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まどか「もう大丈夫だよっ」まどか「あなたは……!」【前編】
【ほむらの回想1】
腕の中のまどかの、目を覚ます気配がして、私は足を止めた。
日が落ちて、空気は冷え込み、夜になる。明日はやっぱり雨かしら。
彼女の葬式の日は、いつも雨ばかりだから……。
ほむら「目が覚めたようね、まどか」
腕の中のまどかは「ん……」と声を漏らして、腰を丸めた。
目を開いて、身体を起こそうとする。けど上手くいかない。
まどか「あれ……ほむらちゃん? なんで……」
私は静かに彼女を下ろした。
地に足をつけて、しかし、まどかはまだ寝惚けているようだった。
きょろきょろと辺りを見回して、空を見上げ、私を見る。
周囲に明かりは少なく、お互いの表情は見えにくかったけれど、
まどかの顔に満ちる不安の色は、私にもはっきりと分かった。
まどか「ねえ、ほむらちゃん――」
ほむら「――二人とも死んだわ」
口を開きかけた所を、私は敢えて強い口調で遮った。
二人とも――さやかも、杏子も、死んだ。その事実を突き付ける。
目を見開いて硬直したまどかに、現実を塗り込んでいく。
ほむら「一度、魔女になってしまったら、もう、どうにもならない」
ほむら「言ったはずよ、何度もね。美樹さやかのことはあきらめて、と」
ほむら「結局、杏子は彼女と相討ちして、二人とも、死んだのよ」
まどか「死んだって、どういうこと」
硬い表情のまま、ほとんど口も動かさず、まどかは言った。
私は唇を噛んだ。その肩をつかんで揺さぶってやりたかった。
目を閉じて、ぐっとこらえる。まどかは涙も流していない。
ほむら「そんな顔したってダメよ」
ほむら「二人とも、もういないの。でもあなたは生き残った」
ほむら「それだけの……ことよ」
湿っぽい風が、私たちの間を吹き抜けていった。
私はまどかを家まで送り届けるべきかどうか、考えていた。
もう魔女は、アイツ以外は現れないだろうし、必要ないかしら。
まどか「ほむらちゃんのバカ」
不意なつぶやきが、ポツリと零れて、
私が顔を上げた時には、すでにまどかは背を向けて駆けだしていた。
*
今回、まどかは来てくれないらしい。
そのことをようやく確信できたのは、夜も9時を回ってからだった。
さやかの葬式には行かなかった。行けるはずもない。
彼女が死んで、ホッとしてるような人間が、行けるはずもない。
でも私は、期待していた。
時計を何度も見て、今にもまどかが、玄関先に現れるんじゃないかと。
土砂降りの雨のなかでも、彼女は来てくれる場合があるから……。
それで何をするわけでもない。けど、ただそれだけで、私の心は安らいで、
次の日の、最後の戦いに、確かな気持ちで臨むことが出来るのよ。
けど今日は来なかった。
まあ、いいわ。明日に備えて、早く寝なくちゃね。
*
私の顔を流れる血に、滴り落ちるまどかの涙が混じる。
口の中の血を吐き出す。まどかが何か言っていたけど、
耳がおかしくなってしまったらしく、よく聞き取れなかった。
まどか「……さい!……んなさい!……」
「ごめんなさい」かしら……? まだこの間のことを気に病んでいたのね。
まったく、彼女らしい。それに比べて、私ときたら……もう救いようが無いわ。
足の激痛でぼんやりとする頭を振り、私は周りを見回した。
視線の高さからして、地面じゃなくてどこかのビルの中に突っ込んだらしい。
窓ガラスは全て吹き飛び、元の内装など跡形もない。
こんな所まで、まどかはどうやって来られたんだろう……。
ほむら「あ……」
身体を起こそうとして、ようやく足の激痛の原因がわかった。
巨大な瓦礫に押しつぶされて、どうにも動けなくなっていたのだ。
私の手を握りしめて、まどかは真っ白な顔をしていた。
まるで亡霊のようで、それを見た私の心はきれいに空っぽになる。
見なくても分かったけれど、私は視線をずらして見た。
耳鳴りが収まって、不愉快な高笑いが戻ってくる。
その全く無傷な魔女は、ただ何となく空を漂っているだけだった。
でも街は崩壊して、瓦礫は積み上がり……大勢の人がいただろう、
避難所となっていたドームも、もはや原形を留めてはいなかった。
ほむら「あなたは何も悪くないわ」
私は言ったけど、何の慰めにもならないことは知っていた。
その上、私は逃げ出すのだ。正直、もうこれ以上見たくない。
時間を巻き戻して、早くあの病院のベッドに戻りたい。
腕に固定された盾を回して、ほんの数秒のこと。楽になれるのよ。
痛みも無くなって、楽になれるの。
でも、私の両手はまどかに握りしめられていた。
ほむら「離して、まどか」
ためらわずにそう口にしたとき、ああもうダメだなと思った。
人間のクズね……ああ、人間じゃないんだっけ。もうどうでもいいわ。
まどか「大丈夫だよ」
たぶん、まどかは誤解していた。私がまだ戦いたがってると思ったのだろう。
違うのに。あなたを勝手に巻き込んで、見捨てて、逃げ出そうとしてるのに。
でも、そのとき気付いた。
確かにまどかの顔には、涙の流れた跡があって、目も真っ赤に充血していた。
でも、いま、その目は静かな決意に燃えていて、力強い光を放っていた。
ほむら「まさか……」
まどか「ごめんね、ほむらちゃん」
まどか「わたし、結局ほむらちゃんのこと、なんにも分からなかった」
まどか「どうしてこんなに、わたしのこと守ってくれるのか、全然」
ほむら「それはっ……」
まどか「不思議だよね。あなたとは絶対にどこかで会ったことある気がする」
まどか「これがお別れだと思うけど、もしまた会えたら、そのときは」
まどか「そのときは、ちゃんと全部、わたしに話して欲しいな」
ほむら「まどか……」
QB「願いごとは決まったかい?」
この場面で、もっとも聞きたくなかった声。
白い小動物の姿をして歩み寄る。ヤツは最後の目的を達しようとしていた。
まどかがゆっくりと頷いて、私は絶望的な気持ちになった。
でも、まどかは私の両手を握りしめて言った。
まどか「心配しないで……わたし、ほむらちゃんを助けられるから」
まどか「さやかちゃんも、他の魔女もみんな、助けちゃうからね」
にっこりと笑うまどか。私は絶望的に笑い返した。
申し訳ないけど、ショックでおかしくなってしまったとしか思えなかった。
実際の所、願いごとは無制限じゃないし、言った通りに叶うわけでもないのだ。
でも……。
この世界を見捨てて逃げる私に、口を出す資格は無いわね。
まどかの願いごとを聞いて、それから私は行こう。そう決めた。
まどか「じゃあ、行くよ」
手を離して、まどかは立ちあがる。私の視界にそびえる背中。
くるりと回って、キュゥべえに向き直る。
空は暗い灰色に濁り、風に乗る雲が高速で流されていく。
QB「分かってるだろうけど、願いごとは一つだけだよ」
QB「君なら、さやかを生き返らせることくらいは出来るだろう」
QB「けど、他の子もということになると、一つの願いごとでは収まりきらない」
まどか「一つに収まるよ」
なぜか確信に満ちた様子で、まどかは宣言した。
考えがあるようだった。どんな願いごとをするつもりなのか。
首をかしげるキュゥべえに向かい合い、まどかは口を開いた。
まどか「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい」
まどか「過去と未来の全ての魔女を、この手で」
私がその願いごとの意味を考える前に、桃色の輝きが凝縮した。
まどかの頭上に神々しくきらめくソウルジェムが現れ、次の瞬間、
あらゆる方向からやってきた奔流が、一瞬でそれを黒く塗りつぶした。
~ほむら視点~
私の知らない間に、事態が大きく動いたのは間違いない。
ハコの魔女との戦闘で私は不覚を取って、翌朝までのん気に眠りこけていた。
未来から来たまどかが彼女たちにどう説明したのか、それすら分からないのに、
彼女は今やすっかり溶け込んでいて、訳が分からなかった。まどかに聞きたいけど、
この世界の彼女たちの前では、面と向かって聞くわけにもいかない。
マミは少し疲れた顔をしていたけど、特に支障はないようだった。
「暁美さん、あなたも倒れたんですって? 意外ね」と言われたけど、
どうもケンカを売っている感じではなかった。だから、何も言い返さなかった。
私たちはまどかに見送られ、一緒に家を出た。
あんなことがあった翌日だけれど、今日は平日だった。学校だ。気が重い。
けど、この世界のまどかとさやか、そしてマミは、どこか緩んだ表情に見える。
玄関口でこちらに手を振るまどかと目が合って、彼女はすこし笑ったけど、
それは何と言うか、いたずらっ子みたいな笑い方で、彼女には似合わないと思った。
私しか話す相手がいなかったとき、まどかはなぜか機嫌を悪くしていた。
でも今は、彼女たちの前で、明るく無邪気な笑顔を見せている。
結局、どうしてまどかは不機嫌だったのか、分からずじまいで、
気になった私は直接聞いてみたけど、まどかは「一体なんのこと?」の一点張り。
そもそも無かったことにされてるみたいで、手詰まりだった。
本当に覚えてないのか、それとも私の気のせいだったのか……。
まあでも、いま現在、彼女は笑っているし、私たちは仲良くできているし、
過ぎたことをいつまでも考える意味は無かった。
その日の夕方から、私たちは共同で魔女退治をする事になった。
効率を上げるためには分散した方が良かったのに、誰もそう言わなかった。
もちろん、この間のショックはまだあった。全滅の危機が目の前まで来ていたんだもの。
一人で戦うのに抵抗があるのは当然。私だって危なかったから。
でもまどかの前ではどんな魔女も敵ではなかった。置いてきぼりにされた私たちは、
彼女の戦いの後、ゆっくりと顔を見合わせて、脱力して笑うこともしばしばだった。
彼女の周囲に群がる敵だけ倒す、露払いの役目を果たすだけだった。
私はそれで良かったし、マミも特に不満を感じているようには見えなかった。
ハコの魔女との戦いの日から数日経って、私たちは安定して魔女を倒せるようになった。
さやかのソウルジェムは濁るのが早かった。逆にまどかのソウルジェムは今のところ
濁る様子が無かったので、さやかはまどかのグリーフシードをほとんどもらっていた。
彼女――さやかはすこし口数が減った気がする。また何か悩んでるのかしら。
それから……そう。この前まで微妙な距離感を保っていたマミが、急に友好的に、
というより、馴れ馴れしくなっていた。私は、彼女とは距離を保ちたいのに。
保たないといけないのに。でも心は正直で、私はマミと話せてうれしかった。
もういつ以来だろう。彼女の家に招かれて、あの明るいリビングに足を踏み入れた時、
私は不覚にも涙ぐんでしまった。マミが馴れ馴れしくなったのは、いま思えば、
あれからだった気もする。
*
まどかが宙を舞う。
螺旋状にそびえ立つ電柱の頂点を蹴って、背後から飛んだ液体をかわす。
空中で回転、まどかは弓に矢を番えて狙う、魔女の本体は地上。「さやかちゃん!」
まどかが目を見開いた。地上のさやかが魔女に斬りかかろうとしている。ためらう。
ほむら「撃ちなさい、まどか!!」
電柱が音を立てて溶け始めた。まどかが回避した黄土色の粘液がコンクリートを溶かし、
蒸気をまとう大粒の雨となって、降り注ぐ。私の頭上から。
危機感だけを頼りに、必死で逃れた。熱か酸か、とにかく浴びたら死ぬ。
白い煙が次々に噴き上がり、目の前の地面が大きく開く。足がもつれて尻もちをつく。
魔まどか「ほむらちゃん!!」
上手く立ち上がれない。地面が傾いている。まさか地盤をえぐられたのかしら?
まどかの放った矢はあらぬ方向へ消え、バランスを崩したさやかが倒れる。
「あ……」と小さく漏らし顔を上げたさやか、その目の前に魔女。
身体中に突き出た吸盤のような口から噴き出した。黄土色の液体がさやかに降り注ぐ。
目を見開き、とっさにマントを広げる。あれで防げるとは思えなかった。
「さやかちゃん!」どちらかのまどかが叫んだ。その瞬間、何かが巻きつき、
さやかは空中に飛び上がっていた。巻きつくのは黄色のリボン。
リボンに引かれて危うく逃れ、さやかはマミに抱かれて、螺旋状の電線の上を行く。
さやか「マミさん、ごめん……助かった!!」
マミの方を見ないで、さやかはヤケクソのように叫んだ。
余裕のない表情のマミはそれを気にせず、私に振り向いて告げる。
マミ「暁美さん、手強いわ……いつものお願い!!」
そう言った時には、すでに巻きついていた。私の手首を締めつけるリボン。
すでに何度かやってることなので、いまさら説明もいらない。けど……。
仕方ない。まどかが着地し、こちらを向き、うなずいた。最近こればかり……。
ほむら「さやかの訓練にならないと思うんだけど」
さやかが顔を上げ――――その瞬間、時間が止まった。
止まったその顔は、こちらを見ていたけど、何とも言えない表情だった。
マミ「これで勝てるのなら、訓練なんて必要ないでしょう」
停止した時間の中で、マミはまだ動いていた。
どうもマミのリボンは身体の一部と認識されるらしく、私にそれを巻きつけるだけで、
私に触れているのと同じ効果を得られるようだった。それを利用した戦法がこれ。
マミ「ティロ・フィナーレ」
いつものように叫ばず、静かに唱えて、魔女に止めの一撃を放つ。
その穏やかさとは裏腹に激しい音と衝撃が撒き散らされ、魔女の寸前で止まる。
マミ「いいわ、解除して」
荒い呼吸の音に混ぜるように、小さくマミはつぶやいた。
時間が動きだし、光の砲撃が魔女の中央を貫いて殺した。突き抜けた砲撃は直進し、
結界の壁に命中、ガラスのように砕け散って、結界全体に致命的な打撃を与えた。
結界が崩れていく。マミは微動だにせず、まだ同じ場所に立ち止まっていた。
その硬く反り立った背中に、私はすこし違和感を覚えて、それを口に出した。
ほむら「やっぱり、らしくないわ。こんな戦い方って」
マミ「私……そうかな。……どこかまずかったかしら?」
肩の力を抜いて、マミはこちらを振り向き、緊張した表情を崩して笑った。
そうじゃない、と私は思った。でもどう言えばいいのか分からなかった。
さやか「ありゃりゃ、またいつの間にか終わってるしー!!」
不意に抱えていたさやかが声を上げて、マミはビクッと肩を震わせた。忘れていたらしい。
「びっくりするでしょ!」と怒り始めるマミに、とりあえず笑うさやか。
ここ数日ですっかりお馴染みになった光景を見て、ようやく戦いの終わりを実感する。
魔まどか「ほむらちゃん、おつかれさま。怪我は無かった?」
声がして振り向くと、変身を解きながら歩いてくるまどかがいた。
今は髪を解いていて、桃色のセミロングヘアが風になびいている。
もう一人のまどかと見分けがつかないというので、とりあえずの目印だ。
ほむら「ええ、まさか今日という日に倒れるわけには行かないもの」
魔まどか「ふふ、ほむらちゃんってば、食いしん坊なんだから」
前は飲食店だったのか、この改装中の店内には、窓から広く赤い光が差し込む。
中央の円卓は足が折れて崩れ、斜めになった台が鏡のようにきらめく。
舞うホコリが光を反射して、雪のように輝いて、部屋の中を満たしている。
マミはさやかに今回の戦いの反省点を伝えているみたい。
さやかは冗談ばかり言ってまともに聞いてないように見えるけど、違うだろう。
目が真剣そのものだもの。脱力して肩を落とすマミは気付いてるのかしら。
きしむ床板を踏んで、私たちは店を出る。人通りの無い路地だし、怪しまれやしない。
「どこか食べに行くの?」とまどかがまどかに聞いていた。
路地を抜ける風がだんだん冷たくなり、夕日が闇に消えていく。
いくつかの店にぼんやりと明かりが燈り、夕日と交代するように、鮮やかな色彩に
街を染めていく。さやかとマミが静かになり、まどかたちの会話を聞き始めた。
魔まどか「前から約束してたんだけどね、ほむらちゃんと」
魔まどか「今日はもうレストランの予約も6時から取ってあるんだから!」
背後から自慢げな声が聞こえて、私は頭を抱えたくなった。
実際には、先に見える小さなアクセサリーショップに興味がある振りをした。
この前のハコの魔女との戦いの夜、私とまどかは外食の約束をしていた。
でも戦いの結果、そんな暇は無くて、その話は流れていたのだけど。
今は少し落ち着いたし、そろそろ埋め合わせをしようと思っていた。
ただ、そんな話をここでしなくても……抜け駆けみたいだと思われるでしょう?
