【関連】
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部
『プロローグ』
『はるのん狂想曲編』【前編】
『はるのん狂想曲編』【中編】
『はるのん狂想曲編』【後編】
『由比ヶ浜結衣誕生日』(『はるのん狂想曲編』追加エピソード)
『その瞳に映る光景~雪乃の場合』(インターミッション)
『パーティー×パーティー』(クリスマス特別短編)
元スレ
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1401353149/
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第三部(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている )
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1441227484/
第31章
『愛の悲しみ編』
7月11日 水曜日
初夏を匂わす日差しも、心地よく吹き抜けて行く風も、目の前で繰り広げられている惨劇を直視すれば、どうでもいいような気がしてしまう。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
どうして止めることができなかったのだろうか。
どうしてもっと強く言うことができなかったのだろうか。
目の前の惨劇の全ての原因が自分にあるとは思わないが、そうであってもあんまりではないか。
自分が何をしたっていうんだ。
俺はちょっと二人の仲が良くなればいいと思っただけなのに。
そう、数分前までは平和だったんだ。
陽乃「ねえ比企谷君。今夜もうちに食べにおいでよ」
車を大学近くの駐車場に止め、大学の正門へと足を進めている朝。
昨日に引き続き、今日も食事の招待を受けていた。
別にいやってわけでもない。
むしろ美味しい食事にありつけるわけなのだから、嬉しいともいえる。
もちろん雪乃の手料理は何物にも代えられないほどの大切な食事ではあるが、先日のストーカー騒動を思い出すと、どうしても陽乃さんを一人にしておくことができないでいた。
だから、もはやストーカーが待ち伏せしているわけでもないのに、今朝も車で送り迎えをしているわけで。
そして、雪乃も姉の陽乃を心配して、むげに断ることができないでいた。
俺の数歩前を颯爽と歩く二人の姿は、もはや今の時間帯の名物となっている。
美人姉妹がそろって登校するのだから、目の保養になるのかもしれない。
ただ、二人が話している会話内容を知らないから無責任に眺めていられるんだ。
常に俺達の日常を面白おかしくかき乱す姉の雪ノ下陽乃。
今日は珍しく活発さを前面に押し出している服装をしていた。
肩をむき出しにした黒のタンクトップは、これでもかっていうほど肌の白さと胸の大きさを強調させ、
洗いざらしのスキニーデニムは、腰から足首にかけての優雅な女性らしい曲線を浮かび上がらせていた。
さらに膝からももにかけてクラッシュ加工されてできた隙間から覗く素肌には、それほど露出部分が多いわけでもないのにドギマギしてしまう。
そして、肩まで伸びている黒髪は、ポニーテールにして揺らし、どこか人をからかっているような気さえしていた。
雪乃「昨日もそうなのだけれど、月曜も食事に招待されているだから今日もとなると三日連続になってしまうわ」
陽乃「どうせうちに私を送ってから帰るのだから、食事をしてから帰ってもいいじゃない。それにあなた達も料理をする手間が省けるのだから、勉強する時間も増えるんじゃないかな」
雪乃は、陽乃さんが勉強ネタを先回りしてふさいでしまった為に、きゅっと唇を噛んでいる。
姉に反論しても見事に潰された妹の雪ノ下雪乃は、姉とは対称的な落ち着きみせる夏の高原がよく似合いそうな服装をしていた。
アイボリーホワイトのワンピースは、胸元のレースとスカート部分のこげ茶色のラインがアクセントになっていた。
膝元まで伸びたスカートは、夏を強く意識させるミニスカートのような華やかさはないが、その分、風が通り抜けているたびに揺れるスカートの裾がなにか見てはいけないようなものに思えて、目をそらしてしまう。
ただ、背中の部分だけは、大胆に肌を見せていた。
腰まで届く光り輝く黒髪が、その白い素肌を守るようにガードを固めているのが、彼氏としては心強く思えてしまう。
俺も雪乃も、雪乃の母との約束によって海外留学をしなくてはならなくなり今まで以上に勉強しなくてはならなくなった。
とくに英語での講義を受けねばならなくなるわけで、英語力向上はさしせまった最優先課題といえる。
ましてや、雪乃に関しては、三年次に経済学部に学部変更しなければならないので、そのための試験対策もせねばならなく、俺以上に大変そうであった。
雪乃「そうなのだけれど・・・・・・」
陽乃「それに今日も両親は帰ってくるのが遅いし、気兼ねなくゆっくりしていけるわよ」
雪乃「ええ・・・」
もう全てに関して先回りされているな。
勉強に、雪乃の母親。俺達が実家に近寄りにくくなる要因をすべて排除されていては断ることなどできないだろう。
八幡「あのぅ」
陽乃「なにかな?」
八幡「今日もご両親いらっしゃらないんですか?」
陽乃さん相手では、雪乃だけでは分が悪い。
俺がいたとしてもたいした戦力にはならないけれど、いないよりはなしか。
二人に追いついて横に並んで歩くと、美人姉妹を眺めていた通行人が俺の事を見て訝しげな表情を浮かべてしまう。
たしかに、この二人と見比べてしまえば、その落差に驚くかもしれない。
だからといって、俺もいたって夏という服装をして、おかしくはないはずなのに。
リブ織りの薄水色のTシャツに、七分丈のバギーデニム。それとスニーカー。
いたって平均レベルのファッションに、平均レベルを少し超えるルックス。
だから、俺の事を見て怪訝な顔をされるようなレベルではないはずなのだけれど、やはり俺が一緒にいる二人のレベルが遥か上を突き抜けまくっているのが原因なのだろう。
陽乃「ああ、そうね。今日もっていうか、たいていいないわよ」
八幡「え?」
陽乃「雪乃ちゃんから聞いていないの?」
八幡「何をですか」
陽乃「うちは両親ともに仕事で忙しいから、自宅で食事をするのは珍しいのよ」
八幡「まあ、うちも共働きですから、同じような物ですよ」
陽乃「そう? でも、うちの場合は、極端に干渉してくるわりに、普段はほったらかしなのよね。どっちか一方に偏ってくれた方が子供としては対処しやすいんだけどな」
八幡「どこの家庭でも同じですよ。全てが満遍なく均一にだなんて不可能ですから」
陽乃「それもそうね。・・・・・・どうしたの雪乃ちゃん?」
雪乃「姉さん。ごめんなさい」
陽乃「どうしたの? 雪乃ちゃん。そんな神妙な顔をして」
振りかえると、俺と陽乃さんに置いて行かれた雪乃がポツリと立ち止まっていた。
やや俯き加減なのでよくは見えないが、表情を曇らせているようにも見える。
俺は訳がわからず、陽乃さんに助けを求めようと視線を動かすと、陽乃さんは、元来た道を引き返し、雪乃の元へと歩み進めていた。
陽乃「雪乃ちゃんが気にすることなんて、何もないのよ。私が好きでやってるんだから、あなたは好きなように生きなさい」
雪乃「それはできないわ。私は、一度はあの家から逃げ出したけれど、それでも姉さんに全てを押しつけることなんてできない」
陽乃さんの政略結婚はなくなったが、それでも雪ノ下家をしょっていかなければ、ならないことには違いはない。
自由に結婚できるようになった分、陽乃さんの責任は増したともいえる。
勝手に結婚するのだから、政略結婚に劣らないくらいの成果をあげなくてはならないだろう。
つまり、言葉通りの自由なんて存在しない。
自由であるからこそ責任が生じ、責任を果たすからこそ自由を得られる。
一見矛盾しているように聞こえるが、そもそも自由なんてものは根源的には存在しないのだからしょうがないと思える。
たとえば、空を自由に飛ぶ鳥であっても、自由に空を飛ぶ事は出来ない。
重力の影響は受けるし、体力がなくなれば羽ばたく事も出来ない。
しかも、空を飛んでいるときは外敵に身を晒すわけなのだから、危険も伴ってしまう。
だったら、自由とは何かという哲学的な思考に突入しそうだが、そこまで俺は暇人でもないし、哲学が好きなわけでもない。
ただ、なんとなく「自由」という言葉は「権利」という言葉の方があっている気がするのは俺が捻くれているからだろうか。
陽乃「私は、十分雪乃ちゃんに助けられているわ。だから、責任を感じる必要なんてなにもないのに。それに、これからは比企谷君も助けてくれるんでしょ?」
八幡「自分ができることならやりますよ」
陽乃「だそうよ。ね、だから、雪乃ちゃんは今まで通りでいいの」
雪乃「でも、あのただでかいだけの家で、一人でずっと食事をしてきたのでしょ。それに、姉さんが料理が好きなのも知っていたわ。でも、私はそれを知らないふりをしていた。食べてくれる相手もいないのにずっと一人で作り続ける孤独を見ないふりをしていた」
そっか。
陽乃さんが誰かの為に食事を作った事がないって言っていた意味がこれで理解できた。
料理をするようになって、最初に食べてもらう相手といったら、一緒に生活している親か兄弟が最初の相手になるだろう。
だけど、もともと家政婦が雪ノ下家にはいるわけだから、陽乃さんが料理をする必要はない。
それでも陽乃さんが料理をしたとしても、食べてくれる相手が仕事で家に帰ってこないのならば、誰かの為に料理をすることなどないはずだ。
また、雪乃も実家を出てしまって、家にはいない。
ましてや、得られないのならば、最初から手に入れる事を諦めてしまうことに慣れてしまった陽乃さんだ。
無駄な期待などしないで、最初から誰かの為に料理をすることを諦めていてもおかしくはないと思えた。
この位置からでは陽乃さんの後姿しか見えない。
苦笑いでもしているのだろうか。それとも、優しく微笑んでいるのかもしれない。
ただ、これだけは言える。
今まで作り上げてきた理想の雪ノ下陽乃を演じる為に被ってきた作り笑いだけはしていないはずだ。
陽乃「それはそれで仕方がないわ。そういう雪乃ちゃんの選択も私は受け入れていたんだし」
雪乃「でもっ!」
陽乃「はいはい、この話はここまでね。だって、今、私は幸せなのよ。だから、過去がどうであろうと、問題ないわ」
そう雪乃に告げると、陽乃さんは俺の方に振りかえる。
振りかえったその顔は、晴れ晴れとしているのだが、それも見間違えかと思うくらいほんのわずかな時間で、・・・・・・・今はニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
陽乃「ねぇ~、比企谷くぅ~ん」
甘い声色で俺を呼ぶと、つかつかと俺に近寄ってきて、そのまま俺の腕に体をからませ、雪乃をおいて大学へと歩き出す。
甘い声色と同等以上の陽乃さんの甘い香りが俺を駄目にしそうにする。
俺は、てくてくと陽乃さんに引きつられるまま歩み出すが、雪乃の声がどうにか意識を現実につなぎとめてくれていた。
雪乃「ちょっと姉さん。八幡から離れなさい」
陽乃「だって、そろそろ大学に向かわないと遅くなっちゃうでしょ?」
雪乃「それと八幡に抱きつくのとは関係ないわ」
陽乃「だってだって、比企谷君の腕の絡み心地っていうの? なんかだ落ち着くんですもの。さっきまでおも~くて、くら~いお話していてなんだかお姉ちゃん、精神的に疲れちゃった」
雪乃「だからといって、八幡に抱きついていい理由にはならないわ」
陽乃「えぇ~・・・。これから大学行くんだし、ちょっとは回復しないとやってけないでしょ。だ・か・ら、栄養補給よ」
首をひねって後ろにいる雪乃を見ると、陽乃さんの言葉にあっけにとられ口をぽかんとあけていた。
しかし、すぐさま唇を強く噛み締めると、つかつかと早足で俺達に追いつくてくる。
俺の隣まで来ると、空いているもう片方の腕に自分の腕を絡ませて自分が本来いるべき場所を陽乃さんに見せつけようとする。
といっても、その雪乃の可愛らしい自己主張さえ、陽乃さんが雪乃をからかう為の材料にしてしまいそうであったが。
雪乃「姉さんは、普段からエネルギー過剰なのだから、多少いつもより少ない方がバランスがとれて、周りに迷惑もかけなくなるからちょうどいいと思うわ」
陽乃「その理論だと、普段と違うバランスということで、いつも以上にピーキーになって、周りに迷惑をかけてしまうリスクが考慮されていないんじゃない?」
雪乃も陽乃さんも、お互いに話がヒートアップしていっているはずなのに、俺の腕に自分の臭いを染み込ませるべく腕と胸を擦りつけることを忘れてはいない。
頭と体に二つの脳があるかのように、理屈と本能を使い分けているところが姉妹共に似ていると思うが、朝からこの二人に付き合う俺のエネルギー残量も考慮してほしい。
なにせ、この二人が表面上は争ってはいるけれど、実は仲睦まじく、普通とは違う姉妹関係を築きあげている。
それは、俺としても嬉しい事だ。だが、二人のじゃれあいは、俺の精神もすりへらす事も忘れないでくださると八幡も大変助かります。
雪乃「姉さんがもたらす周りへの被害は、常に極限値なのだから、これ以上の被害は考慮する必要はないわ。だから、リスクを考慮する必要性はないといえるのではなくて」
陽乃「えぇ・・・。雪乃ちゃん酷い。私の事を台風みたいな存在だと認識していたのね。それは多少は周りに迷惑はかけはしているけど、それでも学園生活を楽しむ潤滑油みたいなものじゃない。それなのに、これ以上のリスクを考える必要がないって断言するなんて、酷過ぎるわ」
と、悲しむふりをしながら、俺に体重を預けてくるのはやめてください。
ただでさえ夏の装いで薄着なのに、こうまで肌をこすりつけられては、意識しないように意識しても意味をなしえません。
雪乃以上に女性らしさを強調する胸や体の柔らかさが俺に直撃して、防御不能です。
しかも、陽乃さんの様子を見て、隣の国の雪乃さまは核ミサイルの発射装置に指をのせていますよ。
雪乃「姉さんは、周りに迷惑をかけているという自覚があるのならば、少しは自重すべきね」
そろそろ大学の近くまでやってきた事もあって、電車通学の連中の姿も見え始めている。
このままだと、ただでさえ大学で有名な雪乃下姉妹なのに、それが一人の男を挟んで言いあいなんて、格好のゴシップネタにされてしまう。
学園生活に潤いをもたせる潤滑油として俺を犠牲にするのは、俺にとってはた迷惑なことなので、できればやめていただきたい。
この辺で二人を言い争いを終わらせないとな。
八幡「この辺で終わりにしときましょう。そろそろ大学に着きますし、人も増えてきたので」
雪乃「そうね」
雪乃は俺に指摘にすぐさま反応して、耳を真っ赤に染め上げる。
しかし、もう一方の陽乃さんといえば、不敵な笑みをうかべ、さらに攻撃的な瞳を輝かせてしまっていた。
陽乃「そうよねぇ。言葉なんて、いつでも嘘をつけるもの。その点、体は正直よね」
陽乃さんは、俺の腕に絡みつき、ぐいぐいと豊満な胸を押しつけてくるものだから、気になってしょうがない。
視線を斜め下に向けてはいけないと堅い決意をしても、甘い誘惑がその決意を崩壊させる。
それでも幾度も決意を再構築させてはいるものの、視線がその胸に釘つけになるのも時間の問題であった。
雪乃「なにを言いたいのかしら」
引きつった笑顔を見せる雪乃に、俺はもはや打てる手はないと降参する。
もはや核戦争に突入とは、思いもしなかった。
核なんて、抑止力程度のもので、実際に打ち合いなんかしないから効果があるのに実際の撃ち合いになったら、どんな結果になるかわかったものじゃない。
陽乃「そうねえ・・・」
陽乃さんは、自分の胸に視線を向けてから、雪乃の胸に視線を持っていく。
俺もその視線につられてしまい、陽乃さんの視線が雪乃の胸から陽乃さんの胸に戻っていくので、つい陽乃さんの胸を見てしまった。
でかい! そして、柔らかい。
柔らかいといっても、適度の弾力があり、張りも最高品質だった。
その魅惑の胸が、俺の腕によって形を変えているのだから、俺の意識は目と腕に全てを持っていかれていた。
だから、雪乃の痛い視線に気がつくわけもなく・・・・・・。
陽乃「どちらの体に魅力を感じているかなんて、言葉にしなくてもいいってことよ」
雪乃「それは、私に魅力がないといいたいのかしら?」
陽乃「そんなこと言っていないわ」
雪乃「そうかしら?」
陽乃「そうよ。だって、女の私から見ても、雪乃ちゃんは綺麗よ。でも、私と比べると、どうなのかなって話なのよ」
雪乃「それは、私は姉さんより劣るといいたいのかしら?」
陽乃「だ・か・ら、そうじゃないのよ。比企谷君が、どちらが好みかっていうのが問題でしょ?」
そう陽乃さんは呟くと、下から俺の顔を覗き込む。
俺は、二人の言い争いを聞きながらも、陽乃さんの胸から視線をはぎ取ることができずに鼻を伸ばしていたので、実に気まずかった。
しかも、陽乃さんの視線から逃れようと視線を横にそらすと、そこには雪乃がじっと見つめているのだから、さらに気まずい。
俺にどうしろっていうんだ。
俺に非がないわけではないが、俺を挟んで核戦争を勃発させないでほしい。
雪乃「ねえ、八幡。私の方が魅力的よね?」
陽乃「そうかしら? 雪乃ちゃんの慎ましすぎるものよりも、自己主張をはっきりさせている私の方が好きよね?」
八幡「あの・・・、その」
俺はこの場からとりあえず離脱しようと思いをはせるが、いかんせ両腕をしっかりと腕と胸とで挟み込まれているのだから、逃げる事はできない。
都合よく由比ヶ浜あたりが乱入してくれれば、逃げるチャンスができそうかもと淡い期待を抱くが、人生甘くはなかった。
むしろ厳しい現実が、俺を路頭に迷わす。
腕からは、甘美な誘惑が俺を酔わせているのに、俺に向けられている視線は俺の命を削るのだから、釣り合いが取れていないんじゃないかって、俺の運命を呪いそうであった。
雪乃「八幡」
俺をきっと睨む雪乃にうろたえてしまう。
理性では、雪乃の言い分が正しいって理解はしている。
それでも、陽乃さんの攻撃はそれを上回っていた。
だが、陽乃さんは、挑発的な表情を一転させ、いつものひょうひょうとした顔にもどすととんでもない事実を俺に突き付けてくる。
陽乃「さてと、大学に着いたし、そろそろ終わりにしようか」
俺は、二人に連行されていた為に気がつかないでいたが、俺達は既に大学の敷地内に入っていた。だから、周りを見渡すと、俺達に近づいてはこないが、遠くから俺達の様子を伺う目が数多く存在していた。
雪乃「あっ」
雪乃は小さく吐息をもらすと、自分が置かれている現状を把握して首を小さく縮こませる。
頬はすでに赤く染め上げてはいるが、俺の腕を放さないところをみると、雪乃の負けず嫌いの性格がよく反映されていた。
陽乃「雪乃ちゃんは戦意喪失みたいだし、比企谷君もこれ以上の惨劇は困るでしょ?」
八幡「俺としては、こうなるのがわかっているのだから、初めから遠慮してくださると大変助かるんですけどね」
陽乃「それは無理よ。だって、これが姉妹のコミュニケーションだもの」
俺は、その異常な姉妹関係に深い深いため息をつくしかなかった。
その深すぎるため息さえも、陽乃さんを満足させる一動作にすぎないようだが。
陽乃「それはそうと、比企谷君は、午後からうちの父の所に行くんでしょ?」
八幡「あ、はい」
落差がある会話に俺は陽乃さんについていけなくなりそうになる。
今まで散々核戦争さながらの話をしていたのに、今度は真面目な話なのだから。
それでも、陽乃さんにとっては、どちらも同列の内容なのかもしれない。
陽乃「総武家の正式契約の話し合いに同席したいだなんて、変わってるわね」
八幡「俺が関わった話ですから、ちゃんと結末まで見ておきたいんだすよ」
陽乃「そうはいっても、すでに細かい所まで話は詰めてあるから、今日は最終確認みたいなものらしいわよ」
八幡「それは俺も伺ってますよ。でも、見ておきたいんです」
陽乃「そう? だったら、しっかり見ておきなさいね。父もあなたの事を期待しているみたいだし」
八幡「あまり期待されても困るんですけどね」
陽乃「期待されないよりはいいじゃない」
雪乃「そうよ。あなたは自分がしてきたことを誇りに思うべきよ」
八幡「そうは言ってもなぁ」
なにせ、今回の契約は俺が口を出したせいで動きだしたかのように見えても、裏では、初めから雪乃の父が手を貸してくれているふしがあった。
俺は親父さんの筋書き通りに動いていた気がしてしょうがない。
だから、それを見極める為にも今日の会談に出席したかった。
もちろん、今日の会談で親父さんがぼろを出すとは到底思えないが。
陽乃「まっ、それが比企谷君らしいところなんだから、いいんじゃない? 雪乃ちゃんは、しっかりと私が預かっておくから安心してね」
