関連
男「ここにいたんだ」【前編】

143 : 以下、名... - 2016/08/21 21:17:40.53 +nTQySm7o 127/274

登場人物多くてこんがらがってきた
人物表頼む

146 : 不備があったら教えていただけると助かります - 2016/08/22 13:25:51.31 U4U8jo5Q0 128/274

>>143
今のところの人物表、というか一覧です。並べただけです。

〈清掃部〉

イチゲ
チヨ
ナナコ
部長

〈生徒会〉

生徒会長
コヨミ
ねえちゃん

〈その他〉

ムギちゃん(ねえちゃんの従姉妹)
ハル(チヨの弟)
なー(チヨの妹)

ユウキ
イケメン君
きいちゃん(先生)
図書委員の子
委員長

こなた

149 : 以下、名... - 2016/08/22 14:05:27.95 U4U8jo5Q0 129/274

 翌日、思いついたようにイチが言った。

「ラジオ体操、来なくていい気がする」

 朝の公園で、俺達は頷いた。
 その一言で、それ以降の俺の夏休みの睡眠時間が延びたことは言うまでもない。

 おそらく人生最後のラジオ体操を終えた後、イチとムギちゃんと、三人で俺の家に帰る。
 ねえちゃんは今日も学校だった。

「文化祭の準備がある」

 生徒会役員は忙しそうだ。

 朝の教育番組を三人で眺めていると、玄関の方から話し声が聞こえてきた。

 ムギちゃんがパタパタと走っていく。

「おはよう」

「おはよう」

 玄関を開けると、チヨきょうだいが並んでいた。

 ハルくんは今日は眠そうではなかった。でも寝癖立ってるぞ。

 六人でリビングに自由に座り込んで、昨日のように交代でゲームをする。
 俺とチヨはすぐに飽きて、子供三人とイチが競っているのを後ろから眺めていた。

「なんかね」

 チヨが話し始める。

150 : 以下、名... - 2016/08/22 14:06:51.93 U4U8jo5Q0 130/274


「二人が、やっぱり、おばあちゃんち行きなくない、って」

 双子に聞こえないようにしているのか、ちょっと、声が小さめだった。
 いつも小さいけど。

「……と言うと?」

 聞き逃さないように、少し耳を澄ませる。

「えっと、昨日、帰ってから、お泊りの準備させようとしたら、ハルが、『姉ちゃんが行けばよくない?』って」

 たしかに、受験勉強がしたいなら、むしろチヨの妹さんだけが祖母の家に泊まった方が、効果はある気がする。
 誘惑するものもなくなるし。

「そしたらね、妹が、『たしかに』、って」
 
 それで、明日からの予定だった、双子とチヨの田舎合宿は、中止になったらしい。
 ということは、

「部活の方の合宿……もといお泊まり会は、来れそう?」

「うん、たぶん、ね」

 窓の外ではセミが鳴いていた。今日は窓を開けているだけで涼しい。

151 : 以下、名... - 2016/08/22 14:08:37.40 U4U8jo5Q0 131/274

 庭のひまわりが風に揺れていた。

 散歩したい気分。朝もしたけど。

「あ、当たりだ」

 ゲームを休憩していたなーちゃんが、そう呟いた。
 駄菓子の当たりが出たらしい。
 そらをに持っていけばもうひとつ同じお菓子がもらえる。

「行きたい!」

 ムギちゃんがそう言うので、子供達三人を連れて、そらをまで出かけることになった。

 大勢で押しかけても迷惑かも、ということで、イチとチヨは家に残ることになった。

「子供四人で楽しんでおいで」

「俺も子供かよ」

 イチの冗談(であることを祈る)を背に、家を出る。

 ムギちゃんは麦わら帽子を被っていた。

 三人の後ろを、離れすぎないようについて歩く。
 普通の道を歩いても面白くないので、普段は通らない河原を歩いた。

 石が多くて歩きにくい。
 でも川の近くにいるせいか、かなり涼しかった。

 橋を渡って、住宅街を歩く。

 河原とは打って変わって、蒸し暑い道だった。
 だが、どこにいてもセミの声の音量は変わらない。不思議。

152 : 以下、名... - 2016/08/22 14:09:28.46 U4U8jo5Q0 132/274

 駄菓子屋そらをに到着する。

「昨日ぶりですね」

 ナナコはお菓子の当たりと商品を交換しながらそう言った。

 百円まで選んでいいよ、と言うと、三人はそれぞれカゴを持ってお菓子の棚を眺めはじめた。

「兄弟、いましたっけ?」

 ナナコには、ムギちゃんがどういう経緯でここにいるのか、昨日話してある。
 なーちゃんとハルくんとは元々知り合いだったようだ。

 当たりの交換のついでに、買い物をしてしまう。お菓子メーカーの思う壺だった。

「や、いないけど」

「そうですか。子供の扱いがお上手ですね」

 珍しく褒めてくれた。雨でも降るのかもしれない。

「……台風でもくるのかな」

「値上げしますよ」

 切実な嫌がらせだった。

 その後、会計を終わらせて(もちろん定価で)、ムギちゃんの提案で公園に寄る。
 珍しく、人っ子一人いなかった。

 三人が遊具の方に駆けていく。さすがにそんな体力はなかったので、ベンチで待っていることにした。

153 : 以下、名... - 2016/08/22 14:10:52.63 U4U8jo5Q0 133/274

 セミの声が身体に響く。

 暑さで頭がぼーっとする。ちょっと心地いい。

「夏休み、満喫してますかー?」

 いつの間にか、隣にこなたが座っていた。

「まあ、そこそこ」

 なぜか制服。補習かなんかの帰りだろうか。

「それくらいが一番いいんですよねー」

 こなたは足を伸ばして、大きく伸びをした。
 びっくりするくらい白い脚。まるで日に当たったことがないようだ。

「『今超楽しい! 不満とかない!』……なーんて人は、たぶん何かを捨ててしまった人です」

「うーん……」

 ひねくれているようだけど、わからないでもなかった。

 夏休みって、満喫しだすと、ちょっと学校が恋しくなる。
 けど、学校に行ってる間は、ひたすら休みが待ち遠しい。

 二律背反。アンチノミー。

 なんだかなぁ。

「ところでー、合宿の方は、結局どなたが行かれるんですかー?」

「えっと」

 イチと、俺と、チヨと、ナナコと、部長。

 男女比が夢のような割合だ。ふへへ。

「子供だけは作らないでください、とお母様にも言われてるでしょー」

 つくらないよ。
 そんな度胸があれば先に彼女できてる。

154 : 以下、名... - 2016/08/22 14:12:09.59 U4U8jo5Q0 134/274

「あれ、こんなところに小学生眺めてる不審者が! どうしたの?」

 公園の入り口の方に目をやると、自転車に乗った部長がいた。
 上下ジャージ。部長らしい。

「僕は怪しいものではありません」

「そう言う人ほど怪しいんだよなぁ……」

「なら僕は怪しいものです」

「どちらにせよ怪しい事はわかった」

 自転車を停めて、ベンチに歩み寄ってくる。

 ハルくんが一瞬こちらを振り返ったが、すぐに目線をそらされた。
 俺の知り合いと思ったのだろう。まあ知り合いなんだけど。

「真面目な話、あの子達は知り合い?」

「そりゃそうですよ」

「はは、そうだよね。弟とか妹いたっけ? 聞いた事ないけど……」

「や、あれです、友達の従姉妹と、チヨの下の子達です」

「なぁるへそ」

 部長は相変わらずお喋りだ。

 つられて俺もよく喋ってしまう。不思議。
 人の性格は周りの人にも影響される。

155 : 以下、名... - 2016/08/22 14:14:28.74 U4U8jo5Q0 135/274

「課題終わった?」

「まだですよ、終わってんのイチくらいでしょう」

「あの子は要領いいからね、確かに終わってそう。キミも大概要領良さげだけど」

「買いかぶられてますね」

「私はアサリが好きだな」

「僕も貝類の中ならアサリですね」

「かいかぶってるね」

 部長はケラケラと笑った。まるで暑さを感じていないかのようだ。

「部長、なんか用事があったんですか?」

「んんや、家に居づらいから逃げてきちゃっただけ。お客さん来ててね。……古くっさい家だから」

 苦笑い。

 自分の家、というか家庭の話をすると、部長はいつもこの表情を見せる。

 部長の家は、昔からある由緒正しい(?)家系だった。
 江戸時代(あたりだったと思う、たぶん)、この辺りを統治していた家。旧藩主。苗字を言えば、このあたりで知らない人はいないのではないだろうか。

 この公園ではないが、この辺りにある大きな公園の名前にも、その苗字が使われている。
 つまり、部長からすれば自分の苗字の公園があるのだ。

「キミはこの子達の付き添い?」

「まあ、そんな感じです」

 部長は自販機でコーラを二つ買った。

 片方を全力で振っている。

156 : 以下、名... - 2016/08/22 14:16:42.39 U4U8jo5Q0 136/274

「はい、あげる」

「ありがとうございます」

 コーラを受け取る。
 部長が嬉しそうにこちらをみている。

 開ける。泡が噴き出す。
 
 部長は満足気に笑っていた。

 ハルくんが「何してんの……」と呆れていた。
 いつの間にか、三人はベンチの近くまで来ていた。

「キミたちもジュース飲むかい?」

 子供達も一本ずつ飲み物を買ってもらっていた。俺は泡が引いたコーラを飲む。

 部長は羽振りがいい。

「ありがとうございます」と、ハルくんはみんなより少し大人だった。二人もそれを真似てお礼を言う。

 ベンチに座ろうとしたが、人数が多すぎて座りきれなかった。

 もう三人も遊び疲れたようなので、ジュースをちびちび飲みながら、帰路を歩く。

「部長も来ます?」

「行く行く!」

 二つ返事とはまさにこの事だ。

 部長は自転車を手で押しながら歩いた。
 荷物は特に持っていないようだった。

 家に帰ると、イチとチヨのおかえりー、という声で迎えられた。
 帰った家に人がいるというのは、ちょっと嬉しい。ニヤける頬を抑える。

 部長は、女子二人がいることに驚いていた。

「夏休みに入ったからって女子を侍らせておるのかこのヤロウ」

「人聞きの悪い」

 チヨは落ち着かなさそうに髪を撫でた。

157 : 以下、名... - 2016/08/22 14:18:04.23 U4U8jo5Q0 137/274

 子供達が汗をかいていたので、チヨが「着替え、持って来ればよかったね」と、濡れたタオルで拭いてあげていた。

「チヨ、お姉ちゃんだな」

「そう、かな」

 手を止めて、チヨがこちらを見上げてきた。上目遣い(気のせい)。

 俺は頷いて答えた。

「うん、俺が見る限りは」

「……ありがとう」

 チヨは小さくそう答えると、落ち着かなさそうに自分の髪を撫でた。

 ……今、余計なこと言った気がする。上から目線。
 気をつけようとしていたのに。
 しばらく会話が続いてると、気が抜けてしまう。

 気をつけないと。また一人になってしまう。

 エアコンをつける。

 落ち着いた頃、交代でゲームをして遊んだ。某会社の人気キャラクター達が車を猛スピードで運転する。

 チヨは疲れてすぐにソファに横になってしまった。
 聞いてみると、液晶画面を長時間見つめるのが苦手らしい。若者にしては珍しい人種だった。

 部長はめちゃめちゃ強かった。容赦なくバナナの皮を散らしていく。

 ハルくんは器用に交わしていた。

 イチが丁寧にバナナの皮を踏んでいく。

「車がバナナに吸い込まれていく!」

 今日の名言だった。

158 : 以下、名... - 2016/08/22 14:20:23.11 U4U8jo5Q0 138/274

 時計の針が真上を指したあたりで、全員で揃ってファミレスへ向かった。

「何名様ですか?」

「七名様です」

 ムギちゃんが答えた。

「禁煙席と喫煙席」

「きんえん席で!」

 ムギちゃんが答えた。

 ……店員の声に被せて答えるの、一度やってみたかったらしい。
 ムギちゃんは満足そうな顔をしていた。

 七人でテーブル席に座る。

 ファミレスのテーブル席は大きいものだと思っていたのだが、こうしてみると狭かった。

 適当に注文して、全員分のドリンクバーを頼む。
 部長がドリンクバーの無料券を大量に持っていた。常連らしい。

 俺はカルピスとホワイトソーダを混ぜた。少し薄めくらいの炭酸がちょうどいい。普通の炭酸はキツすぎて飲みにくい。

 ムギちゃんはおぞましい色のジュースを生み出していた。
 ハルくんが飲む事になったらしい。

 イチは、相変わらずいちごオレを選んでいた。

「そんなの、あるの?」

 チヨがウーロン茶を啜りながら尋ねる。

「ホットドリンクのコーナーにあったよ」

「ご飯に合うのかなぁ……?」

 イチは水をとりにいった。

159 : 以下、名... - 2016/08/22 14:21:47.44 U4U8jo5Q0 139/274

 その後は、追加でカキ氷を三つ注文した以外、ひたすらドリンクバーで粘って、ぐだぐたと中身の無い会話を楽しんでいた。

「セミって、五年くらい、土の中で暮らすんだって!」

 チヨが珍しく胸を張って話していた。
 セミ、好きなのだろうか。

「じゃあ私が中一のときに生まれたセミが今鳴いてる、ってことかぁ」

「じゃあ、私が、えっと……」

「ムギちゃんが三歳のとき?」

「それだ!」

「ハルくん計算早いねー」

 部長は馴染むのが早かった。

 ドリンクをおかわりに立ち上がる。イチも付いてきた。

「トナカイって百回言ってみて!」

「ソリ」

「正解」

 イチは狐に鼻をつままれたような顔をした。

 話し疲れて、なーちゃんがウトウトしはじめた頃、ちょうど部長が「帰らねば」と言ったので、お開きにすることにした。

 チヨが、眠たそうに目をこするなーちゃんと手を繋いで、ハルくんと三人並んで「またね」と手を振った。

 チヨは部長と一緒に帰った。

 ムギちゃんは大きく手を振っていた。

 みんなが帰ると、セミの声だけがやけに大きく響く。
 ムギちゃんと二人、ぽつんと。

「……帰るか」

「うん!」

 麦わら帽子が相変わらず似合っていた。

160 : 以下、名... - 2016/08/22 14:22:21.76 U4U8jo5Q0 140/274

 夜、久しぶりにユウキ達とLINEをした。

『なんかして遊ぼう』

 相変わらずユウキは何か燻っているようだった。

『なんかって何』

 イケメン君は文字で会話をすると、普段とは打って変わって冷たい印象になる。
 まあ伝わりやすいからいいんだけど。

『キャンプとか』

『虫が来るからやだ』

『じゃあバーベキュー』

 用意するのが大変だろう。

 炭とか、どこで売ってるか見たことないし。ホームセンターとかいけばあるんだろうか。

『いいねバーベキュー』

『炭とかどうすんの?』

『ウチの倉庫に大量にある』

 ユウキの家は何をするところなんだ。

 それとも普通は、炭を常備するものなんだろうか。

『じゃあ、今度空いてる日に集まろう』

 結局、それ以降はなにも会話はなかった。

 予定は未定。バーベキューが実行されるのは、だいぶ先になりそうだった。

166 : 以下、名... - 2016/08/22 20:37:16.44 U4U8jo5Q0 141/274

 ある日、目が覚めると珍しく十時を過ぎていた。今年に入って一番遅いかもしれない。
 基本的に早起きしちゃう体質なんです。

 リビングに降りて、お湯を沸かす。
 軽く顔を洗ってから、少しぬるめのコーヒーを入れた。

 今日はねえちゃんと乙坂父が休みなので、ムギちゃんはウチには来なかった。
 イチや双子達も今日は来ないらしい。

 珍しく一人での時間。いや、この間まではこれが普通だったんだけど。

 いざ誰も来ないとなると、これまでは一人の時に何をしていたのか思い出せなくなる。

 本当に、何をしてたんだろう。

 たぶん、去年の夏休みに女子と会話した回数より、この数日の方が多い気がする。
 天の思し召しか。ありがとうございます。

 庭のひまわりが揺れる。

 ふとスマホの着信に気づいて、ポケットから取り出してみると、ユウキからだった。

 セミの抜け殻の画像が添付されている。

『これなんの種類の抜け殻だと思う?』

 知るか。

 適当に「アブラゼミ」と返信して、スマホを閉じた。

 天気が良かったので、久しぶりに庭に面している縁側に出る。

 陽に当たって暖かくなっていた。
 寝転がってひまわりを眺める。
 セミがどこかで鳴く。

 最近、あまり昼間から一人になることがなかったので、
 何をして時間を潰せばいいのかわからなくなる。

 なんというか、手持ち無沙汰。

 誰か来ないかなぁ、と思ったけど、その日は誰も来なかった。

 夜は早めに寝た。
 

167 : 以下、名... - 2016/08/22 20:41:14.58 U4U8jo5Q0 142/274

 夏休みといっても、ウチの高校には課外授業と言う名の補習がある。

 俺は呼ばれていた。

 教室にはいつもの半分ほどの人数しかおらず、雰囲気もいつもほど堅苦しいものではなかった。

「一年生の教室はエアコン壊れたらしいよ……よかった二年生の担当で」

 きいちゃんは身震いしながらそう言った。
 たしかに、エアコンでもないと暑くて授業なんてやってられない。

 授業といっても、二時間しかないので、終わるのはいつもの何倍も早い。
 参加していたほとんどの生徒は、すぐに部活や教室の移動で帰ってしまった。

 教室に残ったのはチヨと俺と、それからユウキだった。

 イケメン君は部活を優先したらしい。

 一瞬沈黙が降りるが、話題ならあった。

「なーちゃんとハルくんは?」

「今日は、家でお留守番」

 妹さんはおばあちゃんの家に泊まっているので、多少は騒いでもいいようだ。

 というか、あれくらいの歳なら普通に友達と遊んでいてもおかしくなさそうだけど。
 そう考えてから、自分にそれくらいの頃友達がいたのかどうか不安になってきた。

「誰、それ?」

 ユウキとチヨは一応、顔見知りではあるらしい。
 ただ二人で話しているところはみたことない。友達の友達、という感じだろうか。

168 : 以下、名... - 2016/08/22 20:44:51.84 U4U8jo5Q0 143/274

「私の弟と妹、双子の」

「へえ、双子か」

「あと、妹も、もうひとりいるよ!」

 チヨは自慢げにそう答えた。

「なんて名前?」

「ヒメ」

「知らないなぁ」

「知ってたらすごいよ……」

 最近、チヨがよく喋る気がする。
 いや、前から無口だったわけではないのだけれど、なんというか。
 自信がついた(?)、というか。
 いい傾向(俺は何様だ)。

「そいつらは例の合宿、いくの?」

「え?」

「え」

 ……そういえば、その発想はなかった。

 なーちゃんとハルくんも合宿に。

 掃除をするなら人手は多いほうがいいし、そっちのほうが賑やかになりそうだ。
 せっかくならムギちゃんも呼んで。

 人数は多いほど楽しい。

「……いいなそれ」

「部長に、聞いてみようかな」

「学校来てんのかな」

 部長を探しに行こうとしたが、チヨが「あ、時間」と呟いて、そそくさと教室を移動した。

 チヨはまだ理数科の方で課外があるらしい。優等生は大変だ。

 荷物を片付けて、ユウキと教室を出る。
 廊下は夏独特の透明感に包まれていた。

 ユウキは用事があるというので、そのまま帰った。

 一人で静かな廊下を歩く。どこからかプレクトラムアンサンブルの音色が聞こえてくる。

169 : 以下、名... - 2016/08/22 20:48:47.24 U4U8jo5Q0 144/274

 下駄箱を探してみると、部長の靴。学校には来ているらしい。

 三年生って課外授業はあるんだろうか。
 それとも受験に向けて自分で勉強しろ、と言われているのだろうか。むしろその逆で課外授業があるのかもしれないけど。

 三年生のフロアに向かったが、どこも扉が閉まっていて、とても入れる雰囲気ではなかった。
 勢いに任せて扉を開けて、授業なんかしてたら大変だ。

 一斉にこちらを見る先輩達。

 考えただけで眩暈がする。

 とりあえず一息つこうと、渡り廊下に出る。
 狂ったように暑い陽射しが全身を襲う。

「時計の針が、一瞬止まって見えることってありますよねー」

 こなたが手すりに座っていた。

「アレって、なんて呼ばれてる現象かご存知ですかー?」

 こんな気温なのに、汗ひとつかいてない。

「なんて言うの?」

 こなたは手すりから降りないまま答えた。

「クロノスタシスって呼ぶそうです」

「クロノスタシス」

 かっこいい。技名みたいだ。

「人はどんなものにも名前やら理由をつけますからねー」

 真っ直ぐに並ぶ窓の中では、幾つかの教室で授業が行われていた。
 人が授業を受けてるのに、渡り廊下で涼んでそれを眺めている。背徳感。

「お探しの方は部長ですかー? 課長ですかー? それとも係長?」

「部長だね」

「でしたら生徒会室ですねー」
 
 と、こなたは生徒会室の窓を指差した。
 たしかに電気は付いている。中は見えないけど。

「ありがとう」

 お礼を言うと、こなたは「奉りなされ」と戯けて胸を張っていた。

 渡り廊下から校舎に入る。陽が当たらないだけで、ずいぶんと涼しく感じた。

170 : 以下、名... - 2016/08/22 20:51:00.34 U4U8jo5Q0 145/274

「先輩」

 今日は陽射しが強い。

「暑いですね」

 所変わって、学校前の坂道。

 コヨミちゃんと二人で、長い坂道を歩いていた。

「こんな日も生徒会ってあるんだ」

「文化祭、夏休み明けですからねー」

 道沿いのアジサイは、さすがにもう枯れて、花を落としていた。

 コヨミちゃんが首元の汗をハンカチで拭う。俺もシャツを仰いで風を入れた。
 今日は本当に暑い。

 道の先のアスファルトが、陽炎でゆがんでみえた。上昇気流。光の屈折。

 俺が生徒会室に入った時、ちょうどコヨミちゃんの仕事が終わっていたらしく、部長と会長、あとねえちゃんと駄弁っていたところだった。

 会長は相変わらずだった。
 困ったように笑っている。

 ねえちゃんに今日の夜のことを聞く。
 ファミレスに行くことになった。

 部長にさっきの双子の件について尋ねた。

「いいね! もちろんムギちゃんも?」

 ねえちゃんが首を傾げたので、部長から合宿について説明する。
 ねえちゃんは少し考えてから、いいよ、と頷いた。

「なら、ねえちゃんも来れる?」

「行きたい」

 ねえちゃんも来ることになった。
 部長は素直に嬉しそうだった。

 人数は多いほど楽しい。

171 : 以下、名... - 2016/08/22 20:53:41.03 U4U8jo5Q0 146/274

 それから、適当に五人でわいわい話して、昼前あたりで、昼ごはんを持ってきていない俺とコヨミちゃんは帰ることにした。

 ねえちゃんと会長はまだやる事があるらしい。生徒会は大変だ。

「先輩、コンビニ寄って行きませんか?」

 飲み物でも買いましょうよ、とコヨミちゃんが笑いかけてくれる。

 ……ボーッとしていた。コヨミちゃんの言う通り、水分が足りないのかもしれない。

 わざわざ気にかけてくれるなんて、いい後輩を持ったものだなぁ。
 先輩らしいことなんて何もしてないのに。

 コヨミちゃんがこうして下校なんかの時にも付き合ってくれるのは、きっと世話焼きだからだ。下の子が二人いるらしいし。

 自惚れるなよ、

 ……と、自分に言い聞かせる。

 自分に自信を持っていいのは、できるだけの努力をして自分から行動できる奴だ。
 もしくは、それをしていると自分で思える人。

 コヨミちゃんはしばらく俺の様子を伺っていたが、すぐに正面に目線を戻した。

 うん。

 コンビニに着くと、コヨミちゃんが、あっ、と声を上げた。

「ちょ、ちょうど、これくらいの時期でしたね!」

 自動ドアのところで立ち止まって、コヨミちゃんがそう言う。

「……なにが?」

 足元にコンビニの冷気を浴びながら、尋ね返す。
 何の話……?

