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赤城「赤土提督?」提督「アーカードだ」【前編】
10年前。
提督が鎮守府に着任しました。
これより艦隊の指揮に入ります。
提督「赤土提督です。みんな、よろしく」
この挨拶が行われたのは赤土提督が鎮守府に着任してから数日後の話であり、数名の艦娘がその場にはいた。
理由は至極単純である。
着任当日から資材を備蓄し、溜まった資材を利用して建造を行ったからである。
扶桑「扶桑です」
山城「山城です」
扶桑「姉妹ともども、よろしくお願いいたします」
提督「扶桑、山城……戦艦か!
よっし!やったぞ叢雲!」
提督がそうはしゃいだ瞬間、凄まじい勢いで前へと飛び出した。
建造された艦娘たちの足下へ土下座するような形で滑り込んでいく。
電「なんなのです!?」
先まで提督が立っていた場所を見てみると、水色のロングヘアーに大きな槍が印象的な艦娘が立っていた。
というよりかは、片足を前に突きだした状態で停止していた。
まるで、何かを蹴ったかのような格好で。
提督「何しやがる!」
叢雲「人間、第一印象が肝心なのよ?
そんな風にはしゃいだら威厳も何もないわ。
もっと提督らしく振る舞いなさい。
ただでさえ、あなたは今年16才になったばかりだし、なんて言ったら良いのかしら……あぁ、クソガキなんだから落ち着きくらいは持ちなさい」
提督「お前のせいで威厳も何もないわ!
完全に初対面から土下座をお披露目してしまったわ!」
提督は白い軍服にこびりついた砂埃を払いながら叫んだ。
叢雲「それと、赤土提督じゃなくてアーカードと名乗りなさいって何度言ったら分かるの?」
提督「意味が分からん」
叢雲は心底呆れたと言いたげな長い溜息をついた。
叢雲「駄目ねこの子。全然駄目だわ。一つも言うこと聞かない。
育て方間違ったのかしら」
提督「お前に育てられた覚えは――まあ、あるけど爪の先くらいだ。
基本的に叔母さんにお世話になっていたんだし、叢雲は意味が分からない自称責任者だったじゃないか」
叢雲「あー、お腹減った」
提督「自由か!話を聞け」
叢雲「後でみたらし団子買ってきてちょうだい」
提督「誰が行くかバーカ」
電「あ、あの、司令官さん、それで、私たちはこれからどうしたら良いのでしょうか」
提督「そうだなぁ、当面は遠征と鎮守府内で演習。
初めに言っておくけど、ここはなかなか厳しい海域らしくて、不定期に大規模な敵が攻めてくるらしい。
前の司令官は3ヶ月前に鎮守府正面海域まで敵の大艦隊に攻め込まれてその際に「戦死」した。
しかし!心配ない!
この俺は大丈夫!死なない!もちろん、お前たちも!」
叢雲「勢いだけで根拠がないじゃない」
提督「……大丈夫なものは大丈夫!」
叢雲「仕方がないわね。
私がみんなに説明してあげる」
提督「おい、止めろ」
叢雲「みんな、大丈夫よ。
ここにいる提督はアーカードという不死の吸血鬼よ。
必ずや艦隊を勝利に導いてくれるわ」
叢雲は大まじめな表情で言った。
集まっていた艦娘は「こいつは狂ってるぜ」と言いたげな表情を一様に浮かべていた。
提督「お前のその脳内設定ってなんなの?
なんで俺を吸血鬼にしたがるの?」
叢雲「だって、吸血鬼の方がかっこいいでしょ?」
提督「意味が分からない」
扶桑「提督、そこの叢雲さんは今回の建造で生まれた艦じゃないのかしら。
随分と気心が知れているようですね。
初期艦ですか?」
提督は初期艦と聞いて顔を顰めた。
提督「いや、叢雲とは提督になる前からの付き合いだ」
叢雲「私をそこら辺でたたき売りされている初期艦と一緒にしないでちょうだい。
不愉快よ」
提督「またそんな事を言う……あの時だって初期艦を1隻選んで良いって事になってたのに……」
叢雲「要らないものを要らないと言って悪い理由はないわよね?」
電「なにかあったのです?」
提督「この鎮守府に来る前の話なんだが、手を貸してくれるという艦娘がいたんだ。
そのせっかくの申し出をこいつが断りやがった。
断ったというか、その話をしていたら艦娘に後ろから膝蹴りを食らわせやがった」
電「膝!?」
叢雲「こうやってね!」
そう言うと叢雲は助走を付けた膝蹴りを電の顔面にたたき込んだ。
電「ごふぅ!!??」(こいつ……マジでイカレてやがるのです)
提督「何やってんのおまえええぇぇ!?」
叢雲「私の方針に文句がある奴は今すぐに出て行きなさい!」
提督「俺の鎮守府なの!
そういうことを決めるのは俺の仕事なの!
俺の鎮守府はそういう感じじゃないの!
アットホームな感じで行きたいの!」
叢雲「秘書艦というものがあるのを知らないの?」
提督「知ってるけどお前は勘違いをしている!」
叢雲「まあ、右も左も分からないクソガキ提督は大人しく秘書艦に従っておきなさい。
本物の軍隊という物を見せてあげるわ」
そう言うと叢雲は長刀を頭上で振り回し、空を切るようにしてそれを止めた。
叢雲「貴様ら一人前のくせして全くの機械だ。
文句ばかりは一丁前で本当に大切なことは一人では決められない。
自分の意思で食物を食らい。自分の力で海を渡れ。
本物の艦娘になりなさい!
貴方たちは自由よ!」
ここで、今まで事の成り行きを見守っていた艦娘が口を開いた。
大井「何が本物の軍隊よ。
自由を謳っている時点で――」
叢雲「海軍精神注入!」
叢雲は長刀の柄を大井の頭上に振り下ろした。
大井「見切った!」
大井はそれを半身になって避ける。
叢雲「豚のような悲鳴を上げろ」
叢雲はすかさず手刀を大井の首にたたき込む。
大井「かふぃぃ!!」(ここまでする!?)大破
提督「何で服がはじけ飛んだんだ?」
叢雲「何見てんのよこのエロ。
思春期、変態」
提督「何言ってるんだお前」
叢雲「あなたくらいの年齢の人間が考えていることなんてお見通しよ……このエロ大魔神!」
提督「言いがかりはよせ!」
叢雲「え?
あなた大丈夫?
そっち系の欲求はないの?
それは、それで問題ね
もしかして、ホ――」
提督「違うわ!」
叢雲「大丈夫よ。
あなたが私のお風呂を覗いて興奮していたのは知ってるから」
提督「よ、よせよ。
あるか、そんなこと」
挙動不審であった。
叢雲「汚らわしい」
ジト目であった。
周りの艦娘がざわつく。
叢雲「……まあ、こんな提督だけどよろしくしてあげてちょうだい」
提督「叢雲の馬鹿野郎ぉ!
秘書官は電!これ決定!」
そう言って、提督は執務室に逃げ帰った。
数分後、執務室に叢雲がやってきて「電は泳ぎたいって海に飛び込んだわ」といって執務室の椅子についた。
さらに数分後、ずぶ濡れの電が執務室に飛び込んできて「食らうのです!」と叫びながら叢雲に殴りかかった。
叢雲は「邪魔」の一言で蹴り飛ばし、執務室のドアごと大破させた。
この日、爪に火をともす思い出貯めた資材で建造した艦娘から続出する転出願いに提督は震えた。
*―――――――――――――――――*
赤城「随分と滅茶苦茶だったんですね」
扶桑は話を区切り、ほっと溜息をついた。
扶桑「何もかもが型破りでした。
強さも尋常ではなかったので、電や大井はいつも喧嘩をしてはコテンパにされてましたね」
赤城「電様が?」
扶桑「それはもうボロぞうきんのように成ってましたよ。
電も今ほど強くはありませんでしたから」
赤城「信じられません」
扶桑「それでも、仲は悪くなかったのよ。
叢雲の無茶苦茶な性格に呆れて鎮守府を去る艦娘がいたのも確かだけど、逆を言えば残った艦娘というのは叢雲のそういう部分も許容できたり、ある意味、あこがれのような感情を抱いていた艦娘でしたから。
かくいう私も叢雲の自由な姿に憧れていました。
楽しかったなぁ」
扶桑はしんみりと言った。
扶桑「提督は慎重派です戦術も徹夜で組み立てるような人ですから、あの日まで轟沈なんてなかったですし鎮守府の雰囲気も良かったんですよ?
でも、前も言ったけど、提督には運がなかったの」
赤城「運……ですか」
扶桑「戦い続けて勝ち続けて……感覚が麻痺するんだけど……この戦力で十分だってね。
提督は正規空母なんて建造できたことないですしドロップ艦も運が良くて重巡みたいな人でした。
戦いが進むにつれて無理が出てきましたし、敵が活発化し始めてからの提督の必死な姿は見ていられませんでした。
大規模な戦闘に備えての人員確保のために、色々な所に増援を求めていましたが、基本的にはどこも人手不足です、し強力な艦娘を特別に配備するに当たってはこの鎮守府の成績は良すぎた。
結局は鎮守府内でどうにかするしかなかったのよ。
上の人間からしてみれば確かにここは厳しい敵情勢を抱える鎮守府ですけど、ここを奪われたから……だからといって直ぐに許容できない被害が出るのかと問われればそうではない、結局は使い捨てることができる場所だと目されていたんです」
赤城「そんな」
扶桑「今でも思うんです。
提督はあの日、叢雲を出撃させたくなかったのではないかと。
どの艦が沈む可能性が濃厚である状況下において叢雲の出撃に、内心穏やかではなかったと思います。
そして、あの日、叢雲と私と山城、潮、龍驤、大井は海に出たんです」
*―――――――――――――――――*
敵が強くなって来た気がする。
私たちももう十年近く戦って練度は高い。最高値だと言っても過言ではないだろう。
提督も寝ずに戦闘の準備に明け暮れている。
なのに敵が強くなった気がする。
叢雲は出会ったときから強かった。
初めて海に一緒に出たときなど聞いたこともないような戦闘の性能に度肝を抜かれた。
訳の分からない射程で砲撃を当てるし、その威力たるや46センチ砲も真っ青、魚雷を戦闘が始まる前に撃って敵を轟沈させ大井が本気で怒り、接近したとみるや殴る蹴る長刀で両断するの乱舞だ。
彼女は出会ったときよりも強くなった気がする。
なのに敵が強くなった気がする。
扶桑「ごめんなさい。やられてしまいました」中破
叢雲「そんなの見れば分かるわ」
第一艦隊が出撃して今日一番の戦闘で会ったが、叢雲以外小破以上の被害を受けていた。
提督の予定では3戦して戦線を押し上げるはずであったが、最近は押されているのを肌と戦績で感じる。
以前、行けていた海域までたどり着けないことが多々あるのだ。
叢雲「いったん鎮守府に引くわよ」
龍驤「……なぁ、叢雲。
ウチらちょっとピンチ過ぎるんとちゃう?」
叢雲「私は何の問題はないわ。
ピンチなのは貴方たちだけ」
龍驤「冷たいなぁ」
叢雲「いい加減貴方たちも強くなりなさい」
龍驤「無理無理。
叢雲が言う強くなれって言うのは、ようは叢雲みたいに無茶苦茶な性能になれってことやろ?
分かって無いようやけど、あんた無茶苦茶なんよ。
他のどこ探しても叢雲みたいな馬鹿げた性能の艦娘なんておらへんよ」
叢雲「あきらめが人を殺す。
艦娘も同様!」
叢雲はそう言うと龍驤の頬を張った。
龍驤の首が嫌な方向に曲がる。
龍驤「ちょ、ちょっと待って。
あかんって」
叢雲「あかんことないわよ?」
叢雲は不思議そうな顔をして頭を傾けると今度は逆側に頬を張った。
龍驤「あっかーん!」中破
大井「ちょっと!
今は出撃中なんだからふざけるのもいい加減にしてちょうだい!」
叢雲「また、中破したの?
馬鹿なの!?」
叢雲は躊躇なく手刀を大井の喉に突き刺した。
大井「かふっ!?」
叢雲「装甲が薄いとか言い訳だから」
この光景を巻き込まれないように遠目から見ていた潮の方向に叢雲の首だけが向いた。
潮「!?」ビクッ
叢雲「じー」
潮「な、なんでしょうか」
叢雲「手加減してるんじゃないわよ!」
叢雲は潮の頭を片手で掴むと激しく揺する。
それだけで潮は目を回してしまっていた。
叢雲「迷いがあればいつか大破だけじゃ済まなくなるわよ」
潮「で、でも、敵も生きてて、仲間がいて、な、中には私たちに似た艦もいたりします。
深海棲艦って何なんでしょうか。
もしかしたら――」
叢雲「だからなんなの?」
叢雲は潮の胸ぐらを捻りあげる。
叢雲「鉄火を持って闘争を始める者に人間も艦娘も深海棲艦もあるか!
彼女たちは来た!殺し、打ち倒し、朽ち果てさせるために!
殺されに、打ち倒されに、朽ち果たされるために!
殺さなければならない!」
潮「で、でも……」
叢雲「ま、どうでも良いけど。
せいぜい、おっかなびっくりついてきなさい」
叢雲はなぜか満足したように言った。
潮「は、はい!」
叢雲「とりあえず鎮守府まで戻るわよ。
で、貴方たちにバケツをぶっかけて再出撃よ!」
龍驤「ブラックやぁ」
叢雲「そこに直りなさい!
指導して――」
叢雲はそこまで言うと水平線の彼方へと視線を向けた。
いつになく真剣な表情でそちらの方向を見つめ続ける。
そして、にやりと口元を歪ませた。
いつものように。
叢雲「さあ、貴方たち鎮守府に帰りなさい」
他の艦娘たちは揃って首を捻った。
叢雲の言い方に違和感を覚えたからだ。
大井「ついにまともな日本語も話せなくなったのね。
さっさと帰るわよ。叢雲」
叢雲「いいえ、私はここに残るわ」
大井「……は?
何を言っているの、あなた」
叢雲「あなた達のことが嫌いなの。
顔も見たくない、さっさと失せろ、雑魚、消えろ」
大井のこめかみに青筋が浮いた。
大井「何よその言い方!
こっちだっていつも甘味処に行っては私の分まで食べられてそろそろ我慢の限界――」
叢雲「さっさと帰りなさい!!」
大井「っ!
……分かったわよ、置いて帰るからね!
敵艦隊に襲われても知らないんだから!」
大井はそう言って叢雲に背を向けた。
だが、龍驤が異変に気がつく。
龍驤「……なんや、この数……」
龍驤の顔から血の気が失せた。
龍驤「12時の方向、偵察機が敵艦隊多数を捕捉!
連合艦隊……そんな、生やさしい感じじゃあらへんよ!」
艦娘たちの視線が叢雲に集まった。
扶桑「まさか……あなた……。
迎撃しますか、撤退しますか?」
叢雲「……まったく、文句だけは一人前に言えるくせに、最後まで自分で決断できる骨のあるところを見せてはくれなかったのね。
迎撃は論外。
撤退よ。
ただし、1隻殿を残してね」
大井「あなたがここに残るつもり!?
許さないわよ!」
大井は叢雲に詰め寄り両肩を揺さぶる。
叢雲「誰にも許してもらう必要はないわ。
さっさと鎮守府に帰って報告しなさい。
雑魚のあなた達だけど鎮守府の資源があればやりようはいくらでもあるわ」
大井「私もここに残るわ!」
潮「わ、私も」
山城「……私と姉さんで足止めした方が良いのでは?」
龍驤「ウチ艦載機もう飛ばせんけど、敵を引きつけておくくらいなら何とかなるで?」
水平線の彼方に敵艦隊が見えた。
その艦隊の頭上はまがまがしい雲で覆われていた。
まるで、嵐を引き連れてきているかのようである。
一見して、姫や鬼などの強力な艦が数隻見て取れた。
叢雲「…………飽きれた馬鹿共ね。
だから嫌いなのよ。
さっさと行きなさい。
あなた達がいたところで何の役にも立たないし――」
叢雲は大井の胸を掌で突いた。
大井は思った以上の衝撃に後ろへとよろける。
叢雲「邪魔なのよ」
大井「……なんなのよ……先までいつもみたいに過ごしていたじゃない。
戦って、勝ったらみんなで喜んで、叢雲が調子に乗るなって暴力振るって。
戦って、負けたらみんなで反省して、叢雲が強くなれって暴力を振るって。
そうだったじゃない、先だって。
その後はいつもみたいに鎮守府に帰ってお風呂にゆっくり浸かって提督や他のみんなと食事をとるんでしょ?」
叢雲「勝手にやってなさい」
扶桑「やっぱり私たちも残ります」
叢雲「邪魔だって言ってるのよ不幸艦!!
馬鹿なの!?
誰かが足止めしないと駄目なの!それが出来るのは私なの!いち早く鎮守府に報告をして迎撃の態勢をとらないと駄目なの!それが分からないの!?
だから、あなた達のことが嫌いなのよ!
鬱陶しい!」
潮「そんなこと言わないでください!
ここにいるみんな、昔からの仲間じゃないですか。
何をするにしてもみんな一緒だったじゃないですか。
叢雲さんは楽しくなかったんですか!?」
叢雲「別にあんた達と過ごした日々なんて楽しくとも何ともな――な、な」
叢雲は言葉が引っかかりその先が言えなかった。
それを見た潮ははっとして悲壮な表情を浮かべた。
潮「……ごめんなさい」
扶桑「……帰還……します」
残りの艦娘は身をよじるような苦悩に襲われたが、敵艦隊は直ぐそこまで迫ってきていた。
やがて、鎮守府の方向へと進路を向けた。
大井「絶対に迎えに来るから!
隙を見てあなたも逃げなさいよ!」
山城「……提督に言っておくことはある?」
龍驤「山城!」
山城「取り繕っても意味がないわ。
悔いを残させる方がいけないと思うの」
大井「あんたねぇ!」
大井が襲いかからないばかりに凄んだ。
叢雲「なにもないわ」
そう言って、叢雲は艦娘に背を向けた。
鈴のような声だった。
嵐を引きつける敵艦隊を前に、叢雲の頭上は澄み渡っている空を見上げていた。
叢雲「なにもない」
山城「そう」
それが、最後の会話だった。
扶桑達5隻は壊れても構わないとばかりに速度を上げ、鎮守府へと向かう。
あっと、いう間に叢雲の姿は見えなくなったが、冗談のような砲撃音の数が狂ったように背後で響くのを聞いた。
阿鼻叫喚の戦闘の音を聞いた。
大井「あぁ、提督になんて報告すれば良いの?」
*―――――――――――――――――*
扶桑「それが、叢雲の最後」
話を聞き終えた赤城は何も言えなかった。
扶桑「それが、叢雲の最後。
沈む瞬間なんて誰も見ていないのに、彼女はもうこの世にいなくて、今、この鎮守府にいる叢雲は昔の叢雲では決してないの」
扶桑はそこまで言うと両目から涙を零した。
扶桑「ごめんなさい。
これ以上はもう――でも、分かって」
赤城「……えぇ、分かりました」
赤城はそう言うと部屋を後にした、外を見張っていた山城と潮との会話はなかった。
自室に戻った赤城はまだ聞かなければいけない事があると感じた。
それを話してくれるのは――。
赤城「提督」
赤城の頭に彼女が知る叢雲の言葉が思い起こされた。
赤城「貪欲と言うよりもはや卑しい……ね。
そうね。
自分でも……そう思うわ」
この日の夕方、午後6時。
提督はいつもの格好、いつもの様子で鎮守府の皆の前に立った。
そして、いつもの調子で言った。
提督「近日中に大規模な戦闘が予想される。
やる気のある者の気勢をを削ぐような事を言うのは心苦しいが、いつも言っているように、君たちは自由だ。
もし、来る戦いに恐れがあるのならば、この後、いつでも良い、私にそれを伝えてくれ。
望むようにしてやる。
戦えないからと去る必要はない、避難をしたいというのであれば別だがな。
恥じなくても良い、戦いに恐れを抱くのは正常な証だ。
だが、その恐怖を前にしてもなおここに残り戦ってくれる者、自分の意思で残り戦ってくれる者、私に力を貸して欲しい。
以上だ」
これを聞いた艦娘たちの反応は「何言ってるんだ?こいつ」「時間を無駄にした」「わざわざ集められた理由ってこれ?」程度のものだった。
元々、この鎮守府に残っている艦娘というのはそんな艦ばかりなのだ。
どうしようもない提督とどうしようもない艦娘たちばかりだ。
その繋がりは――
赤城「それは違う。
違いますよ。提督」
*―――――――――――――――――*
提督が皆を講堂に集めた夜。
提督は艦娘が来るのを待っていた。
しかし、夜も更けきり、鎮守府もすっかりと静まりかえり、歩哨の明かりがちらほらと見られるようになった頃、提督は今日は艦娘は来ないと結論付け、仕事をしようと卓上に地図を広げた。
そんな時であったため、執務室の扉がノックされた事に提督はいささか驚いたような顔をした。
提督「入れ」
提督の声の後、執務室の扉が開かれるが、誰かが入室してくる気配は一向もない。
提督「……誰だ。
入って良いぞ」
扉は開いたまま、向こう側の暗い廊下が見えるだけだった。
提督「……叢雲?」
赤城「心せよ亡霊を装いて戯れなば、汝、亡霊となるべし」
風と共に背後から響いた声に提督は体を震わせた。
その震えを押さえるように赤城は提督の両肩に手を乗せる。
提督「赤城か、脅かすな!
いや、驚いてはいないがな!」
提督は立ち上がろうとしたが、肩に置かれた赤城の両手がそれを許さなかった。
椅子に押さえつけられるようにしてピクリとも動けない。
提督「……窓から入ってきたのか」
赤城「えぇ、ドアの方は艦載機です。
驚きました?」
提督「いいや?」
卓上に広げられているものに赤城の目線が注がれたのを提督は直感で理解した。
提督「気にするな」
提督はそう言うとバツが悪そうに地図、統計、作戦指令書を手早く裏返す。
赤城「どれもこれもに私の名前があるのに気にするなとは可笑しな話ですね」
提督「ここに来たという事はそういう事なんだろ?
