8月17日 朝 秋葉原駅
「岡部、頑張って」
「……元気で」
その弱々しい岡部の声を聞いて、私は耐えきれずに泣き出しそうになってしまった。
それを必死に堪え、無理矢理に笑顔を作り岡部に見せたあと改札へと歩き出す。
岡部はその場から動かず、ただ見送るだけだった。
本当は、今すぐ駆け寄ってきて「行くな」と引き止めて欲しい。
抱きしめて「そばにいてくれ」と言って欲しい。
でもそれは許されないことだから。私たち二人が決めたこと。
まゆりを助けるために。岡部を救うために。
ありがとう、岡部。私は、もうあんたには会えない。
私は、消える。この世界線に、取り残される。
岡部との距離が少しずつ離れていく。そのとき、声が聞こえた。
「俺は……」
「牧瀬紅莉栖のことを。牧瀬紅莉栖の温もりを」
「絶対に、忘れない……!」
(……全部、聞こえてるっつーの)
やっぱり岡部は馬鹿だ。そんなことを言われたら、泣きそうになるに決まってる。
いや、もう既に私は泣いていた。岡部に背を向けた時から、ずっと。
そこにとどめを刺したのは、私の大切な人の震える声だった。
気付かれてはいないだろうか、それだけが少し心配だった。
もう二度と、会うことはない。私と岡部の世界線は、交わることはない。
岡部に会えて、よかった。岡部がいてくれて、幸せな時間を過ごすことができた。
ありがとう、愛しい人。さよなら、愛しい人。
そのまま秋葉原駅の改札を通り、空港に向かう路線のホームへと進む。
ホームに着いた時、ちょうど電車が来たところだった。
それでも、私はその電車には乗らなかった。次の電車も、その次のも。
私はそのままホームの端に行き、一人俯いて立っていた。
他の誰にも泣き顔を見られないように、誰にも声を掛けられないように静かにそうしていた。
気付けば通勤客でホームはいっぱいになっていた。
それだけの時間をこの場で過ごしてしまっていた。
その時間で私は、とても単純な欲望についてずっと考えていた。
もう一度、岡部に会いたい。
いつの間にか足は動いていた。人ごみをかいくぐり、すぐに改札に戻って来た。
駅員に忘れ物をしたと言い改札を抜け、目的地へと走り出した。
目指すのは思い出がたくさんある場所、大切な人がいる場所。
電話もせず、ただ私は走っていた。もし突然私が現れたら驚くかもしれない。
それと同時に、未練を強くさせてしまうかもしれない。
でも、そんなことはどうでもよかった。岡部に会いたい、それしか考えられなかったから。
体力のない自分がどうして夢中になって止まらずに走ることができたのか。
その答えは分からないが、今はこうしてラボの前にいる。
部屋の窓が少し開いている――誰かいる。こんな朝早くからいるのは、一人しかいない。
誰かに声を掛けられた気がしたが、気にせず階段を駆け上る。
そこには、岡部がいる。私の大切な人がいる。
私はドアを開けようとノブに手をかけた。そして思いっきり開けようとした。しかし、
「あれ……? 開かない……岡部! そこにいるんでしょ?」
「情けないけど……このまま離れるのは嫌だから戻って来た。だから、ここを開けて」
その問いに反応はなかった。無視している? まさか、恥ずかしいとか思っているのだろうか。
「岡部、お願い。どうしても会いたくなった、だから……」
その言葉を遮るように、部屋の中から物凄い音が聞こえてきた。
この音、この揺れは、間違いない。
「電話レンジを誰かが使っている……? 岡部! なにをしてるの!?」
その言葉にも反応はなく、揺れは続く。
ぐにゃりと景色が歪んだ気がした。自分が揺れているような感覚、
視界に入るものが二重三重にも分散して、また色が失われて。
この感覚は、いったい――
紅莉栖「……っ! いったいなにが……」
紅莉栖(急にくらっとしたと思ったら視界が歪んで……そのまま)
紅莉栖(今はなんともない……なにが起きたのか分からない)
紅莉栖(とりあえず、もう一度ラボに……あれ?)
紅莉栖(ここは……ラボじゃない。今私がいるのは……)
紅莉栖(ベッドがある、それにこの部屋の雰囲気は……ホテルみたいね)
紅莉栖(……でも、私が泊まっていたホテルとは違う)
紅莉栖(いつの間に移動した? 意識を失っていたってこと?)
紅莉栖(そんなはずは……ともかく、現状を把握しないと)
数分後
紅莉栖(手帳を見る限りは、私は日本に講演、講義、それに視察で来た……らしい)
紅莉栖(それ自体はあまり変わりはない。でも、明らかに変わっている)
紅莉栖(……記憶障害? 私が? そんなことがある訳……ん?)
紅莉栖(電話……誰からだろう。とりあえず、今の状況では出た方がいいか……)
紅莉栖「もしもし、どちら様ですか?」
教授『牧瀬博士、私です。東京電機大学の教授の○○です』
紅莉栖「……ああ、七月の終わりに講義した時の」
紅莉栖(岡部を徹底的に論破してやった時のアレね……もうずいぶん前に感じるけど)
教授『本日アメリカに帰国されるということで、改めてお礼を申し上げようと思いまして』
紅莉栖「そ、そうですか……わざわざありがとうございます」
教授『今後ともあなたのご活躍を願っております。また日本に来る機会があればご連絡くださいね』
紅莉栖「ええ、そうさせてもらいます。それでは、またいつか」
教授『はい、失礼いたします。お気をつけて』
紅莉栖(帰国することは岡部しか知らないはず……それなのに)
紅莉栖(……違和感、なにかがおかしい気がする。とりあえず今は)
紅莉栖(ラボにもう一度戻って……岡部に会おう)
紅莉栖(……もともとはそのつもりでラボに向かったんだから、今更迷う必要はないわよね)
ラボ前
紅莉栖(暑い……ホテルから距離があったから途中でタクシーで来ちゃったけど)
紅莉栖(……そんなこと言ったら、また岡部にセレセブとか馬鹿にされそうね)
紅莉栖(セレブじゃないって言ってんのに、つーかセブンティーンでもないっつーの)
紅莉栖(……もし、もう少しだけ早く知り合えてたら、岡部に誕生日祝ってもらえたのかな)
紅莉栖「って、そんなこと考えてる場合じゃない! 私は岡部に会いに来た……よし!」
紅莉栖(この階段を上れば、もう一度岡部に……)
「おう、どこに行こうとしてんだ、あんた」
紅莉栖「へっ!? こ、この声は……店長さん?」
天王寺「確かに俺はブラウン管工房の店長だが……それよりもあんた、どこへ行こうとしてんだよ」
紅莉栖「ど、どこって……ラボですけど」
天王寺「ラボぉ? んなもんウチの上にはねえよ。なにと勘違いしてんだ?」
紅莉栖「えっ……? なにを言ってるんですか。ラボですよ、正式には未来ガジェット研究所」
天王寺「それはコッチの台詞だ、その未来ナントカはこのビルにはねえんだ」
紅莉栖「冗談、ですよね? だって、上には岡部や橋田やまゆりが……」
天王寺「岡部? んー……悪いが、知り合いに岡部なんてヤツはいねえな」
紅莉栖「そんな……か、確認させてください! 上の部屋を見せてください!」
天王寺「別にいいけどよ……本当になんもねえぞ?」
紅莉栖「……お願いします。そんなはずは……ないんです」
天王寺「わかったわかった……今鍵を持ってきてやる、ちょっと待ってろ」
ラボのドアの前
天王寺「じゃ、開けるぞ。……よっと」
紅莉栖(中に入れば、岡部や橋田やまゆりが……えっ?)
紅莉栖「なにも……ない」
天王寺「言ったじゃねえか、なんにもねえってよ」
紅莉栖「嘘……嘘よ! こんなことがあるはずない!」
天王寺「落ち着けって。ここは前から空き部屋だ、しばらくは誰も入ってねえんだ」
紅莉栖(机も、ソファーも、橋田の使ってたPCも)
紅莉栖(電話レンジも……タイムリープマシンも……なにも、ない)
紅莉栖(ラボが……消えた)
紅莉栖「そんな……なにかの間違いだ……有り得ない」
天王寺「お、おい、大丈夫か?」
紅莉栖「……店長さん、ここに岡部倫太郎という人物が来たことは」
天王寺「さっきも言ったが、岡部って知り合いはいねえんだ……。もしかしたら、俺が忘れてるだけかもしれねえけど」
紅莉栖「そうですか……ありがとうございます、ご迷惑をおかけしました」
天王寺「俺はいいんだが……あんたの方は大丈夫か? 顔色悪くなってんぞ……」
紅莉栖「大丈夫です……失礼します」
天王寺「あ、ああ、なにかあったらまた来てくれ」
外
紅莉栖(どうして……どうしてラボは消えてしまったの!?)
紅莉栖(つい二時間前まで私はラボに入ろうとしていた……それなのに)
紅莉栖(ラボはない、店長さんは岡部のことを知らない……岡部にも会えない)
紅莉栖(……いや、一度落ち着かないと。冷静さを失ってしまってはなにもできない)
紅莉栖(急に世界が変わった、私の知らない内に……あれ?)
紅莉栖(この状況、似てる。……岡部の体験した、世界線の移動)
紅莉栖(急な変化に驚き、自分だけが異質な記憶を持つ……岡部はそれを)
紅莉栖「リーディング・シュタイナーと呼んでいた……それなら、今の状況は」
紅莉栖「……岡部だ。今は岡部に会わないとどうしようもない」
紅莉栖(別に直接会いに行かなくても、電話でコンタクトを取ってそれから会えばいい)
紅莉栖(この状況に関しても岡部はきっとなにか知っているはず。……出なさいよ、岡部)
紅莉栖(……! 繋がった!)
紅莉栖「もしもし! 岡部!? 実は」
『お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません。お客様のおかけに――』
紅莉栖「……えっ? な、なにか間違えたのかしら……気が動転してるからね」
紅莉栖(もう一度、岡部の番号に……)
『お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません。お客様のおかけに――』
紅莉栖(……見間違えでもない、押し間違えてもいない。それはつまり)
紅莉栖(岡部の電話番号が……違う番号になっている)
紅莉栖「そ、それならメールで! きっとメールなら届くはず……」
紅莉栖(岡部、岡部……あれ? アドレス帳に登録されてない……?)
紅莉栖「……他の人、まゆり……ない。橋田も……ない」
紅莉栖(……アドレス帳の中身も違う、メールボックスの中身も違う)
紅莉栖(覚えている番号は岡部のだけだし……携帯でコンタクトを取るのは、不可能)
紅莉栖(やっぱり、直接会いに行くしかない……でも、ラボは存在しない)
紅莉栖(岡部や他のラボメンにも会える場所、それがあれば……)
紅莉栖(……あっ、あった。あそこに行けば、誰かに会えるはず――)
メイクイーン+ニャン2
紅莉栖(ここに自ら進んで行く日が来るとは思わなかったわ……)
紅莉栖(そんなこと考えてる場合じゃないわね。……ともかく中に)
「お帰りニャさいませ。お嬢様♪」
紅莉栖「フェ、フェイリスさん! よかった、やっとラボメンに会えた……」
フェイリス「ニャニャ? フェイリスに会っただけでそんなに喜んでくれるなんて嬉しいニャン♪」
紅莉栖「ええ、まさかあなたに会えてこんなにホッとするなんてね……」
フェイリス「お一人様ニャン? 初めてみたいだから色々説明した方がいいですかニャ?」
紅莉栖「……そう、私とあなたが会うのはこれが初めて」
フェイリス「ニャ!? まさか、悠久の刻を越え、再び導かれた……」
紅莉栖「席、適当に座るわね。どこか空いてる席は」
フェイリス「ニャー……もうちょっとノって欲しいニャン」
紅莉栖(ここに来ればきっと……予想通りね)
紅莉栖「すいません。ここ、座っていいですか?」
ダル「ぬおっ!? ぼ、僕との相席を希望するってことでよろしいか!?」
紅莉栖「ああ、先に言っておきますけど好意とかそういうのじゃないですから」
ダル「なんだお……てっきりフラグが立ったのかと思ったのに」
紅莉栖「……その感じからして、私のことは知りませんよね」
ダル「そりゃ僕なんかが素敵な女の人と知り合いになるスキルなんて……ん?」
紅莉栖(店長さんやフェイリスさんの感じから、ある程度は予想できたけど……)
紅莉栖(実際、橋田にまで知らないって言われるのは……ちょっとショックね)
ダル「あの、もしかして……というか間違いなく牧瀬紅莉栖さん、だと思われるのですが」
紅莉栖「へっ? あ、あなた、私のことを知ってるの!?」
ダル「もちろんですとも。牧瀬氏の講義……僕もタイムマシンに対する考えを改めざるを得なかったので」
紅莉栖「ああ……そういうことですか。でもあの時は講義というよりはディスカッションの方が近かったですね」
ダル「いや、牧瀬氏が大体喋って時折質問に答えるとかそんな感じでしたけど」
紅莉栖「……? だって、あの時は岡部が私に突っかかって来て」
ダル「岡部? そんな学生いたっけ……」
紅莉栖「ちょ、ちょっと待って。岡部ですよ、岡部倫太郎。あなたの友人でしょう?」
ダル「んー、僕の友人にはそんな名前の人物は……」
紅莉栖「えっ……?」
紅莉栖「岡部倫太郎を……知らないんですか?」
ダル「岡部……岡部倫太郎……あっ、思い出したお」
紅莉栖「ほ、本当!? 教えて、岡部はどこにいるの!?」
ダル「いや、教えてと言われても……ただ高校の時にクラスが同じだってだけで」
紅莉栖「そこであなたたちは仲良くなって……」
ダル「仲良く? あるあ……ねーよ。いや、敬語ならないですよって言った方が?」
紅莉栖「敬語でもタメ語でも何でもいいから教えて!」
ダル「わ、分かったお。岡部倫太郎ってのは僕とは対照的な人物だった訳で」
紅莉栖「対照的な人物?」
ダル「僕が非リアにたいしてあっちは超リア充。ルックス良し、彼女アリ、人気者って感じで……うわっ、思い出しただけでも鬱になりそうな件について」
紅莉栖「お、岡部がリア充!?」
ダル「そんな訳で僕と岡部倫太郎は接点なんてほとんどありませんでした、以上」
紅莉栖「あ、有り得ん……あの岡部がリア充なんて……」
ダル「つーか牧瀬氏、リア充とかそういう言葉の意味が分かるとは……もしかして」
紅莉栖「ねらーじゃないから! って今はどうでもいいわ……じゃあ、岡部の連絡先とかは」
ダル「リア充の電話番号なんて持ってる訳ないお」
紅莉栖「でも、同じ大学で同じ学年なんじゃ……」
ダル「同じ大学? いや、あっちはたしか文系だったからそれはないと思われ」
紅莉栖「そんな……」
紅莉栖(……リア充で文系とか、私の知っている岡部とは全然違う)
紅莉栖(間違いない……世界は改変された。その結果、この世界の岡部が生まれてしまった)
ダル「とりあえず、岡部倫太郎について僕が知ってるのは以上だお」
紅莉栖「ええ……ありがとう、橋田さん」
ダル「あれ、僕いつの間にか名乗ってたんだ……全然覚えがない件について」
紅莉栖(橋田は繋がりなし……それなら、もっと深い繋がりを持つ人に)
フェイリス「ダルニャ~ン、ついに春が来たのかニャ?」
ダル「……僕は三次元とは決別した男、いつまでも変わらずフェイリスたん命!」
紅莉栖(……フェイリスさんは三次元じゃないのか?)
