上条「約束したよな?例え地獄の底でも、お前を ――― 」【前編】
上条「約束したよな?例え地獄の底でも、お前を ――― 」【後編】
一方通行「いい子にしてたかァ?」【1】上条編(前編)
一方通行「いい子にしてたかァ?」【2】上条編(中編)
一方通行「いい子にしてたかァ?」【3】上条編(後編)
佐天涙子はパン屋でバイトをしている。
春休みの今は稼ぎ時だ。
朝から入る代わりに、午後は早めに上がる。
そんな彼女はバイト先から焼きたてのフランスパンを貰ったので美琴にお裾分けをするとメールを送った。
研究が終わって時間があるから、一緒に食事でもどうかと美琴からの返信。
丁度暇を持て余していた佐天は二つ返事でOK。
保育園が終わった絹旗も誘って、美琴とクレープ屋の前で合流してから向かうことになった。
「想ちゃんはどうしたんですか?」
「今日、超一方通行が迎えに来ましたよ」
「もう家に帰ってるって」
等と話している間に美琴のマンションに辿り着いた。
―…***…―
ちなみに、初春飾利は恋人と春休みを利用しての旅行中。
白井黒子はアックア隊長と究極の桜餅を作るべく現在マレーシアにいる。
何故マレーシアかと電話口で尋ねた佐天の耳をつんざく騒音。
受話器口からけたたましい怒声や悲鳴が鳴り響く。
以下、電話口から佐天が確認出来た音声の一部を記す。
『ジョシュアーーーーー!!!』
『黒子副隊長!!ジョシュアが…ジョシュアが…』
『貴方達の目は何の為に付いてますの!泣くためですの?違いますわ。活路を見出す為にあるのですわ!!』
『黒子副隊長の言うとおりであ――あああぁぁぁーーーーーーーーーー!!!』
『しまった!!お色気要員のアックア隊長がまたしても!!』
『そ、そこは入れるのに適した穴ではないのである』
『何で貴方は毎回触手責めに遭いますの!?』
何だかお取り込み中であった為、佐天はそっと電話を切った。
―…***…―
「おっじゃましま~っす」
美琴の部屋に上がった佐天の目に飛び込んだのはカーペットにこんもりと盛り上がるタオルケット。
「迎えに行ってそのままコッチ来てるって言ってたなそういえば」
コートを掛けた美琴はリビングを通り抜けてキッチンに行くと買い物袋の中身をテーブルの上に並べる。
「随分ぐっすりですね~」
しゃがみこんで佐天涙子が覗き込むのは、白髪頭の青年の寝顔。
普段の気難しい表情はなりを潜め、眉尻の下がった顔は年不相応に幼い。
あどけないと言い換えてもいいだろう。
佐天が余りにも弾んだ声で覗き込むものだから、佐天ばかりずるいと絹旗も覗き込む。
「可愛い~」
「た、確かに超可愛いです…」
青年の珍しい寝顔に、絹旗は頬を染めてまじまじと見つめる。
乙女丸出しの横顔を、佐天がにたりとしたにやけ面で見ているのにも気付かず。
「あっるぇぇ~?絹旗さんてば随分素直じゃね?目キラキラさせてね?」
「さ、佐天さんだって今可愛いって、超可愛いって」
「言ったさ、可愛い~~――― 想ちゃんが」
そういってマシュマロのような頬っぺたをつんと優しくつついてやる。
佐天がつついたのは、白髪頭の青年こと一方通行 ――― の胸元にぴとりとくっ付いている幼い少女の寝顔。
片時も離れまいと、少女は一方通行の服を小さなマシュマロのような手で握って離さない。
親犬に子犬が寄り添っているようだ。
佐天の露骨なしてやったり顔にますます真っ赤になる絹旗。
「やぁ~ん想ちゃん、ホント可愛い、つんつん」
つつくたびに、ふよんと弾力のある頬が微かに揺れるのが、お気に召したのか、佐天は少女の頬っぺたに夢中だ。
「あ、絹旗先生は想ちゃんじゃなくて、一方通行さんが可愛いんだっけ?」
「佐天さん…」
「ごめんごめん。でもさ、コッチの白いお兄さんも可愛いよね、確かに」
佐天は今度は一方通行の頬をつつく。
眠りが深いのか、微かに眉を寄せるだけで、一方通行は目を覚ます気配すら見せない。
不意に、突いた指を佐天は見つめる。
絹旗が首を傾げる目の前で、佐天は自分の頬を突いてみる。
「うわ…」
「どうしたんですか?」
「この人…年上なのに…男なのに…私より肌スベスベ…」
佐天は険しい顔つきになると、一方通行の頬を更につつく。
つつくだけでは飽き足らず、手のひらで顔を撫で始めた。緩やかに、そっと、優しく。
まるで、恋人に口付ける為に頬に手を添えるように。
「さ、佐天さん…?」
徐々に真剣味を帯び始めた佐天に不穏なものを感じ取ったのか、絹旗が慌てて声をかける。
「何かさぁ……キスしたら気持ち良さそうな肌してるよね…」
佐天は一方通行に視線を落としたままポツリと零す。
濡れた花びらのような唇が吐き出した吐息が心なしか熱い。
「ちょ、何言ってるんですか!?」
「しぃ~~起きちゃうよ。ホラ、絹旗さんも触ってみればいいじゃん」
「え、えぇ、あ…」
おずおずと伸ばした指先に触れる滑らかな手触り。
「……わぁ」
絹旗の口から感嘆の声が漏れる。
確かにスベスベとした肌だ。
この年頃の男には特有の脂っぽさは無く、かといってかさかさの干物のような乾燥した肌でもない。
寧ろ絹だとか、肌触りの良い布の感触に近い。
彼の低い体温がそれを一層連想させた。
ぷりぷりの弾力と柔らかさ、温かさに満ちた想の肌とは根本から異なる。
思わずその感触に止みつきになる絹旗と、私も私もと佐天が再び一方通行の頬に触る。
寝込みを襲っているようにしか見えない光景に美琴が遅れて顔を覗かせた。
「あ~あ、タオルケットじゃ風邪引くっての」
呆れたような、けれども何処か嬉しそうな笑みを浮かべると、彼女はリビングを素通りして寝室へと足を運ぶ。
暫くして彼女が手にしてきたのは白い毛布。
今日結構冷えるって言ってたしね。そう言ってタオルケットの上から一方通行と想に毛布を被せてやる。
カーペットの上にいくつか詰まれた絵本に目を留めると、美琴は小さく笑った。
ブレーメンの音楽隊
幸せの青い鳥
白雪姫
シンデレラ
赤頭巾ちゃん
七匹のこヤギ
読みかけなのであろう、開いたままの絵本は三匹の子豚。
見開きいっぱいに末っ子の子豚がレンガの家を建てているイラストが描かれている。
絵本を読んであげたまま眠ってしまったのだろう。
仲良く顔を寄せて、一方通行が想に絵本を読んであげている姿が容易に想像が付く。
「一方通行さん…絵本読んであげるんだ…」
「結構読んであげてるわよ。打ち止めにもよく読んであげてたって言ってたし」
「何というパパセラレータ」
照れが入った顔で、少したどたどしく、ハスキーな声で読まれる絵本は、存外耳に心地良い。
想におねだりされて、少し戸惑い、まごついた後に、少女の上目遣いの前に結局いつも折れる。
そうして一方通行が渋々読み始めると、美琴は足音を立てぬように飲み物を用意する。
想にはハチミツ入りのホットミルクを。
自分と一方通行には珈琲を。
普段は一方通行が殆ど専門と化している珈琲を淹れる役目は、この時ばかりは美琴の役目となる。
美琴は、淹れ終えた三人分のカップをトレイに乗せてリビングに足を踏み入れた時に目に映る光景が好きだった。
切りそろえた前髪を微かに揺らして、顔を絵本と一方通行の顔を交互に向けている愛しい娘。
そして、少し恥ずかしがりながら、それでも少女が望む絵本を読んであげている不器用な青年。
照れ隠しに青年が棒読みになると、すかさず少女は不満を訴える。すると青年は渋々感情を込めて読み直す。
その光景は、美琴の胸の内を温かくしてくれる。
「子供って……超同じ絵本をおねだりしてくるんですよね。他の本もあるのに超脇目も振らずに」
絹旗も保育園で園児達によく朗読を強請られる。
お昼寝の時間、寝物語のつもりで一冊くらいならという見積もりが甘かったせいで興奮して目が覚めてしまった園児達の相手をする羽目になった事も何度もある。
「忘れちゃうわけじゃないんですよね。私もおぼろげだけど、結末まで知ってて読んでもらってた気がするんですよ」
「そうね」
佐天が想の寝顔をそっと撫でる。
勿論、この賢い少女は絵本の内容などとうに把握している。
何度も何度も読んでもらう必要など何処にもない。
けれども、想に限らず、幼い子供は絵本を繰り返し繰り返し親に読んでもらう。
同じところでハラハラし、同じところで胸を撫で下ろし、同じ結末で大喜びするのだ。美琴も身に覚えがある。
お気に入りの絵本を何度もおねだりするたびに、美鈴は「美琴ちゃんってば、本当に好きね」と呆れていたものだ。
美琴も母親になって、同様に呆れることとなった。
けれども、この二人の姿を少し離れて見ているウチに、何となく理由がわかった気がする。
「多分……実感が欲しいんじゃないかしら」
美琴の手が想の柔らかな髪を撫でる。
そして、一方通行の白い、ベランダから照り付けてくる西日に染まった髪も同じように撫でてやる。
一瞬、一方通行が身動ぎした。
起きるかと、三人の女は僅かに焦るが、一方通行はすぐに寝息を立てる。
美琴の手が心地良いのか、時折猫がするように小さく頭を摺り寄せる。
「実感…ですか?」
「うん、多分ね。っていうか私が勝手にそう思ってるだけだけど。何ていうんだろ、大切にされてるっていう実感。
大好きな人の時間を自分が独り占めにしてるっていう実感って言えばいいのかな」
ふと、美琴は思う。
コイツは誰かにこんな風に寄り添って絵本を読んでもらったことがあったのだろうか。
一つの毛布に包まって、誰かに抱き寄せられながら眠っていたことがあっただろうか。
それは一体幾つの頃まであったのだろう。
それは一体幾つの頃から無くなったのだろう。
実感を得ているのは、この白い青年の方かもしれない。
「……絵本が重要なんじゃなくて、読んでくれる人との時間が超重要っていうことですか」
「多分ね。わからないわよ?その辺は現役保母さんにエラそうに言える程この美琴さんも人生経験豊富じゃないし」
「信憑性はありますよ。現役お母さんの言う事ですから」
「ねぇ、御坂さん」
「え?」
いつの間にか二人の寝顔に見入っていたことに、声をかけられるまで美琴は気付かなかった。
「それにしてもホント、ぐっすり眠ってますよね。こんだけ話してても起きないんですから」
「色々あったからね。少し気が抜けちゃってるのよ」
その色々とは何だろうか。
佐天と絹旗は引っ掛かった言葉を呑み込む。
「一方通行さんって……何かガード緩くなってません?」
佐天が一方通行の顔を見つめながら、こそこそと内緒話をするように囁く。
絹旗の眉がピクリと動いたのに美琴は気付かない。
「前は私達にこんなことされて起きないはずが無かった……ていうか、そもそも寝顔なんて見せなかったと思うんですけど」
おかげで良い物拝めたけど、と佐天は心の中で付け加える。
絹旗も佐天と同じことを思った。
泊まった時でも、この男は絹旗より先に寝ることも、後に起きることも無かった。
美琴は、一方通行と想の顔を交互に見つめると、小さく、唇の端を上げる。
まるで安心したような、それでいて、わが子を褒めるような眼差しで寄り添い眠る二人見つめる。
「いい加減観念してきてるのよ。毛を逆立ててもキリが無いって、ようやくわかってきたんじゃないかな」
佐天と絹旗は、顔を見合わせ、首を傾げた。
二人のそんな仕草に、美琴は悪戯っぽい笑みを唇に浮かべた。
一方通行と想は規則正しい寝息を重ね合わせ、心地良さそうに眠り続けていた。
ぺきり。
乾いた枯れ枝は呆気ない音を立てて二つにへし折れる。
女の細腕でも大した抵抗も無く、綺麗に真ん中で折れた枝に小さな満足感を抱くと黒子は絶えずぱちぱちと爆ぜ続けている炎の中へと放り込んだ。
静寂の中に闇がべっとりと横たわる中、焚き火の音だけがまるで此処が人の住む世界だと主張しているようだ。
「今夜は満月ですのね」
学園都市で見るよりも、巨大で鮮明な月を見上げる。
ほんのりと青白い月明かりに顔を濡らしながら、黒子は月にうっとりと見惚れるわけでもない。
ただ、月を見上げた拍子にずり落ちた毛布と身体の隙間から差し込む夜風が冷たく、慌てて毛布を被りなおす。
砂漠の夜は冷える。それは黒子も十分に知っていることだ。
しかし、あくまでもそれは文献として得た知識。いわば生きていない知識だ。
嘆息する。知識として知るのと、実感するのとでは違う。
それこそ、よく聞く常套句であるが、骨身に沁みるようだ。
小さく身震いすると、毛布ごと身体を抱き締める。
焚き火に、少しだけ身体を近付ける。熱気が顔の産毛を微かに揺らす。
パチン、と一際高く弾ける音。
艶かしく、あるいは無邪気に、炎は黒子の目の前で揺れ続ける。
ひと時として、同じ形であり続けることの無い赤い曲線を見つめる。
