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第45章
夕「どうでしたっけ?」
そうにこやかに俺に問いかける姿に、俺も自然と頬の筋肉が緩んでいく。
以前会った時は話をするうちに打ち解けて硬さが抜けてはいったが、ただ話していた内容が大学教育や勉強論が主な内容であった為に准教授としての面だけが表に出ていた。
その時の印象は真面目で一生懸命。
熱血指導とはいかないまでも、教育にひたむきな姿勢が感じられて好印象であった。
しかし、今目の前にいる弥生准教授はほんわかとしており、由比ヶ浜以上にフワフワしていて年下の女性としか見えない。
八幡「俺に聞かれても・・・。まあ、以前会った時にはDクラスの事が中心でしたよ。大学の教育についてとかも話しましたけど、あとはこの辺のラーメン屋についてくらいですかね」
夕「そうでしたか。それは失礼しました。あの時は、なかなか面白い意見を思っている方だという印象が残っております。とても楽しかった時間でしたよ」
八幡「それは、どもです」
にかっと軽く首を傾げる姿に、俺もにやっと硬くく首を傾げて返事をする。
・・・・・・いい人だ、絶対いい人に決まっている。
弥生の姉?だからというわけではないが、俺の不気味な笑みを見ても引いていない。
あろうことか、俺の笑みを見て、さらに笑みを返して下さったではないか。
これは、恋だな。きっと恋だ。俺は今自分が恋に落ちる瞬間を目撃してしまった。
・・・・・・あっ、雪乃の厳しい視線が恋を焼き払っていく。
恋は儚い。儚いからこそ恋。恋に焦がれ、恋は焼き払われていく。
短い恋だったが、後悔はしていない。
うん、恋っていいなぁ。
昴「じゃあ、僕が比企谷の予定を教えて事も言わなかったの?」
弥生は俺の短すぎる青春を気にもせずに姉と話を進めていく。
いいんだ、俺の事は一人のものさ。
夕「そうなるのかしらね」
昴「ごめん、比企谷。いきなり姉さんが話しかけたんで、びっくりしたんじゃない?」
今は妹じゃなくて姉だったという事にびっくりしているけどな。
まじで若く見え過ぎだろう。
雪乃のかあちゃんも若く見えるけど、弥生の姉さんは女帝とは違う方向で若く見える。
八幡「ちょっとだけな」
昴「姉さんもいきなり面識がない人に声をかけられたら警戒するでしょ」
夕「ごめんなさい。でも、あの時は私も緊張していて、いっぱいいっぱいだったのよ」
弥生が姉をたしなめる姿は、どっちが年上なんだよとつっこみを入れたいくらい自然だった。
これがこの二人の通常の関係なのかもしれない。
だとすれば、やはり以前会った時の硬さは、本人が言うように緊張から来るものだったのだろう。
昴「本当にごめん。姉さんも悪気あったわけじゃないみたいだし、許してほしいな」
八幡「気にしてないからいいって」
昴「そう?」
八幡「あんまり責めると、泣きそうだぞ」
昴「え?」
俺の指摘を聞き、弥生は慌てて隣の姉に顔を向ける。
実際泣いてはいないし、泣きそうでもない。
それでもしょげてしまって俯く姿は、どうしても年下の女の子に見えてしまう。
昴「姉さん、ごめんね。僕が強くいいすぎたよ」
夕「ううん、いいの」
八幡「ま、もういいんじゃないか。俺の隣にいる雪乃のことも、早く紹介してあげないと居心地悪いみたいだしさ。弥生は面識あるけど、弥生准教授は初めてでしたよね?」
ようやく出番とばかりに雪乃は綺麗にお辞儀をしてから自己紹介を始める。
背筋がまっすぐ伸ばされた背中がゆっくりと傾倒していく様はいつみても美しかった。
丁寧過ぎる挨拶のような気もするが、厭味ったらしさがまったく出ていないのは雪乃の気品と育ちのおかげだろう。
雪乃「はじめまして、工学部2年の雪ノ下雪乃です」
夕「はじめまして雪ノ下さん。英文科で准教授をしている弥生夕です。比企谷君には英語の講義でお世話になっています」
雪乃「比企谷君がご迷惑をかけていなければいいのですが」
夕「いいえ、とても助かっていますよ。・・・そうですね。弥生が二人いると不便ですので、私の事は夕でいいですよ。弟の事は昴でいいですから」
ぽんっと手を合わせて、名案が閃いたとばかりに訴えてくる。
たしかに弥生が二人もいたら面倒なことは面倒だ。
だけど、いきなり名前で呼ぶ事は俺にとってはハードルがやや高い気もする。
夕「駄目ですか?」
俺が苦い顔をしたのを察知して不安に思ったのか、瞳に薄い涙の膜を作って弱々しく尋ねてきた。
別に虐めているわけではないのに、虐めてしまったと感じてしまうのはどうしてなのでしょうか?
雪乃も雪乃で、弥生さんをいじめるなと鋭い視線を送ってきているような気がしてしまう。
八幡「だめじゃないですよ。でも、俺が夕さんって言ってもいいんですか?」
夕「はいっ。問題なしです」
にっこりと元気よく返事をする夕さんに、昴は横でちょっと困った顔をする。
なんとなくだが、二人の位置関係がわかった気もした瞬間でもあった。
八幡「昴もそれでいいのか?」
昴「まあ、いいんじゃないかな。僕としては名前で呼ばれでもいいと思っているし」
雪乃「なら、私の事も雪乃とよんでください。おそらく私の姉の陽乃にもそのうちお会いする可能性が高いと思いますから」
夕「たしか陽乃さんは大学院に行っていらっしゃるのですよね。雪乃さんの事も陽乃さんの事も昴から聞いているんですよ。とても賢くて綺麗な方だと」
雪乃「いいえ、私などまだまだです。姉は大学院にいっていますから、姉ともども宜しくお願いします」
夕「いいえ、こちらこそ。雪乃さんと呼ばせてもらいますね」
なんだか夕さんを前にすると、これが当然という雰囲気になってしまう。
ふんわかとした雰囲気というか、穏やかな空間というか。
悪い気はしない。なにせ雪乃の事を知っていると言っていたが、昴から聞いたとしか言わなかった。
これはある意味思い込みが激しいと言われるかもしれないが、雪ノ下姉妹はうちの大学では有名すぎるほど有名な姉妹だ。
生徒の間だけでなく、教授たちの間であっても知らない人はいないレベルにまで達していた。
教授レベルまで達してしまったのは、陽乃さんの行動によるものなんだが今はまあいいだろう。
噂なんて、眉をひそめてしまう内容まで作りだしてしまうのが現実だ。
たしかに陽乃さんの行動は、噂以上にぶっとんでいるのもあるから、あながち嘘ではない気もするが、噂で知っていますと言われるよりは、共通の知人、ここでは弥生昴から聞いていますと言われる方がよっぽど信頼できる。
これは勘ぐりすぎかもしれないが、こんな小さな気遣いができるのが弥生昴であり、その姉の弥生夕も当然同じレベルの気遣いができる人間であるのだろう。
一応自己紹介を終えた俺達は、俺と雪乃の分の紅茶とケーキを注文する。
・・・まあ、なに。俺の事は比企谷で定着していることは、まあ、いいさ。
いじけてなんかいないんだからねっ!
注文後、しばしの静けさの中少しばかりいじけてはいたが、夕さんの視線に気が付くと、どういうわけか自分まで晴れ晴れとした気持ちになってしまう。
というわけではないが、このまま夕さんに見惚れてしまうのはやばいと本能が察知した俺は、適当な話題を振ることにした。
八幡「そういえば、今日はメガネかけていないんですね? 以前会った時はメガネかけていましたよね」
夕「ええ、普段はかけていないんですよ」
昴「僕はメガネをかけなくても問題ないって言ってるのに、わざわざ伊達メガネをかけているんだよ」
八幡「じゃあ、目が悪いっていう訳じゃあ・・・・・・」
昴「両方視力2.0だよ」
八幡「だったら、なんでかけてるんです?」
夕「それは・・・・・・」
俺の問いかけに、夕さんは頬を少し赤く褒めあげながら視線を斜め下にそらした。
そんないじらしい恥じらい姿に、雪乃が隣にいるっていうのに今度こそまじで見惚れてしまう。
おそらく意識してやっていないんだから、ある意味陽乃さん以上にたちが悪いというか注意すべき存在だと認識してしまう。
昴「メガネをかけたってたいして変わり映えしないのに、顔が幼く見えるのが嫌だってメガネをかけて伊達威厳をかけているんだってさ」
八幡「はぁ・・・・・・」
たしかにメガネなしだと高校生でも通用しそうだが、これって平塚先生が聞いたら泣いちゃうぞ、きっと・・・・・・。
人によっては想像もできない悩みがあるんだなって思い、今度こそ雪乃の存在を忘れて夕さんの顔をまじまじと観察してしまった。
・・・・・・一応テーブルの下での血の制裁があったとこだけは示しておこう。
俺達が注文した紅茶とケーキが運ばれてくる。
身なりをしっかりと整えた渋い初老の男性店員がティーポットとカップを必要最低限の騒音だけをたてて置いてゆく。
ふいにカップに手が伸びカップを手に取ると、カップから温かさが感じ取れた。
おそらく客に提供する前に暖めたのだろう。
小さな気配りが、昴がお勧めする店であることに納得してしまった。
雪乃もそれに気が付いているようで、口角を少しあげながら嬉しそうに紅茶が注がれていくのを見守っていた。
紅茶を飲み、ケーキが食べ終わるまで俺達の会話は弾んでいたと思う。
ケーキも想像通り美味しかったし、なによりも雪乃が自分以上の腕前だと紅茶を誉めた事に俺は驚きを隠せないでいた。
これならばきっと陽乃さんも気にいるだろう。
そうなると、この喫茶店で待ち合わせという事も今後増えるのだろうかとお財布事情を考えなければ素晴らしすぎる未来に思いをはせる。
雪乃や陽乃さんは、財布の中身なんか気にしないで好きな物を注文するんだろう。
俺はついこの間も馬鹿親父に申請した小遣いアップ申請を即時却下されたばかりなのに。
まあいいさ。雪乃も陽乃さんも、その辺の俺の懐具合はわかっているから、無理に俺を誘ったりはするまい。
いや、俺だけ水で、二人だけ紅茶とケーキってことはあり得ないか?
よくて俺だけ紅茶だけとか。
まあ昴も未来の俺の同じように紅茶だけのようであった。
昴はこの中でただ一人ケーキを注文していないが、紅茶だけで十分満足している様子である。
さすが普段から俺の相手ができる昴とその姉というべきか。
夕さんも話をする端々に相手を思いやる繊細な心づかいが伺えた。
雪乃もそれを察知してか、柔らかい頬笑みを浮かべながら今も夕さんと会話を楽しんでいる。
だが、雪乃がティーポットに残っていた紅茶をカップに注ぎ終わった時、それは突然訪れた。
今までほんわかいっぱいの雰囲気を振りまいていた夕さんが、俺に初めて声をかけてきたとき以上に緊張した面持ちで俺と雪乃の前で姿勢を正して語り始めようとしていた。
俺と雪乃も、目の前から発する重たい空気を感じとる。
ただ事ではないプレっっシャーに、夕さんと同じように姿勢を正し、これから語り始めるだろう夕さんの言葉を聞き洩らすまいと身構えるように耳を傾ける。
そして昴は、これから何を語るのかに気がついたようで、やや青ざめた顔で夕さんを見つめていた。
昴「姉さんっ」
重い沈黙をやぶったのは昴だった。
ここまで昴が取り乱しているところは見たことがなかった。
この事から、これから夕さんが話す話題の中心は昴の事だって推測するのはたやすかった。
夕さんは手元にあったケーキ皿とティーカップを少し横に寄せてから、再び俺達に視線を向ける。
俺達は、昴には申し訳ないが夕さんを止める事は出来ない。
それだけの意思がその瞳には込められていた。
昴も夕さんの意思が固いとわかっているのか、これ以上の抵抗はよしたようだった。
夕「比企谷君たちには、いずれは話そうと考えていましたよね」
昴「そうだけど・・・・・・」
夕「それとも今日はやめておきます?」
昴「いや、任せるよ」
ここで話を切られても、重大な何かがありますって宣伝しているものだ。
仮に話を切ったとしても、俺は見ないふりをするだろうし、雪乃も態度を変えることはないだろう。
でも、弥生の顔色を見ていると、どうも俺の懸念は考えてはいないように見えた。
ここまで話したから話の流れで話を進めるというよりは、姉に背中を押されたから決心できなかったことにようやく決心できたという方が正しい気がした。
夕「どこから話せばいいのか迷ってしまうのですが、手近なところからお話ししましょう」
そうゆっくりとだが、しっかりとした口調で語りだす。
俺達は軽く頷き、聞く意思を示した。
夕「ありがとうございます。・・・・・・まず、昴がケーキを頼んでいないのに気がついたかしら?」
雪乃「ええ、気が付いていました」
俺も首を縦に振って肯定する。
雪乃「甘いものが苦手だったのかと」
八幡「いや、弥生は・・・、昴は甘いものが好物だって言ってたと思う。由比ヶ浜が美味しいケーキ屋について話していたときに昴もケーキが好きだって言ってたと思うし」
昴「よく覚えてるね」
八幡「たまたまだ。・・・たしか昴が紹介してくれた店に行ったはずだからな」
昴「どうだった?」
昴が間髪いれずに店の事を聞いてくる。
それを聞いて夕さんは話がそれていると瞳で注意を促す。
けれど昴は夕さんの意向を踏みつぶして話を続行するようである。
おそらく昴はいまだ決心ができていないのだろう。
ならば・・・・・・、俺は夕さんに向かって一つ頷いてから昴の話にのることにした。
八幡「ん? 美味しかったと思うぞ。雪乃も好きな味だって言ってたはずだし」
雪乃「ええ、たしか歯科大の近くのレストランだったわね」
雪乃も俺の意図に気が付き、話に合わせてくる。
もはや夕さんも納得したようで、もう何も語ってはこなかった。
昴「道がわかりにくい場所で大変だったでしょ?」
八幡「大丈夫だったよ。あの時は昴が地図書いてくれたからな」
昴「地図がお役にたててよかったよ」
八幡「いやいや、こっちが書いてもらったのだから、お礼をしないといけないのはこっちだよ」
雪乃「ありがとう、昴君」
昴「あそこのパスタやピザも、なかなか美味しかったんじゃない?」
昴が紹介した店は、パスタとピザのレストランである。
本来ならばパスタやピザの方が有名なのだが、昴一押しはメインの品ではなく
デザートのケーキであった。
中でもチーズケーキを勧めされていて、レストランの中では色々なケーキをシェアして食べたが、テイクアウトではチーズケーキのみを選択したほどであった。
八幡「ああ、あれから何度行ってるよ。車がないと不便な場所っていうのが難だけどな」
雪乃「今は車があるから気軽よね。またおねだりしようかしら」
と、夕さんが見守る中、俺達3人は意図して話を脱線させたままにする。
けれど、それであっても夕さんは話を無理やり勧めようとはしなかった。
じっくりと昴が決心するのを待ってくれていた。
昴「ごめんね姉さん。大事な話の途中で腰を折って」
夕「ううん。これも話したいことの一部でもあるから問題ないわ」
その返答に、俺と雪乃は訳がわからず顔を見合わせてしまう。
一方昴だけは理解していたみたいであったが。
夕「そのレストラン。相変わらず美味しいですか?」
八幡「はい、美味しいです」
雪乃「そうですね。リピーター客が多いみたいで、相変わらず繁盛しているみたいでした」
夕「昴はね、今はそのレストランでは、ケーキしか食べられないの」
八幡「え?」
夕「正確に言うのでしたら、テイクアウトのケーキしか食べられない、かしらね」
俺と雪乃は、自分達と夕さんのケーキ皿を見てから、ティーカップしか置かれていない昴の手元を確認した。
たしかに、テイクアウトではないケーキはこのテーブルには用意されていない。
つまりは、テイクアウトではないから、今昴はケーキを食べていないって事になる。
八幡「それって、どういう意味ですか?」
俺は問わずにはいられなかった。聞かなくたっていくつか仮説は立てられる。
つまり、外での食事ができないという事なのだろう。
どうやらドリンクは大丈夫みたいだが、どの程度の食事までが無理かはわからない。
由比ヶ浜が言っていた昴が昼食時には消えるというのも関係あるのだろう。
今手にしている情報からでも結果だけはわかる。
では、どうして食事ができないか。原因だけはわからない。
だから俺は、平凡すぎる問いしかできなかった。
夕「そうね・・・・・・。基本的には、外食は無理です。条件次第では改善している点もあるのだけど、それでも普通に外食をするのは無理かな」
雪乃「理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
雪乃も問わずにはいられなかった。けれど、好奇心からではない事はその意思が強い瞳から感じ取ることができた。
ようは雪乃も昴と正面から向き合うってことなのだろう。
夕「ええ。これから話しますけど、昴が高校3年生になる春休みの時まで遡ることになります。それでもいいかしら?」
雪乃「中途半端な情報よりは、しっかりと聞きてから・・・・・・、どうお力になれるか考えさせて下さい」
夕「それで構いませんよ」
夕さんは俺達の顔をもう一度確かめたから小さな笑顔で返事をした。
先ほどまでの柔らかい印象は損なわれてはいないが、強い決意が宿っており、日だまりのような温もりが満ち溢れている。
しっかりと冷房が効いているはずなのに、窓から降り注ぐ真夏の陽光がちりっちりっと皮膚を焼き、ひんやりとした汗が背中を這う。
決意なんてものは聞いてみなければわからないって返すしかないのが実情だ。
しかし、親しい人間が痛みを隠して笑ったり、平気なふりをしているのを見ないふりができるほど精神は腐ってはいないし、鈍感ではない。
俺は一度瞼を閉じて、すぐに瞼を開ける。別にこれで頭がリセット出来るわけではないが、リセットしたと思う事くらいは効果はあるはずだ。
さて、雪乃も俺と同じように理由がわからないことに焦点を当てていたらしい。
ただ、その原因を聞いたとして、どう判断するか、どう接すればいいのか。
実際俺達にできることなんて限られている。
雪乃だって、力になれるのか考えさせてほしいと慎重な姿勢だ。
実際聞いてみなければわからない。
こういうシリアスなときほど言葉のニュアンスを選びとるのは大変だ。
期待だけさせておいて、話を聞いたら突き放すだなんて、雪乃にはできやしない。
夕「私たちの実家は東京なのですが、昴も高校を卒業するまでは実家で暮らしていました。私は既に実家を離れ、千葉で暮らしていたので当時の事は話を聞いただけなのですが、今思うと、あの時実家に戻っていればと後悔せずにはいられません」
昴「姉さん・・・・・・」
弥生姉弟が軽く視線を交わらすが、俺達は話の腰をおらないように黙って続きを待った。
夕「東京だけではないですが、移動となれば電車ですよね。数分おきに来る電車に乗ったほうが車より早く着きますし、高校生となれば移動の手段の主役は電車となるのは当然でした。しかし昴は、高校3年生になる春休みを境に、電車に乗れなくなりました。一応薬を飲んで無理をすれば乗れない事はなかったようですが、高校3年の1年間は、今でも夢に見るほど苦痛だったようです。なにせ、高校に行くには電車に乗らなければ無理ですからね。便利なツールがある分、それが使えないのは苦痛でしかなく、しかも人には言えない理由となれば、高校生活も暗くなるのは当然だと思います」
ここまで一気に話きると、夕さんは昴の様子を伺う。
2年前の話であり、昇華できるいる問題とは思えない。
それでも昴の顔には苦痛は見えず、むしろ俺達を気遣っているとさえ思えた。
夕「電車に乗れなくなった原因はパニック障害です。昴の場合は電車限定ですが、薬を飲んで無理をすれば乗れる分他の人よりは軽かったと言えるかもしれませんが、だからと言って正常な生活を手放した事には変わりはないのです。きっかけは予備校に通う電車の中で気分が悪くなって倒れ、そして、救急車で搬送された事だと思います。ただ、なぜ倒れたかはいくら検査を受けてもわかりませんでした。昼食で食べたものが悪かったのか、それとも風邪気味だったのか。もしくは胃腸に問題があったのか、あとで胃カメラものみましたが、結局は根本的な原因はわかりませんでした。でも・・・・・・」
夕さんは一度話を中断させ、ティーカップを選ばずに水が入ったグラスを選択して、冷たい水で喉を潤した。
やはり重い内容であった。聞いた事自体は後悔してはいない。
運悪く面倒な奴と喫茶店で出くわしたなんて思いもない。
ただ、ここまで辛い思いを昴が隠していたことにショックを覚えた。
まだ話の途中だが、昴はどう気持ちの整理をして俺と接していたのだろうか。
俺はなにか無意識のうちに昴を傷つける事をしていなかったかと不安になる。
無知は救われない。知らなかったからといって許される事はない。
むしろ、無知は罪だ。
夕「比企谷君。辛いですか? ここで引き返してもいいのですよ」
夕さんはあくまで低姿勢で、大事な弟よりも俺達他人を気遣っている。
昴さえも同じ意識のようだ。
俺はそれがたまらなく辛かった。自分よりも他人を気遣うこの姉弟に、俺はあなた達が気遣う必要がある人間ではないって教えてあげたかった。
八幡「違いますよ。・・・知らなかった事とはいえ、なにか昴を不快な目にさせなかったかなと思い返していただけです」
昴「大丈夫。慣れ・・・問題なかったから」
昴らしからぬミスに、俺の気持ちは沈んでゆく。
昴ならば、相手が気がつかないように言葉を選択するはずだ。
それなのに、今の昴は精神が追いこまれていて、それができない。
つまり俺は、昴に対して無神経な言葉を吐いたことだ。
さっき言葉を飲み込んだのは、慣れてしまった。
無神経な言葉に慣れてしまった、と言わないでおこうとしたのだろう。
八幡「そうか」
だから俺は短く言葉を返す。
言い訳は当然のこととして、意味がないフォローはそれこそ不快にしかならない。
これが最低限使える返事だと思う。
ベストでもベターでもない、どうにか役に立つかもしれないボーダーラインぎりぎりの言葉。
夕「では、話を進めても?」
八幡「お願いします」
夕「では・・・・・・。結局体の健康上の問題はすぐに回復しました。ただ、精神的な後遺症を残したのが大問題でした。つまり、電車で倒れたトラウマで電車に乗ると気持ち悪くなってしまうのです。しかも、電車に乗って吐いてしまうのを避けようとする為に、外での食事さえも避けるようになり、食べると吐きそうになってしまうのです。実際吐く事はほとんどありませんでしたが、動けなくなるという点では大きな問題を抱えてしまったわけです」雪乃「無理をすれば電車に乗れるのですよね。では、どのくらいの無理を強いられるのでしょうか?」
雪乃の眼には憐みは含まれていない。凛とした背筋で問う姿が何とも心強かった。
夕「ええ。今では精神安定剤を飲まなくても、どうにか電車に乗れるようにはなりましたが当時は精神安定剤なしでの乗車は不可能でした。できれば座って乗車したいほどで、満員電車を避けるべく、部活に入っているわけでもないのに朝早く高校に登校していました。ただ、下校は家に帰れる、安心できる場所に逃げられるという意識のせいか、比較的楽に帰ってこられたそうです。でも、精神的余裕のなさから予備校には通えなくなりましたが」
八幡「それはきついですね。高3で、まさしく受験生なのに」
一般の受験生以上の負担を強いられるわけか。
由比ヶ浜の指導も大変だったが、それとは違う角度での負担は漠然とした想像しかできなかった。
夕「その点は、弟自慢ではないですが、勉強面では不安はありませんでしたよ」
え? なにこの弾んだ恥じらいの声?
昴「もうっ、姉さんったら」
ええ? なにこのデレている弟?
夕「だって、昴だったら、どこの国立大学でもA判定だったじゃない」
昴「そうだけど、さ」
夕「予備校だって、友達といたいから通っていたって言ってたじゃない」
昴「予備校で知り合った友達は、高校の雰囲気とは違って新鮮っていうか」
あれ? シリアス展開だったんじゃないの?
俺からしたらシリアスよりも、目の前で展開中のブラコン・シスコンカップルの萌えを見ている方が和むんだけど、見た目があまりにもお似合いのカップルすぎてちょっと引き気味になってしまう。
・・・・・・雪乃は苦笑いを噛み殺して話を続きを待っていたけどさ。
じゃあ俺は、生温かい視線でも送っておくよ。
第45章 終劇
第46章に続く
第45章 あとがき
『はるのん狂想曲編』で登場していた弥生夕准教授が再登場です。
見た目の印象が変化しているのは、プライベートだからですかね?
