♪
後輩「本当に行くんですか?」
男「手がかりがなにもないんだ。だったら少しでも引っかかったところから攻めるしかないと思うんだ」
男(オレが危うく車にひかれそうになった日。オレとレミちゃんは学校に来ていた)
男(そして、学校にいるということは、当然制服である)
男(まさかまた、女子の制服の袖に手を通すことになるなんて……)
男「問題はあの人がいるかなんだよなあ」
後輩「むしろ夏休みですから、いない確率のほうが高いと思いますけど」
男「そうだよなあ。まあ、ここまで来ちゃったし、行くだけ行こう」
男(オレたちが向かったのは、図書室だった)
本娘「あら? 珍しいわね、ここに人が来るなんて」
男「……どうも」
本娘「しかも。ひとりじゃなくふたりだなんてね。しかも、とってもカワイイ」
後輩「こ、こんにちは……」
本娘「どうしたの? ふたりとも心なしか顔が緊張してるように見えるわよ?」
男「実は先輩に聞きたいことがあってきたんです」
本娘「聞きたいこと。ひょっとしてこの前の続きかしら?」
男「ちがいます」
本娘「あら? ちがうのかあ、ざーんねんっ」
男(どこか不思議な雰囲気をした先輩。仕草のひとつひとつが妙に色っぽい)
男(窓から射す太陽の光が、先輩の金色の髪をことさら明るく照らした)
男「単刀直入に言います」
男(探偵の気持ちが少しわかった気がした。ただ、ひとつのことを言うのに、こんなに緊張するなんて)
男「昨日先輩はボクを突き飛ばしませんでしたか?」
後輩「……」
本娘「うーん。話がまったく見えないんだけど、わかるように説明してくれない?」
男(オレは昨日起こった出来事を簡単に説明した)
男「そして、オレを突き飛ばしたと思われる人は金髪だった」
本娘「うんうん、なるほど。それで?」
男「それで、ってこれ以上なにを言う必要があるんですか?」
本娘「証拠は?」
男「証拠?」
本娘「私が君を突き飛ばしたって証拠がどこかにあるのかしら?」
男「ないですけど……」
本娘「あらら? 人を疑うのに証拠がないっていうのは、ちょっとおかしいんじゃない?」
男「で、でも。証拠について聞いてくる人は、推理小説では十中八九犯人なんですよ!」
本娘「デタラメ言わないの」
男「うっ……」
本娘「でも私は、君が私を疑った理由がだいたいわかるけどね」
本娘「そんなことをする人間は、自分を恨んでいる人間。つまり自分を知っている人間」
本娘「あるいは、自分が知っている人間。そして君の知っている人間で唯一の金髪が私だ
った」
本娘「こんなところじゃない?」
男「いやあ、お見事。さすが先輩! ボクの言いたいことをだいたい言ってくれました」
本娘「で、それで私は犯人になるの?」
男「それは……」
後輩「先輩。やっぱりいくらなんでも、根拠薄弱すぎると思います」
本娘「そうよねえ。いくらなんでも、それで犯罪者扱いされたくないなあ」
男「……ですよねえ」
本娘「もし私を犯人にしたいなら、まずはもっと証拠を探さないとね」
男(うう、密かにこれは名推理なんじゃないかと思ってたとは言えない)
後輩「……先輩は夏休みも図書室にいるんですか?」
本娘「うん。だって図書室って冷房ついてるし。私の部屋、冷房がないから助かるのよね」
後輩「でも先輩以外は、誰もいませんね」
本娘「だからいいんじゃない。ひとりでくつろげるって最高よ」
後輩「はあ……」
本娘「ああでも、もちろん自由に使っていいわよ。なんなら一緒になにかする?」
後輩「なにかって……なにをするんですか?」
本娘「うーん、そうねえ。たとえばこういうこととか?」
後輩「ひゃっ!?」
男「!?」
男(見事に迷推理をかまして、意気消沈していたオレの目の前でなにかすごいことが起きた)
男(とてもオレでは描写できないような、なんかそういうアレだ)
本娘「やぁっぱり。前に話したときにも思ったけど、こういうことって普段はしないの?」
後輩「ど、どこ触ってるんですか……!?」
本娘「どこでしょうねえ? ねえ?」
男「し、しししし知りませんよ! ていうか、なにやってるんですか?」
本娘「この部屋、少し寒いでしょ? からだが冷えちゃってるから、運動しようと思って」
後輩「だ、だからって……! なんでこんなことを……んっ……!」
本娘「だってカワイイんだもんっ。でもそんなにいやがるなら……」
男「え?」
男(気づいたら先輩が目の前にいた。次の瞬間、オレは先輩に抱きしめられていた)
男「!?!?!?」
後輩「!!」
本娘「君もウブな反応するわよねえ。んふっ……カワイイね」
男「ひっ!?」
男(先輩の手が首に触れた。冷たい感触が首を通して、背骨を突き抜ける。思わず背筋が伸びる)
男(しかも先輩はオレの髪をかきあげると、むき出しになった耳に息を吹きかけた)
男「ひょええっ!?」
本娘「ふふっ……おもしろいね」
男「や、やめてくださいよっ! な、なにをやってるんですか!?」
本娘「本当は嬉しかったくせに」
男(それは否定できない……って、流されるなオレ!)
本娘「この反応だけ見ると、色んな子をたぶらかしてきたっていうのが、信じられないわね」
男「だから前にも話したじゃないですか。ボクにはそんな記憶はないんです」
本娘「ふうん。そういえば、そんなことも言ってたわね。どう思う?」
後輩「わ、私に言ってるんですか?」
本娘「もちろん」
後輩「……私は先輩を信じてます」
本娘「だって。よかったわね。でもね」
男「?」
本娘「それでも事実として知ってるからね。君が色んな生徒をたらしこんでるっていうのは」
男「そんなこと言われても……」
本娘「魔法のように人間を惚れさせるなんてね。実は君、魔法使いだったりしてね」
男「な、なに言ってるんですか?」
本娘「ふうん。ちなみにあなたは惚れてるの?」
後輩「な、なにを急に言い出すんですか!? 急に変なこと言わないでください」
本娘「顔赤いわよ。これはひょっとして本当に……」
後輩「ち、ちがいますっ……」
男「……」
男(ちがいます、と否定されてオレの胸はなぜか少しだけ重くなった)
後輩「ひょっとしたら、先輩だって惚れてしまう可能性はありますよ」
本娘「まあそうね。無きにしも非ず、かもね」
男「え?」
本娘「なあんちゃって。安心してね」
男(先輩がオレをまっすぐ見据える)
本娘「私は君に、絶対惚れたりしないから」
男(宣言というよりは、単なる事実を述べているだけのような軽い口調)
男「そうですか。べつにかまいませんよ」
本娘「かまわないんだあ。私みたいな美人にこんなこと言われて、悔しくないの?」
男「べ、べつに。ぜんっぜん気にならないですね」
後輩「……」
男(レミちゃんの視線が痛い。居心地が悪い。綺麗どころと同じ空間にいるのになあ)
本娘「ん? 誰か外にいるみたいね」
男「……ホントだ」
男(ドアの曇りガラスに人影が浮かんでいる。先輩が、ドアに近づいていく)
本娘「あら? いなくなっちゃった。新しい来訪者かと思って期待してたのに」
男「先輩の存在に気づいて、逃げ出しちゃったんじゃないですか?」
本娘「失礼ね。これでも私はとっても親切なんだから」
男(この人はオレを突き飛ばした犯人じゃない。本当にそうなのかな?)
男(なにかないのか? 証拠のようなもの)
「すみません、失礼します」
本娘「どうぞどうぞ。ところでその大きな荷物はなにかしら?」
男「あっ……」
男(ドアから入ってきた女子には見覚えがあった。いや、見覚えがあるなんてレベルじゃない)
男「お前……」
幼馴染「なっ……! なんであのときの変質者がここにいるの……?」
男「誰が変質者だ!?」
幼馴染「見知らぬ他人に向かって、幼馴染だって言ってくる人は変質者に決まってるでしょ」
本娘「うーん。話がよく見えないけど、ふたりは知り合いってこと?」
幼馴染「ちがいます。こんな変な人、私は知りません」
後輩「先輩、この人になにかしたんですか?」
男「べつに変なことはしてない。ただ……」
幼馴染「とにかく。この荷物をここに置かせてもらいますね。失礼します」
男(それだけ言うと、出て行ってしまった)
本娘「なんだかそうとう嫌われているみたいね」
男「ボクは間違ったことは言ってないです。そのはずなんです」
本娘「会話が噛み合ってないように見えたけど。例の話と関係があるのかしら?」
男「ボクとアイツは、ボクの記憶が正解なら幼馴染のはずです」
本娘「ところがどっこい。今はそうではないってわけね」
男「見てのとおり。幼馴染どころか、知り合いですらないんです」
後輩「今の先輩の幼馴染にあたる人は、別人になっているんですよね?」
男「うん」
本娘「……ひとつ聞いてもいい?」
男「なんですか?」
本娘「その幼馴染の子と、今みたいな関係になっているのはショック?」
男「当然ですよ。だってボクとアイツは幼稚園からの付き合いだし……」
本娘「そっか」
男「まあそんなことを言ってもどうしようもないんですけどね」
本娘「そうかしら? まだここからどうにかできるかもよ?」
後輩「……そうですね。今からでも、仲良くなろうと思えばなれるんじゃないですか?」
男「……」
本娘「あの子、重たそうな荷物を持ってたから手伝ってあげたら? 少しは印象よくなるんじゃない?」
男「でも……」
本娘「いいじゃない。君はスキャンダルにまみれてるんだし、印象操作の一環だと思えば」
男「印象操作って言うと、メチャクチャ印象悪いですよ」
本娘「いいから。さっさと手伝いに行く。力仕事はまかせろって颯爽と現れてやるの」
男(先輩がオレの背中を押した)
男(昨日、背中を押された感触とそれは、まったくちがうもののように思えた)
♪
幼馴染「なに? なんか用があるの?」
男「……手伝いにきたんだよ」
幼馴染「頼んでない。それにこれは私が頼まれた仕事だから」
男「でもこれって、文化祭実行委員の仕事だろ? お前って実行委員なの?」
幼馴染「ちがうけど。人手が足りないっていうから、手伝っただけ」
男「じゃあオレも、同じ理由で手伝う。それでいいでしょ?」
幼馴染「頼まれたのは私だから。ジャマしないで。ていうかどいて」
男「……」
男(そう言って見るからに重たそうな荷物を運ぼうとする。でも、明らかにふらついている)
男(男のオレからしても、その荷物は重たそうだ)
幼馴染「ちょっとどいてよ」
男「いいから手伝わせろって。なっ?」
幼馴染「なにが『なっ?』よ。だいたい馴れ馴れしいってば」
男(基本強気なヤツだとは知っていたけど、ここまで突っぱねられるとは思っていなかった)
男(余計にオレの印象が悪くなっている気がする。でも、引き下がるのもイヤだった)
幼馴染「いいからどいて……きゃっ!」
男(思いっきり進路妨害するオレを避けようとしたのが、祟ったらしい。よろめいて転びそうになる)
男(オレはとっさに受け止めようとした。そして)
男「ぐえっ!」
幼馴染「!」
男(自分でも驚くぐらいナイスな滑り込みで、オレは下敷きとなった)
男「イテテ……大丈夫?」
幼馴染「痛っ…………っ!」
男「!」
男(見事下敷きになったオレ。背中の痛みと、胴体の柔らかい感触に挟まれたオレは思わず固まった)
男(視界いっぱいに見知った女の顔が……少し動いたら、そのままキスできそうだった)
男(痛みのせいか少しだけ目尻に涙が浮かんだ瞳。その瞳に映る自分の顔が視認できる)
男(鼻息がかかる距離なのに、息がかからないのは、コイツが息を文字通りのんでいるからだ)
幼馴染「ご、ごめん!」
男(目にも止まらぬ速さで離れる。オレ自身は動けなかったけど、心臓は暴れまわっていた)
幼馴染「あー……怪我ない?」
男「なんとか。そっちこそケガしてない?」
幼馴染「私は……その……受け止めてくれたから……」
男「そっか」
幼馴染「ちょっとこけそうになったぐらいで、あんなふうに受け止めなくてもいいのに」
男「まあね」
幼馴染「……はい」
男「なにこの手?」
幼馴染「いちいち聞かないで。ほら、立って」
男「……ありがと」
男(オレは本当に久々にコイツの手を握った。何年ぶりなんだろ?)
幼馴染「強く握りすぎ。……痛い」
男「ごめん。ていうか、本当に悪かった」
幼馴染「なにが?」
男「オレがジャマしなけりゃ、お互いにこけることもなかったもんな」
幼馴染「そうだね」
男「……ごめん」
幼馴染「けれど、私が素直にあなたの言うことを聞いてればよかった話だから」
男「たしかにな。言われてみれば、そうだな」
幼馴染「態度コロッと変えすぎ」
男「そんなことはないよ?」
幼馴染「そっ。ところで手伝ってくれるんでしょ?」
男「そっちが手伝わせてくれたらな」
幼馴染「じゃあお願いします。とりあえず散らばったものを一緒に拾ってくれる?」
男「もちろん」
男(一通り散らばったものを広い集めて、オレたちは荷物を指定された場所へ運んだ)
幼馴染「わざわざ手伝ってくれてありがと、不審者さん」
男「だから不審者。オレは……」
幼馴染「なに?」
男「あー、なんていうか、まあとりあえず不審者じゃない」
幼馴染「人のことを勝手に幼馴染扱いする人のことを不審者って言っちゃダメなの?」
男「もっといい呼び方があるだろ?」
幼馴染「ない。だいたい私の個人情報まで知ってるし。コワすぎ」
男「たしかにそうだな」
幼馴染「なに納得してんの。実際、どうやって私のこと知ったの?」
男「……」
男(この状況で本当のことを話しても通じないっていうのは、直感でわかった)
男(二ヶ月ぶりに話せたのに。オレは言いたいことも言えないのか)
男(オレはお前との最初の出会いだって覚えている。それなのに……)
幼馴染「まあ話せないんなら、それでもいいよ。悪い人ってわけじゃなさそうだし」
男(そう言ってもらっても、全然心は晴れなかった)
男「なあ」
幼馴染「なに?」
男「逆にお前はオレのこと、なにか知らない?」
幼馴染「どういう意味? たぶん顔は知らないよ。私、けっこう人の顔覚えるの得意だし」
男「……そうだったな」
幼馴染「え?」
男「なにも言ってない。気にすんな」
男「ひとつ聞いていい?」
幼馴染「イヤ」
男「そこをなんとか」
幼馴染「本当にひとつだけだよ? それ以上は質問は許さない」
男「はいはい。お前って口癖みたいなのってある?」
幼馴染「自覚はないけど、周りからは『何事も前向きに』ってよく言うって言われる」
男「それだけ?」
幼馴染「どういうこと? ほかにはなにもないと思うけど。ていうかひとつって言ったよね?」
男「細かいことはいいから。本当にそれだけ?」
幼馴染「口癖なんて、いちいち覚えてないよ。だからこそ口癖なんだし」
男「……そうだね」
男(話せば話すほど、今度は違和感のようなものが胸に広がっていく)
男(たしかにコイツはオレの幼馴染だったアイツではないのかもしれない)
幼馴染「あっ……私、そろそろ行くね。……手伝ってくれてありがと不審者さん」
男「さん付けされても嬉しくない」
幼馴染「それは知りませーん」
男(そう言ってオレの幼馴染――によく似た彼女は女子生徒に駆け寄った)
男「……もしかして、恋人なのかな?」
男(もうひとりの女子生徒は知らないヤツ)
男(でも、アイツの顔つきがオレの知っているそれとちがったから、たぶんそうなのかな?)
