私は誰からも必要とされない、ただ無能で無力な存在だった。
だから魔王が人間を滅ぼそうとしていると聞いても、あまり怖くはなかった。
私を邪険にする人達を道連れにできるなら、滅ぼされてもいい――そんな風にすら思った。
神は何の冗談か、そんな私を勇者として選んだ。
体に勇者の紋章が浮かんだ時に思ったのは、使命感よりも優越感。
ようやく私は特別な、必要とされる存在になれる――
そう、思っていた。
元スレ
女勇者「私の死を望む世界」
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勇者「くぅ…」
切りつけられた背中が痛む。
私の走ってきた後に背中の血が落ち、それは私の居場所を追っ手に知らせていた。
走らないと――そう思うが体力の限界を感じ、思うように足が動かない。
そうしている内に、追っ手はすぐに姿を現した。
兵士「いたぞ!」
深手を負い、ほとんど無力な私を、5人もの兵が追ってきた。
勇者(もう無理…)
私は彼らに殺される。
笑えてきた。誰からも見向きもされない存在から、誰からも死を望まれる存在になるなんて。
神はこういう形で私を特別にしてくれた――本当に笑える話だった。
兵士「抵抗しなければ楽に逝かせてやる」
勇者「そうした方が、貴方の気持ちも楽なんでしょう?」
皮肉を込めて言うと、兵士の顔が歪む。
そりゃあそうだ、無力な人間を苦しめて殺すなんて、普通の人間なら平常心でできやしない。
勇者「苦しめばいい」
私を殺して痛まないなんて許さない。
私に力があれば、精一杯抵抗してやるのに。それができないなら、せめて呪いの言葉を吐く。
勇者「絶対に許さない」
私が憎いのは目の前の兵士だけじゃない。
憎いのは私の死を望む世界――
勇者「こんな世界、滅びてしまえばいい」
?「その必要はない」
その声がしたと同時だった。
兵士「うわああぁぁ!?」
勇者「――」
突然、兵士の1人が大量の血をぶちまけて倒れた。
その場にいた者の視線は倒れた兵士――の後ろにいたものに集中する。
そこにいたのは、威圧的な黒い全身鎧に身を包んだ騎士だった。
暗黒騎士「こいつらはお前を狙っている――間違いないな??」
勇者「――えぇ」
暗黒騎士「なら――」
暗黒騎士は近くにいた兵士を軽い剣さばきで切り伏せた。
残りの3人の兵士達は一斉に暗黒騎士にかかっていった。
だが、無駄だった。
「ぐあっ!?」
「が…っ」
「げあぁっ」
勝負にならなかった。暗黒騎士は一瞬で彼らを葬り去ったのだった。
その場で生き残ったのは、私と暗黒騎士、ただ2人。
勇者「ありがとうございます…」
暗黒騎士「勇者だな?」
勇者「多分ね」
この複雑な現状に、私は曖昧な返答を返した。
そして言うより早いと、肩の紋章を見せてやった。
暗黒騎士「…また、神のお遊びか」
勇者「?」
暗黒騎士「勇者選びのことだ。どう考えても勇者に適さぬ人間を勇者に選んで、そいつが何をするのか笑いながら眺めている」
勇者「そうなんですか?」
暗黒騎士「あくまで俺の想像だ」
だけどそれなりに納得のいく話だ。
私はとうの昔に信仰を捨てた。今回のこれは天罰だと言われれば、納得すると思う。
勇者「でも人間にとって勇者選びはお遊びじゃない」
だから私が殺されそうになった。
歴史上、不定期に魔王が出現することがあった。
歴代の魔王はいずれも不死で、普通の人間が倒すことは不可能。
魔王を討つことができるのは、神が選んだ勇者ただ1人と言われている。十数年前魔王が現れた時も、当時の勇者が魔王を討ったと聞く。
暗黒騎士「だから魔王は勇者を狙うわけだが――」
勇者が殺されれば、次の者が勇者として選ばれる。
神は勇者に相応しい者を、人間の中から順位付けしている。つまり1番目が死ねば、2番目が勇者になる。そう言われていた。
暗黒騎士「だが、神が選んだ勇者が、人間達に認められなければ?」
勇者といえば魔王を倒せるだけの武力を持った者を連想する。
だが、資質はあるが未熟な者が選出されることもある。
暗黒騎士「しかし未熟な者の成長を待つにも限度がある」
勇者「だから成長を待つより、次の勇者に期待する」
確かに私は魔王どころが魔物の1匹も倒せない。そんな私がマトモに戦えるようになるまで、何年かかることか。
それなら私を殺し、次の勇者に期待する方が人間にとって合理的。
勇者「理不尽にも程がある」
暗黒騎士「神のお遊びだからな」
勇者「で――神の玩具である私に、何か御用ですか?」
彼は助けてくれたとはいえ、今の私に心を許せる相手はいない。
だからすぐにでも逃げ出したかったが、激痛で立ち上がることもできない。
暗黒騎士「俺は魔王軍の幹部だ」
勇者「へぇ」
なら勇者の敵か。
勇者「勇者を討ちに来たんですか?」
暗黒騎士「いや」
まぁそうだろう。そうでなければ見殺しにしていたはずだ。
暗黒騎士「魔王軍にとっては、勇者は弱い者だと都合がいい」
暗黒騎士はそう言うと私に寄ってきて、目の前に立った。
物々しい鎧は威圧感があり、私の視線を釘付けにする。
暗黒騎士「お前を捕らえに来た」
あぁなるほど。
彼らは彼らで、私を利用するつもりか。
勇者が弱い者なら、殺すより手中に収めておけばいい。そうすればもう、魔王に恐れるものはない。
勇者の死を望むのが人間達で、勇者を保護するのは魔王側の者とは、何ともおかしな状況だ。
とはいえ当事者である私に行動の選択肢はなく、暗黒騎士に促されるまま飛龍に乗り、あっという間に魔王城に着いた。
魔王城――勇者として旅をしていたなら、最終目的として辿り着くべき場所。
そんな場所に暗黒騎士の案内であっさり入り、ほとんど誰ともすれ違うことのない通路を通って一室に通された。
暗黒騎士「回復術師を呼んでくるからそこで待っていろ」
そう言われ待っている間、部屋を見渡す。
魔王城の外観からは想像できない程粗末で小さな部屋。暗黒騎士が部屋を出た際、外側から鍵をかけていた。
ここが私の軟禁場所――殺されるよりはマシだが、神に選ばれた勇者への仕打ちがこれか。
回復術師は私の背中の傷を治療すると、無駄口を叩かず部屋から出て行った。
魔物達から虐げられ、皮肉のひとつでも言われるものかと思っていたが、それもない。
敵すら私を見ていない。私は誰からも見向きされない――
何だ、今までと変わらないじゃないか。
勇者「ん」
治療後横になっていると、ドアの叩く音がし、私は起き上がる。
暗黒騎士「入るぞ」
勇者「どうぞ」
暗黒騎士「随分大人しいな」
勇者「まぁ」
暗黒騎士「…疲れているのか。すまなかったな」
意外。皮肉を言われるどころか、気を使われるなんて。
この暗黒騎士、鎧姿は威圧的だけど中身はそうでもないのかもしれない。
暗黒騎士「まぁ気を抜いてもいい。ここではお前に危害を加える者はいない」
次は優しい言葉。
一体何を企んでいるのか――あぁ、そういうことか。
暗黒騎士「大分不自由するとは思うが――」
勇者「気を使わなくてもいいですよ」
暗黒騎士「?」
暗黒騎士の顔は見えないが、疑問を浮かべたに違いない。
勇者「気を使わなくても私は自害しませんよ。そんなにやわじゃありませんから」
暗黒騎士「…」
暗黒騎士「…つまり俺はお前が自害することを恐れて気を使った。そう言いたいのか?」
勇者「違うんですか?」
暗黒騎士「俺はそこまで打算的じゃない」
勇者「失礼しました。優しくされるのには不慣れなもので」
暗黒騎士「…」
おや黙った。私は何か変なことを言っただろうか?
