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暦「月火ちゃん、ありがとう」【前編】
「やあ、阿良々木くん。 夜遅くにごめんね」
忍野は電話が繋がった直後、そんな事を言った。
暦「丁度良かった。 忍野、異変だ」
「だと思ったよ。 けど、まず最初に阿良々木くんには謝らないとね」
「騙していたって訳じゃないんだけどさ。 前回と同じで、阿良々木くんにそう行動して貰うのが一番良かった」
今までの忍野の言動から薄々気付いてはいたが、やはりそうだったか。
大体、そんな所だろうとは思ったけどさ。
暦「ああ、大体そんな物だとは思ったよ。 って事はさ、忍野」
暦「今、この状況になっているのが最善だって事か?」
僕がそう聞くと、少しの間を開けて忍野は言う。
「……そうとは言えない」
だろうな。
それもまた、何となくは分かっていた事だ。
暦「そうか」
「ごめん、阿良々木くん。 これは僕のミスだ」
「その所為で、阿良々木くんが気付くのに遅れたって可能性も、無い訳じゃないし」
暦「んな事ねえよ。 忍野にだって失敗する時はあるだろうし。 そんな事より、とりあえずは月火ちゃんを探さないと」
「はは、そう言って貰えると助かるよ」
「まあ、その心配している妹ちゃんなんだけど」
ん?
「神社。 北白蛇神社に来てくれ。 僕は今そこに居る」
--------------------------阿良々木くんの、妹ちゃんもね
暦「忍、起きてるか?」
自転車を漕ぎながら、僕の影に向けて問いかける。
忍「お前様の動揺のおかげでな、とてもじゃないが寝れんしの」
暦「そうか、それは悪かったよ」
忍「構わん。 起こしてもよいと、言ったじゃろ」
忍野と月火は今、一緒に居る。
それはどういう意味を持つのか、なんとなくだが、分かってしまう。
暦「忍」
暦「一応、忍の意見も聞きたいんだけど」
忍「儂の意見か。 まあ、よい」
忍「……月が綺麗じゃな」
忍は自転車の籠に入りながら、夜空に浮かぶ月を眺めながら、独り呟く。
そして、月から僕の方へと視線を移し、続けた。
忍「恐らくは、お前様の妹御がドッペルゲンガーと入れ替わっておる」
忍「あのアロハ小僧の言葉から察するに、そういう意味じゃろうて」
やっぱりか。
つっても、一体それはいつからなんだ?
まさかとは思うが、僕が火憐の問題とぶつかっていた時から?
いや、今日の朝に出かけた時か?
どちらにしても、もしそうだとしたら、本当の月火は今どこに?
暦「忍に、いつから入れ替わっていたとかは分かるのか?」
忍「分からん。 言ったじゃろ? 儂には区別が付けられん。 奴はそういう怪異じゃからな」
暦「けど、人間としては区別が付くって言っていたよな? 匂いを二つ感じるって」
忍「言った。 が、儂もお前様同様、あの妹御の行動を不思議に思わんかった」
忍「無論、妹御の匂いが二つある事も、不思議に思わんかった」
不思議に思わなかった……
僕や火憐と同様に、って事か。
忍「ドッペルゲンガーには様々な都市伝説があるじゃろ? お前様がこの前言っていた様に、出会ったら死ぬと言うのも、その一つじゃ」
忍「そして、他にもある」
忍「ドッペルゲンガーの元となった人間と入れ替わり、本人に成りすます。 それもまた、都市伝説の一つじゃ」
忍「恐らくは、その特性もあるのじゃろうな。 そのおかげで儂もお前様も巨大な妹御も、極少の妹御の行動を自然と受け入れてしまった」
って事は、結構危ない所だったのだろうか。
半分程は受け入れてしまっていたし、あのまま行っていたら、誰も気付く事無く、月火は入れ替わっていたのだろう。
いや、まだ『だろう』なんて言葉は使えない。
今、この状態をなんとかしなければ、恐らくはそうなってしまう。
忍「落ち着かんか。 我が主様よ」
忍の声で、思考を一度止める。
暦「あ、ああ。 悪い。 頭がどうにかなっちまいそうだよ、全くさ」
忍「お前様の妹御なら……本物の方じゃがな、生きておると儂は思う」
本物か。
なんだか、笑えてくる話だよな。
偽物の、更に偽物だなんてさ。
暦「なんでそう思う? 気休めで言ってるのなら、さすがに怒るぞ」
忍「……全く。 お前様は本当に馬鹿じゃな」
滅茶苦茶呆れた様に言われてもな。
それは分かってるけどさ。
忍「さっきも言ったじゃろ。 儂は妹御の匂いを二つ感じておる」
忍「お前様の妹御は、不如帰の怪異じゃ」
忍「不死性だけで言えば、吸血鬼である儂以上」
忍「二つ感じておる時点で、妹御が生きておるのは確定じゃろうて」
暦「それはつまり、無事って事だよな?」
籠で揺られている忍にそう聞くと、忍は顔を伏せ、言う。
忍「分からん。 無事かどうかは、判断する事はできん」
暦「……そうか」
忍「だが、先程も言ったが、お前様の極小の妹御は生きておる」
忍「もし、万が一にでも自分の正体に気付いたとしても、お前様なら何とか出来る」
暦「それは、気休めか? 忍」
忍「違う。 儂はな、お前様よ」
忍「お前様はそういう奴だと『信じて』いるんじゃよ」
暦「……はは。 そりゃ、良い事が聞けたよ」
忍「とにかく、今は急げ」
忍「お前様の妹御はまだ生きておる。 とっととドッペルゲンガーの方を始末して、迎えに行けばよい」
忍「あのアロハ小僧は神社に来いと言っておったし、お前様に話があると言う事じゃろ?」
忍「先に本物の方を助けた方が良いのなら、あの小僧ははっきりとそう言っておるよ」
そうか。
つまり、なるべく早く向かった方が良いって事だよな。
月火を後回しにするのは、それだけでもう気が気じゃないけれど、ここは抑えなければ。
忍野はしっかりとは言えないかもしれないが、役目をこなしてくれた。 なら、僕が僕の役目……それを放棄しては駄目だ。
暦「分かった。 なるべく急いで行く」
忍「じゃな。 それが今取るべき行動じゃ」
忍「……しかし」
忍は僕の方から視線を逸らし、とても言い辛そうにそう呟く。
そして、続ける。
忍「お前様は、戦えるのか?」
忍「お前様に害を与えるにしても、与えないにしても、どの道怪異じゃ」
忍「同じ人間が二人居てはならん。 あの小僧風に言うのならば、それだけでバランスが崩れるんじゃよ」
忍「つまりは、戦わなくてはならん」
戦えるのか。
言われなくとも、分かってる。
僕は今から月火のドッペルゲンガーを前にして、戦えるのか。
妹である、月火と。
忍野に頼れば、すぐに退治してくれるのだろうが。
僕は、目の前で起こるであろうそれを……ただ見ている事が出来るのだろうか。
それがドッペルゲンガーという、怪異だとしても。
暦「ドッペルゲンガーってのは、見た目だけじゃなくて、性格や考え方も一緒って言ってたよな」
忍「左様」
暦「……はは、せめて性格だけでも、あいつより捻くれていてくれたら、楽だったかもな」
僕は苦笑いをし、忍に向けて言う。
しかし、忍は表情を変えず、口を開く。
忍「回答を避けるな、我が主様」
忍「戦えるか? 自分の妹御と」
これは多分、忍の気遣いでもあるのだろう。
その辺りをはっきりとさせなければ、僕は何も出来ないだろうから。
忍はそう思い、今この場での回答を求めている。
僕は、戦えるのか。
頭ではドッペルゲンガーだと分かっていても、戦えるのか。
見た目も、性格も、考え方も。
月火その物のそいつと。
暦「……」
忍「我が主様よ。 儂が代わりにやってやらん事もないぞ」
忍「お前様に妹御を殺すなんて真似、させたくは無いと儂は思っておるしのう」
忍「決められんと言うならば、儂が殺す。 食らい尽くす」
暦「僕は」
暦「……僕は」
くそ、ここまで言われても僕はまだ、迷っている。
八九寺真宵よろしく、辿り着けない。
いくら考えても、恐らくこの問題に対する答えは、出ない。
しかし、出さなければ進めない。
戦うにしても、戦わないにしても、どちらを選ぶにしても、だ。
なら、僕が思う事を告げよう。
暦「ごめん、忍」
暦「僕にはドッペルゲンガーだとしても、殺す事はできないよ」
怪異だとしても、戦う事なんてできない。
紛れも無く、それもまた僕の妹なのだから。
妹。
忍「……そうか。 それもまた、当然の選択じゃよ」
忍「しかし、それではお前様の妹御は、本物の妹御はどうなる?」
本物の、月火。
怒りやすく。
ずる賢く。
流されやすく。
しかし、優しく。
僕の妹の月火。
暦「結局……選ばなければ駄目って事だよな」
忍「そうじゃ」
忍「しかし、戦わないと言うならば、儂が殺る」
暦「僕が止めたとしてもか?」
忍「うむ」
忍「それに、お前様に止められたとしても、あの小僧が殺るじゃろうな」
はったり、では無いな。
忍は僕が戦わないと言うならば、自分でやるつもりなのだろう。
それでも駄目ならば、忍野が。
暦「けど、僕には無理だ」
暦「忍はさ、僕がそれを出来る奴だと思うか?」
僕の質問に対し、忍は考える素振りも見せず、答える。
忍「思わん。 お主には妹御を殺す事は不可能じゃ」
暦「……なら、どうして聞いたんだ。 僕に戦えるかどうかって」
忍「分かっておらんと思ったからじゃよ。 お前様はこれから、何をするのか」
暦「忍野に、あいつに会いに行くって事は、そういう事ってのは分かってるさ」
分かっていた。
だけど、考えようとしなかった。
問題の後回し。
僕はその問題を後回しにする事で、何を得られるのだろうか。
いや、何を失うのだろうか。
そんなのは明白。 失うのは紛れも無く、僕の妹である月火。
あいつは、月火は面倒な事を先に片付けてしまうタイプである。
夏休みの宿題は初日にやる様な、そんな性格。
僕は最終日にやる様な、そんな性格だ。
もし、僕の立場に月火が居たならば、あいつはどう考えたのだろうか。
月火は頭の回転が早い。
ちゃちゃっと簡単に、答えに辿り着けるのかな。
けど、今はそんな事を考えても無駄だ。
問題を提示されているのが、月火ではなく、僕なのだから。
忍「だが」
忍「例え、戦うと言ったとしても、お前様が妹御を前にして同じ事が言えるとは思えん。 それがドッペルゲンガーだとしてもじゃ」