男(女と女なのに、そのふたりの組み合わせはとてもお似合いに見えた)
男「ちぇっ……悔しいな」
♪
男「証拠もないのに、疑ったりしてすみませんでした」
本娘「んー、そんなに気にしなくてもいいわよ。ずっとレミちゃんとお話できたしね」
男「レミちゃんも、待たせちゃってごめん」
後輩「いえ。私も先輩と色々お話できて、楽しかったですし」
本娘「レミちゃんはまた来てくれていいわよ? 今日ですっかり気に入っちゃった」
男「あれ? ボクは?」
本娘「用がないなら来なくていいわよ?」
男「そんな……」
本娘「冗談。次こそは名推理を期待しているわよ?」
男「あはは……ボク、頭悪いんで推理にはあまり期待しないでください」
本娘「それと、例の幼馴染の子についてはもういいの?」
男「……はい。なんていうか、今回のことですっきりしました」
本娘「ふうん。それがどのような意味かはわからないけど。なんなら私の胸で泣いてく?」
男「え? い、いいんですか?」
本娘「ただ私の胸で泣くと、死んじゃうかもね。窒息して」
後輩「……」
男(オレは隣のレミちゃんの視線を敏感に感じとった)
男「……やっぱりいいです。窒息したくないですし」
本娘「あらら、残念。じゃあ代わりにほかの子の胸で泣かせてもらったら」
男「泣きませんって! ボクは……」
男(男の中の男なんだから、と言おうとしてやめた。通じないことを言ってもしょうがない)
男「それじゃあ失礼します。またオジャマするかもしれないです」
本娘「いつでもどうぞ。大歓迎」
♪
男「今日は付き合わせちゃって、ごめん。結局なんの手がかりも見つからなかったし」
後輩「そうですね。名推理を披露って感じにはなりませんでしたね」
男「おかしいなあ」
後輩「おかしかったのは先輩の推理ですよ……って、すみません」
男「いいよ、実際にそのとおりだし。それに……」
後輩「?」
男「ちょっとずつだけど、オレたちも打ち解けてる気がするし」
後輩「仲良くなれてるってことですよね?」
男「うん」
後輩「……んっ」
男(レミちゃんは、下唇を噛んだ。なんだか複雑な表情だった)
後輩「……聞いてもいいですか?」
男「ん? いいよ、なんでも聞いちゃってよ」
後輩「先輩の……先輩にとっての幼馴染の人とはどうなったんですか?」
男「べつに、どうもなってないよ。多少は話せたけど、それだけ」
後輩「やっぱり本当のことは、話さなかったってことですか?」
男「うん。それに、本当のことを話しても通じないよ。アイツはオレの知ってるアイツじゃなかったし」
後輩「……」
男「オレとアイツって幼稚園のころからの付き合いなんだ」
後輩「けっこう長い付き合いなんですね」
男「うん。ホント、長い付き合いなんだよ」
男「今でも覚えてるんだ。アイツと初めて会ったときのこと」
男「オレと友達がオモチャの取り合いでケンカしてさ。ケンカに負けてさ。オレ、泣いちゃったんだ」
男「そのときなんだ。アイツと初めて話したの」
後輩「ひょっとして先輩の代わりに、そのケンカの相手を怒ったとか、ですか?」
男「ううん、逆」
後輩「逆?」
男「泣いてるオレに向かって、アイツ怒ったんだよ」
男「『男らしくない』って。さらに、そのあと男なら泣くなって」
後輩「はあ……オトコ、ですか」
男「そう。男っていうのは強く勇ましく生きるべし、みたいな考えの持ち主だからさ、アイツ」
男「当時泣き虫だったオレは、よく怒られたよ」
後輩「……やっぱり先輩ってその人のことが、本当に好きなんですね」
男「そうだな。でも、もう終わりだ」
後輩「おわり?」
男「いつまでもアイツに囚われてるなんて、オレらしくない」
後輩「先輩らしくない、ですか」
男「そう。オレは生まれ変わるんだ。アイツよりも好きな人見つけて、そんで……」
男(歩いていた足がなぜか止まった。声が詰まる。視界が揺れて、少しだけ景色がゆがむ)
後輩「先輩?」
男「ははは……情けないわ、オレ。言ったそばから……っ」
男(オレは目尻から溢れそうになる涙をぬぐった。そんなオレを見上げるレミちゃんの顔はそばにあった)
男(でも揺れる視界の中では、彼女の表情もぼやけてしまっていた)
男(もう一度オレは目をこすって、顔を上げた)
男「ああー、ごめん。なんかやっぱりおかしいな。うん」
後輩「……」
男(ジッとオレを見上げるレミちゃんの表情がようやく鮮明になってくる)
後輩「先輩」
男「なに?」
後輩「えっと……ここじゃあ、できませんけど……あの……私の、胸で泣きますか?」
男「…………」
男(顔を真っ赤にしてなにを言っているんだろう、この子は)
後輩「ち、窒息させてみせます。そうすればきっと、涙も止まりますよね……?」
男(オレは少し考えてみた。すぐに答えが出た。レミちゃんはオレを笑わせようとしたんだ)
男(彼女なりにオレを笑わせようとしたんだ。さっきの先輩のくだりを思い出して、そう言ったんだ)
男「……それには及ばない。ていうか涙の前に息が止まるのは困る」
後輩「そうですよね……」
男「それにオレが窒息するには、先輩ぐらいデカくなきゃ無理だ」
後輩「ど、どういう意味ですか!? というかそれって……」
男「うん。残念ながらそういうことだ」
後輩「ひ、ひどいです……」
男「ごめんごめん。……あと、ありがとう」
後輩「……」
男「オレに気をつかって言ってくれたんでしょ?」
後輩「私はべつに、そんなんじゃ……」
男「あんまり面白いジョークじゃなかったけど、なんか元気出たよ」
後輩「……本当ですか? もう大丈夫ですか?」
男「おう。それに泣きそうになったら、レミちゃんの胸の中で泣けるってことが判明したしね」
後輩「むぅ」
男(レミちゃんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった)
男「まあ安心してよ。今後、オレは泣くことなんてないからさ」
後輩「本当ですか? また泣いたりしませんか?」
男「……そう言われると自信なくなるけど」
後輩「今度先輩が泣いても、私は胸貸しませんから」
男「ええー。そんな、さっきのあの言葉はなんだったんだ……」
後輩「知りません」
男(そんなやりとりをして、オレたちは帰り道をゆっくりと歩いた)
男「今日は本当にありがと。すごい元気出たよ」
後輩「……」
男「どうした? 急に黙りこくちゃって」
後輩「……先輩は来週の月曜日、時間空いてますか?」
男「うん。間違いなく暇だと思うよ。もし用事があるなら付き合うよ」
後輩「用事とはちがうんですけど……」
男(オレを見つめるレミちゃんの頬が、また赤くなる)
男(でもまっすぐオレを見上げる目には、はっきりと強い意志が宿っていた)
男(レミちゃんが口を開いた。普段よりもずっと大きな声で、彼女は言った)
後輩「もしよかったら、私と一緒に夏祭りに行ってください!」
♪
男「ただいまー、姉ちゃん」
姉「あっ、おかえりー」
男(そういえば、姉ちゃんについては慣れるのが一番早いな)
男(やっぱりいちおう血が繋がってるからかな?)
姉「なんか変な顔してない?」
男「どういう意味だよ?」
姉「なんかすごい変な表情してる。まるで福笑いみたい」
男「そんなすごい顔してる!?」
姉「うん、あとで鏡で見てみたら?」
男「はいはい。……オレ、夜飯の前に少し走ってくるよ」
姉「それはいいんだけど。走るときにウォークマンつけるのはやめたら? 危ないよ」
男「走るときしか使わないんだよ?」
姉「なんで『ウォークマン』なのに、走るときに使うのよ」
男「知らないよ。ていうか、関係ないし」
姉「まったく。お姉ちゃんの言うことは、素直に聞いたほうがいいのに」
男「まあ、しばらくはそれ聞くことないから」
姉「あっ。あともうひとつ」
男「まだなんかあるの?」
姉「うん。実はすごく気になることがあってね。昨日からずっと聞こうと思ったんだけど」
男「なに? なんかあるの?」
姉「これよ、これ」
男「これって……」
男(姉ちゃんから渡されたものを見た瞬間、オレの脳裏でなにかが弾けた)
男「……」
姉「おーい、固まっちゃってるよ?」
男「……ふふふっ」
姉「え? なに? どうしたの?」
男「ふふふふっ……はははっ、そうか。そういうことだよ、なんで気づかなかったんだろ」
姉「こ、壊れた? 大丈夫? お姉ちゃんが介抱したほうがいい?」
男「壊れなんかいないよ。大丈夫、オレは極めて正常だ」
♪
男(翌日、オレは再び女子の制服に身を包み学校に行った)
男(目的の場所は先輩がいる図書室)
本娘「あら? 二日連続で同じ人が来るなんて……しかも君が来るなんてね」
男「こんにちは」
本娘「どうしたの? 妙に意気揚々としているように見えるけど」
男「ええ。実は先輩に改めて話したいことがあって」
本娘「もしかして昨日の続き?」
男「いいえ、それより前の話になります」
本娘「それより前の話……君が朝起きたら世界がおかしくなってたって話?」
男「はい、それです」
男「その話について、先輩はボクがおかしくなった可能性があるって言いましたよね?」
本娘「うん、言った言った。きちんと覚えてるよ」
男「それについて否定しに来ました」
本娘「また迷推理を披露してくれるのかしら?」
男「いいえ。今度は名推理のはずですよ」
本娘「ふうん。それで、いったいどうやって証明してくれるのかしら?」
男「ボクが正常である、それはこれで証明できます」
男(オレは自分がおかしくなっていないと証明するために、スカートを勢いよく下ろした)
本娘「……」
男「これが、ボクがおかしくなったわけではないっていう証明です」
本娘「いきなりスカートを下げて、そんなことを言われてもね」
男「問題はスカートじゃありませんよ」
本娘「そうみたいね。変わった下着ね」
男「おそらく先輩は、こんなパンツを見たことは一度もないですよね」
本娘「……もしかして自分で作ったの?」
男「ちがいます。これは先輩に説明した『先輩たちのような人たとよく似た人間』が履いてるパンツなんですよ」
本娘「へえ」
男「あの……そんなにジッと見られると恥ずかしいんですけど」
本娘「どうして?」
男(先輩がかがみこんで、オレのパンツに視線をあわせてくる。思わず股間をおさえた)
男(先輩がニヤリと唇を釣り上げる。この人ってこういう表情がやたら似合うな)
男(オレはスカートをあげた。この先輩に股間を見つめられ続けるのは、恥ずかしい)
男「ボクもそのよく似た人間の『男』っていうヤツなんです」
本娘「……へえ。最初にそれを言ってくれればよかったのに」
男「たしかに。最初にそれを言っておけばよかったですね」
本娘「ところで君って具体的に、どこがちがうの? ちがいがよくわからないけど」
男「そうですね。ちょっとからだの一部がちがうっていうか……」
本娘「下着がちがうってところから、股のあたりにちがいがあるのかしら?」
男「あ、いや、その……」
本娘「見せてくれない?」
男「え?」
本娘「ダメなの? それを見せてくらたら、君の言葉を信じてもいいって思ったんだけど」
本娘「それとも見せられない理由でもあるの? すっごく気になるんだけどなあ」
男(や、やべえ。そこまで言われるって考えてなかった)
本娘「でもまあ、下半身丸裸になるっていうのはなかなか恥ずかしいもんね。許してあげる」
男「ほっ……ありがとうございます」
本娘「それで? そのパンツは結局なにを証明してくれるの?」
男「先輩が知らないように、このパンツはおそらく今はないものです」
本娘「続けて」
男「でもボクが知っている世界では、あって当然のものだったんです」
男「このことから考えられるなら、少なくともボクが狂ったっていうのはないんじゃないですか?」
本娘「なるほどね。じゃあ君は世界が狂ったとでも言いたいのかしら?」
男「わかりません。でも……この世界にボクが履いているパンツは存在しないはずなんです」
本娘「パンツがキーアイテムってなんかダサいわね」
男「ボクもそう思います」
本娘「狂ったのが実は世界だった――それだと話のスケールがいっきに変わるわね」
男「世界が狂った……それどころか、色んな人が変わってしまった」
本娘「それに、そうだとすると、君だけが正常のままだってことになるけど?」
男「そっか。そうですよね」
本娘「しかも君以外に、今の状況がおかしいと思っている人間はいないんでしょ?」
男「はい。たぶんいないはずです」
本娘「……そうね。たとえば世界が変わった前日はなにしたか、とか覚えてない?」
男「夜に課題やってて……そっから先は覚えてないです」
本娘「なにか特別なことをしたとかって記憶もないの?」
男「ないです。学校に行って、勉強して……って感じです。
たしか課題をやってて……そのときに寝ちゃったんじゃないですかね?」
本娘「なにか特別なことをして、それがきっかけで世界が変わったとかってありがちな気がするんだけどね」
男「……先輩が前に言ってた『パラレルワールド』とかって説はどうですか?」
本娘「君だけが、べつの世界に行っちゃったってこと?」
男「はい。それならボクだけがほかの人とちがうのも、納得がいきますよね」
本娘「なるほどね。でも、そうだとすると更に色んな疑問が湧いてくるわよ?」
男「疑問?」
本娘「どうやって君がパラレルワールドに来たとか。どうして君だったのか、とか」
男「結局謎だらけのままなんですよね……」
本娘「それに、結局謎が解けても根本的な問題は解決しないしね」
男「どういうことですか?」
本娘「だって謎が解けても、君が知っていた世界に戻す手段を見つけないと。結局意味ないのよ?」
男(先輩の言うとおりだった。真実を突き止めただけでは、オレは元の世界に戻れない)
本娘「そもそも戻る意味ってあるの?」
男「……」
男(そういえば、オレは一度でも元の状態に戻れと本気で思ったことがあるのか?)
男(実は今の状況のほうがいいんじゃないか?)
本娘「君って、もともとモテモテだったの?」
男「いや全然。普通にフラれた経験もありますし。
正直、どうして今はこんなにモテモテなのかわかんないです」
本娘「だったらこの世界で生きればいいじゃない」
男「そんな簡単に言わないでくださいよ」
男(そもそもこの世界で健康診断とか受けたら、オレってヤバイんじゃないか?)
本娘「今の状況がイヤってこと?」
男「どうなんだろ……」
男(たしかにこの世界だったら、周りは女しかいない。しかもオレはなぜかモテモテ)
男(周りの環境だって、変化はあってもそこまで悪くはなっていない)
男(一部の人間が別人になっているけど)
男(それだって悪いことかって言われたら、そうじゃないのかもしれない)
本娘「一億円でも当たったぐらいの気持ちで、受け入れるっていうのはダメ?」
男「正直、わかりません。そりゃあ今の状況は、悪いとは言えないかもしない」
男「けど、なんだか胸がモヤモヤするんです」
男「今まであったことを全部否定しているみたいな、そんな気持ちになるんです」
本娘「今まであったことを全部否定、ね」
男「周りの環境が変わったら、おのずと自分も変わってしまうような気がして……変ですかね」
本娘「さあ? 私に聞かれてもわからないわよ?」
男「ボクは、自分の気持ちがよくわからないです」
男(でも、帰る手段が見つかったら。オレは間違いなく帰るという選択する気がする)
本娘「……そろそろ出てきちゃったら?」
男「え?」
後輩「……どうも」
男「れ、レミちゃん!? ていうかどっから出てきた?」
男(レミちゃんが本棚から、遠慮がちに顔を出した)
男「い、いつからいたの?」
後輩「実は先輩よりも先に来ていたんです。ちょっと本を探そうとしたら、先輩が来て……」
本娘「どっかの誰かさんが急に、スカートを下ろし出したりするからビックリしちゃったんでしょ?」
男「み、見てた?」
後輩「は、はい。いったいなにをしでかすのかと思って……出るに出られなくなりました」
男「い、いやアレは……ちょっと先輩を驚かせようと思っただけなんだよ?」
本娘「なんだ。てっきり私にそのパンツを見せつけたいのかと思った」
男「そんなわけないです! それに僕のお気に入りのパンツは、これじゃないんです!?」
本娘「どうでもいいかな。それより私、聞きたいことがあるのよね」
男「なんですか?」
本娘「君、ひとつだけ嘘をついていることがあるわよね?」
男「!」
男「や、ヤダなあ。ボクが嘘をつくわけないでしょ?」
後輩「先輩?」
本娘「君の人間関係についてわかることがないかって思って、実はあるものを調べたの」
男「なにを調べたんですか?」
本娘「格好つけて調べるなんて言ったけど、春に撮るクラス写真を見せてもらっただけ」
男「……」
本娘「それを見たら、すぐに疑問が生まれたわ」
後輩「なにかその写真に写ってたんですか?」
本娘「ええ。ひとりだけ、金髪の子が写ってたのよ」
後輩「もしかして、先輩のお友達の『お嬢』って人ですか」
男「それは……」
本娘「金髪の知り合いは私だけ、みたいな感じで言ってたけど。この子はどうなの?」
男「……」
本娘「なんで黙るの? もしかして、すでに話を聞いてるの? だったらごめんね」
後輩「先輩。その人については、触れてませんでしたけど」
男「……すごく情けない理由で、わざと嘘をついたんです」
本娘「情けない理由?」
男「お嬢につい最近、告白されたんです。そしてそれを断ったんです」
本娘「ひょっとして、気まずくて会いたくなかったとか言い出す気?」
男「…………そうです、そのとおりです」
男(オレはあまりにも恥ずかしくなって、顔を俯けた)
男「それに、お嬢はボクを好きだって言ってくれたし……」
本娘「愛情って、一瞬で憎しみに変わったりする気がするけど」
本娘「ましてその『お嬢』って子は、君にフラれたんでしょ?」
本娘「だったら、その子が腹いせに君を突き飛ばした可能性は十分にあるわよね」
男(先輩の言っていることを、オレは完全に否定することができなかった)
男「でも、お嬢は……」
男(あのとき、オレに『ありがとう』って言って笑ってくれた)
本娘「……まあ、君の気持ちもわからなくはないけどね」
本娘「でも、謎を解こうと思うなら、そんな姿勢じゃダメなんじゃないかしら?」
本娘「常に人とまっすぐ向き合っていかなきゃいけないんじゃない?」
男「すみませんでした、先輩。ボク……」
本娘「そうね。人を疑うのに、そんな心構えじゃダメよ」
本娘「けれど、私は先輩だから許してあげる。ただ、次そんな情けないことを言ったら許さないからね」
男「はい……!」
本娘「あと、この子にも謝らないとね」
後輩「私、ですか?」
男「レミちゃん」
後輩「は、はい。どうして先輩が私に謝る必要があるんですか?」
男「ずっと協力してくれてるレミちゃんには、きちんと言っておくべきだった。
本当にごめん」
後輩「協力しているのは私が勝手にやってることだから……そんなに気にしないでください」
男「いや、でもやっぱり!」
後輩「そんなに謝られると、私もどうしたらいいかわからなくなります……」
本娘「ふふっ……ホント、ふたりとも不器用なんだから」
本娘「でもフッたりフラれたり、なんて日常茶飯事なんだから、気にしすぎないほうがいいわよ」
男「先輩みたいな人が言っても、説得力ないですよ」
本娘「なんで?」
男「だって先輩ってフることはあっても、フラれることってなさそうですもん」
本娘「そんなことないわよ。私もまあまあモテるけど、失恋の経験もなかなかなの」
男「へえ。なんだか意外ですね」
本娘「人間、色々あるものなのよ。
でも男の子なんだから、ちょっとやそっとのことで挫けちゃダメよ」
男(そう言って先輩はオレの頭を撫でた)
男「……」
本娘「どうしちゃったの、固まってるけど」
男「あ、いや……べつになんにもです」
「すみませーん……」
男「あっ……」
本娘「あら? ひょっとして君のクラスメイト?」
男「ええ、そうなんですけど……いったいどうしたの?」
女「……どうした? 今どうしたって言ったの!?」
男「な、なんで急に怒るんだ……」
男(そこまで言いかけて、オレはふと思い出した)
男(そういえば、この子とどこかへ二人で出かけようって、話をしたような)
女「もうっ……せっかくこの日のために、服とかも新しいの買ったりしたのに。
ほらっ、早くいこっ!」
男「う、腕を引っ張らないでよ!」
男(この光景を見たレミちゃんと先輩がなにかを話している)
男(だいたいこんな感じの内容だった)
本娘『やっぱりモテるのね』
後輩『むぅ……』
本娘『いいの? このままだと連れてかれちゃうわよ?』
後輩『で、でも……』
本娘『なんならあとでもつける?』
後輩『な、なに言ってるんですか……』
男(本当になにを言ってるんだ、この先輩は)
女「じゃああたしたちは失礼します。ほらっ、行くよ」
男(でも、今のオレとこの子――アカリって幼馴染ってことになってるんだよな)
男(もしかして、この子はなにか知ってるんじゃないのか?)