雪乃「預かるではなくて、送っていくの間違いではなくて? いえ、むしろ、車は私が運転するのだから、姉さんを預かるのは私の方だと思うわ」
たしかに陽乃さんの言いようは、間違っているはずだった。
陽乃「ううん。間違ってないわよ。だって、会談って夜までやるわけじゃないし今日の会談はすぐに終わるはずよ。だから、うちで食事していく時間もあるはずだから、雪乃ちゃんはうちで預かっておくねってことよ」
陽乃さんは、さも当然っていう顔をみせるので、俺も雪乃も肩を落とすことしかできなかった。
俺達は、これ以上の言い争いは無駄だと実感していた。
初夏の陽気が俺達から体力を容赦なくじわじわと奪っていく。
これから日が高く昇り、昼前には焼けるような日差しが降り注いでくるはずだが、俺達の隣にいる太陽は、朝から元気良すぎるようであった。
第31章 終劇
第32章に続く
561 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2014/12/25 17:37:09.29 raeklLg30 11/346
第31章 あとがき
『愛の悲しみ編』スタートです。
これと同時に次の長編たる高校生編のプロットを作っているところでもあります。
ネタは出来ているので、あとは時間経過の調整ですかね。
あまり先の事ばかり考えていると、足元をすくわれてしまうので目の前の原稿に集中していきたいとも考えております。
一応長編を4本同時に書くのはきつくなってきましたので、3本に減らしました。
主に設定を覚えるのが大変なのと時間が足りないのが原因ですが。
ネットにアップしているのは2本(『やはり雪ノ下雪乃』『心の永住者』)ですが、もう1本及び4本目の作品はネットにアップする予定はありません。
二次創作だけじゃなくてオリジナルも書くと、色々と勉強になりますね。
来週も、木曜日にアップすると思いますが、元日という事もあって、いつもの時間帯にアップできるかは不透明です。
しかし、時間帯が変更されたとしても、いつもの時間帯より早めにアップ致します。
今年は連載を初めて色々不安もありましたが、皆さまの応援もあって頑張れてこれました。
来年はもっと文章に磨きをかけるべく勉強していく所存です。
来年も読みに来てくださると、大変嬉しく思います。
黒猫 with かずさ派
第32章
7月11日 水曜日
朝の雪乃と陽乃さんとの一悶着はあったが、それ以外はいたって平穏な一日が過ぎてゆく。
俺の隣に座っている由比ヶ浜は、一日中ボケボケっとしており、つい先ほど食後の眠気に敗北してお昼寝タイムに突入していた。
そう、俺の周りはちょっとしたいさかいがあっても、もっとも原因は陽乃さんで攻撃対象は雪乃だが、とても緩やかな日常を取り戻しつつあった。
ただ、今日の午後に限っては、俺は頭を悩ましていた。
どう考えてもスケジュールがきつすぎる。
というか、時間が足りない。この後ある午後一の橘教授の講義を終えれば今日の講義は全て終了する。
講義は終了するけれど、その後の予定がないわけではない。
とても重要な予定が組まれていた。
その予定とは、雪乃の親父さんに会いに行くのだが、橘教授の講義を最後まで受講してしまうと、どうしても遅刻してしまう。
そもそも講義日程は毎回同じなのだから、親父さんに頼んで最初から約束の時間をずらしてもらうべきなのだが、今回の会談は俺が急遽同席させてもらえるように頭を下げてお願いしたもので、俺の都合で会談時間を変更することはできない。
今回の会談は、ラーメン店総武家の移転問題で、俺がほんのわずかながらも関わってしまったわけで、その行く末を見届けたく、本日の契約締結に立ち会いたいと思ったわけだ。
細かい契約内容の話し合いは終わっているが、契約が完了するまでは安心する事はできない。
まあ、相手が雪乃の親父さんなわけで、信用できないわけではないが、それでも最後くらいは見ておきたかった。
というわけで、由比ヶ浜が隣で熟睡している中、どうやったら遅刻しないですむか、俺と悪友の弥生昴は頭を悩ましていた。
八幡「ほら、学年次席。頭いいんだから、ちょっとはましなアイディアをだせ」
昴「だったら、学年主席のお前が知恵を絞れ。もうさ、諦めろよ。どう考えたって、電車の時間に間に合わない」
俺の理不尽な要請に、いたって冷静に反論してくる弥生昴。
背は俺よりも高く、180くらいはあり、少々やせ気味なのも、クールなルックスのプラス要素にしかならない。
弥生本人が嫌がっているくせ毛も、耳を隠すくらいまで伸びた黒髪は、緩やかなウェーブを作り出し、その独特な雰囲気にさらなる加点を与えてしまう。
カルバンクラインのカットソーも、ディーゼルのデニムも自分おしゃれ頑張ってます感がまるっきりないのも好印象を与えている。
まあ、要するに、服装には肩に力が入っていないのにうまくまとめられていて、こいつの話しやすい性格がなかったら、相手にしたくない奴筆頭だったはずだった。
八幡「せめて20分早く講義が終わってくれたらな」
昴「無理だって。それだったら、講義後の小テストを受けなければ20分稼げるぞ」
八幡「そんなことしたら、出席点もらえないだろ。お前馬鹿だろ」
昴「へいへい。主席様よりは馬鹿ですよぉだ」
八幡「お前、俺を馬鹿にしているだろ?」
昴「あっ、わかる? でも、正確に言うんなら、馬鹿にしているんじゃなくて、いつも馬鹿にしているんだけどな」
八幡「お前なぁ。真正の馬鹿だったら、俺の隣で寝てるから、そいつに言ってやれ。でも、何度馬鹿だって教えたとしても、すぐに忘れてしまうけどな」
昴「由比ヶ浜さんは、いいんだよ。馬鹿じゃない。むしろ天使」
八幡「はぁ・・・」
昴「女の子は、可愛ければ問題ない」
八幡「だったら、俺の代わりにこいつの勉強みてやれよ。可愛ければ問題ないんだろ?」
昴「俺は忙しいから無理だ。比企谷も知ってるだろ?」
こいつは俺と同じで、講義終わるとすぐに帰るんだよなぁ。
友達がいないってわけでもないし、けっこういろんな奴と話したりしてる。
そう、由比ヶ浜や雪乃レベルの有名人であり、2年の経済学部生で弥生昴のことを知らない奴はほとんどいないんじゃないかってくらいの有名人だった。
いや、むしろ由比ヶ浜や雪乃の場合は、相手が一方的に知っているだけの場合がほとんだが、弥生昴の場合は、わずかな会話であっても、会話をした事があるからこそ相手が弥生昴のことを知っていると言ったほうがいい。
それでも、目立つ容姿もあって、会話をした事がなくとも、初めから弥生昴の事を相手は知っていたのかもしれないが。
ただ、だからといって特別に親しい友達がいるってわけでもないから不思議だと思っていた。
八幡「俺だって、忙しいんだよ。じゃあ、あれか? もし、お前に時間の余裕があったら、由比ヶ浜の面倒みてやるのか?」
弥生の顔が微妙に引きつっている。
ポーカーフェイスを装うとしてはいるが、残念な事に成功してはいないみたいだ。
こいつは、むしろ感情のコントロールがうまい方だとみている。
その弥生が感情を制御できないとは、恐るべし由比ヶ浜結衣。
八幡「ごめん、弥生。泣くなよ」
昴「泣いてない! 俺は断じて泣いてないからな」
八幡「いいから、いいから。俺が悪かった。だから、すまん」
俺は、弥生の方に体の向きを変えると、軽く頭を下げて謝罪する。
昴「いいんだ。比企谷の日ごろの苦労を茶化すような発言をした俺の方も悪かったんだ。だから、俺の方こそ、すまん」
弥生は、俺の肩に手をかけ、全く涙を浮かべていない瞳を俺に向ける。
俺は、そんな馬鹿げた猿芝居をしている暇なんてないのに、つい後ろの観客の為に演劇を上演してしまった。
結衣「もう、いいかな?」
振り向かなくてもわかる。にっこり笑いながら怒り狂ってる由比ヶ浜がいるって。
だって、俺の肩を掴む手が、肩に食い込んでいるもの。
ぎしぎしと指を骨に食い込ませながら、鎖骨をほじるのはやめてください!
非常に痛いですっ!
いや、まじでやめて。手がしびれてきてるよっ。
目の前の弥生の顔が青ざめていくのが、よりいっそう精神にダメージを与えてくる。
八幡「いつっ・・・。ギブギブ。まじで痛いからっ!」
首を後ろに回し、振りかえると、やはり般若のような笑顔の由比ヶ浜が出迎える。
弥生がいう天使こと由比ヶ浜結衣は、堕天していた。
すらりと伸びた健康的な腕に絡まる細いシルバーチェーンのブレスレットさえ、なにか呪術が刻まれているんじゃないかって疑ってしまう。
まあ、いくら肩まで伸びた茶色い髪を揺らして怒ろうとも、人を安心させる柔和な顔つきは、いくら怒っていても損なわれてはいない。
けれど、いまだ内に秘めた由比ヶ浜の怒りは収まらないようで、俺の顔を見たことでさらに手の力を強めてしまった。
八幡「ごめん、由比ヶ浜。本当にシャレにならないほど痛いからっ」
結衣「ほんとうに反省してる?」
そう可愛らしく、俺の顔色を下から覗き込むように問いながらも、全く肩に加える力は衰える事はない。
むしろ由比ヶ浜の口がひくついていることからしても、少しも怒りは衰えていないようだった。
八幡「反省してるって。飼い犬は、最後まで面倒見ないといけないからな」
結衣「ペットじゃないし・・・・・・」
ちょっと落ち込んだ表情をして俯いて、可憐な少女を演出しても、まったく手の力弱めていないのは、どうしてですか~?
なにがまずかったんだ? 反省してるとか、謝罪の言葉じゃいけないのか?
俺は、どうすればいいか困り果て、わらにもすがる思いで弥生に助けを求める視線を送る。
すると、さすが弥生。伊達に学年次席をやってないすばらしさ。
俺のSOSを感じ取って、俺の耳元に助言を囁いてくれた。
いや・・・、たぶん、俺の涙目を見て、本気で心配してくれたんだろけど・・・・・・。
昴「なあ、比企谷。由比ヶ浜さんは、謝罪を求めているようじゃないぞ」
謝罪じゃないって、なんだよ? 反省しているかって、由比ヶ浜は聞いているんだぞ。
それなのに、・・・・・・俺からどんな言葉を引き出したいんだ?
・・・・・・・・・・・・・・ふぅ~。やっぱあれかな?
俺が由比ヶ浜の事を投げ出そうとした事か?
俺が言った発言を思い返してみても、たいした数の発言をしたわけでもない。
だから、必然的に候補は絞られてしまう。
候補としては、二つしかない。
由比ヶ浜を馬鹿だと認定した事。
そして、もうひとつは弥生に由比ヶ浜に勉強教えるのを変わってほしいって言った事だ。
だとしたら、やはり後者の方で怒ってるとしか思えない。
怒っているというよりは、悲しんでいるのかもな。
だから、俺が謝罪しても許してくれないわけか。
八幡「俺は、お前の事を重荷にだなんて思ってない。むしろ、こんな俺に飽きずに付きまとってくれて感謝してるくらいだ。だから、これからも俺の馬鹿な行動に付き合ってほしい」
やばっ。恥ずかしすぎる発言を言い終わって、そこで正気に戻ってしまた。
なんだかだ、教室内が静かすぎるなぁって見渡すと、みんな俺達を注目している。
しかも、目の前の由比ヶ浜ときたら、はにかんで、顔がうっすらと赤く染まってるじゃないか。
これはあれか。青春の一ページという名の黒歴史確定か?
弥生なんか、うんうんと頷きながらも、俺から少し距離とってるやがる。
八幡「ごほん」
俺がわざとらしく咳払いをすると、俺達に集まっていた視線はどうにかばらける。
もちろん注目はされ続けてはいる。
それでも、直接見ようとしている奴はいなくなったからよしとするか。
結衣「まあ、いいかな。・・・・・うん」
そう由比ヶ浜は呟き、一人納得すると、俺の方に詰め寄ってきて、俺がさっきまで弥生と格闘していたノートを覗きこんできた。
結衣「さっきから何をやってたの? ヒッキーこの後何かあるの?」
寝てたと思ったら、寝たふりして聞いていたのかよ。
それでも半分くらいは寝てたみたいだけど。
昴「ああ、これね。比企谷が授業の後に約束しているみたいなんだけど、どうしても間に合わないんだってさ。だから、どうやったら間に合うか考えてるんだよ」
結衣「へぇ~」
由比ヶ浜は、さらにノートに書かれている電車の時刻表などを見ようと俺にぴたっとくっついてくる。
俺の腕に柔らかいふくらみがぶつかって、その形をかえてくるものだから、気が気じゃない。
さらには、俺の腕に沿って由比ヶ浜の体の曲線が伝わってきて、その女性らしい適度に引き締まったウエストラインとか、形のいい大きな胸だとか、由比ヶ浜結衣を形作っている全ての女性らしさが俺の腕が記憶してしまう。
俺がその甘美の測定から逃れようと腕を動かそうと考えはしたが、いかんせ由比ヶ浜は俺にくっついているわで、腕を動かせば一度は由比ヶ浜の方に腕を動かして今以上に由比ヶ浜の体を感じ取らねばならない。
その時俺はそのまま腕を逃がすことができるだろうか。
今でさえギリギリなのに、これ以上由比ヶ浜を感じ取ってしまったら甘い沼地に望んで沈んでいってしまいそうだった。
昴「だけどさ、そんな都合がいい方法なんてなくて困ってるんだよ」
フリーズしている俺越しで話を進める二人なのだが、弥生は俺が困ってるのわかってるんだから助けろよ。
由比ヶ浜は、無意識なのか、馬鹿なのか、意識してるのかわからないが、俺から離れてくれとは言いづらいし・・・。
結衣「だったら、授業休んじゃえばいいんじゃない? ヒッキー、この授業休んだことないし、期末試験もどうせいい点とるんでしょ?」
昴「そうなんだよ。俺もそう進言したんだけど、こいつが頑固でさ」
結衣「へえ・・・・」
由比ヶ浜は、俺が勉強熱心なのを感心したのか、俺の横顔を見つめてくる。
しかし、俺の顔をしばらくきょとんとみつめると、俺達のあまりにも近すぎる距離に気が付いたのか、頬を染めて、気持ち程度だが距離をとる。
俺の顔が不自然なほど赤くなっていただろうから、さすがの由比ヶ浜でも気が付いたんだろう。
これで少しは平常心を取り戻せたし、話に参加できるな。
あと、俺と由比ヶ浜がくっつきすぎていた事は、弥生もスルーしてくれたし、あえて由比ヶ浜に指摘して、どつぼにはまるくらいなら、黙ってた方がいいな。
八幡「橘教授の授業は休みたくても休めないだろ。だから困ってるんだ」
結衣「へぇ・・・。そんなに橘先生の授業好きだったの?」
八幡「好きなわけあるか。むしろ必修科目じゃなかったら、とってない」
結衣「まあ、ね。あたしも必修じゃなかったらとってなかったかも」
八幡「だろ? 毎回授業の後に小テストやるなんて、この講義以外だと聞いたことないぞ」
結衣「Dクラスの英語もそうだよ」
八幡「あ、そっか。自分の講義じゃないから、ど忘れしてた」
結衣「でも、そうかもね。自分が受けてない講義だと、なんか実感わかないというか」
昴「比企谷が授業休むのに躊躇してるのって、小テストの授業点だろ?」
八幡「まあ、な」
雪乃の母に大学での成績だけでなく、大学院での留学も約束しちまった手前、小さな失点だろうととりこぼしたくはない。
実際問題、今回休んだとしても、大したマイナス点にはならないだろう。
しかし、小さな失点を仕方ないで諦めるくせを付けたくはなかった。
一度だけの甘えが、次の甘えをよんでしまう気がしてならない。
小さな失点も、積み上がれば大きな失点になってしまい、ここぞというときに取り返しのつかない失敗に繋がってしまう。
俺と雪乃の人生がかかっている大事な時期に、精神面での緩みは作りたくはなかった。
昴「橘教授も意地が悪いよな。小テストの答案が出席票の変わりで、しかも、授業の開始の時しか答案用紙を配らないからな」
結衣「あぁ、それ。女子の間でも評判悪いかも。遅刻したら、遅刻専用の答案用紙くれるし、あまりにも遅くきたら、答案用紙くれないもんね」
八幡「俺は、その辺については、合理的だなって思うぞ」
結衣「なんで?」
由比ヶ浜は、俺の事を理解者だと思っていたせいか、裏切られたと感じたらしい。
別に裏切っちゃいないが、よくできたシステムだとは思ってしまう。
八幡「10分遅刻したやつと、1時間遅刻したやつを同じ土俵に上げるんじゃ不公平だろ」
結衣「そうだけどさぁ・・・」
いまいち納得できていない由比ヶ浜は、まだ何か言いたげであった。
それでも、俺が話を進めるてしまうから、これ以上の不満は押しとどめたようだ。
昴「たしかに橘教授は合理的だよ」
結衣「そうなの?」
八幡「お前、最初の講義の時の単位評価の説明聞いてなかったのか?」
結衣「たぶん聞いてたと思うけど、ほとんど覚えてないかも」
八幡「はぁ・・・。お前なぁ、自分が受ける講義の評価方法くらい知っとけよ」
結衣「えぇ~。だって、わからなくなったらヒッキーに聞けばいいじゃん」
どうなってるんだよ、こいつの思考構造。
大学入ってから、いや大学受験の時から面倒見過ぎたのが悪かったのか。
こいつに頼られるのは悪い気はしないが、だけど、それが当然になって自分でできなくなってしまうのは悪影響すぎるぞ。
昴「大丈夫だって、比企谷。由比ヶ浜さんは、自分一人でもやっていけるって」
八幡「そうか?」
昴「比企谷が一番そばでみてるんだろ?」
八幡「まあ、そうかもな」
なんで弥生は、俺が考えていることがわかるんだよ。
もしかしたら、ほんのわずかだが顔に出たかもしれない。
それでも、些細な変化に気がつくなんて、普通できないって。
たしかに、こいつの人を見る目というか、雰囲気を感じ取る力は、たぶん由比ヶ浜を上回ると思う。由比ヶ浜が直感とかのなんとなくの感覚だとしたら、こいつのは理詰めの論理的思考だ。
ある意味陽乃さん以上に手ごわい相手なんだけど、どうしていつも俺の側にいるのか疑問に思う事がある。
俺が知っている弥生昴は、俺と同じようにある意味一人でいることに慣れている。
でも、だからといって社交的でないわけではない。
むしろ、この学部のほとんどの生徒が弥生と一度くらいは話をしているはずだ。
うちの学部に何人いるかだなんて正確な人数は知らない。
それでも、少なくない人数がいるわけで、波長が合わない奴が必ずといっていいほど出てくるのが当たり前だ。
人当たりがいい由比ヶ浜でさえ苦手としている人物がいるし、本人は隠しているようだが、誰だって苦手なやつがいるのが当たり前だ。
それなのにこの弥生昴っていう男は、相手がどんなやつであっても会話に潜り込んでいってしまう。
これは一つの才能だって誉めたたえるべきであろう。
しかしだ。そんな人間関係のスペシャリストのはずなのに、こいつと親しくしている友人というものを見たことがない。
ある意味、誰とでも仲良く会話ができるが、それはうわべだけだから成立してしまう。
本音を言わず、相手の意見に逆らわずに、どんな場面でも感情をコントトールしているのなら、それは友人関係ではなく、単なる交渉相手としか見ていないともいえるかもしれない。
そんな男が、何故俺の側にいることが多いのだろうか。
昴「比企谷?」
やばい。普段疑問に思ってたけど、考えないようにしていた事を考えてしまった。
八幡「すまない。ちょっとぼ~っとしてただけだ」
昴「そうか」
弥生は、とくに気にする事もなく、再び由比ヶ浜の相手へと戻っていく。
ただ、本当に「なにも気にする事もなかったか」疑わしいが。
結衣「で、ヒッキー。橘教授の評価方法ってなんなの?」
八幡「ああ、そうだったな。俺が詳しく教えてやるから、今度こそ覚えておけよ」
結衣「・・・・・善処します」
八幡「ふぅ・・・、まっいっか」
こいつに教えるのは、犬に芸を覚えさせるようにするより難しいって理解しているだろ、俺。だから、我慢だ。頑張れ、俺。
八幡「小テストが出席の確認の代りだっていうのは、知ってるだろ?」
結衣「うん」
八幡「ふつうの授業の評価方法は、授業点の割合の大小があるにせよ、それほどウェートが大きいわけではない。レポートとかもあるけど、橘教授ほど明確に数値化されてないんだよ」
結衣「へぇ・・・、そなんだ」
八幡「そうなんだよ。数値化されているせいで、今の自分の評価が丸見えになるから嫌だっていう奴もいるはずだ」
結衣「へぇ・・・、自分で計算してる人もいるんだ」
八幡「もう、いい・・・」
結衣「えっ? ちゃんと話してよ。しっかりと聞いているでしょ」
こういう奴だったよ。何も考えない奴だって、わかってたさ。
八幡「いや、違う。一人事だから気にするな。ちょっと気になって事があってそれを急に思いだして、おもいっきり沈んでただけだ」
結衣「ふぅ~ん。あるよね、そういう事。あたしも急に昨日見たテレビの事を思い出して授業中に笑いだしそうになる事がしょっちゅうあるもん」
八幡「そ・・・そうか」
顔が引きつりそうになるのを、強制的に押しとどめて、話を元に戻すことにする。
お前の事で悩んでたんだよって、両手でこいつの頭を掴んで揺さぶりたい気持ち。
あと数ミリで溢れ出そうだけど、どうにか保ちそうだ。
だから、これ以上俺を刺激するなよ。
