上条「約束したよな?例え地獄の底でも、お前を ――― 」【前編】
上条「約束したよな?例え地獄の底でも、お前を ――― 」【後編】
一方通行「いい子にしてたかァ?」【1】
一方通行と船最中の会話から時は遡ること数時間前。
一方通行は不機嫌を顔中に浮かべていた。その原因は目の前にある。
一方通行の隣りで、絹旗最愛は呆れた顔でその横顔をちらりと見る。
「ていとくん、ていとくんだ~」
きゃっきゃと笑っているのは御坂想。
学園都市第一位と第三位の愛情を一身にその身に受ける少女である。
そして、その少女は今、一方通行の見ている前で、他の男にくっついている。
といっても、女が男を誘惑しているというものではなく、あくまでも懐いているお兄ちゃんに久しぶりに会えて喜んでいるという
微笑ましいものにすぎないのであるが、隣の白い男は気に入らないらしい。
「おう、元気してたかおチビ」
「うん!!ていとん、ていとくん、もふもふさせて」
「しゃーねーなぁ」
口では困ったように言っても、純粋に愛らしい少女に慕われるのは悪い気がしないのだろう、学園都市第二位の
男はその恐ろしき能力の一端を惜しげもなく解き放つ。
少女のもふもふの為に。
「ふかふか~」
白い羽毛にすりすりと頬をすり付ける少女は、子犬そのもののようであり、絹旗はとりあえず携帯に納める。
「いやーん、可愛い~!!」
「あ、デジカメ研究室に忘れた!!佐天さん、後でそれ送って!!」
「オッケーです。もう、想ちゃんったらカワイ過ぎ」
友人と、少女の母親も同じ心境のようで、羽毛に包まれてとろけるような笑みを浮かべている少女の可愛い姿を写真に納めている。
「チッ…チッ…」
一方通行の舌打ちが頻度を増す。
そろそろ16ビートを刻みそうである。
想が懐いていることもであろうが、それ以上に相手が相手であることが彼の機嫌を斜め60度に傾けているのであろう。
組んだ腕を指がイライラと叩く。
まったくもう…、絹旗はため息を吐く。
「ンだよ…」
「ヤキモチは超みっともないですよ」
「うるせぇ……つーか、何であのクソメルヘンが来るんだよ…」
吐き捨てるように呟く。
「すいませ~ん、どうしてもって来たがってたので…つい…」
花飾りを頭に乗せた少女が申し訳なさそうにキッチンから戻ってくる。
少女とは言っても、絹旗と一つしか違わない。
絹旗と同様、成人しているようには見えない程に幼い顔立ちをしている彼女は、その小さな手には些か大きいトレイを携えている。
乗せているのは、綺麗に八等分されたチョコレートケーキ。
一方通行が想の為に作ったものだ。
「いえいえ、超気にすることはないですよ初春さん」
「何でお前が言うンだよ」
べしっとチョップが絹旗の頭頂部に打ち下ろされる。
「痛っ。今結構力入ってましたよ!」
「黙れ。オイ、花娘。俺はお前だけが来るって聞いてたンだぞ。それが何、アレ?」
親指で指し示すのは、想を白い翼で包み込んでいる垣根帝督。
現在、一方通行内における『死ねばいいのにランキング』、その1位をキープし、更に票数を伸ばし続けている男だ。
「ばぁーか。俺がどうしてわざわざ一方ハーレムの手助けをしてやんなくちゃいけねぇんだよ。
つーか、飾利をてめぇみてぇなケダモノの巣に放り込むわけねぇだろ」
いつの間にかキッチンの方へと足を運んでいた垣根は初春からトレイをさりげに奪い取る。
想は既に御坂と佐天にいじくりまわされている。
垣根は全力をもって馬鹿にしているとばかりに、いやらしい笑みを一方通行に見せる。
初春に一瞬見せた優しげな表情とは天と地である。
「はァ?ハーレムだァ?何処見てたらそォなンだァ?」
「何処見てっていうか……」
「わ、私の方見ないで下さい!!見ないで下さい!!(超内緒にしてるんですから)」
(いや、内緒っつーかモロバレっつーか…)
「大体よォ……クソメルヘンの羽なンざの何処がいいンだァ?羽なら俺だって……」
「ダメですから!!超ダメですから。想ちゃん死んじゃいますから!!」
慌てて絹旗が止めに入る。黒くても白くてもこの男の翼は攻撃的過ぎる。
垣根が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「女の子はウイングゼロカスタムの方が好きだってこった。てめぇの翼は所詮デスティニー。
女子人気じゃ勝てないんだよ」
「てめェ……今俺のデスティニーさンディスたかコラァ…」
「喧嘩は超止めて下さい!!」
垣根に自分の運ぶはずのトレイを持たせてしまった初春が慌てる。
「あ、帝督さん…私やります」
「お前何無理しちゃってるわけ?この前寝ぼけながら運んでスープひっくり返したのは誰でしたか?んー?」
「うっ…」
「カーペットにシミができたって半泣きだったのはどこのどなた様でしたかぁ?」
「はう……っ」
痛いところを突かれたのか、初春はしょぼんとする。
まったくと、呆れながら垣根はトレイをリビングのテーブルに置く。
「垣根は初春さんに超優しいですね~」
「メルヘン的にはあのお花はどストライクなンじゃねェのかァ?メルヘン同士よォ………
くかかかかか、第二位が随分丸くなったもンだなァァ?馬垣根ェェ」
ヘッと、馬鹿にした笑みを浮かべる一方通行であったが、次の瞬間総ツッコミを食らう。
「「「「「お前(貴方・アンタ)が(超)言うな」」」」」」
「…………ステレオで言うなよ」
◇
「想ちゃん、ハイ、ママからバレンタイン。それから……」
美琴は後ろに隠していた大きな包みを取り出す。
「ハッピーバースデー、想ちゃん。五歳のお誕生日おめでとう」
綺麗にラッピングされた包みと、美琴の顔を見比べると、想の表情が見る見る内に喜びに華やぐ。
まるで蕾が花開くように、にぱっと笑うと、想は美琴に勢いよく飛びつく。
「ママ!!ありがとう」
想の笑みを見た美琴は目を細めて柔らかく笑う。
いつものように、テンションの高い笑顔ではなく、心の底から慈しみ、愛しむように、淡く微笑む。
それは、普段の何倍も彼女を大人の女に見せた。
「こっちこそ ――― ありがとう、想ちゃん。生まれてきてくれて」
ぎゅっと想を抱きしめると、美琴はその温もりを確かめるように、しっかりと力を込める。
痛くないように、加減をしつつも、閉じ込めた腕から逃さないと、決してその手から離さないというように。
扇状に切りそろえられた前髪から覗く額に、優しくそっと唇を当てる。
美琴の「ありがとう」にどれだけのものが込められているのか。
それをよく知るのは佐天と初春、そして一方通行だ。
どれほど強く深い想いが込められているのか。
ふと、佐天と目が合う。
切なげに瞳を伏せていた佐天が、一方通行に、ひっそりと笑いかける。
同じ思いを共有する者同士の一種のシンパシーが二人の間に走る。
五年前のあの日、同じ場所、同じ時、そして同じ瞬間に居合わせた者同士のシンパシーだ。
(なぁ~~~に、わかり合った顔してるんですかぁ)
ぶすっと絹旗がその視線のやりとりを横目に膨れているのはご愛敬であろう。
「ママ、開けてみてもいい?」
「もちろん。っていうか、むしろ早く開けて着てみて」
そわそわとしながら包みを開けると、中から出てきたのはもこもことした毛皮。否、毛皮ではなく着ぐるみのような衣装である。
誰もが頭上に「?」を浮かべるなか、想はすぐにハッとした顔で衣装を手に取り、寝室の方へと引っ込む。
「何だァ?」
「わかりません。想ちゃんは超わかったって顔でしたけど」
「お洋服…ですかね…毛皮?」
「御坂さん、何をあげたんですか?」
「…それは見てのお楽しみよ~どぅふふふふふ…」
(………超電磁砲がキモいのを通り越して怖ぇぇ…)
一方通行と絹旗と佐天が首を傾げ、初春が不審に眉を寄せ、美琴が若本笑いをし、そして垣根が怯えるなか、パタパタと小さな足音と共に寝室の扉が開く。
「ン?」
「あら」
「まぁ」
「わぁ」
「ほぅ」
「むふっ」
六者六様のリアクション(美琴さン自重して下さい)の先には、白い二本の長細い耳。
ぴょこんと寝室から覗くのはウサギの白い耳だ。
六人の声に応えるように、現れたのは白くてふわふわの子ウサギ。
もこもこのコートに、ウサギの耳を付けたフードをかぶった想だった。
「グ…グググ……」
「一方通行さん?」
「ググググ……」
「ア、一方通行?どうしたんですか…」
「グググ…」
「…黒マテリア?」
「超懐かしい!!しかも『ク』じゃなくて『グ』ですから」
「グググググ…GJだァァーーーーーー!!」
一方通行のサムズアップに、同じくニヤリと笑ってサムズアップで返す美琴。
白くてふわふわのウサギをモチーフにしたコートは、一言で言ってしまえば少女趣味の塊である。
仮に14歳くらいの大人っぽい顔立ちの少女とかが着れば正直厳しいものがあるだろう。
しかし、しかしだ、五歳になろうという少女、それもとびきり愛らしい少女が身につけることによってそれは凄まじい威力を帯びることとなる。
((御坂さんの少女趣味が初めて実を結んだ…))
古くからの友人は目頭が熱くなるのを覚えた。
美琴のプレゼントを皮切りに、集まった友人達から想へプレゼントが贈られた。
初春からはお絵かきが大好きな想の為に100色の色鉛筆。
「今度お絵描きしましょうね~」
「うん。かざりんも描いてあげるね~」
「わぁ、嬉しいです」
「……芸術センスを磨くなら、是非かざりんのヌードデッサンなんていいんじゃないかな~って
帝督は帝督は……あ、痛い!凄く痛い!!飾利、人差し指が水月に…水月に刺さって……」
佐天からはおそろいのエプロン。
「一緒にお料理しようね」
「うん、るいるいとおりょうりするの!」
「……包丁はまだ使っちゃダメだからなァ」
「ぷ~~」
「もう、過保護はダメですよ?」
「過保護じゃねェし…」
「あーくんもいっしょにおりょうりしよ。るいるいも、ね」
「三人仲良く、今度はクッキーでも焼きますか」
「勝手に決め……ハァ…好きにしろ」
そして、絹旗はやたらとごつい箱を取り出す。
きらきらとした瞳が、逆に不吉である。
「じゃあ、私からは取っておきの……じゃん!!絹旗先生による厳選されたB級映画のBRボック……」
「はい、没収ゥゥ」
無垢な幼子に手渡される寸前のパンドラの箱(ただし希望は同封されておりません)を、白い親御さんが素早く取り上げる。
瞬時に絹旗と想を除く全員の間で交わされる視線だけの『GJ!!』。修羅道回避に成功したようだ。
「か、返して下さい!!今から教育が必要な……」
「ウチの子をそンな茨の道に進ませるわけにはいきませン~~」
手を伸ばせども、身長に開きのある一方通行と絹旗では勝負は見えている。
ぱたぱたと手を伸ばせども、一方通行が頭上に退避させたパンドラの箱(ただし希望は(ry)には手が届かない。
若干涙目になる絹旗。
「だって、独りで観に行くの超ツマんないんですよ!!想ちゃんを今から教育して立派なB級マスターに…」
「お前のは限りなくC級好きじゃねェか。想を巻き込むンじゃねェ!!」
「酷いです!!わぁ~ん」
子供の前で駄々っ子になる絹旗。
もう保育士の面影なんてものは存在しない。
一方通行は鬱陶しさを振り払うように叫ぶ。
「ああァァーーー!!うぜェ!!そンなに行きたきゃ俺がいつでも付き合ってやっから引き下がれってンだ」
「!?」
絹旗の手がぴたりと止まる。
丸くした瞳に、ほんのり浮かぶ涙。子供丸出しの顔に、一方通行はうんざりする。
「ほ、ほんと…ですか?」
「ああ、だから想にコイツを渡すのは諦めろ、な?」
可愛い少女を修羅の道へ進めるくらいなら、自分が歩む方が遥かにマシだ。
あくまでも、一方通行としてはそんな具合だったのだが、絹旗は全く異なる見解を抱いてる。
「あ、ああ、そ、そうですかぁ。じゃ、じゃあ、今度早速観に行くのをリストアップしておかなきゃいけないですね…」
なにやら彼女の中では、なんらかのプランが立ち始めているようだ。
何もわかっていない一方通行は、「よっぽどB級映画が好きなンだなァコイツ」という程度のものであるのだが。
◇
それぞれのプレゼントが終わり。
「じゃあ最後は俺だな」
「いや、いいですゥ」
「おい!!何速攻その扱い?てかお前が否定するのかよ」
一方通行を一睨みすると、うきうきとしながら丁寧にラッピングされた箱を手に取り、垣根は想の前に跪く。
「俺からのお姫様へのプレゼントだ。受け取ってくれるかい?」
「すいませ~ン、せンせェ。垣根クンの笑顔が気持ち悪すぎて具合が悪くなったンで、垣根クン保健所に連れていってもいいですかァァ」
「ああ、私もうっかり放電しちゃいそうなくらいゾワッて来たんですけど~」
「超我慢して下さい。垣根君もかろうじてお友達なんですから」
「ひどいなお前等!!ホントヒドい!!流石ヒドい!!」
「あ、私も保健室に行きたいです」
「初春さんんんんんんんんんーーーーーーー!?」
口々に垣根の浮かべた笑顔の正当な感想を述べていく中、垣根のメルヘンハートはしたたかに傷つく。
佐天は苦笑すると、コラ、とたしなめる。
「ハイハイ、そこまで」
「佐天さん……マジ天sーー「恒例の垣根さんいじめは後にして、今は想ちゃんを愛でる時間ですよ~~」ちょ、おま、ちょ…」
「「「「はーい」」」」
「エェェェーーーー……俺ってこんな、てか、エェェェーーー」
肩を落としてうなだれる垣根の服を、想がきゅっと掴む。
「ていとくん元気だして。ね?」
こてんと、首を傾げる想に、思わずうるっと来る垣根帝督。
「想タン……」
「えっとね、ありがとうね、ぷれぜんと」
「想タン……マジ天使……ていとくんのお嫁さんになるかい?」
<『あァ!?ブチ殺すぞォォ!!!』『御坂さん落ち着いて!!』
「ううん。それはダメ。想はあーくんのお嫁さんになるの」
「それは残念だぜ」
「ねぇねぇ、これ……お洋服なの?着ても…いい?」
もじもじと垣根を見上げる想に、フッと笑うと頭を優しく撫でてやる。一方通行の嫉妬の視線をヒシヒシと感じるがそんなもの知ったことかだ。
「おう、着てこい着てこい。お姫様仕立てだ」
「うん!!」
想はてててと、一方通行の寝室へと走っていく。
数分後、戻ってきた想の姿を見て、一同はどよめく。
「やっぱり、今日みてぇにおめでたい日に、主役のお姫様がありきたりの常識に囚われた格好なのはいただけねぇよなぁ?」
勝ち誇ったように腕を組む垣根。
それについて、普段なら真っ先に噛み付くはずの一方通行ですら言葉が無かった。
というよりも、垣根の事など目に入っていなかった。
「えへへへへ……あーくん、にあう?」
くるりと回ると、ピンクと白のフリルがふわふわと舞う。
リボンを金糸でまとめ、白とピンクを基調としたゴスロリ風の服。
何よりも注目すべきは、幾重にも折り重なったフリルがスカートを花のように見せていることだろう。
背中に縫い付けられたフリルは、小さな羽根のようにふよふよと揺れている。
一方通行も美琴も、共に目の前の少女の姿に声も出ずに凝視するばかり。
「初春、これってもしかして……」
「っていうかもしかしなくても『TEITOKU』の春の新作じゃ…」
「ハイ。一足早く想ちゃん用に持ってきちゃいました。帝督さん、御坂さん達声も出ないみたいですね」
「おう、更に畳み掛けるぜ飾利!!」
「はい!」
初春は想に近づくと、先ほど美琴がプレゼントしたウサギのもこもこのコートを着せてやる。
「おふゥッ!!」
「ぐふッ!!」
一方通行と美琴が蹲る。
「見ろよ飾利。ついに一方通行に膝を付かせてやったぜ!!」
「そうですね、ニュアンスが違いますけどね。とりあえず二つツッコムと、膝を突いたのは可愛さに悶絶したからで、
付かせたのは帝督さんじゃなくて想ちゃんですけどね。まぁ、些細なことですけど」
4勝89敗7分の戦績が5勝89敗7分になったことを、喜ぶ垣根。
ある意味可愛い馬鹿である恋人にそれ以上のツッコミは野暮かなと、初春は想に近づくと、最後に止めとばかりに耳打ちをする。
「想ちゃん、用意はいいですか?」
想はその言葉に、ピンときたのか、すぐに頷く。
てててと、想は美琴と一方通行の元に駆け寄ると、頬を赤くして小さな包みを出す。
二人は一瞬疑問に微かに眉を顰めた。
何故ならバレンタインのチョコならば、既にプレゼント渡しの前に貰っているのだ。
しかし、想が、いや、想と初春、絹旗が隙を生じぬ二段構えを取っていたことなど二人は夢にも思わなかった。
これは一緒にチョコレート作りに取り組んでいた絹旗も当然噛んでいる。
「えへへへ、んとね、きょうはいちばん大すきな人にチョコをあげるひなの。
だから、あーくんとママに………ハイ!!」
林檎のように真っ赤に染まったほっぺで、にっこりと差し出してくるウサギ型天使。
震える手で受け取り、包みを開く一方通行と美琴。
美琴のはカエルの形をしたチョコレート。
一方通行はウサギの形のチョコレート。
真ん中には、ホワイトチョコで『ママ』、『あーくん』とたどたどしく書かれている。
「にゃーーーーーーーーーーー!!!!想ちゃ~~~~ん!!!」
「ふにゅっ」
嬉しさでスパーク…否、スパーキングした美琴が想を抱きしめる。
薄い胸で窒息することは無いものの、若干苦しそうな想。
しかし、その顔は普段中々一緒にいられない母親からの愛情たっぷりの抱擁に蕩けきっている。
そして、一方通行はというと。
「やってくれるじゃねェかァァァ……垣根……」
ゆらりと立ち上がる一方通行(鼻血)は、幸福と、感動で何やら色々解放されつつあるようだ。
「俺はなァァ…垣根……」
「一方通行……」
「さっきの想がアルティメットフォームだと思ってたンだ……究極だとな……
しかし、“先”はまだあった……」
「……ライジングアルティメット……か」
「チッ………ライジングアルティメットなンざ認めるつもりはなかったンだがなァ……」
すっと、手を差し伸べる一方通行(鼻血)。
垣根は一瞬呆気にとられるものの、照れくさそうに笑うと、その手を取る。
一位と二位。反目し、対立し続けることの多かった二人の男の間に流れる友情。
御坂母娘の微笑ましい愛の抱擁と、二人の男の熱い友情に、絹旗と佐天は目尻をそっと拭う。
微笑む垣根。
微笑む一方通行(天使)。
微笑む一方通行(天使)。
「………天使?」
誰が呟いたのか、その言葉。
垣根の手を握った一方通行は、気付けば絶賛、輪っかと翼を表出させていた。
「ところで………さっき…テメェ……想に『お嫁さんになるかい?』とか言ってやがったよなァァ?」
「え?」
「言ってたよなァァァァーーーーーー垣ァァァ根ェェぇくゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーンンンンンンン」
「え?