さやか「えー、ちょっと何ですかぁ? 抜け駆けですかぁ?」
魔まどか「そ、そういうことじゃないよ! ただ、予約は2人分しか……」
さやか「ぶっ、何よその小学生みたいな言い訳は!……あー」
さやか「やっぱアレよね、魔法少女になったって、まどかはまどかだよねぇ」
まどか「そ、それどういう意味……」
魔まどか「ほむらちゃんからも何とか言ってよ」
ほむら「ここで私に振らないでくれる」
魔まどか「ひどーい……元はと言えば、二人きりでって言ったのは――」
マミ「――はいはい、ストップストップ」
その声で私は思わず息を吐いていた。まどかには油断も隙もあったものじゃないわ。
そこで初めて振り向くと、私以外の4人は私の後ろで横一列になっていた。
マミ「二人は同じ未来からやってきた仲間なんだって、聞いたでしょ?」
マミ「二人きりで話したいこともあるんじゃない? 邪魔しちゃ悪いし……」
そこでマミは言葉を切った。というより、言葉に詰まったように見えた。
何となく年長の貫録なのか、私たちは全員黙って聞いていたので、妙な間が空いた。
私はさやかと目が合った。汗が垂れる。マミが言葉を絞り出す。
マミ「えー、鹿目さんと美樹さんには、素敵なディナーは用意できないけど……」
マミ「うちに来ない? 昨日買ったばかりの茶葉があるの」
まどか「あっ、もしかしてこないだ言ってた……何とか何とかっていう新しい紅茶?」
さやか「何とかしか言えてないじゃん! この天然っ子め!」
さやか「……マミさん、それじゃ、途中でケーキも買ってきましょう!」
マミ「いいわね。……あ、二人とも門限は大丈夫? いつもより少し遅いけど」
まどか「連絡しておけば、平気です」
さやか「大丈夫ですよー」
そろそろ頃合いかしら。私は見計らって、髪を下ろした方のまどかの手を引いた。
まどかは分かってるんだか分かってないんだか分からないようなよく分からない顔で、
でも少し笑ってるからやっぱり分かっているのね、私に従った。
ほむら「それじゃ、私たちはこの辺で」
魔まどか「ごめんね、今度はみんなも一緒にね」
マミ「気にしないで。……あ、茶葉は二人の分も取っておくから。明日また来てね」
まどか「あ、それじゃ、さよなら……」
さやか「楽しんできなよー、転校生!」
ここで言い返してまた泥沼にはまるのは勘弁してもらいたい。
私はもう黙って背を向けて、まどかの手を引いて、一行と別れた。
魔まどか「わたしも、らしくないと思うよ」
ほむら「えっ?」
魔まどか「……なんでもない」
~まどか視点~
マミ「私たちだけでお茶するの、ちょっと久しぶりね」
透明なテーブルにお盆が置かれる。静かに座って一息ついて、マミさんがそう言った。
買ってきたケーキをさやかちゃんがお皿に移している。紅茶の水面が少し波打った。
いつも通り、マミさんの部屋で、楽しいお茶会の時間……なのに、いつもと違う。
さやか「あの二人は勝手にさせときゃ大丈夫ですって」
さやか「抜け駆けしてマミさんのお茶会サボるとかねー……ったくもう」
言いながら、チョコレートケーキのお皿をマミさんに渡す。
困ったように笑うマミさんが受け取る。わたしもケーキのお皿を受け取って、
フォークを二人に配った。マミさんが口を開いた。
マミ「もちろん彼女たちにも、来てほしかったけど……」
マミ「そうじゃなくてね。なんていうの? この3人でお茶会するのって……」
マミ「最近は無かったから、ちょっと懐かしい感じだなって、ね」
ニコッと笑うマミさんに、わたしとさやかちゃんは何も答えなかった。
けど、わたしは小さくうなずいた。さやかちゃんは黙って紅茶を口に含んでいた。
わたしは顔にかかる前髪を軽く払って、マミさんの後ろに広がる大きな窓に目をやる。
いつもと少し違うのは、窓の外にきれいな夜景が広がっていることだった。
いつもならお茶会は夕方にしているから、夕日が部屋の中を満たしていて、
明かりも必要ないくらいなんだけど、今日はもう夜なので電気が点いていた。
ケーキはおいしい。でも音が響き過ぎていた。カチャカチャというフォークの音。
さやかちゃんは黙って紅茶を飲んでいる。それをぼんやりと見つめるマミさん。
思わずわたしは、ちょっと座りなおした。いつもはどんなことを話していたっけ。
しばらく考えて……あ、そうだ。いつもは魔法少女体験ツアーの打ち合わせを……。
マミ「最近どう、美樹さん? 魔女退治には慣れてきたかしら」
反射的に顔を上げたさやかちゃんが、目をぱちくりとさせた。
カップをお皿に下ろして、少しうつむいた後、ゆっくりと顔を上げる。
さやか「ん、やっぱ、難しいですねー……慣れてはきたんだけどなぁ」
さやか「もうちょっと、あたし何とかならないかなーって思ってます……」
元気の無い声。今にもため息を吐きそうな感じだった。
でも反対にマミさんは表情を崩した。テーブルの上に握った拳を出して、
マミ「まだ始めたばかりなんだから、それで十分よ。よくやってるわ」
マミ「暁美さんやあの子もいるし……あの子たち、ちょっと強すぎるわよね」
困ったように笑うマミさん。さやかちゃんもつられたように笑った。
でもその後はため息だった。マミさんが紅茶を口に含んで、ちらりとわたしを見た。
「まどかはさぁ……」と、横からいきなりさやかちゃんの声。慌てて向き直る。
まどか「なに、さやかちゃん」
さやか「あんた結局、契約しないことにしたの? したいって言ってたのに」
まどか「あ、そのこと……」
ドキリとした。
さやかちゃんはもうこっちを見ていなくて、おいしくなさそうにケーキを食べていた。
マミさんを見た。何も言わないけど、黙ってわたしの答えを待っているようにも見えた。
さやかちゃんの言う通りで、わたしは一度、契約することに決めていた。
あの水の結界の中で、わたしたち全員が危なくなったとき、後悔したから。
もっと早く契約してれば……なんて、もうそんな思い、したくなかったから。
まどか「わたし、契約したいよ……今でも、そう思ってるよ」
ウソじゃない。ホントだ。そう自分で確かめる。あんな気持ちはもう嫌だもん。
それに契約すれば、マミさんとの約束を守れる。みんなと一緒に戦えるんだから。
わたしは契約したい……はずだ。
さやか「じゃあ、どうして? 思いきれないから? まだためらってるから?」
さやか「ねえ、まどか……ああ、そんな顔するなって」
わたしはどんな顔をしていたんだろう、さやかちゃんは気まずそうに引いた。
「あんまり責めるみたいにしちゃダメよ……」とマミさんが苦笑いした。
顔が熱くなって、わたしはつい早口になった。今度はわたしが身を乗り出す。
まどか「あの子に、言われたんです……仕方無くて……だって、絶対ダメって」
マミ「あの子って、もう一人の鹿目さんのことね?」
まどか「そう、です。二人のときに、わたし言われたんです。すごく、怖くて」
まどか「あの時だけ、人が変わったみたいで……契約はダメって、きつく言われたの」
頭の中でそのときのことを思い返す。
二人きり。部屋の壁際に追い詰められて、あの子の必死な顔が目に痛かった。
いろいろなことを言われて……「あなたが契約したらわたしの全ては無駄になるの」
そう言ったと思う。でもあまり覚えていない。最後には抱きしめられて、
「あなたの気持ちは分かるよ」とも言われた。でもわたしには全然分からなかった。
マミ「"あなたが契約したらわたしの全ては無駄になるの"?」
忠実に繰り返して、マミさんはうつむいた。無意識なのか、アゴに手を当てて考え込む。
わたしにはあの子が何を考えてるのか、全然分からなかったけど。
マミさんになら、分かるかな。黙っているマミさんを見つめて、わたしは待った。
さやか「それって、不公平じゃない?」
不意に、さやかちゃんが口を開いた。わたしは一瞬どういう意味だか分からなかった。
けどマミさんはすぐに「たしかにね……」とうなずいていた。さやかちゃんが続ける。
さやか「自分はちゃっかり契約してるのに、まどかにはダメって、おかしいでしょ」
さやか「その辺どうなの? ちゃんと聞いてみた?」
またさやかちゃんが身を乗り出してきていて、わたしは今度こそと身構えた。
まどか「えっと……一応、聞いたと思うよ」
まどか「うん、聞いた後で、そう。"あなたの気持ちは分かるよ"って言われたんだった」
まどか「わたしのために言ってくれてる気がして……裏切れなくて……」
さやか「……ふうん」
さやかちゃんはカップを持ち上げて、でも何も入っていないことに気付いて戻した。
まだ何か言いたそうだったけど、言葉が続かないみたいだった。マミさんが口を開く。
マミ「……契約させないことが、全てなのかしら」
マミ「契約すると、何かまずいことでも……あ、そういえば、暁美さんが……」
まどか「ほむらちゃん?」
どうしてここでほむらちゃんが出てくるんだろう。マミさんは目を見開いていた。
でも口を開かないので、わたしとさやかちゃんは待った。
食べかけのケーキが音も無く横倒しになって、マミさんはようやく話し始めた。
マミ「この前……もう一人の鹿目さんが来る前だけど……」
マミ「暁美さんが、鹿目さんに契約しないように言ったことがあったわね」
さやか「……」
たしか、それは昼休み。みんなでお弁当を、屋上で食べていた時だった。
ただ、さやかちゃんにも言ってたと思うけど、マミさんは気を遣ったのかもしれない。
わたしたちは黙ってうなずき、それを確かめてマミさんは続けた。
マミ「あのとき、暁美さんが言ったわ。どうして鹿目さんに契約して欲しくないのか」
マミ「たしか……万が一、鹿目さんの力が暴走したら、世界が、滅びるから……って」
さやか「でも! あっちのまどかはもう、契約してるじゃないですか」
さやか「だったら同じことでしょ? こっちのまどかが契約したって……」
マミ「美樹さんは鹿目さんに契約して欲しいの?」
言葉の途中に差し込むように、マミさんが聞く。その一瞬、間が空いた。
「そういうことじゃないけど……」とさやかちゃんがつぶやく。でも何も続かなかった。
沈黙が降り、マミさんはその反応が予想外だったみたいで、表情が少し慌てていた。
複雑な表情で黙り込んでしまったさやかちゃん。マミさんは口を開いたけど、
すぐに閉じて、また開いた。何を話すつもりだったのか、忘れてしまったように見える。
マミ「えっとね……つまり、契約するかどうかって、結局、個人の問題だわ」
マミ「美樹さんが契約したのは美樹さんの自由だし……だから、鹿目さんもそう」
マミ「契約してないことを引け目に感じたりしなくていいのよ」
まどか「……けど、もしまたみんなが危ないことになったら」
ほむらちゃんの話はどうなったんだろう、と少し気になりながら、わたしは言う。
もうそれを気にしているのは、わたしだけなのかもしれなかった。
マミ「それはそのときの自分の判断に従うことね」
マミ「ただ、もう一人の自分の言うことを、少しは信じてみてもいいんじゃないかな」
マミ「それにあの子、信じられないくらい強いから、危ないことなんて、そうそう無いで
しょうし」
さやか「ホント、他の出る幕が無いくらいですもんねー……」
マミ「ごめんね? ただ最近、魔女も使い魔も強いのばっかりでね……」
マミ「美樹さんの訓練にちょうどいい相手が見つからないの。本当に、ごめんね」
さやか「ああ、やめて下さいって……いいんです。あたしの問題だし……」
さやか「要は、あたしがもっと強くなって、早くみんなに追い付けばいいんだよね」
マミ「けど、無茶はダメよ?」
マミ「……鹿目さんもね。焦って行動すると大抵、失敗するんだから」
何となく、この言葉が最後になった。さやかちゃんが大きく伸びをした。
わたしも姿勢を崩して座り直す。マミさんは紅茶のおかわりを用意しに行った。
難しい話ばかりして、何だか疲れたけれど……何かをつかめた気がする。
さやか「なんか、ごめん」
不意にさやかちゃんが言った。わたしを見る、すっきりとした顔だった。
はっきりと意味が分かったわけじゃないけど、何となく理解できたので、
まどか「ううん、気にしないで」
と、笑って答えていた。
~まどか視点~
朝の学校。廊下の人ごみの中を歩く。わたしは一人だった。
途中までさやかちゃんと仁美ちゃんと一緒に歩いてたけど、二人とも他の友だちに
声をかけられて、どこかへ行ってしまった。
壁一面に張られたガラスから朝の光が、広い廊下を余すところなく照らし尽くしている。
教室の壁もすべてガラスだから、奥の奥まで光が入って、校舎を満たしている。
後ろからドタドタと駆けてくる音。ちょっと怖い予感がして、わたしは振り向きかけた。
弾かれた右の肩に衝撃。わたしは軽く吹っ飛んでよろめいた。
ぶつかった男の子の背中があっという間に小さくなっていく。足音が遠くなっていく。
とっさに左足で立ち止まり、ふうと息を吐いた。まだ少し肩がジンジンする。
ひんやりと冷たい床を踏んで、また歩きだそうとして、
ほむら「おはよう、まどか」
その瞬間、後ろから声をかけられて、わたしは振り向いた。
「おはよ……」と言いかけて、でもわたしは口を閉じた。後ろにほむらちゃんがいない。
声は確かに聞こえたのに。姿を探していると、今度は肩に手が置かれた。
ほむら「こっちよ」
振り向くと、珍しい。ほむらちゃんがいたずらっぽく微笑んでいた。
ほむらちゃんの方から声を掛けてきたのも、初めてのような気がするし。
いつになく上機嫌に見えた。……昨日の食事がよっぽど楽しかったのかな。
まどか「おはよう」
ほむら「どうしたの? 浮かない顔して。あなたらしくないわ」
まどか「そんなことないよ。行こう、ほむらちゃん」
わたしは目を逸らして、先に立って歩き始めた。
ほむらちゃんは一瞬ふしぎそうな顔をしたけど、うなずいて横に並んだ。
*
ほむら「パトロールって、なにも全員でする必要は無いんじゃないかしら」
長い授業が終わって、みんなで校門を出るとき、突然ほむらちゃんが言った。
マミさんとさやかちゃんがバッと顔を上げて、わたしも思わず振り向いた。
そんな様子をゆっくりと見てから、ほむらちゃんは続ける。
ほむら「一人でやって、魔女を見つけたら応援を呼ぶだけで、良いと思わない?」
ほむら「パトロールは当番制にして、毎日交代すれば良いのよ」
マミ「……当番じゃない人は、どうするの?」
ほむら「決まってるじゃない。休むのよ」
あっさりとした答えに、マミさんは言葉を失った。目をパチクリさせている。
「休むって……」と口にして何か言いかけたけど、何も続かなかった。
さやかちゃんも少し驚いていたけど、だんだん納得した表情になっていく。
さやか「うーん、まあ確かに……」
さやか「戦いはともかく、パトロールを全員でやる意味は無いのかな……」
街路樹の下を歩く。マミさんとさやかちゃんは顔を見合わせていた。
二人とも騙されたような顔で、首をひねっていたけど、反論は出なかった。
その二人に向かって、ほむらちゃんがさらに言う。
ほむら「今日のところは、ひとまず私がパトロールに出るわ」
ほむら「あなたたち、ちょっと疲れてるように見えるし、一日くらいゆっくり休みなさい」
これがダメ押しだった。
二人ともうなずいて、ほむらちゃんの言う通りになった。
今のやり取りで、一つだけ引っかかったことがあった。
確かに全員が固まってパトロールするなら、一人でしたって同じだけど……。
全員が散らばってパトロールすれば、一人でするより良い。それなら意味はある気がする。
わたしでも気付いたこと、ほむらちゃんもみんなも、気付いてないわけが無いのに。
でも、わたしには言う資格が無いから黙っていた。
つまり、わたしは魔法少女じゃないから。契約して無いから。
さやか「しっかし、急に休みなんて言われても、どうしていいか――っ」
言っている途中で、さやかちゃんは何か思いついたみたい。
別れ道で急に足を止めて、わたしたちにくるりと向き直った。
さやか「それじゃ、今日のさやかちゃんはオフということでっ」
さやか「この辺で失礼しちゃいます。――転校生、ありがとね」
ほむら「その"転校生"って言うの、いい加減やめてちょうだい」
さやか「神様、仏様、ほむら様……!」
ほむら「そういうのは良いから……」
脱力して肩を落とすほむらちゃん。さやかちゃんはちょっとだけ真面目な顔になって、
「だったら"美樹さやか"って言うのもいい加減やめてよ」と言った。
何となく、わたしはほむらちゃんの横顔を盗み見た。その口が開いて、
ほむら「"転校生"よりはまだマシじゃない。名前で呼んであげてるんだから」
結局、二人が名前で呼び合う日が来るのは、まだ先のことみたいだった。
今の流れには、すこし期待したんだけどなぁ……。
さやか「やれやれ。じゃあ、本当に今日はこれで。まどかも一緒に来る?」
半分歩き出しながら、さやかちゃんが誘ってくれた。
さやかちゃんは、まだどこに行くのかも言ってないけど、わたしには分かっていた。
方向もそうだし、さやかちゃんならそこに行くだろうなと分かっていた。もちろん上条くんだ。
でも、今日のわたしには別の用事があった。
まどか「ありがとう。でも、今日はわたしもやること、あるから」
さやか「そっか。そんじゃ、またね!」
マミ「さて、それじゃ私は……どうしようかしら」
さやかちゃんと別れてから、マミさんが困ったように言った。
ほむらちゃんは全然聞こえなかったかのように、前を見て歩いていた。
わたしはその二人の間に挟まれて、小さくなりながら歩いていた。
マミ「鹿目さんも、今日はやることがあるんだっけ」
こくりとうなずく。本当は、今日じゃなきゃいけない理由は無いんだけど、
なるべく早く済ませないと、だんだん踏ん切りがつかなくなるだろうから。
わたしを当てにしてくれてたのか、マミさんはじーっと考え込んでしまった。
今までずっと戦い続けてきたから、休みと言われると逆に困ってしまうんだろうか。
まどか「あの、マミさん……難しく考えなくても良いと思います、よ?」
まどか「わたしなら、休日は、家でテレビ観てゴロゴロして……とか」
マミ「それは、もったいないわね……けど、そういうものなのかしら」
つぶやきながら、マミさんはほむらちゃんをチラリと見た。
ほむらちゃんは携帯で何かを打つのに夢中で、気付かない。
やがて、マミさんとも別れる時が来た。
結局、普通に家に帰ることにしたみたい。でもすごく嬉しそうに見えた。
夕日が差して、光の中、マミさんは振り向いて微笑んだ。
マミ「一日休めるだけで、こんなに気持ちが晴れるものなのね」
マミ「暁美さん、本当にありがとう。明日は私が当番をするから」
ほむらちゃんも微笑み返した。二人が仲良くなってくれて、うれしいな。
次の言葉はちょっと予想外だった。もちろん良い意味で。
ほむら「パトロールの後で、お邪魔してもいいかしら?」
マミ「えっ」
ほむら「ほら、昨日、私が飲み損なった紅茶、あるでしょう?」
ほむら「あれを無くなる前に、飲んでおきたいから」
マミ「……そういうことね。もちろん、歓迎するわ」
心からの笑顔って言うのは、こういう感じだろうなと、わたしは思った。
マミさんの笑顔に、わたしまで笑顔になってしまう。
マミ「それじゃ、鹿目さんはまた明日。暁美さんはまた後で」
ほむら「ええ」
まどか「また明日、マミさん」
マミさんと別れて、わたしはほむらちゃんと並んで歩いた。
しばらくの間、会話は無かった。ほむらちゃんは一回、家に帰るつもりなのかな。
ほむら「まどか。あなたが今日やることって、なに?」
ほむら「あなたの家は、こっちじゃないと思うんだけど……」
直接聞かれてしまった。まあ、隠しても仕方ないよね。
結局あとでほむらちゃんにも伝わるんだろうし。わたしは仕方なく話すことにした。
まどか「今日はね、ほむらちゃんのおうちにお邪魔させてほしいの」
ほむら「もう一人のあなたに、何か聞きたいことがあるのね?」
やっぱり、ほむらちゃんはすごい。一瞬で見破られちゃった。
等間隔にランプの立ち並ぶ通りに入る。踏みしめる地面が硬い石畳に変わる。
わたしは慎重に言葉を選んだ。ほむらちゃんも、わたしには契約して欲しくないだろうから。
まどか「実はそうなの」
まどか「昨日から考えててね。本当は、魔女退治の後で、と思ってたんだけど」
ほむら「何を聞きたいの」
あ、いけない。ほむらちゃんの声が硬くなって、警戒されてる気がする。
やっぱり、契約して欲しくないんだ。でも、そうなるとますます気になってしまう。
ほむらちゃんの横顔を見ようとしたら、向こうはすでにこっちを覗きこんでいた。
顔を背ける。石畳に足を引っ掛けて転びそうになった。「大丈夫?」とほむらちゃん。
恥ずかしい……なに慌ててるんだろ、わたし。顔を上げて、息を吐く。気を取り直す。
まどか「契約のこと。どうして、契約しちゃいけないのかなって……」
まどか「前に、ほむらちゃんから聞いたけど、まだイマイチ分からなくて」
ほむら「あなたが契約すると、世界が滅びるかもしれないからよ」
すぐに、淡々と、ほむらちゃんは言った。わたしは横から見つめられているのを感じて、
何だか責められているような気がした。ほむらちゃんの方を見れない。頭が回らなくなる。
まどか「えと、でも……それって、変じゃない?」
まどか「もう一人のわたしは契約してるよね……どうして、なの?」
言葉は尻すぼみになって、最後はほとんど声にならなかった。
ほむらちゃんは黙っている。それが一番怖かった。次の瞬間に怒鳴られるんじゃないかと。
そのとき、ほむらちゃんが何かを差し出してきた。それは、別に特別な物ではなくて、
まどか「えっ……家の、カギ?」
ほむら「私はパトロールに行かないと」
ほむら「これで家に入れるから、あとはもう一人のあなたに聞きなさい」
それだけ言って、ほむらちゃんはさっさと歩いて行ってしまった。
わたしは顔を上げて、もう家の前に立っていることに気付いた。
*
マミは上機嫌で帰路についていた。
余りにも久しぶりの休日。魔女と戦わなくても済む一日。
家でのんびり、何をしたって良い。夜には暁美さんも立ち寄ってくれる。
昨日の紅茶も良いけれど、今のうちに買い物して、他にも揃えておこうかな。
戦いから解放された、彼女の最高の気分は、しかし、家に持ち帰ることすら叶わなかった。
マンションのエントランス。そこに座りこんでいる、一人と一匹。
その姿を認めた瞬間、マミはパッタリと足を止めた。呆然として鞄を取り落とした。
トサッという軽い音。人影は顔を上げて、マミと目を合わせた。強い笑みを浮かべる。
マミは後ずさりしたが、人影は立ちあがって、前に出て、その口を開く。
杏子「――ひさしぶり」
QB「やあ、マミ。しばらく振りだね」
マミ「キュゥべえ! 最近、帰ってこないと思ったら……」
立ちあがった杏子の足元から、ひょっこりと顔を出した白い小動物の姿。
マミは一瞬、表情を安堵でゆるめ、しかしすぐに、正面を見据えて硬くなった。
杏子「マミんとこの子猫が、あたしの所まで来たんだよ。わざわざ御苦労だよねえ」
杏子「で、妙なこと言いやがるから、気になってさ、あたし帰って来ちゃったのさ」
腰に手を当てて、舌を出して、おどけた調子で杏子は言った。
マミの眉間に深いシワが寄って、鞄を握りしめる手が震える。
マミ「何しに来たの。なぜここに居るの。――帰ってよ!」
杏子「まあ、落ちつけよ。べっつに、争うために来たわけじゃーないからさぁ」
QB「そうだよ、マミ」
QB「それどころか、彼女は君を助けに来たと言っても、過言じゃないくらいさ」
キュゥべえまでがそう言い、マミはすこし眉を上げた。
でも相変わらず、手は固く握りしめられ、魔女に対するのと同じ視線が、杏子に刺さり続ける。
杏子は呆れて、ため息をひとつ吐いてから、コンビニの袋を持ち上げてつぶやく。
杏子「――ちょいとマジな話なんだ。聞くだけ聞いてくれないかな」
*
杏子のことは見ない。
その肩の上に座るキュゥべえに向かって、マミが口を開く。
マミ「この街だけ、魔女や使い魔が強化されてるってこと?」
マミ「そんなことって、あるのかしら……」
QB「本当だよ。それに、成長のスピードもね、早くなっているようなんだ」
