戦士「突然何言い出すんですか」
勇者「花は散るから美しいのと同じだよ」
戦士「は、はあ」
勇者ナハトさんは不思議な人だ。
背が高くスラッとしていて、顔立ちもかなり整っている。
中性的な目元は女性受けが良いようだ。
立ち振る舞いの一つ一つに貴族のような気品がある。
しかし、何の脈絡も無く妙な話をし出すことがあった。
勇者「いやあ、あの子は綺麗だなあ」
そう言ってナハトさんが眺めたのは、決して醜くはないが美人でもない、
良くも悪くも素朴な普通の少女だった。
一瞬彼の美的センスを疑ったが、
俺はすぐに彼が彼女の容姿を褒めているわけではないことに気がついた。
第一話 処女愛
※エログロ注意(特に男性はグロ注意)
元スレ
勇者「やっぱり処女は最高だね」戦士「え?」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1457772149/
勇者「僕はわかってしまうのだよ」
勇者「人が貞操を守っているか、それとも既に捨ててしまったのかがね」
勇者「どのような相手に捧げたのかもわかるよ」
勇者「相思相愛の相手か、愛してはいないが婚姻を結んだ相手か、」
勇者「それとも、好きでもない相手に無理矢理奪われてしまったのか……ね」
勇者「そんなこと知られたくもないだろうが、嫌でも瞬時に悟ってしまう」
勇者「いやあ、困ったものだねえ。はっはっは」
戦士「はあ……」
勇者「僕は人一倍魔力から情報を読み取ることには長けているが、」
勇者「こんな情報まで読み取ってしまうなんて、はは、本当に罪だ」
ナハトさんは常に芝居がかった話し方をする。
その振る舞いは壮年の貴族のようである。
勇者「君は童貞を保っているね。そして全く女性に免疫が無い」
戦士「俺を馬鹿にしてるんですか」
勇者「いやあ、決してそんなことはないよ。むしろ賞賛しているのさ」
勇者「処女童貞は愛する人と結婚するまで守るべきものだからね」
勇者「純潔は愛する人に捧げるからこそ価値が生まれるものなのだよ!」
戦士「そ、そうですか」
こんな話題、小綺麗な喫茶店でする話じゃない。
勇者「ああ、あの子も綺麗だな」
この人は無類の処女好きだが、決して処女を食うことを好んでいるわけではない。
彼は処女を保った少女を見つけると、羨望しているかのような生暖かい眼差しを向ける。
俺がこの風変わりな人と出会ったのは、今より少し前のことだった。
―――――――
――
俺は剣の修行のため、故郷を出て旅をしていた。
そしてとある小さな村に立ち寄ったのだが、運悪く魔物の群れに襲われてしまった。
一体一体は弱いがいかんせん数が多く、何より群れのリーダーが強かった。
いくら斬り伏せてもきりがなく、リーダーは暴れ放題。
戦士「ちくしょうっ」
ようやくリーダーの元へ辿り着いたが、
獣人型の大きな魔物が振るった大剣に、俺はあっさりと吹き飛ばされてしまった。
そこで現れたのがナハトさんだった。
勇者「ははは、好き放題やってくれているねえ」
黒に近い紺色の髪に、それと同系色の軍服のような服。
そんな髪色、人間ではありえない。染めているのかと思った。
歳は二十歳くらいだろうか。俺よりはいくつか上だろう。
ナハトさんは細い体で両手用の長剣を軽がると片手で扱い、あっさりと群れを殲滅した。
戦士「弟子にしてください!」
俺はすぐにナハトさんの元へ走り、土下座した。
勇者「え? すまないね、弟子は募集していないんだ」
即答だった。
ナハトさんの眼を覗くと、深い夜空のような藍色をしていた。
こんな髪と目の色の人は見たことがない。
戦士「お願いします! 俺、強くなりたいんです!」
勇者「理由は?」
戦士「立派な戦士となり、故郷を守る兵士となりたいからです」
勇者「…………」
戦士「…………」
勇者「……はっはっは、気に入った」
勇者「君が僕から何かを学べると思うのならついておいで」
勇者「ただし、剣以外の面倒は見ないよ。いいね?」
戦士「はい!」
勇者「僕の名はナハト。君は?」
戦士「ヘリオスです」
勇者「ヘリオス君か。立派な名だ」
戦士「不思議な髪の色ですね」
勇者「ああ、僕は魔力の影響を受けやすい体質でね」
勇者「これは僕の魔力の色に染まっているのだよ」
勇者「このような体質は魔適体質と言い、非常に珍しい」
勇者「常人よりも遙かに容易く魔力を制御できる。便利だよ」
俺は魔法なんてからっきしわからないが、雰囲気からこの人が不思議な力を持っていることはわかった。
でないと、こんなに細い体で剣を触れるはずがない。
ナハトさんは長袖の服を着ているから、どれほど筋肉がついているかは確認できない。
だが、おそらく俺の方が太い腕をしているだろう。
勇者「ああ、返り血で汚れてしまっているね」
勇者「川で洗ってくるといい」
戦士「ナハトさんは……返り血、全くついてませんね」
勇者「僕は返り血が大嫌いでね」
勇者「気がつけば返り血を浴びずに戦う術を見に着けていたよ」
あれほどの魔物を倒したとは信じられないほど、彼の服には血の染み一つ付いていなかった。
宿が空いておらず、野宿しようとしたところナハトさんが借りている部屋に泊めてもらえることになった。
剣以外の面倒は見ないと言いつつ、彼はなんだかんだで面倒見がいい。
勇者「やはり夜はいいね」
彼は魔石灯の明かりを消すと、窓から夜空を見上げた。
戦士「はあ」
勇者「僕は夜が好きだ」
勇者「闇が大地を覆い、無数の星々が煌めき、風が草木を歌わせる」
勇者「人々は寝静まり、時折響くのは虫の音と鳥の声」
勇者「ああ、素晴らしい。夜の静けさに乾杯だ」
そう言って彼はただの水を飲んだ。果実酒を飲んでいるかのように味わっている。
彼の発言にどう反応すればいいのかわからなかったから、とりあえず聞くだけ聞いた。
戦士「…………」
詩人みたいな人だなと思った。少なくとも普通の人とは違っている。
勇者「どうか我等に月の処女神の加護があらんことを」
そんなこんなで、俺とナハトさんの旅は始まった。
――
――――――――
勇者「ここの軽食はおいしいね」
戦士「そうっすね」
処女が云々という食欲の失せそうな話を聞かされていたのだが、
だいぶ慣れたのでわりと平気だった。
勇者「パスタでも追加注文するかい?」
勇者「君はそれだけじゃ足りないだろう」
戦士「あ、いいんですか」
勇者「もちろんさ。僕の我が儘でこの店に入ったのだからね」
奇妙な人ではあるが、俺には優しい。処女に対しては更に紳士的だ。
ナハトさんは常に笑顔を絶やさない。
しかし、どこか底知れない妖しさを秘めている。人間味が薄い。
その夜空のような瞳には、言葉では表しようのない不気味さと言うか、
神秘的さと表すべきか……とにかく、深みがあった。
学のない俺に表現できることではない。
勇者「君はいいねえ。実に純真だ」
戦士「……俺も人並に妄想くらいしてますよ?」
勇者「少年らしい健全な妄想だけだろう。欲に己を支配され女性を傷付けることは決してない」
勇者「君くらいの年頃の男の子は、性への興味関心から女子を性的にからかうことが多い」
勇者「僕はそういう奴が大嫌いなのだよ」
勇者「女の子を見る下卑た眼差し……許せないね」
あなたが処女に向けている生暖かい眼差しもなかなか気味が悪いような気がするが。
勇者「悪寒が走る。股間を剣で切り取ってやりたくなるよ」
思春期の女の子のようなことを言う人だ。
これが推定二十歳前後の青年の言うことなのだろうか。
いや、世の中には様々な男がいる。
至極堅実で清潔好きな男の中には、極端な思考の持ち主もいるのかもしれない。
いや、目の前にいる。
戦士「……ナハトさんは、異性経験あるんですか?」
勇者「さあ、どうだろうね」
彼は妖しい笑みを更に深めた。
この人は童貞を恥じるような人ではない。何故ぼかす必要があるのだろうか。
もしかしたら、意外と故郷に嫁さんと子供を残してきているかもしれないとも思ったのだが。
戦士「そういや、何がきっかけで魔王討伐の旅をしているんですか?」
勇者「他にやることが思いつかなかったからだよ」
戦士「はあ」
勇者「ま、復讐と言えばそうなるのかな」
勇者「魔物を倒している内に、僕はいつの間にか勇者と呼ばれるようになった」
勇者「僕は英雄なんて柄じゃないんだがねえ」
戦士「守りたいものとか、ないんですか?」
勇者「ううむ、僕にはもう何も無いからねえ」
ああ、じゃあ妻子はいなさそうだ。
勇者「強いて言えば、この世界の女の子達の純潔かな。はっはっは」
戦士「は、はあ」
いまいち謎の多い人だ。
昼食を食べ終えて外に出た。
この町はそこそこ発展しており、石造りの建物がたくさん並んでいる。
大通りは混んでいたため、人通りの少ない裏道を通って宿へ向かうこととなった。
突然、女の子の悲鳴が響いたが、不自然にその悲鳴は途切れた。
誰かが無理矢理口を塞いだようだった。
悲鳴が聞こえた方向へ俺達は走った。
細い裏道から更に細く入り組んだ路地裏に入ると、女の子が男に口を抑えられていた。
男は筋肉質で、片手にナイフを握っている。
暴漢「う、動くな!」
男はこっちに気がつくと、慌ててこっちにナイフを向けた。
勇者「…………」
俺は何かまずい気配を感じ、思わずナハトさんの横顔を見た。
相変わらず微笑んではいるが、彼の目は非常に冷めていた。背筋に悪寒が走った。
そして、彼は微笑んだまま剣を抜き、男のナイフを男の手ごと吹っ飛ばした。
女の子「ひっ!」
女の子は驚いて男から離れ、倒れるように俺の胸に飛び込んできた。
しかし俺にときめきを感じる余裕はない。
次の瞬間には、男が股間から血を垂れ流していた。
男は悲鳴を上げている。
勇者「ははは」
勇者「僕にはわかりますよ。あなたはこの女性を穢そうとしていましたね」
勇者「姦淫された女性の末路を知っていますか?」
勇者「訴えれば周囲に穢れたことが知れ渡り、白い目で見られる」
勇者「嫁ぎ先も見つからない」
勇者「だからと言って訴えなければ泣き寝入りだ」
勇者「しかし運悪く暴漢の子を孕んでしまうこともある」
ナハトさんはすごい勢いで喋りながら、男の股間に何度も剣を突き立てた。
勇者「この世界の穢された女性の多くは幸せになれません」
勇者「そんな女性の気持ちをわかっていますか? わかっていませんよね?」
勇者「それともわかった上でやろうとしていたのですか?」
勇者「あなたのようなケダモノに子孫を残す資格なんて無いと僕は思うのですよ」
あまりにも恐ろしい光景に、俺も女の子も硬直してしまっていた。
勇者「処女は愛する人のために大切に守られなければならないのです」
勇者「……さあ、憲兵を呼んできましょうか」
勇者「ああ、お嬢さん、怖がらせてしまいましたね」
勇者「少しだけ付き合っていただけるでしょうか?」
勇者「この男があなたに危害を加えようとしていたことを証言していただけないと、」
勇者「僕が傷害罪で検挙されてしまいかねませんからね。ははは」
女の子「っ……」
俺はとんでもない人を師匠にしてしまった。
ああ、股間が切ない。
21 : ◆qj/KwVcV5s - 2016/03/13 13:47:13.83 VYZi8vTWo 14/477※過去作のキャラ名とよく似たワードがこの作品内で登場することがあるかもしれませんが、書いてる人間の鉱物フェチが原因なだけので関連性は皆無です
男性「これは、娘を助けていただいたお礼でございます」
そう言って男性からナハトさんに手渡されたのは、大粒のダイヤモンドだった。
勇者「お礼なんて不要です」
勇者「女性の純潔を守ることが僕にとっての何よりの喜びですから」
男性「何かお礼をしないと私の気がすみません!」
男性「このダイヤモンドは偶然手に入れた物なのですが、」
男性「私のようなただの平民にとっては手に余る代物なのです」
男性「このようなものを持っていても強盗に襲われかねませんし、」
男性「売り飛ばして大金を手に入れても同じことです」
男性「ですが、お強い勇者様のお役になら立つと思うのです」
勇者「では受け取りましょう。旅にはお金が必要ですからね」
男性「娘が無事に帰ってきてくれて、本当によかった……」
第二話 花の都
ナハトさんは恐ろしい人だが、剣の腕は確かだ。
俺は彼との旅をやめないことにした。
彼は別に悪い人ではない……はずだ。
暴漢から女性を救い、もう二度と女性を暴行できないような体にしただけだ。
フェミニストなあまりやり方が残虐になってしまっただけなんだ。
俺達は次の町へ向かって平原を歩いている。
馬車を借りてもよかったのだが、体力をつけるために敢えて徒歩で行くことになった。
勇者「このダイヤは素晴らしいね。魔力伝導率が非常に高い」
勇者「宝石としても魔鉱石としても優れている」
ダイヤを日にかざしながら彼は言った。
勇者「しかし、僕とダイヤの相性はあまり良くない」
勇者「何かの交渉には使えるかもしれないね」
勇者「ヘリオス君、魔力と魔鉱石の関係を知っているかい?」
戦士「いいえ、あまり……」
戦士「魔鉱石が明かりや食べ物の保存に使われていることくらいしか」
勇者「一般的に、魔鉱石は自分の魔力の色と近ければ近いほど相性が良い」
勇者「魔鉱石には、魔術の威力を増幅させる働きがある」
勇者「逆に、魔力伝導率……魔力の流れやすさの低い石を使うことで、」
勇者「魔術の暴走を抑えることもできるのだよ」
戦士「そうなんですか」
現代、魔鉱石は生活にかかせない物となっている。
ただ魔鉱石を持っているだけでは意味がないが、
魔鉱石に魔力を込めることで光を灯すことができたり、周囲の空気を冷やすことができたり、
消毒を行ったりすることが可能となるのだ。
用途に応じて様々な石が利用されている。
だが、俺は魔法に関する知識に乏しいので、
専門の魔術師が魔鉱石をどのように利用しているのかに関しては全く知らなかった。
勇者「僕の魔力は深い青だから、ラピスラズリやアズライトとは相性がいいね」
勇者「君は……夕日、いや朝日のように燃え上がる橙だね」
勇者「オレンジサファイアあたりが似合いそうだ」
戦士「でも俺、魔法なんて使えませんよ」
勇者「君はいい子だから、特別に魔適傾向を高めてあげよう」
戦士「え?」
ナハトさんは俺の額に手をかざした。
胸が燃え上がるように熱くなったかと思うと、俺の全身に熱が広がった。
勇者「恐れることはない。君が元々持っている力を解放しただけなのだからね」
勇者「髪色や瞳の色も変わってはいないよ」
勇者「練習すれば、感覚的に魔力を操れるようになる」
勇者「今度、君に合う魔鉱石を探しに行こう」
勇者「僕も自分に合う石を探しているんだ。なかなかしっくりくる物が見つからなくてね」
勇者「魔王を倒すには、最高に相性の良い石が必要なんだ」
ナハトさんは、魔王城がそびえていると言われている北を眺めた。
魔王と何か因縁でもあるのだろうか、と思ってしまうような眼差しだった。
勇者「ほら、町が見えてきたよ」
勇者「花の都、ルルディブルクだ」
~花の都・ルルディブルク~
勇者「いやあ、素晴らしい光景だね」
花の都と呼ばれているだけあって、様々な花が咲き乱れて街を飾っていた。
勇者「この花々のように、処女もいつか散ってしまう」
勇者「ああ、なんて儚く美しいのだろう」
この人の並々ならぬ処女への執着は一体何なのだろう。
勇者「貞淑な女性のように、この花が踏みにじられることなく咲き続けることを願おう」
貞操観念が高いのは良いことだとは思うが、普通それをわざわざ他人に言うだろうか。
田舎の狭い社会で育った俺にはよくわからない。
元騎士「こんなところで貴様と出会うとはな、さくらんぼ狩りの勇者ナハト」
勇者「おや、これはこれは」
勇者「姦通罪により解職させられた元騎士のディオニュソス・ド・トンベル君じゃないか」
戦士「さくらんぼ狩り……?」
元騎士「こいつの二つ名だ」
勇者「この異名を考えた人のセンスは素晴らしいと思うよ」
元騎士「ふん。早速で悪いが、俺にかけた呪いを解いてもらおうじゃないか」
勇者「お断りだね」
元騎士「解呪してもらえるまでここを通すわけにはいかないな」
勇者「なら無理矢理通るまでだ」
元騎士「おっと」
非常に険悪な空気が漂った。
俺は股間を切られた暴漢の姿を思い出してゾッとした。
この元騎士さんには逃げてほしい。
元騎士「男嫌いの貴様が男を連れているとは」
戦士「……」
勇者「はっはっは、この子は君と違ってウブなんだ」
勇者「僕の嫌いな人種じゃあないんでね」
両者は笑いながら睨み合っている。
とにかく怖い。
勇者「僕は全ての男性を嫌っているわけではないのだよ」
勇者「至って堅実で誠実で清潔好きな男性なら大歓迎さ」
俺は単に女性慣れしていないだけなのだが……。
勇者「君のような穢れきった女好きの淫魔モドキは殺したいほど嫌いだがね」
元騎士「俺はおまえのような頭の固い古びた思想の持ち主が大嫌いだよ」
元騎士「さあはやく俺の呪いを解け」
勇者「それほど女性を抱きたいのなら娼館に行きたまえ。はっはっは」
勇者「生活のために体を売らざるをえなかった女性達を支援するんだ」
元騎士「街中で女性を落としてこそ達成感を得られることがわからんのか」
戦士「……どんな呪いをかけたんですか?」
勇者「はっはっは」
元騎士「こいつは! 俺が妻に秘密で愛人を作っていたことを国に通報した挙句!」
元騎士「配偶者か娼婦以外とは情を交わせないという呪いをかけやがったのだ!」
勇者「娼婦相手になら屹立するようにしただけ感謝してくれたまえ」
戦士「じゃあ、奥さんと……」
元騎士「離婚されたに決まっているだろう! ちくしょう!」
元騎士「おかげで俺は騎士の称号を剥奪され、今じゃ流れの傭兵だ」
勇者「君の故郷は、公爵及び王族以外の人間が愛人を持つことを禁じられていたからねえ」
勇者「僕は法に従ったまでだよ。はっはっは」
元騎士「だからといって俺に呪いをかけることはないだろう!」
勇者「僕は、女性が悪質な獣に騙され純潔を奪われるという悲劇が生まれないようにしただけさ」
戦士「人に呪いをかけることは大抵の国で禁じられてるんじゃ……」
勇者「多くの国、宗教は婚外交渉を良しとしていない」
勇者「僕を訴えたところで、まともに耳を貸してくれる法律家はいるのかな」
元騎士「おのれ……」
法に従ってこの元騎士さんを告発したのに自分も法を破っている。
めちゃくちゃである。
法ではなく自分の信念に従ったのだろう。
勇者「はっはっは、諦めたまえ」
元騎士「ならば決闘だ!」
勇者「よかろう、そこの広場で始めようじゃないか」
ディオさんは、傭兵にしては身だしなみが整っている。
元騎士なだけあって、パッと見普通の騎士に見えた。とても傭兵には見えない。
勇者「はは、教科書通りの太刀筋だね」
元騎士「舐めおって!」
動きも綺麗だ。かなりの使い手だろう。
しかし、ナハトさんはディオさんの鋭い剣さばきを軽々と流し続けている。
いたって余裕のようだ。
勇者「君がどれほど頑張っても僕には敵わないよ」
そう言うと、彼はディオさんに対して素早く水平に剣を振った。
元騎士「なっ!?」
ディオさんの剣は切れてしまった。
折れたのではない。綺麗に切断されたのだ。
勇者「はっはっは、すまない。力を入れ過ぎてしまった」
元騎士「…………」
ディオさんは茫然と自分の剣の残っている半身を見つめている。
勇者「君から申し込まれた決闘なのだから弁償はしないよ」
勇者「さあ、行こうかヘリオス君」
戦士「はい」
戦士「ナハトさんって踵の高いブーツ履いてますよね」
戦士「戦いにくくないんですか?」
靴を履かなくても彼は俺より十センチほど身長が高く、足も充分長い。
勇者「もうすっかり慣れてしまったよ」
戦士「どうしてわざわざそんな靴を履いてるんですか?」
勇者「足を血で汚したくなくてね」
勇者「宿に行く前に武器屋に寄ろうか。君の剣、だいぶ刃こぼれしているだろう」
丁度買い替え時だった。
勇者「…………」
勇者「僕にも君にも合いそうな魔鉱石は無いね」
勇者「君の武器だけでも探そう」
勇者「この剣はどうだい。君の体格に合っていると思うよ」
戦士「……ほんとですね」
手渡されたのは、刀身はそう長くないが幅がやや広めの剣だった。
俺の手によく馴染んでいる。
勇者「早速空き地を探して軽く修行しようか」
この時、ナハトさんは少しだけ人間味のある笑みをしていた。
勇者「君はまだ未熟だが、伸び代は大いにある」
勇者「僕は君の成長が楽しみだよ」
妖しい雰囲気を漂わせてはいるが、その言葉が嘘だとは思えない。
戦士「ありがとうございます」
勇者「運動したらお腹が空いたね。すぐに宿を確保してから早めの夕食にしようか」
勇者「どうしたんだい? 食欲が無いのかい」
戦士「いや……俺はナハトさんほど綺麗に食事できないもんですから」
彼は雑音一つ立てずに料理を平らげられる。
勇者「はっはっは、君の食べ方だって野性味が合っていいじゃないか」
勇者「僕は君の個性を否定しないよ」
勇者「高級なレストランというわけでもないのだから、好きなように食べたらいい」
勇者「たくさん食べるんだ。そして、大いに成長するんだ」
彼はまるで子を見守る母親のような、暖かい眼差しを俺に向けた。
ナハトさんが最も人間らしい表情をするのは、食事時だ。
戦士「ナハトさんってどんな修行してきたんですか?」
勇者「ほとんど独学だね」
戦士「ええ!?」
思わず咽かけた。
勇者「実のところ、僕が道場でまともに剣を習ったのは一ヶ月だけなのだよ」
勇者「もう八年近く前になるね」
勇者「弟子入りしてすぐに強くなりすぎてしまってね」
勇者「ある時、僕は兄弟子に大怪我を負わせてしまった」
勇者「すぐに治療したから大事には至らなかったが、僕は道場にいられなくなってしまった」
勇者「それ以来一人旅だよ」
戦士「はあ」
流石勇者と呼ばれているだけある。
勇者「ああ、あの子は軽い気持ちで男友達に処女を捧げてしまったようだ」
勇者「実に嘆かわしい。若者の性の乱れは忌むべきものだ」
尤も、一般的に想像される勇者像からはかけ離れているが。
――翌日
この町はかなり広い。
今日は町の反対側まで移動し、町を出るのは明日にすることになった。
勇者「日の入りまで自由行動にしよう」
勇者「この美しい街をゆっくり見て回るといい」
勇者「ああ、うっかり花街に入らないようにね。君は未成年なのだから」
勇者「この町は数年前に春画の規制が厳しくなってね」
勇者「その結果性犯罪が増加し、対策として娼館が増やされた」
勇者「西の区画は風俗店だらけだ。ああ、嘆かわしい」
勇者「いやらしいからという理由で性の捌け口を規制したのに、」
勇者「実際の女性を犠牲にしてしまっては元も子もないじゃないか」
勇者「せっかくこの街は美しいのに、花売りの女性が多いのは悲しいね」
勇者「ああ、今言った花とはこの町の名産物のことじゃないよ」
俺には彼がどういった意味で花という言葉を使ったのかよくわからなかったが、
話の流れ的に体を売っている女性のことを指しているのだろうと察することができた。
元騎士「よう、また会ったな」
一人で街をぶらついていると、昨日のディオさんに会った。
元騎士「おまえ、よくあんな奴と旅なんてできるな」
戦士「はあ」
元騎士「ま、くれぐれもさくらんぼを刈り取られないようにな」
そういうと、彼は紅水晶で妖しく彩られた街路へ入っていった。
俺は意図せず西の区画のすぐ前まで来てしまっていたらしい。
もう日も傾いていたし、宿に向かおう。
そう思った瞬間、一人の商人が目に入った。
その商人は黒いローブで顔を隠し、花街へ向かって荷台を引いている。
荷台は厚い布で覆われていたが、中に誰かがいるような気がした。
ナハトさんに魔適傾向を高めてもらったおかげだろうか。
俺は他人の魔力をほんの少しだけ感じ取れるようになっていた。
俺はどうしてもその荷台の中身が気になり、ナハトさんの言いつけを破って商人の後を追った。
娼婦「そこのボク~! ちょっと寄っていかない?」
戦士「ひえっ……み、未成年ですから!」
お色気満々のお姉さん方を恐れつつ、花街を進む。
俺は親しい女性といえば母親と妹くらいだ。
義務教育学校でも女子とは無縁だった。嫌われることは無いが関わることも無かった。
強面気味なのであまり女の子が近寄ってこなかったのである。
また、田舎だったため美しく着飾った女性というのもいなかった。
だから積極的な女性には怯えてしまう。
決して女性に興味が無いわけではない。
仲良くなるなら控え目で清楚な子がいいな……そう、あそこにいる子みたいな。
戦士「……?」
とても娼婦には見えない、素朴な少女が娼館の看板を持っている。
妙だ。俺は風俗のことなんて全くわからないが、確かな違和感を覚えた。
黒い商人は路地裏へと入っていった。
勘付かれないよう、気配を消して様子を窺う。
黒商人「この時間に来て正解だった」
黒商人「夜に動いては物音が響くからな」
娼館長「だから人込みに紛れて少女を運んできたというのか」
娼館長「大胆なことをしたものだな。で、いくらだ?」
黒商人「40万Gでどうだ。なかなか顔立ちが整っているぞ」
商人は荷台にかけていた布をはぐった。
少女「…………」
やっぱり、中には少女が閉じ込められていた。
口を布で塞がれていて、手足も縛られている。
今、俺の目の前で人身売買が行われている……!
