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晴「11年黒組です!」【前編】
262 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/10/01 02:15:13.31 pyBi4OF0o 184/770投下します
今回もオリキャラ・オリ設定があります
ご注意下さい
揺れる想い
伊介「春紀の、暗殺手配書...っ!」
恵介「ああ、そうだ」
伊介「ちょっ、ちょっとママっ!!これどういうことなのっ!?」
恵介「落ち着け、伊介。まずその手配書をよく見てみるんだ」
伊介「手配書...」ペラ
ー手配書内容
依頼日:X月Y日10:00
暗殺対象者:寒河江春紀
暗殺対象者詳細:(URLとQRコードが表示されている)
報酬:0円
そして紙には大きな「Assigned(割り当て済み)」と書かれたハンコが押され、その下に受託した日にちと依頼受託者の名前が書かれていた
受託日:X月Y日10:00
依頼受託者:都の西北
伊介「落ち着いて見てみると...何?この変な手配書」
恵介「落ち着いたか?なら少し、昔教えたことのテストをしよう」
伊介「ママっ!!今はそれどころじゃ...!」
恵介「いいから、な。まず第1問。俺達のようなフリーの暗殺者は暗殺の依頼をどうやって引き受ける?」
ママはプロの暗殺者だ。決して無駄なことはしない
つまりこのテストにも意味があるのだろう
伊介「...それは当然、暗殺者ギルドを仲介してよ!」
暗殺の依頼や紹介などの仲介を一手に行い、両者の間のトラブルを無くすために発展した機関
それが暗殺ギルドだ
恵介「そうだ。でもギルドの仲介にも2種類あったよな。それはなんだ?」
伊介「直接の依頼と手配書。ママへの依頼は直接の依頼の方が多いわね...」
恵介「そう、暗殺者として名のある者には直接暗殺ギルドを通して暗殺の依頼が来る」
恵介「そしてもう1つの方法がこの暗殺手配書」ペラ
恵介「掲示板に手配書を貼り暗殺対象者や報酬を提示し、フリーの暗殺者がそれを受託し、依頼を実行するというものだ」
恵介「そして以前春紀さんが依頼を受けた方法でもある」
伊介「...っ!!」
恵介「彼女の受けた依頼はとある中小企業の元社長の奥さんからの依頼だった」
恵介「大企業からの不当な圧力によって会社を潰され、それを苦に自殺した夫の仇を討つために依頼したらしい」
恵介「暗殺対象は直接の原因であるその企業の部長」
恵介「しかしその時点でそうとう困窮していたらしく、報酬はかなり割に合わないものだったらしい」
恵介「良い点はといえば、暗殺者への条件が全く指定されていなかったこと」
恵介「つまりその依頼は、他の依頼を受けようとしても受けることの出来なかった、春紀さんが受けれる唯一の依頼だった」
恵介「そして幸か不幸か、春紀さんはその依頼を達成出来てしまった」
恵介「その後ただの女子高生だったはずの彼女が、暗殺を成功させたということで、彼女は10年黒組へと参加することになった、ということらしい」
伊介「……」
恵介「さて少し話が逸れてしまったが、次に第3問だ」
恵介「手配書による依頼が受託された後、その手配書は通常どうなる?」
伊介「...普通は受託されたらその暗殺依頼をわざわざ公開しておく意味なんてないわ」
手配書は通常依頼者と暗殺者を結びつけるためのものだ
受託された時点で手配書は本来の意味を失っている
伊介「だから仲介するギルドが暗殺の契約書として管理するから、他人に見られることはまずありえない...わよね」
恵介「ああ、その通り。だけどまれに受託者の名前を載せて割り当て済みの手配書を公開する場合がある」
恵介「これは何故だか覚えてるか?」
その場合手配書は予告表へと変化する。つまり...
伊介「売名行為。それと威嚇の役割...かな」
恵介「概ねその認識通りだ」
恵介「暗殺者からの身辺警護をするボディガードも人間だからな」
恵介「危険な暗殺者が来ると分かることで、ボディガードも敬遠して、逆に身辺警護をすることが難しくなるということもある」
恵介「じゃあ最後の問題だ」
恵介「手配書による依頼には、最初に掲示板に掲示された時点から割り当て済みとなって公開される手配書がある」
恵介「これはどういうことか分かるか?」
つまり暗殺者は手配書を介する前から、依頼をした人間や組織と既に契約をしていたということ
そして手配書の公開から、売名・威嚇の意図があるということになる
伊介「暗殺者個人というよりも、特に依頼者側の方で売名や威嚇をしたいと思ってるっていうこと?」
恵介「うん。最後の問題は教えていなかったのによく推測できたな」
恵介「さてそれじゃ今までの問題を意識して、もう一度手配書を見てみるんだ」
ー手配書内容
依頼日:X月Y日10:00
暗殺対象者:寒河江春紀
報酬:0円
状態:Assigined(割り当て済み)
受託日:X月Y日10:00
依頼受託者:都の西北
伊介「まずこれはさっき言ったような、あらかじめ組織なり黒幕なりと契約を結んでいる暗殺者の仕業ね」
伊介「しかも報酬を0円に設定してる。つまりこれは暗殺者にギルドを仲介させる必要性が全くないことを示している」
伊介「つまり暗殺者は組織の構成員かもしくは長期の専属契約を結んでいるか...どっちにしても依頼者とかなり強い繋がりがあるってことね」
伊介「でも一つだけ解らない点が有るの、ママ」
恵介「何だ?言ってみな、伊介」
伊介「何で...春紀が狙われてるの!?」
伊介「春紀はあの性格だから人から殺してやりたいというほど恨まれるっていうことは殆ど無いわ」
伊介「昔春紀が暗殺した相手の遺族ってのも考えたけど、1年以上も経っていて対応が遅すぎる」
伊介「ママは知ってるの?何で春紀が狙われたのか?」
恵介「...いや、ママの方でもハッキリした理由までは調べられていない」
恵介「だが理由の一つは推測が出来る」
伊介「...それって?」
恵介「春紀さんが黒組に入ったからだ」
伊介「黒組に入ったからって...そんなの去年も入ってたじゃない!」
恵介「よく考えろ、伊介。今の黒組はどういうものに成っている?」
伊介「...!!そうか...今の黒組って」
恵介「そうだ。今の黒組は一ノ瀬さんの願いで、一種の駆け込み寺のような側面を持っている」
恵介「特にクローバーホームから逃走している神長さんや、司法の手から逃れている武智さん」
恵介「こうした面子が普通に学生生活を送れるようにしているのが今の黒組だ」
恵介「そのため学園生活を乱し得るものは排除する存在と成っている」
伊介「そしてそうした抵抗を掻い潜って黒組の生徒を殺すことが出来れば、その暗殺者や依頼者側は大きく名を挙げることが出来るってわけね...」
恵介「そういうことだ。ただ何故黒組の中で寒河江さんが選ばれたのかまでは分からないがな」
伊介「そう...」
恵介「ただ同業者の間でもこの暗殺者を危険視している人間は多い」
伊介「...危険視?何故?」
恵介「それは暗殺ギルドのデータベースを見れば理解できるさ。コイツは意図的にデータベースに自分の記録を公開しているからな」
伊介「そう...分かった。後で調べておく」
恵介「伊介。ママはそろそろ行かなければならないが、お前の親としてこれだけは言っておく」
伊介「...何、ママ?」
恵介「よく考えて選択しろ。決して後悔しないように」
伊介「……」
恵介「それだけだ。じゃあな伊介、愛してるぜ」
伊介「...私もよ、ママ」
ママと別れたことで、そして春紀が殺されるかもしれないという状況を知ったことによって、
無意識に埋めていたアタシの中の疑問が、再び表層へと滲み出てきた
伊介「アタシは春紀のことを...どう思っているの...?」
...とりあえず今は春紀と合流しなければならない
暗殺者がいつやって来るとも分からないのだから
そうやって自分を納得させて
春紀を探して前へと進む足とは裏腹に
心は逃げることを選択していた
自分の本当の気持ちから...
その後春紀と無事合流した
それから帰り道や寮の中でも何かあるか警戒をしていたが、そのまま就寝まで何事もなく過ぎていった
春紀「zzz...」
春紀が寝静まったのを確認してから、アタシは暗殺ギルドのデータベースにアクセスしていた
『都の西北』とはどのような暗殺者なのかは、データベースの記録を見れば理解出来る、とママは言った
普通の暗殺者は自分の情報が漏れることを嫌うが、コイツはそれを意図的に流出している
何の意図を持ってそうしてるのかは分からないが、とりあえず見てみなきゃ始まらない
そうしてアタシは『都の西北』のデータベースを調べた...
………
………
………
「はぁ~...嫌になるわね...」
『都の西北』のデータを調べ始めてからまだ10分程度しか経っていない
しかしアタシはこれ以上この記録を見るのに嫌気が差していた
記録のページに有ったのは今までの暗殺件数と暗殺対象となった人間の概要
そして全体の8割以上を占める拷問の過程の記録だった
しかも拷問と言っても肉体的なものではない
対象を絶望に導き、精神を崩壊させる拷問である
データベースには暗殺対象となる人間が拉致されてから、精神が摩耗していく過程が克明に刻まれていた
文章で、画像で、音声で、動画で
自らの所業を魅せつけるかのように記録していた
伊介「まあ要するに、この胸糞悪いのがコイツの暗殺スタイルってわけね」
相手の精神を崩壊させて殺害する
暗殺と呼ぶのもおこがましいと言えるようなスタイルをとるのが、この『都の西北』という暗殺者らしい
もちろん残りの2割以下にも重要な情報が有った
その1つが過去の暗殺履歴であった
伊介「今までの受託暗殺件数は春紀のを除いて4件、内1件は継続中...か」
伊介「知名度の割に数は少ないけど...あんなことやってたらどうしても時間は掛かるわよね。それに...」
暗殺履歴から分かったことは『都の西北』の今までの受託暗殺件数。それと...
伊介「狙うのが暗殺者だけだってんだからなおさらよね」
『都の西北』が暗殺者しか狙わない暗殺者殺しだということだった
アイキャッチ風単語説明
『都の西北』
他の暗殺者から危険視されている新進気鋭の暗殺者
暗殺者しか殺さず、また対象の精神を必ず崩壊させてから殺している
その際には主に薬物や催眠術を用いている
この殺害方法は個人の嗜好によるものでは無く、組織からの命令によるもの
暗殺対象となった暗殺者が殺してきた人間のリストは詳細で、学歴まで載っている
敵の情報は得られるだけ得た。ならば...
伊介「後は選択するだけ...ね」
つまり春紀を助けるためにこの『都の西北』と戦うか、
それとも自分の安全のために春紀を見捨てるか...の2つ
この際、プロとして考えるのならば、リスクとリターンを客観的に考慮しなければならない
春紀を助ける場合のリスクはもちろん自分に危害が加わる場合
『都の西北』は暗殺者しか殺さないという暗殺者だが...
自分もまた立派に暗殺者であり、暗殺され得る存在なのだ
春紀を助ける場合、まとめて暗殺対象となる可能性は高い
さらに相手はこれまで少なくとも3件で暗殺者を葬ってきた腕の立つ暗殺者だ
この選択には、決して少なくない確率で死というリスクが付き纏う
一方で春紀を助けた場合のリターンは、ハッキリしていない
自分の中で春紀がどういう存在なのかすら固まっていない
伊介「つまり明確で大きいリスクと、不明瞭で有るかも分からないリターン」
伊介「プロとして行動するなら、春紀を助けるってのは選択肢として論外ってことね」
だからこそ、ママの与えてくれた選択肢に感謝している
伊介「ママは言ったわ。『親として言う』『後悔しない選択をしなさい』と」
伊介「プロの暗殺者犬飼恵介としてではなく、犬飼伊介の親の犬飼恵介として言ってくれた」
だからこそアタシは、犬飼伊介個人として後悔しない選択をする
伊介「ぽっと出の暗殺者のせいで、アタシが自分の気持ちも分からずもやもやするなんてありえない!!」
暗殺ギルドのデータベースが開かれた情報端末の画面を見ながらアタシは決心した
伊介「『都の西北』、アンタは...」
伊介「伊介が殺してアゲル♥」
さて、今後の方針は既に決定した
しかし『都の西北』と対立する場合に問題となる大きな課題がある。それは...
伊介「このことは春紀には伝えられないわね...」
狙われている春紀に対して、『都の西北』のことを、そしてそれ以前に...
狙われていることすらも伝えることが出来ないという点である
伊介「アイツは何ていうか...責任感とか自己犠牲の塊みたいなものなのよね...」
寒河江春紀という人間は、自分のせいで他人が傷つくのを良しとせず、他人のために自分が傷つくのを良しとする人間だ
そういうところで春紀は妙に頑固な人間なのだ
だから春紀に暗殺者に狙われていて、それをアタシが助けようとしていると伝えた場合、
春紀は必ずアタシに被害が出ないように、わざと孤立して『都の西北』を迎え撃つ
それが寒河江春紀だ
だからこそ春紀には伝えず、気付かれないように、春紀を守らなければいけない
しかしそうした場合、自分一人の手では余るのも確かだ
今までも一日の多くを一緒に過ごしてきたが、四六時中監視するように張り付いていては当然怪しまれる
なので...
伊介「ここはアイツを使うしかないか...」
そうしてアタシは携帯を取り出し、ある番号に電話を掛けた
翌日、睡眠不足により思い瞼をこすりながらアタシは春紀と一緒に登校していた
伊介「ふあぁ~...眠い...」
春紀「あれ?伊介様寝不足?大丈夫?」
伊介(アンタのために寝不足なんだけどね...)
伊介「平気よ。どうせ授業時間っていう睡眠のための時間があるんだから」
春紀「いやそこ寝るための時間じゃないから。ちゃんと授業受けないと留年しちゃうかもだぞ伊介様」
伊介「まぁ大丈夫でしょ。去年出席日数なんてほとんど満たしてなかった黒組の面子が進級出来てるんだし」
春紀「いや、まぁそれを言っちゃあそうなんだけどさ...」タハハ...
まるで何事も無い日常の1ページ
しかしアタシは警戒を緩めてはいない
それこそ警戒を緩められるのは、他の暗殺者が多数いる教室くらいのものなのだから
春紀「う~ん、けどなぁ...」
伊介「ん?どうしたの、春紀?」
春紀「いや後輩になった伊介様というのも一度見てみたいというか...」
春紀「『春紀先輩♥』とか言う伊介様も見てみたいなぁ...とか思ったりして」
いきなりコイツはバカみたいなことを言い出した
伊介(ふーん...春紀のくせに中々生意気なことを考えてるわね)ピキピキ
伊介(あっ!じゃあそれなら...)ピーンッ
伊介「ふ~ん、じゃあ...」ガバッ
アタシは春紀を抱きかかえるようにし、口元に手を当て、顔を近づけた
伊介「こうして欲しいってこと?は・る・き・せ・ん・ぱ・い♥」
キャーッ/// ア、アレハヤッパリ... キマシタワー///
登校途中の他の生徒から色めきだった声が上がる
...ちょっとやりすぎだったかも
いやこれは春紀を懲らしめるために必要なこと!
伊介(さあ!春紀の反応は!?)
春紀「いや、伊介様...」
春紀「後輩と先輩で立ち位置逆だろ、フツー」
春紀はそうなんでもないかのように言った
伊介「ちぇっ、つまんないの」
伊介(こっちはこんなに恥ずかしい思いまでしたのに...///)
そんな普通の学生のようなバカなことをやりながらも、登校中は何も問題は起きなかった
春紀(はぁ~、ビビった...)
春紀(動揺してたの顔に出てなかったよな...)
春紀(伊介様のバカ...)
春紀(いきなりあんな近くに顔近づけられたらドキドキしないわけ無いじゃん...///)
無事登校し、黒組の教室に入った時、いつもとはほんの少し違う光景がそこにはあった
何かが足りないわけではなく、むしろ何かが足されている
それは春紀の机の上、中心に、ピンク色の便箋というカタチで鎮座していた
春紀「ん?なんじゃこりゃ?」
鳰「ウチが朝一番に来た時には既にあったっスよ」
春紀「ふーん...」
春紀が便箋を手に取り裏面を見る
春紀「寒河江春紀様へ...ってことはやっぱりアタシ宛だねぇ」
鳰「ていうかその便箋、ハート型のシールで封してあるじゃないスか!」
鳰「これはもう!アレっスよ!アレ!!」
春紀「アレ?」
鳰「ラブレターっスよ!ラブレター!どんなこと書いてあるんスか?」
春紀「こらこら、他人のプライバシーに関わるからな...見せやしないよ」
鳰「え~、ノリ悪いっスね~」ブーブー
春紀「まったく...って伊介様どうかしたの?」
伊介「...別に~...特にどうもしていないわよ...」
これが本物のラブレターかどうかは分からない
しかしタイミング的に警戒しなければいけない物には違いない
なのにどうしてだろうか...
ラブレターをもらっている春紀に...
そしてそんなものもらい慣れたかのような春紀の様子に...