杏子「そいつの話だけじゃ信用できないから、あたしも自分で確かめた」
杏子「おかげで数日かかったけど、どうやら間違いないみたいだよ」
マミ「……」
二人と一匹は、近くの公園に場所を移していた。
奥に二つ並んだブランコに、杏子とマミが並んで座り、互いに目を合わせない。
他には誰もいない。子供の声もしない、夕方の静かな空白のなか。
杏子「――マミ、あんた、このままじゃ死んじまうぞ」
静寂の中に、いきなり言葉が放りこまれた。
マミは驚かず、かすかに眉をひそめただけだった。杏子は前を見て続ける。
杏子「あたしも何度か戦ったけど、どの魔女も滅茶苦茶な強さだ」
杏子「一人でやってたら体が持たない。使い魔の成長が早くても、これじゃ意味が無いね」
杏子「こんな街を縄張りにしてたら、一カ月もしないで倒れる羽目になりそうだ」
ここまで一気に話して、杏子はマミの反応を見るように振り向いた。
そのマミは、ぼんやりと前を見つめたまま、軽くブランコに揺られているだけだった。
「おい、マミ」と声をかけようとした、その機先を制して、不意にマミが口を開く。
マミ「ねえ、キュゥべえ。この子、結局なにが言いたいのかしら」
QB「しばらくの間、この街を離れたらどうかって、言いたいみたいだよ」
杏子「おい……」
マミ「バカ言わないで。私、この街を守る魔法少女なのよ」
杏子「おい、マミ!」
マミ「なにかしら」
そこでようやく、二人は顔を向かい合わせた。
鋭く睨みつける杏子と、それを無感動に見つめ返すマミ。
マミの視線がふっと外れて、公園の中央に立つ時計に向いた。
杏子は息を吐いて、自分を見てくれないマミに、改めて向き直った。
杏子「……確かにあたしはマミを裏切った。あんたのやり方はバカげてると思ってる」
杏子「けど、マミが勝手に死ねばいいなんて思ったことは無い。あるわけない」
杏子「魔女が強くなってるってのは本当なんだよ……キュゥべえもそう言ってる。だから」
マミ「私は一人じゃない」
杏子「四人でもおんなじだよ!」
マミ「みんなを置いて、私だけこの街を出るわけには、いかないってことよ」
マミ「戦力の問題じゃないわ。あなたには分からないのよ、一人だから」
マミ「もちろん、全員が出ていくわけにもいかないわ。この街を守る人がいなくなるもの」
いら立ちを隠そうともせずに言うマミ。面倒臭そうに、首を横に振る。
明らかな拒絶とはいえ、マミがようやく自分に反応を示したので、杏子はホッとしていた。
口を開いたのは、その肩の上に乗るキュゥべえだった。
QB「全員が出ていくのは、おそらく何の意味もないよ。マミが言ったのとは違う理由でね」
マミ「どういうこと?」
素早く反応するマミ。それを見た杏子は何とも言えない表情になった。
キュゥべえは杏子の肩を離れ、地面に軽く飛び降りて、マミの方に振り向く。
QB「この一連の異変の元凶が、君たちの中にいるかもしれないからさ」
QB「使い魔の成長が早くなったのも、魔女の魔力の規模が大きくなったのも、すべて」
QB「魔法少女の鹿目まどかと暁美ほむらが、この世界に現れた後だから、さ」
キュゥべえの尻尾が揺れた。マミは絶句して、ブランコから立ち上がった。
杏子は黙ってそれを見つめる。「……ありえないわ」というマミの呟き。
QB「もっとも、因果関係までは確認できてないんだ」
QB「確かめる方法自体は単純なんだけど、実行するのは難しいしね」
杏子「その二人を、見滝原から追い出せばいいんだろ?」
杏子「それで一連の異変が収まれば、やっぱりそいつらのせいだったってことだ」
マミ「そんな勝手なこと、許されないわ」
マミ「時期が重なったのは、偶然に決まってる」
杏子もブランコから立ち上がり、隣に立ってマミの横顔を覗いた。よく見えない。
最初からずっと拒絶され続けているが、話の内容は着実に理解してもらえている。
でもやっぱり、マミは相当頑固だった。杏子はため息を押し殺して、話を続けようとする。
杏子「まあ、追い出すって言ってもね。キュゥべえから聞いたけど」
杏子「その二人の使う魔法、時間操作だっけ? 正直、手の出しようが無いんだよね」
杏子「となると、やっぱり、マミだけこの街から離れるしか無くて――」
マミ「――余計なお世話なのよ」
ボソリと呟いた。マミはうつむけていた顔を上げ、疲れたようにため息を吐いた。
杏子に向き直り、目を開いて、勢いよく身を乗り出す。思わず片足を引く杏子。
マミ「私はこの街に残るわ。死なないように努力する。それでいいでしょ!」
マミ「大体、いまさら私のこと心配する振りなんかしないで。勝手に出てったくせに」
マミ「私いまここで幸せなの。邪魔しないで。本当は何か別の狙いがあるだけなんでしょ」
畳みかけるように言い切って、マミは深く息を吐いた。鋭い眼光が杏子に突き刺さっていた。
杏子は舌打ちして、くるりと回ってマミに背を向けた。
杏子「もういい、勝手にしろ」
捨て台詞を吐いて、杏子は歩き去っていく。その背中が遠くなっていく。
マミはしばらく立ち止まっていたが、やがてその場に座り込んだ。
その様子を、少し離れて、キュゥべえは黙って見つめていた。
*
空を振り仰ぐ。緊張が解けて、ため息が漏れる。
杏子はマミと話した公園を離れ、ぐっと伸びをする。
足が重い。石畳を踏んで、なるべく遠ざかる方向へと歩いていく。
と、そこで杏子は足を止めた。
オープンカフェが軒を連ねている通りを、こちらに向かって歩いてくる姿に、
見覚えがあった。向こうは知らないだろうが、こちらは知っている。
彼女は身体の前に両手で鞄を抱え、トボトボと歩いていた。
目は伏せられ、周囲には最低限の注意しか払っていない。
唇を舐め、杏子は止めた足を再び進めた。まっすぐに彼女に向かって行く。
彼女の遅い歩みの正面に踏み込んで、その顔を覗き込んだ。
進路を遮られた少女が顔を上げる。
さやか「……? なによ、アンタ」
杏子「ちゃんと前見て歩きなよ、美樹さやか」
さやか「? 見ない顔だけど、なに? ウチの生徒なの?」
いきなりフルネームを出されたせいか、さやかは困惑していた。
杏子は特にフォローせず、一方的な言葉を投げかける。
杏子「あたしは佐倉杏子。この街に新しく来た魔法少女だよ」
杏子「今さっき、巴マミにも……挨拶してきたとこ。で、今はアンタのとこに」
目をパチクリとさせ、さやかはしばらく黙り込み、やがてゆっくりと口を開いた。
さやか「……最近、契約したの?」
それを聞いた途端に、杏子は脱力して肩を落とした。
杏子「んなわけないでしょ。美樹さやか、アンタ疲れているんだよ」
杏子「キュゥべえから聞いてる雰囲気と全然違うし……何かあったのか?」
さやか「……」
また視線を落とし、黙りこむ、さやか。
やれやれと杏子は首を振り、明るい声で優しく誘う。
杏子「聞かせてみなよ。なんかアドバイス出来るかもしれない」
杏子「ただ、立ち話もなんだし、どっか座れる所でも探そうか」
顔を上げたさやかは、どっちつかずの表情で、黙って頷いていた。
*
マンションの自室に戻ったマミは、ドアに鍵を掛けて、すぐその場に座り込んだ。
安堵と疲労から、深いため息が漏れる。
杏子の顔を見た途端、嫌悪感が渦巻いて、どうしようもなかった。
でも今思い返してみれば、自己嫌悪しかない。ひどい態度を取ってしまった。
マミ「あの子だって、悪いのよ……」
座りこみ、自分の膝の臭いを嗅ぎながら、マミは小さく漏らした。
かつての二人は最高のパートナーだった。
だがその関係はかなり前に崩れた。原因は杏子だった。
彼女が今後は自分の為だけに魔法を使うなどと、言い出したせいなのだ。
マミ「そんなの絶対、許せるわけが無いじゃない」
しかしそれまでの楽しかった日々を忘れることも出来ず。
それに今日、彼女は明らかに私のことを心配してくれていて――。
マミ「"マミが勝手に死ねばいいなんて思ったことは無い。あるわけない"――か」
半ば衝動的に出たような、さっきの杏子の言葉を、繰り返してみる。
その言葉は、うれしかった。が、それとこれとは話が別だ。
マミ「暁美さんが来たら、ぜんぶ話しちゃおう」
心に決めて、ゆっくりと立ち上がる。
やはり彼女には、杏子を許す気は全く無かった。
*
結界の中に杏子の鋭い声が飛ぶ。
杏子「さやかっ! いったん下がれ!」
その声で、今まさに飛び込もうとしていたさやかが足を止めた。
同時、大砲のような形の使い魔の口から、戦闘機のミニチュアが連射される。
それは空中で爆発し、使い魔の周囲をまとめて吹き飛ばした。
煙が晴れるのを待たず飛び込んでいく杏子を、さやかは黙って見送る。
出会って間もないのに、なぜか彼女には悩みを打ち明けることが出来ていた。
戦力になれず、恭介にもあまり会えない、何のために契約したのか――。
杏子は何かアドバイスをくれたわけではなく、ただ聞いてくれただけだったが、
それだけでも肩の荷が下りる感覚があった。
さやか(自分のせいで家族を亡くして……それなのに、すごいヤツだなぁ)
杏子の過去の話を聞いている途中、使い魔の反応を感じた。
そして今、二人は協力して戦っている。杏子は想像以上の戦力だった。
さやかは自分の力不足を感じ、でもいつものように悩むことは無かった。
さやか「杏子! 何かできる事は!?」
*
杏子「――おつかれ」
使い魔の背後から剣を突き通し、荒い息を吐くさやかを、杏子がねぎらった。
ポンと肩に置かれた手を払う振りをするさやか。その顔に満更でもない笑みが浮かぶ。
さやか「まぁ、何と言うか、ありがとう」
さやか「杏子のおかげだよ。あたしは良いとこ取っただけで……」
杏子「んなことないよ。アンタ、速いし、ここぞという所で外さない」
杏子「単純に、まだ経験が足りないだけじゃないの?」
視線を外しながら、杏子は早口で言った。
さやかの顔から影が消える。杏子を見上げる顔はまっすぐな光に満ちていた。
風が吹いて、二人の間を吹き抜けていく。杏子の髪が前に流れ、表情を隠した。
狭い路地を抜け、甲高い音を立てて抜ける風。その通り抜ける直前。
杏子「――けど、ごめん」
杏子はくるりと向き直ると、さやかの肩に両手を置いた。
きょとんとした表情を浮かべるさやか。対する杏子は笑みを消し、スッと目を細めた。
さやか「――杏……がはっ」
突如、跳ね上がった杏子の右膝が、さやかの鳩尾を突く。
身体をくの字に折り曲げるさやか、声を漏らす間もない、追い打ちの手刀が、
うなじを直撃して、その意識を奪った。
わずか三秒。
倒れるさやかを抱きとめ、地面に横たえる。
立ちあがる杏子の手には、青い宝石、さやかのソウルジェムがあった。
杏子は顔をしかめながら、さやかを見下ろし、小さくつぶやく。
杏子「ホント、悪いけど……これ以上は、もう裏切れなくなるし……」
杏子「今しかなかった……ごめん、さやか……でも、あたしは」
杏子「マミを救わないと……だから。そのために、来たからさ……」
言いながら、逃げるようにその場を立ち去ろうとする。
その途中で、一度だけ足を止めた。
杏子「……これ、アンタのソウルジェム、少しの間、借りてくよ」
杏子「後でちゃんと返すから。そん時は今の倍くらい殴ってくれ」
狭い路地を風が通り抜けていく。
~まどか視点~
差す夕日が不気味な影をつくる、ほむらちゃんの家の前。
人通りは無く、門の前でわたし一人、ポツンと立ち尽くしていた。
手を伸ばして、インターホンを鳴らす。
待つというほども無く、もう一人のわたしが玄関から出てくる。
彼女の笑顔はいつも通りに見えた。薄暗い中に彼女の瞳だけが光って、わたしを捉える。
思わず一歩下がる、そのわたしに声が飛ぶ。
魔まどか「あれ、わたしじゃない。どうしたの?」
まどか「ちょっと聞きたいことがあって」
魔まどか「?……まあ、とにかく、上がって上がって!」
笑って、ぐいとわたしの腕を引っ張る、いつも通りの、もう一人のわたし。
背後で、鉄の門が軋んだ音を立てながら、ゆっくりと閉まる。
リビングに通されて、しばらく黙って座っていると、やがて彼女が戻ってきた。
その手にはカップが二つあって、中身はコーヒーだった。
テーブルにそれを置くと、彼女は「暗くなってきたね」と言って、部屋の隅に向かった。
ぱちっという音。部屋の中が光で満たされる。
わたしが今日のパトロールは無くなったことを伝えると、
彼女は「ほむらちゃんからもう聞いた」と言った。
まだほむらちゃんとは会っていないはずなのに、いつ聞いたんだろう。
魔まどか「……それで、わたしに聞きたいことって?」
ハッとして顔を上げる。
対面するもう一人のわたしが、カップに口を付ける。
少し眠そうな目だけど、こちらに真っすぐ向いていた。
一瞬、ためらう。
さっきのほむらちゃんの反応を思い出してしまう。
けど、ここまで来て、後に退くわけにもいかない、と覚悟を決める。
まどか「どうして契約しちゃいけないのか、です」
口に出しながら、わたしは彼女の顔の方を向いて、でも見ていなかった。
反応が怖かった……けど、改めて見ると、彼女はきょとんとしている。
わたしはかえって混乱した。彼女はその顔のまま口を開く。
魔まどか「どうしてそんなこと聞くの?」
まどか「いや、わたしは、別に……」
魔まどか「やっぱりまだ契約したいってこと?」
まどか「しちゃいけないっていうのは、分かるんだけど……」
魔まどか「ちょ、ちょっと待ってよ!」
彼女が少し声を大きくして、わたしの視線はその表情にくぎ付けになった。
何だか後ろめたいものが込み上げてくるような、それは「裏切られた」という表情だった。
こちらに身を乗り出す彼女が、真剣な顔で言う。
魔まどか「前に、たくさん話したのに、分かってくれたと思ってたのに!」
魔まどか「契約したって、良いことなんか何も無いんだよ。痛いし、死んじゃうよ」
魔まどか「それに、あなたが契約すると……みんなも死んじゃうかもしれないんだよ」
言って聞かせるようにして、だんだんと声に冷静さが戻ってくる。
それを黙って聞かされながら、でもわたしの中で、何かが芽生え始めていた。
初めは小さくて気付かないほどだった違和感の種が、突然大きくなり始めていた。
彼女が息を吐き、静かに言う。わたしはうつむいたままで。
魔まどか「契約しないって、約束して」
まどか「……いやだ」
魔まどか「っ!!」
まどか「だって、あなたは契約してるじゃない」
自分がとんでもない反抗をしているって分かった。
彼女がどんな顔をしているか、うつむきながらでも、見えていた。
でも溢れだした言葉は、すべて出尽くすまではもう止まらない。
まどか「痛いのが嫌だなんてウソだ。みんなが死んじゃう方がわたしには嫌だもん」
まどか「あなたもそうでしょ? だって、あなたもわたしなんだから」
まどか「それにあなたが契約したからって、世界が滅びたりなんて、してないよ」
まどか「なら、わたしが契約したって大丈夫。わたしその方が普通の考えだと思う」
ガタッという音と共に、テーブルが揺れ、コーヒーが少しこぼれた。
彼女が再び対面に座り、わたしたちはテーブルを挟んで向かい合った。
背筋を正して、彼女の恨みがましい視線に耐える。身構える。彼女が口を開く。
魔まどか「あなたは魔法少女になって強くなりたいだけでしょ」
魔まどか「目的もない、ただ力が欲しいだけじゃないの?」
開口一番、厳しい口調で言われる。
考えてもみなかった。言葉に詰まってしまう。
まどか「そ、そんなこと……」
魔まどか「だったら教えてよ、なんで契約したいの?」
答えを待たず、彼女が畳みかけてくる。
すぐには答えられず、黙って考えこむわたし。
彼女はため息を一つ吐き、湯気も立たない冷え切ったコーヒーを口に含んで、
わたしを見つめていた。
なんで契約したいのか。
もちろん、みんなを助けたいからに、決まってる。
でも、今の戦力で十分、魔女と戦えてるっていう事実もあって……。
まどか「ううん、違う。話をそらさないで」
まどか「わたしは、なんで契約しちゃいけないのかって聞いてるの」
わたしは慎重に言った。
彼女はカップを下ろし、顔を上げて、
魔まどか「契約する理由がないのに、そんなこと聞く意味ないじゃない」
と、すぐに返してきた。
その目が閉じられ、わたしには何だか余裕の表情のように見える。
この子は契約してるのに、なんで、わたしだけ……。
たった一カ月。それだけの差で、なんで、こんなに……この子は。
彼女はわたしを見て、眉をすこし上げる。
魔まどか「変なこと考えないでね」
魔まどか「勝手に契約したら、わたし、あなたを許さないから」
まどか「……そんなことしないよ」
魔まどか「…………」
沈黙の中に、わたしの言葉が変な形で残ってしまう。
まるで白々しいウソのように。案の定、彼女はあからさまに疑いの目を向けてきた。
ウソじゃないはずなのに、ウソをついたような気分にさせられる。
彼女がわたしを睨んでいる。今更のように、そのことを思う。心が揺れてしまう。
まどか「う……」
まどか「ウソじゃないよ。わたし、あなたの気持ちもわかるし……」
まどか「みんなを助けたいんだよね、わたしと同じだよ……」
まどか「だから、もし……わたしも力になれたらって!」
グラグラと自分が崩れていく感覚があった。
彼女の視線が全く動かず、表情も固定して、わたしを見つめているのが怖かった。
その口元が最小限の動きで、言葉を放つ。
魔まどか「ウソでしょ」
まどか「ウソじゃないって」
魔まどか「――ウソだッ!!」
突然の大声。
殴られたような衝撃、指一本動かせず、背筋が凍りついた。
荒い息。なぜそんなに怒るのか。椅子を引き、ため息つく彼女。
コーヒーを含みカップを静かに下ろす。彼女の手が震えていた。
魔まどか「あなたにわたしの気持ちがわかるわけ無い」
魔まどか「マミさんのことも、何もあなたは……。知ったような口きかないで!」
まどか「…………」
魔まどか「みんな、わたしが助けるから」
魔まどか「あなたにわたしの気持ちは分かるわけ無いけど」
魔まどか「わたしにはあなたの気持ちが分かるから、わたしに任せてよ」
まどか「…………」
魔まどか「とにかく、あなたは、余計な事しないで」
まどか「…………」
魔まどか「…………」
絶対的な沈黙。
何のためにここまで来たのか、もう分からなくなってしまった。
何か出来るはずと思って、勇気を振り絞って来たのに。
深いため息が漏れて、気力が萎え果てる。しおれた花のように。視線が落ち、力が抜ける。
あまりにも気まずい沈黙が、一分以上は続いた気がする。
彼女が何か声をかけてくる気配を感じたけど、わたしは顔を上げなかった。
もう気持ちが、わたしには無かった。
それでも、彼女はさすがに言い過ぎたと思って、謝ろうとしていたのかもしれない。
でも結局、次の瞬間、全てはうやむやにされてしまった。
魔まどか「…………っ」
未来QB「――大変だ、まどか!」
魔まどか「!? どうしたの、キュゥべえ」
未来QB「杏子が現れて、さやかに接触を……とにかく急いで来てくれ!」
*
日が暮れてますます輝きを増す夜の街に、少女の駆ける足音が響く。
その肩の上で、夜風に身を縮ませる、白い小動物のような姿がある。
未来QB「ちょっと待ってくれよ」
未来QB「君は外に出ないようにって言われたのを、聞かなかったのかい?」
肩の揺れは止まらず、風景は流れていく。少女は足を止めない。
分かれ道に差し掛かり、彼女が靴底で地面をこすりながら止まると、
キュゥべえは前のめりに転がり落ちた。
まどか「分かれ道! どっち?」
未来QB「聞いちゃいないね……仕方ない」
立ち上がり、やれやれとため息を吐く。
未来QB「ここは真っすぐだよ。どうなっても知らないからね」
*
無数の光を見下ろす高層ビルの屋上から、飛び降りる影。
白っぽい装束に、桃色の大きなリボン。
隣のビルの屋上へ、10数階分の高さを難なく飛び降りて、着地し、
駆けだして再び飛ぶ。
眼下に広がる絶景を見る瞳に、光は無い。
あるのは、激しい怒りと、何かに追われるような焦り。
*
路地裏の闇の中、一つの死体が横たわっている。
夜風が頬を撫でて、サラサラと髪が揺れる。
瞳は閉じられ、眠っているようでもあるが、紛れもなく死んでいた。
マミ「魔女か使い魔の反応を感じたけど……もう終わったのかしら」
路地の入口に、魔法少女。
何かがあることに気付いたのか、警戒しながら、ゆっくり近づいてくる。
吹き込む風が甲高い音になって、路地の闇に吸い込まれていく。
マミ「人が倒れてる……しかもこの制服は……ちょっと、待ってよ……」
鼓動が高まり、足を速めて、マミは倒れている人影に近づいた。
ソウルジェムの明かりで照らし出すと、その顔が明るみに出た。
マミ「美樹さん!! しっかりして!! 美樹さん!!……え?」
慣れた動作で脈を確かめ、そのままマミは固まった。
つかんださやかの手を取り落とす。地面に落ちた手は、ぴくりともしない。
脈は無い。死んでいる。そういうことになる。でもそれはありえない。
ありえない。ありえない。ありえない。
QB「大丈夫かい、マミ?」
暗闇の中から生まれてきたかのように、キュゥべえが現れた。
マミはゆっくりと首を回して、彼を見つめた。
冷たい風がマミの身体を底から冷やし、小刻みに震えさせる。
カチカチと上下の歯を鳴らしながら、何とか口を開く。
マミ「キュゥべえ……大変なの。美樹さんが」
声は震え、ふっくらとした頬の上に涙が線を引き、伝い落ちる。
ポタポタと垂れたしずくは、さやかの額に落ちた。
黙りこんでいたキュゥべえが、やがて口を開く。
QB「彼女の命を奪い去ったのは、佐倉杏子だ」
マミはその答えに呆然とし、何も言えず、さやかの顔を見下ろした。
目は閉じられ、相変わらず眠っているようにしか見えない。
キュゥべえは返事を待たず、さらに続けた。
QB「彼女がどっちに逃げたか分かるよ。今からでも追ってみるかい?」
*
夜空の中、風にはためくスカートを押さえて飛ぶ。
落ちていく中で、杏子は背後から近づいてくる気配に気づいていた。
地面を踏むのと同時に、曲げた膝を伸ばしてバネのように跳ね上がる。
ちょうど着地を狙っていた弾丸は、屋上の床に火花を散らし、激しい音を立てた。
杏子「マミだな?」
杏子「いきなり好戦的だねえ。美樹さやかは一緒じゃないのか?」
襲撃を予想していたように、杏子は不敵な笑みを浮かべて振り向いた。
見上げた先、隣のビルの屋上に人影があった。
月をバックに、大量のマスケットを浮かべて、こちらを見下ろしている。
マミ「見下げ果てたわよ、佐倉さん。ここまで堕ちたなんてね」
杏子「なんだよ今更。あたしが手段を選ばないのは、今に始まった事じゃないだろ」
苦しげなマミの調子とは対照的に、杏子の調子は軽い。
しかしマミからのあからさまな侮蔑に反応してか、
僅かに眉は釣りあがり、笑みは薄れて眼光が強まる。
杏子「あたしの目的はもう伝えた通りだ。あんたを助けるために、仕方なかったのさ」
マミ「だからって……関係ない女の子の命を奪うなんて!!」
激しい口調で言うマミに対し、杏子は怪訝な顔になった。意味が分からない。
しかし、とりあえず自分なりに解釈してみることにする。
杏子「命ね……そこまで大事なもんか?」
杏子「あいつは、さやかは自分の弱さに苦しんでた。そんなことなら……」
杏子「いっそ元の暮らしに戻った方が、あいつにとって幸せなんじゃないのか」
マミ「元の暮らしに戻るですって? それを出来なくした張本人が、よくも!」
杏子はますます怪訝な顔になり、とうとう頭を振った。
槍をくるくると回し、ガンッと屋上の床を打ち、マミを見上げる。
杏子「……どうも、さっきから話がかみ合わないな」
杏子「マミ、あんた、あたしが何をやったと思ってるんだ?」
瞬間、マミの右腕が跳ねあがり、すでに手にあったマスケットの銃口が向けられる。
杏子を睨みつける、その瞳に涙が溢れ、声の限りに叫ぶ。
マミ「とぼけないでよ!! 美樹さんを、あなた、殺したんでしょ!!」
涙ながらの絶叫に対し、杏子は、
杏子「……はぁ?」
高い空に吹く風が、甲高く冷たい音を鳴らす。
青い光が上から差し、数十本のマスケットの表面を輝かせる。
その銃口を見上げる杏子は、ゆっくりとため息を吐いた。
一体どうしてそんな勘違いをしたんだ?
