1 : ◆P8QHpuxrAw - 2014/12/25 20:55:34.29 Kmb5SPPR0 1/128悪魔のリドルSS
黒組がドッジボールをしているだけです。
ギャグ寄りなんで若干のキャラ崩壊はご容赦ください。
地の文です。
溝呂木「今日は体育の先生がお休みなので、みんなでドッジボールをするぞ!」
相変わらずの空回った爽やかさで担任の溝呂木が声を張り上げる。
初めて持ったクラスへの愛を惜しみなく表現しているが、そんな溝呂木とは裏腹に、揃いのジャージを纏った黒組のメンバーのほとんどからノリというものは感じられない。
伊介「伊介はパス~。爪に傷が付いちゃう♥」
早速整列を乱して伊介が立ち去ろうとしている。
兎角は特に興味もなく、伊介が横を通り過ぎるのを見送った。
鳰「はい、じゃあ伊介さんは負けっスね」
伊介が鳰の隣を通り抜けると、その後ろ姿に鳰が声をかけた。
鳰のニヤけた声に、伊介はあからさまに不機嫌な顔で振り返る。
伊介「なによ?負けって」
鳰「チーム分けをするんで、試合終了後に負けチームへ配置されるっス」
伊介「負けたら何が起こるのよ?」
伊介の足が鳰に向いた。
興味が湧いてきたようだ。
兎角を含め、他の黒組メンバーも同じように体を向けて鳰の話を聞こうとしている。
鳰「勝った方の言う事なんでも聞くっスよ」
にやりと笑う鳰に伊介も悪い笑みを返した。
伊介「土下座させるとか、犬になれとか?」
鳰「さすが伊介さん。いつでも威圧的っスねー」
しえな「じゃあ一ノ瀬と敵対して勝ったら好きにしていいって事?」
鳰と伊介の間に入ったのはしえなだった。
この黒組に目的を持つ者は、恐らく同じ事を考えている。
兎角「一ノ瀬」
兎角は晴の肩を引き寄せ、離れないように促した。
警戒する兎角とは反して、晴に危機感はない。
晴「大丈夫だよ、兎角さん」
むしろ、興奮を抑え込むように両手の平を上下に振って兎角をなだめようとしている。
そんなに喧嘩腰に見えるのだろうかと、兎角は眉根を寄せた。
鳰「命令はチーム単位っス」
兎角と晴の前に身を乗り出し、鳰はしえなに向いた。
鳰「晴のチームは全員同じ目に遭ってもらうっスよ?」
香子「凄惨だな、それは……」
香子が眉をひそめて腕を組んだ。
そうなった場合の様子を想像しているのだろう。
柩「命懸けですか……」
不安そうに柩が呟き、身を震わせた。
そんな柩に千足がそっと手を乗せ、微笑みを向ける。
私が守るから。
そう言いたげな視線だった。
数秒見つめ合うと柩は安心したように息を吐いて千足に笑顔を返した。
そんな小芝居のようなやり取りを見ているうちに、兎角の口からは無意識にため息が出ていた。
伊介「伊介は別にそれでも構わないけど~♥」
春紀「いや伊介様は殺される側だよ。参加しないって言ったの忘れてるでしょ」
春紀が冷静に突っ込むと、間髪入れず伊介が彼女の脇腹に拳を叩き込んだ。
春紀の口から小さなうめき声が漏れたが大したダメージはないようで、数秒後には口を尖らせて脇腹をさすっていた。
千足「しかしそれでは一ノ瀬のチームの負担が重すぎるだろう。今回は暗殺を絡めるのはやめておこう」
通る声で千足が提言すると、1号室を除く全員がそれぞれ顔を見合わせた。
溝呂木「おいおい、冗談でも物騒な言い方をするなよー。ダメだぞ。みんな仲良くな?」
優しくも空気の読めない溝呂木がまたも爽やかに口を挟む。
涼は軽く手招きをしてメンバーを集めると、溝呂木には聞こえないように声を潜めた。
涼「先生の手前、殺伐とした目で投げ合うのもどうかのう。まぁ今回はお遊びって事でよいのではないか」
落ち着いたその声に異論を唱える者もなく、涼は満足そうに笑った。
しえな「ところで言う事聞くってどのレベルまでOKなの?」
純恋子「常識の範疇でいくべきでしょうね」
誰にともなしにしえなが呟き、隣に立つ純恋子が応える。
するとしえなを挟んで反対側に立つ乙哉が不思議そうな顔をして首をかしげた。
乙哉「常識ってなに?」
春紀「少なくとも血が流れない程度な」
子供みたいな質問に呆れた声で即答する春紀。
暗殺者の言う常識と一般的な常識では、きっと見解が大きく違う。
今回の常識は一般人で言う常識である。
しえな「武智、鋏持ってないだろうな」
乙哉「持ってきた方がよかった?」
しえな「いやいらないよ」
乙哉の返答にしえなはほっと息を吐いた。
すでに彼女たちの目は暗殺者ではなく、普通の女子高生と変わらない様子だった。
香子「金銭絡みもなしで」
香子が軽く手を挙げて姿勢よく発言する。
遊びとするのならば妥当なところだろうと誰もが納得した表情を見せた。
伊介「屈辱的なのは~?」
真昼「伊介……様、こわ……」
伊介の高圧的な目に真昼が怯えた表情を見せる。
そんな真昼の頬を純恋子が撫でると、真昼は隠れるように彼女の背中に寄り添った。
鳰「心が壊れないくらいならOKっス」
しえな「なんでお前が基準なのかは分からないけど」
鳰「裁定者っスから!」
びしっとピースサインを決めるふざけた態度に、しえなはため息をついた。
乗り気になってきた伊介の様子を見て、春紀がそちらへと歩み寄る。
春紀「伊介様どうすんの?」
伊介「やるに決まってんでしょ」
期待通りの返答に春紀がニッと笑った。
乙哉「じゃあまずはチーム分けだね。どう分けるの?じゃんけん?」
しえな「その手やめてくれ」
ショキショキと動く乙哉の手はじゃんけんというより鋏を模しているようで、しえながその手を軽くはたき落とした。
それに対して乙哉は怒るどころか嬉しそうにしえなに抱きついて、彼女の頭に頬を擦り付けている。
そんな二人のやり取りを眺めながら、晴は兎角の隣でくすくすと笑っていた。
晴「仲が良いよね、5号室」
兎角「そうなのか?」
一方的に乙哉がしえなに懐いているようにしか見えなくて、兎角は晴が穏やかに笑っている理由がよく分からなかった。
鳰「とりあえず、同室は今回分かれてもらうっス」
涼「えー……」
涼は不満そうに眉をひそめ、隣にいる香子の袖をくいっと引っ張った。
鳰「秀逸なコンビネーションなんて見せられても困るっしょ?」
香子「そんなに言うほど同室の息は合っ——」
千足「なんだと!?それでは桐ヶ谷が危険な目に遭っても私が護れないじゃないか!」
千足は柩の肩を抱き寄せ、嘆いた。
鳰「ほら、こういう人がいるっスから……」
他のメンバーは揃って千足から鳰へと視線を移し、軽く頷いた。
全員が納得した様子を見せると千足も渋々訴えを下げ、苦しげに「くっ……」と呻いた。
それを慰めるように柩が何かを囁いているが、その辺りのドラマにはあえて全員が触れないようにしていた。
そんな中、兎角は不意に視線を感じて春紀に目を向ける。
春紀「東はいいのか?」
4号室のやり取りを見てからの反応だと、あれと同列だと思われているようで複雑な心境だった。
たかだか授業の試合だ。
怪我をしたとしても、捻挫か、酷ければ骨折くらいのもの。
その程度で心配なんてしていたら外を出歩く事も出来ない。
兎角「別に。ただの遊びだろ。危険が無いなら構わない」
そう答えて晴を見れば、嬉しそうに両手の拳をぎゅっと握りしめる姿が目に映った。