 コヨミちゃんはしばらく落ち着かなさそうに目線を彷徨わせていたが、もういいですっ、と先に店内へと入っていった。

 俺も店員の目線が気になって、早足で奥へと進んだ。

172 : 以下、名... - 2016/08/22 20:55:27.20 U4U8jo5Q0 147/274


 二人で飲み物と軽い食べ物を選ぶ。
 いちごオレを見つけて、イチならこれ買うな、と思った。思ったより値段が高い。

 レジを済ませて、涼しい店内を後にした。

 暑い住宅街を歩いて、公園に向かう。

 飲み物に口をつけると、身体に水が染み渡っていくような感覚を覚えた。
 気持ち涼しくなる。

「先輩、勉強してますか?」

「いや、してないっす」

 学生としてはこの返事以外は許されないだろう。「勉強してる?」って聞いて「してる」った答えた奴なんて見たことない。

 コヨミちゃんはしてそうだなぁ。
 真面目そうだし。

 サンドイッチを囓って、コヨミちゃんはスカートをぱたぱたと仰いだ。

 女子はスカートだから風通しが良くていいなぁ、と思った。
 別に履きたいとは思わないけど。

 中は、うん、まあ、見てないよ?

 大事な後輩ですし。

 それから、時計の長針が一周するくらいの時間、コンビニのおにぎりをちびちび食べながら、コヨミちゃんとぽつぽつと話を続けた。

 相変わらず太陽は狂ったように照っていて、雲が出てくることはなかった。

「あ、交代の時間……」

 コヨミちゃんの家の手伝いの時間が近づいたので、昼過ぎあたりに公園を後にした。

「楽しかったです、ではまた!」

 コンビニの前でコヨミちゃんと別れる。

173 : 以下、名... - 2016/08/22 20:57:47.39 U4U8jo5Q0 148/274

 一人になると、腕が日に焼けて赤くなってることに驚いた。

 家に帰ると、当然だけど誰もいなかった。

 ただいま、と一人で呟く。

 軽くシャワーを浴びる。
 うなじの日焼けが痛む。腕はそれほどでもなかった。

 髪を乾かす。
 なんとなく歯を磨く。
 うがいをするついでに何故か顔を洗ってしまう。前髪が濡れる。
 前髪を乾かす。

 ソファに座り込む。

 暇になる。

 もうすぐ合宿だな、と思い出す。

 庭でひまわりが揺れている。

 こういう時、何か趣味があればいいのにな、と思った。

174 : 以下、名... - 2016/08/22 21:03:05.73 U4U8jo5Q0 149/274

 その夜は珍しく夢を見た。

 寂れた商店街で、俺は一人でガチャガチャ(百円玉入れたらカプセル出てくるアレ)の前に座っている。

 時間は夜で、人の気配は全くしなかった。

 俺の真上にある、点滅しながら光っている蛍光灯が、唯一の灯りだった。

 財布から残り一枚の百円玉を取り出し、レバーを回す。

 がちゃがちゃ、と、中で歯車でも回っているような感触が伝わってくる。

 コトン、と乾いた音がして、薄緑のカプセルが出てくる。

 中にはスーパーの割引券が入っていた。五十円分。

 嬉しくないわけではないけど、百円払って五十円分しかもらっていないので、ものすごく損をした気分になった。

 夢の中の俺は財布を開いた。

 さっきのが最後だったはずなのに、また百円玉を取り出す。

 小銭を入れて、レバーを回す。

 オレンジ色のカプセル。

 中に男用のブラジャーが入っていた。
 なんでだよ。

 どうして一目で男用のモノとわかったのかも謎だった。

「そんな趣味あったんだ」

 隣にチヨが立っている。

「好みは人の自由だけどね」

 チヨは公益社団法人っぽいことを言って立ち去った。
 足音はしなかった。

175 : 以下、名... - 2016/08/22 21:08:23.15 U4U8jo5Q0 150/274


 財布から百円玉を取り出す。

 どうやらこの財布は無限に百円玉を作り出す何かのようだ。

 レバーを回すと、次に顔を見せたのは藍色のカプセルだった。

 中には傘が入っている。
 夢の中だし、サイズ比なんかは気にしたら負けだ。

「先輩、雨はお好きですか?」

 コヨミちゃんが尋ねてくる。

「私はどちらかというと好きですね」

 コヨミちゃんは俺の後ろでそう呟いていた。

 振り返ると、そこには誰もいなかった。

 目線を元に戻して、また百円玉を取り出す。

 レバーを回すと、今度は赤いカプセルが出てきた。

 中身は空。開けて確かめても、何も入っていなかった。

「それはハズレ?」

 イチが隣に立って訪ねてくる。

 何故か男用のブラジャーをしていた。

 つまり、胸が、その。
 夢にしては、やけに質感がリアルだった。

 いやまあ夢なんだけど。

「触ってもいいけど、いちおくまん円払ってね」

 小学生かお前は。

「そのカプセルは、ハズレ?」

 次の瞬間には、イチは服を着ていた。

 どうせ夢なんだし、いちおくまん円払ってでも触っておけばよかった、と後悔する。

「私にはハズレにみえる」

 イチはレバーを回す。

 赤いカプセルが出てきて、中身はやっぱり空だった。

「一人はきらい」

 そのセリフを、イチが言ったのか、俺が言ったのか、よく聞き取れなかった。

 夢。

 寂れた商店街には、俺とイチ以外、誰もいなかった。

 あるのは乾いた空気と、点滅する蛍光灯だけ。

 そこで夢は終わっていた。

177 : 以下、名... - 2016/08/23 14:28:00.94 95OtfHS60 151/274

 夏の雨は、なんというか、独特の匂いがある。
 アスファルトというか、ほこりというか。

 あんまり好き好んで嗅ぐような匂いでもないけど、嫌いではない。
 ただ体に悪そうな感じはある。

 窓の外を見ると、雨に打たれたひまわりが、心なしか下を向いていた。

「雨、止まないね」

 そして、そんな日にも、愉快な仲間たちはうちに集まっていた。

 イチがだらん、と横になる。

 ムギちゃんがその横に同じような格好で寝転がる。
 なーちゃんはその隣にちょこんと座っていた。

 チヨはソファで眠たそうにウトウトしている。

 ハルくんは部長にゲームの勝負を挑んでいた。

「なんというか」

 テーブルに突っ伏している俺に、リビングを見渡しているナナコが話しかける。

「まるで溜まり場ですね」

 ねえちゃんがコクン、と頷く。

「そう?」

「これが溜まり場じゃなかったら何よ」

「ええ、まさかここまでとは思ってませんでした」

 テーブルの上に置いてあるバナナを一本もぎ取り、皮を剥いて口に運ぶ。
 美味しくも不味くもない。

「ねえちゃん食べる?」

「いらない」

 ねえちゃんはノーと言える日本人。

「ナナコは?」

「いや、いいです」

 ナナコもノーと言える日本人だった。

 今日は店番はないというので、ナナコもうちに遊びに来ていた。

178 : 以下、名... - 2016/08/23 14:28:57.84 95OtfHS60 152/274


「課題終わった?」

「やってないです」

 定型文での会話。

 「ふぅ」とねえちゃんが息をついたのを最後に、部屋には雨の音以外聞こえなくなった。

 エアコンをつけていないので、室内は随分と湿気ていた。
 扇風機が最大出力で首を振っている。

 喉が渇いた。
 何か飲み物はないかと冷蔵庫を開ける。

 ジュースを切らしていた。

「コンビニ行く人ー」

 誰も手を上げない。

 仕方ないなぁ、とイチがむくりと身体を起こした。

 帰ってからも暑いのは嫌だったので、今日くらいはいいか、とエアコンを付ける。
 ナナコとムギちゃんが歓声を上げた。

 傘をさして玄関を出ると、むわっとした熱気が身体を包んだ。

 イチが横に並ぶ。俺のビニール傘とは違って、少し柄のある傘だった。

 コンビニまで歩いて、ジュースを何本かと、みんなで食べられそうなお菓子を籠に入れる。
 店内は雨の日なのにもかかわらず、人は多かった。昼前だからか。

179 : 以下、名... - 2016/08/23 14:31:01.12 95OtfHS60 153/274

 レジに並んでいると、店内に入ってきたイケメン君と遭遇した。

「おう」

 暇だったら家に来ないか、と誘ってみる。

「後で行けたら行きたい」

 まだこれから用事があるようだった。
 夏休みまで予定が多いのはちょっと羨ましい。多忙なのがいい、とは限らないけど。

 イケメン君と一言二言話して、店を出る。

「あれ」

 傘立てに置いたはずの傘がない。

 セロテープを巻いて目印にしていたのだが、それが見当たらない。

「あーあ、盗まれちゃった」

 イチのは普通にあった。

 辺りを見ても俺の傘らしきものはない。

 すげえ、本当に傘盗まれることってあるんだ。
 なんともいえない虚無感に苛まれる。なんか虚しい。

「……傘、入る?」

 イチがちょっと遠慮がちにそう言う。

 濡れて帰るのもアレなので、一緒に入れてもらうことにした。

 初めはイチが傘を持っていたが、身長差の問題で俺が腰を曲げなければならなかったので、途中から俺が傘を持った。

 代わりに、イチが荷物を半分持ってくれる。

「雨、久しぶりだね」

 イチは明後日の方を向いてふいと呟く。両手で握った荷物が濡れないように、身体のそばに寄せていた。

「たしかに」

 そう返事をして、俺も荷物が濡れないように、真ん中の方に寄せる。

180 : 以下、名... - 2016/08/23 14:32:24.07 95OtfHS60 154/274


「…………」

「…………」

 しばらく歩いて、あ、これ相合傘じゃん、と我にかえる。
 イチは水溜りを見ながらとぼとぼと歩いている。

 ……照れる。

 男友達に見られでもしたら、簀巻きにされて海に放り投げられてしまいそうだった。

 二重のヒヤヒヤを胸に抱えながら、歩き慣れた道をイチと二人で歩く。

 一度意識してしまうと仕方がないもので、俺より少し歩幅の小さい脚や、たまに触れては離れる小さな左腕が、俺の想像力をかき乱した。

 ときどき聞こえる、イチの「ん……」が気になってしょうがない。

 女子のそういう声ってなんなんだ。無意識なのか。それとも何か意味があるのか。

 ……なんか、その、焦れったい。

 二人の距離をピンセットで調節したいくらいだった。

 そんな付かず離れずの(?)距離を保ったまま、家までの道を、傘を持って歩いた。

 実際の距離の二倍くらいの長さを歩いた気がする。

 家の前について、どちらからともなく立ち止まる。

「じゃあ、先に出るね」

 傘を持っていないイチが先に軒下に入り、それから俺が傘を閉じた。
 イチが傘を出るとき、ちょっとシャンプーの香りがした。

181 : 以下、名... - 2016/08/23 14:33:28.95 95OtfHS60 155/274

 ちょっと良い傘だったので、閉じるのがスムーズだった。
 俺も次買うときは良い傘にしよう。

 ーーそのときは思いもしなかったけど、後から考えればコンビニで傘買えばよかったのに、とは思う。
 まあ、それはそれとしておく。

 玄関の扉をイチか開けておいてくれたので、中に入って、ねえちゃんを呼ぶ。

 足元が濡れてしまっていたので、タオルが欲しかった。

「うわ、こんなに肩濡らして」

 呼んだだけなのに、ねえちゃんは気を利かせてタオルを二枚持ってきてくれた。

 イチに片方手渡して、荷物はねえちゃんと、様子を見に来たなーちゃんに任せた。

「雨、止まないな」

「だねー」

 思ったより肩が濡れていた。冷たい。
 イチは細い腕を拭いている。思ったより濡れてないようだった。安心。

 でも、その、なんというか。

 俺の方は、まだちょっと鼓動が早かった。

 ……中学生か、俺は。

182 : 以下、名... - 2016/08/23 14:34:22.39 95OtfHS60 156/274

 昼前に、ねえちゃんがそうめんを茹でた。

 食器洗い以外でねえちゃんが台所に立つのを見たのは、かれこれ数年ぶりかもしれない。
 突然やりたい、と言い出したものだから驚いたが、やらせてみると案外できないこともなかった。

 まあ、茹でるだけだし。

 俺は隣で卵を焼いて、チヨが家から持ってきたハムを千切りにしていた。
 なんでハムを持ってきていたのかは疑問だ。

 人数があまりにも多かったので、子供三人と俺はリビングのテーブル、女子達はダイニングのテーブルで食事をすることになった。

 こうしてみると状況の特異性に気づく。

 なんでうちに五人も女子がいる。

 ただ、「今日のそうめん柔らかい……」と言いながら箸を運ぶムギちゃんを見て、
 成り行きで考えるとそれほどおかしくもないんだよな、と考える。

 ラジオ体操から、ねえちゃんの従姉妹、なーちゃんとハルくんから、部長に……

 こうして並べてみると、芋づる式にこの状況が浮かび上がる。

 そして、みんな要するに暇なのだ。

 暇な人同士が集まれば、暇ではなくなる。

 そうではない場合もあるけど、暇をつぶすのに一番簡単な方法は、たぶん、それだ。

 それぞれが暇をつぶすのに一番手軽な場所が、この家だった。それだけ。

 なんかちょっと誇らしい。

 暇つぶしに最適な場所。

 ……言葉にしてみるとそうでもなかった。

183 : 以下、名... - 2016/08/23 14:35:08.32 95OtfHS60 157/274

 昼食が終わって、チヨがウトウトし始めた頃、アイスでも買っておけばよかった、とイチと話している時に、インターホンが鳴った。

 やってきたのはイケメン君だった。
 片手にビニール袋。

「アイス、お土産に」

 見計らったようなタイミング。

 お土産のアイスを食べながら、みんなで人生ゲームをする。

 十人もいたので、自分の番手がまわってくるのがやけに遅かった。

 イケメン君が異常に強い。部長とハルくんが躍起になっていたが、それでも一位はイケメン君だった。

 イチはまた最下位だった。

 人生ゲームが終わると(すごい字面だ)、今度は部長がイケメン君にカーレースの勝負を挑んでいた。もちろんゲームの方。
 ハルくんとムギちゃんも一緒に。

 最下位は待っている人と交代するルールだったらしいが、だいたいムギちゃんとイチが交互にリモコンを握っていた。

「なんでそんなにゲーム強いん?」

「わかんない」

「そんなんじゃー」

 ムギちゃんは細かいことは聞こうとはしなかった。

184 : 以下、名... - 2016/08/23 14:36:00.23 95OtfHS60 158/274

 なーちゃんは遊び疲れて、チヨの肩に頭を乗せて眠ってしまっている。

 お姉ちゃんですね、とナナコが笑っていたが、次の瞬間には、チヨもなーちゃんの頭に頭を乗せて眠っていた。

 そっくりの二人が似たような格好で寝ている。微笑ましい。

 イケメン君がテーブルにやってきた。
 広いテーブルなので何人でも座れる。

 そういえば、イケメン君って人見知りだったっけ。こんなところに呼んで大丈夫だったかな……と、今更ながら不安になる。

「大丈夫だった?」

「なにが?」

「いや、なんというか。この人数」

「あー」

 イケメン君は首の後ろに手を当てて、リビングを見渡した。

「別に、大人数が嫌いなわけじゃないよ。小さい子供の相手とか、好きだし」

 よかった。それなら安心だ。

 イケメン君はテーブルに座ってアイスを食べていた。

 ナナコとねえちゃんとも普通に話しているのを見て、知り合いだったんだ、と知る。

 意外なところで人は繋がっている。

 ムギちゃんからお呼びがかかって、イケメン君がリビングへ戻っていった。

 入れ替わりでイチがやってくる。

 ぐでん、と体をテーブルに突っ伏す。

185 : 以下、名... - 2016/08/23 14:38:42.29 95OtfHS60 159/274

「喉乾いた」

「お茶でも飲むか」

 ねえちゃんとナナコとイチ分のお茶を淹れて、ついでに俺のお茶も淹れた。

「ね、夏に飲む熱いお茶も良いでしょう?」

「たしかに」

 四人で熱いお茶を啜りながら、ゆっくり流れる時間を淡々と数えていた。

 時計を見ると、一瞬、針が止まって見えた。クロノスタシス。

 庭のひまわりは雨に打たれている。

 なんというか、その。

 何かしなきゃ、と思う気持ちと、

 今のままでいいや、と思う気持ち。

 でも今はまあ、何もしなくていいかな、と思う。

 その日はみんながいつ頃帰ったかは覚えてないけど、いつの間にか、一人になっていた。

 夜には雨が止んだが、星空が見えることはなかった。
 相変わらずジメジメしていて、エアコンのタイマーをセットしてベットに潜る。

 翌朝は、驚くほど天気が良かった。

189 : 以下、名... - 2016/08/23 22:01:14.94 95OtfHS60 160/274

 合宿の前の日に、部員とねえちゃん、それから子供達(というか、合宿にいくメンバー)で、ショッピングモールで買い出しをした。

 電車でちょっと乗れば着く。
 超便利。

 近くのスーパーでも良くない?

 とも思ったが、折角だし、ということらしい。
 何が折角なのかはわからない。

「えっと、とりあえずインスタントとかの楽に食べられる食べ物と、掃除道具、それからお菓子! 一泊二日だから、それくらいの量で、ね!」

 一泊二日。全員親の許可は取れている。

 子供達は早くもソワソワしていた。

「じゃあ、グループに分かれて買い出ししよう! ジャンケンで! チームはさっき言った三つ!」

 部長のテンションもかなり高かった。

 わざわざグループに分かれる必要もないかと思ったが、大人数で行動して迷惑になってしまわないように、という部長の気遣いだろう。

 俺はチョキを出した。

190 : 以下、名... - 2016/08/23 22:02:42.61 95OtfHS60 161/274

 出来上がったグループは、
 イチと俺とムギちゃんの三人でお菓子、
 部長とナナコとハルくんの三人で掃除道具、あとの残りのメンバーで食材。
 よくこんなに綺麗に分かれたものだ。

 入り口のところで籠を持って、お菓子コーナーに向かう。

「お菓子って言ってもさ」

 イチが困ったように眉をひそめる。

「そんなにいるかなぁ?」

 そう言いながらも、ムギちゃんと一緒に、おつまみやスナック菓子を籠に入れていく。

「あ、ジュースも!」

 飲み物のコーナーに、三人で向かう。
 ムギちゃんを一人にさせたら、また迷子になりかねない。

 駆け足で隣の陳列棚に移動するムギちゃんの背中を、イチと並んで、歩いて追いかける。

「馴れたよね、あの子」

 モールの店内は冷房が効きすぎて、ちょっと寒い。

「なんというか、ワガママ言えるようになったというか」

 ……初めから言ってたような気がするんだけど。

 けどまあ、言いたいことはなんとなくわかる。
 変なところで我慢しなくなったというか、言いたいことを言うようになった、というか。

「せっかく遊びに来てるんだから、楽しんでもらわないと」

191 : 以下、名... - 2016/08/23 22:14:32.68 95OtfHS60 162/274

 イチは小さく頷いて、「籠持つの代わる?」とこちらを覗き込んでくる。

 いや、俺が持つよ、と返事をして、ムギちゃんの方を見ると、両脇に二リットルのボトルを抱えて、こちらを眺めていた。

「カップルみたい」

 ……やっぱり、言ってることは初めと変わらないような気がしてきた。

 人はそう簡単に変わるものではない。

 ジュースを何本か選んで、籠に入れる。

 何か他にいるもんあるっけ……?

「花火やりたい!」

「花火、いいね」

 少し移動して、花火が置いてある棚を探す。
 夏休みシーズンだからか、思った以上にたくさんの種類があった。

 ムギちゃんは大量の花火に興奮している。

 イチとムギちゃんがセットの花火を選んでいるのを、後ろから眺める。
 なんか、こうしてみるとイチがだいぶ大人に見える。なんというか、違和感(失礼)。

 ふと横に目をやると、セットではなく、小さめの袋に入って小売にしてある花火があった。
 ねずみ花火とか、ああいうの。

 こういうのも楽しいよな、と思い、いくつか選んで籠に入れておいた。

 会計を済ませた後、モールの広場のようなところのベンチに座って、他のグループの買い物が終わるのを待つ。

192 : 以下、名... - 2016/08/23 22:16:58.18 95OtfHS60 163/274


 たぶん、あの三つのグループだったら、うちのグループが圧倒的に終わるのが早い。

 だってお菓子だし。
 わざわざグループに分ける必要あったか?

