三年間という時間は人の内面を変えるには短すぎる。
容姿なら小指の先ほど変わるかもしれないが
生まれてから今まで過ごした日々により形成された人間性が
高校の三年間だけで変わってしまうほど人間は薄っぺらいもんじゃない。
変わったように見えるのは本人が取り繕っているだけだ。
※注意!
便宜上、古典部にオリジナルキャラがいます。
元スレ
奉太郎「高く高く、空に昇れば」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1435539573/
夕暮れの陽光が照らす地学準備室。目の前に座る旧友、福部里志にそう反論した。
ホータローは高校で変わったね、などと聞き捨てならぬ発言をしたからだ。
「へぇ…じゃあホータローは取り繕ってるってわけかい」
からかうような目。俺の反論にもひるんだ様子は微塵も見られず、笑みが浮かんだ口元は相変わらずだった。
男子にしては低身長なのと、ライトブラウンの髪、丸い瞳から、中性的な印象を受ける。
「俺は変わっちゃいないさ。何もかも、な」
俺の言葉に里志は肩をすくめた。
暦は10月下旬。夏休みが明けておよそ二か月が経過した。
日を追うごとに肌寒くなってきている様子は、高校生活の残り少なさを暗示しているようでもある。
「福部先輩はどーなんですか?」
傍らに座っていた後輩、いずるが訊く。
「自分のことはわからないもんなんだよ」
「自覚症状なしっすかー」
「一生ないだろうね」
そんな里志の軽口にケラケラと笑った。
今年の春に入部した一年生、仙道いずるを形容するなら明瞭快活、だろうか。
背は千反田より少し低いくらい。
セーラーの上にパーカーを羽織っており
薄ら茶色のショートカットと少し吊り上った目つきも相成って、ボーイッシュな印象を与える。
ふいにドアが開かれた。乱暴な。苛立ちをぶつけるかのような音が部室に響く。
「おまえたち、何をしている?」
初老の教師が大股開いてツカツカと歩みよってくる。
威圧するような傲慢な振る舞いに俺はむっとなった。
「僕たち古典部なんですよ。加上先生」
里志は気を悪くした様子もなく飄々としている。
「知ってるさ福部、だがおまえは三年生のはずだろう。ここにいる必要はない」
「すみません。私が来るようにお願いしたんです」
いずるが立ち上がってこうべを垂れた。
「勉強教えてほしくって」
机を差し示した。加上教諭は教科書とノートが置かれている机といずるを交互に見つめる。
眼鏡の奥の細い目が、刃のように光っていた。
「下校前にはさっさと帰れよ」
いずるの弁解に納得したのか、そっけなく言って踵を返す。
戸が閉じるとしばらく間をおいて、いずるが安堵の息を吐いた。
「んー。なんとか騙せましたねー 教科書準備しててよかったー」
俺は別の個所が気になった。
「お前、教師にはきちんとした敬語なんだな」
「はい!」
そう胸を張られても…。
三年時の文化祭はつつがなく終了した俺たちは
本来なら引退して家と学校の往復にいそしんでいなければならない。
それでも部室に入り浸れるのは、いずるに勉強を教えるという理由があるからだ。
なるほど。ここはかわいい後輩のためにひと肌ぬいで学力向上の手助けをしてやろうかと
こうして部室にあつまっている、なんてわけはなく見回りの教師の詰問から逃れるために用意した建前である。
実態は非生産的な会話を行う日々だ。
「千反田先輩まだですかねー」
「何か用事でもあるのかい?」
「いえ。お菓子が食べたいので」
千反田よ。おまえは後輩に餌づけしてくれる人間だと認識されているぞ。
いずるは白い歯を見せてにかっと笑い、教科書の下に隠していた雑誌を読み始める。
里志も携帯電話をいじくり始めたので俺はショルダーバッグから文庫本を取り出した。
草野球で無敵の主人公がプロ野球界に殴り込み、強打者達をクレバーな投球術で翻弄していく姿を描いたもの。