一瞬心がざわついたのは
こんなことではいけない
とにかく次の休み時間にでもアイツから話を聞かなければ
アイツなら手紙の内容も知っているだろう
ー1時間目休み時間
鳰「んでウチを呼び出したっつーことスか...」
伊介「そうよ♥春紀の手紙の内容、ちゃんと調べてあるでしょうね」
鳰「そりゃ昨日言われた通り春紀さんの私物で何かしかけられそうなものは全部監視してましたからね...」
ー同日午前3時
鳰「さ~てお仕事も終わりましたし、そろそろ寝るっスかね~」プルルルル
鳰「ん?電話?こんな時間にっスか?」ピッ
鳰「は~い、誰スか~こんな時間に...」
伊介「あ、良かった。起きてたわね、鳰」
鳰「伊介さんっスか...どうしたんスか、こんな時間に...」
伊介「今春紀が暗殺者に狙われてて、アタシはそれを助けることにしたの」
伊介「だから春紀の身の回りのものに何か怪しいことされないように監視しといてね♥」
伊介「特別に日当出してあげるから。あ、やらなかったらぶっ殺すから♥」
伊介「それじゃ今日の春紀の登校前から確認よろしく~♥」ガチャ プーッ プーッ プーッ
鳰「......は?」
鳰「…………」
鳰「はぁぁ!?」
…………
………
……
鳰「いやまぁ、晴の望みである黒組継続のためにもウチが協力するのはいいんスけどね...」
伊介「それで?春紀の手紙の内容は?」
鳰「ああ、ハイハイ。それなら春紀さんが来る前に抜き取って写真とっておいたっスよ」ペラリ
ーピンク色の手紙
寒河江春紀さんへ
あなたに伝えたいことがあります
どうか今日の放課後、1207教室に来て頂けませんか
一生のお願いです。どうかよろしくお願いします
とも子より
伊介「文面は至って普通ね...このとも子ってヤツ特定できる?」
鳰「いや~難しいっスね。ミョウジョウ学園はかなりのマンモス校ですから」
鳰「とも子って人間だけでもかなりの数いますから、それら全部の行動を把握し切るのは正直難しいっスね」
鳰「それにその「とも子」ってのが本名とも限りませんしね」
伊介「まあそうね...この1207教室への仕掛けは?」
鳰「教室の中が隈なく見えるように小型カメラと盗聴器を設置するよう手配しておいたっス」
...正直なところ今のところ出来る対策はこのくらいだろう
伊介「うん...ご苦労様。意外と働きが良かったんで、早めに日当支給しておくわね」ニコッ
鳰「お!ありがとうございます!何かな何かな~」
→プチメロ3個
鳰「………な、」
伊介「な?」
鳰「何っスかこれはぁぁ~~!!」
伊介「何って...アンタの日当」
鳰「ウチの日当がプチメロ(60円税抜)3個ってどういうことスかぁぁ~~!!」
伊介「それって...プチアンパンのほうが良かったってこと?」
鳰「そこじゃないっスよっ!!」
鳰「とにかく待遇改善を要求するっス!!改善まではストも辞さないっスよ!!」
伊介「いや、鳰に労働基本権とか適用されないから」
鳰「ウチ人間扱いされてないっ!?」
伊介「それとこの話はアンタの飼い主にも話してあるから」
鳰「飼い主って...理事長にっ!?マジすか!?」プルルルル
鳰「ってすいません。ハイもしもし」ピッ
百合『その話は本当ですよ、鳰さん』
鳰「理事長!?っていうかこの会話聞いてたんスか!?」
百合『ええ』クスクス
伊介「ね、伊介嘘なんかついてなかったでしょう」ケタケタ
伊介「だからさ、鳰...」
百合『というわけで鳰さん...』
伊介・百合「「よろしく(お願いします)ね」」
鳰「...ブラッククラスに勤めてるんだが、もうウチは限界かもしれないっス...」
それから放課後まで特に異常はなく過ぎ去っていった
そして放課後
春紀はいつもやっている事務仕事も早々にして、指定された教室へと向かっていった
もちろんアタシはそんな春紀から目を離さないよう尾行を行っていた
また、鳰から受け取っていた監視カメラと盗聴器の受信機に目を移す
そこには小さなおかっぱの女の子が1人そわそわと何かを待つ様子でいるのを写していた
おそらく、これがとも子なのだろう。だが、彼女は今のところ何も変な行動を取ってはいない
つまりまだ敵か普通の学生かは区別がついてない
なので春紀を止めるわけにもいかないのでしかたなくアタシは、春紀達の待ち合わせている教室の隣、1208教室で待機することとした
ガララッ
春紀が1207教室へ入っていった
その瞬間とも子は晴れやかな笑顔を浮かべた
とも子「来てくれたんですね!寒河江先輩!」
喜色満面という彼女の笑顔に、春紀はクールに対応した
春紀「ああ、手紙、読ませてもらったからね」
とも子「ありがとうございます!わたし、来てくれるかなって昨日からずっとやきもきしてて...」
春紀「ハハハ、それで、要件は何なのかな?」
春紀はペースを崩さず、冷静に対応していた
伊介(やっぱりこういうのに慣れてんのかしら...)
何故か胸にチクリという感触を覚えながら、画面に異常は無いか確認を続けた
とも子「は、ハイっ!!あ、あのですね、実は...」
とも子「あなたのことがずっと好きだったんですっ!私と付き合ってくれませんかっ!!」
何の衒いもなく、ただ思いを伝えるという目的のみを持った、言葉だった
これに一体春紀はどのように返事をするのか...
その時アタシの胸は、自分でも気付かないうちに、告白しているとも子に勝るとも劣らないと言えるほど、高鳴っていた
春紀「ゴメン、付き合えない」
そしてそう、簡潔に、春紀は言った
とも子「......っ!!」
とも子「なんでか...理由を聞いても...良いですか?」
春紀「...理由の1つは、今気になる人がいるから...かな」
その言葉を聞いた瞬間、ドクンと一際強くアタシの胸の音が響いた
しかしその音について考える暇など無かった。なぜなら...
春紀「それにさ...」
瞬間、春紀はとも子の左手を捻り、持ち上げて、言った
春紀「左手にスタンガンを隠し持っているような娘とは付き合えないよ」
伊介「...っ!?」
それに気づいた瞬間、アタシは隣の教室へと駆け出していた
ガラララッ
伊介「春紀っ!!」
そうして焦って大声を挙げるアタシとは対照的に、
春紀「あれ、どうしたの?伊介様」
飄々と春紀は返事をした
その足元に気を失っているとも子を転がしながら
春紀「いや~この娘がさ、告白断ったらいきなり襲いかかってきたもんでさ。仕方ないから軽く顎を揺らして気絶してもらったよ」
伊介「...そう」
春紀は単にこの娘が告白を断られ逆上して、襲いかかってきたと思っているようだ
ならばここは深く追求せず、このとも子とやらを鳰に引き渡せばいい...
そのように考えていたアタシを、状況は待ってくれなかった
???「とも子!!」
大声と共に、3人ほどの女子が教室に慌ただしく入ってきた
全員ミョウジョウ学園の制服を着ている。この娘の友達か何かだろうか?
その内の1人がこちらをキッっと睨み言い放った
女子生徒A「寒河江さんですか!?それとも犬飼さんの方ですか!?なんでとも子にこんな酷いことしたんですか!?」
女子生徒B「そうですよ!!」
女子生徒C「何でとも子が倒れてるんですか!?」
春紀は面倒なことになったなという、困惑した表情で頭を掻いた
そして口を開こうとして、気づいた
新たに舞台に上がってきた人間は、たった3人程度ではなかったのだと...
「そうですよ!」「酷いですよ!」「酷いですよ!」「そうですよ!」
春紀「!?」
伊介「!?」
最初に声が上がったのは、掃除ロッカーの中からだった
アタシ達が顔を向けると同時に開いたその中には、男女入り乱れた4人の生徒が入っていた
皆うつろな顔をし、スタンガンを携帯した状態で
しかしアタシ達への非難の合唱は、それだけでは済まなかった
「「「「ヒドイデスヨソウデスヨヒドイデスヨソウデスヨヒドイデスヨソウデスヨソウデスヨヒドイデスヨ」」」」
伊介「...!?」
春紀「...!?」
ほとんど間を置かずに、掃除ロッカーと同じ教室の後方から、さらなる怒号が放たれていた
その空間に人間の姿は無かった
だがその怒号は、教室に備え付けられている生徒用ロッカー...
その計21個全てから発せられていた
そしてロッカーの扉が開き、21個のロッカーから21人の生徒が転がり出てきた
皆虚ろな目をして、スタンガンを携帯しながら...
女子生徒ABC「「「ソウデスヨヒドイデスヨソウデスヨヒドイデスヨ」」」
そしていつの間にか駆けつけてきた3人も、虚ろな表情でスタンガンを携帯し、合唱に加わっていた
明らかに正気を失っている人間が、群れを成してアタシ達に敵意を向けている
さすがにこの異常な状況には、暗殺者としての経験が有るアタシ達でも絶句せざるを得なかった
春紀「伊介様...これって」
伊介(『都の西北』は拷問の過程で催眠術を用いていた...これは間違いなくヤツの仕業!)
伊介(どうやって名だたる暗殺者を拉致できたのか疑問に思ってたけど、こういうやり方だったのねっ!!)
伊介「春紀!気をつけなさい!こいつらはアンタを狙ってるわ!」
春紀「...ああ、そうだな」
こんな光景をただの一般人が見たのなら、この圧倒的な非現実感に圧され、パニックになっているだろう
だがアタシ達はただの一般人ではない。人を殺すという経験をしてきた、暗殺者なのだ
即座にアタシ達は構え、眼前の30人近い操り人形の攻撃に備えた
ロッカーから出てきた生徒達は、関節が固まっているのを強引に動かしているような、ぎこちない動きをしていた
無理もない話だ
何故なら1時間目の授業が始まる前に鳰はこの教室にカメラや盗聴器を備え付けるよう手配していた
ならばロッカーにいた人間たちは少なくとも授業開始以前からこの教室に潜んでいたということになる
数時間もの間、狭い空間に体を強引に折り曲げ潜んでいたのだ。体への負担がない訳はない
が、しかし...
痛みなど、疲労など、関節など
それらすべてが存在しないかのように、彼等は飛び掛ってきた
そのスピードも常人のものでは無く、まるでスタンガンを弾頭とした一つの弾丸のようであった
その弾丸は、春紀と伊介の双方に3人ずつ放たれた
常人ならば反応すら出来ない弾丸
しかし、それを受ける彼女達もまた、常人ではなかった
伊介は素早く身を屈め、三人の弾丸を避けた
そして飛び掛かった彼等が着地した瞬間を狙い、足払いを掛けた
そうして地に伏せた彼等の持っていたスタンガンを、手早く彼等自身へと向け押し付け、無力化した
力も、時間も、全く無駄がない、実に洗練された動きだった
一方で春紀は対照的な対処法を取った
直線的に飛び掛ってきた弾丸。その弾頭であるスタンガンが春紀に当たる寸前、
春紀は反復横飛びのように、彼等以上のスピードで横へスライドした
そして春紀が元いた地点に到達した弾丸の内、一番近くにいた1人を、
思いっきり蹴り飛ばした
蹴り飛ばされた1人は他の2人を巻き込みながら、直角の弾道を描き壁へと激突した
優れた瞬発力とバネを活かした、春紀だからこそ取れた対処法だった
春紀「意識を失ってる奴らにやられるほど、やわじゃないよ」
伊介「フフッ、春紀も中々やるじゃない♥」
春紀「伊介様もやっぱり流石だなっ!」ニカッ
春紀の対処ぶりを横目で見て、伊介は安堵していた
春紀は単に守られるだけの庇護対象ではなく、共に戦うことの出来るパートナーであると感じたからであった
しかしこの時、伊介の神経は眼前の敵と、横に立っている春紀に対して向けられていた
つまり春紀の足元の存在に対して、注意が足りなかった
プシューッ
その場に存在していなかったはずの、スプレーの噴射音がその場に響いた
伊介「!?」
それは春紀の足元にいた、
春紀が最初に気絶させた、とも子と呼ばれた女子生徒の右手から、ガスと共に噴出された音だった
春紀「んなっ......くぅっ......」ガクンッ バタッ
不意を打たれそのガスをもろに吸い込んだ春紀は、すぐに四肢から力が抜け、その場に倒れ伏した
とも子?「ふぅーっ、意外とてこずったなぁ」
起き上がりながら、そう、何でもないように彼女は言った
アタシは即座にとも子へ、そして春紀の元へと駆け出していた
しかし...
とも子?「おっと」シュッ
その瞬間、とも子は持っていた殺傷用のナイフを春紀の首元へと当てた
それを見てアタシは、
動くことが出来なくなってしまった
とも子?「アハハハッ!やっぱりこれで動けなくなっちゃうんだ」
そうして生まれた決定的な隙を突かれ、
伊介「うぐっ...!」ドサッ
アタシは操り人形共に取り押さえられた
とも子?「キャハハハッ!予想していなかったようだねっ!」
とも子?「こんな小さな女の子がっ!最初に気絶させたはずの人間がっ!武器を奪い無力化したはずの人間がっ!他の生徒からも名前を呼ばれていた人間がっ!」
都の西北「アンタたちを仕留める、都の西北だってさぁ!!」
伊介「お前がっ...!!」ギリリ
都の西北「しっかしさー、あの犬飼の娘がこっちの仕事の邪魔をしてきてるっていうからどんなものなのかと思ったけどさー、」
都の西北「案外甘いんだな。お友達を盾にした程度で動かなくなるなんて」
伊介「くぅっ...!!」
都の西北「いやーでも1クラス丸ごと暗示かけて駒にするなんて、ちょっと念を入れすぎてたかな~なんて思ったけど...」
都の西北「どうしてどうして...二人共中々のものだったね。こりゃ図らずも正解だったようだ」
都の西北「さて、ターゲットは寒河江春紀1人なんだけど...」
都の西北「もしターゲットの暗殺を邪魔する人間がいるならそいつも暗殺対象に加えろって上司からのお達しでね」
都の西北「それにアンタも中々拷問に利用できそうだし、連れて行ってやるよ」
伊介「連れて行く?どこへ?」
都の西北「仕事場へ、ね」
そう都の西北が言った瞬間、アタシは取り押さえられていたヤツの1人にスタンガンを当てられ、意識を失った
最初はアイツの事を馴れ馴れしい奴だと思った
人のことをお前とか呼んだり、腕掴んでひねってきたり、名前が変だと言ってきたり...
自分のことにしか興味がなく、無神経な人間なのだと思った
だが違った
むしろ彼女は誰よりも深い情を持っていた
どれだけ自分が傷ついても構わない
たとえ死んでも構わない
家族のためになるならば
彼女は...そういう人だった
そしてどういう訳かは分からないが、その情はアタシに対しても向いてきた
頼んでもいないのに笑顔でお節介を焼く姿は
まるで母親のようだと...
そう思ってしまった
………
……
…
意識がはっきりしない
頭の中が霧に包まれているような
水にプカプカと浮いているような
そんな不思議な気分だ
これは夢なのだろうか
不意にアタシは1つの人影に気付いた
アタシのお母さんだ
アタシを産んでくれたお母さん
アタシに弟を与えてくれたお母さん
でもある日変わってしまったお母さん
アタシ達を無視し続けたお母さん
そしてアタシと弟を
見殺しにしたお母さんだ
アタシはお母さんに問いかける
問いかけ自体が意味のないものと知りながら
伊介?「ねえお母さん。どうしてアタシを見捨てたの?」
???「……」
伊介?「ねえお母さん。どうして弟のことを見殺しにしたの?」
???「……」
伊介?「ねえお母さん」
伊介「あなたはアタシのことを愛してくれてたの?」
???「フフフッ」クスクス
すると突然、ずっと沈黙を保っていたお母さんが、アタシに語りかけてきた
???「あなたのことを愛していたかですって?」
???「そんなの自分でとっくに理解しているんじゃないの?」
伊介?「やめて」
???「お前のことを愛している人間が、育児を放棄すると思う?」
伊介?「やめて」
???「お前のことを愛している人間が、お前を見捨てると思う?」
伊介?「やめてよ」
???「お前のことを愛している人間が、」
???「お前の弟を見殺しにすると思う?」
伊介?「やめてって言ってるでしょうっ!!」
???「お前のことなんか、」
???「愛していなかったに決まっているじゃないか」
伊介?「あ...」
伊介?「あああ...」
伊介?「あああああああああああああああああっ!!」
伊介「はぁっ!」
嫌な夢を見ていた
小さい頃は何度もも見ていた夢
しかし最近は全く見ることのなくなった、あの頃の夢
アタシがまだ犬飼伊介で無かった頃の思い出の夢
全身が嫌な汗をかいていた
伊介「はぁっ...最っ悪!」
最悪な気分の起床に、畳み掛けるように最悪な声が流れた
都の西北「お~はようございま~す。いい夢は見れましたか、伊介さ~ん?」
都の西北の声がスピーカーから流れてきた
伊介「ええ、アンタの声を聞いてさらに最悪な気分になったわ」
悪態をつきながら辺りを見回し、そこでようやく1つのことに気づいた
伊介「アンタ!!春紀をどこへやったの!?」
同じように気絶させられたはずの春紀がいない
どこか別の部屋に入れられたか...もしくは
既に拷問を受けているのか
都の西北「あーあー寒河江春紀さんですねー。まあもうすぐ会えますから、今はそこら辺でじっとしててくださいねー」
そう言うと、スピーカーはブツッと音を鳴らし、声を発しなくなった
とりあえず冷静に今の状況を分析しよう
今のアタシの体は、嫌な夢を見ていたせいで気分は悪いが、身体的には問題はなかった
またアタシが今いるのは四角い倉庫の中のような場所だった壁と床以外には、外へ通じているであろう扉が、正面に一つあるのみだった
また天井にはスピーカーと倉庫内のどこでも映せるように配置された監視カメラが設置されていた
おそらくこれでアタシの様子も観察していたのだろう
ガチャンッ ギィィィ
そう考えていたところで、正面の扉の鍵が開く音がして、扉が内側へと開いていった
寒河江春紀が、扉をあけて中へと入ってきた
伊介「春紀っ!!」
俯いているため表情はよく見えないが、あれは間違いなく春紀だった
そうして春紀に近づいていったその時...