フェイリス「二人の会話がヒートアップしてたから、注文を取るタイミングがなかったニャン」
ダル「たった今ヒートエンドしたとこなのだぜ」
紅莉栖「……ええ、そうね。あっ、なにか飲み物をもらえるかしら。できればアイスコーヒーとか」
フェイリス「かしこまりましたニャ♪ 今すぐお持ちいたしますニャーン」
ダル「はあ……フェイリスたんマジ天使」
紅莉栖(……こうやって見ると、本当に世界が変わったのか疑わしくなるわね)
フェイリス「お待たせしましたニャ。アイスコーヒーになりますニャン」
紅莉栖「ありがとう。えーっと、砂糖は……」
フェイリス「お待ちくださいニャ。ガムシロップとミルクを入れて」
紅莉栖「あっ、ちょっと別に私は……入れちゃったしもう遅いか」
フェイリス「まーぜまーぜ……まーぜまーぜ」
紅莉栖「……どうして目を離さないのかしら」
ダル「出たー! フェイリスたんの必殺技、目を見てまぜまぜー!」
紅莉栖「必殺って、誰も死なないでしょうが」
ダル「僕がキュン死するので」
紅莉栖「……はあ」
紅莉栖(本当はもっと焦るべきなのに……変わらない人に会うと、流されそうになってしまう)
紅莉栖(岡部、あんたは変わってなんかいないわよね……?)
紅莉栖「フェイリスさん、ちょっと聞きたいことがあるのだけど」
フェイリス「ニャ? 聞きたいこと? スリーサイズは秘密ニャン♪」
紅莉栖(誰も知りたくねえっつーの)
ダル「ウヒョー! フェイリスたんの秘密、僕気になります!」
紅莉栖「橋田さん、ちょっと黙ってて」
フェイリス「で、フェイリスに聞きたいことってなにかニャ?」
紅莉栖「このお店に、椎名まゆりという女の子が働いていますよね。その子に会いたいんですけど」
フェイリス「椎名まゆり? ニャー……そんな名前の子は働いてないニャン」
紅莉栖「働いて、いない? そ、そんな……たしかにこのお店には椎名まゆりって女の子が!」
フェイリス「……じー」
紅莉栖「えっ? 急に黙ってどうしたんですか……」
フェイリス「……じー」
紅莉栖(目を見られている……? でも、そんなことしていったいなにが……)
フェイリス「うーん、本気で言ってるみたいだニャ……でも、こっちも本当に知らないニャン」
紅莉栖「そうですか……椎名まゆりは、このお店にいないんですね」
紅莉栖(岡部もまゆりもほとんど手掛かりなし……これは会うまでに時間がかかりそうね)
ダル「牧瀬氏、その椎名まゆりって……もしかしてコスプレ衣装作るの得意だったりする?」
紅莉栖「えっ? ……ええ、その通りだけど」
ダル「トゥットゥルー、っていう変わった挨拶とかしたりする?」
紅莉栖「ええ、するわね。トゥットゥルーって」
ダル「それでいつも同じ帽子かぶってたりする?」
フェイリス「それはダルニャンも一緒ニャン」
紅莉栖「たしかに帽子はかぶってるけど……もしかして、まゆりのことを」
ダル「まゆ氏のことなら知ってるお。何度も会った訳じゃないけど」
紅莉栖「ほ、本当!?」
ダル「何度かコミケで話したことがあって、それで知り合ったって訳」
紅莉栖「連絡先は? まゆりの電話番号は知ってるの?」
ダル「えーっと、たしかまたコミケで会えるかもってことで交換したはず……」
紅莉栖「そんな簡単に交換して大丈夫なのかしら……」
ダル「いや、僕が何度か衣装を褒めたら次も頑張るから見に来てねー、って感じで」
紅莉栖「ああ……まゆりらしいわね」
ダル「まっ、まゆ氏に手を出すとかそんなふしだらなことは考えないお」
紅莉栖「へえ、ずいぶん紳士的じゃない」
ダル「だって僕はフェイリスたん命!」
紅莉栖「連絡先、早く教えてもらえる?」
ダル「……牧瀬氏の目が怖い件について。えっと、あっ、あったあった」
ダル「ほい、番号を変えていなければこれで繋がるはず」
紅莉栖「ありがとう。……さすがに外で電話した方がいいわよね」
ダル「それは間違いないと思われ」
紅莉栖「そうだ、橋田さん。あなたの連絡先も教えて欲しいのだけど」
ダル「僕の連絡先? ま、まさかやっぱりフラグが」
紅莉栖「……立たないって言ってるでしょうが。まあ、連絡を取ることはあるかもしれないけど」
ダル「じゃ、とりあえず交換するってことでFA?」
紅莉栖「ええ、そうしておきましょうか」
紅莉栖(岡部と会った後、橋田の力が必要になる可能性は高い)
紅莉栖(この二人がいないと、今の状況を打破することはおそらくできない……)
紅莉栖(そして岡部、あいつに早く会わないと……)
外
フェイリス「また来てニャンニャーン♪」
紅莉栖(橋田と連絡先を交換した、まゆりの連絡先を手に入れた)
紅莉栖(岡部まで後少し……あいつに会えれば、必ずなにか見つかる)
紅莉栖(少し不安なのは、この世界線の岡部は私の知っている岡部とはかなり離れている)
紅莉栖(……まあ、それは問題ないわね。世界線が変わったのだから岡部のリーディング・シュタイナーが発動する)
紅莉栖(つまり、今この世界線にいる岡部も今までの様に記憶が上書きされている)
紅莉栖(もしかしたら、岡部もラボがなくて焦ってるかもしれないわね……)
紅莉栖「……よし、まゆりに連絡しよう」
紅莉栖(……でも、よく考えたらまゆりは……前の世界線では)
紅莉栖(日付は変わっていない、ということはまゆりは……もしかしたら既に)
紅莉栖(……お願い! 電話に出て……まゆり)
まゆり『トゥットゥルー♪ まゆしぃです、なにかご用ですか?』
紅莉栖「まゆり? まゆりなのね!? よかった、繋がった……」
まゆり『えっと、どちら様ですか? まゆしぃの携帯電話には登録されていないので分からないのです……』
紅莉栖「そうよね、急に連絡してごめんなさい。私は牧瀬紅莉栖、……覚えてたりするかしら?」
まゆり『うーん……ごめんなさい、まゆしぃには覚えがありません……』
紅莉栖「……そっか。いいのよ、私もあなたにはまだ会ったことがないはずだから」
紅莉栖「ねえ、まゆりさん。あなたに聞きたいことがあるの」
まゆり『聞きたいことですか? まゆしぃに分かることだったら』
紅莉栖「あなたの幼馴染に、岡部倫太郎という男の人はいる?」
まゆり『えっと、はい。オカリンのことだったら、その通りなのです』
紅莉栖「よかった……そこまでは変わっていないのね」
まゆり『変わる?』
紅莉栖「こっちの話よ、気にしないで。……ここからが本題、岡部倫太郎にどうしても会いたいの」
まゆり『オカリンに会いたいんですか?』
紅莉栖「ええ、私は岡部に絶対に会わなければならない理由があるの」
まゆり『えっと……まゆしぃはどうすればいいんですか?』
紅莉栖「岡部の連絡先を教えて、お願い」
まゆり『オカリンの連絡先ですか? それは……』
紅莉栖「どうしたの? 幼馴染だから知っているでしょ?」
まゆり『実は、オカリンが中学になってからはあまり会っていないのです』
紅莉栖「えっ……?」
まゆり『だから、勝手に連絡先を教えるのはオカリンに悪い気がするのです』
紅莉栖「……見ず知らずの人に連絡先を教えるのは気が引ける、か。たしかにその通りね。……でも、こっちもどうしても岡部に会いたいの。だから……お願い」
まゆり『えっと……じゃあ、まゆしぃが直接聞いてみます。牧瀬紅莉栖さんって女の人が会いたがってるよって』
紅莉栖「ええ、お願い。なるべく早く……きっと岡部もそう思っているはずだから」
まゆり『わかりました。じゃあ、オカリンから答えがもらえたらまゆしぃから連絡します』
紅莉栖「ありがとう。……まゆりさん、よろしくね」
紅莉栖(まゆりを介しての連絡……なんだか面倒なことになったわね)
紅莉栖(まあ、問題はないわね。岡部も今頃、世界が変わってしまったことに気付いているはず)
紅莉栖(それなら私が会いたがってると聞けば、岡部は必ず会ってくれる)
紅莉栖(まゆりは今は生きている、でも……いつ死んでしまうかは分からない)
紅莉栖(ラボが存在しない状況で最悪の結果を迎えてしまえば……取り返しがつかないことになる)
紅莉栖(それだけは避けないと……岡部、急いで。あんたがいないと、まゆりが救えない……)
紅莉栖(……これだけ必死になっても、私は岡部に会えなくなる訳だが)
紅莉栖(そんなことを考えてる場合じゃないわね。……今は待つしかないか)
夜 ホテル
紅莉栖(まだお金には余裕があるみたいね。……これ以上泊まるような事態にはなりたくないけど)
紅莉栖(この世界線の私は今日アメリカに帰るはずだった。ラボメンとの親交もほとんどなかった)
紅莉栖(でも、私には前の世界線の記憶がある……つまり岡部の言っていた、リーディング・シュタイナーとかいうのを私も持っているかもしれないってこと?)
紅莉栖(それなら誰でも岡部のような力を持っている……? それか私になにか関係があるとか……)
紅莉栖(それも含めて岡部と話す必要がある。まゆりに催促してみた方が……あっ)
紅莉栖(ナイスタイミングね、まゆりから電話だ)
紅莉栖「もしもし、まゆりさん?」
まゆり『こんばんは、まゆしぃです。オカリンに聞いてみたんですけど……』
紅莉栖(当然すぐに会いたいって言ってくるはず、……あっちも焦ってるだろうから)
まゆり『明日の昼なら時間があるから、そこで会うのはどうか、って言ってました』
紅莉栖「えっ……? すぐに会いたい、とか言っていなかった……?」
まゆり『は、はい、そんなに会いたがってるなら仕方ないか、って言っていたのです』
紅莉栖(どういうこと……? 岡部の方もこの状況に困惑しているはずなのに……)
まゆり『えっと、場所は池袋のコーヒー屋さんです。池袋駅からすぐのところにある――』
紅莉栖(おかしい……ラボが無い、電話レンジも無い、それなのに岡部からは焦りを感じない)
紅莉栖(……岡部、あんたはなにを考えてるの? まゆりを助けるんじゃなかったの?)
まゆり『あの、聞こえてますか?』
紅莉栖「あっ……ご、ごめんなさい。もう一度場所を教えてもらえるかしら?」
まゆり『了解なのです。池袋のすぐのところにあるコーヒー屋さんの――』
翌日 昼 池袋駅周辺
紅莉栖(待ち合わせの場所は……このお店ね。時間にはまだあるか)
紅莉栖(……正直、不安だ。まだ会ってもいないし話してすらいない……でも)
紅莉栖(岡部はまゆりを助けるために多くのものを犠牲にしてきた……それは、岡部自身の心も含まれる)
紅莉栖(だからこそ、まゆりを助けられなかったら全てが無駄になってしまう)
紅莉栖(仮にまゆりが死んでしまったとしても、β世界線に行けばその事実はなくなるかもしれない)
紅莉栖(でも、IBN5100は? 橋田のハッカーとしての腕は? ラボという場所は?)
紅莉栖(その全てがないと、β世界線に行くこともできない……)
紅莉栖(岡部、あんたはわかってるの? 今がどれだけ危険な状況なのか、まゆりを助けられないかもしれないのよ?)
紅莉栖(お願い、岡部……会って私を安心させて。私自身のことは、もう既に決めたことだから……何も気にしなくていい)
二十分後
(そろそろ時間か……少し緊張してきたかも)
この状況を岡部はどう考えているのか。まさか、全てを諦めてしまったのではないか。
岡部に限ってそんなことはない、と信じたい。でも、岡部の心は既に壊れかけていたから。
もしかしたら、既に色々動いた後なのかもしれない。
打開策を見つけ、その協力を私に頼むという可能性もある。
それならなにも心配することはない。キチンとした考えがあるならばそれでいい。
待ち合わせまであと五分、その時――男が店に入ってきた。
その男は髪は茶に染めており、耳にはピアスを開けている。
シャツの胸ポケットの膨らみは煙草だろうか。服装もいわゆる、イマドキっぽい。
顔はよく見えなかったが、私はすぐに見るのをやめた。
(さすがにあれは、違うわね……いくらなんでも)
待ち合わせの目印として、私は机の上に少し厚めの本を置いている。
男はその本に視線を移し、まっすぐに私のいるテーブルに歩いてくる。
そして、私の座っている席の反対、同じテーブルの席にその男は座った。
「すいません。牧瀬紅莉栖さん、ですか?」
「えっ!? は、はい……」
そこで私は男の顔を確認した。
見覚えのある顔、見慣れた体格、そして忘れられないその声。
間違いない、この男こそが――
「お、岡部……なの?」
「はい、俺が岡部倫太郎です。はじめまして、どうぞよろしく」
髪は茶色、耳にはピアス、喫煙者(未成年)。
岡部倫太郎、通称オカリン改め、チャラリンがそこにいた。
紅莉栖(……どうなってんのよ、目の前の男は本当に岡部なの?)