野球素人の俺から見てもかなり荒唐無稽な筋立てだが、これがすこぶる面白いのだ。
扉がゆっくりと遠慮がちに開く音が、沈黙を打ち破る。
「こんにちは。折木さん、福部さん、いずるさん」
言いながら、千反田えるが頭を下げる。
女子にしては高い背丈。長い睫。
ぱっちりとした大きな瞳は、ひとたび好奇心が刺激されるとらんらんと輝く。
一年の頃は背中まで降りたロングへアーで楚々とした雰囲気を与えていたが
今では髪を結ってポニーテールに仕立てている。
プライベートで出かけるときや部室の掃除といった限られた場面でしか見せなかったのだが
三年に進級してすぐの頃から、常時ポニーテールにするようになった。
まあ本人にも何か事情があるのだろう。俺は理由については突っつかなかった。
「あのう」
座った千反田がおずおずと切り出す。
顔をみて続きを促すが、躊躇うように口をパクパクと動かし目が泳いでいた。
「どうしたんだい」
「あのですね。わたしから提案があるんです」
「ほうほう。それは」
里志が身を乗り出す。
「どんな提案ですかー」
いずるが言葉を引きついだ。
「えっとですね」
「待て」
緊張した面持ちで話を始める千反田を俺は手で制した。
「話すのは俺たちにだけでいいのか? 伊原にはどうするんだ」
千反田はかあっと顔を赤らめてそうでしたね、と照れくさそうに言った。
「話は摩耶花さんが来てからにします」
バツが悪そうにして前を向く。
えー、めちゃくちゃ気になりますよー。とぼやくいずるに頭を下げた。
三年となれば、卒業後の進路選択を迫られる。
千反田は古典部唯一の国公立大志望だ。今もおもむろに取り出したノートをまじまじと見つめている。
みたところ日本史の暗記事項がまとめられているらしい。
追い込みの時期だがこうしてふらりと部室に来ているあたり、まだ余裕があるのだろう。
俺、里志、伊原は三人とも志望校は違うが、私立大学狙いなのは共通している。
古典部で最も学力的に問題があるのは里志だが、それはもう過去の話だ。
留年スレスレの低空飛行だった成績は、夏休み明け頃から急上昇し教師連中の腰を抜かせた。
追い込まれれば驚異的な集中力を発揮する旧友の新たな一面に俺は驚嘆したものだ。
近づきつつある受験。終われば、日々の不安からは解放される。
が、同時に古典部の活動も終わる。浪費といっても良い日々。けれどそれなりに楽しんでいる。
いつからか、この放課後の地学講義室に居心地の良さを感じるようになっていた。
「あの、折木さん? なにか?」
千反田に呼びかけられる。どうやら視線を感じ取っていたらしい。
「なんでもない。ぼんやりしてただけだ」
ぶっきらぼうにそう言った。千反田は気を悪くした様子はなく
「そうですか」
と微笑みを返してくれた。
それからどれくらい経っただろうか。読んでいた本が中ごろに入った時、伊原がやってきた。
無造作なショートカットだった髪型は
これも千反田と同じくして三年に上がった頃、変わった。
レイヤーのボブカット。前髪にはシャギーが入れられている。
そのせいか以前のきつめの顔立ちは少しだけ柔和になった。里志によると、ただの気分転換らしい。
「ちーちゃん、どんな提案?」
千反田から改めて切り出されると、伊原が先に発言した。
いずるは待ってましたと言わんばかりに体が前のめっている。
「はい。 私たち古典部でパーティーをしようと考えているんです」
順序立てて話すのが苦手なところは変わっていない。
「んー。いいんじゃないですかー パーティーなら」
「るーちゃん…もっと詳しく聞こうよ…」
伊原式あだ名命名法に従えば仙道をもじって、せんちゃんとなるはずだが
こといずるに限っては名前をもじる。
というのも、せんちゃんって仙人みたいで嫌です、と口をとがらせたからだ。
俺や里志の名字呼びにも、大衆を無責任にあおる扇動者を連想させると嫌がった。
