな殺されるのを……」
弱りきった、顔色の悪い彼女の顔が、ふるふる震えだす。
「…」
無言で、椎奈は弱った少女を見守る。魔獣によって、”葬られた過去”の記憶を掘り起こされたのだろう。
そこをはけ口に円奈の心を喰らいにいったに違いない。
「私のせいだったの……?」
「違う」
椎奈はすぐ言った。
「わたしがここにいるせいで……。みんな、わたしのせいだっていってた……う……」
円奈の声に嗚咽がまじってくる。
「それなのに椎奈さまは……私も……ママも……守ってくれていたんだね……」
椎奈は顔を落とした。過去を思い出したからだ。「私はお前の母を救えなかった」
「ううん……違うよ…椎奈さま」
すっと、円奈が、毛布から手をだすと、椎奈のほうのばした。
椎奈もその手をもった。
「私っ……!」
その手をつかんで、円奈は、引き寄せると、ばっと椎奈の胸へと飛び込んだ。
鎖帷子の冷たい硬さに守られた椎奈の胸へ、円奈は顔をうずめる。椎奈も円奈を抱き寄せた。
「私っ…!なのになにもできない……!だれのためになもなれない……!だれの役にも立てない子だ……!うう……ううう…!」
椎奈の胸のなかで、泣きじゃくる彼女を、ずっと抱きとめていた。
「なにかをすることもできない……!ずっとずっとこのまま……!ただ生きてるだけ……!」
円奈の背を撫でて、抱きとめてやりながら、椎奈はなぜか、神の国に仕えていた頃の自分を思い出していた。
その頃は、自分は魔法少女でもなければ、領主でもない、ただの一人の女であった。
「”聖地”にあるものはなにか」
と、椎奈は、胸元ですすり泣き続ける円奈のピンク髪の頭を撫でてやると、静かに、語りだした。
まるで、子守唄代わりに、御伽噺をつむぐ、母親のように。
「世界の果てのあの場所では───」
円奈が、そっと顔をあげて、椎奈をみあげる。
「生まれつき家持てぬ者が街の名士となり───」
椎奈は、壁を見つめたままで、円奈とは目をあわさず、語る。
「生まれつきの名士が街で物乞いをする」
とまで語ると、椎奈は、ある単語を口にした。「”天の御国”だ」
椎奈が何の話をしているのかやっと気づき、円奈は、はっとを目を見開いて茶毛の魔法少女をみた。
しかし椎奈は立ち上がると、円奈に背をむけて歩いてしまう。
「あ…待って…!」
円奈は手をのばし、椎奈をひきとめようとし、懇願した。「もって聞かせて……!その話…私に…!」
それには答えず、椎奈は何年かぶりに棚の引き出しをあけた。
木の棚のその引き出しのなかには、赤いリボンがあった。
”もし娘が、この村をこのようにした因果を背負うようなときになったら───”
”そのときに、娘に渡せ”
記憶の中の神無の声が、そのとき鮮明に蘇る。
椎奈は赤いリボンをぼうっと見下ろす。
葬られた過去の因果。その悲劇が、「これ」によって引き起こされた「因果」だというのなら───。
こんなものが、世界のあらゆる魔法少女の心を狂わせる因果だというのなら───。
まるでそれは、神の国と同じではないか。
しかし、椎奈は、再びリボンを、引き出しにしまった。
「今は休むといい」
と、椎奈は、円奈に背をむけたまま、告げた。「勝手に村を出たことは、今回は不問にしよう」
「あ…」
円奈の目に、大きな涙つぶがたまる。
それは、封土を勝手にでたことは許してはくれたけれども、神の国についての話はこれまでだという意味も、含まれていた。
「うう……」
自分が犯してしまった禁忌と、それを領主が許してくれたことと、魔法少女になりたいと命がけで願いつづけたその希望もついえたのと、いろいろな気持ちに襲われて。
円奈は、ただ領主の毛布にくるまって、泣きじゃくった。
49
そしてありったけの感情をすべて涙にして、それも枯らしたあと円奈は、眠りについた。
領主の毛布のなかで、ぐっすりと眠っている。
ろうそく数本に照らされる、石壁の家屋のなかで眠る円奈をよそにして、椎奈は外に出た。
外に出て、天をみあげた。夜空に浮かぶ、煌く星を。
夜の寒さのなかでそれは、きらきらと空のむこうの宇宙に、無数に浮いている。その数は無限で、その光はこの地上とは遥かに遠い。
椎奈はその星を見つめ、その天に存在するという円環の理に、そして神の国に思いを馳せた。
かつて神の国へゆき、”円環の理”が誕生した国をこの目でみてきた椎奈は、円奈にある想いを抱いていた。
それは、自分にできなくて、円奈に、ひょっとしたら実現してくれるかもしれない、聖地への願いである。
そんなことを思い悩み、椎奈はただ、天の夜空をみあげる。きらきら煌く星の数々をみあげる。そこで地上を見下ろしているという円環の理をみつめる。
「なにかお悩みなんですね」
すると、夜空をずっとみあげていた椎奈のもとに、女の声がした。彼女の護衛を勤める騎士・希香(ののか)であった。
「この寒いのに、どうして外へ?」
「それは、おまえにもきいてみたいな」
椎奈が顔おろすと、笑って言った。「どうしてここに?」
「こんなに空がきれいなんです」
希香が微笑む。「みたくもなります」彼女もそういって、椎奈がそうしていたように、夜空をみあげる。
それから、天の川きらめく銀河の夜空みあげながら、希香はこう話し出した。
「神の国という場所は、本当に、魔法少女にとって大切な場所なんですね」
「…」
椎奈は、首おとして頷くと、笑い声漏らした。「おまえは、わたしの考えていることがわかるのかな。いつ契約して魔法少女になった?」
「あなたに付き添ってきたんです。わかります。それに───」
希香は、微笑んだまま、領主をみた。「女の勘です」
「空がきれいだから外に出てきたのでないな?」
「わたしはあなたに忠誠を誓った騎士です」
希香は言い、椎奈の隣に並んだ。「そのあなたにとって大切な場所なんです。あなたに従い聖地にむかいます」
「…」
椎奈は押し黙る。
本当に、どうやらこの騎士は、わたしのことがなんでもわかるみたいだ。
「ここから神の国は、離れすぎている。外の世界は残酷で、魔法少女と人がどこでも争っている。おまえたちを巻き込んで外に連れだせん」
「でも何年も前からエレムから────」
希香は、相手の話を恐れず、提言する。「増援要請がここバリトンにもきているのでしょう?」
「…ふむ。エレムは、世界のいたるところの同盟の者、同民族に────召集かけている」
「葉月レナという、神の国の王が?」
希香がたずねた。
「王ではない。その臣下たちだ」
「へえ…そうなんですね」
希香が、感心したように、うなる。「地上すべてって…全世界じゅうってことです?エレムは、そんなにあらゆる人脈を持っているので?」
「そういう、特性のある国なのだ」
椎奈は答えた。
だから、本国からこんな遠く離れた辺境の地にも臣下の国がある。来栖椎奈はエレム人の出身である。
「それで、わたしたちのところにも召集きた、と」
希香がいう。「サラドの雪夢沙良って人はどんな魔法少女なので?」
「私も直接戦ったことはない」
椎奈が答える。騎士と魔法少女は、二人ならんで、バリトンの夜の降りた山々と山峡を見つめている。
夜行性の獣たちが、ときおり鳴き声をならす。夜の山こそは、野生と獣の世界なのである。
「別名を”雪月花の魔法少女”という────」
椎奈が語りだす。
このあたりは、自力で読み書きをおぼえ、神の国について調べ上げた円奈も知っていることだ。
「雪夢沙良は、残忍で絶対なる力をふるう、そういう類の君主ではなく、むしろ寛大だ。敵の捕虜を何回も解放している。身代金を払えぬ捕虜については、自ら私財から代わりに払ってやることさえあったという」
「そりゃまた、お優しい君主さまですね」
希香が、ちょっと感心したようにいった。「神の国、むこうの大陸の魔法少女は、もっと残忍だと思ってました。なんたって200年も戦っているでしょう。あそこ」
「雪夢沙良はいま手下に多くの魔法少女を従えている。だがその彼女も、今や聖地奪還に本腰だという」
「そもそも、エレムとサラドが、一緒になって神の国を統治すればいいのに」
と、希香は、素朴な疑問をとなえた。「何も奪い合って血で塗らす必要なんか───」
「それが、そうもいかぬのだ」
椎奈は、思いつめたように、首をおとした。「簡単には収まらぬ問題が、あそこにはある」
「どんな問題です?」
希香がたずねると、椎奈は、首を横にふった。「聖地を知らぬおまえに、説明できない」
希香の表情が曇る。
「おまえたちを巻き込めん」
すると椎奈は、この話はおしまいとばかりに希香のもとを離れる。
その、苦悩の末に妥協したみたいな寂しげな領主の背中に、希香はついていく。
「だったら、聖地をみないきたいなあ!」
と、椎奈の背中に、そう言葉を投げかける。つま先でのびして、手をひろげ、呼び留める。
「聖地をこの目でみれば、なにが問題になってるかも、わかるんですよね?」
椎奈がピタと歩みをとめる。背中だけ希香にむける。
「だったら、見たいなあ!」
希香は、夜の寒空に冷えた手の指を結ぶ。祈る少女みたいに、手を結んで、語る。
「だって、なんたてったって、聖地ですもの。いまの世界が、つくられた最初の場所。一度は、いってみたいものです」
「…」
「それに、かっこいいじゃないですか!」
と、希香は、領主に語り続ける。
「わたし、これでも、騎士です。あなたに忠誠を誓いました。でも、ちょっと思い返せば、最近のわたしがしてることって、あなたの世話役ばっかじゃないですか。」
照れたように、自分の黒髪に触れて、そう話した。
「例えばあなたの服のお洗濯とかお風呂の用意とか……着替えとか……なんか、騎士らしくないっていうか……これじゃ侍女と同じですよねっていうか……あ、不満なんかじゃないですよ、お給料もらってますし!」
と、慌てて両手の先を伸ばしてぶんぶん振るうと、弁明する。
「でも、なんか、カッコいいじゃないですか。騎士として祖国を旅たち、聖地をめざす!その危険きわまりない世界に、騎士として飛び出すんです!ほら、なんか、騎士らしいじゃないですか!騎士道物語にでてくる主人公みたいで!」
顔をわずかに赤く染めながら、希香はそうまで語ると、椎奈の背中をみた。
何も語らない、ただ立ち止まっているだけの領主の背中と、その夜風に流れる茶髪の後ろ姿を、みる。
「だから……あなたが望む旅に、お供いたします」
「希香」
椎奈は、立ち止まったまま、顔だけもちあげる、背むけたままで言った。「私をたぶらかそうなんて10年はやいぞ」
「あっはは……ばれてます?」
希香は、また照れたように髪の毛をつかむ。「でも、本当に思っていることです。聖地に旅立つたびへの心構えはできてます。私だって騎士ですから。でも騎士道物語の主人公は────」
すると彼女は、少しだけ悔しそうに、口を噤んだが、それから微笑んでみせると、告げた。
「”あの子”にするんでしょう?」
「…」
領主はまた無言になる。それから、やっと希香のほうにふりむいた。
「おまえは本当に、わたしのことが分かるらしい」
「みてればわかりますって」
希香は、悔しさを隠して笑う。「どれだけあなたが、あいつに目をかけてやっていたか…」
「そうかもしれんな」
椎奈もふっと笑い、また希香に背をむけ、歩き出した。手にもってきた、赤いリボン握りながら。
「希香、そなたの気持ちは、ありがたく受け取ろう」
といい、さっきまでの寂しげな背中とはうってかわって、自信に満ちたいつもの領主になって、草むらを進んで地平線のほうへ進む。
銀河の光が無数に並ぶ、地平線のほうへ。
領主の背中が歩き去る。
希香は何もいえず、その背中を見送った。
50
そのとき円奈は、眠りから覚めて、真夜中の外に出てきていた。
領主の家をそっと出ては、その先にたって、地平線に光る銀河の星々を見つめながら、思いにふけっている来栖椎奈の横に、そっと並んだ。
「……ごめんなさい」
と、最初に、円奈は、そういった。「勝手に村をでちゃって……ごめんなさい」
「そのことはもう不問にするといった。きこえてなかったかな」
椎奈は、地平線に広がる銀河の光をみながら、言った。
いわゆるビルや、建物といったものがないこの時代では、地平線のはるか先まで眺望できて、地平線のむこうには、銀河の光の群れである天の川が、はるか上空から地平線まで降りていた。
「でも……」
円奈は、うやうやしく、領主に謝り続ける。「勝手に、でちゃいけないのに、わたし……」
「そなたが魔獣に捕われなくてよかった」
椎奈は腕組んだまま俯いて、言った。「あぶないところであった」
「……わたし、あのとき」
枯らしたはずの涙は、領主の前で、また目に溜まり始めた。「おもったんです。しんでいいかなって……」
領主は、顔をあげて、地平線に煌く銀河の川を見つめている。無数の煌きを。
「私の命になんて意味はなくて……なんの役にも立てないで……」
円奈は、こみあげてくる嗚咽に、どうしようもなくなってくる。
うっうと嗚咽漏らして、手で目を覆ってしまう。「だから……死ぬのも…いいのかなって……」
「円奈よ。私は何度でもいおう」
すると領主がふりむいて、円奈の肩に手をかけると、自分も屈んで、円奈に目線をあわした。
「そなたの命には意味がある」
そういって、微笑みかけてくる領主であり魔法少女である来栖椎奈の顔を、泣きじゃくった円奈の顔が見返す。
傷ついたピンク色の少女は、まだ震えて怯えている。
「円奈よ」
椎奈は円奈の肩に手をかけたまま、告げた。「わたしと聖地へ行こう」
「聖地……?」
少女の目が、涙のたまった目が、椎奈をみる。
「そう。聖地だ」
椎奈はしゃがみこみ、涙ぐむ円奈の目をまっすぐ見つめ、いった。
少女の目が、涙のたまった目が、椎奈をみる。「神の国……?ええっ?」
それから、びっくり仰天して声をあげた。「神の国にいくの?」
「そう。神の国。我らが魔法少女の聖地。円環の理が誕生し、世界が組みかえられた奇跡の国」
椎奈は微笑み、円奈に言う。
「すまない。私は確かにここの領主だが、同時にエレム国の王の臣下であったのだ。そのエレム国からここ数年間、ずっと呼ばれていた。雪夢沙良と戦うために」
「そ、そ、それって……」
円奈の声が震えている。
「エレム国の臣下?椎奈さまが?エレムって、あの……神の国のエレム?」
「そうだ」
椎奈は答え、手に持った赤いリボンを───円奈の髪にむすんでやる。
聖地の因果を。
だから、見守ろう。
これからは、円奈よ、そなたを必ず聖地に送り届ける。それまで、守り続ける。
椎奈はひそかに心で誓う。
「それ、なに?」
円奈は、椎奈の取り出したリボンを不思議そうにみつめ、たずねる。
「記念の品だ」
と、椎奈は答え、ピンク色の髪に、赤いリボンを、ポニーテールに結いでやった。
「これからの旅の、お守りと思っていればよい」
「そうなの?」
円奈は、髪に結ばれる赤いリボンを、目をつむって心地よさそうに受け入れている。「これは、椎奈さまの?」
「いや」
椎奈は、結んでやりながら、言った。「かつて、ある人から預かったものだ」
「あっ!」
すっかりはしゃぎモードになった円奈が、いきなり、夜空をゆびさした。「椎奈さま、みて!」
びっと腕をあげると、その髪に結ばれるリボンが動作にあわせてゆらめく。
リボンは、とてもよく、少女に、似合っていた。
何千年という魔法少女たちの戦いの因果が、いま円奈に載せられる。
椎奈が地平線に浮かんだ銀河の星空に目を映すと────。
キラリと、銀河煌く無数の星のなかを、滑るように流れ、煌いては消えた、光の筋があった。
「流れ星だよ!私、はじめて見たな!」
なんていい、円奈は、ひとり、寒空に凍えそうな指と指をあわせて、目を瞑る。
「流れ星みたら、お願い事がかなうって……」
指を絡めて、お願い事する仕草をみせた円奈だったが、首を傾げた。
「あっ、でも神の国にいきたいって私の願い、かなったんだよね?白い妖精さんに願わなくても、かなったんだ──」
椎奈は、はしゃいで、照れたように頬を手にとる円奈の、久々の笑顔を見守ると、再び、銀河の星空をみあげた。
51
その一週間後、バリトンの領主に、エレム国との契約更新の日がやってきた。
ここでいう契約とは、国王と領主の間に結ばれる、臣従の契りであり、封建的な契りことである。
来栖椎奈は、昔、一人の女であったが、神の国の王・葉月レナと臣従を結び、忠誠を誓う見返りに、バリトンの領土を封授された。
この臣従の契約が有効である限りは、椎奈は、バリトンの領主であることが認められる。
契約は、一年と40日という期限であったから、その度に、契約を更新した。
いちど、契約更新すると、次の契約更新日まで、決して忠誠を破ることは許されないが、もとより、更新しないなどは、ふつう、ありえなかった。
更新しないということは、バリトンの領土を手放して、葉月レナに返す、という意味である。
となれば、別の魔法少女が、すぐに領土をとりにやってくるだろう。
魔法少女いえども、領土なければ、帰る場所がないも同然なのである。
椎奈は今回の期限日も、契約更新する気でいた。
しかし、契約更新するたび、エレム国からは、こう要求された。
「葉月レナに忠誠を誓ったあなたが、なぜ、いっこうに、神の国へ兵力をよこさないのです。」
たしかに、忠誠を誓ったのなら、神の国の危機とあらば、出向くのが、筋というものであった。
そういう見返りに、土地を授封される、という制度なのだから。
しかし椎奈は、平和なバリトンを愛した。
暁美ほむらからきけば、神の国はたしかに、雪夢沙良の脅威と戦っているが、神の国の王・葉月レナ本人は、バリトンの領主に直接、くるようにとは命じていないらしい。
エレム国の臣下である魔法少女たちが、口々に、椎奈にたいして、こい、こいといっているだけなのだ。
本国では、何が何でも兵力を同盟・同民族のうちからかき集めようとする一派と、戦争を避けようとする一派とに、分裂しているようだ。
なら、拒否権というか、断る選択の余地も、残されていた。
だから椎奈は、更新の日があるたび、エレム国と契約更新の手続きはしつつも、戦いには参加しない意向を、際どく守り抜いてきた。
いま、一年と40日ぶりに、契約更新のために、エレム国の使者が、椎奈の領土を訪れている。
「椎奈殿」
いつか、円奈を市場に連れて行ったときにやってきたのと、同じ魔法少女が、馬上から椎奈の名を呼んだ。
一年と40日ぶりの再会である。
「そなたは魔法少女であると同時に───」
そう、エレム国の魔法少女は言う。使者の名は、リゲルといった。
「”神の国に使える戦士”だ」
「神の国へ────」
椎名は、ついに、答えた。
「いこう」
山風が吹き、バリトンの草むらの上を流れ、風は山峡から地平線へ流れていった。
「レナさまにお伝えしましょう」
と、すぐにリゲルは言った。馬の向きを翻らせ、もう契約更新の意図も汲み取ったとばかりに、使者をつれて去る。
「先に神の国でお待ちしております」
リゲルは背をむけたまま、語る。神の国の魔法少女である彼女が。
ハッ!