八幡「で、だ。他に評価の内訳として、期末試験が5割。そして、授業点が5割になっている。もちろん授業点っていうのは、小テストの点数が直接反映される。だから、一回でも小テストを受けないと、それだけで総合評価が下がるんだよ」
結衣「へぇ・・・、面倒なんだね」
八幡「面倒か? これほどすっきりと明確な評価方法はないと思うぞ。レポートなんか、字が汚いだけで評価下がりそうな気もするしな」
結衣「まあ、今はパソコンで印刷したのが多いから、関係ないんじゃない?」
八幡「そうかもな。評価方法の話に戻るけど、遅刻したやつは、いくら小テスト受けても7割しか点数もらえないんだぞ。知ってたか?」
結衣「そなんだ。遅刻すると、答案用紙が違うから気にはなってたんだけど今その疑問が解決したよ」
八幡「お前、今頃知ってどうするんだよ。もう期末試験始まるんだぞ」
結衣「でも、あたし遅刻したことないし」
たしかに遅刻した事はないか。この授業の前に必修科目があるし、通常ならば遅刻なんてする奴はいない。
それでも、遅刻する奴は出てくるから不思議だよな。
八幡「遅刻はしないけど、授業中寝てるだろ」
結衣「そう?」
八幡「そうだよ」
俺の追及から逃れようと由比ヶ浜は視線を横にそらそうとする。
しかし、俺は成長した。いや、成長せざるをえなかった。
なにせ、この野生の珍獣を大学に合格させるという至難の調教をしてきたのだ。
由比ヶ浜の扱いには慣れざるをえなかった。
俺はおもむろに由比ヶ浜に両手を伸ばすと、そのまま柔らかい頬を両手で思いっきりつまみ取り、強引に前を向かせる。
不平を口にしてきているようだが、両頬をつままれている為に言葉にできないでいた。
だから、目でも不満を訴えてはきているが、そんなのは無視だ。
八幡「いっつも言ってるよな。授業はつまらない。とってもつまらなくて退屈だ。でも、あとで試験勉強に明け暮れるんなら、退屈な授業をしっかり聞いて、暇つぶしで授業をしっかり受けろって言ってるよな」
結衣「ふぁい」
八幡「どうせ勉強しなきゃいけないんだから、わざわざ授業に来てるんだから授業をしっかり聞けよ。後で自分で勉強するより、よっぽどわかりやすいだろ」
結衣「ふぁい」
八幡「わかったか」
結衣「ふぁい」
俺は、由比ヶ浜が頷くのを確認すると、頬から手を放す。
由比ヶ浜は、たいして痛くはないはずなのに、頬を手でさすりながら反抗的な目を向けてくる。
もう一度手を両頬に伸ばすふりをすると、今度はようやくぎこちない笑顔で頷いてくれた。
結衣「でもでもっ、あたしが隣で寝ていても、ヒッキー起こしてくれないじゃん。寝てるのが駄目だったら、起こしてくれないヒッキーにだって問題あるんじゃない?」
はぁ、まだ反抗するか。でも、俺にも言い分ってものがあるんだ。
八幡「橘教授の講義って、小テストが授業ラスト20分に毎回あるからその分早口だし、授業の進行ペースも速いんだよ。だから、授業中はお前のおもりはできないっつーの」
結衣「ああ、そんな感じするよね。なんか早すぎて、ついていけないっていうか」
それは、お前が授業内容を理解してないだけだろ。
今それを指摘すると長くなるから言わんけど。
結衣「あれ? でも、人気がない授業だけど、いっつも教室は満席だよね? なんで?」
八幡「お前、本当に大丈夫か?」
結衣「なにが?」
きょとんと首をかしげ、俺を見つめてくるその瞳には、嘘偽りはないようだ。
しかし、今はそれでは救われない。なにせ・・・・・・。
八幡「なにがって、この講義って、必修科目だぞ。必修科目は一つでも落としたら留年しちまうんだよ。だから、みんないやいやでも授業に真面目に出てるの」
結衣「そなんだ」
もういいや。ため息も出ない。
俺は、これ以上由比ヶ浜を見ていると、頭が痛くなりそうなので、視線を外す。
すると、俺を見つめているもう一人の視線の人物に気がつく。
正確に言うと、俺と由比ヶ浜を見つめる視線だったが。
昴「なに?」
八幡「なんだよ、さっきからニヤニヤしてみてやがって」
昴「いやね、仲がいいなって」
八幡「まあ、そうかもな。なんとなくだけど、憎めない奴だから、こうやって付き合いが長くなったのかもな」
結衣「ちょっと、ヒッキー。きもい。そんな恥ずかしいセリフ真顔で言わないでよ」
八幡「心外だな。きもいはないだろ」
結衣「きもいから、きもいの。い~っだ」
なんだよ、こいつ。たしかに、昔の俺ならこんな恥ずかしいセリフは言わなかった。
最近、いや、雪乃と付き合うようになって、変わったのかもしれない。
言葉にしなければ、伝えられない事があるって知ったからな。
昴「仲がいいね」
八幡「どうだか」
昴「でも、仲がいいところ悪いけど、このままだと会談に遅刻するよ」
そうだった。
どうやったら橘教授の授業を早く切り上げられるか弥生と相談していたのに、いつの間にか由比ヶ浜の相手をしていた話がそれてしまった。
まったく、こいつは和むんだけど、時と場合を選んでくれよ。
第32章 終劇
第33章に続く
第32章 あとがき
明けましておめでとうございます。
今年も頑張って執筆いたしますので、宜しくお願い致します。
文章を書く上で改善すべき点は多々ありますが、いきなりうまくなるわけもなく、日々の積み重ねだと痛切しております。
本年も、まずは毎週の連載を一つ一つ丁寧に作り上げていき、その結果として、文章力が向上していればいいなと思っております。
本日は、アップ時間が乱れてしまい、申し訳ありませんでした。
来週からは、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです。
黒猫 with かずさ派
第33章
7月11日 水曜日
さて、さてさてさてさて、どうしたものか?
いくら考えようとも、都合よく打開案なんて思い浮かびやしやしない。
いたずらに思考を繰り返しても、時間だけが過ぎ去ってゆくだけだ。
ここは、由比ヶ浜のいう通り、欠席するか。
ここで休んだとしても、だらだらと休み癖がつくとは思えないし、雪乃の父親の仕事現場をみることで、よりいっそう気を引き締められるとも考えられる。
ならば、ここは潔く自主休講としてもいいかもしれない。
ただ、諦めが悪すぎる俺は、すぐさま代替案を模索してしまう。
出席がそのまま単位評価に結び付いてしまう為に、病欠などの場合は、しかるべく証明書を提出して、なおかつレポートも提出すれば、小テストの8割の点数を貰える事が出来る。
つまり、満点のレポートならば、欠席しても80点の評価が貰えるのだから、俺も初めに欠席してレポートを提出するという選択肢を考えなかったわけではない。
ここで問題となるのは、仕事の契約締結の場に参加することが、橘教授が認める欠席理由になるかである。
一応未来の仕事に関わっているわけで、またとない社会経験を得るという大義名分もあることにはある。
でもなぁ、これが橘教授の講義を休むことと釣り合うかと問われると、微妙だ。
ならば、欠席証明書を提出しないで、小テストの五割の評価も貰う事もできるので、これだったら問題は少ない。
そう、あくまで「問題が少ない」にすぎないのが、このレポートの落とし穴だった。
なにせ、授業は眠いし、実際由比ヶ浜はよく爆睡しているし、他にも多くの学生が夢の中で受講しているといってもいい。
そんな夢の中の受講生は、講義ラストに待ち受けている小テストで痛い目にあうんだからうまくできている講義システムだと、授業を真面目に受けている俺からすると評価してしまう。
そう、俺が眠いの我慢して授業に参加しているのに、由比ヶ浜とかなにを眠りこけてるんだよ。
そんな奴にかぎって、小テストの時答えを見せてくれとか、どの辺がヒントになるか教えてくれとか言ってきやがる。
俺はそういう由比ヶ浜みたいなやつは、毎回無視してやっている。
隣で由比ヶ浜が小さな声で不平をぶちまけまくりまくって、最後の方には俺の肩を揺さぶりまくるのが、いつものパターンだ。
まあ、由比ヶ浜が実力行使に来る時間あたりには、俺も解答を埋め終わってるから、由比ヶ浜に一瞬ちらっと解答用紙を見せるふりをして、ニヤッと優しい笑顔を見せてから席を立つんだけどな。
毎回猿みたいに「ムキ~」とかわめくけど、そろそろ猿でも自分でやるって事を学習してるはずなのに、俺にまとわりついてくる牝猿もそろそろ学習しろよ・・・。
話は大きく脱線してしまったが、誰しもが受けたくない講義をレポートで出席の代わりにできるというのに、誰もレポートを選択せず、一応講義に出席して小テストを受けているかというと、それはすなわち、レポートの量が半端なく多いからである。
他の講義もあるわけで、レポートだけに時間を割いていられるわけではない。
しかも講義は90分で終わるというのに、レポートはどう見積もっても休日が丸一日つぶれること必至だ。
誰もが望む夢の日曜日に、誰が好き好んで陰気なレポートをやらねばならない。
どう考えても、講義に出たほうがいいに決まっている。
そんなわけで俺は、大切な大切な日曜日を献上して契約締結の場に出席しようと苦渋の決断に迫られていた。
まあ、色々御託を並べたが、誰が橘教授の講義を必修科目にしようだなんて考えたんだよ。
きっと、決めた人間は悪魔に違いない。
それだけは、はっきりと確信できた。
結衣「ねえ、ヒッキー。もうそろそろ諦めたら?」
八幡「諦められるわけないだろ。講義休んだら、日曜が潰れるレポートがあるんだぞ」
結衣「じゃあ、いっそのこと、レポートもやらなきゃいいじゃん」
八幡「そんなことできるかよ。成績が落ちるだろ」
昴「一回くらい休んだところで、最終的な成績は変わらないと思うけど」
八幡「そういった油断が、成績をじわじわ下降させるんだ」
結衣「もう、意地っ張りなんだから。ん~・・・。だったらさあ、問題の山はって、先生が黒板に問題書く前に解答用紙に答え書いちゃえばいいんじゃない? そうすれば、ちょうど20分短縮できて、電車に間に合うんじゃない? 問題解く時間の20分をあらかじめ解答書いとけば、20分使わないで済むでしょ」
昴「ちょうどいいじゃないか。20分早ければ電車に間に合うんだし、いっそのこと山はって、外れたら諦めて遅刻して出席すればいいじゃないか。そもそも遅刻しても怒られはしないんだろ」
結衣「ちょっと、ヒッキー、黙らないでよ。そんなに怖い顔して黙っていると、怖いよ。・・・・・・ねえ、ヒッキー?」
昴「おい、比企谷?」
結衣「ごめんね。そんなに真剣に悩んでいたなんてわからなかったから、ちょっと調子に乗りすぎて、言いすぎたのかもしれない。ねえ、・・・ねえったら」
由比ヶ浜が俺の肩を揺さぶってくる。最初は遠慮がちに小さく揺さぶってきたが、俺が何も反応を示さないでいると、意地になってか、激しく揺らしてきた。
八幡「ええい、うるさい。ちょっとは静かに出来ないのかよ」
結衣「だから、謝ってるんじゃない」
八幡「それが謝ってるやつの態度かよ」
結衣「いくら謝っても、そっちが無視していたんでしょ」
八幡「別に無視してないだろ。ちょっと考え事をしていたから、気がつかなかっただけだ」
結衣「え?」
八幡「え?って、なんだよ。お前が問題の山はって、解答あらかじめ書いとけって言ったんだろ」
結衣「え? えぇ~?!」
八幡「なにをそんなに驚いてんだ。自分で言っておきながら、驚くなんて。ん? 自画自賛しているのか? たまに、ほんとうにごくまれに役に立つこと言ったんだから、そういうときくらい自己満足に浸りたいよな。気がつかなくて、ごめんな」
結衣「いや、いや、いや。なんかヒッキーがあたしの事で酷いこと言ってるみたいだけどこの際今はどうでもいっか。なに、なに。ヒッキー、山はって書くの?」
昴「由比ヶ浜さんは、どうでも、いいんだ?」
弥生なら、そう思うよな。
でもな、由比ヶ浜の思考回路には、二つの事を同時処理なんてできやしないんだよ。
一つの事でさえも、途中でセーブもできない年代物なんだぞ。
きっとレトロマニアには、もろうけること間違いなしだけど、最先端を突っ走ってるやつには、理解できない代物なんだよ。
八幡「ああ、山はって書いてみようと思う」
結衣「そっか。なにもやらないよりいいもんね。運がよかったら、間に合うかもしれないしやらないよりはやったほうがいいもんね」
八幡「それは違う。やるからには、確実に問題を当てる」
結衣「そんなのは無理だって。だって、問題は、黒板に書くまでわからないじゃん」
八幡「そんなことはない。なんとなくだけど、傾向くらいはあるもんさ」
昴「たしかに出題傾向はあるけど、論述問題なんだから、問題のキーワードを全て当てないと、見当外れの解答になってしまうぞ」
結衣「そうだよ。あたしも軽々しく山はりなよって言ったけど、やっぱ絶対無理だよ。当たりっこないって」
八幡「問題のキーワードを全て当てるんだろ? それなら問題ない。むしろキーワードほど当てやすい」
結衣「そんなことないって。一回の講義の内容も広いんだし、無理だよ」
たしかにな。無鉄砲に、なんとなく探すんなら、無理に決まっている。
だけど、解答に導くために、キーワードなんて、なにかしらの繋がりを持ってるんだよ。
一つの論述を完成させるわけなんだから、一つ一つのキーワードには、他のキーワードとのつながりがあって、その繋がりがあるからこそ、一つの論述が意味を持って完成する。
仮に、キーワード一つ一つに、全くの因果関係がないとしたら、それは論述ではなくて、一問一答形式の、穴埋め問題に過ぎない。
八幡「論述問題に必要なキーワードなんて、だいたい決まってるんだよ。そもそもそのキーワードが一つでも欠けていたら、減点ものだ。だから、キーワードを全てそろえること自体はたいしたことではない」
昴「たしかにそうだな。でも、キーワードがわかったとしても、問題自体を当てるのは難しくないか?」
結衣「ちょっと、ちょっと待ってよ。今、ゆっくりとだけど、ヒッキーが言った事を理解するから」
八幡「悪い、由比ヶ浜。今お前の相手をしている時間も惜しい。だから、この説明は、また今度な」
結衣「あたしの事を馬鹿にし過ぎてない?」
八幡「だったら、もう理解できたのかよ?」
結衣「それは無理だけど」
八幡「だろ?」
昴「由比ヶ浜さんには、授業のあとで、俺が説明してあげるよ」
結衣「え? ほんとう?」
ぱっと笑顔を咲かせる由比ヶ浜を横目に、俺は弥生が渋い顔を見せたのを見逃さなかった。
何度か俺の代りに弥生が由比ヶ浜に説明した事があった。
だがしかし、何度やっても由比ヶ浜は理解できなかった。
弥生昴の名誉のために言っておくが、けっして弥生の説明が下手なわけではない。
むしろ上手な方だと思う。俺以上に論理的で、道筋をはっきりと示す解説だとさえ思える。
だけど、相手があの由比ヶ浜結衣だ。
普通じゃない。俺も雪乃も、高校三年の夏、何度挫折を味わったことか。
まあ、一応、お情け程度のフォローになってしまうが、由比ヶ浜結衣もけっして馬鹿ではないということは伝えておきたい。
なにせ、俺と同じ大学の同じ学部に、一緒に現役合格できるくらいの学力はあるのだから。
しかし、こいつの思考回路はとびまくっているんだ。
俺も雪乃もこいつに勉強を教えるコツみたいなのを、わずかだが習得できたから言えること何だが、どうやら由比ヶ浜は感覚で理解しているらしい。
とくに数学なんかは、どういう感覚で理解しているのか、雪乃でさえ理解できなかった。
それでもどうにか教える事はできるようになったから、こうして同じ大学に通えているんだが。
だから、弥生のように、理路整然としている理論派の極致の説明は、由比ヶ浜にとっては天敵だと言えるのかもしれなかった。
八幡「まあ、お前ら。二人ともお手柔らかにやっておけよ」
昴「わかってるって。無理はしない」
結衣「ん?」
どうやら弥生だけは、俺の意図を理解したみたいだな。
だとすると、俺の感覚が由比ヶ浜に偏ってないってことか。
うし・・・、俺の感覚は由比ヶ浜化してないぞ。
な~んか、由比ヶ浜とつるんでいると、おつむが由比ヶ浜化しそうで怖いんだよな。
八幡「なあ弥生。このノート見てくれよ」
昴「これって、橘教授の講義のか?」
八幡「そうだ」
昴「なんでノートの真ん中で折り目が付いているんだ?」
八幡「ああ、これな」
こら、由比ヶ浜。弥生とは反対側から俺のノートを覗き込んできたけど、そのドヤ顔やめろ。さっきまでまったく話についてこれなかったからって、ここぞとばかりに誉めて誉めてって尻尾を振るな。
このノートの折り目を、お前が知っているのは当然なんだよ。
何度も俺のノートのお世話になってるからな。
まあ・・・、普段の俺なら、ちょっとくらいかまってやってかもしれないけど・・・。
八幡「弥生は、この講義のノート見るの初めてだっけ?」
昴「どうだったかな? 他の科目のならあったと思うけど、あとで調べてみないとわからないな」
八幡「さすがのコピー王も、俺の対橘用のノートは初見か」
昴「この講義は、小テストが毎回ある分、みんな自分でノートとってるから需要がないしな。それと、そのコピー王っていうのは、やめろって。学部中に広がってしまったのは、比企谷のせいだろ」
八幡「それは違う」
昴「どうしてだよ。お前が言いだしたんだろ」
コピー王。たしかに、俺が命名した弥生昴の二つ名だ。
といっても、中二病全開で命名したわけではない。
なんとなくこいつの行動を見ていたら、ふと口にしただけだ。
それに、何度もコピー王なんて言ったとも思えない。
たしかに、こいつはコピー王だとは思う。
なにせ、こいつはコンパクトスキャナーを随時携帯して、レポート、ノート、過去門などなど、あらゆるデータをコピーしまくっている。
まず、突出すべきところは、その交渉術と行動力だろう。
図書館で、同じ学科の奴を見つけたら、友達でなくても、しかも、話した事がない相手でも、顔を知っていれば突撃して、ノートの交換をしてくるのだ。
そして、その行動範囲は同学年にだけで終わらず、大学一年次の前期日程、正確にいえば、五月の下旬には全学年で弥生昴の名と顔を知らない奴はいなくなってしまった。
一見弥生の行動は、無謀にも絶大なる行動力を有しているようにも見える。
しかし、本人曰く、一人のつてがいれば、その人を介して十人は声をかけられるとのこと。
俺からすれば、図書館で、いきなり顔しか知らない奴に声をかけているのを目撃しているので、一人のつてもいなくても、もしかしたら全学年制覇はきっと可能なんじゃないかって思えていた。
いやいや、俺が言ってる事は矛盾しているな。
俺みたいなぼっちは例外としても、一般的な大学生ならば、一人か二人くらいの連れはいる。
ならば、一人のつれがいれば、ドミノ式に全生徒に繋がっているとも言えなくはない。
たしかに、ぼっちは、誰ともつるんでいないので、どの組織にも接点がないともいえる。
それでも、大学生をやっていれば、グループ学習やら、ペアでの講義も必ずあるわけで大学生活を誰とも接点を持たずに生活することは事実上不可能である。
ここで言いたいのは、事実上不可能であるということだ。
理論上は、なんかしらのつながりがあるかもしれない。
しかし、その繋がりは儚いくらいに細いもので、それが人と人との伝手であると言ってもいいのか疑問に残る。
おそらくその伝手は、一般的に言ったら赤の他人というべきだ。
だが、弥生ならば、強引に、そのあるかどうかも疑わしい伝手を使って交渉ができてしまうのだから、これはある種の尊敬すべき能力といえるだろう。
ここで話を戻すが、コピー王たる弥生昴のすごさはわかってもらえたと思うが、そのデータ量のすごさは、既存の試験レポート対策委員会とかいうサークルを上回ってるんじゃないかと思えるほどだった。
八幡「たしかに、俺が言いだしたのは認める」
昴「だろ? だったら、お前の責任じゃないか」
八幡「いいや、違う」
昴「なんでだよ」
八幡「俺がお前にコピー王って連呼したとしても、誰がお前の事をコピー王って呼ぶだよ。俺は自慢じゃないが、友達はほとんどいないぞ。だから、お前の事をコピー王だなんて、伝える相手がそもそもいないんだよ」
昴「そうだな。この学部で、お前の話相手といったら、俺か由比ヶ浜さんくらいしかいないんだよな」
八幡「だろ?」
昴「比企谷の友達の少なさを忘れるところだったよ」
八幡「それさえも忘れてしまうほどの存在感のなさなんだよ。俺って奴は」
昴「そんなことないだろ。お前、この学部で、ダントツに目立っているぞ」
八幡「それはないだろ。お前も俺の友達の少なさを認めたじゃないか。友達もいないから、ひっそりと教室の片隅に座っていたら目立たないだろ」
昴「由比ヶ浜さんがいつも隣にいるだろ」
八幡「由比ヶ浜は友達多いし、そりゃあ、目立ちはするけど、だからといって俺が目立つわけじゃあない」
昴「いやいやいや、違うって。人気がある由比ヶ浜さんを比企谷がいつも独占しているから必然的に比企谷も目立ってるんだよ」
八幡「俺は由比ヶ浜を独占した覚えはないんだけどな」
ほら、俺の横の由比ヶ浜結衣とかいう人。
頬を両手で押さえて、ぽっと頬を染めて、デレない!