晴「いつも飛んでくるのは銃弾とかナイフだったから、こういうの夢だったんです!チームプレイ!」
春紀「発言が重いな」
明るい笑顔で黒ずんだ発言をする晴に、春紀ですら真顔だった。
鳰「それじゃ、各部屋は別に分かれた上でじゃんけんで振り分けるっスよー」
東兎角・犬飼伊介・神長香子・生田目千足・剣持しえな・英純恋子
(元外野:神長、英)
一ノ瀬晴・寒河江春紀・首藤涼・桐ヶ谷柩・武智乙哉・番場真昼
(元外野:首藤、番場)
鳰「おー。戦力は均等に分かれた感じっスかね」
香子「どうして走りが入っていないんだ」
鳰「裁定者っスから!」
香子に向けて、またもびしっとピースサインを決める鳰。
伊介「じゃあ鳰は最終的に負けチームに入るって事ね♥」
鳰「えぇっ!?ひどいっス!審判っスよ!ウチ遊んでるわけじゃないんっスよ!?」
鳰の抗議には誰も反応せず、彼女は諦めてがっくりと肩を落とした。
春紀「伊介様、覚悟しろよ」
伊介「十年早い♥」
純恋子「番場さん、ボールには近寄らないでくださいね。怪我をしては大変です」
真昼「は、はひ……頑張る、ます……」
それぞれが同室の相方に向けて宣戦布告、あるいは心配をして自分のコートへと移動をする。
兎角「一ノ瀬、気を付けるんだぞ」
晴「遊びなんじゃなかったの?」
ため息交じりに晴は笑って返してきた。
今回は暗殺の危険がないのは分かっている。
兎角は単純に怪我の心配をしただけだった。
兎角「……そうだな」
過保護だろうかと考えて兎角は自分のコートへ足を向ける。
人数が揃ったかと辺りを見回すが、まだコートの外にいるメンバーを見つけた。
千足「桐ヶ谷。本当に大丈夫か?」
柩「大丈夫ですよ。千足さんこそ、女の人なんですから無理はしないでくださいね」
伊介「全員女だっつーの。早く移動しろ♥」
にこにこしつつ眼光を送りながら伊介が威圧するが、二人の周りに設置された見えないバリケードのせいでそれは届くことはなかった。
そんな様子に気付いた香子が4号室に近付いて千足の襟首を鷲掴み、
香子「ルールを説明する。元外野は2人。一度だけ自由に内野に入れる。敵味方関係なくアシストキャッチは有効。危険行為を避けるため、顔面は無条件でセーフだ。それから、内野外野関係なく、味方同士のアタック以外のパス回しは4回までとする」
そう説明しながら千足をコートまで引きずった。
後ろについてくる柩は案外冷静で、香子を見ながら授業でも受けるようにルールを聞いていた。
柩「正式なルールとは少し違うんですね」
香子「素人がやるお遊びだ。細か過ぎると混乱するだろう」
コートに入り千足を解放すると、鳰がニヤリと笑った。
鳰「それじゃ、試合開始っス!」
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鳰「ジャンプボールっス!」
鳰がボールを担ぎ上げて声を張る。
春紀「身長考えたらあたしだな」
ずいっと前に出てくる春紀を一瞥し、兎角は千足に目を向けた。
兎角「なら、こちらは生田目か……」
千足「分かった。任せてくれ」
コートの中心で二人が向かい合う。
鳰「じゃあ行くっスよー」
鳰は二人の間でぐっと腰を落としてボールを構えた。
春紀と千足の顔を交互に眺め、二人もそれに視線を返す。
準備は出来た。
ボールが宙に浮き、落下が始まるタイミングに合わせて二人がほぼ同時に地を蹴る。
千足の手がほんのわずか先に届き、ボールを自コートへと叩き落とした。
千足「よしっ」
中ほどへと落下したボールを兎角が拾う。
春紀「みんな下がれ!」
即座に春紀達がアタックに備えてそれぞれ後方へと下がろうとするのが見えた。
伊介「ほら速攻——!!」
兎角「言われるまでも、ない!」
伊介の声と被せて、兎角は相手が身構える前に狙いを定め、助走は付けずに思い切り腕を振り抜いた。
咄嗟に狙ったのは、反応が遅れてコートの手前でもたつく柩だった。
千足「桐ヶ谷!!」
兎角の手からボールが離れると同時に、二人の間に千足が割り込んだ。
千足「ぐあっ!」
ぼごんっと激しい音を立ててボールは千足の側頭部に直撃する。
柩「千足さん!!」
伊介「ちょぉっと!なにやってんのよ!」
悲鳴のような声を上げる柩と、怒りを露わにした伊介が同時に千足へと駆け寄った。
柩は倒れ込んだ千足を抱き起し、膝に頭を乗せた。
千足「桐ヶ谷……無事か……」
柩「はい……!千足さんのおかげです!」
千足「それはよかった……」
目を潤ませる柩の頬をそっと撫で、千足は目を閉じた。
鳰「生田目さんリタイアー」
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あれだけ騒いだ割に大したダメージもなく、千足は外野に立っていた。
しえな「で、なんで桐ヶ谷まで外にいるんだ……」
センターラインを挟んで外野で隣り合う二人を見つめながら、しえなが半眼で呟く。
とりあえず深くは触れず、二人はアウトという扱いになっているらしかった。
鳰「はいそこ、手を繋がない」
鳰が二人の間を指差すと繋いだ手は渋々と解かれたが、場所を移動する気はさらさら無さそうだった。
千足「隣に立つくらいなら構わないだろう?」
春紀「お前ら何しに来たんだよ……」
周りに熱を放つ4号室に春紀は呆れた表情を向け、ため息を漏らした。
鳰「はーい。気を取り直して続けるっスよー」
伊介「じゃあ伊介の番ね♥」
ボールを拾い、にっこりと笑って相手コートを眺める伊介。
春紀「伊介様。ほらほら」
春紀が前方に乗り出して挑発すると、伊介は笑顔のまま眉をピクリと歪めた。
伊介「むかつくー。鼻血出させてやる♥」
春紀「顔面セーフだぞ」
伊介「うるさいっ」
苛立ちを掛け声にしてボールを力いっぱい投げつける。
春紀はそれに備えて両手を構えるが、思惑とは別の方向へとボールは飛んでいた。
乙哉「おっと!あっぶなー」
油断していた乙哉は一度伊介のアタックを取り落しそうになったが、持ち前の反射神経で体勢を立て直し、なんとか引き戻した。
春紀「フェイントかよ……」
春紀はつまらなそうに呟くと口を尖らせた。
肉体派の彼女から闘争心を持て余している様子が窺える。
伊介「ちっ」
ボールを取られた伊介は舌打ちをして、即座に後方へと下がった。
兎角は既に後方でアタックに備えていたが、しえなが逃げ遅れている事に気が付いた。
乙哉「それっ」
乙哉はステップを踏んで勢いを付け、全身のバネを使ってしえなへとボールを投げつける。
しえな「あいたっ!」
勢いのある高めのボールが肩に当たり、弧を描いて綺麗に相手コートへと戻って行った。
乙哉「はいキャッチ」
鳰「アシストキャッチ有効っス」
しえな「なんで武智が取るんだよ!?」
周りの驚きをよそに、満面の笑みを浮かべて乙哉はしえなへと向き戻った。
乙哉「はーい。もっかい!」
しえな「待て待て!!イジメか!?」
乙哉「違うよー。かわいがってるんだよー」
しえな「そういうのはイジメって言——いたーーっ!」
しえなが言い終わる前に乙哉はボールを投げつけ、それは慌てて屈み込んだ彼女の背中に当たった。