 ムギちゃんが「おもちゃ見たい」と言ったので、ここで待ってるからね、と伝え、目の前の雑貨屋に放流する。

 イチと二人きりになる。

 夏休みに入る前までは別に珍しくなかったが、最近は少なくなっていた気がする。
 いや、別に必要なわけではない……けど。二人きりになったからといって話す内容が変わったりはしない。

 そもそも、清掃部のメンバーは、基本、人見知りだ。

 去年の今頃なんて、部長以外、あまり話した覚えがない。ちょっとした会話くらいはあったけど。

 活動の内容だって、指示さえもらえれば一人でもできる作業だったので、淡々と掃除するだけだったような。

 そう考えると、部長がお喋りだと気づいたのはいつ頃なのか、よくわからなくなる。

 何か劇的な出来事があって話すようになったわけではないし、もしかしたら俺以外のメンバーはそこそこ仲が良かったのかもしれない。

「どうかした?」

 いつも通りのイチの声。

「なんでもない」

 ……でもまあ。

 今は、この雰囲気が好きだ。
 居心地がいい。それでいい。

193 : 以下、名... - 2016/08/23 22:20:02.44 95OtfHS60 164/274


 案の定、帰りは荷物がすごいことになっていた。
 全員が荷物を持って、ハルくんと俺は、反対側の手で花火の袋も抱えていた。

 電車の中は人が多かったので、子供達をなるべく優先的に座らせる。
 ハルくんはチヨに席を譲った。

 しばらく電車に揺られていると、ムギちゃんとなーちゃんはチヨの肩で眠ってしまった。
 二人に挟まれているチヨも、頭を揺らしながらウトウトしている。

 空いた席に座るようにしていると、自然に、イチと俺で並ぶ座り方になっていた。
 今日はそういう日らしい。

「部長のおばあちゃんの家、どんなところか聞いた?」

 周りの迷惑にならないように、声を潜めてイチが尋ねてくる。

「いや、聞いてない」

「なんか、家のすぐ目の前に海があるらしいよ」

「まじで?」

「うん、泳いでもいいって」

 それは楽しそうだ。

「掃除が終わったら泳がなきゃな」

「ムギちゃん、水着あるのかな?」

「ねえちゃんのお古とか、探せばあると思う」

 どうせ行くなら、掃除だけじゃなくて、しっかり遊ばないと。

 というか、一泊二日しかないんだから、初日のうちに掃除は終わらせて、後は遊ぶくらいの時間割にしたい。
 掃除ばっかりしてても、なんだか勿体無いし。

194 : 以下、名... - 2016/08/23 22:22:43.08 95OtfHS60 165/274


 一時間弱電車に揺られて、最寄りの駅に降りる。
 チヨとなーちゃんは、まだ眠たそうに目をこすっていた。

 駅から一番近い部長の家に、荷物を一旦預ける。
 明日の朝、また寄って、荷物を持っていく。これに加えて自分たちの着替えなんかもあるから、かなりの大荷物になる。

 運ぶのには一苦労しそうだった。

「がんばろうな」

「うん」

 初めのうちは口数は少なかったが、ハルとも、今は普通に話せる。
 ムギちゃん程ではないけども。

 それでも、みんなだんだん、馴れてきた。

 部長と家の前で別れて、帰りの道を歩く。

 当たり前だけど、みんなそれぞれ家の方向が違うので、次第に人は減っていく。
 家の前まで来ると、隣にいるのは、ねえちゃんとムギちゃんだけになっていた。

 三人で「ただいま」と言い、家に入る。

 晩御飯にはまだ少し早かったが、明日は朝が早い。
 あらかじめ準備しておいたそうめんを、三人でつついた。

「そういえば、海で泳げるらしいよ」

「海?」

 ねえちゃんが反応する。

「泳ぎたい!」

 田舎でも川で遊ぶことはあるそうだが、ムギちゃん曰く、川と海ではいろいろと違うらしい。

「水着とかあれば、持って行った方が楽しいと思う」

「あとで探してみよっか」

「うん!」

 その日は、早めに二人は帰った。

 荷物の確認をして、シャワーを浴びる。

 ぬるい水道水を一口飲んで、それからベッドに倒れ込む。

 その夜は涼しかったが、なかなか眠りにつくことはできなかった。

198 : 以下、名... - 2016/08/24 12:31:49.54 ifFcB1G70 166/274

 七時十四分。
 改札をくぐる。大人数なので、それだけの行動にも時間がかかった。

 向かっているのが街中とは反対だったので、大量の荷物が邪魔になる心配は無用だった。

 ガラガラの車内で、荷物と一緒に座る。
 俺たちの他には人はいなかった。

 なーちゃんは珍しく、ムギちゃんと同じくらいはしゃいでいる。
 イチと一緒に窓の外の流れる景色を眺めていた。

 ねえちゃんはナナコと何か話している。盛り上がっている様子だったが、なにを話しているかは聞き取れなかった。

「おばあちゃん、昨日出発したらしいから、行ったらすぐに入れるからね。
 着いたらまずは荷物の整理しよう!」

 部長はそういうと、ストラップのついた鍵をくるくると指で回して見せた。
 チヨが「はーい」と返事をする。

 二時間弱、電車に揺られて、なーちゃんが静かになってきた頃、目的の駅に到着する。

 古びたホームに荷物を降ろして、人数を確認する。
 十人。

「……一人多い」

「数え間違いでしょ」

 イチが素っ気なくそう言うので、もう一度数え直す。

 九人。
 合ってた。今のはなんだったんだろう。

199 : 以下、名... - 2016/08/24 12:34:04.28 ifFcB1G70 167/274


 無人の改札を抜けて、ボロボロのベンチが置いてある待合室を通り、駅の外に出る。
 駅の目の前には海が広がっていた。

 ザ・田舎の駅。

 十秒で探検が済みそうなレベルの広さだった。待合室の隅っこには、虫やら枯葉やらが転がっている。

 全員で分担して荷物を持って、部長を先頭に道を歩く。歩いてすぐ、とのこと。

 海沿いの道は、陽射しが強くて、少し眩しかった。
 右手には海、左手には背の高い草むらや、ツタに覆われた小屋。

 癒される。

 五分ほど歩くと、大きな山荘のような家にたどり着いた。
 ログハウス、って言うんだっけ。

「ここ?」

「うん、おばあちゃんち! 友達に設計してもらったんだってー」

「大きなログハウスですね……」

 外から見る限りでも、ある程度広いのがわかる。
 正面の上の方に、小さなベランダ。
 家の周りにはウッドデッキがあって、奥の庭に降りる階段がある。

 部長が入り口の扉を開ける。

 中は、外見よりもさらに広く見えた。

 リビングの奥にある畳の座敷に、全員分の着替えや荷物を置く。

「普段は使ってない部屋だから、好きにしてくれていいって」

 次に、買い出しで購入した食べ物を、冷蔵庫やテーブルの上のトレイに並べる。

 お湯のポットの位置や、ガスが使えるかどうかも確認しておいた。

200 : 以下、名... - 2016/08/24 12:34:48.53 ifFcB1G70 168/274

 一通りの片付けが終わると、子供達がそわそわし始める。
 さざ波の音が聞こえて、セミがよく鳴いている。

 たしかに落ち着かなくなってくる。
 遊びたい、のはわかるが、

「まだ、掃除が、終わってからね」

 チヨが子供達を諌める。

 やるべきことは、先に終わらせます。

 掃除場所の分担は、公正公平なジャンケンによって決められた。

 俺はチョキを出した。

201 : 以下、名... - 2016/08/24 12:36:17.80 ifFcB1G70 169/274

 急な階段を登る。

 ロフトに顔を覗かせると、むわっとした熱気が頭を包んだ。
 暑い空気は上にたまる。

 壁についているスイッチを押すと、頭の上から風がふく。
 天井についていたファンが回りだした。お金持ちの家についているアレ。

 ロフトには、ソファが一つと、あとは広いスペース。
 一階のリビングが見下ろせる構造になっていた。

 後ろから雑巾を持ったムギちゃんとハルが昇ってくる。

「ベランダ!」

「走ったら落ちるよ」

 ムギちゃんが扉を開けて、ロフトに海風を入れる。後ろからハルも続く。

 ベランダに出てみると、目の前の海が見渡せた。太陽の光が反射して眩しい。

 というかベランダ狭い。
 三人入るのがせいいっぱい。

 セミの声が後ろの山から響いていた。

 うん、いい空気。

 ハルとなーちゃんがベランダで遊んでいるうちに、
 ファンの上と天井付近のホコリを落とす。

 ログハウスなので、板目の間に埃がよく溜まっていた。
 綿棒とティッシュを駆使して細かいところの埃を落とす。

「よし、お前たちにミッションを通告する!」

 ベランダから二人が帰ってくる。

 ちょっと慌てて帰ってくるのが微笑ましい。

 ロフトに落ちた埃を、ホウキとちりとりで集めるよう頼む。
 二人が思っていたよりも真面目にやってくれたので、予想より早く進んだ。

202 : 以下、名... - 2016/08/24 12:37:00.40 ifFcB1G70 170/274

 埃がなくなった箇所から、濡らした布巾で軽く拭いていく。

 これだけでかなり綺麗になった。

 こめかみに汗が伝う。
 やっぱりベランダからの風だけでは足りない。

「終わったら海でもいくか」

「うん」

「行きたい!」

 二人とも、汗で背中が湿っていた。

 部長を呼んで、さっと確認してもらう。

「うん、ばっちり! 仕事早いね!」

 まあ、楽なところではあったし。

 ムギちゃんとハルがそわそわしていたので、なーちゃんも終ったら海に行こう、と伝える。

 二人はなーちゃんを探しにいった。

「いやぁ、やっぱり来てもらってよかった!
 早く終わるし、親戚みたいに、その……気も使わなくていいし」

 部長は少し目を伏せて、すぐにはっと顔を上げる。

「い、いや、特にそんなこともないんだけどね!
 終わったみたいだし、もしアレなら海にでも遊びに行ってみたら?」

 そう言い残すと、部長は早足にどこかへ去っていった。

 なんというか、まあ。

 ふと、ログハウスの裏側がどうなっているのか気になって、家の裏手にまわる。

 相変わらずセミがよく鳴いている。

203 : 以下、名... - 2016/08/24 12:38:17.34 ifFcB1G70 171/274

 日差しが強いかと思ったが、森から木が伸びていて、ほとんどが日陰になっていた。
 廃車になっている軽トラが転がっている。

 窓ガラスが割れていて、狭い運転席はツタで覆われている。
 なんか癒される。

 ふと後ろを振り返ると、ナナコがしゃがみこんで、何かしていた。

「……何してんの?」

「水道のところ、虫の死骸が溜まってまして……」

 覚悟を決めてたところなんです、とナナコは息を飲み込んだ。

 ゴミを取り除かないと、掃除の仕上げができないらしい。

 そういえばナナコ、虫が苦手なんだっけ。

「ちょっと待ってろ」

 颯爽と立ち去る俺。

 しばらく経って、再び帰ってくる。

「待たせたな」

 ねえちゃんを連れてきた。

「……え、なに?」

「虫とって」

 ねえちゃんは微妙な顔をしたが、だいたいの状況は把握してくれたようで、ちりとりを使って虫を除けてくれた。

 ナナコは微妙な顔をしていたが、「ありがとうございます」とは言ってくれた。

 うん、虫は苦手だと本当に触るのキツイもんな。
 わかります。

「何かできないことがあれば、他の人も頼れよ」

 格好良さげを言ってみたのはいいが、横からねえちゃんに小突かれる。

「あんたのセリフじゃない」

 ナナコは笑って、もう一度「ありがとうございます」と言った。

204 : 以下、名... - 2016/08/24 12:40:14.07 ifFcB1G70 172/274

 ねえちゃんの担当は終わっていたので(イチがほとんど終わらせていた)、三人でそこの仕上げをして、部屋に戻る。

 掃除は全て終わっていた。
 だいたい一時間ちょっと。さすが清掃部。

「海いく?」

「行こうよ」

 まだ昼食には早かったので、全員で海に行くことにした。

 よかった、水着持ってきてて。

 ハルを連れて部屋を出ようとすると、子供三人はもう着替えを済ませているようだった。

 ウッドデッキに出て、三人に準備体操をするように伝える。
 が、出たところで、俺が着替える場所がないのに気づく。

 女子が着替え終わるのを待って、出てきたら部屋で着替えよう。

 そう思い振り返ろうとすると、窓のカーテンが開いたままなのが目に入った。
 目を背ける。

「どうかしたの?」

 ムギちゃんが浮き輪を持って尋ねてきた。

「僕も思春期なんです」

 俺は答えた。

 女子勢が部屋から出てきたので、入れ替わりで部屋に向かう。

 扉を開ける。

「えっ、なっ!」

 視界に肌色。

 物凄い速さで扉を閉める。

 ……見てないです。

「まだ着替えてるよ!」

 扉の向こうからイチの焦った声が聞こえてくる。

 振り返ると、女子勢がなんとも言えない表情で俺のことを見つめていた。照れる。

 ハルはため息をついた。

 これは後から聞いた話だけど、イチはこの時水着が鞄の底にあって、探すのに時間がかかっていたらしい。
 そういう事は早く言って欲しかった。

205 : 以下、名... - 2016/08/24 12:41:20.11 ifFcB1G70 173/274

 しばらく待っていると、水着の上からパーカーを着たイチが部屋から出てきた。

「……見た?」

「見る前に閉めました」

 ちょっとだけ背中が見えました。
 ありがとうございます。すみません。

 後ろから若干の視線を感じながら、部屋に入って、サッと着替える。
 男の子の着替えは早い。

 先に向かっているかな、と思い部屋を出ると、案の定ウッドデッキには誰もいなかった。

 先に海に向かったらしい。

 といっても歩いて10秒くらいの距離なんだけど。
 道を挟んで防波堤があって、そこから階段を降りると砂浜がある。

 ウッドデッキに置いてあるサンダルを履いて、軽く体操をしてから、防波堤に向かう。

「置いてくよー」

 イチが防波堤の上から手を振っている。
 ポニーテールが海風に揺れていた。

 なんというか、その。

 仲間外れにされてない、って感じ。

 すぐ行く、と言って走り出す。

 イチはポニーテールを撫でながら、砂浜に続く階段を降りた。

 防波堤の上に立つと、みんな砂浜で待ってくれていた。

 あ、忘れられてたわけじゃないんだ、と思う。
 そう思うと、ちょっと安心した。

206 : 以下、名... - 2016/08/24 12:43:28.58 ifFcB1G70 174/274

 しばらく海で遊んで、全員で海から引き上げる。
 思ったよりも藻が多くてげんなりした。

 が、ムギちゃんにはそんなもの効かなかった。ハルとなーちゃんを引きずり回して楽しそうに遊んでいた。

 部長が庭の裏からホースをもってくる。

 交代で冷たい水を浴びて、塩水を流した。

 なーちゃんが冷たい水を歯を食いしばって耐えている。
 ムギちゃんは逃げるので、ナナコが取り押さえていた。

 女子勢が浴びるときは、先に日焼け止めのパーカーやらライフガードやらを脱いでから浴びていたり、
 水を入れるためにちょっとだけ水着を浮かせたりするので、

 海にいた時より肌の面積が多かった。

「どこいくの?」

「素潜りしてくる」

 さくらんぼ系男子には直視しかねる光景だった。
 でもたぶん、後になって見ときゃよかった、と後悔する。

 浜辺に立って、海を眺めた。

 あ、潮が引いてきてる。

 後から来ると、もっと砂浜が多いかもしれない。
 夕方頃に散歩でもしようかな。

 ログハウスの方からねえちゃんの呼ぶ声が聞こえてくる。
 早足で帰って、シャワーのホースを受け取る。
 足元の地面はもうびしょ濡れだった。

 シャワーを受け取るとき、意外にねえちゃん胸があるんだな、と思う。

「意外に胸あるんだ」

「それ他の人の前で絶対言うなよ」

 よく考えるとセクハラだった。

 親しき中にも礼儀あり。
 いくらねえちゃんでも、これからはそういうことにも気をつけよう。

207 : 以下、名... - 2016/08/24 12:46:28.45 ifFcB1G70 175/274

 鬼のように冷たいシャワーを浴びて、身体を拭く。
 ウッドデッキの陰で、ハルと一緒に着替える(よく考えると見られるような人がいないことに気付いた)。

 服を着て、少し暇な時間ができる。
 女子が着替えるのはもう少し時間がかかりそうなので、ハルと一緒に駅へ続く道を散策する。

 ゆっくり歩いていると、山側に続く細道が意外に多いことに気付いた。
 夜に行けばカブトムシとか取れるかもしれない。

「姉ちゃん、さ」

 ハルがセミの声にかぶせるように、口を開く。

「チヨがどうかした?」

 ハルが言う姉ちゃんとは、チヨのこと。
 ねえちゃんのことは、ねえさんと呼んでいる。

「……いや、姉ちゃんじゃなくて」

 ハルが首を振る。
 しばらく迷った様子を見せて、それから俺に尋ねる。

「女の人が、女の人を好きになること……って、よくある?」

「……ん?」

 ……ん?

「……ごめん、なんでもない」

 少し迷った様子を見せた後、ハルはそう言ってお茶を濁した。
 なんだか歯切れが悪い。

 ハルに何があったんだ。

 でもまあ、言いたくないのなら仕方ない。

 汗をかきそうだったので、暑くなる前に戻る。
 戻ると、ウッドデッキでなーちゃんとムギちゃんが日向ぼっこをしていた。
 ハルは落ち着かなさそうに髪を撫でた。

208 : 以下、名... - 2016/08/24 12:48:34.18 ifFcB1G70 176/274

 時計の針が頂上を過ぎていたので、全員で適当に昼食をとる。
 テーブルは異常に広かったので、座る場所は問題なかった。親戚が来ても対応できるように、らしい。

 午後になると、だんだんとみんな疲れてきた。

 ナナコとねえちゃん、それからイチは座敷で眠ってしまっていた。
 チヨもいつも通り、座ったまま部長の隣でウトウトしている。

 だが、なーちゃんはいつもと違い元気だった。
 海から上がっても依然、ムギちゃんと一緒にテンションが高い。

「散歩行きたい!」

 ムギちゃんが椅子から立ち上がる。

「そういえば、駅の方にちょっと歩けば公園があるよ。暑いから私はいかないけど。
 ……お昼寝でもしようかなぁ」

 部長がそう言ったので、行きたい行きたいと二人が騒ぐ。

 ハルがこちらを見る。

「……よし、行くか」

 チヨがはっ、と目を覚まして、なーちゃんに日焼け止めを塗るように言う。
 ムギちゃんも一緒に塗ってもらっていた。

「二十分くらい歩けば着くと思う」

 部長の言葉を背に、四人でサンダルを履いた。
 ムギちゃんは麦わら帽子を被った。

209 : 以下、名... - 2016/08/24 12:50:02.12 ifFcB1G70 177/274

 昼下がりの暑い道を並んで歩く。

 セミの鳴き声が山から響いていた。
 防波堤を挟んで、さざ波の音が小さく聞こえてくる。

 さっき降りてきた駅の前を通って、さらに十分ちょっと歩くと、長い一本道は背の高い草むらの中に入った。
 ところどころ草が伸びていて、足に草があたる。

 チクチク足にあたって、くすぐったい。
 子供達はたいして気にしていない様子だった。

 草むらの中を少し進むと、部長の言った通り、小さな公園に着いた。

 草は生えているが、小さなベンチがあって、小さな遊具。
 いつもの公園と同じような公園。

「いつもの公園と全然違うねー!」

 ムギちゃんがそう言いながら走りだした。

「そうか?」

「遊具とか、そういうの、かな」

 なーちゃんが首をかしげながら答えた。

 遊具。
 たしかに、俺から見ればただのオブジェだけど、遊ぶとなると、少しの違いが大きく見えるんだろうか。

 なんか歳とったなぁ、と思った。
 まだ十七だけど。

210 : 以下、名... - 2016/08/24 12:51:36.92 ifFcB1G70 178/274


 三人が遊具で遊び始めたので、ボロボロのベンチに座って、あたりを眺める。
 遊具はお世辞にも新しいとは言えなくて、むしろ若干廃墟っぽかった。

 なんかかっこいい。

 ハルの背丈ほどの草むらからは、虫の鳴き声が聞こえていた。
 よく考えてみると、セミ以外の虫の鳴き声って、聞き分けがつかない。

「くっそ暑いですねぇ……」

 こなたが当たり前のようにそう呟く。

「まあ、夏だからな」

 制服のスカートをぱたぱたさせているので、真っ白なふとももが見え隠れする。
 まぶしい。

 あつはなついですね、と、こなたは言って、ベンチの背もたれに腰掛けた。

「こっちの方が涼しいです」

 バランスをとるのが好きなのだろうか。

「そういえば、さっき朝晴さんが何か言おうとしてましたねー」

「ハルが?」

 さっきの女の子がどうこう、ことだろうか。

「なんて言おうとしたんでしょうねー」

「さあ。知ってるの?」

「さあー。どうでしょう」

 こなたは汗ひとつかいていない。
 鬱陶しげに空を仰いで、手のひらで陽射しを遮った。

211 : 以下、名... - 2016/08/24 12:54:09.70 ifFcB1G70 179/274

 相変わらずセミがしゃわしゃわと鳴いている。
 スマホの音量最大の音と、セミの声、どっちが大きいのだろうか。
 それくらいよく聞こえた。

 ぼーっと空を眺めていると、今度はムギちゃんに声をかけられる。

「誰かいた?」

「ううん。どうかしたか?」

「あ、そうだ、なーちゃんのサンダルが壊れちゃった」

 見ると、鼻緒の部分が裏側から壊れてしまっている。
 直せそうにない。

「怪我してない?」

「……うん」

 なーちゃんはしゅんと萎れてしまっていた。

 幸い、怪我はしていないようなので、そのまま帰ることにした。
 ハルが壊れたサンダルを持ってくれたので、なーちゃんをおんぶして歩く。

「重く、ないかな……?」

「軽い軽い」

 こんな歳から気にするようなもんなのか。

 まあ小学生くらいだったら、多少太っていようが、大体の子は背負えるはずです。
 なーちゃんは痩せてる方だし。

 ただ、意識してるつもりはないけど、若干胸、というかブラ(?)が、ちょっと、なんというかその。

 そのへんもチヨに似たんだろうか。

 ……いや、でも小学生だからね?