まぁ、人より歪んでいるのは自覚しているけれど。
勇者「保護して頂いただけで、十分ありがたく思っています」
暗黒騎士「そうか。居心地は悪いかもしれんがな」
勇者「この状況はいつまで続く見込みで?」
暗黒騎士「え?」
勇者「だって人間を滅ぼせば、私は用済みになるでしょう?」
暗黒騎士「!」
勇者を手中に収めて魔王が次に行うのは、人間達への攻撃だ。
人間達も抵抗するだろうけど、殺すことのできない魔王相手にいつまでも粘ることはできないだろう。
勇者「あまり長引かないことを願うばかりです」
暗黒騎士「…お前、家族は?」
勇者「いませんよ」
私は正直に答えた。
勇者「私を必要とする人もいませんから」
この世界は私に死を望んでいる。
なら、私の心は痛まない。
勇者「こんな世界、滅びたって構わない――」
暗黒騎士「――が」
勇者「え?」
暗黒騎士が何かを呟いた。今、彼は何て?
暗黒騎士「俺が――」
暗黒騎士は私の頬に触れた。
暗黒騎士「俺が、お前を必要としてやる」
勇者「――!?」
手が暖かい――至近距離に近づいた兜の隙間から、彼の視線を感じる。
彼は何も言わない。一体どんな顔をしているのか、私には想像もつかない。
暗黒騎士「…すまない」
暗黒騎士はそう言うと私から離れた。
暗黒騎士「今日は休め…。また来る」
そう言い残し、彼は部屋から出て行く。
私はというと、茫然としていた。
一体、何のつもり――?
私にはまだ、暗黒騎士の意図がまるでわからなかった。
暗黒騎士「…」
暗黒騎士は動揺を悟られぬよう、いつも通り堂々とした立ち振る舞いで歩いていた。
兜を脱げば、すぐにいつもの自分ではないと悟られるだろうが。
暗黒騎士(何をやっているんだ、俺は)
別に勇者を哀れんでいるつもりはなかった。
魔王の命令通り勇者を捕らえ、人間を滅ぼし、用済みになった勇者を処分する。それが普通の流れだ。
だというのに――
勇者『こんな世界、滅びたって構わない――』
その言葉を聞いた瞬間、全身の毛がぞわわっと逆立った。
暗黒騎士(俺は――あの感情を知っている)
今でも忘れることのできない思い出が、暗黒騎士の頭の中を駆け巡っていた。
>翌日
暗黒騎士は軍を率いて森に潜んでいた。
近くには人間の国の王が住む城がそびえ立っている。
暗黒騎士「俺が最前線に立って突き進む。お前達はかかってくる兵士達を迎撃してくれ」
魔物「でも暗黒騎士様、それとても危険じゃあ」
暗黒騎士「だが、この方法が1番早い」
魔物達は訝しげな顔をする。暗黒騎士が勝負を急ぐのは珍しい。
暗黒騎士「この程度の国に時間をかけては魔王軍の名折れ」
魔物「あぁ、そういうことですか!まぁ、じゃないと人間達を滅ぼすなんてできませんよね~」
暗黒騎士「…」
魔物「どうしました?」
暗黒騎士「いや、何でも。では行くか」
突然の魔王軍の襲撃に、城の兵士達は混乱した。
暗黒騎士「はっ!」
兵士達は最前線に立つ暗黒騎士を狙うが、暗黒騎士の剣に一蹴される。
暗黒騎士が1人で5人の兵士を相手している間に、魔術師たちが奥から現れた。
やれ!――その号令で炎や電撃が暗黒騎士に襲いかかる。
暗黒騎士「ふん――」
暗黒騎士はブンと大きく剣を振る。
その太刀で襲いかかってきた魔法を切り、ついでに兵士達2人も戦闘不能にした。
兵士達の表情が歪む。
今のひと振りで、暗黒騎士が只者ではないと察したようだ。
それでも兵隊長と思わしき男は顔を歪めつつも、束でかかれと兵士達を焚きつけていた。
暗黒騎士「何人でも相手しよう」
この国は平和ボケしている。そんな国の兵士達など、何人束になってこようが暗黒騎士の敵ではなかった。
一体、何人の兵を切ったか。
兵たちの主力と思われる者を何人か切り、統率が乱れた所で前を進む余裕ができた。
暗黒騎士は鼻のいい魔物を側へ呼ぶ。
暗黒騎士「王の所へ案内しろ」
魔物「了解です」
途中、兵ではない城の者とすれ違う。避難が遅れるとは、本当に平和ボケしている。
そういう者達は無視し突き進む。大抵の者は暗黒騎士の物々しい鎧を見ただけで圧倒され、歯向かおうとはしなかった。
魔物の案内する部屋の前には兵たちがいたが、別に問題はない。
護衛にもならぬ護衛を5秒で切り伏せ、暗黒騎士は扉を開けた。
王「ひ、ひいいぃぃ」
暗黒騎士「…哀れな姿だな」
暗黒騎士は感情を抑えて、無様な王に吐き捨てた。
暗黒騎士「国を討つということは王を討つこと――」
王「やめてくれ!頼む!お前達と手を組んでもいい!」
暗黒騎士「…」
こうあっさり寝返ろうとするとは――無様すぎて嫌悪感すら沸く。
暗黒騎士「…この国に勇者が現れたそうだな」
王「そ、そうだ!勇者についての情報を教えよう!」
暗黒騎士「…ほう?」
王「勇者は山奥の村に住む小娘だ!」
王「勇者は天涯孤独の身。村の屋敷で使用人をやっているが、あまり食事を与えられてこず体は弱いらしい」
暗黒騎士「…お前の国の人間だろう?何で今まで何ともしてやらなかった?」
王「そんな山奥の村で起こっていることなどワシが把握しているわけないだろう」
王「それにお主達にとっても都合がいいではないか…そんな無力な小娘が勇者とは」
暗黒騎士「…」ドカッ
王「がっ!?」
暗黒騎士は剣を振り上げる。
王「ま、待て――勇者の情報を与えただろう!?」
暗黒騎士「あぁそうだな――だが胸糞悪くなった」
王「何が気に入らぬ!?人間の間で起こっていることなど、お主らには――」
暗黒騎士「関係あるんだよ」
暗黒騎士はそう言うと兜を脱いだ。
その顔を見て、王は絶句する。
暗黒騎士「俺も、元人間だからな」
暗黒騎士の額には、人間が魔族に転生した証の刻印がしっかり刻まれていた。
暗黒騎士「それにお前は――」
王「―――」
暗黒騎士「とっくの昔に、俺の恨みを買っていた」
世界が滅びればいい――そう強く思ったのは、あの時だった。
幼馴染『おにぃ…もう走れないよ』
昔の光景が鮮明に浮かんだ。
幼馴染『いいんだ私…もう、諦める』
何を言っているんだ、俺はそう幼馴染を叱る。
それでも幼馴染は、涙を浮かべた笑顔で首を横に振った。
幼馴染『この世界で生きていくのは、辛すぎるよ』
それは幼馴染の本音。
俺が言葉を返せずにいると、幼馴染は続けた。
幼馴染『私は勇者にはなれない』
幼馴染『だからもっと強い人が勇者になって、おにぃの生きる世界を守る――』
幼馴染『それが、1番いいから』
嫌だ。
俺にはお前が必要なんだ――
そう言いかけた時、追っ手が姿を現した。