♪
女「ほんとっ、メールしてもラインしても電話しても全然出ないんだからっ!」
男(それはたぶん、オレのスマホがおかしくなっているからだと思う)
男(オレはアカリに腕を引っ張られて、街を歩いていた。腕を握る力が強すぎる)
女「どうせキミのことだから、デートのプランも練ってないんでしょ?」
男「で、デート!?」
女「ちがうの……?」
男「……まあ、そうなのかもね」
女「というか、今はそんなことは重要じゃないの! 結局制服で行動するハメになっちゃったし」
男「ごめん」
女「そう思うなら、なにか奢ってよ……」
男(不意に彼女が立ち止まる。語尾が弱々しくなる。不安げに揺れる瞳)
男「いいよ、べつに。約束をすっぽかしたのはオレだしな」
女「ほんと!?」
男「うん。まあそんなに高いものは奢れないけど」
女「ううんっ。キミが買ってくれるならチロルチョコでも、うまい棒でも、なんでもいいよっ」
男(いいのかそれで?)
男(……と、思ったけど天真爛漫な笑顔を見ていたら、そんな疑問はどうでもよくなった)
女「私が行きたいって言った場所のこと覚えてる?」
男「アレでしょ? アリスカフェってとこ」
女「覚えてくれたんだね」
男(そう言ってアカリは、オレの腕に自分のそれを絡めてきた)
男(いっきに体温が上昇した。お互い薄着のせいか、彼女のからだの感触が鮮明に伝わってくる)
男(こんな幸せな目にあっておいて、文句を言うのは罰当たりなのかもしれない)
♪
男「へえ。ホントに名前のとおりに、店員さんがあのキャラクターの格好してるんだな」
女「すごくかわいいよね。……って、さっきから店員さんの足ばかり見てない?」
男「そ、そんなことないよ」
女「ふーん、あっそ」
男(しかし、ここまで喜怒哀楽がはっきりしたヤツだったんだな。思ってることがそのまま顔に垂れ流しになってるみたいだ)
男「こんな店なのに、おばさんひとりで来てる人とかいるんだね」
女「熱心なファンの人とかが、来るんだよ」
男「すごいな。オレならひとりで入れないよ、こんな店」
女「なんで?」
男(男って存在がないと、男だと入りづらい店とかっていう価値観もなくなるんだな)
男「それよりさ。オレたちって幼馴染なんだよな?」
女「今さらすぎるでしょ」
男「まあそうなんだけど」
女「幼稚園のころからの付き合いでしょ?」
男「……」
女「昔はよく一緒にお風呂入ったりとかしたよね?」
男「……そうだな。懐かしいね」
女「うん、本当にね」
男(それからアカリはオレとの思い出を懐かしそうにしゃべりだした)
男(オレには全く懐かしくなんてなかった)
男(けど、本当に嬉しそうに話す顔を見ていたら否定なんてできなかった)
♪
女「せっかくなんだから、ウィッグ選んでいこうよ」
男「ええー、やっぱりいいよ。けっこう時間かかるでしょ?」
女「三十分もあれば終わるから大丈夫だよっ」
男「そんなにこれって違和感ある?」
女「うん。だって明らかに安物だし」
男「ウィッグねえ」
女「前来たときは、もうちょっと積極的に選んでたのに」
男「前は前。今は今、だからな」
女「もうっ。せっかくいいものを選んであげようと思ったのに」
男「!」
男(唇をとがらせるアカリを前に、困っていたオレの首筋に。誰かの視線が突き刺さった)
男(誰だ?)
男(……レミちゃん!?)
男(振り返ったオレの視線の先に広がる人ごみ。そこにまぎれてレミちゃんがオレを見ていた)
男(表情ははっきりとは、見えない。ちょっと遠すぎる。もしかしたら別人?)
男(だが彼女はきびすを返すと、雑踏にまぎれてどこかへ消えてしまった)
男(まさか、本当についてきたのか?)
女「なんかいるの?」
男「ん? いや、誰かに見られていた気がしただけ」
女「なに? もしかしてほかの仲のいい人?」
男(オレを見上げる視線がきつくなる。話題を変えることにした)
男「……キミって世話好きだよな」
女「どうしたの急に?」
男「ただそう思っただけだよ」
女「そんなことないと思うけどな。べつにみんなに親切にしてるわけじゃないし」
男(オレの知ってるこの子は、誰にでも優しく接するタイプだった。自覚がないのかも)
女「でもそうだね。ときどき周りから言われるかも。世話好きだって」
男「うん、オレもそう思うよ」
女「でも、あたしが一番世話を焼きたくなるのは……」
男「ん? なんて言おうとした?」
女「……なんで最後まで言わせようとするの?」
男(ここまで露骨にアタックされて気づかない人間はいないだろう)
男(今の彼女はオレのことが好き。でもオレは彼女の知っているオレじゃない)
男(お嬢とのことを思い出して、オレは無意識に話題を変えようとした)
男(けれど、先輩に言われたこと。レミちゃんに謝ったことを思い出した)
男(次の瞬間。オレはなぜか自分でも予想外のことを口走っていた)
男「なんで人って人を好きになるんだろ」
女「……?」
男「単純に気になったんだ。人が人を好きになる理由ってなんなんだろうなって」
男「それに好きになったかと思えば、嫌いになったりもするし。なんか人って大変だよな」
女「人が人を好きになる理由なんて、あたしはそんなに重要じゃないと思うよ」
男「なんで?」
女「だって、人の気持ちってすぐに変わるでしょ?」
女「ほんの些細なことで変化しちゃうんだよ?」
女「昨日は嫌いだった人が、今日には好きになってるのが人間でしょ?」
女「だから人が人を好きになるのに、完璧な理由なんてないと思う」
男「でも、だったらどうして人は結婚するんだよ、って話にならない?」
男「……まあ、オレの親も離婚してるもんな。それこそコロッと感情が変わったからなのかも」
女「うーん。結婚とか付き合うって、ある種の覚悟みたいなものなんじゃないかな?」
男「覚悟?」
女「うん。その人のことを好きであり続ける強い意思……みたいな」
女「大げさかもしれないけどね。でも、みんな無意識のうちに気づいてると思うんだ」
女「人の感情は一瞬で変わっちゃうものだって」
女「付き合うっていうだけでも、実はけっこうスゴイことだと思うんだ」
女「だから、人は好きってことに対して、理由をつけようとするのかなあって……」
女「あたしは好きだっていう感情そのものが、好きであるっていう証明だと思うけどね」
女「好きになる理由なんてわかんない」
女「でも、好きになる理由を探すぐらいなら、その好きな人に突撃しちゃったほうがいいと思うんだ」
男(熱心にそうやって話すアカリの横顔は、真剣そのものだった)
女「……あたしの勝手な持論だけどね」
男(そう言うと、一転して今度は照れくさそうに笑みを浮かべる)
女「でもあたしを好きって言ってくれる人がいたら、あたしはその理由を知りたいって思うっちゃうけどね」
男「矛盾してるじゃん」
女「人間っていうのはそういう生き物なんだよ」
男「そういう生き物なのか」
女「うん。そういう生き物。……ていうか、なんだか恥ずかしいこと言っちゃったね」
男「聞いたのはオレだし、こんな質問に真剣に答えてくれたのは……その、嬉しかった?」
女「なんで疑問形なの?」
男「深い理由はない。それより次のとこへ行こう」
女「どうしたの? なんだか顔が赤いけど?」
男(思い出したんだ。そういえば、自分もアイツのどこが好きなのかって聞かれたとき)
男(似たようなセリフを言ったことを)
♪
男「本当に入るの?」
女「イヤなの?」
男「オレって暑がりだから」
女「むぅ。そんなに時間かからないし、ちょっとぐらいいでしょ」
男(なにを揉めているのかと言えば、プリクラを撮るか撮らないかの話だった)
男(べつに冬場だったら構わない。ていうか、かわいい女子とプリクラ撮れるのは嬉しい)
男(でもオレは暑がり。その上あの機械の中は蒸し暑いから嫌いなんだ)
女「……そんなにイヤ?」
男(上目づかいで睨むという、器用なことをやるアカリ。これは卑怯だ)
男「わかったよ。撮ろう」
女「キミってこの表情に弱いよねっ?」
男「……わかっててやってたの!?」
女「さあ? ここって鏡台あるし、コテもあるし。髪でも巻いてみる?」
男「いやいや! そんなのはしなくていいっ!」
女「なんだ。残念だなあ」
男「いいからさっさと入ろう!」
女「ついでに軽くチークでも塗ってあげようと思ったのに」
男(少し残念そうな顔をしつつも、彼女はやっぱり嬉しそうだった)
♪
女「さっきから変顔しかしてないんだけど」
男「いいだろ。プリクラは変顔してなんぼだろ」
女「いいから。次はもうちょっと普通の顔してよ」
男「ええー」
女「ええー、じゃないのっ」
男(液晶をいじったあと、アカリがオレを振り返った)
男「……前向かないと、撮られるよ」
女「……」
男(オレの言葉に対してなにも言わない。オレに向き合うと、両頬を両手で包まれた)
女「こういうの、撮ってみる……?」
男「な、なに言って……」
男(蒸し暑い小さな空間。ふたりだけ。触れ合う制服と制服。彼女の掌はわずかに汗ばんでいる)
男(唇が近づいてくれる。オレはなにもできなかった。あと少し。唇が触れる――)
カシャッ
男「……」
女「……」
男(結論から言うと、この子の唇がオレの唇に触れることはなかった)
男(無機質なシャッター音が切り抜いたのは、キスの直前だった)
女「……ごめん。あはは、あたしったらなにやってるんだろうね」
男「とりあえず出よ。ここは暑い」
女「うん……」
男「ふぅ。ホント、中と外との温度差が半端ないな」
女「まだ終わってないよ。ほら、ペイントしよ」
男(さっきよりは控えめに、オレの袖をつかむ)
男(オレたちは適当に落書きをして、再び機械を前にした)
男(アカリが液晶から画像を選ぶ。さっきのキスの未遂画像もきちんと選択している)
女「ほら、アドレス打ちこんで」
男「オレ、自分のメアド覚えてないんだけど」
女「もう。昔から物覚えが悪いんだから。じゃああたしが来た画像をラインで送るね」
男「うん、それで頼む」
女「あとね、もう一個言っておきたいことがあるんだけど」
男「なに?」
女「……やっぱりあとでいいや。ここうるさいし」
男「そうか。ああ、あとひとつ。オレのスマホ、今アプリ入ってないんだ」
女「どういうこと?」
男「故障したのかわからないけど、なぜか中身のほとんどが消えてたんだ」
女「……それで?」
男「だからラインも入ってないんだ。アプリ入れ直すのも面倒だから、画像はメールで送っておいて」
女「なに言ってるの?」
男「え?」
♪
男(ゲームセンターを出て、ベンチに腰かけてオレは考えていた)
男(今まで考えていなかった、可能性について)
男(そういう可能性はあるんじゃないか?)
男(しかもオレには心当たりがいくつかある。実は正解にたどり着くためのヒントは、ほとんどそろってる?)