いささか強引な結びつけじゃないかと思ったが、感性は人それぞれだ。古典部は全員がいずると呼ぶ
「あのですね」
長い沈黙の末、渦中の人物が口を開く。
「いずるさんの歓迎会もしていないですし、それに私たち、卒業したらは慣れ離れなわけです」
「だから歓迎会と送別会を兼ねたパーティーをしよう、ってわけだね」
里志がぴんと指を立てる。千反田が相好を崩して頷いた。
うーん。しかし
「何度か、皆で土日に出かけただろう」
豪華とはいえないものの、メシを五人で食べに行ったことだってある。
「あれは部活動としてです。 今回はパーティーです」
鳥が大空をばたくように腕を大きく広げる。
「んー。いいですねー さすが千反田先輩」
「ねえ、いつやる予定なの?」
伊原が訊く。俺の抵抗もむなしく、あっさり決定事項になってしまった。
「皆さんが良ければ、来週の土曜を予定していますが」
「はっや」
いずるの反応に千反田が気遣わしげに言う。
いずるの反応に千反田が気遣わしげに言う。
「もうすぐ受験勉強が本格的に始まりますので…なるべく早いほうがよろしいのかと…
あの、でも必ずやりたいという訳ではありません。支障があるのならまたの機会にということでもいいんですが…」
ははあ。言い淀んでいたのは俺たちの勉強の妨げになるかもと考えていたらしい。
「僕と摩耶花は大丈夫だよ」
「折木さんは?」
一つの疑問が湧くが、この流れで聞くと水を差すようで躊躇われる。
まあそんなに大したことでもないが。
「大丈夫だ」
千反田が安堵したように頷く。
「ではそれで」
「せんぱーい。場所はどこですかー?」
聞かれて、千反田が大きく両腕を広げる。
「今からそれを皆さんに考えていただきたいんです」
俺は椅子からズッコケそうになった。多分ほかの三人もそうだっただろう。
「考えてなかったんすか…」
笑みを絶やさない陽気な一年生もあ然としている。
てっきり場所も考えてあって必要なのは部員の承諾だけかと。
「すみません。どこでやるか、私一人が決めてしまっては良くないと思ったので」
ここは言い出しっぺの千反田の家でやるのが筋だろう。が、伊原が余計な気を回す。
「ちーちゃんの家は文化祭の打ち上げでおじゃましたし、悪いわよね」
「んー。だったら福部先輩か伊原先輩か折木先輩の家ですね」
「誰か忘れてるぞ、いずる」
彼女は恥ずかしそうに頭を掻いて。
「あたしん家、クソ狭いアパートなんですよ。 パーティーをするには華やかさ足りないかなーって」
「ここはホータローの家と行こうか」
俺は首を横に振る。嘘ではない。その日は親父が家にいて何人か来客があるらしい。
そんな環境で宴など、とても落ち着かない。
「部員の家じゃなくてもいいだろう。どっかのカフェか茶店か」
一瞬だけ場が静まり返り、何かまずいことを言ったのかと俺はぎょっとした。
「そうね。いいかもそれ。折木にしてはナイスアイディアね」
「僕もそう思う。まあドンチャン騒ぎするってわけでもないだろうし」
里志はともかく、伊原が妙に食いつきが良いことに違和感を覚えた。
「じゃあどなたか良い喫茶店かカフェを知っている人は?」
千反田の問いに一本だけ腕が上がった。全員がいずるを注視する。
「あたしにまかして下さい」
いずるは片目をつむり、平板な胸を叩いた。
自信ありげな顔を見て、一抹の不安がよぎったのは多分俺だけではないだろう。
宵っ張りなたちなのだが、めずらしく昨夜は早寝した。
8時前にはベッドから這い出た。と言っても寝ざめは良くない。
いつもの土曜の朝ならまだ夢の中にいる時間帯だ。休日の早起きに体は慣れていないのだ。
目をしょぼつかせながら朝食を済ませた俺はリビングのソファーにだらしなく体を預け
携帯電話を手の中でもてあそぶ。
俺が三年にあがって変わったことといえば携帯電話を持つようになったことだ。
俺だけじゃない。千反田も今では持っているし、いずるの場合入学前から所有済みだ。