ふと、周りに目を向ければ何重にもセーターを重ね着した上に寝袋に入る男達が芋虫のようにあちこちに転がっている。
当番制とはいえ、見張りの度にこの呑気に眠りこける男達をまとめてテレポートしてやりたくなる。
もっとも、それは本心ではない。
確かに自分は寝ずの番であるというのに呑気に眠る姿は腹が立つ。
腹は立つが、それは自分を対等の仲間だと、皆が認めてくれている証でもある。
「まったくもう……大の男達が揃いも揃って間抜けなお顔で眠ってますこと」
故に、男達を見つめる黒子の顔は、母親のように優しく温かい。
「休める時に休むのもまた戦士の重要な責務である」
「隊長」
引き締まった巨体が黒子の隣りに座る。
手にはケトル。指先に二つのカップを引っ掛けている。
小さなカップは、男の太く長い指のせいでままごと用の玩具に見えてしまう。
不器用そうな外見のイメージとは裏腹に、洗練された手付きでアックアは小さなカップに真っ黒な珈琲を淹れる。
黒子が学園都市で飲むものの三倍は色が濃いのではないかとすら思えるこの珈琲が信じられない程の深みを持っていることを黒子は知っていた。
シュガーポットから、無造作に見えて、考えつくされた量の砂糖を注ぐと、アックアは無言で黒子の前に差し出す。
「ありがとうございますの」
カップを受け取り、息を吹きかける。アックアの手にも同様のイタリアン珈琲。
嘗て彼の友人から伝授してもらった特製のイタリアン珈琲だ。
『馬とテディベアとそして友を何よりも大切にする強い男だったのである』とアックアから聞いたのはマレーシアの夜だっただろうか。
エジプトの空の下。黒子は随分遠くまで来てしまったと思った。
苦味と甘みが如何に身体が凍え疲れているのかを教えてくれる。
珈琲は身体の芯を温めてくれる。焚き火の熱気が、先ほどよりも穏やかに感じるようになったのは、恐らくその為だろう。
炎を見つめる黒子の横顔は、本人すら気付かぬ間に随分と大人びたものになっていた。
黒子は赤いうねりを見つめながら、どうして今、自分は此処にいるのだろうかとふと思った。
最初は、騙され芸人らしく、学園都市第一位の口車に乗せられるがままに飛行機に放り込まれただけだった。
アフリカから帰ってきた翌日の事である。偶々、桜餅に話題が及んだ結果である。
断じて、出し損ねたわけでもなければ、イギリスから来日する男のせいで忙しくなる本編をこれ以上ややこしくするキャラクターを強制排除したかったわけでは決して無い。
そしてマレーシアで知ったこと。
桜餅のヒントはマレーシアには無いということ。
それから、攫われたジョシュアとハワードの消息を掴んだ一行はベトナムに渡り、更にはインドへと渡った。
そこでとある財宝を狙う盗賊団と戦い、また、とある富豪にプレシャスの奪還を依頼されていく内に気が付けばエジプトに来ていた。
そうこうしているうちに、黒子の中から一方通行への恨みは消えていった。
代わりに、彼女の心に宿るようになったのは、この苦しいはずの旅を惜しむ気持ちだった。
「炎は幾ら見て居ても飽きないのである」
黒子が傍らに置いていた枝を投げ込みながら呟く。
「昔ある男が言っていたのである。炎は常に形を変え続ける。そこには何の意味も無い。見るものが勝手に己の心の在り様を投影していくだけだ、と」
「己の心の在り様…」
アックアが薄い唇を引き結ぶ。
それなりの苦難を共に潜り抜けてきた黒子にはわかる。
不器用なこの男なりの、柔らかい表情なのだこれが。
「白井副隊長が炎に何を見出しているのかは私にはわからない。しかし、副隊長が見ているものであれば、きっと意味のあるものなのである」
「そんな手放しの賞賛を受けても正直こまりますの。私なんて」
この小隊、そう呼んでも過言ではない荒くれ集団に身を置くようになってから思い知った。
今までの自分は学園都市という狭い箱庭でチンケなチンピラを小突いて粋がっていただけの子供だと。
世界を知り、己を知り、そして尚邁進することの苦しさを初めて黒子は知った。
アックアの厳しくも凛々しい横顔に目を向ける。
この男の身体に刻まれた無数の傷を黒子は知っている。中には自分を庇うために付いた傷もある。
この男は傷を負う度に、一つずつ己の強さの壁を越えてきたのだろうと黒子には容易に目に浮かぶ。
一体、どれ程の涙を拭い、どれ程の夜を越えればこんな強さを得ることが出来るのだろうか。
そっと、ばれぬように切なく息を吐く。
黒子自身自覚がある。強く、優しいこの男に、自分は惹かれつつあると。
惹かれているといっても、恋愛感情かどうかと問われれば首を捻る。
一方通行が想や美琴に見せる淡い笑みに見惚れるのとも、浜面が妻の身を案じている姿を微笑ましく思うのとも違う。
もっと、心のそこからホッとするような不思議な感覚。
芯が寄り掛かるものを見つけたような安心感。それは一体何なのだろうか。
空になったカップの底を黒子はジッと見つめる。
「私なんて…などと言うのはよすのである」
「え?」
「確かに私は何度もお前を助けた。しかし、私とてお前に何度助けられたことか…」
「隊長…」
最初はとんだお嬢様を押し付けられたと内心うんざりした。浜面や一方通行の知り合いだから仕方が無くフォローしていた。
「こんな小さな身体の何処にあれほどの勇敢さが詰まっているのか…私は白井を尊敬すらしているのである」
「そんな…」
頬を染めて俯く黒子。しかし、アックアは決して褒め過ぎたとは思わない。
自分の先入観など嘲笑うように、このお嬢様は自分の想像を遥かに超えた傑物であったのだから。
「寧ろ私が白井の強さに抜かれはしないかと焦ったくらいなのである」
戦いを経る毎に強く、しなやかに研ぎ澄まされる姿は、一振りの名刀の誕生に立ち会っているかのような高揚感をアックアにもたらした。
「だからこそ副隊長の座をエーカーも快く明け渡したのである」
年下の小娘相手であるというのに、先代の副隊長の顔はとても晴れやかであった。
「そう…本当に白井には助けられてばかりなのである」
アックアが思い出す。
あれは、マレーシアでの戦いであった。
「もう絶対無理というところでの白井のテレポート……危機一髪だったのである」
流石に三本は無理だった。
そこは未体験ゾーンであった。少し興味はあったが。
「それに…恥かしくてボラギノールを買いに行くのが恥ずかしい時…代わりに行ってくれたのである」
ガチムチで、ボラギノールってwという目で危うく見られるところだった。
もっとも、代わりに黒子と見比べられて、「やだ、こんなロリっぽいのに…」という目で見られたのであるが。
「白井には本当に助けられてばかりなのである」
死ねばいいのに。
黒子は傍らのお色気担当を憎く思う。
どうして綺麗に終わらせられないのだろうか。
「いい加減、下半身のガードを固めることを考えて下さいな隊長は……」
エジプトの空の下、黒子は思う。
これは恋ではない、と。
そう恋ではない。
あるはずが無い。
あるものか。
頼むから誰か無いといってくれ。
浜面宅にて、家主である浜面仕上と、友人であり、上の階の住人である一方通行。
そして、御坂さん家のお嬢さんの三人が仲良くテレビの前でお茶会をしている。
今日は祝日。浜面さん家の奥さんは鮭好きの友人と保母さんを仕事にしている友人と美味しいもの巡りに。
御坂さん家の家主こと美琴さんはカエルマスコットを買い漁りに、妹達とショッピングに出かけている。
膝の上に幼女…もとい少女を座らせた一方通行と、その隣りで浜面が見ているのは、嘗て社会現象となった某名作アニメ。
二つあるが、引き伸ばしに定評のある原典の方だ。
48人の歌声が余韻をぶち壊すことで定評のある古き名作のリ迷ク版など彼は決して見ない。
「俺さァ、ガキの頃がチチが嫌いだったンだよ」
「唐突だな。まぁわからんでもないが」
ヒーローの戦い、活躍、勝利を望む子供にとって、男の戦いに口やかましく介入し水を差す女と言うものは目障りでしかない。
浜面もまた、テレビの前でいつも「いいからさっさと行かせろよ」と舌打ちをする可愛げの無い子供だった。
「でもよォ…何だろうな。クソガキの面倒見るようになってからは平気になってきてよ。つーか寧ろチチの気持ちがわかるっつーか」
「ブルマ派からチチ派に鞍替えか?」
煎餅を齧りながら、視線は何気に画面に食いついている。
画面では某王子が負けフラグの連続エネルギー弾を撃ったところだ。
そろそろ背後に回られて凹まされる頃合だろう。
「そりゃ、血相変えて怒るだろ。五歳になったばかりの息子が殺し合い突入だぜ?」
間違いなく児童虐待だ。
膝の上の少女が五歳になってからは一方通行にはいよいよ他人事と思えなくなってくる。
他の大人達は何やってるんだと。しっかり修行しろよと、正座させて叱り付けたくなる。
「あーくん、あーくん。想もおはなし。想も!」
自分に構ってくれずに、浜面と話しこんでいることが不服なのだろう。
少女は一方通行の腕をくいくいと引っ張る。
返事をする代わりに一方通行は、膝の上に乗せた少女の頭に口をくっつけると、息を吹き出す。
時折、悪戯半分で飼い犬によくやる人もいるだろう。きっと。いや、必ず。絶対。
「うわぅ~くすぐった~い!」
くすくすと少女が笑いながら子猫のように転がるのを、白い青年は逃さぬように腕でしっかりと抱き締める。
「あらあらまぁまぁ」
少女のお腹をくすぐっていた一方通行が「ンあ?」と間の抜けた声を上げる。
お前流石に気が抜けすぎだろうというツッコミを呑み込む。
電磁だ窒素だと言われてるが、多分この二人が一番ラブラブじゃないのだろうか。
―…***…―
ちなみに、娘大好き美琴さんは白いのと娘っ子も誘おうとした。
『想ちゃん。ママと一緒にゲコ太とか、ゲコ太とか、あとゲコ太なんて見に行かない?』
『ゲコ太縛りッスかァ…』
『ごめんねママ。想はね~ラビ太郎がいいの』
『で、でもでも、ゲコ太っていうのも時にはね?ホラ、あーくんとママと三人、いえ、打ち止め番外個体、妹…全員でゲコ太でペアルックっていうのも』
『ペアじゃねェだろ。つーか24時間テレビみてェな光景になるだろそれ』
『まじかんべんしてくださいよ、みことさん』
『想ちゃん敬語!?』
という経緯によって玉砕となった。
やっぱり小さい子はカエルよりウサギだろJK。
―…***…―
イチャイチャと少女と戯れる光景に目を細めながら、浜面はふと関係の無い事を思い出す。
「そういやお前さ」
充電完了し、とりあえず気が済んだのか、二人は浜面の煎餅に手を伸ばす。
やっぱり煎餅には昆布茶だなァと、一方通行は昆布茶を啜る。
膝の上で、両手で煎餅を掴んではむはむと齧る想。
さも当然のように人の煎餅をコイツらと思いつつも、女の子が欲しかっただけに想には甘い。
次は是非とも奥さん似の女の子を所望している浜面仕上。余談である。
「この前ボッコボッコの顔してただろ。あれってご近所さんには何て言い訳したんだ?」
白くてイケメンモヤシのお兄ちゃんがいきなりボコボコの顔になっていれば驚くだろう。
事情を知らなければ確かにビックリするだろうし、事情を知っててもビックリだ。
「ああァ……」
ことりとテーブルに湯のみを置くと、DVDを一時停止させる。
画面では余裕を見せすぎた王子がエライ事になっている。
「シウバみたいになりたくてハッスルしすぎたってことにしてる」
「何その無理のある設定!?」
コイツ言うに事欠いてシウバと来たよ。
「ザクレロ緑に塗って『エルメスでぇっす』っていうくれぇ無理があるじゃねぇか!」
「そこまでいかねェだろ。せいぜいデストロイ(MA)緑にして『ビグザムでェす』っていう程度の可愛いウソだろォが」
「図々しい!!二重の意味で図々しい!!今お前はファーストファンを敵に回した!!」
「っせェ!!引っ込め懐古主義者。いつもいつも。テメェらアレだろ。最新作観る度に『1stに勝るものはないな』って言いたいだけだろォが」
「事実ですぅ~~!!綺麗なだけで満足出来ないんです~ゆとり世代みたいに。大体…――――
~~~~*** 聞くに耐えない醜い争いが此処から3時間程続きます ***~~~~
「ハァ…ハァ…ダメだ埒が明かねェ…」
「…だな…はぁ、はぁ…やっぱり垣根と削板も呼ばなきゃ平行線だわ」
「削板の野郎はG一択じゃねェか…まァいい…」
気が付けば、膝の上の想が一方通行の薄い胸に頭を預けて、すやすやと寝息を立てていた。
少し身体を後ろに傾けてやり、少女が寝やすい姿勢に移る一方通行の湯飲みに浜面が緑茶を入れてやる。
つまりは休戦という意思表示だ。三時間の舌戦によって乾いた喉を、緑茶が潤していく。
「緑茶ウメェ……」