 セミの鳴く道を歩いていると、なーちゃんがやけに静かなので、寝てしまっているかも思ったが、
 ムギちゃんの言葉に相槌を打つ事はあったので、たぶんずっと起きていた。

 ハルとムギちゃんが少し先を歩いて、俺がそれについていく。
 おんぶをしていると、自然と歩調がゆっくりとなった。

212 : 以下、名... - 2016/08/24 12:55:26.56 ifFcB1G70 180/274

 家に戻ると、リビングには部長とチヨ、それからナナコとイチがいた。

 テーブルにはお菓子が広がっている。

「ねえちゃんは?」

「まだ寝てる」

 イチがお菓子をつまみながら答えた。

 ねえちゃん、やっぱり日頃の疲れがたまっているのだろうか。
 たまにはゆっくりするのも大事だ。

 子供たちを女性陣に任せて、俺も一眠りすることにした。
 なんだか眠たい。

 奥の座敷の扉を開く。

「ねえちゃん、ここにいたんだ」

 返事はなかった。ぐっすり眠っているらしい。

213 : 以下、名... - 2016/08/24 12:58:07.71 ifFcB1G70 181/274

 畳の座敷は、寒いほど冷房が効いていた。

 ねえちゃんは猫のように丸まって寝ている。
 薄いタオルケットを半分ほど余らせていた。

 その隣に転がって、タオルケットの余っている部分を分けてもらう。
 そのまま軽がるとねえちゃんのうなじを見つめる形になってしまうので、背中合わせの形で寝転がる。

 冷房。畳。寝息。
 背中にねえちゃんの気配。

 ちょっと昔を思い出す。

 まだ幼かった頃。
 どちらかの親が帰ってくるのを二人で待っていた頃。
 足りない家族を補い合っていた。

 できる限りの家事を分担してみたり、食事は一緒にとるようにしたり。

 今となっては昔の話。……でもない。
 俺も早く大人にならないといけないのかもしれない。

 大きな窓から裏庭が見える。
 廃トラックの扉が地面に落ちてる。
 ツタがハンドルを握っている。

 鬱蒼とした木漏れ日に、どうしてか背徳感を覚える。

 気が付くと、瞼を閉じていた。

 眠っているのだけど、僅かに意識はある。
 そんなまどろみの中、昼間のハルの発言を思い出す。

 珍しくハルから話を切り出していた。

 ハルは歳の割にはおとなしい。
 いつも遊ぶときも、ムギちゃんやなーちゃんに合わせていたり、周りの流れで遊んでいたり。

 空気を読む。

 おとなしい、と言うよりは、どちらかというと、大人しい方なのだ。

 そんなハルが、自分から何か話そうとした。

 後でもう一回聞いてみよう。
 聞けたら話を聞きたいし、それで言いたくないのならそれでいい。

 そんなことを考えていると、いつの間にか眠りについていた。
 畳は、ベットよりは硬かったけど、その時は不思議と寝心地がとてもよかった。

214 : 以下、名... - 2016/08/24 13:08:20.98 ifFcB1G70 182/274


 目が覚めると、外ではひぐらしが鳴いていた。
 夕方。田舎。

 そして寒い。
 タオルケットが全て隣に巻き取られていた。

「……寒いんですけど」

「私はちょうどいいかな」

 ねえちゃんの声が背中越しに聞こえる。

 身体を起こすと、首元が凝っていて痛いことに気付く。
 隣を見ると、丸まったままこちらを見つめるねえちゃんが見えた。

「……なに?」

「……なんでもない」

 ねえちゃんが表情を変えずに返事をする。
 頭以外は、全身綺麗にタオルケットの中。

「そろそろ、晩ご飯、食べるよ」

 扉越しにチヨの声が聞こえてきた。

 ねえちゃんが布団を剥ぎながらガバッと起き上がる。

「お腹すいた」

 睡眠欲と食欲に忠実なのは健康な証拠。

 立ち上がって、ねえちゃんと肩を並べながら軽く伸びをする。
 ノースリーブだったので、いろいろと見える。
 ふむ。

 でも、ねえちゃんなので問題なかった。

215 : 以下、名... - 2016/08/24 13:10:46.14 ifFcB1G70 183/274


 リビングに行くと、机の上にコップが並んでいた。
 なーちゃんたちが箸を並べている。

「もうちょい待っててねー」

 台所には部長が立っていた。

「焼きそば、作ってるから」

 チヨが隣で調味料やらなんやらの手伝いをしている。

「部長、料理できたんですね」

「えっへっへっ」

 出来上がった焼きそばをお皿にのせて、テーブルに運ぶ。
 九人もいるので、まるで林間合宿のようだった。

 焼きそばの味はまあまあだった。

 全員が食べ終わってから、ねえちゃんと俺で後片付けをする。

「任せちゃっていいんですか?」

 ナナコが台所を覗きにきたけど、「いいっていいって」とねえちゃんが追い返した。

「なら、二人のそれが終わったら花火しましょう」

 そう言って、ナナコはリビングに戻っていった。
 二人、というのは、たぶん、ねえちゃんと俺。

 台所には、かちゃかちゃという食器の音だけが響いていた。

216 : 以下、名... - 2016/08/24 13:11:43.53 ifFcB1G70 184/274


「思ったんだけどさ」

「なに?」

 食器を洗いながら尋ねる。
 人の家の食器なので、割らないようにいつもより気を遣った。

「ねえちゃんって、このメンバーと知り合いだったの?」

 清掃部のメンバー。
 イチ、ナナコ、チヨ、部長。

 あんまり知り合いという印象はない。イチと知り合いだったのも最近知ったし。

「イチゲ以外は、あんたの家で会ったのが初めて」

 俺から食器を受け取って、洗剤を洗い落としながらねえちゃんは答える。

「まあ、今じゃ誰とでも話すけどね」

「そっか」

 ねえちゃんは、昔から人に合わせることがよくあるところがある。

 だから今回も、俺とムギちゃんにわざわざ付いてきてくれたのかな、と少し心配だった。

 けど、最近はナナコと話しているところもよく見かけるし、他の人とも普通に話す。

 合わせているわけではなく、自分がそうしたいから……だと、思う。

「無理してない?」

「むしろ楽しい」

 ねえちゃんは会話の二手三手先を読んだかのような返事を返してきた。

 こういう時は嘘をつかない。
 無理をしてる時は無理をしてると伝える。

 俺とねえちゃんのルールだった。

 ねえちゃんが無理をしてる、と言わないのなら、
 それはねえちゃんの意思で決めていることだろう。

 なら、それが一番。

「それはよかった」

 なに大人ぶってんの、と脇腹を肘で小突かれる。

 ちょっと昔を思い出す。

 二人で声を出さずに笑った。

219 : 以下、名... - 2016/08/24 20:50:28.17 ifFcB1G70 185/274

 夜は花火をした。

 買い出しの時に買い込んでおいたやつ。

 普段ならあまり騒がないように気をつけるところだが、今日は周りに人がいないので、騒ぎ放題だった。

 頭の端に、線香花火以外禁止、という会長の言葉がよぎったが、誰も気にしていないので忘れたふりをした。

 部長も気にせず火を準備している。

 イチが大きい花火に火をつけて、ムギちゃんやなーちゃんがきゃっきゃっと騒ぐ。
 チヨが火傷しないように、と子供達を見てわたわたしている。

 ねえちゃんも珍しくはしゃいでいた。

 派手な仕掛や手持ち花火は、始めのうちになくなってしまった。
 ねずみ花火なんかも好評で、あっという間に数を減らす。

 なくなるの早え。

 残りは打ち上げと線香花火。

 打ち上げ花火をしてくる、と部長が砂浜にかけていった。
 みんな、それに付いていく。

 防波堤の上に残ったのは、ちょうど休憩していたチヨと俺だけになった。

 ……ちょうどいい。

220 : 以下、名... - 2016/08/24 20:52:57.53 H5SsrYQnO 186/274

 夜の砂浜は思った以上に暗くて、防波堤に腰掛けて下を見ると、ほとんどなにも見えなかった。
 声だけが淡々と聞こえてくる。

「さっき」

 浜辺には届かないくらいの声で、チヨに話しかける。

「ハルが、チヨについて何か言いかけてた」

 チヨが揺らしていた足を、ピタッ、と止める。

「女の子は女の子好きになるか、みたいな……ことを」

 灯りはない。
 せいぜいログハウスから漏れる光と、僅かな月明かりくらいしかなかったが、
 それでも、チヨの顔が真っ赤になったのはわかった。

「……いつ?」

 ものすごく小さな声で、尋ね返してくる。

 耳を澄ませてなければ、砂浜から聞こえてくる笑い声に、かき消されてしまいそうな音量。

「さっき。海からあがった時」

「そ、そっかぁ……」

 チヨは左手で、自分の頬を押さえた。
 押さえたというより、隠した。

 たぶん、赤くなってることを。

 海風がチヨの髪を揺らして、その横顔を隠す。

221 : 以下、名... - 2016/08/24 20:56:36.49 H5SsrYQnO 187/274

 防波堤の下の方から、部長の声が聞こえてくる。
 いつも学校で聞く声より、ふた周りくらい楽しそうな声。

 なぜ部長の声が耳に入ったのか、と一瞬疑問に思ったが、
 たぶんそれは、今俺たちが話していることと、部長が無関係ではないことを、
 俺が知っているからだ。

 女の子が女の子を好きになるか、と聞いて、チヨが顔を赤くする。

 チヨは、よく部長のそばにいる。

 普通に仲が良いから、というのもあるかもしれない。

 でも、この反応は。

 チヨのことをよく知っているハルが、俺にああいう事を尋ねた、ってことは。

「……チヨ、もしかして」

 チヨの方を見ると、少し下に俯いて、耳まで赤く染めていた。

「やっぱ、り、変、かなぁ?」

 焦っているのか、恥ずかしいのか、半笑いのような語尾。

 ーーたぶん、本当の気持ちを言葉にする時、人は平常心ではいられない。

「わたし、が、部長のこと、好きな、こと……?」

 チヨの頭から湯気が上がっていた。

 ……というのはさすがに言い過ぎかもしれないけど、少なくとも俺が見てきた中で、
 ここまで真っ赤な顔をしていたのは、後にも先にもこの時のチヨしかいない。

222 : 以下、名... - 2016/08/24 21:02:03.21 H5SsrYQnO 188/274

「……変、では」

 なんと声をかければいいのか、言葉に迷う。

 こういう時に気の利いた返事ができればいいのに、と本当に思う。

 ここで変なことを言ってしまえば、チヨを傷付けてしまうかもしれないし、
 ハルもそれがしたくて俺に相談したのではないだろう。むしろその逆だ。

 間違ったことを言ってしまえば、それだけダメな方向に周りの雰囲気が傾いてしまう。

 人が人を好きになるって、本人からすればものすごく大きな問題だ。

 だからこそ、言葉に迷った。

 迷ったけど、俺は、間違っていない答えを探すのに精一杯で、
 やっと組み立てた言葉は、保険をかけてしまった……普通の、言葉だった。

「変では、ないと思う」

 ……言ってから、もっといい答え方があったんじゃないか、と不安になる。

 しばらく、防波堤の上は沈黙に包まれた。気まずい。

 少しだけ目線を横に向けて、チヨの顔を見る。俺のせいで傷ついたりしてないだろうか。

223 : 以下、名... - 2016/08/24 21:06:38.70 H5SsrYQnO 189/274

 チヨの横顔は、相変わらず真っ赤だった。

 が、その表情は緊張したものではなく、ただ顔が冷めるのを待っているだけの、
 普通の表情に見えた。

 重苦しい……ことはない。
 なんというか、不思議な雰囲気。

 ……テストが全て終わった後の教室、というか、終業式の後の学校、というか。透明感。

 隣から、控えめに深呼吸している音が聞こえてくる。

「……ありがとう」

 しっかり聞きとれる声。

 今度は小さくはなかった。

 たぶん、俺に向けてくれた言葉。

 間違ってなかった、ということがわかって、俺も安心する。
 なぜか俺からも「ありがとう」と言っていた。

 二人で少し笑う。

 しばらくして、みんなが砂浜から引き上げてくる。
 線香花火の準備をしていたので、ハルを呼び止める。

「なに?」

「さっきの話。チヨに聞いた」

「……マジ?」

 ハルは珍しく本気で驚いていた。

 話して良いのか迷って、チヨの方をちらりと見る。
 チヨは、少し口の端を上げて、こくんと頷いた。

 簡単に説明する。

 言葉にすればほんの一言だ。

「……みんなには、内緒、ね?」

 そのうち、言うかもしれないけどね、とチヨは笑いながら頬をかいた。

224 : 以下、名... - 2016/08/24 21:07:51.96 H5SsrYQnO 190/274

 その後、別に部長とチヨの関係が変わった、なんてことは特にない。

 俺に部長への気持ちを知らせたところで、
 チヨの中では別に何も変わってないのかもしれないし、変わっているのかもしれない。

 もしかしたら何か俺の見えないところでは変わっているのかもしれないけど、まあ目立った変化はない、はず。

 部長がチヨの気持ちを知っているのかどうかもわからないし、
 チヨが伝えるつもりなのかどうかもわからない。

 つまり、今日、防波堤で話をしたことによって、変わった関係は何一つないということ。

 まあ、それが一番。

 ただ、あえて挙げるとするなら、次の日から(たまたまかもしれないけど)、
 チヨは、肩まで伸びた髪を、後ろで纏めるようになった。

226 : 以下、名... - 2016/08/24 21:29:39.71 ifFcB1G70 191/274

 夜、横になっても、なかなか眠りにつくことができなかった。

 ゴロゴロしてても瞼が重くなる気配はなかったので、起き上がって、気分転換にベランダに出てみる。

 縦になっても眠くなることはなかった。

 深夜だったので、波の音がよく聞こえる。

 こなたはベランダの手すりに腰掛けていた。
 俺は背中を手すりに預けて、空を見上げる。

「そんなとこいたら落ちるよ」

「恋に?」

「ベランダの下に」

 嘘みたいに綺麗な星が、少しづつまたたきながら、真っ黒な海で輝いている。

「こういう高いところって、ワクワクしますよねー」

 ベランダの下に広がる海から、やけに鮮明に波の音が聞こえてくる。
 山の方からは虫の鳴き声が聞こえていた。

 二時過ぎ。昼間ではなく深夜。

 良い子は布団に包まって、眠りの底にいる時間だった。

227 : 以下、名... - 2016/08/24 21:35:41.18 ifFcB1G70 192/274

「それにしても、さっきの千陽さんのこと、驚きましたねー」

 そういう割には、こなたは別に驚いている様子はなかった。
 昔読んだ面白い本を読み返した後、みたいな。

「まあ、人の好みは人それぞれだからな」

 個性とも言う。

「せんぱいも、いつ男の人を好きになるかわかりませんからね」

「それはない」

 ……と信じたい。

 でも、なったらなったで、それも楽しいのかもしれない。
 今のところ男に惚れる予定はないけど。

「ところで、千陽さんの好きな人がわかったところで」

 こなたはベランダにすとん、と降りた。

 気のせいかもしれないけど、降りた時に音がしなかった(聞こえなかっただけかもしれない)。

「せんぱいは好きな人、いないんですかー?」

 こなたの口から『好きな人』と聞くのは何故か違和感があった。

 なんか、想い人、とか言いそうな雰囲気なのに。急に若者感。
 まあ若いんだけど。

228 : 以下、名... - 2016/08/24 21:39:05.04 ifFcB1G70 193/274

 黙ってさそり座を探していると、こなたの追撃が横からとんできた。

「ほらぁ、せんぱい、今ならより取り見取りですよー」

「俗な言い方をするんじゃない」

 頭を軽く叩こうとすると、さっと横によけられた。
 避けられたみたいでちょっと凹む。

「だって、千陽さんはまあ、いばらの道ですけど、音絵さんに、暦さん、菜々子さん、部長さんに、それから一夏さん」

「…………」

「あ、もしかして晴和ちゃんたちも射程圏内ですか?」

 それはない。

 ですよねー、とこなたは笑う。

「まあ小学生にドキッとする高校生は、いささか見過ごせませんねー。
 ましてや、その齢の女の子の胸の膨らみを気にするような男性も、ちょっと如何なものかと思いますけど……」

 まあ、せんぱいならその心配はもちろんありませんよね? と、こなたはわざとらしく下から覗き込んできた。

「当たり前じゃないか。俺は身長の問題上、小学生の胸部は視界に入らない」

「それなら安心です」

 安心された。俺も安心。

229 : 以下、名... - 2016/08/24 21:40:16.11 ifFcB1G70 194/274

「で、どなたにされるんですか?」

 振り出しに戻る。

「いや。選ぶとか、その、そう言うのじゃなくない?」

「えー、もったいないですよー。世の中には女性と話す機会すら与えられていない人もいるんですから」

 空には月は浮かんでいなかった。
 おかげで星がよく見える。

「その点、せんぱいは物凄いですからね。毎日のように女性とスキンシップをとっています」

「いや、とってないし」

「え?」

 これでも細心の注意は払っている。

「でもさっき、台所で……」

 ねえちゃんは話が別だった。

「あれは姉弟みたいな」

「都合の良い言い訳ですね」

「てへ」

「きもいです」

 夜遅くだと、口数が増える。
 心なしかこなたもよく喋るし。

230 : 以下、名... - 2016/08/24 21:43:08.24 ifFcB1G70 195/274


「で、どなたなんですか?」

「粘るね、キミ」

「夜は時間が掃いて捨てるほどありますからねー」

 たしかに、夜の五分と朝の五分では、価値が月とスッポンのレベルで違う。
 ……ちょっとニュアンスが違うか? 夜なので頭が回らない。

「正直な話」

 こなたは急に神妙な口調になった。
 神様が妙な顔をする。

「せんぱいは、江戸時代でいう大奥の将軍になりたいと」

 突然古風な言葉を使いやがる。

「もっと簡単に言って」

「ハーレム築きたい」

「いや、それはちょっと語弊がある」

 いろいろと問題がある。

「だって、可能であれば、全員と手を繋いでみたいんですよね?」

「なんて健全な思考の持ち主なんだ俺は」

「その程度しかする度胸がないと貶しているんですー」

 貶されていた。

「そして、仮にせんぱいに度胸があれば、全員と淫猥な関係を持ちたい……と」

「淫猥とか言うんじゃない」

 今日のこなたはテンションが高い。

 夜遅くに気分が盛り上がるのは俺だけではなかったようだ。

231 : 以下、名... - 2016/08/24 21:45:13.79 ifFcB1G70 196/274


「まあ、つまり何が言いたいかと言いますとー」

 俺は黙って、こなたの言葉の続きを待つ。

「そういう場合、全員は選べませんよ」

「…………」

 それはわかってる。

「ハーレムを築ける人なんて、聖徳太子くらいです」

 なんで聖徳太子。

「あの人はすごかったんですからねー。
 まあ、あれほどでもないと、そう言う関係になりたいのなら、一人しか選べませんよーってことです」

 わかってる。
 そもそも、努力をしなければ、一人の人に好かれることすら難しい。

 今だって、部員だから仕方なく関わってくれているだけで、もしかしたら全員が俺のことを嫌っている可能性だってあるのだ。

 ……考えたくはないけど。可能性はゼロではない。

 でも。俺は、できることなら、

「このままの関係がいい」

 こなたは、俺の心の中を読んだかのようなセリフを口にした。

「ですが、それができるのは、せいぜい聖徳太子くらいですよ」

 だからなぜ聖徳太子。

232 : 以下、名... - 2016/08/24 21:48:56.01 ifFcB1G70 197/274


「……俺は、今の雰囲気が好きなんだけど」

「雰囲気だけを求める人は、いつか手元に何も残らなくなります」

 こなたは手すりの上に登った。
 両手を開いて、揺れる身体のバランスをとる。

「同じ雰囲気を求めるのなら、現状維持ではなく、変わることで再び同じ雰囲気を再現することが、最善手だと……」

 こなたがピタッと固まり、夜空を見上げる。
 後ろ髪は、夏休み前からちっとも伸びていなかった。

「……こなたは思いますけどねー」

 こなたの声が頭に響く。

 目を閉じる。

 どうなんだろう、と俺は思った。

 視界から情報が入らなくなると、耳に届く虫の鳴き声が、何重にも重なって聴こえた。

 なんというか、その。

 なんだかなぁ。

 その晩、いつから夢を見ていたのか、よく覚えていない。
 もしかしたら全て夢だったのかもしれない。
 こなたと話したことも、チヨから話を聞いたことも、合宿に呼ばれたことも。

233 : 以下、名... - 2016/08/24 21:54:41.65 ifFcB1G70 198/274


 でも、目が覚めたとき、俺はロフトに敷いた布団の中にいた。合宿に来たのは夢ではないようだ。
 さすがに寝る場所は分けたほうがいい、と言ったのはいいが、寝る場所がなくて、結局ロフトを選んだことは、なんとか思い出せた。