そして俺は、大事な人を失った。
勇者「…あら」
帰還後、暗黒騎士は勇者の元を訪れる。
勇者は暇を持て余していた様子で、暗黒騎士の訪問に表情が少し明るくなった。
暗黒騎士「食事をほとんど残したそうだな」
勇者「量が多かったもので」
勇者はそう答えたが、厨房の者に聞けば勇者はパン半分と野菜しか食べていないようで、いくら少食でも食べなさすぎだ。
国王の言葉を思い出す。勇者は今まであまり食事を与えられてこなかった、と。
それを聞いてからだと、勇者の小柄な体型が痛々しく見えてきた。
暗黒騎士「お前の国の王を殺してきた」
勇者「へぇ」
暗黒騎士「お前を殺すよう命令した男だぞ」
勇者「そうですね」
思った以上に無反応だ。まぁ流石に大手をあげて喜べ、とは言わないが。
勇者「確かに命令したのは国王ですが、私の死を望んでいるのは国王だけじゃありませんから」
暗黒騎士「…そうだな」
あの小国の王の独断で、勇者を殺すなんて命令出せるはずがない。
政治的な背景は知らないが、きっと、勇者殺害命令には様々な人間の思惑が絡んでいるのだ。
暗黒騎士(それは、あの時も同じだったな)
人間達のやる事は、あの時と全く変わっていない。まぁそれは、実際魔王を倒したという実績ができてしまったせいでもあるけど。
勇者「…すみません」
暗黒騎士「ん…?何がだ?」
勇者「せっかく気を使って私の所に来て下さっているのに、私と話していてもつまらないでしょう」
暗黒騎士「いや、そんな事はないが」
半分嘘だ。何を言っても反応が薄く、後ろ向きな発言が多い為、決して楽しい気分ではない。
自分も口下手な自覚はあるので、勇者だけのせいではないが。
暗黒騎士「なら話題を変えようか。…お前のことを聞いてもいいか?」
勇者「私の?」
暗黒騎士「あぁ。お前のことが知りたい」
勇者「まぁ…構いませんよ」
暗黒騎士(屋敷で下働きをしていたと聞いたが…)
王からそれを聞いたことは言わない。勇者の口から直接聞いて、会話のきっかけになればいいと思った。
勇者「私の父、悪徳商人だったんですよ」
暗黒騎士「いきなり面白いな」
勇者「それで恨みを買って、私が小さい頃に殺されまして。母は気を病んでほぼ同時期に亡くなりました」
暗黒騎士(それで重い…)
勇者「私は村のお金持ちに引き取って頂きました」
暗黒騎士「…そこでいじめられでもしたか?」
勇者「私が悪いんです」
暗黒騎士「え?」
勇者「本当に頭が悪くて、何をやっても駄目で、人に好かれることもできないから」
暗黒騎士は黙る。
魔王軍の中にも、気の毒な程無能で、努力の実らない者はいる。そういう者を周囲は煩わしく思うが、きっと本人も自己嫌悪していると思う。
勇者はきっと自分をそんなタイプだと言っているのだろう。勇者をよく知らない暗黒騎士は、フォローの発言もできなかった。
勇者「いつも腹立たしく思っていたんです」
暗黒騎士「…何にだ」
勇者「無能な自分自身と、無能な私を苦しめる世界が」
暗黒騎士「それじゃあ生きること自体が苦しかったんじゃないのか」
勇者「死ぬのも怖いですけどね」
勇者はそこで、今日初めてちょっとだけ笑った。
暗黒騎士は幼馴染を思い出す。
小さい頃はいじめられっこで、よく自分の背中に隠れていた幼馴染。
幼馴染『おにぃ…いつもごめんね』
幼馴染は周囲の子より鈍臭くて、気が弱かった。
そういう周囲より劣った存在は、虐げられる標的にされやすい。
幼馴染『私といるとおにぃも仲間はずれにされちゃうでしょ…?』
弱い者いじめする奴らなんかと遊びたくない。俺がそう言うと幼馴染は涙目になった。
幼馴染『私、やっぱり弱い者なんだね』
幼馴染『おにぃがいなくなったら私…』
今になってわかる。幼馴染は怖がっていたのだと。
弱い者が自分の力で生きていくことを恐れるのは、おかしな事じゃない。
当時の俺はそんなことわからなかったが、幼馴染と約束をした。
お前が弱いなら、俺が強くなる。俺がずっと、お前を守ってやると――
暗黒騎士(俺は、あいつとの約束を破った)
勇者「すみません」
暗黒騎士「…ん?」
勇者「後ろ向きな話をしてしまって」
暗黒騎士「お前が後ろ向きな人間だというのがわかったから、構わん」
勇者「次は貴方の事を聞かせて頂けませんか?」
暗黒騎士「何だ。そんな事に興味あるのか?」
勇者「話して頂ければ興味が沸くかもしれません」
暗黒騎士「…」
嘘でもいいから興味があると言え、と思った。要領の悪い人間は嘘も下手だ。
それでも一応聞いてくれたのだから、話してみることにした。
暗黒騎士「俺は…お前と同じ国で生まれた」
勇者「じゃあ暗黒騎士さんは人間なんですか?」
暗黒騎士「元、な。人間が嫌になる気持ちはお前もわかるだろう」
勇者「はい」
詳しい理由については、話したくなかったので話さないことにした。
暗黒騎士「とにかく人間をやめてからずっと、鍛えながら魔物達と過ごしてきた。そして魔王様に実力を見初められ、魔王軍に入った」
勇者「貴方は有能なんですね」
暗黒騎士「…」
その言葉は素直に褒められたのか、卑屈さがこもっているのか、わからなくて少し困った。
勇者「どうして貴方程の方が、私を気にかけて下さるんですか?」
暗黒騎士「…」
いきなりのストレートな質問に押し黙る。何と答えればいいのか…。
勇者「魔王軍は勇者を閉じ込めておけば、あとは何の用もないはずですよね」
勇者「ここを出入りする方は貴方以外、私に何の興味も持ちません」
勇者「どうして貴方は私に興味を?」
暗黒騎士「…そうだな」
短い時間で色々考えたが、答えは1つしかない。
暗黒騎士「同情かもしれないな」
勇者「同情…」
言ってから少し後悔する。
同情なんて上から目線の言葉、より一層惨めになるだけではないか。
勇者「ありがとうございます」
だけど勇者は、
勇者「優しいんですね、暗黒騎士さん」
同情すら優しさと受け取る程、自尊心を失っていた。
暗黒騎士「…言っただろう、俺がお前を必要としてやると」
してやるなんてのも上から目線だ。
だけどこの勇者は、別にそんなの気にしていないのだろう。
勇者「嬉しいです」
勇者は笑顔になる。
手を差し伸べてくれるのなら、自分を見下していても構わない――きっと、そういう事だ。
勇者「でも私、必要とされるには役に立たない人間です」
暗黒騎士「――っ」
上から目線の同情に、何かを返したいと思う気持ち。
何も返せず、自分を無能と卑下する気持ち。
勇者の声と表情から、そんな気持ちが伝わってきた。