男(そうだ。そもそも図書室のくだりでオレは聞くべきだったんだ)
男「……」
女「ねえ、あたしの話聞いてる?」
男「……」
女「はぁ~……んっ」
男「いっ!? なんで耳を引っ張るんだよ!?」
女「そっちがあたしの話を聞いてないからでしょ」
男「ごめん。ちょっと考え事してた」
女「考え事って? こんなときにすることなの?」
男(オレは一回考えるのをやめた。この状況ではどちらにしよう、考えはまとまらない)
男「ごめん。たいしたことじゃないんだ。次はどこへ行く?」
女「……」
男「アカリ?」
女「さっき話そうとしたこと、覚えてる?」
男「言いかけてやめたヤツでしょ。なにを言おうとしたの?」
女「……」
男(下唇を噛んで、頬を赤くしている。見つからない言葉を探すように視線をさまよわせる)
男「言いづらいことなの?」
女「言いづらいことっていうか……そうなのかもしれないけど……あのね」
男「うん」
女「もしよかったらなんだけど……」
男(なぜか既視感を覚える。恥ずかしそうに俯きつつも、必死に言葉を振り絞ろうとする姿)
男(アカリがなにを言おうとしているのか、オレはわかってしまった)
女「――今度の夏祭り、一緒に行かない?」
男「……」
女「……」
男(なにも言わないオレを、彼女はじっと待っていた)
男(神様を殴り飛ばしたいと思った。それ以上にこの場から逃げ出したいと思った)
男(だけどこの問題は、オレの問題だ)
男(お嬢の顔が浮かぶ。オレは本当のことを言いたくて仕方がなかった)
男(でも、この状況で言ってもタチの悪い冗談にしかならない)
男(下手をすれば、アカリの誠意を無下にすることになる。だから――)
男「……ごめん」
女「……」
男「夏祭りは、ほかの子と一緒に行くんだ」
女「……そっか」
男(オレは努めて淡々と言った。お嬢のときみたいになってはいけない。歯を食いしばる)
女「ひとつ聞いていい?」
男「なに?」
女「私のこと好き?」
男「……嫌いだったら、こうして一緒にいない」
女「でもその夏祭りに行く子のほうが、私よりも好きなんだよね?」
男(ここが最後の選択肢。この瞬間なら、まだ取り返しがつくかもしれない。でも)
男「うん。好きなんだ――キミより」
♪
男(あのあと)
男(泣き出してしまったアカリを置いて、オレは街を歩いた。そんなオレにメールが来た)
男(レミちゃんだった。ただし、内容は明らかに彼女が打ったものではないとわかるもの)
男(『ファミレスにいるから、デート終わったら来てよーヽ(・∀・)ノ』)
男(一瞬だけ迷った。頭の中はグチャグチャだった。全然整理できてない)
男(でもひとりでいるのは、イヤだった)
男(だからオレはそのファミレスへ向かった)
♪
本娘「こっちこっちー」
男「ふたりでずっと、ファミレスにいたの?」
後輩「いえ、来たのはついさっきです。最初は図書室にいたんですけどね」
本娘「メールを送る十分ぐらい前にここに来たの」
男「……レミちゃんのメール打ったの、先輩ですよね?」
本娘「だってねえ。この子ったら、メールなんて送らなくていいって言って聞かないから」
後輩「その……ジャマしちゃ申し訳ないと思って……」
男「ごめん、わざわざ気をつかってくれてありがと」
後輩「べ、べつにそんなんじゃありません」
本娘「ていうか、こんなに可愛い後輩がいるのに、ほかの子に浮気するなんてね」
男「そのことなんですけど。もう終わりました」
本娘「……どういうこと?」
男「そういうことです。もうあの子とは、なにもありません」
本娘「よくわからないんだけど。まあ根掘り葉掘り聞かないほうがいいみたいね」
男「できれば、そうしてほしいです」
男(どうしていいかわからずに戸惑っているレミちゃんの正面にオレは座った)
男「一時間ぐらい前も、ずっと図書室にいたんだよね?」
男(レミちゃんと先輩が顔を見合わせる。ふたりとも目を丸くしている)
後輩「はい。今言ったとおり、さっきまで図書室にいたんで」
本娘「ひょっとして、キミが出ていく直前の私たちの話が聞こえてた?」
男「……いえ、それとは関係ないです。ていうか勘違いだったみたいです」
本娘「?」
男(オレはメニュー見ながら、考えてた)
男(これからやるべきことを)
男(そして、ある可能性について)
♪
男(オレとレミちゃんは、先輩とわかれてふたりで帰っていた)
男(気づくことがあった)
男(ふたり並んで歩くときは、レミちゃんの歩くペースが、少しだけゆっくりになることに)
男「いやあ、ちょっと食べ過ぎちゃったな」
後輩「すごい食べてましたけど、お腹は大丈夫ですか?」
男「妊婦の気持ちが少しわかった気がする。まあ大丈夫だよ」
後輩「だったらいいんですけど」
男「これだけ暑いと、今度はアイスが食べたくなるんだよね」
後輩「まだ食べるんですか……?」
男「冗談だよ。さすがにもう胃に、余裕がないや」
後輩「先輩」
男「ん?」
後輩「……夏祭りのことなんですけど」
男「どうした?」
後輩「本当に私とでよかったんですか?」
男「うん」
後輩「……ありがとうございます。私と一緒に行ってくれるって約束してくれて」
男(今夜の三日月を思わす控えめな微笑。でも、どこかかげりがあるように見える)
男「ふたりっきりでお祭りに行くとか初めてなんだ、オレ」
後輩「私も、初めてです」
男「当日はまかせておいてよ。祭りを楽しもう」
後輩「はい。……それともうひとつ」
後輩「夏祭りが終わったら、話したいことがあるんです」
男「……今じゃ、ダメなの?」
後輩「できれば、お祭りが終わるまで待ってほしいです」
男「わかった。待つよ」
後輩「ありがとうございます」
男(もっと色々と話したかった。けど、言いたい言葉が我先にと喉から出ようとする)
男(そのせいでかえって、喉の奥でつっかえてしまう)
後輩「当日、晴れるといいな……」
男「きっと晴れるよ」
男(そう言うと彼女はまた笑った。やっぱりその笑顔もどこか控えめだった)
♪
男(レミちゃんとわかれたオレは、次はある家へと向かった)
男(背中が汗をかいている。この汗は、夏の夜の蒸し暑さだけが原因じゃない)
男(インターホンを押す指先が少しだけ震えた)
男「ごめんくださーい」
『どちらさまでしょうか?』
男(オレは自分の名前と用件を言って、玄関の前で待った。しばらくするとお嬢が出てきた)
お嬢「こんばんは」
男「夜遅くにごめんな」
お嬢「どうしたの、こんな時間に?」
男「実は聞きたいことがあって来たんだ」
お嬢「なんだ。てっきり夏祭りにでも誘ってくれるのかと思ってた」
男「え?」
お嬢「……冗談だよ? なんだかあなたが緊張しているように見えたから、言ってみただけ」
男「してないよ、緊張なんて」
お嬢「気まずいって気持ちはわかるけどね」
男(図星を突かれた。オレは告白失敗の気まずさをすでに、アイツで経験している)
男(できればお嬢とは、そんなふうになりたくないと思った。ただ、それは難しい)
男(だけど、お嬢がそうしようとするのだったら、オレはそれに答えなければいけない)
男(そんな気がした)
男「悪いけど、ちがうんだなっ」
お嬢「残念だな。浴衣もちゃんと準備してたのになあ」
男「それはオレも残念。見たかったよ」
お嬢「夏祭りでしか見せられないのに」
男「学校に行くときに、来てきてよ。そうしたらオレも見れるし」
お嬢「ただでさえ私って変な誤解されてるのに、余計におかしな人に思われちゃう」
男「いいじゃん。変人キャラで売っていこうぜ!」
お嬢「夏休み明けにイメチェンって、普通にありそうだね」
男「うん、ありがちありがち」
お嬢「……なんだか、今日の私たちの会話っておかしいね」
男「違和感バリバリだよな、きっと。でも気にすんなよ」
お嬢「できるだけ気にしないでがんばる」
男(できてしまった溝を無理やり埋めるような会話。でも、それをダメだとは思わない)
お嬢「それで、私に用事ってなに?」
男「この前、オレとランニング中にした話なんだけど」
男(オレはスマホを出してお嬢に聞いた。お嬢がオレの質問に答える)
男(淡い、霧のような可能性が、はっきりとした形になっていくのを感じた)
お嬢「どういうことなの? てっきり私は故障かそれに近いものだと思ってたけど」
男「そうじゃないかもしれない。いや、まだ断定はできないけど」
男(そしてオレには、もうひとつ尋ねなければならないことがある)
男「公園で話したときのこと、覚えてる?」
お嬢「私の護衛に囲まれて、あなたがビックリしたときのこと?」
男「そう、それ」
男「あのとき、お嬢ってたしかこう言ったよね?」
男(オレの言葉にお嬢がうなずく。さらにオレは言葉を続けた)
男「結局それってなんだったんだ?」
お嬢「なにを言ってるの? さすがにあのことは忘れないでしょ?」
男(お嬢がオレを指差す。そして、予想外のことを言われた。予想外過ぎて頭が真っ白になる)
男「マジか」
お嬢「呆然としてるけど。どうしてあなたが、今さら驚くの?」
男「あ、いや……ちがうんだ。驚いたわけじゃないんだ。ただちょっとね……」
お嬢「そうなの? ちなみに私以外にも、そのことを知ってる人はいるよね?」
男(お嬢の質問について少し考えてみる。だけど、すぐに答えは出た)
男(お嬢の質問に関しての答えは、間違いなくイエスだ)
男(しかしお嬢は、いったいこれについてどう思ったんだろう。聞く勇気はなかった)
男(それからオレはもうひとつ、頼みごとをしてた。彼女は快く引き受けてくれた)
お嬢「こんなところでいい?」
男「うん。おかげで色々とわかったよ」
お嬢「私は逆に余計にわからなくなったけどね、あなたって人が」
男「そうかな?」
お嬢「そうだよ。でも、あなたの力になれてよかった」
男「……ありがと」
お嬢「お礼なんていらない。私たち、友達でしょ?」
男(お嬢がニッコリと笑う。屈託のない笑み。お嬢が内心、どう思っているかはオレにはわからない)
男(でも、オレも彼女の笑みに負けない笑みを浮かべてやった)
♪
男「知ってるヤツの連絡先ぐらい交換しておけばよかった」
男(歩きつつ考える。ある可能性が確信に変わっていく)
男(もっともその一方で、自分の推測に矛盾のようなものが出ていることにもオレは気づいていた)
男(そしてその矛盾が示す、べつの可能性が見えてくる)
男(次に向かったのは、ヤマダの家だった。インターホンを押し、ヤマダを呼び出す)
友「こんな時間に私の家に来るなんて、珍しいじゃん」
男「メシ食ってたりした?」
友「そんなことないよ。ていうか珍しいな、そんなふうに気づかってくれるなんて」
男「そうなの?」
友「ったく、相変わらず自覚ないんだね」
男「……そういえば、お前が気にしてたことなんだけど」
友「気にしてたこと? アレのこと?」
男(オレの言葉にヤマダは首をかしげる)
友「私の勘違い? 直接確かめたの? だって――」
男「……え?」
男(ヤマダの言葉を聞いてオレは困惑した。また予想外だ)
男(オレの勘違い? いや、ちがう。そうじゃない。これが今回の答えなんだ)
友「急に黙るなよ。なんか私がおかしなことを言ったみたいな空気になってんじゃん」
男「……いや、お前はきっとおかしくないよ」
友「そうだね。アンタのほうがなんか雰囲気おかしくなってるよ?」
男(鼓動がはやくなっている。オレはすぐにでも確かめたかった)
男(だけどその前に、もうひとつ確認しておかなければならないことがある)
友「……あっ、そうそう来週の月曜日って空いてる?」
男(不意打ち。頭が痛くなる。なぜ皆ことごとくそのイベントのことを口にするんだろ)
男(だけどよく考えれば、夏休みに祭りに行くことなんて珍しいことでもなんでもない)
男(自分が女の子からの誘いを断るかどうかで、悩むときが来るなんて夢にも思わなかった)
男「夏祭りのこと?」
友「……うん。アンタが暇だって言うなら……一緒に行ってもいいかなって」
男(『祭りになんて、行きたくないから行かない』)
男(そういうふうに言えば、案外無難にこの状況を乗り越えられるかもと悪魔が耳元でささやく)
男(だけど、オレはもう選択してしまっているんだ。だから、アカリだって泣かせてしまった)
男「……行かない」
友「夏祭りには行きたくないってこと?」
男「夏祭りには行く。でも、お前とは行かない」
男(彼女の表情が困惑に揺れる。でもどこか、悟ったようにも見える)
友「ほかの人と行くってことでしょ?」
男「うん……」
友「はっ……私とあんなことしたくせに。よくそういうことが言えるよね」
男「……」
友「あのことだけは、私にしか教えていないって……どうせアレもウソだったんでしょ?」
男(聞きたかったことの答えが、それでわかった)
男(けど、こんな形で聞きたくはなかった)
友「やっぱりアンタてサイテーだよっ!」
男「……っ!」
男(乾いた音。思いっきり頬をはたかれた)
男(怒りと悲しみでいっぱいになったヤマダの形相)
男(ヤマダはなにも言わずに、家へ入っていってしまった)
男「……痛い」
男(今思えば、お嬢は優しすぎたんだ。本来ならヤマダと同じことをするべきだった)
男「帰ろ……」
男(一度だけヤマダの家を振り返って、オレは自分の家に帰った)
♪
男(家に帰ってオレは、ひたすら考えていた)
男(頭の中に、今まで見つけ出した情報をぶちまける。それを取捨選択していく)
男(そうして出てきた答えは、自分でも笑ってしまうようなものだった)
男(しかし、不思議なことに確信に近いものを感じている)
男(夏祭りまで、まだ若干日にちが残っている)
男(考えが煙になって頭の中を行ったり来たりしている)
男(自分の推理が予期していたものとまったくちがう形になった)
男(そして、それはオレの胸に重くのしかかる)
男(しかも全部の謎が解けているわけではない)
男(そして、それが解けるとも思わない)
男「どうするべきなんだろ、オレは」
姉「入るよー」
男「ドア開けてから、言わないでよ」
姉「なんで? あっ、なにか見られると困るものでもあるの?」
男「ちがうからっ」
姉「じゃあなんなの? 悩み事?」
男「悩み事……うん、そんな感じのもの」
姉「ほっぺが赤くなってるけど、それと関係あるの?」
男「これは……ちがう。これはもう終わったこと」
姉「ふうん。じゃあなにで悩んでるの? お姉ちゃんに話してみなさいな」
男「上手く説明できないよ、たぶん」
姉「いいから言ってみてよ。言葉にしてみるだけでもけっこうちがうと思うよ」
男「なんていうのかな。あることに対する答えを見つけたんだ」
姉「うんうん。続けて」
男「その答えが本当に正しいのか、それはわからない」
男「でも、その答えを出すとあることができなくなるんだ」
姉「あることって?」
男「……夏祭りに行くこと。答えを出すことを引き延ばせば、行ける」
姉「行けばいいじゃん」
男「でも、それって間違ってることなんだよ」
姉「……どうしてあなたが悩んでるか、教えてあげようか?」
男「?」
姉「あなたは正しいか正しくないかで悩んでるんじゃないの」
姉「その夏祭りへ行く正当な理由を、なんとか見つけようとして悩んでるの」
男「……そうなのかな?」
姉「結局、夏祭りに行きたいんでしょ? 誰と一緒に行くかは……まあ聞かないけど」
姉「でもあなたにとっては、それは道理に合わない間違った選択肢」
姉「けどね、そうやって悩んでる時点でそうしたいって言ってるのと同じなのよ」
姉「だったらいいじゃない。道理に合わなくても、自分のしたいようにすれば」
姉「もうあなたも、寄り道して怒られる年でもないでしょ?」
男「……姉ちゃん、オレが帰り遅いと怒るじゃん」
姉「それとこれとは、全く話がちがうでしょ」
姉「いいじゃない? それだけ悩むほどにしたいことなら、やればいい」
姉「それぐらいのワガママは、神様も許してくれると思うよ。少なくともお姉ちゃんは許す」
男「……なんかすごいな、姉ちゃん」
姉「当然。私はあなたのお姉ちゃんなんだから」
男(オレはまぶたを閉じた。あの子の控えめな笑顔が浮かんできた)
男「そうだな。うん、少しスッキリした」
姉「そうみたいね。顔つきが少し変わったね」
男「……姉ちゃんの、おかげ……だよ」
姉「照れない照れない。言わなくてもわかってるから」
男「……照れてない」
男(それまで真剣な表情をしていた姉ちゃんが、ニヤリとした)
姉「ちなみに誰と行くの、夏祭り」
男「さっき聞かないって言ったじゃん!」
姉「いいじゃない。教えてよ、ねっ?」
男「イヤだ」
姉「ケチだなあ、もうっ」
男「そうだよ、オレはケチだよ」
姉「じゃあ、浴衣はどうする? 可愛いの用意してあげよっか?」
男「いや……浴衣はいいや」
姉「なんでえ? 好きな子と行くんだから、めかしこんでいかなきゃ」
男「いいのっ!」
男(さすがに女物の浴衣を着るのはイヤだ……動きにくそうだし)
男(オレはウォークマンを持って、椅子から立ち上がった)
姉「もしかして走ってくるの?」
男「うん。ちょっと運動して血の巡りをよくしてくる。……ありがと」
姉「ふふっ、どういたしまして」
♪
男「さすがに早く着きすぎたかな……」
男(あれから数日置いて、今日はいよいよ夏祭りの日)
男(約束した時間よりも、四十分も早く待ち合わせ場所に着いてしまった)
男(でも、こうやって待つのってワクワクするな。いつぶりだろ、こういう感覚)
男(この数日間、胸に溜まっていたしこりのようなものも、今はまるで感じなかった)
男(しかし、普段着なのはオレぐらいだった。みんな浴衣を着ている。明らかに浮いている)
男(ふと背後から視線、というか人の気配のようなものを感じて振り返った)
後輩「あっ……」
男「……」
男(レミちゃんが背後にいた。なぜか空中で両手が止まっている。なにをしようとしたのだろう)
男(でも、そんなこと以上に彼女の浴衣姿があまりにも可愛すぎてオレは固まった)
男(女子の浴衣をここまで真剣に見たのは、初めてかもしれない)
男(しかもうっすらと化粧をしていることに、オレは気づいた)
男(男っぽい服ってことで、ダボダボなものを適当に見繕った自分が恥ずかしくなった)
後輩「あ、あの……」
男(なぜかレミちゃんの顔が赤くなる。そしてすぐに手をおろした。なにかしようとしたのかな?)
後輩「お、お待たせして申し訳ありません……」
男「え? あ、うん。でもオレも今来たところだから! ていうか来るの早いね」
後輩「先輩こそすごく早いですよ? 私、ここでけっこう待つつもりでいたんです」
男「そうなんだ……」
男「……」
後輩「……」
男(オレはレミちゃんの顔を直視できなかった。女は化けるとは、よく言ったものだと思う)
男(なにか言わなきゃ……そう。たとえば『その浴衣似合ってるよ』とか?)
男(いや、無難すぎる。もっとパンチの効いたセリフ)
男(『その浴衣かわいいねー! でもキミのほうがもっとかわいいねえー!』とか?)
後輩「……とりあえず、露店のほうへ行きませんか?」
男「うん、そうだね。……あ、あのさ」
男(隣にいる彼女がオレの顔を見上げる。オレは顔に血がのぼっていくのを感じながら言った)
男「そ、その浴衣……に、似合ってるよ!?」
男(完全に声がひっくり返っていた。それに、少々怒鳴りぎみだった)
後輩「……」
男(なぜかレミちゃんの動きが止まる。まるで時間ごと止まったようだった)
男(なにか間違えたのだろうか。不安がそのまま汗に変わって、こめかみを伝う)
後輩「……あ」
男(次の瞬間。急に彼女の顔が赤くなった。顔に血がのぼっていく音が聞こえてくるみたいだった)
後輩「あ、ありがとうございます……」
男「……なんか今日のオレたち、変だね」
後輩「ふふっ……そうですね。お祭りだから、でしょうか?」
男「よくわかんない。まあとりあえず屋台へ行こうよ」
後輩「はいっ」
男(レミちゃんが遠慮がちに、オレのシャツの袖をつかむ。歩き出す)
男(引っ張られるオレ。彼女がオレの前を歩くのは、もしかしたら初めてかもしれない)
♪
後輩「なにかゲームでもしますか? 射的とか。金魚すくいと型抜きとか色々ありますね」
男「そういえば、祭りに来てもこの手のゲームはやらないな」
後輩「そうなんですか?」
男「ゲームは苦手だし、手がふさがるから。友達がやってるのを見てるのがほとんど」
男(じょじょにオレも正常な状態に戻ってきた。周りを見る余裕もできてきた)
男(男特有のぶっとい声の代わりに、女性の甲高い声があちこちで客を呼んでいる)
後輩「それにしても人が多いですね」
男「そこまで規模の大きい祭りじゃないんだけどね。地元の人間はみんな来るんだよな」
男(レミちゃんが立ち止まる。ある露店を見ているようだ。お面だった)
男「あれ? ウルトラマンとかないんだな」
男(女しかいないから、ウルトラマンやレンジャーものは存在してないのか?)