「ああ…滝壺の友達から送ってきたんだよ」
「お前の嫁、何気にネットワークスゲェよな」
ちなみにこのお茶は京都の友人とのこと。
浜面も緑茶の舌触りの良い苦味に相好を崩しながらポツリと呟く。
「ああ、和菓子欲しくなるな。羊羹とか」
「悪くねェ。甘ェモンは苦手だが、和菓子のさり気ねェ甘さと緑茶のコンビネーションはパネェ……俺は桜餅とか食いてェな」
「ああ、季節的にもそうだよな。桜餅はあの見た目もいいよな。ピンクで可愛いくて、まるで理k ――」
「ああ、ごっめ~ン。その後に続く嫁自慢はカットで」
「言わせろよ」
不服面の浜面の(掛けてません)文句をさておき、一方通行ははてと首をかしげた。
「どうした?」
「いや、何か忘れてるよォな…桜餅で……マレーシアが確か関係してたような…」
「マレーシア?オイオイ、桜餅と全然関係ねぇーじゃんか」
「それもそォだなァ」
「そうだろ」
二人の緑茶を啜る音がリビングに響いた。
少女はぐっすりと心地良さ気に青年の膝の上で眠っている。
今日も学園都市は平和である。
平和なのである。
「これは…?」
女は差し出されたチケットと、それを差し出した男の顔を見比べる。
仄かにとうよりも真っ白な顔には何の感情も浮かんではない。いや、唯一浮かんでいるのはいつもどおりの彼の顔だ。
面倒事はゴメンだ、そう零す時の面倒くさそうな顔。やる気も興味も一切が欠落している表情。
「朝一のチケットだ。それに乗って明日帰れ」
男はそれだけ言うと、言うべきことは済んだとばかりに、丸太に腰掛ける。
轟々と勢い良く燃える炎を前に、いつものようにジャケットの胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、一本を口に咥える。
鼻腔を突き抜けるメンソールの煙を心地良さ気に吐き出す。
中断していた銃の手入れに再び取り組み始める。
手渡されたチケットと男の顔を見比べながら女は徐々に怒りを顔中に滲ませていく。
「な、納得行きませんわ!!」
「知るか。納得しろ。出来なくてもしろ」
「ふざけないで下さいな」
隣に身体を捻り込ませるように座ると、女が金髪を揺らせて怒りを露わにする。
初めて出会った頃から、感情豊かな女だ。感情を抑制しろと何度も口を酸っぱくして言い聞かせてきたというのに。
結局女は、感情を押し殺すことを拒み続けたまま、それでも一人前へと成長してきた。
「今までずっと一緒にやってきたじゃありませんの!今更私だけ帰国ですの?明日がどういう日かご存知ですの?」
「……はァ…頑固なお嬢さンだ。まったく…」
ヤレヤレと呟くと、男はボソボソと頭をかく。端からチケットを渡しただけで女が納得するとは思っていなかったかのように。
男は目を細める興奮のあまり上気した女の頬を眩しそうに見つめる。
白い指先に挟んでいた煙草を、灰皿にそっと立てかけると、焚き火の木を軽く崩してやる。
話しこむには、少々火の勢いが強過ぎる。
「お前…年は幾つになった?」
唐突な質問に、一瞬女は何を言っているのだといいかけるが、男の表情が真剣なものであることに気付くと、渋々口を開く。
「先月二十歳になりました……けど…」
「そォか…二十歳か。お前を拾ってもう15年になるのかァ……」
感慨深げに男は呟く。
喜びと寂しさ、懐かしさと実感の籠もった複雑な声に、女は沈黙を持って返す。
それ以外に女は相応しい言葉を知らない。
焼け野原で女が拾われたのは僅か5歳の頃だった。
両親、友人、そして自分の家に仕える家族のように気心の知れた召使達。
それらを戦火で一辺に失った彼女は、目の前の男に拾われた。
ぶっきらぼうで、不器用で、意地が悪く、そして優しいこの男に。
「最初は何も出来ねェガキだったンだよな」
「そうですわね……ええ、そうでしたわね。全て貴方に教えられましたわ…料理も、洗濯も、お掃除の仕方から ――― 」
女が懐かしそうに目を細める。
「銃の扱いまで…」
パチンと火がはじける。
女は娘であり、妹であり、弟子であり、そしてパートナーであった。
取るに足らない小娘であった彼女は、いつしか男が背中を預けるに足る女へと鮮やかに羽化を遂げていたのだ。
男の紅い瞳が懐かしさに微かに揺れる。
「私は貴方のパートナーとして ――― 」
「だが、そろそろ潮時だな」
「………潮時?」
灰皿に乗せていた煙草を口に含むと、男は銃の手入れを続ける。
「15年、そう、15年だ。そんなにも長い間俺はお前をこンな掃き溜めみてェな世界に置いてきた。今更地獄行きが恐くなったなンて言うつもりはねェ。
だが、お前までそンなクソッタレなツアーに付き合う必要はねェ。地獄行きは俺だけで十分だ。お前はもう元いた場所に帰る時だろ」
表世界へ帰れ。そう突き放す男の言葉に、女は顔を歪める。
どうしてそんな事を言うのだ。ずっと一緒だと、そう言ってくれたのはウソだったのか?
理不尽とも思える男からの別れの宣告を受け入れることも出来ないまま、女の右目から一筋の涙が零れた。
「だったら…だったら貴方も一緒に…」
「言ったろ、潮時だって。物事にはすべからく潮時ってモンがあるべきなンだよ。ソイツを逃せば後は流されていくだけだ」
「そんな事…ッ」
「俺の左目は見えてねェ…昔そう言ったよな」
男が左目、焦点の合わぬ左目を向ける。
幼い頃、女はこの目で見られると無性に落ち着かずそわそわとした事を不意に思い出す。
何も映っていないはずの瞳に自分の本質が見透かされているような気がしてどうにも直視できないのだ。
男が白い頬皮肉気に歪める。
「見えてねェワケじゃねェ…ただ、見ようとしてねェだけだ。過去を見つめたまま、それ以外の何ものもな」
赤く照らされた白い表情が、一瞬能面のように凍りつく。
「テメェ自身の未熟さで相棒を死なせて以来、俺はずっと戦ってきた。生き抜く為じゃねェ……おあつらえむきの死に場所を見つける為にだ」
「死ぬ為に…生きてきたとでも?」
「そォだな。俺には学がねェから気の利いた言葉なンざ言えねェが……そォだな。あの日死に損なった俺が、きっちり死ぬ為の今日であり、明日だったンだろォな」
ねっとりとした湿気を帯びた夏の夜風に煙と共に乗せた言葉。
それは男が自分自身に言い聞かせるかのように悲しく響いた。
「そんな…悲しすぎますの、そんな生き方」
「いいンだよ、俺はそれで。納得してンだ。止まっちまった時計の針を進めるタイミングをずっと息を潜め続ける…お前はそンな風になるな」
男が小さく笑う。
「お前はまだ間に合う。好きな男を見つけて、家庭を持って、ガキを作れ。ありきたりかもしれねェが、そンなありきたりが一番掛け替えの無ェモンだって、
お前もわかってるだろ?もうガキじゃねェンだ」
「ずるいですわ…こんな時ばかり一人前みたいに」
普段は何かにつけて子供扱いする癖に、何てズルイ男なのだろう。
15年もの歳月何度も、何十回も思い知らされてきた事実を再認識する。
そして、この男のズルイところは、どれだけ心配をしても、自分の身を決して省みないところだ。
鈍感なフリをして、気付かない風を装って幾人もの彼の身を案じる者達の心を蔑ろにして、自分の道を決して譲らない。
そんな馬鹿で頑固な男なのだ。
男は話すべきことは全て終わったとばかりに手元に視線を落とす。
煙草をくわえながら銃の手入れをするな、女が子供の頃から何度言っても直らない悪い癖だ。
炎の赤橙に白い毛が艶やかに照らされる。
俯き、銃の手入れをしている男の横顔が、女は大好きだった。
その好きという感情が、妹としてのものでも、ましてや娘としてのものでも無い事を二十歳を迎えた女は十分に自覚していた。
「一人前みてェじゃねェ。お前はもう立派な一人前だ」
不意に告げられた言葉に、女は言葉に詰まる。
溢れる涙を拭いながら、辛うじて女は呟く。
愛しい愛しい男の名を。
「ラビ太郎…ッ」
男は白い毛に覆われた指で器用に煙草を挟み、赤い瞳を伏せる。
女の言葉など聞こえぬように、その長い耳を寝かせて。
男は、雄兎は既に戦場に向かう決意をしているのだと、女はその頑なな横顔を見て悲しい程に理解してしまった。
――― ……***…… ―――
エンディングテーマが流れ終わり、スクリーンに幕が下りる。
「おもしろかったね~」
想は興奮覚めやらぬという表情で隣りに顔を向けた。
学園都市において、カナミンと言えば女の子達にもっとも人気のある作品である。
そして、カナミンがドラクエだとすれば、ややマニアック且熱心なファンが多いメガテンに当たるのがこの『ラビ太郎』である。
その劇場版を見るべく想は一方通行と、そして研究が一区切り付いたという母親の美琴ときていた。
「……クソが……やられた…」
目頭を抑え、一方通行が呻く。
「何て不意討ちなのよ…」
一方通行とは反対側、想の左隣のシートに座る御坂美琴がハンカチを顔に押し当てていた。
メイクが落ちる心配などしている場合ではないと、目元を何度も何度も拭う。
「なンなンですかァ?ガキ向けとかブラフじゃねェか…大人の観賞にも耐えうる…いや、寧ろ大人にこそ観てもらいてェよ」
涙を決して見せないよう、青年は目頭を抑えたまま俯いている。
しかし、彼の震える声が十分過ぎる程彼の感情を物語っている。
感極まっているのは彼だけではない。美琴は何度も何度も一人何かに納得したように頷く。
「映画って…ただ難しくすれば奥が深いわけじゃないのね…子供にも十分わかるようにしても伝えるべき言葉は十分伝えられる。
いいえ、子供にも理解出来るように徹底的に煮詰められたからこそこれ程の深みを持つに至ったんだわ…ねぇ、想ちゃん!」
「ああ…うん、そうだね…」
予想外に感情移入した大人二人に対して、年齢以上に大人びた顔で、想は一応の同意をしておいた。
自分が観るものを子供向けと笑われるのも面白くないが、想像以上にのめり込まれるのも、それはそれで複雑なものだ。
五歳の少女は何となく悟った。
――― ……***…… ―――
映画を観終わり、メインストリートを歩いていると、甘い熱気が三人ぼ鼻腔をくすぐる。
バターとクリームと甘い生地の香りだ。
人だかりが出来ている広場の中心。学園都市でよく目にするクレープショップのケイタリングカーの客のようだ。
少女の目は、談笑しながらクレープを食べる女子高生のグループに向けられる。
キラキラと輝かせた瞳を、手を繋いでいる青年に向ける。
「あーくん、あーくん」
「おゥ」
少女の顔で、既に何を言おうとしているのか察した青年がやれやれと頷く。
想がくいくいと一方通行の袖を引っ張る。杖を突いている為に、一方通行の姿勢が不自然に傾く。
唯でさえ小さな少女が袖を引っ張るせいで、鎖骨まで襟元が広がっていくのを見て美琴は苦笑する。
あれではそのうち伸びてしまうのではないだろうか。
美琴は想の手をそっと袖から自分の手に絡め取る。
「想ちゃん。そんなに引っ張ったらあーくん転んじゃうでしょ」
「うぅ…ゴメンなさい」
しゅんとなった想の頭を撫でながら美琴はクレープのメニューに目を遣る。
店頭に置かれた冊子を一つ抜き取ると、しゃがんで想の目の前に広げてやる。
「わかればいいの。ホラ、想ちゃん好きなの選んで」
「うん!」
「一方通行も」
「俺もかよ」
「ママ。想ね、このマロンクリームがいい」
「へぇ、新メニューじゃない。ホラホラ、一人だけ食べないとか協調性が無くてよ?あーくん」
「何だそのムカつくドヤ顔。大体俺甘いの嫌いなンだけどォ?」
「ミールクレープにすればいいじゃない」
「お前…あくまでもクレープゴリ押しな」
所謂お惣菜クレープというヤツである。
一方通行としては、ミールクレープを食べるくらいならばサンドイッチを食べたいというのが本音である。
そもそも、一方通行としてはクレープ自体気恥ずかしくて食べる事に抵抗がある。
今時、クレープを男が食べていようともそんなものとして誰も特に気にすることはない。しかし、無駄なところで見栄、自分のキャラクターを鑑みてしまうこの男はイマイチ踏ん切りがつかない。
暗にいらないと言ったつもりであったが、美琴は三人仲良くクレープを食べることを譲らないようだ。
「あーくん、どれにするの?」
想が無邪気に広げたメニューを向けて首を傾げて聞いてくる。
「ホラ。観念して一緒に食べましょうよ」
想の肩に手を乗せて、美琴がにこにこと笑う。
この他愛も無いやり取りが楽しくて仕方が無いかのように想によくにた無邪気な笑みだ。
二つのそっくりの笑顔で見つめられては、基本的にこの母娘に弱い一方通行が頑なに意地を張り通すことなど皆無である。
「……じゃあこのフランクエッグってので」
観念したかのように嘆息すると、細い指がメニューの一点を指す。
