女「見んなっつってんだろ」
男「……えーと」
女「きょろきょろすんなうっぜえ」
男「あ、ご、ごめんなさい……」
女「……チッ」
男「あ、あの~」
女「っんだよ」
男「ひぃ!す、すいません!」
女「びくびくしてんじゃねえ!言いたい事があるならさっさと言いやがれ」
男「あ、あの……ここは、どこですか?」
女「ここは坂だよ。見てわかんねえのか?」
男「坂ってより禿山の中腹みたいな感じですけど……」
女「どっちでもいいだろ、んなこと」
男「は、はい。すんません……」
女「……チッ」
男「えーと……」
女「今度はなんだよ」
男「あ、あの~僕は何でこんなところにいるのですかね?」
女「私が知るかよ、んなこと……」
男「そ、そうですよね……はは」
女「へらへらしてんなうっぜえ」
男「」ビク
女「……チッ」
男「あ、あの~……」
女「女だ」
男「はい?」
女「私の名前はあの~でもその~でもシーブックでもねえ。女って呼べ」
男「は、はい。女……さん」
女「……チッ」
女「お前は?」
男「は、はい?」
女「お 前 の 名 前 は !?」
男「は、はいっ僕は、えーと……」
男「……えーと?」
女「あ?」
男「あ、あの……どうも思い出せないんですけれど……」
女「はああ?何それ記憶喪失ってやつ?めんどくさ」
女「じゃあお前のことは……男って呼ぶわ。いいだろ?」
男「は、はい……あの~」
女「あ、何?何か文句でもあんの?」
男「あ~いや!そういう事でなく……なんか女さん、手慣れてるって言うか、
あんまり驚かないんですね、記憶喪失の事」
女「は。別に。ここじゃよくあることだし」
男「良くあること……ですか」
女「そうそ。全く、めんどくさ」
男「それで……ここは一体どこなんでしょう?自分ではここに来た記憶なんて全くないんですけど……」
女「記憶がないって、そもそもあんたが記憶喪失じゃんか」
男「あーいや、それはそうなんですけどね……」
女「まあ、ここに来た記憶がないってのは仕方ないかな。ここはそういうものらしいし」
女「突然ぽんとね、湧いて出るみたいにここに来る人、多いよ。
来たところを見た人なんてどこにもいない。もちろん私も。どう来たかなんて覚えてないし、人が現れたところも見たことない」
女「大抵あんたみたいに気づいたら居るパターンが多いかな。あと少数派で、向こうの頂上から降りてくる人もいるっちゃいるけれど」
男「……頂上の向こうはどうなっているんですか?」
女「ここと変わらないよ。禿山で、霧で向こうまで見通せなくて、辛うじて下のほうに川があるのが見えるだけ」
男「女さんはずっとここにいるのですか?」
女「そうだねー、時間の感覚はないけど。ずっとここにいるかな」
男「川まで降りてみようとは、思わないんですか?」
女「……一回降りた事があるけれど、もう二度と降りようとは思わないな」
女「ましてや、川を渡るなんて、まっぴらだ」
男「そうなんですか……」
女「……あんたさー」
男「はい?」
女「記憶、取り戻したいと思う?」
男「え……そりゃあ、まぁ……」
女「すっげーきつい記憶かもしれないよ?それでも?」
男「……それでも、取り戻したいと、思います」
男「このままここに居ちゃいけないと思うんです。
早く帰らなくちゃ……妹が、待ってる」
男「……妹?」
女「ふぅん。妹がいるのか?」
男「えっと……はい、多分……」
女「聞かせてみろよ、妹の話。思い出せるんだろ?」
男「妹……妹と、僕は……」
妹『おにい、起きて!あさだよー!』
男『ん……ふうああ、おはよう、妹……』
妹『おはよ、おにい。朝ご飯出来てるから、食べたら食器はちゃんと水に浸けといてね』
男『何だ、今日はずいぶん早く学校に行くのな?』
妹『大会近いって言ったでしょ?レギュラー取れたら見に来てね!』
男『ん、行くよ。お父さんとお母さんも連れてく』
妹『うん、じゃあ、がんばってくるね』
男『車とかに気をつけるんだぞ。帰りが遅くなるようならちゃんと連絡しろよな』
妹『ん、分かってる。いってきまーす』
男『いってらっしゃい』
バタ……ン
男『……お父さん、お母さん』
男『妹は、健やかに育っていますよ……』カタ
男「二人暮らし、だったみたい、ですね」
女「はぁ?それなんてエロゲ?」
男「いやだって、ホントにそうなんですもん!
妹が朝の支度してくれて、それを食べたら大学に通ってバイトして」
女「もしかして妹なんて存在しないのでは」
男「いやいやいやいや!それはないです、僕記憶喪失だけどこれだけは絶対です!」
女「……チッ」
男「なんで女さんが僻んでんですか……」
女「ああ!?僻んでなんかねーっつの!調子くれてんなよ!?」
男「ひぃぃ!?」
女「……んじゃあ向こうにゃ妹さんが一人でいるってことかよ……めんどくせえ」
男「向こう……って?」
女「お前にゃまだはえー」
男「……何ですそれ」
女「とにもかくにも、まずは記憶を取り戻してからだろうが」
男「それは、そうかも知れませんけれど……」
女「妹さんのほかには?何か思い出さねえか?」
男「えーっと……」
妹『もう、本当におにいは優しいね。
おにいみたいな彼氏が居る彼女さんがうらやましいなぁ』
男「……僕には彼女が居るみたいですね」
女「そおい!」ゲシッ
男「あいたあっ!?何で蹴るんですか!?」
女「料理の支度をしてくれる妹が居て、その上彼女まで居るリア充に天誅!」
男「リア充って……」
女「お前絶対自分の都合のいいように記憶改ざんしてるね。
だってそんな都合のいい人生あるわけねえもん」
男「そ、そこまで言われると自信無くなってきました……」
女「もうお前帰れよ。お前の居場所はここにはねえよ」ゲシゲシ
男「帰れたら帰ってますって!いたっ!痛いから蹴るのやめて!」
女「なんかもうだるくなってきたわ。お前と話すのやめてい?」
男「ひど!明らかに態度変えるのやめましょうよ~」
女「話しかけんなリア充がうつる」
男「い、いいじゃないですか!一緒に充実しましょうよ!」
女「お前ぜってえ妹さんと彼女さんとの痴情のもつれで死ぬよな」
男「そ、そんなことありませんって!ないですって!」
女「誠ってよんでいい?」
男「いやです!何だかわからないけど最高に嫌です!」
男「でも真剣にここから出る方法も探さなくっちゃですよね……」
女「探して見つかるかどうかは置いといて、
これ以上リア充自慢を聞かされなくて済むならそっちに話題を移すこともやぶさかではないな」
男「ひ、ひどい……それで、僕ちょっと山の頂上のほうに登ってみようと思うんですけど」