え?」
◇
「5勝90敗7分……と」
初春が、溜息混じりに恋人の対戦結果を更新した。
「あれ?お出かけですか?」
箱に詰めたマフィンを手にした一方通行の姿に最初に気づいたのは絹旗だった。
アルコールのせいで普段よりも頬が赤いものの、その口調はしっかりとしいている。
絹旗は上から下へと、一方通行の姿を見る。黒いシャツに、黒のスーツ、シルバーのネクタイ。
似合ってはいるものの、どう見てもホストか、顔の良いスジモノの青年である。
「超いかがわしい感じです…」
「ホント、ホストみたいですよ」
酔いつぶれた垣根を介抱していた初春飾利がそれにかぶせるように続ける。
「うるせェ、テメェの旦那見てから言え」
舌を鳴らすと、一方通行は玄関へと足を運ぶ。
絹旗が慌ててその後を追っていく。
「あ、ちょっと、何処に行くんですか」
玄関マットに腰掛けて革靴の紐を結び終えた一方通行は面倒くさそうに振り返る。
「ちょっと野暮用だ」
「想ちゃんはどうするんですか」
野暮用ならわざわざ出かけずとも良いではないか。
今日という日にするようなことなのか。野暮用など後回しでも良いではないか、そう思う絹旗の口調は自然と責めるように強いものになる。
「想なら寝かし付けた。お前らが馬鹿騒ぎし過ぎないかぎりは起きないだろ」
「そうじゃなくて、わざわざ今日にしなくてもいいじゃないですか。野暮用ってなんなんですか」
「お前は俺の嫁のつもりかよ…」
「嫁っ!?」
絹旗の頬が赤くなる。
「あら、もうそんな時間なの?」
グラスを手に美琴が顔をリビングからひょいっと出す。ふらふらとした足取りに、一方通行の顔がわずかに険しくなる。
「テメェ…飲み過ぎだろ」
「大丈夫。これでも許容量は弁えてます~」
「1ミリたりとも信用できねェ…オイ、絹旗」
「は、はいっ」
「この馬鹿が無茶飲みしねェように見といてくれ。絡み酒と笑い上戸の複合技かましてきやがるからな」
「ちょ、超了解です!」
嫁発言からまだ立ち直っていなかった絹旗は、うわずった声をあげる。そんな絹旗の心情を理解している美琴はにっそりとした笑みを浮かべ、一方通行は特に意に介すこともなくうなずく。
「じゃあ、行ってくる」
「ほいほい、行ってらっしゃい。ああ、一方通行ちょっと待ってて」
一方通行を押し退けるように玄関を出ると、美琴は慌てて隣の自分の部屋へと駆けていく。
怪訝な表情を浮かべる一方通行と、いまいち展開に付いてきていないぽかんとした顔の絹旗の前に、慌ただしく美琴が戻ってくる。
その手にある紙袋に、一方通行が気づくと、美琴がにっこりと笑う。
「これ、あの人に。前にお好きだっておっしゃってたから」
紙袋の中を覗くと、ロゼの瓶が目に映る。
一目で、それがかなりの金額のものだとわかる。
美琴は子供の荷物を持たせるように、一方通行の左手に押しつけるように握らせる。
「無理に持たせるなよマフィンが潰れちまう……まァいい…行ってくる」
「うん。よろしく言っておいてね」
軽く手を振る美琴に、背中を見せたまま一方通行は紙袋を気怠るげに掲げて応える。
エレベーターに乗り込んだところまで見送ると、美琴は絹旗の背を押すように部屋へと戻る。
「さ、飲も飲も。再開」
「え、あ、ええっと…御坂さん。今のは…」
「ん?ロゼだけど…絹旗先生も飲みたかったもしかしたら」
「超違います。さっきの、あの一方通行が何処に行ったのかです」
探るように絹旗の猫のような油断の無い瞳がじっと美琴を見つめる。重要な情報は聞き漏らすまいとするように。
美琴は、にやぁと絹旗からは見えない位置で意地悪く笑う。年々母親に似てくると言われる彼女であるが、一方通行曰く、血の繋がりをもっとも感じさせるのが、この笑みである。
「な~に?気になるの~?アイツが何処に行ったのか?」
「え、ええっと…その、気になるというか、その、想ちゃんの先生としてはですね、そういう保護者が……いや、御坂さんがお母さんだということは
重々承知しているのですが。やはり保護者的立場の男が、子供を放っておいて一体何処に出かけたのかというのはですね、やはりその…」
「まぁまぁ、先生落ち着いて。そんな、慌てなくても大丈夫。ちょっとーーーーー逢い引きに行っただけだから」
「!?あ、あ、あああ、逢い引き!?え?そ、そんな……え?」
絹旗の顔が、一瞬にして奈落にたたき落とされた人間もかくもやという絶望に満ちた顔になる。
「なんてね」
「へ?」
ぺろりと美琴は舌をだして笑う。
「ホントはアイツがちょっとお世話になった人にご挨拶に伺うだけ。安心した?」
「は、はい。……あっ!」
思わず素直にうなずいてから、絹旗はぼっと顔を林檎のように赤くする。美琴はそれを鼠をいたぶる猫のような笑みで眺めている。否、なめ回すように見ている。
「うふふふふふ……そういう素直な絹旗先生をもっと積極的にプッシュしていけばいいんじゃないかなと、美琴は美琴は思うのですけどぉ~」
「は、図りましたね!!超図りましたね!!」
涙すらうっすら瞳に浮かべた絹旗が食ってかかる。
しかし、身長差というものは悲しい。
どれだけ、憤りと怒りとおまけに羞恥心を込めてにらみ付けようとも、涙目で上目遣いとくれば、そこには最早迫力などというものは存在しない。
「ああん!!もう、絹旗先生ってば可愛いんだからぁ~」
「はぷっ!?」
美琴は、乙女丸出し小さな絹旗を感極まったように抱きしめる。
体格差の為に、殆ど包み込むと言っても良い。
「もう、可愛い可愛い~」
「く、苦しいです。超離して下さい!!」
女としては高い身長と、強い力、薄い胸に挟まれて素で苦しいと思いながら、一方通行の言っていた忠告を絹旗は思い出していた。
(でも、できればもう少し早く教えて欲しかったですよ~)
◇
「悪ィな手間かけさせた」
ビルの外へと運んでくれた嘗ての仲間に軽く礼を言う。それでも嘗ての彼を知る者であれば、目を剥いて驚愕せずにはおれないだろう。
彼と同じ暗部に所属していた結標淡希はそれに応える代わりに一方通行の首に腕を回す。
抱きつくのかという期待を紅の瞳に浮かべるわけでもなく、微動だにしない一方通行の細首に濃紺のマフラーを手早く巻いていく。
「バレンタインだからね、一応。緩く巻くのが今の流行なのよ」
少し得意げな結標に一方通行は一言「そォか」とだけ呟く。
そっけない返事に結標は苦笑を浮かべる。
「言っておくけど、それ買ったものだから」
「何の断りだ?」
「手編みのマフラーとか思われたら困るし」
「安心しろ。お前の不器用ぶりは良く知ってる。こンな代物100年掛かっても作れやしねェ」
マフラーで口元が隠れていても、一方通行が笑っているのがわかる。不意に吹きつけた風に、結標は身を縮めるように自分の肩を抱く。
「車出そうか?」
「いや、歩いて帰る」
「ここからだと結構かかるんじゃない?」
「問題ねェよ」
そう、とそれ以上言うこともなく結標はあっさりと引く。いいといったら、頑として聞かない男だということはよく知っている。
「……じゃあ、私行くね」
「おォ」
ぷらぷらとやる気なさげに手を振るスーツ姿の白髪頭に、少し呆れた視線を送って寄越す。
一方通行はその視線に気付くことなく背を向ける。
闇色のスーツが街の夜に溶け込むように消えていくのを佇んで見届けると、結標は溜息を吐く。
最後まで振り返らない男の背中に、小さく恨み言を呟く。
結標の呟きは二月の風に紛れて誰に届くことも無く掻き消えていった。
◇
腕時計を見る。親船最中と話していた時間は10分もない。多忙を極める彼女の仕事の邪魔をするのは忍びないというのは口には出さない本音である。
何より、ああいう類の人間は苦手だ。清濁併せ呑んだ上で、自分のなかの正義をしっかりと持っている類の人間。好ましいと思うことも確かであるのだが。
窓の無いビル ――― 嘗てはそう呼ばれていたビルを一方通行は見上げる。
外見を眺めただけでは超高層ビルの一つに過ぎない其処には嘗て神に等しい悪魔のような男が住んでいた、
などと言おうものならば魔王の住処のようだが、事実彼は世界にとってそのような存在であった。
世界を蹂躙し、弄び、操り。その先にあるのが如何なる崇高な理想だったのか。
しかし、一方通行には興味がない。
それを知ったところでどうしたというのが本音である。
窓の無いビルは、陰気で、空気が澱んでいた。振り返ると結局そんな他愛も無い感想しかない。
科学と魔術の粋を集めて作られた建物であろうとも、気が滅入るだけの場所だといってしまえばそれだけであり、
親船最中が統括理事に就任すると同時に窓を付けたという話も科学者連中にとっては度し難い愚行であろうとも、
一方通行にとってみればスノッブかつ辛気臭いビルが少しマシになったという程度の話である。
あんなビルにいるから自分が唯一の全能者だと勘違いできるのだ。
独善と偏見に満ちた自分だけの結論を嘗ての学園都市の暴君へと手向ける。
通りの少ない近道を選んでいるというのもあるが、第七学区、特にこの近辺の人通りは激減した。深夜ともなればゴーストタウンかと思う程の人気の無さ。
人の匂いの薄いビル群の間を縫うように、杖がアスファルトを突く音が響く。慣れたとはいえ、不自由であることの否定出来ない身体だ。
このような身体になったことで、誰もが同情的な視線を送る。それこそ一方通行の正体を知らぬ者達、想の通う保育園の保護者やマンションの近隣の住人。街中で擦れ違う中高生などがそうだ。
彼らは皆一方通行の不自由さを哀れみ、同時に己の健康な身体を振り返り安心する。それに対してとやかく言うつもりはない。
しかし、一方通行は杖がアスファルトを突く乾いた音が好きだった。
こんこんこんと、一定のリズムを刻むそれは、自分の心をいつの間にか落ち着かせてくれる。
もっとも、そんなこと16歳の頃には思いもしなかった。
単純に自分の犯した罪に対する何千分の一程度の報いに過ぎないと、自己犠牲というなの自己陶酔に浸っているだけだった。
そんなことを考えるような余裕はあの頃の自分には無かった。
「今が余裕があるのかって言ったら……そォいうわけでもねェがな」
呟くと息が白い輪郭を伴い、空へと溶けていく。
二月の寒さが、思考をクリアにしていく。親船に聞かされ、動転しながら保留にしていた思考がゆっくりと動き始める。
上条当麻 ――― 神浄討魔が帰って来る。
帰って来るのではなく、訪れるというべきだろうか。何せ彼の唯一の存在に付きしたがってのことなのだから。
そして、最大主教が帰るとなれば彼は当然再び『帰って』しまうのだろう。
嘗て、御坂美琴を捨てて、たった一人心から愛する少女の下へと行った時のように、振り返ることなく。
しかし、一方通行には上条への怒りはない。それが一方通行を憂鬱にさせる。
彼が何かを得るために何かを捨てるような男であれば、三流ドラマに出てくる最低男のような男であれば良かったのにと思う。
自身の出世と安寧の為に金持ちの美しい娘と結ばれる為に、自分に尽くしてくれた一途な少女を捨てるような男であれば、もっと簡単に彼を憎むことも軽蔑することも出来たのに。
一方通行と土御門元春しか知らされていない事実。他ならぬ上条に頼まれたことなのだ。
御坂美琴が心置きなく上条を憎むことが出来るようにするため。
それは彼の残酷な優しさに過ぎないと知っていて、尚一方通行は口を噤む。
緩く巻かれたマフラーがすり落ちてくる。流行だか知らないが、今度からはしっかりと巻いてやろうと決意しながらマンションへと向かう。
一方通行はマフラーを口元まで引き上げる。
吐き捨てた苛立ちは、マフラーにぶつかって言葉となる前に砕けて吐息と共に散っていく。
◇
「おかえり~意外と早かったじゃんか」
「お前まだ起きてたのか」
静かに音を立てまいとドアを開けて入ってきた家主に、美琴はグラスを軽く掲げて迎える。
明かりを落としたリビングに差し込む月明かりに引き伸ばされたシルエットが映る。
スーツを乱暴にソファーへと投げ捨て、家主 ――― 一方通行はバルコニーに出る。
「飲もうよ。ロックで良かったわよね」
「お前ずっとあれから飲ンでたンじゃなかったのか…」
手すりにもたれ掛かっている美琴は、ガーデンテーブルの上に置いておいたグラスを手渡す。
アイス・ペールに山盛りにされた氷をちらりと見て一方通行は呆れたように眉を顰める。
「これでも小休止入れつつ飲んでたからね。まだまだ余裕よ。他の皆は流石にもうダウンしてるけどさ」
「まだ1時前じゃねェか……無理矢理飲ませたンだろ」
確か佐天も初春もそれに絹旗も酒にはあまり強くなかったと記憶している。唯一ざるの白井黒子は大学の用事で来れなかった。
酒に弱い連中が、それもまだ酒の飲み方を把握しきれていない学生が飲めばつぶれてしまうことは容易に想像がつく。
「佐天さんと絹旗先生は想ちゃんと一緒に寝てる。初春さんと垣根さんは…」
美琴は下世話な笑みを小さく浮かべると隣を指さす。
「やっぱりせっかくのバレンタインなんだもん。恋人達は二人っきりにしてあげなきゃね」
「お前……なンつー神経してンだ?ダチのホテル代わりに自分の家提供するとか……」
「流石にしてないでしょ。垣根さんがあんなにぐでんぐでんにつぶれたんだから。出来ないでしょ」
「まァ…かもな。でもなァ、あのメルヘンだぞ?」
「それはそれでいいじゃない。恋人同士なんだし」
琥珀色の液体をゆっくりと美味そうに口に運ぶ美琴にかける言葉が浮かばぬとばかりに一方通行は自分の分のロックを作る。
「かんぱ~い」
「おう」
カチンと、心地良い音が重なる。
ウイスキーは自分自身が冷えているせいか十分に冷たく、アイスは必要なかったかと一方通行は僅かに後悔する。
酒が喉を滑り、胃の中でゆっくりと熱へと変換されていくのを心地良く感じながら、そういえば今日はまだ一杯程度しか飲んでいなかったのだと思い出す。
「アンタさ、いいお酒結構持ってるよね」
グラスの淵を指先で撫でながら、美琴がぽつりと呟く。
「お前も人の事言えねェだろ。酒の趣味が被ってねェからそう思うだけだ」
「お母さんがワインとか送ってくれるからね、ついついソッチに傾倒しちゃったのよ」
「知ってる。テメェが酔うと母親そっくりになるのも知ってる」
「散々迷惑かけたもんね~まぁ今となってはいい思い出だわ」
「良かねェよ。貧乏くじは専らこっちだろォが」
「じゃあアンタもいっぺん潰れてみなさいよ。介抱してあげるわよ?」
「MNWに流されそうだから絶対に断る」
「えええぇ~~~つまんないじゃんか~~」
隣りにいる一方通行の肩を軽く自分の肩でぐいっと押す。
「うっぜ。早くもうっぜェ……お前こんなところで飲んでていいのか?想と一緒に寝てやれよ」
「お姉ちゃん二人に囲まれてご満悦だから大丈夫でしょ?帰ってきて誰もおかえりって言ってもらえないとどっかのウサギが泣き出すかもしれないじゃない」
「テメェ、本気でぶち殺すぞ」
「あははは、怒らない怒らない。冗談なんだからぁ」
「………本当にお前母親そっくりな…」
「それに、寂しがり屋なのは本当じゃないの」
「………かもな」
「やだ、気持ち悪いくらい素直。っていうか、アンタが素直だと普通に気持ち悪いわね。マジ気持ち悪い」
「アイツ等今日来たンだけどよ……アイツ等に会ってからお前見てると、マジ同じ素材で出来てやがンだなって実感するぜ……」
「へぇ、やっぱりあの子達来てたんだ」
「ああ、っつーても、デートのついでに立ち寄ったみてェだがな……デートか……彼氏とか、ハァ……打ち止めも番外個体もそういう年頃なンだな……」
「何思春期の娘持った父親みたいにぼやいてるのよ」
半分まで減っていたウイスキーを一気に飲み干す。
そんな一方通行を横目に、ちびりちびりと美琴はウイスキーを舐める。
「俺にとってはそういう気分なンだよ。最近よ、アイツ等の……番外はまァ最初からあンな調子だったが打ち止めの態度がますますキツくなってきてなァ……
『死ね』だ、『キモイ』だの『触るな』だの。他にも近づくなとか、煩いとか、構うなとか……昔はなンなに可愛かったのに…
どォしてあンなキツイ性格になっちまったンだろォな……やっぱり元ネタが元ネタだからかァ……ハァ…」
「元ネタって言わないでよ。あと人の顔みて溜息吐くなコラ」
「ま、健康であってくれるならいいンだけどよ」
コイツ本気であの子達の父親気分だな。
空になった一方通行のグラスに注いでやりながら美琴はそっと同情の念を妹達に送ってみる。
それで彼女達が救われるというわけではないのだが、姉としてはそうせずにはおれないのだ。
「ま、打ち止めのそれは照れ隠しよ」
「そォか…?思春期の娘が親父のことを臭ェっていうのだろォ?」
「実年齢はともかく、自分と外見10も離れてない男を父親だって思えるはずないでしょ。アンタ的には娘であっても」
「じゃあ兄貴か?」
「妥当なところね。打ち止めの場合はまぁ少し違うでしょうけど……あの子きっと素直になれずにパニックに陥って暴言が飛び出してたりするのよ。
だからきっと後で自己嫌悪に苛まされているはずよ。ああ、ミサカの馬鹿馬鹿、どうしてあんなこと言っちゃったの~!!ってね」
「言い切りますねェ…美琴さン」
「経験者は語るってね。とりあえず、想ちゃんばかり構ってないで、あの子たちもきちんと構ってあげなさい」
「彼氏といンのに邪魔にならねェか?」
「ああ、それはないそれはない。アンタに誘われたら仮にそういう位置づけが居ても躊躇無く捨ててくる子達だから」
「へ、へェ~~」
若干その言葉を嬉しそうに顔を緩めて聞く一方通行。
ていうか、そもそも彼氏なんて嘘にきまってるじゃないの、と美琴は鈍感白助をじろりと睨む。
「なンだよ……?」
「べっつにぃ~~~こ~~んな鈍感野郎の何処がいいんだか」
「………お前ブーメランって知ってるか」
「知ってるわよ馬鹿。何だろ、御坂美琴様のDNAには三つのお約束があるみたいね」
「ほゥ…聞こうじゃねェか」
「一つ目、電気」
「ピチュー、ライチュウと程度こそ違えどもそォだな」
「で、二つ目、可愛い。それもとびきり」
「…自分で言い切るとか、清々しいくれェおめでてェなァ……」
「良いじゃない。多少自意識過剰なくらいじゃないと常盤台のエースなんてやってられなかったのよ」
勢い良くグラスを傾ける。頬が赤いのはアルコールのせいだけではないのだろう。
一方通行は照れるくらいならば最初から言わなければ良いのにという言葉は流石に呑み込む。
「そして、三つめ」
手すりにこつんとグラスを置く。美琴は一瞬、切なげに瞳を伏せると、顔を上げる。
「まぁ、今更かもしれないけど、失恋体質……かな?初恋が実らない体質っていうか」
月を見上げたまま、からからと笑う。
悲哀も自嘲の色も其処にはない。割り切った清々しさすら漂う。
その強く凛とした横顔を、暫く沈黙と共に眺めていた一方通行はグラスに浮かぶ月を見下ろす。
「四つめ………」
アルコールを帯びた白い息と共にそろりと零れる声。
かつんという杖の音と共に肩と肩が微かに触れ、美琴は不覚にもどきりとした。
「どいつもこいつも俺よりも遥かに強くてイイ女だってとこかァ」
喉を震わせて、自嘲気味に笑う。
その力無い横顔に、美琴はすぐさま何かあったのだろうと察する。嘘の下手糞な男だということは彼以外にとっての周知の事実だ。
「ばぁ~か。最初から強かったわけじゃないわよ。支えてくれるヤツがいなかったら強くなんてなれなかったわよ」
ぐいっと、肩で一方通行の肩を押す。身体を押し付ける美琴に面食らったように一方通行が見下ろす。
兄にじゃれつくお転婆な妹のように、無邪気に、照れくさそうに笑う美琴に、一方通行は表情を柔らかくする。
「……ねぇ…」
不意に息も触れそうな距離で、美琴の瞳がじっと真っ直ぐに一方通行の瞳を見つめる。
どちらかが少しでも半歩踏み込めばすぐにキスが出来そうな距離だ。
「今日ね、佐天さんに聞かれたんだ。あんたと私って結婚しないのかって」
絹旗先生のいないところでね、という言葉は省略する。
一方通行はまったくの完全な予想外のポイントを突かれたように目を丸くする。
それが、少し幼く可愛いと美琴はこっそり思う。
「なンで答えたンだ?」
その声には、内心の期待を悟られまいとする苦心は感じられなかった。
本音として、純粋に疑問に思ったことをそのまま口に出したような、一種の無邪気ささえあった。
それが美琴の心を軽くする。
「多分今のところありえないって言っておいた」
多分だとか、今のところだとか、不確かな言葉ばかりだが、それが一番的確な言葉だと一方通行は思った。
「そういうタイミング的なものってきっとあったんだろうけどね……でも私達お互いそういうのスルーしてきたから」
「まァ……な」
美琴の声に悔いる響きも惜しむ気持ちも無いことで、一方通行は奇妙な安堵を抱く。
おそらく同様に自分の言葉にもそれは無いだろう。
そして美琴にとってもそれが安堵となっているはずだ。
「それにアンタの好みのタイプは絹旗先生とか佐天さんみたいな子だもんね」
「ゴホッ!」
不意討ちに、一方通行は思い切りむせた。
隣に視線を送る。
「佐天さんみたいに女の子女の子してるのに芯が強い子とか、絹旗先生みたいにちまっとしてて元気一杯な子とか、アンタ好きだもんね~」
「何でそいつらを名指しすンだよ」
「見てればわかるわよ。アンタ好きな子にイジワルするタイプだもんね~それにさぁ~~タイプは“髪が長くて料理が上手な子”……料理を“上手になろうとする”子じゃないの~~?」
「!?」
露骨にうろたえる一方通行を気分良さ気に見つめる瞳は、先ほどの無邪気さや、可愛らしさとは遠く掛け離れている。
三日月のように弧を描き、愉悦と悪戯心と好奇心に満たされた瞳は、彼女の母親に初めて相対した時を鮮明に一方通行の脳裏に浮かび上がらせる。
「幸い明日もお休みだしさ~ゆっくりあーくんのお話でも聞かせてもらおうかしら」
チェシャ猫のように笑う美琴がそこにはいた。
思考が鈍るのを嫌って最低限の保温を目的とした温度のエアコンの設定をさりげなく引き上げる。
普段は気にならない程度の加湿器の音がやけに耳障りだった。
「11782号が…ってミサカは、ミ、ミサ、カは」
しゃっくりを上げながら、懸命に伝えようとする打ち止めの肩を、番外個体が優しく抱きしめる。
普段口喧嘩の多い二人だが、本当は仲睦まじい姉妹だ。そのことを微笑ましいと思う。
それが現実逃避であるのだということはとっくに承知だ。
気にするな、そう声を掛けるべきだろうか。
それとも泣くなと言うべきか。
気をしっかり持て、それも違う。
じゃあ落ち着け?無茶を言うな。
「ほら、座ろ」
番外個体が、打ち止めの小さな肩を抱きしめながらソファに促す。
打ち止めはこくんと頷くと促されるままに大人しく座る。
「11782号……南米の方だったか?」
一度泣き始めたせいで、タガが外れたように嗚咽を上げる打ち止めの代わりに番外個体が頷く。
「本当はね、すぐにでも連絡しようとしたんだけどさ」
打ち止めの頭を撫でながら番外個体の静かな声が研究室に響く。
「まずこの子や、それに他の妹達落ち着かせてからって思ったの。知ったのは昨日。ラピュタがやってたじゃん、あれくらいの時間」
しゃくりをあげる打ち止めの背中を優しくさする。
「変にトチ狂って暴走した妹が出ても困るじゃん。お姉さまが今スゲェ大変な時期だって知ってるし」
確かにと納得する。妹の死を割り切ることのできない心の優しい美琴がショックを受けないはずがない。
初めてずくしの不安定な時期にどのような影響が出るかわからない。最悪流産もありえる。
「ごめんね、こんな遅れて連絡して」
「いや、いい判断だ。すまねェな番外個体」
「止めてよ。アナタからお礼なんてミサカ、サブイボが出ちゃうってきゃはは」
挑発するように笑う声に張りがない。
普段の軽口の叩き合いをして、必死に平静を装うとする姿がいっそ痛々しい。
「打ち止め…」
ひざまずき、俯いた少女をのぞき込む。白衣が床に広がるが気にしない。
大切な少女。ずっと守り抜いてきた少女達の筆頭。
皆等しく守ると決めた中でも特別な存在の一人である少女。
その手をそっと握る。
「よく、きちンと報せに来てくれたな。ありがとうよ」
打ち止めの肩がびくりと震える。
部屋で泣き伏していたっていいのに。
妹たちを散々殺めてきた自分に会うことが彼女の心をさらに掻き乱すはずなのに。
長年共に過ごしてきたこととは別問題だ。それは理屈ではない。
殆ど刷り込みのように刻まれた恐怖だ。
悲しいとは思うが、理不尽だとは思わない。
それを乗り越えて自分のそばにいてくれる少女達に感謝こそすれ、不満になど思う理由がない。
「…アナタは大丈夫なの?って…ミサカはミサカは徹夜続きのせいで隈ができてるアナタに尋ねてみたり」
大きな瞳から、宝石のように泪がこぼれる。
それを親指で、そっと丁寧に拭っていく。
傷つけぬように、優しく、指の腹で。
「バァ~カ。クソガキがくだらねぇ心配してンじゃねェよ。これくれェでダメージ受けるようなか弱い神経も、優しい心も生憎持ち合わせてねェからな」
はん、と鼻で笑ってみせる。
きょとんとした顔の打ち止めの横で、番外個体が顔をしかめるが、それには気づかぬ振りをする。
「何か飲ンでけ。で、十分温まってから帰れ。お前等明日も学校だろォが」
「じゃあ、ミサカはブラックで。この子は……ココアね」
「よォく練ったヤツだな」
お湯の準備をすると、カップを棚から出す。
かちんと、食器がぶつかる。
棚から取り出そうとして、ぶつけてしまったようだ。
手に取ったカップを、欠けていないか念入りに見る。無事なことにホッとする。
その手が震えていることには気づかなかったことにする。
忌々しい。情けない。自分にありったけの罵声を心の中で送る。
「すまねェ…」
「え?」
番外個体の膝で眠りについた打ち止めを見下ろしながらの突然の謝罪に番外個体は目を丸くする。
「本当なら俺がする役だ。こンなところにチンタラ引きこもって、保護者の仕事まで押しつけちまってる」
「止めてって。保護者面するのは。仮にするって言ってもせいぜい兄貴役でしょ?ミサカ達はアンタに父親役を頼んだ覚えはないんだけど?」
「それでもだ。妹の辛いときに側に居てやるのが兄貴ってもンだろォが」
土御門にしては、随分といいことを言うと、昔感心した記憶がある。もちろん、調子に乗るだろうから言わないでおいたが。
「兄貴失格だな」
「……別に兄貴役じゃなくてもいいのに」
「あ?」
「そんな肩肘張らずにさ、もっと普通に側に居てくれたらこの子は喜ぶよ。それに……ミサカも」
最後の言葉は、消え入るようにつぶやく。
聞こえてなかったのか、一方通行は、力無く「ありがとォよ」と笑う。「馬鹿…」番外個体が吐き捨てる。
コーヒーを啜る音。
加湿器の小さな唸り。
数台のPCが銘々好き勝手に立てる駆動音。
それが沈黙を却って際立たせる。
「ねェ…」
打ち止めに視線を落としながら、番外個体は沈黙を煩うように言葉を転がす。
「アナタどれくらい寝てないわけ?」
「別に大したことじゃねェよ」
「答えになってねーっての。昔のミサカ並の隈だよ?白いからくっきり浮かびすぎ。つーかむしろパンダ?」
「木山ほどじゃねェし。色々やってたら徹夜になっちまうンだよ」
「あのさ、ミサカ手伝ってやってもいいよ?」
「学校はどォすンだ?」
「別にあんなものどうでもいいし。そんなことより…痛ッ」
ぱちんと額を指で弾かれて涙目になって番外個体は睨みつける。
「何すんだよテメェ」
「馬鹿ですか?つーか馬鹿なお前。ハイ馬鹿決定」
「ああ?」
「テメェ如きのチンケな脳味噌が一個増えて何が出来るンですかァ?ああァ?」
「何って…ちょっ、ちか」
口ごもる番外個体を挑発するように、のぞき込む。
「ち、近いって」
息が触れる距離にまで近づいた顔に、別の意味で口ごもる番外個体に気を留めずに一方通行は番外個体の頭に手を置く。
「くだらねェことグダグダ考えてねェで、お前等は普通の生活して馬鹿みてェに笑ってろ」
「なんだよ…それ……ホント、アンタってミサカ達の前で弱み見せてくれないよね…ムカつく」
「あんまり無理しちゃダメだよ?ってミサカはミサカは単身赴任の夫を心配する妻のように言ってみる」
「三歳児っがナマ言ってンじゃねェ」
「ミサカ中学生だもん」
「ガキじゃねェかどちらにしろ。オイ、番外個体。このガキがきちんと学校行くように見張ってろよ。ああ、お前もサボるンじゃねェぞ」
「ハイハイ、わかってますよ。ホントにこの白い親御さんは過保護なことで」
目を覚ました打ち止めと番外個体を見送る。
思い切り泣いて、眠ったおかげか、すっかり落ち着きを取り戻している少女に安心する。
「じゃあ、またねってミサカはミサカは一方通行に手を振ってみたり」
「ン」
軽く手を振り返してやる。番外個体は何か言いたげにしばらく見つめていたが、打ち止めの呼ぶ声に背を向ける。
小さく「馬鹿野郎」と呟きながら。
少女達を見送ると、研究室のドアに鍵を掛ける。
「ガァァァァーーーーーーー!!!」
目に付いたHDDを思い切り蹴る。
それに引きずられるようにコードに繋がった機器が、テーブルの上に置かれた資料や器具を道連れに派手な音を立てて転がる。
杖を付かずに思い切り足を振り上げたせいで、バランスを崩して倒れる。
「クソがァ!!!」
それでも目に付いた機器を手当たり次第に殴りつける。
まるで癇癪を起こした子供のように、周囲に当たり散らす。
何が学園都市最高の頭脳だ。
何が守るだ。白衣なんぞ着て、こんなご大層な研究室に引きこもって、格好ばかりだ。
剥製と同じだ。見た目ばかり取り繕って中身は大鋸屑しか入っていない。
悔しいとか、悲しいなどという感情ではない。
怒り、憤り、苛立ち。そして憎悪。
無力で無能な自分へと向けられる感情が溢れる。
声を振り絞って叫ぼうと、微塵も和らぐことがない。
間断なく落ちてくる滝の水のようだ。いくら叫ぼうと、コップで掬って捨てるようなもの。
勢いを上げて落ち続ける滝の流れには影響はない。
自身へと向けられる嫌悪はそれによく似てる。
「クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソォ!!」
こうやって嘆いていることでさえも、自己陶酔、自己満足でしかないのではないか。
悲しんでいる自分に満足して、償っているつもりになっているのではないか。
悲しむ行為すら偽善めいてくる。
自分の行動すべてが憎く、疎ましく、目障りだ。
『既に君なら気づいてると思うが ―――― そうだ、アレイスターめやってくれるよ…… 時限式… そうだね、私も同意見だ』
「ああああああああああーーーーーーーーーーーーーーッッ」
両手を顔に当てて叫ぶ。
打ち止めが伝えに来た内容は、既に知らされている。冥土帰しから知らされている。
万が一自分が倒れた時、自分の理想を下らぬ俗物が利用などせぬように、その道具の自壊をプログラムしていた。
道具 そのように定められた少女たちの命に。
自分はそれに気づけなかった。
寿命が人並みになったと喜んだ少女達の笑顔がそのまま死に顔になって脳裏をよぎる。
『調整が杜撰なだけじゃないよ。南米は兎も角、イギリスに至っては最大主教が率先してバックアップしているからね。
ああ、彼女はただの宗教指導者では無い。この件における実質の責任者だからね ――― ああ、私の方でも調べている、親船にも…
――― そうか、君から頼んでくれるか。アレイスターの残した資料を洗い直すしかないだろうね』
電話越しに、冥土返しの怒りが伝わってくる。
常に平静であり、一方通行から見ても底の知れないこの男が心を砕くのは常に患者であり、胸を痛めるのは無為に消え去る命であり、そして怒りに震えるのは生への冒涜なのだ。
『それから…一応言っておく。これは君のせいではない。すべてはあの男の自己満足にすぎない。むしろ今日まで持っているのを君は誇るべきだ』
誇る?
ただ先延ばしにしてるだけで、いったい何を誇れと言うのだ。
助けるとは、そんな数年の延命のことなのか。
半端な夢を見せただけで、いったい何が誇りだ。
転がったカップを見る。
守るべき、そして償うべき少女達の一人がくれたもの。
『いい加減アナタはアナタを許しても良いときが来てると思いますよ、とミサカはM疑惑のあるモヤシに内心ウンザリしながら聖母の眼差しを向けてみます』
その笑顔に、一体自分はどれだけ救われただろうか。
きっと、目の前に立つのが、その少女ではなかったら、泣いていた。
おかしな話だ。その言葉をその少女がくれたから泣くのに、その少女の前では泣かないと決めているのだから。
その年の秋、少女は眠りに就いた。
最初に、この都市を掌握していた男の愚劣な呪いの犠牲になった。
許せるわけがない。
誰が許しても。
世界が許しても。
例え彼女達が許しても。
あの少女が許しても。
自分が自分を許せない。
行き場の無い怒りが喉を震わせる。
「がぁああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
「――― レータ!」
遠くから自分を呼ぶ声に、一方通行は微かに瞼を震わせる。
少し重さの残る瞼に力を込めてゆるゆると瞳を開く。
「アクセラレータ!」
薄暗い空間のおかげか、まぶしさに瞳が痛みを感じることもない。
目覚めとしては、穏やかなものだ。
ただ、目の前にある少女の顔を除けば。
「もう、グースカ眠るなんて超失礼です」
隣に座っていたはずの絹旗最愛が、真正面に回り込むようにして見つめる。
膨れ面をすると、十代の小娘にしか見えないなと、回りきらぬ頭で思う。
周囲を見渡すと、席を立ち上がりぞろぞろと出口に向かう客が数人。
時折チラチラと見てくるのは、自分達が人目を引くからだろう。
遠目にはキスをしているカップルのように映っているかもしれない。
「顔近ェよ。キスでもねだってンですかァ?」
「ひゃんッ!?」
つんと、膨れ面をつついてやると、真っ赤な顔をして飛び退く。
ようやく周囲、といっても僅かな客であるが、の視線に気づき絹旗はますます柔らかな頬を朱に染める。
見回して、一方通行は此処が映画館だと思い出す。
よほど深く眠っていたのだろう、まだ夢から意識が抜けきらない。
「というか、よくこんな超大迫力の映画で爆睡出来ますね」
「うるせェよ、シベ鉄クラス二本立てとか狂気の沙汰だろォが。寧ろ一本はしっかり見たことを評価しろ」
「何て男ですか。超超失礼です、もう!!」
舌打ちをすると、一方通行は杖を取って立ち上がる。
確かに映画の内容はどうであれ、一緒に見ている人間が隣で寝息をたてているのは真剣に見ている人間にとっては気分の良いものじゃないだろう。内容はどうであれ。
「昼飯好きなモン奢ってやるから機嫌直せ」
「ご飯でつろうだなんて超侮りすぎですね」
「プラス俺ン家で夕飯ご馳走しよォと思ったンだが…」
「超機嫌直りました!」
ハーイと手を上げる絹旗最愛。
単純ですね絹旗先生、と心の中で呟く。
まずは昼食だなと、ケータイを取り出し検索をかける。
そういえば、こうして女と二人きりで出かけるのは、美琴を除いては、久しぶりだと一方通行はふと気づく。
(デート…なのか?)