テレビでも観ようかとリモコンを手にとった時、間の悪いことに手中にある黄緑の携帯が震えだす。
「もしもし」
リモコンをソファーに放るとディスプレイを確認せず出た。
「んー。折木先輩ですか?」
女子にしては低い声。いずるだとすぐに分かった。
「今日なんですが」
「どうした? 」
「伝えたいことがありまして」
いずるの深刻そうな物言いに俺は身構えてしまう。
春先にあった呼び名の件や里志との軽口を交えた会話を聞いていて
あけすけな言い方をするのがいずるのスタイルだと俺は思っていたからだ。
「頑張ってくださいよ」
「なんだと?」
「ではまた後で」
俺の言葉には取り合わず、一方的に話を打ち切る。
真意はくみ取れなかったがどうしてか、いずるの言葉に胸に突き刺さるような感触を覚えた。
12時には家を出て待ち合わせ場所へと向かう。
パーティーと言っても昼飯を兼ねて軽く、というコンセプトで
1時半には解散する手筈になっていた。さっさと始め手短にすませるという非常に俺好みのスケジュールだ。
神山市の中心部へ徒歩で向かう。
土産物屋、ブティック、本屋など様々な店が立ち並んでおり夏になればここで祭りが行われる。
やがて会場に指定されたカラオケボックスが見えてくる。黄色に塗られた外壁。
取り付けられた看板はひたすらにデカくそのせいか、他の建物よりもひときわ存在感があった。
一旦の集合場所であるカラオケボックス前にいたのは、いずる一人だ。
てっきり千反田が一番乗りだと思っていたが。
今日は肌寒く、冷たい微風が吹いていた。
けれどいずるは身震い一つせず壁に寄りかかっていっている。
水玉模様のパーカーにジーンズという出で立ち。冬の装いをしているが
暖かそうには見えない。
トレンチコートの下に長そでのシャツを着こんでいる俺ですら体を震わせているというのに。
「まさかカラオケボックスとはな」
いずると横並びになる形で壁にもたれる。
ふざけ合っている女子大生風のグループが俺の傍らの階段を上がっていった。
階段の先には、古典部のパーティー会場がある。
「個室が与えられますし、パーティーならやっぱここかなって」
「茶店かカフェって千反田が言ってたろう」
俺の抗議に、いずるは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「んー。カラオケも飲み物食べ物頼めますし。立派なカフェじゃないですかー」
うむむ。こいつ見かけによらず里志顔負けの理屈屋だな。
きっと千反田もこうして言いくるめられたのだろう。
三年生組はカラオケとはずいぶんご無沙汰らしい。
その中で俺のことを詳しく言うとすれば、カラオケはあまり好きじゃない。
というより音楽をあまり嗜んでおらず、流行の曲でさえも歌詞はうろ覚えというありさまだ。
「それはそうと折木先輩」
「どうした」
いずるは俺との距離を縮め、声のトーンを落とす。
「これってただの飲み食いパーティーじゃないと私考えてるんですが」
「そういえばお前、今朝の電話はどういう」
言い終わるまえにいずるが俺の袖を引っ張る。
話を変えないでください、と凄まれてしまった。俺は詫びて、続きを促す。
「千反田先輩、お別れとかそういうの嫌がりそうじゃないですか」
いずるの言葉で閉じ込めていた疑問が湧いてくる。
「まあ多分、な」
体がふらついた、ような気がした。
「きっと何かサプライズがありますよー」
悪戯っぽく笑ういずる。俺は笑えなかった。
千反田の性格からしてそんなことをするとは思えない。
この催しにはもっと深い背景があるはず。
この時期にやる必要性はないのだ。卒業式の前日にでもやればことたりるのだから。
「なあ、表情とか仕草とか、様子は違ってなかったか」
「んー。私はちょっと…見てないですねー」
「そうか」
考えても答えはでない。しばらくして千反田、伊原、里志が連れ立ってやってきた。