女「さっき何もねえって言ったじゃん」
男「んーでもまあ、自分の眼でも見て確かめたいので」
女「はーほーふーん、流石はリア充様。
私みてえな非リアの言うことは信用できないってわけだ」
男「本当にひどいな……違いますって……」
女「ま、好きにしなよ。私はずっとここにいるから一人で回ってきな。そのまま帰ってこなくてもいいよ」
男「またそんな……」
女「あと、もうひとつだけ」
女「妹さんや彼女さんにもう一度会いたいのなら、麓の川だけには近づくなよ」
男「川?……に何か、あるんですか?」
女「うるせえ、私が言うのはこんだけだ。さっさといっちまえ」
男「……じゃあ、行ってきます」サク……
男「本当に、何もないな」サクサク
男「砂利で滑って転ばないように気をつけないと」サクサク
男「空は曇っているし、浅く霧も出ているから、
見通しも最初の印象より良くはないんだな……」サクサク
男「ん」サク
老人「やあ」
男「あ、こ、こんにちわ……」
老人「君のような若い子もここにはいるんだね」
男「あ、えっと、僕は今さっき来たばかりなんです」
老人「そうか……うん」
男「あの、お爺さんは、ここがどこだかわかるのですか?」
老人「なんとなくね。君は?」
男「僕は記憶喪失で、自分の事もよくわかんなくって……はは、おかしいですよね」
老人「そうか、うん。そういうことも、あるのかもしれないね」
男「……?」
老人「ここがどこかは、きっと追々わかるだろう。
自分の事と一緒に焦らずにゆっくり考えたまえ」
男「……はぁ」
老人「では、私はもう行かなくては」サク
男「どこにですか?」
老人「あそこに見える川を渡るのさ。きっと、そういうことだ」
男「川……でも、女さんは……
あー、いや、ここにずっといるって言う女性は、川は渡ってはいけないと……」
老人「ここにずっといる人もいるのか……いや、そういうこともあるのかな……
でも、私はこれがあるから大丈夫。心配してくれてありがとう」チャリ
男「これは……お金?日本円ですか?」
老人「そう。私の家族が持たせてくれた清いお金だよ」ニコニコ
男「……あの?」
老人「では、私はこれで。君はもう少しここにいた方が良い。
さっき言っていた女性の言ったとおりに、川には近づかずにね」サクサク
男「……えとあの……では」
老人「うん、さようなら」サクサク……
男「感じの良い、上品なご老人だったな」サクサク
男「僕の両親も、生きていたらあんな感じだったのだろうか」サクサク
男「……そうか、僕には両親が、いなかったのか」サクサク
男「だから、妹と二人暮らしだったんだな」サクサク
男「女さんは、これでもリア充って言って蹴るのかな」サクサク
男「いや、これだと、不幸自慢うっぜえ!とか言って蹴られそうだな……はは」サクサク
男「ん」サク
少女「……」
男「こんにちわ」
少女「……」ペコ
男「あの、ちょっとお話、いいかな」
少女「……?」
男「あー、えと、僕は男って呼ばれてます。
変なナンパとかじゃないから警戒しないでくれるとうれしいんだけど……」
少女「……こんなところまできて、ナンパなんて、無いと思いますけれど」
男「! そ、それもそう……なのかな?
あーいや、実は僕記憶喪失で、ここがどこだかもわからないんだよねえ……はは」
少女「……」
男「え、えと、君は、どうやってここに来たのか覚えてる?」
少女「……言いたく、ありません」
男「そ、そっか……ならいいや、仕方ないかな……はは」
少女「……男さんは」
男「え、な、なに……かな?」
少女「男さんは良く笑うのですね」
男「そ、そうかな。
ある人にはへらへらしてんなって怒られちゃったんだけれど」
少女「……いいえ。笑ってた方がいいです、きっと」
少女「男さんみたいな笑顔に出会っていたら、
私ももっと違ったのかも、しれない、です、ね……」ギュッ
男「……えと」
少女「……少女、です。少しの間で良ければ、お話付き合わせてください」
男「あ、えと。あ、ありがとう」
少女「……いえ」
少女「……」
男「あー、そうだな……少女ちゃんは、いま何年生?」
少女「中学三年生でした」
男「中三か。僕にも妹が居てね、ちょうど同じくらいかな」
少女「妹さん……ですか」
男「正確には高校一年生なんだだけれどね。
素直だけどちょっと生意気盛りで、明るい子だったよ」
少女「それは、いいですね。きっと男さんがいいお兄さんだったからですよ」
男「そうかな……って言ってもよく覚えていないんだけどね」
少女「私は一人っ子だったから、兄弟って憧れてました」
男「んー、そんなに良い事ばっかりでもないんだけれどね」
少女「でも、悪い事ばかりでもないでしょう?」
男「……それは」
少女「一人ぼっちじゃあ、なかったでしょう?」
男「少女ちゃんは……」
少女「……こんなところまで来てせっかく男さんみたいな人に会えたのに、
こんなに辛気臭い話をしてももったいないですよね」
少女「何か楽しい話……そうだ、男さんの妹さんの話、もっと聞かせてください」
男「う、うん。いいよ、がんばって思い出してみる。えーと、ね……」
少女「妹さん、何か趣味とか無かったのですか?」
男「あー、妹はね、部活で陸上をしていたっけな。一番道具が安くつきそうって言って。
最悪シューズさえあれば走れるからって」
少女「へぇ……スポーツ少女だったのですね」
男「お転婆だったのかもね。んで、次の大会でレギュラーがとれるかもしれないって、
朝から張り切ってたのは覚えてる」
少女「それで、妹さんはレギュラーとれたのですか?」
男「それは……ん、どうなんだろう」
少女「?」
男「ごめん、覚えていないみたいだ……いや、もしかしたら知らないのかもしれない」
男「結果を聞く前に……ここに来たのかも……」
少女「……そうですか」
男「ごめんね、あんまり盛り上がらなくって」
少女「いいえ、そんなことありません。
最後に男さんと話せて楽しかったです。良かったです」ギュゥ
男「……左手、どうかしたの?」
少女「え?」
男「あ、いや……さっきからひどく手首を握っているから……どうしたのかな、と」
少女「……いいえ、なんでも、ありません」ギュッ
少女「……私、そろそろ、行きますね」サク
男「……君も、川に向かうの?」
少女「そうですね……私は、渡れないと思いますけれど」
男「じゃあ、また会えるかな?」
少女「それは……どうでしょうね……」
男「……じゃあ、最後に、一つだけ」クルリ
少女「……?」
男「ふぉい!ひぇんにゃかお~」ばあ!
少女「ぶっ!?」
少女「あはっ!あはははははっ!