そんな言葉を使うことすら何だか自分には似合わなすぎて首を傾げる。
「一方通行、早く行きましょう」
頬をテンションがあがっているせいなのか、絹旗は微かに紅潮させる。
とりあえず、彼女の満足するような店を探してから、買い物だろうか。
あのテンションの高さだと、今日は一日中振り回されるなと、溜息。
「ま、いいか…」
あの夢から起こしてくれたお礼も加えてやろうと心の中で呟く。
バレンタインの日。
『映画にならいつでも付き合ってやる』との口約束が交わされてから、僅か三日後。
一方通行は某ハンバーガーショップに来ていた。
「ポテト一つ超欲しいです」
「つか取ってンじゃねェか」
自分のトレイからポテトを摘む絹旗をじろりと睨む。
「さっきからポテトに手付けてないじゃないですか。一本くらいケチケチしないで下さい」
「これから食うンだよ…」
塩の付いた指を咥えながら誤魔化すように笑う絹旗は普段、園児達の前にいる彼女よりも三歳は若返って見える。
一方通行も注文したチキンにかぶりつく。
あまり良い油を使ってない。味付けも濃い。
料理を作るようになってから、無意識に外食すると事細かに点数を付けるようになってしまった。
一方通行自身悪い癖だと自覚している。
肉が柔らかいことだけは及第点だな、と点数を付けながら紙のカップになみなみと注がれたコーヒーを飲む。
苦ければコーヒーであるのだと言いたげなコーヒーに思わず顔を顰める。
正直、不味い。
それでも水っぽいコーラやジンジャーエールを飲むよりはずっとマシだ。
「想にはこんなモン食わせられねェな」
「親御さん超過保護過ぎませんか?」
「過保護じゃねェし」
「へぇ~~その無駄に伸びた髪はどう説明するんですか」
「切るタイミングを逸しただけですゥ」
「切らないで、って超お願いされたんですよね“あーくん”」
「知らねェなァ……」
「青い髪ゴムよく似合ってるじゃないですか」
「……チッ」
ニヤニヤと絹旗が一方通行の首の後ろへ視線を送る。
白い髪に、青いゴムが爽やかなコントラストになってよく映えている。
想がバレンタインに贈ったプレゼントだ。
絹旗、佐天、初春、垣根、そして一方通行と自分用に、色違いのゴムを贈った。
想からプレゼントされた時、子供のお小遣いで買える範囲であり、且女の子らしい少しませたプレゼントだと、絹旗は微笑ましくなったものだ。
それを、この男が毎日髪を縛るのに活用しているということを、美琴経由で絹旗はとっくに知っている。
「それより…折角おごりだっつってンのに、こんな場所で良かったのかよ」
手遊びのように、空になったナゲットの箱を潰しながら一方通行は釈然としない顔を浮かべる。
和洋中と、おススメの店ならばいくらか心当たりがある。
どうせ奢るなら、美味い料理のお店に連れて行ってやりたいという男心は一方通行とて同じだ。
「わかってませんね~」
絹旗はわかっていないな、とばかりに肩を竦める。
「わかってませんね~」
「何故二度言った」
「超わかってませんね~いいですか。B級映画はポップコーン。いえ、贅沢を言えば油っぽくて味の濃いスナック菓子。
映画鑑賞後はジャンクフードでパンフレット片手に語り合う。モスなんて邪道。マックもライト過ぎます。ロッテリアがベター。これこそがジャスティス」
「で、此処か…」
絹旗の熱弁にげんなりしながら、店内の賑わいを眺める。
小さなテーブルに椅子を集めておしゃべりに花を咲かせている女子高生。
顔を寄せ合って雑誌を見ながら、あれこれと話しているカップルは次の行き先でも決めているのだろうか。
携帯ゲーム機を持ち寄っている中学生達にいたっては、外出の意味をわかっているのか疑問だ。
「昔から利用してるんです。一緒に観に行ってたツレの財布的にも此処が限界でしたし」
「ああ、浜面か」
「浜面は昔から超貧乏ですから」
「仲良いんだな。ま、確かにアイツがイタ飯だとかに連れて行く姿なンざ想像つかねェしな」
ギクシャクしながらピンク色のジャージを着た少女を、慣れないエスコートでイタリア料理のレストランに連れて行く姿を想像すると、似合わな過ぎて笑えてくる。
(イタ飯というか痛飯になるな…ってアホか俺は)
我ながら下らなさ過ぎる。
そんな事をぼうっと考えていると、絹旗がハッとした表情を浮かべる。
「あ、な、仲が良いって言っても、友達ですからね?友達。た、確かに、一時期気の迷いというか…
周囲に一人しか男がいなかったから、ついいいかなって思ったりもしましたが。
ホント、はしかみたいなものでして、ええ、現在進行形で超キモイ浜面なんて、せいぜい馬鹿な兄貴みたいな、そんな感じなんですってば」
「お前は何を慌ててンだ?」
一方通行は、慌てて取り繕う絹旗を怪訝な表情で見つめる。
「初恋ってヤツだろォが。いいじゃねェか。見る目あると思うぜ。ツラはアレだが中々見所のある野郎だぜ」
うんうんと、一人頷く一方通行。
(ちょっとくらい慌ててくれてもいいじゃないですか!!っていうか超焦れ!!)
しかし、『エブリデイ父性愛』、『家族愛が恋愛感情から常にフォールを取る男』という異名を持つこの男にそんな微妙な乙女心を察しろという方が難しい。
それに、兄のように親しみを抱いている友人が、憎からず思っている男から高評価なのも、悪い気は決してしないのも確かなのだ。
滅多に人を褒めないこの男がこれほど言葉を尽くすところに、浜面仕上への評価が窺い知れる。
垣根などが聞いていたら、間違いなく暴れ出しかねないだろう。
未だに一方通行の垣根に対する評価は変わらない。寧ろ悪化しているのだから。
『メルヘンくゥゥゥゥン。アレですか?羽にお花をデコレーションしてパワーアップですかァ?メルヘンじゃねェ、超メルヘンだ(キリッ)ってかァ~』
こんな感じに。
「初恋ってのは実らねェモンだ。あんまり気にすンじゃねェよ」
「してませんから!!」
やけに年上ぶった物言いが、癇に障る。
絹旗はぶすっと膨れて、上目遣いに睨み付ける。
一方通行が「どうした?」と心からわかっていないとありありと顔に出す。
舌打ちの一つくらいしてやりたいのを、グッと堪える。男の前で舌打ちする女など、それだけでマイナスだ。減点どころの騒ぎじゃない。
「そんなもん、と~~~~~っくの昔に終了してるんです。今更見当違いの心配とか超止めて欲しいです」
初恋だったと仮定しても、そんなもの六年前には完全に終わっている。浜面と滝壺の結婚で。
そもそも、浜面に仄かな想いを抱いていた期間よりもずっと長い時間を捧げていて、しかも結構自分でもバレバレなくらいにわかりやすいオーラを放っているのだ。
いい加減気付けこの超馬鹿野郎、と喉元までこみ上げてくる言葉を絹旗は呑み込む。
「そういえば、今もお小遣いは少ないそうですね、この前愚痴ってました。
浜面のことですから、どうせバニーの出てくるエッチぃのとかキモイ買い物しか用途ないので滝壺さんGJですけど」
「ピンクのヤツ、あれで中々の手綱捌きだからなァ…侮れねェよ」
「そういえば、ご近所さんでしたもんね」
「下の階が浜面ン家なンだよ。ピンクとはスギモトさン家で週一で和食を教えてもらってンしよ」
「誰ですかスギモトさんって……教えてもらってるって、滝壺さんと一緒に?」
「ああ。アイツ結構暇を持て余してっからな…つか、茶飲み友達」
「嘘ッ!?」
「ホント」
人妻と、二人でお茶飲んでるんですかこの超エロモヤシ。
滝壺に限ってそんなことはないとはわかっている。わかっているが、それでも胸中穏やかではいられない。
自分がいないところで、女と二人きりという話をされるのも気に入らないが、平然と自分にすることが気に食わない。
そんな絹旗の思いなど露ほども知らず、女子高生の集団を見ながら一方通行は打ち止めもこんな風に年相応に友人達と過ごしているのだろうかと考える。
自分とは違い、交友関係を広げるのが上手い彼女のことだ、自分が心配する必要もないだろうが、父親代わりとしてはやはり気に掛かる。
そんな思いを抱きながら少女達を見ていると、彼女達がチラチラと見ているのに気付く。
(こんな悪党面がジロジロ見てりゃそりゃ怖ェか)
自分の行動を改めて思い返し、軽い自己嫌悪に陥りながら視線を前に戻す。
「………なンだよ」
「別に~~そんなに女子高生が気になりますか~~そんなに若い子が好きなんですか~~へぇ~~」
「わけのわかンねェいじけ方すンな。ウゼェ。打ち止めもあんな感じなのかって思ってただけだ」
「というか、さっきから私がいるのに他の女の子の事考えるなんて超デリカシーがありません!」
第一、向こうの女子高生がヒソヒソ話しているのが、誰であろう自分達のことだというのに。
正確に言えば目の前の男のことである。
昔ならば、悪人顔として怯えたであろう表情は大分角が取れ、一方通行が思っている程他者に威圧感を与えるものではない。
強面の印象が薄れれば、当然元来の整った顔立ちのイメージが前面に押し出される。
自分のツレが一目を引く外見というのは、男をアクセサリーとしか見ないような女ではなくとも大なり小なり誇らしい気持ちになる。
しかし、余りにも向けられる視線、関心に鈍感過ぎると、流石にやきもきする。
自分の気持ちもこうやって、周囲から向けられる数多の取るに足らない視線といっしょくたに流されているのではないかという不安。
焦れるような気持ちはきっと、この白い朴念仁にはわかるまい。
「ま、一方通行に其処まで望むのは超無理難題かもしれませんが……」
「わけがわかンねェンだが……」
一方通行はムスッとしたままテリヤキバーガーを小さな口でかぶりつく絹旗を眺める。
絹旗は、一方通行の知り合いの女の中では珍しい部類に入る。
服装とかではなく、趣味や好みについてだ。
そして、食事の時になどに強く感じる。
折角美味しい料理を出すお店に連れて来たのに、散々イライラする程メニューと睨めっこし、パスタとサラダとくれば正直ガックリと来てしまう。
能力を持たない一般人であろうと、複雑な演算を行うことが出来る能力者であろうとも、このイライラするような時間は変わらない。
カロリー計算を頭の中であれこれと巡らせているのであろうことは一方通行にもよくわかるのだが、そこまで長考すべきことなのだろうかというのが本音だ。
知り合いの中でそういったことを些末なものだと切り捨てているかのようにバンバンと高カロリーのものを頼む女と言えば、美琴と目の前の絹旗くらいだろう。
もっとも、単純に太らない体質なのかもしれないが。
(それにしてもまァ…こんなガキ臭ェモンよく食べられるモンだ……あ~あ、ソースまで付けやがって馬鹿が…)
何が嬉しいんだかと一方通行は絹旗を無遠慮に眺める。
美味しそうにハンバーガーを頬張る彼女とぱたりと目が合う。
「……何じっと見てるんですか…超いやらしいです…私の唇がそんなに目を引きますか?」
「何言ってるンですかァ~ちびっ子センセイが。園児に混ざっても違和感無いモアイちゃんがよ」
「最愛です!さ・い・あ・い。貴方のせいでモアイって言う子がいるんですよ」
「良かったじゃねェか。仲良くなれて。対等の関係って素敵じゃねェのか」
「それはナメられてるって言うんですよ!」
「どうどうどう。落ち着けって。ソース付いてンぞ」
唇の端のテリヤキの甘いソースを指で取ってやる。
そのままペロッと舐めると、甘いタレの味が舌の上に広がる。
「うェ…甘…」
みたらし団子のようなタレをつけた肉なんてよく食べられるものだと、一方通行は口直しにポテトを摘む。
「コレが人気一位って……どンだけ甘党が多いンだ?」
「………」
「ン?どォしたンだよブス面して」
「………別にぃぃ~~っていうか、ブス面って何ですか。超失礼極まりないんですけど」
不貞腐れた顔で絹旗はオレンジジュースを啜る。
普段であれば真っ赤になって照れているところだが、バレンタインデーの時のことを佐天から聞いているだけに素直に喜べない。
一方通行にとっては、佐天の口に付いたチョコレートを舐めてやるのも、絹旗の口に付いたソースを舐めてやるのも大差ない。
想のほっぺたに付いたご飯粒を取ってやることの延長線なのだ。
それを知っているだけに、嬉しいはずの行為が腹立たしくすらある。
(折角麦野に服借りて来たのに)
年下と自分をきっぱり見ている一方通行の意識を変えるべく、いつもの自分とは違った雰囲気を出す為に絹旗は麦野に協力を仰いだ。
今日の為に絹旗が選んだのはローライズデニムに、ノースリーブのタートルネック。
個人的な好みとして、革ジャンなど着てしまおうかと思っていたところで麦野からのダメだし。
彼女が貸してくれたのはニットカーディガン。
普段の自分と比べると大人し目なのは、普段とは違った自分に見せる為に。
『カーディガンを脱いだ時に目に映る肩に第一位だってひとたまりも無いわよ。そこを思い切り押し倒しなさい!!』
その後に出た、『目指せ寿退職!』云々は聞かなかったことにした。
要は少しでも大人っぽく見せたかったのだが、結果はこのザマだ。
服装に就いても「似合ってるじゃねェか」と待ち合わせの時に一度言ったきりである。
(嬉しくないわけじゃないんですけど、それが逆に超複雑なんですよ……)
子供扱いは腹が立つ。
しかし、親しい人間にしか触れることをしない一方通行の性格上、彼の親しい人間に入ってることは嬉しい。
複雑であるが。
そんな絹旗の様子に首を傾げつつも、一方通行は最後のチキンを片付けていた。
脂が指に絡むのが気に食わないのか、やたらと念入りにウエットティッシュで拭っているのが少しおかしい。
既に食い尽くしたチキンの骨に視線を落とす。
「どんんだけチキン食べてるんですか?共食いですか?」
「うるせェな…っていうか、お前今何つった?怒らないからもういっぺん言ってみろ、な?」
眉間に皴を寄せる青年に取り合わず、絹旗はハンバーガーの残りを口に放り込む。
行儀が悪いが、コレが一番汚れない食べ方だから仕方が無いと言い訳をそっとする。
残り少ないテリヤキバーガーを丁寧に食べると逆にぼろぼろになってしまうのだ。
ソースとマヨネーズでべったりの包み紙を眺めていると何となく勿体ない気がしてくる。
「何物惜しげな面してンだ。ハンバーガー二個じゃ足りなかったのか?仕方がねェ、ナゲットでも……」
「違います。超違います!!止めて下さい、私に大食い属性を付けようとするのは」
「じゃあ何で包み紙ジッと見てるンだ?食い足りねェンじゃなかったのか」
「テリヤキバーガーって綺麗に食べられた試がなくて。いつもマヨネーズとかが残るのが勿体ない気がするというか…」
「セコイですねェ絹旗先生は」
「いいじゃないですか。一方通行は思ったことないんですか?」
「スパイシーチーズバーガー派なンで」
「汚ッ!流石一位、超汚いです。論旨ちゃぶ台返しですか!」
「俺としては、ポテトの最後の方で味に飽きが来ることの方が重要なンだけどな」
「ガッツリ食べたくてLサイズ頼むと、まだ食べられるのに、味に飽きちゃいますよね」
一方通行はおもむろにポテトを摘むと、絹旗の広げた包みに残ったマヨネーズにちょいっと付ける。
「まァ、折衷案としてはこォするのが俺の答えだがな」
マヨネーズと甘いタレの掛かったポテトを、絹旗の口に放り込む。
いわゆる「あ~ん」というヤツだ。
「―――― ッ!?」
突然過ぎる不意討ちに絹旗の顔が一気に茹で上がる。
油断した。油断していた。超油断していた。
唇に付いたソースを取るという行為で、もはやそれ以上のハプニングなど此処では起こらないだろうと高を括っていた。
これが第一位の実力だろうか。絹旗は周囲に視線を向けると、いつの間にか来店客の視線が二人に集まっている。
どちらも、人並み以上のルックスであることは言うまでもなく、一方通行は良くも悪くも個性的な外形をしている。
絹旗もまた、本人には自覚が無いが、小柄で凹凸のはっきりとした身体付きは、男達の視線を引き寄せる。
結果、そんなファーストフード店に些か不釣合いな二人が漫才のような言い合い、或いは微笑ましいじゃれ合いをしている様子は十分過ぎる程に衆目を集めていた。
「て、撤収します。超エスケープです!」
いたたまれなさに、絹旗は強引に一方通行の腕を引く。
「オイ、まだコーヒーのおかわりが……」
「いいから!」
一方通行は、まだ三杯目のコーヒーを飲んでいないと抵抗するものの、自動車を持ち上げるレベル4にとってそのような抵抗は羽毛の如き軽やかさでしかない。
一方通行を半ば引きずるようにして絹旗は店を後にした。
当分此処には来れないという後悔と羞恥心が彼女の中を占めていた。
(ば、バカップルとか思われてたら、どどどど、ど、どうしましょうか…)
が、案外満更でもなかった。
相変わらずモノトーンを基調としたシンプルなインテリア。シンプルというよりも無愛想な部屋だ。
この部屋に上がるのは何度目だろうか。
絹旗は見慣れたリビングに足を踏み入れてからふと気付く。
一方通行と二人だけでこの部屋に来たのは初めてじゃなかっただろうか。
「今日は想ちゃんはどうしたんですか?」
「アイツの実家。アイツも大学休みだからな。妹達掻き集めて揃って里帰りだ」
「それはまた超凄い光景でしょうね…」
同じ顔が最低でも五つ並ぶのだ。それはちょっとシュールな光景だろう。
妹達とはおそらく打ち止め、番外個体も含まれているのだろう。
美琴の性格上、彼女達を省いて自分達だけとはしないだろう。妹達も姉の気遣いを慮って予定を合わせるだろう。
「最近じゃ一丁前にどいつもこいつも色気づきやがって髪だのメイクだのと拘ってるみてェだからな。せいぜい大人数の姉妹だろ。
……打ち止めのヤツも最近じゃァ化粧するようになりやがってな……まだ高校生だってのによ」
「それって別に超当たり前のことだと思うんですけど………それでもお父さんとしては超寂しいですか?」
「………否定はしねェよ。自覚はある。ただ、化粧すること自体より、もうちっと似合うメイクにしてくれってのが切実だ」
「最近は凄く上達してきてるって思いますよ?」
「最初の頃が酷過ぎただけだろ………ン」
ジャケットをハンガーに掛けた一方通行が、手を差し出す。
一瞬何をしようとしているのか、その意図を掴みかねた絹旗は微かに首を傾げる。
舌打ちをすると、杖を突いて一歩近づく。
「脱げ」
「……ひょへッ!?」
夕方とは言え、まだ五時を回っていないというのに、いきなり何を言い出すのだろうか。
内心の動揺を必死に抑えきれずにマヌケな声を上げた絹旗を、呆れたように見る一方通行。
「コートだボケ」
「あ、ああ…コート……コートですね。…ですよねー」
ベージュのコートを脱ぎながら誤魔化し笑いをする。穴があったら入りたいとはこのことだ。
いそいそと手渡すと、一方通行は慣れた手付きで皴を叩いて伸ばす。
「何考えてたンだか」
「な、別に何も…ええ、別に超どうでもいいことですとも」
「ふゥ~~ン……絹旗センセイってばムッツリスケベですねェ」
「ち、違います!超誤解です!!」
「ハイハイ」
「うぐぅ…」
壁際へ彼自身のジャケットと一緒にかけると、パタパタとスリッパの音を立てながらキッチンへと歩く。
キッチンの椅子に掛かっている黒いエプロンに手に取ると、冷蔵庫の中身を確認する。
一方通行の姿を何となく見ていた絹旗は慌てて自分もキッチンに向かう。
「あ、手伝います」
エプロンを手にとって冷蔵庫の中身を確認するまでの流れが何となく様になっているせいで、思わず眺めてしまった。
そんな自分の行動を恥ずかしく思いながら、袖を捲くる。
「いや、お前はいいから大人しくしてろ」
一方通行はキッチンに来た絹旗を手で押し留める。
ぶっきらぼうな物言いに、眉を微かに吊り上げ、絹旗がムッとした表情を浮かべる。
「何ですか、その超面倒くさそうな言い方。私だって夕食の準備くらい手伝えますよ」
一方通行や滝壺には劣るが、人並みには作れるのだ。
如何にも不満タラタラの絹旗に、溜息を吐くと一方通行は瞳を逸らしながら煩わしさを滲ませた声を上げる。
「テメェはホントに沸点低いヤツだな。ガキ共の前で猫被ってる反動か。……お前、それ新しい服なンじゃねェの?」
「あ…えっと、コレは」
そういえば、カーディガンは麦野のだとは言っていない。
初めて見た一方通行が、それを新しく買った物だと勘違いしているのだ。
そして、それは一方通行が絹旗が普段から身に付けている服にもさり気無く気に留めておいていたということでもある。
一方通行の言葉の意味が絹旗の中に染み渡るまで、一瞬、奇妙な沈黙が生まれる。
「あ……う…そうですね…じゃ、じゃあ超大人しくしてます」
特別なことを言われたわけではないというのに、頬が熱を帯びていく。
絹旗は熱くなった頬を見せないようにそそっと小走りにリビングへ引っ込む。
ソファに座ると、無性に落ち着かず、手近なクッションを抱きしめる。
(うあぁーー…何でしょうか。何だか無性に超恥ずかしいんですけどーーーー)
それは、他の男に言われた言葉であるのならば、例え浜面のように親しい男だとしても、ここまで絹旗は照れはしなかっただろう。
ただ、相手があの一方通行だったのが問題だった。基本的に他人に興味を示すような人間ではない彼。
興味の落差が激し過ぎる程に激しい男が、普段からの自分の服装に注意を向けていたことが問題だったのだ。
勿論ただの気まぐれだったのかもしれない。学園都市第一位の男の記憶力から言えば完全記憶能力とまではいかずともその程度楽々と覚えてしまっているだけなのかもしれない。
しかし、それでも絹旗の思考はついつい自分にとって非常に都合の良い、甘酸っぱい方へと持っていきたがる。
(うあーうあーううう…はう…)
絹旗はパタパタと足をばたつかせながら、自分で招いた都合の良い思考に、自分で悶える。
自分の背後のリビングで、そのような、ある意味おめでたいお祭り騒ぎが行われているとも知らずに、一方通行は冷蔵庫を再び開けると食材をチェックして行く作業に戻っていた。
浸け込んでおいたスズキがそろそろ味が染みているだろう。
美琴から何本か貰ったワインがあったからそれを開けるのもいい。
美琴は赤派だ。白ならば一本や二本開けても文句は言わないだろう。
ベーコンが痛まないウチにカリカリに焼いてサラダの上に乗せてしまおうか。
想と美琴の朝食ように新しいベーコンは買っておいてある。
夕食の段取りを頭に浮かべながら、一方通行はエプロンを身に着けると、ポケットから煙草を取り出す。
昼間は久しぶりにジャンクフードを食べた。
だからだろうか、何となく煙草が吸いたくなるのは。
キッチンの換気扇は一方通行が足を踏み入れた時からオートで作動している。
それを、ちらりと確認すると、一本取り出し火を点ける。
想の面倒を見るようになってから、極端に外食が減った。正確にはジャンクフードの類を食べる機会が減った。
たまに食べたくなることもあるが、基本的に一人で食べる事が少なくなっているここ数年、一人で外食やらコンビニ弁当を食べるということは無い。
それは、佐天から子供の頃から外食、それもファーストフードばかり行くと味覚が馬鹿になるという事実を脅しと誇張を交えて聞かされたことも要因になっているのかもしれない。
打ち止めと一緒に住んでいた頃は、食事など作らず、もっぱらファミレスかコンビニで済ませていた。
その上当時中学生になったばかりの打ち止めが友人とハンバーガーを食べに行くという話を聞いていたせいもあって、随分と彼女の味覚について気を揉んだものだ。
結局ヘルシー且バランス志向の黄泉川の炊飯器料理のおかげもあってか、打ち止めの味覚に特に障害など無く胸を撫で下ろした。
しかし、あの当時の何とも心の置き所の無い不安を思い出すと、おいそれと想を連れて行く気にはならない。
それにつられるようにして、一方通行自身も自然と外食が減ったのだった。
(想っていや…アイツ……普段からハンバーガーだとかそンなもンしか食べてねェわけじゃねェだろォな)
想の方は大丈夫だとして、母親の方が問題だ。
一つの事に打ち込むと周りが見えなくなる。
その他がすべておざなりになるのだ。それはもう、物の見事に。
夢でもあり、目標でもあり、そして使命でもある研究。それに打ち込む余り美琴は他の同世代の女達に比べ様々なものを省いてしまっている。
勿論、無理に経験する必要の無いも省いている。頭の悪い火遊びにうつつを抜かすだとか、けばいばかりの無個性な流行のブランドに身を固めるなどということをする必要はない。
しかし、同じように、年相応の愉しみも擲っているのではないだろうか。
小ざっぱりした服装と、してるかしていないかのメイク。
それでも、天然素材の美しさ故か、美琴からは健康的な色気と爽やかさすら醸し出されているのだが、もう少し自分のことを構っても良いとも思う。
日々の愉しみが研究と娘だけというのも、23歳の若い女として寂し過ぎやしないだろうか。
(まァ、俺が口を出すこっちゃねェ話なンだろォけどな……)
それでも気に掛かってしまうのは、背負うと決めているから。
そして、それ以上に重ねてきた月日と、それに比例する感情がある。
換気扇に吸い込まれていく紫煙を目で追いながら巡らせていた思考を切り上げる。
幾ら考えてもコレは自分が答えを出せる話ではない。
一方通行は半分程吸った二本目になる煙草を灰皿に捻り込む。
「さてと、さっさと作らねェとセンセイがウルセェな」
◇
キッチンの一方通行に暫く視線を向けていた絹旗だったが、ふと目を向けたテーブルの棚に視線が留まる。
そこに置かれたウサギの絵が表紙のスケッチブックに見覚えがあった。
それは想が好きなラビ太郎という目つきの悪いウサギのキャラクターである。
保育園で想が使っているスケッチブックだ。
想のものだと気付くと同時に、プレゼントされた色鉛筆が一緒に置かれていることに微笑ましさを覚える。初春もきっと喜ぶだろう。
そっとスケッチブックを手に取ると、リボンで縛られたスケッチブックの封を解く。
一枚目に描かれた絵はウサギ、ラビ太郎のであろうウサギがでかでかと描かれている。
中々特徴を捉えており、心の中で二重丸を付けてやる。
絹旗は、綺麗な身なりでお人形さんのような愛らしい外見とは裏腹の思い切りの良い力強い線で描かれた絵が大好きであった。
