いつものように部室の扉をノックした。もはやノックをする必要性など無いのだが、
二年近くも繰り返してきた動作を急に止めることなんて出来やしない。頭ではわかっていても、
身体のほうがそれについていかない。しかし、それにすらそのうち慣れてしまい、
ノックしなくなることを考えると些か淋しいものがある。
「……」
返事が無いことを確認するまでもなく扉を開けた。いつものように長門が本を読んでいる。
そう、いつものように、だ。それ自体別に珍しいことでも何でもない。
しかし、心の持ちようによってそれは、いつもとは違った風景のように感じてしまう。
しかも、この場合は埋めることが出来ない穴が空いてしまっている。ピースの欠けたパズルのように、
当たり前だった部室の風景が不完全なものになってしまった。
ぼんやりと長門の姿を眺めているうちに、ハルヒと古泉がやってきた。これで全員。どうしても足りない。
そう、一週間前に朝比奈さんは卒業してしまったのだ。もちろん、未来に帰ってしまったとかそういうのではなく、
単に北高を卒業しただけなのだが、それでも違和感というか何かが足りないという変な気分だ。
ハルヒはハルヒで、朝比奈さんがいないことに慣れないのか、よく朝比奈さんにお茶をいれるよう頼んでいる。返事が無いことにはっとなって、淋しそうな、なんとも曖昧な表情をするのだった。
将棋を差す手が止まった。現在古泉は、角と飛車のどちらを俺に献上するかで迷っている。古泉が長考に入ったせいで、俺は少々手持ちぶさたになってしまった。熱いお茶でもいれようと思い、何気なく席を立った。
「あ、キョン。お茶いれるならあたしのもついでにいれてちょうだい」
「……わかった」
いつもなら俺は『そのくらい自分でやれ』とでも言ってハルヒと文句の応酬をするのだが、今日に限ってはハルヒの命におとなしく従うことにした。
俺もハルヒも朝比奈さんがいないことを十二分に意識しているのだ。
今度お茶を美味くいれるコツなんかを聞いておこう。朝比奈さんは、卒業したとはいえ週末の不思議探索には参加してくれている。
その時でいいだろう。
「ほら、熱いから気を付けろ」
「ん、ありがと」
普段は礼など言ったことのないハルヒが、パソコンから目を離さないとはいえ、礼を言った。
思わずハルヒの顔をまじまじと見てしまう。
「何よ?」
「いや、珍しいこともあるもんだなと思ってな」
「あたしだってそういう気分の時もあるわよ」
「そうか」
そういう気分がどういう気分かはわからないが、その気持ちはわかるような気がした。
「ほい」
頼まれてはいないが、もののついでに長門の分もいれてみた。不味いと思うが我慢してくれ。
「……感謝」
本から顔を上げ、ただそう一言述べて再び本に目を落とす。長門らしいというか何というか。
もしかすると気を遣ってくれたのだろうか。
「おや、僕には無いんですか?」
こちらは女性のみのサービスとなっております。つまり、野郎はセルフでどうぞってことだ。
「……冷たいですね」
古泉のぼやきは無視して、席に着く。どうやら古泉は角を差し出すことに決めたようだ。お茶を一口飲む。
青汁のCMではないが、不味い。朝比奈さんのいれたお茶はそのままでも美味しい上に、さらにあの笑顔がついている。
スマイルは0円だが、心がこもっていればプライスレス。
「物足りないわね……」
ハルヒも同じような結論に達したのか、不満そうな表情を浮かべている。
「みくるちゃんはSOS団のマスコットキャラなのに、卒業しちゃったら意味無いじゃない!」
「……まぁ、仕方ないだろ。それに、別に辞めたわけじゃないんだから」
「それはそうだけど……。よし、みくるちゃんの代わりにキョンがメイド服を――」
「断る。目に毒だ」
「それもそうね」
自分のアイデアだというのに、あっさりと却下。ハルヒも朝比奈さんの代わりなんていないことを理解しているらしい。
「なんだ、淋しいのか?」
「そりゃ、淋しいわよ……」
卒業式の日、朝比奈さんではなくハルヒが号泣していた。らしくないようでなんともハルヒらしい光景であった。
それだけ、朝比奈さんという存在がSOS団、いや、ハルヒにとって大きいということだろう。
「みくるちゃんが留年すれば良かったのに」
もしハルヒが本当にそう願っているとしたら、朝比奈さんの卒業が取り消しということになりかねない。それはそれで嬉しいかもしれないが、流石にそういうわけにはいかないだろう。
「……なんて顔してんのよ。冗談に決まってるでしょ」
朝比奈さんの卒業が取り消しになったとしたら、ハルヒの涙も無駄になってしまうからな。
「うっさい、バカ」
卒業式の日のことを思い出して照れ臭くなったのか、ハルヒはそっぽを向いた。
その横顔がどことなく赤い。
「卒業したからってみくるちゃんとここで過ごした時間が無くなるわけじゃないわ。
それに、週末には逢えるんだから」
「……そうだな。それに、今度の不思議探索の時に思いっきり朝比奈さんに甘えたらいいさ」
「もちろんよ!これでもかってくらいみくるちゃんにひっついてやるんだから!」
ハルヒに抱きつかれて困ったように、しかし、嬉しそうに頬笑む朝比奈さんを想像しながらお茶を一口飲んだ。少しだけ、お茶が美味しくなったような気がした。
終わり