と掛け声だして、リゲルとその使者は馬を走らせ、林へと消えた。
椎奈は、踵をかえして村へともどる。その明るい茶髪を風になびかせて。
それから丘から見渡せる山峡の村を眺め、見渡した。
次回、第4話「ファラス地方の森 ①」
第4話「ファラス地方の森 ①」
52
次の日の朝、鹿目円奈は、旅の準備を整えて、丘の墓の前に立っていた。
冬が終わり、春がはじまった。
春初めのほのかに優しげな風がふいて、その髪に結ばれた赤いリボンが、ゆらゆらとゆれる。
この赤いリボンが誰のものなのかを円奈は知らない。
丘からは、別れを告げることになる故郷の村と農地が、広がっているのが見下ろせる。
円奈は丘から、村と里の山峡をつくる山脈を見渡した。
いままでは、あの山脈の先にある世界を、知らなかった。その先にどんな世界があり、広がっているのか、知らなかった。
封建社会のなかに生まれて、生まれの領土からはなれた外の世界を、まったく知らなかった。
でも、これからは果てしない、その先にある神の国へと、旅立つことになるのである。
2500マイルの旅だ。
それから円奈は、これからはじまる旅の前に、墓の前にむかって、手をあわせると、いつものように黙祷して、顔しらぬ両親に、自分のことを語った。
円奈は墓の前に片膝をついて、両手を握りしめた。目を瞑り、黙祷する。
今回はでも、いつもとは違うことを両親に心で告げることができた。それが円奈には嬉しかった。
お父さま。お母さま。
聞いてください。私、神の国に行くことになりました。魔法少女の聖地にいけるのです。
だから、私を見守っていてください。
心でそう告げると、目を開いて円奈は立った。そして丘から故郷のバリトンの村を眺めた。
まだ春の迎えない、寒々しさの残る冬の空は乾いていて、雲は厚い。
しばらく、いや、ひょっとしたら二度と戻ることもない里の景色が、今はなんだか、かけがえのない宝物にも思えた。
円奈の着込む服は庶民らしい、毛織物の裾の長い、古風ドレスのようなチュニックだった。
裾は長いといっても、足首は肌を覗かせた。幼少時代からのお古なのであり、毎日これを着てきた。
それくらいでないと、旅するのに向いてないし、むし戦闘になったら、動きづらい。
チュニックは腰のあたりでベルトしてきゅっと締めていた。すると、胸まわりが細くほっそりと見えた。
着古しすぎてるだけで、ごく一般的な、当時の少女の服装だ。何も特別なことはない。
その服装に、円奈は布袋を持ち、腰に巻いたベルトに鞘を取り付け、村の鍛冶屋に磨いでもらった剣を収めた。
背中には得意武器である自作の弓矢を担っていた。矢筒には10本程度の矢が入っている。
旅の準備はかくして、万全なのであった。
両親の眠る墓と、バリトンの村の景観をもう一度だけ見つめると、ひと吹きの風が、円奈に吹きつけた。
それがまるで自分の背中を押している風のように感じた円奈は、ピンクの髪を風に受けてなびかせながら、足を翻して歩みはじめた。
円奈は農地へと降りる坂道を歩むと空をみあげた。
冬の空はくぐもっていて、寒々としていた。でも円奈は、自分のこれからの旅を祝福してくれる、そう思った。
53
円奈が村の人々と合流すると、人々も旅の準備をもう整えているようだった。
馬を連れ、兵糧などの荷物を持たせ、自分達は武装していた。鎧は着込んだりせず、簡単な防具をつけただけの軽装だった。長旅になるから当然だった。
私も遅れないようにしなくちゃ。
村の馬を飼っている馬小屋まで急ぎ、自分の飼い馬を探した。「クフィーユ!」
自分の愛馬を見つけると、馬を収めた仕切りの扉を外して、馬の轡の綱を持って馬を馬小屋からだした。
「クフィーユ、元気にしてた?」
その飼い主の問いかけに、馬は円奈の顔に頬をすり合わせて答えた。そのくすぐったさに、少女が照れて笑った。
「えへへ、クフィーユったら甘えん坊さんなんだから」
といいながら、なついてくる馬の頭を優しく撫でてやる。二人(?)の間には、深い絆があった。
この時代に、ある意味必須なスキル───馬乗りを、円奈は14歳でこなせるようになった。
馬に乗りながら弓矢で的を狙う練習をしたり、バリトンの地を駆け抜けたり。二人だけの思い出が、たくさんあった。
狭い世界ながら、二人だけでいろんな景色も見てきた。
クフィーユと、円奈がそう名づけた馬の世話も、円奈がしてきた。
これからは、もっといろいろな世界を見れるにちがいない。
「クフィーユ、これからも一緒に行こうね」
円奈が、嬉しさいっぱいの微笑みで、馬に語りかける。この喜びを、分かちあいたい少女の気持ちが顔に顕れていた。
「私たち、神の国に行けるんだよ!この世界でいちばん聖なる場所だよ」
「ふん、だ」
すると、馬と語り合っていた円奈の隣で、もう一人の少女が鼻を鳴らした。その少女もまた、馬小屋から自分の馬を出すところだった。
「あ、佐柚(さゆ)ちゃん」
円奈が驚いた声でその少女の名前を呼んだ。同じバリトンの村に生きる少女で、円奈と同い年だった。
その佐柚と呼ばれた少女は、不機嫌そうに馬の轡を引っ張っている。そんな乱暴なやり方だから、馬も嫌がって馬小屋から出ようとしなかった。
「なにが、聖なる場所ですか!」
と、馬の綱を強引に引っ張りながら少女が愚痴っぽく声を漏らした。馬は強い鼻息を吐き出した。
「佐柚ちゃんは、神の国に行きたくないの?」
と、円奈が問いかけると。
「あったりまえです!」
と答えた。キーっと、円奈を非難するような、キツめの感情が円奈にぶつけられた。
「どうしてあんな、遠くてしかも血なまぐさい国に、いかなきゃいけないんですか。神の国なんていってますけど、200年近くも、エレムとサラドがそこを奪い合って、戦争してるって話しではありませんか。そんなところゴメンです!」
「んー、それはそうなんだけど、」
確かに、少女の話は正しい。エレム国とサラド国。この強大な二大勢力が、ライバル同士として長いこと神の国をとりあっている話は有名だ。
「そうまでして守るような何かがあるっていうか……」
あれ、私なに話してるんだろう。
「椎奈さまにとってもいろんな魔法少女にとっても、神の国は救いの場所だから…」
「殺しあってごまんと人が死ぬところが救いの場所なんですか?」
少女の顔の機嫌は直らない。
「そりゃ、あたしだって行くしかないです。このバリトンの地はエレムの”子分”に収まっている国です。エレムのほうから来いといわれたら行くしかないんです。でもそれって、結局サラドと戦争するから来いってことじゃないですか。そこで私たちみな、死ぬかもしれないんですよ?」
「うん……でもね、」
なんとなく円奈は、相手が正論だとわかっていても、神の国を否定されるのは嫌な気分になった。
「このバリトンの国だって、椎奈さまがつくってくれたし、他国の魔法少女から攻めてきたときも、エレムの魔法少女が守ってくれる。私たちは魔法少女がいないと、生きていけないんだよ。そんな魔法少女みんなが必ず救われる、そう信じられているのが神の国なんだよ。命に代えて私たちを守ってくれた魔法少女のために、私たちも戦うんだよ」
「くっ…」
円奈に痛いところをつかれたという感じで、佐柚と呼ばれた少女が口をつぐんだ。生身の人間がこの世界では、魔法少女の力なしに生きられないというのは、事実だった。
「だから魔法少女はみんな神の国に救いを求めていくし──」
円奈の話が続く。
「とても大事な場所で、聖なる場所だと思うの。命に代えても守る場所だよ」
「それで向こうは、命に代えても奪い返そうって、そういう場所なんでしょ!」
プイとそっぽを向き、もう会話したくないというように、少女は背中をみせた。
「そうやって殺し合いが起こるんです」
円奈は落ち込んだ気持ちで少女の背中を見つめていた。馬を連れて馬小屋を出て行く少女の背中を見つめ続けるしかなかった。
言い合いに勝っても、全然嬉しい気持ちじゃなかった。
こんな調子で、村の少女達は魔法少女や、その世界、神の国についても肯定的じゃなくて、円奈はいつも彼女たちと話があわなくて口論になった。
ますますだから、円奈は村では一人ぼっちになっていった。
世界にとって魔法少女はなくてはならない存在だし、でも一旦魔法少女になると想像を絶するような苦難が待ち受けていて。
そんな宿命を負った少女達が救われると信じられる場所があるなら、それだけで素晴らしいことだと思う。
「クフィーユ、いこっか」
自分を心配げに寄り添ってくる馬の頭をなでると、円奈はそう告げ、馬小屋から連れ出した。
54
馬に跨り、手綱を引いて馬を走らせる。
円奈は出発のための集合場所へと急いだ。
蹄が土の地面を蹴り、足音を鳴らしながら、馬は少女を村へと運ぶ。その乗りこなしは、少女ながら見事だった。
「あっ!」
町の人々が集合している場所を見つけると円奈は手綱をひいた。
主人のいうことをきいて馬は、その場で前足をあげ、蹄を鳴らして止まった。
すいっと馬を降り、地面に立つと円奈は、馬具に取り付けていた弓矢を背中に担いで、人々の集まりに円奈も加わった。
佐柚とまた会ったが、佐柚はまたプイと円奈にそっぽ向いた。
(うーん…)
複雑な気持ちに、円奈は襲われた。
旅の支度を整えた村人たちは、村の少女たち、少年たち、大人も含め、たくさんいたし、それぞれが準備を整えていた。
馬を持つ者がいれば、持たない者もいた。
「まどなさん!」
自分の名前を呼ばれて、円奈が振り返った。
一人の少女が、恥ずかしげに自分を見ていた。
「あ、こゆりちゃん」
ぱっと、円奈の顔が明るくなる。こゆりもまた同じ村の、年下の少女だった。
「元気にしてた?」
さゆりと呼ばれた少女の手をとり、両手に握る円奈。すると、こゆりの顔が赤く紅潮して、どきまぎしたように円奈から目をそらした。
「あ…はい、おかげさまで」
「おかげさま?」円奈が不思議そうに首をひねった。
「あっ!!いや、その」
何かいい間違えでもしたのだろうか。慌てて少女は、言いなおした。「ずっと、元気、でした!」
「そっか。ならよかった!」
満面の笑みになってそう言ってくれる桃色の髪の少女に、こゆりと呼ばれた少女は見とれていた。
密やかな憧れの思いを抱く、円奈を見つめていた。
村一番の弓矢の名手。馬を駆り、的を射る姿。真剣な眼差し。その華麗さ。
ずっと遠くから、見つめ続けてきた。彼女は、円奈の”葬られるべき過去”は、知らない世代であった。
「どうしたの?」
こゆりのきらきらした視線にきづいた円奈が、また不思議そうに訊いた。
「あ、いえ、その──!」また、かああっと紅潮する黒髪の少女。「これからは、大変な、旅に、なりそう、ですね?」
と、ぎこちなく話題を変える。
「うん!でも、素敵な旅だよ」
またニコっと笑い、円奈は告げた。「私、生まれてからバリトンを離れたことがないんだ。でもこれからは───たくさんの知らない世界が待ち受けてる、そんな気がする」
こゆりはじっと、憧れの先輩の優しげな微笑を見上げていた。見とれてしまうと、また、言葉を紡ぐのを忘れて魅入ってしまう。
「こゆりちゃん?」
そして、また円奈からいわれて、少女ははっと再び我に帰った。
「あ、はい!私も、そう思い、ます!」
ぎこちなく告げる口調は、明らかに緊張していて、顔は相変わらず赤かった。
「来栖さま!来栖さま!」
いっぽうそのとき、バリトンの領主の家では、顔を真っ青にした税取立ての役人が、領主の魔法少女をおいかけまわしていた。
「いったいどういうおつもりなので?」
「なにがだ」
すでに武装の騎士姿となり、旅の準備を整えている椎奈は、役人に聞き返す。
「本気で旅立つおつもりですか!」
と、役人は、領主に、非難を浴びせかけ始める。
「ここからエレムまで、どれほど距離があると?2500マイル以上もあるのですぞ!」
「それがどうかしたか」
椎奈の口調はあくまで自信に満ちていて、神の国への旅にでる決心は揺るぎそうにない。
しかし、役人は非難し続けた。
「行く先々国々で道を通るたびに通行税を払い、宿営の許可を得て、兵站を維持し、あらゆる敵国の街道を通るたびに安全と引き換えに金品を支払うのですぞ!そんな費用がどこに?」
「費用は隣の領主───」
椎奈は、まるでその役人の文句を予期していたかのような早さで、すぐに答えた。
「メイ・ロンから借り入れている。われわれがエレムの地へいき、戦いを済ませば、エレム国から5倍の報酬をうけとってここに戻れる。借り入れの利子にももちろん目処はいっている。それから兵站についてだが」
役人の顔がますます真っ青になる。
「エドレスの都市の先、ミデルフォトルの港でエレム国の部隊と合流予定だ。そこで兵站については問題なくなる」
税取りたて役人は、言葉を失ってただ魔法少女を呆然と見つめていた。
農民たちの一部分が村を発ち、遠くエレムまでいくということは、税を納める農民がいなくなるということであり、役人にとっては、私財に旅立たれるも同然なのである。
「あなたは、バリトンの民を滅亡においやるおつもりですか!」
と、役人は、糾弾した。
「そうはさせん」
椎奈はそうとだけ答え、もう役人は無視して、馬に飛び乗った。「私は魔法少女だからだ」
轡の手綱をとり、馬を走らせる。
魔法少女は馬を馳せ、役人のもとからきえた。
取り残された役人が途方にくれるなか、パカパカという、走り去った馬の蹄の音だけが鳴り轟いていた。
55
そのころバリトンの村では、村人たちが、このような会話をかわしていた。
村の一部分、つまり60人ほどが、領主がこの日でる遠い国への旅への護衛・補給部隊に抜擢されていた。
つまり、抜擢された者は、兵站を荷車にのせ、役畜に運ばせながら、領主の聖地への旅に付き添うことになるのだ。
約、2500マイルという、途方もない、長旅、大遠征である。抜擢された者は、さちか不幸か。
60人という人数が椎奈よにって抜擢され、村人のうちで軍役というか、領主の遠征に付き添うことになるのだが、つまりこの人数こそが、遠い聖地に、領主が戦士として無事に辿り着くために必要な最低限の人数になる。
それだけ、危険が多い旅になるのだろう。あるときは仲の悪い国の街道を通り、あるときは盗賊が多くて有名な森林地帯を通り、あるときは戦争中の国と国の国境を乗り越える。
「いったいぜんたい、神の国ってなんだ?」
と、ある村人が不満げな声を、漏らしていた。「こっからどれくらい遠いんだ?なにが、聖戦なんだ?」
「あら、あんたったら、しらないの?」
その妻、エプロン姿の農民が、答える。荷車に荷物をのせ、馬に運ばせる。
その馬の背中にも、荷物をのせる。「魔法つかいたちの、聖地だよ!来栖さまのような、人たちのね。」
「なんでおれたち人間までいかなきゃならん?」
農民の不満げな声は、やまない。「なら、魔法つかい同士で、とりあってればいいだろ。」
「そうはいったって、あんた、来栖さまに来いと命じられたら、いくしかないだろうに。」
と、妻は、両手を腰にあて、荷馬の様子を見守りつつ、夫に答える。
「来栖さまは、昔、他国の魔法使いに襲われたとき、守ってくださったお方だ。魔獣っていう、呪いからも、守ってくださっている方だ。その来栖さまにいけといわれたら、あたしら、いくしかないだろ。」
「だがよ、その他国の魔法使いが攻め込んできたってのもよ、鹿目って女のせいなんだろ?」
と、農民は、不満げに語り続ける。馬の背中に乗せた麻袋ぱんぱんと叩く。
「その娘、まだ生きてるんだよな?村のはずれの家屋に住み着いてるって。そいつのせいなんじゃないのか?」
「さあねえ」
妻は、頬に手をあて、考える仕草をした。「魔法使いさまのことは、わたしにも、よくわからないからねえ」
ある人はこうして不満げな会話をかわしあい、また、ある村人たちは抜擢された者と村にとどまる者同士で涙ながらな別れを交し合い、村にとどまる村人同士は、抜擢されて領主の聖地への旅立ちに付き添うことになった村人のことを労わった。
と、そのとき、とぉっ!という声がして、愚痴と文句を交わす二人の横を、一頭の馬と、それに跨った少女が、かけぬけた。
ぶわっと風が沸き起こり、農民たちの髪をゆらした。
農民たちが見ると、馬を走らせているのはピンク色の髪をした少女だった。背中には弓をとりつけ、その腰の鞘に納めた剣がぶらさがっていた。
馬がはしるたび、腰に巻いた鞘がぷらぷらとゆれ、馬具にとりつけられた革製の水筒も、かちゃかちゃとゆれる。
かと思えば少女は、手綱をばっとひいて馬をとめ、軽やかな動きで地面に降り立つ。
「あれ、鹿目じゃないのか?」
農民が、あっけに取られた様子で、明るい髪をした少女を指差した。
農民二人とも、おどろいていた。
というのも、この村に不幸を呼んできた少女、そう呼んで忌み嫌っていた少女の、見事な馬の乗りこなしに、すっかり感心させられてしまったからであった。
悪魔を呼び寄せる女、不幸を呼び寄せる女、魔女────。
あらゆる呼び方をしてバリトンの農民は鹿目という少女をのけ者にしてきたが、そんななかでも懸命に生き抜いてきた少女は、今や農民たちを見返すほどに成長してきていた。
56
そのころ椎奈は、場所に跨った他の騎士たちと合流していた。
村を外敵や、魔獣の手から民を守るのが魔法少女の役目であるが、その魔法少女の護衛を務めるのが騎士たちである。
バリトンの騎士たちは、6、7人ほどで、五人が男の騎士、二人が女性、少女の騎士でった。
そのうちの一人が、あの希香である。もう一人の少女騎士は、ほとんどまだ見習いで、実質、椎奈の世話係であった。
見習いはさておき、騎士たちは馬を乗りこなせるのはもちろんのこと、剣術、弓を習得している。
またそうでなければ、外敵と戦うことはできなかった。
「旅の支度は?」
「できています。食糧は───」
男の騎士の一人が、椎奈に答えた。「荷車に乗せています。私どもは後列について、護衛します」
「ふむ」
椎奈が顎をつかむ。「おまえたちは?」
「あなたに付き添います」希香と、少女騎士が、答えた。「前列ですよね?」
「そうだ」
椎奈は答える。
魔法少女である来栖椎奈は、魔獣と戦うときこそ変身するけれども、そうでないときは、騎士姿になることが多かった。
つまり、羽毛のコートに鎖帷子を着込み、チュニックを着たクローク姿である。
その足は革のブーツで、足を隠している。
手袋をはめ、腰に鞘をぶらさげ、大きな剣を納めている。
変身姿にならなくても、十分に戦える魔法少女の武装である。
まわりの騎士たちも、椎奈ほど豪勢な服装ではなかったが、鎖帷子をきていたし、鞘に剣を納めていたし、弓を使う騎士もいたから、出で立ちは似ていた。
「ゆこう」
椎奈はいい、馬に乗ったまま、民達の集合場所の前へとむかった。
騎士たちもそれに続いて、馬を進め、椎奈のあとに従う。
57
こうして、バリトンは神の国への道をめざす2500マイル、つまり4000kmの旅にでた。
エレム国とサラド国という、世界で最も強力な恐るべき魔法少女が治める二大王国の戦争に、援軍に向かうという形で。
領主の聖地への旅である。それに付き添う形で、村で抜擢された60人ほどが、護衛・兵站の運送・補給にあたる。
円奈は、本での話でしか、魔法少女が、どのように魔獣と戦っているのか、魔法少女同士でどう戦争するのかを知らなかったし、来栖椎奈の魔獣退治にも連れてはもらえなかった(いわゆる、魔獣退治体験コース)。
この目では全く知らないことだ。
魔獣に襲われたことはあったが、そこで気を失ってしまったから、来栖椎奈が魔法の姿に変身し、魔獣と戦う姿を、見逃した。
神の国へゆき、そこにいったら、どんな光景を目の当たりにするのか皆目分からなかったけれど、少なくとも円奈はいまは、神の国に旅たつ、その使命感に燃えていた。
それに、心の奥底で憧れていた、世界帝国を築き上げるような超大な支配者たる魔法少女たちに、神の国へ行って会いにいけると思うと、やっぱり円奈の心は燃えるような期待感に満ちていた。
バリトンの人々は、ほとんど歩きで列になって旅路を歩いていた。バリトンの民の輸送部隊は60人ほどだったが、列になると長かった。列の先頭には馬に跨った来栖椎奈が歩を進め、その周囲には側近の騎士たちが囲んでいた。
近衛兵ともいうべきか。
食糧や、武具、そのほか金品などを乗せた荷車は列の真ん中にして、その最後尾を男の騎士たちが護衛、その前列を魔法少女たる椎奈やその側近たちが率先して進む。
荷物・荷馬を中央、前後で挟み込んで護衛というのは、教科書どおりな遠征の行進である。
旅に出た民の移動はほとんどが歩きだったが、荷物は馬の背に載せて運ばせた。
数週間にも及ぶ長い旅路のための食料や水、テント設営の器具や武器などが馬で運ばれ、自分たちは馬の轡の綱をひいて、足で歩いた。
水筒は、馬の馬具に吊るして馬が歩くたびに揺れた。
バリトンを出発したばかりの旅路は、美しい森と、緑の大地に囲まれていた。
空は相変わらず曇っていて、どこまでも灰色が広がっていたが、その地上に連なる山々と、その先々に広がる西暦3000年の世界への旅に、円奈は心を寄せていた。
58
椎奈らバリトンの一行は、神の国をめざすため、ミデルフォトルという異国の港でエレム国と合流する予定にあった。
その港は、モルスと呼ばれる国境地帯を抜けた先にあり、その国境を抜けるためには、ファラス地方という生い茂る森林の無政府地帯を抜けなければならない。
そのファラス地方に入る前、バリトンらは、隣の領地キリトンの領主メイ・ロンとおちあった。
メイ・ロンは、円奈が五年前に、椎奈につれていってもらった市場を開催した魔法少女である。
その市場が開かれた城に、鹿目円奈は、五年ぶりにおとずれる。
「わああああ…」
と、円奈は、はじめてあの城を訪れたときと、同じような感嘆の息をもらした。
城は、相変わらず威容を誇って聳え立っていた。
天まで見上げるような城、石とモルタルで積み上げられ、その周辺は冷水を含めた堀に囲われ、入り口は鎖で吊り上げる跳ね橋が掛けられる。
落とし格子という、樫の木材と鉄の格子に守られていて、その両側を、槍をもった鎧の守備隊が警備している。
椎奈は馬をおり、堀にかけられた跳ね橋を渡った。
「あげろ!」
誰かが城壁の見張り塔から、号令する。
あの市場のときとは打って変わって、灰色の曇り空に覆われた城は、緊張感にみちていた。そのなかも、市場のときのような賑わいはなく、ひりひりと張り詰めた冷たさに満たされていた。
だが本来は、これが外敵から侵入を防ぐ城の実際の雰囲気であった。
円奈は固唾をのんで、城の落とし格子が、城壁二階の守備隊によって巻き上げ機で吊り上げられる様子を見守る。
城の入り口が、ギイイと音をたて、入り口の格子が吊りあがっていく様子は、なかなか壮観であった。
城壁は、矢狭間という、凹みがいくつもあって、凸凹していた。そのへこみから、外敵がきたとき、守備隊が弓や、クロスボウを射るのである。
跳ね橋がおりて、落とし格子があがると、中から、メイ・ロンという、城主がでてきた。
その城主にしたがって、二人の少女が、後ろから付き添ってやってきて、椎奈の前にでてお辞儀する。
「あっ!」
そのとき円奈は、思わず声をあげた。
二人の少女を、円奈はみたことがあった。
「あのときのっ!」
そう、円奈がはじめて市場をみにいったときに、いきなり喧嘩をはじめ、市場をひっちゃかめっちゃかにした、あの二人の魔法少女であった。
あのときみたいに、変身姿ではなく、召使いのような、長いエピロンとウールのドレス姿であった。
前の、サークレットをつけた上品な姿ではなく、乳絞り女みたいになっていた。
しかし、あのときのような、やりたい放題な様子とちがって、城主の両側につきそって、丁寧にお辞儀する二人は、まるでよく躾のいきとどいた子供のようであった。
円奈がおどろいたのは、五年前みた姿と、ほとんど見た目の成長がなく、ただ中身だけ変わっていたことだ。
つまりすっかり、城主メイ・ロンの奴隷をこなしているみたいで……。
「話はきいているぞ」
メイ・ロンが、椎奈に話し出した。「もう旅に?」
「うむ」
椎名が答えた。「すまない。そなたのおかげで助けられた」
「領土違えど同じ魔法少女。神の国への旅、私のできる最大限の援助だ。おまえたちの旅に、女神の祝福を」
メイ・ロンは答え、すると笑い、付け加えた。「二倍の報酬はしっかり受け取るつもりだが、な?」
「それでこそ城主というものだ」
椎奈も微笑んだ。「その二人も、あれから随分とそなたの教育が行き届いて───…」
なんて、椎奈が語り終わるより前に、メイ・ロンの両側から、二人の召使い姿の魔法少女が飛び出して、跳ね橋を渡ると、円奈のもとに駆け走った。
「なあ、この女、あのときの子じゃないか?」
と、魔法少女がいって、はやしたてる。五年前、市場をひっちゃかめっちゃかにした、この魔法少女の名は、クーフィル。金髪セミロングの魔法少女。
「そうだ!へええ、成長したんだねえ!」
クーフィルの話にこたえて、同じように盛り上がって喜びの声あげるのは、茶髪の魔法少女で、やはり市場をひっちゃかめっちゃかにした魔法少女。名前は、ネーフェラ。
「弓ももっちゃってさ、剣も?手作りなのこれ?へーえ!」
「ええと……その……」
円奈は、あのときの暴走した二人に言い寄られて、馬上で困惑していたが、やがて照れたように、ピンク色の髪を手で掻いた。
そういえば、この二人の魔法のおかげで、りんごをはじめて食べられたんだっけ。
今の私なら、わかるよ。
「久しぶり…だよね?」
「ああ、久しぶりさ!で、なに、おまえも、神の国いくの?」
と、もう事情を知ってるネーフェラがたずねてきた。エプロン姿の胸元に結ばれた黒いリボンがゆれる。
「そうなんだ……あっ、そうだ!」
人と話すのが苦手な円奈も、魔法少女と話すときは、明るく話すことができた。
普通の村人とちがって、円奈には、魔法少女にはいい思い出が多かったからだ。
「あなたたちは、神の国にいったことが?」
「うーん、あるよねもちろんねえ!」
と、ネーフェラが、得意げに、腰に片手をあて、言った。「魔法少女たるもの、一度はあそこにいかなきゃ……」
「そうだなあ」
金髪のクーフィルも、両腕を組んで、目を瞑ると聖地を思い出しつつ、語る。「うん、魔法少女なら、あそこに行かなきゃ、だな」
「どんなところだったの?」
円奈は、興味津々といったかんじで、たずねる。
「これからいくなら、自分の目で確かめなきゃだ!」
と、クーフィルが、目をあけると、言った。
「ただあそこは、伝説か、逸話くらいにしか思ってなかった、円環の理とか、世界再編とか、そういう話が、本当って思える場所なんだ。だから世界の魔法少女は、生涯にいちど、いちどでいいから、私たちのために祈ってくれた一人の少女の前にいって、挨拶するんだ。魔法少女たちのあいだでは、これを巡礼っていうんだ。そうだっけね?」
といって、相方のネーフェラに確認をとる。
わりかし適当な性格をしているところは、五年前と同じだった。
実は、隣国キリトンの市場を荒らしたこの2人の魔法少女こそが、椎奈がお留守にする間のバリトンの村を魔獣の手から守り、なわばりとする、継続にあたる魔法少女とすることを、椎奈は城主メイ・ロンと公約を交わしていた。
もちろん椎奈が神の国での聖戦より帰還すれば、メイ・ロンの奴隷に戻らなければいけないのだが。
「へえええ…」
円奈はただ感心して、神の国を知る魔法少女の話を聞いていた。。
「ここから神の国にいくんだったら、遠い場所にあるから、気をつけるんだよ」
こんどは、茶髪のネーフェラが、言った。
「神の国にいくには、三つの試練があるんだ」
「三つの試練?」
「そう。聖地に、ただで辿り着けると思っちゃ、いけないさ。巡礼するものに、試練が与えられる。一つは───」
こうして鹿目円奈は、魔法少女の口から、聖地への旅でふりかかるであろう、三つの試練のことを、教わった。
”シンダリン語の国を抜けると、別の言葉がきこえてくる。その言葉の意味を考えよ”
ネーフェラが、腕組んだまま、得意げに、二つ目の試練について口にした。
「二つ目は───」
”エレム国を名乗る魔法少女に会ったら、その顔と名前を覚えよ”
「それは、どうして?」
円奈は、再びたずねる。
「なんたって、いま神の国を治めている国が、エレムだからさ。」
ネーフェラはうんうん頷きながら、腕組み、語った。
「エレムの魔法少女の一人もしらないで、神の国に入ろうとしても、弾かれるかもしれないよ?」
「そう、なんだ……」
「そ。ま、大丈夫だよ、嫌でも覚えるから」
意味深そうにいいながら、ネーフェラは、うんと頷き、それから、三つ目の試練について告げた。
”そして何より、神に愛されてなければならない───”
59
キリトンの城をあとにし、いよいよバリトンの一行は、円奈は────今までしりえなかった、足の踏み入れたことのない土地へむかう。
そこはファラス地方とよばれる、バリトンとキリトンに隣接している無政府状態の森林地帯のことで、ミデルフォトルの港に向かうためには、避けて通れぬ地帯であった。
円奈の母、鹿目神無はこのファラス地方を通っている最中、キロフの領主に迫られ、領主を殺してバリトンまで逃亡してきた。
円奈は、自分にむかって笑顔で手をふってくれるクーフィルとネーフェラの二人に別れを告げ、このファラス地方へとむこう。
そのまま、旅にでること数時間がたった。
大いなる旅にでたとはいえ、村人60人の規模で遠征する進行は、決してスムーズでなかった。
村人は、騎士たちに護衛されながら、馬に荷車をひかせながら進むのだが、坂道や、でこぼこした地面にさしかかるたび、進行はおくれ、村人同士で協力しあって、やっと荷車を前へ運び出せるのだ。
村人達は誰もが武装していた。
この時代では、自分の身は自分で守るために、誰でも武器はもっていたし、剣術や弓はそれなりに心得ていた。
国の土地は離れたが、バリトンの森は存外、広かった。
民を連れて先頭をゆく、馬の轡の綱を引く来栖椎奈のすぐ隣に、鹿目円奈がついていた。
自分が魔法少女になれない、縁遠いという現実を思い知らされてからは円奈は、そのむなしさを紛らわすために、身近な魔法少女にべったりくっついて話をきいたり、戦闘を見学しようとして断られたり、遠い国や遠い昔の英雄的な魔法少女の話を本で読んでうっとりしたりを繰り返していた。
「椎奈さまは、神の国に行かれたことが?」
カシャカシャと、荷車の車輪がまわる音と、馬の蹄の音がしている。
時間と隙あれば魔法少女と話をしようとするその子に優しく微笑み、来栖椎奈は答えた。
「ある。20年くらい前、エレム国が神の国を支配をしていたとき、巡礼を願い出た」
「巡礼は許可されたの?」
20年前とは、円奈の生まれるより前のことだ。
「許可された。私だけに限らず、巡礼を願い出るすべての魔法少女に許可がでた」
来栖椎奈は手綱で馬を連れながら、いう。
馬は、大人しく魔法少女に轡をひかれるままに歩く。
「初めて神の国にいったときは、そこにいるだけで魂が洗われる気分だった。城壁に囲まれた城塞都市だったが、壁に触れているだけでに聖なる魔力が私のなか注がれてくるのを感じた。不思議な感覚だった」
そういい、最後に円奈を見つめてから、付け加えた。「魔法少女にとって紛れもなくそこは、聖地であった」
「また聖地に、こうして行けるのは、幸福ですか?」
なんでも質問をしてくる円奈に、領主は答えた。
「そうかもしれぬ」
そこには数十万人くらいの人間が暮らしていたが、見渡す限り、魔法少女もあたりじゅうにほっつき歩いていて、右も魔法少女、左も魔法少女という場所なのである。
神の国は、いいかえてしまえば、もう、魔法少女の国家であった。
60
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅡ: a puellamagi knighting
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅱ章: 魔法少女と騎士の誓い
そのまま、旅にでること一週間がたった。
一日に進む距離はそれほど多くはなかったし、夜になればテントを設営して寝泊りした。
その調子で一週間旅を続けて、バリトンの一行は、ファラス地方の森にさしかかった。
ファラス地方。無政府状態の森林。
民家らしい民家もなく、農地らしい農地もなく、ただひたすら、混迷だった森がどこまでも続いている地帯で、だれが住んでいるのか、そういったことが、まるで闇に包まれた、怪しげな深緑地帯である。