浜面の息子などは、逆に余白が随分と目に付くくらいに自信無さ気な絵を描く。余白が時に足りなくなる想と対照的過ぎて、二人の絵を見比べるのが密かな絹旗の愉しみである。
二ページ目を開くと、今度は人間が描かれている。
一人は、すぐにわかる。白い髪に、おそらく目であろう、赤い丸が二つ。
キッチンでスズキのソテーに取り掛かっている男であろう。もう一人は誰であろうか。
茶色い髪は自分も含めて沢山いる。しかし、すぐにそんな疑問は解消される。何故なら茶色い髪の人間からは白い羽が生えていたからだ。
羽を生やした茶髪の男が横に描かれ、その上に乗った赤い目の男が笑っている。
茶色い髪の男の顔の横には、天気予報で目にする雨マークのような水色で塗り潰された沢山の雫。
白い男は、丸で描かれたおそらくは拳を何度も下の茶髪に振り下ろしているようにも見えないことはない。
つまり、コレは想の目から映る一方通行と垣根帝督。
「垣根ェェ……」
幼女の目から見てもフルボッコだと知れば、垣根はどんな顔をするのだろうか。
初春曰く、意外に打たれ弱い学園都市第二位は。
気を取り直して、次のページを開く。
見開きに描かれていたのは二人の人物。それぞれ一ページずつに、一人ずつ。
最初のページに描かれていたのは、白い髪の青年。黒く長い布は服ではなくておそらくエプロン。
現実の一方通行ではまずしないだろう笑顔が何だかおかしい。もしかしたら、あの少女の前だけでは見せているのかもしれないが。
そして、隣には、小麦色の短い髪の、にっこりと優しく笑った女。美琴であろう。
絹旗はその絵に見覚えがある。好きな人を描くというテーマで保育園で描かせたときに想が描いていたのを思い出す。
更にページを捲る。
「あ……」
思わず絹旗は声を上げていた。
次のページには、肩までの茶色い髪をして、やはりニコニコと笑っている絵。
絹旗が声を上げてしまった理由だ。
そこに描かれていたのは絹旗の絵だった。
好きな人を描く。
そのテーマを与えられて想が描いたのは一方通行と美琴であった。
周りの子供たちが父親と母親を描くのがほとんどであったので、絹旗も何の疑問も抱く事はなかった。
お絵かきの時間は午前中を使って行われ、園児たちは皆父親と母親の顔を描き終えて満足そうにしていた。
ただ、想だけは不服そうに膨れていたが、絹旗はそれが満足のいく出来ではなかったからだと思っていた。
砂のお城を作るのにも子供ながらに侮れぬこだわりを見せる少女だからだと。しかし違ったのだ。
少女が不服だったのは、絵の出来ではなく、“二人しか”描けなかったことだった。
そっと次のページを捲る。ギザギザの口で、怒ったように、意地悪な笑いの二人。
茶色い髪のよく似た二人はおそらく打ち止めと番外個体。
どうにも、想をいじめているらしき二人の困った少女達は想の目から見るとストレートにわかりやすいくらいに意地悪な顔に描かれている。
絹旗は思わず笑ってしまった。
更に捲ると、今度はカラフルな絵。
長い黒髪の上に赤、白、黄色、桃色と、様々な色彩を駆使した花が描かれた女と、羽の生えた男。
二人は一枚に納められ、隣のページには黒髪の女が微笑む。こちらは佐天だろうか。
ページを捲っていくと、次々と現れる笑顔。浜面に滝壺。二人の子供に、おそらく御坂妹。
長く、波打つような茶色の髪の女は麦野か。麦野がこんな笑顔をするのはあまり想像が付かないなと絹旗はこっそり思う。
美琴によく似た顔で、唇を赤く塗ってあるのは面識は無いが美琴の母親だろうか。勿論知らない顔もある。
「…………」
ただ、共通しているのは誰も彼もが笑っているということ。
想の目にはこう見えているのだろうか。
誰も彼もが楽しそうにしているように見えているのだろうか。
絹旗はスケッチブックをそっと閉じた。
膝の上で組んだ両手に額を乗せて、俯く。
自分が想くらいの年の時、こんな風に世界は映っていたのだろうか。
一方通行の作った夕食は悔しいことに絶品であった。
スズキのソテーは塩コショウがよく効いており、うっすらと掛かったレモン汁がアクセントになっていた。
細切りにしたジャガイモのフライを乗せて食べると、しゃきしゃきとした食感が心地良い。
サラダはアスパラとラディッシュ、レタスの上にカリカリに焼いたベーコンが乗せられていた。
フランスパンは佐天がバイトをしている店で買ったという、手作り特有の優しい小麦の甘さがふわりとする。
絹旗は飲み慣れぬワインを、一方通行の制止も聞かずに次々と口にした。
口当たりの良いワインだったことが災いしてしまったともいえる。
「うう~~超気持ち悪いです……」
「飲み過ぎだ馬鹿」
ソファーに沈む込むように座る絹旗の額に手を当てる。
能力で大分アルコールを分解したとは言え、完全に吸収してしまったものは如何ともしがたい。
やってやれぬことはないが、余り人体に良いこととも言えず、結果絹旗は飲んだ直後に軽い二日酔いのように呻く羽目になった。
絹旗の隣に座る一方通行は呆れたように溜息を吐く。
いつもはこうならないように自分でセーブするのに、どうしたことか、今日の絹旗のペースは異常ともいえる。
怪訝な表情のまま、洗い物は後にするかと、内心うんざりしながらテーブルの上にあるスケッチブックに気付く。
閉じられているものの、記憶にある配置とは違う。何よりも、ページを閉じる為のリボンがおかしい。
拙い結び方のせいでゆるゆるだったはずのリボンがしっかりと結んであったのだ。想はまだこんなにきっちりと結ぶことは出来ない。
一方通行の視線の先に気付いたのか、絹旗が赤い顔でにへらと笑う。
「えへへへへ~~超見ちゃいました~~~」
「ハァ……今更見るもクソもねェだろ。お前ンところで描いたモンなンだからよ」
「そんなことありませんよ。超書き下ろし満載の豪華な一冊です」
何がおかしいのか、絹旗がけらけらと笑う。
「可愛いですね~~一方通行の髪なんか、塗らなくてもいいのにわざわざ白でちゃんと塗ってあって。打ち止めちゃんと番外さんには超笑ってしまいました」
「アイツ等いつもいじめやがンだよ。別に陰湿ってわけじゃねェンだけどよ。昔なンか何回泣かされてたか……」
「その度に想ちゃんは貴方のところに超泣きついてたんじゃないですか?」
「正解。つーか、想も学習したのかアイツ等が来ると俺の膝の上から降りねェンだよ……仕方がねェけど」
「顔……超キモイです……」
「あァ?」
「超ニヤケてるって言ってるんですよ、超々キモイです。仕方が無いとか言いながら超嬉しそうです超キモイ」
「………テメェ……ほっぽり出すぞ……」
「フン、やれるもんでしたらどうぞ~~~」
ごろんとソファーに寝転がる絹旗を横目に、「性質悪ィ……」と呟くだけで、一方通行は何もしない。
一方通行は傍らに置いていた空きかけたワインをグラスに注ぐと、黙々と飲み始める。
色白の肌は鮮やかに染まっているものの、口調も瞳も絹旗とは異なり些かもぶれていない。
ワインを飲む微かな音だけがリビングの沈黙の中を転がる。不思議と気まずくはない。
アルコールで赤らんだ頬をクッションに乗せながら、うっすらと潤んだ瞳を細めて絹旗は一方通行の横顔を見る。
その視線に気付いたのか、グラスに口付けながら、紅い瞳が絹旗を見る。
「何だよ」
「想ちゃん……いっぱい描いてましたね」
「ああ」
「好きな人だらけです」
「いいことじゃねェか」
「あの子の目にはこの街はあんなふうに見えてるんですね」
絹旗の口にしようとしていることに何かを感じたのか、一方通行はグラスをテーブルに置く。
何を言おうとしているのか注目するあまり、彼女の濡れた唇を凝視していることに気付き、そっと視線を逸らす。
ワインと微かな唾液に濡れた唇は薄っすらと開かれ、ただありのままでも嫣然と映る。
程よく酔いが回って、そこそこの好意を抱いている女がえてしてそういう表情を時折浮かべることは知っている。
16の少年でもあるまいし、それだけで恋しているだとか誘っている等と都合の良いことは流石に考えない。
しかし、そういう雰囲気、そういう流れになりやすいのは経験則上知っている。
故に、一方通行は視線を逸らす。
絹旗はそんな仕草に気付く程頭が回っていないのか、囁くような声を出す。
内緒話を打ち明けるように。
「好きな人を好きなだけ描いて下さい、そう言ってあげるんです。そうしないとお母さんとお父さんどっちを描けばいいのか子供達は迷っちゃいますから。
それに、親って結構気にするんですよ、自分が描いてもらえなかったら。当然お門違いの文句を言ってくる親もいる訳で」
「予防策か」
「そういうことです。好きな人を、好きなだけ。中にはお婆ちゃんやお爺ちゃん。飼ってるワンちゃんを描く子もいたりして、それが凄く可愛いんです」
何かを思い出したのか絹旗がくすくすと笑う。
「想ちゃんの絵を見て凄く嬉しかったんです。私の絵を描いててくれたことも超嬉しかったし。好きな人がいっぱいいるって、とっても素敵なことだと思うし……
ああ、この子って本当に綺麗な子なんだな~って、絹旗先生超感動しちゃいました」
絹旗の笑みが自然と止む。
波が引くように、すぅっと砂に吸い込まれて残滓だけが唇に微かに残る。
「ただ、私があの子くらいの頃だったらきっと何も描けませんでした。好きな人なんていませんでしたし……それに、超実験ばかりでそれどころじゃありませんでした」
「…………」
「それを突然……ホント、超久しぶりに思い出しちゃったら……何だかヘコんじゃいました」
「それでワインがぶ飲みか。安い給料で働かされてるOLの自棄酒みてェだな」
ハンッと鼻で笑ってみせる。
唇を微かに歪め、しかし、一方通行は言葉と裏腹に瞳を伏せる。
『暗闇の五月計画』 ―――― 絹旗の指す実験とはそのことであろう。
一方通行が罪悪感を抱く筋合いは無いが、それでもいい気分はしない。
自然と瞳を伏せていた一方通行の手を、柔らかい感触が包む。
「言っておきますけど……別に恨んじゃいませんからね?気にしないで欲しいんですけど」
「別に……恨まれる筋合いもねェし……どォでもいいことだ…」
「…………嘘つき」
一方通行の本音であり、強がりである。
低い体温の彼と比べずとも、熱を孕んだ柔らかな手。酔いのせいもあるかもしれない。
絹旗が身を起こして、一方通行の手をそっと包む。普段の彼女ではまずありえない行動だ。
一方通行はその手を払いのけることも、握り返すこともなく、ただジッと視線を落とす。
「想ちゃんと……想ちゃんだけじゃありません。このお仕事をしてると時々勘違いしちゃうんです。自分まで綺麗になってるような、そんな気になっちゃうんです。超錯覚なんですけどね。
錯覚だってわかってるんですけど……コレが超効いてしまったりするんです。もう、ボディらへんに」
「…………」
「今日凄く浮かれてたことも思い出しちゃって……何か色々まとめて来ちゃいました」
「ああ……」
散々手を汚してきて、何を都合の良いことを考えてるのだろうか。何を人並みに幸せになろうとしているのだろうか。
絹旗のたどたどしい言葉を繋げるとそんなところであろう。彼女の言おうとしていることは要約すればただのジレンマだ。
過去は過去と割り切って普段生活をしていても、不意に閉じた蓋がずれる時がある。
些細なきっかけ。ちょっとした揺れだったり接触だったり、本当につまらない小さなことだ。
それでも、蓋の下から覗くものは、浸っていた頃は気付かない破壊力と、同じくらいの虚脱感をもたらす。
今の自分が満たされていればいるほど、その乖離は心を抉る。
それだけ、この少女とも言える幼さの残る絹旗の本質は真っ直ぐなのだろう。
眩しいものを見るように一方通行は瞳を細める。
「超ゴメンさない……今日、すっごく楽しかったのに、こんなお話 ――― 」
「温ィこと言ってンじゃねェよモアイ」
「もあ、モアイ!?ちょ、超いきなり何言ってるんですか!!」
「なァにが手が綺麗なお手手が汚れちゃってるんです超およよよよ、だ」
「言ってませんから。あと超の使い方おかしいですから!!」
「ヘッ。なァにどっぷり闇に浸かってました可哀想な穢れた私(笑)なンて顔してるンですかァ~~モアイ先生。せいぜいテメェは泥溜りに滑って転ンでたくれェだろォが。
泥遊びは保育園だけにしておいてくれますかァ?」
「な、な、何気安くそんなこと……」
「俺はよォ、一万人の妹達を殺した……それだけじゃねェ… 俺は ――――― 五千人の妹達を救えなかった」
「!」
小さく息を呑む声。
重ねられた手に視線を落としたまま、一方通行は絹旗に視線を向けはしない。
代わりに、グラスに手を伸ばすと、一息にワインを飲む干す。
「そンな俺がのうのうとこうして生きてンだぜ?」
小さく一方通行が笑う。
少なくとも、唇は笑みの形にきゅぅっとカーブを描く。
泣いてるように見えたのは、既に相当眠気と酔いが回ってきているせいだろうかと、絹旗は微かに思う。
「お前程度の闇なンざ溺れる程のモンでもねェだろ。さっさと跨いで進ンじまえってンだよ。それが出来ねェンだったら絹旗先生は引退っつー事だな。引退理由は泥に超嵌ってしまいましたってか」
「………そんなの嫌です。先生辞めたくないです………私」
「カカカカ……わかってンじゃねェか……」
「きゃッ」
一方通行の手が絹旗の頭に乗せられる。
わしゃわしゃと子供にそうするように撫でる。
腕越しに、絹旗の目に一方通行の笑った口元が覗く。
「安心しろよ。救いようのねェ薄汚ェヤツだったら、俺もアイツも想を任せやしねェって」
「…………一方通行……」
「な?」
「……ハイ」
◇
完全に酔いと眠気に包まれて、絹旗はふわふわとした心地に包まれていた。
一方通行と何を語ったのか、正直なところ、曖昧にしか覚えていない。
酔った自分の記憶力や理性はあまりあてになら無い事を、絹旗はわかっているから。
ふわふわとした感覚に、不意に微かな重みが生じた。
ベッド?布団?柔らかな布に包まれる感覚。
良い匂いがする。甘いとか、そういうのではなく、ただ、漠然と良い匂い。自分はこの匂いが好きだ。
自然と、布を手繰り寄せる。
不意に、柔らかな感触がした。
少ししっとりとして、熱を帯びている自分には少しだけひんやりした感触。
一体何なのだろう。
「お前も、アイツも……十分綺麗なモンだ……」
誰の声だろうか。
そう思いながら、絹旗は残り少なかった意識を完全に手放した。
◇
『よっ、久しぶりの一人の夜はどぉよ?もしかして、誰か連れ込んで……それで、それで……
もぅ、イヤン。何言わせちゃうつもりなのよあーくんったらぁん』
受話器越しにも酒気と陽気が漂ってくるような声に、一方通行は眉を顰める。
酒に弱い癖に、酒が大好きなのは御坂家の遺伝子に組み込まれているのだろうか。
受話器を押さえて溜息を一つ吐くと、気を取り直す。
「御坂さァ~~ン?酔っ払ってますよォ?声が美鈴さンみてェになってンですけどォ~?」
『美鈴さんみたいっていうかねー………むしろ、美鈴さん?だったり?』
「ブホォッ!?」
御坂母、御坂遺伝子の頂点であり、数少ない頭の上がらない人間に一方通行は噴出す。
「アンタ何だよそのテンション。つーか、アイツはどォした」
『アイツゥゥ?』
「だから……み…美琴だァ…」
『やれやれ、名前呼びじゃないのね~~どうせ、お前とかオイなんて呼んでるんでしょ?』
図星過ぎて言葉が無い。
『―――― くん!』
何か反撃の糸口は無いかと一方通行が黙り込んでいると、受話器の向こうから聞きなれた声が微かに聞こえる。
「あ?今の……」
『ああ、ゴメンゴメン。この子全然寝てくれなくてね。あーくんとお話するって、さっきから足に引っ付いちゃって……あ、こらこら、よじ登らないの。今代わってあげるから。
ああ、ゴメン、じゃあ代わるから、今度はシロ君も遊びに来るのよ?』
「ああ、考えとく…」
『あーくん!』
相変わらずの、孫がいるとは思えないテンションにげんなりしている一方通行の耳朶を、舌足らずの甘い声が優しく打った。
自然と、一方通行の口元が微かに緩む。
「コラ、まだ寝てンのか?早く寝ろっていつも言ってンだろォが」
『あう…ゴメンなさい』
「まァ、起きてるモンはしゃァねェ。そっちはどォだ?あンま迷惑かけてンじゃねェぞ?」
『うん。あのね、あのね、今日ね、みすずちゃんとね、ゆうえんちにいってきたの~~それでね、それでね』
綿飴のように、ふわふわと甘い声が酷く心地よい。
絹旗に言った言葉を思い出す。本当に、我ながら笑ってしまうくらいの強がりだ。
それでも、格好を付けたかった。男のつまらぬ意地だと、自覚はしている。
何より、一方通行自身、どれだけ罪の意識に苛まれようと、背負っているものに押し潰されそうになろうとも決めているのだ。
この今自分の手の中にあるものを手放すまいと。
『それからね、わーすとのおねえちゃんがね、えっとね』
「ああ、わかったから、落ち着いて話せ。ちゃンと聞いてやるから…」
「一方通行って外車のイメージが超ありました」
マスカットグリーンのフィットの助手席に乗りながら絹旗は戸惑うように呟く。
フィットが嫌いというよりも、一方通行のイメージに合わないと純粋に感じていたからだ。
「前はエキシージに乗ってたンだけどな。ロータスの」
杖を助手席の絹旗に手渡すと、チョーカーのスイッチを入れる。
初期の妹達のバックアップを受けていた頃とは違う。充電をフルにすれば日常生活だけならば一週間は保つ優れものだ。
「っていうか、障害者用にカスタマイズしないんですか。アクセルとか手動なんでしょ?」
杖を受け取りながら、不思議そうな顔をする絹旗。
「前は充電器乗っけてた。乗るとコードブッ刺して充電しながら運転」
「超携帯じゃないですか」
「否定できねェな。ただアレだとコード繋ぎっぱなしだって忘れて立ち上がっちまうンだよ。で…」
「ピーンってなるわけですね。超把握しました」
まるでリードを繋がれた犬のようだ。
その様子を少し見てみたいと思ったが、口には出さない。
「ちなみに、冥土返しはロードスターに乗ってるぞ」
「嘘!?超似合いません!!」
あれでハードロックやヘヴィメタが好きだと知ったらどんな顔をするのだろうかと、好奇心に突き動かされそうになるが、一応は尊敬する数少ない人間だ。
わざわざ進んで名誉を傷付けることもあるまいと、一方通行はエンジンを噴かせた。
◇
「で、結局そのまま送ってもらって、ハイさよならってわけだ」
麦野沈利は呆れたと言わんばかりに露骨なため息を吐く。
クリームパスタの鮭をフォークで解しては上品に口に運ぶ。
麦野の頬が蕩けそうに緩む。
『鮭のクリームパスタ』と銘打っておきながら、『鮭のクリームソースがけパスタ添え』という方がしっくりとくる鮭ッぷりが麦野の琴線を擽るのだ。
「中学生のデートだってもうちょっと進んでるでしょうが……アンタお泊りまでしておいて」
「お泊りって言っても、超酔いつぶれちゃったわけで……」
「手を出してくれないかにゃーん?なんて思ってたりしなかったわけ?」
「そりゃ……ちょっとくらいは……」
絹旗とてもう21だ。男の部屋に泊まりこむ以上、『覚悟』は出来ている。
というか、ぶっちゃけ勝負下着だって用意してある。
しかし、結果は惨敗。酔いつぶれたとは言い訳に過ぎない。
要は自分に負けたのだ。
「で、結局朝までスヨスヨピーってかぁ?」
「もう…そりゃ寝覚め爽快でしたよ。ガッツリ熟睡でしたから」
前日緊張してあまり寝られなかった分余計に。
「アンタよっぽど女として見られてないか…もしくはあのモヤシが不能……はねぇな。あんだけヤリチンなんだから」
「正直ちょっと自信無くしました…」
本格的に落ち込み始めた絹旗の様子に麦野は慌てる。
プリプリ怒るかと思っていただけに、ガチへこみは後味が悪い。
「ちょ、ちょっと何沈んでるのよ。別にアンタに魅力が無いとは限らないでしょ?」
「じゃあ、ヤリたい盛りの男が女と二人きりで何もしてこないっていうことに超納得の行く説明をお願いします」
どんよりとした空気を纏わせたまま、じとっと湿気たっぷりの視線を向けてくる絹旗に引きつつも、唇に指を当てて年不相応に、「んー」と可愛らしく考えこむ麦野。
経験豊富なお姉さんキャラで見られているが、実際の恋愛経験など無きに等しいのが悲しいところだ。
さぁ、言え!と言われてそうホイホイ気の利いた答えなんぞ出てくるはずもない。
それでも妹分の手前、意地がある。
ちっぽけなプライドと置き換えても良いし、耳年魔の見栄と言ってしまえばそれまでなのだが、とにかくそんなチンケなものを支えに麦野は思考する。
恋愛経験はなくとも、ストーカー経験は豊富な20[ピー]歳の麦野はやがて、一つの解法を導き出す。
「本命の御坂に操を立ててるとか?」
「ぐっはぁぁぁぁーーー!!!超グサって来たーー!!!!」
椅子から転げ落ちるのではないかという勢いで仰け反る絹旗に、ビクッとする麦野。
からかい半分の言葉が予想外に絹旗hダメージを受けたようである。
心当たりが相当あるらしい。一体普段どんなんなんだあの白アスパラは、と胸倉を掴んで問い詰めたい気分になる。
麦野が知るのは、あくまでも又聞きの噂に過ぎない。
曰く。
『学園都市第一位は、節操の無さでも第一位らしい』
『女と別れ話をしている途中に、他の女が遊びに来て修羅場』
『結局は修羅場を収めて美味しく両方いただきました』
等といった悪い噂にはキリが無い。
実際のところ、その噂は七割は正解で残りはデマの類なのだがそれを麦野が判断する術はない。
「ま、まぁでも単純に酒臭い女には勃たないだけなのかもしれないじゃない?無駄に繊細そうだし」
「範疇外とか超絶望的じゃないですか~~~~!!!にゃぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!」
「止めて!!ヘッドドラムは止めて!!此処私常連なの!!で、でもさ、アンタが覚えていないだけで、本当は何かされてたかもしれないわよ」
その言葉に、ヘッドドラムの演奏を中断して、顔を上げる絹旗。
「何かって……」
「本当に何も覚えてないの?」
そういわれても、昨夜の絹旗の記憶はふわふわとした浮遊感で締められている。
ぽすんと柔らかい布に沈む感触、あれはおそらくベッドだろう。
朝目が覚めると一方通行のベッドで眠っていた。麦野に借りたカーディガンはガンガーにかけられていた。
脱いだ記憶がどうにも絹旗にはない。
酔いつぶれた絹旗が寝やすいようにと一方通行が脱がしたのだろう。
不意に見せた肩チラにドキッ作戦は完全な不発に終わったのだ。
気分は完全なる敗残兵。折角購入したスケスケのエグイ勝負下着さン達もさぞや御立腹であろう。
しかし、一つだけ彼女は気になっていることがあった。
記憶の最後に残っている柔らかくて、少しがさがさとした感触。
自分の体温よりもずっと低い、ひやりとすらした温もり。
あれは、まるで。
「どうしたの?リップクリームなら新品あるけど、あげよっか?」
「え、ええ?どうしたんですか急に?」
「だって、アンタさっきからずっと唇触ってるじゃない。かさついてるのかって思ったんだけど。違った?」
絹旗の指は、自然と唇に触れていた。
◇
絹旗を送り終えてから、一方通行はマンションのエントランスで煙草を燻らしていた。
目の下には、色白な肌のせいか、うっすらと隈が目立つ。
一晩中理性と戦った男の勲章だと、言って果たしてどれ程の理解が得られるだろうか。
もっとも、一方通行はそんな共感など求めてはいないのだが。
論文を早々に書き上げ時刻はもうすぐ昼にさしかかろうとしている。
普段であれば昼のメニューをあれこれと考える一方通行であるが、美琴も想も夕方にならなければ帰ってこない。
自分一人となると、普段あれほど生き生きと取り掛かっている食事の用意に一向に手が伸びない。
カップ麺を作ることさえ億劫だった。
そして、手持ち無沙汰のままエントランスでぼんやりと煙草を吹かす現状に至る。
「あれ?一方通行?」
暇を持て余している一方通行に声をかけたのは、どうにも冴えない三下顔の青年。
細面というよりも、ただ長い顔に、一重の小さな目。
7シリーズ続いたボクシング映画の主人公もかくもやというほどにぐにゃりとひしゃげた低い鼻。
歯並びの悪さが垣間見える口元。
散々繰り返した脱色と染色のせいで痛みに痛み抜いたしょぼくれた髪の毛。
何処に出しても恥ずかしくない脇役面の三下臭。
その姿を示すその名は ――― 馬面もとい、浜面であった」
「酷い!!モノローグに見せかけた巧妙な俺虐め!!」
「馬面くンじゃないですかァ」
「浜面です!!は・ま・づ・ら!!炎の男、浜面仕上だから」
軽く片手を上げ、初対面の頃が嘘のようなフランクな挨拶をかます学園都市第一位、元最強の暴君にして現役保父さんの白い青年。
吐いた暴言など、暴言の内にも入らぬ。
というか、浜面への罵倒の中で、暴言に当てはまるのってあるの?とばかりの気にも留めない様子に、身体中の力が抜けて行く浜面仕上。
それでも手に持った買い物袋を落とさぬように細心の注意を払う辺り、なんとも所帯じみている。
やる気の無さを示すように紫煙を口からぷかぁ~と上らせる一方通行に、気を取り直した浜面は不思議な顔をする。
「お前こんなところで何やってるわけ?」
「煙草吸ってンだよ。見てわかンねェのかァ?眼科行きますかァ?」
「あら、嫌だこの子ったら。的確に人の心傷付けてくるんですけどぉぉぉぉ!!」
据え置きの灰皿に半分まで吸った煙草を捻り込むと、一方通行は新しい煙草を咥える。
半分のところで圧し折られた煙草を、悼むように、惜しむように見つめる浜面に、怪訝な顔を浮かべる。
「何だよ、キメェ顔してよ」
「キモくありません!!いや、勿体ねぇ吸い方しやがるなって思ってさ……」
浜面も懐から煙草を取り出す。
如何にもな100円ライターを取り出し火を点ける。
愛おしそうに、慈しむように、実に上手そうに吸う横顔を無感慨に眺める。
「お前セブンスターじゃなかったか?マイルドセブンでもいいのか」
「理后がな……」
「ああ…」
セブンスター440円。
マイルドセブン410円。
脳裏に一瞬にして浮かぶ金額表。
短い言葉だが、それだけで納得してしまう一方通行。
目の前の男が、財布の紐をガッチリと女房に握られていることは有名な話だ。
財布の紐を握られているだけならば珍しくはないが、買う煙草の銘柄まで指示されているのは珍しいかもしれない。