 時間を確かめると、朝の五時。いつもより遅い時間。
 随分と汗をかいていたので、水着に着替えて、早朝の海に飛び込んだ。震えるほど寒かった。

 砂浜に座って、だんだんと高くなっていく朝日を眺める。
 うしろから聞こえてくるセミの声と、砂浜を削りとっていく波の音が、綺麗に揃って聞こえた。

 虹色のような境界の朝空を遠くに見つめていると、この世界には俺一人しかいないんじゃないか、と錯覚しそうになる。

 背徳感。

「なにしてるの?」

 不意に、うしろからかけられた声に振り返る。波の音。

「やは」

 寝巻きのままのイチが、防波堤の階段を降りてきていた。セミの声。

 まだ眠たそうな目をしているイチは、少し離れた俺の隣にきて、大きく伸びをした。珍しく髪をおろしている。

「ちょっと母なる海と対話してた」

「ふうん」

 何をしていたのか、自分でもよくわからない。
 さっき見た夢もふわふわと思い出せなくなっていた。

234 : 以下、名... - 2016/08/24 21:59:19.04 ifFcB1G70 199/274


「イチ」

 突然名前を呼ばれて、隣に座る女の子がこちらを振り返る。

「なに?」

「もしさ」

「うん」

「聖徳太子になれるとする」

「……聖徳太子ね」

 かつての聖人。

「なる?」

「いや、ならなくていい」

 イチは当たり前のように返事をした。

「人の話を十人も同時に聞けるのに?」

「それは確かに便利だけど、聖徳太子は私じゃないし」

「聖徳太子は私じゃない」

 なるほど、と思った。

 確かに、聖徳太子になってしまうと、自分だけでなく、周りの関係まで変わってしまうのかもしれない。
 親も、知り合いも、友人も。

 それは普通に嫌だ。
 
「どうしたの、藪から棒に」

「いや、ちょっとね」

 頭に浮かんだだけです。
 どうしてかはわからない。

235 : 以下、名... - 2016/08/24 22:05:35.42 ifFcB1G70 200/274

「ふうん」

 イチは海に目線を向けた。

 彼女は左手で貝殻を拾って、波の中に投げ込む。
 貝殻は一瞬で見えなくなった。

 でも、潮が引いてきているから、後から探せばまた見つかるかもしれない。
 その必要は、たぶんないけど。

 イチは隣に座っている。

 浜辺には二人だけ。

 もし防波堤と砂浜でこの世界を区切ってしまうなら、ここには俺とイチしかいないことになる。

 イチがここにいるということは、
 たぶん、俺はまだ嫌われてはいない、ということ、だと思う。

「ねえ、イチゲさん」

「なに」

 久しぶりにあだなではなく名前を呼ぶと、なんだかちょっぴり違和感があった。
 いい違和感。言葉にしづらいけど。

「俺って嫌われてると思う?」

 イチは露骨に「はぁ?」という顔をした。

「なんで突然」

「いや、なんとなく。不安になって」

 実は朝起きた時、いつもそれを思って不安になったりしてます。

 俺の父さんは、俺が小学四年生のときにいなくなった。
 朝起きると、車がない。帰ってこない。

 父さんは、俺と母さんよりも、俺の知らない女の人を選んだ。
 俺が嫌われていたから、可愛くなかったから、かもしれない。

236 : 以下、名... - 2016/08/24 22:07:04.83 ifFcB1G70 201/274

「うーん、難しい質問だけど」

 難しい質問らしい。

「少なくとも、私は、嫌いではないよ」

 イチは海に向かってそう言うと、さっきの俺のように、貝殻を投げた。
 泡が立って、貝殻が海に沈んでいく。

 泡沫。

 はかなく消えてしまうものの例え。

 今は嫌われていないということに、少し安心する。
 でも、いつそれが変わってしまうかは、誰にもわからない。

 こう考え始めてしまうと、もうキリがなかった。

 日が高くなってきて、ログハウスの方から話し声が聞こえてくる。
 イチはしばらく落ち着かなさそうに後ろ髪を撫でていたけど、立ち上がって、「もどろっか」と呟いた。

 俺も頷いて、重たい体を砂浜からもちあげる。

「あ、そういえばさ」

 イチが振り返る。

「聖徳太子って、実は架空の人物かもしれないんだって」

「へえ」

 ……案外、そういうものなのかもしれない。

237 : 以下、名... - 2016/08/24 22:12:50.72 ifFcB1G70 202/274

 結局その日は、夕方まで騒いだり笑ったり、喚いたりして過ごして、夕方頃の電車に乗って帰った。

 ゴミはまとめて置いて帰っていいと言われたので、帰りの荷物はかなり少なくなっていた。

 みんなはほとんど眠ってしまっている。

 なーちゃんとムギちゃんがチヨの肩に頭を乗せ、チヨは膝に抱えたバックに顔を埋めて眠っていた。
 後ろ髪がくくってある。

 窓の外には、見たことないような、あるような、田んぼがひたすら並んでいる景色が流れていた。

 ぼーっとそれを眺める。

 ガタンゴトンと揺れる電車の音を聞いていると、たしかに少し瞼が重たくなった。

238 : 以下、名... - 2016/08/24 22:14:02.80 ifFcB1G70 203/274

 合宿が終わった。

 いつの間にか、夏休みが半分も終わってしまっている。
 が、去年とは違って、焦燥感に駆られることはなかった。

 たまに課外にも行ってるし、毎日家にこもっているわけでもない。
 こうして合宿もしてるし、ムギちゃんたちに連れられて外に遊びに出かけることもある。運動にはなっているだろう。

 気がかりなことがあるとすれば、課題くらいか。
 いい加減本気で取り掛からないとまずいのかもしれない。

 でもまあ、最悪、課題は最後にまとめてやればいいか。

 そう思えるだけ、やはり去年とはだいぶ違う過ごし方をしていた。

 去年の今頃だと、課題を終わらせないと、と毎日不安になりながらも、なかなか行動が起こせていない頃だろう。

 そう考えて、去年とは違う環境にいるんだな、と実感する。

239 : 以下、名... - 2016/08/24 22:16:01.60 ifFcB1G70 204/274

 車内を見渡すと、ウトウトとしているイチと目が合う。

 特に意味もなく頷く。イチも頷き返してきた。たぶん意味はない。

 もうすぐ最寄りの駅に着く。

 こんな時間が続けばいいのになぁ、と思う。

 まあもうすぐ電車は停まってしまうのだけど。そうではなくて、こう、ニュアンス的な。

 こういう雰囲気を、保てればなぁ、と。

 最近しばらく思っている。

 安心できる居場所が、やっとできた。
 ねえちゃんと俺だけでは、つくることのできなかった居場所。
 家族……ではないけど、なんというか、こう。

 なんというか。

 言葉にするのは困難を極める。
 それくらい脆いのかもしれない。

「どうかした?」

「……え?」

「難しい顔してる」

 イチが眠たそうな眼でこちらを見ていた。

「そうかな」

 まあ、言葉にできなくても。

「なんでもないならいいや」

「おう」

 今はまだ、このままで。

 まだ夏休みは残っている。

 まだまだやりたいことはあるし、やっていないことがたくさんある。

 自転車で遠くに行ってみたり、ユウキ達とバーベキューをしたり。
 徹夜で何かしてみたり、カブトムシも捕まえたい。
 映画なんかも面白そうなモノをやってるし、そういえば花火大会も、今年はまだ一度も行っていない。

 そう考えると、胸が少し高鳴った。

 夏の日は長い。
 時間はまだある。

242 : 以下、名... - 2016/08/25 14:15:27.23 TLj9UmSq0 205/274

 翌日の課外は午後からだった。

 午前中は雨が降っていたが、昼が近づくと、さっきまでの天気が嘘のように晴れ渡っていた。

 玄関を出ると、蒸し風呂のような熱気と湿気が襲いかかってくる。

「暑い」

 文句を言っても仕方あるまい。
 課外の荷物を持って、学校に向かう。

 通学路で、それほど仲良くないクラスの男子に出会った。

「おう」

「おはようございます」

「なんで敬語なんだよ」

「いや、なんとなく」

 なんとなくです。
 あんまり話さない人と話すときって、どうしたらいいかよくわからない。

「最近なんかあった?」

 そう聞かれて、うまいこと答えられるのはほんの一握りの人間だと思う。

243 : 以下、名... - 2016/08/25 14:16:20.67 TLj9UmSq0 206/274

「特に、ないかな」

「へー」

「お前は?」

「実はな……」

 彼は続ける。

「彼女できた」

「マジか」

 微妙な歩幅。
 ゆっくり歩くべきか早く歩くべきか迷う。

「え、誰?」

「えっと、一年生の」

 一年生。
 コヨミちゃんくらいしか知らない。

「…………」
 
 ……コヨミちゃんじゃないよね?

「前川って子。知らない?」

「ごめん、知らない」

 知らない。よかった。

 何故だか、知り合いの女子に彼氏ができるというのは少なからずショックを受ける。
 いや、俺がそんなこと言う立場ではないことはわかってるけど。

 なんというか、ね……?

244 : 以下、名... - 2016/08/25 14:18:49.84 TLj9UmSq0 207/274

 結局、そいつの惚気話を聞いている間に、教室についてしまった。
 教室に入ると、どちらからともなく距離を取り、そいつは別の友達と話す。

 が、ユウキもチヨも来ていなかったので、俺は一人で椅子に座っただけだった。

 しばらく待っていると、きいちゃんが教室にやってくる。

「今日も暑いね」

 授業はいつも通りわかりやすかった。

 課外が終わって、まだ帰るのはなぁ、という時間になる。

 チヨは課外の続きへ、ユウキはそもそも来ていなかった。何かあったのだろうか。

 家に帰るのも、この暑さだし、なんだかなぁ、というか。
 どうせ帰っても誰もいない。

 せっかくなので部室に行ってみる。
 鍵が開いてなかった。

 渡り廊下に行ってみる。
 が、今日はこなたはいないようだった。

 スマホが鳴る。ユウキからだ。

『む休外課らかたし坊寝』

 何かの暗号かと思い、しばらく考える。

 が、よく見ると単に反対側から読むだけと気付く。しょうもない。
 そういう手間をかけることを、ユウキは惜しまない。

245 : 以下、名... - 2016/08/25 14:20:11.01 TLj9UmSq0 208/274

「生徒会室に行きましょう」

 突然頭に浮かんでくる。天誅?

 そういえば生徒会室にまだ行ってなかった。
 踵を返し、生徒会室に向かう。暑さで頭がどうにかしてしまいそうだった。

「だからなぜ来る……」

 生徒会室の扉を開けると、ねえちゃんが困ったようにため息をついた。
 会長と部長が後ろで笑っている。

「え、来ちゃまずかったですか」

「いやぁ、つい今まで、なんで生徒会の人以外もここに通うようになってんの、ってねえちゃんが言っててさ」

 部長が笑いながらそういう。

 ねえちゃんがため息をつくと、会長とコヨミちゃんが目線を窓の方へ向けた。

「だってここなら、エアコンも効いてるし、いつも誰かいるんだもん」

 部長が俺の方を見る。

「ですよね」

 俺は頷く。

「私たちは一応文化祭やら体育祭やらの準備してるんだけどね?」

「……そうだぞ?」

「会長も一緒になって遊んでるでしょうが」

「へへ」

 会長は誤魔化し笑いが下手だった。

 でもなんとなく憎めない。
 そういう人だった。

246 : 以下、名... - 2016/08/25 14:22:07.46 TLj9UmSq0 209/274

 コヨミちゃんが椅子を勧めてくれたので、そこに座る。よく見るとまだ予備があった。
 なんでこんなに椅子があるんだ、この部屋。生徒会は三人しかいないはずなのに。

 会長と久しぶりに話した気がする。
 少し会わない間にずいぶんと髪が伸びたような印象を受けた。が、校則は守ってる。

 でもよく考えたら全然久しぶりでもなかった。
 なんだろう、この感じ。

「そういえば、花火やっちゃいました」

「ん?」

 会長が聞き返してくる。

「線香花火以外のやつです」

「マジか」

「うん、合宿で!」

 部長がそう言うと、会長は「あぁ」と頷いた。

「まあキミたちはあまり騒がないし、近所じゃないなら問題ないね」

 会長はさして気にする様子もなく普通に流した。
 まあ、ルールなんて、多少は破れてもいいようにできているのかもしれない。

247 : 以下、名... - 2016/08/25 14:24:34.28 TLj9UmSq0 210/274

 会話はほとんどあってもなくても問題ないようなものばかりだった。
 
 課題をやったとかやってないとか、今年は海に行ったとかまだ行ってないとか、そんな感じの。

 会長にログハウスの目の前に海があったことを話すと、やけに羨ましがっていた。
 あと、ボロボロの小屋があったことや、ツタに覆われた廃車があったこととか。

 もしかしたらそう言う面では気が合うのかもしれない。廃墟とか田舎とか好きそう。

 ふと窓の外を見ると、屋根のない渡り廊下が見えた。手すりの塗装が剥げている。

 なんだかなぁ。

 ずいぶんと話し込んだはずなんだけど、何か物足りない。
 お喋りしたり喚いたりしてるのは楽しいけど、何か、こう、欠けてるような。物寂しい。

 どうしてかは、わからないけど。

 一通り話すことがなくなって、帰ろうか、という頃には、時計の針はすでに左下を指していた。
 
 ムギちゃんはチヨの家で食事を済ませてくる、とのことだったので、ねえちゃんとファミレスに寄っていく。

 なぜか生徒会の二人と部長も付いてきた。
 五人。

 最近大人数で行動することが増えていたが、それでもテーブル席は狭く感じた。

 まあでも、人数は多いほうが楽しい。

248 : 以下、名... - 2016/08/25 14:28:48.02 TLj9UmSq0 211/274

 会長が変な色をしたジュースを持ってくる。

「なんですかそれ」

「俺はドリンクバーの魔術師と呼ばれていてな」

「なんですかそれ」

 一口飲ませてもらうと、たしかに美味しかった。なんだあれ。

 同じレシピで俺が混ぜたものは普通にまずかった。なぜだ。

 コヨミちゃんがクスクス笑っている。

 その日はムギちゃんからの連絡を待ってから迎えに行こうと待っていたのだが、
 結局、ムギちゃんはチヨの家に泊まることになったらしい。

 ファミレスを出たのは夜の七時過ぎだった。

 その頃にはみんな話し疲れてヘトヘトで、帰り道はずいぶんとゆっくり歩いていた。ヒグラシが鳴いている。
 一人二人と減っていって、最後は俺とねえちゃんだけで、トボトボと見慣れた道を歩いていた。

 橋の上を通る時、沈みかけの夕陽が川面に反射して、やけに眩しかった。

249 : 以下、名... - 2016/08/25 14:33:44.46 TLj9UmSq0 212/274

「そういえばあの子」

「ムギちゃん?」

「うん」

 ねえちゃんは頷く。

「もうすぐ帰る」

「え」

 ……少し考えて、帰る、というのが、
 ねえちゃんの家に、ではなく、ムギちゃんの家に、ということに気付く。

 そういえばムギちゃんは、しばらくの間、お泊りに来ていただけだった。

「……いつごろ?」

 少し寂しさを感じながら、まあ、仕方ないよな、と自分に言い聞かせる。

 ムギちゃんはまだ子供だ。俺たちも。

「花火大会の次の日」

 ということは、今週末……明後日か。

「だいぶ近いな」

「まあ、あの子は宿題持ってきてないし」

 帰ったら宿題地獄だ、とねえちゃんは笑っていた。でもちょっと寂しそうだった。

 それから、二人で黙って家まで歩いた。

 家の前で別れて、一人で「ただいま」と言う。
 もちろん誰も返事をしない。

250 : 以下、名... - 2016/08/25 14:36:01.07 TLj9UmSq0 213/274

 シャワーを浴びて、歯を磨く。

 テレビを付けてみたが、面白そうな番組はなかったので、スマホのミュージックを開いて、aikoの花火を聴く。

 なんとなくいい気分になったけど、曲が終わると一気に虚しくなった。

 寝よう。

 その夜はなかなか眠りにつくことができなかった。
 夜中に何度も目が覚めて、水を飲みに下に降りることが何度かあった。

 そういやウォーターサーバー買ってないな。
 まあ、なくてもなんとかなるし、別にいらないか。

 ベットに転がって、天井を眺める。

 今日のことを思い出す。
 たまたま生徒会室が思い浮かんで、そこで会長やコヨミちゃんたちとお喋りして。

 楽しかったはずなんだけど、何か足りてないような。

 なんだろう。よくわからない。

 その夜はずっと悶々としていて、やっと眠りにつけたのは、日付が変わってしばらくしてからだった。

251 : 以下、名... - 2016/08/25 14:39:46.14 TLj9UmSq0 214/274

 翌日は、珍しく母が休みだった。

 休みの日は昼過ぎまで寝ているので、夏休みでもないとゆっくり顔をあわせることはない。

 休めるときはしっかり休む。大事なこと。

「おはよう」

「おはよう」

 そう言って顔を合わせたのは、太陽が真上を通り過ぎた後だった。

 二人分のコーヒーを注いで、適当に食パンを焼く。
 ジャムは何種類かあったはずだけど、いつの間にか残りはイチゴだけになっていた。
 また買い足しておかないと。

「いただきます」

 そういえば、中学校にあがったあたりから、俺はあまり母が食事をしているところを見たことがない。
 会わないんだから仕方がないかもしれないけど。

「おいしい」

 まあ、パンをトースターに入れるだけだし。手軽で簡単。
 昼にパンというのもどうかと思ったが、朝食兼昼食と思えば不自然でもない。

252 : 以下、名... - 2016/08/25 14:43:26.02 TLj9UmSq0 215/274

「……最近、どう?」

 コーヒーを一口飲んで、母は口を開いた。

「まあ、ぼちぼち」

「洗濯、いつもありがとう」

「俺のもあるし」

「ご飯とかも」

「ねえちゃんもいるしね」

「そうだ、ねえちゃんと仲良くやれてる?」

「うん」

 心配だったことに一つづつチェックマークを付けていくように、母は俺に尋ねる。
 やっぱり、親として不安に思うところはあるんだろう。

「子供はまだ作らないでね?」

「男女の仲ではない!」

 でも基本的に冗談が好きな人だった。

 母は、パンを一口かじりながら、「つくるならせめて高校卒業してから……」と笑った。

「でも、そういう相手はないいの?」

「そういう相手」

「彼女とか」

 ……やっぱり、親として不安に思うところはあるんだろうか。

253 : 以下、名... - 2016/08/25 14:46:04.59 TLj9UmSq0 216/274

「聞いたよ? ねえちゃんから……」

 なにを言いやがった、とヒヤヒヤしながら、逃げるようにコーヒーに口をつける。

「ちょっと前に、ちょうど帰ってきたとき、コンビニに出かけようとしていたねえちゃんに出会ってね。少し話したのよ」

 母が帰ってくるのは随分遅いはず。
 そんな時間に出歩いたら危ないだろうに。

「最近、部活の人がよく遊びに来るそうじゃない」

 母は嬉しそうにそう言う。

 部活の人。
 イチ、チヨ、ナナコに部長。
 それからハルとなーちゃん、ムギちゃん。

 そう考えてみると、やっぱり多い。
 こうしてリビングを見ると、やけに広く感じた。もともと無駄に広い家ではあるけど。

「しかもほとんど女の子。やったね、ハーレムじゃん」

 親がそういうこと言うか。

「いや、でも部員の一人に小学生くらいの弟がいて、そいつも来てるから……」

「なに、小学生くらいの男の子なんて女の子みたいなものよ」

「よくわからないです」

 相変わらず母は平常運転だった。安心。

254 : 以下、名... - 2016/08/25 14:48:50.66 TLj9UmSq0 217/274


 まだ何か言おうとしていたが、続きが思い浮かばなかったようで、母はトーストに目線を落とした。

 俺もコーヒーを少し啜る。

「仕事、忙しい?」

 そう言いかけて、言葉を飲み込む。

 忙しいのは目に見えてる。なんで質問しようとしたんだろう。

 部屋に、時計の音が流れ込んでくる。

 さっきまで鳴っていることすら気づかなかったのに、静かになってみると聞こえてくる。不思議。

 ーーたまに、思う。

 今でも父がいたら。今ほど母は忙しく働いていなかっただろう。
 今より早い時間に家に帰ってきて。今よりもう少し話す時間があって。

 学校で友達と話したりするとき、「親に怒られるから」と聞くことがある。

 親に怒られる。最後に怒られたのはいつだろう。
 うんざりとした様子で友達は話していたが、そこまで嫌に感じるものなのかな、と思った。

 家に帰ると、必ずそこに人がいて。

 寝るとき、一人しかいない家のリビングの電気を、点けっぱなしにしたり。

 誰よりも早く起きて、せめて、出かけて行く時は見送りをしたり。

 そういうことは、たぶん、ないんだろう。

 少し羨ましくはあった。

 ……だからと言って、母に不満があるわけではない。
 女性が一人で子供を育てる、ということが大変なのは知ってるし、俺は生活面では、何一つ不自由はしていない。

 食べたいときに食べられるし、欲しいものは買えるだけのお金は預かっている。
 それをさせてくれるのは、感謝するべきことだし、立派だと思う。

 だけど、少し、心細く思うことはあった。

255 : 以下、名... - 2016/08/25 14:49:38.75 TLj9UmSq0 218/274

「もう高校生も半分終わってるのね」

 沈黙を打ち破るように、母が呟く。

 そうだね。気がついたらもう十七だ。

「進路はどうするの? 大学行きたい?」

「うん、できれば」

 周りは皆そうするだろうし、俺も大学はいってみたい。どんなところかはよくわからないけど。

「無理そうなら、べつに」

「そんなことないよ。好きなようにしなさい」

 最悪、あんた一人くらいなら養ってあげられるから。と、母は冗談っぽく笑った。
 
 そう言えるような大人になりたい、と思った。
 そう、思わせられるということは、やっぱり母は頑張っている。

「……ちゃんと、やれてる?」

 母が尋ねてくる。

「うん、やれてるよ」

 楽しくやってます。毎日のように来てくれる友達もいるし、学校でひとりぼっちになることもない。

「よかった」

 母はそう言うと、残りのコーヒーを飲み干した。
 食器を軽く水で洗う。

 しばらくテレビを見てぼーっといたが、母はすぐに寝室へ戻っていった。
 休みの日は寝溜めしておきたいのかもしれない。

 俺も、まだ半分以上残っていたぬるいコーヒーを飲み干して、自室に戻る。

 課題でも進めておこう。
 早めにやっておくに越したことはない。

258 : 以下、名... - 2016/08/26 21:53:43.55 qsBzmbI/0 219/274

 八月の半ばごろ、近所の河原で花火大会が開催される。

 広い河原にいくつもの屋台が立ち並び、わりと豪華な花火が何発も打ち上げられる。

 近所の人から、遠方からわざわざ見に来る人まで、たくさんの人が河原やその周辺に溢れかえる。
 浴衣を着ていたり、涼しげな格好をしていたり、かと思えば動きやすそうな服装だったり。

 昔ながらの祭りと花火を楽しむ老人から、親に連れられてきた小さな子供、友達や恋人なんかと遊びに来た若者まで、その見た目は様々だ。

 屋台が立ち並ぶ河原に降りると、焦げたソースの食欲を誘う匂いが、辺りに立ち込めている。
 人々は、カキ氷やらりんご飴やら、普段は食べられないようなものを、異様に高いお金を払って食べる。味は微妙。