実際には、昴の『愛の悲しみ編』用に考えた後付け設定の影響なだけですが・・・。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです。
黒猫 with かずさ派
第46章
夕「こほんっ・・・。話がそれましたね」
俺の腐った目が生温かい熱のせいで腐臭を増していくのに気がついたのか、夕さんは上擦った咳をしながらも場を収めにかかる。
八幡「いえ、大丈夫ですよ」
俺の方もたぶんクールに言葉を返せたはずだが、若干声が上擦っていたかもしれない。
なにせ一瞬であろうが恋に落ちた相手が目の前でいちゃついてたんだもんな。
しかも姉弟でだし・・・・・・、リアルでこういうのってあるだなと、変な所で感心しつつ興奮を隠せないでいた。
夕「それでですね・・・・・・」
つえぇなぁ・・・・・・。もう立ち直ってるというか、マイペースなのかもしれないけど、健気に立ち上がろうとするその姿に俺は心を激しく揺さぶられてしまいますよ。
つまりは、やっぱまだ恋は続いているそうです。
一応俺は誰にも見せられない夕さんプロフィールをこっそり更新させておく。
むろん雪乃プロフィールは墓場まで誰にもみせないで持っていくつもりだ。
小町や戸塚のならば本人に延々と可愛さを訴えてもいいけど。
夕「本来ならば、昴は東京の実家に残って東京の国立大学に入る予定でした。その実力もありましたしね。でも、実際選択したのは千葉の国立大学です。そして私が所属している大学でもあります。理由はお察しの通り私がフォローする為です。住むところは電車に乗らなくていいように私も大学まで徒歩で来れるアパートに引っ越しましたし、昼食も食べないわけにはいかないので、私の研究室で一緒に食べられるようにリハビリしてきました」
昴「大学1年の冬になりかけた頃に、やっとどうにか食べられるようになっただけだけどね。高校の時は全く食べられなかったから、それと比べれればずいぶん進歩したって姉さんは誉めてはくれているけどね。高校の時は学内では全く食べられなかったけど、受験生ということで昼食の時は図書館にこもっていても不審がられないのは運が良かったというのかな」
八幡「考えようだな」
昴「だね」
雪乃「では、昴君は夕さんと一緒に暮らしていらっしゃるということでいいのですね」
夕「ええ、そうです。その方が自宅でのサポートができますからね。それに、大学で体調を崩した時も家が近いと便利ですからね」
雪乃の質問に夕さんは誠実に答えていく。
まっすぐ雪乃を見つめ返すその瞳は、隠し事をしないと意思表示しているようであった。
昴「もう一生姉さんには恩返しができないほどの恩を貰ってしまったかな」
夕「いいのよ。私が好きでやっているだけですもの・・・・・・」
だから、そこっ! 見つめ合わないでっ。
シリアスな展開なら、最後までシリアスで通してくれよ。
どうして途中途中でブラコン・シスコンカップルを眺めなければならないの。
しかし、俺の視線に気がついたようで、夕さんはすぐさま話の軌道修正を図った。
夕「今は私と研究室で食事をすれば対処できていますが、いつまでもそれができるわけではないでしょう。それに、この問題を解決しなければ、昴の夢を諦めなければならなくなるので、それだけは絶対に避けたいんです」
力強い意思がこもった言葉に、俺は夕さんの想いの強さを感じ取る。
いい姉弟だと思えた。陽乃さんと雪乃もやたらととがっているところがあるが、これもいい姉妹だと最近では思えるようになってきている。
そもそも誰であっても何かしらの問題を抱えている。
俺はもちろんだが、あの陽乃さんだって大きすぎて一人では抱えられないほど巨大な問題を抱えていた。
普段の行動だけでは真意はわからないって陽乃さんのことで経験したはずなのに、今回の昴の事でも気がつかないでいた事で自分の未熟さを痛烈に実感させられてしまった。
雪乃「東京の大学も夢の実現の一部だったのではないのでしょうか?」
昴「絶対行きたい大学だとは思っていなかったけど、夢を実現する為に通るべき道だとは思っていたかもしれないね。でも、千葉の大学に来て、比企谷や雪乃さんに出会えた事を考えると、こっちにきてよかったと、心から思えているよ」
柔らかい笑顔を見せるその姿に、戸塚以外ではあり得ないと思っていた男に惚れそうになる。
いや、まじでこれを見た女どもはほっとかないだろ。
皮肉でもなんでもないが、これは強烈だと思えてしまう。
浮かれている自分を不審がられていないかとちょっと、いや、やたらと心配して雪乃を状態を盗み見る。
・・・セーフ、かな? どうやら雪乃も昴の発言を嬉しく思っているようだが、感動止まりらしい。それに俺の事も不審には思ってはいないみたいだ。
これはこれで安心したのだが、もしかして俺って変なのか?と、顔が青くなるくらい本気で自分の嗜好を疑いそうになってしまった。
昴「迷惑だったかな?」
俺の自分勝手な暴走に昴は勘違いして不安を覚え、声がか細くなってしまう。
八幡「いや、俺も昴に出会えてよかったよ。・・・もし昴がいなかったら、由比ヶ浜以外に話す相手がいなかったなって思えてさ。男友達となるとゼロだったんだなって」
昴「そう? 比企谷ならきっと友達できたはずだよ。最初はぶっきらぼうな人だと思っていたけど、思いやりがある人だってわかったし、それに惹かれて近寄ってくる人がきっと現れたはずさ」
八幡「そうか?」
思わぬ誉め言葉に俺は頬を緩め顔を崩す。これは恋かもしれない。
なんて、もう言ったりはしないが、心地よい温もりを感じさせてくれる言葉に酔いしれる。
だからといって友達が欲しいわけではないのは今でも、これからでも変わらないだろう。
ただ、側にいて苦痛にならない人間ならばいても悪くないと、・・・・・・居て欲しいとさえ思えるようになったのは、人として成長しているかもしれないと柄にもなく思ってしまった。
昴「でも比企谷の事だから、自分からは友達作らないんだろうけどね」
八幡「おい・・・。誉めるのか貶めたいのかはっきりしろ。精神的に疲れるだろ」
昴「そうかな? なら、比企谷は友達ほしいって思ってる?」
八幡「どうかな・・・・・・」
これは率直な俺の意見であり、嘘も建前もない。
わからない。今はそう判断するのが正しいと思えた。
自分では判断できないのが、今俺が出せる結論であり、限界でもある。
いくら雪乃という彼女ができたからといっても俺が今まで築いてきた人生観が変わるわけではない。
ぼっちをなめるなとか言うつもりもない。
好きでぼっちをやっていたわけであり、後ろめたい感情も持ち合わせてもいない。
だけど、雪乃が紅茶を愛していても、コーヒーが嫌いではなく、むしろ好きな飲み物であったように、俺もぼっちであった自分を誇りに思っているのと同時に、誰か自分の側にいて欲しいと思ってしまったとしても、俺のアイデンティティーが崩壊するわけではないと考えることができる。
それが一見すると矛盾しているように見えたとしても、人間の感情はロジカルではないのだから・・・と、自己弁護したことも付け加えておこう。
昴「だろうね。比企谷ならそう言う思った」
八幡「まあな」
夕「昴は、比企谷君の友達ではないの?」
夕さんの素朴すぎる疑問に息を飲む。これが由比ヶ浜あたりの問いならば、いくらでも適当すぎる回答ができたはずだ。
でも、今目の前に問うているのは昴の姉である夕さんだ。
ごまかしがきかない。
俺をまっすぐと見つめ、瞳の奥深くにあるかもしれない俺の心を射抜いてくる。
八幡「わかりません」
そう言うしかなかった。これも俺の本音だ。
八幡「今まで友達なんて欲しいとも思わなかったし、いたとしても人間関係が面倒だって思っていましたから。でも雪乃と出会って、自分勝手な偶像を押し付けるのは相手にとっても、自分にとっても、視野を狭めるしかないってわかりました」
雪乃を見ると、首を傾げて俺を見やり、「そうなの?」って訴えかけてくる。
これは雪乃にも話したことはない偏見。
勝手に雪乃を理想化して、勝手に裏切られたと思って、そして、自分の馬鹿さ加減を直視した昔話だ。
雪乃だって嘘をつく。隠したいことだってある高校生であるはずなのに、俺の理想で塗り固めてしまった。
俺が作り上げた雪ノ下雪乃を通して雪乃を見ていたって言えるだろう。
雪乃にとっては、はた迷惑極まりなかっただろうに。
八幡「雪乃の一面しか見ていないのに、勝手に知ったかぶってもたかが知れているんですよ。今でも知らない部分の方が断然多いでしょうし、それで構わないと思っています。えっと・・・つまり、何が言いたいかといいますと、今知っている面と、これから知る面。そして、一生かかっても知ることがない面の全てを兼ね合わせて雪乃が出来上がっているわけなんですが、たぶん新たな面を知って戸惑う事があるでしょうし、また、知っていたとしても苦手に感じてしまうところも正直あります。そんな面倒すぎる相手であっても、雪乃となら一生付き合っていきたいなって思ってしまったわけで・・・。すみません。今、自分で何を言っているかわからないっていうか、まとまってないところが多分にあって、それでも、雪乃とだったら、うまくやっていける・・・、そうじゃないな、側にいたいって思ったんです。あと、雪乃以外でも由比ヶ浜っていう面倒すぎる奴もいますが、こいつは色々と俺の平穏な日常をかき乱すんですけど、今ではかき乱されるのもいいかなって思ってしまっている自分がいまして。あとは、雪乃の姉の陽乃さんって人もいまして、この人は由比ヶ浜以上に台風みたいな人でして。でも、陽乃さんに対しても、ほんのわずかな側面しか見ていなかったんだなって、最近知ることができたんです。今では新たな一面を見せてくれるたびにハラハラして、新鮮な毎日を送っています。えっと、だからですね・・・。弥生に対しても・・・・、昴に対しても、そういうふうになっていくのかなって、なったらいいなと、思っています」
夕さんの問いかけに、うまく答えられただろうか。
言っている自分でさえ矛盾だらけの演説だって落胆してしまう。
今思うと、けっこう俺、恥ずかしいこと言ってなかったか。
今となっては雪乃の反応さえ見るのが怖い。
ましてや、俺の事を多くは知らない夕さんや昴に対してはなおさらだ。
喉がいがらっぽい。長く話しすぎたせいだけではないってわかっている。
でも、冷めきった紅茶を飲むことで喉を潤せられるならばと、カップをぞんざいな手つきで掴み取ると、一気に喉に流し込む。
やはり紅茶だけでは喉は潤わない。だから、まったく手をつけていなかった水のグラスも強引に掴むと、これもまた一気に喉に流し込む。
氷がほぼ溶けてしまった水はほどよく冷えていて、喉に潤いと爽快感をもたらしてくれた。
血が頭に上っていた俺をクールダウンさせるには最適なドリンクではあった。
と同時に、張りつめていた緊張を自動的にほぐす効果もあったわけで・・・、俺は何も心構えをしないまま顔をあげ、弥生姉弟と対面することになった。
俺は無防備なまま弥生姉弟を直視する。
普段の夕さんを見た事はないが、教壇に立つときのように毅然とした態度で俺を観察しているように思えた。
一方昴は、相変わらずいつも俺に接しているときのように、柔らかい表情を浮かべていた。
ついでにというか、一番結果を知りたくない雪乃はというと、顔がかっかかっかしていまだ確認できていない。
だけど、知らないままではいられない。俺に似合わない独白までしたんだ。
しっかりと見ておく必要があるようと強く感じられた。
首を回すとグギグギって擦れてしまうそうなのを強引に回して様子を伺う。
見た結果を述べると、よくわからないであっているだろう。
なにせ俯いていて、雪乃の後頭部しか見えなかったのだから。
でも、テーブルの下で俺の膝上まで伸ばされた指が、俺の手の甲をしっかりと握りしめていることからすれば、けっして悪い印象ではなかったのではないかと思えた。
夕「それはもう友達ということでいいのではないかしら? 普通そこまで考えてくれないと思うわ。そこまで考えてくれているってわかって、よかったといえるかしらね。ね、昴?」
昴「あ・・・、うん。やっぱり千葉に来てよかったよ」
八幡「そう、か・・・? 昴がそう思うんなら、よかったの、かな?」
昴「だね」
テーブルの下で握られていた手がよりいっそう強く握られる事で雪乃の存在を確認し、そっと雪乃の方に瞳をスライドさせる。
まあ、いいか。なにかあるんなら、あとでゆっくり聞けばいいし。
聞くまでには心の準備もできているだろうしな。
雪乃「でも、昴君は何故八幡と友達になったのかしら? 自分の彼氏を貶すわけではないのだけれど、八幡は元々積極的に友好的な関係を築く方では・・・、いえむしろ交友関係を断絶しているといってもいいほどだといえるわ。だから、そんな内向的な人間に、どうして昴君のような人間として出来ている人が接してみようと思ったのかしら? そもそも八幡に近づくメリットなど皆無だし、むしろデメリットの方が・・・」
俯きながらも透き通る声はくぐもる事を知らずに響き渡る。
雪乃は貶さないと初めに断っておきながら、デメリットばかりあげていくのはどうしてだろうか。
ここで俺が口を挟んでも、雪乃の的確すぎる指摘は止まらないだろうし、俺は精神を削り取られながら雪乃が飽きるのを待つしかない、か。
ただ、雪乃が誉めるほどの人格者の昴は、雪乃の暴走を止めるべく、話の流れを引き戻してくれる。
昴「比企谷と初めて話した時、比企谷について何か意識したわけではなかったと思うよ。授業でグループでレポート出さないといけない課題があって、その時のグループの一員がたまたま比企谷のグループの人と友達だっただけで、その接点でたまたま比企谷が近くにいただけだったと思う。たしか一人で黙々とレポート取り組んでいたのは、今でも覚えているよ」
雪乃「はぁ・・・。やはりどこにいても八幡は八幡なのね」
ナイス、昴!と、心の中でガッツポーズをとるが、雪乃の間髪を入れずのご指摘に俺は小さく拳をあげるのが精々だった。
八幡「グループ課題なんて、自分の分担はとっとと終わらせておくのがいいんだよ。遅れると文句出るだろ?」
昴「あの時も比企谷はそう言ってたよ」
昴は懐かしそうに語るが、俺は顔を引きつるしかなかった。
もちろん雪乃があきれ顔であった事はいうまでもない。
八幡「そんなこと言ったっけな。昔の事だから、忘れたな」
昴「まあ、あの時の比企谷は本当にレポートで忙しかったみたいだけどね。後で聞いたんだけど、比企谷が他の人の分のレポートまで押しつけられてたって」
あぁ、思いだした。早く自分の分担終わらせたせいで、他の奴の分までやるはめになったんだっけな。
そのことだったら、今でも覚えている。
あのくそムカつく女。
あいつのせいで俺のレポート提出期限が守れなくなるところだったんだよな。
グループのうちで誰かしら一人が分担部分の仕上げ期限を守らないと、自動的に俺までもがレポートの提出期限を守れなくなる。
これがグループ大きな弊害だ。
一番の弊害は、他人と一緒にレポートをやらなくてはならない事だが、これと同じように足を引っ張られるのもたまったものじゃない。
八幡「いつも面倒事を押し付けられ慣れているから、いちいち全部は覚えてねえよ」
俺は嘘は言ってはいない。
いちいち「全部を」覚えていたら、ストレスが解消されなくなっちまう。
だから、面倒を持ちこんでくる「危険人物だけ」は覚えていて、そいつらには近づかないようにしている。
まさしく日本人の典型パターンといえよう。サイレントクレーマーとは俺の事よ。
ただし、悪評を人に流す事がない分善良的かもしれないが。
ま、言う相手がいないだけなんだけど・・・・・・。
昴「比企谷ならそう言うと思ったよ。でも、自分の役割はしっかりとやるんだよね。たとえそれが理不尽な内容であったも」
八幡「買い被りすぎだ。それに世の中の8割は理不尽でできているから、あんなのありふれた日常だ」
昴「それでもだよ」
昴は困った風に笑って反論する。
昴「雪乃さんの問いかけの答えに戻るけど、その出来事で比企谷に興味を持ったんだけど、僕はがもともとレポートとかを収集して情報交換をしていた関係で、比企谷に話しかけることが増えていったんだ。比企谷は、レポートとかの課題は、提出期限よりも比較的前にやりおえていたしね」
八幡「そういやそうだったな。俺の方も昴から使いやすい参考文献とかの情報貰えるんで重宝していたけどな。まさしくギブ、アンド、テイク。悪くはない。最近の昴はコピー王とか言われるくらい有名になったしな」
昴「そのあだ名は恥ずかしいからやめてよ」
八幡「そう思うんなら由比ヶ浜に文句を言えよ」
昴「それはもう言ったとしても意味がないから諦めているよ」
一応弁解しておくと、今は由比ヶ浜はコピー王などとは言ってはいない。
由比ヶ浜がそのあだ名を使ったのは、おそらく一週間もないと思う。
しかし、名前って言うのは独り歩きするもので、昴が流した情報と共にあだ名までもが広まってしまい、由比ヶ浜一人があだ名を使わなくなったとしても、コピー王の名前は定着されてしまっていた。
八幡「あいつも悪気があってじゃないしな・・・・・・」
昴「それに、今は有名になりすぎた自分にも問題があるみたいだしね」
昴は独り言のように自戒する。
おそらく試験対策委員会のことだろう。
しかし、昴が今その話題を持ちあげてこないのならば、議題にすべきではない。
今はもっと切迫した問題が目の前にあるのだから。
夕「それで昴は、比企谷君と仲良くなっていったという事でいいのね?」
夕さんはおかしくなりかけた話の流れを修正する。
昴が夕さんに試験対策委員会との確執を話しているかはわからないが、昴が何か抱えている事だけは気が付いているようではあった。
昴「どうかな? きっかけにはなったけど、決定的な要因ではないかな」
雪乃「と、いうと?」
雪乃も昴の異変に気がついてはいるみたいだが、昴の言う決定的な要因に関心を示した様であった。
昴「比企谷は人の心に踏み込んでこないからね。ある程度の距離を保ってくれるというか、踏み込んできてほしくないところにはけっして踏みこんでこない。そういうところが、問題を抱えている僕にとっては都合がよかったんだよ。それに人との関係もあるけど、勉強に関してもね」
八幡「当時は昴の事情なんて知らないだけだったけど、そもそも俺は人の内側に好き好んで踏みいれたりしないだけだよ。面倒だからな」
昴「それも、比企谷を見ていて気がついたよ。でも、最初は本当に都合がいいだけだったんだけど、いつの間にかに僕の方から比企谷の方に踏み込んで行きたいと思ってしまったけどね」
八幡「そ、そうか・・・」
どういえばいいんだよ。俺は好意を向けられるようなことなんてしてないと思うんだが。
夕「比企谷君の側にいる事によって昴も比企谷君の魅力に気がついていったってことだと思うわ。表面上のうわべだけで判断したのではないと思うから、それだけ昴も比企谷君に惚れたってことではないかしらね」
と、夕さんがまとめてくるんだが、どうも男同士の友情っていうよりは、男女間の恋愛話に聞こえてしまうのは気のせいだろうか。
まあ、深く考えたら負けだと思うので、俺にとって都合がいい部分だけ記憶して、後の部分は聞かなかった事にしておく。
夕「昴と仲良くしてもらっている比企谷君には悪いとは思っているのですが、きっといいように利用しているって思われる事でしょうが、少し話を聞いてくれませんか?」
夕さんがうまく話をまとめてくれたと思っていたら、夕さんの固く引き締まった声が俺に投げかけられてくる。
あの昴でさえ顔を引き締めていて、心細げに俺を見つめていた。
八幡「いいですよ。利用っていうなら、この前も昴に俺の身勝手なお願いを聞いてもらったばかりですし、お互い様ですよ」
この前雪乃の父親との会談に間に合うようにと昴には助けてもらったばかりだ。
あの時昴は、楽しげに恨み事を言いながらも手伝ってくれた。
ギブ、アンド、テイク、ではないが、人に頼られるっていうのも悪くないって教えてくれたのは由比ヶ浜のおかげだろう。
たしかに、由比ヶ浜の性格がよくなければ、いい人すぎなければ、由比ヶ浜の為に大学受験の家庭教師なんてするわけがなかったとは言い切れる。
それでも合格まで見届け、さらには今でも面倒見ているなんて、俺が面倒と言いながらも楽しんでいなければ続きっこない出来事だ。
まあ、由比ヶ浜には絶対に楽しんでやっているなんて教えてやらんけどな。
第46章 終劇
第47章 2週間の休載
由比ヶ浜結衣誕生日 2週にわたって掲載予定
第46章 あとがき
雪乃が紅茶を愛していても、コーヒーが嫌いではなく、むしろ好きな飲み物であったように、俺もぼっちであった自分を誇りに思っているのと同時に、誰か自分の側にいて欲しいと思ってしまったとしても、俺のアイデンティティーが崩壊するわけではないと考えることができる。
この八幡の思いの為に長々とコーヒーと紅茶の話をしてきたわけですが、この伏線?だけでしたらコーヒーの話だけでも良かった気もします。
・・・半分以上は趣味でかいたんですけどね。
以前にも話しましたが、ハーメルンで『はるのん狂想曲編』の加筆修正版をアップしているのですが、原文八千字弱に対して加筆修正するとたいていは二千字~四千字増えます。
今回一話で一万六千字も増えたのがありまして、こうなると追加エピソードになるのかなと。
というわけで、次回とその次のアップでは番外編として追加エピソードをアップする予定です。
ハーメルンでアップした事だけを紹介してもいい気もしましたが、(ハーメルン、ファイル29・4/3更新分~ファイル32・4/9更新分まで)そうなると本サイトに毎週読みに来てくださっている皆様に不誠実かなと思い、誠に勝手ながら二週にわたり追加エピソードをアップさせていただきます。
追加エピソードは、結衣の誕生日エピソードです。
余談ですが、ハーメルンのタグで
「定期更新」
を掲げているのは黒猫の作品のみですw(未確認)
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです。
黒猫 with かずさ派
第47章
夕「ありがとう」
昴「ありがとう、比企谷。でも、聞いた後でやっぱり引き返したいって思ってもかまわないから。だから、変な責任感だけは持たないでほしい」
夕さんに続いて昴までもが硬く引き締まっていた顔を緩めてほっと肩を下ろす。
俺の立場からすれば簡単な事なのに、きっと当事者となれば違ってくるのだろう。
しかも俺には昴達が考えているほどの価値なんてないという思いもあるが、それもここで言うべき言葉ではないはずだ。
八幡「そこまで俺は責任感の固まりじゃない。逃げたくなったら自分の意思でとっとと逃げているさ」
雪乃「困ったことに逃げて欲しくても逃げないでいるのよね」
雪乃の声は小さく、隣にいる俺にさえ声はかすれて聞きづらいはずなのに、どういうわけかはっきりと俺の耳まで届けられる。
しかも、なぜか弥生姉弟にまで届いてしまっているようで、柔らかい笑みが眩しかった。
夕「では、本題に入りますね。昼食会を開いているそうですが、それに私たちも参加させていただけませんか?」
八幡「俺は構わないけど、・・・問題ないと思うぞ。な、雪乃」
弥生姉弟を昼食会に参加させることに、俺個人としては問題ない。
だけど、俺一人の一存で決まれらる事ではないので、隣にいるもう一人の参加者の意見を聞くべく問いかける。
雪乃「もちろん私も歓迎します。ただ、由比ヶ浜さんと姉さんの意見も聞かなくてはいけませんので、今すぐ正式なお返事をする事は出来ません。・・・でも、由比ヶ浜さんと昴君は友人同士ですし、夕さんも昴君のお姉さんなのですから、おそらく反対意見は出ないと思いますよ」
八幡「それに、昼食会なんてお上品な昼食の集まりではないですよ。ただたんにその日の弁当当番が弁当作って、みんなで食べているだけですから。だから都合が合えば一緒に食べればいいし、逆に用事があるんなら無理をして参加する必要もない。そんなありふれた食事ですよ」
雪乃はごくごく常識的な回答をしたが、雪乃自身受け入れないわけではないのだろう。
むしろ・・・考えたくはないのだが、俺の数少ない友人を確保すべく、積極的に動いてさえいるようにも見えた。
・・・それほどに俺に友達なんて呼べる人間ができたことが奇跡だといえるのだが。
夕「ありがとうございます。・・・でも、言いにくいのですが、二つだけ問題がありまして」
夕さんの恥じらう姿に見惚れてしまう。いや、大丈夫。もう恋なんてしないって誓ったから。
なんてドギマギしていたが、夕さんが述べた二つの問題のうち、二つ目の問題が気になった。
おそらく高い確率で一つ目の問題は、昴の食事についてだろう。
今は夕さんの研究室で食べる練習をしていると言っているが、今回の昼食会はそのステップアップだと考えられた。
八幡「たぶん二つとも大丈夫だと思いますよ。・・・一つ昴の事ですよね?」
俺が夕さんが言い淀んでいる内容をズバズバ言ってしまうものだから、雪乃は無言で非難の声をあげる。
細められた雪乃の目からは、見るからにして凍傷になりそうな視線が送り込まれてきていた。
背筋がぞくりと伸びきったが、俺はそれを我慢して前を見続けようと努力する。
八幡(だから、そんなに睨むなって。ほら、夕さんも言いにくそうだったし、どうせ言わなければならない事なら、俺の方から後押しすべきだろ?)
しかし、俺の健闘は空しく敗戦を喫し、俺はとぼとぼとアイコンタクトで弁解の意を返したが、雪乃から返ってくるアイコンタクトはさらに100度ほど下がった凍てつく視線のみであった。
俺があたふたと雪乃の対応に困っていると、昴から温かく見守っている視線も感じ取れる。
ただ、そんな外野の思いやりは今回ばかりは無視だ。
夕さんは少し困った風な表情を浮かべているだけであったが、昴はニコニコと頬笑みまで浮かべていた。
お前の事で困っているだぞって突っ込みを入れたいほどだったが、やはりそれも却下。
そんなことをしたら雪乃からさらなる非難が降りてくることが必至である。
だが、俺の置かれている状況に察してくれたのか、夕さんは話を進めようとしてくれた。
夕「ええ、昴の事です。先ほどもお話ししましたが、現在昴は普通に外食することができません。私の研究室での食事はどうにかできるようになりましたが、それ以外は全く・・・」
雪乃「飲み物を飲む事は出来るのですよね? げんに今は飲んでいますし」
雪乃が昴の前に置かれたティーカップに視線を向けながら話すので、自然と残りの3人も雪乃の視線を追いかけて、そのティーカップに意識を向けた。
夕「はい、飲み物は比較的問題はありません。ただ、大丈夫だと言っても、水やお茶くらいですね。コーヒーや炭酸飲料は飲めなくはないみたいですけど、控えているようで」
昴「そうだね。飲めなくはないのだけど、胃を痛めると思ってしまうものや刺激が強いものは無意識のうちに・・・、意識をしてともいうかな、やはり避けてしまう傾向があると思う。あとは甘いのもやはり避けてしまうかもね。胃に残るというか、甘ったるい感じが残るのが怖いというか」
雪乃「わかりました。ありがとうございます」
夕「いいえ。こういうことは初めに言っておいた方がいいですからね。もちろん聞いた後であっても、やはりお断りというのも問題ありません。私達家族の問題を無理やり押し付けようとしているのですから」
雪乃「無理やりだなんて、そんなことは思っていません。少なくとも私は迷惑だとは思っていませんし、ここにいる八幡もわりとお人よしで、自分が認めた人間はけっして見捨てる事はしない人間ですから」
雪乃はどこか誇らしげにない胸を張って目の前の姉弟に俺の事を自慢する。
その誇らしげな瞳が曇らないような人間になろうとは思うのだけど、ちょっとばかし持ちあげすぎじゃね?、と照れが入ってしまう。
夕「そのようですね。昴もそういうことを言っていましたから」
俺を持ちあげないでくださいって。
期待にこたえたくなっちゃうでしょうが。
だから俺は照れくささを隠す為にぶっきらぼうに答えるしかなかった。
八幡「出来ることしかやれませんよ。過剰に期待されても困るだけですけど、まあ、出来る限りの事はやるつもりです」
昴「比企谷らしいね」
八幡「お前も俺を誉めるなって」
昴「誉めてないよ。事実を言っただけだよ」
八幡「それを誉め・・・、もういいよ」
俺は照れ隠しの限界を感じて雪乃とは逆の通路側に顔を向けて戦略的撤退を試みた。
ただ、人の良すぎる彼ら彼女らの事だから俺の顔色を見れば、俺の現状を把握なさっているようですが。
まあ、いいさ。いじりたければいじってくれ。
俺は無抵抗で身を捧げますよっと。ちょっとばかし斜め下に捻くれた感情をむき出しにして頭を冷ますべく店内を見渡す。
すると、当然ながら自分たち以外の客も紅茶を飲んでいるわけで。
そして、俺はその紅茶を美味しそうに飲んでいる知らない客の姿を見て、過去の過ちに気がついてしまった。
八幡「昴。前にマッカンを布教しようと奢ったことあったよな。あれはやっぱり・・・迷惑だったんじゃないのか? 知らなかった事とはいえ、本当にすまなかった」
俺は昴の方に視線を戻すと、すかさず過去の過ちを懺悔する。
昴は一瞬目を見張ったが、すぐにくすぐったそうに笑みを浮かべる。
つまりは俺が指摘した事実を覚えていたって事だった。
嫌がらせをした方が忘れて、された方がずっと覚えている。
俺のは意図的にしたわけではないからといって免責されるべき罪ではない。
固く握りしめる拳から不快な生温かい汗が手を濡らしていった。
夕「比企谷君。その缶コーヒーのことがあったことも、今回昼食会の参加をお願いしようと決心した原因の一つでもあるのですよ」
雪乃「どういうことでしょうか?」
いまいち夕さんの言葉を素直に飲み込めない。それは雪乃も同じ感想であり、すかさず質問した事にも出ているのだろう。
だから、無言で夕さん達を見つめ返す俺を助けるべく、雪乃が話の相槌を代りに問いかけてくれた。
昴達の話によれば、胸やけをしそうな甘すぎるマッカンは、昴が避けるべきドリンクの一つと考えるべきだ。
ましてや気持ち悪い症状を避けるようにしている昴が、積極的に飲むべきものとはどのように分析しても導くことができないでいた。
昴「僕は甘いものが苦手というわけではないから、マッカンが嫌いというわけではないよ。むしろ自宅であったならば、好んで飲んでいるからね」
夕「そうですね。比企谷君に布教されてからは、昴は好んで飲んでいるほどですから。今ではいつも常備しているんですよ。よっぽど嬉しかったんでしょうね」
昴「姉さんったら・・・」
夕さんの暴露話に、照れ半分、拗ね半分で甘える昴。
どこのほのぼの姉弟だよって、今度こそつっこんでやりたかった。
・・・が、つっこんでやらん! 勝手にやってろ。こういうのは関わったら負けだ。
・・・・・でも、どういうことなのだろうか?