杏子はうつむく。その口元にわずかに笑みを浮かび、すぐに消えた。
隣のビルの屋上に立つマミを見上げて、口を開く。
杏子「もしそうだとしたら、どうするんだ?」
杏子「さやかを殺したあたしを、あんたはどうしたいのさ?」
大通りを走り抜けるバイクのエンジン音が長く響き渡って行く。
流れていく雲が、次第に月にかかって、少し暗くなる。
寒い風が吹き、マミの縦ロールの髪を揺らす。その唇が震えていた。
マミ「……」
杏子「なんだよ、何も考えてなかったのか?」
杏子「まあ、復讐なんてする度胸ないか、あんたには」
大げさにため息を吐く杏子。
マミは黙っていたが、ポツリと言葉を落とした。
マミ「……なんで、否定してくれないの」
マミ「なんで、なんで、なんでなの……!」
涙が溢れ、声が震える。
マスケットのいくつかが落ち、割れるような音を立てて消える。
杏子は黙りこみ、マミの顔を探るように見つめていたが、やがて口を開いた。
杏子「そんなに美樹さやかが可愛かったんなら、その敵打ちでもしてみたら?」
杏子「あたしはここにいるよ。威嚇射撃もいらない。かかってきなよ」
マミ「それは……!」
言いながら、杏子がちらりと見せたのは、さやかのソウルジェム。
マミは絶句し、うつむいて、唇を噛んだ。拳を握りしめ、ゆっくりと顔を上げる。
マミ「バカにしないで……」
マミ「どうせ本気では来ない、そう思ってるんでしょう……?」
屋上のへりを蹴って、宙に舞う。空気を裂いて鋭く落ちて、杏子の前に降り立つ。
静かに立ち上がり、正面から睨みつけて言う。
マミ「いいわ。ここまで舐められたら、私も黙ってられない」
マミ「これは私の持ち込んだ問題。私が決着をつけるわ。だから――"暁美さん"」
マミ「あなたは手を出さないで」
杏子「……なっ!」
怪訝な顔をし、振り向いた瞬間、杏子は飛びのいた。
全く気配を感じさせず、しかし当然のように、すぐそばにいた。
警戒し、槍を構える杏子。ほむらは風に髪をなびかせ、無表情。
杏子「あんた、いつから……!?」
ほむら「佐倉杏子。あなた、なぜウソを吐くの」
杏子は素早く位置取りをし、3人が三角形を描くように立った。
しかしほむらは構わず歩を進め、杏子は後ずさりした。
突然現れたほむらに動揺しながらも、注意深く答える。
杏子「ウソだと? 何のことやら」
ほむら「さやかを殺しただなんて」
ほむら「少なくとも、あなたにそんな自覚は無いはずなのだけど」
その言葉にマミは眉をひそめ、杏子を見つめた。
杏子は数秒黙り込んで、ほむらを睨んでいたが、やがて小さく舌打ちし、口を開いた。
杏子「なんだよ、見てたのか?」
マミ「暁美さん、どういうことなの?」
腕組みし、堅い表情のマミ。
銃口はすべて杏子に向き、全く戦闘態勢を崩していない。
ほむらは息を吐き、言葉を選びながら口を開いた。
ほむら「さやかは死んでない。けど、生きてもいない」
ほむら「彼女の命運は、佐倉杏子。あなたが握ってるのよ」
マミ「美樹さんが、死んでない……?」
マミ「けどっ……キュゥべえは、佐倉さんが殺したって!!」
QB「ウソは吐いてないさ。そうだろ? 暁美ほむら」
全員が振り向いた。どこからともなく、キュゥべえが姿を見せていた。
「そうね」と、憎しみを込めて、ほむらは呟く。眼光が刺さるがキュゥべえは動じない。
諦めたようにため息を吐くほむら。目を閉じて、開ける。
ほむら「確かに、杏子がさやかの命を奪ったと言えなくもない」
ほむら「だから、そうね……返してもらえばいいんじゃないかしら」
ほむら「杏子、あなたが奪ったものを、返して。さやかのために、お願い」
謎めいた言葉に、マミと杏子は顔を見合わせる。
しかしすぐにほむらに向き直り、身を乗り出した。
マミ「まさか!」
杏子「ウソだろ……」
ほむら「勘が良いわね、あなたたち」
ほむら「話したくなかったけど……仕方が無いわ」
青い光の中で、絶句する二人を前に、ほむらは覚悟を決めた。
ぽたりと、雨のしずくが頬に触れた気がした。
ほむら「さやかは今日死んだわけじゃない。それどころか……」
ほむら「私たち全員、契約したその時点で、もう死んでたのよ」
*
暗い路地裏に、静かに雨が降る。
横たわるさやかの死体が水たまりに浸かっている。
その傍らに、一人の少女がへたり込んでいた。
まどか「それじゃ、さやかちゃんは、ソウルジェムの中なの?」
未来QB「そうだね。ここにある身体は、外付けのハードウェアに過ぎない」
まどかは何度も首を振って、さやかの手を握り、すがりつく。
髪の先から、鼻の頭から、雨のしずくが滴り落ちていく。
未来QB「心配いらないさ。知らなかったんだ。さやかのソウルジェムを奪った子は」
未来QB「きっと今頃、みんなが行って、説得してるはずだよ」
まどか「でも、みんなは……」
未来QB「少なくとも、暁美ほむらが知ってるよ。それに、もう一人の君もね」
未来QB「彼女たちがなぜ契約させたがらないか、少しは理解できただろう?」
まどか「どうして……もっと、もっと早く言ってくれれば、さやかちゃんは!」
目を見開いて、ずぶ濡れのまどかが叫ぶ。キュゥべえは黙った。
まどかはさやかを守るように抱きしめ、ため息とも嗚咽とも言えない音を漏らした。
黙っていたキュゥべえがゆっくり尻尾を動かした。
未来QB「過ぎたことだ。それよりも……」
まどか「さやかちゃんのソウルジェムを、取り戻さなくちゃ」
未来QB「そうだね。でも、それはもうみんながやってる」
まどか「じゃあ、わたしもやる」
未来QB「魔法少女じゃなくちゃ無理だよ」
まどか「じゃあ、魔法少女になる」
全く躊躇いなく、まどかは宣言した。顔を上げて、キュゥべえを見据える。
キュゥべえは黙り、まどかを見つめた。覚悟は万全、願いごとも決まっている。
まどかに迷いは無かった。この場で契約して、誰に怒られても、構わないと思った。
しかし、キュゥべえは言った。
未来QB「……君とは、契約できない」
【ほむらの回想2】
手を離して、まどかは立ちあがる。私の視界にそびえる背中。
くるりと回って、キュゥべえに向き直る。
空は暗い灰色に濁り、風に乗る雲が高速で流されていく。
QB「分かってるだろうけど、願いごとは一つだけだよ」
QB「君なら、さやかを生き返らせることくらいは出来るだろう」
QB「けど、他の子もということになると、一つの願いごとでは収まりきらない」
まどか「一つに収まるよ」
なぜか確信に満ちた様子で、まどかは宣言した。
考えがあるようだった。どんな願いごとをするつもりなのか。
首をかしげるキュゥべえに向かい合い、まどかは口を開いた。
まどか「全ての魔女を、生まれる前に消し去りたい」
まどか「過去と未来の全ての魔女を、この手で」
私がその願いごとの意味を考える前に、桃色の輝きが凝縮した。
まどかの頭上に神々しくきらめくソウルジェムが現れ、次の瞬間、
あらゆる方向からやってきた奔流が、一瞬でそれを黒く塗りつぶした。
*
真っ白な光。まぶしい。
絶望的な虚無感の中に私は叩き込まれていた。
実際、私は目の前の白い壁を見ながら、頭の中は直前までの光景で満ちていた。
ほむら「いま、のは……? いったい、何が……?」
誰もいない部屋の中で、そのつぶやきは良く響いた。私は現実に引き戻された。
見回すと、そこはいつもの病室だった。けど私の身体は悲しくなるくらいに正常だった。
馬鹿げた掛け布団を引き剥がして、私は立ち上がり、部屋の隅へ、洗面台へと歩く。
目の前にソウルジェムをかざして視力を回復させる、いつも通り。
私は深いため息を吐いた。鏡を見つめる。
あれは一体なんだったんだろう。
まどかが助からないことは、もはや分かっていた。
でもそれは、ワルプルギスを倒した後で、彼女の魔女化が避けられないということだったはずだ。
それなのに……。
願いごとを言った途端に、いきなり魔女化したように見えた。
一体どんな願いごとをしたらそんな事になってしまうのか?
鏡についた水滴が、ゆっくりと流れ落ちていく。
*
マミが死に、さやかが魔女になり、杏子と共に死ぬ。
私にとってはよくあるパターンの一つだった。まどかは契約しないまま生きていて、
あとは私がワルプルギスに勝てさえすれば良いという状況。
でも勝てなくて、私はまどかの契約を止めることすら出来ない。
まどかは、最強の魔法少女となって、ワルプルギスの夜を倒す。
これも、いつも通り。
おかしなことに気づいたのは、夜が明け、雨が降りしきる、崩れた街の中。
まどかのソウルジェムが、全く濁っていない。
まどかがワルプルギスを倒すのは何度も見てきたけど、
その場合、魔女化を避けられないはずだった。
この状況をどう説明してくれるのか。私は前の時間軸から続く理不尽な展開に困っていた。
まどかは私が何に困惑しているのか分かっていなかった。
しかし事態は決定的に進んでいた。ワルプルギスを倒した後、彼女は急に元気をなくし、――
消えてしまったのだ。
まどかが消えた。
それは比喩ではなく、本当に忽然と姿を消してしまった。
その時には既に、私も間もなく次の時間軸に送られることを察知していた。
私はキュゥべえを捕まえて、説明を求めた。何でもいい、こちらの情報はすべて伝えた。
前の世界でのまどかの願い、契約した途端に魔女になった事などを伝えると、
キュゥべえは私に、「一つの仮説だよ」と言って、ゆっくりと話し始めた。
空は紫色に濁り、絶え間ない小雨が、ひたすら振り続ける中だった。
QB「君の話が真実だと言う仮定で、前の時間軸というものが存在したとして――」
QB「そこでまどかが"全ての魔女をこの手で消し去りたい"と願ったなら」
QB「全ての魔女の絶望エネルギーが、濁りとなって、まどかのソウルジェムに流れ込んだ事になる」
QB「まどかの祈りは一種の浄化の祈りだったんだろうね」
QB「ところが、世界中の魔女だ。たぶん、浄化が間に合わなくて、一瞬で魔女化したんだろう」
QB「しかし彼女はこの手で魔女を消し去ると言った。その願いは、別の時間軸のまどかを使って、叶える事になった……」
ほむら「?……どういうこと」
QB「浄化を、全ての時間軸のまどかが肩代わりしてるのさ。推測だけど、順当だと思うよ」
QB「時間軸の垣根を越えて、絶望エネルギーが流れてるってことだね。浄化の機能は、彼女の願いによって、この世界のまどかにも与えられていた」
ほむら「そんな無茶な……ありえないわ」
私はそう言ったものの、他に説明できないし、キュゥべえがウソをつく理由もなかった。
それに私自身も間もなくここから消える事が分かっていた。私は続きを要求した。
キュゥべえは再び話し始めた。
QB「まどかが消えたのは――、これも推測だけど。順当だと思うよ――」
ほむら「いいから。話してよ、時間が無いの」
QB「ああ。この世界のまどかが消えたのは、彼女の祈りのせいだろうね」
QB「彼女は"この街を守る魔法少女になりたい"と言っていた。今までは、彼女が戦うことで、確かにその通りになってたんだけど――」
QB「ワルプルギスを倒してしまった今、彼女はこの街にとって害悪でしかない」
QB「彼女は自分が消え去ることで、この街を守るという願いを遂げただけなのさ」
ほむら「?――どういう」
どういうこと、と聞こうとした瞬間、私の限界は唐突に訪れた。
目の前のキュゥべえの声が急激に遠ざかり、視界のすべてが高速で流れ始める。
回想終わり
*
~まどか視点~
まどか「どうして? 契約してくれないなんて」
未来QB「…………どうしてだろうね」
くらい夜にくらい雨が降る、くらい路地裏。
土砂降りの雨の中で、自分のしっぽを傘にしているキュゥべえ。
彼は真っ黒な空を赤い瞳に映しながら、ため息のような音を漏らした。
熱い気持ちが冷たい雨に打たれて消えていく。結局、キュゥべえもあの子と同じなんだ。
もう一人のわたしと同じで、わたしに契約させたくない。考えてみれば、みんなそうだった。
さやかちゃんだって、マミさんだって、ほむらちゃんだって。
みんなして、わたしに契約して欲しくないんだ。どうして仲間外れにするんだろう。
目の前にシャッターが下りたような、閉じ込められたような。
そしてやっぱり、キュゥべえは言った。
未来QB「もう一人の君が、それを望まないからだと思うよ」
雨が頬を打って、痛い。
ほとんど影に溶けたようになりながら、その痛みと、握ったさやかちゃんの手の感触だけ感じていた。
キュゥべえの表情も、シルエットしか見えない。
目の前にいないのに、もう一人のわたしが、立ちふさがっているように見えた。
わたしの前に立って、わたしがやらなくちゃいけないことを、全部奪って行く。
キュゥべえと契約する事も。戦う事も。強くなりたいだけじゃないはずなのに。
未来QB「不満そうだね。でも、今の僕にとっては、彼女の意思だけが大切なんだ」
未来QB「彼女をサポートすること。それが僕の存在意義で、行動理由なんだ」
まどか「――え?」
キュゥべえは……上手く言えないけど、もっと公平な性格だと思っていた。
まだ会ってから短いけど、こんな風に誰かを贔屓したことは無かった。
イメージに合わなくて、この子ホントにキュゥべえなの?って思う。
未来QB「たぶん次に会うときは、僕は喜んで契約に応じると思うよ」
未来QB「でも、出来れば、しないでほしい。だってホントに君の為なんだ」
未来QB「契約しない方が良い。これはアドバイスだよ。本当なんだ」
まどか「――……」
キュゥべえは真面目に言った。わたしは、何も言い返せなかった。
でも心の中で、いつの間にか契約したい熱さが、落ち着いてきていた。
空を飛ぶ桃色の流れ星を見上げながら、キュゥべえは身震いした。
身体にかかった雨粒を飛び散らせて、憂鬱そうにため息を吐く。
わたしは聞かずに居られなかった。
まどか「キュゥべえは、もう一人のわたしのことが好きなの?」
未来QB「……――」
未来QB「早く雨、やまないかな」
*
ほむら「さやかは今日死んだわけじゃない。それどころか……」
ほむら「私たち全員、契約したその時点で、もう死んでたのよ」
振り落ちる雨粒。その数が、すぐに数え切れない程になる。
息を飲むマミ。杏子は顔を背けた。二人に対し、ほむらはあえて続けなかった。
屋上の隅にキュゥべえのシルエット。しかし、積極的に説明する気は無さそうだった。
雨の中に溶けたような沈黙の中で、青い光が全員を照らし出し、注目を引く。
その光は杏子が取りだした宝石の光だった。さやかのソウルジェムが、強く輝く。
杏子「コイツを元に戻せば、さやかは……。息を吹き返すってことなのか?」
青い光を瞳に映しながら、杏子は独り言のように呟いた。小さくうなずくほむら。
マミは複雑な表情をして杏子を見つめていた。その青く照らされた横顔を見つめていた。
数秒の間。やがて小さくため息を吐いて、マミは全身の力をゆっくりと抜いた。
杏子「――!」
ほむら「マミ?」
辛うじて変身は保っていた。しかし周囲に展開していたマスケットが全て脱落し、
彼女自身も腰が抜けたように、地面に座りこんでいた。水たまりに突っ込み、
あっという間にぐしょ濡れになったが、気にしていなかった。
杏子はさやかのソウルジェムを仕舞って、片膝をつき、マミの顔を覗き込んだ。
その肩に手を置こうとして、ためらい、やっぱり止める。
うつむいたマミの表情は見えなかった。しかし、一言だけ言葉を漏らした。
マミ「よかった…………」
杏子「…………???」
怪訝な顔になる、杏子とほむら。
なにが良かったのか? 魔法少女はもう死んでいると言われたのに?