里志は青いジャンパーにベージュのチノパン。
伊原はニット帽をかぶり、白の長袖シャツを着ている。英字が書かれているが筆記体のせいで読めない。
下はデニム生地の短パンにブーツをはいていて、寒くないのかと心配してしまう。
千反田は桃色のカーディガンを羽織ってロングスカート。
「お前たせしました。さっそく行きましょうか」
千反田、いずる、伊原、里志、俺の順で階段を登っていく。
店員に通され部屋へ入る。
備え付けのモニターからはデモ画面が流れていて
見覚えのないガールズバンドが何か宣伝のようなことをしていた。
ディスプレイの光の眩さと部屋の暗さのコントラストが目をついた。まあじきに慣れるだろう。
「注文、取りましょうか」
部屋に入ったいずるはメニューを引っ掴んで、があっと広げた。
大きな吊り目を輝かせメニューを見つめる彼女に伊原と千反田も追随する。
「歌より団子だねえ」
里志がクスリと笑った。言いえて妙だ。
俺もなんだかメニューを囲む女連中をみていると腹が減ってきた。時間はもう昼飯時なのだ。
「折木さんも福部さんも。どうぞ」
千反田が空けたスペースに入った。里志がなぜかニヤニヤと笑っている。なんだ。忌々しい奴め。
注文をフロントに伝えさあ誰がトップバッターを務めるのかというとき
手を挙げたのは俺の予想した通り仙道いずるだった。
彼女の選んだのは随分昔の歌で曲名から察するに2000年だろう。
音楽に疎い俺も知っているあたり、かなりのヒットを飛ばしたと思われる。
いずるの歌唱力はなかなかのものであり女子にしては低音の声が強みとなって、迫力やパワーが伝わってくる。
ほかの面々も奇異なものを見たように、阿然としている。
「実はわたし、バンドの真似事をしてまして」
曲が終わって、千反田から称賛の声を浴びたいずるは平板な胸を張ってそう言った。
俺は頷く。ほかの面子も俺と似たり寄ったりの反応。
「ええーっ。なんですかそのリアクションは」
いずるの抗議を里志が笑ってなだめる。
「なんとなくなんだけど、そうじゃないかと思ってたんだよ。普段の言動からさ」
「バレバレだったんですかー。ちくしょー」
「なんで悔しがるの?」
伊原が首を傾げる。
「あえて黙ってて先輩たちを驚かす計画だったんです」
そうだったのか。それは悪いことを。
「では、軽音部も兼部されているんですか?」
思い返せば、いずるが来れない日もあった。
彼女の来れない日は、口実が使えないので俺たちも部室には行けなくなる。
「いえ」
聞かれた本人はきょとんとした様子だった。兼部はしていないらしい。
「あ、そうですか…」
千反田が照れくさそうに笑う。
「入ればいいのに。 こんなに歌うまいんだから」
「バンドのメンバー、校外の人なんですよ。 入部しても意味ないです。まあ理由はそれだけじゃないですけど」
「どんな理由? よかったら教えてくれるかな?」
いずるは片目をつむって指を立て
「わたしは決められたレールの上は走りませんから」
誇らしげにそう言った。先輩四人はそろってポカンと口を開けるだけだった。
続いて千反田の番。
高校生のガールズバンドの曲だった。
秋に歌うには少し季節外れで、浴衣姿、打ち明け花火といった夏を連想させる歌詞にはおかしみさえ覚える。
歌自体は、千反田の高い声とうまくマッチし、なかなか聞きごたえがあった。
「さすが千反田さん」
里志が喝采をあげ、それに合わせるかのように俺、伊原、いずるが拍手喝采を送る。
照れくさそうにマイクを置く仕草は美しかった。
と、ジュースを早いペースで飲み続けていたせいか雉を撃ちたくなった。
が、これから歌う人間からすれば自分の番で席を外されるのは気分がよくないかもしれない。
そう考えたがいらぬ心配のようだ。伊原の番らしい。
こいつなら俺がいようがいなかろうが何とも思わないだろう。
声かけて部屋を出る。トイレへ歩を進めながら、