娼館長「ううむ……精々20万だろう」
黒商人「何を言うか。どんなに下げても35万だ」
戦士「おまえら!!」
戦士「こんなことやって、許されると思っているのか!?」
娼館長「おい、気付かれとるじゃないか」
黒商人「俺としたことが……まあ問題ない。相手はガキ一人だ」
娼館長「それもそうだな」
娼館の主は指を鳴らした。
黒い装いの傭兵らしき男が四人現れ、俺に襲いかかる。
戦士「ひっ」
冷や汗をかきながらも、どうにか複数人を相手にできた。
狭い路地裏だったからこそだろう。広ければ背後を取られていた。
あまり人を斬ることは好きじゃないのだが、そんなことを言っていたら兵士になんてなれやしない。
少女「……!」
戦士「今助けるぞ!」
黒商人「なんて小僧だ……」
娼館長「だが傭兵ならいくらでもいる」
娼館の主が再び指を鳴らすと、更に傭兵が現れた。
元騎士「おい、何か物騒な音が聞こえてきたんだが」
元騎士「何やってんだ、おまえら」
戦士「人を呼んできてください! できれば国家憲兵を!」
元騎士「その間におまえ殺されちまうだろ。助太刀してや……」
元騎士「あ、まだ剣新調してなかった」
そう話している間にも、傭兵達が襲いかかってきた。
ディオさんは丸腰で応戦してくれている。
流石元騎士というだけあって、剣が無くても体術で傭兵を倒している。
黒商人「この場を見られた以上、どちらも生きて帰すわけにはいかんな」
元騎士「おいおいマジかよ」
背後にもどこからか傭兵が飛び降りてきた。
元騎士「この身のこなし、暗殺者じゃねえか……」
元騎士「金に物を言わせてとんでもない奴雇ってんな」
ディオさんは倒した傭兵から短剣を奪ったが、
強者相手に慣れない武器で戦うのは限界があるだろう。
日はもう落ちていて、不気味な紅水晶の明かりが薄暗く辺りを照らしている。
元騎士「くっ!」
戦士「わっ!」
ディオさんが体勢を崩し、それに巻き込まれて俺も倒れてしまった。
傭兵達に刃を向けられる。
なんてこった。正義感に任せて厄介事に首を突っ込んだばかりに俺は殺されてしまうのか。
俺がもっと強ければこんなことにはならなかったというのに。
黒商人「終わりだ」
少女「……」
痛みを覚悟して目を瞑ったが、その瞬間聞き覚えのある笑い声が聞こえた。
勇者「はっはっは、なんだいこれは。違法取引でもしていたのかい」
彼は一瞬で傭兵達を斬り伏せた。
黒商人「紺色の髪……まさか、貴様は」
娼館長「さくらんぼ狩りの勇者、ナハト……!」
いまいち締まらない異名である。
勇者「連れの帰りが遅かったのでね、魔力を追ってきたのだよ」
勇者「ヘリオス君、よく頑張ったね。後でご褒美をあげよう」
勇者「ああ、ディオ君。剣を弁償しないというのは撤回するよ」
勇者「君には飛び切り良い剣を贈るとしよう。……さて」
勇者「君達には罰をプレゼントしないとね」
ナハトさんは真っ直ぐ腕を伸ばし、商人と娼館の主に切っ先を向けた。
勇者「その少女はどこから連れてきたんだい」
黒商人「ひっ……」
彼は一歩一歩二人に近付いていく。
勇者「ああ、君達はなんて穢れた魔力を纏っているんだ」
勇者「汚い商売を長年続けていたのだろう」
勇者「黒いローブを着た君は盗賊のにおいがするね。どこの所属だい」
黒商人「い、言えるかそんなこと……!」
勇者「言わないのなら君の男根が飛ぶことになるよ。いいのかい?」
元騎士「相変わらずえげつねえな……」
黒商人「う……黒獅子盗賊団だ」
黒獅子盗賊団……噂は聞いたことがある。
かなり大規模で、何隊もの討伐隊が犠牲になっても尚殲滅できていないらしい。
勇者「それを聞けたら充分だ」
そう言うと、ナハトさんは黒商人の股間に切っ先を向けて何かの魔術を発動した。
勇者「正直に答えてくれましたからね。切断はしないでおきましょう」
勇者「ただし、もう二度と使い物になりませんがね」
元騎士「ああ……俺にかけやがった呪いより強力なやつだ……」
勇者「ああ、犯罪の香りがしたので憲兵を呼んでおきました」
勇者「もうそろそろ到着するでしょう」
娼館長「そ、そんな……おしまいだあ……」
少女「あ、ありがとうございます!」
勇者「怖かったろう。もう安心していいのだよ」
勇者「ああ、良かった。君は盗賊に遊ばれはしなかったようだね」
勇者「君を救うことができて僕も喜びを感じているよ」
ナハトさんは持っていた一輪の花を少女の髪に刺した。
街をうろついている間に買っていたのだろう。
勇者「……この地域の領主には監視を強化するよう伝えなければ」
元騎士「死ぬかと思った……」
元騎士「おいナハト、俺はおまえの連れを助けてやったんだ。夕飯奢れ。」
勇者「いいだろう。後はこの町の兵に任せてディナーにしようか」
戦士「あの子、ちゃんと故郷に帰れるでしょうか」
勇者「あの区画に売られ、不法に働かされていた少女達は全員憲兵に保護される」
勇者「無事帰郷できるはずさ」
勇者「……その後、幸せに暮らせるとは限らないがね」
元騎士「傷もんにされちまった女を娶ろうとする物好きはなかなかいないからなあ」
後味の悪い話だ。
勇者「君も女性を傷物にする悪党なのだがね」
元騎士「おまえのおかげですっかり元気を出せなくなっちまったがな」
勇者「ふしだらな行為は慎むに限る。君は一人遊びを楽しみたまえ」
せっかくの豪華な夕飯が不味くなりそうな会話である。
適当に聞き流しながら食事に集中することにした。
あの黒い商人は、おそらく一人遊びすらできない体にされてしまったのだろう。
あくどい商売をしていた人間に同情の余地はないはずなのだが、
どうしても哀れみを覚えてしまうのは男の性なのかもしれない。
彼は邪な男に対して本当に容赦がない。
ナハトさんを怒らせるようなことだけはすまいと、俺は心に誓ったのだった。
ああ、股間が切ない。
勇者「僕は別に非処女が嫌いなわけではないよ」
勇者「処女は純潔を愛する人に捧げられる可能性を持っている」
勇者「その未来を祝福しているだけさ」
勇者「娼婦の存在は称賛に値するね」
勇者「彼女達の存在によって性犯罪の発生率が下がるのだから」
戦士「はあ」
彼はよく長話をする。
彼の声は別に女性らしいわけではないが、
男声にしてはやや柔らかいよう不思議な声色である。
勇者「非処女の中でも、母となった女性は特に素晴らしい」
勇者「なんせ、命をかけて子を産み、育んでいるわけだからね」
勇者「僕は母性に溢れた女性が大好きだ」
素性が不明なわりには自己主張が激しい人だ。
第三話 港町
花の都を出た俺達は、平原を越えて港町アクアマリーナへ到着した。
山と海に挟まれた美しい都市だ。
俺達の左手には広々とした海が、前方から右手にかけては緑が映えた山がある。
勇者「山の幸と海の幸の両方を味わえる。これほど恵まれた土地はなかなか無いよ」
都市を囲う山の中腹には、一本の巨大な木がそびえ立っている。
勇者「あの木の真下に、成長を促す大きな魔鉱石が埋まっているらしくてね」
勇者「自然から生まれた天然の魔力を魔鉱石が吸い、」
勇者「魔鉱石の力で木が成長し……というサイクルを繰り返しているらしい」
戦士「すごい眺めですね」
あの木は遠く離れた土地からも見えていたが、近くから見ると正に壮観である。
勇者「この都市は山からも海からも魔鉱石が採れ、」
勇者「港町ということもあって他に類を見ないほど貿易が盛んなんだ」
勇者「何故海から魔鉱石が採れるか知っているかい?」
戦士「いえ」
勇者「あの山の向こうには大きな川があってね」
勇者「その川によって遠く離れた土地の石が流され、この町の浜へ流れ着くというわけさ」
勇者「主に採れるのは翡翠だね。コランダムの産地でもある」
戦士「詳しいっすね。おお、異国の商人だらけ」
勇者「ああ。この町なら良い魔鉱石が見つかるかもしれないね」
白を基調とした、細やかなデザインが施された建物が並んでいる。
しかし、全くデザインの異なる建物も点在している。
貿易都市故か、異国の文化を模した建築物もちょくちょく建てられるのだろう。
至る所で商人が商売をしている。町中が市場のようだ。
二羽の鮮やかな緑色の鳥が売られているのが目に入った。
こんなに派手な色の鳥は見たことがない。
近くでよく見てみると、違和感を覚えた。
普通、鳥の足の指は前三本後ろ一本な気がするのだが、その鳥は前後共に二本だったのだ。
勇者「ウロコインコの一種だね」
勇者「ああ、この子達はつがいだね。一羽は卵を持っているよ」
勇者「ほら、腹が膨らんでいるだろう」
戦士「そんなのよくわかりますね」
勇者「もう一羽のお尻周りの羽を見てごらん。他の部位の羽よりもバタついているだろう」
勇者「仲睦まじく交尾に励んでいる証拠だ。ははは、幸せ者め」
戦士「は、はあ」
店主も苦笑いしている。
勇者「…………インコの淫行」
ぼそりとナハトさんが何かを呟いたような気がしたが、聞こえなかったことにした。
数多くの石を取り扱っている商人を見つけた。
勇者「君には、シトリンやカルサイトが合うような気がするが……」
勇者「……ああ、これが良い。手を近付けてみてごらん」
手を近付けると、指がピリッとした。
その石は透明なオレンジ色だった。
勇者「インペリアルトパーズ。探し物を引き寄せてくれる石だよ」
勇者「他のトパーズと違って日の光にも強い」
勇者「石の中には、日光を当てると色褪せてしまう物も少なくないんだ」
戦士「トパーズって……高いんじゃ。俺あんま金持ってないですよ」
勇者「構わないさ、僕が出す。君の剣に取り付けるための台座もこしらえよう」
勇者「幸いこの町には優秀な細工師がいる」
彼は一つの石に目を止めた。
勇者「……商人、随分珍しい石を揃えているのだね」
商人「その分値段も張るがねえ」
商人「この町は金持ちが多いおかげで商売が捗っているよ」
勇者「これほど僕と相性の良い石は初めて見たよ。触ってもいいかい」
商人「手袋はしているようだね。くれぐれも落とさんでくれよ」
彼が手に取った石は半透明な深い青紫色をしており、
中に別の鉱物が入っているのか夜空のように輝いている。
勇者「キラキラしている鱗片はヘマタイトと呼ばれる、鉄の石だよ」
勇者「だが、内包されている鉱物はこれだけじゃない」
勇者「ほら、この方向からこの石を見てごらん」
少し角度を変えて光を当てると、その石は紫みがかった深紅に染まった。
星空が血飛沫に変わった瞬間だった。背筋がゾッとした。
勇者「レピドクロサイトという赤い鉱物も含まれているんだ」
勇者「ヘマタイトと絶妙なバランスで共存している。実に僕に相応しい」
勇者「この石の名はブラッドショット・アイオライト」
商人「よく知ってるねえ、お兄さん」
勇者「商人、この石もいただこう」
商人「その石は希少だからどんなに値下げしても100万Gは下らないよ」
勇者「このダイヤモンドと交換でどうだい」
商人「……ぉぉおおおおお!」
商人「なんだその特大のダイヤは! この店の石全てと交換しても釣りが足りないほどだ」
勇者「僕には扱いづらい代物だからね。釣りは要らないよ」
勇者「いやあ、素晴らしいね。これほどの石が手に入るとは」
ナハトさんはずっとアイオライトとかいう石を眺めている。
勇者「この石は貞操を象徴しているんだ。僕らしい石だとは思わないかい」
戦士「正にぴったりですね」
勇者「しかしね、この石には僕に不相応な話もあるんだ」
戦士「はあ」
勇者「結婚を導く石でもあるらしいのだよ」
勇者「ある地方では、両親が大人になった娘にこの石を贈る習慣があったそうだ」
勇者「一途な愛を見つけて幸せな結婚ができるように、と願いをこめてね」
勇者「ああ、もちろんこのブラッドショット・アイオライトではなく、」
勇者「ほとんどが普通のアイオライトだっただろうけどね」
勇者「僕は結婚とは無縁な存在なのだよ」
勇者「ま、僕が求めているのはオカルトなパワーストーンとしての価値ではなく、」
勇者「あくまで魔鉱石としての実用性だからね。存分に活用させてもらうよ」
勇者「アイオライトが愛を導く……」
戦士「…………」
この人は浮世離れした雰囲気をまとってはいるが、
非常につまらない駄洒落を思いつくところは人間臭いかもしれない。
勇者「予約が立て込んでいてね、台座ができあがるまで一週間ほどかかってしまうそうだ」
勇者「僕はその間に近辺の村を回るつもりだが、君はどうするんだい」
戦士「あ、じゃあついていきます」
購入した石を細工師に預けて町を出た。
近くの山中や平原に小さな村が点在しているが、どこも生活水準は高いらしい。
俺の故郷と大して変わらない規模の村でも、あまり田舎臭さは感じられなかった。
すぐ近くに技術の発達した都市があるためだろう。
ある村に立ち寄った時、不穏な噂を耳にした。
村人「黒獅子盗賊団の拠点が、最近この辺りに移ったなんて話がありまして……」
村人「アクアマリーナを狙っているそうです。この村も巻き添えをくらうでしょう」
村人「既に娘が何人か行方不明になってしまっています」
村人「おお勇者様、どうか我等をお救いください」
勇者「わかりました。もしペンデュラムをお持ちでしたら貸していただきたい」
勇者「できることなら透明度の高い青系統の石で、大粒の物を」
村人「すぐに村中を探して参ります!」
ナハトさんは、村人が用意した振り子に魔力を込めた。
勇者「大きな集団なら、多少離れていてもすぐに見つけられますよ」
鎖に繋がれた青い石が輝き出し、しばらく経つと一定の方向を指し示した。
勇者「あちらですね」
村人「おお……」
勇者「では早速退治してきましょう」
村人「い、今すぐですか!?」
勇者「早い方が良いでしょう。こうしている間にも犠牲者が出るかもしれません」
勇者「丁度殲滅したいと思っていた盗賊団です」
国家憲兵「しかし、できるだけ盗賊団員は殺さずに捕らえたいのだ」
国家憲兵「聞き出さなければならない情報があまりにも多い」
勇者「殺さなければいいのですね。わかりました」
国家憲兵「明日、作戦を練り憲兵隊と共に……ああっちょっと」
ナハトさんは憲兵の静止を聞かずに走っていった。
魔力で身体能力を上げているのだろう。とても追いつけるスピードではない。
ナハトさんが何をしようと考えているか、容易に想像できた。
少々足が竦んだが、俺は彼を追いかけた。
すぐに彼を見失ってしまったが、足跡を辿ることでどうにか方向を間違えずに済んだ。
何キロ走っただろうか。到着した頃にはすっかり日が沈んでいた。
この辺りは数十メートルほどありそうな大きな岩が多く、林も茂っている。
盗賊が隠れるのには確かに適していた。
奥の方に、オレンジ色の光が灯った大きな古い建物が見えた。
過去に何らかの目的で建てられたものを、隠れ家として利用しているのだろう。
男の悲鳴がいくつか聞こえた。俺は奥に進んだ。
何人ものゴロツキが苦しそうに呻いている。
案の定男根を狩られていた。服に血が付いているが、出血量は多くない。
おそらく、死なないように止血魔法をかけたのだろう。
地獄絵図である。俺の股間に口があったら悲鳴を上げていたに違いない。
盗賊1「うぁあぁぁああ」
盗賊2「だずげでぐれえぇぇ」
戦士「ひぁぁ……」
思わず自分の股を両手で押さえてしまった。
階段を駆け上がると、ナハトさんの声が聞こえた。
以前暴漢を倒した時のように、ものすごいスピードで何かを喋っている。
だが、あの時と違って笑みが消えていた。
嫌っていた返り血さえも気にせず、何度も盗賊の頭領らしき男の体を斬りつけている。
斬っては回復させ斬っては回復させを繰り返し、苦痛を与えているようだ。
戦士「ナ、ハト……さん……」
あまりにも恐ろしい光景に、俺は腰を抜かしてしまった。
勇者「今までどれだけの女性を傷付けてきたんです?」
勇者「自分が何人の女性を不幸にしたか数えられますか?」
勇者「女性だけじゃありません。あなた方は女性の家族や友人をも不幸に陥れたのです」
頭領「ひぐゃあがあああ」
勇者「捕らわれていた少女達を見ましたよ」
勇者「この世の終わりのような表情をしていました」
勇者「どう責任取るんです? 取りようがありませんよね?」
頭領「あがっだじゅけっぎゅああああ!!」
死ぬよりもつらいだろう。俺は震えが止まらない。
勇者「おや、ヘリオス君。よく追いつくことができたね」
彼は笑みを取り戻し、俺を見た。
いつもの優しげで妖しい笑みだったが、少々硬い。怒っているためだろう。
勇者「二階、西の部屋に女性が捕らえられている。保護してあげてくれないかい」
戦士「は、はい」
ガクガク震える足腰をどうにか立たせ、その場に背を向けた瞬間、
聞くに堪えない音が耳に届いた。
男が文字では表せない悲鳴を上げている。
振り向くと、ナハトさんがブーツの踵で頭領の片玉を踏み潰していた。
勇者「あなたはどれだけの女性を穢してきたのですか」
そして、もう片方にも足を乗せる。
その後、盗賊の頭領がどのような拷問を受けることになるのか容易に想像できた。
したくないのに察してしまった。
すぐにこの場を離れよう。
呪いをかけられなくても、精神的ショックで不能になりそうだ。
俺を追ってきた兵隊達と一緒に、捕らわれていた女性を助け出した。
彼等は満月と魔石灯の明かりでどうにか俺やナハトさんの足跡を辿ることができたらしい。
外に出て空を見上げると、眩しいほど月と星が輝いていた。
なんて明るい夜なのだろう。
美しい夜空の下で、男の証を奪われた武骨な盗賊達が連行されている。
保護された女性の中には涙を流している人も少なくなかったが、
それが安堵の涙なのか絶望の涙なのか、俺にはわからなかった。
勇者「僕が怖いのなら、無理についてくることはないのだよ」
その言葉に、少し寂しさが混じっているような気がした。
怖くないと言えば嘘になるが、彼は多くの人を救ったのだ。
何隊もの討伐隊が敗れた大盗賊団をたった一人で壊滅させた。
その強さは本物である。
そして、もし彼が盗賊団を討伐しなかったら、これからも犠牲となる人は増え続けただろう。
戦士「俺、強くなりたいですから」
花の都で殺されそうになった時、俺はくやしくてたまらなかった。
自分の弱さが腹立たしかった。
勇者「そうかい」
正直、俺は彼の優しさと強さに憧れている。
彼から学べることがあるのだから、ここで離れるわけにはいかない。
もっと力をつけないと立派な兵士にはなれないだろう。
しかし、盗賊団の無残な姿は瞼に焼き付いている。
当分寝覚めは悪いだろう。
ああ、股間がとてもとても切ない。
第四話 海上
アクアマリーナで魔鉱石を剣に装備するための台座を受け取った俺達は、
船に乗って別の大陸へと向かっている。
勇者「海はいいね。母なる海だ」
勇者「この広々とした青い海原を眺めていると、母様のことを思い出すよ」
戦士「はあ」
勇者「僕の母は素晴らしい女性だった」
勇者「強く、気高く、逆境にも負けない気丈な人だったよ」
勇者「ああ、母様……」
この人も一応人間から産まれていたのか。
……かなり失礼なことを考えてしまった。
勇者「何を驚いた顔をしているんだい」
勇者「ところで、君のお母様は一体どんな方なんだい」
戦士「ごく普通の肝っ玉母ちゃんっすよ」
勇者「はは、素晴らしいね。逞しい女性は美しい」
戦士「見た目はそんな良くないですよ。太ってるし」
勇者「容姿のことを言っているのではないよ。在り方を指しているんだ」
この人の人間味の無さは一体何なのだろう。
人間臭い面はあるが、どうにも人間として違和感があるのである。
役者めいた立ち振る舞いの所為だろうか。
この人の身振りを見ると、この人らしくないと感じてしまう。
芝居がかった振る舞いをしていないこの人なんて見たことはないのだが、
何故かそう思った。
勇者「今は良い時代だ」
勇者「魔鉱石の応用技術の発達により、平民でも充分豊かな生活ができる」
勇者「自分達で魔鉱石の魔力補給ができない家庭は他人から魔力を買う必要があるが、」
勇者「それもそう高額というわけではない」
勇者「家事の負担が減った為女性も働きやすくなった」
勇者「平民が豊かだから貴族への反発も少ない」
勇者「貴族は平民から充分に税金を得、統治し、平民は安心して暮らすことができる」
勇者「ああ素晴らしいね。この世は美しいもので溢れている」
勇者「しかし穢された女性への風当たりは強い」
この人は一日中女性のことしか考えていないのだろうか。
勇者「なんて残酷な世界なのだろうね」
勇者「この世は美しくて残酷だ。はっはっは」
ナハトさんは本当によく喋る。
英雄「おい、そこのおまえ!」
話しかけてきたのは、俺とそう歳の変わらなさそうな少年だった。
青を基調とした服に赤いマントを羽織っている。
勇者「ん?」
英雄「おまえはさくらんぼ狩りの勇者、ナハトだな」
英雄「私はプティアの国より正式に勇者と任命されし者、アキレス」
英雄「魔王を討伐すべく旅をしている」
背後には数人の若者が控えている。仲間だろう。
英雄「勇者の名をかけて、私と勝負してもらおう」
勇者「別に僕は自発的に勇者を名乗っているわけではないのだがね」
勇者「そもそも勇者を役職としている国があるなんてね。驚きだよ」
英雄「剣を抜け!」
勇者「やれやれ。仕方がないね」
英雄「そ、そんなに大きな剣を片手で……」
ナハトさんは肩幅が無いわけではないが、線の細い体付きだ。
一見レイピアを華麗に扱っていそうなイメージの沸く容姿であるため、
ツーハンデッドソードを片手で構えているのはなかなか異様に見えるだろう。
勇者「おや、随分驚いているようだね」
勇者「ああ、そうだ。ヘリオス君、僕の代わりに戦ってくれないかい」
戦士「え、俺ですか?」
英雄「な、逃げるのか!?」
勇者「僕と戦いたければ、まず僕の弟子を倒してみせてくれたまえ」
英雄「仕方ないな」
戦士「マジっすか……」
仕方がないので剣を抜いた。
英雄「いざ、尋常に……勝負!」
勇者に任命されているだけあって、斬撃が素早くて且つ重い。
これほど強い同年代と出会ったのは初めてだった。
彼の使っている剣は聖剣の類だろうか。
俺の剣と刀身の長さはあまり変わらないが、幅が広く美しい装飾が施されている。
彼があまりにも真剣な眼差しで鋭い剣戟を繰り返すので俺は恐怖してしまった。
状況は俺の劣勢である。圧倒的に向こうの方が強い。
戦士「ふっ……くっ!」
甲板の端まで追い詰められたその時、剣に括り付けたトパーズが輝いた。
体に力が漲り、俺は右上へ剣を振り上げて全力で斬り付けた。
英雄「ぐはっ!」
彼は俺の斬撃を受け止めきれず、数メートル後方へ吹っ飛んだ。
戦士「あっわりぃ! 生きてるか!?」
英雄「くっ、この程度で……うっ」
魔法使い「嘘でしょ……」
僧侶「アキレス様が負けた……」
傭兵「まだまだ子供だってこったな。相手も子供だが」
英雄「この私が……同年代どころか年上にも無敗を誇っていた私が敗北した……」
英雄「齢十六にして数々の武勲を上げ国の英雄となった私が……」
勇者「ちなみにヘリオス君は十五歳だよ」
英雄「あぁ……」
若き英雄は項垂れた。相当ショックを受けているようだが、俺自身呆気にとられている。
トパーズを見ると、輝きは消えていた。
勇者「しかし君もなかなか筋がいいね。勇者の名を捨てることはないよ」
勇者「十年も修行を積めば素晴らしい英雄となれるだろう」
勇者「ああ、君はパイライトよりルチルの方が合うと思うよ」
英雄「…………」
戦士「あの、ナハトさん……」
勇者「潜在能力が目覚めかけているようだね。よかったよかった」
戦士「いや、あの……」
俺はズルで勝ってしまったような気がして罪悪感に苛まれた。
ナハトさんに魔適傾向を高めてもらっていなかったら当然負けていただろう。
勇者「君は君が元々持っている力を発揮できたというだけのことだよ」
勇者「誇るべきことだ」
戦士「はあ」
勇者「常にその力を自在に操れるようになれたら、世界一の強者となるのも夢じゃない」
戦士「ええっ」
戦士「いやでも、ナハトさんより強くなれる気なんてしませんよ」
勇者「はっはっは、僕がこの世にいるうちはそうかもしれないね」
魔法使い「あなた、魔適体質よね。所属国はどこ?」