岡部「えっと、まゆりに言われてここに来たんですけど」
紅莉栖「そ、そうでしたね……あれ? ちょっと待って……」
紅莉栖(今、岡部はたしか……はじめまして、って言った……?)
紅莉栖「岡部、さん……確認したいんですけど、私に見覚えは?」
岡部「ええ、前に会った覚えはないですね」
紅莉栖「……っ! り、リーディング・シュタイナーは発動していないの!?」
岡部「リーディング……なんのことだか」
紅莉栖「それすらも分からない……そんな……こんな、ことって……」
紅莉栖「ほ、本当に何も知らないの!? ラボは? 電話レンジは!?」
岡部「研究室はまだ一年だから入ってないので。レンジは……家にありますけど」
紅莉栖「……IBN5100、タイムリープマシン、Dメール、これに関しては!?」
岡部「なにがなんだか……ごめんなさい」
紅莉栖「だ、だったら……ラウンダー、SERN、これならきっと……」
岡部「……悪いですけど、全部聞き覚えがないです」
紅莉栖「う、嘘……嘘よ……だって、これじゃ……」
私の予想していたのとは全然違っていた。おそらく、考えうる中で最悪の結果だ。
岡部は焦ってもいない、絶望してもいない、希望を見つけたのでもない。
ただ、なにも知らないだけだった。
紅莉栖(期待も不安も……全部裏切られた。この岡部は……なにも知らない)
岡部「だ、大丈夫ですか?」
紅莉栖「……ごめんなさい、急に呼び出したのにこんな風になってしまって」
岡部「いや、俺は別に大丈夫ですけど……」
紅莉栖「あの……私の方が年下なので、くだけた感じで話してください」
紅莉栖(……正直、話し方なんてどうでもいい。今は……なにも考えられない)
岡部「じゃ、普通に喋らせてもらうけど……あんた、俺になんの用があったんだ?」
紅莉栖「用は……ごめんなさい、色々あったんだけど……無くなってしまった」
岡部「無くなった? あんたが俺にどうしても会いたいって言うからここに来たんだぞ?」
紅莉栖「ええ……岡部倫太郎に会いたかった。……でも、あなたではない」
岡部「……意味は理解できないけど、俺に話すことはないってことでいいのか?」
紅莉栖「……そう思ってくれていいです」
岡部「……ったく、まゆりから久しぶりに連絡があったと思えば」
紅莉栖「……まゆりさんには、迷惑をかけてしまいました」
岡部「まっ、そこは気にしなくてもいいだろ。あいつはそんな細かいこと気にしない」
紅莉栖「……そうですね」
岡部「昔は俺にくっついてばっかで俺がいなくなったらどうなるか、って子供ながらに不安だったんだ」
紅莉栖「今は……あまり話とかしてないんですか?」
岡部「俺が中学に上がってからほとんど話してないな……」
紅莉栖(岡部とまゆりの関係が全然違う、これもこの世界線での変化の一つ……?)
岡部「まあ、あいつも見た目はいいからそのうちいい男を見つけて幸せになるだろ」
紅莉栖「幸せに……? まゆりが、ですか?」
岡部「ああ、ただ……あの性格だと、変な男に騙されることも十分考えられるけどな」
紅莉栖「…………っ」
その無神経な言葉は私の神経を逆撫でし、
目の前の岡部倫太郎という名前の男に、私は苛立ちを感じていた。
紅莉栖(なにイライラしてるのよ……目の前の男は岡部だけど岡部じゃない)
紅莉栖(でも、まゆりが幸せになるには……あんたの力が必要なのに、まるで他人事みたいに……)
岡部「まゆりにはもう会ったか?」
紅莉栖「い、いえ、まだです」
岡部「ん、そうなのか。あいつは危なっかしいからな……事故に遭っても仕方が無い位だ」
紅莉栖「事故に、あっても?」
岡部「ああ、車に轢かれたり、駅のホームから落ちたりとか……なんか心配になってきた」
紅莉栖「――っ!」
岡部「なあ、あんたもまゆりに会う時は気を付けるように言ってお」
紅莉栖「……岡部」
岡部「ん、何だ?」
紅莉栖「それ以上――それ以上言うな! あんたが……岡部倫太郎がそんなことを言うな!」
岡部「お、おい……急にどうしたんだ」
「急にどうした!? 言いたくなるに決まってるだろうが!
あんたはまゆりを助けるために、色んなもの、人を犠牲にしてきた!」
「そこにはあんたの心や、私の命も含まれる!
それなのに……なんで軽々しくまゆりのことをそんな風に言うことができるのよ!?」
「全部忘れた? ふざけるな! あんたとまゆりのためにどんな思いをして、誰が涙を流したのか……」
「まゆりが何度死のうと、誰かに殺されようと、車に轢かれようとあんたは何度も助けようとしたんでしょ!?」
「岡部が……あんたがまゆりを選んだから、私は覚悟することができた。
まゆりのために、あんたを守るために、辛い思いをさせないために……」
「忘れないんじゃなかったのか!? 忘れないって言ったから、私は……私は……だから……っ……」
頭の片隅では理解している。この岡部になにを言っても無駄だ。
この岡部は私の求めている岡部ではない、私の好きな岡部ではない。
こんな男に言っても時間の無駄、そう思いながらも言葉を止めることはできなかった。
紅莉栖「はあ……っ……はあ……」
紅莉栖(馬鹿だ……なに言ってるんだ、私……あんな大声出して)
岡部「……悪いな、あんたの言ってることはさっぱり理解できない」
紅莉栖「……ええ、そんなこと位……わかってる」
岡部「なにも分からない、思い出せもしない。……ただ、悪かった。謝る」
紅莉栖「…………」
岡部「……周りの客もこっち見てるし、正直居づらい。ここで帰ってもいいか?」
紅莉栖「……ええ、好きにして」
岡部「ああ、それと……またなにかあったらここに連絡してくれ。話くらいは聞ける、と思う」
紅莉栖「……あんたの連絡先なんて聞かなくても知って――あっ」
紅莉栖(連絡先、知らないから……まゆりに聞いたんだ)
(それだけじゃない。目の前の岡部のことを、私はなにも知らない)
(いや、私は……今ここにいない岡部のことも、知らなかった)
(岡部は世界線が変われば必ずリーディング・シュタイナーを発動させると思っていた)
(だから、私は岡部に会おうと、岡部に頼ろうとしていたんだ)
(……岡部がいないと私、なにもできない。岡部が……岡部がいないと)
ふと顔を上げると、既に岡部はいなくなっていた。
テーブルの上には電話番号の書いてある小さな紙が残されていた。
(この番号に電話する日……来るのかな)
周りの客の視線は少し感じていた。でも、今はなにも気にせずこうしていたかった。
「あの……大丈夫ですか?」
そこにまた、聞き覚えのある声が聞こえた。
(この声は……まゆり?)
まゆり「ごめんなさい……少し心配だったから来てしまったのです」
紅莉栖「そう……ありがとう、まゆりさん」
まゆり「あの、オカリンとお話……できましたか?」
紅莉栖「……できたと言えばできた。けど、思っていたのとは全然違ったわ」
まゆり「もしかしたら、まゆしぃが伝えるのが下手だったから……」
紅莉栖「そ、そんなことないわ。あなたのおかげよ、まゆりさん」
まゆり「でも……目が真っ赤だから、泣いちゃうようなことが……」
紅莉栖「だ、大丈夫。これは、その……自分のせいだから」
紅莉栖(橋田やフェイリスさん、それにまゆりはあまり変わらないように見える……)
紅莉栖(それなら、なぜ岡部だけあんなに変わってしまったのか……)
紅莉栖(……ダメだ、今は岡部のこと……考えたくない)
外
紅莉栖「いいのよ、別に気を遣ってくれなくても……一人で帰れるから」
まゆり「でも……」
紅莉栖(うっ……この純粋な瞳には抗えないなにかがあるわね……)
紅莉栖「わかった、一緒に行きましょう。でも、時間は大丈夫なの?」
まゆり「まゆしぃは夏休みだから、時間はたっぷりあるのです」
紅莉栖「そっか、羨ましいわねー……」
まゆり「牧瀬さんは、夏休みじゃないんですか?」
紅莉栖「こう見えても私、大学を卒業してるのよ?」
まゆり「ええー? じゃあ、牧瀬さんは、えっと……二十……」
紅莉栖「あー、違うの。十八歳、大学は飛び級で卒業したから」
まゆり「ええー!? す、すごいんですね……まゆしいはびっくりなのです」
まゆり「まゆしぃと一歳しか違わないのに……少しショックなのです」
紅莉栖「お、落ち込まないで。あなただって、ほら……とってもキュートよ」
まゆり「キュート? ……あの、ありがとうございます」
紅莉栖「……ねえ、まゆり。私のことは牧瀬さん、じゃなくて紅莉栖って呼んでくれない?」
まゆり「えっ? クリスさん、ですか?」
紅莉栖「うーん、思い切ってちゃん付けとかどうかしら」
まゆり「えっと、クリス……ちゃん?」
紅莉栖「上出来よ。それで堅い言葉遣いもなし、気楽に話しかけて。私もそうするから」
まゆり「うん……わかったよ、クリスちゃん。こんな感じかな?」
紅莉栖「ええ、完璧ね」
まゆり「えへへ、まゆしぃはクリスちゃんとお友達になれてとっても嬉しいのです♪」
紅莉栖(……まゆりのおかげで助かったわね。心に余裕が無かったはずなのに一気に落ち着いた)
紅莉栖(やっぱりこの子だけは……死なせる訳には、いかない)
紅莉栖「夏休みって結構あるけどどうやって過ごしてたの?」
まゆり「コスプレの衣装を作ってたよ。誰かに来てもらうためにたくさん作ってるんだー」
紅莉栖(……本当になにも変わってない、そういう風にしか思えないわね)
まゆり「でも、それだけだとやっぱり暇になっちゃって、お家でダラダラしちゃうのです……」
紅莉栖「部活やアルバイトとかはどう?」
まゆり「部活はあまり興味がなくて……アルバイトは、してみたいなーってたまに思うけど……まゆしぃにできるかなぁ」
紅莉栖「それなら、メイド喫茶なんてどう?」
まゆり「ええー? まゆしぃには無理だよー……」
紅莉栖「そんなことないわ。まゆりにピッタリなお店を紹介してあげる、どう?」
まゆり「うーん、じゃあ一回行ってみようかな。クリスちゃんも一緒に行ってくれる?」
紅莉栖「もちろん、きっと気に入るわよ」
しばらくして
紅莉栖「そろそろ帰った方がいい時間か……ずいぶん話し込んじゃったわね」
まゆり「あのね、クリスちゃん……まゆしぃは、クリスちゃんに謝らないといけないことがあるのです」
紅莉栖「謝らないといけないこと? そんなこと記憶にないけど……」
まゆり「本当はね……オカリンの電話番号をすぐに教えようと思ったの。でも……」
紅莉栖「……続けて」
まゆり「最近、オカリンと全然お話してなかたったから……チャンスだと思ってしまったのです」
紅莉栖「つまり……岡部の電話番号をすぐに教えても良かったけど、岡部と話したかったからわざわざ仲介役をしたってこと……?」
まゆり「うん……ごめんね、クリスちゃん。まゆしぃ、余計なことして邪魔しちゃって……」
紅莉栖「まゆり、あなたって……本当にキュートね」
まゆり「わっ……く、クリスちゃん……苦しいよー」
紅莉栖「これは罰ってことで、大人しく抱きしめられてればいいのよ」
紅莉栖「それにしても岡部って酷いわね。こんな可愛いまゆりを放っておくなんて……」
まゆり「そ、それは……」
紅莉栖「中学に岡部が行ったら疎遠になったんでしょ? もっと甘えればよかったじゃない」
まゆり「……まゆしぃはしっかりとした人になりたかったのです」
紅莉栖「しっかりとした人、ねえ」
まゆり「だからオカリンに頼らないようになろうって思って。……そうしたら、気付いたら話しにくくなっていたの」
紅莉栖「……そうだったのね。でも、どうしてしっかりとした人になりたいって思ったの?」
まゆり「おばあちゃんが見守ってくれてるから……だから、おばあちゃんが見てて安心できるような人になりたいのです」
紅莉栖「そう……いいおばあさんなのね」
まゆり「……うん、まゆしぃはいつまでも……忘れないよ」
紅莉栖(いつまでも忘れない、か……どっかの馬鹿もそう言って忘れやがって……!)
紅莉栖(……あー、ダメだ。思い出すと少しヘこむ……)
紅莉栖「今日はありがとう、まゆり。また近いうちに会えるといいわね」
まゆり「クリスちゃん、メイド喫茶のお話、忘れないでね?」
紅莉栖「ええ、もちろんよ。じゃあ、気を付けて」
まゆり「うん! またね、クリスちゃん。トゥットゥルー♪」
紅莉栖(さっきまでの絶望感はまゆりのおかげで嘘のように消えていった。でも……)
紅莉栖(あの笑顔が、急に消えてしまう可能性もある……。世界線が変わったとはいえ、その結果から逃れられると決まった訳ではない)
紅莉栖(それなら、私のすべきことはただ一つ……岡部を、取り戻す)
紅莉栖(そしてあいつを引っぱたいてでもβ世界線に移動させる……!)