 夜の風は涼しい。

 普段は出歩かないような時間に遊べることもあって、あたりの雰囲気は浮き足立ったものになる。

 だが、ここは一応観光地でもある。

 メインの会場である河原の反対岸に行けば、騒がしい人混みは減り、静かな雰囲気で花火を楽しめる。

 石垣の土手の上から桜が並んでいて、夜風に揺れる桜の枝と花火を、同時に見れたり。
 風流。趣深い。

 という旨の紹介を以前したら、ムギちゃんは「行ってみたい!」と目を輝かせていた。

259 : 以下、名... - 2016/08/26 21:55:40.30 qsBzmbI/0 220/274

 当日。
 想像通り、ムギちゃん、なーちゃん、ハルの三人は、祭りを楽しみにしていたらしく、わいわいと騒ぎながら歩いていた。

 でも、明日にはムギちゃんが帰ってしまうせいか、いつもよりはしゃぐ声が小さい気がした。

 ねえちゃんとナナコが、橋を渡りながら、あとで桜の下で花火でも見ようか、と話しているのが聞こえる。

 チヨは部長の隣を歩いていた。
 今日も後ろ髪を結んでいる。

 今日はねえちゃんと俺、それからハル以外、全員浴衣を着ていた。

 自分のものを着ている人もいたが、持ってない人は部長の家にあったのを貸してもらったらしい。

 ねえちゃんは「浴衣は脱ぐときがなんか寂しい」と言って着なかった。

260 : 以下、名... - 2016/08/26 21:59:30.02 qsBzmbI/0 221/274

 屋台の群れの中に入ると、周りの人が何を言っているのかわからないほどの喧騒に包まれた。
 一人一人は騒いでいるわけではないのに、その人混みの中に入ると、隣の人の声すら聞きづらくなる。

 お互い姿を見失わないように屋台を見て回っていると、予想に反して、ねえちゃんとナナコは随分とはしゃいでいた。
 子供達と一緒になって、屋台を満喫している。

 そのすぐ後ろに、チヨと部長。

 何を話しているかは聞き取れなかった。

 後ろの方は、屋台と喧騒を交互に眺めているイチと、はぐれないようについていく俺、となっていた。

 イチは相変わらずポニーテールだったが、浴衣を着ていたので、だいぶ印象は違った。

「似合う?」

「うん」

 じろじろと眺めるのはなんだか照れくさくて、服装を具体的に褒めることはできなかった。

 でも、屋台に並ぶ豆電球の灯りのせいか、いつもとは、だいぶ違う雰囲気を纏っていた。
 他の人も、だけど。

 人混みの中、ところどころ歩くことすら難しい場所もある。

 はぐれないように気を配っていると、どうしても距離が近くなる。

 それくらい多くの人が来ていた。
 片手に金魚を持っていたり、クレープやら焼きイカなんかを食べていたり。

261 : 以下、名... - 2016/08/26 22:01:24.53 qsBzmbI/0 222/274


 途中で射的の屋台があって、ムギちゃんがやりたい、と言ったので、そこで立ち止まる。

 ムギちゃんは一発も当てられなかった。でも楽しそうだった。
 部長とハルはそこそこで、初めの数発は外したものの、半分くらいは的に当たっていた。

 意外なのがなーちゃんだった。

 ほぼ全て命中していた。

 本人は「むずかしい」と言っていたが、かなりの腕だった。
 もしかしたらスナイパーとか向いてるかもしれない。

 その後、スムージーの屋台に女子勢が反応して、しばらく並んで待っていた。

 スムージー。お洒落な響き。……そうでもないかもしれない。

 並んでいる間ははぐれることもないし、待つことは苦ではなかった。

 部長は、あんまりいらないや、と言って、チヨのを少し分けてもらっていた。

 もうすぐ花火が始まる、というアナウンスを聞きながら、人混みをかき分けるように進む。

 歩いてる時、イチが前から歩いてきた人にぶつかって、後ろによろける。
 位置的に、俺が支えるかたちになる。

「……あ、ありがとう」

 思っていたより、細くて軽い身体。

「どういたし、まして」

 シャンプーのいい匂いがした。

 浴衣が想像より硬いせいか、触れてしまった、という感覚はあまりなかった。

 なんだか照れくさくなって、そのまま二人とも無言になって、人混みの中、みんなの後ろを、肩を並べて歩く。

 人が多いから、いつもより、ちょっとだけ近い距離。
 いつかの雨の日を思い出す。

 普段なら、暑苦しいと感じるかもしれないこの距離も、今日は不思議と、そんなこと、全く考えなかった。

262 : 以下、名... - 2016/08/26 22:05:05.23 qsBzmbI/0 223/274

 足元には河原特有の大きめの砂利が敷き詰めてあって、まっすぐ歩くのは難しい。ゆっくりと転ばないように歩く。

 少し後ろから、はぐれないように、俺の服の裾が、遠慮がちにつままれていた。

 弱めの力で、でも離れないような、まるで裾に自分の意識が移ってしまったかのように、鮮明に感覚が伝わってきた。

 自分の鼓動が周りに聞こえてないか、不安になる。そんなことはないはず、だけど。

 と、油断していると、足元の石につまづく。

 身体が後ろに傾く。
 イチの右腕に、俺の腕が触れる。

 指が触れそうになって、あわてて手を引っ込めた。
 彼女が驚いて手を丸めたので、一瞬だけ人差し指と人差し指が触れる。

 こんな人混みなのに、イチが短く息を吸ったのが聞こえた。

 なんだ。

 なんというか。

 その。 何をやってるんだ、俺。

 すこし離れたところから、「置いてくよー!」とムギちゃんの声が聞こえる。
 二人であわててかけていく。

 どうしてか、その間、イチの顔を見ることができなかった。

 みんなと合流する。

 ねえちゃんは両手に綿飴の袋とイカ焼きを持っていた。
 ナナコはりんご飴を齧っている。
 部長とチヨがいい感じにまとめてくれていて、子供達がはぐれることはないようだった。

263 : 以下、名... - 2016/08/26 22:07:11.18 qsBzmbI/0 224/274

 次はアレ見たい、となーちゃん達がはしゃいでいる。
 はぐれないように、とチヨが慌ててついていく。

 賑やかだった。

 賑やかだったせいか、少しずつ油断してしまう。
 そもそも集団で動くときは、俺はあまり話に入れていない。

 ふと前を向いた時、みんなの背中は見えなくなっていた。

「……あれ」

 迷子だった。

 とりあえず連絡を、と思いスマホを取り出そうとして、家に忘れてしまったことに気付く。

 後ろの方を見ても、見慣れた顔はいない。
 立ち止まっても通行の邪魔だと思い、ひとまず喧騒の中を歩く。

 なんだかなぁ、と思う。

 一人になると、さっきよりも一層、周りの声が大きくなったような気がした。

 ふう、と息を吐く。

 すれ違うカップルが、やたらと目に付いた。

 もうすぐ花火が始まる、というアナウンスが、騒音に混じって、途切れ途切れに聞こえてくる。

264 : 以下、名... - 2016/08/26 22:08:22.84 qsBzmbI/0 225/274

 周囲を見渡すように歩いていると、基本的にどの屋台にも、列が並んでいることに気づく。
 列がない屋台は、お面の屋台と、しょぼいクジ引きの屋台くらいだった。

 人が少ない道が、自然とわかってくる。

 気がつくとすごい速さで歩いていた。

 このままじゃいつか転ぶな、と思い、少し歩調を緩める。

 と、後ろから、遠慮がちに肩を叩かれた。

「先輩?」

 振り返ると、かなり近い距離にコヨミちゃんがいた。浴衣。
 あたりに他の一年生は見えない。

 驚く。
 そして知り合いがいたことに少し安堵。

「先輩、一人ですか?」

 コヨミちゃんにしては声が小さく、周りの騒音も手伝って、声が聞き取りづらかった。

「いや。迷子」

 通る人の邪魔にならないように、河原から上がって、土手に登る。

 少し暗くなるが、それでも人は多かった。

「なら、見つかるまで一緒に歩きましょうよ!」

 一人で歩くのはやたらと寂しかったので、その提案に頷く。

 土手の道は明るくなかったので、その時コヨミちゃんがどんな表情だったのかは、わからない。

265 : 以下、名... - 2016/08/26 22:09:51.64 qsBzmbI/0 226/274


「先輩、もうすぐ花火、始まりますよ」

「だな」

 そういえば、さっき、ねえちゃんとナナコが、桜の下に行く、と話していた覚えがある。

「コヨミちゃん、向こう岸行ってみよう」

「いいですね、あっちの方が探しやすそうです」

 二人で並んで橋を渡る。
 橋の上は思ったより多くの人がいた。椅子を置いていたり、カメラを構えていたり。

 コヨミちゃんが浴衣を着ていたので、歩きにくいかと思い、少しゆっくり歩く。
 こうしてみると、案外コヨミちゃんは背が低いことに気付く。

 橋を降りて、土手沿いの道を、みんなを探しながら歩く。
 どの桜の木の下にも家族連れ、老夫婦、カップル、と人はいたが、上流の方に歩いていくうちに、次第に人影は減っていった。

266 : 以下、名... - 2016/08/26 22:11:26.64 qsBzmbI/0 227/274

 そうこうしていると、下流の河原の方から歓声が聞こえてくる。

 コヨミちゃんにつられて空を見上げると、ちょうど一発目の花火が打ちあがっているところだった。

 眩しいくらいの火花が夜空に散って、
 心臓に響くような爆音が鳴り響く。

 すげえ。

 でかい。

 二発目、三発目、と花火は気前よく夜空に飛んでいく。
 打ち上げ場所から少し距離があったので、光と音のタイミングがずれているのが、なんだか不思議な気分になった。

 秒速三百四十メートル。

「すげえ綺麗」

「ですねー……」

 コヨミちゃんも、広い夜空を見上げて、花火を楽しんでいた。

「よかったら、その辺に座りませんか?」

「うん、そうしよう」

 合流するのは後でも問題ないだろう。

 せっかくの花火を流し見するのはもったいない。

 ーーでも、何か忘れてるような。

 コヨミちゃんと二人で、土手から降りる。

 この辺りは花火から離れているので、人はあまりいなかった。
 やろうと思えば、斜めになっている芝生に寝転がって花火を眺めることもできる。

「寝転がる?」

「寝転がっちゃいますか!」

 コヨミちゃんがクスクス笑いながら、芝生の上に体を預けた。

 黒い髪が芝生の上に広がる。

 ちょっと見とれて、何見てんだ、とすぐに冷静になる。

267 : 以下、名... - 2016/08/26 22:13:53.21 qsBzmbI/0 228/274


 俺も同じように体を傾けて、ななめ上を見上げると、綺麗に花火が見えた。

「おお」

 川はゆったりと弧を描く形になっていて、ちょうど真正面あたりに花火が打ちあがっているので、首を曲げる必要がなかった。

 すげえ。

「特等席だな」

「ですね」

 コヨミちゃんも同じように笑っていた。

 思わぬ穴場を発見してしまった。

 一発、また一発と、彩り豊かな火花が、黒い夜空に色を散らして消える。

 まとめて何発か打ち上がる。
 眩しくて少し目を細めてしまった。
 音もすごい。

 去年は、どうやって花火を見ていたっけ。

 少し考えて、
 そういえば去年は家から出なかったんだ、と思い出す。

 なんだか、気分が乗らなくて、確かその日はそうめんを食べて、花火の音を聞く前に寝てしまった。

 一緒に行くような人もいなかったし。

 ユウキはこういう時は弟と行くし。
 イケメン君はその頃話したことなかったし。
 ねえちゃんもなんだかんだで、一緒にそうめん食べてたし。

268 : 以下、名... - 2016/08/26 22:17:01.80 qsBzmbI/0 229/274

 一際大きな花火があがる。
 大きな音に、コヨミちゃんが「わっ」と驚いていた。

 よく考えてみると、そもそも今年の夏は、かなりアクティブな方だ。
 合宿にも行ったし、こうして花火大会にも出かけてる。
 一人でいた日よりも、人と会っていた日の方が多い。

 人数は多い方が楽しい。

 どうして今年は、こんなに人と会うことが多いんだろう。

 馴れてきたから、だろうか。
 この環境に。
 俺の周りにいてくれる人に。

 また大きな花火があがる。
 今度はコヨミちゃんは驚かなかった。

 ただ、馴れてきた頃が、一番怖い。

 なくなるのが怖い。
 それが基準になってしまうと、前の生活に戻るのが怖くなってしまう。寂しくなってしまう。

 ……あぁ、そうか。 雰囲気だ。
 一番居心地がよかったときの雰囲気を、同じように求めてしまうんだ。

 でもそれは、夏休みが終わると、どうなるんだろうか。

 体育祭やら、文化祭やら、テストやら、忙しい行事はたくさんある。

 そんな波の中でも、今あるこの雰囲気はなくならないだろうか。変わってしまわないだろうか。無くならないだろうか。

 不安になる。

269 : 以下、名... - 2016/08/26 22:19:16.70 qsBzmbI/0 230/274

 まず、間違いなく、明日にはムギちゃんはいなくなる。
 家に帰る。当たり前のことだ。

 そうしてしまうと、ハルとなーちゃんとはどうなのだろうか。それに、チヨも。

 部長はよく子供たちと遊んでくれているが、そうなってしまうと、じゃあどうなるのか。

 そう考えると、無性に不安になる。
 学校が始まれば時間も減るし、当たり前のことなんだけど。
 そもそも夏休みという時間そのものが、特別な雰囲気を持った時間なのだ。

 大きな花火が連続ではじける。
 俺は驚いて、目を細めた。
 少し遅れて、これまでとは比べ物にならない爆音が耳に響いた。

 ーーだから、その日、コヨミちゃんから聴いた言葉は、
 少なからず、俺を動揺させるだけの力はあった。

「あの、先輩」

 ーー言われないと思っていた……とは、言い切れない。

「わたし、その」

 ーーでも、自分に、自惚れるなよ、と言い聞かせてきた。

 コヨミちゃんが、息を吸った音が聴こえる。 震えていた。

「……先輩」

 ーーただ、申し訳ないけど、コヨミちゃんのその言葉を聞いて、
 今の俺は、

「好き、です。」

 ーー嬉しくは、なかった。

 ……夜空は、花火の煙で曇っている。

 こういう時に限って、花火は会話の邪魔をしてはくれない。

270 : 以下、名... - 2016/08/26 22:22:26.02 qsBzmbI/0 231/274


「その、もし、よければ、付き合って、くれませんか……?」

 コヨミちゃんの声は、いつもより明らかに小さかった。敬語もちょっとおかしい。
 緊張しているのか、声が震えている。

 俺は、返事を、

「…………」

 返事を、なんと返したらいいのか、わからない。

 何かを言いかけて、口を閉じてしまう。

 コヨミちゃんは下に俯いてしまった。

 花火が鳴る。
 綺麗な火花を散らして消えていく。

 俺は花火を見ていた。

 コヨミちゃんはたぶん、俺の返事を待っている。
 俺は今、返事をしなければいけない。

 けど。 けれど。

 どうしよう。

 付き合ってください、と言われて。

 返事をし辛いのは、返事を悩んでいるのは、きっと、
 俺は自分の答えがわかっているから。

 俺はたぶん、コヨミちゃんのことをそう言う意味で、
 好きなわけでは、ないのだろう。

 ーー嫌いではない。

 話していて楽しいし、数少ない後輩でもある。

 でも、付き合うのは違う。
 逆に、仮に付き合ってしまうと、コヨミちゃんを変に期待させてしまうだけかもしれないし、それはコヨミちゃんにとっても、

 ……いや、これは言い訳だ。

 この後に及んで上からものを考えようとしている自分に、腹が立った。

 また、大きい花火が響く。

 コヨミちゃんは下を見ている。たぶん、花火は視界に入っていない。

271 : 以下、名... - 2016/08/26 22:24:18.46 qsBzmbI/0 232/274

 早く返事をしないと。
 時間が経てば経つほど、言いづらくなるし、待っている方も辛い。

 返事を、二択から選べ、と言われると、答えはすぐに出せる。

 はい、か、いいえ、か。

 はい、ではない。
 ということはつまり、いいえ、なのだろうけど。 はっきりとそう言うのは、気がひける。

 どうして断りたいのか。

 ーー考える。

 別に、付き合うくらい問題ないのでは。

 今より一緒にいる時間が増えれば、もしかしたら好きになるのかもしれない。容姿だって悪くない。むしろ可愛いくらいだ。

 じゃあ、なんで。

 何が足りないのか。

 ーー答えは単純だった。

「あのさ」

 ーー嘘はつかない。

「……はい」

 コヨミちゃんが顔を上げる。
 視線は真正面。横顔が見えた。

「俺、好きな人がいる」

 ……かもしれない。
 よくわからない。好きなのかどうか。

 ただ寂しさを紛らわしたいから一緒にいたいのか、
 それとも、好きだから一緒にいたいのか。

「……そう、ですか」

 コヨミちゃんの声は、諦めていたような、でも期待もしていたような、複雑な声色だった。
 息が震えている。

272 : 以下、名... - 2016/08/26 22:25:29.31 qsBzmbI/0 233/274

「……うん、ごめん」

「あやまらないでくださいよ」

 コヨミちゃんは笑った。

 無理をしているように見える。

「だったら先輩、その人にフられたら私にも、まだチャンスありますか?」

「いや何言ってんの」

「冗談です」

 コヨミちゃんはいつものような口調に戻った。
 だけど、やっぱり語尾は震えている。

 無理をしてる。

 でも、たぶんそれは、自分を守るために無理をしている、のだと思う。
 だから、俺がそれについて何か言う資格は、今はない。きっと。
 
「なら先輩、私は先輩のこと諦めますから、先輩もその人にしっかり告白してくださいね!」
 
「え、いや、なんで」

 俺の方が戸惑っている。
 コヨミちゃんは、俺が思っていたより、強かったのかもしれない。

 強がっているだけ、かもしれない。

「もし先輩がその人と付き合えたら、私は背中を押せた、ってことで先輩の記憶に残ることができます。
 せっかくフられたんですから、せめていい思い出として残りたいです」

 コヨミちゃんは早口にそう言った。

「いや、俺が告白してもフられる可能性はあるわけで……」

「先輩ならだいじょぶです、私が……惚れたんですから」

 コヨミちゃんはそう言って笑うと、勢いよく立ち上がった。

 まだ花火は上がり続けている。

273 : 以下、名... - 2016/08/26 22:26:52.42 qsBzmbI/0 234/274

「じゃあ、私はそろそろ門限なので、帰りますね! 先輩も、その、お気をつけて!」

 送っていこうか、と声をかけようとすると、コヨミちゃんは早足で歩いて行ってしまった。

 あたりは人通りが少ない。

 コヨミちゃんの背中が離れていく。

 少し迷ったが、距離をとって、後ろについていく。どのみち一人でみる花火なんて楽しくない。
 せめて、人の多いところまでは、

 ……明らかに泣いているように見える背中を、一人にするのは不安だった。

 そうさせてしまった自分が、その心配をする資格はないのかもしれないけど。

 でも、せめて、もう少しは。

 人が増えてくる。
 コヨミちゃんが袖で顔を拭って、前髪で顔を隠すように俯いて歩く。

 人混みの中にコヨミちゃんが消えていく。背中が見えなくなる。

 俺はしばらくそこに立っていた。
 コヨミちゃんが消えて行った後を、なにをするでもなく眺める。

 頭がぼーっとして、何も考えられなくなる。

 足は、誰かいるかもしれない家に向かって 歩き始めていた。

 何を選んでも正解ではないことはあるんだなぁ、と、思った。

274 : 以下、名... - 2016/08/26 22:38:11.30 qsBzmbI/0 235/274

 その後は、ふわふわとした足取りで、家まで帰った。
 が、家に入る気になれず、玄関先で座り込む。

 どうしても、さっきの横顔が頭から離れない。小さい背中。人混み。
 ……コヨミちゃんを、泣かせてしまった。

 俺が悪いわけではないのかもしれない。
 俺が悪いのかもしれない。どちらかはわからない。

 けど、コヨミちゃんは、俺が選んだ言葉で泣いてしまった。
 もしかしたら、俺がもっと会話の上手い奴だったら、泣かせることなく、上手に断ることもできたのかもしれない。

