この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・テレビ番組その他一切と関係ありません。
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ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールール ルー
『女の部屋』――
誰もがその存在を知っており、おそらく一度は目にしたことがあるであろうテレビ番組である。
一組のゲストを呼び、司会の女がその近況やエピソードなどを聞きだしていくトーク番組で、芸能人にとってはこの番組に出演すること自体が一種のステイタスにもなっている。
知名度の高さもさることながら非常に稀有な長寿番組であり、しかも番組始まって以来司会が交代することなく続いていた。
女が脳出血による緊急入院、という事態を迎えるまで。
女は齢八十を過ぎており、日々の精勤で同年代の老人と比較すればいくらか若々しいとはいえ、長時間の手術はそれだけで生命を危険にさらす可能性があった。
また、たとえ手術に成功したとしてもテレビ番組への復帰など絶望的ではないか――世間ではそうささやかれていた。
手術が成功した、という一報が伝えられるものの『女の部屋』はしばらく過去の再放送を行ったあと、一時休止、という体裁で幕を閉じた。
それから時が過ぎ、年も暮れようという頃、かわって枠で流されるようになった。
他局と横並びの情報バラエティ番組が視聴率レースで苦戦しているときに新しい一報がもたらされる。
『女の部屋』が再開される、というのである。
女に芸能活動が可能かどうか、それは誰にもわからない。そのため『女の部屋』は年末特番という形で帰ってくることになった。
それに特番らしく生放送で一般人のスタジオ観覧ありという、いつも見ていた『女の部屋』とは一風異なる性質になっていた。
露骨な視聴率狙い、などという声も上がったが実情は違い、これは収録番組だと編集を入れるため、放送枠より長い時間トークをすることが求められるからで、女サイドとスタッフ間の調整で決めたことだった。
女の復帰に対していかに慎重な姿勢であったか、はそれだけにとどまらない。
女「皆さんこんにちは。私事ですが入院しておりまして長らく『女の部屋』をお届けすることができず申し訳ありませんでした」
番組が始まり、客席の拍手に包まれながら女が切り出す。特徴ともいうべき早口はややまろやかであったが、入院前と変わらぬ女がそこにはいた。
女「本日ご紹介するのは、年末といえば恒例の男さんです」
男「どうも」
ゲストに選ばれたのは昼の生放送に最も強い、男。
女と同じく昼のバラエティ番組の司会を近年まで行ってきた経歴があり、数々の芸能人とのトークでその手腕を知らぬものはない。
万が一、女が司会進行に窮したときに臨機応変な対応で放送を軟着陸できること。
『女の部屋』出演回数も多く番組を知っている、という点も頼もしい。
ゲストの選出一つにも細やかな気配りがなされていた。
女「男さんには毎年芸をやってもらって私も大変楽しませていただいているんですけれども、今年は私自身あんなことになってしまって、もう見ることができないんじゃないかと思っていたので、とても嬉しいです」
男「いやーそこまで褒めていただくようなものじゃないんですけどね」
事前の打ち合わせで、男にはスタッフの指示で芸を始めることを了承済みである。
生放送であれば収録より細かい段取りがなされるため、いつ始めるかはおおよその時間が決められるものだが、今回に関しては女の体調をみてそれに合わせて芸の披露を差し挟むことになっていた。
それは女にとってCM中以外に小休止する時間が与えられることを意味しており、激しい緊張と消耗からわずかに解放される機会が用意されているのだ。
かつては長年続けてきた仕事なのだから、熟練して余計な力も入らなくなりそこまで体力を削ることなどないだろうと思うかもしれない。
内容もただしゃべるだけ、となればなおさらだ。
女とゲストを挟むテーブルにはメモ書きが置かれている。
ゲストのプロフィールや近況などの事前調査が書かれているのだが、女は基本的に番組前には一度それを完全に頭に叩き込んだうえでどのような形でそれらを番組に活かすかを計算するのだ。
それは将棋の棋士が局面から数手先を読むのにも似ており、終了のときまで莫大なエネルギーを消費し続ける。
スタッフ側から「話を手短に」や「○○の話題に持っていって」などの指示が入ることもあるが、その際に構成を調整することは当然女にしかできない。
ゲストにも感情はあり、その機嫌を損ねたり話す意欲を削いでしまわないような言葉選びをすることの大変さは、誰しも経験から理解できることだろう。
女「この番組では何度か男さんの『カツラ疑惑』について否定してきましたが、今日ははっきりカミングアウトします。カツラです。……私が」
男「えっ……カツラなんですか、それ?」