お前の責任問題を話し合ってるんだろ?
って、俺達って、なに話してたんだっけ? 時間ないとか言ってたような。
昴「工学部に綺麗な彼女がいるくせに、ここでも学部のヒロインを一人占めしているんだから恨みもかっているぞ」
八幡「雪乃は、あまりここの学部棟には来ないから、関係ないだろ」
昴「雪ノ下姉妹っていったら、うちの大学で知らない奴がいないほどの美人姉妹だぞ。その妹の彼氏といったら、注目されるに決まってるじゃないか」
八幡「雪乃が美人っていうのは認めるけど、だけどなぁ・・・」
結衣「ねえ、ヒッキー」
八幡「なんだよ」
せっかく危機的状況で、パニクっていたのを雪乃の事を思い出して和んでいたのになんで横槍を入れてくるんだよ。
俺に恨みでもあるのか?
だから、必然的に由比ヶ浜に向ける視線も、投げ返す返事も荒っぽくなってしまう。
由比ヶ浜は、むっとした表情で、やや批判を込めて訴えてきた。
結衣「別にヒッキーがゆきのんのことで、でれでれしているのは、あたしは、かまわないんだけどさ」
八幡「なんだよ。時間がないんだから、とっとと言えよ」
ん? なんで時間がないんだっけ?
結衣「別にあたしはいいんだけど、早く小テストの山をはらないと授業始まっちゃうよ」
血の気を失うとはこの事だろう。
さあっと体温が低下するのと同時に、体中の汗腺から汗が噴き出してきて体が火照る。
やばい、やばい、やばい。
時間がないのに何を白熱してるんだよ。
コピー王って、学部中に広めたのは、俺じゃなくて由比ヶ浜だっていうことを伝える為に、なんだってこんなに話に夢中になってるんだよ、俺。
八幡「ありがとよ、由比ヶ浜。助かった」
結衣「いいんだけどさ。・・・いつもお世話になってるし」
俺は、もじもじしながら口ごもる由比ヶ浜を横目に、弥生に向けて応援要請を手短に伝えていく。
もうすぐ講義が始まって、橘教授がきてしまう。
その前に、一応保険として、弥生にも問題の山を一緒にはってもらわなくてはいけない。
なぁに、たぶん俺一人でも大丈夫だけど、念には念をいれないとな。
普段俺のレポートやらノートのコピーをしてるんだ。
このくらいの労働、対価としては安いだろう。
八幡「弥生、山はるの手伝ってほしい」
昴「それはかまわないけど、あと五分もないぞ」
八幡「それだけあれば十分だ。山をはるのは講義を聞きながらじゃないとできないからな」
俺は、にやりと不敵な笑みを浮かべるのだった。
第33章 終劇
第34章に続く
590 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/01/08 17:35:34.29 PACE+wQi0 33/346
第33章 あとがき
雪乃「さっそく著者があとがきから逃げたわね」
八幡「あとがきのネタがないんだとさ」
雪乃「そう。だったら、書かなければいいのに」
八幡「いや、それはまずいだろ。でも、なんか四コマ漫画風のあとがきをやるのもいいかなって、考えてるらしいぞ」
雪乃「自分が書けないからって、私達にしわ寄せが来るなんて、とんだ迷惑ね」
八幡「ただな・・・」
雪乃「なにかしら?」
八幡「四コマ漫画風にしても、そのネタ作らないかといけないからすでに挫折しているらしいぞ」
雪乃「馬鹿なのかしら?」
八幡「どうだろうな・・・。一応最後の決まり文句だけは言ってくれよ」
雪乃「はぁ・・・。来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますのでまた読んでくださると、大変嬉しいです」(にっこり)
八幡「(目が笑ってねえよ・・・・・・)」
黒猫 with かずさ派
第34章
7月11日 水曜日
俺が弥生に頼んだ事は、いたってシンプルなノートの使い方だった。
まず、ノートを半分に折り、左側を授業の内容を筆記する。
これは、一般的なノートを取り方と変わりがない。
黒板を板書して、必要ならば解説を自分で付け加える。
黒板には書かないで口頭のみの説明時に聞きそびれて、書き損ねそうになる事もあるが、悪態を心でつきながら、教科書とノートを見比べて聞きそびれた個所を自分の言葉で埋めていく。
左側は誰もが小学生の時からやっている事だから、特に説明はいらないだろう。
俺が弥生に指示したのは、ノート右側の書き方であり、この講義特有の事情から生まれた手法だ。
小テストは、必ずと言っていいほど「説明せよ」という設問であった。
授業で習ったばかりの知識を思い出して、論述を書きあげていく。
だとすれば、授業を受けながら、小テスト用の論述を書いておけばいいんじゃないかと思って始めたのが、右ページの使い方であった。
つまり、左側に書かれている授業で示された記号を、右側ページに論述形式で書きなおしていくってことだ。
一見、人からみれば二度手間だろう。
なにせ、左側に書かれている内容を単に文章にしただけなのだから。
雪乃も最初は二度手間だからやらないといっていたが、俺からの説明を聞いたら納得してくれた。でも、結局は、雪乃はやらないらしいが。
俺からノートをよく借りる由比ヶ浜は、まあ、理解しているのか、してないのか怪しいところだから保留にしておこう。
この二度手間ともいえる右ページ。
なにがいいかっていうと、解答の文章量がはっきりとわかることだ。
左ページの記号のみでの説明だと、シンプルでわかりやすいのだが、文章にしてみると文章量が予想以上に多い時があったりする。
それに気がつかずに実際解答用紙に書いてみたりすると、文字数オーバーになったりすることがざらである。
また、文字数がオーバーしてしまうから、他の本来必要なキーワードをいれないで減点くらう事も多くなってしまう。
ほとんどのやつが指定の文字数を埋めることで満足して、キーワード不足を気がつかないんだよな。
つまり、あらかじめ文章量がわかるから、キーワードも落とさないし、文章量からの優先度も明らかにわかるわけで、省くべき説明も最初から書かないですむ。
なんて理屈を上げてみたが、本当の狙いは、文章を書く練習だったりする。
要点のみをわかりやすく説明するっていうのは、案外難しい。
キーワードがわかっていても、実際文章を書くとなると、文章の構成がちぐはぐだったり、短くまとめるべきところをダラダラと書いてしまったりもする。
だったら日ごろから鍛錬すればいいじゃないかという事で始めたのがこのノートの使い方だった。
嬉しい副作用としては、授業の復習時間が短縮された事と、自分の言葉で今受けたばかりの授業内容を書く作業によって印象を深める事だろう。
雪乃みたいな才能がない俺にとっては、嬉しすぎる副作用であった。
さて、これが表の右ページの効用なのだが、今回は、これを逆手にとって隠された右ページの効用を試してみたいと思う。
昴「比企谷って、ほんとうにこういうせこい方法を思いつくのがうまいな」
八幡「せこいっていうな。要領がいいって言え」
昴「はい、はい。要領がいいですね」
絶対心がこもってないだろ。
結衣「あたし、説明聞いてたんだけど、それでもよくわからないんだけど」
八幡「だからな、俺が由比ヶ浜を起こさない理由にもなるんだけど、この授業は、そうとう忙しいってことなんだよ」
結衣「それはわかったんだけど・・・」
八幡「ノートの左側に黒板の板書を写して、右側には、小テストにそのまま使えるように書き直した文章を書いていく。ここまではいいな」
結衣「なんとなく・・・」
わかってないな。
うん、弥生も、由比ヶ浜はわかってないねって顔をしている。
八幡「で、だ。ここからなんだけど、一回の授業で習った範囲で、試験に出そうなのは多くて三つが限度だ。下手したら一つって事もある。これは、論述形式にするから、それなりの容量が必要って事もあるけど、一回の授業で何個も試験で出題するようなものが出てこないんだよ。たいていは、一つの主題を補足する為の説明がほとんだ」
結衣「はぁ・・・。ん、それで」
わかってないのに相槌うつなよ・・・・。
いっか。時間ないし。俺は、しかめっ面になりそうなのを無理やりうやむやにする。
八幡「だからな、小テストで書かす文章量と、これは出題傾向でもあるんだけど、橘教授はその日一番重要な個所を出題する傾向があるところから、この二つをあわせもつ個所を授業を聞きながら探せばいいんだよ。いくら重要でも、小テストにするには文章量が少なすぎたりするのはNG。また、次の週にまたがるのもNGだな」
結衣「ふぅ~ん」
もう、適当に相槌うってるな。
それでも、この由比ヶ浜を相手しちゃうんだよな。
それは、俺がこいつに助けられているからかもな。
八幡「ま、あとは慣れだな。他の講義も聞いていると、なんとなく、この辺を試験にだしたいだろうなっていう所がわかるようになるから」
結衣「え? そうなの? だったら、もっと早く教えてよ。とくに期末試験なんて、それやってくれたら勉強する量が減って助かったのに」
自分にとって有用な情報だけは聞きながさないんだな。
食い付きが違いすぎるだろ。さっきまでの、はいはい、付き合ってあげてますよオーラ全開の態度はどこにやったんだ。
いまや尻尾を振って、襲い掛かる勢いじゃねぇか。
八幡「う・る・さ・い。今は忙しいんだよ。それに、試験直前には、いつも試験の山みたいなのは教えてるだろ」
結衣「それは教えてくれているけど、それっていつも、最後の最後でぎりぎりにならないと教えてくれないじゃん」
八幡「当たり前だろ。試験に出そうな所だけを覚えたって、知識としては不完全で役にたたないだろ」
結衣「・・・そうかもしれないけどぉ」
昴「ほらほら、橘教授がきたよ」
八幡「弥生、悪いけど頼むわ。由比ヶ浜は、前を向けよ」
昴「貸しにしておくよ」
結衣「あたしだけ態度が違うのは気になるんだけど」
騒がしかった教室も、講義が始まれば静まり返る。
教室の前にある二つの扉も閉められ、外から聞こえてきていた喧騒もかき消される。
どこか几帳面そうな声色と、ペンがノートとこすれる音だけで構成される時間が始まった。
いたって普通。どこまでも先週受けた時と同じ時間が繰り返される。
始まって間もないのにどこか眠そうな生徒達の横顔も、やる気だけは空回りしている由比ヶ浜も、教室の前の方に陣取っている真面目そうな生徒達も、先週見た風景と重なっていた。
ただ違う事があるとしたら、俺の期末試験と同じレベルの集中力と隣で手伝ってくれている弥生の姿くらいだろう。
・・・・・・講義時間も残り少なくなり、あとは小テストを受けるのみとなった。
弥生と予想問題と解答を確認したら、ほぼ同じ内容なのは安心材料なのだが、実際黒板に問題が書かれるまでは落ち着かなかった。
けれど、その緊張も今は新たな緊張へと変わっていっていた。
昴「おめでとう」
八幡「ああ、サンキューな。じゃあ、また明日」
昴「あせってこけるなよ」
結衣「ヒッキー、頑張ってね」
俺は二人に向かって頷くと、あらかじめ片付けておいた教科書を入れた鞄を手に教室の前に向かって歩き出す。
試験問題は、ばっちし予想通りだった。
あとは、解答用紙を提出して、全速力で駅まで走るだけだ。
予想通りの設問に興奮状態で席を立ったまでは良かったのだが、今俺が置かれている状態を予想するのを忘れていた。
いや、ちょっと考えれば誰もが気がつく事だし、気がつかない方がおかしいほどだ。
そう、小テスト開始直後に席を立つなんて、通常ではありえない。
どんなに急いで書いたとしても5分はかかる。
それも、解答があらかじめ分かっている事が前提でだ。
それなのに俺ときたら、誰しもがこいつなにやってるの?って気になってしまう状態を作りだしてしまっていた。
最初は、俺達がひそひそ声で別れの挨拶をしているのに気が付いた比較的席が近くの連中だけだったが、教室の通路を歩く俺の足音が響くたびに、俺を見つめる観衆の目が増えていってしまう。
俺は、まとわりつく視線を強引に振り払い教卓の前へと向かっていく。
一段高い教卓を見上げると、訝しげに俺を見つめる橘教授がそこにはいた。
悪い事をしているわけでもないのに目をそらしてしまう。
ちょっとチートすぎる手を使ってはいるが、問題ない範囲だと思える。
弥生に応援を頼んだのだって、そもそもこの小テストはテキスト・ノートの持ち込み可だけでなくて、周りの生徒との相談だって可能なのだ。
もちろん授業中であるからして大声を出すことはできないが、ある程度の会話は認められていた。
由比ヶ浜なんかは、毎回俺に質問してくるんだから、ちょっとは自分一人でやれよと言いたくなる事もあるが。
俺はするりと解答用紙を教卓の上に提出し、橘教授を見ないように出口の方へと向きを変えた。
提出完了。あとは早足でここを切りぬけて、室外に逃げるのみ。
テクテクと突き進み、あと少しで教室の出口というところで、聞きたくない音を耳が拾ってしまった。
なんでこういう音だけは拾ってしまうんだよ。
たくさんある音の中で、しかも似たような音がいくつも重なっている場面で、たった一つ、俺が一番聞きたくない音だけを耳が拾ってきてしまう。
全速力の早足が、徐々に勢いに陰りを見せ、通常歩行へと移行する。
それでも出口までの距離は短かったおかげでどうにかドアノブを掴むことができた。
けれど、怖いもの見たさっていうの?
