関連
フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」#1


155 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:07:29.47 b5OocTuo0 76/658


翌日、夕方。
探査術式による結果取得を終えたフィアンマは、のんびりとトールに伝えた。
言うまでもなく、天草式十字凄教メンバーの居場所である。

やって来たのは、夕暮れ時。
日本国内の、冴えないアパートメントだった。
もっとも、それは仮住まいであり、いくつか本拠地は存在する。
厳密には、そのどれもが本拠地ではない。

「…とりあえずノックしてみるか」

日本式の作法には疎いトールである。
彼は軽く首を傾げ、拳の手の甲でコンコン、とドアを叩いた。
程なくしてドアが飽き、ひょこりと少女が顔を覗かせた。
セミロング程度の黒髪で、清楚な印象を受ける少女だった。
柔らかそうなセーターを着用しており、下は派手過ぎず、長め丈のキュロットパンツ。
周囲によく馴染む衣服や立ち居振る舞いは、隠密に秀でた天草式十字凄教ならではか。

「お客様ですね。ご用件は…?」
「事前アポはとってねえ、悪いな。ここのリーダーは居るか?」
「建宮さんは中に居ますけど…」
「そいつと話がしたい」

これまで様々な相手に勝負を挑んできた経験からか、トールは堂々としている。
少女は少し悩んだ後、奥に一旦引っ込んだ。
代わって出てきたのは、クワガタの様な髪型をした背の高い男。

建宮斎字。

現天草式十字凄教教皇代理。

「この建宮斎字に御用とは尋常じゃねえのよな?」

頼みごとか、と言わんばかりの表情。
対して、トールはのんびりと言った。

「俺と勝負してくれ。教皇代理?」

156 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:08:08.01 b5OocTuo0 77/658


事情と目的を説明すること、早三十分。
建宮はじっくりと話を聞いたが、意外にも二人を拒絶はしなかった。
むしろ、やや好戦的な笑みを浮かべて問う。

「つまり、我ら天草式十字凄教と決闘<しょうぶ>がしたい…という解釈で良いのよな?」

トールの望む条件は、何も建宮と二人きりの戦闘に留まらない。
もし許されるのであれば、天草式十字凄教メンバー全員と総当たり戦をしたい程だ。
彼の言うところの経験値は微微ながらも上がるし、運が良ければ女聖人と戦えるかもしれない。

「決闘って響きは格好良いが、俺のしたいことはそんな高尚じゃねえな」

でも戦闘<ケンカ>はしたい、と彼は明るく笑ってみせた。
そんな明朗活発とした様子が気に入ったのか、建宮はこくりと頷いて。

「ちょうど我らも体が鈍ってきていたところよな。是非受けさせてもらうとしよう」

まるでスポーツの練習試合でも引き受けるかのような軽さで、そう受け入れた。
決まってしまえば、動くのは早い。

「モノはついで、本番は夕餉を食べてからにするのが良いだろう」

うんうん、と頷いて。
建宮は掃除をしようと動いていた香焼を捕まえたかと思うと、トールの練習相手にあてがった。

「酷いすよー! 何で俺なんすか!」
「動かない的相手の鍛錬には飽きが来たとこの間言っていたばかりよなぁ?」

うぐ、と口をつぐむ少年を見て、男は小さく笑う。
トールも香焼相手に本気を出すつもりは毛頭ないため、のんびりと笑った。

157 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:08:33.85 b5OocTuo0 78/658


トールの相手をしているメンバー以外はというと、夕飯の用意である。
自分の分は用意しなくて良い、と言うフィアンマに、五和は首を傾げる。

「でも、一人二人分のご飯なんて大して量増えないですよ?」

遠慮しなくても良いのに、と彼女は優しく言う。
五和と一緒に買い出しに来たフィアンマはのんびりと肩を竦めた。

「遠慮している訳ではない」
「?」
「宗教的理由で洋菓子しか食べられないんだよ」
「それは……その、大変ですね」

眉根を下げ、本当に残念そうに言う五和は、きっと優しい子なのだろうとフィアンマは思う。
どうして魔術の世界に身を置いたのかまるでわからないが、恐らく理由があるのだろう。
表面からでは読み取れないことなど、この世界には沢山ある。

もし、自分が世界を救えば。
争いの無い世界になる以上、こういった少女が戦う必要はないだろう。

計画通りに救済された人類は、手と手を取り合って生きていけるはずだ。
そうでなくては困る。自分が犠牲を払う意味がまるでない。

「じゃあマドレーヌ買いましょう」

同じ時間に同じ食卓で食べる事が大事なのだ、と五和ははにかんだ。
フィアンマはこくりと頷き、マドレーヌを眺める。

「どれも変わらんだろうな」
「私は食事を術式に取り入れている影響であまり詳しくないのですが…。
 こういうのって、おすすめとかあるものなんですか? その、お野菜みたいに、見分け方とか」

少し食べたい欲が出ているのか、五和は目を輝かせている。
スーパーで売っているものなどどれも変わらないのだが、フィアンマはちらりとマドレーヌを見やって。

「……そうだな。プレーンはあまりおすすめしないが。
 大してバターを使っていないのなら、香料で誤魔化された苺味なんかが良いと思うぞ?」

五和は手を伸ばしかけ、手を引っ込め。
ぐ、と唇を噛み締め、いけない、と首を横に振る。
そんないじらしい態度を見せる五和の様子を暫し眺め。
フィアンマは彼女に口止めをした後、実費で彼女に菓子を買ってやることにした。

158 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:09:31.68 b5OocTuo0 79/658


そうして、夕飯を終え。
和やかな食事時間中とは打って変わり、"本番"が始まった。
トールの間合いは近距離~中距離を最も得意とするものだ。
遠距離だったとしても、追いついてしまえば問題ない。
そもそも、トールの相手をする人員は距離を取る必要などなかった。
"練習中"に色々と話が決まったらしく、トールの相手をするのは複数人。
メインは建宮だが、サポート役が何人も居る。
しかし、サポートはあくまで補助であり、連携を基幹とした術式を履行するための人員。

つまるところ、建宮とトールの一対一。

戦争代理人と歴史ある組織の長のぶつかり合い。
男のプライドとやらがかかった戦いだろうか、とフィアンマはぼんやりと思い。
非戦闘要員という名の後片付け係の五和と共に、彼女はマドレーヌを頬張っていた。
スーパーで買った安物なのでぱさぱさとしているが、甘いので我慢する。

「…やっぱり、数人で一人を、というのはあまりにも不平等なんじゃ…?」

五和は心配そうに呟き、トールを見つめる。
細身の少年という容姿は、見ている側にとってなかなかの不安材料だ。
別に筋肉ダルマでも弱いやつは弱いのだが、そういう問題とは別である。

「あの、やっぱりあなたも参戦しませんか?」

五和はフィアンマを見やり、問いかける。
親切な申し出だ。しかし、トールにとっては迷惑だろう。
それよりも何よりも。

「俺様が加わってしまうと戦争が起きてしまうしな。まだ早い」
「早い?」
「気にするな」

問題はそこである。
相手がアックアやローマ正教内の人間であればともかく、完全な異教徒に手を出すのは良くない。
最悪それが宗教間の戦争の火種になったりするのだから。
戦争は計画的に必要だから起こすものであって、悲劇的に"うっかりと"起こして良いような気軽なものではない。

159 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:10:23.54 b5OocTuo0 80/658


アーク溶断ブレードの一振りで、フランベルジェが損傷する。
建宮は距離を取り、ともすれば何を避けているのかわからない回避をしながらトールへ間合いを詰める。
生活の中に紛れる魔術記号を取り入れて術式を完成させる彼らにとっては、動き一つ一つに意味がある。
食事や衣服、動き、徹底されたそれらは、一つの完璧な勝利を生み出す為に。
トールが磨いてきた個としての強さや、フィアンマの持つ天性の孤高の強さとは違う。
それらとは正反対の、集団としての強さ、結束と努力の生む結果。

それは。

とある心優しい聖人を支えられる位。
彼女を超えられる位に強くなって仲間として胸を張りたいという、彼らの思いが故。

「フィアンマ」
「何だ」

ブレードとフランベルジェの激しい打ち合いの中、彼は声をかけた。
存外のんきな声にのんびりと返し、彼女はクッキーを口に含む。

「この辺り一帯ぶち壊したら流石に怒るよな?」
「怒る。手加減しろ」

160 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:10:49.51 b5OocTuo0 81/658


再び、言葉のない真剣な戦いが再開する。
トールの手加減とは、一般人のそれとは訳が違う。
言うなれば、フィアンマが『聖なる右』を使う・使わないの問題に等しい。
ひときわ強力な術式を用いなければ、周囲に被害は出ない。
フィアンマはゆるゆるとクッキーを頬張り、五和を見やった。

「ところで」
「はい?」
「此処の女教皇は何故出て行ったんだ?」
「………」

聞きようによってはあまりにも不躾な質問に、五和は黙り込む。
フィアンマは特に気にするでもなく、夜空を見上げた。
まん丸の満月が、暗い夜空の中でぽっかりと浮かんでいる。

「………私達の弱さで、失望させてしまったからです」
「……」
「我々天草式十字凄教は、あの方と共に在りました。
 『救われぬ者に救いの手を』。…口だけでなく、女教皇様はその身でそれを実行していました。
 たった一人の老人の願いの為に、百万人の軍勢を相手にすることだって、厭わなかった。
 私達はあの方の優しさに惹かれ、どこまでもついていきたいと思いました。
 ……それでも、『聖人』であるあの方には、なかなか届きませんでした。何人もが死に、傷つきました。
 元々優しい心根の方でしたから、……嫌気が、さしてしまったのでしょう」

全て自分達の責任だ、と五和はつぶやいた。
それは、天草式十字凄教メンバー全員が思っていることだった。
だからこそ、今は彼女を支えられる程強くなろうと鍛錬を続け、帰りを待ちわびている。

対して。
聞き出しておきながら、フィアンマは吐き捨てた。

「くだらんな」

161 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:11:49.44 b5OocTuo0 82/658


五和は思わず敵意を抱くのを避けられず。
やや鋭い視線をフィアンマへと向けた。
しかし、思っていたような悪意は感じられない。
女教皇―――神裂火織を馬鹿にしているような態度でもない。

彼女は、トールの戦う様を。

いいや、その"向こう側"のどこか遠くを見つめながら、言葉を漏らす。

「自分を心から信頼してくれた部下を悲しませるのは、悪い上司のすることだ」
「………」
「本当に心優しいのなら、部下が悲しまないように対処するべきだった。
 その女聖人が行ったのは、只の『逃げ』だよ。……目の前の恐怖から逃げただけだ。
 お前達の努力や実力が不足してからではない。信頼するだけの度胸が無かったんだ」

それは。
どこか、自虐染みた声色にも聞こえた。
言い返そうとしていた五和は、思わず口を噤む。
踏み込んではいけないような気がした。
神裂本人であればともかく、自分では彼女と同じ意識は持てないと感じた。

「…本来は、離れないことが一番なのだろうが。
 馬鹿なヤツだ。……"他人"にならなくても、良い相手だというのに」

どこか、寂しそうな声だった。
たとえば、餓えを知る老人が、飽食に生きる若者を見るかのような、そんな雰囲気。

「あの、」

言葉をかけようとしたところで、ガギャン、と嫌な音がした。
フランベルジェが弾き飛ばされ、トールの指先から伸びるアーク溶断ブレードが、建宮の首スレスレに宛てがわれた。

勝負あり。

決定的に徹底的な、雷神トールの勝利。

162 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/21 23:12:16.90 b5OocTuo0 83/658


「……降参させてもらうのよな。しかしお前さん、強いな」
「ま、伊達に戦ってきてねえからな。……しかし」

ぐるり、とトールは視線を巡らせる。
女聖人らしき気配は感じられない。
が、どこからか注がれる視線のようなものは感じ取れる。
それが女聖人なのか、はたまたフィアンマの追っ手か、自分への復讐者かはわからない。
しかし、勝利してしまった以上長居する必要性はまったくもって感じられなかった。

「それじゃ、ここらでお暇させてもらうけど、良いよな?」
「文句はねえのよな。今宵は良い戦いだった」

建宮は頷き、トールと戦った相手は全員一礼する。
トールは自らの意思でブレードを消去すると、フィアンマを見やった。
視線が合い、知らず知らずの内に薄く笑みが浮かぶ。
彼が自覚している以上に、トールはフィアンマを好ましく感じている。
そしてそれはもちろん、フィアンマもまた同じく。



帰り道。
女聖人が現れなかったことを残念に思いながらも、トールは今宵積めた『経験値』に満足していた。
ああいった正々堂々とした敵は大好きだ。姑息な手や、弱い者いじめをする人間は好かない。

「……何かあったのかよ?」

と、達成感に浸りながらも、トールはフィアンマの様子の変化に気がついた。
直球な問いかけに、フィアンマは曖昧な笑みを浮かべ。

「何かあった、という訳ではないのだが」
「……」
「…ま、少し思い出しただけだよ。仕事の関係で」

嘘ではないし、真実でもなかった。
彼女は息をするように誤魔化し、トールの手を握る。
先程まで戦闘にのみ使われていた手で最大限優しく握り返し、トールは言葉に悩み。
結局良い台詞なんて浮かばなくて、彼女に歩調を合わせてやるのが精一杯だった。

169 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/23 22:23:29.39 yIabKRb40 84/658