強い殺気を感じ取り、本能的に後方へ飛び退いた
結果的にその判断は正解だった
アタシが飛び退いていなかった場合にいた空間に、春紀の強烈な蹴りが空を斬っていたからである
そして蹴りの反動を殺し、こちらを向いた春紀の顔を見て理解した
悲しみに耐え切れずに泣きながら、しかしアタシに対して激しい憎しみを向けている表情
明らかに春紀は正気ではなかった
伊介「春紀にっ...、春紀に何をしたのッ!!」
アタシは叫んでいた
いつも笑顔で飄々としている春紀の顔が、今は悲しみと憎しみでひどく歪んでいる
何をすればここまでの表情を春紀にさせることが出来るというのか
アタシの叫びに対して、都の西北は人を小馬鹿にしたような態度で軽く答えた
都の西北「キャハハハハッ、そうだね。お前には説明したほうがより効果的だろうね」
都の西北「オイ、寒河江春紀!私が命令するまで犬飼伊介を攻撃するな。ただし自己防衛の防御は許す」
その言葉を聞いた途端、春紀は構えたままその場から動かなくなった
都の西北「まあ催眠術によってある程度は私の命令を聞くように細工はしたよ」
都の西北「でもね、私のしたことなんてそれ以外はホントに単純なことさ」
都の西北「私のしたことは薬と催眠術によって、寒河江春紀にたった一つのことを信じこませただけさ」
伊介「たった一つのこと...?」
都の西北「そう、たった1つ...」
都の西北「犬飼伊介が家族全員を皆殺しにしたってことを、ね」
都の西北の不愉快な嘲笑が部屋中に響いた
アタシは自分の中の血液が一気に沸点を超え沸き立ったように感じた
都の西北「最初に寒河江春紀は軽度の催眠状態にしてね、自らの情報を提供させたんだよ」
都の西北「コイツは家族のことをそれはそれは大事にしていた」
都の西北「それこそ前回の黒組の時にはまさに命懸けで家族を救おうとするほど大事にしていたようだね」
伊介「アンタ...!!」
都の西北「フフフッ、でもね大事なもののランキングを急に駆け上がってきた存在があったんだよ」
伊介「っ...!!」
都の西北「それがお前だよ、犬飼伊介」
都の西北「それを知って思いついたんだ。コイツへの拷問方法を」
都の西北「自分が大事だと思っていた犬飼伊介に自分の大事な大事な家族が殺される」
都の西北「その幻想を植え付けることにより、寒河江春紀の手で犬飼伊介を惨殺させる」
都の西北「そうした後に寒河江春紀の正気を戻し、自分が犬飼伊介を殺した事実を突きつける」
都の西北「これは結構な絶望を生むとは思わないかい?」
都の西北は、笑いながらそう言った
それを聞いた伊介の脳内には、純度を高めた強烈な、都の西北への殺意があるのみだった
都の西北「ハハハッ、ところで今お前さぁ、寒河江春紀に対してなんて酷いことをするんだとか思ってるんじゃない?」
都の西北「でもさ、これは決して寒河江春紀のためだけの拷問じゃないんだよ」
しかしそこで都の西北が、予想外の言葉を投げかけてきた
伊介「...っ!?どういう意味!?」
都の西北「お前さあ、さっき寒河江春紀に催眠術で情報提供をしてもらったって聞いてさ...」
都の西北「何で自分も同じようにされたって思わないの?」
伊介「くっ...!!」
都の西北「あ~、もしかして特に体とかに異常がないから何もされてないとか思った?」
都の西北「でもさこの状況で敵に捉えられていて拘束すらされていないのっておかしいと思わない?」
都の西北「っていうかそれ以前にさ...」
都の西北「敵に眠らされたこのタイミングでたまたまあんな悪夢を見たって事自体、おかしいとは思わないの?」
伊介「...っ!!あれも...あれもお前の仕業かっ!!」
都の西北「そうでーす。アンタの過去のトラウマとかはぜ~んぶアンタの口から話していただきました」
都の西北「あれだけママ、ママ言いながら、本物の母親の事も忘れられてないとか、結構可愛い所あんじゃん、伊介ちゃ~ん」プププ
都の西北「ちなみに今までの悪夢では母親は何も喋らなかったようだから、特別に私が改造して私が言ったことを母親の声で再生してもらいました~!」
都の西北「久しぶりに本物の母親の声を聞けて、嬉しかったんじゃなぁい?」
ダァンッ
アタシは近くの壁に拳を突き立てていた
こうでもしなければもはや理性を保つことすらできなくなりそうだったからだ
都の西北「おっと、ヤバイヤバイ...煽り過ぎたかな」
都の西北「おーい、それじゃ最後に一つだけ言っておくよー!」
都の西北「これは寒河江春紀のためだけの拷問じゃないって言ったろ?」
都の西北「これは犬飼伊介、アンタへの拷問でもあるんだよ」
伊介「アタシへの...拷問...?」
都の西北「そう!簡単に言うとね、寒河江春紀にとって犬飼伊介の存在が大きくなっていったように、犬飼伊介にとっても寒河江春紀の存在は大きくなっていたってこと!」
都の西北「アンタは本当の母親の愛を知らずに成長してきた」
都の西北「そのせいで理想の母親のように、自分に絶対的に与えられる愛というものに強烈な憧れを抱いていた!」
都の西北「そして寒河江春紀こそがそれを与えてくれる存在なんじゃないかと思うようになっていった」
都の西北「自分の身よりも家族を優先する寒河江春紀の姿は、アンタには自分の本当の母親とは真逆の、理想の母親のように思えていたんだろうねぇ!」
都の西北は、あれほど頭を悩ませていた疑問の答えを、あっさりと暴露した
都の西北「それこそが犬飼伊介の悩んでいた、寒河江春紀への気持ち!」
都の西北「だけど今!そうして信じた人間から、偽りの憎しみを向けられて殺される!」
都の西北「殺された瞬間に分かるはずだ!お前を無条件に愛してくれる人間なんてこの世にはいないんだって!」
都の西北「それこそがお前へ与えられる絶望だぁ!キャハハハハッ!!」
伊介「アンタだけは...アンタだけは絶対に許さないっ!!アタシが必ず殺すッ!!」
都の西北「さあ、よく我慢したな寒河江春紀!犬飼伊介を...」
都の西北「殺せッッ!!」
その合図と共に、春紀はアタシ目掛けて一直線に走りだしてきた
この場を切り抜けるためには、春紀を無力化しなくてはならない
この場合相手を気絶させるのが一番良い方法だ
そのために取るべき戦法は...
春紀が教室でやったように、相手の顎への打撃によって脳を揺らし一瞬で気を失わさせる!
春紀は決めにくる時はかなり大ぶりの攻撃をする傾向がある
だからまず最初に来るであろうジャブなどの軽打をやり過ごしながら、大ぶりの攻撃を待って仕留める
そう考えていた
だが春紀の取った行動はその予想を裏切ってきた
春紀「がああああああっ!!」
春紀は初手から決めの一発と言える大ぶりの一撃を放ってきた
伊介「っ!?」
これには逆に不意を打たれた形となってしまった
そのためパーリング(相手の攻撃を受け流すこと)が間に合わず、クロスアームブロック(腕を十字に組んで行うブロッキング)で受ける形となってしまった
そしてさらに予想外だったのは、そのパワーであった
伊介「ぐっ!?」
左腕に当たった一撃は、まるで蹴りのような殺しきれない衝撃を与え、伊介を吹き飛ばした
伊介(くっ!左腕が痺れて動かない...!!一体何なのよあのパワーは!?)
都の西北「アハハハッ、さすがの動きだねぇ、寒河江春紀」
都の西北「今彼女は催眠によって脳のリミッターが外れている状況だ」
都の西北「だから今の彼女の攻撃はあんまり受けないほうが良いよ~...ってもう遅かったけどね」ケラケラケラ
伊介(ホンットに人を苛つかせるのが上手いヤツね!!)
どうやら今の春紀は理性をほとんど失っている代わりに、攻撃の威力はかなり増大しているようだ
これは迂闊に受けに回らないほうが良い
伊介(それに...)
ある仮説を基に、襲い来る春紀を前にアタシは両手をだらりと下げ、リラックスした状態で立った
そして短い呼吸を繰り返しながら、春紀を迎え撃った
一方春紀はアタシの構えなど気にも掛けず、渾身の打撃を繰り出してきた
それはアタシの正中線上、胸の中心目掛けて繰り出された
その攻撃をアタシは拳が触れるか触れないかという寸前まで引きつけ、体を捻ることにより最小限の動きで躱した
それにより春紀は勢いのつきすぎた自らの攻撃によって、前のめりにバランスを崩した
伊介(やっぱり。今の春紀は連打も考えてなければ、攻撃を躱された時に生じる隙のことも考えてない)
伊介(ただ全力で相手を攻撃することしか眼中にない)
伊介(それなら最小限の動きで躱して、即座に反撃すればいい)
この時伊介はロシアの近代格闘技システマに基づいた動きで、春紀の攻撃に対応した
システマは素手の相手のみならず、ナイフや銃を持った相手とも戦うことを考えて作られた武術である
しかしながらいかに広範な相手を想定した実戦格闘術システマであっても
今の春紀の超人的な動きに対応するものではなかった
伊介に最小限の動きで躱された結果、右腕は伊介の横をすり抜けていった
通常の人間であればこの際可能な行動は、右腕から倒れないように左足に重心を戻し体制を立て直すことのみである
しかし春紀は、逆に左足を地面から離した
そしてさらに春紀は床へと跳び込むように、両腕を前に出し足を畳んだ体制へと瞬時に変えた
そして両腕で床へ着地をすると同時に、畳んでいた両足を後方へと思い切り突き出した
最小限の動きで躱し、反撃を試みようとしていた伊介の腹部へと目掛けて
伊介にとってその攻撃は自分の想定を完全に超えたものであった
そのため成すすべもなく伊介は腹部への強烈な一撃を喰らい、吹き飛ばされた
都の西北「ヒュー-ッ!さすがは寒河江春紀。「最高の素材」と言われるだけはあるねぇ!」
春紀はこれまで格闘技の訓練を受けた経験があるわけではない
しかしその有するバネ、瞬発力、ボディバランス、身体把握能力はどれもずば抜けており
純粋なポテンシャルだけで言えば黒組最高とまで言える能力を有していた
専門の訓練を積めば、「東のアズマ」にも対抗できる能力を持つだろうという一部の人間から彼女は、
「最高の素材」と呼ばれていた
その「最高の素材」が催眠術の効果によりさらに限界を超えた動きをしてきた
これには様々な経験を積んできた犬飼伊介といえども、対処することは出来なかった
伊介(くっ...!これは...まずいわね...)
伊介は吹き飛ばされた状態で、呼吸を短く繰り返した
これもまたシステマの技法である「バーストブリージング」と呼ばれる呼吸法である
これは腹部へ受けた強烈な打撃による苦痛に対し、呼吸に集中することでその苦痛を和らげ、体を動かすことを可能とする技術である
だが...
伊介(立ち上がれはするけど...素早い移動はほとんど出来ない...!これじゃあの春紀のスピードを躱せないっ!!)
伊介の受けたダメージは大きく、ただ腹部を抑えて立ち上がることしか出来なかった
それに対し、今の春紀には情けもなければ油断もない
ただ伊介を仕留めるために伊介の方向へ猛然と走っていった
しかしこの絶望的な状況でもまだ、伊介は諦めてはいなかった
この最後の時まで諦めないという精神力が、犬飼伊介の暗殺者として特に突出した能力であった
伊介(...っ!!)
しかし、この時春紀の顔を見た時に、伊介の思考は停止した
春紀の顔には、いつの間にか憎しみの表情が消え、ただただ大粒の涙を流しながら悲しみの表情を浮かべていた
伊介(...まったく、こんな時になんて顔してるのよ...)
走り来る春紀を目前に伊介は抵抗を諦めた
それは抵抗する手段が見つからないからではなく...
伊介(アンタになら...殺されてもしょうがないなんて...思っちゃったじゃない)
春紀によってもたらされる死を受け入れたからであった
春紀の攻撃が死をもたらすまでの短い間に、伊介はある思考をしていた
伊介(都の西北はアタシが殺される瞬間に、アタシを愛してくれる人間などいないと知り絶望すると言った)
伊介(だけど大外れね...今のアタシはむしろ満ち足りた気分よ...だって...)
伊介(家族の仇だと信じ込まされていても、アタシを殺すことを泣いて悲しむほど想ってくれている人が、アタシの目の前にいるんだから)
そして...何に対してかは自分でも分かっていないままで...満面の笑みを浮かべて伊介は言った
伊介「ありがとう...春紀」
そして、伊介の顔の、
すぐ真横を、豪快な風切り音と共に、拳が通過していった
春紀の拳が伊介の顔面を捉えなかった原因は、伊介の行動でもなければ、都の西北の行動でもない
寒河江春紀が、ただ単純に攻撃を外したのだった
春紀はすぐさま2発目の必殺の一撃を繰り出す
しかし伊介には当たらない。当てることが出来ていない
都の西北「...っ!?オイ、どうした寒河江春紀!!さっさとそいつを殺せ!!家族の仇だろうがっ!!」
しかし春紀の攻撃はあさっての方向へ行き、遂には春紀は拳を下ろした
そして大粒の涙を流しながら、伊介の目の前で立ち尽くした
春紀「いや...だっ...ごろ...しだく...ないっ」ボロボロボロ
それは催眠下にあってもなお揺るがない、春紀の心からの想いだった
都の西北「ちぃっ!!何だってんだよオイ!」
わけのわからない状況に都の西北はただひたすら声を荒らげていた
目の前で春紀が泣きじゃくっている状況は、プロとして行動するならば当初の予定である春紀の無力化を達成する絶好の機会だと言えた
しかし伊介の取った行動は、プロの暗殺者としてのものではなかった
伊介は泣きじゃくる春紀を優しく抱き寄せた
この時伊介は子供の頃に読んだ絵本を思い出していた
絵本の中の世界にはやさしいやさしいお姫様がいたこと
けれどお姫様は悪い人のせいで長い苦しみに陥っていたこと
そしてそんなお姫様を救うのはいつだって...
王子様のキスであるということを
伊介にとってこの行為に現状を打破しようという狙いはなかった
ただ自分の胸の内から溢れる感情に従って取った行動だった
だが結果としてこの行為が状況を変える鍵となった
春紀「いす...け...さま...?」
春紀の目に光が戻った
伊介「おかえり、春紀」
伊介は優しい微笑みを浮かべていた
春紀「アタシ...なんか怖い夢見て...それで...」
伊介「大丈夫...大丈夫よ」
伊介はまるで母親のように、泣きじゃくる春紀を優しく抱きしめた
カメラに映しだされた光景を冷ややかな目で都の西北は眺めていた
都の西北「催眠状態ってのは意識の狭窄、つまり何か一つの物事しか考えられないっていう状態だ」
都の西北「だから相手の精神に強烈な刺激を与えることで意識を拡大、無理矢理覚醒状態に持っていったってことかね...」
都の西北「スッゲーッ!こんなのどこのお伽話だよって感じだよ」
都の西北「ハハハハハッ...だけどさ...」
都の西北「そんなハッピーエンドで許すはずねーだろォ!!」バンッ
都の西北は荒々しく1つのスイッチを押した
そして別のマイクに命令を投げかけた
都の西北「EO1(実験体1号)!そこの女2匹を、ぶっ潰せッ!!」
春紀の催眠状態が解けたことに安堵していた伊介は、春紀が入ってきた扉が再び開く音を耳にした
伊介と春紀はすぐさまその音源へと注意を向けた
部屋に入ってきたのは、2m近い長身の、筋肉質の男だった
しかしその顔は、苦痛の表情で歪み、虚ろな目をしていた
この男もまた春紀と同様、意識を操られているのだと、ひと目で理解できる有り様だった
伊介「何、コイツは?」
伊介は新たに舞台へ上がった操り人形を警戒しながら呟いた
回答など期待していなかった呟きであったが、都の西北は愉快そうにその問いに答えた
都の西北「ハハハッ、予習が足りないんじゃないのか犬飼伊介!」
都の西北「私の暗殺履歴で、一件だけまだ未達成の案件があるのを見ていなかったのかぁ?」
その言葉を聞き、伊介はデータベースで見た都の西北の記録を手繰り寄せた
伊介「そう...4件目の被害者の残り1人ね」
都の西北の暗殺受託件数は4件
そのうち4件目だけはまだ達成完了とはなっていなかった
4件目は拳法を使う七人兄弟が暗殺対象となっていた依頼だった
そしてその内の1人が他の兄弟6人を殺害した記録を最後に更新されていなかったはずだ
都の西北「そう、その通り」
都の西北は嬉々として説明しだした
都の西北「私の4件目の暗殺対象はとある拳法使いの7人兄弟」
都の西北「コイツはその末っ子に生まれながら、兄弟の中で最高の肉体と格闘センスを持って生まれてきた」
都の西北「しかし穏やかな気性のため、兄達を守るためにしか拳法は用いなかった」
都の西北「でもそのせいもあってか兄弟仲はものすごく良かったらしいんだよなぁ」
都の西北が話してる間にも、EO1と呼ばれた巨体の男は伊介達を仕留めんと歩み出してきた
都の西北「だからそいつには、自我はそのままに体の指揮権だけを奪って、兄弟を殺させたんだよ」
都の西北「あの時の表情は、中々のものだったぜぇ」
その時から顔に張り付いたであろう苦痛に歪んだ表情で、EO1は縦拳(親指が上を向くように拳を向けて打つパンチ)を繰り出した
EO1「がああああっ!!」
太極拳などの拳法に見られる震脚(足で地面を強く捉える技法)を伴い繰り出された拳を、伊介がEO1の左半身側に春紀が右半身側に分かれ避けた
しかしパンチを避ける一瞬に、伊介はあることに気づいた
伊介(このEO1ってヤツ!パンチを打ってる最中に右足を浮かし始めてる!これは...!)