ソーセージとスクランブルエッグのクレープだ。
「じゃあ、想ちゃんはマロンクリームでよかった?」
「うん」
「ママはね~この生キャラメルクリームね」
美琴はてきぱきと三人分を注文する。
三人分のクレープはすぐに出てきた。
余談であるが美人に愛想良くされた店主がサービスだと言って想と美琴のクリームを増量してくれた。
「お姉さん美人だね、あちらのは彼氏?それとも旦那さんかい?」
「うふふふ、秘密等」
美琴と店主のナンパとも世間話ともつかぬ会話を聞きながら一方通行は少女がクレープを落としてしまわないように注意を払う。
美人てのは得なモンだなと、一方通行は特に驚く事も無くその軽妙なやり取りを見ている。
黄泉川や芳川、番外個体といった美女と共同生活をしていると、少なからずこのような場面に出くわす。顔が良いとサービスをしてもらえるのよ、としゃあしゃあと芳川はのたまっていた。
自分の分のクレープを受け取ってきた美琴を促すと、めぼしをつけておいたベンチで食べることにする。
美琴が、あのおじちゃんが想ちゃんのクリームいっぱいオマケしてくれたんだよ、と囁いてやる。想が「ありがとう!!」と言って手を振ると、店主が目尻を下げて手を振り返す。
美琴ならばまだしも、想にまで鼻の下を伸ばすとは、と一方通行はさり気無く店主から想を隠すように抱き寄せた。
「うゆ?」
不思議そうに一方通行を見上げる想とは対照的に、美琴は口を抑えて噴出すのを堪えている。
ムッと眉間に皴を寄せて睨むものの、美琴にそんなものが通じるはずもない。
――― ……***…… ―――
レンガ造りのメインストリートにあわせた赤茶色のベンチに腰掛けると、想は待ちかねたようにクレープに顔をくっつける。
かぶりつくというには少女の口は余りにも小さく、めいっぱい開いても、傍から見ればクリームの山に顔ごと突っ込んでいるようにしか見えない。
あどけない食べ方を頬綻ばせてみていた美琴は自分のクレープを齧る。
一方通行はと言えば、予想通り過ぎる味に特別感動も無く、ただ、少しケチャップが水っぽくないだろうか、等とダメ出しをしていた。
「おいし~」
「美味しい~」
同時に述べた感想まで母娘はそっくりだ。
あんな甘いものをよくもまぁと、呆れる一方通行を他所に、想は口の周りをクリームだらけにしあながらマロンクレープ攻略に取り掛かっていた。
「うふふ、想ちゃんたら、お口の周りクリームだらけよ」
「だってうまくたべれないもん」
美琴は嬉しそうに想の口元を拭いて行く。一方通行には美琴が嬉しそうに笑う理由がわかる。
普段から忙しさにかまけて中々構ってやれない少女にあれこれ世話を焼けるのが嬉しくてしょうがないのだ。
元来世話好きの彼女にとって愛娘の面倒を見てやれない時間は一方通行が想像する以上にきっと歯痒くて苦痛なのだろう。
まったく、世話の焼ける母娘だ、と一方通行は小さく溜息を吐くと、目の前にクレープが突きつけられた。
甘い香りがむわっと熱気を伴い胃の中にまで滑り落ちてくる。
眉を顰めると、クレープを差し出していた美琴が不服そうに頬を膨らませていた。
「なぁ~に『俺ァ関係ありませ~ン』って顔してるのよ。ホラ」
「あァ?」
「折角違うの買ったんだから味見。ホラ」
甘いものは苦手だと、言いそうになったが、美琴がことのほか真剣な顔で見つめてくる。
その瞳に押し切られるように、渋々一方通行は美琴の食べかけのところを避けるようにして、クレープを齧る。
「……甘ェ……」
「アンタのも食べさせてよ」
「チッ…たかるなよ」
口ではそう言いながらクレープを美琴の口に持って行ってやる。
「美味しいじゃない。今度作ってみようかしら」
一方通行にとっては無難な味であったが、美琴の口にはあったらしい。
ふと、美琴が齧ったウインナーの断面が目に留まる。
半分も食っていやがると、呆れて美琴をもう一度見ようとして、一方通行の目の前に想の膨れ面がにゅっと現れる。
思わず仰け反る一方通行を逃がさぬように想が彼の膝の上にとすんと座る。
「ママばかりずるいの~想もする!!」
「あン?」
「想ちゃん?」
思わぬ矛先に、美琴もきょとんと首を傾げた。
グイッとマロンクレープを突き出すと、想は訴えるように強い口調で言う。
「あーくん、あーん!!」
「あ、あ~ン?」
戸惑いながらも、少女の訴えどおりに口を開く一方通行とは別に、想が機嫌を損ねた理由を美琴はすぐに察知した。
言われて初めて美琴も気付いたが、二人の光景は他から見れば食べさせ合い、所謂『ハイ、あーんして』というヤツだ。
そして、容姿が目立つ二人の姿を盗み見している者は案外少なくない。
妬み、羨望、僻み、微笑ましさ。
(う、うあああああああーーーーーーーーー!!!)
美琴は声にならぬ叫びを上げて両手で顔を覆う。
数多くの種類の視線に曝されていることに気付き、美琴は今更羞恥で頬を染めた。
無意識過ぎて、自分達がやっていたことが如何にこっ恥ずかしい事かがわかったのだ。
「あーくん。想にもして」
「しゃあねェなァ………オラ、あーン」
「あーん」
「うめェか?」
「うん!!えへへへへ~~」
「なァににやけてンだか。ったく」
そんな美琴を他所に、白い青年と少女は食べさせ合いに興じている。
美琴は当分此処には恥ずかしくて来られないと思っていた。
クレープを平らげ、一方通行と美琴は今し方見てきた映画のパンフレットを広げる。
基本的に映画の話をするのであればカフェかパーラーでするというのが普段の流れであるが、4月に入ったこともあって、今日は日差しが強い。
風も少なく、今から手頃な店を探すのも何だか面倒だ。
想はクレープと未だに格闘中。
想を膝の上に乗せた一方通行は美琴に顔を寄せるようにしてパンフレットをのぞき込む。
「でもさ、あそこでラビ太郎の死んだ筈の相棒黒ウサギが登場するなんてね」
「死ぬ死ぬ詐欺って普通だったらシラケちまう筈の展開をまさかあンな風に見せるとは思わなかったぜ」
「ラビ太郎のネックレスとお揃いのをつけてたあの子がまさかラビ太郎の娘とはね」
「けどよ、確かに言われてみりゃ伏線あったンだよな。ラビ太郎が離婚した奥さンに親権取られた話がテレビ版でもやってたしよ」
突拍子もないようでいて、きちんと推理出来る材料は提示されていた。
丁寧に張られた伏線を見事にここぞというポイントで昇華させる。
二人のレベル5は、今日観てきた映画のクオリティの高さに改めて感心する。
「そういえば今回はエピソード1なんだよね」
「本当は前後編で終わらせるつもりが尺が足ンなくなって3部作になったンだとよ」
自販機で購入した缶コーヒーを美琴に渡すと、一方通行は自分のコーヒーのプルタブを開ける。
「三部作か。終わるのいつ頃なんだろ」
「半年ごとっていうから来年の春だろうな」
コーヒーを一口飲む。安っぽい苦みだ。缶コーヒーのこの人工的な苦さが一方通行は好きだ。
嗜好品を取っている実感がおもしろいのかもしれない。
「随分詳しいわね」
「馬ァ鹿。毎週付き合って観てりゃ覚えるイヤでも」
「そうよね~アンタ達が仲良くラビ太郎の話してる横で私は録画しておいたゲコ太観てるもんね~」
「メンドクセェな。何拗ねてンだよテメェ」
美琴は大学にいる時間帯なので、想とラビ太郎を観る機会はほとんどない。
美琴としては、同時間帯に放送している「ゲコ太危機一髪」を毎週録画しているので、一緒にそれを観たいのであるが、
どうにも愛娘は美琴的に愛らしさの固まりであるかわいいカエルのキャラクターはお気に召さないらしい。
彼女が夢中なのは、目つきと口の悪いあの白いウサギなのだ。
「お話がおもしろいのはわかったけどさぁ~」
「じゃあ、今度からは録画して一緒に観てやれよ」
「うん」
頷き、想と約束しようとして、一方通行の膝の上からいつの間にか少女が消えている。
何処かでふらふらと迷子になってしまったのでは、等という心配をする前にベンチから少し離れた場所に想はいた。
幼い少女は子猫を抱いてはしゃいだ声を上げている。
少女の周囲には、子猫の兄弟らしき子猫が二匹。そして、母親なのか、ほっそりとした猫がいた。
特に子供を抱いている想を警戒するわけでもなく、それどころか想の足下に身体をすり寄せてさえいる。
「ホント、あの子って動物に懐かれるわよね」
「………そォだな」
猫にくっつかれた娘を、うっとりとした目で見つめる。
猫と想という美琴にとっては可愛いもの同士のコラボが彼女を骨抜きにしていた。
「いいわね~猫ってやっぱり可愛い~」
寂しさと羨望混じりに想を見つめる美琴の横顔に溜息を吐く。嘘を付けないのだな。一方通行はつくづく思う。
羨ましいならハッキリ言えばいいのに。一方通行は美琴の背をたたく。
「痛っ!ちょ、アンタなにするのよ」
「くだらねェ意地張ってねェでおまえも行ってこい」
「意地なんて」
「張ってンだろォがボケが。混ざりてェって顔してやがるぞ」
図星であった。少々変わっているが、美琴は基本的に可愛らしいものが大好きだ。
当然、子犬や子猫も大好きである。だが、彼女の身体から自然と放たれている電磁波を動物は嫌う。
「だって…私が近づいたら猫ちゃんたちみんなどっか行っちゃうでしょ?」
もし自分が想の元へと行けば、間違いなく猫たちは逃げる。
残されるのは、突然友達がいなくなってしまった娘だけだ。
想の悲しい顔を思い浮かべると、とても美琴にはそんなことはできない。
「…ったくオレが誰かわかってて言ってやがンのか?」
チョーカーに手を伸ばす。プラスチックの軽い音。
一方通行は、美琴の頭に手を伸ばすと、しばらく瞳を閉じていた。
「一方通行?」
「よし…これで当分電磁波は流れねェはずだ」
「ベクトル操作?」
「多分猫にさわっても大丈夫だろ。オラ、行ってこい」
美琴の顔が瞬時に華やかに、明るくなる。
喜色満面といった表情を鼻で笑ってやる。
「馬鹿みてェにへらへら笑うなウゼェ。さっさと行けってンだ」
「ありがとう!!想ちゃん、ママにも触らせて~」
「ママ~!」
美琴がベンチから立ち上がり、足早に想の元へと向かう。
走れば猫たちが逃げてしまうとわかっているものの、どうにも逸る気持ちは抑えきれぬようだ。
呆れたように、その背を見て嘆息する。
単純親子。小さく呟く。
美琴がおそるおそる触れてみると、確かに猫達はあわてふためきもしない。
美琴は今度は、ゆっくりと慎重に猫達の頭と喉を撫でてやる。
徐々に慣れてきたこと、ずっと求めていた猫とのふれあい。
美琴は喜びに頬をリンゴのように染めながら猫に頬ずりする。
子猫達に囲まれている母娘を眺めながら、一方通行はつい先日、知り合いの女科学者が言っていた言葉を思い出す。
定期的に冥土返しの病院で受けさせている能力スキャン。
レベル5の子供である想や、滝壺理后の息子などがそこで内密に能力測定を行っている。
そこで旧知の科学者が言ったのだ。
「この子…能力者だね」
すやすやと自分の固い膝を枕に眠り込んでいる少女に視線を向ける。
女の目の下の隈は最早身体の一部と化しているのだろうか。
そんな疑問が過ぎったのは女の言葉から一時的に現実逃避をしていたからだ。
補足するように、傍らにいた旧知の女科学者、家族とも呼べる女、芳川桔梗が資料を手渡す。
「スキャンには反応しなかったけれどね」
「レベルは?」
反応しないということは、1にも満たないということだろうか。
浮かび上がった思考を即座にもう一つの思考が否定する。そうであれば、この二人がわざわざ言いに来るだろうか。
一方通行と御坂美琴の望みは、極普通の少女として想を育てること。
実験だらけの日々に少女を放り出させはしないと、一方通行は心に固く誓っている。
自ずと鋭く険しさを増す一方通行の表情に、芳川は苦笑する。
「そんな睨まないでよ。心配する必要なんてないんだから」
「なンで言い切れる」
「理由その一。今の学園都市は少なくとも昔のように子供をモルモットにはしない。
そしてもう一つ。工業的利用価値が能力の価値だとすれば、この子能力はまったくの無価値ということ」
「………精神系能力者か?」
最も価値判断の難しい能力を挙げる。利用価値ではなく、工業的価値として考えれば当然の答えだ。
心理掌握クラスを覗いて、精神系能力者は工業分野としての旨味を見出しにくい分野である。
芳川は複雑な顔をして首を傾げた。振るのでも頷くのでもない。隈の濃いもう一人に向けると、女は肩を竦めた。
「どうにも把握の難しい能力でね。強いて言えば治癒系とでも言おうか」
「治療系?」
「そうだ。ヒーリング能力者…かな」
私が今勝手に作ったカテゴリーだがね。女は三つめのボタンを外し、胸元を手で扇ぐ。
