† ――月――日
ほむら「……」
QB「暁美ほむら。君が時間遡行者であることはわかっている」
ほむら「……“無駄な足掻きはやめたらどうかな”……百回以上は聞いたわ」
QB「……やはりね」
ほむら「さっさと出て行って頂戴、インキュベーター。あなたの言葉にはもう、煩わしさしかないの」
QB「そういうわけにはいかない」
QB「僕は交渉に来たんだよ、ほむら」
ほむら「……」
QB「この交渉を成功させなければ、僕の個は本幹領域に同期できなくなってしまった」
ほむら「……どういうことかしら」
QB「聞いてくれるのかい? ありがとう」
QB「これから話すことは、君にとってデメリットを減らすものとなるだろう」
QB「よく聞いてほしい」
ほむら「……」
QB「君の願い、時間遡行の魔法が、鹿目まどかという一人の少女の因果を高めていることには、気付いている?」
ほむら「随分と前に聞いたわ」
QB「それを聞いてもなお、幾度となく遡行を続けているわけだ。まぁ、それはいいよ」
QB「率直に問題を言おう、これ以上の時間遡行はやめてもらいたい」
ほむら「断るわ」
QB「これは知性集合体(スペース)からの要請でもある、僕というインキュベーター個人よりも高度な場所からの頼みだ」
ほむら「穏やかでは、ないみたいね」
QB「経緯を説明しよう」
QB「君の宇宙結束によって、平行世界の特定値は上昇し続けていた」
QB「これは何十回程度の結束であれば問題ないレベルの偶然として片付けることができるのだが、さすがに数千を越えるのはやりすぎだね」
QB「鹿目まどかの因果量、そして魔力係数は臨界を迎えつつある」
QB「スペースはついに、鹿目まどかという個体に対して第二種の警戒令を発動した」
QB「だが僕たちが鹿目まどかの因果異常を観測し認識できるのは、16日のその日からだ」
QB「こんな辺境の星に、しかも一ヶ月以内に対応者を派遣することはできない」
QB「対処できるのは、駐在しているインキュベーターの僕だけだ。しかも、現地生物への要請という遠まわしな形限定でね」
ほむら「要請とは」
QB「これ以上の時間遡行をやめてもらいたいのと」
QB「暁美ほむら、君に宇宙結束の解除をしてもらいたい」
ほむら「……やめたくはないし、解除の仕方なんていうのも知らない」
QB「理由を説明しなくてはならないね」
QB「まず、これ以上の時間遡行はNGだ。契約上強制はできないのだが、やめてもらわなくては全宇宙の生命が死滅する」
ほむら「……」
QB「鹿目まどかの因果量・魔力量は、もう容量限界に達しつつある。臨界を迎えようとしているんだ」
QB「臨界によって、鹿目まどかはその姿を保てなくなり、宇宙ごと歪ませてその存在を消滅させるだろう」
ほむら「……嘘ね」
QB「こんな嘘を今更つくと思うかい?」
QB「暁美ほむら、君の時間遡行は無限ではないことを知っておいてほしい。これから先の遡行は、0.01%以上の確率で宇宙の死が待っていると思ってくれ」
ほむら「……」
QB「けど本題、要請の本懐はこっちにある」
QB「暁美ほむら、君による宇宙結束の解除作業をやってもらいたい」
ほむら「……それは何なの」
QB「簡単に言えば宇宙の治療行為だ」
QB「君が鹿目まどかを軸に束ねた、一ヶ月間の宇宙たちを平行状に解き、元の状態に修復してほしい」
ほむら「……そうすれば、まどかの因果が消える?」
QB「完全消滅はしない。君が初めて出会った頃のまどかに戻るはずだ。魔法少女としての才能が消えることはないよ」
ほむら「……」
QB「宇宙結束の解除が行われれば、一点に集中した因果も拡散する。宇宙は救われるわけだ」
QB「君にとってもデメリットはないはずだよ。その状態に戻せば、君は再び時間遡行を行うことができるのだからね」
ほむら「甘言ね。どうせ何か裏があるのでしょう」
QB「僕たちにとっては、宇宙が無事であることは最優先事項だ」
QB「まどかの感情エネルギーなどはあくまでも二の次、生産品に過ぎないからね」
ほむら「また時間を巻き戻し続けて、同じことになるかもしれないわよ」
QB「その間に君が事故死してくれることを願うばかりだよ、暁美ほむら」
ほむら「ふ、ついに包み隠さずに言ってくれたわね」
QB「こんな面倒事は何度も起こってほしくないからね」
QB「要請を受け入れてくれるならば、君の遡行魔法に因果の修繕能力を付与する」
ほむら「そんなこともできるのね」
QB「魔力による発動形式は君独自の言語で構成されているために直接の干渉はできないが、君が僕らの協力を受け入れるならば話は別だ」
ほむら「遡行魔法と同時に、まどかの因果が修復されるのね」
QB「そういうことになる。一ヶ月間を未来から過去へと、解していくようにね」
ほむら「その際のリスクはないのかしら」
QB「ある」
ほむら「……」
QB「力を付与するのは僕らだけど、修復するのは君の魔法だ。誤作動が起こらない保障は、残念だが全くできない」
QB「全ては君の気の持ちようというわけだ」
ほむら「途中で私が死ぬことも、ありえるということかしら」
QB「時間遡行の失敗。何が起こるかは、僕にもわからないよ」
QB「けれどそれまでの遡行距離に応じた因果の結束が解消されることは間違いない」
QB「少しでも良い。君がまどかに集中した因果を解してくれるならば、宇宙の破滅は回避できる」
QB「そして君は死ぬ。これ以上ないイレギュラーが消滅してくれることは、正直言ってありがたいよ」
ほむら「……」
QB「このままではまどかを中心にした破滅が待っている、それは間違いない」
QB「だがこの要請に応じれば、デメリットは軽減されるだろう」
QB「君の取り分が多くなるかどうかは、君が自身の魔法を御すことが出来るかどうかにかかっている」
ほむら「……」
QB「河原。ここで良いんだね?」
ほむら「ええ、広くて人が少ない。見滝原の中では、時間の流れとは無縁な場所でもあるわ」
QB「なるほど、不測の事態に備えてのここでもあるわけだ」
ほむら「……それにここは、かつて私がまどかと一緒に研鑽を重ねた場所でもある」
ほむら「ここで魔法を使うのが、一番リラックスできる。そんな気がしたの」
QB「なるほどね」
QB「さて、暁美ほむら。これは新たな契約だ」
QB「これより君には、宇宙結束の解除を行なってもらう」
QB「それに際し、一度の時間遡行に限定した、結束宇宙を修繕する能力を付与する」
ほむら「ええ」
QB「……どういった形で君に魔法が発言するかは、僕にもわからない事だ」
QB「それでも受け入れるかい?」
ほむら「今のままでは必ずまどかが死ぬのであれば、是非もない」
QB「良いだろう」
QB「――受け取るが良い。スペースが君へ貸与する、救世の運命だ」
……
ほむら「……」
QB「これで能力付与は完了した。どうかな、様子は」
ほむら「……新たな能力の使い方を、理解した」
QB「それは良かった。作業に入れるかい?」
ほむら「ええ、問題なくいける。これなら、この能力があれば」
QB「よし」
ほむら「……」
QB「……」
QB「これで君ともお別れになるわけだ」
ほむら「ええ、そうね、しばらくだけど」
QB「それはわからない。修復中に君が次元の狭間にでも消えてくれれば、僕にとっては一番ありがたい結果だ」
ほむら「意地でも、また邂逅してみせるわ」
QB「やれやれ。まあ、後のことは良いさ。好きにすることだね」
ほむら「……でも、言わせてもらうわ」
QB「何かな」
ほむら「さようなら、インキュベーター」
QB「ああ、さようなら、暁美ほむら」
……――……―……
QB「さて、世界の修正が始まる」
QB「どうせなら僕のこの意識も一緒に、遡行してもらいたかったな」
QB「この考え方を“寂しい”とでもいうのだろうか」
QB「まあ、どうでも良い事だ」
ほむら(……数多の世界線が、トンネルのように輪を成している)
ほむら(これがいくつもの世界。私が渡ってきた世界の因果)
ほむら(これが全て、まどかの因果になっていただなんて)
――ギュイイイイイン
ほむら(……左手の時計が、過ぎ去った景色を糸状に解して、内部へと巻き込んでいる)
ほむら(これがきっと“解す”ということ)
ほむら(時計の中に、今までまどかが溜め込んでいた因果が収束されているのがわかる……)
ほむら(これがまどかの抱えていた魔力……)
ほむら(……出口を目指そう)
ほむら(一ヶ月前のあの日へ戻る。そして、また一から、今度こそ本当に、まどかを守ってみせる)
ほむら(強大な素質を持たないまどかであれば、インキュベーターの動きも激しくはならないはず)
ほむら(これはチャンスよ。ワルプルギスの夜を倒すための、またとないチャンス)
ほむら(待っていてまどか。今、もう一度会いに行くからね)
――ギュイイイイイン
ほむら「……」
ほむら(今、時計が集めている因果……この魔力さえあれば)
ほむら(この特殊な時間遡行の魔法さえあれば)
ほむら(より綿密に、ワルプルギスの夜と戦うための準備ができる……そんな時間にまで、戻れるんじゃ)
――ギュィイィイン
――ゴウッ
ほむら(!? 時計が!?)
ほむら(嘘、どんどん周囲の時間を飲み込んでいく!?)
ほむら「ぼ、暴走している……!」
――ギュィィィィィ
ほむら(だめよ、一ヶ月前! それ以上は戻らない!)
ほむら(止まって! お願い、私はそんなこと祈っていないの!)
ほむら(これ以上、戻ったら――)
ばきん。
時計が内側から破裂した音を聞いて、私は恐慌状態に陥った。
一ヶ月前以上の、明らかにオーバーしすぎた時間遡行に、時計に付与された因果回収能力が限界を迎えたのだ。
巻き込んでいた因果、その魔力は爆発し、私の最大の武器を破壊してしまった。
――終わった。私は直感した。
今さっきまで通っていた、散歩道のような時間の狭間が、急に恐ろしげな空間に変貌したような気持ちさえした。
時計のない私に、時間を歩く資格はない。狭間でさまよう資格すらも持ってはいない。
結果として、時計の破壊と同時に、私の体はすぐ近くにあった時空壁へと吸い寄せられてしまった。
どこかもわからない世界へと投げ出されたことを自覚すると共に、激しい眩暈を覚える。
そして理解した。失敗したと。
過去へときてしまった。
そして、時計が壊れた。
絶望的な未来が待ち構えている世界へやってきてしまったのだ。
ほむら「……ぐぁっ!」
現実感のある砂利の上に叩きつけられるが、些細なことだった。
自分の魔法を完璧に失ってしまったことに比べれば、本当に些細だ。
ほむら「ああ……やってしまった、私はなんてことを……!」
破壊した時計からこぼれた因果の砂は、砂利の上に散っている。
目に付くそれらの力を利用しても、未来へと遡行することは叶わないだろう。時空の中で失った力は、あまりにも大きかったのだ。
……インキュベーターも思惑通りに事が進んでしまったというわけだ。
因果は解消され、私はどこかもわからない、しかも過去の世界線へと飛ばされる。
魔法は使えず、あとは魔女に殺されるのみだろう。
私は。
……私は!