お前は何も気にしなくて良い。
好きなようにしろ」
赤城「そうですか」
赤城はそう言うと背後から提督にしなだれかかった。
提督「何だ?」
僅かに驚いたような声が提督から上がる。
背後を確認しようと首だけ振り返り、至近距離で顔をのぞき込むようにしていた赤城の不敵な笑みに対面した。
鼻先が触れるような距離で提督は赤城の瞳を覗き込む。
赤城「正気を疑っています?」
提督「いや」
赤城「腹が立つ人ですね。提督は。
私はこんなにどきどきしているのに、あなたと来たら犬猫が戯れてきた程度の動揺しかないんですね。
それは、あなたの心の中に叢雲がいるからですか?」
提督「……それは――」
提督は言葉に詰まった。
赤城「私、提督が好きです。
愛しています。
だから、戦いましょう明日も明後日も命尽きるその日まで」
提督「は?
それは――」
提督の表情が苦悩に揺れた。
提督「それは……良くない」
赤城「何でです?
私が私の意思で決めたことです。
誰の許可なんて要らないんです。
提督も気にしなくても良いんです。
私が勝手に、好きでやっている事なんですから」
提督「おかしいだろ……そんなの。
大体……こんな私のどこを好きになったと言うんだ……おかしいだろ」
赤城の、ふふふふふ、と言う心底面白そうな声が執務室に響いた。
赤城「有り体に言えば、全部です。
面倒くさいところも、一生懸命なところも、弱いところも、強いところも、壊れてしまっているところも、苦悩している姿も全部好きなんです。
だから、提督は私の愛に応えようとせずとも、慰めようともしなくても良いんです。
拒絶してくれても良いんです。
私、提督の一隻の艦娘に一途な姿も好きですから」
提督「それは……それは、愛なのか?」
赤城「それを知ったのは提督と出会ってからなので、若輩の私が言うのも何ですが……提督のソレこそ愛なんですか?」
提督「……なんだって?」
赤城「気がついていますか?
この鎮守府にいる全ての艦娘は提督の事をにくからず思っている事を、それは、愛情であったり、信愛であったり、友情のような感情であったりするのでしょうが……一人一人が提督の事を死なせたくないと思っているんですよ?
だからね、提督――私は口に出して提督の為に戦うと言っただけで、皆、同じ気持ちなんですよ。
どうしようもない提督の元に残る艦娘なんて、どうしようもない艦娘に決まっているでしょう?」
提督「そんな馬鹿なことがあるか」
提督は頭を抱えた。
赤城「心優しい艦娘が「人々」の為に戦禍に飛び込んで言っているのだと思いましたか?
提督、ここに残っている艦娘はそんなものじゃありません。
顔も知らない「人々」の為に戦うなんてまっぴらごめんなんですよ。
ただ、提督の為に戦い、沈むことになろうとも、それでも構わないと言える艦娘なんです」
提督「そんな馬鹿なことがあるか」
赤城「提督は悪くありません。
周りがただ、そうなんです。
提督はただ、一隻の艦娘を愛し続けただけ……だから、周りの好意に気がつかなくても、それを責められる必要はないんです」
提督「そんな馬鹿なことがあるか」
赤城「良いんですよ?
提督がただ一隻の沈んでしまった艦隊を愛していると言うのであれば、皆はそれで納得してしまっているんです」
赤城は提督を覗き込むようにして言った。
提督「……お前は……どうなんだ」
赤城「私ですか?
当然、私も提督がただ一隻の艦を愛するというのであれば、それはそれで納得します。
そうであるのならですが」
提督「それを口にすること自体が、不服を申し立てているようにとれるが?」
赤城は目を細めて口の両端をつり上げた。
赤城「私しか――私しか、言わなかったでしょう?こんな事は。
周りの艦娘にも私と同じ気持ちである艦が要るはずなのにも関わらずです」
提督「それは、お前の勘違いだからだ」
赤城「いいえ、彼女たちは二人に優しいんですよ。
提督と沈んでしまった叢雲の二人にね。
だから、提督がその一隻に全てを捧げるのも沈んでしまったその一隻が提督の全てを繋ぎ止めているのも許容できるんです」
赤城の提督の肩を押さえる力が強まった。
赤城「でもね――でもね提督。
私は提督に優しくなれてもその一隻にまでそこまで優しくはなれません。
提督が全てをその艦に捧げるというのなら、私はなんの文句もないんです。
でも、その一隻が全てを繋ぎ止めているのだけは我慢ならないんです」
提督「大丈夫か?赤城。
何が言いたい」
赤城「教えてください。
提督の愛してやまない叢雲という艦を。
私を納得させてください。
それが、私へのせめてもの慰めだと思って」
提督は話すべきかそうするべきでないかを迷っている用であったが、赤城にしてみれば滑稽なことこの上なかった。
もう、答えは出ているのだ。
提督がこのように艦娘に頼まれて、断れるはずがない。
提督「……分かった」
赤城「よかった。
ありがとうございます。
じゃあ、聞かせてください。」
提督「どこから話そうか」
赤城「全部」
提督「……そうか。
そうだな……叢雲と出会ったのは6歳の頃の話だ。
あの日は、私の誕生日だったんだが――」
*―――――――――――――――――*
「今日は誕生日じゃなかったっけ?」
「前から楽しみにしてたじゃん」
「どうしてこんな所にいるの?」
提督「どこにいようと良いじゃないか」
「ほら、言った通りだろ?
こいつの父さん提督だから絶対に無理だって言っただろ」
「なんで無理なの?」
「提督は忙しいからだよ」
「艦娘に命令しているだけじゃん」
当時、6歳だった赤土提督は、当然、このときは提督でも何でもなかったし、当然、カーカードなどと名乗っているなかった。
一介の子供だった。
父親は提督で鎮守府は危ないからという理由で、鎮守府には住まわず、父親が配属となっている鎮守府の保護下にある町中に母親と二人で過ごしている。
今日は以前から家族水入らずで誕生日を祝おうという話をしていたのだが、父親が今朝になって深海棲艦の動きが活発だからという理由でこれをキャンセルした。
母は二人でも祝おうとしている様子だったのだが、内心とても楽しみにしていた少年赤土は夕方になって我慢の限界を迎え、家を飛び出したのであった。
「赤土、お前、艦娘と話したことある?」
提督「あるよ」
「どんなのだった?」
提督「わかんない」
「何それ」
提督「普通の人と変わらなかったよ。
もしかして、騙されたのかも」
「多分そうだよ」
提督「……じゃあね」
「帰るの?」
提督「うん」
そう言って、その場を離れた提督であったが、当然の如く家には帰らなかった。
日は傾き、夕焼けが目にまぶしい時間になっていたが、近くの公園でブランコでもして遊ぼうと考える。
提督「…………なに、アレ」
公園に着いた時の感想がソレであった。
ブランコをしようと思っていたのだが、先客がいた。
ブランコは二つあるのだが、そいつはものすごい勢いでブランコを漕いでおり、隣のブランコを使う気には到底なれない。
本当はブランコがしたかったのだが、仕方なしに鉄棒をすることにした。
ブランコの方を気にしながら、周りの遊具で遊んでいく。
ついにはブランコを使っているアレは一回転を何度もし始めたが、一向に満足する気配がない。
仕方なしに、本当に仕方なしに砂場で山を作り始めたとき、ブランコをこいでいたアレがブランコからふっとんだ。
提督「あっ」
と思ったのは一瞬で、アレは空中でくるくると回転すると見事に着地して見せた。
狂ったような勢いであったのに関わらず、勢いも重さも感じさせないような軽やかさで着地したのは、水色のロングヘアーの少女だった。
提督「……すげぇ」
凄い、と子供ながらに感じた。
その少女がその体術を披露した事に対してではない。
彼は、今までここまで綺麗な少女を見たことがなかったのである。
自称艦娘を名乗る女性は確かに綺麗だったのだろうが、年上過ぎてそこら辺の事がよく分からなかった。
艶のある軽やかな髪の毛、整った顔立ち、陶器のような肌。
一目見た瞬間には次にとる行動を自制することは出来なかった。
提督「ちょっと!」
「……なに?」
提督に声を掛けられた少女は不機嫌そうに振り返った。
提督「一緒に遊ばない?」
少女はすでに日が沈みきった空を見上げた。
「遊ばないわよ。
子供がこんな時間まで外に出て何をやっているの?
早く帰りなさい」
提督「帰りたくないんだ」
「あっそ」
少女は背を向けてその場から立ち去ろうとする。
提督「僕の名前は赤土。
君は?」
「……赤土?
ここの鎮守府の人間も赤土だったわよね?」
提督「僕のお父さんだよ。
提督なんだ」
「提督じゃないわ」
提督「提督だよ?」
「私が提督と認めなかったら提督じゃないのよ」
こいつはちょっと変わった奴だな、と赤土は考え始めていた。
「でも、赤土というのは良い名前ね」
提督「そうかな?」
「でも、あなた自信は冴えない性格をしているわね。
私、自分でやりたいことを決断できない奴は見るのも嫌いなの。
あなた、ブランコをやりたかったんじゃないの?」
提督「そうだけど、君がやってたから」
「隣のブランコが空いていたじゃない」
提督「君が凄い勢いで漕いでたから……怖いから近づけなかったんだ」
「情けないわね。
それに、君じゃないわ。
私は叢雲という名前があるのよ?」
提督「むらくも?
変な名前。名字?下の名前?」
叢雲「そいっ!」
提督が言った瞬間、叢雲の膝が赤土の鳩尾に突き刺さっていた。
提督「っ!?」
その場に、膝を突き、軽い呼吸困難に襲われる。
提督「やばいなこいつ」
叢雲「ぶち殺 すぞヒューマン」
提督「それより叢雲ねぇちゃん」
叢雲「叢雲ねぇちゃん?」
提督「僕、6歳だけど、叢雲の方がたぶんおねえちゃんだよね?」
叢雲「私、生後2週間程度だけど?」
提督「……意味が分からないよ。
よく言われない?
狂ってるって?」
叢雲「あなたがあと10歳年上だったらマウントをとって顔面を左右の拳で死ぬほど殴っている所よ?」
提督「叢雲ねぇちゃん。どこに住んでるの?
今まで見たことないけど引っ越してきたの?」
叢雲「あなた、人の話を聞かないわね。
まあ、引っ越してきたと言えばそうなのかしら。
海から来たわ」
提督「変わってるね」
叢雲「ちょっとね」
提督「何して遊ぼうか」
叢雲「遊ばないけど?」
提督「明日は?」
叢雲「明日も遊ばないわよ?」
提督「だったら、明後日の朝10時にここで待ち合わせね。
じゃあね」
そう言って、走り出した。
叢雲「は?
何勝手に約束して――ちょっと!?
あなた本当に人の話を聞かないわね!」
全力疾走と、叢雲という少女と会話が出来たことで、胸は痛いほど高鳴っていた。
*―――――――――――――――――*
二日後、少年赤土は朝8時には公園に来ていた。
ただ、あの少女が来るのを待っていた。
約束の10時になった時、公園にいるのは赤土と赤土より小さな男の子とその母親だけであり、休日だというのに閑散としていた。
それから2時間が経ちいつもなら昼食をとっている時間になっても、赤土はその場にとどまり続けた。
実は、昨日の家に帰った後、心配をして近所を走り回っていた母親にしこたま怒られており、今日も半分逃げるようにして家を出てきた。
ぽつり、と雨が赤土の脳天に落ちた。
提督「……雨、かぁ」
赤土が言った後、雨足は強まり、少年を一気にずぶ濡れの状態へと変えた。
それでも赤土は動こうとはしなかった。
「雨か、じゃないわよ」
後ろからかかった声に赤土は振り返る。
そこには、ビニール傘を差し、ぼろぼろの旅行鞄を持っている叢雲を名乗る少女がいた。
叢雲「なんで帰らないのよ」
提督「やることがないから」
叢雲「帰って勉強でもしなさい」
提督「お父さんとお母さんは遊べって言うよ。
遊びすぎたら怒るけどね。
勉強ばかりしてた人は勉強ばかりしてそのまま死んじゃうから。
僕の友達の親はほとんどそうだよ」
叢雲「それはあきらめよ。
こんな人の命が軽い世の中ならいっそのこと悔いのないように生きようというあきらめよ。
あきらめが人を殺す。
覚えておきなさい」
提督「だったら何をすれば良いの?」
叢雲「自分で決めなさい!」
容赦ない張り手が赤土を襲った。
半回転して、泥の中に両手を突く。
提督「ひどいよ、叢雲ねぇちゃん」
叢雲「泣かなかったのは褒めてあげるわ」
提督「何して遊ぶ?」
叢雲は雨が降る空をビニール傘越しに見上げた。
叢雲「……もしかして、あなた狂ってるの?
家はどこ?
フルネームは?」
赤土は自分のフルネームと住所を言って見せた。
叢雲「ふむ。
だからどうしたって感じね。
まあ、いいわ」
提督「じゃあ、何して遊ぶ?」
叢雲「……どうして、私と遊びたいの?」
提督「可愛いし、元気だから」
叢雲「子供って正直ね。
私が魅力的なのが悪いのね?」
提督「うん。
強そう」
叢雲「強そうとか意味わかんない」
提督「叢雲ねぇちゃんなら簡単に死なないよね?」
叢雲「は?」
提督「もう飽き飽きしてるんだ。
学校の友達も近所のお兄さんもさ、友達になったと思ったら死んだり引っ越したり、引っ越しならまだ良いんだ。
でも、知ってる人が死ぬのはもう飽きたよ」
叢雲「飽きた……ねぇ」
提督「深海棲艦って何なんだろうね?
あいつらのせいで僕の誕生日もなくなっちゃったし」
叢雲「どうでも良いわ」
提督「戦ってる意味が分からないよ。
みんな仲良く出来れば良いのに」
叢雲「それが出来ないから戦ってるんでしょ?
まあ、私には関係ないけど」
提督「そんな言い方良くないよ。
人間の代わりに艦娘とかいう人たちが戦ってくれてるんだし」
叢雲「私から言わせれば、艦娘こそ何のために戦っているのかが分からないわ。
……あなた、艦娘と直接会ったことはある?」
提督「たぶんないよ。
自分は艦娘だっていう女の人と話した事はあるけど」
叢雲「ふぅん、そいつと何を話したの?」
提督「確か、鎮守府が近海まで深海棲艦が乗り込んだときの対処法」
叢雲「なんでまたそんな話を」
提督「最近、鎮守府の近くまで深海棲艦に攻め込まれた事があって……砲撃の音も凄く聞こえていたからちょっと見に行こうと思って。
そしたら、町中の警護に出たとかいう女の人に止められた。
命ある限り海とは反対方向に逃げろって言われたよ。
でもさ、まっぴらごめんだよね、そんなこと。
ちょっと戦いは見たかったし、艦娘なんて見たことないけど、もし、そういう人たちが戦ってくれているんなら人は逃げるべきじゃないよね」
叢雲「ふぅん。
いても邪魔だし、逃げても良いんじゃない?」
提督「そうかな?」
叢雲「そうよ」
提督「そうだね。
確かに、そのときも結局怖くて海には近づけなかったし、そうするのが良いのかも。
ところで、叢雲ねぇちゃん。
そのゴミ何?」
提督は叢雲が持っている手提げ鞄を指さしながら言った。
その瞬間、脳天にチョップを見舞われる。
叢雲「お宝を指さしてゴミとは何事?」
提督「そんなぼろぼろの鞄の何がお宝なの?」
叢雲「鞄自体はボロだけど、中に入っているものは極上のお宝よ」
提督「見せて」
叢雲「いやよ。
あなたには早いわ」
提督「……もしかして、エッチな本?」
赤土は首が嫌な音がするほどの強力なビンタを食らった。
提督「首が取れるよ!」
叢雲「あなたが変なことを言うからでしょ!?」
提督「あぁ、これ、首おかしいよ、絶対にちょっとおかしいことになってるって」
叢雲「見せてみなさい……何ともないわよ」
提督「そう?
だったら、何して遊ぶ?」
叢雲は空を見上げた。
雨雲の隙間から晴れ間が覗いていた。
叢雲「しつこいわね、あなたも」
提督は大きなくしゃみをする。
叢雲「分かったわよ。
ちょうど、暇をしていたことだし、お遊びにつきあってあげる。
ただし、明日からね。
今日は大人しく家に帰りなさい。風邪引くわよ」
*―――――――――――――――――*
約束通り、翌日から叢雲は顔を合わせれば少年赤土のお遊びに付き合ってくれるようになった。
大抵の事を「悪くないわ」の一言で済ませ、危険が及ぶと判断すれば常人離れした身体能力で助け船を出し、諍いがあれば何があろうと両成敗する叢雲を赤土が本当の姉のように思うに時間はかからなかった。
ただ、叢雲への情が深まる一方で不満も同じように積もっていった。
少年赤土と叢雲が遊んでいる姿を周りのものが見ないわけがない。
特に子供となれば叢雲に持つ興味を行動に出さないはずがない。
少年赤土の「叢雲ねぇちゃん」はいつのまにか「みんなの叢雲ねぇちゃん」になっていた。
更に少年赤土にとって気にくわないことが起きた。
叢雲が艦娘だと言う話が持ち上がったことに起因する一連の流れである。
赤土も不思議に思ったことは何度もあった。
いつ行っても公園にいる叢雲、人間離れしている運動能力、日が暮れれば普通は親に「危ないでしょう!」と怒られるのが常だが叢雲と遊んでいる時は少しくらいの遅れは許される。
赤土の母も「叢雲さんが遊んでくれてるんでしょう?だったら安心ね」という反応であった。
そこに、叢雲は艦娘だという話が出てきたのだ。
「間違いないよ。僕のお父さんとお母さんも言ってたもん」
たまたま公園に叢雲がおらず、叢雲を慕って集まった子供が10人ほどでわいわいやっていた。
その中で、一人の少年が声を上げた。
提督(……なるほど。どおりで人間離れしてると思った。
それなら、納得できるよ。
あんなに綺麗なのもあんなに強いのも、叢雲ねぇちゃんは人間じゃなくて艦娘だからなんだ)
言われてみれば抵抗なく受け入れられる話であった。
提督(そうか、凄いな叢雲ねぇちゃんは)
赤土は人のために海原で戦う艦娘が姉のような存在であることに少し誇りに思った。
「すごいなぁ!」
「かっこいい!」
同じように思ったのは赤土だけではなかった。
「気持ちが悪いよ」
「兵器なんでしょ?」
「なんで海に出ないの?」
「叢雲は僕たちを騙してたんだ」
「こんなところで遊んでるだけだなんて、叢雲は臆病者だよ」
しかし、それ以上に反発の声が上がる。
それを切っ掛けに子供達は一気にヒートアップした。
そして、その中でも我慢ならなかった者からつかみ合いの喧嘩が始まる。
しかし、叢雲を擁護する人数はあまりにも少なく、あっという間に地面に叩き伏せられていくのが現状であった。
赤土はそんな光景を離れた場所から冷静に見ていた。
冷静に見て叢雲を侮辱し、擁護した者を叩き伏せた少年の背中を後ろから蹴った。
背中を蹴られた少年は振り返って赤土の姿を認めると、次はお前かとばかりに掴みにかかる。
そんな少年の顔面に赤土は拳を振り抜いた。
柔らかい鼻先と柔らかい拳がぶつかり合い、ぶつかり合った両方から血が流れでる。
つかみ合いの喧嘩をしていた子供たちの間に静寂が流れ、殴られた少年の泣き叫ぶ声に呼応するように少年達の間に戦慄が走った。
赤土の拳はずきずきと痛み、骨とぶつかり合ったことで小指が折れていた。
それは、赤土にも分かっていた。
赤土は顔面を殴ってやった少年に飛び掛かると押し倒し、両膝で肩を押さえた。
提督「教えてよ。どうしてそんな事が言えるのか」
赤土はそう言って少年の顔面を殴りつけた。
少年の悲鳴が上がる中、赤土は何度もその顔面を殴りつけた。
周りの子供達はそれを止めることも出来ず、固唾を飲んでその光景を見つめている。
提督「手が痛いなぁ。
そういえば、僕のお母さんから聞いた話なんだけど、艦娘も戦いで死んじゃうことがあるんだって。
かわいそうだね。海も底に、お墓も何も残らない場所にひっそりと沈んでいくんだって。
そんな話聞きたくないよね。
僕は聞きたくなかった。
でもね、そういう現実から目をそらしたら駄目だって僕の周りの大人はいうよ?
死んでしまったその人を労ってあげるためにも。
手が痛いなぁ。
でも、きっと、死んでしまうよりかは痛くないよ」
それは、相手の反応を期待していない完全な独り言であった。
赤土は「痛い痛い」と叫ぶ少年の顔面を殴り続けた。
あまりにも凄惨な光景に周りの子供も泣き叫び始める。
叢雲「何やってるの!!」
背後からの怒声に赤土の手が止まった。
振り返れば、信じられないと言いたげな、叢雲の表情が目に飛び込んでくる。
叢雲「どきなさい!」
叢雲は赤土の体を突き飛ばすと、顔面を血でぬらしている少年の怪我の具合を素早く確認し始めた。
叢雲「何でこんなになるまで……大丈夫?