紅莉栖(そのために元の世界線に戻らないといけない……)
紅莉栖(誰かが起動した電話レンジ、それが原因なのはわかってる)
紅莉栖(誰が何をしたのか……それも調べないといけないか)
戻ってホテル
紅莉栖(電話レンジで世界線が変わったのなら……Dメールしか考えられない)
紅莉栖(それを元に戻すにはDメールの内容を打ち消すようなメールを送らなければならない)
紅莉栖(そのためには電話レンジ、42型ブラウン管、つまりはあの部屋が必要ね)
紅莉栖(あの部屋を借り、そして電話レンジを完成させる……これが最低条件)
紅莉栖(問題は、電話レンジ……岡部たちの話を思い出せば、あれが偶然によって生み出されたことは間違いない)
紅莉栖(偶然生み出された物を作る……これほど大変なことはない)
紅莉栖(前途多難、岡部は完全に頼りにならない。となると頼れるのは……橋田か)
翌日 メイクイーン+ニャン2
ダル「おっ、牧瀬氏こっちこっち」
紅莉栖「相変わらずここなのね……」
ダル「僕の居場所はここなので。で、僕に頼みたいってことってなんぞ」
紅莉栖「橋田さん、あなたにお願いしたいことは……」
ダル「ま、まさか……ムフフな展開ktkr!?」
紅莉栖「HENTAI発言は慎んで。お願いというのは……」
ダル「ふむふむ」
紅莉栖「――研究を手伝って欲しいの」
ダル「……へっ?」
ダル「研究? 天才学者の牧瀬氏が僕なんかに手伝いを依頼するなんて有り得なくね?」
紅莉栖「……橋田さん。あなた、ハッカーとしての腕は確かよね」
ダル「……まあ、その通りだけど。どうして牧瀬氏がそれを知ってる訳?」
紅莉栖「それはどうでもいいの。……手伝ってくれるの、くれないの?」
ダル「んー、僕も暇じゃ無い訳で。相手をしてあげないといけない女の子がたくさんいるんだお」
紅莉栖(こういうところは変わらんのか……)
紅莉栖「そうね……橋田さん、こう考えてはどう?」
ダル「ん?」
紅莉栖「自分で言うのもなんだけど、私はそれなりに名が知られている。その学者の手伝いをした、という事実。……これは後々、効いてくるんじゃないかしら」
ダル「た、たしかに。経歴とかで色々使えそうな経験ではある……」
紅莉栖「あなたの腕なら十分にこなせるレベルよ。どう、やってみない?」
ダル「……オーキードーキー! 牧瀬氏、よろしく頼むのぜ」
ダル「で、その研究とやらはどこでやる訳?」
紅莉栖「場所はもう決めてあるわ。ここのすぐ近くよ」
ダル「この近く……研究施設とかあったっけ?」
紅莉栖「ええ、この研究はそこでしか行えないの。すぐに手配するわ」
ダル「うーん、そこは牧瀬氏に任せます。僕は出番が来たらまた呼んでくれればおk」
紅莉栖「そうね、なるべく早めに連絡が行くようにするわ。それまで待っていて」
ダル「了解しますた。……はあ、美人学者との時間とかみなぎってくるお」
紅莉栖「変なコトしたら脳をちょこっと弄るからね」
ダル「お、おうふ……それだけは勘弁」
ブラウン管工房前
天王寺「――で、上の部屋を借りたい。そういうことでいいか?」
紅莉栖「ええ……どうでしょうか?」
天王寺「……ぶっちゃけ、誰も借り手が見つからなくて困ってたとこなんだ」
紅莉栖「ということは……」
天王寺「ああ、好きに使ってくれ。まあ、好きにっつっても限度はあるけどな」
紅莉栖「あ、ありがとうございます! 明日から、すぐに入っても大丈夫ですか?」
天王寺「別にいいけどよ。掃除とかはいいのか?」
紅莉栖「大丈夫です、自分たちでやります。……それと、店長さん」
天王寺「おう、なんだ。エアコンなら自費で付けてくれよ」
紅莉栖「そうではなくて……その大きい42型のブラウン管、絶対に売らないでくださいね」
天王寺「なんだそりゃ。もしかして、欲しいのか? 今なら入居祝いってことで安くしとくぞ」
紅莉栖「け、結構です。……それでは、また明日」
秋葉原 裏通り
紅莉栖(……同じレンジを探すか、それとも別のでも大丈夫か実験するか)
紅莉栖(電話も同じのじゃないとダメなのかしら……偶然を生み出した時は忠実に再現すべきか)
紅莉栖(……少なくとも、ちょっとやそっとで完成するとは思わない方がよさそうね)
紅莉栖(資金は講演とか講義のとかでそれなりにあった、一ヶ月はなんとかなるはず)
紅莉栖(……なにもない状態から作るのって、相当な労力が要るわね)
紅莉栖(そう考えると、岡部って凄かったのかな……いや、でもあいつなにも作ってないし)
紅莉栖(でも、いてくれたら……やっぱり、嬉しいかな)
紅莉栖(……無理やり脳に電極ぶっさしてリーディング・シュタイナー発動しないかしら)
翌日 ラボ
ダル「うへー……あっつい。牧瀬氏いるー?」
紅莉栖「待ってたわよ。とりあえず座って座って」
ダル「よっこらせっくす……へえ、ボロいビルだと思ったけど、中は意外とキレイじゃん」
紅莉栖「殺風景なのは我慢して、色々揃える時間はないから」
ダル「で、この蒸し暑い部屋の中で僕たちはいったい……ん?」
紅莉栖「あら、気付いたみたいね」
ダル「えっと、このレンジと電話はなんなん? しかも五個ずつくらいあるし」
紅莉栖「とりあえず前のと同じ型、それと違うのも揃えたわ」
ダル「……これでなにをする気?」
紅莉栖「電話レンジ、一緒に作ってもらうから」
ダル「はい……?」
しばらくして
ダル「まさか、天才学者牧瀬氏の研究が……こんな」
紅莉栖「ガラクタ作りだとは思わなかった、って言いたそうね」
ダル「自覚はあるみたいでちょっとホッとしたお。しかし、遠隔操作できるレンジって言われても……」
紅莉栖「たしかに、電話とレンジをくっつけただけのガラクタにしか見えない。……でも、私にとってはそのガラクタが今必要なの。他でもない、私のために」
ダル「……天才の考えることは分かんないって本当だった件について」
紅莉栖「ほら、橋田さん、頑張って。あなたの力は後でちゃんと誰かの役に立つから」
ダル「へいへい、……まあやりますけど」
数時間後
ダル「ふう……とりあえず一台完成しますた」
紅莉栖「こっちも出来たわ。……さあ、いよいよ実験開始ね」
ダル「実験って、ご飯でも置いて温めてみるとか?」
紅莉栖「いいえ、温めない。強いて言うなら……戻す」
ダル「戻すって……冷凍?」
紅莉栖「冷凍になる場合もあるわね。……今はこのバナナを使うわ」
ダル「バナナを握る牧瀬氏、絵になりますなあ……」
紅莉栖「……止めるヤツがいないと本当にフリーダムね」
ダル「で、戻すって結局なにするん?」
紅莉栖「ちょっと待ってて、下を確認してくるから」
ダル「下の確認……考えようによってはエロい気がする」
紅莉栖「お待たせ、下は大丈夫だったわ」
ダル「その下ってのがイマイチ分からない件について」
紅莉栖「詳しい説明は……またいつかする。さあ、バナナを用意して」
ダル「ほい、これをレンジの中に入れればおk?」
紅莉栖「ええ、そして電話レンジの設定をする……」
ダル「温めるなら#押して数字入れればいいはずだけど」
紅莉栖「それを変えるの。数字を入れてから#を入力する」
ダル「へっ? そんなことしてなんになるん?」
紅莉栖「観てれば分かるわ。……1、2、0、#」
ダル「おっ、電話レンジが動き出した。これでも動くのか……」
紅莉栖(後は、バナナが房に戻れば……再現できたってことになる)
ダル「おっ、終わったみたい。結果は……うーん、ホカホカバナナの出来上がり」
紅莉栖「……失敗、か」
紅莉栖(偶然の産物、理論が偶然に当てはまり、そして環境が整っていた)
紅莉栖(でも、それは本来は非情にデリケートなはず……一つ配線が違えば、少しでも環境が違えば結果は変わってくる可能性は……ある)
紅莉栖(ゼロからラボの環境を作り、リフターの存在する環境も同じであるかも分からない)
紅莉栖(それでも、やるしかない……理論はある、実際に電話レンジは機能したという事実がある)
紅莉栖(……それならきっと、生み出すことはできるはず)
数時間後
ダル「……バナナ、あたたかいお」
紅莉栖「……今日はダメか。時間的にもこの辺がリミットね」
ダル「牧瀬氏、どうなったら成功なん? さっぱり分からないまま配線弄ったり温めたりの繰り返しなんだが」
紅莉栖「今言っても信じないと思う……だから、成功したらその目で確かめて」
ダル「んー、わかりますた。じゃ、またやることになったら連絡して」
紅莉栖「ええ、また明日連絡するわ」
ダル「あ、明日……? 明日もこれと同じことを繰り返す訳?」
紅莉栖「もちろん。私一人でもやるわ、……早く、なんとかしたいから」
ダル「……午後からなら行けるかもしれないから、またその時はよろしくってことで」
紅莉栖「ありがとう橋田さん。また会いましょう」
夜 新ラボ
紅莉栖(……ある程度は覚悟してたけど、実際上手く行かないと萎えるわね)
紅莉栖(殺風景な部屋……ゴチャゴチャしてたけど、あれ位じゃないと落ち着かないわね)
紅莉栖(岡部……あんたは、本当になにも思い出さないの? まゆりも、私のことも……)
紅莉栖(……っ!? 電話か……もしかして、岡部!?)
紅莉栖「も、もしもし!」
まゆり『あっ、クリスちゃん。トゥットゥルー、まゆしぃだよ』
紅莉栖「なんだ、まゆりか……」
まゆり『えー……? まゆしぃ、電話かけちゃダメだったの……?』
紅莉栖「そ、そういう訳じゃないの。……えっと、何か用かしら?」
まゆり『うん、あのね……実は――』
翌日 秋葉原駅
まゆり「おーい、クリスちゃーん。ごめんね、待たせちゃったかな?」
紅莉栖「まだ待ち合わせの五分前、全然問題ないわ」
まゆり「クリスちゃん、今日はお願いします」
紅莉栖「ただメイド喫茶に連れて行くだけだけど……ともかく、早速行きましょうか」
まゆり「うん! まゆしぃはメイド喫茶は初めてなのです。どんなところなの?」
紅莉栖「……とりあえず、女一人で行く場所ではないってことは確かね」
メイクイーン+ニャン2
フェイリス「お帰りニャさいませ。お嬢様♪」
まゆり「は、はじめまして……椎名まゆりです」
フェイリス「ニャニャ? これはご丁寧にどうもだニャン。フェイリス・ニャンニャン、よろしくニャ♪」
紅莉栖「別にいきなり自己紹介をしなくてもいいのよ、まゆり」
まゆり「えー、そうなの? まゆしぃ、こういうところは初めてだから……」
フェイリス「今日はお嬢様二人とは珍しいニャン。どういう風の吹き回しかニャ?」
紅莉栖「えっと、この子がメイド喫茶でのアルバイトに興味があるって言ってるのよ」
まゆり「く、クリスちゃん……えっと」
フェイリス「ニャるほど……マユシィ、でいいのかニャ?」
まゆり「は、はい」
フェイリス「では……早速テストだニャン!」
紅莉栖「……テスト?」
フェイリス「今からいくつか質問するから、それに答えてほしいニャ!」
まゆり「よ、よろしくお願いします」
フェイリス「第一問! マユシィの趣味はなにかニャ?」
まゆり「えっと、コスプレの衣装を作ることです」
フェイリス「ニャニャ!? 高評価だニャン! 続けて第二問! 人と接するのは好きかニャ?」
まゆり「うーん、誰とでも友達になりたいなー、って思います」
紅莉栖「私ともすぐに仲良くなったから、人と接するのは好きだと思うわよ」
まゆり「えへへー、ありがとうクリスちゃん」
フェイリス「ニャニャニャニャ……! これは大物の予感がするニャ……」
紅莉栖(なんの大物だ、ってのは野暮よね、きっと)
フェイリス「最後の質問ニャ! なにか口癖、または特徴とかはあるかニャン?」
まゆり「口癖……特徴……えっと」
紅莉栖「ほら、いつものアレ。やってみたら」
まゆり「えっ? う、うん……トゥットゥルー♪ まゆしぃでーす」
フェイリス「ま、マーベラスニャー! 合格ニャン! マユシィにはマユシィ・ニャンニャンとして明日から働いてもらうニャ!」
まゆり「あ、ありがとうございます」
フェイリス「マユシィ、明日からよろしくニャン♪」
紅莉栖「よかったわね、まゆり」
まゆり「うん! クリスちゃんのおかげだよー。ありがとう、クリスちゃん」
紅莉栖(世界線が変わっても、人の本質は変わらないのかもしれない)
紅莉栖(それならあんたは、どうして変わってしまったの……?)
紅莉栖(外見じゃない、人間の中身……それが、今のあんたは変わってる)
フェイリス「お祝いってことで、今日はメイクイーンを思う存分楽しんでほしいニャン♪」
紅莉栖「じゃあ、お言葉に甘えようかしら。えっと席は……あっ」
ダル「あっ」
紅莉栖「なるほどね……まあ、そんなことだろうとは思ってたけど」
ダル「いや、僕にはフェイリスたんに会うという重大な使命があって……」
紅莉栖「いいわよ、そんなことで責めないわ。こっちは協力をお願いしてる訳だし」
まゆり「あれ? ダルくんだー、トゥットゥルー♪」
ダル「まゆ氏、まさかコミケ以外の場所で会うとは思わなかったお」
まゆり「本当だねー、こうやって会えると嬉しいね」
ダル「でも、まゆ氏がどうしてここに?」
まゆり「えっとね、まゆしぃは明日からここで働くのです!」
ダル「……なんですと!? 牧瀬氏、申し訳ないが明日からはしばらくやることができたので」
紅莉栖「……どうぞ、ご自由に」
ダル「じょ、冗談だお……だからその冷たい目は勘弁」
まゆり「へー、クリスちゃんとダルくんは一緒に実験してるんだね」
ダル「まっ、実験と言っても僕にもなにがなんなのかさっぱりわからないんだけど」
紅莉栖「……そのうちわかるわ、きっと」
まゆり「でも、なんだか面白そうだねー。まゆしぃは実験とか、そういうのはよくわからないから羨ましいのです……」
紅莉栖「それなら、来てみる? ラボに」
まゆり「えっ? 行ってもいいの、クリスちゃん?」
紅莉栖「ええ、まゆりなら大歓迎よ。ねえ、橋田さん?」
ダル「まゆ氏も来るなら行くしかないだろ常考」
紅莉栖「……本当、わかりやすい人間で助かったわ」
ダル「牧瀬氏、そんなに褒めるなって」
紅莉栖「褒めてないっつーの」
ラボ
紅莉栖「ここがラボよ、なにもなくて退屈だろうけど」
まゆり「うわー……ここで実験をしてるんだね」
ダル「実験という名のガラクタ作りだったりするんだけど」
まゆり「でも、いいなーここ。まゆしぃはこういうのに、ちょっと憧れてしまうのです」
紅莉栖「それなら、いつでも来ていいわよ。ねえ、橋田さん?」
ダル「熱烈歓迎まゆ氏。いつでもカモン、待ってるお!」
まゆり「ありがとう、クリスちゃん♪」
紅莉栖「……そうだ。せっかくだから、まゆりもラボメンにならない?」
まゆり「ラボメン?」
紅莉栖「そう、私たちの仲間ってこと。私がラボメンナンバー001、橋田さんが002」
ダル「ってことは、まゆしが003って訳か」
まゆり「おおー、なんかカッコいいねー。どんどんラボメンが増えたらもっと楽しくなるね」
紅莉栖「そうね。次は、004……か」
紅莉栖(……変な話ね、あれだけラボのリーダーだって主張してたあいつがいないなんて)
紅莉栖(004の私が001、003の橋田が002、002のまゆりが003)
紅莉栖(だったら、あんたは004ってことになるわね)
紅莉栖(……もし、本当に入ってきたら……助手って呼べばいいのかしら?)