† それはいつの出来事でもない
† 誰も知らない出来事だった
さやか「じゃあ、もう来るんだね?」
恭介「ああ、松葉杖ついてでも、ちゃんと学生をやってみせるさ」
両腕に杖を抱えた恭介が病室内を歩いている。
リハビリの時間は設けられているが、それだけでは全然足りないということだ。
恭介「左手は絶望的といってもさ、逆に考えてみればさ、別に利き手じゃないんだぜ」
恭介「確かに楽器は難しいかもしれないよ。でも、他の事ならいくらでも出来るはずだよね」
良い顔をするようになった。
無茶をしているわけでもない。強がりではない。
病室の隅に積まれている学校用の道具が、恭介の前向きな気持ちを表していた。
さやか「学校の勉強も、ちゃんとやらないといけないしね」
恭介「ああ、さすがにこれから取り返していかないと大変だよ」
さやか「へへ、さやかちゃんが懇切丁寧に教えてしんぜようか」
恭介「いやいや、そこまで困ってるわけじゃないさ……けど受験の時は、少し頼むかも」
さやか「うむ、どんどん頼りたまえ」
テーブルの上には、見慣れない管楽器関係の本がいくつか置かれている。
あの本の中から、もしかしたら、恭介は新たな道を見つけたのかもしれない。
ほむらは恭介を知っていたのだ。
だから、転校してきてすぐに、彼の病院を訪れた。
私が深く関わっている人物なのだから、それは当然の事だ。
さやか(未来から来た。それだけで、随分と色々な疑問が解決した気がするよ)
もちろん本人は全てを語ったわけじゃない。
長い間繰り返してきたのだ、その全てを事細かに言えるはずもないだろう。言いたくないことだってあるはずだ。
私の中でまだ腑に落ちない点もいくらか残ってはいるが、そこはミステリアスなほむらの謎ということで、保留のままにしておこうと思う。
まどか「あれ?もう良いの?」
さやか「うん、すっげー元気そうだったよ。そろそろ復学するんだってさ」
まどか「本当?良かったねぇ」
さて。
今日は日曜日ということで、まどかと一緒にお出かけしている最中だ。
恭介の見舞いに付き合ってもらい、これからマミさんと合流する所である。
ほむらから話は通っているらしく、数日ぶりの再開ではちょっぴり涙目だった。
杏子との決闘のくだりもしっかり伝わっているらしい。
マミさんはどういう反応で迎えてくれるのだろうか。
私、ちょっぴり怖いです。
まどか「ねえ、さやかちゃん」
さやか「ん、なに?」
まどか「杏子ちゃん、嫌いじゃないんでしょ」
さやか「……」
なーんでわかっちゃうかな、まどかには。
まどか「今日のさやかちゃん、すっごく気分良さそうだもん」
さやか「へへ、顔に出てた?」
まどか「さやかちゃん、顔色読むのは上手だけど、顔色隠すのは得意じゃないもんね」
さやか「む、むむ……」
言われてから、携帯のブラックモニターにむっつり真顔を映してみる。
まどか「杏子ちゃんと喧嘩して大変なことになったって、ほむらちゃんは言ってたけど、そんなにひどい喧嘩じゃなかったんだね」
さやか「ははは、まぁ、ひどいっちゃひどいんだけどねー……」
後腐れが一切無いっていうのは、そうだけどね。
私が杏子とバカしてた間、マミさんはまどかを連れて魔女退治を続けていたらしい。
ほむらも居ないのに、一対一でのレクチャーとは。魔法の新技を身につけてから得た自信は、かなり大きいようだ。
私もその気持ちはよくわかる。強くなったんだから油断ってわけじゃない。ま、浮かれちゃってますね、ってことかな。
さやか「こんちわっす」
マミ「美樹さん」
橋の下では、マミさんが黄色いバランスボールのようなものに腰かけて待っていた。
ボールから立ち上がると私たちに手を振って、しかしすぐに頬を膨らませ、むくれた。
マミ「また無茶をしてっ。佐倉さんと戦ったんですって?」
さやか「面目次第も反省もございません」
まどか「えー」
マミ「開き直らないの」
さやか「いやいや、でもマミさん、杏子との戦いで、私も成長したっていうか」
マミ「良い訳無用っ! 勝手に危険なことをして、万が一があったらどうするの!」
さやか「はい……」
まどか「そうだよ、すごく心配したんだからね?」
バランスボールが帯状に解け、一条の長いリボンとなって地面に落ちる。
さやか「あ……それ」
マミ「ああ、これはちょっとね。自分の魔法、やっぱり色々と試しているのよ」
さやか「はぁ……」
マミ「……けど、これはこれ。自分の力を試してみたい気持ちはわかるわ。でも、死んでしまうような無茶はいけないわ。私たちは友達で、仲間なんだもの」
さやか「すみません……」
マミ「わかればいーんです」
優しいお説教を終えると、話の流れは手作りお菓子や、手作り紅茶の方面へと変わっていった。
数日振りの世間話にほっこりし、またマミさんとも、ほむらから送られてきたメールについての話で盛り上がりもした。
とにかくほむらがやってくるまでは、そんなとりとめもない、しかし掛け替えのない日常を過ごしていたわけだ。
まどか「それでですね、ユウカちゃんたら自分から……」
マミ「あらまあ、そうなの?」
さやか「もうみんな大爆笑ですよー、だって顔真っ赤にして、本当にふやけるまで舐めるもんだから……」
「遅れてごめんなさい」
鉄橋に声が反射し、響いた。
土手の上を見上げれば、そこにはほむらの姿が認められた。
さやか「こら、遅いぞー」
ほむら「色々とまとめていたのよ、でもごめんなさい」
マミ「ううん、気にしてないわ」
まどか「やっほー、ほむらちゃん」
ほむら「……や、やっほ」
4人が揃い、ほむらの用意した折りたたみのキャンプ用チェアに腰を下ろした。
焚き火を囲うわけではなく、あくまで長話をするためのものだ。
マミ「メールで、話があると聞いたけど……」
まどか「私も聞いてていいのかな」
ほむら「ええ、決心がついたから、みんなに聞いてもらうつもりよ」
それは今までひたすら隠してきた事実をさらけ出す決心だ。
一気に関係が崩れるかもしれない。そんな突飛な、しかし事実を打ち明けるのだ。
今の、それを傍で見守る立場になった私がようやく解ったことだが、話し始めるほむらの恐れは、並ではないだろう。
ほむら「これから、みんなとはより一層、深い付き合いになってゆかなければならないから……その上で聞いて欲しいの」
ほむらは言葉のひとつひとつを選んで、ゆっくりと話し始めた。
まずはワルプルギスの夜についての事から、それを倒すための準備を整えていること、それは至上の目的であるということ。
そして自分の過去の話へ推移していった。
マミさんは黙って、時々小さく頷きながら聞いていた。
ほむらの話す様子をじっと、見守るように眺め、時々も言葉は挟まない。
まどかは両手を膝の上で結び、小さな震えを閉じ込めながら、ほむらの告白に耳を傾けていた。
彼女には珍しいことだけど、その間、一度も地面を見なかった。
ほむら「私はずっと繰り返し続けてきた……」
未来からやってきたほむらの告白は、きっと二人に受け入れられている。
短い数日間の付き合いだけれど、それでもほむらが今になって酔狂な御伽噺をするとは、誰も思っていない。
QB「……」
さやか「……」
いつの間にかほむらの後ろに現れた白猫も、それを疑ってはいないだろう。
逆にキュゥべえの存在は、話を裏付ける良い役目になってくれるかもしれない。
川の流れだけを背景音に、話は続き、そして終わった。
終始誰も声を荒げず、思いのほかスムーズに、だからこそそれに戸惑うように、ほむらは告白を終えた。
さやか「お疲れ」
ほむら「……ええ」
マミ「……鹿目さんにそんな力が隠されていたなんて、驚きだわ」
まどかとマミさんの表情を入れ替えたくなるほどに静かに、マミさんは言った。
マミ「魔法少女が魔女に。それが本当なら、鹿目さんの契約を阻止する今までの行動が、納得できるわね」
ほむら「信じて欲しい」
マミ「どうなの? キュゥべえ」
目を見開いたほむらの後ろで、キュゥべえが尻尾を振る。
QB「驚いた。仮説程度にしか考えていなかったけど、まさか本当に暁美ほむら、君が時間遡行者だったとは」
ほむら「いつから」
QB「最初から聞いていたよ」
ほむら「……」
鋭い目が忌々しげに白猫を睨む。
この時、なるほど。キュゥべえを忌む訳が明らかになった。
まどか「ほむらちゃん……ずっと、私なんかのために頑張ってきたんだね」
ほむら「……自分を卑下しないで、まどか」
まどか「……ごめん、そうだね、それがいけないんだよね」
さやか「うん」
まどか「大丈夫……うん。わかったよ、ほむらちゃん」
ほむら「まどか?」
まどか「安心して、私、大丈夫だから。もう、絶対に契約しないから」
ほむら「……」
普段は弱気なまどかも、今は決意を込めた目で、ほむらにそう言ってみせた。
ほむらはただ頷いた。
マミ「ねえキュゥべえ、どうしてそんなことを隠してたの? ソウルジェムが、グリーフシードになるだなんて」
QB「聞かれなかったから言わなかっただけだよ」
マミ「聞かれなきゃ言わないなんて、聞きようがないじゃないの。それって詐欺よ」
さやか「あっはは、確かに」
マミ「……」
さやか「すみません」
皆がキュゥべえを囲んでの、剣幕な雰囲気にあった。
気まずい。実に気まずい。
まどか「……ねえ、キュゥべえの目的って、その、本当に、私達を魔女にすることなの?」
QB「限界まで使用したグリーフシードを回収することが目的だよ」
さやか「そのための魔法少女の精神“ケア”は怠らないってことでしょ?」
QB「もちろんだよ」
さやか「悪い方向にも、良い方向にも動かせる。まぁ、必要に応じて、魔法少女への接し方も変えるってことね」
キュゥべえが私の方へ顔を向けた。
意識せざるを得なくなった、ということだ。
顔をずっと向ける、目を逸らせない、それがどういう意味を持ち、人にどう映るのか、心を持たないキュゥべえにはわからないだろう。
さやか「まぁでも、私はキュゥべえの言葉に心動かされることはないだろうし、魔法の力をくれたことには感謝してるから、良いんだけどね」
QB「さやか、僕が言うのも何だけど」
さやか「ん?」
QB「君は変わっているね」
さやか「ほんと、何だね」
河原のこの場の空気が、少しだけ暖かくなった気がした。
マミ「……お茶菓子はつまみ食いするし、飲み物の器はよくひっくり返すし。キュゥべえは本当に嫌な子ね」
QB「嫌な子って」
ほむら「駆除すべき害獣よ、嫌なんてものじゃない」
QB「害獣って」
さやか「獣なんでしょ?」
QB「宇宙知性体と呼んでもらいたいな」
白猫を指すには、ちょっとばかし仰々しい呼び方すぎやしないかな。
テクノロジーは遥かに上の存在なんだろうけどさ。
マミ「でも、今までキュゥべえのおかげで私が魔法少女を続けてこれたっていうのも、変わらない事実だわ」
ほむら「……あなた」
マミ「だから、キュゥべえ。あなたはもう当分の間、おやつ抜きよ」
QB「そんなー」
“そんな”じゃないだろ当たり前だアホー。
声を荒げてやりたい気持ちを抑えつつ、さて。話を転換する咳払いをひとつ。
さやか「けどほむらの話だと、キュゥべえは嘘をつかないんだよね」
QB「僕らはそういう生き物ではないからね」
さやか「なら安心だね……ワルプルギス対策のために、さてと」
QB「え?」
ひょい、と白猫を持ち上げる。
顔を両手でしっかりとホールドし、私の目の前に。
さやか「んっふっふ……逃がさぬぞよー……」
QB「……」
まどか「さやかちゃん、怖い」
さやか「ねえキュゥべえ」
QB「何かな」
さやか「ワルプルギスの夜って、魔女なの?」
QB「ワルプルギスの夜は魔女だよ。その強大な力で数多の文明を、または都市を葬り去って来た」
さやか「ワルプルギスの夜が倒されたことってある?」
QB「これから来る魔女だよ?」
さやか「グリーフシードになったワルプルギスの夜が、また孵化して魔女に戻らないとも限らないでしょ。倒されたことはあるの?」
QB「僕は全ての魔女の情報を完全に把握しているわけじゃないよ」
さやか「YesかNoかで答えてくれるかな」
QB「さやか、頭が痛いよ、離してくれないかな」
さやか「答えなさい」
QB「いたたた」
さやか「……」
QB「……」
QB「Yesだよ、さやか」
ほむら「!」
さやか「ふーん、じゃあ、かつては倒されたことがあるわけか」
QB「さやか」
さやか「何?」
QB「おそらく君が聞きたいであろうことを、先に言わせてもらうよ」
さやか「はい、待ってました」
観念したらしい白猫を解放し、みんなが囲む土の上に放してやる。
白猫は後ろ足で顔を整え、やれやれとため息をついた。
QB「ワルプルギスの夜、というのは通り名だけど、まぁグリーフシードは同一のものだ、その名を借りて喋らせてもらうよ」
QB「そもそもワルプルギスの夜というのは、最初はどこにでもいるような普遍的な魔女でしかなかった」
QB「どこにでもいるごく普通の魔法少女が絶望し魔女となった姿、それがワルプルギスの夜の始まりだ」
QB「しかし魔女としての性質は、少々風変わりなものではあったね」
QB「ワルプルギスの夜は、結界内に使い魔や魔女を呼び込む習性があった」
QB「結界内に他の魔女の使い魔や魔女を招き入れては、各地をゆっくり移動して回る、そんな魔女だ」
QB「理由は定かではないが、魔女達も招かれるがままに彼女の結界の中から動こうとはしない」
QB「断りを入れておくが、ワルプルギスの夜は決して強い魔女ではなかった。他の魔女を強制的に従えるようなものではなかった筈だ」
QB「けど魔女達はワルプルギスの夜の結界へと引き込まれ、次々にその数を増やしていった」
QB「飽和した結界内の魔力は、長い年月をかけて結界の主であるワルプルギスの夜へと引き込まれてゆく」
QB「……その合間に、結界内に踏み入れた魔法少女達は大勢いた」
QB「だけど当然とも言えるが、数十にまで増えた魔女達のたまり場に飛び込んだ魔法少女は、ことごとくが瞬殺されてしまってね」
QB「そうして絶望していった魔法少女達のソウルジェムもまた、ワルプルギスの夜の“来賓”となった」
QB「もう既に、ワルプルギスの夜の伝説は世界に伝わっていたよ」
QB「強すぎる魔女、倒せない魔女……その頃の魔法少女達はこぞって、ワルプルギスの夜討伐のために力を競い、力を合わせた」
QB「そして、数十人単位の魔法少女集団が結成され、妥当ワルプルギスの夜のための本格的な第一戦が始まった」
QB「数十の魔女対数十の魔法少女、さて、結果はどうなったと思う? さやか」
さやか「魔女の圧勝」
QB「ご名答だ、魔女は魔法少女を完封した。何故だかわかるね?」