しかし、満足げなマミの言葉に対して、二人とも聞き返そうとはしなかった。
行き場を失った杏子の手が、マミの頭の上をウロウロした後、引っ込む。
立ち上がり、屋上の隅にいる小さなシルエットに向かって行く。
土砂降りの雨の中で、表情は全く見えない。
ほむらは数メートル離れたところで、杏子の背中を目で追っていた。
その背中もすぐにシルエットだけになる。
ほむら「佐倉杏子のこと、あなた、受け入れられたってこと?」
足元でうずくまるマミに、言葉を放り落とす。マミは黙っていたが、否定しなかった。
顔を上げて、キュゥべえを問いただすつもりか、向かって行く杏子を二人で見る。
マミ「暁美さん、来てくれてありがとね」
ほむら「…………今日は私が、パトロールの当番だもの」
マミ「そういえば、終わったらうちに来てくれる約束だったっけ」
ほむら「これだから。こっちが楽しみにしてても、覚えちゃいないのね」
軽口をたたき合いながら、ほむらはマミを注意深く見ていた。
ソウルジェムの真実の半分を明かした今、ショックを受けているはずだが、
今の所は何ともなさそうに振る舞っている。実感できていないのかもしれないけれど。
マミ「覚えてたわ。でも、佐倉さんが来て、それどころじゃなくて」
ほむら「さやかが助かるまで、それどころじゃないわね」
マミ「……そうね」
ほむら「……まあ、大丈夫よ」
ほむら「杏子はソウルジェムを奪う時、さやかを気遣ってるくらいだったし」
ほむら「無条件とは行かないでしょうけど……話し合いで……――」
視界の端で、桃色の流れ星が、一際明るく走っていた。低い視点のマミも、
背中に目が付いているわけではない杏子も、気付いていなかった。ほむらだけが気付いた。
マミ「私も、佐倉さんを説得するわ。あの子の事、私の方がよく分かってるし……」
流れ星はヘアピンカーブを描き、こちらに直進してくる。
塗りつぶされた視界で、距離感は曖昧だが、確実に光度を増してきている。
ほむら(流れ星?…………人工衛星?…………いや)
ほむら(この大雨で――ありえない――――"桃色"――――まさか!!!!!)
ほむら「危ない、杏子!!!」
地面を砕く踏み切りで飛び出す、杏子の背中に飛びついて押し倒す。
時間を止めようとはしなかった。それは無駄だと分かっていたから。
前に吹っ飛んで倒れ込む杏子、それを避けて跳ぶキュゥべえ、覆い被さるほむら。
その頭上を烈風が吹き抜けて、空間に局所的な真空状態を生みだす。
パン、と割れるような音と共に、急停止した桃色の流れ星が、不自然にゆっくりと降り立った。
雨がすぐに空間を埋め、杏子は抗議の声を上げていた。
しかしほむらはそれを押さえこみ、何かから庇うように覆い被さっていた。
ほむら「あなた……また、なのね。――さやかを、見たのね」
ほむら「落ち着いて、聞いてちょうだい。――待って! 杏子は大丈夫だから!」
弓に矢をつがえて、キリキリと引き絞り、ピタリと狙いを定める。
その射線に、身体を張って杏子を守るほむらがいた。
金色にきらめく瞳に見つめられ、顔をひきつらせながら、それでも叫ぶ。
ほむら「目を覚まして―――まどか!!!」
~ほむら視点~
「おそらく処理の負荷がかかっているんだろうね」
その言葉が現実のものとなっていた。私は宝石のように非人間的な輝きを瞳に宿すまどかを前に、思わず唇を噛んだ。
私はまどかに射抜かれても構わない。むしろ杏子の代わりになれるなら願ってもないことだ。
理由がある。まどかをここまで追い詰めたのは、私なんだから。
魔まどか「ほむらちゃん、どいて」
まどかは感情の無い声で言った。そんな声は聞きたくなかった。でも私の責任だ。
向きあわなくちゃいけない。いや、本当はもっと早く向き合わなくちゃいけなかったのね……。
まどかがこちらの世界に渡って来た直後と同じ症状である。
ストレスがかかると暴走を起こしてしまう、あまりにデリケートなまどかの精神。
インキュベーターによれば、ソウルジェムへの負荷のせいで、心理的なストレス耐性が
脆弱になっているとのことだけど。そんなこと、誰も知らない。
今の状況で、まどかの現状を把握できているのは私しかいなかった。
しかも、その私も間もなく死ぬかもしれない。そうなったら、まどかは皆にとって敵になるだろう。
討伐の対象となって、何も分からぬまま、殺されてしまう。
そうだ、だから、全てを知っている私がここで死ぬわけにはいかない!
ようやく頭が軋みながらも回り始めて、私は口を開いた。
ほむら「まどか……、誤解だわ。杏子はさやかを殺してない。ソウルジェムを盗んだだけなのよ」
ほむら「それに、ここで杏子を殺して何になるの? 私たちには彼女の力が必要なのよ」
ほむら「抑えなさい、まどか。感情に身を任せてはダメよ。あなたの場合は、とくに」
私はなるべく冷静な声で諭す。対するまどかは一言。
魔まどか「ほむらちゃん、どいて」
……ダメらしい。
今のまどかには、理性的な対話がそもそも望めないようだ。
おそらくはさやかの死体を見て、そのストレスから暴走状態に入ったのだろう。
まどかは相変わらず今にも矢を射る事の出来る状態で、私の命は風前のともしびだった。
杏子を殺してはいけない事は明らかで、それはもし杏子が本当にさやか殺しの犯人だったとしても、そうだった。
まどか自身の願いに反するからである。
ほむら「……もう一人のあなたに会ったでしょ? あの子はどうしたの? 今どこにいるの?」
私は説得を断念して話を変えることにした。いや、とはいえ大して何も考えていない。
必死の状態で、まどかはまだ矢を射ていなかったものの、私はその視線に射ぬかれていた。
黄金の瞳は鏡のようで、私の引きつった顔を映し出していた。数秒の間を空けて、まどかは答えてくれた。
魔まどか「ほむらちゃん、どいて」
雨は強まるばかりだった。誰もが全身ずぶぬれになりながら、一定のパターンで明度を変化させる光の矢を見つめていた。
その狙いは微動だにせず、私と、その背後の杏子に向いていた。
まどかのソウルジェムは黒い夜の中で燦然と輝き、まどかの顔を下から照らし出す。
背後で杏子が動いた。
杏子「そうだ、暁美ほむら、どけよ」
ぐい、と私を押しのけて、杏子が前に出た。
まどかの前に堂々と立ち、にらみつける。
杏子「会いたかったよ、鹿目まどか。この街の魔女がやたらと強いのは、あんたの仕業か?」
ほむら「杏子、ダメよ! 今のあの子に言葉は通じないわ!」
その通り、まどかは上下の唇がくっついてしまったかのように返事をしなかったけど、
しかし微妙に表情を曇らせていた。豪雨のベールがその表情を隠していても、その揺らぎは明らかだった。
杏子「まあ、仮にあんたの仕業だとしても、こっちにはあんたを排除できない」
杏子「時間を止められるんだってな。見てみたい気もするけど、止まったら見えないんだろうな」
杏子「まあそんなわけで、最低限、マミだけは救い出させてもらう」
杏子「それが、このソウルジェムとの交換条件だ」
言って、杏子は懐に手を入れた。
まどかはぼうっとして杏子のことを見ていて、話を聞いていたのかどうか定かではなかったが、
杏子の手元を凝視していた。私は不意に最悪の結末の気配を嗅ぎ取った。
ほむら「待って! 出しちゃダメよ!」
その声が杏子に届いたかどうか分からない。言ったのと同時に私は能力を発動していたからだ。
一瞬のラグがあり、時間が止まる。私の予感は的中していた。
杏子の取り出しかけた青く輝くソウルジェム、それを全く気にせず飛んだ無慈悲な光の矢。
まどかは時間停止の影響を一切受けず、「ほむらちゃん?」と怪訝な声を漏らしていたが、
その手を離れた矢のほうは杏子の手前で停止していた。
まどかは普通じゃない。その確信を強め、私はまどかから目を離さないようにしつつ、
杏子の手を引いて射線上からずらした。まどかは私に感情の無い黄金の視線を向けて黙りこんでいた。
いたたまれない沈黙。それが背後の爆発音で途切れる。
時間が動き出し、まどかの矢が背後の給水塔に直撃したらしい。
まどかが次の矢を取りだしている。もう一刻の猶予もない。
ほむら「ソウルジェムをよこして!」
杏子「なっ……アイツ……!!」
まだ突然の攻撃のショックから立ち直れていない杏子から、私は強引に青い宝石をむしり取ろうとしたが、
杏子は、おそらく反射的に抵抗した。その顔を桃色の光が照らし出す。
背後から雨音にもかき消されない足音が高らかに近づいてきて、次の瞬間、
私はわき腹に衝撃を受け吹っ飛ばされていた。
魔まどか「おあいこ」
あっさりと私を足蹴にしたまどかはこちらを見もせず呟いた。
まどかの放つ光が雨すら弾き、周囲のすべてを桃色の光が包み込む。
ゴロゴロと横に転がった私、その視界に、呆然と座り込んで鼻先に矢じりを突き付けられている杏子がいた。
「待って!」と叫ぼうとしたが声が出ない。まどかの蹴りは思いのほか深く入っていて、
私はゲホゲホとせき込んだ。まどかは何かブツブツ言いながら、感情の無い瞳で杏子を見下ろしていた。
ああ、終わった。
突然、私の横を風が通り過ぎた。コマ送りのような風景だった。黄色い風はまっすぐに斜め後ろから吹いてきた。
足音は豪雨に紛れてほとんど聞こえなかったし、何より速くて突然だった。
風――巴マミは、まどかに直撃し、腰のあたりにしがみついて、そのままの勢いでまどかを押し出した。
弓弦を押さえる指がはずれて矢が暴発するが、あらぬ方向へと飛んでいった。
マミはまどかと一緒くたになってビルの屋上のへりを越え、そのまま夜の街へと落ちていった。
杏子「――――マミ!!」
*
~魔まどか視点~
ざあざあと滝のような音が聞こえていた。雨が降っている音だ。
窓の外の風景は夜だった。窓枠の四角の中を、木の葉が風に吹かれて横切っていった。
ここはどこだろう?
部屋は明るくて、ベッドは柔らかい。少し見回してみて――なんだ、見れば分かるじゃない。
ここは、ほむらちゃんの部屋だ。
ドアの方でガチャリと音がした。ドアはゆっくりと開き、その陰から、誰かの足がのぞいていた。
パジャマの柄が見えて、わたしにはそれで十分だった。
魔まどか「ほむらちゃん」
ゆっくりと歩み出てきて、こちらを向くほむらちゃん。
やっぱりそうだった。わたしはホッとして肩の力が抜けるのを感じた。
ただ、ほむらちゃんは笑っていなかった。どうしてだろう。
ほむら「まどか……今日は……」
ドアの近くに立ったままで、ほむらちゃんは言った。声がかすれている。どうしてだろう。
どうしてこっちに来てくれないのか、わたしには分からなかった。ほむらちゃんは首を振った。
ほむら「何でもないわ」
ほむら「今日は遅いし、もう寝ましょうか」
電気が消され、ほむらちゃんは隣のベッドに横になった。
わたしは寝たばかりのはずなのに、頭がしびれていた。とても眠い。ほむらちゃんも疲れているように見えた。
横になり目を閉じると、わたしはすぐ、どこか深い場所へと吸い込まれていった。
*
目を開ける。音は無かった。窓の外にはまぶしい日の光が満ちていた。
窓がキラキラと光っていて、近づいて見ると、雨粒が光を反射しているのだった。
目が冴えていて、とてもいい目覚めだ。
隣のベッドはすでに空だった。ほむらちゃんはもう学校の支度をしてるのかもと思い、わたしは部屋を出た。
どの部屋にも誰もいなかった。ほむらちゃんはもう家を出ちゃったのかな。
わたしはがっかりして、リビングに戻った。そのとき初めて気付いたんだけど、テーブルの上に一枚の紙があった。
ほむらちゃんの書き置きかもしれない。少し胸を高鳴らせながらそれを手にとってみた。
『まどかへ。朝食は冷蔵庫の中にあるのを食べてね。あと今日の放課後みんなをうちに呼ぶのでそのつもりで』
それだけだった。コピー用紙の上にペンで急いで書いたような文章。
みんなって……マミさんとか、さやかちゃんとか……っ。
考えている途中で、何かおかしいと感じた。何が?って聞かれると困るけど…………ま、いっか。
それより放課後にみんなが来てくれるっていうのが、とても楽しみ。
わたしは鼻歌を歌いながら冷蔵庫の扉を開いた。
時刻はすでに12時を回っていた。
*
玄関の方からガチャリという音がした。
ほむらちゃんが帰ってきた音だ。書き置きの通りなら、みんなも一緒に来ている。
わたしはリビングを出て玄関ホールに向かった。廊下を抜けて奥のドアを開く。
そこには、ほむらちゃんがいて、ほむらちゃんだけだった。
靴を脱いで、顔を上げて、そこで初めてこちらに気付いたみたい。
ほむら「ただいま、まどか」
魔まどか「おかえり……みんなは?」
ほむら「来てるわよ。外で待ってるの」
魔まどか「入ってくればいいのに」
ほむら「…………」
昨日の夜に見たほむらちゃんを、わたしは思い出した。
あれ、夢じゃないよね? あの時も今みたいに疲れているように見えたけど……。
魔まどか「わたしが呼んでこようか」
ほむら「いえ、大丈夫。私が行くわ」
なぜか早口になって、ほむらちゃんはいま脱いだ靴をまた履き直した。
置いてあったカバンを拾い上げ、わたしに向かって差し出してくる。
ほむら「悪いけど、これ、寝室に運んでおいてもらえる? 私はみんなを呼ぶから、リビングで待っていてちょうだい」
魔まどか「……うん」
少し考えて、わたしはカバンを受け取った。言う通りにしよう。
ほむらちゃんは微かな笑みを浮かべた。わたしは嬉しかったけど、少し無理しているようにも見えて、心配になった。
またわたしは何かがおかしいと思ったけど、とりあえず玄関ホールを後にした。気にしないことにしよう。
リビングで待つこと数分、誰も入って来ないので、わたしは立ち上がった。
何か飲み物でも用意しておこうと思って。
マミさんの淹れてくれる紅茶には敵わないだろうけどっ……。
また何かおかしな感じがして、わたしはいよいよ気になってきた。
今朝からずっと続くこの感じは何だろう。
棚から6人分のカップを取り出して並べる。
リビングの奥の窓がオレンジの光に満ちている。
ガチャリという音が、さっきよりも近くで聞こえた。わたしは振り向く。
廊下へのドアが開いて、ほむらちゃんが入ってきていた。
ほむらちゃんは立ち止まって振り返り、廊下の奥に向かって手招きをした。
ほむら「――もう。大丈夫だから入ってきなさい」
わたしに言ったのではなさそうだった。
少しの間を置いて、最初はさやかちゃん、次にもう一人のわたし、そしてマミさんが入って来て……それで最後だった。
三人とも台所の奥にいたわたしに気付いたみたいで、さやかちゃんは「あ、どうも……」と声をかけてくれたけど、
あとの二人は何も言わなかった。
リビングのテーブルについたみんなに、わたしは紅茶を運んだ。
一つ多かったけど、誰かのお代わりにすればいいやと思ってそのまま運んだ。
魔まどか「みんな、いらっしゃい。紅茶をどうぞ」
ほむらちゃんが立ち上がってわたしのお盆を受け取り、テーブルの真ん中に置いた。
ほむらちゃんとわたしは紅茶を全員に配り、並んで席に着いて、三人のお客さまと向かい合った。
お盆にはカップが一つ残っていた。みんな黙っている。
ほむら「単刀直入に聞くわ」
ほむらちゃんが言った。
聞くって、誰に?と思ったら、ほむらちゃんが見ていたのは……わたし?
向こうに並ぶ三人もこちらを見ていた。わたしの淹れた紅茶には誰も手をつけていなかった。
ほむら「あなた、昨日のこと覚えてる?」
魔まどか「……えっ?」
ほむらちゃんは「やっぱり」という顔をして息を吐いた。わたしは首を傾げるしかない。
きのう? 何かあったっけ?
魔まどか「…………雨が降ってた」
ほむら「…………それだけ?」
魔まどか「…………うん」
雨が降り注ぐ、その滝のようなイメージだけが、浮かび上がってくる。
何も思い出せないこと自体は、それほど不思議に思えなかった。
マミ「…………ウソよ!」
ギクリとしてわたしは顔を上げた。
それはマミさんがこの部屋で初めて出した声。
握った手をテーブルの上に乗せて、わたしを睨んでいた。
マミ「あなたが何も覚えてないわけないわ。あれだけの事をしでかしておいて!」
マミ「シラを切るのはそれが可能な時だけにすることね!」
お腹に響く声だった。わたしは視線を下げて、マミさんの顔を見ないようにした。
テーブルの真ん中で、一つだけ残ったカップの水面が小さく波立っていた。
そう言えばこの世界に来たばかりの頃もマミさんには怒られたっけ……。
ほむら「マミ、落ち着きなさい。この子はウソをついたりしないわ」
ほむら「怒鳴っても怯えるだけよ。まずは昨日起こったことを話してあげなきゃ」
マミさんは無言で目を閉じ、それ以上なにも言わなかった。
ほむらちゃんはわたしに向き直って、昨日起こったということを話してくれた。
窓の外はオレンジの光に満ちていた。
~ほむら視点~
しばらくして私は我に返り、杏子とともに屋上のへりに駆け寄って、落ちて行った二人の姿を探した。
はるか下の横断歩道で青信号が点滅していたけど、渡る人は誰もいなかった。
豪雨を突き破り、マミが飛び上がってきた。高く、私たちを飛び越えて屋上へと着地。
ほぼ同時にまどかが現れ、私たちの頭上から、かなり乱暴に矢を放った。
屋上の床面が爆発し、私は空中に放りだされた。背中にすぐ落下の衝撃。
視界が真っ白、耳鳴りがして、私はしばらく世界から取り残される。
目が見えるようになり、辺りを見回す。
屋上のへりが欠けていた。さっきまで私の立っていた場所に違いない。
数メートル離れて杏子も倒れていた。起きあがる様子は無い。
しかしそれ以上に私を戦慄させたのは、コロコロとこちらに転がって来た物体だった。
紙一重で割れていたかもしれなかった、さやかのソウルジェム。無事だった。
迷わず拾い上げ盾の中に収め、私は深く安堵のため息をついた。
マミ(――――暁美さん!)
マミ(彼女、いきなりどうしちゃったのよ!? 説明してちょうだい!!)
まどかを睨んだまま、マミはテレパシーを飛ばしてきた。その両手はリボンを強く引いていた。
リボンは何重にも巻きついていたけど、縛られたまどかはおとなしくボーッとした目を向けるだけ。
この拘束は気休め程度にしかならないと、マミ自身も分かっているようだった。
ほむら(…………ソウルジェムの濁りを溜めこみ過ぎたんだわ!)
ほむら(それで理性を失ってるの。だからグリーフシードで浄化すれば正気に戻るはずよ!)