紅莉栖(それが嫌で入ってこないとか有り得るわね……まっ、来たらの話だけど)
紅莉栖(……来なさいよ、バカ)
それから数時間の間
紅莉栖「まゆり、バナナ!」
まゆり「は、はい!」
紅莉栖「橋田さん、次はこっちとこっちを組み合わせて」
ダル「オーキードーキー!」
まゆり「クリスちゃん……休まなくて大丈夫? まゆしぃは心配なのです……」
紅莉栖「大丈夫……よ。時間は……限られてる、よっ……から」
ダル「あー……あっちー……」
まゆり「ダルくん、飲み物買って来たよー」
ダル「うおおお! まゆ氏マジ女神! しかもダイエットコーラとか気が利き過ぎだろ常考……」
しばらくして
紅莉栖「きょ、今日もダメだった……」
ダル「うへー……疲れたお……」
まゆり「二人とも、大丈夫……?」
紅莉栖「ええ、大丈夫……時間も時間だし、そろそろまゆりは帰った方がいいわね」
まゆり「クリスちゃん、今日は色々ありがとう。感謝してもしきれないのです」
紅莉栖「大げさよ。……私も買い物ついでに外出ようかしら。橋田、あんたはどうするの?」
橋田「僕も帰るお……つーか牧瀬氏、僕の扱いぞんざいになってね?」
紅莉栖「そう? きっと気のせいよ、ほら早く」
まゆり「ダルくーん、置いてっちゃうよー」
ダル「そ、そこはゆっくりと待つとこだろ常考……」
それから、私たちは一週間程同じような日々を過ごした。
まゆりはメイクイーンでのアルバイトを一生懸命頑張り、終わったらラボに寄っていく。
今のところまゆりにはなにも起きていない。それはいいことであると同時に、不発弾のような危険な感じもする。
橋田は午前中はメイクイーンに行った後、私の手伝いをしてくれる。
基本的には毎日手伝ってくれている。岡部が我が右腕と呼ぶだけはある。
私は、相変わらず電話レンジのことばかり考えている。
まだ一週間だ、岡部の繰り返した日々には到底及ばないだろう。
それでも、なにも光が見えない状態では不安にもなる。
これで本当に上手く行くのか、自分は無駄なことをしているのではないか。
それは焦りでもあり、恐怖でもある。自分は無力だと、知りたくないというのもその一つかもしれない。
このまま、夏は終わろうとしていた。しかし――
それはあらかじめ決まっていたことのように、突然起きてしまった。
メイクイーン+ニャン2
ダル「牧瀬氏……」
紅莉栖「なによ……」
ダル「……なにも、起きない件について」
紅莉栖「…………」
ダル「……無言はなしでお願いします。……つーか、お互いに結構ガタがきてるんじゃね?」
紅莉栖「あるあ……あるある」
ダル「……前から思ってたんだけど、牧瀬氏ってねらーでFA?」
紅莉栖「…………」
ダル「……沈黙は肯定と受け取るのぜ」
まゆり「あれー? 二人とも、元気ないねー……」
紅莉栖「ええ……きっと暑さのせいよ……」
ダル「ホカホカバナナの暑さにやられたか……」
まゆり「二人とも……ぐったりって感じなのです」
まゆり「ダルくん、クリスちゃん、なに食べる?」
ダル「……コーラ」
紅莉栖「……アイスコーヒー、目を見てまぜまぜなしで」
まゆり「もうー、飲み物だけじゃなくてちゃんとご飯も食べなきゃダメだよー」
ダル「……食べる気起きねーっす」
紅莉栖「……橋田に同じく」
まゆり「むー、まゆしぃが元気になりそうなもの持ってくるから、ちゃんと食べてね」
紅莉栖・ダル「あーい……」
ダル「……なんでまゆ氏ってあんな元気なんだろ」
紅莉栖「……本当ね、ごはんも毎日たくさん食べてるみたいだし」
ダル「……なるほど、食料の差が決定的な胸の差を生み出して」
紅莉栖「……電極カイバー」
ダル「……すんません」
ぐったりと机に突っ伏したまま、私は元気そうに店内を駆け回るまゆりを眺めていた。
小さい体に無尽蔵のパワー、そんな言葉がよく似合うと思う。
そしてまゆりはこっちに向かって歩いていた。
その両手には溢れんばかりのオムライスがそれぞれ持たれていた。
(あれ一人分……? どう考えても無理な件について……)
橋田みたいなことを考えながら、私はまゆりを迎えるために体を起こす。
そして体を起こしきった後、私は目の前の光景を疑った。
それはまるでスローモーションのように、ゆっくりと見えた。
私が見たもの、それは――まゆりが倒れていく様だった。
「――ま、まゆりいいいいいいい!!」
こんな大声を出したのは久しぶりだった。
それ以外の感情は、どうしても表すことができなかった。
まゆりは意識を失い、そのまま床に倒れてしまった。
すぐさま救急車を呼び、まゆるは病院に搬送された。
私と橋田は付き添いとして、一緒に病院に行くことにした。
病院に着いてすぐ、まゆりのご両親が来られたから私たちはいる必要が無くなった。
それでも私は、まゆりの病状を知るために病院に残った。
頭の中では、「やっぱり」、「どうして」、「やめて」、という言葉がぐるぐると回っていた。
しばらくして、まゆりのご両親が私たちのところにやってきた。
まゆりに付き添って頂いてありがとうございます、とかそんな風なことを言われたと思う。
「まゆりは……まゆりは生きているんですか!?」
私はどんな顔で質問したのだろうか。きっとまゆりのご両親は驚いたに違いない。
私の聞いた答えは、「まゆりは死んではいない、原因は不明である」。
私には心当たりがあった。まゆりが倒れた原因、それは――世界がまゆりを殺そうとしているという事実。
ここはβ世界線ではない、α世界線なんだ。だから、死ぬのはまゆりだ。
翌日 ラボ
紅莉栖(まゆりはまだ死んではいない……でも、このままでは確実にまゆりは……)
紅莉栖(早く、早く電話レンジを完成させないと……完成させる?)
紅莉栖(何日も実験して、なにも成果が出なかった。それが一日で完成するのか?)
紅莉栖(それよりも早く、まゆりが死んでしまったら……終わりだ)
紅莉栖(世界線の移動もできず、まゆりも助けられない……今一番可能性が高いのは、この結果)
紅莉栖(私は、私はなにができる? まゆりを助けるために……いったいなにが……)
紅莉栖(必要なものは……整った環境、優秀な頭脳、そして……まゆりを助けたいと思う人間がいること)
紅莉栖(……心の奥底で、考えていたことがある。もし、こうなってしまった時にどうするか)
紅莉栖(取り返しのつかない事態になった時、どうやってこの状況を打破するのか)
紅莉栖(私には一つだけ、方法がある。……岡部倫太郎にも、ラボにも頼らない方法がある)
紅莉栖「……SERNに、技術を提供すれば」
SERNは間違いなく優秀な頭脳、整った環境を持ち合わせている。
もし全てが駄目になってしまった時、最終手段としてそこに飛び込むことも頭の片隅で考えていた。
それは本当の最終手段だ。誰にも頼れず、どうしようもなくなった時、そうするしかない時に取る行動だ。
もちろんそんなことをしたくないというのが本音だ。だが、現実は待ってくれない。
まゆりが死ぬ位なら、岡部がなにもできないのなら、喜んでこの身を売ろう。
もともと死ぬことは覚悟していた、それよりは数倍もマシかもしれない。
ただ、まゆりを殺そうとした機関に結果的に手を貸すことになるのは、嫌だ。
明日、もう一度電話レンジの実験をしよう。それで駄目なら、仕方ない。
私は二度目の覚悟を決め、安物の小さいソファーから立ち上がった。
座っていては、縮こまっていては駄目な気がしたからだ。
殺風景な部屋を見渡し、外にでも出ようかと思った時、ドアが開いた。
そして現れたのは、私の――大切な友人だった。
「く、クリスちゃん……」
「まゆり……? あ、あんた……どうしてここに……」
まゆり「あのね、クリスちゃん……まゆしぃは、ごめんなさいしないといけないのです」
紅莉栖「えっ……? な、なにを謝るって言うの?」
まゆり「せっかくクリスちゃんのおかげでアルバイトできたのに……こんなことになって」
紅莉栖「ば、バカ! あんたの体が何よりも大事なの! そんなこと……謝らなくていい」
まゆり「でもね、まゆしぃがお店で倒れたら……クリスちゃんはきっと気にするんじゃないかな、って思ったの」
紅莉栖(違う……そうじゃない。まゆり、あなたは……死ぬことが決められている……)
まゆり「なにも気にしなくていいから……まゆしぃは、クリスちゃんにとっても感謝してるから」
紅莉栖「……わかった。ありがとう、まゆり……今、あんたは」
まゆり「えっとね、しばらくは病院にいることになるって言われたんだ。だからその前に、メイクイーンのみんなやダルくんやクリスちゃんに会っておこうと思って」
紅莉栖「そっか……言ってくれれば会いに行ったのに」
まゆり「実は……ラボにも寄りたかったから。ここ、まゆしぃのお気に入りだったんだよ」
紅莉栖「……喜んでもらえてよかった。ここで待ってるから、早く戻って来なさい」
まゆり「うん! ……クリスちゃん、ありがとう」
ダル「はあ……はあ……牧瀬氏! まゆ氏はここに……」
まゆり「あっ、ダルくん。メイクイーンにいたんじゃなかったの?」
ダル「まゆ氏を追って走ったけど……はあ……はあ、物凄く速かったから見失って……ふー……」
まゆり「こんなに元気なのに、病院に行かないといけないなんておかしいよね……」
紅莉栖「……本当に、本当にそうね」
紅莉栖(どうして、どうしてこんな元気なまゆりが死なないといけないのか……)
ダル「……まゆ氏、そろそろ戻った方がいいんじゃね?」
まゆり「……もうちょっとだけ、ここにいたいのです」
紅莉栖「まゆり……でも――電話? も、もしもし」
岡部『岡部倫太郎だ、番号は前にまゆりに聞いた。気を悪くしたら謝る』
紅莉栖「岡部……岡部なの?」
まゆり「……っ!」
紅莉栖「岡部! まゆりが……まゆりが!」
岡部『まゆり……? 俺も今、家から出て行ったまゆりを探しているんだ。なにか知っているのか?』
紅莉栖(あっ……そうだ、この岡部は……岡部じゃないんだ)
岡部『もしかして、そこにまゆりがいるのか? いるのなら場所を教えてくれ』
紅莉栖「(まゆり、どうする?)」
まゆり「……言っても、いいよ」
紅莉栖「分かった……。岡部さん、まゆりは秋葉原にいます」
岡部『やっぱりか……バイト先に行ったと思って秋葉原に来たけど正解だったな』
紅莉栖「……どうしますか、連れて行きましょうか?」
岡部『いや、あまり動かしたくない。場所を教えてくれ、俺が向かう』
紅莉栖「わかりました、場所は秋葉原駅を出て――」
十五分後
岡部「……まゆり、こんなところにいたのか」
まゆり「オカリン……迎えに来てくれたの?」
岡部「ああ、お前の両親に頼まれた。……ったく、どうして脱け出したりしたんだ」
まゆり「……ごめんなさい」
紅莉栖「待ってください、まゆりはこれから入院するから……その前に挨拶をしに来てくれただけです」
岡部「それが駄目だって言ってんだ。普通に考えたらわかるだろ?」
まゆり「…………」
ダル「えっと、まゆ氏も反省してるみたいだし、ここは穏便に……」
岡部「あんたには関係ないだろ。……ん? その顔、どっかで……」
ダル「高校の時、同じクラスだった橋田。……覚えてないかもしれないけど、一応」
岡部「いや、覚えてるよ。こんなとこで会うとはな……それにしても、ここはなんなんだ?」
紅莉栖「……それ、どういう意味ですか?」
岡部「ボロいビルの部屋の中はレンジがずらっと並んでる……なんか怪しい宗教でもやってんのか?」
紅莉栖「このレンジは……そんなものじゃない!」
岡部「だったらなんだっつうんだよ。まゆりも急にバイトを始めて倒れるし、隠れてた場所もこんな怪しいところ……まゆり、変な奴には騙されんなよ」
まゆり「ち、違うよ! クリスちゃんもダルくんも優しいし、メイクイーンだって楽しいもん……」
岡部「お前の両親から聞いたけど、メイド喫茶なんだろ? まゆり、いかがわしいところでバイトはするな」
ダル「いかがわしい……? ……それ、メイクイーンを馬鹿にしてるように聞こえる件について」
岡部「そう取ってもらって構わない。こんな怪しい建物や変なバイト、挙句の果てには優しい顔した変なヤツらに付きまとわれて……どうしちまったんだ」
紅莉栖「……岡部、それ……本気で言ってんの?」
岡部「ああ、本気だ。まゆりのことを思ってこそだ、なにか間違ってるか?」
紅莉栖「岡部……岡部えええ!!」
「ここはボロいビルなんかじゃない! あんたがラボメンが思い出を作り続けた場所だ!