それから、二週間ほどが過ぎた。
ホテルの場所を移し、よりアットホームで安価な場所とした。
現在、カレンダーの月を指し示す数字は、プラス一。
フィアンマは本日も変わりなく、お菓子に手を伸ばしていた。

「猫型のチョコレートケーキか…」
「モチーフだろ?」
「いいや、本物寄りだよ」

彼女が眺めているのは、カタログだった。
いろいろなお菓子を注文出来る、有名洋菓子専門店のものである。
売りは種類の豊富さ、新鮮な食材、珍妙な見目らしく。
彼女が指差すページには、猫の眠る写真があった。
大体ホールケーキ五号程度のサイズの猫。
やけに毛がぺたんとしているな、と思ったトールだったが、気づく。

「いくら何でもリアルすぎるだろうが! 食い辛え」
「ちなみに二種のベリーソースがついてくる」
「血液だよなそれ。どう見ても」
「人物の写真で生首ケーキも注文出来るのか。よし」
「よしじゃねえよ携帯ぶっ壊されてえのか」

プリペイド携帯(カメラ機能つき)を懐から引っ張り出すフィアンマを必死で制止し、トールはため息をつく。
本当に困った『恋人』だ、と。嫌いにはなれないけれど。

170 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/23 22:24:13.63 yIabKRb40 85/658


散財に散財を重ねるのはバカのすることだ。

そんな謎持論を今更に持ち出した彼女は、トールを荷物持ちとして頼っていた。
やってきたのは大型スーパーであり、彼女は小麦粉や卵をガンガンカゴにいれていく。
カートを緩やかに押しつつ、トールはケーキの材料を眺めた。
既製品のスポンジなども販売しているのだが、彼女は一から作るつもりらしい。

「……こういうこと言うと女性差別になるのかもしれねえけど」
「ん?」
「普通の料理さえ作れれば、お前結構良い嫁になりそうだよな」
「作れるぞ?」

危うくずっこけるかと思った。

トールはかろうじて壁に手をつくと、フィアンマを見て。

「……一度もそんな所見たことねえんだけど」
「お前が頼まなかったからな」
「頼めば作ってくれんの?」
「当然だ」

だって恋人じゃないか、と彼女はのんびりとはにかむ。
動揺混じりにそうだなと相槌を打って、トールは視線を彷徨わせ。

「なら、ケーキ作った後でいいからさ。…ハンバーグ作ってくれ」
「わかった。…お前の母親の味は流石に再現出来んが、良いな」
「親なら、物心つく前に死んでる。…気にしなくていい」
「そうか。特に嬉しさはないがお揃いだな」

171 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/23 22:26:16.78 yIabKRb40 86/658


ホテルに戻り次第、フィアンマは調理に取り掛かることにした。
ケーキの後でいいと言われたものの、トールの為の料理を先に作る。
"ごっこ遊び"とは傍目から見て考えられぬ程、彼女の行動は『恋人の為』に相応しかった。

手を繋ぎ。
笑顔で語り合い。
時々ハグをする。
好意表現はありったけ。

でも。
トールが問いただしてみれば、必ず『ごっこ』とつける。
どこか、目には見えない境界線をくっきりと引いているように。

「手伝ってくれないのか?」
「あー、料理は不慣れなんだよ。出来ることがあるならやる」
「隠し味は砂糖で良いかな?」
「隠し味って食べさせる相手にはバラさないモンだしどれだけ糖分とらせたいんだよ」
「疲れているかと思ってな」
「別に疲れるようなことしてねえよ」
「俺様のワガママに振り回されても?」
「内容的には迷惑レベルに達しない我が儘だしな…」

脱いだらすごい系の力ある男にとって、『これ重い持ってー』程度の我が儘は許容範囲である。

172 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/23 22:26:44.16 yIabKRb40 87/658


トールが危惧したようなゲロ甘ハンバーグが食卓に並ぶことはなく。
手作りのトマトソースがかかり、茹でた野菜の添えられたハンバーグが並んだ。
存外まともな見目である。ちなみに味見はしていない。
洋菓子と一切関係のないものを食べると拒否反応をガチで起こす彼女は、味見すら出来なかった。
それでも『味は良いはずだ』と胸を張っていたので、出来れば信じたいものである。
ホールケーキは時間がかかるから、という理由で、彼女はプリンを作った。
これなら一から作ってもトールと同じ食卓について食べられるから、との理由で。

「じゃ、食うか……」
「そう怯えずとも良いだろうに」

食前の祈りを済ませ、フィアンマはプリンを口に含む。
舌触りがなめらかで満足したのだろうか、彼女は幸福そうにスプーンを口に突っ込んだままでいる。
トールはフォークに手を伸ばし、ハンバーグを食べてみることにした。

美味しい。

味見をしていないとは思えない程だ。
肉汁が口の中で溢れ、程よい酸味のトマトソースと混じる。
口を動かせば動かす程、腹の奥底から食欲が誘われる。

「………」
「…口に合わなかったか?」

スプーンの先端を軽く口にはみながら、彼女が首を傾げる。
トールは素直に笑みを浮かべ、二口目を食べながら言った。

「美味い。俺が今まで食ってきたハンバーグの中で一番」
「……そうか。ならば良い」

事実を偽ることなく、良い口上もなしに伝えると、フィアンマは嬉しそうに笑った。

「デザートも作ってやろう。何がいい?」
「シャーベットとか出来るか?」
「問題ない。味に希望がないなら林檎で作る」
「それいいな」

173 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/23 22:27:12.97 yIabKRb40 88/658


食事後、シャーベットを作り。
久々の料理は疲れるな、とフィアンマはシャーベットを食べつつぼやいた。
人間、慣れていることは疲れないものの、久しぶりにやると疲れてしまうものだ。
トールはシャーベットを口にしつつ、労いの言葉をかける。
彼女は満足そうに笑って、汚れた食器を洗い、所定の位置へと片付けた。

「トール」
「あん?」

もう眠る時間だろうか、と時計を見やる。
フィアンマはというと、彼の予測とはまるで違うことを言い出した。

「今日は一緒に入浴しよう」
「ばッ」
「恋人だろう?」

このホテルには、各個室にやや広めの浴室がある。
『家族風呂』とでも呼べそうな程、つまり二人ならば余裕で入れる広さだ。
そこに"二人きり"で、"一緒"に入ろう、と誘っている訳である。
トールはベッドに転がったまま、彼女に背中を向ける。
そんな彼にひっつき、彼女はだらだらと強請った。

「駄目か」
「あの、な、」
「良いだろう、減るものでもないんだ」
「そういうことをお前の方から誘ってくるんじゃ、」
「一緒にはいろ」
「言い方ちょっと変えても意味ねえからな」

結局、根負けしたのは少年の方である。

180 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:04:54.67 SKmqVXuz0 89/658


トールのイメージとしては、一緒にシャワーを浴びてすぐあがる感じだったのだが。
その辺りは双方の認識に齟齬があり。
トールがフィアンマに遅れて浴室に入った時、そこには既に湯の張られたバスタブがあった。

「何でお湯が白いんだよ」
「入浴剤だ」

ホームタイプのこのホテルは割と自由である。
故に、入浴剤を使って入浴しても怒られはしない。
一個売り・使い切りタイプの入浴剤(ボブだか何だか)を使用したらしく、浴室は甘い匂いで満たされている。
何の匂いだ、と聞くトールに、ミルクケーキ、とフィアンマは答える。
お湯が乳白色になる入浴剤には多くの種類があるはずなのにどうしてこれを選んだのか、少年には理解出来ない。

「さて」

彼女はというと、もこもことスポンジを泡立てている。
既に彼女自身は体を洗い終わってしまっているようなのだが。

「ひとまず背中からでいいか」
「自分でやる」
「何を恥ずかしがっているんだ」

首を傾げるフィアンマに邪気や悪意というものは感じられない。
しかし、体を洗われるというのは恥ずかしいものである。
まして、トールは現在自分の意思で体を動かせるし、彼女は商売女ではない。

「さ、先に浸かってろよ」
「のぼせるだろう」

181 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:05:27.61 SKmqVXuz0 90/658


トールという少年は押しに強い。
それは戦闘を愛する毎日の中で磨かれた気性故。
反対に、引きに弱いという欠点がある。
フィアンマ程親しい相手がいなかった今までは、そんなことはなかった。
引き下がっていくのなら、関わる必要もないと思ってきたからだ。
しかし、彼女相手にそう思うような段階は、既に過ぎている。

"かけがえのない"

そこまでの表現をすることは無いだろうが、トールにとってフィアンマは重要だった。
落ち込んでいれば、不器用ながらも慰めようと考える位には。
そんな彼の言動を予測した上で、彼女は落ち込んだ様子で引いた。
『やっぱ体洗ってくれ、好きにしろ』という言質を得てしまえば、後は彼女のものである。

「……ん」
「動くな」

こしこし、もこもこ。

身をよじるトールを咎めつつ、彼女はスポンジで彼の背中を擦る。
傷跡の目立つ背中だった。
服を着ているとそんなに感じないが、存外広くもある。

「……思ったよりも男だな」
「馬鹿にしてんのかテメェ」
「そう怒るなよ」

182 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:06:02.88 SKmqVXuz0 91/658


身体を洗ってもらったお返しに、という流れにより。
トールは現在、フィアンマの髪を洗っていた。
自分の髪よりは些か短いので、洗いやすくはある。
しかし、他人の髪を洗うというのはなかなか緊張するものだ。
加えて、後ろから洗うのでは隅々まで洗えないため、トールは現在彼女と向かい合っている。
髪を洗ってもらうということは、頭を垂れるということである。
要するに、少し前かがみにならなければならない。

「……、」
「ん、くすぐったいな、」

前かがみになれば、巻かれているバスタオルに余裕が出来る。
ましてや、フィアンマは胸が控えめどころでは済まない位の貧乳だ。
タオルと肌の間に隙間が出来れば、"中身"が見えてしまうものである。
シャンプーが目に入るといけないので、彼女は目をつむっている。
必然なこととして、トールの目の前には白い肌、タオルの隙間が提示されていた。
覗き込んだとしても、恐らくはバレない。
ぺったんこだろうがデカかろうが、女の子の胸は女の子の胸である。
男の胸板とは違って、骨格からして価値がある。

(かといってガン見すんのは、)

一応、雷神トールにも良識というものがある。
見えそうだからといって、そしてバレないからといって。
目の前の女の子のちっぱいをガン見して良い理由にはならない気がするのだ。

(―――いや、でも恋人だしな)

邪心が湧き起こる。
ちら、と視線を向けた。



――――脂肪分たっぷりケーキの効果か、トールが思っていたよりは成長していた。

183 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:06:52.40 SKmqVXuz0 92/658


泡をシャワーで洗い流している間に、トールがのぼせたようだ。
まだ湯船にも浸かっていなかったのに、とフィアンマは首を傾げる。
彼はというと、鼻の頭を指二本でつまみ、がっくりと項垂れていた。
何となく顔が赤いする気もするが、恐らくのぼせだろう。

「少し休憩してから入るか?」
「…すぐ治まるから問題ねえよ」

別に、トールは女性経験が無い訳ではない。
戦争代理人として名を馳せる彼は、これまでいくつもの依頼を引き受けてきた。
その中には金では賄いきれない分を身体で支払ってくる女性も居た。
なので、好きではない女を何度か抱いた経験はあるのだ。
にも関わらず血液が鼻腔奥から出ることになったのは恐らく、きっと、のぼせだ。
油断していたところにギャップがあったこと、浴室が明るかったことが主原因である。




ちゃぷ

ぐだぐだと洗髪等を行っていた為、お湯の温度は下がっていた。
湯船に浸かり、フィアンマはうとうととしながらトールの隣に座る。
温泉施設のそれと同じように、浴槽内には段差があった。
転倒防止用のものだが、椅子の役目を果たしてくれるものである。

184 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:07:26.78 SKmqVXuz0 93/658


前はAAサイズだったのに、A+位にはなっているような。
トールはちらりと隣を見やり、すぐに目の前の壁へ視線を移す。
そんな彼の様子を眺めつつ、フィアンマは手を伸ばし。
彼の手を握ると、軽く寄りかかった。

「……」
「……」

トールは彼女に視線を向け、ぼーっとその顔立ちを眺める。
いっそ冷酷な印象を与える程、整ったものだった。

(睫毛長いな…)

入浴している以上、化粧は落ちる。
つまり今の顔はノーメイクの本物だ。
そもそも、彼女と化粧は死ぬ程似合わないイメージ群同士だが。

「眠くなるな」
「まあな」
「眠ると死ぬらしいが」
「へえ」

甘い香りに、酔ってしまいそうになる。

185 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:08:04.46 SKmqVXuz0 94/658


「……でも、お前と一緒ならいっそ死んでしまうのも悪くないな」

ぽつり、と彼女の呟きに、トールは眉をひそめる。
彼女は自殺志願者とは程遠い気質であったはずだ。
フィアンマは姿勢を変え、トールに抱きつく。
思わずお湯の中に倒れこみそうになるが、何とか堪えた。
出会った時よりは多少成長した柔らかみが、彼の胸板に押し付けられる。
意識しないようにしつつ、トールは彼女の髪を指先で弄んだ。