勇者「無所属だよ」
魔法使い「なんですって!?」
戦士「所属?」
勇者「魔適体質者は十万人に一人いるかいないかだからね」
勇者「悪用されないよう、生まれた瞬間に国から特別な登録を施される」
勇者「そして、厳重に保護されて育つんだ」
戦士「はあ」
勇者「国外に出ても監視され続ける」
勇者「特別不自由というわけではないが、一般人とは扱われ方が異なるね」
魔法使い「例え故郷を失っても、他の国に移籍されるわ」
魔法使い「だから無所属だなんてありえないのよ」
ちなみに多少魔適傾向が高いくらいでは魔適体質とは言えないらしい。
魔法使い「……あなた、何者? 魔力から情報を読み取れないわ」
魔法使い「…………トランスジェンダー? 同性愛者? ……違うわね」
魔法使い「そっちの男の子も、普通の人間より魔適傾向が高いわよね」
戦士「はあ、まあ、ナハトさんのおかげで」
魔法使い「どういうこと?」
勇者「魔力の蓋を少し開けてあげただけだよ」
魔法使い「ありえない……他人の魔適傾向を変化させるなんて……」
魔法使い「そんなことが可能なら、今頃世界は人間兵器だらけよ……」
魔法使い「ただでさえ邪道の魔適体質なのに、普通の魔適体質者とも違う……」
戦士「……邪道?」
魔法使い「魔法の類は、難しい学問を修めた上でプログラムを組まないと使えないのよ」
戦士「ぷ、プログラム……?」
魔法使い「ある程度魔適傾向が高くても、プログラム無しで使えるのは下級魔法だけ」
魔法使い「でも、魔適体質者はイメージだけで高度の魔術を発動することができてしまう」
勇者「ははは、だからしばしば嫉妬の対象とされるのさ」
魔法使い「ふん」
戦士「へえ……」
勇者「まあ、僕は知識として魔導学もかじってはいるのだがね」
魔法使い「あなた、おかしい……純度の低い魔鉱石を使っている時のような違和感があるわ……」
勇者「はっはっは、僕は一体何者なんだろうね」
勇者「ご想像にお任せするよ」
魔法使い「何なのよ、もう……」
海賊1「動くな!」
海賊2「翡翠を出せ!」
勇者「……おや。シージャックかい」
海賊1「我等はムリスク海賊団! 逆らえば命はないぞ!」
何人か海賊が潜伏していたらしい。
英雄「待て!」
英雄「私は勇者アキレスである。この船での狼藉は許さぬ!」
海賊2「こいつがどうなってもいいのか!?」
婦人「ひぃっ!」
英雄「人質とは卑怯な……」
海賊3「おまえ、なかなか大粒の翡翠を持ってるじゃないか」
海賊3「浜辺で拾ったのか? 渡してもらおうか」
婦人「は、はい……」
海賊3「よし、今すぐ長寿の薬を精製してやろう」
海賊4「加工はムリスク1の術者である俺がやる」
戦士「あいつら……!」
勇者「まあ、動くのはもう少し待とう」
海賊は女性から奪った石に何か魔法をかけた。
しかし、その石が薬になる様子はなく、爆発を起こした。
戦士「な、何が起きたんですか?」
ナハトさんは驚いている海賊達に近付き、石の破片を拾った。
勇者「……ああ、やはり。これはいわゆるキツネ石ですね」
海賊3「へ?」
勇者「キツネ石とは、ジェダイトとよく間違われる緑色の石の総称です」
勇者「翡翠には大きく分けて、ジェダイトとネフライトの二種類があります」
勇者「両者はよく似ていますが、全くの別物です」
勇者「一般的に翡翠として利用されているのはジェダイトの方ですね」
勇者「ネフライトも利用用途が無いわけではありませんが、」
勇者「石を魔鉱石として利用する際、」
勇者「使用する石の種類を間違えると予想外の事故を引き起こしてしまう場合があります」
勇者「ヘリオス君、特にテストは行わないがよく覚えておくように」
戦士「は、はい」
海賊1「見分け方はあるんですかい」
勇者「はっはっは、それを君達悪党に教える義理は……ありませんね」
海賊2「なっ……あれ?」
ナハトさんが話している間に、船の警備員達がいつの間にか海賊達を縛っていた。
勇者「ご婦人、お怪我はありませんか」
婦人「は、はい……ありがとうございます」
海賊3「安心するのはまだはやいぞ!」
海賊3「我等の母船がこちらに向かっているのだからな!」
勇者「ほう……ああ、あの船ですか」
大きな海賊船が海の上を走っている。
ナハトさんはあの船に切っ先を向け、魔術で何本か雷を落とした。
剣に括り付けた宝石が輝いている。
勇者「海賊達を感電させました。しばらくは動くことができないでしょう」
海賊5「え……?」
勇者「あの船の動力源となっている魔鉱石にも魔術をかけました」
勇者「この先にある海兵隊の基地へ真っ直ぐ向かうことでしょう」
海賊2「そんな馬鹿な……」
英雄「つ、強すぎる……」
――港
船員「助かりました、勇者様」
勇者「当然のことをしたまでですよ」
英雄「……仲間になっていただけませんか」
英雄「私達の目的は同じ魔王討伐です。協力し合うべきではありませんか」
勇者「せっかくのお誘いだがお断りさせていただくよ」
勇者「あまり大勢で旅をするのは好きじゃないんだ」
英雄「しかし……」
魔法使い「…………」
魔法使いの女性は相変わらず訝しげな目でナハトさんを見ている。
勇者「僕のさくらんぼ狩りの異名の由来を知っているかい?」
英雄「い、いえ……」
勇者「僕は無節操な者が大嫌いでね」
勇者「次々と男根を狩ったり不能になる呪いをかけたりしているんだ」
勇者「さっきの海賊団員も全員一生不能のままだろうね、ははは」
英雄「ひっ」
英雄「そ、それは……法に則った罰とはかけ離れている……」
勇者「僕は一般的な正義に基づいて悪を成敗しているわけではない」
勇者「僕等は仲間として相性が悪いと思うのだよ。まあ君達は君達で頑張りたまえ」
港町を出て、北部の町へ向かう。
勇者「キツネは人を騙すというだろう?」
勇者「だから、翡翠の硬玉と間違われる石にはキツネ石という俗称がついたんだ」
戦士「タヌキ石は無いんですか?」
勇者「それは僕も気になっているんだ」
戦士「それにしてもこの大陸、派手な鳥がいっぱいいますね……」
赤や青、黄色などの鮮やかな鳥の群れが当然のように飛び交っている。
どうしてそんな敵に見つかりそうな色をしているのか不思議でならない。
勇者「正に色とりどり……なんてね」
戦士「…………」
霧の立ちこめる町に着いた。
建物はどれも背が高く、空が狭い。気が滅入りそうだ。
宿に着いて少し休むと、ナハトさんは近くの酒場に行ってくると言って出ていった。
俺は歩き詰めで疲れていたから寝台に横たわった。
ふと、田舎が恋しくなった。
俺が育った村と大地が続いていないところまで来てしまった。
故郷は建物がほとんど一階建てで、
二階建てといえば村長の家か数少ない公共施設くらいだった。
この町よりも遙かに空が広々としていた。
こんなに空の狭い環境で暮らすなんて考えられない。
ゆったり雲の流れを眺めたり、夕日の彩を味わったりすることさえできないじゃないか。
――――――――
――
一、二時間ほど寝ていただろうか。
夜が訪れていたが、部屋の中より外の方が明るかった。
町が商店の明かりや街灯で照らされている。
床で何かが光を反射した。宝石のようだ。
明かりをつけて確認すると、紫色の石がくくられたネックレスだった。
アメジストとかいう石だろうか。ナハトさんの物だろう。チェーンが切れている。
彼はまだ帰ってきていない。
これを持って様子を見に行こう――と思って石に触れた瞬間、
映像が頭に中に流れ込んできた。
あまりにも恐ろしい光景に、俺の股間は縮みあがった。
第五話 霧の町
ここは何処だろうか。
ややなだらかな黒いシルエットが夜空の下の方を切り取っている。多分山だ。
煉瓦造りの建築は破壊され、木造建築は炎を上げている。
その炎が、至る所に飛び散った血を照らしていた。
人が魔物達に好き放題殺戮されている。悲鳴が飛び交い、断末魔が反響した。
『ナハト君、お願い――』
血塗れの美しい女性が少年に向かって言葉を発した。
そこで視界が黒く染まり、俺は現実に帰ってきた。
戦士「はっ……はぁ……」
今の衝撃的な光景は一体何だったのだろう。
脂汗が涌き出る。あれは正に地獄絵図だった。
何度か深呼吸を繰り返し、どうにか落ち着きを取り戻す。
ナハトさんは宿の近くの酒場で酔いつぶれていた。
店主「兄ちゃん、このお兄さんの仲間かい?」
戦士「……どれだけ飲んだんですか?」
店主「度数の低いカクテルを一杯だけだよ」
小さな逆三角形のカクテルグラスがそこに置かれていた。
勇者「う……」
戦士「……大丈夫ですか?」
勇者「はは…………」
勇者「お酒を飲んだことが……なかったから……飲んでみたいと思ったのだが……」
勇者「これほど……弱いとはね……ははは……」
酒場に代金を支払い、ナハトさんを背負った。
自分より背の高い人を負ぶさるのは大変そうだと思ったが、
持ち前の筋力のおかげで意外と大丈夫だった。
勇者「すま、ないね……」
戦士「いいですよ別に」
勇者「石は……素晴らしいと思うのだよ……」
彼は酔いながらもいつもの長話を始めた。
勇者「気が遠くなるほど長い時間をかけて……大地から生まれた結晶なんだ……」
勇者「石の中には、それまで石が見てきた記憶を見せてくれるものもあるそうだよ……」
勇者「しばしば、記録媒体として……利用されているね……」
だとしたら、俺がさっき見た映像はアメジストに刻まれた記憶だったのだろうか。
勇者「ああぁ……」
……今、彼の股間と俺の腰が密着している。
俺はある違和感を覚えた。
服越しなのだ。あてになる感触ではない。
だが、硬いというか……いや決してアレが反り立っていうという意味ではない。
弟を背負った時よりも妹を背負った時の感触と似ているような気がしてならないのだ。
俺は彼にさくらんぼを刈り取られた男達の姿を思い出した。
彼は細身で、男性にしては体毛が薄い。
顔付きも中性的だ。声だって男性にしてはわりと柔らかい。
もしかしてこの人、自分で自分のを……。
痛みを想像してしまい、一瞬力が抜けて転びそうになった。
俺の気のせいかもしれないのだ。
このことは忘れよう。
翌日、ナハトさんの酔いは覚めたようだった。
勇者「ああ、君がこの首輪を拾ってくれたのか。ありがとう」
しかし、顔色が悪い。二日酔いだろうか。どんだけ弱いんだ。
勇者「これは母様の形見でね」
勇者「まさか鎖が切れたとは……もっと丈夫なものを新調しなければ」
そんなに大切な物だったのか。
勇者「窒息を防ぐため、鎖は力がかかったら切れるようにはなっているのだがね」
勇者「そこそこの強度があって錆びにくい物がいいだろう」
昨晩俺が見た映像については黙っておくことにした。
誰かがナハトさんの名前を呼んでいた。
俺が見た幻想じゃなく、実際にあった彼の過去だったかもしれないのだ。
他人に過去を覗き見られるなんて嫌だろう。
勇者「ヘリオス君。君は、ローザ物語の原作を読んだことがあるかい?」
ローザ物語……魔王に攫われた姫を勇者が助け出し、結婚するという、
ごくごくありふれた内容の童話である。
戦士「いいえ……子供向けの絵本を読んだくらいです」
勇者「絵本や舞台劇では、原作の途中までしかえがいていないのだよ」
勇者「残酷な童話が、無難な内容に改変されて世に広まるのはよくあることなのだが……」
話の途中で、外から叫び声が聞こえてきた。
窓から街路を窺うと、一組の男女がいた。
男は残念そうな表情をして女性に背を向けた。
女性はたいそうショックを受けているらしく、数秒口元を手で押さえた後、
俺達がこれから行こうと思っていた装飾具店に走りながら入っていった。
勇者「飲酒した時に母様の石を持ってさえいればこんなことには……」
アメジストには悪い酔いや二日酔いを防ぐ効果があるらしかった。
町人1「あの店の娘さん、暴漢に襲われたそうだよ。幸い犯人は捕まったらしい」
町人2「可哀想になあ……もう嫁の貰い手も見つからないだろうね」
店の前でそんな会話が聞こえてきた。
店に入ると、奥から何やら話し声が聞こえた。
母親「お願いだから部屋から出てきておくれ、リーザ」
父親「お父さん達はおまえを見捨てたりしてないから」
娘「もう放っておいて!」
勇者「おやおや、取り込み中のようだね」
父親「ああ、お客さん、いらっしゃい」
父親「すみませんね、娘が少々……」
母親「もう手首を切るのはやめて!」
戦士「ひぇっ……」
衝撃的な言葉が聞こえて、俺はビビってしまった。
自傷行為とかいうものをやっているのだろうか。噂には聞いたことがある。
勇者「娘さんは……ああ、そういうことですか」
勇者「娘さんと、二人で話をさせていただけますか」
父親「ええっ……しかし、娘は心の医者に診てもらうのも嫌がり、」
父親「私達でも手を焼いているような状態でして……」
母親「紺色の髪……もしかして、噂の勇者様では」
勇者「おや、僕の武勇伝は大陸を越えていましたか」
母親「数々の女性を救っているという……」
父親「おお、どうか娘をお救いください!」
ナハトさんは奥の部屋へと入っていった。
父親「あれ以来、リリアは必要以上に男を怖がるようになった」
父親「暴れたりしなければいいのだが……」
母親「唯一心を許していた恋人にまで別れを告げられてしまったようだし……ああ……」
数分後、ナハトさんは娘さんを連れて部屋から出てきた。
娘「お父さん、お母さん、心配かけてごめんなさい」
娘「私、頑張るわ。まだ命はあるんですもの」
娘さんの目は悲しそうではあったが、生きる気力が灯っているように見えた。
母親「あんなに傷だらけだった腕がこんなに綺麗に……」
勇者「新たな人生を歩むための障壁となりそうでしたからね」
勇者「治しておきました」
たったの数分で、ナハトさんは娘さんを元気づけることに成功したようだった。
父親「ありがとうございます、ありがとうございます」
母親「この恩は一生忘れません」
父親「ああ、そういえば、この店にはどういったご用件で」
勇者「この首輪の鎖が切れてしまいましてね」
勇者「この店で最も丈夫な物を……うっ」
戦士「おおう」
俺は倒れそうになったナハトさんを支えた。
勇者「すみません、二日酔いで」
母親「すぐに酔い醒ましをご用意しましょう」
ナハトさんは無料で新しい鎖を入手することができた。
どれだけ代金を支払おうとしても受け取ってもらえなかったのである。
勇者「プラチナの鎖なんて、普通に買おうとすればなかなかいいお値段になるのだがね」
戦士「お金に替えられないほど大切な娘さんの心を救ってくれたナハトさんから」
戦士「お金をとるなんて無理だったんでしょうね」
勇者「いいご両親だよ……」
勇者「傷物にされてしまった娘をゴミのように捨てる親だって世の中にはいるのだから」
戦士「……ところで、どんなカウンセリングをしたんです?」
勇者「企業秘密だよ。はっはっは」
彼がどうやって娘さんを救ったのか非常に気になったが、
デリケートな内容だろうからあまり詮索するのも野暮だろう
俺はそれ以上追究しなかった。
彼はいつも通り微笑んでいるが、少し悲しそうな目をしているような気がした。
勇者「ああそうだ、ローザ物語の話の途中だったね」
勇者「勇者は見事魔王を打ち倒し、姫君を救い出すことに成功しました」
勇者「その後、勇者と姫君は国に帰り、結婚しました」
勇者「その結婚は誰からも祝福されました。めでたしめでたし」
勇者「……ほとんどの絵本や舞台ではここで終わっているね」
戦士「俺が知ってるのもそこまでです」
勇者「……その後、姫君は子供を産みました」
勇者「しかし、産まれてきたのは勇者ではなく、魔王との子供でした」
戦士「ええ……」
勇者「勇者は怒りました。亡き魔王だけにではなく、姫君にまで」
勇者「何故魔王に穢されたことを黙っていたのかと、姫君に詰め寄りました」
勇者「赤子は勇者の手により殺されました」
勇者「姫君は勇者に剣を向けられ、悲しみにより城から身を投げました」
勇者「かくして勇者は魔王の血筋を断ち、姫君の妹と再婚して国を統治しました」
勇者「国民は幸せに暮らしましたとさ」
戦士「なかなかえぐいっすね」
勇者「原作は、『穢れた女性は誰の子を孕んでいるかわからないから娶るな』」
勇者「という教訓を世に伝えるための物語なのさ」
勇者「いやあ、実に残酷だ。本当に報われない」
勇者「しかし、これは実際にありうる話だからね」
勇者「僕はいつかそんな悲劇が生まれない時代が訪れることを願っているよ」
執事「おや、もしや……あなたは、勇者ナハト様ではございませんか」
壮年の執事姿の男性に話しかけられた。
執事「もしよろしければ、私の依頼を受けていただけないでしょうか」
勇者「ふむ。どういった内容でしょう」
執事「我が主、フォーマルハオト・フォン・コーレンベルク卿の護衛でございます」
勇者「……ははは、善政で有名な侯爵家の当主様の護衛ですか」
戦士(侯爵……?)
勇者「私などでよろしいのですか」
勇者「腕利きの騎士を大勢お抱えでしょうに」
執事「近頃、この大陸は強い魔族が跋扈するようになりつつあります」
執事「是非とも北東部の都まで勇者様にご同行願いたく存じます」
勇者「…………」
勇者「わかりました。我々も北東へ向かっているところです」
執事「感謝いたします。ところで、フルネームをお伺いしてもよろしいでしょうか」
勇者「はは、私は故郷を失った根無し草故」
ナハトさんはご貴族の護衛を務めることとなった。
ということは、俺もおまけ程度だが一応護衛することになるのだろう。
俺は貴族とは無縁な生活を送ってきたただの平民である。
しかも侯爵。上位の方の貴族である。
ああ、緊張感で股間が切ない。
第六話 ガラスの館
勇者「そう、そのまま剣に意識を集中するんだ」
ナハトさんに言われる通りに、剣に魔力を流す。
勇者「そのまま数分維持できるかな」
……一分経たずに魔力の流れは途切れてしまった。
俺は相当集中力が無いらしい。
勇者「魔術師にとっての最大の敵は何か知っているかい?」
戦士「いえ」
勇者「性欲及び性的快楽だよ」
勇者「一般の魔術師にも魔適体質者にも共通した弱点なんだ」
勇者「魔術を発動しようとしている時に性欲が沸いたり、快楽を感じたりすると、」
勇者「魔力の流れが途切れてしまう」
勇者「だから性欲の処理がとても重要なのだよ」
戦士「……性欲旺盛な年頃の少年にとって、魔術の使用はかなり困難なんじゃ」
勇者「その通りだね。高名な魔術師はしばしば無性欲者だよ」
侯爵「君が勇者ナハトかね」
中肉中背の、髭を短く切りそろえた中年の男性と顔を合わせた。
侯爵「すまないね、道中が心配なものでね」
高位の貴族らしい威厳を感じられる――
侯爵「まあ、向かう方向が同じなら『一緒』に行ってもい『いっしょ』?」
というのは俺の気のせいだったようだ。
勇者「ははは、楽しい旅になりそうです」
俺は凍え死にそうだ。
俺達は馬に乗り、侯爵さんと執事さんは馬車のような何かに乗った。
馬車とよく似た形をしているが、馬が引いているわけではない。
勇者「魔鉱石を動力源とした車だよ。僕も見るのは初めてだ」
勇者「近年開発されたとは聞いていたのだがね」
侯爵「ふっふっふ。乗るかね? こんな奇怪な機械に乗る機会はなかなかないだろう」
戦士「う、馬でいいです」
幸い俺は兵士養成学校で乗馬の方法を習っていた。
侯爵「本当にいいのかね。きっと騎馬戦の時間は来ばせん」
勇者「なかなかいいセンスをしておられる」
誰か助けてくれ。
オヤジという生き物は何かと寒いギャグを思いつくものである。
ナハトさんと壮年の紳士は気が合うようだった。
侯爵「ふっふっふ、まさか噂の勇者様に護衛してもらえるとは。サインをくだサイン」
勇者「はっはっは、コーレンベルク卿の光明なご高名はかねがね承っております」
侯爵「シャーフ、よくぞこの青年を連れてきてくれた!」
執事「はい」
戦士「……疲れません?」
執事「慣れております。ちなみに私の名はテオドリヒ・ライマンでございます」
戦士「じゃあシャーフって……」
執事「こちらの地方の古語で羊の意です。執事と羊をかけているのでしょう」
ああ、俺の地元の古語でいうシープか。
執事「我が主人はこういったあだ名を他人につけることがお好きなのです」
召使「旦那様、この町の菓子を買って参りました」
侯爵「このワッフルは腐っておらぬか?」
召使「えっ焼きたてのはずですが」
勇者「わっ、古ー」
侯爵「ふっふっふ」
勇者「はっはっは」
召使「……」
可哀想に。
召使いは、面倒な人が増えたとでも言いたげな顔をした。
北東の都へは二、三日かかる。
今晩は途中の小さな町に泊まることとなった。
白い石造りの建築が美しく、あちこちで綺麗な水が流れている。
湧き水が豊富らしい。
宿代は侯爵が負担してくださるそうだ。ありがたい。
現在は国際同盟によりほとんどの国で共通語が話されるようになり、
元々使用されていた言葉は古語となった。
古語の単語はよく人名として採用されている。
また、各国の古語も元を辿れば同じ言語だったりするため、
古語同士でも文法や響きが似ていることがある。もちろん全く違う場合もある。
ちなみに、俺の名は地元の古語じゃなくどっかの外国の神様から取られている。
ナハトさんの名前は……どうなのだろう。
少なくとも、俺の地元の古語の響きではない。
彼は今湯浴みに行っていた。彼の装身具が寝台の傍の台に置かれている。
灰色味のある淡い空色の石が嵌められたブローチと、以前見たアメジストの首輪だ。
水色の石の名前はわからない。
彼の魔力の色とは異なる色の石だが、同じ青系統だし相性は良いのだろうか――
と考えていると、二つの石が光り出した。
なんらかの魔力が込められていたりでもするのだろうか。
しばらく眺めていると、はよ触れと言わんばかりに点滅し出した。
他人の持ち物に触るのは気が引けるが、俺は誘われるように手を伸ばしてしまった。
少年は血塗れの女性の傍から走り出し、一人の少女を見つけた。
彼は彼女の手を引いた。
……頭が痛い。次々と場面が移り変わる。
前方で少女が魔族の男に押さえつけられているのが見える。
景色が頻繁にぼやけてよく見えないが、犯されているようだ。
『ほらほら目に焼き付けろ! 守るべき女が犯されている姿をな!』
視界がグラついている。目が回りそうだ。
『やめろ! アルカ、アルカ!!』
『ナハ、ト……』
少女はこちらを向き、か細い声でその名前を呼んだ。
赤紫色の瞳は絶望に満ちている。
一旦視界が真っ暗になった。
今度は少女の腹がすぐ目の前に見えた。腹の上には液体がかかっている。
炎の光に照らされて、それがおそらく白くて粘り気のあるものだとわかった。
他の景色は視界の外だ。映像は途切れ途切れで、しきりにブラックアウトを繰り返す。
『その絶望を噛み締めて生きるがよい! ふははははは!』
次の瞬間、少女の体は血塗れになった。
白い液体を浸蝕するように赤い液体が流れている。
『僕は、彼女を守れなかった』
映像が終わり、最後に少年の声が響いた。
二つの石は輝くのをやめた。
戦士「うっ……」
あまりにも残酷だった光景に吐き気が込み上げる。
再び彼の過去を覗き見てしまったことに罪悪感を覚えたが、
何故この石は俺にそんなものを見せるのだろう。
翌日、町の噴水広場。
侯爵「なあゾンネンアウフガング君」
戦士「は、はあ」
こっちの古語で日の出という意味の言葉らしい。
わざわざ長くて言いづらいあだ名を付けなくても……と思う。
侯爵「君はあの青年のことをどう思うかね」
戦士「へ? ナハトさんのことですか? まあ不思議な人だと思ってます」
戦士「なんかこう……独特の雰囲気あるじゃないですか、彼」
侯爵「……」
戦士「あの……何か気になることでも?」
侯爵「いいや……」
戦士「……?」
侯爵「……彼にあだ名を付けるとしたら、何がいいと思うかね?」
戦士「え、うーん……彼、夜が好きですし、髪も目もああいう色ですから、」
戦士「こっちの古語でそのまんま『夜』がいいんじゃないですか?」
侯爵「それがね、夜を意味する古語がナハトなのだよ」
ああ、じゃあナハトさんはこの辺の生まれなのかな。