暗黒騎士(本当に、こいつは――)
どうしようもなく卑屈で、どうしようもなく気の毒で――
暗黒騎士「…役割を与えてやる」
勇者「役割…?」
暗黒騎士「これだ」
暗黒騎士は剣を手渡した。勇者にしてやれるのは、これ位しか思いつかない。
暗黒騎士「俺の剣を磨くという重要な仕事だ。お前に任せてもいいか」
勇者「重要な仕事…」
勇者の表情が少し明るくなった。
こんな事で嬉しそうになる勇者を見て、暗黒騎士は胸が痛んだ。
暗黒騎士「…じゃあ俺はもう行く。長居してすまなかった」
そう行って足早に部屋を出た。
廊下を歩きながら思い出すのは、幼馴染の顔。
幼馴染『おにぃ、いつもありがとう』
幼馴染『皆が私に意地悪しても』
幼馴染『おにぃはいつも私を助けてくれるね』
暗黒騎士「…くっ」
勇者と幼馴染は違う。顔も喋り方も、全然似ていない。
それはわかっているが――
暗黒騎士(放っておけん…)
彼女を救いたいという気持ちが、どうしようもない程大きくなっていた。
>翌日
暗黒騎士「お前が先代勇者か」
先代「…魔王軍の者か?」
先代勇者の情報が入ったので田舎を訪ねた。
暗黒騎士の鎧は目立ったが、遠巻きに見るだけで彼に声をかける者はいなかった。
先代「村の外に出よう」
暗黒騎士は了承する。
先代勇者――先代魔王を倒した当時は若造だったが、今は年齢を重ね貫禄を醸し出している。
聞けば、先代魔王を倒した後もずっと修行を続けていたとの事。
暗黒騎士「今回は勇者に選ばれなかったようだな」
先代「勇者は神が選ぶ。俺にどうこう言う権利はない」
暗黒騎士「…」
それなら、最初に勇者に選ばれた幼馴染は――
いや、やめておこう。こいつには関係ないことだ。
先代「勇者ではなくなった俺に何の用だ?」
暗黒騎士「悪いが命を貰いに来た。勇者でなくなっても、お前はまだ人間達の英雄だからな」
先代「なるほど、俺を殺して人々の希望を砕くか。しかし――」
先代勇者はそう言うと剣を構えた。
只者ではない、暗黒騎士は一瞬でそれを感じ取った。
先代「お前は魔王軍の主力級と見た。お前を討ち、魔王軍の希望を砕かせてもらおうか」
暗黒騎士「面白い」
何も問題はない、初めからやり合うつもりで来た。
先代「覇あぁ!!」
先代勇者が剣を振り上げると、それだけで落ち葉が舞い上がった。常人であればここで圧倒される。
しかし暗黒騎士はあえて攻めた。まずは一撃、余裕で受け止められる。二擊目、三擊目、休まずに連続で打つ。これも止められる。
四擊目――かわされる。標的を失った刃が空中を切る。勇者の刃は――暗黒騎士の首を狙う。
暗黒騎士「くっ」
空中を切った剣を戻す余裕はなく、紙一重でかわす。剣先がわずかに兜をかすめた。
だが油断禁物、先代勇者は次の一撃を既に放っていた。
暗黒騎士「…っ!」
暗黒騎士は後方に大きく跳躍し、それをかわした。
先代「ほう…そんな重そうな鎧着てる割に、動けるではないか」
暗黒騎士「動けなくなるようなら着ない」
先代「それもそうだな!」
先代勇者は大きく笑う。それが彼の余裕を表しているかのようで、暗黒騎士に不快感が沸く。
暗黒騎士(余裕をかますなら、油断を突く)
暗黒騎士は再び攻める為、駆けた。
打ち合いは続く。相手の一撃一撃が重く感じるが、暗黒騎士も圧倒されてはいない。
打ち合いの中、隙がないかと探るが、そんな容易な相手ではない。
むしろ――
先代「覇ぁ!」
暗黒騎士「ぐっ」
暗黒騎士の方が危険な場面が多かった。
考える。身体能力はほぼ同等。先代勇者が自分より上回っているのは、経験。
自分が先代勇者より上回っているのは――
暗黒騎士「…っ」ダッ
先代(捨て身の突進…ヤケになったか?)
しかし捨て身による隙を、先代勇者が見逃すはずなかった。
先代「…捉えた!!」
暗黒騎士「っ!!」
先代勇者の剣が、暗黒騎士の胸に突き刺さる――と、同時
暗黒騎士「かかったな」
先代(刃が…)
先代勇者が気付いた時には遅く
先代「が…っ!!」
暗黒騎士の剣は、先代勇者の胸を貫いた。
暗黒騎士「俺がお前を上回っていたのは、鎧による防御力だ」
暗黒騎士は心臓に到達する前で止まった、勇者の剣を見ながら言った。
暗黒騎士「思うように刃が進まなかっただろう?狙うなら、鎧の隙間を狙うんだったな」
先代「フ…それであえて胸に隙を作ったのか…ゴホッ」
先代勇者は仰向けに倒れながらも、相変わらずふてぶてしい態度を崩さなかった。
暗黒騎士は油断せず、剣を振り上げる。
暗黒騎士「…1つ、どうでもいい質問をさせてくれ」
先代「何だ…?」
暗黒騎士「お前が勇者になる前――神に勇者として選ばれた少女がいたのを知っているか」
先代「あぁ、いたなぁ」
先代「気の毒な少女だった…だが彼女が勇者として成長するのを待っていたら、人間は滅んでいたかもしれん」
暗黒騎士「…国に殺されたのは仕方なかった、と思うか」
先代「結果的には仕方なかったかもしれない――だが」
先代「神は間違っていると思ったな」
暗黒騎士「…そうか」
暗黒騎士「話は以上だ」
―――
幼馴染の件は先代勇者のせいではない。
ただ何となく、先代勇者の気持ちが知りたかっただけだ。
神は間違っている――その通りだ。
神は人間を救おうとは考えていない。勇者という運命に翻弄される人間を見て、どう足掻くか、楽しんでいる。
だけど、神に逆らう方法なんてありはしない。
暗黒騎士(現状はさぞ楽しい展開だろうな…)
幼馴染と勇者。運命に翻弄された2人の少女の顔が浮かび、どうしようもない位腹が立ってくる。
暗黒騎士(だが俺は魔王様に忠誠を誓った身)
ならば人間に都合のいいようになんてさせない。
それが神を楽しませる結果になったとしても、どこまでも魔王の為に動こう。
暗黒騎士「元気か」
勇者「暗黒騎士さん」
勇者はいつも通りの覇気のない顔で暗黒騎士を出迎えた。
その手には、昨日暗黒騎士から預かった剣がある。
勇者「これ、磨いておきました」
暗黒騎士「あぁ、ありが――ん?」
暗黒騎士は勇者の手に注目した。指や手の平に傷ができている。
暗黒騎士「…剣を磨いて怪我したか?」
勇者「………はい」
何て不器用な…と思ったが侮辱してはいけない。一生懸命やってくれたのだ。
暗黒騎士「また頼んでもいいか」
勇者「はい、喜んで」
勇者は嬉しそうだ。きっと、役に立てることが嬉しいのだろう。
実際大した仕事じゃないが、勇者が喜ぶならそれでいい。そう思いながら、勇者から剣を受け取る。
暗黒騎士(………ん?)