もっとも、一方通行にはそれを律儀に守る忠犬ハチ公っぷりの方が驚きであるのだが。
「ハチ公ならぬハマ公だなァ…」
「何?」
「何でもねェよ」
ピンクのジャージを常備し、頭の中身までふよふよほよほよとしているようで、中々の良妻ぶりを見せ付ける浜面理后(旧姓:滝壺)。
お菓子作りの仲間でもあり、茶飲み友達でもある一方通行は彼女の言葉を思いだす。
『いきなり煙草止めてって言ってもしあげは辛いと思うし、長続きしないの。だから、少しだけ我慢してもらうの。一つ一つのことに、ちょっと我慢できればずっと我慢できるから』
一週間の出費を400円削る為に煙草を止めさせるのではなく、少しずつ削っていくのだ。
一つ一つに小さな我慢を課すことで、大きな我慢を無くす。滝壺はそうやって夫の生活水準を僅かずつ切り詰めていったのだ。
服は古着が増え、愛妻弁当の頻度が増す代わりに外食を禁ずる。煙草は予め安い銘柄を買っておく。
上手いやり方だと、しみじみと思う。少なくとも妻と息子命のこの男には効果は抜群だろう。
「で、お前が何してンだ?いつもは仕事だろォが。クビになったのか?」
「いや普通にお休みだし」
「それにしちゃ一人で買い物かよ」
「理后はスギモトさんと温泉旅行に行っちまってるし、ウチの坊主は半蔵のとこに遊びに行ってるし……」
「ああ、そォいや誘われてたなアイツも」
指に挟んだ煙草の灰を灰皿に落としながら思い出したかのように気の無い声を上げる。
エネルギー源でもある妻と息子の不在に肩を落としていた浜面だったが、ふと思い立ったかのような顔をする。
「そういや、一方通行昼まだ?」
「そォいや食ってねェなァ」
「じゃあ、俺ん家で一緒に食おうぜ」
一人の昼飯は侘しい。そんな思いが浜面からは見て取れる。悪い言い方をすればいつだって周囲に人がいる状況で食事をすることに慣れていた浜面。
いきなり一人ぼっちの食事は、彼の孤独感を色々と引き立てる。
世間一般では、妻が旅行に行ってる間の夫というのは開放感に包まれているものだが、浜面宅ではそうではないらしい。
そして、一人で料理をするのも食事をするのも味気ないという点において、それは他人事のようにブラックデビルを咥えている一方通行にも共通する。
他人が作った料理を食べるというのは、最近の自分の生活ではあまり無いことだ。それも悪くないかと、結論付けると、一方通行は頷いた。
「それにしてもお前眠そうだな。何かあったのか?」
「……気にすンな……年下のガキに振り回されるのには慣れてる……」
テメェがもう少し男に対する警戒心を教えておけばこうならなかったンだよ、とは一方通行は口が裂けても言えなかった。
慣れた手付きでざく切りにしたキャベツ、モヤシ、タマネギ、ピーマンをフライパンに放り込み手首のスナップを利かせて炒めていく。
薄っすらと額に汗を浮かべ、最近少し伸びてきた髪をタオルをバンダナ代わりにして、リズミカルに具材をかき混ぜながら浜面は鼻歌を歌う。
麺を投入し、ビールのプルタブを開けると麺が解れる程度に注いでやる。
具と麺が混ざるように勢い良く、けれども具が零れてしまわないように注意を払いながらかき混ぜていく。
ソースを絡めて、万遍無く麺にソースが絡むのようにスナップを利かせていく。焼きそばをきっちりと作ろうと思うとどうしても結構な力を作業に要する。
火を弱めて、息を吐くと先ほどプルタブを開けたビールをくぴりと一口飲む。
昼間からのビールとはそれだけで贅沢な気分になれる。普段ではまずあり得ない時間帯に酒を飲む、その事への誰に対してなのかわからぬ罪悪感が少々。
それが贅沢をしているような気持ちに拍車をかけるのだ。
二人分にしても随分と作りすぎてしまった。もし余ったら晩飯にすれば良いだけだからそれも良いだろう。
浜面は大皿に盛ると、リビングに向かう。
丁度一方通行が自分の部屋から戻ってきたらしく、彼もまた持参した皿をテーブルに乗せていた。
焼きそばの皿を乗せると、細かな傷が目に付く。ウォールナットのテーブルは使い込まれた年月を感じさせる。
そろそろ新しいのを買い換えようと申し出ても頑として譲らない。
家族の思い出が染み付いたテーブルは妻のお気に入りの一つだ。
薄っすらと残るマジックの跡は、幼い息子が落書きをしたのを、必死の思いで消した跡である。
それすらも妻にとっては大切な思い出の一つであり、愛妻家の浜面はそんな少女のような妻を可愛らしいと思う。
「焼きそばにビールか。悪くねェチョイスじゃねェか」
既に並べてあった四本の缶ビールに小さく口笛を吹くと、一方通行は浜面の対面、カーペットに直に座る。
浜面の鼻腔を一方通行の用意した料理から立ち上る芳ばしい香りが擽る。
「何作ってきたんだ?」
「ピラフ。昨日夕飯に作ったスズキが結構余ってたからな」
ワインばかり飲んで早々に酔いつぶれた絹旗のせいで、多目に作っておいたスズキが余ってしまった。
最もそれはわざわざ話すことでもないと、一方通行は結論だけを口にする。
ほこほことした湯気と食欲を煽る匂いに唾を呑み込む。
焼きそばとピラフという組み合わせに若干奇妙な感じもするが、チャーハンみたいなものだと思えば問題は無い。
相変わらず横文字系の料理ばかり作るなと、浜面は半ば憧憬の念を視線に込める。
「お洒落だな~~俺は焼きそばとかラーメンとかチャーハンとか、そんなんばっかりだぜ」
横文字の料理と言えば、ハンバーグやオムレツ、カレーといった子供も大好きな定番料理ばかりだ。
理后は基本的に和食が多いし、浜面は基本男の手料理の見本のようなものしか作れない。
ざく切りにした野菜を油で炒めるというのが浜面にとっての料理のすべてであり、一人暮らしの大学生の自炊レベルと言ってしまえばそこまでである。
ゆえに、浜面家の食卓に洋食は縁遠い。
「ぶっちゃけた話をすりゃ中華みてェなのは腕が疲れるンだよ。家庭のキッチンじゃ火力も足りねェ、中華鍋は万能だが、使いこなすことが出来るのが前提だしな」
ちらりと浜面は一方通行の細腕に視線を落とす。
確かに、轟々と勢い良く炎を上げるキッチンで中華鍋を振るう一方通行の姿は想像しづらい。
「一方通行はキリンで良かったよな?」
「おォ」
琥珀色の液体をグラスに注いでやると、浜面は飲みかけの缶を手に、軽く掲げる。
一方通行は浜面に注がれたグラスを軽く缶に当ててやる。無言でビールを飲む音がリビングに広がる。
冷たいビールが喉を滑り落ちていく感触に朝から何も食べていなかったことをようやく一方通行は思い出す。
空っぽの胃には、ビールの冷たさが突き刺さるようで、それがまた心地良い。
焼きそばを小皿に取り分ける。
「青海苔使うか?」
「刻み海苔があるンならそっちくれ。あと紅しょうが」
「ほらよ」
浜面は大口を開けてピラフを搔きこむ。
お世辞にも上品な食べ方とは言えないが、美味いと感じているのは伝わってくる。
一口一口食べて、感想を述べてくれる美琴や想とは違って、色気もそっけもない食べ方だが、如何にも美味そうに食べてもらえるのは作った方としても気分が良い。
「……こういう料理は美味ェなお前」
焼きそばを啜ると、若干羨ましそうに呟く。
「ビールがポイントだな。味が何ていうか香ばしくなる」
「確かに。ガキが喜びそうだな」
「お前も想ちゃんに作ってやればいいのに」
一方通行が作るのであれば、ソースにも食材にも麺にさえも、自分より遥かに拘った美味いものが作れそうだ。
「こォいうのはあんまり上手くねェンだよ。どっちかっていうと目分量で作れる奴のが美味いモンが作れンだ。俺とかアイツはダメだな。きっちり分量がわかってねェと失敗するクチだ」
ぐびりとビールを飲みながら、瞳を細める。
空いてしまった缶を握りつぶしながら、そうかもしれないと浜面は納得する。
塩一つまみとか、醤油少々とか書かれると本気で考え込みそうだこの男は。根が生真面目だからだろうか。
「カレーもそォだな。こっちは分量キッチリ量って、時間にも正確に作ったってのによ、思いつきでハチミツやらミルクなんざぶち込ンだ奴の方が美味かったりするンだよ。
野菜の切り方は雑だ、溶け残りもあるは、その癖妙に味付けだけはハマッたモン作るンだよな」
「それって誰の事言ってるんだ?」
素朴な疑問をクチにするが、一方通行は「さァな」と言って取り合わない。
(そォいや、アイツ等ちゃンと飯食って来るのか?)
今の時間帯だと、バスに学園都市行きのバスに乗った時間だろう。
スナック菓子と惣菜パンで済ませてはいないだろうな、という不安にも似た思いが胸に沸く。
◇
膝に頭を乗せ、可愛らしい寝息を立てている愛娘に美琴は柔らかい視線を落とす。
長い睫が、俯いた美琴の白い頬に影となって降りる。
健康的な肌と、淡い睫の作る影のコントラストが、22歳という年齢以上の色気を醸し出す。
それは、扇情的であるとか、造詣が美しく艶かしいという形容詞で括られる美しさではない。
美琴自身が美しいのではなく、幼く無垢な寝顔を浮かべる想と、少女を膝枕して、髪をゆっくりと撫でる美琴の二人が揃っているその光景そのものが美しいのだ。
絵画の一枚のような、宗教画を前にして誰しもが抱くような安心感と何処か泣きたくなるような優しさを秘めた美しさである。
世の母親とは皆こういうものなのだろうか。番外個体は隣りの座席から美琴の横顔を盗み見る。
彼女には母親は居ない。遺伝子上では御坂美鈴であるのが、実感が伴わない。
美琴とは反対側、自分の隣で、自分の肩に頭を預けて眠る打ち止めに目を向ける。
だらしない、無防備な寝顔は想にそっくりだ。いや、想がそっくりなのだろう。
遺伝子の上で言えば、番外個体も打ち止めも想の母親という事になる。
そんな経験などないというのに母親というのは何ともややこしい。
打ち止めのように幼い頃に接することが出来ていれば或いは、無邪気に「お母さん」と呼べるようになっていたのかもしれない。
(ま、お母さんなんて甘えるミサカなんて想像するだけでゾッとするんだけどさ)
唇を微かに歪める。
震動でずり落ちそうになる打ち止めの頭をさりげなく支え直してやる。
こういうさり気無い気遣いが出来るようになった自分自身が何故か可笑しさを覚える。
負の感情しか受け取らないという処置を受けていたのは過去の話。
この数年間で繰り返された治療のおかげで常人と殆ど変わらぬようになっている。
それにも関わらず一方通行への口調のキツさはそもそもそういう性格なのかもしれない。
遺伝子元が遺伝子元なのだから、無理も無いのかもしれない。
現にあれほど素直であった打ち止めは、クチを開けば『ウザイ』『寄るな』『大嫌い』という単語の数々を一方通行に浴びせる。
それに膝を屈する程の衝撃を受けていた一方通行の姿は未だにMNWに保存され、年に一回行われる『ミサカ達が選ぶ名場面、珍場面特集』では必ずベスト20にランクインされ、上映される。
その度に番外個体は腹を抱えて笑い転げる。
最も、最近では番外個体の毒舌も打ち止めの暴言も『反抗期』というカテゴリーで一括りにして受け流す術を身に付けてしまったようだが。
(何一人だけ大人になりましたって面してるんだよ、クソ野郎。ミサカすっごく面白くないんだけど)
本当の不機嫌の理由は他にある。打ち止めの暴言にしても単なる思春期ではない。
要は面白くないのだ。
散々自分達にすべてを捧げるように、自分達だけを見ていた男の手が、いつの間にか他にも守るべき者を抱えていることに。
自分達を変わらず大切に思ってくれているのはわかる。しかし、男の優先順位に明らかな変動がもたらされていることもわかる。
オンリーワン、特等席。自分達の優越感すら抱いていた場所は何時しか自分達だけのものではなくなっていた。
同率順位が増えただけではなく、明らかに男の中の最優先順位が替わっているのだ。
「子供ってホント、玩具の犬とかお猿さん思い出すわね」
「は?」
愛しげに想の髪を撫でていた美琴の突然の呟きに番外個体は間の抜けた声を上げる。
突然何を言い出すのだろうかという怪訝な表情を気にも留めず、美琴は想の綺麗に揃えられた前髪を指先で弄ぶ。
「子供の頃遊んでたんだけどさ。よちよち歩く電池で動く縫いぐるみとか、シンバル叩くお猿さんとか。可愛い動きするんだけど、電池が無くなるとぴたりって止まるの。
子供も一緒だね。遊んで笑って走って、それで電池が切れたらぱたんって眠って」
「単純な構造だね~ぎゃはは」
「うん。単純だわホント。でも羨ましい。何でもそうやってシンプルに生きられるって、凄く綺麗なことだもの」
「お姉さま?」
窓の外に視線を移す。
何を考えているのか、その横顔から番外個体は計ることが出来ない。
「里帰りする度に何だかヘコむわ。罪悪感って未だに拭えないもの」
里帰りをする度に、美琴は自分の両親だけではなく、上条当麻の両親にも会う。
家がお隣同士だからというわけではない。今は亡き自分の息子の恋人だった少女に彼らもまた会いたいのだ。
息子の思い出を共有するものとして。
「騙してるわけじゃないんだけどさ」
想の髪を擽る。
彼らは知らない、美琴が連れてくる少女が自分達の孫であることを。
知らされていないし、仮に知ったとしてもすぐに土御門等の手によってその記憶は消される。
上条当麻に関する名残、痕跡はあってはならないのだ。
故に、彼らは想を見て「ママに似て可愛らしいお嬢ちゃんだね」と言って頭をなでる。
娘が欲しかったという詩菜に至っては、猫可愛がりだ。
未だに深窓の令嬢を髣髴とさせる、信じがたい若々しさを誇る詩菜と、彼女に懐く想。
その光景は微笑ましくも悲しい。美琴はいつ目にしても泣きたくなる。
「いいじゃん。無理にお姉さまが気に病むことってないんじゃね?」
美琴の膝の上で、無邪気に寝息を立てる少女に目を向ける。
その泰平楽な寝顔にデコピンの一発でも食らわせてやりたくなる。
すれば確実に一方通行がキレるだろうが。
番外個体も、打ち止めもこの少女がに対して複雑な思いを抱いている。嫌いなわけでは決して無い。
ただ、呑気に好きだとも断言できない。
自分達の場所を奪った張本人だから。
「あのウニ頭が全部やらかしたことなんだしさ。それに……」
「それに?」
「それくらいの代価は払ってくれなきゃミサカ達納得しないよ」
美琴は言葉に詰まる。
然程人の感情に敏感ではない美琴にも番外個体の言葉の意味が伝わったからだ。
それは美琴が妹達に対して抱いている罪悪感を刺激する言葉だった。
妹達が憧れていた男の子供を産み、更に、それとは別の妹達が恋い慕っていた男を事実上独占しているのだ。
最も、そうは思っていても妹達はそれを直接美琴には伝えない。心の中にしまいこんで置く。
妹達の多くが美琴を姉として慕っているからだ。
自分が生まれてきた事を喜びに思い、そのきっかけを与えてくれた美琴を姉以上に母のように思っている者もいる。
しかし、多くであって、全てではない。
妹達の負の感情を集めるように生み出された番外個体はそれを良く知っている。
当然の話だ。1万人の妹達が全員同じ人物に同じ感情を抱くわけがない。
個性が分化されるに従って、それは顕著になる。一方通行を強く憎む個体がある一方で、上条当麻を何とも思わぬ個体もいる。
美琴を崇拝にも似た眼差しで見る妹もいれば、ひたすら嫌悪を抱く妹もいる。それが個性というものだ。
故に、打ち止めもそのことを悲しく思いはすれども、矯正しようとはしなかった。
何より、一方通行と冥土返しがそれを止めた。
毎日死ぬ事ばかり考えている個体もいた。生まれてきた事をひたすら苦痛にしか思えない個体もいる。
無垢な少女が騙されてしまっただけとわかっていてもこの世に生まれてしまう切欠を与えた女だと恨む個体もいる。
それなのに、一人だけ学校生活を楽しみ、友人と笑い合い、恋に浮かれ、表の世界で光を浴びてひまわりのように明るく生きる少女を憎む個体もいる。
それは全体数から考えれば一、二割程度でしかない。しかし、その一、二割を十全のものとして生を授かったのが番外個体のだ。
故に、彼女は御坂美琴を、他の妹のように慕いもしなければ賛美もしない。
「アンタ…相変わらず当たりキツイわね~」
「そういう仕様なんで~す」
それでも、美琴の表情に番外個体への反発や怒りは存在しない。
寧ろ、対等な女友達のようにはっきりと口にしてくれる事への好意すら垣間見える。
好意に対して免疫が薄い番外個体は困ったように視線を美琴から逸らす。
「あんまり辛いんだったらあのモヤシ野郎にでも甘えたらどうなのかにゃ~ん」
「あ、甘えるって、別に私とアイツはそいうのじゃないっての」
「じゃあ、どういうのなのさ~」
「どうって……う~ん…」
今更言葉にしろと言われても美琴は上手くそれを伝えられない。
極自然に触れ合っているから、今更それをきちんと説明しろと言われても言葉に窮する。
それでも、純然たる友情のみではないのだろう。
美琴にははっきりとは表れてこそいないものの、確かな好意が存在する。それが微かに頬を染めるという形になって表れる。
「今更上手く説明できないや。でも……アイツには感謝しているし……それに大切だと思ってるわよ、多分」
「へぇ~~……」
自分の感情の測り方を毛ほども知らない少女のようにはにかむ美琴に番外個体は内心舌打ちをする。
美琴が忌々しいのではない。
その美琴の素直さが羨ましく思えた。彼女と自分との落差に苦い気持ちになったのだ。
彼女とて憎まれ口は出るが、自分のように憎たらしいというほどではない。
それは少女じみた幼稚さと紙一重の愛らしさですらある。
番外個体には、少なくとも彼女の意識としては、備わっていない魅力だ。同じはずなのに。
そこが一方通行を引き寄せているのだろうか。
そう思うと、唇を噛み切るほど噛み締めたくなる。
番外個体は、想の寝顔を見る。
うにゅうにゅと口をもごもごとさせると、少女は美琴の膝の上で微かに身動ぎした。
940 : ◆d85emWeMgI - 2011/03/10 21:43:54.48 URvLCU7D0 221/791以上です。続いて、番外編です。
娘っ子の髪型が話題になっていたので。
一日かけて煮込んだシチューの出来に一方通行は満足げに頷く。
分厚い牛肉はゆっくり長い時間かけたために、分厚いがスプーンで少し押してやるだけでスジ状に解れていく。
普段であれば、薄い牛肉を用いるのであるが久しぶりにガッツリと肉を食べたいという思いつきに駆られた為に奮発した。
実家から美味しいジャガイモが送られてきたといって知り合いからお裾分けをもらったのも理由の一つだ。
想も美琴も朝から揃って出かけており、一人の時間を持て余していたのも理由だ。というか、それが一番の理由なのかもしれない。
時計を見れば夕方と言える時刻。昼食を摂るのも忘れて、料理に没頭していたようだ。
昼過ぎにはお隣から物音がしたことから見て、二人とも帰ってきているのだろう。
ただ、普段であれば帰宅すればすぐにコチラの部屋にやってくる御坂母娘がそろって来ないことが一方通行には少し不思議だった。
決して寂しいわけではない。
「別に、一人は一人で気が楽だしよォ……」
誰に対しての言い訳なのかわからぬ独り言を呟く。
圧力鍋のシチューの量は一人ではとても片付けきれない量が作られている。
「……ったく、天下の悪党が随分と腑抜けになったモンだ」
知らず知らず大人数分の料理を作ることが当たり前になっている自分自身に呆れるが、不思議と悪い気がしない。
三人でも多過ぎれば打ち止めや番外個体、佐天や絹旗を呼んで皆で食べるのも悪くないかもしれない。
佐天にはバイト先からまたパンをもらってきてもらわなければならない。彼女のバイトするパン屋のパンは一方通行のお気に入りの一つだ。
下の浜面一家にもお裾分けするのも良いかもしれない。この前理后には肉じゃがをお裾分けしてもらった借りもある。
打ち止めは最近やたらとダイエットを気にしてるから牛肉たっぷりのシチューに難色を示すだろうか。
『こんなカロリーの高いモノを無遠慮に勧めるだなんて信じられない!!ってミサカはミサカは貴方の女心のわかってなさに呆れてみる』
そんなセリフが出たのは、家を留守にする黄泉川に頼まれて食事を作りに行った時だっただろうか。
打ち止めの好きな煮込みハンバーグと、半卵とベーコンたっぷりのサラダを作ってあげたのだが、その対価としてもらったのが上記のセリフであった。
『ああ、無駄無駄。コイツの昔と変わらぬモヤシ体型見ればわかるじゃんか。
自分が太らないからカロリーとかそんな計算なんて全っ然気にしやがらねぇんだもん。
ムカつくことにさ』
珍しく夜遊びもせずに早く帰宅した番外個体も馬鹿にしたような顔で辛辣なセリフを吐く。
こめかみにピキリと来るものがあったのは確かだ。
落ち着いて考えてみれば確かに年頃の少女達に振舞ってやるにしては少々高カロリーだったかもしれない。
せめて魚をメインにするとか、野菜をもっとふんだんに使った料理にしてやるべきだったのかもしれない。
「クソガキ共が勝手なことをほざいてンじゃねェぞ………まァ、ちィとばかり気遣いは足らなかったかもなァ……」
うろたえたのは打ち止めと番外個体である。
てっきり「じゃあ食うンじゃねェクソガキ共!!」などと言うセリフが飛んでくることを想定していただけに、
考え込み始めた一方通行の反応が予想外だったのだ。
『馬鹿のマジヘコミ顔とか超ウケるんですけどぉ~~ぎゃははははは~~!!は、はは…………で、でも折角だから食べてやらねーことも無いかなって………
うん、腹減ってるし~第一位の料理とか腹壊しそうで怖いけど、無いよりはマシだしね』
『勝手に黄泉川が頼んだだけで、べ、別に作ってくれなんてミサカは頼んだ覚えなんてコレぽちも無いんだけどね。でも、お料理無駄にするのはいけないことだし。
あ、言っておくけどね、それで恩とか着せられたら、その、め、迷惑なんだからってミサカはミサカは保護者面したがる貴方に釘を刺してみたり!』
結局そう言って、彼女達は綺麗に残さず平らげてしまった。
口が悪いが、性根の優しさの変わっていない事に一方通行は胸を撫で下ろしたものだ。
尚、余談であるが、その翌日、ヘルスメーターのメモリを見て打ち止めと番外個体が悲鳴を上げたのを一方通行は知らない。
作りすぎたシチューはとりあえず三人の夕食に当てようと思い、一方通行は美琴の部屋に向かう。
サンダルを突っ掛けて、隣の部屋のインターフォンを鳴らす。
以前、これを鳴らさずに開けてしまい、お風呂上りの美琴の姿を見てしまったことがあった。
その日はお互い気まずくて、暫く目を合わせる事が出来なかった。
その教訓を生かし、インターフォンに指をかけようとしたところで、タイミングよくドアが開く。
「おわッ」
「一方通行ァァ……」
勢い良く開けられたドアにぶつかりそうになりながら、咄嗟に後ろに下がる一方通行。
出てきたのは、母親を連想させるようなシャツに黒いパンツルックの美琴。
彼女は一方通行の顔を見るなりホッとしたように眉を下げる。
「丁度良いタイミングじゃねェか。お前ら飯まだだろォ」
「それどころじゃないのよぉぉ」
情けない声をあげる美琴に一方通行の眉が不審に寄せられる。そういえば、彼女の娘の姿が見当たらない。
普段であれば、レーダーでも付いているように、美琴よりも先に一方通行を出迎えるのは彼女の、想の役目だ。
美琴の様子に異変を察知した一方通行の顔が鋭くなる。
「想に何があった?」
張り詰めた空気の中、美琴がゆっくりと頷く。
鼓動が早くなる。
一方通行の背筋を冷たい汗が滑り落ちる。
美琴の瞳に薄っすらと涙の膜が張っていることが、事態が急を要するのだという事を彼にひしひしと伝えてくる。
如何なる事態に直面しようとも、冷静さを失うまいと覚悟を決め、美琴の肩に手を軽く乗せるとリビングに足を運ぶ。
リビングに一歩足を踏み入れると同時に、視界に捉えたものに、一方通行の瞳が僅かに見開かれる。
「コレは……ッ」
「………」
小さな毛布の塊が、ちょこんとリビングの隅に鎮座していた。
「何があった?」
強烈な既視感に襲われながら、ゆっくりと美琴を振り返る。
セリフこそ同じものの、声に滲む緊張感はすっかり消え去っていた。
美琴は涙目で一方通行の袖を握る。
「あの妖怪チビ毛布にスッゲェ~~見覚えあるンだけどよォ…」
「そのね、ずっとあの調子で……」
「何でだよ?」
「そ、その……」
口ごもりながら、視線をそっと逸らす美琴。
言い出しづらいことを抱えている時の彼女の癖だ。
そこで既に、一方通行は元凶がこの目の前の駄母(ダボ)だと察する。微かに痛むこめかみを指で押さえながら、リビングを見回すと、あるものが目に付いた。
遠足に使うビニルシートと、そこに散らばるシャンパンゴールドの髪。
「………うン……まァ、大体把握したけど、一応聞いておく」
「えっと……」
「切ったのか…?」
「………」
呆れた視線を美琴に向けると、袖を指で摘んだまま、子供のようにぷいっと顔を背ける。
イラッと来たのは一方通行だ。
涙目で人に頼ってきておいてこの野郎という気持ちが湧き上がっても仕方があるまい。
「んに゛ゃッ」
美琴の頬を掴むと、強引に自分の顔に向けさせる。
「切ったンですかァ?美琴ちゃァン?」
顔はこれ以上なく、気持ち悪いくらいににこやかに。
しかし、搾り出される声には一切の弁解も誤魔化しも許さないという意思が滲んでいる。
息が触れる位置に顔を引き寄せられた美琴は、小さく「はい…」と応えることしか出来なかった。
「ッたく…」
掴んでいた頬を解放してやると、疲れきったように溜息を吐く。
頭が良い癖に馬鹿というか、未来をきっちりと見据えているくせに向こう見ずというか、頭をがしがしと搔く。
基本骨子は中学生の頃と替わっていない一児の母に、この数年で一体何度溜息を吐いただろうか。
「……んとね…」
しょんぼりとしたまま美琴は一方通行の袖を摘んだままぽつりと話し始める。
「よくあるじゃない。『8歳まではお母さんが床屋さん』っていうの。それにずっと憧れててね…それで、今日シザー買ってきてね…」
「お前は本当に形から入る奴だよな」
「それでいざ切ろうってなって…勿論、素人だからちょっと長さを揃えてあげようかなって、その程度のつもりだったのよ?前髪長くなってきてたみたいだし、目悪くなっちゃうでしょ?