意識はあるわよね?」
赤土は叢雲の悪口を言っていた少年が叢雲に泣きついてる姿を見て、頭のそこが冷え込むような感じを覚えた。
赤土がもう数発殴ってやろうと考え時には体はすでに動いていた。
叢雲の背後から拳を食らわせてやった。
さすがの叢雲も背後から飛んできた思わぬ拳に目の前の少年の顔面を殴らせるのを止めることは出来なかった。
顔を真っ赤に染めた少年は言葉にならない叫び声を上げると足をじたばたとばたつかせ、藻掻いた。
叢雲「あなた頭おかしいんじゃないの!?」
叢雲は怒りに満ちた表情で赤土の腕を捻りあげる。
赤土の顔に苦悶の表情が浮かぶと、叢雲は力を緩め、その拳を見て愕然とする。
叢雲「折れてるじゃない……なんでこんな……」
叢雲は赤土のもう片方の拳も確認して片手で額を押さえた。
叢雲「こんなの、子供がやることじゃないわ。
なんで、こんな事を」
叢雲がそう言うと、顔面を殴られて苦悶の声を上げていた少年が喚いた。
「艦娘なら人間を守れよ!
僕、殺される!
赤土に殺されちゃうよ!」
それに続いて、周りの子供も一斉にここに至った経緯を好き勝手に不器用に説明し始めた。
叢雲はそれを聞いて赤土に近づいた。
提督「叢雲ねぇちゃん、艦娘なの?」
叢雲「……違うわ」
提督「ふぅん。どっちでも良いけど。
でも、叢雲ねぇちゃんも分かってくれるよね?
艦娘の悪口を言ったそいつの方がよっぽど悪いよね?」
叢雲「いいえ。あなたが悪いわ。
やり過ぎよ」
叢雲はそう言って赤土の頭を押さえつけた。
叢雲「あなたは歩いて病院に行きなさい。
私はこの子を病院に連れて行くから」
そう言うと、叢雲は顔面を血でぬらした少年を背負い、滑るようにその場を後にする。
提督「なんで?」
残された提督はぽつりと言った。
悪いことをすれば基本的に容赦ない暴力を振るうのが叢雲である。
喧嘩ならば両成敗だ。
しかし、今回の叢雲は誰も殴りつけなかったし、両成敗もせずに赤土にはっきりとお前が悪いと言った。
赤土の胸に去来したのは空しさだった。
悪いことをした自分を殴りもしなかった叢雲。
それは、見捨てられたも同然のように感じたのである。
*―――――――――――――――――*
その後の一連の流れを少年赤土ははっきりと覚えていない。
ただ、病院に行って先生に治療を受けている間に母親が現れ、結果、右手の小指と薬指、左手の中指が折れている事がを聞かされた。
その後は、少年赤土が殴った相手の家に母親と共に謝罪をしに行った。
相手の少年は赤土を恐れて出てこなかったが、相手方の母親から赤土が殴った少年は赤土の両手の指が折れていた事もあり意外にも力が入っておらず、大事には至らなかったと聞かされた。
とはいえ、後に鼻が折れていたと聞かされたような気がする。
普段、温厚な赤土の母だったが、このときばかりは少年赤土の尻を百叩きの刑に処した。
というのは、赤土が自分の非を謝罪しに行った時にも一切認めなかったからだ。
それどころか、「艦娘の加護がある町で艦娘の悪口を言うなんてお前の息子は馬鹿だ」と暴言を吐く始末であった。
相手の母親もそこはバツが悪かったのか不機嫌な顔をするのみであった。
そんなこんながあったが、赤土の母親は少年赤土の尻を百回叩いた手で頭を撫でながらぽつりと呟いた。
「まったく、艦娘のことになるとすぐにムキになるんだから。
あの日の事が良くなかったのかしら」
提督「あの日?」
「ごめんね。
忘れてちょうだい」
提督「……うん」
この件を切っ掛けに少年赤土は叢雲を避けるようになった。
具体的には公園に寄りつかなくなった。
なので、叢雲の方から少年赤土に会いに来たことに、赤土は少なからず動揺した。
少年赤土が騒ぎを起こした日から1週間が経った頃の学校からの帰り道であった。
叢雲「赤土」
提督「叢雲、ねぇちゃん」
赤土は肩を振るわせた。
叢雲は家の塀に腰を下ろしており、赤土を見下ろしていた。
叢雲「あなたの方から私に遊んで欲しいと頼んでおいて何も言わずに会いに来なくなるんあんて……身勝手が過ぎるわよ?」
提督「ごめんね。
もう、僕と遊んでくれなくて良いよ。
叢雲ねぇちゃんは自分の好きなことをして」
叢雲「随分と殊勝な性格になったわね。
反省ここに極まれり、かしら?」
提督「反省?
あぁ、あの件はどうでも良いんだ。
次に同じ事を言ったら今度は歯を全部折ってやろうと思ってる」
叢雲「……何があなたにそこまでさせるのか知らないけど、やり過ぎよ」
提督「確かにやり過ぎかもね。
でも、あんな奴を同じ人間だとは思いたくないんだ。
恥ずかしいよ。
でも、仕方がないのかも、僕もあの日の事がなかったらたぶん、同じだ」
叢雲「あの日?」
提督「この前、お母さんと話してた時に思い出したんだけど、僕はあの日、海に行ってた」
叢雲「いつの話よ」
提督「前に話さなかったっけ?
僕が艦娘に会ったときの話。
命ある限り海とは反対方向に逃げろって言われた時の話。
やっぱり、そうするのはまっぴらごめんだったんだ。
僕はその後、海に行った。
それで、見た。
艦娘と深海棲艦の戦いを。
怖いって感じたのはその時だよ。
格好いい戦いを見に行くつもりが、ただただ、怖かった。
深海棲艦はまるっきり化け物だったよ。
アレと戦うだなんてまともじゃない。
でも、それを艦娘はやってくれてるんだ。必死で。
沈んでいく艦娘を見たよ。
その日は、何時間も泣いたよ。
泣きすぎて酸欠で病院に運ばれたのかな?
その時に医者が「気にしなくて良い」って言うもんだから座ってる先生の顔に跳び蹴りしたんだよ。
そしたらまた怒られた。
おかしいよ。
納得が出来ない」
叢雲「おかしくないし、納得もしなくて良いのよ」
提督「叢雲ねぇちゃんにそう言ってもらえると気が楽になる。
でも、もう良いよ。
叢雲ねぇちゃんが気を遣ってくれてるのは分かってる」
叢雲「気を遣う?」
提督「もうとっくに分かってる。
叢雲ねぇちゃんは艦娘だよ」
叢雲「ふぅん。私が艦娘だから人間に気を遣ってると」
提督「艦娘は優しいから」
叢雲「それこそ馬鹿にしてるわ」
叢雲は塀の上から少年赤土の上に着地した。
上からの圧力に咄嗟に地面に手を突いた赤土が悲鳴を上げる。
提督「ひどいよ!」
叢雲「そんなわけないでしょ。
艦娘は優しいんでしょ?」
赤土は困惑した。
叢雲「勘違いしているようだから何度でも訂正するけど私は艦娘じゃないわ」
提督「……嘘だよ」
叢雲「私、人の為に戦うだなんてまっぴらごめんなの」
提督「本当に?」
叢雲「うん」
提督「そっか。
本当のことを言うと叢雲ねぇちゃんが艦娘なのは嫌だったんだ。
人の為にあんな戦いをするなんて馬鹿げてる」
叢雲「まぁ、私には関係ない話ね」
提督「そっか、良かった」
叢雲「……何して遊ぶの?」
提督「両手が自由に使えないから当分の間は本でも読んで大人しくしておくよ」
叢雲「その本、私にも読ませなさい」
提督「……いいの?」
叢雲「私の退屈に付き合いなさい」
叢雲は優しく微笑んだ。
*―――――――――――――――――*
それから、少年赤土と叢雲は暇を見ては公園や川縁で読書にいそしんだ。
それは、叢雲曰く「退屈」であったが、少年赤土にとっては満足この上ない時間だった。
赤土が騒ぎを起こした件で、叢雲に近づく子供が極端に減った事から叢雲は本当に退屈をしているようであった。
赤土は「ごめん」とは言ったものの心の中では全く悔やんでなどいなかった。
そして、少年赤土の両手がすっかり完治した頃の話である。
最近は引っ越しが増えていた。
叢雲「最近は引っ越す人が多いみたいね」
提督「海の方が慌ただしいみたい。
お母さんが言ってた」
叢雲「なるほど、それで避難している訳ね。
あなたはしないの?避難」
提督「僕のお父さんは提督だから。
逃げないよ」
叢雲「関係ないわね」
提督「そうかな?
お母さんも避難の事なんて全然言わないし、別に良いんじゃないかなそんなこと。
それより、叢雲ねぇちゃんは避難しないの?」
叢雲「しないわ」
提督「危なくないの?」
叢雲「自分の身くらい自分で守れるし、いざとなればコレを持って逃げるだけだからね」
そう言って、叢雲は汚れた鞄を持ち上げて見せた。
提督「あぁ、エロ本」
叢雲「違うわよ!」
叢雲の容赦ないビンタが炸裂する。
来ると分かっていても避けられない。
提督「だったら中身はなんなの?」
叢雲「宝物よ」
提督「そんなに人に見せられないような物なの?」
叢雲「そんな事はないけど、何となく嫌というか……まぁ、元々は拾いものなんだけど、私の生き方を決定づけたと言っても過言ではない物なの」
提督「拾いもの?良いの?もって来ちゃって」
叢雲「良いのよ。海に浮かんでたんだから」
提督「……海」
叢雲「川だったかしら?」
提督「……叢雲ねぇちゃんに戦いは関係ないよね?」
叢雲「当たり前じゃない」
提督「人の為に戦うなんてまっぴらごめんだよね?」
叢雲「そうね」
提督「良かった。
何があっても自分の事を一番に考えてね」
叢雲「言われるまでもないわ」
少年赤土は安心した表情を浮かべると、夕焼けの空を見た。
提督「もう遅いね」
叢雲「帰りなさい」
提督「また明日ね。
明日は学校も休みだから朝早くから会えるよ」
叢雲「そんなに張り切らなくても良いわ」
提督「本当は叢雲ねぇちゃんが僕の家に来てくれたら良いんだけど。
僕の家に住んじゃえば良いじゃん。
お母さんも絶対に反対しないよ」
叢雲「するに決まってるでしょ」
提督「そうかなぁ。
まぁ、いいや。
明日は朝の7時にいつもの公園で待ち合わせね」
叢雲「早ぁ!?」
提督「じゃあね。
約束だから!」
叢雲「ちょ、まっ!」
それだけを言うと少年赤土はその場から走り去った。
*―――――――――――――――――*
次の日の朝、少年赤土は聞き慣れないけたたましい音と、母親の声で目が覚めた。
提督「なに?」
未だ覚醒していない状態で寝ぼけ眼をこすりながら返事を返すと、腕を引かれて無理矢理立ち上がらされた。
驚く暇もなく赤土の母は少年赤土に服を服を乱暴に着させるとまくし立てるように何度も同じ事を言った。
「深海棲艦がそこまで来てるの、お母さんは鎮守府に行くからあなたは反対側に逃げてね。 出来るわよね?」
提督「学校でも訓練してるから大丈夫だよ」
「じゃあ、お母さんいくからあなたも気をつけてね」
提督「うん」
そう言うと赤土の母親は家を飛び出してしまった。
何とも勝手な親だなと思いつつも赤土は伸びをして外の様子に耳を澄ませた。
轟音と何かが倒壊する音、地面が砕けるような音、人の悲鳴、聞いているだけで心臓の鼓動が早くなる。
外に出ると少年赤土の心臓は加減を知らぬほどに早まった。
遠目ではあるが地上で戦火が目に入った。
必死の形相で逃げ惑う人々の中で赤土は燃え上がる鎮守府を見た。
提督「母さん……もう、手遅れだよ」
赤土は母親が死ぬ気で鎮守府に向かった事を悟り頭の中に思考が渦巻き、考えがまとまらない感覚を受けた。
人の波に押されるようにして歩いていると、ふと、頭に思い浮かぶ事があった。
提督「あっ、叢雲ねぇちゃん」
昨日、あの公園で待ち合わせをしたのだ。
赤土が目を覚ましたのが6時00分。
その公園は鎮守府の近くにある。
提督「待ってるわけないか」
赤土はそう呟くと、小走りに人の波に乗った。
怒号や人の悲鳴に飲まれ、砲撃が様々な壊れゆくのを背後で感じた。
赤土はくるりと反転すると、小走りのまま人の波に逆らった。
*―――――――――――――――――*
少年赤土は例の公園に来ていた。
人影はもちろん、辺りには人の気配もない。
奇妙な感覚だった。
こんなに寂しい場所なのに、辺りでは砲撃の耳をつんざくような音が響いている。
提督「くそっ、やっぱりいないか。
当たり前か」
空気を振るわす爆発音に赤土は顔を上げた。
鎮守府が瓦解する光景が目に飛び込んできた。
強いめまいが赤土を襲い、足下がふらついた。
赤土は踊るように回転すると地面に倒れ伏した。
提督「母さんごめん。
僕も駄目みたいだ」
緊張と脱力が体の隅々を支配しているのを感じた。
逃げることなどもう不可能だと赤土は悟る。
砂を踏む音が耳に入り、赤土はそちらへと目を向けた。
提督「何でこんな所にいるの」
叢雲「何でこんな所にいるのよ」
二人は同時に言った。
叢雲は呆れかえった表情をしていた。
提督「叢雲ねぇちゃん、ちょっと常識外れなところがあるからさ、こんな状況でももしかしてここに来るんじゃないかと思って心配になって見に来たんだよ。
思ったとおり来たね」
叢雲「馬鹿、アホ、まぬけ。
ちゃんと、反対側に逃げていたわよ。
でもあんたってちょっと常識外れなところがあるから、もしかしてと思ってここに来ただけよ。
こっちこそ、思ったとおりよ」
叢雲は赤土に近づき見下ろした。
叢雲「何をしてるのよあんた。こんな所まで来て。
母親が心配するわよ」
提督「母さんは鎮守府に行ったよ」
叢雲「鎮守府に?」
叢雲は怪訝な表情を浮かべ、燃え落ちた鎮守府を見た。
叢雲「……そう。
立てる?
逃げるわよ」
提督「僕はちょっと休憩してから逃げるよ。
叢雲ねぇちゃんは先に逃げていて」
叢雲「甘ったれるな!」
叢雲は赤土の脇腹を蹴り上げた。
提督「これ致命傷だ!」
赤土は咳き込みながら言った。
叢雲「あなたは両親の為にも生きなくちゃいけないのよ?
立ち上がって走って逃げなさい!」
叢雲はそう言うと赤土が立ち上がるのを待たず、腕を掴んで引き上げた。
叢雲「行くわよ」
提督「無茶苦茶するね、叢雲ねぇちゃん」
赤土がそう言ったとき、木々をなぎ倒して何か巨大な物が公園に飛び込んできた。
色は黒く、濡れたように光っており、歯があり、体の至る所から砲身が伸びている、血の気の失せている肉体が鉄に混じって覗いているが、人間では決してない。
叢雲「深海棲艦……軽巡ホ級」
提督「なんだ、こいつ」
赤土は全身が震え上がり、体が硬直するのを感じた。
その巨大さ、力強さ、機械的な冷徹な威圧感。
一瞬で理解する。
敵う相手ではないと。
生身の人間などその気になれば、粉のようにすりつぶせる生き物であると。
叢雲「……赤土、騒がずに歩いて逃げるわよ」
叢雲が囁くように言った。
そのささやき声すら耳ざとくホ級が聞き取り、叢雲へと目を向ける。
叢雲が舌打ちをした。
叢雲「そうは行かないわよね」
提督「なんだ、こいつ」
赤土は心臓が跳ね、血潮が指先まで行き渡るのじわりと感じた。
なんだこいつ。
軽巡ホ級は体を赤土たちに向け、鼓膜を振るわせる咆哮を上げた。
明らかな敵意があった。
叢雲「赤土、ここは私にまかせて逃げなさい」
赤土は叢雲にそう言われた瞬間、走り出していた。
ホ級なる化け物と叢雲から距離をとる。
そして、赤土はいきなりしゃがみ込むと足下の石を拾い、ホ級に向かって投げつけた。 石は真っ直ぐと飛んでいき、補給の体にぶつかった。
ホ級は赤土など取るに足らないと感じていたのか、叢雲に対峙していたのだが、こんな事をされては赤土を気にせざるを得なくなった。
ホ級は赤土に咆哮を向け、叢雲は唖然とした表情を赤土に向けた。
提督「なんだお前」
叢雲のような少女の前に立ち、砲身で覆われた巨躯で威嚇し、殺意を向ける。
恥の極みだ。
こいつは化け物だが化け物の風上にも置けないクズだ。
こいつは倒さなくてはいけない。
提督「こい!
戦ってやる!」
赤土は石を拾い、棒を拾った。
赤土はホ級から嘲りのような雰囲気を感じた。
砲身は赤土から逸れている。
使うまでもないと言うことだろう。
ホ級が赤土を殺すのに選んだ手段は体当たりであった。
ホ級は咆哮と共に赤土に猛突進した。
提督(!?。避けられないぞ、これ。
まぁ、いいや。
何とか生き残って何とかして殺そう)
赤土は息を止めて、衝撃に備えた。
ぶつかると思った瞬間、赤土の前に叢雲が割り込んだ。
衝撃が空気を伝わり赤土の体に伝わる。
赤土は次に目に飛び込んできた光景に叫び声を上げた。
化け物の突進を止めようとしたのか叢雲は突きだしている右手は手首までが相手にぶつかっている状態で無くなっていた。
提督「叢雲ねぇちゃん!」
赤土は目の前の光景が受け入れられず、喚いた。
叢雲「うるさいわよ」
赤土を振り返った叢雲は右手が悲惨な事になっているにも関わらず、不敵な笑みを浮かべていた。
提督「叢雲、ねぇちゃん!
右手が!」
叢雲「……これ?」
叢雲はそう言って、化け物から右手を引いた。
そうすると、化け物の体の中から、ずるり、と右手が現れた。
体と言っても分厚い鉄板に覆われている場所だ。
手を引き抜かれたホ級はそこから真っ赤な液体をだらしなくこぼれさせ、崩れ落ちる。
あまりに非現実的な光景だった。
血のにおいに誘われるように、同じような化け物や、もう少し小さい化け物や、人の形をした化け物が公園に集まってくる。
提督「叢雲ねぇちゃん?」
そんなことしたら駄目だ。
そんなことは人間に出来ない。
提督「叢雲ねぇちゃん……艦娘……みたいだ」
叢雲は微笑んだ。
提督「でも、違うよね。
人の為に戦うなんてまっぴらごめんだもんね」
叢雲「そうね。
人の為に戦うなんてまっぴらごめんだわ」
赤土はほっとした。
化け物に囲まれているこの状況下で安心感に包まれた。
叢雲が血だらけの右人差し指を赤土に向けた。
叢雲「だけど、私は艦娘。
あんたは提督」
提督「……は?」
叢雲「あんたは私の司令官」
叢雲は唄うように言った。
叢雲「さあ、行くわよ!
歌い踊れ深海棲艦共!
豚のような悲鳴を上げろ」
叢雲の体に黒い霧のような物が纏わり付いた。
それは、槍に、砲身に姿を変えていく。
それは、一般に艤装と呼ばれるものであった。
叢雲「さあ、やろうか?」
それを皮切りに深海棲艦が二人に襲いかかる。
叢雲はそれに対して砲撃と槍を用いる体術で迎えうった。
あまりにも強すぎた。
あの深海棲艦が夢のようにちぎれ飛んでゆく。
叢雲は不敵な笑みを絶やさず、危なげなく立ち回り、血煙の中を提督を小脇に抱えて飛び回った。
辺りが静けさを取り戻したとき、辺りには深海棲艦の亡骸が乱雑に横たわっていた。
提督「何してるんだよ、叢雲ねぇちゃん」
叢雲「助けてあげたのにその言いぐさは何?」
提督「助けてくれてありがとうございます。
じゃあ」
赤土はそう言って叢雲に背を向けた。
叢雲「そうはいくか」
叢雲は赤土の肩を掴む。
提督「痛っ!力強!ゴリラ!」
叢雲「誰がゴリラよ!」
叢雲は赤土の背中を蹴り飛ばした。
叢雲「逃げようとしたって無駄よ。
あなたは私の提督。
これは決定事項なの」
提督「提督って艦娘に戦わせるのが仕事でしょ?
無理だよ」
叢雲「駄目なの!
あなたは私の提督なの!
分かった?」
提督「無理だって」
叢雲「無理じゃないの!」
提督「僕、そんな仕事嫌だよ」
叢雲「本気で言ってるの?」
赤土の目には、この時、叢雲が今にも泣き出しそうに写った。
提督「……叢雲ねぇちゃんは強引だなぁ。
仕方が無いから、ちょっとだけやってあげるよ」
叢雲「……当たり前ね。
私の提督が出来るんだから光栄に思いなさい」
提督「ところで、提督ってどうやってなるの?」
叢雲「さぁ?
鎮守府で提督を名乗って艦娘がいたらいいんじゃないの?」
*―――――――――――――――――*
その後、赤土と叢雲は提督は勝手に名乗れないことを知る。
海軍の養成学校で資格を取る必要があるようだ。
叢雲は万が一そこで適正なしと見なされては大事だと判断し、独自に赤土を教育することを決定。
両親を亡くし親戚に身を寄せることとなった赤土について来て鬼のような教養と体力作りを行った。
親戚一同に叢雲は赤土を将来立派な提督に育て上げると宣言し、親戚も艦娘にここまでしてもらえるなんて赤土は幸せ者だと大喜びであった。
提督「いや、僕は提督になりたくないけど?」
などというと、親戚一同は「お父さんは立派な提督だったのに」とがっかりし、叢雲は「そんな事無いわよね?」と言い、手つなぎランニングが開始する。
手つなぎランニングとは、言葉のとおり叢雲と手をつないでランニングをすることだ。
初めてこのランニングを行った開始20分くらいは赤土は子供ながらにドキドキしたことを覚えている。
しかし、30分くらいでランニングの影響で心臓が高鳴り、1時間で疲れを感じ、1時間30分で徐々に限界を感じ始め、2時間が経つ頃には「コレはやばいぞ」と感じ始め、そこから抜け出そうと抵抗を試みるも手を艦娘に拘束されていては抜け出せない事を悟る。
3時間艦娘のペースでランニングに付き合わされた日には胃内容物逆流は必死であった。
艦娘と合同の体力トレーニングは強制されれば立派な拷問であった。
さらに、叢雲は提督に必要な知識を赤土に与えようとするのだが、教え方が糞下手くそだった。
提督「何言ってるのかよく分からん」
などというと、「私もよく分かんないから適当にこの教材を書き取っておいて」と本ごと丸投げである。
しかも、一言一句を書き移す姿を叢雲は見張る。
赤土はこの勉強方法を地獄写経と呼んでいた。
こんな事を8年は行っていた。
そして、満を持して海軍の門を叩くことになる。
提督「ここで提督になれるって聞いたんですけど」
「なんだお前」
門扉を警護する兵士が言った。
当然の反応であった。
叢雲「これは提督になるんだから早く資格をよこしなさい」
そこへ割り込んでいった叢雲を見て兵士はさすがに動揺する。
「駆逐艦叢雲!?