「未来に夢も希望も無いような言い方すんなよ」
「実際、あってないようなものだよ」

ふふふ、と彼女は小さく笑って。
それから、細い指先、トールと繋いでいない方の手で、彼の頬に触れた。
つつ…、と伝っていくその指は、やがて、彼の太腿まで到達する。
自然と彼の視線は彼女の指につられていき、彼女の肢体を見る。

「トール」
「何だよ?」

濡れた赤い髪が、妙に淫靡だった。
吐息ひとつ取ってみても、誘惑しているような感触を覚える。
心臓が高鳴っている事実を深呼吸で誤魔化し、トールは冷静に聞き返した。

186 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/24 18:08:35.91 SKmqVXuz0 95/658


彼女はトールの手をとり。
柔らかな笑みを浮かべながら、自分の体へ持っていく。
やがて彼の手のひらは、ぺたり、と彼女の胸へ触れさせられた。
僅か、緊張する彼を見つめ、フィアンマは小さな声で言う。
声量は控えめなのに、浴室であるが故、エコーがかかって、かえってよく聞こえた。

「俺様を、抱きたいとは思わないのか」
「だき、たい?」

年齢的には大人とは言えないものの。
しかして、トールは決して子供ではない。
前述の通り、いくばくかの『経験』もある。
だから、彼女の発言の意味が理解出来ない訳ではなかった。

じ、と見つめてくる琥珀色の瞳。

長い睫毛に縁どられた、綺麗な目。
感情が篭っているかどうか読めない、その瞳。
触れている手、指先には柔らかい感触がある。
意識して意識下から除外しなければ、性的興奮を感じてしまいそうだった。
いいや、自分では気づいていないだけで、タオルの下は反応しているかもしれない。

「お前になら抱かれても良いのだが、お前はどうしたい?」
「………」

恋人『ごっこ』と、線を引いているのは彼女の方だ。
自分は彼女が好きで、本当に恋人でいたいくらいで。
ならば、抱いてしまっても何の問題もないのではないか。
ここで頷いて、この先何の弊害があるというのだろう。

「俺とお前は、あくまで『恋人ごっこ』―――ごっこ遊びの相手だろ」
「そうだな」

肯定した上で、彼女は少しだけ笑った。
視線を下へ向け、一度だけ深呼吸する。







「―――それでも、俺様はトールが好きだから、抱いて欲しい、……な」

191 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/27 22:00:19.38 mAOUBzm50 96/658


一瞬、揺らぎそうになる。
平常心などかなぐり捨ててしまおうかとも、思った。
しかし、気にかかることがある。
それを解消しないことには、心地よく性行為には及ぶことなんて出来ない。

「なら」
「…ん?」

抱きしめたままに。
彼はゆっくりと息を吸い込むと、頼み込むように言う。

「……『ごっこ』、外してくれよ」
「………、」

気がかりだった。
彼女は、きっと自分を好きでいてくれている。
そして、自分も彼女の事が好きだった。
なら、恋人『ごっこ』などという悪ふざけは終わりにするべきだ。
きちんと『ごっこ』を外して、"恋人"になって、それから行為に及ぶべきだ。
彼女の線引きが気に障っているトールとしては、言わざるを得なかった。

「フィアンマ、」
「断る」

きっぱりと言い切って。
フィアンマは彼から離れると、一足先に脱衣所へ姿を消した。
無感情な声が、妙に耳に残る。

192 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/27 22:00:45.81 mAOUBzm50 97/658


部屋に戻ると、フィアンマは既にベッドに潜っていた。
トールに背中を向け、小さく丸まっている。
膝を抱えて毛布にくるまっているようだった。
トールは適当に服を着、彼女に近づく。
顔を覗き込んでみようとしたところ、もそもそと隠れられた。

拗ねているらしい。

本気で怒ってはいないようだが。
何に対して拗ねているのか分かり辛い。

「…フィアンマ」
「……ごっこはごっこだ」

もぞり。

「黙って据え膳を食えば良いものを」
「…あのな、」

確かにトールは戦闘狂で、魔術師で。
一般人とは多々感性がズレているかもしれない。
それでも、誘われたから本能ままに動く様な獣ではない。

「ごっこじゃねえなら、…俺は、お前が思うようにしたいと思ってる」
「………」
「けどよ、……ごっこ、なんだろ?」

言われ、フィアンマは沈黙する。

193 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/27 22:01:18.40 mAOUBzm50 98/658


「何でごっこを付けたがるんだよ?」

トールは手を伸ばし、彼女の髪に触れる。
染めているのかどうか判別のつかない赤色。

「言っただろう、一生世話になるつもりはないと」
「………」
「…お前のことは好きだよ」

矛盾した発言だ、とトールは思った。
好きなら一緒に居れば良い。
好きなら世話になればいい。
わざわざ一線を無理やり引く必要なんて全くない。

「なら、」
「だが、…こちらにも事情というものがある」

赤い髪を指先で弄ぶ。
少し濡れたそれを、丁寧により分け、緩く編んだ。
その手を振り払うでもなく、フィアンマは毛布を握った。

ずっと一緒に居られるなら、苦労なんてしない。

そこまで身勝手になれないから、こうして黙ることしか出来ない。

194 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/27 22:01:48.61 mAOUBzm50 99/658


目が覚める。
トールは自分の後ろで静かに眠っていた。
フィアンマはちらりと後ろを振り返り。
それからのろのろと起き上がると、静かにベッドを降りた。

「……」

結局、言い争い寸前の険悪な雰囲気で眠ってしまった。
どう言えば納得するのか、程よい嘘が思いつかなかった。

「……、…」

コップを手に取る。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップへ注いだ。
容器をしまいながら水を飲み、彼女はトールを見やる。

もし。

弱音を全て吐き出して、何も背負っていない子供のように泣いてみたら。
彼はどうにかしてくれるだろうか。
たとえば、手を取ってどこまでも一緒に行ってくれる、とか。

「…馬鹿馬鹿しい妄想だな」

世界中を敵に回してまで、自分の味方をしてくれる人なんてこの世界のどこにもいない。
その一番の候補であった親すら、そもそも居ないのだから。

195 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/27 22:02:20.25 mAOUBzm50 100/658


甘い匂いで目が覚めた。
意識の覚醒と共に、甘い匂いに対する知覚は増していく。
甘ったるい匂いだが、不愉快なレベルには達していない。

「ん…」
「目が覚めたか」
「…何か作ってんのか」

ぐし、と目元を擦り。
起き上がったトールは自分の長い髪を尻で踏みそうになり、面倒そうに纏める。
手近に髪ゴムが見当たらなかったため、ストールで適当に結んだ。
本来そんな風に使用してはいけないのだが、寝起きの彼には関係のないことである。

「昨日はすまなかったな」
「あ? …あー…いや、誰しも一つや二つ、言えないことはあんだろ」

自分も大人気なかったのだ、と肩を竦め。
トールは振舞われたフレンチトーストをいただくことにした。

「ハンバーグも美味かったが、普段食ってるだけあって甘いモンの方がもっと作るの上手いな」
「だろう。その辺りの店では食べられん味だ」

得意げに(ちょっとしか)ない胸を張り。
フィアンマはまだ温かいトーストにバニラアイスを乗せ、ゆっくりと食べることにした。

「……今日は何をする?」
「ん……」

もぐもぐもぎゅごくん。

トールは砂糖が僅かに付着した唇端を舌先で舐め。
少し、悪戯っぽいような笑みと共に答えた。

「デートしようぜ」

201 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:50:25.15 wH/tcnnw0 101/658


トールが言った通り、二人はデートをすることにした。

遊園地― 一度行ったから却下。
水族館―うっかり通電が怖いので却下。

ありがちなデートスポットは多くあり。
その中の一つ、動物園へと二人はやって来た。
触れ合える動物の多い動物園である。
猫カフェの前身とでも言えるかもしれない。

「動物は好きなのか」
「嫌いじゃねえよ」

トールは服で手を拭き、猫を抱き上げる。
二人が腰掛けているのはベンチであり、足元には多くの猫が溜まっていた。
一部はくっつきあったり、一方がのしかかって眠ったりしている。
フィアンマは少し悩み、親子の猫に視線を向けた。
子猫が丸まっており、親猫は丁寧に毛づくろいをしてやっている。

「………」

目元を和ませる。
そんな彼女のふくらはぎに、猫が擦り寄った。
人懐っこい性格をしているのか、フィアンマを見上げゴロゴロと喉を鳴らしている。

202 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:50:54.80 wH/tcnnw0 102/658


「犬と猫ならどちら派だ?」
「鉄板の質問だな、それ」

トールは小さく笑って、少し考え込む。
うんうんと考え込んだ結果。

「飼うなら犬、愛でるなら猫…ってところかね」
「ほう」
「猫は人よりは場所に懐くモンだろ」

各地を転々としながら戦闘をしたがる自分には合わないだろう、とトールはぼやき。

「犬―――特に大型はなかなか強いだろ?」

警察猫は居ないが、警察犬は存在する。
長旅でもついていけるし、多少過酷な環境でも絆さえあればついてきてくれる。

「とはいっても、結局飼う気にはならねえけどな」

そう締めくくりながら、トールは猫の顎下をくすぐる。
猫は幸せそうに喉を鳴らし、しっぽをピンと立てた。

203 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:51:20.31 wH/tcnnw0 103/658


「そういうお前はどっちなんだよ?」

トールに聞き返されて。
フィアンマは甘えてくる猫を甘やかしながら、考える素振りを見せた。

「そうだな…猫だろう」
「へえ」
「犬は散歩しなければいけないからな」

基本的には、と付け加えて。

「俺様は職務上、みだりに外へ出られないだろう?」
「………」
「そんな目で見てくれるなよ。今は別だ」
「…ま、そうだな。そうプラプラ出かけるような職業じゃねえ」
「猫なら気ままに過ごしていてくれるし、外へ出す必要もない」
「なるほど。合理的な理由だな」

てっきり可愛いからかと思った、とトールは笑う。
犬だって可愛いものだろうに、とフィアンマは首を傾げた。

世界の頂点に君臨する王と。
世界を駆け回る孤高の少年。

あまりにも違うのに、違うから、惹かれるものがある。

204 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:51:55.10 wH/tcnnw0 104/658


猫の次は兎。
兎の次は犬。

散々動物を可愛がり、ペンギンに餌をやって戯れ。
そうしている内に、あっという間に夕方になった。

「兎は臆病というが、人に懐く種もあるものだな」
「ま、人間も色々いるし、それと一緒だろ」

トールはのんびりと言って、彼女の手を握る。
フィアンマは手を握り返し、夕焼けを見上げた。
美しい空に、長い金髪が緩く揺れている。
紛れもなくそれは隣の少年の髪で。

(どうして、こんなに美しいのに――――)

指先を触れ合わせ、暖をとる。
寒くて、息は白んでいて。

(――――この世界は歪んでいるのだろうな)

205 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:52:21.47 wH/tcnnw0 105/658


時が過ぎ行くのは早いもので、既に一ヶ月が経過して。
街はどこもクリスマスムード一色だった。
トールは神裂火織を捜すことを諦めつつあった。
本人はそう口にしていないが、そのように見えるのだ。
彼曰く『休暇』らしいので、別に良いかとフィアンマは思う。

「日本のクリスマスはどうも単なるイベント扱いだな」

ぷんすこ。

そんな単語が似合いそうな様子の彼女だが。
視線の先はしっかりとブッシュ・ド・ノエルやホールケーキに釘付けである。
十字教のトップの一人がこんなんで良いのか、とトールは思いつつ。

「その切り株、ぶっちゃけただのロールケーキだろ?」
「お前はふざけているのか?」

フィアンマは唐突にトールを睨み。

「このケーキには多くのエピソードがある。
 かつて北欧で樫の薪を暖炉に燃やすと一年中無病息災でくらせるという神話の説。
 前年の冬の燃え残りの薪で作る灰は、これから1年の厄除けになるという伝説により、菓子も縁起のいい薪形になったという説。
 切り株の形は『神の子』の誕生を祝った際に夜通し暖炉で薪を燃やしたことに由来しているという説。
 貧しく、恋人へのクリスマスプレゼントも買えないとある青年が、せめてもと、薪の一束を恋人に贈ったという説。
 いうなればこれ程多くの魔術記号を抽出出来る、共通した記号を持つ洋菓子だぞ?
 それをただのロールケーキ呼ばわりとはどういうことだ。デコレーションされているだろうきちんと」

ぷんすこぷんぷん。

何について怒っているのかまったく理解出来ないトールだったが、ひとまず謝ってみる。
詫びは形で入れるものだ、とのコメント。要するに食べたいだけだったようである。

206 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:53:10.39 wH/tcnnw0 106/658


ホテルに戻り、ケーキの箱を開ける。
皿によそうでもなく、彼女はフォークを突き刺した。
一口分をとると、トールの口元へと運ぶ。

「…あーん?」
「……」

言葉で静かに急かされ、トールはぱくりと食べる。
どう考えても毒見役にされているが、気にしない。

「……美味いな」

ケーキ屋の、それなりの値段だったブッシュ・ド・ノエルはなかなかにおいしい。
柔らかいクリームがすっと舌の上で溶けていくし、カカオの上品な香りが鼻腔をくすぐる。
ふわふわとしたスポンジ、甘酸っぱい苺、削ってかけられたチョコレート。
その全てが口の中で調和し、一つの芸術品の様に『美味しさ』を突きつけてくる。

甘すぎず。
苦すぎず。
重すぎず。

かといって味わいやコクがない訳でもない。

「…確かに美味だ」

クランベリーと共に口にし、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。
甘く蕩けた琥珀色の瞳は、余韻を残しつつトールを捉えて。