さやか「倒れていった魔法少女達が、魔女に変わるから」
QB「そういうことだ。いくら相手を倒しても、同じだけ味方が魔女になったのでは、戦力差は拮抗し得ない」
QB「討伐隊すら無意味だった。それがワルプルギスの夜の力だったということでもあるし」
QB「……もうひとつ、その頃には既に、ワルプルギスの夜それ自体も、強力すぎたのさ」
さやか「?」
QB「確かに、味方の魔法少女が戦いの最中に絶望し魔女になっていった、それも魔法少女の敗因としてあるだろう」
QB「けどその絶望の理由は、きっとワルプルギスの夜の比類なき強さにあったんじゃないかと、僕は考えている」
ほむら「……」
QB「結界の主たるワルプルギスの夜は、その身に受けるダメージを、結界内にひしめく魔女達のエネルギーによって、すぐさま修復してしまうんだ」
QB「結界内の倒せない魔女、ワルプルギスの夜」
QB「彼女が魔法少女を一人ずつ葬り、絶望させ、魔女の集団の勝利へと導いた」
QB「けど、ワルプルギスの夜は倒されたことがある。それは事実だ」
QB「倒され、グリーフシードになるはずのその体が、魔女達のエネルギーを吸収し、すぐさま孵化し直す」
QB「いつからか強くなりすぎた彼女は結界内に隠れることをやめ、現実世界で暴れまわる真の災厄として、この世に君臨した」
QB「超強力な魔力、絶望吸収装置……」
QB「それがワルプルギスの夜、彼女本体と、そのグリーフシードの正体だったわけだよ」
白猫は尻尾を二回振り、話が終えたことを伝えた。
私はまだ、キュゥべえに何かを言いたかったんだけど、それを聞かずに、キュゥべえはそそくさと立ち去ってしまった。
その姿を止める者はいなかった。
マミさんも、ほむらも、まどかも、ただ重苦しい顔のままに絶句していた。
ダメージを受けても、即回復してしまう魔女。
強大かつ不死身。
ゲームで言うなら、体力ゲージを何個も持っている魔女。
倒しても倒しても、自前の倉庫に貯めた命を取り出して、復活し、なお襲い掛かる。
マミ「……何百年もの間、蓄積され続けた魔女……」
ほむら「まさか、ワルプルギスの夜がそんな相手だったなんて」
まどか「どのくらいの魔女がいるんだろう……百、とか……」
マミ「魔女の数なんて、想像もつかないわね。もっとかもしれないし……」
つまり百体以上の魔女を倒さなければ、ワルプルギスの夜は倒せないということ。
しかも単なる魔女ではなく、強力に成長した「ワルプルギスの夜」という、巨大な魔女を相手にその分の傷を与えなければならない。
現実感のないスケールに皆は呆けているが、実際の相手を目の当たりにして戦ってきたほむらの顔は青ざめている。
ほむら「……魔女の集合体」
さやか「……」
沢山の魔女と戦ってきたであろうほむらでも、改まった強者の認識には絶望を禁じえないようだった。
けど、ここで彼女が折れるようなことは、きっと無い。
ほむら「……作戦を考え直さなきゃ」
ほら、すぐ目に生気が戻った。
滾るような炎を宿す瞳。
普段は冷めた目しか見せないほむらだけど、心の基本はきっと、こうなんだ。
まどかを守るために何度も何度も戦ってきた彼女が、そんな不屈な努力家が、ただの冷徹な女の子のはずがない。
果てしない目標であっても、具体的な高さが見えれば、逆に闘志が湧き上がってくるものだ。
勉強でも、きっと仕事でもそう。だと思う。
カミングアウトしたキュゥべえにどんな意図があったのか知らないが、ほむらは意気消沈することなく、むしろより一層にやる気を増したらしい。
静けさに包まれた魔法少女の輪に声をかけ、前向きな一言を言ってみせたのだ。
ほむら「ワルプルギスの夜を百回以上倒す方法を考えるわ」
前向きすぎて、みんなの顔が引きつっていたけどね。
けど私はそういう爆弾発言、割と好きよ。
さやか「けどほむら、ワルプルギスの夜を今まで倒せなかったって言ってたよね」
ほむら「ダメージが一切通ってなかったと思っていたのよ、勘違いだったのね」
マミ「……すぐに修復する、倒しても結界に満たされた絶望の力で、すぐに蘇る。なるほどね」
ほむら「今まではより強い火力を一点集中に、と考えていたのだけど……それでは無駄があるみたいだから」
すぐに復活する。
一撃でワルプルギスの夜を粉砕できる威力があったとしても、結界内の魔女の力がグリーフシードになった魔女を蘇生させてしまうので、それでは一撃が無駄になってしまう。
それが全力を込めた攻撃であるなら、ひょっと悲惨だ。満身創痍のところに、復活したてホヤホヤのワルプルギスの夜が現れるのだから。
力を振り絞ってワルプルギスの夜を倒すのは得策ではない。ワルプルギスの夜は、トータルで大ダメージを与えなくてはならないのだ。
それこそ、魔女百人切りの勢いが必要かも。
さやか「長期戦になるのかな」
ほむら「……そうね、何度も何度も傷を負わせ、“疲労”させる必要があるわ」
白く細いほむらの手を握る。
彼女は緊張に、僅かに手を汗ばませている。
けど彼女が見せたいというのだ。なら、見なくてはならないだろう。
ほむら「……――」
シャッターが降りるような音がした。
その瞬間に世界はいくつかの色を失い、輪郭はぼやけ、何より特徴的なことに、静止した。
見せてあげる。とだけ言われて握った手が教えてくれた。
私は、聞いていたものの実感の沸かなかったほむらの魔法の全てを見たのである。
さやか「時間停止」
ほむら「停止が長時間になるほど、使用する魔力は多くなるわ。小刻みの停止でないと、普段の使用では使い物にならない」
ほむらが地面の小石を蹴飛ばした。
小石は蹴られ、宙に浮いている。
ほむら「私が触れたものは動かせる。停止解除後に、私が加えた運動エネルギーは反映されるわ」
再びシャッターの音が聞こえ、世界に鮮やかな色が戻る。
蹴っ飛ばして宙に浮いた小石は、当然のように弧を描いて砂利の上へと転がっていった。
まどか「わ、石が突然……」
マミ「なるほどね、便利な能力だわ」
時間を停止し、その間は自分だけが行動可能。
都合が良いというか、便利というか。それでも倒せないワルプルギスの夜が恐ろしいというか。
ほむら「私は時間を停止させて、盾の中に格納した銃器で攻撃することができる。けど、それじゃあワルプルギスの夜は倒せない」
さやか「今みたいに、触れていれば」
ほむら「そう。停止した時間の中を自由に動くことができる」
移動も攻撃も可能だ。
となれば、ほとんど近接攻撃しか持たない私でも、難なく立ち向かうことができるようになる。
ワルプルギスの夜に最接近するというリスクそのものを大幅に軽減してくれる、心強い能力だろう。
さやか「マミさんのティロ・フィナーレも、私のフェルマータも簡単に当てられるね」
ほむら「ワルプルギスの夜を一回分倒すくらいなら、きっと可能よ。ただ……」
まどか「その後?」
ほむら「……ええ」
ほむら「……ワルプルギスの結界に貯蔵されている魔女の力を全て消すためには」
マミ「ワルプルギスの夜を何度も倒さなきゃいけない」
厳しい正攻法だ。
ショップ利用なしで四天王を十周だか二十周するようなものだろう。ただの魔女だって、何百も倒すことはできない。
ほむら「それもあるけれど……」
さやか「逆に、エネルギー源である結界内の魔女を全て倒してしまえば良い」
ほむら「……正解」
まどか「ええっ」
さやか「何度も強い1体の魔女を相手にするのはしんどい。でも、一度に複数の魔女を一気に倒すのは、そう難しくはないんだよね」
魔女の数がいくら多かろうとも、ワルプルギスの夜ほどの耐久力や強さはないだろう。
そして、それが一同に会している。結界内の魔女を打尽にできれば、ワルプルギスの夜の心臓を潰すことに直結するだろう。
それはワルプルギスの夜本体を何度も叩くより、遥かに現実的な戦い方だ。
さやか「ほむらのその資料を見た感じでは、ワルプルギスの夜の背中には結界があるんだよね」
ほむら「ええ。ワルプルギスの夜は結界に篭る必要はない。けど、自身の結界を持っていないわけではない」
マミ「多くの魔女を溜め込む結界だからこそ、肌身離さず持っているわけね……」
さやか「ワルプルギスの夜を一度倒して、無防備になった結界へ、すぐさま突入する! ほむらの時間停止を使ってね」
そうすればワルプルギスの夜が復活する前に、中へと入れるはずだ。
後はマミさんなれ、私なれが大暴れすればいい。
フェルマータもティロ・フィナーレも、一度に多くの魔女を倒してしまうだろう。
ほむらの持つ武器だって、そこでなら大いに役立つはずだ。
さやか『じゃあ、いっきまーす』
まどか『はーい』
河原の向こう側で、まどかが大きく手を振っている。
その姿が遠くに見える。
みんなの声が届かないために、テレパシーを利用するような場所に、私はやってきた。
なぜかって。さやかちゃんの真の力を見せるためですよ。
目算で百数十メートル。そこにはまどかと、マミさんと、ほむらが待っている。
今から彼女達の元まで向かわなくてはならない。
マッハでね。
さやか「変、身っ」
ソウルジェムを展開し、ブルーの衣装を見に纏う。
感覚的に出せるようになった左の篭手も装着し、右手には二本のサーベルを掴む。
さやか「で、とりあえずアンデルセンを作りまして~」
右手に大剣アンデルセンを作り出す。巨大な剣はそれなりの重さを感じさせないが、しかし確かな重量感がある。
これを持って走れといわれたら、魔法少女の体でも辛いだろう。
さやか「……けど」
今の私には、それ以上の事だってできる。
まどか『よ~……い』
始まりを告げるまどかのテレパシーが、ここまで届く。
まどか『どん!』
開始だ。
さやか「“セルバンテス”!」
ダンダンダンダン、ざっ。
さやか「っしゃ成功ッ!」
まどか「わひゃあ!」
ほむら「!?」
マミ「え!?」
到着の勢いは百パーセントを地面に預け、殺させてもらった。
大きく抉れた河渕の砂利が、ダッシュの速さによるエネルギーの大きさを表している。
マミ「……見えなかったわ」
まどか「さやかちゃんが、一瞬でこっちまで跳んできたように見えたけど……」
さやか「うん、これが私の新しい移動方法だよ」
ほむら「……バリアーね」
さやか「いかにもっ」
左腕の篭手、セルバンテスで出現させたバリアーは、弾く能力を持っている。
そのバリアを丁度良く足元へ出し続けることによって、強い推進力を生み出す足場を作り出し、空中でも異常な速さで駆けることが可能になったのだ。
方向転換も自由自在。きっと空へ跳ぶこともできるだろう。
一瞬のうちに、ワルプルギスの背後へ回り込むことだって、できるかもしれない。
ほむら「それがあれば、ワルプルギスの夜を一度倒すことも、簡単ね」
さやか「……うん」
ほむら「?」
さやか「でもね」
それでも私に決定力はない。
私のアンデルセンによる一撃は、確かに強い。燃費を気にしなければフェルマータを撃つことはできるだろう。
けど、火力そのものを見れば、マミさんのティロ・フィナーレに勝る火力を出すことはできないのだ。
さやか「私が攻撃するよりも……多分、攻撃だけなら。杏子に任せたほうが、絶対に良い気がするんだよなぁ」
杏子のブンタツによる剣戟は、私のシールドを破ってみせた。
魔力の限り破れるはずのないシールドが壊れたのだ。何にも負けない力は伊達じゃあない。
そりゃあ、私の守る力に誇りはある。それでも、あの時の勝負は間違いなく、杏子の勝ちだと認めざるを得ない。
ブンタツの切れ味は認めざるを得ない。
さやか「杏子の使うブンタツっていう両剣があれば、ワルプルギスの夜は倒せるはず」
ほむら「彼女、協力的ではないわよ」
マミ「ええ、強さにしか興味の無い子よ」
ほむら「それに杏子は言ってたわ。共闘はしたくないとね」
さやか「えー」
そりゃあ困る。そんなダイレクトに断られてもなぁ。
さやか「んー」
杏子を説得するのは難しいか?
彼女について知っていることは少ない。未知数かな。
共闘するメリットを言えば教えてくれるだろうか。
……そういえば、私を邪魔な黒子扱いしてたな。はなから友好的じゃないのはわかってたけど、あそこまで露骨だと、さすがに望み薄だろうか。
さやか「んー……でもな。杏子がいれば、絶対に勝てると思うんだけどな」
まどか「すごい自信だね、なんとなくわかるけど」
さやか「確信に近いよ。あいつが協力してくれれば、絶対に負けるわけないもん」
全てを守る私と、何にも負けない杏子。
あいつは私だ。私はあいつだ。
戦おうとする強い執念さえなければ、あいつは私と同じような考えを持っているはずなのに。
杏子の戦いを邪魔しないことでしか、あいつと関わることはできないのだろうか。
全てを守れるほど強くなりたい。
何にも負けないほど強くなりたい。
一生に一度のお願いを、死ぬまで戦いに身を投じる理由を、掛け替えのない祈りを、ただ強さに投じた二人の魔法少女。
美樹さやか。
佐倉杏子。
彼女達はよく似ている。
普通ならその願いを選ばないのだから。
同じ師を持っていたのだから。
私は時間遡行者。彼女達の、通常の運命を知る者だ。
だからこそ違いがわかる。違った理由もわかる。
煤子。この人物こそが全ての原因に違いない。
彼女の指導がさやかを変え、杏子を変えた。二人に戦う力を望ませた。
……煤子。
私はきっと、あなたを知っている。
けど、それでも問わずにはいられない。あなたは何者なのか? と。
どうしてこうも二人は違ってしまったのか、と。
-=◎=-
私は全てを見通していたわけではない。
わかるでしょう。私は予知能力者ではないの。
私に出来たことは、教えることそれだけだったのよ。
私はさやかと、杏子を信じた。
そして二人に託したの。
これで上手くいくかどうかなんて、途中からどうでも良くなるくらい、二人を信頼したの。
それが偶然、こうなったの。
……いえ、何千分の一の確率を持ち出すなら、必然とも言えるのかしら。
ねえ暁美ほむら。あなただって、そうだったじゃない。
忘れたわけじゃないでしょう?ひと時の私みたいに、忘れたわけではないのでしょう。
だったらわかるはずよ。
出会いは人を、大きく変えるのよ。
出会って、友達になって、自分が大きく変わる。
それは決して偶然なんかじゃない。
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† 8月30日
煤子「……」
焦燥も、絶望もない。
そんな負の感情とはかけ離れた日々を過ごしてきた。
だがその生活にも、限界はやってくる。
油を注さずに回り続ける歯車など存在しないのだ。
煤子「……」
手を広げ、手を握る。
この手もじきに動かなくなるだろう。それは初めての経験となるのだろう。