女「手術するのが頭だったものですから、ほらこんな歳でも一応女ですからお医者さんも配慮して、丸坊主にはせずに手術に必要な部分だけ剃ってくださったんですけれども、元の長さにはなかなか戻ってくれなくて長さが揃わないでしょ?」
男「はあ、まあそうでしょうね」
女のボリュームのある髪型を見ながら男がうなずく。
番組開始から二十分余り。特に問題もなく二度目のCMに入る。
が、スタッフが期待したほどには女の状態は万全とはいいがたく、CM中はずっと目を閉じて一言もしゃべらない。
呼吸も荒く、男やスタッフはボクシングでラウンド終了のゴングが鳴ってコーナーに戻るボクサーを迎えるセコンドのような気持ちになっていた。
これは生放送であり、決してタオルを投げることは許されない。
それを誰よりもよく知っているのはほかならぬ女自身であっただろう。
だからこそ、少しでも体力を回復させようと必死なのだ。
女「次のCMはいつ頃ぐらいかしら」
CM明け前に女がたずねる。
年末特番で枠が拡大されているのでなければ、あとほんの数分で番組終了のはずだった。
長寿番組の不死鳥のような復活に、かつてのスポンサー企業は先を争うように名乗りを上げ、通常枠では足りなくなってしまったのだった。
テレビの凋落がうたわれる今、局にとっては嬉しい誤算だったが、現場には張り詰めた雰囲気がただよっていた。
十五分後です、というADの回答があり、女は小さくうなずいた。
そうなの、というかすかなささやきを聞き取ったのはそばにいる男だけだった。
女「男さんは本当に料理がお上手で、……その、プロのお料理をする、ええと」
男「昔はプロでしたからね。喫茶店のマスターですけど。トーストなんて今でもうまく焼けますよ」
女「あらご冗談を。この人はね、和洋中なんでもお得意ですのよ。何度かご馳走になったことがありますけれども、いつも本当に美味しくて」
持ち味ともいえる流れるような話術は明らかに精彩を失っていたが、そのつど男が巧みにフォローする。
生放送でのトーク、という点では男の方が場数を踏んでいる。
女がどう話を進めたいのか理解したうえで、流れを止めずにさりげなく軌道修正できるのは、やはり男もベテランであるという証だろう。
スタッフたちは安心しつつも、時計に目をやる頻度は時を追うにつれ高くなっていった。
もう少しでCMに入れそうな時間帯に、女の不調が明らかな発言が飛び出した。
女「そういえば男さんの番組に逆に私が出演して、電話で翌日のゲストをご紹介するコーナー、あれにまた呼んでくださらない?って、男さんが決められるわけじゃないんですけども」
該当する番組は、すでに終了しているのだ。
先に述べたとおり、女は事前にゲストの情報を頭に叩き込んで番組に臨んでいる。
それでも記憶違いをすることは何度かあったが、ほとんどはゲスト自身やその熱心なファンぐらいしか知らないような事柄だ。
だが、この間違いに関しては誰もが気づいた。
『女の部屋』と同等、あるいはそれ以上の知名度を誇る番組で、長く昼の看板として知られており、番組終了も遠い昔ではない。
こんな初歩的なミスは、かつての女であれば絶対にありえなかっただろう。
男「確かに私の一存ではどうしようもないんですけど、女さんも帰っていらしたことですし、私も昼の帯に戻ってみるのも悪くないなあって思ってたところなんですよね」
客席からええっ、という声があがる。
方便に決まってるじゃないか、とスタッフの一人がつぶやく。
女の勘違いを、あたかも番組復活という特ダネを握っていたかのように持って行ったのだ。
男「でも前と違って今度は同じ時間帯ですからね。女さんが出演すると両方の局で女さんが出てる、なんてことになって視聴者が困りますよ」
女「そうですわね。私の番組は、今日は生放送ですけど普段は収録なので、やろうと思えば実現は可能なんだけど、どっちを観ればいいの?ってなりますわね」
男の好フォローに助けられながらもようやく三度目のCMに入る。
再び目を閉じて女は回復につとめている。
番組の三分の二が終わり、CMは残り一回。
ただしそれはほぼ終了の間際に差し込まれることになっており、実質的にはこれが最後の休憩である。
唯一の救いは芸の披露、というカードがまだ残っていることだった。
そして、CMが明けて二、三分が経過した頃――
女「ところでお話は変わるんですけど男さんは――」
不意に言葉が途切れ、女がうなだれる。
目は開けたまま、一人だけ時間が止まったかのように動かなくなった。
男も声をかけず、場に静寂がもたらされる。
おもむろにざわめきだす客席。
CM入れますか?、とスタッフの一人がたずねる。
ディレクターもとっさには判断しかねていた。
CMは先程入れたばかり。
それにここでCMを入れればもう女にこれ以上番組を続けさせることはできないだろう。
『女の部屋』の復活も今回限り、ということになりかねない。
『女の部屋』に戻ってくることは女も望んでいたことだった。
年齢こそ親子ほどにも離れているが、長年仕事をともにした間柄である。