後輩「……大丈夫みたいですね」
男「ん?」
男(ようやくオレは気づいた。レミちゃんが見ていたのは、露店のお面じゃなかった)
男(その付近の中学生二人組の片方がこけていたのだ。でも、片方の女子が手を差し伸べている)
男(そして立ち上がると、手をつないで再び歩き出した)
後輩「ごめんなさい。急に立ち止まったら、危ないですね」
男「うん。だから……」
男(なにが『だから』なんだろう。オレは勢いに任せてレミちゃんの手をつかんでいた)
後輩「あっ……」
男(一瞬握った冷たい手が、ビクッと動く。オレの心臓はそれ以上に跳ねる)
男(でもすぐに握り返してくれた。やがて彼女の手はあたたかくなった)
後輩「……かき氷」
男「かき氷か。食べる?」
後輩「そうですね。私たち、まだ歩いてるだけでなにも買ってませんもんね。
味はどうしますか?」
男「実はオレ、よくわからないんだ。かき氷ってひとりだと食べきれなくて」
後輩「じゃあひとつのものをわけっこしますか?」
男「そうしよっか?」
男(レミちゃんがかき氷を頼む)
男「お金はオレが払うよ。……っと、ごめん。ちょっと手をはなすね」
後輩「はい……」
男(屋台の店主は、このオレたちのやりとりを見てどう思うんだろう)
男(もっと慣れたカップルだと、こういうお金を払うときも手をつないだまま払えたりするのかな?)
♪
男(オレたちは人の少ない通りへ移動した)
男「くううぅ~、やっぱりキンキンするっ!」
後輩「かき氷はゆっくり食べたほうがいいですよ」
男「うん。これがあるから、ひとりだと食べれないんだよなあ」
後輩「たしかに後半は飽きちゃいますね」
男「ううー。はい、スプーン」
後輩「いただきます……」
男(かき氷をすくおうとするレミちゃんの手が止まる)
男「どうした?」
後輩「い、いえ。い、いただきます……んっ、おいしいですね」
男「うん。暑いから、余計においしいね」
後輩「先輩。あの……まだ食べますか?」
男「んー、オレはもういいかな? 今がちょうどいい感じ」
後輩「もう少しだけ食べませんか……?」
男「ああ、いいよいいよ。遠慮しな……」
後輩「んっ」
男(遠慮しないでよ、と言おうとしたオレの口にレミちゃんがスプーンを突きつける)
後輩「……こういうのも、祭りの風物詩じゃないですか?」
男「……いいの?」
後輩「はい……先輩がよければ」
男(俗に言う『あーん』を経験したオレの頬はすっかり緩んでいた)
男(レミちゃんがどんな表情をしているかは、言う必要はないと思う)
♪
男(それから色々と回って、オレたちは祭りをたっぷりと堪能した)
男(お互いに少し疲れたので、川の土手に腰かけることにした)
男「そろそろ花火がやる時間帯だ」
後輩「そうですね。
……今日は一緒に来てくれて、本当にありがとうございました」
男「お礼を言いたいのは、こっちだよ」
後輩「……私、先輩と一緒に祭りに行くことに、ずっと憧れていたんです」
男「憧れとか言わると……照れる」
後輩「誇張表現とかそういうのじゃありませんよ?」
男(なぜかアカリとの会話を思い出す。人を好きになるってことについて、話したあの瞬間)
後輩「先輩に体育祭で助けられたときから、ずっと憧れていました」
男(たしかにオレは、レミちゃんを助けた。でもアレはこの子のことだけを考えたわけじゃない)
男(倒れている彼女を見たアイツが、オレに『助けてあげて』と言ったのだ)
男(オレはアイツにいいところを見せたい。そう思ったからレミちゃんを助けた)
後輩「どうして先輩が私を助けてくれたかなんて、その理由は些細なことなんです」
後輩「私にとっては、先輩が助けてくれたってその事実がただ大切だったんです」
男「……そっか」
後輩「今日のことは絶対に忘れません」
男(彼女の口調に嘘はない、そう思う。同時にオレの言葉を押さえつけるような力強さがあった)
後輩「本当に今日はありがとうございました」
男「……」
男(彼女はオレの方を見ない。空を見上げている。オレも前を見ている)
男(どうして彼女がそんな態度をとるのか。オレはもうわかっていた)
後輩「……花火」
男「キレイだね」
後輩「私たち、いい場所をとりましたね」
男「うん」
男(オレたちは隣り合っている。手も重ね合わせている)
男(でも、オレたちの間には小さな隙間があった)
男(夜空に弾ける花火を黙って見続ける。花火が止むまで、オレたちは口を開かなかった)
男「……終わっちゃったな」
後輩「意外と早かったですね」
男「レミちゃん」
後輩「……はい」
男「明日、ひとつだけおねがいをしたいことがあるんだけど、いいかな?」
後輩「おねがい、ですか?」
男「ついてきてほしい場所があるんだ。キミが話したいことっていうのは、そこで聞く」
後輩「……わかりました」
男(自然と手がはなれる。明日すべてが終わるのか。それはわからない)
男(でも明日。明日でなにもかもが変わる)
♪
男(次の日。オレは朝早く起きて、自転車をこいである場所へと向かった)
男(ちなみに、後ろにはレミちゃんを乗せて。目的の場所について自転車を止まる)
後輩「ここ、神社ですよね。ここになにがあるんですか?」
男「あるっていうより、いるって言ったほうがいいかな」
後輩「いる? 誰かがいるんですか?」
男「うん。見ればわかるよ」
男(人気のない神社。もとの日当たりの悪さと生い茂る針葉樹のせいで)
男(その神社はひどく不気味だった。その神社にひとりだけいた)
後輩「この人は……」
男(オレの背後でレミちゃんが息をのむ)
男(推測は当たった。それでも、オレも驚かずにはいられなかった)
男(まさかこんなことが本当にあるなんて……)
「……なんでわかったんだよ。ここにいるって」
男「友達に協力してもらったんだよ」
「友達ねえ……」
男「ついでに言うと、お前が見つかったのはお前自身のミスでもあるけどね」
「……」
男(そいつは金髪だった。そして、オレが一番見慣れた顔をしていた)
男「よくもあのときは突き飛ばしてくれたな――『オレ』」
男(オレと同じ顔をしたヤツが、金髪の下で唇を歪めた)
男(そもそも金髪なんて特徴は、たいした問題にならなかった)
男(オレがウィッグをつけていたように、コイツだって金髪のウィッグをつければいいだけ)
男(そしてコイツの正体は……)
後輩「先輩……どういうことですか、これは」
男「見てのとおり。もうひとりの『オレ』だよ」
後輩「もうひとりの先輩……」
漢「もう一度聞こうか。どうやってわかった?」
男「……オレがお前の存在に気づいたきっかけはアカリだ」
男「レミちゃんは、アイツが図書室に来たときのこと覚えてる?」
後輩「あの人ですよね。そうですね……えっと……」
男「アカリが来たとき、オレってすごいあたふたしてなかった?」
後輩「あ、はい。言われてみると、ちょっと奇妙だなって思いました」
後輩「先輩が自分の居場所をあの人に教えたのだとしたら、あんなに戸惑いませんよね?」
男「そのとおり。実際、オレはあの子に居場所を教えてない」
男「さらに言うと、オレのスマホにはあの子からの連絡なんてなにひとつ来ていない」
男「じゃあアカリは誰と連絡をとったのか。そして、誰がオレの居場所を教えたのか」
男「そう考えたとき、ある可能性に気づいた」
漢「だが、それだけじゃあ根拠としては弱すぎるはずだ」
男「もちろん。だけど、オレにヒントをくれたのはそれだけじゃない」
男「お嬢とした会話。これがさらにヒントになった」
漢「……アイツか」
男「オレも詳しいことはわからない」
男「お嬢はアドレス登録してある人のケータイから、居場所が特定できるらしいんだ」
漢「まさか……」
男「そう。オレがお前の居場所をわかったのもお嬢の協力があったから」
男「でも、オレがこのことを知ったときは、お嬢はこう言っていた」
男「『位置が実際のそれとズレてる』って。そしてそれで、その機能が故障しているんじゃないかって」
男「このときは、適当に聞き流していた」
男「でも、アカリのことでお前の存在っていう可能性に気づいたとき、それは故障じゃないかもって思った」
男「実際、お前はオレを何回かストーキングしている」
男「ランニング中のオレをつけまわしていたとしても、それほどおかしくない」
漢「なんだよその特定方法。チートすぎるだろ」
男「うるせー。それに、お前の存在を裏付けたのはこれだけじゃない」
男「最後の手がかりにして、一番の手がかり……これだ」
後輩「それって……ウォークマンですよね?」
漢「それがなんだっていうんだ」
男「これのせいで、オレはいっきに混乱したよ。自分の推理が矛盾したものになったから」
漢「……」
男「ヤマダはこれを壊れているって言った。ところが聞けるんだよ、普通に」
男「じゃあどうしてヤマダは、これを壊れたと思ったのか」
男「答えはシンプル――『自分の知ってる声とちがう声』が流れてきたから」
男「より簡単に言うと『男の声』が流れてきたから」
後輩「!」
男「同時にこのウォークマンは、オレのものじゃないと思った。そう思った根拠はふたつ」
男「ひとつは入っている曲が微妙にちがったこと」
男「そしてもう一つの根拠は、オレがウォークマンを使うのは、ランニングのときだけってこと」
男「そうなると、これは誰のものかって話になる」
漢「……ってことは、当然『俺』の正体にも気づいているわけだ」
男「当然、わかってるよ」
後輩「正体? どういうことですか?」
男「オレの部屋には制服とかも含めて女物の服しかなかった」
男「けど、このオレのものではないウォークマンには『男の声』が流れてくる」
男「そして、この女しかいない世界」
後輩「あれ? つじつまが合わない」
男「そう。この矛盾に一瞬戸惑った。でもすぐに答えは出せた」
男「これらの要素から、考えられることはふたつ」
男「オレが今いる場所が『パラレルワールド』であるっていうこと」
男「そして、お前もこの世界の住人じゃないってことだ」
男「つまり。お前はオレと同じ――『男』ってことだ」
漢「……やるじゃん」
男「なにが『やるじゃん』だ。お前がアカリにオレの居場所を教えなきゃ、たぶん気づかなかったよ」
漢「だってあの女の連絡、半端じゃないんだぜ?
鬱陶しいし、俺って機械苦手だから着信拒否の仕方とかもわかんなかったし」
男「……」
漢「それに、その程度のことででたどり着かれるとは思ってなかったからな」
男「どうしてオレを殺そうとした? それにそんな似合わないカツラまでつけてるし」
漢「カツラは変装の一環。で、どうして俺がお前を殺そうとするかって?」
男「あと、この奇妙な世界にオレを連れてきたのはお前か?」
漢「俺が答えるとでも思ってんのか?」
男「答えてくれないの?」
漢「そもそもお前を殺そうとしたんだぞ、オレは」
漢「なのに、今さらお前の質問なんかに答えるかよ」
後輩「!」
男「……!」
男(もうひとりの『オレ』が取り出したのは、サバイバルナイフだった)
男(いったいどこでこんなものを手に入れたんだ?)
漢「お前を殺して俺はもとの世界に戻る」
男「なに言ってんだ……?」
漢「わからなくていい。どうせお前は……ここで死ぬんだからなっ!」
男(『オレ』がオレに向かって走ってくる。鈍く光るナイフ。オレは動かなかった)
後輩「――待ってください!」
男(オレと『オレ』の間に割って入ってきたレミちゃん。小さな背中がオレを庇う)
漢「レミちゃ……レミっ! そこをどけっ!」
後輩「どきません。それに、そんなことをしても、あなたはご自分の世界へは戻れません」
漢「お前はなにかを知っているのか?」
後輩「それは……」
男「……レミちゃん。キミはオレと同じ世界の人なんじゃないの?」
後輩「……」
男(沈黙するレミちゃん。そしてそんな彼女を見るもうひとりの『オレ』)
男「さっき、ウォークマンの話をしたよね?」
男「キミもあのウォークマンで一度曲を聞いたよね? あの公園で」
後輩「……はい」
男「もしキミがこの世界の人間だったら、ヤマダと似たようなことをオレに言ったはず」
男「でもキミはなにも言わなかった。それは、キミにとって違和感のないものだったから」
男「……そうでしょ?」
後輩「そうです。私は先輩と同じ世界の人間です」
男(……ここまでは予想通りだった)
男(だけどイヤな予感が墨汁のように、胸に広がっていくのをオレは感じていた)
漢「それだけじゃないよな? 俺を止めて、無駄だって言った根拠はなんだ?」
男(そう、これだ。なぜそんなことが言える?)
男「キミはオレと同じで、気づいたらこの世界に来てたんじゃないの?」
男「言いたかったことって、このことだろ?」
男(いや、オレは薄々気づいてはいた。でも、その事実から目をそらしたかったんだ)
後輩「……先輩の言っていることは、半分は当たっています」
男「半分って……」
後輩「私は先輩と同じ世界から来ています。そして」
男(レミちゃんの顔はオレには見えない)
男(オレに向けられた小さな背中は、しばらく黙ったまま)
後輩「私なんです」
男「……なにが?」
後輩「先輩をこの世界に連れてきたのは、私です」
男(彼女の言葉を理解するのに、かなりの時間がかかった)
漢「どういうことか説明しろよ」
後輩「こういうことです」
男「……!」
漢「なんだよこれ……お前の手、どうなってんだよ……」
後輩「私自身も、自分の力をよくわかっていません」
男(レミちゃんの手のひらに、地球儀サイズの光る球体が浮かびがる)
男(よく見ると光る球体は、映像のようなものが映っている)
後輩「嘘みたいな話ですし、信じてもらえないかもしれません」
後輩「私には奇妙な力があって、世界から世界へ移動する能力があるんです」
後輩「それと自分がいる世界以外を観測することもできます」
後輩「さらに言えば、自分以外の人を移動させることもできます」
漢「……だってよ、『俺』」
男「……」
後輩「私が先輩を連れてきたんです、この世界に」
男「……なんで? どうしてオレをこんな世界に連れてきた?」
後輩「私は先輩が好きなんです」
男(告白された。でもその告白は、どちらかといえば懺悔のようなものに聞こえた)
後輩「私は過去に先輩に告白したことがあるんです」
男「告白? でもオレにそんな記憶は……」
後輩「ちがう世界の先輩に、です。でもフラれました」
後輩「だから、私はこの力を使ってほかの世界へ行くことを考えました」
後輩「ほかの世界へ行って、ちがうアプローチをして先輩と結ばれたかった」
後輩「けど、どんなに世界を移動しても、先輩と私が結ばれることはありませんでした」
後輩「もうあきらめるべきなのかなって。そう思ったときです」
後輩「この奇妙な世界の存在を見つけたのは」
男「女しかいない世界、か」
後輩「はい。この世界では男性……というより、性別というものが存在しませんでした」
後輩「なによりこの世界は、先輩があの幼馴染の人と、唯一無関係な世界でした」
男「そう、なのか……」
後輩「先輩はどの世界に行っても、その幼馴染の人のことを大切に思っていました」
後輩「だから、その人と関係がない世界なら、ひょっとしたら……そう思ったんです」
男(彼女の口調はとても丁寧だった)
男(そのせいで、わかりたくもない事実が、脳みそに勝手に染みこんでいく)
後輩「ただ、世界移動はどういうわけか、時間を逆行してしまうんです」
男「じゃあ、一ヶ月近くも時間が巻き戻ったのは……」
後輩「そのせいです。普通なら一日か、大きく移動しても二日程度なんですが」
後輩「ほとんどの世界には、変化といった変化はほとんどありませんでした」
後輩「この世界だけが異様だった。そのせいで、移動と一緒に時間がかかったのかもしれません」
男「本来のこの世界のオレは? 女だったはずのオレがいるはずだ」
後輩「この世界の先輩は、夏休み中に交通事故で死ぬはずだったんです」
男「交通事故? 死ぬ?」
後輩「でも世界移動と同時に先輩と、こちらの先輩を入れ替えました」
後輩「だから彼女は助かったと思います。ただ、それは副作用的なものです」
男「じゃあオレが、オレの世界で寝ている間に、キミはオレを連れてきたってこと?」
後輩「はい。ただ、私は先輩よりだいぶ前にこの世界に来ています」
後輩「そして、この世界で慣れたころに先輩を連れてきて、入れ替えたんです」
後輩「……私は自分のわがままで、先輩をこんな目にあわせたんです」
男(なんと言えばいいのか、わからなかった。嘘みたいな本当の話)
漢「待てよ。レミ、お前の話を聞いていると、俺の存在が省かれてるみたいだ」
後輩「あなたは……あなたのことは、本当にわかりません」
後輩「考えてみれば、辻褄があわないってこところはありますが……」
漢「ちがうだろ」
後輩「……」
男「どういうことだよ?」
漢「今の説明の中に俺がいたか? コイツは意図的に俺っていう存在の説明を省いたんだ」
後輩「ち、ちがいます……! 私は……」
漢「うるせーよ」
後輩「!」
漢「俺が話してんだ。このナイフで切られたくないなら、邪魔すんな」
後輩「……」
漢「じゃあ聞くが、俺をこの世界に連れてきたのは誰だ?」
男「それは……」
漢「この女しかいないよなあ? こんな超能力を使えるヤツがそんなにいてたまるか」
漢「しかも俺は、こっちの世界に来てから一度もレミとは話したことがない」
後輩「それは……入れ替える以前は、先輩は女だって思ってたから……」
後輩「あと、私がこっちの世界に来たときには、先輩には色んな悪い噂があって……」
漢「で、近づかなかったわけか?」
後輩「そ、そうです」
漢「本当にそうだったのか?」
漢「単純に俺と接触しないことで、自分の印象を弱めたかったんじゃないのか?」
後輩「そ、そんなことありません……!」
漢「そもそもどうして俺がお前を殺そうとしたか、わかるか『俺』?」
男「……わからない」
男(『オレ』の語りはまるで毒だった。オレの思考をゆっくりと侵食していく)
漢「メールが来たんだよ。見てみな」
男(もうひとりの『オレ』がスマホの液晶をオレに見せつける)
男(そこには、『オレ』がパラレルワールドに連れてこられたということが書いてある)
男(さらに、続けてこう書かれていた)
男(『もうひとりのあなたが、あなたのいる場所に現れる』)
男「じゃあ、お前は最初からオレがこの世界に来たことを知ってたのか?」
漢「当たり前だろうが。さらにスマホのアプリやアドレス帳を全部消せってメールに書かれていた」
男「じゃあオレのスマホの中身が空に近い状態だったのは……」
漢「そう、俺が全部やった。そして、さらに次の日。こういうメールが来た」
男「これって……」
漢「なあ? すげえよな、このメールの内容」
男「『もうひとりの自分を殺せ。そうすれば、あなたは自分の世界へ帰れる』……」
後輩「!」
漢「送られてきたアドレスは知らないものだったが、そんなのはどうでもいい」
漢「問題は俺にお前を殺させようとしたことだ。どう思う『俺』?」
男「そんな……」
男(わからない。これは本当のメールなのか? 偽物……?)