207 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/11/30 22:53:41.82 wH/tcnnw0 107/658


「………」

ずい、と顔を近づけてくる。
何事だろうか、とトールは首を傾げた。
そんな彼の顔を眺め、彼女はやがてもう少し顔を近づけた。
ドキドキとしながら、ちろりと舌を出す。

「っ、」

トールは緊張しつつ、身を強ばらせて固まる。
嫌なのではない。心の底から緊張しているのだ。

「…ん」

しかし、彼女の舌先が触れたのは唇ではなく。
その僅か横、あくまでも"口元"だった。

「……なん、だよ」
「…クリームが付着していたからな」

定番だろう、と小さくはにかんで。
それからやっぱり恥ずかしかったのか、先程までの慎重さは消え、ガツガツとケーキを食べだす。
その顔色は彼女が着用している普段着と同じような色をしていた。
トールは未だいやに高鳴る心臓を抑えようと左胸を摩り、一度深く息を吸い込む。

砂糖の分量を間違えて菓子を作っているキッチンのような空間が、そこにはあった。

214 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:17:49.45 WtfI3Ree0 108/658


つまらない毎日の単調な繰り返しが幸せであることを、知っている。
劇的な変化程不幸の前触れもないということも、よく知っている。
退屈ということは、それだけ平和で穏やかだということだ。

「……」
「…なあ、くすぐったいんだけど」
「我慢しろ」

横暴に言い放ち、フィアンマはトールの髪を撫でる。
さらさらと指先で弄び、時折顔を埋める。
こそばゆいやら恥ずかしいやら、理由は様々あるが、トールは不服そうに顔を逸らした。

「一度も切ったことはないのか」
「それなら地面についちまってるだろ。
 ま、数える程しか切ったことはねえな」
「戦闘の邪魔にはならんのか」
「その辺りはならないように気をつけてる」

そうか、と相槌を打ち、フィアンマは眠そうにトールの後頭部に頬を寄せる。
当然のことだが、自分のものと同じシャンプーの匂いがする。

「…んー…」
「…寝るなよ?」

釘を刺したところで無意味だろうとは思いつつ、トールはそう言ってみる。
彼女はというと、眠そうに擦り寄り、ずるずるとトールの肩へ顎を乗せ。
あんまり話を聞いていない様子で、すやすやと眠り始めるのだった。

215 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:18:18.23 WtfI3Ree0 109/658


パンの形をしたクッキーを食べる。
食感はクッキーでしかないが、見目はパンそのものだ。
その中でもフランスパン型のものがお気に入りのフィアンマは、実に上機嫌だった。

「ところで」
「あん?」
「もうすぐ聖夜<クリスマス>だな」
「ああ、そういやそうだな」

イベント大好き人間でないトールは、のんびりとそう返す。
フィアンマはクッキーをぱくぱくと食べていきながら、じとりと彼を見た。

「通常、親しい人間はプレゼントを贈り合う慣例なのだが」
「……ふーん?」
「………」
「…何か欲しい物あんのかよ?」

フィアンマの視線に耐えかね、トールはそう聞き返した。
願った通りの質問をしてもらったからか、彼女は上機嫌にはにかんでみせ。

「お前が、俺様が喜ぶだろうと選んでくれたものがいい」
「………」

何ともハイレベルな要求である。

216 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:18:54.42 WtfI3Ree0 110/658


フィアンマが改めて昼寝を開始したため。
トールは外に出、彼女へのプレゼントを捜すことにした。
彼女は何を贈ってくれるつもりなのだろうか、さっぱり読めない。

「喜ぶもの、ね……」

残念ながら、トールは今まで誰かに贈り物をした経験というものがない。
女の子が喜ぶものなんてまったく知らないし、調べ方すら知らない状況だ。
実際、そんなテクニックや知恵なんてなくたって、今まではやってこられたのだから。

(プレゼントの原則は…)

相手が欲しいもの。
相手が笑顔になりそうなもの。
相手が喜んでくれるもの。

それくらいは一般常識だ。
しかし、フィアンマの好みといえば。

(甘いもの…は常食だしな。……アクセサリー…類?)

ヘタなものを買うと、彼女の魔術発動を阻害しかねない。
それを考えると、色気のないものの方が良いのかもしれなくて。

(霊装…は俺じゃあるまいし、喜ぶ訳ねえか。
 そもそも必要ないだろうし、ローマ正教の倉庫にたんまりとありそうだ)

となれば、戦闘関連はダメだろう。

217 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:19:27.28 WtfI3Ree0 111/658


うんうんと悩みながらショッピング街をぶらついて早三十分。
プレゼント候補の売り出し品はうんと溢れている。
しかし、その中から選ぶのは、結局のところトール自身である。

『お前が、俺様が喜ぶだろうと選んでくれたものがいい』

自分が悩んでいる時間もプレゼントに入る。

そう気づきつつ、トールはふらりと店に入った。
アクセサリー類を販売している店だったが、宝石店程かしこまった場所ではない。

「……」
「恋人へのプレゼントですか?」

不意に話しかけられ、そちらを向く。
女性の店員だった。
暇だったので、客に話しかけることにしたのだろう。
押し売りのような感じはせず、世間話モードだった。

「ああ。俺が選んだものなら何でもいいって言われてさ」
「素敵な人ですね」

はっきり決めてくれた方がやりやすかったのだが、とトールは口ごもり。

「生まれてこの方、女に贈り物なんかしたことなくてさ。
 やっぱ、喜ぶモンは高価なモンなのかね?」
「その方の好みにもよりますが…ハズレがないのは食べ物、メッセージカード…後はバッグでしょうか」
「バッグ…?」
「ええ。あ、でもそれならご一緒に買い物なさっている時の方が良いかも…?」

アクセサリー類は相手の普段着をよく知らなければあまり喜ばれない、と店員は言う。
普段着、というか彼女の衣装は赤を基調としたものしかない。

218 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:20:17.01 WtfI3Ree0 112/658


赤い服に合わせるなら、暖色のアクセサリー。
宝石は好みがあることに加え、術式に影響を及ぼしやすい。

「…これにするか」

トールが選んだのは、ユニセックスな印象のあるループタイだった。
前々から、彼女のスーツの襟形状なら飾りが映えるとは思っていたから。

「……」

ひと呼吸おいて、似合うかどうかを想像してみる。
問題なさそうだった。
喜んでくれるかどうかはわからないが、自分なりにとことん悩んで買ったものだ。
これで気に入らないのならば、それはそれで仕方がないと思う。

(喜べば、良いけどな)




一方。
フィアンマはというと、霊装をせっせと作っていた。
正確には、仕上げ作業に入っている。
別にトールが何もくれなくても、あげようとは思っていたのだ。
そして、彼が喜びそうなものは特に思いつかなかったし、聞く勇気はなかった。

「……」

多分、喜ばないだろう。
何せ、これは彼の求める『攻撃』の強さでなく、『防護』の強さに関するものだから。
思いながらも彼女が丁寧に削って作っているのは、ロザリオだった。
ローマ正教の匂いが強いが、これはあくまで消耗品。
かつて『神の子』が人類の原罪を請け負って死した伝承から派生させたもの。
日本の御守信仰の要素も混ぜることで、身代わりの意味を持たせる。

『致命傷』を『奇跡』的に『一度だけ代わりに請け負う』霊装だ。

持っているだけで良い。
使用されるのに際して必要となる莫大な魔力は、あらかじめ注いでおく。
霊装は基本的に一度魔力を通せば、ひとりでに魔力を消費したりはしない。

「トールも、死にたがりではないはずだ…」

嫌がりはしないだろう、とぼんやりと思う。

219 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:20:46.62 WtfI3Ree0 113/658


そうしてやって来た聖夜は、いつもと変わりないものだった。
ご馳走の大概はトールが食べ、ケーキの大半はフィアンマが平らげた。
話をして、入浴して、身支度をして、眠る準備をして。
一日の流れは変わらずにどこまでも平凡で、どちらかというと怠惰なものだった。

「プレゼント、一応悩み悩み選びはしたが…お前の趣味に合うかどうかはわかんねえ」

言いつつ、トールは箱を手渡した。
小さな箱だ、と首を傾げ、フィアンマはそっと受け取る。

「…俺様からはこれだ。役には立つが、お前の求めるようなものではない」

かわりばんこ、彼女は十字架を差し出す。
首にかけられるよう紐がついたものだ。

「首にかける必要はない。懐にでも入れておけばいい」
「霊装? …だよな。…わざわざ作ったのか?」
「俺様は『神の右席』だぞ? 霊装の一つや二つ作れなくては困る。
 効果は…言わなくても、お前程の知識があれば理解出来るだろう」

小さく笑って。
ちいさな声で、『開けても良いか』と尋ねる。
勿論だと頷いて、トールはロザリオをそっと懐へしまいこんだ。
彼女の祈りが、その十字架に精一杯詰まっていることを感じながら。

220 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:21:16.96 WtfI3Ree0 114/658


「…………」

箱を開けたフィアンマは、指先でループタイを撫でていた。
無言のまま何度も、確かめるように、なぞっている。
トールは感慨深いような、嬉しい気持ちでロザリオを(彼はローマ正教を敵視していない)服越しに一度だけ撫で。
それから、フィアンマの様子を静かに窺った。
彼女の様子には変化が感じられない。ただ呆然としているように見える。

「…そんなに拍子抜けだった、か?」

やはり高価な何かの方が良かったのかもしれない。
いいや、ただ甘いものの方が喜んだかも。

いろいろな考えが浮かび、トールは苦く笑った。
下から顔を覗き込んでみると、ばっと隠された。

「……お前が、自分の考えで選んだのか」
「……まあな。だから言っただろ、お前の趣味に合うかどうかは自信ねえって」

ぽたぽた。

シーツに水滴が落ちる。
汗をかく程暑い部屋ではないのに、と思い。
それから、トールは狼狽せずにはいられなかった。

「おい、何泣いて、」

泣く程気に入らないなら手放せば良いのに、とトールは思う。
彼女は唇を噛み、タイを指先でくすぐった。

「………大事にする」

それだけ絞り出すように言うと、彼女は毛布を被ってそっぽを向いた。
トールは首を傾げ、毛布をつっつくことにする。

221 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/02 22:21:46.96 WtfI3Ree0 115/658


嬉しい。
嬉しい、嬉しい、うれしい―――――。




思いがけず、プレゼントは身につけられるものだった。
これなら、墓場まで持っていける。
今まで、『右席』の面々から何かをもらったことは多々ある。
そのどれもは、『審判の時』までに捨てなければならないものだった。

でも、これなら。

どうにか、自分が神上になるまで、もっていけそうだ。
たとえ人の知識という闇が全て神聖な光で消し飛ばされても。
これを見れば、トールのことくらいは思い出せるかもしれない。

(大切にしよう、)

箱ごと、ループタイを抱きしめる。
この先、トールと別れることにはなるけれど、これだけはなくさないようにしよう。

(ごっこ遊びでも)

自分を好きでいてくれた恋人が居たのだと、何度でも想えるから。

227 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:46:01.88 LaGas/7B0 116/658


大事にするとはいっても、アクセサリーは身につけることが前提のものである。
なので、フィアンマはきちんと身につけることにした。

「…ん」

くいくい。

後ろでフックを引っ掛ければ良いのだが、なかなかうまくいかない。
手元が見えずとも魔術記号ならば書けるというのに、何故かこういう地味な事柄は苦手である。
そんな彼女にじれったさを覚えたのか、トールは向かい合い、彼女に近づいて。

「ひっかけてやるよ」

そう告げ、手を伸ばした。
抱きしめられるかのようで、彼女は小さくはにかむ。

「任せる」

トールは指先でフックを掴み、丁寧に引っ掛けようとする。
やはりなかなかうまくいかず、失敗する度に密着度は上昇した。

(……眠気を誘う香りだ)

トールの体臭をそう判断しつつ、フィアンマは目を閉じる。
安心出来る相手だった。心が安らぐといっても良い。

「…ん、出来た」
「そうか」

礼を言い、彼女は少し調整してトールを見やる。
似合っているのだろう、トールは満足そうな顔をしていた。
良くも悪くも、感情が顔に出る少年である。

228 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:46:32.18 LaGas/7B0 117/658


いつまでも閉じこもっていては体が鈍る。
二人の考えが一致したため、何を話すでもなく外へ出た。
クリスマスを越え、時期は年を越す方向へと順調に向かっている。
年を越す瞬間は家族とゆったり過ごしたいのだろう、人々は買い出しに出ていた。
なかなかの人ごみだったが、魔術師がはぐれるには至らない。

「なかなかに混み合っているな」
「買い物だろ。出る時間帯間違えたな」

だからといってホテルに戻るでもなく。
フィアンマとトールは、のんびりと歩いて橋へ出た。
ちなみに現在居るのはイタリアである。
ローマ正教の目と鼻の先だが、存外に気づかれないものである。
あるいは、もう諦めているのかもしれない。いつかは帰ってくるだろうと。
神裂火織に会う事を諦めたので世界巡りを再開した、という理由もある。

「……ん」

ぴく、と反応したフィアンマが不意に立ち止まる。
トールも同じく立ち止まり、不可解そうに問いかけた。

「どうしたよ?」
「……何か聞こえないか」

気のせいだろうか、と彼女はきょろきょろとしている。
トールは首を傾げたまま、同じく辺りを見回してみる。
原因はすぐに見つかった。幼い子供だった。

229 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:46:59.14 LaGas/7B0 118/658