マミ(…………けどっ)
マミが何か言う前に、リボンが弾け飛んだ。その一条をつかみ取り時間停止。
マミの眼前に放たれた矢が、突き立つ寸前で静止した。
*
~魔まどか視点~
マミ「――まったく。あなた、私を殺す気だったの?」
眉を不快げに上げながら、マミさんは吐き出すように言った。
今の話を聞くと、わたしにもそう思えた。ただ、その話の人はわたしだとは思えなかった。
でもわたしは黙っていた。「ホントにわたしだったの?」なんて、聞ける雰囲気じゃないもの。
ほむら「……今までの所で、何か思い出した事あるかしら?」
ほむらちゃんはわたしを責めている感じではなかった。
だから残念だった。ほむらちゃんのために何か思い出した事を、何も言えない事が。
ようするに、わたしは何一つ覚えていなかった。
まどか「あの……これも覚えてない?」
まどか「きのう学校のあと、わたし、ここであなたと話したんだけど……」
もう喉まで出かかっていた。「それホントにわたしだったの?」
でもマミさんの顔を見て、わたしはぐっとこらえて、「ごめん、覚えてないの」と言った。
なぜか……もう一人のわたしはホッとしたような顔をした。わけの分からないことばかり……。
ほむら「――昨日の話を続けても良いかしら?」
返事を待たず、ほむらちゃんは再び話し始めた。
*
~ほむら視点~
手首を引くリボンがぷつんと切れた。まどかの放った矢がマミを私から切り離していた。
時間停止中の命綱を断たれ、動きを止めるマミ。まどかは標的を決め、床を蹴った。
まどかの手が届く間際、湧きだしたリボンがぶわりと広がり、渦を巻いてまどかをからめ取った。
停止した時間の中でマミが動いていた。もちろんタネがあった。もう一本のリボンを透明化して私につないでいたのだ。
マミが後ろに跳ぶのと同時に、私は前に飛び出した。右手に握るのは未使用のグリーフシード。
まどかのソウルジェムにそれを押し当てると、黒い煙が勢いよく噴きだした。
一つでは足りそうもない。私は濁りを吸いきった一つ目のグリーフシードを捨て、すぐに二つ目を押し当てていく。
まどかの瞳は奇妙な金色に染まっていたけど、徐々に元の色へ戻っていった。
三つ目は必要なさそうだった。まどかはゆっくりと目を閉じて、自分を縛るリボンに身を預けたようだった。
マミ「終わったの……?」
半信半疑といった声色で、マミは言った。距離を保ったままで。
私は使用済みのグリーフシードを拾い上げながら、
ほむら「油断は禁物だけど……。濁りは吸い取ったから、もう大丈夫なはずよ」
マミ「そう……。私、まだ分からないわ。なぜ急に……そうだ、美樹さんのソウルジェム!!」
私が無傷のそれを取り出すと、マミは大きく息を吐いた。
杏子に気付いたのか、その顔がまた曇る。彼女はいま身体を起こしているところだった。
マミは少し迷ってから、彼女のもとに駆け寄って行った。
*
~魔まどか視点~
わたしは観念するしかないと思った。
まったく身に覚えの無いことだけど、わたしは深々と頭を下げて、
魔まどか「――さやかちゃん、ホントにごめんなさい」
紅茶を飲んでいたさやかちゃんは目を見開いた。
慌てたようにカップを置きながら、
さやか「えっ……ちょっといきなりどうしたの」
さやか「いいって。ほら、あたし生きてるし……そのとき意識なかったんでしょ? あたしと一緒」
マミ「美樹さん! 殺されかけたのよ。あなただけじゃなく、みんなもね」
魔まどか「ホントにごめんなさい」
わたしは重ねて謝った。
マミさんはギュッと唇を引き結んで、まっすぐわたしを見つめてきた。
わたしは視線をそらしたかったけど、我慢して見つめ返した。数秒がとても長い……。
マミ「…………あなたのこと信じたいのよ」
やっとマミさんが口を開いた。
マミ「杏子の話を鵜呑みにしたわけでもないしね。私は私であなたのこと今まで見てきたんだもの」
魔まどか「……はい」
マミ「でも昨日みたいなことがあると揺らいでしまうわ。最高の味方が最悪の敵になるなんて、笑えないもの」
マミ「あなたは私たちの中で一番強い。昨日そのことを再確認したわ。でもそれは良い事なのか、このままじゃ分からないのよ」
マミ「あなた、本当に私たちの味方なの? それをはっきりしてほしいの。つまり、昨日みたいなこと二度と起こさないって」
マミ「――約束してくれるかしら?」
わたしはうつむいた。マミさんの鋭い視線に耐えられなかった。
約束できるのなら、そうしたかった。でも、そもそも昨日の事は、わたしの意思じゃない。
自分じゃどうにもできないのに、出来るって約束するのは、ウソになるよね……?
答えられなくて、わたしは隣に目を向ける。
ほむらちゃんが飲み干した紅茶のカップを置いた所だった。
ほむら「私が約束するわ、マミ」
マミ「あなたが?」
ほむら「ええ。まどかが約束できるはずないもの」
ほむら「――それともマミ、あなたは一度も寝返りを打たないで眠り続けられるの?」
マミ「……? 言ってる意味が分からないわ」
ほむら「無意識の行動をやめさせようなんて、ナンセンスだと言ってるのよ」
マミ「――! 無意識で寝返られたら、たまったもんじゃないわ」
ほむら「寝返るっていうのは例え話よ」
マミ「ややこしいわね。つまりどういうことなの」
ほむら「この子に八つ当たりしないで」
マミ「なんですって?」
ほむら「聞こえたでしょう」
魔まどか「――やめて!!」
わたしは割って入った。そうしないと二人は今にもケンカを始めそうだった。
ほむらちゃんはわたしのために怒ってくれてるみたいだけど、わたしはイヤだった。
二人が固まっている間にわたしは一気に言った。
魔まどか「わたしが約束します! もう昨日みたいなことしないから!」
魔まどか「ありがとう、ほむらちゃん。でもいいの、ううん、やめて。ケンカしないで。自分で出来るから」
魔まどか「ソウルジェムが濁らないようにすればいいんでしょ? 自分で気を付けられるから。それでいいでしょ、マミさん?」
マミ「…………本当に、頼むわよ」
少し不満そうだったけど、マミさんは許してくれたみたい。わたしはホッと息を吐いた。
もっと不満そうなほむらちゃんは、盆の上に余っていたカップをつかんで一気に飲み干した。
そういえば、なんで数を間違えて淹れちゃったんだろう。…………あ、そっか。
魔まどか「杏子ちゃん! 杏子ちゃんは、どうして来てないの?」
ようやく下がってきていたマミさんの眉が、またしても釣り上がった。……あれ、どうして?
今度はほむらちゃんまで溜め息を吐いていた。あれ、杏子ちゃんの何がいけなかったの?
マミ「佐倉さんがあなたのこと何て言ってたと思う?――"あたしの知る限り最悪の魔女"ですって」
マミ「寝首をかかれないようにしなさい。大体、そうじゃなくたって、彼女はあなたに殺されかけたのよ」
マミ「のんきに紅茶を飲みに来るわけないじゃない……まあ、それを言ったら私も来るべきじゃなかったかもね」
ほむら「それ以上まどかを責める気なら私があなたの寝首をかいてやるわ。証拠も残さずにね」
マミ「まーあ、こわい」
魔まどか「シャレになんないよ……」
その後も二人の言い合いは続いていた。
さやかちゃんは二人が仲良くなった証拠だと言ってたけど、ホントにそれだけなのかな……?
とりあえず、杏子ちゃんに会ったら謝らなくちゃいけないなと思った。
~ほむら視点~
チャイムが渇いた音色を響かせる。
皆がガタガタと席を立ち、教室をあとにする。
廊下へ出てすぐ、さやかがマミを見つけた。彼女は壁に寄り掛かるようにして立っていた。
マミ「来たわね」
ほむら「ずいぶん早いじゃない。たった今チャイムが鳴ったっていうのに」
マミ「お腹が痛いって、昼休みに言ったじゃない。午後の授業出てないのよ」
あれは本当だったのか。私はてっきりあの場を抜けだす口実だと思っていたので、これは意外だった。
昨日の私の家での言い合いがあって、まだ少しマミとは話しにくかった。
こういうとき驚くほど気が利くまどかは、昼休みに私たちを仲直りさせようとしてたみたいだけど、
マミは腹痛を理由にして退席してしまったのだった。
まどか「だ、大丈夫なんですか」
さやか「マミさん、今日はパトロール休んだ方がいいんじゃない?」
二人は思い切り眉をひそめていた。確かに午後の授業を全部休むなんてよっぽどだ。それが本当なら。
まだ微妙に疑っている私は素直に心配する気になれなかったけれど。
マミ「もう大丈夫よ。保健室で休んで、すっかり治ったから」
二人を安心させるように言って、マミはニッコリとした。
そして私を見たけど、彼女はすぐに視線を外して歩き始めた。
マミ「さあ、今日もはりきってパトロールに行きましょうか」
*
パトロールは空振りに終わった。
日はすでに落ち、街灯の光が取って代わろうかという頃になって、ようやく私たちは解散した。
結局、杏子ともう一人のまどかは顔を見せなかった。杏子はともかく、まどかはどこへ行ってしまったのか、少し心配。
あの子、昨日の事で、結構しょげていたから……。まあさすがに、もう家に戻ってると思うけど……。
マミ「じゃ、さよなら、暁美さん」
背中越しに言って、マミはさっさと帰って行った。まどかとさやかも既にいない。私も帰路につく。
見上げた空に月が明るかった。昨日とは打って変わって綺麗な夜空が広がっていた。
先ほど歩いた駅前の通りを引き返す形で、私はまどかの待つ自宅へ急ぐ。待ってるよね……?
今日のパトロールは様子がおかしかった。そもそもパトロールは当番を決めてやろうということに決まったはずなのに、
今日はなぜか全員でやっていた。誰も指摘せず、当たり前のようにみんなで歩いていたけれど……。
結局、みんな怖いから仕方が無いのか。怖いというのは、魔女の事じゃない。ましてや、まどかの事でもない。
マミとさやかには軽い衝撃ではなかったはずだ。昨夜の出来事の中ではそれほど目立った事じゃなかったけど。
――ソウルジェムは魔法少女の魂だという事実。それを明かした今、彼女たちがどう思っているのか、私には分からない。
けど、マミはもっと色々な事を言ってくると思っていた。私に対して、彼女は悪感情を抱いてる訳じゃないけど、
やっぱり昨日の言い合いでちょっと気まずかったのかしら。私は全然気にしてなかったけど、彼女は変に繊細な部分があるから。
彼女とこれ以上争うのはごめんだった。私が面倒だし、彼女を追い詰めてしまうともっと面倒だから。
申し訳ないけど、マミに対する、これが私の本音だった。
だけど、彼女がまどかを責めるなら、私が擁護しなければならない。
まどかは精神的に追い詰められた結果、暴走を起こしたのだから、これ以上ストレスをかける訳にはいかなかった。
それに実際、彼女は何も悪くないのだ。
じゃ、悪いのはだれ?
*
家に帰ると、まどかはそこにいた。門の前で私たちは鉢合わせしていた。
「偶然だね」と言って、まどかは片手に提げた袋を軽く持ち上げてみせた。
ほむら「あら、買い物してくれてたの? でもまだ食料は――」
魔まどか「ほむらちゃん! 食料っていう言い方、やめにしようって言ったでしょ」
魔まどか「カップ麺ばっかりじゃ身体に良くないよ。今日は、ごはん作るからね、わたし」
言い返す前に、まどかは袋を持ったまま器用にカギを取りだして扉を開けた。
まどかの料理と聞いて、私の心は板挟みになる。気持ちは嬉しいんだけどね……。
*
まどかは昨日の事など無かったかのように振る舞っていたけど、私はむしろ心配を募らせていた。
ずっとみんなを助けるために動いてきて、実際に私たちの命を救い、やっと信頼を得たのに。
たった一度の、しかも彼女自身には覚えの無い暴走によって、それが崩れてしまったのだ。何ともないはずが無い。
そう思ってまどかの顔を見ると、彼女は「なに?」と訳もなく嬉しそうに笑った。私は顔を背ける。
「あなた昨日の事は何ともないの?」と聞くほど私も間抜けじゃない。
聞かなきゃ分からないほど間抜けなら聞くべきじゃないし、聞かなくても分かるなら聞く必要が無い。どっちみち同じ事ね。
ほむら「あなた昨日の事は何ともないの?」
魔まどか「えっ」
それでも私は聞いていた。
私は間抜けじゃないけど、自分の考えに自信が無くなるほど、彼女がまったく普段通りに笑っていたからだった。
私の無遠慮な問いに対して、まどかは「昨日の事って何の事?」とは言わずに、こう答えた。
魔まどか「えー、何ともないよ?」
ほむら「……そう」
*
「電気消すね」と私が言い、まどかは布団の中で頷いた。
パチリという音とともに、部屋の色は白から青へ。光はカーテンの隙間から入る月明かりだけに。
ただ足元を見るには十分だった。私は自分のベッドに入り、こちらに背を向けて横たわる彼女に声をかけた。
ほむら「まどか、おやすみの前に、ちょっと」
魔まどか「…………なに?」
本当に眠そうな声だったので、私は手短に済ませようと思った。とはいえ今でなくてはならない。
だって彼女が起きるのは、私が家を出た後だろうから。最近は特にそうだ。一人の朝食は慣れたものだけど。
ほむら「今日、放課後すぐに帰ったら、あなたがいなかったわ。あの時どこに行ってたの?」
魔まどか「言ったじゃない。買い物だよ……」
ほむら「駅前のスーパーよね。レシート見たわ……けど、それだけじゃないでしょ」
まどかはこちらに背を向けたままだった。寝てしまったんじゃないかと思えるほど、微動だにしなかった。
私は取り調べのような真似をするのは本意ではなかったけど、まどかのために把握しておくべきと思い、敢えて口を開く。
ほむら「時間的におかしいわ。あの時から出かけてて、帰りに玄関で鉢合わせなんて、いくらなんでも……」
魔まどか「散歩してただけだよ、駅前の公園で休んだり、のんびりしたっていいじゃない」
遮って、まどかは言った。いくら何でも雑な言い訳だった。彼女はいったい何をしていたんだろう。
別にいいんだ、彼女が何をしても、それでストレスが晴れるなら、むしろ良いことなんだ。ただし。
ほむら「今日パトロールあったのよ。杏子は来なかったけど、他はみんな来たわ」
ほむら「私が帰ってくる時間は知ってたはずでしょ、どうして家で待っててくれなかったの?」
ほむら「誤解しないでね。私……怒ってるんじゃないの。ただ、あなたにとって、あまり良い事じゃないと思うだけ」
魔まどか「…………」
ほむら「…………まどか、寝ちゃったの?」
魔まどか「…………」
私はしばらくまどかの返事を待ったけど、バカらしくなって目を閉じた。
こんな聞き方じゃ、まどかが怒っても当然か……。でも、肝心な事を話してくれないまどかだって……。
暗闇の中で、薄目を開くと、まどかは相変わらず背を向けて、微かに寝息も立てていた。
ほむら「……意地悪」
私は口の中で、小さくつぶやいた。
*
目が覚めると、まどかはいなかった。
隣のベッドがもぬけの殻だ。私は寝惚けまなこをゴシゴシとこすった。やっぱりいない。
朝の陽ざしを浴び、白く輝くベッド。時計を見る。私が寝坊したわけではない。
まどか、どうして?
心の中で問いながら、もう私はその答えが分かるような気がした。
昨夜の最後のやり取りを思い出していた。胃が重くなるようだ。
夕方、どこに行っていたのか問い詰めた私に、まどかは答えず、寝たフリをしていた。
まさかあれで怒って、家を飛び出して……?
悪い想像を断ち切り、私は部屋を出た。
ほむら「…………まどか」
リビングに足を踏み入れて、私は気の抜けた声で呼びかけた。
最近では、彼女は起きるのが遅いので、私たちは朝、顔を合わせることが無かったのだ。
それが、今日に限って、私より早く目覚めていた。
寝巻きのまま、朝のニュース番組をぼんやり眺める彼女の姿。それを見て、私は肩の力が抜けるのを感じた。
なんだ、良かった。
魔まどか「おはよう、ほむらちゃん」
彼女が、こちらに気付いて言った。
私も「おはよう」を返す。声に力が入らない。
魔まどか「大丈夫? なんか、顔色わるいよ?」
ほむら「低血圧だから……」
魔まどか「ふーん…………って、ダメだよ! 立ってないで、ここに座って!」
ウソじゃないけど、今のは適当に言っただけなのに……と、思う間に私は、まどかに引かれてソファに座っていた。
深く息を吐き出す。さっきまでの苦しさが取れたような気がして、何となく悔しくなった。
私を心配させたのはまどかだけど、安心させたのもまどか。これじゃ誰に文句を言ったらいいのか分からないじゃない。
そのまどかが言う。
魔まどか「今日、わたしが朝ごはんの支度するから、ほむらちゃん、ここに座って待っててね」
*
ほむら「じゃ、行ってくるわ」
支度を終えて、私は玄関に立ち、振り返った。
目に入るまどかの姿。彼女はなぜかそわそわしていた。
数秒の間、私が黙って待っていると、やがて彼女は口を開いた。
魔まどか「あの!…………ほむらちゃん」
魔まどか「ちょっとお願いがあるんだけど……いいかな」
ほむら「なにかしら」
魔まどか「ほむらちゃん、わたし、もう一人のわたしと話がしたいの」
魔まどか「でも、学校には入れないでしょ。それに、パトロールは多分もう、ダメだし……」
ほむら「……放課後、ここに彼女を連れてくればいいのね? 分かったわ」
尻すぼみになっていく声を遮って、私は請け合った。
まどかはホッと息を吐いて、「ありがとう」と言って笑った。
私は思った。
やっぱり、昨日のパトロールをサボったのは、マミのことが原因か、と。
*
さて、私は学校に行き、授業を受け、まどかを連れて帰って来た。
その後ろには結局いつものメンバーが揃っていた。
まどかの暴走を警戒しているマミは、自分も付いていくと言って聞かなかったし、
すっかり元の調子に戻ったさやかは、まどかが何を話すのか気になると言って聞かなかった。
私は(魔法少女でない方の)まどか以外を連れていって良いものか少し迷ったけど、
聞き手が多いと困るとは言われてないし、まあいいかと思った。
マミ「暁美さん、あなたは油断しすぎよ。あの子を居候させとくなんて」
マミ「またいつ暴走するか、分かったもんじゃないっていうのに」
ほむら「…………」
まどか「あ、もうすぐ着きますよ!」
道のはるか先を指さして、まどかが言った。さやかがクスリと笑った。
それをなぜかマミが睨みつけて、しかし何も言わずに顔を背けた。
それに気付いたのかどうか、さやかはマミに向き直り、声をかける。
さやか「だいじょーぶですよ、マミさん」
さやか「いざとなりゃ、こっちにもまどかがいるんだし――」
マミ「――美樹さん!!」
突然の大声に、一番驚いた顔をしたのはマミ本人だった。
次がまどかで、その次はたぶん私だろう。そしてさやかは全く驚かないどころか、少し呆れ顔だった。
さやか「もう、すぐ真に受けるんだからー……」
さやか「分かってますって。というか、あたしが契約させないよ。まどかだけは」
マミは今度こそ黙り、完全に顔を背けて表情を隠した。でも耳が真っ赤になっているのは隠せなかった。
まどかは私たちを順繰りに見まわした後、何かに気付いたような顔をして、口を開いた。
まどか「ほむらちゃん……もしかして、みんなに言ったの? あの事」
ほむら「え?」
まどか「いや、だから……」
言い淀んだまどかが、何か閃いたらしい。思いつめた顔で、急接近してくる。私に向かって。
思わず後ずさりした私の腕をとらえて、横に立つまどかが顔を近づけてきた。耳元でささやく声。
まどか(だからー……ソウルジェムは、魔法少女の魂だっていう、あの事だよ)
私は胸を高鳴らせながらその声を聞いていた。耳に入り、脳をとろかす声。
まどかが離れる。真剣な顔でこちらを見て、改めて聞いてくる。
まどか「みんなに言ったの?」
ほむら「言ったわ」
私は即答していた。
した後で、本当にして良かったのかと思ったけど、手遅れにも程があった。
まどかはショックを受けたような顔をしてたけど、その理由が分からなかった。
頭が混乱していた。私は自分を奮い立たせた。――ぼんやりしてる場合じゃないでしょ!!