おっ、男さっ!?何をとつぜっひゃはっあっはははは!!」ケラケラ
男「いやあ、最後に少女ちゃんの笑った顔が見たいと思ってね……
でも、体張るのはやっぱり恥ずかしいものだね」かああ
少女「はは……あーもう、突然ひどいです……あーお腹痛い……あっはは」
男「うん、やっぱり、笑うと可愛いね。
少女ちゃんは、笑っていた方がいいよ、絶対に」
少女「男さん……」
少女「ありがとうございます……やっぱり私、男さんに会えてよかった」ニコッ
男「僕も、君に会えてよかったよ、少女ちゃん」
男「少女ちゃんも、麓に向かって歩いて行った」サクサク
男「少女ちゃんの手首にあったのは、きっとリストカットの痕だ」サクサク
男「あんなに良い子なのに……
少女ちゃんにこれからいっぱい、いっぱい笑っていられるような幸せが、
待っていればいいのだけれど……」サクサク
男「ん」サク
女「……よう、どうだった?」
男「……あれ?僕、頂上に向かって登っていたはずなんですけれど」
女「だから言ったじゃん。ここも頂上も変わんねえって」
男「いや、だから頂上に……ええ?」
女「同じような景色と霧のせいで方向感覚が狂っちまったとでも思っとけ。
考えても仕方のねえ事だらけだよ、ここは」
男「うう~ん……でも……おっかしいなあ……あ、そうだ」
男「ここをですね、老人と女の子が通りませんでしたか?」
男「僕が迷ったってことは彼らも迷っているかも……」
女「……いいや、通ってねえよ。ここに来たのはお前だけだ」
男「あれ……う~ん、まあ、それならそれでいいんですけれど……」
女「老人と女の子、ね。会ったのか?」
男「ええ、会って少し話をさせてもらったのですけれど」
男「二人とも、川に向かって降りて行きました。
お爺さんはお金を持って川を渡るって言っていて、
女の子は、きっと自分は川を渡れないだろうと……それでも川に向かって行きました」
女「ふぅん……」
女「まあ、その人たちは多分、お前みたいに迷ったりはしないよ。
必ず川に辿りつくだろうさ」
男「なんで、そう、言いきれるんですか?
あの川は一体、なんなのですか?」
女「まあ大体の見当はついてるが、それは私の口からは言うことではないよ」
女「それに、今の私では、麓の川には辿りつけないと思うよ。
今はそこそこ調子がいいみたいだからね」
男「……よく、分かりません」
女「ま、その前にお前は自分の事を思い出さなきゃな」
男「……はい」
男「そうだ。女の子……少女ちゃんや、お爺さんとお話していくつか思い出した事があるんです」
女「へえ、よかったじゃんか」
男「ですから、女さんとももう少しお話すればもっと記憶が戻るかも」
女「……まーたリア充の自慢を聞かなきゃなんねえのか?」
男「いえ、出来れば次は、女さんのお話を聞かせていただけないかと」
女「……私の、話?」
男「ええ、何でもいいんです。ここでの出来事でも、なんでも」
女「そうくるか……でも、私なんてこっちでもあっちでも、特に何にもねえんだが」
男「非リア話でもいいんで!」
女「てめえ調子乗ってんじゃねえぞ」ゲシッ
男「ああっ!あんまり時間が経ってないのに何か懐かし、いたたっ!」
女「仕方ねえな……んじゃあ、今まで出会った中で一番怖い人間の話をしてやろう」
男「一番、怖い人……ですか?」
女「そう、そいつは何を隠そう、人殺しの罪人だったのさ……」
女『よう』
罪『ああ?てめえ何者だ?化け物か?ははは!』
女『ああ、化け物かもな。ならお前だってそうだろう?』
罪『そうさ、てめえみてえな女よか俺のほうがよっぽど化け物だ!
なんせ俺ぁ人殺しだからな!ぐわははは!』
女『……ふうん、そ』
罪『何だ、驚かねえな、つまらねえ』
女『こんなところだ。何が現れたって驚いちゃいられないでしょうよ』
罪『違いねえ!ぐわははは!』
女『うっはははは!』
男「あの~……」
女「そして罪人は……ん、なに?」
男「怖い話という割には、当時の女さん自身があまり怖がっていないような」
女「何言ってんのよ、こんな華奢な美女をつかまえて。
私が内心どんだけ恐れおののいていたかもしらないでさ」
男「あ~いや、そういうことでしたら……
話の腰を折って申し訳ない、続けてください」
女「んじゃ、続けるよ。そうして罪人は、こう続けたのさ……」
罪人『ところでよ、俺ァ出来る事なら試してえと思ってた事が一つあるんだな』
女『ふうん、興味ないけど、聞いてあげようか』
罪人『ありがてえ、それはな……
こっちの世界でも、人を殺してみるってえ事さ』
女『……それは、面白そうだね』
罪人『そうだろう、そうだろう。で、お前はどうなると、思う?』ニィ
男「わ……」ゾッ
女「な、ビビるだろ?
んでそいつはおもむろに私の首を掴むと、ものすごい力でしめつけ始めた」
男「そ、それで女さんはどうしたんですか……」ガタガタブルブル
女「そりゃ、されるがままだったよ?」
女「だってこんな面白……いや恐ろしい事が起こったら、
人間とっさに反応なんか出来なくなるしな」
男「嘘だ!今面白いって言おうとした!この人自分の命の危機も他人事だよ!」
女「はは、命の危機ね……まあ、言い返す言葉もないわな」
男「で、でも女さんは死ななかったんですね?」
女「そうだな、こうしてここにいる以上はまだ、そういうことになるかな」
女「実際首を絞められても苦しくはあるけどそれだけでよ、
永遠に続く苦痛ってのはまあ、こういうことなんだろうなーと」
男「それで、その罪人さんはどうしたのですか……?」
女「いや、ひとしきり首を絞めた後、満足……ってか納得したのか、
川に向かって歩いて行って、それっきり、だ」
女「これで、私の話はおしまい。……でいいな?」
男「は、はい……」フゥ
女「どうだ、なんか参考になりそうか?ならねえだろう?うはははは」
男「うーん、あまりにも凄い体験ですので……どうなのでしょう……」
女「ふっはっは、私が素直に協力すると思うなよってこった」
男「ところで、あっちこっちと皆さんが言いますけれど、
やっぱりここと妹達のいる所とでは違う世界なのですかね?」
女「おんなじ世界じゃあねえだろうな。
お前が思い出せない何かの拍子ってやつで、あっちからこっちに意識が飛んでいるんだろう」
男「そして、川の向こうに行った人の意識は、もう妹の世界には戻れない……」
女「まあ、そうなんだろうな」
男「それじゃあ……」
男「それじゃあまるで、この世界は死の国じゃあないですか……」
女「……」
男「女、さん……?」
男「何とか言ってくださいよ……」
男「馬鹿な考えだと、さっきみたいに笑い飛ばしてくださいよ……」
男「女さんっ!」
女「……」
男「そんな……まさか……それじゃあ……」
――お金を握りしめたご老人も――
――手首に傷のあった少女も――