甘いのも駄目だと言っていたし、コーヒーも避けると言っていた。
なのに、どうしてマッカンだけは大丈夫だったのか、どうしても疑問に残った。
八幡「どうしてマッカンだけは大丈夫だったのでしょうか?」
聞かずにはいられなかった。俺の過去の過ちが昴を傷つけていたかもしれないのに、どうして大丈夫だったのだろうか。
俺の姿が必至すぎたのか、夕さんは姿勢を正して、先ほどまでの姉弟のじゃれつきをきっぱりとぬぐいさってから、頬笑みを交えて答えを開示してくれた。
夕「それは、比企谷君がくれたものだからですよ。もし比企谷君がくれたものが他の飲料水であったのならば、それがよっぽどのものでなければ、昴は嬉しく思っていたはずです」
昴「もともとマッカンは知っていたけど、それほど手に取ろうとする品ではなかったからね。それほど販売に力を入れている商品というわけでもないし、コーヒーは新商品がどんどん出てくるジャンルでもあるからさ。でも、比企谷に勧められて飲んでみたら、美味しかったと思ったのは嘘じゃないよ」
八幡「でも、体調の方はどうだったんだよ」
これが一番聞きたい事であった。味の方はマッカンだから心配はしていない。
むしろ味を否定する奴は味覚が狂っていると判断すべきだ。
昴「それも問題ないよ」
八幡「でも・・・」
俺はなおも信じられないと疑問を姉弟に投げかける。
いくら大丈夫だと言われても、自分の過ちは許されない気がした。
夕「本当に問題なかったんです。むしろ好調すぎて、私の方が疑ってしまったほどで」
夕さんが笑いながら驚き体験を思い出すものだから、俺だけでなく雪乃までも次の言葉を紡げないでいた。
夕「そんな顔をしないでくださいよ。本当の事なのですから」
八幡「でも・・・」
雪乃「どうして大丈夫だったのでしょうか?」
なおも信じられないという顔で雪乃が問い直す。
夕「それは先ほども言いましたが、比企谷君がくれたものだからです。この説明だけでは不十分ですね」
俺達がまだ納得していないと判断したのか、夕さんはさらに話をすすめた。
夕「つまりですね、私の研究室では食べられるようになった理由はわかりますか?」
俺と雪乃はそろいもそろって首を横に振る。
考える事を放棄したわけではないが、答えが見えてこなかった。
夕「これは昴の感覚的な問題なのですが、私の研究室が疑似的な自宅の一部と認識しているみたいなのです。そもそも家でならば、安心できる。家でならば、いくら吐いたとしても問題を世間に隠したままにしておける。家でならば、家族が助けてくれる。そういった守られた空間があるからこそ昴は家でならば食事ができているのだと思います。そして私の研究室が家の延長線上と考えることができれば、そこでならば食事ができると考えましたし、実際徐々にではありましたが食事ができるようになってきました。そもそも外出先での食事だけが無理であって、自宅では問題なく食事が出来ている事に、研修室では食事ができるのは不思議に思わないでしたか?」
八幡「そう言われてみればそうですね」
昴「それでも病院に担ぎ込まれた直後は、家であっても外出直前の食事は気を使ったけどね。食べてしまったら、外出先で吐いてしまうかもっていう強迫観念があるから」
夕「たしかにそういう段階もありましたが、今では私の研究室でならば一人でも食べられるようにはなったんですよ。さすがに毎日必ず私が研究室にいることなんてできはしませんから」
今では困難を乗り越えた結果のみを俺達に伝えてくるが、その過程をみてきたわけではないが、きっと挫折の繰り返しに違いない。
今だからこそ話せる事であって、今だからこそ俺達に告白できるようにまで前進したと推測することができた。
だから、夕さんが俺達に打ち明けるときの緊張も、その突然の告白を聞いた時の昴の驚きも、今となっては十分すぎるほど納得できるものであった。
八幡「それで今度は俺達と一緒の食事にステップアップということですか?」
たしかに合理的で、よく考えられたリハビリ計画ではある。
だけど、それがどうして俺が布教したマッカンに結び付くのだろうか?
昴「比企谷達には悪いとは思っているけど、今回ばかりは甘えさせてほしい」
八幡「いや、ぜんぜん迷惑だとは思ってないから、改めてかしこまられるとそのせいでむずがゆくなっちまうよ。だから、俺達をばんばん使い倒してくれればいい。それに、俺達に出来ることなんてたかがしれている。昴の問題は、昴本人にしか解決できないからな」
酷い事を言っているようだが、事実だから仕方がない。
由比ヶ浜の勉強であったも同じことが言えるが、俺や雪乃がいくら一生懸命勉強を教えたとしても、結局は由比ヶ浜が勉強しなければ学力は向上しない。
これと同じ事が昴にも当てはまってしまう。
昴「まあ、そうだね。それでも感謝しているって事だけは覚えておいてほしいんだ」
八幡「感謝されているんなら、遠慮なく貰っておくよ」
と、やはりぶっきらぼうにしか感謝の念は受け取れない。
こればっかりは慣れていないのだからしょうがない。
雪乃「それでは、先ほどの缶コーヒーがどうして関係あるのでしょうか」
雪乃は俺達のホモホモしい、いや断じて拒絶するし、雪乃がそう思うはずはないが、状況に耐えかねて、話の続きを夕さんに促した。
夕「はい、そのことですが、本来ならば昴は甘すぎる缶コーヒーは飲めないはずでした。例えば、貰ったとしても、この後歯医者に行かなければいけないから飲んではいけないとか、病院の検査があるから無理だとか、あとは、このあと長時間電車に乗る予定があって、トイレが近くなるような飲み物は口にできないなど、適当な理由を述べて断っていたはずなんです」
おそらく今まで幾度となく繰り返してきた言い訳の一部なのだろう。
覚えてはいないが、もしかしたら俺もその言い訳をされた対象なのかもしれない。
夕「でも、比企谷君がくれた缶コーヒーはその場で飲んだそうです」
昴「比企谷からすれば、由比ヶ浜さんに勉強を教えている途中のいつもの休憩にすぎなかったようだけど、僕からすれば画期的な事件だったんだ」
八幡「すまん。なんとなくしか覚えていない」
昴「仕方がないよ。比企谷からすれば、普段勉強を教えている日常のうちの一つにすぎないんだから」
雪乃「それにしても八幡が缶コーヒーを奢ってあげる友達がいた事の方が驚きね」
八幡「俺の彼女なのに、どうしてそう自分の彼氏を悲しい目で見ているんだよ」
雪乃「あら? 事実を述べただけなのだけれど」
雪乃はとくに表情を変える事もなく、淡々と悲しすぎる事実を述べあげていく。
その淡々と口にするその瞳に、少しばかり嬉しそうな光が宿っていた事は、俺や陽乃さんくらいしか気がつかない事だろう。
八幡「わぁったよ。もういいよ」
雪乃「ええ、理解してくれたのならば、もう何も言う必要はないわね」
雪乃は上品に笑顔を作りあげると、最後にもう一度くすりと笑ってこの話を締める。
だが、今回は俺達二人だけではないということを雪乃は失念していた。
目の前に二人も観客がいるのに、雪乃は雪乃らしくいつも通りに俺に甘えてしまった。
だから、目の前の観客の受け取り方は人それぞれではあるが、雪乃が観客の視線に気がついてしまえば、照れて体を委縮させてしまう効果は十分すぎるほど備えられていた。
夕「仲がよろしいのですね」
昴「そうだね。いつも一緒にいる由比ヶ浜さんでさえついていけない時があるみたいだよ」
由比ヶ浜についてはこの際どうでもいいことにしよう。
付き合い長いし、今さら意識して隠したって、既に知られてしまっていることだ。
だから、気にしたって意味がない。
しかし、夕さんに関しては別である。
いくら昴の姉であっても、会って話をしたのがこれで二回目であるし、雪乃においては初対面でさえあった。
そんなほぼ初対面の相手に、こうまでも雪乃が警戒心を解いて素に近い言動を晒してしまうだなんて、これはある意味異常事態だといえた。
これはおそらく弥生姉弟が持つ雰囲気が影響しているはずだ。
この姉弟はどことなく無意識のうちに話しやすい雰囲気を作り上げる傾向がある。
これが詐欺だったら問題ではあるが、俺に詐欺を働いても利益など得られはしないだろう。
まあ、雪乃相手であれば、雪ノ下の財産を狙うという自殺行為でもあるわけだが、詐欺師相手に命の大切さを説くなど必要はない。
・・・陽乃さんに、その母親たる女帝。
親父さんもこの前の事で陽乃さんに近い存在であると、性格そのものというよりは策略家という意味で、わかったわけで、その怪物たちが住む雪ノ下に手出しをするなんて、はっきりいって自殺行為としか思えなかった。
なんて、俺が頭を冷やすべく現実逃避をしていると、雪乃が俺に助けを求める視線を送って来ていた。
しかし、その雪乃の視線さえも恋人たちのアイコンタクトには違いなく、さらなる温かい視線を加算する行為にしかならないでいた。
そして雪乃は自分の自爆行為に気がつくと、さらに顔を赤くして、俯くしか取れる手段は残されていない。
とりあえず落ち着きを取り戻そうとしている雪乃は、氷が溶けきった水をゆっくりと何度も口元に運んで頭の再起動を始める。
目の前にいる弥生姉弟も俺達を冷やかす気などさらさらないようで、雪乃と俺が話に復帰できるのを黙って待っているだけであった。
一応自爆行為をしたのは雪乃だけあり、軽傷?だった俺の方が雪乃より先に立ち直れたのは当然だったのかもしれない。
このまま沈黙を続けるよりは、なにか会話をしていた方が雪乃も回復が早いとふんだ俺は、夕さんが言いかけたままでいた事を聞くことにした。
八幡「色々話を脱線させてしまってすみません。それで、先ほど言っていた昴に奢ったマッカンなんですが、どういう意味合いがあるんですか?」
俺の復帰に、夕さんは顔色を変えることなく応じてくれる。
先ほどの夫婦漫才さえも見なかった事にして話を再開してくれたのは、雪乃よりダメージが少ないといっても、とてもありがたかった。
夕「それはですね、比企谷君が昴が安心して食事ができる空間を作り上げていたと考えることができることです。もちろん食事そのものはまだ未経験ですが、警戒していた甘いコーヒーを自分から飲んだことは、私からすれば驚くべき事態なのです。そうですね、ちょっとだけ妬けてしまいましたね」
八幡「・・・それは、友情っていう意味でよろしいのでしょうか?」
夕「ええ、そうですね」
夕さんはさも当然という顔で答えてくれた。
そこには他の意味合いなど含まれてはいないようであり、俺は心の中でゆっくりと胸をなでおろした。
これは、一応確かめなければいけない事項である。
いや・・・、ないとは思うのだけれど、海老名さんと同類の腐女子っていう可能性は捨てきれなかった。
そもそも腐女子の存在を考えてしまう事自体が海老名さんの影響を受けている証拠だが、まあ一応用心ってことだ。
とはいっても、そんな用心をする事自体が悲しい事であり、また、用心しなくてはいけない事自体が俺自身が正しい道を歩いているか不安にさせてしまうものであった。
まあ、俺がアブノーマルなわけがない。
そして、そんな嫌疑がかかったとしたら、雪乃が黙っちゃいないだろう。
第47章 終劇
第48章に続く
おまけという名の妄想
八幡「ずっと前から好きでした。俺と付き合って下さい」
海老名「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」
雪乃「・・・・・・あなたのやり方、嫌いだわ。うまく説明できなくて、もどかしいのだけれど・・・・・・。あなたのそのやり方、とても嫌い」
結衣「ゆきのん・・・・・・」
雪乃「・・・・・・先に戻るわ」
八幡「ちょっと待てよ」
雪乃「なにかしら? 今はもう話す事はないわ」
結衣「そ、そうだね。いったん頭を冷やすっていうか、あ、あたしたちも、戻ろっか」
八幡「・・・・・・そうだな」
結衣「いやー、あの作戦は駄目だったねー。確かに驚いたし、姫菜もタイミングのがしちゃってたけどさ」
八幡「そうか? あれを待っていたような気がしたけどな」
雪乃「え?」
結衣「けど、うん。結構びっくりだった。一瞬本気かと思っちゃったもん」
八幡「んなわけないだろ」
結衣「だよね。あはは・・・・・・、でも。・・・でもさ、・・・・・・こういうの、もう、なしね」
八幡「あれが一番効率がよかった、それだけだろ」
雪乃「由比ヶ浜さんはそういうことを言っているのではないのよ」
八幡「わかったよ。でもな」
雪乃「なにかしら?」
八幡「言わせてもらえば、この中で一番葉山に近い由比ヶ浜が葉山の異変に気が付いていなかったのって、なんなんだろうな? お前一応は友達なんだろ?」
結衣「ヒッキー?」
八幡「しかも、海老名さんとも友達なのに、ぜんっぜん気が付いてやってもいない。海老名さん、葉山に戸部のこと相談していたぞ。告白されたくない。今の関係を壊したくないってな。だから葉山が不自然な行動をしていた。だから俺達のサポートを邪魔するような事をしていた」
結衣「ほ、本当に?」
八幡「ま、三浦あたりはなんとなく気が付いていたみたいだけどな。気が付いていないのは由比ヶ浜、お前だけだったよ」
結衣「そんな・・・・・・」
雪乃「比企谷君、仮にその事が事実であったとしても由比ヶ浜さんに言いすぎよ。あなたは気がついていたかもしれないけれど、私たちに相談も報告もしなかったじゃない」
八幡「そうか? もし相談していたら、何か解決策を出してくれたか?」
雪乃「仮の話をしてもしょうがないじゃない」
八幡「そうだな。もう結果は出てしまってるしな」
結衣「ごめんね、ヒッキー。あたしのせいだ。あたしが気がついていたらヒッキーに辛い目に合わせることなんてなかったよね。ごめんね」
雪乃「由比ヶ浜さん。あなたが謝る事はないわ。もし落ち度があったとしたら、それは奉仕部全体の問題よ」
八幡「そうだな。でもな雪乃。おまえもおまえだよな。さっきの言葉訂正するよ。この中で葉山に一番近い人間は由比ヶ浜ではなく、雪乃。お前だったんだからな」
雪乃「八幡?」
八幡「いわゆる幼馴染らしいじゃないか。しかも家族ぐるみの。だったら葉山の事だってわかっていたんじゃないか。わかっていて黙っていたんじゃないか。いや、考えないようにしていたんじゃないか。もしかしたら、最後には俺が泥をかぶるって、な」
雪乃「あっ、・・・・・・・はぁ・・・、葉山君の事を黙っていた事については謝罪するわ。でも、私は気がつかなかった。それにあなたにそこまで言われるすじあいはないわ」
八幡「そうだな。俺は部外者だ。赤の他人だから気がつく事ができたのかもしれない。それは今までも、そしてこれからもかわらない」
結衣「ヒッキー、それは言いすぎだよ。ヒッキーは奉仕部の仲間で、それに、と、友達だとも思ってるし」
八幡「由比ヶ浜は優しいな。でも、そういうんでもないんだよ」
雪乃「ごめんなさい、八幡。葉山君の事を黙っていたのは、・・・その怖くて。あなたに嫌われるんじゃないかって」
結衣「ゆきのんも謝ってるじゃん。ねえ、ヒッキー」
八幡「そうだな。最初雪乃と葉山が幼馴染って聞いたときはかっとなってどうしたらいいかわからなかった」
結衣「・・・・・・あれ?」
八幡「だから海老名さんの事に気がついたときは喜んじまった。駄目だってわかっていたのに、喜んだ。これで雪乃に仕返しができる。焼きもちを焼かせる事が出来るって、な。そんなことないのに。そんなことしても雪乃が悲しむだけって、心の奥底では気が付いていたのに」
結衣「あのぉ・・・ヒッキー、どういうこと?」
八幡「いくら海老名さんへの告白が嘘でも、雪乃は焼きもちなんて焼かないで、ただ傷つくだけだってわかっていたのに。俺って最低だ」
結衣「あぁ・・・・・・」
雪乃「・・・ばか」
八幡「雪乃?」
雪乃「傷つきもしたけれど、でも嫉妬もしたわ。あなたが葉山君のことで嫉妬してくれたようにね」
八幡「雪乃、ごめんな」
雪乃「ううん。私の方こそごめんなさい。そろそろ行きましょうか。ここは八幡が嘘でも海老名さんに告白なんてしてしまったから落ち着かないわ」
八幡「そうだな。冷えてきたし戻るか」
雪乃「ええ」(にっこり)
八幡「お、おい。くっつきすぎだぞ」
雪乃「だって、冷えてきたのではないのかしら?」
結衣(ぽっつぅ~~~ん・・・・・・)
えっと、ごめん。今回もごめん。
839 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/04/30 17:38:30.31 X2mOQ2ue0 184/346
第47章 あとがき
おまけですが、アニメを見ての突っ込み、かつ、妄想です。
とくにプロットを作っているわけでも、ストーリーを考えているわけでも、ましてやおちなんて考えてもいません。
それでも思い付いたら書いていこうかと思っておりますが、一番最初のおまけをベースに考えていこうかとは思っております。
まったく先は考えてはいませんが、『頑張れ葉山君(仮題)』とかでコメディーっぽく書けたらいいなぁっと夢想していますw
ご新規の読者さん、おつかれさまです。
容量多くて読むの大変ですよね。ハーメルンの方の文字数カウンターでは、『はるのん狂想曲編』中盤から終盤にかかるところまでで20万字くらいなんですよね。
となると、『愛の悲しみ編』最新話までですとどのくらいあるのでしょうか?
著者の身としては、みなさんに、ほんとうに読んでくださってありがとうと叫びたいです。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです。
黒猫 with かずさ派
第48章
八幡「ということは、マッカンが大丈夫だったのならば、弁当も大丈夫かもしれないと考えたわけですか。俺からすればかいかぶりすぎだって思えてしまう事態なんですけどね」
俺が確認を込めて夕さんに問いかけると、昴と夕さんはやや興奮気味に反論してくる。
昴「そんなことはないよ。あの時は無意識のうちに飲んでしまったんだから。飲んだ事に気がついたのは、家に帰って姉さんにコーヒーの事を話した時なんだ。その時までは自分がしでかしたことにさえ気がつかなかったんだから、そういう意味では僕はリラックスできていたって思えるんだ」
夕「本当ですよ。昴がそんな悲しい嘘をつくはずはないってわかっていましたけど、なかなか昴の言っている事が信じられなかったほどなんですよ」
前のめり気味に話す二人を見ていると、その喜びは真実であり、本当に長く険しい道のりだったのだろうと推測できる。
パニック障害なんてネットでならばよく見る言葉であり、ありふれた症状にすぎないが、当事者を目の前にしてしまうと自分の浅はかな認識が悲しくなってしまう。
日々のニュースの中で交通事故などもありふれた日常ではある。
また、台風などの天災も身近な存在ではあるが、どうしても活字になっていたり、TV画面の向こう側の情報として知覚してしまうと、自分とは関係ない世界の出来事にすり替わってしまう。
実際はいつ自分に降りかかってもおかしくない出来事であり、極論を言ってしまえば、戦争であってもいつ自分が巻き込まれてしまってもおかしくはない事態ではある。
それなのに俺はいつも隣にいる弥生昴の日常にさえ気がつかないでいた。
目の前まで、あと数センチまで迫ってきていた日常であるのに、俺は一年以上も無関心に過ごしてしまい、そのことがどうしようもなく歯がゆく思えた。
八幡「どこまで効果があるかなんてわかりませんけど、俺に出来る事なら遠慮せずに言って下さい」
夕「ありがとうございます」
昴「すまない、比企谷」
八幡「気にする事はない。俺ができる事を出来る範囲でやるだけだからな。だから、そんなのは俺の日常生活の範囲内だし、その影響下に人が好き好んで身を置いたとして、そこで得られる利益があったとしても俺はとくに何もやっていないといえる。つまりは、その、俺がもし利益を生み出しているんなら、それを享受してくれるんなら俺も嬉しい、かもしれない。その代わり、俺は昴の事を気の毒だなんて思わないからな。腫れものに触るようなことなんてしないから、その辺だけは覚悟しておけよ」
昴「比企谷・・・」
これは俺自身への宣戦布告みたいなものだ。
どうしても弱っている人間に対しては、人は上から目線になってしまう。
使わなくてもいい気づかいをして、かえって相手を傷つけてしまう。
だから俺は今まで通り昴と接する事に決めた。
どこまでできるかなんてわからない。でも、実際言葉にして本人に伝えてしまうと、なんだか本当にできてしまいそうな気がしたのは気のせいかもしれないが。
八幡「食事を一緒にするだけだ。あんま気追わないで、たとえ箸が進まなくてもその場の雰囲気だけでも楽しんでればいいんじゃないか? そうすれば夕さんの説明でもあったようにそこが昴の安心できる場所へと変化していくかもしれないだろ。もちろん保証なんてできないけどな。・・・・・・まあ、昴の大変さなんて俺が経験してないからわかるわけないけど、それでもできることがあるんなら協力するし、それに、できることからしか始める事は出来ない」
昴「そうだね」
俺が言うのもなんだが、ここで話が終わっていれば感動のシーンだったのだろう。
友情ものの映画のオファーがきちゃいそうな雰囲気も作ってしまったし、俺自身も少しはりきってしまった感もあった。
しかし、どうにか頭の再起動を完了できた雪乃の一言が、俺を巻き込んで事態を一変させてしまった。
雪乃「八幡と食事をする効能についてはわかりました。お二人が気になさっている昴君の体調面も、由比ヶ浜さんもうちの姉も人に言いふらす事もないでしょうし、サポートも進んでしてくれるはずです。でも、さきほど仰っていた二つの問題のうちの二つ目の問題とはどのような問題なのでしょうか?」
雪乃の問いかけに夕さんは顔を青くして固まり、昴はそんな姉を見て、なにか残念そうな視線を送っていた。
雪乃「いいにくいことでしたら、無理にいわなくてもかまいません。しかし、言なわないでいることで食事に支障をきたすのならば、ヒントくらいはいただけないと対処のしようがありませんが」
雪乃の気遣いを聞いても、やはり夕さんの瞳は揺らいだままであった。
もともと年より若く見えるのに、今はさらに若いというか幼くさえ感じられる。
そこまで動揺している姉を見ては当然のごとく昴はサポートする奴なのだが、今回ばかりはなかなかフォローする間合いを取れないでいた。
八幡「いや・・・、俺達が覚えておく必要があるのは昴のことぐらいだろうし、後の事は多分問題ないと思いうぞ。一緒に食事をしてみないと気がつかないような事はたくさんあるけど、今気にしていることだって、後になってみれば気にする必要がないことかもしれない。だから、もし実際食事をしても問題になっていると感じたのでしたら、その時話せばいいんじゃないか」
昴「比企谷もああいってくれているし、それでいいんじゃないかな?」
夕「そうね・・・、ごめんなさい。今はその言葉に甘えさせてもらうわ」
八幡「はい、遠慮せずにそうしてください」
俺は夕さんの顔から堅さが抜けていくのを見て、ほっと一息つく。
それは自分から話をふった雪乃も同じようで、俺以上にほっとしているようであった。
しかし・・・雪乃の何気ない一言が核心に迫ってしまう。
雪乃「私の方こそすみませんでした。プレッシャーを与えるような発言をしてしまって」
夕「元々は私が問題は二つあるなんて言ったのですから、一つ目の問題しか説明しなければ、二つ目が気になるのは当然の事ですよ」
夕さんは照れながらも雪乃に謝罪の言葉を返す。
柔らかな笑みを纏ったその姿は、どうやら立ち直れたらしい、
雪乃「いえ、配慮が足りなかったのは私の方です。本来ならば歓迎の意もこめて明日のお弁当を私が作ることができればよかったのですが、あいにく姉が当番なんですよ。でも、姉は私以上に料理が得意なので、きっと夕さん達も満足すると思います。そうね、夕さん達のお弁当当番どうしようかしら? 姉さんが月曜日と金曜日を兼務していて一人だけ二日も当番なのだから、姉さんが当番の日を夕さんに担当してもらおうかしら? あっ、すみません。もしかしたら昴君からはお聞きになっていらっしゃるかもしれませんが、私たちはお弁当を作ってくる担当日を決めてお弁当を用意しているんです。もしよろしければ、夕さん達も参加してくれませんか? 八幡も参加できているのですから、気楽に考えてくださってかまいません」
しかし、雪乃が俺達のお弁当当番について説明すると夕さんの顔からは安堵は流れ落ち、無表情なまでも堅い表情を作り出してしまう。
雪乃も突然の夕さんの変化に対応できないでいた。
それはそうだ。雪乃はさっきの二つ目の問題のことも、今の発言だって話の流れ上当然出てくる話題であり、話しておかなければならない内容である。
そのことを忘れずに発言しただけなのに相手がその発言を聞いて戸惑ってしまっては、雪乃の方が困惑してしまうのは当然であった。
雪乃も夕さんも気まずそうに視線を彷徨わせ、昴は夕さんを気遣いつつも何もできないまま心配そうに見つめている。
・・・そこで俺は気がついてしまった。そして、思いだしてしまった。
昴が何故夕さんを心配そうに見つめていて、夕さんがどんな問題を抱えているかを。
そもそも昴は人の繋がりを大切にし、相手を思いやるやつだ。
人と群れるのが苦手な俺ともうまく具合に距離をとってくれているのだから、その技量は相当なものだと思われる。
それなのに、今昴が気遣っているのは雪乃ではなく夕さんであった。
むろん弟が姉を気遣うのは普通だし、違和感はない。
しかし、弥生昴ならば身内よりも先に友人を気遣うのが先のはずだ。
でも、実際には雪乃ではなく夕さんを心配そうに見つめているだけで、雪乃の事は意識はしていても、フォローする余裕がないようであった。
もちろん俺がいるから雪乃のフォローは後回しでもいいという考えもできるが、それでも一言ぐらいはフォローするのが弥生昴だろう。
だからこそ俺は違和感を感じてしまい、それがあったからこそ昴が何を心配していて、夕さんが何を問題にしているかを思い出してしまった。
以前俺達が弁当である事を昴が羨ましいと言ったことがあった。
もしかしたらお世辞も混ざっていたかもしれないが、ごくありふれた日常の会話ではある。
ただその時昴は言ったのだ。俺の発言に対して苦笑いを浮かべていたはずだった。
八幡「だったら、家の人に作ってもらえばいいんじゃないか? まあ、弁当作ってもらうのに気が引けるんなら、夕食のおかずを多めに作ってもらっておいて、それを朝自分で詰めるのも手だと思うぞ」
昴「あぁ、それもいい考えかもしれないけど・・・。比企谷のアイディアはいいと思うんだ。でも、家の人も僕と同じように料理が苦手で、それをお弁当にして持ってくるのはちょっと・・・」
って、会話があったことを思い出してしまった。
その時は母親が料理が苦手だと勝手に思いこんでしまっていた。
しかし、昴が今一緒に住んでいるのは夕さん一人だけだ。
つまりは、母親が料理を作ってはいないってことになる。
なにせ一緒に住んでいないのだから当然無理だしな。
だから自動的に「僕と同じように料理が苦手」な人は、夕さんとなってしまう。
ここまでわかればあとは簡単な理屈だ。
夕さんが気にしていた二つ目の問題。
きっと夕さんは昴から聞いていたのだろう。
俺は昴には話してはいないが、由比ヶ浜が話していたのを俺は覚えていた。
弁当当番があり、由比ヶ浜も頑張っており、俺の料理も楽しみにしていると。
二つ目の問題。それは、夕さんは弁当当番を任されても料理が出来ないって事だろう。
そりゃあ夕さんも気まずいにちがいない。
自分の方から昼食会に参加させてほしいといっておきながら、弁当当番は出来ないと言うのは勇気がいる告白である。
たとえ誰も無理やり弁当を作ってほしいと強制しないとわかっていても気が引けてしまうはずだ。
俺としては、無理やり弁当当番の一員に任命されてしまった俺の事も弁当当番を免除してほしいと訴えたいが、おそらく全員一致で却下されるだけだろうけど。
ただし、弥生姉妹は除く。
八幡「えっと、その・・・。夕さんたちは弁当を無理に作らなくてもいいですよ。弁当を食べる機会は週五回あり、陽乃さんはそのうち二回作りますけど、俺と雪乃と由比ヶ浜は一回ずつでして、もし作ってくれるのでしたら俺の登板と交換っていうのでもいいですけど」
俺は凍りついた雰囲気にさらなる災厄が降り注がないようにと、恐る恐る提案してみる。
すると、さすが昴といったところか。
俺の意図にいち早く気付き、この場を丸めようと参戦してくれた。
昴「僕はもともと料理が全くできないし、姉さんも大学の事だけでも大変なのに僕の事もあるわけだから、ここは甘えさせてもらってはどうかな?」
八幡「甘えるといっても、そんな大層な事はしてないですから」
雪乃はといえば、自分の発言が発端となった事もあり、未だに困惑を身にまとったままでいるが、事の推移を見守ろうと沈黙を保ってくれていた。
ここで雪乃が今ある状況も理解しないままなにかしら発言でもしたら、俺と昴の苦労は一瞬にして泡ときす。
しかし、交友関係を活発に広げようとはしない雪乃であっても、自分がおかれている状態を読みとる能力が乏しいわけではなく、不必要に人間関係に波風を起こさない術くらいは学んできているようであった。
まあ、学んではいるけど、気にくわない相手に対しては好戦的ではあるが。
それが雪乃らしいといえばらしすぎるわけで、その辺を無理に隠す必要もないとは思う。
とりあえず、この場は俺に任せるといった視線を雪乃から受け取った俺は、目の前で未だぬ動けないでいる夕さんに意識を集中させた。
昴「姉さん?」
いくら昴のサポートがあっても、弁当に関しては夕さんの言葉がなければ話は進まない。
昴が夕さんの意識を揺り動かそうと声をかけると、聞き慣れた声に反応した夕さんは唇と軽く噛むと、俺達向かっていきなり頭を下げてきた。
夕「ごめんなさい。私も料理が全くできません」
俺と昴はどうしようかと目を交わすも、夕さんを見守るしか手が残されてはいなかった。
一方雪乃はやっと今置かれている事態を全て理解したようだ。
夕「比企谷君はわかっていたみたいだけど、昴から聞いたのかな?」
顔をあげて俺を見つめる夕さんは、頬を上気させて潤んだ瞳で俺に問いかけてきた。
これはやばい。女の色気がぷんぷん撒き散らすタイプではないが、自然と男を引き寄せる魅力が俺を惑わそうとする。
俺の中の夕さんのイメージは、英語の講義に一生懸命取り組んでいる真面目な講師でほぼ固まっていた分、このギャップはすさまじすぎる。
いくら雪乃が隣にいたとしても、魅力的な女性の魅力を否定する事は出来ない。
いや、どことなく雪乃と雰囲気が似ているせいもあるのだろうか。
年も違うし、性格は全く違う。見た目は若く見えるせいもあって年齢を感じさせないが、俺が初めて弥生准教授と会った時に抱いた生真面目さと言うか清潔感?