森は薄暗く、不気味な静けさである。曇り空になると、さらに暗がりが増した。
人々はたまに噂した。
暗がりの森には、”魔女が住む”と。
「この先をまっすぐゆけば──」
椎奈が言った。話しかけているのは円奈でなく、近衛兵の騎士たちのようだった。
「ファラス地方に入る」
「遠回りしますか?」側近の少女が魔法少女に進言した。
椎奈は首を横にふった。「ここを通るしかない。ファラス地方の魔法少女どもは、授かった魔法の力を己の私利私欲のためだけにばかり使っている。どんな襲撃をうけるかもわからん。心せよ」
この乱世、人のため、国のために魂を捧げ契約する魔法少女ばかりではない。
身近な人々の暮らしがままならず、まさに国が枯渇に餓えようとしているのに、少女は人のために祈らず、「自分だけよい」という契約で「富を独り占めしたい」「人を支配する力がほしい」と願った。
結局そういう魔法少女らが世の紛争を激しくした。
バリトンの地を離れ、神の国に向かう旅の岐路にあたって椎奈領主と村人の一行は、そういった野蛮な魔法少女が多いと悪評高いファラス地方の国境にさしかかったのである。
椎奈を先頭にしてつづく60人のバリトンの旅でた村人たちは、その悪評ある森の前にさしかかって、曇った顔つきをみせている。荷車をひく手をとめる。
円奈も、旅のはじまりにわくわくした期待を胸に抱いていたが、いきなり、難所にさしかかっているらしい気配を感じて、胸に手をあて不安を感じて、椎奈と騎士たちのやりとりを見守っていた。
山々を覆う空は相変わらず厚く曇っていて、見る限りの灰色であった。
その寒空は、春がはじまりだしたというのに、冬に戻ってしまったかのようであった。
61
夕方が近づいた。
ルートを定め、方向転換したバリトン一向は、森林に入って、南にむかっていた。
しばらく南に進んでいると、森の様相が変化はじめた。
美しい緑だった森は、しだいに深い、混迷だった森になり、土からはくねくねとした根がいくつも突き出した。
根っこだけでなく、木の枝まで、くねくねしている。
土はやわらかく、踏めば沈む。横たわる何本もの倒木は、腐り、虫の棲家になる。
それがファラス地方なのであった。
その人気のまるで感じられない、というより人の侵入を許さないような混迷の森の奥には、魔法を我が物とする横暴な魔法少女が潜むという。
森の木々のあいだにたちこめる霧が深くなってきたのも、日が暮れて気温が下がったせいだろう。
夕刻になる。
椎奈はそこで、休息をとるように民に指示した。
森のなかを流れる川を見つけて、休息にはちょうどいい地点だと思ったからだ。
鹿目円奈は、愛馬クフィーユの背中に乗せていた荷物を降ろして、馬を休ませた。荷物は樹木の際に置かれた。
荷物の中身は、彼女の持参するパン何枚か、火打石、鉄板、火種の麻紐、ろうそく、毛布、予備の鏃、髪きりバサミ、革製水筒などだ。
弓と一緒に、矢を何本かいれた矢筒も、樹木に寄せて置いた。
がららん、と弓と矢筒が一緒になって樹木に放置される。
そして自分は流れる川に寄り添って、まず手を洗い、あとで手にすくって顔を洗った。
「んー」
水滴が円奈の顔で弾け、キラキラと夕日の光を反射する。「すっきりするー!」
水滴は、オレンジ色に煌いて、弾ける。
顔を洗ったあとは、両手に水をすくい口に含んだ。森の川水は冷たく、刺激的ですらあった。
ツーンと冷たい水が喉を流れる感覚に、円奈は少し身震いした。
「ふー」
あたりには川の水が流れる音と、時折に鳴く野鳥の声だけ。
その静けさは、夕暮れの森には不気味ですらある。
いよいよ、故郷を離れて知らない土地にきたのだなあ、と、円奈は思った。
荷物を置いた樹木に寄りかかると円奈は、持参した毛布を取り出して身体にくるんだ。
そのまま、うとうとしはじめる。
ほんとは、椎奈とお話もしたかったけれど、椎奈はいま、側近の武装した騎士たちと話し合っている。
その内容が旅路についてなのか民についてのことなのか、分からないけれど。
私が入るわけにもいかないよね。
まわりを見渡せば、すでに毛布にくるんで眠りに落ちている人もいれば、持参してきた釜に油分をいれて薪で火を炊いて、魚を焼いている村人たちもいた。そして少年達は、剣を振るってちゃんばらごっこを楽しんだりしていた。
みんな、一緒に神の国に向かう。
みんな村の少女同士や、少年同士で集まって、お喋りに盛り上がっていたりしていたけれど、円奈は遠目にみるばかりで、自分はたった一人でそこでうとうとしていた。
それは、いつものことだったけれども。
そして、夢見心地の意識に引き込まれながら、神の国について考えた。
無事到着したら、どんな光景が私を待ち受けているんだろう。
すでにそこは、戦いの場になっているのかな。
そしたら私たちは、すぐに戦うことになるのだろうか。
「円奈よ」
うとうとしていたら、急に名前を呼ばれて心でドキリとした。円奈が慌てて目をこすると、来栖椎奈がいた。
「椎奈さま?」
寝転んでいた体勢をすぐに直し、起き上がる円奈。「どうされました?」
いつの間に、私のところに来ていたんだ。
かたわらの樹木に身を寄せて、バリトンの少女・こゆりが心配げに、円奈を見つめていた。
「私と剣を交わしてみよう。腕を試す」
「え!」今度はちがった意味でドキリとした。
「拾え」
ガチャンと音たてて地面に落ちたのは、椎奈の投げた剣、鋼鉄製の両刃の剣だった。
椎奈はその剣を投げたあと、自らの剣を鞘から抜いた。
魔法の剣であり、真剣だった。直撃すれば斬れる。
「ソウルジェムの力は解き放たぬ。生身で勝負しようぞ」
魔法少女は告げ、ギラリと鋭く光煌く刃の長剣を構えた。
「分かっているとは思うが、敵は私より強力な魔法少女を揃えているぞ」
ゴクリと、円奈は緊張してつばを呑んだ。
投げ込まれた鞘から中身を取り出すと、少女には重たすぎるくらいの剣が現れた。キランと、現れた剣身が光った。
バリトンの民として円奈も剣術を学んではいた。
だが、魔法少女との実戦ともなれば手の打ちようはない。少なくとも、個人の技量では。
それでも。
「畏れながら参ります」
剣を両手の平においた円奈は、水平に剣を持ったその体勢のまま、領主に礼をした。
そうとも、これから、魔法少女の国と魔法少女の国がなわばりを激しく競っているようなこの世界を旅するのだ。
そんな世界を渡り歩こうと思ったら、今から実力をつけるほかない。
「わたしに勝つつもりでかかれ」
領主も答えた。
側近の騎士たちが合図されて椎奈から離れ、距離をとって二人を間合いを見守る。
椎奈が鞘から抜いた剣の柄の部分には鷹の彫刻が彫られ、その翼を象ったデザインの立派な剣だった。
その剣を領主は振るって円奈にせまった。
円奈もすかさず応じた。剣と剣がぶつかりあい、魔法少女の攻撃を剣で受け流し、次々に仕掛けられる攻撃のどれもを円奈はたじろきながらも受け止めた。
生まれて初めての剣の演目。真剣と真剣の稽古。円奈は怖い。事故なんかあったら、腕は切れる。
それでも懸命に、実戦に望む気持ちにさえなって、懸命に円奈は剣舞を演じた。
森の中で行われる二人の決闘を、側近の男や女の騎士たちがただ見守っている。
聞こえるのは二人の剣同士のぶつかる金属音の響きと、流れる川の水の音と、森の野鳥の声だけだ。
何度か剣を交し合うと二人の間には再び距離が生まれた。
「悪くないが構えが低い」
剣が何度か交わされたあとで、円奈の剣術の実力を推し量った椎奈はいった。
「もっと高く構えよ。こうだ」
椎奈は、両手で剣を頭上にもちあげてみせた。
「この型の名称はラ・ポステ・ディ・ファルコネ、”鷹の構え”という意味だ」
円奈は、椎奈の言葉を真面目な顔つきできいている。領主であり魔法少女じきじきの稽古を、習う。
真剣の扱い方を。
「やってみよ」
そういわれ、魔法少女の構えに習って、円奈もおずおずと剣を頭上たかくに持ち上げてみせた。
「頭上から振り下ろすのだ」
彼女はそう言い、剣を頭上からブンブン振り落としてみせた。
剣の空を裂く音が静かな森に轟いた。
「やってみよ」
見本を見せられた円奈も、真似して、頭上に持ち上げた剣を振り落としてみる。ぶおん。その剣の落ちる音はぬるい。
「まっすぐ立て」
椎奈がトンと、剣の平たい部分で円奈の足の腿をたたき、まっすぐの体勢をとらせた。
「体勢がゆるんでは敵の真剣を受け止めきれん」
剣の平らな部分で足を叩かれた円奈が、まっすぐに立つ。
「足をひき、まっすぐに構えよ」
言われた通りに体勢を直し、再び円奈が構えをとる。
その円奈の体勢に満足いったのか椎奈は、自分も剣を頭上にもちあげると構えをとった。
そうして互いに剣を頭上に掲げて対峙し向き合うまま、椎奈が告げた。「防いでみよ」
息つく間もなく、椎奈が円奈に攻撃を仕掛けた。
「力で負けるな。隙を突かれるぞ」
振り下ろされる剣を円奈は受け止め、絡んだ剣を振り払って切り替えし、反撃しようとした。
しかしその刹那、円奈の首元に椎奈の剣の”鍔”の部分がせまった。鷹の翼がデザインされた鋭い柄の部分が。
「…っ!」
それだけで動きをとめられてしまう。
「武器は刃だけとは限らん」
鷹を象った鍔の、その尖った部分を喉元につきつけられながら、円奈は椎奈の言葉を聞き入れた。
「来い」
こんどはそっちから仕掛けろという意味だ。
互いに剣を頭上に持ち上げ、機を窺う。
二人の剣舞を見守っていた人たちは、鹿目円奈が魔法少女を相手に勇気を失い、いつまでも攻撃を仕掛けられないでいると思った。しかし相手から目を一瞬とも目を逸らさず、神経を集中させていた円奈はそうではなかった。
実戦経験はおろか、力も武術の心得もないひ弱な少女が、魔法少女と剣を交える演目を懸命にモノにしようとする。
静けさの支配するなか、森でとつぜん鳥が飛び立ち、木の葉が舞った。
バサバサと翼の音が沈黙を破り、そして。
その瞬間に円奈が一気に間合いをつめた。
相手の油断を待つその戦法は、虚を実で討つ、どれほど時代が流れようとずっと受け継がれてきた戦法だ。
一気に振り落とした円奈の剣と椎奈の振るった剣がぶちあたり、金属音をうちならす。
キィィィン──
二人の少女が剣舞を演じる。
だが、思ったより早く決着が訪れた。
椎奈の振るった剣の一撃が、円奈の剣を弾き飛ばした。キィンと甲高い音が鳴って、飛ばされた剣は円奈の頭上を舞った。
剣はクルクル回って、円奈の背中の地面にグサと突き刺さった。
それで終わりかと思いけや、丸腰になった円奈めがけて椎奈は水平に剣をふりかざした。
円奈は足をひいて距離をとり、剣をかわし、また振られた剣からも、額に汗ながしつつ、驚いてよけた。
反応に遅れたら、本当に斬られるんじゃないかと思い、円奈は怯えの表情すら浮かべた。そして、情けなくも、地に片膝ついてぜえぜえ息を切らしてしまった。固目を閉じ、顔を赤くさせている。つらそうだ。
これが15歳の女の子の体力だった。
近くで見物していた金髪ロングの男騎士が、あきれたように冬の森にて白いため息を吐いた。
まだ演目が続くかに思われたが、そこで椎奈がふう、と息をついて剣を鞘におさめた。
「後日また練習だ。よいな」
練習試合が終わったと察した見習い少女騎士が、椎奈にかけよって彼女の剣を受け取った。
受け取ったあとで、腰ベルトの鞘に剣を収める。地面に刺さった剣も取り出して片付けた。
そのあと、ある一人の見習い少女騎士が、円奈に一礼をして、離れていった。
「…はぁう。」
と、力が抜けたように、円奈は葉っぱの積もる地面に手足なげだしてごろん、と倒れこんだ。
生まれて初めての、文字通りの真剣勝負。数分の演目でも、神経をだいぶすり減らしたに違いない。
大の字で地面に寝転がって息を吐く。
すると、バリトンの村の少女・こゆりが、円奈が地面に膝をつくや否や駆け寄ってきた。
どうやら二人の戦いを見守っていたのは側近の者達だけではなかったようだ。
「まどなさん!大丈夫ですかっ!?」
「あは、こゆりちゃん」
恥ずかしいところ見られちゃった、とばかりに照れ笑いする円奈の息はあがっていて、顔は赤かった。
「大丈夫だよ。でも、ちょっと疲れちゃった。いろいろと」
といい、ばたんと地面に大の字で寝転ぶ。それでも顔から笑顔は消えなかった。「あはは。やっぱ椎奈さまには敵わないや」
こゆりは、ぐすっと目を赤らめた。「傷つかなくて、よかったです…!」
綺麗な黒い髪と、澄んだような黒い瞳をした、10歳を超えたばかりの少女にこうも心配されて、なんとなくくすぐったい心境になる円奈だった。
「こゆりちゃんったら、大げさ、だよ」
まだあがっている息、漏れる吐息。「あぁ、でも、たしかに危ない場面もあったかな……」
えへへと、そういい、笑う円奈。
このこゆりという少女とは、円奈は、バリトンの山々で狩りにでかけていた帰り道で、ちょくちょくはちあわせていた。
まるで帰り道を待ち受けているみたいに、狩りが終わると、このこゆりという少女がいた。
そして、数少ない、円奈にとっても友達になった。
こゆりは、たまに、一緒に狩りにいきたいと、円奈に頼むこともあった。しかしこゆりの親が反対した。
それに、弓の心得も馬術の心得もないこの黒髪の少女を狩りにつれていくのは、無理があった。
だからそれができない代わりに、狩りの帰り道でちょっとだけ合流して、ちょっとお話するくらいが、円奈とこゆり、この二人の少女の間にあったちょっとした友情だった。
こゆりは、円奈が狩りに出かけ、弓を担いで森へ馬で駆ける姿をちょくちょく見守った。
二人で一緒に、馬に二人乗りすることもあった。
野鳥を見つけたら、空に飛びたつ野鳥むけて円奈が弓を放つ姿を、横で見つめていたときもあった。
親には、あの鹿目って女には関わっちゃいかん、不幸になるぞ、といわれても、こゆりは円奈の狩りについていきたがった。
自分も狩りを覚えたいとか、そういうのでなく、ただ円奈の弓を放つ姿に、憧れているのであった。
そのころ、椎奈らと側近の騎士たちは、野宿するためのこの日の野営テントを組み立てているところだった。
テントは、エドレスという国の都市部で紡績された綿の生地でできた天幕で、その組み立てには、木材の支柱をつかった。
土の地面にぶっさして支柱を立て、中央に柱をたてたら、そこに幕をかぶせ、幕の端をひっぱったら紐で地面の杭に繋ぎとめて固定し完成という、単純なものである。
「いかがでした?」
騎士の希香が、さっきの円奈との対決を見届けて、椎奈にたずねた。
「まだまだだ。あれでは実戦に出せんな」
椎奈は、組み立ったテントのなかに、絨毯をしき、蝋燭を立てる燈台を設置する少女騎士の作業を見届けながら、答えた。
「わたしがあの年だった頃を思い出します」
希香が、いたずらっぽく笑い、言った。彼女も騎士姿として武装しており、チュニックの下に鎖帷子を着込み、腰にベルトを巻き、鞘に剣をぶら下げていた。
「あの鹿目みたいに、わたしもひよひよでした。でも、あなたのもとで稽古うけて、騎士見習いしてましたから、あの子よりはいい線いってたはずです」
「おまえは円奈となにを競っているのだ」
椎奈が複雑な表情で顔を曇らせると、希香はまた笑った。
「なにって、決まっています。そう簡単に主人公の座をとられやしませんよ?」
62
夕日も落ちかけた頃、ファラス地方の森のど真ん中で、鹿目円奈は、弓を取り出していた。
さっきの魔法少女との決闘演習で疲れた身体は回復して、いつもの、狩りの癖というか、生業柄みたいなものが、円奈に行動をとらせていた。
それは、どこかで鳴く野鳥の声である。
バリトンの村人は、どこかで鳥が鳴いているんだなと、野営テントか釜で焼いた火鉢のまわりに居座りながらぼんやりと思うだけだったが、円奈にはちがった。
野鳥の声が聞こえたということは、獲物がそばにいるということであった。
農地をもてず、収穫らしい収穫もなくて、パンさえ食べられない円奈にとっては、鳥をしとめることが、自分の生きる道なのであった。
大きな樹木に寄せ置いていた、手作りの弓をとりだし、矢筒を背中に取り付け、一本の矢を手に取り出し、ゆっくりと弦に番える。
矢筈と呼ばれる、矢軸節の後端の凹みに弦を番え、それから矢羽のうしろを中指と人差し指のあいだに挟んで、慎重に森を見回す。
あたりは、日がおちて暗くなっていたが、あたり一面にそびえ立つ林を見回して、獲物を探す。
すると円奈は、矢の番えた弓をグググっとしぼり、上向きにし、しっかり目で見て狙いを定めると、矢を放った。
弦を引くときは、頬に弦をぴたりつけて、狙いを固定する。
ビュン!!
物凄い勢いで弦がしなり、円奈の弓から矢が弾かれる。矢は林の葉へと吹っ飛んだ。イチイ材で手作りした弓は強靭で、その弾力も抜群であった。
林冠へ一直線に飛んで言った矢は、ズバっと葉と葉のあいだをつっきり、その先ではためいていた鳥にあたる。
キィィィ──。
鳥の悲鳴が轟き。
次の瞬間には、矢が切り落とした数枚のはらはらと落ちる葉と一緒になって、鳥が羽をばたつかせながらおちてきた。
「やった!」
おちてきた鳥の前に走り、弓を片手にもったままガッツポーズして、今日の獲物の確保を喜ぶ仕草をみせる。
今まで何千回と弓を引いてきただけあって、この少女の弓技は達人級だ。
村人の何人かも、突然鳴り轟いた鳥の悲鳴に、何事かと円奈のほうを見た。
そしてバリトンの農民は、鹿目という少女が矢で鳥を仕留めたことに気づき、驚いた。
護衛手段として弓を扱う農民は多かったが、野鳥を矢で射るほどの凄腕はいなかった。
村人達が気づかないうちに、鹿目円奈は、村一番の弓の名手になっていたのであった。
普段、農地で暮らし、民家で暮らすバリトンの村人は、のけ者にしていた少女の、そんな成長ぶりに、今更ながら気づかされた。
しかし、とはいえ、農民は狩りを禁じられている身分であり、弓が達者とはいえ、野鳥を弓で射て殺す少女の行動に、彼らは少なからずぎょっとした。
狩猟の娯楽は、もっぱら、領主の特権と定められていたような時代だったのである。
円奈の狩りは、椎奈のような理解ある領主こそ許しはすれ、他国の土地だったら、罰せられている。
そんな、村人たちにたじろかれている視線にも気づかず、あるいは熱い眼差しをむけるこゆりの視線にも気づかず、円奈はしとめた野鳥を確保する。
パン、穀物などの蓄えを、財産として荷車にのせ運んでいる他の村人とちがって、そうした財産のない円奈は、こうして旅の先々で狩りを成功させないと、食いつなぐことができない少女なのだった。
もう円奈は、今日の夕食のための準備をはじめ、薪を集めだしめている。きょろきょろあたりを見回して木の枝の細いのから太いのまで、種別しながら集める。
火打石を鉄板に打ち、火花散らせて、ガマの穂を炭にしたヒグチに火をつけ、ふーふー息をふきかけつつ枯葉など山を積み、火をうつす。
火をうつすのに、この火種を麻紐に包んで、ぐるんぐるん手で振り回すこともある。
次に細い枝からのせて、だんだん火が大きくなってきたら、積み上げて大枝をのせるといった調子で、火をつくり、あとはしとめた野鳥を、持参の小刀で内臓をだしてから食べる。
たった一人の食事だった。
すっかり日が暮れ、いよいよ森が夜に変わる頃、こゆりは、一人で寂しげに野鳥を焼いている円奈に、勇気を奮って話そうかと思った。
それは、たった一人で食事する円奈の背中が、あまりにも寂しそうだったから。
話し声がきこえて、ふと、こゆりが視線を横に移すと、農民たちが集まって、円奈一人だけ除いて、その日の野営テントの前に集まって談合していた。
起こした釜の火鉢のまわりを囲って、話している。
「おい、みたか、あの鹿目。鳥を殺してたぜ!」
そう話すのは、一週間前の朝も不満たらたらに妻と話していた、村人であった。「鳥を殺して、くってるんだぜ!」
その声は、ひょっとしたら、円奈にも届いているのかもしれない。
でも、円奈は相変わらず一人寂しげに、背中を丸めて川の前で食事していた。
「だって、そうもしないと、食べ物がないんだろ。」
あのときも叱咤していた妻が、なだめる。「思えば、かわいそうな子じゃないか。そりゃ、もともとはここの人間じゃないけどさ…」
「あいつのせいで、たくさん仲間が死んだろ。それに今回の旅だって、噂じゃあ、」
円奈が聞いているかもしれないのに、大きな声で、農夫の村人は、話しだす。
火鉢のバチハヂと燃える前で、この農夫は、腐った倒木に腰掛け、片膝をまげて膝にのせ、愚痴をこぼすみたいに荒っぽく喋る。
「来栖さまが、あいつに目をかけて、あいつのために聖地とやらに俺たちが駆りだされてるって話じゃないか。やっぱり、不幸を呼ぶ女だよ。俺たち、異国の地で犬死しちまうよ」
「それが本当だとしたら、母に次いで、娘まで呪いをふりまいてくれてるな」
別の村人が、言った。
「その聖地ってのも、どうでもいい」
別の農夫の村人も、言った。
「死んだら元も子もない。なのに、そこに行けば、死ぬかもしれん」
こゆりは、心配そうに、円奈の背を遠くながら見つめた。
まだ、寂しそうに一人で食事していて、背をこちらにむけているから、顔がみれないし、分からない。
ひょっとしたら背をむけたむこうで泣いているかもしれない。
こゆりは、勇気をふるって、円奈に話しかけようと思った。
でもそのとき、親の自分を呼ぶ声にとめられた。
こゆりは振り返って、戻って来いと告げる両親を涙ぐんで見つめ、逆らえずに家族のもとに戻った。
次回、第5話「ファラス地方の森 ②」
第5話「ファラス地方の森 ②」
63
夜がきた。
来栖椎奈は、夕暮れに手下につくられた野営テントのなかに、たたずまっていた。
テントのなかは、木のテーブルに松明がたてられ、その蝋燭の火がゆらゆらと、赤く照らしている。
それだけが、真夜中の森のテントの灯かりであった。
それから椎奈は、魔法の剣を鞘からわずかにだけ抜いて、その剣身をみた。刃は、青白く光ったりしていなかった。
「魔獣はあらわれない」
魔法少女は、そう呟き、テントのなかに組み立てた木材のイスに腰掛けた。
その前には、騎士・希香(ののか)と、世話役の見習い少女騎士の二人が、立っている。
他の、男の側近の騎士たちは、椎奈とは別の野営テントのなかで、休憩をしている。
「しずかですね」
と、希香は、いった。バリトンの村にいたころは、夜中になれば、鎖帷子も脱いで普段着になっていたが、この旅にでてからは、夜になってからも、武装をとくことはなかった。
「ふむ」
椎奈は腕組むと、椅子で頷いた。
ろうそくの火だけが、そこで存在感を示すように、ゆらゆらと光を放つ。
ぼうぼうと燃え続ける火は、周囲にほのかな光を放って、魔法少女を中心にして、騎士たちの顔も照らす。
だがそのろうそくの火も、しだいに溶け、弱まっていった。
魔法少女と、騎士たちは、無言だった。
寝静まった森。
耳に入るのは川の水が流れる音だけだったし、夜の森を照らすのは月の光だけだった。
円奈はなかなか寝付けなかった。
夜の森には魔女が現れる。
そんな噂が信じられるわけが、円奈もよくわかったきがした。
森の木々の間には白い霧がたちこめ、奇妙な鳥の鳴き声は昼間とは異質のものだったし、夜の森の葉のざわめきはひどく不気味だった。
深く寝静まった夜に森に囲まれると、余計そんな気持ちになる。
(眠れない…)
円奈は樹木に身を寄せて、傍らの荷物や手作り弓と一緒に毛布にくるまって眠ろうとしていたが、寝付けなかった。
さっき、村人に言われたことも、心に入り込んで、なかなか消えなかった。
相変わらず、自分を不幸を呼ぶ女みたいにいわれて、やっぱり、傷ついた。
目に溜まった涙を、隠すようにして閉じ、瞑って、毛布のなかで眠りにつこうとする。
みんな、家族と一緒になって眠っているのに、円奈だけ、一人で、村人とは離れた樹木の傍らで、眠りにつく。
しかし、そんなときであった。
深夜の森で眠れずにいた円奈に、こっそり話しかけてきたのは、村人の農夫の一人だ。
「おまえが鹿目か」
「えっ」
名前を呼ばれた円奈がくるまった毛布から身を起こした。
こんな深夜に誰かに話しかけられるなんて思いもよっていなかった。
「鹿目」
「はい、あ、っ、なん…でしょうか………」
見知らぬ男に話しかけられた円奈は不安を感じた。
それに真夜中だった。見知らぬ土地の森の深夜、いきなり男に起された。
「俺たちを殺す気だな?」
「えっ?」
一瞬、困惑の表情を浮かべる円奈に、また農夫が言った。
「なぜ俺たちをこんな遠征に出させる?お前から、領主につけ込んだんだろう。農地をもてなかったのがそんなに憎いか?」
ぐっと、農夫が円奈にせまる。円奈は寄りかかっていた樹木においやられる形になった。
円奈は怯えた。額に汗が垂れた。
「な…なに?」
「ずっとお前を除け者にしてきたもんな。それが憎たらしくて、俺たちを全員殺す気だ」
ぐっと、農夫がさらに円奈にせまる。
おろおろと視線を泳がせる円奈。まったく、想像外の展開だった。
「いえよ。俺たちが憎いんだろう。嫌いなんだろ!だからこんな旅に、俺たちを駆り出した! 正直にいったらどうだ?なんなら俺から正直にいってやる。お前なんか嫌いだ」
バサバサっと、夜中の森林で鳥が羽ばたいた。黒い羽が舞った。
「そ、そんな言い方しなくても…」
円奈の目に涙が溜まって来た。
何もしていないのに、悪いこともしていないのに、憎まれる。生まれつき円奈が体験してきたつらい記憶が、またここにも再現される。
ぶるぶる、体を震わせはじめていた。
農夫の語調が強くなる。「お前がこの村にしたことを忘れたとはいわせない。村のやつみんな、お前が嫌いだ。領主だけお前を許していたが、俺たちは許さない。お前は俺たちを殺そうと目論んでいるんだ!母みたいにな!」
ちょっとむっときた円奈が、農夫に言いかえそうとした瞬間───。
円奈は言葉を失ってしまった。
それも、どこからともなく飛んできた一本の黒い矢が、目の前の農夫の首を貫いたからだった。
「え…」
首を矢に貫かれた農夫の目が見開き、呆然として、やがて天を見上げるように虚ろになると、ぐったり倒れた。
訳もわからなくなった円奈があたりを見回すと、また空を裂いて飛んでくる矢の音が耳かすめた。
一本や二本ではない。
次から次へと黒い羽の矢が自分たちをめがけて飛んできては、あちこちの地面や樹木に突き刺さる。
恐怖に頭を支配された円奈が、かろうじで認識できたのは、攻撃を受けて飛び起きたほかの騎士たちや、農民たちが、慌てて武器を取り出して結集している光景だった。
夜の暗がりにある森の、ずっと奥の奥、木々の間の暗がりに黒い人影がある。
人影は円奈と同じくらいの”子供”に見えた。手に構えているのは影の形から察するに、弩弓と呼ばれるクロスボウのような武器。
木々の向こう側に見える人影は、20人か30人くらいで、自分達を取り囲むようにあらゆる位置から弩弓の矢を飛ばしてきている。
つまり、何者かの集団に夜襲されているのだ。
死と直面している現実に気付いた円奈は、あわててその場を離れて森のなかを駆け出した。
なるべく頭は高くしないで、体勢を低くしながら走る。
黒い影たちが円奈めがけて弩弓を放つ。
円奈ははあはあ息を吐きながら、必死に逃げた。
その間もシュバシュバ黒い弓矢が森を飛び交った。
矢に襲われる。正体もわからない敵に石弓つまりクロスボウで狙われる。
経験したことのない恐怖に、緊張でどくどく血に地がめぐる。
「椎奈さま!」
繰り出される攻撃の間をかいくぐりながら、円奈は魔法少女の名前を呼んだ。「椎奈さま!敵が!敵が撃ってきます!」
まるで母に助けを求める子のよう。とにかく目に涙ためて、懸命に魔法少女のもとまで逃げてきた。
魔法少女は川の付近、腰にぶら下げた剣を鞘におさめたまま、騎士を集結させていた。
「どこの連中かは分からないが、相手しよう」椎奈が告げると、馬に乗った。「円奈、そなたも武器をもて」
パっと、一本の剣を投げ渡され、円奈がそれを受け取った。えっ、わたしがつかうの?みたいな顔をした。
「初めての実戦だ。やはり、昼間に練習をしていてよかったな」
そういうと椎奈は、馬に乗ったまま、指輪にはめていたソウルジェムを解き放った。
「あ…」
それは、円奈が初めて間近でみる、魔法少女がソウルジェムの力を解き放つ瞬間の姿だった。
夜の森にパッと明かりが煌く。
光に晒されて眩しさに円奈が目を覆ったが、それでも見たのは、変身していく椎奈の姿だった。
馬上に乗ったまま魔法少女の姿が光を放ち、ぱあっと闇の森を照らしたかと思うと、その光が収まるころには、変身していた椎奈の姿があった。
赤いガウンの、ロングスカートのふわりとしたドレス姿であった。赤いドレスに防具が融合したような姿。
その靴下は白く、レースがあしわられる。防具と鎖帷子は、騎士姿のままであった。
その茶髪には、普段着ではつけてないな赤色のリボンが髪をまとめ、申し分程度な少女らしさを醸し出した変身姿になっていた。
「本当はすきでないのだが」
椎奈は、ドレス姿にかわった自分の姿をみおろし、つぶやいた「やむをえん」
馬上の魔法少女は、変身が終わると、手下の側近にむかって声をあげた。「弓を!」
弓を持った騎士たちが矢筒から一本の矢をとりだし、弓につがえた。
まだまだ矢が敵から飛んでくるのだが、深夜の森、暗闇の先から、一方的に弩弓を放たれているので、敵の位置も素性もまるで分からない。
「火を灯せ!」
矢を弓につがえた騎士たちは、釜の中に燃えていた火に矢先をあてる。
すると矢じりは松明を灯したように、パッと火がついて光った。
こうして森は明るくなる。弓兵たちが、矢の尖った錐に点々と火を灯し、それが何十という数になる。
「円奈」
魔法の力を解き放った椎奈が、彼女の名を呼んだ。
「…」
まさに憧れの対象そのものである魔法少女に、円奈が顔をあげる。不安な面持ちだった。
「そなたは村の仲間たちとはぐれるな」
そうとだけ命ずると魔法少女は馬にまたがり、鞘から剣を抜いた。
ギランと、月の光を帯びて長い剣が煌いた。
それは物理的な光の反射なのか、魔力のなせる幻影だったのか。
領主が、とうとう、部下たちを率いて、夜襲に応戦する戦闘へ入る。
「矢を狙え!」
椎奈が剣をふるって合図し、すると側近の部隊たちが弓矢の狙いをさだめた。
弩弓が飛んでくる方角の森へ。
「撃て!」
号令を受けて矢が一気に放たれた。燃えた矢が森の奥にむかって次々に飛んでいく。
矢は火の軌跡を描きながら突き進み、木々の間へ飛んでいった。夜の森に火と煙の軌跡が伸びた。
ズバババと火の矢は奥の森に降り注いでいった。多くは木や草にあたったが、なかにはグサリと肉に突き刺さるような音もした。
闇に隠れた木々の向こうから、何人かの悲鳴がした。
燃えた矢が森の木々に無数に刺さると、火は森に燃え移って、ごうごうと明るく燃え広がりはじめた。
と同時に、木々の向こうに隠れていた敵の姿が見え始めた。
そうか…。だから椎奈さまは弓に火をかけて撃たせたんだ。暗闇に隠れる敵を明るみにあぶり出すために。
心の中で感心した円奈は、しかしまだ敵の弩弓が激しく降り注ぐなかを駆け走り、村の仲間達のもとへ急いだ。
村の少女達や、少年たち、あるいはその家族たち大人たちは、一箇所にかたまって剣や弓を手に互いの背中を守りあっていた。
馬にまたがった椎奈は、部隊を連れて突撃を命じるところだった。
火に照らされ、浮き彫りになった敵がまた暗がりに隠れないうちに、攻撃をしかけることにしたのだ。
「ゆけ!」
彼女に続いて部下の兵士たちも馬に跨り、謎の奇襲をしかけてきた敵勢にむけて突進していく。
椎奈を先頭にして、バリトンの武装部隊が続いて馬を駆り、次々に攻撃に打ってでる。
馬たちは、森を囲う火すら恐れずに、燃える葉と草を飛び越え、燃える木々を抜け、敵勢に進撃する。
敵が隠れているであろう、椎奈たちの野営地をみおろす山道のほうへ、馬で駆け上っていく。
すると、敵側からも弩弓の雨がふった。
それらは森の木々を突っ切り、椎奈たち騎兵部隊に容赦なく当たる。
次々と飛んできた黒い矢に、突撃の途中でバリトンの兵士の何人かが胸を射られ、馬から落馬して倒れた。
腕に矢が刺さったり、頭に刺さったりもした。
それでも怯まず突撃する椎奈たちバリトンの騎士たちは、剣をふるって敵にせまる。
敵勢に突っ込んでみると、敵は、黒い弩弓・ロスボウをもった少年や、少女たちが多かった。
明らかに自分たちとは違う、異国の者どもだった。
(こいつらを統べる魔法少女がいるな)
椎奈は心でそう予測した。
(なぜ”子供だけ”で戦わせる?)