それでも彼女に恐怖はない。
来る死病に冒されようと、その身が意に沿わぬ絶望を振り撒こうとも、全てを受け入れる気持ちでいた。
ただ安らかな心が、ベンチの上の自分の中にあった。
煤子「ありがと」
曇り空に呟いた。
そして足音が昇ってくる。
「煤子さぁーん!」
大声だけが先に到着する。
煤子「ふふ。本当に、ありがとね」
煤子「……」
さやか「……」
曇天が続いている。
九月と共に、雨が降るかもしれない。
雨が降れば火照ったアスファルトは冷やされ、夏の思い出のいくつかを洗ってしまうだろう。
二日も外に出られなければ、肌は鋭い日差しを忘れるだろう。
それでも。
煤子「さやか、もう、お別れよ」
さやか「……っ」
それでもどうか、忘れないでいてほしい。
蒼天の下を駆けた暑い日のことを。
自分なりによく選んだ、何気ない顔をした言霊達を。
何より。この自分自身を。
さやか「煤子さん……なんで? やっぱり、もうダメなのっ?」
煤子「ええ、もう時間切れみたい」
さやか「やだよ、どうして? まだ元気だよぉ……煤子さん、大丈夫だよぉ……」
涙で顔を汚した彼女を見ても、煤子は後ろ髪を引かれなかった。
自分を思ってくれる人が残ってくれる。名残惜しさなんて嘘だと思った。
そんな彼女が居てくれる。ならばこれでいいのだと、心の底から思えたのだ。
絶望なんて程遠い場所に、自分はいるのだろう。たとえば、此処がそうかもしれない。
煤子「さやか、これでお別れだけど……私から教えられることは全て、教えたつもりだから」
さやか「……あうっ……うぐぅ……」
煤子「泣かないの。すっごい強くなるんでしょ。なら涙の数より、何倍も強くならなきゃだめじゃない」
今生の別れとなる。自分はこれから、死ぬのだ。
そんな些細なことよりも今は、さやかの涙に憂う気持ちだけが強かった。
煤子(……ほんと、世話は焼けるんだものね、さやか)
夏は終わる。
† それは8月30日の出来事だった
魔女「イェエエェエエァアァアア!」
◆ルチャの魔女・ジェミーポルクス◆
それは真紅と群青のマーブル模様の巨人だ。
ウルトラマンばりの巨体から、鈍重ながらも抜群の破壊力を疑う余地のない蹴りが繰り出される。
マミ「とっ、とと……」
巨大な結界の中に聳えるポールには、既にマミさんのリボンが仕込まれている。
ポール同士は、昔によく見られた電線のようにリボンで連結されており、私達はリボンを足場に移動することが可能だった。
大振りの魔女の攻撃も、多くの足場を確保した私達には到底、当たるはずもない。
魔女の巨躯を旋回しながら、段々と弱点であろう頭部へと上り詰めてゆく。
ほむら「さやか、裏へ回って」
さやか「ほいさー」
ほむらのアサルトライフルが軽快に轟く。全弾命中は間違いないだろう。
さやか「“セルバンテス”……!」
アサルトライフルとはいえども、巨大な魔女に大したダメージを与えることはできないだろう。
巨人には雑多な弓矢とか、銃弾は効かないもんなんです。
じゃあ何なら効くのか。それはお約束だ。
無骨な石を頭部へ目掛け、全力投球すればいい。
さやか(はっ、せいっ、よっと)
左手を下へかざしながら、脚は忙しなく動く。
自分で生み出すバリアーを足場に、私の体は高速で空を切り裂いてゆく。
一瞬のうちに魔女の死角へと回りこみ、最後に頭頂部へ跳ね上がる。
ほむらとマミさんの攻撃に気を取られた魔女の油断だらけの後頭部が今、目の前に晒されていた。
さやか「“アンデルセン”!」
魔女「ィァアァアアッ!?」
大剣が魔女の後頭部に突き刺さる。
人間なら死んでいる位置だとしても、魔女が同じとは限らない。
けど人間が「こりゃだめだ」となるくらいのダメージなら、大抵の魔女なら陥落するものだ。
さやか「打ち込まれたらさすがに……キツいでしょッ!」
左の篭手で拳を握り、魔女に刺した大剣の柄を、全力で殴りつける。
篭手が生み出す反発のバリアーは大剣を強く押しのけ、刃は魔女へ向かって深くまで突き刺さった。
魔女「ォオ……!」
大剣の刀身全てが埋まりきると、さすがの巨人も膝から崩れ落ちて、静かになった。
辺りのポールを巻き込みながら床へ沈んでいく姿は、ウルトラマンというよりは、爆発する前の怪獣のようでもあった。
ほむら「早い回り込み、便利ね」
マミ「ええ……足場を必要としないっていうのは、結界での戦いでは汎用性が高いわね」
大きな魔女を相手にしても、バリアは自由な足場となって機能する。
相手の位置の高さは問題にはならなそうだ。
ワルプルギスの夜という強力な魔女を相手にして、自由自在に飛び回ることはできないにせよ、不可能ではないと解っただけ良い戦果だ。
さあ、次にいってみよー。
魔女「クァアァアアァアアッ!」
◆鳥の魔女・クルワール◆
今日は魔女との連戦だ。
三人もいれば負けることはないし、効率よく倒してグリーフシードを回収できるってこともある。
けどそれ以上に、決戦へ向けての連携を整えるという方が大きいかもしれない。
魔女「クァアァアッ!」
マミ「空を飛ぶ魔女ね……!」
巨人の次は、翼の生えた。正真正銘空にいる魔女だ。
赤黒い空の下で白磁の巨翼をはためかせる、トーテムポールのような姿である。
ほむら「上から石柱を落として攻撃してくるわ、気をつけて」
マミ「ええ!」
さやか「……みんなが撃ってる時に巻き込まれたくないから、私は待機してるね」
空跳ぶ石のトーテムポールから、その中ほどにある岩が“はらり”と外れ、落ちてくる。
なるほど、あの魔女は自分の体の一部を落としてくるらしい。
マミ「……?」
ほむら「油断しないで、落としてきたら絶対に回避と防御を優先して」
魔女から離れた石柱は、ずいぶんゆっくりと落ちてくるように見える。
おかしい。そう思うと同時に、危険を理解した。
さやか「マミさん! こっちに退避して!」
マミ「ええ! あれは不味いわね!」
私達三人は、黒い砂漠を駆けだした。
不安定な地面に足をとられそうになるが、それでも一歩一歩に力を込めて、持てる精一杯で踏み抜く。
そして、遠目からは小さく見えた巨大な岩が、ようやく今になって砂丘へ激突した。
石柱の破片が砂を捲りあげ、粉塵と共に礫を弾き飛ばす。
さやか「あっぶなっ!」
二人を後ろへ隠すように礫に立ちはだかり、バリアーを展開する。
バリアーは無数の石や土煙を全て弾き返し、視界を覆うはずだったであろう靄すらもかき消した。
さやか「あんなに大きいなら最初に言ってよ!」
ほむら「“今日は大きな魔女と戦う”って言ったじゃない」
さやか「最初だけかと思ってた!」
魔女は再び上空を旋回し、鳥のような鳴き声を結界の中に響かせ始めた。
赤黒い空の中で、灰色の体はよく目立つ。
ほむら「あの魔女に全員が攻撃を当てられないようじゃ、ワルプルギスの夜とはまともに戦えない」
さやか「……また私が飛んでいけば良いんじゃ? バリアを足場にしてさ」
ほむら「貴女だけが出来ても、不十分なのよ」
マミ「……なるほどね、私かあ」
どこか覚悟を決めたような息を吐いて、マミさんが納得する。
ほむら「ワルプルギスの夜は、自分の周りに何体もの“魔女の模造”とも言える使い魔を生み出せる、という話しはしたわね」
ほむら「魔女の模造は宙に浮きながら攻撃してくるわ。当然、あの魔女の高さからもね」
以前にこの魔女と戦ったことがあるほむらは、当然ながら強気だ。
私はなんだかんだで先ほどの攻撃には驚いたけど、一回でも攻撃を見れば相手の傾向も掴める。
空へと跳んでいける以上、あの鳥魔女に負ける気はしない。
マミさんが射撃能力を持っているとはいえ、遥か上空の相手だ。
あれに対処できるかどうかは重要な関心事だろう。
マミ「もう、先輩を見くびらないで欲しいわね」
ほむら「行くのね。一人で?」
マミ「二人とも、そこで見てなさい」
さやか「頑張ってください!」
マミ「ええ、たまには先輩らしいところ、出してかないとね」
マミ「やあっ」
マスケット銃を両手に、マミさんは空高く跳躍した。
……とはいえ、目算で10m前後。
魔女まではその何倍も距離がある。一度の跳躍では届きようもない。
が、マミさんの場合には、手まで届く距離に近付く必要は無い。
マミ「近くなった分、確実にね」
二挺のマスケット銃が同時に撃たれ、そのまま真っ直ぐ光線を射出した。
ほむら「……あれは」
さやか「リボンだ、なるほど」
マスケットの銃口から放たれた一条ずつのリボンが石柱の魔女に突き刺さる。
貫き砕かないまでも、魔女の内部にまで達するリボンは決して抜けることはない。
マミさんは、リボンをそのまま射出することもできるのか。
マミ「これさえ繋がっちゃえば、後は簡単ね」
魔女「クェェエエェエエ!」
リボンを植えつけられた魔女も黙ってはいない。
突き刺さった身体の石柱を自身から切り離し、そのままマミさんの方へと落としてきた。
マミ「残念、そのための二挺なの」
確かに一本のリボンは石柱に刺さっている。それを自分から切り離すのは当然だ。
けどマミさんはリボンを二発撃った。その一本一本は、トーテムポールの魔女の別々の部分に刺さっているのだ。
マミ「上を取らせてもらうわね」
魔女「!」
素早くリボンを引き戻し、身体を魔女に最接近させたマミさんは、そのままの勢いで魔女の更に上空へと躍り出る。
魔女の落石攻撃は、下の相手にしか効果を成さない。これで決まりだ。
マミ「“ティロ・スピラーレ”!」
魔女の胴体へマスケットの弾が打ち込まれる。
そして中心部へ到達したリボンの弾は……炸裂する。
魔女「クァッ……クァアアアア!?」
マミ「ふふっ」
拡散するリボンによって内部から撃ち砕かれた魔女は、何度も悲鳴を上げることはなく、声無きつぶてとなって砂漠の上に降り注いだ。
赤黒い夜空から落ちる白い石の破片は、いつか曇天に見た、ちょっと見えづらい流星群のようだった。
マミ「ふう、ただいま」
さやか「おかえりっす、マミさん」
ほむら「問題は、なかったみたいね」
マミ「ええ、前だと下から撃つだけだったかもしれないけど……今ならリボンも撃てるからね、空中の移動ができるようになったわ」
炸裂する弾と、リボンによる移動。
マミさんの魔法には色々なバリエーションが加わっているが、それは全て、マミさんが魔法少女として培ってきた経験があるからこそ体現できた技術なのだろう。
ワルプルギスの夜との対決までには、更なる技を使えるようになっているかもしれない。いや、多分なっているだろう。
私もうかうかしてられないな。
みんなと魔女退治しながら連携を高めてきたこの数日間、私は密かに、杏子の影を探していた。
魔女あるところに杏子あり、という自作の言葉を頼りにアンテナを伸ばしていたものの、不思議と杏子は居ない。
件の路地裏を、ひしゃげたガードレールの坂道を、暇そうに歩いて見せても、杏子は現れない。
私は杏子に会いたかった。なぜかって、やっぱり杏子がいないと、ダメな気がするからだ。
ダメというのは、私とマミさんとほむらで戦って、勝てないのではないかという不安だ。
連携は着々と高次元なものへと仕上がっているし、どんな魔女がやってきても負けない自信はあるが、相手が相手である。不安は消え去らない。これで自信満々で挑めたら、それはすぐに死ぬ人だ。
さやか「……」
夏の日によく訪れたこの坂道のベンチで、誰が来るでもないのに、私は待っている。
隣には缶コーヒーだけが楚々と座り、前の道は誰も通らない。
小高いこの場所から見下ろされる見滝原の景色は、当然見滝原の全てが眺望できるわけではないが、それなりに私の活動範囲を視界に収めることができた。
……目の前にあるこの町が壊滅するなんて、到底思えない。
だってあんな大きい町なのに、それが全壊するなど。
けどほむらの話は本当だし、キュゥべえの話も本当だ。
ワルプルギスの夜は必ずやってくる。
さやか「……絶対にさせない」
私はこの町を守りたい。だってこの景色は、私が強くなりたいと願いながら眺めた、思い出の景色なのだから。
私は手が届く全てをものを守りたい。今の私は、この町全てに手が届く。
そして、ワルプルギスの夜の前日がやってきた。
:フォーリンモール2F(絵文字)の非常階段から従業員階段へ移れる(走り絵文字)
そこから、屋上へ来て(猫絵文字)(手のひら絵文字)
さやか「……よし」
ほむらから、最終調整のお誘いメールが来た。
今日は町の高低差の把握、ワルプルギスの夜と町の対比をよく確認しておくのだ。
実際に見る景色と、俯瞰地図だけで見る町並みとでは色々と違ってくるからね。
しかし相変わらず、にぎやかなメールしてるな、ほむら。
さやか「……」
部屋を出る際、片隅に置かれた袋に目が行った。
その袋には道着などの装備一式が詰め込まれ、いつでも部活に復帰できる準備が整っている。
けど、明日にはこの部屋は無いかもしれない。
全てがめちゃくちゃに壊された中の瓦礫やゴミのひとつとして、あの道着袋も風雨に晒されるかもしれない。
さやか「……」
けど、全部をそのままにすることにした。
この部屋が、家が壊されるかもしれないけど。それでも、私だけが自分の大切なものを持ち出すなんて、そんなことはできない。
自分の大切なものを守るために、私は町を守ってみせる。
歩きながらの考えは捗るもの。
最近の私たち見滝原魔法少女団の活動範囲は、かなり広い。
できる限り多くの魔女を倒すために、活動範囲を広げているのだ。
魔女との戦いで戦術を磨くのは当然。実戦で消費されるであろう魔力を回復するために必要なグリーフシードも確保できる。
その上ほむらの豊富な経験から、対ワルプルギスに近い魔女を優先的に選び、戦っている。
空を飛んでいる魔女や、ひたすら巨大な魔女など。ワルプルギスの夜に近い環境や相手との戦いで、勘を磨くのだ。
そういった魔女と戦うために、活動範囲は以前よりも広がっている。
……何故杏子と出会わない?
あいつも、まさかワルプルギスの夜を相手にグリーフシードをためない、なんてことはあるまいに。
まずワルプルギスの夜と一対一で戦える環境を作るためにも、魔女を間引く意味で見滝原を拠点にグリーフシードを集めてもいいはずなのに。
そうこう考えている間に、フォーリンモールの大きな影の下にやってきた。
見滝原の中心に位置するフォーリンモールは、辺りのビルと比べても際立って高い建造物だ。
屋上に行ったことはないけど、その二階下までなら遊びで入ったことがある。
窓から見下ろす広大な街の景色はなんとも、子供心に感動したものです。今でも子供だけど。
関係者以外進入禁止の扉を開け、歩きなれない寂しげな非常階段を上がる。
その時に丁度、まどかからのメールが来た。
:がんばって!