狙われているのを分かっていても取れないのかと、兎角は呆れるというよりは少しかわいそうな気持ちになった。
弾かれたボールは今度は外野へと飛んで行ってしまったため、乙哉はそれを唖然と見つめるしかない。
しかしその先にいた柩がボールをキャッチした。
鳰「またもアシストキャッチ有効っス」
柩「取っちゃいました」
しえな「なんで余計なことするんだよ!!」
柩「間違えたんですよ」
しえな「嘘だ!」
乙哉「ありがとー!パスパス!」
しえな「パスパスじゃない!武智はまたボクにぶつける気だろ!?だったら——!」
しえなは兎角の後ろへと回り込んで乙哉からは見えない位置に移動し、彼女を警戒した。
兎角もしえな同様に乙哉に目を向ける。
が、
しえな「どぁっ!!」
思わぬところからのアタックに、しえなは身構える暇もなく衝撃をまともに受けてしまう。
兎角「おっと」
しえな「おい桐ヶ谷!!」
すかさず兎角がアシストキャッチをするが、しえなはそれに気付かず、柩に怒りの視線を向けていた。
鳰「またまたアシストキャッチ有効っス」
しえな「東!なんでキャッチした!?」
アシストキャッチに気付いたしえなが激しく突っ込んできて、兎角は眉をひそめた。
兎角「いやするだろ。味方なんだから」
しえな「確かにそうだけど……」
今までの流れのせいで熱くなっていたしえなは、これが正常なプレイだということを思い出したのかすぐに押し黙った。
兎角「反撃開始だ!」
兎角は助走をつけて、一番厄介そうな相手をしっかりと見据えて思い切りボールを投げた。
高身長の春紀の足元を狙う鋭い球筋。
春紀はそれに怯む事もなく前に出て、低めに落ちる直前でボールをキャッチする。
春紀「あぶねっ!さすが東だ」
楽しそうに笑う春紀の表情には闘争心が満ちていた。
キャッチした際の勢いのまま、春紀は助走をつけて兎角に向けて力任せに腕を振る。
兎角「くっ…!」
抉るように低い位置から浮いてくるボールをギリギリのところで避け、ボールの行方を目で追う。
しえな「いったーーー!!」
春紀「あ、わりぃ、剣持……」
春紀の猛烈なアタックは、一連の行動で兎角の後ろに回り込んでいたしえなの腰に直撃していた。
鳰「剣持さんアウトー」
しえな「なんで避けるんだよ……」
腰を手で押さえ、泣きそうな顔で訴えかけるしえな。
兎角「いや避けるだろ……。人の後ろにいるのが悪い」
兎角は呆れてはいたものの、あまりに不憫でしえなとは目を合わせられないでいた。
春紀も敵とはいえ、哀れに思ったのかセンターラインまで出てしえなを心配そうに見ている。
春紀「お前もう早めに外野に出ておいた方が多分安全だぞ……」
しえな「ボクもそう思う……後は頼む」
伊介「後も何も、最初からあなた役に立ってないじゃない♥」
しえな「そういうこと言うなよ!!」
涼「不幸を呼ぶ体質か」
しえな「うるさいほっとけ!こっちは切実なんだよ!!」
涼に激しく言い返すしえなの捨て台詞には全員が同情した。
-------------
純恋子「わたくしが代わりに入りますわ」
しえなの代わりに純恋子が優雅に内野へと入る。
体が弱いはずの純恋子が体育に参加している事が誰にとっても意外だった。
兎角「大丈夫か?英」
純恋子「心配無用ですわ」
気遣う兎角を鋭利な視線で切り捨て、純恋子は自信ありげに口角を上げた。
しえなにぶつけられた後コート内に留まったこぼれ球を兎角が拾い、相手コートを見据える。
兎角「行くぞ、一ノ瀬」
晴「はい!」
晴に向けてボールを構え、助走をつける。
そして体は晴に向けたまま、腕を振り抜く直前に角度を変えた。
兎角から離れたボールはまっすぐに春紀へ向かい、勢いはあるものの工夫のないそれはいとも簡単に受け止められてしまう。
春紀「っと……。分かりやすいんだよ。お前が晴ちゃん狙うわけないもんな!」
兎角はすぐに後退し、春紀から距離を取るがアタックのモーションが思った以上に早い。
身をよじって何とか体には当たらなかったものの、浮いた指先をボールがわずかにかすめた。
鳰「兎角さんアウトー」
兎角「くそっ……!」
ボールは外野に流れ、涼がそれを拾った。
春紀「よし、パスくれ。一気に片を付ける」
外野からのパスを受け取り、春紀はもう一度アタックをするために左足を踏み込んだ。
腕から指先までをしならせて力強くボールを打ち出す。
渾身の一球が純恋子を襲った。
そのボールの勢いに伊介は焦りを露わにし、純恋子に視線を移す。
純恋子「あら」
ばちんっと痛そうな音を立てながらも、純恋子はそのボールをいとも簡単に両手で挟むように掴んでいた。
春紀「えっ」
伊介「えっ」
2号室はそろって目を点にして、呆然としていた。
純恋子「行きますわよ」
力強く、それでいて上品に、純恋子は一歩足を踏み出して女性らしく腕を振った。
しかしそんなモーションからのボールの勢いはあまりに予想外だった。
弾丸のような豪速球が春紀に襲いかかる。
春紀「だーーっ!!」
掴む事はできないと判断して避けようとした時には遅く、中途半端にしか身を交わす事が出来ずにボールは春紀の脇腹に快進撃を与えた。
鳰「春紀さんアウトー」
伊介「なにあれ。病弱の人の力じゃなくない……?」
伊介はぞっとした様子で純恋子を見つめ、にこやかに返してくる笑顔を体をずらして避ける。
春紀に当たったボールは外野に流れ、兎角がそれを手にしていた。
兎角「犬飼。確実に行くぞ」
兎角は片手をひらひらと振り、伊介に協力を仰いだ。
強敵である春紀をアウトに出来たのは大きいが、同時に外野の攻撃力が大幅に上がった事になる。
出来るならばこのままボールの所有権を得ていたい。
伊介「えー。伊介は一人でも大丈夫なんだけどぉ~♥」
兎角「絶対に勝つ」
伊介の見栄には耳を傾けず、強い視線を返すと伊介も渋々兎角のパスを受け取るために身構えた。
伊介「まぁいいわ。勝たなければ意味がないもの♥」
伊介は兎角のパスを受けると、続けてそれをしえなに送った。
ボールの動きに合わせて乙哉と晴が内野を動き回り、次のアタックに備えている。
なかなか隙を掴めず、しえなは兎角にボールを戻した。
晴「きゃっ」
乙哉「晴っち!」
しえなが兎角にパスを出した瞬間、晴の足がもつれてコートの真ん中に倒れこんだ。
伊介「チャンスよ、東さん!!」
兎角「……それっ……」
兎角の投げたボールはゆるゆると晴の足元に向かい、ぽむっと軽い音を立てて彼女の太ももに当たった。
伊介「ぬるっ!!おい東!!ボールが跳ね返ってこないじゃない!!」
コート内に留まるボールを指差し、伊介は足を踏みしだいた。
鳰「晴アウトー。そして兎角さん復活っス」
兎角「よし」
アウトを取った兎角は内野へと戻り、晴は外野へと移動する。
涼「では、一ノ瀬の代わりにわしが入ろう」
晴「首藤さん、お願いします」
すれ違いざまにタッチをしてお互いの場所を入れかえ、晴は外野のサイドに回った。
涼は軽快な足取りでコートに入ると、口元を緩めて全体を見回していた。
涼「たまにはこういうのも楽しいのう」
涼は同じコートに立つ乙哉に笑顔を向けた。
乙哉「そうだねー。悪くないね」
乙哉は落ちたボールを拾い、兎角達に向けてボールを構えた。