あんたが中心になって、いっつもあんたは悩み続けて……それを、あんたが馬鹿にするのか!」
「……また俺の知らない話か。あんた、あれか? いわゆる、不思議ちゃんってヤツ」
「……まゆりが、まゆりが死んじゃうのよ! あんたはそれをどうにかしようと死に物狂いで、何度も何度もたちあがって……そして後少しのところまできた。それなのに……どうして忘れてんだバカ岡部!」
「まゆりが死ぬ……またそれか。本人が入院する前に……そんなこと言うんじゃねえ!」
「……っ! だ、だって、まゆりは死ぬのよ!? あんたが忘れてるだけで……本当はどうにかしないといけないのよ!?」
「ま、牧瀬氏、落ち着いて」
「離せ橋田! 今岡部に言わないと私も岡部も後悔する! だから……だから」
「……まゆり、行くぞ。こんなとこにいる必要は無い」
「で、でも……クリスちゃんが」
「待って! 逃げたらダメ! 岡部、思い出して! あんたは……岡部倫太郎であり」
「……ラボメンナンバー001、鳳凰院凶真なんだから!」
「ほうおういん、きょうま……? ――っ!? あっ、がっ……ああああああああああああ!!」
岡部頭を押さえながら絶叫し、その場に座り込んでしまった。
「お、岡部……岡部!」
「ど、どうしたん急に……」
「あっ、ぐっ……あ、頭が……割れる……視界が、ぼやける……」
「オカリン……オカリン、大丈夫!?」
しばらくすると岡部は再び立ち上がり、私の方をまっすぐ向いた。
「岡部……もしかして、記憶が」
その言葉に、岡部はなにも答えてくれなかった。
「……すまん。まゆり、行くぞ」
「オカリン……大丈夫なの?」
「今は自分の心配をしろ。……それと、もうここには来ない。まゆりをこれ以上たぶらかさないでくれ」
「岡部……」
岡部とまゆりはそのまま去って行った。あの頭痛は、いったいなんだったのか。
岡部の記憶が戻ったのかと期待をしたのは事実だ。だが、事実は違っていた。
橋田と私はなにも言わず、気付いた時には橋田も帰っていた。
また私は、一人になってしまったみたいだ。
(そっか……私は、なにもできなかったのか)
岡部に思い出してもらうことも、まゆりを救うことも、私の声を届けることも、全て失敗してしまった。
後にはなにも残らない。この精神のまま、私は電話レンジを完成させることができるだろうか。
答えはすぐに出た。一人ではなにもできないだろう。
やはり、私はSERNに行くしかない。まゆりを助けるために、岡部に元に戻ってもらうために。
どうすればSERNとコンタクトを取れるのだろうか。メール、電話、店長さん?
ただ私はソファーに座って、そんなことばかりを考えていた。
しかし、口ではまったく違うことを無意識に発していた。
「おかべ……私……あんたのために、まゆりのために……頑張ったんだよ?」
「……それなのに、どうして怒るの……おかべ。怖かった……怒るあんたなんて……嫌だよ」
私の精神は間違いなく崩壊してしまった。
なにもせず、うわ言のように岡部、岡部と言い続けていた。
一通の、いや――三通のメールが届くまでは。
(……メール? 誰から……っ!?)
届いたのは、2034年からのメールだった。
(2034……? ……これは、Dメール!?)
『世界線は変わ』
『ったラジ館屋』
『上に行け』
「ラジ館屋上……!」
落ち込んでいた私いつのまにかどこかへ消えていた。
ラボを出て、秋葉原駅の方へと全力で走って行った。
目指すのは、ラジ館屋上。そこには、きっと――
ラジ館屋上 扉前
「はあ……はあ……これ、完全に不法侵入よね……って今更過ぎるか」
そういえば、この世界線ではタイムマシンはどうなっているのだろうか。
だが、ここまで登れたことを考えるとラジ館に被害は出ていないだろう。
(それより、この扉どうやって開ければいいのよ……鍵かかってるみたいだし)
そんなことを考えていると、扉の向こうから声がした。
「離れて! 危ないよ!」
「へっ!? な、なに!?」
慌てながらも私は扉の前から離れた。
すると向こうから「せーの!」という声と共に、銃声が何発か鳴り響いた。
「ひ、ひいいっ!? じゅ、銃!?」
そんな私の叫びも気にせず、扉の向こう側の人物が正体を現した。
「君が……牧瀬紅莉栖だね」
「あなたは……阿万音さん……?」
少し疑問風になったのは、私の知っている阿万音さんより少しだけ幼かったからだ。
鍵を銃で強引に壊したおかげで、私は屋上に入ることができた。
そして、わたしの目の前には大きな鉄製の何かが存在した。
「これは……タイムマシン?」
「そうだよ。あたしはこれに乗って2034年から来たんだ」
「2034年? 2036年じゃなくて?」
「うん。実はこれ……SERNの第一号のタイムマシンなんだ」
「せ、SERNの!? ど、どうしてあなたがこれに!?」
「あたしは三人の思いを請け負って、ここまで来た」
「三人……? それはいったい……」
「一人はあたしの父さん、一人は岡部倫太郎」
「岡部……? 岡部が、このタイムマシンを作ったって言うの!?」
「いや、違うよ。これを完成させたのは最後の一人、牧瀬博士、二十年後の君だよ」
「二十年後の……私が、タイムマシンを」
紅莉栖「……ごめんなさい、話が急すぎて整理できてないみたい」
鈴羽「大丈夫、きっとそうなるだろうって牧瀬博士も言ってたから」
紅莉栖「牧瀬博士……それが私の二十年後か」
鈴羽「そう、あたしがお世話になった博士。父さんと岡部倫太郎の仲間であり、タイムマシンの開発者」
紅莉栖「……私は、やっぱりSERNに行ったのか。そうするしかなかったから、仕方が無いか……」
鈴羽「牧瀬紅莉栖、あたしは全て話すように牧瀬博士に頼まれてるんだ」
紅莉栖「全てを……? 岡部のことやまゆりのことを教えてくれるの!?」
鈴羽「うん。だから、聞いて欲しい。これから君が、二十年後の君がどんな道を歩んだのか。そして」
鈴羽「岡部倫太郎の、無念を」
紅莉栖「岡部の……無念」
まず、一週間後に君はSERNに行くことを決めた。
決めてからはとても速かったみたいだよ。
自分の行った今までの実験、タイムリープのこと、Dメールのこと。
価値のある情報にプラスして君の優秀な頭脳をSERNは高く評価した。
君はすぐにタイムマシンの開発、それもかなり上の方に位置することができた。
そのまま君はしばらくSERNの人間とタイムマシンの開発を進める。
その半年後、椎名まゆりが病院で亡くなった。
原因不明の病気、少しずつ衰えていって、そのまま静かに息を引き取った。
あたしの父さんや岡部倫太郎も葬儀には参加した。
でも、その時はなにも特別な思いは無かったんだ。
でも、十二年後、岡部倫太郎は思い出すんだ。
全てを、今までなにもしてこなかったことを。
その時に岡部倫太郎が向かったのが、あたしの父さんのところだった。
ダル「……まゆ氏の葬式依頼、か。久しぶりだな、岡部さん」
岡部「……ダル、その呼び方はなんだ。もう俺を、オカリンと呼んでくれないのか……?」
ダル「オカリン……? 一度も読んだことがないな、勘違いじゃないか?」
岡部「なっ……! ほ、本気で言っているのか!?」
ダル「ああ、本気だ。……悪いけど、なにも知らない」
岡部「俺は……まゆりを助けるために後少しのところまで来たんだ……それなのに、それなのに……!」
ダル「……それは、牧瀬氏が昔言っていたことととても似ているな」
岡部「ああ……紅莉栖は正しいことしか言ってなかった。それを俺は……俺は、俺は……」
ダル「……牧瀬氏に、連絡を取ってみないか? 連絡先は知っているだろう?」
岡部「……昔、消してしまった」
ダル「それなら僕が代わりにコンタクトを取ろう。それでいいな?」
岡部「頼む、ダル……もう遅いかもしれないが……それでも俺は……」
岡部倫太郎は、前の世界線、それに加えて世界線漂流の記憶、そしてこの世界線での三十年間、その記憶が混在していたみたい。
だから、君に言った酷いことも全て覚えているし、椎名まゆりに対してなにもできなかったことも覚えている。
岡部倫太郎は最後まで後悔していた。
あの時、紅莉栖の言葉に従っていれば、まゆりに何かしてあげれば、死ぬ間際までずっと、後悔し続けた。自分の非を、嘆き続けた。
その岡部倫太郎を見捨てられなかったのが、あたしの父さん。
岡部倫太郎と父さんは牧瀬博士に会いに行った。
その時、牧瀬博士はとても喜んだ。仲間が戻って来たこと、そして、Dメールがちゃんと岡部倫太郎に届いていたことを。
Dメール? ああ、2022年に牧瀬博士が送ったんだ。
「椎名まゆりはバイト先の秋葉原にいる」ってね。
本当は、あそこに岡部倫太郎は現れなかった。
君が椎名まゆりを送り届けて終わりだった。
そこで岡部倫太郎に未来からのメールを送ること、ラボに向かわせることで記憶を強烈に思い出して欲しい、そう牧瀬博士は狙ったんだ。
結果的に、君のおかげで頭痛が起きたことによって綻びが生まれた。
だから岡部倫太郎は十年以上経ってからだけど、思い出すことができた。
岡部倫太郎とあたしの父さんは牧瀬博士の口添えでSERNの開発者になった。
ハッカーの腕と別の世界線だけどタイムマシンを修理した実績、そして岡部倫太郎の世界線漂流の経験、これもSERNには価値のあるものだった。
開発の途中で岡部倫太郎は死に、あたしの父さんも死んだ。
最後に残った牧瀬博士、彼女ももう長くはないみたい。
彼女が作り上げたSERN第一号のタイムマシンを、あたしはこうしてここまで持ってきた。
まあ、正直色々あったんだけどね……。
えっ? 持ってきたってどういう意味かって?そんなの決まってるよ。
牧瀬紅莉栖、君がこの世界線を元の世界線に戻すんだ。
このタイムマシンに――世界線を移動することができるタイムマシンに乗ってね。
「世界線を移動する……? そんなことができる訳が……」
「その通り、それは絶対にできないし、できる訳が無いんだ。……でもね」
「大きな変化じゃないけど、世界線の微量な変化はタイムマシンに乗れば起きる」
「岡部倫太郎の持つリーディング・シュタイナーは発動しない程度って感じかな」
「じゃあ、世界線を移動っていうのはいったい……」
「このタイムマシンは、君の記憶を頼りに世界線の分岐点も遡ることができる」
「自身の体験を生かし、牧瀬博士は完成させた。完成したはず、って言った方がいいかな」
「SERNはこんな機能は望んでいない。この機能は父さんと牧瀬博士が創り上げたものだから」
「普通の人は世界線が変わったことなんて知らない、気付いていない、記憶にもない」
「ほんの少し思い出したとしても明確な分岐点を知っている訳では無い」
「その分岐点を知っているのは誰か。世界線が変動した瞬間、リーディング・シュタイナーを発動させた人間だけ」
「それは今、この世界にはただ一人。牧瀬紅莉栖、君しかいない」
「流れに逆らう、普通の人間が普通のタイムマシンに乗ってもそれしかできない」
「でも、牧瀬博士が記憶というものを頼りに遡るタイムマシンを作った、そして牧瀬紅莉栖。君が居る」
「SERNは今、タイムマシンを利用した世界の掌握を実行に移そうとしている」
「それを防ぐため、あたしの父さん、岡部倫太郎、そして牧瀬博士
三人の思い、無念、希望、そのすべてをあたしは請け負ってきた。そして君に託したい」
「……つまり、ただの時間跳躍ではなく記憶を頼りにした時間跳躍+世界線跳躍ってことね」
「つまりはそういうことだね。理解してくれた?」
「……まったく納得できない。理論的にも考えられない、夢物語ね」
「それでも、君に乗ってもらわないといけないんだ。……牧瀬紅莉栖、お願い」
「……はあ、世界線を移動できるか。失敗したら私はどうなってしまうのか。
今日という日で存在が消えるのか、遡ったとしても私の記憶が保全されているかどうか」
「それは……牧瀬博士もどうなるかわからないって言ってた。大分弱々しくなってたから……
きっと、完成したものを作るのは不可能だったと思うんだ。……でも、これを君に託さなければならない」
「不完全なものを過去の自分に押し付けるなんて、狂気のマッドサイエンティストも泣いて逃げ出すわね」
「……牧瀬紅莉栖、どうする?」
「決まってる。――これに乗って、時間だろうが世界線だろうが遡って、必ず元の世界線に戻す」
「ありがとう! お願い、君に全てが懸かっているんだ……」
「わかった。……β世界線に行けばどうなるかわからないし、今更気にすることでもないか」
「……橋田の作ったのとはやっぱりちょっと違うわね」
「それで、これを頭に付けて」
「うわっ……この電極というかなんというか……これを頭に?」
「牧瀬博士の自信作だからね、きっと大丈夫だよ!」
「……大丈夫か、未来の私」
「じゃあ、行ってらっしゃい。気を付けてね!」
「気をつけられたらいいけどね、はあ……」
「行くよ……」
阿万音さんは手馴れた感じでスイッチをどんどんと押していった。
帰りのこと? 一応操作は教わった、けど……。
β世界線に行けば私の存在なんてどうなるか分からない。
それに、誰かがなにかをして世界が変わったのなら、このタイムマシンも存在しないことになるはず。
……平行世界がなければ、の話だけど。
ともかく、これがきっとラストチャンスなのだろう。
まゆりを救い、岡部の無念や橋田の優しさ、そして私の執念は無駄ではなかったと証明したい。
頼むぞ、牧瀬博士――二十年後の私。
8月17日 早朝 ラジ館屋上
「う、あっ……あああっ……頭が、割れそう……」
(えっと、ハッチはたしかこの辺に……あったあった)
目の前に広がっていたのは、ラジ館の屋上、そして秋葉原の朝を見下ろしていた。
(秋葉原には着いた。でも……ここが元の世界線だとは限らない)
(時間は……あれ、この時間だともしかして……)
私はラジ館を急いで出て、秋葉原駅の改札付近を陰からこっそり覗いていた。
すると、現れたのは――スーツケースを持った私と、岡部だった。
「岡部、頑張って」
「……元気で」
(うわー……こうやって客観視すると恥ずかしい……)
(でも、これで確認できた……私は、元の世界線に戻って来たんだ)
そうと決まればやることはただ一つだ。
あの時、ラボには誰かがいた。誰かが電話レンジを起動させていた。
ラボに急いで戻り、その正体を暴く。なぜこんなことをしたのか、する意味があったのか。
理由を知らなければ、ここまでの苦労は全て無駄になってしまう。
(電話レンジを使うことができる人物は限られている……岡部、橋田、私)
(いや、外部の人間……その可能性もある。だとすると、SERNやラウンダー?)