有り体に言えば、迷子のようだった。
しかし、迷子にしては様子がおかしいようにも見えた。

「迷子か?」

トールはしゃがんで子供に視線を合わせ、そう問いかける。
泣きじゃくりながら、子供は何かを答えようとして。

「えぅ、えと、げほっ、う、うぇ、」
「……ひとまず泣き止まねば話にならんな」

フィアンマはトールと同じくしゃがみ、子供の背中を摩る。
心臓の鼓動に合わせ、とんとんと軽く背中を叩く。
泣き止むまでに要したのは、十数分程だった。




「おかあさんがね、ここですわっていなさいって」
「それからどの位時間が経過しているんだ」
「……ふつか」
「…そうか」

すぐ戻って来るって言ったのに。

ぽつりと呟いて。
それから、母親の体調や怪我などを疑い、心配する子供はどこまでも無邪気で。
だからこそ、迎える結末が既に見えているトールとフィアンマは、胸が痛かった。
だからといって、置き去りにして良い理由にはならないだろう。

230 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:47:39.06 LaGas/7B0 119/658


諦めがつくまでには長い時間がかかる。

両親など物心がつく頃には既にいなかった二人にも、それは理解出来た。
だから、きっと居ないだろうとわかってはいても、『母親を探そう』と提案した。
区切りをつけてやるために。後悔してしまわないように。

「ありがとうございます」

拙い言葉でお礼を言い、子供は柔らかい笑みを浮かべる。
フィアンマは優しく頭を撫でると、小さい身体を抱き上げた。

きっと、見つからないだろう。
見つからない方が、この子にとってはきっと良い。

それでも、無駄なことにだってちゃんと意味があるのだと。
フィアンマは、十字教の教えによって、知っている。

「体力保つのか?」
「問題ないだろう」

トールに任せるでもなく、フィアンマは子供の背中をとんとんと叩きつつ歩く。
思い当たる場所、ありえそうな場所、子供が言うままの場所。
全てを捜しても、母親らしき人物はたったの一人だって見つからない。
そうしている内に眠くなってしまったのか、幼子は静かに目を閉じる。
やがて眠りだした子供を抱え直し、フィアンマはルートを変えた。

231 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:48:13.40 LaGas/7B0 120/658


「何処行くんだ?」
「教会だよ」

決まっているだろう、とぼんやりと言い。
フィアンマは少し腕が疲れたのか、トールに子供を預けた。
服装などを既に固定化している状態へ―――性別の変化を行い、再び子供を抱えて歩く。
自分と同程度の身長になった少女もとい青年を見やり、トールは空を見上げる。

「見つからなかったな」
「そうだな」
「……多分、俺たちが思ってる通りなんだろうけどよ」
「本人が知るのは、もう少し先でも良いだろう。
 教会ならば、適当な言い訳を用意してくれる」
「お前、結構子供あやすの上手いんだな」
「職業柄、幼い子供に接する機会は何度もあったからな」

神父として、と言葉を添えて。
無事教会に到着すると、フィアンマはシスターに子供を任せた。
軽い事情を説明し、憶測も話し、世話を頼んでみる。
特に問題はないらしく、シスターは優しく子供を慈しみながら中へと消えた。
フィアンマは暫くそこに立ち尽くすと、トールの方を振り返った。

「……随分と時間を消費してしまったが、買い物にでも行くか」
「ああ」

232 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:48:42.03 LaGas/7B0 121/658


「意外と良い母親になるタイプだな、フィアンマ。
 家庭的な所もあるし、子供の面倒もみれるしな」
「つまり、俺様と結婚したら子供が欲しいと」
「ぶっ」

てっきり性別を元に戻したと思っていたトールの耳に、青年の心地良いテノールの声が届く。
思わぬ不意打ちに吹き出しながら、トールはベーコンをカゴへ入れた。
現在地はスーパーマーケットであり、選んでいるのは夕飯の材料である。

「あながち間違ってもいねえが、俺の目的からして無理だろ」
「戦闘狂のことか?」
「いつ死ぬかわからない父親なんて嫌だろ」
「死なないと思うが」
「死なない人間なんていないだろ。ましてや、魔術師同士の戦闘じゃ、死なない方が希だ」

フィアンマはプリンに手を伸ばし、それからゼリーに目標を変えて掴む。
そっとカゴに入れながら、困ったように笑ってみせて。

「そんな未来は決して来ない。俺様が来させない」
「………」

トールはそれを、治癒してくれるという意味だと理解した。
フィアンマは今の言葉を、そんな優しい未来を手に入れられはしないという意味で言った。

両者の食い違いはどこまでも大きく、それは彼女が狙ったところでもある。

「簡単には死ぬなよ」
「死にたがりって訳じゃない。自分から言い出して何だが、そうそう死にゃあしねえよ」

233 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:49:12.17 LaGas/7B0 122/658


夕食はカルボナーラだった。
生クリームによる胃もたれ感にぐだぐだとしつつ、トールは霊装を手入れする。
フィアンマは見目を元に戻すと(筋力がもう必要ないからだ)、ベッドに寝転がる。

「食ってすぐ横になると牛になる、って話があるらしいな」
「単純に胃液が逆流して嘔吐する恐れが高いから、という内情を隠すためのものだろう」
「だろうな。親ってのは子供のために嘘つくモンなんだろうよ」
「……私利私欲のための嘘をつく親も居るがね」

夕方の子供を思いだし、フィアンマは口を閉ざす。
トールは霊装の手入れをしながら、静かに息を吐きだした。

「お前は、」
「…ん?」
「いつからローマ正教に居るんだよ」
「片手で数えられる位の歳には、既に。
 ……気がついたらこの"座"に居たしな」
「……」
「先代の教皇さんには、随分と良くしてもらった。
 幼く、ただ力だけがある俺様に対して、普通の子供の扱いをしてくれた。
 今居る右席の面々も皆そうだ。…俺様の後から入った者達だが。
 温かな春を過ごし、暑い夏を、寒い秋を、雪降る冬を、共に過ごした。
 各人の事情を知って言葉をかけて、救われたと、そう言ってくれた。
 嬉しいと思った。俺様自身、そうした関わりの中で沢山救われてきた」

どこか、過去形の話し方は、切り捨てるかのようだった。

「勿論、お前と過ごしているこの時間も、そういった良いものだ」

照れるでもなく、淡々と。

「幸せで、暖かで、心地よくて、完成された美術品のようなものだよ」

壊したくない。壊してはならない。

そう思える、日常という時間の流れの、一つ一つ。

234 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 00:49:37.42 LaGas/7B0 123/658


「お前は、世界を旅して勝負をする―――今のような生活をいつ頃からしているんだ」
「物心ついて、暫く経ってから…ってところか。
 狩猟と只の殴り合いじゃ満足出来なくなって、もっと強くなりたかった」
「ほう」

強くなって、何かしたいのか。

フィアンマに問われ、トールは黙り込む。

守りたいものなんてない。
助けたい人々は目に入る範囲だけ。
ヒーローになりたい訳でもない。

「しいて言えば、」
「……言えば?」

(お前より強くなれれば、お前を守る位は出来るだろうとは思う)

言葉には出来なかった。
あまりにも照れくさかった。
奇しくも、それは彼女の迷いを振り切る事の出来る一言だったのに。

「ヒーローの真似位は出来るだろ?」
「ヒーローか」

ふふふ、と彼女は楽しそうに笑った。

「……なら、俺様の敵になるだろうな」

239 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:23:10.57 kna01/qC0 124/658


冬が終われば、あっという間に春がやって来る。
生命の息吹というものは、植物の姿で人々の目を楽しませた。
日本では桜前線がどうこうで盛り上がっている。

「春か。早いものだな」
「ついこの前まで秋だった感じだよな」

二人が出会って、共に過ごすようになってから、今日で半年。
恋人ごっこを開始してから、大体三ヶ月位だろうか。
短い時間の中でも、お互いに知った部分が沢山ある。

好きな食べ物
嫌いな食べ物
好きなもの
嫌いなもの

照れた顔や、怒るポイントも。
『ごっこ』とは思えない程に、お互いを想う心だって、確かにある。
下らない日常から生まれたそれは、とても尊いものだ。

ただ。

幸せというのは、存外長くは続かないものである。

240 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:23:52.19 kna01/qC0 125/658


「じゃ、ちょっと出てくる」
「ああ。何かあれば連絡をしろ」

散策に出かけるトールに、フィアンマは珍しくついていかなかった。
少し体調が悪かった、理由はその一言につきる。

「………」

帰りに何か甘い飲み物でも買ってきてくれないだろうか。

ぼんやりとそんなことを思いながら、フィアンマは天井を見上げる。
真っ白な天井は、安らぎを与えてくれるようなものではない。
少し古びたその天井は、自分の住んでいた大聖堂を思い起こさせた。

「………」

(きょうこうさん、これはー?)
(聖書を開きなさい。これはその中でも―――)

(べんとのおとうとのかわりは、おれさまにはできないからね。
 はなしのないようおもいだして、おかしつくったん、)
(………あり、がとう……っ)

(てっら、これよんで)
(絵本ですか。構いませんよ)

(お前一人がただがむしゃらに働くよりも、より多くを救えるように)
(指示に対し、迅速に動く所存である。…貴様を信用しよう)

今頃、心配しているだろうか。
戻ったら少し怒られるかもしれない。
怒って欲しいとも思う。それが最後になるから。

241 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:24:28.87 kna01/qC0 126/658


通信霊装が、反応を見せた。
誰かが通信をかけてきた証拠だった。
フィアンマは熱に浮かされながらも確かに反応し。
ゆっくりと右手を伸ばすと、霊装を掴んだ。
声帯のみを変化させ、落ち着いた青年の声で応答する。

「何だ」
『ご報告を』
「そうか」
『聖別作業を無事終了いたしました。
 尚、各地の整備作業も完了しております』
「ご苦労」

淡々と相槌を打ち、通信を終える。
ついにこの日が来てしまった。

「半年、か」

長いようで、短い。
短かったようで、長い時間だった。

トールと手を繋いだことも、抱き合ったことも、全て思い出せる。

「……ああ、」

その声は、神に祈るような色をしていた。

242 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:25:01.82 kna01/qC0 127/658


(体調悪いヤツに受ける甘いものっていうと……)

散策を好きなだけ終えたトールは(道中何度か人助けをしつつ)、買い物に来ていた。
フィアンマの体調が芳しくないということは既に知っている。
故に、何か買っていってあげようと思ったのである。
熱がある様子だったので、嘔吐の危険性を考えるとクリーム系は良くないだろう。

(氷菓子系か…?)

首を傾げ、さっぱりとした味であろうフルーツバーを手に取る。
本当はスープ等が良いのだろうが、彼女の胃腸は拒絶するだろう。
本当に難儀な体質だ。いつか治るものだと良いのだが。

「プリンは鉄則だろ」

呟き、カゴにプリンを入れる。
ついでにゼリーも入れ、ミネラルウォーターのペットボトルも入れた。
会計を終えて袋に詰め、のんびりとホテルに戻る。
自分が居ない間に熱があがったのか、彼女は息を荒くしつつぼーっとしていた。

「フィアンマ」
「……。…ん?」

一拍おいて、彼女はトールを見やる。
それから、首をかしげて薄く笑んだ。
笑顔の似合う少女だと、つくづく思う。

「プリンとか食えるか? 自然由来の薬もいくつか買ってきた」
「……ん。……感謝する」

のろのろと起き上がる彼女を支え、簡素な間食の用意をする。

243 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:25:45.53 kna01/qC0 128/658


プリンやゼリーを食べ、薬を呑み。
改めてベッドに横たわったフィアンマは、毛布にくるまる。
トールはというと、彼女がよろめきながら淹れた紅茶を飲んだのみ。
そして、彼女の枕元、その脇に椅子を置いた。
入院患者を見舞いへ来た客のように、椅子へ腰掛ける。

「トール」
「ん?」

彼女の額には、氷水に浸し、軽く絞ったタオルが乗っている。
そうしていると少し幼く見えるな、と感想を抱きつつ、少年は聞き返した。
弱っている人間の声というのは不安定で、可愛げがある。

「これは、疲労熱…で、ほぼ間違いないのだが…」
「? そうかい。ま、治るまで色々買ってきてやるよ」

そうじゃない、とばかりに、彼女の細い指がトールの服に触れる。
熱い指をそっと握ってやり、トールはフィアンマを見つめた。
金色の瞳はどこか泣きそうに揺らいでいる。

「あ、した……俺様が、お前の隣にいたら、」
「……居たら?」

唐突に当たり前のことを言い出すとは何事だろう。

そう言わんばかりのトールの表情は、無邪気だった。
ぎこちなく、ゆっくりと、フィアンマは一語ずつ願った。

「キス、してくれないか」

少々照れくさいものの、お安い御用ではある。
何を言い出すのかと、と安堵に肩を竦め。

「それなら明日じゃなくても、」




―――そのまま、トールの体はぐらりと揺れ、床に倒れ込んだ。

244 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:26:13.98 kna01/qC0 129/658


フィアンマがトールに供した紅茶。
その中に溶かされていたのは、砂糖―――ではなく、遅効性の睡眠薬だった。
気づかれなかったようだ。いいや、警戒していなかったのだろう。
警戒しないでいてくれたのだ。それはとても嬉しいことで、それを利用してしまった自分が恨めしい。