しかしまどかはすでにこちらを見ていなかった。
まどか「さやかちゃん、マミさん。わたしもキュゥべえから聞いたよ。あの事」
まどか「ソウルジェムは、魔法少女の魂なんだって……。怖い、よね。みんなは、怖くない?」
マミ「…………」
さやか「…………」
マミもさやかも黙りこんでいたが、しばらくしてさやかが顔を上げ、口を開いた。
さやか「あ、もうすぐ着くよ」
彼女が指差した先、私の家はもう目の前だった。
~魔まどか視点~
わたしは悶々として、ほむらちゃんの帰りを待っていた。
テレビはうるさいから消したけど、今度は時計の音がうるさく聞こえた。
お昼寝はもうしたし、お腹は減ってないし、ほむらちゃんは帰ってこないし……。
魔まどか「もう!!!……なんなの」
わたしは叫んで、頭を抱えた。みっともない自分に吐き気がする。
いつもこれ。この世界に来てから、楽しいことなんて何もない気がした。
いや、楽しいことと言えば、ほむらちゃんだった。でも今は、もうそれも……。
魔まどか「ほむらちゃんのウソつき……」
もう飽きるほど繰り返した回想に、わたしはまた落ちていく。
*
昨日の午後も、わたしは同じようにリビングにいた。
朝の間はいつも掃除をしているんだけど、もうこの家で掃除されてないところは無かった。
「学校に行きたい」と、これほど強く思った事は無かった。お願いだから、とわたしは思った。
何一つ動かない。これじゃ、時間が止まってても、わたし気付かないよ。
やることが無いと、また嫌なことを思い出す。
わたしがいま座っているこの椅子に、昨日はマミさんが座っていた。
まるで敵を見るようなマミさんの視線は、怖いというよりも悲しかった。
わたしは何も覚えてないんだよ、マミさん。
ほむらちゃんは言ったっけ。「どんな献身にも見返りなんて無い」って。分かる気がした。
わたしはほむらちゃんに同情した。でも、ほむらちゃんの感じているものは、この程度ではないかもしれない。
今のわたしには、ほむらちゃんしか居なかった。
考えてみれば、そうだ。前の世界のわたしを知っているのは、ほむらちゃんしか居ないんだ。
マミさんも、さやかちゃんも、あのわたしだって、誰も分かってない。わたしのことを、本当の意味では。
でも、ほむらちゃんは分かってる。
そう思うと、わたしは安心した。ほむらちゃんがいれば大丈夫。
と、部屋の中に気配を感じて、わたしは振り向いた。
魔まどか「――キュゥべえ!!」
未来QB「やあ、昨日は散々だったね」
魔まどか「!!……うん」
わたしは申し訳なく思った。でも、嬉しかった。
そうだった、ほむらちゃんだけじゃない。このキュゥべえも、わたしのことを知ってるんだった。
わたしは立ちあがって廊下に向かい、キュゥべえを抱き上げた。
魔まどか「みんながね、言うんだよ。わたしがみんなを攻撃したって。そんな覚え、無いのにね」
未来QB「人間の記憶なんて、あいまいなものさ。まあでも、君がみんなを攻撃したのは事実だけど」
魔まどか「あなたがそう言うなら、信じるよ」
未来QB「ちょっと話があるんだ。天気も良いし、散歩なんてどうだい?」
*
未来QB「それは?」
魔まどか「買い物のメモだよ。今日は夕飯つくろうと思って」
円形広場の外周をまわりながら、わたしは今日初めて気分が良かった。
家の外にも世界が広がっていることが意外だった。やっぱり外に出ないとね。
肩にキュゥべえを乗せ、散歩のついでに夕飯の買い物も済ませに行くつもりだった。
魔まどか「そうだ、話って?」
わたしは思い出して言った。
何か大事な話なら、荷物が多くなる前のほうがいいだろう。
未来QB「実は大事な話なんだ」
魔まどか「ふーん……、じゃ、いったん公園寄ろっか」
わたしは駅前の公園に入った。子供たちが走ってきて、次々に脇を通り抜けていく。
噴水のさざめきが耳に心地よくて、跳ねる水は夕陽を浴びてキラキラと輝いていた。
わたしは近くのベンチに腰をおろして、息を吐いた。
魔まどか「はい、どうぞ」
キュゥべえは肩から下りて、私の足元に着地。振りかえって、言った。
未来QB「君の存在は、ワルプルギスの夜の撃破とともに消滅するだろう」
魔まどか「…………」
わたしはキュゥべえと見つめ合っていた。
甲高い音が空から鳴り響き、飛行機雲の長い尾を引いていった。
ボールが転がってきて、キュゥべえはわたしの肩に飛び乗った。
わたしは立ちあがってボールを拾い、取りに来た男の子に返してあげた。
そしてベンチに座りかけて、やっぱりやめて、空を見上げた。赤い空だった。
魔まどか「ごめん、キュゥべえ。よく分からないけど……今は聞きたくないや」
*
買い物を済ませて、わたしは家路についていた。
日は沈んで、月が昇る。キュゥべえはもう一緒じゃなかった。
聞いた話を、頭の中で繰り返し考える。
わたしが消える予定なのは、この世界でワルプルギスの夜を倒したあと。
なぜ消えるのかと言えば、この世界にわたしが二人いる状況をなおすため。
でもなんで私なの、とは思わなかった。
というより、わたしはわたしが消えるなんて思わなかった。
悪い冗談だとしか思えなかった。実際、あのキュゥべえはたまに冗談を言うし。
ただ、それにしても悪すぎた。
わたしは信じてなかったけど、一応ほむらちゃんに相談してみようと思った。
――ほむらちゃん。
そこでわたしは顔を上げた。
そうだ、ほむらちゃん、ほむらちゃんは本当に知らないんだろうか。
ほむらちゃんが何回繰り返しているのかは知らない。
でも、わたしがもう一度やりなおしたいと願ったのは、このわたしが初めてじゃないのかもしれない。
ほむらちゃんは結末を知っているのかもしれない。わたしの思いはぐるぐると廻った。
いつも優しくしてくれるのは、もうすぐ消えてしまう、わたしに同情してるから?
*
その夜は、ほむらちゃんとうまく話せなかった。
ほむらちゃんはすごくどうでもいいことを気にしていて、わたしはイライラした。
「どこに行こうとわたしの勝手でしょ」と言わなかったのは、我ながら頑張ったと思う。
でも逆に、この様子なら、ほむらちゃんは何も知らないのかも、と思った。
結局、わたしは自分の問題をひとりで抱え込むことになったんだ。
わたしは考えた。久しぶりに考えた。
どうすればみんなを救えるだろう。いま、何をすべきなんだろう。
もし本当に……。
わたしは考え続けた。そして、答えを見つけた気がした。
しかしそれは、まどろみの中に溶けて行った。
*
目が覚めると、朝だった。昼ではなかった。
隣でほむらちゃんがまだ寝ているのを見て、変な気がした。変なのはわたしの方だけど。
時刻は朝の6時。すっきりとした頭の中に、昨日見つけた答えが輝いていた。
――やっぱり、あの子にちゃんと、伝えよう。
*
もう一人のわたしと話せるよう、ほむらちゃんに頼んだ。
ほむらちゃんが出かけたあと、またあの空白の時間帯が訪れて、わたしは恐怖すら覚えていた。
テレビの電源を入れて、画面を見つめると、すこしだけ気分が落ち着いてくる。
「君の存在は、ワルプルギスの夜の撃破とともに消滅するだろう」
魔まどか「どうして、そんなこと、わたしに言うの」
信じていなかった。信じないよ。だってウソだから。
イヤになった。ウソでもイヤだった。なぜ、わたしに言う必要があったの。
わたしはキュゥべえを恨んだ。彼がまた姿を現すかと思ったけど、今日は来ないみたいだった。
テレビの中でドッと笑いが起こって、わたしは瞬間的に怒りを覚えて、電源を切った。
そうすると、また空白が訪れた。
魔まどか「……もう、イヤ」
*
永遠と思われた空白の果てに、インターホンが鳴り、わたしはゆっくりと顔を上げた。
わたしは今さらのように、本当に話しちゃっていいんだろうか、と思い始めた。
あの子自身はまだ契約してないけど、さやかちゃんやマミさんのことを思って、心配で気が狂うかもしれない。
自分のことなのに、彼女がどう反応するか、自信が無かった。
廊下へのドアを開けると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえて、わたしは足を止めた。
息を吐き、呼吸を整える。ほむらちゃん、ほむらちゃんだ……落ち着いて、落ち着いてよ、わたし。
わたしが頼んだのは、あの子だけなのに。
どうして、こんな騒ぎ声がするの? ほむらちゃん。
*
ほむら「ごめんなさい。この二人が、どうしてもって言うから」
魔まどか「……うん、ありがとう」
わたしはお湯を注ぎながら言った。紅茶を入れると心が落ち着く。
でも笑うのは無理だった。ほむらちゃんは何か言おうとしたけど、口を閉じ、そのまま行ってしまった。
マミさんが来るのは、考えてみれば当たり前だった。
あの人はわたしを信用してないんだから、もう一人のわたしを一人で行かせるはずがない。
でも、マミさんに信用されないなんて状況を、わたしはやっぱり呑み込めてなかったのだ。
お盆を持ってリビングに入ると、すでにみんな揃っていた。
わたしは笑顔を浮かべようとした。でもホントは思いっきり溜め息を吐きたかった。
「どうぞ」と言って、テーブルの上にお盆を置く。
ほむらちゃんが動いて、手際良くみんなに配るのを、わたしは黙って見ていた。
ほむら「まどか、ありがとう」
魔まどか「……うん」
面倒な事してくれたね、ほむらちゃん。
わたしは心の中で言った。なんでさやかちゃんとマミさんまで連れて来ちゃったの。
ほむらちゃんは、わたしから話があるということまで、みんなに言っちゃったのかな。
ほむら「……やっぱり、まずかった?」
顔に出てたのかな。ほむらちゃんは遠慮がちに聞いてきた。わたしは首を横に振った。
席について、紅茶を一口飲んで、気持ちを鎮める。何を話せばいいのかな。代わりに。
本当に話したかった事は、もう一人のわたし以外には伝えたくなかった。
代わりの話をわたしは考えたけど、すぐには思いつかなかった。そこでダメもとの勝負に出ることにした。
魔まどか「わたしたちだけで話しちゃ、ダメかな」
魔まどか「わたしと、その子だけで」
マミさんのとなり、もう一人のわたしを指す。
案の定、マミさんは難しい顔になった。予想を裏切らない反応にわたしは溜め息をついた。
マミさんが少し身を乗り出し、わたしは溜め息なんかつかなければ良かったと後悔した。
マミ「別にね、二人きりになったからって、あなたがこの子を襲うなんて思ってないわ」
ほむら「そうなの?」
大げさに意外そうな声を出すほむらちゃん。お願いだから火に油を注がないで。
マミさんは振り向き、わたしのとなりを睨んだ。抑えつけたような声で、
マミ「……あたりまえよ! だから私が問題だと思ってるのは別のこと」
ほむら「なにが問題なのよ」
マミ「秘密にしようとしてることよ! あなたたちが何かを隠してるのは分かってるわ」
マミ「それを私たちには教えないで、関係ない鹿目さんにだけ教えるなんて、変よ。何か企んでる」
ほむらちゃんがバカにしたように笑った。
わたしはムカッと来た。元はと言えば、あなたがマミさんを連れてきたのが悪いんじゃない!
当然、笑われた当人はわたしよりも怒っていた。眉を吊り上げて、
マミ「私は! あなたたちがこの街に来てから魔女が強くなってることだって、忘れてはいないのよ!」
ほむら「……偶然でしょ」
魔まどか「ちょっと待って、マミさん今、なんて言いました?」
びっくりして、わたしは割り込んだ。
分かってるくせに、という顔をされたけど無視した。
「もう一度おねがいします」と言うと、マミさんは答えてくれた。
マミ「あなたたちがこの街に来て以来、魔女の力が強くなってるのよ。知らないの?」
魔まどか「わたし、そんなの、初耳です……ほむらちゃん」
彼女が「しまった」という顔をするのを、わたしは見逃さなかった。
すぐに表情を取り繕ったけど、もう遅い。
魔まどか「あとで詳しく聞かせて」
ほむら「…………ええ。でも、偶然だから」
*
結局、本当に話したいことを話せないまま、夕方のパトロールに向かうことになった。
日は沈みかけていた。さやかちゃんが学校の話題でもう一人のわたしを笑わせている。
その様子をじっと眺めていたら、なんだか胸が苦しくなって、わたしは顔を背けた。
あの子は今夜、家に帰ったら、タツヤと遊んで、パパの作ったお夕飯を食べて、宿題やって、ベッドで眠るんだ。
明日の朝起きたら、ママと話して、パパの作った朝ごはん食べて、学校行って……。
なんで魔法少女なんか、なっちゃったんだろ、わたし。
家に帰りたい。学校に行きたい。
――ちがう!!
心の中の別の場所が叫んだ。わたしはみんなを救うって決めたはずだ。絶対に、今度こそって。
大体、契約してなかったら、あっちの世界にはもう家も学校も無かったじゃない。
でも、それじゃ、この世界にわたしの家はあるの? 学校は? ないの?
ワルプルギスの夜を倒したら、どうするの? わたしに帰る場所はあるの?
鹿目まどかの家はあるし、学校もある。でも、わたしのは無い。わたしは鹿目まどかなのに!
あっ
気付いた。大丈夫だ。そんな心配、ぜんぜん要らないんだ。だって。
だって、ワルプルギスの夜を倒したら、わたしはこの世からいなくなるもの!
目の前がまぶし過ぎて、わたしは目を閉じた。頭に血が回らない。息が苦しい。
足がもつれて、視界が下がる。腰に激痛。感覚が無くなった。
夕焼けの中でわたしは溺れていた。光が消えていく。ちからがぬけていく。
――まどか!?
――どうしたの!? 具合が悪いの!? まどか!! まどか!!
上の方から声が降りてくる。ほむらちゃんの声だった。
わたしは手を伸ばそうとしたけど、腕が上がらなかった。
うっ、という音。足元にビチャビチャと何かが降り注ぎ、びしょ濡れになった。
酸っぱい味がした。身体が勝手に震えた。目を閉じていても分かる。
ああ、わたし吐いちゃったのか。
でも少し楽になった。さっきまでの息苦しさが消えていた。
ほむら「ああ、まどか……大丈夫よ、吐いた方がいいのよ。まだ出るかしら?」
魔まどか「うっ……ううん……」
ほむら「そう……じゃ、今日はもう帰りましょう」
わたしは目を開けた。ほむらちゃんの顔は気遣わしげだった。
肩越しに見えるみんなは、うろたえたような、怯えているような、そんな顔に見えた。
恥ずかしくなってきて、わたしは早く立ち上がろうとしたけど、腰が抜けてしまっていた。
しかも、気付いた。思わず「うぇぇ……」と声が出る。足元がひどい有様だった。
ほむら「それじゃ悪いけど、私たち、帰るわね」
マミ「……そうすべきでしょうね。でも、ただの病気かしら?」
ほむら「まだあれから3日でしょ。魔力を使ってもいないから、ソウルジェムはきれいよ、ほら」
わたしの左手を取って見せるほむらちゃん。
わたしも見た、ソウルジェムは全く濁っていなかった。
*
目を覚ますと、ベッドの中にいた。
部屋は薄暗くて、時間はよく分からない。とりあえず、お腹がすいていた。
目を凝らすと、部屋の時計は10時を指していた。午後のほうだと思う。
隣のベッドは空いていた。
わたしは少し考えて、バッタリとベッドに倒れた。
このまま二度寝しても良いかもしれない、でもお腹すいたなあ、と呑気に考えている途中で、
わたしは身体がすっかり治っていることに気がついた。というか、なんで急に倒れたんだろう。
ザアア……と水の流れる音が遠くから聞こえる。ほむらちゃんがシャワーを浴びてるんだろう。
わたしもシャワーを浴びたらしい。なんかきれいだし、知らない間にパジャマだし。
魔まどか「わたし、ホントに消えちゃうのかな……」
天井に向かって、つぶやいてみる。こう言ってみると、何だか全く現実味が無かった。
人が消えるなんてあり得ない。死ぬんならともかく。消えるなんて。SFやファンタジーじゃあるまいし。
キュゥべえはその両方を兼ね備えている気もするけど……まあ、でも。とりあえず。
魔まどか「お腹すいた!」
部屋を出て、台所に向かう。今日ばかりはカップ麺でも何でもいいから、食べたかった。
お湯を沸かして注ぎ、3分を待つ間、わたしはテーブルについてボンヤリとしていた。
そこから見える景色がわたしに大事なことを思い出させてくれた。
魔まどか「そうだ、結局、言えなかったんだっけ」
わたしは今日、もう一人のわたしにだけ伝えておきたいことがあったんだ。
今日は伝えそびれたけど、早く伝えなきゃいけない。あの子を契約させないために。
魔法少女は魔女になるのよ、と。
でも、とわたしは首をひねった。マミさんが許してくれない。
マミさんは秘密を無しにしてほしいみたいだけど、マミさんたちは聞いたらショックを受けちゃうだろうし。
そして、そのショックが、魔法少女を殺すこともあるんだ。分かってよ、マミさん。
そのとき、プルルル……と電話が鳴り、わたしは慌てて立ちあがった。
魔まどか「……はい、もしもし。え? ああ、結構です、そういうのは」
新聞か何かの勧誘と気付いて、わたしはすぐに電話を切ってしまった。
ママいわく、まともに取り合わないのがコツ。わたしは一人で思い出し笑いをした。
でも人の家でやっちゃマズかったかな、とわたしは電話を振り返った。そして気付いたのはその時だった。
魔まどか「なんだ、電話すればいいんじゃない」
自分の携帯の番号って、意外と忘れそうになる。
わたしは何とか思い出して、番号をプッシュ。コール音に胸が高鳴る。自分に電話するなんて!
3回目のコールで出た。
まどか『――はい、もしもし?』
魔まどか「あ、もしもし……えっと、わたしだけど」
まどか『えっ!?……あ、どうも……』
魔まどか「ほむらちゃんの家の電話からかけてるんだよ」
まどか『そ、そうなんだ……あ、身体の具合はどう?』
魔まどか「うん、もう大丈夫だよ」
まどか『良かった……わたし、あなたが急に倒れるから、死んじゃうかと思って』
魔まどか「大げさだよ……あ、そろそろ、本題に入っても良い?」
まどか『あ、ごめん、どうぞ』
魔まどか「実は今日伝えそびれたことを、いま伝えちゃおうと思ってね」
魔まどか「もちろんマミさんには内緒でお願い。というか、早く気付けばよかった」
魔まどか「ホントは電話で済ませるような内容じゃないんだけど……仕方ないからね」
まどか『……はい』
魔まどか「魔法少女のソウルジェムが、わたしたちの魂だって話は聞いたよね」
魔まどか「これはそれよりももっと悪い話。でも聞いて。聞いたら、契約しようなんて思わなくなるよ」
魔まどか「キュゥべえは契約を持ちかけるとき、ウソを吐いてるんだよ。あ、ウソではないんだけどね」
魔まどか「ちゃんと説明してないの。魔女のことを、都合良くごまかしてるんだよね。でもホントはね――」
そこで、わたしは違和感を覚えた。
さっきから反応がまったくない。返事が無いだけじゃなくて、呼吸の音も、ノイズも、何も聞こえない。
電話が切れたわけでもない。切れたらツーツーって鳴るはずだし。
魔まどか「――どうしたの? 聞こえてる? 返事して!」
ほむら「まどか、受話器を置いてちょうだい」
わたしは振り返った。力が抜けた。時間を止めてたのね。これじゃ電話はつながらない。
やっぱり、ほむらちゃんには邪魔されちゃうか。まあ、そうなるんじゃないかとは思ってたよ。
向こうに何かあったわけじゃなくて良かった。
わたしは受話器を持ったまま、落ち着いて言った。
魔まどか「ほむらちゃん、わたし今、大事な話をしてたんだよ」
ほむら「大事な話を電話でするもんじゃないわ」
魔まどか「しょうがないでしょ。それか、マミさんたちにも一緒に聞いてもらおうか」
ほむら「無茶苦茶なことを言わないで。お願いよ」
魔まどか「ん、わかった」
わたしが受話器を置くと、ほむらちゃんはホッと息を吐いた。
時計の音がカチカチと鳴り始め、時間が動き始めたんだと分かる。
ほむら「今日は疲れたでしょ。まだ寝ていた方がいいわ」
魔まどか「そうだね。でも、ほむらちゃん、もう一人のわたしには契約してほしくないでしょ?」
ほむら「……寝た方がいいわ」
魔まどか「でも契約してほしくないでしょ?」
ほむら「おやすみなさい」
ほむらちゃんはわたしの横をすり抜けて、寝室に向かって行く。
わたしは溜め息をついた。ほむらちゃんのこういう所は嫌いだった。
魔まどか「わたし絶対あの子に伝えるよ。そしたら、あの子は契約を諦めてくれるから」
ほむらちゃんは寝室のドアの前で立ち止まり、振りむいた。
その目に怒りは無く、疲れたような声で。
ほむら「……あなたは、自分のこと全然分かってないのね」
*
目をパッチリ開けて待つ。ほむらちゃんが眠りに落ちるのを。
わたしは覚悟を決めていた。家に呼んでもダメ、電話もダメ、それならもう、最後の手段だ。
ほむらちゃんの寝息が規則正しく聞こえてくる。
ゆっくり布団を剥いで、わたしは起きあがった。床に足をつく。大丈夫、目覚める様子はない。
息を殺して、ほむらちゃんのベッドの前を通り、寝室のドアを目指す。あと3歩、2歩、1歩。
ガチャリ、という音が大きく響いた。背筋が凍る。でも、ほむらちゃんが目覚める様子はなかった。
なるべく小さく開けたドアの間から、わたしは廊下へとすり抜けた。そして静かにドアを閉める。
――やった!!