見たくはないんだけど、知らないままでおくのも怖い。
だったら見ておいてから後悔するほうがましなのだろうか。
ここで結論が見えない迷宮に深入りする時間もないし、なによりも現在進行形で目立ちまくっているわけで、俺が取るべき行動はこのドアノブをまわして、出口から室外に出る事だ。
しかし、人の意思は弱いもので、ドアノブをまわしてドアを開け、一歩外へと踏み出した瞬間に、見たくもなかった光景を見てしまう。
振り返らなければ、見ることもなかったのに。でも、見てしまった。
もちろん後悔しまくりだ。
俺の視線の先には、俺の解答用紙を凝視している橘教授がいた。
俺が見たその姿は、数秒だけれども、死ぬ前の走馬灯のごとき時間。
けっして死ぬわけではないのだけれど、閻魔さまは確かにそこにはいた。
ここから逃げ出して走ったのか、遅刻しない為に走ったのか。
もちろん後者のためなのだが、本能が前者を指し示す。
駅のホームに着いたところで時計を見ると、想定以上に早くつくことができていた。
電車がやってくるアナウンスもないし、慌てて階段を駆け上ってくる客も俺一人しかいない。
これは橘教授効果だなと、皮肉を思い浮かべることができるくらいまでは精神は回復したいた。
電車に間に合った事で、自然と子供が見たら泣くかもしれない(雪乃談)笑顔を浮かべているとマナーモードにしていた携帯が震え、俺も心臓を止めそうなくらい震えてしまう。
もう、やめてくれよな。びっくりさせるなよと、携帯の画面を確認すると、弥生からの電話であった。
あいつも俺と同じように解答だけは出来上がっているんだから、もう小テストは終わったのだろう。そうしないと、電話をする事は出来ないし。
・・・・・・でも、もし、いや、あり得ないとは思うけど、でも、ん、なくはないが、橘教授が弥生の携帯を借りて俺に電話したとしたら?
橘教授も、生徒一人に時間をかける余裕なんてないんだしと、心に嘘をつきながら通話開始ボタンを押した。
八幡「もしもし?」
昴「電車間に合ったか?」
八幡「なんだよ、弥生かよ」
昴「俺の携帯なんだから当然だろ。それに、心配してやってるのに、そのいいようはないと思うよ」
安堵のあまり人目を気にしないでその場に座り込んでしまった。
せめてもの抵抗として、片膝を立てて座っているのが救いだろうか。
・・・誰も気にしないだろうけど、男の意地ってうやつで。
八幡「全速力で走ってきたから疲れてるんだよ。今日は手伝ってくれて、ありがとな。だから、感謝してるって」
昴「そう? 感謝してるんなら、そのうち恩返しを期待してるからな」
八幡「俺に出来る事ならな。あと、時間に余裕があるとき限定で」
昴「それって、恩を返す気がないって事だろ」
八幡「返さないとは言っていないだろ。そろそろ電車も来るし、用件はそれだけか?」
昴「いや、伝言を頼まれて」
八幡「由比ヶ浜か? 無事に着いたって言っておいてくれよ」
昴「それは伝えておくけど、伝言を頼んだ人ではないよ。ちなみに由比ヶ浜さんは、今も教室でテストやってると思う」
八幡「じゃあ、誰だよ?」
嫌な汗が額から滑り落ちる。
これは走ったからでた汗だ。そう、走ったからね。
と、俺の考えたくもない人物を全力で拒否しているっていうのに弥生の奴は無情にも判決を下してしまった。
昴「橘教授からなんだけど、聞く?」
八幡「聞かないわけにはいかないだろ。一応聞くけど、聞かないという選択肢は可能か?」
昴「それは無理」
八幡「とっとと言ってくれ」
ちょっとは期待させる言い回しをしろよと、批難も込めて伝言の再生を催促した。
昴「そんなにびくつくなって。橘教授は笑っていたぞ。あの橘教授が大爆笑していたんだから、研究室に一人で行っても殺されはしないって」
八幡「ちょっと待て。前半部分はいいんだけど、後半部分はサラっという内容じゃないだろ」
昴「とりあえず、伝言伝えるよ」
こいつマイペースすぎるだろ。だからこそ、俺と一緒にいられるんだろうけどさ。
でも、こいつったら友人関係は広いくせに、なんだって俺の側にいるんだろうか。
八幡「はいはい、どうぞご勝手に」
昴「比企谷みたいにまでとはいかないけど、毎年何人かは去年の問題使って解答をそのまま提出する人がいるんだってさ」
八幡「たしか試験対策委員会のやつが出回っているらしいな」
昴「らしいね。でも、教授も言ってたけど、去年の問題は使えないように若干設問を変えているんだってさ」
八幡「論述だし、設問変えたって、似たような解答になるんじゃないか?」
昴「その辺の違いは教授も説明してくれなかったけど、今回のは、授業中の例え話が違っていたらしいよ。今日授業でやった例を用いて説明せよってなってただろ?」
八幡「なるほどな」
たしかに、去年の問題を持っていたら、俺も過去問をそのまま使っていたかもしれない。
俺の場合は、過去問をくれる相手がいないんだけど・・・。
でも、弥生だったら持っていてもおかしくないか。
昴「だから、去年までのをそのまま使って解答書いた答案は、出来の良しあしにかかわらず3割までしか点数をくれないそうだよ」
八幡「設問の要求を満たしていない解答だし、当然だろうな」
昴「それで、今回の比企谷の方法なんだけどさ」
八幡「ああ」
昴「橘教授、大絶賛だったよ。面白いってさ。面白ければOKとか、あのしかめっ面でいったんだから、みんな唖然としてたよ。できれば写真に撮って、比企谷にも見せてやりたかったな」
八幡「いや、遠慮しとく。想像だけでも、ちょっときついものがある」
昴「ということで、橘教授の研究室に来てくれってさ」
八幡「だから、どうして俺が行かないといけないんだよ」
昴「気にいられたからじゃないのか?」
八幡「なんで気にいられるんだよ」
昴「比企谷が今回とった方法を、自分が橘教授に教えたからかな?」
八幡「なんで馬鹿正直に教えてるんだよ」
昴「そりゃあ、聞かれたからだよ」
八幡「だとしても・・・」
昴「電車来るんじゃない? アナウンスしてるんじゃないか」
八幡「ああ、もう電車がくるけど、・・・いつこいって?」
昴「いつでもいいって言ってたけど、来週も授業あるんだから、早めに行っておいた方がいいと思うよ」
八幡「わかったよ」
駅のホームに来るまでは絶好調だったのに。
どこかしらに落とし穴が待ち受けている。
注意深く突き進んできても、どこかでエラーが出てしまう。
あの時、教室を出る時、教授の顔を一瞬でも見たのが悪かったのか?
運命論なんて信じないし、俺のちょっとした行動が運命を、未来を変えてしまうとは思えないが、それでも、あの時橘教授の顔を見なければよかったと、電車を降りるまで何度も後悔を繰り返した。
無事遅刻する事もなく到着し、雪乃の親父さんと総武家の大将との話し合いも和やかムードで終えることができた。
結論から言うと、俺が遅刻しようと、その場に全くいまいと、話し合いにはこれっぽちも影響はない。
契約書の内容も、突っ込んだ内容になってしまうとあやふやだし、これを自分一人で精査しろといわれたら無理だってこたえるしかない。
それは大将だって同じはずなのに、そこは当事者としての意識の差がでてしまったかもしれない。
たしかに雪乃の親父さんがわかりやすいように説明していたけれど。
これは、陽乃さんから聞いた話だが、本来ならば親父さんが直接契約の場に出てくる事などないそうだ。
もちろん大型案件ならば違うだろうが、企業所有のテナント一つの賃貸契約で企業のトップが出てくるなど、あり得ない話であった。
となると、これは俺の勝手な想像になるのだけれど、この会談、もしかしたら俺の為に設けられた部分もあるんじゃないかと思ってしまう。
ならば、俺が遅刻しないで到着した事も、意味があるのだといえるかもしれない。
さて、俺は親父さんにお礼を言ってから本社ビルをあとにする。
緊張しまくっていた体がほぐれ出し、肺に過剰に詰まっていた空気も、どっと口から抜け出てくる。
振り返り、ビルを見上げると、さっきまであの上層階にいたことが幻のように思えてくる。
俺があの場にいられたのは、親父さんの計らいであって、俺の実力ではない。
いつか俺の実力で・・・・・・、いや、雪乃と二人の力で昇り詰めなければならない。
具体的な目標を目にできた事は、モチベーションの向上につながる。
けれど、今は鳴りやまない携帯メールの対応が優先だな。
マナーモードにしてあった携帯は、ビルから出る直前に解除したのだが、ひきりなしに鳴り響くメール着信音に、再びマナーモードにしていた。
なにせ着信メール数が二桁を超えている。
現在進行形で増え続け、もうすぐ三桁になりそうであった。
チェーンメールではないよな?
アマゾンや楽天であっても、こんなにはメール来ないし、アダルト関係は雪乃の目が光っているから完全に隔離状態だしなぁ。
となると、小町か戸塚か?
だったら、徹夜してでも全メールに返事を書くまでであるが、どう考えたってあの二人だよな。
先ほどまでいた会談とは違う緊張感を身にまとい、とりあえずメールフォルダをクリックした。
第34章 終劇
第35章に続く
604 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/01/15 17:33:54.97 2jPBwEpe0 43/346
第34章 あとがき
八幡「どうしたんだよ。さっきから落ち着きがないぞ」
雪乃「そのようなことはないと思うのだけれど」
八幡「どうみたって、うずうずしてるだろ。・・・はぁ、その黒い猫は著者が自分の代わりに置いてった猫だぞ」
雪乃「そう? だから、なにかしら?」
八幡「・・・なんでもねえよ。ちょっと猫缶とってくるな。餌の時間らしい」
雪乃「早くしなさい。猫がお腹をすかせているわ。ほら、さっさと行きなさい」
八幡「わかったよ」
・・・・・・・・・・
雪乃「にゅあ~・・・。にゃぁ~」
八幡「(その猫じゃらし。どこに隠し持ってたんだよ?)」
雪乃「あら八幡。戻っていたの」
八幡「前から思ってたんだけど、猫と会話できるの?」
雪乃「なにを言ってるのかしら? 夢は寝ているときに見るものよ」
八幡「(これ以上追及するなって、無言のプレッシャーが・・・)ほら、猫缶」
雪乃「遅かったわね」
八幡「餌やる前に、締めのフレーズ言ってくれよ。・・・って、聞いてないし。今週は俺がやるか。来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますので、また読んでくださると、大変うれしいです」
雪乃「にゃにゃ、にゃぁ~」
八幡「(やっぱり、猫と会話してるにゃないか)」
黒猫 with かずさ派
第35章
7月11日 水曜日
俺が携帯画面を見るのを拒むように差し込む西日を避ける為、ビルの柱の陰に入り込む。
夏のむっとする空気が幾分か和らぎはしたものの、携帯に蓄積され続けているメールは俺の汗腺を緩めてしまう。首も元にねっとりとまとわりつく汗を和らげるために、ネクタイを緩めて、Yシャツの第二ボタンまで外す。
一応商談ともあるわけでスーツに着替えてはいた。
雪乃の親父さんからは、服装は普段着でいいとのお許しを得てはいたが、総武家の大将が、ラーメンを作るときのユニホームからスーツへと着替えているのを見た時は、親父さんのご厚意をやんわり返上していた事に、ほっと息をついてしまった。
やはりビジネスであるわけで、第三者である俺もマナーを守るべきである。
今はいいかもしれないが、雪ノ下の関係者という甘えがなあなあの関係からの甘えを生み、いつ落とし穴に落ちてしまうかわかったものではない。
とりあえず商談も終わり、大学生に戻った俺は、スーツの上着を鞄と一緒に抱え込み臨戦態勢で目の前まで迫った恐怖に立ち向かう事にした。
俺が商談中に舞い込んだ携帯データによると、86通のメールと10件の留守番電話メッセージが届けられている。
雪乃と陽乃さんの二人によるもので、おおよそ半分ずつといった感じだろうか。
内容をまとめると、陽乃さんからは、雪乃を預かった。
返してほしかったら雪ノ下邸まで来い、といった感じだ。
一方、雪乃からは、陽乃さんの戯言に付き合っている時間はないから、私を迎えにきたら、そのまま帰りましょうといったものだ。
この内容で、どうして86通ものメールを送る事になったのか、今も送られてきているメールも含めると91通になるのだが、このメール合戦にいたるまでの経緯など知りたいなど思えなかった。
どうせ陽乃さんが雪乃を挑発して、雪乃が負けじと応戦したのだろう。
とにかく夕方になっても気温は低下してくれないし、暑苦しい事は極力さけるべきだ。
だから俺は、ビルの陰から西日が強く叩きつけられるアスファルトを早足で歩きだす。
一刻も早く次の日陰に逃げ込もうとテンポよく進む。
だが、一通だけ趣旨が違うメールが着ていた事を思い出し、早足だった足が止まってしまう。
脳にインプットされたメール情報が誤情報でないか確認する為に携帯で再度確認したが、やはり誤情報ではなかった。
送信者は、雪ノ下陽乃。
メールの内容は、ペリエ750mL瓶を五本買ってきて。
最後にハートマークやら、うざったい記号が羅列していた事は、この際デリート。
なんだって、このくそ暑い中、4キロほどの水を買って帰らないといけないんだよ。
そもそも俺は歩きなんだぞ。
俺の代りに陽乃さんが運転して帰っているんだから、その時買えばいいじゃないか。なんだって車の陽乃さんじゃなくて、徒歩の俺がくそ重い荷物を持って帰らにゃならん。
きっと、これは嫌がらせなんだろうけど、このとき雪乃が陽乃さんをやりこめていたんじゃないかって思えてもきてしまう。
だって、これってただの姉妹喧嘩のたばっちりである事は確定しているのだから。
陽乃「御苦労さまぁ。2本は冷蔵庫に入れて冷やしておいてね。あとの3本は、あとで片付けるからその辺の置いておいていいわ」
手に食い込んだスーパーの袋を床に置くと、ようやく苦行から解放される。
若干手に食い込んだビニール袋によってしびれは残るが、快適な温度まで気温が下げられているリビングは、俺の疲れを癒してくれていた。
雪乃「八幡は休んでいていいわ。冷蔵庫には私がいれるから」
と、雪乃は冷たく冷えたタオルを俺に渡し、重いビニール袋を運んでいく。
いつもならば俺が重いものを率先として運ぶのだが、ここは雪乃の好意を素直に受け取っておこう。
八幡「買い物だったら、車で行けばよかったじゃないですか。しかも、重い瓶だったし。これって嫌がらせですよね?」
陽乃「嫌がらせではないわよ。だって、家に着いてからメールした内容だしね。もし家にいた時かどうかを疑うっていうのならば、雪乃ちゃんに家に着いた時刻を確かめてもらっても構わないわ」
毅然とした態度で俺に反論するのだから、本当の事なのだろう。
あまりにも俺の駄々っ子ぶりの嫌味に、ちょっと大人げなかった発言だと反省してしまう。
冷たいタオルが俺の体を癒していくにつれて、どうにか正常モードの思考を取り戻せつつあるようだった。
八幡「いや、陽乃さんがそういうんなら、本当の事なんでしょう? だったら雪乃に聞くまでもないですよ」
陽乃「そう?」
八幡「でも、ペリエ5本はないでしょ。俺は歩きなんですよ。せめて車の時に言って下さいよ」
陽乃「うぅ~ん・・・。それはちょっと悪いことしたなって、メール送った後に気がついたんだけど、でも比企谷君なら断ったりしないでしょ」
八幡「断りはしなかったと思いますけど、俺をいたわってくださると助かりますね」
陽乃「だったらちょうどいいわ」
ちょうどキッチンから戻ってきた雪乃は、陽乃さんの発言を聞きつけて、綺麗な曲線を描いている眉毛をピクンと歪な曲線に変えてしまう。
雪乃「だったらちょうどいいわではないわ。最初から姉さんはそうしようと考えていたじゃない」
陽乃「そうだったかしら?」
陽乃さんは、まったく悪びれた顔もせずに、雪乃の追及をさらりとかわす。
だもんだから、雪乃の眉毛はさらに歪さを増してしまうわけで。
八幡「で、なんなんですか?」
陽乃「うん。今日も夕食準備したから、二人とも食べていってほしいなってね」
そう温かく微笑むものだから、俺はもとより、雪乃でさえ反論はできないでいた。
今の陽乃さんの笑顔の前では、雪乃も強くは出られない。
昨日、強引に帰宅しようとした雪乃を見て、陽乃さんが見せた寂しそうな姿を雪乃も忘れることができないはずだ。
どこかおどおどしく、子供が親に許しを乞おうとする姿に重なってしまう陽乃さんを見ては、強気でなんていけはしないのだから。
雪乃「わかったわ。食べていくわ」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんがOKだしたからには、比企谷君も問題ないわよね?」
八幡「ええ、食べていきますよ。だけど、今度からは、重いものを頼む時は車の時にしてくださいよ」
陽乃「ええ、わかったわよ。でも、帰宅する前に買い物を頼むって、なんだかホームドラマの一場面に出てきそうで、ほのぼのするでしょ? お帰りぃ。今日も暑かったね。はい、これ頼まれていたやつって感じでさ」
八幡「そんなこと考えてたんですか?」
陽乃さんの求めるものがちょっと意外すぎて、批難っぽい声をあげてしまったものだから、陽乃さんはすかさず俺に食いついてきてしまう。
陽乃「そんなことってなによ。私がいわるゆ家庭的な場面を求めるのが似合わないっていうの?」
八幡「馬鹿にしたわけじゃないですよ。それに、似合わないとも思ってませんって」
陽乃「本当かしら? なんだか比企谷君お得意の論理のすり替えをして、これからうやむやにしようとしているんじゃなないかしら?」
八幡「違いますって」
この人、どこまで俺の事好きなんだよ。
俺の行動パターン全てお見通しってわけか。
俺の事を時間かけて研究したって、何もメリットなんてないですよって言ってやりたい。
ただ、言ったところで面白いからやだって即時却下されるだけだろうな。
しかし、八幡マイスターたる陽乃さんであっても、今回の分析は間違いなんですよ。
八幡「俺が言いたかったのは、そんな意図的にホームドラマの一場面みたいな状況を作りださなくても、俺達ってもう家族みたいなものじゃないですか。だったら、人のまねなんてしないで、自分達らしいホームドラマをやっていけばいいだけだと思うんですよ。といっても、俺も雪乃も家庭的って何?って人間なんで、どうすればいいか、わからないんですけど」
陽乃「えっと、それって、私もその家族の一人に入ってるのかな?」
八幡「入っていますよ。そもそも陽乃さんは雪乃の姉じゃないですか。だったら、その時点で家族ですけど、・・・・まあ、今俺が言っているのは、それに陽乃さんが言ってるのも形式的な家族ごっこじゃなくて、精神的な繋がりをもった家族ドラマだと思うんですけど、そういう精神的繋がりを持った家族、俺達はやってると思うんですよね。俺の勝手な思い込みかもしれないですけど・・・」
陽乃「うれしぃ」
八幡「ん?」
陽乃さんの声が、陽乃さんに似合わず小さすぎたんで、戸惑い気味に聞き返してしまった。
陽乃「うれしいって言ってるのよ。たしかに、比企谷君も雪乃ちゃんも、もちろん私だって、ホームドラマみたいな家族なんて似合わないし、どうやればそうなるかもわからないけど、・・・もうなってたのか。そうか、これが家族なのか、な」
八幡「どうなんでしょうね?」