侯爵「だから他に似合う言葉が無いかと思ってね」
戦士「……さくらんぼとかどうでしょう」
侯爵「ふっふっふ、名案かもしれないね」
――
――――――――
勇者「だいぶ腕を上げたね」
戦士「あざっす」
馬を休ませている間に、ナハトさんは俺の剣の修行に付き合ってくれた。
侯爵「君は内包物の多い石を使っているのかね」
勇者「はい」
ナハトさんのアイオライトには、ヘマタイトとレピドクロサイトが含まれている。
侯爵「ふむ…………」
一般的に、純度の高い石の方が強い効力を発揮させやすい。
必ずしもではないが、内包物のある石を使いこなすのは比較的困難だそうだ。
侯爵「真実の愛を引き寄せる菫青石、血に力を与える赤鉄鉱、」
侯爵「そして目的の達成を導く鱗鉄鉱の三種か……器用だのう」
侯爵「君に愛する人はいるのかね」
勇者「ははは、どうでしょうね」
魔鉱石は使用者の力を増幅させる効果がある他、石固有の能力を持っている。
使いこなせたら便利なんだろうな。
なお、石言葉と石の能力が必ずしも一致しているわけではない。
商人が石を売る際に適当な売り文句を付けたり、
もたらされた結果が石の力によるものかどうか証明できなかったりするからである。
例えば、ヘマタイトに止血効果があることは魔導学的に証明されているが、
アイオライトが結婚を導くかどうかは証明されておらず、迷信扱いである。
旅中、ナハトさんはとても楽しそうだった。
ずっと侯爵と笑顔で会話している。もちろん駄洒落を織り交ぜながら。
普段ほど人間味の無さは感じられなかった。
まるで、どこかに置き忘れてきた生気を取り戻しているかのようだ。
勇者「この辺りのさくらんぼはおいしいですね。艶が良い」
侯爵「あまりのおいしさに錯乱してしまいそうだろう。ふっふっふ」
勇者「はっはっは」
かなり失礼な表現になるが、普通の人間に見えるほどだった。
あまりにも普段の彼が死人のような雰囲気をまとっているので、
どうしてもそう感じてしまうのである。
霧の町を出てから三日後、侯爵の館があるグラースベルクに到着した。
ガラスの原料が採れる鉱山がすぐ近くにあるらしく、
ガラス張りの建築物だらけである。
綺麗だが割れないのだろうか。ちょっと怖い。
侯爵「よくここまで私と来てくれたね。アリが十匹でありがとう」
侯爵「今夜は我が館に泊まっておいきなさい」
侯爵の館も大きなガラス窓だらけだ。
戦士「……敵襲の時とか大丈夫なんです?」
侯爵「何、心配することはない」
侯爵「この町の建物に使われているほとんどの窓ガラスは特殊な強化ガラスなのだ」
侯爵「煉瓦の壁よりも丈夫だよ」
侯爵「妻~ただいマントル~」
侯爵夫人「はいはいおかえりなサイクロプス」
細身で背の高い女性が俺達を出迎えた。
年齢は五十か六十ほどだろうか。
若い頃はさぞ美人だったのだろう。侯爵に付き合って洒落を言ってはいるが気品がある。
俺は庶民だ。こんな城同前の建物に泊まるなんて緊張してしまう。
貧乏過ぎることはなかったが決して裕福でもない家庭に育った。
妹や弟も多い。
それでも兵士養成学校へ進学させてもらえたのだから親父には感謝している。
流石に卒業後に士官学校へ進む余裕は無く、
かといってすぐに兵士として働くには実力に満足できなかったためこうして旅をしている。
本当ならばすぐにでも稼いで家に金を入れた方が良いのだが、両親は自由にさせてくれた。
この建物はだいぶ古そうだ。歴史の重みを感じる。
そしてどこか寂しい雰囲気が漂っている。石壁の色は暗い灰色だ。
侯爵「そこのテラスで雑談でもしないかね」
勇者「はい。ヘリオス君、君もおいでよ」
戦士「はい」
寒いギャグを聞かされるのかなと思うと少し怖かったが、
一人でうろつく気にもなれなかった。
侯爵「コーヒーと紅茶、どちらがいいかね」
勇者「コーヒーでお願いします」
戦士「どっちでもいいですが……じゃあ紅茶で」
まだ夕方ではないのだが、この部屋は太陽のある方向の反対側にしか窓がないため薄暗い。
飲み物と焼き菓子、果物が運ばれてきた。
さくらんぼも皿に乗っているがいまいち食べる気になれなかった。
侯爵「もしかして、君の姓はフォン・レッヒェルンではないかね」
勇者「……はっはっは、バレてましたか」
侯爵夫人「…………」
戦士「フォン? ってことは……ナハトさんって、貴族なんですか?」
名前にドとかファンとかフォンとかがつく人は大体貴族だ。
勇者「ま、本家とは遠く離れた分家だったがね」
戦士「ああ……そうだったんですか」
侯爵「…………」
勇者「レッヒェルン本家の使用人として務めていたよ」
勇者「主な仕事は本家の一人娘の遊び相手だったね」
貴族のような振る舞いをする人だなと思ってはいたんだ。納得である。
侯爵「二十年前、私の娘がレッヒェルン家の本家に嫁いだのだ」
勇者「エルディアナ・フォン・コーレンベルク=レッヒェルン」
勇者「彼女は素晴らしい領主でした」
侯爵「…………」
勇者「嫁いだ約一年後、レッヒェルン領は魔物の軍勢に襲われました」
侯爵「その知らせを聞いた時は肝が冷えたよ」
魔族は人間を苦しめることを至高の喜びとする。
気まぐれに襲撃地を選び、適当に暴れては去っていくのだ。
故に、トラウマを植え付けるだけ植え付けて敢えて命を奪わなかったり、
殺すにしても少しずつ痛めつけて反応を楽しんでからにしたりすることが多い。
勇者「その際命を落とした夫に代わって、彼女は復興を成し遂げました」
勇者「しかし、今から八年前」
勇者「運が悪いことに、再びレッヒェルン領は襲撃されてしまいました」
侯爵「それ以来、娘や娘に付けた執事から手紙が来ることはなくなり、」
侯爵「しばらく経つと死亡が確認されたとの知らせが入った」
侯爵夫人「…………」
俺の部外者感が半端無いのだが、
席を外すタイミングが見つからないのでとりあえず空気になることにした。
侯爵「その襲撃さえなければ、」
侯爵「私は孫娘の十歳の誕生日を数ヶ月遅れで祝っていたはずだった」
侯爵「なんせ遠方なものでね。なかなか会う目処が立たなかったのだよ」
侯爵「孫娘の顔を見られたのはたったの二回だけだった」
侯爵「深い赤紫色の瞳が印象的な、可愛らしい子だった……」
赤紫……俺が見た映像のあの子だろうか。
勇者「…………アルカディアは、魔王に蹂躙されました。そして……」
侯爵「……そうか」
勇者「これは彼女達の徽章です」
そう言ってナハトさんは二つのメダルを懐から取り出した。
それぞれ異なった紋様が刻まれている。
おそらく両家の物だろう。
侯爵「おお……」
侯爵夫人「ああ……エルディアナ……アルカディア……」
侯爵「……これらは君が持つべきものだ」
夫妻は涙を流している。
翌日
侯爵「もう行ってしまうのかね」
勇者「はい」
侯爵「……一つ教えてほしい」
侯爵「君の旅は世界を守るための旅かね。それとも、復讐の旅かね」
勇者「どちらかと言うと復讐ですね」
侯爵「ならば、そんなことはやめて、私達と共に暮らさないかい」
侯爵「七つの聖玉無き今、魔王を倒したところで永遠の平和が訪れるわけではない」
七つの聖玉……魔物を封印するために古代技術が生み出した秘宝である。
数十年前に行方不明となってしまい、現代は魔物が跋扈するようになった。
だから、魔王を倒せば一時的に魔物がこの世から消えるらしいが、
数年だか数十年だかすれば復活してしまうそうだ。
あらゆる国が七つの聖玉を探しているが、まだ一つも見つかっていない。
勇者「……他に、生きる理由が見つかりませんから」
侯爵「これを、君に持っていってほしい」
侯爵はナハトさんに、深い赤紫色の石がくくられた髪飾りを手渡した。
金属の細かい装飾が石を囲んでいる。
侯爵「八年前、孫娘に贈るはずだった物だ」
侯爵「輪になっている部分に紐でも通せば首飾りとして身に着けられるだろう」
ナハトさんはその髪飾りを切なげに見つめている。
口元は僅かに微笑みを保っているが、人間らしい悲しげな表情をしていた。
侯爵夫妻は名残惜しそうだった。
血塗れになったあの女の子の姿を思い出した。
ナハトさんは、今までどんな思いで生きてきたのだろう。
あまりにも残酷な過去に、胸が切なくなった。
――――――――
私は勇者ナハトの噂を耳にした。
ナハト……こちらの地方の名前を持つ者が、南の大陸で名を上げている。
私は彼がどのような人間なのか興味が沸いた。
彼は魔王を倒すために北へ向かっているらしかった。
丁度霧の町へ行く用事があったため、護衛を頼むという名目で接触してみようと思った。
有能な執事がすぐにナハトを見つけてきてくれた。
私はナハトを一目見た瞬間、激しい既視感を覚えた。
ナハトは娘婿であるレッヒェルン辺境伯とよく似ていたのだ。
ナハトの魔力は読み取りづらかったが、
ナハトは確かにレッヒェルン家の魔力をまとっていた。
レッヒェルン家……私は、再会できなかった娘と孫娘のことを激しく思い出した。
私は嗜み程度にしか魔導学を学んでいないが、
生まれつき魔力から情報を読み取るのはわりかし得意であった。
打ち解ければ打ち解けるほど、ナハトの魔力は少しずつ読み取りやすくなっていった。
侯爵「ああ……生きてさえいれば、いくらでもやり直せるというのに」
執事「旦那様、第二次レッヒェルン領襲撃時の死亡者の名簿でございます」
侯爵「……ナハト・フォン・レッヒェルン、享年十二歳……か」
――――――――
第七話 天青石
アモル教という、世界のほとんどの人々が信仰している宗教の本拠地がある国に到着した。
魔物は瘴気を纏っており、魔物を退治しても大地が瘴気で穢れてしまう。
その際瘴気を浄化してくれるのがアモル教の聖職者である。
アモル教徒じゃなくても浄化作業はできるが、修行を積んだ人の方が確実に浄化できる。
勇者「この町は比較的生真面目な人が多く、穢れを嫌う風潮が強い」
勇者「そのため風俗店が一店も存在しないのだよ」
戦士「こんなに大きな町なのに珍しいっすね」
勇者「水面下では性犯罪が多いらしい」
戦士「ああ、捌け口が無いですもんね」
女性「キャアアア!」
勇者「ちょっと狩りに行ってくるよ」
戦士「どうぞ」
僧侶「ありがとうございます、勇者様」
牧師「残念なことに、この頃このような事件が増えておりまして」
僧侶「噂では、勇者様は、その……暴漢や盗賊に勃起不全の呪いをかけているとか」
勇者「……私を逮捕しますか?」
僧侶「いえいえとんでもない」
僧侶「性犯罪の防止のため、できることならその術のソースコードを頂きたいのです」
僧侶「勇者様は魔適体質ですから、コードなんて持っておられないかもしれませんが……」
勇者「ああ、すぐに書けますよ」
ナハトさんは指先に光を灯すと、宙に文章を書き出した。
普通の魔術師はあらかじめ魔法の発動方法と内容を魔力で記し、
それを自分の中に保存して、いつでも引き出せるようにしているらしい。
勇者「紙はお持ちですか」
牧師「は、はい」
ナハトさんは書き終えた文章を縮小し、牧師さんが持っていたノートに貼り付けた。
文字が焼け跡のように刻まれている。
牧師「お、おおおおおお!!」
僧侶「こ、これほど簡単なコードなのですか……」
牧師「発動条件を少し加えるだけですぐに町全体にかけられるコードになりますぞ」
勇者「お役に立てたようでよかったです」
勇者「この町の中で性犯罪を行おうとしたら不能になる結界を張ることが決定したそうだよ」
戦士「よかったですね」
勇者「成功したら他の町にも広めていくらしい」
ナハトさんは何時に無く機嫌がいい。
性犯罪の被害者が生まれない世界の実現が夢ではなくなったのだ。
この人にとってさぞかし喜ばしいことだろう。
町人1「なあ、聞いたか?」
町人1「こないだ女性が上級魔族に暴行されたらしいんだが、」
町人1「瘴気にやられることなく元気に生きてる上に、異常に魔適傾向が高まったらしい」
町人2「たまーにあるらしいなそれ」
町人2「普通魔族に犯された女なんて、浄化してもゴミ扱いされて自殺するか、」
町人2「浄化せず瘴気に侵されて死ぬかの二択だもんなあ」
町人2「ああ、稀に魔族化しちまうこともあるんだっけ?」
町人1「その女性は特別に客員魔法使いとして西の国で雇われることになったそうだ」
町人1「人生どう転ぶかわかんねえよな~」
戦士「魔族に暴行されて魔適傾向が高まるなんてこと、ほんとにあるんですか?」
勇者「……ああ、あるよ」
勇者「魔族はそのほとんどが魔適体質だからね」
勇者「魔族の瘴気が人体に何らかの作用をもたらし、後天的に魔適傾向が高まるのだよ」
勇者「完全な魔適体質となるのは非常に珍しいがね」
勇者「ああ、ここで言う『完全な魔適体質』とは、魔適傾向が100マジカル以上で、」
勇者「髪が魔力の色に染まるレベルを指している」
戦士「へえー……」
不思議なこともあるもんだな。
ちなみに、人間のほとんどは魔適傾向が5マジカル以下である。
修行を積むと少しずつ魔適傾向が上がるが、
どんなに頑張っても10マジカルが限界らしい。
10マジカルあると小規模な魔法ならイメージだけで使えるそうだ。
そして、100マジカルは大型のドラゴンを二、三撃で倒せるくらいだとか。
戦士「俺はどのくらいあるんですか?」
勇者「20だね。頑張れば自力で50まで上げられるよ」
20あってもなかなか上達しないのは性欲が旺盛なせいだろうか。
戦士「ナハトさんは?」
勇者「200くらいかな」
規格外だった。強いわけだ。
なお、魔適傾向が高くても必ずしも大規模な魔術をイメージで発動できるわけではない。
魔適傾向とは体に対する魔力の馴染みやすさを表す単位であって、
保有する魔力の大きさとは全く別なのである。
どんなに魔適傾向が高くても、魔力容量が小さければ小規模な魔法しか発動できない。
ナハトさんは魔力容量も相当大きいのだろう。
ただし、魔適傾向と魔力容量に任せて大きな魔術を使いすぎると、
人体に大きな負担がかかってしまうらしい。
オウム「コーンニッチハッ」
商人「この鳥はとても賢いのだが、その分心の病にもかかりやすくてね」
商人「オウムを飼うのはOh! 難しい……なんちて」
勇者「ははは」
戦士「…………」
――
――――――――
俺達は更に北へと向かい、雨の都に到着した。
降水量が多いらしい。じめじめしている。
霧の町よりもどんよりとした空気が漂っていた。
戦士「けほっ……」
雨に濡れたおかげで俺は風邪をひいてしまった。
フラフラする。
まあ買い物も終わったし、後は宿に行って寝るだけだ。
ナハトさんに移らないといいのだが……。
……あの人が風邪をひいているところを想像できない。
あの人は病気になったことがあるのだろうか。
男1「なあそこの少年」
男2「ちょっと付き合ってくれねえか」
戦士「へ?」
ガラの悪そうな男二人に絡まれてしまった。
そういえば、この町はあまり治安がよくないとナハトさんが言っていた。
戦士「すみません、急いでるんで――」
腹を一発殴られ、壁に追い詰められた。
男二名を見上げると、二人は股間にテントを張っていた。
そう、テントを張っていたのだ。
戦士「……え?」
あれか、目的は金を取るとか、憂さ晴らしに殴ったり蹴ったりするとかじゃなくて、
そっちの人か。
男2「まだガキだがなかなかいい筋肉してるじゃねえか」
男1「男は初めてか?」
戦士「ひっ!」
どうにか逃げようと体を引きずったが失敗に終わった。
風邪の所為か恐怖の所為か、体が動かない。
男1「まあしゃぶれよ」
戦士「むっ、無理です」
男が服の切れ目からいきり立った息子を出した。
かなりでかい。そして黒い。
男2「引き締まった良い尻だな」
戦士「え゛っちょっうああああああ!」
もう一人の男が俺の背後に回り、ズボンを引きずり下ろそうとしている。
戦士「あ、あの、あ、ああぁぁぁ」
もう怖くてまともに言葉を発せない。
このまま俺は犯されてしまうのか。童貞非処女にされてしまうのか。
貞操の危機を感じていると、目の前の男の股間が何者かの膝に蹴り上げられた。
男は股間を押さえてうずくまった。
現れたのは、紺色の服を纏っている見慣れた青年だった。
俺が安堵したのも束の間、
勇者「……」
彼はうずくまった男の股間を無表情・無言で何度も踏みつけた。
男1「あがっがっぎゃふっぎゃああ!!」
あれは痛い。痛いどころじゃない。
男2「ふぃい!?」
俺のズボンに手をかけていた男も恐れ戦いている。
彼はその男の方へ冷たい眼差しを向けた約一秒後、
跳んで男の鼻に蹴りを食らわせ、
倒れたところで先程の男にしたのと同様に股間を踏みつけた。
俺は震えが止まらない。
先に倒された方の男は、急所に攻撃されたショックで嘔吐している。
つい痛みを想像してしまい、俺の呼吸は浅く、激しくなった。
俺は彼が攻撃をやめるまで耳を塞いで目を閉じることにした。
戦士「あう……うぅ……」
勇者「……大丈夫かい。怖かったろう」
戦士「ひぅぅ……う……う……」
暴漢達も怖かったが、ナハトさんが彼等に下した制裁も非常に恐ろしかった。
足腰が立たなかったので、ナハトさんに肩を貸してもらってなんとか宿に戻った。
……やっとベッドに横たわることができた。
勇者「……セレスタイト。休息の石だ。君を癒してくれるだろう」
ナハトさんは、ベッドの横にある照明が置かれた台にブローチを置いて何処かへ行った。
体調不良と先程の出来事で悪夢を見そうだ。疲れた。
彼が置いていった石に目をやった。
……半透明のくすんだ空色の石に吸い込まれるかのように、俺は眠りに落ちた。
『僕は、彼女を守れなかった』
どこかナハトさんの面影のある少年が喋っている。
しかし、彼の瞳は藍色ではなく、明るい青だ。
口を動かしているが、ほとんど聞き取れない。
『君――な――――』
なんて言っているんだ?
『このままじゃ――――』
『――――――――――――――――――』
――――――――
――
戦士「はっ……」
脂汗をかいている。
悪夢は見なかったが、良い夢でもなかった。
体調はさっきよりもだいぶ良くなっていた。
今のはただの夢だろうか。
それとも、またこの石が見せた映像だったのだろうか。
勇者「ヘリオス君、起きてるかい?」
部屋の扉が開いた。
勇者「食欲はあるかな。厨房を借りてお粥を作ってきたのだが」
戦士「あ……ありがとうございます」
最初は剣の面倒しか見ないと言っていたのに、この人は本当に気を遣ってくれる。
普段は簡易な保存食か買い食いか外食で済ましているのに、
今日はわざわざ俺のために料理までしてくれたんだ。
風邪をひいた時、母さんが看病してくれたことを思い出した。
寝込んでいる時に食べる母さんのお粥はおいしかった。
戦士「すみません、体調を崩してしまって」
勇者「構わないよ。僕もたまにはゆっくりしたかったからね」
ナハトさんは人間味のある微笑みを浮かべた。
俺の看病をしてくれていた時の母さんのような、優しい目だ。
ナハトさん、はじめて会った頃よりも髪が伸びたなあ。
こうして見ると綺麗な女の人のようだ。時折俺はこの人の性別がわからなくなる。
二日後、俺はすっかり回復した。
町を出て北へと向かう。
日が落ちて夜が訪れたが、もう少し歩けば村があるはずだ。
あるはずだった。
夜になったというのに、空の一角が夕焼けのように赤くなっている。
進むと、崖から村を見下ろすことができた。
村は、魔物の群れに襲われて燃え上がっていた。
はやく助けに行かなければ。
戦士「ナハトさん!」
勇者「……綺麗だ」
戦士「…………?」
俺の前方に立っているナハトさんは、その光景に見入っているようだった。
勇者「炎が闇の中で火の粉を撒き散らしている」
勇者「美しいとは思わないかい」
戦士「そんなこと言ってる場合じゃ……」
彼は上半身を少しだけ振り向かせ、こっちを向いた。
勇者「僕はね、正直、こんな世界滅んでしまえばいいとさえ思っているのだよ」
勇者「こんな僕に、勇者の名がふさわしいわけがない」
彼は、どこか自嘲気味に微笑んでいた。
その村の景色は、俺が石から見せられた映像とよく似ていた。
なんて恐れと悲しみに満ちた眺めなのだろう。
股間が切ないとか考えている余裕はない。
第八話 日長石
至る所で悲鳴と笑い声が上がっている。
少女「お父さあああああん!!」
火魔物「あーひゃひゃひゃ!」
女性「助けてぇええええ!!」
火魔物「逃げろ逃げろー!」
魔族は人間を恐怖に陥れ、蹂躙することを何よりの喜びとする。
こいつらは殺戮を楽しんでいやがるんだ。
俺は迷わず剣を抜いた。
魔物の群れのほとんどは雑魚だったが、数体だけ上級魔族がいた。
炎魔族「ほう、私に歯向かうか?」
俺はトパーズに意識を集中し、剣に魔力をまとわせた。
ナハトさんは魔物の相手をしつつ他の上級魔族の相手をしている。
炎魔族「ふははは! ガキが私に敵うわけがない!」
何発か剣戟を繰り出したが、あっさりと戦斧の柄で弾かれてしまった。
戦士「くそっ……こんなことをして何が楽しいんだ!」
炎魔族「何が楽しいか? 愚問だな」
炎魔族「人間の悲鳴。絶望に満ちた瞳。助かるはずもないのに逃げ惑い命乞いをする姿」
炎魔族「それらは我等魔族に最も喜びをもたらすのだ!」
炎魔族「小僧、貴様もたっぷり可愛がってから殺してやろう!」
戦士「こんなところで死んでたまるか!」
体中が燃え滾っているかのように熱い。
戦士「ぅぉおおおおおおお!!」
俺は全力で奴に剣を振り下ろした。
炎魔族「なっ……!」
戦士「ぉぉぁあああああ!!!!」
炎魔族「なんという力だ……!」
魔族の槍の柄にひびが入ったが、もう少しのところで押し退けられてしまった。
戦士「ぐはっ!」
炎魔族「部下達よ…………これは何事だ! 私の部下達が殲滅されている!!」
炎魔族「気が変わった。すぐにでも殺してくれる!!」
魔族は戦斧を振り上げた。
こちらは防御の体勢をとることができない。
死を覚悟した瞬間、誰かに突き飛ばされた。
戦士「――――ナハトさん!?」
勇者「この子は、殺させない」
ナハトさんは俺を庇い、魔族に向かって氷魔術を発動した。
炎魔族「なっ、なんだこの威力は――――」
魔族は氷を覆われ、砕け散った。
勇者「う、くっ……」
戦士「ナハトさん……ナハトさん!」
勇者「…………」
ナハトさんの背中から血が溢れている。
戦士「俺のせいで……ちくしょう!」
彼の上着を脱がし、シャツをたくし上げて傷の状態を見る。
周囲の建物が炎を上げているおかげで明るい。
胸にはサラシが巻かれており、血で染まっている。
右肩から左の脇腹にかけて大きく切れている。出血が酷い。
俺は彼の背に両手をかざし、傷の回復をイメージした。
小さな切り傷くらいなら治せるくらい、俺は魔力を操ることができるようになっていた。
戦士「……」
だがあまりにも傷が大きすぎる。
出血を少し押さえることしかできなかった。
すぐ傍にナハトさんの剣が落ちていた。
彼の剣に括り付けられているアイオライトにはヘマタイトが含まれている。
確か、ヘマタイトは止血効果と血に力を与える力があったはずだ。
戦士「どうか助けてくれ……!」
剣から台座ごと石を取り外し、傷口へ向けた。
傷を塞ぎきることはできなかったが、出血を止めることに成功した。
だがまだ安心はできない。既にかなりの量の血が流れ出てしまった。意識も無い。
継続してヘマタイト経由で魔法を使い続ける。
ナハトさんがものすごい勢いで魔物を殲滅したため、被害者は少なかった。
村の人が部屋を貸してくれ、更に治療を手伝ってくれた。
戦士「……ふう」
どうにか一命を取り留めたようだ。
安堵の息をつき、うつ伏せで寝ているナハトさんに目をやった。
戦士「…………あれ?」
この人、こんなに肩幅狭かったっけ?
どうやら軍服のような服を着ていたから肩幅が広く見えていただけだったらしい。
あの種の服は肩がしっかりしている。
そういえば、俺はこの人が上着を脱いだ姿をほとんど見たことがない。
流石にベッドの中では脱いでいただろうが……。
見れば見るほど女性的な体付きだ。
うっすらとだが柔らかそうな肉がついているし、腰はキュッと締まっている。
そういえば、どうしてこの人サラシなんて巻いていたんだ?