女には此処の室温が高過ぎるらしい。隣りの芳川が顔を顰める。
口に出して注意しないのは、つまり慣れきっているということ。そして諦めていることでもある。
「ドルフィンセラピーって知ってる?」
「イルカと泳ぐと癒し効果があるとかいう話か」
「そう。イルカにはヒーリング効果があるの。これは迷信でも何でもなく、きちんと立証されていること。イルカの放つ音波がα波を促進させてくれるとも言われてるわね。
一緒に泳ぐことで自然の持つ超音波が人の体を癒してくれるとも言われてるし、海と人間という生物の根源に関わる関連性が安らぎをもたらしてくれるなんて事も言われてるわね。
これという決定打が定まっていないけれども、イルカという存在の持つヒーリング効果そのものには揺ぎ無い確証が持たれているわ」
「くどい。結論から言え」
「せっかちね。ま、良いわ。御坂想、あの子の能力はそれをもっと発展させたものね。心を読むのではなく感じる能力者」
能力者。放たれた言葉に一方通行は口を噤む。
この少女がそのような呼び名で呼ばれること自体が我慢ならないというように。
「この子は傷ついた人、寂しい人の持つ乱れた心の電波を無意識に感知して、その人の心の壁を無効にする。
そして、感情のベクトルを穏やかで正常な方向へ修正することが出来る。
貴方達には悪いけれど、いくつかのデータを取ってわかったことだわ」
「データ?」
「あの子と対峙し接している人間の脳波を調べたのよ」
いつの間に、その言葉を飲みこむ。芳川は知り合いの名を幾つも挙げ、最後に麦野沈利の名を上げた。一方通行にはふと思い当たることがあった。
再生治療によって回復した腕と眼の診察に訪れた時だと彼女は言っていた。
偶然鉢合わせただけだと思ったが、おそらくはあの時に測定したのだろう。
この小さな少女を前にしてはあの原子崩しであっても、普段の激しい気性がなりを潜める。
原子崩し ――― 麦野沈利は特別穏やかな女でもなければ、子供にだけは甘いというわけでもない。
その彼女でさえも、この少女には不思議と甘い。最初は、この少女が甘え上手だからだと思っていた。
しかし、もし彼女達の言葉が正しいとするならば、麦野の気性を宥め、穏やかな精神状態へ持っていっていたのは想という事になる。
「あんまり難しく考えなくても大丈夫よ。科学者から言わせてもらえれば、この子の能力は本来能力と呼べるものですらないんだから」
「何?」
「ただ、貴方に知っておいて欲しかっただけなの。何があったか知らないけれど、随分いい顔するようになった親御さんにはね」
芳川はくすりと笑う。
見透かされているようで、一方通行は舌打ちをすると、ふいっと目を逸らす。
「これを能力と呼ばなければならないというのは本来嘆かわしいことなのだろうな。
だからこそ、この少女は希少な存在なのかもしれない。レベル5としててはなく、人間として」
木山が、そっと眠る想の頭を撫でてやる。何かを胸に含むように。
その瞼の裏に何を見ているのか。柔らかく、そして寂しげな瞳で。
芳川が微笑む。一方通行と、その膝の上の少女を暖かな目で見つめる。まるで母親のように。
「温もりや癒しを求めてる人の心に気付いて、静かに寄り添い、癒すこと。この能力を人はね ―――
――― ……***…… ―――
子猫に頬を舐められ、きゃっきゃと嬉しそうな悲鳴を上げる少女を見る。
屈託無く笑う美琴、彼女を笑顔にしているのも、或いはあの少女だろうか。
想と、美琴が一方通行の方を見る。
無邪気に少女は手を振り。美琴が一方通行を呼ぶ。
やれやれと、小さく零すと杖を手に取る。
きっとあの親子は自分が行くまでしつこく呼び続けるに違いない。
「ったく……馬鹿みてェにハシャぎやがって」
小さく、誰にも見せぬようにそっと笑うと、一方通行は立ち上がった。
――― ……***…… ―――
『温もりや癒しを求めてる人の心に気付いて、静かに寄り添い、癒すこと。この能力を人はね ―――
――― “慈愛”と言うのよ』
猫と遊び倒し想と美琴の春物の服を買うべく大型セレクトショップへと足を運ぶ。
想を着せ替え人形の如く扱う美琴を窘めたら、二人纏めて着せ替え人形にされることとなった。
美琴が自分用にチョイスした服は胸を強調するデザインであった為、一方通行と想は顔を背けた。
一方通行はあまりの不憫さ故。想は単に一方通行の真似っこだ。
憤懣やる方無しとばかりに選んだのは腰まで背中の開いた黒のノースリーブ。繊細なラインが浮かび上がるデザインであった為購入。
支払いは面倒だからと、一方通行がうラックカーードで一括払い。一方通行達は夕食の買い物に向かう。行き先はメインストリートに面している総合スーパー。
アミューズメント施設が豊富な第六学区らしく、品ぞろえが若年層向けで多彩かつ輸入品も数多くそろっている。何よりもドイツに本店を置くだけあって、ウインナー、ソーセージ、そしてビールやワインが豊富なのだ。
ワインが好きな美琴は、時折此処に来てはワインを買い貯めしていく。
ちなみに普段一方通行一人が買い物に行くスーパーは第七学区にある。想の保育園とマンションの間にある上に、価格が安い為に重宝している。
「セロリとブロッコリー、後はトマトだっけ。それ以外野菜切らしてるのあった?」
「ジャガイモ。メイクイーン頼む」
「了解」
漫然と買うつもりは毛頭なく、美琴と手分けして必要なものだけ籠に入れていく。
「あーくん、お菓子買ってもいい?」
「一個だけだ。晩飯前に食うなよ」
「は~い」
想は元気よく返事をすると、すぐさま短いコンパスをフル回転させてお菓子の陳列棚に駆けていく。
肉類の棚へと足を伸ばせばお目当ての物をすぐに見つける。
この総合スーパーに立ち寄る時は滅多にないが、寄れば必ず購入する物の一つがこのウインナーである。
血を詰めたウインナーは、普段買うものよりも三倍近くするが、一方通行の好物である。
ボイルしてマスタードをつけてビールの肴にするが、余ればおかずとしても使える。
二袋籠に入れてから、美琴も好きだったことを思い出し、さらに二袋籠に放り込む。
そろそろ野菜コーナーに行った美琴と合流する頃合いだ。
もしかしたらワイン棚の前から動いていないかもしれないが。
「一方通行?」
不意に掛けられた声に振り向く。
買い物籠を片手に、打ち止めと番外個体が目を丸くしていた。
「なンだオマエ等か」
「何だとは何よってミサカはミサカは会うなりいきなり失礼なアナタの態度にムカついてみる!」
「ちょっとぉ~こんなところでお買い物?地元のスーパーにいつも行ってるのにさ。もしかして出禁とか?キモすぎてとか。それとも悪人顔が怖すぎるって通報があったとか?きゃははは」
一方通行は面倒臭そうにため息を吐く。一方通行にとってこの姉妹は大切な存在であるが、反抗期真っ盛りの彼女たちの相手をするのは結構な体力がいる。
一日中出かけていた彼に、その体力、気力は残っていない。
「何とでも言ってろ。そォいうオマエ等こそこンなところで買い物か」
「映画観てきたの。ゲコ太の」
「今日黄泉川家にいないから食事自分で作らなきゃいけないの、マジメンドクサいけどさ」
「そう言いながら熱心に練習してるよねってミサカはミサカはチクってみる」
「うるさいな。炊飯器飯に慣れると社会に適応出来ないってわかってきたの!!」
「ああ、否定はしねェが…オマエの口から社会に適応だなンて言葉が聞けるたァな…」
「何感慨深げな顔してるのさ、親御さん。マジキモいよ」
「ゲコ太って…そォか、そっちも今日が公開初日だったか」
「詳しいね。もしかして一人寂しくアナタもゲコ太観てたの?ぶひゃひゃ」
「あァ?俺達はラビ太郎の方にな」
一方通行の言葉に、二人の少女の顔つきが変わる。
偶然、この場で会えた事に対する喜びに微かに上気していた頬からすっと赤味が引いていく。
「俺……達…?」
「アナタ一人じゃなくてってミサカはミサカは…」
「あれ?アンタ達何してるの?」
「おねえちゃんだぁ~」
振り返るまでもなく、二人の少女には声の主がわかった。
目の前の青年の表情が、微かに少女たちにわかる程度に、ふわりと柔らかくなったのだ。
彼にそんな表情をさせる人間は数えるほどしかいない。
「そっちも済ンだのか?」
「うん。アンタの好きな白ワインもあったわよ」
美琴が満足げに籠を軽く上げて見せる。
想は両手にしっかりとお菓子の箱を抱えている。
言いつけ通りに、一つだけ選んだのだろう。
少女の目の高さにしゃがみ込むと、手にしたお菓子を籠に入れてやる。チョコチップのクッキーだ。
「ねぇ、もしかして今日はずっと三人で出かけてたの?」
打ち止めが挑むように一方通行をにらむ。
どうしてそんな目をされなければならないのだ、と言い返してやろうとするが、番外個体も口にこそ出さないものの同じような顔をしている。
「映画行って服買いに行ってきたくれェだよ。旅行みてェなそンな大層なモンじゃねェ」
遊びに連れてって欲しけりゃ今度連れてってやる、と投げやりに言う。
「そういう事じゃないんだもん……」
打ち止めが俯きつぶやく。
年相応に、そして不相応にだろう。恋する乙女らしいヤキモチだな。美琴は三人のやりとりを見て微笑ましく思う。
実年齢にするとまだ9歳の少女達。知識は見た目の年齢以上にあるくせに経験が見た目の年齢を遙かに下回る。
その両極端な心の在り方が、時として、少女達のアンビバレンスを加速させる。
おそらく打ち止め達自身も自分の感情をどう扱って良いのかわからないのだろう。
言い合い、というか、一方的に文句や罵倒を並べ立てている打ち止めと番外個体に、一方通行はうんざりした顔をする。
(馬鹿…)
美琴は心の中で一方通行を叱責する。好きな男に面倒くさそうに相手をされて傷つかない女の子はいないのに。
周囲の目も段々痛くなってきた。
端から見れば姉妹で男を取り合って痴話喧嘩を繰り広げているように見えないこともない。
見るに見かねて美琴は口論が止む一瞬に滑り込ませる。
「ああもう。口論の続きはウチでやる!どうせアンタ達家に誰もいないんでしょ?だったら一緒に夕食でも食べて行きなさいよ」
「…お姉さまが言うなら…まぁ、コイツの料理食べてやってもいいかなってミサカは妥協してやるよ」
「お姉さまの顔に免じて許してあげるねって、ミサカはミサカは追求の手を緩めてみる」
「好きにしろ」
姉の言うことには案外素直な末の妹達に苦笑する。
根は素直で良い子なのだ。一方通行は参ったモンだぜと言いたげに肩を竦める。少し芝居じみた気障な仕草だ。けれど癪に障る事に、かなり様になってる。
さりげなく打ち止め達の買い物かごの中身を自分の籠に一緒くたにしてあげるあたり、面倒見が良いというか、親御さんだ。
憎まれ口を叩きながら一方通行にくっついていく妹達。
今日は久しぶりに三人で出かけて気分が良かった。
その弾んだ気分のまま三人だけで夕食をとるつもりだったのだが。
少し残念だ。
「…って、何が残念なのよ私」
首を振って打ち消す。思わずよぎった言葉を。その言葉の意味を考えるのはまだ早い気がした。
「お前な…暑いなら暑いって言わねェか」
「だって、そうしたらあーくん、ウサちゃんぬげって言うもん」
誕生日に美琴にプレゼントされたウサギのコートを想は大層気に入っている。ふわふわもこもことした襟元に、ぼんぼんが付いてる意匠は大層愛らしく、亜麻色の髪にとてもよく似合っている。
雪景色の中にいればたちまち雪ウサギのようにとけ込むだろう。
しかし、薄陽暖かな今日のような小春日和には、少々暑い格好でもある。
きっちりと留められた木のボタンを外してやり、コートを脱がしてやる。幼い体温が日差しを浴びてさらに熱を帯びていたのだろう。子供特有のミルクのような香りと、ほわんとした熱が一方通行を包む。
「当たり前だろォが。厚着して風邪引いたなンてマヌケを曝すつもりなンですかァ君ィ?」
ぺしんとおでこを叩く。あうっ、と想が額を押さえて膨れる。
「だってウサちゃん好きだもん。ママのくれたウサちゃんだもん」
「それで風邪引いて、アイツを困らせたいのか?」
「…ごめんなさい」
「…はァ……そンなにしょぼくれンな」
一方通行は諦めたようにうなだれる。変に頑固なところは母親や、妹達の姿そのままだ。
珍妙なキャラクターを可愛いと言い(実際、話の質はともかく、ラビ太郎なる口も愛想も悪いキャラクターの何処がいいのか一方通行は理解に苦しむ)、ミサカの遺伝子とはこうも顕著に現れるのだろうか。
うっすら汗ばんだ額に張り付いた前髪を丁寧に解いてやる。
「まァいい。冷えちまわねェウチに入るか」
「うん!」
脱衣所に走る少女の後ろ姿を見ながら、一方通行は壁を見る。