「……」

フィアンマはのろのろと起き上がり、タオル等を片付ける。
だるい体に喝をいれ、トールをベッドへ横たわらせる。
そっと毛布をかけてやり、ふらふらと立ち上がった。

「………」

ドアへ向かう。
開ける直前、そのままずるずるとへたりこんだ。
床に座り込んだまま、フィアンマは携帯電話を弄る。
電話をかけたのは、自分が心から嫌いだと感じる、とある少年だ。

「……もしもし」
『ん…あ、もしもし。何かあったのか?』

上条の声はのんきだった。
フィアンマは小さく笑って、ドアに軽く寄りかかる。

「少し、迷っていることがあってな」
『迷ってる?』
「……俺様とお前は同じような人間だ。
 体質の特異性という一点において」
『………ま、そうだな』

フィアンマと上条には、同じ悩みがある。
自分の体質<みぎて>が、人を不幸に巻き込むこと、だ。

「大切なものがあるんだ。
 それを保管している環境を整えるには、大切なものを手放す必要がある」
『…何か難しいな。宝石か何かの話か?』
「…そう、だな。そういうことにしておいてくれ」
『……俺なら、手放すかな』

上条は静かに言って、卑屈に低く笑った。
フィアンマと同じ、"諦めた"者の笑みだった。

『俺が大事にしようとしても、巡り巡って壊れるだろうしさ。
 それなら、その宝石がいつまでも傷つかないような環境にするために、必死になると思う』
「………そうか」

ありがとう。

それだけ言うと、フィアンマは立ち上がる。
諸々、やるべきことを済ませ、トールに近寄った。
何も知らぬ少年は、静かに眠り続けている。

245 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/08 23:26:40.26 kna01/qC0 130/658


「………」

顔を覗き込む。
指先で、彼の頬を撫でた。
泣きそうになる衝動を無理矢理に抑え込んで、薄く笑みを浮かべる。
自分に涙が似合わない事くらい、とうに理解している。

「……大事にする」

ループタイに触れ、フィアンマはそう呟き。
それから、トールの頬へ、軽く口づけた。
震える手で少年の手を握り、唇をきつく噛む。

「約束、守ってやれないな」

また、勝負をしよう。

そう言ったのに、叶えられそうにない。
謝罪の言葉をかけ、息を吸い込む。

離れた。
一歩、一歩、のろのろとした足取りでドアへ。
ドアノブへ手をかけ、二秒程立ち止まる。

「――――さよなら、トール」





そうして、彼女は部屋を永遠に出て行った。

251 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:02:34.32 h0Jw89pJ0 131/658


緩やかに、意識が浮上する。
どうやら寝てしまっていたようだ、とトールは自己判断を下した。
自分でも知らぬ内に疲れが溜まっていたのかもしれない。
幸いにして、彼女のように体調悪化まではいっていない。

「ん……」

もそもそ。

毛布をどけて、起き上がる。
周囲を見回したが、彼女はいなかった。
あの体調の悪さで、まさか外出したとでもいうのだろうか。

「…あん?」

ふと。
トールの視線が、テーブルで止まった。
テーブルの上には、便箋と札束が置いてある。

「………」

立ち上がり、近寄った。
札束はユーロ紙幣だった。結構な額だ。
便箋は赤一色で、白いペンで文字が綴られている。
几帳面な文字は、彼女のもので間違いないだろう。

「えーと、…なになに…?」

252 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:03:24.13 h0Jw89pJ0 132/658


カツン、コツン。

靴音がいやに響く。
フィアンマは無事、聖ピエトロ大聖堂へと戻って来た。
出迎えたのは、書類を眺めていた現教皇である。

「おお、戻ったか…」
「……教皇さん」

近寄る。
彼は立ち上がり、フィアンマへ近づいた。
そして、孫にでもするように、優しく頭を撫でる。

「ただいま」

お帰り、という優しい声が聞こえる。
頭を撫でる手は温かくて、安堵を誘った。

もう、我慢出来そうになかった。

部屋を出る時には我慢していた涙が、溢れ出す。
息が切れ、荒くなり、思うままに泣きじゃくる。
教皇は少し懐かしそうな表情で、彼女の背中を摩った。
ぱぱ、と呟きながら、彼女は教皇の豪奢な法衣を掴む。
それをたしなめもせず、老人は少女の頭を撫で続けた。

「ごめんなさい、」
「何を謝ることがある。こうして無事に帰ってきたのだから、謝罪はしなくとも」

そうじゃない。

うまく言葉にならないまま、否定は嗚咽に消える。

253 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:04:02.00 h0Jw89pJ0 133/658


「おやおや、これは珍しい」

慈愛に満ちた声を出したのは、聖職者の男だった。
左方を司る彼はゆっくりと近づき。
教皇と同じように、彼女の背中を摩って宥める。

「……何事であるか」

外から戻ったらしい傭兵が、眉をひそめる。
ぐしゃぐしゃの泣き顔がみっともなくて、フィアンマは無言で俯いた。

「恐らく、心配をかけたことを悔やんでいるのだろう」
「優しい子ですからねー」
「そういう事情であったか。納得であるな」

そうではなかった。
この涙は後悔と、別れの悲しさによるものだ。
そして、これから自分が行うことへの心苦しさでもある。

「何泣かしてんのアンタら」

霊装の調整を終えたらしい女性の姿があった。
メイクはしていないらしい。
彼女はフィアンマに近寄り、袂から取り出したハンカチで目元を拭ってやる。
教皇から奪うように抱きしめ、頭を撫でて、快活に笑った。

「何かされたワケ? アンタが泣くなんて珍しい」

よしよし、と慰められる。
その心地良さが、かえって胸を締め付けた。

254 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:04:27.83 h0Jw89pJ0 134/658


ようやく、泣き止んで。
フィアンマは他の右席と教皇へ向き直る。
赤い髪を揺らし、微笑みを浮かべた。

「迷惑をかけたな」
「皆心配していましたよー?」
「それは理解している。すまなかった」
「謝る位なら最初から失踪なんてするんじゃないわよ」

手を伸ばす。
虚空から取り出したのは、一本の杖。
口の中で詠唱をして、彼女は目を閉じた。

「過ごした思い出は、全て俺様が持っていく。
 今日、今、この瞬間から。……お前達は、俺様にとって、只の―――ただの、部下だ」

今日は、別れの日。
大好きな人達と、恋人と、その全てに別れを告げる日。

255 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:05:07.87 h0Jw89pJ0 135/658


『親愛なる雷神様

 恋人ごっこは今日で終わりです。
 置いてある紙幣は、今まで使ってもらった金額を計算して用意しました。
 財布を無くしたというのは、嘘でした。あくまでも、一緒に居る為のきっかけ作りに過ぎません。
 沢山沢山嘘をついてきました。お詫びを申し上げます。ごめんなさい。
 これ以降、きっと関わることはないでしょう。むしろ、そう願うところです。
 

  さよなら。
 


                                あなたをすきだったことは、本当です』


「……何だそりゃ」

トールは、笑った。
うまく、現実を把握出来なかった。
便箋をテーブルへと置き、カレンダーを見やる。

「なあ、エイプリルフールにしちゃ遅すぎるだろ」

四月とはいえ、一日などとうに過ぎている。
トールは手を伸ばし、クローゼットや、シャワールームのドアを開けた。
どこにも、誰も居ない。求めている人影すら、見当たらない。
当然のことだった。冗談でも何でもなく、彼女は出て行ったからだ。

「何だよ、俺の知らない術式でも使って隠れてやがるのか? 
 十字教の隠蔽術式なんか全然わかんねえよ。ギブアップだ、だからさ、」

どうかそうであって欲しい、という思いが独り言となって漏れ出した。
彼の性格上滅多にしない敗北宣言までして、彼は必死に願っていた。
冗談であることを。幻想であることを。現実ではないことを。

「フィアンマ――――」

256 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/09 22:05:44.54 h0Jw89pJ0 136/658


記憶を奪い、偽りの記憶を植え付ける。

フィアンマが行ったのは、簡単なことだった。
自分と築いた、幸せで救いある思い出を消し去るだけ。
たったそれだけで、対応はガラリと変貌した。

それでいい。

裏切るよりは、関係を絶って利用した方が良い。
そちらの方が、周囲の人々は傷つかないから。
自分が地獄の底を這いずり回ることになったとしても。
やり遂げなければならないことが、確かにあるから。

「…まずは、何からするか」

ぽつり、と呟く。
下準備は大体済んでいる。
戦争の火種を撒く作業に入るだけだ。
その過程で右席の面々は使い潰すしかない。
自分の敵として、眼前に立たせないために。

「――――これで良かったんだ」

呟く。
自分に言い聞かせるように。
ゆっくりと『奥』へ進み、沈黙する。
もう、少女の姿を誰かに見せることはないだろう。

261 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 21:58:16.04 TcqASv/o0 137/658


教会の門をくぐっては、次の教会へ。
あてもなく元恋人を探す少年は、ボロボロだった。

「っ、」
「だ、大丈夫でございますか…?」

おっとりとした様子の修道女が、親切に水を差し出してくれる。
紙コップを受け取り、一気飲みをして。
それから、長い長いため息と共に、紙コップを返す。

「…ありがとな」
「いえいえ。探し人でございますか?」
「……ああ。赤い髪の、俺よりちょっと身長が低い女の子なんだが」
「申し訳ありませんが、存じ上げません…」
「そうかい。ま、仕方ねえさ」

長い金の髪を緩くかきあげ、トールは歩いていく。
どうしてこんなにも彼女をさがしているのか、自分でも理由がわからない。
恋人ごっこは終わりだと、一方的にそう宣言されたのだ。
もう諦めた方が良い。そっちの方が、ずっと楽なのに。

頭では、わかっているのに。

262 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 21:58:43.19 TcqASv/o0 138/658


ローマ正教の本拠地へ行ったところで、彼女は出てこないだろう。
強襲したところで、数の差で負けるに決まっている。
初めて出会って戦ったあの日は、彼女の温情でお目通りが適ったのだから。

「………何で、」

疲れた。
橋に寄りかかり、ぼんやりと空を見上げる。
何の前兆もなしに、彼女は出て行ってしまった。
自分が嫌いになっただとか、そういうことではないのだろう。
彼女はきっと、自分の元を去ることをきちんと決めていた。
そのために札束を用意して、手紙を書いて。

「………」

今思えば、あの異常な眠気は薬を盛られたのかもしれない。
彼女はそもそも、何度もこう言っていたはずだ。

『一生お前の世話になるつもりはない』

あれは、意思ではなかったのかもしれない。
"そうなれない"ということだったのか。
何もわかるはずがない。何も話してくれなかったから。

263 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 21:59:16.03 TcqASv/o0 139/658


春が過ぎ、夏が来た。
鬱陶しい程の暑さの中。
フィアンマはジェラート店の中で片っ端からジェラートを食べていた。
甘く、水分の無い濃厚な高級菓子は、すんなりと喉を通っていく。

おいしくない。

店のせいではないことはわかっている。
自分の精神状態のせいであることくらい。

「……、」

食べ終わる。
ふらりと立ち上がり、右から十三番目のケースの中身を注文する。
再び席につき、スプーンを一定のペースで動かし、口に運んでいく。
芳醇な茶葉と甘いミルクの奏でるロイヤルミルクティーの味。
どんなに機嫌が悪くても笑みが浮かぶ位に美味しいはずなのに。

(……特に美味ではないな)

飽きた訳ではない。
ただ、食べることを楽しめない精神状態にいるだけだ。

264 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 21:59:44.74 TcqASv/o0 140/658


暑い。

トールはケーキ屋に立ち寄り、涼やかなジュレやゼリーを眺めていた。
視線をそろりと動かすと、そこには様々なケーキ。

「………、…」
「ご注文はお決まりですか?」

定句を紡ぎ、店員はのんびりとトングを掴む。
彼は少し迷って、目を閉じた。
別れてから、もう三ヶ月は経過しているのに。
今でも、目の前に彼女がいるかのように、ケーキを食べる様が思い出せる。

「苺ショートからミルフィーユまで一つずつ」
「かしこまりました」

白い箱をカコカコと組みたて、店員はケーキを詰めていく。
その様を眺め、トールは考え事をしていた。
どうすれば彼女を見つけられるかを、ずっと考えていた。

265 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 22:00:12.83 TcqASv/o0 141/658


ケーキを購入し、ホテルへ戻る。
椅子に腰掛け、サービスでもらったプラスチックフォークをビニールから取り出す。
箱を粗雑に開け、皿によそいもせず、ケーキのセロハンを外す。
脇に退け、食べる順番などロクに考えずに口に運んでいく。

甘い。
美味しくない。

酸っぱい。
美味しくない。

苦い。
美味しくない。

彼女は、あんなに美味しそうに食べていたのに。
自分も、一緒に食べている時は美味しかった。
たとえ安物のショートケーキでも。彼女は文句ありげだったけれど。

甘ったるい。
美味しくない。

しょっぱい。




――――しょっぱい?