声を出す代わりにグッと拳を握りしめる。こんなに嬉しいのは何日振りだろう!
背中に羽根でも生えたような気分だった。身体が軽い。わたしはパジャマのまま外に出た。
生温かい夜の風が頬をなでていく。
心臓の鼓動は痛いほどに早くなっていた。さあ、行こう!
わたしは裸足のまま道路に飛び出して、強く踏み込む。膝を曲げて、次の瞬間、視界が10倍も広がった。
見滝原の夜を見下ろす。遠くまで見渡す。わたしは空の上にいた。足はもう裸足じゃなく、服はパジャマじゃなかった。
近くの家の屋根に降り立って、また走りだす。風を切る爽快感。魔法少女っていうのも、悪くは無いよね!
月に照らされて、春の風になでられて、夜の街を飛び跳ねて。
数分でたどり着いていた。懐かしいわたしの家。空の上からわたしは庭に降り立った。
魔まどか「ふう――ところで、いま何時だろう」
家の敷地に入った途端、外の騒音は静まって、わたしの気持ちも落ち着いていった。
たぶん0時を回った頃だろう。運が良ければ、もう一人のわたしもまだ起きてるかも。
パパの家庭菜園を回りこんで歩く。そして、見えた。電気が、ついていた。
ベランダに飛び上がって、窓をコンコンと叩くと、彼女が振りむいて、わたしに気が付いた。
椅子から立ち上がって、慌てた様子でこちらに来る。窓を開けて、顔を出して。
まどか「どうしたの? 何かあったの!?」
*
わたしはついに、全てを伝えることが出来た。
ソウルジェムが濁りきると、魔法少女は魔女になる。前の世界でそれを見たわたしは、契約してやり直すことにした。
でもほむらちゃんは、もっとずっと前から同じことを繰り返している。
わたしが話し終えた後、しばらくして彼女は言った。
困り果てた様子で、
まどか「わたし、そんなにいっぺんに言われても分かんないよ」
まどか「わたしたち騙されてたってこと? でも……それじゃキュゥべえは何がしたいの?」
魔まどか「魔法少女が魔女になるときのエネルギーを、キュゥべえは集めてるんだよ」
魔まどか「とにかく、あなたは契約しちゃいけないってこと。わたしたちがあなたを止めてたのも、それが理由なの」
まどか「…………」
魔まどか「グリーフシードを集めてれば大丈夫。ソウルジェムをきれいにしてれば良いの」
魔まどか「でも、このことはさやかちゃんやマミさんには言わないでね」
魔まどか「二人が聞いたら多分ショック受けちゃう……そしたら、一気にソウルジェムが濁るかもしれないから」
まどか「…………」
魔まどか「何か分からないことあったら、質問してね」
まどか「…………」
彼女は困り果てた顔で、こちらを見てきた。
わたしは時計を見た。ほむらちゃんの家を出てから、もうすぐ1時間になる。そろそろ本題に入らなくちゃ。
座りなおして、わたしは口を開いた。
魔まどか「ごめんね、時間が無いの。ほむらちゃんに黙って抜けだしてきたから……。話は理解できた?」
まどか「分かんないよ……どうしてこんな夜じゃなきゃダメだったの?」
目を伏せたまま、彼女は言った。
わたしはがっくりした。ウソでしょ……こんなに話したのに、何も伝わってないの?
彼女は膝を抱えて座り、拗ねたような顔をしていた。我慢して、わたしは説明を繰り返した。
魔まどか「さやかちゃんやマミさんに伝えるわけにはいかないんだって。あなただけに伝えなきゃいけなかったの」
魔まどか「ほむらちゃんも電話を邪魔してきたし……今しか無かったんだよ」
彼女は目を伏せたままだった。
しばらく待ったけど、彼女はウンともスンとも言わない。
わたしは大きく息を吸って、言った。
魔まどか「――あなたに協力してほしいの」
*
わたしはただ学校に行きたかった。もう一人のわたしがどんなに困り果てた顔をしてても、気にならなかった。
ほむらちゃんの家に閉じ込められているのに耐えられなかった。でも学校には行けない。
わたしは諦めてたけど、考えてみれば簡単なことだった。もう一人のわたしが協力してくれさえすれば。
彼女はウンともスンとも言わないので、都合が良かった。
わたしは彼女をほむらちゃんの家まで連れて行き、ベッドに寝かせて、自宅に舞い戻った。
そして自分だけになった自分の部屋に入って、自分のベッドに倒れ込んだ。
その日は最高に良く眠れた。
こうして、わたしたちは入れ替わったんだ。
*
朝の光が降り注ぐ中を、駆け足で抜けて行く。
洗面台の前に立つ後ろ姿が見えた瞬間、わたしの口は勝手に叫んでいた。
魔まどか「おはよう、ママ!!」
詢子「……どーした、まどか。今日は元気良いじゃん」
魔まどか「ふ、普通だよ」
洗面所で隣に立つのも久しぶりだ。いつも通りとても眠そうな顔をしてる。
それがどうしようもなく懐かしくて、うれしかった。わたしはバシャバシャと顔を洗って、リボンを手に取る。
横からの視線を感じた。まさか入れ替わりに気付くわけないよね?
わたしは鏡を見つめながら口笛を吹いた。吹けないけど。間の抜けた音が洗面所に鳴り響いて、ママはお化粧に戻った。
詢子「……おっかしいなぁ」
*
制服も通学路も、何もかもが懐かしい。
わたしは道の先にさやかちゃんを見つけて、慌てて左手の指輪を外し、ポケットに隠した。
指輪の形をしたソウルジェムを見られたら、入れ替わりがバレちゃうもの。
さやか「おはよう、まどか。今日はずいぶん元気そうね」
魔まどか「ママにもそう言われたよ。最近のわたし、そんなに元気なさそうに見えた?」
仁美「見るからに、ですわ。でも今日は、お元気そうですのね。何か良いことでもあったんですの?」
魔まどか「こんな天気のいい日に元気ないわけないよ。ねえ、さやかちゃん?」
さやか(なに言ってんのよ、あんた)
さやかちゃんは返事をテレパシーに乗せた。、
さやか(昨日あたしに深刻な顔して相談持ちかけてきたのは、どこの誰?)
*
一番ドキドキしたのは、教室でほむらちゃんに会ったときだった。
でも話しかけられて、全く気付かれてないことが分かった。
ほむら「昨日はごめんなさい。変な電話が掛かってきたでしょ」
ほむら「もう一人のあなたが寝惚けて掛けただけだから、気にしないでね」
魔まどか「ああ、そういえば電話があったっけ。全然気にしてないよ、大丈夫」
――寝惚けてなんかいない!! と言いたいのをグッとこらえて、わたしは笑顔を浮かべた。
さっさと席に戻るほむらちゃんの背中を見ながら、でも、とわたしは思った。
考え方を変えれば、この入れ替わりを利用してみんなの本音を聞けるってことなのかも。
*
わたしは休み時間に、さやかちゃんに聞いてみた。
魔まどか「もう一人のわたしのこと、どう思ってる? 疑ってる?」
さやかちゃんは怪訝な顔をした。わたしは思わず、ポケットの中で指輪を握りしめた。
さやか「その話は昨日散々したじゃない。杏子の意見にあたしはだいたい賛成だよ」
魔まどか「杏子ちゃんと会ってるの?」
わたしはびっくりして聞いてしまった。さやかちゃんの顔が怪訝から不審に変わる。
立ち上がって、こちらを覗き込んでくる。わたしはのけぞった。
さやか「あんた一緒にいたでしょ。今朝からおかしいよ?」
魔まどか「ごめんごめん。それで、杏子ちゃんは何て言ってたんだっけ」
さやかちゃんはじっとわたしを見つめて、溜め息を吐いた。
すこし悩む素振りを見せたあと、背を向けて言った。
さやか「…………自分で思い出しなさいよーだ」
*
わたしの知らないことが、たくさんあるみたいだった。
さやかちゃんにはこれ以上聞けなかったけど、昼休みにはいろいろな事が分かった。
屋上でお弁当を食べた時、わたしはひたすら聞き手に回ったのだ。
さやかちゃんともう一人のわたし、それにほむらちゃんは、杏子ちゃんと昨日会ったみたい。
魔女が強くなってる件で、わたしが疑われてるみたいだけど、ほむらちゃんは頑なに否定していた。
それと、ほむらちゃんとマミさんの険悪ムードが少し和らいでいた。
わたしが昨日、派手に倒れたあとで、ほむらちゃんはマミさんを責めて、マミさんは謝ったらしい。
つまり、どうも、わたしが倒れたのはマミさんがわたしのことを責めすぎたせいということになったらしい。
「彼女も被害者なのかもしれないわ」とマミさんは言った。「自覚が無いのかも」
この考え方はさやかちゃんのものと同じだった。わたしが疑われていることには変わりない。
でも、どっちにしろ、どうやって魔女を強くしたりできるんだろう。わたしには分からなかった。
ちょうどほむらちゃんが、同じことを指摘したところだった。
マミ「そうね、でも。わたしはやっぱり、暴走とはいえ、彼女に殺されかけたことが忘れられないわ」
ほむら「だったら忘れられないついでに、彼女があなたの命を救ったことも覚えておいたら?」
*
分からないことはあったけど、わたしは久しぶりの学校が楽しくて仕方が無かった。
授業ですら楽しかった。当てられて、答えられなかったけど、それも楽しかった。
教室の自分の椅子に座っていて、そこから見える景色が、わたしを学生に戻していた。
しばらく入院していて、久しぶりに戻ってきただけだ。ここが元々わたしの居場所なんだ。
自分が入れ替わっただけの存在だということも、一瞬忘れているときがあった。
*
放課後になり、わたしたちは通学路を並んで歩いていた。
何だかほむらちゃんの家に向かってる気がする。パトロールはしないのかな?
わたしはうかつな事を言わないように無口を通していたので、聞くことが出来なかった。
……いや、違う。
パトロールしないんじゃない。もう一人のわたしを迎えに行こうとしてるんだ。
わたしはようやく冷や汗を流した。もしかしたらバレてしまうかもしれない。
みんなに気付かれずにもう一度入れ替わることは出来るかな……。
木漏れ日の中を歩きながら、地面に浮かぶ光の模様を見つめて考える。
その模様の中に、白い小動物のような姿が入って来たのは突然だった。
未来QB「――まどか、大変だ!!」
魔まどか「……えっ、なに、どうしたの?」
さやか「ん?」 ほむら「キュゥべえ!」 マミ「どうしたの?」
みんなが反応したけど、キュゥべえはわたしだけを見ていた。
この子はわたしの味方だ。わたしは彼の前にしゃがみこんだ。
魔まどか「何かあったの?」
未来QB「魔女が……ほむらの家に魔女が現れたんだ!! まどかが危ない!!」
キュゥべえの鋭い声に対して、反応が分かれた。
マミさんはキョトンとしていた。わたしとさやかちゃんは息を飲んだ。
ほむらちゃんは笑っていた。
ほむら「まどかが危ないって、何言ってるのよ。運が悪いのはその魔女の方でしょ」
わたしは聞いてなかった。呆然と立ち尽くしていた。
カバンが手を離れて、ドサリと地面に落ちる。
なんてバカなことをしたんだろう――――大切な、一番大切な子を置き去りにするなんて―――!!
バカ、わたしのバカ、バカ、大バカ――――!!
地を蹴って飛び出す。スカートのポケットからもどかしく指輪を取り、光が身体を包んだ。
「――鹿目さん!?」という声。無視して、時間を止める。恐怖と罪悪感で震える足を動かして、わたしは祈った。
――お願い、間に合って!!
*
弱い魔女だった。いや、わたしが強くなったのか。どっちでもいい。
みんながやってくる前に、わたしは魔女に止めを刺し、倒れている彼女のもとに向かった。
魔まどか「ごめん! ごめん! 本当にごめんなさい!! あなたを置き去りにした、わたしのせいだよ!!」
彼女は玄関ホールの真ん中で倒れていた。
「う……」とうめき声を上げる彼女の前に、わたしは身を投げ出した。
魔まどか「大丈夫? 痛いところがあったら言って」
驚いたことに、彼女はパッチリと目を開けた。
でもその目はどこか遠くを見ていた。何かブツブツと言っている。
まどか「あ……わたし……そうだ、あの事を考えてたら、頭の中で、声が聞こえてきて……」
魔まどか「あの事? 声って? 何を言ってるの?」
まどか「わたしどうしよう!! ねえ、どうしよう!!」
魔まどか「わっ、ちょっ、落ち着いて! 落ち着いてよ……」
彼女は突然起きあがって、わたしに抱きついてきた。
わんわん泣きながら、大声で叫ぶ。わたしは困り果てた。
でもどうやら大丈夫そうで、安心した。けど、やれやれ、短い学校生活だったなぁ……。
溜め息を吐くわたしに抱きつく、もう一人のわたしは、肩を震わせて、大きな声で言った。
まどか「あの話はウソだよね!! 魔法少女は魔女になるなんて、ウソだよね!!」
まどか「だって、それじゃ、もう契約しちゃったみんなは、どうなるの!? いつか魔女になるの……」
まどか「ウソだよね!! ウソって言ってよ……!!」
ウソだと言って欲しいのは、わたしの方だった。彼女の肩越しに見てしまった。
玄関ホールの入口に、ほむらちゃん、マミさん、さやかちゃんが、立ちつくしていた。
*
光が窓から差し、部屋を真っ二つに裂いていた。
ガチャリと扉を開き、マミは駆け足で奥へと向かう。
リビングに入ると、テーブルの上に、やはり彼はいた。
QB「おかえり、マミ。遅かったじゃないか」
マミ「キュゥべえ……」
光の中に座るキュゥべえと、向かい合って立つ。
息を整えて、彼女は口火を切った。
マミ「どうして、話してくれなかったの」
マミ「今まで私たち、ずっと、ずっと一緒に居たのに、どうして何も話してくれなかったの」
ぽつりぽつりと、マミは言葉をこぼした。
キュゥべえは尻尾を左右に振り、溜め息を吐いた。
QB「……君も僕に騙されたと、そう思ってるのかい?」
マミ「私は……分からないわ。何も分からないのよ。わけが分からないわ」
マミ「教えてよ……魔法少女が、魔女になるって……どういうことなのよ」
座りこんで、マミはテーブルに突っ伏した。
見下ろしながら、キュゥべえは黙り込んでいたが、やがてマミが顔を上げた。
マミ「……ねえ!」
キュゥべえは渋々といった様子で口を開いた。
QB「そのままの意味さ。魔法少女は、いずれ魔女になる存在なんだ」
マミ「じゃあ、魔女って……」
QB「そう、かつて魔法少女だった者たちだよ」
マミはテーブルの一点を見つめていた。キュゥべえは自分から口を開こうとはしなかった。
考え込んでいたマミが、ようやく口を開いた。
マミ「以前、聞いたわね。魔法少女のソウルジェムが濁りきったら、何が起こるのかって」
マミ「これがその答えというわけ……なのね。魔法少女は魔女になって、また別の魔法少女に倒されて……」
マミ「そうなのね?」
キュゥべえが頷くのを見て、マミは立ち上がった。
再び彼と向かい合って、今度は見下ろす。
マミ「改めて聞くわ。――どうして話してくれなかったの?」
マミ「そんな大事な、わけ分からないこと、言ってくれなくちゃ、ダメじゃない。ねえ、キュゥべえ」
マミは早口になった。落ち着かない様子でテーブルの周りを回る。
逆にキュゥべえはゆっくりと答えた。
QB「勘違いしないでほしいんだが、僕らは人類に対して悪意なんて持っていないよ」
マミ「なら、どうして騙したの」
QB「騙してなんかいないさ」
マミ「なら、今あなたが話したことを、どうして契約の前に話してくれないの?」
畳みかけるように問うマミに対し、キュゥべえは「やれやれ」と首を振り、少し間を置いて、答えた。
QB「……だって、話す意味がないじゃないか。人間には寿命があって、その意識は消滅する運命にある」
QB「人間として死ぬか、魔法少女として魔女になるか。 いずれにしてもその自我は永遠のものじゃないんだ」
マミは思わず足を止めた。
QB「こう言うと、君たちが何て言うのか知ってるよ……、『それは全然違うことだ』ってね」
QB「だけど、その違いは僕らにはぜったい理解できない。だって同じことなんだからね」
マミ「――違うわよ」
QB「いや、同じだね」
マミ「違うってば!」
泣きそうな声でマミは言った。キュゥべえが遠くに行ってしまったような気がして、思わず手を伸ばす。
いつものように抱いて、安心したかった。しかしキュゥべえはその手を逃れ、テーブルの下に降りた。
振りむいて一言。
QB「こんな言い合い、無意味だ」
マミを見上げ、諭すように言う。
QB「分かるだろう? 僕たちはそもそもの価値観が違いすぎる。いくら議論しても……無理なんだよ」
QB「――けど、どうしても魔女になりたくないのなら、方法が無いわけじゃないよ」
その言葉に、マミは希望を見出した。「どうすればいいの?」
しかし返って来たのは残酷な答えだった。
QB「ソウルジェムを砕くんだ。それしか無い」
マミは脱力して、へなへなと座り込んだ。
目も耳も塞いで、闇の中に溶けてしまえればいいと思った。
疲れた声で、マミは言った。
マミ「バカ、言わないでよ……。もう、あなたが分からないわ」
窓の外は日が暮れて、銀色の夜景が広がっていた。電気を付けていない室内は真っ暗になりかけていた。
キュゥべえはまたテーブルに乗って、へたり込むマミに声をかけた。
QB「ベテランの君らしくないよ。数多の魔女を撃ち殺してきた君が、今更なにを恐れるんだい?」
QB「運命を受け入れるんだ。魔法少女として、この街の為に、最後まで戦おう」
QB「そして魔女になったとしても、魔法少女はつねに新しく生まれるからね、事後処理の心配はしなくていい」
マミ「…………」
事後処理? そんなこと心配してるわけじゃない。じゃ、何が心配なのかしら……。
魔法少女が魔女になる……なら……死ぬか、魔女になるか……どっちでも同じ?……そんなわけない。
マミは硬い声で言った。
マミ「死にたくないわ。魔女にもなりたくない」
QB「じゃあ、グリーフシードを集めるしかないね。みんなで魔女を倒すんだ」
マミ「……私、もう魔女を倒せないわ!」
マミ「魔女は魔法少女なんでしょ……私は、今まで、何人殺してきたっていうの……?」
マミ「キュゥべえ! どうして言ってくれなかったのよ!! どうして……」
声は途中からすすり泣きに変わっていった。
QB「魔女は魔法少女じゃないよ。その残骸に過ぎない」
キュゥべえは言ったが、何の反応もなかった。
マミは何度も涙をぬぐい、鼻をかんで、テーブルに突っ伏してしまった。すすり泣きが、今度は穏やかな寝息へと変わっていった。
キュゥべえはゆっくりと離れて行き、去り際に振り返って言った。
QB「君は逃れられないよ、マミ」
*
~ほむら視点~
その日はみんなが解散し、私はまどかと夕食を共にした。重苦しい時間だった。
まどかはまずそうにカップ麺を口に運んでいた。そりゃそうよね……。
今頃は家でおいしいご飯のはずだったんだもの、帰りたいに決まってる。
私なんかと一緒にいるより……、まどかはその方がいいんだ。
どうしてあんな無茶をやったんだろう。もう一人の自分と入れ替わって、学校に行くなんて。
しかもあれほど止めたのに、ソウルジェムの真実を話してしまうなんて。あれほど止めたのに。
「どうして何も相談してくれなかったの」と聞いたとき、まどかは私をキッと睨んだ。
「出来るわけないじゃない」と言われて、さらに理由を聞くと、もう何も答えてくれなくなった。
頭が痛かった。いったいこれは誰のせいなの。
ここまでは何だかんだと上手くやって来た。マミを救った。さやかは契約したけど、まどかは契約していない。
杏子とも最低限の関係を保てている。だからあとは、ワルプルギスの夜まで何事もなく、ただ待てば良いだけだった、はずなのに。
魔まどか「――ほむらちゃん」
続き
まどか「もう大丈夫だよっ」まどか「あなたは……!」【後編】