几帳面さというか芯が通った力強い美しさが雪乃とダブらせる。
なんて夕さんに見惚れていると、隣の本物の雪乃が訝しげに俺の顔を覗き込んできて、はっと息を飲んでしまった。
雪乃「八幡? 大丈夫?」
八幡「えっ、あぁ、うん。問題ない。えっと、ストレートに夕さんが料理ができないと聞いたわけではなくて、なんとなく料理がうまくないって話を聞いたことがあっただけですよ」
夕「そうなの?」
昴に首を傾げて聞く姿、本当に30歳くらいなのですか?
実際の年齢を聞いたわけではないけど、昴の年齢と准教授っていうことを考えれば30前後ってきがするだけだが、どう見ても雪乃よりも幼く見えてますって。しかも、かわいすぎるし。
本当に初めて夕さんを見たときに感じた几帳面そうな講師の印象をどこに忘れてきたんですかって聞いてみたい。
昴「うん。ごめんね」
夕「ううん、いいのよ。私が料理ができないのは事実だから。本当は私が料理が出来るのならば、もっと昴の食事面でのサポートもできるし、もっと早く回復していたかもしれないのに、本当に駄目なお姉ちゃんでごめんね」
今度こそ本当に涙を瞳に貯め込んだ夕さんは、昴に向けて許しを乞う。
昴「そんなことないよ。夕姉はいつも僕の為にがんばってくれているよ。僕の方こそ迷惑ばかりかけていて、申し訳ないって思ってしまっているんだ。仕事だって大変だし、それなのに僕という負担までしょいこんでしまって、感謝は毎日しているけど、夕姉の事を駄目だなんて思ったことなんてないよ」
夕「昴・・・」
駄目だ・・・。二人だけの世界作っていやがる。
なんだか、見ているだけで胸やけがするっていうか、これが砂糖を吐くっていう場面なのか?
砂糖を吐くってラノベでしか体験できないことだったんじゃないのかよっ!
とりあえず、げんなりとした顔だけは見せないように俯いて顔を隠し、
俺は雪乃の様子を伺うべく目だけ隣にスライドさせた。
すると俺の視線に気がついた雪乃は、とくになにか訴えかけてくる事もなく、視線は目の前で繰り広げられ続けている甘ったるい光景に向けられた。
まっ、しゃーないか。
冷めてしまってはいるが、砂糖がなくても甘くなりすぎた紅茶を飲みながら待つとしますよ。
こういう場面に介入してもろくな事はないからな。
と、諦めモードで視線だけは甘さを避けるべく店内を眺めることにした。
ただ、そんな甘ったるい時間はそう長くは続くわけはなかった。
一つ目の理由としては、喫茶店の中ということで公共の場であること。
二つ目としては、目の前に俺と雪乃がいることだが、おそらく3つ目の理由が本命だろう。
それは、弥生姉弟のその場の空気を読む能力が由比ヶ浜並みであるっていうことだ。
そりゃあ、いくら蕩けるような雰囲気を作っていようと、目の前で気まずそうな雰囲気を隠そうとしているのが二人もいたら気がつくに決まっている。
いくら俺と雪乃が平静を装ったとしても、平静さを強く装うほどに気がついてしまう二人なのだから。
昴「えっと、その・・・、待たせてしまったみたいでごめん」
八幡「いや、気にするな」
夕「比企谷君に雪乃さん。恥ずかしい姿を見せてしまってごめんなさいね」
雪乃「いいえ。私は気にしていませんから大丈夫です。むしろ八幡がいやらしい目で夕さんを見ていたみたいなので、その方が申し訳ないです。彼女として、彼氏の不始末をお詫びします」
と、雪乃は丁寧過ぎるほど丁寧に頭を下げて謝罪する。
絶対雪乃は俺が夕さんに見惚れてしまった事を怒ってるな。
って、いつ頃から気が付いてました?
でもそれは雪乃とダブらせてしまった部分が大きいわけで・・・、はい、ごめんなさい。
隣から発せられる局所的な冷気が俺だけを襲う。
きっと昴も夕さんも、雪乃の冷気に気が付く事は出来ても、その身を凍らせる冷気を感じる事はできないのだろう。
それだけピンポイントに俺だけに嫉妬を向けられていた。
夕「いいえ、比企谷君はとくに・・・」
雪乃「それは夕さんが気が付いていないだけで、八幡が巧妙にいやらしい視線を隠していただけです」
夕「本当に大丈夫ですから」
雪乃「そうですか? 夕さんが大丈夫と仰ってくださるのでしたら」
昴「僕たちのせいで話を中断させてごめん。それで話を戻すと、僕と姉は料理ができないんだ。だから、僕たちは自分たちの分のお弁当だけは用意するよ。それでもいいかな?」
俺の窮地を察知した昴は、ちょっと強引だけど話を元に戻そうと努める。
俺だけじゃなくて夕さんも若干雪乃に引き気味だったのも、強引に話を戻した原因かもしれない。
ただ、昴が強引な手を使った為に、さらに雪乃の機嫌を悪くしてしまうかという不安だけは残っていた。
再び視線だけをぎこちなく雪乃に向けると、さっきまで申し訳なさそうな表情を作っていたのに、今は少しだけ頬笑みを浮かべて昴の話に合わせてきた。
雪乃「お弁当を用意するといっても、それはコンビニかお弁当屋さんで買ってきたものですよね?」
昴「そうだね。その日の気分で店は変えてはいるけど」
雪乃「だったら、私たちが昴君たちの分もお弁当を用意しますよ」
昴「それは悪いよ」
夕「そうですよ。私たちはお店で買いますから、これ以上のご迷惑は」
雪乃「いいえ。これは昴君の為でもあるんですよ。お店のお弁当よりは手作りのお弁当の方が食べやすいと思います。もちろん健康面においても違いがあるでしょうし」
たしかに雪乃の言う通りだ。いくら店の弁当で野菜を多く取って健康面を考えようとしても、家庭で作った健康を考えた手料理には敵わない。むしろ大きな差があるはずだ。
それに、外で食事ができない昴の症状を考えれば、少しでも刺激が少なく胃の負担が小さい料理を選ぶべきでもある。
第48章 終劇
第49章に続く
おまけ『がんばれ葉山君』
アパレルショップ
折本「さっきの、友達?」
葉山「ああ、同じサッカー部のやつら」
折本「わかるっ! そんな感じする!」
折本「葉山くんもサッカーって感じ。昔からやってたの?」
葉山「ああ。でも、ちゃんとやったのは中学からだよ」
仲町「昔からスポーツが得意だったんだね。だからか・・・、胸板とか腕の筋肉もすっご~いっ」
葉山「どうだろ?」
折本「ううん、細身だけどしっかりと筋肉ついているし、ただでさえかっこいいのにますます目が離せなくなっちゃうよ。・・・だからかな?」
葉山「なにかな?」
折本「うん、人の視線を普段から意識しないといけないから自然とだとは思うんだけど、葉山君が制服の下に着ているインナーのシャツもなんかおしゃれしてるなって。でもでも、おしゃれしているのを前面に押し出してるんじゃなくて、さりげなく着ているところがいいんだよね」
葉山「そうかな?」
仲町「そうだよ。うん、葉山君だからこそだよ」
折本「比企谷もそう思うよね?」
八幡「どうだろうな・・・」
折本「ほらぁ、もっとちゃんと見なさいよ」
八幡「わぁったよ。・・・ん? なあ葉山」
葉山「なんだい比企谷」
八幡「そのシャツってさ、どこで買ったやつ?」
葉山「どうして?」
八幡「いや、俺もそのシャツと似ているのを最近まで着ていたからさ」
葉山「そ、そうだったのか。偶然だな。比企谷と趣味が合うんだな」
折本「比企谷はともかく、葉山君のセンスはちょういいかんじでしょ」
葉山「だとすれば、同じ服を選んだ比企谷もセンスがいいってことかな」
仲町「どうだろうね?」
八幡「服のセンスがいいっていうのなら、雪乃を誉めてやってくれよ。以前まで着ていた服は全て雪乃に回収されて、今持ってるのは全部雪乃が用意してくれてるやつだからな」
折本「もうっ、比企谷が背伸びしないの。いくら比企谷がまったく同じのを着たとしても、葉山君みたいにはならないって」
八幡「・・・まっ、そのシャツ今はどこかいっちまったからどうでもいいけどよ」
カフェ
葉山「そういうの、あまり好きじゃないな・・・・・・」
仲町「あ、だよね!」
葉山「ああ、そうじゃないよ。俺が言っているのは君たちのことさ」
折本「え、えっと・・・・・・」
葉山「・・・・・・来たか」
八幡「お前ら・・・・・・」
結衣「ヒッキー・・・・・・」
八幡「なんでここに・・・・・・」
葉山「俺が呼んだんだ。・・・・・・比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない。君たちよりずっと素敵な子たちと親しくしている。表面だけ見て、勝手な事を言うのはやめてくれないか」
折本「ごめん、帰るね」
雪乃「選挙の打ち合わせ、と聞いていたけれど」
八幡「選挙って、生徒会のか?」
雪乃「・・・・・・。由比ヶ浜さん、やってくれないかしら?」
結衣「らじゃ~・・・・・・。くんくん、くんくん」
葉山「ちょっと結衣。何を急に!」
八幡「おい由比ヶ浜。なんで葉山の服を嗅いでるんだよっ」
結衣「やっぱり隼人がワイシャツの下に着ているシャツってヒッキーの臭いがする」
葉山「・・・・・・」
結衣「でも、どうしてゆきのんと陽乃さんの臭いもしてくるんだろ?」
八幡「ちょっと待て! 俺は葉山と抱き合ったことなんてないからな。けっして海老名さんが喜ぶような展開なんてなかった。わかってくれ雪乃。俺がそんなことするわけないって、お前が一番わかってくれるよな」
雪乃「わかってるわ(にっこり)」
八幡「お・・・ありがと」
雪乃「でも、そんなに慌てて否定されると、ほんのわずかだけれど、疑いたくなってしまうわ」
八幡「ゆきのぉ・・・・」
雪乃「嘘よ(極上の笑み)」
八幡「勘弁してくれよぉ」
陽乃「ふーん、なるほどねぇ。雪乃ちゃんが妙にガハマちゃんのことを大切にしているのって、そういう理由もあったわけか」
雪乃「姉さん・・・・・・」
陽乃「ガハマちゃんの犬みたいな嗅覚を味方につけたってわけね」
雪乃「姉さん」
陽乃「なにかな?」
雪乃「愛人は愛人らしくしていられないのかしら?」
陽乃「あら? 愛人だからこその行動じゃない」
雪乃「はぁ、まあいいわ。・・・葉山くん」
葉山「・・・どうしたのかな?」
雪乃「生徒会の話なのだけれど」
葉山「あぁ、そうだったね」
雪乃「生徒会長については一色さんが「自主的に」立候補して生徒会長になることを泣き叫んで?、泣いて?、命乞いをして?、・・・了承してくれたわ」
葉山「そ、そうか」
雪乃「えぇ、葉山君が自分にできることならなんでもしてくれると言ってくれたのがきいたみたいね」
葉山「自分には大した事なんてできやしないよ」
折本「さすが葉山君」
雪乃「謙遜だわ。葉山君には生徒会副会長としての立候補届けを出しておいたわ。葉山君の推薦人は簡単に集まったから問題なかったのだけれど、書記をやりたいって言ってきた相模さんの推薦人がなかなか集まらなかったのが大変だったわ」
八幡「よく相模がやるなんていってきたな」
雪乃「どういう風の吹き回しかしらね? でも、これも奉仕部への依頼だから協力したまでよ。だから葉山君。一色さんと相模さんと生徒会がんばってね(にっこり)」
葉山「ははは・・・」
雪乃「それと、葉山君の体操服やサッカー部で使っているスパイクやユニフォーム。手違いでなくなってしまったから新しいのを用意しておいたわ。一応みんなに声をかけて探すの手伝ってもらったのだけれど、駄目だったわ。でも、さすが葉山君ね。葉山君の私物だとわかったら飛ぶように手が挙がったもの」
今回もごめんなさい。
第48章 あとがき
あまりオリジナルキャラクターを増やすのもどうかなぁとは思ってはいるのですが、原作キャラクターがこのネタに対してどう行動するかではなくて、シナリオそのものを先に考えてあとから役をわりふってしまうので、どうしても原作のキャラクターでは不都合が生じてしまうんですよね・・・・・・。
そもそも『はるのん狂想曲編』においても、先にシナリオがあって、そこに俺ガイルのキャラを振り分けていったので、当然のようにキャラ崩壊が生じてしまいます。
だったら最初からオリジナル書けばいいじゃんってことになりますが、原型となったオリジナル小説も存在してはいます。
一番最初に申しましたが、書く練習も兼ねている部分はお許しください。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです。
黒猫 with かずさ派
第49章
昴も理屈の上では雪乃の言い分が正しいとわかっても、だからといって簡単に雪乃の提案に甘えることなどできやしなかった。
昴「でも・・・」
雪乃「私たちが好きで作っているのだから、無用な遠慮をする必要はまったくないわ。それに作る量が二人分増えたとしても手間暇はそれほどかわらないと思うし」
夕「ですけど・・・」
やはり昴も夕さんも簡単には首を縦にはふれやしない。もし俺が逆の立場なら、同じ態度をとったはずだ。いや、まて。そもそも俺に弁当を作ってきてやるっていう奇特なやつがいないから考えても時間の無駄、か。そもそも昴がまともに食事ができないというハンデキャップが弥生姉弟の心を重くしてしまう。それなのにお弁当まで甘えるというのは、さすがによほどの鈍感な人間くらいしか簡単には甘えることなどできやしないだろう。
しかし、弥生姉弟が甘えられないとしても、雪乃はそれをよしとはしない。だったら、俺が妥協案を提示するしかない。
雪乃の為、弥生姉弟の為、そして、何よりも俺の命を守る為に。このまま何も挽回しないままでは、俺が雪乃に殺されてしまう。それだけはなんとか回避せねばなるまい。
純粋なる好意の前に、俺はみにっくたらしい自己保身のための行動にでる決意をした。
八幡「それじゃあこういう案はどうだ?」
昴「何かいい抜け道でも見つけたの?」
八幡「抜け道とは心外だな。俺はいつもそこにある道からしら選択していない。もし昴が抜け道って言うのならば、それはお前がその道を見ていないだけにすぎない。そこにある道をどうして抜け道と言う。目の前には最初から道があるんだぞ」
昴「さすが主席様が言う事は違うね」
八幡「言ってろ」
俺は昴の軽口にのせられて、どうにか雪乃によって作り出された極寒の地からは抜け出せた。だから調子に乗った俺はそのままの勢いで、それほど大したことではない案を提示することにした。
八幡「俺としては、俺の弁当当番をなくせるのが一番なんだが、それは無理みたいなので代案を提案する。代案て言っても、ただ材料費として一人一食400円を昴達から貰うだけなんですけどな。一応大学内で売っている弁当の値段と学食の値段、あとは俺達が作る労力を加味すると、400円くらいの価格が妥当かなと考えんだが、どうよ?」
夕「私たちはそれでも構いませんよ。むしろ400円では安すぎませんか?」
雪乃「いいえ。先ほども言いましたが、作る手間暇は変わりませんから、材料費さえいただければ、それはお弁当の対価だけと考えていただいて構いません」
八幡「だな。その方がお互い貸し借りの意識がなくていいかもしれない」
昴「僕も雪乃さん達がそれでいいというのだったら、それでお願いしたいな。どうかな? 姉さん」
夕「私も比企谷君の案でお願いしたいかな」
八幡「だったらこれで決まりだな」
雪乃「姉さんはこのあと来るからいいとして、由比ヶ浜さんには連絡を入れておいた方がいいわね」
八幡「由比ヶ浜の方は任せる」
これで昴の状態がよくなっていく一助になればいいと願わずにはいられない。
つい最近大学に入学したばかりかと思っていたら、今はもう大学2年の夏季休暇が目の前まで迫って来ている。そして昴と友達だか知り合いだかよくわからない連れになって1年以上も経つというのに、俺はこの弥生昴の事をちっとも知らなかったという事実を突き付けられてしまった。案外俺は他の同級生よりも昴の事を知っていると根拠もない自負さえしていた気がしてしまう。ただいつも席を並べて講義を受けていただけなのに、たまに試験対策やレポート対策の為の情報交換をしていただけなのに、たったそれだけで弥生昴の事を知っていると思いこんでいた。
俺も他の連中と同じように昴の外見と人当たりがいい性格のみしか知らなかったくせに、いい気なものだ。もし俺が逆の立場だったならば、そんなうわべの情報だけで知ったかぶりするなと鼻もちならない態度さえしてしまうのに。
だけど、そんなちっぽけすぎる俺であっても、昴の病状を心配せずにはいられなかった。俺が自虐的に使う心の傷なんて、お遊び程度のネタにすぎない。本物の心の傷とは、昴のように日常に影響を及ぼしてしまう消せない傷だ。なんて、俺がなんちゃって自虐ネタで黄昏いていると、弥生姉弟は楽しそうに雪乃と昼食についての段取りを進めていた。
ただ、拗ねくれている俺は明日からの弁当の事より、さっきはさらっと説明しただけですませてしまった根本的原因であり、全く対応策について聞かされていない昴の悩みについて気になってしょうがなかった。そもそも昴が外食できなくなったのは、電車での出来事があったからだ。夕さんの話によれば、薬を飲んで無理をすれば電車に乗れるとはいっていたが、もし日常的に電車がのれるのならば、わざわざ千葉の大学なんて入らないでそのまま東京の大学だって入れたはずなのだ。それなのに千葉に来たっていう事は、夕さんの説明では不十分すぎると言わざるをえない。つまりは、夕さんが昴の面倒を見るというよりは、出来る事なら昴は電車には乗りたくない。もっとつっこんで言ってしまえば、電車に乗ることができないといえるのかもしれない。
この間違ってほしい推測が正しいとすれば、事態はもっと深刻なのだろう。
中学の時は、自転車に乗ればどこまでもいけるような気がした。高校になって電車通学の奴らを見るようになってからは、電車というツールが台頭し、世界はもっと広くなった。そして大学生になった今、全国から集まってきた生徒だけでなく海外からの留学生なんてのもいるわけで、俺達の世界は本当の意味で広くなったんだと思う。
ましてや社会人になったならば、いうまでもないだろう。そんな俺も大学院は海外にいく予定なわけで、飛行機というツールも日常的になってしまうはずだ。
それなのに昴は高校時代に獲得するはずであった電車という便利なツールを使えなくなってしまった。これは誰が見ても大きな損失のはずだ。もし、昴が広い世界を望むのならば、もし、昴が俺とは違って狭い人間関係だけで満足できないとしたら、もし、昴が千葉よりも遠くの世界にいく事を望んでいたのならば、今のままではけっしてよくないとだけは、当事者でない俺でも理解できた。
こんな俺を友達だと言ってくれた昴に、なにかしてやりたいとがらでもない事を考えてしまった。
友達なんていらないって、とがってみたりもした。友達ごっこならなおさらいらないし、そういう青春ごっこをしているやつらを白けた目で見てもいた。
でも、そういううわべだけの関係を演じるのではなく、人から認められるのならば、他人からは友達ごっこだと罵られようと、俺は喜んで友達ごっこを演じてやる。
八幡「そういえば、夕さん」
会話に割って入った俺の問いかけに笑顔で顔を向けてくれる夕さんって、本当にいい人だよな。こういう姉だったらまじでほしいかもしれない。・・・駄目だな。まじで惚れちまいそうだ。さすがにアウトローの俺であっても姉弟間の恋愛は遠慮したいが、昴と夕さんとの組み合わせなら・・・。いかん。海老名さんの気持ちが少しわかった気がしてしまうのはどうしてだろう。
夕「どうなさいました?」
心配そうに見つめるそのまなざしに、俺は吸い寄せられそうになる。そしてつい本当に前のめりになりそうになった瞬間、テーブルの下にあった手をつねられる痛みで当然のごとくだらしない姿を見せる事を防ぐ事が出来た。
だらしない姿というか、俺が夕さんに見惚れていたのが雪乃にばれただけなんだが、とりあずこれで済んで良かったと冷や汗を流しつつ横目で雪乃を見ながら強引に納得した。
八幡「いや、その・・・夕さん。橘教授に俺の事を話しましたよね?」
夕「ええ、橘教授にはお世話になっていますから、いつも講義方針について相談に乗ってもらっているんですよ。ですから、そのときに比企谷君の事も話した事があります。・・・ごめんなさい。私が比企谷君の事を話してたせいで何か不都合がありましたか?」
夕さんは眉尻を下げて申し訳なさそうに慌てふためく。全然夕さんは悪くはないのに困らせてしまった事で俺の方も気まずくなり、慌てて話の続きをすることになる。
八幡「いや、不都合なんて全く。むしろ夕さんが教授に俺の事を話していてくれたおかげで今朝の面談もスムーズに終える事が出来たのですから、感謝しているほどですよ」
夕「ほんとうですか?」
俯き加減だった顔をあげ、ぱっと絵になる笑顔を咲かす。
雪乃「ほんとうですよ。八幡は自分の方からは積極的に話さないものだから、夕さんからの事前情報がとても役に立ちました」
雪乃が俺の言葉が真実であると補強するがごとく補足説明をする。ただ、余計な事まで言いそうなのが怖いが。
雪乃「八幡は人に誉められる事に慣れていないせいか、結局は姉さんがほとんど話していたんですよ」
昴「え? そうなの? 今朝比企谷は陽乃さんがほとんど話していたとはいったけど、その内容は比企谷の事だったの?」
雪乃の説明を聞き、昴は驚いた顔を俺に見せる。
たしかに今朝、かいつまみ過ぎた教授との面談内容を昴と由比ヶ浜には話したわけで、雪乃の説明との乖離はちょっとばかしでかいとも言えた。
雪乃「もしかして八幡。自分の英雄談を話すのが嫌だったから姉さんのせいにしたのね」
雪乃は呆れ果ては顔を見せ、これ見よがしに二人もギャラリーもいる前で盛大にため息をつく。そんなため息をつかれちゃったら、俺がしょっちゅう雪乃に気を使わせているって思われちゃうだろ。たとえ事実だとしても、もうちょっと・・・、はい、だから睨まないでください。反省しています。・・・と、雪乃の激しい調教を兼ねた睨みに脅えつつ反省の顔を見せた。