もう一度、いずると話した千反田の意図について考えをめぐらせる。
千反田の表情を見る限り物悲しげな様子は見られないし、雰囲気も和やかなだ。
古典部外部の人間を連れてきて、これはお別れ会だと説明しても信じないだろう。
カラオケの最中、おれは一つだけ仮説を思いついた。
千反田はなんらかの事情で古典部をやめようとしているというもの。
千反田の歌う姿を目にしてその可能性は崩された。
常識的に考えて、愛着のある部活動を退部する人間はにこやかな微笑は浮かべない。
「あれ~ 省エネくん?」
トイレからでた直後、背後から声がする。振り向くと柔和な笑みを浮かべた女が手を振っている。
「よう、クワガタ女」
倉橋だ。倉橋陽菜乃。
背は伊原より大きく千反田より低い標準的な身長。
ゆるいパーマがかかったセミロングとくりくりとした大きな目が少し幼い印象を与える。
「久しぶりー。こんなとこで会うなんてねー」
二年生の頃、倉橋とは班が同じだった関係で行動を共にした。
放課後を一緒に過ごした時間は古典部を除けばもっとも長い。
俺の灰色の高校生活を少しだけ彩った奴の一人だ。
「たまにはうちのクラスに来いよ」
「え~やだー。めんどくさーい」
エネルギーの無駄使いはいやだなー、とおどけて俺の真似をする。
それからしばらく共通の知り合いの近況を報告し合い、
「じゃあ省エネくん、また今度お話しよ」
ひらひらと手を振って去って行く。
「おい倉橋」
一つ、質問を思いつき、俺は彼女を呼び止めた。
「なにかな?」
真夏の太陽のような笑顔がこちらを向く。俺は問う。
「季節外れの催しものを開くのはどんな事情があると思う?」
人差し指を口元にあてて、目線は虚空をさまよっている。質問が分かりにくかったか。
「たとえば今の時期にお別れパーティーを開くやつがいたら? そいつは何を考えているんだと思う?」
倉橋は、ああ、と呟いて言った。
「省エネくん、それ頭固いよー」
「教えてくれないか」
「何も卒業だけが別れってわけじゃないでしょ。 人それぞれの別れっていうのがあるはずだよー」
じゃあね、と手を振る倉橋に生返事を返す。いずるが部屋から出てくるまで俺はその場に立ち尽くしていた。
週が明け、月曜の放課後。
いつものように部室でのんべりだらd…間違えた。後輩に勉強を教えていた。
そんな折、いずるが手洗いで席を立つ。
その日来ていたのはいずる、俺、伊原。つまり今は伊原と二人きりの状況だ。
まあこいつから何かを話しかけることはめったにない。その予想はすぐに裏切られた。
「ねぇ折木」
伊原がスマホに目を落したまま言う。
「あんたさあ、早く言った方がいいわよ」
「なにをだよ」
俺の言葉に里志の恋人はため息をつく。
「とぼけんならそれでいいわ。 勝手に喋るから。 ちーちゃんってさ、校外での付き合いも多いのよ。
神高生以外にも知り合いがたくさんいるの。もちろん異性もね。 ま、そういうこと」
伊原の長口上に俺は返す言葉が思いつかない。俺の表情を読み取ったのか伊原がさらに付け加える。
「私はあんたのこと正直どうでもいいけど。 でも三年間近くも一緒にいるんだから嫌でも気付くわよ。
部活にきたらちーちゃんに目が行ってるの、知ってるんだからね」
「そうか」
それが精一杯の返事だ。
隠していたつもりが見抜かれていた気恥ずかしさ。隠しきれていなかった自分への腹立たしさ。
二つがないまぜになったものが、俺の体へ積もっていく。
「じゃあ私、帰るから」
「じゃあな」
俺の挨拶には返事もくれず、バッグを担ぐと早足で部室を後にした。
「あ、そうだ折木」
覗き込むように、ひょっこりと顔だけをこちらへ見せ、
「なんかあったら言いなさいよ。その、あたしにできる範囲なら手伝うから」
目をそらせたままで、そっけない言い方。けれどどうしてか、温かみがあった。
伊原が見抜いているということは、おそらく里志も…。
三年にあがり、古典部は変わったんだとデータベースは評していた。