――そして、僕も――
男「もう、死んでいたって、ことですか……?」
女「……いや、待て。それは多分、正確じゃあない」
男「……は、い?」
女「多分、多分だけれど、私も、男も、まだ死んじゃいないんだ」
男「どうして、そう、思うんです?」
女「だって私たちはまだ川を渡ってはいないじゃないか」
女「多分、資格がないんだ。精神は死の淵に居るが体は生かされている。
植物人間か、寝たきりなのか、意識不明か、そんなんで」
女「これは、まどろみの中の夢みたいなものなんだと思う。
ずっと考えていたんだ、何で私は、川を渡れないのか。何でこんなに宙ぶらりんなのか」
男「女、さん」
女「そして、見てきたんだ。いろんな人間を。
罪人も老人も、若者も、子供も。みんな川へ向かって歩いて行くのを」
女「さっきも言ったように、お前みたいに記憶のない人も居たよ。
そして今みたいに、記憶を取り戻す手伝いみたいなこともしてきた」
男「いや、女さんまともに手伝ってくれていなかったけれど」
女「真面目な話は真面目に聞けっ!」ドゲシ
男「いたいっ!」
女「んでよ、記憶を取り戻した人は、まあやっぱり意図的に無意識に記憶を無くしてただけあって、
ひどい記憶だったみたいでさ、自暴自棄っぽく川に向かって行っちゃうのがほとんどだったよ」
女「でも、でもな。ほんの一握り、今までに数人だけなんだけれど……」
女「パッと、瞬きの瞬間に眼の前からいなくなっちまうような人も、いたんだよな」
女「それってさ、私としては、やっぱり向こうの世界に帰って行ったんだと思うのよ」
女「だから、だからさ」
女「そう、しょげんな、諦めんなよ!って話、だったん、だけ、ど……」
男「プクク……はは……」
女「何をてめえは笑ってんだこの馬鹿!」ゲシッ
男「はは……いたた、あはははは!」
女「……何だよ男、壊れちまったのか!?」
男「あは……いや、ごめんなさい、女さん」ククク
男「女さんがあんまり必死に話してるから、つい……はは」
女「て、てめえ!」
男「ご、ごめんなさい、許して……あははは」
男「だって、今まではちょっと乱暴だったし、そっけなかったからさ、
てっきりどうとでもして僕をはやく追い払いたかったのかと思ってたけれど」
男「思えば女さんは、ずっと僕の事を心配してくれていたんですよね……ありがとう」
女「うぇ!?そ、そんなつもりねえし!礼なんていいよ!うぜえ!」
男「とにかく、記憶さえ戻れば僕は向こうに戻れるんですよね」
女「……それは、そうかもしれないってだけの話だ」
女「それに、記憶が戻ったらこのまま死んだ方がいいって思うかもしれないよ。
多分私たちは、ちょっとの気分の浮き沈みですぐに死ねる、そんな瀬戸際にいるんだ」
男「女さんも、そうなのですか?」
女「どうだろうね、私はあんたみたいに完全に記憶を失ってるわけじゃないし」
男「僕は、出来たら僕も女さんも、一緒に向こうに戻れたらいいと思っているのですけれど」
女「つくづくリア充思考だな、あんたは。
私は戻れなくてもいいから、どっちも幸せになれる事を祈るよ」
男「やっぱり、女さんは優しい人ですね」ニコッ
女「ぅえ!?お、男てめえ、突然変な事言いだすんじゃねえ!」かああ
男「あれ、女さん、顔が真っ赤ですよ?」クスクス
女「う、うるせえ!こっち見んなー!」
男「ところで、女さんって多分僕と同年代ですよね?」
女「ん?んー、多分な。お前二十歳くらいだろ」
男「そうですかね、確か大学生なのでそれくらいかと。
ちなみに妹は高校一年生の十五歳です」
女「なんで自分より妹のプロフィールのが詳しいんだよ……
ちなみに私は二十五歳くらいだから、多分普通にお前よか年上だな」
男「え、年上だったんですか!それにしては……」
女「ん、若く見えるってか?うはは、褒めても何にも出ねえぞ?」
男「ええ、精神年齢が幼いので若く見えるのですかね?」
女「てめえ、どうやら蹴り入れられるのが癖になっちまったみてえだな……」グリグリ
男「あいた!いたいたい!」
男「あ、何か思い出しそう、なんだこれ!」
女「うわ……こんなシチュで記憶復活とか……生前もMだったとかやめろよ?」
男「違いますって!えーと、これは……」
男『彼女さん、すいません……バイトが長引いてしまって……』
彼女『ううん、大丈夫、全然待っていないよ?』
男『どうもすいません……あ、先輩もご一緒でしたか』
先輩『おう、暇つぶしがてらちょっと授業の話とかをしてたんよ。
……んじゃ、邪魔すんのもなんだし、俺はこれで』
男『あ、はい。ではまた明日』
先輩『おう、じゃあな。彼女もまたな』
彼女『うん、引きとめちゃってごめんね。ありがとう』
男『……はー、いやあ、やっぱり先輩は恰好いいですねえ』
彼女『そうだね、やっぱりクラスでも人気あるよ?先輩君』
男『彼女さんも、そう思います?』
彼女『……バカ、私は男君が一番好きだよ』
男『え、あ、いや!そういうことでは!』かあああ
彼女『くすくす、男君こそ、かわいい妹さんと浮気しちゃだめだよ?』
男『い、妹は妹ですって!……ぼ、僕も、彼女さんが一番、好きです、よ』まっかー
彼女『ふふ、ありがと』
男「どうやら僕の彼女さんは年上の先輩だったみたいですね……って、女さん?」
女「うぜー!!!!うっぜええええええええ!!!
あーあーだっまさーれた!これだからなー!リア充は本当に困るわー!」
男「……えーと」
女「お前それぜってえ彼女と先輩デキてるからな!絶対ぜーったい!」
男「え……それはないですって……先輩すごいモテますし、女の子に不自由してなかったですし」
女「あーあーもう舐めてますね。べろんべろん舐めてますね!コレは!
騙される男の典型的なパターンですわー。ターン青!使徒ですわー、コレ!」
男「ときどき良く分かりませんね女さんは……」
女「まあ、断片的に聞く限り性格はいまと変わらないっぽいけど、ちょっと純粋過ぎんなー男は」
男「はぁ……?」
女「まあな、いろんな事を覚悟した方がいいぜってことよ。私も覚悟、するからさ」
男「覚悟……ですか」
女「まあ具体的には、いきなりリア充自慢されてもくじけない覚悟の事だが」
男「なっ!せっかくの格好いいセリフがだいなしに!?」
女「やっぱよー、やな記憶は奥底にあるせいか、なかなか思い出せねえな」
女「良い記憶ばっか思い出すのも、現実逃避の一部なんだろうが……
この調子じゃどうして死んだかを思い出すのもしばらくかかりそうだな」
男「そうなんですかねー……あ、あまり良くない記憶と言えば、
僕はどうやらすでに両親と死別しているらしいのですよ」
女「うお!?いきなり重い話始めるのやめろよ!」
男「おっと、すいませんでした」
女「んだよ、じゃあ向こうにゃ妹さんが一人でいるってことか?