戦士「い、いや、まさかな……」
包帯は村の女の人が巻いてくれたから、俺はこの人の胸を見ていない。
……徹夜による疲れの所為でどうかしているんだ。寝よう。
これはきっと俺の気のせいだ。
勇者「う……」
そう思いたかった。
勇者「ヘリオス君……?」
戦士「ま、まだ動いちゃだめですよ」
ナハトさんは体を起こした。
勇者「……大丈夫だったかい? 怪我はしなかったかい?」
戦士「あ、あの、俺はかすり傷と軽い打撲しかしなかったんで、その、平気です」
ああ。
包帯越しにだが、確かに柔らかそうな膨らみの存在を確認できた。
目のやり場に困る。
戦士「おおお俺の心配なんてせずにまずはご自分の怪我をですね」
勇者「……?」
俺の視線を不審に思ったのか、彼……じゃない、彼女は自分の体を見た。
勇者「あ…………」
ナハトさんは恥ずかしそうに腕で胸を覆った。俺も恥ずかしい。
勇者「………………」
戦士「………………」
俺はナハトさんに背を向けた。
戦士「包帯巻いたのはここの女の人ですから! 俺は見てませんから!」
勇者「……君も、その……僕の怪我を治療してくれていたのだろう」
勇者「ほとんど意識は無かったが、君の暖かい魔力に包まれていたのを憶えている」
勇者「……ありがとう」
戦士「そもそも俺があの魔族に負けそうになったせいですし、その、」
戦士「お礼を言わなきゃいけないのはこっちです!」
戦士「俺、庇ってもらえなかったら確実に殺されてましたし、」
戦士「そのせいであなたが死にかけるしで! ほんと申し訳ないです!」
戦士「いつもいつも助けてもらってばっかりで俺マジで足手まといっすよね!!」
戦士「寝ます! おやすみなさい!!」
俺は逃げるように布団に潜り込んだ。
疲れていたおかげでよく眠れた。
だが布団から出る気は起きない。
……ナハトさんは女性だったんだ。
俺は時々あの人に母性を感じていたが、まあ、ナハトさんは年上の女性だったんだ。
何もおかしいことではなかったんだ。
あの人の声は、よく聞けば女性のかなり低めのハスキーボイスに聞こえなくもない。
男の急所に容赦なく攻撃できていたのも、その痛みを知らないからだろう。
布団から顔を出して窓を見た。日は真上に昇っている。
腹が減った。気は重いが部屋から出よう。
外は復興作業と浄化作業で忙しそうだった。
勇者「やあ、おはよう」
戦士「っ……はよっす」
ナハトさんはいつも通り微笑んでいる。
傷と服は既に修復済みなのだろう。元気そうだ。
勇者「怪我をしたところを見せてくれるかい」
戦士「ひぁっはい」
女性が、それもすごい美人がすぐ傍にいる。肌を見られている。
そう思うと緊張してしまった。顔が熱い。
死亡者は少なかったものの、怪我人はたくさんいるし、建物の損壊も酷い。
畑もだいぶ荒らされてしまったため、首都への救援要請が必要だった。
村長「勇者様が一緒に来て下さるなら心強いです」
俺もついていくことになった。馬車に乗るなんて久々だ。
俺のような足手まといはもうついていかない方がいいのだろうとは思ったが、
ナハトさんがいつも通り接してくれるので言い出せなかった。
俺のすぐ隣にナハトさんが座っている。
……俺は女の人とずっと寝食を共にしていたのか。なんてこった。
男物の服の中には女体が隠されている。
だめだ。気がつくと包帯に包まれたおっぱいを思い出している。
そう大きいというわけでもなかったが決して小さくはなく、谷間がもう、もう……。
女性と縁のない性欲旺盛な十五歳男子にあのおっぱいは刺激が強すぎる。
ナハトさんの方を見られない。窓から外を見ていよう。
村長「お二人はおいくつですかな」
勇者「十八です」
戦士「……十五です」
なんだ。三つしか違わなかったのか。もう少し上かと思っていた。
村長「お若いですなあ……」
村長「ああ、この国では飲酒なさらないようにしてください」
村長「大抵の国で飲酒が許されるのは十八歳ですが、」
村長「この国は法律が厳しく、二十一歳からなのです」
村長「外国から来た若者がこのことを知らずに飲酒をして捕まることが多いのですよ」
酔い潰れたナハトさんを背負った時のことを思い出した。
……駄目だ。故郷のことでも考えよう。
ジョナスは元気だろうか。奴はクラスに二、三人いる悪ガキの内の一人だった。
ある時あいつは女子のスカートをめくろうとして返り討ちに遭った。
股間を思いっきり蹴られたのだ。
その結果あいつは片玉を失った。
その事件以来男子と女子の溝は深まり、俺は益々女子と関わる機会を失ったのである。
……どうして玉が切なくなる記憶を思い出してしまったんだ。
村長「なんでも、勇者様はさくらんぼ狩りの異名があるとか」
勇者「……はは」
よりにもよって数多の息子を狩り取ってきた人の横で。
――城下町
国に救援を申請した。
村長さんの帰りは国の兵士達が付き添うそうだから、
俺達はこのまま北へ向かうことになった。
勇者「この町は性犯罪率が……」
勇者「っ……何でもない」
ナハトさんは基本的に普通に話そうとしてくれるのだが、
性に関する話題だけはしないようになった。
言いかけたのならいっそ最後まで言い切ってくれ。
残念なことに、俺はこんな時気の利いた話題を出すことができない。
ナハトさんと緊張せずに会話していた頃が早くも懐かしくなった。
勇者「…………」
戦士「…………」
き、気まずい。
勇者「なあ、ヘリオス君」
戦士「おおお俺本屋寄ってきます!」
俺は緊張してしまってナハトさんを避けがちになっている。
気晴らしに本屋に行ったが、在庫整理の最中だったらしく、
表の方に堂々と春画が置かれていた。
正直読みたかったが町中でエレクションするわけにはいかない。
なんだかとても悩ましい。
何処か他に気分転換できる場所でもなかろうか。
闘技場の方が騒がしい。そういえば武闘大会をやっているんだっけか。
予選が終わった直後で、まだ本選は始まっていないらしい。
受付「まだまだ飛び入り参加募集してるよー! 武器の使用オーケー!」
体を動かすのに丁度よさそうだ。そう大きい大会ではないが、腕試しにもなるだろう。
飛び入り選手が本選に進む条件は、敗者復活戦に混ざって勝ち残ることだった。
敗者1「なんだこの小僧……!」
敗者2「なんてすばしっこいんだ!」
あっさり勝ち残ることができた。
選手のほとんどは屈強そうな大男だったから、
比較的小柄な体格を活かして相手の懐に潜り込めばこっちのものだった。
でも身長は伸びてほしい。せめてあと五センチは欲しい。
英雄「こんなところで君と再会するとは」
戦士「あ、どうも。アキレスだっけか」
英雄「憶えていてくれて光栄だよ、ヘリオス」
英雄「あれから随分腕を上げたようだね」
かつて船の上で剣を交えた、どっかの国の英雄と再会した。
英雄「各地の問題を解決して回っていたものでね」
英雄「私達もこの国に来るまで随分時間がかかってしまった」
俺は、彼に対してナハトさんに感じているのと同じような違和感を覚えた。
全然親しいわけではないのに、「こいつらしくない」と感じたのだ。
戦士「……無理矢理大人らしく振る舞ってて疲れないか?」
英雄「! わ、私は勇者だ。相応しい振る舞いをしなければ」
戦士「肩こるだろそんなん……」
英雄「……君はなかなかの炯眼を持っているんだな」
戦士「け、けいが?」
英雄「真理を見抜く力があるってことだよ」
英雄「勇者ナハトは参加してないのかい」
戦士「ああ。あの人多分こういうこと興味ないと思う」
英雄「……そうか」
英雄「俺は君達と出会って深く反省したよ」
英雄「俺は国一の剣の使い手となり、驕ってしまっていた」
英雄「世界は広い。俺なんかよりずっと強い人がいたって何もおかしくないのにさ」
戦士「いやまあ、俺がおまえに勝ったのはまぐれみたいなものだから……」
英雄「そう言わないでくれ」
英雄「見たところ、君の力はまだ不安定だが爆発力がある」
英雄「君の実力は本物なんだ」
戦士「そ、そうだろうか」
なんだか気恥ずかしい。
英雄「君の夢は何だい?」
戦士「兵士」
英雄「え?」
戦士「ただの兵士だけど」
英雄「……騎士とか、世界一の剣豪とかじゃなくてか?」
戦士「村の警備とかしてる兵士」
アキレスは目を丸くした。
戦士「俺、この旅が終わったら、田舎に帰って兵士になるんだ」
英雄「……」
戦士「ナハトさんに弟子入りしたのも、村を守るための力が欲しかったからなんだ」
戦士「……やっぱしょぼいって思うか?」
英雄「いいや……良い夢だと思うよ」
英雄「故郷を守りたいという気持ちは素晴らしい」
戦士「おまえは将来どうすんの?」
英雄「俺の力を必要としてくれる人達のために戦い続ける」
英雄「魔王が倒され、魔物がいなくなったら、多くの傭兵が職を失う」
英雄「職を失った傭兵が盗賊となることは珍しくない」
英雄「それに、七つの聖玉が無い以上、いずれは再び魔物との戦いも起きる」
英雄「死ぬまで剣を握り続けるつもりだ」
戦士「……立派だなあ」
ただ自分の村を守りたいだけの俺と違って、彼は世界のために戦っているんだ。
スケールが違うなと思った。
――――――――
――
英雄「おい! 準々決勝で敗れるとはどういうことだ!」
英雄「君とは決勝で再戦したかったというのに!」
戦士「あっ、ごめん」
自分でも驚くほど勝ち進むことができたのだが、
ふとした瞬間におっぱいが脳裏をちらついていまいち集中できなかった。
体を動かしたおかげで多少気分はすっきりした。
アキレスは見事優勝を勝ち取った。
ベスト8に入ることができたので、俺は景品の魔導石を受け取って闘技場を出た。
アラゴナイトとかいう黄色い石だ。精神を安定させ、集中力を高めてくれるらしい。
試しに魔力を流し込んだらほっとした。今の俺に丁度良い石だ。
色的にも俺と相性がいいだろう。
英雄「おい、待ってくれ」
戦士「ん?」
英雄「これを受け取ってほしい」
戦士「……これ、優勝賞品じゃ」
それは、透明な石に赤い欠片がぎっしり詰まったような見た目の魔鉱石だった。
日の光に当てるとギラギラ反射した。
少しだけだが、ナハトさんのブラッドショット・アイオライトに似ている。
数種類の鉱物からできているから、今の俺に使いこなすのは難しそうだ。
だが、手によく馴染んだ。
戦士「俺なんかに譲っていいのか? お返しできるような物持ってないぞ」
英雄「その石の名はサンストーン。持ち主の能力を引き出し、自信を漲らせてくれる」
英雄「君には自尊心が足りないからな」
英雄「俺よりも君に必要な物だ」
戦士「でも、おまえが勝ち取ったもんだろ?」
英雄「その石にはヘリオライトという別名がある」
英雄「かつて、太陽神ヘリオスの象徴として崇められていた石なんだ」
英雄「太陽神の名を持つ君にこそ相応しい」
戦士「……なんか恥ずかしいんだけど、そこまで言うなら頂くよ」
名前負けしている気がしてならない。
その昔、クラスメイトから「太陽神らしく光ってみろよ」と言われたのを思い出した。
当然無理なので「隣のクラスのアポロン君に頼んでくれ」と答えた。
「あいつは顔が良いからわざわざ光らなくても充分輝いてるじゃねえか」と返された。
俺は「確かに」と思った。
……とてもどうでもいい。
戦士「しかし、何もお礼しないのは流石に申し訳ないな……」
英雄「なら、疲れているところ悪いが一戦交えてくれないか」
戦士「おまえのが疲れてないか?」
英雄「あの大会で疲弊するほどひ弱じゃないさ」
英雄「むしろ、良い具合に体が温まっている」
――――――――
――
英雄「良い試合だったよ、ありがとう」
戦士「どうも」
俺はわりとあっさり負けた。
英雄「だが君の実力はそんな程度じゃないはずだ」
英雄「この前の爆発力が無かった」
戦士「まだ上手く魔力を操れないんだ」
英雄「いつか、力を自在に操れるようになった君と剣を交えたいよ」
汗をかいたし湯屋に入った。
そういえば、ナハトさんはいつも俺と湯屋に行く時間をずらしてたな。
彼女は閉店間際に湯屋に行っていた。
人の多い時間帯に行くといろいろ面倒なのだろう。
彼女はどっちの湯に入ってたんだろうか。流石に女湯だろうな。
……いけない、煩悩が沸いてきてしまう。
なお、この頃は技術が発達したおかげで宿の個室にシャワールームがあることも珍しくない。
英雄「この間仲間の魔法使いに朝立ち見られて変態扱いされちゃってさ……」
俺はいつの間にかアキレスの悩みの相談相手になっていた。
戦士「女と旅すると気を張るよな」
英雄「そっちは男だけで羨ましいよ」
戦士「……おう」
英雄「魔法使いの元彼のことを考えるともう憂鬱で仕方ないんだ」
英雄「彼女と付き合ってるわけでもないから、」
英雄「俺にどうこう言う資格なんてないんだけどさ」
恋愛のことなんて全くわからないが、大変そうだなと思った。
ただ聞くことしかできなかったが、俺に話すだけですっきりしたらしく、
何も気の利いたことを言えなかったのに感謝された。
俺は宿に戻った。……今日も二人部屋だ。
戦士「ただい――」
扉を開けると、
シャツ姿のナハトさんが侯爵に渡された髪飾りを髪に当てて鏡を覗いていた。
シャツと言っても、女性用のブラウスと大して変わらない。
右前か左前かくらいの違いである。
彼女は俺の姿を確認すると、数秒固まった後、手で紅潮した顔を隠して俯いた。
俺は黙って扉を閉め、廊下に戻った。
俺は見てはいけないものを見てしまったようだ。
なんてこった。
落ち着け、落ち着くんだ俺。
アラゴナイトに魔力を宿そう。そして深呼吸だ。
ちゃんとノックをしよう。
戦士「ハイッテイイデスカ」
勇者「どうぞ」
再び扉を開けると、いつも通りのナハトさんがいた。
紺色の上着を羽織り、爽やかな笑顔を浮かべている。
素晴らしい切り替えの早さである。
勇者「湯屋に行ってきたのかい? 僕もそろそろ行ってこようかな」
しかし逃げるように去っていった。
勇者「ああ、大会お疲れ様。上達したね」
なんだ、見てたのか。
寝よう。
モーニングエレクションを見られたら恥ずかしいなと思いながら布団に潜った。
俺がナハトさんのことをナハトさんらしくないなと感じていたのは、
彼女が男性としての人格を作って演じていたからなんだろうなと思う。
髪飾りが似合うかどうか試していた時の姿が素の面なのだろう。
一瞬しか見られなかったが、似合っていたと思う。
ナハトさん、女性なのに処女は最高だと言いながらうっとり眺めてたのか。
どんな気持ちで言っていたのだろうか。俺にはわからない。
この間夢に出てきた少年は誰だったのだろう。
ナハトさんと少し似ていたが、彼は確かに男性だった……と思う。
まあただの夢だったのかもしれないし考えるだけ無駄か。
……眠れない。
ナハトさんが帰ってくる前に寝てしまいたい。
しばらくベッドの中でゴロゴロしていると扉が開いた。
このまま寝たふりをしようと思ったのだが……。
勇者「あたっ……」
ナハトさんはフラフラしているようで、あちこちに体をぶつけている。
戦士「飲んできたんですか?」
勇者「ちょっとだけ……」
ちゃんと寝台に辿り着けるよう、ナハトさんに肩を貸して体を支えた。
アメジストを身に着けていても完全に酔っぱらうのを防ぐことはできなかったらしい。
自力で帰ってこられたあたり全く効果がなかったわけではないのだろう。
勇者「……暑い」
彼女は上着を脱ぎ、シャツのボタンを二つ外した。
サラシの巻き具合が緩いのか胸に膨らみがある。
俺は目を背けるしかない。
勇者「う……」
彼女をどうにか寝台に座らせた。
俺は自分の寝台に戻ろうと思ったのだが、彼女に右手を掴まれ、隣に座らされた。
勇者「なあ、ヘリオス君」
ナハトさんは俺の目を見た。
彼女の頬は酔った影響で紅く染まっていて、
いつもの男とも女ともつかない声じゃなく、深みのある女性の声を発している。
勇者「……女の師匠なんて、嫌だったか?」
戦士「え?」
勇者「私のこと、嫌いになったか?」
距離が近い。緊張して動けない。
戦士「い、いや、あの、そんな」
少しでも視線を落としたらシャツの隙間から胸の谷間が見えてしまう。
勇者「隠し事を、していて、悪かったとは……思っている」
戦士「別に、あの、その」
俺が彼女から逃げがちだったのが気になったのだろうか。
俺の手は、ベッドに押し付けられるように彼女に握られている。
彼女の体温が伝わってくる。熱い。
勇者「……すまなかった」
そんな切なげな、潤んだ目で俺を見ないでくれ。
心臓がバクバクする。顔から火が出そうだ。
戦士「お、俺、そ、んな、気にしてな」
ここである問題が発生した。
勇者「っ――」
戦士「あ゛っ……」
股間が熱いのである。
無数の男根を狩り取ってきた人に欲情してしまうなんて、
俺の息子は『真の勇者』ではないだろうか?
第九話 危殆
ピンチである。
さくらんぼ狩りの異名を持つ彼女のすぐ目の前で、
俺の息子はエレクションしてしまった。
戦士「ああああああああの」
ようやく右手が解放された。というより俺が逃げた。
戦士「俺も!! 男なんで!! これはどうしようもない現象でして!!!!」
生命の危機というか、新たな生命を生み出す器官の危機なのに、
俺の息子は臨戦態勢を保ったままである。
戦士「ごめんなさい! ほんとすみません!!」
勇者「あ……」
勇者「その、配慮が、足りなかった、な……すまない」
戦士「…………」
驚くべきことに、彼女は俺の息子を狩り取ろうとはせず、
恥ずかしそうにあっちを向いた。
俺は厠に走った。
抜いた。とにかく抜いた。抜くしかなかった。
戦士「……はあ」
あの人、あんなに可愛かったっけ?
以前から美人だとは思っていたが……。
部屋に戻りづらかったから屋根の上で寝ることにした。
故郷にいた頃は、よく屋根に寝転がって星空を眺めたものだった。
明日、どんな顔であの人と会えばいいのだろう。
酒で記憶がブッ飛んでくれてたらありがたいなと思う。
というかこの国で二十一歳未満の人間は飲酒したら駄目なはずだ。
その上酒に極端に弱いことは本人も自覚している。何故飲んできたんだ。
飲まないとやってられないような精神状態だったのだろうか。
しかし、さくらんぼに容赦がないこと以外は基本的に法を守る人である。
妙だ。俺が気にしたところで何にもならないのだが。忘れていただけだろうか。
夜空……夜……あの映像の景色もこんな星空だった。
俺は二度、石から映像を見せられている。
眠っている時に見た夢を含めれば三回だ。
最初の二回は、少年の顔をはっきりと見ることができなかった。
体格から少年と判断しただけである。
三回目は、比較的はっきり少年の顔を見ることができた。
三回とも少年が着ている服は同じ物だった……気がする。
それに、
『僕は、彼女を守れなかった』
声も同じだった、ような……。記憶に自信が無い。
そして、最初の二回、少年は「ナハト」と呼ばれていた。
俺は、ナハトさんは殺されたアルカさんの仇を討つために旅をしているのだと思っていた。
でも、もし夢に出てきた少年が「ナハト」だったとしたら、
彼が今のナハトさんと同一人物だとはあまり思えない。
三回目の時、少年は俺に何かを伝えようとしていた。
あれが俺のただの夢じゃなく、石に宿った意思が語りかけてきていたのだとしたら……。
もう一度、ナハトさんの石に触れて確かめてみる必要があるような気がしてならない。
戦士「石に宿った意思……」
英雄「駄洒落かい?」
戦士「あれ、おまえいつの間に」
英雄「星を見ようと思ってね。君もかい」
戦士「まあな」
英雄「……何か悩みでも抱えているのかい?」
戦士「わかるか?」
英雄「わかるさ」
英雄「さっきは俺の悩みを散々聞いてもらったからね」
英雄「よかったら話してくれないかい」
戦士「んー、なんつうかなあ」
戦士「性欲って邪魔だよな」
英雄「……ああ、わかる。すごくわかる」
英雄「そういえば、先程勇者ナハトの魔力反応を感知したんだけど」
英雄「何か知ってるかい? 攻撃魔術の残滓だった」
戦士「え? いや、しばらく別行動してたし」
戦士「いつも通り暴漢でも倒してたんじゃねえかな」
英雄「そうか。……流石に北の土地の夜は冷えるね」
戦士「そうだな。南のド田舎で育った俺にはちょっと寒い」
英雄「俺はもう少ししたら部屋に戻るけど、君はどうするんだ?」
戦士「あー、このままここで寝ようかなと思ってる」
英雄「風邪引くだろ」
戦士「ちょっと今部屋に戻りづらくてな」
戦士「別に、ナハトさんと喧嘩したとかじゃないんだけどさ」
英雄「わけありのようだね。俺の部屋に来ないか?」
英雄「幸い女性陣とは別の部屋だし、ソファでよければ」
戦士「あー、すごい助かる」
――翌朝
彼女は男の劣情を非常に嫌っている。
……俺も嫌われてしまっただろうか。
戦士「……はあ」
とりあえず会うだけ会わなければ。
戦士「世話んなったな」
英雄「いいや、楽しかったよ!」
アキレスは本当に良い奴だ。
勇者「やあ……ちゃんと眠れたかい?」
良かった、わりといつも通りだ。
心配してくれていたみたいだ。
俺は胸を撫で下ろした。
勇者「連れが世話になったね。これはほんのお礼だ」
そう言って、ナハトさんはアキレスに黄色い石を渡した。
英雄「……大粒のゴールドカルサイトじゃないですか!」
英雄「しかも星彩効果とレインボー入り……!」
英雄「こんな高価な魔導石、良いのですか?」
勇者「ああ」
素が出ている時と、
男として振る舞っている時とでは使っている顔の筋肉が違うのだろうか。
まるで別人だ。
北の方は嵐が訪れているらしく、数日この町に留まることになりそうだ。
勇者『……女の師匠なんて、嫌だったか?』
勇者『私のこと、嫌いになったか?』
昨晩の彼女の問いの答えを出した方が良いのだろうか。
勇者「さあ、朝食を食べに行こうか」
しかし、昨晩のことを掘り返せる雰囲気ではない。
俺自身思い出したくない。恥ずかしすぎる。
ナハトさんが昨晩のことを憶えていない可能性もある。
こんな時は態度で示すしかない。
戦士「……食べ終わったら、稽古、つけてほしいです」
勇者「!」
勇者「……ああ、良いだろう」
彼女は一瞬驚いた顔をしたが、柔らかく微笑んでそう答えてくれた。
ナハトさんと俺の関係は、あくまで師匠と弟子だ。
性別がどうだろうがその事実は変わらない。
女性だからって逃げるのは失礼だろう。
俺はナハトさんと向き合うことに決めた。
どうしても近付かれ過ぎたら「ひぃんっ」となってしまうのだが、
勇者「すまないね、君が女性に免疫が無いのを失念していた」
理解してもらえているようである。
彼女は相変わらず男口調だが、俺と話す時は役者ぶらなくなった。
……一時はどうなるかと思ったが、結果的に以前よりも打ち解けることができたみたいだ。
数日経った。
嵐で橋が落ちたため、俺達はもうしばらく足止めをくらうことになった。
ナハトさんの石に触れる機会はなかなか訪れない。
アキレスからもらった石は剣に取り付けた。
トパーズと反対側の面で輝いている。
英雄「どうしよう……相談に乗ってくれよ」
戦士「また何かあったのか? ……俺、何もアドバイスできないけど」
英雄「聞いてくれるだけでいいんだ!」
英雄「君しか話せる相手がいないんだよ……」
彼は仲間の魔法使いのことが好きなのだが、今日僧侶から告白されたらしい。
断ったものの、これからどう接すればいいのか、
そして魔法使いに想いを伝えてもいいのかもわからないそうだ。
戦士「とりあえず、告白される前と同じように喋ってればその内元通りになるんじゃね?」
戦士「何事も無かったかのように振る舞えば向こうも安心するかもしれねえし」
戦士「詳しいことはわかんねえけどさ」
英雄「そ、そうだよな! いつも通りが一番だよな!」
戦士「好きな子に告るのはしばらく様子を見て間を置くとか……」
英雄「ありがとう! 日の目を見られた気分だ!!」
英雄「もしかして君って……歴戦の戦士?」
戦士「そんなことはない。全く」
ナハトさんは、何があってもいつも通り接してくれた。
それを基に言ってみただけである。
英雄「君は好きな人いないの?」
戦士「へ!? ……いな……」
戦士「…………い、と思う」
魔鉱石のことを詳しく知りたくなったので図書館に訪れた。
石に、記憶だけでなく精神か何かが宿ることはあるのだろうか気になったのだ。
城下町の図書館なだけあってでかい。
あまり難しい言葉を使っている本は読めないので、できるだけ簡単そうな本を探した。
……どうやら、持ち主の魔力と非常に相性の良い魔導石であれば、
持ち主の魂や精神の一部が宿ることがあるらしい。
しかし、それらと干渉するにはそれなりの才能が必要だそうだ。
伯爵「ナハトと名乗る勇者がこの町に訪れているというのは本当か」
家扶「はい、閣下」
休憩所から会話が聞こえてきた。
伯爵「……コーレンベルク侯爵から便りが届いた時は驚いたが……」
侯爵の知り合いだろうか。
伯爵「…………もう一度、あの赤紫色の瞳を拝みたかった」
伯爵「ああ、アルカディア」
戦士「ぅええ!?」
伯爵「そこにいるのは誰かね」
戦士「あっ……す、すみません」
驚きで変な声が出てしまった。
伯爵「アルカディアについて何か知っているのかね」
戦士「俺、ナハトさんの……旅の同行者でして」
戦士「名前を……聞いたことがあったってだけです」
伯爵「ああ、では君が侯爵からの手紙に綴られていたゾンネンアウフガング君か」
再びその長いあだ名で呼ばれることがあるとは思っていなかった。
戦士「……本名はヘリオス・レグホニアです」
伯爵「私はアーベント・フォン・レッヒェルン=エーデルヴァイス」
伯爵「階級は伯爵だ」
侯爵と違ってかなりお堅い雰囲気の貴族だが、
ナハトさんとどこか似ている気がしなくもない。
戦士「レッヒェルン……ってことは……」
戦士「アルカディアさんのご親戚……ですか?」
伯爵「…………彼女は、私の姪だ」
伯爵「君はどこまで知っているのかね。本当に名前しか知らないのか」
戦士「あとは……侯爵のお孫さんだってことと、目が赤紫色だったってことだけです」
戦士「ナハトさんは全然昔のことを話しませんし……」
伯爵「……彼女は生まれつき魔適傾向が高くてね」
伯爵「髪こそ母親譲りの色だったが、瞳は彼女自身の魔力の色に染まっていた」
伯爵「本当に美しく、不思議な色だったのだよ。極上の葡萄酒の様な……ね」
伯爵「バシリー、紙とインクを」
家扶「はっ」
伯爵「私がこちらの国に婿養子に来るまでは、よく彼女と遊んだものだった」
伯爵「しかし、ナハトが現れると彼女はいつもあっちに……」
伯爵「……コホン。この手紙を勇者ナハトに渡してほしい」
戦士「は、はい」
レッヒェルン家出身の人と出会ってしまった。
ナハトさんの子供時代についていろいろ質問すればよかったかもしれないが、
貴族の人にこちらから話すのは畏れ多くて無理だった。
そろそろ宿に帰ろう。
元騎士「よう、ナハトの連れじゃねえか」
戦士「あ、どうも。お久しぶりです、ディオさん」
この人も貴族だった気がするが話しにくくはない。何でだろう。雰囲気だろうか。
戦士「どうしてこちらに?」
元騎士「こっちの大陸の方が強い魔物が出やすいからな」
元騎士「報酬額の高い仕事が多いんだ」
元騎士「随分前からこの町に住みついてるぜ」
戦士「ああ、そうだったんですか」
彼は俺達よりも早く北に来ていたらしい。
元騎士「おまえの息子はまだ無事か?」
戦士「まあ、なんとか」
戦士「あ、ナハトさん――!?」
ナハトさんが路地裏から突然伸びた手に引きずり込まれた。
元騎士「……チッ」
戦士「ナハトさん!」
勇者「ふぐっ……」
口元に布を当てられている。……少しだが酒のにおいを感じた。
腕にも何か巻きつけられているようだ。
数人の男達が彼女を囲んでいる。見るからに悪党だ。
戦士「おまえら何を……!」
盗賊1「おい、邪魔が入ったぞ」
盗賊2「ディオさん、どういうこった」
元騎士「わりぃ、足止めしきれなかった」
戦士「ディオさん!? うぐっ……」
ディオさんに鳩尾を殴られた。
戦士「ど……して……」
元騎士「こいつが多くの男の恨みを買ってるのは知ってるだろ?」
元騎士「まあそういうことだ」
元騎士「おいおまえ、ちょっとこのガキ押さえてろ」
盗賊3「へい」
盗賊1「この間は下っ端がお世話になったなあ?」
盗賊2「今度はそうはいかねえぜ」
勇者「…………」
戦士「……?」
盗賊4「なんたって、『気配消しの指輪』だけじゃなく」
盗賊4「この『快楽の鞭』が完成したんだからなあ」
勇者「…………」
元騎士「無様だなあ、ナハト」
元騎士「おまえは魔力依存型だからな。快楽を感じちまっちゃあ、」
元騎士「もうまともに剣を握ることすらできねえだろう?」
魔術師の最大の敵は……性欲及び性的快楽。
元騎士「その上ごく少量のアルコールで酔いつぶれちまうんだからよお!」
戦士「ま、さか……この間ナハトさんが酔って帰ってきたのって……」
元騎士「どうだ? 感じるか? ふははははは!!」
勇者「っ……」
ディオさんはナハトさんに巻きつけられた鞭をグイグイ引っ張っている。
あの鞭に巻かれると、性的な意味で強制的に気持ち良くさせられてしまうようだ。
な、なんてえっちな道具なんだ……!