弩弓を駆使して攻撃してくる敵の少年一人に椎奈は目をつけ、剣をふるった。
手綱を勢いよく引くと馬を駆り、接近する。
「ハッ!」
魔法少女の剣先が敵へせまる。
「あァっ!」
斬られた少年が悲痛な声をあげて、バタリと身体を地面に落とした。そのまま落ち葉の地面に頭を突っ伏した。
発射装置つきの木製の弩弓が手からこぼれ落ちた。
一気に敵の部隊に切り込みをいれることは成功したが、奥にまだまだ射撃部隊が隠れていた。
そして奥から飛んでくる矢に、椎奈の部下たちは馬を撃たれた。馬を射られた味方は落馬し、地面に叩き落された。
落馬してから起き上がると、間もなく剣同士の斬りあいになった。あちこちで剣同士の交わす音が響きあう。
バリトンの騎士たちが抜刀すると、敵の黒い服装の子供たちも剣を抜いて、やあっと声だして襲い掛かってきた。
椎奈にも弩弓の矢の雨が激しく降り注いだ。
矢は背中に当たり、肩を貫いた。
「…くっ」
敵の数が多い。
味方のほとんどは馬を失い、地面での斬りあいになっている。
だがその接近戦は、遠くの射撃部隊から放たれる弩弓の攻撃に背中をさらし、戦いのさなかで背中を撃たれ倒れる味方が多かった。
そのとき、やや遅れて、味方の弓兵が椎奈たちに追いついて駆けつけてきた。
弓兵たちはさっきと同じように矢に火を灯し、つがえると、敵勢が隠れる木々にむかって次々に矢を放つ。
激しすぎるこの焼き討ちは、その場をあっという間に焦げ臭さで満たしたほどだ。
弓攻撃の雨をうけて敵側の攻撃ペースが乱れ、弩弓攻撃がおさまった。
勢いづいた椎奈は、馬をとびおり、目の前に対峙する敵に斬りかかっていった。
敵もそれで剣を鞘から抜いた。
剣同士がぶつかり、何度か交し合った。
ガキン!敵の剣を自分の剣で弾くと、相手の首を斬る。
血飛沫あげて敵がその場に倒れた。
「ナンバラード!」
敵側の子供達が、甲高い声で耳慣れない言葉を使い、仲間に声がけしていた。
「ナバラード!」
その声を受けた黒い服装の子供たちが、撤退していく。
その様子を見た椎奈は、ひとまず剣を地面に突き立てると、刺さった背中と肩の矢を、力いっぱい抜いた。
バキと矢の折れる音が聞こえた。
「…ぐっ」
苦痛に顔をゆがめた椎奈のもとに、慌てて見方の弓兵がかけつけた。
「来栖さま!大丈夫ですか?」
「ナ・バラード!」燃えた森の奥へ逃げていく子供たち。
「私は平気だ」魔法少女はそう告げ、滴る血を指でゆぐうと、剣を手に取った。
「あいつらは何者です?」
「何者かな。使っている言葉はシンダリン語に思えたが」
「敵は逃げましたか?」部下が再び聞いた。
「いや、」椎奈は痛みをこらえながら、声をしぼりだした。「まだだ。野営地のもとへ戻れ」
64
円奈たちが急襲を受けてから、しばらくがたった。
「まどなさん!」
隣で戦っている少女が、声をあげた。「敵が見えますか?」
「見えないけれど──」円奈が、弓握ったまま、答えた。「葉や枝が動いてる!」
恐怖に強張っている少女が、首だけでうんうんと頷いた。
そして弓をつがえ、森に隠れ見えない敵に狙いを定める。
円奈がニ本目の矢を弓につがえると、馬の走る蹄の音が聞こえてきた。
「円奈!」来栖椎奈が馬を走らせ、戻ってきていた。彼女の持つ剣は、赤色に血塗られていた。
「椎奈さま!」円奈が魔法少女の名を呼ぶ。「茂みの向こうに…敵が!」
「そうか」
円奈は、魔法少女の肩から血が滴りおちているのに気付いた。
「突撃するぞ。ケリをつける」
「椎奈さま!無事ですか?」円奈が思いかけず声をあげると、魔法少女は答えた。
「無事だ。魔法少女は痛みはどうにでもなるものだ」
続いて椎奈の側近の部隊も戻ってきた。
「敵を追い払え!」
鞘から抜いた剣を向こうへむけ、合図する。
すると、椎奈を先頭にして部下の騎兵たちも出動し、敵の隠れる茂みにむかって馬を駆けだしていった。
その勢いに気圧されたのか、異国の少年少女たちが逃げ出していくのが音で分かる。
ガサガサと、草の茂みがざわめき、茂みの中から異国の子たちが飛び出していく。
その逃げゆく敵たちに、追い討ちをかけてゆく椎奈たちに、円奈も続こうとした。
弓矢を片手に、走り出す。
が、その手を村の仲間の少女に掴まれた。
円奈をとめたのは、村の少女たちの中で唯一仲のよかった、こゆりだった。
「いっちゃダメ!」
と、こゆりは言った。
「でも、」腕を掴まれながら円奈が、答える。「椎奈さまが!」顔が蒼白だ。
「イヤです!」こゆりも円奈の手を放そうとしない。「戦いは魔法少女に任せればいいんです」
円奈がこゆりの手をふりほどこうとする。
椎奈率いる騎兵部隊は、流れる川を超えて敵勢を追い詰めていく。
「イヤ!」こゆりもひこうとしなかった。「いかないで!」
「でも、私、椎奈さまのお役に立ちたい!」
ぶんと、力いっぱい身を引くと、こゆりの手がはなれた。
その悲痛な叫び声を無視して──円奈は、弓矢を手に川を渡った。
川を渡り、土を蹴り、森の中を駆ける。
「追え!」
戦いの最前線で馬を駆る椎奈は、自らの剣を振るいながら、黒の服を纏った異国の敵たちに突撃していく。
少年少女たちは、クロスボウのような弩弓を手にしていたが、今は反撃に打って出るほど余裕はないようだった。
森の奥へ逃げていく子供の背中を、椎奈は背後から剣を振るい、切り刻む。
「あぁっうッ!」
背中を切られた子供の血が飛び散る。そして力尽きて地面に倒れ伏した。
血は地面や木々の葉に赤く付着した。
「椎奈さま!」
同じく馬に乗っていた側近の男騎士が、彼女の名を呼び止めた。
「もうよろしいのでは?」
その声がけを受けて、椎奈はあたりの状況をみまわした。
敵に戦意はもうなく、逃げてゆくばかりだ。
「これ以上戦っても、無為に命を犠牲にすることになります」
「…そうだな」
椎奈は言うと、馬の轡を引いて馬をとめた。聞きなれない言葉を発しながら黒い服の子供達は逃げ行く。
「戻りましょう」
「…ああ」椎奈は答え、血に塗れた剣を、はらってから鞘にしまった。「戻って負傷者を運び出し、手当てを」
「はい」
部下が一礼する。部下は「ハッ!」と掛け声で馬を駆らせると、椎奈のもとを去った。
部下がもとの場所に戻っていくのを見届け、一人その場に残った椎奈は、終わった戦場を見つめ、眺めていた。
ふと見れば、さっき自分が背中を斬った少女がいた。まだ息絶えていない。
「ううっ…ウッ」
それでも血をドクドク流し、痛みで身動きもとれないであろう少女は、倒れたまま草木を握りしめ、うめき声を漏らすだけだった。
「うう…」
椎奈が馬の上から少女を見下ろす。
「う…ウウ」
うめき声は次第に、泣き声になりはじめた。耐え難い痛みに襲われているためだろうか。
椎奈は馬を降り、倒れた少女の足元に寄った。森の暗がりにブラウン色のソウルジェムが煌いていた。
「……なぜ我らを狙った。おまえたちは何者だ」
椎奈は倒れた少女のもとに腰をおろし、問いかけた。
「お前達を襲わなければ、私達が殺された」
「殺される?誰に」
「魔法少女に」
黒い服の少女は血だらけの口でそう語り、途端に安らかな顔つきになった。苦痛から、解き放たれたように。
「死は怖くない」
「怖くはないのか」椎奈がたずねた。
「天に見限られ、寿命がきた。それだけのこと」
そう告げ、少女は眠りにつくように、ゆっくりと瞼をとじた。
苦しそうに立てていた息は、静かになっていく。
「…!」
自分が殺した少女の死を見て、椎奈はひどく心が揺り動かされた。
あまりにも安らかに、あまりにも幸せそうに、眠りに抱かれるように息たえていく少女を、椎奈は動揺して見下ろしていた。
だが時すでに遅く。
どんな生涯を送ったかもしれない若い、若すぎる少女が、天に迎えられた。優しすぎる顔で。
椎奈は起き上がった。そして、魔法少女に変身した自分の衣装が赤い血に塗れているのを見た。
その目下には、自分に殺された少女が。
だが、これが魔法少女なのだ。魔法少女の姿なのだ。少なくとも今の時代では。
魔法少女として領民を守らなければならない。
「来栖椎奈は後悔してる?」
その声を発したのは、夜襲のおこった夜の森のなかに突如姿を現し、闇と同一化した黒い影をした獣だった。
獣は、魔女の使いとしてよく引き合いに出される黒猫そっくりな姿をし、赤い目を二つ光らせた。
獣は土の地面を四足でそっと進み出てきた。
「いや」
椎奈が答えた。そのままで、戦闘の終わった夜の森を見上げた。
「おまえと契約して備わった力だ。戦いとはこういうものだ」
「君がころしてる」
「…」椎奈はそれに対しては、何も話そうとはしなかった。
「キミがソウルジェムの力を解き放って────」
黒い獣はちょこんと土の地面に座り、膨らんだ尻尾だけはふわりと浮かせた。
「その力で殺してる。それで、後悔してる。心が動いてる」
「…」椎奈は黙って獣を見下ろしている。
「鹿目円奈を連れ出してる。暁美ほむらとの約束、やぶっている」
獣は話し続けた。
「後悔する?」
「…カベナンテル」
椎奈はそっと、獣のこの時代における名を、呼んだ。
「おまえが後悔するがいい」
すると獣は、何歩かさがって、ちょこっとだけ頭をさげた。
「カベナンテル、来栖椎奈を問い詰めたこと、後悔する」
そういい残し、獣は、森の闇と同化してやがて影ごと消えた。
「…はぁ」
椎奈はがくりと、力が抜けたように膝を地面について休んだ。
それなりに戦闘続きだったし、顔には出さなかったが本当は異星人の話にはまいっていた。
約束をやぶっているという指摘だ。
「…暁美ほむら、か」
椎奈が独り言のように呟いたその名は、軍役の義務と封建の契りをむすんだ国、そして今は神の国を治めているエレム国の魔法少女だ。
たびたび彼女はこのバリトンの地にやってきていた。鹿目の血筋の保護者。
ほむらがいうに、母の神無につづいて、円奈と、誕生する子は、代を継ぐごとに、円環の理になった少女の姿に近くなっているという。
馬を御して戻っていると、魔法少女・来栖椎奈は、川に近づいたところで鹿目円奈に会った。
円奈は川を自力で渡ってきたのか、ひどくびしょ濡れだった。
桃色の髪の少女は、よほど必死になって走ってきたのか、赤く火照った顔で息をひどく切らしていた。
「椎奈さま」円奈が、ずぶ濡れの髪に水滴をつけたままで名を呼んだ。「無事でよかったです」
そのピンク色の、赤いリボン結んだ髪についた水滴が、キラキラと森の月光を浴びて光ったその姿が、どこか神々しく感じたのは、あのリボンの因果が、そうさせているのか。
「…ああ」椎奈は馬に跨ったまま、答えた。「敵は逃げ去った」
65
そして夜が明けた。
戦いの傷跡を残した森は、いたるところの木々に黒い羽の矢が刺さったままだったし、怪我を追った兵士達の看病は、前夜の戦いの惨たらしさを物語っていた。
戦いで矢の突き刺さった農民たちの体から矢を抜くのに、ペンチのような大きな鉄ばさみを使った。
鉄ばさみでも取り出せないほど深く突き刺さった矢を取り出すには、切開が必要になった。
麻酔もない時代では、意識あるままの農民の腕を切り裂き、えぐるように切り出して、ようやく矢が取り出せた。
矢を抜き取るために切開して抜け出た血は、受け皿(ちなみに、フィンガーボウルと呼ばれるモノとほぼ同じ)一枚をまるまる満たしてしまうほどの量になった。
ようやく取り出せた矢の切開部分を、椎奈が魔力で癒やすことはできたが、矢をキレイに取り出すのは椎奈の魔力では叶わなかった。
66
「して、昨日の襲撃者は何者だったのです?」
夜が明け、森に明るみが戻ると、椎奈はソウルジェムの変身を解いて立っていた。
彼女は背を伸ばして立ち、流れる川の水を眺めながら、側近の男騎士の疑問に答えた。
「何者かはわからない」
椎奈は森の中を流れる水を見ながら、昨日の戦いと、死んだ異国の敵たちの姿を思い浮かべているのだった。
「だか襲撃の目的は我々の所持品と──」
椎奈が口を開いて、側近に語る。
「食糧であろう」
東の大陸にあるという、神の国を目指すための数週間分の食糧も水も蓄えて出発しているのだ。
襲撃して強奪すれば、大きな収穫であろう、と椎奈は部下に話した。
「昨日、敵は女子供ばかりであった」
すると部下の男騎士が、不思議そうな顔をした。「といいますと?」
「無抵抗な女子供だ。あの襲撃は、誰かに命令されたのかもしれぬ」
「誰か?」部下が再び尋ねた。
「そうだ」
椎奈はそう答えると、川の流れを見つめていた視線を、部下に戻した。そして告げた。
「その”誰か”に出くわすとしたら今夜だ」
部下の男騎士の顔色に緊張が走った。「つまり、黒幕ともいうべき者ですね」
椎奈は小さく頷いた。その背筋は、依然、領主らしく凛々しく伸ばされていた。「"魔法少女"だ」
鹿目円奈は夜の明けた早朝の森のなか、一人たって目を瞑っていた。
実戦としての「殺し合い」が、昨晩予告も何もなく奇襲という形で突然おこり、そして生まれて初めて人が死ぬところを間近で見て…。何の戦闘の役にも立てなくて…。
それでも神の国にむけて旅をはじめて、こんな早いうちから自分の覚悟が試されることになるとは、思ってはいなかった。
円奈は目を開いた。
朝日の光が僅かに差し込む、曇り空に覆われた森に白く靄がかった朝霧がたっている。
周囲を見渡すと怪我を負った、昨日の戦闘に参加した大人の農民たちや、少年たちが、包帯を巻いたりしていて、昨晩殺された仲間の死体を持ち運んで、その死体の前で涙を流して蹲っている。
円奈は幸運にも昨晩の戦いで傷を負うことはなかったけれども、仲間達の死と、残された傷跡に、心には深いショックが残っていた。
「だから俺は」
と、死んだバリトンの仲間の前で涙しながら悲痛な声をあげる、民がいた。「こんな旅には出たくなかったんだ!」
そんな本音をつい口にだしてしまうほど、悲しみに襲われている人の声だった。
「みんな死ぬぞ!聖地にいけば、みな死ぬぞ!」
円奈は横目で見つめた。それからまた瞼と閉じた。
俺たちを皆殺す気か。昨日の農夫の言葉が脳裏に蘇る。
森の白霧は、深くなるばかりだ。
円奈は自分のピンク髪を結いだリボンを解いて、髪をストレートにした。旅に出てから一週間たって、円奈の髪は伸びはじめていた。
赤リボン───それは、ある人から譲り受けたものだと、椎奈はいう───を解くと、円奈は腰の剣を差した鞘のベルトも、背中の弓矢も全部外して、樹木のそばに置くと、森に流れる川にむかった。
バシャバシャと川の水をすくって、顔を洗う。
ふるふると水滴を顔からふるい落として、ふーと息をついて円奈が戻ると、こゆりが自分を見ていた。
こゆりは樹木に寄りかかって、そっとという感じで、昨日のことを気にしているのか、遠慮がちに円奈を見ていた。
「私は神の国におこっていること…本で読んでた」
円奈の顔はちょっとだけ、暗かった。それは空の天候が曇りで暗かったからそうみえたからなのかもしれないが。
「本当のことがこんなはやく起こるなんて……」
そうとだけいうと円奈は、また歩き出して、樹木に寄せて置いていた自分の荷物を取り出した。
「それでも私は神の国を目指したい」
ベルトをきゅっとしめ、剣の鞘をとりつけ、弓矢を担ぐ。
そして馴れた手つきで、ピンク髪を赤いリボン一枚でポニーテールの結いだ。
すると一目だけこゆりに視線を送って、その横を通り過ぎた。
こゆりが円奈を見つめた。
その背中は重たくて、寂しげで、はかなげに見えた。
「昨日は──」
こゆりがやっと勇気をだして、樹木に寄りかかったまま、円奈の背中に呼びかけた。
「あんなこといって、ごめんなさい…」
円奈の足は止まらなかった。
なにかいいたげに口が少しだけ動いたけれど、言葉はでなった。
そして円奈はまた背を見せて、みんなの村人がいるところに戻った。
67
旅に再出発する前、椎奈は側近や村人を集めて昨晩の戦死者を葬る葬儀を開いた。
戦死者を並べ、一人一人に黙祷を捧げ、川に流した。
円奈も椎奈と一緒に、戦死者の前で黙祷し、額に指を添えて、小さく祈りの言葉を告げた。
一人一人に流されるたび、小さく祈りを呟いた。
葬儀が終わると円奈は、椎奈のもとに尋ねた。
なんとなく、椎奈に話をしたい気分になったのだ。
来栖椎奈は、あんな出来事が昨晩あったあとも、凛々しく、背筋を伸ばして腕を組んで堂々然としていた。
その背中から、円奈は話かけた。
「私は…初めて人が殺し合うのを…見ました」
「決意は揺らいだか?」椎奈がすかさず尋ねた。
「いいえ」
円奈が答えた。そのピンク色の瞳に、弱気さは消えていた。「でもちょっと、魔法少女の気持ちが分かったんです」
と、円奈は椎奈のすぐ後ろで、答えた。
「椎奈さまは、これまでにもこんな戦いを?」
椎奈は、後ろに立つ円奈の顔は見ないで、空をみあげた。「数えるのを諦めるほどだ」
その空の向こうには、神の国があった。
「人々は”真に許しが得られるのは神の国だけ”と」椎奈が言った。
「魔法少女にとっての神の国が、やっと分かり始めました」
円奈が椎奈に、そう口にして答える。
椎奈は目を瞑ると、首を少しだけ動かし頷いた。無言の肯定だった。
68
それからも旅は続いた。
野営テントをたたみ、釜を仕舞い、また荷物袋にいれ、荷車にのせる。
重い足取りのまま聖地をめざし、ファラス地方の森を、ひきつづき進行する。
ふとしたときは、森が開け、円奈の目の前に、広い夕日があらわれた。
円奈は、みたこともない夕日の景色を目にし、しばし、足をとめて、地平線に降りる夕日を眺め続けた。
バリトンの村に下りる夕日はいつも見ていたけれど、いまだ知らぬ世界の地へ足を踏み入れ、そこにおちる夕日をみるのは初めてで。
円奈のピンク色の髪に、夕日があたり、頬に日差しがあたる。
見知らぬ世界。異国の土地。
いつも夢見てきた冒険と、現実におこった禍々しい戦いに、複雑な思いを抱いた円奈は、ただ大きな夕日を眺めた。
”私はやっと────”
荷車をひく馬の音と、馬を叱咤する村人の鞭の音が、ファラス地方の森に轟くが、夕日を見つめる円奈の耳には入らない。
”この世界を生き、戦っている魔法少女の気持ちを考え始めていた────”
円奈のすぐ後ろを、馬の荷車が通り過ぎる。車輪のまわる音がする。
”魔法少女が、どんな気持ちで戦っていたんだろうということ──────そして神の国がなんなのかを”
夕日を見つめ続けていた円奈は、しかし、想いに馳せたあとは、村人たちについていくように自分も歩き始めた。
聖地にむけて。
手作り弓矢を片手に持ちながら。
69
あの戦いから、次の夜がきた。
あの混迷だった森は次第に開けて、広々とした草原になった。森が開けると、夜空に輝く白い月がよく見えた。
本来なら椎奈の指示で旅をやめ、民を休ませ、野営テントを張ってもおかしくない時間帯だったが。
馬に跨り、先頭をいく来栖椎奈は、片腕だけあげて合図すると、後続の側近たちをとめさせた。
続いて旅ゆく民も全員、とまる。
「どうされましたか」
武装した側近が尋ねると、椎奈は答えた。「昨晩の刺客を放った──」
馬に跨った側近の表情に緊張が走る。
それも、昨晩よりも強力な敵の知らせだった。「"魔法少女"だ」
椎奈は馬を降り、原っぱに降り立った。
夜風が原っぱを流れ、サラサラと静かな草の音がする。
月夜に照らされた草原の真ん中に、黒い影がいた。膝をついて座っているようだったが、椎奈が近づくやその影は立った。
16、17くらいの少女だった。
椎奈はソウルジェムの力を解き放ち、魔力の衣装に身を纏った。
赤いガウンのドレス姿。防具や鎖帷子は騎士姿のまま。手首までの短い赤い手袋に赤い靴。鞘から剣を取り出し、構えをとる。領主の変身姿。
赤いリボンが茶髪を結いでまとめる。
対する黒い人影の少女は、月夜の光に照らされた視覚的な効果のせいなのか、紫色の瞳をしているようにみえた。
夜風になびかせる黒髪は美しく、幻想的でさえあった。静かな風に流される草むらと一緒になってゆれる髪は、背中あたりまで伸びていた。
「して、そなたが昨日の夜襲を命じた主か」
椎奈が魔法少女姿に身を包んだまま、話かける。
「さあてね。なんのことだろうね」
紫色の瞳をした、その魔法少女が答えた。というよりとぼけていた。
たが、その黒髪と紫の瞳の少女が手にしている、自分の身長くらいもある巨大な鎌のような武器を見れば、その魔法少女が凶悪な存在である印象をつくるのに苦はなかった。
まるで死神のようだ、と円奈は思った。
死神が生ける者の魂を狩りにくる、鎌。
昨日のあの悲劇と惨劇、悲しみを引き起こした魔法少女。バリトンに奇襲をかけた魔法少女。
少女は黒を基調としたワンピース、パニエを履いた、細部まで過剰な装飾の施された、いうならゴシック少女とも呼ぶべき衣装を近い服を纏っていた。
フリルのついた姫袖と、レースのついた黒のソックス、胸元で結んだ黒い大きなリボンはいかにも姫チックな、人形のような姿の少女だった。
黒の姫といったところか。
だが、その可愛らしい見た目とは裏腹に、少女の雰囲気は氷のように冷たくて、冷徹な瞳をしていた。
少なくとも円奈にはそう見えた。
あの子が。あの子がファラス地方の、”私利私欲な”魔法少女。円奈は敵国の魔法少女の姿をよく見直した。
あれが昨晩、私たちを襲った刺客を放った、主人であり魔法少女。
黒姫のゴスロリ魔法少女は、自分の身長よりも大きい鎌を握り、対する魔法少女の椎奈を見つめた。
「私のかわいい奴隷たちを殺したな。ひどいことするもんだ、え?」
鎌を突き立て、椎奈を見つめるゴスロリ少女の目が、鋭くなった。「お前たちの持ってる金品と食糧をおけ」
「なぜだ」
椎奈が尋ねた。「魔法少女は人としての苦から解き放たれる。そうして魔獣と戦う運命を負うのだ。さして、人を救うがための使命のために」
「私自身がそうでも、奴隷はそうもいかない」
ゴスロリ姿の少女が嫌味っぽく笑い、告げた。少女がしゃべると、口の尖った八重歯が見え隠れした。
「ここんとこ草を煮て食べるような食生活が続いてる」
その、八重歯をもちあわせる少女は続けた。
「人が生きるって残酷だね?そう思わないか?だが、人はどこまでも魔法少女に尽くさせるぞ」
「奴隷想いなのはよくわかったが──」
椎奈はばっとと、剣を振り下ろし、その剣先をゴスロリ少女にむけた。
「我々はエレムより、神の国のために召されている。退くわけにはいかぬぞ」
「神の国?」
嫌味っぽく笑っていた少女が、さらににやけた。獣のような八重歯が、また見えた。
「そこでごまんとまた殺しあうんだろ?人間の命も金品も、そのためにみんな無駄になる。ならここでウチらによこせよ」
「そうは思わぬ」
「じゃあなんだってんだ?人間も円環の理と一緒になって導かれるとでも?」
バカにしたようなゴスロリ少女の口調。
椎奈は無言で、相手の魔法少女を睨み続ける。
「ヘンゼルとグレーテルは────」
すると、黒姫の魔法少女は、草むらの中に手を突っ込んだ。
「自分を捨てようとする親の悪心に気づいて────」
一人の黒い髪をした少女の頭が引っ張られ、少女は苦悶の表情を浮かべながら魔法少女の前に立たされた。
少女は、草むらの中に、伏せられていたらしい。いま、主人の前に引き出された。
「冴えた手で自分の家に戻った。だがこいつにはその冴えた頭はなかった」
「あ…」
円奈が声を漏らした。
あの少女ってひょっとして─────。
墓堀り職人の言葉が思い出される。
それは、自殺した母親の死体を、埋めていた墓堀り職人の言葉だ。
”この女は夫に子を捨てられ自殺したのさ”
父親に捨てられたバリトンの子?