いつも以上に楽しそうに笑う乙哉に、春紀が外野の正面から手を振る。
春紀「武智。パス回しで隙を突くぞ」
乙哉「りょうかーい」
乙哉は勢いのあるパスを春紀に回し、春紀は内野の涼へとパスを回した。
そこから春紀にボールを戻すと見せかけて、サイドに立つ真昼へと回す。
意表を突かれた兎角達は一瞬反応が遅れ、コートの移動に手間取っていた。
武智「番場ちゃん!」
今がチャンスだと乙哉が声を掛けるが、真昼は動かない。
おどおどと瞳を揺らし、ボールを抱えたまま動けないでいる。
春紀「おい、こっち——」
速攻は諦め、春紀がパスを出すように片手を上げて合図を送る瞬間、純恋子が真昼に向けて足を進めた。
真昼「は、英さん……!」
純恋子「番場さん、いいんですのよ。さぁ、わたくしを攻撃してくださいな……!!」
自分の胸に手を当て、訴えかけるように身を乗り出す。
真昼は固く目を閉じ、両手でボールを抱え上げると、純恋子のいる場所へ向けて腕を振り下ろした。
真昼「えいっ……!!」
ボールの軌道は若干ずれていたが、純恋子はそこに手のひらを伸ばし、ボールを受けた。
べちんっと小気味いい音を立て、ボールがその場に落下して二度三度とバウンドする。
純恋子「あーれー……」
鳰「英さんアウト―」
伊介「待てこらぁぁああ!!!なにしてんのよ!?」
あまりの茶番に反応の遅れた伊介の声が体育館に響き渡る。
純恋子「番場さんのあんな必死な顔を見たら当たってあげないわけには行きませんわ!!あなただって黙って見ていらっしゃったではありませんの!」
伊介「誘い込んで実はキャッチする作戦だと思うじゃない!まさか本当にアウトになるなんて思わなかったわよ!」
伊介の文句には耳を傾けず、満足そうに外野へ向かう純恋子。
そして同じタイミングで真昼が内野へと戻っていく。
伊介「もう……っ!!神長さん!」
助走を付けた後軽くステップを踏んで、その勢いを全てボールへと乗せる動作は綺麗なものだった。
全身のバネが腕を伝い、香子の指先からボールが射出される。
香子「はぁっ!!」
——ぼごんっ!!
伊介「ぶっ!!」
ボールは思いがけないところに飛び、伊介の側頭部に直撃した。
跳ね返ったボールをそのまま兎角が冷静にキャッチする。
伊介「あんたなんで真横にいるあたしにぶつけられるのよ!?」
香子「先の未来など、どうなるのか分からないものだな……」
伊介の抗議に意味不明な言葉を返し、香子はメガネを指で押し上げた。
伊介「うるっさい!もういいお前外野行け!!」
兎角「おいおい。せっかくの戦力を……」
伊介「あれが戦力になるか!!」
香子の背中を突き飛ばして外野に叩き出す伊介を横目に、兎角は相手コートを見つめて人数を確認する。
乙哉と涼と真昼。
元外野はすでにお互いに使い果たしている。
こちらのメンバーを思えば戦力差に大きな差はない。
兎角「まぁいい。ボールの所有権はある。行くぞ!」
まずは数を減らすため、中でも非力な真昼に狙いを定める。
それに気付いた乙哉が真昼の前に出ようとするが、兎角のアタックがわずかに早かった。
真昼「きゃっ……!!」
キャッチするための動作に問題はなかったが、兎角の球の重さに耐えられず、ボールを取り落としてしまう真昼。
鳰「真昼さんアウトー」
純恋子「ちょっと東さん!番場さんに対して厳しすぎるんじゃありませんの!?」
兎角「黙れ。誰が相手でも、全力で倒すべきを倒す。それだけだ」
伊介「お前が言うな♥」
コートの外に流れかけたボールを涼が拾う。
兎角と伊介はすぐに距離を取り、アタックに備えた。
涼「こちらの番じゃの」
乙哉「あたしが投げようか?」
涼「心配するな、武智。力はあまりないが……」
軽く助走をつけて素早く腕を回し、肩よりも高い位置で指先からボールが離れた。
勢いはそれほどでもなく、伊介は迫り来る高めのボールを追い、手の届く範囲に近付いたところで抱えるように両腕を伸ばした。
腕の中にすっぽりと収まるはずのそれは、伊介の眼前で右に逸れた。
伊介「ぅわきゃっ!!」
予想した軌道から外れたボールは伊介の腕を弾く。
大変なことに気付きました。
64から66の間が抜けてます。
大っ変申し訳ありません。
今更だとは思うんですけど追加しておきます。
-------------
香子「あぁ。そろそろだな」
伊介は元内野の香子にコートに戻るよう指示を出す。
コートに落ちたボールを拾うと、香子は背筋を伸ばし、堂々とまっすぐ正面を見据えた。
香子「私に任せろ」
伊介「神長さん、あなたこういうの得意そうには見えないけど……」
香子「まぁ見ていろ、犬飼」
自信満々の香子に伊介は懐疑心に満ちた目を向け、あまり期待しない程度に見守った。
-------------
鳰「伊介さんアウトー」
しえな「おー……カーブか……」
しえなが感嘆の声を漏らし、伊介をのぞいた他のメンバーも感心した様子で涼を見ていた。
涼はその反応に気を良くしたのか、周りにVサインを向けた。
兎角「ボールは外野か……」
春紀の持つボールを見ながら、兎角が眉根を寄せる。
残るは兎角一人。
鳰「ピンチっすねー」
兎角「黙れ」
ニヤニヤと嫌な笑い方をする鳰に対して、兎角は嫌悪感丸出しで睨み付けるとまた春紀に向き直った。
春紀「相手は東だ。慎重にパス回しで攻撃するぞ」
乙哉「はーい」
春紀はほぼアタックを放つ勢いで乙哉にパスを回し、乙哉も同じようにサイドにいる晴にボールを渡した。
しえな「うわ、球はやっ」
一連の動作を見てしえなが兎角を心配そうに見ていたが、外野には何も出来ない。
兎角は視線だけでボールを追い、相手の体の動きを見ながらアタックのタイミングを窺っていた。
次に晴からのパスを受け取った乙哉の足取りが力強くなる。
アタックが来る。
そう踏んだ兎角は一気にコートの後方へと下がった。
乙哉「それっ!!」
乙哉から離れたボールは一直線に兎角へと向かい、スピードはあっても十分にキャッチ出来るはずだった。
しかし、実際に放たれたボールはわずかに弧を描き、兎角の手元で急に失速した。
兎角「くっ……!」
涼の球を見様見真似で実践したのだろう。
涼ほどのキレはなかったが、ボールの勢いのせいで即座には反応できなかった。
タイミングを外された時点でキャッチは無理だと判断し、兎角はギリギリのところで回避した。
が、そのすぐ後ろには春紀がいて、兎角が避けたボールを受け止めている。
春紀「うわっ……と」
手から弾いて一旦取りこぼした隙に、兎角はコートの内側へ出来るだけ下がるが気休め程度にしかならなかった。
春紀「そらよっ!」
すぐに体勢を整えた春紀は腰を大きく捻り、体重移動を利用しながら力を溜めると、指先から全てを込めたボールを打ち出す。
至近距離からの大砲のようなアタックが兎角を襲い、重い一撃がその胸に叩き込まれた。
兎角「ぐぅっ!」
どんっという鈍い音が響くと同時に、兎角の体がわずかに浮いた。
晴「兎角さん!」
激しい攻撃に思わず晴が身を乗り出すが、兎角は勢いに押された体を立て直し、膝を着きながらもなんとか足を踏み留まらせた。
兎角「けほっ……。大丈夫だ。ボールも、落としていない……」