なんでこんな所に?
どこの所属だ?」
叢雲「所属なんて無いわよ。
とりあえず、これは私の提督だから早く鎮守府をよこしなさい」
「……所属なし?
意味が分からん。
ちょっと、待ってくれ」
兵士が無線を飛ばしてしばらくすると人事課を名乗る男が現れた。
叢雲はこの男に色々と質問されていたが、長々と続いた質問についにはキレた。
叢雲「もう良い。
もう、二人で勝手にやる!」
こう宣言して立ち去ろうとした。
これに慌てたのは周りである。
「それは困る」と行く手を塞ぐ。
こうそうしている間に基地から、艦娘が現れた。
走ってくる速度や身のこなしで人間で無いことは明らかであった。
「大人しろ。私は戦艦――」
ここまで言ったところで、叢雲の怒りの飛び膝蹴りが顔面に突き刺さっていた。
提督「なんてこった!」
女の顔面を躊躇無く攻撃できる叢雲に心底どん引きした。
叢雲「さあ、やろうか?」
と言った時には戦艦某は叢雲の足下でのびていた。
叢雲「弱っ!?」
しかし、わらわらと集まってきた一見して艦娘たちに叢雲は不敵な笑みを作る。
叢雲「行くわよ!
豚のような悲鳴を上げろ」
提督「やめろー」
「君!
あれの提督なんだろ!?
止めさせろ!
何だその止める気も無い声は」
提督「提督じゃないし、叢雲を止めるのは無理ですから」
叢雲は高笑いをしながら押さえかかってくる艦娘を合気道の演武のように投げ飛ばしていた。
「なんだ、あの叢雲!
どんだけレベリングしてるんだ!」
提督「最初からあんな感じでしたよ?」
「嘘吐け!」
こうしている間に、叢雲を取り押さえようとしていた艦娘からも泣き言が上がり始める。
「強すぎる」
「酷すぎる」
「無理だ」
「かっこいい」
「これ勝てませんわ」
「こんな駆逐艦あってたまるか!」
この騒ぎを嗅ぎつけて直ぐに兵士たちも集まってきたが、騒ぎを起こしているのが艦娘なだけあって困り顔を浮かべ、その大立ち回りに徐々にやれやれコールが上がり、賭を始める不埒者も出始めた。
ここで人事課を名乗った男は赤土の手を引いて艦娘が乱舞する輪の中に入っていった。
そして、赤土に「協力してくれ。大丈夫、弾は抜いてある」と耳打ちした。
「止まれ、この男がどうなっても知らんぞ!」
そう言うと男は拳銃を赤土の頭に突きつけた。
その瞬間、周りは静まりかえったと言うよりも冷え切った。
叢雲もその周りの艦娘も兵士もである。
「それは不味いですよ」
「あの人間、最低だな」
「これだから民間上がりは」
「おい、憲兵呼べ!」
などと周りから声が上がる。
しらけきった艦娘は叢雲から一歩引いて取り押さえる意思を失っているようであった。
提督「叢雲。それくらいで止め――」
さすがにコレは何らかの犯罪に当たるのではと思っていた赤土はこの猿芝居に乗ろうと思っていたが、叢雲の表情を見て一瞬で考えを改めた。
叢雲の顔からは不敵な笑みが消え去り、能面のように無表情だった。
その状態で艤装を顕現させたときには、これはまずいことになると誰もが感じる。
提督「馬鹿、叢雲!止めろ!」
叢雲「安心して。助けるから」
提督「馬鹿馬鹿止めろ!」
血を見る結果になるのを肌で感じた。
それを感じたのは赤土だけでは無かった。
「止まれ!
艦娘のくせに人を傷つけるのか!」
赤土の頭に向けられていた銃口が叢雲に向いた。
拳銃の銃弾など砲撃に身をさらす艦娘にとっては豆鉄砲も良いところだが、その行為は更に周囲を冷え込まさせた。
艦娘に武器を向けるなど全体未聞である。
冷え込んだ周囲をよそに、今度は叢雲の表情に焦りが浮かんだ。
叢雲「馬鹿馬鹿止めなさい!」
叢雲が言った時には赤土は叢雲に銃口を向けている男の腕を掴み、肩を支点にして間接を逆に曲げ、その腕をへし折っていた。
何をされたのか分からなかった男は遅れて叫び声を上げる。
提督「お前が何を向けたのか試してやる」
赤土はそう言うと男が落とした拳銃を拾い上げ、痛みで膝を突いている男の額に銃口を向けて躊躇無く引き金を引く。
カシンっ、とむなしい音が響いた。
提督「……なるほど」
叢雲「なるほど、じゃないわよ!」
叢雲が10メートルは地面と平行でかっとぶドロップキックを赤土にかます。
提督「背骨が折れるわ馬鹿たれ!」
叢雲「馬鹿ね、あんた。
なんてことしてるのよ」
そういう叢雲の表情は不敵な笑みが張り付いていた。
叢雲「さて、これからどうしましょうか?」
提督「捕まろう」
叢雲「馬鹿なの?
あんたがどこぞへぶち込まれている間、大人しく待ってる私じゃないわよ?」
提督「じゃあ、逃げようか」
叢雲「ダッシュでね」
これまでになかったのであろう自体に艦娘も兵士もどうしたら良いのか分からず対応策を捻出しようと四苦八苦している様子であった。
しかも、そんな中、艦娘の中に赤土の狂った所行を褒める者が現れ始め現場は更に混乱する。
「感動しました!」
「良いんじゃない」
「ハラショー」
そして、まさに赤土と叢雲が逃げだそうとしたとき、基地内から艦娘を連れ従った制服をぱりっと着こなしている高齢の男性が現れる。
周りから元帥との声が上がり、赤土は叢雲に耳打ちをした。
提督「元帥ってやばくないか」
叢雲「……え?
海軍大将?
ちょっと、やばいわね」
高齢の男性は赤土たちの前に立つとにやりと笑った。
「勉強不足だな。
今の時代、元帥なんていくらでもいる。
提督内の序列と言うよりかは純粋に功績に与えられる階級だ」
提督「そういえば本にそんな事が掻いてあったような……どちらにしろ凄いけど」
叢雲「その元帥様が直々にお出ましとは……面白くなってきたじゃない。
いったい何の用よ」
「おいおい、そんな言い方あるかね?
そこの青年を提督にしたいのでは?」
叢雲「これはもう私の提督で、提督なことは間違いないんだけど、資格がないと色々と不便だからその資格と鎮守府をもらいに来ただけよ?」
この答えに元帥は弾けるように笑った。
「君、才能あるね」
そう言って、赤土の肩に手を置く。
「良かったら、俺が採用係に進言しようか?」
思いがけない申し出だったが、これまでも思いがけないことなどいくらでもあった。
赤土と叢雲は顔を見合わせ、同時に言う。
提督&叢雲「ぜひ」
*―――――――――――――――――*
そこからは早かった。
普通に試験を受けてそこそこの成績で提督養成学校なる場所に入校する、赤土の後をホーミングしてくる叢雲の姿のおかげで、提督としての適正はずば抜けて高評価であった。 しかし、それ以上に叢雲の存在は混乱をもたらした。
曰く、前例がない。
学校にいる期間だけでも他の場所で過ごしてくれないかと様々な者が叢雲に頼み、時には艦娘を使った実力を伴う排除も行われたこともあったがどれも失敗に終わった。
叢雲曰く「ここには他の艦娘もいるのに私が駄目な理由が分からない」である。
確かに教育係として艦娘が提督養成学校にはいたが、普通に考えて教育機関に親しすぎる艦娘がいることが良くないのだろう。
そして、提督養成学校にいた艦娘が原因で叢雲が悶着を起こすことになる。
赤土が入校して一週間も経っていない頃の話である。
彼が校内で叢雲の後ろ姿を見かけ、声を掛けた。
赤土「叢雲、こんなところで何してるんだ?」
「……なに?」
振り返った叢雲を見て赤土は瞬時に理解した。
こいつは俺の知っている叢雲じゃないぞ。
どこからどう見ても叢雲ねぇちゃんだが違う。
同じ種類の艦娘が何体もいるとは聞いたり勉強している過程で知りはしていたが、全く同じような見た目に赤土は少し衝撃を受けた。
赤土「すいません。
俺の知ってる叢雲かと思って」
「あぁ、あの叢雲?
こっちも迷惑してるのよ。
私があの叢雲だと勘違いされてこの前なんて戦艦たちに基地からつまみ出されて万歳三唱よ?」
赤土「それは……うちの叢雲ねぇちゃんがとんだご迷惑を」
「叢雲ねぇちゃん?」
赤土「気にしないで」
赤土はちょっと恥を掻いたなと早足でその場を立ち去ると、廊下の曲がり角で壁に背中を付け、腕組みをしている叢雲を発見した。
この叢雲はまさしく叢雲ねぇちゃんであった。
赤土「柄悪いな」
叢雲「……あんた、アレを私と勘違いしたわね?」
赤土「は?
あぁ、最初にちょっとな。
もしかして怒ってるのか?」
叢雲「は?別に」
赤土「良かった」
赤土がそう言った瞬間、叢雲はローキックを放った。
提督「痛ぁ!?何でだよ!」
またある時の話である。
叢雲「今日はクリスマスよ!
これがケーキ!」
提督「クリスマス?西洋のお祭りだろ?
今入校中だし……それに、授業中だし」
叢雲はケーキの乗った白い皿を片手に自慢げな顔をしていた。
赤土は今まさに授業中であり、教室の中で所在なさげに肩身を狭めた。
教室中の人間が冷静な目でどうなるのかを観察していた。慣れきっていた。
叢雲「エイメン!
食べてみましょう!」
提督「いや、授業ちゅ――」
そこまで言ったところで、赤土は切り分けられたケーキを口の中に突っ込まれた。
提督「なんだコレ!?おいしぃ!!」
叢雲「本当?」
そう言って叢雲もケーキを口に運ぶ。
叢雲「おいしぃ!!えぇ!?」
提督「ところでこれどうやって買ったんだ?」
叢雲「外に行ってあんたのお金で買ったわ」
提督「マジか。また、買ってきてくれ」
きりが良いと思ったのか教壇に立っていた教官が口を開く。
「赤土、良いと言うまで外を走ってろ」
また、ある時の話である。
提督「正月か」
叢雲「正月はさすがにお休みなのね」
提督「さすがにな」
叢雲「……なんで兵舎にいるわけ?」
提督「お前が色々やらかすから外出許可を取る暇がなかったからだろ」
叢雲「まぁ、良いわ。
炬燵もあるし」
提督「この炬燵せまいな」
叢雲「あんたがでかいのよ。
ちょっと離れなさい」
提督「おかしくないか?
何で隣に入ってるんだよ」
叢雲「逆側は窓側になって背中が寒いじゃない。
文句があるのならあんたが向こう側に行きなさいよ」
提督「やだよ。
それに、なんで炬燵があるんだ」
叢雲「買ってきたわ」
提督「無駄遣いだな」
赤土は入校中であるが、こういった学校では勉強をする身でありながら給料が出る。
使い道のないそのお金は世話になった親戚へ仕送りする他は全て貯蓄に回っていた。
赤土は叢雲から金の使い道についてセンスがかけらも感じられないと言われた時から自分だけで物を買うことは控えている。
提督「そういえば俺が買った給料3ヶ月分のジュラルミンケースはどうなってる?」
叢雲「……あれね。
使ってるわよ」
提督「使ってるのかよ。
散々こき下ろしたくせに使ってるのかよ」
叢雲「給料三ヶ月分の――ジュラルミンケースって言われた時には体が震えたわよ」
提督「嬉しそうにしてただろ」
叢雲「途中までね」
提督「意味が分からん」
叢雲「でしょうね!」
提督「なんでキレてるんだ?
はい、みかん」
そして、またある時。
提督「学校のランニングって楽だな」
叢雲「私と一緒に走ってたからそれに比べればね」
提督「でも泳ぎは苦手だな」
叢雲「海軍失格ね」
提督「練習してこなかったし、そもそも才能がないみたいだ」
叢雲「訓練する?」
提督「叢雲と一緒に?
だったら水着がいるな」
叢雲「いや、私は水の上に立てるし。
見ててあげるから勝手に練習しなさい」
提督「面倒だけど今日の夕方から始めるか」
叢雲「え!?今日!?」
提督「明日は休みだし体が壊れるほどやるぞ。
思い立った日に行動を移すようにどっかの艦娘に散々言われてるからな。
どうした?」
叢雲「……まあ、いいけど」
そして、その日の学科が全て終了し、夕食を食べ、腹ごなしと準備体操を終えた赤土がふんどしを片手に叢雲と校内を歩いていると、前から艦娘が歩いてきた。
叢雲「なに?」
「今日は赤土さんに用がありまして」
叢雲「今から訓練だから明日にしてくれる?」
「すぐに済みますから」
赤土の前に立ったのは艦娘の指揮訓練で模擬演習をしてくれる戦艦榛名であった。
「この前の演習の指揮、素晴らしかったです。
榛名、感動しました」
提督「え?負けたけど」
「いいえ、あれは艦娘の練度の差が出ただけであって指揮自体は素晴らしかったです」
叢雲「私だったら勝ってた」
「実は、いつかお礼を言おうと思ってたんです」
提督「お礼?」
叢雲「無視かしら?」
「えぇ、あの日、艦娘に銃を向けた人間の腕を折った時のお礼を」
叢雲「艦娘じゃなくて私ね。
私じゃなかったらこいつもそこまでしないわよ?」
「艦娘の為にそこまで出来る人間がいるんだって……とても元気をもらいました。
将来、こんな人の元で戦いたいって」
そう言うと、榛名は包みを取り出した。
「もし良かったら、この榛名のチョコレート、貰って頂けますか?」
提督「いいのか?
じゃあ、ありがたく」
赤土が包みを受け取ると榛名はその場から走り去った。
提督「なんか今日凄いな」
叢雲「何が?」
提督「今日、なんかチョコレートよく貰うわ」
叢雲「は?いつのまに?」
提督「なんか、年に一回こんな日があるよな」
叢雲「……あんた、2月14日が何の日か知ってる?」
提督「ふんどしの日」
叢雲「意味分かんない。
意味分かんない」
提督「はは、叢雲って結構抜けてるよな。
2月14日はふんどしの日なのは当たり前だろ。
だから今日は俺はふんどしで泳ぐつもりだ」
叢雲「なんで、海パン持ってるはずなのにふんどし持ってきてるんだろうって思ってたらそういうこと!?」
提督「ちなみに今はいてるふんどしは定価4万円したちょっと良い奴だ。
今手に持ってるのは水泳用のふんどし」
叢雲「高ぁ!?4万円のふんどし!?水泳用のふんどし!?えぇ!?
だから、物を買う時は相談しなさいって言ってるでしょう!」
提督「下着くらい勝手に買わせろ。
お前は俺のおかんか」
叢雲「一生のお願い。本気で膝蹴りさせて?」
提督「アホか。体がちぎれ飛ぶわ」
叢雲「今度私に無断で何か買ってたら本気で膝蹴り食らわせるわよ。
問答無用で」
提督「やりかねないから恐ろしい」
叢雲「……ところで、ちなみにチョコレートどれくらい貰ったの?」
提督「兵装実験軽巡の夕張と演習艦の川内、先の榛名」
叢雲「……あいつら……私は関係ありませんみたいな顔をしておいてぇ」
提督「あとは同期の田中君と斉藤君と阿部君」
叢雲「え?」
提督「チロルチョコも合わせると大林君もか?」
叢雲「エイメン!
なんてことなの……エイメン!」
提督「どうしたそんなに興奮して。
顔色も悪いようだが?」
叢雲「今日から対人格闘術も訓練するわよ!」
提督「対人なんて全く重視されてない科目なんだが」
叢雲「やらなくちゃ(使命感)」
提督「叢雲がそこまで言うんなら」
この日、赤土は数時間の練習の末、人並みに泳げるようになった後、叢雲による格闘術をへとへとになるまで叩き込まれた。
叢雲「あぁ!?今何時!?」
提督「フタサンヨンゴだな。
もう一本こい!」
叢雲「終了!!今日は終了よ!!」
提督「本気かよ」
合法的に叢雲に組み付ける事に気がついた赤土はこの時間を最高に楽しんでいたため、心底がっかりした。
がっかりする赤土を尻目に叢雲はその場から消えるように走り去る。
仕方なしに片付けを初め、汗を拭いていると、叢雲が猛ダッシュで戻ってきた。
叢雲「フタサンゴーゴー、よし!
はい!飲み物!」
提督「サンキュー、ちょうど喉が渇いてて……って熱っ!?
ホットココア!?
運動の後にホットココアとか聞いたことないわ!!」
叢雲「う、運動の後のココアは体に良いのよ」
提督「マジかよ」
後日、体育の科目の後、ココアを飲む赤土が皆の好奇の目に晒され、「なぜ、そんなイカレたマネをしてるんだ」と訪ねてきた同期にどや顔で「知らないのか?運動の後のココアは体に良いんだぜ」と返す事となった。
このようなことの連続であった学校生活だったが、無事に卒業。
もっとも、無事だったのは赤土と叢雲の二人という意味で、卒業当日、初期艦を申し出てきた榛名、夕張、川内は叢雲に鬼のような膝蹴りを食らい無事ではなかった。
しかし、この日、何とか赤土は提督になれたのであった。
*―――――――――――――――――*
学校卒業後、鎮守府で着任した時から、叢雲は赤土のことをアーカードとしつこく呼び始めた。
当面の戦力は叢雲1隻だけでも大丈夫だろうとの狂った見通しから資材を為に為上げ、建造を行い、一悶着の末に建造した艦娘十数隻に移籍を申し出られる自体となったりもした。
その後、戦果を重ねていく提督であったが、建造にしろドロップ艦にしろ何年経っても若干戦力に不安があるものしか出てこないことに気がつく。
提督自身はどのような艦が来ようとも喜んでしまう質であるのだが、いざ、その艦を現状の戦力で守り通せるのかを考えた時、不安が残るのも事実であった。
提督「……どこか平和な場所でみんなと暮らせたら良いのにな」
叢雲「……なに、あんた流の泣き言なの?」
提督「すまん。忘れてくれ」
叢雲「別に良いわよ」
提督「……そういえばさ。
叢雲にぬいぐるみ買いたいんだけど良いか?」
叢雲「なんでそんな事本人に聞くわけ!?
それに、ぬいぐるみとか意味分かんない!」
提督「だって、この前、一緒に買い物に行った時に熱心に見てたじゃないか。
あの白いもこもこの熊の奴で良いんだよな?」
叢雲「い、いらないわよ。
子供じゃないんだから。
私くらいになったらもっと大人な……ゎとか、ネックレスとか?
そんなのが欲しいわ」
提督「ふーん。
じゃあ、それも今度買おうか。
一緒に選ぶのが一番良いのか?」
叢雲「ば、馬鹿じゃないの?
そんな事にお金使う意味が分からないわよ」
提督「そんなことか。
まあ、良いか」
提督(叢雲に無性に何かをプレゼントしたいが……何をプレゼントしたら良いのか全く分からん本人に聞くのが一番良いんだろうけど……ネックレス?
よく分からんな)
叢雲「……何?」
提督「女の人って何が欲しいものなんだ?」
叢雲「……知るか」
そう言うと、叢雲は珍しく目の前の書類に没頭し始めた。
この日から数日後の話である。
提督は演習を通じて知り合った他の鎮守府の提督と電話で連絡を取っていた。
相手の提督は今年で50になる熟練の先達であった。
「君ももう24歳か。
いい加減結婚して落ち着く歳だろう」
提督「結婚……ですか」
結婚という言葉に提督は秘書官として仕事にいそしんでいる叢雲に目をやってしまった。
目がバッチリとあってしまい、居心地が悪くなる。
「実はちょっと見合いをして貰いたい奴がいてね。
と言うのも私の娘なんだが、どうもじゃじゃ馬が過ぎるようようでね。
私が言うのも何だが美人な事は確かなんだ。
でも、ちょっと、おてんばが過ぎるというか……まぁ、君の所の叢雲を見ていると何となく君なら何とかなるんじゃないかと思ってね。
どうだい、一度顔を合わせて見てはくれないか?」
まくし立てるように言われて提督は困り切った。
その気は全くないが、ここであっさりと断ってしまうのも失礼な気がする。
提督「分かりました」
奇人を演じてフラレて来るかと提督は腹をくくる。
「悪いね。
同業で忙しいのは重々承知してる。
君の時間がとれる時にこちらから向かわせるよ」
提督「なら、今週の土曜日に」
「二日後か。
急な話だが仕方がない。
急なのはこちらだったわけだし。
ヒトマルマルマルにそちらに向かわせるよ」
提督「了解」
提督はそう言って、受話器を置き、深い溜息をついた。
叢雲「……あんた、結婚するの?」
提督「どうなるか分からん」
叢雲「……ふぅん、まあ、どうでも良いけど。
確りしなさいよ。
あんたならボウッとしている間に縁談がまとまってるって事が起こるかもしれないし」
結婚に関して叢雲にどうでも良いと言われたことに提督は激しく動揺した。
提督「……余計なお世話だ。
お前は俺のおかんか」
叢雲「何よその言い方。
せっかく心配してあげてるのに」
提督「余計なお世話だって言ってるんだよ」
叢雲「まったく、一体いつからそんな話があった事やら。
そんな大事を隠されて秘書官としては少しやる気を無くすわね」
提督「意味が分からん。
今突然決まったことだよ」
叢雲「どうだか。
あんた最近女の人がプレゼントされて喜びそうな物を調べてたようだし。
なんか結婚雑誌まで買い漁ってたし。
……馬鹿みたい。さっさと結婚したら良いんじゃない?」
プレゼントは叢雲のためだし、結婚雑誌も叢雲と盛大に式を挙げたら面白いだろうなと勝手に妄想する最近の娯楽だ。
だが、叢雲にこう言われては一気にやる気を失うというものだ。
提督は一気に全てが馬鹿馬鹿しくなった。
提督「糞っ、馬鹿馬鹿しい!