その中でもっとも変わったのはあの二人の関係性だと思う。
カラオケでのたまたま垣間見えたのだ。会計の時にだした里志の財布に避妊具が入っていたことを。
今日び高校生でするのは珍しくもない話だろうし。自分でも不思議なくらい、驚きはしなかったが。
「おまたせーって別に待たせてないですね」
こいつはどうだろうか。いずるは陽気だが能天気ではない。
情への敏感さは千反田と同等かもしれない。
翌日。午前の授業を上の空でこなし昼休み。
大混雑する生徒に混じってなんとか弁当を手に入れると、飲み物でも買おうかと自販機へ向かった。
そこでも列ができあがっていて、俺は軽く足を踏み鳴らす。
なんとなく列の前の方を見ると、見覚えのある姿があった。
女子にしては高い背。凛々しさを醸し出すポニーテール。
ほほ笑む横顔がちらりと見え、疑惑が募っていく。冷たいナイフを突きつけられた気がした。
ジュースを買い終えた二人は列から離脱し、中庭の方向へと歩き出す。
真相を知りたい俺は彼らの後を辿って行った。やめろ、と脳裏から声がする。
それでもつけていったのは心のどこかで杞憂で終わることを期待していたからかもしれない。
中庭に点在しているベンチ。
その一つに二人隣り合っては座った。向こうに気付かれないよう
携帯を確認するフリをして横目で彼らを垣間見る。
時折、肌寒い風が吹きすさぶこの天気を恨めしく思った。
こころなしか、千反田と相手の距離はかなり近い。
二人の会話の内容までは聞こえないが、千反田の笑顔が部室でみせるそれとは違う。
相手に心を許しているかのような笑顔。慎みという名の線引きをなくした笑顔。
千反田は膝の上のバッグから箱を取り出した。青のハンカチで包まれた箱。
それを隣にすわる男に照れくさそうに渡した。中身は弁当だろう。
「先輩?」
声がする。いずるが顔を覗き込んでいた。
「待ち合わせですか?」
「い、いや。姉貴から突然メールが来てな」
「へぇ」
いずるの様子からみるに、千反田には気付いていない。この一年生のおかげで目が覚めた。
俺のしていることは正真正銘のストーカー行為だ。
「おまえは? 誰かと食う約束でもしてるのか?」
「彼氏です」
えへへ、と笑う。だめだ。言葉が出てこない。ここはなんていえばいいんだ。
そんなことを思っていると、いずるが押し殺すように笑いだす。
「嘘ですよ。先輩、何本気にしてるんすか」
ほんっと騙しがいありますねー、と笑いをこらえながらそう言った。
その軽薄さ今では安らぎさえ感じる。
「お昼のお誘いですか? いいですよ。部室にレッツゴーです」
頷き、連れ立って歩き出す。
いずるがペラペラと何かを話すが、それは耳から通り抜けて行った。
思考がうまくコントロールできない。どうしてもさっきの事を考えてしまう。
あの突然のお別れ会。それにも合点が言った。
おそらく提案する以前に交際が始まったのだろう。
思えばあのカラオケボックスでの集まり以降、千反田はあまり部室には来なくなった。
あの催しは奴なりの決意だったのではないか。
神高からの卒業ではなく、古典部からの卒業ということだ。
里志と伊原は同じ部活なので出席率に変わりはないが、千反田の場合、交際相手は外部の人間だ。
交際が始まればどちらかを切り捨てるしかない。
結果、千反田は恋人を選んだ。それについて文句ない。
俺が千反田の立場なら同じ選択をする。
が、人の心は理屈では動かない。理由に納得できたとしても感情までは…
たった今、おれはそう学んだ。
太陽の光は微弱だが空自体は澄んだ青空だった。
その空に昇りたいと、そう思った。
高く高く空に昇れば、俺にはすべてが見えるはず。目はどこまでも届くはず。
いずるの話にしきりに相槌をうち、詳細に想像し、中庭でみた風景に上書きしようとする。
湧きあがってくる真っ黒な感情が消えるには、しばらく時間がかかりそうだった。
おわり