そして気づくと同時に叫んでいた
伊介「春紀っ!!」
詳しい内容までは伝えられなかったが、今の春紀にはそれで充分だった
春紀は伊介の声に気付き、そして
自分に襲い来るEO1の右足にも一瞬早く気づくことが出来た
回避行動を取った春紀の眼前を、豪と、風切り音と共に足刀が通り過ぎた
普段の春紀であれば躱せない蹴りであったが、リミッターが外れ運動能力が上昇している今の春紀であったため、ギリギリのタイミングで躱すことが出来た
春紀「ひゅーっ、あっぶな~...」
伊介(コイツ...!春紀と同じように攻撃途中に強引に他の攻撃を仕掛けてくる...!)
都の西北「あ、そうそう。コイツ足技メインの中国拳法の1つ、戳脚も修めてるらしいよ」
都の西北「だから寒河江春紀と同じことが出来ると思ってもらっていいよ。ま、先天的な運動神経によるものか、後天的な技術によるものかの違いはあるけどね~」
伊介「くっ...マズイわね、これじゃ...」ハァハァ
EO1の攻撃を躱しながらも、伊介の呼吸はかなり乱れが生じてきた
腹部の痛みを打ち消すために行ったバースト・ブリージングや、春紀との戦いの消耗が癒える間もなくEO1の攻撃を躱し続けなければいけない状況に陥った影響によるものであった
その状態の伊介を見て春紀はある行動に出た
今まで行っていたEO1の攻撃の回避から一転、攻撃を仕掛け始めた
そしてそれによりEO1は春紀に対して攻めの手を集中させた
伊介「は、春紀!?」
動揺する伊介に、春紀は目配せをした
今の二人にはこれ以上の意思疎通の手段は必要なかった
春紀の意図を理解した伊介は、腹部に意識を集中して深い呼吸を行った
これは空手の息吹と呼ばれる呼吸法であり、呼吸の回復や集中力の強化を促すものであった
伊介は呼吸を整えながら、冷静にEO1を分析し思考していた
どのようにすれば、アイツを戦闘不能に出来るかを
一方春紀はあえてEO1に近接戦闘を挑んでいた
EO1の肉体すべてを武器と考え攻撃を回避しながらも、何発かの攻撃を当てていた
しかし筋肉の鎧に覆われたEO1に、それほど効いている様子ではなかった
その様子を都の西北は嬉々として眺めていた
都の西北「親しい物同士で殺しあうという絶望を回避したのも束の間」
都の西北「圧倒的な武力によりメチャクチャにされる」
都の西北「希望から絶望への相転移」
都の西北「それこそが都の西北からお前らへ与える新しいプレゼントだ!!」
そう、楽しそうに自分の描いている脚本を語っていた
そこで伊介は考えた作戦を春紀に伝えた
春紀「...ちょっ!?マジ!?」
伊介「大丈夫よ。アタシを信じなさい」
この時の伊介の目は、決して自分を犠牲にしようという目ではなかった
むしろ絶対に生き残るという決意と覚悟に満ちた目だった
春紀は少し不安そうであったが、結局伊介の覚悟に押し切られた
そして先程とは対照的に、今度は伊介がEO1に対し近づいていった
しかし伊介は春紀とは違い、攻撃はしなかった
伊介は春紀の時と同様に、全身をリラックスさせ姿勢を正していた
EO1は近づいてくる伊介に対し、機械のように反応し縦拳を放った
伊介はそのEO1の縦拳を最小限の動きで躱し、がら空きの彼の右半身側へと滑らかに移動した
しかしそこは決して安全地帯ではない
EO1はすぐさま、春紀の時と同様、しかし春紀とは異なる戳脚の技術体系を以って、伊介の腹部へ必殺の蹴りを放っていた
そしてそれこそが伊介の狙いであった
遠間にいた春紀は戳脚の蹴りの予兆が見えると同時に、最大速度でEO1に向かって突き進んでいった
伊介は迫り来るその蹴りを皮一枚で躱した
そして同時に飛び込んできた春紀が、重心の乗った軸足の膝を最大の威力で蹴りつけた
春紀「うぅらぁぁぁっ!!」バギィッ
EO1「がああっ!!」
EO1の軸足から骨の壊れる不快な音が響いた
拳法は拳を打つ際の姿勢を重視する。そのため片足を破壊し体重を掛けられなくすれば戦力は格段に落ちる
そのために伊介が自分の身を危険に晒すことで、あえて相手に戳脚の蹴りを放たせ、そこで生じた隙を相手が意識していない遠方から春紀が突く
これが死の淵であっても決して諦めない、犬飼伊介の考えた作戦であった
だがEO1は技術だけの拳法家ではない
その筋肉に任せて、ただ暴れるだけであっても充分危険な巨漢である
事実、EO1は破壊された左足を、腿の筋肉を用いて上げ、片足での戦闘を再開しようとした
しかし相手の攻撃を躱すのに最小限の動きしか用いていなかった伊介が、片足で立ち上がろうとする隙を見逃すはずはなかった
伊介「はぁぁっ!!」
伊介は片足で立ち上がった直後のEO1の顔をハイキックで強打した
この一撃が決め手となった
足での踏ん張りの効かないEO1は、脳を強打され吹き飛ばされた
これにより意識は切断され、だらりと四肢を投げ出した状態で床に倒れた
EO1が倒れるのを見ると、都の西北はスピーカーを切った
都の西北「あーあ、なにこれ?つまんねーの」
白けたというような表情でそう言いながら都の西北は一つのスイッチのボタンを押した
都の西北「こういうのは本意じゃないんだけどしょうがない」
都の西北「あいつらには餓死してもらおう」
都の西北「あの部屋を出るための唯一の出口をここのコンピューターからロックした」
都の西北「そしてこのコンピューターを起動するには、私の持つこのカードキーが絶対必要」
都の西北「力を合わせて数々の困難を打倒したと思っていたら、そこにあるのは誰にも助けられないという現実」
都の西北「正直こういうまだるっこしい絶望は好きじゃねーけどギリギリ及第点ってとこか、ハハハッ!」
そう笑いながら、都の西北はその場を去ろうと出口の方へ振り向いた
鳰「へ~、逆に言えばそのカードキーがあれば簡単に2人を救出出来るんスか」
しかし出口の扉の前にはいつのまにか、ニヤニヤと悪意のこもった笑みを浮かべた、金髪の少女が立っていた
都の西北「...っ!!走り鳰っ!!」
都の西北はいきなりの闖入者に驚きつつ、戦闘準備をした
鳰「アレ?ウチのこと知ってるんスか?」
都の西北「あまり面白くない冗談は言わないでくれ。催眠を暗殺に用いている人間で、西の葛葉の人間を知らないわけ無いだろう」
鳰「アハハッ、そうっすね~。黒組の皆さんの対応に慣れてくると、自分が暗殺者の二大家系の内の1つの人間だって自覚が薄れてくるっスね...」
何故か一瞬暗い表情を浮かべたが、すぐにまた悪意しか感じさせない笑顔に戻り言った
鳰「じゃあ話が早いっスね。手っ取り早く選んでくれないっスか?」
都の西北「選ぶ?何を?」
鳰「ここでウチに殺されるか、それともここで捕まって後で伊介さん達に殺されるかっスよ」
都の西北「…っ!!」
鳰「ウチのオススメとしては、伊介さん達っスね。春紀さんがいるから数%位は生存できる確率があるっスよ」
都の西北「西の葛葉ってのは本当に冗談が下手らしいな」
鳰「いやいや~、ウチこう見えてもユーモアのあるクラスの人気者キャラで通ってるんスよ~」
都の西北「私の選ぶ選択は、お前を殺してここを出る、だよっ!!」
都の西北は鳰を目視した瞬間に、即効性の麻痺毒の効果があるガスを周囲に散布していた
無論都の西北は、このガスに耐性を持つように作られている
都の西北(もうそろそろコイツの体内に毒が回って、その不愉快なニヤけ面も出来なくなるだろう)
だが鳰は依然として笑顔を浮かべながら言った
鳰「あぁ、これは麻痺のガスっスか。新進気鋭の暗殺者って聞いてたっスけど意外と古典的な手を使うんスね」
都の西北(くっ...まさかコイツも、ゴホッ、この毒に耐性を持っていたとは...ゴホッ!)
都の西北(...!?なんだ?ゴホッやけにゴホッ息が苦しい...)
都の西北は鳰に何かされているのかと鳰を見やる。しかし先程から見ていたが何か怪しい行動を取った形跡はなかった
都の西北(コイツは...ゴホッ...何をしている!?)
鳰「あの~...」
そんな思考の中、鳰はまるで日常会話のように告げた
鳰「首、苦しくないんスか?」
そこで都の西北は初めて気づいた
自分の首に自分の両手が絡み付き、締め上げているという事実に
都の西北(はぁっ!?)
そのことを意識してなお、両手は彼女の意志を裏切り首を締め続ける
都の西北(な、なんで!?催眠術を掛けられた意識すら、いやそもそも催眠術を掛ける素振りすら見えなかったぞ!?)
鳰「アンタは何か誤解しているようっスね」
鳰「西の葛葉は催眠術師じゃなくて...」
鳰「呪術師なんスよ」
鳰「催眠術のように原理が分かっているものではなく、」
鳰「究極的に理不尽な訳の分からない力を振るう」
鳰「だからこそ人はそれを呪いと呼んで...」
鳰「ウチらは呪術師と呼ばれるんスよ」
都の西北「あ...が、がが...」
都の西北は自らに振りかかる死の恐怖に、そしてなにより眼前の理解が及ばない怪物に、圧倒的な絶望を感じていた
鳰「ま、このことは覚えておいて下さいね♪」
鳰「来世でね」パチッ
鳰の指が鳴ったのを合図に、都の西北の両手は一気に首を捻り上げ...
首の折れる軽い音が響いた
都の西北の死を見届けた鳰は、床に落ちたカードキーを拾いながら呟いた
鳰「これだけ働いて、日当プチメロ3個ってのはホント勘弁してくれないスかね~...」
EO1が戦闘不能状態に陥ったことを確認した二人は安堵の表情を浮かべた
春紀「やったな...伊介様」
伊介「春紀も...頑張ったわね...」
そうして笑顔で互いを労い合っていた
しかしその和やかな空気は...
春紀「ガフッ!!」
突如春紀の吐いた鮮血により、かき消された
伊介「春紀っ!?」
伊介が春紀の元へ駆け出した
春紀「あー、あの時腹に喰らったやつかな?あれやっぱり躱しきれてなかったか...」
春紀は自分が血を吐いていることをどこか現実味が無いように捉えていた
しかし伊介が駆け寄ると、春紀は四肢から力を失い、伊介に寄りかかった
春紀「...あれ?なんでだろ...力、はいんないや...」
伊介「春紀っ!!しっかりしてよ、春紀っ!!」
その時春紀は何かを理解し、受け入れたような表情を一瞬浮かべた
そして春紀は口元から血を流しながら、しかし微笑みを浮かべながら言った
春紀「伊介様...」
「ごめん」
伊介「何で...何で謝ったりするのよッ!!」
春紀「いや...これはちょっと...さ」
伊介「......っ!!」
伊介は涙を浮かべながら、春紀の顔を手に取り
春紀の血に濡れた唇にキスをした
春紀「伊介...様...?」
伊介「やっと...やっとアンタの事が好きだって気づいたのに...!!」
伊介「何でそんなこと言うのよっ!!」
伊介は駄々をこねる子供のように、大粒の涙を流しながら春紀を責め立てた
春紀「ああ...そうか」
その時春紀は理解した
夢のように感じたあの唇の感触は、夢ではなかったのだと
春紀は頭を撫でるような手つきで愛おしそうに髪を梳き、微笑みながら言った
「ありがとう」
その言葉と共に、春紀の手から、首から、全身から
抜け落ちるように力が抜けていった
伊介「春紀っ!?春紀ぃっ!!」
伊介「イヤ...イヤよ...信じたくない...」
伊介「いやああああああ!!」
鳰「いや生きてるっスよ、それ」モシャモシャ
伊介「.......はぁ!?」
春紀の死を受け止めきれず嘆いていた伊介に、プチメロンパンを食べながら鳰が話しかけた
鳰「いや春紀さん生きてますって。おそらく催眠の影響で精神に負荷がかかったんで、強制的にシャットダウンしたような感じっスね」
伊介「………」
確かによくよく観察してみると、弱々しいながら呼吸はあるし、脈の感触もあった
つまりこれは...
鳰「ま、眠ってるだけなんでそこまで心配しなくてもいいっス...ってちょっと伊介さん!ストップストップ!!」
伊介「このバカ春紀ッ!!なんであんな思わせぶりなこと言ってんのよ、このバカ!!」
怒りなのか、照れなのか、とにかくやり場のない感情を伊介は春紀にぶつけようとした
鳰「寝てるだけって言っても一応怪我人なんスから!抑えて抑えて!!」
この後伊介も戦闘の疲労からすぐ倒れ、結局二人共鳰の手によって病院へと送られることとなった
そこは窓のない空間だった
様々な計器が並んだそこに、白衣を着た老人が1人、計器をチェックしていた
そして常に波のような線を刻んでいた計器の画面が、直線のみになったのを見て、ため息をついた
老人「ふぅ、あやつめ、失敗しおったわ」
その計器は、都の西北に埋め込まれたチップから彼女の生体情報を受信し映しだす計器だった
そしてその計器は先ほど、都の西北の死を表示した
老人「まあいい、この世に成功だけの物事など無い。失敗にどう対応するかが大事なのだ」
老人「二人目の製作を急いでいて良かったわい。これで引き続き都の西北を続けられる」
そう、老人は独りごちた
そして老人はどこかへ電話を掛けた
老人「ああワシだ。二人目をここに連れてきてくれ。ああ。頼んだぞ」
電話を切った後、老人は連れて来られたものの最終調整を行う準備に勤しんだ
そしてしばらくしてその部屋と外界を繋ぐ唯一の扉が開いた
老人「おお、待っとっt...誰だ、お前は?」
老人はジトリとした視線を、自分の空間に侵入してきた男に向けた
その侵入者であるところの、犬飼恵介は言った
恵介「さて、それをこれから死ぬ人間に言う意味はあるのかな?」
老人「...まあここがバレたからには、ワシの命はないじゃろうな...」
そうして老人は会話しながら、男から見えないように体の陰で隠しながらあるボタンを押そうとした
だが押すよりも早く
タァン
犬飼恵介が銃で老人の足を撃ちぬいていた
老人「ぐうっ!」
恵介「しかしよく考えられたシステムだ...」
苦しむ老人を余所に恵介は会話を続ける
恵介「都の西北プロジェクト...自分達の学閥の人間を暗殺した暗殺者に対し制裁を加えるシステム」
恵介「手配書やギルドのデータベースを利用することで、その名前やどんな人間が暗殺対象となるかを広め、自分達に暗殺者が来ることを抑制しようとするとはね...」
しかし老人は返事を返そうともせずに、ボタンを襲うと左手を伸ばした
タァンッ
軽い銃声と共に今度はその左手が撃ちぬかれた
恵介「特に画期的と言えるのは暗殺者である都の西北を量産可能なものとした、あなたの教育システムだ」
恵介は左手の痛みに苦しむ老人も意に介さず、一方通行な会話を続けた
恵介「教育の際に催眠や薬物投与により、工業製品を作るかのように品質の高い暗殺者を製造する方法を確立した」
恵介「しかしその焦り方を見るに、やはりその教育法は隠匿していたようだな」
恵介「まぁ、それも当然か...おいそれと広めて自分の価値を下げるような真似はしたくないだろうしな」
恵介は老人が必死に押そうとしていたボタンに目を移す
恵介「おそらくそのボタンによって、その教育法が拡散するのだろうな。死ぬのならば最期にせめて自分の名を遺して死にたいということか」
老人「お前は何故ここに来た...やはり都の西北による暗殺のやりにくさを懸念してか?」
初めて成り立った会話に、恵介は淡々と答えた
恵介「いや、そんな大仰なものじゃない。ただ...」
恵介「お前らが娘に危害を加えたから、それだけだ」
老人「ハハハ...なるほど死神、犬飼恵介か...道理で」
老人「なあ、最期に聞かせてくれ。調整中だった二人目の都の西北はどうした?」
恵介「安心しな、すぐに逢えるさ」
そう言って、恵介は引き金を引き、老人の人生に幕を引いた
そしてそれにより、『都の西北プロジェクト』は完全に消滅した
アイキャッチ風単語説明
『白衣の老人』
都の西北プロジェクトの根幹となる教育法を作り上げた人間
その教育法完成以前から、人道を軽視し効率のみを追求する考え方で学会を追放されていた
しかしある大学が、それに利用価値を見出し保護
その縁から、その大学の学閥の人間を有利にするための都の西北プロジェクトが生まれる
ちなみに初代、二代目の都の西北はどちらもこの老人の実子であった
最初は女王様気質の、気の強そうなやつが同居人になったもんだと思った
でも一緒に過ごしていてすぐに気づいた
彼女のその態度はメッキのようなものなのだと
彼女の弱い部分を隠し、強く魅せるためのメッキであると
彼女の動機を聞いた時
自分と同じだという親近感を抱いた
しかし彼女の生い立ちを聞いた時(どこかのおしゃべり鳥が一方的に話してきた)
彼女とアタシの動機は、その意味合いが正反対だと気づいた
アタシは家族という鎖から一度は解放されたいと思いながらも、解けない結びつきを感じて黒組参加の動機に至った
だが彼女は家族という鎖が解けないよう、必死で繋ぎ止めるために黒組参加の動機に至った
そのことを理解してから、アタシは彼女の瞳から目が離せなくなった
彼女の瞳が寂しそうな色を浮かべるたびに、胸が締め付けられるように感じた
この気持ちが何なのか
その時はアタシもまた理解できていなかった
目覚めるとそこは白い部屋だった
春紀(知らない天井だ...)