卑屈さの見えない短い文章からは、まどかの悩みも見られない。
彼女が願い事云々で悩んでいないということだ。
私達に全てを託しているということでもある。
さやか(頑張るよ、まどかの分もね)
重い扉を開くと、眩しすぎる日差しが私を出迎えてくれた。
ほむら「待ちくたびれたわ、と言いたいところだけど」
さやか「全然準備の途中だよね、それ」
ほむら「ええ」
約束の数十分前に来た私が見た光景は、汗を流しながらキリキリと働くほむらの姿であった。
学校の真新しい冬用ジャージを着て、なにやら大きな箱型機械に跨りながら、調整をしている最中のようだ。
ほむら「本当はもっと早く済ませるつもりだったけど……」
さやか「ああ、フォーリンモール屋上にも、なんだっけ、ミサイルだっけ」
ほむら「ええ。原始的なやつだけど……中型で威力もあるわ」
手馴れた様子で箱をいじりながら、淡々と答える。
よく見れば、箱には子供3、4人が跨がれそうな立派なミサイルが備わっていた。
よくもまぁ屋上にこんなものを運べたものだ。
当然のように準備できてしまう辺り、さすがほむらというわけか。
けど同時に、そんな事に慣れてしまうほむらの姿に、茶化すことのできない大きな意志を感じた。
さやか「……ねえ、まあ、話には聞いていたけどさ」
ほむら「うん?」
さやか「ほむらは今までずっと、こういう事をしてきたの? 今までの過去でも」
ほむら「……最初のうちは、こんな感じね。今回は滅多に使わない場所に設置してるから、設定が面倒で手間取ってる訳だけど」
工具かどうかもわからない謎の金属棒を床に置き、ほむらはいつもより遠い目で空を眺めた。
ほむら「私は魔法だけじゃ戦えないから。宿敵を倒すために、強くならなきゃって」
さやか「そっか」
ほむら「……昔の話よ、今はこっちを済ませる方が重要だわ」
さやか「だね、手伝うよ」
ほむら「ありがとう、じゃあその辺りに落ちてるオイルの空き箱……」
さやか「これ? 私も詳しくないけど……」
ほむら「その辺りに座ってて」
さやか「あ、はい、うっす」
マミさんは時間通りにやってきて、その頃には既にほむらも普段通りの制服姿に戻っていた。
素早くジャージを脱ぎ捨てていた所を見るに、あまり人には見られたくない姿だったらしい。
涼しそうな顔でミサイルポットの脚部に手を置き、マミさんに説明している。
ほむら「順序としては、部品工場地帯が前線になるから、そこに仕掛けてあるミサイルからね」
マミ「ワルプルギスの夜が攻撃の手を激しくしないうちに、遠くのミサイルから当てていくべきなんじゃないかしら……?」
ほむら「一理ある、けど……ワルプルギスの攻撃で、発射装置自体が壊されたら終わりだから」
マミ「それもそっか」
もちろん、飛んでいるミサイルが撃墜される恐れもある。
でも至近距離から狙うのだって、同じくらいの。
さやか「小出しで当てて、ワルプルギスの夜を前に進めない」
ほむら「そう。今までは火力だったけど、今回はダメージよりも、ワルプルギスを押し戻す使い方に変えようと思うわ」
マミ「それがいいわね」
ワルプルギスは台風のように、上空を移動して避難所となる市民体育館を襲うのだという。
明日の長期戦は必至。何回か、ミサイルを直撃させて押し戻す必要があるだろう。
町の大半を守りながら戦うには、これしかない。
さやか「ルートは避難所に向かって直線的、これは……人がいるって解ってるんだろうね」
ほむら「そうね」
さやか「ミサイルや私たちの攻撃によって、ワルプルギスの位置はある程度コントロールはできる」
理想はワルプルギスをジグザグに翻弄させることだ。
斜め左右からミサイルなりを当てて、吹き飛ばす。広い範囲に設置したミサイルをうまく活用できるので、単純な長期戦には向いている。
でもそれはあくまでワルプルギスの夜を倒すため“だけ”の理想。
広範囲に振り回せば、それだけ街の被害は広まってしまう。
現実的な対処として、直線的にくるワルプルギスを、可能な限り同じ直線で打ち返す。
街を守るには、それしかないだろう。
色々な兵器の設置も、楽だしね。
ほむら「もちろん、出現位置は統計に過ぎないから。珍しいポイントから来た場合は、まず位置を“ずらす”」
さやか「準備が整っているルートに押し込むってことね」
マミ「戦っている間にずれた軌道も、直す必要があるわね」
ほむら「ええ」
相手を手玉に取るような言い方だけど、その通り。実現もできるらしい。
工場地帯に仕込まれた兵器は、街中よりも数が多いし充実しているから、ワルプルギスの位置を修正しやすいのだそうだ。
私たちの主な戦闘区域もそこになるだろう。
街に深く入られるほど不利になる。気を張りっぱなしの勝負になりそうだ。
マミ「この景色も、大きく変わっちゃうのね」
ほむら「……」
マミさんの目は、見滝原のずっと向こうを見ているようだった。
ずっと向こう。ワルプルギスの夜がやってくる彼方である。
向こう側からこっち側が壊されてゆく。考えたくはないが、現実的にかなりの被害を被ることは避けられないだろう。
ほむら「二人は、ずっとこの街で育ってきたの?」
マミ「ええ、そうよ」
さやか「私も、物心ついた時からかな」
ほむら「そう……」
さやか「別に、災難ってだけだよ」
ほむら「!」
さやか「やってくる敵がわかってるなら、全部跳ね返しちゃえばいいだけの話だもんね!」
杏子「……こんなところか」
QB「随分、沢山のグリーフシードを集めたね」
杏子「てめえか」
QB「それ全部、自分の縄張りだけで集めたんだろう? いつになくすごい成果じゃないか」
杏子「ああ、ここ一帯は絶滅だな」
QB「使い魔もね」
杏子「当然さ、誰にも邪魔されたくないんでね」
QB「周到な準備だ。決戦はやはり、おそらく明日だろう。健闘を祈るよ」
杏子「針路は間違いないんだな?」
QB「推定だから間違ってるかもしれないけどね、僕は預言者じゃないから」
杏子「……」
QB「頑張るといい、ここまで場を整えたんだ。最高のコンディションだと思うよ」
QB「“今の風見野はワルプルギスの夜と戦う場合、これ以上ない環境と言えるだろう”」
杏子「……」
QB「じゃ、鬱陶しいだろうから、僕は立ち去るよ」
杏子「そうしとけ」
QB「……」
QB「そう。風見野で戦うのなら、最高の環境だよ、杏子」
早朝前から、街は慌ただしくなったのだと思う。
窓は揺れて騒ぐ、植木は割れる、自転車は倒れる、ビニール袋は空を飛ぶ。
いつもと違う気象状態であることは明白で、気象庁からの事前発表もなかったので予兆も何もない恐怖が、眠りからさめたばかりの町中に広まっていた。
総じて住民たちの目覚めは早く、テレビをつけなくても最寄りのスピーカーが「避難しましょう」と叫ぶので、避難率は高いはずである。
私の家族も、多分。熟睡している頃合いだとしても、起きたはずだ。
私は事前に他の子のうちに泊まることを伝えてあるから、両親に心配をかける事は無いだろう。
:今あっちの避難所にいるんだ。すっごい広くて快適だよー
さやか「……よし」
適当に打った文面を家族宛てに送信し、私の携帯は本日の業務を終えた。
マミ「行きましょう」
さやか「はい」
ほむら「二人とも早く、置いてくわよ」
見滝原に、ワルプルギスの夜がやってくる。
避難警報が、人気のない工場地帯でおっとりした声を上げ続けている。
私たちはそれぞれ予定通りのポイントへ到着し、ギリギリにテレパシーが届く間隔をあけて、曇天を見上げていた。
マミ『……胸騒ぎが、どんどん強くなっていくわ』
さやか『魔王でも降りてきそうな空だなぁ』
遠くで渦巻く黒い雲は、目に見える速さでこちらへ向かっている。
その雲がワルプルギスの夜なのか、その余波にすぎないのか、まだわからない。
ただ、自然災害級の強大な力がこちらへ悪意を向けている事だけは、強く実感できた。
ほむら『予定通りの動きで、ワルプルギスの夜を攻撃する。周りに現れる魔女や使い魔には注意して』
マミ『了解』
さやか『兵器のタイミングはほむらに任せるよ』
ほむら『ええ、けど私から指示があったら』
マミ『私たちが手動で発動させる』
さやか『慣れてないけど、教わった通りにはやってみるよ』
ほむら『ええ、十分。贅沢すぎるくらい、万全よ』
霧が立ち込める。
どこからともなく、足音がやってくる。
川の向こう、すぐそこからだ。
さやか「……」
小さな使い魔が、足元を通り過ぎ、去って行った。
それを皮切りに、次々に使い魔らしき生物が姿を現してゆく。
巨大な象が、犬が、ライオンが、白馬が、見たこともない柄の万国旗を引きながら、祭りの始まりを祝うように、練り歩いてゆく。
伸びる万国旗の終端に目線は移る。
魔女「アハハハハ! アハハハ、アハハハハ!」
姿の霞みようから、かなり遠くにいるはずの魔女なのに、その姿は巨大だ。
さやか「聞いてたまんま、ってだけに……ちょっとビビったよ、ちくしょう」
思わず手が震える。足は震えさせない。
ついにワルプルギスの夜が現れた。
話通りの巨大な姿。
今日はこいつを何十回、何百回分も倒さなくちゃいけないわけだ。
さやか「お昼ご飯に間に合いますかねぇ……!?」
変身する。
さあ、一世一代の戦いの始まりだ。
さやか「行くよ、デカ魔」
ワルプルギスが姿を現したら。
まず、私とマミさんで攻撃する。
序盤から、ワルプルギスの夜への総攻撃だ。
街の中心部から離れている今だからこそ、思いっきり叩く。
さやか「絶対に守ってやる……“セルバンテス”!」
左腕が銀の輝きに包まれる。
装着されたガントレットに重さは感じられない。力が増した全能感だけが、皮膚の上に一枚、力強く張り付いている感覚だ。
これさえあれば、私はなんだってできる。そんな気がする。
さやか『接近、開始するよ!』
ほむら『了解、無茶はしないで』
マミ『私も行くわ!』
河へと走り、軽く跳躍する。
水面へ放り投げた体は、落ちればすぐに沈んでしまうだろう。
けど今の私にはセルバンテスがある。
さやか「はぁ!」
左腕の籠手がバリアを出現させ、着地可能な足場となる。
さやか「――やあ!」
バリアは反発するバネとなって、私の体を空へと押しやった。
まだまだワルプルギスの夜は高いし、遠い。もっと高く、もっと近づいてやろう。
私の剣のリーチ内まで。
魔女「アハハハハ! アハハハハハハ!」
◆舞台装置の魔女・ワルプルギスの夜◆
足を踏み出すごとに、バリアを展開。
バリアの足場は反発する力によって私を押し出し、さながらリニアのように、身体は空を打ち抜いてゆく。
白馬「ヒヒィン」
象「パォオオ」
いつの間にやら動物をかたどった使い魔たちは空に浮かび、統率性もなく無造作に走り回っていた。
使い魔たちはワルプルギスの夜へ近づくにつれ、その数を増してゆく。
けどワルプルギスの巨体を覆い隠せるほどの数がいるわけでもない。
私は使い魔を合間合間を器用にすり抜けながら、着実にワルプルギスの夜へ接近する。
さやか『よおし……正面っ!』
魔女「キャハハハハ!」
ワルプルギスの夜、前方100m。
さやか『目標目の前! 交戦開始!』
空中で二本のサーベルを生み出し、纏めてつかんで大剣アンデルセンに。
左腕のセルバンテスと、右腕のアンデルセン。
さやか(……ほんと、ゴジラ相手にしてるようなもんだね!)
視界いっぱいに広がるこいつを相手に、右手の剣が通用するかはわからない。
いいや、絶対に通用する。ただ、この戦いでは、それが目に見えないだけだ。
弱気になるな、姿に気圧されるな。剣を握ったら戦闘開始だ。
全てを賭しても勝てるかどうかの戦いだって、勝つ気で臨んで、そこではじめて全力が出せる。
さやか「ぼっこぼこにしてやる!」
素早く足場を展開し、百メートルの距離を一気に縮める。
正面からの強風の壁が、私を拒むように吹いているが、まだまだその程度では、私の電光石火を止められはしない。
魔女「アハハハ!」
さやか「ヘラヘラうっさい!」
目の前に、ワルプルギスの巨大な頭部。
それ目がけ、私はアンデルセンを振り上げた。
この仰々しい大剣も、ついにその丈に合った出番が来たというわけだ。
さやか「っせいやァ!」
魔女「ハ――」
ワルプルギスの夜の顔面を、ななめにぶった切る。
さすがに切り落とすほどの刃渡りはないが、深く傷つけることには成功した。
もうちょっと硬い手ごたえがあるかと思いきや、そうでもない。硬さは普通の魔女と同じくらいだ。
魔女「アハハハハ!アハハ!」
さやか「~……!」
しかし、決定的な違いがある。
傷が、瞬時に修復されてしまったということだ。
ワルプルギスの夜に与えたダメージは、瞬時に回復する。
ワルプルギスが結界内に貯蔵しているエネルギーがそうさせるのだ。
トータルで見れば、私が与えた傷はしっかりと、ワルプルギスの寿命を縮めているだろう。
魔女「アハハハハハ! キャハハハハハ!」
さやか「うぐぉっ……!」
強風に煽られた歯医者の大きな看板が、私の頭上ギリギリのところを掠めて飛んで行った。
……ダメージは与えている。けど、相手の動きは鈍らない。
怯まない、弱らない相手と戦うっていうのは、かなり難しいな。
さやか(でも、退くことはできない!)
背中には町がある。安全運転で乗り切れる道ではないのだ。
相手が無敵の魔女だとしても、無理を押して戦い続けてやる。
さやか「“ハイド・スティンガー”」
魔女「?」
連日の特訓によって生み出した移動技。
一定の位置、一定の角度で配置したバリアを高速で踏み抜き、相手の背後へと一瞬で迂回する。
あとは、このアンデルセンが猛威を振るうだけだ。
さやか「“五芒の斬”!」
星形を描く大振りが、魔女の背中を素早く切り刻む。
体から切り離された組織が。煙となって風に消え、しかし瞬時に元に戻る。
普通の魔女なら二、三回は死んでいてもおかしくない、オーバーな攻撃だ。
さやか(この魔女に普通の戦いは通用しない! 大味な技で、削り続けるんだ!)
魔女「キャハハハ!」
さやか「!」
魔女の周囲の空間が暗くなり、かげろうのようにゆがんだ。
振り上げた大剣の軌道を強引に逸らし、後ろへ戻す。
左手のバリアを素早く展開し、踏み抜いて一気に距離を取った。
白馬「ヒィイィイイン!」
さやか「うわ」
メリーゴーランドのポールが突き刺さった白い馬が宙を駆け、私の目の前を踏みつけながら過ぎ去っていった。
たった今、ワルプルギスが召喚した使い魔だろう。
……重力を無視しながら宙を走る使い魔。これは少し、厄介だ。
白馬「ヒヒィィイイ」
「“ティロ・スピラーレ”!」
厄介だと眺めていた使い魔が、黄色いリボンの花火に巻き込まれ、串刺しになった。
陶器のような身体を放射状のリボンが貫き、砕かれ風にまかれて、跡形もなく消えてゆく。
さやか『マミさん!助かります!』
マミ『ふふ、将を射るにはまずは馬からね、任せて』
ここからは離れた場所にある鉄塔から、援護射撃が始まったようだ。
巻き上がる砂埃越しにでも、黄色いフラッシュは辛うじて見て取れた。
頼り甲斐のある先輩の遠距離射撃は、私のそばを掠めてゆこうとも、どこか安心できる軌道で、すべては魔女へと命中する。
着弾する弾が広がり、ワルプルギスのスカートを貫き、肌をも刺す。
マミ『ハイペースにはしないわ、ゆっくり慣らしていきましょう』
さやか『はい、まずはワルプルギスの夜との戦闘感覚を掴みたいですからね』
ほむら『本気を出し始めたあいつは、考えられないほど鋭敏な動きで攻撃を仕掛けてくる。大したダメージを与えていない、今だけが“練習”よ』
さやか『ほいさ!』
マジギレしたワルプルギスの猛威を一番に食らうのは、間違いなくこの私だろう。
だから私は本気で練習しないといけない。距離感、手ごたえ、感覚として養えるものは、すべて体験しなくてはならない。
でないとこの長期戦における大部分である、本気のワルプルギスの夜との戦闘で、身体が持たないから。
さやか「おりゃ!」
迫りくる金属片を左こぶしで殴り、ワルプルギスの夜へと吹き飛ばす。
勢いよく飛んだ破片は顔に命中したが、それがちぎった消しゴムのカスであるかのように、あっけなくハラリと落ちて行ってしまった。
さやか「まあ、私にぶつかってくる物を利用できるだけましか……うおっ」
背後から飛んできた古びた車のスカートを、持ち前の柔軟な体で根性で避ける。
……辺りが段々と、気を抜けない風速になってきた。
長いトタン板が、サーベルの峰を走る。
ほとばしる火花を残してトタンは去って行ったが、そのかわりにと、次はモルタルの巨大な壁面が飛んできた。
迫る廃材の壁を踏みしめ、いざワルプルギスの懐へと跳躍する。
さやか「くっそ、もう限界!?」
強風が吹き荒れている。ワルプルギスの攻めの手が強くなってきたのだ。
飛んでくるものの中にも軽乗用車など、当たればシャレにならないものも混ざっている。
戦いに慣れるというフェーズに、そろそろ終わりがやってきたのだろう。
それでもまだ、私は退きたくなかった。
あと一発だけでいいから、懐へ潜り込んでぶちかましてやりたい。
そう思いつつも、体は廃材と廃品の嵐に翻弄され、なかなか近づけないでいるのだった。
マミ『美樹さん、気を付けて!』
ほむら『そろそろ危険よ!』
二人のテレパシーが強く警戒を促す。
確かにそろそろまずいかもしれない。こんな出だしで再起不能となれば、私たちの勝利は絶望的だ。
さやか「でも、ここで……!」
踏ん張れないようじゃ、さらなる暴風に再び突っ込むなんて無理に決まっている。
乗用車が、腕を振りかざすようにドアを開け放ったまま、こちらへ飛んでくる。
さやか「妥協しちゃいけない……!」
サーベルでドアの根元を切り離し、車をやり過ごして、前へと加速。
しかし今まで視界にも入っていなかった金属コンテナが目の前に現れ、巨躯を乱回転させながら向かってくる。
これにぶつかれば、そのまま吹っ飛ばされるのは間違いない。
さやか「相手が何をしてこようと、攻めてやる!」
コンテナが暗い中身をこちらへ向けた一瞬をつき、バリアを蹴って内側へ飛び込む。
魔法少女の強力なキックはコンテナの奥底に叩きつけられ、ワルプルギスの夜めがけて吹き飛んだ。
魔女「ヒャ――」
大きな顔面をコンテナが直撃し、箱はひしゃげ、魔女の体はわずかに後退した。
ほむら『……やったわね』
マミ『すごい……あの中で、攻撃をいなすなんて』
さやか「っへへ、どーんなもんよ……!」
風ではない、何か強烈な力によって、私の体が大きく跳ね上がる。
突如の衝撃で、大剣アンデルセンは手を離れて宙に舞った。
さやか「うぶっ……!?」
ほむら『さやか!』
ワルプルギスの周囲を囲むように、衛星軌道のように、私の体は見えざる力に操られていた。
それは風などというわかりやすいものではないが、振る舞いは竜巻そのものだった。
そう、押し出す風ではなく、逆の、何もない真空空間に引き寄せられるような、手を掻いても抵抗力をつかめないような力なのだ。
身体が無重力に揉まれ、思うような体勢を作れない。
もし今、死角から何かが飛んで来れば……防げない!