やってられるか!」
叢雲「どこに行くつもり?」
提督「巡回!
……という名のサボりだ!!ほっとけ!!」
この後、提督は会うたびに艦娘から機嫌が悪いのかと尋ねられ、15回目に同じ質問をされた時に生まれて初めて怒りを持って艦娘に怒鳴った。
これに一番ショックを受けたのは提督自身であった。
提督「すまん。お前は何も悪くないのに。
心配してくれてたんだよな」
鈴谷「……テンションさがるし……何かあったの?
……叢雲と喧嘩した?」
提督「……叢雲?
関係ないよ」
鈴谷「大人なんだから早く仲直りしてよね」
提督「喧嘩なんてしてないし。
……でも、仲直りってどうやったら良いんだ?」
鈴谷「……あー、駄目だこの提督」
提督「くそっ、波瀾万丈な人生が俺という男から常識という常識を全て奪い去ったからな。 仕方ない、上手いこと謝る方法が思い浮かばないのは仕方がない。
……時間が解決してくれるだろ」
鈴谷「うわっ、マジで駄目じゃんこの提督!!」
二日後、提督は上の空で知り合いの提督の娘を出迎えた。
鎮守府で出迎えたのはマズかった。
一気に噂が鎮守府中に広まり、何か知っているだろうと目を付けられた叢雲は根掘り葉掘り質問をされ、全てを話してしまった。
確かに娘は綺麗な人だった。
元気もあり、言われているほどじゃじゃ馬でもなく、欠点という欠点など見当たらない。
提督は、この人は所謂高嶺の花と言う奴なのだろうと結論付けた。
なので、こんな辺鄙な鎮守府で提督をやっているような男の元に縁を探しに来ることになっているのだろうと。
デートなどどうやってやるのかと思ったりもしていたが、鎮守府を出るといつも叢雲と一緒に歩いている場所を思い出し、意外にも滞りなくいってしまった。
提督は最大限一般人とは話が合わないことを艦娘の話ばかりを意図的にして分からせようとし、さらには、例の白いもこもこの熊のぬいぐるみがどうしても気になった提督は行き先をねじ曲げて目的の店に行き、そのぬいぐるみを購入した。
持ちうる力の全てを尽くし、キメ顔とイケメンボイスで「自分用に。ラッピングもお願いします」と言い放った時にはさすがの娘さんもどん引きだろうと提督は確信した。
そして、娘を駅まで送り届けた後にある程度の破談の匂いを感じながら鎮守府へと帰った。
電「帰ってきたのです!」
鈴谷「おぉー、意外にもお早いご帰宅」
加古「それで?」
提督「それで、とは?」
龍驤「何はぐらかしとんねん、君。
デートの結果の事に決まっとるやない」
おそらく破談だろう。
狙いどおりだ。
提督「狙いどおりの結果になりそうだ」
驚きの声が周囲から上がる。
大井「あり得ないわ」
扶桑「信じられません」
提督「はっはっは、心配するな!
ところで、叢雲は?」
電「……」
提督「おい、叢雲の居場所を知ってる奴はいないのか?」
電「は!?
む、叢雲なら食堂にいるはずです」
提督は意気揚々と食堂に向かった。
気が楽になったためである。
電の言ったとおり、叢雲は食堂にいた。
提督「落ち着け。
平常心だ」
叢雲の姿を見ると若干緊張したものの、今日は心強いアイテム、ぬいぐるみがある。
提督は覚悟を決めて叢雲に近づいた。
提督「……どんだけ食ってるんだよ……お前」
それは素直な感想であった。
叢雲の目の前には皿やデザートのカップが山積みとなっていたためだ。
叢雲「……なに?
別に良いでしょ、お腹が減ってるのよ」
提督「ほどほどにしておけよ」
叢雲「ふん、余計なお世話よ」
提督「……まあ、いいや。
これをお前にやる」
提督はそう言って、ラッピングされたぬいぐるみを叢雲の頭に乗せた。
叢雲「……何コレ」
提督「開けてみろ」
叢雲「デートだったんじゃないの?」
叢雲は言いながらラッピングを開いた。
提督「まあな」
叢雲「……デート中にこれを?」
提督「まあな」
叢雲「……色んな意味で失礼な男ね、あんた。
他の女とデート中に購入って」
提督は言われてみて確かにと思った。
提督「……いや、今日のデートはそのぬいぐるみを買うついでみたいなものだったし……」
叢雲「相手の女の人に失礼極まりないわね」
提督「仕方がない。
そいつが頭から離れなかったんだ」
叢雲「……そう。
それで、デートはうまくいったの?」
提督「うまくいったと思うか?」
叢雲「思えないわね」
提督「俺もそう思う」
叢雲「そう」
叢雲はそう言ってぬいぐるみを膝の上に載せてもてあそび始めた。
随分と同じ時間を過ごしてきたが、叢雲はであった当時から何も変わらない。
初めて見た時からずっと綺麗だ。
提督「叢雲は変わらないな」
叢雲がピタリと手を止めた。
叢雲「変わったわよ」
提督「そうか?」
叢雲「そうよ、内面なんか特にだし、外面も少し大人びたでしょ?」
艦娘が大人びるとはどういうことなのだろうか。
時間的な要因で外面に影響が出ることがないことを提督は知っていた。
だから、これはちょっとしたジョークなのだろうと提督は思った。
提督「いや、同じなんだが」
叢雲「うるさいわね!!」
瞬間的に、爆発したような怒声が食道に響いた。
叢雲「どうせ、私は成長しないわよ!
私は艦娘だから成長しないのは当たり前なの!
そんな当たり前のこといちいち言わないで!
あんたは人間なんだから勝手に大きくなって結婚でも老衰でも何でもしてなさいよ!
艦娘は深海棲艦を倒すことが役割なの!
こんなもの買ってこないで、嬉しくとも、何ともない!」
叢雲はそう言うと食堂の窓から海に向かってぬいぐるみを放り投げた。
放物線的に夜の暗い海に着水することは間違いなしだろう。
怒声の余韻が食堂にキーンと響き、静けさが訪れる。
食事をとりに来ていた他の艦娘が目を丸くして二人を見ていた。
提督「すまん」
叢雲が言ったことが頭の中で全く理解できなかった。
だが、叢雲が本気で怒った事だけは分かった。
よく考えれば……いや、よく考えなくても叢雲が本気で怒った事など今までになかったため、提督はどうすれば良いのか分からず、頭が真っ白になっていくのを感じた。
提督「すまん。
でも……そんなの叢雲ねぇちゃんらしくない」
その瞬間、叢雲は食堂から飛び出した。
取り残された提督は頭を掻いてとぼとぼと執務室に戻る。
そこでボウッとしていると、潮や扶桑が心配して様子を見に来た。
二人は事情を知っているようであったが、何も言わずに暖かい飲み物や甘味を勧めた。
ある程度、落ち着いてきたところに電話が掛かってきた。
例の娘の提督からだった。
「今日はありがとう。
それでなんだが……君、何をしたんだ?」
提督「すいません。
俺は何も知らない世間知らずなもので……楽しませようとしたのですが……」
「いや、娘は君の事を大絶賛だったよ。
また会いたいそうだ」
提督「……本当ですか」
「来週の土曜日で良いかい?
今日と同じ時間で」
提督「待ってください」
提督は何かこの場を切り抜ける良い方法はないかと考えようとしたが、何も考えつかなかった。
提督「……えぇ、そうしてください」
提督はそう言って、電話を切った。
溜息を吐くと全身の力が抜けるのを感じる。
潮「今日の相手方からですか?」
提督「……まあ、その親だな」
潮「駄目だったんですか?」
提督「意味が分からないことに、また、会いたいとか相手の娘さんが言ってるらしい」
潮「え?え?」
扶桑「……あぁ、勘違いしてましたけど、提督はこの話には乗り気ではなかったんですね。
私、叢雲から話を聞いててっきり乗り気なのかと」
提督「そんな訳ないだろ」
扶桑「ですよね。
叢雲があんな風に言うからてっきり、私たち色々と『勘違い』をしていたのかと思いましたけど、『勘違い』ではなかったんですね」
提督「勘違い?」
扶桑「ふふっ、気にしないでください」
提督「不味いな。断り切る自信がないぞ」
扶桑「それは駄目ですよ。
相手のことも考えて、はっきりと答えを出すべきです。
よく考えて決断してください」
提督「……最悪だ。
叢雲も昔に同じようなこと言ってたな。
なるほど、叢雲に怒られて当然か。
自分のやりたいことを決断も出来ずに、実行も出来ないんだもんな」
潮「叢雲さんがそんなことを?」
提督「随分と昔にな。
そんな事を言っていた」
扶桑と潮は顔を見合わせて困ったように笑った。
扶桑「だったら、叢雲も自己嫌悪中なのかしら?」
*―――――――――――――――――*
この1週間、提督は作戦の完成度が低いとの理由で出撃を控え、遠征と鎮守府内の整理にいそしんだ。
本当の所の理由は叢雲と顔を合わせ辛く、どのように接すれば良いのかが分からない為、関わることを避ける為そのようにしているだけであった。
そして、顔見知りの提督の娘と会う日がやって来た。
提督(どうすれば良いんだ)
提督は胃の底がキリキリと痛むのを感じた。
助けを求めようにも艦娘は世間一般の事に疎い、叢雲ならば何とかしてくれるとの思いもあるが、今は頼れない。
提督「行ってきます」
電「大丈夫です?」
鎮守府を出る際、門の近くで待機していた電に声を掛けられた。
提督「正直、苦しい。
どうすれば良いのか分からない」
大井「情けないですねぇ。
さっさと元気になってください!
こっちは魚雷が撃てなくてイライラしてるんですから!」
提督「すまんな。
敵の動きも活発化している時に。
なんか昔から間が悪いんだよなぁ」
提督はそうぼやきながらデートへと赴いた。
以前と同じように思いつくままに行動しているだけであった。
しばらく町中を回り、喫茶店に入るととりとめのない会話が続いた。
提督業のこと、艦娘のこと、くだらない話など話し始めると意外と尽きない。
提督(……この人はすごいな。
美人で人当たりが良く、提督業にも理解を示してくれる。
俺にはもったいない人だ。
だけど……)
だけど、この人に感じる感情はそこまでだ。
提督(やっぱり叢雲とは違うな)
提督はぼんやりと思った。
「一番お気に入りの艦娘とかはいるんですか?
艦娘って美人が多いですよね」
提督「美人が多いから提督ってのは大抵奥さんからあらぬ疑いを掛けられるらしい。
君はそういうことは気にしないの?
軍とは名ばかりの女所帯で指揮官やってるだけのしがない職だよ」
「そうですね。
私の父も母にそのことでコブラツイストを何度も掛けられています。
でも、それは母が父の愛の言葉を聞きたいが為にやっている芝居だって分かってますから」
提督「すごいね。
愛とか何だとか、俺には語る口はないよ。
……君の父はどんな風に愛の……その、言葉を?」
「私に言わせるんです?」
さすがに困ったようであった。
提督「ぜひ」
「まあ、良いですけど」
提督(愛って何だ?)
「私の父は母にコブラツイストを掛けられながらこう言うんです『いつでも君の事を考えてるよ。鎮守府にいる時も、海を見ている時も、食事をしている時も、例え艦娘が戦っている時でさえ俺は恥もなく君の事を考えているよ』……と」
提督は「あっ」と思い、初めて海を見た時のような、視界が広がり、美しい光景が飛び込んでくるような感覚を受けた。
提督「……すごいな」
「私も、あなたと会ってからあなたのことばかり考えています。
もっとあなたのことが知りたい」
俺は馬鹿だ。
この人にここまで言って貰う価値などない、最低の男だ。
初めからこうするべきだった。
提督「……俺は自分が恥ずかしい。自分で自分を馬鹿だと思うよ。
君は本当に綺麗で優しくて聡明だ。
俺の不明を許してくれ。
今……気がついたことがある。
君が気づかせてくれた」
娘の顔が曇った。
提督「お気に入りの艦娘がいるかと聞いたね?
いるよ。
初めて見た時、その艦娘は透きとおる花のように綺麗だった。今でも同じように綺麗だ。
その艦娘は俺にとって姉であり師匠であり口やかましいおかんであり、守りたいものだ。
……出会った時から、いつでもあの艦娘の事を考えてる。
楽しい時も苦しい時も怒りに震えている時でさえ考えてしまう。
これからも、そうだと思う。
俺はどうしようもなく俺の思いを、喜びも怒りも全てあの艦娘に捧げてしまう」
二人の間に長い沈黙が流れた。
そして、娘は納得したように頷いた。
「初めから縁が……なかったと言うことですか」
提督「申し訳ない」
提督は深々と頭を下げる。
「……あなたという人を知れて良かった。
これからも父と仲良くしてあげてくださいね?
……さようなら」
提督「……お達者で」
*―――――――――――――――――*
数時間後、提督は一人でぼんやりと海を見ていた。
提督「勝手が過ぎるな、俺は」
だが、本気で自覚してしまった。
叢雲が好きだ。
愛している。
提督「とことん勝手になるか」
提督はそう言うと、再度町に足を運ぶ。
提督「ネックレスが欲しいって言ってたよな」
*―――――――――――――――――*
龍驤「……なんや君、その荷物」
提督「……お菓子」
提督は予定より随分と早めに鎮守府に帰還した。
駄菓子の詰まったダッフルバッグを背負っての帰還だった。
龍驤「デートに行ったと思ったら……どうなってるの?」
提督「いっぱい買ってきたぞ」
龍驤「君、叢雲に怒られるよ?」
提督「構わん!俺は俺の好きなようにする!」
龍驤「ふぅん……と、ところで、デートとかどうなったの?
みんな気にしとるし、結果だけでも――」
提督「デートか、駄目だったよ」
龍驤「へ?
……冗談抜きでゆうてるの?」
提督「冗談でこんなこと言わない」
龍驤「……なんやぁ、君!
まあ、こういうこともあるよ!
元気にいってみよう!」
龍驤は提督の肩をバンバン叩きながらいった。
提督「ところで、叢雲はどこだ」
龍驤「君ぃ……二言目には叢雲なのは癖なん?
それに、今喧嘩してるんじゃないの?」
提督「あぁ、だから仲直りしてくる。
ただでさえ、叢雲のことで頭がいっぱいなのにこんな状態が続くと業務に支障が出るからな。
イライラして寝ても覚めても叢雲だ」
龍驤「……おぉう」
龍驤は目を白黒させると変な声を上げた。
提督「で、叢雲は?」
龍驤「自分の部屋でしょ。
籠もって出てこないし」
提督はそれを聞くと、鎮守府内にある叢雲の私室に足を運んだ。
ドアの前に立つと提督は背中のダッフルバッグを床に下ろし、肩を回し、扉をノックした。
提督「叢雲ー、居るかー?」
叢雲「……居ないわよー」
提督「そっかー、入るぞー」
そう言ってドアノブを回せば、カギが掛かっていることが分かる。
提督「鍵が掛かってるんだが?」
部屋の中から返事は帰ってこない。
提督「……入るぞー」
提督はドアノブの鍵の辺りに全力で蹴りを叩き込んだ。
施錠設備が破壊され、ドアが開く。
提督「1週間ぶり」
叢雲は正座をしている状態で暖かい緑茶を飲んでいたが、その格好のまま、驚いたような表情を提督に向けていた。
叢雲「何してるのよ」
提督「叢雲に会いたくてな。
ドアが邪魔だったから壊した」
叢雲「い、意味が分からないわ」
よし、いうぞ。
提督「……叢雲」
叢雲「……なに?」
提督はあまりの緊張から壁に寄りかかった。
気持ちを伝えた後、今までのように過ごせるのか。
叢雲に拒絶をされたら明日からどんな顔をして生きていけば良いのやら。
緊張の波に襲われていた。
数時間前からである。
提督「……結婚の件なんだが……なくなったから」
叢雲「ふぅん、そうなんだ」
提督「俺にはもったいない人だったけど、断ってしまった。
もっと、大事なひとが居るって気づかされたから」
叢雲「……は、え?」
どこかぼんやりとしていた叢雲の顔に朱が差した。
この状況である。
提督のいわんとしていることが察せないほど鈍感ではないということだろう。
提督「叢雲、お菓子食べるか?」
叢雲「い、いらないわ。
大体、何よその量。
買いすぎなのよ」
提督「まぁまぁ、そう言わずに」
提督はそう言うと、ダッフルバッグからチョコの入っている箱を叢雲に渡した。
叢雲「だからいらないって」
提督「まぁまぁ、食べて食べて。
チョコレートには心を落ち着かせる効果があるそうだ」
叢雲「別にそんな効果必要としてないわ」
文句を言いつつも叢雲はお菓子の箱を開けた。
その箱の中には数個のチョコレートとおまけにおもちゃの指輪が入っていた。
その指輪が入っていることを提督は知っていた。
提督自身が指輪を買って中に入れておく……などという気取ったマネをしたわけではない。
その指輪は正真正銘、初めからこのお菓子に入っているおもちゃの指輪だ。
数時間前、提督は叢雲にネックレスを買おうと決めて町に行った。
しかし、提督はそこで見事なチキンっぷりを発揮、数時間店内で悩み抜いた挙げ句、結局変えず帰路についた、その途中でこのお菓子が売っているのをたまたま見かけたのである。
指輪とはこれまた、と思いもしたが、本物はもちろん、おもちゃですら叢雲に渡すのには勇気がいる。
それほどに愛している。
なので、提督はそのお菓子の他に、更に他の駄菓子を数十点に至って買い漁った。
そんな、駄目な提督のただのおもちゃの指輪だった。
そんな指輪を叢雲はじっと見つめている。
その姿を見て提督は、なぜか、あの日のことを、叢雲に提督になれと言われた日のことを思い出した。
提督「……叢雲」
この気持ちを言葉にするのは難しい。
だから提督は叢雲の隣に腰を下ろした。
提督「こうしているだけで、俺は幸せだ」
提督は叢雲の驚いた表情を間近で見た。
そして、長い沈黙の後、意を決したように叢雲が口を開く。
叢雲「私、も」
消え入るような声で、最後には視線を逸らしてそう言った。
提督「そうか」
叢雲「……馬鹿、近いのよ」
叢雲はそう言って、頭を提督の肩に預けた。
ふわりと甘い香りが提督の鼻孔をくすぐる。
思わずさらりと流れる水色の髪に手が伸びた。
目を白黒させてあたふたする叢雲の姿は提督の心臓を跳ねさせた。
そういう反応をするのか、と。
叢雲「女の髪を気安く触るなんて、ば、馬鹿なんじゃないの?
いくら子供の頃からの知り合いで、家族みたいに過ごしてきたからって――」
提督「気安く触っているつもりはない。
正直、心臓が張り裂けそうだ」
叢雲「ど、どうしちゃったのよ、あんた。
あんたらしくもない」
提督「それを言い始めたら、叢雲こそ叢雲ねぇちゃんらしくないぞ。
借りてきた猫みたいだ」
叢雲「そんな事ないわよ!」
そう言って叢雲は提督を見た。
髪を覗き込むように見ていた提督と文字通り目と鼻の先の距離となる。
叢雲が肩で息を飲むのが分かった。
顔は朱が指すどころではない。茹で上がっている。
叢雲「近い、のよ」
提督「そうだな。
でも、俺は不快じゃない。
幸せだ」
提督は自分で自分が喋れていることが奇跡のように感じた。
目の前がくらくらして夢の中にいるようだった。
叢雲「私、も」
そんな中、叢雲が消え入るように叢雲が言った。
*―――――――――――――――――*
それからは、笑ったり喧嘩をしたりしながらも幸せな日々が続いた。
叢雲「はい、こちらアーカードの鎮守府」
叢雲は電話を取った瞬間顔を曇らせた。
それから、「はぁ」とか「そうですか」とか「いや、それは……」等と聞き慣れない相づちを打つと最後には「すいませんでした。こちらから言っておきます」等という物だから提督はいよいよ不安に苛まれた。
事務処理の手を止めて、叢雲が受話器を置くのを待つ。
提督「誰からだ?」
叢雲「憲兵」
提督「なにそれ怖い。
何やったんだよ叢雲」
叢雲「あんたに用事だったわよ?
警告」
提督「憲兵にお世話になるようなことなんて何も――してないとは言わないけどごめんなさい。
ちなみにどれだ?