まだハッキリしない意識で、そんなことを感じた
しかしアタシの意識はすぐに現実に引き戻されることとなった
伊介「あっ、春紀。起きたのね」
アタシの隣に備え付けられたベッドに腰掛け、伊介様がこちらを見ていた
春紀「………」
アタシはベッドから起き、伊介様と向かい合った
伊介「もう体は大丈夫なの?まったく...状況が状況とはいえいっつも無茶するんだから...」
アタシは目の前の彼女から、目が離せなくなっていた
今まで見慣れていたはずの伊介様が、何故か輝いているように見えたからだ
この時アタシは自分の気持ちをようやくハッキリと自覚した
春紀(ああ...アタシ、この人が好きなんだ...)
伊介「ちょっと春紀?まだぼーっとしt...っ!?」
気づけばアタシは、伊介様にキスしていた
不思議な感覚だった
ただ唇を合わせているだけに過ぎないはずなのに、幸せな気持ちが止まらない
いつまでも離したくないとさえ思っていた
伊介「ぷはっ...ちょっ!!ちょっと春紀!?ど、どうしたの///」
結局顔を真っ赤にした伊介様に引き剥がされ、キスは中断された
ちょっと物足りない
春紀「いや、一回目と二回目はさ、アタシの意識がハッキリしてない状態だったからさ...」
春紀「ちゃんとしたいと思って...」
伊介「...バカ春紀///」
なんだこの可愛い生き物
伊介「あっ、そ、そうだ!」
普段の伊介様らしくない慌てた様子で伊介様が言った
伊介「ア、アンタ!気絶程度で紛らわしすぎるのよ!」
う...そのことか...
あれは全面的にアタシが悪いんだけれども...
春紀「いや...だってしょうがないじゃん。死んだ経験なんて無いし、あの時はホントにヤバイと思ったんだからさ」
伊介「ダメ。許さない」
春紀「そこをなんとかっ!許してよ伊介様...」
伊介「2つ...」
春紀「2つ?」
伊介「2つアタシの言うこと聞いてくれるなら許す」
春紀「聞く!アタシに出来る範囲ならなんでもするよ!」
伊介「そ、そう...じゃあ1つ目は...」
そして伊介様はアタシの耳元に近づき、3文字の名前をそっと囁いた
「---」ボソッ
春紀「え?」
伊介「アタシの...伊介じゃない...もうひとつの名前」
伊介「アンタには...アタシの全部を知ってほしいから...」
伊介「二人っきりの時、時々でいいから...この名前で呼んで...」
春紀「ああ、分かった...ありがとう」ニコッ
また1つ、彼女の知らなかった一部を知れた
伊介「それと...もうひとつは...」
春紀「もうひとつは?」
伊介「も、もう1回...」
春紀「え?」
伊介「さ、さっきのをもう1回ってこと!こ、今度は引き剥がしたりしないから...」
彼女は顔を赤くしながら、そう可愛らしいおねがいをしてきた
あのキスで幸せな気持ちになっていたのは自分だけでないと分かり、それだけで心が満ちていくようだった
顔を寄せ耳元で、ついさっき知った愛しい人のもうひとつの名前を呟く
春紀「分かった。愛してるよ、---」
そして少しの間見つめ合ってから、またキスをした
互いの想いを、幸せを
より深く感じ合うために
揺れる想い 完
番外
ー病室の扉の外
伊介と春紀の病室の前では、二人の人影が中の様子を伺っていた
鳰「...あの二人、いつまでやってんスか...」
鳰はうんざりしたように呟いた
恵介「まあまあ、恋人同士の大事な時間だからね」
対照的に恵介は心の底から嬉しそうに言った
鳰「いや、でももう何十分キスしてんスか...さすがに待ってる方も疲れますって...」
恵介「ハハハッ、いや~パパにいっぱい報告してやらなきゃな♪」
うなだれる鳰を尻目に、シャッター音を消したカメラで二人の様子を撮りながら、恵介は満面の笑みを浮かべていた...
388 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/10/03 06:47:27.20 XUWslP/So 297/770これで今回の投下は終了です
次については以下の構想(という名の妄想)があります
・涼おばあちゃんの薬開発ネタ(4部構成で構想中)(他の状況説明とかが入ってるので優先順位高め?)
・涼香前日譚(クローバーホームから追われている状況の涼香の接触)
・日常編1(金星寮の部屋ごとの日曜日の過ごし方)
・日常編2(図書委員の娘の視点から見る同室ペアごとの図書館利用)
・ひつちたシリアス
・その他どうしようもない小ネタ
いつ、どれができるかは全く予想がつきませんので、読んでくれている方はどうか気長にお待ちください
それではどうもありがとうございました
397 : VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) - 2014/10/05 08:09:44.75 LfeTKkp60 298/770都の西北って名前に何か意味あるのか?
399 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/10/08 19:55:18.51 C0Ns/Nb9o 299/770投下します
>>397さん
都の西北は先に述べられた通り大学の校歌の名前です
これは「都の西北」という暗殺者が、「その名前と所業を広めることで、大学の学閥関係者への暗殺依頼そのものを控えさせることを狙いとした暗殺者である」という設定から、大学に由来した名前をつけようと思いつけた名前です
また一応、このお話はフィクションです実在の人物・団体とは一切関係ありません
また今回の短編はアニメ第4話に登場した図書委員の娘の視点となります
本編に出てはいますが、性格等オリ要素含みますのでご理解の程をお願いいたします
図書委員ちゃんの複雑な一週間
私は図書室という空間が好きだ
もちろん本そのものも好きなのだが、やはり図書室という静かでありながらもの寂しさを微塵も感じさせない、本を読むという目的を同じくした人だけで構成される空間、それを愛しているのだ
しかしそんな私と図書室に大きく影響を与える存在がある
それがこのミョウジョウ学園に設置された特別クラスである…
黒組の存在だ
月曜日
休日が終わり週始めということもあり、どこもかしこも忙しくなる曜日であり、またそれ故に憂鬱な気分になりやすく、最も自殺者の多いとされる曜日である
その忙しさは、たとえ学校の図書室であっても例外ではない
土日の内に読みたい本を見つけそれを探しに来た人、本の返却を忘れていて慌てて返しにくる人など他の曜日よりも多くの人がここに来ている
そんな忙しい日に黒組の内の二人がやって来た…
図書室に入ってきたのは、黒組の生田目千足さんと桐ケ谷柩さんだ
その二人を見て私は安堵のため息をつく
図書委員(良かった。『白』の方だった…)
黒組の人達は主に二人一組のペアを作って行動していることが多い
そうした6組のペアを、私は『白』と『黒』に分けている
『白』は図書室にとって問題がない、または少ない人達だ
普通に本を借りたり読書をするためにここに来る、図書室という空間を壊さない人達である
一方『黒』は図書室にとって有害・迷惑な人間だ
彼女達は時に大声を出し、時に奇行を取り、時に妙に目につく行動をしたりして、図書室という空間そのものを破壊してしまう唾棄すべき存在である
今回図書室に来たのは、生田目さんと桐ケ谷さんのペア
通称『天使と騎士(エンジェル・ウィズ・ナイト)』(命名者:私)と呼ばれているペアである
桐ヶ谷さんは高校生とは思えないあどけない容姿をしている
また幼さ残る無邪気な彼女の笑顔は、まるで地上に舞い降りた天使のようだと一部で言われている
生田目さんは桐ヶ谷さんとは対照的に、身長が高くスタイルの良い美人だ
また正義感が強く真面目な性格のようであり、王子様・騎士様と呼んでキャアキャア言っている下級生も少なくない
また生田目さんは桐ヶ谷さんと、多くの時間手を繋いで過ごしており、親密な関係であるようだ
そのため二人合わせたペアとしての人気も高い
そしてこの人達はまず図書室内で騒ぐということはない
本の利用も丁寧で、模範的利用者と言ってもいいくらいだ
故に彼女達は『白』なのだ
柩「千足さん、今日はつきあわせちゃってすいません」
今日は桐ヶ谷さんが本を借りるために図書室に来たらしい
千足「いや、いいよ。柩の行くところについていくのは当然だからな」ニコッ
図書委員(はうっ!!)ズキューーン
ううっ…私が直接言われたわけでもないのに、なんという王子様オーラ…
これを天然でやっているとしたら恐ろしいな、生田目さん…
柩「………」ジーーッ
その時の私は生田目さんに注目していて、天使とは程遠い虚ろな目をしてこちらを見る桐ヶ谷さんに気づいていなかった…
そうして二人はある本棚の前で止まった。
柩「あ、ありました。この本です。千足さん」
そう自分の背よりも少し高い位置にある本を指さし、それを取ろうと必死に背伸びをして手を伸ばした
柩「んっ…もう…ちょっと…」
千足「ほら、これだろ、柩」スッ
桐ヶ谷さんが本を取るのに難儀しているのを見て、すぐさま生田目さんはその本を取ってあげた
柩「ありがとうございます、千足さん!」
この二人は本当に仲が良い
なんというか…見ていて微笑ましくなるような光景だった
柩「じゃあぼく、この本借りてきますね」
そう言って桐ヶ谷さんは私のいるカウンターの方へテクテクと歩いてきた
柩「これ、お願いします」
図書委員「はい、返却は来週の月曜までにお願いします」ピッ
しかし私が貸出登録をし本を手渡しても、彼女は何故かその場から去ろうとしなかった
図書委員「どうかしましたか?」
柩「あの、あなたさっき、千足さんのこと、見てましたよね?」
私が尋ねると、桐ヶ谷さんがいきなり問いかけてきた
図書委員「え?はぁ、まあ…」
予想外の質問に困惑していると、桐ヶ谷さんは顔を近づけ私の耳元でそっと耳打ちした
柩「千足さんはぼくのものなんで、取ろうとか思わないでくださいね」ボソッ
そう一言言うと、彼女はまた元の無邪気な笑顔に戻り、生田目さんと一緒に図書室を退室していった
図書委員「………」
天使の知られざる一面をかいま見て、天使の素顔なんてものは知るものではないなと思い、また一つ大人になった気がした、そんな月曜日であった
火曜日
火の車を連想させるため一部の小規模なサービス業などでは定休日となっている曜日である
しかしながら、学校の図書室にいきなり火の車というほどまで多くの仕事が降ってくるわけもなく、私は昨日よりもゆったりとした心持ちでカウンターに座っていた
そんなゆったりした気持ちなど許すものか、という神の憎々しい声が聞こえるかのようなタイミングで、またも黒組の生徒がやって来た
今度の来訪者は武智乙哉さんと剣持しえなさんだった
図書委員(マズイな…『黒』の方か…)
決して表には出さずに、心の中で舌打ちをする
武智さんと剣持さんは今年になって良く一緒に過ごしているのが見られるようになったペアだ
以前は武智さんはすぐいなくなり、剣持さんも学園祭あたりから見えなくなった
しかし今年になって戻ってくると二人一緒に行動していることが多くなったようだった
武智さんはなんというか自分の感情に素直な人という印象を周りに持たれている
そこから本能のままに生きる動物のようだとまで言われている
また剣持さんは、去年はあまり人付き合いなどを好まないようだった
だが武智さんと一緒に過ごすようになってから、厳しいことを言いながらもどこか優しそうな目をするようになったと評判だ
そんな彼女達のペアは「キャット&ビターチョコレート」(命名者:私)と呼ばれている
動物のような武智さんと、それに対し厳しさと甘さを持った剣持さんを表している
もっとも、猫にとってチョコレートーー特にカカオの含有量の高いビターチョコレートは、食べると毒になるのだが…
しかしそんな彼女達は私にとって『黒』の存在である
しえな「ついてくるのはいいけど、お前読みたい本とかあるのか?」
乙哉「ううん、ただしえなちゃんを見てると面白いから来たんだ」
しえな「人を珍獣みたいに言うなっ!!」
乙哉「しえなちゃん、しーっだよ、しーっ!」
しえな「くぅっ…誰のせいだと…」
これである
武智さんは終始音量を小さく保ちながら剣持さんに話しかけている
しかし話す内容が剣持さんをおちょくる内容であり、それに剣持さんは反応して大声を上げてしまうのだ
図書室の空気を乱す実行犯は剣持さんだが、その根本の原因は武智さんにある
なので剣持さん単体では、図書室にとって大人しい利用者にすぎない
また武智さんも誰かれ構わずこういうことはせず、どうも剣持さんにだけやっているようだ
しえな「なんでお前は図書室に来るといつもボクにちょっかいかけてくるんだよ…」
乙哉「え~、だってしえなちゃんが怒ったり慌てたりする顔見るのって、なんか楽しいんだもん」
しえな「そんな楽しみは見出さないでくれよ…」トホホ
様子を見るに、どうも武智さんは剣持さんをからかうことに妙な楽しみを見出しているようだ
こちらとしても迷惑な話だ…
しかし、何故かからかわれている剣持さんには奇妙なシンパシーを感じてしまう
図書委員(言っても聞かない人っているからなぁ…)
心の中で「剣持さん五月蝿い」と「剣持さん頑張れ」という2つの矛盾した思いを抱えたまま、火曜日もまた図書室での時間は過ぎていった
水曜日
水に流れると言う言葉から不動産業者などの契約を業務としている業種が定休日としている曜日であり、また東方正教会ではユダがキリストを裏切った曜日として、食事や行動を制限して静かに祈ることを増やす曜日でもある
私も2日連続で黒組の生徒と関わり、疲れた気分を水に流して、祈りを捧げるように静かに読書にふけりたいと願っていた
だが二度あることはなんとやら、また彼女達の内の一組がやって来たのだった
しかし私はその二人を見て、むしろ熱烈歓迎という四字熟語で表される心情となった
混沌としている黒組における『白』の象徴!
首藤涼さんと神長香子さんが来てくれたのだから
首藤さんは常に学生とは思えないほど落ち着いた空気を纏っている人だ
少々失礼だが口調の影響も相まって、四字熟語で表すならば老成円熟とおいう言葉が似合うように感じる、少しミステリアスな面も持った人として捉えられている
一方神長さんは眼鏡で真面目な優等生という、見かけを全く裏切らない性格をしている
多少生真面目すぎて空回りすることもあるようだが、努力家な彼女には、それすらも一周回って彼女の魅力となっている気がする
彼女達は『静謐なる刻(せいひつなるとき)』(命名者:私)と呼ばれる、黒組きっての良識派だ
彼女達はいつも静かに本を選び、互いに別な本を読みながら過ごしている
しかし二人の間に流れる空気は自然でどこか暖かで…
そしてその空気が図書室全体に広がってゆくのだ
それにより図書室はいつもより静かに、しかしより心地良く読書の出来る空間となるのである
この二人が来ることで、図書室は更に上の段階へと至ると言っても過言ではない
彼女達はそういう存在なのだ
だが…!
ああ…なんと言うことだろうか…!
彼女達は本を借りて、すぐに図書室を出て行ってしまったではないか…!