後輩「ち、ちがいますっ! 私はそんなこと……」
漢「ちがうっていうなら、証拠を見せろよ。コイツのことが好きとかそんな甘ったるい理由はなしだ?」
漢「好きっていう感情は、一瞬で嫌いって感情に変わるからな」
男「好きが、嫌いに……?」
漢「そうだ。どれだけ努力しても報われないなんて知ったら、逆恨みもしたくなるだろ」
男(いつか先輩がオレに言った言葉)
男(『愛情って一瞬で、憎しみに変わったり気がするけど』)
男(そういうことなのか? オレは……)
男(わけがわからなくなる。なにも考えたくない。無意識にレミちゃんを見る)
後輩「先輩……わ、私は……」
男「そうなの……?」
男(自分がどんな顔をしているのか、それはわからない)
男(だけどオレを見るレミちゃんの顔は――)
男(なにかに気づいたように、ハッとする。そして次の瞬間には神社を飛び出していた)
漢「追わなくていいのかよ?」
男「……」
男(オレはその場に座りこんでしまった。足に力が入らない)
男(だけど頭の片隅で違和感のようなものが、オレにささやいている。思考を止めるな、と)
男(これで終わりじゃないって、本能のようなものがうったえている気がする)
漢「ヒドイ女だな。ナイフ持った俺がいるのに、お前を置いてきやがったぜ」
男「……」
漢「これから俺が、お前を殺そうとするかもしれないのにな」
男「……ってみろよ」
漢「あ?」
男「やってみろって言ってんだろうが!」
男「イライラするんだよっ! こっちは必死に考えてんだよ!」
漢「……お前、このナイフが見えないのか?」
男「見えてるから言ってんだよ! そのナイフでオレをぶっ刺してみろ!」
漢「お前……!」
男(オレは立ち上がって、さらに煽ってやった。『オレ』の表情が変わる)
男(『オレ』が近づいてくる。オレは動かない。ナイフが振り上げられる。そして――)
漢「……」
男「どうした? そのナイフでオレを殺すんだろ? やってみろよ」
漢「……クソッ!」
男(乾いた音。もうひとりの『オレ』がナイフを地面へと放った)
男「はぁ~……よかった」
漢「……自暴自棄になってオレを煽ったってわけでもなさそうだな」
男「少しだけヤケになってたよ。それに刺せよ、って言ってからけっこう後悔した」
漢「ダサっ」
男「はあ? 結局オレを殺せなかったヘタレのお前に言われたくない」
漢「うるせえ。殺人だぞ……そんな簡単にできるわけないだろうがっ」
男「そうだよな。『オレ』ならそう言うと思った。だから、手ぶらでここに来たんだよ」
漢「けっ……全部お見通しみたいな言い方してんじゃねえよ」
男「実際、オレへの殺人行為は一回きり。殺す機会ならほかにもあったはずなのにな」
漢「……俺はあのときお前の背中を押した瞬間、本気で恐くなった」
漢「人殺しって行為が、本当に恐ろしいものだって……気づかされたよ」
男「やっぱりお前もヘタレ野郎なんだな」
漢「あ? ケンカ売ってんのか?」
男「ちがうって。オレとお前は同じ人間だろ?」
男「オレも女の子と気まずくなったぐらいで、話せなくなる根性なしだからさ」
漢「嬉しそうに言ってんじゃねえよ、この童貞」
男「うるせー。……そういや、お前さ。お嬢とかヤマダと……」
漢「ああ。この世界のそのふたりと、俺はまあ……うん、そういうことだわ」
男「そしてふたりには、お前のからだのことは『ふたりだけの秘密』って言って隠したんだな?」
漢「そう。我ながら、すごいことをしたと思ったよ」
漢「俺はお前をつけていた。だからわかるんだけど、けっこう似たような行動をとっていた」
漢「そしておそらく、いずれはお前も俺と同じように自暴自棄になったはずだ」
男「……そうかもね。そのうちお前みたいに似合わない金髪ウィッグでもするのかもな」
漢「ウィッグは変装のためだっつーの」
男「あとついでに、オレの財布を盗んだだろ」
漢「よく気づいたな。ていうか、否定しないんだな」
男「いや、最初は周りに女の子しかいないっていうんで、戸惑った」
男「けど、なんでか知らないけどモテモテなんだ。だからけっこう舞い上がってた」
漢「不思議だよな。なんでこんなにモテるんだろうな、俺?」
男「自分で言うな」
漢「……俺だってこの世界に来た当初は、こんな荒れてなかったよ」
漢「でもこの世界に居続けると、だんだんおかしくなりそうだった」
漢「周りには女しかいない。そいつらは自分が知っている連中と同じ顔をしている」
漢「だけど、常にどこかがちがうという違和感を覚える」
漢「人と接するうちにだんだん疲れてくるんだよ」
漢「同性の友達もいないから、周りに相談しても微妙は反応しか返ってこない」
漢「というより、理解してもらえなかった」
漢「ハーレムも最初はいいと思ったけど、周りが女しかいなんだ」
漢「途中から優越感も感じなくなって、最終的には鬱陶しいと思うだけになった」
漢「……ああ、あとアレもあったな」
男「あれ?」
漢「俺の幼馴染が知らない女とキスしている場面を見た」
男「……なるほど。そのショックな気持ちはメチャクチャよくわかる」
男「……やっぱり同じ人間だから、ほとんど一緒みたいだな」
漢「いや、でも俺はウォークマンは歩くときにしか聞かない」
男「微妙なちがいだ。でも、この世界に居続けたら、オレもいずれお前みたいになってたのかもな」
漢「絶対なってたよ。間違いない」
男「……お前さ、『人生で言いたいセリフベスト30』とか作ってる?」
漢「……お前も作ってんの?」
男「うわあ、やっぱり同じなんだ。ちなみに一位のセリフは?」
漢「なんで言わなきゃいけねえんだよ」
男「わかった。じゃあ同じタイミングで言おう」
漢「……しゃあねえな。言う代わりに、絶対に同じタイミングで言えよ」
男「おう」
男・漢「「オレ(俺)の女になれ」」
男「……」
漢「……」
男「気持ち悪っ!」
漢「あっ!? 自分も同じこと言ってんじゃねえかよ」
男「いやまあ、そうなんだけど。ほかの人間の口から聞いて思った。キモイなこのセリフ」
漢「同感だな。とは言っても、同じ人間の口から出た言葉だけどな」
男「そうだね。ていうか、すっかり普通に話しているけどさ」
漢「おう」
男「お前、オレを殺さなくていいの?」
漢「べつに。よくよく考えれば、お前を殺す必要なんてないんだよ」
漢「レミちゃんを呼び出して、ここから帰りゃいいんだ」
男「簡単に言うなよ。だいたいお前の言ってることが正しいんだとしたら……」
漢「そこはもう無理やりどうにかするしかないだろ」
男「……」
漢「脅すなり拘束するなりしろ。で、もとの世界に戻ったら絶交でもしろ」
男「オレは……あの子のことが……」
漢「は?」
男「いや、やっぱりお前に言っても仕方ない」
漢「なんでもいいから連絡しろよ。スマホあるだろ?」
男「んー……いや、待った。連絡……?」
漢「?」
男「そうだ。すっかり忘れてた」
漢「なにをだよ?」
男(ようやくオレは違和感の正体に気づいた。それは電話だ)
男(電話越しに言われた『殺してやる』。アレは誰だ?)
男(もちろん、もうひとりの『オレ』ではない。アレは間違いなく女の声だった)
男(あの声には聞き覚えがある。あの声は――)
男「!」
漢「ど、どうしたんだよ?」
男「隣りにいるヤツに気づかれないで、電話するなんて不可能だよな?」
漢「なに言ってんだ。できるわけないだろ」
男「そうだ、できるわけがないんだ」
漢「はあ? なにひとりでブツブツ言ってんだよ」
男「……もしレミちゃんが嘘をついてなかったとしたら、どうなる?」
漢「嘘をついてないって……だったら俺の存在はどうなるんだよ?」
男(本当のことはずっと黙ってた。でも、嘘はついてないとしたら?)
男(一度だけ、彼女が嘘をついたと思われる場面がある。でもそれが嘘じゃなかったら?)
男「そうだよ。ありえない話じゃない」
漢「おいおい、ひとりの世界に入りすぎだろ」
男「……ごめん。オレ、レミちゃんを迎えに行ってくるわ」
漢「どうしたんだ急に? なんか顔つきが変わったぞ」
男「ああ。だってまだ謎は全部解けてないからな」
男(オレは取り出したスマホのアプリを開いた)
男(お嬢のおかげで、オレのスマホからでも、アドレスから人の位置を検索することができる)
男「まずいかも……」
男(もしオレの予想が当たっているなら……なにをしようとしているのか、それはわからないけど)
男「とりあえず急ぐ! お前はどこかで待ってて!」
漢「どこ行くんだよ!?」
男「学校の屋上!」
男(オレは神社から走って抜け出して、自転車へ飛び乗った)
♪
後輩「はぁはぁ……本当に、こんなことがあるんですね」
「逃げても無駄。それに逃げてどうするの?」
後輩「……わかりません。未だに考えがグチャグチャになっています」
「気持ちはわかるけどね。あなたの気持ちは……なおさらね」
後輩「そう言われても、あまり嬉しくないです」
「うん、それもわかる。そしてあなたは、自分は殺されないとでも思った?」
後輩「ナイフを見て、初めて気づきました」
「そう、バカだね。というかこの屋上って場所で逃げようとするのが、間違いよ」
後輩「どうして私を殺すんですか?」
「いちいち理由を説明するのはイヤ。どうせあなたは死ぬしね」
「逆に聞きたいなあ。なんで逃げるの? 自分がやったことの罪悪感で苦しんでるくせに」
後輩「……そうですね。私は最低なことをしました。好きな人を苦しめました」
「私の存在に気づいた時点で、彼だけでも逃がしてあげれば、よかったのに」
「どうしてあなたがそうしなかったか、私には痛いほどわかる」
後輩「……」
「大好きなあの人の誤解を解くには、あのまま帰るわけにはいかなかった」
「私という真犯人の存在を証明しなければならなかった」
「でも、そうするなら彼らも連れてくるべきだったね」
後輩「あなたを捕まえようと思ったのは合っています」
後輩「でも、先輩のあの顔を見たら、とてもあの場所にはいられなかった……」
「つくづく馬鹿だね。でも、自分が真っ先に狙われるって察したのは褒めてあげる」
後輩「私を殺して、それで先輩たちはどうするんですか?」
「さあ? 少なくともあなたみたいに、もとの世界に戻すなんてことはしない」
後輩「……だったら死ぬわけにはいかないです」
「もう彼はあなたに対して憎悪しか抱いてないよ。あなたが彼を騙したから」
後輩「それでも私は、先輩をもとの世界へ返してあげなきゃいけないんです」
「そう。じゃあそれすらもできずに死んで」
後輩「……っ!」
プルルルル
後輩「!」
「なっ……なんで私のが……」
男「決まってるでしょ。オレが今、キミに電話したんだから。」
後輩「先輩……!」
「なんであなたがここに……!?」
男「理由はもうさっきべつのところで言ったからカット」
男「ついでに、正体隠して電話するなら非通知にしなきゃダメだと思うよ」
男「――もうひとりの『レミ』ちゃん」
♪
男(学校の屋上。抜けるような青空を背景に、同じ顔をした女の子がふたりいる)
男(でも、ふたりのちがいは明白だった。同じ顔をしているのに、まるで別人だ)
男(もうひとりの『レミ』ちゃんは、オレの知っているレミちゃんよりもだいぶ大人びて見える)
男(太陽の光の下でも、彼女の周りだけ影が落ちているかのように暗い雰囲気を漂わせている)
コウハイ「なんで……」
男「なんでキミに気づいたかって? ひとつは電話。電話から聞こえてきた声」
男「本当はすぐ気づけたはずだった。隣にいるレミちゃんの声だったから」
男「でも、オレの隣にいるレミちゃんがオレに気づかれずに電話できるわけがない」
男「だから声のよく似た別人だと、無意識にオレは思いこんだんだ」
後輩「あなたも……私と同じことを?」
コウハイ「そうよ。あなたよりずっと私は世界移動を繰り返して、足掻き続けてきた」
コウハイ「でも私はどう頑張っても、報われない」
後輩「……」
コウハイ「私もね、あなたと同じことをした」
コウハイ「この女しかいない世界に、ちがう世界の先輩を連れてきたことがある」
コウハイ「でも、やっぱり先輩は私のことを好きにはなってくれなかった」
コウハイ「あきらめればいい話なのにね。あきらめられないよね?」
後輩「……はい」
コウハイ「ずっと先輩の存在は私の心を縛り続ける」
コウハイ「このままだと本当に狂いそう。ううん、もう狂ってるのかも」
コウハイ「だからもうね。どの世界の先輩でもいいから、殺そうと思った」
男「キミがもうひとりの『オレ』を騙したのも、それが理由ってこと?」
コウハイ「この女しかいない世界で、先輩を連れてきて殺す。それで終わるはずだった」
コウハイ「でも予定外のことが起きた」
後輩「……私がこの世界に来たことですね」
コウハイ「そう。最初は驚いた。今までも自分以外の自分は見てきた」
コウハイ「でも、私と同じ能力を持った自分を見たのは、あなたが初めてだった」
コウハイ「私はあなたが、なにをしようとしているのかすぐわかった」
コウハイ「あなたは過去の私と同じだったから」
男「……待った。それだとおかしい」
男「レミちゃんがこの世界に来る前に、もうひとりの『オレ』はこの世界にいなきゃつじつまが合わない……」
コウハイ「だから、私は『私』を発見してすぐに世界移動した。世界移動は時間を逆行する」
コウハイ「もうひとりの『私』がこの世界へ来るより前の時間に、移動してしまえばいい」
コウハイ「そしてこの世界へ『先輩』を連れてきて、女の先輩と入れ替えた」
コウハイ「あなたは女の先輩と、あなたの今隣にいる先輩を入れ替えたつもりだったんでしょうね」
後輩「実際にはちがったってことですね……」
コウハイ「そう。前もって連れてきた『先輩』には、もうひとりの自分が来ることは伝えていた」
コウハイ「『先輩』には姿を隠させた」
コウハイ「あなたが入れ替えた先輩は、私がまたちがう世界から連れてきた別人」
後輩「……完全にあなたの掌の上だったってことですね、私は」
男「なんでそんなことをした?」
コウハイ「まるで自分の愚かさを、見せつけられたような気がしたから」
コウハイ「絶望的な気持ちになった」
コウハイ「それに……」
男(そこで彼女は言葉を切った)
男(少し待ってみたものの、彼女はその言葉を飲みこんでしまった)
コウハイ「先輩がふたりいる。だったら、ふたりとも苦しめようって思った」
コウハイ「ひとりは殺して、ひとりは絶望させる……そう決めた」
コウハイ「『世界』に先輩はたくさんいるけど、私には意味がない」
男(目の前で『レミ』ちゃんがナイフを構える)
男「レミちゃん、下がって」
後輩「で、でも……」
コウハイ「その子を庇うんですか? 自分を騙した人間を」
コウハイ「しかもいずれは私と同じ道をたどる人間なのに」
コウハイ「それともこのナイフを脅しかなにかだとでも、思っているんですか?」
男「思ってない」
男(もちろん怖くないわけがない。本当だったら逃げ出したい。でも)
後輩「先輩……! この人は危険です、私がなんとかするから……」
男「オレが車にはねられそうになったとき、キミはオレを守ってくれた」
男「だから、今度はオレがキミを守る」
後輩「どうして私なんかのために……あなたを騙して苦しめたのに…………」
男「好きだから」
後輩「……!」
コウハイ「……なにを…………言ってるんですか……?」
男(レミちゃんがこぼれ落ちそうになるぐらいに、目を見開く)
男(自分の口から、自然に出てきたその言葉にオレ自信も驚いていた)
コウハイ「そんなわけないっ……そんなことがあるわけない……!」
男「嘘じゃない。たしかにレミちゃんは、オレに嘘をついたし、こんな世界に連れてきた」
男「そりゃあ事実を知った瞬間はショックだったよ」
男「でもよく考えればオレにとって、そんなことはささいなことだった」
男「そう思えるぐらい――好きなんだよ」
コウハイ「私がどれだけの世界をさまよったと思ってるの……!?」
コウハイ「こんなの嘘よ……嘘じゃなきゃおかしいっ!」
男(『レミ』ちゃんがナイフを持って突進してくる)
男(オレもレミちゃんも動けなかった。恐怖で足がすくんでしまっていた)
男(せめて少し動くだけでも……それじゃダメだ!)