マミ『掴まって!』
リボンが鋭く伸びる音がした。だけど、私の視界には灰色の嵐しか映っていない。
私の近くに伸びているのだとしても、掴まりようがなかった。
ほむら『さやか! 手を伸ばして、両腕を広げて!』
さやか『そ、んなこといったって!』
ほむら『いいから!』
さやか『解った! とりあえず広げる!』
鉄骨にでも当たれば即死だなと思いながら、私は体をいっぱいに広げた。
雨粒だか砂だか、とにかく冷たい粒が全身にぶつかり、痛い。
それでも腕を広げ、風の中に体を晒す。
さやか(……!)
“がん”と、腕に強烈な衝撃が走り、自分の体勢がそちらへと引っ張られた。
一瞬“何かにぶつかったか”と思ったけど、そうではなかった。
ほむら「もう、無茶して……」
さやか「ほむら!」
ほむらの手が、私の腕をしっかりとつかんでいた。
彼女の位置はもっと後方のはずだったが、私を助けるためだけに最前線へやってきたのだ。
ほむら「一旦距離を置いて、ワルプルギスの特殊な重力場から抜け出すわ」
さやか「ごめん、手間かけさせちゃったね」
ほむら「ほんとよ」
時間が停止して、宙を舞う瓦礫がぴたりと止まる。
動体視力を振り切っていた障害物の流星も、平凡な日常に見られる各々の正体を明した。
それらを足場に、私とほむらは手をつないで退却した。
……ちょっと悔しいが、最後にいっぱつかませてスッキリだ。
攻撃の無い停止した時間の中で、堂々と着地する。
工業地帯では比較的大きめな螺子工場の屋上だ。
魔女「キャハハハ……」
さやか「わお」
遠くから眺めてみて、初めてわかる魔女の強大さがあった。
車も屋根も、全てがおもちゃの様に宙に浮かび、ワルプルギスを軸にゆっくりと回っている。
いや、ゆっくりと見えるのはその軌道があまりに大きすぎるためで、実際に接近してみると、とんでもなく速いんだけど。
マミ『美樹さん!』
さやか『あ、マミさん、無事です! ほむらに助けてもらいました』
マミ『ああ、良かった……どうなるものかと……立て直せる?』
さやか『すぐにでも。ほむら、どうする?』
ほむら『まだワルプルギスは本気じゃない。奴が怒るギリギリまでは、押し戻しながらダメージを与え続けるわ』
さやか『了解!』
マミ『でも、これからは美樹さん、辛くなるわね』
さやか『大丈夫っすよ』
サーベルを握り、篭手を構える。
遠くに見据えられるワルプルギスは難敵であれ、今日までやつを仮想敵とした特訓を続けてきた。
努力は自分を裏切らない。なら、結果も出るはず。
さやか『さっきはちょっとパニクっただけです、今度はいけます!』
私はバリアーを踏み、再び空へと跳躍した。
ワルプルギスの夜に接近して、謎の浮遊感に襲われて気づいたことがある。
多分だけど、あの魔女は自分の周囲の重力を弱くしているのだ。
重力を弱め……無重力にほど近いのかもしれない。かつ、それを振り回すことができる。
さながら、太陽と地球といったところか。その能力がワルプルギスの夜の技なのか、それとも無意識に発生している“余波”なのかは、わからない。
方向感覚の掴めないフィールドはちょっとした脅威ではあるけど、バリアの反動をかき消すほど強力ではないはずだ。
相手の力場に進入しても、バリアを蹴っての移動はできる。障害物を足場にするのは控えて、自分の力を信じてやってみよう。
さやか「いくぞワルプル……二本目だ!」
迫るブリキの屋根を引き裂いて、バリアを踏み抜き高度を上げる。
さやか「……とはいえ、シャレにならなくなってきたな」
ワルプルギスの夜よりも少しだけ上から臨む嵐の中には、細長い棒がいくつも見えた。
建築用の鉄骨である。あれをまともに食らえば、魔法少女でも耐えられるかわからない。
さやか「……当たらなきゃ同じっしょ!」
ということにして、覚悟を決める。
引き返せないし、相手のデカさだ。被弾は死と覚悟しよう。
それでも気になる鉄骨に突撃していると、黄色いリボンが私の左右に広がった。
マミ『邪魔な障害物は消すわ! その間に突っ込んで!』
さやか『ありがとう! マミさん!』
リボンの花火が建材や車を貫き、一時的にではあるが空間に固定させてゆく。
私はその花火を避けるようにして宙を舞い、バリアを展開しては強く踏んで、忍者のように近づいてゆく。
魔女「アハハハハハハ!」
さやか「うおおおぉおおおぉ!」
二本のサーベルをアンデルセンにまとめあげ、最後の一蹴りの勢いに身体を託し、ワルプルギスの首元へ。
一瞬で間合いを詰めた私に、それでもここは通さぬと、横向きの鉄骨が立ちふさがる。
直進すれば鉄の塊に激突するだろう。勢いは削がれ、ワルプルギスの流れに巻き込まれてしまう。
さやか(いけるに決まってる、たかが鉄くらい――)
ここで剣を振るわけにはいかない。ワルプルギスとの距離が近すぎるのだ。
かといってもう、バリアを出すことはできない。両手は柄を強く握り、振る構えに移行している。
振るしかない。この鉄骨を裂くために?
いいや、あくまで一撃は、ワルプルギスにくれてやるものだ。
こんな無機質で、どうでもいい、割り込んできただけの野次馬に、くれてやるものではない。
さやか(剣に、魔力を注ぐんだ。フェルマータの時のように)
魔法の斬撃を放射するための機構に、私の魔力が充填される。
力は大剣のうちに収束し、エネルギーの塊となる。
さやか(溜めて放つのは、私の得意分野じゃない……私の特性魔法は防御系統のはずなんだ……)
さやか(だから、このフェルマータの一撃は大雑把で、シンプルなものであるはず)
さやか(シンプルなものほど、応用が利くはずなんだ!)
下段の構え。剣先を下方正面へ突き出す。
一瞬の狭間で、剣が鉄骨の下へとわずかに潜り込んだ瞬間、腕に力を込める。
より正確に、より力強く。上段へと持ちげる。
さやか「ふッ!」
青白く輝く大剣は、白い火花を散らしながら、鉄骨は焼くように切り裂けた。
そこに物理的な勢いなどはなく、私の魔力がやってみせた破壊だった。
ワルプルギスの夜が生み出す特殊な重力を突破するだけの勢いを保ち、私の剣は頭上に掲げられた。
さやか「……“フェル・マータ”!」
魔力のビームが、ワルプルギスの無重力場を打消し、引き裂いてゆく。
両断されてもなお浮遊力に囚われていた鉄骨も、フェルマータの青白いエネルギー波に押され、ワルプルギスへと押し込まれてゆく。
魔女「キャ――」
モーション過多の強大な一撃は、ワルプルギスの夜の胸元に直撃した。
当たりの瓦礫も流れに飲み込まれ、荒っぽい弾丸となって、ワルプルギスの巨体へと立ち向かってゆく。
さやか「ぉおお……!」
剣を前方へ向け、まだ尚も力を注ぎ続ける。
砂時計以上に目に見える速さで、私のソウルジェムは黒ずんでいってるに違いない。
それだけ、フェルマータは燃費の悪い技だ。
ただし当たれば、リターンは大きい。
力を解き放てば解き放つほど、威力となって相手を襲うからだ。
ドドドド、と、濁流のようなエネルギーが射出され続けているが、それも限界だ。
これ以上は私の身が危ない。
さやか『ほむらぁ! 今だ!』
だからこの先は、ほむらに任せる。
私はもう十分に、ワルプルギスに“穴”をあけた。
フェルマータの流れも残っている。今がチャンスだ。
ほむら『無事を祈るわ! 発射!』
嵐の中でも、その遠方からでもわかる、戦争が始まったかのような、連続的射出音。
さやか(精神集中! ミスったら死ぬ! 大丈夫できる! あたしならできる!)
フェルマータの濁流が依然としてワルプルギスの胸に大穴を開け、マミさんのリボンの弾が、その巨躯を空中にはりつける。
そして今、私の背後からは、数多のミサイルが白煙を吹きながら、こちらへ飛んできている――。
さやか(一発当たれば誘爆する)
大剣アンデルセンから手を離し、上体を大きくのけぞらせる。
私の目には、想像通りのミサイルの群れが、先端をこちらに向けて疾走していた。
さやか(魔法少女の体なら、一発くらいは大丈夫……かもしれない)
さやか(けどこの数は死ぬ、絶対に死ぬ)
極限状態における人間の加速した脳内時間という魅力的な力にも、限度はある。
ミサイルが遅いはずはない。私の思考よりも確実に速く、危険な弾頭はこちらへ迫っている。
さやか(私は体がやわらかい、ツイスターも得意、余計な話バク宙だってできる)
さやか(信じろ私、空中で物を避ける練習は、今まで魔女の結界で沢山やってきたじゃないか)
ほむらと、マミさんと。私たちは魔女の結界で、空中戦での連携を磨いてきた。
バリアを蹴って空を飛び、空中で剣を振り、姿勢を、位置をコントロールする。
人間だった頃では考えもしなかった動き方を学び、実践してきた。
今の私なら、空を飛ぶ魔女にだって、白兵戦を仕掛けて勝つ自信はある。
さやか(いける!)
魔力を使った空中での移動の応用。
四肢に微量の魔力を含ませれば、水中にいるときのように、体をわずかに動かすことができる。
さやか(ふっ……)
沿った体をねじると、腰の裏を一発のミサイルが通り過ぎる。
それを待たずに、今度は頭部めがけてもう一発がやってきた。首もそらせて、紙一重で避ける。
腿を狙った一発を、脚をあげてやりすごし、遅れて胴体の真ん中めがけてやってきたミサイルは、今度は背を丸めることで、腹から向こうへと通す。
これで大体のミサイルを避けたはずだ。
さやか(……!)
しかし無慈悲にも、最後の3発のミサイルは、胴、胸、脚に目がけて飛んできた。
わずかな思考時間に考え付いた回避姿勢は、なかった。
避けることはできない位置に、よりにもよって最後のミサイルは、あったのだ。
さやか(し……)
さやか「死んでたまるかァ!」
密集する三本のミサイル。
それぞれを避けることはできない。ならばどうするか。三本でなければいいのだ。
もちろんそれは賭けだった。
さやか「うあぁああ!」
両手を広げ、ミサイルの先端を狙って強く腕を抱え、閉じる。
抱きかかえられるようにされた二本のミサイルは、強制的にもう残りの一本に接触する。
三本の矢。不器用ながらも、ミサイルは一つにまとめられた。
無茶な体勢ではある。けど、ひとつを避けるだけなら容易いはずだ。
さやか「いっ……けぇッ!」
空中ジャーマンスープレックス。相手はミサイル。
体を大きくのけぞらせ、噴煙を吐く弾頭を、そのまま魔女の傷口へと放り込んだ。
ミサイルの回避、ミサイルの投擲。精神が圧縮されていた私には、それらにどのくらいの時間がかかったのかは、わからない。
ただ、これを他者が見ていたとしたら、神業にでも見えていたのだろう。
さやか「“セルバンテス”ッ!」
最後の仕上げとばかりに、ワルプルギスの胸元を左腕で殴りつける。
展開されるシールドはミサイルを取り込んだ傷口を塞いだ。
マミ『いける!』
さやか『そんなに溜め込むのが好きなら……残さず腹に収めてみせろ!』
魔女「――!」
ワルプルギスの夜に亀裂が走る。
マミさんのティロ・スピラーレが本体を空中に繋ぎ止め、私のフェル・マータがワルプルギスに穴を穿ち、ほむらの放ったミサイルがそこへ突入した。
内側からの爆発によって、ワルプルギスの全身は、干ばつが起きた大地のようにひび割れた。
無数の割れ目から漏れる赤い光は、これからコンマ数秒後に起こる破裂を予感させるには十分なものだった。
さやか「うおおおおお……!」
ワルプルギスが炸裂した。
バリアの端から漏れてくる熱風に、現代兵器の底知れない威力を思い知る。
こんなものを生身の人間に使うなんて、正気の沙汰じゃあない。
魔女「ギァァアアアア――」
爆炎越しに、魔女の本体が砕け散るさまが見えている。
魔女は文字通り、木っ端みじんになっているのだ。完璧に砕け散るまで、再生は間に合わない。
完全に破壊した後にも余波は残り、それは数秒の間、ワルプルギスの夜の存在をここから消滅させるだろう。
ワルプルギスはしばらくの間、完全なグリーフシードの状態に戻るのだ。
そしてその時こそが、結界突入のチャンス。
バリアを突き出す左手とは対極に、右手を差し伸べていた。
その右手に、ひんやりとしたなめらかな感触が触れる。
ほむら「さやか、冷や汗をかいたわ」
さやか「私もだよ、まるで生きた心地がしない……」
マミ「けど頑張ったわ、ありがとう、美樹さん」
さやか「いえいえ、はは」
ま、どんなに褒められたって、あんなのはできればもう、二度とやりたくない。
時が止まっている。
爆散したワルプルギスを目の前に、私たち三人は手をつないで空中の鉄骨に立っていた。
暴風と爆風の狭間で静止する世界の凄味といったら、この地球上では他に味わいようもないのかもしれない。
マミ「もうこんなに消耗してる……」
私のソウルジェムにグリーフシードがあてがわれ、魔力が復活してゆく。
ボス戦突入前のセーブポイントみたいなものだ。まずは、今まで失った魔力を取り戻さないといけない。
さやか「グリーフシード、備蓄してたのもそう長くは持ちませんね」
マミ「ええ、正直予想以上ね。私も結構、黒ずんでたわ」
ほむら「……でも、このくらいで本体を倒せたのは、良い戦果よ」
ほむらの口元が珍しく微笑んでいた。
つられて私たちも、思わずほころんでしまう。
作戦通りに事が運んだ。現実的に達成できるか未知数だった事が、順調にクリアされたのだ。
ワルプルギスの夜の完全撃破までは、まだまだ遠い。
それでも確実に勝利に近づけていることを、私たちは確信していた。
杏子「随分と荒れてきたな」
QB「ワルプルギスの夜が近い証拠だね」
杏子「予定時刻までは、そろそろってところか」
QB「そうだね」
杏子「……さっきから嫌な感覚だけは、ビリビリと伝わる」
杏子「だが近づいてンならでっかくなるだろう、けどならねーんだ」
QB「君たちのそういう第六感に近い感覚は、僕にはよくわからないな」
杏子「だろうね、脳みそなんて小さそうだもんな」
QB「……」
杏子「……すぐ近くにいる、けど来ねえ、この感覚はなんだ」
QB(鋭いね杏子。そう、確かにワルプルギスはもう、すぐ近くにいるよ)
QB(そこに巨大な建物がなければ、君はきっと濃い曇天の中にワルプルギスの夜を見つけてしまうだろう)
QB(けど今の君には見つけられない。ここが迎撃ポイントだと聞かされているからだ)
QB(悪いけど、しばらくは足止めさせてもらうよ)
【見滝原 避難所】
まどか「……」
タツヤ「今日おとまり?」
知久「そう、お泊りだぞー」
タツヤ「おとまり!おとまり!」
QB「既に彼女たちは戦いを始めたようだよ」
まどか『……そう』
QB「見届けなくてもいいのかい?」
まどか『うん』
まどか『私が行っても、契約はできないし……さやかちゃんが大丈夫って言ったから、私、信じてる』
QB「さやか達に勝ち目があると思っているのかい?」
まどか『みんな強いもん、大丈夫』
まどか『……さやかちゃんはいつだって……最後には、勝って戻ってくるから』
まどか(そうやって何度も、私を助けてくれたから)
まどか(ごめんね、さやかちゃん。本当は私、こういう時にこそ力になるべきなのにね)
まどか(けど、これが正しい選択だってさやかちゃんが言うなら、私も自分の選択を、見失わないよ)
爆破されたワルプルギスの跡を潜ると、薄く虹色に発光する幾何学模様が現れた。
普段見る魔女の結界への入口をそのまま大きくしたようなものである。
さやか「……ワルプルギスの夜がそのまま背負ってる結界」
マミ「この中に、無数の魔女がいるっていうことね」
リボンで編みこまれた細い通路は、辺りのがれきを支えにまっすぐ結界へ伸びている。
このまま歩き続ければ、ワルプルギスの夜の本体とも言えるものと戦えるわけだ。
ほむら「これから、内部の魔女を全力で殲滅する」
声はわずかに震えている。
人差し指を握り、目は結界の1km向こうの目標を睨み、その決意を固めていた。
ここから先は、ほむらも知らない魔女の異空間。
誰も前情報を持っておらず、ただただ危険であるという魔女だらけの世界だ。
マミ「緊張しないで。魔女の巣へ飛び込むのは、いつものことでしょ?」
ほむら「……」
マミさんはほむらの肩を叩き、先輩らしく前を歩く。
マミ「ここからは負け続けた戦いじゃあない。勝てる勝負が始まるのよ」
ほむら「……ありがとう」
巴さん。その小声は、私だけが聞き取っただろう。
私とマミさんの手を取って、結界の目の前に立つ。
ほむら「行きましょう。成果を見せる時よ」
マミ「ええ」
三人一斉に、ワルプルギスの内部へと踏み込んだ。
さあ、本番だ。
ほむら(時間停止……継続)
手を繋いだ三人は、高い場所に出た。
高い場所というのは、つまり地面が結構下の方にあるという場所ということだ。
さやか「!」
マミ「着地準備! 周りにリボンでひっかけられそうなものがない!」
ほむら「絶対に手を離さないで!」
草原。一面の大草原。
サバンナとは違う。砂地の一切ない、一面が全て緑で覆われた草原だ。
周囲には魔女の結界ではありがちだった意味不明な構造物も、草原に一本や二本はあるべき背の低い木も存在していない。
私たちが仲良く手をつなぎ降下する20mほどの高さから見通すことができる景色は、その一面すべてが大草原で構成されていた。
さやか(建物はない、魔女もいない……!?)