隣の美琴の部屋のある方だ。今頃彼女たちも風呂に入っていることだろう。かしましい三姉妹で一緒に。
「もうミサカお腹いっぱ~い」
「明日体重計乗るの怖いかも。っていうかお姉さまって料理できたんだ~ひゃっひゃ」
しかも美味いし。番外個体は上機嫌に言いながらシャンプーを泡立てる。
食卓は主に映画の話題。
ゲコ太の映画に興味津々だった美琴はネタバレを承知で二人から事細かに内容を聞き、二人もまた話したくて仕方がないのか、そこまで言うのかとばかりに詳細に語った。
一方通行と想は早々に話題に追従する事を放棄し、ラビ太郎の話題にシフトした。
「絶対予約しなきゃ…初回特典付き」
食事が終わる頃には美琴はすっかりBRD購入を誓っていた。
そして、晩酌がてらの上映会に自分はつき合わされるのだろうと、一方通行は既に暗澹たる心地をこっそりと抱いていたのは彼だけの秘密だ。。
「うん、あの人程じゃないけど美味しかったね、ってミサカはミサカはグラタンのレシピを後で教えてほしいなって……お姉さま?」
「……炊飯器飯って胸にいいの?」
「え?」
湯船に浸かりながら姉の発した言葉に打ち止めはマヌケな返事をする。
あまりにも唐突だったかだ。姉の視線が打ち止めの胸に向けられている。そして、ゆっくりと隣でシャワーを浴びている番外個体の方にも向けられる。
「ミサカは栄養促進材特別性だったからね。ロシアの連中巨乳好きだったのかな」
にやにやと挑発するように笑う彼女は、言葉の通り巨乳と呼ばれる資格を十分に有するバストサイズだ。シャワーで濡れた髪の水気を払う度に、器に乗せられたプリンのようにふるふると揺れる。
そして、それは打ち止めにも当てはまる。
「ええっと…ミサカも子供の頃は心配してたけど、最近は特に気にも留めなかったかな」
「そりゃあそうでござんしょうね。そんだけたっぷりあったらさ、そりゃあ気にするまでもござぁせんわよね」
バスタブの縁に両腕を組んで、ふてくされ気味に顔を乗せる。
打ち止めが洗面器に湯を張るために身体を屈める。胸というよりも果実のように重力に従ってたわわな実がその拍子に揺れる。
美琴はこれ見よがしに(しか見えない)妹達の仕草に、これまたこれ見よがしに舌打ちをする。
「クソッタレが…当てつけか?当てつけか?」
「お姉さま……流石にキャラ的にやさぐれ過ぎじゃない?ってミサカちょっぴり萎縮しちゃう」
「そ、それに大きいからっていいことばかりじゃないよ?ってミサカはミサカは肩凝り気味の肩をもみほぐしてみる」
「うんうん、良いこと言った上位個体。可愛いブラも無いしさぁ、谷間に汗疹出来て夏かゆいし」
「走ると痛いしね。黄泉川訓練から帰るとしばらくしんどそうだもん」
いつしか巨乳の苦労話に花が咲く打ち止め、番外個体姉妹。
それが如何程に恵まれた者の贅沢な悩みなのか。持ち得る者の傲慢さなのか。
持たざる者筆頭(後に続くのは白井黒子嬢である)の御坂美琴は格差社会と言う言葉の意味をひしひしと感じる。
「そういう悩みにすらこちとら憧れてるのよ!察しなさいよ!!」
「「えええぇぇぇ ――― …」」
半ば理不尽な姉からの叱責に、顔を見合わせる打ち止めと番外個体。その表情はさながら酔っぱらいに言いがかりを付けられた素面の女子大生だ。
「でもさ、お姉さまの身体だって十分そそると思うんだけどぉ~?」
身体を洗い終えた番外個体が、バスタブの縁に腰掛ける。足だけを浴槽に入れながら美琴の身体を上から下へと見回してく。
「なんか、しなやかな雌豹って感じ?どんな体位にも応えられちゃいそうな…」
「ちょ、アンタ目がイヤラシいわよ…」
美琴は恥ずかしげに自らの身体を抱きしめる。
その仕草は一児の母どころか、成人した女であることを忘れさせる程に初々しい少女のようだ。
同じ顔の打ち止めでさえもどきりとする。
美琴の身体は胸こそ慎ましいものの、スラリとしたダイエットに悩む女であれば誰しもが憧れる肢体をしている。
まず特筆すべきは手足が長いということ。それも無為に長いのではなく、ウエストからヒップ、太股からふくらはぎに至るまで優雅なラインを帯びている。
スタイルというものを頭の先からつま先までの一つなぎとして捉えるのならば、美琴の身体はその理想に限りなく近いと思える。
少なくとも、打ち止め達はこの姉以上にうっとりとするようなラインを持つ女を知らない。
「お姉さまその身体で贅沢言い過ぎだよ」
「そうそう。ミサカ達が勝ってるのって胸くらいじゃん。胸だけ圧勝」
「うん、最後の一言さえなければ素直に喜べたわ」
ほわりと微かな膨らみの胸に視線を落としながら、美琴は首を振った。
「えぅ~」
まるで一番風呂に浸かった老人が吐くような、感極まった溜め息に一方通行は声を殺して笑う。何度聞いても笑ってしまう。
こんな五歳程度の少女が、今にも「極楽極楽」と口にしてしまいそうなとろけきった顔で湯船に浸かるのだ。
妙なおかしさがこみ上げる。
軽く曲げた一方通行の脚を背もたれにして、想は一方通行と向かい合う格好で湯船に浸かる。
膝に広がる小さくてしこりのような固さを秘めた柔らかなお尻の感触がくすぐったい。
広い湯船は華奢な青年と幼い少女を悠々と収めて尚あまりがある。
広い湯船は、このマンションで美琴と想が気に入っているポイントの一つだ。
長い髪をアップにした想は一日中一方通行と美琴を独占できたのが余程うれしいのか、始終ニコニコとしている。
「なァ、想」
「なに?」
「明日な、ちょっと俺とアイツで出かけなきゃならねェンだ」
「想もいく」
「明日はダメだ。オイ、膨れてンじゃねェ。ダメなモンはダメだからな。土産買ってきてやるから」
膨れる想の頬を優しくつついてやる。
「うう~~」
「浜面ン家に行っててくれ」
「はまちゃんのおうち?」
「そォだ」
渋々納得したのか、想はこくんと頷く。こっそりと安堵の溜め息を吐く。
最終手段はラビ太郎のおもちゃを買ってやるという殺し文句であったが、物で釣るようで気が進まなかった。
最終手段を使わずに済んだ事への安堵の溜め息でもあった。
機嫌がやや傾いていたものの、すぐさま想が手遊びを始める。両手を組み合わせては湯をばちゃばちゃと叩く。
叩くというのは一生懸命な彼女に失礼かもしれない。
彼女は必死なのだ。教わった水鉄砲を再現しようと悪銭苦闘中である。これがここ最近のお風呂場の光景だ。
一方通行は見本だと手を組むと、湯を挟み込む。
「にゃっ!」
一本の綺麗な放物線を描いた湯が、想の顔にかかる。
意地の悪く一方通行は「ざっとこんなモンよ」などと大人げなく笑う。
顔を拭うと、想がムッと頬を膨らませる。ばしゃばしゃと水を叩く音。しかし、放物線にはほど遠く、闇雲に湯を飛び散らせるだけだ。
しばらくして、水鉄砲に飽きた想は一方通行の手を取って握っては開くといった他愛もない遊びに興じる。
本当に子供というのは動詞の宝庫だ。
じっとしている時がない。あきれたようにめまぐるしい表情の少女を見つめる。想はやがて一方通行の手を離すと、するすると身体をずらしていく。
一方通行のへその辺りまでお尻を移動させると、想の手が
一方通行の頬へと伸びる。
何をするつもりなのだろうか、と止めるわけでもなく少女の手の行方を目で追う。想の手は一方通行の眉尻にふれる。
「もういたくないの?」
鳶色の瞳が不安げに揺れる。
もみじのようなぷくぷくとしたマシュマロのような指がそっと撫でる。
くすぐったくなるような軌跡を感じとりながら、一方通行は少女の意図を知る。
「ああ。全ッ然平気だ。当たり前だろォが」
少女の撫でていたのは、傷跡。
上条当麻と殴り合った時に出来た傷跡だった。
深々と切り裂かれた傷口は、まだ薄く跡を残すものもある。冥土帰しの腕を知るだけに、そのうち傷跡すら消えていくだろうと、気にせずにおいたが、少女はそうもいかなかったらしい。
「ほんとに?」
「ああ」
「ほんとのほんとに?」
「ああ」
「ほんとのほんとのほんとに?」
「ああ。そこにあと100個くれェホントにが付くくれェな」
「そっかぁ~……えへへへへ」
小さな腕がきゅっと一方通行の首に回される。
「……チッ…なァにくだらねェ心配してンだ」
小さな背に手を回すと、安心させてやるようにぽんぽんと叩いてやる。
穏やかなリズムに、次第に少女の身体から力が抜けていく。
しがみつくように、一方通行の頭を少女が思いの外しっかりとした力で抱きしめる。
骨の形がわかる胸の固い感触と、幼子特有のぽこんとしたお腹のぷにぷにとした感触が心地よい。
熱い湯船において、尚熱い幼い少女の体温に、一方通行は驚くほど安らぎを覚えている自分に気づく。
(アイツ等には絶対見せられねェ…)
きっと、今の自分はそうとうだらしない顔をしている。
打ち止めや番外個体が見たら気持ち悪いとののしるか、腹を抱えて爆笑しかねないほどに。
「ねぇ、お姉さま」
「何?」
「一つ聞いていい?」
泡立てたスポンジで丁寧におへその辺りまでマッサージをするように洗いながら、打ち止めは慎重に切り出す。
「どうしたのよ、かしこまって」
「……あの人とさ、何かあった?」
打ち止めの言葉が浴室に広がる。
番外個体が茶々を入れるわけでもなく、その言葉が美琴に染み渡っていくのをじっと見つめる。
それは彼女たちが共通して抱いた疑問だ。
先日一方通行が入院したという報を聞きつけて彼の病室に駆けつけた時から違和感ははっきりとあった。
ただ、それを一方通行に問おうにも幼い少女が彼にべったりでタイミングを逸してしまった。
打ち止めと番外個体が、或いは美琴以上に体中を掻き毟りたくなる程に妬ましいと思う幼い少女。恐らく、最もダイレクトに一方通行の愛情を受けている少女。
違和感は一方通行そのものではなく、その幼い少女にも、そして美琴にもあった。
言うなれば違和感は薄くそして頑強な膜のように三人を包むようにして存在している。
「あの人も想ちゃんにやたら甘いし。甘いのは前々からだったけど…遠慮が無くなったような感じがしたの」
打ち止めは上手く言葉に出来ずもどかしげに唇を歪める。
ただ、彼女の言いたいことは番外個体にも美琴にもわかる。
何がと言うわけではない。ただ、一つ一つの仕草、接っし方が違うのだ。撫でる手、微かに緩める目元、和らげた声、抱きついてくる少女を受け止める時に背に回す腕。
一つ一つに躊躇が無くなってきているのだ。
まるで、きっちりと覚悟を決めたように。
最初こそ、自分の嫉妬がそう思わせているにすぎないとも思ったが、美琴の言葉がそれを否定していた。
「やっぱりお姉さまは知ってるんだね」
「っていうか、お姉さまが関わってるの?」
うっかり砂糖を入れすぎてしまったコーヒーを飲んだように、ぎくりとした頬のこわばり。
事情を知る者だけが浮かべる心当たりに行き着いた瞳。
美琴の正直さが事実を悟らせる。同時に、おそらくそれを知るのが美琴と想くらいなのだろうと言う事実も。
「別に大した事じゃないわよ」
心の底からそう思っているように美琴は笑う。
過ぎた事を笑い飛ばすような清涼さで。
「アイツが自分が家族だってやぁ~っと気づいただけっていう話。うん、ホントただそれだけのことよ」
パシャと湯を掬うと、美琴は軽く顔を洗う。
話を打ち切るのではなく、照れ隠しのようなその仕草に、打ち止めが唇をとがらせる。番外個体も不服そうだ。
事実を話されたが、重要なポイントをはぐらかされたような心地がした。
家族、家族、家族。番外個体が繰り返し呟いた。
手の中で着け方のわからぬアクセサリーを持て余すように。
「家族、家族、家族か」
短く息を吐くように打ち止めが笑った。
うんざりしたように、彼女にはおよそ似つかわしくないはずの笑みが大人びた横顔にしっくりとき過ぎていることに美琴は戸惑う。
「何か意地の悪い笑みね」
「あの人もいつもそう言うの。ミサカを家族って」
淡い笑みを浮かべる。
「便利な言葉だよ、家族って」
そう呟いたのが打ち止めだったのか。
それとも番外個体だったのか。
美琴にはわからなかった。
雨が降りそうだ。
不機嫌に身体を捩るような鉛雲は天気予報を見るまでも無く雨を予感させる。
シャワーを浴びてからキチンと乾かしていない微かに湿った毛先を指で抓む。これくらいなら放っておけば良いだろう。
姿見鏡を確認する。濃紺のシャツに黒のスーツ。ネクタイはあれこれと悩んだ末に黒にする。
髪を留めるのは普段通り青いゴム。少女がバレンタインにくれた極々普通のものだ。
一度その感触を確かめるように指で転がしてから、髪を一括りに束ねる。
リビングで珈琲を淹れる。黒と蒼のマグカップ。
二つともブラック。シュガーポットは置くだけ。