演習先の提督を海に叩き込んだやつ?」
叢雲「いいえ」
提督「チャック全開で町中を散策したやつ?」
叢雲「いいえ」
提督「週に8度の空母召喚の儀?」
叢雲「いいえ。でも、それに近いかもね。
用は住民からの苦情が多数入ってるらしいわ」
提督「住民とは上手くやっていると思っていたが」
叢雲「宝石店で数時間もうろうろするのは止めろ、不審者、仕事しろ等の苦情よ」
提督「……なるほど」
叢雲「何してんのよあんた」
提督「……何も……いや、ほんとに何も……」
提督は少し落ち込んだように言った。
叢雲「……ほどほどにね」
また、ある日のこと。
提督の執務机の上にはこんもりとチョコレートが積まれていた。
叢雲「年に一度のよくチョコレートをもらえる日って事ね。
……これ、そこに落ちてたわよ」
提督「2月14日が何の日か知ってるか?」
叢雲「はいはい、ふんどしの日ふんどしの日」
提督「バレンタインデーとか言う日らしい」
叢雲「…………え?」
10月31日は鎮守府で行われたイベントの中でも一段の盛り上がりを見せた。
提督「……なんだこの格好」
叢雲「パーフェクトね。
とりあえず、教えたとおりに言ってみて」
提督「拘束制御術式零号……開放」
叢雲「……パーフェクトね!
さすがは吸血鬼アーカード!」
提督「お前はどうして俺を吸血鬼にしたがるんだ?」
提督はこの日、夜会服に赤いロングコート、さらには長髪のカツラにより仮装させられていた。
提督「大体、この格好吸血鬼じゃないだろ。
お前の中の吸血鬼ってどんなイメージなの」
叢雲「不死の化け物。
さあ、今日は忙しくなるわよ!」
ちなみに、クリスマスの日もこの仮装を強要されることとなった。
駆逐艦勢には意外と好評であった。
年越し。
提督「餅つき大会を行う!」
叢雲「やだ、寒い」
提督「ルールは簡単。
5人一組のチームを作り、一番おいしい餅をついた者が優勝だ」
叢雲「餅なんて誰がついても同じでしょ」
提督「優勝チームには金一封と最近町に出来た旅館での2泊3日の休暇を許可する」
叢雲「……やろうかしら。
チームを集めるのが面倒だわ、あんたは私のチームに入りなさい」
この日、叢雲は提督の手を杵でついて見事に敗北を決した。
そして、春を迎えた。
暖かく、さわやかの風の吹く春に。
一年前のあの春を迎えた。
提督「誰だ、俺のみたらし団子食った奴」
提督は執務室においてある小型の冷蔵庫を覗き込みながら言った。
叢雲「冷蔵庫に入ってたやつ?
私が食べたわよ」
提督「まあ、いいや」
提督はそう言うと冷蔵庫からホイップクリームにフルーツと豪華に彩られたプリンを取り出し、スプーンで手早く食べ始めた。
叢雲「ちょっと!?
あんた何食べてるのよ!」
提督「プリン」
叢雲「ゴージャスプリンがぁ!
私のゴージャスプリン!
出撃前に食べようと思ってたのにぃ!」
騒ぐ叢雲を尻目に提督は一気にプリンを食べた。
叢雲「食べ方っていう物があるでしょ!?
味わいなさいよ!」
提督「みたらし団子の方が美味いな」
叢雲「言うに事欠いてそれか!」
叢雲が提督に飛び掛かる。
提督「この凶暴艦が!
今日は一泡吹かせてやる!」
この後、十数秒後に提督は床に押さえつけられ、泣き言を言う羽目になっていた。
提督「……おう、今日は俺の負けのようだな」
叢雲「今日も、でしょ?」
二人が騒いでいると扶桑、山城、潮、龍驤、大井が執務室へとやって来た。
扶桑「お邪魔でした?」
提督「いや」
山城「……情けない」
提督「それでは出撃前の指令を与える」キリッ
潮「お願い叢雲さん。
提督を離してあげて」
提督は床に押さえ付けられた状態で話を進め始めた。
提督「近年、敵深海棲艦の動きは活発の一途を辿っている。
防衛ラインも前々年度に比べて押し返されているしな。
しかし、計算では補給ラインを確保していれば鎮守府近海までは確実に防衛は可能だ。
つまり、無理をする必要はない。
敵の情報と防衛ラインの維持を目的に戦い、機を失することなく撤退の判断をしろ。
叢雲、了解か」
叢雲「認識した」
提督「それでは、第一艦隊出撃!」
一つ返事に艦娘は執務室を出て行く。
最後に叢雲が出ていく時、提督が口を開いた。
提督「叢雲……気をつけてな。
プリン、買って待ってるから」
叢雲は振り返らずに手を振った。
叢雲「40個用意してなさい」
叢雲が部屋を出て行くと、執務室に静けさが訪れた。
提督「……さて、俺も仕事するか」
*―――――――――――――――――*
叢雲達が出撃してから提督は今日の何度目になるか分からない溜息を吐いた。
電「そんなに心配しなくても叢雲なら大丈夫なのです」
秘書官を務めている電が呆れたように言う。
提督「……別に叢雲の心配なんてしてない。
ただ、他の艦が心配でな」
電「はいはい」
提督「最近、電が冷たい」
電「そんな事はないのです」
提督が溜息をつくと、電話が掛かってきた。
内線であり門を警護している艦娘からである。
提督「そうだ。事前に伝えてあったプリンの件だ。
そうそう、数を確認して料金を渡しておいてくれ。
……なに?
9個しかない?
……まあ、いいや。
それだけ分の金額を払って受け取っておいてくれ。
他の艦娘に取りに行って貰うから」
提督はそう言って受話器を置いた。
電「プリン?」
提督「ゴージャスプリンなるスイーツだ。
電、悪いが受け取りに言ってくれ」
電「全部食べても問題……ないですか?」
提督「あるわ!」
電「電の本気を見るのです!」
電は部屋を飛び出した。
提督「ちょっと、電ちゃん!
待って!」
数分後、那智に拘束された電が部屋に連行されていた。
プリンは那智が無事に持ってきた。
提督「すまんな。これは礼だ」
そう言って、プリンを一つ那智に渡す。
那智「良いのか?」
提督「良いのだ。
今日は9個しかないけど、また注文すれば良いだけだ」
電「司令官さん……電には?」
提督「電は今日は無し」
電「はりゃー!?」
提督「お仕置きなのです!」
那智「貴様が言うと気味が悪いな」
提督「傷つくのです!」
そんなことをしていると鎮守府が騒然とする。
そんな騒ぎ声と騒然とした雰囲気が鎮守府に伝染し、いずれ、そんな雰囲気が鎮守府を包み込んだ。
提督「なんだ?」
電「第一艦隊が帰還したみたいなのです」
提督「……聞こえたのか」
電「少しだけ」
提督「何かあったのかもしれん。
鎮守府の警戒レベルを上げる。
各個配置に付け」
提督が言うと執務室にボロボロになった扶桑達が飛び込んできた。
提督「どうした。何があった?」
叢雲はどうした。
扶桑「提督、拘束修復材の使用許可を願います。
入渠後、すぐさま発艦します」
扶桑には珍しくまくし立てるように言った。
提督「落ち着け。何があった?」
潮「大規模な敵艦隊が攻めてきています。
数はおよそ30」
提督「30?
問題ない。
発艦は控えろ鎮守府で迎え撃つ。
配置準備。演習どおり鎮守での迎撃班と遊撃部隊に分かれて鎮守府近海で確実に防衛しろ」
山城「提督、落ち着いて聞いてください」
提督「落ち着くのは山城の方だろ。
息の上がりようが尋常じゃないぞ」
大井「提督!
ご、ごめんなさい。
叢雲、叢雲が帰ってこれてないんです」
大井が顔をぐしゃぐしゃにしながら言った。
提督の頭はこの言葉を一瞬で理解できなかった。
ただ、耳鳴りが酷くなった。
提督「……どういう意味だ」
龍驤「うちらを逃がすために殿になって……ごめん」
提督「誰が」
扶桑「叢雲がです!
すぐに助けに行きますので早く入渠を!」
提督「ちょっと、待ってろ」
提督は卓上の地図を取ろうとするが上手くいかない。
紙の端を上手く掴むことが出来ない。
視界も悪いし、指先が言うことを聞かない。
やっとの思いで地図を取った提督は皆に向かって広げて見せた。
提督「慌てるなたかだか30だぞ?
叢雲が負ける訳がない。
どこだ?」
扶桑「ここです」
そう言って、扶桑が指さした場所は平均的な速度で片道2時間は掛かる場所で会った。
提督「……相手の戦力は?」
扶桑「鬼が5隻、姫が4隻、フラグシップ級が14隻。
残りは護衛の駆逐、軽巡級でした」
提督の視界がぐらりと揺れた。
無理だ。
いや、無理じゃない。
あきらめが人を殺すと叢雲も言っていた。
大丈夫だ。
提督「ちょっと静かにしてくれ」
その時、誰も喋っては居なかった。
ただ、耳鳴りが煩わしい。
視界も揺れて思考がまとまらない。
提督「静かに、待てよ……待てよ……。
扶桑達はとりあえず入渠。
それで、それで……静かに。
それで――」
叢雲の救出に向かわせるのか。
叢雲は生きているから早く救出に出さなくては。
提督「待て待て静かに。
駄目だ。それは駄目だ」
お前は扶桑たちを轟沈させるつもりか、と頭の隅が警鐘を鳴らした。
提督「叢雲は大丈夫だ。
大丈夫。
うん、静かに。
救援か」
大井「早く出撃させてください!」
提督「電、暗い。
電気を付けてくれ」
電「は、はい!」
昼間で青空の日である。
執務室は明るかったが、電は言われたとおりにした。
提督「うるさいな。
待て待て。
救援は……いらない」
大井「いらない!?
叢雲を見捨てる気ですか!?」
大井がものすごい剣幕で提督に詰め寄った。
提督「叢雲なら大丈夫。
それより、救援に行った場合のお前たちへの被害の方が心配だ。
正規ルートを通れば敵艦隊と鉢合わせるのは間違いないだろうから、少し遠回りをしないといけない。
そうなれば、燃料の関係で敵艦隊と接触した場合、かなり危険だ」
扶桑「大丈夫です。
叢雲も戦って相手の戦力も落ちているはずです。
私たちの事なら心配しないで」
提督「心配しないでって」
そうはいくか。
電「私からもおねがいするのです!
私も救援に行きます!」
提督「いや、待て待て。
静かに……だったら、電を旗艦に……いや、扶桑だな。
扶桑を旗艦に電を第一艦隊に編入させて入渠後、直ぐに発艦。高速修復材の使用は当然許可する。
叢雲の救出に迎え。
……いや、俺は何を言ってるんだ」
駄目だ。
そんなこと。
提督「いや、でも、待て待て。
くそっ、叢雲ねぇちゃん。
落ち着け、落ち着け……やっぱり駄目だ。
叢雲は――」
もう――。
視界が一際大きく揺れ、床が近づいてきたように提督は感じた。
糸の切れた操り人形のように提督は床に倒れ伏す。
薄れゆく意識の中。
扶桑の「第一艦隊発艦」の声を聞いた。
提督「駄目だ」
提督の声は誰にも届かなかった。
*―――――――――――――――――*
目を覚ますと執務室のソファであった。
寝汗を嫌と言うほど掻いており、誰かに水をぶっかけられたのかと提督は首を傾げた。
砲雷激戦の音が間近で聞こえる。
窓から外を覗くと艦娘たちが鎮守府から海に向かって砲撃を行っている。
提督「なんだ?」
そう言うと、眠りにつく前のことが頭の中で火花のように散った。
提督「……いや、夢か?」
ぼんやりと鎮守府近海まで攻め込んでいる深海棲艦の駆逐艦を見ながら言う。
提督「しょぼい相手だな」
提督の評価は妥当であった。
敵艦隊は駆逐艦級がほとんどであり、3隻程度が軽巡級、1隻だけ戦艦級が見られるだけであった。
どう足掻こうとこの鎮守府を落とすことは出来ない。
提督「敵も思い切ったなぁ。
ここまで入って来るとは」
そう言って、遠くの海を見る。
提督の視界に扶桑、山城、龍驤、大井、潮、電が見えた。
5隻は背後から敵艦隊に砲雷を浴びせ、道を切り開くと一気に鎮守府に接近する。
それを援護するように鎮守府からの支援射撃が行われた。
その5隻にの他に、提督は確かに見た。
流れるような水色を。
提督「夢じゃなかったか!
でも、叢雲も無事だったんだな!」
提督は部屋を飛び出すと階段も飛び降りて海へと向かう。
提督「当たり前だ!
まったく心配してなかった!
叢雲ねぇちゃんが沈むなんてあり得ない!
あぁ、扶桑たち!ありがとう!」
提督が海辺に着くのと扶桑たちが鎮守府の敷地を踏むのはほとんど同時であった。
提督「みんな無事だったか!」
引きつったような表情の扶桑が提督に顔を向けた。
大井、電などは涙を流している。
山城、潮、龍驤は死人のように青ざめていた。
提督「どうした?
怖かったよな!
すまない!無理を言って!」
扶桑「て、提督」
敵の砲撃が鎮守府の地を抉った。
提督「おぉ!危ないな!
みんな、とりあえず入渠しろ!」
山城「ごめんなさいごめんなさい」
提督「何のことだ?
大丈夫だ。
鎮守府に攻めてきた敵はいずれ全滅する。
心配するな」
潮「敵を避けるために遠回りしたのがいけなかったのかも」
提督「何を言ってるんだ?
おい、叢雲。
何があったんだ?」
提督は5隻の後ろに隠されるように立っていた水色の髪の艦娘に声を掛けた。
声を掛けられた艦娘は力強い足取りで提督の前へと進み出る。
叢雲「あんたが司令官ね。ま、せいぜい頑張りなさい!」
提督の脳内で情報が痛いほど行き交い、思考した。
提督「……俺の叢雲じゃない」
血の気が失せ、提督は再び意識を失った。
*―――――――――――――――――*
次に目が覚めた時、提督は自室のベッドの上だった。
目が覚めると、心配そうな顔をした艦娘たちの顔が目に入る。
提督は誰から説明を受けたか分からないが三つのことを理解した。
一つ、敵の攻撃は凌いだが、第二陣の動きが確認されたこと
一つ、叢雲の救援隊が初めにこのたびの敵艦隊を発見した場所で、ドロップ艦の叢雲を発見したこと
一つ、提督の所謂叢雲おねぇちゃんは……発見に至らなかったこと。
ドロップ艦の叢雲を発見した場所には、深海棲海の残骸が山ほど浮かんでいた。
初めに確認できた鬼や姫、フラグシップ級はここで沈んだものと推測できる。
そして……叢雲も。
提督「……いや、まだだ。
まだ沈んだと決まったわけじゃない」
まだ、沈んだと決まったわけではないと提督はつぶやき続けた。
そんな提督を元気づけようと艦娘たちが色々と言ったりやってくれたようであったが、そのことを提督は覚えていない。
ただ、電が料理を持ってきてくれた事だけは覚えている。
電「食べないと体に悪いですよ?」
提督を半ば引きずるようにして食堂まで連れて行った。
他の艦娘も食事を取っており、適当に挨拶を交わして席に着く。
目の前に出されたのはハンバーグ定食であった。
提督「豪華だな」
電「えぇ、食べてください。
明日も戦いに備えないといけませんから」
提督「……そうだな。
いただきます」
ご飯を一口食べると叢雲の事を思い出した。
最近は食事を叢雲と取ることがほとんどであった。
時々、お互いに料理を作ってはやっぱり鳳翔の料理の方がおいしい、という結論に至っていた。
だけど、言葉にはしなかったが、提督にとっては叢雲の作った料理こそが世界で一番だった。
提督「……叢雲……」
今日出撃する前の事を思い出す。
そうだ。
叢雲のゴージャスプリンを食べた。
叢雲はなんと言っていた?
たしか、「出撃前に食べようと思っていたのに」と言っていた。
それを食べてしまった。
提督「可哀想だ……叢雲、ごめん」
激しい吐き気に襲われ、嘔吐する。
電「提督っ!?」
胃の中が空になっても吐き気は収まらなかった。
食べ物を見ていたら胃がざわつく。
おいしい物を食べている自分が許せない。
提督が自分が汚したものを片付けようとすると、艦娘たちが後は片付けておくからと食堂からたたき出された。
さらに、風呂へと引っ張られ、キャーキャー言われながら服を脱がされると浴槽へと突き飛ばされる。
提督「……本当に、沈んだのか……叢雲?」
提督は熱いお湯にどっぷりと浸かりながら言った。
*―――――――――――――――――*
就寝時間となっても提督が寝ることはなかった。
正確に言えば寝付けなかった。
体がやけに熱く、不快で、泣き出したくなるような静けさを感じる。
提督「……叢雲、帰ってないか?」
提督は呟くと叢雲の部屋へと行く。
ドアをノックしてしばらく待つ。
提督「入るぞ?」
そう言うと、提督は叢雲の部屋に足を踏み入れた。
暗い部屋に目をこらすが、気配はない。
電気を付けてもベッドとちゃぶ台があるだけだ。
提督「……帰ってないか」
部屋を出て行こうとした提督であったが、ふと足を止めた。
何となく、本当に何となく、ベッドの下も確認してみようと思ったのだ。
提督「叢雲?」
ベッドの下を覗き込んで銀色が視界に飛び込んできた時、どきりとした。
提督「……ジュラルミンケース……俺がプレゼントした奴か」
提督はケースを引きずり出した。
ジュラルミンケースには紙がセロハンテープで貼り付けてあり、紙には「触ったら殺す。触ったら分かる」と書かれていた。
「触ったら殺す」という文言は魅力的だった。
提督「叢雲が来てくれるのか?」
是非とも触らなくては。
ジュラルミンケースも開けてみよう。
しかし、鍵とパスワードが掛かっている。
提督「鍵は……たぶんちゃぶ台の裏だな……ほらあった。
パスワードは……なんだ?」
とりあえず、ダイヤルを回して色々と試してみる。
提督「……考えないと駄目だな。
……コレを買ったのが学校に居る時の話だから……入校の日?」
違う。
提督「プレゼントした日」
違う。
提督「叢雲に命を助けられた日」
ガチャリと鍵が回り、提督の心臓が跳ねた。
提督「開いたか」
この中には叢雲の宝物が入っている。
子供の頃、散々エロ本とからかいビンタを食らう原因となった物が入っている。
提督はケースを開けた。
提督「……漫画?」
それは10冊の漫画であった。
提督「ヘルシング?」
提督は漫画をパラパラと捲り、読み進める。
提督「…………ははっ、叢雲……この漫画のマネをしてたのか……吸血鬼アーカードって……叢雲、このことか」
更に、漫画の下に何かがあるのに提督は気がつく。
漫画をどかし、提督は固まった。
そこにあったのは、熊のぬいぐるみを取り出す。
提督「……海に捨てたんじゃなかったのかよ、叢雲」
いつぞや、食堂に居る叢雲に渡し、起こった叢雲が海へ向かって放り投げた熊がそこには居た。
洗剤の匂いと叢雲の匂いがした。
提督「……拾いに行くくらいなら投げなかったら良かったのに」
さらに、ジュラルミンケースの中に入っていたアルバムを取り出す。
中には、いつ何のイベントで取ったかという情報と一口コメントが書かれた写真が貼り付けられていた。
「私の司令官」という題名で取られた提督の写真を初めにイベントについてのコメントを読み進める。
楽しかったイベントではいかに楽しかったのか、つまらなそうにしてたイベントについては「もっと、楽しめば良かった」との後悔の言葉。
「来年は楽しむ」との言葉を見つけて提督は心臓が跳ねた。
見ていられなくなり、アルバムを閉じる。
提督「やりたいことをやるんじゃなかったのかよ、叢雲」
ジュラルミンケースの中を全て取り出したと思ったが、もう一つ、正方形のケースを見つける。
提督「……なんだ、これ」
掌に収まる程度の小さな箱。
ぱかりと開けてそこにあった物に提督は殴られたかのような衝撃を受けた。
そこには指輪があった。
その箱は指輪を入れるためのケースであり、そのケースの中におもちゃの指輪があった。
いつぞやのチョコレートのおまけとしてついていたおもちゃの指輪である。
提督「叢雲、叢雲……ごめん、ごめん」
提督は咳き込むと溢れる涙を止める事が出来なかった。
叢雲にもっと優しくしてあげれば良かった。
叢雲にもっとおいしい物を食べさせてあげれば良かった。
叢雲に口に出して愛していると伝えればよかった。
叢雲に本物の指輪を買ってあげれば良かった。
提督「ご、ごめん、叢雲。
俺は、俺は」
ぽろぽろと流れ出る涙は止めどなかった。
提督が声を押し殺して泣いていると、部屋の入り口に気配を感じる。
驚いて振り返ると水色の髪の艦娘がそこには立っていた。
――触ったら殺す――その文言が頭を過ぎった。
提督「叢雲!」
提督は両手を広げて迎え入れようとするが、瞬時に気がついた。
提督「す、すまん。
今日着任した方の叢雲か」
叢雲「……えぇ」
提督「情けないところを見られてしまったな」
叢雲「……別に……情けないとは思わないわ」
提督「優しいんだな。
叢雲ねぇちゃんとは大違いだ」
叢雲「あなたの言う叢雲の話を他の艦娘から聞いたわ。
……随分と好いていたのね」
提督「そう……だな。
……それで、何の用だ?」
叢雲「何の用って……私も眠れなかったから夜の散歩をしてたの。
そしたら、なんだかすすり泣く声が聞こえてきたから……大丈夫なの?」
提督「大丈夫だ」
叢雲「それで……」
叢雲は良い辛そうに眉を顰めた。
叢雲「私はこれからどうすれば良いのかしら。
まだ、指令を貰ってないのだけれど」
提督「そう……だな」
正直、この叢雲に対しては失礼な事を色々したので、残ってここで働くという選択をしてくることは以外であった。
提督「とりあえず、今回のほとぼりが冷めるまで待機しておいてくれ。
まだ、練度も低いし、戦いに出すわけにはいかない」
叢雲「……分かったわ」
提督「お互いにもう寝よう。
明日も早いぞ」
提督はそう言って部屋を出ようとする。
叢雲「ちょっと。
片付けていかないの?」
ジュラルミンケースから取り出されていた漫画や写真、ぬいぐるみや指輪を指さして叢雲が言った。
提督「いいんだ」
叢雲「いいんだって……」
提督「そうしてた方が、叢雲ねぇちゃんが見つけた時に怒りやすいだろ?」
*―――――――――――――――――*
結局、一睡も出来ずに朝を迎えた。
敵の攻撃に備えながらの1日だったが、結局この日は何も起こらずじまいであった。
3日目にはさすがに睡魔に襲われ、執務室で眠りに落ちたが、秘書官をしていた那智にたたき起こされた。
なんでも、尋常じゃないほどうなされていたらしい。
食事が喉を通らず、錠剤に頼っていたところ、山城たちに無理矢理食事を口に詰め込まれ、吐かないように口を塞がれた。
それでも、吐いてしまう事があり、そのたびに提督は最悪な気分になった。
そんな日々が1週間くらい続いた時には、提督の顔は病的にやつれていた。
そんな状態で敵艦隊を迎えることとなったのである。
扶桑「敵艦隊接近!数、およそ40!」
提督「……戦力は?」
扶桑「鬼が2、フラグシップ級が3、後は護衛艦のようです」
提督「分かった。
まずは、鬼とフラグシップ級に集中射撃、削ったところを遊撃部隊を発艦させ……」
発艦させるのか?