絞り出した声はかすれていた。
兎角は思った以上に今の状況を楽しんでいる事に気付いて、挑発も込めて春紀を見ながら口角を上げる。
そして渾身の一撃を受け止められた春紀は、戦慄した様子で兎角に応えるように笑っていた。
兎角「犬飼!剣持!行くぞ!」
コート中央に体を向け、兎角は外野に声を掛ける。
外野には千足と純恋子もいたが、二人とも相手コートとの境で相方と密着しているため放っておく事とした。
香子「私は?」
伊介「あんたは大人しくしてるのが一番いいのよ・」
香子「なんだと!?私は失敗するわけにはいかないんだ!」
伊介「だから何もするなっつってんのよ!!動かなきゃ失敗しないわよ!!」
取り込み中の香子と伊介も視界から外して、兎角はしえなにパスを送った。
兎角「剣持!!」
しえな「あぁ!!」
兎角からボールを受け取ると、しえなはサイドスローで涼の足元へと投げ込んだ。
涼「あいたっ」
低めに沈んだボールは涼の手に当たって、浮き球となる。
乙哉がアシストキャッチの体勢に入るが、届かずボールは兎角側のコートへと入り込んだ。
鳰「首藤さんアウトー」
涼「年寄りは大事にせい……」
香子「お前、私と同い年だろう」
香子が涼の独り言を拾って返すが、特に返答はなかった。
兎角「剣持、入るか?」
しえな「武智がいるから嫌だ」
しえなは乙哉に向けて思い切り嫌な顔をして見せた。
しかし乙哉は全く気にする様子もなく、しえなに向けて陽気に手を振っている。
乙哉「しえなちゃん遊ぼうよ~」
しえな「黙れド変態」
乙哉「そんなに言うんだったら晴っちと遊んじゃうよ?」
しえな「味方にまでボールをぶつける気か、お前は。東にしろ」
乙哉「うーん……じゃあそっちで我慢しようか」
わきわきと指を軽快に動かしながら、乙哉は兎角に向けて構えた。
兎角「失礼だとは思うが、好かれるのも嫌だからなんか複雑だな」
乙哉「兎角さーんうふふふふ」
兎角「素直に気持ち悪いんだが……」
上気する乙哉から目を逸らし、誰かに助けを求めるように辺りを見回す。
しえなと目が合うと、彼女は大きくため息をついた。
しえな「武智、帰ったら遊んでやるから今は大人しくしてろ」
そうしえなが声をかけると、乙哉はにこにこと嬉しそうに笑った。
乙哉「しえなちゃーん、大好きーー!」
しえな「余計なことを叫ぶな!」
乙哉の恥ずかしい発言に対して怒鳴りつけるしえなだったが、その頬はピンクに染まっていてまんざらでもない様子が窺えた。
鳰「……あれ?もしかしてみんな仲良しなんスか……」
全体を見渡しながら相方のいない鳰が生気の抜けた目をして呟いた。
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乙哉「うーん……実はあたし大ピンチじゃん?」
改めて周りを見て、乙哉が緊張感のない声を出した。
乙哉はコートの角に立ち、兎角から距離を取る。
兎角「行くぞ、武智」
乙哉「あたし、攻められるよりは攻めたいタイプなんだよねー」
にやりと笑う乙哉の目が光る。
しかし兎角は気圧される事もなく、全力でボールを投げつけた。
乙哉「はーい。惜しいね」
兎角の攻撃は軽くかわされ、ボールは後ろにいたしえなに渡った。
しえな「このっ!」
サイドに移動したしえなからのアタックも容易にかわされ、今度は向かい側に立っていた純恋子がボールを拾う。
純恋子「えいっ」
乙哉「残念!」
純恋子の剛速球も、乙哉は始めから受ける気がないため飄々と避けられてしまった。
——ぼぐっ!!
しえな「いっだーーーー!!」
乙哉の避けたボールは鈍い音を立ててしえなの外腿に直撃した。
伊介「……あんた、ほんっとに運がないわね……」
うずくまるしえなに同情の視線が集まり、あまりに不憫で伊介ですらも彼女に声をかけている。
しえな「外野にいても……これだしさぁ……」
腿を激しくさすりながら、しえなは痛みに耐えていた。
それでもボールが流れないように抱え込む姿勢に兎角は感心した。
乙哉「しえなちゃん、基本的にトロいんだね」
しえな「はっきり言うなよ!!」
苛立ちまぎれにボールを乙哉に至近距離から投げつけるが、それも彼女にはヒットしない。
乙哉「当たんないよー」
相手を小馬鹿にするように乙哉は両手をぷらぷらと振り、コート内をちょこまかと駆け回った。
いい加減苛々も極まってきたようで、伊介は力任せにボールをぶん投げるが、それもさらっとかわされてしまう。
伊介「あぁもう!!早く死ねっ!!」
春紀「伊介様ー、言葉が物騒だよ」
伊介「あんたらの存在の方がよっぽど物騒よ♥」
暗殺者で構成されたチームを見回しながら伊介がこめかみを引きつらせる。
次にボールを取ったのはサイドに立つ香子だった。
香子「私の攻撃だな」
乙哉に向けてボールを構えると、兎角としえなが内野と外野でそれぞれ身を乗り出す。
兎角「気を付けろ!!神長が投げるぞ!」
しえな「前後左右どこに飛ぶか分からない!全員警戒して!!」
香子「お前ら味方だろう!!」
伊介「味方にぶつけておいて仲間ヅラかよ♥」
身内からの辛辣な言葉に香子は怯んだ様子を見せたが、持ち前の真面目さで名誉の挽回に臨む。
乙哉に焦点を合わせ、低めの位置を狙っているようだ。
たとえ外れたとしても、向かい側にはしえなが立っている。
相手にボールが取られなければ次のチャンスはある。
香子「はぁっ!!」
乙哉の足元に向けてまっすぐに腕を振り、ボールはその視線の先へ——。
真昼「ほぎゃっ!」
純恋子「番場さん!」
ボールはとんでもない勢いで飛び、向かい側外野サイドの真昼の脇腹にぶち当たった。
当たりどころが悪かったのか、倒れ込む真昼に純恋子が即座に駆け寄り、介抱を始めている。
鳰「真昼さんリタイアー……っスかね……」
純恋子を見れば、鳰に向けて親指をぐっと立てて合図を送っていた。
そのまま真昼を抱えて体育館の隅へと移動し、膝枕を始める。
鳰「どさくさに紛れて自分の欲求を満たしてるっスねー……」
兎角「結局ボールはあっちか……」
しえな「本当に役に立たないな」
しえなが半眼で香子を睨むと、彼女はその場にへたり込んで拳をぐっと握りしめた。
香子「くっ、ボールを奪われてしまっ——!」
伊介「いやあんたがそこに自ら投げたんだよ」
香子に被せて突っ込む伊介の声は今までに聞いたことのないほど低かった。
ボールの所有権がない今、外野にはなにも出来る事がなく、ただ兎角を見守った。
晴「さぁ兎角さん!覚悟してください!」
真昼からのこぼれ球は晴が拾っていた。
そしてそのボールは春紀へ渡り、次に乙哉へ回された。
兎角はボールを目で追いながら、乙哉と春紀の動きを見張っていた。
アタッカーはこの二人のどちらかになるはずだ。
乙哉から晴にパスが渡ると、春紀が軽く手を上げたのが見えた。
パス回しは4回まで。
晴から春紀へのパスが最後になるため、アタッカーは春紀となる。
兎角が春紀に体を向けようとすると、晴が兎角に向けて一歩踏み込んだのが視界に映った。
兎角「なっ……」
アタッカーは晴だ。
瞬時に判断して晴に向き戻り、なんとかボールが向かってくる前に正面に構える事が出来た。