一瞬、剣の感触に違和感があった。だが見た所剣に変わった所はない。
勇者「どうしました?」
暗黒騎士「あ、いや。…今使っている剣の手入れが必要になる時まで預かっていてくれるか。最近部屋がゴチャゴチャしてきてな」
勇者「あ、はい。わかりました」
暗黒騎士「今日は…先代勇者を討ってきた」
暗黒騎士は勝手に喋り始める。
勇者は「へぇ」と薄い反応を見せた。
暗黒騎士「相手の剣がもう少し深く刺さっていたら俺の負けだった」
勇者「やっぱり強かったんですね、先代勇者は」
暗黒騎士「…あぁ」
やっぱり、と言われて複雑な気分になった。
奴は幼馴染の代わりに選ばれた勇者で、本来勇者ではなかった人間だ。
勇者「…暗黒騎士さん?」
暗黒騎士「あ、いや何でもない」
それから、他愛ない話を続けた。
それからも、何度か勇者の所に足を運んだ。
暗黒騎士「土産だ、暇つぶしに使え」
スライム「うにゅうにゅ」
勇者「わぁ、変な生き物。面白いですね」
暗黒騎士(変な…)←可愛いと言うと思っていた
勇者は少し通う内に容易に心を開き、他愛ないことで笑顔を見せた。
暗黒騎士「…今日も国に襲撃を行った。大分ダメージを与えたと思う」
勇者「暗黒騎士さんは凄いんですね」
人間が攻撃されたと聞いても心を痛める様子はない。
世界が滅んでもいい――勇者の気持ちは、そう言った時と変わっていない。
暗黒騎士「今日は非番だし、少し出かけるか」
そう言って城外に連れ出し、森を案内する。
特に楽しいものではないだろうが、毎日部屋にこもっていても飽きるだろう。
勇者「あの花初めて見る。知ってる?」
スライム「うにゅうにゅ」コクリ
勇者「そっか、この辺知ってるの?」
スライム「うにゅ~」ダッ
勇者「あ、待ってー」ダッ
スライム「うにゅにゅ~」
勇者「ふぅふぅ、疲れた~」
暗黒騎士「休むか」
脆弱だなと思いながら、暗黒騎士は木陰に勇者を誘った。
勇者「今日はありがとうございます、暗黒騎士さん」
暗黒騎士「別に礼など必要はない」
勇者「貴方と会っている時間が1番楽しいです」
暗黒騎士「そうか…」
満面の笑みに心が痛む。勇者にとっての幸せはあまりにも小さい。
暗黒騎士「…何か望みはないのか」
勇者「望み…?」
勇者は首を傾げる。
暗黒騎士「こんな不自由な生活送ってたら、望みの1つや2つ出来るだろう」
勇者「望み…」
勇者は考え込んでいる。
自分なら酒が飲みたいとか、もっと体を動かしたいとか思うだろうが、勇者には本当に何も無いのか。
勇者「あ、そうだ」
暗黒騎士「思いついたか?」
勇者「暗黒騎士さんの顔が見たいです」
暗黒騎士「…俺の?」
勇者「駄目ですか?」
暗黒騎士「…」
いつも兜をかぶっているのには理由があった。
魔族に転生したのはもう十何年も前だが、それから外見はほとんど歳を取っていない。
自分は見た目に貫禄がない、と暗黒騎士は思っていたので、兜で威圧感を出していた。
だけど表情がわからないというのは、コミュニケーションを取る上ではマイナスだ。
暗黒騎士「構わん」
勇者「いいんですか!」
暗黒騎士「…笑うなよ?」
そう言って暗黒騎士は兜を脱ぎ、コンプレックスの塊である顔をさらけ出した。
その顔を見た勇者の反応は…。
勇者「思った通りでした」
意外だった。
暗黒騎士「もっといかついかと思ったとか、想像より若いとか、そういうことばかり言われてきたが」
勇者「そう言われるのが嫌で兜をかぶっていたんですか?」
暗黒騎士「まぁ、そうだ」
勇者「てっきり、表情が見えたら――」
勇者「暗黒騎士さん、辛いのがばれちゃうからかと思った」
暗黒騎士「――――え?」
勇者「暗黒騎士さんて時々、とても辛そうな様子を見せるんですよ。気がついてました?」
暗黒騎士「そんなわけ――」
勇者「私、ずっと人の機嫌をうかがって生きてきたから…」
勇者「顔が見えなくても、何となく暗黒騎士さんの感情がわかるんです」
暗黒騎士「…っ!!」
暗黒騎士が辛いとはっきり感じるのは、幼馴染を思い出す時。
勇者の姿は、幼馴染と重なることが多く――
勇者「あっ」
暗黒騎士は、衝動的に、勇者を抱きしめた。
勇者「どうしたんですか…?」
暗黒騎士「俺じゃない――」
辛い目にあっているのは、俺じゃない。
当の本人は、何が辛いのかすらわからなくなっている。
勇者「暗黒騎士さん…?」
この、無力で哀れな少女を守りたくて、苦痛に歪んだ自分の顔を見られたくなくて――
ただただ強く、勇者を抱きしめていた。
勇者「今日は楽しかったです」
暗黒騎士「…そうか」
勇者を部屋まで見送り、暗黒騎士は自室へと戻る。
勇者はあっけらかんとしていたが、あの鋭い勇者に自分の動揺がばれていないか、とても不安だ。
俺は正気を失っている――それが、はっきり感じられた。
魔王「お楽しみだったようだな、暗黒騎士」
暗黒騎士「!?」
唐突に姿を現した魔王に驚く。
魔王はそんな暗黒騎士の顔が見えているのか、可笑しそうに笑った。
暗黒騎士「…お楽しみという程の事は」
魔王「最近、よくあの勇者の元に通っているな?」
暗黒騎士「…魔王様が思っているような事は一切ありませんので」
魔王「さて、何の事かのう?」
魔王は下世話に口を歪めた。
魔王のことは尊敬しているが、こういう所は本当に苦手だ。
暗黒騎士「…とにかく勇者とは大した事はしていません」
魔王「そうか…勇者の扱いについてお前に相談しようと思っていたが、わしの独断でいいかのう」
暗黒騎士「…勇者の?」
そう尋ね返すのは見切っていたかのように、魔王はにやりと笑う。
魔王「部屋で話そう」
暗黒騎士「はい…」