意識不明であろう男の看病をしながら誰にも頼れずに」
男「……そう、なんですかね」
女「あー、まあ好意的に考えりゃあそこに年上の彼女さんも加わるわけか?
なら安心……はできねえか。確定じゃねえしなー」
男「女さんは……なんでそんなに捻くれているのですか……」
女「……お前なー、大の大人が記憶を封印するほどのトラウマだぞ?
どう考えたって考えすぎじゃねーつーの!」
女「とにかくはやく記憶を取り戻さにゃあ話にならんなぁ」
男「……はい」
プルルルル……プルルルル……
妹『おにい、おにいー。おでんわだよう、おかあさんたちかなあ?』
男『きっとそうだよ、ぼくたちが良い子におるすばんしてるかなーって電話してきたんだ』
妹『妹、いいこだったよね?おにい、ちゃんとそういってね?ね?』
男『うん、分かってる。妹ちゃんは良い子でしたーって言っておくよ』
妹『やくそくね!きっとね!妹がいいこにおるすばんできてたら、
おみやげかってきてくれるっておとうさんいってたの!』
男『ふふふ、わかった。まかせて』
プルルル……プル……カチャッ
男『はいもしもし。男で、す……』
男『……はい?はい、はい……え』
男『あの、それでどうすれば……はい、はい……じゃあしつれいします……はい』
妹『おにい?どうしたの?おかあさんたちじゃなかったの?』
男『妹、すぐに病院に行こう』
妹『えーなんで?おるすばんは?』
男『おるすばんはもういいんだ……お母さんたちが、事故にあって……大変だって』
男「ん、む……」
男「ん、なんだ。僕、寝ていたのか」ムク
男「死んでも眠りにつくんだな……
睡眠って脳の記憶の整理でもあるらしいから、そういう関係なのだろうか」
男「夢、見てたな。多分小さいころの……両親が死んだ時の夢」
男「あれから、もう十年以上経つのか……」
男「妹と一緒に親戚に引きとられて、その家を出て、妹と暮らして」
男「そして、死ぬのかな……妹を、残したまま」
男「……そういえば、女さんの姿が見えない、な」
男「ふらふらとそのへんを歩いているとも考えづらいけれど……」
男「! まさか、麓の川へ行ってしまったんじゃ……」
男「自分は川を渡ることはない、みたいに言っていたけれど、
どこまで本当かも怪しい。第一僕は女さんのことは何も知らないんだ」
男「……なら何も知らない僕が、どうこうする義理じゃあないのかもしれないけれど……それでも」
男「行ってみよう、川の方へ」
男「このまま、まっすぐ降りていけば、辿りつくはずなんだ」サクサク
男「いずれ行かなくちゃいけないところだと思ってはいたし」サクサク
男「運が良ければ女さんにも……少女ちゃんにも会えるかもしれないよね」サクサク
男「……ん」サク……
男「何だ、これ?石を積み上げたみたいな……跡?」
男「他にも女さんみたいな人が居て、手遊びでもしてたんだろうか」
男「良く見ると、そこにもあそこにも。至る所にあるんだな、コレ」
男「そういえばどことなく傾斜も緩くなっているような……」サク……
男「川も近付いているのかな」サクサク
幼女「うんしょ、おいしょ」カタリコトリ
男「え、あれは、女の子だ……まだ、七、八歳くらいの」
幼女「うんしょ、おいしょ」コトリカタリ
男「石を積み上げてる……さっきの跡は彼女の仕業だったのか」サクサク
男「こんにちわ」
幼女「!!!」ビクビクッ
男「わ!ご、ごめん、突然声をかけたりして。びっくりしたね」
幼女「……!」オドオドビクビク
男「僕は男って言います。怖がらなくて大丈夫。少し君とお話したいんだ」
幼女「……」
幼女「おに……さん」
男「うん?」
幼女「もうすこし、もうすこしまってください……あとちょっとなんです……
あとすこしでかんせいするんです……」
男「完成?その石の塔の事?」
男「分かった、じゃあ完成するまで待っているよ」
幼女「え……崩さないでいてくれるの……?」
男「え、何でせっかく一生懸命作った塔を壊さなくちゃいけないの……」
幼女「おに、さん……おにさんじゃないの……?」
男「うーん?できればお兄さんとは呼ばれたいけど。おじさんって呼ばれるのには抵抗あるかな」
幼女「そっか……そうだったんだ。分かった、おにいさん。ちょっとまっててね、もうすぐおわるからね」
男「ゆっくりやっていいんだよ。焦って崩れたら大変だからね」
幼女「……うん!」
幼女「おにいさんは」カタリコトリ
男「ん、なあに?」
幼女「おにいさんは、川の向こうへ行く人なの?」コトコトリ
男「うーん、どうなんだろ。おにいさんは自分の事が良くわかんないんだよねえ」
幼女「ふーん、へんなの」カタコト
男「君は、川の向こうへは行かないんだね」
幼女「うん、幼女はここで石さんを積むの。こうして反省しているの」
男「反省……?」
幼女「そう。私はお父さんとお母さんより先に、死んじゃったから。いっぱい悲しませたから……」コト
男「……っ」
幼女「ここでこうして石を積むの。石を積んで塔が出来たらはなまるで、もう一度お父さんたちに会えるんだって」
幼女「でもね、これは罰だから、簡単じゃいけないの。だから、完成しそうになるとおにさんが邪魔しに来るの。」
男「おに、さん……?」
幼女「そう」
幼女「鬼さん」
幼女「でもおにいさんが居るからかな、今日は鬼さんが来ないみたい」コト
幼女「うふふ、楽しみだなあ、お父さんとお母さんに会うの。早く会いたいなあ」カタ
男「幼女、ちゃん……」
幼女「うふふ、お母さんに会えたらいっぱいだっこしてもらって。
お父さんに会えたらいっぱいなでなでしてもらうんだ。たのしみだなあ、うれしいなあ」コトリ
幼女「ありがとうね、おにいさん」コト
男「……う、ん」
幼女「よいしょ……と」
男「完成、した?」
幼女「うん、あと1つ!これでお父さんお母さんに会える!」
男「うん、良かった。いっぱい褒めてもらうんだよ……」
幼女「ありがとう、おにいさん!」コト
女「おう、男。どこ行ってたんだ?」
男「それはこっちのセリフですよ、女さん」
女「ああ?珍しく生意気だな!……ん、なんかあったのか?」