十分キャッチできる間合いだ。
しかし晴の手から離れたボールは、意外な勢いを持って兎角へと飛んできた。
兎角「くっ……!」
ボールは一瞬反応の遅れた兎角の手の甲に当たり、宙へ高く舞い上がる。
しえな「まだだ!」
しえなが叫ぶが、着地点はサイドラインの外だ。
春紀達が勝利を確信した表情を見せる中、兎角は動いた。
サイドラインギリギリのところから高々とジャンプしてボールへと手を伸ばす。
しえな「うわ……」
会心の跳躍力にしえなが驚きの声を上げ、同様に他のメンバーの視線も感じる。
しかし、視界の端に移る春紀だけは自コートに目を向けていた。
春紀の視線の先には、感心した様子で兎角を見つめる乙哉の姿がある。
春紀「武智!下がれ!!」
乙哉「えっ!?」
その声に乙哉が反応し、センターラインから下がろうとするが兎角の狙いはすでに乙哉に向いている。
兎角「こ、のっ!!」
着地を待たず、兎角は乙哉へアタックを繰り出していた。
勢いはないものの、不意を突かれた乙哉に逃げ場はない。
乙哉「うわわわ!」
兎角の投げたボールは乙哉の膝に当たり、足元へと転がっていった。
鳰「乙哉さんアウトー!試合終了!兎角さんチームの勝利っス!!」
鳰の宣言とともにしえなが兎角に駆け寄る。
しえな「東!よくやった!」
急いではいないものの、同じように伊介と香子も兎角へ向けて歩みを進めていた。
伊介「まぁ当然よね。伊介が負けるなんてありえないもの♥」
香子「最後にボールを奪われた時にはどうなる事かと思ったが、辛勝といったところか」
伊介「疲れたからもう突っ込まないわよ♥」
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しえなが千足がいない事に気付いて辺りを見渡していると、外野で向かい合う千足と柩を見つけた。
柩「千足さん、おめでとうございます!」
柩は千足の手を握り、子供のような笑顔を向けている。
自分の事のようにはしゃぐ柩に驚いて半ば呆然とする千足の頬が段々と緩んでいく。
千足「桐ヶ谷。お前は優しいな」
柩「ぼく、千足さんの言う事ならなんでも聞きます」
しえな「生田目じゃなくて、ボクらの言う事聞くんだぞ?」
二人の会話を内野から聞いていたしえなが口を挟むと柩の目がキラリと光った。
柩「反撃してもいいですか?」
しえな「ダメに決まってるだろ!?」
いつもよりはるかに低い声のトーンに、しえなは妙な危機感を覚えて身を震わせた。
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体育館の隅に座り込んでいた純恋子と真昼が立ち上がって、黒組メンバーの集まっている場所へと移動を始めた。
純恋子「番場さんには可愛いお洋服でも着てもらいましょうか」
上品に笑いながら、純恋子は真昼の全身に視線を巡らせた。
それに気付いた真昼の頬が赤く染まっていく。
真昼「は、恥ずかしい……ます……」
純恋子「真夜さんにもお願いしようかしら……。かっこいいお洋服もお似合いになりそうですわね。番場さんはどう思われますか?」
真昼「いい……思います……」
うっとりとした表情で純恋子に笑い返すと、純恋子はさらに楽しそうに笑った。
春紀「それ全員に着せるんだからな」
しえな「そういうのは個人的にやれ」
外野から二人の様子を見ていた春紀が水を差し、さらにそれに乗せてしえなも突っ込むが、二人が気にする様子はまったくなかった。
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春紀「あーあ。伊介様になんか命令したかったなー」
春紀は今更負けた事が悔しくなったのか、口を尖らせて伊介のそばに歩み寄ってきた。
伊介は勝ち誇った気持ちで顎を上げると、春紀に挑発的な視線を送った。
伊介「百年早い♥」
春紀「せっかくのチャンスだったのに」
春紀が小さくポツリと呟く。
ちらりとこちらを見る動作には気付いていた。
伊介はあえてそれを無視する。
春紀「……」
なのにそれ以上何も言ってこない事が気になって、結局は折れてため息をついてしまう。
仕方がない。
伊介「……なにして欲しかったのよ」
待っていたかのように春紀は笑った。
春紀「伊介様にさ、ネイルを綺麗にしてもらいたかったんだ」
伊介「馬鹿じゃないの♥」
にっこりと笑いながら春紀を罵倒すると、彼女はがっかりした様子で首をうな垂れた。
春紀「えー。本気なのにぃ……」
しかし別に否定したわけじゃない。
伊介「そんなの、いつでもしてあげるわよ……」
小さな小さな声で呟いてみるが、春紀の耳にはしっかり届いていて、次の瞬間には目を輝かせていた。
春紀「ほんと!?絶対だよ!」
伊介「子どもか」
あからさまにうんざりした顔をして見せたのに、すぐに春紀の人懐っこい笑顔につられて目を細めてしまった。
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涼「香子ちゃんはなにかあるか?」
周りの騒々しさを微笑ましく見守りながら、涼は香子に声を掛けた。
彼女も同じように黒組を眺め、前を向いたまま口を開く。
香子「別に何もない」
涼「そうじゃろうなあ」
無愛想に返してくる香子が可愛く思えて緩やかに目を伏せた。
すると、そんな様子が気になったかのように香子がこちらに向いた。
香子「首藤はなにかあったのか」
涼「いーや。特にはないかの」
涼にとってはみんなと遊べた事自体が、目的であり報酬だった。
正確には、香子と遊びたかった。
そしてとても楽しかったからそれ以上に望むものはない。
香子「そうか……。ところで首藤」
涼「んー?」
香子が軽く頬を掻いて目を逸らした。
香子「今度、温泉旅行に付き合え」
照れたように呟く言葉が嬉しくて、涼は満面の笑みを浮かべた。
------------
乙哉「しえなちゃんしえなちゃん!あたし今日はしえなちゃんの犬になるね!」
押し潰すくらいの勢いでいきなり乙哉が背中にのしかかってきた。
しえな「うわ重っ……!ばっ…やめろ!」
しえなが激しく鬱陶しがっても乙哉は全く気にしない。
伊介「あぁ、そういうプレイが好きなのね♥」
しえな「ご、誤解だ!そういうのじゃない!!」
香子「趣味はそれぞれだから否定するつもりはないぞ」
しえな「違うってば!!」
伊介と香子に否定を繰り返すが、聞いてくれる様子はない。
背中にいる乙哉はずっとしえなの頭に頬を擦り付けている。
引き剥がそうにも力が強すぎて腕を振りほどけない。
なんとかできないかと腕力のありそうな春紀に目を向ける。
春紀「今日は、って事はいつもは剣持が犬なのか」
しかし彼女も興味ありげにこちらを見ているだけだった
しえな「ちゃんと話を聞いてくれ!武智が勝手に懐いてくるだけでボクは別に——!!」
乙哉「しえなちゃん……。そっか、あたし邪魔だったんだ……。ごめんね?あたし空気読めないから……」
ふと背中の負担が軽くなる。
体は離されていなかったが、今は手を添える程度の重さしか感じない。
振り返れば寂しそうに笑う乙哉の姿が映る。