266 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/10 22:00:41.12 TcqASv/o0 142/658


白い生クリームに、ぽたりと透明な液体が落ちる。
フォークを握ったまま、トールは暫し制止した。

「あ……?」

ぽたぽたと溢れている。
どこからだろう。
考えてみれば、すぐにわかった。
自分の瞳から溢れた涙でしかなかった。

「あ、……」

目の前が滲んで、物が見えなくなる。
フォークを取り落とし、そのまま下を向く。
止まることを知らず、涙はテーブルを濡らした。

「――――ああ、俺、本当に、」

アイツのこと、好きだったんだ。

笑う顔が、泣いた顔が、驚いた顔が、拗ねた顔が。

ただ、目の前で、隣で、あるいは同じ部屋で。
ケーキを食べたり、構えとひっついてきたり。
冗談を言ってくる声も、繋いだ手も、好きだった。

こんなに長い間捜しているのは、彼女が恋しいからに他ならない。
下らない日々が、あまりにも心地良かった。
何を差し置いても守りたかったくらいに。

「初めて、守れるものが、出来たのにな」

気づくのが遅すぎた。
もっと早く、引き止めの言葉をかけるべきだったのだ。
あまりにも鈍感過ぎた。それが、結果として彼女を失う羽目に陥った。

たったの半年。
されど半年。

一緒に過ごしたその日々の、一日毎。
全てが楽しかった。知らないことを沢山知った。
無意識下、どこかで、そんな日々が永遠に続いていく気がしていた。

「ちくしょう、」

フォークを拾い上げ、ケーキを口に突っ込む。
やっぱり不味い。美味しくない。
だが、食べていると、彼女が食べている様子がまざまざと想い出される。

「あんな紙きれ一枚で、要らねえ札束で、諦めきれるかよ――――」

273 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:51:53.60 U57Rfvy20 143/658


今頃、トールはどうしているのだろう。

ざあざあと降る大雨の音を聞きながら。
フィアンマはごろりとベッドに横たわり、聖堂の天井を見上げる。
小さな宗教画のレプリカが、所狭しと飾られている。
その多くは神の如き者<ミカエル>や光を掲げる者<ルシフェル>を描いたものだ。
幼い頃から慣れ親しんだ、大天使達の神々しい御姿。

「………」

トールと別れて、早五ヶ月と、少し。
約百二十日もあれば、きっと自分のことなど忘れているだろう。
もしかしたら新しい恋人が出来たかもしれない。
ごっこ遊びなどではなく、きちんとした相手が。愛する人間が。

ちくりと、どこかが痛んだ。

彼の場合、戦いに明け暮れて毎日を過ごしていそうでもある。
何はともあれ、死んでいなければ良いと、そう思う。
自分があげた霊装は、あくまでも一回だけしか彼の命を守れない。

「…………」

目を閉じる。
睡魔が速やかに忍び寄ってきた。
今日はよく眠れるだろう。
何も考えないで、きっと。

「………」

前方のヴェントは、単身で学園都市へ潜入した。
都市内外を問わず、イタリアでさえ気絶する人間が出ている。
うとうととしながら、フィアンマは恐らく失敗するだろうと考えていた。

(失敗して、アックアが回収してくれば―――)

横を向き、枕を抱きしめる。

(―――死にはしないだろうしな)

274 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:52:21.07 U57Rfvy20 144/658


橋にもたれかかる。
結局、今日まで彼女は見つからなかった。
そもそも、ローマ正教の最奥に存在する人間が見つかるはずがない。
彼女が表に出ていたこと事態、まずおかしかったのだから。

「何で俺、アイツを好きになったんだろうな…」

他の女の子を好きになれば、こんな苦労はしないですんだ。
たとえ逃げられても、世界中探せば見つかったはずだ。
それではダメだから、苦労をし続けている訳なのだが。

「よお」

男の声だった。
そちらを見やると、軽薄そうな青年が立っている。
北欧神話の巨人の王を名乗った、幻術使いだった。

「あー…ウートガルザロキで合ってるか?」
「合ってる合ってる。記憶力良いのな」
「何か用か?」
「スカウト」

前と用件は同じだ、とぼやき。
彼はトールと同じように橋に寄りかかった。

「人探ししてるんだって?」
「……まあな」
「俺の腕折ってくれちゃった子?」
「……ん」

275 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:52:53.33 U57Rfvy20 145/658


言葉数少なに肯定して、トールは川を眺める。
静かに流れていく水面は、心を穏やかにした。

「何、フラれたとかそういうアレ?」
「………そうとも言えるのかもな。
 そもそも付き合ってるんだかどうか、曖昧な関係だったし」
「へー。それで、未練たらしく女のケツ追っかけてる訳か」
「ケンカ売ってんなら買ってやっても良いぜ?」
「勘弁してくれよ。俺はバリバリのインドアインテリ系だぜ?」

軽く笑って、ウートガルザロキは伸びをした。
トールの様子を眺め、それから空を眺める。
街ゆく人々は、二人の男に気を留めることはない。

「―――思えば何度もサインは出てた。俺は気づかなかった。
「…何なに、哲学?」
「アイツの話だよ」
「ああ、あの女ね。サインって?」
「俺とずっと一緒には居られないとか、世話になり続けるつもりはないとか。
 不意に黙って考え込んだり、寂しそうな顔してる時もあった。
 何も言わなかったから、聞くべきじゃねえと判断した。それは間違いだった」
「あのさー、俺神父じゃないんだーけーどー」
「んな事わかってるよ」

ため息をゆっくりと吐き出し。
トールは、目を閉じた。
失望しているように見えた。
ウートガルザロキは、空を見上げたままに。

276 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:53:22.31 U57Rfvy20 146/658


「こんな事言うとウチの構成員に蹴り入れられそうだけど」
「?」
「女ってのは、基本馬鹿な生き物なんだわ。
 ああいや、男にもたまにいるけどな? クソメルヘン的でぶっ飛んでるヤツ」
「……」
「女は基本的に夢見がちな生き物で、しかも天邪鬼なモンだ。
 追いかけてきてくれることを夢見て家出したり。
 謝ってくれることを期待して『もう怒ってない』って言ってみたり。
 だから、言葉に出したことだけが真実じゃねえし、むしろ無言の方が事実だったりする」
「……、」
「俺にゃ詳しいことはわかんねーけど? ……まあ、アレだ」



―――――鈍感だったとしても、そんな男が再び手を差し伸べてくれる日を夢見ているのではないか。



彼はそう言って、励ますでもなく伸びをした。
どんな男にだって、好きになれば、女は夢を見てくれる。
その夢が醒めるのはいつなのか、本人にだってわからない。
間に合わないなどということはない。
何度でもやり直せるから、人間関係とは難しくて、易しい。

「俺も手伝ってやるからさ」

魔術結社への勧誘。
今のトールに、断るメリットはなかった。

277 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:53:50.05 U57Rfvy20 147/658


「さて。いかがしましょうかねー」

左方のテッラは中身の入ったワイングラス片手に、フィアンマへ向き直っている。
口調こそ変わらないが、その視線から慈愛は撤廃されている。
あくまでも指示役として、フィアンマを見ているだけだ。
対して、青年の見目であるフィアンマは悠々と脚を組み。

「例の『文書』を使え」
「ふむ。アレですか」
「ヴェントとは違い、お前の術式は未完成だ。
 あれを使って暴動を煽る方が、お前の得意とするところだろう」
「ま、直接的な暴力も苦手ではありませんがねー。
 他ならぬあなたのご指示です。拒否をする理由も無いでしょう」

のんびりと言って、ワインを飲み干す。
その辺りの場末の酒場でもお目にかかれない安物だ。
いかにも不味そうなそれに、注意したくなり。
もうあの親しい関係には二度と戻れないのだった、とふと思い出して苦笑いする。

「動くタイミングはお前に任せる。早めに行うだろうが。
 報告は口頭でなく、文書で構わん」
「ええ、かしこまりました」

ゆったりと立ち上がり、ゆっくりと彼は歩いていく。
その後ろ姿を見送り、フィアンマは安物のビスケットを口に含む。
味は感じなかった。まるで紙を食べているかのようだった。

278 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/12 22:54:48.93 U57Rfvy20 148/658


コツ、コツン。

ウートガルザロキに導かれた先。
立っているのは、一人の少女だった。
ほっそりとした肢体に、柔らかな胸。
布面積の少ない黒を基調とした衣装。
物々しい黒い眼帯。金の長い髪。

「お前が雷神トールか」
「ああ」

今まで戦ってきた相手の誰よりも強いだろう。

放たれるオーラからそう判断しつつ、トールは頷いた。
そうか、と平坦な声で相槌を打ち。

「私は魔神オティヌス」

名乗ると、彼女はトールを見据えた。
冷徹な緑の瞳が、トールの青い瞳と視線をかちり合わせる。

「お前のコードネームは―――そのままトールで問題ないだろう」
「ああ」
「一つ言っておく」

組織に居る間は、願いに対してある程度の協力はする。

「だが、私を裏切ればそこに待つのは死だけだ」

邪魔をすれば殺す。
それは元仲間だろうが現仲間だろうが結果論だろうが関係ない。

冷酷な宣告を前に、トールは肩を竦める。

「そうかい。俺は好きなようにやらせてもらうさ。
 あんたの利害基準に引っかからない範囲で」

彼女にもう一度会えるのなら。
『世界の敵』になっても良いと思える。

(お前は世界を管理するローマ正教のトップ。
    ――――世界を壊す側に回れば、出会うのは必然ってモンだろ)





―――たとえ、どれだけ底抜けに世界が滅茶苦茶になっていったとしても、彼女に傍にいて欲しい。

284 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:15:34.88 ZFZ6L+UT0 149/658


路地裏や公園は、基本的に猫のたまり場である。
フィアンマは現在、公園のベンチに腰掛けていた。
足元には数匹の猫が眠っている。
彼女の膝上には金色の毛並みを持つ猫が眠っていた。
産めや増やせやで放置した結果の野良猫達である。

「……」

彼女の視線の先には、人々の行列があった。
手には沢山のプラカードや、大きなメッセージボード。
綴られている内容は、恐らく『学園都市を許すな』だとかその辺りだろう。
先日の学園都市へ対するヴェント強襲で得られた"成果"である。
人々は科学サイドに反発し、自主的にデモを行っている。
ローマ正教には着々と『平和の為の基金』が寄せられている。
無論、そのほとんどは戦争準備の為に使われるのだが。

「なーん」
「…ん?」

目を覚ましたらしい猫が鳴き、尻尾をゆっくりと揺らす。
瞳は澄んだ水色をしている、毛並みの美しい金色の猫。
『誰かさん』に似ている気がして、フィアンマは薄く笑んだ。

「今頃は、誰かと戦っているのかな」

285 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:16:17.06 ZFZ6L+UT0 150/658


「特にやることなんてねえんだな」
「今の所は完っ全に準備段階だしなー」
「動くのはいつからなんだよ?」
「戦争が激化、あるいは終わってから」
「…あん? 戦争?」
「ローマ正教VS学園都市ってトコか。予想だと」

ウートガルザロキは沢山の写真を眺めながら、のんびりとガムを噛む。
一粒投げよこされたガムを口にし、トールは退屈そうにぼやいた。
集めるだけ集めた人員に対し、オティヌスの指示はただ一つ。

『不用意に目立つな』

これだけだ。
何かをしろと言ってくれた訳ではない。
故に、メンバーの多くは暇を持て余している。

「んでもって、やっぱそう易易と見つかるモンじゃねえな」

サーチ術式に使用されている霊装。
その針の先がピクリともしないことに、ウートガルザロキは残念そうに呟く。
トールが探す彼女は、未だに見つからない。
どんな術式を用いても、どれだけ歩き回っても。

286 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:16:53.39 ZFZ6L+UT0 151/658


「『助言』、要る?」

悪神ロキの妻―――『シギン』を名乗る女が、首を傾げる。
科学とも魔術とも言いがたい彼女の『助言』。
だが、それは必ず良い成果をもたらしてくれる。
ウートガルザロキはちょっぴり思考して、それからトールを見やる。

「霊装に関するヤツか?」
「人を見つける方法について」

思い浮かんだから、といった様子で彼女は言う。

「もっとシンプルにしてしまえばいいよ」

最初から多くの条件を設定しては見つかるはずもない。
面倒な手作業は覚悟で、ひとまず大まかな絞込みをすべきだと彼女は告げる。

「参考にするかどうかは任せるよ」

これはあくまでも『助言』。
責任は負えない、と彼女は肩を竦めた。

287 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:17:26.66 ZFZ6L+UT0 152/658


「見つかると良いね」

黄金の工具を整備しつつ。
黒小人の少女は、本心からそう言った。
それから少しニヤリと笑って、トールを見る。

「それにしても、トールがそんなゾッコンになる位美人なんだ?」
「………ま、否定はしねぇよ」

揶揄の響きを含む発言に、トールはふいとそっぽを向く。
『投擲の槌』と呼ばれる黒いドラム缶型の少女がガタガタと揺れた。
マリアンは少女に笑いかけ、トールをさらにからかおうとする。
一度仲間と認めた相手には、彼女は優しく、甘く、親しげだ。
逆に言えば、敵にはどこまでも一切の容赦をしない人間である。

「ウートガルザロキも見たことあるんだっけ?」
「おー、あるある。気のキツい美人。多分尻に敷かれるのが気持ちいいんだろ」
「ぶん殴る」
「ちょ、タンマタンマ! 写真破れるだろ!!」
「逆上するってことはあながち間違ってないからかねー?」
「うるせえ! マリアンだってベルシにひっつきっぱなしじゃねえか!」
「な、ななななッッ、ベルシは今関係ねぇだろ!!」