忍「何せ、性格も見た目も考え方も、一緒なのじゃから」
忍「願いを叶えるという、はっきりとした目的がある以外。 だがの」
忍の言葉を受け、僕は少し考える。
確かに僕が、今この場で戦うと忍に言ったとしてもだ。 いざ目の前にしたら、そんな決意は簡単に揺らぐのだろう。
そこは否定しない。
僕も、その通りだと思うから。
そして、次の言葉。
見た目も同一。 性格も同一。 考え方も同一。
その言葉に、僕は引っ掛かる物があった。
そいつは、月火その物だ。
月火と、同一。
同じ、考え方。
ちょっと、待てよ。 それならば。
暦「忍、一つだけ聞いてもいいか?」
忍「なんじゃ、我が主様」
暦「そいつは、そのドッペルゲンガーには『自分が怪異だという自覚』はあるのか?」
忍「人格があると言ったのは覚えておるか、我が主様」
忍「故に、自分を化物だと理解し、人間の真似事をしておる」
忍「そやつにもそやつの考え方があるにはあるが、主導権を握るのは化けた人間の性格やら人格じゃよ」
忍「願いの内容を叶えるという、大前提以外だがの」
そうか。
それなら、どうやら僕の答えは見つかった。
暦「ありがとう、忍」
暦「僕の答えは見つかったよ」
忍にそう言うと、忍は小さく笑い、問う。
忍「ほう? では聞こうか、お主が出したその答えを」
簡単な話だった。
今から僕が会うそいつは、もう一人の月火なのだ。
僕の妹の、月火。
そいつは月火の様に動き、月火の様に考え、月火の願いを叶える為にそこに居る。
なら、僕は。
暦「話し合う」
忍「……話し合う?」
暦「そうだ。 僕は月火ちゃんと話す」
暦「僕の妹の、月火ちゃんと話す」
忍「だが、それはお前様の妹御であって、妹御では無い。 ただのドッペルゲンガーじゃ」
暦「知ってるよ」
暦「でも、それは月火ちゃんだ」
忍「……そうか」
忍「それで、何が起きるのじゃ。 我が主様よ」
暦「全部が丸く収まるんだよ、忍」
僕がそう言うと、忍は怪訝な顔をして、口を開く。
忍「何故、そう思う?」
暦「僕の妹だからだよ」
暦「そいつが化物だとしても、月火ちゃんその物なんだろ?」
暦「なら、説得してやるさ」
忍「儂にはとても、上手く行くとは思えんぞ」
暦「僕にはとても、上手く行くと思う」
だって、そうだろ。
暦「僕はさ」
暦「月火ちゃんの事を信じているから。 月火ちゃんなら僕の言う事を聞いてくれるだろうさ」
忍「……くく、くくく」
忍はいつもとは違い、笑いが堪えきれないといった感じで、声を漏らした。
忍「くくくく。 面白い。 実に面白い。 乗ったぞ、我が主様」
忍「やはり、お前様とはいくら話しても飽きないのう」
暦「……そうかよ。 そりゃどうも」
忍「だが、一つだけ儂からも条件を出させて貰う」
暦「条件?」
忍「儂にお前様の血を吸わせろ。 それが最低条件じゃ」
暦「それには、どういう意味がある?」
忍「カカッ。 保険じゃよ。 あのアロハ小僧風に言うのなら」
忍「仮にも怪異じゃ。 万が一の為に備えての保険」
保険、か。
忍野と同じ様な事を言うんだな、こいつは。
それがまた、おかしくて、ついつい顔がにやけてしまう。
暦「もし、僕がそれを断ったらどうなる?」
忍「どうにもならんよ。 儂の気持ちの問題じゃからな」
暦「気持ち、か」
暦「いいぜ。 分かった。 その条件は飲もう」
暦「僕も、我侭ばかりは言っていられないしな」
僕がそう告げると、忍はとても愉快そうに笑いながら、僕に向けて言う。
忍「何を今更」
第九話へ 続く
長い階段も登り終え、神社の鳥居が視界に入ってくる。
その鳥居の下。
柱に体を預ける形で、忍野は居た。
暦「忍野、来たぞ」
吸血鬼化していたのもあり、暗くとも忍野の顔はしっかりと見える。
忍野「や、阿良々木くん。 待ちくたびれたよ」
こんな状況であっても、忍野は変わらずいつも通りであった。
暦「それで、月火ちゃんは?」
忍野「居るよ。 ほら」
そう言い、忍野は柱の影から引っ張り出す。
まるで、物を扱うかの様に。
暦「……月火ちゃん」
見ると、月火は後ろ手に縛られ、口こそ塞がれて居ない物の、意識はある様だ。
月火「お、お兄ちゃん!」
声、仕草、見た目。
本当に全て月火と一緒で、まるでこいつがドッペルゲンガーだとは思えない。
月火「どういう事!? この人に誘拐されて、でもお兄ちゃんが来て、それで……お兄ちゃんとこの人は知り合いなの?」
演技。
全て分かっていて、やっているだけだ。
けど、それでも僕は月火の顔を見れなかった。
暦「忍野、月火ちゃんと話をさせてくれないか」
僕は忍野に向け、そう言う。
だけども、忍野は。
忍野「断る。 それは駄目だよ、阿良々木くん」
暦「何故だ。 話をするくらいなら、良いだろ?」
忍野「分かってないな。 こいつはドッペルゲンガーなんだぜ。 見た目も声も考え方も性格も」
忍野「そんなこいつと阿良々木くんが話したら、どうなるかくらいは想像付くさ」
暦「僕が、僕が騙されると思っているのか?」
忍野「そうだ、その通り」
確かに、それはあるかもしれない。
けど、話くらいなら、良いじゃねえかよ。
月火「違う! 訳分からないよ……お兄ちゃん、助けて……」
涙を流して、月火は言う。
くそ、流されるな。
こいつは月火であって、月火では無いんだ。
そんな事、分かっている。
分かっているだろうが!
忍野「全く、人の心を弄ぶなんて、随分と性質の悪い怪異だよ。 君はさ」
忍野はそう言い放つ、いつもの様に笑いながら。
そして、忍野は。
月火の腹を蹴り上げる。
月火「うっ!……うぇ」
僕の耳にも届くほどの勢いで、蹴り上げた。
当たり前だが、たまらず月火が声を漏らす。
僕はそれを見て。
何もしないなんて、やはりできない。
暦「忍野! やめろ、それ以上やったら、僕は」
忍野「どうするんだい? 阿良々木くん。 君の気持ちは分かるけどさ、こいつは君の妹じゃない」
忍野「ただの人の真似事をしている、化物さ。 人間じゃないんだよ」
暦「……だとしても、僕の妹だ」
僕がそう返すと、忍野は笑い、僕に言う。
忍野「はは、阿良々木くんには、このちっちゃい妹ちゃんが二人居るのかい?」
忍野「見た目も、考え方も、性格も一緒の妹がさ」
忍野「片方は化物で、片方は人間の。 唯一の違いって言ったら、それだけだぜ」
忍野「ああ、でもあれだね。 もう片方の方も、ある意味では化物だけどさ」
暦「……それ以上は、やめろよ」
忍野「そうだったね。 今のは言い過ぎた。 謝るよ」
言葉とは裏腹に、忍野には悪びれた様子は感じられない。
忍野「けどさ、阿良々木くん」
忍野「阿良々木くんのそういった優しさが、更に人を傷付けるんだぜ」
忍野「前に言っただろ? 「優しさが人を傷付ける事もある」ってさ」
忍野「その意味が分からない阿良々木くんでも、無いよね」
分かっている。
忍野の言う事は、分かっているさ。
けど、そういう問題じゃねえだろ。
暦「だから、話をさせてくれないか」
暦「必ず、良い結末にしてやるから」
とは言っても。
そんな言葉には、説得力も無ければ信憑性も無い。
忍野もそれは、分かっているのだろう。
忍野「そうかい」
忍野「残念だけど阿良々木くん、それはお断りだ」
忍野はそう言うと、蹲る月火の腹を再度、蹴り飛ばす。
一回、二回、三回。
月火「……お、おにい……ちゃん」
僕の方を見ながら、手を伸ばし、月火は言う。
月火「た……すけ、て」
その声で、全てが吹っ切れてしまった。
ただ見ているだけの僕に向けて言ったその言葉。
未だに月火は僕の事を信じている。
ああ、駄目だ。
これが全て罠だったとしても、駄目だ。
僕は、視線を下に落とし、影に向けて呟く。
もう、どうでもいい。
例え、これで全てが悪い方向に行ったとしても。
分かっている。 忍野のしている事は正しい事だと。
けど……それもまた、そういう問題じゃ無いんだ。
暦「忍、悪い」
自分の声が震えているのが分かる。
ん。
そうだ。
これは『憤怒』って奴だろう。
暦「僕はどうやら、我慢できそうにない」
影からの声は無く、僕も返答は求めていなかった。
ただ、それだけは伝えておきたかっただけだ。
顔を上げ、忍野を視界に捉える。
暦「悪い、忍野」
忍野「おいおい、そんな敵対心剥き出しで見つめられても、返答に困るぜ」
暦「僕は、僕の思うようにやらせてもらう。 今は」
暦「お前をぶっ飛ばす事だ」
月火は意識を失ったのか、ぐったりと倒れている。
そんな状態であっても、口は動いていた。
小さくではあるが、今の僕にははっきりと見える。
お兄ちゃん、お兄ちゃんと。 月火はそう言っている。
もし、それが僕を騙そうとしているだけの物であったとしても。
それならそれで、構わない。
騙されても、別に良いさ。
ただ蹴られる妹を見ているだけなんて真似は、とてもじゃないが出来ない。
それが本物か偽物かなんて、些細な違いじゃねえかよ。
今僕の目の前に居るのは、月火だ。
忍野「全く。 まあ、こうなる事も予想は出来たけどさ」
忍野「阿良々木くんと殴りあうってのは、気が引けちゃうね」
そんな事を言いながらも、忍野は構える。
けど、良かった。
無抵抗の相手を殴るほど、気分が悪い事も無いのだから。
忍野との距離は十メートル程か、今の状態ならば、すぐに縮められる。
暦「僕もだよ。 けど、それで僕は良いと思う。 だからお前と戦うしかない」
言った直後、僕は地面を蹴る。
忍野は笑みを消さず、僕を迎え撃つべく構えたまま。
距離は近づいて行き、後二メートル程。
数秒後にはぶつかり合っているだろう距離で、僕の足を唯一止められる声が聞こえた。
月火「……やめて、お兄ちゃん」
月火?
意識を失っていなかったのか?
いや、それよりも。
やめてとは、どういう意味だ?
一瞬戸惑い、足を止める。
忍野との距離は、一メートルと少し程。
忍野にはその声が聞こえていなかったのか、僕の方を怪訝そうな眼差しで見つめる。
月火「やっぱり、これは私が、私が悪かったんだよ」
月火「……私が、あのお化けに願わなければ、こんな事にはならなかったのに」
月火「全部……全部私の責任だよ。 ごめん、お兄ちゃん」
お化けに、願わなければ?