暗黒騎士は魔王の下世話な声色に、何か嫌なものを感じた。
暗黒騎士「それで魔王様、勇者の扱いというのは」
勇者を生け捕りにし、人間への侵攻を進める――そういう話だったはずだ。
捕らえている間の勇者の扱いについては、特に指示はなかったが。
暗黒騎士「今の所勇者は逃げたり自害する様子は見受けられません。何か問題が…」
魔王「つまらん」
暗黒騎士「…は?」
魔王「上手くいきすぎだ。刺激が無くてつまらん」
暗黒騎士「何を…」
魔王が何を言っているのか、心底理解できない。
魔王「暗黒騎士、お前は優秀だ。人間への侵攻も滞りなく行っている」
魔王「だがわしはもう少し刺激を楽しみたい…」
暗黒騎士「どうしろと?」
尋ねると魔王は大笑いした。
心底困り果てる。これは、魔王が自分をからかっている時の笑いだ。
暗黒騎士「魔王様、真面目に話して下さい」
魔王「悪い悪い」
魔王「わしには刺激が足らん。そこであの勇者だ」
暗黒騎士「勇者をどうするつもりで…?」
魔王「人間どもは勇者が我々の捕虜になっている事を知らん…」
暗黒騎士「まぁ、そうですね」
魔王「そこで人間達を絶望に叩き落とす為…」
魔王「勇者にわしの子を孕んでもらうというのはどうかのう」
暗黒騎士「!?」
魔王の下卑た笑みの奥に隠された残酷さに、暗黒騎士はぞわりと悪寒がした。
暗黒騎士「反対です!」
魔王「おや即答か」
暗黒騎士「あの勇者は勇者として機能していません、魔王様が思うほど人間達は絶望しないでしょう」
暗黒騎士「それに今勇者の精神状態は安定している…そんな事して勇者が自害したらどうするんです!」
魔王「前者はともかく後者はごもっともだの」
暗黒騎士「おわかり頂けたなら、おやめ下さい」
魔王「だが…それはそれでいいかもしれんな」
暗黒騎士「なっ」
魔王「神が選んだ勇者を孕ませ、人間達を嘲笑してやるのは面白い」
魔王「勇者が自害し、新たな者が勇者となるならもっと面白い」
暗黒騎士「…!!」
魔王「そうでもしなければ、今の勇者はあまりにもつまらん」
暗黒騎士「魔王様…」
全身が冷えていくのを感じる。
魔王の意志は強い。このままでは、勇者が――
「おい」
勇者「すやすや…ん~?」
「起きろ」
勇者「ふあぁ……誰?」
暗黒騎士「俺だ」
勇者「暗黒騎士…さん?」
暗黒騎士「…こんな時間に悪い。起きろ」
勇者「ふぁい…どうしたんですかぁ」
暗黒騎士「今から外に出る」
勇者「え?…今、夜じゃないんですか?」
暗黒騎士「いいから来い」
勇者「でも…」
暗黒騎士「魔王様の子を孕みたくなければ早くしろ」
勇者「!」
裏口から勇者を連れ出し、足早に城から遠ざかる。
勇者「よいしょ、よいしょ…」
何故か預けていた剣を持ってきた勇者は歩くのが遅い。
それでもまぁ、何とか誰にも見つからずにいる。
勇者「あの暗黒騎士さん…」
暗黒騎士「…何だ」
勇者「さっき言っていたことの意味は…」
暗黒騎士「魔王様が戯れを始めようとしている」
勇者「戯れ…」
暗黒騎士「少し歩けば洞窟がある。そこに身を隠していろ」
勇者「…でも魔王軍が混乱するのでは」
暗黒騎士「そんな心配している場合か。それとも魔王様の生贄になりたいか?」
勇者「それは…嫌ですけど」
暗黒騎士「煮え切らん返事だな?まさかお前…」
勇者「いえ…魔王は私が勇者だから、そうしようと考えたんですよね」
暗黒騎士「あぁ、そうだな」
勇者「あぁ、やっぱり」
勇者でなければ、誰も自分に見向きもしない。勇者はそう考える奴だ。
もっとも、この状況じゃ見向きもされない方が遥かにいいと思うが。
勇者「あの…私を逃がしたこと、貴方が真っ先に疑われるのでは?」
暗黒騎士「そうだろうな。だが、上手く対処できる自信はある」
本音では自信は50%。だけどここは嘘をつく。
勇者「けど私、こんなんでも一応勇者ですし…暗黒騎士さんに迷惑をかけるのは」
暗黒騎士「おい、馬鹿なこと考えるんじゃないぞ」
暗黒騎士は冷や汗をかきながら勇者に詰め寄る。
この様子なら魔王城に戻ると言いかねない。そうしたら、勇者は魔王と――
暗黒騎士「駄目だ!お前がいいと思っても俺が許さん!」
勇者「やっぱり優しいですね暗黒騎士さんは」
暗黒騎士「こんなのは優しさの内に入らん、俺が気に入らんだけだ!」
勇者「でも、誰よりも私の為に行動してくれます」
暗黒騎士「お前の為じゃない!」
これは自己満足。勇者という運命の犠牲になる人間がいるのが気に入らない。
今だに幼馴染のことが吹っ切れずにいる自分の、精一杯の神への抵抗で――
勇者「私、貴方とならいいんですけど」
暗黒騎士「――は?」
勇者「産むのは貴方との子じゃ、駄目ですか?」
暗黒騎士「―――」
その瞬間、思考が停止した。
勇者が側室となるのは、魔王ではなく、魔王軍幹部――それでも人間からすれば大差ないかもしれない。
暗黒騎士「だが、しかし…」
勇者「やっぱり、駄目ですか…」
暗黒騎士「いやっ…魔王様が了承するかは…」
違う、そうではない。
暗黒騎士自身が、動揺しているのだ。
勇者「貴方になら、何をされても構いませんから」
だけど勇者に残された選択肢は、あまりにも少なく。
勇者「それが叶わないなら、私を殺して下さい」
暗黒騎士「――っ」
この状況に、暗黒騎士も決断を迫られていた。
暗黒騎士「俺は――」
その先の言葉をどうしても言えない。
暗黒騎士(どうすればいい…!?)
情けないと思いながら、空想の幼馴染に答えを求める。
もし、幼馴染なら何と言うか――
幼馴染『おにぃには、弱い人を救ってあげてほしいな』
救い。勇者にとっての救いとは?