元騎士「どうした? 顔が赤いぞ? 酒の所為か? それとも恥辱の所為か?」
戦士「やめろっ! ナハトさんを放せ!」
盗賊3「おっと動くな!」
元騎士「ははっ……もしかしてとは思っていたが、おまえ、女だったんだな」
あいつはナハトさんの服をはだけさせた。
勇者「う……」
盗賊5「道理で美女で挟み撃ち作戦が失敗したわけだ」
戦士「ふざけるな! やめ……やめろ!!」
更に、あいつはナハトさんの首筋に吸い付いた。
元騎士「くくっ……」
勇者「はっ……あ……ぅ……」
戦士「ごっ……の、やろ……!」
元騎士「こりゃお楽しみだ。……表通りが騒がしくなったな」
盗賊4「人に見られる前にアジトに帰るか」
元騎士「おっと、目撃者には消えてもらわねえとな」
あいつは短剣を持って俺に近付いてくる。
嘘だろ。前は俺の命を助けてくれたのに。
戦士「っ――!」
腹に衝撃が走り、視界が真っ暗になった。
――――――――
俺の名はディオニュソス・ド・トンベル。
代々優秀な騎士を輩出し続けている名門トンベル家の出身であり、
俺も栄誉ある騎士となった。
ある時、俺は騎士団の仲間達と共に魔族の群れの討伐に向かった。
俺達が健闘虚しく敗退しかけたその時、ナハトは現れた。
あいつは一滴の返り血も浴びずに魔物を殲滅した。
俺達は名誉の死を迎えることなく、どこぞの馬の骨とも知れぬ若者に救われてしまった。
とてつもない屈辱だった。
祝賀会でも、称えられたのは俺達じゃなく奴だった。
更に、俺はナンパした女の子をお持ち帰りしようとしていたところをあいつに咎められた。
そして愛人の存在をバラされた。
その結果、俺は職も名誉も嫁も愛人も……全てを失った。
逆恨みと言われればそれまでであるが、憎いものは憎い。
この北の町に、奴に復讐しようと待ち伏せしている連中がいた。
奴等はあいつの弱点を掴もうとしていた。
……祝賀会の時、あいつは酒のにおいをかいだだけで赤くなっていたのを思い出した。
当時はまだ17だからと飲酒はしていなかったが、もしやと思った。
それに加えて快楽を与える道具の開発も助言した。
ナハトが次の土地へと進めないよう、悪党共は嵐に紛れて橋を落とした。
結果、上手くいった。
元騎士「まずは俺に楽しませてくれよ。俺のおかげでこいつを捕まえることができたんだからな」
盗賊1「仕方ねえな。見物はさせてもらうぞ」
盗賊2「息子が勃つ奴を呼んでこねえとな」
今、ナハトは俺の手中に落ちた。
普段の澄まし顔が嘘のように表情を歪めている。
元騎士「すぐに殺しはしねえよ。たっぷり気持ち良くしてやるからな」
勇者「っ……そんな体で何ができる!」
元騎士「息子が使えなくても、女を喜ばせる術はよおく知ってるんでな」
服に手を突っ込み、上半身を撫で回してやるとこいつの体は淫楽に震えた。
元騎士「お? サラシの上からでも感じるか?」
勇者「……やるならやれ。所詮、疾うの昔に穢れた体だ」
――――――――
第十話 焔光
兵士「おい君、大丈夫か!?」
戦士「う……」
戦士「俺……生きてる……?」
ちくしょう……俺はどれだけの間気を失っていたんだ。
戦士「ナハトさん……ナハトさんは!?」
兵士「落ち着くんだ」
――――――――
盗賊5「お頭に報告してくるぜ」
元騎士「見下していた相手に撫でられるってのはどんな気持ちだ?」
勇者「……」
奴を背中から抱きかかえ、服の留め具を外していく。
元騎士「俺自身、こんなに上手くいくだなんて思ってなかったんだぜ」
元騎士「普段の貴様なら絶対に見せない隙があった」
元騎士「ってか、この頃隙だらけだった」
勇者「…………」
元騎士「……心境の変化でもあったのか?」
勇者「……黙れ」
――――――――
戦士「見るからにガラの悪い連中にナハトさんが連れていかれたんだ!」
兵士「『ナハト』という名の者が攫われたんだね?」
兵士「……奴等のアジトなら、我等が回した間者のおかげで判明した」
兵士「今、国家憲兵が向かっている」
兵士「今時は発信石という便利な物があってね」
戦士「俺も連れていってくれ!」
兵士「危険だ」
戦士「俺は剣士だ! 戦える!」
兵士「だめだ。一般人を連れていくわけにはいかない」
戦士「ちくしょう……」
ナハトさんのように、俺に魔力で人を探す能力があれば……。
戦士「トパーズが……光ってる?」
『インペリアルトパーズ。探し物を引き寄せてくれる石だよ』
この石が、俺をナハトさんの元へ導いてくれるかもしれない……!
兵士「何処に行くんだ! 待て!」
――――――――
元騎士「集中を無くしたおまえなんてただの女だ」
元騎士「何がそこまでおまえの心の均衡を奪った?」
勇者「ふ……ぁ……っ……」
元騎士「…………あのガキか?」
勇者「っ! ちがっ……くっ……」
元騎士「俺達はおまえに関する情報を集めていた」
元騎士「知ってるんだぜ? おまえが命を張ってあいつを守ったことを」
勇者「っ…………」
元騎士「はっ、綺麗な乳首してるじゃねえか」
元騎士「ろくに自分で弄ってもないんだろ」
元騎士「ほう? まともな下着もつけてねえわりには良い形だな」
勇者「あっ――ぅあっ!」
元騎士「なんだ、女らしい声で啼けるじゃねえか」
元騎士「……もっと聴かせろよ」
元騎士「こんな上玉を好きに出来るってのに、勃たねえのはほんと残念だぜ」
元騎士「……なあ、おまえ、俺の娼婦になれよ」
元騎士「そしたら命は助けてやるよ」
勇者「だっ、れがっ……」
盗賊1「おいいつまで上ばっか触ってんだ」
元騎士「焦らした方がおもしれえんだよ」
元騎士「こう、触れるか触れないかの指圧で楕円を描くようにしてだな」
盗賊2「流石ご貴族様が使うテクは違う」
元騎士「これを続けると感度が上がるんだよ」
勇者「っ……」
元騎士「快楽漬けにして、二度と魔法を使えない身体にしてやろうか」
元騎士「淫乱な奴には使えないんだろ? 淫魔は例外として」
勇者「……ぁ…………」
盗賊4「念のため媚薬を用意しとかねえと」
盗賊2「おい、下も脱がすぞ」
元騎士「気がはええなあ、こういうのはじっくりじわじわ――」
ガタン!
戦士「ナハトさん!」
彼女の上着は脱がされ、シャツの留め具も全て外されている。
サラシはほどかれて腹を緩く覆っているだけになっていた。
両手を胸の前で拘束しているのはあの鞭だ。
……後頭部を殴られたような感覚を覚えた。
勇者「ヘリオス君……?」
長椅子の上で、ディオさんがナハトさんを背中から支えるような形で抱きかかえている。
他の男は見物客のように彼女等を囲んでおり、
その内の一人は彼女のベルトに手をかけていた。
熱い。
その光景は、とても性欲を掻き立てるような物ではなく、
戦士「ッ――――!」
俺の腹の底から怒りが沸き上がった。
熱い。
俺の人生において、これほど腹が立ったことはあっただろうか。
熱い。
熱い。
熱い。
盗賊1「おい、あいつの剣……燃えてるぞ!」
勇者「……!」
戦士「ゥォオオオオオオオオオ!!!!」
トパーズとサンストーンが共鳴し、バチバチ音を立てている。
戦士「マスもかけねぇ体にしてやる!!!!」
まずは彼女のベルトに手をかけていた男の両腕を斬り落とし、
盗賊1「ギィアアアアアアアアアアアアア」
見物していた連中の腕も同様に刎ねた。
傷口から血は吹き出ていない。炎で焼いた。
……返り血が大嫌いなナハトさんを、血で汚すわけにはいかない。
戦士「はあっ……はっ……」
そしてあの男に目をやる。
元騎士「うおう」
戦士「……あんたは、花の都で俺を助けてくれた」
戦士「女好きってだけで、根は悪い人じゃないと思ってた」
戦士「それなのに、こんな連中と手を組んで、こんなっ……こんなことをっ……!」
元騎士「タンマ! ちょっと待った!」
戦士「これほど誰かを殺したいと思ったのは生まれて初めてだ!!」
元騎士「わーっ!」
兵士「待つんだ!!」
戦士「止めんな!」
兵士「その人は仲間なんだ!! 間者なんだよ!!」
戦士「……へ?」
元騎士「おまえの命は奪わなかっただろ!? 気絶させただけで!!」
戦士「あっ……」
元騎士「当然そいつに恨みはあるけど! もうこの町で新しい嫁さんできたし!」
戦士「…………」
元騎士「……俺の言い訳聞いてくれる?」
元騎士「仕事を求めてこの町に辿り着いた俺は、ある依頼を受けた」
元騎士「それがこの盗賊達のアジトを見つけることだった」
元騎士「俺は間者として潜り込むことになったのだが、」
元騎士「普段盗賊狩りをやってるおかげで盗賊達の信頼を得ることは困難だった」
元騎士「んで、盗賊達に仲間として認めてもらう条件が、」
元騎士「こいつを捕まえることだったんだよ!」
戦士「…………」
元騎士「……しょーじきに言う! こいつには一泡吹かせてやりたかった!」
元騎士「復讐心が無かったわけじゃなかった!!」
元騎士「だから言葉で責めたりとかそういうのはしちゃった!!」
元騎士「でも上の方しか触ってないし!!」
元騎士「それ以上やったら嫁さんにかけられた呪いで俺もっとやばいことになっちゃうし!!」
元騎士「仕事の一環だったし!!!!」
戦士「…………」
兵士「頼む……彼を斬らないでくれ。彼を斬ったら、君も罪に問わなければならなくなる」
元騎士「……いや、その、すみませんでした。ごめんなさい」
戦士「…………あんたの言い分はわかった」
戦士「でも」
俺はディオさんの股のすぐ前に剣を突き立てた。
元騎士「ひっ」
戦士「もしまたナハトさんに触ったら…………」
戦士「その時は、俺があんたの股間を斬り落とす」
戦士「……ナハトさん」
彼女は体を丸めて震えている。
戦士「動かないでくださいね」
ディオさんが落とした短剣で、彼女の腕を縛っている鞭を切った。
だが物に貼り付く性質があるらしい。
彼女の手首に残った鞭を剥ぎ取ると、手がくすぐったくなった。
勇者「ぅ……はあ」
俺は長椅子の背にかけられていた彼女の上着を取り、彼女の肩にかけた。
勇者「ヘリオス君……ヘリオス君……!」
彼女は俺の腕を掴み、俺の名前を呼んだ。
……少し前までのナハトさんからはとても想像できないほど、弱々しい姿だった。
勇者「うう……ぁ……」
俺は空いている方の手で彼女の肩を持った。
戦士「もう大丈夫です」
勇者「ぁぁあぁああぁ…………」
この人だって、弱い面を持った、一人の人間なんだ。
――宿
勇者「…………全く抵抗できなかった」
戦士「…………」
勇者「あいつになされるがまま………………」
こんな時、どんな言葉をかければいいのか、俺にはわからない。
ただ傍にいることしかできない。
勇者「嫌なんだ……ただ男に犯されるだけの女なんて……」
戦士「…………」
……俺は、ナハトさんの傍にいていいのだろうか。
俺がナハトさんと関わらなければ、
彼女はいつも通り余裕で盗賊を撃退していたのではないだろうか。
俺の存在が彼女の精神を乱していたことは明らかだ。
そして、俺は……この人に欲情してしまったことがある。
勇者「ヘリオス君…………」
だけど、ナハトさんは俺にもたれかかっている。
俺のことは、嫌じゃないのだろうか。
本気で怒った直後で疲れているからかはわからないが、
ナハトさんと触れ合っていても、あまり緊張しなかった。
戦士「……俺、もっと強くなります」
戦士「あなたを護れるくらい、強く」
この時、俺はこの人を護りたいと、強く思った。
故郷の村以外に特別護りたいと思える対象ができたのは、これが初めてだった。
いつも俺より遅く寝て早く起きるナハトさんが、珍しく俺より先に眠った。
ハンガーにかかった上着には、セレスタイトのブローチが留められている。
俺はその石を手に取った。
……石に、小さい何かが宿っているのを感じられた。
石は弱々しく輝き出した。
――
――――――――
少年『僕の名はナハト・フォン・レッヒェルン』
少年『アルカ……アルカディアは、僕の主人――り、そして妹――うな存在だった』
雑音混じりではあるが、前よりははっきりと彼の声を聞くことができる。
少年『君だけ――だ。アルカが心を開こ――してい――は』
少年『こ――まじゃ、彼女はずっと一人ぼっちのままだ』
少年『僕はもう死――しまった。どうか、一緒にいてあげて――い』
少年『もし、彼女が永遠の孤独に閉ざさ――ことを選んだら、』
少年『その時は、彼女を殺してほしい』
少年『そうでもし――と、彼女の魂は未来永劫――――』
――――――――
――
石から輝きが散った。宿っていた意思は消えてしまったようだ。
俺の知っているナハトさんは、アルカさんだった……?
殺されたのはアルカさんじゃなく、『ナハト』の方だったということだろうか。
アルカさんの瞳は赤紫だったはずだ。顔付きは、面影があるといえばあるとは思うが……。
後半はよくわからなかった。『殺してほしい』って、どういうことなんだろう。
俺はナハトさんの方を見た。
小さく寝息を立てて眠っている。
もし彼女がアルカさんなら、彼女は幼い頃に、魔王に……。
彼女が処女に拘っている理由が少しわかったような気がした。
ナハトさんはいつも、
穢れを知らない少女に対して羨望しているかのような眼差しを向けていた。
……言葉通り、彼女達が羨ましかったんじゃないだろうか。
やたらと貞操について語っていたのも、裏には心の叫びがあったんじゃないだろうか。
眠れそうにない。少し外の空気を吸ってこよう。
モヤモヤが晴れないんだ。
戦士『あなた方は……彼等がナハトさんを狙っていることを知っていたんですか!?』
兵士『……ああ』
戦士『知っていたのに……』
兵士『あえて泳がせないと、敵の情報を得ることができない場合もあるんだ』
兵士『どうかわかってほしい』
兵士『……申し訳ない』
戦士「ちくしょう!!」
傍にあった大きな岩を殴った。
拳へ半ば無意識に魔力を集中していたらしく、岩は粉々になった。
岩に八つ当たりしたところで気分が晴れるわけでもない。
男達がナハトさんを取り囲んでいた光景が頭から離れない。
……ディオさんが、ナハトさんの首に吸い付きながら、胸に、腰に、触れていた。
戦士「ちくしょう! ちくしょう!! あああああアアア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
――翌朝
戦士「……短剣を、一本持っておくといいと思うんです」
戦士「その、いざという時のために装備しておくべきだって、昔兵養所で習ったんです」
勇者「……そうだね」
戦士「ほ、ほら、リーチの短い剣があれば、間合いを詰められても攻撃しやすいですし、」
戦士「狭い場所での戦闘においても便利です」
勇者「ああ。魔力無しでも戦える術を身に着けなければ……」
ナハトさんは、俺の二人の時だけは女性らしい声で話してくれる。
俺はそのことに嬉しさを感じた。
戦士「あ、そうだ」
戦士「これを」
勇者「手紙…………」
ナハトさんは差出人の名前を見てしばらく硬直した。
勇者「…………」
勇者「……開けてくれないか。自分で開ける勇気が出ないんだ」
戦士「は、はい」
勇者「読んでくれ」
戦士「ええと……」
庶民の俺には読みづらい貴族の書体だったが、どうにか読み取ることができた。
戦士「『頼みがあるから私の屋敷に来てほしい』だそうです」
勇者「……それだけか?」
戦士「はい」
勇者「…………もう、親族には会わないつもりだったのだがね」
勇者「貴族に会うんだ。身なりを整えなければならない。散髪に行ってくるよ」
戦士「あ……髪、切っちゃうんですか?」
勇者「そのつもりだが……」
戦士「そ、うですか」
何故だか、彼女が髪を切ってしまうことが残念に思えた。
勇者「…………長い方が、似合うか?」
俺は気恥ずかしくなって、横を向いて頷いた。
勇者「……なら、整えてもらうだけにするよ」
伯爵「よく来てくれたね……ナハト」
勇者「…………お久しぶりです、エーデルヴァイス卿」
重い空気が漂っている。二人とも神妙そうだ。
伯爵「最後に会ってからもう九年か。月日が経つのは早いものだね」
伯爵「……大きく、なったな」
伯爵「君の死体が確認されなかったから、慰霊碑に君の名は刻まなかったのだよ」
伯爵「……君が生きていると信じて、ずっと探していたのだ」
勇者「…………」
伯爵「…………」
生き別れた親族が再会した時の雰囲気とはとても思えない。
勇者「…………頼みとは、何でしょうか」
伯爵「…………バシリー、例の物を」
家扶「は、ただいま」
執事の男性が運んできたのは、
深い青と赤紫の色彩を放つ、少し豪華だが気品のあるドレスだった。
伯爵「このドレスを着て、今度の晩餐会に参加してほしい」
勇者「帰らせていただきます」
伯爵「お願いだよおぉ着てくれよ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛」
お堅い佇まいが嘘のように、伯爵は泣き崩れた。
勇者「ここに来たのが間違いでした」
ナハトさんの行く手は大勢の騎士で阻まれた。
勇者「…………」
伯爵「アルカディアァアアア!」
伯爵「ぜっがぐあ゛え゛だの゛に゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛」
勇者「放してください」
伯爵はナハトさんにすがりついている。
ナハトさんがアルカさんであると確信があるようだ。
……もしかして、侯爵からの手紙にそう書いてあったのだろうか?