沈むかも知れない海へと。
提督「いや、鎮守府からの砲撃で迎えうて」
扶桑「それは……」
提督「以上だ、掛かれ」
扶桑「……分かりました」
すぐさま激しい砲撃戦が始まった。
数の上ではほぼ互角である。
しかし、こっちは大破した瞬間に高速修復材を使用し、弾も鋼鉄もボーキサイトも補給し放題という圧倒的な地の利があった。
よほどの戦力差がないことには正攻法では鎮守府を落とすことはまず不可能である。
それは、敵の深海棲艦にも分かったのか、数十隻を残して、鎮守府から離れた陸へと向かう敵艦隊が見られた。
提督「まずいな」
砲撃の中、前線に出てきていた提督が言った。
海に残っている敵艦は絶妙な位置に居る。
砲撃を避けやすく、かつ、無視できない距離。
それらを残して町に向かっている敵艦が居る。
本来ならば遊撃部隊が町方面から押しつける仕事もあったのだが、提督がそれを許さなかった結果だった。
提督「くそっ!
装甲車に乗れ!
町に行くぞ!」
町の人間には鎮守府への攻撃が始まってから避難勧告をだしている。
命の問題にはなってこないだろうが、町を壊されれば町民は黙ってないだろう。
大井「提督!出撃の許可を!今なら敵の背後を叩けます!」
提督「敵の背後を叩いた後に、別の敵艦に背後を叩かれるぞ」
龍驤「何びびってるの!?
君らしくない!大丈夫!行ってみよう!」
提督「……駄目だ。
お前らを沈めさせる訳にはいかない。
せっかく、叢雲が体を張ってここまで返したんだ。
沈めでもしたら帰ってきた叢雲が悲しむ」
そう、悲しむ。
叢雲のアルバムには仲間との思い出も詰まっていた。
叢雲がたぶん、一度も言葉に出さなかった言葉と共にアルバムに閉じられていた。
提督「15名、準備できた者から装甲車にのれ!
残りは鎮守府で迎撃態勢を維持しろ!
鎮守府が落とされたらお終いだぞ!」
装甲車に乗り込んだ艦娘は実際のところ何名だったのかは分からない。
ただ、準備完了!の声と共に出発した。
装甲車を走らせながら数えれば17隻いたようである。
町に着くと悲鳴が上がっていたことに提督は驚いた。
提督「避難したんじゃないのか!?」
町には人影が多く見られた。
中心部ならともかく、海に近い場所でだ。
敵の駆逐艦や軽巡が町を破壊している。
提督「くそっ!
降りるぞ!」
艦娘は装甲車を飛び降りるとすぐさま砲撃が開始された。
大地を裂くような砲撃の応酬に町民悲鳴が上がる。
腰を抜かして動けなくなっている者や怪我をしている者を安全な場所まで引きずる役を提督や戦いがそれほど得意でない艦娘が引き受けた。
提督「なんで、こんな場所に残ってるんだ!?」
提督は腰を抜かした中年男性に肩を貸しながら怒鳴るように言った。
「俺たちは思ってた以上にあんたを信頼してたみたいだ。
10年もここを守ってくれたんだ。
たぶん、今回も大丈夫だろうって……安心しちまってた。すまねぇ」
砲弾が近距離に着弾した。
散弾風のような砂が提督の脇腹を掠めた。
脇腹から血がにじむ。
潮「提督!」
提督「大丈夫だ!
あらかた避難できたな?
撤退!撤退!
一時、撤退して隊列を組み直すぞ!」
提督が叫んだ時、予想外の場所から駆逐イ級2隻が家屋を壊しながら現れた。
地面に打ち上げられた魚のように、暴れている。
巨大で鋼鉄の魚が暴れており、人間では手に負えない。
そんな、イ級が一時的に避難させた、町民へと突っ込んで行っている。
護衛としてついていたのであろう艦娘は戦闘慣れしておらず、砲撃が当たらない。
提督「くそっ!」
提督は走り出した。
提督横を後ろから砲弾が過ぎ去り、イ級に命中する。
潮の砲撃だと分かったが、安心して足を止めるわけには行かない。
もう一隻いる。
提督はいつぞやのように石を拾い、健在のイ級へと投げつけた。
動きが少し止まったところに、鉄パイプを拾い、イ級に叩きつける。
予想以上の衝撃が提督を襲った。
イ級の鋼鉄の体は鉄パイプによる殴打などものともせず、逆に提督の腕を芯からしびれさせた。
提督「しまっ――」
イ級の顎門が限界まで開かれるのを間近で見て、背筋が凍る。
周囲から悲鳴が上がった。
それがこちらへと向かって閉じられた時、提督はまだ自分が死んでいないことが信じられなかった。
見れば、左腕が巨大な歯に挟まれている。
切断を間逃れたのは、良い具合に鉄パイプが挟み込まれたからだろう。
イ級の食いしばるような咆哮が上がった。
恐ろしい。素直にそう思った。
提督「これがただの駆逐艦だと!?」
提督の体はいとも簡単に押され、壁との間に挟まれる。
怖い怖い怖い怖い怖い!
これが敵駆逐艦。
駆逐艦ですらこの化け物っぷりだ。
到底敵うはずもない生き物だ。
こんなのを相手に艦娘は戦いを繰り広げている。
分かっていたとはいえ、間近でこのように対峙したことはない。
圧力がまし、横からも中破状態のイ級が来ているのが見えたが、横からのイ級は潮が砲撃で完膚無きまでに破壊した。
大きな鉄片が飛び散ってくるのが見え、あわやあの世行きであったが、幸運にも鉄片は左腕に噛みついている駆逐艦級の眼球にぶつかった。
眼球でさえそれなりの強度があるのか、破損させるに留まっていた。
潮は更にこちらへと砲を向けたが、それでは提督を助けることが出来ないと瞬時に悟り、青い顔をしてこちらへと走ってくる。
潮だけではなく、第一艦隊の面々を筆頭に艦娘たちが提督の元へと走る。
しかし、それに呼応するように、それより早く目の前の人間を殺そうとの意思がイ級からあふれ出る。
大井「止めてぇ!!叢雲!叢雲!叢雲ぉ!」
艦娘たちの悲鳴を聞いて提督は運命を悟った。
提督「俺を殺すのか」
それも良いかもな。
提督「分かってたよ。
叢雲ねぇちゃんが沈んだって事は」
だから諦めるのか。
あの世で、叢雲ねぇちゃんに顔向けできるのか?
提督「だからといって生きるのか?」
無理だ。
叢雲ねぇちゃんのいない世界で生きていくなんて無理だ。
20年前の俺なら出来たかも知れない。
しかし、今の俺にはもう無理だ。
提督「なんで、俺を残して死んだ……叢雲!」
ふっと、答えを与えるように、脳裏に叢雲が残したアルバムの写真が過ぎった。
何気ない集合写真だった。
しかし、みんながみんな仲が良い鎮守府だ。
最高の集合写真だった。
俺も叢雲も少しばかり狂ってる。
そんな鎮守府に残って命をとしてくれる最高の仲間たちとの集合写真だ。
そんな艦娘たちが今も必死になってくれている。
提督「死ねない……よなぁ。
そうか、叢雲。
死ねないって分かってたな。馬鹿野郎」
目の前のイ級を見た。
恐ろしい、が、それがどうした。
殺さなくてはいけない。
こんな化け物共に叢雲は沈められた。
最後に何を思った。
墓も残らない海に沈んで何を思った。
提督「なぁ、教えてくれ。
なんで、叢雲だったんだ?」
なんで、死んだのは叢雲だったんだ。
そんな言葉が出た瞬間、激しい後悔と自分の浅ましい心を知った。
叢雲のためなら他の艦が犠牲になっても良い。
そんな思いが心の奥底にあるのを知った。
叢雲と他の艦を天秤に掛ければ、いくら片側に命を積まれようと叢雲の乗っている皿へと傾く歪な天秤は醜いことこの上ない。
おそらく、叢雲も知れば幻滅するだろう。
全く持って、醜い。
しかし、それほどまでだった。
叢雲という存在はそれほどだったのだ。
しかし、その叢雲はもういない。
だが、生きなくてはならない。
提督「……お前に心臓をくれてやっても良かった……でももう、だめだ」
俺は生きないといけない。
叢雲が命を張って守ったこの艦娘たちを守れるのは……俺だけだ。
艦娘には提督が必要だ。
提督「お前に俺は……私は倒せない」
提督は右手を振り上げると、イ級の眼球へと手刀を振り下ろした。
先ほど破損した箇所へと目一杯の力を込めて手を突き入れる。
イ級が苦悶に身を捩り絶叫した。
提督「化け物を倒すのはいつだって人間だ。
人間でなくてはいけないのだ!」
そうだよな、叢雲。
眼球部分が破損していて良かった。
コレなら、殺せる。
提督は一度突き入れた右腕を引き抜くと、雄叫びを上げて再度突き入れた。
すでに、一度手を突き込まれた場所へと腕が肩まで埋まるほど突き込む。
突き込んだ先の何やら内蔵のようなものを手でぐちゃぐちゃにかき回し、掴んで、引きずり出す。
イ級は激しく痙攣して力尽きた。
しかし、まだまだ、敵はいる。
だからどうした。
負けるわけには行かない。
倒れるわけには行かない。
提督「さあ、行くぞ!
歌い踊れ深海棲艦共!」
扶桑「提督……提督!」
提督「あぁ、俺はお前たちの提督だ。
だが、俺は……私は吸血鬼アーカードだ。
私は期待している。
お前たちが自分の意思で食物を食らい!
自分の力で海を渡る!
本物の艦娘になることを!
私は殺せと命令しない。
殺すのは結局の所自分の意思だ。
演習でお前たちの練度を上げよう、装備も用意しよう、食事も、服も、望むものは全て!
だが、最後は自分の意思で決めろ。
今から私はこの深海棲艦共を皆殺しにしようと思うのだが……お前たちはどうする?」
提督は答えも聞かずに海へと歩き始めた。
そして、提督は懐かしい、鈴の鳴るような声を聞いた。
一瞬、幻聴かと思った。
声がした方を見れば、叢雲がいた。
ドロップ艦の叢雲だ。
叢雲は胸の前で片手を握りしめ、夢を見るように瞳を潤ませていた。
叢雲「司令官……私の司令官。
あんたは私の司令官」
なぜ、ここに、と言う疑問を浮かべるよりも先に激しい砲撃が辺りで舞い上がった。
叢雲も扶桑も山城も電も大井も潮もどいつもこいつも狂ってしまった。
かつての叢雲のようにとてつもない艦娘になってしまった。
千の暴虐の嵐となった。
*―――――――――――――――――*
提督「……満足したか、赤城」
赤城「えぇ、とても」
長い時間話し続け、提督は疲れたように溜息を吐いた。
そんな事は知らないとばかりに赤城は鼻歌を歌い始める。
提督の肩を押さえていた手を離し、机の前へと歩き始めた。
赤城「お茶でも飲みませんか?」
提督「……ワインをくれ」
赤城「キャラ作りは良いですから。
お茶にしますね」
提督「……機嫌が良さそうだな」
赤城「上々です。
私、言いましたよね?
提督が全てをその艦に捧げるというのなら、私はなんの文句もない。
でも、その一隻が全てを繋ぎ止めているのだけは我慢ならないって」
提督「言ったな。
どういう意味かは分からないが」
赤城「そうですか?
つまり、私が言いたかったのは、提督が轟沈した叢雲を愛するというのなら文句はない、でも、轟沈した叢雲に愛もなく繋ぎ止められているのは我慢ならないって言うことです」
提督「なら、文句はないか?」
赤城は提督の前にお茶を置いて不敵な笑みを向けた。
赤城「いいえ?」
提督「どういうことだ?
私は叢雲を愛して――」
赤城「それは勘違いです」
赤城は真っ向から言い放った。
提督「何を馬鹿なことを」
赤城「なら、なんで提督は叢雲の話をする時にそんなに苦しそうな顔をするんですか?」
提督ははっとして、顔を押さえた。
赤城「自分でも気づいていませんでしたか?」
提督「……何を馬鹿なことを。
私は叢雲を愛している」
赤城「惚れたよしみです。
教えてあげましょう」
提督「結構だ」
提督の表情に恐怖が過ぎる。
赤城「提督、あなたは叢雲を愛していない。
1年前、叢雲が轟沈する前のあなたは、確かに叢雲を愛していたんでしょう。
でも、1年前に轟沈したのは叢雲だけじゃなかった。
叢雲を愛していた提督も跡形もなく死んでしまったんですよ。
言っておきますが、轟沈した叢雲が今の提督を見たところで惚れてはくれませんよ?」
提督「勝手なことを言ってくれる」
赤城「話を聞くだけで分かりました。
と言うより、直接触れ合ってきて気がついていなかったんですか?」
提督「何がだ?」
赤城「叢雲は提督の事を心から愛していました。
それに、独占欲も強かったんですよ?
提督の歪な天秤を心から愛していました。
でも、そんなあなたは1年前に死んでしまった。
今のあなたは例え轟沈した叢雲が戻ってこようとも偏った愛を向けられないでしょう。
まあ、沈んだ艦が戻って来るなんて事はあり得ませんけど」
提督の額に脂汗がどっと滲んだ。
赤城「今ひとつ、確認しておきましょう。
提督は叢雲が轟沈したと口で入っていますが、本心では、沈んだ叢雲が帰ってくるかも知れないと……そんな夢のような事を考えています。
第一艦隊に一つ空席を作っているのもそのためでしょう?
でもね、提督、聞いてください。
沈んだ艦が戻ってくる来るなんて事はあり得ないんですよ」
提督は卓上のお茶をはね飛ばし、机を乗り越えて赤城に迫り、胸ぐらを掴んだ。
提督「そんな事を分かっている!!」
赤城は提督の手に自分の手を重ねて、柔らかな声で言う。
赤城「なら、どうして沈んでしまった叢雲を愛してあげないんですか」
提督は目を見開いた。
赤城「だから、叢雲のことを愛していないと言ったんですよ。
提督は叢雲の死を受け入れられず、苦しみに逃げている。
あなたは生きていた頃の叢雲ばかりを夢想して、死んでしまった叢雲の事なんてこれっぽっちも考えていない。
墓も残らない海へと沈んだ艦を、労ってあげられるのは提督だけです。
お願いです。
叢雲を沈んだことを認めてください。
彼女はあなたと出会い、あなたの為に沈んだ。
それが、彼女の一生だったんです。
彼方へ去った叢雲に……今一度提督の愛を……」
赤城の胸ぐらを掴んでいた提督の手が制御を失ったように震える。
提督の双眼からは堰を切ったように涙が流れ出た。
咳き込み、嗚咽し、膝から崩れ落ちる。
提督「む、叢雲ねぇちゃん!叢雲っ!
愛していたよ、今でも、愛してる!
直接言えなかったけど……何度も言おうとしたけど、愛してたんだ!
どうして、死んでしまったんだ!
苦しいよ!
でも、叢雲が救ってくれた命だから、苦しくても生きないといけない!
俺の中には叢雲との思い出もある、冷たい海に沈んでしまったけど、魂は暖かい場所にあるって信じてる!
俺は生きるよ!
生きて、叢雲の事を思って涙を流してしまうだろうけど、心配しないでくれ!
ありがとう叢雲……安らかに……眠ってくれ……」
それを最後に提督は声を押し殺して涙を流し続けた。
赤城は静かにその場を立ち去る。
赤城「……少し、格好を付けすぎましたかね」
自分で言ってじわりと視界が歪むのを感じた。
赤城「全く……困った提督です」
ふと、視線を感じて背後を振り返った。
暗い廊下が続いているだけだ。
赤城「……全く、もう一仕事……しますか」
*―――――――――――――――――*
翌朝、鎮守府中を沸き立たせる自体が食堂で発生した。
提督が食堂に自ら現れ、あまつさえ、大盛りを平らげようとしていたからだ。
食事を口に運ぶ際、周りの艦娘はそれを固唾を飲んで見守っていた。
提督が箸を取り、魚を口に運ぼうとして――笑みを浮かべた。
不敵な笑みではない、ふっと顔を緩ませた。
提督「見過ぎだお前たち、食べ辛い」
そう言って、パクパクと食事に有り付いた。
この有様に、ある艦娘は驚愕し、ほっと脱力し、涙をする者もいた。
赤城「隣、良いですか」
提督「いいぞ。
……朝からどんだけ食うつもりだ?」
赤城「普通です」
赤城は大盛りの更に数倍上を行く何かを提督の隣の席へと置いた。
提督「さすがは正規空母」
赤城は「いただきます!」と嬉しそうに言うと、次々と食事を嚥下した。
提督「……美味いな」
赤城「上々ね」
提督「赤城」
赤城「なんですか?」
提督「ありがとな」
*―――――――――――――――――*
提督の様子が変わったことはすぐさま鎮守府中が知るところとなった。
とりわけ、鎮守府で噂となったのが、第二艦隊ドミノである。
今日は暖かかった。
そんな中、鎮守府の警戒体制を見回っていた提督は、遊撃部隊として待機していた第一、第二艦隊の所へと見回る頃には、汗だくとなっていたのだ。
と言うのも、例の赤いロングコートの所為だろう。
提督「暑いな」
提督がこのように言った。
これに答えたのが大井であった。
大井「そんな服着てるからですよ」
これに次のように提督は答えたのだ。
提督「でも、死んだ叢雲がこの格好を気に入ってたからなぁ」
提督が何ともないように言った言葉に大井がつんのめり、電を押し倒し、電が鈴谷、鈴谷が加古、加古が龍驤、龍驤が天龍と言った具合にドミノ倒しとなったのである。
それほどまでに提督が叢雲の死を認めたことが彼女たちには衝撃的であったのだ。
第一艦隊もアイスを食べていたのだが、スプーンで掬った状態で固まり、溶けたアイスを地面に染みこませている有様であった。
そんな中、赤城と叢雲だけは冷静にアイスを食べ続けていた。
提督「そんな事より、今後の事なんだが、初めに謝っておく。
第一艦隊の空席を埋めたいと思ったんだが、お前たちに足並みを揃えられる艦娘がいない。
いるにはいるんだが、それぞれ、第二、第三艦隊に編成されてるから現状ではこの席を埋めることが出来ない。
もっと早くに見込みのある艦娘に重点訓練をすれば良かったんだが……天龍みたいに」
天龍が重点訓練という言葉に肩を震わせる。
天龍「怖い」
提督「可笑しな奴だな。
自分から望んだのに」
龍驤「ほら、天龍って勢いだけの所あるから」
提督「でも、あれだけ前線で戦いたいって熱望されたからには沈まないレベルにはなって貰わないと困るからなぁ」
天龍「フフッ……調子に乗ってました」
提督「なんかすまん。
……とりあえず、現状で第一艦隊の空席を埋める適任はいない。
すまないが今回の作戦もお前たち5隻で乗り切ってくれないか」
提督は叢雲に言葉を向けていった。
叢雲はアイスを食べながら頷く。
叢雲「問題ないわ。
なにも」
提督「敵艦隊もこちらの動きを見極めようとしている。
そして、こちらが鎮守府で迎え撃つのは分かっているだろう。
攻めてくる時は、ある程度の勝率を見いだした時だ。
俺の見立てでは3日以内に敵は動く。
みんなで乗り越えよう」
叢雲「えぇ。
分かってるわ」
*―――――――――――――――――*
その日の朝は、緊迫した雰囲気に包まれていた。
波の音だけがやけに耳に残る、そんな朝だった。
敵艦隊に動きがあったと哨戒に当たっていた者からの報告があったのである。
数十分後にはここは砲雷激戦の地になる。
しかし、今は鎮守府は静けさが支配していた。
赤城「今朝の魚いつもと違いませんでした?」
扶桑「お醤油が変わったそうですよ」
赤城「そうですか」
扶桑「どうかしたのですか」
赤城「いつもと違う味付けだったので」
扶桑「気に入らなかったと?」
赤城「そういう訳ではないんですが」
配置につく前だというのに赤城と扶桑はのんびりとこのような話をしていた。
それを聞いていたのが提督だった。
提督「いつもの醤油がいるのか?」
赤城「提督!?
止めてくださいね、また無茶をするのは」
提督「艦娘の為に無茶をせずして何が提督だ。
……しかし、あの醤油は生産量が減少してこちらまで品が届いていない用だからな……手に入れるのに少し時間が掛かるかも知れないぞ」
赤城「良いですよ。醤油くらい」
提督「そうか。
醤油はまかせろ……今日で片がつくぞ。
気を抜くな」
赤城「敵艦隊に動きがあったと言っても攻めてくると決まったわけでは――」
提督「決まってるんだよ」
提督は例の不敵な笑みを浮かべた。
提督「必ず来る」
提督がこのように言った4時間後の事であった。
敵艦隊が鎮守府へと手の伸びる所までへと迫った。
決戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。
提督「ほら、だから言っただろ?