多分美琴もブラックで飲むだろう。トーストを作ろうかと思うが、半端に齧って残しそうだと思うと作る気力が沸かない。
半分程飲んだところでドアを開ける音が玄関からする。インターホンなど今更するはずも無い。
「おはよ」
「おう。飲むだろ?」
「ありがとう。もらうね」
リビングに上がると、向かいに座る。
美琴は黒のパンツスーツに薄い水色のブラウス。ボディラインがはっきりと浮かび上がるパンツスーツが驚くほど似合う。
珈琲を啜りながら言葉にせずに一方通行は美琴の服装を眺める。
「想は?」
「ちょっと不機嫌。除け者にされてるって思ってるわよあの甘えん坊は」
目に浮かぶようで、小さく息を吐くように笑う。
花の方は無事に届いたと業者から電話があった。数日分仕事の空きは入れておいた。想は浜面に任せた。
とりあえずの心配の種はこれで全て摘み取っておいたことになる。
両手でカップを包み込むように持つ美琴の目は黒くどろりとした液体の表面に注がれている。
伏せた瞳から伸びる長い睫毛の優美なラインが際立つ。
美琴が珈琲を飲み終えるのを待つように、袖のカフスを指でいじる。意味など無い。
「そうそう、パパとママもこっち着いたから、向こうで合流しましょって連絡あったわよ」
「……美鈴さンだけじゃなくて、あのオッサンも来るのかよ…」
「そうよ。わざわざベネズエラから駆けつけたんだから」
「別に命日でも何でもねェだろ」
「口実付けて会いたかったのよ、想ちゃんに」
幼い孫娘を前に、目尻をでろでろに垂れ下げた髭面を思い出したのか、美琴が薄く笑う。
一方通行も似たような想像をしたのだろう、小さく溜息を吐いた。
木山も芳川もわざわざスケジュールを調整したという。
「どいつもこいつも」
続く言葉は無かった。
バスを乗り継いで大10学区に着く。
相変わらずどこか肌に纏わりつくような湿った空気に、一方通行は顔を顰める。
故郷に戻ってきたような感傷など起こるはずもない。
統括理事の入れ替わりの前後で、学園都市はいくつかの変化がある。
内政的なものではなく、外観として。
そのうちもっとも大きな変化があるとすれば、大10学区の『集団墓地』だろう。
戦争、実験、学園都市の闇によって死んでいった者達を弔った総合施設だ。
処分場ではない。墓地だ。
簡易式墓地の前に、一人一輪のみの献花。一日辺り供える事の出来る数は限られている。
そんなところまで合理的なのかという批判もあるが、大半はそのような施設を建てたことへの素直な賛辞が占めている。
合理性についての批判は事実、存在するだけの価値が無いものだった。
弔われている者達の大半が出自の不明な者、名前すら定かではない者ばかりだからだ。
所謂『置き去り』と呼ばれている者などがそれに当たる。
納骨されているものは全体の2割にも満たないという話を一方通行は聞いた事がある。
恐らくそれも大袈裟な話ではないだろう。
遺体が見つからないもの、遺体が判別していないもの、口にするだけで吐き気のする理由には事欠かない。
そして、これから供える1万人は遺体など無いのだ。
総合墓地の一つに、女性の名ばかりが刻まれた一棟がある。
表向きはバラバラの苗字の女性ばかりが刻まれた其処は、しかしあくまでも表向きだ。
「おはよ~お姉さま~」
「ウダウダ歩いてるね~きゃはっ」
「あら、御坂さんも一緒だったのね」
ロビーには既に先客の姿。
制服姿のアホ毛がひょこんと伸びた背中まで伸びた艶やかな亜麻色の髪の少女。
黒中心のミニスカートにニーソックスの釣り目の少女。
そして、眠たげな瞳の妙齢の女。こちらは黒っぽいもののカジュアルな服装だ。
白衣を脱いだだけの普段着といった様相である。おそらく研究室から直行してきたのだろうと一方通行はあたりを付ける。
「早ェな」
「貴方が遅いんだよってミサカはミサカは一度家に帰って着替えたミサカ達の方が早く着いたことを疑問に思ってみる」
「大人には色々準備があるンですゥ」
「ムカッ!!またミサカを子供扱いするの?ってミサカはミサカは超憤慨」
「うるせェよ。騒ぐな。場所考えろ9歳児」
「むぅー!!」
「ハイハイ、仲良くじゃれてない。御坂さん、ご両親があちらにお見えになってるわよ?」
芳川桔梗の視線を追っていくと、喫煙コーナーには強面の男。父の旅掛だ。
少し離れてソファーで10032号と談笑している美鈴の姿がある。
美琴達に気付いたのか、美鈴が嬉しそうに手を振る。
一方通行の方を伺うように美琴がちらりと視線を向ける。
「いいから行って来い。つーかクソガキ共、お前らも一緒に行って来い」
「10032号のヤツもちったぁ人間らしく笑うようになったじゃねェか」
「御坂さんや他の妹達と頻繁に連絡を取ってるって言ってるからね。自然と感情も育つわよ」
「マメなことだ」
「そうね。イチイチ花の手配をする貴方ほどじゃないでしょうけどね」
「フン…」
人としての、社会に適応する為の名をクローンの少女達は皆持っている。
打ち止めも、番外個体も、そして当然10032号と呼ばれる少女も。
名付け親は美琴であったり、美鈴、旅掛、芳川や冥土返しが名づけた少女も居る。
一方通行は少女達は人間としての名で呼ぶことは滅多に無い。
そして、名付け親に一方通行は加わっていない。まるで彼女達を普通の人間だと、認めるのを拒むように。
「布束さんに会ったわよ」
布束砥信、クローンの少女達の名付け親に名を連ねる一人だ。
同じ顔をした三人の背を見送りながら芳川が何気ないことのように一方通行にだけ聞こえるボリゥムで話す。
頃合を見計らっていたのだろう。
「下らねェ気遣いしてンじゃねェよ」
何処かで安心していることに苛立ちながら吐き捨てる。
「メールとかやり取りしてるんでしょ?」
「仕事のな」
論文の依頼、研究のアドバイスを求めるものばかりだ。
プライベートなメールをした記憶は、ここ数年紐解いてみても思い浮かばない。
何より、一方通行自身がする気になれないのだ。
「貴方はもっと別れた女に割り切れるタイプだと思ってたけど。意外に引きずってるのね」
「別れたもクソも、そもそも付き合っちゃいねェ」
「傷の舐め合いから始める恋愛はざらでしょ」
「舐め合いねェ…」
アレはそんな可愛いものではなかった。
傷の曝し合いだ。互いの醜い傷痕を見せ合っていただけだ。
黄泉川の家を出て、研究に没頭していた一方通行。
彼のマンションに布束がなし崩し的に半同棲の生活をするようになったのは夥しい数の妹達が命を落とすようになってからだった。
互いに責めてくれる相手を求めていた。呆れる程にお人好しに囲まれていたから、誰でも良い糾弾してくれる相手が欲しかった。
責めて、詰って、蔑まれて、嘲笑されて。そうされることで自虐心を満たしたかった。
それでも独りは寂しいから、離れることもせずに、人肌恋しさに突き動かされるように肌を重ねる関係。
爛れたと言うには冷めていたし、身体だけの繋がりと呼ぶには同族意識に心が惹かれていた。
布束の何処が好きだったのか、打ち止めが張り詰めた顔で尋ねたことがあった。彼女が高校に上がる前の頃だ。
それはとても難解な質問であり、結局答えることが出来なかった。
打ち止めはそれを彼女なりの思考の果てに不潔と捉えたようだったが、否定はしなかった。
今にしてみれば自分は布束の中途半端な母性が好きだったのかもしれない。
優しいけれども、何処か「足りない」ところが。
胸に頭を引き寄せて、抱き締めてくれるのが好きで、その関係の歪さに気付きながら自分からは離れるタイミングを見送り続けていた。
自分の家族だと名乗る女達も、自分を許し受け入れようとする少女達も、等しく心地良くて、心地良過ぎる彼女達に心の何処かで怯えていた。
誰かに甘えたくて、それが都合の良い考えだということも十分に自覚していた。
だから、ただ拒まず甘えさせずに其処にあるだけの距離感が心地良かったのだろう。それは、今の年齢になってようやくわかることだ。
過度な温もりは恐かった。毛布の暖かさ、ミルクの甘さを知ったら二度と野良に戻れなくなるから。
自分には雨宿りが出来る程度の軒下のような居場所でよかった。雨に濡れることはない、けれども決して温めてくれるわけでもない場所。
研究の終わりが中途半端なぬるま湯のような関係の終わりへと繋がった。
終わりは始まった頃から見えていた関係ではあったが、破綻したのはその頃だ。
完全な止めとなったのは、ある少女が一人の命を生み落とした時。
数少ない私物が引き払われ、流麗な文字で書かれた「元気でね」のそっけない一言と共にキーがテーブルに置かれていた。
あっけない幕引きではあったが、自分達らしいと、妙な納得をして、その日一方通行は久しぶりの独り寝をした。
「うふふふ」
「なに笑ってンだよ。張り飛ばされてェか?」
「ふふふ、ゴメンなさい」
芳川が楽しそうに笑う。口ばかりの謝罪の言葉に眉間に皴を寄せる。
一方通行は人も殺せるのではないかという目で睨みつけるが、そんなものに怯える彼女ではない。
彼女にとっては、弟分が背伸びして強がって見せているに過ぎない。
「貴方もそういう顔をする年頃になったのかと思うとね」
「どういう顔だってンだよ」
「気まずそうな顔よ。別れた彼女の思い出でも思い出してたでしょ?」
眉間の皺を指で突く。図星だからか、一方通行は目を逸らすことしか出来ない。
昔の恋人に会った時の気まずさは男のものだ。別れた原因が男にあろうとも女にあろうともそれは変わらない。
女が上書きして塗り潰してしまった大多数の苦い思い出を後生大事に取っておくからかもしれない。
そして、女に会うと、該当する記憶からご丁寧に疚しい部分を切り取って自分自身の鼻先に突きつけるのだ。
少なくとも、一方通行は自分のことをそういう面倒で厄介な部類の女々しい男だと思っている。
平気な顔をしてるように見えるとすれば、単に外面ばかり取り繕う術を身に付けているのに過ぎない。
苛立つ指先が胸ポケットに伸びるのを、細い指が押し止める。
一方通行の手を握りながら、芳川が呆れた表情を浮かべる。
「君ね、せめて喫煙室に行きなさい。それから、煙草の本数はもっと控えた方が良いわよ。御坂さんが言ってたわよ?『本数が増えてる』って」
「そンなことまで話してンのかよ…つーか、逐一ンなところまでチェックしてるとか嫁かっつーの」
「いい子じゃない。嫁にしちゃいなさいよ」
「あァ?」
「冗談よ」
何処までが本音で何処からか冗談だったのか、読めない笑みに舌打ちをすると芳川の手を振り払う。
随分と丸くなった、或いは大人になったと言われる一方通行が未だに彼女の前では子供染みた振る舞いをする。
彼女は一方通行が数少ない頭の上がらない人間なのだ。
「あら、そろそろ集まったのかしら?」
いつのまにか合流していた10032号を交えて、美鈴と談笑していた美琴達が此方に向かってくる。
芳川が腕時計に視線を落とす。ローマ数字のシンプルな文字盤が8時55分を指す。
そろそろ全員が揃った頃だろう。別に自分ひとりで十分なのだが。一方通行は面倒くさいと言いたげに顔を歪める。
「そんな顔するもんじゃないわ。貴方一人にさせるわけにはいかないでしょ?」
「俺の問題だろォが」
「まだそんなこと言ってるの?」
何度も同じ間違いをする出来の悪い生徒を窘める教師のように、眉を僅かに下げる。
「私達全員の問題でしょ?」
11000本の花を供える。
作業としてもそれはかなりの重労働だ。
隣り合う簡易式に設置された墓地は壁面から50センチ四方のボックス状のスライド式だ。
一列につき100個設置された墓石。それが50列。1階から3階まで続く。
現在設置されているキャビネットは空きを含めて15000人まで収納出来る設計だ。
その内の、嘗てこの世に物として生み落とされた少女達の11000人を占めている。4000人の少女達は、それぞれ、彼女達が暮らしていた場所に弔われた。
本当は、全て此処に集約したかったのが本音だった。けれども、結局はそれぞれの土地で埋葬してもらうこととなった。
物として生み落とされた場所よりも、人として生きてきた場所こそが彼女達に安らかな眠りを与えられる場所だから。
わずか50センチでも一列は50メートルに及ぶ。その一つ一つに花を供えていく。
一階、二階、三階と手分けして供えていこうと、皆に指示を出すのは美琴だった。一方通行はそれを集まった人だかりから少し離れて見ている。
何処だろうと関係が無い。何処も等しく自分の犯した罪が拭い切れない汚泥のようにへばり付いている。
集まった人々の顔ぶれを、壁にもたれて眺める。
美琴、10032号、打ち止め、番外個体、芳川。御坂美鈴に夫の旅掛。そして布束砥信。
「ホラ、アンタと私は一階だから」