男「……ちょっと、川のほうへ行ってきました」
女「あー、川か。じゃあ塔を見たのか」
男「ええ、やっぱり、あんなに小さい子も死んだらここに来るのですね」
女「しかも子供にまで会ったのかよ。どうだった?」
男「良い子でしたよ。運が良かったみたいで、塔を完成させて消えてゆきました」
男「ふと女の子が意識から外れた瞬間、居なくなっていましたよ。
……さようなら、も言えなかった。」
女「……ま、これでいいんだよ。
消えた人間がどうなるかは分かんねーけど、きっと悪いようにはされないさ」
男「そう、ですよね」
女「そうだよ、きっと。そう信じるしか、ないさ」
女「実はさー、なんて言ったらいいのか。さっきまで私、生き返ってたんだよね」
男「は!?な、なんですって!?」
女「まあぶっちゃけると、私病弱でさ。生まれてこの方、病院から出たことねーのよ」
男「え……っと」
女「物心ついた時にゃあもういったりきたりしててさ、言葉も半分くらいここで覚えたと言っても過言でないかな」
女「子供らに交じって石を積んでたこともあったんだぜ。ま、今思うと笑いごとじゃねえけど」
女「正直、向こうじゃ体も満足に動かせねーし、こっちじゃ何をしても自由だし」
女「最近は、別に戻らなくてもいいかなーとか考えてたんだけどさ」
女「久し振りに向こうに戻って思ったよ」
男「……」
女「私、青春したい」
男「……は?」
女「ずるい、と、思っちゃった。同じくらいの年の子が彼女も居て妹も居て友達も居て、
それなりに不幸だけどそこそこ幸せに過ごしてるって聞いちゃって」
女「無責任かも知れないし、辛い事があったからここでこうして出会っているんだけど、それでも」
女「やっぱり、ずるいよ。リア充」
男「女、さん」
女「だから、だからさー、無理にとは言わないけどさ」
女「もし男が辛い記憶を取り戻して、それでもまだ向こうに戻りたいと思ってくれるのならさ」
女「私に、会いに来てよ」
女「大体眠ってるし、たまに起きてもボケッとしてるし、体も不自由だし、いつ死ぬか分からないんだけどさ」
女「良かったら、できれば、気分が悪くなかったら……」
女「わ、私と、友達に、なって、くれません、か……?」
女「……とか、なんとか」かあああ
女「……うー……おい、なんとか言えよ、男……」
男「なんだ、そんなことだったんですか」けろり
女「な!そんな事とはなんだよ、せっかく私が下手に出てだなあ!」
男「だって僕、女さんとはもう友達なんだとばかり思っていました」ニコリ
女「!」
男「でも、ここから無事に戻れたら、女さんに会いに行くというのはいいですね。
僕、ますます戻りたくなっちゃいましたよ」
女「じゃあ、友達になって、くれるのか?」
男「もちろん」
女「格好いい同級生とか紹介してくれるんだよな!?」ズイッ
男「え」
女「お洒落な女の子とかでもいいぞ。んで、流行りの俳優が出てるつまんねードラマの話とかするんだ!
○○恰好いいよねー!抱かれてーみたいな!」
男「……それは、どうでしょう……何か後悔してきたかも」ボソ
女「楽しみだなあ!私、これからはめいっぱい協力するからな!」
男「……っ」
女「ん、どした?」
男「なんか突然、お腹に、痛みが……」
女「男、それ……!」
男「……!?」
男「っ……何だ、これ」
男「何で、お腹から、血が、出ているんだよ……!?」ドサッ
女「男!?起きろ、男ーッ!!!
『あなたは、優しすぎたの』
『誰に許可を得て触ってんだよ』
『何で、彼女、さん……せんぱ、い……』
『――事故……妹、が?』
そうか、流石女さんだ。ほとんど女さんの言うとおりだったんじゃないか。
男「事故……妹、が?」
その時僕はバイトをしていて、ファミレスの厨房に入っていた。
突然かかってきた見知らぬ番号からの電話。
最初はバイト中だし後でかけ直そうかと思ったけれど、
不自然に長いコール時間に言いようのない不安に駆られた僕は、チーフに一言断ると、控室で電話を受けた。
最初は冗談だと思って、次に両親の事が思い返された。
ほとんど上の空で話を聞くと、僕はほとんどそのまま、誰に断ることなくバイトを抜け出し病院に向かった。
目立った外傷はないが、頭部を強く打っているため意識が戻らない。
僕はほとんど気が動転していて、自分が何をしているのか分からなかった。
気づいたら彼女さんに電話していて、良く分からない事をがなり立てていたと思う。
幼いころに両親も失い、最愛の妹までも事故で意識不明の重体だ。
僕にはもう、頼れる人が彼女さんしかいなかった。
その彼女さんが目の前で僕の慕っていた先輩と口づけしあっているのを見るまでは、そう思っていた。
男「何で、彼女、さん……せんぱ、い……」
先輩「……は」
彼女「……男、くん」
先輩は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに楽しそうに口元をゆがめた。
彼女さんに回した右手はそのままに、左手だけで煙草をくわえ、器用に火を付けた。
彼女さんはというと、先輩の肩越しに僕を見つけてからは茫然自失。
わなわなと唇を震わせ、僕から目を逸らせずにいた。
そう、だ。僕は、彼女さんに電話を、して。
落ち着くように……落ち着けって、言われて、会おうって言われて。
会って一緒に病院に行こうって、言われて。
待ち合わせ場所に、行くために、いつもと違う道を。
近道を。
先輩「あーあ、見つかっちゃった」
先輩はにやにやと笑みを崩さずに。
何を笑っているんだ、妹が事故に遭ったんだぞ?
何が可笑しい何が可笑しい何が可笑しい!!!
何でにやにや笑っていられるんだ!!?
彼女「ごめんなさい、男君」
なんですか。
何で謝っているんですか。
そんなことより妹が。
妹が事故に遭ったんですよ?
早く病院に行きましょう。
待ち合わせる前に会えてよかった、さあ、早く。
早く
彼女「男君が、悪いのよ」
男「は?」
彼女「男君はいつも妹さんの事ばかり、二言目には、妹が、妹がって」
彼女「私、寂しかったの」
?
このひとは、なにをいっているんだ?