男(避けたらレミちゃんが……そもそも避けることなんて……)
男(とっさにレミちゃんを突き飛ばして、からだをひねる)
男(ナイフが脇腹を掠めただけですんだのは、ほとんど奇跡だった)
男「……っ!」
後輩「せ、先輩!」
男「オレのことはいいから……早く逃げて……!」
コウハイ「逃げられるとでも思ってるの? 逃すわけないでしょ?」
男(出口の扉を背に、『レミ』ちゃんがナイフを再び構えた)
男「……レミちゃん。あっちの『レミ』ちゃんがオレに向かって突っ込んできたら、すぐ走るんだ」
後輩「先輩を置いて逃げろって言うんですか……!?」
男「オレは大丈夫だから」
男(声がみっともなく震える。声だけじゃない。足もだ。暴れる心臓が胸を破って出てきそうだった)
男(女の子にオレは本気でビビっている。それでも彼女だけは守りたかった)
コウハイ「……」
男「どうしたんだよ、来ないのかよ!?」
コウハイ「……嘘じゃないんだ……」
男「……え?」
コウハイ「口先だけだと思ったのに……うぅ……あなたは本気でその子を…………」
男「『レミ』ちゃん……」
男(オレたちを睨む目は、涙であふれていた)
コウハイ「私が、どれだけ……どれだけがんばっても……無理だったのに……!」
後輩「!」
男「な、なにしようとしてんだ!?」
コウハイ「来ないで……!」
男(悲鳴のような叫び。『レミ』ちゃんがナイフを自分自身に向ける)
コウハイ「納得できないっ……! どうして? 教えてよっ!?」
コウハイ「なんであなたには先輩が振り向いてくれたの……!? 」
コウハイ「こんなのイヤっ……こんなのっ……」
男「よせっ!」
男(ナイフが『レミ』ちゃんの首に突き刺さる――)
男(だけどそれより先に、彼女の背後で扉が勢いよく開いた)
コウハイ「え?」
漢「馬鹿なことやってんじゃねえよっ!」
男「!?」
男(『オレ』が扉を勢いよく開けて入ってきた)
男(ほとんど同時に背後から、『レミ』ちゃんのナイフを持っている方の手をつかんだ)
漢「こんな物騒なもん持ってんじゃねえよ!」
コウハイ「せ、『先輩』……あなたまでどうして……」
漢「もうひとりの『俺』が学校の屋上に行くって言ってたからな」
コウハイ「は、はなしてください……」
漢「バーカ! 誰が離すか! だいたいお前のせいで俺はこんな目にあったんだぞ!」
男「……おい、『オレ』」
漢「なんだよ? 感謝しろよ、俺のおかげでお前らは助かったんだからな」
男「お前、扉の前でずっと会話聞いてただろ?」
漢「うっ! う、うるせえよ。出ていくタイミングがわからなかっただけだ……」
男(おそらくビビって、出てこれなかったんだな)
漢「ナイフは預かるからな」
コウハイ「……うぅっ……ひっ……どうして……どうして……」
男「……」
男(もうひとりの『レミ』ちゃんが床に座りこんで泣き崩れる。どれぐらいの時間が経っただろう)
コウハイ「……どうしてですか?」
男「?」
コウハイ「なんで……もうひとりの『私』を好きになったんですか?」
男「それは……えっと……」
男(どのタイミングで好きになったんだろ? 気づいたら好きになってたって感じだしな)
男(オレはふと隣のレミちゃんを見た。オレと一瞬だけ視線があうと、目線をそらしてしまった)
男「……たぶん、あの瞬間かな。もうひとりの『オレ』が、オレを突き飛ばしたとき」
男「レミちゃんに助けてもらって……うん……そんな感じ」
漢「皮肉なもんだ」
男「どういうこと?」
漢「それが惚れるきっかけだったんだろ?」
男「まあ……」
漢「『レミ』ちゃんが、お前を殺そうとした。そのことが惚れるきっかけを作ったわけだ」
コウハイ「私が、原因……それであなたたちが……」
コウハイ「絶対に成立しなかった恋が……私が原因で……」
男(事実を受け入れられない人間特有の表情。その顔がまたくしゃりと歪んだ)
後輩「……」
男(レミちゃんは、泣き崩れるもうひとりの自分を見て、なにを思っているんだろう?)
男(レミちゃんの表情は、泣くのをこらえているようにも見える)
漢「もう行けよ、お前ら。あとは俺がコイツの面倒を見ておくから」
男「は?」
漢「もうお前らにできることはねえよ。ていうか、お前らがいるとかえってダメだろ」
男「でも、お前だって……」
漢「俺はもともとコイツに、この世界に連れてこられた。だからコイツに返してもらう」
漢「文句も山のようにあるんだ。それを言わなきゃ気がすまないしな」
漢「それに、失恋したヤツの心の痛みは、少しはわかってるつもりだ」
男「……そういえば、お前もだったな」
漢「それと……謝って済むことじゃないけど。殺そうとしたことは……ごめん」
男「ホントだよ。なんで殺人未遂で『ごめん』なんだよ」
漢「お前は俺じゃない。だけど俺だ。どう謝ったらいいのか、わからないんだよ」
男「そうだな。よく考えたら自分と自分が会うなんて、ありえないことだもんね」
漢「もう二度と会うこともないな。……そろそろ行けよ」
男「あっ、ひとつだけ聞いておきたいんだけど。お前ってこの世界でクラス写真撮った?」
漢「クラス写真? 撮ってないけど、それがどうした?」
男「んー、べつに。少しだけ気になったから聞いただけだよ。……じゃあな『オレ』」
漢「おう、さようならだ」
男(自分に向かって別れの挨拶をするなんてな)
男(今後二度とないんだろうな)
男「行こっか?」
後輩「……はい」
男(オレとレミちゃんは、ふたりを残して屋上を出た)
男(でも、扉を抜けたところでレミちゃんが足を止めた)
後輩「……ごめんなさい。少しだけ待ってもらっていいですか?」
男「いいよ、待ってる」
後輩「ありがとうございます」
男(それだけ言うと、レミちゃんは屋上に戻っていった)
男(おそらくもうひとりの自分に、なにかをいいに言ったのだろう)
♪
後輩「お待たせしました」
男「うん」
男(三分もしないうちに彼女は帰ってきた。なにを話したかは、あえて聞かなかった)
男「……」
後輩「……」
男(これで終わったのか。終わったのかな? あとはレミちゃんと……)
男「……ぐっ!? ゴホゴホっ!」
後輩「ど、どうしたんですか先輩!?」
男(レミちゃんが突然むせだしたオレの顔を覗きこむ。オレは顔をそむけた)
男(顔が熱い。全身の血がみんな顔に集まっているようだった)
男「だ、だいじょうぶっ! ほんっとうになんでもないからっ!」
後輩「顔が真っ赤ですけど……」
男「ち、ちがう! これはその……あの、ちょっとね!」
男(ようやく自分がとんでもなく恥ずかしいことを、あの屋上で話していたことを思い出した)
男(オレはこ、告白まがいのことを……うおおおお、恥ずかしいってレベルじゃないぞっ!)
後輩「あっ……」
男(そしてレミちゃんの顔も、突然赤くなった。オレと同じで気づいたんだ)
男「……顔、赤いよ? 風邪?」
後輩「ち、ちがいます……」
男(はたから見たら、今のオレたちはどういうふうに見えているんだろう)
後輩「そ、そういえば! き、傷は大丈夫ですか!?」
男「すっかり忘れてたな。……うん、見た感じ大丈夫そうかな?」
後輩「本当ですか?」
男「うん、本当だよ。そっちこそ、さっき思いっきり突き飛ばしちゃったけど……」
後輩「私のことはいいんです」
男「よくないよ。膝とか擦りむいてない? 」
後輩「ほ、本当に大丈夫ですから……ほら、少し擦りむいただけです」
男「そうだね、大丈夫みたいだね」
後輩「……先輩」
男「ごめんなさい、でしょ?」
後輩「はい。私のせいで……先輩に……」
男「もう終わったことだし、それはいいよ。オレは気にしてないよ……そんなには」
後輩「ちょっとは気にしてるんですね」
男「まあ正直、色々と衝撃的なことがありすぎて。頭の中が整理できてないっていうか……」
男「同じ人間がふたりいるとか、レミちゃんの超能力みたいな力とか……」
後輩「……そう、ですね……っ」
男「レミちゃん?」
後輩「ごめ、んな……さいっ……なんだか、自分でもよくわからなくて……」
後輩「……もうしわけ、ないのにっ……うれしくて……!」
男(あとはもう言葉にならなかった)
男(自分の胸でむせび泣く彼女の背中を、さすってあげることしかできなかった)
男(少しだけ、あのふたりについて考えてみた)
男(もうひとりの『オレ』も、もうひとりの『レミ』ちゃんも)
男(言ってみれば、未来のオレたちの姿のひとつだったのかもしれない)
男(あのふたりがいなければ、オレたちはあのふたりと同じ道をたどったかもしれない)
男(いや、きっと同じ道をたどったと思う)
男(べつにそのことで、あのふたりに感謝しようとは思わないけど)
男(色んな『世界』があるということをオレは知った)
男(でも、オレとレミちゃんの今の関係はここにしかない)
男(レミちゃんの背中を撫でる手に無意識に力が入っていることに気づいて、オレは少しだけ笑った)
♪
男「……落ち着いた?」
後輩「はい、ぐすっ……もう、落ち着きました。ごめんなさい、時間をとらせてしまって」
後輩「……いつでも、もとに戻ることがあります」
男「そんな簡単に戻れるものなの?」
後輩「はい。わりとお手軽に」
男「……じゃあ悪いんだけど、少しここで待っててほしい」
男「ひとりだけ会っておきたい人がいるんだ」
男(本当のことを言えば、みんなのことも気になっていた)
男(だけど、もう会わないほうがいいだろう)
男「ちょっと図書室に行ってくる」
男(最後の疑問の答え。それはあの人がもっているだろう)
♪
本娘「来ると思ってた」
男「マジですか」
本娘「嘘よ。言ってみたかっただけ。でもまた君は来るだろうなって思ってた」
男「……ずっと気になってたことがあります」
男「先輩も本当はこの世界の人間じゃない……そうですよね?」
本娘「ちなみに根拠は?」
男「最後に会ったとき、こう言いましたよね」
男「『でも『男の子』なんだから、ちょっとやそっとのことで挫けちゃダメよ』って」
本娘「やっぱり気づいてた?」
男「むしろ気づかせようとしてたんじゃないですか?」
本娘「君の言っていることは正解。私はべつの世界の人間だったの」
男「あっさりと認めますね」
本娘「人殺しをしたとかじゃないしね」
男「……先輩はボクの正体に気づいてたんですか?」
本娘「もちろん。君って女の子っぽい顔してるけど、それでもさすがわかるわよね」
本娘「あとは一人称とかでね」
男「そういえば……」
本娘「でもね。不思議なことにこの世界でも、一般的に男子が使う一人称が存在してるの」
男「へえ。本当に不思議ですね」
本娘「うん。こっちではほとんど耳にすることはないけどね」
本娘「それから私が『君』との初対面のときに、なにをしたか覚えてる?」
男「たしか、ボクの足を蹴って抱きついてきましたよね?」
本娘「ちょっと顔が赤いね? 思い出しちゃった?」
男「き、気のせいです……」
本娘「どうしてあんなことをしたのかって言うと、あれで一発でわかるからなのよね」
男「なにがですか?」
本娘「わからないの? 男の子ってすぐ反応がからだに出ちゃうから、ああいうことをしたのに」
男(一瞬なにを言われた理解できなかった)
男「え、ええっ!? う、嘘でしょ!? そんな……」
本娘「本当にすぐ顔に反応が出るわね。ふふっ……いったいなにを想像したのかしら?」
男「うっ……」
本娘「『そっち』は嘘。密着すれば、それでからだの感触はわかるでしょ?」
男「そ、そういうことだったんですか……」
本娘「ところで、君はどこまで自分の問題を解決できたのかしら?」
男(オレは先輩に今まであったことを、簡単に説明した)
本娘「……途中、ややこしくて理解できない部分もあったけど……なるほどねえ」
男「信じてくれるんですか?」
本娘「私自身が、信じられない経験してるんだもの」
男「まあそれもそうですね」
本娘「とりあえず、君は無事にもとに戻れそうなのね」
男「はい。あの……先輩は最初の時点で、どうして本当のことを話してくれなかったんですか?」
本娘「私も完全には状況把握できるわけじゃなかったし」
本娘「仮にあの時点で、この世界はパラレルワールドだって言ったとして」
本娘「それに君が納得したとしても、そのあとどうするって話にならない?」
男「そうですけど……」
本娘「どうやってもとの世界に戻るんだとか、考えたら絶望的な気持ちにならない?」
本娘「いちおう、私なりの気づかいのつもりだったの」
男「はぁ……」
本娘「それに男の子にとっては、夢のハーレムを体験できるしね」
男「おいしい思いは、実際それなりにしましたからね」
本娘「でも帰るって選択をするんだね、君は」
男「はい。ここはボクの世界じゃないし。先輩もレミちゃんに返してもらえば……」
本娘「私がどの世界から来たかってわからないでしょ?」
男「あっ……」
本娘「それに私は帰りたくないし」
男「どうしてですか?」
本娘「私、レズだから」
男「……」
本娘「そういう反応になるわよねえ、やっぱり」
男「え? え? ほ、本当に言ってるんですか?」
本娘「こんなことで嘘をついてどうするの?」
男(そういえば、あのとき)
本娘『私は君に、絶対惚れたりしないから』
男「あのボクに惚れない宣言って、そういうことだったんですか?」
本娘「うん。残念ながら私が君に惚れる確率は限りなくゼロに近いのだっ」
男「のだっ、じゃないですよ」
本娘「あら? ひょっとして少し残念がってる?」
男「そんなことありません。今のボクにはまあ……ええ……」
本娘「煮え切らない言い方するわね。でも君はなにも思わないのかあ」
男「……少しだけ残念って思いました」
本娘「ふふっ……私も少しだけ嬉しいわよ」
本娘「ところで、どうして君がこの世界でモテモテだったかわかる?」
男「うーん、正直よくわかりません。ていうか、モテモテだったのはもうひとりの『ボク』ですし……」
本娘「私の予想だと、君やあるいは、もうひとりの『君』が、男だったからっていうのが答えかな」
男「?」
本娘「この世界ってね、やっぱり普通の世界と色々ちがうの」
本娘「歪とでも言えばいいのかしら?」
本娘「妊娠の確率とかも低いし、その関係で性に関してもけっこう乱れてるのよねえ」
男「……」
本娘「こういう話題になると、ホントすぐ顔赤くなるわね」
男「仕方ないじゃないですか……」
本娘「やっぱりこの世界はおかしいのよ。本来あるべき存在がいないせいかしらね」
本娘「だからこそ本来いなければならない男って存在に、本能的に惹かれたんじゃないかしら?」
男「なるほど。言われてみると、そうかもって気がします」
本娘「こんなのは私の単なる想像だけどね」
男「……ボク、確かめたいことがあってここに来たんです」
本娘「目的のものはズバリ、学級写真かな?」
男「うわっ、すごい。本当に持ってるとは……」
本娘「ふっふっふ、くすねてきたのだっ」
男「聞かなかったことにするんで、見せてもらってもいいですか?」
本娘「感謝してよね、はい」
男(もうひとりの『オレ』からオレに移り変わったとき、みんなは髪型の変化しか気づかなかった)
男(でもそれは当然だ。オレと『オレ』にはそれぐらいしかちがいがないから)
男(でも、『この世界のオレ』と『オレ』を比べたらどうなる?)