ここは確かに、ワルプルギスの夜の結界のはずだ。
キュゥべえの話では確かに、大量の魔女がいるって……。
マミ「っ」
ほむら「ふっ」
草原に着地した。
さやか(草の丈は膝下……移動の阻害には成り得ない、ありがたいことではあるけど)
三人はしばらく辺りを見回した。
手をつなぎ、時を止めたまま周囲を見やる。探しているのは、当然、結界内にいるという魔女の姿だ。
しかしいくら周りを注視してみても、広がるのは草原と澄み切った青空のみ。
突入する前は恐ろしい魔王の城であったり、廃墟立ち並ぶ荒野のような結界を想像していただけに、やけに不気味だ。
お互いに握る手のひらも汗ばんできた。
ほむら「……いない」
マミ「わよね?」
さやか「今は、多分……」
ほむら「どこかに隠れている……?」
マミ「それはないわ、隠れる場所なんてどこにも……」
さやか「時間停止を解除しよう。相手方の動きがないと、対処のしようがないし」
このまま手をつなぎ、ほむらの魔力を消耗させ続けるのは得策ではない。
時間停止したまま突入したのだ。お出迎えがないのはそのためかもしれない。
ほむら「わかったわ、解除する……けど、準備はいいのね」
マミ「大丈夫よ、いつでも……戦う準備は、できてるわ」
ほむら「……いくわよ」
ほむら「解除」
風のなかった世界に、静かな風が吹いた。
◆燭台の魔女・ミレイ◆
◆憤怒の魔女・マグダ◆
◆ガス灯の魔女・ジェシカ◆
◆藁山の魔女・マリーン◆
◆篝台の魔女・ルーシー◆
◆鉄檻の魔女・カレン◆
◆鏝の魔女・ミカエラ◆
◆灰掻きの魔女・モニカ◆
◆悲鳴の魔女・ジルケ◆
◆鞴の魔女・ニコラ◆
◆菜種油の魔女・テレサ◆
◆蝋燭の魔女・アリーナ◆
◆鉄牛の魔女・シンディ◆
◆坩堝の魔女・ティナ◆
ほむら「!?」
そいつらは、何もなかった空間に突然現れた。
草原に風が吹くことが当然であるかのように、目の前に現れた。
憤怒「ウォォオオオォオォオオォオオオォッ!」
マミ「――」
そして、魔女は私たちがここにいることが当然であるかのように、それぞれがそれぞれの凶器と成り得るもので襲いかかってきた。
ほむら「ッ……!」
さやか「“セルバンテス”!」
真っ先に振り下ろされた溶岩の拳をバリアーで受け止め、ほむらの前に躍り出る。
ほむらの手を強く握りしめ、叫ぶ。
さやか「マミさんを!」
ほむら「はっ!」
マミ「お願い!早く!」
灼熱の拳。灼熱の銛。灼熱の鞭。全ての燃え盛る凶器は、マミさんのほんの手前でようやく停止した。
ジリジリと焼きつくような熱気もそこにとどまり、マミさんの肌を焼くこともない。
ほむらの時間停止が効いたのだ。
マミ「……びっくりした」
さやか「ひぃ~……」
マミさんが生み出した一条のリボンは、辛うじてほむらの腕に巻きついていた。
ほむらの停止があと少しでも遅ければ、マミさんは今頃……いや、やめておこう。
間に合って良かった。
ほむら「……ごめんなさい、背筋が凍ってしまって」
さやか「うん、さすがにね……予想してなかったわけじゃないけど」
見上げ、見回せば、青空だった景色を覆い隠す、十数体の魔女。
それぞれ使い魔を持ってはいないものの、身体のどこかしらに滾らせている炎が、単純な魔女としての危険度を示していた。
さやか「こいつら、一瞬だったよね」
ほむら「……ええ、音もなく取り囲むように現れた」
マミ「気配もなかったし、前兆も……厄介ね」
さやか「この魔女たち、みんな炎にまつわる攻撃をしてるみたいだね……統一性がある」
この魔女の群れを倒すのは難しくはないだろう。一度時間が止まってしまえば、こちらのものだ。
けどこいつらを倒したとして、それで終わりだろうか?
……あり得ない。絶対にまだ何かあるはずだ。
ほむら「魔力を無駄にはできない……そろそろ解除しなくちゃいけない」
マミ「こんなに思いつめる状況になるはずじゃなかったけど……どうにかしなきゃね」
さやか「……倒そう」
ほむら「二人とも、できる?」
マミ「あら、不安?」
ほむら「時間を止めたままの状態で負けるなんて思ってはいないけど……停止を解除した状態で、勝てるのかしら、って思ったのよ」
さやか「……ほむらの時間停止も、有限だしね。魔力は無駄遣いできない」
ほむらの手を握ったまま、片手でアンデルセンを構える。
マミさんもマスケット銃を手に持って、一回転させて魔女へと向けた。
ほむら「何度も何度も時を止めていたら、いざという時の対処ができない……苦しいかもしれないけど、二人でこ魔女を」
さやか「任せなって、最強さやかちゃんだよ?」
マミ「ふふっ、私だって負けないわよ。新技を、こういう状況で使ってみたかったくらいだもの」
さやか「私だって、負けませんよ?」
伊達に力を願って魔法少女になってないもんね。
ほむら「……合図とともに、手を離す。そうしたら、戦いが始まると思っていて」
さやか「オッケー」
マミ「了解」
手に汗握る戦いがはじまる。
目の前に広がる巨大な銛は、世界が動き出すと同時に間もなく私を貫く予定だ。
その予約に割り込み、私の剣は敵を斬らねばなるまい。
無茶だらけの戦いが行われるわけだが、修羅場を潜らずにワルプルギスの夜を倒せるはずはない。ここを乗り越えなくちゃいけないんだ。
ほむら「……解除!」
さやか「“長七の乱”」
二本のアンデルセンを、その重みのままに、回るように振り払う。
魔女が突きだす銛と、その隣の魔女の柱と、何かの脚と、何かの腕と、何体かの胴を斬り落とした。
マミ「“ティロ・レデントーレ”」
私の反対側では、マミさんのリボン花火があちこちで大輪を咲かせていた。
一瞬で空間を刺し尽くすリボンの刃から逃れる術は、残念ながら魔女にはないようだ。
ほむら「……」
そしてダメ押しとばかりに、辺りにダウンした魔女たちが燃え上がった。
鼻腔を突くガソリンの臭気に、ほむらの攻撃であると理解する。
立ち上がろうとする気力があった魔女達は、静かにその余命を燃やして消滅した。
マミ「……やったかしら?」
辺りは一面焼け野原。
視界には何の姿もいないように感じられる。
『ォォオオォオォオオオオォォオオ!』
さやか「! まだ来る!」
マミ「気を付けて!」
◆驢馬の魔女・クリステル◆
◆珊瑚の魔女・アンゼルマ◆
◆投網の魔女・ゾフィーア◆
◆冒険の魔女・テオドーラ◆
◆鉤の魔女・ヤスミーネ◆
◆胡椒の魔女・ロザーリエ◆
◆濁流の魔女・パウリーネ◆
◆蛋白石の魔女・ミュリエル◆
◆烏賊の魔女・リースベト◆
◆曲刀の魔女・カトライン◆
◆傘の魔女・イングリト◆
◆伏目の魔女・ディアーナ◆
またも同じ状況。
今度は寒色中心で彩られた魔女が、私たちを取り囲むように現れた。
さやか「ッ!」
その中でもっとも大きな魔女の腹に、左手のアンデルセンを放り投げる。
ゆっくり二回転した大剣が岩のような腹に突き刺さり、私はそこへ飛び込んでゆく。
さやか「“セルバンテス”!」
魔女「ゴォッ!」
釘に対する鉄槌。あらゆるものに反発するバリアーが大剣を押しやり、頑丈さでは無二であろう魔女を粉々に砕いた。
魔女「シェッ!」
魔女「シャァッ!」
一体だけに構う余裕はない。私が一体を片付ける間に、二体の魔女はすぐそこまで迫っていた。
大きなイカリを腕に備えた魔女と、アンデルセンの二倍はある曲刀を握った魔女だ。
重量不明の、分厚いイカリが私の頭上に振り下ろされる。
さやか「はぁっ!」
魔女「!?」
しかし私のセルバンテスが生み出すバリアーを崩すには至らない。
何トンもの重量があったイカリの一撃は弾き返され、魔女の体勢を大きく崩した。
さやか「“六甲の閂”」
露わになった腹を真横に切断し、二体目。
もう一体の曲刀の方は……。
魔女「ごぼッ」
……側面からの赤い爆風によって、轟沈していた。
これもほむらだろうな。
マミ『数が多いと、目まぐるしいけど……!』
さやか『なぜかそんなに辛くないっすね!』
強がりではなく事実だった。
私たちを取り囲もうにも、その数には限りがある。
小さな人間を複数の魔女が一度に襲うには、かなり厳しいものがあるのだ。
対して私たちの攻撃はコンパクトながらも高威力。魔女が手を下す前に、私たちが適当に放つ強烈な一撃が魔女を蹴散らしてしまう。
ほむらの火器が、マミさんのリボンが、私の剣が。
急所を貫き、動きを止め、脅威をそぎ落とす。
無敵と言っても驕りではない連携がここに確立されていた。
魔女「ブシュッ!」
しかし無敵なんて都合のいい状態が、ゲームじゃあるまいし、続くはずもない。
さやか「! まずい――」
予想はしていたけど、認識できなかった位置からの攻撃に今さら気づいてしまった。
半透明なカエルのような魔女。膨らんだ頬。震える体。
さやか「防御に回る! 私の後ろへ!」
ほむら「えっ――」
アンデルセンはひとまず地面に突き刺して、左手を正面へ構えて腰を落とす。
そして、人を4人は巻き込めそうな太い水柱が、私たちに襲いかかってきた。
洪水が噴き出し、私を襲う。
一面に広がるバリアーは休む間もなく震え続け、激しい飛沫を散らしながら水流を割り、受け流してゆく。
さやか『く……耐えられる勢いだけど、ここから動けない!』
ほむら『弾かれた水で私たちも駄目ね』
マミ『! 他の魔女が来る』
さやか『動けないけど、お願いします!』
水のカーテンに包まれる中、無茶な注文だろうと思う。
けど二人ならやってくれても不思議じゃあない。
マミ『仕方ないわね、全力で消し飛ばすわ……!』
ほむら『そうね、出し惜しみはできない』
魔女の影が、水流越しに近づいてくる。
水にまつわる魔女たちだ。水流などはものともせずに、こちらを攻撃することができるのだろう。
マミ『“ティロ・フィナーレ”』
ほむら『食らいなさい、特製ハナビよ』
横なぎのビームと炸裂する爆弾。
通常では考えられないほどの頑丈さを誇る魔女の外殻が砕け、余剰エネルギーは更に奥の魔女さえも貫いた。
周囲から敵が掃けた今が好機!
さやか(左手にバリアを生み出すセルバンテスの展開を続け……)
さやか(右手にアンデルセンを生み出し――バリアが消える一瞬の間に――)
大剣の溝に魔力が籠る。青白い輝きが迸る。
さやか(叩き斬る!)