彼女「あなたは、優しすぎたの。妹さんに」
男「たった二人の、家族です。あたりまえでしょう」
彼女「でも私は寂しかったの。」
彼女「男君と妹さんさえよければ、私も家族になりたかった。その覚悟もあったわ」
彼女「でも入り込めなかった、入り込ませてもらえなかった」
彼女「あなたと居る時もいつもどこか疎外感があった……だから」
男「だから、浮気をしたのですか?」
彼女「……」
正直こんなことはどうでもよかった。
早く妹のところへ向かいたかった。
やっぱり僕は気が動転していたのだろう。
気がつくと彼女さんの片手を引こうと手を伸ばしかけていて、
いつの間にか視界がぐるりと一巡。
次に目に飛び込んできたのは黒々とした曇り空。
数瞬遅れて感じた頬の痛みと、体を地面に強かに打ち付けた衝撃とで、視界が白く瞬いていた。
先輩「誰に許可を得て触ってんだよ」
先輩に殴られたのだと気づくまで、そう時間はかからなかった。
先輩「もうこいつは俺の女だ、てめえがどうこうできると思うんじゃねえ」
彼女「ちょっと、何も殴る事……」
先輩「うるせえ、行くぞ」
彼女「あ、ちょっと!痛い、ひっぱらないで……」
僕はあの先輩のどこが好きだったんだろう。
今思うと分からなかった。
僕は何も分からなかった、これからどうすべきかも、僕が何で生きていたのかも。
両親は幼いころに亡くなった。
妹ももう長くないのかもしれない。
長く付き合っていた彼女にも、信頼していた先輩にも裏切られた。
僕はその時、死にたい気分だった。
気がつくと慣れ親しんだ借家の台所に立っていて。
片手にはいつも妹が使っている包丁が一振り。
僕の頭は空っぽで、僕の中身も空っぽで。
きっとこの包丁を僕の空っぽの腹部につきたてれば。
何もかもなかったことになる。
そうして少しの激痛の後。
僕の視界は真っ白に染まった。
男「ん……」
女「男、目え覚めたか。大丈夫か、立てるか?」
男「女、さん……僕は」
女「無理すんな……こんなの私も初めて見るんだ、一体どうしたら……」
男「僕、思い出しましたよ。全部、思い出しました」
女「本当か……それは、うん。良かった、のか、な」
男「はは……女さんの言うとおりでした。何もかも、女さんの言うとおり。
僕は今きっと、最悪の気分です」
女「男……」
男「妹も失って、彼女も先輩も離れて行って、僕は一人ぼっちです。
あんなに頑張って生き返ろうとしていたのに、生き返っても一人ぼっちなんですよ!」
男「僕、決めました。川を渡ります。もうこんな世界に、未練なんて、ありませんから……」
男「女さんにはお世話になりました、でもこれが僕の、結論です」スクッ
女「そう、かよ……」
女「じゃあよ、最後に餞別代わりに、私から渡すもんがあるからよ。
ちょっとの間目ぇつむってくれるか」
男「……まあ、それくらいなら」スッ
男「つむりましたよ、何です?」
女「……おるああああああ!!!」ドゲシーッ!!
男「うぐぶほおおっ!!?」
男「ぐはあああ傷口にもろにっ!?呼吸がっ!痛みで呼吸が出来ないっ!?」ジタバタ
女「すぅ……」
女「不幸自慢、うっぜええええええええええええ!!!!」
男「……っ」ジタ……
女「いいか!?確かにてめえは辛かったよ、辛い体験をしたよ、心折れるよ!」
女「だがなあ、それで、そんなことで命を犠牲にしていい理由にはならねえんだよ!」
男「……でも」
女「でももなにもねえ!私から言わせればそんな事、リア充うぜえとしか思えねえんだっつってんの!」
女「大体何で妹がもう死んだことになってんだ!おかしいだろうが!」
女「両親が死んでもそれを乗り越えてきたんだろうが!二人で力を合わせて生きてきたんだろうが!
いつも一緒に居て、それでなんで妹を信じてやれねえんだ!生きてるって思ってあげられねえんだ!」
女「お前と妹はここでは会ってないだろうが!」
男「あ……」
女「ならなんで、妹がまだ生きてると思ってやれねえんだ」
男「……でも、ただ偶然会わなかっただけかも」
女「ぐだぐだうっせえ!」ゲシッ
男「あうっ」
女「それに、何だ!?信頼してた先輩に裏切られた?彼女に振られた!?」
女「いまどきケータイ小説でも流行らねーっつーの!そんなことで死んでたら命がいくつあっても足りねえだろう!」
男「……」
女「お前の良さもわっかんねーで使い捨てるような奴はこっちから願い下げろ!どーせ他人だ!気にすんな!」
男「暴論だ……」
女「知らねえよ。どーせ友達が居た事なんてねえから失う悲しみもわかんねーもん。
それになあ、どうしても友達が必要だってんなら……」
男「必要だってんなら?」
女「私が、いるじゃあ、ねえか」ボソッ
男「すいません、良く聞こえなかったんでもう一度言ってもらえますか?」
女「嘘つけえ!」かああああっ
女「とにかく!お前に拒否権はねえの!死ぬなんて事この私が許さねえの!」
女「お前は、私を死にたく無くした責任を取るために、生きろっ!」
男「……はい」
男「はいっ!」
女「よしっ!」
男「……」
女「……」
男「……あの」
女「何だ」
男「それで僕は、どうすればよいのでしょう?」
女「……え、私良くわかんない」
男「え」
女「え」
女「とりあえず川の反対方向、つまり山の頂上に向かえば良いのではないかと」
男「……本当に?」
女「いや、私は知らんが」
男「無責任だなあ!」
女「だって他の人たちはパッと消えてたもん。お前もパッと消えろよ」
男「んな無茶な……それに第一そんなんじゃ、別れのあいさつも満足にできないじゃないですか」
女「それもそうな」
男「そうですよ」
女「……」
男「……」
女「何してんだよ、早く行けよ」
男「え、あの、女さんは……」
女「私はここに居るよ、ずっと。一緒に行ってもどうせお前だけ消えるんだろ、別れのあいさつもなしにさ」
男「それは、そうかもしれないですけど……」
女「私はここに居るよ、大丈夫、たまには目え覚ますんだ。きっとまた会えるさ」
男「じゃあ、また。必ず会いましょうね!」サク……
女「おー、約束だ。あ、あと一つだけ」
男「?」
女「山の頂上へ向かう道では、絶対に振り向くな」
女「ここは死の国だ、振り向いたら死に魅入られるぞ。そしてきっと、戻れなくなる」
男「……はい、分かりました」
女「いいか、絶対に」
女「こっち見んな、よ?」
我ながら、うまく言ったものだと思う。
口から出まかせ、口八丁手八丁にしてはなかなかの説得力だったのではないか。
ここは死の国、振り向いたら死に魅入られ、戻れなくなる。
こんなのは方便もいいところだ、嘘八百だ、でたらめだ。
実のところはただ単純な理由。単純で、恥ずかしくて、あの馬鹿にバレたらそれこそ死にたくなってしまう。
私は何回も死の淵に立ち、生還するたびに実感する。
こちらでの体験は、向こうの世界に戻った瞬間朝方の夢のように消失してしまう。
誰にあっても、何をしていても、その詳細まで覚えてはいられない。
男は私にあったことを、忘れてしまう。
向こうで出会ったら友達に。
それは決して冗談で言ったわけではない。