何を言っているんだ? 月火は。
自分をドッペルゲンガーだと、認めている?
いや、それにしては言い方がおかしい。
僕の目の前に横たわる、こいつは誰だ?
暦「月火、ちゃん?」
忍野は僕の声で、ようやく状況を理解したのか、月火の方に視線を移した。
忍野「おいおい、阿良々木くん。 この期に及んでまだ、この化物の戯言に気を取られているのかい」
そんな言葉を僕に向けて言う。
けど、だけど。
何か、おかしい。
そうだ。 そうだよ。
月火はどうして『意識が回復している』んだ?
それに、どうして忍野に蹴られた部分の『傷が回復』している?
ドッペルゲンガーには、そんな特性なんて、無い。
いくら都市伝説だと言っても、そんな都市伝説は聞いた事が無い。
傷が回復していくなんて、まるでそれは。
吸血鬼。
それに、不如帰。
そして、思い出す。
忍野の言葉。
あいつは確か、さっき電話した時に言っていた。
『そう言って貰えると助かるよ』と。
おかしい。
忍野が、言うだろうか?
あいつが使う言葉だろうか?
そこまで考えた所で、月火が再び口を開く。
月火「……私は、会ったんだよ。 私自身に」
私自身。 それはつまり。
ドッペルゲンガー。
しかし、それをドッペルゲンガー自身が、言う筈が無い。
って事は、今僕の目の前に居るこいつは。
忍野「……ちっ」
忍野が舌打ちをし、月火の腕を目掛け、足を降ろす。
あまりにも一瞬の事で、僕はそれに反応できない。
目の前に広がる光景。
月火の腕は、根元から吹き飛んだ。
暦「て、てめぇええええええ!!」
僕の妹に何をしているんだよ。 てめえ。
条件反射と言ってもいい。
そのくらいの速度で、僕は忍野に飛び掛る。
しかし、そんな僕よりも早く、動く奴が居た。
忍「お前様! その妹御を連れて離れろ!」
暦「し、忍!?」
忍は忍野に飛び掛り、動きを封じる。
僕が、取るべき行動は何だ?
忍に加勢して、忍野を倒す?
いや、それよりも優先すべき事がある。
月火を連れて、距離を取る。
暦「月火ちゃん!」
月火は未だ、意識を失っていない。
月火「……お兄ちゃん」
腕は既に、再生を終えている。 その辺りはさすが、不死鳥と言った所なのだろう。
幸いにも月火の意識は朦朧としていて、自分の状況を理解できていない。
腕も一瞬で消し飛ばされたので、痛みも感じていないかもしれない。
恐らくは自身の再生能力には、気付いていないだろう。
それでも、僕は妹を守れなかった。
月火を抱きかかえ、忍野からなるべく距離を取る。
くそ、僕の理解力じゃ全然追いつかねえな。
つまりは、この月火は本物って事なのだろうか。
それは恐らく、そうだ。
忍が忍野に飛び掛ったのも、それが分かったからだろう。
そうだ、忍は?
思うと同時、忍がこちらに向けて飛んでくる。
暦「忍!」
僕はそれを受け止め、後ろに倒れ込む。
さすがに二人を一緒に抱き抱えるのには、少しばかり無理がある。
もうちょっと鍛えておけば良かったな、みっともねえ。
暦「おい! 大丈夫か!?」
忍「くっ……儂を心配する前に、この状況をどうにかする方法を考えんか。 実際、絶望的じゃぞ」
忍はそう言い、立ち上がる。
月火「お、お兄ちゃん。 これ、どういう……」
月火は大分、混乱している様子である。
まあ、無理もねえか。
こんな状況、理解出来る方が恐ろしいし。
暦「後で説明する。 だから待っててくれるか、月火ちゃん」
月火「……うん」
二つ返事かよ。
全く、お前ら姉妹はどこまで僕の事を信頼しているんだか。
悪い気分はしねえけどさ。
月火を寝かせ、僕は忍の横に立つ。
暦「忍、戦えるか」
忍「儂を誰だと思っとるんじゃ、我が主様よ」
忍「とは言ってものう……儂とお前様が協力した所で、状況は変わらない」
暦「だろうな、相手は忍野な訳だし」
忍「カカッ。 正確に言えば、アロハ小僧の姿を真似た化物じゃよ」
やっぱ、そうか。
月火にも後で聞かなければならない事もあるし、本物の忍野にも聞かなければならない事はある。
とにかく今は、目の前のこいつをなんとかしなければ。
それに約束したしな、月火と。
後で説明する為にも、ここで死ぬ訳にはいかない。
何より。
妹の前で死ぬ兄貴なんて、最悪じゃねえかよ。
だったら僕は、生きるしかない。
「ははは。 全く、阿良々木くん。 君が僕に勝てると思うかい?」
目の前のそいつは、忍野と同じ様に、同じ雰囲気を出しながら、言う。
暦「さあな。 分からねえよ、そんな事」
「やってみなきゃ? けどさ、僕は阿良々木くんが取りそうな行動なんて、大体予想が付くんだぜ」
「本当なら、そこに寝てる妹ちゃんで君を釣って、殺すつもりだったんだけど、少しばかり面倒な事になっちゃったね」
「まあ、その妹ちゃんを使ったのも、暇潰しと言えば暇潰しなんだけどさ」
「予想外だったのは、妹ちゃんも化物だったって事だよ。 まさか不如帰だなんて」
「それが無ければ、妹ちゃんも話す事なんて出来ず、阿良々木くんは今頃無様に死んでいただろうに」
ん? 記憶は忍野と一緒の筈だが、不如帰の怪異と言う事を知らなかったのか?
それも少し引っ掛かるけれど、今はそんな事気にしている場合じゃねえな。
暦「そうだったとしても、それだけじゃない」
暦「月火ちゃんが僕に伝えてくれなければ、分からなかった事だ」
暦「それに、お前じゃどう頑張っても忍野にはなれねえよ」
暦「あの電話の時から、既にお前は居たんだろ?」
「うん、そうだよ。 こんな性格の僕が携帯を持つって事自体が、おかしな話さ」
暦「だろうな。 けどな、忍野は絶対に言わないんだ」
「言わない? 何をだい?」
暦「「そう言って貰えると助かる」なんて言葉、あいつは絶対に言わない」
「ああ、そうだね。 その通りだ。 僕は絶対にそんな事は言わない」
「そうやって小さいヒントを与えている辺り、僕も阿良々木くんが言うお人好しって事なのかな?」
暦「馬鹿言ってんじゃねえよ。 お前はそんなんじゃない」
「へえ。 ま、もう良いよ。 僕も所詮は化物さ」
暦「……そうかよ」
「それよりさ、阿良々木くん。 化物って言葉で思い出したんだけど」
「知ってるかい?」
「この忍野って奴は、君の妹ちゃんの事を人間だと認識していたんだぜ」
「笑っちゃうよ。 この専門家は、僕と同様の怪異を人間だと思っていたなんてさ」
忍野の口調、忍野の姿のまま、忍野じゃないそいつはそう言った。
なるほど、そういう事か。 納得だな。
暦「そうか、そりゃ良い事を聞けた」
「はっ。 良い事?」
暦「そうだ。 忍野は内心でもそう思っていてくれたなんて、良い事を聞けた」
記憶としても、考え方としても、忍野はそう思っていてくれた。
分かったろ、忍。
人間が心の奥底で想っている事が、汚いばかりの事じゃないって。
「そうかいそうかい。 それなら僕に殺されても、問題は無い訳だ」
暦「いいや、あるね」
「へえ。 大体予想は付くけど、一応聞いておこうか」
暦「お前は忍野の真似をしている、ただの化物だ」
「はははは! 言うと思ったよ、阿良々木くん」
「けどさ、それは自分に言っている様にも聞こえるぜ?」
「人間の真似をしている阿良々木くん」
暦「はっ。 そんな事、分かっているさ。 僕はただの化物だよ」
「その言葉もまた、予想通りだ。 じゃあさ、そろそろ始めようか」
「いい加減、待ちくたびれたからね」
暦「おいおい忍野、元気が良いな」
暦「何か良い事でも、あったのかよ」
僕は皮肉たっぷりに、そう言ってやる。
忍野の姿をしたそいつは笑い、動く。
来るか、と思ったが。
動いたと認識したその瞬間には、忍野は目の前に居た。
暦「っ!」
忍野は僕目掛け、拳を振り下ろす。
反応できなくは無いが、なんだよ今のは。
動きが速いとか、そういう問題ではない。
気付いたら、そこに居た。
その飛んでくる拳を僕は体を後ろに引っぱり、なんとか避ける。
「はは、やるじゃないか。 阿良々木くん」
「てっきり今ので終わるのかと思ったんだけど、君も成長しているって事なのかな」
暦「うるせえ。 お前に褒められたって嬉しくはねえよ」
つっても、どうする。
避けるだけでも、精一杯じゃねえか。
忍「お前様。 儂が足止めをする。 その間に逃げろ」
忍野には聞こえない様、忍がそう呟く。
暦「何格好良い事言ってるんだ。 お前を置いて逃げられるか」
暦「それに、どうせ僕達はリンクされているんだ。 離れようと思っても、離れられない」
忍「多少ならば離れても大丈夫じゃ。 ある程度儂も戻っておるしな」
暦「だとしても、僕は逃げない」
忍「お前様、分かっておるのか」
忍「あの小僧。 全盛期の儂と同等とまでは行かんが、かなり危険じゃ」
忍「あの時の儂でも、まともにはやりたくない相手じゃな」
おいおい、マジかよ。
全盛期の忍から見ても、危険ってレベルなのか?
本当にそれこそ化物じゃねえか。
伊達に、忍の心臓を気付かれない内に奪っただけあるな。
暦「……そうだとしても、逃げない」
暦「妹の前で戦ってるんだ。 僕は見栄っ張りだからさ。 格好悪い所は見せられねえや」
忍「……ったく。 まあよい」
「さて、そろそろいいかな? 待っている僕の身にもなって欲しい物だけれど」
暦「ああ、いいぜ。 丁度話は纏まった所だ」
「そうかい」
瞬間、忍野が再び目の前に現れる。
くそ、訳分からない速度だ、本当に。
けど、もう後ろに避ける事はできない。
僕の後ろには月火が居るから、それは無理だ。
なら、取るべき行動は防御。
顔を狙い、振り下ろされる忍野の拳を防御すべく、僕は顔の前で腕を構える。
が。
まるで、その腕をすり抜けるように、忍野の拳は僕の顔面に突き刺さった。
暦「がはっ!」
あ? 何が起きた?
なんだ、今のは。
僕がどの様に防御して、どの速度でその態勢が出来上がるのか、分かっていたのか?
そして、その防御の合い間を縫って、攻撃してきた?