そんな……。
なせ捨てられたか。
収穫が減ったから。
そういう時代だった。
「魔法少女なんか───人を虐げるために存在するようなもんだ。魔獣は人を狩る。魔法少女はその両方を狩る」
というと、黒姫の魔法少女の鎌を振り上げた。その鎌の先が光った。
そしてぐるんと回して、少女の首もとにその鎌を這わせた。鎌の刃に少女の顔が映った。
「や、やめてください…お願いです…レイ、さま…」
涙声で懇願する黒い衣服の少女の首を。
巨大な鎌を首元につきつけられ、月明かりを反射して首元で光る刃を見て怯える少女の首を。
ブシャア───…。
次の瞬間、ゴスロリ少女の鎌が切断した。
ゴトっと、身体から離れた首が草むらの地面に転がる音がして。
「これぞ魔法少女だ!」
と、血だらけになった鎌を振るってゴスロリ少女は声高に叫んだ。
「ひどいっ…!」
その瞬間、円奈の堪忍袋の緒が切れた。
背中に取り付けていた弓を持ち出し、矢を番えると、躊躇なくゴスロリ少女めがけて矢を飛ばした。
夜の闇を裂いて飛んでいった矢は、しかし、魔法少女の鎌に弾き飛ばされた。
バシっと音が鳴って、円奈の矢はどこかに消し飛んだ。
「神の国でやることって、つまりこういうことだろ!」
ゴスロリ少女が語った。「アタシもそれに倣ってみたよ」
「許せない…!」
円奈の怒りは大きかった。親に捨てられた子を、そんなふうに殺すなんて。
馬から降りた円奈は、馬の馬具に取り付けていた鞘から剣を抜くと、ゴスロリ少女に迫った。
「円奈!」
椎奈が、めずらしく焦った声で叫んだ。「よせ!」
生身の人間が、魔法少女に戦いを挑むなど、無謀だ!
その声むなしく、円奈はゴスロリ少女に斬りかかった。もちろん、剣の攻撃はゴスロリ少女にはじき返された。
円奈とゴスロリ少女の二人は斬りあいに突入していく。
円奈を助けなければ。
そう思い、馬を駆り出そうとした椎奈は、しかし、あたり一面から飛んできた黒い矢に体じゅうを射ち抜かれた。
「な───に?」
敵は草むらのなかに身を伏していたのか。
異国の魔法少女が一人だけ立っているようにみえた草むらは、実はクロスボウを持った敵が伏していた。
草むらのなかに隠れた伏兵がいた。
いま敵は起き上がって姿を現し、自分めがけて矢をいっせいに放ってきている。
「来栖さま!」
側近たちがあわてて椎奈にかけよった。すると、今度は部下たちが次々に弩弓に撃ち抜かれた。
不意をつかれ、防御が間に合わなかった部下たちは、胸や肩、首に矢を受けて、倒れていく。
折り重なるように草むらに倒れ伏していく部下たち。
その、部下達の倒れていく様子を、椎奈は呆然として見つめた。そして、魔法少女に無謀にも挑んでいった鹿目円奈の姿を見つめた。
───ああ、助けなければ。鹿目円奈を。
聖地の因果を、神無がかつてバリトンに持ち込んだ因果を、わたしが背負わせてしまった子を─────。
また一つ飛んできた矢が、椎奈の胸元のソウルジェムをかすった。
バリン!
彼女の、ブラウン色のソウルジェムに、ピキと割れ目が入り、それは一度崩れ始めた繊細なガラスのように、無数のヒビが泡のようにソウルジェムに広がっていった。
ビキキキ!
「う…」
ふらっと、意識がぼやける。その瞬間、見る光景すべてがスローモーションに感じられた。導きが近いのか?
ガタと膝をついた椎奈は、円奈を見つめた。両手に握り締めた剣を振るう円奈。その攻撃はゴスロリの魔法少女にまた弾かれる。今度は敵の攻撃の番。ゴスロリ少女の鎌が横向きに振られる。円奈は頭を屈めてそれをかわす…。
「あなたみたいな───」円奈の顔は、怒りに燃えている。「あなたみたいな魔法少女がいるから──!」
怒りに任せて振るう剣。感情に駆られて振るう剣の軌道は、安定さがない。
──ああ、あのままでは危険だ。
隙をとられ、あっという間にあの魔法少女にやられてしまう。
「魔法少女は、人と民を、守る存在なのに!あなたって人は───!」
円奈は叫ぶ。ゴスロリ少女は笑って攻撃を受け流す。今か今かと、死神の血塗られた鎌が機を窺う。
鎌の刃が、天からの月夜の光を受けて光る──。
「アンタだって殺すだろ!」
黒姫の魔法少女がニタニタ笑いながら、鎌をクルクル振り回して円奈の剣を弄ぶ。
「魔法を使うとはこういうことだろ!他にどんな使い道があるってんだ?あぁ?」
そういいながら黒姫の、紫の瞳をした魔法少女は、余裕そうに円奈の剣をふらりふらりとかわして、鎌をぶんと振りかざす。
「あァッ!」
その一撃は痛烈だった。円奈の剣にバチンとあたって、円奈は苦痛に顔をゆがめて、よろける。
グラっと、草むらを踏む足がよろめいてあとずさる。
「だから魔法少女はさ──」
ニッと八重歯をみせた笑いをした黒姫の魔法少女が、ふらついた円奈むけて思い切り鎌の先を叩き落す。
「殺すために魔法を授かってるんだろうが!」
円奈は剣で身を守ろうとした。剣に鎌が当たり、ぐらついた体勢で敵の一撃をモロに受けて、草むら地面に叩き落された。
手から剣がこぼれ落ちる。
「───うゥッ!」
草むらに背中を打ちつけて、円奈がまた苦痛の呻きを声に漏らす。
その円奈めがけて、また鎌の先が振り落とされた。円奈は必死になって地面で身を回して、落とされる鎌の先から逃げた。
そしてまた起き上がって、剣を握りしめて、黒姫の鎌に自分の剣をぶつけた。
飛び交う矢の中を、最後の力を振りしぼって椎奈が突進をはじめた。
仲間がようやく反撃をはじめ、敵たちにむかって弓矢を打ち返しはじめた。
弩弓もった子供たちは昨晩のように、また逃げていく。
彼女たちはあくまで、黒姫の主人の命令に従って仕方なく戦ってるだけ。反撃すればすぐに怯むようだ。
椎奈は草むらのなかを突き進んだ。
動くたびに、体じゅうに刺さった矢の揺れる感覚がする。
気付けば、口に鉄の味が広がっていた。
椎奈は鞘から剣を抜き、ゴスロリ少女の背後にせまった。
「椎奈さまっ!!」交戦中の円奈が、椎奈の姿をみて驚いていた。無理もない、体じゅうに矢の刺さった状態だったのだから。
「ソウルジェムが──」
「円奈。私の闘いをよくみておけ」
目からも口からも血を流して、バリトン国の魔法少女が低い声で告げた。
「こいよ!」血の鎌を握り締めたゴスロリ少女が、挑発する。「二人そろってかかってこいよッ!」
「二人はいらぬ」椎奈はそう告げ、円奈とゴスロリ少女の間に割って入った。「私が相手いたす」
「そんな状態でか?」黒姫の少女が残忍に笑う。「殺してやるよ!」
クルクルクルっと、少女が鎌を器用に回してみせる。
椎奈は剣を振り上げ、ゴスロリ少女に斬りかかった。
魔法少女と魔法少女の殺し合い。
二人の武器が交差すると、椎奈と、ゴスロリ少女両者がグラリと揺らいだ。二人の間には光のような火花が飛び散った。
さすがに魔法少女同士のぶつかり合いになると力量が違う。
だが、二人はすぐに互いに体勢を立て直すと再び向き合い、鎌と剣をぶつけあった。
ガチャン!
魔法の剣と、魔法の鎌の刃同士が、またあたり、火花がちり、夜空の見下ろす草むらに閃光を放つ。
このとき、ゴスロリ少女には油断があった。
椎奈の武器は剣のみだと思っていたことだ。
互いの鎌と剣が交差すると、椎奈はすばやくもう片方の手にある鞘を振るい、ゴスロリ少女の顔を殴りつけた。
鞘の先端部分が少女の顔をうち、バランスを失わせた。「──うっ!」
いわば椎奈の攻撃は剣と鞘の、二刀流なのであった。
よろめき、体勢の揺らいだその隙を、椎奈は逃がさなかった。
片足を振り上げ、椎奈は黒い魔法少女の揺らいだ腰を足で蹴飛ばした。
「うっ…」
黒姫の少女はよろけ、何歩か草むらを前のめりになって進む。
すると椎奈は剣を両手に握り締め、よろめいた少女の背中に思い切り、剣の刃を振り落とした。
────バサっ。
まさに、そんな音だった。
剣は少女の背中に深く入り、ゴスロリの少女は草むらの地面にぶっ倒れた。
血は、黒姫の少女から飛び散り、残酷な生命の水が、魂の抜け殻となった身体から、飛び出した。青白い月光を浴びて、赤色の煌く生命の血。
「───ちく、しょ」
ぶっ倒れたゴスロリ少女が悔しげに歯を食いしばるも、すでに椎奈の剣の剣先が彼女の背中を補足していた。
「──やめ…」黒姫の少女が紫の目で剣を見上げた。
「ぐぅぅう!」めいっぱい力の込めた椎奈の剣先が振り落とされ、ゴスロリ少女の腰を貫いた。
悲鳴。
剣は背を貫き、地面にまで刺さった。
これがとどめの一撃だったのか、ゴスロリ少女の動きがとまった。
ピタリと動かなくなり、ゴスロリ魔法少女の変身が解けた。変身が解けると、ごく普通の少女の死体がそこにあった。
口元の八重歯も、変身が解けたら普通の人間の歯に戻ったようだった。
背中を貫き、腹まで突き出た剣ガ、ソウルジェムを砕いていた。
「…はぁ…はぁ」
椎奈は息を絶え絶えにしながら、魔法の剣を、殺した魔法少女の身から抜き取る。血で真っ赤だった。
戦いを終えた椎奈は息を切らしていて、やがて力つきたように倒れた。すると、椎奈の変身も自然に解けた。
「椎奈さま!」円奈が慌てて駆け寄り、椎奈の体を支える。「大丈夫ですか?」
みれば、ソウルジェムの輝きは失われていた。
「円奈よ。話がある」
円奈が椎奈の背中を抱え、だらんと垂れた椎奈のうっすらとした目が円奈を見て。
椎奈は、絶え絶えの息を吐きながらそう告げた。「私は長くない。そなたに授ける物がある」
次回、第6話「魔法少女と騎士の誓い」
第6話「魔法少女と騎士の誓い」
70
二日間に続いた、月夜の悲劇は終幕を迎えた。
二度に渡る戦いの末、戦った両者は多くの犠牲をだした。
死者、負傷者あわせ十数人。そして互いの国の魔法少女も───両者とも結局、死を迎えることになった。
「どうして、戦ったんだろう」
悲劇を振り返って、円奈は受け止めきれぬ絶望のなかで、ぼんやり考えていた。
「なんでこんなになるまで、戦ってたんだっけ」
円奈は放心にも近い心理状態で、ただ草むらの地面に女の子座りして目を虚ろにしていた。
ソウルジェムに深い傷を受けた来栖椎奈は希香たち側近の騎士たちに両肩を持たれて運ばれた。
椎奈の希望で、彼女の野営テントに側近によって連れられる。
杭と布で天井を覆ったテントの中で、来栖椎奈──バリトンの領主にして、魔法少女───は、鹿目円奈に最後の遺言を残すべく、テント中の運ばれた木製の椅子に座った。
月明かりの届かないテント内は真っ暗になるから、蝋燭と灯台が運ばれテント内を照らした。
ゆらゆらと燃える蝋燭の光が、テント内に光をもたらしていた。
呼ばれてそこに入った円奈は、それまで見たことないくらいに弱まった来栖椎奈の姿を見た。
テント内に敷かれた椅子に腰掛けていたが、熱を患ったように顔は紅潮し、額に汗を流していた。
側近の少女達に支えられて、やっと立ち上がることができる状態だった。
その椎奈を支える侍従少女たちの、重苦しい表情や、嗚咽に涙ぐむのを押さえた声から、円奈は自国の魔法少女の命が、まさに天に召されようとしている現実を悟った。
「椎奈さま」名前を呼びながら、頬を伝う自分の涙の熱さを、円奈を感じ取った。
領主は、戦いで刺さった矢もすべて取られていたが、普段感じる魔力に満ちたオーラは、いまや感じられなかった。
それでも領主はその風格を失うことなく、美しかった。
「円奈よ」
息をきらし、呼吸するのもやっとな椎奈が、ふるふると震えながら話した。
その声は、普段の彼女からは信じられないくらい弱々しかった。
「そなたはこの世界をどう考える?魔法少女が人にとっての希望となり、人を救う誓いを立てるこの世界を」
その質問には、あくまでそれが魔法少女の建前で、現実には今晩のように魔法を私欲と暴虐にしか使わぬ魔法少女がいる、その世界をどう考えるかという意味があるように、円奈は思えた。
「そなたは今も、魔法少女になりたいと思うか?」
椎奈から紡がれる言葉。弱々しくて、聞き取るのもやっとな、魔法少女の言葉。
円奈は、以前、領主の許可もなく、領土をでて、白い妖精を探しにでたことがあった。
「───はい」
円奈は答えたが、自分の声が自分の声でなくなったように、涙ぐんでいるのに気付いた。
「こんな世界だから…この世界だから…この世界の希望を担う……そんな魔法少女になりたいです」
「この世界の希望とはなんだ?」
椎奈がすかさず尋ねた。どんなに声が弱くなっても、放たれる言葉には、領主らしい厳かさがちゃんとあった。
「人が……人々が……悪い者から守られる世界……それがわたしの希望です」
円奈が涙声のままに答える。喋れば喋るほど、涙声になった。
「そなたはその希望を、魔法で叶えるのか?」
「…それは」
つまり、その願いで契約して魔法少女になるのとかという質問に、思えた。
「…」
「聞くのだ」
椎奈は円奈の答えを聞き出すより先に、話した。
「よいか。円奈。そなたは神の国にいくのだ。たとえ私がここで命つきようとも、だ。」
円奈はただ、椎奈の言葉に聞き入っている。
「こんな私が──」
円奈が、弱気になった声で尋ねた。
「こんな私などが、神の国のために、何ができるのでしょう。魔法少女でもないのに…」
「そなたならできる」
椎奈の声がさらに弱まり、聞き取りづらくなっていく。
「神の国はそなたを待っている。そなたなら───希望を実現できる」
尽きる魂。椎奈は続ける。席にすわる身体が、小刻みに震えている。ソウルジェムのヒビ割れた自分の身と闘っている。
「そなたは存在すると思うか?あらゆる人と魔法少女が共存を選び、平和を結び、人間も魔法少女も──その隔たりがない、そんな世界」
いつも人と魔法少女の間には、隔たりがあった。
魔法が使える者とそうでない者。
「そういう国があると?」
椎奈が、問いかける。
いくら魔法少女が、民を導く立場にあったとしても、それは民が魔法の使者を恐れ、逆らわないようにしているだけであって、そうしないと魔獣や魔法少女や、盗賊から身を守られないから、したがっているのであって、内心の裏では人間と魔法少女のあいだには、うめようのない心の距離がおかれていた。
自分たちとは違う、人間ではないなにかの存在のように受け止めていた。
魔法少女は魔法少女で、人間を捨てた身としての苦労と心労を、人間は理解しないものだと思うのがほとんどだった。
分かち合わない魔法少女と人。
その隔たりをなくすなんて───そんな世界が。
あるはずが───。
そう思いかけ、顔を落とした円奈の表情をみた椎奈は。
みずからの質問に、みずから答えた。
「あるのだ。そんな世界が。円奈。おまえが築くのだ」
魔法少女と人。
わかりあうときなんて、手をとりあうときなんて、くるのだろうか。
「この旅の先に、そんな”天の御国”を見つけるのだ」
来栖椎奈の思い描く希望だった。そしてその希望は、円奈に、託される。
「ひざまずけ」
すると領主は席を立ち上がって、円奈に、命じた。「私の前に」
椎奈に命じられ、円奈は、戸惑いながら、おずおず、ゆっくりと膝を絨毯について跪く。
椎奈は、自らの鞘に収めた剣を抜き出し、両手の平において、円奈にゆっくりと、手渡した。
内心戸惑いながらも、円奈は椎奈の魔法少女の剣を手に受け取る。
手にずっしりと、椎奈が魔法少女として、領主として戦い続けてきた印である剣の重みが、円奈に伝わってくる。
「恐れず、敵に立ち向え」
円奈がその手に剣を受け取ると、椎奈は自分の前に跪いた円奈に、その言葉を託す。
「真実を示せ」
椎奈の、こげ茶の瞳が、まっすぐ円奈の目を捉えて、告げる。
「弱きを助け、正義に生きよ」
「それが私とお前の誓いだ!」そして予期もせず、円奈はバチンと椎奈に頬を叩かれた。
「…!」
叩かれた頬の赤い円奈。驚いて魔法少女をみあげる。
円奈は、何が起こったのか一瞬、わからない。
「その痛さが記憶させる」
椎奈は告げた。それが領主として最後の、遺言になった。
叩かれた頬は、まだじんじんと痛感が残っている。
椎奈は跪いた円奈を見下ろし、告げた。「立ち上がれ、騎士よ。私との誓いを立てた騎士よ!」
そうか。これは騎士の儀式。叙任式。
いま、ここで立ち上がれば、私は騎士になる。魔法少女ではないけれど、魔法少女から”使命”を授かった騎士。
村ではずれ者だったわたしが、騎士になる時─────。
ゆっくりと、受け継いだ剣を腰の鞘におろし、円奈はすっくと立ち上がった。
不思議な気持ちだった。
ただ立っただけなのに、生まれ変わった気持ちになった。不思議な力が身を包んでいる。
今まで見えていた、同じはずの景色が、まるで別世界の景色に見える。
これが、騎士になるということなんだ。
その鹿目円奈の、決意に満ちた顔を見て、来栖椎奈は座席に深く座り込んだ。
「来栖椎奈さま」
この騎士叙任式にたちあっていた別の騎士・希香が、領主に、引導を唱えた。
「あなたは導かれます。あなたの希望は叶えられましたか」
「わたしの希望は受け継がれた」
椎奈は目を閉じたまま、汗だくの顔で答えた。それが、最後の言葉となり────。
そしてこのバリトンの魔法少女は─────ソウルジェムの煌きと共に燃え尽きた。
尽きたソウルジェムは蝋燭の火が消える瞬間みたいに光を失って、するとパリンと音をたてて粉々になってしまった。
ブラウン色の破片がテントの絨毯にパラパラと落ちた。
元のソウルジェムのあった場所には、ただ小さな火と煙が立ち昇るだけで。
その小さな火さえも消えて尽きてしまった。
いつも私を見守ってくれたたったひとりの優しい人──────。
その人の死を、円奈は、目に涙を溜め見つけ続けていた。
生まれた頃から、農地ももてず、税も払えず、はずれ者にされて、狩りでやっと食いつないでいた身寄りなき少女は、こうして、騎士となり───。
ずっと見守ってくれていた人をなくしてしまっても、聖地をめざす。
その人との、誓いを胸に。
神の国へ旅にでる。
71
神の国と女神の祈り。
それは、魔法少女と騎士の誓いの物語。
72
鹿目円奈が故郷のバリトンを離れ、聖地・神の国を治めるエレムを目指して一週間。
バリトンの民を従えた王女・魔法少女の来栖椎奈は息絶えた。
旅の途中、ファラス地方にさしかかると、敵の奇襲を二夜に続いて受け、敵国の魔法少女と戦い死に至った。
それはバリトンの民にとって、自国を護り続けてきた唯一の魔法少女の死を意味した。
次の日の朝、葬儀が行われた。
それから人々は森から薪をあつめ、魔法少女の遺体の下に積んだ。そして火をつけた。
燃える魔法少女の遺体を、民が囲んで見守っていた。
薪のなかで燃える魔法少女の目は閉ざされ、装飾品が遺物として添えられて、一緒に燃やされた。
遺物は盾や、鎧や、ベルト、彼女が生前に好んだ鉛のグラスや指輪などであった。
薪への火は、側近の騎士身分たる少女たちが松明で灯した。
夜明けに燃える火を、魔法少女を天へとおくる火を───鹿目円奈は、じっと見つめていた。
ずっと憧れていた。
生まれてこの方、人々のために命を尽くし、護る───その姿に。
”魔法が使える”というカッコよさに憧れているというより、魔獣と戦い、民のために使命を果たすことを誓う代わりに、魔法の力を授かり魔法少女になる───そんな姿を命尽きる最後まで守り通す姿に憧れた。
円奈にとってただ一人の、憧れの魔法少女は。
いま、天へと確かに魂が送り届けられる。
それでも、悲しみが押し寄せた。
「うう…。」
思わず、両手で目を覆い、漏れる嗚咽を堪える。
椎奈の葬儀が執り行われる前、円奈はあのテントに砕けたソウルジェムの破片ひとつひとつを、自分の小袋に集めて入れた。破片をあわせてもとの形にならないかと試したが、やはりそんなことは不可能だった。
少なくとも椎奈の魂が宿る、形見だと思って、円奈は破片を、あの誓いを胸にすると共に自分の小さな布袋にしまうのだった。
「必ず…」
涙声を含みながら誰に語るのでもなく、円奈が口を開いた。涙ぐむその目は赤かった。
「必ず…誓いをはたします…」
騎士になって一日目、鹿目円奈は最初の誓いを───騎士にとって最高の誇りである誓いを──護ることを改めて心に告げた。
必ず。私は誓いを護り、神の国に仕えます。
わたしが、なにができるのかは、わからないけれど──────。
尽くします。私の命、あなたとの誓いに。
炎は煙となり、この世界の地上から放たれて、空まで昇っていった。
73
こうして鹿目円奈の旅は、魔法少女がいない、人間だけの旅となったのだった。
遠く神の国まで、まだずっと旅路がのこっているのに。
しかも円奈は、思いもかけず旅の仲間が減る現実を知ることになる。
「え?帰る?」
円奈がそう思わず声にだしたのは、旅の続きに出発するため、荷物を愛馬に乗せていたときのこと。
「ええ。バリトンに帰ります」
そう答え、荷支度をしているのは左柚(さゆ)だった。よく円奈と口論になる村の女の子だ。
左柚もまた荷物を馬に乗せていたが、目的はまるで逆らしい。
「帰るって…」
円奈は、信じられないというような口調で声をしぼりだした。「神の国は?椎奈さまとの誓いは?」
「誓いなんて立ててませんよ。あなたは別かもしれませんけど」
と、左柚は言い、食糧を入れた袋をまた馬に乗せた。乗せたあとで、麻の紐でぎゅっと馬具に縛りつけた。
「エレム国と”臣下”として繋がっていたのは椎奈さまです。その椎奈さまがいなくなった今、私たちは旅の続けようがありません」
「どうして?」
力が抜けていくような、失望の円奈の声が尋ねた。
「どうして、って、」
左柚は淡々と語った。はじめて円奈の目を見て、話し始めた。
「人間だけで渡れる旅なんかじゃないんです。いいですか、ここから神の国にいくとしたら、このファラスの森を越えて、モルス城砦を渡って、エドレス地方につけたと思ったら、やっと海が見えて、その海を越えたら、ようやくサラドとエレムの紛争地帯である砂漠にたどりつけるんです。分かりますか?魔法少女もいないのにそんな旅路、死に行くようなものです!だいいち、魔獣に巻き込まれたらどうするんですか?」
魔獣は、いつの時代にも現れる。
特にこの時代では、呪いの代弁者として出現する魔獣は、戦争の起こったあとの地域や、葬儀場など、負の感情が溜まるところに発生すると信じられた。
要するに魔法なしには渡り歩けぬ世界、それが西暦30世紀。
「ん、まあ、そうだけど……」
確かにそうだった。魔法少女がいなくなった今、だれがバリトンの民を守れるのか。世界は平和とは程遠く、領邦君主の小国が乱立している状態であり、日々互いの国が互いを喰おうと睨み合っている乱世だ。
国境を越えれば、すぐ敵に奇襲される。ついこの二日で、もう思い知らされたことだ。
そして何より、魔獣に襲われたら抵抗する手立てがない。それだけで全滅の危機に瀕する。
「そーいうわけなので、」
と、左柚は続けて言った。「私は帰ります。バリトンを護ってくれる新しい魔法少女を探します。国内で契約する少女もいるかもしれませんし。私はゼッタイ、イヤですけど!」
「う…」
返す言葉もない円奈は、ふと見渡せば、大半のバリトンの民が左柚と同じ考え方でいることに気付かされた。
みな帰り支度をしている。とても、旅を続けようという雰囲気じゃない。
というのも、どことなく皆がみな、運良く徴兵をまのがれた兵士みたいに、安堵の顔をしているからだ。
まあ実際そうなのかもしれないが。
「そんな…」
円奈は信じたくなかった。みんな来栖椎奈の約束をもっと重んじると思っていた。
確かに現実の道は厳しい。
無謀なことくらい、わかってる。
でも、だからって、椎奈さまがいなくなったらじゃあそく解散、みたいな態度がいやだった。
椎奈さまは、いつも命がけで、魂までかけてバリトンを護ってきたのに。
「あなたたちも、帰るの?」
円奈は椎奈の元側近の近衛騎士たちにも尋ねた。すると側近の少女たちも暗い顔をして、首を振るばかりだった。
「こうするより他はありません」
護衛を務めた男性騎士の一人が、言った。彼もすでに馬に荷物を乗せていた。
「たしかに、心残りですが、現実的な道です。それに、契りに違反はしません」
契りに違反しない。
たしかに、そうなのであった。
封建制度における、主君と臣下の契りというのはあくまで当事者での間でのみ成立するものであって、つまり、たとえば臣下は主君には従うが、主君の主君という第三者には何の義理も持たないのであった。
たとえそれが最高司令官だろうと、強大国の主君だろうと、契りを直接結んだ相手でもない限り従わない。
しかも契りは一年と40日という期限つき(バリトンはその度に、契約を更新していた)。
つまりバリトンの民は来栖椎奈の封民ではあったが、それは、椎奈のみに対する忠誠であって、椎奈の主君であるエレム国には何の義務も持たないのであった。
椎奈がなくなれば、バリトンはエレム国と一切の関係からも開放される。
つまり、椎奈に聖地にいけといわれたから聖地にむかうのであって、エレム国の君主から聖地にこいといわれても、契りを結んだ相手ではないのだから、従わない。
そんな裏事情もあり…。
どうやら本気で神の国にまだ行くつもりなのは自分しかいないと、円奈は悟った。
「私は一人でも、いくからね!!」
と、もう半分やけくそで、円奈は大声でめいっぱい叫んだ。「私は騎士になったんだ!椎奈さまとの誓いを守る!」
その場じゅうに轟いたその声は、バリトンの人たちの視線を一点に集め、次に沈黙という空気の中心になった。
「…私はいく。一人でも」
そう告げ、円奈は愛馬クフィーユを呼び寄せた。愛馬は主人のいうことをきいて、蹄の音をたてながら円奈のもとに歩みよってきた。パカパカと。