八幡「まあな。・・・でもな。昴に詳しい事情を話さなかった理由があるんだよ」
雪乃は言葉には出さないが、「そうかしら? ほんとうにまともな事情があるのなら言ってみなさい」と、目力一杯に俺に語りかけてくる。
八幡「今朝は由比ヶ浜がいたからな。だから話せなかったんだ」
雪乃「そう・・・」
雪乃の肩から力は抜け落ち、いまは優しい面持ちさえ浮かべていた。俺も雪乃が今何を思っているかを想像出来る分、俺の方も強張った体の力が消えていった。
雪乃「そう、そうね。由比ヶ浜さんには話さないほうがいいわね」
八幡「だろ?」
雪乃「変に揶揄ってしまってごめんなさい」
しおらしく謝る雪乃に俺はデレそうになり、その感情を押しとどめながらテーブルの下にある雪乃の手をそっと握りしめた。
八幡「俺の普段の行いが悪いせいだから気にするな」
雪乃が小さく笑みをこぼし、俺のそれにつられそうになる。しかし、この甘ったるい雰囲気はそう長くは続かなかった。そりゃそうさ。なにせ一メートルも離れていない目の前に観客がいれば、素人演者でもある俺達は照れずに演じることなんてできやしない。それに、俺達には人に見せつける偏った嗜好なんてもってやいない。
昴「えっと・・・、話を戻してもいいかな?」
昴が申し訳なさそうに声をかけてくる。その声を聞いた雪乃は肩を震わせ顔を真っ赤に染め上げる。動揺しきったその顔に、昴も夕さんも優しい瞳を向ける。ただ、雪乃にとっては逆効果っていうか、全く慰めにもならず、ただただ体を縮こませていた。唯一冷静だった部分があったとしたら、それはテーブルの下で俺と手と繋がれた手のみだろうか。
八幡「あぁ、すまんな。由比ヶ浜のことだったな」
昴「うん。どうして由比ヶ浜さんの前では話せなかったの? この前の小テストも悪い点数にはならないと思っていたけど」
八幡「そうだろうな。由比ヶ浜の答案用紙を橘教授に見せてもらったけど、よくできていたよ。文章の構成がおかしい部分もあったけど、内容は悪くはない。評価はAマイナスだったしな」
俺の説明に昴は眉をひそめる。その反応は当然か。なにせ今朝の話では、由比ヶ浜の答案は見せてもらってないどころか話にさえ上がっていないと話したのだから。
昴「どういうこと?」
八幡「そうだな。昴には話しても大丈夫だし、話すとするか。でも、由比ヶ浜には話すなよ」
昴「それは構わないけど」
八幡「夕さんもお願いしますね」」
昴「ええ、大丈夫ですよ」
俺は雪乃に一つ視線をおくると、今朝の出来事を語り始めた。
静寂、この一言に尽きる廊下に足音が三つこだまする。朝日が射しこむ廊下は既に暑苦しく、全開まで開けられた窓から時折入ってくる風が待ち遠しいほどで蒸し暑かった。先ほどまで登校してくる学生たちのうるさいほどの話声が風にのって聞こえてくるのが、今では微笑ましき光景とさえ思えてくるのは、俺達が今いる場所が教授たちが巣くうエリアだからだろう。たった一階階層が違うだけなのに、どうしてここまで緊張してしまうんだろうか。
別に初めて教授の研究室に行くっていうわけではない。橘教授の研究室には行った事はないが、ほかの教授に用があってこの階にも何度も脚を運んでいるし、その時は全くといって緊張はしていない。むしろ用がある張本人たる由比ヶ浜の方が緊張していたほどだ。
となると、今回用がある張本人たる存在が俺だからこそ背中から嫌な汗が流れ出て、シャツが背中にへばりつくという嫌な経験をしているのだろう。
由比ヶ浜。あんときは背中押して、とっとと部屋に入れってせっついて悪かった。今なら俺はお前と同じ気持ちを共有できる自信がある。げんに教授の部屋の前に来ているのにドアにノックできないでいる。
雪乃「どうしたの八幡? 入らないのかしら? 橘教授の部屋はここであっているはずよ」
雪乃はドアに張り付けてあるネームプレートを再確認し、わざわざ俺に部屋に入るように促してくる。
わかっている。雪乃は悪くはない。雪乃はあの時の俺と同じであって、俺が由比ヶ浜に仕出かした無神経な行動を、翻訳すると余計なおせっかいをしてしまっているだけにすぎない。いや、雪乃の事を悪く言うつもりもこれっぽちもないが・・・・・・。
雪乃になんて言葉を返したものか思い悩みながら雪乃の不審がる瞳に四苦八苦していると、俺の手はまだノックしていないはずなのに二度硬質のドアを叩く音が鳴る。俺と雪乃は自然と音が発生したほうへ首を回す。すると、陽乃さんが部屋の中からの返事を聞く前にドアノブを回して室内へ入ろうとしていた。
八幡「ちょっと待ってください陽乃さ・・・・・・」
陽乃「じん~、いる? あ、鍵あいてるからいるよね?」
友達の部屋に来たって感じで陽乃さんが部屋の中に向けて声をかける。俺の制止など気にもせずに中へと足を進めていってしまう。雪乃は陽乃さんの行動を咎めはしなかった。もしかしたらあの姉だから、というどうしよもない諦めを交えた結論で納得しているのだろうか。となれば、俺だけ廊下で突っ立っているわけにもいかず、重い足を引きずって俺も室内へ入っていった。
男「どうぞ~」
いまさらだが部屋の中にいた人物から間延びした入室の許可が聞こえてくる。そして目の前には、あろうことか芸者がいた。
いや、まじで。
正確に言うのならば、Tシャツにプリントされた芸者だけど、この部屋に似つかわしくないレベルでは同等だろう。
人間理解の範ちゅうを超えてしまうと、どうしようもない事を考えて現実逃避をしてしまう。俺がこの部屋に入って最初に考えて事は、この芸者Tシャツってどこで買ったんだろうかってことだ。浅草とか行けば海外からの観光客相手に売ってそうなきもしたが、いかんせまったく興味がないシャツであるわけで、どこで売っているのか知っているわけもない。そうなると興味はすぐに他にうつり、部屋の中そのものに意識を向けることとなる。
部屋の作りはいたって平凡で、椅子の数より机の数が多いのは、いくつかの机を組み合わせて利用しているようだ。ほかの研究室と同じように本棚には本やファイルがぎっしり並べられ、机の上にも参考資料などが山となって積み上げられている。ただ、本棚もそうだが、その山のようにある資料であっても、綺麗に並べそろえられているところから、この部屋の主は几帳面なのだろうと推測出来る。
たしかに普段の講義ときの服装もその片鱗が伺えた。夏であっても濃紺のスーツをびしっと着こなし、髪型は七三で綺麗にとかし、しかも黒ぶち眼鏡さえもかけていた。よく海外の日本人サラリーマンのイメージを思い浮かばせれば出てくるような典型的な日本人サラリーマン姿に、最初の講義の時はめんどくさそうな教授だと警戒したものだ。実際授業ラストに毎回小テストなんてぶちまける面倒な教授であったから、俺の目に狂いはなかったともいえる。まあ、他の連中も似たような感想を持っていたはずだがら、俺の目が特別だというわけではなかったようだ。
さて、そんなくそまじめな教授が使っている部屋であるはずなのに、何故芸者のプリントされたTシャツなんか着ているおっさんなんかがいるのだろうか? どうやら雪乃も同意見らしく、俺の方に不安そうな視線を送ってきている。でも、俺も訳がわからないわけで、首を振って返事をするしかなかった。
とりあえず現状を確認しないと話はすすめられない。このおっさんが教授の秘書かなんかかもしれないし、もしかしらた掃除のおっさんかもしれない。まあ、秘書は堅物そうにみえる教授がこんなおっさんを雇うとは思えないので、とりあえずその選択肢は消去してもよさそうだ。
目の前にいるおっさんの特徴といえば、芸者Tシャツが際立って目立ってはいるが、ほかに着ているものが独特なTシャツと混じり合ってアンバランスな真面目さをにじませている。下から見ていくと黒の皮靴に濃紺のスラックス。Tシャツはおいておいて、髪型はぼさぼさ。メガネはかけてはいないが軽薄そうな瞳が印象的で、売れない役者かなんかを彷彿させた。背は185くらいはありそうで、その甘いルックスからして意外ともてるんじゃないかって思えたりもした。
・・・・・・もてそうな気もしたが、なんだがヒモが似合いそうな気がしてしまう。そう思うとヒモが天職って気がしてしまい自然と笑みがこぼれ出そうになる。俺もちょっと前までは主夫志望だったわけで、ヒモではないが、当時の俺がこの人物を見たら通じつものを感じ取っていたのかもしれない。そう、先輩って・・・。だから俺は引きつりそうな口を隠そうと筋肉を強張らせる。すると俺は自分がいる場所を再認識してしまい、現実に引き戻された。
陽乃さんは勝手に部屋に入って行ったというのに、俺がきょどっているのを見てニヤついているだけで、先ほどの挨拶以降は沈黙を保っている。雪乃はというと、状況が判断できずに様子見といったところだ。で、芸者のおっさんは俺をこのを見てはいるが、俺の方が用件を言うのを待っている様子であった。
だもんだから、事情が全く分からない俺が必然的に会話を主導しなければならなわけで、ちぐはぐな言葉を紡ぐのがやっとであった。
八幡「あの・・・・・・、橘教授は不在でしょうか?」
男「ん?」
おっさんは面白そうに俺を見ると口の口角を引きあげ返事をする。別に俺の質問がおかしいってわけでもないだろう。橘教授が「不在ならば」適切な質問であるし、教授の部屋にいる人物に教授の居所を聞くのが当然の流れである。
訳がわからず陽乃さんを見ると、やはりニヤついたままで要領を得ない。ただ一方で、おっさんの方も陽乃さんの方に謎の視線を送り、このおっさんの方には陽乃さんはけっして関わりたくもないような意地が悪い笑みを送り返していた。
八幡「あの、橘教授はいつごろ戻るでしょうか?」
男「ああ、ごめん。その辺の椅子に適当に座って構わないよ」
外見通りの陽気でちょっとだけ低い声が返ってきた。俺は座るべきか判断に迷ってしまう。座ってろってことはすぐにでも教授は帰ってくるのだろう。だけど、どうもこのおっさんは胡散臭い。見た目で判断するなとはよく言ったものだが、このおっさんに関しては見た目で判断せざるを得ない。得体のしれない人を引き付ける存在感が俺を警戒させた。
なんて俺がまたもや思案に暮れていると、陽乃さんは当然座ると思っていたが、雪乃も椅子に座り、俺の為に雪乃の隣に一席用意してくれていた。
雪乃「どうしたの八幡? 座らないのかしら?」
雪乃は小首を傾げながら俺を見上げて聞いてきた。
もはや何も疑問がないといった表情が俺をさらに困惑させる。
八幡「いや、その・・・・・・」
雪乃「まだわかっていないのかしら? 姉さんに担がれたのよ」
八幡「は?」
雪乃「だから、あなたの目の前にいる人物こそが橘教授なのよ。ですよね? 橘仁教授」
八幡「えっ? この人が橘仁・・・教授?」
俺は橘教授だと言われている人物を凝視してしまう。目は悪くはない方だと思うが、何度見直しても俺が講義の時に見ているあの橘教授だとは思えない。橘教授といったら濃紺スーツに黒ぶち眼鏡。それに七三にきっちりとわけられたいかにもっていう日本人サラリーマンだぞ。それがこの軽薄そうな芸者のおっさん? はぁ?
俺は急いで陽乃さんを見るが、先ほど以上にニヤついていて、もはや笑いが止まらないといった感じでさえある。これは触らないほうがいいと即断した俺は、当の本人たる橘教授に視線を向かわせた。すると教授はすまなそうな顔をして頬を指でかいている。ただそれでも笑い成分が四十パーセントくらいは含まれてはいたが。
橘「僕が橘仁教授であってるよ」
雪乃「初めまして雪ノ下雪乃です。姉とは面識があるようですね」
橘「まあね。初めまして雪乃君。悪いけど名前で呼ばせてもらうよ。雪ノ下が二人もいたらややこしいからね」
雪乃「はい、かまいません」
橘「うん、ありがと。陽乃君には色々とお世話になっているんだよ」
雪乃「そうですか。ご迷惑をかけていなければいいのですが。それで今日比企谷が来る事も知っていたのですか?」
橘「いや、弥生昴君に頼んではいたけど、こんなに早く来てくれるとは思ってはいなかったよ。ようこそ比企谷君。君と話がしてみたかったんだけど、驚かせてしまってすまないね」
軽薄そうな外見に似つかわしくなく、本当にすまなそうにこうべを下げてくる。俺の方もそれにつられて頭を下げてしまったのは、この人が悪い事をしたわけではないと本能が判断したからだろう。だって、俺をひっかきまわそうとした人物なら、さっきから俺たちの挨拶をよそに盛大に笑い転げていたのだから。
第49章 終劇
第50章に続く
第49章 あとがき
『はるのん狂想曲編』の追加エピソード、七夕前日7月6日金曜日ですが、思っていた以上に書くことが少なかったです・・・・・・。すみません。
少なすぎてそのままここで掲載してもわかりにくいかなと思い、申し訳ありませんがとりあえずハーメルンにおいて5月11日18時「ファイル48」で掲載しましたのでもしよろしければ覗きに来てください。
他にわりと手を加えたかなって思うシーンは、平塚先生とのラーメン後、7/7映画館の中のシーンでしょうか? 気がつかないかもしれませんが……。
以前話題にしました俺ガイル用の新プロットですが、序盤を修正してさらなる遅れがorz
とりあえず一日を240時間にする技術が開発されるのを待つばかりです(真顔)。
おまけなくてごめんなさい。やはりおまけまで維持するのは難しいです。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると大変嬉しく思います
黒猫 with かずさ派
第50章
八幡「いえ、こちらこそ失礼な態度を取ってしまい済みませんでした」
橘「陽乃君の様子からして何かしら仕掛けてきた事はわかってはいたんだけど、僕が途中で横槍を入れると後で僕の方に甚大な被害がでてしまうんでね。すまないけどちょっとばかし静観させてもらったよ」
八幡「そんなことは・・・・・・」
その理由を言われては、俺の方も自動的に納得せざるを得ない。いまだに笑いを収めうようとはしない陽乃さんに睨まれる事だけはけっしてしたくはないものだ。
橘「でも、雪乃君はすぐに気がついたみたいだけどね」
雪乃「えぇ、姉がこの部屋に入るときに「じん」と言っていましたので」
橘「ああ、なるほどね」
雪乃「それにドアのプレートにも「橘仁」と記載されていましたから、それが決め手でした」
橘「さすが陽乃君の妹さんってところかな」
雪乃は姉と比べられてやや複雑そうに眉をひそめる。ただそれも一瞬の事で、すぐに朗らかな笑みを向けているところからすると、以前ほどは陽乃さんを意識してはいないようではある。
橘「僕の方こそ講義の時と同じ格好をしていれば陽乃君の策略にはまらないで済んだと思うと、ほんと悪い事をしたね。せめてジャケットくらいは着ておくべきだったかな」
橘教授は後ろにかかっている濃紺のスーツの上着を、後ろを振り返らないで手のひらだけを裏返してジャケットを指し示した。そこにはポールハンガーにかけられているジャケットと真っ白なYシャツがつるされていた。しかし、仮にジャケットとYシャツを着ていたとしても今と同じ状況になっていたのではないかと思ってしまう。黒ぶち眼鏡までかけたフル装備であっても疑わしいところだ。この軽薄そうな役者崩れのおっさんが、どうしてあの橘教授と重なるっていうんだ。
八幡「ああ、なるほど」
どこがなるほどか俺自身でもわからない。雪乃なんて俺同様に俺の返事をまったく信頼していない目をしている。それでも俺の気持ちと同じらしく、苦笑いを我慢している為に口元がゆがんでいた。
陽乃「そういう反応になるわよねぇ。だって仁の今の姿はアンバランスすぎるもの。スラックスにそのTシャツって、男子高校生かって思っちゃうわよね。まあ、Tシャツのセンスが破壊的な所と幾分顔が老け過ぎているのが難点って感じかな」
ようやく笑いから解放された陽乃さんが笑いを引きずりながらも俺達の間に入る。
教授の事を知ってるんだったら会う前に教えてくれればいいのに。こうなるのがわかっているからこそ黙っていたんだろうけど、緊張して損したというよりは、もっと緊張してもいいから騙すのだけはよしてくださいと土下座したいくらいだ。
橘「そうかな? 僕はそれほど違和感ないんだけど」
陽乃「それは着ている本人だからよ。見ている方からすれば違和感半端ないわ」
橘「でも、この格好って陽乃君がコーディネートしてくれたものだよ」
これは驚きだ。陽乃さんが芸者のTシャツを? 面白半分で俺に着させる事もありそうな気がするのは考えない事にして、でも、案外橘教授なら似合ってるか? もしかしたら違和感半端ない服装だけど、見慣れればOKか、な?
俺と雪乃は頭を揺らしながら目線を幾度も変え橘教授をチェックする。
でも、やっぱなしだよな。どう考えたって違和感しか残らない。
陽乃「ちがう、ちがう。私がコーディネートしたのは、スーツ、皮靴、メガネ、それに髪型だけよ。そのTシャツは初めから仁の趣味じゃない」
さすがに我が姉の奇抜なファッションセンスに落胆していた雪乃は、陽乃さんの訂正にほっと胸をなでおろしていた。たしかに小町が芸者のTシャツを着て家ん中だけでなく街中を歩きまわっていたら・・・・・・、まあ小町は何着てもかわいいから許す。
さっそく身贔屓して自己完結した俺は、目の前にいる奇抜なファッションセンスの持ち主のおっさんに意識を戻すことにした。
橘「たしかにそれは元々僕の趣味だね」
八幡「あの、ちょっといいですか?」
橘「なんでしょうか?」
八幡「普段講義の時着ている格好は、陽乃さんプロデュースなのですか?」
橘「ええ、そうですよ。おかしいですか?」
八幡「おかしくはないのですが、今と講義とではそのギャップが激しかったので」
雪乃は講義を受けた事がないので、真面目サラリーマンスタイルの橘教授を想像できず、きょとんとしている。たしかに今いる姿のインパクトがでかすぎるので、講義の時の真逆の恰好は想像できまい。
橘「でしょうね。僕もそう思いますよ。でも講義ですからね。僕も割り切っているんですよ。普段からあんな肩がこるような服は着られませんよ。スタンフォードにいた頃はけっこう好きな服装でよかったのに、日本は厳しいね」
いや、日本だろうとスタンフォードだろうと芸者のTシャツを着て仕事なんて出来ないだろうに。
懐疑的な目が四つと、理解不明な笑みを浮かべている目の二つの計六つの目が橘教授に向けられるが、当の本人はのほほんとその目の意味するとことを全く気にしないでいた。
たしかにそのくらいの精神力がなければ罰ゲームよりもひどい服装なんて出来やしないだろう。
雪乃「日本だけではなくスタンフォードでもその場にあった服装をする礼儀は同じだと思いますよ」
珍しくないか? あの雪乃が年上でしかも面識が少ない相手に突っ込みを入れるなんて。それだけ言うのが我慢できなかったという事か。俺も相手が教授じゃなくて陽乃さんあたりだったらど突き倒すいきおいで突っ込みを入れまくってたと断言できるが。
橘「そうかもしれないね。でも、むこうでも注意はされていたんだけど、日本みたいには呼び出しまではなかったからなぁ・・・・・・」
陽乃「むこうでも散々お世話になった恩師に毎日のように服装について指摘されていたって言ってたじゃない」
橘「それは僕の芸術的なTシャツに感銘を受けて感想を言っていただけだと思うよ」
いや、それはどう考えても嫌味ですって。気が付いてないのはあなただけですよって突っ込みたい。この気持ち、君に届け。
陽乃「でも春画がプリントされたのを着て行った時は、さすがに着替えさせられたっていっていたわよね」
橘「あれは僕もやりすぎたかなって思ってたんだよ。でもスティーブンがさ・・・・・・。あぁ、スティーブンというのは、僕のTシャツを作ってくれるスタンフォードからの友達でね。そいつが是非ともって言うんだよ。でもいくら芸術だといっても春画だし、さすがに公共の場で着るのはモラルに反するだろ? だから恩師のサーストン教授にだけにこっそり見せたんだけど、その場で没収されてね。でも、今まで通り芸者のシャツだけは着る事を許してはくれたけどね」
陽乃「それも条件付きで許してくれただけじゃない。しかも、私が聞いた印象では、泣く泣く許してくれたって言う感じだったわよ」
橘「そうかな? そこまできつい感じではなかったと思ったんだけどなぁ。でも、もう二度と裸の女性が印刷されたものは着てくるなって何度も何度も念押しされたな。さすがに裸は刺激が強すぎたんだね」
この人天然なのかって疑いたくなるほどに疑惑がきつくなり、自然と俺がこの目の前にいる理解不能な教授を見る目つきもきつくなるわけで。
橘「大丈夫だって。スティーブンもさすがにやりすぎたって教授に怒られてね。でも、今まで着ていた普通の芸者のTシャツは今まで通り着ていいって、ちゃんと許可してくれたんだから。だからお礼に10枚ほど教授にもプレゼントしたんだけど、それ以降は教授も僕の服装の事を誉める事がなくなっちゃったんだよね。やっぱ教授も毎日のように僕のシャツを誉めてくれていたから、このシャツが欲しかったんだろうな。そんなに欲しいんなら誉めるだけじゃなくて直接欲しいっていえばいいのに」
いやいやいやいや・・・・・・・・。それは絶対諦められただけですって。サーストン教授。
会った事はないけど、ご愁傷様です。こちらには雪ノ下陽乃という爆弾姉ちゃんがいますが、そちらにも橘仁という問題児がいたんですね。その苦労わかります。
もし会う事がありましたら、その苦労を分かち合いましょう。
・・・・・・・ん? 今目の前にいるのって、その爆弾姉ちゃんと問題児じゃねえか。やっぱ訂正。サーストン教授。俺の方が大変そうです。もし会う事がありましたら、俺をねぎらって下さい。いや、今すぐ助けて下さい!