今まで戦ってきた奴とは、種類が違う。
あの詐欺師、貝木泥舟は戦わず、勝ちもしなければ負けもしない。
暴力陰陽師、影縫余弦は防御を上から破壊し、攻撃する。
そうだとするならば、忍野は。
相手の行動を全て読み、攻撃する。
僕は後ろに吹っ飛ばされる事は無く、忍野はそのまま拳を地面に打ち付ける。
ミシミシと。
ミシミシっつうよりは、メキメキ。
とにかく、骨が粉々になっていくのが、感覚として伝わる。
多分、骨を直に攻撃されなければ、分からない感触だ。
体の内部から音がして、骨が折れているというのが分かる。
あー。
つうか、月火の奴、これ見てるんだよな。
僕が化物みたいな状態ってのはまあ、別にばれても仕方ない。
それについては、一応考えてあった事だし。
それよりも問題は、あれだ。
月火はああ見えて、ホラーが苦手なのだ。
そんな月火にこんなグロ映像を見せてしまったのが、まず失敗である。
暦「ぐっ……」
忍野は僕を地面に叩きつけた事で満足したのか、距離を取る気配がした。
もっとも、今は顔が潰れてしまって何も見えないから、そう感じているだけなのだが。
アンパンマンか、僕は。
「大丈夫かい。 阿良々木くん」
耳までは潰れていなかったらしく、忍野の声が聞こえる。
「はは、とても大丈夫じゃないか。 ごめんごめん」
忍はどうしているのだろうか。
そう考えた直後。
破壊音が聞こえる。
僕のすぐ傍で。
「忍ちゃんも、随分と性格が変わっちゃったよね」
台詞と音からするに、忍もやられたのだろう。
揃いも揃って、惨めなペアだよな。
「まあ、こっちは阿良々木くんよりも厄介なんだけれどさ。 はは、どうでもいい事か」
「それはそうと、阿良々木くん」
忍野は僕の方に近づき、耳元で囁くように、言う。
「君はそこの妹ちゃんが、何を願ったか知っているかい?」
月火ちゃんが、願った事?
「阿良々木くんには、想像が付かないだろうね」
「ま、ちょっと複雑なんだけどさ」
「僕は知っているし、知らないって事にもなるんだけども」
どういう、意味だ?
それなら、どうして、忍野の姿をしたこいつはここに居る?
それは、ドッペルゲンガーとして願いを叶える為なんじゃないか?
「それは今はいいか。 とにかく、僕が頼まれた願いは」
「阿良々木暦を殺してくれって願いだったんだよ」
……僕を殺せと、願ったのか?
月火が、そう願ったのか?
心の奥底で、そう想っていたのか?
「阿良々木くんは勘違いしやすいからね。 はっきり言っておかないと」
「僕が願いを二つ叶える怪異だって事は、さすがに知っているだろうから省略するよ」
「まず一つ。 深層心理での願い」
「これは想像が付くだろ? 想像したくは無いだろうけど」
「さっきも言った様に、阿良々木暦を殺してくれ。 そういう願いだった訳だよ」
言いたい事は山ほどあったが、口が開かない。
それすらも意に返さず、忍野の姿をした奴は、続ける。
「そしてもう一つ。 表面上の願い」
「こっちの方が、阿良々木くんにとってはショックかもしれないなぁ」
「僕にとっては、面白い話なんだけど」
「阿良々木くん。 僕が頼まれたもう一つの願い」
「一緒なんだぜ。 深層心理の願いと」
「阿良々木暦を殺してくれって、そう願われたんだよ」
第十話へ 続く
月火が、僕を殺してくれと頼んだ?
自らの口で、ドッペルゲンガーにそう頼んだって言うのか?
そんなの、絶対に。
「ありえないって? 僕はそう思わないけどなぁ」
「だってそうだろ。 阿良々木くん」
「君はもう一人の妹ちゃんの事だって、何一つ分かっていなかったじゃないか」
言い返せない。
いや、元より今の状態では言葉を発せられないので言い返すも何も無いのだが、その言い返す言葉すら、浮かんで来なかったのだ。
「そんな阿良々木くんがだよ? そこに居る妹ちゃんの気持ちを理解できたのかい? 考えている事を分かってやれたのかい?」
その通りだ。
「僕は分かってやれた。 だから君を殺す為に、こうやって色々と面倒な事をしている訳だけどさ」
いくら反省しても、後悔したとしても、僕は変わらない。
変われない。
「で、どうするんだい。 阿良々木くん」
どうするって、何が。
「このまま僕に大人しく殺されるか。 せめて最後まで妹ちゃんの為に戦って死ぬか」
「とは言っても、その妹ちゃんは君が殺されるのを望んでいる訳だから、どの道死ぬべきなんだろうけどさ」
僕は、何をしていたのだろうか。
月火の為にやっていたと思った事が、ただの空回り。
月火が救われると思ってやっていた事が、全て無駄。
月火と一緒に過ごしたいと思っていた事が、僕のエゴ。
それなら、僕は。
暦「……僕、は」
ようやく、忍野の破壊に回復が追いついてきた。
目が見えるようになるまでにはまだ時間が掛かりそうだが、それでも言葉はなんとか発せられる。
「っと」
忍野がそう言い、僕と距離を取る。
何故だ? 今、この状況で忍野は何故、僕と距離を取った?
「おいおい、これは面白い展開だね」
「はは、なんのつもりだい?」
誰に言っている?
少なくとも、僕はずっと地面に倒れ込んでいるし、僕に対して言った言葉ではない。
忍も未だ、僕と同じ状態だろう。
リンクされているおかげもあり、忍の状態は僕に大体伝わってくるから。
なら、第三者。
今この場で言う、それは。
視力がようやく、回復する。
僕の目に入ってきた光景は、先程僕が出した『答え』を言うのには、十分な光景だった。
月火「お兄ちゃんに、手を出さないでくれるかな」
月火「これ以上、私のお兄ちゃんの顔を不細工にしてどうするつもり?」
何言ってるんだよ、こいつは。
第一、僕はそこまで不細工じゃねえし。
つか、お前、足とかめっちゃプルプル震えてるじゃねえか。
馬鹿が、何頑張れもしないくせに頑張ってるんだよ。
それに、さっき僕は言っただろうが。
待っててくれって、言っただろ。
僕の言う事が聞けない奴なんて、後でお仕置きが必要だぜ。
そうだなぁ。 まずは一緒に帰って、たっぷりと抱き締めてやる。
とりあえずは、そんな所か。
むしろ、それだけでいいか。
じゃあ、お仕置きも決まった訳だし、いつまでも寝転がっている訳にもいかねえよな。
帰るとしよう。 僕と月火の家に。
暦「……月火ちゃん、僕は大丈夫だ」
立ち上がり、月火の肩に手を置く。
月火「嘘だよ。 全然そうは見えないじゃん」
月火は僕の方に顔を向け、いつもの様に笑う。
暦「僕が嘘を付いた事があるか?」
月火「……うん。 そうだったね。 お兄ちゃん」
いつに無く素直だな。
まあ、素直でも素直じゃなくても。
僕の、妹だ。
暦「それと、家に帰ったら僕との約束を守らなかった罰を与えてやる。 覚悟しとけよ」
月火「はいはい。 分かったよ、お兄ちゃん。 楽しみにしておくね」
何が楽しみにだよ。
僕の罰は、お前のよりよっぽどこええんだぞ、月火。
暦「ああ。 僕はもう心配いらない。 後ろに下がってろ」
一度頷き、月火は僕に笑顔を向け、後ろに下がる。
それを背中で感じながら、目の前に立つ忍野を見据えた。
暦「おい、忍野の姿をした化物野郎」
「なんだい。 人間の真似をした化物くん」
暦「僕は、妹の為に戦うよ」
暦「例え月火ちゃんがどう想って、どう考えていたとしても、関係無い」
暦「月火ちゃんには今日の朝に言ったんだけどさ」
暦「そんな事で阿良々木暦は諦めないんだ」
暦「僕は、月火ちゃんにどれだけ避けられても、拒否られても、突き放されても、あいつの兄で居る事は諦めない」
本心でそう想っているかと問われれば、分からないと言うのが正しいけれども。
あくまでも優先すべきは、僕の気持ちより月火の気持ちなのだから。
だが、僕はまだあいつの……月火の口からは何も聞いちゃいない。
暦「お前になんか頼らなくても、あいつがそれを望むなら、僕は受け入れてやるさ」
暦「てめえの力なんか、いらねえよ」
だから、僕は自分に言い聞かせる様に、言う。
「……そうかい」
「じゃあ、もうお話は良いかな。 これじゃあいくら言い合いをしても平行線だ」
「そろそろ終わりにしようか。 阿良々木くん」
暦「だな。 あんまり帰りが遅いと、火憐ちゃんにも怒られちまう」
つっても、あいつは多分、まだ寝ているんだろうなぁ。
呑気な奴だよ、僕と月火がこんな馬鹿みてえな状況になってるって言うのに。
……あいつも帰ったらお仕置きする事にした。 今決めた。 連帯責任だ!
「それじゃあ、死んでくれ」
忍野は再び距離を詰め、今度は蹴りを繰り出す。
僕の肩の辺りを狙った横からの攻撃。
食らったら恐らく、根こそぎ吹っ飛ぶのだろう。
なら、食らったら終わりだ。
既に一発だけだが攻撃を打ち込まれていたのもあり、幾分か先程よりも目は追いつく。
そのおかげもあり、初撃には辛うじで反応できた。
しゃがみ込む姿勢で、頭の上すれすれを忍野の足が通過していくのが見える。
風を切る音が、はっきりと僕の耳にも聞こえた。
すげえ音だな……
まるで戦闘機か何かが通過したみたいな感じだぞ。 どんだけだよ。
けれども、動作をしっかりと見ていれば、避けられなくも無い。
とは言っても、本当にギリギリ、コンマ一秒でも反応が遅ければ、僕の上半身は跡形もなく消し飛んでいただろう。
暦「忍! 起きてるか!?」
そのまま一度後ろに退き、忍に声を掛ける。
反応は……無しか。
それもまた、無理はない。
もう少し血を吸わせておけば良かったのかもしれないが、今更後悔しても仕方ないだろう。
とりあえずは、反撃をしなければ。
防戦一方では、勝ち目なんて無い。
暦「おらっ!」
距離を縮め、忍野の足を目掛け、右足を振る。
しかし、それは失敗だった。
忍野の身体能力を僕は侮っていたのだ。
こいつは恐らく……あの影縫さんよりも、強い。
「それじゃあいつまで経っても、僕には勝てないよ」
言葉通り。
忍野は繰り出された僕の足を踏み潰した。
まるで、そうするのは朝飯前とは言わんばかりの、軽い動作で。
バキバキと言うよりは、グチャグチャ。
そんな音と同時に、激痛。
暦「ぐぁあああああっ!!」
畜生、さすがにいてえぞ。
それにしても顔を潰したり、足を潰したり、性格わりいな、忍野の奴め。
「僕もそろそろ飽きてきた事だし、終わりにしよう」
暦「はぁ……はぁ……」
暦「……はっ! 自殺でもしてくれるのか?」
「まさか。 死んでもらうのは阿良々木くんだよ」
暦「……生憎だが、僕は死んでも死なないんだ」
負けを認めては駄目だ。
死ぬにしても、最後まで。
「そうかい。 ま、いいや」
忍野は興味が無さそうにそう言い、僕の方へ一歩一歩近づく。
駄目だ。
勝てない。
しかし、諦めるってのだけはしてはいけない。
なら、どうする。 この状況。
忍野はゆっくりとした動作で、けれども確実に一歩ずつ、僕の方へと歩いてくる。
僕が死ぬのは恐らく確定。 これは避けられない。
ってなると、あいつらにお仕置きするのも、どうやら出来そうにない。
あー、心残りだな、それは。
で、その後だ。
こいつは僕を殺した後、どうするのだろうか。
目的自体は僕を殺す事なのだから、それが終われば消えるのか?