 罪悪感。後悔。

 済んだことだ、と自分に言い聞かせる。

 でも。

 たぶん、もうこれまで通りのように、コヨミちゃんと話すことはできない。

 耳を澄ますと、遠くの方から祭りの音が聞こえてくる。
 花火はもう終わってしまったようだが、屋台はまだあるようだった。

 そういえば、迷子になったまま、黙って帰ってきてしまった。もしかしたら、みんな探しているかもしれない。それはないかな。

 ねえちゃんには、もしかしたら友達も話しててはぐれることがあるかも、とは伝えてはある。

 順番は逆になってしまったけど。

 でも、どうしてもまたあの人混みに戻る気にはならなかった。
 またコヨミちゃんと顔を合わせてしまうかもしれない、と考えると、気まずすぎる。

 スマホで連絡すればいいか。

 家に入ればスマホはある。

 なぜかそんな単純なことが思い浮かばなかった。頭がこんがらがっているのかもしれない。

 だが、立ち上がって鍵を開けて、部屋に入ってスマホで連絡する、という動作を考えると、なんだか億劫に思えた。

275 : 以下、名... - 2016/08/26 22:39:22.87 qsBzmbI/0 236/274

 だめだ。

 とりあえず動かないと。

 そう思いながらも、座り込んだまま、地面に転がっている砂利の数を数えていると、近くで足音がした。

 一人。

 大人数ではない。
 家の前を通り過ぎるのかな、と考えていると、
 目の前で足音が立ち止まる。

「……やは」

 聞き慣れた声に、顔を上げる。

「ここにいたんだ」

 イチだった。
 周りに人がいる様子はない。一人か。

「ちょっと忘れ物しちゃった、って言って抜けてきた」

 みんな心配してたよ? とイチが隣に座り込む。
 落ち着く匂い。

 まじか、ごめん、と返事をする。

「慣れない靴履いてたら、足が痛くなっちゃって」

 イチは苦笑いしながら足をさすっていた。下駄の鼻緒のところをみると、親指の付け根が赤くなっている。

「……とりあえず、家、入るか」

「うん」

 不思議と、さっきまでの気だるさはなくなっていた。
 普通に立ち上がり、普通に鍵を開ける。

276 : 以下、名... - 2016/08/26 22:41:26.23 qsBzmbI/0 237/274

「ただいま」

 誰もいない家に向かってそう言う。

 あたりまえだけど、返事は、

「おかえり」

 ……返事が、隣から返ってきた。

 イチも「ただいま」と言ったので、俺も「おかえり」と返した。

 庭に面している大きな窓から月明かりが差し込んでいたので、部屋はだいぶ明るかった。
 と言っても、薄暗い程度だけど。

 さっきまで暗いところにいたし、急に明るくなると目が痛くなるので、電気はつけずにしておいた。

 明かりをつける気分にならない。

「麦茶のむ?」

 冷蔵庫から麦茶と、棚からコップを二つ出す。
 冷蔵庫のライトがまぶしかった。

「いただきます」

 二人でダイニングのテーブルに座って、麦茶を飲んだ。

 さっきまでイチが下駄を履いていたせいか、すこし背が縮んで見えた。
 浴衣を着ているせいで、すこし艶っぽい。

 薄暗い部屋に、イチの衣擦れの音が、やけに大きく聞こえた。

「で、忘れものって?」

「いや、本当に忘れものしてるわけではないよ」

 イチが当たり前のようにそう言うので、あぁそうなのか、と納得してしまった。
 べつに尋ね返すようなことでもない。

277 : 以下、名... - 2016/08/26 22:42:29.54 qsBzmbI/0 238/274

 一秒ごとに聞こえるはずの針の音が、やけにゆっくりと聞こえる。テーブルには、特に会話はない。

 時計に目をやる。一瞬止まって見える。クロノスタシス。

「……何か、あったの?」

 ふと、イチに声をかけられて、顔をあげる。

「何かあった……うん、何かあった」

「そっか」

 イチはポニーテールを撫でた。

「それは、言いにくいこと?」

「……うん、言いにくい」

 いや、言いにくい、というわけではないな、と思い、訂正する。

「俺がいられた雰囲気を、一つなくしてしまったのかも、しれない」

「そっか」

「うん、……ごめん、変なこと言った」

「ううん」

 コップの水滴が垂れる。

 遠くから笑い声が聞こえてくる。

「私は、どこにもいかないよ」

「……そっか」

 そう言って、会話は途切れた。

278 : 以下、名... - 2016/08/26 22:43:26.19 qsBzmbI/0 239/274

 部屋には、また時計の音だけが響く。

 さっきまで聞こえていた笑い声は遠ざかっていった。今はもう聞こえない。

 イチと目があう。イチが頷く。俺も頷く。たぶん、お互い意味はない。

 気まずいことはない。心地いい雰囲気。

 ……心地いい雰囲気。

 コヨミちゃんの言葉を思い出す。無理していたのかもしれない言葉。

 ーーせめて、いい思い出として残りたい。

 俺は、俺が崩してしまった雰囲気に、せめてもの報いとして、そのお願いは聞かなければならない、と思った。
 ……いい思い出となるかどうかは、まだわからないけど。

「ねえ、イチ」

「ん?」

「……なんでもない」

 でも。

 もうすぐみんな帰ってくる。

 今はまだ、小さく息を吸って、目を閉じた。

284 : 以下、名... - 2016/08/28 23:20:13.24 ilA7zgD60 240/274

 次の日。

 昨日は夜遅くまで遊んでいたというのに、それでも朝早くからみんな集まっていた。

 いつも通りお喋りしたり、ゲームしたり、笑ったり。
 いつも通りだった。

 昼より少し前くらいに、そうめんをさっと茹でた。今日はねえちゃんではなく、俺がやった。
 なぜかチヨはハムを持ってきていた。

 ムギちゃんたちとテーブルを囲む。

「やっぱりお姉ちゃんのよりおいしい」

「そういうことは、黙っておくものだと、思う」

 ムギちゃんとなーちゃんがコソコソと話しているのが聞こえた。
 ハルはそれを聞いて少し笑っていた。

 食べ終わって、ナナコが持ってきたお菓子を全員でつつく。
 今日は風が吹いていたので、窓を開けておくだけで涼しかった。

 庭のひまわりは、まるで俯いているかのように、花を下に向けていた。

 部長が、「夏、終わらないで……」と呟いく。
 ナナコが「あと二週間もすれば涼しくなりますね」と呟く。

 ねえちゃんが、そうだね、と呟いた。

 セミが鳴く。

285 : 以下、名... - 2016/08/28 23:21:12.54 ilA7zgD60 241/274

 昼を少し過ぎた頃、全員で駅に向かう。

 みんなほとんど手ぶらだったが、ムギちゃんだけは、大きな水色のキャリーバッグを運んでいた。

 懐かしい。

 初めは、あれを探して歩き回っていたのだったな、と思い出す。

「もうすぐパパが迎えに来る」

 ムギちゃんが麦わら帽子の向きを整えながら、そう言った。

 昼過ぎ頃、駅前に迎えに行く、と連絡があったらしい。ねえちゃんから聞いた。

 ハルとなーちゃんとムギちゃんの三人は、少し離れたところで何か話している。
 話の内容は聞き取れない。

「ムギちゃん、髪伸びましたね」

「うん、だね」

 ナナコとねえちゃんがそう話していた。

 たしかに、改めて見てみると、出会った時よりも伸びている気がする。
 まあしばらく切ってなかったみたいだし、髪も伸びるはずだ。

 チヨは相変わらず、落ち着かなさそうに髪を撫でている。
 そういえば、チヨも随分と髪が伸びた。前は後ろでくくるような長さはなかったのに。

「前髪、伸びたね」

 そう言われて、自分の視界にも前髪が入ってきていることに気付く。

「イチも」

「うん」

 まあ、髪だけじゃなく、みんな、ちょっとづつ何かは変わってる。

 たかが一ヶ月、といえばそうだけど、夏休みのほとんどを一緒に過ごした。
 気が付かないだけで、もっと変わっていることはあるはず。

 そう考えると、ちょっと怖いような、嬉しいような、足元が覚束ないような感覚になった。

 焦点が定まらない感じ。

286 : 以下、名... - 2016/08/28 23:22:13.22 ilA7zgD60 242/274

 道路の脇に、軽トラが停車した。軽トラなんて、この辺りではあまり見ない。

 ムギちゃんが手を振る。運転席の扉が開いて、人の良さそうなおじさんが出てきた。目元が乙坂父そっくり。

 ねえちゃんが近寄って行って、何か話し始めた。
 おじさんから何か紙袋を受け取っている。たぶん菓子折りか何だろう。

「みんな、ありがとね」

 ムギちゃんの父は、こちらを向くと、軽く頭を下げた。

 突然大人にお礼を言われて、俺たちも戸惑いながら、こちらこそ、と礼を返す。

「じゃあ、行こうか」

 ムギちゃんの父は、キャリーバッグを荷台に乗せると、車の運転席へ戻っていった。

 ふぅ、とムギちゃんが一息ついた。麦わら帽子の角度を整えている。
 
 なんだか寂しくなって、ムギちゃんの頭を麦わら帽子ごとぐりぐりと撫でた。

「また来いよ」

「うん」

 返ってきた返事は、いつも通りのムギちゃんの声だった。

 最後に、なーちゃんが手を引っ張って、ムギちゃんをトラックの後ろの方に呼び止める。

 ハルが少し迷った様子を見せてから、ポケットから小さなメモ用紙を取り出す。

 ムギちゃんはそれを受け取って、しばらく眺めた。
 それから、嬉しそうに笑って、

「……うん!」

 と、大きく頷いた。

287 : 以下、名... - 2016/08/28 23:22:56.98 ilA7zgD60 243/274

 ムギちゃんが助手席に吸い込まれていくと、軽トラはあっという間に発進してしまって、車の波の中に消えていってしまった。

 なーちゃんと部長は、軽トラが見えなくなるまで手を振っていた。

 みんなで、しばらくボーッと立ち尽くす。

 セミの声がどこからか聞こえてくる。

 八月も終わりに近づいてきたとは言え、まだまだ暑さは続いている。
 アスファルトから照り返ってくる陽射しが、肌を焦がすような暑さで俺たちを襲っていた。

「暑いね」

 誰かが呟いた。

 俺は頷いた。

 このままここにいても仕方ないし、と、全員でファミレスに向かった。

 家は帰っても冷房が効いてないし、とりあえず涼しい所に行きたかった。
 ふわふわとした足取りで、歩き慣れた道を歩く。

「何名様ですか?」

「きゅ……八人で」

「喫煙席と禁」

「禁煙席で」

 ムギちゃんがいなかったので、今日は代わりに俺が答えた。
 
 テーブルは相変わらず狭かったけど、いつもよりは少し広く感じた。

 さっき昼ごはんを食べたばかりなので、それほどお腹は空いていなかった。

 全員でドリンクバーと、フライドポテトを一皿注文する。

 そういえば、夏休みに入ってから、例の喫茶店行ってないな、と、ふと思った。
 まあでも、今は、行けないな。顔をあわせるのは、まだ気まずい。

288 : 以下、名... - 2016/08/28 23:23:48.61 ilA7zgD60 244/274

 みんながドリンクバーに行っている間、なんとなく立ち上がる気にならなくて、テーブル席の奥に座っていると、
 なーちゃんがジュースを持ってきてくれた。

 ホワイトソーダの炭酸をカルピスで薄めたやつ。
 なーちゃんもチヨに似て、周りをよく見てるんだな、と思った。

 みんながぞろぞろと戻ってくる。

 ハルが普通の色のジュースを飲んでいるのが、なんだか違和感だった。

 ポテトが運ばれてきて、みんなでちょっとずつつつく。

「フライドポテトってさ」

「はい」

「かつて空を飛んでいたじゃがいも、って意味にもなるよね」

「なりませんよ」

 思ったりより暗い雰囲気ではなくて、いつも通りのテンションで、いつも通り、だらだらと駄弁っていた。

 俺もジュースを啜りながら、中身のない話を聴く。

 隣に座っているイチが、湯気の立っているいちごオレを一口飲んで、

「あちっ」

 とカップを離した。

「氷入れてくれば?」

「そうする」

 不思議と、ムギちゃんが帰ったからといって、穴が空いたように寂しい、ということはなかった。
 いや、寂しくないといえば嘘になるけど、落ち込んで何も手がつけられない、なんてことはない。

 ……ただ、前までとは、少し違う雰囲気ではあった。
 やっぱり、いつまでも同じ雰囲気ではいられないんだな、と、小さく溜息をついた。

 隣にイチが戻ってくる。安心。

「味薄い」

「そうなるのか」

「やっぱ普通が一番だね」

「うん」

 俺は答えた。

289 : 以下、名... - 2016/08/28 23:25:07.57 ilA7zgD60 245/274

 夕方、人が増えてきそうになったので、会計を済ませて、ファミレスを出る。

 昼間よりは暑さは和らいでいたけど、それでも、風はまだ熱を持っていた。
 ヒグラシがどこかで鳴いているのが聞こえる。

 ファミレスの前で、みんなと別れる。

 イチが手を振っていたのが、やけに瞼の裏に残った。

 ねえちゃんと並んで歩く。

 遠くの空に入道雲が見える。その陰影はオレンジ色に染まっていて、まるでイラストのように、現実感を感じさせなかった。

 反対側の空を見ると、水縹の色が、淡いオレンジに吸い込まれようとしていた。

「ムギちゃん、帰ったな」

「そうだね」

 ねえちゃんは俺の少し前を歩いている。

「うるさいのがいなくなって、やっとゆっくり眠れるよ」

 そう言って、ねえちゃんは道端の小石を小さく蹴った。

「そっか」

 俺はそれ以上、何も言わなかった。

 黙ったまま、橋の上を渡る。夕陽が沈みかけていて、川面は煩いほど淡い橙を反射していた。

 頭上では、鳶が大きな弧を描きながら飛んでいる。

290 : 以下、名... - 2016/08/28 23:25:47.60 ilA7zgD60 246/274

「あんたさ」

 ねえちゃんが歩調を緩める。

「なんかあったでしょ」

 心臓が跳ねる。
 思わず歩みを止める。立ち止まってしまう。

「……わかる?」

「当たり前でしょ」

 ねえちゃんはジトッとした目線を俺に向けた。
 しばらくそのままの姿勢で目が合ってて、それからまた前を向く。

「それと、関係あるかわかんないけど、好きな人もいるでしょ」

「……そこまでわかる?」

「私を誰だと思ってるの」

「ねえちゃん」

「正解」

 侮ってはいけなかった。
 ……ある意味、母より鋭い。

 頭上をくるくると飛び回る鳶が、よく響く、細い鳴き声を、辺りに響かせていた。

 まぁ、どうしようとあんたの勝手だけどね、と、ねえちゃんは少し先を歩く。

 俺の勝手、か。

 ねえちゃんの少し後ろを歩きながら、その言葉を頭の中で反芻した。

 頼りない夕陽は、いつの間にか山の向こうに沈みかけていて、川面はだんだんと黒く染まりつつあった。

291 : 以下、名... - 2016/08/28 23:26:57.21 ilA7zgD60 247/274

 翌朝、セミのかすかな鳴き声で目を覚ます。四時過ぎ。いつも通りの起床時間。

 カーテンを開ける。

 この季節は、起きてすぐでも日が昇り始めているので、目覚めがいい。

 朝の、混じりっ気のない、新鮮な空気を、肺いっぱいに吸い込む。身体の中の埃が、綺麗さっぱりなくなったような気分になる。

 ドアを開けると母を起こしてしまうかもしれないので、部屋からは出ずに、
 なにも考えずに、勉強机に腰掛ける。

 しばらく、何をするでもなくぼーっ、と座り込んで、たっぷり五分くらい無駄な時間を過ごしてから、筆箱と教科書を開く。

 大学に行く、という選択肢が貰えているのなら、せめて自分も準備くらいはしておかないと。

 そういえば、読書感想文、まだやってないや。今年こそ早めに終わらせようと思ったのに。

 まあ、そういうものは、どれだけ意識しても変わることはないのかもしれない。
 くだらないことだけど。

 そんなことを考えながらシャーペンを走らせていると、母が起きてきた音がした。
 が、忙しい朝の支度の邪魔になってはいけないので、部屋からは出ない。

 窓から差し込む光が、薄いオレンジから、爽やかな透明に変わりつつあった。

 母が玄関を出て行く音がしてから、やっとシャーペンを机の上に投げ出し、再びベッドに倒れ込む。

 スマホを手にとって、時間を確かめる。

 六時過ぎ。

 耳を澄ませると、閑静な住宅街から、人々の生活音が聞こえてくるような気がする、そんな時間だった。

 日付を確かめる。

 もう夏休みも、後半の後半だ。ほとんど消費してしまった。
 あと残りは、どうやって過ごそうか。どうやって過ごせるだろうか。

 一度瞼を閉じて深呼吸をして、それからまた瞼を開き、俺はベットから立ち上がった。

292 : 以下、名... - 2016/08/28 23:27:54.04 ilA7zgD60 248/274


 顔を洗って、歯を磨いて、また顔を洗う。

 乾燥機の中からタオルを取り出し、顔と前髪を拭く。柔軟剤を使っているので柔らかい。

 リビングに行くと、やけに広く感じて、ぽつんと取り残されたような気分になる。

 なんというか。
 手持ち無沙汰。一人だと、何もすることがない。

 一人でぽつんと、庭のひまわりを眺めた。
 風が涼しい。

 七時過ぎごろ、ねえちゃんとイチがやってきた。

「家の前で出会った」

「そりゃ奇遇だね」

「ほんと」

 二人とも朝から暇なんだろうか。

 まあ俺も暇なんだけど。

 イチはいつも通りの流れで、ここまで歩いてきたらしい。
 唯一の家族のお母さんが、家を出発のと一緒に。

 ねえちゃんは、もう生徒会の用事の方は片付けたらしく、行く必要はないらしい。
 とりあえず今日は、ゆっくりしたい、と。

「お腹すいたな」

 三人で、目玉焼きとトーストを食べた。空から女の子が降ってくるかもしれない。

「半熟作るの上手だよね」

「お褒めにあずかり光栄です」

 味はまあまあ。

293 : 以下、名... - 2016/08/28 23:28:37.76 ilA7zgD60 249/274

 食べ終わってから、しばらく生産性のない会話を繰り広げていると、なーちゃんたちがやってきた。

 チヨは後ろ髪を結んでいる。

 ハルは宿題を持ってきていた。薄くて大きな問題集。

「お、勉強か」

「そろそろやんないとね」

 宿題が溜まっているようだった。

 なーちゃんは、と尋ねてみると、「もうやったんだよ」と嬉しそうな返事が返ってきた。
 夜、チヨが勉強している時に一緒にやっていたらしい。

 流石です。

 ハルは落ち着かなさそうに髪を撫でた。

 俺もハルの隣で参考書を開いて、解いたところで意味があるのかないのかよくわからないような問題を解いていく。

「なあ、ハル」

「ん?」

「わかんない問題は、水に浮かべればいいんだぜ」

「……なんで?」

「とけるから」

「…………」

 ハルはため息をついて、問題集に目を戻した。
 なーちゃんはクスクスと笑っていた。

294 : 以下、名... - 2016/08/28 23:29:26.81 ilA7zgD60 250/274

 セミの鳴き声が二種類に分かれてきたころ、ナナコがやってきた。

「今日も暑いですね」

 歩いてくるとやっぱり暑いらしい。

 扇風機の風を今日にしてナナコに向けると、ありがたそうに髪をなびかせた。

「店番は?」

 ねえちゃんが尋ねる。

「明日からは私です」

 なら、今日まではナナコ弟が店番か。

「弟、何歳だっけ?」

「あー、えっと、中二?」

 とっさに年齢が思い浮かばなかったらしい。ナナコは学年を答えた。
 まあ、たしかに、学生のうちは、年齢より学年の方がわかりやすいのかもしれない。

 そういえば、この夏休みで、ねえちゃんとナナコが随分と仲良くなった気がする。俺から見てると。

 イチはともかく、元は知り合いではなかったのに、今はふと目をやると、一緒に歩いていたり、話していたりすることが多い。

 というかほとんど。
 私服のナナコは、ねえちゃんと一緒にいるイメージしかない。

 なんというか、ちょっと嬉しかった。

 日が昇ってくると、さっきまであった涼しい風が、だんだんと温まってきているような気がしたので、窓を閉めてエアコンにした。
 ハルと俺は勉強してるし。

295 : 以下、名... - 2016/08/28 23:30:07.88 ilA7zgD60 251/274

 ナナコがオセロのアプリで、チヨに勝負を挑む。
 割と接戦だったようだが、最後はチヨに負けていた。

 なーちゃんにも負けていた。
 この姉妹はオセロが得意らしい。

 今度こそは、とナナコがねえちゃんに勝負を申し込んだと同時に、部長がやってきた。

「やっはろー」

 その頃にはハルの宿題もひと段落ついていたので、みんなでゲームをした。
 四つのリモコンを交代で使いながら。

 相変わらず部長は強かった。

 イチはまた最下位だった。

「こんなのやらなくても生きていけるもん!」

 そう言い残すと、彼女はクッションに顔を埋めて倒れこんでしまった。
 なんとも言えない気持ちになる。

 と、スマホの着信音。

「だれの?」

「俺のじゃない」

「私でもないです」

「あ、私だ」

 そう言って、ねえちゃんがポケットからスマホを取り出す。

「あの子からだ」

 ハルとなーちゃんがピクッと反応した。

「でる?」

 ねえちゃんがスマホを差し出すと、二人は嬉しそうに受け取って、廊下に出て行った。

296 : 以下、名... - 2016/08/28 23:31:19.14 ilA7zgD60 252/274

「わざわざ廊下に出なくてもいいのに」

「まあ、聞かれたくない話でもするんじゃない?」

 部長はそう言って、「うふふ」と口に手を当てた。

 チヨが「あら、まあ」と頬を手で包んだ。案外、チヨはノリがいい。

 しばらく全員で耳を澄ませていたが、廊下からは話し声は聞こえてきそうにない。
 することもないので、ゲームを消して、適当な旅行番組をテレビに映した。

 どこか知らない外国の土地を紹介される。

 美味そうなイタリアン風パスタを日本人女性が美味そうに食べていた。

 手が届かない分、ウォーターサーバーよりは気楽に見ることができる。

 と、なーちゃんが静かに戻ってきた。

「あれ? ハルは?」

「まだ、話してる」

 なーちゃんは、廊下にちらりと目線をやった。

 部長がニヤニヤする。

 ねえちゃんが小さく笑ったのが、視界の端で見えた。

297 : 以下、名... - 2016/08/28 23:31:57.85 ilA7zgD60 253/274

 それから五分くらい経って、ハルがスマホ片手に戻ってきた。

 扉を開けると全員が(何人かはニヤつきながら)自分のことを見ていたので、彼は少したじろいでいた。

 落ち着かなさそうに髪を撫でて、ハルはありがとう、とねえちゃんにスマホを返した。

 特に大した用事はなかったらしい。

 ただ話したかっただけ、と。

 このご時世、小六で電話する男女なんて少し珍しいような気がした。
 そんなモノ、なのかもしれないけど。

 時計の針が真上を指す。

 どここらかサイレンの音が聞こえてきた。

「お腹すいたね」

「昨日のでそうめん最後だったよ」

「ファミレスでも、行く?」

「人多くないですか?」

「たまには人多い時にでも行ってみようよ」

 全員で揃って、エアコンの効いた部屋から外に出る。

 外は驚くほど暑かった。遠くのアスファルトが歪んで見える。

 でも、人数が多いおかげか、歩いてる道のりは、長くは感じなかった。

298 : 以下、名... - 2016/08/28 23:32:30.51 ilA7zgD60 254/274

 ファミレスに着くと、案の定、人が多くて、しばらく待つことになった。

「なんかごめん」

 部長は申し訳なさそうに項垂れた。

 けど、テーブルに着こうとソファで待っていようと、だらだら話すことに変わりはない。
 特に待っているという感覚はなかった。

「今日も暑いね」

「そうだな」

 イチは今日もポニーテールだった。

 テーブルに座れたのは、店内から人が減って、落ち着きを取り戻し始めた頃だった。

 ドリンクバーと、適当に昼ご飯になるようなものを頼む。

 もう気になるメニューはほとんど食べてしまった気がする。
 でも気にならない料理を注文して、おいしくなくてもなんかむなしいし。

 結局、いつもと似たようなモノを頼んだ。

299 : 以下、名... - 2016/08/28 23:33:14.34 ilA7zgD60 255/274

 二時間近くドリンクバーで粘って、店を出る頃には、俺たち以外に客はいなかった。

 店員さんには申し訳ないことをした。

 でもまあお金は払ってるし、と自分に言い聞かせる。

 全員でとぼとぼと歩きながら、家に戻る。

 遠くに見える入道雲がやけに立体的で、思わず写真を撮っていた。

 セミがよく鳴いてる。けど、前よりは少し音量が小さくなっているような気がした。
 夏もそろそろ疲れたのかもしれない。

「アイス買って帰ろうよ」

 誰かがそう言ったので、コンビニに寄ってアイスとお菓子を買った。

 軒下のゴミ箱にアイスの袋を捨てて、食べながら帰る。
 暑さですぐに溶けてしまいそうだった。

 家に帰るころには暑さは限界で、部屋に入るなりすぐにエアコンと扇風機をつけた。

 今年の夏は暑い。

 熱中症にならないのが不思議なくらいだった。

300 : 以下、名... - 2016/08/28 23:33:51.02 ilA7zgD60 256/274

 結局その日は、夕方まで騒いだり笑ったりして、家の中でほとんどを過ごした。

 お喋りしたり、ゲームしたり、お喋りしたり。
 何でもないようだけど、普通に楽しかった。

 でも最近、運動をほとんどしてない。せいぜい家からファミレスを往復するくらい。

 軽く伸びをすると、肩が嫌な音を鳴らして痛んだ。
 ……ラジオ体操、また通うか。

 ねえちゃんも帰ってしまったので、一人でぽつんと部屋に残る。

 なんとなく咳をすると、やけに広い部屋に俺の声が響いた。
 咳をしても一人。

 庭のひまわりを見ると、もう力尽きて、下を俯き始めている苗がいくつもあった。
 オレンジ色に染まりつつある夕陽に照らされて、いかにも夏の終わり、という印象を抱いた。