ということは、侯爵はナハトさんの正体に気がついていたのだろうか。
所詮推測でしかないが、そうとしか思いつけなかった。
今思えば侯爵も、
ナハトさんに対して何か思うことがあるような、不思議な態度をとっていた気がする。
勇者「私は! 女として生きることを捨てたんです!」
伯爵「ヤダアアアアア゛ア゛ア゛!!」
まるで駄々っ子のようである。
それにしても、ナハトさんのドレス姿……。
俺も正直見てみたいなと思ってしまったのだが、
彼女の境遇を思うと素直にそう言い出すことはできなかった。
なんだろう、この切なさ。ひどく胸が苦しいんだ。
263 : ◆qj/KwVcV5s - 2016/03/27 01:16:42.68 9jiz3jZco 179/477本編の投下はまだですが、
読んでも読まなくてもいい主要人物二名の設定を。
戦士(ヘリオス・レグホニア)
強面だが性格は純朴。性欲旺盛な15歳。魔力の色は橙。兵士志望。
物語開始時点で身長165センチほど。成長途中。あまり自信が持てないでいる。
学は浅いが賢くないわけではない。
義務教育学校も兵士養成所も中の上くらいの成績で卒業した。
実力を伸ばしつつある。名前負けしているのが悩み。
アルテミスというあまり美人じゃない姉がおり、妹や弟も数人いる。
兄弟全員、名前負けしてしまうような立派過ぎる名前らしい。
ナハトに特別な感情が芽生え始めたようだが……。
――――――――
勇者(ナハト)
18歳。魔力の色は紫がかった深い青。男装の麗人。重度の下戸。
身長は170台半ば~後半 + ヒール。
人々が勝手に勇者と呼んでいるだけで、本人は自分のことをそう思ってはいない。
肌を晒すことを嫌い、常に体格を隠せる長袖の服を着ている。
手の形は男女差が出やすいため、外では滅多に手袋を外さない。
極端に男の劣情を嫌悪しており、貞操に対する並々ならぬ執着を見せる。
女として生きることを捨てたと言いつつも、髪飾りを似合うか試していたり、
ヘリオスには素を見せたりと心境は複雑な様子。
魔力に依存した戦闘スタイルであるため、魔力が使えなければ大幅に戦闘能力が落ちる。
この頃は心に緩みができたようだ。
第十一話 夜会
伯爵娘「お父様? 私の護衛の方は来てくださったの?」
一人の少女が現れた。6、7歳ほどだろうか。
とても可愛らしい。
伯爵娘「本物の勇者ナハトだああ!」
勇者「……護衛を頼みたいのなら先にそう仰ってください」
伯爵「だって……」
勇者「あなたは優秀な部下を大勢お抱えでしょう」
勇者「私でなければならない理由はあるのですか」
伯爵「そんな他人行儀な話し方しなくても……」
勇者「ではこの話は無かったことに」
伯爵「待って! わかった! 真面目に話すから!」
伯爵「……君の名声は聞いている」
伯爵「これまで数多くの悪党を討伐し、魔物の群れをたった一人で殲滅してきたそうだね」
伯爵「そして、君が最も嫌っているのは、女性に危害を加える漁色家だとか」
伯爵娘「ぎょしょくかってなあに?」
伯爵「わるぅい男の人のことだよぉぉ」
幼い頃のナハトさん……アルカさんもこんな風に可愛がられていたのだろうなと思った。
伯爵「君に罪を暴かれ、失脚した不道徳な貴族も少なくない」
伯爵「……実は、私の娘を狙っている男がいるのだ」
伯爵「奴の階級は大公。誰も下手に手を出すことができない相手だ」
伯爵「君の腕を見込み、娘の護衛及びその男の正体の暴露を頼みたい」
伯爵「奴の名はグライリッヒ・フォン・ゲーリング」
伯爵「悪い噂はあれど、証拠が無いのだ」
伯爵「本当はこのような危険なことを、可愛い姪にさせたくはないのだが……」
勇者「私はナハトです。あなたの姪のアルカディアではありません」
伯爵「ぐずっ……」
猫可愛がりしていた生き別れの姪が男として生きていたら泣きたくもなるのかもしれない。
伯爵「夜会には是非長女を出席させたい」
伯爵「だが奴には近付いてもらいたくないものでね」
伯爵「だから、娘の傍についていてほしいのだよ」
勇者「ドレスを着る必要性はありますか」
勇者「ドレスでは動きを取りづらくなり、こちらが大幅に不利となります」
伯爵「……ほら、綺麗な女性の方が敵の情報集めやすかったりするし……」
勇者「ほう、私に色仕掛けをしろと?」
伯爵「あっ、それはやだ」
伯爵「でもやっぱり綺麗な格好で社交には出てほしい」
勇者「私は一生女性の格好をするつもりはありません」
勇者「エーデルヴァイス卿、どうかご理解いただき」
伯爵「おじちゃまって呼んでよぉぉ」
勇者「…………」
これからは伯爵の屋敷に泊まることとなった。
ナハトさんは断っていたのだが、泣きつかれてしまい仕方なく折れたのである。
勇者「……はあ」
アルカさんのことも『ナハト』のことも知っている人物と会うのは複雑だろう。
戦士「あの……やっぱり、ナハトさんは、アルカさんなんですか」
勇者「……」
戦士「実は、その……セレスタイトに、本当のナハトさんの心の一部が宿っていて、」
戦士「そんな感じのことを……」
勇者「君は、石の声を聴くことができるのだね」
勇者「私も、幼い頃は石に宿った心と話せたものだった」
勇者「そうか、彼と……会えたのか」
戦士「アメジストには、記憶が入ってて……」
戦士「おそらく八年前の、襲撃の時の映像が……すみません」
黙っていた方がよかったのかもしれないが、
本人の知らないところで彼女の秘密と過去を覗き見てしまった罪悪感に耐えられず、
謝罪せずにはいられなかった。
勇者「……君は、正直だね」
勇者「近い内に話すつもりではあったんだ。もう、君に隠し事をしたくはなくてね」
戦士「……」
勇者「……どこまで見たんだい」
戦士「アルカさんが、血塗れになったところまで、です……」
戦士「でも、すごく途切れ途切れ……でした」
勇者「……そうか」
戦士「…………」
勇者「気になるかい? この目の色のことが」
戦士「そりゃ、気になりは、しますけど」
戦士「すごくつらいことを、掘り起こすことになるかも、しれませんし」
戦士「無理に、聞こうとまでは……」
勇者「君は、優しい子だね。本当にいい子だ」
伯爵娘「勇者ナハトー!」
勇者「……アストライア嬢」
伯爵娘「ねえねえ、私と親戚なんでしょ? そうなんでしょ!?」
勇者「ええ」
伯爵娘「後で一緒にお風呂はいろ!」
勇者「あっ……それは……」
伯爵娘「……だめ?」
勇者「私は表向き男性ということにしておりますから……」
伯爵娘「うー…………」
勇者「……わかりました。入りましょう」
伯爵娘「やったあ!」
この会話を聞いていたら煩悩が沸いてきてしまった。
……抜いてこよう。
やはり貴族の屋敷は落ち着かない。
外に出て、今朝まで借りていた宿に行った。アキレスに会いたかったからだ。
戦士「今暇? 打ち合いしてえんだけど」
英雄「君の方からそう言ってくれるとは……喜んで付き合うよ」
抜き終わった今なら戦いに集中できる自信があった。
俺は強くなりたい。
英雄「……太刀筋がずいぶん鋭くなったね。垢抜けたとでも表現すればいいのかな」
英雄「初めて会った時と比べて体格もかなり良くなっている。少し羨ましいよ」
戦士「それは……ナハトさんがいいもん食わせてくれてるからだ」
英雄「良い師匠だね」
戦士「あれから僧侶の……エイルさんだっけ? とはどうなんだ」
英雄「ああ、今のところなんとか普通に話せてるよ。君のおかげだ」
英雄「マリナは相変わらず俺に興味無さそうでちょっと寂しいけどさ」
マリナとは、彼が想いを寄せている魔法使いの名前だ。
英雄「……君からその話題をふってくるなんて、珍しいじゃないか」
戦士「それもそうだな……俺、どうしちまったんだろうな」
英雄「何か悩みでもできたのか?」
戦士「や、その……この頃、やけに胸が痛むんだよ」
英雄「どんな時に?」
戦士「…………」
戦士「……………………」
英雄「顔が赤いよ」
戦士「……ある女の人のことを考えてる時」
英雄「恋じゃね?」
戦士「そうか、やっぱりそうか、これが恋か」
英雄「君も恋の苦しみを経験する時が来たかあそうかあ!」
戦士「……何で嬉しそうなんだよ」
英雄「人っていうのはね、同じ苦しみを理解しあい共有することで元気になる生き物なんだよ!」
戦士「……そうか」
霧の町で、ナハトさんが暴行を受けた女性を元気づけたことを思い出した。
具体的にどんな言葉をかけたのかはわからないが、自分も同じ経験をしたことを明かし、
彼女の気持ちへの理解を示すことで励ましたんじゃないだろうか。
英雄「なあ、相手はどんな人なんだ!」
戦士「えっ、あっ……それはまた今度な! もうそろそろ屋敷に戻らねえと!」
俺は酷く恥ずかしくなってその場を去った。
伯爵「何で『ナハト』なんかになりきってるんだよぉ」
勇者「私の自由です」
伯爵「女の子らしく喋ってよぉぉぉ」
伯爵娘「お父様うるさい」
伯爵「えっ」
何やら騒がしそうだ。
……ナハトさんにも、家族がいるんだなあ。
人間かどうか疑わしいとさえ感じてしまっていた頃が嘘のようだ。
今のナハトさんには生気がある。
勇者「匿ってくれ」
俺に用意された部屋にナハトさんが訪れた。
勇者「……はあ」
勇者「侯爵から彼へ連絡があったようだと君から聞いた時点で、」
勇者「正体を知られているだろうとは思っていたが……」
戦士「……大変そうですね」
戦士「……伯爵は、昔ナハトさんとよく遊んでいたと聞きましたが」
勇者「…………私が遊んでさしあげていたんだ」
勇者「そうしないとすねられて面倒だったからな……」
戦士「ああ……」
容易に想像できた。
戦士「でも、それだけ愛されていたんですね」
勇者「あ、まあ……そう、だな」
ナハトさんは風呂上がりで色っぽい。
戦士「……俺もそろそろ風呂入ってきます。汗かきましたし」
勇者「そうか。……外の湯屋に行くのか?」
戦士「はい。どうしても豪華な浴室を借りるのはちょっと」
戦士「っ――!」
足を引っ掛けた。
勇者「……!」
……ナハトさんを寝台に押し倒してしまった。
石鹸の良い匂いがする。暖かい。
戦士「ぁぁああああ゛あ゛すみません!」
勇者「…………」
この間酷い目に遭ったばかりだというのに、怖がらせるようなことをしてしまった。
いきなり男に押し倒されたら怖いに決まっている。
戦士「ごめんなさい! ごめんなさい!」
勇者「そ、そんな、気にしないでくれ」
勇者「今のは事故だとわかっているし、その……」
勇者「…………君だけは、平気なんだ」
戦士「え……」
その言葉にすごくドキッとした……が、すぐに考え直した。
彼女はしばしば、母親のような眼差しで俺を見ていた。
それに、俺は彼女より身長が低いし、年下だし、弟子だ。
その上身分の差だって大きい。
単純に男として見られていないだけだろう。
そう思うと悔しくなった。せめて、はやく大人になりたい。
伯爵「君はアルカディアと二人で旅をしているのだったね」
戦士「は、はい」
威圧を感じる。
伯爵「……何もしていないだろうね」
戦士「へ?」
伯爵「手を出しはしていないだろうね!?!?」
戦士「とととととんでもない」
戦士「彼女、そういうの極端に嫌ってますし、俺一介の庶民ですし」
戦士「とてもそんな」
伯爵「ふう……そうか」
娘の彼氏に敵意を向ける父親のようだ。
伯爵「彼女が生まれる前に、彼女の父親である我が兄は死んでしまったからね」
伯爵「代わりに私が父親のように接していたのだよ」
そんな感じはしなかったが……。
――
――――――――
伯爵娘「おねえちゃーん! 踊りの練習しましょ!」
勇者「ええ」
晩餐会の後には舞踏会があるらしく、二人は踊りの練習に励んでいる。
ナハトさんが遠くに行ってしまったような気がして、俺は寂しくなった。
英雄「今日は太刀筋が粗いぞ?」
英雄「八つ当たりみたいな感じだ」
戦士「…………」
戦士「今、すごく暴れ回りたい気分なんだ」
自分の身分にコンプレックスを感じたことは無かったはずなのだが、
この頃はやけにみじめな気分になる。
勇者「……不安だ」
勇者「レッヒェルン領がこの国との国境付近だった関係で、昔の知り合いが多くてね」
勇者「ややこしいことにならなければいいのだが」
勇者「そうだ、この数日間、ゲーリング大公の情報を集めていたのだが」
勇者「彼が汚い手を使い、」
勇者「彼の息子とアストライア嬢との結婚を迫ろうとしているのは事実のようだ」
まだ幼いのに……大公の息子はそういう趣味の人なのだろうか。
勇者「……闇商人から少女を買っているという情報もあった」
いつの間にそこまで調べたんだ。流石だなと思った。
ちなみに人身売買は世界のほとんどの地域で禁止されている。
勇者「だが、伯爵が言っていた通り、証拠が無いと奴を告訴することはできない」
勇者「晩餐会には多くの王侯貴族が集まる。情報を得る良い機会だ」
勇者「本人の魔力からも何か読み取れるかもしれない」
戦士「俺は何してればいっすか」
勇者「私がアストライア嬢から離れている間、私の代わりに彼女の護衛をしてほしい」
戦士「了解っす」
戦士「……伯爵達とは家族なんですし、」
戦士「あなたはあの方々に対して畏まらなくてもいいんじゃないですか?」
勇者「…………私はナハトとして生きると決めたんだ」
勇者「爵位も財産もない、本家の使用人として仕えていた『ナハト』として」
勇者「私が『ナハト』であるなら、身分をわきまえるのは当然だ」
でも一応俺には素を見せてくれているんだよな。
勇者「……あと、」
戦士「はい」
勇者「実は、この頃スランプなんだ」
戦士「え?」
勇者「……魔力を上手く扱えないことが多くてね」
戦士「マジすか」
勇者「これから君に頼ることも増えるかもしれない」
戦士「俺にできることなら精一杯やります」
頼ってもらえるのがなんだかとても嬉しい。
――夜会
国王主催だけあって大規模だ。
ナハトさんは従者としてではなく、伯爵の客人として出席している。
俺はもちろん従者として彼等の後ろに控えている。
場違い感が半端無い。こんな煌びやかな場に俺がいていいのだろうか。
王侯貴族ってこんなキラキラした世界に住んでるんだな。
昔、女心が気になって姉や妹の愛読書を読んだことがある。
あまりにもキラキラした世界観、美化され過ぎている男性像に俺は驚いてしまった。
女はこんなものを夢見ているのか。一生相容れないな……と思った。
しかし、その夢に近い世界が目の前に広がっている。
男はありえないくらい紳士だし、女性は美しく着飾っている。
勇者「貴族にとって、社交の場は人脈を作ったり、」
勇者「結婚相手を探したりする重要な場だからね」
勇者「皆体裁を取り繕うんだ」
……どうやら輝いて見えるのは表面だけで、実際はドロドロしまくっているようだ。
そう思うと別の意味で怖くなった。
貴族が次々と席についていく。
伯爵達とゲーリング大公の席はかなり離れていが、
向こうから妙な視線を感じないこともない。
メイド「あの野郎うちのお嬢様に変な視線送りやがって」
大公はガリガリで背が高く、やつれたような容姿だ。
隣に座っているのはご令嬢だろうか。
ゲーリング大公の息子は出席していない。五年前から屋敷に引き籠ってばかりだそうだ。
ついでに数人の貴族のご令嬢方がナハトさんの方を何度もチラ見している。
アキレスとその仲間達は王様の近くの席に座っていた。
そうか、招待されたのか。一国の英雄だもんな。
彼等に対しても格差を感じてしまった。
「おお……誉れ高き勇者がこの晩餐会に二人も……」
「今度、我が晩餐会にも是非出席していただきたい……」
貴族達は二人の勇者の噂話で持ち切りだ。
大皿に乗った料理が運ばれてきた。
使用人が大皿から主人の皿に料理を取り分けている。
こんな豪華な料理、俺も食べてみてえよ……。
勇者「食べるかい?」
戦士「え?」
戦士「……いいんですか?」
勇者「主人の食べ残しは使用人が食べていいのだよ」
勇者「第一、僕が客であるなら仲間の君だって本来僕と同等の扱いを受けるべきなんだ」
そういえば、アキレスの仲間達はアキレスと同じように席に座っている。
戦士「……あざっす」
料理はおいしかったような気がするが、
俺の知らない調味料や香辛料がふんだんに入っているらしく、慣れない味をしていた。
料理の味より、ナハトさんの気遣いの方が胸に染みた。
伯爵「うちの娘可愛いでしょ!? 名前はアストライア、愛称アスティ!」
伯爵娘「お父様、恥ずかしいです」
貴族「ご夫人はご一緒ではないのですか」
伯爵「三人目を身籠っておってね。次女と一緒に領地に留まっておるのだ」
貴族「勇者ナハトと伯爵は、もしかして血縁関係がおありで?」
夫人「勇者ナハトは亡きレッヒェルン辺境伯とよく似ておられます」
伯爵「この子はうちのめ」
勇者「遠縁でございます」
テイルコートを着ているのに姪と紹介されても困るだろうな。
貴族「おお、ではやはりレッヒェルン家の生き残りなのですね」
勇者「……はあ、まあ」
貴族「あなたを見ていると、アルカディア嬢を思い出します」
夫人「生きていれば、今頃美しいレディになっていたでしょうに……」
生きてるし美しいレディの格好してほしい。
伯爵「ふぐっうっ……う゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」
伯爵娘「お父様、こんなところで泣かないでください。みっともないです」
晩餐会が終わり、休憩時間になった。
勇者「……ふう」
ナハトさんは少し疲れているようだ。
……こうして見ると、美青年だよなと思う。
高い身長を更にヒールで底上げしているし、凛々しくて中性的な顔立ちだ。
旅中も女性にモテてたな。なんだろうこの劣等感。
でも細身だから服で体型を誤魔化せてるだけで、中身は女性なんだよな。
なんだろうこの不思議な感じ。
なんだろうこのモヤモヤ感。
そこらへんにいるご令嬢を見た。
ナハトさんだって、着飾ればああいう女性に負けないくらい立派な令嬢になるだろうに。
舞踏会が行われる大広間の天井には大きなシャンデリアが吊られている。
勇者「あのシャンデリア、大量の透明な石で飾られているだろう?」
勇者「あれ、ガラスじゃなくて全部ダイヤモンドなんだよ」
なんて豪華な……格差を見せつけられているような気分だ。
令嬢1「……ナハト君?」
勇者「……!」
令嬢1「やっぱりナハト君よね?」
勇者「これはこれは、レディ・アドルフィーネ」
令嬢1「あなた生きてたのね!」
一人の可愛らしいご令嬢がナハトさんの胸に飛び込んだ。
令嬢1「会いたかったわ……その髪と瞳の色は一体どうしたの?」
令嬢2「ナハト! 本当にナハトなの!?」
令嬢3「今まで何処に行っていたの!?」
令嬢4「あなたが生きているって知っていたら彼氏なんて作らなかったのに!」
令嬢5「ちょっとあなたどきなさいよ彼は私の初恋の人なのよ」
令嬢6「なによー!」
勇者「ああ、どうか争わないでレディ・エルネスタ、レディ・フリーデル」
勇者「怒りは美しさという名の水晶にヒビを走らせてしまう」
勇者「どうか微笑んで」
令嬢5「きゃああ」
令嬢6「はあい」
戦士「…………」
伯爵「『ナハト』はなあ……女口説くのが趣味だったからなあ……」
戦士「……女好きな人だったんですか?」
伯爵「女が好きというより、演技めいた口調で女に話しかけるのが好きだったんだよ……」
それがナハトさんの外の顔の原型なのだろうか。
そういや俺の地元にもいたなあ、マセてるナルシスト。
伯爵「それにドン引きする女もいれば、コロリと落とされちまう女の子も少なくなかった」
伯爵の口調はやさぐれ者のようになっている。
伯爵「顔が良くて話術には長けていたからなあ……」
伯爵「隙あらばアルカディアの世話を他の使用人に任せて女の子に声をかけに行っていた」
伯爵「しかも、地位や財産が無いにも関わらず、貴族のご令嬢方にまで人気でな……」。
伯爵「それでもアルカディアは奴に懐いていた」
伯爵「ちくしょう」
ナハトさんは微笑んでご令嬢方と会話しているが、
どこかピリッとしているような気がした。
内心『ナハト』にキレてるんじゃなかろうか。
心配していた『ややこしいこと』とはこのことだったのかもしれない。
ご令嬢に囲まれては動きを取りづらいだろう。
令嬢1「お願い、私と踊って!」
令嬢2「どうか私と踊ってくださいまし!」
令嬢3「いいえ私と!」
勇者「ははは、なんて豪華な花束だ。抱きかかえてもこの腕から零れてしまう」
どうにかご令嬢の群れから抜け出したナハトさんに耳打ちされた。
勇者「これを利用して女性から情報を集めてくるからアストライア嬢を頼む」
なるほど、そういう手があったか。
舞踏会の時間になった。大公がいる場所を避けつつアストライア嬢に同行する。
伯爵娘「お姉ちゃんと踊りたかったのに……」
彼女はそう呟いていたが、
少し年上の顔立ちの整った少年からの誘いに応じて可愛らしく踊り出した。
メイド「ああ、やっぱりうちのお嬢様は最高ですわぁ」
俺は壁際でアストライア嬢から目を離さないようにしている。
アキレスはご令嬢方の誘いを上手く断り、魔法使いと踊っているようだ。羨ましいな。
俺もナハトさんと踊りたいけど、そもそも俺は踊り方を知らないし、
ナハトさんは男の格好をしているし、
仮にドレスを着てくれたとしても向こうのが遙かに身長高いから格好つかないし……。
世界から取り残された気分だ。
僧侶「吹っ切れたと、思ってたのにな……」
傭兵「まあ、若い内にいろいろ経験しとけ」
いつの間にかすぐ近くにアキレスの仲間達がいた。
今なら僧侶のエイルさんと仲良くなれるような気がした。気がしただけである。
俺は女の子との話し方なんてわからない。
「ゲーリング大公の城の西には立ち入り禁止の塔があるそうよ」
「恐ろしい魔物がいるって噂だわ……」
大公「エーデルヴァイス卿、先日の申し出については考えてくださいましたかな」
伯爵「社交の場に長らく顔を出してない男に娘を嫁がせるなぞ、話になりませぬ」
大公「だがもし断れば、貴公の親族に災いが降りかかることになりますぞ」
伯爵「ぐぬ……」
大公「もしレディ・アストライアが我が息子の花嫁となれば、」
大公「貴公は強大な権力と財力を手に入れることができる」
大公「悪い話ではないと思いますがね」
伯爵「……娘はまだ幼い。婚姻を結ぶには早過ぎる」
大公「良い答えを期待しておりますぞ」
伯爵「あ゛んのやろぉぉぉお゛お゛」
伯爵「十年経ったってあの家にアスティをやったりしないんだからああああ」
伯爵「そりゃ向こうは王家に次ぐ名家だよ!? でも評判の悪さヤバいんだよ!?」
伯爵は地団駄を踏んで悔しがっている。
伯爵「逆らったらエーデルヴァイス家を失脚させるつもりなんだよあいつぅぅぅ」
伯爵「奴に従わなかった貴族は尽く没落してるしいいい!!!!」
伯爵「うう……何でうちの娘が狙われなきゃいけないんだ……」
メイド「旦那様、勇者ナハトを信じましょう。きっと大丈夫です」
伯爵「うん、うん」
ナハトさんが一人の女性と二人で大広間を出ていくのが見えた。
その女性が、さっき大公の隣に座っていたご令嬢だったような気がしなくもない。
夜会が終わった。
伯爵「アスティィィィィィ」
伯爵娘「こんなところで抱き付かないでお父様」
伯爵「おひげじょりじょりしちゃだめ?」
伯爵娘「だめ」
勇者「お父様、か……君のお父様はどんな方なんだい?」
戦士「安い食器を作ってる無骨なおっさんです」
戦士「親父の作る皿は、見た目は雑なんですが割れにくいって評判で」
戦士「おかげでなんとか家族全員食わせてもらえてるような感じでしたね」
勇者「そうか」
勇者「私にとって、母様に仕えていた執事が父のような存在だったな」
伯爵「え?」
勇者「彼は母様が嫁ぐ前から母様に仕えていて、私の良き理解者でもあった」
伯爵は涙目になっている。
勇者「大公の魔力を読んだが、彼はかなりの罪悪感を抱えているようだ」
戦士「え?」
勇者「あの魔力は、やむを得ず悪事に手を染めている者の色だった」
勇者「家名のために他者を犠牲にできるような人間であることは事実だが、」
勇者「進んで人身売買等の犯罪を行う人間程の穢れは無かったんだ」
勇者「どのような理由で悪行を働いているのかを調べなければならない」
戦士「かっこよく潜入調査とかできたらって感じですね」
勇者「潜入ではないが、明日大公の城に行けることになった」
勇者「大公の娘の婿候補として」
戦士「え……婿候補?」
勇者「ああ」
戦士「誰がですか?」
勇者「私がだ」
戦士「えっ」
――翌朝
伯爵「ぐすん……」
伯爵娘「気をつけてね!」
勇者「今の内に剣から魔導石を外しておくんだ。城内では帯剣を許されないかもしれない」
――ゲーリング大公の城
元騎士「あ」
戦士「あ」
勇者「……」
俺はナハトさんを庇うように前に出た。
戦士「何でここにいるんですか」
元騎士「今ここで働いてんだよ。家庭を持った以上安定した職に就かねえと」
元騎士「大公のご令嬢が気に入った相手っておまえかよ」
勇者「……」
ナハトさんはゴミを見る目でディオさんを見ている。
大公娘「まあ、来てくださったのねナハトさん!」
勇者「やあ、レディ・ジークリンデ」
すぐに笑顔を作ったものの心の中は大荒れだろう。心配だ。
心が乱れていると魔術の精度が落ちてしまう。
元騎士「おっと、剣は預からせてもらうぜ。悪いな」
大公「よく来てくれたね、ナハト・フォン・レッヒェルン」
勇者「はい。お招きいただき誠に感謝しております」
大公「本日はゆっくりしていきたまえ」
大公娘「どのような旅をしてこられたのか、是非ともお聞かせ願えますかしら」
三人は表面上楽しそうに会話を始めた。しかし白々しさが漂っている。
――――――――
――
大公「我が息子は爵位を継ぐ気が無いようでね」
大公「婿養子に相応しい男を探しているのだよ」
勇者「ふむ。ご令息は現在どちらにいらっしゃるのでしょう」
大公「この城の自室に籠りっきりだ」
大公「その不肖の息子がアストライア嬢に興味を持っておってね」
大公「君からも是非伯爵を説得していただきたい」
勇者「ご令息はどのような理由でアストライア嬢に関心を持たれたのでしょう」
大公「アストライア嬢は幼いながらに気品がおありだ。評判の良さは類を見ない」
大公「そしてレッヒェルンの血を引いているとあっては放っておけるはずがない」
勇者「……レッヒェルンに拘りをお持ちのようで」
大公「なんせ、代々国境を護り善政を敷いていた格式高き一族だ」
大公「現在は魔の血により領土を失い、一族のほとんどが滅んでしまったが、」
大公「その名声はいまだ衰えることを知らぬ」
大公「君にも是非我が娘と婚姻を結んでほしいものだ」
勇者「しかし私は爵位も財産も受け継いではおりません」
勇者「婚姻を結んだところで政治的、経済的価値は生まれないでしょう」
大公娘「でも、私……他の殿方との結婚なんて考えられませんわ」
勇者「……あなた方がアストライア嬢を求めているのは何か他の理由でしょう」
大公「なっ……」
勇者「そうだ、昨晩この城に関する妙な噂を耳にしましてね」
勇者「立ち入りを禁じられている西塔には魔物がいると」
大公「な、なんの根拠も無いデタラメだ」
大公娘「そ、そのようなことは」
勇者「ではそこへ案内していただけるでしょうか」
大公「ぐ…………」
ナハトさんから微笑みが消えた。
勇者「……これまでどれだけの少女を犠牲にしてきたのですか」
勇者「アストライア嬢を解放していただきたい」
大公「なっ何の話だ! 彼女が今この城にいるわけがない」
さっきまで彼女は伯爵の城にいたはずだった。
勇者「彼女の魔力を感じます。西塔の魔物がどうやら彼女を誘拐したようですね」
大公「そ、そんなばかな! 待てと言ったのに!」
勇者「どれほど魔術で隠しても私の魔感力は誤魔化せませんよ」
勇者「……あなたのご令息は、既に手遅れです」
大公「我が騎士達よ! 勇者を殺せ!」
大公「隙を突いて静かに始末するつもりだったが……やむを得ぬ」
大公「伯爵が勇者に泣きついたであろうことは予測済みだったわ!」
どうやら、大公達は最初からナハトさんを殺すために敢えてこの城に招待したようだ。
勇者「ヘリオス君、西へ走るぞ!」
戦士「はい!」
勇者「こんなことだろうとは思っていたんだ」
ナハトさんが電撃で次々と騎士達を感電させていく。
多少力が不安定なようだが、先へ進むのに支障は無かった。
禍々しい空気を放つ西塔らしき建物を見つけた。
堅い木で作られた扉は固く閉ざされている。鍵が無いと開けられないようだ。
戦士「……ぉぉおおお!!!!」
魔導石経由で右腕に魔力を集中させ、思いっきり扉を殴りつけた。
だが魔法がかけられているらしく、一撃では完全に破壊しきることはできなかった。
戦士「ちくしょう!」
勇者「私がやる」
元騎士「おまえら暴れんな! 大公に歯向かうのはこの国を敵に回すのと同じだぞ!」