円奈はクフィーユの頭を撫でた。「行こう。ね?」
その鞘に収められた剣は───そう、来栖椎奈から最後に渡された剣だった。
側近達は複雑な顔をした───あからさまに不快な顔をした者もいた──来栖椎奈は、その死に際に、他でもない庶民以下の身分だった鹿目円奈に、自らの剣を託した。
円奈は昨晩、椎奈から直々の叙任式を経て、名実共に正式な”騎士”となった。それは、税を受け取る立場であり、農地を持たなくても収穫の幾分かを受け取れる立場である。
他の国では、荘園を経営する騎士さえいるくらいの、高い身分である。
「いくならいけばいいでしょう。しかしいけば死にます」
男騎士は兜をかぶり、馬に跨って乗る。その動作はおおらかだ。
「われわれは、エドレスの都市を越えたミデルフォトルで、エレム国の部隊と合流する予定でした」
どうやら無謀という警告をだしつつも、円奈に、聖地へのルートを教えてくれているらしい。
「それから、貴女が授かった椎奈さまの剣ですが」
最後に、男騎士が円奈に告げた。
「その剣は、魔獣の気配が近づくと青く光ります。貴女の身を守ってくれるでしょう」
けっこう、丁寧にいってくれるんだ……。
心の中で苦笑した円奈は、村の仲間たちの姿や、背中を最後に見送って、自分は愛場クフィーユの背中に乗った。
騎士身分なりたてほやほやの円奈の馬に、鞍はないし、ぶら下げた鐙もない。野生の馬に跨っている状態。
身分は騎士いえども、装備はそれとは程遠い貧相なものである。
背中に取り付けた矢は、これも自作で、イチイ木を選んで鉈で木を削り取って、小刀で形だけさらに細かく削って、火を通して曲げて、あとは両端に穴あけて紐を通し結んで完成の、手作り矢。
円奈自身の身長にせまる1.2メートルのロングボウだ。
今では魔法少女の治める聖なる国に持ち運べる武器は、この矢くらいなものだ。
それでも──── それでも、私は。
蝋燭や、本やパン、火打石と鉄板、ヒグチ、麻紐、毛布、予備の馬具、水筒、フィンガーボウルなど旅の道具をつた布袋を馬の馬具にとりつけ、自らは馬に身を寄せて、ばっと上に跨る。
最後に、馬上からもう一度だけバリトンの村人たちを眺めた。
すこしだけ期待を込めたけれど、やっぱり、みんな帰るつもりみたいだった。
円奈は向き直り、自分の進む道へと、手綱をたぐって馬の向きを変えさせる。
愛馬クフィーユが、轡かんだまま鼻息をならした。
「大丈夫」
円奈が、不安そうに鼻息ならしている愛馬の、耳と耳のあいだの頭を撫でてやり、声をかけた。「大丈夫だよ」
馬は、まだ不安に、これからはじまる円奈と二人きりの旅に、怯えている。
「私と二人きりじゃ、心配?」
円奈は優しげに、愛馬を撫でてやりながら、話しかける。「でも、昨日までの私とは違うよ」
円奈は、聖地をめざす森の先へ、目を走らせる。ピンク色の髪をした頭に結ばれた、赤いリボンが風にゆれて、その目は、前をみる。
「私は、今日、騎士になったんだから。あなたは、騎士に乗せる馬なんだから。二人で聖地をめざそうよ!」
馬がまた、鳴き声をあげ、耳を垂らしている様子を、愛しげに眺めている円奈に、声がかかった。
旅先は、長い。
「いかないで」
それは、バリトンの村でも数少ない円奈の友達、こゆりという名前の少女だった。「いかないで…」
「こゆりちゃん」
円奈が、再び手綱をたぐって、馬の向きをわずかに翻させると、少女を見下ろした。
「あなたも村に戻るの?」
こゆりは、目に涙ためながら、こくりと、力なく頷いた。「父も母も、かえるから……」
「そっか」
円奈は、少し残念そうに、微笑む。「やっぱり、ここからは私一人だけになるんだね」
ここからの旅は、円奈一人だけだ。
たった一人で、世界を旅する。その距離は、2500マイル。騎士は、聖地を目指す。遠征の旅。
「いかないで」
すると、こゆりは、また目に涙を溜めて円奈に言った。「まどなさん、お願い…」
「わかってる」
円奈は、馬の手綱握ったままで、こゆりに、答えた。「この先がどんなに危険で、命がけの世界なのかも、私、ちゃんとわかってる」
こゆりが、何も言い返せないまま、ピンク髪の少女を見上げる。
円奈は、さらに、たった一人の友達にむかって、言った。「でも、それでも私、いかなくちゃいけないところがあるの。
私は、それを、誓ったから。それを誓って、騎士になったから。椎奈さまと」
そういい、胸元に手をあて、目を瞑るその表情は、決心に満ち溢れていて。
円奈は、再び目を開いて、神から与えられたその姿をした目で、こゆりを、また見た。
「わたし、あなたと友達になれて、本当によかった」
こゆりが、ぐすっと、嗚咽をもらす。
それでも円奈は、話す。「不幸を呼ぶっていわれてる私にも、友達ができたんだって、今でもそれがうれしいの」
それから円奈はもう、たった一人の旅へと出発する合図を馬に送ろうとしていた。
彼女は、手綱にぎって馬の向きを変更させつつ、こゆりに、最後の言葉を残した。
「さようなら。元気でね」
そう言葉を残し、次の瞬間、馬が向きをひるがえした。
円奈がこゆりを目でみつめ、それからくるりと背をむける。
蹄が土をけり、馬がどんどんスピードをあげて、こゆりをおいて旅先へと走っていく。
みるみるうちに背の小さくなる、聖地へと旅立った鹿目円奈という少女の背を、こゆりは、見つめていた。
「待っています…」
こゆりは、黒い髪と同じ色の黒い瞳で、じっと円奈という少女を見つめ続け、言った。
「わたし、ずっと、待っています…いつか、帰ってきてくれることを」
円奈の背は、森のむこうへと、消える。
だが、こゆりと鹿目円奈は、何年かあとに、再会する。
74
鹿目円奈は、森を抜け、大きな川の前にたっていた。
馬を降り、その傍らにたって、馬の背をなでると、大きな川をみつめる。
川は、緑色をしていて、落ち葉を乗せ下流へとゆるやかに運んでいる。
どこともしらない、未知の、魔法少女が王として君臨する国へ。
世界を旅する。
「なんだか……」
誰もいなくなってしまった異国の地で、円奈は、独り言を、そっと呟いた。「また、一人ぼっちになっちゃったな……」
そういい、自分を慰められるのは自分だけだ、とばかりに、一人で苦笑する。
遠い遠い、聖地をめざす。
封建世界のなかで育った円奈は、一歩外の世界に踏み出してみると、右も左もわからない。そんな外の世界、広大な異国の土地に飛び出して、遠い聖地をめずすために得られたヒントは、たったの三つ。
”シンダール語の国を抜けたら、別の言葉がきこえてくる”
”エレム国を名乗る魔法少女に出会ったら、その名前と顔を覚えよ”
”そしてなにより、神に愛されなければならない”
ほとんど三つ目などは、ヒントにもならないヒントだ。
こみあげる不安をふりきって、森に挟まれた川沿いを進もうとしたとき、別の馬の蹄の音がした。
「まちなさいよ!」
円奈は、その女の人の声を知っていた。
先日騎士になったばかりの自分とちがって、長いこと騎士をしていた来栖椎奈の側近、希香という人だった。
「まちなさいってば!」
円奈を追ってきたのは、希香という女性の、椎奈の世話役も務めていた騎士。
森の木々のむこうから馬に跨って現れた。ばばばっと馬を慣れた馬術で馳せてきて、手綱ひっぱって馬をとめる。
ヒヒンと馬が鳴いた。
「鹿目が、一人で行ったなんて噂を耳にしたから、きてみれば、あなた、本気!?」
馬にのったまま、円奈においつくや、乱暴に地面に降り立って、円奈の前にずかずかやってくる。
「一人でエレムまでいこうって、ばっかじゃないの!外の世界にはね───」
円奈が、驚いた様子で、自分よりは身長の高い女性の騎士を、みあげる。
「敵もいる!魔獣もいる!魔法少女もいる!だれもあなたの味方なんてしない!なのに一人で行く気?」
「わたし、誓いましたから」
最初は、いきなりの希香の登場に少し動揺していたが、やがて、気持ちを取り直すと、自分の胸に抱いた決意をおそれもせず語った。
「聖地にいくって。弱きを助けて、正義を貫くって」
「はぁ、あのねえ!」
希香は、ため息はいて、鎖帷子を着た腰に手をあてた。
それから、円奈を見つめ、叱咤する。「騎士叙任式でいわれたことを、まんま受け取る必要なんて、ないの! あれは、儀式的なもんで、騎士の叙任をうける人の気持ちを高めるためにそういう言葉で演出してるものなの。いちいち叙任式でいわれたことを、本気にしてたら、どこにも国を守れる騎士なんていなくなっちゃうんだから」
それから、また、はあと息をつく。
「騎士も職業なの。誓いがどうだって、本気にして、いちいち命はってたら、もたないでしょうが。民を守る、魔法少女を護衛する、でもほどほどにね。それを長く続けてこその職業で、騎士の人もね、生活できるってものなの。戻ってきなさい。」
と、なだめると、円奈をみて、希香は手を伸ばした。
「あなたは、騎士になった。もう今までみたいに、狩りでやっと食いつなぐ生活じゃない。収穫のいくらかを税でうけとって、バリトンで生活もできる。それに、不幸を呼ぶだどうだっていわれてたんなら、これからは騎士として活躍して、みんを守って、見返してやればいいじゃない。あなたには、今なら、それができる。あんた、だいぶ弓が得意になったそうじゃない?」
円奈は、希香が、自分のことを想っていってくれているんだってことは、頭ではわかった。
「せっかく、それほどの身分になったのに、みすみす命を捨て投げることないじゃないの」
希香がそこまでいうと、ちよっと照れたように笑って、自分の黒い髪の毛をいじった。
「農民から税をうけとる、悪くない生活なんだから」
「希香さん」
すると、円奈も、照れたように微笑んで、言った。
希香も、髪の毛をいじる手をとめて、円奈をみた。
「気持ちは嬉しいです。命を危険にさらすよりは、村に戻ったほうが生活ができるのかもしれません。でも、ちがうんです!」
まるでさっきと決意が揺らいでいない、はずれ者だった少女は。
「私、椎奈さまに何度かお願いしたことがありました。神の国に、連れて行ってほしいって。それが、どんなに椎奈さまにとって迷惑だったのか……バリトンの人にって、迷惑だったのか……私、本当に不幸を呼ぶ女だったんです。」
あくまで決意を変えない、強さをもっていた。少女の語りの強さに、希香は眉をひそめる。
いつのまにか成長した、鹿目という少女を見つめる。
「だからこそ、誓いだけは破れません。椎奈さまとの、この約束だけは……絶対に守るんです!だから私は、聖地にいきます。エレムに、むかいます」
そう答え、円奈は再び、希香の前で、馬に跨って乗った。
「神の国は、私の夢でしたから……!」
そういい、円奈は、馬上から、川の流れるむこうの先を見据える。
すると希香は、面白くないというように、今度は、しかめっ面で、髪の毛をいじった。
「なによ、まだなりたてのくせに、わたしより騎士らしいこといっちゃってさ……」
と、悔しそうに、声を漏らす。
「はーあ、これじゃ、騎士物語の主人公の座は、完全にとられちゃったかな!」
そういって、諦めたようにため息つき、円奈には背をむけて戻る道のほうをむく。
「わかったわ。じゃあね。いってらっしゃい。怖気づいたら、戻ってきていいわよ」
「ありがとうございます」
ババババ…
希香のもとを、馬に乗った少女が去る。たった一人の、旅にむけて、去る。無謀すぎる冒険に。
「鹿目!」
すると、希香が、最後に叫んで、もう一度だけ円奈のほうを見た。
円奈も、一度だけ馬をとめ、手綱で馬の向きを横にして希香をみる。言葉を待ち受ける。
二人のあいだにはすでに、埋めようのない距離があいてしまっている。森の川辺にて。
「あのときは」
それでも希香は、遠い円奈に聞こえるように、声を大きくして、言った。
「あのときは、りんごをとっちゃって、ごめんね」
円奈は、顔を落とした。
その少女は、下に隠れて、前髪に覆われる。
それは、五年前のこと。隣町の城での、市場でのこと。希香は、円奈の手からりんごをとりあげた。
それから、最後に、新しい騎士は顔をあげ─────希香をみた。
身体を震わせ微笑んだその目から────わずかな水滴が光った。
希香はしばらく、川の下流へと馬を走らせていっ円奈を見つめていたが。
やがて、踵を返して、自分の道へと戻った。向きかえるとその黒い髪の毛がなびき、彼女は、森の道へ戻る。
「じゃあね、鹿目」
最後に彼女は小さく囁いた。
次回、第7話「ロビン・フッド」
第7話「ロビン・フッド」
75
"madoka's kingdom of heaven"
ChapterⅢ: Robin Hood and the falas forrest
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り
Ⅲ章: ファラス地方の森の義賊たち
76
舞台は、こうして、西暦にしていうと30世紀、魔法の支配する世界になる。
この世界では、魔法もなしに渡り歩けぬ世界と、いわれている。
魔法は、古代の世界からあった。
もっとも古来からある魔法は、メソポタミア人の魔法である。
その魔法は、氷河期や飢饉、気候の変化や嵐といった、解明不能な自然現象を引き起こす原因と信じられた魔の獣から、自分達の身を守る呪術的儀式であった。
魔法少女が、人々を守るために魔獣と戦うかのように、メソポタミア人もまた、魔の獣から守るために、生死を司る神々への呪文を、"忘れたもうな"と繰り返した。
魔法は恐ろしい怪物たちから身を守るため、人が授かった力だった。
しかし、そうした呪文をとなえる者、つまり妖術師は、魔の獣からの保護者であったが、それを保護のためではなく、呪いのために使うのであれば、邪悪の力としての脅威にもなった。
魔法は、自然現象から身を守るための対抗手段として生まれたが、やがて、守るという目的から逸脱して、呪いという邪悪さをもってしまった。
世を救う力は、やがて世を呪う力と変わるのである。
魔法は、本来人を守るための手段としてはじまったことは忘れられ、ただただ、人々を脅かすものとして妄想された。
ヘンゼルとグレーテルの、お菓子の家に登場する魔女のように、魔法使いは、悪者であるかのような記憶が色濃く、後世に残された。
もっと時代が進むと、そうした魔法の存在は、否定的に見られるようになってきた。人間自身の業が魔法に追いつきつつあった。
その代わりに、人間の業で、火や水を自在に操ったり、数日先の天気すら予測し、光すら自在に操り、温度を自由に変えるほどになった。
そして、迎えた西暦30世紀。
歴史の表舞台に堂々と次々に登場する”魔法の乙女たち”。
彼女たちは、人間の前で次々に奇跡を起こし、荒れ果てた砂漠に湖をつくり、嵐を晴天に変え、荒廃した土地に緑の芽を生やして、手で触れるだけで不治の病を治し、敵国の街に火を燃やした。
そうした魔法の少女たちは、その時代の人間にとって、恐るべき存在でもあったし、また救いの存在でもあった。
魔法少女の起こす奇跡は、しばしば人類を救った。
魔法少女の奇跡は、人類を飢えから救い、天変地異と自然現象から土地を守った。
しかし、そうした魔法少女たちが、人類を救うために魔法を使うのか、滅ぼすために使うのかは、魔法少女たちの気持ち次第であった。
機嫌を損ねた魔法少女を持つ国の辿る運命は、疫病と飢饉、土地の病気であった。
鹿目円奈は、そんな魔法の時代───奇跡と魔法が地上を支配する──その世界を、馬で駆け抜ける。
つまり、一日先は何が起こるか、分からない、という奇跡が当然となってしまった世界の時代である。
魔法少女の起こす奇跡が、どんな天変地異、嵐を呼ぶとも、分からない、科学の秩序は過去となった新しい世界である。
天の降らす雨のなか、森の泥水溜まった地面を馬の蹄が駆け抜ける。
馬が走るたび、水溜りの泥水がはじけ飛ぶ。
馬に乗り込んだ円奈は、激しい雨のなか水に打たれながら、泥の中を"神の国"を目指して森を進む。
神の国とは、世界の魔法少女たちの女神が君臨する、と呼ばれる魔法少女たちの聖地である。
雨降る森は、薄暗い霧に包まれていて、たちこめる煙のような白い霧を、馬が突き進むのだ。
見知らぬ森の濃霧を少女は進む。
馬が走ると、体が上下に強く揺さぶられるし、衝撃がする。
ばしゃあ、ばしゃあ────。
馬の蹄が、泥水を蹴り飛ばし、泥が跳ね、濁り水が跳ねる。
円奈の髪も、雨にぬれて、額に何本か吸い付く。
睫毛にも水滴がいくつもついて、降りしきる雨に視界さえぼやけるのをこらえて、手綱から手を放さず、ひたすら、馬で駆ける。
77
晴れがきた。
曇り空はきえ、青の晴天にきらっと昼の日が照りつける。
円奈は森を抜け、開けた広大な大草原を馬で駆け、緑色の大地に飛び出す。
はじまった、円奈の一人旅に、日が祝福をおくるように、さっきの雨は、嘘のように晴れた。
晴れ渡った日差しは暑いほどで、円奈の濡れた髪をかわかし、春のはじまりを予感させる。
通りかかる湖は、魚が行き来し、そのたびに、ぴちゃんとわずかに音がして水の波紋がひろがる。
透明な湖の青色の水を眺め、ふっと微笑んで、円奈は、その湖も通り過ぎ、あてもない道を進む。
どこまでも広い草原だ。
円奈は一度だけ馬をとめ、きた道を振り返る。湖と森があった。
バリトンをたってから、二週間ほど。
どれくらい、故郷から離れてしまったのだろうか。
未知の土地に飛び出し、夢に見た外の世界は、びっくりするほど人の姿はなくて、自然は広大で、どこまでも自由だった。
封建的な領土の縛りもなく、税を納めろとやってくる役人もなく、何をしようにも冷たい視線を浴びせかける人もなく────。
ただ、高原の穂と、大地のむこうには、山々が、ずっとあるだけだ。気を包む風は暖かい。
「すう……」
円奈は、馬をとまらせたまま、めいっぱに胸にくうきを吸い込む。
青い空に輝く日は円奈の髪を明るく照らし、気持ちよさそうに空気を吸う少女を暖かく祝福する。
そのピンク色をした髪には、一本の赤いリボンが結ばれて、春風にふわりとゆれる。背中には手作りの弓矢が結ばれて、矢筒には、狩りのために使う羽つきの矢が、十本くらい入る。
騎士となった鹿目円奈の姿である。
進めるだけ進んだら、木陰にはいって樹木の下で休み、馬も休ませる。
それからは、馬の食事の時間。
馬は草を食べる。そのあいだ、円奈は馬の毛を撫でてやる。水筒の水をボウルにあけ、馬に水を飲ませる。
そのあとで、自分も、湖などで調達した、水を水筒で飲み干す。革の水筒は、ふにゃふにゃしていて、臭いもあったが、貧しい円奈は気にしなかった。
食事と休憩の時間がおわれば、円奈は愛馬クフィーユと共に、再び旅へと出発する。
78
鹿目円奈はその日も旅を続け、日の沈む夕日になった。
円奈は、旅するときに村から持参してきた、市場で買った黒麦のパンを食糧として持ってきてはいたが、もともと農地さえもってなかった円奈が持参してきたパンは、量に限りがあった。
そこで円奈は、村で暮らしていたときのように、しばし狩りにでるのだった。
今日見つけた獲物は、森の中たった一匹迷い込んだように円奈の前に現れた、鹿。
円奈の弓は、彼女の遠い親戚にあたる魔法少女、鹿目まどかの使ったような、魔弓ではなかった。
手作りの、イチイ木の弓だった。
今までさんざん、村で狩りしてきた円奈の、腕の見せどころ。
鹿は、円奈のたつ山道から下にくだっての山麓の草原、林のむこうの草木を食べている。
その”食事中”の鹿を狙って、円奈が山道の脇を足を滑らすようにざざーっと降りてから、なるべく音をたてずにそっとそっと近づく。
狩りの時間だ。
獲物の鹿は、自分が狙われているともいざ知らず、鼻先を草木に押し当てて食事に勤しんでいる。
円奈は、息を殺して、膝を折り、鹿が食事にありつく草原からややはなれた木立の間で、弓に矢を番えて、弦を引いた。
矢羽の後ろを指と指で挟み、弓をギギギっと十分に引いたあと、樹木群から、物音ひとつたてずに、狙いを定めた。
矢の方向が鹿に向けられる。
そして、円奈の弓から矢が放たれた。
シュバッ!っと音がして、一本の矢が林の陰から飛んできた。
鹿が初めて自分の危機に気付いた。
ハッと気付いたように顔をあげて耳をたてる。
間髪いれず、すかさず、二本目の矢を矢筒から手で抜き取る。その動作はすばやい。
次の瞬間、聞こえたのは獣の悲鳴だった。
そしてそれを合図としたように、放たれる二本目の円奈の矢。
矢が放たれる瞬間の、ピンク色の真剣な瞳が、獲物を狙う。
勢いよく弓がしなって、矢を弾き飛ばすと、樹木の陰から草原へ飛んでゆき、鹿の走る位置へ飛ぶ。
そして矢は、ストンと、一発目の矢が当たって逃兎のごとく逃げ始めた鹿の腹に命中した。
鹿は逃げ出した最初だけは勢いがあったが、しだいに体力を失って、最後にはトボトボとした歩きになって、バタリと血を流しながら倒れた。
「やった!」
いつもの、獲物を捕らえたガッツポーヅをして、円奈は、弓を背中に取り付けなおすと、樹木の陰から姿をだして、草原に走り出した。
79
その夜、円奈は、”久々のご馳走”にありついた。
捕らえた鹿の腹を、円奈はベルトに差した持参の小刀で裂いていく。内臓を取り除く。
そのあとは、火打石を鉄板にあててバチンと叩き、鉄板から飛び散る火花をヒグチに移して燃やし、積んだ細かい木の枝や葉、持参の藁などにあてた。
小さな火がそこに灯ると、タイミングをみて、ふうと息をふきかける。
火が大きくなってきたら、まわりから石を集めて、火種を囲うように並べておく。
もっと大きな枝や落ち葉をあつめ、火にかぶせる。
裂いた鹿の肉を木の枝の先に刺して、焚き火の火に当てる。
そして円奈は、その日初めての食事にありついたのだった。
食べたあとは、まだ燃え続けている焚き火の明かりを、体育座りになってじっと見つめていた。
クフィーユも、背中に乗せた荷物を全部取り外してもらって、いまはゆっくり体を地べたに休ませている。
それは、月明かりのない新月の深夜の森だった。
「ほんとに、一人になっちゃったんだな」
と、円奈が、焚き火の明かりを見つめながら、言った。
今の円奈は、騎士としての武装を全部解いて、弓矢も矢筒も、腰に巻きつけた剣の鞘も、全部樹木の根元に寄せて置いている。
すると、そこにはただ一人の女の子がいた。
そんな円奈の声に、答える人もいなくて。
本当に、たった一人で、未知の土地にいることを、思い知る。
まわりに誰もいない。一人旅。危険な旅の夜に、寄り添ってくれる人は誰もいない。一人ぼっちだ。
それでも、胸元には、来栖椎奈の遺志が────割れたソウルジェムが、私とともにある。
「眠らなくちゃ」
まだ焚き火が燃えていたが、円奈は自分の麻袋から毛布を取り出した。
樹木に背を寄せて毛布にくるまってしまう。
真っ暗な獣達の棲む森の、一人ぼっちの眠りについた。
80
月明かりのない深夜の森の下で───。
円奈が、スースーと寝息を立てて眠っている。
さて、ところで、円奈も10代も半ばの少女であるし、旅に出た経験もろくにないから、自分達のしでかしていた迂闊に気付いてなかった。
円奈は毛布にくるまって眠りについたけれど、焚き火のごうごうと燃える火は、野宿をする彼女を照らすように明るく燃盛っていて、今でもパチパチと火が木の枝を燃やす音が鳴り轟いていた。
それは当然、異国の敵にとってこれ以上ないくらいの”分かりやすい目印”で。
焚き火が燃えているということは、異国の者にとっては、見知らぬ何者かがやってきた、という目印だ。
そうとも知らず、円奈はすっかり眠りに落ちている。
森のかげりの向こうから、小さな影の集団たちが、焚き火に寄せられるように、近づいてきていた。
その数は、5人?6人? いやいや、10人以上はある。
小さな影たちは、声をださず、互いに目線だけ交し合い、手だけで合図をだしながら、タイミングを合わせて森の暗がりをそろりそろりと歩いて、徐々に接近していく。
円奈を囲うように、東西南北四方向から。
そわ…そわ… と、葉のざわめきの音がする。
影たちが手や肩に持っているのは、弓矢だろう。
「ん…」
ざわめきの音とその気配に、円奈が目をこすりながら、目覚めた。
すると気配たちは動きをピタととめて、息を殺す。
目線だけかわしあって、リーダー格と思われる人影が、指を駆使して他の影たちに合図して、”動くな!”と伝える。
円奈は怪しい気配を感じとって、樹木に寄せておいたベルトの鞘から剣を抜いた。
樹木に背をつけてにしゃがみ、背後を守りながら、剣をなんとなしに見つめる。
クフィーユは寝息たてて身を丸め、眠っている。
森の暗がりの奥に潜む影たちのもつ矢の”錐”が、焚き火の光を反射して、円奈の剣にも映った。
キラリと光が一点。円奈の剣に映る。
円奈は背後も前も、敵がいるんだなと、それで分かった。
それでいて自分は敵の存在に気付いてないフリをした。
リーダー格の影が、”動くな”の合図を解き、指を二本だけ素早く折って、”背後から近づけ!”と合図をだした。
円奈の背後に潜む二人の影が合図を受けて頷いて、円奈の身を寄せる樹木に背後から近づいた。
音も立てずに。
円奈はわずかに手持ちの剣の向きをよじらせて、背後の動きを確認した。
さっきまで反射して映っていた鏃の光が消えた。
ふーん、そろそろ来るのね…。
ぎゅっと剣をいきなり握り締め。
影の少年たち二人が円奈に背後から襲い掛かるのと、反撃に円奈が剣を勢いよくふるって背後の人影に反撃するのと、リーダー格の少年がその円奈に弓矢を引いて矢先を突きつけるのが、同時だった。
ガキン!