まだ立ち続けている岡部を少しだけ眺めた後、私はラボへと向かおうとした。
だが、その前に気になることが起きた。
(あれ……? 岡部、誰かから電話がかかってきた……?)
岡部は電話をとると話しはじめ、そのままどこかへと移動してしまった。
(えっ? あいつ……どこに向かったんだ?)
それも気になるが、今はラボに行かなければならない。
私は急いでラボへと向かった。
ラボ前
(人の気配は……ない。それならまだ、相手より先にラボに入って待つことができる……)
(でも鍵があるから外部の犯人では……って鍵なんて強引に開けられるわよね)
(とりあえず、中に入って隠れて……ん? 鍵が、開いてる……?)
(もしかして、もう誰か来ている……!? それなら用心しなければならない……)
(静かに息を殺して……中の様子を……)
(……音がしない。まあ、よく考えれば、誰かいるならもうとっくに動かしてるわよね)
(……よし、入ろう。……えいっ!)
勢いよく私はラボの中へと入った。だが、やはりというか誰もいなかった。
(岡部が鍵を閉め忘れた……? まあ……気が動転してたってこともあるか)
(ともかく、これで隠れられる……えっと、いい場所は……)
(シャワー室、位しかないか。……とりあえずここに)
私はシャワー室に隠れ、その時を待った。
時間にはまだ余裕がある。この間に私は、誰の手によるものなのかを考えることした。
変動した後の世界線のことを考える。
そこでは、岡部は(見た目は)チャラリンだった。
でも、岡部はまゆりのことを本当は心配していたようでもあった。
やはり、人間の本質は変わらないのかもしれない。
岡部はどのような形であっても、まゆりを完全に忘れることはできない。
では、その岡部がまゆりと離れるようになってしまったのはなぜか。
岡部はまゆりを人質と呼ぶ。それにはもちろん理由があるはずだ。
今私がいる世界線での二人の関係を、構成させなかったようななにかがあった?
いや、これは岡部とまゆりを中心に考えただけであって、他に考えることは多くある。
それでも、岡部の変化はハッキリ言って異常だ。
ラボで起きた世界改変、そして岡部の変化、これにはおそらく関わりがあるはずだ。
……考えても考えても、結論は出なかった。
そして私は、現れた人物を問い詰める、という単純な方法をとることにした。
相手が武器を持っていたら……終わりだけど。
世界改変の時間まで後、二十分。
(あと十分……そろそろね)
息を殺し、相手を待つ。必ず誰かは現れる、それは間違いない。
(……ここで撃たれたりしたら、どうなるのかしら。対策しておけ――っ!?)
来た、人の気配がする。その感覚は間違っていなかった。
ドアを開ける音、足音、そしてそのまままっすぐに電話レンジへと向かっていく。
(……よ、よし、まずは相手の顔を確認しないと)
私は静かに、ゆっくりと体を動かし、少しずつ覗き込む。
誰かがいるのは間違いない。では、それはいったい誰か。
世界を改変し、まゆりの救出を困難にし、私や岡部を絶望へと突き落とそうとした人物。
その顔を、私は見た。許されない相手を、私は確認した。そして、その人物とは――
私は、言葉を失ってしまった。
(えっ……? い、いや、見間違えたに決まってるわ……そんな、まさか……有り得ない)
私はしばらくその事実を信じることができなかった。だって、どうして、なぜ?
だが、納得はできる。その人物が改変すれば、
確かに岡部とまゆりの関係が変化する可能性は高い。
いや、むしろその人物にしかできない。だからこそ、納得してしまった。
信じられないが、それ以外に当てはまる人物はいない。
武器の心配はなくなった。命を落とす心配は、今は考えないでおく。
静かに隠れていただけだが、私は立ち上がり、その人物のところへ向かった。
距離は本当に短い、すぐに相手も気づいた。
後ろを振り向いたその顔は、どうして私がここにいるのかわからない、といったところか。
世界を改変し、あと一歩まで迫ったまゆりの救出を阻んだ人物。
それは――
「……なにをしているの、まゆり」
「……っ! ……クリスちゃん」
私の大切な友人、岡部があらゆるものを犠牲にして守ろうとした人物。
――椎名まゆりであった。
「電話レンジを使って、何をしようとしていたの?」
「…………」
「……お願い、答えてまゆり! どうして、どうしてあなたがこんなことを……」
「……あのね、まゆしぃ……全部聞いちゃったんだ」
「全部、聞いた……?」
「うん……オカリンとクリスちゃんがラボで話していたのを、全部。……ごめんね、盗み聞きしちゃって」
「ラボでの会話……っ! まさか、昨日の……」
「あのね、まゆしぃが生きている世界と……クリスちゃんが生きている世界は……違う世界なんだよね」
「それと、まゆしぃもクリスちゃんもどっちも生きられる世界は……ないんだよね」
「……まゆり」
まゆりは全てを知ってしまった、今は自分が死ぬ世界だということを。
そして今、岡部は私が死ぬ世界へと移動しようとしていることを。
「違うわ、まゆり……それは一つの考え方ってだけで、本当にそうなるとは」
「でも、まゆしぃは何度も何度も……そうなっちゃたから。……その度に、オカリンは悲しい顔をしてくれてた」
「まさか、タイムリープした全てを覚えているの……?」
「ううん、全部じゃないよ。……でも、オカリンが何度も泣いてくれたのは、覚えているのです」
「……そう、覚えているのね」
「ねえ、クリスちゃん。これはまゆしぃの夢じゃ、ないんだよね……。
オカリンが辛い思いをしたのも……全部、全部……夢じゃないんだよね」
私はなにも言うことができなかった。そうだ、と言っても何も意味はない。
違う、と嘘を言う必要もない。まゆりは、全てを知ってしまったのだから。
「だからね、まゆしぃは決めたのです。……クリスちゃんも、オカリンも悲しい思いをしない世界を作ろうって」
「私も岡部も悲しまない世界……それを目指して、Dメールを送ろうとしたのね」
「……うん」
「まゆしぃね、……どうすればオカリンがまゆしぃから離れてくれるかを考えてみたの」
「……Dメールを誰に送ろうとしたの?」
「……お父さんに、送ろうと思ったんだ」
「お父さん……? たしかに、肉親なら影響は大きいかもしれないけど……」
「……えっと、これを送ろうと思ったのです」
まゆりの見せた未送信メール、その中身は。
『おばあちゃんはまゆりを見守ってるよ』
「これで……このメールで世界があれだけ改変したというの……?」
「……そのメールを送ろうとした時はね、まゆしぃはおばあちゃんが死んじゃってとっても悲しかったの」
「その時に、オカリンが……まゆりは俺の人質だ、どこへも行くなって言ってくれたのです」
「そこから人質の関係が始まった……」
「それだけじゃないよ。オカリンが今みたいなことをしてるのは……その時がきっかけだったから」
「フゥーハハハ、って感じで笑ってね。まゆしぃを抱きしめて……どこにも行くなって……」
岡部のマッドサイエンティストとしての行動、鳳凰院凶真へとつながるもの。
それは、悲しみに暮れるまゆりを、弱々しいまゆりを繋ぎ取るために、始まったものだった。
「そのメールを受け取れば、きっとあの時のまゆしぃは元気になると思ったのです」
「……おばあちゃんがいなくなっても、見守ってくれていると思えば、ってことね」
「うん。それならオカリンは……まゆしぃから離れられるだろうから」
そして同時に、マッドサイエンティストや鳳凰院凶真なんかも必要が無くなる。
岡部がラボを作らない、というのも納得ができる。
やはり、岡部に一番影響を与えられるのは、まゆりだ。
まゆりは一通のメールで、岡部を自分から離すことに成功した。
だが、それが生み出した結果は――。
「ねえ、クリスちゃん。……飛行機に乗ったんじゃなかったの?」
「……ええ、そのつもりだったわ。まあ、そろそろこっちに着くかもね」
「えっ? どういうこと……?」
「私はね……まゆりがそのメールを送って改変された世界から来たの」
「そして、私は世界改変を……まゆりのDメール送信を止めるために、ここにいる」
「……クリスちゃん」
「まゆり、あんたが改変した後の世界を簡単に教えてあげるわ」
私はあの世界線で様々なものを見てきた。その中から、まゆりに響きそうなものを私は選んだ。
「……岡部は、まゆりを救えなかったことを後悔しながら死んでいった」
「……っ! クリスちゃん……それ、本当なの?」
「ええ、未来人が言うんだから間違いない。……あんたがどれだけ世界を変えようと、岡部は最後にはまゆりのために命を懸け……そしてあんたを救うために何でもするのよ」
「そ、そんな……」
「……私も、まゆりを助けるために死ぬまで頑張ってたみたいよ。あと、橋田もね」
「…………」
「まゆり、はっきり言うわ。――あんたがどれだけ岡部から離れようとしても、岡部は絶対にあんたを助けようとする」
たとえ記憶がなくても、忘れていても、人間の本質は変わらない。
岡部はどんな状況であっても、まゆりのことを思っていた。
「だから、あんたは……岡部に助けてもらうことを拒むな。……岡部のために、みんなのために」
「……まゆしぃがしようとしたことは、ダメなことだったのかな」
「まゆり、……それはあなたが優しすぎたから、そして、岡部のことをわかっているからできたのだと思う」
「でも、クリスちゃんは大変な目に遭ったんでしょ……?」
「……ええ、電話レンジは完成しないし、橋田は相も変わらずHENTAIだし……
岡部はチャラリンだし……あー、思い出しただけでもイライラしてきた……」
「チャラリン?」
「髪は茶色、ピアスを開けて未成年のクセに煙草を吸って服装もバッチリ決めてる岡部のことよ」
「ええっ? まゆしぃ、そんなオカリンは嫌なのです……」
「同感ね。……それでも、意外とまゆりを大切に思ってたりもするのよね」
「そうなの?」
「うん、どこでも岡部は岡部よ。チャラリンだけど」
「そっかー……まゆしぃもちょっと見てみたいかな」
「今度やらせみようかしら。きっと嫌がるだろうけど」
「えへへ……クリスちゃん」
「なに、まゆり?」
「……ありがとう」
「さて、私はそろそろ隠れないと……」
「えっ? どうして?」
「すぐわかるわ……来た!」
「あれ……? 開かない……岡部! そこにいるんでしょ?」
「情けないけど……このまま離れるのは嫌だから戻って来た。だから、ここを開けて」
「岡部、お願い。どうしても会いたくなった、だから……」
「これ、クリスちゃんの声だよね……?」
「ええ、この世界線の私ね……鉢合わせたらアウト」
「あっ、それなら……えーっと……あっ、もしもし、オカリン?」
『まゆりか……今度はどうした?』
「今ね、ラボの前でクリスちゃんがチューしたい、チューさせろー! って暴れてるのです」
(は、はあ!?)
『な、なに!? 分かった……今すぐ向かう!』
そうするとまゆりはニヤニヤしながら電話を切り、私の方を向いた。
「……まゆり、どういうことか説明してくれるかしら?」
「クリスちゃん、まゆしぃはちゃんと言ったよー。昨日のお話を全部聞いたって」
「全部…………あっ、あああっ!? ま、まさか……」
「えへへー、クリスちゃんが羨ましいなーってまゆしぃは思います」
「ちょ、ちょっと、まゆり! ……鬱だ」
「……なんか、あっちの私はどこかへ消えたみたいね」
「オカリンが近くにいたから、きっとすぐに会えたんだよ」
「近くにいた?」
「うん、一時間前くらいにオカリンに電話してね、ラボには来ないでねって言っておいたんだ」
「じゃあ、駅で岡部が電話していたのはまゆりだったのね……でも、どうして?」
「もし、ラボに来ちゃったら……離れたくないって思っちゃうかもしれないから」
「……でも、もうその必要はない。いいわね、まゆり?」
「うん……あのね、まゆしぃもクリスちゃんみたいに頑張るからね」
「私みたいに? どういうこと?」
「それはね……内緒なのです」
「……もう。わかった、でもいつか教えなさいよ」
そんな日が、もし来たらどれだけ幸せだろうか。
でも、β世界線に移れば私はいなくなる。
さようなら、まゆり。……元気でね。
二時間後
「……それではこれより、『現在を司る女神』作戦最終フェイズを開始する」
岡部とまゆり、橋田、三人だけしかいないはずのラボ、そこに私はこっそり隠れていた。
世界線が変わるのを見届けるため、そして、岡部の声を聞くために。
「ダル、始めてくれ」
「……いいんだな?」
「……ああ」
「オーキードーキー」
そこには当たり前のラボの光景があった。
岡部がいて、まゆりがいて、橋田がいる。三人は協力して、なにかを成し遂げようとしていた。
そこに、私の姿はなかった。あってはいけないのだが、やはり少し寂しい。
きっと、未来の私は岡部と橋田が来てくれた時、涙を流して喜んだはずだ。
それは、岡部と一緒にいられなかった私が言うのだから間違いない。
そして、橋田の腕によってすぐに目的のものは見つかったようだ。
「オカリン! 見つけた! マジであったぞコレ!」
「あったのか? 俺が送ったDメールが!」
後少しで、世界は変わり、私は――。
「エンターキーを押せば、データは消えるようになってる」
橋田は立ち上がり、岡部のために席を空けた。
「その儀式はオカリンに譲るわ」
岡部は席に座り、自分を落ち着かせるために深呼吸をした。
本当に消えてしまうのか、私にはわからない。それでも、さようならと思わずにはいられなかった。
「……待って、オカリン」
「まゆり……? どうした、なにも問題は……」
「クリスちゃん、出てきて欲しいのです」
「く、紅莉栖?」
「えっ? 牧瀬氏おるん? どこどこ?」
(ま、まゆり!? いったい何を考えているの……?)