そうしたらさ、髪の毛がくっ付いちゃって。ホラ、私静電気とか持ってるじゃない?それで、予想外に…その……ザックリ……」
「美ィィィ琴ちゃァァァァンン?テメェ自分が不器っちょだっていう自覚は無いンですかァァ?」
「あうっ、あうっ、あうっ」
小刻みに、連続してチョップを叩き込む。額を押さえて、美琴は涙目でしょんぼりと項垂れる。
年齢以上に幼い表情は、研究室での彼女の姿しか知らない学生が見たらさぞや目を剥くだろう。
勿論美琴に悪気など一切無い。それは一方通行にも十分にわかっている。
普段忙しい分、余計に張り切って母親らしいことをしてやりたいだけなのだ。それがわかっているだけに、美琴を本気で怒ることも一方通行にはできない。
一方通行は、髪を切られた時の情景がすぐに目に浮かぶ。
不吉さを運ぶようなジャキンという音と共に、想は目の前に落ちた自身のもの“だった”髪をわけもわからず見つめた。
次に、答えを求めるように見上げた母親の顔色の変わったその表情に、その“わけのわからなさ”が『不安』に変わった。
そして、鏡の中に映る見慣れない自分の姿に、不安が破裂した。
泣き喚いた挙句、毛布に包まり、想はリビングにでんと座り込んだ。
それが三時間前のことである。
「そ、想ちゃ~ん、ゴメンね、ねぇ、出てきてママに顔を見せて~~ほぉ~ら、ラビ太郎くんも出てきて~~って言ってるよ?」
必死に想を毛布から引っぺがそうと試みる美琴に、想は涙で濡れた顔をぴこりと覗かせると、たった二言だけ発した。
「ママ、きらい!!」
美琴は言葉って凄いなと、何処かで感心すらした。
だって、たった二つの言葉で、人間とはこうも的確に臓腑を抉られるものなのだから。
「あーくん、想ちゃんが、想ちゃんがママ嫌いって言っでだのぉ~~……」
「お前まで泣いてンじゃねェ!!」
わしゃわしゃと美琴の頭を撫でる。
「まァ、とりあえずあのチビ毛布をどォにかしねェとな……」
「出来るの?」
「俺を誰だと思ってやがる」
近づこうとして、一度止まる。
「ああ、一応確認しておくが、あの毛布の下は全裸とかじゃねェよな?」
「え?」
「いや、忘れてくれ。ちょっと自分の黒歴史を思い出しただけだ」
あれがアクセロリータ呼ばわりの始まりだったのだから。
その忌々しい、過去の自分の軽率な行動に自己嫌悪を抱きながら、口を噤む。
くるんと繭のように毛布に包まった少女に近づくと、一方通行は側に腰掛ける。
「あァ~~想のヤツ、一体何処に行っちまったンだろうなァ~~」
わざとらしいまでにわざとらしい大根芝居。
それでも、幼い少女には十分効果的で、毛布の塊はピクリと動く。しかし、毛布は意地でも顔を出すものかとばかりにコロンと丸まったま動かない。
普段、嘗ての打ち止めも真っ青なまでに、弾丸タックルを敢行してはぴとりと子犬のようにくっ付いてくるこの少女が顔を出さない。
自惚れではなく、事実として、一方通行は相当にこれは怒ってる、いや、拗ねているなと呆れる。
普段ならば、自分が探してる素振りをするだけで走ってくるのだ。
いつの間にか、自分の隣に座って不安そうな顔の美琴をちらりと見る。
ぎゅっと服の裾を掴む指先が震えているあたり、相当ショックなのだろう。
溜息が零れる。
世話の焼ける親子だ。
「あ~あ、残念だなァァ~~折角想と買い物に行こうと思ってたのによォォ~~」
ぴくりと毛布が動く。
「ラビ太郎のヌイグルミ買いに行こうかな~って思ってたンだけどなァァ~~」
もぞもぞと毛布が蠢く。
「でも、いねェンじゃあしょうがねェかァ~~」
心なしか毛布の塊から、焦っているような気配が滲む。
それを横目で確認していた一方通行は、最後の一押しをする。
「………じゃあ、今日は帰るかァ」
わざと音を立てて、立ち上がろうとする一方通行の服を、毛布から伸びた小さな手がぎゅっと掴んだ。
「ンンン?」
わざとらしく不思議そうな声を上げる。
毛布はしばらくじっと固まっていたかと思うと、やがて、カンガルーの赤ん坊が顔を覗かせるように、ぴょこんと形の良い頭が現れた。
「……あーくん、かえっちゃいや…」
涙でべとべとに濡れた頬は、ずっと毛布に包まって熱かったせいか、林檎のように赤く染まっている。
「おおォ、そンな所にいたのかァ」
わざとらしさ此処に極まれりとばかりに、大仰に驚いた顔をする。
一方通行と目が合うと、想はハッとして慌てて毛布をかぶる。
みっともなくなった前髪を見られたくないという、幼いながらも女の子としての恥じらいに、微笑ましさを覚える。
「想、ちゃンと顔見せてくれよ。笑ったりなンかしねェって。それによ、コイツもスッゲー反省してンだ。いい加減許してやれ、な?」
「想ちゃん、ゴメンね。お願いだからママにもお顔見せて?」
沈黙がリビングに染み渡る。それは時間にして僅かなものだっただろう。
それが美琴には無性に長く思えた。
やがて、毛布がするりと肌蹴、少し膨れた愛らしい顔が現れる。
大好きな二人からのお願いを拒絶してまで張り通す頑なさはこの少女には無かった。
想の前髪を一方通行はさりげなく見てから「何だ」と拍子抜けした。
普段の前髪に比べれば確かにずっと短いものの、思っていたよりも全然おかしくはなかったのだ。
おそらく、想は前髪が変になったことに怒ったのではなく、今までの自分と違う姿に戸惑ったのだ。
それが、美琴の顔色を見て、変だと解釈してしまったのだろう。
「なンだ、全然おかしくねェじゃねェか」
「んん、ふゆ…」
「……なァ、想」
想の頬を指先で擽ってやる。
ひんやりとした一方通行の指が火照った頬に心地良いのか、嬉しそうな顔をする想。
「ママもな、お前が喜ぶと思ってやったことなンだ。確かに気に入らなかったかもしれねェが、忙しい中何とかお前が喜ぶ面を見たかっただけなンだ。
それを嫌いなンて言ってやるな。お前だってママが喜ぶって思って手伝ったりすンだろ?それが失敗しちまっても、嫌いなンて言われたらお前だったら…どうだ?」
「………かなしい……」
「だろう?」
こくんと、小さく頷く優しく、賢い少女の頭を撫でてやる。
一方通行は滅多に見せない、というよりも他の人間にはまずは見せることの無い柔らかい笑みを浮かべる。
美琴がそろそろと想に近づく。そっと伸ばした美琴の手を、想の小さな手が掴む。
「ママ……ごめんね?」
「想ちゃん………ママこそゴメンね」
ぎゅっと、美琴は想を抱き寄せる。
母親を傷付けた事への罪悪感と、ずっと今日一日を甘えられなかった分が相まって想も必死にしがみ付くように抱きつく。
母娘の仲直りを見届けた一方通行はシザーを手に取る。
ビニルシートに腰掛ける。
「さてと……想、コッチ来い」
「なぁに?あーくん?」
にやりと、一方通行は笑う。
「おはよう~きぬはたせんせ~」
「おはようございます想ちゃん……あれ、想ちゃん、どうしたんですか?超可愛いです!!」
瞳を輝かせた絹旗が思わず想を抱き寄せる。
お世辞でもなんでもなく微かに弧を描くように切り揃えられた前髪が、卵型の顔立ちを引き立たせ、お人形のように愛らしく見せている。
「あーくんにきってもらったの~えへへへ~」
心から嬉しそうに笑う想につられて、絹旗もふわりと笑う。
内心、白い青年の予想以上の器用さに驚きつつ。
こうして、白い青年は少女専属の美容師となった。
951 : ◆d85emWeMgI - 2011/03/10 21:59:41.97 URvLCU7D0 232/791以上で投下終了します。ぱっつん幼女はジャスティス。
次の投下は次スレを立ててするつもりです。
gdgdですみません。
ミサカの記憶はあの人から始まる。
三日月のように口を開いて、高らかに己の強大さと、ミサカ達の無力を謳い上げる。
でも本当に謳いあげているのは苦痛と懇願そして恐怖。
命乞いをしてくれという懇願。
殺す痛み。
そして殺すことに何も感じなくなっている自分自身への恐怖。
ゆっくりと人から人ではないものになっていくのを見る度にミサカの胸は痛んだ。
それがミサカの最初の感情。ミサカの生まれて最初に抱いた感情は怒りでも恐怖でもなく、痛み。
どうすることも出来ないミサカは、殺されていく妹達と歪んでいくあの人を見続ける苦痛を最初に知った。
それでも、あの人はヒーローさんと出会って、変わった。
ううん、戻れたのかな。本当のあの人に。
そして、あの人はミサカと出会って、ミサカを守ってくれた。
それはとても幸せで、でも悲しくもあった。
ミサカのせいで傷ついてるあの人の姿を見ても、ミサカは何も出来なかったから。
大きな戦いが終わって、あの人にも平穏が訪れた。
あの人はまずミサカに学校に行けるようにって色々手配し始めた。
あの人はミサカがきちんとお友達を作って、当たり前の生活を送れるようにこっそり手を回してくれていた。
お母様がミサカの為につけてくれた名前で、小学校に通うようになったことをあの人は顔には出さないけど凄く喜んでくれた。
学校に行ってみたいという気持ちもあったけど、あの人が喜んでくれるという理由もあって学校に行っていたのだと思う。
ただ、やっぱり学校で色々なお友達が出来るのは嬉しくて嬉しくて、ミサカは毎日がとても楽しかった。
学校から帰って、あの人の隣に座って学校であった一日の出来事を色々お話するのが日課になっていた。
ミサカはようやく手にした『当たり前』や『普通』の生活が楽しくて楽しくて仕方が無かった。
それをあの人に話す度に、あの人が小さく、ミサカに気付かれないように微笑んでくれるのを見るのがミサカの一番の楽しみになっていた。
そんな日々は、あの人とずっと一緒の日々は、当たり前に続いて行くと思っていた。
だからミサカが5年生になった日。
家に帰ったらあの人の荷物が部屋に無かったことをミサカは直ぐには受け止められなかった。
それから間もなくして、あの人からネットワークを切る手術をするという連絡が入った。
詳しい理屈はミサカにはわからないけれど、滞空回線の技術を応用するのだという。
戦争の後、前総括理事長の持っている技術の殆どは関係者のみに秘匿とされた。
その技術の恩恵を受けたのは、総括理事会を始めとした学園都市に食い物にされてきた人々への支援に用いられた。
むぎのんはミサカ達クローン技術の応用で腕と目を再生してもらい、第二位ことていとくんは晴れて冷蔵庫卒業となった。
そして、お姉さまは正式にミサカ達妹の調整に留まらず、生活環境等の全面的バックアップを約束させてくれた上に、ミサカ達一人ひとりに戸籍まで用意させた。
といっても、これはあの人の働きかけだという。親船総括理事長と直接面談できるのはあの人くらいだから。
話は脱線したけれど、あの人はミサカ経ちのネットワークを切り、滞空回線を応用した技術でまかなうことにしたという。
学園都市92万人弱の能力者の脳内に間借りをするようなものだとカエルのお医者様は言っていた。
成長するに従って個性化が著しいミサカ達の負担を考慮してのことだとはわかっているけれど、ミサカは最後まで反対だった。
手術が終わって、目の前にあの人がいるというのに、ネットワークに何も感じることが出来ない。
それは、人として当たり前のことだというのに、ミサカは胸にぽっかりと穴が空いた気がした。
空いたというか、今まで埋まっていたものが突然消えてしまったような感じ。それは少なからず他の妹達にも見られた。
番外個体なんて、一番拗ねてたもの。
秘匿にされた技術といえば、ミサカ達がクローンだということも当然秘密。
都市伝説として噂にはなっているけれど、それを裏付けるものは残さないように根回しがされている。
ミサカは最初公表すべきだって、思っていた。
それは他のミサカも同様で、皆クローンであることを恥じるように生きたくはないということだった。
けれど、あの人は反対した。
てっきり賛成してくれて、応援だってしてくれるって、そう思ってたからミサカは裏切られたって思った。
あの人はミサカ達が願うなら、何でもかなえようとしてくれる、支えてくれる、そう思い込んでいた。
でも、反対したのはあの人だけじゃなかった。浜面さんやカエルのお医者さん、芳川もだった。
どうして?
クローンっていうことは内緒にしないといけないの?
そんなにミサカ達の生まれ方は間違っているの?
思わずあの人を詰るように憤りをぶつけた。あの人はそれを黙って受け止めた後、一言だけ言った。
『アイツの親達はどォなる?』
美鈴お母様なら気にしないって言ってくれたよと、あの人に食って掛かった。
どうして邪魔をするのだろうかって、まるでミサカ達そのものを否定された気がして、悔しいのと悲しいのがまぜこぜになった。
『クローンの娘を作った親なンて目で見てくるクソ野郎がどンだけいるのかわかってンのか?テメェらが勝手に覚悟を決めるのは勝手だ……だが、ソイツを他の奴等にまで押し付けンな。
背負える力もねェガキが、不相応な覚悟を語ってンじゃねェ』
頭にかっと血が上って、思い切り言い返そうとしたけど、何も言えなかった。
だって、あの人自身が一番その言葉に打ちのめされた顔をしていたから。
そんな言葉を吐かなきゃいけないことに一番痛みを覚えていたのはあの人だった。
『真実というのはね……何でも曝け出せばいいものではないの。
口を覆いたくなるような酷い味付けの真実よりも、口当たりの良い誤魔化しが人の心を軽くすることだってあるわ。
それを大人の欺瞞と言ってしまえばそれまでなのだけれどね』
新体制の学園都市の下で、技術部に就任していた芳川は徹夜続きの隈の色濃くなった目を和らげて笑った。
その笑顔が余りにも悲しそうで、ミサカは何も言えなかった。
ミサカはやっぱり子供だったのだ。
そしてあの人は、気が付けばミサカよりもずっとあの人なりの大人というものになりつつあった。
一緒に歩いていたと、そう思っていたのにどうしてだろう。
その時のミサカには理由がわからなかった。
理由がわからなくて、ただ無性にあの人に置いてかれたような気がした。
そのことが、ただただ悲しくて寂しかった。
ミサカ一人子供のままなんて嫌だった。
そして、ネットワークが切れて、あの人がミサカ達と一緒に暮らすことをやめてから、少しずつ少しずつ感じるようになった。
ミサカとあの人との距離。あの人の心が離れたとか、絆が切れたなんていう意味じゃない。
ただ、あの人のミサカ達への接し方が少しずつ形を変えてきたというのが正しいのかな?
今までがどういう形だったのかと問われると、答えに窮する。
上手くいえない。人によって、ミサカとあの人の持つ距離に違う回答をするから。
恋人
兄妹
親子
同士
それは、多分あの人の中に明確な形がなかったからなんだろう。
人に愛されたことも愛したこともなかったあの人は、どう好意を示して、受け止めればいいのかしらなかった。
だからただがむしゃらに目の前の感情を処理してきたのだと思う。
それが時に父親のような庇護欲に現れていたり、恋人のような執着心になったり、或いは兄のようなじゃれ合いになったり。
そして、その形が少しずつ固まってきたのだ。きっと、それはあの人が積み重ねたあの人の成長の証。
だから、それは喜ぶべきことなのだろう。
ただ、その形はミサカが望んでいたものとは違い始めていた。
あの人はミサカに色々な秘密を抱えている。
時折黄泉川とおかしな空気になっていたり、芳川と目で会話をしていたり。
知らない声のトーンで誰かと話していたり。
それはミサカが子供で守るべき相手だからといって、あの人が隠し続けていたのだからだ。
ミサカはいつでも何もかもあの人に曝け出しているのに、あの人は隠し事が増えていく。
それは、無性に悔しかった。
悔しくて、学校帰りに男の子と手を繋いで帰ったり、お休みの日にデートに行ったりして、あの人がヤキモキするような秘密を作ってみたりした。
秘密の気配にすら気付かれなくて、わざと目に映るようにしてみたりもした。
中学に上がってからはますますエスカレートした。
あの人の家に遊びに行って、途中で男の子と電話をするフリをして、「これから会わないか、だって。ミサカもう帰るね」なんて切り上げて見せたりした。
けれど、あの人はそれをミサカの成長だと、寂しそうにしながらも喜んでいた。
ミサカが想像した取り乱しようは欠片もなくて、それがミサカにはショックだった。
でも、それは仕方が無いことなのかもしれない。
あの頃、ミサカが中学生の頃、あの人にそんな余裕は無かった。
悔しいけれど、あの人にとってはミサカに彼氏がいようが、それどころじゃない時期だったから。
理由は二つ。
一つは、妹達の延命措置についての研究の滞りと、前総括理事長の仕掛けたトラップによる妹達の相次ぐ死。
そして、もう一つは、お姉さまのこと。
そのとき高校生だったお姉さまはその身に命を宿していた。
お父さんはあのヒーローさん。
けれど、これはお母様にも黒子達にも内緒。
知っているのは浜面さん達とあの人にミサカ達だけ。
その頃、あの人はある意味でお姉さま以上にお姉さまの中に宿った命に過敏になっていた。
あの頃の事を思い出すと、番外個体共々溜息が出る。
生まれる前からあの人は過保護だったのだ、お姉さまの娘 ――― 想ちゃんに対して。
◇
「 ――― か!」
「ん ――― 」
喧騒が潮騒のように遠くにあるのを感じながら、背中まで伸びたシャンパンゴールドの髪の少女はのろのろと起き上がる。
机に突っ伏していたせいで、赤くなった頬を両手で擦りながら少女はクラスメートにとろんとした目を向ける。
彼女の友人は既に帰り仕度を終えたのか、肩に学校指定のカバンを引っ掛けている。
寝ぼけ眼を擦りながら、少女は身体を伸ばす。同年代の少女達を凌駕するサイズのバストが更に強調される。友人が一瞬羨むような視線を向けるが、少女は気にしない。
随分眠ってしまっていたようだ、軽く肩を揉み解しながら友人を見上げる。
「今何時?」
「もう4時半だよ」
「あ、やば…ッ」
慌てて少女は立ち上がる。
スクールバックに教材を詰め込み、手鏡を取り出すと髪型をおもむろにチェックし始める。
メイクはしていないからチェックの必要が無いのだが、涎のあとが無いかだけは確認する。
「どしたの御坂?」
一級品の天然素材故に、自身のことに余り頓着しないこの友人が身だしなみをチェックするなど珍しいことだった。
思わずきょとんとした友人に、御坂と呼ばれた少女はアホ毛を揺らしながら振り返る。
「もう、今日は迎えに来るって言ってたからさ。さっさと正門出ておかないと色々面倒なんだって」
「迎えって……黄泉川さん?」
友人の問いに少女は一瞬気恥ずかしげに目を逸らすが、すぐさま顔を顰めると唸るように呟く。
「父親ヅラのウザイ、一応保護者」
吐き捨てた言葉とは裏腹に、優雅なカーブを描いているアホ毛は子犬の尾のように忙しなく揺れていた。
堂々と六限目の授業からホームルームまで寝て過ごした剛毅な友人を起こすと、彼女と連れだって教室を出た。
普段はそのままオープンカフェに行ってみたり、カラオケに行ったり、セブンスミストに行ってみたりするのだが、今日は彼女曰く保護者が迎えに来るらしい。
彼女の言う『父親気取りの保護者』とやらの話は、彼女の口から時折耳にしたことはある。
曰く、無愛想でぶっきらぼうで乱暴者である。
曰く、中に母親でも入ってるのではないかというくらいに細かいことにまで口うるさい。
曰く、女に興味なさそうな顔で女タラシである。
話だけ聞くとどうやらろくでもない人物に聞こえる。
『そうなの!ホンット、嫌なヤツ。七つくらいしか離れてないのに父親みたいな顔しちゃって!!