 窓を開けると、ひぐらしが力なく鳴いている。
 なんだか寂しくなって、一人で麦茶を飲んだ。

 氷の入ったコップに麦茶を注ぐと、カラン、と氷の割れる音がした。

301 : 以下、名... - 2016/08/28 23:34:35.05 ilA7zgD60 257/274

 玄関から物音。

 振り返ると同時に、イチの声が聴こえた。

「スマホ忘れちゃってて」

 なんてもんを忘れるんだ。

 リビングのクッションをめくると、たしかにイチのスマホが転がっていた。

「はい」

「ありがと」

 することもなかったので、そこまで送ろう、と二人で家を出た。

 夕陽がアスファルトを照らしている。目に入る全ての影が、長く引き伸ばされていた。

 肩を並べて歩く。

 昼間とは温度がかなり下がっている気がして、別の世界を歩いているようだった。
 歩いていて気持ちいい気温。

「昼間もこれくらいならいいのにね」

「ほんとに」

 イチの声を聞いて、なんとなく落ち着くような、落ち着かないような気分になる。

 なんというか、安心してるんだけど、してないというか、その。

 なんだろう。これ。

 橋の上を渡ると、相変わらず、川面は夕陽を煩いほど反射していた。ここの景色は好きだ。

「公園、寄ってかない?」

 口に出してから、少し驚く。

「うん、いいよ」

 まあ、口に出してしまったものは仕方ない。
 それに、イチといるのは嫌いじゃない。

302 : 以下、名... - 2016/08/28 23:36:39.65 ilA7zgD60 258/274

 公園には、誰もいなかった。

 夕方。赤トンボ。遠くで聞こえるセミの声。

 二人きり。

「ジュースでも飲むか」

 自販機でジュースを買って、いつものベンチに並んで座る。
 イチは相変わらず、いつもと同じものを飲んでいた。

 遊具の方を見ると、錆びた鉄に夕陽が反射して、
 不思議な雰囲気を醸し出していた。

 なんとなく会話がなくなる。
 なんか話さないと。……なんで? 別に黙っていても気まずい仲ではない。

 でも何か話さないといけないことはある。

 それが何か、まあ、わかってはいた。

 イチがジュースを飲んで、喉が滑らかに動く。少し見とれる。

 目が合う。目線をずらす。

 蜻が目に入る。錆びた鉄。伸びる影。

 いつのまにか、頼りない夕陽は、山の向こうに沈もうとしていた。
 頭上の空は、藍色に染まろうと意気込んでいる。

「あー」

 イチが振り返る。

303 : 以下、名... - 2016/08/28 23:37:57.14 ilA7zgD60 259/274

「あのさ」

 言葉に詰まる。

 額が熱くなる。こめかみが激しく脈打っているのが感覚でわかる。

 何を言おうとしたんだ。

 自分に問う。

「自分で、わかってるでしょう」

 誰かが俺の中で答えた。

 たぶん、仲がいい人だ。人の中にいる。

 イチはこちらを向いて、俺の言葉の続きを待っている。

「……ごめん、なんでもない」

と、言おうとして、それを喉の手前で留める。

 それは言っちゃダメだ。

 でもなんて言えばいいかわからない。

 仕方ないんです。変えるのが、変わることが怖いんです。また置いていかれる。

 仕方なくないんですよ。このままだとどのみち変わってしまいます。あなたが一歩踏み出して、それを守るんです。

「イチ、」

 声が震えている。……ような気がして、固まってしまう。

 全身が心臓になってしまったかのように、視界が鼓動に合わせて揺れる。
 視界にはイチが写っている。

 好きな人。

 そう頭の中で言葉にすると、俺の心臓は跳ねるように動いた。肋骨が持ち上がる勢い。

 暖かい風が吹いて、夏休み前と比べてずいぶんと伸びた、彼女の毛先を揺らす。
 その姿が、景色が、雰囲気が、もう、綺麗で、完成されたようにみえて、あぁなんかもう。

 俺はおかしくなったのかもしれない。

304 : 以下、名... - 2016/08/28 23:38:57.18 ilA7zgD60 260/274


「あっ、えっ」

 イチが俺の目を見て、椅子から跳ねるようにして立ち上がる。

 手にはジュースを持ったまま。

「あぁーぅー……」

 よくわからない唸り声のような、不思議な声を出して、イチはまた座り込んだ。

 と思ったら、また立ち上がる。

 キョロキョロと辺りの様子を伺う。
 困ったような、照れているような(気のせいかも)表情。

 その様子を見て、なんだか呆気にとられて、すっ、と喉から息が流れた。
 なんだいまの。

 大きく息を吸って、深呼吸をすると、彼女はさっきと同じように座り込んだ。

「……はい」

 今度こそイチはベンチに座った。さっきより、心なしか距離が近づいてる。

 その事実に気がついて、また心臓が肋骨を持ち上げようと懸命な努力をする。
 頼む。頼むから今はおとなしくしておいてくれ。

「あの、さ」

「……うん」

 まだ何も言ってないのに、イチは小さな声で返事をする。

 頭は身長差のせいで俺より少し下にあって、おまけに俯いているせいで、
 どんな表情が見えない。

 それくらいの距離。

 指が震えている。
 なんだ情けないな、と自分で笑いそうになった。

305 : 以下、名... - 2016/08/28 23:40:32.05 ilA7zgD60 261/274

 でも、夕陽のせいか、イチの耳が、少し赤く染まって見える。
 少し見えるその顔も、夕陽のせいで赤みを帯びている。

 それを見て、また、
 しつこいようだけど、また俺の心臓は激しく鼓動を打つ。

 もう全身が動脈。体のどこかに、静かに血が流れる血管があるなんて嘘だ。
 今の俺は、全身の血管が、全力で脈打っている。

「おれさ、イチのことが、」

 口を閉じる、開ける、閉じる。また開ける。閉じる。

 緊張して言葉が続かない。

 息を吸う。満足に呼吸できない。

 急に酸素が薄くなった。公園から、空気がなくなったような錯覚を覚える。

 でももう言葉は出来てる。

 完璧じゃない。保険もかけてない。そもそも保険のかけようがない。

 諸刃の剣。 剣でもない。

 でも言わないと、ここで止めてしまうと、たぶん、あとかたもなく後悔する。

「好き、」

 喉に息がつまる。

「……だ」

 ……すごく、アホくさくなってしまった。

 でも、言ってしまった、と頭で理解すると、

 風が止む。音が止む。少し耳鳴り。

 時間が止まる。

 隣でイチが息を呑むのが聞こえる。

 ……あれ、時間止まってないや。

 だったら、おれは、本当に言ってしまった、ってことで、

 なら、最後まで、

「付き合って……ください」

 言い切るしかない。

 かたちはどうあれ。

 伝わればいい。

 俺から動くことができればそれでいいんだ。

306 : 以下、名... - 2016/08/28 23:41:54.85 ilA7zgD60 262/274

 イチが、

 深呼吸をしたのを、見て、

 ーーあぁ、逃げられるかな、と思って、

 イチが顔を上げて、

 ーーあぁ、不快にさせたかな、と思って、

 何言ってんだ俺、何やってんだよ俺、いやお前から壊してどうすんだよ。

 そうじゃない。これがあいつの言う、最善手なんだよ。

 なんだよあいつって。それは俺じゃなくて、他の奴が言ったことだろ。

 違う。おれが決めた。おれが言った。
 変えないためにこうしたんだよ。

 ーー思いっきり自信をなくして、

 やべえ、と顔を顰めそうになっていたから、

「……うん」

 そのとき、イチが頷いた意味が、一瞬理解できなかった。

「……え?」

 と、尋ね返してしまってから、

 「うん」という言葉には、否定の意味はないと理解して、
 それはそれで驚いて、

「……や、やっぱり、今の返事は、はい、の方がよかった、かな?」

 そう言って焦ったように、赤く染まった頬を手で隠そうとするイチが、もう、可愛くて可愛くて仕方がなかった。

 あぁ、よかったんだ。

 そう考えると、途端に体の力が抜けて、心臓が激しい運動を緩めた。
 肋骨あたりが筋肉痛のように痛い。

 まだ「あー……もう、えっと……その」と、あたふたしているイチが可笑しくて可愛くて、思わず笑ってしまう。
 
「なんで笑う!」

「いや、可愛くて」

 そう言ってしまって、自分でも恥ずかしくなって、
 イチも恥ずかしそうに顔を俯かせた。

307 : 以下、名... - 2016/08/28 23:42:49.84 ilA7zgD60 263/274

「……もう一回言って」

 イチが小さな声でそう呟いた。

「いや」

「……そこじゃない!」

「可愛い」

 少し恥ずかしいけど、踏み出すような気持ちでそう口にすると、俺の中で何かが溶けるような気分がして、
 イチは「あー」と恥ずかしそうに、嬉しそうに頬をこねくり回した。

 いつの間にか、夕陽は完全に沈んでしまっているけど、イチの顔はまだ真っ赤だった。
 たぶん、俺も。

 一度深呼吸をして、改めて、と言うように口を開く。

「あのさ」

「ん?」

 イチはまだ赤く染まっている頬のまま、俺の方を見上げた。

「さっきの、うん、は、」

 こんなことを聞くのは野暮な気はしたけど、それでも不安な気持ちは拭っておきたかった。

「うん、その、えー……っと、よろしく?」

 いや、ちょっと違う? とイチはまた唸るようにして顔を隠した。

 自然と緩む頬をおさえる。

 なんだ、もう、たぶん、世界で一番可愛いのはこいつだ。
 馬鹿みたいだけど、今は、そうとしか思えなかった。

「なあ、イチ」

「……ん?」

 そう、覗き込むようにして見上げてくるイチが、可愛くて可愛くて仕方なくて、

「ありがとう」

 俺は、なぜかそう言った。

「こっちこそ、ありがとう」

 イチも嬉しそうにそう言った。

308 : 以下、名... - 2016/08/28 23:44:05.22 ilA7zgD60 264/274

 次の日は、驚くほど目覚めが良かった。

 こんなに清々しい朝があるとは思ってもいなかった。

 昨日のことを思い出して、思わずニヤける。
 すぐに頬をおさえる。

 ベットの上を意味もなく転がりまわった。

 あれ、もしかして夢だったのかも、と新たな可能性が俺の中で芽生える。

 不安になって、スマホを手にとる。

 でも、こんな時間から連絡するのはまずいかな、と思いながらホームボタンを押すと、
 画面の時間には、七時十三分、とかいてあった。

 玄関のチャイムが鳴る。

 今日は、ねえちゃんは生徒会の手伝いに行く、と言っていた。

 扉を開けて、急いで玄関に向かう。

 母はもう出かけていた。

 玄関の扉に手をかけて、あ、顔も洗ってないや、と思ったけど、そのころにはもう扉を開けていて、

「やは」

 と、少し照れたようにポニーテールを揺らす彼女をみて、
 昨日のことは夢じゃないな、と確信して、

「おはよう」

 と、俺は答えていた。

309 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:51:38.78 hWTEXAWe0 265/274

 そのあとの夏休みは、あっという間に、と言うほどでもなく、そこそこの早さで、淡々と終わっていった。

 いつも通り、みんなで集まって、だらだらしたり、騒いだり。

 たまにイチと二人きりになることがあったけど、だからと言って何か変わった話をするわけでもないし、何をするわけでもない。

 改めて「付き合ってます」と言うのは気恥ずかしかったので、
 晴れた日の、昼ごはんの時にそれとなく報告したら、みんなそれほど驚きはしなかった。

 なーちゃんは珍しく驚いていたけど。

 一度、観たい映画があったので、夏休みのうちに、二人で出かけたことがあった。

 その時イチが、人がいないところでは手を繋ぎたい、と言ったので、
 俺たちは緊張と恥ずかしさが混ざったような気持ちになりながらも、
 二人で手を繋いで歩いた。

 映画は普通に面白かった。

 いつだか、課外が終わった後、帰りに生徒会室に寄った。

 礼儀として、コヨミちゃんに報告しておく。

 コヨミちゃんは、最後まで話を聞き終わると、「おめでとうございます、私のお陰ですね!」と言って、プリントの印刷をしに事務室に行ってしまった。

 会長と二人になる。

「先越されたなぁ」

 彼は困ったように笑ってたけど、それでも嬉しそうにしていてくれたので、
 俺もこの人がちゃんと部長に想いを伝えられたら、絶対に全力で祝福しようと思った。

 ……チヨのこともあるし、もしその時が来ればどうなるかは、まだわからないけど。

 会長が部長に想いを伝えるのは、また別の話。

310 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:53:08.02 hWTEXAWe0 266/274

 夏休み最後の日、ユウキとイケメン君と予定を合わせて、バーベキューをした。

 三人で朝からスーパーに繰り出して、安い肉を買い漁った。
 調理が面倒くさいので野菜は買わなかった。

 ユウキの家の庭で、バーベキューセットを用意して、炭に火をつける。

 用意した食材を並べると、肉しか買ってないから当たり前なんだけど、肉肉していて身体に悪そうだった。

「ウインナーも食べるし、平気平気」

 イケメン君は野菜が苦手らしい。意外な一面だった。

 でもウインナーと肉は、突き詰めれば両方とも肉だよ。と言うか普通に肉だ。

 何回か焦がしてしまったけど、それでもバーベキューは楽しくて、三人で近所に迷惑にならない程度に騒ぎまくった。

 後半になるとユウキの弟たちも参戦してきて、もうお祭り騒ぎだった。

 今ならいけるか、と思い、二人に

「俺、彼女できた」

 と伝えてみる。

 二人は固まった。

 ユウキの弟がバスタオルを何枚か持ってきて、俺はイケメン君に羽交い締めにされた。

 全身をタオルで包まれた後、丁重な保護のもと俺はタコ殴りにされた。

 それでも俺を含むみんなは大爆笑だったから、あのときのテンションは間違いなく可笑しかった。

311 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:54:13.84 hWTEXAWe0 267/274

 そういえば、ねえちゃんにアイスを買ってもらったりもした。

「いつかの約束」

「覚えてやがったか」

 一番高いものを買ってもらった。

 美味しかった。

 イチと話をするとき、一度、ねえちゃんとの関係について話したことがある。

 慣れているとはいえ、俺とねえちゃんの関係は、たぶん普通ではない。

 そのことについて話してみると、

「別にそのへんは信用してるし、大丈夫」

 と言ってくれた。

 が、ねえちゃんの方は多少気にしているようで、

「掃除は私が自分でする!」

 などと言い払うものだから、風邪を引いたのかと不安になったりもした。

 まあ、それはそれで。

 そのうちなんとかしていく問題。

312 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:55:57.36 hWTEXAWe0 268/274

 学校が始まって、当然部活も始まる。

 と言っても、何をするわけでもないし、何が変わったわけでもない。

 前より少しみんなと仲良くなっただけで、だからと言って部活が忙しくなったり、サボったりするようになったことはない。

 だらだらと過ごして、生徒会からプリントがまわってくれば、きちんと掃除をする。

 これまで通り、いつもの清掃部だった。

 でも、そんな部活動のうち、一日だけ、たぶん一生忘れないだろうな、という日があった。

 晴れた日の、放課後、残暑も消えてきた、秋の夕方だった。

 その日は確実にプリントが回ってこないとわかっていたので、部活に行っても行かなくてもいい日だった。

 それでもなんとなく、部室に行くと、そこにはイチがいた。

「やは」

「おう」

 いつもの席に座る。

 俺の前に、イチ。

 どこかで見覚えがあるな、と思っていると、イチが突然振り返った。

「ねえ、ちゅーしよう」

 いつもの席で、いつもの席に座っているイチが、俺の方を見ながらそう言う。

 部室。夕方。
 夕日は信じられないくらいオレンジ色をしていて、部室はまるで絵画のようにオレンジ一色に染められていた。

 窓の外には鳶が飛んでいる。

 俺はなんと答えたか、まあ、それは話すべきではないだろう。

 いちごオレの味がした。

313 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:57:12.98 hWTEXAWe0 269/274

 それからしばらく経ったある日の放課後、俺は部室に行く前に、渡り廊下に寄った。

 言うまでもなく、こなたがいた。

「やあー」

 と言っても、ここしばらく、探していても会えなかったんだけど。

「最後に話したのは、いつでしたっけー?」

「合宿の時だな」

「そんなに前なんですかー、時が流れるのは早いですねー」

 俺はこなたに会おうと、学校が始まってから、一年生の教室を回った。
 実を言うとコヨミちゃんに尋ねたりもした。

 何人かの生徒に尋ねてみたりもしたが、あまりにも手がかりが少なかった。

 自分のことを、こなた、と呼ぶ。
 髪が短い。語尾を伸ばす。

 ーーどこにでも現れて、なんでも知っている。

 俺は薄っすらと、こいつは人間じゃないのか、とは思っていた。

 どこにでも現れる。

 学校にいても、公園にいても、果ては遠く離れた土地にいても。
 どこにいても、いつの間にかそこに居て、いつの間にか消えている。

 そして、俺が一人のときにしか現れない。

「なあ、こなた」

「はい?」

「お前は、俺なのか」

 そう尋ねると、こなたは意味深に微笑んだ後、

314 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 00:58:56.95 hWTEXAWe0 270/274

 堪えきれないというように、思いっきり笑った。

「え、え?」

 戸惑う。違ったのか。

「何言ってるんですかー、妄想が激しすぎですよ!」

 こなたがあまりにも可笑しそうに笑うので、なんだか恥ずかしくなって、俺は手すりに寄りかかって、不貞腐れたように口先を尖らせて尋ねた。

「じゃ、じゃあなんだんだよ……」

「少なくとも、あなたではありませんよー。
 あなたの分身とか、ドッペルゲンガーとか、タルパとか、それはまた別のお話ですー」

 こなたは目尻の涙を指で拭って、手すりの上に軽いジャンプで登った。

「せんぱいは、時計を見たときに一瞬針が止まって見える現象を、なんというかご存知ですかー?」

「クロノスタシスだろ。こなたが言ってたじゃん」

「つまりそういうことですよ」

 こなたは手すりの上から、にんまりと俺を見つめている。

 俺が何を言いたいのかさっぱり理解できずにいると、そのままこなたは続けた。

「せんぱいは、こなたが教えて差し上げまで、その単語をご存じなかったんですよねー?」

 そこまで言われて、やっと、こなたの言いたいことに気付く。

「……そっか、俺の知らないことを知ってるはずがないのか」

 こなたは満足そうに頷いた。

315 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 01:00:26.10 hWTEXAWe0 271/274

「なら、お前は何者なんだ?」

「まあ、少なくとも、人間では、ありませんねー」

 こなたは当たり前のように、重大なことをサラッと言った。
 いや、こなたからすれば当たり前なのか。

「こなたは何にでもなります。
 どこにでもいます。
 悩む人がいれば今のように人の姿をすることもありますし、インスピレーションを与えるそよ風にもなりますし、
 時には重力に従うだけの、赤いリンゴになったりもします」

 変な話だった。変わった話だった。

 でも、俺は自然と、その言葉を素直に飲み込んだ。

「信じようと信じたいと、真実はこの通りですー」

「信じるよ」

 俺がそう返すと、こなたは驚いたように目を丸めた。

「おや、珍しい……あまり人は信じないのですがねー」

「信じた方が、夢があるしね」

 なるほど、とこなたは笑った。

 じゃあ、俺は部室に行くから、「またな」と、こなたに手を振って、渡り廊下を後にした。

 はい、お元気で、とこなたは手を振り返してくれた。
 つかみどころのないふわふわした雰囲気も、今ならなんとなく理解できる。

 でも、それ以降、俺がこなたを見ることはなかった。

316 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 01:03:18.45 hWTEXAWe0 272/274

 悩む必要がなくなったから、こなたは姿を見せなくなったのだろう。
 俺が、変わることを恐れなくなったから。

 あいつ自身もいなくなる、という変化も、俺は素直に受け止めることができた。

 まあそれはそれとして。

 その日は、たしか、週末明けの、月曜日の放課後だった。

 一昨日と昨日は、いろいろと用事があって、イチと会っていない。

 学校に来ても、文系と理系が違うとなかなか会うことはない。
 昼休みも、イケメン君とユウキに付き合わされて、会いに行く暇はなかった。

 ということで、しばらく顔を見ていなかったその日。

 少し急ぎ足で、俺は部室に向かった。

 連絡をしたわけではないから、どこにいるのかはわからなかったけど、きっと、この時間、イチなら、きっと。

 生徒会室の前を通って、長い廊下を歩く。

 秋の初めの廊下は少し冷えていて、洗練された空気が漂っていた。
 大きく息を吸うと、肺の中が洗われるような気分になる。

 窓の外は、夏の間木陰を作っていた植木たちが、役割を終えたかのように葉を茶色く染めて、その枝を大きく揺らしていた。

 校舎の端っこの、小さな教室に近づく。

 今日も今日とて、俺は相も変わらず、この扉を開く。

 その奥からはあたたかい気配がして、誰かいる、ということが伝わってくる。

 今、会いたい人。

 扉を開けて、俺は言う。

 ーーやっぱり。

317 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 01:04:10.58 hWTEXAWe0 273/274

 


「ここにいたんだ」


 

318 : ◆1HYehGkP635v - 2016/08/29 01:06:23.41 hWTEXAWe0 274/274

おしまい。


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