「クリスちゃん……お願い」
そこまで言われては、もはや隠れている意味などなかった。
岡部や橋田と目が合い、何を言っていいのか分からなかった私はとりあえず、
「は、ハロー……」
といつも通りの挨拶をしてみることにした。
「紅莉栖……お前は電車に乗ったはずでは」
「色々あるのよ……ちなみに、私はそこまであんたとチューしてない方の私だから」
「なっ……な、なにを言っているんだ!?」
「おっ? オカリン、そのチューとやらを出来ればkwsk濃密にレポよろ」
「はあ……まゆり、どういうつもり?」
「……オカリン、まゆしぃは謝りたいのです」
「あ、謝る?」
「まゆしぃはね、オカリンの重荷になりたくない、クリスちゃんに生きてほしいから……オカリンから離れようとしたの」
「離れようと……どういうことだ」
「本当は、まゆしぃはDメールを送るつもりだったんだ……」
「……なにを送るつもりだったのだ」
「子供の頃のまゆしぃが、一人でも頑張るって思えるようなメール。それを送るとね……」
「オカリンは、まゆしぃとはあまり話さなくなったの。……ね、クリスちゃん」
「紅莉栖? なぜお前がそれを……」
「私は、この世界線の牧瀬紅莉栖じゃないから。まゆりのDメールで改変したあとの世界から来た」
「改変後の世界から!? い、いつの間にそんなことが……」
「……まあ、それはどうでもいいの。……まゆり、どうしてこんな話をしたの?」
「オカリンから、離れようとして……結局まゆしぃは迷惑をかけちゃったから、謝りたいと思ったのです」
「そ、そうか。だが、身に覚えのないことを謝られてもな……」
「あのね、本当に言いたいのはこっちの方なんだ……オカリン、お願い」
「……まゆり、言ってみろ」
「世界が変わった後に、まゆしぃにクリスちゃんのことを教えてほしいのです」
「まゆり……あんた」
「クリスちゃんがそんなに頑張ってくれたんだから、まゆしぃもクリスちゃんを……助けてあげたいの」
「まゆり……だが、お前は俺のように記憶できる訳ではないんだ。だから……」
「でも……やっぱりまゆしぃはラボメンはみんな一緒がいいのです」
「……まゆり、ありがとう。……その気持ちだけで十分だから」
後少しで泣きそうだった。いや、もしかしたら泣いていたかもしれない。
それほどまゆりの言葉は暖かかった。この世界への未練なんてすべて吹き飛ばしてしまうくらいだった。
それを受けて岡部はたちあがり、高らかに笑い出した。
「フ、フゥーハハハ! そうだ、その通りだ。なにを俺は馬鹿な事を考えていたんだ……」
「お、岡部……?」
「まゆり、お前は俺の人質だ。ならば、その願いは……この俺が叶えてやろう!」
岡部は立ち上がったまま、大声で続けた。その顔はどこか晴れやかだった。
「誰が二人とも助けられないと決めた、誰が諦めろと言った、それを言っていたのは全て自分ではないか!」
「これは終焉では無い、旅立ちだ。新たな戦いの始まりだ!」
「この鳳凰院凶真が諦めるなど、有り得ん。俺は世界線を越え、今こうしてこの場に立っている!」
「お、いつものオカリンっぽいじゃん」
「まゆり、まずはお前を救う。そして紅莉栖、長くなるかもしれないが待っていろ。
必ずやお前も助けだし、全てを手に入れる世界線へと到達して見せる!」
「呆れた……そんな都合のいい世界線、あると思ってんの?」
「無ければ創り上げるまでだ。それこそが、マッドサイエンティストというものではないか!」
そこにいたのは、岡部倫太郎であり、鳳凰院凶真だった。私の大好きな、大切な人がそこには立っていた。
「……バカ岡部、本気にするぞ」
「構わん。待っていろ、紅莉栖! まずは――β世界線へ移動する!」
そして、岡部はエンターキーを押した。
あと私にできることは、待つだけだ。
真っ暗な世界がそこには広がっていた。
なにも考えられず、ただそこにいるだけ、それしか私には許されていなかった。
これが、死んだってことなのだろうか。非科学的だけど、あの世っていうものなのだろうか。
(このまま、この真っ暗闇に取り残されるのかな……)
おそらく、というか間違いなくそうだろう。
これが、世界線を移動し、私は死んでしまったという証なのだろう。
(……岡部、本当にたすけてくれるの? 待っていればいいの……?)
その問いに答えはない。ただ暗闇が広がっているだけなのだから。
そこに、声が聞こえた。聞き覚えのある、いつまでも聞いていたい声。
「お前は……俺が、助ける」
そして、世界はまた変わった。
「――っ!? は、はあ……はあ……こ、ここは?」
「だ、大丈夫ですか?」
目の前にいたのは二人の男、二人ともくたびれたスーツを着ている。
「え、ええ……大丈夫です」
「体調が悪いようですし、今日はここまでしておきましょうか」
「牧瀬さん、またなにか思い出したら教えてください。この電話番号までいつでもどうぞ」
(警部……警察か。……警察? どうして私が警察と?)
それよりも、もっと先に考えるべきことがあった。
ここはどこなのか、今は何日なのか、そして――。
(この世界線は……いったい。私は生きているみたいだから……β世界線ではない?)
どうやら話していたのは人の少ない喫茶店のようだ。
外に出ると、まだ日差しが少し強い。
(まだ夏……? 今日は、何月何日だろう……)
ポケットに入っていた携帯を確認すると、すぐに日付は分かった。
今日は8月25日、暑いのも納得できる。
(生きている、わよね……ここがあの世とは思えないし……)
(……秋葉原に行ってみれば、なにかわかるはず)
(岡部は、まゆりは……無事なのだろうか)
私は電車を乗り継ぎ、秋葉原に向かった。
電車の中では様々な不安や可能性について考えていた。
(ここはα世界線で、岡部たちは移動した。……平行世界はあった、ってパターン)
(岡部が失敗して全員α世界線にいるパターン、私もβ世界線で生存できたパターン)
(……そして、私もまゆりもどちらも生存できる世界線)
ともかく今は単純に、岡部に会いたい。
秋葉原 ラボ
(……とりあえずここに来てしまった。ここに来れば、誰かには会えるはず)
(鍵は開いてる……ってことは、誰かいる?)
「こ、こんにちは……」
「あれー? お客さんだ、こんにちは」
(……まゆり! 生きている? 日付は8月25日……いや、まだわからない。
あの世界線ではずいぶん後にまゆりは死んでしまった……)
「はじめまして。椎名まゆり、まゆしぃです☆ よろしくお願いします」
「よ、よろしく。私は牧瀬紅莉栖です」
「まきせ、くりす……? もしかして……クリスちゃんですか?」
「えっ? ええ、たしかにまゆりにはそう呼ばれていたけど……まさか、覚えているの?」
「ううん、オカリンに教えてもらったのです。お前には大切な友人がいる。
牧瀬紅莉栖という人物を、お前を絶対忘れてはいけない、って」
(岡部……あの時の約束、守ってくれたんだ)
紅莉栖「まゆり……って、こう呼んでもいいのかしら」
まゆり「うん! いいんだよー、クリスちゃん」
紅莉栖「あの、岡部はどこにいるの? 今はどこかに出かけてるとか?」
まゆり「……えっとね、オカリンは今……入院しているのです」
紅莉栖「……えっ? ど、どういうことなのまゆり!?」
まゆり「まゆしぃもよくわからないけど……気づいたら入院していて」
紅莉栖「意識は……あるの?」
まゆり「……入院したての頃は、ちょっとだけ起きてたの。そこでクリスちゃんのことを教えてもらったのです」
紅莉栖(私のことより他に話すことがあるでしょうが、あのバカ……)
まゆり「今は、ずっと寝てて起きないから……まゆしぃは心配で仕方ありません」
紅莉栖「……まゆり、その病院。教えてくれる? お見舞いに行ってみようと思う」
まゆり「あっ、それなら一緒に行こうよ。二人で行けばきっとオカリンもすぐに起きるよー」
紅莉栖「そうね……一緒に行きましょうか」
病院 岡部の病室
紅莉栖「岡部……本当に目を覚まさないのね」
まゆり「まゆしぃがどれだけ声をかけてもダメだったのです……」
紅莉栖「……どこを怪我したの?」
まゆり「お腹にとっても深い傷があるってお医者さんが……」
紅莉栖「……なにをしたらそんな傷がつくのかしら」
まゆり「それが分からなくて、オカリンもなにも言わなかったみたいなのです……」
紅莉栖「そう……まあ、岡部らしいといえばらしいわね」
紅莉栖(またそうやってあんたは一人で抱え込もうとしてるのか?)
紅莉栖(聞きたいこと、たくさんこっちはあるんだから……早く起きなさいよ、岡部)
数時間後
まゆり「クリスちゃん、まゆしぃはそろそろ帰らないといけないのです……」
紅莉栖「ええ、わかった。気を付けて帰りなさいよ、まゆり」
まゆり「クリスちゃんはもう少しここにいる?」
紅莉栖「そうね……そうしようと思ってる」
まゆり「じゃあ、オカリンのことよろしくお願いします。またねクリスちゃん、トゥットゥルー♪」
岡部「…………」
紅莉栖(岡部にやっと会えた、まゆりも側にいる……それなのに)
紅莉栖(あとはあんたが起きるだけよ、岡部……)
私はそのまま、時間の許す限り岡部の側にいた。
そうして、ただ岡部の側にいる日々が数日間続いた。
八月が今日で終わる。この夏は、様々なことがあって一言では言い表せない。
辛いことばかりだった気もするが、得たものは大きい。大切な仲間、友人、そして、大切な人。
その人が今、目の前にいる。目を覚まさないけど生きている。
それだけでも十分喜ぶべきことだ。それでも私は、岡部と話をしたい。
この世界線でなにがあったのか、まゆりはもう心配しなくてもいいのか。
私がまゆりのDメールによって改変された世界で、あんたになにを言われたのか。
全部話したい、全部聞きたい、知りたい、伝えたい、だから――。
「岡部……お願い、目を覚まして……」
この言葉が届かない、それも分かっている。それでも私は岡部に言葉を投げ続ける。
そのうちに、私は岡部にまだ言っていないことがあるのを思い出した。
(そういえば、私……岡部に好きって言ってないかも)
(岡部はちゃんとラボで言ってくれた、でも……私は)
(こ、こういうのって……寝ているときに言ってもいいのかな……)
(でも、なんとなく卑怯な気も……いや、それだと一生言えない気もする……)
(……ちょっと不謹慎な気もするけど、これはある意味チャンスよね)
(今、岡部に好きって言えば……こう、なんか、やってやったぞ感があるというか)
(よ、よし……今しかない、練習とかそういうもんだと思えば……)
(いつかちゃんと言うってことで……とりあず練習、そういうことにしよう)
(えっと、こういう時は……なんて言えばいいんだろう)
「お、岡部……私は、その……あんたと会って、まだそんな日数は経ってない」
「でも、短いけどその分あんたとは……結構、色々、心を通わせたというか……」
「……正直に言うと、あんたがいないともうダメなんだと思う」
「今はあんたが寝てるから、こうやって言えるけど……起きたらこんな風に言えないんだからな!」
「ファーストキスだって岡部にあげたし……その後もキスは……いっぱいしたし」
「……い、いい、一度しか言わないから。寝てたからって、もう一度言うとかないから」
「岡部……私は、あんたのことが……」
「す、……す……好き、だから」
(……は、恥ずかしい! これなに……寝ている相手に言ってるだけなのにものすごく恥ずかしい!)
「はあ……寝てるからいいけど、もし起きてたら本当に死ねるわねこれ……」
「まさか、起きてるとか無いわよ――――あ」
岡部「…………」
紅莉栖「…………」
岡部「…………」
紅莉栖「…………」
岡部「……あー」
紅莉栖「…………」
岡部「いや、その……」
紅莉栖「…………」
岡部「とぅ、トゥットゥルー……」
紅莉栖「……い」
岡部「……い?」
紅莉栖「い、い……」
岡部「い……?」
紅莉栖「いやあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
「ど、どこから!? どこから起きてた!?」
「『お、岡部……』のところだな」
「……お約束の一番最初からってことね。岡部、ちょっと頭開いて。電極ぶっ刺すから」
「お、落ち着けクリスティーナ! 俺は病人だぞ!?」
「知るか! 病人とか言って起きないで……さんざん人に心配させといて……! つーかティーナじゃねえし!」
「す、済まなかった……いや、本当に起きたタイミングが丁度よかっただけで……」
「……もういい、どうせいつかは言うことになるんだから」
「そ、そうだな……なあ、紅莉栖」
「……なによバカ岡部」
「あー、その……俺も、好きだ」
「…………嬉しいから許す」
「この世界線ではまゆりは死なない……それでいいのね?」
「ああ、もう悩まなくてもいい。まゆりも紅莉栖も死なない、これが俺の、そして仲間たちと勝ち取った世界線なのだ」
「そっか……あんた頑張ったのね、お疲れ様」
「なあ、紅莉栖。どうしてお前は覚えているんだ? リーディング・シュタイナー、俺と同じ位の力を持っているのか」
「さあね。チャラリンが不甲斐なかったから、私が頑張るしかなかったのよ」
「……チャラリン?」
「多分チャラリンの方がモテると思うけど……私は今の方がいいから」
「あ、ああ……よくわからんがそうなのか」
「……ねえ、岡部」
「なんだ、紅莉栖」
「もう、私の前からいなくならない? どこにも行かない?」
「約束する。俺はどこにも行かない、ラボメンの側に。……そして、お前と共にある」
「……わかった、信じる。ねえ、岡部……その」
「……するならもっと近づけ」
「わ、わかってるわよ! よっと……じゃ、じゃあ、いくわよ」
「早く来い……俺は動けないんだからな」
「偉そうにするな。……目、瞑って」
「……紅莉栖」
「……岡部」
岡部は紅莉栖を頼り、紅莉栖は岡部を探した。
その二人はラボ、という空間であったりラボメンという仲間によって繋がりを強めていった。
二人は、様々な形で最も大切な友人を、自分を理解してくれた人質を命がけで救った。
岡部倫太郎は二度と消えない。これからもラボに存在し、ラボメンと共にあり続ける。
そして、その横にはきっと、牧瀬紅莉栖がいつまでもいてくれるはずだ。
終わり