勇者に残された選択肢に、救いと言えるものは…。
暗黒騎士「お前は…どうすれば救われる」
卑怯だ。自分が決断すべき場面で、勇者に答えの出ない質問をする。
勇者「そうですね、私は――」
勇者は自嘲気味に笑った。
勇者「こんな世界、滅べばいいと思います」
暗黒騎士「――っ!!」
暗黒騎士の胸に、勇者の言葉が突き刺さった。
この無力な少女は、この世界に虐げられ、普通に生きることもできない。
暗黒騎士「勇者…!」
勇者「暗黒騎士さん…痛いですよ」
勇者がひたすら哀れで、この世界への憤りが抑えられず。
抱きしめられた衝動で、勇者は剣を落とした。
暗黒騎士「俺がお前を救う」
できもしない言葉を吐く。
勇者「…ありがとうございます」
勇者は決して明るくはない微笑みを浮かべた。
勇者「その言葉だけでも救われていますから――」
その時。
暗黒騎士「…っ」
唐突に、後方から嫌な気配を感じた。
いきなり現れた…いや、今までずっと気配を消していたのだ。自分でも察することができない程、気配消しに優れた実力者といえば…
暗黒騎士「魔王様…!?」
魔王「お楽しみの所悪いのう暗黒騎士」
暗闇から現れる魔王。その顔はいつも通り穏やかなのに、どこか威圧感がある。
暗黒騎士は油断せず、魔王と向き合う。
暗黒騎士「これは…」
魔王「言い訳せずともわかる。勇者を逃がすつもりのようだの」
暗黒騎士「そうです。俺は貴方の戯れには反対だ」
臆さずはっきり言う。下手な言い訳は逆効果だと思った。
暗黒騎士「魔王様こそ…今までずっと隠れてご覧になっていたのですか?」
魔王「ふっ…お前達のやりとりが面白くてのう」
相変わらず下世話だ。今更それに対し抗議した所で魔王が態度を改めるわけないが。
そんなことより、今は勇者をどう守るかの方が大事だ。
暗黒騎士「なら全て聞いていたはずですね」
魔王「勇者はお前の子を産みたいそうだな」
魔王は嘲笑を浮かべる。
誰のせいでこうなったと思っているのだ…暗黒騎士は少しいらついた。
暗黒騎士「…貴方の目的を果たすなら、それでいいのでは?」
そうなればいい、という気持ちは少しもなかった。ただ今は現状を何とかしたい。
しかし魔王はそこで、おどけた顔をした。
魔王「すまんが暗黒騎士…」
暗黒騎士「?」
魔王「お前に話した目的は、半分嘘だ」
暗黒騎士「…は?」
半分嘘――それはどっちを?
魔王「お前はわしが拾わねば、惨めな浮浪者だったな」
魔王「そんなお前がわしを裏切るかどうか――そこを試してみたかったのだ」
暗黒騎士「…っ!!」
魔王「あぁ、裏切るようけしかけたのはわしだ、だから裏切りに関して怒ってはおらん」
魔王「だがわしは初めから――」
暗黒騎士「まさか…」
魔王「その勇者には死んでもらうつもりだった」
暗黒騎士「!!」
魔王「つまらんのだよ、その勇者は」
勇者「…」
勇者は話を聞いているのかすら疑わしい程、何の反応も無かった。
暗黒騎士「魔王様、人間達に大分ダメージを与えたとはいえ、まだ隠れた実力者がいるのかもしれませんよ!?この勇者を殺せば新たな者が勇者となり、魔王様が討たれる危険が…」
魔王「それが魔王だ」
魔王はすっぱりと暗黒騎士の言葉を切った。
魔王「不死の体に守られ、勇者との戦いを避けて魔王を名乗れるものか」
魔王「勇者として機能していない勇者はいらん」
暗黒騎士「…っ、勇者!」
魔王の言葉を聞き終わる前に、暗黒騎士は剣を構え魔王に突っ込んでいった。
その剣は、魔王の腕に止められる。
暗黒騎士「今の内に逃げろ!」
魔王「おやおや、不死の肉体を持つわしに立ち向かおうとは」
暗黒騎士「殺すことが目的じゃありませんから…!」
そう言って剣を振り上げ、魔王の腕を切り落とす。それから連続で、魔王の胸に剣を深く刺した。
魔王は無抵抗のまま、笑みを崩さない。
魔王「暗黒騎士、ようやくお前も面白くなったな…」
暗黒騎士「何…!?」
魔王「言っただろう。お前も優秀すぎてつまらん」
暗黒騎士「な…」
魔王「元人間で、人間に対し恨みを抱えているお前を部下にすれば面白そうだと思っていた」
魔王「しかしお前は、わしの命令通りにしか動かなかった」
暗黒騎士「それがつまらないと?」
魔王「あぁ…そうだ」
暗黒騎士「っ!!」
不意打ちで横腹を殴られ、軽くよろめく。さっき切り落とした腕が、もう再生していた。
魔王がダメージを受けた所を見たことはない。そのせいで、この再生の早さは予想外だった。
魔王の攻撃はそれで終わらず…。
暗黒騎士「ぐがっ…!!」
腹に魔力を帯びた一撃を喰らい、吹っ飛ばされる。
吹っ飛ばされる最中腕を思い切り蹴り上げられ、それで剣が暗黒騎士とは逆方向に飛んでいった。
暗黒騎士(くそ…)
ここまで見事にやられるとは思わず、自分の目論見の甘さに舌打ちする。
だがそれより問題なのは…。
暗黒騎士「お前…何で逃げてないんだ!」
勇者「…」
勇者は相変わらず状況を無視しているかのように、一歩も動いていなかった。
魔王「どうせ逃げても無駄だとわかっていたのだろう」
魔王はゆっくり勇者に迫る。それでも勇者は動かない。
暗黒騎士「おい…!!」
あの時と同じだ。
あの時も自分が弱かったせいで幼馴染を守れなかった。
幼馴染『この世界で生きていくのは、辛すぎるよ』
生きるのを諦め、死を望まれる者に生きてほしいと願うのは、自分だけで――
暗黒騎士「勇者!俺にはお前が――」
勇者「誰かの代わりに必要、ですか――?」
暗黒騎士「!?」
勇者「その反応、やっぱり」
勇者はこの状況にそぐわない、淀みのない笑顔を浮かべた。
勇者「何となくわかっていたんです、暗黒騎士さんが見ているのは私じゃなかったって」
暗黒騎士「それは…」
間違いではない。自分は勇者と幼馴染の姿を重ねていた。
だが、自分は幼馴染の事を一度も話したことはない。
勇者「暗黒騎士さんが私を気遣ってくれるのも、人間に恨みを抱いている理由も――きっと大切な人を失ったんだろうなぁって、ちょっと想像したらわかっちゃうんですよ」
その様子はもう、未練を捨てたかのように吹っ切れていて――
勇者「それでも良かったんです、私に優しいのは貴方だけだったから」
暗黒騎士「違う、俺は」
勇者を救いたいという気持ちは、本物だった。
魔王「どの道もう終わりだ」
やめろ――暗黒騎士は駆ける。
勇者「こんな世界、滅びればいいけど――」
勇者「貴方だけは幸せでいてほしいです」
暗黒騎士「…っ!!」
暗黒騎士はその時頭で考えて行動してはいなかった。
駆けた先、勇者の足元付近に剣が落ちていた。だから、拾った。
そして無防備な魔王の胸に、剣を深く突き刺した。
魔王「無駄だと――」
しかし、次の瞬間魔王の顔が歪む。
余裕が崩れた…?疑問に思いながら剣を引っこ抜く。そして違和感。
魔王が口から血を吐く――傷口が再生しない?