女の熱意を今ここで無にしてしまうような決断はできなかった。
男が、非常にゆっくりと、それこそもっさりとした動作で立ち上がったかと思うと、やはりもっさりとした動作で腰を下ろす。
意味不明の動作を、男はもう一度もっさりと繰り返した。
司会は身動き一つできず、ゲストは謎の立ったり座ったり。
『女の部屋』はかつてないメチャクチャな状態に陥っていた。
男の滑稽な動作を見て、ディレクターはそれが何かの合図なのだと察した。
もし本当に危険な状態であれば、男があんなにのんびりとしているはずがない。
生放送を知り尽くしている男の判断にすべてを委ねようとディレクターは思った。
オンエアを続ける、と判断を下す。
一分余りが経過しても、女は言葉を発しないどころかまばたき一つしない。
今頃電話が殺到していることだろう。
インターネットでは放送事故のつぶやきが駆け巡っているに違いない。
ざわめきが大きくなっていくのと対照的に男も腰を下ろしたまま固まったようになり、セットの中を沈黙が支配する。
もはや、何があった?ではなく誰もが女の脳出血で緊急入院した報道を思い起こしていた。
テレビの草創期から活躍していた女が、今まさに本番中にその生を終えたのではないか。
『女の部屋』でゲストの輝く一瞬を引き出してきた女が、自分自身の輝きを土産に世を去ったのではないか――
男は呼びかけもしなければ近づきもしない。
まるで女が死んでいるのを確かめることを恐れているかのようでもあった。
しかし男の胸中は異なる。
マイクも拾わない小さな「えぇ」という声を聞いた気がしたからだ。
女は生命を燃やしてでも何かを語りかけようとしている、と男は思った。
あるいはそれは、ただの呼吸の異常により発生した現象かもしれない。
単に無事を願う男が、ありもしない声を聞いたように錯覚しただけかもしれない。
そのような「かもしれない」を考慮したうえで、男は自分の経験を信じた。
数多くの芸能人や著名人と対話して、切り出したい話があるようなときには、しぐさや口調、表情に見過ごしてもおかしくないようなささいな変化を感じる。
今の声こそ、その兆候に違いない。
大病をした高齢の女性、であるからといって、話したいことがあるのに病院のベッドへ放り込むのはただの偽善だ。
今でこそお昼の帯番組の司会、と人々に認識されているが男の本質はアウトローだ。
だてに登場人物をダルマにして「これでいいのだ」などと言わせるような漫画家と親交が深かったわけではない。
傍目から見れば今日の女はいつまでも芸能界にしがみついていたい老人のわがままが招いた自業自得に映るかもしれない。
だが女が生命を賭けてまで挑んだ番組に自分をゲストに選んだ、ということを改めて目の当たりにして、男は意気に感じるものがあった。
たとえどのような結果になろうとも見届けなくては筋が通らない。
ことさら緩慢な動作で非常時ではないというアピールをしたのもそのためだ。
どんな小さな声でも聞き取ろう、と男はサングラス越しに女を凝視した。
女「……」
女「こんにちは」
弱々しい、しかしはっきりと聞き取れる声。
一瞬客席は静まり、誰ともしれない拍手が始まると皆それにならう。
女には慈善活動家の一面もあり、出演した番組で獲得した商品などはチャリティに出して全額を寄付していた。
そういう「素晴らしい人間性」とは関係なく、皆が女が生きていること自体に惜しみない拍手を贈る。
これほどの祝福が生命そのものに与えられるのは王族皇族の継承者が誕生したときぐらいではないだろうか。
客席だけでなく、日本全国でこの様子が放映されているのだから。
男「はじめまして」
場違いな台詞に、場違いな台詞を男が返す。
女「つれないわね。私とあなたは随分昔からこの番組でお話ししてるじゃない」
再び沸き起こる拍手。
今度は意識がしっかりしていることに対して。
男「いや、本番中に居眠りする女さんなんて初めて見ますからね」
女「私が?居眠りなんてしてたかしら、嫌だわ」
男「でも『女の部屋』なんですから女さんが居眠りしたって別にいいじゃないですか」
女「言われてみればここは私の部屋ですものね」
ひとたび自分自身を取り戻すと、女はもう意識が途切れるどころか言葉が詰まる様子も見せなかった。
これまで長く感じられた一分一秒が、今度はあっという間に過ぎていく。
女「もう番組終了ですの?あら残念、芸を見せていただく時間がなくなってしまったみたい」
男「また来年がありますよ」
女「そうですわね。来年もこうしてお話できるといいわね」
男「大丈夫ですよ。まだまだ」
かすかな声を聞いたとき、果たして女は何を言おうとしていたのか。
それを引き出すことのできなかった自分もまだまだだな、と男は思った。
女「それでは『女の部屋』、また来年までごきげんよう、さようなら」
男「はじめまして」 終わり
この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・テレビ番組その他一切と関係ありません。