雪乃「あいかわらず適当な事を言う人ね。たまにはいい事を言うものだから感動しかけてのたのに、なんだか騙された気分ね」
八幡「俺は適当なことなんて一言も言ってないぞ」
雪乃「たった今言ったばかりじゃない。どうなんでしょうね?って」
八幡「それは、俺達の関係だけが家族じゃないって言っただけさ」
雪乃「もう少しわかりやすく言ってくれないかしらね。コミュニケーションって知っているかしら? 自分一人が理解しているだけではコミュニケーションは成立しないのよ」
八幡「はいはい、わかっていますよ。これから説明するって。だからさ、雪乃の親父さんも、そしてあの母ちゃんだって、俺から見たら家族やってるって思えるだけさ。そりゃあ、あの母ちゃんだし、きついし相手したくないし、逃げられるんなら即刻退却するけどさ、それでも、雪乃や陽乃さんのことを大切にしてるなって思えるんだよ」
雪乃「あの母が? 冗談でしょ。あの人は、自分の着せ替え人形が欲しいだけよ。自分の思い通りに動かない人形には、興味はないわ」
八幡「たしかに、そういう一面は否定できないし、俺もそうだと思う」
雪乃「だったら、あの母のどこに家族ドラマみたいな家庭があるのかしら? 雪ノ下の為。企業だけの為に行動してきたのよ。現に姉さんのお見合いだって、進められてきたじゃない」
八幡「陽乃さんのお見合いは中止になっただろ」
雪乃「それは八幡のおかげでどうにか取りやめになっただけじゃない」
八幡「俺のおかげかは議論の余地が多大にあると思うけど、雪乃や陽乃さんを大切に思っていることは間違いないと思うぞ」
雪乃「自分の人形コレクションの一つとして大切にしているだけだわ」
平行線だな。いや、俺があの女帝をフォローするたびに距離が広がっている。
だったら地球を一周回ったら線が交わりそうな気もするが、ねじれの位置ならば、永久に交わらないし、永遠に距離が広がっていってしまう。
いわゆる「どうあっても交わることのない存在」を表す比喩を思い浮かべるが、それは直接交わらないだけだと俺は捻くれた横槍を入れたりしたもんだ。
直接交わらないのなら、間接的に交わればいい。
どうせ人間一人では生きられない、ぼっちという意味ではなく、人間社会という意味で、ならば、誰かしらが緩衝材として働けばいいだけだ。
だったら俺は、雪乃の為ならば、少しくらいあの女帝に近づいてもいいって思えてしまう。
この行動さえも雪乃からすれば余計なお節介なのかもしれないが。
八幡「その辺の事は今回は横に置いといてもいいか? 今回の話とは論旨がずれているからさ」
雪乃「いいわ。べつに、あの人の事を話したいわけでもないのだから」
八幡「助かるよ」
陽乃「それで、私と母達がどうして家族ドラマみたいな家族なのかしら?」
八幡「どんな家族であっても、なんかしらの問題を抱えているからですよ。うちだって父親が小町ばかり溺愛して、息子の方にお金をかけてくれないとか、仕送りをもっとしてほしいって申請しても即時却下だとか、たまに家族で食事に行くとしても俺の意見は全く聞いてくれないとか、・・・小町優先なのは俺もだからいいんだけど、親くらいは俺の事を気遣ってくれと言いたい」
雪乃「それは、八幡が愛されていないだけで、家族の問題にさえならないのではなくて?」
陽乃「そうね。問題意識を持たないのならば、問題にはならないわ」
八幡「そこの冷血姉妹。ちょっとは俺の事を大切にしてくれない? そもそも雪ノ下家の話をスムーズに進める為に比企谷家の例を出しただけなのに、どうして俺を揶揄することに全力をあげるんだよ」
雪乃「あら? 揶揄なんてしてないわ」
八幡「どこがだよ」
雪乃「私は、事実をそのまま言ったまでで、人を貶める発言など一切していないわ。そもそも私があげた事実を聞いて、それで自分が馬鹿にされたと思うのならば、その本人が自分の悪い点を自覚していると考えるべきだわ。そうね、補足するならば、見たくもない事実を目にしてしまったということかしら」
雪乃は首を傾げながら饒舌に語りだす。
そして、顔にかかった長い髪を耳の後ろに流す為に胸の前で組んでいた腕を解く。
八幡「別に認めたくない事実でもないし、仮に事実だとしても、親が俺の事を放任してくれていて助かってるから問題にはならない」
雪乃「強がっている人間ほど、認めないものよ。早く楽になりなさい。人間、一度認めてしまえば、あとは落ちるだけよ。最低人間の極悪息子なのだから、仕送りをしてもらっている事実だけでご両親に最大限の感謝をすべきだわ」
八幡「なあ、雪乃。お前って、俺の彼女だったよな?」
最近では、あまりく聞くことがなくなってきた雪乃の毒舌。
久しぶりすぎて耐性が落ちてきている気もする。
ある意味新鮮で、高校時代を思い出してしまい、感慨深かった。
雪乃「そうよ。あなたみたいな男の彼女をやっていけるのは、私しかいないわ。だから、・・・感謝するのと同時に、けっして手放さないことね」
訂正。高校時代とは違って、現在はデレが入っております。
頬を赤く染めて視線をそらす雪乃を見て、これが典型的なツンデレかと感動してしまった。
これがツンデレが。ツンデレだったのか。
高校時代の雪乃の場合、ツンはツンだけど、そのツンの破壊力がでかすぎて、殲滅兵器だったからなぁ。
たとえデレがあったとしても、ツンによって殲滅された後に雪乃しか立っていなければツンデレは成立しない。
八幡「そうだな・・・そうすることにするよ」
雪乃「ええ、そうすることを強くお勧めするわ」
陽乃「あぁら、私は一言も比企谷君を傷つけたりしないわよ。どこかの言語破壊兵器娘とは違って、大切な人がいるのならば、自分自身が傷つけることはもちろん、他人にだって傷付けさせないわ」
八幡「いやいやいや・・・、さっき雪乃と一緒に言っていましたよね?」
陽乃「私が言ったのは、問題意識を持たないのならば、問題にはならないわって言っただけよ」
八幡「それが揶揄しているって言うんじゃないですか」
陽乃「違うわね」
八幡「陽乃さんの中だけでは、そうなのですか? でも、俺の中ではそれを揶揄しているっていうんですよ」
陽乃「私の中でも相手に向かって言ったのならば、揶揄しているというわ」
八幡「だったら、俺に対して揶揄したことになるじゃないですか」
陽乃「それは違うわね」
あくまで強気で、挑戦的な瞳をしている陽乃さんにくいついてしまう。
この人に立ち向かったって、痛い目をみるだけの時間の無駄だってわかっている。
だから、むしろ立てつかないで、うまく受け流すべきなのだろう。
だけど、この人を知っていくうちに、深く関わりたいと思ってしまう自分がいた。
八幡「どう違うんですかね?」
陽乃「それは、私が比企谷君に対して言った言葉ではないからよ」
八幡「はぁ?」
要領をえない。陽乃さんが何を言っているのか理解できず、気が抜けた短い返事しかできないでいた。
陽乃「だから、私は比企谷君に向かって発言していないって言ってるのよ。私がした発言は、雪乃ちゃんが言った発言に対する同意意見であって、比企谷君をさして発言した内容ではないってことよ。つまり、一般論を言ったってことかしらね」
八幡「はぁ・・・」
陽乃さんが言っている意味はわかる。わかるんだけど、ずるくないか?
いくつかの意味にとれる言葉を使って、責任をうまく回避していて、なんだが政治家が使う口述技法と重なってしまう。
陽乃「ね? 比企谷君を傷つける言葉なんて、どこかの自称彼女とは違って一言も言っていないでしょ」
八幡「たしかにそうなんでしょうが・・・」
と、陽乃さんは、自分はいつだって味方だと言わんばかりに俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
自分を大切にしてくれて、いつも味方でいてくれるというのならば、それは俺だって嬉しく思える。
だけど、陽乃さんの行動が、さらなる危機を招くってわかっていてやっているのだから、これは完全なる味方だって言えるのか?
げんに雪乃の殲滅兵器起動のセーフティーロックが外された音がはっきりと耳がとらえたし。
それは陽乃さんだって、知覚しているはずだ。
陽乃「ねぇ、酷いわよねぇ。暑い中帰って来たというのに、冷たい麦茶の一つも用意しないだなんて、そんな彼女はいないわよね。はい、八幡。これ飲んで」
陽乃さんは、いつの間に用意したのか、氷が適度に溶けだし、グラスがうっすらと曇り始めた麦茶を俺に手渡す。
八幡「あ、ありがとう、ございます」
陽乃「もう、他人行儀なんだから。暑かったから喉が渇いたでしょ」
八幡「そうですね。夕方なのに蒸し暑いし、なれないスーツっていうのもきつかったですよ」
陽乃「そうでしょ、そうでしょ、ささ、ぐぐっと飲んで」
八幡「あ、はい」
きんとくる爽快感が喉を駆け巡る。熱くほてっていた体も、この麦茶を皮切りにクールダウンに入ってくれそうだ。
雪乃の親父さんとの会談。その後の雪ノ下姉妹の対決。
おっと、大学での時間調節もあったか。・・・あれは、明日にでも橘教授の元に行かなくてはならないから、問題ありだけど、今日はもういいか。
色々面倒事の目白押しだったけれど、今日はもういいよ。
喉の渇きが癒されたら、今度は胃袋が陳情してくる。
ただでさえ暑くて燃費が悪いのに、緊張の連続で激しくエネルギーを消費してしまった俺のエネルギーは枯渇間近であった。
陽乃「ねえ、比企谷君。今日は、銀むつの煮付けを作ったのよ。食べたいって言ってたわよね」
八幡「え? 本当に作ってくれたんですか?」
陽乃「もちろんよ。先日デートに行った時、デパ地下でお惣菜を見ていたときに食べたいって言ってたじゃない」
たしかにデートはデートだけど、ストーカーをいぶりだす為の偽デートじゃないですか。
でもここで訂正入れても面倒事を増やしそうだし、かといってこのまま受け入れたら雪乃が黙ってない、か。
と、雪乃の出方を伺おうと視線だけ動かすと、雪乃は俺の視線を感じてゆっくりと瞬きを一つ送ってよこしてきた。
・・・・・・セーフってことかな?
八幡「たしかにいましたけど、覚えていたんですか? でも、あの時見たのは西京焼きでしたよね」
陽乃「そうよ。西京焼きも好きだけど、煮付けの方が好きだって言ってたから、作ってみたのよ。でも、味付けが比企谷君好みだといいんだけどね」
八幡「そんなの陽乃さんの作ってくれるものだったら、美味しいに決まってるじゃないですか」
陽乃「もうっ、嬉しいこと言ってくれるわね。でも、比企谷君好みの味付けも覚えたいからちゃんと意見を言ってくれると助かるわ」
八幡「あ、是非」
と、空腹の俺に好物を目の前に放り込まれてしまっては、雪乃の痛い視線に気がつくのに遅れてしまっても、しょうがないじゃないか。
だって、疲れているし、好物だし、嫌な事忘れて食事にしたいし・・・。
はい、ごめんなさい。
俺は、やんわりと陽乃さんが絡めて来ていた腕をほどくと、雪乃に謝るべく膝を床についた。
第35章 終劇
第36章に続く
619 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/01/22 17:33:33.88 rAodTcpR0 53/346
第35章 あとがき
八幡「もう一方の連載のあとがきには、サブヒロインの和泉千晶って人が出ているらしいな」
雪乃「そう・・・。だとしたら、こちらもサブヒロインの姉さんが出ればいいのに。私、ヒロインだし・・・、忙しいのよね」
八幡「それは著者に文句を言って欲しいけど、でもそうなるとなぁ・・・」
雪乃「姉さんだと何か不都合でもあるのかしら? ん? どこを見ているの、八幡? ・・・・・・・さすがに外で胸をじっと見つめられるのは恥ずかしいわ」
八幡「いや、なあ・・・」
雪乃「後ろに隠したのを見せなさい」
八幡「はい」
雪乃「和泉千晶のプロフィールじゃない」
八幡「別に隠したわけじゃないって。ただ、なんとなく、他の女のプロフィールを俺が持っていたら、雪乃に悪いかなってさ」
雪乃「そう?(にっこり)だったら、いいわ。・・・・・・・・・・・あら?」
八幡「(ぎくっ)」
雪乃「ねえ、八幡」
八幡「なんでしょう」
雪乃「この和泉千晶って人は、胸が大きいのね。しかも、全登場人物中最大なのね。それで、もし、姉さんがこちらで登場でもしたら胸の大きさで登場人物を選んだって考えたのではないでしょうね?」
八幡「滅相もありません(冷や汗)」
雪乃「とりあえず、来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますのでまた読んでくださると、大変うれしいです。さあ、八幡。楽しい話し合いを始めましょうね」
黒猫 with かずさ派
第36章
7月11日 水曜日
陽乃さんの指示の元、俺と雪乃はその手足となって料理を運んでゆく。
三人が一斉にキッチンを動きまわったら身動きがとりにくくなって非効率かと思いきやそこは雪ノ下邸。比企谷宅とは違って三人が一同に行動しても問題はなかった。
どことなく注意深くキッチンを観察すると、俺と雪乃が暮らすマンションのキッチンとどことなく雰囲気が似ている気がする。
もちろん部屋の作りが違うし、規模だって違う。
だけど、なんとなくだけど使い慣れた感じがするっていうか、違和感を感じないのは、雪乃が実家キッチンの仕様をそのまま導入しているからだと思えた。
比企谷家の台所にだって比企谷家なりのルールがあって、主に台所の支配者たる小町が作ったルールが絶対なのだが、その小町が作ったルールでさえ俺の母親が台所を自分なりに使いやすいようにアレンジしたものが源流だ。
そう考えると、いくら実家を飛び出して高校から一人暮らしをしだした雪乃であっても実家での生活の全てを実家に置いてくることなんてできなかったんだって今さらながら思いいたってしまうわけで。
ま、だからなんだって話で、雪乃に話したら、自分が使いやすいようになっているだけよってそっけなく突き放されそうだけどさ。
陽乃「あまり改善点らしい意見はなかったわね。本当にこのままでいいの?」
食事が進み、陽乃さんから依頼を受けていた銀むつの煮込みへの意見。
俺好みの味を知りたいって言われても、俺が今まで食べた中で最高に美味しかった。
なにせ俺が初めて食べたのは、親父が東京駅のデパ地下で買ってきたものであり、そして、それを俺が大絶賛したものだから母親が自分なりに作るようになった。
そもそも親父だって、しょっちゅうそのデパ地下に行けないわけで、だからこそ母親が作ってくれるようになり、そして平日夜の料理番を任されるようになった小町が比企谷家標準の味付けとなった。
味付けに関しては、お店の物とは違うのだけれど、俺好みに改良されており、なにより小町が作ってくれているんだから文句はない。
文句がないのは陽乃さんが作ってくれたものも同じだ。
でも、同じ文句がないでも、その方向性が違うのが大きな差なのだろう。
八幡「俺が今まで食べた銀むつの煮付けの中で、ダントツで美味しいですって。だから、これをどう改善すればいいかなんてわからないですよ。むしろなにか俺の意見を取りいれることで味のバランスが崩れかねませんか?」
陽乃「その辺の味のバランスは、私の方で調整するから、比企谷君がもっと甘い方がいいとか、しょっぱい方がいいとか言ってくれると助かるんだけどな」
八幡「味加減も抜群だと思いますよ」
陽乃「それじゃあ、面白みがないじゃない。私の味付けを比企谷君に押し付けているみたいで。私は、比企谷君の好みが知りたいのよ」
八幡「そう言われましても・・・」
雪乃「八幡に無理難題を押し付けても、八幡が困るだけよ。それに、私も姉さんの味付けはバランスがとれていると思うわ」
八幡「そうですって。俺の意見を聞くまでもないほど美味しいんですから」
陽乃「そ~お? だったら雪乃ちゃんが作ってくれたのと比べたらどうかしら? 作った人が違ったら、味付けが変わるでしょ」
八幡「いや・・・、その」
雪乃「ないわ」
陽乃さんが望むアットホームというべき温もりに満ちた食卓が、雪乃を中心に遥か遠くの南極の風を吹き乱す。
室温は一気にマイナスを振り切り、絶対零度。
この極寒の世界で生きられるのは、雪の女王たる雪乃とパーフェクトクィーンたる陽乃さんくらいだろう。
あとは雪乃と陽乃さんの母親を思い浮かべるが、あれはあれで別次元の生き物って感じだし。
そんなわけで小市民たる俺は、吹雪が止むのを黙って見ているしかなかった。
陽乃「ないって?」
雪乃「銀むつの煮付けを作った事がないっていっているのよ」
陽乃「そうなの?」
雪乃「ええ、そうよ」
陽乃「一応言っておくけど、銀むつってメロのことよ」
雪乃「そのくらいは知っているわ」
陽乃「雪乃ちゃんって、銀むつ嫌いだったっけ?」
雪乃「嫌いではないわ。ただ・・・」
陽乃「ただ?」
雪乃「・・・・・・・知らなかったのよ」
雪乃の小さな呟きは、俺達の耳までは届かなかった。
けれど、雪乃の姿を見れば、陽乃さんはもちろん、俺だって見当はつく。
その言葉の裏に込められた意味までも、しっかりと。
雪乃「知らなかったのよ。だって八幡、言ってくれなかったじゃない」
八幡「言う機会がなかっただけだって。スーパーに行っても、銀むつってサンマやイワシみたいなメジャーな魚じゃないだろ。だから、陽乃さんが知っているのも、たまたまデパ地下の総菜コーナーで見かけたからにすぎない」
雪乃「そうかもしれないけれど、だからといって・・・」
陽乃「姉の私が知っていて、彼女たる雪乃ちゃんが知らないのは許せない?」
だから、やめて下さいって、煽るのは。
挑発的な顔をして雪乃を追い詰めるのは、ただただ姉妹喧嘩に発展するだけじゃないですか。
いまや絶対零度の吹雪を撒き散らしていた雪乃王国の氷塊は溶け始めていた。
なにせ熱砂の女王陽乃さんが雪乃国に熱波をたたきこんで食卓を混乱に引きずり込もうといしているのだから。
雪乃「姉さん!」
陽乃「彼女だからって、全てにおいて他者よりも優れていたい?」
雪乃「そんなことは・・・」
陽乃「彼女だから、誰よりも比企谷君を理解している?」
雪乃「それは・・・」
陽乃「彼女だから、他の女を寄せ付けたくない?」
雪乃「だから、姉さん・・・」
陽乃「彼女だから、比企谷君の・・・」
八幡「陽乃さん、もうその辺にしときましょうよ」
陽乃「そう?」
雪乃は俯き、膝の上で握りしめているだろう拳をじっと見つめていた。
その表情は黒髪が覆い尽くしている為に確認できないが、きっと打ちひしがれているのだろう。
・・・いや、負けず嫌いの雪乃のことだから、陽乃さんを睨みつけながら反旗の機会を
探っているか?
どちらにせよ、ここで止めないとせっかく改善した姉妹関係が壊れかねない。
それにしても今日の陽乃さんは、踏み込み過ぎていないか?
今までだって小競り合い程度のコミュニケーションは何度もあったけれど、今日みたく雪乃を追い詰めようとしたことはない。
だから、不安になってしまう。
何を考えているかわからない陽乃さんに逆戻りしてしまうんじゃないかって、陽乃さんから漏れ出ているかもしれない不気味な雰囲気を探してしまいそうになってしまう。
八幡「雪乃もいいな」
雪乃「私は・・・、構わないわ」
八幡「あとな、雪乃・・・」
雪乃「なにかしら?」
雪乃を顔をまっすぐ見つめて、言うべきか迷ってしまう。
俺がこれから言おうとしている事は間違いではない。
おそらく正しい。けれど、今の精神状態の雪乃が理解してくれるだろうか?