スカートの丈が短い、ガキが化粧なんて10年早い、勉強はしっかりやってるか、あんまり夜遅くまで夜遊びするな、イチイチ子供扱いしてさ!!ホント大嫌い』
ハンバーガーを無造作に頬張りながら愚痴る姿は保護者への不満を訴えるというよりは、片想いに悩んでいるように見えた。
多分、他の友人が父親の悪口を口にするような仄かな軽蔑や嫌悪が彼女の ――― 御坂の表情には表れていなかったからだと思う。
そして、化粧をやめろと言われて、あっさり御坂は化粧をしなくなったところも、何だかわかりやすくて可愛らしくさえ思えた。
そして、保護者と言いながらも、現在は一緒に暮らしていないという点に、下世話な好奇心を擽られた。彼女は黄泉川さんという教師をしている女の人と、大学生のお姉さんと同居している。
私もあったことがあるが、黄泉川さんは姉御と慕われそうな気風のいい人で、お姉さんは御坂の色々な部分をバージョンアップさせた感じの、少しシニカルな笑みの似合う人だった。
共に共通しているのは、同性っから見たら羨ましいことこの上ないスタイルと美貌の持ち主という点。
そして、本人達はその自分の素材に無頓着な点だった。
それは御坂にも言えることなのだが、ともかく、雑誌のダイエット法やエステ、スキンケア、メイク術や果ては細顔に見える髪形といった涙ぐましい研究に日夜明け暮れている大多数の女の子が身投げをしたくなる人たちであるということは断言できる。
世間一般の価値基準に照らすと、この友人は美少女に分類される。浮世離れした美少女というよりも、親しみやすい方に分類される。
擦れ違う同級生や後輩達が皆笑顔と好意を持って彼女に声をかけていくのは偏にこの親しみやすさによる。
けれども、この親しみやすい美少女というファクターは決して『よく見かける』程度の美少女というファクターとは重ならない。
親しみやすいが、決して直ぐにでも手が届きそうという程度ではないのだ。故に、この友人は同性から好感は持たれても嫉妬は余り買うことは無い。
女が女に嫉妬するのは『自分でもその気になれば手が届きそうだけど、届かない』美しさであって、決して手が届かない美しさには嫉妬など抱かない。
同性から好かれている要素が勿論、彼女の人懐こさにもよる。頼りがいがあって、しっかりものの癖に、何処か放っておけない愛らしさに溢れた少女。
そんな友人に自分は『頼りがいのある妹属性』と名づけた。
屈託の無い笑顔に、誰にでも親身になって接する性格、そして、憎めない幼さ故に彼女は自分達の学年ではちょっとしたアイドルだ。
レベル4ならば常盤台に行けれたのではないかと以前聞いてみたことがあったが、彼女が言うには黄泉川さんと、例の保護者と姉に反対されたそうだ。
その理由については深くは話さなかったが、色々彼女にも理由があるのだろうと察することにした。
「ねぇ、あの人誰だろ?」
「バンドの人じゃない?」
「ちょっと怖そうだけどカッコいいね」
「誰かの彼氏かな?」
「ちょっと、声かけてきなよ」
正門に近付くにつれて浮き足立ったざわめきが耳に入る。
その声は主に女子で占められており、華やいだ声が聞こえるに従って友人の不機嫌メーターが上昇していくのが幻視できた。
それでも擦れ違う知り合いにはにこやかに挨拶をしていく如才の無さは流石だと言わざるをえない。
正門を出ると、道路を挟んだ向かい側に一台のフィットが停まっていた。すぐそばのガードレールに腰掛けて、煙草を咥えた男が直ぐに目に留まる。
「……遅かった…」
ぼそりと御坂が呻くように呟くのがわかった。遅かったというのは、多分このプチ騒ぎのことだろう。
確かに、目立っていることこの上ない。それだけその男の人は目立っていた、良くも悪くも。
色めき立った女生徒達の視線が彼に向いていたこともあるし、その男自身、白髪に赤い瞳と一目を引く外見をしていたこともある。
そして、彼が御坂の言う父親気取りの保護者なのだろう。
V系のバンドのボーカルといわれればそのまま信じてしまいそうなその姿には見覚えがあった。
「アレ?あの人って前御坂の携帯の待ち受け………」
「何のことかな?」
「いや、だからあの人って、アンタが持ってた写真 ―――……」
そこまで言いかけて私は口を噤んだ。
御坂の私を見る目がはっきりと『余計な事は言うなよ?言えば……』と物語っていたからだ。
多分、気のせいじゃない。
男の人は、私達に気付くと煙草をガードレールに押し付ける。 ―――― 携帯用灰皿に入れるとか、結構常識的だ。
「何モタモタしてやがンだよクソガキ」
「そっちこそ何してるの。学校の前にまで車で来ないでよ、恥ずかしいって」
「ウルセェ。黄泉川から聞いてなかったのか?このまま保育園に行くかから車の方が早ェンだよ」
「だからって正門の前で待ってることないでしょってミサカはミサ………」
言いかけて御坂は、ハッと口を押さえる。
ミサカはミサ?何て言おうとしたのだろうかと御坂を見ると、保護者さんが笑いを堪えているのが目に付いた。
御坂もそれに気付いたのか、キッ睨みつける。
「……何笑ってるの?」
「いや、――― ちゃンは色々大変ですねェ。しっかり猫は被り通さなきゃなァ」
「ううぅッ」
悔しそうに唸る御坂の頭を気軽にポンポンと叩く。
妹っぽい子だけど、御坂は基本しっかりもので、大人っぽい子だけど、完全に子供扱いだ。
下校していく男子生徒が羨ましそうにチラチラと見ていく。
多分、御坂と親しげにしているこの男の人が羨ましいのだろう。御坂モテるからな。
そんな周囲の目にも気付かないくらい、二人はじゃれ合いのようないい合いをしている。主に御坂が食ってかかって、保護者さんがそれをいなしてる感じ。
御坂の顔は案外嫌がっていない。それどころか、寧ろ喜んでいるようにも見える。ホント、どんな関係なんだろうこの保護者さんと。
ただ、そろそろ私は退散した方がいいのかもしれない。
「えっと、じゃあ私帰るね御坂。また明日」
「あ、うん。また明日ね~」
二人の時間を邪魔するのは悪い。
御坂はいつもどおりの笑顔で手を振ってくれるけど、発せられる空気は『早く帰れ』と言いたげだ。
本当に馬に蹴られない内に帰った方が良さそうだ。
ただ、覚悟だけはしておいてもらおう。
これだけ注目を浴びれば多分明日は質問攻めだろう。御坂は、自分で思っているよりも遥かに注目を浴びている。
告白された回数は数えるのも馬鹿馬鹿しい。それら全てを御坂は瞬殺してきた。
恋心をオートで反射してるんじゃないか?とさえ言われている絶対防御だ。
そんな御坂が男の人と親しげにしていたのだから、注目されないわけがない。
私も勿論色々質問するつもりだしね。
◇
「ホント、信じられない!!っていうか配慮が足り無さ過ぎるんじゃないのってミサカはミサカは貴方の無神経さに馬鹿って言ってやりたいのを辛うじて我慢してみる!!」
シートベルトを締め、フィットが走り出してから打ち止めは堪えていたものを吐き出すように叫ぶ。
「ウルセェ馬鹿。車内で叫ぶな馬鹿。響くンだよ馬鹿」
「馬鹿って三回も言った!?」
「三回で足りないならもっと言ってやンよ馬鹿ガキ」
窓に肘をかけ、気怠る気にハンドルを切る青年の横顔をムッと睨みつける。
「もう!明日から学校に行けないよ」
「あァ?何で……ハッ、もしかしてイジメに遭ってるとかじゃねェだろォな!?」
「遭ってません!何勝手に想像してるかなぁ…ってミサカはミサカは貴方の相変わらずの心配性ぶりにうんざりしてみる」
この保護者は昔から無駄に考え過ぎた挙句に的外れの結論に着地する。
学園都市最高の頭脳を誇るはずなのに、親馬鹿思考に切り替わると、その回転は一気に空回りを起こす。
あらゆる起こりうる事態を幾百通りも想像し、幾百回分心配をした挙句暴走をするのだ。
打ち止めが小学校に通い始めた頃は特に大変であった。
ホームルームが延びたに過ぎないというのに、下校時刻が遅れた時は誘拐の可能性に行き着いたこの青年は、能力フル開放で学園都市中を捜索したことがある。
もっとも、それを考え過ぎだと一笑に付すには事実それまでの日常で打ち止めはひっきりなしに危機に見舞われていたのだから仕方が無いことではあるのだが。
「じゃあ何で学校に行けないンだよ?勉強サボりてェからじゃねェだろォな?」
「そうじゃなくて!!貴方がミサカの学校なんかに来たら、誤解されちゃうんだって」
「誤解?」
「だーかーらー!!」
コイツ全然わかってない。
運転していなければ胸倉を掴んで揺さ振っているところだ。
この男がそういった方面に鈍いことは既にわかっていることだ。
「あんな学校のすぐそばじゃミサカが助手席に座ったのだって見られてるわけだし。そうしたらさ、その…つまり、貴方がミサカの…か、かれ、…―――とかそういう」
「何言ってンのか聞こえねェよ。もっとはっきり言ってくれよ」
「だ、だから!!一方通行がミサカの彼氏だって思われるかもしれないじゃないの!!!ってミサカはミサカは全然全くこれっぽちも本心から望んでいない誤解を恐れてみたりする」
「彼氏だァ?何でだよ?」
意地悪をしているのであればともかく、本当にわかっていない素の反応に打ち止めは力が抜けていくのを感じる。
この年の男の癖だったらもう少し自意識過剰でもおかしくは無い。打ち止めのように年頃の少女が隣りで頬を赤く染めていれば期待や願望が先行するくらいが年相応と言える。
しかし、一方通行と呼ばれた青年の反応は全くそれらを含みもせずに、ただ戸惑いばかりが浮かんでいる。その事が、打ち止めの胸にチクリとした痛みを与える。
「それにお前彼氏いるって言ってたろ?学校の連中には内緒にしてンのか?」
「う…」
今更それが番外個体と一緒に吐いていた嘘でした、なんて言えるはずがない。
そもそも、最初は些細な嘘だった。
彼氏とか出来たのかァ?という何気ない彼の質問にカチンと来た打ち止めが思わず「うん、とってもラブラブ」と言ってしまったのが発端であった。
一方通行がどのような反応を示すのかが知りたくて吐いた嘘だった。嫉妬してくれるだろうか、焦ってくれるだろうか、そんな期待を心の何処かで抱いた上での嘘だ。
当時、一方通行には一応交際していた女性がいたが、傍目にも彼が『彼女』とやらを疎かにしていることは中学生の打ち止めの目にも明らかであり、危機意識など存在すらしなかった。
それによって秘めていた本当の自分の気持ちに気付いた一方通行がなりふり構わず愛の言葉を囁いてくれるんじゃないだろうか、等という妄想にも耽ったことが無いと言えば嘘になる。
その嘘を、すっかり打ち止めは忘れ去っていた。おそらく番外個体も同様だろう。もっとも正確には十全嘘というわけではない。
打ち止めも番外個体も告白は毎月一回や二回どころではなくされている。それを次から次へと切り捨てているのが真実であり、受け入れたというところが嘘である。
しかし、一方通行の反応は「じゃあ今度連れて来い。俺が見極めてやる」という親御さん発言であった。
その反応は彼女達の女の誇りに傷を付けた。
モテる事を自慢に思ったことは無いが、それでも多くの男達を虜にしているという事実は、彼女達に、己に対する自信となった。
特別高慢になることもないが、自己陶酔の裏返しのような厭味たらしい謙遜でもない。それは当然の、正当な矜持であった。
その矜持が彼女達の芯から滲み出る美しさに磨きをかけることに繋がり、相乗効果となっていた。
ただ、彼女達の自分達に対する少なくない女としての自信と誇りを木っ端微塵に打ち砕いたのが、その美しさ、魅力を一番知ら示したい男であったのは皮肉な話である。
「ラブラブだって言ってなかったか?そォだ、彼氏っていやァ番外個体のヤツはどォなってやがンだ?相変わらずとっかえひっかえなのか?」
「え、ええっと……そういうことはミサカの口からはちょっと………」
一方通行は苛立たしげに指でハンドルを叩く。そういえばそうだった、と打ち止めは思い出す。番外個体は淫乱設定だったのだ。
嫉妬も焦りも見せてくれず、その事に苛立った打ち止めがラブラブでキスも何もかも済ませたと嘘の上塗りを重ねたのと同様に、番外個体も嘘に嘘をまるでマトリョーシカのように重ねている。
彼女の場合は、打ち止めよりも酷い。素直になれない上に、口にする言葉が罵声であれ冗談であれ、品が無い。その上、意地っ張り具合は打ち止めを凌駕する。
打ち止めの重ねた類の嘘の上に、更に大げさに、過激に脚色して、男とっかえひっかえの乱交パーティーにまで嘘を膨らましてしまった。
雪だるま式に付いた嘘に引っ込みも付かず、かくして処女の癖に男漁りの激しい不良娘という設定が出来上がってしまった。
打ち止めとしては番外個体の気持ちは痛いくらいに理解できる。
「で、未だにあの馬鹿は夜遊びばっかしてやがンのかァ…?」
嘆息して呟く声に、打ち止めは微かな苛立ちを覚える。
昔の一方通行であれば、生きてさえいれば後は好きにしろと、吐き捨てていただろうが、ある時期から、責任感を持ち始め、更に想が生まれると、父性まで発揮するようになった。
元々、一方通行に『父親』など求めていない打ち止めや番外個体にはこの変化 ――― 周囲は成長といい、大人になったと喜ぶもの――― が酷く癇に障るようになった。
「だとしても、あの子もミサカもそこまで子供扱いされるいわれはないんだけど?」
「ハッ、テメェでテメェの事をガキじゃねェって言ってる間はガキなンだよ、クソガキ共」
「むぅ……何それムカつく」
涼しげな一方通行の横顔を小憎らしく思う。
完全な子供扱い。それもあるが、打ち止めを面白く無いと思わせる理由がもう一つある。
それは、彼が自分達ばかりに、健全な交際を求めることだ。
(自分の事は棚に上げちゃってさ……ミサカ知ってるんだから)
◇
「少し遅れちまったか?」
車を停めて、一方通行が呟く。
レンガ造りの、随分と意匠をこらしたデザインの建物。これが保育園というのだから、信じられない。
一方通行が車から降りるのに気付いて慌てて打ち止めも降りる。
別に自分は降りる必要は無い。迎えは彼だけで十分であるし、それだけであの少女は喜ぶだろうから。
しかし、打ち止めは一方通行に聞かれる前に車から降りる。
杖を突いて、園内へと足を踏み入れる一方通行に置いてかれまいと、裾を思わず掴む。
「ン?」
「え、い、いや、関係者だってアピールしておかないとって、それだけだから!」
「ふゥ~ん。一瞬クソガキ時代が懐かしくなって甘えてきやがったのかと思ったぜ?」
からからと笑う一方通行の言葉に、顔が熱くなる。
いい年して、子供みたいに、あの頃のように裾を掴むという行為が今更恥ずかしく思えてきた。
それでも、今更慌てて離すのも意識したと思われそうで、そのまま後ろを付いて行く。
白髪に赤目の青年に続いてセーラー服の自分が入るのは奇妙な光景だろう。
園児を迎えに来た母親等が、ちらちらと興味深そうに見てくる。
彼女達はどのように自分達を見ているのだろうか。
兄妹?親子?それとも恋人?誰か、誰でもいい誰かの腕を掴んで聞いてみたいと思った。
「想ちゃん、寂しがって泣いてたりしてね、ってミサカはミサカはオロオロする貴方が見られるんじゃないかって密かにわくわくしてみる」
「馬鹿かっての。絹旗が居ンだ。問題ねェよ」
「……ふ~ん……………信頼してるんだ……」
「何か言ったか?」
「何でもないよ」
この男には嘗て彼女なのかセフレなのか判別が付かない存在がいた。
彼自身は知り合いに隠していたようだが、街中にあるMNWを掻い潜ることは不可能に近い。
当時中学生の打ち止めにとって、それはおぞましさを覚えるものだった。短絡的な言葉ならば『不潔』という言葉がしっくり来る。
愛や恋が伴わない性的関係など、当時の彼女には考えられず、それは他の妹達にも言えた。
それを問い詰めたりしなかったのは、当時の彼が『そんなもの』に縋らなければ精神の均衡を保っていられない状態だったことを、打ち止めも番外個体もよく知っていたからだ。
ただそんな中、湖面に投げ込まれた小石のように一つの疑問がネットワーク内に波紋となって広がった。
――― どうしてミサカじゃダメなのだろうか ―――
何処の妹が呟いたのか、或いは共通の意識としてなのかわからない。
17歳になった打ち止めは、あの頃よりほんの少しくらいは大人になったからこそわかる。
多分自分達が彼に対して抱いている反発の根幹はそれなのだ。そして、彼がその反発の根に気付くことは未だに無い。
彼はきっと少しも気付かなかっただろう。
助手席に居る間、しきりに自分が汗臭くないだろうか、髪がおかしなことになっていないだろうか、等と落ち着かない心地でいた事に。
そして、車内に香る、彼のものでは無い誰かの甘い香りが微かに漂っていることに、胸が痛くなった事にも。
「あーくん!!」
「想、待ったか?」
「今日はいつもより超遅かったじゃないですか」
「ッせェな……打ち止めを拾ってから来たンだよ」
打ち止めは、少し離れたところからその光景を見る。
無邪気に一方通行に抱きつく、自分にそっくりの幼い少女。
親しい間柄故の憎まれ口、軽口の叩き合いに、頬を緩める女。
此処にはいない自分の姉 ――― 少女の母。
ふと、打ち止めは自分に問い掛ける。自分はどの場所が羨ましいのだろうか。
一方通行は、自分や番外個体が彼に縛り付けられるのを嫌っている。
大切にするという気持ちはきっと変わっていない。それはよくわかっている。けれども、その質は変わっている。
腕の中に閉じ込めて離さない。転びそうになれば直ぐに抱きとめて、躓く小石があれば事前に払いのけるような優しさ。
まるで鳥籠の中に閉じ込めるような愛情は、遠くから見守る形に変わりつつある。
愛情の深さはきっと増しているくらいだろう。見守る形の方がずっと健全なのだろう。
いつまでも瑠璃色の鳥籠の中で、花の香りの羽に包まれて、砂糖菓子の夢の中にまどろみ続けているわけにはいかない。
いつかは自分の翼で、自分の空を羽ばたいて行かなければならないのだ。
雛鳥はいつまでも雛鳥でいられるはずもない。
それでも、打ち止めは今、自分に向けられているその健全な愛情を、心から喜ぶことが出来ない。
一方通行のマンションに来る度に、打ち止めは優越感を抱く。
自分のテリトリーにあまり人を踏み込ませない一方通行の、数少ない例外であるという誰に向けてのものかわからぬ優越感。
そして、寂寥感も。
来る度に目にする、彼以外の人間の痕跡への言いしれぬ物悲しさ、寂しさである。
その彼以外の人間というのが自分ではないことが寂しいのだ。
勿論、年頃の少女特有の気難しさ故に、それをはっきりと打ち止めが自覚することはない。
一度抱いてしまった一方通行の「男」としての側面に対する嫌悪感はなかなか拭えないことが、彼への反抗心の一因となっているのは確かだ。
親のように兄のように、そして恋人のように寄り添ってくれた少年。
打ち止めは、幼い少女特有の狭い視野と思いこみとによって、少年を無意識に美化していたに過ぎなかった。
ただそれだけのことなのだが、それは理屈である。
打ち止めにとっては、ずっと慕っていた少しガラの悪い王子様、或いはぶっきらぼうな騎士様は、
愛も恋も無くとも人肌恋しさから女を抱くことが出来る普通の男に過ぎないという事実に、未だに少女は戸惑っていた。
「おい、コーヒー」
ぶっきらぼうな声に、部屋をこっそり見回していた打ち止めは眉を顰める。
想の首に綺麗に巻かれたーおそらく絹旗が巻いてあげたのだろうーーマフラーを解いてやりながら、打ち止めの方を見てもいない一方通行の背中を睨みつける。
「ご自分でどうぞ!」
マフラーに絡んだ琥珀色の絹のような髪を丁寧に取ってやったところで、一方通行が怪訝な顔で見上げる。
「何怒ってンだよ?」
「怒ってないもん。ただ、お客様にお茶を淹れさせるなんて信じられないってミサカはミサカは貴方の常識を疑ってみる!」
学校では隠している口癖が思わず出る。
打ち止め、などと自分を呼ぶ人間を前にすると、無意識に彼女自身も戸籍上にある名ではなく、打ち止めという少女に戻る。
しかし、素直さまで戻るわけではない。
当然のようにぴとりとくっついている想に、微かに頬がひきつる。
幼い瞳が、あたかも「どうしてあーくんをいじめるの?」と打ち止めを責めるように打ち止めを見つめる。
「なァに言ってやがンだか」
想の髪を手櫛で整えた一方通行があきれたように打ち止めを見遣る。
「お前は別に“客”じゃねェだろ。どォしてイチイチ家族に気ィ遣わなきゃいけねェンだよ」
「 ―――― ッ」
「ったく…俺は飯の仕度しなきゃいけねェンだから、さっさと淹れろよ?」
「あう」
ぺしりとおでこを軽く叩くと、ペタペタとスリッパを鳴らしてキッチンに向かう。
打たれたおでこをさすりながら一方通行の背を目で追う。
その後を、ててててと想が付いていく。おそらく手伝いをするつもりなのだろう。
「ずるいよ…そんな言い方…」
◇
「オイ、そこ計算違ってンぞ」
「………今直すつもりだったの!」
「間違った計算式の答えを代入しようとしてたのにか?その問題の計算式でトレースするくれェならやり直した方が確実だと思うがなァ」
「ぐぐぐ…」
負け惜しみはすぐさま看破され、倍返しのツッコミとなって跳ね返ってくる。
参考書と格闘する打ち止めの向かいから一方通行の冷静な指摘は、来年受験を控えている打ち止めにとってありがたいはずだが、意地が邪魔をする。
逆さのテキストを、それも片手間で見ているというのにどうしてわかるのだろうか。
これが学園都市第一位の頭脳なのだろうか。
向かいの一方通行は、『Science』に目を通している。論文をいくつか掛け持ちしているのだそうだ。
片手間に勉強を見られていることに不満を覚えているのは確かだが、それ以上に彼女を不機嫌にさせているのは一方通行だけが原因ではなかった。
テキストに向けている視線をこっそりと、胡座をかいた一方通行の足を座椅子代わりに座る少女に向ける。
一方通行の膝の上で、ご満悦そうに笑みを浮かべながら、想は時折足をパタパタとさせている。
そこに、一瞬デジャブを見て、打ち止めは瞳を伏せる。
想はキャラクターが表紙の絵本を読んでいる。マンガやアニメのキャラクターで数字やひらがなを覚えようという、教育向けの本だ。
ただし、想の読んでいるのは、漢字の本である。
(流石お姉さまの子)
五歳になったばかりの子が漢字の本とはなかなか賢い。
「コラ、何ぼーっとしてやがンだ。勉強に集中しろ」
「わかってるもん。イチイチうるさいな」
一方通行が横目にじろりと打ち止めを見る。
正確には、止まってしまっているシャーペンを握っている彼女の手を見ていた。
「ネットワークに頼りきりだったから集中力に欠けるンだ。もっと自分で思考することをお前は学べ」
「いよいよウザいんだけど!!学校の先生だってそんなに口悪くないもん!!」
「そら甘やかすタイプの教師だな芳川みてェに。つーか、よく常盤台行こうと思ってたな」
「……あの頃のミサカはネットワークの知識が全部自分のものだって思ってたから結構楽勝だって思ってたから」
「だろォな、それで黄泉川も芳川も反対してたンだよ」
「貴方は違ったっけ?確か真っ先に常盤台行きを反対したと思ったけど?」
恨めしそうに一方通行を睨むが、そんな打ち止めの視線など毛ほども気にした様子はない。
「当たり前だろォが。アイツの足跡を辿るような生き方しようとしてりゃ誰だって止める」
「!?」
一方通行は空いた手で、想のぴょこんと伸びたアホ毛をもてあそんでいる。
指先に絡めたり、つついたり。
まるでそこに神経が通っているかのように、そのたびに想はくすぐったそうに、そして嬉しそうに身をよじる。
まるで膝の上の子猫をあやしているようだ。
父親ぶった物言いも気に食わないが、その如何にも可愛くて仕方がないと言わんばかりの構い方も気に入らなかった。
「アイツに憧れてるからって言えば聞こえは良いがな、あの時のお前のスタンスは単なるアイツのトレースに過ぎねェ。アイツはアイツなりに考えた上でああいう道を決めてンだ。それをただ真似しようなンざ賛成出来るかボケ」
「それは……」
「それにだ、あそこは純粋培養ってェ名の世間知らず製造工場だ。只でさえ世間知らずのクソガキだってのに、それを更に加速させてどォすンだ?卒業する頃には立派な超バカガキの一丁上がりだろォが」
雑誌に目を通したまま、一方通行は馬鹿馬鹿しいと言いたげにため息で締める。
「何その言い方。ミサカそんな社会不適合者みたいに言わないでほしいかもってミサカはミサカはお前が言うなって言いたいのを堪えてみる!!っていうか、その超っていう口癖大嫌いなんだけど~~」
「堪えられてねェよ馬鹿」
形の良い打ち止めの眉が急勾配を描く。
怒った顔は美琴にうり二つなあたり、同じ遺伝子なのだなと、一方通行は妙な感心を抱いた。
「大体そンな話蒸し返すくれェに嫌だったのか?」
「そ、それは…楽しかったけどさ」
唇を尖らせ、そっと視線を逸らす。
子供の頃から変わらぬ打ち止めの癖に、僅かに一方通行の視線が柔らかくなる。
今の学校は打ち止めにとって事実楽しい。
学習装置による教育を受けていたとはいえ、中学入学時において実年齢はようやく四歳という打ち止めにとって「普通」の中学校生活というものは毎日が新鮮さにあふれていた。
結局進路においても、新設された常盤台付属の高校ではなく、学力が高く、制服が可愛い高校に仲の良い友人達と進んだ。
その選択に一方通行も美琴も何も言わなかったのは、能力開発に打ち止めが曝される事が無いことに安堵していたからだということは彼女は知らない。
ただ、その事を素直に認めるのは、目の前の青年をしてやったりと思わせるだけのような気がして、未だに打ち止めは認める事が出来なかった。
「だったらこの話は終わりだ。飯までまだ時間はあンだからな、さっさと続けろ」
「ねーねー、あーくん!」
大人しく本を読んでいた想が一方通行の裾を引っ張る。
一方通行の胸板に頭を預けるようにして顔を見上げる。
「ン?どォした」
「お姉ちゃんばっかりずるいの!!想ともおはなししよ?」
テキストに視線を向けていた打ち止めはぎょっとする。
この幼い少女は、一丁前に独占欲を持っているのだ。
「あーくん、あーくん。あしたね、きぬはたせんせいがね、らぷんてるよんでくれるんだって~」
「らぷンてる?」
「……ラプンツェルのことじゃないの?」
舌足らずな言葉の意味するところを理解出来ず一瞬不思議そうに首を傾げる一方通行に助け船を出してやる。
「ああ、あのスゲェお姫様の話かァ」
「…そこは論点じゃないと思うけど…」
首の筋力だけで男を引き上げることもさることながら、それを支えきれる髪の頑丈さもとんでもない。
「今日は何かアイツに読んでもらったのか?」
「うんとね、きょうはね、にんぎょひめ」
「そうか、面白かったか?」
「うん。せんせいもきれいなおなはしだねって」
「……先生ってのは絹旗か?」
想は首を振る。
「きぬはたせんせいは悲しいおはなしだって。想もね、あのおはなし…あまり好きじゃないの」
「面白かったンだろ?」
「だけど、想泣いちゃったの。はまちゃんも泣いてたの。きぬはたせんせいも、悲しそうによんでたの」
しゅんとうつむくと、アホ毛心なししおれたように頭を垂れる。
「………どォして悲しいって思った?」
「だって、にんぎょひめさいごあわになっちゃったの」
「だから悲しいのか?」
「…よくわかんない」
「わからない?」
「えっとね……うんと…」
言葉を探るように想は口をもごもごと動かす。
まるで、その小さな口の中にたくさんの感情が詰まっていて、そこから何を取り出せば良いのか迷っているようだ。
一方通行は想の言葉をじっと待っている。
その沈黙は不思議と息苦しいものではなかった。
昔の一方通行であれば焦れて、次の言葉を急かしていただろう。
そう思い、気になってちらりと打ち止めが視線を遣ると、一方通行の瞳が見惚れてしまうくらいに優しいことに驚いた。
勿論、満面の笑顔を浮かべる男ではないが、その瞳や、口元は昔が信じられない程優しくなっている。
それは、感情のコントロール、表現の仕方をこの10年近くで彼が身につけた証であり、喜ぶべきことだろう。
「にんぎょひめはね、悲しいって泣いてなかったの。あわになっちゃったのにね、悲しくなかったの。
王子さまが大好きでね、だからあわになってもへーきだったの」
「………」
「想はね、おばけ怖いの。クモも怖いの。怖くて泣いちゃうの。泣いちゃうと悲しいの。にんぎょひめは泣いてなかったの。だから悲しくなかったの……」
一方通行は顎を軽く少女の頭の上に乗せる。重くないように。
腕をおなかの前に回してやり、包みこもうとするように緩く抱きしめる。
「悲しいのは想なの。にんぎょひめが、悲しくないのが悲しいの……」
絵本の内容を思い出したのか、少女の大きな瞳が薄く泪の膜を張る。
「ねー、あーくん…」
「うン?」
「にんぎょひめはどうしてもあわにならなきゃダメなの?」
こしょこしょと耳元で妖精が囁いたような、ふんわりと甘い声。
子猫が親猫にするように、頭をすりすりと擦り寄せながら一方通行をつぶらな瞳が見上げる。
無垢で純粋、透き通った瞳。
嘘など認めないのではなく、嘘など存在すら知らない瞳が一方通行を見つめる。
その愛らしい声は、打ち止めにも届いていた。
気づけば、ノートの上を走るペンは止まっていた。
しかし、一方通行は今度はそれを咎めはしない。
打ち止めを流し目を一瞬送ると、すぐに腕の中の少女に視線を戻す。
「そォだな…人魚姫ってのは馬鹿な娘なンだ。しゃべることも出来ねェ、そンでもって王子様にはフィアンセもいる。フィアンセってのはわかるか?」
「うん。この前るいるいがおしえてくれたの。けっこんする人なんだよね」
「ああ、そォだ。で、つまりだ。人魚姫は結果なンざ最初からわかってたのに、勝負に挑ンじまったンだ」
「わかってたの?」
「ああ…王子様は最後にはお姫様と結婚するってな」
「………じゃあどうして?にんぎょひめおよめさんになれないのに?」