陽乃「そういうわけでサーストン教授も仁の服装を直すのを諦めちゃって、それ以降はモラルに反しなければ仁が何着ていこうが何も言われなくなったわけ。だもんだから、日本に戻って来てからが大変だったんだから」
陽乃さんはさも見てきたかのように手振りを交えて解説を始めようとする。だったら、帰国して千葉の大学で教授になったのは最近って事なのだろうか。でも、陽乃さんは工学部だし、経済学部系の講義に出るとは思えない。と、俺が疑問に思っている事に雪乃もぶち当たったのか、雪乃も陽乃さんにその疑問を目で投げかけていた。
陽乃「ん? もちろん私は仁の講義はとってないわよ。陣の面白い噂を聞いて、もぐって講義に出ただけよ」
大学の講義でもぐるって、よっぽどのことがないとやらない行為じゃないか。たしかに目の前にいるみたいな変なおっさんがいたら見てみたいけどさ。俺は自然とその講義の風景と目の前の教授を見て二つを重ねようとしてしまう。すると俺の視線に気がついた橘教授がにやっと俺に笑いかけてくるので、反射的に頭を下げていそいそと陽乃さんの方に視線を戻した。
陽乃「まあ、比企谷君みたいに冷やかしついでに窓から覗く程度の人がほとんどだったかな」
ちょっと陽乃さん。どこまで俺の心の中を監視しているんですか。もう気が抜けないじゃないですか。なにかしかけられるんじゃないかって。
俺がびくついてるのを面白そうに陽乃さんは視線をスライドして確認するが、今はこれといって指摘してはこない。どうやら今は話の方が優先らしい。
陽乃「でね、奇抜なファッションだけなら別に興味をもたななかったわよ」
八幡「たしかに陽乃さんだったら仮装して講義してるって聞いても興味を示さないでしょうね」
陽乃「だね。仮装が見たかったら比企谷君に着せちゃえばいいんだし」
ウィンクして可愛くきめても着ませんからねっ! 俺は断固拒否を示すべく無言で睨みをきかせる。しかし、五秒も経たないうちに陽乃さんの視線から逃げ出してしまったことは、まあ当然の結果なのだろう。
雪乃「では、姉さんは何に興味を持って橘教授の講義に出たのかしら?」
陽乃「経済学部にも友達がいてね。彼って東京の大学に行かないで千葉にきたくらいで、けっこう優秀な人だったのよ。今もアメリカの大学院行っているほどだし、かなり優秀だと思うわ」
陽乃さんが誉めるって、よっぽど頭がきれる人物ってことか。
陽乃「で、その彼が最初の授業で聞いた経済に関する仁の独演をまったく理解できなかったのよ」
橘「一応最初の授業だし、これから勉強していく世界について話してみただけだよ。まあ僕がこれから教える内容自体ではないからわからなくてもよかったんだけど、それでも僕が大学入学した当時の僕が理解できる程度にはくだいた内容から初めて、最後は僕が今研究しているところまでを駆け足で話したんだけど、かいつまんで話したのが悪かったのかな?」
陽乃「それは仁レベルが理解できるであって、一般の大学生が理解できるレベルじゃないわよ。彼もそこそこ優秀だったのに、その彼でさえ理解できないって、どんな事を話したのよっていうわけで、私は仁の講義に興味を持ったの」
八幡「でも、中には自慢話をしているだけで、内容がさっぱりの独演ってあるじゃないですか。しかも熱をあげていって、意味がない言葉を繰り返したり」
陽乃「その可能性も考えたんだけど、彼の話しによると、最初の方は仁が言っている通りかみ砕いた内容だったから理解できたんだって。しかも、そうとう面白い内容だったそうよ。でもね、仁ったら、彼もまた話をするのに熱をあげていってね、ただでさえ大学院レベルの内容なのに、それを早口の英語で話す、話す。限られた時間しかなくて、早口になるのはわかるけど、聞いているのは普通の大学生って事を理解してほしいわね。途中まではくらい付いて聞いていた生徒が、一人また一人で諦めていったそうよ」
八幡「それで実際講義に出てみたらどうだったんです?」
陽乃「たぶん比企谷君が一番知ってるんじゃないかな」
俺は、はてな?と首を傾げてしまう。そもそも今まで橘教授は、ガイダンスを含めて生徒が理解できない内容を講義したことなどはない。これは橘教授に直接言うことなんてできない事ではあるが、はっきりいって橘教授の講義はつまらないほど丁寧で理解しやすい。この講義を聞いてわからないっていう奴がいたんなら、そもそもうちの大学レベルではないと諦めて退学したほうがいいとさえ思うほどでもある。しかも、講義の最後に確認のための小テストまでやる至れり尽くせりの懇切丁寧な講義だ。
陽乃「比企谷君が今想像しているのと同じ講義だったわ」
だから俺の心を覗かないでくださいって。もう俺の事が好きすぎるでしょ。
陽乃「私が出た時も比企谷君が受けているつまらない講義と同じで、すっごくがっかりしたのを今でも鮮明に覚えているわ。ちなみに服装はあの芸者Tシャツだったけどね」
橘「あの後でしたね。陽乃君に服装指導を受けたのは」
陽乃「その前に学部長からの呼び出しだったじゃない」
橘「そうでしたね」
なんだか年上相手にタメ口で話しているというのに、それがいかにも自然すぎて、俺は橘教授に親近感を覚えるのと同時に、この部屋に入るまでの緊張を捨て去ることができていた。別に陽乃さんが意図してやっているはずもないと思えるが、一応心の中で感謝だけはしておこう。・・・・・・・意図的だな、絶対。半分だけ感謝してますよ、陽乃さん。でももう半分は、俺をからかう為だったでしょ。
雪乃「学部長に呼ばれたのは服装についてですよね?」
雪乃の方は最初から緊張などしていなかったので、とくに変化もなく平然と質問をしているが、それでも橘教授とも距離感は縮めているようではあった。
橘「そうだよ。スーツを着てこいとまでは言われなかったけど、教授として威厳がある服装をしろって1時間近くも叱られたのを今でも覚えているよ。たしか陽乃君が僕の研究室に来ているときだったよね?」
陽乃「ええ、そうよ。学部長ったら、話は少しで終わるから廊下で待っててくれって言ったくせに二時間もお説教してたのを覚えているわ」
あれ? 1時間じゃないんですか? いくらなんでも一時間も違うっておかしいでしょ。陽乃さんが意図的に間違えるのならばわかるけど、それはないだろうし。また、「俺が知っていた」橘教授が時間を間違えるとも思えない。だったら、この認識の違いはどこからくるんだ?
橘「二時間だっけ? 僕はわりと早くすんだっていう印象が残っていたんだけど」
雪乃「そもそも一時間でも長いと思うのだけれど」
雪乃は隣にいる俺にだけ聞こえる声でぽそっと呟く。きっと目の前の二人に伝えても意味がないとわかっているのだろう。
陽乃「今は落ち着いているからいいけど、また面倒な事を起こしてスタンフォードに戻るなんてことにならないようにしてよね」
橘「わかってるさ」
陽乃「どうかしらね? でも、ようやくこの大学に腰を据えたと思っていたら、夏季休暇はずっとスタンフォードに戻るらしいじゃない」
橘「戻るといっても他の所にも用事があって、全米を転々とする予定だけどね」
陽乃「もっと酷いじゃない」
橘「ここにくるまでにお世話になっていたところで情報交換というかね。情報だけはどこにいても手に入るけど、その場の空気だけは手に入れられないのが難点だね」
陽乃「ちょんと戻ってきなさいよ。あなたの講義を楽しみにしている生徒がここにもいることを忘れないで頂戴ね」
橘「わかってるさ。そのために千葉に戻ってきたのだから」
戻ってきた? ということは、この大学の出身者なのだろうか? それならば俺も留学をしなければならないし、意見を聞きたいところだな。
八幡「あの、ちょっといいですか?」
橘「あ、なんだい? 比企谷君」
八幡「あのですね、橘教授はこの大学の出身者なのでしょうか?」
橘「一応この大学出身者ってことになるのかな? どうかな?」
陽乃「出身じゃなくて在籍ってところね」
八幡「へ?」
陽乃「だから、仁ったら大学1年の夏休みに明けに大学やめちゃったのよ。だから在籍の方があってるでしょ」
八幡「たしかに・・・。でも、なぜやめたんですか?」
橘「父の交友関係のおかげで、スタンフォードにいるサーストン教授とは面識があってね。それで色々と大学に入る以前からやり取りをしていたんだ。それでこの大学の経済学部に入って初めての夏季長期休暇を利用して向こうに行ってみたんだよ」
八幡「それでそのまま向こうに?」
橘「そう簡単にはいかないよ。一端戻って来て大学受験のやり直しさ。留学なんて考えてなかったらすぐに留学できる準備なんてできていないしね。だけど、両親は賛成してくれたから、留学することが決まればそこからはあっという間だったかな」
八幡「それでそのままずっとスタンフォードで研究を?」
橘「いや。スタンフォードの大学はとっとと卒業して、大学院までいったけど、そのあとハーバードにも行ったよ。でも結局はスタンフォードに戻って来て研究職についたけどね。まあ、研究ばかりじゃなくて実践の方にも興味があって、色々と出て回ってたけど」
八幡「なら、なんで千葉に戻ってきたんです? 経済を研究するならアメリカが本場だと思いますけど」
橘「そうだね。でも、研究するだけなら日本でもできるから、僕はもういいかなって思ったんだ」
陽乃「よく言うわよ。早く夏季休暇が来ないかなって、スタンフォードに行くの楽しみにしていたじゃない」
橘「こらっ。僕がせったくかっこつけていたのにさ」
というわりには、まったく陽乃さんの横槍を気にしていないじゃないですか。それよか陽乃さんのつっこみを楽しんでさえいませんか? まあ、そのくらいの広い心がないと陽乃さんと仲良くなんてできないってことかもしれないけど。
陽乃「ま、いいじゃない? 仁はそのままで十分よ」
橘「そうかい? 美人さんにそう言われるんならいいか。・・・えっと、スタンフォードに行くのは戻りたいからじゃないからね。やはり最新のものは向こうで仕入れてきたいからさ」
陽乃「はいはい」
橘「え~っと、日本に戻ってきた理由だったよね」
八幡「はい」
橘「それはね、僕は運よく人との縁に恵まれていたんだなって強く思ったんだ。サーストン教授との縁がなければ、僕はきっとアメリカには行かなかった」
八幡「でも、いずれはアメリカに行っていた可能性はあったのではないですか?」
橘「可能性の話をしたら、僕の場合はそのまま千葉の大学を卒業してサラリーマンをやっていた自信があるよ。だって、ほかに特にやりたい事があったわけじゃないし、卒業したら仕事をしなきゃいけないわけだしね。だから、疑問を抱く事もなくサラリーマンになってたはずさ」
八幡「そうですか・・・・・・」
たしかに俺も雪乃と出会わなければ主夫は夢だとしても現実はサラリーマンになっていたのだろう。それが今や海外お留学必至。しかも帰国後は雪乃の親父さんの下で働かないといけないときたもんだ。橘教授の言葉ではないが、人との縁ってもんは数奇なもんだな。
橘「まっ、それも可能性にすぎないからね。僕はひとりで生きているわけじゃないくて、人とのつながりの中で生きているのだから、いつも何らかの影響を人から受けている。こうして今君たちと話しているのも、もしかしたら僕の今後の人生に重大な影響を与えているのかもしれない。これって面白い事だとは思うんだよね。・・・そ、そ。だから僕は千葉に戻ってきたんだ。僕が得ることができた縁をちょっとだけでもいいから日本にいる大学生にもおすそ分けしたいんだ」
八幡「おすそわけですか」
橘「そうだよ。僕はアメリカで好きな研究を目いっぱいしてこれた。学問の最前線で、経済の最前線で、そこでしか味わえない緊張感を感じ取ることができた。だからね、僕はそういう経験を日本の学生にも味わってもらいたいんだよ。ちょっとでもいいから新たな可能性を提示したい。僕なんかとの縁なんて大したものではないけど、それでも道端に転がっている石ころ程度にはなれるはずさ。まっすぐサラリーマンになる道もきっと間違ってはいない。でも、その道に転がっている石ころにつまずいて違う道に進むのも魅力的だとは思わないかい?」
八幡「人によりますけど魅力的だと思う人もきっといると思いますよ」
そこにいる陽乃さんみたいな人とか。
陽乃さんは自分の道を切り開いていった橘教授に憧れに近い感情を抱いたのかもしれない。自分にはない開拓心を手に入れたいとさえ思ったのかもしれない。
誰もが憧れる雪ノ下陽乃を捨てる事を望んでいたのかもしれない。
橘「だといいんだけどね」
陽乃「でも、極端すぎるわよね。経済に興味を持ってほしいなら、もっと生徒が面白いと思う講義をすればいいのに」
橘「面白い? 一応初めての講義の時したんだけど、誰も理解してくれなかったんだよね」
陽乃「当然よ。大学生が大学院レベルの内容を簡単に理解できるっていうのよ。しかも途中から早口の英語になったらしいじゃない。せめて日本語だったらついてきてくれる人もいたかもしれないけど」
それもどうかとは思いますよ、陽乃さん。せめて英語だったから、わからなかった理由ができたとも考えてしまうのは俺だけでしょうかね。
橘「仕方ないじゃないですか。大学で学ぶ事は基礎であって、本当に面白いのはその先なのですから。それに英語だって帰国したてでね。話に熱が入ってしまうとつい英語が出てしまって」
陽乃「だとしても、その面白い学問を学ぶ前にあんなつまらない講義されちゃったら、みんな面白いと思う前にいなくなっちゃうわよ?」
橘「それは困りましたね」
いや、ぜんっぜん困ったようには見えませんけど・・・・・・。
八幡「あの……、陽乃さんが講義に潜ったときは今と同じような講義だったんですよね?」
陽乃「ええ、そうよ。すっごく基本に忠実で、すっごくつまらない講義だったわ」
橘「それはひどい評価だな。でも、初めからそうするつもりだったんだけどね」
陽乃「私としては仁にはぶっとんだ講義をやっててほしかったんだけど」
橘「大学生相手にはしませんよ。あれはガイダンスだから羽目を外してしまったというのでしょうかね。もしそういったものをお望みでしたら院に進学してくれればいいだけです。そうですね……。院に上がらなくても、こうして僕の所に来てくだされば、時間の限りお相手しますよ」
陽乃「たしかにそうね」
雪乃「姉がいつもお邪魔しているのでしょうか?」
橘「ええ、そうですね。わりと頻繁にきていますね。だから、陽乃君の担当教授からはいいようには思われていないんですよね。面と向かっては言われないですけどね」
陽乃「いいのよ、あんなの」
いや、まずいでしょ。しかも、あんなの扱いとは、陽乃さんの担当教授様を同情します。きっと俺と同じように酷い目にあっているんでしょうね。……あっ、でも付きまとわれないよりはましじゃないかよ。俺なんかほっといて欲しいと思っているときでさえまとわりつかれるのに。どうもサーストン教授といい、陽乃さんの担当教授といい、一度は共感をもっても、どうしてもすぐに破綻してしまう。どうしてだよ。同じような境遇なはずなのに不公平過ぎやしないか?
橘「たしかに陽乃君のいうように面白い講義はしたいですよ。でも面白いってなんでしょうね?」
八幡「その講義に興味をもつとか、雑談が面白いとか?」
橘「雑談でしたら友達とすればいいじゃないですか。講義とは関係ない僕の体験談を話しても時間の無駄ですし、仮に講義と関係がある体験談だとしても、それは聞いていても理解できないですよ。内容が専門的すぎて」
八幡「たしかに……」
橘「それに、僕と高度なディスカッションをしたいのでしたら、最低限の知識がなければ整理しませんよ。別に馬鹿にしているわけではないのですよ。ただ、基礎もできていないのに、なにを話すというのです?」
八幡「まあ、正論ですね」
陽乃「比企谷君が言う通り、ほんと正論すぎるわ。正論しすぎるから生徒に人気がないわけなのよね。ある意味仁の思惑とは真逆に進んじゃってて笑えないわよね」
真逆? というと、人気が出ると思ってるのかよ。たしかに授業はわかりやすいし、理解もしっかりできる。しかも毎回確認テストまでやってくれるお節介さ。講義の質からすれば及第点だが、面白さからすれば誰が点数つけたって不合格だろ。
橘「手厳しいですね」
陽乃「当然じゃない。つまらないものはつまらないのよ」
雪乃「では、どうして姉さんは橘教授に興味を持ち続けたのかしら? 実際見に行って面白くはなかったと判断したのではないのかしら」
陽乃「面白くはなかったわよ。奇抜な服装も興味なかったしね。でも、真面目で馬鹿丁寧な講義だったのよ。この講義で理解できないなら、とっとと大学やめたらいいと思えるほどにね。……うん、進級試験は仁の講義の試験結果で判断してもいいっていうくらいかしらね」
ごめん、陽乃さん。それだと由比ヶ浜が……。いや、ね。大丈夫だとは思うのよ。でも、万が一ってことがあると怖いじゃないですか。
陽乃「だからかな。あんな脳に知識が流れ込むような講義をする人がどんな人かって興味を持ったのよ。もちろんあのガイダンスを聞いてまったく理解できなかったというのもひっかかっていたけどね」
橘「そのおかげとういうのかな。僕は日本にきてもこうして刺激的な毎日を送らざるをえなくなったわけさ」
陽乃「それは誉めて頂いているのかしら?」
橘「もちろん」
陽乃「そういうことにしておいてあげるわ」
橘「どういたしまして。さて比企谷君。これで僕と陽乃君との関係はわかったかな?」
八幡「ええ……、はい、だいたいは」
橘「それじゃあ今度は君の事を聞かせてくれないかな?」
八幡「俺ですか?」
橘「そう、君」
橘教授は冷めてしまっているだろうコーヒーカップを取る為に少し前に出ただけなのに、その存在感も大きさに俺は身を引いてしまう。
プレッシャー? いや、どこか陽乃さんと通ずるところがあるんだろう。だからこそあの陽乃さんと楽しい会話ができるんだろうよ。
八幡「俺の事を話せといわれましても、何を話せばいいのでしょうか?」
橘「そうだね。なにがいいかな?」
橘教授は助けを求めるように陽乃さんに視線を向ける。当然ながら橘教授が俺に用があって呼んだわけで、陽乃さんにわかるわけもなく、曖昧な笑顔を浮かべるにとどまっている。
橘「あっ、そうだ。弥生准教授と話した事があるそうだね」
八幡「ええ、一度だけですけど」
橘「僕も弥生君とはわりと仲良くしてもらってる方で。ほら、僕って人見知りで、なかなか友達できないんだよね。僕はフレンドリーに接しているつもりなのに」
それ、きっと勘違いですからっ。フレンドリーすぎて相手が困ってるんですよ。しかも服装がすごすぎて、相手の人も関わりたくないって思っているはずですし。こうしてじっくり話してみると陽乃さんじゃないけど、この人に好感をもつのもよくわかるけどな。
陽乃「仁のフレンドリーさについては今度にしましょうか。比企谷君も困ってるしね」
陽乃さんが助けてくれた。これは奇跡なの? 俺明日死ぬの? だったら俺はまだ死ねないから酷い事をしてもいいのよ?
陽乃「ほら、今は時間ないし、比企谷君をいじるんなら、もっと時間にゆとりがあるときじゃないと面白くないじゃない」
やっぱ助けてくれたわけじゃないのね。八幡わかってたよ。だって陽乃さんだもの。
橘「じゃあ、それは今度にするかな」
ちょっと、橘教授も納得しないでくださいって、やっぱ陽乃さんと同類じゃないですか。
俺の顔が警戒感がにじみ出す。しかしそのスパイスさえも目の前の二人には旨味成分だったらしい。
第50章 終劇
第51章に続く
第50章 あとがき
前から思っていたのですが、物語のテンポの悪さがなかなか改善できないんですよね。
どうも物語のスピードが悪い……。
地の文をシンプルかつ印象的に魅せるのは、なかなか難しいものです。
来週からはオリジナルキャラクター比率減っていくので、今週までは我慢してください。
とりあえず今週のところは原作違いますけど口直しに別作品用意してありますのでよろしかったら読んでみてください。
私もほぼアニメしかしりませんけど、たぶんいきなり読んでみても大丈夫かと思います。
新作リンク~冴えない彼女の育てかた
詩羽「詩羽無双?」倫也「詩羽先輩、勘弁してください」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1432074031/
(詩羽。倫也)
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると大変嬉しく思います。
黒猫 with かずさ派
第51章
雪乃「それで結局なぜ由比ヶ浜さんには話さなかったのかしら?」
雪乃の問いももっともだ。昴も夕さんも同様の意見のようで俺の言葉を待っていた。たしかに橘教授の印象の話題ばかりを話していて、まだ肝心な事は話してはいない。
八幡「ああ、それな。別に話しても俺の方がうまく調教……、もとい家庭教師の方をしっかりやれば問題ないんだが、まあ端的にいえば気を緩めて欲しくなかったんだよ」
雪乃「というと?」
八幡「今回の小テストも由比ヶ浜の出来は悪くはなかった。それに他の教科も調子がいいしな」
雪乃「それはいいことじゃない? でも、調子が良かったとしても由比ヶ浜さんがさぼりだすとは思えないのだけれど」
八幡「俺もそうは思うんだけどよ。なんだか橘教授に指摘された事がちょっとな……」
雪乃「というと?」
八幡「俺と昴の点数はどちらもほぼ満点だったが、論述の構成というか話の流れってものが違う。たしかに似たような答案にはなるが、いくら書く要点が同じでも論述であれば全く同じ答案が出来上がる事はない。」
雪乃「それはそうね。同じ人間が書いたとしても、全く同じ論述はできないもの」
八幡「それがだな、俺と由比ヶ浜の答案は似てたんだよ。雪乃は評価の方ばかり気にしていたけど、俺はむしろ答案の中身の方が気になってた。まあ、由比ヶ浜の答案はあいつらしくいくつかポイントが抜け落ちていて減点をくらってはいたけどな。それでも雰囲気っていうか話のもっていきようが似てたんだよ。だから、その……なんていうか雪乃の言葉を借りると、学力には違いがあっても同じ人間が書いたって感じかもな」
雪乃「まさか?」
昴も夕さんもわけがわからないっていう顔をしている。それもそのはずだ。俺の言葉なのに俺自身がその言葉に自信を持てないでいる。困り果てている俺に、目の前の二人は辛抱強く俺の言葉を待っていた。
雪乃「そうね、八幡の言葉をそのまま捉えると……、つまりは単純な事じゃない」
八幡「雪乃?」
雪乃「だから答えは単純な解だってことよ」
八幡「どういうことだよ?」
雪乃「つまり、八幡は由比ヶ浜さんの成長を喜んではいるのだけれど、でも心のどこかで自分が抜かれる事はないってうぬぼれているのではないのかしら?」
八幡「そんなことは……」
雪乃「ないとは言い切れないのではないかしら? たしかに由比ヶ浜さんは覚えるのが苦手で、なかなか勉強の効率が上がらないわ。でもそれは八幡も似たような経験をしてきたのではなくて? そして今由比ヶ浜さんは伸びている。以前の八幡のように、ね」
八幡「……どうだろうな。雪乃の言う通りかもしれないけど、俺は由比ヶ浜が俺の成績を超えても一カ月はへこむけど、俺の将来に影響はない。だから気にしないと思うぞ」
夕「気にはするのね」
昴「気にするんだ」
目の前の二人、ユニゾンしないっ。そりゃあ俺だって由比ヶ浜に抜かれたらへこむにきまってるだろ。でも、俺はいっつも化け物みたいな彼女らと付き合ってるんで、そういうのには耐性ができてるんですよ。
雪乃「そう……。でも、今の八幡はたとえ由比ヶ浜さんが全力で追いかけてきても、それ以上の速さで突き進んでいくのでしょ?」
どこか挑戦的な瞳に俺はたじろいでしまう。けれど、その瞳の奥には俺を信じている雪乃がいつもいる。だから俺はその雪乃に対して深く頷いた。
今日は珍しく?陽乃さんの方が忙しくもあったようで、恒例となってしまった雪ノ下邸での夕食も食事が終われば早々に自宅マンションへと引き上げていた。俺も忘れてしまう事があるのだが、陽乃さんはこれでも大学院生である。
俺が高校生のときだって、本当に大学行ってるの?って疑問に思うくらいに俺達の前に現れては面倒事を笑顔で放り込んできたわけで、ある時期などいつも正門で見張っているのではないかと疑心暗鬼になったことさえあった。
とりあえず今日は大学院の課題で忙しいと言われたので、ようやく陽乃さんも大学院生を真面目にやっていると確認する事が出来たと、余計なお世話すぎる感想を俺は抱いていた。
雪乃「ねえ八幡。珍しいわね。自分からキッチンに立とうだなんて」
ネコの足跡がトレードマークの白地のエプロンを身にまとい、一見するまでもなく見目麗しい姿とは裏腹に、雪乃は笑顔で毒を振りまいてくる。しかも心外すぎるレッテルを貼り付けてくるとは恐れ入る。ただ、雪乃がそういいたいのもわからなくもない。今日の弁当だって、面倒だと不平を早朝からぶちまけながら弁当を作っていたわけで、雪乃が訝しげな視線でキッチンに立つ俺を見つめていても不思議ではなかった。
八幡「そうか? けっこう雪乃のヘルプで台所に立っていたから、俺としてはそんな感覚はないんだけどな」
雪乃「たしかにそうかもしれないわね。でも、私がキッチンを占領してしまっているから八幡が自分から料理をしたいとは言えなくなってしまった可能性も否定できないのよね。そう考えると、いつも八幡に手伝ってもらうだけというのも考えものね」
すかさずジャブを入れてくるあたりはさすがっす。
八幡「そういうなって。俺はヘルプだとしても雪乃と一緒に料理作るの楽しんでるぞ」
雪乃が攻撃してくるのがわかっていた俺は、さらに言葉を返す。ただし、俺の言葉の矢は途中で失速してしまう。なぜらな雪乃には俺が持ちえない極寒の瞳があるわけで、俺のへなちょこじ編劇など一睨みで撃墜させてしまう。
でぇも、ただでは負けない俺としては、雪乃でさえ持っていない武器があるわけで。
八幡「それに、俺が雪乃の手料理を食べたいんだから、ちょっとくらいの我儘は聞き入れてくれてもいいだろ? それとも俺に食べさせる手料理なんてないとか?」
さっそうと撤退戦を開始させる。即座の撤退ばかりは常勝雪乃も持っていないカードだろう。
逆を言えば、常に俺に勝ち続けているとも言うが……。まあ、それ以上は聞かないで下さると大変嬉しいです、はい。いつもの俺達の雰囲気になってきた感もあるわけだが、いつものように雪乃が頬を染めてくれるのを確認でき、俺も気持ちが弾んでしまう。
ともかく雪乃も俺が浮かれているのを見て喜んでいるんだから、お互い様なんだろう。
雪乃「しょうがないわね。八幡が私の料理を食べたいのだったら、作らないわけにはいかないわ」
八幡「ああ、たのむよ」
雪乃「ええ……。でも、プリンだけは八幡に勝てないのよね」
俺はまだ何をなにを今から作るかなんて教えてないのに、どうしてわかるんだよ。といいつつも、テーブルの上にある材料が牛乳、タマゴ、砂糖、バニラエッセンスときて、今までの俺のレシピからすれば、当然の推理か。当然雪乃の推理は正しいわけだが、ここは意地悪して茶碗蒸しでも……、って、どうして俺のお馬鹿な反抗がわかってしまわれるのですか? 雪乃の眼光が一瞬だけ暗くひかり、俺の邪な野望を打ち消すと、いつもの温かい視線へと戻っていった。
八幡「小学生のころから作ってたからな。まず、年季が違うし、なによりも執念が違う」
とりあえず俺は、雪乃の言葉に対して素直に返事をしたはずなのに、どうして首を傾げて訝しげに見つめてくるんでしょうか?
雪乃「年季が違うのは認めるのだけれど、執念が違うとは意味がわからないわ」
八幡「雪乃はお嬢様だからな」
雪乃「その言いよう、鼻に付く言い方で好きではないわ」
八幡「厭味でいったんじゃない。事実を言っただけだ」
雪乃「よりいっそう不快感が増しただけなのだけれど、もしかしてわざとやっているのかしら?」
素直になれっていつも小町に言われているのに、それを実行しただけなのにどうしてこうも禍々しいオーラが噴き出てくるんだろうか? 小町の言う事が間違っているはずもなにのに、八幡わけわからないんだけど……。俺がひるんだすきに雪乃は俺が逃げないように自分の腕を俺の腕に絡めてくる。ふわりとくすぐる甘ったるい雪乃の香りと温もりを打ちすように下から見上げてくる眼光は俺を極寒の地へと誘った。時として事実をありのままに言うのはよくないとわかっているが、雪乃が求める答えを説明するには、その不快感を含まなければ事実を伝えられない事もあるのも事実である。物事なんて小さな事実の積み重ねだ。その小さな事実を一つ引っこ抜いてしまうと、言いたかった物事のニュアンスが違ってしまう。だから俺は悪くない……、と心の中だけで反論することにする。けっして雪乃が怖いわけではない、はずです、たぶん。……ごめんなんさい、だからなんで雪乃は俺が考えていることがわかるんだよ。俺の腕に爪跡がくっきり残るくらいつねりあげると、雪乃は極上の笑みを浮かべてきた。
八幡「じゃあ、気にするな」
けれど、顔から下の攻防などないかの如く俺達の会話は続く。これが熟年カップルの生態というのならば、今のうちに俺達の方向性を修正すべきだと固く誓った。
雪乃「まあいいわ。それで、執念が違うとはどういう意味かしら?」
八幡「雪乃は学校から帰って来て、おやつが用意されていなくて困った事がないだろ?」
雪乃「たしかに困った事はないわね。でも、あまりお菓子は食べない方だったと思うわよ。紅茶は自分で淹れて飲んでいたけれど、おやつとして毎日のようにお菓子は食べていなかったはずだわ」
八幡「そうなのか?」
雪乃「ええ……」
雪乃は俺の顔のさらに向こう側を見つめると、何か悟ったかのように優しく微笑む。柔らかい笑みなのに、どうして憐みを感じてしまうのだろうか。俺はかわいそうな子でもないし、いったいなんなんだよ?