フェルマータの青い輝きが、水の激流と同じ太さのエネルギーになって放射された。
強い気を放つオーラは水を弾き、濁流など容易く押しのけて、魔女の口内へと到達した。
魔女「ゴボッ!」
カエルの魔女は内側から大きく膨らみ、爆発して消滅した。
さやか「ッ……!」
フェルマータを撃った直後の疲労感が、体の重さを倍増しにして襲いかかる。
が、ここで休憩する暇はない。まだまだ魔女は、周囲にいるのだ。
マミ(く、やっぱりトドメの一撃用の技を途中でっていうのは……結構キツいわね……!)
ほむら(魔女殲滅用の爆弾……確実に一体以上を殲滅できる特別火力……数には限りがある)
マミ(けど、息をつく暇はない!)
ほむら(出し惜しみはできない!)
さやか(“四条の織”)
斬り上げからの腰溜め、そして横一閃。
防ごうとした魔女の腕を弾きあげ、横切りは綺麗に決まった。
ほむら『口をあけてるやつは任せて!』
マミ『了解!』
時限式爆弾が、ロバの大口へと投げ込まれる。
マスケットの弾丸は、何とも形容しがたい物質的な魔女の外面を貫いてゆく。
さやか「――」
腹を斬られ脱力する漁師の魔女は間もなく倒れるだろう。
爆弾を投げ込まれた驢馬の魔女はこちらに触れる前に即死するだろう。
マスケット銃で撃たれているオパール色の魔女は虫の息だ。
11体が斃される。残るは1体。
魔女「ウァァアアアァ……!」
目から涙を流す、細く長身な人型の魔女。
さやか「ぜやぁっ!」
横に振り抜いたアンデルセンを、再び反対へと振り投げる。
刀身の中ほどに重心を持ったアンデルセンは、いびつな回転軌道を描きながら魔女へ飛び込んでゆく。
魔女「ガアッ!」
驢馬の魔女が内側から爆発すると同時に大剣は魔女の胴体を切断し、戦いは決着した。
さやか「はぁ、はぁ……」
マミ「ふう……」
ほむら「はい、グリーフシード」
手渡される真新しいグリーフシードを受け取り、ソウルジェムに押し当てる。
ソウルジェムの穢れは瞬く間に払拭されたけど、グリーフシードのほうはもう使い物にならないだろう。
予想されていた消耗戦とはいえ、なかなか厳しい。
まるでスポーツドリンクに依存する試合みたいだ。
マミ「何体倒したかしら……」
ほむら「30体……?」
さやか「まだ26体……」
マミ「うそ、そんなものだったかしら……」
三人で26体。普段からしてみれば化け物じみたペースではある。
けど、それはそれで、それなりの無茶をしているからだ。
私たちは差し引きで言えば、マイナスになる戦いに身を投じているだろう。
さやか(身体は治る、魔力も戻る……けど……精神的にきっついなぁ……)
俯き、鎖骨に止まった汗を拭う。
大きな涼しい影が、私の視界の限りを覆った。
途端に汗は引いた。空を見上げる。
◆王騎の魔女・ブリュンヒルデ◆
◆重戦車の魔女・アレクサンドラ◆
◆反旗の魔女・ジークリンデ◆
◆黄銅の魔女・ヴァレンティーネ◆
◆斬鬼の魔女・アーデルハイド◆
◆舞踏の魔女・ルイースヒェン◆
◆孤高の魔女・レオポルディーネ◆
◆一騎の魔女・ヴィルヘルミーナ◆
炎の魔女たちを倒した。
水の魔女たちにも辛勝した。
なぜ私は無防備に一息ついた。これだけで終わるわけないってのに。
さやか「みんな伏せて……! ほむら!お願い!」
ほむらは私と、マミさんの手を握った。そして足を挫くようにして、地面へ倒れこむ。
さやか「!」
頭上からは魔女の影。
8体の魔女が巨大な……おそらくは剣であろう得物をこちらに向けて、真っ直ぐ降りてくる。
その刃で私を突き刺そうと。
さやか「耐えて、“セルバンテス”!」
二人を庇い、左手を空へ掲げる。
魔女「ォオオオォオオ!」
魔女「ヤァアァァアアアッ!」
魔女「セェェエエェエエイッ!」
まずは巨大な3本の大剣が、私のバリアーに突き立てられる。
爆発のような火花が同時に舞い散り、陰る魔女の姿を一瞬照らした。
その姿はまるで、騎士のようだった。
気高く、屈強な、大きな剣を携えた騎士。
そんな騎士があと5体、さらにこちらへと刃先を向けて落ちてくる。
さやか(耐えろ!まだ耐えろ!私の盾!)
バリアーは三本の剣によって、既に悲鳴を上げていた。
追加された五本の剣に、バリアーは容易く砕かれた。
ほむら『……ふーッ』
危機一髪だった。
私とマミさんとほむらは手を繋ぎ合い、無事に時間を停止させることができたのだ。
私のバリアーも微力ながら功を奏したらしい。
少しでも魔女の剣を受け止めていなければ、今頃はマミさんの肩が落ちていたかもしれない。
マミ『……ちょっと、息を落ち着ける時間を頂戴』
ほむら『異論はないわ……』
肩の上20cmにある大剣を見ないようにしながら、マミさんは深く息をつく。
ほむらも手だけは握りつつも、大きく肩で呼吸した。
さやか『だはぁー……』
……まだ魔女はいる。今度は8体だ。
それぞれ大きな体で、人型で、みな騎士のような、武士のような姿をしている。
今の一撃でわかった。どれもすごく強い魔女に違いない。
今まではどんな魔女の攻撃でも、私のバリアーが破られることはなかったのに、先ほどは簡単に撃ち抜かれてしまった。
同時攻撃とはいえ、杏子のブンタツによる突進と同じかそれ以上の威力。
……各個の能力も高いと見るべきだ。
けど、時間を止めてしまえば問題はない。
時間停止分の魔力は消耗するだろうけど、この魔女たちは確実に、停止時間内で倒してしまった方が消耗も少ないだろう。
魔女「……ワ、タシハ、シバラレヌ」
ほむら「……!?」
さやか「!」
マミ『停止を解除したの!?』
さやか『違う! こいつだけが動いてる!』
焦りに手を離しそうになるマミさんを、鋭い声で呼び止める。
ここで私たちの時間を止めてしまうわけにはいかない。
ほむら『嘘……私の魔法は時間を……』
魔女「イザ、ジンジョウニ!」
青い炎に燃える身体が、緩慢な動きで剣を振り上げる。
左手を突き出せば防げるであろう一撃が来る。が、魔法少女同士が仲良くお手々を繋いだまま反撃に移れるとは思えない。
さやか「……こいつには停止が効かない! もしかしたら他の魔法も! みんな、距離をとって!」
魔女に囲まれた一帯から素早く退避する。
剣は地面に突き刺さり、衝撃は音となって鼓膜を響かせた。
ほむら「……手をつないだままじゃ、あの魔女にもろくに戦えない。一旦解除するわ」
さやか「異論なし」
マミ「仕方ないわ、ここから戦いましょう……!」
ほむらの汗ばんだ手が離れ、空中に留まっていた魔女たちが一斉に大地を突き刺した。
ズドン、と腹の底にまで響くような音が、私のバリアを打ち砕いた威力だったということだ。
魔女「ハズシタカ」
魔女「ツギハ、アテル……!」
マミ「しゃべってる……!」
ほむら「魔女の中にはそういうものもいるわ。ただ、こっちの常識は通じないから、和解も何もないけど……」
さやか「思っていることをしゃべってくれるだけってことか、かえってやりやすいかもね」
サーベルを取り出し、正眼へ。
私の構えを見た魔女たちはピクリと反応し、奴らも一斉に刃をこちらに向ける。
王騎「カクゴ!」
さやか「来い!」
一番前に出てきた煌びやかな鎧の魔女は、堂々と立ち向かっているが……私の狙いはそいつではない。
最優先につぶすべきは、やつらの中央にいる、黒いマントのようなものを着た魔女だ。
反旗「……」
マミ『停止時間で動いていたあの魔女さえ倒せれば……!』
ほむら『ほかの魔女も、一網打尽よ』
動きは決まった。あとは事を上手く運ぶのみ。
ほむら(時間停止を使えば7体の動きは止められる。けど残りの一体を、時間停止が効かない私が倒せるかといえば、絶対に無理ね)
ほむら(一撃火力のランチャーは駄目、アサルトライフルで戦うしかない)
ほむら(……なんて無力なのかしら、いえ、今は嘆いても仕方ない)
マミ(数は多い、けど囲まれているわけじゃない)
マミ(ティロ・スピラーレで敵の陣形を固めさせて、美樹さんの攻撃までの繋ぎになる)
さやか(ほむらは遠距離からの援護射撃、マミさんはティロ・スピラーレでの援護になるはず)
さやか(敵の魔女はみんな近接タイプだ、援護射撃は強力な味方になってくれるだろう)
さやか(以前のガトンボの魔女みたいに、遠くから使い魔を飛ばして、なんてことはないはずだ)
さやか(こっちは遠距離から敵を削る、相手はなかなか近づけない……近づいたら私が斬る)
さやか(あの時の魔女とは、正反対の状況だ。こっちが優位!)
ほむらの盾からアサルトライフルを滑り出し、マミさんの両手にマスケット銃が握られ、私が篭手とサーベルに魔力を込めた。
それは最低限の準備動作で、長考の末の動きというわけでもない。
ある意味最速のモーションだった。何体もの魔女を倒してきた3人の、テレパシーすら使わない連携の初動のはずだ。
重戦車「――ショウメンヨリ、キル!」
一騎「ミギヨリ、チカヨリテ、キル」
舞踏「ヒダリヨリ、ヤツヲ、キリステル」
私たちが戦いの準備を整えると同時に、知性の無いはずの魔女は散開した。
さやか(なん……)
王騎「タタカエ!」
あっけにとられたその隙すらも突いて、魔女はこちらへ飛びかかってくる。
マミ「ああっ!?」
さやか「!」
散らばる標的を追おうと、発射の直前に銃口が左右へと逸れた。
二発のティロ・スピラーレは中途半端な場所で炸裂した。
広範囲ではあるものの、魔女に満足なダメージを与えることはできかったようだ。
マミ(しまった、これじゃあ掠っただけ――)
重戦車「シトメル」
両足に車輪を備えた大柄の魔女が、そのままマミさん目がけて突進を始めた。
手に握るのは、巨大なハルバード。槍と斧を兼ねたあの武器は、その用途のどちらでも、私たちに致命傷を負わせるに違いない。
すかさず私は前へ出た。
あのハルバードくらいなら、私のバリアで防げるはずだ。
さやか『マミさんほむら! 左から来る魔女を相手して!』
マミ『! 了解……!』
ほむら『右は!?』
さやか『良いから!』
重戦車「ォオオォッ!」
ハルバードの大振りに左手を差し向ける。
派手な青い火花と衝撃波を散らしながらも、なんとか一撃を耐えることができた。
舞踏「イノレ」
一騎「マイル!」
問題は次だ。
マミ「“ティロ・スピラーレ”!」
ほむら「当てる……!」
正面からの重い一撃は耐えた。
あとは左右から迫る魔女の対処だ。
マミさんとほむらは、片方の長い剣を持った魔女を対処してくれるだろう。
舞踏「オドレェ!」
さやか「!」
バリアーの展開によってしばらく動くことのできない私へと迫る、二刀流の魔女。
短いながらも二刀流を振り翳す4m近くの立ち姿は、剣道の試合とは比べ物にもならない“死の予感”がする。
それでも相手は、剣を持った人型の敵。
人型が相手なら、片手がふさがっていようとも余裕がある。
さやか(四跳ねの燈)
舞踏「!?」
威力任せの大振りな攻撃を、軽くいなす。
数メートルや数十キロごときの体格差があろうとも覆らない物理法則により、魔女の双剣は外側へと弾かれる。
片手だろうが関係ない。油断しきったモーションで攻撃してきる奴なんて、素人みたいなものだ。
さやか「“閂”」
魔女「グボォッ!?」
わけのわからない姿をした魔女よりも、よっぽどやりやすい。
無防備な魔女の首を跳ね飛ばしたとき、そう思った。
マミさんとほむらは、私の後ろで無事に攻撃を防ぎ、反撃できているだろうか。
重戦車「キリ、クズス!」
さやか(あっちを考える余裕もなさそうだ……!)
バリアを隔てた大きな魔女が、ハルバールドを腰だめに構え始めた。
魔女の攻撃だ、何が起こるかはわからない。
足元の車輪、重厚な鎧、巨大な体。重戦車と呼ぶにふさわしい姿の、パワータイプの魔女。
緩慢な溜めから繰り出す一撃に、どれほどの威力が込められるだろうか。
経験上、ゲームであれ現実であれ、でかいやつの思い切りの一発っていうのは、キツい。
さやか『ふたりとも、すぐにここから退避! でかいのは任せて、後ろの他の奴を!』
二人の戦況をよそ見はできない。私はこいつを仕留めなくては。
重戦車「ドォオオッ!」
ハルバードが、太い鉄を引きちぎったような音と共に、より巨大に、刺々しく変形する。
刃の先端部分だけで私達三人分を覆いつくせそうなほどの、規格外な武器だ。
この業界ではワルプルギスの夜を相手にする以外には用途もなさそうな、少なくとも魔法少女に使う得物ではないことだけは確かな兵器。
穂先は私に向けられている。
さやか(セルバンテスのバリアーで防げるか……!?)
重戦車「ッッッセェエィッ!」
ハルバードがバリアーを衝く。
青い衝撃は半透明な面を白く覆い尽くした。それが衝撃でも火花でもなく、バリア自体に入ったヒビであることはすぐにわかった。
穂先はたやすく私のバリアを突き破り、地面までも何メートルか抉り取ってしまった。
さやか「――割れる直前にヒビが入る事は、杏子との戦いで既に知っていた」
重戦車「!?」
さやか「バリアにヒビが走り、曇った瞬間に姿をくらませば、アンタの次の動きも鈍くなると思ったんだよ」
突撃を敢行をした魔女の足元で、私は大剣を振り絞る。
さやか「正解だった」
重く堅い手応えだったけど、甲冑らしきものの隙間を狙った大振りは中まで到達した。
体を支えるための大事な芯までも着られた魔女の胴体は、重みに任せて傾き、ちぎれ、伐採される大木のように転げ落ちた。
さやか(次っ!)
一番大きな奴は切り崩した。次の相手と戦わなければ。
周囲を状況を確認しようと、まずはマミさん達の方へと目をやった。その時だ。
ほむら「緊急事態」
私のすぐ目の前に、緊迫した表情のほむらが現れた。
何が起きたのかはわからない。理解するより先に、すぐに場面は移り変わっていた。
今さっきまでいた草原ではない、コンクリートの上に、私は立っていた。
さやか「!?」
何が起きた。この地面は?コンクリート、道路。舗装された路面。
結界の中ではない。ワルプルギスの夜の外?
ほむらの時間停止の効果による瞬間移動であると、私は推測した。
一瞬だけ視界に入ったほむらがその理由の裏付けになるだろう。
つまり、ほむらは私を抱きかかえてワルプルギスの結界を脱出した?
一体何のために。
さやか「何が……!」
理由は分かった。
ほむら「お願い、巴さんを助けるの、手伝って!」
マミ「……ぅぐ、ぁあ……!」
緊急事態だからだ。
マミさんの両足は、腿から無くなっていた。
続きます