円奈の剣が少年達の弓矢を斬る。驚く少年たち。
飛び起きるクフィーユ。
森の木々からバラバラと現れるほかの少年達の一団。
「動くな!」
そしてリーダー格の少年が、弓に番えた矢を円奈の頭にあてる。
「あなたたちは誰!?名乗って!」
剣を振るった円奈が、動きをとめて尋ねる。
「武器を捨てろ」
リーダー格の少年が、円奈に命じる。円奈のこめかみに引き絞った弓矢をあてがいながら。「魔法使いめ!」
「魔法使い?」
円奈が訝しそうな声を出し、髪の毛逆立てながら、剣を手から落とす。ガタン、と剣が土に落ちて切る音がした。
「黙ってソウルジェムを出せ!」
「ええっ?」
両手をあげて降伏の意を示しながらも、想像だにしなかった要求に、とたんに戸惑ってしまう円奈だった。
「あの、…ひょっとしてあなたたち、何か勘違い、してないかな…」
「しらばっくれるな、ここらで見ない顔だ」
少年が円奈の言葉を遮って問い詰める。「何者だ?名乗れ」
「それ、私がさっきした質問なんだけどな…」
円奈が苦笑する。
「魔法使いの女め!」
リーダー格の少年が口調を荒げる。「白状しないと、焼いてやるぞ!」
「魔法使いじゃないってば!」
円奈も声に声で叫び返す。「人間だよ!」
少年がギっと円奈を睨むと、弓矢を放した。そして急に円奈のピンクの髪をぎゅっと掴んで引っ張った。
「あいたたっ!」
円奈が目をぎゅっと閉じ、抵抗した。「ひどいっ!なんてことするの?女の子の髪に!」
少年は、円奈の抗議など構いもせず、ため息ついた。
「なんだ、お前は”俺たちの側”か」
クフィーユがあまり優しいとはいえない視線で少年を見上げる。
「魔法使いじゃねえ」バっと、乱暴に円奈の髪を放す。「魔法使いは髪を引っ張られても痛がらない。痛がっても"変身する"」
と、考察しながら、小さく少年は口につぶやくのだった。
「答えてよ!」
円奈が、乱れた髪を指で手直ししながら、ちょっと怒った顔つきをして問いただした。「あなたたち、誰なの?」
そうたずね、円奈は、自分たちを襲った一団を見回した。みんな、少年たちで、みんな、弓矢を持っていた。
どの少年もフードをかぶっていて、その表情は夜の闇に隠れ、鼻と口元がみえるだけ。
男の子たちだから、魔法少女ではないだろうが、なぜ襲ってきたのだろうか。
ふう、と息をつくと。
円奈とそう年齢のかわらない、いや、1つか2つかだけ年上に見える少年が、答えた。
「俺たちは、"ロビン・フッド団"さ!」
「ろ、ろびんふっど?」
予期もしない答え方に、あっけにとられた素っ頓狂な声で問い返してしまう円奈。
「そうだ!」
少年が胸を張って、答える。「俺たちは、あの悪の魔法使いどもと、戦っているんだ!」
「魔法少女と戦っているの?」
と、円奈が尋ねた。
「そうだとも」
少年が答える。「魔法使いどもをやっつけてやるさ」
「勝てるの?」
円奈がもう一度、尋ねた。
「勝った!」
少し得意げに、少年が話した。「もう何人かやっつけたさ────なあ?今日だって、二人やっつけた!」
すごい。
人間が魔法少女に勝つなんて。
それがホントだとしたら、結構すごい人たちなのかもしれないけれど……。
なぜロビン・フッド??
確かに弓矢だけどさ!
「俺、コウ!」リーダー格の少年が名乗る。「弟のアン!」少年の隣に、もう一人の少年がならぶ。
そして、手を差し出した。「よろしく!」
「よろしくって…私を仲間に加えるとかそういう流れじゃない、よね…ひょっとして」
差し出された手を握りながら、円奈が恐る恐る尋ねた。
「仲間さ!」
少年がすぐに答えた。「人間同士で争ってどうするんだ?俺たちは魔法使いどもとは違うんだ」
81
どうも少年たちは、かつては故郷に暮らしてたが、故郷は魔法少女同士の領土争いに巻き込まれて、家々を焼かれ家畜を殺されの災厄にあったらしい。
「抵抗した者は、みな魔法使いどもに殺された。槍で突かれ、首を跳ねられた」
リーダーの少年は、悔しそうに手を握り締め、故郷を襲った災厄の思い出を、苦々しく語る。
「あいつら言うんだ”魔獣から自分の身も守れん弱者どもめ!だが我々は守ってやっている。少しは魔法少女のためになったらどうだ”」
抵抗したら皆殺しにするくせに!と少年は憤る。家畜は殺され、縄張り争いのための食糧にされた。
紛争の常であったが、敵はまず、相手の食糧を奪うために、相手側の村に火を放つ。
それは魔法少女同士の紛争でも同じで、魔法にしろ火矢にしろ、とにかく、紛争に巻き込まれた村は焼かれた。
少年たちはそうして、住む場所を失い流浪の身となる。
それでみんなが、魔法少女への復讐を誓っているらしい。
だからなのか分からないが、魔法少女ではなく人間側から弓矢の名手をとって、ロビン・フッドなのだろうか。
いまどき、春秋五覇、斉の桓公と管仲、晋の文公、楚の荘王、それらに匹敵負けず劣らずの魔法少女たちだっているのに、この少年たちは人間の英雄をチョイスする。円奈が知っている覇者たる魔法少女は、葉月レナと雪夢沙良である。
この近辺での魔法少女同士の縄張り争いは、もう数ヶ月にもなるらしい。
少年たちは、その縄張り争いに巻き込まれて、ある家族は捕虜としてとられ、ある家族は殺され、そして身寄りをなくしてこの森で孤児となっている。
そんな孤児同士が集まって、魔法少女に復讐し、この地方でやりたい放題の無法者、つまり魔法少女に対抗するための、団結を誓い合った。
ロビン・フッド団を名乗るようになったのは、そうした経緯だった。
円奈は、その残酷な話をすぐには信じたくなかったが、しかしつい先週くらいには、まさにここファラス地方で、人間の少年少女に対して容赦なく暴虐を繰り出す黒い鎌の姫をみてしまっているから、彼らの話を疑えなかった。
来栖椎奈が戦って散った、あのゴスロリの鎌使いの魔法少女である。
どうやらあの黒鎌の姫ような少女が、森の奥にまだまだぞろぞろといて、縄張りの抗争を繰り広げているらしい。
ファラス地方の森が、別名無法者の森と呼ばれる理由でもあった。
私利私欲のまま魔法の力を好き放題につかって、人間に害を及ぼす乱暴な魔法少女の巣窟のような森である。
そしてそんな悪の魔法少女たちと戦うのが彼らロビン・フッド団だ。どっちにしろ、国という国に属さない、無法者(アウトロー)たちだ。
「お前は、女一人で、一体何してたんだ?」
と、少年が円奈に尋ねてくる。「どこ目指していたんだ?人間一人だけでこの森を渡り歩くなんて、無謀だぞ。
この先もうすぐいくと、魔法使いどものなわばり争いの国境に差し掛かるんだぞ」
それが、モルスっていうファラス地方との国境なのかな。
円奈は、バリトンの男騎士の人にもらったヒントを、思い出していた。だとすれば、私はちゃんと神の国を目指せているみたい。
しかし、その国境は、どうにもおっかない魔法少女たちの激しい縄張り争いが続いていて危険らしい。
しらずしらずのうちにそんな場所へふらふらとむかいつつあるみたいなのであった。
円奈は、自分の旅の本当の目的を告げるのに気が進まなかった。
だってこの人たちは魔法少女を敵視している。
けれど、私の旅の目的は──。
「私は、エレムの国の治める、神の国を目指しているの」
途端に、ざわわっと空気がどよめいた。
ローブを羽織った少年達が顔を見合わせる。
一瞬だけ流れた沈黙のなか燃え続ける、めらめらとした焚き火。
「エレム国の神の国って、”あの神の国”か?」
コウと名乗った少年が、そう訊く。
「うん」
こくりと頷く円奈。
「バカな!」
少年が信じられないという風に、円奈を変な目で見つめた。「なんでそんなところに?魔法使いどもの総本山だろ? あそこは!世界中から魔法使いが集まっているって聞いてる。はるばる東の大陸のこむうにまでさ」
「私たち、本当は魔法少女と旅をしていたの」
「ああ、なるほどね…」少年が、微妙に納得した顔をした。「そいつに命令されて、無理やり連れてかれてたのか?」
「うーん、まあ…」
確かに封建的な契りだから、無理やりっちゃ無理やりなんだけど…。
私はむしろ自分で行きたいって内心思っていたくらいだよ。
「そうっちゃ、そうなんだけど……その私たちの魔法少女が、別の魔法少女に倒されちゃって……」
あ、なんだか思い出したら目が熱くなってきた。
「なら、いかなくていいだろ」
ううん、と円奈は首を横にふる。
「私たちの村にいた魔法少女は、村のみんなをいつも守ってくれたの。魔獣からも、他国の攻撃からも…その魔法少女たちが、救われるって場所が神の国なの。そこがいま、危機にあるってきいて。私はそこのために戦いにいきたいの」
少年達がまた顔を見合わせる。中には、もう我慢ならないとでもいいたげに、歯軋りしてる少年もいた。
「救われたいのは、俺たち人間のほうだよ、まったく!」
と、リーダーの少年は乱暴に手持ちの弓を土の地面に投げ捨て、愚痴を吐いた。
「どうしてこう世界ってのは、魔法使いどもに有利にできてるんだ?」
それから、きっときつい目で円奈をまた見て、問い詰める。
「どうやっていくつもりだ?」
「ミデルフォトルって場所に向かっているんだけど…」円奈がおずおず答える。
「ああ、あの東大陸と連絡してる港か」
「知っているの?」円奈の目が丸くなる。
「知ってるさ」
少年が両手を持ち上げる仕草をした。「だが、その港も、魔法使いどもが占拠してるぞ。それでいて、魔法使いども同士で、争ってる」
「ここからどういけば?」
期待の入り混じった声で、円奈が少年に尋ねた。
「どの方角?」
「いや、それはこの先、まっすぐいけばあるよ」
と、少年が南の方向を指差した。「だが、さっきもいったとおり、そこは魔法使い同士の縄張り争いが続いてて、近づかないほうがいいぞ。あいつら城砦を築いて、いま誰も通れないようにしてるんだ」
「うーん…」
円奈は困ったように、指先を口元にあてて考える仕草をした。
もうすでに、頭の中に考えがまとまってるかのような。
「あなたたちって、魔法少女と戦うんだよね?」
と、円奈が話し出す。
「そうだけど…」
少年が、少しだけ嫌な予感に戸惑いを覚えながら、おずおず答える。
「じゃあさ、」
と、円奈がちょっと微笑みながら、提案した。「魔法少女と戦うんだったら、その縄張り争いの場所にいって、漁夫の利狙えばいいと思わないかな?」
漁夫の利とは、趙・燕という二国が争っているうちに強国の秦がどちらも討ってしまう話のたとえである。
「待て、待て!」
慌てて少年が両手を振り上げ、降参の意を示した。「そこは危険すぎるんだ!あんたの思惑は分かったぞ───その先に行きたいからって、俺たちを利用する気だな!」
「利用だなんて、とんでもない!」
円奈がにっこり笑って、告げた。「私、見たいの!あなたたちロビン・フッド団が、戦うところ───魔法少女、やっつけるところ!かっこいいんだろうなあ!」
両手を握り締め、目をキラキラさせる。
「おだてたって、無駄だぞ!」
「でも、勝てるんだよね?悪い魔法使いやっつける、正義の義賊なんだよね。すっごいなあ!悪い魔法使いたちから、逃げずに戦うんだ!」
「ぐぐ…」
冷や汗かきながら、少年がぎしぎしと歯軋りする。「のらないぞ……その挑発には!」
「さすが、人間の弓矢の名手を語るだけのことはあるね!正義の味方だっ!」
円奈がすかさず、また手を握って、はやしたてる。
「世界で戦いの華を持つのは、魔法少女だけじゃないんだっ!人間だって戦えるんだっ!まさか、逃げたりなんてしない!だって、”ロビン・フッド”だもん!」
「ぬぐぐ!」
リーダーの圧され気味な気配を感じ取って、他の弓矢の少年達の表情に焦りが生まれる。
「私もそんな正義の味方たちと、共に戦えたら!心がわくわくするなあ! あ、そういえば、さっき私のことを”仲間”だって!やったあ!」
一人完全に役になりきって、キラキラの乙女を演じきる円奈。
───が、突然、素に戻って、少年達に言った。
「…なんてね。いいよ、あなたたちが来ないなら、私一人だけで行くんだから」
そう冷たく言って、自分はまた毛布にくるまってしまう。
「それじゃ、私もう寝るね。じゃあねさようなら。ばいばい。もう私には用はないんでしょ?」
「おい、一人で行くって、正気かよ」
少年が、冷や汗額にためながら、言った。「魔法使いが何十人といる城壁を、一人だけで通り抜ける気か?」
「もともとそういうつもりで旅に出ているの、私は」
と、円奈が速攻で答える。その口調は、もう冷たい。
「あなた達ロビン・フッド団とは、”覚悟が違う”んですから」
そういって目を閉じて、もう眠る。
ううう。
さんざん持ち上げといて、最後の一言でそこまで俺たちをこけ降ろすとは!
なんてヤツだ!
「かわった、わかった!!」
少年が大声で告げた。途端に、他の少年達が一斉にリーダーを見た。
「明日、つれてってやる!縄張り争いの国境に!ただし、連れて行くだけだ!あんたは、そこがどんなにヤバイか知らないんだ。そこにいって、見るだけ見て、俺たちは引き返すぞ。それでいいな?」
「ほんと?」
途端に、バッと目をあけて少年を見た。「じゃ、約束だよ。明日、連れて行ってくれる?」
「約束、するよ!」
しかめっ面のまま、少年が受け答えた。それから手下の少年達に合図して、今日は引き上げるように指示した。
「明日、ここにいろ。迎えにくるから」
「ありがと!」
嬉しさ満面の笑顔で、円奈が感謝の述べた。
それを無視して、コウと名乗った少年が手下の男の子たちを連れてささっと森のむこうに去っていく。
「くそ、人間の女ってのは、魔法使いじゃなくても魔法が使えるのか?」
と、愚痴を漏らした声は、円奈には届いていない。
それからまた毛布にくるまって、一連の少年とのやりとりを不安げに見守っていたクフィーユに、ニコリとウィンクしてみせて、またスースー寝息をたててしまった。
馬は、そんな少女のウィンクの意味などわかるわけもなく、長い首を垂らして眠りにおちた。
82
夜明けがきた。
空が明るく、青くなってくると、名も分からない鳥達の囀る声が森の奥より木霊する。
ちゅんちゅんという元気のよい鳴き声から、ほーほーという不気味な鳥の声まで。
晴れ空だ。
しかし、茂る森の奥地は、晴れだとしても暗い。森全体に湿り気もたっぷりだ。空気はじとじと。
樹木は高く密集して並び立ち、土に根を張る。その根元は、小さな草木がぼーぼーと生える。
見あげれば青い空があるが、日の光が、円奈の頭まで届かない。それほどに、濃い森である。
雲は多いから、午後には曇るかもしれない。
森の天候は気まぐれだ。
森で鳥たちが元気な声を交し合うころには、円奈はもう起き上がって、身支度も終えていた。
いつも来ているチュニックに(これ、最近洗えてないなあ)、ベルトを巻いて、剣を収めた鞘をぶら下げる。
背中にロングボウの弓矢に取り付けて、手袋をはめる。
「ふぁ…」
準備が終えたら、ちょっとだけあくびをする。昨日、深夜にあんなことあったせいで、眠たい。
ていうか、今思い返すと、あれはなんだったのかと思ってしまう。
でも、一応、そのなんだか分からない彼らとの交わした約束がある。
円奈は、愛馬クフィーユの傍らに座って、持参の革の水筒から水をフィンガーボウルにも似た皿にあけると、馬に飲ませた。
朝は、馬にとっても食事の時間なのだ。
円奈はクフィーユが皿に注がれた水に口をあてて飲んでいるその頭を、手でずっと撫でてあげている。
馬の食事が終わったあとで、赤いリボンを髪に結う。
それから、一晩の眠りで乱れた髪を、持参の木の櫛で整える。バリトンの村から出発して二週間以上になるけれど、それ以来、髪がまた伸びてきた気がする。
支度を終えたころ、少年達が再び円奈たちの前に現れた。
それにしてもこの少年たちのそわそわとした様子はなんだろう。
昨日は夜だからよく見えなかったけど、もとからこういう挙動なのかな。
「昨日約束したとおり」
リーダーの少年が言った。「お前をミデルフォトルにむかう途中までの、縄張り争いの場所まで連れて行く」
それから、驚いたような顔をして円奈を見た。
「昨日とは随分違ういでたちなんだな!」
「えっへん。私、これでも一応、騎士です」
円奈が得意そうに言った。
「本当か?もしかして戦いの経験、あるのか?」
「あるよ」
「誰かと、戦ったのか?」
「何人か…」
年下の子ばっかだったけど。
「魔法つかいも?」
「負けちゃった」
ぺろっと舌を出して照れ笑い。
それから円奈は、クフィーユの手綱を握って、馬の傍らに立った。
「連れてくれるって約束でしょ?案内してくれるかな?」
少年の目がまた驚きに丸くなった。「馬、乗れるの?」
「乗れるよ!騎士だもん」
そうとだけいうと、ひょいと流れるような動作で馬に跨る。
「みんなの案内、あてにしてるからね」
「すっげえ!」
感心したように、少年が声を漏らした。「ほんとに騎士じゃん!」
「だから、騎士なんだってば!」
馬に乗った円奈が、照れて笑った。「馬に乗れない騎士はいないよ」
剣おさめた鞘を腰にぶらさげ、馬の手綱を握る。足は前に出し、馬に体重を乗せて騎乗する。
きづけば、まわりにローブを羽織った他のロビン・フッド団の少年たちも、どことなく興味津々という視線で円奈を見ている気がする。
「かっこいい!」
今まで喋ったことのない、フードかぶったある少年が目を輝かせ、急に喋った。
「すっげえ!本物の騎士だあ!俺の故郷の村は、みんな農民の領地だっから……こんな間近に見れるなんて!」
「そーいうの憧れてた!」
他の少年も、いきなり、話し出した。「かっけえ、騎士だあ!」
「そ、そうなのかなあ…」
円奈はいいながら、照れたようなくすぐったような感情のまま、髪に手をあてる。
「かっけえ!」
他の少年も、ままでの無口が嘘のように、円奈をじろじろとみあげ、きらきらと目を輝かせる。
馬を御し、跨り、背中にはロングボウという大きな長弓、鞘にぶらさげた剣。
その格好のどれもが、少年たちの心をくすぐり、憧れの視線を注いだ。
「それじゃ、国境のところまで連れて行ってくくれる?あ、この馬はクフィーユ。私の大切なお馬さんだよ」
と、円奈は、自分の馬の首をぽんぽん撫で、いった。これは愛撫という。騎士が、馬に愛情を伝えるときの動作である。
「うん」
リーダー格の少年が頷く。
「…」
じー。
円奈が馬上から、リーダーの少年を見る。
「なんだよ?」
わずかに照れながら、いたたまれず少年がたずねた。
「私の名前はきかないの?」
「ああ、忘れてた」
「忘れてたじゃないよ、まったくもう…」
ふうっと息を吐いて、ちょっときつめの目で少年をじとっと睨んだ。
かと思えば、また優しく笑って、言った。
「わたし、鹿目円奈(かなめまどな)だよ。よろしくね」
83
かくして、聖地・エレムをめざす騎士の少女・鹿目円奈と、魔法少女対抗組織、ロビン・フッド団の、不思議な一行はモルス国境城砦という地点を目指して、ファラス地方の森を進んだ。
ロビン・フッド団の少年たちが語るところでは、その魔法少女同士の縄張り争いの地点を抜ければ、モルスという国境の領を越えたことになり、ミデルフォトルから東世界の大陸へ船で行けるとのことだ。
東世界の大陸…そこはもう、エレム国の領域だ。
そこに世界の魔法少女たちが集い、世界の魔法少女たちが、円環の理をたずね、祈る、神の国がある。
魂の救済地がある。
葉月レナという、世界でもっとも天に近い存在といわれる魔法少女が、その国を治めている。
「ねえ、いつから馬に乗れるようになったの?」
話を今に戻せば、円奈が、ロビン・フッド団に案内されながら、山道を馬に乗って進んでいたが、いつの間にか少年達の人気を集めて、質問ぜめにあっている。
「何年か前だよ…んっと、二年くらい前かな」
「ねーちゃん、何歳?」
「あなたたち、なんでも聞くんだね……そういうの、遠慮しなくちゃいけないんだからね。15だよ」
「15かあ。ぼくより一つ上だ」
「すごいな。それでもう騎士なんて。いつから騎士になったの?」
少年たちは、まるで今までの心の警戒とだんまりが嘘のように、円奈に競って話かける。
馬に乗って林の山道をすすむ騎士と馬を囲うように、少年たちがついてまわって、質問ぜめにする。
彼らはまだ10代半ばの少年たち。騎士とかそういうのが好きな年代で、その本物が突然現れたのだから、これも当然の反応だったかもしれない。
「騎士になったのは、実は先週だよ」
「すっごーい!」少年達の驚きの声と、はしゃぐ声。「先週なったばかりなのに、すっごいサマだなあ───もう、一人前の騎士って感じで、かっこいいもん!」
「ありがと!」
素直な少年達の声に、さすがに円奈も気がよくなってくる。「そんなに騎士然としてるかなあ、私。うへへ」
照れたように頭をちょっとかいて空をみあげる。パカパカと馬は円奈を乗せて進む。
「うん!かっこいいよ!」
少年たちがまた、はしゃいでいる。「魔法使いなんかより、よっぽど!」
うーん、私からすれば魔法少女のほうがもっと格好いいんだとどな。
でも確かに、あの黒い鎌の子のような魔法少女はちょっと…アレだけど。
「あなたたちはいつから、そのロビン・フッド団ってのを、やってるの?」
「一ヶ月くらい前から」
「何ヶ月も前から」
それぞれ答えが返ってくる。
少年たちによって、それぞれ始めた時期が違うのね…。
「以前、魔法少女に勝ったっていってたけれど…」
円奈が、馬を歩かせながらたずねる。馬が蹄の音たてて歩くたび、馬具にとりつけられた水筒が、カランカランと音を鳴らしている。
「何人くらいに?」
「もう、5、6人は倒したよな!」
少年達が元気よく互いに声を交し合う。「だね!」「うん!」
みんな得意げになって、弓矢をぶんぶんゆらす。
「へえ…すごいなあ!私、魔法少女に勝てなかったよ」
「騎士のくせに、だせー!」
ハハハと、少年達が笑い声に包まれる。
う。この子たち、騎士の私を尊敬してるのかバカにしてるのか。急に態度ころころ変えるんだから!