八幡「なんか含みがある言い方だな」
雪乃「そうね。八幡が自分から言った事でもあるわけなのだから、私が遠慮することなんて初めからなかったわね」
八幡「すまん。なんか、そう改まって言われてしまうと、ちょっとどころじゃないくらい怖いんだけど?」
雪乃「そう? 事実をこれから言うだけよ」
もしかして、さっきの仕返しか? 雪乃が根に持つタイプだとは知っていたが、こうも早く仕掛けてくるとは、根に持つタイプだけでなく負けず嫌いってことも関係しているのだろう。ただ、なんでプリンを作ろうとしただけで、こんなに精神を削られたのかがわからない。だから、すでに精神をすり減らしきった俺は思考を捨てる。事実もそうだが、考えない方がいいことも世の中にはあるのだろう。
八幡「で、どんな事実なんだよ」
雪乃「これは八幡から聞いた話なのだけれど……」
八幡「もう前置きはいいから、先進めてくれていいから」
雪乃「わかったわ」
雪乃「中学までの八幡は、放課後に学校に残って部活に励む事はなかったし、友達と遊びにいく事もなかったじゃない。そうなると自宅に早く帰ってくるわけなのだから、帰宅後に使える時間は人よりもたくさんあったと言えるわ。だとすれば、時間をもてあましている八幡はすることがないからおやつを食べるという習慣を作ってしまったのもうなづけるとおもったのよ」
八幡「さらっとひどいことを言っているようにみえるが、おおむね事実だから反論できんな。でも、別におやつを食べる習慣があったわけではないぞ」
雪乃「そうかしら?」
八幡「ちょっと小腹がすいたからお菓子を食べる習慣はあったけど、だからといっておやつを食べる習慣があったわけではない」
雪乃は数回ゆっくりと瞬きをすると、さらにゆっくりと首を振る。その仕草を見ている俺としては、なんだかイラッと来るのは気のせいだろうか。とりあえず一応俺の可愛い彼女の仕草なんだし、と自分の心を否定しておく。
雪乃「それをおやつを食べる習慣と言うのではないかしら? なら、八幡にとっておやつとは、どういった定義なのかしらね」
八幡「一応雪乃の言い分もわかる」
雪乃「そう? ちゃんとわかってくれるのだったらうれしいわね」
心が全くこもっていない笑顔を頂戴した俺は、極力落ちついた声を装って反論を始める。
八幡「雪乃が言いたいのは、おやつとは間食の事だって言いたいんだろ?」
雪乃「ええ、そうよ。朝昼晩の三食の食事以外は、基本的には間食と定義されているわね」
八幡「だな。俺もその見解にはおおむね同意見だよ」
雪乃「だとしたら、八幡が先ほど言っていた小腹がすいたらお菓子を食べる習慣は、おやつを食べる習慣と同義と言えないかしら」
八幡「まあ、な。雪乃のその見解も間違っているわけではない。でも、俺がさっきおやつの定義にをおおむね同意見だっていっただろ? つまり、賛同できない部分が一部分だけあるってことだ」
雪乃は俺の説明を聞くや否や、今度は演技でもなく無表情のまま数回瞬きをしながら俺を見つめると、ゆっくりと首を振ってから大きく肩を落とし盛大なため息をついた。
さっきのが演技なら、俺も笑って見ていられる。しかしこれが本心からやられると、心の奥底まで杭で打ち抜かれた痛みが走る。普段から雪乃の精神攻撃を受けて耐性があるとは思っていたが、こうもナチュラルにやられてしまうと、まじでへこんでしまった。
雪乃「とりあえず八幡の言い分も聞こうかしら」
八幡「お、おう。聞いてくれてうれしいよ」
涙を拭いたふりをした俺は、雪乃の気が変わらないうちに説明を始める。指先が湿っている感じがしたのは、気がつかなかった事にして。
八幡「えっとな、昔はどこかのカステラ屋のCMのせいでおやつは3時に食べるものとか、そういった時間的概念で否定しているわけではない」
雪乃「たしかにそういった考えも日本には根付いているそうね」
八幡「だろ? 今はCMがやっているか自体知らんけど、なんだかそういうイメージもあったりはする。だけど、そういうことで異議を述べているんじゃない」
雪乃「だったら、どういった観点から言っているのかしら」
八幡「それは俺の小学生のころからの日課から説明しなければいけない」
雪乃「友達が一人もいなくて、一人で遊んでいたという黒歴史ね」
雪乃はさらりと親が聞いたら泣いちゃうかもしれない事実をつまらなそうにつぶやく。いや、親父なんかは大爆笑しそうだが、このさいどうでもいい情報だ。
八幡「別に黒歴史だって思っていねぇよ。それだったら雪乃だって友達いなかったわけだから黒歴史になっちまうだろ」
雪乃「……そ、そうね。友達がいないだけで黒歴史になるわけではないわね。好きで一人でいることを否定すべきではないわ」
八幡「だろ?」
雪乃「私の間違いは認めるわ」
八幡「あんがとよ。で、だな。放課後に小学校に残っていてもやる事はないし、俺はそのまま帰宅するんだけど、家に着いたらまずは宿題を済ませていたんだよ」
雪乃「宿題を?」
八幡「そうだよ」
本気で意外な行動だって思っていやがるな。たしかに俺の行動を見ていれば、成績が良くても、優等生だとは思わないだろう。
雪乃「ふぅん」
八幡「わかっていないな。ぼっちは宿題を忘れることが許されない。もし忘れる事なんかあったら、だれにも頼れないからな。しかも、その宿題が次の授業で使うとなれば最悪だ。誰も助けてはくれないし、最悪その授業はなにもわからず、ぽつんと一人取り残されることになる」
雪乃「たしかに誰も助けてくれなければ、そうなるわね。でも、先生は何か救済処置をしてくれるのではないかしら?」
八幡「馬鹿だな。それこそ地獄なんだよ」
雪乃「どういう意味かしら? 私の事を馬鹿扱いするくらいの理由は、しっかりとあるのでしょうね?」
雪乃よ……、言葉のあやだとか言い訳はしないけどさ、一つ一つの語句に突っ込みをいれないで、話の流れぐらいだと思ってスルーしてくれないのか? なんて顔を青ざめていると、雪乃はくすりと笑みをこぼす。そうやって俺をからかうようになったのは、高校時代の毒舌と比べれば優しくなったと思いたい。
八幡「先生が俺の席の隣の女子に頼むだろ」
雪乃「ええ、そうなるわね」
八幡「そうすると、当然その女子は嫌な顔をする。しかも、そのあとの休み時間には、その女子はお友達に泣きついたりもする。そうすると、お優しいお友達は俺に詰め寄って来て、謝罪しろって言ってくるんだよ」
雪乃「それは大変ね」
雪乃は当時の俺の姿を想像でもしたのか、なんともいえない微妙な顔を俺に向ける。
八幡「大変なんてものじゃねえんだよ。小学生低学年にとっても、けっこう痛いトラウマになっちまう。だから、俺はその謝罪騒動以後絶対に宿題とか提出物など、学校に持ってくる物全てに関して、忘れ物をしないように心がけた。いや、忘れ物はしないって制約をたてた」
雪乃「いい心がけなのだけれど、原因が寂しいわね」
八幡「んなもんいくらでもあるから、いちいち寂しがってはいないけどな」
たしかにいちいち傷ついていたら、ぼっちなんてできやしない。ぼっちは一人だから傷つかないだろうと思われるかもしれないが、実はそうではない。人と接しなければ、特定の人からは傷つけられたりはしないかもしれない。しかし、人間っていうものは恐ろしいっていうか、小さい子供ほど罪悪感がないせいで、集団になってしまうとその場の雰囲気で不特定多数としてぼっちを攻撃の対象にしたりしてしまう。ぼっちからすれば、なにもやっていないのに理不尽な攻撃だとしかいえない。よく子供は純粋だとか馬鹿なロマンチストが言ったりもするが、それは経験が浅すぎる子供が罪悪感もなしに行動しているにすぎない。罪悪感もないから歯止めもきかないし、大人よりも残酷だと断言できる。
雪乃「そうかもしれないわね」
八幡「だから宿題は家に帰ったら最初にやるようにしてたんだよ」
雪乃「でも、悪くはない習慣になったからよかったじゃない」
八幡「まあ、悪い習慣ではなかったと思う。宿題なんてとっとと終わらせてアニメ見たかったからな。テレビを見て楽しんだ後に、どうして面倒な宿題なんてやらなきゃならん」
雪乃「それは宿題なのだからやるしかないのではないかしら」
雪乃の弁と瞳がはさも当然のことだと訴えかけてくる。
八幡「たしかにやらないといけない。でも、せっかくテレビを見て楽しい気分になったのに、その満足感をぶち壊すべきではない」
俺が拳に力を込めて胸のあたりまで突き上げると、雪乃は乾いたため息を漏らす。
八幡「いや、そんな残念な人間をみるような目で俺を見るなって」
雪乃「違うわよ。残念な人間をみるような目ではなくて、残念な人間を見ている目よ」
八幡「そ、そうか。親切な訂正あんがとう」
どうしてかな。俺は罵倒されているはずなんだけど、どうして俺の方が謝らないといけない気持ちになってしまうのだろうか。とりあえずこれ以上深入りするとより深い傷を負ってしまいそうなので話を進めることにした。
第51章 終劇
第52章に続く
第51章 あとがき
ネットだと字数制限がない為に、ネタがあれば話をぶち込んでしまう嫌いがあるんですよね。
これはむやみに字数を消費するだけで、主軸がぼやけてしまうだけなのに……。
『愛の悲しみ編』では急には大幅なプロット変更できませんが、次の章に入りましたら、もっとスリムで主題を明確に書くよう心がける所存です。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると大変嬉しく思います。
黒猫 with かずさ派
第52章
八幡「それでだな。せっかく楽しい気持ちを喪失させない為に宿題などやるべき事をやってからアニメタイムにしていたんだが、そうなるとちょっとばかし小腹がすいてくるんだよ」
雪乃「たしかにそうね」
ようやく雪乃に同意を貰えた俺は、笑みを洩らさずにはいられない。だが、ここはぐっと我慢だ。
笑みを漏らして、気持ち悪い笑みだからやめてほしいだなんて水をさしてもらいたくはない。
八幡「で、ちょっと小腹がすくからお菓子を食べたくなるだろ?」
雪乃「ええ、そうね」
八幡「そうすると、夕食の前という事もあって、少し量をおさえてお菓子を食べることになるだろ?」
雪乃「ええ、まあそうね」
こうも雪乃が俺に同意をつづけてくれるとなると、俺の方も饒舌になってしまう。そうなると俺の滑舌はよくなってブレーキが効かなくり、やはり当然とも言うべき結論に導かれてしまった。
最初らこのことを言うつもりであったのだから、最初からわかっていた結末ではあったが。
八幡「でも、お腹が減っているときに少しだけ食べたりすると、かえって食欲がわいてしまう」
雪乃「そうね。胃の活動が活発になって少量だけでは満足できなくなるかもしれないわね。ダイエットで三食食べ、けれど食べる量を減らすという方法があるらしいのだけれど、胃の活動の事を考慮すれば、食事の量を減らすのではなく、食事の回数を減らすべきなのかもしれないわね。ただ、食べる回数を減らす方法も、食べる量を減らす方法も、どちらの方法であってもダイエットの成功には繋がらないでしょうけど」
八幡「どうして失敗だって思うんだよ? ダイエットしたことあるのか?」
雪乃「あるわけないじゃない」
と、どこを見ているのと言いたげな視線を俺に叩きつけ、しまいには両手を腰に当てて、そのウエストの細さを主張してきた。たしかに雪乃の体の線は細いし、ダイエットの必要なんてないだろう。まあ一部自然とダイエットしてしまって貧弱な胸……いや、ごほん。なんでもないです。最近では体力のなさを克服しようと、俺を巻き込んで海岸沿いでジョギングしたりしている。俺からするとあの海辺の道路ってジョギングする人が多くて、私頑張ってます感が漂ってくるんだよなぁ……。それさえなければ最高の場所なのに、とりあえず俺の考え過ぎと言う事にして保留扱いにしておくことにした。
八幡「雪乃はこれ以上痩せる必要ないし、定期的な運動も始めたから問題ないか」
雪乃「そうね。そもそもダイエットしたいのならば、運動すべきなのよ。楽をしたいからって食事制限だけに頼るなんて意味がないわ。いつか元の食事に戻ってしまうのだから、リバウンドが起こるのも当然よ」
八幡「詳しいな」
雪乃は俺の指摘に見事に動揺を見せる。俺はふと疑問に思ってしまった事を呟いたにすぎない。
当然すぎる疑問のはずだ。雪乃自身がダイエットとは無縁だと宣言しているのだ。ならば、雪乃がダイエットに詳しいのは、おかしいとも言える。
ただ、知識として知っているとなればその限りではないが。
雪乃「あ、あの、そうね。由比ヶ浜さんがそういったダイエット関連の本を読んでいたのよ。別に由比ヶ浜さんにダイエットが必要と言うわけではなくて、……予防策というか、今の体を維持する為に読んでいた、というのかしらね」
どうも今作ったばかりの言い訳を言ってるようにしか聞こえないが、俺はあえてつっこみをいれるなど愚策を選択しない。
八幡「いい心がけなんじゃないか」
雪乃「そうね。あのスタイルでダイエットだなんて、もったいないわ」
雪乃は顔を俯かせて体の一部を凝視し、体を小さく震わせてから顔をあげ、そして俺を睨みつけながらそう呟いた。まあ、どこを見ていたなんて考えるまでもない。おそらく由比ヶ浜と比べて痩せすぎているお胸なんだろうけど、これこそ突っ込みを入れたら間違いなく生命の危機だ。
八幡「由比ヶ浜はそういった女性誌で話題になりそうなのが好きそうだし、いいんじゃね? きっと仲間内でも話題にもなってるんだろうよ」
雪乃「そうかもしれないわね。それで、さっきの間食をしてしまうと食欲がわいてしまうとは、どういうことになるのかしら?」
どうやらダイエットの話はこれで打ち切りか。おそらく由比ヶ浜のダイエットは秘密なんだろうな。
そういや誕生日の時にもそんなこと言ってたような言ってなかったような……。雪乃みたいな例外はいるけど、基本女なんて一年中ダイエットしてるし、隠そうがそんなもんかなってしか思わんけどな。ただ、由比ヶ浜の前ではダイエット関連の話はNGということは頭にインプットしておこう。
八幡「それはだな、少量だけでもおやつを食べるだろ? そうすると食欲がわいてしまって、そのまま夕食になっちまうんだよ。時間もちょうど夕食の時間だしな」
雪乃「たしかに間食だけでは物足りず、そのまま夕食になってしまうかもしれないわね」
八幡「だろ? そうなると、少量のお菓子を食べた時点から夕食に含まれるんじゃないか?」
雪乃「はぁ?」
雪乃は本当に意味がわからないという顔を見せる。こういう反応は俺も慣れたもので、慣れてしまう事自体が問題かもしれんが、すぐさま補足説明に入った。
八幡「だからさ、少量のお菓子を食べてそのまま夕食になったとしたら、それは食事と食事の間にあたる間食にはならないで、つまりその間食はおやつにはならないんじゃないかってことだ」
雪乃「なるほど、八幡が言いたい事はわかったわ。お菓子を最初に食べたとしても、そのまま夕食に突入してしまえば、お菓子も夕食の一部に組み込まれると言いたいわけね」
八幡「そういうことだな」
雪乃「それはわかったのだけれど、八幡が言っていたプリンを作る執念とはどういった意味なのかしら? 私にはまったく想像もできないから、できることなら私が理解できるように説明してくださると助かるわ」
雪乃はわかったと頷いたわりには頭をかかえこんでしまう。どうせいつものへ理屈だと思っているのだろうさ。しかも雪乃は今の流れを断ち切るべく、話の流れを一番最初の話題へと強制接続してきた。俺からすれば、最初に話していた内容さえ覚えてはいない。そんな内容なのに話を元に戻そうとするとは、よっぽど今の話題が雪乃にとってストレスだったのだろう。
ただし、本当に機嫌が悪くなればストレートに文句を言ってくるので、今回はセーフなのだろうが。
八幡「ああ、プリンへの執念か。おやつをたくさん食べたいっていう意味だな」
雪乃「それだけでは全く理解できないのだけれど。それに、おやつが用意できないほど比企谷家の経済状況は悪くはないはずよ」
八幡「たしかにおやつは毎日用意されていたさ。でも、たくさん食べたいって思うのが子供だろ? しかも親が用意しておくのは、お徳用の大きい袋入りのがスタンダードだ。あれって、一つ一つのお菓子のサイズが普通に売ってるやつよりも小さく作られている場合があるんだよな。それを親が買ってきた時、子供ながら泣いたっけな」
雪乃「そんな子供は泣かしておけばいいのよ。子供の為におやつを用意してくれるだけで十分じゃない。それに、仮に一つ一つの作りが小さいとしても、小さいのならば二個食べればいいと思うわ」
さすがはお嬢様。こういうところで差をかんじてしまうとはわな。いまさら格差を嘆くなんてことはしないし、ひがむことなんてありはしないからいいけどよ。でも雪乃の主張って、かの某おとぎの国のおフランスの悲劇の王妃を思いだすんだけど……大丈夫か?
八幡「親なんてお菓子の大きさを気にして用意なんてしてないんだよ。だから一個は一個だ」
雪乃「だったら我慢すればいいじゃない」
八幡「それこそ横暴だろ? 相手は子供だぞ?」
雪乃「それはそうね……」
雪乃は指先を見つめながら何か思案する。ただ、それも数秒で解け、新たな提案を示してきた。
雪乃「お小遣いがあるのではないかしら。普段は用意されたおやつで我慢することで忍耐力をつけるべきよ。でも、たまには自分へのご褒美として、お小遣いを使ってお菓子を買うのもいい社会勉強になるはずよ。それに、親御さんもそういうことに使う為にお小遣いをあげているのではないかしら」
雪乃はさも自分の主張が正しいでしょ、と小さな胸を精一杯突き上げてくる。
八幡「子供の小遣いじゃ大したものは買えないだろうな。雪乃が言うように、たまに買う分なら可能かもしれないけど、そんな我慢なんてできやしない。一度買って美味しいものを食べてしまえば毎日買って食べたくなるのが子供っていう奴だ」
雪乃「それは八幡だけではないかしら? それこそ我慢して忍耐力をつけるべきよ。そうやって我慢する心を鍛えていくのが教育というものでしょ。でも、たしかに一般的な小学生のお小遣いでは物足りないのかもしれないわね。お菓子を一度か二度買ってしまえば、一カ月のお小遣いを使いきってしまうわね。それに、おやつを買うよりも本も買いたいだろうし」
雪乃はわずかに同情的な顔色を見せる。おそらくそれは本を買うことについてのみ共感したのだろうけどよ。ただ、ここで雪乃に言っておきたい事がある。実際言う事はないけど……、子供は本よりもゲームを選んでしまう。最近ではスマホでも遊べるが、それでもやはりゲーム機もそれはそれで欲しいはずだ。
八幡「お小遣いで何を買うかはこの際置いておいて、子供のお小遣いなんて額が少ないから毎日は無理だろって言いたいんだよ」
雪乃は本を買う事についてスルーされた事で眉をひそめるが、そこんところは雪乃の忍耐力で我慢したようだ。さすが教育熱心なご両親だねとは言わないでおいた。言ったらまじで殺されそうだから絶対に言えないとさえ言えないのが怖い。
雪乃「たしかに小学生のお小遣いでは毎日は無理ね。でも、親が用意するおやつなのだから、子供が満足する量を用意しているのではないかしら」
八幡「雪乃が言うように、それなりの量は用意されたてたさ。……そうだけど、食べたいだろ、たくさん。子供だし。いつか腹いっぱい食べてみたいって、一度くらいは夢を見るだろ?」
雪乃「そう言われてしまえば身も蓋もないわね」
八幡「だろ? で、だ。俺は家にある材料でおやつを作ろうと考えたんだよ」
雪乃「はぁ……、そういう発想はあなたらしいわね」
八幡「牛乳、タマゴ、砂糖があれば基本プリンは作れる。バニラエッセンスもあれば欲しいところだな。あとは生クリームとかあれば最高だけど、ないものは求めない。プリン1個作るのに、牛乳135cc、卵1個、砂糖おおさじ2、バニラエッセンス少々で作れる。これらを混ぜ合わせてマグカップに入れて蒸せばいいだけだから、小学生でも簡単に作れるレベルだ」
雪乃は俺のレシピに頷きながら自分のレシピと照らし合わせているらしい。たしかに俺のレシピはシンプルすぎるが、シンプルなほど失敗は少ないんだよ、とちょっとばかし対抗意識燃やしてしまう。
雪乃「そういえば、八幡が作るプリンにはカラメルソースが入っていなかったわよね?」
八幡「嫌いだからな。だから入れない。自分で作るんだから嫌いな物は入れないに決まっているだろ?」
雪乃「でも、この前姉さんが持ってきたプリンは食べていたじゃない? あれにはしっかりとカラメルソースがかかっていたわよ」
八幡「もったいないだろ? ある分は食べる。それでも上の方から食べていって、カラメルソースが溢れ出ないようして食べるけどな」
雪乃も俺がプリンを食べるシーンを思い出し、納得したらしい。上の方はカラメルソースが溢れてこないから楽しく食べられるんだけど、下の方に行くとカラメルソースが漏れ出ないようにと、いわばジェンガみたいな精密作業の神経戦になっちまう。こっちは美味しく楽しくプリンを食べているだけなのに、だ。
雪乃「でも、カラメルソースも食べていたわよね?」
八幡「最後の最後でもったいないから食べるんだよ」
雪乃「カラメルソースが嫌いっていう変なこだわりがあるようだけれど、でも、あれば食べるのね」
八幡「だから、もったいないだろ。母ちゃんにもものを粗末にしてはいけませんって育てられたからな。だからあれば食べる。でも、カラメルソースが嫌いってわけでもない。プリンにはいらないって言ってるだけだ」
雪乃「そういえば、小町さんが食べていたプリンにはカラメルソースがはいっていたわよね? あれも八幡の手作りだったはずよね」
よく覚えているな。しかも、プリンの底にちょこっとだけ入っているカラメルソースの有無さえ覚えているって、どこまで記憶力と観察力がすぐれてんだよ? この記憶力、まじでほしいっす。
八幡「あぁ、小町はカラメルソース好きだからな。自分用に入れないが小町用には入れているぞ」
雪乃「はぁ……」
八幡「なんだよ? ……当然だろ、小町が食べるんだから。お兄ちゃんとしては小町が食べたいものを作りたいんだよ」
雪乃「根っからのシスコンだったことを失念していたわ」
八幡「料理ってものは食べてもらう人の好みに合わせて作るもんだろ? だから俺に食わせるんならカラメルソースなしが基本だ。でも小町はカラメルソースが好きなんだから、それに合わせるのが料理をする上の心構えってもんじゃねえの? いくら料理の腕があっても、食べてもらう人がその料理が苦手だったら、いくら世界で活躍する有名シェフが作る料理であっても美味しいとは思わんだろ?」
俺の予期せむ真面目すぎる反論に、雪乃は目を白黒とさせてしまう。俺の方も自分がまともすぎる内容を偉そうにのたまってしまったことに若干恥ずかしさを覚えていた。
雪乃「ごめんなさい」
雪乃は小さくそう呟く。小さな体より小さくしぼんで見えてしまう。しゅんっとしたその姿に愛おしさを感じてしまうのは、俺に変な性癖があるわけではない、はずだよ?
俺は手が汚れているので、肘をうまく使って雪乃を抱き寄せる。うまくは抱き寄せられはしない。でも、出来ない部分は雪乃が自分から補ってくれた。
八幡「俺の方こそ偉そうなこと言ってごめん。雪乃が毎日作ってくれる料理も、俺の好みに合わせてくれてありがとな」
雪乃「いきなりね。でも、感謝されるのもいいものだわ。また小町さんにお料理を教わらないといけないわね」
八幡「小町も料理教えるの楽しみししているってよ。それに小町の方も、雪乃から教わるのも期待しているらしいぞ」
雪乃「そう? でも私の料理は本に書かれているレシピ通りにつくっているだけよ。それでもいいのかしら?」
八幡「いいんじゃねえの? 一緒に作る事自体を楽しいでいるみたいだしさ」
雪乃「それでいいのなら、私も楽しみだわ」
俺からすれば事前予想の通り小町と雪乃はうまくいっている。雪乃の方は初めこそ身構えてはいたが、最近ではその堅さも抜けてしまっていて、本当の姉妹って感じさえ漂わせていた。
ま、俺はそんな仲がよろしい姉妹のお料理を眺めてニヤニヤしているだけなんだけどな。あまりニヤつきすぎていると、ヘルプ役として怒涛のごとくこき使われるんだが。……いや、いいんだよ。俺も一緒に料理ができて、と公式見解を述べておこう。
八幡「そういや実家にはラ・グルーゼみたいなお高い鍋がなかったから土鍋を使って作っていたけど、ラ・グルーゼは保温性が高いからすごいな。最初は湯銭するにもどのくらい湯銭すればいいか手探り状態だったからな。今ではようやく慣れてきたが、最初は今までのデータが使えなくて失敗しまくって、実家から土鍋かっぱらってこようかと思ったほどだ」
雪乃「あれで失敗なの? たしかに多少はすが入ってしまってはいたけれど、十分美味しかったわ」
八幡「すが入った時点で失敗だが、そうじゃないんだ。俺が求めるプリンの堅さじゃなければ失敗作なんだよ」
雪乃「意外とこだわりがあるのね」
八幡「そうでもないぞ。うまいものが食べたいだけだ」
雪乃も料理への情熱があるものとばかり思ってお誉めのお言葉を述べた用であったが、その情熱の方向性が食欲だとわかると、次に用意してあっただろうお誉めの言葉を廃棄処分し、残念そうに俺を見つめるだけだった。
雪乃「そう……。八幡らしいと言えば、そうなのかしらね。でも、美味しいものが食べたいから頑張って料理をするというのも、料理をする行動原理には叶ってはいるのかもしれないわね。私も美味しいものが作りたいわけだから、ある意味では八幡と同じ意見とも言えるわね。だけれど、何故かしら? 八幡の言葉を聞いていると、どうしても私の考えとはだいぶ乖離しているのよね。そう考えると不思議なものね。同じ言葉を述べていても、それを言う人間によっては言葉の意味合いが大きく変わってしまうのだから」
あれ? お誉めの言葉が呆れに格下げされてない? しかも、俺が余計な言葉を喋るほどに格下げされまくりそうなのは、俺の思いすごしだろうか。だから俺は雪乃の瞳が解凍できなくなる前に話題を修正することにした。
八幡「でも、ラ・グルーゼは使い慣れれば土鍋以上に便利だよな。熱が入りやすいしよ」
雪乃「たしかにそれはあるわね」
八幡「しかもオレンジだぞ、オレンジ。土鍋とは色が違う。華やかさが全く違う」
雪乃「土鍋も鍋料理をするときには風情があるわけだから、色で区別する意味がわからないわ」
八幡「そうか? あのオレンジの鍋といったら、俺みたいな庶民からすれば憧れの鍋なんだよ。店に行って展示されているのを見る事はあっても買うことなんて絶対にない。そういう高嶺の鍋なんだよ。だから最初は試行錯誤して蒸す時間を調整しなければならなかったが、やっぱ目の前にあって使ってもいいとなれば使わないと損だからな」
あら? なんだか雪乃さんの体から冷気が発生しているような気がするのは気のせいでしょうか?