マリアンを庇う様に、投擲の槌がガタンガトンと揺れる。
ウートガルザロキは仕事道具を守ろうとするし、マリアンは工具を投げつける。
トールはそれを華麗に避け、シギンは迷惑そうに身を屈めた。

ガチャリ

ドアが開いて入ってきたのは、話題の渦中にあった『ベルシ』である。

「……何をしているんだ」

彼の疑問にも応えず、三人は半分取っ組み合いの状態にいる。
仕方がないので、シギンは軽く答えてあげることにした。

「恐らくだけど、痴話喧嘩じゃないかな」

288 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:17:54.36 ZFZ6L+UT0 153/658


フィアンマは夜更けになって、ようやく大聖堂へ戻って来た。
報告に来るはずだと踏んでいたテッラがどうにも見当たらない。

まさか、幻想殺しに殴られて気絶、学園都市に回収―――なんて間抜けなオチではないはずだ。

それならそれでどうにか回収しなければ。
いろいろな可能性を考えつつ、フィアンマは部屋を回る。
とある部屋に居たのは、後方のアックアだった。
彼はというと、凶器に付着した血液を拭っている。

「…何だ。誰か殺したのか?」

どこぞの戦争にでも勝手に出向いてきたのだろうか。
流れ者の傭兵である彼ならば別段おかしくはない。
『神の右席』といえど、自分達は魔術師だ。
組織の為だけに尽くす生き物であるはずもない。

「粛清である」
「……処刑でも?」
「私刑であるな」

親しくなって尚寡黙であった男は、記憶を持たぬ今、殊更に寡黙。
フィアンマは眉をひそめ、ひとまず聞いてみることにした。

「―――誰を、だ?」
「左方のテッラであるが」

289 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:18:31.44 ZFZ6L+UT0 154/658


――――数時間前。




「ご………ぉ、ぼ……」

口と、完全に切断された半身の傷口から血液を垂れ流し。
左方のテッラは、何故自分が攻撃されたのかをわからずにいた。

理由は明確だ。

観光客や一般市民を。
ローマ正教徒でないからといって、術式調整用に『使って』いたことが、アックアにしれたから。
魔術師というのは組織の都合だけでなく、実に個人の都合で動く。
アックアの中で、テッラは私刑に足る人物だった。だから殺す。

「ぁ………」

致し方ない。
一足先に神の国へ導かれることにしよう。

そう思ったテッラは、満足そうな笑みを浮かべる。
対して、アックアは冷酷に言い放った。

「貴様のような殺人者が神の国へ招かれるなどと、勘違いはしないことである」
「ぐ……」

侮蔑に、テッラの顔が歪む。

「神は全てを知っている。自らの罪を振り返って、自省するが良い」

言い返そうと、口を開き。
赤黒い血液の塊が、ボタボタと床に落ちた。
徐々に意識が薄れていく中、テッラは、忘れていた記憶を取り戻す。
それはとても暖かで、一人の少女を中心とした、穏やかな『右席』の姿。その情景。

「―――――、」

(てっら、ばいばい)

幼い少女が、手を振っている気がした。
自分はいつでも彼女の頭を撫で、微笑みかけていた。





どうしてわすれ―――――

290 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:19:43.96 ZFZ6L+UT0 155/658


テッラの最期について聞かされ。
フィアンマは適当な相槌を打ち、アックアの元から去った。
今、彼女の目の前にあるのは高級そうな桐の箱である。
その中には、テッラの死体の半分が収められている。
アックアが、イギリス清教への宣戦布告の材料として使用する為に、収めたのだ。

「……」

開けてみる。
どこか、寂しそうな表情を浮かべた男の上半身だった。
防腐処理が多少施されているようだ。

「……」

触れてみる。
冷たかった。
硬かった。

紛れもなく死体だった。

「……後戻りの出来ないところまで、来てしまったな」

自分という緩衝材を挟んで、少し前まで、テッラとアックアはそれなりの関係を保っていた。
その自分との思い出を消した影響で、関係は悪化の一途を辿ったのだろう。
奇しくも、自分が辛い思いをさせたくない一心で施した術式が、彼らの不幸と無理解、悲劇を招いた。

「これから世界を救うから、見守っていてくれ」

それしか、言えなかった。
言えなくて、彼女は静かに自分のロザリオへ口付け、聖堂を出て行った。

291 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/15 23:20:11.27 ZFZ6L+UT0 156/658


不思議と涙が出なかったのは、どこかで理解していたからかもしれない。
何の犠牲も無しに、物事の進歩などありえない。
時間、人員、労力、時には命を犠牲にするから、何かが進化する。

「後戻りは出来ない」

自分に言い聞かせるように呟いて、彼女は本のページをめくった。
幼い頃、テッラに読んで欲しいと強請ったことのあるものだった。
内容はお世辞にも子供向けとは言えそうにないものだが。

「……後戻りは、」

桐の箱に収まる死体。
病院で今も眠り続ける女性。

自分の指示の結果、一時的、あるいは永遠に眠った同僚。
自分が殺したも同然だ、と思う。
苦楽を共にしたくせに。いや、それを知るのは自分だけなのだが。

「………、ル」

彼に会いたかった。
しがみついて、思うがままに泣き喚いて、困ったように笑いかけて欲しかった。
その機会を捨てたのは自分であると、痛い程理解しているのに。
結局、自分は身勝手なのだ。多くをとろうとして、犠牲を生む。

本を閉じる。

アックアもきっと、倒されるだろう。
アウェイ戦で良い結果を期待する方が間違っている。

295 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:51:22.38 JoSljzfA0 157/658


「間もなくか」

世界各地のニュースを耳にしつつ。
魔神たる少女は、ぼんやりとした表情で呟いた。
そこには何の感慨もないし、心配もなかった。
たとえ世界が滅びても、彼女は50%の可能性で必ず生き残る。
イギリスでクーデターが起きれば、もう戦争は避けられない。
クーデターが起きずとも、ローマ正教の最奥に住む人間は強硬手段に出るだろう。
何とはなしに、戦争の陰の首謀者が望むものは見えていた。

そして。

その方式を突き詰めても、それは恐怖政治でしかないことを知っている。
あるいは、全人類の人間味を無くすだけだと。
右方のフィアンマが行おうとする『救済計画』に察しがつきながら。
それでも、オティヌスは今はまだ、怠惰に過ごし続ける。
この先未来がどう転んでも、自分の望む結果になるだろう。
自分がやりたいことは、正直に言ってシンプルにただ一つなのだ。

296 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:52:01.46 JoSljzfA0 158/658


そうして、死体の半身はイギリス清教へと送られた。
残りの半身を丁寧に処置し、墓場へと運ぶ。
神父として誰かを埋葬する仕事をするのは何年ぶりだろう、とフィアンマは思った。
何年ぶりかに見た彼の本名は、実に一般的なそれ。

「……」

花束を、無造作に墓石の前へ。
とさり、と存外軽い音を立てた。
緩やかな風になびく花は、美しい赤色をしていた。

「……おやすみ」

夜更けに、部屋の前で別れるような。
そんな気安さで言葉をかけ、フィアンマは墓石へ背を向けた。
死者は何も語らないし、何も応えない。
だから、甘えない。後戻りは出来ない。

「今日は、アックアが潜入に出ている」

それだけ、無意味に告げると、聖堂へ。
徐々に秋の色を帯びる風が、いやに冷たい。

297 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:52:51.51 JoSljzfA0 159/658


「何が悲しくて惚気なきゃならねえんだよ」
「いーからいーから」
「何が良いんだっての」
「俺の術式研究に協力すると思ってさあ。
 間違っても『リア充爆発しろ』とか言わねえし」
「あん? りあ……?」
「あ、知らない? 知らないならそのまま純粋なトールちゃんのままで」

ウートガルザロキは暇つぶしの材料に今現在、雷神トールを選択していた。
トールはというと、霊装の手入れをしながらやっぱり暇を持て余している。
催促されているのは惚気話である。
何でも『恋情という自分の経験したことのない感情の揺れ動きを術式の材料にしてみたい』らしい。
本当のことかどうか、怪しいものである。

「そもそも初対面の野郎の腕ポッキリ折っちゃう女のどの辺りが良い訳」
「まだ根に持ってんのかよ。……ケーキ食べてる顔とか」
「ふーん? 後は後は?」
「人が眠いところにのしかかってきたり。
 寝てる間に悪戯しやがったり。
 ……俺が軽く咳しただけで、数時間後には飴作って差し出してきたり」
「その後半のは女子力って言って良いのかね」
「あん? 戦闘力の一種か?」
「いやいやコッチのオハナシ。なるほどー、いやー、なるほどなるほどね」
「ま、仮にそういうのを二度としなくなっても、だからといって嫌いになったりはしねえな。
 口で言い切れるような理由だけで好きになった訳じゃないから、口で言えるような理由じゃ嫌わない」
「じゃあ感動の再会の時には涙流しながらハグしてぶっちゅーしちゃうんだ。マジ引くわー」
「ナメてんのかテメェは」

そんな訳ないだろアタック(電撃を纏った手刀)が繰り出される。
対してウートガルザロキはというと、自ら名乗る巨人の王の伝承に基づいた術式を用い、ひらりと姿を消したのだった。

298 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:53:26.58 JoSljzfA0 160/658


一人、本を読む。
本の内容は、ロクに頭に入っていなかった。
ただ、自分を落ち着かせる為の所定の行動に過ぎない。
言うなれば精神統一の儀式のようなものだ。

「……ん」

報告が来た。
指示していた通り、文書によるものだ。

「――――、」

内容としては、後方のアックアの失態。
及び敗北、原因、その過程についての簡素な報告。
無言の内に文書を燃やし、聖堂の中央部へ出る。
そこにはローマ教皇が立っており、動揺している様子だった。
足元には紙切れが散らばっている。それでも内容は読めた。

『無条件降伏の要求』

それに尽きる。
真剣に悩み、落ち込む教皇に、フィアンマは小さく笑う。
自分が生きている限り、ローマ正教は安泰だというのに。

「教皇さん。そんなにうろたえてしまっては、『器』が足りないように見えるぞ?」
「……どうするというのだ。前方のヴェントは再起不能、左方のテッラは死亡。
 果てには、後方のアックアが倒れたとなっては、」
「まずはイギリスを討つ」
「なに?」

ローマ教皇へ向かって馬鹿丁寧な説明をしながら、フィアンマは自分の精神が冷えていくことを自覚する。
間違っていると考えてしまっては、それだけで全てが終わってしまう。
自分がなそうとしていることは正しいのだから、胸を張るべきだと、そう思う。

「させると思うか」
「止められると思うのか? たかが二○○○年の歴史で」

299 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:54:22.69 JoSljzfA0 161/658


思えば、本当に右手を振るった事なんて、数度しかなかった気がした。
ほんの少し努力すれば、皆は自分に微笑みかけてくれた。
才能があるだけで。ただそれだけで、多くの人に望まれた。
自分が出来ることなんて、膨大な奇跡の一部を、ほんの少し人々に振舞っているだけなのに。

「ぐ……、」
「なあ、教皇さん」

ゆっくりと近づく。
自分の後ろに在る『第三の腕』を見て、彼は少し怯えた。
それは少し気分が良くて、とても、さみしい。

「確かにヴェント、テッラ、アックアの三名は希有な才能を持っていた。
 しかし、俺様とは比べ物にならん。比較する方がかえって哀れだ。
 『神の右席』なんてものは、俺様さえ生きていれば充分に機能する」

ゆらり、と右手を水平に掲げる。
まだ『第三の腕』は空中分解していない。
ローマ教皇の背中には、守るべき多くの市民、そしてその皆が住む大広場がある。
民衆を暴力から守ろうとするローマ教皇は、紛れもなく人格者だった。

人に選ばれたことなんて、気にする必要はない。
神様だって、あなたを選んだに違いない。

思いはしたが、言えなかった。
言わないままに、右腕を振るった。
意識を刈り取るための無慈悲な一撃が、優しい老男を貪った。

300 : ◆2/3UkhVg4u1D - 2013/12/17 21:54:54.14 JoSljzfA0 162/658


遠い、夢を見ていた。
本当にあったことなのかどうかはわからない。
ただ、夢のように朧げで、幻のようにあやふやだ。

『きょうこうさん』

小さな女の子だった。
幼い手を伸ばし、白い法衣を掴む。
本来ならば窘められるべきだが、周囲に書記官達は居ない。
自分は知らず知らず微笑んでいて、彼女の頭を撫でた。

お菓子を食べよう。

それが少女の食事であることを、己は知っていた。
自分の相談役である彼女は、低い背丈で、一生懸命棚のものをとる。
ホットミルクをいれ、クッキーを皿によそった。

『できた』
『そうか。こちらへおいで』

椅子に腰掛け、二人でテーブルに座る。
そうだ、『最初』は二人から始まった。

やがて左方のテッラが来て。
前方のヴェントが決まり。
後方のアックアの後任者が決定した。

一人ではなくなる度に、歳を重ねるごとに。
彼女は寂しそうに目を伏せた。

『きょうこうさん、せかいをすくうのはいいこと?』
『勿論だとも』
『そっか』

正しいことをするべきだ。

彼女はロザリオを握り、そう呟いていた。


それは、遠い日の記憶(ゆめ)。



続き
フィアンマ「助けてくれると嬉しいのだが」トール「あん?」#3


記事をツイートする 記事をはてブする