「戦い方が悪いんだよ」
「戦い方?」
確かに、この少年たちがどうやって魔法少女を打ち倒すのかは気になるかも。
前に鎌を操る魔法少女と戦ったけど、歯が立たなかったし。
「魔法使いのやつらを討つときは、タイミングがあるんだよ」
と、少年が教えてくれる。ちなみに、栗毛色でショートの男の子。「そのタイミングで、ソウルジェムっていうの?あれをバシっ!と」
栗毛髪の少年は、指の爪で手の平をつついて、矢の刺さる動作を示す。
「タイミング?」
円奈がたずねる。
どこかでピーィ、ピーィという野鳥の鳴き声がする。
円奈はその声の主を、少年と会話しながら探した。
「そうさ!」栗毛の少年が言う。髪もそうだが、瞳もどこか茶色っぽい。「魔力の源だかなんだかしらないけれど、ビカっと光って───」
突然円奈が馬を止めた。もう少年の話など耳に入ってもいないというよりに、きょろきょろと林を見上げる。
「どうしたんだよ?」
栗毛の少年がちょっとむすっとして問いかけた。
「しっ」
円奈が口に指を当てると、少年が黙り込んだ。円奈の急に変わった真剣な目つきに驚いてしまったからだった。
円奈は馬をとめたまま、手に背中の弓矢を取り出すと、素早く矢筒から一本矢を抜き、慣れた動作で弓に番えると上向きにする。
そして次の瞬間、バサバサっと翼の音がしたかと思うと、野鳥が林の枝から飛び立った。
円奈の目がそれを追う。矢を向ける。
野鳥は、木々を横切り、森を飛び去る。
すると円奈は弓で狙い、弦を思い切り引く。人差し指と中指の間に挟んだ矢を、手放して飛ばした。
ビュン!と弦がはじけ、矢が放たれる。
飛んでいった矢に、飛び渡った鳥は、射止められた。
バサっと羽が舞い飛び、ドサっと木々のむこうの草むらに落っこちる鳥。
予想以上に大きな音を立てて落ちてきた鳥にびっくり仰天して、少年たちが少しだけみんな、後ずさった。
鳥はまだ生にしがみつくみたいに、地べたでバサバサバサと翼だけ動かしていたが、その動きもやがてなくなった。
それから、少年たちのはしゃぐ声に包まれた。
「すっげえ!」
はやしたてる少年たち。「今の見たか?矢で鳥を射止めちゃった!」
「やっぱ騎士なんだ!」
わーわーと、少年達の熱望を集める円奈は、しかし、馬から降りて、草むらをかきわけると、獲物の鳥を拾い上げた。
胸肉を矢に撃たれた鳥の死体は、感触がぐにゃぐにゃとやわらかかった。足はかさかさとざらついた。
「道案内してくれるお礼に」
鳥をひろいあげて、円奈が告げた。「みんなで鳥肉を食べよう!」
わあああい。
円奈を取り囲んで喜ぶ少年たちを傍目から見ているのはリーダーのコウと名乗った少年と、その弟のアン。
「どうやってうったの!?」
少年は、夢中になって、騎士にたずねる。
「んー、先読みっていうのかなあ」
円奈は、鳥のかさかさした足を片手に掴んで、ぶらさげたまま、視線を見上げて考えた。
「弓で追うんじゃなくて、あらかじめ狙いを定めておくというか……そんな感じだね」
「やっぱ、かっけえ!」
少年たちは、鳥の足つかんだ円奈のまわりに、わーわーとまた、集まる。円奈よりも、少しだけ年下の、かわいい男の子たちに囲まれて、苦笑いする円奈だった。
「すげーやつだな」
すると、そんな、たった一日で人気者になった円奈とそのまほりの手下たちを見ながら、ロビン・フッド団を名乗る一団のリーダー、コウは───。
「あいつら、魔法使いに襲撃されたショックで、ずっと塞ぎだみたいな無口だったんだ。なのに、一日でこんなに打ち解けてる」
と、隣の弟にかたった。地面の、落ち葉を踏みながら。
「兄上」
すると、弟の小峰アンが、口を開き、たずねる。「明日は本当に、僕達だけは帰るので?」
つまり、明日のあの危険地帯、魔法少女と魔法少女の領土争いの地帯に、あの女の子の騎士一人だけでみすみす行かせて、自分たちは帰るのか、という質問だった。
「そういう話だろ」
兄がさらっと答える。
すると、弟が次に、こんなことをいいだした。「あの方と一緒に戦えれば、あの防壁を打ち破れる気がするんです」
「バカいうな」
兄がすぐに首を横にふって、一蹴する。「俺たちは真っ向から魔法使いと戦えるわけじゃない」
「あいつらを───」
弟のアンは、ひかなかった。兄に、期待を込めた言葉を投げかける。
「また家族と会わすことができます。兄弟姉妹に…」
「…」
兄が、無言になって手下の少年たちを見つめる。
みんな、魔法使いの襲撃で家族バラバラになった、身寄りのない子供たちだ。
彼らの家族は、魔法使いに、人質にとられている。あの、国境の先に、捕虜として。
「だがあそこはヤバすぎる」
兄が目を閉じて、頭を垂れると、もう弟とは話さないとばかりに、くるりと背を回してその場をあとにした。
「約束さえしてなければ、誰があんな場所になど!」
と言い残してつっぱねるのだった。
弟は、その場を去る兄の背中を、ただ見つめていた。
84
その夜、前夜のように焚き火を起こして、円奈が捕らえた鳥肉を焼いた。
リーダーの兄弟たちと、残った手下の少年たちが、ありがたく鳥肉にありついている。
「肉を食べるのは久しぶりなんだ」
と、コウ、”ロビン・フッド団”のリーダー格の少年が、円奈にいった。
焚き火の光をみつめながら、ほんのわずかな焼けた肉を、手下の子たちにわけている。
「あなたたちは───」
円奈も、焚き火の光をみつめていた。その顔が、火の赤い明りに照らされる。昨晩とはちがって、まだ剣の鞘を腰に巻きつけていた。
「普段は何を?」
「果物とか、木の実ばかり、食べてるんだ」
コウは、顔をしかめると、いう。「おまえみたいに、鳥とかうさぎを、弓で射れるわけじゃないからな」
「そっか……」
それをきくと、円奈は目を落とした。森の湿った土の地面だけをみつめた。
故郷のバリトンにいたころ、私は、農地ももてなくて、いつも仲間はずれにされていて、私だけが、いつも生きるためにぎりぎりの狩りをしてきた。
でも、その狩りさえ、うまくできないもっと幼い子たちが、こうして生きている。
そして少年たちは、故郷の農地を、魔法少女たちに、奪われてしまった。
「どの実があまいもんなのかなら、おまえにも教えられるぞ」
コウは、ちょっとだけ笑い、円奈にいった。「どんぐりそっくりな見た目してるけど、炒めると甘いんだ」
円奈がふとみると、少年たちが、円奈が捕まえた鳥肉をおいしそうに頬張っている。
ついさっきまで生きていたばかりの、とれたても新鮮な、数時間前の生命を、食べていた。
当時の調味料として高級品である香辛料はなかったし、油もなかった。けれど鮮度の高い肉を、少年たちは幸せそうにわけあっていた。
「そういえば───」
コウは、焚き火の暖かさに、春はじめの夜の森の寒さをしのぎながら、いった。
「おまえはどっからここまできたんだ?神の国めざしてるのはわかったとしてさ」
「バリトンから、発って二週間くらい、したかな?」
「そこは、ここからは70マイルくらいあるらしいな」
「そっか、わたし、70マイルも……」
いっぽう、円奈も、ちょっと呟くような口ぶりで声をもらすと、過去の道を振り返った。
一週間くらい、来栖椎奈とも、バリトンの人たちも一緒に、メイ・ロンの城から、発ってファラス地方の森に入った。
ファラス地方の森では、噂どおり、横暴を働く魔法少女がいて、奇襲にもあった。
そして椎奈が……倒れてしまった。
それからは一人旅が続いていて、まだ、このファラス地方の森の真っ只中にいる。さしずめど真ん中といった位置だろう。
そこを抜けると、別の国にいけるみたいだが、その国境で激しい争いが戦われていると、この少年たちはいう。
「おまえはさ、神の国をめざすって、いってるけど」
コウは、少年たちが鳥肉を食べ終えたのを見届けると、また、円奈に話しかけた。
「そこで何をするんだ?人間であるおまえがさ」
「う、う…」
すると、円奈は、少し困った顔をしてしまった。体育座りのまましゅんとして目を落とす。焚き火を見つめる。
瞳に熱い炎が映る。
確かに、聖地を目指すことは心に固く決めているが、だとしたも、聖地に辿り着いたところで何ができるのか、自分だってわからない。
来栖椎奈の言葉を思い出したが、それでも、私に何ができるかなんて、分からない。
「い、いってから考える……」
結局、円奈には、そう答えるのが、精一杯であった。
「そうかよ」
コウは、呆れている様子はなく、淡々そういっただけであった。
「どうせ、あの国境地帯についたら、おまえも分かるさ。一人であんな遠くまで旅するなんて無謀だよ。この時世、魔法使いどもが、暴れてるんだから」
「…」
円奈は、それには何も答えない。
バリトンのときも、無謀だってことは、さんざんいわれたことであった。
でも諦めないことだけは心に決めている。
「だがまあ、約束は約束だ。おまえを連れてってやる」
ロビン・フッド団のリーダー、コウはそういうと、円奈の隣から立ち上がり、焚き火をあとにし、自分の手作り弓矢を手に抱いて樹木に身をよせ目をつむった。
「毛布、つかわないの?」
円奈がきくと。
「あいつらが使ってる」
コウはいい、目だけで少年たちを見やった。
円奈も見てみると、ぼろぼろの、縫い合わせの毛布たった一枚に、五人も六人もの少年たちが、一緒になって布団代わりにし、眠りにおちていた。
「優しい、のね」
円奈は、少しだけ悲しそうに、いった。それから、再びコウをみた。「それじゃ、眠れないでしょ?」
コウは、樹木に背をよせ、頭のうしろに手を乗せるようにして目を瞑っていたが、それは眠るというより、休憩のような体勢だった。
「俺が眠っちゃ」
コウは、その体勢のままで、答えた。「夜襲されたときやり返せないだろ」
ここはファラス地方の森。
狼と狐、魔女、盗賊と土地失くした流浪の無法者がはびこる、そういう魑魅魍魎の住む森の、ど真ん中。
そこで生きる幼い少年たちは、毎日が命がけだ。夜の森は、安心して眠りにつくことも難しい。
「でもちゃんと寝ないと、身体こわしちゃうよ」
円奈は、コウのほうをみる。「たまには眠らないと…」
「いいんだよ」
コウは、意地をはる。「こうして眠れば夜襲にもきづきやすいんだ。横たわるよりも」
「でも、寒くない?」
「もう慣れっこさ」
女の子の提案に、意地をはるのは、年頃の男の子らしいのかもしれない。
「私、毛布あるから」
すると、円奈は、そういって、持参の袋から紐といて毛布をとりだした。「一緒に使う?」
「いやだ」
コウは、円奈の提案を、さっそく断った。
円奈は、首を傾けた。
「そう?」
とだけいうと、自分は取り出した毛布にくるまって、あっという間に眠りについた。
円奈の馬、クフィーユは、円奈の眠る樹木の隣で、身を丸めて横たわっている。
クフィーユも、円奈たちと一緒に夜の食事、つまり土に生える青草と水をご馳走したあとだ。
「まったく」
コウは、腕組んだまま片目だけあけ、もうスースーと寝息たてている少女をみて息を吐くと、起き上がった。
「昨日のしっぱいから学べってんだ、おてんば」
と独り言をいい、真鍮製のボウルにくみとった(前にやっつけた魔法少女の持ち歩いていた備品)水を、焚き火にかけると、火を消した。
薪は湿って火が消えた。
もちろん、夜襲を防ぐためであるが、そのせいで、余計、さむくなる。
しかし、そんなことはいってられない。
この森は、夜こそが危険で、なにがあるか、わからないのだから。
コウは毛布にくるまって横になって寝込み、スースー寝息たてた少女を、隣で少しだけ見下ろした。
みおろしたあと、さっきの位置にもどって樹木に身を寄せて目を瞑った。
月が降りはじめ、夜が深くなると、さすがに寒くなってきたので、落ち葉を自分のもとに集めた。
布を縫い合わせた衣服は、五年くらい着古している。
魔法少女を倒したときに、立派な毛織物の衣服と、鎖帷子と、盾と、剣などが手に入ったが、体型にあわなかった。
結局、ひきちぎって、日用品にした。
たとえば、木の実や薬草、花を摘むときに入れる袋代わりなどにした。
木の実を炊いたりするときに使うフライパンも、いつぞや討った魔法少女の持参品から、盗ったものだ。
彼らは、日用品を、このように半ば強奪するようにして、やっと得ることができた。
コウやアンみたいに、それなりに弓が達者で戦闘経験ある少年たちは、実際に魔法少女を討伐した。
真正面から戦うのは無理があったが、例えば馬に乗ってファラス地方の森を通りかかり、横断している最中の魔法少女にロープの罠をしかけ、馬をころばせ、すてーんと御者が落馬したら、そこらを弓で総攻撃をしかけるとか、そんなゲリラ的やり方で、倒した。
コウはあらためて、まわりを見回す。
毛布にくるまって眠りにおちた少女・円奈と、同じように毛布にくるまって眠る家族と生き別れた仲間の少年たち。
家族は、あの国境のむこうに、人質にされている。
明後日になれば、国境に着く。
85
そして、日が昇った。
天に輝く日が、円奈たちの休む森に木漏れ日を差し、森を白く照らす。
ヴェールがかった緑の木漏れ日の日差しは、野鳥の歌声につつまれ、少年たちは、目を覚ます。
円奈も目を覚まし、毛布を麻の袋にしまうと、馬に食事させる。
ロビン・フッド団の少年たちは、興味津々といった様子で、馬の食事を見守る。
円奈の愛馬クフィーユは、青色の花が山道の淵に咲かせる草を、花ごともくもくと食していた。
「なにたべるの?」
と、栗毛色のくるくる髪をした少年が、たずねた。
「草を。でも馬も好き嫌いがあるの」
円奈が、クフィーユの頭を撫でつつ、答えた。馬は黄ばんだ歯をみせつつ、もしゃもしゃ花を口に含む。
馬の歯は四角い。肉食の獣、つまり狼たちのように、尖ってなくて、すり潰すかのような平らな歯。
「干し草があれば一番いいんだけど…さすがに、ここらじゃないのかなあ。あと村の人は、大麦も食べさせてたよ」
「村?」
少年が、聞き返した。「おねーちゃんは、どこの村の人だったの?」
「バリトンってところだよ。そこから私はここへきたの」
「へえ。そこでも、騎士やってたの?」
少年たちの、騎士への質問攻めは、昨日と同じ調子だった。
「うーん、そこじゃやってなかったかな…」
円奈は、少し照れたかんじで、髪をつかむ。「最近なったばかりだから…あ」
むしゃくしゃと、土に生えた深緑の草を食べていたクフィーユだったが、顔をふりあげた。水がほしいようだ。
馬は、飼い主に対する感情表現が豊かであった。
円奈はすると、フィンガーボウルをとりだして、革の水筒から水を注ぐ。それをクフィーユに飲ませる。
クフィーユは、皿に首をつっこんで、豪快に飲む。
馬の食事が終わると、円奈は自分の身支度にはいった。
ロングボウの弓をとりだすと紐で身体に巻きつけ、背中に背負う。その見た目は騎士というよりは狩人だ。
布袋は、紐で馬具にとりつける。
樹木に身を寄せて座り込むと、矢筒にいれた矢の羽を、手でケアをする。傷んだところを伸ばし、羽のならびをきれいに整える。
矢羽は円奈の自作だった。
とらえた鳥の羽を使って、紐で、矢に結んで、矢羽にしたもの。
10本すべての矢のケアとチェックがおえたら、白い手袋を手にはめる。
こうした矢羽へのケアが、狙い通りの位置へ飛ばすために必要な、朝一番の支度である。
身支度すますと、少年たちがまじまじと見つめるなか、とぅ、と小さな声だして馬にばっと跨る。
「すっげ!」
するとまた少年たちが、目を煌かせるのだった。
流れるような動作で馬にのり、手綱にぎった円奈は、馬の向きをかえさせ、何歩か前に歩かせると、コウの前にでて、リーダーを見下ろした。
「さあ」
と、馬上の円奈はいう。「わたしを連れてって!」
リーダーのコウももう準備を整えていた。
ぼろ布の衣服だったが、魔法少女からいつか奪った鎖帷子と、剣と鞘を差していた。その片腕には自作の弓を持っていた。
「気持ちは変わらないんだな。わかったよ。いこう」
「わああい!」
危険な魔法使い同士の縄張り争いの場所にむかっているのに、どこか元気な少年たちであった。
「出発だ!」
それぞれ手に持った自作弓を持ち上げて、楽しそうに声をあげる。
前の、土地を追われ家族と生き別れになったときの暗さとはまるでちがう────
少年たちを見ていたリーダーの弟のアンは、そう、思っていた。
86
それからしばらく、ロビン・フッド団の少年たちと騎士の少女は、目的地にむけて山道を歩き続けていたが、円奈が、やがて口にだして言った。
「あとどれくらいで着くの?」
「もうじきだよ」
リーダーのコウが、答える。馬を歩かせる円奈の隣に並んで、歩いている。「もうじきだ。明日にはつくだろう」
「そっか」
すると円奈は、前の道を見据える。馬の歩行に揺さぶられ体が上下にゆれる。
そのたびにピンク色の髪とリボンがわずかれ揺れてなびく。
「いっとくが見にいくだけだぞ」
コウは、あくまでも釘をさす。「一度見にいって、引き返すだけだ。そういう約束なんだから、破るなよ」
「わかってるよ」
円奈は、馬上で揺さぶられながら、小さく笑ってみせた。「みにいくだけでしょ?」
「なんか不安になるやつだな」
コウは、顔をしかめて、手作り弓もったまま林道をあるいた。
87
円奈は再出発の前に、矢の鏃をケアした。
矢羽とちがって、そう頻繁にケアする必要のない、鉄でできた鏃だが、心境の変化のせいか、円奈は鏃(矢の先端にある錐。三角形に尖った部分)のケアをした。
鏃は、三角形の形に、抜けないようにかえしのついた矢じりだ。
その矢じりをケアする。
円奈は土の地面に座り込み、鉄製の矢じりを、一度矢から取り外すと、持参の研ぎ板に鏃をこすりあてて、研ぐ。
こうすることで、鏃の貫通力があがるのであった。
ギコギコと、取り外した鉄の鏃を研ぐと、そのでき具合をみて、再び矢に鏃を差し込む。
矢の先端には凹みがあって、その凹みに鏃の鉄部分を埋め込むのだ。
矢じりは、十分に先端がとがり、刃が煌いた。
「これで」
最後の矢じりも矢にセットしながら、円奈が満足そうに、いった。「明日の準備も万端だね!」
「おい」
それをきき、すぐに顔をしかめるのは、コウだ。腰に手をあて、うなる。「まるで明日が、戦いみたいな口ぶりだな!」
「あ」
円奈が、しまったと口に手をあてる。それから、言い直した。「ちがうよ。なにがあるかもわからないもん」
それから円奈は、起き上がって、背中の弓をとりだし、磨いだばかりの矢を番えると、弦を引き絞った。
ギギギキ…。
手袋をはめた矢で弦を引き、目で狙いを定める。
ロングボウの弓は、ただでさえ大きいのに、円奈がそれを番えて弦を絞ると、さらに大きくみえる。
円奈の身長とほぼおんなじだ。つまり、小さな少女がロングボウを引いていると、相対的に弓が大きくみえるのだった。
「いいかんじ!」
それから、バッと弓の弦を手放し、矢が飛んだ。
バシュ!
音をたてて弾けとんだ矢は、円奈の目の前の樹木にビターンとあたる。
矢は、樹にささり、白い矢羽が揺れていた。
樹に深々と突き刺さる。
「おおおっ!」
少年たちがまた、声をあげる。「すげー…」
たしかにそれはすごかった。
なにがすごいのかって、ロングボウの威力である。長くて強靭な弦の弾け具合、空気のゆれ、矢の速度と勢い。
大きな矢が目にもとまらぬ速さでとんで、ドスッと音をたてて木の幹に刺さる破壊力。
見る者をびっくりさせるほど、威力がある。
弦がはじかれた瞬間、ビューンと弦がゆれて、音が響き渡るのだが、そのとき弓を放った少女のピンク髪も、空気のゆれで、ぶわっと逆立つのだった。
「ぼくにも、弓を教えてよ!」
そう、ある少年が、いいだした。「ねーちゃんみたいに撃てるように、なりたい!」
そのときコウは、悩ましそうに手で額を押さえた。
「みんな、ロビン・フッド団じゃなかったの?」
円奈が、苦笑してたずねると。
「まだまだ見習いだもん」
と、かえしてくる少年たちだった。
88
「それで────」
円奈は、弓矢の練習に適した場所を探すべく、森の山道を降りながら、少年達に語りだした。
旅の目的はどこへやら、方向さえきにしないで、野鳥の囀り鳴く林道をてらてら散歩しつつ進む。
「あなたたちは、どれくらい矢を飛ばせるの?」
「そこそこかな」
円奈についていく少年たちは、答える。「それなりに、飛ばすよ。魔法使いと戦うもん」
「そこそこじゃわかんないよ…」
円奈は、頬をかく。「試してみよっか」
円奈は、林道を抜け、開けた草原をみつめると、その前で立ち止まった。
それに続く少年たちも立ち止まる。
林の木々のむこうに、晴天が見渡せるほど広々とした緑の草原がある。
そこには出ずに、円奈は、林の木陰にて、弓でギーっと土にラインをひいた。
「ここから、距離を競ってみようよ」
「一番遠くに飛ばせるのが勝ちってこと?」
少年が、たずねる。
「うん」
円奈が得意そうに答え、言った。「ちなみに私は、100ヤードは飛ぶよ」
「うそつけ!」
少年たちが、すぐに叫んだ。「そんな飛ぶもんかよ!」
「ほんとだよ?私はあとで飛ばすから。みんな飛ばしてみて?」
「100ヤードっていったら、あの草原のむこうまで飛んじゃうじゃん!」
と、少年たちは、まだ信じない。
「まあじゃあ、やってみてよ」
円奈は、楽しくてしょうがないといったかんじで微笑み、腰に手をあてて、いった。「私と勝負だね!」
「よぅし!」
少年たちがいっせいに、円奈のひいた地面の線にいっせいにならぶ。「やってやるさ!」
すると少年たちは、手作りの弓に、地面に並べた矢を一本ずつ番え、弦をぎこちなくひいた。
少年達の弦をしぼる動作は、ほんとにぎこちなくて、手がぶるぶるしている。いまにも矢が番える途中でどっか吹っ飛んでしまいそうだ。
けれどもどうにか番えて、弦を限界までしぼると、まっすぐ草原にむける。
円奈は、心の中で、その時点で勝てるかな、と心で思った。弓の構え方が違うのだ。
「とりゃ!」
「とぅ!」
少年達が矢を飛ばす。弦がしなって、少年達の弓から矢が放たれる。
情けないことに、矢のいくつかは、林すら通り抜けずに木々にあたって落ちた。ハラリハラリと力なく矢が落ちる。
何本かは、林をぬけて、草原にでたが、せいぜい20か30ヤードの時点で、地面におちた。
「あっ!」
「あちゃ!」
少年たちが、目の前の木々に矢がぶちあたったのを見て、しまった、という顔をした。
「木にあたっちゃった人は、0ヤードね」
円奈が、背中に弓とりつけたままで、笑っていった。
「そんなあ!」
少年たちが、叫び声あげて悔しがる。「最初からいってよ!」
「みればわかることでしょー」
と円奈はいたずらっぽく笑いながら、腰に手をあてて少年たちをみる。みんな頭をかかえ、うなだれていた。
そもそも少年たちの矢は木の枝を矢にしたてたような、お粗末な矢だった。風にふらふらゆられて、まっすぐ飛ばない。
「俺が一番飛んだぞ!」
30ヤードぐらい、草原にとばした少年が、ガッツポーズして飛び上がる。
「次は俺たちの番だ!」
と、順番待ちの少年たちか、次いで円奈のひいた線に並び立ち、地面に並べた矢を拾って、弓に番えた。
みんなそれぞれのタイミングで、弓から矢をとばす。
バシュシュ!
弦がしなり、矢がとぶ。
弧を描いて飛んだ矢があれば、まっすぐ直線に飛んでいった矢もあった。
前列の少年たちの失敗のおかげで、二列目の少年達は林の木に矢があたらないよう、気をつけた。
結局、いちばん矢がとんだのは、弧を描いて矢が飛ばした少年、ロイという茶髪の少年だった。
45ヤードほど、飛ばして見せたのである。
「ぼくが勝った!」
ロイは、嬉しそうに腕をにぎりしめる。「ぼくがいちばん飛んだ!」
「ふっふーん」
円奈がすると、鼻を鳴らして楽しそうに笑う。「それはどうかな?」
「あんなに飛んだんだ」
ロイも少年たちも、45ヤード飛んだ、草原のど真ん中にささった矢を指差す。「女に越えられるもんか!」
「あ、そういうこというんだー」
円奈はすると、ちょっとだけ頬を膨らませ、すると、自分のひいた線にたった。
少年たちが、円奈を恐がって、わずかにあとずさる。円奈にスペースをあける。
「はっきりいって、みんな、飛ばし方からして間違えてたよ?」
少年たちみんなが、円奈を見る。
すると円奈は、背中の弓を手に取り出した。イチイ木のロングボウ。矢筒から一本矢をとりだし、弓に番える。
番えながら、その弓を、直線ではなく、斜め上にもちあげた。ちょうど、晴天にのぼった日を狙うかのような、斜め上の角度。
「弓矢が一番とぶのはこの角度」
と、円奈は説明しながら、ゆっくりと弓弦を腕で引いてゆき、矢を目の位置にまでもってきた。
白い矢羽の後ろ、矢の軸筈を指と指のあいだにはさみ、固定。
次の瞬間、バシュッっと大きな音たてて円奈の矢がとんだ。
弦の音が強かった。
目にもとまらぬ速さで矢は木々を抜け、林を覆う葉を抜け、飛んでゆき、それは晴天の彼方へととんだ。
どこまでもどこまでも高くのぼってゆく一本の矢は、太陽に届くかに思えた。
少年達が矢を目でおって首をあげる。
その矢は、晴天のなかをとんで、風にふかれながらやがて降り、下向きになりはじめた。
猛スピードで飛ぶ矢は、落ちながら、重力にひかれそのスピードをはやめ、ますます遠くへ遠くへ飛んでゆく。
晴天の青を飛んだ矢は草原の緑へ落ちてゆき、信じられない勢いでストーンと草むらに刺さった。
矢は草むらにおちたあとも、ゆらゆら揺れていた。しかし、グサリと刺さっていた。
その距離は、133ヤードほどであった。ほとんど草むらを飛び越えてむこうの森にはいる一歩手前だった。
「す、すげえ…!」
ロイの矢を遥かに越えてとんでいった矢をみて、少年たちが言葉を失い、息をのんだ。
「私の勝ちだね?」
少年たちにむきなおって、円奈が微笑んだ。
「教えてあげる!弓矢が一番とぶのは45度の角度!」
と、人差し指をあげ、得意げに語りだす。
「30度でも50度でもありません!まして、あなたたちがさっきやったような0度の直線でも、もちろんありません!」
「うう…」
少年達が、負かされた上に、間違いまで指摘されて、うなだれた。
「それから……風の向きとかいろいろ考えるけど…」
円奈は顎に手をあてた。「まずはそれ以前の段階だよね…」
少年たちは、さらにうな垂れた。
89
その夜は、国境にさしかかる、まさに運命の前夜だった。
夜空に浮かぶ月は満ちかけていて、矢張り月だった。
どこかで、ホーホーというふくろうの鳴き声や、狼の腹をすかした声などに包まれながら、鹿目円奈とロビン・フッド団の少年たちは、この前夜を食事して過ごす。
少年たちは、昼間の弓の練習でくたくたで、腹をぺこぺこにしながら木の実を食べたあと、ぐっすりと眠りについてしまっている。
アーモンドの実、まるめろ、ざくろ…。
古代人が昔から食していた木の実は、ここファラス地方の森にもわずかながら恵みを与えている。
コウと弟のアン、円奈だけが、好みを炊いた焚き火のまわりにいて、まだ起きていた。
「本気でいくのか?」
コウが疑わしそうにいう。
その顔が、焚き火のゆらゆらとした明かりに、赤く照らされる。
「うん…いくよ」
円奈が答える。「神の国、いかなきゃいけないから」
「明日になれば着く」
コウが円奈の目を見据えながら、念押しし。「だが約束してくれ。明日は見るだけだ。遠くからみるだけ。戦いには絶対参加もするな、それから、姿を見られるな」
「約束するよ」円奈が答える。
「あいつらに見つかれば、俺たちもタダじゃすくない」コウが言った。「いくなら、一度明日の朝、あの場所を見にいって、それでも行きたいって気持ちが変わらないなら、その夜にいけ」
「夜?」円奈がたずねる。
「夜のほうが突破率が高まるだろう。明日みればわかるよ」
「うん。分かった」
円奈は言い、頷くと、コウを見た。「ありがとうね」
「約束忘れるなよ!」
少年が強く言って、念を押した。
「大丈夫だよ」
円奈はそういうと、自分は毛布を荷物袋からとりだして、くるまった。
「さ、明日にそなえて寝よう?」
「ああ」
コウはいい、また、樹木に背をよせて、腕組んだ。
「また、そんな寝方をして……」
毛布にくるまりながら、円奈がコウをみる。それから、前の晩にもした提案を、再び持ちかけた。
「私と一緒に毛布使う?」
「いやだっていってるだろ」
少年はまたも断り、目を瞑った。「ねろ!明日は、目的地につく。そうなれば、おまえは神の国にいくんだから、俺たちともお別れだ」
「うん……」
昼間の元気はどこへやら、寂しそうな円奈の声が、小さく答えた。力なく頷いて、静かに目を閉じる。
それから毛布にくるまって、眠りについた。
この子達ともお別れ。
そう思ったとき、どこか急に胸が寂しくなって、円奈は、この少年達に元気をもらっていたんだなあ…と、今更ながら、気づかされた。
なんにせよ。
明日の朝、紛争が続いているという国境にさしかかる。
ファラス地方の森も、出口がみえる。
今日はここまで。
次回、第8話「ファラス地方の国境」
続き
【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─3─