もしや、話題の修正に失敗したか? ただ、その冷気も長くは続かなかった。
雪乃「まあいいわ。私も使ってみたい料理器具がないわけではないのだから、一概に八幡の動機が悪いわけではないわね。……でも、どうして八幡が言うとマイナスの意味合いがクローズアップされてしまうのかしらね」
と、意地が悪い笑みを俺に叩きつけてくる。そんなの既にわかっているはずなのに問いかけてくる。どうせ俺の日頃の言動に原因があるんだから、はっきりといえばいいのに。でも、言わないのは改善する必要がないという意味ともとれるわけで。
八幡「そんなの俺の言葉を聞いた方に悪意があるに決まっているだろ。言葉なんて受け取り手の意識次第だからな」
雪乃「それもそうね」
別に俺の方に雪乃に一矢報いたい思いがあったわけではないが、雪乃の方は何か思うところがあったのだろう。小さく一つ頷くと、言葉を深く吟味しだす。
しかし、しばらくたってから雪乃から出た話題は、全く違うものであった。
第52章 終劇
第53章に続く
第52章 あとがき
BD特典に小説つくそうですが、一部の噂では別ルート(IF)とか言われていますのね?
原作者が書く二次小説?って見てみたいものです。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると大変嬉しく思います。
黒猫 with かずさ派
第53章
雪乃「それにしても土鍋でプリントって、変な組み合わせね」
八幡「作れればいいんだよ。それに土鍋だって保温性が優れている」
どうやら先ほどの話題はもう終わりらしい。終わりなら終わりでいいし、そもそも雪乃から仕掛けてきた話題だ。俺の方で長々と延命させたいわけでもない。
だけど、こうして毎日かわしている言葉でさえも、俺の意図とは違った意味で雪乃が受け取っている場合も少なからずあるはずなわけで、これが自分の意思を隠すのが上手な人間の言葉であれば、なおさら真意を読みとることが難しくなってしまう。
ただ今はこんな小難しい事を考えるべきではない。難しい顔なんて雪乃に見せたら、せっかく話題を変えようとしてきた雪乃に申し訳がたたないってものだ。きっと雪乃は、俺がこの先にある答えにたどり着く事を避けようとしたのだから。だったら俺は雪乃の口車に乗るしかなかった。
雪乃「たしかにそうね」
八幡「そもそも鍋が変わろうと作り方は同じだしな。鍋でお湯を沸騰させて、火を切る。そして、その中にプリンの材料を入れたマグカップをラップで封をしてから入れ、鍋の蓋をして待つだけなんだから、小学生でも作れる」
雪乃「その簡単なレシピのおかげで八幡少年がプリンを作るようになったのね」
八幡「まあな。とはいうものの、この方法は時間がかかるけどな。本当はお湯を沸騰させないように火をかけ続けたほうが短時間で仕上がるからいいんだけど、失敗しやすいんだよな。ちょっと目を離すとすぐすが入っちまう」
雪乃「その辺は経験よね」
八幡「たしかに俺もその辺は経験を積んで出来るようにはなったさ」
雪乃「でも、今は火をつけ続けない方法よね?」
八幡「ああ、その方法を採用している。そっちの方が成功率が格段にいいからな。俺は最初に鍋に入れてから10分保温させてから、再び加熱する方法を採用している」
雪乃「それは調べたり、教えてもらったのかしら?」
八幡「いんや、自己流だよ。どうしたら好みのプリンになるか考えてだな」
雪乃「プリンへの執念がすさまじいわね」
俺が普段は見せないプリンへの執念を熱く語るほど、雪乃は引き気味な態度を取るようになる。けっして表情には出さないようにしているが、俺も雪乃とずっと一緒にいるわけで、雪乃の小さな感情の変化を読み取ることができるようにはなってきていた。
雪乃「そうやって小学生のころから作っていたのだからうまくはなるのね」
八幡「そうだな。小町がとろとろのプリンが食べたいっていったら、その堅さになるように牛乳をちょっと増やしたり、蒸し時間を減らしたりして研究したもんだな」
雪乃「いいお兄さんをしていたのね」
八幡「でもな、ある日突然プリン禁止令が下ったんだよな」
雪乃「どうしてかしら?」
八幡「いくら家にある材料でも、週に何度も作っていたらすぐに材料がなくなるだろ。俺と小町は当然食べるとして、親も仕事で疲れて帰ってくると甘いものが欲しくなって自然と食べちまう。そこに子供が作ったプリンがあるんだから、食べたくなるのが親ってものだ。親父の場合は最初のころは小町が作ってた思ってたいそう喜んで食ってたらしいけどな。あとで俺が作ったと知って落胆していたわりには食べる量は減らんかったがな」
雪乃「美味しかったのでしょうね」
八幡「どうだかな。小町が作っていないとわかったせいで大事に食べる必要がなくなったともいえるけどな」
雪乃「……そうかもしれないけれど、あまり考えない方が身のためね」
実際には考える必要もなく答えが出ているのはどうしてだろうな。かなしくなるから言わんが。
八幡「で、だ。家族四人がパクパク食ってたら、そりゃあすぐにプリンがなくなり、さらにプリンを作れば材料も底をつく」
雪乃「それでプリン禁止令?」
八幡「まあ、な。でも、小町が断固反対を貫いてな。親父が最初に折れて、母親もなくなく折れたって感じだ。かあちゃんも自分でもプリン食べてたから強くは言えなかったものあるとは思うけどな」
雪乃「小町さんに弱い家族なのね」
八幡「それは認める。でも、それが何が悪い」
雪乃「開き直られると言葉を失うわね。……そうね八幡。私が好きなプリンも作ってくれるかしら?」
八幡「あいよ」
雪乃「チョコレートのプリンが美味しかったわ。また食べたいわ」
八幡「ん……」
雪乃「私も八幡が作るチョコレートプリンが食べたくて、自分でも作ってみたのだけれど、なかなかうまくいかないものね」
八幡「あぁ、あれはココアの混ぜ方にコツがあんだよ。綺麗に混ぜすぎると失敗すんだよ」
雪乃「でも不思議ね。好きなことなら面倒な事さえも率先として行動するのね。普段の八幡からは想像できないわね」
八幡「好きなものだったら集中できるだろ。それがたまたまプリンだっただけだ」
雪乃「それをもっと外に向けるものだったら、もっと違う人生があったのだと思うと、少しせつないわね」
八幡「そうか? そんなことをしたら雪乃と付き合えなくなっちまうから必要ねえよ」
はっと息を飲む音が聞こえる。今度ばかりは表情を隠す事も出来ずに顔を朱に染め上げた雪乃がそこにはいた。声にはならない文句を口で形作り、このままでは臨界点を突破して俺まで羞恥に悶える結果になりそうだった。だから俺は雪乃限定の読唇術でその意味を読みとり、素直に批判を受け入れることで雪乃の行き場のない発露を開放した。
八幡「まあ、俺は何をやったとしても俺だったと思うぞ。だから、雪乃と付き合わない選択肢はない」
まあ、待てって。さっきよりも赤みと熱を帯びたその頬に、俺は焦りを覚えながら言葉を続けた。
八幡「人生にもしもなんてないだろ? でもあったとしたらどうなるんだろうな?」
雪乃「そうね……。でも、今の自分に満足しているから考える必要はないわ」
八幡「そっか……、俺もそうだな。……ちょっと待てよ。いや、うん、そもそも過去での選択肢を変えるって事は、未来の事を知ってるっていう未来予知ができる事が前提だよな。まあ、過去をやり直すと考えれば未来予知という言葉は不適切だけどよ。どちらにせよ選択肢を変更してなかった事にしてしまう未来を知っている事自体がおかしくないか? だって、その未来そのものを否定してなかったことにするんだぞ」
雪乃「相変わらず捻くれているわね。たしかに理論的に考えれば八幡の考えも否定できないわ。でも、そもそもそんなことを考える事自体がナンセンスよ。だって無意味な仮定な話なのよ。そこに現実的な思考をもってくること自体が馬鹿げているわ」
八幡「それもそうか。だったら、未来を知ることができないとすれば、結局はどの選択肢を選ぶ俺であっても俺なわけで、そうなると選ぶ選択肢は同じになるってことだな」
雪乃「単純な八幡なら、どの未来の八幡であっても選ぶ選択肢は同じね」
八幡「あまり誉められている気はしないけど、……どの未来でも雪乃とこうやって馬鹿な会話をしてるんだろうな」
雪乃「そ……、そ、そ、そそそそ…………こほんっ。その、そうね」
あんさ……動揺してパニクっている雪乃もかわいいっていったら可愛いんだけどよ。どうして冷静さを取り戻す為に俺の腕をつねりあげるんでしょうか? 雪乃は俺が顔をしかめるのを確認すると、ひとつ笑顔を俺に向けてから会話に復帰した。
雪乃「たしかに同じ人間ならば選ぶ選択肢は一つに収束してしまうわね。でも今話している仮定の話は別の可能性の未来を考えているのだから、「たまたま」違う選択肢を選んだ場合の未来を考えてみるのも面白いのではないかしら?」
八幡「そうか? ……そうだな。「たまたま」違う選択肢を選んだとしたら、それはもう俺じゃない。違う比企谷八幡だ。だから俺が考えても意味がないだろ」
雪乃「え?」
八幡「だからさ、今の俺は今までの経験の積み重ねによって構成されているんだから、その前提が壊れたら俺ではなくなる。つまりは違う選択肢を選んだ時点で俺の自我は存在しなくなるんだよ」
雪乃「そうね……、たとえばテストでミスをしてしまって、それを直してみたいとは思わないのかしら?」
八幡「それは変えたいに決まってるだろ。今すぐにタイムリープして回答を書きなおすに決まってる」
あれ? どうしてため息をついているのでしょうか?
雪乃「私がばかだったわ。少しでもあなたの事を見なおした私が愚かだったようね」
八幡「どういう意味だよ?」
雪乃「雑魚っぽくて素敵よ。ある意味小物を演じさせれば八幡以上の小物はいないわ」
八幡「誰だって小さなミスを挽回したくなるだろ?」
雪乃「その小さな間違えさえも経験であって、自分を構成する一部ではないのかしら?」
八幡「たしかにそうだけどよ。でもさ、人生の分岐点ってやつ? あれなら絶対変更しない。変更なんてできやしないからな」
雪乃「ちょっと強引な論理ね。でも、好きよ。たとえもその他大勢の名前さえない登場人物である八幡であっても、そこから八幡を探し出してあげるわ」
八幡「ん、期待しとくわ」
雪乃「そこは自分が私を見つけ出すっていうところではないのかしら?」
八幡「いいだろ別に。だって俺は小物だからな」
雪乃「仕方ないわね……」
重ねあわされた手の感触が、その温もりが俺の自我となって重なってゆく。
雪乃が言っていた小さな経験の積み重ねさえも今の自我を形成するっている考えは、実は俺も賛成だったりする。なにせその小さなミスがなければ、こうして雪乃と一緒にいれらなかったかもしれないと考えてしまう小心者でもあるからな。
まっ、雪乃はこのことさえ気が付いているようだけど。
7月13日 金曜日
昼食といえばとりあえず栄養補給ができればよく、人様にご迷惑をおかけしないでひっそりとするのが習慣だったのに、この大所帯、なんなんだよ。といっても俺、雪乃、陽乃さん、由比ヶ浜、そしてここに弥生姉弟が加わった6人だけなのだが、どうも周りの視線が気になってしまうんだよな。もともと雪乃と陽乃さんが一緒だと目立ちはしたが、先日のストーカー騒動の後始末が響いたのか、どうも以前よりも好奇の視線が増えたような気がしてしまう。まあいいか。どうせ俺のことなんて気にする変わりもんなんていないし、精々他の連中の事を見てやってくれ。
と、俺が勝手に人身御供を献上しているあいだに食事の準備は整ったようだった。
結衣「すっご。やっぱ美味しいぃ。前のもすごかったけど、今回もすごすぎだよね」
陽乃「そう? ガハマちゃんに誉められるのも悪い気はしないけど、今日から新しい仲間も加わるわけだし、最初くらいは盛大にやっておこうかなってね」
夕「すみません。しかも私はお弁当も作れないありさまなのに」
陽乃「いいっていいって。私が好きで作ってるんだから」
夕「そうですか? ありがとうございます」
八幡「だとすれば、やっぱ俺もここは弁当当番は辞退して、作りたいっていう人に名誉ある弁当当番を献上したいなっ……」
陽乃「駄目に決まってるじゃない」
結衣「それは駄目に決まってるじゃん」
雪乃「却下よ」
なんでこういうときに限って息があうんだよ。雪乃と陽乃さんはなんだかんだいって波長があいそうだけど、ここに由比ヶ浜まで加わるとなると、裏でなんか嬉しくもない会合でもしているんじゃないかって疑っちゃうよ?
夕「でも、ほんとうにお上手ですね。私もせめて料理くらいはできるようにならないと結婚なんて出来そうもなくて、困っているんですよね。といいましても、お料理を披露する殿方がいない事自体が大問題なのですけどね。……あら、こんなに美味しいお弁当食べたの初めてだわ」
夕さんはここにはいない某平塚先生と同じような嘆きを吐露しているわりには平然と箸をすすめる。どちらも立候補したいって思う男連中がたくさんいそうなのに、どうして相手が見つからないんだ? やっぱ性格か? 性格が問題なのか? 見た目だけなら全く問題がなさそうなのに、それでも相手が寄ってこないって、よっぽどだよな。だとすれと、結婚相手に求める理想が間違っていて、分厚いフィルターを通してしか男を見てないから、結果として最初から対象外として扱っているとかしてるんじゃないかとさえ思えてくるぞ。そう考えると納得できるか? 理想が高すぎると婚期を逃すって言うしな。ん? 待てよ……。
雪乃「どうしたの八幡?」
八幡「結婚って聞くと平塚先生思い出していたんだけどさ」
あら? 弥生姉弟は別として、他の奴らはどうしてそんなにも残念そうっていうかかわいそうな平塚先生を見る目をしてるんだよっ。たしかに平塚先生は結婚できないけど、結婚できないけど、それでも楽しくやってるじゃないか! 一人でだけど……。
雪乃「平塚先生がどうしたのかしら?」
八幡「いや、直接平塚先生の事ってわけじゃなくてだな。結婚で思いだしたんだが、高校時代俺が専業主夫になりたいって言ったらみんなして俺の進路を否定していたよな」
雪乃「当然じゃない」
八幡「まあ俺も今気がついたんだが、やはり当時の俺は考えが甘すぎたんだな」
雪乃「いまさら気がついたの?」
平塚先生の時よりもかわいそう度がアップしていません?
憐みに満ちた視線に心が折れそうになるが、そこはぐっとこらえて俺は話を続けた。
八幡「そうかもな」
雪乃「今さらだけれど、気がついてよかったわ」
だから、かわいそうな子を見る目をするなって。
八幡「ああ、気がついてよかったよ。専業主夫になる方法が間違ってたんだな」
雪乃「え?」
おいっ。今度はあまり事情を知らない弥生姉弟までひきまくってるんじゃないか? まあいいさ。俺の最高の方法を聞けば納得するだろうしな。
雪乃「一応聞いてあげるのだけれど、どういった方法を思い付いたのかしら?」
八幡「簡単な事だ。主夫になるには相手が必要だよな」
雪乃「ええそうね」
八幡「となると、パートナー探しは重要になる」
雪乃「たしかにそうね。でも結婚するのであれば、どのような結婚になろうともパートナー探しは重要だとは思うわ」
八幡「まあな。でも、主夫になる為には、結婚相手の対象とすべき相手のタイプが間違っていたんだよ。今までは漠然とそこそこの大学行って、家事スキルを磨けば結婚できると思っていたんだが、これは甘すぎた」
雪乃「おそらく新しく思い付いた方法も甘すぎるとは思うのだけれど……。いえ、いいわ。一応最期まで聞いておきましょうか」
なんか字が違くないですか? なんか「最後」が「最期」って意味合いに聞こえて、死刑宣告に聞こえてくるのは気のせいでしょうか?
八幡「お、おう……。俺が間違った方向に進んでしまった大きな原因は、俺の周りに女性陣のせいだと思われる」
結衣「えぇ~、あたしがヒッキーになにか影響与えたってこと? でも、そうおもってくれるんなら嬉しいかも」
八幡「安心しろ由比ヶ浜。お前は俺の結婚観になんら影響を与えていない。だから悪影響を与えたかもって悩む必要はないぞ」
結衣「それはそれでやな感じ」
え? なんでふくれっつらなんだよ。俺はさりげなぁく由比ヶ浜のフォローをしてあげたっていうのに。
雪乃「由比ヶ浜さん。一応最期まで八幡の言い分を聞いてみましょう。それから刑罰を……、いえ考えを改めさせても遅くはないわ」
結衣「そうだね」
って、おいっ。笑顔で同意してるんじゃないって。しかも雪乃のやつ、なんかぶっそうな発言までしてるしよ。
八幡「え~、そのだな、話続けた方がいいのか?」
雪乃「ええ、お願いするわ」
八幡「そうか。じゃあ進めるぞ。俺に間違った方向に影響を与えてしまった人物とは、それはやっぱ平塚先生だな。本来ならば主夫を目指すのなら年上の女性と結婚すべきなんだよ」
雪乃「それはどういうことかしら? 別に同い年でも、年下であっても主夫になることは理論上では可能なはずよ」
八幡「たしかに雪乃の言う通り理論上は可能だ。だがそれだと可能性が低くなってしまう」
雪乃「誰を選んだにせよ、可能性は低いままだとは思うのだけれど……」
聞こえてますよぉ、雪乃さん、ぼそっとぎりぎり聞こえる声で言っているみたいだけど、はっきりと聞こえてますからねぇ。だが、雪乃によるストレステストを毎日受けている俺からすれば、まだ問題ない。だから俺は聞こえないふりをして話を続けることにした。
八幡「考えてみてくれ。年上の女性なら俺よりも先に就職しているから収入も安定していて、生活の不安が小さい。だから、その安定した生活に俺が主夫として加わったとしても、俺が家庭から妻を支えれば、より安定した生活を送れるはずだ」
雪乃「色々と疑問に思う点が散見しているのだけれど、問いただしても無意味だろうから話を進めてもいいわ」
八幡「おうよ」
でも、こめかみに手をあてて首を振るのは、ちょっとばかし心に突き刺さるのでやめていただけないでしょうかね。でもでも、八幡はめげないからねっ。
八幡「でもな、この最高の道筋も平塚先生のせいで考えないようにしてしまっていたんだよ。俺の周りにいる身近な年上女性っていったら平塚先生くらいだからな。今では俺がもっと早く生まれていれば惚れていたと思うけどな。でも最初の印象が悪すぎた。俺に警戒心を刷り込んでしまったんだよ」
雪乃「そ、それは認めざるをえないかもしれないわね。悔しいのだけれど。それはそうと、今は平塚先生に惚れてはいないのでしょうね?」
冷房の温度設定がマイナスに反転し、凍える冷気が俺に噴きつける。
雪の女王ここに健在か。雪乃がいれば夏でも冷房要らずと喜べないのは、命の危険があるからだろうな。エコには最高だろうけど、命には代えられないだろうし。
八幡「惚れてないから、まじで惚れてないからな」
雪乃「そう……」
陽乃「はいは~い。私も年上だよ?」
八幡「いや、その……。陽乃さんは年上云々という以前に陽乃さんですから」
陽乃「あれ~、そのいいようなんだと傷ついちゃうかもしれないわね。うん、傷ついちゃったな。傷ついたのを今晩癒してくれないといけないから帰さないでいいよね」
雪乃「姉さん。ここで姉さんが介入すると、ただでさえ面倒な八幡のご演説がより複雑になってしまうから、ここはご遠慮して頂けると助かるわ」
陽乃「ふぅ~ん。まっいっか。じゃあ比企谷君。あとで楽しみにしているからね」
八幡「あぁ~……はい。覚えていましたら」
陽乃「ん、覚えていてね」
はい、今すぐデリート致します!
結衣「城廻先輩も年上だよね?」
八幡「まあな。でも城廻先輩は養ってもらうっていうよりは、守ってあげるって感じだから結婚相手としては違うな。同じような理由で下級生も対象外だ。先に俺の方が就職するわけで、下級生に養ってもらうなんてできないだろうからな。むしろ就職している俺の元に嫁入りして家庭に入ってしまいそうでもある。俺ならそうする。だから下級生は対象にすべきではない」
結衣「ふぅ~ん。でも同級生だって同時期に就職するんだから養ってもらおうと思えば養ってもらえるんじゃないかな?」
八幡「それは無理だ」
雪乃「どうしてかしら?」
八幡「同級生はな、一緒の学年ともあって一緒に就職活動をしてしまいそうだ。殺伐とした就職活動中に、婚約者たる俺が主夫になるなんて言えるわけもない。だから、空気を読んで俺も就職してしまいそうだ。だから同級生は対象外になるんだよ」
結衣「まあそうかもね。あたしもみんなが就職活動しているの見ていたら、自分も頑張ろうと思うし。……でも、ヒッキーの場合は周りの事なんか気にしないで我が道を進みそう」
八幡「んなわけないだろ。気にしまくりだ。ここで婚約者を逃したら、大学卒業後にどうやって結婚相手を探すっていうんだよ。それこそ完全に就職しないと出会いがなくなっちまうだろ」
結衣「そう言われればそうかもしれないけど……」
雪乃「あら? そう考えてしまうのは間違っているわ。だって八幡は同級生である私と付き合う運命なのだから、他の同級生について考える必要なんてないのよ」
あれ、口が開かない……。冷え切った冷気が俺を凍結し、凍りついた血液は鉄よりも硬い管となって俺の身を拘束していった。
陽乃「だったら私と結婚する? 養ってあげるわよ。」
八幡「え? まじっすか?」
訂正。太陽の光はどうやら雪の冷気よりもお強いようで、俺の拘束を解除していくれた。
陽乃「うん、まじまじ。しかも料理も作ってあげるからね。実家で親と同居でもいいんなら、掃除もハウスキーパーがやってくれるし、家事はしなくてもいいわよ。親だってほとんど家にいないんだから、朝ちょこっと顔を見せればいいくらいだしさ」
なにこの最上級物件。今すぐ役所いって婚姻届貰いにいっちゃう? 地獄への片道切符のような気もするけど、この際考えないようにすべきだな。
雪乃「姉さんはなにをいっているのかしら? 就職しないために大学院に進学したり、海外留学までしようとしていたじゃない」
陽乃「愛する人ができたら、人は変わるものよ」
雪乃「あら? それならば姉さんはまったく変わっていないのだから、どうぞご勝手に海外に留学してください」
陽の嵐と雪の吹雪が荒れ狂う中、俺達はそっと一歩身を引く。周りを見渡すと、あんなにたくさんいた野次馬根性丸出しのギャラリーが一人もいなくなっていた。つまりはこの広い教室には俺達6人しか残っていないわけで。とりあえずお弁当会初日からとんでもない醜態をさらしてしまった俺としては、ちょっとばかし弥生姉弟に申し訳ない気もわいてしまう。だから俺は視線を横にスライドして二人の様子を伺った。……なにあれ? どうしてこんなにも凶暴な環境の中でふたりしてほのぼの空気満載で食事していられるんだよ。あぁあれか? 昴は夕さんと二人っきりの空間ではないと食事ができないっていってたけどよ、面倒だから俺達の事を頭から遮断したってわけか?まあ夕さんは、あのほのぼのパワーで雪乃と陽乃さんの凶器を受け流しそうだけどさ。
結衣「どちらにしてもさ。ヒッキーに主夫は無理なんじゃない?」
八幡「どうしてだよ?」
結衣「なんとなくだけど、仮になれたとしても大変そうだなって。嫁姑関係ってわけでもないけど、ゆきのんちの女性陣強すぎるなって」
八幡「奇遇だな。俺も主夫も大変なんだって今改めて実感していたところだよ」
結衣「ははは……」
由比ヶ浜の乾いた笑いが嵐によってかき消される。俺は陽乃さんが用意したポットからお茶を注ぐと、由比ヶ浜に手渡す。それを無言に受け取った由比ヶ浜は、なんともいえない微妙な笑顔を俺に見せるので、俺もとりあえず笑顔らしい笑みを送り返しておく。
八幡「まっ、結婚生活なんて他人同士がするんだから慣れだな」
結衣「だね。でも、この姉妹喧嘩に慣れてしまうのもどうかと思うけどね」
八幡「あぁ、同感だ」
二人のじゃれあい(核戦争)を見つめながら、しみじみお茶を飲んでいる俺と由比ヶ浜だったとさ。
第53章 終劇
第54章に続く
909 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/06/11 17:36:24.80 arGFvPfV0 239/346
第53章 あとがき
このあたりからプロットの変更といいますかスリム化を致しました。
といいましても、大幅な変更はできないところは痛いですが、メインの流れを大切に書いていこうと思っております。
来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると大変嬉しく思います。
黒猫 with かずさ派
続き
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部『愛の悲しみ編』【4】