恥ずかしながら、本心で。でも不可能なことも分かっていた。
分かっていながら、隠していた。
男には、生きててほしいから。
幸せになってほしいから。
そうして、私は一人ぼっち。
いつも通り、一人ぼっち。
でも、
女「寂しい、よう」ポロッ
ボロボロと、涙がこぼれて止められない。これが見られたくなかったから嘘をついた。
釈然としない思いを抱えたまま、僕は歩みを進めていた。
煙に巻かれたような、種の割れた手品を見せつけられたような感覚。
ここは死の国、振り向いたら死に魅入られ、戻れなくなる。
何故彼女はこんなことを知っていたのか。
疑惑が白い霧のように頭を覆い尽くしてゆく。
彼女は、僕の事を例外と言っていたはずだ。こんなことは初めてだ、と。
なら僕の以前にあちらに戻るためという名目でこの山を登った人間など居ないということだ。
ならば、なぜ。
前例がなくては知りえない情報を、彼女が持ち合わせていたのか。
一度もたげた疑問は、疑惑は、彼女の人となりと結びつき解となる。
思えば彼女は、誰よりも素直じゃなく、誰よりも乱暴で、誰よりも優しかったではないか。
自分の幸福より、他人の幸福を祈るほどに。
女『私は戻れなくてもいいから、どっちも幸せになれる事を祈るよ』
そんなのは、自己満足だ。……いや、たとえば、悪戯に女さんの真似をして言ってみるならば。
そんなのは、ずるい。
僕は、言ったはずだ。
確かに、こう言った。
男『僕は、出来たら僕も女さんも、一緒に向こうに戻れたらいいと思っているのですけれど』
もう考えることはなかった。僕は迷いなく、後ろを振り向いたのだった。
女「ひっく、うえっ」ぽろぽろ……
男「え……」
女「な、なんで、っく、男、ふりむい、て、んの?そもそも、うぇっ、なん、で、ここに、いるのぉ?」ボロボロ
男「女さんこそ、なんで、泣いてるんですか……」
女「うる……っく、うるさい、なあっ。ほっといてよ、目にゴミが、入ったのっ」ポロポロ
男「……そうですか、はあ」
女「なによ、何か文句、あるの?」ごしごしっ
男「いえ別に……あ、いや、すいません、あります。文句」
女「え……」
男「何で一人で、抱え込んじゃうんですか。それが友達のする事ですか」
女「男……」
男「あーそうか分かりました、友達の居ない非リアだから勝手が分からないんですね、なるなる」
女「んだとっこのっ」シュッ
男「おっと、今の女さんの蹴りをくらうわけにはいきません」スカッ
女「……な、なんなの、よっ」
男「正直、今までの蹴りも避けようと思えば避けられました。
それでもあえて食らい続けてきたのは、女さんが僕の友達だったからです」
男「嘘をついて、勝手に考えて勝手に納得して、勝手に傷付く人はもう、友達とは呼べませんよね」
女「だって、そんなの、どうすれば、いいのよ……」
女「私だって、男と一緒に居たいよ!一人は嫌だよ!いや、だけ……ど」
女「どうすればいいか、わからないんだよ……」
男「なら、そう言ってください。ほら、行きますよ」グイッ
女「な、ちょ、男!?」
男「一緒に登るんです、頂上まで」
女「なんで、だって、私が居たら、多分男、帰れない……」
男「そんなこと、誰が決めたんです?」
女「……っ」
男「僕等は何も分からないんです。まずやってみましょう。
そして出来なかったらその時は一緒に考えましょう、友達として」
女「う、ん……」
男「それに現に、僕は一人では帰れなかったわけですから、ね?」
そうして僕たちは、私たちは、頂上に向けて歩き出した。
二人で、並んで。
流石に手はつながなかったけれど。近く、寄り添って。
道中、いろんな事を話した。
今まで話さなかった事、他愛もない事、下らない事を飽きもせず。
それはまるで家族のようで、恋人のようで、友達のような時間だった。
男「女さん、僕、忘れませんから。女さんの事、絶対に」
女「……お前は、よくそんなこっぱずかしい事を平気で言えるな」かああ
男「ふふ、すぐ赤くなるとこ、可愛くて好きでしたよ」
女「っ!こっち、見んなっ!」かああああ
男「……はは」
そんな風に、何気なく二人とも視線を外した、一瞬。
次の瞬間にはもう、死の国の山には誰も残ってはいなかった。
妹「もうっ、すっごく心配したんだからねえ!」
男「うん、ごめん、ごめんね」
妹「車にひかれたってってもすぐに意識は戻ったんだよ!
そしたら次はおにいがお腹を刺したって言うし!もうビックリして」
男「二週間もこん睡状態だったんだっけ……本当、良く生きてられたよ」
妹「そういえば、彼女さんと喧嘩したの?
私ずっと待ってたのに、あの人一度もお見舞いこなかったよ?」
男「……うん、いいんだ。あの人は、もう」
妹「……ふられちゃったの?」
男「はは……まあね」
妹「そっか……まあ元気だしなよ、おにいには私がいるじゃん?」
男「妹は妹だよ」
妹「私はオッケーなのになあ……あ、そうそう」ごそごそ
妹「おにい、寝てる時よく寝言言っててね、面白いからメモってたの。見る?」
男「寝言……?」
妹「そこには何と彼女さんではない女の人の名前が!まあまあ見てみなよ♪」
男「女……さん……?」
妹「覚えてないのぉ?まあ夢ってそういうものかな?
あ、でもでもお、不思議な事にこの病院のある一室に女さんって人が実際に居たんだって!偶然!」
男「え……居たって……それで、その女さんは、どうしたの?」
妹「えー、知らないよ。おにいが寝言で言ってる時に看護師さんが言ってたのを聞いただけだもん
そういえば女さんって人がこの病院にもいたのよ、って」
男「今は、どうなったんだ?看護師さんに聞いたら分かるのか?」
妹「え、た、多分……どうしたのおにい、夢の話でしょう?」
男「うん、多分、夢の話だけれど……」
男「忘れちゃいけない夢だった気がするんだ……」
妹「しょうがないなあ、じゃあ聞いてきてあげるけど、あんまり恥ずかしい行動とらないでよ?」
男「うん、ごめん、頼む……」
男「女さん……思い出せないけど……でも、大事な人だったんだよ」
妹「人違いでも、知らないよ?」スタスタ……
妹「すいません、前この病院に女って人が居たって言ってたじゃないですかあ」
女「すいません、定期健診で来た女というものなんですけれど」
妹「え」
女「え」
妹「いたあー!」
女「え、あの、私が、何か……」
妹「えーと、人違いかも知れないんですけれど、うちの兄が会いたいって言ってて……
ちょっとナンパっぽくていやかもなんですけれど、会ってみていただけませんか?」
女「はあ……あの、そのお兄さんの御名前は……」
妹「あ、男って言います。平凡な名前でしょう?」
女「男さん……ですか。分かりました会いましょう」
妹「本当ですか?良かったー、じゃあ兄の病室まで押しますよ、車いす!」
女「ありがとう。ふふ、聞いていた通り、良い子ですね」
妹「えー?なんですかあ?」
女「いいえ、あ、危ないですよ、ちゃんと前を見てね、妹ちゃん」
女「……あーいや、いいや。ネコ被るのやめた。どうせ男の妹だ、遠慮したってしょうがねえ」
女「こっち見んな」 おわり。