いや、そう決め付けるのは少し、危ない。
万が一。
万が一にでも月火が狙われたなら、僕は後悔しても後悔しきれないだろう。
可能性は低いが、無くもない。
なら、まずは月火を逃がす事。
忍には悪いが、一緒に死んでもらうしか、無いだろうな。
とりあえず、今やるべき事は。
暦「月火ちゃん! 今すぐ逃げ」
後ろを振り向きながら、言う。
いや、言い掛けた。
つまりは、最後まで言う前に、予想外の事が起きた。
僕が言う予想外とは、単純な事。
階段を上ってくる、人影。
それは、この状況を恐らくは知っている人物。
忍野「やあ、お待たせ。 待ちくたびれたかい?」
なんて。
そんな場違いな事を言う、本物の、忍野メメ。
暦「お、忍野!」
忍野「はは、なんだいこれは。 阿良々木くん、随分と面白い姿になってるじゃないか」
暦「お前、どうして……いや、んな事どうでもいいんだよ! 月火ちゃんを連れて逃げてくれ!」
忍野「断る。 僕はその為に来た訳じゃないし」
忍野「バランスが悪すぎるよ。 今のこれは」
忍野「君もそれは分かっているんじゃないかな。 もう一人の僕」
忍野はそう言い放つ、ドッペルゲンガーに。
「それもそうかもしれないけど、僕には目的があるからね。 阿良々木くんが死んでくれれば、僕は素直に消え去るよ」
忍野「そうかい。 でもそれは困るんだよ。 彼には色々と貸しがあるからさ」
「はは、知っているさ。 僕と君は一緒だろ?」
忍野「そうだ。 だからここは、条件を出させて貰う」
忍野「一旦退け。 今この場で戦いを継続するのは、お互いにとって不利益だ」
「……なるほど」
「確かに、そうかもしれない。 僕と君は同じ実力だ。 三対一ではお互いに不利益が生じる」
「僕の目的は阿良々木くんを殺す事。 君たちの目的は僕を殺す事」
忍野「その通り。 が、今この場で戦いを続ければ君は目的を達成できない」
忍野「それは僕も然り。 君と戦えば、いくら三対一と言っても、この場に居る誰かは死ぬだろうしね」
「お互いにデメリットしか無いって事か。 まあ、そうだろうけどさ」
「僕が一旦引いた所で、一緒じゃないか?」
忍野「そうでもないさ。 君がここで引いてくれれば、僕は次から手を出さない」
忍野「次は思う存分、阿良々木くんと殺りあってくれ」
忍野「その条件で、どうだろう?」
「……はは。 分かった。 それならお互いにとんとんって所だろうしね」
「その条件、飲もう」
「一応、二日間だけ待つ。 それで良いかい? 阿良々木くん」
暦「あ、ああ。 僕は、大丈夫だ」
忍野と忍野が会話していると言うだけで、もうそれは凄い光景なのだが。
その会話の内容が、全く理解できない。
冷静さを僕が欠いているってのもあるかもしれないが、お互いがお互いを理解しているからこそ、成り立った会話。 そんな空気を感じた。
「それじゃあ、今日の所は大人しく引き下がるよ」
「二日後、場所と時間は同じくらいでいいかな。 ここで待っているからさ」
「精々、それまでにはなんとか腕を上げておいてくれよ。 一方的ってのはあんまり好きじゃないんだ」
ドッペルゲンガーはそう言い、姿を消す。
文字通り、前触れも無く、唐突に。
そして。
忍野「それじゃあ阿良々木くん。 お疲れ様。 またね」
忍野は倒れている僕に向け、それだけを言い立ち去ろうとする。
暦「いやいやいや! ちょっと待てよ忍野!」
何帰ろうとしてるんだよ!
せめて状況くらい説明しやがれ!
暦「全く状況が分からないし、僕はどうすればいいんだ!」
忍野「今話しても良いんだけど、さすがに僕も疲れたよ」
忍野「こう見えて、色々と面倒な事を片付けてきた後なんだからさ。 年寄りには優しくしてくれなきゃ」
忍野「それに、妹ちゃんもとりあえずは休ませてあげてくれよ。 今日は色々とあり過ぎた」
忍野「明日、詳しい事は説明するよ。 適当な時間にあの廃墟へ来てくれ」
忍野「どうしても今すぐって言うのなら、そこで狸寝入りをしている忍ちゃんにでも聞いてみれば良いと思うよ」
忍野はそれだけ言い残し、階段を下りる。
暦「お、おい! あいつが、あのドッペルゲンガーがまた現れたらどうするんだ!」
忍野「大丈夫だよ、阿良々木くん」
忍野「あいつは『二日後』と言っていただろ? なら二日後にしか現れない」
忍野「僕が考える事くらい、分かるさ」
暦「け、けど」
忍野「それじゃあ、また明日」
一方的に、言い返す暇も与えず、忍野はやがて姿を消した。
暦「おい、忍」
忍「なんじゃ、我が主様」
こいつ、本当に狸寝入りしてやがった。
すくっと立ち上がり、僕の足を自らの血で忍は治癒する。
忍「儂も最初は分からんかったよ。 あそこに居る小娘が、ドッペルゲンガーだと思っておった」
忍「……まあ、途中で気付いた訳じゃが。 詳しい事は帰ってからにするべきではないか?」
それも、そうか。
僕も月火も忍も、少し、疲れた。
暦「分かった。 しっかり説明しろよ」
忍「儂も全てが分かっておる訳じゃない。 気付いた事は話す」
暦「ああ、それで十分だ。 宜しく頼む」
僕がそう言うと、忍は影の中へと入る。
さて。
暦「月火ちゃん、待たせたな。 帰るぞ」
後ろに居る月火に声を掛ける。
先程の恐怖からなのか、地面に座り込んでいて、折角の浴衣は少々汚れてしまっていた。
いや、元々あの野郎に蹴られたりした所為もあるので、汚れていない方が無理もあるか。
暦「起き上がれるか?」
僕はそんな月火に、手を差し伸べる。
月火「はいはい。 お疲れ様、お兄ちゃん」
言葉ではそう言ってはいる物の、こいつは何を想っているのだろう。
……今、考える事でもないか。
さっきの化物と戦う為に、僕は自分に言い聞かせたのだが。
それも多分、いつまでも続けるのは無理だろう。
こいつとも、しっかりと話さないと駄目だ。
暦「掴まれよ」
と言い。
月火「大丈夫だよ」
と返される。
しっかし。
こいつも僕に似て、見栄っ張りだなぁ。
しっかり立ててねえじゃん。
すげえふらふらしてるし、まだ震えてるじゃねえかよ。
暦「ほら」
僕は言い、月火の前に背中を向けてしゃがみ込む。
月火「悪いね、お兄ちゃん」
月火もそれを拒否する事はせず、僕におぶられる形となる。
暦「んじゃ、帰るか」
月火「うん。 出発だー」
僕はお前の乗り物か何かか。
まあ、別に良いんだけどさ。
もう多分、夜も大分遅い時間。
まだ問題が片付いたとは、到底言えないが。
まずは一旦、家に帰ろう。
あいつとの対戦は二日後。 この場所だ。
忍野には何かしらの策があるのだろうか?
僕があのドッペルゲンガーに勝てるとは、とてもじゃないが思えない。
しかも、次は忍野抜き。
あの場で忍野が現れなければ、間違い無く僕は死んでいた。
そして、こうも思ってしまうのだ。
僕は今、生きていて良かったのだろうか?
なんて。
そんな事を思いながら、月火の方を見る。
月火も多分疲れているのだろう、目を閉じ、僕に体を預けている。
多分、じゃないよな。
いくら月火が、さっきの化物が言っていた様に願っていたとしても、こんな事になるなんて予想は出来なかっただろうし。
化物に、願った……か。
本当に、月火は僕を殺してくれと頼んだのだろうか。
月火は僕の勘違いでなければ、僕が生きている今の状況に安堵している様にも見える。
しかし、あのドッペルゲンガーは、はっきりと言っていた。
両方の願いで、僕を殺す様に頼まれたと。
それに、そうじゃなければあいつは、ドッペルゲンガーは僕を狙う必要なんて無い。
やめよう。
暦「……ふう」
深呼吸。
今はそんな事、考えないでおこう。
とにかく、月火が無事で良かった。
今は、それだけを思う事にしよう。
背中に月火の体温を感じる。
それだけあれば、家までの道のりで体力が尽きる事も無いだろう。
そういや、僕は自転車で来たんだっけかな。
ま、月火の状態が状態だし、仕方ねえけど歩いて帰るか。
暦「何時だろうな、今」
階段を降りながら。
別に独り言だった訳では無かったのだけれど、背中に居る月火からの返答は無い。
あれ、こいつはもう寝てるのか?