「ああ…それでも、人魚姫はそうしたかったンだよ。それでどンだけ自分が傷つくかわかっててもな…ホント…馬鹿な娘だ」
痛みを堪えるように、瞳を眇めると、一方通行は頬を少女の頭に寄せる。柔らかな髪がそれに合わせて微かに震える。
「けどな……そォいう馬鹿だから…不器用で綺麗なお姫様だから、皆好きなンだよ。想は人魚姫は嫌いか?」
利発な少女はすぐに首を振る。
彼の言葉が、童話ではなく、その主人公個人を指していると理解して。
「けどな。俺もやっぱりこの話は好きじゃねェンだわ」
「え?」
「いつも考えちまう。どォして誰も止めなかったンだってな……」
人魚姫は人気者だったのだろう。
イルカも、イカも、カニや亀も、みんな彼女を愛していた。
だったら、どうして不幸になりに行く彼女を止めてやれなかったのだろうか。
それが野暮だとしても、もっと他のやり方は無かったのか。
彼女の問題だと、自分には言う資格もないと言って訳知り顔で遠巻きに見ていたのだろうか。
どれほ恋が素晴らしく、大切なものであろうと、王子様にも誰にも省みられず泡になって消えてしまわなければならないほどのものだろうか。
「あーくん?」
「ああ…悪ィ悪ィ。変な事言っちまったな」
想は今にも泣きそうな顔で一方通行を見上げる。
こぼれてしまいそうな瞳を、悲しげに微かに歪めた少女の表情に、一方通行はおかしなことを口走ってしまっただろうかと、一瞬後悔の色を浮かべる。
「何しょぼくれたツラしてやがンだよ。泣くンじゃねェよ」
意地悪げに唇を歪めて、マシュマロのような頬を撫でてやる。
想はぶんぶんと首を振ると、一方通行の裾をぎゅっと握る。
「ごめんね、あーくん」
「何謝ってンだ?」
「想がにんぎょひめのお話したせいなの。あーくん、痛いの?泣きそうだよ?」
「…………バァカ…ガキがくだらねェこと心配してンじゃねェよ」
一方通行は薄く笑うと、少女のミルクの香りのする頭に口付けるように顔を埋める。
じゃれるというよりも、自分の心をこれ以上少女に見せてはいけないと、見苦しいものに蓋をするように打ち止めには見えた。
微かにハスキーな優しい声。
それは他者を威圧する事と無縁の世界に生きるようになってから明らかになった一方通行の本来の声質である。
それは聞き慣れているはずの打ち止めであっても鼓動を早めずにはいられない程に艶美としており、
仮に耳元で、不意打ちに放たれたのならば即座に蕩けてしまうのではないかという程に甘く響く。
一方通行が一体誰かを指して話たのか、それとも、彼個人の人魚姫に対する見解だったのか、打ち止めはそれを敢えて尋ねようとはしなかった。
ただ、打ち止めはひっそりと思う。
学習装置で、生まれながらに大人としての思考能力と知識を持っていた自分。
記憶の共有がもたらしたものは人間が本来持つ強さや弱さ、醜さなど多岐に渡る。
故に、打ち止めという少女は生まれながらにして、素直であったが、決して無垢ではなかった。
生まれながらに目にした一方通行の弱さ、醜さ、優しさ。
それが、彼女を彼の最大の理解者にして、もっとも絆深き者へとさせたのである。
しかし、もし、この少女のように無垢に生まれることが出来たのならばどうだったのだろうか。
それは考えても意味のないことである。
それでも、ぼんやりと思う。
無邪気に、一身に、一方通行の温もりを受ける少女に視線をやる。
それが、嘗て幼かった自分に番外個体、あるいは他の者が抱いていた嫉妬心でしかないことに気づかず。
2月14日。
それは女の子の女の子の為の聖戦の日。
そう呼ばれていたのは最早古い話。
友チョコ、オトメン、草食男子、やらないか?、等など数多くの言葉と共に女の子が男の子に想いを伝える日という固定概念は崩れ去りつつあった。
あるモノは、友人同士で集まってお菓子作りに興じ、ある者は食べたいプレゼント互いに送り合い。
そしてある者に至っては『おめでとう私!』とばかりに自分の為にGODIVAなんて奮発した者を送ってみたりする者までいる。
自分へのご褒美。お一人様。笑わせる。人はいつだって一人なのだ。今更何を言い繕う必要があるのだろうか。
などと言ってはみても、やはり、愛しい人に愛の告白を、または、お世話になっている大切な知人に心からの贈り物をするというオーソドックスな形は依然として主流を占めているのだ。
前置きが長くなってしまったが、此処にいるとある女もまたそんな主流派の一人であった。
彼女の名は白井黒子。
花も恥らう22歳。
某有名大学にて、優秀な研究を収め、そのまま誘われている研究室に行くべきか、お声が掛かっている一流企業に行くべきかという贅沢な悩みを抱えている少女と呼んでも通じそうな女子大生である。
そんな彼女もまた、迫る14日に供えて準備をする、実にありふれた年頃の女の子であった。
といっても、“愛しい人への告白”の方ではなく、“大切な人への贈り物”の方である。
彼女の昔を知る人間が今日という日と彼女を結びつけるとまず思い浮かべるのは、ルパンダイブからの電撃による撃墜という様式美とかした一連の流れであろう。
愛しのお姉さまの薄い胸に、媚薬入りのチョコレートを塗りたくった変態淑女ツインテールがダイブし、そして迎撃されるというパターンである。
ある者はその光景を目にして「ああ、そういえば今日はバレンタインデーだっけ?」と日々の喧騒に追われるあまりに忘れ去っていた行事を思い出したりする。
しかし、それも昔の話。具体的に言えば6~7年も前の話である。
元々、白井黒子は重度のミサコンであって、レズビアンではない。
限りなく黒に近いグレーであるかもしれないが、一応はノーマルなのである、辛うじて、ギリギリ、判定に持ち込まざるをえないが。
そして、少女丸出しのツインテールは真っ直ぐに下ろし、すらりと伸びた手足も相まって変態淑女ではなく、立派な淑女にワープ進化を遂げつつある。
そんな彼女にとって、バレンタインデーという日は、日頃お世話になっている友人知人へのチョコレート配り。
そして、敬愛する御坂美琴お姉さまと、そのご息女であるところの御坂想お嬢様への厳選されたプレゼントとチョコレートを贈る日であった。
しかし、その前に立ち塞がるのは、とある白い青年。
学園都市第一位。
学園都市の白い悪魔。
学園都市きっての反逆者(トリーズナー)。
学園都市最強の保父さん。
世界の歪みと、食品偽装の根絶の為に日夜戦い続ける男。
一級建築士(何が)の憎いアンチクショウ。
一方通行(注:偽名)であった。
「あ、あの……お兄様?」
お姉さま(美琴)の兄貴ポジション(黒子視点)なのでお兄様。
黒子は不条理を感じながらも、正座の姿勢を崩さずに目の前の青年を見上げている。
正座するのは、愛しのお姉さまの暮らすマンションの一室 ――――― のドアの前。
勿論座布団なんてもんは無い。直座りである。
10人中9人が美人だ!?と振り返り、残り一人が「何でツインテール止めちゃったんや!!」と言わずにはおれない美女をコンクリートの上に正座である。
黒子の前で腕を組んで仁王立ちする一方通行はといえば、今にも暴れだすのではないかという疑念の強い狂犬を前にした保健所職員の表情である。
つまりは、今すぐにでも処分する腹積もり満々ということだ。
黒子とて、馬鹿ではない。可哀想な頭をしてるかもしれないが、馬鹿ではない。
自分がこのような目に遭うだけの前科があるのだ。
「なるほど……バレンタインだから、プレゼントを贈りてェ……そォいうわけだな?」
「は、はいですの!!」
摘み上げたチョコレートを胡散臭げに見遣りながら、絶対零度の視線を黒子に寄越す一方通行。
それだけで、縮み上がりそうである。何がって?そりゃオメェ、ナニよ。
「………駄犬!」
一声上げて、黒子のチョコレートを無造作に放り投げると同時に、一陣の風が舞い込み、すぐさまチョコレートの包みを攫っていく。
呆気に取られる黒子の前で、音も無く着地したのは、お姉さまそっくりの美女。
口に咥えられたチョコレートは、包みが破れ中身が見えている。
美女は一方通行の足元に座り、チョコレートを口に咥えたまま一方通行を見上げる。
『ボールとってきたよ?ご主人様。褒めて褒めて!!』と犬であれば言っているだろう。事実、そんなキラキラした瞳で彼女は見上げている。
アレイスターの仕掛けた遺伝子の罠にもめげず、ちゃっかり、しっかり、しぶとく強く生き残っちゃった子。
御坂美琴クローンの最大の問題児、通称『20000号』と呼ばれる個体である。
「駄犬。解析。報告」
短く告げられたオーダーに従い、バリバリとチョコレートを咀嚼する。
そして、舌の上で味を吟味していく。
溶けたチョコレートが口周りを汚し、実に卑しい。
実に………なんて卑しいのだろう。
「若干の変化は見られるものの媚薬等の薬物の混入は認められず、変質はおそらく独自に加えたホワイトチョコレートとブランデーによるものかと思われます。
と、ミサカは至って王道な手作りチョコですよとセロリタンのホワイトチョコレートぶっかけを期待しながら報告します」
「よしわかった。じゃあ帰っていいぞ」
「酷ッ!?」
声を上げたのは黒子。
毒見として呼ばれただけで、即退場という扱い。そんなもので果たして誰が納得するのだろうか。
「ハイ!!とミサカはセロリタンの冷たい視線と放置プレイの指示に今夜のオカズをゲットだぜ!!と喜んでみます!!」
強がりではなく、本当に心から喜んでいるようだ。何せ『コロンビア!』といいながらのガッツポーズなのであるから。
アデューセロリタンとドップラーで去っていく20000号を早々に脳内から追い出しつつ、一方通行が黒子を見下ろす。
御坂母子に向けている瞳とはエライ違いですの…とは思っても口にしない賢い子黒子。
「どォやら、アイツらに送るものに異物混入はしてねェみてェだな…」
「当たり前ですの!普段の感謝をするのにどうして一服盛らないといけないんですの!!」
「だって……お前だからな」
「うぎぃぃぃぃぃ!!いつまでもいつまでも中学生の頃の事をーーー!!」
「中一で媚薬盗撮尾行なンて輝かしい犯罪歴でなにほざいてやがンだよ。寛大な心で許してやンなかったら、
今頃ジャッジメントされる側になってたンだぞ。感謝しろ黒コング」
「人の事ぶん殴っておいて、寛大と申しましたの!?っていうかオセロ、パンダならともかく、黒コングはやめろですの!愛がありませんの!」
「いいじゃねぇか。エロガキにお灸を据えただけだろォが」
ぺしぺしと額を平手で叩く。
力は込めていない。込めているのは侮蔑だけだ。人の肉体ではなく自尊心を痛めつけるための行為である。
「嘘ですの!!空を飛びましたの!!物理的に」
可愛いという純粋な気持ちから、打ち止めに抱きついた当時16歳の黒子は空を飛んだ。
握力×体重×スピード=破壊力。
この数式に、ベクトルを織り込み、握力(ベクトル代入)×体重(ベクトル代入)×スピード(ベクトル代入)=破壊力(レベル6化)
という新たな演算式による『新・男女平等パンチ』によってだ。
それでも星にならなかったのはひとえに一方通行の優しさであろう。
「ホント、丸くなったもンだぜ俺も」
「ブルトン並にでこぼこですの!成層圏行きましたの!」
「まァ済ンだ話なンざどォでもいい」
ちなみに、想を初めて見て、可愛さの余りチューしようとした瞬間、黒子は気が付けば白熊が目の前にいた。
どうやらその時は北極圏まで殴り飛ばされていたらしかった。
それでも汚い花火にならずに済んだのもひとえに ――――
―――― 海より深い一方通行の優しさによるものであった」
「捏造ですの!モノローグ勝手に捏造してましたの。汚い花火のくだりから完全にモノローグ乗っ取ってましたの!!」
「しかしよォ、普通のチョコレートってのも……正直ガッカリだな」
「ガッカリ……ですの?」
「ガッカリだ」
「二度言った!?」
ようやくドアの前から上げてもらった黒子は一方通行特性のカフェオレと、どんぶり一杯のぶぶ漬けを前にして首を傾げる。
褒められこそすれ、失望されるいわれは無いはずだ。というかあってたまるか、散々な目にあわせておいて。
ぶぶ漬けについては触れない。触れないったら触れない。
一方通行は黒子の作ってきたチョコレートを一口食べると顔を顰める。
「無難な味だァ……市販のチョコを固め直して手作りチョコですよーってかァ?」
「そ、それは……」
それで三倍の品を釣り上げるのだから、海老で鯛をなんとやらである。
もっとも、黒子は三倍返しなんてものは求めてはいない。ただ、もうちょっと美琴や想と絡みたいな~とか、そんな程度である。
超電磁砲組で自分だけ想とお風呂に入ることが親御さんから解禁されていないのだが、そろそろ解禁して欲しいな~くらいしか思っていない。
「常盤台のお嬢様(笑)は市販のチョコを固めてハート型にして手作りチョコですよォォってか?」
「ぐ……」
真剣な、一切の嘘を許さない瞳に、黒子は言葉を失う。端整な顔立ちに、エキゾチックな赤い瞳が妖しく艶かしく輝く。
それは、黒子のような年頃の女にとって、それも男性経験の著しく乏しい女にとって、何とも落ち着かず、そわそわさせてしまう蟲惑的な光を持っている。
顔が徐々に熱くなっていくのを自覚しながら、視線を逸らそうとするものの、いつの間にか顎に添えられた指先がそれを許さない。
縫い付けられたように真っ直ぐに、覗き込むように放たれる瞳に、黒子は逃れることが出来ないことを知る。
「マンマミーアァァ(なんてこった)」
「何故イタリア語」
一瞬漂った甘いかもしれない空気は一瞬にして消え失せる。
所詮はそんなもんだろう。
もし仮に……
【IF】の話であるが、絹旗であれば。
或いはそのままギャグという言葉を免罪符にした一方通行がピロトークまで持ち込むかもしれないが、全てはIFの話だ。
無意味だ。感動的だが、無意味だ。
「一つ尋ねンぞ、黒コング」
「ゴリラみてぇな呼び名やめろってんですの!」
「いいから答えろ」
「何ですの?」
「テメェのアイツらへの愛ってのァ……市販の味なンぞで表わせるモンなのか?」
「!?」
「本当に敬愛してるってンならなァ……カカオから厳選した最高究極絶対無敵のチョコレートぐれェ持って来いやァァーーーーー!!!」
頬を張られたような衝撃が黒子の背筋を貫いていく。
そうだ。市販されたチョコレートを、普通にレジに持って行って、それを湯銭で溶かして完成。
そんなことで自分は本当に満足していたのか?
中学生の頃。自重、自粛、自制、自省。あらゆるものが足りておらず、ひたすら過激な行動で愛を示そうとしていた若く、否、幼い自分。
しかし、唯一つ勝っていたものがあった。
それは情熱。
美琴への敬愛を示そうと、自分の中にマグマのように凶暴なまでに滾る想いを、その千分の一でもいいから知って欲しくて何でもいいからチャレンジしたあの頃。
その情熱が、齢十三にして伝説にしか存在しないはずのルパンダイブ習得に至らせたのではなかったのだろうか。
それを自分は今の今まで見失っていた。そう、目の前の青年に教えてもらうまでは。
こと、此処にいたり、黒子は己の未熟さを悟る。
つまり、それを黒子に教えられるほど、目の前の青年の愛、情熱は自分よりも先の領域にあるのだ。
コレがイシスの時代で燻っている者と、ホルスの時代に進んだ者の差であろうか。多分違うが。
「目が覚めましたのお兄様!!黒子間違ってましたの!!」
黒子は一方通行の手をしっかりと握る。
「そうですわね。この程度で黒子のお姉さまと、想ちゃんへの愛を表わせるはずもありませんわ。“カカオから厳選した最高究極絶対無敵のチョコレート”……ふふふふ……久しぶりに胸にずしんと来ましたの」
「フッ…どォやら迷いは吹っ切ったよォだな」
「お兄様……」
にやりと一方通行が笑う。まるで弟子の成長を喜ぶかのように。
ぽんと、黒子の頭に手を乗せると、一方通行は諭すように言う。
「じゃあ、カカオっつーたらコートジボワールに行かねェとなァ」
「はいですの!!
ん?」
「今日から貴様等のガイドを担当するウィリアム=オルウェルである」
「…………」
うだるような熱さ、それも日本のような湿気など微塵も感じさせない、ひたすら純粋な灼熱の下。
それを割り増しするような暑苦しい男を黒子は視界に捉える。
黒子を含め、数名のメンバーを引率するガイドは何と言うか、一言で言えば端整なゴリラだった。
「これから取りに向かうカカオは少々特別なカカオであり、専門家のガイドが無ければ非常に危険であるからなのである」
「あのぉ…ご質問宜しいでしょうか?」
「うむ。何なのであるか?」
「危険といいますのは、一体どのような?私これでも少々の荒事ぐらいでは……」
「私語厳禁なのである!!」
「あべし!!」
男女平等パンチってグローバルに存在するんだ。
そんな事を思いながら錐揉み状に吹っ飛ぶ黒子。
どうでもいいが、錐揉みする瞬間をつむじから見るとロールパンみたいに見える。髪の色的に。
「ウィリアムでは長いので、略してアックアでいいのである」
「全然略してないですの!!」
「私語厳禁なのである!!」
「ひでぶ!!」
筋骨隆々の、全盛期のシュワちゃんにしか見えない男を前に、ようやく自分が口車に乗せられたのだと自覚する。
全ては自分を美琴から、そして想から引き離す為の孔明……一方通行の罠。
それに自分はまんまと引っかかってしまったのだ。
「あのウサギぃぃぃ……」
「私語厳禁なのである!!」
「たらば!!」
「出たのである。あれが貴様等が取るカカオなのである」
【ゲッゲッゲッゲ】
「鳴いてますの!」
「活きが良いカカオなのである」
【ピュピュピュッ!!】
ジュワァァァァ……
「酸吐きましたの!!」
「やんちゃなのである」
【じゃあああああああーーーーーーーー】
『Ohーーーー!!』
『メイスンンンンンンンーーーー!!』
「人を飲み込みましたの!!!」
「育ち盛りなのである」
「もはやカカオじゃないですの!!」
「元々は学園都市産の肥料を撒いたら生まれた変わったカカオなのである」
「それ最早バイオハザードですの!!」
「白井さーーーーん!!無敵のテレポートで何とかしてくださいよーーーー!!」
「こんな状況で演算なんて出来るわけねーですの!!
「ああッ!!そうこうしてるうちに、アックア隊長が捕まった!!」
「なんてこったいなのである!!」
「ホントになにやってるんですのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーー!!」
「ああ……カカオ(?)の触手が……アックア隊長の服を」
ビリビリビリッ!!
【ゲッゲッゲッゲ】
「ぬぅぅぅぅーーー!!こ、このアックア、辱めには屈しないのである!!」
「ああ…触手が…触手が隊長を…………………………ふぅ………」
「賢者にジョブチェンジしてる場合じゃねーですの!!」
「そっちは入れるのに適した穴ではないのであ、ある!!」
【ゲッゲッゲッゲ…クッグックッククリムッ…ゾン】
「く、悔しいのである……聖人の力さえあればこんなカカオなんかに…」
【ゲッゲッゲッゲ…ア、アックアさんの生アスカロンを拝見しても宜しいでしょうか?】
「おい、完全にあのカカオ喋ってますの」
「クッソ…お色気担当のアックア隊長が…」
「え!?お色気担当!?」
「ら、らめぇーーーなのであーーーる!!」
「一方通行さんも随分上達しましたよね~」
出来上がったチョコレートケーキに、丁寧に文字を描いていく隣で、感嘆の声が上がる。
一方通行の隣りで、佐天涙子が、クリームを軽やかな手付きでかき混ぜていく。
「先生がいいからなァ。癪だが」
「む!癪だからは余計ですよ」
ぷんっと佐天が膨れる。
一方通行はそれを意地悪く笑って受け流す。
それはいつもの事であるので、当然佐天とて本気で怒っているわけではない。
いわば、長い付き合い故のじゃれ合いのようなものだ。
「そういえば、今日想ちゃんの誕生日じゃないですか」
「ああ」
そう、今、日本は2月14日。
バレンタインデーである。しかし、一方通行にとってはそれよりも想の誕生日であるということが重要であった。
「白井さん全然連絡来ないし。何処行ってるんだろ。いの一番に飛んでくるって思ってたのに」
「珍しいこともあるもンだなァ」
指先を唇にあてて、可愛らしく唸る佐天の隣りで、一方通行はふわりと笑う。
実にイイ顔で。
乾いた音で絹旗は目を覚ます。
身体中が絹旗の意思に反して、動くことを拒む。
まるで余計なことはしたくないと、じっと縮こまっていたいと彼女に訴えかけるように。
今は一体何時なのだろうかと、絹旗は軋む身体を叱咤して辺りを見回す。
けれども時計は見当たらない。そもそも、そこは見慣れた場所ではなかった。
映画であれば、地下牢、或いは薄暗い地下室などであろうが、そこはマンションの一室だった。
家具は一切見当たらず、ただがらんとしている。床にはカーペットすらなく、ただ、目を引いたのは50型ほどであろうか。
何もない部屋に巨大な液晶のテレビが一台。それが酷く場違いであった。
一体どうして自分はこんなところで眠っていたのだろうか。
そう思い、自分の身体に視線を落として驚愕に目を見開く。
自分の身体 ――― 一糸纏わぬ姿に。
「なァに寝てるンですかァ~?ブチ殺されてェか?」
頭上から降ってきた声につられるように、見上げる。
そして、状況がつかめずに揺れと惑う絹旗の瞳は、そんな彼女を真正面から見下ろす ――― 見下す紅の瞳とぶつかった。
「よォ…随分と寝てやがったなァ…」
笑みの形に歪んでいるだけ、目元には軽蔑が、声には失望が露わになった白髪頭の青年の姿に息を呑んだ。
しかし、絹旗の驚愕はすぐに羞恥へと置き換わる。自分が何も身に着けていないと思い出したのだ。
「い、イヤ……痛ッ…」
自分の身体を抱きしめると、体中に鈍痛が走った。
痛みに顔を顰めた絹旗の臀部を白髪の青年、一方通行の足が踏みつける。
革靴の底の、冷たく固い感触が遠慮も容赦もなく叩き付けられ、絹旗は背を仰け反らせて苦悶の声を上げた。
そして、その痛みがようやく寝ぼけていた彼女の脳を完全に目覚めさせる。
自分の裸体を点検するように見回す。蛇が絡みついたように幾重にも重ねられた赤いひも状の痣。
絹旗は完全に思い出す。
この自分が置かれている状況と、それを行った人物。そして、此処で自分が何をされていたのか。
自分が目を覚ました音。
あれは何のことはない、自分の背中を打った鞭の音に過ぎなかったのだ。
「よォやく目が覚めたみてェだな…つーか気絶してたって言う方がいいのかァ?」
喉の奥から込み上げる嘲笑が、その声には滲んでいた。
絹旗は責めるように一方通行を睨みつける。
気絶するまで、散々自分を鞭で痛めつけた男を。
そうだ、自分はこの青年に此処に連れてこられ、そして ――――
「あァ?お前何赤くなってンだァ?きひひひひひ…っ今更過ぎんだろォが?」
「うぐッ」
唯一絹旗が身に着けていた首輪から伸びたリードを無造作に引っ張り上げる。
髪を掴んで引き寄せなかったのは、優しさでもなんでもない。
単に犬を引き寄せるのにはリードの方が便利だからだ。
「なァに顔そらしてンですか?変態ドマゾの最愛ちゃァァ~ン?」
「ふっ―――ぅぁぁぁ……んんッ」
長い舌が絹旗の汗ばんだ首筋を舐め上げる。
しっとりとして、少し温めの濡れた感触に、緊張と羞恥で敏感になっていた肌が過敏な反応を示す。
しかし、その感度の良さでさえも、この男に散々叩き込まれたものだと思うと屈辱と怒りが込み上げる。
頬を朱色に染めながら、絹旗は必死に声を抑えようとする。
それを白けた目で見下ろすと、一方通行の瞳に、やおら狂気じみた稚気が浮かぶ。
するりと、むき出しの乳房に伸びる。
「痛い!!」
頂を抓りあげられ、絹旗が短い悲鳴を上げる。そのの目尻には涙が浮かぶ。
どうしてこんなことをするの?そう問い掛ける前に、もう片方の乳房もどうように抓りあげられる。
「いぎぃっ」
千切れるのではないかという痛みに、絹旗の喉はただただ苦痛を訴える為の装置のように、戦慄く。
そして、不意に手が離れるのと同時に、ちゅるりと濡れた柔らかな感触がそこを包んだ。
驚き、胸元に眼を移せば、白い頭が直ぐに視界に入る。
一方通行が赤ん坊のように絹旗の乳房を口に含んでいるのだ。
ちゅぱ、ちゅぱっと水気のある音と同時に、得も言われぬ甘い痺れが背筋を走る。
夜の独り自分を慰めるときに彼女が幾度も想像した光景に、絹旗は無意識に一方通行の頭を手で包み込むように押さえる。
が、それをちらりと目で確認していた一方通行は、突然歯を頂に当てる。
「あぐぅっッ……痛い…痛いですッ」
噛み千切られるのではないのか。一瞬彼女の中に生まれる恐怖。
それを手に取るかのように把握している一方通行の舌が、またもや優しく頂をなぞる。
もたらされた快感に鳥肌を立てながら絹旗が甘い息を漏らす。羞恥に顔を真っ赤に染め、慌てて口を抑えようとする両手を一方通行は素早く抑え込む。
乳房を口に含みながら、くつくつと男が笑う。絹旗の反応がいちいち素直であることを喜んでいるかのように。
事実、彼は楽しくて仕方がないのだ。自分の思考の一部を持たされたこの少女が愛しく、可愛い玩具に思えてしょうがないのだ。
「思い切り痛くされてから突然優しく舐められると感じるンだろ?」
「うく……んんん……」
「散々昨日悦ンでたものなァ」
つぅーと絹旗の胸から伸びる銀糸を口元にまで繋げ、唾液と絹旗の汗で濡れた一方通行の唇が卑猥に艶を放つ。
薄い唇が、厭らしく三日月形に歪むのを、熱に侵され掛けた頭でぼんやりと眺める。
それでも尚、絹旗の瞳には一方通行への敵意が漲っている。快楽に頬を朱に染めつつ、羞恥と怒りに瞳は爛々としているのだ。
しかし、それを楽しむように一瞥すると、一方通行は絹旗から離れる。
「くくく…まるで囚われの悲劇のヒロインってツラだな。まるで完全に被害者ですって言いたげだぜ?」
「当たり前です!!こんな、こんな超酷いことしておいてよくも…私の気持ちを弄んで……ひっく…」
昨日された行為が脳裏を過ぎる。
幾度も想像した相手は、確かに目の前の男であったのに。
それなのに、想像にはまったくしなかった、こんなシチュエーションなど。
その事が、絹旗をより一層悲しくさせる。望んでいたはずなのに望んでいなかったのだと。
「弄んだ……ねェ?」
しかし、一方通行は流れ落ちる、雫にさえ一欠けらの動揺も見せず、ただ部屋に備え付けられていたモニタのリモコンを手に取る。
『あああーーー!!いいです!!超いいですぅーーーー!!!』
「…………………え……?」
掠れた声が絹旗の喉から零れた。
テレビに映る、あの女は誰だ?
『もっとです。もっと下さい!!さいあいをアクセラレータの好きにしてください!!』
茶色い髪を振り乱して、白髪頭の青年に齧り付き、何度も何度も悦びの悲鳴を上げている見っとも無い女。
犬のように舌を出して、懸命におねだりをする快楽の虜となった姿には首輪はお似合いとさえ言える。
四つん這いになって、一心に媚を売るように一方通行を見上げる女。
何度も尻を叩かれ、真っ赤になった尻を高々と上げているあの女は誰だ。
「いいツラしてンじゃねェか……なァ…絹旗せんせい?」
「あ…ああ……」
耳元で、甘いハスキーボイスが響く。
その声の響きに、絹旗は熱を多分に含んだ吐息を思わず漏らす。
耳朶を甘く噛むと、一方通行は囁く。
「何、恥ずかしがるこたァねェよ。俺の思考……正確には『嗜好』を植えつけられたテメェらはよ、“そういう風”に出来てンだよ」
リードを握った手を引き寄せられ、一方通行の顔が真正面に来る。
愛しい愛しいペットを見る優しい飼い主のような笑みに、絹旗の ――― 最早壊れかけた思考は恋する乙女のように熱くなる。
しかし、一方通行の言葉に、かすかな違和感を抱く。
今この男はテメェらと言った。つまり絹旗だけではないのだ。
彼女は、その疑問に対する回答をすぐさま自身で見出す。
「ま…さか……」
絹旗のかすかな言葉の断片に、一方通行は嗜虐心を刺激されたのか、二ィっと笑う。
「アッチは随分な劣等生つーか、駄犬でよ。おかげで朝までかかっちまった。………もっとも、一度懐けば馬鹿みてぇに尻尾振るあたり、馬鹿な方が犬は可愛いのかもなァ」
可愛いという言葉を、一方通行が使ったことに、絹旗の瞳に暗い炎が点る。
姿の見えない黒夜海鳥への、激しい嫉妬。
彼の関心を浴びる、自分以外の彼の玩具。その事に歯軋りすらしそうになる。
既に、その思考すら彼女が壊れていることを ―――― 或いは正常になっていることを示しているのだが、それは既に遅い。
昨夜の嬌態を見せ付けられ、一度記憶を取り戻した以上は絹旗には自覚など無い。
存分に壊れ、程よく楽しめる具合になるまで後一歩だと判断すると、一方通行は最後のダメ押しをする。
「まァ……俺は毛並みの良い従順な犬の方が……好きだがなァ」
囁いたのは悪魔の呪い。
絹旗最愛という女から、尊厳と矜持と品性と理性を全て奪い去る破滅の言葉。
そして、同時に永遠の所有と快楽を与えるための蜜のような言葉だ。
焦点の合わなくなっている瞳をゆるゆると一方通行に向け、絹旗は最後の一押しを自らの手で行う。
「はい…私を貴方の―――――」
「んん…もしもし?…絹旗?何よこんな時間に電話してきてさ。ってかまだ五時じゃねぇかよ…!
ふざけんなよ?ぶちころされてぇのか?ああ゛ぁッ?え?何?寧ろそうしてくれ?は?何言って……
え?今すぐ絹/旗にしてくれ?……えっと……ちょっ…寧ろき/ぬ/は/た、にしてくれ?イヤイヤイヤ!!
アンタ何言ってるのよ?え?あんな夢を見て、もう合わす顔がない?待って、待ってお願い。ちょっと待って。
ちょっと待ってホント。麦野さんちょっとまだ把握できないんだけど……絹旗?ねぇ、絹旗?絹旗ぁぁぁぁーーーー!?」


御坂想の父親まで判明するとか、今後が気になる。
更に三つも番外編が続くとか色々凄まじい。
次回も気になるが、貧乏螺子様、新作とあるSS書いて下さい!