必ず来るって。
来ないといけない。
来るしかない。
すぐさま撤退を選んでおけば良かったんだ。
なら、退くか攻めるかの選択肢がお前たちにも残されていた。
しかし、大艦隊で何日も海を漂い、鎮守府とにらみ合いをしてしまったお前たちに選択肢はない。
単純な話だ。
燃料と弾薬で優位に立ち体制が整っている俺たちに背を向けると言うことは、タダで味方の艦隊の命をくれてやると言うことだ。
苦しい選択だが、お前たちは一矢報いるという選択肢しか残されていない。
……さぁ、やろうか?」
戦いの火ぶたが切って落とされた。
爆炎と轟音が巻き起こり、煤けた煙が目に染み、熱された鉄が海水を蒸発させてむせ返るような臭気を立ちこめさせる。
深海棲艦は隊列を組んで鎮守府へと砲撃を、鎮守府はそれに陸から応戦している形となった。
お互いに射程距離にそれほどの違いがあるわけではない。
違いがあるとすれば、深海棲艦が大破して海へと沈んでいくのに対し、鎮守府にいる艦娘は被弾すれば素早く撤退し、高速修復材を使用して戦線へ復帰できる。
弾薬も尽きるところを知らなかった。
提督「深海棲艦も勝てる……とか、一瞬でも妄想したりするのかな」
提督は呟いた。
砲弾が数メートル隣を抉る。
那智「貴様、何をやっている!
引っ込んでろ!」
あきつ丸「格好つけるな!であります!」
それからは酷かった。
艦娘と肩を並べて砲雷激戦の嵐の真っ直中に居た提督へと向けられる「帰れ」コール。
提督は聞こえないフリというささやかな抵抗を実施したが、最後には艦娘から蹴りを入れられる始末であった。
泣く泣く、本当に泣きながら提督は後ろへと下がる。
提督「……ここで見ていて良い?」
ビスマルク「良いのよ?」
提督は最終的に少し下がった場所で戦況を見守ることとなった。
提督「……情けないなぁ、俺。
でも、お前たち深海棲艦程じゃないよ。
お前たちは次にどう考える?」
提督が呟いた時、深海棲艦は半数を鎮守府への攻撃に残し、離れた陸地を目指し始めた。
鎮守府の攻撃を続けている深海棲艦の位置は絶妙である。
砲撃はぎりぎり届かないが、かといって無視はできない距離だ。
那智「提督!深海棲艦が町の方に!」
提督「あぁ、予想どおりだな。
全く、恥も外聞もない化け物共だな」
深海棲艦は目指していた陸地、町からの砲撃に海上で一気に隊列を崩す。
数は少ないが正確無比で強力な一撃は狙われれば死を意味することを強制的に理解させた。
町方面の波止場から11の艦娘が海水へと着水した時、ぞくりと深海棲艦が震えた。
叢雲「行くわよ」
扶桑「良い天気ですね」
赤城「さぁ、私たちのターンです!」
砲撃の嵐と空を覆う戦闘機に深海棲艦の悲鳴が上がる。
砲撃戦でも、雷撃戦でも、航空戦でも、勝てはしないと骨身に叩き込まれる。
深海棲艦はたまらずに撤退を開始し始め、鎮守府から歓声が上がった。
叢雲「追うわよ!」
叢雲は深海棲艦の背中を追い始める。
電「提督の立てた作戦に追撃はないのです!」
電は行く手を塞ぐように滑り込んだ。
叢雲「それは提督の艦娘に対する優しさよ。
轟沈を恐れる弱さよ。
今後の事を考えるのならば、皆殺しにするのが当然良いに決まってるわ」
叢雲はその横を通り過ぎる。
通り過ぎた叢雲の背中を見て、反射的に追いかけたのが扶桑、山城、潮、大井、龍驤だった。
彼女たちに叢雲を置いていくなど、もう二度とできない。
電、鈴谷、加古、天龍が迷いながらもその後を追った。
赤城「提督に知らせて」
赤城は機体を一機空に飛ばしてその後を追う。
*―――――――――――――――――*
逃げる深海棲艦を背を追い続けた。
沈めた敵艦は数えればキリがない。
鎮守府から随分と距離が開き、連戦で燃料と弾薬の不安が皆の不安をくすぐった。
扶桑「叢雲、鎮守府へと戻りましょう」
叢雲は答えずに前へと進み続けた。
電「叢雲!聞いているのですか、叢雲!」
何も答えずに前へ前へと進む叢雲の様子に、鈴谷と加古が顔を見合わせた。
速度を上げて、叢雲に近づき、その肩を掴む。
鈴谷「待ちなって!
様子がおかしいじゃん!
どこか怪我したの?」
加古「無理しても提督は喜ばないよ?」
叢雲がぴたりと止まる。
叢雲「……ここで良いわ」
叢雲が振り返る。
二人の喉元を掴んだと思った次の瞬間には、至近距離からの砲撃を浴びせていた。
鈴谷「な、なん……で?」
海面で腕をまでを海に沈ませながら鈴谷が言った。
二人が苦悶の声を上げるに至までの一部始終を周りの艦娘は見ていた。
しかし、あまりにも予想外で想像だにしなかった光景に、呆然と立ち尽くすのみであった。
叢雲「なんで?
……あなたには分からないでしょうね」
叢雲はそう言って鈴谷に砲を向けた。
鈴谷の顔から血の気が失せる。
今、砲撃を受ければ間違いなく轟沈する。
鈴谷「い、いやぁ!」
叢雲「大丈夫。
提督が悲しんでくれるわよ」
叢雲の気勢が増した時、ようやく扶桑たちが動き始める。
大井「止めなさい!」
しかし、行動するには遅すぎた。
今から動いてももう間に合わない。
助けるつもりがあったのなら、もう数秒早く動いておかないといけない。
赤城のように。
上空から戦闘機が舞い降り、叢雲に向かって銃撃した。
叢雲は蝶のように身を翻し、それを避ける。
海面に銃弾が着弾し、細い水柱を作った。
その間から叢雲視線が鈴谷と加古を捕らえる。
再び砲が向けられるが、赤城の艦載機が投下した魚雷が叢雲の着地点へと滑り込み、叢雲はそちらへと砲撃の目標を変更せざるを得なくなった。
一際大きな水柱が立ち、雨粒が雨のように艦娘たちの頭上に降り注いだ。
そんな中、叢雲と赤城が対峙した。
叢雲「仕留めようと思って仕留め損なったのは久々よ?」
赤城「そうですか」
二人は不敵な笑みを作った。
電「叢雲、裏切るのですか!!」
叢雲「裏切るとかそういう話ではないわ。
ただ、よく考えてみて……やっぱりあなた達を沈めようって……」
電「叢雲……どうしちゃったのです?」
叢雲「深海棲艦に洗脳され……操られ……とでも答えれば満足なのかしら?
私は自分の意思でここに立っている。
私は私の殺意を以て、あなた達をこの冷たい海の底へと沈めようと思う」
電「提督の敵になったのですね!」
ならば容赦はしないと電が砲を向けた。
叢雲の笑みが深まり、砲撃が海面を抉った。
寸のところで砲撃を交わし、水柱を縫うように進む。
赤城が艦載機を放ち、電を支援した。
電「前へ、前へ前へ前へ!」
電という艦は少々特殊であった。
彼女は自分が傷つくことを厭わない。
叢雲が敵になった……なら沈めてしまおう、などという選択を普通の艦はできない。
裏切ったとはいえ、沈めてしまえば提督が悲しむのは目に見えている。
沈めた艦を責めるやも知れない。
しかし、それを電はやってしまう。
それが提督の為になると信じているからだ。
叢雲と電は互いに砲撃し合いながら接近し、接近戦へともつれ込んだ。
お互いに一撃必殺の近距離での打ち合いである。
砲を向け、払い、爆風で視界がかすむ中、打ち合う。
叢雲は赤城が放った艦載機の攻撃も捌ききりながら電を徐々に追い詰めていった。
電「叢雲っ!!」
化け物のような闘争を続けてきたこの場に居る全員が悟った。
電の遅れは致命的になってきていると、あと、4手もしないうちに捌ききることは敵わなくなると。
大井「叢雲、止めて!」
叢雲「止めてみなさい!」
電の眼前へと砲が向けられた。
轟音が鳴り響くより一歩早く、艦載機の銃撃が砲を僅かに狙いをズラさせた。
それでも、肩口に砲撃を受けた電は大破状態で海面を転がった。
叢雲「赤城……邪魔なのよ。あなた」
赤城「叢雲……私と遊びましょう」
叢雲の能面のような表情に怒りが過ぎる。
叢雲「ふざけないで、遊びじゃないのよ?」
赤城「付き合わされるこっちの身にもなってください。
まあ、羽目を外したくなるその気持ち……分からなくもないです」
二人の間に流れる緊張感の甘い蜜に誘われ、犬のように逃走していた深海棲艦が引き返してきた。
扶桑たちは深海棲艦へと砲撃を開始する。
電、鈴谷、加古も必死の応戦を始めた。
そんな、彼女たちに向かって、叢雲は砲撃をした。
水柱をかぶり、よろける彼女たちであったが、構わずに砲撃を続ける。
電は提督に崇拝じみた感情を抱いているので一度は攻撃を仕掛けたものの、攻撃を仕掛けた彼女だからこそ分かった事があった。
潮「もう、止めてください!
なんで、なんで、こんな事を!」
叢雲「理由なんて――」
赤城「理由はただ一つ。
彼女が彼女であるためです」
叢雲は目を見開いた。
電「……安心してください。
沈みはしないのです。」
電も続くようにして言った。
赤城「さあ、やりましょう。
あなたの遊びに付き合えるのはもはや私だけです」
叢雲は空を見上げた。
叢雲「……あなた達、1隻残らずここで轟沈するべきよ。
でないと傷つくだけ。
提督は……あの叢雲の死を受け入れてしまった。
それでも、あの叢雲を愛していると言ったわ」
静かな動揺が艦娘の間に走った。
赤城「あの日、視線を感じましたが、やっぱりあなたでしたか」
叢雲「なんで、あの日に沈んでおかなかったの?
この先、戦って戦って戦い続けて何があるの?
報われると思っているの?
あり得ないわ。
その先にあるのは孤独だけ。
でも、ここで死ねば提督は悲しんでくれるかも知れない。
あの叢雲が死んだ時と同じように」
赤城「あなたはそんな事、どうでも良いと思っている。
そもそも、あなたに私たちを沈める意思は無い。
沈めようと思えば沈められるタイミングはいくらでもあったはずです」
叢雲「……沈めようと思ってるわ」
赤城「思っていません」
叢雲「思ってるの」
赤城「思っていません」
空を見上げていた叢雲は赤城の真っ直ぐな瞳を正面から見た。
両眼から一筋づつの涙が零れた。
叢雲「思ってるの!
沈めたくない……でも、沈めたい!
だって、あなた達を沈めたら、提督は悲しむでしょ!?
私を恨むでしょう!?
恨んで恨んで、私を見てくれる!
でも……あなた達を……沈めたくない!」
電「……叢雲」
叢雲「あなた達が羨ましい!」
声を投げかけられたのは扶桑たちであった。
叢雲「なんで私をあの鎮守府に連れて帰ったの!?
こうなるって分からなかったの!?
私はこの海で生まれて、一人訳も分からず海で佇んでいて……あなた達が現れて……仲間だと思ったら青い顔をされて……鎮守府に連れて行かれたと思ったら……提督は、提督は、俺の叢雲じゃ無いって……私、ドキドキしたのに!
目の前の人が私の司令官で、そんな人に私は何を言おうって考えると頭がごちゃ混ぜになって……何を言ったのか覚えてないくらい緊張してた!
非道い司令官だったけど、沈んだ艦娘の為に泣いている姿を見て、私もいつかこれくらい愛してもらえるんだって……そんな馬鹿なことも考えたりした!
でも、でも、愛どころか……わ、私、一度も私として見られたことが無い……司令官はいつも私を通じて死んだ叢雲を見てた。
それに気がついてからはだんだん自分が嫌になってきて……もう、駄目……。
赤城、私を……沈めて」
赤城「……分かりました」
赤城が言った瞬間、深海棲艦と砲撃の応酬をしていた艦娘たちから悲痛な叫び声が上がる。
慌てて叢雲と赤城の間に割って入る。
大井「止めなさい、赤城!
本気なの?」
赤城「私、冗談は苦手なんです」
赤城は弓を引き絞った。
ピタリと矢先が叢雲の額に向けられる。
赤城「安心して叢雲、約束は守ります。
死出の旅に相応しい最後を。
……服を……直して。
髪が跳ねています。
……良いですか?」
扶桑「赤城さん!」
扶桑たちは叢雲に抱きついた。
攻撃を当てさせてたまるかと、必死で隙間を埋めた。
赤城「叢雲、良いですか?」
叢雲「…………えぇ」
赤城「さようなら。
叢雲」
赤城はそっと、弓矢を放った。
水面を走った矢は途中で鋼鉄の機体へと姿を変えた。
低音を放ち叢雲へと迫ったそれに、扶桑たちは血の気を失わせたが、予想していた結果とは違い、艦載機は叢雲たちの横を通り過ぎ、空へと昇った。
そして、叢雲たちの周りを旋回し始めたそれから声が聞こえた。
「お前たちが気を抜くなんて珍しいこともあるものだな。
後ろを見ろ」
艦載機から聞こえてきたのは間違いなく提督の声であった。
言われたとおり、振り返ってみれば、やかましい音を立てて演習で良く活躍するモーターボートでこちらへとやって来ていた。
深海棲艦が現れてからと言うもの、単身でこんな所にまでモーターボートでやって来た馬鹿はそういないであろう。
山城「提督!?
何やってるんですか!」
提督「それはこっちの台詞だ」
潮「て、提督……」
提督「事情は分かっている
」
提督のモーターボートには赤城が先ほど発艦させたものと同じ艦載機が乗っていた。
提督「お前たち、ありがとう。
今の俺から言えるのは……すまないがそれだけだ。
こんな馬鹿提督に着いてきてくれたことを心から感謝している。
俺には贅沢な話だ。
……叢雲」
名前を呼ばれた叢雲は肩を震わせて、他の艦の影に隠れようとしていた。
提督「……叢雲の声、届いたよ。
ごめん。勝手な提督で。
確かに……今でも俺は沈んだ叢雲の事を愛してる。
でも、俺は生きるって決めたんだ。
俺は……前を向いて歩く。
お前たちと歩いて行きたいんだ。
一人も欠けさせない」
提督は叢雲の頭に手を置いた。
提督「俺の叢雲だ。
勝手に沈むことは許さない。
こればかりは自分で決めても駄目だ。
俺がもう決めたからな。
沈ませないって」
叢雲の目から涙が止めどなく溢れた。
と思われた次の瞬間にはプルプルと震え初め、最後には大声を上げて泣き始めた。
扶桑はそんな光景を見ながら赤城へと近づく。
扶桑「……こんな叢雲は初めて見ました」
赤城「ちゃんと、沈めたでしょ?」
扶桑「なるほど、今までの叢雲は確かに……死んだかもしれませんね」
電「それは良いとして。
こいつらどうするのです?」
深海棲艦はこちらの混乱に便乗しようとしていたのか遠巻きから様子を伺っていたが、何やらまとまったような様子を見せ始めたことに混乱を見せていた。
提督「……敵を叩いて、反転したところで俺たちも逃げる。
このまま背を向けると背後を突かれる」
潮「少し数は多いですけど、練度を考慮すれば難しい話ではないです」
赤城「その役。私がやります」
提督「できるか?」
赤城「一航戦の誇り、お見せしましょう」
赤城は絶望的に思える状況において敵に立ち向かい、沈んだ叢雲の気持ちが分かったような気がした。
艦娘として生を受け、戦う事にも沈むことにも文句は無い。
誰かの為に戦うのは気持ちがいい。
艦娘冥利に尽きる。
誰かの為に死ねたのならそれはこの上ない満足だったのだろう。
大井「私も行くわ。
負けるんじゃ無いわよ」
赤城「負ける?
一体誰が?
私が?」
提督「……え?」
赤城「負ける?
私が負けるですって?
私が深海棲艦に私が倒されると?」(慢心)
龍驤「……あかん」
赤城「私は断じて負けません。
負けるはずがありません、決して」(慢心)
この時の赤城は一言で言えば最高にハイだった。
並外れた力を手に入れ、提督と叢雲の心の傷を解決し、彼女の中で間違いなく最高に気持ちの良い瞬間だった。
赤城「敵艦の残骸もあんなに沢山……食い放題も良いところです!」
ドヤ顔で敵艦隊に突っ込んで行った赤城がどうなったのか。
一言で言うと、大泣きをしていた叢雲はまだ泣き足りなかったのだが、致し方なく敵を殲滅した。
*―――――――――――――――――*
あれから数ヶ月。
すっかり鎮守府は落ち着きを取り戻していた。
先の作戦で鎮守府が失った艦娘はゼロ。
この結果は、まさに偉業と言われ、提督の胸には勲章が煌めくことになった。
式典に参加するとの事で提督は3日前から出かけている。
叢雲「大破の赤城」
赤城「止めてください。ごめんなさい」
叢雲「いいのよ。
謝罪をするべきなのは私の方。
感謝もしているわ。
それより、大破の赤城、こんな話を知っているかしら」
赤城「なんですか。ごめんなさい」
叢雲「私たちの提督が勲章を貰いにわざわざ中央に出向いているけど、どうやら中央に向かったのはそれだけが事情じゃ無いみたいよ?」
赤城「何かあるんです?」
叢雲「どうやら、艦娘の戦闘力向上のための新技術が開発されたから、そのことについて会議があるらしいの」
赤城「どこで聞いたんですか、そんな話」
叢雲「この前他の鎮守府から演習で来ていた艦娘から聞いわ」
赤城「それで、その会議がどうだと言うんです?」
叢雲「会議はどうでも良いのよ。
なんでも、その新技術の名前はケッコンカッコカリって言うらしいの」
赤城「ケッコンカッコカリ?」
叢雲「指輪型の戦闘力向上装置だって聞いたわ」
赤城「馬鹿馬鹿しい話ですねぇ。
もし本当にそうだとしたら上層部のセンスには頭を垂れるばかりですよ」
叢雲「そうね。
確かに馬鹿馬鹿しいけど、もし、提督が指輪を持って帰ったらって考えたら面白くない?」
赤城「あり得ませんよ」
叢雲「興味ないの?」
赤城「あり得ませんから」
叢雲「だったら、提督が指輪を持って帰ってきたら私が貰っても良い?」
赤城「は?」
叢雲「みんなには迷惑を掛けちゃったし……情報は教えておこうと思うんだけど、さすがに指輪まで譲るのはちょっと……」
赤城「……自分が貰えるというような前提で離していますけど、提督が指輪を渡すとしたら誰よりも提督の事を理解している私に決まっています」
叢雲「慢心大破の未来が見えるわ」
赤城「止めてください!」
叢雲「まあ、赤城はケッコンカッコカリには興味は無いって事で」
赤城「別に興味は無いとは……この話、他の誰かにもしましたか?」
叢雲「意思確認のために結構言っちゃってるから、みんな知ってるんじゃない?」
赤城「……ふーん、まあ、良いですけど」
赤城は窓を開けると艦載機を放った。
叢雲「何してるの?」
赤城「別に?」
そのおよそ30分後、そわそわと窓の外を気にしていた赤城が慌てたように席を立った。
叢雲も席を立つ。
赤城「どうしたんです?」
叢雲「何でも無いけど?」
赤城「ふぅん?」
二人はゆっくりと歩き始めやがて先を競うように走り始めた。
全力疾走で鎮守府の建物を出た時、赤城は潮、叢雲は扶桑にぶつかりかけた。
が、それぞれ、構わず走り続ける。
門の所に着くまでには、15隻程度の艦娘が殺到していた。
叢雲「あんたたち、興味ないって言ってたじゃない!」
鈴谷「み、見に来ただけだから」
加古「貰えるんなら貰うよ」
電「私は提督のお出迎えに来ただけなのですよ?」
殺到した艦娘たちを見て提督は笑顔を浮かべた。
提督「なんだお前たち。
3日間会えずに寂しかったのか?」
叢雲「えぇ。それで……どうだったの?」
提督「これを見ろ」
提督が例のコートのポケットに手を入れた瞬間、艦娘たちの並々ならぬ興味がそこへと注がれた。
山城「その格好で行ったんですね」
大井「恥ずかしいから止めてくださいって言いましたよね?
酸素魚雷ぶち込みますよ?」
提督「じゃじゃーん!
みんなの栄誉の勲章だ!」
提督が満開の笑みで取り出したものを艦娘はしらけきった表情で見ていた。
提督「……なんだ?
反応薄いな」
龍驤「良いからそう言うの。
ほら、もう一つあるでしょ?」
提督「なんだ。
知ってたのか」
「おぉ」と艦娘から歓声が上がった。
やはりあの噂は本当だったのかと。
提督「でも、慌てること無いだろ?」
龍驤「そうかも知れないけど……ちなみに誰にあげるとか決まってるの?」
提督「誰に?
全員に決まってるだろ」
龍驤「とんでも無い浮気者やな、君!」
提督「意味が分からん。
ほら、これだろ?」
提督は醤油を2本取り出して言った。
龍驤「違うわ!」
提督「え!?
醤油の味が変わったって不評だったじゃ無いか!」
艦娘たちは提督の必死の弁明を余所に解散し始めた。
そんな中、赤城は提督にこそりと耳打ちをする。
赤城「……ケッコンカッコカリ」
ぎくりと提督の肩が震えた。
叢雲「……全く、あんたも成長しないわねぇ。
まぁ、良いわ」
この鎮守府はどうしようも無い提督の元に集まったどうしようも無い艦娘ばかりだ。
喜びと悲しみが波のように引いては押し寄せるような毎日だが、その全てが愛おしい。
赤城&叢雲「今は、あなたがそばに居てくれるだけで幸せだから」
fin.