はは、寝息を立ててるし。 火憐並みの寝付きの良さだなぁ……
安心して寝た、とも考えられるけど。
再び背中に居る月火に顔を向ける。
僕にはやはり、月火は幸せそうに寝ている様にしか見えなかい。
ったく、僕がどれだけ死んだと思ってるんだよ。
まあ。
それも別に良いけどさ。
僕は月火から三度視線を外し、空を見上げる。
周りに灯りが殆ど無いおかげか、綺麗な星空。
そして、所々で輝く星の中、いつもは煌々と輝いている筈の月は、何故だかどこか霞んでいる気がした。
第十一話へ 続く
さすがにあの神社から家まではかなりの距離があり、それに加え熱帯夜と言う事もあり、汗だらけ。
家に着くと僕は一度シャワーを浴び、着替え、リビングで寝かせていた月火を再びおぶる。
勿論、月火の方も体を拭いて着替えさせたのだが、こいつも良く起きないな……
僕はそのまま火憐と月火の部屋へ入り、背中で眠っている月火をベッドの上に寝かせる事にした。
相部屋と言っても、今その相方は僕の部屋で寝ているので、今この部屋に居るのは僕と月火だけだ。
そして、ベッドに月火を寝かせて、僕は一度ベッドの端に座った所で。
月火「……ありがと、お兄ちゃん」
暦「ああ、悪い。 起こしたか」
月火「ううん。 実はずっと起きてた」
暦「んだよ。 謝り損だ」
月火「ふふん。 でも返してはあげないんだ」
暦「そうかよ」
月火「そういえばお兄ちゃん、火憐ちゃんは?」
暦「火憐ちゃんなら、僕のベッドで寝ている」
月火「ふうん。 変な事しないようにね」
暦「する訳無いだろ、寝込みを襲うなんて真似」
月火「良くそれが言えたね。 私が寝ている時にキスした癖に」
暦「何の事だか、記憶がねえな」
月火「あんな事をしておいて……」
暦「それに、僕がそんな事をすると思うか?」
月火「いやいや、お兄ちゃんだから分からない。 というかしてたじゃん」
暦「それはお前の記憶違いだ。 お前は僕を何だと思っているんだ」
月火「ただの変態なお兄ちゃんだよ」
暦「うるせえ。 僕が変態ならお前は変人だ」
月火「私は美人?」
暦「一言も言っていない」
月火「良いじゃん別に」
暦「良くねえ」
月火「なんで?」
暦「何でもだ」
月火「そう」
暦「……何にも、良くは無い」
月火「何にもかぁ」
暦「全部だよ。 全部良くない」
月火「全部?」
暦「ああ、全部だ」
月火「……そうかな?」
暦「違うって?」
月火「うん」
暦「何が、どう違うのか教えてくれるか」
月火「何もかも、だよ」
暦「何もかもが違う、って事か?」
月火「うん、その通り」
暦「どうだかな」
月火「可愛い妹の言う言葉が信じられない?」
暦「可愛いは余計だ」
月火「素直じゃないんだから」
暦「僕は、いつだって素直だよ」
月火「そうだっけ?」
暦「そうだよ」
月火「お兄ちゃん」
暦「ん、どうした」
月火「……来てくれて、ありがと」
暦「別に、お礼を言われる事は無い」
月火「どうして?」
暦「それが正しいか分からないからだ」
月火「正しいよ」
暦「どうして?」
月火「お兄ちゃんのする事は、いつも正しいから」
暦「僕はお前らじゃねえんだよ、間違いだらけだ」
月火「言い方を変えようかな」
暦「ん?」
月火「お兄ちゃんのする事は、私にとっていつも正しいから」
暦「……そっか」
月火「お兄ちゃんは、私のヒーローだから」
暦「それは、違う」
月火「なんで、違うのかな?」
暦「僕は、ヒーローにはなれない」
月火「そう? お兄ちゃんは優しいじゃん」
暦「優しいだけじゃ、ヒーローにはなれないんだ」
月火「そうなんだ」
暦「そうだ」
月火「でも、それなら何て言えば良いんだろう」
暦「ヒーロー以外に?」
月火「うん」
暦「お兄ちゃんで良いよ」
月火「そっか」
暦「僕にはそれだけで十分だ」
月火「本当に?」
暦「本当に」
月火「そうだね」
暦「なあ、仮に僕がヒーローだとしたら」
月火「うん?」
暦「お前は、なんだろうな」
月火「そりゃ勿論、お姫様かな」
暦「馬鹿か」
月火「もう、良いじゃん別に」
暦「良くねえ」
月火「ケチ」
暦「僕に千円すら寄越さない奴が、何言ってんだか」
月火「覚えてたんだ」
暦「お小遣い半額だしな」
月火「恨み深いね」
暦「思い出深いだけだよ」
月火「でもさ、やっぱり」
暦「やっぱり?」
月火「私は、お兄ちゃんの妹ならそれでいいかな」
暦「なんだ、お姫様は諦めたのか?」
月火「お兄ちゃんの妹でも、似た様な物だし」
暦「……どこが?」
月火「全部かな」
暦「全部か」
月火「うん、全部」
暦「やけに断言するんだな」
月火「そりゃ、私はそう確信してるからじゃない?」
暦「はは、こんな時はお礼を言えばいいのか?」
月火「うーん。 そうじゃないよ」
暦「なら、なんて言えば良いんだよ」
月火「名前を言えば良いと思う」
暦「名前を?」
月火「うん、名前を」
暦「そっか、それなら良い事を考えたぜ」
月火「良い事?」
暦「ああ」
月火「聞こうかな、その良い事を」
暦「火憐ちゃん」
月火「お兄ちゃん、それ私じゃない」
暦「そうだった。 悪い、間違えた」
月火「どうやったら間違えるのさ」
暦「だって、似てるからさ」
月火「間違える程に?」
暦「間違える程に。 でも、だけど」
月火「うん」
暦「似てるけど、全然違う」
月火「おお」
暦「ん?」
月火「いや、同じ事を考えてたから」
暦「似てるけど、違うって?」
月火「うん」
暦「最近、僕はよく思い知らされたよ」
月火「忙しそうだったしね」
暦「僕が?」
月火「お兄ちゃんが」
暦「そう見えてたか」
月火「火憐ちゃんと、何かあったんでしょ」
暦「気付いてたのか?」
月火「そりゃ、当然だよ」
暦「当然……ね」
月火「何があったのかは知らないけどね」
暦「そっか」
月火「別に良いけどさ」
暦「お前とも、色々あったよ」
月火「色々あったね」
暦「聞かないのか?」
月火「何を?」
暦「僕の体の事とか、化物の事とか」
月火「聞かないよ」
暦「……どうして?」
月火「聞いても聞かなくても、一緒だから」
暦「一緒では無いだろ」
月火「一緒だよ」
暦「何がどう、一緒なんだ?」
月火「全部が一緒」
暦「全部?」
月火「お兄ちゃんの体がどうとか、そんなのどうでもいいよ」
暦「酷い言い方だな」
月火「それでも、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだから」
暦「……そうか」
月火「逆に、お兄ちゃんは聞かないの?」
暦「それは、お前が化物に願った事か?」
月火「うん」
暦「聞かないよ、今は」
月火「今はって事は、後から聞くんだね」
暦「僕はお前程、頭が良くないからな」
月火「それは知っているよ」
暦「うっせ。 まあ、だから、口で直接言われなきゃ分からねえや」
月火「それも、知ってる」
暦「そっか。 だけど、今はいいや」
月火「そう……」
暦「今はお前が無事ってだけで、僕は良い」
月火「一緒だね」
暦「えっと、何が?」
月火「私も、お兄ちゃんが無事ならそれで良いんだ」
暦「……そっか」
月火「お兄ちゃんは、私が願った事を聞くんだよね?」
暦「ん、ああ。 いつかは分からないけどな。 少なくとも今日は何も聞かない」
月火「そっか。 じゃあ、全部が終わったら私も聞こうかな」
暦「ん? 僕の事をか?」
月火「うん」
暦「……了解、全部話すよ」
月火「えっと……お兄ちゃん、自分で気付いてる?」
暦「あ? 何を?」
月火「ううん、やっぱり良いや」
暦「……良く分からない奴だな」
月火「だから良いって、お兄ちゃんがそれで良いなら」
暦「何が言いたいんだか、さっぱりだ」
月火「お兄ちゃんが決めた事なら、私は何も言わないよ」
暦「意味が分からねえけど……なら、それで良いのかな」
月火「うん、それで良いんだよ」
暦「……そっか」
月火「ところでさ、話がちょっと変わるけど」
暦「いいぜ、付いて行く」
月火「火憐ちゃん」
暦「ん?」
月火「私、多分」
暦「うん?」
月火「嫉妬してたのかな、火憐ちゃんに」
暦「お前が? どうして」
月火「お兄ちゃんと仲良くしているのに、嫉妬してた」
暦「想像できねえな」
月火「そりゃー、表には出さないし」
暦「だろうな」
月火「ねえ、お兄ちゃん」
暦「何だよ」
月火「キスして欲しいな」
暦「嫌だ」
月火「ケチ」
暦「僕は火憐ちゃんとしかキスしない」
月火「……ふうん」
暦「冗談だよ」
月火「ふん」
暦「あからさまに顔を逸らして、不貞腐れるなよ」
月火「……」
暦「ああ、そうだ、ちょっと見て欲しい物があったんだ」
月火「見て欲しい物?」
暦「うん。 これなんだけどさ」
月火「ん? ……ちょ、ちょっと! いきなりキスしないでよ」
暦「んだよ、してくれって言ったのはお前だぞ」
月火「……騙したな、意地悪」
暦「お前のお兄ちゃんだしな」
月火「私は意地悪じゃない」
暦「どこがだ」
月火「見れば分かるでしょ」
暦「全くわからねぇ」
月火「本当は知っている癖に」
暦「本当に知らない」
月火「ま、いいけどさ」
暦「いいなら最初からそんな事言うなや」
月火「それもそうだね」
暦「うむ」
月火「あれ? ねえお兄ちゃん、あれ何?」
暦「あれって、窓の外か?」
月火「うん、そう」
暦「よく見えないけど」
月火「もうちょっと覗き込めば見えると思うよ」
暦「こうか?」
月火「そうそう」
暦「……見えないけど」
月火「そっか、じゃあ何でもない」
暦「はあ? 意味わからねえ……って、おい」
月火「仕返しのキスだ」
暦「ったく」
月火「お兄ちゃん、騙されやすいよね」
暦「かもしれない。 お前と似たような物だよ」
月火「かもね」
暦「兄妹だしな」
月火「ところでさ、あれは何?」
暦「もう騙されねえぞ」
月火「そっかぁ、残念だ」
暦「二度は騙されない」
月火「なら、良いよ」
暦「良いよって、どういう意味だよ」
月火「さあ?」
暦「嫌な予感がするんだけど……って、おい」