しえな「あ、そういう意味じゃ……。悪かったよ。言い過ぎた……」
そっと乙哉の手に触れると、彼女はにやりと笑った。
乙哉「やっぱり可愛いね、しえなちゃん!」
今度は正面から抱きつかれ、気落ちした様子を見せたのは乙哉の演技だと気付く。
しえな「あぁもう離れろ!!」
乙哉「えー……あたしのこと嫌いなの……?」
しえな「そういう話じゃなくて……!」
きっとこれも演技だと思いながらも突き放せない。
どうしようかと考えて、もう諦めた。
春紀「剣持あれダメだわ。完全にオモチャだな」
伊介「お似合いだと思うけど♥」
2号室の会話は聞こえていたが、否定する気力もなかった。
------------
晴「兎角さんは?」
周りの様子を楽しそうに眺めていた晴がようやく口を開いた。
兎角「私は別になにも……」
晴「あんなに勝ちたがっていたのに?」
兎角「報酬のために勝ちたかったわけじゃない」
あまり気の利いた事が言えなくて、晴ががっかりするんじゃないかと少し心配になった。
勝ちたい、というよりは負けたくないという気持ちの方が強かった気がする。
なにより晴に無様な姿は見せたくはなかった。
晴「兎角さんらしいけど」
にっこりと返してくる晴の笑顔が眩しくて、どきりと胸の奥が熱くなる。
晴「兎角さん、手は大丈夫?」
晴が手元を覗き込んできた。
兎角「なにがだ」
しらばっくれてみるが、晴は構わず兎角の左手に手を添えてきた。
晴「春紀さんのボールを取った時だよね」
隠しても無駄なようだ。
兎角は長いため息を吐き出して、手首をくるくると回して見せる。
兎角「少し痛めただけで、一時的なものだ。今はなんともない」
少し当たり所が悪かっただけで、試合中は手首が素早く回らなかった。
それでも見た目で分かるような動きはしていないはずだった。
兎角「よく気付いたな」
晴「うん、だって晴はいつも兎角さんを見てるから……」
頬を染めて寄り添う晴の体温が伝わってくる。
ひなたの匂いで肺が満たされ、誘われるように兎角は晴の腰を抱き寄せた。
------------
しえな「なんかあそこの空気ぬるいけど」
春紀「あれは最初からだ」
遠くから1号室の二人を素の表情で眺めながら、しえなと春紀が低めに呟いた。
しえな「結局これどうなるんだ?みんなバラバラだぞ」
これではいつまで経っても決まらない。
しえなはため息交じりにぼやいて周りを見渡した。
誰の顔を見てもいい案があるようには思えない。
がっくりとうなだれる溝呂木を外野へ叩き出すと伊介はにっこり笑って向き戻った。
涼「これ。先生をいじめるでない」
溝呂木を哀れんだ涼が庇うが、溝呂木はすでにとぼとぼと体育館の隅に向かって歩いて行ってしまっていた。
春紀「まぁ罰ゲームできゃっきゃ言い合う間柄でもないわな」
純恋子「どうするんですの?」
春紀「最後まで残っていたのは東なんだし、東が決めたらいいんじゃないか?」
春紀が兎角のいた方を振り返るが、視線の先にはすでに彼女の姿はない。
一通りのやり取りが終わったのか、兎角と晴は春紀の真後ろまで寄ってきていた。
兎角「……私が決めるのか?」
春紀と目が合って、兎角はきょとんとした顔でわずかに首をかしげた。
兎角が望みは何もないと言っていたのは春紀も知っているはずだが、内容よりまず誰が決めるのかを決定しておきたいのだろう。
それだけで少しは話が進む。
伊介「東さんのセンスで面白い事が思い付くのかしら♥」
涼「別に面白い事をする必要はないじゃろう」
反発しそうに思えた伊介もいい加減面倒になってきたようだ。
文句を言いながらも反論はしない。
晴「そうですね。兎角さんが決めてください」
視線が集まり、兎角は居心地悪そうに考え込むと数秒後に顔を上げた。
兎角「……これは個人的に一ノ瀬に頼もうと思っていたんだが——」
春紀「そういうのパスパスパス!!破廉恥すぎてダメなやつだろ!!」
間髪入れず口を挟む春紀の反応に兎角が頬をわずかに染めた。
兎角「そんなわけあるか!!バカを言うな!!」
晴「とっ、兎角さん、誰でもいいんですか!?」
兎角「良くない!!」
伊介「あ、やっぱそういう意味なんだ♥」
兎角「そ、そうじゃない!今のは流れで……!!」
しえな「なんにも考えてなさそうで実はムッツリだったんだな」
兎角「黙れ剣持!」
反論する度に兎角の色白な顔がピンクから赤に染まっていく。
意外な反応が面白くなったのか、後ろから乙哉も参加してきた。
乙哉「ハーレム作りたいの?手伝うよ!」
しえな「どっちかというと、囲まれていたぶられるタイプじゃないか?東って。あとどさくさに紛れて自分の願望を晒すなよ、武智」
しえなは耳元で興奮する乙哉を押さえ付けるが、もはや離れてくれるとも思っていない。
涼「粋がってる割に返り討ちっていうのが面白いと思うんじゃが……」
涼が香子に振り返って話を振り、それにうんうんと頷く彼女を見て、兎角が怒りを爆発させた。
兎角「だからその話はもういい!カレーを作ってもらうつもりだったんだ!!」
春紀「個人的にやれよ」
兎角「だからそう言っただろうがっ!」
春紀「いでっ!」
兎角は目を吊り上げて春紀の背中を平手でぶっ叩いた。
その後春紀が背中をさすりながら伊介に寄って行くのが見えたが、その先でもなぜか伊介にぶっ叩かれている。
晴「晴達でカレー作るの?」
兎角「そうだ。嫌なら嫌で構わないが」
兎角は周りを見渡し、どうでもよさげにため息をついた。
伊介「まぁいいんじゃない♥」
春紀「相方への料理は定番中の定番だしな」
伊介「不味かったらコロすわよ♥」
伊介の威圧的な態度にすっかり慣れたのか、料理に自信があるのか、春紀は楽しそうに笑うだけだった。
乙哉「しえなちゃんのカレーかぁ」
しえな「いや違う。作るのはお前だろ。ボクを勝手に負け組に入れるんじゃない」
うっとりと浮いた目付きで宙を見つめる乙哉の頭を軽く小突くと、彼女は「えー」と不満そうな声を上げた。
それでも乙哉の目は輝いている。
なにか変なものでも入れる気なんじゃないかと考えながら、カレー作りには自分も参加しようと心に決めた。
伊介「しえなちゃんが負けてないってなんかおかしいわよね♥」
しえな「どうしてそうなるんだ。その考えがおかしい事に気付いてくれ」
ただの冗談だと思ったのに、伊介以外の人の目は笑っていなかった。
しえな「ボク、なにかしたっけ……」
鳰「なにもしてないからじゃないっスかね」
どういう意味だと問いただそうとしたが、
涼「カレーといえば……」
涼が口を開いてタイミングを逃してしまう。
涼「家庭で手軽に食べられるようになった時には感動したものじゃ」
香子「いつの話だ。お前私と同い年だよな?」
懐かしそうに呟く涼の隣で香子が訝しんでいた。
涼はそれをにっこりと笑顔でかわし、別のメンバーへと目を向けた。
千足「桐ヶ谷、大丈夫なのか?包丁には気を付けるんだぞ?火傷なんてするんじゃないぞ?」
柩「大丈夫ですよ。ぼくは子どもじゃないんですから。千足さんのために一生懸命作ります!」
無邪気に笑う柩とは裏腹に、千足は彼女の心配ばかりしている。
恋人同士、というよりは家族のような、それも父親が娘を心配するような口調だった。