私は妙なテンションになりながら、二人の退室を嘆いた
だがこの時の私は愚かにも考えていなかった
黒組の生徒が一組しか来ないと必ずしも決まっているわけではないということを…
彼女達の来訪はすぐに気がついた
先に挙げた『静謐なる刻』のペアが図書室全体の空気に影響を与えるように、彼女達もまた周囲に影響を与えるペアであるからだ
だがしかし、彼女達ーー犬飼伊介さんと寒河江春紀さんは紛れもなく…
『黒』であった
寒河江春紀さんはその明朗とした性格で人を明るくさせる印象を持たれている
また運動神経が良く、スラリとした体躯が健康美を醸し出している
また人の世話を焼くのが好きなようで、下級生からの人気が特に高い人だ
一方の犬飼伊介さんは…なんというか見たままの人として捉えられている
要するに、エロい
いやらしいことをしている様子を、誰かが直接的に見たわけではない
だがしかし彼女の立ち居振る舞い全てに妙な色気が存在しているのだ
私的に彼女を表現するのならば、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は薔薇の花」と言ったところか
とにかく学生とは思えない色気のある人である
この二人はそれぞれ単体で見ても非常に魅力的であり、それぞれ人気が高い
しかし彼女達の持つ魅力・色気は、二人合わさった時何倍にも膨れ上がる
ミョウジョウ学園裏組織である、黒組ファンクラブで秘密裏に行われた人気ペア投票において、ダントツの一位を達成したことからもそれが伺える
そのため彼女達は『性なる赤色(セクシュアル・レッズ)』(命名者:私)と呼ばれている
伊介「春紀、今日は何の本借りに来たの?」
春紀「ん?ああ、ちょっとDIY関係の本を探しててさ」
伊介「DIYって…何か作るの?」
春紀「ああ、ちょっと本が増えてきたからさ。本棚でも作ろうと思って」
春紀「ほら、この本に載ってるみたいなやつ」
伊介「へ~、確かに最近春紀いろんな本読んでたものね」
春紀「もちろん、伊介様のも作るよ。最近伊介様も本増えてきたからな」
伊介「や~ん、春紀愛してる♥」
この僅かな会話の間で彼女達は、軽度なボディタッチ3回、肩を抱き寄せる1回、頭を撫でる1回、抱きつき1回をこなしている
なんというか、思春期の学生達に見せて良いものなのだろうか、疑問に思ってしまうほどである
それに加えて最近は二人の親密度がさらに上がったように見える
一部ではそれこそ遂に超えてはならない一線を超えたのではないかという噂もあるくらいだ…
そのくらい彼女達の創りだす空気は…ピンク色だった…
『性なる桃色(セクシュアル・ピンク)』への変更も考慮に入れなければならないかもしれない…
そしてこの二人の作る妙な空気は、図書室という空間には絶対的に相容れないものだった
というか気が散るったらありゃしないっ!!
彼女達の周囲で、もう読書に集中できている人間はいない
というかみんな彼女達のことが気になって、チラチラ盗み見ては本に目を戻しという、不審者のような行動をを取るようになってしまっている
そんな彼女達を見て、私は心の底から思う
図書委員(いいから出てけっ!!余所でやれっ!!)
人々の集中力と、私から図書室という憩いの空間を奪う簒奪者に対して、上げて落とされた気分の私は、そう思わずにはいられなかった
そんなとても忙しい水曜日だった
木曜日
英語では北欧神話の雷神トールにちなんでThursdayという名前が付けられているという曜日だ
昨日の件で私の中のイライラは最高潮になっており、いつ黒組に雷を落としに行くかわからないレベルであった
そしてもはやお約束とでも言うかのように、またも黒組からの来襲者がやって来た
今回やって来たのは英純恋子さんと番場真昼さんだ
以前私は黒組の生徒を『白』と『黒』に分けた
しかしその例外とも言うべき存在がこの英さんと番場さんのペアである
表現するのならば、『グレー』という色になる
グレーとは白色でもなければ黒色でもないどっちつかずの色であるが…
このペアに関しては、『白』でもあり、『黒』でもあるから、『グレー』なのだ
英さんはあの英財閥のお嬢様だ
そして良家のお嬢様というイメージをそのまま体現したような人である
淑やかであり、しかし貴族的な華やかさを併せ持つまるで少女漫画に出てくるキャラクターのような存在だった
一方番場真昼さんは非常に大人しい人だ
顔にある傷跡が目を引くが、それでもなお彼女はその小動物のような振る舞いから、守ってあげたいという密かなファンを大量に作っている存在だった
純恋子「真昼さん、今日は私の料理の本探しに付きあわせてごめんなさいね」
真昼「い、いえ…私も…その、手伝いたいと…思ってますし…」
純恋子「ありがとうございます、真昼さん」ニコッ
そう…普通の状態であるならば、彼女達は『白』なのだ…
私がそう思っていたところ、番場さんのおなかから可愛らしい音が響いた
真昼「…///」
純恋子「あら、番場さんお腹が空いてましたのね。これは急いで戻りませんと…」
真昼「ち、違うます!!こ、これはおなかの音なんかじゃ…あっ…」
と、いきなり話の途中で、番場さんがカクンとうなだれた
そして…
真夜「ヒャッハーッ!!純恋子ぉ、真昼のやつは嘘ついてんぜ!真昼は今腹が減って減ってしょうがねえんだ!!」
純恋子「あら、真夜さんがそう言うのなら、やっぱりお腹が空いてましたのね。それでは帰ってお茶会にしましょうか」
真夜「おう!真昼のためにもそうしてやってくれ!」
いきなり、それこそ人が変わったように番場さんはハイテンションになった
英さんはその番場さんの変化にも全く動じること無く会話を続けている
つまりこれが彼女達の日常なのだろう
しかしこの状態になった番場さんは、かなりの大声で話すために、図書室という空間にはそぐわない
つまりこの状態になると、彼女達『黒』となるのだ
この番場さんのテンションの変わり様から、番場さんはもしかして二重人格なのではないかという噂が立っている
しかし彼女がどちらの状態であっても、英さんは変わらず一緒にお茶会を開いては歓談しているようだ
英さんにとっては番場真昼さんも、彼女曰く番場真夜さんも同じく大事な存在なのだろう
そういうことから彼女達は『同一の茶会(アイデンティティータイム)』(命名者:私)と呼ばれているのだった
そうして図書室から嵐は過ぎ去った
だけどいつのまにか私の中には、お茶を飲んで優雅に読書をしたいという欲求が芽生えていた
そして飲食禁止という図書室の決まりを、ほんの少しだけ恨めしく思いながら、また読書に気を注いで木曜日も過ぎていった
ー英純恋子による番場さん説明会
純恋子「はい、ここで話の途中ですが番場さんの中の人格について説明させていただきます」
純恋子「10年黒組解散後、自分なりに過去に決着をつけた真昼さんは、もう夜になったからといって真夜さんに変わらなければいけないということはなくなりました」
純恋子「そして心の中で二人の人格が共存し合った結果、いつでも自由な時に人格を交代できるようになったのです」
純恋子「またさらに私の料理の研究によって、太りにくいお茶菓子でのお茶会の開催が可能となりました」
純恋子「それにより、私達は3人で、楽しくお茶会を行うことが出来るようになったのです。素晴らしいことですわね」
ー説明会終了
金曜日
イスラム教における集団礼拝の曜日として、「集まる日」と呼ばれている曜日であり、また言わずと知れた花の金曜日である
あと聞いた話では海上自衛隊では金曜日はカレーを食べるのが慣習となっているらしい
図書室では今日から休日にかけて優雅な読書を楽しむために、多くの利用者が集まっている
また中には、楽しい休日を過ごすために、宿題を終わらせるという目的でここに来ている者もいる
今回黒組でやって来たのは、そんな二人であった
黒組の東兎角さんと一ノ瀬晴さんだ
東兎角さんはクールで凛々しいことで評判だ
髪がショートで男性的な振る舞いも多いことから、女子の間での人気は高い
しかし彼女を語る際に欠かせないのはカレーについてだろう
東さんは一ノ瀬さんと共に寮から通っており、食事は食堂を利用している
しかしそこで未だかつて誰も、東さんがカレー以外を食べているのを見たことがないと言われている
さらに食堂のメニューに今年から異様にカレーが増えたのも、東さんの仕業ではないかというまことしやかな噂まで流れるほどである
一方一ノ瀬晴さんは明るく可愛らしい性格をしており、人懐っこい笑顔をする人だと言われている
また性格は多少天然気味なところがあり、兎角さんを引っ掻き回すことも多いようだ
しかしそうした行動も不思議と許せてしまう、いわゆる愛されキャラという感じの人だった
彼女達は最近『白』になりつつある黒組だ
一年前などは、一ノ瀬さんが事ある毎に感動を受け騒ぎたて、正直かなり苛ついた記憶がある
彼女にとっては、何気ない普通の学園生活が、何か特別なもののように感じられていたようにその時は思った
だがあれから一年が経ち、一ノ瀬さんも随分落ち着いた様子が板についてきた
彼女にとって特別だった何かが、だんだん日常になりつつあるのではないか
良く彼女のことを知りもしない私だが、そんなふうに思ってしまった
彼女達を並べてみると、東さんが王子様で一ノ瀬さんがお姫様という印象を強く感じる
実際ある日まではそれが定説であった
しかし私はっ!
あの日見てしまったのだっ!
そんな定説を覆しうる光景をっ!!
あの日は天気も程よく風も穏やかで、心地良い気候の日だった
そんな中私は爽やかな風を受けながら、外で読書をする時いつも利用するベンチへと歩いていた
しかし私がそのベンチの元へついた時、そのベンチは既に他の人に使われていた
だがそれを見た私に残念さなどの負の感情は芽生えなかった
何故ならそのベンチを使っていたのは東さんと一ノ瀬さんだったからであり、さらに…
一ノ瀬さんが東さんに膝枕をしていたのだから
これだけでは兎角王子と晴姫様の定説は揺るがないだろう
しかしその時一ノ瀬さんが寝ている東さんに話しかけたのだ
晴「いつもありがとう、兎角」
なんと呼び捨てでっ!
しかも愛おしそうに髪を梳きながらっ!!
この瞬間、私の中の彼女達の呼び名が決まった
そしてそのことを着々と広めることで、彼女達は『互いが互いの王子様(プリンス・プリンス)』(命名者:私)と呼ばれるようになったのであった!
……なんだか無駄に熱く語ってしまった気がする
妙な考えに熱中していて自分の読書がまるで進んでいないことに、その時私はようやく気づいたのだった
見ると東さんと一ノ瀬さんは宿題を終え、帰り支度をしているところだった
そして先に支度を終えて待っていた一ノ瀬さんが、東さんの手を引きながら
晴「さあ、帰ろう、兎角さん!」
と満面の笑顔で導いた
その笑顔はなぜか去年とは違う、明るい未来を感じさせる印象の笑顔だった気がした
兎角「ああ、そうだな」
一方手を引かれる東さんも笑顔を返しながら短く答えた
その笑顔もまた、去年とは違う優しさがに満ち溢れた笑顔だった気がした
そうした彼女達の日々の微かな変化を感じ、暖かな気分で週を締め括れた金曜日だった
さて図書室ももう閉室の時間となった
私は図書委員として最後の点検をし、図書室から出てその扉に鍵を閉めた
今週は毎日黒組の生徒が来るという、図書委員としてはまったくもって大変な日々であった
しかし図書室を出て図書委員ではなくなった状態、すなわち…
黒組ファンクラブのNo.3としては、非常に有意義な一週間だったと私は一人思うのだった
図書委員ちゃんの複雑な一週間 完
ー番外
土曜日
かつて官公庁や学校で、午前中は通常どおりで、午後だけが休日であるいわゆる『半ドン』が行われていた曜日だ
その名残からか今日も午前中だけであるが、図書室は開いている
しかしながらいくら図書室が好きな私でも、常に図書室にいるわけではない
そうでなくとも週5日カウンターに立つのは働き過ぎだと、他の図書委員から心配されるレベルである
だから私は土曜日だけは図書室へ行かず、自分の部屋で読書や物思いにふけるのだった
読書の途中に私はふと思った
こうして思い返してみると、黒組のメンバーが一週間で全員来るとは、やはりとても珍しい一週間であったな、と
しかしここで私は、奇妙な違和感を感じた
ーー黒組って、13人のクラスだったような…?
そんな細やかな疑問が浮かんだが、結局私はすぐにまた読んでいる本の内容に気が移る
そうやって取り留めのないことに時間を費やす、穏やかな土曜日だった
鳰「はいはい、どうせウチだけ二人組も作られず、ぼっちですよーだ」
どこへ向けて言ったのかわからない、走り鳰の孤独な呟きは、7号室の空気を少し揺らして静かに消えていったのだった
442 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/10/08 20:43:18.01 C0Ns/Nb9o 342/770今回の投下は以上となります
また私自身書いていて説明が足りなかったかなと思う点があるということもありますので、疑問点など書いていただければ、できるだけ答えていきたいと思います(返事は遅いですが…)
それではどうもありがとうございました
452 : VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) - 2014/10/11 17:41:45.02 VEMSZyB50 343/770>>442
>>421で薔薇の花ってあるけど百合の花じゃなかったっけ
それとも綺麗な薔薇には棘があるって言うのとかかってるのかな?
454 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/11/01 19:32:13.32 Ukq9ZZ6Po 344/770>>452さん
勿論正しい表現は『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』であり、芍薬と牡丹が美しさを、そして百合が清楚さを表し、美人を指す言葉として使われています
しかし図書委員ちゃんは百合を薔薇に代えることにより、伊介様が清楚さよりも美しさが際立った美人であるということを指している、という裏設定です
また牡丹の色は牡丹色というピンク色の一種があるようにピンクが有名です
芍薬(特に西洋芍薬)も明るいピンク色が多い花です
そのため伊介様を表現する際には、白のイメージが強い百合よりも、赤のイメージが強い薔薇で色調を統一したほうがよりふさわしい、と彼女が思ったためにこの言葉で伊介様を表現したと思って下さい
あと薔薇の棘までは考えていませんでした。確かに図書委員ちゃんから見た伊介様のイメージなら、その意味も含めて薔薇という言葉を使ったかも知れません
まあ春紀さん相手には有って無きが如しの棘ですけれど
呼び方が変わるまで
ー黒組再結成初日
ー金星寮6号室
純恋子「これから2年間、またよろしくお願いしますね、番場さん」
真昼「は、はい…こちらこそ…です、英さん」
真夜「オレからもよろしくな、純恋子!」
純恋子「ええ、こちらこそ、真夜さん」
真昼(あ…あれ…?そう言えば…)
真昼(今気づいたけど、真夜は英さんと名前で呼び合ってるのに、わたしは苗字でしか呼び合ってない?)ガーン
真昼(だ、だからどうだという訳でも無いんだけど…ちょっと…)
真昼(イヤ…かも)
真夜(へ~)ニヤニヤ
真昼(あっ、真夜!?い、今の聞いてた!?)
真夜(おうっ!バッチリなぁ!!)
真夜「おぅい、純恋子!!何か真昼が言いたいことあるらしいぜぇ!!」
純恋子「はい?なんですか?」
真昼「ち、ちち、違います…!これは真夜のデタラメで…!」
真夜「デタラメ言ってんのは真昼の方だろ」
純恋子「え、え~と?」
真夜「純恋子、お前オレのことをいつもなんて呼んでる?」
純恋子「それはもちろん「真夜さん」ですわ」
真夜「じゃあ、真昼のことはいつもなんて呼んでる?」
純恋子「それは、番場さ…ああ、なるほど。そういうことでしたか」クスクス
真夜「ああ、そういうことだ」ニヤニヤ
真昼(あ…あう…///)
真夜「ほれ、引きこもってないで出てこいよ!後は任せるからよ!」
真昼「ま、任せるって、真夜!?真夜っ!?あっ…!」ハッ
純恋子「…」ニコニコ
真昼「あ…ううう…///」
純恋子「番場さん、私としては名前で呼ぶことに、全く問題はありませんわ」
純恋子「むしろ今まで苗字で呼んでいたことを、謝りたいと思うくらいです」
真昼「じゃ、じゃあ…」
純恋子「ですがここは一つ、条件を出させて頂きますわ」
真昼「じょ…条件…?」
純恋子「それは、私を名前で…「純恋子」と私のことを呼ぶこと、ですわ」
真昼「!?」
純恋子「そうして頂ければ、すぐにでも喜んで、私からも名前で呼ばせていただきますわ」ニッコリ
真昼「え!?え、えと、あの英さん?」
純恋子「何ですか、「番場さん」?」
真昼「う…あ…うう……」
真夜(純恋子のヤツ、結構意地が悪いよなぁ…)ニヤニヤ
真昼「あ…あの!」
純恋子「はい、何ですか?」
真昼「す…すみ…///」
純恋子「……」ニコニコ
真昼「す、すみ…れこ…さん…///」
純恋子「はい、よく出来ましたわね、真昼さん」ニッコリ
真夜(ああ、頑張ったな真昼♪)
真昼「これから真夜は、一週間するめ禁止ね」プクーッ
真夜「お、おい!?それはねーだろ、真昼ぅ!!」
純恋子「では改めまして、これからよろしくお願いしますね、真昼さん♥」
真昼「こちらこそ…よろしくです…純恋子…さん///」
呼び方がほんの少し変わっただけ
ただそれだけなのに、例えようのない幸福感を私は感じていた
呼び方が変わるまで 完
465 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/11/01 19:41:56.54 Ukq9ZZ6Po 354/770今回はこれで終わりです
現在書いている話も、7割がた出来てきたので近日中に投下できると思います
それではこれで失礼いたします
四つ葉の誓い
この内容は、オリ設定等を含みます
またネタバレも有るかも知れません
どうかご了承下さい
3月中旬
もう半ば春に入っているとはいっても、まだ深夜の空気は冷たく肌寒い
そんな中、町外れの貸コンテナ場に、神長香子はいた
貸コンテナは通常、自宅に収まらない物や季節物、防災用品などを収納するために用いられるものである
しかし香子は何かを収納するためにここにいるのではない
いや、強いて言えば神長香子自身を保管しておくためにこの場所にいると言えるかも知れない
つまるところ神長香子は、
現在この貸コンテナに住んでいる
通常貸コンテナに住むということは難しい
貸コンテナそのものが居住用に調節されない限り、長時間中に滞在するのに適さないものであるというのが理由の一つである
また貸コンテナの貸主が通常は長時間の滞在を許可しないということもある
貸コンテナは24時間カメラでチェックされており、人が入ったまま長時間出てこないということになれば、警備員に探し出されつまみ出される
防犯上の理由からも貸主は貸コンテナに住む許可など与えないのだ
だが香子の住んでいる貸コンテナは、まずそもそもの前提が違っている
この貸コンテナは住居として貸し出されているのだ
しかしそれはもちろん表立った商売ではない
ここの貸コンテナの貸主は、貸コンテナの一つを裏の人間のセーフハウスとして提供しているのだ
そのため、外部からは全く分からないようにしてあるが、そのコンテナは居住性を高める改造が施されており、電気やネット回線すら通っている
それはもはやコンテナではなくホテルと形容するべき空間であった
そしてそこに神長香子は滞在していた
香子は今、とある組織と戦争をしている
相手からすればそれはただの、裏切り者の始末に過ぎないのかもしれない
しかし香子にとってこの戦いは、紛れもなく戦争であり、
革命である
彼女と対立している組織ーー『クローバーホーム』は、香子が元々在籍していた組織である
香子は10年黒組を経て、暗殺者をやめることを決意した
しかしクローバーホームは、それを許しはしなかった
裏切り者に待つのは死あるのみ
クローバーホームを裏切り、無事に済んだ人間などこの世にはいない
そのため香子も日夜クローバーホームからの追手に追われていた
現にその日も二人の追手を撃退した後であった
そうして心身ともに疲れ果てた香子にとって、この貸コンテナで過ごす時間は、数少ない憩いの時だった
香子はお茶を入れ、ソファに座りながら心と体を落ち着かせる
ビィー---ッ!!