男(ほとんど予想はついている)
男(それでも)
男(その学級写真に映っている自分を見たら、苦笑いせずにはいられなかった)
♪
男「本当にお世話になりました」
本娘「私も短い間だったけど楽しかったよ。レミちゃんにも、よろしく言っておいてね」
男「はい……あの、本当にボクたちだけ帰っていいんですか?」
本娘「私は、気づいたらこの世界にいた」
本娘「最初は戸惑ったし困り果てたわ。でも、今はもう慣れちゃったから」
男「でも……」
本娘「いいって言ってるでしょ? まったく……優しいんだから」
男「いや、ボクって無駄に気が小さいんで。気になってしかたがないんです」
本娘「私と君は価値観がちがうの」
男「価値観?」
本娘「自分って存在に対する考え方がちがうって言えばいいのかな?」
本娘「君は自分ってものを、周りの環境も含めて考えてるんじゃない?」
男「うーん、そんなに深く考えたことないですけど、そうかもしれないですね」
男「なんていうか、ボクって存在を作ってくれたのって家族だったり、友達だったり……」
男「カッコよく言うと、自分の世界が自分を作ってくれた……そんなふうに考えてるのかな?」
男「だから『周りの環境もひっくるめて自分って考えている』って先輩の指摘は」
男「けっこう当たっていると思います」
本娘「やっぱりね。でも、私はちがうの」
男「と、言いますと?」
本娘「私は私。世界中のどこにいても私は私」
本娘「周りがどうなろうと私は私であり続ける。世界なんて関係ない。そう思ってるから」
男「価値観のソーイってヤツですね」
本娘「そういうことかしらね。
まあ単純に、ここが私のユートピアだってこともあるしね。
男「本当ならボクもそのはずなんですけどね」
本娘「ほんとっ、もったいないわねえ」
男「でもボクにはハーレムなんて向いてないし、必要ないと思います。
好きな女の子がひとりだけ、そばにいてくれればそれでいいんです」
本娘「そうね。あなたにはとても素敵な人がいるものね」
男「はい……じゃあ、今度こそ行きます」
本娘「縁があったらまた会いましょう」
男(そう言うと、先輩はぺろっと舌を出した)
男(やっぱりこの先輩にはかなわないなあ……そんなことを思いながらオレは図書室をあとにした)
♪
男「お待たせ! よし、帰ろっか」
後輩「その前に……さっきもうひとりの『先輩』と『私』が学校を出ていきました」
男「なんか言ってた?」
後輩「『先輩』と『私』はごめんって……それから『先輩』があとのことは全部任せろって……」
男「……まあビビリの『オレ』がそう言ったんなら大丈夫なんじゃないかな?」
後輩「そうですね……帰りますか?」
男(オレは一瞬だけ迷った。結局、挨拶らしい挨拶をしたのは先輩しかいない)
男(でも)
男「うん。……ところで今度はどれだけの時間、逆行するんだろ」
後輩「わかりません。でも、もともといた世界に戻るのなら、たぶんそんなには逆行しないはずです」
男「下手すると夏休み前に戻る……なんてことはないわけだね」
後輩「はい。……その、手をつないでもらってもいいですか?」
男「……う、うん」
後輩「んっ……!」
男(冷たい手の感触。この先、オレはこの感触をまた味わうことが……って今は考えないでおこう)
後輩「そ、それじゃあ目を閉じてください」
男「うん」
後輩「それじゃあ、行きますね」
男「帰ろう――オレたちの世界へ」
♪
兄「おらっ起きろぉ!」
男「眠い……もうちょっと寝かせて……」
兄「布団が干せないから、早くどけ。今日から始業式だろ?」
男「そんなこと言われても……」
兄「どうせお前のことだから、また夏休みの課題を残してたんだろ?」
男「だって! 夏休みの宿題二回目なんだぞっ!」
兄「なに、今の高校は馬鹿な生徒には二回も夏休みの宿題を出すの?」
男「ちがうわ!」
兄「まあなんでもいいから、早く支度しろよ。朝ごはんは作ってあるから」
男「……兄ちゃん」
兄「なんだよ?」
男「いつもメシ作ってくれてありがと」
兄「ほほう、ようやくお前も感謝の気持ちというのを学んだのか?」
男「言っておくけど、オレがバカなのは兄ちゃんのせいだからな」
兄「っんだと? 兄ちゃんに向かってバカだと?」
男「っと……本当に学校に遅刻する!」
兄「おいこらっ! まだ兄ちゃんの話は終わってねえぞ!」
男「帰ったら聞くって!」
男(やっぱりこっちのほうがしっくりくるな、兄ちゃんは)
♪
男「いってきまーす!」
男(あの女世界から戻ってきて逆行した時間は、一日だけだった)
男(それはいいんだけど、夏休みの課題が復活していたのにはまいった)
男(おかげでオレは残った夏休みを課題に費やすハメになった)
男(まあ、どっちにしようみんなに会うのは、夏休み明けって決めてたんだけど)
男(こんなにも夏休みの終わりが恋しいと思ったのは、初めてかもしれない)
女「おーい」
男「ん?」
女「おはよう! 朝からこんなところで会ううなんて珍しいね!」
男「……」
女「どうしたの? ポカンと口開けちゃって」
男「いや、うん……たしかにこんなところで会うなんて珍しいな」
女「本当はあたし、今日早く学校行かないといけないのに寝坊しちゃってね」
男「大丈夫なの、オレと話していて」
女「あんまり大丈夫じゃないかなっ。でも、友達に会ったら挨拶しとかないとね」
男「そっか、なんかわざわざ悪いね」
女「ああでも、やっぱり急がないとっ!」
男「ちょっと待った。アカリってもしかしてさ」
男(オレが自分の通っていた幼稚園の名前を言うと、アカリは目を丸くした)
女「あれ? なんであたしの通ってた幼稚園の名前知ってるの? 話したっけ?」
男「……うーん、たぶん話してたよ」
女「覚えてないや……って、本当にごめんねっ! あたし行くねっ!」
男「おう。引き止めてごめん」
女「ううんっ。また教室でね、バイバイっ!」
男(そう言うとアカリは走っていってしまった)
男(あっちの世界に比べると、実にあっさりしたやりとりだった)
男「でも、これが本当のオレとあの子の関係だもんな」
男(そう、これでいい。これこそがオレの世界だ)
♪
男(学校の昇降口に入って最初に会ったのはヤマダだった。もちろん男)
友「よっ、二週間ぶりぐらいか? 結局後半は遊ばなかったな」
男「……ヤマダ」
友「どうしたんだよ、そんな顔して。死んだお婆ちゃんと再開したみたいな顔になってるぞ」
男「ヤマダあああああっ! 会いたかったぞちくしょおおおおっ!」
友「うわぁっ!? なんだなんだ!? なんで抱きついてくる!?」
男「やっぱりヤマダは男だなあ! ああうん間違いないっ!」
友「耳もとで叫ぶな! うっさい! ていうかマジではなせ!」
男「なにを言ってんだ! オレが今どれだけお前に会えて嬉しいかわかってんのか!?」
友「いいからはなせえぇ! あつい!」
♪
男「ごめん、ちょっとどうかしてたわ」
友「ホントだよ。失恋のショックでついにホモになったのかと思ったわ」
男「誰がホモだ。オレは純粋にお前への友情から抱きついただけだ」
友「キモっ! いやマジで気持ち悪い!」
男「んだとぉっ! お前だって……」
友「なんだよ?」
男「ごめん、なんでもない」
友「どうしたんだよ、今度はシュンって落ちこんで」
男「落ちこんではいない。ただ、ちょっと思い出しただけ」
友「情緒不安定ってやつか?」
男「だからちがうって」
男(オレたちがいなくなって、あの女世界はどうなったんだろう)
男(あとのことはもうひとりの『レミ』ちゃんたちに託すことになった)
男(あの世界の本来のオレは、戻ったのかな?)
男(あっちのヤマダは……みんなは……)
友「おい。ホントに大丈夫か?」
男「ん? ああ、大丈夫だって」
友「ならいいけど……おっ、ちょうどいいとこに来たじゃん」
男「え?」
お嬢「実はさっきから、靴箱の影から見てたんだけどね」
男「お嬢……」
お嬢「すごい久しぶりだね。元気にしてた?」
男「久しぶりってつい最近も会ってるでしょ」
お嬢「え?」
男「あ、いや……嘘です。盛大な勘違い」
お嬢「ふふっ……相変わらずどこか抜けてるね」
友「なっ? しかも会った早々いきなり抱きついてくるし」
男「だーかーら、アレはちがうんだって」
お嬢「じゃあどうして抱きついてたの?」
男「それは……そう、再開の喜びを分かち合うためだよ。それぐらいわかれよ」
友「わかるか。本当に失恋のショックで狂ったのかと思ったわ」
お嬢「元気出してね、恋はひとつじゃないよ?」
男「あはは……それはたしかに」
友「ていうか、抱きつくならお嬢にも抱きつけば?」
男「そ、それは……」
お嬢「私ともハグするの?」
男「……ハグ、する?」
お嬢「ふふっ……遠慮しておきます」
男「ぐっ……」
友「残念だったな。またフラれたね」
男「……おう。夏休み明けと同時に、現実に戻された感じがするよ」
男「まあこれが本来のオレなんだけどね」
友「なに言ってんの?」
男「気にしない気にしない」
お嬢「とりあえず教室に行きましょ。ホームルームに間に合わなくなっちゃう」
男「おう」
男(男としては、モテなくなったというのはやっぱり来るものがある)
男(でも、オレは口もとがニヤけるのをこらえられなかった)
友「今度はニヤけてどうした?」
男「ん? やっぱり好きだなあって思ってさ」
友「なにが?」
男「この世界が、だよ」
♪
友「これからどうする? 久々にカラオケでも行く?」
男「ごめん。これからオレ、用事があるんだ」
友「先生に呼び出してもくらった?」
男「ちがうってば。とにかく行くわ、また明日な」
男(始業式を無事に終えて、目的の場所へと向かおうと教室を出たときだった)
男「あっ」
幼馴染「あっ……」
男(なんていうタイミングで会ってしまったんだ……!)
幼馴染「ひ、ひさしぶり……元気にしてた?」
男「う、うん」
男(オレが告白してから二ヶ月以上が経過している)
男(あれからずっとお互いに気まずくて、全然会話してなかった)
男「……」
幼馴染「な、なによ? なんで黙るの?」
男「いや……だってねえ」
男(逃げてしまいたい。ていうか、べつに話すこともないし……)
男(って、オレはなにまた逃げようとしてんだ! いいかげんヘタレは卒業しろ!)
男(しっかり向き合え! 気まずくても!)
男「……お前、オレが誰かわかる?」
幼馴染「なに言ってんの? 十年以上付き合いがあるのに、わからないわけないでしょ」
男「そうだよな。うん、オレとお前は幼馴染だもんな――エミ」
幼馴染「本当に今さらすぎることを言うんだから。当たり前でしょ」
男「……なんか、こうやって話したのは久々だな」
幼馴染「そうね。ここのところは、すれちがっても話さなかったよね」
男「エミ、お前って今彼氏いるの?」
幼馴染「……なんでそんなこと聞くの?」
男「ただ気になっただけ。べつにいいでしょ、幼馴染なんだし」
幼馴染「……いるけど」
男「そっか。末永くお幸せにな」
幼馴染「……今日のアンタ、どこかおかしくない?」
男「自分でもそう思う」
男「それからひとつ、お前に宣言しておく」
幼馴染「宣言? なにを?」
男「……」
男(言おうとして、なぜか急にやっぱり言うのやめようかなって思ってしまう)
幼馴染「なに? 男ならはっきりものを言いなさいよっ」
男「あっ……『男』から始まるセリフ久々に聞いた」
幼馴染「これは、口癖みたいなものだから……というかなんでもいいでしょ」
男(そういえばあっちのエミは、男って言葉がないからそんなことは言わなかったんだよな)
男「……ああ、そういうことか」
幼馴染「今度はひとりで納得してるし……なんなの?」
男「なんとなくわかったんだよ、あっちの世界で、オレとお前が幼馴染じゃなかった理由が」
幼馴染「あっちの世界? なんの話?」
男「こっちの話。ていうか話がそれたな」
幼馴染「そうよ。結局なにが言いたかったの?」
男「すぅー……はぁ……お前に言っておく」
幼馴染「……」
男「彼女ができたらお前に紹介してやる! 以上っ!」
男(自分でも引くぐらいの大声。おそらく廊下に響き渡っただろう)
幼馴染「……は?」
男「覚えておけよ。ぜぇったいに覚えておけよ!」
幼馴染「ちょ、ちょっとなにそれ!?」
男「オレはこれから行くところあるからな、じゃあなっ!」
男(言ったあとで急に恥ずかしくなって、オレはその場をあとにした)
♪
男(彼女のもとへと向かう前に、オレは図書室へ行った)
男(ふとあの人がこちらの世界にいるのか、気になったのだ)
男(決してこれからやろうとしていることへの時間稼ぎではない)
男「すみませーん。ちょっと聞きたいんですけど」
図書委員「はい、なんでしょうか」
男(出てきたのはいかにも図書委員といった感じの、おとなしそうな女子生徒だった)
男「えっと、図書委員の人で……」
男(よく考えたらオレ、あの先輩の名前知らないじゃん!)
図書委員「図書委員がどうしました?」
男「あの、金髪ですごい派手な先輩っていませんか?」
図書委員「私たちの委員会には、そんな人はいませんね」
男「……そうですか」
図書委員「ただ……二年前に行方不明になった人に、そんな人がいたかもしれません」
男「はあ……そうですか」
図書委員「ほかになにかご用は?」
男「大丈夫です。ありがとうございました」
男(……あの人は、もしかしてこの世界にはいないのかな?)
男(ていうか、最初から最後まで謎な人だったもんな)
男(なんか会えないほうが、しっくり来るかもな)
男(『縁があったらまた会いましょう』か……)
男「……よしっ! そろそろ行くか!」
♪
男「お待たせっ!」
後輩「先輩……お久しぶりです」
男(屋上に行くと、レミちゃんが待っていた。オレは自分の心臓の鼓動が急速に早くなるのを感じていた)
男「こっちの世界に戻ってきて以来だね、会うのは」
後輩「はい……」
男「……」
後輩「……」
男「今日は、いい天気だね」
後輩「そうですね……」
男「……レミちゃん、今日呼び出したのは、言いたいことがあるからなんだ」
後輩「言いたいこと……」
男「そう。言わなきゃいけないことだ」
男(レミちゃんの表情がこわばる。でも、それはオレも同じだろう)
男(なにを緊張することがあるんだ? 彼女はもうオレに好きと言っただろ?)
男(いや、でも……よくよく考えるとオレはあっちの世界でけっこうな醜態を演じているのだった)
男(女装に始まり、情けないところも見せたし、もしかしたらパンツも見られたかも)
男(会ってない間に冷静になって、『こんなヤツのどこがいいんだ?』とか考え出してたら……)
男(暗い想像のビジョンが、脳みそを埋め尽くす)
男(今日は風が強かった。屋上だから、なおさらだ)
男(沈黙が風になってオレを追いつめようとしているのかも、とか謎の被害妄想までしてしまう)
男(ふとオレが理不尽にフった女の子たちを思い出した)
男(彼女たちもこういう気持ちだったんだろうな。でも、勇気を出したんだよな)
男(それなのに男のオレがこんなんでどうするんだよ……!)
男(しっかりしろ! 告白の練習はメチャクチャしてきたんだ!)
男「……レミちゃん」
後輩「はい」
男「オレ……」
男(『人生で言いたいセリフベスト30』のナンバーワンセリフを言うんだ、オレ!)
男(『オレの女になれ!』を――!)
男(顔が熱い。暴れる心臓の音で周りの音がなにも聞こえない)
男(背中を流れる汗がそのまま蒸発しそうなぐらい、からだが熱い)
男(オレは大きく息を吸った。そして言った)
男「オレをあなたの彼氏にしてくださいっ!」
後輩「……」
男「……」
男(返事がない。顔をあげる。目を丸くして、小さく口をあけたレミちゃんがオレを見ていた)
後輩「……あ、はい」
男「……」
男(なんだこの微妙なリアクション……ていうか、オレ今なんて告白したんだ?)
後輩「今、先輩は『あなたの彼氏にしてください』って言ったんですよね……?」
男「……うん」
後輩「告白ですよね、これって……」
男「そう、そのとおりっ! オレはキミが好きだ! 好きだから……とにかく好きなんだ!」
後輩「ぁ……」
男(だんだん自分でもなにを言っているのか、わからなくなってきた)
後輩「……本当に私でいいんですか? 私なんかで……」
男「キミじゃなきゃダメだ! レミちゃんじゃないとイヤだ!」
後輩「……嘘じゃないですよね?」
男「嘘じゃないっ! 絶対に本当!」
後輩「ぅう……ぐすっ……」
男(気づいたら、レミちゃんは泣いていた。オレまでなぜか泣きそうになる)
後輩「……わ、私も……ぅ…………先輩のことが……好き、です……」
男「レミ、ちゃん……」
後輩「私は……私はあなたが世界で一番、あなたが……好きです……!」
男「……!」
男(レミちゃんがオレの胸にしがみつく。オレはこんなときどうすればいいのか、わからなかった)
男(……これって、オレたちは恋人になったってことだよな)
男(告白まではオレも知っている。でも告白が成功したそのあとのことをオレは知らない)
男(どうしたらいいのかわからない。オレは彼女の頭を撫でてやることしかできなかった)
後輩「ごめ、んなさい……私、泣いてばかりで……」
男「気にしないでよ。なんかオレまで泣きそうだし」
男(実感が全く湧かなかった)
男(でも、今こうしてオレが感じている彼女の温もりはまぎれもない本物だ)
男「……これからも、よろしくね」
後輩「はいっ……こちらこそ……!」
男(どうしよう。こういうときって抱きしめたほうがいいのかな?)
キイイィ……
男「ん?」
男(屋上の扉が開く音で、オレは後ろを見た)
友「あっ……バレた?」
男「な、なんでここにいるんだよ……」
女「あ、あたしは止めようとしたんだよ?」
お嬢「私は……うーん、どっちだったかな? でも言いだしっぺはヤマダくんだよね?」
友「言うなよっ! いやまあお邪魔して悪かったよ。末永くお幸せにな!」
男(それだけ言うと、アイツらは帰っていった)
男「あー……こりゃあ、明日には広まってるな。でも……」
後輩「わ、私は……大丈夫です……」
男「オレも気にしないことにするよ」
男(明日のことは、明日になれば勝手にわかることだ。今はどうでもいい)
男(オレは自分の胸にいまだに顔をうずめているレミちゃんの背中に手を回した)
男(まだまだ日差しの厳しい九月に抱き合うふたりは、周りからはどう見えるんだろう)
男(でもまあ、そんなこともどうでもいいな)
男(そんなことよりも、今はこうして彼女を抱きしめていたい――オレはそんなことを思った)
お わ り
581 : 以下、名無しが深夜にお送りします - 2014/03/18 12:41:13 QM9nkRsc 445/445
これにておわりです。
ここまで読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。
けっこう皆さんが予想してくれたり、考察までしてくれる人がいたり、嬉しかったです。
次回はホラーssで会いましょう。