千足「お前が怪我をしてしまっては素直に喜べない。私も手伝おう」
柩「だめですよ。ぼくが千足さんのために作るんです」
柩はそうきっぱりと言い切ってから少し俯いた。
柩「それに一緒に作るのは、二人きりの時がいいです……」
しえな「またか。またイチャつく気か」
冷たく吐き捨てると、しえなはそれ以上に冷たい視線を感じた。
柩「なんですか?」
しえな「ひえっ……」
氷のように光る柩の目から逃れたくて、しえなは乙哉の後ろに隠れた。
そのまま4号室の方は見ないように視線を逸らすと、落ち着いた空気の漂う6号室の二人が見えた。
いつも通り、何か言いたそうなのに気弱にもじもじとする真昼。
もどかしさに苛立った様子もなく純恋子はじっと彼女が話し出すのを待っている。
真昼「英さんに……喜んで、もらえるカレーなんて……作れますん………」
しえな「え。それはどっち?」
思わずぼそっと突っ込むが二人には聞こえていなかったのか、あえて無視をしているのか反応は返ってこなかった。
純恋子「番場さんが作ってくださるカレーならどの世界のカレーより美味しいに決まっていますわ」
真昼「でも……」
純恋子「わたくしの好きな食べ物は番場さんの作ってくれるカレーですのよ」
香子「確かマカロンだったはずだが」
すぐそばで口を挟む香子の声は届いているだろうに、やはり二人からの反応はない。
純恋子は自分より少し低い位置にある真昼の頭をそっと抱き寄せた。
純恋子「わたくしのために作って下さいますか?」
真昼「は…、はひ……っ」
顔を真っ赤にしながら、固く目を閉じて真昼は声を震わせた。
鳰「あのー……ウチ、食べてくれる相手がいないっスけど、それでもやっぱり作るんですかね……?」
兎角「じゃあ私が食べてやる」
鳰「ウチに気を遣ってるみたいな言い方っスけど、ただの食い意地っスよね」
そう言う鳰の表情は少しにやけていて、それはいつもの嫌な笑い方ではなかった。
そのままちゃっかりと晴と兎角のそばで楽しそうに並んでいる。
春紀「じゃあ、先生。放課後調理実習室借りていい?」
溝呂木「あぁ!みんなで仲良く料理だもんな!先生がちゃんと許可を取ってやる!!」
春紀が遠くで落ち込む溝呂木に声をかけると、彼は輝いた表情で駆け寄ってきた。
------------
体育の授業が終わり、全員で教室に戻る途中、晴は後方を歩く兎角に並んだ。
晴「兎角さん、ありがと」
兎角「なんの話だ?」
晴が肩を寄せると、兎角はそっけない返事をしながら一旦合わせた目を逸らす。
その態度で何の話なのか察していることくらいは晴にも分かっていた。
晴「晴が喜ぶからでしょ?」
やはり兎角はこちらを見ない。
兎角「……知らない。別にお前、みんなで料理したいなんて言ったことないだろ」
カレーの話なんてしていないのに、そう言って墓穴を掘る辺りが兎角らしいと思う。
みんなで何かをする事に憧れている晴の気持ちを、兎角はちゃんと理解していた。
命を守るだけでなく、他の事でも守られているのを自覚して晴は嬉しくなった。
晴「ほら、分かってくれてる。だからありがとう」
兎角「……置いていくぞ」
照れ隠しに歩幅を広げる兎角を駆け足で追いかけ、また彼女の隣に並んで腕を絡める。
鬱陶しそうにするかと思って兎角の顔を覗き込むと、ため息をつきながらもちゃんと笑って返してくれた。
晴「兎角さん」
兎角「なんだ?」
晴「兎角さんが困ること言っていい?」
兎角「困るのならやめてくれ」
思い切り怪訝な顔で断られてしまった。
晴「そっか……。じゃあいいです……」
わざとというわけではなかったが、落ち込んだ態度が素直に出てしまって兎角がさらにため息をつくのが聞こえた。
兎角「どっちにしても私が困るんじゃないか……」
ぼそりと呟いて、兎角は晴の手を握った。
兎角「言ってみろ。いくらでも困ってやるから」
諦めたように眉を下げて、兎角は息を吸った。
そういう自分の犠牲を厭わない態度がいつだって愛しかった。
晴「大好き」
込められるだけの想いを声と笑顔にのせる。
兎角は瞬時に顔を赤く染めて、それを隠すように晴から顔を逸らした。
兎角「そういう困らせ方だとは思わなかった……」
晴「兎角さんも晴を困らせてみる?」
素直な反応が嬉しくて、思わず調子に乗ってしまった。
どんな返事をくれるのか、少しばかり期待をしてみる。
兎角は数秒考え込んで、晴の顔を見た。
兎角「……お前は喜ぶだけだと思う」
やっぱりダメだった。
分かってはいたが、盛り上がりついでに少しくらいサービスしてくれるんじゃないかとも思っていた。
拗ねたような態度を取れば何か言ってくれるかもしれないが、そこまで困らせてしまうのもかわいそうな気がする。
考え込んだ数秒の間、きっと兎角は頭の中で晴を困らせるための言葉を並べたはずだ。
晴「兎角さん、晴が喜ぶような事言おうとしたの?」
そう指摘すると兎角は、しまった、といった顔をしてまた顔を逸らした。
それ以降兎角は黙ってしまって、もう一度催促をしたけれど答えてはくれなかった。
本当は兎角が大切に想ってくれている事は分かっている。
だから今は握り返してくれるこの手のぬくもりだけで十分だった。
終わり
156 : ◆P8QHpuxrAw - 2015/01/04 22:25:23.37 cu+AxlEe0 127/128終わりました。
最後の方はだらっとしましてすみません。
お付き合い頂きましてありがとうございました。
以前書いたものについてお問い合わせを頂きましたのでリンクを張っておきます。
兎角「初恋」※エロあり
http://ayamevip.com/archives/39778305.html
兎角「不安」(「初恋」の続き)※エロあり
http://ayamevip.com/archives/41545305.html
晴「やっちゃいます」※ふたなり注意
http://ayamevip.com/archives/40188968.html
しえな「武智乙哉はシリアルキラー」※エロあり
http://ayamevip.com/archives/40351077.html
兎角「新しい黒組」
http://ayamevip.com/archives/41262134.html
しえな「ボクの居場所」※エロあり
http://ayamevip.com/archives/41882351.html
こうやって見るとエロばっかりですね。どうかしています。
そして何故か晴ちゃんがエロくなります。
ふたなりに関しては嫌悪感を持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、私は内容によっては大好物でございます。
もう1、2本くらいは書きたいところです。
それでは、また別の話が出来たら書きこんでいこうと思いますのでその時に気が向いたら見てやってください。
今後とも犬の散歩野郎をよろしくお願い致します。
157 : 以下、名... - 2015/01/04 22:31:39.28 8dDAc1RE0 128/128乙である
次も期待してるぜ