美琴の声に頷く。持分を確認してから、それぞれが自分の担当する場所へと向かうところだった。
「ぞろぞろ、ぞろぞろと…どいつもこいつも暇なことだ」
憎まれ口に美琴がわざとらしく溜息を吐く。
「アンタに同情して皆集まる程暇じゃないわよ。ただ、アンタばかりズルイっての」
「なンだ、そりゃ」
「謝りたいことも懺悔したいことも、話したいことも……みんな山ほど抱えてるのよ。アンタばっかりに勝手気ままにケジメ付けてるんじゃねーっていうこと」
それが美琴の不器用な慰めだということはわかっていた。
死んでしまった少女達を悼むことはあっても、こんな風に時間をやりくりしてまでする必要は無い。
それぞれが自分の都合ですればいいのだからわざわざ集まって作業分担する理由はない。
それでもこうして集まるのは、それぞれが不要なまでに罪悪感を抱いているから。そして一方通行独りに背負わせないという気持ちからだ。
どいつもこいつもお人好しの馬鹿野郎共だ。口の中で毒づく。
美琴から20本で一束の花束を受け取ると、一方通行は気怠るげに一番端の墓石へと歩いていく。
片手に、黒いスーツの青年が歩く姿は、美琴に昔見た古いギャング映画を彷彿とさせる。
カツカツと革靴が冷たい音をタイルに響かせていく。
その一歩一歩をどんな気持ちで踏みしめているのだろうか。その後ろ姿から彼が何を思っているのかは伺えない。
一人あたり1200人。分担と言うと事務的な響きがする。
だから最初は一方通行は彼等とは別個に献花をするつもりだった。元々、最初は独りでしていたのだからそれで良かった。
「全員でやった方が早いでしょ」とさらりと言ってのけたのが芳川であり、
「ミサカ達と一緒では心苦しいのですか?」と挑発するように薄笑いを浮かべてきたのは10032号であった。
「水臭いぞシロくん」と美鈴に押し切られ、「全員で会いに行ってあげれば寂しくないよ」と邪気の無い打ち止めの言葉。
「自分で直接花を供えないと、侘び一つ入れられない程度のもんなのアンタ?」という美琴の言葉がダメ押しだ。
考え返せば、どうにも言いくるめられた感じが拭えない。
苦々しく思いながら、壁際のキャビネットの前に立つと、簡易墓地を引き出す。
可愛らしいサイズの墓石に刻まれた文字を見つめる。
『御坂 』
美琴の名から一文字取った名前の墓碑。
00001号 ――― 最初に殺めた少女に与えられた、ありふれた普通の女の子の名前。
一方通行は、瞳を眇め、墓碑銘をそっと白い指先で撫でる。
暫く、唇を引き結んだままじっと墓碑の前に立ち尽くす。
やがて、花束から一輪取り出すと、小さな墓石の前にそっと置く。
ボタンを押すと、墓石が引き戻される。形だけの墓だとわかっていても、胸に生じた苦さは消えない。
1万人の少女達の遺骨は存在しない。
少女達の遺骨を回収して、弔ってやろうとした時、既に少女達の身体は廃棄物として、処理された後であった。
損傷の激しい遺体は、臓器移植にも、実験用にも使えず、純然たるただの死体であった。
そして、それはタンパク質の塊としてしか少女達を見ていなかった学園都市の人間にとっては生ゴミに過ぎなかった。
少女達は死して尚、人間として扱われることが無かったのだ。
それもまた、自分の行いの行き着いた末路だ。一方通行は自嘲するように短く息を吐く。
それは毎年行われる儀式であった。
最初は一人で行っていた作業だ。
誰にも教えずに、何日もかけて一つずつ供えていく。
それは拷問のような時間であると同時に、底なし沼のような安心感を一方通行に与えてくれた。
何よりも一方通行にとって心地良かったのは、此処ならば思う存分一人で自己嫌悪と自虐的思考に耽る事が出来るということ。
11000人の献花は、うんざりする時間であるが、一方通行は長いと思ったことはなかった。
自虐、自己嫌悪、罪悪感、それらを胸の中で転がすには時間はいくらあったも足りない。
10000人を弄り殺してしまった罪悪感。
5000人を見殺しにしてしまった無力感。
墓の数が10000人から11000人に増える以上に、自身を責め苛む材料は増えていった。
不機嫌だった鉛雲は、どうやら完全に癇癪を起こしたらしい。
泣きたくなるような雨が目の前で降り続けていた。
人気の無いロビー、灰色を中心とした石造りのビル。外も中も、自分の服すらモノトーンで固められている。
フロアの中心部に立てかけられた時計は5時を回っていた。
約半分を回り終え、残りは明日再び朝からすることになっている。
「さてと、何処かでお昼でも食べましょうか」
「じゃあ、おススメのお店教えてくれる?」
ロビーで交わしていた10032号と美鈴の会話を思い出す。
さばさばとした、割り切った会話だと思った。
彼女達だけではない、打ち止めも、番外個体も、芳川も、誰もが違和感無く話していた。
かなり遅めの昼食の、或いは早めの夕食について。
きっと、彼女達のなかでは、オンとオフのように切り替えることが出来るだけ、整理のついていることなのだろう。
それを薄情だとは思わない。寧ろ当然のあるべき姿。健全な証拠だろう。
死者を思ってメソメソと泣き伏し、食べ物も喉を通らないなどと言う状態から何年経っても立ち返れない方が異常なのだ。
ナイーブ過ぎることは決して美徳ではない。
いつまでも過去に囚われ続けるようなセンシティブな性格は寧ろ病に近い。
元来人は物事を忘れ、或いは思い出として、前に進むものなのだから。
一方通行自身も、そうだ。食欲が無くて、眠れないなどということはここ数年は無い。
それでも、終わった後に彼女達の顔を見ながら食事をするのは気が進まなかった。
黒のソファーに仰向けになるようにだらしなく座ると、ネクタイに指を掛ける。
一瞬の躊躇の後、緩める。
「シロくんったらネクタイが曲がってるじゃない。美琴ちゃん達もまだまだね~」
献花の前、そう言って美鈴が正してくれた。
甘い香り。美琴や番外個体とも、打ち止めや想とも異なる香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
いつの間にか頭一つ分低くなっていた美鈴の顔が近くにあることに、奇妙なざわつきを覚える。それは詩菜に対しても抱く落ち着かなさだ。
母性を強く匂わせる女を前にすると、不思議なまでに自分は無力に、或いは聾唖者のように無垢なまでに言葉を失う。
ただ、彼女達の為すがままに流されてしまいそうになるのだ。そうすることが心地良いと知っているから。
ネクタイを緩めると、シャツのボタンを三つ開ける。
だらしないと咎める相手はいない。胸ポケットから煙草を取り出す。数時間ぶりの至福に瞳を細める。
紫煙が灰色の世界にするする、ゆるゆると溶けて行く。
世界全てが無彩色だ。
此処の冷たい空気は、静かに、ひっそりと心を何処までも沈めてくれる。
此処の空気は酷く陰鬱で、心地良かった。
それは何年経とうとも、不思議なことに変わらない。
あの頃、疲労困憊するまで自虐の海に浸れることは一方通行の心の均衡を危ういところで保つのに貢献していた。
今はどうだろうか。
ふと自分の中に問い質す。
あの頃のような沈みこむ感覚が無い事に気付く。
今の自分は単に、少しばかり感傷的になっている程度だ。
どうしてだろうか。
もう一度、自分の中に疑問を投げかける。
答えなど期待などせずに。
しかし、期待しない答えほど、案外向こうからやってくるものだ。
「なに浸ってるのよ?カッコつけるの好きよねアンタって」
「………お前…どうして」
水音を立てながら、びしょ濡れの美琴はその質問に答える前に、一方通行のとなりに無遠慮に座る。
「イヤだ、びしょびしょじゃない~このスーツまだ三回くらいしか着てないのに」
「オイ…」
「あ、ちょっと、向こう向いててくれる?」
「あァ?何言ってンだよ」
「エッチ!こっち見るな」
美琴は完全に雨水が染み込んでしまった上着を脱ぐ。
薄水色のブラウスの下からミントグリーンの下着が透けて見えた。
そっぽを向く一方通行の耳に衣擦れの音。
ひやりとした寒色のロビーに慌ただしくハンカチで水気を取るべくシャツを叩く音が何処か場違いに木霊する。
どうやら、乾くまで待てということらしい。
美琴の考え無しぶりに舌打ちをすると、ジャケットを脱ぐ。
「ちょっ…」
頭の上から乱暴にジャケットを投げつけられ、美琴が短い悲鳴を上げる。
「隣でばたばたごそごそウゼェンだよ。それ被って大人しくしてろ」
文句を言おうとした矢先に一方通行のぶっきらぼうな声が美琴の言葉を抑え込む。
言葉は美琴の口の中で行き場無く転がる。
霧散した言葉を掻き集めて紡ぐことが出来たのはたった一言だった。
「ありがと…」
ぽつんと呟かれた言葉に、口角を吊り上げる。
「ハッ…風邪引かれたらクソメンドウだからな。つーか、風邪ひきやがったら想を避難させて放置するからな?」
煙草をゆっくりと吸い込む不機嫌な横顔を美琴はじっと見る。
一方通行のジャケットを羽織ると、微かに甘い香りが美琴を包んだ。
それが彼の吸う煙草の銘柄と同じ香りだと気付く。
くん、と鼻をジャケットの袖、襟に近づける。
甘い煙草の香りの他に、一方通行自身の匂いの存在に気付いて美琴の頬が朱に染まる。
今更ながらの奇妙な恥ずかしさに黙り込む。
一方通行は雨を眺めたまま何も言わない。基本的に自分から何かを喋るほど口数の多い男ではないのだ。
静寂、静謐、静穏の中、一方通行の吸う煙草の煙だけが、ゆったりと空間の中を泳いでいた。
「どうして」
沈黙がどれ程続いただろうか。断続的に続く雨の打つ音が、心地良く美琴の耳朶に反響していた。
美琴の思考が輪郭を失うように曖昧になり始めた頃、ぼそりと呟く声が彼女を一気に引き戻した。
「どうして戻ってきた?」
少し咎めるような、窘めるような声色。
想が悪戯をした時に彼が上げる声と同じものだ。
前を見つめたままの一方通行の横顔から、美琴も同様に絶え間なく降りしきる雨に目を向けた。
「アンタが独りになりたそうだったからね」
「意味がわからねェ…」
「一人になりたくなるのは誰だってあるけど、アンタは独りになろうとするでしょ。すぐに。それで碌な事考えない。全く。勝手に。だから邪魔しに来たの」
余りにもあまりな物言いに、一方通行は暫く言葉を返すことが出来なかった。
雨がアスファルトを打つ音がしばらく鳴り響いた後、小さく息を吐き出すような笑い声がした。
馬鹿にするのではなく、純粋に彼が嬉しい時、楽しい時に見せる笑みだ。
「親子揃って……」
「どっちの意味?」
美鈴と美琴なのか。
それとも美琴と想を指しているのか。
純粋な興味として美琴は聞き返す。
「どっちもだ。犬コロみてェに嗅ぎ付けてきやがる」
――― おちおち沈ませてもくれない。
「いや、お前らの遺伝子全部そうか」
声を立てて笑う。
美琴もつられるように笑う。
「今更気付いたの?馬鹿じゃないのアンタ。遅過ぎでしょ」
「まったくだ」
「ホント、ヘタクソね」
――― 生き方が。
「その言葉ホント好きだなお前」
「だってそれしかないじゃない。ずっと前からアンタそうでしょ?」
「そうだな…そうかもしれねェ…」
「ねぇ、どうして想ちゃん連れてこないの?」
「こンな空気に触れさせたくねェ…」
「過保護ね。あの子はそんなヤワじゃないわよ」
「………」
「いい加減此処の子達にも会わせてあげないと。皆の娘なんだから」
「皆の娘……か」
「そうよ」
懐かしい言葉だった。
「そういや…こうしてお前とベラベラ喋る日が来るなンざ想像もしなかったな」
「お互い必死だったもんね」
皆の娘。
それは、想が生まれた時に口にした言葉。
美琴ではない。
10032号だった。
独りきりの空間に、突如現れた美琴の存在が、隣に生まれた温もりが、一方通行の沈みかけていた気持ちを浮上させる。
同時に、彼の感傷はずるずると懐かしい記憶を呼び覚ましていく。
一方通行と美琴。
紅の瞳と、鳶色の瞳が灰色の世界を、その奥に横たわる追憶へと向けられる。
雨はまだ止む気配を見せない。
323 : ◆d85emWeMgI - 2011/05/01 12:01:23.92 5UIRYvZf0 456/791以上で投下終了。
次回から過去編入ります。よろしくです。
冗長だと思われるかもしれませんが、出来るだけ省かずに描いて行くつもりです。
出来てるかどうかは別として。
それではまた ノシ


繊細な描写が綺麗で息を飲む。
こんなにも鮮やかに輪郭と陰影との際立つ文章は、読んでいて時を忘れる。
これは平日に読む文章ではない。
そして次回から過去篇突入。
そして上条当麻の知らない一方通行と御坂美琴と、御坂想との物語。
期待しています。