だが鳴り響くアラームの音がその休息の時の終わりを告げる
深夜にこの貸コンテナ場に侵入した人間がいることを知らせるアラームだ
その音を聞くや否や、香子は部屋の奥にあったモニターを起動させた
像を結んだモニターには、この貸コンテナ場に仕掛けられている監視カメラの映像が表示されていた
香子はモニターを確認しながら、武器を準備し、緊急脱出時の荷物を手元に置いておく
香子(この場所もついに、ホームにバレてしまったのか…?)
だが緊迫しながらモニターをチェックしていた香子の目に、予想外のものが映った
香子「何でこいつがここに…」
驚愕する香子の目線の先にあるモニターには、かつての黒組時代のルームメイト、首藤涼の姿が映し出されていた
涼「いやー、久しぶりじゃのう、香子ちゃん」
あれから程なくして、首藤は私の住んでいた貸コンテナの前へとやって来た
しかもその後、呼び鈴の代わりだとでも言うかのように強めにノックすると、挙句の果てに「こんばんはー、香子ちゃん居ますかー?」などと大きめな声で確認してきた
下手に居留守を使って声を出し続けられても、この貸コンテナ場のことが噂となり、このセーフハウスのことがホームに気付かれる危険性がある
そして何より、短い期間ではあったが同じ部屋で過ごしたてめ、こいつはホームの手先となって動く人間ではないだろうと、感覚的に思ったということもあり、結局私は首藤をこの部屋の中に招き入れた
久しぶりに会った首藤は、やはり前に会った時と全く変わらぬ容姿で朗らかに笑っていた
仮初めの学園生活とはいえ、級長を務めたこともあり、変わらず元気そうな姿に安心する
だが、一つどうしても確認しなければならないことが有った
香子「首藤、お前は何故この場所を知っていた?」
貸コンテナ場からこの特別なコンテナに来るまでに、首藤の足に迷いは無かった
即ちそれは、彼女は私がここにいるということを予め知っていたということである
この場所に私が居るという情報が何らかのルートで知れ渡っているのだとしたら、すぐさま次の住居を探さなければならない
これは重大な問題だ
だが首藤は何でも無いことのようにサラリと言った
涼「ん?走りに教えてもらったんじゃよ」
香子「走りというと…黒組の出席番号10番の走り鳰のことか?」
涼「そうそう」
走りと言うと…黒組で裁定者として参加していたあの胡散臭いヤツか…
アイツと首藤がどういう関わりなのかはまだ分からないが、問題は走りがこの場所のことをどうやって知ったかだ
そのことを首藤に尋ねると、首藤は少し困ったような表情を浮かべながら答えた
涼「なんでもアイツはあの「西の葛葉」の人間らしくての。術などを駆使して情報を引き出したらしいのう。本人曰く、『痕跡は全く残してないんで安心して下さいっス』とのことじゃが…」
香子「そうか…」
なるほど、首藤の先程の表情にも納得がいった
走りが「西の葛葉」の人間だとか、痕跡は全く残していないという情報は重要でない
要は走り鳰という人間を信じられるかということだ
そしてその答えはNOである。残念だがこのセーフハウスとは今日までの付き合いとなるようだ…
香子「それで…お前は一体何をしに来たんだ、首藤?」
そして私は、次に気になっていた質問を投げかけた
涼「ああ、それはのう…」
涼「香子ちゃんを助けに来たのじゃ」
だが首藤から返ってきたのは、予想外で意味不明の、奇天烈な返答であった
香子「私を…助ける?」
どういう事だ…?まるで意味が分からない
困惑する私に首藤は言葉を続けた
涼「とは言ってもそれは最終的な結果に過ぎん。まあ具体的に何をしに来たのかと言うならば…」
涼「再結成した黒組に参加しないかと誘いに来たいうことじゃ」
香子「黒組の…再結成…?」
涼「そうじゃ。前回の最終勝利者である晴ちゃんが、『もう一度黒組の人間達で、しかし今度は普通の学園生活を過ごしたい』というように願ったらしくってのう」
香子「一ノ瀬が…なるほど…」
結局前回の黒組は一ノ瀬が勝利したのか。願いも非常に彼女らしい願いだ
香子「だが何故お前がそれを伝えに来るんだ?」
涼「いや、わしのところには走りのやつが来たんじゃよ。まあわしは参加に承諾したんじゃが、走りは時間がないということでの。香子ちゃんの説得はわしに任せるということで、香子ちゃんの居場所だけを伝えて他の者の説得に行ったようなんじゃ」
香子「なるほど…確かに他の連中も一筋縄ではいかない連中だからな…時間も掛かるか」
涼「ちなみに香子ちゃんの居場所の調査が今の所一番時間がかかったとのことじゃ」
私も含めて、の話だったか…
涼「更に詳しく説明するとな、黒組参加の際には報酬、というよりは見返りじゃが、それが支払われるとのことじゃ」
涼「報酬の内容は黒組の面子ごとに異なっているようじゃ。香子ちゃんへの報酬は、黒組で居る間のクローバーホームからの保護。ミョウジョウ学園とそれを取り仕切る一族の力を用いて、香子ちゃんを追手から開放するということじゃと、走りから伝え聞いておる」
涼「さて、どうじゃろう?この条件で参加する気にはなったかのう?」
黒組に入れば今のように衣食住に困ることもなくなり、生活も楽になる
そして何より人殺しから解放された生活を送ることが出来る
それは私が願った夢の実現であり、断る理由など存在しないように見える
だが…
香子「私の…答えは…」
「「断る」」
涼「じゃろう?」
首藤は得意げそうな顔で、私の答えと全く同じ言葉を同時に告げていた
香子「…何故分かったんだ?」
涼「走りから、最近の香子ちゃんの活動内容を聞いておったんでのう…」
香子「そうか…」
涼「香子ちゃんは最初はクローバーホームの追手から逃げ切り、暗殺者をやめることを目標とした行動を取っておった」
涼「しかしここ最近の行動はより攻撃的。これは逃げ切るための行為というよりはむしろ…」
香子「そうだ」
香子「私は今、クローバーホームを滅ぼすために戦っている」
涼「やはりな…どうしてか、理由を聞いてもいいかのう…?」
香子「…気づいたからだ」
涼「気づいた?」
香子「ああ…私の面倒を見てくれた、イリーナ先輩の…その遺志にな…」
香子「イリーナ先輩は私が子供の頃の教育係だった人だ」
イレーナ先輩の顔を思い出しながら、私は語る
香子「当時から何かと不器用だった私を、何故か気にかけていてくれてな…私もそんなイリーナ先輩の期待に応えようと必死に努力した」
香子「そして私は成長すると、イリーナ先輩からの希望もあって、イリーナ先輩とコンビを組んで仕事をするようになった」
香子「イリーナ先輩はよく私に言っていた…『お前には私の後を継いでもらう』と」
香子「私は当時その言葉の意味も良く分からないまま、ただ信頼されていると感じて喜んでいた」
香子「そうして二人での仕事もある程度慣れてきた時だった。イリーナ先輩が…」
香子「奴らに殺されたのは…ッ!!」
涼「…!!」
私は更にまくし立てる
香子「最初にイリーナ先輩が亡くなった時、それは自分のせいだと思った」
香子「何故ならイリーナ先輩の直接の死因は、私が暗殺対象を殺すために仕掛けた爆弾だったからだ」
香子「私が仕掛けた爆弾が、私のミスのせいで誤爆して、イリーナ先輩が死んだ…」
香子「ホームからはそう判断されていたし、私自身そう思っていた…」
香子「アイツの…!!あのシスターの話を聞くまでは…!!」
私は当時の事を思い出し、顔が歪んでいくのを抑えられなかった
香子「私はホームから完全に逃げるために、ホームの幹部であるシスターを追い詰めることにした」
香子「幹部の身柄を利用して交渉することも可能だし、私に手を出すことが幹部にまで被害をもたらすということを伝え、追及の手を止めさせようとしたからだ」
香子「以前の私であればそんなことは夢物語に過ぎなかったが、ホームの追手に追われながらの生活が皮肉にも私を強く鍛えあげていた」
香子「結果私は、シスターの護衛を倒し、シスターと一対一で話し合うことが出来た」
香子「だがそれで得られたのは、残酷な真実のみだった…!」
ー回想
ーとある教会の一室
香子「お久しぶりです、シスター」
シスター「…っ!!神長…香子っ…!!」
香子は古い教会のある一室で、クローバーホームの幹部たる老シスターと対峙していた
その足元には、二人の少女が倒れ伏している。シスターの護衛であり、香子が排除した二人であった
香子「ええ、あなたには大変お世話になりました。その教えに基づいて、抵抗する場合は容赦なく打ちます」
香子の銃口は老シスターに向いており、引き金に指がかかっている
シスター「あんなに使えなかったあなたが、何故これほどの力を…」
香子「それもまたあなたのおかげなのでしょうか…あなたが差し向けた追手が、私をここまで強くしてくれました」
香子は銃口を向けると同時に、首に掛けた十字架を左手に握りながら、シスターに迫った
香子「これ以上私に関われば、さらなる被害をホームに与えます。追手の手配を止めなさい」
だが香子のこの言葉に対し、老シスターはいきなり大声で笑い出した
そして香子にとって信じ難い一言を放った
シスター「アッハッハッハ、止めるわけがないでしょう。裏切り者には、イレーナと同じ運命を辿ってもらいますよ!」
香子「……待て、今何と言った?」
シスター「ああ、やはりあなたは気づいていなかったのですね。イレーナがホームの裏切り者であるということに」
香子「違うっ!!今お前は「同じ運命を辿ってもらう」と言った!!まさかあの事故は…!!」
シスター「あらあら、呆れた…あの事故の真相に気づいたからこそ我々を裏切ったのだと思いましたが、まだ気づいてすらいなかったとはねぇ…」
シスター「しかしそれでも結局裏切るとは…イレーナの選んだ人間なだけありますね」
老シスターは蔑みの視線と共に醜悪な笑顔を浮かべながら話し続けた
シスター「では何も知らない憐れな子羊たるあなたに説明してあげましょうか」
シスター「イレーナは優秀な暗殺者ではありましたが、同時にホームの思想を疑問視する危険人物でもありました」
シスターは当時のことを思い出しため息をつく
シスター「その程度であればまだ良かったのですが、そのうち彼女は行き過ぎた行動を取るようになりました」
シスター「彼女はホームの同胞たちを、敵の手に掛かり殺されたと称し、その裏でホームからの脱走を手引していたのです」
シスター「彼女は隠しながらやっていたようですが、ホームの目は誤魔化せません。幹部たちによる話し合いで彼女への処刑が決定いたしました」
シスター「しかしながらただ殺したのでは、まだ表面化していない不穏分子達が第二の彼女となり得る可能性がありました」
シスター「そこで好都合だったのが、あなたの存在ですよ、神長香子」
香子「…っ!!」
老シスターの皺にまみれた顔が、醜悪な笑みと交わり不快な模様を描く
シスター「あなたの不器用さはホーム内に知れ渡っていました。もちろんイレーナと特に仲が良かったということも」
シスター「それにあなたは意識して無かったでしょうが、イレーナはあなたを自分が死んだ後の反ホーム派の後継者として見ているようでした」
シスター「そんなあなたが、誤ってイレーナを殺してしまう。これには多くの不穏分子達が絶望の悲鳴を上げたことでしょうね」
くっくっと笑う老シスターを前に香子は怒りを抑えきれない様子だった
香子「貴様ァ!!」
シスター「あらあら、あなたは冷静なようで一度頭に血が上ると、周囲が見れなくなりますね…」
シスター「ほら、ちょうど今のように」
香子「っ!?」バッ
香子はその言葉に反応し周囲を見渡す
香子(バカな…気配など感じなかったぞ…!)
今や歴戦の兵と化した香子に気配などを感じ取れなかったのには理由がある
何故なら香子の周囲に、変化など何も存在していないからである
シスター(かかりましたね)
老シスターは更に不敵に笑みを浮かべる
『ミスディレクション』
老シスターの言葉は、香子に周囲を見渡させ、視界を撹乱させるためのブラフである
もっと言えばこのミスディレクションは、香子にイレーナの話を聞かせたことから始まっている
相手が耳を傾けざるを得ない話題を語り、自分の語る言葉に集中させた
そしてその話に集中している状況を利用して、周囲を確認させるよう扇動したのだった
香子は老シスターの技術にかかり、戦況は一気に老シスターの側へと傾いた
この駆け引きの技術こそ、クローバーホームで幹部にまで上り詰めた一因であった
だが戦いとは必ずしもその場の機転が勝敗を定めるのではない
古代中国の諸子百家の内の一つ「兵家」
その代表とされる孫子の兵法では以下のことが述べられている
『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む』
勝者とは戦う前から勝利しているものなのである
戦いは香子と老シスターが退治した瞬間から始まっていた
そして戦う前から勝利していたのは、香子の方だった
香子はシスターと対峙している間、右手で銃を構えながらも、片時も左手を十字架から離さなかった
正確に言えば十字架の裏に隠し持っていた、スイッチから手を離さなかった
そしてそれは、周囲を見渡すと同時に押されていた
香子が老シスターから目を離すとほぼ同時に、老シスターの足元で爆発音が鳴り響いた
それは香子が老シスターの足元にばら撒いておいた、小型リモコン爆弾が爆発した音であった
その音と共に起こった小さな爆炎は、老シスターの足首から先を吹き飛ばした
撒かれたのは、戦闘のために激しく動いているために動作を隠し易い、護衛との戦闘時
つまり老シスターとの戦いが始まるその前に、既に仕掛けは打ってあった
シスター「あ、あぎゃぁぁぁっ!!」
両足の足首から先が無くなった老シスターが、醜い子鬼のような悲鳴をあげる
香子は周囲の確認を済ませると、老シスターに向き直った
老シスターの右手には、懐から出した小型拳銃が握られていた
香子は冷たい目で横たわる老シスターを見ながら、その右手を踏みつけ銃を手放させる
香子「さすがはホームの幹部、まんまと騙されたよ」
シスター「あっ、ああ…あぎゃっ…!!」
香子「だがイリーナ先輩と同じ運命を辿ったのは、あなたの方だったな」
その目に宿るのは、冷徹なまでの殺意だった
香子「シスター、私はあなたと会って決心が着いたよ」
香子「ホームからただ逃げ切るなんてのは不可能だって、自分でも薄々気づいていた」
香子「それにあんなところでも私が育った場所だったからな…」
香子「だがあなたからイレーナ先輩の話を聞いて、ようやく心が固まったよ」
香子「私はホームを潰す」パァンッ
そう言い終わると同時に、香子は銃の引き金を引いた
弾丸を受けた老シスターは、絶望の表情を浮かべたまま物言わぬ骸となった
香子(ホームの幹部として偉そうにしていたシスターが、最期はあっけないものだったな…)
香子は部屋の惨状を振り返らず、誰にともなく呟いた
香子「私はイレーナ先輩の後を、継がねばならないからな…」
これが、神長香子がクローバーホームの殲滅を誓った時の出来事であった
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
香子「だから私は、ホームを潰さなければならない。黒組に参加している暇はない」
私はいつの間にか、かなり熱を込めて首藤に説明をしていた
香子「わざわざここまでやって来てくれたのにすまないな、首藤…」
無駄足を運ばせたことになる首藤や、黒組全員が揃うことを望んでいる一ノ瀬に、少し申し訳無さを感じて俯いてしまう
涼「なるほど、理由は十二分に理解できた…」
だが首藤の返事はまたも予想外のものだった
涼「じゃが、このまま帰るわけにはいかんのう」
香子「な、何故だ!?」
今の私の話を聞いて、納得しなかったというのか…!?