暗黒騎士は無心ながらも、普通の体が相手であれば致命傷になる一撃を放っていた。
それを無防備で喰らった魔王は、そこに崩れ落ちる。
魔王「その剣か――」
暗黒騎士「…え?」
魔王の視線の先、自分が手に持っていた剣を暗黒騎士も見る。
魔王「その剣から勇者の加護を感じる」
暗黒騎士「…!?」
この剣は勇者に預け、勇者が磨いていたもの。
だがまさか、それだけでこの剣が魔王を討つ為の刃になったとでも…!?
魔王「世の中は不可解なことで成り立っておるのう」
魔王は弱った様子で、大きく笑った。
魔王「こんな間抜けな死に方する魔王は、歴代でわしが初めてだろう」
暗黒騎士「魔王様…」
魔王には恩もあり、忠誠もある。
だから自分の手で魔王を殺してしまうなんて、暗黒騎士にとっては不本意で――
魔王「先のことを考えよ、暗黒騎士」
暗黒騎士「先の…?」
魔王「詳しくはわしの遺言状でも読め。喜ぶのだな暗黒騎士」
魔王「人間を滅ぼすのは、お前だ――」
暗黒騎士「――!!」
暗黒騎士は茫然としていた。今だ現状を受け入れられない。
しかし、そうしている暇はなかった。
暗黒騎士「…!!」
大勢の気配がこちらに迫ってくる。
大群はあっという間に自分たちを囲んだ。彼らは、魔王軍の魔物達だ。
暗黒騎士「…」
戯れの気持ちを持たぬ彼らなら、少なくとも勇者を殺しはしないはず。
暗黒騎士はそこから逃げ出そうとも、抵抗しようとも思わなかった。自分は魔王を殺した反逆者。反逆者は罰を受けるのが当然。
しかし。
魔物「暗黒騎士様…」
暗黒騎士「…?」
彼らから殺気はまるで感じない。
それどころか、自分の錯覚か、自分に敬意を払っているようにも感じられ…。
暗黒騎士「どうした…俺を殺さないのか」
魔物「とんでもない」
魔物「魔王様の遺言に従い――」
魔物「貴方を次の魔王と認めます」
暗黒騎士「――っ!?」
暗黒騎士「俺が次の魔王だと!?俺は不死の体を持っていないぞ!」
魔物「それでも、我々を束ねることはできます」
暗黒騎士「!!」
魔王の死に際の言葉を思い出す。
人間を滅ぼすのはお前――つまり、自分が魔王となり人間を滅ぼす。
暗黒騎士「しかし…」
歴史上、魔王とは不死の体を持つ者だった。
だというのに、自分が魔王を名乗り出ていいものなのか…。
勇者「気にしなくていいんじゃないですか」
暗黒騎士「勇者!?」
勇者は相変わらず平然としていた。
勇者「勇者が神に選ばれて魔王を討つ力を得るように、魔王もきっと誰かに選ばれて不死の体を得る――」
勇者「魔王も、神の戯れに過ぎないかもしれない」
暗黒騎士「…」
勇者の言うことも一理ある。魔王も勇者も神を楽しませる存在でしかない、と暗黒騎士は思っている。
魔王も神が選ぶものなら、それに従ってやる義理はない。
暗黒騎士「…わかった」
暗黒騎士は渋々、魔王の遺言を受け入れた。
不死の体を持たぬ暗黒騎士は、人間への侵攻を慎重に行っていた。
人間達の主要な国の要人と英雄を片付ける為動いていたが、彼らも手ごわく侵攻は順調にはいかなかった。
だが、それ以上に――
魔物「魔王様、今日の侵攻は魔王軍の敗走となりました」
暗黒騎士「そうか…犠牲が少なかったならそれでいい」
暗黒騎士は魔王になって、積極性を失っていた。
勇者「お疲れですか?」
暗黒騎士「まぁな…だが心配するな」
勇者「はい…無理しないで下さいね」
暗黒騎士「…」
魔王が死んだと同時、勇者の紋章も消えた。勇者とは魔王がいるからこそ存在できるものだ。
従うべき存在も、勇者の運命に翻弄される者もいなくなり、暗黒騎士の戦意は大分削がれていた。
それでも勇者は、暗黒騎士の側を離れなかった。
勇者「私が必要とされていないことは変わりありませんから」
紋章を失った勇者は死を望まれる存在から、また誰からも見向きされない存在に戻っただけ。
だがそんな勇者を救いたいという気持ちは、暗黒騎士にもまだ残っていた。
暗黒騎士「俺の側にいろ、勇者」
こうして勇者は人知れず、暗黒騎士の妻となった。
暗黒騎士が勇者を愛していたか――それは暗黒騎士自身、わかっていなかった。
それでも勇者を伴侶にした日から、暗黒騎士は幼馴染を思い出さないようにしてきた。
これも同情かもしれない。だが少なくとも、勇者は魔物達から虐げられずに過ごせている。
少し時が経ち、2人の間に子ができた。
勇者「男の子なら、貴方に似ればいいですね」
暗黒騎士「どうだかな」
幸せを感じてはいた。
暗黒騎士「守るべきものが増えたな。それに、お前を必要とする存在も」
勇者「はい…そうですね」
自分は勇者を救うことができた――かつての卑屈さのない笑顔を浮かべた勇者を見て、暗黒騎士も安心したように笑った。
子ができた影響か、魔王軍の人間への侵略は一旦止まった。
それでも今までの攻撃によってダメージを受けていた人間達に、魔王軍を攻めきる力はなかった。
ともかくそれから魔王軍にとっては、平和な年月が流れた。
少年「…?」
勇者と暗黒騎士の子は、城内を探索していた。
好奇心旺盛な年頃で、目に入るもの全てが興味の対象となる。
少年「…」
少年は自然と武器庫に足を運ばせる。
平和になった現在人の出入りは少なく、彼を咎める者はいない。
武器庫には埃のかぶった武器が無造作に置かれており、少年はそれに興味を惹かれ手を伸ばした。
少年「…あっ」
手を伸ばした先にあったのは刃で、少年は手を切った。
血が床に落ちる。血を見慣れぬ少年はその光景に目を惹かれる。
だけど少年は、本能的に知っていた。
少年「…えい」
彼が念じると同時、手の傷口は閉じる。
本能的に知っていた。どんな刃も自分の命は奪えないことを。
勇者「ぼく~、どこ行ったの~?」
少年「まま!」
少年は武器庫を飛び出し、大好きな母に飛びついた。
少年「まま~まま~」
勇者「甘えん坊ねぇ、この子ったら」
少年「ねぇまま」
勇者「あら、なーに?」
少年「ぼく、おとなになったら…ままのおねがい、かなえてあげるね!」
少年は無邪気な笑みを母に向ける。
母の願いが少年の目指すものだと、彼は本能的に知っていた。
Fin