人は時として、事実を受け入れられなくなる。
正しいのだけれど、正しいと理解できなくなってしまう。
それでも今の雪乃には必要な言葉だと、信じたい。
八幡「雪乃が俺の事を理解するなんて、無理だと思う」
このたった一言で、雪乃の顔が凍りつく。
うつろな目で俺を見つめ返し、膝の上になったはずの手は、だらりの椅子の下の方へと垂れ下がる。
裏切られたと思っているはずだ。
どんなときだって味方だと思っていた俺に見捨てられたと思っているはず。
なんだけど、こればっかりは言っておかないといけない、と思う。
八幡「長年一緒に育った小町だって、俺の事を全ては知らないし、俺だって小町の事を誰よりも理解しているって、うぬぼれてはいない。そもそもこんな一般論を言う事自体必要な事ではないと思うんだけどさ、なんだか今の雪乃には、こんな教科書に載っているような一般論が必要かなって」
陽乃「ある人物の全てを知る事はできない。知ることができるのは、ほんのわずかな一面のみ。親しい人ほど、その人物が持つ一面を数多く手にしてくけれど、それは多いだけであって、すべてではない。裏を返せば、親友が知らなくても、顔見知り程度の人が知っている事さえあり得るってことかしらね」
八幡「まさしく教科書通りの解説ですね。まあ、そんなところですよ」
雪乃「いまさら小学校の教科書に出てくるような事例を八幡に上から目線でご演説して頂けるとは思ってもいなかったわ」
雪乃の力が抜けきっていた肩がピクリと反応したかと見受けられると、半分虚勢が入りつつも胸をしっかりと張る。
そんな雪乃を見ていると、どこまでも負けず嫌いなんだよって誉め撫でまわしたい衝動に駆られてしまう。
なんて自制心を鍛えていると、俺の漏れ出たわずかの衝動を察知した雪乃の瞳が笑いかけてきているのは思いすごしではないだろう。
なにせ陽乃さんがむすぅっと俺を雪乃を見比べているのだから、ほぼ確定事項といえた。
陽乃「そうね。雪乃ちゃんなんて、涙ながらも比企谷君の演説を聞いていたんだから、なかなかの演説だったといえるんじゃない?」
雪乃「姉さん・・・」
陽乃さんに険しい視線を向ける雪乃を見て、俺はため息しか出てこなかった。
陽乃さんも陽乃さんで、どうして雪乃に挑戦的なんだよ。
これが雪ノ下姉妹の正常な関係って言われてしまえば、そうなんだけど、その姉妹の間に置かれている俺の事も考えてほしいものだ。
八幡「もう、いいでしょ。俺だって雪乃の事を全て知っているわけじゃないし、俺よりも陽乃さんの方が雪乃の事を知っている事は多いはずだ。その一方で、ここ数年の雪乃に関しては、誰よりも俺が知っていると自負しているけどな」
陽乃「はい、そこ。のろけない」
八幡「のろけていませんって。それに陽乃さんのことだって、ここ数日で大きく印象が変わってきているのも事実なんですよ。はっきりいって、今までの印象との落差がありすぎて、戸惑っているというか・・・・いや、当然の結末だったというか、かな?」
陽乃「どうなんでしょうね? 比企谷君が今見ている私も、それ以前の私も、同じ雪ノ下陽乃だと思うよ。だって、私は私だもの」
八幡「それは事実ですけど、俺の頭の中でイメージされている雪ノ下陽乃はやはり変化していますよ」
陽乃「それは、比企谷君が私の事を知らないだけよ」
八幡「ですよねぇ・・・」
雪乃「落ち込むことなんてないわ。なにせ私なんて、生まれてきた時から姉さんの事を見てきたけれど、全く理解できないもの。・・・・そうね、理解しないほうが幸せなのかもしれないわ」
そっと頬に手を当てて陽乃さんを流し見る雪乃の姿に艶っぽさを感じてしまったのはここでは内緒だが、陽乃さんを理解しようと踏み込むのは、雪乃が言うような不幸せにはならないと思う。ただし、空回りしてしまうとは思ってしまうが。
なにせ、陽乃さんは自分を見せない人だ。だから、ひょんなことがきっかけで突然垣間見せる陽乃さんの本心を見逃さないように注意深く見守るしかないのだろう。
陽乃「女はね、謎があったほうが魅力的なのよ。男は理解できないから理解したくなるってものじゃない」
雪乃「理解したいって思って下さる殿方がいらっしゃればいいわね、姉さん」
言葉づかいこそ丁寧だが、絶対雪乃の言葉の裏には悪意がこもっているだろ。
にっこりと細めた目の奥には、きっと陽乃さんへの反骨心がこもっているはずだ。
陽乃「そうねぇ・・・」
陽乃さんも陽乃さんで、妖艶な瞳を俺に送ってくるのはよしてください。
陽乃「まずは自分を理解してもらおうと思ったら、相手の事を理解しないと。だ・か・ら、今日は銀むつの煮付けを作ってみたけど、今度は、西京漬けの方を作ってみるわね」
八幡「宜しくお願いします」
陽乃「それと、煮付けの方も私の方で研究してみて、ちょっと味付け変えたのが出来たらまた食べてくれると嬉しいな」
八幡「絶対食べますって。俺の方がお願いしたいほどですよ」
陽乃さんは、俺の返事に頬笑みで返事を返してきた。
もう終わりだよね? 大怪獣戦争は終わりだよね?
食事の話に戻ってきたし、核戦争は防がれたんですよね?
俺は、ある意味「楽しい話し合い」が終わりを迎えた事に胸を撫でおろす。
やや雪乃の方には不満がくすぶっているみたいだが、ここは我慢してくださると助かります。
波乱に満ちた食事も終わり、食後のコーヒータイムとしゃれこんでいた。
香り高いコーヒーの誘いが鼻腔をくすぐる。
これといってコーヒーにこだわりがあるわけではないし、人に自慢するような知識もあるわけでもない。
だからといって、コーヒーの香りの魅力が落ちるわけはなく、陽乃さんが淹れるコーヒーの香りに体は素直に反応する。
コーヒーの臭いを嗅ぐと、体がコーヒーを渇望してしまう。
まっ、MAXコーヒーはコーヒーのジャンルではあるが、それはそれ、あれはあれだ。
むしろマッカンは、MAXコーヒーというジャンルだと思える。
コーヒーに格別詳しいわけではない俺であっても、毎日のように嗅いでいる特定のコーヒー豆ならば、なんとなくだけど、いつものコーヒーだなって気がつくことができる。
雪乃の紅茶を淹れる動作もそうだが、陽乃さんのコーヒーを淹れる仕草は絵になっていた。
雪乃が柔らかい物腰だとしたら、陽乃さんはきりっとした優雅さを描いている。
いつもはコーヒーメーカーで淹れるらしいが、今日は特別にハンドドリップだそうだ。
本人いわく、コーヒーメーカーでやっても、自分でいれても大した差はないわ。
自分でやるのは面倒だし、時間と手間がかかるだけ。
だったら、機械に任せた方が効率的なのよ、とのことだったが、俺からしたら、陽乃さんがコーヒーを淹れてくれている動きそのものがご馳走であり、コーヒーの魅惑をより高めているとさえ思えてしまった。
先日も陽乃さんに手料理をご馳走になったが、そのときも包丁の選択を気持ちの問題で選んだところがあった。
普段の陽乃さんの行いを見ていると、なにかしらの意味・効率があると思えていた。
人の気持ちを手玉にすることも多々あるが、面白半分で行動に起こす事はない。
むしろ明確な目的があって行動するわけで、気持ちの問題で選択などしないと思える。
人間なんて気持ちでモチベーションや成功率が大きく変化するのだから、陽乃さんに限って気持ちの部分を切り離して語ろうだなんて論理的ではない。
ただ、自分の気持ちを切り離して、親の期待を優先して行動してきた陽乃さんだからこそ、俺は陽乃さんの行動原理においては気持ちの部分を切り離して考えてしまう悪い癖がついてしまったのかもしれなかった。
だから、真心というか、陽乃さんがそういった気持ちの部分を大切にしてくれている事自体が、無性に嬉しくも思えていた。
陽乃「鼻がひくひく動いて可愛いわね」
俺の鼻を見て、小さく笑顔を洩らす陽乃さんに、俺は顔が赤くなってしまう。コーヒーに誘われて、体が反応してしまったのも恥ずかしかったが、それよりも、陽乃さんのコーヒーを淹れる姿に魅入っていたことに気がつかれてしまったことに恥じらいを覚えた。
その俺の恥じらいさえも陽乃さんにとっては、歓迎すべき振るまいなのだろうか。
機嫌が悪くなるどころか、鼻歌まで歌いそうな勢いで準備を進めていく。
八幡「なあ、雪乃。これって、いつも家で飲んでいるコーヒーじゃないか?」
陽乃「そうなの?」
俺と陽乃さんは、雪乃にコーヒー豆の答えを求める。
急に雪乃に話が振られたせいで、雪乃は一瞬キョトンとしたが、すぐさまいつもの調子でたんたんと解説をしてくれた。
ただ、俺と目が合った時、ちょっと不機嫌そうになったのは気のせいだろうか?
なにか雪乃の機嫌を損ねることなんてしたかなぁ・・・・・・。
雪乃「ええ、うちのと同じコナコーヒーよ」
八幡「いつも飲んでるのって、コナコーヒーだったのか」
雪乃「自分が飲んでいるコーヒーくらい知っておきなさい」
陽乃「でも、雪乃ちゃんがコナコーヒーを選ぶなんて意外ね。いや、想像通りっていうのかな?」
陽乃さんは、ひとり何やら疑問に思ったり、納得したりとニヤついているので、この際ほっとこう。むやみに突っ込むと、被害を受けるのはこっちのほうだ。
八幡「てっきりスーパーで買ってきた何かのブレンドか何かかと思ってたんだよ。だってさ、雪乃ってコーヒーにはこだわりがなさそうだから」
陽乃「そう? 雪乃ちゃんもコーヒー飲まないわけじゃないわよ」
八幡「そうなんですか?」
陽乃「だって、雪乃ちゃんが実家にいた時、私がコーヒー淹れてあげてたんだから。今日淹れたコナコーヒーも、私が特に好きな銘柄で、雪乃ちゃんも好きだと思うわよ」
八幡「へぇ・・・」
意外だった。雪乃は、いつも紅茶ばかり飲んでいるから、コーヒーはそれほど好みがあるとは思いもしなかった。
いや、紅茶が好きだからといって、コーヒーの好みがないって決めるけるのは早計か。
陽乃「雪乃ちゃんって、私の事がちょっと苦手なことろもあったから、比企谷君に私が好きなコーヒーを勧めるなんて意外だったわ」
雪乃「八幡がいつも甘いコーヒーばかり飲んでいるから、心配になったのよ。外ではいつも甘すぎるMAXコーヒーだし、家ではインスタントコーヒーに練乳をたっぷり入れて飲んでいるのよ。いつか糖尿になるんじゃないかって心配になるじゃない。・・・・・・・だから、美味しいコーヒーを八幡に飲ませれば、少しは甘くないコーヒーも飲むかなって・・・。だからね・・・、コーヒーなら姉さんのチョイスを信じたほうがいいかと」
陽乃「うぅ~んっ。雪乃ちゃんってば、健気で可愛いすぎるっ。思わず抱きしめたくなるわ」
雪乃「姉さん。抱きしめたくなるわではなくて、既に抱きついているのだけれど」
すでにコーヒーを淹れ終わったのか、コーヒーカップを3つのせたトレーとテーブルに置くと、陽乃さんは雪乃の後ろから抱きついていた。
そのあまりにも素早すぎる動きに俺も雪乃も気がつかないでいた。
気がつかないというよりは、一連の動作があまりにも自然すぎて違和感がなかった。
だから、陽乃さんが雪乃の後ろに回り込んでいた事に気がつかなかったのかもしれない。
雪乃「ちょっと、・・・姉さん、苦しいわ」
陽乃さんの強烈な胸に頭を圧迫されている雪乃が、目で俺に助けを求めてくる。
どうしろっていうんだよ?
下手に手を出したら、二次被害に陥るぞ。
ましてや、どこにどう手を出せばいいんだ。
百合百合しい光景に目が奪われていたわけではない事は、主張しておこう。
だから俺は、トレーからカップを一つ手に取って、そのまま口にカップをよせたとしても、なにを非難されよう。
うん、うまい。この前も陽乃さんのコーヒーを飲んだけど、さすがだ。
ま、俺に味の違いなんてわからなくて、気持ちの問題なんだけどさ。
俺が優雅にコーヒーを楽しんでいると、ちょっと忘れようとしていた問題が蒸し返される。
先ほどより強く鋭い雪乃の視線が俺に突き刺さっている。
おそらく、早く助けなさいって、雪乃が目で訴えているんだろう。
その必死な視線を貰い受けたのならば、彼氏としては助けるべきなのだろうな。
でも、相手はあの陽乃さんなんだよなぁ・・・。
へたに助けに入ると俺の方がさらなる被害をうけちゃうし。
だから、雪乃。ここは一つ自分で頑張ってくれ。
俺は、再び雪乃達の百合百合しい姿緒堪能・・・いや、静かに見守るとするよ。
きっと陽乃さんも飽きれば解放してくれるはずだしさ。
さて、俺は陽乃さんが淹れてくれたコーヒーを飲んで待ちますか。
第36章 終劇
第37章に続く
632 : 黒猫 ◆7XSzFA40w. - 2015/01/29 17:34:41.78 ebUOfYOG0 63/346
第36章 あとがき
八幡「今週は雪乃の代りに他の奴がきているらしいんだけど、まだ来てないじゃないか。俺一人にあとがきを任せるだなんて無謀すぎるだろ、著者のやつ」
千晶「どこを見ているのかしら? その腐った目は、ただの飾りなのかしら?」
八幡「遅刻しておいて、いきなり毒舌だなんて、どういう事だよ」
千晶「あら? やはり腐っている目の持ち主は、脳まで腐りかけているみたいなのね。あなたがここに来る三十分前には、既にここに来ていたわよ」
八幡「いや、それは、嘘だろ。って、お前誰だよ?」
千晶「和泉千晶だけど?」
八幡「ああ、あの(胸がでかい)ん?」
千晶「どこをみてるの? そんなに胸が見たいの? 警察をよんだ方がいいわね」
八幡「違うって。プロフィールの胸のサイズが違うなって思ってさ」
千晶「それは、サラシを巻いているからだよ。だって、雪ノ下雪乃って人は、胸が著しく小さくて、毒舌を吐くヒロインなんでしょ。だったら、雪ノ下雪乃を演技するんなら、私みたいに胸が大きすぎると、やっぱちがうじゃない」
八幡「そりゃあ、なあ」
千晶「でしょ。ま、遅刻してごめんね」
八幡「やっぱ、遅刻してるじゃないか」
千晶「来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますのでまた読んでくださると、大変うれしいです。来週もこっちで仕事しろってさ」
八幡「来週もかよ」
黒猫 with かずさ派
第37章
7月11日 水曜日
・・・・・どうやら俺が助けに入らないとわかり、諦めたのか、雪乃の反抗は弱まる。
一方、陽乃さんの方も横目で俺の動向を伺っていたので、俺が手を出さない事を理解したのだろう。
ん? あれ? もう終わり?
俺が再びカップに口につけようとすると、目の前の惨劇はトーンダウンし、二人とも静かに自分の席へと戻っていくではないか。
あら? なんだか二人ともコーヒー飲み始めちゃったぞ。
どうなってるんだ?
陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」
雪乃「なにかしら、姉さん」
陽乃「もしもの話なんだけどさ、もしもよ、もしも」
雪乃「ええ」
陽乃「もし、目の前で彼女が、それも愛おしい彼女が困っていたら、彼氏だったら、たとえどんなに困難であっても彼女を助けるものよね?」
雪乃「姉さん。何を当たり前の事を言っているのかしら。仮に、仮にだけれど、私がお付き合いする彼氏だとしたら、たとえ自分の命を引き換えにしてでも、私を助けに来るに決まっているじゃない」
陽乃「そうよねぇ。彼氏なんだし。もし、もしもだけれど、彼女を見捨てることなんてあったら、彼氏失格よね」
雪乃「当たり前じゃない。これも仮定の話なのだけれど、彼女が困っているのを目にしながらも、それを平然と横目で見ながらコーヒーなんて飲んでいるとしたら死刑ものね」
陽乃「そうよねぇ・・・・・・。もしもだけど、雪乃ちゃんがそんな彼氏と付き合っていたとしたら、即刻別れるわよね?」
雪乃「そうね」
あれ? なんで、こうなった?
なんでこんなときだけ息ぴったりなんだよ!