涼「ここに来て最初。ワシが何をしに来たと言ったか、覚えておるかのう…?」
…!!そう言えば、確か…
香子「私を…助けに来たと言ったよな」
涼「そうじゃ」
香子「だが黒組に行くことが、どうして私を助けるなんてことになるんだ!?」
涼「それはな…香子ちゃん、このままでは…」
涼「香子ちゃんが死ぬからじゃよ」
香子「どういう事だ!?何故私が死ぬ!?今話した通り、私は経験を積み幹部ですら倒せるようになった!!それでもまだ私は失敗するというのか!?」
涼「ああ、100%失敗する」
香子「何故言い切れる!!」
涼「香子ちゃん…そもそも何故ホームの幹部であるシスターを倒すことが出来たと思う…?」
香子「それはっ…私が強くなったから…!」
涼「確かに香子ちゃんは強くなっておるじゃろう…じゃが、シスターを倒した時、こうは思わんかったか…?」
涼「『意外とあっけない…』と…」
香子「…っ!!」
香子(何故…それを…!?)
過去の自分の心境を正確に予想されたことに、驚きを隠し切れなくなる
涼「あのシスターはクローバーホームの幹部連中の中でも疎まれていた存在だったようでの…今回護衛が質・量ともに大したことがなかったのは、他の幹部が護衛を無理矢理大量に動員したかららしい」
涼「つまり香子ちゃんは組織へ手痛い一撃を与えた気になっておったが、実際は組織の人員整理に利用されただけじゃったということじゃな…」
その言葉に私の感情が爆発する
香子「ふざけるなっ!!例えそれが真実だったとしても、次は本当に致命傷となる傷を与えてみせる。次が駄目ならその次で!それでも駄目ならそのまた次!!」
香子「私の命が尽きるまで!私は戦い続けてやる!!それだけだ!!」
バチンッ!!
気づくと私の頬に痛みが走っていた
首藤に頬を叩かれていた
涼「落ち着け、香子ちゃん」
痛みによる頬の熱さが私に自分の脳が昂ぶりすぎていたことを教える
涼「命を、そんなに軽々しく考えては駄目じゃ」
見ると首藤の頬には涙が伝っていた
涼「香子ちゃんは、この言葉を聞いたことがあるかのう?」
涼「『死は人生の終末ではない。生涯の完成である』」
香子(…!!その言葉は…!!)
涼「ワシが昔、友から教えてもらった、未だ心に強く残っている言葉じゃ…」
涼「香子ちゃんよ。ここで命を散らすことが、香子ちゃんの生涯の完成だと言うのか!?」
涼「それに、その先輩は香子ちゃんの死を願ったのか!?命を投げ捨ててまでホームに打撃を与えることを、本当に望んでいたと思っておるのか!?」
香子「……違う」
頭にイレーナ先輩の表情が浮かぶ
浮かぶ表情はどれも、思いやりと優しさに満ちたものだった
復讐に囚われている今の自分を見れば、おそらく先輩は悲しむだろう
この目の前で涙を流している首藤と同じように…
香子「そんなわけ…ない…」
気付くと、私も泣いていた
香子「そうだった…そんなわけが…ないんだ…!」
やはり私は馬鹿だ…
ホームから逃げないと、先輩の遺志を継ぐと自分に言い聞かせ、本当に大切なことから逃げていた
死んで、終わらせたがっていたんだ
涼「あっ!!」
するといきなり首藤が自分の右手を見て大声を上げた
涼「す、すまん、香子ちゃん!つい強く叩いてしまった…!早く顔を冷やさねば…!氷!氷はどこじゃ、香子ちゃん!!」
首藤は叩かれた私よりも深刻そうに慌てふためいていた
香子「……プフッ」
その様子に思わず私は泣きながら吹き出してしまった
まるで自分のことのように動揺している首藤を見て、不思議と先程までの暗い感情がどこかへ吹き飛んでいた
涼「氷、氷っと…ん?香子ちゃん、どうかしたかの?」
香子「いや、プフッ…なんでも、ない…フフッ」
目をすすりながら、こみ上げてくる笑いを何とか堪えようとする
涼「変な香子ちゃんじゃなぁ…まあ、じゃが…」
涼「やはり香子ちゃんは笑ってる方が美人じゃな」
香子「!?」
だが急に死角からそんな言葉を受け、私はさっきとは異なる意味で頬が熱くなる
香子「あ、あまり変なことを…言うな///」
涼「お、おう…」
香子(急に何を言い出すんだ、首藤のやつ…///)
涼「……」
香子「……///」
涼香((あれ…?なんか急に微妙な空気になってしまったような…))
涼「と、とにかく!ワシは香子ちゃんに自ら死にに行くような真似をしてほしくないんじゃ!」
香子「あ、ああ…お前がそう思ってくれているのは分かった。だが…お前は何故、ここまでするんだ?」
香子「私が生きようが死のうが、お前には大した影響はないはずだろう…」
涼「とりゃ!」ビシィッ
香子「あ痛ッ!」
私の発言に対し、いきなり首藤がチョップを繰り出してきた
涼「じゃからそう自分の命を軽視するんじゃないと言うておろうが…」
香子「す、すまん…」
怒られた
だがこうして誰かに親切心から怒られるというのも、久しい体験だ
懐かしく、温かい感覚だ
涼「うむ!…さて、話の続きじゃが、もちろん香子ちゃんを死なせまいとするには理由がある」
涼「一つは大事な友人をみすみす犬死にさせたくはないと思ったという理由じゃな!」
犬死にって…まあ確かに感情の赴くままに行動していたらそうなっただろうが…
しかし、「友情」か…その言葉は…
だが複雑な気分になっていた私の心を見透かしたように、首藤は次の言葉を告げた
涼「じゃが…この理由ではおそらく香子ちゃんは納得することが出来んのではないか?」
香子「…!!」
見透かされている、か…
さすが人生経験の塊のようなやつだ
そうだ……首藤の言う通り、私は友情などを理由とした行為を信じられなくなっている
あれだけホームを嫌悪しておきながら、ホームで染み付いた暗殺者としての思考を、拭うことが出来ない
友情を、愛情を、自分に向けられる感情を意識すると、それら全てを疑ってかかってしまう
ホームがある限り、私は縛られ続ける。つまり…
私は普通の人間として生きることは出来ないのだろう
涼「じゃからな…おそらくもう一つの方の理由が香子ちゃんには納得出来るのじゃろうな…」
香子「何だ、それは…?」
首藤の言う、『私が納得できる理由』が想像できていない私は、素直に聞き直すしか無かった
涼「ああ、それはのう…」
だがこの時告げられた言葉は、予想外を遥かに超えたものだった
涼「クローバーホームを潰すための、協力者が欲しいという理由じゃ」
聞いた瞬間、私は理解出来なかった
香子「…っ!?ど、どういう事だ!?」
涼「じゃからワシがクローバーホームを潰すための協力を…」
香子「そうじゃない!なんで…何故お前がホームを潰そうとするんだ!?ホームなんて、お前には全く関係のないものだろう!?」
涼「いや…ワシにもあるんじゃよ…因縁と呼べるものがな…」
涼「香子ちゃんはこう考えたことはないか…?『クローバーホームを潰さなければ、前に進むことが出来ない』、と」
香子「……あるな」
あれがある限り、私の人生は常に過去に囚われる
ホームと戦い死ぬのが生涯の完成で無いことは確かだが、一方でホームがある限り生涯の完成が果たせないと思っているのも事実だ
涼「それはワシもじゃ…何せ、あの…」
涼「クローバーホームを設立したのは、ワシなのじゃからな…」
香子「なん…だと…!?」
涼「香子ちゃんはワシの病気のことは知っておるかのう?」
香子「ああ、走りから学園を去る時に聞いたよ…」
香子「『ハイランダー症候群』。死に至るその時まで、老いることのない奇病だと」
涼「そうじゃ。特にワシの場合は原因は分からぬが、寿命にも影響を与えておるようでのう…元号で言えば明治の時代から、これまで生きてきた」
それも聞いている
気付かない内に突きつけられた、理不尽な運命
首藤がこれまでどのような人生を歩んできたのか
そこには私が想像できないほどの、苦しみや悲しみがあったのだろう
涼「ワシがクローバーホームを設立したのは、その中の一時代、第二次大戦の終戦後すぐのことじゃった」
涼「あのときの日本は酷い状況でな…多くの戦災孤児が生まれ、孤児院の供給は追いついておらんかった」
涼「そんな時ワシと子供を失った女性など数人で協力して立ち上げたのが、クローバーホームの前身となる、孤児院『シロツメクサの家』だった」
香子「シロツメクサの…家…?」
涼「そうじゃ、ワシはその孤児院で10年ほど過ごした」
涼「共にシロツメクサの家を立ち上げた仲間たちは、ワシの病気を知ってなお快く受け入れてくれたが、何年も容姿の変わらぬ者がいることで迷惑がかかってもいかんかったからな…仲間たちに運営を任せワシはまた他の地へと住まいを移した」
涼「そしてしばらく経ってからじゃ…シロツメクサの家が外国のキリスト教系の慈善団体に、運営を譲ったという話を聞いたのは…」
涼「孤児院の経営というのはいつの世も厳しい物じゃ…名前も英語に直訳した「クローバーホーム」へと変わったが、それはそれで時代の波というものかと、その当時は納得しておった…」
涼「クローバーホームが裏では、暗殺者養成施設と活動しているということを知るまではな…」
香子「ああ…」
クローバーホームは表向きは孤児を養育する養護施設ということになっている
しかしその実態は幼い頃から教育を施した暗殺者を作り、暗殺をさせることで利益を生み出す組織だ
恵まれない子供を生かすための場所ではなく、恵まれている者達の依頼で人を殺すための場所だ
涼「わしは当然憤慨した。昔仲間たちと過ごした思い出が、無残に穢されたような…そんな気がしたんじゃ」
涼「じゃがその時のわしは、結局何もしなかった」
涼「怒れども嘆けども、それは過去の事象に過ぎなかった」
涼「そして傷つくたびにこう思っていた…」
涼「『早く普通の人間として死にたい』と…」
香子(普通の人間…か…)
それは私も数え切れないほど思ってきたことだ
普通の人間として、人殺しなど知らずに生きていたかったと
涼「じゃがもうそういうのは止めにしたんじゃ」
涼「過去を振り返るばかりでなく、今を一生懸命生きることに決めたんじゃ」
香子(だが…首藤は強いな…)
彼女の過ごしてきた人生の長さは、私の比ではない
首藤はおそらく自分よりも多くの悲しみと怒りを抱えてきたのだろう
だがそれでも前を向いている
対して私は、まだ過去を割り切れていない…
涼「じゃが、わしが前を向いて進むためには一つ清算しなければならん過去がある」
涼「それがクローバーホームじゃ。あれが存在し、過去のわしと…仲間達の思いを蹂躙し続ける限り、わしは過去に囚われ続けてしまう」
涼「じゃからわしはクローバーホームを滅ぼさなければならん。そしてそれは残念ながら1人では出来ないことじゃ」
涼「じゃからわしは香子ちゃんに協力して欲しいと思った。二人で黒組在籍の二年間の間に学び、鍛え、出会い、そのための力を蓄える。そして最終的には必ずや、クローバーホームを討ち滅ぼす」
涼「これが香子ちゃんの命を助けようと思った、極めて打算的で利己的な理由じゃ」
涼「これは香子ちゃんを利用することと、なんら変わりのないものであるということも分かっておる」
涼「じゃがお願いじゃ、香子ちゃん。わしに…黒組に参加して、その力を貸して欲しい」
そう言いながら首藤は私の目をじっと見つめる
曇りも穢れもない、澄んだ瞳だった
彼女の述べたことに、一切の虚実の無いことをその瞳が証明していた
涼は緊張した面持ちで、香子の様子を見ていた
これで断られるようなら、彼女にもう尽くせる手段は残っていない
だが香子は座っていた椅子から立ち上がり、このコンテナの出口の方へと向かっていった
香子「首藤、探したいものができたんだ。近くの河原まで一緒に来てくれないか?」
そう言う香子の意図が読めない涼は、首を傾げながらも香子について行った
外はいつの間にか朝日が昇り、まだ肌寒いが爽やかな空気に満ちていた
香子は河原に着くと、土手のたくさんの草の生えている周辺を、腰を落として調べていた
涼「こ、香子ちゃん?」
不思議そうに尋ねる涼に、香子は明るく答えた
香子「ああ、すまない首藤。ちょっとだけ待っていてくれ」
香子は低い姿勢で地面を見つめながら土手で何かを探していた
それから少しして、香子は立ち上がり、涼の元へとやって来た
香子「すまない、少し時間がかかった」
涼「いや、それはいいんじゃが…一体何をしておったんじゃ?」
香子「ああ、これを探していたんだ」
そう言うと香子は、涼に一本のクローバーを見せた
しかもそれはただのクローバーではなく、幸運をもたらすとされる四つ葉のクローバーだった
涼「おお、四つ葉のクローバーか。だがこれがどうしたのじゃ?」
香子「お前はまっすぐに私に向き合ってくれた。だから私も自分の気持ちをハッキリと伝えようと思ってな」
香子「そのためにまず、これを受け取ってくれないか?」
香子は手にしていた四つ葉のクローバーを涼に手渡した
涼「ふぇっ!?」
涼はその言葉に急に顔を赤くし、あたふたと慌てふためいた
涼「じ、自分の気持ち!?い、いやそれは嬉しいんじゃが、なんというかいきなり過ぎて戸惑うというか…///」
まるで年頃の婦女子のように慌てる涼(ただし外見上全く違和感はない)と、普段と変わらずクールな表情を携えている香子
第三者の視点から見れば、この両者の間に現状の認識の齟齬があるのは明白だった
だがそれは涼が自意識過剰というわけではなく、香子の行動に原因があった
しかしながら当の本人である香子にその意識は無いのだが…
香子「…?大丈夫か首藤、様子が変だが…」
涼「い、いや、大丈夫じゃ、うん」
香子「そうか、ならいいが…それでだ、首藤…」
涼「う、うむ…///」
香子「ホームと戦うと言ったお前の言葉に、その瞳に、嘘はないと私は感じた」
香子「それに自分でも薄々理解していた。このまま戦い続けても待っているのは破滅だけだと…」
香子「だから私も、再び黒組に行くことに決めた」
涼「おお、そうか!それは良かった!」
香子「お前のおかげでいろいろと自分に見えていなかったものに気づくことができた。感謝し尽くしてもし足りない」
香子「至らない私だが黒組に戻ってからも、どうかよろしく頼む」
涼「うむ!……ってあれ?」
涼「それだけ、かのう…?」
香子「…?あと何かあったか?」
この時涼は、ようやく何かがおかしいと気付いた
涼「ああ、いや……え~とな、香子ちゃんはなんでわしにこの四つ葉のクローバーを渡したんじゃ?」
香子「ああ、それか。それはイレーナ先輩に昔教わったんだ」
香子「『いつか大事な人ができて、自分の想いを伝えたいと思ったら、四つ葉のクローバーを渡しながら言うと、より想いが伝わる』と教えられてな」
涼「な、なるほど…」
涼は顔を若干引きつらせながら、納得した
香子「お前はこれから一緒に戦っていく大切な仲間だからな。そう思ったらイレーナ先輩のこの言葉を思い出したんだ」
涼(その言葉はそういう意味で言ったわけでは無いと思うがの…まあ、いいか)
植物について詳しい涼は知っていた
四つ葉のクローバーには、普通のクローバーにはない特別な花言葉があることを
それは「Be mine(私のものになって)」
イレーナはその言葉の意味も含めて香子に教えておくべきだっただろう
だが多少の誤解はあったものの、そうして二人は誓い合った
黒組で互いに鍛え合うことを
そして避けられぬ因縁を持つクローバーホームを打ち倒すことを…
香子「じゃあ、行こうか、首藤」
涼「ああ!そうじゃな、香子ちゃんよ」
これから彼女達に迫る戦いの日々は、1人では耐え切れないものとなることだろう
だが二人ならば乗り越えていける
そう思いながら彼女達は、まばゆい朝日をその身に受けながら歩き出した
四つ葉の誓い 完
536 : ◆c4CaI5ETl. - 2014/11/12 21:33:33.20 3qLcLmLyo 418/770今回の投下はこれで終了です
次は前回書きかけだったやつを完成させ、今度こそ近日中に投下したいと思います
それではこれで失礼いたします
続き
晴「11年黒組です!」【後編】