月火「私は何でも二倍返しなんだよ」
暦「だからって正面からキスすんなや」
月火「なんで? 恥ずかしかった?」
暦「別に、妹とのキスなんざ何回でもしてやるよ」
月火「大サービスだね」
暦「罰ゲームだろ」
月火「そうかも」
暦「なあ」
月火「何?」
暦「お前は、僕の妹だ」
月火「えへへ」
暦「何笑ってるんだよ」
月火「何でも無い」
暦「聞かないと次に進めねえぞ」
月火「そっか、なら仕方ないかぁ」
暦「ああ、さっさと吐け」
月火「なんとなく、お兄ちゃんの妹ってのが誇らしくて」
暦「……んだよ、それ」
月火「なんとなくだよ、なんとなく」
暦「僕なんて、誇りにならねえだろ」
月火「なるよ。 お兄ちゃんは私の誇りだよ」
暦「……ま、いいか」
月火「うん、続きをどうぞ」
暦「で、僕はお前の兄だ」
月火「うん」
暦「それだけで、良かった」
月火「へ?」
暦「それだけで、僕には十分過ぎて」
月火「うん」
暦「少し、辛い」
月火「辛いんだ」
暦「お前達は、優しすぎるよ」
月火「そんな事は無いよ」
暦「あるさ。 優しすぎて、僕には辛い」
月火「そっか。 でも、私は逆だと思うな」
暦「逆?」
月火「逆ってのも少し違うかも」
暦「どういう事だ?」
月火「私達が優しいんじゃなくて、お兄ちゃんが優しいんだよ」
暦「僕は、そんな奴じゃねえよ」
月火「そんな奴だよ。 お兄ちゃんは」
暦「……なのかな」
月火「うん」
暦「前に、言われた事があるんだ」
月火「優しいって?」
暦「ああ、それと」
月火「それと?」
暦「優しさが人を傷付ける事もあるって、言われた」
月火「……うん。 それは分かるかな」
暦「なら、僕は誰かを傷付けているのかな」
月火「私は誰も傷付けていないと思うけど……でも、やっぱり一人は傷付けていると思う」
暦「一人? どうしてそう思う?」
月火「簡単な話じゃないかな。 お兄ちゃんは、自分自身を傷付けているんだよ」
暦「……僕自身を?」
月火「そ。 お兄ちゃん自身を傷付けているんだ」
暦「それなら、別に僕は良いかな」
月火「お兄ちゃんは良いかもね」
暦「うん。 それだけで済むなら、別に良いさ」
月火「私は良くないよ」
暦「……お前がそう想っているのなら、僕はお前を傷付ける事になっちまうよ」
月火「そう? お兄ちゃんならなんとか出来るって」
暦「買いかぶり過ぎだな」
月火「そうかな」
暦「僕は、そんな器用な人間じゃねえからさ」
月火「弱音を吐くなんて、お兄ちゃんらしくないね」
暦「弱音なんて、いつも吐いてるよ。 けど」
月火「けど?」
暦「……こんな事言えるのは、お前の前だけかもしれない」
月火「そうなんだ」
暦「僕はさ、本当にお前らの兄なのかな」
月火「何を言ってるの?」
暦「資格があるのかなって話だよ」
月火「無いでしょ」
暦「即答って、ひでえな」
月火「そんなのに資格はいらない。 なんて在り来たりな台詞は言わないけど」
暦「うん」
月火「私がお兄ちゃん以外はお兄ちゃんと認めない」
暦「はは、あははははは!」
月火「どうしたの、急に笑っちゃって」
暦「……悪い悪い、何でもないさ。 こっちの話だよ」
月火「ふうん。 変なお兄ちゃん」
暦「ああ、僕は変なんだ。 だから構わず続けてくれ」
月火「……それで、だから、お兄ちゃんは私のお兄ちゃんで居ないと駄目だよ」
暦「……そうだな」
月火「お兄ちゃんは今日の朝、言っていたよね」
暦「なんて?」
月火「私の兄でいる事を諦めないって」
暦「それは、お前らが拒絶すれば違うんだよ」
月火「私が、お兄ちゃんを?」
暦「ああ、そうだ」
月火「私がいつ、拒絶したのかな」
暦「年がら年中じゃねえのか」
月火「あれは拒否だよ」
暦「一緒じゃん」
月火「一緒じゃないよ」
暦「自分に、そう言い聞かせてたけど」
月火「けど?」
暦「でも、そうだとしても僕は……」
月火「いつになく落ち込んでるね」
暦「……そう見えるか」
月火「一目見れば分かるよ」
暦「はは……そうだったな。 それで?」
月火「私も、同じなんだ」
暦「同じって言うと?」
月火「一緒って事」
暦「一緒?」
月火「阿良々木月火も、お兄ちゃんの妹でいる事を諦めない」
暦「そっか……」
月火「だったら、それでいいじゃん」
暦「そう、なのかな」
月火「むしろ、それで駄目ならどうするのさ」
暦「どうしようもないな」
月火「なら、今はどうしようもあるね」
暦「それも……そうだな」
月火「何だか、そろそろ眠くなってきちゃった」
暦「気が合うな。 僕もだよ」
月火「火憐ちゃんに内緒で、一緒に寝ちゃう?」
暦「明日、一緒に火憐ちゃんからの説教を受けてくれるなら」
月火「お安い御用だね」
暦「そうかよ」
月火「ほれ、どうぞ」
暦「ああ」
月火「お兄ちゃんと一緒に寝るのって、何年振りだろ」
暦「さあな、すげえ前以来じゃねえのかな」
月火「そうかもね」
暦「そうだろ」
月火「そういえばさ、お兄ちゃん」
暦「ん?」
月火「さっき言っていた、良い事って何だったの?」
暦「ああ、それか」
月火「そう、それ」
暦「別に、ただ僕が言いたい事と、お前が言われたい事を一緒に出来る言葉ってだけだ」
月火「ふうん、それで、その言葉って?」
「月火ちゃん、ありがとう」
僕を兄だと言ってくれて。
僕を誇りだと思ってくれて。
僕を受け入れてくれて。
僕の妹で居てくれて。
ありがとう。
今はただ、それだけを伝えたかった。
第十二話へ 続く
月火とベッドの上で会話をする少し前の話。
僕が忍野の姿をした化物と戦った後、家に帰り、風呂に入っている数十分の間の出来事。
以下、回想。
暦「で、忍。 話を聞かせてくれるか」
忍「仕方ないのう」
忍はそう言い、僕の影から姿を現す。
忍「さて、どこから説明した物か……ふむ。 まずはお前様の妹御の話からでよいか?」
暦「ああ。 僕も最初にそれを聞きたいからな」
忍「そうか。 では話すとしよう」
湯船の淵に座り、忍は天井を見つめながら語る。
忍「お前様も、先程連れて帰ってきた妹御が、本物の妹御とは理解しているじゃろ?」
暦「うん。 それは分かるよ」
忍「そして、あのアロハ小僧の姿をした奴がドッペルゲンガーだという事も、分かっておるな」
暦「気持ち悪いくらい、そっくりだったけどな」
忍「うむ。 儂も気分が悪かったわい」
うわ、すげえ嫌そうな顔だ……
本当にこいつは、忍野が嫌いなんだなぁ。
忍「そして、あやつが言っていた言葉は覚えておるか?」
あいつが言っていた言葉。
月火が、僕を殺してくれと願った事。 だろうな、この場合。
暦「忘れられる訳がねえだろ」
忍「じゃろうな」
忍「だが、お前様にとって、これは良い情報じゃよ」
暦「良い情報? その願いが……って、そういう事では無いみたいだな」
僕も一応は、忍の性格を理解しているつもりだ。
ここで、この場面で、そんな捻くれた事を言う奴では無い。
忍「あやつが言っていた事は、半分は本物で半分は偽物じゃ」
暦「……どういう意味だ?」
忍「つまり、結論から言うと」
忍「ドッペルゲンガーは二体おるんじゃよ」
ドッペルゲンガーが、二体?
暦「ちょ、ちょっと待ってくれ忍。 それなら、月火ちゃん以外にも願い事をした奴が居るって事か?」
忍「それもまた、本当であり本当では無い」
忍「儂が言っていた事を覚えておるか? 儂はお前様の妹御の血の匂いを、感じておったんじゃよ」
そうだ。
そうだよ。 忍はあの時確かに言っていたんだ。
匂いを二つ感じている。 そう、言っていた。
それはつまり、月火の匂いだ。
って事は、どういう事だ?
ええっと。
月火のドッペルゲンガーは間違い無く居て、そして忍野のドッペルゲンガーも間違い無く居る。
そういう、事になる。
暦「つまり……月火ちゃんのドッペルゲンガーと、忍野のドッペルゲンガーが居る。 って事……だよな?」
忍「左様。 じゃが今は違う」
忍「片方は既に始末されておる。 どっちかは、言わずとも分かるじゃろ?」
忍野の姿をしたドッペルゲンガーは、二日後にまた現れる。
それはとても、始末されたとは言えない。
つまりは。
暦「月火ちゃんのドッペルゲンガーが、消えた?」
忍「そうじゃ。 お前様があの小僧と戦っておる最中、じゃな」
忍「それまで二つあった匂いの内、片方が消えた」
……そうか。
恐らく、それをやったのは忍野だろう。
だからあいつは、あんなにも疲れていたのか。
一応は怪異。
それに、忍野が人間だと認めていた月火。
忍野にとっても多分、楽な仕事では無かっただろう。
そしてその現場に僕を来させなかったのも、あいつなりに考えた結果なのだろう。
なら僕は、それについては文句なんて言えない。
忍「これで情報は十分じゃろ。 ここからは儂の推測になるが、良いか?」
暦「ああ、頼む」
そうして、忍は語る。
忍が予測した、今回の一連の流れについて。
忍「まず、お前様の妹御は悩みを抱えておった。 そうでなければ、ドッペルゲンガーに会う事すら適わんじゃろうからな」
忍「そして、出会ったのじゃ。 ドッペルゲンガーと」
忍「いつ出会ったのかは分からん。 儂も匂いを二つ感じ始めた時期が分からんからのう」
忍「今日の朝、妹御が出掛けた時かもしれんし、或いはそれより前かもしれん」
忍「これはあの小僧か妹御に聞く以外、方法は無いじゃろうな」
忍「まあ、とにかく出会ったのじゃ。 怪異と。 加えて言うならば、あやつらが最初、どの様な姿形をしているのかは儂でも想像が付かん。 会った事も無いしの」
忍「そうして出会ったドッペルゲンガーに、妹御は願いをした」
忍「一つ目の願いは残念ながら、分からん。 だが、最初の願いを聞いた時、妹御の姿に変わった所を考えると……妹御の姿になるのが一番叶えやすかったのじゃろうな」
忍「そして、二つ目の願いじゃが……こちらは大体の想像を付ける事が可能」
忍「恐らくは、お前様と離れたい。 それか、お前様と距離を取りたい。 との感じじゃろうな」
僕と、離れたい?