そりゃあ、雪乃を見捨てて、陽乃さんから逃げ出したけど、それは、俺が加わると二人して被害にあって、それも、その被害が倍どころじゃすまないって雪乃も知ってるじゃないか。
だから、俺は黙って嵐が過ぎ去るのを待っていたのに。
陽乃「だってさ、比企谷君」
八幡「え?」
陽乃さんは、そう弾むような声で言うと、後ろから俺の首元に両腕を絡みつけてきた。
そして、今度は雪乃ではなく、俺の頭をその豊満な胸で抱きかかえてくる。
ほどよい弾力を持つそのクッションで俺の頭を包み込むと、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
陽乃「比企谷君、雪乃ちゃんに振られちゃったねぇ」
八幡「え? あの・・・」
陽乃「だ・か・ら、私と付き合っても問題ないね。だって、比企谷君は、今フリーでしょ。彼女いないんだったら私と付き合っても問題ないし」
八幡「えっ、えっ? 陽乃さん?」
陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でいいよ。あっ、私の比企谷君じゃなくて、八幡って言ったほうがいいかな?」
雪乃「姉さん」
怒涛のごとく進む展開についていけない。
いつしか陽乃・雪乃連合は決裂していた。
いや、最初からこうなる運命だったのか。陽乃さんだったら、ありえる。
雪乃も気がついたときには遅く、陽乃さんのペースについていけてはいないようだった。
八幡「陽乃さん? あの陽乃さん、ちょっと待って」
陽乃「もうっ。陽乃さんじゃなくて、陽乃でしょ。ほら、言ってみて」
八幡「え? はい。陽乃」
陽乃「はい、八幡。・・・・・・あぁ~、いいわ。なんか彼氏彼女ってかんじがするぅ」
陽乃さんは、勝手に舞い上がって、勝手にはにかんで、勝手に身悶えていた。
ただ、問題があるとしたら、どの行為であっても陽乃さんの動きに連動して胸が大きく揺れ動き、その結果、俺の頭もその胸の恩恵を受けるわけで・・・・・・。
うん、・・・・・柔らかくて、気持ちいいっす。
と、陽乃さんの精神攻撃を直撃されていると、遠方から致死性の精神攻撃が準備されていた。
もしトリガーが引かれでもしたら、俺の精神はすぐさま崩壊するだろう。
しかし、まだトリガーに指をかけた状態だというのに、雪乃から漏れ出る冷気だけで俺を圧迫していた。陽乃さんは、雪乃の冷気を感じ取っているはずなのに、まったく意に関せずで我が道を突き進んでいた。
雪乃「姉さん」
ほら、陽乃、雪乃が呼んでますよぉ。
・・・・・・・訂正。陽乃さん、雪乃が呼んでいます。
陽乃「もう、八幡ったら。もう一回陽乃って呼んで。・・・きゃっ」
雪乃「姉さん」
陽乃「ほらぁ、八幡も照れないで。陽乃って、言ってよぉ」
雪乃「姉さん」
陽乃「ほら、ほらぁ」
雪乃「姉さん」
八幡「陽乃、そろそろやめた方がい・・・・・ぐっ」
俺は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
顔を雪乃の手で掴まれ、そのまま陽乃さんの胸へと押しやられる。
クッションが効いていて気持ちいいだけだが、前からの迫りくる圧迫はその心地よさも全て帳消しにしてしまう。
いったい雪乃の細い指のどこに俺の顔をしっかりと掴む力がやどっているのか疑問に思う。
見た目通り線が細い雪乃の体に、俺を抑え込む力があっただなんて、到底想像なんてできなかった。
俺の顔を掴み取り、じりじりと俺の皮膚に爪が食い込んでいく。
爪が食い込んで痛いのか、それとも、指による圧迫が痛いのかわからない。
おそらくその両方なんだろうけど、とにかく救いがあるとしたら、雪乃の手によって目が半分以上おおわれて視界を奪われている為に、雪乃の顔を直視しなくていい事だった。
それでも雪乃の手の隙間から覗き込む雪乃の顔を見ると、ほんのわずかでもその顔を見た事を後悔してしまう。
だって、その表情だけでも致死性の精神攻撃が備わっているんだぜ。
もし、これを直視していたんなら、俺は石になっていた自信がある。
心を堅く閉ざして、必死に嵐が去るのを待つしかない。
陽乃さんくらいなら、笑いながらその嵐の中でサーフィンをやってのけてしまう馬鹿者だろうけど、あいにく俺にはそんな度胸も卓越した能力も持ち合わせてはいなかった。
雪乃「ねえ、八幡。今、陽乃って言いませんでしたか? たぶん、私の聞き間違いだと思うのだけれど」
たしかに思わず「陽乃」って言ってしまった。でもさ、雪乃。
それは、陽乃のプレッシャーというか、いや、訂正します。
陽乃さんのプレッシャーからくるもので、心の底から呼び捨てにしたいって思ったわけではないんだって。
八幡「あ、・・・ぐっ」
だから、言い訳になってしまうけれど、俺の本心を雪乃に伝えようとはした。
だが、雪乃によってアイアンクローを喰らっている俺には口を動かす余裕もなく、ただただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。
陽乃「ゆき・・・の、ちゃん?」
陽乃さんの声もくぐもっていく。
なにせ、雪乃の握力だけで俺を陽乃さんの胸から引き離してしまったのだから。
俺は雪乃に顔を引っ張られるまま、抵抗もせず、腰を椅子から浮かす。
そして、雪乃の誘いのまま雪乃の胸へと収められた。
雪乃「姉さん。おふざけにしても、限度があるのよ? 私の八幡にちょっかい出さないでくれないかしら」
陽乃「あら? いつ雪乃ちゃんと比企谷君が結婚したのかしら。せめて婚約したのなら問題だけど、ただ付き合ってるってだけじゃねぇ。比企谷君の所有権を主張するんなら、それくらいの根拠を示してほしいわ」
雪乃「あら。姉さんにとっては、法的根拠など意味をなさないのではなくて? そんな曖昧で、紙切れ一枚の根拠など、寂しいだけだわ」
陽乃「あら。気が合うわね。私もそう思うわ。だ・か・ら、比企谷君が望む場所を選ぶべきよね?」
雪乃「それが姉さんの所だとでも言いたいのかしら?」
陽乃「べっつに~・・・。でも、比企谷君は、私の胸の中で幸せそうにしていたわよ。今いるゴツゴツしているだけの場所よりは、気持ちよさそうだったわ」
おっしゃる通りで。だからといって、それを認めるわけにはいかない。
認めたら最期。今度は冷たい箱に俺が収められてしまう。
雪乃「そうかしら? 姉さんの場合は、無駄に八幡を圧迫しているだけだったようだけれど。それに、たとえ肉体的優位性があったとしても、それがなんだというのかしら? それこそ一時の快楽にしかならないわ。そのような浅いつながりで八幡を繋ぎ止めておけはしないわ」
陽乃「雪乃ちゃんも、言うわねぇ。そこまで比企谷君を信頼しているっていうことかしら。でもね、それだったら、肉体面だけでなく、精神面での優位性も確保すればいいだけじゃない。すでに肉体面では雪乃ちゃんは白旗を上げたんだし、あとは精神面しか残っていないとも言えるわね」
雪乃は少し悔しそうに唇をかむ。
肉体面だけならば、一般的に見れば明らかに陽乃さんが有利だ。
出るところは出ているし、引っ込むべきところは引っ込んでいて、優美な曲線が女性らしさを際立たせている。
それはある種の理想的な女性美なのだろう。
誰もがうらやむその肉体を独占できるのならば、男としては本望だ。
だけど、それは一般的な意見でしかない。その一般に俺が含むかは別問題だ。
たしかに俺も陽乃さんの女性らしい美しさは認めるし、見惚れてしまう。
こればっかりは雪乃には足りない。いくら新月のような儚い美しさと、満月のような引き込まれる笑顔を持っていようとも、圧倒的な太陽の前ではかすんでしまう。
でもな、雪乃。俺は一般的な意見には含まれない。
なにせ捻くれているからな。
若干線が弱いか細い肉体も、優美さが多少弱かろうと、それがなんだっていうのだ。
精神面の絶対性があるのなら、その肉体の持ち主のそのものを受け入れるのに。
まあ、その精神面での絶対的持ち主から、強烈なアイアンクローを現在進行形で喰らっているのは、どうしてなんだろうなぁ・・・・・。
ちょっとだけ涙が出てきているのは、アイアンクローが痛いせいなんだよ、きっと。
けっして、ひょっとして愛すべき人を間違えちゃったって疑問に思ったわけじゃないんだから、ね!
雪乃「そう、かもしれないけれど、だからといって、八幡を姉さんに渡すわけないじゃない」
雪乃はそう宣言して、きつい目つきで陽乃さんを威嚇すると、さらに手の力を強める。
きっと誰にも渡さないっていう意思表示なのだろう。
陽乃さんも、その強烈すぎる雪乃の主張を見て、不安を覚えてしまったらしい。
そして、雪乃は、陽乃さんの戦意喪失していっているのを見て、勝ち誇ってしまう。
だけどな雪乃・・・・・・。
陽乃「ねえ、雪乃ちゃん」
雪乃「なにかしら? もう何を言っても意味をなさないわ」
陽乃「そんなことじゃなくて」
雪乃「なんだっていうのかしら? もう姉さんの戯言には聞く耳をもたないわ」
陽乃「そうじゃなくって」
雪乃「勝ち目がないからって、見苦しいわよ」
陽乃「ねえ、そうじゃなくって。見苦しいわよは聞き捨てならないけど、そうじゃなくってね」
雪乃「もうっ、歯切れが悪くてイライラするわね。はっきり言ったらどうなのよ」
雪乃は、陽乃さんへのいらつきを、さらに手に力を加えることで発散する。
その雪乃の発散を見て、陽乃さんの顔はさらに不安げになっているようだった。
陽乃「はっきり言ってもいいのかしら?」
雪乃「ええ、どうぞ」
陽乃「たぶん、そのままだと、比企谷君に愛想を尽かされるわよ」
雪乃「なにを言っているのかしら?」
雪乃は勝ち誇った顔で陽乃さんを見つめ返しているらしい。
おそらくそうなんだろう。
実際目の前で見ているのだから、確定情報だろうって?
いや、違うね。重大な事を忘れられちゃこまる。
なぜなら、雪乃のアイアンクローによって、意識が朦朧としてきている俺にとっては、今何が起きているかはわからなくなってきているのだから。
そう、陽乃さんが気にしていたのは、俺の意識。
消えゆく俺の命のともしびを心配していたのだ。
そりゃあ、顔をわしづかみにされているんだから、今も痛いさ。
でもな、ある水準以上の痛みを加えつけられていると、意識がとぶんだよ。
これが落ちるっていうやつなんだろう。
愛する人の腕の中で眠るのを夢見るやつは数知れず存在するだろう。
だけど、愛する人の手で顔を鷲掴みにされて落とされることを想像したことがあるやつなんているのだろうか?
薄れゆく意識の中、初めて落とされて意識を失う前に思ったのは、そんなくだらない現状確認であった・・・・・・。
遠くの方で雪乃の声が聞こえる。
もういいや。このまま眠らせてくれよ。
もう疲れたんだよ。精神を抉る会話戦はこりごりだ。
俺は、ふわりとした優しい温もりに包まれていくのを感じたのを最後に、意識を失った。
俺が意識を取り戻すと、心配そうに俺を見つめる雪乃と陽乃さんがそこにはいた。
どうやら五分ほど意識を失っていたらしい。
やはり俺の意識がとんだ事態までなってしまったことに、二人とも反省していた。
だから、雪乃が俺を膝枕していても、とくに言い争いにはなってはいない。
もしかしたら、俺が意識を失っている間にひと悶着あったのかもしれないが、そこまで気にしていたら、この二人の間で生きてはいけないだろう。
八幡「いつっ」
さすがに雪乃によっての被害だとしても、膝枕をして、顔をタオルで冷やしてくれていたのだから、一言お礼を言わなければならない。
だけど、顔に多少の歪みがあるのか、うまく口がまわらず、痛みのみが俺に襲い掛かる。
雪乃「大丈夫? まだ顔が腫れているわ。無理に話さない方がいいと思うわ」
陽乃「ほら、じっとしてるのよ」
陽乃さんは、そう俺に優しく語りかけると、顔から滑り落ちた濡れタオルを再び俺の顔に当て、冷やしてくれた。
最初は、雪乃が原因なのだから、陽乃さんは雪乃をからかうのではと身構えていた。
普段の陽乃さんならば、きっとしていたはずだ。
だけれど、俺のこの状況を見て、さすがに停戦協定を結んでくれたらしい。
まあ、いつ停戦破棄がなされてもおかしくないけど・・・・・・。
陽乃「それにしても、雪乃ちゃんったら、比企谷君に関してだと、リミッターが外れちゃうのね」
雪乃「もう・・・、それは姉さんが悪いのよ」
陽乃「ごめんなさい。さすがにやりすぎちゃったわね。でも、雪乃ちゃんも気をつけたほうがいいわよ。いい方向にリミッターが外れるのならばいいのだけど、悪い方向に外れたとしたら、今日のことが可愛い失敗だと思えてしまう事態になりかねないわ」
雪乃は、陽乃さんの指摘に息をのむ。
そして、唇を引き締めると、しおらしい小さな声で呟いた。
雪乃「そうね。気をつけるわ」
それっきり、俺にとっては多少気まずい時間が進んで行く。
雪乃と陽乃さんは、甲斐甲斐しく頬笑みを浮かべながら俺を介抱してくれているのでなんだかんだいっても充実していた。
そんな二人の姿を見ていれば、俺も微笑ましい気持ちになるかといえば、そうでもない。
陽乃さんは、なにをしたいのだろうか?
今までずっと、俺と雪乃の仲を取り持ってくれて、なにかと協力してくれていた。
多少行きすぎた場面や、冷やかしなどは受けていたが、それは許容範囲に収まる。
けれど、最近の陽乃さんは、陽乃さん自身が自分の感情に振り回されているんじゃないかって疑問に思ってしまう。
本人もそれを自覚しているみたいであったが、だからといって、俺が何かできるわけでもない。
陽乃さん本人でさえ制御できていないのに、俺が何かできるとは到底思えもしなかった。
だから、雪乃に対して言ったリミッター云々の話は、雪乃に対してではなく、むしろ自分自身に言ったのではないかと思わずにはいられなかった。
陽乃「せっかくコーヒー淹れたのに、さめちゃったわね。もう一度淹れなおすわ」
陽乃さんは、床から立ち上がり、コーヒーを淹れなおしに行こうとする。
八幡「冷めてても大丈夫ですよ。それ飲みます」
陽乃「え? でも」
雪乃「姉さんのコーヒーは美味しいのだから、冷めていても美味しいわ。だから、私もそれで構わないわ」
陽乃「そう?」
陽乃さんは、持ちあげたトレーを再びテーブルに置くと、再び俺の横へと戻ってきた。
なにやら少し嬉しそうにしているのは、俺の気のせいではあるまい。
今まで料理を作ってあげる相手がいなかったのだから、コーヒーだとしても、ハンドドリップで淹れた陽乃さん特性のコーヒーを誉められて、陽乃さんが嬉しくないわけがなかった。
八幡「そうですよ。こんなに美味しいコーヒーは、飲んだ事はありませんよ」
陽乃「そっかぁ。だったら、また淹れてあげるね」
たしかにお世辞抜きに美味しすぎるコーヒーなのだから、本心からの発言ではあった。
これでも、ここまで陽乃さんが心を開いてくれてるとは思いもしなかった。
まるで童女のような、無垢な頬笑みに、俺は心を全て奪われてしまう。
その年初めて雪が降った翌朝。
足跡一つない雪原のような真っ白な心。
汚れがないっていうのは、こういうのだって初めて目の当たりにした。
もちろん陽乃さんは、人の汚い部分を俺以上に知っている。
小さい時から大人の世界に投げ込まれてきたのだから、その場数は相当なものだろう。
しかも、人の心を敏感に察知して先回りすることができる陽乃さんの事だ。
必要以上に、普通の子供なら体験できないような、仮に体験できたとしても小さな体では受け止められないようなプレッシャーを抱え込んできたと思う。
だから、汚れなら、誰よりもその醜さも、いらだちも理解しているはずだ。
けれど、俺が言いたい事は、他人の汚れではない。
陽乃さんの汚れがない感情表現について語ってしまいたい。
こんな事を言ってしまうと、心変わりでもしたか、もしくは陽乃信仰者とも勘違いされてしまいそうだが、陽乃さんに汚れがないわけでもない。
最近の情緒不安定な陽乃さんの行動からすれば、汚れがあるといえてしまう。
なんだかまとまりがない論文のようになってしまったが、俺が言いたいのは陽乃さんが、今、初めて、自分の心が汚されてしまう事を考えもせずにありのままの心をさらけ出しているっていう事だ。
普通の人間ならば、自分の心を守ろうと自己防衛が働いて、どんな言葉であろうと自分の心を守りながら発言する。
よくあるのが、一応頑張ったけど、難しい試験だし、次頑張ろうとか、あらかじめ先回りして自分を慰めたりすることといったところだろうか。
これは発言ではないけれど、言葉自体に意味があるのだから、言葉を発した瞬間に身を危険にさらしてしまう。
だから人は、自分が傷つかないように殻にこもった言葉を発する。
つまり、今の陽乃さんは無防備すぎる。
まあ、誰にでも心を開いているってわけではないので、今のところは大丈夫だとは思うが、危うい状態であることにはかわりがない。
おそらく、特定の人間一人。多くても4人だと考えられる。
・・・一人と考えてしまうのは、恐れ多いか。
これでは雪乃には勝ち目がないとさえ思えてしまう。
直線的に、相手の心に飛び込んでくるその姿に、誰が抗う事が出来るっていうのだ。
しかも、汚れがない、無垢で、純粋すぎるその心をむき出しにしたまま。
こんな事を言ってしまうと、処女信仰者とも思われてしまいそうだが、けっして違うと
一応言っておこう。
されど、真っ白な心を目の前にして、その雪原への招待状をプレゼントされて喜ばない男がどこにいるというのだろう。
なんて、回りくどい事をくどくどしく考えてしまったが、もしかして陽乃さん、本当に自分の感情を制御できなくなってません?
感情を抑え、表面に出さない事は長年の生活で当たり前のようにできるようになっており、偽りの感情表現は豊かだと思う。
一方で、その反作用で本心を素直に出すことができなくなり、本心からでる感情表現が制御できなくなってしまったのではないだろうか。
だから、陽乃さんが感情を表に出す時は、常に全力で、それが隠しもしない丸裸の本心になってしまう。
俺は、今目の前にいる陽乃さんに見惚れていた。
・・・・・・俺は、思わず身震いしてしまう。
いや、なに。陽乃さんに対してではない。
俺と一緒に陽乃さんを見ているであろう雪乃に対してだ。
俺が陽乃さんに見惚れているのだから、雪乃だって陽乃さんの溢れ出る魅力に気が付いているはずだ。
つまり、魅力的な陽乃さんに俺が見惚れてしまうと勘づくはずだった。
俺は、そっと視線だけを雪乃に向けて、様子を伺う。
雪乃は俺の方を見てはいなかった。
念のためにもう一度しっかりと確かめたのだから見間違えてはいなかった。
雪乃は、固く唇を噛んで陽乃さんを見つめていた。
別に雪乃は恐れを感じていたわけでもないだろうが、きっと複雑な心境なのだろう。
なにせ陽乃さんが本心を見せたのだ。
もちろん今までも陽乃さんが作り上げた感情を、偽物の感情表現を見てきた。
けれど、雪ノ下陽乃という剥き出しの生身の感情を雪乃に見せた事はない。
それを初めて雪乃は見たのだから、言い表せない感情が雪乃の中で渦巻いているはずだ。
八幡「はい、是非お願いします」
陽乃「いつでも気軽に言ってね」
八幡「はい」
陽乃「雪乃ちゃん?」
雪乃「・・・・・・あ、はい。私も姉さんのコーヒー、また飲みたいわ」
雪乃は、陽乃さんの呼びかけに、どうにか笑顔を作り上げて返事をする。
意識の底辺から一瞬で表情を再構築するあたりは、さすが雪乃だ。
でも、作り上げた笑顔はあまりにも急ごしらえすぎたようで、すぐさま崩れ落ちようとしていた。
雪乃の驚きようは、わからないまででもないにしろ、ここは俺が話をつないでおくかね。
八幡「そういえば、このコーヒーって、コナコーヒーなんですよね?」
陽乃「そうよ。私の一番のお気に入り。比企谷君も気にいってくれているみたいですっごく嬉しいわ」
八幡「ずっと銘柄も気にしないで飲んできましたけど、名前を意識するとなんだか急に実感してくるというか、明確な存在感が出てきますね」
陽乃「たいていの物には名前があるんだし、名前によって比企谷君の記憶に明確なまでもコナコーヒーが刻まれたんじゃない?」
八幡「名前がある方が印象深いですからね」
陽乃「それに、コナコーヒーの注意書きには、私も含まれているしね。雪ノ下陽乃の一番のお気に入りコーヒーって」
八幡「まあ、そうかも・・・しれませんね」
ちょっと陽乃さんっ。その発言危険ですって。ついさっき同じような状況で雪乃に締め落とされたばかりなんですよ。ちょっとは気をつけてください。
・・・・・・・と、雪乃の方の様子を伺うと、まだ立ち直れてなかった。
どうにかセーフか。やばいですよ、陽乃さん。こんなラッキー、次はないですから。
第37章 終劇
第38章に続く
第37章 あとがき
八幡「今週もいるんだな」
千晶「仕事だからね」
八幡「まあ、いいけどさ」
千晶「今週も、ずぅっと胸ばっかり見ているんだね。見てないふりをしてるけどさ」
八幡「・・・・・・」
千晶「そんなにサラシが気になる?」
八幡「え? はい(そういう事にしておこう)」
千晶「じゃあ、とるね」
八幡「おぉっ! (でかい)」
千晶「やっぱきつきつに巻いていて苦しかったから、楽になったわ。ねえ、このサラシもう使わないけど、いる?」
八幡「え? (いいの? もらっちゃっても)」
雪乃「ええ、八幡を縛りあげるのにちょうどいい縄になりそうだからありがたく使わせてもらうわ」
八幡「ゆ・・・雪乃!?」
雪乃「来週も、木曜日、いつもの時間帯にアップできると思いますのでまた読んでくださると、大変うれしいです。さあ、八幡。今週も、楽しい話し合いをしましょうね」
黒猫 with かずさ派
続き
やはり雪ノ下雪乃にはかなわない第二部『愛の悲しみ編』【2】