勇者「う゛っ」
ナハトさんの精神が乱れた。国を敵に回すのが怖いわけではない。
ディオさんが現れて忌々しい記憶が蘇ったせいだ。
戦士「俺達に歯向かったらおまえの股間を斬り落とすぞ! どっか行け!」
元騎士「……嫁さんごめん。俺、失職するかも」
……彼は背を向けて去っていった。
勇者「はっ……はあっ……ぁ……」
戦士「……ナハトさん、大丈夫です。落ち着いてください」
俺はアラゴナイトに魔力を宿し、ナハトさんに握ってもらった。
勇者「…………ああ。ありがとう」
勇者「君の魔力は、暖かいな」
ナハトさんが扉を破壊すると、塔の奥から異様なにおいが溢れた。
戦士「酒、と……何か薬のような…………」
勇者「……催淫剤だ」
ナハトさんの風魔術で臭気を飛ばしつつ、中に侵入した。
大公息子「誰だ……戸を壊したのは……」
奥の地下室には大公と似た容姿の魔族の男がいた。
数人の少女が檻に捕らわれている。
その内何人かからは生気を感じ取れない。……死んでしまっているようだ。
伯爵娘「うー! うー!」
アストライア嬢も手足と口を縛られて横たえられている。
勇者「貴様……!」
大公「待ってくれ! 息子を殺さないでくれ!」
大公「魔族になってしまっても、そやつは私の息子なのだ!」
戦士「どういうことだ……」
大公「……五年前、息子は魔族の女と関係を持ってしまった」
大公「瘴気に耐え、死にはしなかったものの……魔族となってしまった」
大公「私は息子を殺すことはできず、この塔に幽閉した」
大公娘「兄様……」
大公息子「親父ぃ……俺、強くなったんだぜ……」
大公息子「使い魔を召喚して、この子を連れてくることができたんだ」
大公息子「待ちきれなくてよぉ……評判通り可愛いなぁ……」
勇者「その子に触れるな! くっ……」
さっき吸い込んでしまった酒と薬の成分が身体に回ってきてしまったようだ。
ナハトさんは膝をついた。
大公「…………あれ以来息子は少女を抱かずにはいられなくなった」
大公「だが、どれだけの人数を用意しても少女達は瘴気に侵されて死んでしまう」
大公息子「あーひゃひゃひゃひゃ! ある時俺を犯した魔族の女が言った!」
大公息子「レッヒェルンの女ならきっと長持ちするってなあ!!」
勇者「…………」
大公息子「やぁっと手に入ったんだぁあああああ」
大公「……どうにかして少女を用意しないと、今の息子は何をしでかすかわからない」
大公「もう、こうするしか……」
勇者「……そうか。そういうことか」
ナハトさんはふらつきつつも大公の息子に近付いた。
大公「やめてくれ!」
大公娘「父様! ……もう、終わりにしましょう」
大公娘「あの頃の兄様は、もういないのよ」
大公息子「そんなフラフラなのに何ができる? 武器も持ってないくせに!」
勇者「一度魔族になった者が人間に戻る術はない」
彼女は隠し持っていたダガーで大公の息子の腹を刺した。
大公息子「あ゛っ……」
勇者「おまえは魔族の女から強姦されたのか? それとも誘惑に負けたのか?」
勇者「そうか、誘惑に負けたのか。ならば同情の余地は無い」
そして股間にダガーを突き立てた。
俺はアストライア嬢の元に走り、拘束を解いて彼女の目を隠した。
戦士「見ちゃ駄目です。耳も塞いでください」
ナハトさんは真顔で何度も攻撃を繰り返している。
勇者「そして幾人もの罪の無い少女を辱め殺し続けてきたのだな」
勇者「許せるものか」
大公息子「アギャアアアアオヤジ! オヤジ! ダズゲデグレエエエエ」
大公「うう……」
そして怒りを表情に出した。
勇者「よくも私の可愛い従妹を穢そうとしたな!!!!」
大公息子「オノレ゛エエ゛エエエ゛エエ」
勇者「恨むなら魔族を恨め!!」
ナハトさんが怒る時の表情は、いつも笑顔か真顔のどちらかだ。
これほど怒りを露わにした顔は初めて見た。
勇者「…………これで、終わりだ」
大公とその親族は起訴された。おそらく極刑か終身刑になるそうだ。
魔族化する前の大公の息子は、
小児性愛者という噂はあれど実際に少女に手を出してはいなかった……らしい。
魔族化すると、自分の欲望に逆らえない、本能のままに生きる獣と化してしまうそうだ。
彼が魔族化さえしなければ、大公達がこれほどの罪を犯すことも無かっただろう。
そう思うと後味が悪い。
伯爵「アスティィィィィ良かったよおおぉぉぉぉ」
伯爵娘「お父様あああ!」
メイド「良かったですわ、お嬢様……」
勇者「…………」
勇者「……これほど生まれてきたことを後悔した日は無い」
勇者「母様は、一体どのような気持ちで私を育てたのだろう」
戦士「……?」
ナハトさんは、虚ろな瞳で何かを呟いている。
戦士「え、えっと……」
伯爵「アルカディア、アルカディア!」
勇者「……エーデルヴァイス卿」
伯爵「ありがとう、本当にありがとう、君が助けてくれなかったら、今頃アスティは……」
勇者「…………」
ナハトさんはなんだか悲しそうだった。
――翌日
もう一泊、伯爵の屋敷に泊まることになった。
勇者「…………」
ナハトさんはぼうっとしながら、伯爵が用意したドレスを眺めている。
伯爵娘「お姉ちゃん、お兄ちゃん、昨日は助けにきてくれてありがとね」
伯爵娘「お礼にね、これあげる!」
そう言ってアストライア嬢から手渡されたのは、この国の焼き菓子だった。
戦士「あ、ありがとうございます」
勇者「……ありがとうございます、アストライア嬢」
伯爵娘「アスティって呼んでよぉ!」
伯爵娘「明日にはもう行っちゃうの?」
勇者「ええ」
伯爵娘「あのね、お父様ね、お姉ちゃんが来るのすっごい楽しみにしてたんだよ」
勇者「……そうですか」
メイド「あのドレス、お召しにならないのですか?」
勇者「…………男を喜ばせるような格好はしないと決めているんだ」
俺は、ナハトさんが髪飾りを髪に当てて鏡を覗いていたことを思い出した。
本当は着たい気持ちがあるんじゃないだろうか。
戦士「着るだけ着てみて、男に見せずに脱いでしまえば関係無いんじゃないですか?」
勇者「……!」
戦士「女の子って、男のためというより自分のためにお洒落したりしてますし」
勇者「それも、そう、だな……」
戦士「俺の妹も同級生もそんな感じでした」
戦士「俺あっち行ってますから」
メイド「お手伝いいたしますわ」
伯爵娘「やったーお姉ちゃんのドレス姿だあああ」
特にやることもないし、俺は廊下でぼけっとすることにした。
メイド「お化粧もいたしましょう」
勇者「い、いや、着るだけでいいんだ。時間もかかるだろう」
メイド「せめて薄化粧を。ウィッグもつけましょう。髪が長い方が似合いますわ」
勇者「……やっぱり私なんて、無駄に背が高いし、普通の女の子より肉付きも無いし」
メイド「自信をお持ちになってくださいまし」
伯爵娘「きれいだよお姉ちゃん!」
……見たかったなあ、ナハトさんのドレス姿。
メイド「アルカディア様がお呼びですよ」
戦士「え?」
メイドさんに呼ばれて部屋に戻った。
勇者「なあ……変じゃないか?」
戦士「あ……」
元々綺麗な人ではあったが、見違えるほど可憐になっていた。
だが不安そうな表情を浮かべている。
戦士「すごく、綺麗です」
勇者「そ、そうか」
彼女は照れて微笑んだ。
俺は彼女のドレス姿を見ることができて嬉しかったと同時に、寂しさも覚えた。
やっぱり彼女は上流階級の人で、俺とは別の世界の住人なんだなと思い知らされた。
戦士「……俺に見せて良かったんですか?」
勇者「君には、その……見てもらいたかったんだ」
戦士「……!」
勇者「じゃあ、もう脱ぐぞ」
メイド「もったいない……」
伯爵娘「もったいないー!」
もったいない。
――
――――――――
戦士「そういえばずっと気になっていたんですけど」
戦士「最初、俺に対して剣の面倒しか見ないって言ってたじゃないですか」
勇者「ああ」
戦士「なのに、どうしてこんなに面倒見が良いのかなって……」
勇者「……最初は、本当に剣の面倒しか見ないつもりだったのだが、その……」
勇者「……つい、母性本能が刺激されてしまって」
ああ、なんだ。やっぱり子供としてしか見られてないだけか。
変に期待をするのはよそうと、俺は心に誓ったのだった。
第十二話 詩歌
伯爵「……コーレンベルク卿は、激しく後悔しておられるようであったよ」
伯爵「何故もっと強く君を引き留めなかったのかと」
勇者「…………」
伯爵「そして、君が女性の心を殺し、男性として生きていることに胸を痛めておられた」
伯爵「私も君に女性としての心を取り戻してもらい、普通の令嬢として生きてほしかった」
ナハトさんは侯爵と会っていた頃よりも、女性らしい面を見せてくれるようになった。
でも、女性として暮らす日は訪れるのだろうか。
伯爵「だから美しく着飾り社交界に出て、恋の一つでも見つけられたらと……」
伯爵「……アルカディア」
勇者「叔父上、どうか御達者で」
伯爵娘「ほんとにもう行っちゃうの?」
伯爵「…………行っちゃうの?」
勇者「ええ」
伯爵「…………」
勇者「騎士団を用意しても無駄ですよ」
伯爵「……ぅ゛う゛え゛えぇええ゛ぇぇえ゛えええ」
伯爵娘「元気でね!」
泣き崩れた伯爵に礼をして北へ向かった。
――とある細い川のほとり
英雄「マリナと一緒に踊ってさ」
戦士「おう」
英雄「その後二人でバルコニーに出てさ。すごく良い雰囲気だったんだよ」
戦士「おう」
英雄「完璧なシチュエーションだと思ったんだよ。もちろん告白した」
戦士「おう」
英雄「フラれた」
戦士「……おう」
英雄「うぅっ……うっ……ふあああああああん」
戦士「この菓子半分やるよ」
アキレス達と進む方向が同じだったため、俺達は成り行きで同行することになった。
今は歩き疲れて休憩しており、二人で抜け出してきたのだ。
彼等のパーティは現在ものすごく気まずい雰囲気が漂っている。
英雄「『私なんかやめて綺麗な子見つけなさいよ』って」
英雄「ううぅうぅぅぅううううう」
英雄「マリナほど綺麗な子いないのにいいいいい」
その『綺麗』って、容姿のことじゃないんじゃ……と思ってしまった。
ナハトさんは、相手が処女か非処女かで目の表情が変わる。
また、同じ非処女でも、貞淑な人妻に対しては紳士的だがどこか子供っぽい眼差しを、
ふしだらな女性には冷ややかな眼差しを、
強姦の被害者には悲しみのこもった眼差しを向ける。
彼女はアキレス達とは距離を置きつつも、
僧侶のエイルさんには生暖かい眼差しを向けているが、
魔法使いのマリナさんのことは悲しげな目で見ていた。
……そういうことなのだろう。
戦士「こういう時って、胸が割れそうになるよな」
英雄「わがっでぐれるかああぁぁぁぁ」
皆の所へ戻った。
ナハトさんは、アキレスの仲間達と少し離れたところで木に寄りかかっている。
あくまで慣れ合うつもりはないらしい。
勇者「この頃は武力の行使以外の手段で享楽を得ようとする魔族が増えているらしい」
勇者「陰から糸を引いて人間を操ったり、少人数でいるところを狙って凌辱したりと……」
勇者「大公の息子のような魔族化した人間を操るのは稀かもしれないが、」
勇者「陰湿な事件が増えているのは嘆かわしいな」
傭兵「こいつにも載ってるぜ」
傭兵のダグザさんからナハトさんへ新聞が投げ渡された。
魔族が絡んでいると思われる凄惨な事件について記述されているが、
それよりも目が行ってしまう見出しがあった。
勇者「……なんだこれは」
『勇者ナハト 彗星の如く社交界に君臨
花を束ねるかのようにレディースの恋心を摘み去っていった』
勇者「…………くだらん」
ナハトさんのドレス姿を思い出した。
あの格好だと、アメジストの映像で見た血塗れの綺麗な女性とよく似ていた気がする。
社交界に出たら、きっと貴族の紳士達からも放ってはおかれないだろう。
……モヤモヤする。
だが、彼女のあの姿を見られた男はこの世で俺だけなんだと思うと嬉しかった。
魔法使い「あんた、随分弱くなったみたいね」
勇者「おや、そう見えるかい?」
魔法使い「魔力が分離しかかってドロドロになってるじゃないの」
魔法使い「まるで墨流しだわ」
勇者「はは、なかなか良い目を持っているね」
魔法使い「船の上で会った時は澄んだ冷たい夜空色だったのに、今は熱を帯びている」
勇者「まあ僕も一応人間だからね。こんな時だってあるさ」
魔法使い「ふ~ん……」
勇者「そんなに僕に興味があるのかい? 照れるね」
魔法使い「誤解を生みそうな言い方はやめてほしいわね」
英雄「勇者ナハトとばかり話して……」
戦士「落ち着け、落ち着くんだ」
ナハトさんは女性だと教えてやりたい。
……確かに女の人だよな? 俺の記憶違いとかじゃないよな? おっぱいあったよな?
『彼女』というより『彼』と呼んだ方が似合うけど女性のはずだよな?
これほど本来男に使うべき眉目秀麗という言葉が似合う女性は滅多にいないんじゃないだろうか。
ちなみに、俺からたまに難しめの言葉が出てきたとしたら、
それらは大体姉妹の恋愛小説から学んだ言葉である。
英雄「今日はここで一泊だな」
森に囲まれた、平和そうな村に到着した。
村の中央広場には噴水があり、人だかりができている。
吟遊詩人が歌っているらしい。美しい竪琴の音色と美声が響いている。
僧侶「アキレス様の詩のようですね」
英雄「なんか照れるな」
詩人「――――――――以上です。ありがとうございました」
少女「キャー! 素晴らしかったわ!」
村女「もう一曲歌ってくださいましオルフェウス様!」
詩人「では宵にでも、酒場で歌いましょう」
あの吟遊詩人はかなりの美形だ。だが俺には彼に対する激しい見覚えがあった。
戦士「…………七年間ずっと隣のクラスだったアポロン君じゃねえか」
詩人「……おやおや」
詩人「やればできそうな気がするのにいまいち伸びきらないヘリオス君じゃないか」
詩人「まさかこのような遙か北の地で同郷の者と再会するとは」
戦士「俺もびっくりだよ」
詩人「君は兵士になったとばかり思っていたよ」
戦士「おまえこそ、都会の上級学校に通ってるんじゃなかったのかよ」
詩人「ふっ……あまりにも窮屈な生活だったものでね」
詩人「休学して自分探しの旅に出たのさ。そしておまえ呼ばわりはやめてほしいね」
戦士「……オルフェウスって何だ?」
詩人「芸名だよげ・い・め・い。本名の輝きはあまりにも眩し過ぎるからね」
詩人「旅先で出会うあらゆる人々と親しみやすいであろう名前を考えた結果、さ」
どうでもいいが、ナルシストだったため地元でのあだ名はナルキッソスだった。
神話に登場する、ナルシストの語源となった人物の名前である。
詩人「おや、そちらの青年は…………!!」
彼はナハトさんを見て何やら衝撃を受けている。
詩人「な、なんということだ……そんな……そのようなことが……」
勇者「……?」
詩人「この私よりも美しい男がこの世に存在していたなんて!」
勇者「…………」
詩人「そんな馬鹿な……このようなことがあっていいはずがない……」
戦士「お、落ち着け」
戦士「ほら、あっちを見てみろ、おまえがさっき歌っていたアキレス本人がいるぞ」
詩人「何っ!?」
戦士「本人と知り合えば詩のネタもできるんじゃないのか」
詩人「むっ……君もなかなか……」
英雄「ど、どうも」
詩人「許せない……美しい男がこんなに……」
戦士「け、系統違うしそんな気にしなくても」
詩人「そうだね……勇者アキレスはよしとしよう」
詩人「だがそちらの青年」
詩人「君は私と似たにおいがする。放ってはおけないね」
勇者「どうも」
においとはナルシスト臭のことだろうか。
ナハトさんはアポロン君と違って天然のナルシストではないのだが、
『ナハト』として生きている結果ナルシスト臭くなっている。
どうしてそこまでなりきっているのだろう。
詩人「紺色の髪……そうか、君が勇者ナハトか。ふ~ん」
出た、アポロン君の般若顔だ。
アポロン君はあらゆる教科の成績が良かったが、
自分よりも良い点を取った男に対しては激しいライバル心をいだく奴だった。
ライバル視された奴は、その般若顔に長い間凝視され続けることとなる。
授業中だろうが掃除時間だろうが給食時間だろうがずっとだ。
俺も一度だけその顔で睨まれたことがあった。
体育の選択科目に剣術があり、その授業の成績だけはアポロン君よりも良かったのだ。
十分ほど見つめられただけで俺の精神が崩壊しかけたため、
「せ、せっかくの美しい顔が台無しだぞ」と言ったら少し治まった。
だが彼の口角は不満そうに左右へ伸びっぱなしだった。
ちなみに、彼の成績を上回らなくとも、
彼を「アポロン」と呼び捨てにするだけでその美しい顔は般若と化す。
だからわざわざ君付けにしているのである。
般若顔を見るためにわざと呼び捨てにして彼を怒らせる奴もいた。
詩人「ふ~ん。ふ~ん。……ふ~~~~ん??」
彼はナハトさんを見下そうと必死に顎を上げて背を反らせているが、
ナハトさんの方が身長が高いのでどうしても見上げる体勢となっている。
よく見たらアポロン君はかなり厚底のサンダルを履いている。よくあれで歩けるな。
詩人「君、学歴は?」
勇者「無いよ。家庭教師に教えてもらっていたからね」
詩人「なっ……勇者ナハトが貴族出身という噂は本当だったのか……?」
詩人「……どちらがより優れた男か証明しようではないか。勝負だ」
ナハトさんがこんなくだらない挑発に乗るわけが……
勇者「いいだろう」
戦士「えっ」
なんで楽しそうなんだ。ナハトさんはとてもにこやかだ。
勇者「腕比べの内容は君が決めたまえ」
詩人「ほう、よいのか?」
勇者「作詩でも歌でも構わないよ。君の得意な分野を選ぶといい」
詩人「ふ~ん? 詩人に歌と言葉で勝てるとでも?」
勇者「言葉遊びや歌唱には自信があってね」
何故か駄洒落大会が始まったので、俺は宿の部屋を借りにその場を去った。
彼等はその場に集まっていた村人達に評価を委ねているようだ。
歓声や拍手の音が聞こえてくる。
――酒場
勇者「いやあ、楽しかったよ」
戦士「どっちが勝ったんすか」
勇者「盛り上がっていく内に勝敗はどうでもよくなっていってね」
勇者「最後には互いの実力を認め合って友情が芽生えたよ」
戦士「ああ……そっすか……」
俺達は酒場に来ている。酒を飲みに来たわけではない。
この村の飲食店がここだけだったのである。宿も食事付きではなかった。
アキレスの仲間達もいるが、僧侶のエイルさんは見当たらない。
少し遅れてアポロン君が入ってきた。
詩人「歌いに来たのだが、同郷の者がいると集中できないね」
詩人「コルマの福音書、6章4節を知っているかい」
戦士「知るわけねえだろ」
詩人「『預言者郷里に容れられず』どれほど優れた人物であっても、」
詩人「幼少期から身近にいた者からは普通の人間としてしか見られない」
詩人「君の存在により私の神秘的さが薄れてしまうのだよ」
戦士「あーあー勝手に言ってろよ」
彼の綺麗な面しか知らない人物に、
彼が調理実習でニラと間違えて水仙の葉を持ってきたことを話したらイメージが崩壊するだろうな。
水仙は毒草なので決して食べてはいけない。
更に、そのような騒動を起こしたにも関わらず、彼は
「皆ナルキッソスナルキッソス言いやがって。開き直ってナルキッソスになってやろう。
どうだ、この花が似合うか」と言って、ナルキッソスの象徴である水仙の花を咥えた。
その結果見事水仙中毒を起こし、病院行きとなったのである。
その時のことは、完全に恥ずかしい過去として闇に葬られているだろう。
詩人「君は私と同じ太陽神の名を持っているが、少しは輝けるようになったのかね」
勇者「なったね」
戦士「え?」
勇者「魔力で光れるようになったじゃないか」
詩人「何っ!?」
戦士「ああ……炎は出せるようになったな」
詩人「君に魔法の才能があったとはね。ふ~ん」
戦士「その顔で睨むのはやめてくれ……そろそろ歌ったらどうだ」
アポロン君の歌い声は素晴らしい。
素の性格さえ出さなければ、ただの美形の神秘的な吟遊詩人である。
勇者「僕も歌っていいかな」
お互い知っている歌があったらしく、彼等は二重唱を始めた。
ナハトさんは一体何処からあんなに低い声を出しているんだ。
いつか女性らしい声で歌っているのも聞いてみたい。
……俺以外の男と一緒に、ナハトさんが歌っている。
歌は素晴らしいが、その状況に耐えられなくなって俺は酒場から出た。
丘に登って寝ころんだ。月が綺麗だ。……どうにかして心を落ちつけたい。
クラスのあの子可愛いな……と思ったことくらいはあったが、
これほど誰かのことを好きになるのは生まれて初めてだ。
彼女の一言一言を過剰に解釈してしまいそうになる。
優しい言葉をかけられる度に期待しかけ、
「そういう気遣いは全て母性から来るものなんだ」
とすぐに自分に言い聞かせなければならない毎日だ。
頭がぶっ壊れそうになる。
……あの人、魔力から人の情報読み取るの得意だったよな。
もしかして、俺があの人のことが好きだっていうのバレてるんじゃ……。
いや、何でもかんでも読み取れるわけじゃないみたいだし、バレてないかもしれない。
でもバレていたらどうしよう。
怖気が立った。
いっそ好きだって吐き出してしまえば楽になるんじゃとも思ったが、
これ以上あの人の心を乱しかねないことはしたくないし、
アキレスの様子を見る限り、吐き出しても苦しいことには変わりないだろう。
なら気持ちが落ち着くまで距離を置けばいいのだろうか。
それはそれで、以前のように彼女を不安にさせてしまうかもしれない。
どうすればいいんだ。
僧侶「あら……」
戦士「あ……どうも」
アキレスに想いを寄せているエイルさんだ。
明るい金髪が月明かりに照らされている。
僧侶「…………」
戦士「…………」
き、気まずい。彼女と会話したことはないんだ。
だが、以前の俺ほど女性に対して無差別に緊張することはなくなっていた。
僧侶「ヘリオスさんは、アキレス様と仲がよろしいようで……羨ましいです」
戦士「あ、まあ……歳の近い男同士だしな」
僧侶「…………不思議なほど、明るい夜ですね。悲しみを全て吸い上げてくれそうです」
戦士「えっと……風も気持ち良いよな」
僧侶「ええ」
戦士「……なあ、胸の痛みに効く法術とかってないのか?」
僧侶「痛みの種類によりますが、いくつかありますよ」
僧侶「痛いのは食道ですか、肺ですか、それとも他のところですか」
戦士「あ゛……えっと……」
僧侶「恋の痛みなら、癒せませんわ」
戦士「う……そうか」
顔が熱い。多分赤面したせいで痛みの原因がバレたのだろう。
僧侶「どのような石に頼っても、燃え上がる熱情を冷ますことはできませんでしたもの」
僧侶「あなたの想い人は、どのような方ですか」
戦士「その……凛々しくて、俺よりずっと大人で……でも、弱い面もある人だ」
僧侶「そう、ですか。きっと素敵な方なのでしょうね」
多少恥ずかしかったが、エイルさんからの質問に答える形で恋の話をした。
その後は彼女の想い人の話も聞いた。
彼女は、アキレスがマリナさんに告白して振られたことを知っているようだった。
僧侶「あなたは、暖かい方ですね。アキレス様が頼るのもわかります」
戦士「そうか。俺も胸の内を君に吐き出せて少し楽になったよ」
姉妹やナハトさん以外の、歳の近い女の子とこんなに話をしたのは初めてかもしれない。
戦士「そろそろ宿で休まないとな。明日も歩くし」
俺達は宿に行く前に酒場に戻った。
勇者「……!」
案の定ナハトさんが酒のにおいだけで酔っていた。
勇者「ヘリオス君……戻ってきてくれたのか……」
戦士「こんな時、あなたに肩を貸すのは俺ですから」
詩人「驚いたよ、空気で酔うなんて」
彼女が突っ伏している机にはたくさんのコインが置かれていた。
勇者「歌で稼ぐなんて久々だったよ……」
歌で金を稼いだことがあったのか。道理で上手いわけだ。芸は身を助くって言うもんな。
詩人「おかげで私も儲かった」
詩人「是非とも彼とはコンビを組みたいね。語彙力作詩力歌唱力全て文句無しだ」
戦士「なっ……ナハトさんは俺の師匠だ。アポロン君にはやらねえぞ」
詩人「さすらいの詩人オルフェウスと呼んでくれたまえ」
英雄「えっと……」
僧侶「さあ皆さん、そろそろ眠りましょう」
英雄「あ、ああ」
ナハトさんに肩を貸して宿に向かう。
勇者「随分、たくましく……なったものだね……」
勇者「いつの間に……こんなに身長差が縮まっていたんだい……」
戦士「成長期ですからね」
勇者「なあ、彼女と……仲良くなったのか……?」
戦士「え、ええ……一応……」
勇者「そうか……女性に免疫の無かった君が、成長したものだ……」
戦士「……どれもこれも、あなたのおかげですよ」
……これだけ近くにいても、心が繋がらない事実に胸が押し潰されそうになった。
――宿
田舎の宿であるため、旅人は大部屋一室で寝ることになる。
だがベッドが一台足りなかった。
詩人「この麗しき詩人オルフェウスと共に眠りの世界へ往かんとする乙女はおらぬか」
勇者「妻ではない女性と同じ寝台で寝ようとする男なぞ、」
勇者「一生勃起不全になればいいと思うのだよ」
詩人「!? じょ、冗談で言っただけです」
彼はナハトさんの言葉に恐れを覚えて畏まっている。
戦士「俺床で寝ますから」
僧侶「マリナ、一緒に寝ましょ!」
魔法使い「え? いいけど……」
英雄「…………」
好きな男の好きな女の子と仲良くできるなんてエイルさんすげえ……って思った。
聖職者とか関係なく本当に聖女だ。
というかアポロン君は女性と同じ布団に入って理性を保つことができるのだろうか。
女慣れしているし添い寝くらいは平気でできるのかもしれない。
まあ、ナハトさんが仲良くなったくらいだから童貞ではあるのだろうが。
俺だったら理性が保つかどうか以前に、その状況に耐えられず逃げ出すだろう。
――翌朝
英雄「いろいろ心配であまり眠れなかった……」
戦士「ああ……今日はあんま無理すんなよ」
詩人「昔から気になっていたのだがね」
戦士「なんだよ」
詩人「君は私と違って女兄弟が何人もいるのに、何故私よりも女慣れしていないのかい」
戦士「ほっとけ」
そう言うと彼は外へ出ていった。呼吸をするように人を見下す奴だがもう慣れた。
そういえば義務教育生だった頃、こいつは俺に
「僕は姉が欲しかった。君のお姉さんの名前は、神話においてはアポロンの姉妹の名だ。
ならば僕の姉も同然だから一日貸してくれ」と言った。
俺は「連れていけるものなら勝手にしろよ」と返した。
潔癖症の姉は女子に声をかけまくっているナルシストのアポロン君を毛嫌いしていたため、
彼は見事返り討ちに遭って泣きべそをかいていた。
戦士「……ナハトさん」
勇者「ん?」
戦士「こいつ、わりと女好きですけどナハトさんの嫌いなタイプとは違うんですか?」
勇者「彼は、女性からの注目を集めるのが好きというだけで、」
勇者「貞操を奪うようなことは好んでいないようだからね。セーフなんだ」
……なるほど。
勇者「僕と趣味も合うから楽しいし、」
戦士「っ……」
勇者「それに……普段と違う君を見ることができて僕は嬉しいよ」
戦士「え……? 俺、普段と何か違いましたか?」
勇者「昔馴染みと話す時の君は、いつもよりぶっきらぼうで可愛いんだ」
戦士「…………」
可愛い……か。
俺を見てくれていることが嬉しいようなでもなんだか残念なような。
外から琴の音と歌声が聞こえてくる。
朝っぱらからアポロン君もとい詩人オルフェウスが歌い出したらしい。
――遙か古の文明が産みたまいし七つの宝珠
――情熱の如く燃え上がる鮮血 アントラクス
――……
――…………
朝日に照らされて歌っている様は正に詩神のようだ。
白い小鳥も歌を聴きに集まっている。
――葡萄酒の涙で染まりし玻璃 アメスィストス
だが、俺は彼の素の面を知っているのでいまいち見入ることができないし、
歌詞もあちこち理解できない。
――揃えば世には清らかなる光の粒が湧き溢れ
――総てが浄化されし理想郷が再誕す
――おお 処女神が駆けた地アルカディア 失われし楽園よ
詩人「君達はもうこの村を発つのかい」
詩人「この森を抜けようとした旅人が次々と行方不明になっているらしい」
詩人「発見されたとしても、魔族の瘴気で汚染されてしまっているそうだ」
詩人「勇者達には余計なお世話だろうが、まあ気をつけるんだね」
戦士「おまえこそ気をつけろよ、一人旅だろ」
詩人「ああ、そうだね……私の美しさは魔族に狙われてしまうかもしれない」
詩人「魔族で脱童か……」
戦士「……心配して損した気分だ」
詩人「そうだ、君の様子を見ていて思ったのだが」
奴は俺の耳元でこそこそ話を始めた。
戦士「なんだよ」
詩人「君ってそっちのケの人だったのか?」
戦士「は?」
詩人「男が好きなのかい?」
戦士「ちげえええよ!!!!」
不安を感じつつも俺達は森に入った。
今日も今日とてあちこち切ない。
続き
勇者「やっぱり処女は最高だね」戦士「え?」【後編】