暦「ちょっと待てよ、忍」
忍「なんじゃ」
暦「なんでそう断言できる? そうとは限らないだろ?」
忍「かもしれん。 しかし、あの極小の妹御が家という場所自体を避けていたのは明白じゃ」
忍「巨大な妹御とは不仲には見えんかったし、お前様を避けていると言っておったじゃろ?」
忍「ならその可能性が一番あるんじゃよ。 我が主様」
暦「僕には全く分からないぞ。 つうか、なんで家を避けていたって話になってるんだよ」
忍「おいおい。 お前様よ。 まさか忘れておるのか?」
忍「朝、極小の妹御と風呂に入った時、話しておったじゃろうが」
暦「話してるけど、それがなんだよ?」
忍「……はあ」
まさに溜息って言葉をそのまま表現した様な、そんな溜息だ。
忍「思い出せ。 あの妹御は怪異を見ておるじゃろ?」
怪異を見ている……ああ、八九寺の事か。
僕も一緒に見られているけどもな。 ばれてはいなかったけど。
暦「それがどうかしたのか?」
忍「蝸牛」
言われ、気付く。
八九寺は、怪異だ。
家に帰りたくない人を迷わせる、蝸牛の怪異。
そして、そう思っている奴にだけしか見えない、怪異。
月火が八九寺を見ているという事は、つまりはそういう事だ。
忍「分かったか、我が主様よ」
暦「……ああ、そうだな。 忍の言う通りだ」
おいおい。 僕は一体何をやっていたんだ。
あんな始めに、月火の想いに気付くチャンスはあったじゃねえかよ。
忍「話を戻す」
忍は言い、続ける。
忍「何故、そんな事を想っていたのかも分からん。 それもまた、妹御に直接聞かねば分かるまい」
忍「そして、一人目のドッペルゲンガーはそれを汲み取った」
忍「覚えておるか? あやつらは願いを叶える時、手段を問わんと」
忍「二つ目の願いを叶える際、手段を問わず一番手っ取り早い方法」
忍「お前様を殺すと言う事じゃ」
忍「しかし、困った事に姿は妹御。 その姿で願いを叶えるには少し、難しい物があるじゃろうな」
忍「腕力も無ければ、体力も無い、ただの小娘なのじゃから」
忍「無論、あのアロハ小僧に姿を変える事は出来た筈なのじゃが……それをしなかった」
忍「恐らくこれは、一つ目の願いが関係しているのかもしれん」
忍「そして、ドッペルゲンガーは一つの方法を導き出す」
忍「つまり、自らと同じ怪異に願いをすると言う事じゃよ」
忍「会うのは簡単だったと思うのう。 なんせ、同じ種類なのじゃから」
忍「そして出会い、また願った」
忍「妹御の姿で、一つ目の願い」
忍「お前様を殺してくれ。 また二つ目の願い」
忍「こちらも同様、お前様を殺してくれ」
忍「そうして、あの小僧の姿をしたドッペルゲンガーが生まれた」
忍「お前様を殺す為に」
なるほど。
納得だ。 全てに辻褄が合う。
月火が何故、僕と一緒に居たくなかったのかは分からないが。
これは、本人に聞いて良いのだろうか。
聞いてしまっても、良いのだろうか。
忍「じゃが、気になる事もあるのう」
暦「気になる事?」
忍「一つ目の願いじゃよ。 これはもう、アロハ小僧に聞くしか無いが」
忍「一つ目と二つ目、どちらが先に叶うのか。 と言う事じゃ」
忍「一つ目の願いは妹御の姿でするのが一番よいと判断した。 二つ目から叶えるとすれば、そこでもう一匹のドッペルゲンガーに頼む事も無かった筈」
忍「故に」
忍「優先順位は、一つ目の方かのう?」
忍「まあ、儂が考える限り、もう一つの可能性もあるにはあるが」
暦「もう一つの可能性、ってのは?」
忍「今話しても仕方あるまい。 違う可能性もまた、同じくらいあるのじゃからな」
忍「この事も含めて、あの小僧に聞くのが一番手っ取り早いじゃろうて」
暦「まあ、そうだな」
確かに……忍の言っていた優先順位、それによってはあのドッペルゲンガーを倒したとしても、問題が解決しない可能性もある。
一つ目の願いが叶っていて、それが他のドッペルゲンガーを呼び寄せないとも言い切れない。
願いの内容は、やはり月火に聞くしか無いか。
優先順位の事は明日、忍が言っていた様に忍野に聞くとしよう。 他にも、あの化物野郎との戦い方も聞かないといけないし。
暦「大体の流れは理解できたよ、ありがとう。 忍」
忍「礼には及ばん」
暦「けど、やっぱり大事な部分は欠けている感じだな。 もっとも、あくまでも忍の推測だから当たり前なのかもしれないけど」
忍「とにかく、一度話す必要はありそうじゃ」
忍「あの小僧とも、お前様の妹御とも」
暦「だな」
暦「まあ、それも明日……聞くとしよう」
忍「儂的には、今から妹御を叩き起こしてでも聞くべきだとは思うが?」
暦「今日は良いさ。 色々ありすぎたんだから、疲れているだろ」
忍「カカッ。 お前様の方が、よっぽど疲れているだろうに」
忍「何回死んだと思っておるんじゃ」
暦「数えてねえよ。 てか、よくそんな事が言えたな。 狸寝入りしやがって」
忍「儂のは作戦じゃよ。 隙を伺っておったんじゃがのう」
その言葉に、偽りは無い。
僕にはそう思えた。
忍「お前様よ……あやつはかなり強いぞ。 隙は皆無じゃ」
暦「だと思った。 訳分からねえからな、ほんと」
忍「一つだけ助言じゃ。 聞くか? 我が主様」
暦「……頼む。 お前の方が場数なんて物、僕とじゃ比べ物にならないだろうし」
忍「良い話では無いが、それでもか?」
なんだよ、まどろっこしいな。
暦「それでもだ。 火憐ちゃんの蜂の時と一緒だよ。 方法があるなら試すべきだろ」
忍「承知した、我が主様」
笑みを消し、忍は僕に顔を向け、続ける。
忍「今までの様に戦っていては、勝つ事は不可能」
忍「お前様の考えを捨てない限り、勝てんよ」
僕の、考えを捨てる?
暦「どういう意味だよ、忍」
忍「後は自分で考える事じゃ。 儂から言えるのはここまで」
これ以上は、とてもじゃないが言えん。
と、忍は小さく付け加える。
暦「……そっか。 良く考えておく」
暦「まあ、でも。 とりあえずは忍野からの話も聞かないとな」
忍「うむ。 今日の所はゆっくり休め。 明日もまた、忙しい日になるじゃろうし」
暦「それもそうだけど、あんま時間は無いと思うけどな……」
とは言っても。
なんか、全身から力が抜けちまうな。
暦「ふううううう……」
忍「なんじゃ、突然緩みきった顔をしおって」
暦「いや、ちょっと安心したってだけだよ」
忍「安心、とは?」
暦「月火ちゃんが、心の奥底で僕の事を殺そうと想っていなかった事にだよ」
忍「そんな事は、少し考えれば分かる事じゃろ」
暦「勿論、考えたさ」
暦「でも、少し考えちゃったらさ……余計な事も、考えてちゃうんだよな」
忍「カカッ。 無理も無いとは、思うがのう」
暦「まあ、それでも」
暦「月火ちゃんが僕と離れたいと想っている事には、変わりは無いんだけどな」
忍「ふむ」
忍「恐らくじゃが、理由があると儂は思うぞ」
暦「それは、気休めか?」
忍「うむ。 気休めじゃ」
はっきり言いやがって。
せめて嘘でも良いから、気休めじゃないと言ってくれよ。
暦「理由、ねえ」
暦「やっぱり僕には、思い付かねえや」
忍「ま、それも妹御と話すしか無かろうて」
全くその通りだな。
話さない事には何も進みやしないし、変わりもしない。
それに、見えてこない。
暦「だけどさ、それも僕は」
裏切りなのだと、思う。
一応、僕は月火の事は信用していると思っている。
けど、多分。
心のどこかで月火の事を信用していなかったからこその、今僕が感じている安心感。
暦「いや、やっぱり良いや。 忍も今日は休んどけ」
忍「ふむ? お前様が言うのなら、遠慮無くそうさせてもらうかの」
そう言い残すと、忍は影の中へと消えて行く。
しっかし。
とにかく今は休む。 か。
全く以ってその通り、だな。
二日後までに、なんとかしないといけないんだ。
今の状態は、ただの後回し。
問題の後回し。
僕はその行為自体は嫌いな方では無いのだが、月火は違うんだろうな。
あいつはやはり、面倒な事をさっさと済ませてしまうのだから。
その辺りは兄妹と言っても、全然違う。
ん? ちょっと待てよ。
考えすぎだろうか?
いやいや、これは『傲慢』に値するだろう。
だけど、そうだとするならば、欠けた部分も補える……のか?
違うな。
これは、僕が答えを出す事じゃない。
忍野に話を聞いて、月火に話を聞いて。
それで初めて、答えが出る問題だ。
まずは明日。
廃墟へ行くのには、月火を連れて行くべきだろうか。
……一旦は家に居させよう。 これだけの事があって、気が動転しない方がおかしいし、そんな状態の月火を連れ出す訳には行かないし。
万が一にも、あのドッペルゲンガーが襲ってくる事もあるが、ここは忍野が言っていた「大丈夫」との言葉を信じてみるしかない。
それに、あのドッペルゲンガーの狙いは僕な訳だし、連れて歩いたらそれこそ危険だ。
まあ、それを言ったら僕はとっととこの家から出るべきなのだが、それでは何も解決出来ない。
今回の事を解決するのには、月火の力は間違いなく必要なのだから。
一番の問題はやはり、二日後。
僕がどうやって、あの忍野に勝つかって事だろう。
さっきも忍が言っていたが、僕の考え方を捨てるという言葉。
その意味は分からないが、それが重要な何かなのかもしれない。
とにかく。
月火をベッドに移したら、ゆっくり休むとしよう。
僕もベッドで寝たいのだけれど、今更僕の部屋で寝ている火憐の元に潜り込むのもあれだしなぁ。
火憐のベッドもさすがに使う訳にはいかないし。
仕方ねえか、今日はソファーで寝るとしよう。
そして今……月火は、僕の事をどう思っているのだろうか。
僕と離れたい。
それは、良い意味には聞こえない言葉だ。
勿論、僕に原因があるのだろう。
今まで月火がそんな事を思っていたなんて事は、考えすらした事が無い。
それだけに、月火という僕の妹である筈の人間が、少し分からなくなってしまう。
いや、更に分からなくなってしまう。
僕は本当に、兄なのだろうか。 あいつらの兄で居る資格が、僕にはあるのだろうか。
そんな事を考えてしまう。
火憐が聞いたら、迷わず殴り掛かってきそうな考え。
そんな火憐なら多分。
「何言ってるんだよ、兄ちゃん。 馬鹿にでもなったのか?」
うるせえ、やかましいわ。
想像なのだけれど、火憐に馬鹿って言われるとすげえむかつくな。
んで、月火なら多分。
多分、何だろう。
「私がお兄ちゃん以外をお兄ちゃんとは認めない」
こんな感じだろうか。
そんな言葉を本当に言われれば、僕はどれだけ救われる事か。
いつか火憐に言われた、分かっている振り。
今、それを実践してみたのだけれども、僕にはどうも難しい。
まあ、所詮は想像。 妄想だ。
何度目かのとりあえず。
まずは月火をベッドに移してやるとするか。
そして、僕はすっかりと忘れていた。
火憐がその時、一緒に言っていた言葉。
分かっている振りをしていれば、それは分かっているに変わる。
それが、兄妹だと。
僕がそれを思い出すのは、今から何十分か経った後の話である。
第十三話へ 続く
続き
暦「月火ちゃん、ありがとう」【後編】

